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在日韓国人は1世代で半減し2世代で絶滅する

1:777 :

2023/07/07 (Fri) 13:49:24

在日韓国人は超高速少子化で2050年に出生数100人になる
2020.02.28
https://www.thutmosev.com/archives/82277652.html

韓国人同士の子供は生まれないので、赤の韓国籍外国人は減り続けている

画像引用:http://www.moj.go.jp/content/000076936.gif

在日韓国人は1世代で半減し2世代で絶滅する
インターネットやSNSなどでは「日本は在日韓国人に支配されている」という情報がとても多い。

保守系の主張に多いのは、たとえば「芸能人のほとんどは在日韓国人」というような事です。

彼らの説明だと国会議員のほとんどが韓国人だし、弁護士のほとんども韓国人、テレビ局や製作スタッフのほとんども韓国人だという。


だが在日韓国人の人数は2019年は45万1千人(法務省HP)で、1991年の約69万人から急減しています。

「芸能人や政治家のほとんどが帰化人」のような主張もあり得ない話で、帰化申請は年間5千人程度です。

50年間帰化の平均が5千人だったとしても今までの合計は30万人未満の筈で、外務省の統計でもそうなっている。

在日韓国人の出生数減少は目を覆うほど悲惨で、現在は年間1000人を下回っていると見られます。

在日韓国人の出生数は生まれた時点では確定せず、日本人と結婚した場合、子供は22歳まではレンホーのように2重国籍が認められている。

民団によると在日韓国人の結婚相手の9割は日本人で、韓国籍同士の結婚は9%しかありません。

日本人と在日韓国人の間に生まれた子供は、大半が日本国籍を選択すると推測されます。

民団の人口統計では0歳から4歳までの年齢別人口は平均1385人だが、仮に半数が22歳で日本国籍を選択したら、各年齢で700人以下しか居ない事になる。

これは現在の数字であり、韓国人同士の結婚が9%なのを考えると、25年ごとに在日韓国人の出生数は1割から4割程度に減少します。

すると西暦2050年頃には在日韓国人の年間出生数は100人から300人程度になっている計算です。

「日本は在日に支配されている」どころか、在日韓国人は今後1世代でほぼ絶滅するのです。

在日韓国人とは限界集落なみの小さい世界であり、次の世代には小学校も維持できなくなりすべて廃校になります。

朝鮮学校はいずれ廃校になる

東京都や大阪府が援助するしないで話題になった朝鮮学校は、現在は北朝鮮の朝鮮総連指揮下にあるが、最初「(南北)朝鮮」の学校でした。

いつの間にか北朝鮮に乗っ取られて金一族を教祖として崇めるようになったのだが、実は生徒の半数は韓国籍の在日韓国人です。

韓国学校も存在するが規模は小さく、日本の学校に通わせたくない親は子供を朝鮮学校に通わせています。

韓国政府が支援する韓国学校のほうは、韓国で生まれて仕事などで日本に赴任した韓国人のための学校です。

ここでは在日韓国人は厄介者であり、日本の学校に通うよりも阻害されるので、在日韓国人の子供は通いません。

先ほど書いたように在日韓国人の結婚相手の9割が日本人なので、日本国籍と韓国籍を持ちながら朝鮮学校に通う日本人生徒も多い。

日本人が通ってはいけないというルールもないので、日本に帰化した人の子供も通っていると思われます。

朝鮮学校在校生の過半数が韓国籍で、北朝鮮国籍は3割未満、日本国籍を持つ人も通っている。

朝鮮学校の在校生は最盛期に4万人だったが、2016年は6千人で現在は5千人程度だと思われます。

在日韓国人の子供は25年ごとに良くて半減、悪ければ1割まで減少するので、生徒の減少ペースは日本の過疎地よりも早い。

それでは学校経営が成り立たないので援助してくれというのが朝鮮学校の言い分で、援助するとかしないとかで揉めている。

だがこれほどのペースで生徒になる分母が減少したら、自治体が支援したとしても1世代か2世代で廃校になるしかない。

従って在日も民団も総連も朝鮮学校も、援助しようがしまいが今後1世代で日本から消えてなくなるのです。

今在日の中心世代は40代ですが、後に続く世代はおらず超高速少子高齢化が待っています。
https://www.thutmosev.com/archives/82277652.html
2:777 :

2023/07/07 (Fri) 13:57:17

中川隆 _ 被差別部落、在日朝鮮人関係投稿リンク
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/814.html
3:777 :

2023/09/18 (Mon) 17:26:19

韓国の独居老人が急増、独居高齢者の7割は貧困状態
2023.09.18
https://www.thutmosev.com/archives/297853er.html

独居高齢男性のほとんどは貧困かつ知人や訪問者なし


https://japan.hani.co.kr/arti/international/23747.html 貧しい高齢者の国、韓国…2050年に高齢者比率が世界2位 _ 日本•国際 _ hankyoreh japan

関連動画が記事下にあります

増える韓国の孤独死

韓国の高齢者人口(65歳以上)は870万7,000人(21年)で高齢化率は16.8%、最近は毎年1%くらい高齢化率が上昇し2025年に25%になると予想されています

高齢者の増加(実際は中年が年を取っただけ)と生まれる子供の減少によって高齢化率が高まり、出生数は「ノルマ」だった30万人を割り今年は23万人、2025年に20万人割れが予想されている

こうなると独居老人や老人だけの世帯が社会問題になり、健康問題を抱えた高齢者が貧困になり働くのも困難で住居や生活費の確保が難しい

韓国は長年家父長制度だったので長男が後を継いで、子どもが親の面倒を見るのが当たり前とされてきたが家族制度崩壊でそんなのは無くなった

昔は長男は親と同居し嫁と子供数人が暮し、年取った親の面倒は嫁が見ていたが、今そんな事を行ったら結婚相手が見つからない

男は親と別居して結婚と同時に新築マンションを購入し、親の家には帰らず老後は自分達で生きてくださいという社会になっています

ソウルでは入居者のほとんどが高齢者の高齢マンションが増加し、団地内で年数人は1人暮らしの高齢者がなくなっているのが発見される

ある団地の警備員は「異臭がするという苦情で玄関を開けると住人がなくなっていたのを数多く見てきた」と話した

韓国では管理人や大家でも部屋を開ける事ができないらしく、別居している家族の立ち合いで玄関を開けるので発見が遅れる

韓国保健福祉部は2021年の孤独死統計を発表し、5年前の2017年に比べ40%増の3378人で、韓国の全死亡者32万人弱の1%にあたる

50~60代が58.6%を占め女性より男性が4倍多かったが、保健福祉部は「それまで家事をしたことが無い高齢男性は生活の質が急激に低下する」と説明している

1人暮らしの中高年男性は離婚や失業などを体験し失敗者のレッテルを貼られ、人生に絶望したり生きる気力を喪失してしまう例が目立つ

なお日本の孤独死は年間約2万5000人で、いずれ3万人に達すると予想されています

高齢者の貧困が事態を悪化させる
韓国の中高年独身男性は離婚や仕事などで何らかの失敗を経験した人が多いので、失敗を隠すため他人との交流を避ける傾向があります

隣人との交流も避けたため隣に誰が住んでいるのかも互いに知らず、倒れたり病気になったとしても誰も不審に思わず訪ねて来ない

政府は福祉センターなどによる訪問を増やしているが、人手や予算などが不足している上にそうした訪問者を望まない独居男性もいる

独居老人と切り離せないのが貧困問題で韓国の高齢者貧困率はOECD基準で圧倒的に世界最悪、貧しい高齢者の割合が多いのを意味している

韓国保健社会研究院によると2020年基準で単身世帯は可処分所得が中位所得の50%に満たない相対的貧困率)は47.2%だった

独居老人は10人中7人が貧困状態で、女性単身世帯の貧困率は55.7%で、男性の34.5%より高かった

統計庁によると2021年の単身世帯は716万6000世帯で、前年より7.9%増加し全世帯のうち単身世帯が占める割合は過去最高の33.4%に増えた

韓国の高齢者貧困率は以前は50%近かったが2021年時点で37.6%、西側諸国の多くは20%台前半なので今も非常に高い

これには勝者と敗者がはっきり分かれる社会構造と、欧米先進国程福祉環境が整っていないなどの理由が考えられる

日本との違いで大きいのは無料の老人ホームや介護施設の少なさと、韓国には生活保護制度が存在しないのが挙げられる

韓国の「国民基準生活保証制度」は働いて足りない収入を補う制度で満額でも数万円程度で、日本のように社会費用一切無料などの特典も無い

しかも働いて収入を得ると差し引かれるので、結局のところ必要額の半額程度の収入しか得られない仕組みになっています

ネットには基礎生活受給費43万ウォン(約42000円)と書かれていて、日本の生活保護の3分の1程度です(数年前の金額)

