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成功する人とは、決して諦めない人のことだ。

1:777 :

2023/05/27 (Sat) 03:10:00

ジム・ロジャーズ氏: 人生で一番大切なこと
2023年5月26日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/37076

ジョージ・ソロス氏とともにクォンタムファンドを創業したことで有名なジム・ロジャーズ氏が、World Scholars Academyのインタビューで、特に学生たちに向けてアドバイスをしている。しかし誰にでも価値のある言葉だと思うので、この記事で紹介したい。

この世で一番大切な言葉

先ずロジャーズ氏はこう始めている。

特に学生たちと話す時には、これを言うことにしている。失敗は必ずしも悪いものではない。失敗から学ぶ気さえあれば、失敗はあなたに多くのことを教えてくれる。

これは世界最大のヘッジファンドBridgewater創業者のレイ・ダリオ氏がよく言っていることに似ている。「痛み+反省=進歩」である。失敗が苦しかったとしても、何が原因で失敗したのかを考えれば進歩に繋がる。逆に失敗に痛みが伴わなければ、人は反省することがなく、したがって進歩することもないだろう。

スタンレー・ドラッケンミラー氏は、アメリカ経済にとって致命的なのは、ドルが基軸通貨であるお陰で無茶な財政をやっても自国通貨がなかなか下がらず、痛みが来ないことだと言っていた。それで自滅的な政策を止めることができない。

ドラッケンミラー氏: アメリカは基軸通貨ドルのお陰で致命傷を食らうまで緩和を続けられる
国でも人でも同じ話らしい。

普段はここでは著名投資家の話に筆者の解説を付けている。しかし今回はロジャーズ氏の後の発言をそのまま掲載したい。解説は蛇足だと思うからである。

ロジャーズ氏は次のように言っている。

人生や歴史における偉大な成功では、大体一度か二度かそれ以上失敗している。

上手く行く人とは、諦めない人のことだ。頭の良い人でも、成功しないこともある。美しい人でも、成功しないこともある。才能ある人でも、成功しないこともある。

成功する人とは、決して諦めない人のことだ。子供にもよくこう教える。この世で一番大切な言葉は粘り強さだ。決して諦めるな。そうすればきっと最後には上手く行く。仮にとんでもなく成功することはできなかったとしても、あなたは間違いなく幸福にはなれるだろう。

だから、あなたが何をしたいとしても、粘り強さは本当に大切な言葉だ。決して諦めるな。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/37076
2:777 :

2023/05/27 (Sat) 03:10:52

ジム・ロジャーズ氏: お金持ちになりたいなら、お金のことは考えるな
2023年5月27日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/37086

ジョージ・ソロス氏とともにクォンタムファンドを創業したことで有名なジム・ロジャーズ氏が、World Scholars Academyによるインタビューで、お金について語っている。

裕福になるために

今回はお金の話である。お金持ちになりたいと思う人は多いが、お金持ちになるための方法がお金持ちになろうと思わないことだったとしたら、そういう人はどう思うだろうか。

ロジャーズ氏は次のように言っている。

お金が助けになる時もある。例えば農業を始めたいなら、お金はトラクターや肥料などを買うのに役に立つだろう。

お金は何かをする時の助けになるが、お金は唯一無二のものではない。座ってお金のことばかり考えていては、例えば座って自分の好きなものが何かを考え、新しい考えを思いつき、それを突き詰めたいと思う場合ほどにはあなたは成功できないだろう。

例えば起業したいという人は多い。だが彼らの大多数は実際には起業できない。何故かと言えば、「起業したい」といくら念じ続けても絶対にアイデアは出て来ないからだ。

だが、例えば飲食業界について考え続ければ飲食業界についてのアイデアが出てくるだろうし、広告業界について考え続ければ広告業界についてのアイデアが出てくるだろう。

当たり前の盲点なのだが、お金についてではなくその業界について考えなければ、アイデアは絶対に出てこない。だが起業したいと考えている人の大多数がそれに気付かない。

そしてその業界について考え続けることは、その業界が好きでなければ出来ない。

成功するためには、自分の仕事が好きでなければならない。スタンレー・ドラッケンミラー氏も同じことを言っていた。

ドラッケンミラー氏: 金目当ての投資家が勝てない理由
だからロジャーズ氏は次のように続ける。

あるいは前にも言ったように、仕事を楽しさではなくお金で選んだとすれば、自分の好きな仕事を選び、自分の好きな人生を選んだ人ほどには成功できないだろう。

好きなことをすれば恐らく一番成功できる理由は、毎日幸せなことだ。毎朝起きて「仕事」をするのではなくて、楽しいことをやることになる。

そして仮に他の人よりも成功しなかったとしても、もはやそんなことはあなたにとってどうでも良い。何故ならば、あなたは幸せだからだ。幸せな人は他人がどれだけ成功しているかを気にしない。彼らは幸せだからだ。

ロジャーズ氏のこのインタビューは他の部分をすでに報じているが、司会者の質問が良いので良い話が多い。他の記事も参考にしてもらいたい。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/37086




ジム・ロジャーズ氏: お金持ちになるために職業をどう選ぶべきか
2023年5月25日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/37056

ジョージ・ソロス氏とともにクォンタムファンドを創業したことで有名なジム・ロジャーズ氏が、World Scholars Academyのインタビューで、お金を稼ぐための最良の方法について語っているので紹介したい。

仕事を見つけるために

これはこれから仕事を探そうとしている若者に対するロジャーズ氏のアドバイスである。彼はまず次のように言っている。

仕事を探すとき、給料をいくら払ってくれるかを最初に気にする人がいる。だがそれは仕事を探す上で最初に気にするべきことではない。

若者は大抵、とは言っても若者も今と10年前と20年前ではかなり違うだろうが、それでも多くの場合若者が仕事を選ぶ時には、大抵は年収が高いかどうかと、あとは会社のネームバリューで選ぶだろう。本人たちが意識しているかどうかは分からないが、仕事内容などはその次にしか来ていない。

「でも仕事を選ぶ上で給料を気にするのは当たり前ではないか」と言われるかもしれない。収入を気にするのが悪いことだとは言っていない。だが、筆者がロジャーズ氏に同意して言うならば、お金を儲けたければ年収で仕事を選ばないことである。

金持ちになる方法 vs 年収の高い仕事を探すこと

どういうことか。まずはロジャーズ氏に語ってもらおう。彼は次のように続けている。

もし自分にとって天職といえる仕事を見つけることができ、仕事を好きでいられるならば、その人は必ず成功する。そしてお金は後から来る。

どういうことか? 年収の高い仕事を見つけてしまえば、お金は後からでなくとも今得られるのではないか。

しかし考えてもらいたいのは、世界中の成功者の大半は、いわゆる「年収の高い仕事」に就いて金持ちになったわけではないということである。

彼らは自分の選んだ仕事で成功したから金持ちになった。そしてその業種は必ずしも年収の高い業種ではない。飲食でも、土木でも、小売でも、何でも良いのだが、どんな分野であれ成功した人はしっかり高収入を得ているはずだ。

彼らの多くは自分の好きな仕事を自分のビジネスにしたか、優れた技術を磨き上げて優良企業に重宝されるようになったか、あるいは大学で研究職でもやっているだろう。

だが大学を出て、自分に合わない「年収の高い仕事」に年収に惹かれて就いてしまった人には、この道は開かれない。単に業界相応の年収を得るだけで、例えば日本ではそこから社会保険料と所得税と消費税で50%以上抜かれたものが手に残る。その人生は本当に楽しいだろうか。

好きな仕事を選ぶこと

だからロジャーズ氏は自分が好きな仕事に就くことを奨めている。彼は次のように続けている。

世界中の経営者は、賢くて真面目で勤勉な人材を見つけることの難しさを知っている。誰かを雇用する人は誰もが、熱心でやる気があり信念を持っていて考え方が普通と違う若者を見つけたいと思っている。

だからそういう人を見つけたなら、誰もがその人に多くのお金を払いたいと思うだろう。仕事さえ好きならば、お金は後から来る。お金があなたを見つけてくれる。もしあなたが勤勉でやる気のある労働者であれば。

