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2023/05/18 (Thu) 23:37:35
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詫びろ!!市川猿之助!!被害の声多数。半沢直樹で人気の役者だったが・・・
https://www.youtube.com/watch?v=e5RX7iYmzCQ
【顔画像】市川猿之助の遺書「愛するM」は石橋正高!マネージャーで俳優で仲良し!! - marymaga
https://marysblood.jp/ennosuke-m/
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市川猿之助、“愛するM”の知られざる素顔「早く子どもが欲しい」インスタにアップされた親密写真
4代目・市川猿之助(47)の“心中事件”がいま、世間を震撼させている。
5月18日、都内にある両親と暮らす豪邸で悲劇は起きた。2階のリビングで父・市川段四郎さんと母・延子さんが倒れているところをマネージャーが発見。仰向けにされた2人には掛け布団がかけられていたという──。いずれも死因は向精神薬中毒とみられている。半地下にあるクローゼット内の床に泡を吹いた状態で横たわっていたのが猿之助。緊急搬送の末に一命を取り留めた彼は、聴取に対し、
「死んで生まれ変わろうと家族で話し合い、両親が睡眠薬を飲んだ」
との供述をしているという。事件当日に発売された『女性セブン』には、《歌舞伎界激震の性被害! 市川猿之助 コロナ拡散濃厚セクハラ》と題された記事が掲載されていた。
すべての遺産を相続させたかった相手
「猿之助さんが、共演する複数の役者たちをホテルの部屋に引き入れて“隣に寝なさい”と指示し、身体を触るといった“性的スキンシップ”を求めていたことを劇場関係者らが証言。要求を拒否すると舞台のキャストから外されたそうです。加えて、コロナ禍の真っただ中だった2021年7月中に2度にわたって神奈川県内でパーティーを開き、そこでも参加者に濃密な関係を求めていたとも。5月15日の夜に直撃取材されましたが猿之助さんは“答える義務はありません”と一蹴したそうです」(ワイドショースタッフ)
警察の捜査が進み、事件の詳細は次第に明らかになりつつある。猿之助が“遺書”のようなものを残していたことも。
《愛するM 次の世で会おうね たかひこ》
このMというのは40代の役者で猿之助の付き人も務めている男性とみられている。マネージャーの女性とともにこの事件の第一発見者になったと報じられている。添えられた「たかひこ」というのは猿之助の本名だ。
「猿之助さんの遺書には“自分が死んだらMに遺産をすべて相続させたい”といった旨のことも書かれていたそうで、その寵愛ぶりが伺えます。数年前から自身が主宰する演劇プロジェクトに役者としてMさんを出演させるなどしており、地方の公演では同じ部屋で過ごすところを共演者も目撃しているそうです。つまり、その関係は周知の事実だったということ」(歌舞伎関係者)
猿之助が自分の全てを遺そうとしたのは、一体どのような人物だったのか。
前述した通り40代俳優のM氏。実は彼、父親も俳優の2世役者で、かつて20代のころに27歳年上の有名女優と交際が報じられたこともある。今回の事件が発覚してまもなく、『週刊女性』はM氏の父に話を聞いている。このようなことを語っていた。
「私は何もわかりませんが、現在息子とは連絡がつきません。無事だといいのですが、心配です。私も猿之助さんは知っていますが、魅力のある役者ですよ。パワハラやセクハラはなかったと思いますが……」
「俺も早く子どもが欲しい」
猿之助とM氏が特別な意味で親しい関係だったのかを聞いてみたが、
「プライベートでも仲がいいのは知っていましたが、恋仲かどうかはわかりません。臆測は困ります。何かわかったら逆に教えてほしいくらいですよ」
そう話すばかりだった。
「きょうだいが多いMさんは家族皆と親しく、父のことは俳優としても、とても尊敬していました。父の日に弟さんとお金を出しあって時計をプレゼントしたり、母の日にもお祝いをしたりといったかたちで。しかし、当時、有名女優さんとの交際が明らかになったときも、ご両親はそのことを知らなかったそうですよ。付き合いはそこまで長く続かなかったというのもあるのでしょうが、そういった恋愛のことについてはあまり多くを語ってこなかったのかもしれません。
甥っ子や姪っ子との写真を大事にとっていて、周囲に“俺も早く子どもが欲しい”とブログに綴っていたこともあります」(元俳優の知人)
そんなM氏の人柄については、
「人懐っこくピュアな人間に思えましたね。甘えるのが上手で人の懐に入るのがうまく、周りからも好かれていた印象。30代前半のころはお酒もよく飲みビールやワイン、シャンパンなどを好んで飲んでいましたね。あと、ゲームも好きでした。当時は『PSP(プレイステーション・ポータブル)』や『ニンテンドーDS』など、携帯ゲーム機でよく遊んでいたと思います。イメケンだけれども飾らない、“かわいい人”でした」(同前)