ソウルのある高齢者の収入は生活保護費が27万ウォン、基礎年金20万ウォンの47万ウォン(約4万6千円)が収入の全てと書かれている

この場合も年金が支給されるとその分の生活保護費が差し引かれるので、まるで意味を成していない


無料乗車制度を利用したシルバーデリバリー
https://www.youtube.com/watch?v=tsfRdfI1I9w

https://www.thutmosev.com/archives/297853er.html
4:777 :

2023/10/01 (Sun) 15:30:21

高校無償化と朝鮮学校除外、朝鮮学校生徒数は4万人超から4000人に減少
2023.10.01
https://www.thutmosev.com/archives/300163gt.html

教室が生徒で埋まる学校は今や稀(写真は2010年)


https://futoko.publishers.fm/article/2525/ 朝鮮学校を訪ねて「よく”ではなくありのまま”を」 _ 不登校新聞

関連動画が記事下にあります

高校授業料の無償化と例外

政府は高校授業料の無償化を進めているが焦点になったのは授業料が高額な私立高校、そして朝鮮学校などの扱いでした

公立高校の授業料は全国一律11万8800円、高等専門学校だと年間23万4600円を政府が補助することで完全無償化されています

私立高校の授業料はばらばらなので39万6,000円を国が補助し、それで足りない分は親が自己負担し高額な高校に行かせることになります

39万6000円は全国私立高校授業料の平均ですが親の所得によって上限が変わり、共働きで1人っ子だと手取り約660万円以下で満額補助金が助成されます

裕福な自治体は独自の支援金によって私立高校を実質無償化していて、東京都は親の年収目安910万円未満まで授業料最大47.5万円の支援を受けれる

都内にある私立高校の約8割は授業料が48万円未満なので、それより高額な高校を選ばなければ授業料が実質無償化になります

大阪府が検討する無償化案は私立高校への補助額標準授業料を63万円にし、96校全てで所得制限なしの完全無償化で合意しました最

最初60万円だったがこれだと完全無料にならない私立校が出るので「差別だ」という大阪らしいもめ事があり対立していた

大阪のもめ事と言えば朝鮮学校無償化を巡っても議論があったが国は早々に「朝鮮学校を無償化しない」と決めたので39万6000円を出さない

朝鮮学校高等部の授業料は約40万円とされているので、大阪府などが独自に40万円を負担すれば無償化が可能だが、そこまでする気はないようです

朝鮮学校を高校授業料無償化の対象から除外したのは違法だとして訴訟を起こしたが、21年7月27日最高裁ですべて敗訴が決定しました

日本政府が朝鮮学校を除外したのは政府が定めた教科書や授業をしていないので、学校教育法による「一条校」ではないと定義されているため

朝鮮学校の知られざる実態
「一条校」は学校教育法第1条の 小学校、中学校、高等学校、中等教育学校、大学、高等専門学校、盲学校、聾学校、養護学校及び幼稚園の10校で、これら以外は各種学校になります

朝鮮学校を卒業しても学校卒業資格を得られず大学受験資格もないが、各大学が「高校卒業と同等の学力」と認定する事で実際にはかなりの大学を受験可能です

一条校以外は各種学校になり「簿記、珠算、自動車整備、調理・看護師、保健師、理容、美容、タイプ、英会話、フリースクール」と同じなので朝鮮学校は美容師学校と同じになります

多くの人は朝鮮学校とは北朝鮮国籍の人や韓国籍、少なくも在日や元在日だった人の子供が通っていると思うでしょうが実際には生徒の半数近くが日本人の子供です

生徒の7割は韓国人と日本人で北朝鮮国籍は3割、国籍別では日本国籍が多く、親が北朝鮮思想に傾倒した人や日本に帰化した元韓国籍の日本人、片親が韓国籍の日本人などが通っている

現在は在日同士の婚姻が減少し、片親が日本人だと子供は日韓好きな方を選択でき、日本で生きるなら日本国籍を選択する人がほとんどだと思います

民団資料によると在日韓国人の9割は日本人と結婚しているので、在日韓国朝鮮人は1世代で9割減少という驚異のペースで居なくなっています

朝鮮学校も寄付だけでは学校を維持する事ができず、ギリギリまで追い込まれているので授業料無償化はどうしても欲しかったに違いない

全国朝鮮学校生徒数は産経新聞によると2019年で5000人程度、それから4年経ったので現在は4500人以下になっているでしょう

1970年代には4万6000人の生徒数だったがこのペースでは2030年代には生徒数1000人、すぐに100人になり学校として維持できなくなります

今時子供に朝鮮思想を学ばせたいと思うガチガチの左翼日本人も少ないだろうし、無償化除外は「朝鮮学校廃校」と同じような意味になります

令和4年の特別永住者数は約28万人で1991年の70万人から激減していて、こちらも民族としての維持が風前の灯になっています

特別永住者の子供も永住権を相続できるがなにしろ日本人との結婚が9割なので、子どもは永住権に興味がなくほとんどは日本国籍を選択しています


朝鮮学校からJリーグ、北朝鮮代表になった鄭大世
https://www.youtube.com/watch?v=0jUf1MylWek

https://www.thutmosev.com/archives/300163gt.html
5:777 :

2023/10/02 (Mon) 06:57:11

< 支那人が「隣人」となる恐怖 / 悪夢となったマイホーム
2023年10月01日
海に浮かぶバルカン半島 / 分断される日本(前編)
「朝鮮人」に生まれた悲哀
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68944747.html

Korean Child 11Korean child 294
( 左 : 貧しい時代の朝鮮人 / 右 : 豊になった現代の朝鮮人 )

  デモクラシー(民衆政治)と呼ばれる統治形態は、同質的な公民で構成される小さな共同体でしか機能しないものだ。様々な民族が寄り集まるモザイク国家では成功せず、むしろ民衆の生活を圧迫する狡猾な僭主が選ばれる。形式的には自由な国家に思えるが、本質的にはソフトな全体主義に他ならない。デモクラシーを標榜するアメリカ合衆国でも、イギリス系の入植者が支柱となる共和政が崩壊し、大富豪が牛耳る帝國に変貌している。その属州たる日本はもっと酷く、衆愚政治(オクロクラシー)が定着してしまった。

  今となっては馬鹿馬鹿しいが、1980年代には「日本社会の国際化」とか「島国根性からの脱却」といったフレーズが流行っていた。こうした言葉に酔っていた日本人は、「人手不足」とか「人道主義」の宣伝に弱く、無防備なまま外国人を受け容れしまった。主流メディアは相も変わらず、「労働力」や「研修生」あるいは「留学生」と呼んで、その実態を曖昧にしているが、実際、日本にやって来る「外国人」というのは、主にアジアやアフリカからの移民や難民だ。間違っても、歐米諸国が惜しむ“貴重な人材”とか“優秀な科学者”じゃない。

Ishikawa Yoshimi 02(左 / 石川好)
  バブル景気で浮かれていた昭和60年代、移民推進派のNHKや在京のテレビ局は、作家の石川好(いしかわ・よしみ)などを招いて、盛んに“鎖国状態”の日本を破壊しようと目論んでいた。若い頃、石川氏は在米の兄を頼って渡米したそうで、カルフォルニア州にある苺農園で働いたそうだ。彼は自身の体験を基に、我が国の「外国人問題」を語っていたが、彼の見解には承服できない点が非常に多い。西尾幹二と対談した石川氏は次のように述べていた。

  私がずっと外国体験したあと、日本に帰ってきて感じたことは、日本はあまりに鎖国的でありすぎるんではなかろうか、開国している状況がなさすぎるんではなかろうかということでした。そこで、あえて開国の状況をつきるべきだ、人をまず入れろと言ったんです。そうすると必ず鎖国の問題が出ざるを得ない。そうなってはじめて日本の鎖国と開国の問題が論じられるようになるだろうと考えて、私は一人で言いつづけてきたわけです。(石川好/ 西尾幹二 激突会談「やるかやらぬか『人の自由化』」、『正論』1988年5月号、pp.43-44.)