だから最初は年収が200万円でも300万円でも良いのだ。本当に金持ちになりたければ、業界の平均年収など気にせず好きな業界に入るべきだ。本当にあなたが熱心で、仕事をしながら学ぶ気があるのなら、いずれ自分のビジネスを立ち上げて成功することができるだろう。そうすれば業界の平均年収など関係がない。

逆に、好きでもない業界に入ってしまった人は、その業界で勝てないだろう。それは投資でも同じである。

ロジャーズ氏と同じくクォンタムファンド出身のスタンレー・ドラッケンミラー氏がそれについて語っているので、そちらも参考にしてもらいたい。

ドラッケンミラー氏: 金目当ての投資家が勝てない理由

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/37056
3:777 :

2023/05/27 (Sat) 03:18:35

大富豪投資家ジム・ロジャーズ氏の奇妙なコメント
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/633.html

自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか 岡本太郎
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/564.html
4:777 :

2023/05/27 (Sat) 14:02:05

勉強でもそうだが、大切なことは何度も何度も反復される。反復を否定する人間は、愚か者か、怠け者でしかない。「大切なこと」こそ、繰り返されなければならないのである。

「覚えなければいけないことは反復する」「大切なことは反復する」というのは、優れた人間の最大の武器である。

たとえば、知の民族として世界に知られているユダヤ人は、旧約聖書を暗唱するために、子供の頃から「反復」を徹底させることで知られている。

この「反復」による教育法はイスラムでも取り入れられていて、イスラム学校ではコーランを覚えさせるために子供たちに繰り返し経典を「反復」させる。

一万回でも二万回でも「反復」して磨きをかける

「飽きもせず反復できる人間が大成する」というのは、昔からよく知られている。飽きっぽい人間は、よほどの才能がない限り大成できないというのも昔からよく知られている。

「飽きもせず同じことを繰り返す」というのは、悪用すれば洗脳の手段にもなるが、正しく使えば自らの目的を実現する大きな力になる。

だから成功している人ほど、目的を達成するために常軌を逸しているとまわりから思われるほど「反復」する。

アスリートは必要なワザや型を会得するまで、何百回どころか何千回に至るまで同じ動きを「反復」して、寸分も狂いもなく同じ動きができるように心がける。

イラストレーターや漫画家は、必要な絵が描けるまで、やはり何百回も何千回も同じデッサンを「反復」して書き続ける。それが苦痛だと思うようであれば、そもそもその業界に向いていない。

歌手や演奏者も、同じ曲を一万回でも二万回でも「反復」して磨きをかけていく。たった数分の歌を聴衆の前に見せるために、彼らは何千時間を練習に費やしているのである。

そうやって長い時間をかけて「反復」され、磨かれた曲が人々の琴線に触れると、今度はその曲が10年、20年に渡って同じ歌手によって歌い続けられることになる。

熟練のワザに触れると、人々が感銘を受けてそれが反復されるのを望むのである。

「同じことばかりできる」というのは大成する素質があるということである。それは大きな才能だ。

逆に「同じことばかりしている」と他人を嘲笑うような人は、何も成し遂げられない人でもある。真実が何も分かっておらず、何も実現できない人でもある。


自分では何もしない人が何かをしている人を見下す

「同じことばかり飽きもせず反復する」というのは、他人から見ると無駄に見えるかもしれない。しかし、それは決して無駄ではない。むしろ、自分が望むものを手に入れるためには、絶対にしなくてはならないことである。

そのため、長い人生で何らかの果実を得たいと思うのであれば、早い段階で「反復の効果」を知り、それができるように訓練しなければならない。

何にしろ、自分が成し遂げたいと思うことは反復して手に入れなければならない。それは子供も漠然と気付くのだが、それが確信になるのが早い子もいれば遅い子もいる。

遅いどころか、大人になっても気付かない人もいる。

誰かが必要な技術を会得するために、同じことを何回も反復練習していると、必ず「馬鹿のひとつ覚えのように同じことをしてる」と嘲笑う人が出てくる。

「そんなことをしても無駄だ」と、自分では何もしない人が何かをしている人を見下す。

「反復」の重要性に気付かない人が、何かを手に入れようとして「反復」を続ける人を嘲笑するのである。いや、中には「反復」の重要性に気付いている人も、反復練習をしている人を馬鹿にすることがある。

その理由はひとつ。自分が会得できないものを相手が会得したら困るので、それを止めさせるためである。反復を止めさせれば熟練することはない。だから反復を止めさせる。

「反復する」というのは、いろんな意味でそれを実現する効果がある。だから、相手の足を引っぱるには反復させないようにすればいい。

本来であれば、このような雑音に耳を貸さずに、ひたすら反復をして熟練していけばいいのだが、残念ながら自分のやっている反復を馬鹿にされると、それを途中でやめてしまう人の方が多い。

「反復」というのは、「同じことを何度も繰り返す」ということなので、それは地味で泥臭く恰好が悪いことだ。だから、馬鹿にされることで、泥臭いことはやりたくないと思ってしまう人もいる。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20151228T0729450900
5:777 :

2023/05/27 (Sat) 14:03:07

多くの人が一度も自分の能力が開花できずに死んでいく理由

音楽、学問、芸術、スポーツから、プログラム、モノ作り、技術者、職人まで、それぞれの分野には、凄まじいまでの卓越した能力を発揮する天才が存在する。

こうした天才というのは人によってそれぞれ性格が違うのだが、共通していることがあるとすると「反復すること」を極度にこだわる性質を持っているということだ。

同じことを何度も繰り返す。

身に付くまで、あるいは自分がこれだと腑に落ちるまで、執拗に「反復」する。反復することに対して妥協がない。それも、ただ反復するのではない。異常な執念を持って反復する。

反復が続くとそれは継続になる。継続が続くと熟練する。この熟練が天才を生み出しているのだ。

これは歴史に名を残したすべての天才たちにも言えることである。その並外れた反復は「病的なまでに執拗だ」とも「狂気」とも評される。

その反復は「舞台裏」なので見えないので、天才は突如として特異な能力を身につけたように見える。しかし、そうではない。開花した才能や能力の陰には、常人には成し遂げられないような極度の反復がその裏にある。

脳裏に深く刻み込むには反復・継続するしかない

才能があっても、反復がなければ身に付かない。ほどほどの才能であっても、異常なまでの反復がそこにあれば身に付く。こうした反復の重要性を民族的に知っていたのがユダヤ人だった。

ユダヤ人は「書物の民」とも言われているが、その書物というのは旧約聖書やユダヤ経典のことで、ユダヤ人はそれを丸ごと暗記する勢いで深く読み込む。

どのように読み込むのか。それが「反復」である。何度も何度も旧約聖書や経典を声を出して読み、理解し、再び読み、脳に刻み込む。

同じ文章、同じ内容を何度も何度も繰り返して読むというのは時間の無駄のように感じるかもしれない。しかし、脳裏に刻み込むには反復するしかないのである。

「反復が特異な能力を生み出す」というのを民族の経験値として知り尽くしているのがユダヤ人だった。だからユダヤ人の中から天才が次々と生まれ、ノーベル賞の受賞率はユダヤ人で20%を占めるようなことになっているのだ。

アインシュタインも、フロイトも、マルクスも、ドラッカーも、知の巨人の多くはユダヤ人である。

教育そのものも「反復」であることが知られている。子供の教育ノートには、計算ドリル、漢字ドリル等、「ドリル」という言葉が使われているが、このドリルは穿孔機と同じ「Drill」というスペルである。

穿孔機は「同じ部位に、尖ったものを回転させながら穴をあける機械」を指すのだが、この「回転」という言葉の中に「同じことを何回も何回も繰り返す」という意味が含まれている。

だから、「Drill」というのは「反復」という意味なのだ。子供の計算ドリル、漢字ドリルというのは、「同じことを何度も何度も反復させる」という意味があるのだ。

多くの教師が指摘するのは、このドリルに異様なまでの熱心さで取り組む「反復好き」な子供が一部にいることだ。反復にすぐ飽きて逃げ出す子供もいるのだが、逆にいつまで経っても止めようとしない子供もいる。

ドリル(反復)に異様なまでの熱意で取り組む子供とテストの成績を示した統計はないが、恐らくかなり上位の成績になっているのは想像に難くない。反復と継続によって、物事は脳に刻まれるからだ。


「成功するのに何が必要ですか」の答えは何か?