そんなM氏のインスタグラムには、歌舞伎ファンとも思しきユーザーからのコメントも寄せられている。
《もし〇〇様(※編集部註:M氏のこと)が一緒になる気持ちがあるのなら、どこか海外で二人で新しい人生をスタートし幸せに暮らしてほしいです。来世とは、とても切ないです。今世で叶えられませんでしょうか...。猿之助様が思い詰めないか心配です。救ってあげられる人は〇〇様しかいないような気がして...》
今の世でもう一度再会することはできるのか──。
https://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E7%8C%BF%E4%B9%8B%E5%8A%A9-%E6%84%9B%E3%81%99%E3%82%8Bm-%E3%81%AE%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%96%E3%82%8B%E7%B4%A0%E9%A1%94-%E6%97%A9%E3%81%8F%E5%AD%90%E3%81%A9%E3%82%82%E3%81%8C%E6%AC%B2%E3%81%97%E3%81%84-%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%81%AB%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97%E3%81%95%E3%82%8C%E3%81%9F%E8%A6%AA%E5%AF%86%E5%86%99%E7%9C%9F/ar-AA1bEjrw
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市川猿之助 梨園関係者が明かす一門の確執 “愛するM”とは「人前でも構わず口喧嘩する仲だった」
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https://news.yahoo.co.jp/articles/18bf24af5acc53631cf1ef89bce5371a9991aac8
“スキャンダル報道”以前から不安の声
かつて警視庁の“広報大使”を委嘱されたこともある猿之助
四代目市川猿之助(47)を巡る前代未聞の“事件”は、いまだ収束の気配を見せない。5月18日に自宅から救急搬送された猿之助は一命をとりとめたが、母親の喜熨斗延子(きのし・のぶこ)さん(75)は自宅で死亡が確認され、父親の四代目市川段四郎(喜熨斗弘之)さん(76)は搬送先の病院で息を引き取っている。
【写真11枚】29年前、慶応大1年生だった猿之助。やはり現在とは雰囲気が全く違う
この一件の引き金になったとされるのが、同日に発売された「女性セブン」の記事<歌舞伎激震の性被害! 市川猿之助 コロナ拡散濃厚セクハラ>である。記事は猿之助による性加害やハラスメント疑惑を報じていた。
その真偽について取り沙汰されるなか、澤瀉屋の事情を知る梨園関係者はこう嘆息するのだ。
「正直に申し上げて、『女性セブン』の記事はかなり内容を弱めているように思いましたよ。記事が完全にウソであれば彼も反論したでしょう。でも、ある意味で認めざるを得ない内容だったからこそ、パニックになってしまったのではないか。今回の報道以前から、周囲はこうした話が表に出ないか心配していたのです」
“外様”の役者を重用
歌舞伎界の名門・澤瀉屋を揺るがす事態へと発展した今回の一件。その“前兆”は、猿之助が四代目を襲名した2012年頃から燻り始めていたようだ。
「彼は四代目猿之助を襲名して権力を握ったわけですが、そんな時こそ、自身の振る舞いに気をつけなければいけなかった。三代目(現在の二代目市川猿翁)は自分の弟子にかなり厳しくて、物言いも激しかったのですが、芝居になると身内の役者に良いポジションを与えていた。ただ、現在の猿之助はそうではなく、お気に入りの“外様”の役者を次々に使ってしまう。歌舞伎を知っている人間からすると、それこそ“多国籍軍”なんです。その煽りを喰っていたのが、きちんと芝居のできる一門のベテラン役者。外様を重用する一方、身内の“精鋭部隊”は気に入らなければ切ってしまうとなれば、当然ながら軋轢が生じるわけです。実際、いつ“一揆”が起きてもおかしくない状況が続いていたと感じます」(先の関係者)
そうした一門の不協和音が、今回のスキャンダル報道につながった可能性は否定できないという。
「ふたりが親密な関係だったのは周知の事実」
さらに、この関係者が続けるには、
「彼は慶應大学を出て勉強はできるのだけど、社会性については少し欠落している部分があったのではないか。本人は、弟子や関係者に酷いことをしているという自覚はなかったのかもしれません。ただ、周囲に自身の言動を諭されたら“逆らった”と思って排除してしまう。そこに“驕り”があったと言われても仕方がないでしょう。要するに彼には“軍師”がいないんですよ。歌舞伎という特殊な世界を理解して、マネジメントしてくれる存在が。付き人やマネージャーがいてもやはり長続きしない。だから、今回のような事態に直面したときに相談する相手がいなかった」