  観念的な石川氏は、外国人労働者を受け容れることが「日本の試練だ!」と言い張り、「今が千載一遇のチャンス」とはしゃいでいた。しかし、平成から令和の時代に生きる日本人は、石川氏の意見に賛同するのか? 昭和末期、日本で働きたいと欲する支那人が雲霞の如く存在し、彼らは祖国や日本でがむしゃらに異質な日本語を学んでいたが、石川氏もこうした支那人や留学生を目にしていたようだ。彼は西尾氏を前にして、「これは我が国が引き受けるべき運命だったのでは」と語っていた。(上掲対談、p.52.) もう、呆れてしまい、返す言葉さえ見つからないが、こうした考えの日本人は少なくない。特に、地上波テレビで洗脳された国民は、アジア移民を排斥する必要性を理解していないのだ。本来なら、「運命」として受け容れるのではなく、「危機」と考えるべきなのに、自分の私生活に害が及ぶまで気づかない。支那人を受け容れるのは「運命」じゃなく、日系日本人の「怠惰」である。

  同雑誌では、早稲田大学の鈴木宏昌(すずき・ひろまさ)助教授が論文を投稿していたけど、今では馬鹿らしくて読むことができない。もし、今の早稲田大学に通う学生がめにしたらどう思うのか? 大学の運営者が、どんな“業績”で鈴木氏を“名誉”と思ったのか知らないけど、彼は数十年を経て「名誉教授」となり、厚生労働省の職業安定局が主催する有識者会議、「外国人労働者の雇用管理のあり方に関する研究会」で議長を務めていた。つくづく厭になるんだけど、小賢しい役人は、こういった脳天気な教授を利用し、反日政策の根拠にしているんだよねぇ~。

  NHKや朝日新聞、「豆朝日」たる毎日新聞、かつての岩波知識人、テレビ局に雇われる反日文化人は、日本が多文化・多民族国家になると“素晴らしい”社会が誕生すると、嘯(うそぶ)いている。だが、実際にアジア人やアフリカ人が近所に住み着くと、穏健な日本人でもたちまちに“右翼”とか“ネオナチ”となってしまう“オチ”だろう。テレビで観るだけなら、アジア移民に反対する抗議デモは、暇人のパレードに過ぎない。喫茶店でお喋りに夢中なオバちゃん達は、「そんなに騒がなくてもいいのに。外人排斥の右翼って下品よねぇ~」と小馬鹿にするが、いざ、自分の娘がタイ人とかアラブ人と結婚したい、あるいは、跡取り息子が大学で黒人留学生と付き合っていると聞けば、直ちに大反対。在日朝鮮人や支那人でも嫌なのに、黒髭のクルド人とかイスラム教徒のマレー人が義理の息子になったら、呑気な親でも「ちゃぶ台返し」だ。

  一般の日本国民は口にしないけど、敗戦前の日本、あるいは闇市時代、昭和30年代から50年代の社会を知る日本人なら、異民族との“共生”なんて真っ平御免だ、と解るはずだ。たとえ、日本人と同じように標準語や方言を話す朝鮮人でも、やはり異質なアジア民族に過ぎず、義理の兄弟や結婚相手となれば、心の中での葛藤が激しくなり、何となく躊躇ってしまう。

  在日鮮人や帰化鮮人の方でも日本人への嫌悪感が強く、幼い頃の“屈辱”や“怨念”にこだわっている人が多い。TBSの「報道特集」やNHKの「E-TV特集」でも企画されないが、昭和時代に朝鮮人が味わっていた劣等感や恨み辛みは、そうとう根深いものである。ということで、今回は幾つかの事例を紹介してみたい。

  大阪府の高槻市には六つの中学校があり、第六中学校は1963年に開校されたそうだ。第六中学校の学区には在日朝鮮人が多く、「成合(なりあい)」という特殊な地区があるそうで、第六中に通う子供達は「成合こども会」を作り、『生い立ちの記』という小冊子を出していた。在日朝鮮人の家庭は色々と複雑だ。母親のみならず、子供達までもがせっせと働く貧乏世帯から、親父が酒乱で暴力的な日々を過ごす下層階級まで様々ある。普通の日本人が、在日鮮人の子供が綴るの文章を読んでいると本当に気の毒になってしまう。

  朴京子(パク・キョンジャ)の例を挙げてみたい。彼女の両親は朝鮮生まれ。父親は岡山県にいた友人に誘われて来日したそうで、岡山に住んだ後、大阪へ移って会社勤めをしたそうだ。この父親は朝鮮に戻ると、京子の母親となる女性と結婚した。彼は日本に戻ると女房を呼び寄せたらしい。会社勤めの父親は、やがて工場を経営するようになり、東京へと移り住んで、なぜかタクシーの運転手になった。しかし、病気が原因で仕事を辞める破目に。それでも、日本が敗戦を迎えると、朴夫婦は大阪の高槻市に移り住み、二人の娘をもうけていた。

  次女の京子は小学校低学年の時、ぜんぜん差別を感じていなかったそうである。しかし、小学五年生くらいになると「朝鮮人」という事実に感づいたそうで、中学一年生になると朝鮮人であることが本当に厭になったそうだ。彼女は次のように書いている。

  社会の時なんか「朝鮮」ということばが出てくるだけでドキッとしたものだ。時には、どうして朝鮮人なんかに生まれてきたのか・・・・と、くやんだものだった。とくに中学生にはいってから朝鮮人だと知られるのがこわかった。朝鮮人だとわかったら友だちがはなれていくようでならなかった。文通友だちにも朝鮮人だということはおしえていなかった。学校では朝鮮人として、ほこりをもてといわれても、又、その気になってもやっぱり朝鮮人だと知られるのかいやだった。どうして自分たちだけがこんな思いをしなければならないか、と思った。(飯沼二郎『見えない人々 在日朝鮮人』日本基督教団出版局、1973年、p.91.)

  日本の学校に通う在日鮮人の中には、「朝鮮人」という素性を隠す子供が非常に多い。確かに、昭和の時代に「私は朝鮮人」と公表したら、クラスの級友はビックリするし、日本人の子供は何か不気味な生物を見るような気持ちになってしまう。戦前から朝鮮人の評判やイメージはかなり悪く、朝鮮語を学ぶ日本人は“ごく稀”だったし、朝鮮文学を専攻する大学生なんてほぼ皆無。新婚旅行に釜山やソウルを選ぶ女性がいたら変人扱いだ。

  在日鮮人の方も「朝鮮」というイメージに恥ずかしさを感じていたから、「チョーセン」という言葉を聞いただけでも心臓が縮む思いであった。中学生や高校生の娘なら、自宅に友達を招きたくない。もし、日本人の友達が家の中で「朝鮮グッズ」を目にしたら、自分が朝鮮人とバレてしまうからだ。朝鮮人の家には祭祀用の置物とか札、地用船の民族衣装、楽器などがあったりする。朝鮮文化に疎い日本人が目にすると、眉を顰めて「何これ?!」と驚く。銀行に勤めていた朝鮮人でも、正体が発覚すると狂人のように激昂するとこもある。宴会の席で“うっかり”上司が口を滑らせ、朝鮮人社員の素性をバラしてしまったことで、本人が即座に銀行を辞めてしまった、という事例もあるのだ。

  李敬宰(イ・ジョンゼ)の例。彼の母親は朝鮮生まれだが、その父親(敬宰の祖父)が日本に住んでいたので、幼い時に父が居る日本に移ってきたという。ちなみに、敬宰は「朝鮮」と「韓国」は違うと考えているようで、自分の母親は「韓国からやって来た」と強調していた。戦前や戦後であっても、日本人からすれば「朝鮮」は「朝鮮」でしかなく、「大韓民国」というのは冷戦によって生まれた「南鮮」を指す。政治的には「在日南鮮人」と「在日北鮮人」は別個の扱いになっているけど、我々の日常生活では共に「在日鮮人」である。大半の日本人は批判を恐れて、「在日韓国人」と「在日朝鮮人」を意識的に区別するが、そんな配慮をせずに「在日鮮人」と呼べばいいじゃないか。南鮮人が厭がっているだけだろう。冷戦時代、普通の日本人が忖度を利かせ、「在日東ドイツ人」とか「西ドイツ料理店」、「ドイツ連邦共和国語」と言っていたのか?

  李敬宰も典型的な“洗脳世代”の在日鮮人で、日本統治時代の朝鮮人は塗炭の苦しみに喘ぐ暗黒時代、と思っていた。在日鮮人の子供達は、朴慶植の『朝鮮人強制連行の記録』を読んでいたか、朝鮮学校で教師から紹介されるかして、日本統治の「残酷性」を叩き込まれている。しかし実際は、朝鮮史で唯一の黄金時代。世界史を探してみても、あのような恩恵に恵まれた「植民地支配」は無いだろう。ところが、根本的に精神が歪んでいる朝鮮人には承知できない。「ヒストリー」と「フィクション」が区別できず、自分にとって都合のいい「ファンタジー」を描く朝鮮人は、日本統治を生き地獄のように描く。彼らは悪魔のような日本人を想像することで、劣等感に苛まれる心を癒やしていた。李敬宰が伝える親の昔話は滑稽である。

  父は、小さい時、誰かに日本へ行ったららくになると聞いて日本に来たらしい。その当時、韓国は日本人に支配されていたから、食べるものもないし、やむおえず日本に渡ってきたのだと思う。(上掲書、p.98.)