パブロ・ピカソはスペイン生まれのユダヤ人なのだが、代表作「ゲルニカ」は高さ3.5メートル、幅7.8メートルの巨大な絵画(油彩)である。ピカソはこれを一ヶ月で制作した。

凄まじいまでの集中力がそこにあったと言われている。ピカソは同時に多作の作家なのだが、この多作もまたピカソの芸術に対する異様なまでの集中力が成し遂げている。

芸術作品を生み出し続けるという反復性は、極度の集中力によって成し遂げられている。この反復性のコアになっているのは、集中力である。

エジソンもいったん集中したら何ヶ月も研究室から出てこなかったようなエピソードが山のようにある。ニュートンも集中すると他のことがまったくできなくなって日常生活すらも支障をきたしたと言われている。

日常生活が不可能になるほどの集中力がそこにあった。その集中力が人類の歴史を変えるほどの成果となって結実していたということだ。

現代社会を変えたのはITテクノロジーだが、現在のITを支えているPCは依然としてマイクロソフトが支配している世界でもある。

このマイクロソフトの設立者がビル・ゲイツだった。このビル・ゲイツに、ある学生が「成功するのに何が必要ですか?」と尋ねたことがあった。

ビル・ゲイツは即座に「集中力」と答えた。

そのビル・ゲイツもプログラマー時代の集中力は並大抵のものではなく、オフィスに何日も寝泊まりしてモニターにかじりつくような格好でプログラミングをしていた。

その集中力がマイクロソフトという企業となって結実し、全世界にウィンドウズを普及させ、世界中のビジネスのあり方を一変させた。


一度も自分の能力を開花できないまま死ぬ理由

「天才」がどのようなプロセスで生まれるのかは、すでに解明されている。

天才とは「生まれつき凄まじい集中力で対象にのめり込み、常人の理解を超えるほどの反復を通して何かを手に入れる」ことができる人なのである。

まず最初に集中力があって、その集中力が異様なまでの反復を生み出し、それが継続された結果、天才と呼ばれる人間が生まれてくる。

ノンフィクション作家のマルコム・グラッドウェルは、天才について多くの人たちを検証した結果、天才と呼ばれるまでの能力を手に入れるためには「最低でも1万時間」が必要であると著書に書いている。

しかし、この1万時間というのは実際には「必要最小限」であって、本当の天才の集中力や反復力はそんなものではない。

天才になるための時間はともかく、「集中力と反復力」が天才的な能力を獲得する上で最も重要なものであるというのは異論はない。

逆に言えば、天才ではなくても自分自身の能力を高めたいと思ったら、この手法を取り入れることで高い能力を手に入れることができるということでもある。

しかし、恐らく多くの人は「集中力と反復」によって驚異的な能力を手に入れることができると知っても、それを取り入れることができない。

答えが分かっても、それが実行できない環境にあると言っても過言ではない。

現代社会は「集中できない環境」によって成り立っており、人々を集中させるどころかむしろ逆に気持ちを分散させやすいようになっているからだ。

いくら潜在能力を持った人であっても、興味のない仕事をしてテレビを見て映画を観てインターネットを見てゲームをして友達と談笑して飲み会に行って……と時間を潰していたら、集中もできなければ反復もできない。

だから驚異的な潜在能力を持った人が、そのまま日常生活に埋没して、一生の間に一度も自分の能力を開花できないまま死んでいくことになる。

身のまわりには集中力を削ぐもので溢れている。

こうしたものから離れ、反復を恐れてはならない。反復を軽視してはいけない。反復できないというのは、致命的な欠点であると認識しなければならない。


身のまわりには集中力を削ぐもので溢れている。こうしたものから離れ、反復を恐れてはならない。反復を軽視してはいけない。反復できないというのは、致命的な欠点であると認識しなければならない。
https://plus.google.com/+KeiseiSuzuki
6:777 :

2023/05/27 (Sat) 14:04:38

最も損する性格は思い通りにならないと投げ出して逃げる人
この世には、ひとつのことに継続して取り組める人もいるのだが、逆に思い通りにならないと急に自暴自棄になってすべてを投げ出してしまう人もいる。

多くの人は自分の人生の中で、まわりに「思い通りにならないと投げ出して逃げる人」を見てきているはずだ。私自身も、旅人として東南アジアの底辺にずっといたこともあって、そうした人たちを数多く見てきた。

だいたい、東南アジアの貧困街の旅社(格安ホテル)に泊まっている旅人は、みんな人生をドロップアウトして日がな一日何もしないで怠惰を貪って生きているわけで、すべてを投げ出して逃げてきた人たちの巣窟であったとも言える。

私自身も二十歳以後は東南アジアの貧困地区に沈む生活に心地良さを感じて、そこにどっぷり浸ったのだから、人のことをとやかく言える立場でもない。

こうした場所に巣食っていると、互いにやることがないので、どうでもいいような話を誰かの部屋に集まって夜通し聞いたりして過ごすこともある。

彼らの生き方を聞いていると、日本で就職しても長く続かず、仕事を転々として生きてきた話を聞かされることになる。彼らは自分を「自由人だから」と称していた。しかし、実態はどうなのだろうか。

「豊かな青春、惨めな老後」と安宿の壁に落書き

東南アジアの貧民街に巣食う旅人の生きてきたバックグラウンドは様々だ。

金が尽きたら日本で住み込みのアルバイトをして、金が貯まったらまた東南アジアに戻ってくるという生活を何年も繰り返している人もいた。

あるいは、何の計画も目的も意味もなく、なんとなく東南アジアにやってきて貧民街に巣食って、この先どうする計画もなく、「人生は死ぬまでの暇つぶし」みたいなことを言いながら、怠惰に生きている人もいた。

公務員や一流企業の仕事を突如として辞めて、まるで逃亡者のように東南アジアにやってきた人もいるし、世界中を旅する中で東南アジアに寄って時間を潰している人もいる。

東南アジアに沈没するすべての旅人が、行き当たりばったりに生きているわけではないのだが、遭遇率で言えば後先考えないで生きている旅人は多かった。

彼らも今はいいかもしれないが、やがてはどうにもならなくなってしまうことを悟っている。だから、バンコクの貧困バックパッカーは「豊かな青春、惨めな老後」を安宿の壁に落書きしたりするのだ。

やはり貧困街で困窮化していくのは、自分の思い通りにならないと、すぐに嫌になって投げ出して転々としてきた人であるというのは間違いない。

時間はたっぷりあるのだから、自分の所持金が尽きる日はいつでも計算できるはずだが、「日本に戻るのも面倒くさい」と何もしないのである。そして他人にタカリ出す。

日本でも、いろんなものを「面倒くさい」と投げ出してきたわけで、面倒なことから逃げ回りながらどんどん追い詰められていくのだった。

そういうわけで、私の身のまわりは「思い通りにならないと投げ出して逃げる人」だらけだったのであり、彼らの生態はとてもよく知っている。


立ち向かうのではなく「いかに逃げるか」がテーマ

先日、貧困に落ちた女性の話を動画で見たのだが、そこには新宿歌舞伎町のネットカフェで何ヶ月も、場合によっては1年近くも寝泊まりしている女性の人生が取り上げられていた。

(新宿・歌舞伎町。ネットカフェに住む女たち)
https://www.youtube.com/watch?v=-fE5AyXp8-k

その中の一人は、19歳の時に家族と喧嘩して家出し、歌舞伎町で違法スカウトの仕事をしながら生きている女性だった。

親との生活がうまくいかずに自暴自棄になって家出。さらに、生活保護を受けながらも、ケースワーカーと折り合いが悪くて自暴自棄になって投げ出し、家賃が払えなくなってネットカフェに流れ着いている。