そうしたなかでも、心を許していたのが、「遺書の宛名にあった俳優のMでした」(同)。
Mは役者として猿之助が主宰する舞台に立つ一方、運転手をすることもあったという。
「Mは付き人というよりも、猿之助のお気に入りですね。自分のそばに置きたいということで運転手をさせていたのだと思います。ふたりが親密な関係だったのは周知の事実。それこそ、人前でもお構いなく口喧嘩をしてしまうんだから。本来、Mの立場であれば猿之助に口答えなど到底できませんからね」(同)
そして、追い詰められた猿之助が自身の思い、そして、遺産を託そうとしたのがMだった。“事件”は知られざる歌舞伎界の人間模様まで浮き彫りにしている。
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市川猿之助、書き置きの宛名“愛するM”の父親を直撃「現在、息子とは連絡がつかない」
週刊女性PRIME [シュージョプライム] によるストーリー • 月曜日
歌舞伎界が揺れている─。5月18日、市川猿之助が自宅で両親とともに倒れているのが見つかった。
「猿之助さんの父である四代目・市川段四郎さんと、母の延子さんが2階リビングの床にあおむけで並んで倒れており、延子さんは発見時すでに死後硬直が、段四郎さんも搬送先の病院で死亡が確認されています。一方、猿之助さんは半地下にある自室で倒れていたものの、命に別条はないとのこと。のちの警視庁の事情聴取で猿之助さんは、“死んで生まれ変わろうと話し合い、両親が睡眠薬を飲んだ”と説明。猿之助さんのそばには知人男性宛てに“来世で会おう”と書かれた遺書めいたものが複数置かれていたそうです」(スポーツ紙記者)
ちょうどこの日に発売された『女性セブン』では、猿之助の“セクハラ・パワハラ疑惑”が報じられていた。
「猿之助さんが、共演する役者たちをホテルの部屋に引き入れて“隣に寝なさい”と指示し、身体を触るといった“性的スキンシップ”を求めていたことを劇場関係者らが証言。この要求を拒否すると舞台のキャストから外されたそうです。加えて、コロナ禍の真っただ中だった2021年7月中に2度にわたって神奈川県内でパーティーを開き、そこでも参加者に濃密な関係を求めていたとも。5月15日の夜に直撃取材されましたが猿之助さんは“答える義務はありません”と一蹴したそうです」(ワイドショースタッフ)
その取材から3日後に起きた“心中騒動”だが、近隣にも動揺が広がっている。
ご近所トラブルを抱えていた
「過去に市川家はご近所と私道を巡るトラブルがあって30年以上冷戦状態でした。延子さんが気の強い方というのもあって、長いことお互いに無視する状況だったんです。しかし、今年の2月ごろに延子さんは周囲の住民とぎこちないながらも会話したり、段四郎さんもゴミ出しでお会いした際に“今後もどうか、お願いします”と頭を下げていたそうです。これからやっと平和になると思った矢先なだけに、本当に残念です」(近隣住民)
いさかいはあったが、市川家は穏やかな日々を送っていたようだ。
「母の延子さんは、今年4月に銀座にある猿之助さんの個人事務所で排水管工事に立ち合ったりと、息子のサポートにも意欲を見せていましたね。そんな折に起きた事件ですから、やはりセクハラやパワハラといった報道で自身のプライベートを明かされることを悲観したと考えるのが自然でしょう……」(前出・ワイドショースタッフ)
猿之助の所属事務所でも、事態を把握できていないようで、5月20日付の公式サイトでは《警察ならびに病院にて対応をいただいているものと認識しております。この件に関する弊社所属俳優のコメントは差し控えさせていただきます》とのコメントにとどまっている。
「猿之助さんは歌舞伎の名門・澤瀉屋を背負う存在。頭領の猿翁さん、その弟の段四郎さんが第一線を退いてからは、実質的にトップの位置にいます。この5月は『明治座』の創業百五十周年記念公演と銘打たれた『市川猿之助奮闘歌舞伎公演』が開催中。搬送された18日の『昼の部』は休演となり、『夜の部』から代役を立ててしのぎました。猿之助さんは19日に退院しましたが、経緯によっては刑事事件に発展して身柄が拘束されることも考えられますから、舞台復帰の見通しはまったく立っていません」(梨園関係者、以下同)
トップ不在の事態に澤瀉屋は存続の危機に陥っている。
実質的な“お家取り潰し”の可能性も
「6月には猿之助の従兄弟にあたる香川照之さんが歌舞伎役者・市川中車として、2022年8月に起こした性加害報道後、初となる主演を務める舞台が控えています。猿之助さんと共演することで復活の足がかりになるはずでしたが、このままでは難しいでしょう。香川さんの息子の團子くんは将来的に『猿之助』の名跡を継ぐことが期待されていますが、まだ19歳。猿之助さんの代わりとして一座の頭を務めるには若すぎます。なにより『猿之助』という名跡が“縁起が悪いもの”とされたら、長く培ってきた澤瀉屋の名に傷がつきます。澤瀉屋が実質的な“お家取り潰し”となるのもありえない話ではないでしょう」