  中学生の敬宰は実情を知らないから「やむを得ず」日本に渡ってきたと信じているが、当時の朝鮮人にとって日本は“憧れの先進国”で、「日本に潜り込めば何とかなる」と考えていた。朝鮮での募集でも知人の招きでもいいから、とにかく貧乏な朝鮮を脱出したい、という気持ちでいっぱいだったのかも知れない。日本の乞食よりも惨めな生活を見たければ朝鮮に行くのが一番で、不潔で貧乏な朝鮮には絶望しかなかった。日本統治の前、京城には大きな共同便所があったそうで、毎朝、幾百人の男女が城内のドブに集まり、汚水で口をすすぐという“奇態”があったらしい。もっと信じられないのは、小児の小便を「万病に効く妙薬」と思っていたことだ。この迷信を疑わない朝鮮人は、宮中で子供を養い、「便童」と名付けて小便を放出させていたそうだ。(金岡助九郎『満鮮旅行案内記』駸々堂書店、大正9年、p.270.)

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(左 : 朝鮮半島で暮らす朝鮮人の親子 / 中央 : 戦争で疲弊した朝鮮に住む鮮人の姉と弟 / 右 : 米国で幸せに暮らす朝鮮人の家族 )

  在日鮮人は日本統治の残酷さをあげつらうが、不思議なことに彼らの両親や祖父母は憎いはずの日本(内地)へと“自発的”に移り住み、日本人官憲による「強制連行」と称していた。大阪とか神戸、神奈川に住み着いた朝鮮人は、日本での“貧困生活”に愚痴をこぼしていたが、なぜか愛しい「祖国」に戻ることはなかった。たぶん、もっと貧乏で悲惨な朝鮮には死んでも帰りたくなかったんだろう。李敬宰の家庭も貧しかったが、田んぼに建てた小屋に住み、畑にキュウリやナスを植えて、その日暮らしをしていたそうだ。

  幸い、敬宰の父親は近くの寺で雇ってもらえたので、清掃員として賃金をもらうことが出来た。朝鮮人は家族思いだから、本国の家族に送金することがある。職を得た朴の父親も懐にした給金の中から、幾らかを実家の母や弟に仕送りしたという。日本社会を憎む先人の子供は考えないが、彼らの疎部ボヤ両親が朝鮮に留まっていたら、一体、どれだけ稼ぐことが出来たのか? 敬宰の母親は亭主と共にクズ鉄拾いをしていた。戦後の朝鮮人はよく、道に落ちている鉄屑を拾い集めたり、寂れた工場に忍び込んで銅線を盗み、それを売りさばいて稼いでいたが、朴夫婦も近所に落ちている鉛を拾い集め、何処かで換金していたそうである。

  昭和時代に生まれ育った在日鮮人は、多かれ少なかれ、何らかの屈辱感を味わっている。子や孫の世代は在日1世のような体験は無いかも知れないが、祖父母や両親から受け継いだ遺恨を心の何処かに秘めているはずだ。

  李敬宰も日本人からの侮辱を受けた鮮人の一人で、彼は窃盗の濡れ衣を着せられたことがある。彼がみんなと一緒に夏の水泳を楽しんだ時の事である。泳いだ後、みんなが服を着替えて帰ろうとした時、日本人の子供が「お金をなくした」と言い出した。この時、朝鮮人の敬宰達が皆から疑われたそうだ。そして、彼が消えたお金について教師と話したら、まるで彼が盗んだかのような言い方をされたようである。

  まだ少年だった敬宰は相当傷ついたようで、なぜ韓国人として生まれたのか、「どうせ生まれるねんやったら日本人に生まれてくるんやった」と嘆いた。彼はバスに乗って家に帰るまで、朝鮮人に生まれた悲劇を考えていたそうである。敬宰は「朝鮮人! 韓国人! いやだ! いやだ!」と本音を綴り、「僕は、日本人がうらやましい。差別されない日本人が・・・。だが、今は嫌いな日本人!」と書いていた。(上掲書、p.100.)

  確かに、根拠も無く朝鮮人を「泥棒」と疑うのはよくない。外見だけで「犯人じゃないのか?」と疑われれば、不良の日本人だって嫌だろう。だが、ここで問題なのは、容疑者が異民族という点だ。もし、疑われたのか日本人の生徒なら、担任教師は「勝手な憶測で疑ってはならない!」と子供達を叱るだろう。また、注意された子供達も素直に反省するはずだ。ところが、普段から毛嫌いしている朝鮮人が容疑者となれば、事態はややこしくなる。先生がいくら叱っても、日本人の子供は朝鮮人を疑い、「あいつがクスねたんじゃないか?」と思ってしまう。なくなった金銭が見つかれば別だが、紛失したままだと“容疑”だけが残ってしまい、すっきりした雰囲気にならない。

 「民族差別」というのは「悪」かも知れない。だが、人間は理性だけじゃなく、感情を持つ動物だ。嫌いな異民族と一緒に暮らせば、不必要な摩擦が次から次へと現れてくる。日本へやって来る偽装難民のクルド人やベンガル人を見れば判るけど、彼らも本国では異民族を嫌い、迫害したり迫害される存在になっているのだ。

  人間がつくる社会は、合理性や社会正義だけでは成り立たない。政治学でも「国民感情」という言葉があるじゃないか。それゆえ、気質や文化の違う民族は、紛争を避けるためにも別々の場所に暮らした方がいい。我々にとったら、「日韓併合」なんて百害あって一利無しである。だいたい、どうして伊藤博文が暗殺されたからといって、朝鮮を併合するのか? たぶん、山縣有朋らが“一等国”として植民地を持ちたかったから、無理矢理に朝鮮併合をやらかしたのだろう。

  平成の後半や令和になると、外国人の子供が幼稚園や小学校に入ってくるのが普通になってしまった。しかし、異民族混交のクラスだと、日本人だけのクラスでは起こりえない「問題」や「衝突」が生じてくる。只でさえ学校教師の雑用は多いのに、アジア諸国からの子供を抱えれば、教師の負担は益々重くなり、授業でさえも“まとも”に成り立たない。日本語能力に欠ける子供がいれば、担当教師は教室に入る前に頭が痛くなる。たぶん、優秀な学生は教職を選ばなくなるだろう。たとえ教師を志望する学生でも、都心の公立学校は避ける。賢い学生は私立学校を選び、自分の教職人生を第一に考えるはずだ。こうなった時、近所の公立学校に通う日系人の子供や親はどう思うのか? 公立学校に勤務する教師でさえ、「自分の子供は私立学校に入れます!」と断言する人は少ない。(イスラム教徒の子供が増えたら、学校の先生も「不登校」になったりしてね。)

  平成のデフレ時代で、日本は「一億中流社会」から「階級社会」へと変わってしまった。今や、「勝ち組」と「負け組」が徐々に分離する過程にある。おそらく、日本国民は親の職業や所得、居住地、家柄、学歴などで分断されるだろう。都会の「タワー・マンション(高層長屋)」に住む成金世帯(nouveau riche)や富豪の名家(old money)は、誕生の時から「別の日本人」として育ち、低所得の庶民とは交わらない。上層国民は通う学校も違っており、大半は名門私立の寄宿学校か、幼稚園から大学までエスカレーター式に進学できるエリート校に入ることになる。大学も国内の有名校か米国のアイヴィー・リーグだ。もちろん、交際する友人も同じ階級の紳士淑女で、結婚相手は身分に相応しい上流階級の御曹司や御令嬢となる。

  こうした上流ないし上層中流階級の人々は、食品工場や解体現場で働くベトナム人、あるいは、キャバクラで酌婦を務めるフィリピン人なんかとは一切接触を持たない。たとえ、彼らが帰化手続きで「同じ国民」となっても、移民や難民の子孫は別の世界で暮らすエイリアンだ。アジア人を輸入する企業経営者は、ちょっと上品な女衒のようなもので、彼らはインド人やビルマ人を「社員」にしても、使い捨ての労働者を義理の息子とか養女にすることはない。景気が悪くなったり、赤字が発生すれば、躊躇なく「ポイ捨て」だ。「家畜」の後始末は、役所に「丸投げ」となる。

  現在、評判の悪い岸田政権は、いつ総選挙にしようかと迷っているようだが、バラバラになった日本国民は、庶民を代表する“護民官”を選ぶことはない。 なるほど、日本の将来を憂う保守派国民は何割かいる。だが、選挙を何回続けても、当選するのは費用伝を持つ売国奴か、「ノンポリ」のポンコツ議員ばかり。だが、もっと嫌なのは、移民や帰化人を支援する代議士が増加することだ。たぶん、特定民族の代表者も議員に当選するから、日系日本人は数が多くてもピンチだ。只でさえ隠れ鮮人や支那系の政治家が多いのに、フィリピン人やベトナム人、タイ人の移民が増え続ければ、必ずや2世とか3世の子供が立候補するようになるだろう。日本人との混血児でも、政界への進出となれば「同胞」の利益を尊重するから、反日議員の誕生となってしまうだろう。

  第二次世界大戦の戦勝国で、独自の軍隊を持つブリテンでさえ、人種や民族問題で国内が割れている。となれば、アメリカの属州である日本には、恐ろしいほど暗く惨めな未来しかない。もし、日本が多民族国家となれば、英国や米国と同じ運命をたどってしまうだろう。日本は皇室を戴く「家族のような国家」であったのに、令和の日本は太平洋に浮かぶバルカン半島になってしまった。三木武吉でも匙を投げてしまうかもね。