いろんなものを投げ出して生きていることが見て取れる。彼女の知り合いという女性もまた、他人と折り合いが悪くていろんなものを投げ出して生きている女性だった。

最近、私は日本の風俗嬢と関わり、いろんな話を見聞きしたりしているのだが、風俗嬢もまた切羽詰まった生活をしている女性も多い。

一箇所の店でじっくりと計画的に働く女性もいる一方で、何か嫌になるとすぐに投げ出してあちこちの店を「放浪」するような女性もいる。

こうした女性は「転々虫」と呼ばれているのだが、実際に転々虫をしている女性の話を聞くと、少しでも気に障ることがあるとすぐに投げ出して仕事を辞めてしまう傾向にあることが分かる。

嫌なことがあると、その解決方法は「逃げること、辞めること、投げ出すこと」なのである。

すべてに関して「投げ出す」ことが身に付いており、だから彼女たちは人生のどの局面でも安定を手に入れることができず、社会の底辺を這い回ることになる。

社会のそれぞれの業界で一流の人の生き様は、「次々とやってくる人生の艱難辛苦にいかに真っ正面から立ち向かうか」がテーマになる。

社会の底辺を這い回る人たちもまた艱難辛苦が次々と襲いかかるのだが、彼らの対処は立ち向かうのではなく「いかに逃げるか」がテーマになる。


社会の底辺を這い回る人たちもまた艱難辛苦が次々と襲いかかるのだが、彼らの対処は立ち向かうのではなく「いかに逃げるか」がテーマになる。


「投げ出さないで食らいつくこと」を覚える

誰の人生にも節目節目で大きな壁が立ちふさがる。それを乗り越えてもまた次の壁が立ち塞がっている。人生とは、次々と迫り来る問題や困難を、いかにして乗り越えるのかが問われるゲームである。

人によって様々な乗り越え方があるのだが、社会をつぶさに観察すると、最も損するのは「思い通りにならないと、すべてを投げ出して逃げる人」であると言える。

人生は短いので、自分の目的でない枝葉末節は投げ出しても構わない。取り組む必要すらない。あれこれすべて真摯に取り組んでいると、時間がいくらあっても足りないからだ。

しかし、自分の人生を左右する重大な部分や、生活に関わる部分、あるいは人生の目標や理想を追うべき局面でも投げ出してばかりだと大きな問題が生じる。

大事なことを投げ出すことによって、自分の人生は向上できなくなる。仕事を投げ出すと生活できなくなる。仕事が切れると技能もまた切れる。

人生に立ち塞がる大きな壁から逃げ回っていると、仕事も生活もすべてが転々とせざるを得なくなり、それによって生活の積み重ねも消え、一貫性もなくなってしまう。

継続すれば得られていたはずの利益が得られなくなり、経済的に困窮する。投げ出すことによって、生活基盤さえ作れなくなる。家族や共同体を投げ出すと縁が切れるし、救済もまた切れる。

すべてを投げ出して逃げていると、信頼を失う。それが職歴になると、あらゆるものを投げ出して生きているのを知られて今度は相手にされなくなる。

信頼されないので、手に入れられる仕事は限りなく不利で不安定なものになり、安心も安全も保証されなくなる。そうした不安定な生活がストレスになると、今度は健康をも害する。

「思い通りにならないと、すべてを投げ出して逃げる人」は、いろんな意味で大きな損失を抱えることになる。それは、うまい生き方ではないということだ。

逆に言えば、いろんなものを投げ出して貧困に転がり落ちた人は、そこから這い上がるには「投げ出さないで食らいつくこと」を覚える必要があるということになる。


誰の人生にも節目節目で大きな壁が立ちふさがる。それを乗り越えてもまた次の壁が立ち塞がっている。人生とは、次々と迫り来る問題や困難を、いかにして乗り越えるのかが問われるゲームである。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20171126T0347130900.html
7:777 :

2023/05/27 (Sat) 14:05:54

勉強でもそうだが、大切なことは何度も何度も反復される。反復を否定する人間は、愚か者か、怠け者でしかない。「大切なこと」こそ、繰り返されなければならないのである。
「覚えなければいけないことは反復する」「大切なことは反復する」というのは、優れた人間の最大の武器である。

たとえば、知の民族として世界に知られているユダヤ人は、旧約聖書を暗唱するために、子供の頃から「反復」を徹底させることで知られている。

この「反復」による教育法はイスラムでも取り入れられていて、イスラム学校ではコーランを覚えさせるために子供たちに繰り返し経典を「反復」させる。

一万回でも二万回でも「反復」して磨きをかける

「飽きもせず反復できる人間が大成する」というのは、昔からよく知られている。飽きっぽい人間は、よほどの才能がない限り大成できないというのも昔からよく知られている。

「飽きもせず同じことを繰り返す」というのは、悪用すれば洗脳の手段にもなるが、正しく使えば自らの目的を実現する大きな力になる。

だから成功している人ほど、目的を達成するために常軌を逸しているとまわりから思われるほど「反復」する。

アスリートは必要なワザや型を会得するまで、何百回どころか何千回に至るまで同じ動きを「反復」して、寸分も狂いもなく同じ動きができるように心がける。

イラストレーターや漫画家は、必要な絵が描けるまで、やはり何百回も何千回も同じデッサンを「反復」して書き続ける。それが苦痛だと思うようであれば、そもそもその業界に向いていない。

歌手や演奏者も、同じ曲を一万回でも二万回でも「反復」して磨きをかけていく。たった数分の歌を聴衆の前に見せるために、彼らは何千時間を練習に費やしているのである。

そうやって長い時間をかけて「反復」され、磨かれた曲が人々の琴線に触れると、今度はその曲が10年、20年に渡って同じ歌手によって歌い続けられることになる。

熟練のワザに触れると、人々が感銘を受けてそれが反復されるのを望むのである。

「同じことばかりできる」というのは大成する素質があるということである。それは大きな才能だ。

逆に「同じことばかりしている」と他人を嘲笑うような人は、何も成し遂げられない人でもある。真実が何も分かっておらず、何も実現できない人でもある。


自分では何もしない人が何かをしている人を見下す

「同じことばかり飽きもせず反復する」というのは、他人から見ると無駄に見えるかもしれない。しかし、それは決して無駄ではない。むしろ、自分が望むものを手に入れるためには、絶対にしなくてはならないことである。

そのため、長い人生で何らかの果実を得たいと思うのであれば、早い段階で「反復の効果」を知り、それができるように訓練しなければならない。

何にしろ、自分が成し遂げたいと思うことは反復して手に入れなければならない。それは子供も漠然と気付くのだが、それが確信になるのが早い子もいれば遅い子もいる。

遅いどころか、大人になっても気付かない人もいる。

誰かが必要な技術を会得するために、同じことを何回も反復練習していると、必ず「馬鹿のひとつ覚えのように同じことをしてる」と嘲笑う人が出てくる。

「そんなことをしても無駄だ」と、自分では何もしない人が何かをしている人を見下す。

「反復」の重要性に気付かない人が、何かを手に入れようとして「反復」を続ける人を嘲笑するのである。いや、中には「反復」の重要性に気付いている人も、反復練習をしている人を馬鹿にすることがある。

その理由はひとつ。自分が会得できないものを相手が会得したら困るので、それを止めさせるためである。反復を止めさせれば熟練することはない。だから反復を止めさせる。

「反復する」というのは、いろんな意味でそれを実現する効果がある。だから、相手の足を引っぱるには反復させないようにすればいい。

本来であれば、このような雑音に耳を貸さずに、ひたすら反復をして熟練していけばいいのだが、残念ながら自分のやっている反復を馬鹿にされると、それを途中でやめてしまう人の方が多い。

「反復」というのは、「同じことを何度も繰り返す」ということなので、それは地味で泥臭く恰好が悪いことだ。だから、馬鹿にされることで、泥臭いことはやりたくないと思ってしまう人もいる。


日本人はもっと「反復すること」の力を再確認して、いろんな分野で泥臭く同じことを繰り返すことができる大物を生み出す必要がある。それは決して日本人の苦手ではない。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2015/12/20151228T0729450900.html
8:777 :

2023/05/27 (Sat) 14:06:24

「良くなる前には、いったん悪くなる」という現象を認識せよ
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2018/01/20180118T1712200900.html