澤瀉屋が確立したのは明治時代。他家と比べて歴史が浅いぶん、積極的に新しいことに挑戦する傾向があり、その土壌が、伝統に縛られない“大胆な改革”を可能にした。
「派手でケレン味のある演出が持ち味だった澤瀉屋のお家芸を現・猿翁さんが『三代目・猿之助』だったころに発展させて、1986年に『スーパー歌舞伎』という派手な装置や演出を存分に活かしたスタイルを確立。2012年に跡を継いだ現・猿之助さんもその路線を継承。人気マンガの『ワンピース』をスーパー歌舞伎に仕立て、若いファンからも支持を集めていました」(前出・スポーツ紙記者)
本来は幼名の團子から猿之助、段四郎と名跡を上げる流れだったが、明治から昭和にかけて活躍した『二代目・猿之助』が大人気を博したことで、猿之助と段四郎が同列の扱いとなる。
「現・猿之助さんは実父である『段四郎』を継ぐのが自然でしたが、猿翁さんの『三代目・猿之助』としての活躍は歌舞伎界でも抜きん出ていましたからね。段四郎さんも、兄のカリスマ性に押されるように脇役中心で活動を続けていました。そのため2012年に現・猿之助さんは『亀治郎』から『四代目・猿之助』を襲名したんです。実の息子が伯父の名を選んだことにショックを受けた段四郎さんは活動を縮小。2015年の『スーパー歌舞伎2 ワンピース』以降、舞台に立たなくなっていました」(前出・梨園関係者、以下同)
この襲名を巡って、澤瀉屋全体でも軋轢が生まれた。
ファンの間でも猿之助の素行は有名
「それまで、猿翁の弟子で“リトル猿之助”とも呼ばれた実力十分の市川右近さんが『猿之助』を継承するのが既定路線でしたから、亀治郎さんの猿之助襲名は驚きだったのです。右近さんは2017年に『市川右團次』となり、澤瀉屋と距離を置くように。同じく澤瀉屋に所属していた喜多村緑郎さんや市川春猿さんなどベテラン勢も外に活動の場を変えるなど、それまで猿翁さんを支えてきた役者が離れていきました」
反発を受けても、猿之助は意に介さず。ベテラン勢が抜けたことで、独自色を強めるようになっていく。
「猿之助さんは自分の気に入った役者を起用する傾向が顕著。新作歌舞伎の場では、歌舞伎役者ではない現代劇の役者もいい役で起用するんですよ。澤瀉屋の弟子からすれば面白くありませんが、トップの意向だから誰も文句を言えません」
また、ファンの間でも猿之助の素行は話題になっていた。
「猿之助さんは後援会の集まりで“自分は結婚もしないし子どももつくらない”と宣言していましたね。ほかにも猿之助さんのお気に入りの役者がいい役につくと思ったら、急に舞台に出なくなったりと、私情で選んでいるのが露骨にわかりましたよ」(ファンの女性)
活躍の裏で禍根を残した襲名や、私情を挟んだ配役起用など歪みが生まれていた澤瀉屋にとって、猿之助のスキャンダルは致命的だったのかもしれない。
「澤瀉屋は歴史が浅く、梨園での格は低い存在です。それでも名前が売れているということでは、猿之助さんはトップクラス。集客力がありますから、自分が歌舞伎界を支えているという自信にあふれていました。実際、今チケットをさばける歌舞伎役者は、坂東玉三郎、市川團十郎、そして市川猿之助ぐらいですから。また“詫びろ! 詫びろ!”と8回繰り返したセリフでインパクトを残した『半沢直樹』や、2022年もドラマ『最初はパー』でジャニーズの『SixTONES』ジェシーと共演して話題になるなど多数の映像作品にも出演していました」(前出・梨園関係者)
俳優としても順風満帆だっただけに、スキャンダルで名声を失う恐怖心が大きかったのか。
書き置きの宛名「愛するM」とは
「香川照之さんが性加害報道で転落していったのを目の前で見ていましたからね。猿之助の名を汚し、澤瀉屋の看板を貶めることになるのを恐れ、このような決断をしてしまった可能性は十分にあります」
家業、家族、名声。失うものは大きくても、猿之助には命を懸けても伝えたいメッセージがあったようだ。
「彼が残した書き置きには“愛するM”と書いてあることから、思い人への気持ちが綴られていることがわかります。猿之助さんは演技が心から好きだったこともあって、舞台役者と交際して公私を共にすることも多々あったんです。この“M”というのも、猿之助さんと共演が多く仲よくしていた役者のことでしょう。彼の近くにいる人ならすぐに名前が思い浮かぶはずですよ。今回の猿之助さんの行動も、自身の裏側が暴かれたら最愛のMにも迷惑が及ぶと思ったゆえの決断で、この書き置きも別れのメッセージと同時に“詫び状”だったのかもしれませんね」(前出・ワイドショースタッフ)
詳しい話を聞くためにMの家に直撃取材をすると、彼の父親が対応してくれた。
「私は何もわかりませんが、現在息子とは連絡がつきません。無事だといいのですが、心配です。私も猿之助さんは知っていますが、魅力のある役者ですよ。パワハラやセクハラはなかったと思いますが……」
Mの父からは動揺が伝わってくる。猿之助とMが特別な意味で親しい関係だったのかを聞いてみると、