 後編に続く。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68944747.html
6:777 :

2023/10/03 (Tue) 07:29:51

2023-10-01
朝鮮人と夫婦になった日本人女性への嘲笑と罵声
https://vergil.hateblo.jp/entry/2023/10/01/171343

中津川(信濃川)朝鮮人虐殺事件を伝える当時の新聞記事の中に、こんな一節があった。

読売新聞(1922/8/2)



(略)

「朝鮮人はなまけものだ」と会社の人も云う、土地の人も云う、だから虐待されるのか、殺されるのかと聞きたくなる

でも嫌われた朝鮮人と子持ちの日本の女が夫婦になった

もっともたった一組だが仲はなかなかいいそうだ

狭いところだ 奇跡でも起ったようにすぐ大した評判だ、

やれ妻有(土地の名称)始まってからの記録だの、タデ食う虫も好きずきだのと 嘲笑と罵声でかしましい(特派員記)

たとえ日本人であっても、よりによって「朝鮮人なんか」と一緒になるような女は、たちまち嘲笑と罵倒の対象となる。

この二人の境遇や一緒になった経緯などは何もわからないが、こんな短い文章からでも、この社会が朝鮮人を配偶者に選んだ女性にとってどれほど生きづらいものだったかは読み取れる。

戦後の1959年、制度的差別と蔑視によって貧困を強いられていた在日朝鮮人を北朝鮮に「帰国」させようという「人道的」大事業が始まり、1984年に事業が終了するまでの間に約9万3千人の在日とその家族が故郷でもない※北の大地に渡った。※ほとんどの在日の出身地は韓国の領域内。

このとき、在日の夫と結婚していた多くの日本人女性が、「帰国」を希望する夫を引き止めるのではなく、夫とともに北朝鮮に渡る道を選んだ。

「帰国船」が出発する新潟港で、帰国者の最後の意志確認をする日赤の委員に、ある日本人妻はこう語ったという。[1]

 ところで、委員が、いちばん注意したのは、日本人妻だ。「不本意ながら子供に引かれて行くんじゃないだろうか」と、どの委員も、日本人妻の顔色に、神経を集中したという。ある日本人妻は、

「夫や子供と、いっしょに参ります。もう決めました」

 と、言葉少なに、キッパリと答えた。そして五つの男の子に委員が話しかけると「ハッキリ返事しなさい」とうながし、子供の親指をとって拇印を押させて、母国日本と決別して行った。

記録上、北に渡った「日本人妻」は1831人いるが、そのほとんどが日本の家族とも再会できないまま、いま何人生存しているかさえ分からなくなっている。[2]

[1] 「日本よ、さようなら 『北朝鮮帰還』第一船の船出」 週刊朝日 1959/12/27号 P.10
[2] 「帰国望む日本人妻 「北ミサイル」が支障に?」 東京新聞 2012/4/12
https://vergil.hateblo.jp/entry/2023/10/01/171343
7:777 :

2023/11/03 (Fri) 13:04:29

韓国若者の多くが半地下より安い違法ハウスに住んでいる
2023.11.03
https://www.thutmosev.com/archives/30671.html

不自然にガスメーターが多い建物


https://www.kyeonggi.com/article/201606270862018
韓国の学生や若者の3割以上が住む

韓国における高齢者の貧困率の高さや貧困問題は知られるようになっているが、若者や学生の貧困が存在するのはあまり知られていません

韓国で子供1人を大学卒業させるまで平均4000万円かかると言われていて、日本の1.5倍から2倍になっています

”平均的”だとする夫婦の子供が保育園に通うと、「遅くとも小学校入学までに英語塾で基礎的英語を学習しないとついて行けず、英語塾には年100万円かかる」と話していました

高学歴を得るためには大学受験まで塾が続き、大学を卒業してからも就職塾に数年間通って100以上の資格を取得し数百社に就活申し込みします

親は大変な金を掛けるので子供1人で4000万円なら2人で8000万円、安く済ませても6000万円かかるので韓国で2人目を産む夫婦はほとんど居ません

出産年齢の女性のうち「子供を産みたい」と答えた割合はわずか4割で、産むと答えた人も1人だけなので今世紀中に韓国人はいなくなるのかも知れません

大半の親は子供が大学に行く頃には借金をかかえて家計破綻している筈で、学生はアルバイトをするが交通費とと通信費で消え食費に回らない

食費を払えないので1日3食を減らし一日3食は贅沢、2食は食べ過ぎ、1食が日常』と言うのが一種の流行語になっています

韓国の最低時給は960円くらいだがあまりにも法定賃金を上げ過ぎたために、働いていない事にしたり自営業扱いにするのが常態化している

たとえばネットカフェでは14時間働かせて8時間しか働いていない事にしたり、雇ったのではなく自営業者と契約した形にすることも多い

多くは飲食業なので忙しい時間だけバイトを働かせて暇な時間になると帰宅させ、当然その分の時給は払わないという事も行われている


この結果学生や若者は家賃を払うのが困難になり、チョッパンと呼ぶ最低家賃住宅に入居している
https://www.youtube.com/watch?v=5RMGsa6CdTA


盛り付け文化と実際の差
韓国人は一般的に自分の収入や生活水準を「盛り付ける」傾向があり韓国人同士で競争しマウント合戦をするので、数字はどんどん盛り付けられて大きくなります

日本に旅行に来る韓国人は全員が高級マンションに住んでいるように話すが、実際は地下室やバラックや簡易アパートに住んでいる

それではあの映画の半地下室は何かというと、あれでも実際よりかなり美化されていて半地下室にすら住めない人が多い

半地下室は入居時の保証金数10万円から200万円で家賃は6万円程度、ところが地上の部屋は一気に保証金数百万円に値上がりする

一時日本で一つの部屋をベニヤ板でカプセルホテルのに仕切った脱法シェアハウスが流行ったが、一つの部屋を複数に区切った部屋に大勢の人が住んでいます

ソウルのあちこちには一部屋あたり3人分以上の郵便受けとガス計量器が設置されている建物が並び、一部屋の家賃は4万円だという

韓国では高額な保証金を払うのが普通だが違法シェアハウスはそれが無いので、学生やお金の無い人が多く集まっている

沙斤洞のワンルーム街には100棟以上の違法シェアハウスが並び一つの家には数10人が住み、一見普通の民家でも郵便受けだけが並んでいる

ソウルでは若者の35%が20平米未満の住居に住んでいて、こうした違法アパートも住居確保で重要な役割を担っている

ワンルーム住宅の内部をさらに分割した 「ミニワンルーム」が増殖し、その周辺はチョッパン(小部屋住居)地域と呼ばれている

ソウル五輪以前は多くのチョッパンが存在したが80年代以降政府が再開発を進めたため減少し、新たな形の違法シェアハウスが登場した
https://www.thutmosev.com/archives/30671.html
8:777 :

2023/12/28 (Thu) 13:29:54

2023年12月27日
カテゴリ朝鮮人について
朝鮮名が恥ずかしい / 怨念に凝り固まる朝鮮人(後編)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68951522.html

本名を明かすのはイヤ!!

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(左 : 昔の朝鮮にいた普通の子供達 / 右 : 現在の南鮮に暮らす子供達)

  在日鮮人の2世や3世、あるいは帰化鮮人とその子孫にとっても、日本は彼らの“祖国”じゃない。なるほど、在日や帰化鮮人の子供達は日本で生まれ育ち、日本の幼稚園や小学校に通って日本語を話している。成人しても職場の同僚はほとんどが日本人で、好きな歌手や俳優も日本人ときている。(藝人の中には“隠れ朝鮮人”が存在するけど、一応“日本人”で通しているから、在日鮮人でも気づかない場合が多い。)

  しかし、我が国で育った在日・帰化鮮人の心には、得体の知れない深い闇があり、脳裏や細胞の片隅に無意識的な“怨念”がある。彼らは「なぜ朝鮮人というたげて馬鹿にするのか?! そんなのは根拠無き差別に過ぎない! 多様性を否定する日本人、アジア人を蔑視する日本人は皆、右翼かゲス野郎の類いだ!」とわめく。こうした種類の朝鮮人は、大学に入って社会学や政治学、国際関係論などを専攻しても、論文のテーマは「日韓関係」とか「日本における民族差別の構造」だったりする。大学院に進む奴はもっと悪質か低レベルの学生で、日本人に対する恨みに“磨き”をかけているだけだ。(この点に関しては、別の機会で論じてみたい。)