何らかのイベントが起きて、実際にその通りになっていく前に、いったん逆の現象が起きるというのは、経済の世界ではよく認知されている現象だ。

たとえば、「通貨安になれば貿易黒字が増加する」という現象がある。しかし、通貨安と貿易黒字は、一直線でつながっているのではない。通貨安になると、最初はなんと逆に貿易黒字が減少する。

理由は簡単だ。世の中は「即答」ではないからだ。また、世の中の変化の対応も遅れるからだ。通貨安になったとしても反映が遅れる。対応も遅れる。だから、その効果が表面化するまでは、逆の動きを見せる。

しかし、徐々に対応がなされていくと、当初の予定通りの貿易黒字の増加に入っていく。

他にもある。企業が業績の悪化を止めるためにリストラを決意したとする。リストラの目的は「人件費というコストを削減して利益を確保する」ところにある。しかし、リストラをした年度の利益は逆に大きく下がる。

なぜなら、リストラが進めば進むほど多額の退職金を支払う必要があるからだ。また希望退職を募るために退職金の割り増しも行われるので、なおさら出費がかさむ。

しかし、それを乗り切ると、当初の予定通り翌年度から利益を確保することができるようになる。

高く飛ぶためには、いったん低くしゃがんで飛ぶ

何か目標を持って、それが達成されるまで努力したとする。普通、努力すれば努力しただけ、「すぐ」にそれが反映されると私たちは考える。

誰でもそれを願う。今日、努力したら、明日にその努力が反映して欲しい。

ところが、世の中はうまくいかないもので、努力しても努力しても、その努力が反映されるのは「ずっと後」の話になる。場合によっては、努力すればするほど逆に後退しているかのように見えることがある。

どうしてそうなってしまうのか。

その理由は、取り組んでいるものが「まだしっかりと身に付いていない」ことに起因する。まだ経験値が足りていないのだ。そのため、一定したパフォーマンスが発揮できない。

パフォーマンスが一定していない時、人は無意識に試行錯誤をする。この試行錯誤が後退に見える。

しかし、それは後退ではない。経験の積み重ねなのだ。「計画・実行・評価・改善」を何度も何度も繰り返して、どれが最も自分に効果的なのかを試している段階だ。

ここを通過すると、「何が良くて何が悪いのか」が経験値で分かるようになり、ここから急激に卓越した結果を手に入れることができるようになっていく。

「計画・実行・評価・改善」の段階でのパフォーマンスの悪化は後退に見えて後退ではない。そこでパフォーマンスが落ち込んでも、そこから伸びていくからだ。

目標に至る前の「いったん落ち込んで上昇する」というこの効果は、グラフにするとアルファベットの「J」に似ている。だから、これを「Jカーブ効果」と呼ぶ。

高く飛ぶためには、いったん低くしゃがんで飛ぶ。

高く飛びたいのに「しゃがむ」というのはまるで逆のことをしている。しかし、しゃがむと高く飛べるのは私たちは経験則でよく知っている。これも「Jカーブ効果」そのものだ。

津波も、最初から高波が来るのではなく、いったん引き潮になってから高波が襲いかかって来る。これも「Jカーブ効果」そのものだ。


成果を得るまで、悪影響と見込み違いの連続になる

ちなみに、「計画・実行・評価・改善」はビジネスの現場ではPDCAと呼ばれている。

Plan(計画)
DO(実行)
Check(評価)
Action(改善)

この4つの頭文字がPDCAである。新しい事業、新しい目標、新しい技能を身につける過程でPDCAを行うと、必ずJカーブ効果のプロセスを辿る。

目標を立てて進んだら「即答」で成果が現れて欲しいと普通の人は願う。しかし、困難であればあるほど即答はない。

努力したら「即答」で答えが出ると思っていたら、すべてにおいて挫折する。

そもそも、PDCAという手法そのものが、「物事は即答で目標達成はできない」という現実を見据えて行われるものであることに気付かなければならない。

しかし、何度も改善を繰り返すうちに最適解が見えてくるようになり、物事が順調に動き出す。それが「Jカーブ効果」の特徴である。

困難な目標や大規模な目標を立てれば立てるほど、このJカーブ効果の現象が現れる。

現実には、この「Jカーブ効果」をしっかりと意識していないことによって、多くの人が努力の成果が実る前に計画や目的や努力を捨ててしまう。

浮上する大切な時期にあきらめて去ってしまうのだ。

確かに経験則で見ると、良くなる前には逆に悪くなるという現象を私たちは知っている。

「夜明け前が一番暗い」とは昔の格言だが、これもまた一種の「Jカーブ効果」であると言える。昔の人も、それに気付いていたのだ。

「高く飛ぶ前にはしゃがめ」「夜明け前が一番暗い」「Jカーブ効果」は、よくよく考えれば、みんな同じ現象を違う表現で言い表したものであることが分かる。


Jカーブ効果でより合理的に生きることができる

もちろん、ありとあらゆるものが「Jカーブ効果」によって支配されているわけではない。無謀な計画、無謀な目標は、時として転落しかあり得ない場合もある。

しかし、この「Jカーブ効果」が当てはまる局面も、異常なまでに多いのも事実である。

物事を注意深く観察している人であればあるほど、「Jカーブ効果」という言葉を知らなくても、「良くなる前には悪くなる」という現象を本能的に知っている。

そして、人生に熟達した人であればあるほど、いろんなものが長期志向になる。状況が悪くなっても、「これはJカーブ効果の底の部分である」と思えば容易にあきらめない。

ところで、Jカーブ効果の底の部分で必要になるのは何か。

それは、言うまでもなく継続心である。「Jカーブ効果」を知っていても、どん底の部分ですぐにあきらめてしまったら急激に伸びていく部分にまで辿り付けない。

「継続は力なり」という言葉もある。これも「努力しても報われないどん底の局面で継続せよ」と言っているわけで、どん底に堕ちた時にこそ、意識しなければならないものだ。

得意絶頂の段階であれば誰でも継続できる。すぐに結果が出るのだから続けるのは簡単なのだ。本当に継続心が試されるのは、悪くなっている局面である。

「計画・実行・評価・改善」を推し進めて経験値を上げるには、継続心は必須であり、これが欠けていると目標に辿り付けることは絶対にない。

「Jカーブ効果の底の部分」では「計画・実行・評価・改善」を繰り返して経験値を上げることであると理解している人は、敢えて失敗すると分かっていることも経験値として採り入れるために実行することもある。

良い目標を立て、「良くなる前には、いったん悪くなる」というJカーブ効果をよく理解し、Jカーブのどん底の部分では継続心が必要であるということを理解すれば、より合理的に生きることができるようになる。


物事を注意深く観察している人であればあるほど、「Jカーブ効果」という言葉を知らなくても、「良くなる前には悪くなる」という現象を本能的に知っている。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2018/01/20180118T1712200900.html
9:777 :

2023/05/27 (Sat) 14:07:06

反復は熟練を生む。この熟練は「何をやるべきなのか、何をやってはいけないのか」という膨大な知識がすべて自分に備わった結果として手に入れられるものである。
反復は同じことを延々と繰り返しているのではなく、条件や環境を変えて、それでうまくいくかどうかを試行錯誤する場でもある。

つまり、反復は試行錯誤であり、試行錯誤は仮説・検証のシステムである。

この部分をしっかりやって手に入れた能力は、膨大な仮説と検証で裏打ちされているので、どんな環境でも発揮できる強靭な能力となる。

かつての日本は丁稚奉公というシステムもあったし、弟子入りというシステムもあった。

今で言う「見習い期間」で経験とたっぷりと積ませ、失敗を大量に経験させ、うまく行く方法を試行錯誤さえて「一人前」に仕立て上げていた。

一人前にするために、あえて失敗も許される期間を設けて仕事を反復させ、試行錯誤させていたのだ。

試行錯誤とは「何をしたら正しくないのか」という重要なデータを積み上げるために必要な方法である。だから、試行錯誤をたっぷりと行って手に入れた能力は強く、そうでない能力は弱い。

どれくらいの試行錯誤が必要なのかは対象やその人の能力によって違うのだが、自分の人生を支えるために手に入れるべき重要な能力については、他の人がなしえないほどの長い反復が必要になってくるのは間違いない。