「プライベートでも仲がいいのは知っていましたが、恋仲かどうかはわかりません。臆測は困ります。何かわかったら逆に教えてほしいくらいですよ」
猿之助がいくら詫びようと、失ったものは二度と戻ってこない─。
https://www.msn.com/ja-jp/entertainment/celebrity/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E7%8C%BF%E4%B9%8B%E5%8A%A9-%E6%9B%B8%E3%81%8D%E7%BD%AE%E3%81%8D%E3%81%AE%E5%AE%9B%E5%90%8D-%E6%84%9B%E3%81%99%E3%82%8Bm-%E3%81%AE%E7%88%B6%E8%A6%AA%E3%82%92%E7%9B%B4%E6%92%83-%E7%8F%BE%E5%9C%A8-%E6%81%AF%E5%AD%90%E3%81%A8%E3%81%AF%E9%80%A3%E7%B5%A1%E3%81%8C%E3%81%A4%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84/ar-AA1bvbYi
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四代目 市川 猿之助(いちかわ えんのすけ、1975年〈昭和50年〉11月26日 - )は、日本の俳優、歌舞伎役者。屋号は澤瀉屋。定紋は澤瀉、替紋は三ツ猿。歌舞伎名跡「市川猿之助」の当代。東京都出身[1]。本名は喜熨斗 孝彦(きのし たかひこ)。2012年6月、二代目市川亀治郎改め、四代目市川猿之助を襲名。ケイファクトリー所属。
来歴
1975年(昭和50年) - 歌舞伎役者四代目市川段四郎の長男として東京に誕生。二代目市川猿翁(三代目猿之助)は伯父、その長男の俳優の香川照之(九代目市川中車)は従兄にあたる。女優の高杉早苗は父方の祖母[2]。
1980年(昭和55年) - 7月、歌舞伎座『義経千本櫻』の安徳帝で初お目見得。
1983年(昭和58年) - 7月、歌舞伎座『御目見得太功記』の禿たよりで、二代目市川亀治郎を襲名して初舞台。
1985年(昭和60年) - 10月、歌舞伎座夜の部『雙生隅田川』で伯父三代目猿之助、七代目尾上菊五郎の3人で宙乗りを勤め、当時の最年少宙乗り記録を樹立。
1987年(昭和62年) - 9月、南座スペシャル「猿之助のすべて」Dプロ『連獅子』で狂言師左近後に仔獅子の精を勤める。親獅子の精は父・段四郎。
1989年(平成元年) - 7月、歌舞伎座昼の部『独楽』を弱冠13歳で勤める。
1998年(平成10年) - 3月、慶應義塾大学文学部国文学専攻を卒業。7月、歌舞伎座『義経千本櫻』のお里で名題昇進。
2002年(平成14年) - 8月、京都造形芸術大学春秋座「第一回亀治郎の会」を開催。
2003年(平成15年) - 7月公演を最後に、父・段四郎とともに猿之助一座を離脱。
2005年(平成17年) - 重要無形文化財(総合認定)に認定され、伝統歌舞伎保存会会員となる[3]。
2006年(平成18年) - 3月、三谷幸喜初演出の歌舞伎『決闘! 高田馬場』に出演。翌年、蜷川幸雄演出の歌舞伎『NINAGAWA十二夜』に出演。
2007年(平成19年) - 大河ドラマ『風林火山』では、武田信玄(晴信)役でテレビドラマ初出演。撮影時の様子を「(『風林火山』に出演するまで)テレビドラマに縁がないと思っていたけど、現場がよかった。千葉真一さんは僕に付きっきりで、映像のことを教えてくれた。従兄の香川照之は大河ドラマのスタッフさんを知ってるから、1日付いてくれて各部署に頭を下げてくれた」と振り返っている[4]。
2009年(平成21年) - 8月、Team申の舞台『狭き門より入れ』で現代劇に初出演。
2012年(平成24年) - 6月、新橋演舞場・初代市川猿翁・三代市川段四郎50回忌追善興行において四代目市川猿之助を襲名。渋谷ヒカリエ公式オープニングイベントとして「亀治郎大博覧会」を開催(4月28日 - 5月9日)。
2013年(平成25年) - 5月、京都芸術劇場「春秋座」芸術監督に就任。7月、松竹大歌舞伎東コース巡業の襲名披露44公演で96%の動員率および、延べ60000人の観客動員数の記録を樹立。
2014年(平成26年) - 3月、スーパー歌舞伎セカンド『空ヲ刻ム者』を制作、上演。
2015年(平成27年) - 10月、スーパー歌舞伎セカンド『ワンピース』を制作、上演。
2017年(平成29年) - 5月16日、大阪松竹座「五月花形歌舞伎」昼の部『金幣猿島郡』で1000回目の宙乗りを達成。
2020年(令和2年) - 7月、TBSのドラマ『半沢直樹』に出演。
2021年(令和3年) - 7月30日、新型コロナウイルスへの感染を公表[5]。8月3日初日の「八月花形歌舞伎」は、同月20日に舞台復帰するまで坂東巳之助が代役を務めた[5][6]。