  朝鮮人問題というのは、日本社会にとって持病みたいなものだ。表面的には顕著でなくとも、皮膚の奥深くで絶えず疼(うず)いている。(精神の悪性腫瘍みたいなもの、と考えてみればいい。) 日系日本人の方にも、潜在的な嫌悪感、謂わば朝鮮人に対する生理的な嫌悪感が潜んでおり、「アンミカ騒動」みたいな事件が勃発すると、心の奥底で眠っていた感情が急に浮上する。普段、政治問題に無関心な帰化鮮人でも、“民族問題”となれば電光石火の如く血が騒ぐ。朝鮮人の血を引く者は、日系人を“敵”と見なし、怒り狂う同胞に感情移入するようだ。

  やはり、“血”は“紙”よりも重いのだろう。確かに、帰化申請の書類を整え、役所から日本国籍を貰っても、DNAが変化する訳じゃない。たとえ、帰化手続きや結婚で「金」とか「朴」の朝鮮名を捨て去り、「木村」や「新井」に変えたところで、祖先が日本人にすり替わることはない。家族や親戚は基本的に朝鮮人のままである。在日鮮人は日本での“便利さ”を考えて日本国籍を取得するが、冷徹な現実を認識する朝鮮人の親は、「しょせん、日本国籍なんか紙切れだ!」と喝破する。こうした“暴言”を隣で耳にすると、「日本国民」になった子供達は複雑な気持ちになるが、こうした親はリベラル派の知識人よりも正直だ。

  昭和が終わって平成時代に入ると、朝鮮人の心境に変化が生じてくる。昭和30年代から50年代の日本だと、在日朝鮮人が本名を名乗ることはほとんどなかった。たまに金容海*みたいな朝鮮人の活動家に唆(そそのか)され、“民族意識の覚醒”で本名を明かす少年や青年は居たけど、大半の在日鮮人は正体を隠したままだった。特に、子供の将来を心配する親は、出来るだけ近所の日本人と同じように振る舞い、何食わぬ顔で「日本人」を演じていたものだ。

  *註/ 金容海は大阪市にある北鶴橋小学校で民族学級の担当講師を務めていた。ここに通っていた在日鮮人で有名なのは、金正恩の実母である「高容姫」だ。彼女は高京澤と李孟仁との間に生まれた在日鮮人2世で、生野区の北鶴橋に住んでいた。彼女は「高田姫(たかだ・ひめ)」という“通名(偽名)”を持っていたが、普通の日本人が聞けば「変な名前だなぁ~」と思ってしまうだろう。いくら何でも、朝鮮人が多く住む生野区で「お姫様」が居る訳がない。本多忠刻(ほんだ・ただとき)に嫁いだ「千姫(德川秀忠の長女)」なら解るけど、江戸時代の播磨と昭和の生野区じゃレベルが違いすぎる。

朝鮮人少女の嘆き

  一般の日本人は“情”に流されやすく、たとえ常識的な人でも、無防備なまま“お涙頂戴話”を聞いてしまえば、コロッと騙されることがある。日本人の左翼知識人や在日鮮人の活動家は、こうした日本人の“弱点”を突いてくる。彼らは“お人好し”の庶民を操るために、「子供」を利用するから本当に狡猾だ。例えば、小学生の鮮人少女が味わった悲しいエピソードや、朝鮮高校に通う少年が経験した悔しい過去などを語り出す。鮮人問題に詳しくない日系日本人だと、“偏狭”な日本人によるイジメや差別、学校や会社での理不尽な扱いを聞くと恥ずかしくなるから、「俺はこんな奴らと違うぞ!」と善人をアピールする。だが、こうした日本人は鮮人活動家が隠す“裏事情”を知らないし、“省略”した背後関係も知らないから、いとも簡単に「便利な馬鹿(useful idiot)」へとなって行く。そう言えば、冷戦時代、呑気な大学生はレーニン、スターリン、毛沢東を崇拝する赤い教授に“まんまと”騙されていたけど、詐欺師の教授は謝罪も無く退職していた。(もちろん、たっぷり恩給をもらっていだ。)

  テレビや新聞では、リベラル思想にかぶれた大学教授や、左傾化した評論家による「日本人の差別意識」とやらを“よく”耳にする。だが、こうした言論(害悪)の根源を調べて行くと、鮮人活動家が撒き散らす政治宣伝(プロパガンダ)だと判るし、もっと深掘りすると朝鮮人の怨念がこもった文章に辿り着く。例えば、「評論家」と称する金一勉(きん・いちべん)は、日本人を心から憎んでいた。『天皇の軍隊と朝鮮人の慰安婦』(三一書房)とか、『朝鮮人がなぜ「日本名」を名のるのか : 民族意識と差別』(三一書房)といった著作からも判る通り、金一勉は日本人を呪うことで銭を稼いでいた鮮人作家だ。

  この金氏は雑誌に投稿した記事の中で、小学生少女(鮮人娘)が書いた作文を紹介していた。ある日のこと。彼女が石蹴りをして遊んでいると、○男君が出てきて、彼女を「ちょうせん人」と呼んでイジメたそうだ。この鮮人少女は作文に「どうしていじめるのですか」と書いたという。(金一勉「在日朝鮮人二・三世はどう生きるか」、『現代の眼』第13巻、1972年8月号、p.208.)

  個々人の子供は無邪気でも、時折、残酷な感情を剝き出しにするもある。金一勉は小学校低学年の日本人によるイジメを取り上げていた。この児童は朝鮮人の子供に向かって「ヤーイ、チョウセン」と揶揄(からか)い、石の礫(つぶて)を投げつけたそうだ。しかし、どのような状況で石を投げつけるようになったのか、その理由や背景を語っていないので、金氏の文章を鵜呑みにするのは危険である。

  ただ、こうしたイジメが中学生とか高校生になるとやっかいだ。イジメられる朝鮮人だって“仕返し”をするし、朝鮮人の悪仲間や不良と結託し、日本人の不良と喧嘩をすることもある。また、朝鮮人が“日本人狩り”と称して、生意気な日本人を暴行することもあるだろう。朝鮮高校の悪ガキどもは、空手やボクシングを習っている仲間を引き連れ、集団リンチを実行するから、警察沙汰になったりすることもある。

「民族ナショナリズム」は大迷惑

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(上写真 / 認めたくない朝鮮の過去 )

 「韓流ドラマ」の流行もあってか、平成の中期か今世紀初めの頃に、朝鮮名(本名)を“カミングアウト”する在日鮮人や帰化鮮人が増えてきた。俳優や歌手といった藝人でも、偽名(通名)を掲げず、本名で出演する者も少なくない。おそらく、敗戦後に暴れ回った「第三国人」や、賭博やヒロポン販売で儲けた「不逞鮮人」を知る世代が次々と亡くなっていたからだろう。日本の学校で教えられる「歴史」の授業は、過去を忘れる為の「愚民化教育」であるから、“不都合な歴史”や“論争になる事件”には触れないことになっている。学校教師が坪井豊吉の『在日同胞の動き』とか、森田芳夫の『朝鮮終戦の記録』を紹介することはないから、普通の日本人は朝鮮統治の実態や敗戦後になぜ朝鮮人が居残っているのか、さっぱり解らない。

  日本で暮らす朝鮮人の子供にとって、本名や国籍に関する悩みは深刻だ。特に、父親が民族意識に目覚めて我が子を朝鮮学校に入れたり、鮮人の活動家が本名を名乗るよう仕向けたりするから、幼い子供が“とんでもない目”に遭ったりする。昭和時代の日本だと、名著(?)『ディープ・コリア』で紹介された“みすぼらしい後進国”が南鮮の定番イメージであったし、朝鮮には日本人が憧れるような文化が全く無かった。一方、南鮮では1990年代の末まで日本文化の輸入が禁止されていたが、朝鮮人は“こっそり”と日本の映画やTVドラマ、アニメ、漫画、歌謡曲などに夢中だった。

  南鮮人による日本アニメの“盗作”は有名で、令和の小学生や中学生が聞いたら絶句してしまうだろう。例えば、『ドラゴンボール』の“パクリ作品”として知られているのが『スーパー・チャイルド』だ。人気漫画アニメの『ワンピース』も被害を受け、誰が見ても盗作と判る『ワピース』となっていた。『ドラえもん』は“偽装”を加えない盗作『トンチャモン』となっていた。さすがに、朝鮮で『宇宙戦艦ヤマト』をそのまま放映できないので、ちょっとだけ改変していたが、「新造戦艦アンドロメダ」は明らかな“パクリ”デザインであった。

  朝鮮人が馬鹿げた「ウリジナル(模倣のオリジナル)」を自慢するのは勝手だが、日本に住む朝鮮人は、劣等種族の出自に屈辱感を抱いていたので、「どうして朝鮮人に生まれたのか!」と嘆いていた。朝鮮にまつわる事柄は悉く“ネガティヴ”であったから、幼い鮮人でも何となく自分の血筋を隠したりする。幼稚園はともかく、小学校に通えば小馬鹿にされるのが判っているから、なるべく出自がバレないよう振る舞うし、女子高生ともなれば、家に友達を呼ぶことを避ける。もし、自宅にある“朝鮮グッズ”を友達に発見されたら大変だ。

 東京朝鮮第九初級学校に通う安教勝という四年生が、『日本の人』という作文を書いたことがある。

  ぼくが学校へいくとき、杉一(杉並第一小学校)のせいとが、<朝鮮人! パアセン人!>といったり、二かいから、つばをはいたりしました。ぼくはそのとき、くやしいと思いましたが、ぼくはだまって学校へいってしまいました。だけど、どうして日本人はぼくらのことをパアセン人というんだろう、とぼくは心の中でおもいました。(沖原豊「日本にいる朝鮮人の子供たち」『学校教育』第502号、1959年8月号、p.83.)