人生を賭けても良いと思うものについては、凄まじいまでの反復を自分に課して、それを「楽しむ」べきであると言える。それが新しい能力を手に入れるための方法である。

反復によって手に入れた能力は深みもあれば凄みもある。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2018/04/20180412T1804430900.html
10:777 :

2023/05/27 (Sat) 14:07:34

徹底的に捨てよ。それは苦境に落ちている人生の再構築になるから
https://blackasia.net/?p=8343
もし、どうしようもない苦境に落ちて、何をどうしていいのか分からないとき、「掃除をする」「整理する」「片付ける」「捨てる」を徹底して始めればいい。そう言えば、たぶん鼻で笑う人もいるはずだ。

昔の私も「苦境に落ちているのに掃除したところで意味なんかない」と嘲笑したか、馬鹿げていると思って無視したはずだ。しかし、今の私は違う。

「掃除する」「片付ける」というのは、大きな意味があることを覚えたからだ。

企業でも、掃除することにより、無駄が排除される。在庫が排除される。動作の無駄もなくなる。空間の見通しも良くなる。無駄が排除されることによって効率化する。

「掃除する、整理する」は、思った以上に合理的かつ論理的なソリューションだったのだ。

そして、この「掃除する、整理する」というソリューションは人生にも効くのだ。苦境に落ちたときに「掃除をする」「整理する」「片付ける」「捨てる」を徹底するのは、いろんな意味で問題解決に結びつくのである。
11:777 :

2023/05/27 (Sat) 14:08:04

死ぬ前に人が最も後悔するのは「挑戦しなかったこと」
https://www.lifehacker.jp/2018/07/170293how-to-avoid-a-life-of-regret.html


人生が終わりに近づいたとき、自分が最も後悔することは何だと思いますか?

義務を果たせなかったことでしょうか?

夢を追いかけなかったことでしょうか?

死ぬ前に人がもっとも後悔することは

コーネル大学の新しい研究で、人が最も後悔し苦しむのは、義務や責任に関してではないことがわかりました。

米誌『Emotion』に掲載された「The Ideal Road Not Taken」の筆頭筆者で心理学者のTom Gilovich氏によると、私たちがを最も苦しめる後悔は、「理想の自己」として生きることができなかった後悔なのだそうです。

つまり、間違いをおかしたことや、すべきことをしなかったことは、本当になりたかった自分になれなかったことほどは、心を悩ませはしないということです。Gilovichは次のように説明しています。


私たちは自分の人生を評価するとき、理想の自己に向かって歩んでいるか、なりたい人間になりつつあるか、を考えます。こうした問題に関する後悔は、いつまでも心を離れることがありません。

人生という旅路で、いつも前方に見据えていたのが、そうした風景だからです。

一方、「義務」の後悔は、道路にできたくぼみのようなものです。たしかに問題ではありますが、通り過ぎてしまえばそれまでです。

この研究は、現実自己、理想自己、義務自己の3つの自己があるとする「自己不一致理論」に基づいています。


現実自己:

現在の能力や属性に基づいて、自分はこうであると考える自己。

理想自己:

いつの日か獲得したい能力や属性、要するに、目標や機能、願望の自己。

義務自己:

義務や責任の観点から自分はそうあるべきだと考えている自己。

後悔という点でいえば、義務自己に関する失敗は「もっとうまくできたかもしれない」という後悔につながりますが、理想自己に関する失敗は「なりたかった自分になれなかった」という後悔につながります。

しなかったことで後悔しないために

Gilovich氏の過去の研究が示唆しているように、人は、長期的に見たときに、したことよりも、しなかったことに対してより大きな後悔を感じています。

何らかの行動をとって失敗すると、一時的には大きな後悔を感じますが、すぐに立ち直って「人生の学び」として消化することができます。

間違いをおかさない完璧な人などいませんよね?

Gilovich氏は、義務自己に関して誤った行動をとっても人はそれほど苦悩しない、と言っています。軌道修正が簡単にできるからです。

義務に関する過ちの多くは、正しい行動で埋め合わせることが可能ですし、少なくとも相手に謝罪することがはできます。

失敗はやり直せるが、やらない後悔は軌道修正できない

しかし、最初から何もしていないことについては、軌道修正もできません。

ご存じのとおり、いつまでも心につきまとい悩ませるのは、行動をとらなかったこと、挑戦しなかったこと。

たとえばあなたは、批判されることを恐れて、書きためた小説を発表してこなかったかもしれません。あるいは、勇気がなくて想いを寄せていた人に告白できず、その人の人生に関わることができなかったのかもしれません。

理想の自己に近づきたいなら、可能な限り行動せよ!

Gilovich氏は、多くの人が目標に向かって一歩踏み出すことをせず、インスピレーションが訪れるのをひたすら待っているのだと言います。待つ必要などありません。

インスピレーションがやって来ないというのはただの言い訳です。

いつまでも心につきまとう後悔をしたくないなら、解決策は明らか! そう、可能なかぎり行動してください。

夢のためなら義務や責任を放棄してよいと言っているわけではありません。ただ、人生でやりたいと思ったことは、いつになってもあなたの心を去ることはないと言っているのです。

もちろん、年をとるにつれ、優先度や責任は変化していきます。それでも、何歳になっても、なりたい自分というものが必ず心の中に存在します。

思い描いたことすべてを叶えられるわけではないとしても、何も行動しなければ、理想の自己に向かって歩き始めることさえしなかったのと同じです。

「理想の自分」を実現可能で段階的な目標に落とし込もう

あなたの理想自己はどのような姿をしていますか?

それは少しぼんやりとして、時とともに変化しているかもしれませんが、必ずそこに存在しています。目を凝らしてよく見てください。おおよその姿が見えたと思ったら、全力で挑戦し、失敗し、自分はどんなことが好きで、どんなことが嫌いなのかを確かめていきましょう。

理想自己のビジョンを、実現可能で、段階的な目標に落とし込んでください。

理想自己とは、人生のなかで実際に目指すべきものだということを忘れないでください。理想自己を、死が迫ったときに「ああすればよかった、こうすればよかった」と後悔するときに立ち上る亡霊にしないように。
12:777 :

2023/05/27 (Sat) 14:08:27

関心も興味も持てない仕事を続けるのは「人生史上、最悪の間違い」だ │ ダークネス:鈴木傾城
https://bllackz.com/?p=4658
人生は長いようで、それほど長いというわけではない。「光陰矢の如し」も「少年老いやすく学なりがたし」も真実だ。うかうかしていると人はあっという間に歳を取り、「あの時にああしておけばよかった」と後悔することになる。

ところで、人間の時間を浪費するのは「何もしないで怠惰でごろごろする無為な時間」だと考える人は多いが、実際に人間の時間を奪っているのは「怠惰な時間」ではない。

誰もが分かっていて目をつぶっていること。それは、「労働」が自分の人生の時間の大半を奪っているということだ。特に日本はその傾向が強い。

なぜか。日本は会社に忠誠を尽くしているのかどうかを残業時間で測って、残業時間が長い社員を「忠実な社員」と見て引き立てていく傾向にあるからだ。

出世したければ滅私奉公しなければならない。それが長時間残業の常態化を生み出している。

少しでも出世したいと考える人間は進んで社畜になる。そのため「100時間くらいで自殺するのは情けない」という人間も出てくるようになる。そして社畜が増えると残業代を払わなくても働くので会社も助かる。

そのため、日本の企業は長時間残業をさせて、残業代も払わないような企業が続出する。そして、日本人は人生において自分の時間をほとんど持てないまま消耗していく。(鈴木傾城)
13:777 :