2023年(令和5年) - 5月18日、自宅で、母の喜熨斗延子、父の四代目市川段四郎と共に倒れているところを発見された。延子はその場での死亡が確認され、段四郎は病院に搬送されたが、その後死亡が確認された[7]。本人の命に別状は無かった[8][9]。
人物
歌舞伎における立役、女方、舞踊に至るまで、優れた理解力と表現力に富む。女方を多く勤めた亀治郎時代を経て、猿之助を襲名。
2007年にNHK大河ドラマ『風林火山』で武田晴信を演じて以降、テレビドラマ、映画、現代劇、バラエティ番組にも多数出演する。
暁星小学校、暁星中学校、暁星高校、慶應義塾大学文学部[1]国文学専攻卒業。
京都芸術劇場「春秋座」芸術監督。公称身長171cm[10]。
「猿之助」の名跡は伯父にあたる当代猿翁から受け継ぐ。幼少の頃から伯父に憧れ、『義経千本桜』の通称「四ノ切」で源九郎狐となって宙乗りをする先代を見て「ボクもああなるの」と話したという[11]。自身の初演は2010年8月18日、国立劇場。襲名する年まで主宰した自主公演「亀治郎の会」の舞台だった。これを観た先代が「猿之助」の名跡を当代に譲る決意をしたともされ、以後、本公演で繰り返し上演、当たり役とする。生涯千回は演じたいと話す[11]。
趣味は骨董品の蒐集と寺院仏閣巡り。以前は浮世絵を蒐集。役者絵の浮世絵ばかりを所有。幼少の頃の趣味は仏像集め。段ボール2箱分の仏像を披露し、父・段四郎の弟子を驚かせた逸話もある。和食を外食する時には、桃山時代のお猪口を持参する事がある。
蔵書家。舞台で虚構の世界を演じるため、実生活で読む本は多くがノンフィクションであり、宗教、哲学、歴史を中心とした蔵書が多いという。スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』などの作者でもある哲学者、梅原猛を学生時代から崇拝。2010年1月 - 6月には日本経済新聞プロムナード欄にエッセイを連載。
2006年、三谷幸喜演出による『決闘!高田馬場』で外部の演出家による舞台に初出演。続く2007年には蜷川幸雄が手がけた歌舞伎『NINAGAWA 十二夜』に出演。
芸能界の交友も広い。高校生の頃からラジオ番組ニッポン放送『福山雅治のオールナイトニッポン』を愛聴する福山雅治のファンである。同じ事務所の先輩にあたる俳優・佐々木蔵之介は、社会人としての常識が備わった人物として尊敬しているという[12]。四代目襲名と同時に、九代目中車を襲名した俳優・香川照之(市川中車)とは従兄でありながら互いに面識がなかったが、2006年の祖母の命日に墓参りをした際、たまたま出会ったことをきっかけに親交が始まった[13]。大学時代の同級に当たる武者小路千家15世家元・千宗屋とは趣味の古美術・茶道具の蒐集を通し、その親交が続いている[14]。
2014年3月 - 4月、「スーパー歌舞伎II(セカンド)」と銘打って新作『空ヲ刻ム者』(前川知大作・演出、仏師・十和役で主演)を2ヶ月にわたって東京と大阪でそれぞれ上演。
2015年10月 - 11月、新橋演舞場で「スーパー歌舞伎II」の第2作として、人気コミック『ワンピース』(尾田栄一郎原作)を横内謙介脚本で制作。自身はルフィ、ハンコック、シャンクスの3役を演じた。最先端の技術と歌舞伎・スーパー歌舞伎の型を惜しみなく融合させ、加えて若手歌舞伎俳優の抜擢、ゆずの北川悠仁作詞・作曲の主題歌を起用するなど斬新な演出を試みた舞台に、歌舞伎、ワンピース双方のファンが連日足を運び、賑わいを見せた。翌年の大阪、福岡公演では大幅に脚本、演出に手を加え、さらに見所を増大させた。
2017年10月 - 11月、 2年ぶりに『ワンピース』誕生の地新橋演舞場で凱旋公演を行う。演出の変更、ダブルキャストの導入、ゆずの歌唱による『TETOTE』を携え、「ワンピースの完成形」と本人の語る舞台が10月6日に開幕したが、10月9日、昼の部の公演中に花道の昇降装置に衣装が巻き込まれ、左腕の複数箇所を骨折する重傷を負う[15]。翌10日から休演。尾上右近が代役を勤め、公演は滞りなく千龝楽まで上演[16]。
2018年1月、歌舞伎座で行われた10代目松本幸四郎の襲名披露公演で左手を庇いながらも舞台復帰を果たす[17]。
2020年7月に放映された高視聴率ドラマ『半沢直樹』で見せた鬼気迫る顔芸と、歌舞伎の型を取り入れた台詞まわしが話題となり、以後、バラエティー番組に出演する度に披露。『詫びろ』の台詞は猿之助の代名詞になる。
系譜
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E7%8C%BF%E4%B9%8B%E5%8A%A9_(4%E4%BB%A3%E7%9B%AE)
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2023.05.16XML
米国が計画している戦争の準備を進める日本で「芸能ネタ」が話題にされている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202305160000/
