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2023/06/25 (Sun) 07:09:10
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雑記帳
2023年06月24日
木本好信 『奈良時代 律令国家の黄金期と熾烈な権力闘争』
https://sicambre.seesaa.net/article/202306article_24.html
https://www.amazon.co.jp/%E5%A5%88%E8%89%AF%E6%99%82%E4%BB%A3-%E5%BE%8B%E4%BB%A4%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E3%81%AE%E9%BB%84%E9%87%91%E6%9C%9F%E3%81%A8%E7%86%BE%E7%83%88%E3%81%AA%E6%A8%A9%E5%8A%9B%E9%97%98%E4%BA%89-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-2725-%E6%9C%A8%E6%9C%AC-%E5%A5%BD%E4%BF%A1/dp/4121027256
中公新書の一冊として、中央公論新社より2022年11月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は政治史を中心とした奈良時代の概説です。本書は、672年(以下、西暦は厳密な換算ではなく、1年単位での換算です)の壬申の乱の後の天武朝と持統朝と文武朝の政治史にも短く言及したうえで、710年の平城京遷都から784年の長岡京遷都までの歴史を取り上げます。平城京遷都時、大内裏の東側が藤原不比等邸に接していることから、不比等の発言力は大きかった、と推測されています。ただ、当時右大臣の不比等の上位には左大臣の石上麻呂がおり、不比等が絶対的な地位を確立していたわけではないようです。
714年に即位した元正天皇が中継ぎだったのか、議論がありますが、本書は、基本的には中継ぎと考えるのが妥当だろう、と指摘します。元正は即位時に36歳で、生涯未婚でしたが、結婚して子を儲けることが避けられていた天皇は中継ぎと理解すべき、というわけです。当時、高齢の高官が没していくなか、太政官構成員が有力豪族間の牽制のためかなかなか補充されず、不比等はこの危機を、息子たちの起用により乗り切っていきます。不比等は長男の武智麻呂を後継者と考えていたようで、武智麻呂は皇太子の首皇子(聖武天皇)の東宮傅に任命されており、武智麻呂と首皇子との間の信頼関係の構築が意図されていたようです。
律令制の確立に功績があった不比等は720年8月に没し、政権の動揺を鎮めるため、天武天皇の息子である舎人親王と新田部親王が、それぞれ行政と軍事を委任されることになります。舎人親王と新田部親王の支援を受けて長屋王首班体制が確立し、不比等の息子では房前も長屋王に近かったものの、武智麻呂は政治的立場が異なっていた、と本書は推測します。長屋王政権の特色としては、官人の綱紀粛正や国民への撫育・救恤的施策など、不比等政権から継承された律令制の徹底だった、と指摘されています。長屋王の変で中心的役割を担ったのは武智麻呂で、母親が不比等の娘である新田部親王も長屋王を積極的に糾問したものの、房前は関わらなかったのではないか、と本書は推測します。現在では、病弱な聖武天皇の後継者として、長屋王が息子の膳夫王を考えており、そのために武智麻呂や聖武天皇が長屋王を強引に排除にしたのではないか、との見解が有力なようです。
長屋王を排除して主導権を掌握した武智麻呂は、強引に不比等の娘である光明子を皇后に立てます。本書は、房前が参議就任から没するまで昇進できなかったことや、長屋王の変での動向が確認できないことなどから、武智麻呂と房前の兄弟間に政治的乖離があった、と推測します。武智麻呂政権では太政官権限の強化や官司組織の官僚的要素の強化や国司による地方支配の進展や版図拡大など、律令制の確立が進められていきました。ところが、737年に武智麻呂と房前と宇合と麻呂が相次いで没し、武智麻呂政権はあっけなく瓦解します。これは天然痘流行のためですが、これにより短期間で太政官8人のうち5人が死亡し、政治は混乱します。
この政治的難局に、参議の橘諸兄が中納言を超えて大納言に抜擢され、とりあえず橘諸兄を首班とする体制が始まります。この橘諸兄主導の体制に不満を抱いて740年に挙兵したのが藤原広嗣でしたが、これには、この後も長く政争の原因となった聖武天皇の後継者問題があったようです。藤原広嗣の乱はすぐに鎮圧されましたが、これに動揺したのか、聖武天皇は行幸を繰り返し都の造営に着手するなど、後世からは迷走しているようにも見えます。橘諸兄は、後ろ盾の元正太上天皇が748年に没したことで、光明皇后を後ろ盾とする藤原仲麻呂に、次第に政治的主導権を掌握されていきます。橘諸兄政権は、政権瓦解後の政治的混乱の収拾と民の負担軽減など、国家の動揺に対応した現実的政策が基調になった、と指摘されています。また本書は、こうした混乱に対して聖武天皇は都の造営や遷都や寺院建立などを推進しており、実情が見えていなかった、と厳しく評価されています。