 金一勉は、ある鮮人の哀しい回想を紹介している。

 子供の頃でした。僕は日本名で学校へ行っていて、誰もが朝鮮人だったことを知らなかったと思う。でも、僕はいつも不安だった。そんな気持ちからかどうか、ある時、日本人の友達と一緒になって朝鮮人の子供をいじめた事があるんです。チョウセンジンって、はやしてね。今から思うと情けない思い出です。(金一勉「在日朝鮮人二・三世はどう生きるか」p.208)

  “隠れ朝鮮人”の少年が、日本人と一緒になって同胞の子供をイジメるなんて、何とも悲しい現象だが、自分が朝鮮人と悟られないよう、出来るだけ「日本人」らしく振る舞っていた鮮人の子供は痛々しい。自分も同じ朝鮮人なのに、「やぁ~い、チョウセンジン~!」と馬鹿にする時の罪悪感はどんな感情であったのか? 在日鮮人の子供は、多かれ少なかれ、こうした悲哀を経験しているので、温厚な帰化鮮人でも理性では制禦できない“恨み”を持っている。

  朝鮮人の「悲哀エピソード」は山ほどある。例えば、金敏子という中学三年生は、作文の中で「高さご」から来た鮮人のバアさんについて語っていた。この老婆は白い上着に長いスカート姿で、船の形をした“へんてこな靴”を穿いていたそうだ。敏子が庭で四、五人の友達と遊んでいる時、見知らぬ老婆が入ってきて彼女に向かって“ペチャクチャ”と話しかけたから、彼女の友達は面白がって、老婆の話し方を真似たらしい。敏子は次のように述べていた。

  わたしは、ただはずかしさでいっぱいで、部屋にはいるなりおもての障子をしめて、おしいれるなかにかくれました。そしておしいれにはいるなり泣いていました。はずかしくてたまらなかったのです。きまり悪いやら、はずかしいやらで、みんなのまえにでていく勇気がでませんでした。(上掲記事、p.83.)(註/ 平仮名が多くて読みづらいが、朝鮮人の作文なので仕方がない。でも、これが中学三年生の文章だなんて・・・。いったい、どんな教育を受けていたのか?)
 
  この金敏子という少女は、それまで自分が何処で生まれた人間なのかを考えたことがなかったという。変な言葉を喋る老婆と出逢って、初めて「朝鮮人」であることを自覚したそうだ。しかし、彼女の気持ちは晴れない。

  わたしは、あの「高さご」からきたおばあさんをとてもうらみました。こんないやなできごとをつくったおばあさんが、ほんとうににくらしいと、なん度思ったかわかりませんでした。そして、なんで日本人に生まれなかったのかと、かなしく思いました。(上掲記事、p.84.)

  活動家の教師から「民族ナショナリズム」を植え付けられていない子供なら、こうした“屈辱感”や“恥ずかしさ”を噛みしめても当然だろう。子供というのは本能や印象に正直で、大人のように嘘をつくことが出来ない。だが、成長するにつれ、出自を明らかにする者や隠し通す者で別れるようだ。

  川崎市で生まれた蘆佳世(の・かよ)は、在日一世の父親と在日二世の母親との間に生まれた朝鮮人女性で、彼女の父親は結婚を経てから日本に帰化したという。彼女は物心ついた時、既に「自分は韓国人」という意識があったという。その時は“プラスのイメージ”を持っていたから、幼稚園児の時、「私は韓国人なんだよ」と自慢していたそうだ。しかし、小学校に入って二年生や三年生になると、友人との香料を通して、段々と“マイナス・イメージ”を持つようになったらしい。それで彼女は「どうやら、これは言わない方が良さそうだ」と思うようになったそうだ。(<日本籍在日コリアン座談会>「民族をあらわすものはひとつじゃない」『Sai』Vol.18, 1996年Spring, p.6.)
 
  大阪府立大学の大学院に通う矢野勝也(本名/金勝也)は、小学校の頃に「通名」を意識したという。彼が小学校四年生の時、母親から「あんたは朝鮮人よ」と言われ、自分が“外国人”であることを自覚したそうだ。彼は何となく“格好いい”気がしたので、クラスの友達に「おれ、外国人やねん」と触れ回ったが、それを聞いた母親は「そんなこと言うもんじゃない」と叱りつけたらしい。(若者座談会「なまえを語ろう」『Sai』Vol.3, 1992年Summer, p.5.)

  平成中期まで、民族意識を鼓舞する「チョソン友の会」があり、朝鮮人の活動家や教師が同胞の子供達に「本名」を名乗るよう嗾(けしか)けていた。しかし、こうした“オルグ”に反対する子供達もいて、大阪市の矢田南中学校に通う女子生徒三名は、次のように反撥したそうだ。

  私らは「チョソン友の会」はいらんのや。私らは朝鮮人であることを知られたくないんや。友の会の者からとやかく言われるのはまっぴらや。先生も呼びかけるのやめて。先生らは私たちの気持ちわかってんのか。朝鮮人であることが明らかになるということは、差別を受けるということや。もう絶対に呼びかけせんといてや。(吉田道昌「発言する生徒たち」季刊『まだん』第5号、1975年春号、p.25.)

  政治イデオロギーに夢中の教師や活動家は、「朝鮮民族のアイデンティティーに目覚めよ!」と喧伝するが、現実の日本社会を知る女子生徒らは、そんな“妄想”に付き合うほど馬鹿じゃない。朝鮮人が集まるサークルや民族団体でなら、朝鮮語風の発音で名前(本名)を呼び合ったり出来るけど、日本人が大半の学校や職場で「崔(さい)」とか「斐(ぺ)」と名乗ったら、「えぇ~、あの人、朝鮮人だったんだぁ~!」とドン引きだ。

  ちなみに、我が国での「本名」の開示は、悲惨な結果をもたらすことがある。例えば、北鮮の首領であった金正日は、「金玉(きむ・おく)」という個人秘書を持っていた。もし、彼女と同じ名前の朝鮮人が、日本名(通名)を捨てて「本名」を名乗ったら、彼女の兄弟や子供は、学校や職場で笑いものにされてしまうだろう。

  例えば、「木村」とか「新井」といった偽名で日本の小学校に通う少年にとり、母親の本名は死んでも口にしたくない。もし、友達が「金玉」という本名を知ったら、「わぁぁ~い、お前の母ちゃん女なのにキンタマ持っているのかぁぁ~!!」と大爆笑だ。特に小学生だと遠慮が無いから、露骨にゲラゲラ笑われてしまうし、こういった話題は即座に伝達するから、別のクラスにいる子供達もクスクス笑ってしまうだろう。

  こうした“からかい”に気づいた先生は、「こらっ ! そんな事いっちゃダメだぞ!」と叱りつけるが、悪ガキどもから反論されたら大変だ。もし、ちょっと賢い子供がいると、「どうして? あいつの母ちゃんの本名を言っただけだよ! それが悪いの?!」と反論するから、先生は何も言えなくなる。それに、注意する先生だって心の中では、「確かに“キンタマ”じゃ可笑しいよなぁ~」と呟くし、困った、どうしようかなぁ~」と苦笑いだ。実際、在日鮮人の中には、「金玉子」という女性も存在したから、本名の公表は非常に厄介である。

  精神の葛藤で悩むのは子供だけじゃない。異国で育児に取り組む親も様々な不安を抱えている。ある母親が朝鮮人特有の悩みを語っていた。

  私たちのつらいのは小・中・高・大学と日本の学校へやってある子供たちが、中学の一年から三年までに、突然、ある日、何故、朝鮮なの、と聞く日が一日あることです。何も変わったことはしてやってません。そんな日が、子供の成長のなかにあるんです。つらいです。(金一勉「在日朝鮮人二・三世はどう生きるか」p.209.)