アメリカの戦争マシーンに組み込まれている日本は現在、中国やロシアと戦争する準備を進めている。本ブログでは繰り返し書いてきたことだが、日本は1995年に戦争マシーンへ組み込まれ、戦争が近づいているのだ。昔から言われている芸能事務所のスキャンダルに気を取られているような場合ではない。
広域暴力団が誕生したのは第2次世界大戦の後だが、その暴力団は興行の世界に大きな影響力を持ってきた。それがアメリカ的にシステム化され、広告会社を巻き込んで政治の道具として成長したと言われている。
アメリカではジェフリー・エプスタインなる人物が2019年7月6日に逮捕された。未成年の男女を世界の有力者に提供、その有力者と未成年の男女との寝室における行為を記録し、脅しに使っていたと言われている。エプスタインの背後には情報機関が存在していた。そうした実態を無視して特定の事務所に食いついても仕方がない。「レッド・ヘリング」として使われている可能性がある。
1991年12月にソ連が消滅した直後にアメリカでは戦争マシーンが動き始めた。アメリカが「唯一の超外国」になったと認識したネオコンは1992年2月にDPG(国防計画指針)草案という形で世界制覇計画を作成したのだ。
その時の大統領はジョージ・H・W・ブッシュ、国防長官はディック・チェイニー、国防次官はポール・ウォルフォウィッツ。DPG草案はウォルフォウィッツが中心になって書き上げられた。そこでこの世界制覇計画は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。
目的のひとつは新たなライバルの出現を防ぐことにあり、警戒する地域には旧ソ連圏、西ヨーロッパ、東アジア、西南アジアが含まれる。ドイツと日本をアメリカ主導の集団安全保障体制に組み入れ、「民主的な平和地域」を創設するともしている。
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2:保守や右翼には馬鹿しかいない
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2023/05/18 (Thu) 23:45:13
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スーパー歌舞伎は、三代目市川猿之助が1986年に始めた、古典芸能化した歌舞伎とは異なる演出による現代風歌舞伎。新橋演舞場などで上演されることが多い。第1作は梅原猛の脚本による『ヤマトタケル』であった。2014年より「スーパー歌舞伎II(セカンド)」として、四代目市川猿之助を中心とした作品を上演している[1]。
特徴
3代目猿之助は、スーパー歌舞伎創作以前から宙乗りや派手な立ち回りなどエンターテイメント要素の強い「猿之助歌舞伎」を得意としたが、歌舞伎ファン以外に話題を広げた一方で、一部の保守的な論客からは酷評された[1]。
スーパー歌舞伎ではさらに古典歌舞伎の踊りや立ち回り、見得、ケレン(観客を驚かせるような演出)、隈取り、下座音楽といった演出法や演技術を意識的に取り入れる[2]一方、中国の古典や日本の古代神話など、従来の歌舞伎の枠にとらわれない題材を脚本化した。猿之助はスーパー歌舞伎の特徴のひとつとして「真に現代人の胸に迫る物語性」を挙げ[2]、壮大で骨太な物語が基調となっている。制作に当たっては現代劇や京劇など多ジャンルの出演者やスタッフを取り入れて創作され、煌びやかな衣装と最新の照明や舞台装置、雄大な劇伴音楽などで世界観を作り込む、現代劇と古典歌舞伎の融合的作品群である[3]。
スーパー歌舞伎(あるいはスーパー歌舞伎に代表される猿之助歌舞伎)は「ストーリー(Story)」「スピード(Speed)」「スペクタクル(Spectacle)」の「3S」を重視することを特徴とした[4][5]。すなわち、先述の「真に現代人の胸に迫る物語性」、「メリハリのあるテンポ」、「宙乗りや早替りなどの視覚的な見せ方[4]」といった従来の歌舞伎や新歌舞伎作品にはなかった新しい要素を持った歌舞伎作品群である。
2022年には歌舞伎座三月大歌舞伎において、三代目猿之助(二代目猿翁)の甥である四代目市川猿之助の主演・演出により、スーパー歌舞伎の一篇である「新・三国志」が「関羽篇」として上演されたが、このときは上演時間を削減するなどの制約の中での演出の都合上、スペクタクル部分を大幅にカットせざるを得なかった。これらの事情により副題にスーパー歌舞伎の名を冠さなかった[5]。
スーパー歌舞伎の成り立ち
スーパー歌舞伎の成り立ちについて、創始者である二代目猿翁(三代目猿之助)は、梅原猛とよもやま話に講じる中で出来たアイディアであったとしている。猿之助と梅原はたびたび演劇について討論し、おおむね以下のような結論にたどり着いた。
「江戸時代にできた古典歌舞伎の美意識や発想、演出法や演技術は素晴らしいが、物語は当時の世界観や道徳観による忠君愛国や義理人情的内容で、真に現代人の胸に迫るところが少ない。それに対しテーマ性のある内容を持つ明治以降の新歌舞伎は、近代劇的リアリズムを取り入れたため、歌舞伎本来の魅力であるべき歌(音楽性)と舞(舞踊性)に乏しく楽しくない。両方の長所を兼ね備えた"新・新歌舞伎"を創造すべきだ」[6]