2023/05/27 (Sat) 14:08:51

2018年08月03日
若者の失敗離れ 失敗を恐れて消費しない
失敗しないためにリスクを冒したくない


画像引用:http://www.myproject.tv/wp-content/uploads/2017/12/tassei11.jpg


若者の失敗離れ

現代の若者は極度に失敗を恐れ、失敗しないように生きていると言われている。

それと対極になるのがバブル時代に若者だった人たち、バブル世代でとりあえず何かやってみるのを好む。

買い物をするときに、他の世代はその場で良さそうなら、試しに買ってみようとすぐ買う。



だが20代以下ではスマホで検索してから買う、その場では買わずに後で調べてから買う人が多い。

最近コンビニやスーパーの店内で、「スマホいじり」している若者が多いのは、こんな理由があった。

必ずしもゲームやラインをしているのではなく、今見た商品を検索して、買うかどうか考えている。


ネットサイトでの評価などを確かめてから買うので、パッケージが気に入ったなどの理由で買ったりはしない。

失敗しないのはいいが、他人の評価に基づいて買っているので冒険もなく、保守的になりやすい。

気づくとみんなと同じものを、皆が買っているという結果になりやすい。

景気停滞の原因は失敗回避か

失敗回避の行動は恋愛にも及び、失敗を避けるために恋愛せず結婚もしない人が増えている。

一時期流行った起業ブームも、最近は失敗を恐れて有名企業に就職する人が多い。

失敗の反対は成功ではなく肯定で、SNSなどで自分を肯定してくれる人たちとは親しくする。


20代の若者は生まれる前からずっと不況だったので、成功を望まず最初から諦める人も多い。

将来に希望や夢を持つと、失敗したときに傷つくので、最初から成功を期待しない。

将来収入が増える希望も無いので、なるべく浪費せず節約するという発想になる。


これでは消費が増えるはずがなく、婚姻率や出生率もますます下がっている。

自分より年長の人を見ても、会社に尽くして裏切られて騙されて、ひどい人生を送った人ばかりです。

こうした負のスパイラルを転換するのは簡単ではないでしょう。
http://www.thutmosev.com/archives/77056951.html
14:777 :

2023/05/27 (Sat) 14:10:13

自分の人生に重要ではないものには、決して「継続は力なり」を当てはめるな


「継続は力なり」という言葉がある。これは、目的を達成する前に早々とあきらめる人を戒め、つらくても継続することに意味があると知らしめる格言である。

何でもそうだが、何かを始めたときは最初から目的のものがすんなりと手に入るわけではない。

むしろ、目的を達しようと思えば思うほど、むしろ道は遠ざかるような目に遭う。「良くなる前には悪くなる」という現象がどこの世界にもある。

努力すればするほど成果から遠ざかっていき逆境になる。ところが、それでも努力を続けていると、あるときから物事が好転し始めて、やっと目的に到達することができるのだ。

いったん落ちて、高みに浮上するというのは、「Jカーブ効果」とも言われる。(ダークネス:「良くなる前には、いったん悪くなる」という現象を認識せよ)

浮上するためには、誰もがダメだと思うところで、もがくような努力をしなければならない。それが「継続は力なり」という言葉に表されている。(鈴木傾城)

無駄なものは無駄だというケース

しかし、努力すれば何でも叶うのかと言われれば、まったくそういうわけでもない。どんなに努力しても、どんなに継続しても、自分には何ともならない目標もある。

人間は誰でも超人ではない。無駄なものは無駄だというケースもある。努力しても叶わないものは叶わないこともあるし、努力する以前に目標が成り立たないこともある。

(1)肉体的な能力が備わっていない。
(2)遺伝的能力・才能が備わっていない。
(3)目的に到達するのに時間がかかりすぎる。
(4)それに本気になれない。
(5)自分が心から目指しているものではない。

こういった場合、いくら「継続は力なり」と言っても、それが実現されることはない。肉体的・遺伝的に到達できない目標である場合の努力は意味がないし、やりたくないものを目指しても意味がない。

難しいのは、最初からそれが分かる人はどこにもいないということだ。

目が見える人は、誰でも画家になる自由はある。しかし、目指す前は、自分にその才能があるかどうかは分からない。自分がそれに最後まで深い関心や興味を持てるかどうかも分からない。

やってみて初めて、自分に向いていないと思ったり、関心を持てないと思ったり、才能もないと思ったり、それでもやりたいというエネルギーもないということに気付く。

最初は、誰でもいろんなものに試行錯誤する。すべてに「継続は力なり」と言っていれば、すべてが中途半端になる。ということは、「継続は力なり」の一方で「さっさとやめる」ということも重要であることが分かる。

続けるという決断の裏に必要なもの

自分が実現したいというものがあって、それに関しては血だるまになっても取り組むつもりならば、その一方で自分の人生の枝葉末節のものはすべて切り捨てるという別の決断も必要になる。

つまり、「続ける」という決断の裏に、「やめる」という決断をも必要になるのだ。

自分に向いていないもの、関心のないもの、自分の人生に必要のないもの、好きになれないもの、意味のないものは「やめる」ことが重要だ。

他人にとってそれは重要かも知れないが、自分にとって重要でなければ、やめるのは悪い選択肢ではない。自分にとって大したものではないと思えばやめるしかないし、間違えたと気付いてもやめるしかない。

余計なことを「やめる」ことによって必要なことに集中できる。それによって人生がすっきりする。迷いもなくなる。どうでもいいものを「やめる」と、それだけで時間も、情熱も、資金も、重要なものに集中させることができる。

何でもかんでも、ただ続ければいいというものではない。

優れた企業は常に選択と集中をして、余計なものを切り捨てるのだが、この選択と集中は、どちらも一点に全力投球する行為であることに気付かなければならない。

つまり、他の枝葉を切り取らなければ、選択も集中もできないのである。逆に言えば、選択と集中を実現するためには、どうでもいいものをすべて「やめる」しかない。

行き当たりばったりの人が言う「やめる」と、選択と集中に取り組んでいる人が言う「やめる」とは、同じ「やめる」でもまったく意味合いが違う。

やめる決断ができるかどうか

「重要なことを続ける」と決意した人の「別のものをやめる」という決断は、非常に意味のあるものなのだ。

駄目なものにしがみつかない。自分には意味がないと思うものにしがみつかない。いたくない会社、やりたくない仕事に、しがみつかない。実りのないプロジェクトを続けない。

経営者が大成できるかどうかというのは「やめる決断ができるかどうか」にかかっていることが多いと言われている。続ける決断は簡単だが、やめる決断は覚悟がいるからだ。

やめると言うと、失敗したと言われるし、格好が悪いと思われるし、挫折したと陰口を叩かれることもある。

力がないと思われることもあるし、時には中途半端だと罵られることもある。

しかし、それが自分の目指すものではないと途中で気付いたり、他人はどうであれ、それが自分には意味がないと思えば、「やめる」という選択と決断は、逆に毅然と決断しなければならないのである。

「やめる」というのは、失敗したという意味で捉えられることが多い。しかし、他に目的があった場合は「やめる」ことが大きな前進となる。

プライドが傷ついて、やめなければならないのにやめれない人もいる。

しかし、たかがプライドごときで時間も金も人生もすべて失って撤退を迫られるより、袋叩きに遭っても毅然として「やめる」という勇気が必要なのである。

あなたは、やめる勇気、引き返す決断ができるだろうか。ゆっくり休んで自分の人生をよく見つめ、「やめるべきもの」をピックアップすればいい。

自分の人生にとって重要ではないものに「継続は力なり」という格言を当てはめてはならない。自分にとって重要なものに選択・集中して、枝葉は毅然と「やめる」のが重要だ。(written by 鈴木傾城)

登ることが自分の人生に意味がないのであれば、やめなければならない。自分の人生にとって重要ではないものに「継続は力なり」という格言を当てはめてはならない。自分にとって重要なものに選択・集中して、枝葉は毅然と「やめる」のが重要だ。
https://blackasia.net/?p=10989
15:777 :

2023/05/29 (Mon) 05:16:45

ジム・ロジャーズ氏の語る投資の始め方
2023年5月28日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/37097

引き続き、ジョージ・ソロス氏とともにクォンタムファンドを創業したことで有名なジム・ロジャーズ氏のWorld Scholars Academyによるインタビューである。今回は投資初心者が投資を始める方法について語っている部分を紹介する。

投資の始め方

投資を始めるというのは難しい決断だ。正確に言うならば、それが難しいと知っている人間には難しい決断だ。世の中には難しいことを難しいと知らず、自分が何に首を突っ込んでいるのかさえ分からないまま何かに首を突っ込む人間が多数いる。