  朝鮮人の家庭には、日本人には理解しがたいトラブルが多い。例えば、一流校に通っている朝鮮人の息子にまつわるエピソードがある。彼は学級委員長にも選ばれ、勉強が得意であった。そこで、彼は東京大学へ進もうと考え、その旨を学校教師にも伝えていたそうだ。ところが、ある日、彼は傷だらけの姿で帰宅した。驚いた母親は理由を尋ねたが、息子はただ「転んだ」と答えるだけで本当の理由を話さなかった。不審と不安に駆られた母親は、医者にだけは本当の事を述べて欲しいと頼んだそうだ。

  傷ついた息子は心配する母親の懇願に耳を貸さず、頑なに口を閉ざしたという。彼は四、五日くらい学校を休むことにした。塞ぎ込む少年には「心の休息」が必要だ。彼は再び学校へ通い出すと、母親の機嫌を伺ってから事情を話し始めた。曰く、同学年の級友達は、彼の希望を耳にすると、「朝鮮人が東大へ行くとは生意気だ!」と言い放ち、彼を袋叩きにしたらしい。イジメられた息子は母親思いなのか、「心配しなくていいよ」と語ったそうだ。

  この顛末を聞いた母親は怒り心頭で、腹の虫が治まらなかったのか、学校へ殴り込み、校長と教頭に対して「朝鮮人に生まれただけで、何故、このような仕打ちに会わねばならぬのか、解るように説明してくれ!」と迫ったらしい。物凄い剣幕の母親を前にした教員達は、「ちっとも知らなかった。悪かった。今後そんなことのないように気をつける」の一点張りだったという。憤慨する母親は、「何故」という理由を聞きたかったが、それは不可能な事であった。屈辱感に我慢できない母親は言う。「私は日本人を許せない。子供を痛めつけられた母の怒りは、何年経っても心の底に秘められ、消えない」と。(金一勉「在日朝鮮人二・三世はどう生きるか」p.209.)

  南鮮の民団に属する在日鮮人や朝鮮問題に無頓着な帰化鮮人の2世・3世は、北鮮人家庭の子供と違い、何の学歴にもならない朝鮮学校へ通わず、日本の公立学校や私立学校に通ったりする。そして、彼らも日本の学校を卒業すれば、日系人と同じく就職を目指すが、ここにも“民族の悲劇”があった。学校では日系人と同じく、机を並べて授業を受けることができても、名門の日系企業への就職は難しい。(令和になると、もう出自にこだわる企業は無くなっている。) 非常に理不尽だけど、突如、“巨大な壁”が現れ、朝鮮人の子供は「職探し」に戸惑う。(パチンコ屋とか朝鮮料理店、ソープランド、暴力団、サラ金、キャバレーなら別だけど、昭和の頃だと、三井物産とか住友銀行、三菱重工、安田生命なんかは無理だろうなぁ~。)

  1970年代から80年代までは大変だった。例えば、埼玉県に住む、ある在日二世の生徒は、高校の卒業を迎えていた。彼は日系人生徒のように就職活動をするが、希望する会社から悉く断られたという。彼は何度も電話を掛けたが、その都度、応募した企業から就職を断られた。理由は簡単。彼が「韓国人(南鮮人)」であったからだ。逆上した青年は、断られる度に受話器を壊すほど憤慨した。そして、怒りの矛先は自分の母親に向けられる。彼は「何故、母さん、韓国人に生んだ?」と喚き散らす。すると、怒りで狂った息子は、寝ている母親のもとに赴き、持っていた出刃包丁を母親の喉元に突きつけた。いやぁ~ホント、朝鮮人の「火病」は凄い。しかし、夕方になると彼の怒りは治まった。彼は一転して“親孝行の息子”に変わり、親の肩を叩くような仕草を見せたという。

  後に、この青年は過去を振り返り、次のように語っていた。

  幼稚園から小・中学校、親しい友達は何でもなかった。普通の友人つき合いがつづいたのです。そのうち大人になったら、韓国人ですよ。私の見ず知らずの国ですよ。父母には故国の想い出がありますし、肌についた国が残っているのです。僕には、大人になった日から、日本で一人ぼっちが始まったのです。何故か、僕はいくら考えても解らないのです。朝鮮人だからいけない、悪いというのですか。・・・私は、日本で生きるのに精一っぱいという場所に、自分を置いて、解らないことを考えないことにしているんです」(金一勉「在日朝鮮人二・三世はどう生きるか」p.210.)

  朝鮮人の大学教授や“反日史観”で凝り固まる評論家、“日韓問題”で飯を喰う活動家などは、日本人が如何に陰湿で、朝鮮人に対する差別を抱えているかを糾弾する。しかし、実際の“被害者”は日本人の方だろう。なるほど、民族差別や偏見により鮮人の子供や青年が辛い目に遭ったりしたが、それは彼らの両親や祖父母が子供を連れて“祖国(南鮮か北鮮)”に帰らなかったからだ。敗戦後、闇市や神戸、川崎、大阪などに留まらず、朝鮮半島へ戻っていれば、「鮮人差別」に遭わなかったじゃないか! もちろん、朝鮮社会では下層民に対する差別があったけど、それは同胞による侮蔑であり、我々が仕組んだことではない。在日鮮人は「差別」よりも「貧乏」が厭なだけだ。

朝鮮人は「祖国」へ帰れ!

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(上写真 / 「日本統治の恩恵」を受ける前の朝鮮人 )

  日本人は“根”が優しいから、在日鮮人の子供を日本の公立学校に迎えてやるが、一緒にされる日本人の方は堪ったもんぢゃない。朝鮮人の子供と同じクラスになると、日系人の学力があがったり、マナーが良くなったりするのか? どちらかと言えば、日系人の方が鮮人児童の言葉遣いや下品な行動を真似たり、悪事に手を染める事の方が多いだろう。歴史の授業だって、教師が鮮人生徒の“反応”を気にしながら講義を進めなければならず、近現代史は訳の解らぬ説明となり、年号と用語の羅列で終わってしまうのだ。

  昭和時代の1969年、在日大韓基督川崎教会が「桜本保育園」を開設し、日本人の子供を期待したが、日本人の保護者は次々と入園を辞退し、やって来るのは在日鮮人の子供ばかり。(「小さな足音がきこえる」季刊『まだん』第5号、1975年春号、p.41.)保育園側はカナダ人宣教師を呼び寄せ、“英会話”を餌にして日本人子弟の入園を図ったが、それでも日本人の親は振り向かなかった。同園の保母たちは「やっぱり・・・」と落胆し、苦渋の表情を浮かべていたという。

  だいたい、無認可の保育所という状態に加え、朝鮮人がゴロゴロいれば、日本人の親は気持ち悪くなってしまうだろう。「右も左も朝鮮人。日本人と思ったら日朝混血児」じゃ、目眩がしてくる。まともな親なら、愛しい我が子をそんな保育園に入れることはない。自分の子供であれば、性格や血筋に加え、親の躾が良く、カタギの家庭で育った“日本人の子”と一緒に遊ばせたいと思うはずだ。「多民族共生」とか「差別なき社会」なんて、所詮、左翼分子の標語に過ぎない。現実の社会は冷徹で、朝鮮人に対する嫌悪感が地下水脈に流れている。

  日本政府と一般国民が、在日鮮人の帰化を許してしまったから仕方ないけど、本来なら、彼らは祖国に帰るべきだった。よく「朝鮮語を話せないから嫌だ!」と駄々を捏ねる奴がいるけど、それなら、なぜ日本の中学や高校、大学で「英語(外国語)」を学んでいるのか? 朝鮮人の親は自分の子供が祖国に戻って就職できるよう、幼い頃から「母国語(朝鮮語)」を学ばせ、受験勉強じゃなく、「朝鮮語習得」に力を入れるべきだろう。在日鮮人の大学生は日本に住みながら南鮮への憧憬や自己識別の問題を語り、両親や祖父母の怠惰を責めない。こうした連中はあろうことか、「国は無くなった方がいい」とか、「日本籍や韓国籍にこだわらず、僕は“金”という“地球人”だ」とほざく。(「なまえを語ろう」『Sai』Vol.3, 1992年Summer, p.8および「民族をあらわすものはひとつじゃない」『Sai』Vol.18, 1996年Spring, p.9を参照。)

  朝鮮人が「コスモポリタン」とか「地球市民」と称するのは勝手だ。しかし、それなら「さっさと祖国へ帰れ!」と言いたくなる。朝鮮人に“同情”する日本人は、国内で“綺麗事”を言っていないで、親子代々の日本国籍を捨てて、“可哀想”な異民族と一緒に朝鮮半島で暮らせばいいじゃないか! でも、しばらく現地で生活すると、彼らは徐々に嫌気が差してくる。現実を目の当たりにした日本人は、色々な言い訳を考えて、“こっそり”と日本へ舞い戻ってくる。「多民族主義」を掲げる日本人は、多民族国家の支那やマレーシア、インド、パキスタン、アフリカ大陸に移住せず、“同質性”の高い日本で不満を漏らす。「便座除菌クリーナー」を携帯している女子学生が、インドや支那の便所でウンコできるのか? やはり、象牙の塔に住む左翼は、“快適”なオフィスで“理想”を語るんだよねぇ~。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68951522.html

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