奈良時代の政争の根底には、聖武天皇の後継者問題がありました。聖武天皇と光明皇后は、娘の阿倍内親王を皇太子として749年に即位させますが(孝謙天皇)、孝謙天皇は未婚だけに、後継者問題を先送りしただけとも言えます。756年には2月に橘諸兄が引退し、5月に聖武太上天皇が没し、政界は不安定化します。聖武太上天皇は最晩年に新田部親王の次男である道祖王を孝謙天皇の後継者に指名しますが、藤原仲麻呂たちは支持せず、道祖王は廃太子となり、孝謙天皇は舎人親王の七男である大炊王を皇太子とします。大炊王は仲麻呂の私邸で養われており、仲麻呂の強い意向を踏まえた決定と考えられます。
757年には橘奈良麻呂の政変計画(橘奈良麻呂の変)も未然に防ぎ、758年には大炊王が即位し(淳仁天皇)、仲麻呂政権が確立します。仲麻呂政権では唐風政策が進められ、仲麻呂は760年1月には臣下として初めて大師(太政大臣)に任命されます。しかし、760年6月に後ろ盾だった光明太皇太后が死亡し、孝謙太上天皇と淳仁天皇とが対立したことや、仲麻呂が親族を重用したことによる反発などで、仲麻呂政権は不安定化します。764年9月、仲麻呂は孝謙太上天皇が仕掛けた政変(恵美押勝の乱)に敗れ、斬首されます。孝謙太上天皇は淳仁天皇と対立し、天皇大権の剥奪を宣言したものの、実際に政権を掌握できたわけではなく、恵美押勝の乱とは孝謙太上天皇による反乱(政変)だった、と本書は評価します。この内乱の背景として、草壁嫡系皇統を標榜する天皇権力と、律令制に基づく官僚制国家を志向する専権貴族との政治権力闘争だった、と本書は指摘します。
764年に仲麻呂を打倒して政権を掌握した孝謙太上天皇は同年のうちに重祚し(称徳天皇)、道鏡を大臣禅師に任命するとともに、官人にも配慮して政権を運営します。しかし、次の天皇を誰にするのか、という後継者問題はまったく解決していないわけで、これが政治的動揺につながり、廃位とされた淳仁を復位させよう、との動きもありました。称徳天皇に重用された道鏡は765年10月には太政大臣禅師に、766年10月には法王に任命され、衣食や輿の使用の点では天皇と同等の待遇を受けます。本書は、こうした道鏡の優遇は官人から積極的な支持を得られず、称徳天皇と道鏡の政権は脆弱だった、と評価しています。この状況で769年に起きたのが宇佐八幡宮神託事件で、本書は、称徳天皇が道鏡に譲位しようとしたものの、貴族層の強力な抵抗により断念せざるを得なかった、と評価しています。
770年8月、称徳天皇は没し、公卿の協議により白壁王が即位します(光仁天皇)。本書はこの過程で藤原百川が暗躍したのではないか、と推測します。光仁天皇は即位後ただちに道鏡を追放しますが、政争はこれで終わらず、光仁天皇の後継者とされた他戸親王が皇太子を、その母親の井上内親王が皇后を廃されます。井上内親王は聖武天皇の長女で、聖武天皇を母方祖父とする他戸親王を皇太子とすることが、傍系だった光仁天皇の即位が正当化されたところもありましたが、本書は、光仁天皇には他戸親王より10歳以上年上の山部親王がおり、他戸親王と井上皇后の地位は確固たるものではなかった、と指摘します。本書は、藤原式家が山部親王即位のために他戸親王と井上皇后を排除した、と推測します。光仁朝は称徳朝の政治方針を転換した、と本書は評価します。
781年4月、山部親王は即位しましたが(桓武天皇)、即位当初には貴族層からの支持が盤石とは言えなかったようです。桓武天皇にとって母の出自の低さは生涯にわたった弱点となり、井上皇后の娘で異母妹となる酒人内親王を妃に迎え、酒人内親王との間に生まれた朝原内親王を、早良親王の廃太子後に後継者とされた安殿親王(平城天皇)の妻とするなどして、この弱点を克服しようとしました。桓武天皇が長岡京へ遷都したのも、自身の権威確立が要因だったようです。出自が弱点の桓武天皇にとって、政治状況が安定しているとはとても言えず、早良親王の廃太子など、桓武朝初期には政争が相次ぎました。
https://sicambre.seesaa.net/article/202306article_24.html
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2023/06/25 (Sun) 07:14:15
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平城京から長岡京へ遷都する原因となった「祟り」の正体とは
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