投資を始めるのが難しいのは、初心者は当然投資について何も知らないが、何も知らないとほぼ間違いなく投資に失敗する一方で、実際にやってみて経験を得なければ、何もしらなくない人にはなれないからだ。

虎穴に入らずんば虎子を得ずという。しかし世の中には虎穴に入らずに虎子を得たい人が大量にいる。そういう人は虎穴の外で虎穴を探すので、当たり前だが虎子ではない別のものを掴むことになる。ここの読者にはお分かりだろうが、株式への長期投資を盲目的に信仰している人のことを言っているのである。

「株式投資は長期的にはほぼ儲かる」という主張が完全に間違っている理由
何も知らないまま投資をすると失敗するが、投資をしなければ経験は永遠に得られない。このジレンマをどうするべきか。ロジャーズ氏は次のように語っている。

投資対象について何か理解するまでは投資を待った方が良いと思う。

投資する対象が自動車産業であれば、自動車産業について知っているべきだ。IT業界であればIT業界について知っているべきだ。

インデックス投資が何も知らなくても出来る投資だというのは素人の完全な幻想である。例えばS&P 500に投資をする時には、1株当たり利益と株価収益率が今後どのように推移するかを知っていなければ投資は出来ない。半年投資するなら今後半年の、50年投資するなら今後50年の予想が出来ていなければ、それはギャンブルになってしまう。

それを予想するためには民間総投資や輸出入の成長率、中央銀行の金融政策、インフレ率などについて知っている必要がある。インデックス投資のために必要な情報とはそういうものである。そういうものを知る必要があるとプロが思っているのに、素人がそれを省略できる理由があるだろうか? 素人はプロよりも凄いのか?

だからインデックス投資はむしろプロ向きの投資先である。一方で、自動車やITについて知っている人は、投資をしたことがない人でもいるだろう。

投資の学び方

ということで、投資を始める上では少なくとも多少なりとも投資先について知っている必要がある。自動車か、ITか、マクロ経済統計か、好きなものを選べば良いだろう。

だが1つ難しいのは、何処まで勉強すれば「自分は知っている」と言えるのかどうかだ。この点についてロジャーズ氏は次のように言う。

「わたしはこの投資対象について知っている」と思うかもしれない。その通りだ、人は自分が何かを理解していると考える、実際に理解するよりも大分前に。そして失敗することになる。

だが失敗に落ち込みすぎないことだ。そして失敗から学ぶことだけは忘れてはならない。わたしも過去に失敗したが、幸いにもそこから学ぶことができた。

この意味では、投資は絶対に失敗しないものだと言うことができる。上手く行けば利益を得られる。失敗すればそこから学び、より優れた投資家になることが出来る。どちらでも良いではないか。そしてより優れた投資家になることが出来れば将来は儲かるので、やはり損することがない。

一方で長期投資を盲信する人々の投資法は、今後数十年絶対に失敗することのない投資だと言うことができる。何故ならば数十年経たなければ結果が出ないからである。

そして結果が出なければ失敗から学ぶことがない。彼らは死んでも失敗から学びたくないのだなと思う。それは死んでも勉強したくない人の投資法である。そして彼らを待ち受けているのは、数十年後に失敗してもう一度やり直す時間は残されていないという取り返しの付かない未来である。

長期投資への盲信は失敗の先送りであり、その意味で紙幣印刷政策に似ている。明日小さな失敗をしたくない人は、数十年後に取り返しの付かない失敗をする羽目になる。世の中は本当によく出来ている。

ガンドラック氏、日銀の量的緩和を皮肉る
「株式投資は長期的にはほぼ儲かる」という主張が完全に間違っている理由

https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/37097
16:777 :

2023/05/30 (Tue) 21:21:04

ジム・ロジャーズ氏: 優れた投資家に必要な素質
2023年5月30日 GLOBALMACRORESEARCH
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/37140

引き続き、ジョージ・ソロス氏とともにクォンタムファンドを創業したことで有名なジム・ロジャーズ氏の、World Scholars Academyによるインタビューである。今回は優れた投資家になるために必要なメンタリティについて語っている部分を紹介したい。

優れた投資家になるための素質

優れた投資家になるためにはどういう素質が必要だろうか。それは生まれ持ったものだろうか。習得できるものだろうか。

ロジャーズ氏は、優れた投資家になるための素質について聞かれ、次のように答えている。

好奇心、そして疑う心だ。

好奇心は当然必要である。AIなど新しい技術に投資をしたければ、新しい技術に興味を持ってそれを調べる必要がある。

では疑う心とは何だろうか? ロジャーズ氏は次のように説明している。

耳にしたことや読んだことをすべてそのまま信じてはならない。自分で調べること。自分で確かめること。誰もが空は青いと言っていても、自分で窓の外を見て本当に空は青いかを確かめること。

自分で確かめること。聞いて考えたことが正しく正確かどうか分かっておくこと。特に投資の世界では多くの話は正しくないのだから。誰もがうまい話や新しい投資対象を持ってくる。自分で調べて確かめることだ。

うまい話とはつまり、知らない人からメールが来て、宝くじに当選したからキャッシュカードと暗証番号を送ってくれとか、政府に保険料を払えば老後を安泰に過ごせるお金が後で返ってくるとか、インデックスを買って寝ていれば年4%儲かるとか、首相が岸田氏でなくなれば自民党はきっと変わるとか、そういう話だ。

特に金融業界にはうまい話が多い。ロジャーズ氏は次のように語っている。

ウォール街で働き始めた時、奇妙な話をよく耳にした。だが何故そんなことが言える? 何故そんなことが信じられる? お金が空から降ってくることはない。

お金が木から生えてきたりはしない。

「インデックスを買って寝ていれば年4%儲かる」、だが根拠は何なのだ? 年4%損する羽目にならないと何故言えるのだ? 「米国株に投資していれば過去40年儲かり続けた」、だが過去40年と今後40年が同じようになる根拠は誰が示したのだ? それを示さなければ、その理屈は例えば隣の田中さんは90年生きたからもう90年生きると言うのとまったく同じである。

むしろ筆者は、過去40年米国株を押し上げてきた原因そのものが今後数十年消滅するということを根拠をもって以下の記事で示した。

「株式投資は長期的にはほぼ儲かる」という主張が完全に間違っている理由
だから過去40年は今後40年を予想するための根拠にはまったくならないのである。

だが自分にとって都合の良いものを信じたい人にとっては、根拠があろうがなかろうが関係ないらしい。彼らはむしろ根拠を避ける。信じたいものを信じていられることが彼らの幸福だからだ。それが長期には大損への道だとしても、彼らの目は2メートル以上先を見ることができない。

株式投資ブームに乗った時点で個人投資家の損失はほぼ確定している
紙幣印刷といううまい話

経済政策でも同じである。「紙幣を印刷してばら撒けば誰もが簡単に幸福になる」、確かに紙幣印刷で人々は紙幣を手に入れたが、紙幣の価値が下がったために紙幣でものが買えなくなり、インフレが起こった。

世界最高の経済学者サマーズ氏が説明するインフレの本当の理由
当たり前の帰結なのだが人々は元々インフレが物価上昇という意味だということさえ理解していなかった。それでインフレ政策といううまい話を信じたわけである。

世界最大のヘッジファンド: 無節操に支出し続けるメンタリティのお陰でスタグフレーションへ
むしろ彼らにとっては、それがうまい話であるという現実を直視するぐらいなら死んだ方がましだっただろう。働きたくもない仕事に人生のほとんどを費やし、その報酬の半分以上を所得税と社会保険料と消費税によって自民党に奪われている自民党支持者の人生は現実逃避で出来ている。

いや、インフレ政策はインフレ(物価上昇)と看板に書いてあるので、うまい話ですらなかったわけだが。それでも彼らはそれを好んだ。まさに墓穴を自分で掘ったわけである。

ロジャーズ氏は次のように言う。

お金を稼ぐことは難しいのだ。だから誰かが「心配ない、これは簡単だ」とか「今回はこれまでとは違う」などと言い始めれば、部屋を出ることだ。
https://www.globalmacroresearch.org/jp/archives/37140

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