「それならいっそ先生が」という猿之助の言葉に梅原が応じて出来上がったのが、1986年(昭和61年)の『ヤマトタケル』である。
初演
1986年 『ヤマトタケル』原作・脚本:梅原猛(題材:ヤマトタケル)
1989年 『リュウオー・龍王』脚本: 中国京劇院院長の呂瑞明と奈河彰輔が共同執筆(題材:京劇の『鬧海』と『国姓爺合戦』)。戸部銀作監修、京劇俳優38人、歌舞伎俳優67人、計105人出演、中国語台詞に字幕スーパー[7]。
1991年 『オグリ・小栗判官』作:梅原猛(題材:小栗判官)。ピーター・フォイ(米国):フライング・デザイナー[7]。
1993年 『八犬伝』脚本:横内謙介(題材:南総里見八犬伝)
1996年 『カグヤ』作:横内謙介(題材:竹取物語)
1997年 『オオクニヌシ』作:梅原猛、脚本・演出:市川猿之助(題材:大国主の神話)
1999年 『新・三国志』脚本:横内謙介 (題材:三国演義)
2001年 『新・三国志II・孔明篇』同上
2003年 『新・三国志III・完結篇』同上
2014年 スーパー歌舞伎II『空ヲ刻ム者―若き仏師の物語―』作・演出:前川知大 (書き下ろし)
2015年 スーパー歌舞伎II『ワンピース』[8] 脚本:横内謙介(原作:マンガ『ONE PIECE』)
2019年 スーパー歌舞伎II『新版 オグリ』原作:梅原猛、脚本:横内謙介、演出:市川猿之助・杉原邦生
(中止)2020年 ステージアラウンド『スーパー歌舞伎II ヤマトタケル』脚本・演出:横内謙介、演出:市川猿之助(IHIステージアラウンド東京で開催予定だったが、コロナ禍で中止)
(予定)2024年 スーパー歌舞伎II『鬼滅の刃』脚本:横内謙介、総合演出:市川猿之助、演出:杉原邦生(原作:マンガ『鬼滅の刃』)
スーパー喜劇
スーパー歌舞伎と藤山直美の喜劇の融合を試みた企画が「スーパー喜劇」で、猿之助がエグゼクティブスーパーバイザーとして監修、藤山や松竹新喜劇の出演者と澤瀉屋一門の俳優たちが出演した。
2005年 『狸御殿』
原案:木村恵吾 作・演出:齋藤雅文 エグゼクティブスーパーバイザー:市川猿之助
2005.11/1(火)~25(金) 大阪松竹座、2005.12/2(金)~25(日) 新橋演舞場[9]
2015年 『かぐや姫』
脚本:佐々木渚 演出:齋藤雅文 エグゼクティブスーパーバイザー:市川猿翁[10]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%83%BC%E3%83%91%E3%83%BC%E6%AD%8C%E8%88%9E%E4%BC%8E
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3:保守や右翼には馬鹿しかいない
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2023/05/19 (Fri) 08:04:15
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《“セクハラ報道”直後に心中か?》市川猿之助さん(47)の“遺書”の宛名に記されていた名前とは…「騒動の前は両親と3人でひっそりと暮らしていた」
「文春オンライン」
https://bunshun.jp/articles/-/62941
18日午前10時18分、東京都目黒区にある歌舞伎役者の市川猿之助さん(47)の自宅で、本人と両親2人が倒れているのを、猿之助さんの男性マネージャーが発見し、119番通報した。救急隊がかけつけたところ、猿之助さんは自宅の半地下で意識がもうろうとした状態だった。搬送時は意識があったという。
一方、猿之助さんの父親である段四郎さん(76)と母親(75)は死亡が確認された。人気歌舞伎役者の身に突然、何が起こったのか。社会部記者が語る。
猿之助さんの本名名義で〈M〉に宛てられた遺書
「段四郎さんは2階のリビングで仰向けで倒れており、病院に搬送されましたが、死亡しました。母親も同じく2階のリビングで倒れており、その場で死亡が確認されています。2人とも寝ていた様子だったといいます。
自宅からは〈M〉という宛名(※イニシャル。実際には知人と見られる人物の名前)で、〈たかひこ〉と猿之助さんの本名名義で書かれた“遺書”が見つかっています。3人とも目立った外傷はなかったことなどから、警視庁は猿之助さんが心中を図った可能性もあるとみて捜査を進めています」
猿之助さんは2012年におじの名跡を継いで、「四代目 市川猿之助」を襲名。高い演技力に裏打ちされた歌舞伎界屈指の実力派だ。市川猿翁さん(83)が確立した「スーパー歌舞伎」を受け継ぎ、大人気アニメ「ONE PIECE」を舞台化するなど歌舞伎界をリードし続けてきた。2020年にはドラマ「半沢直樹」で、伊佐山泰二役を務め、「詫びろ、詫びろ、詫びろ……」と8連発するシーンなどが話題となり、お茶の間の人気を集めていた。
騒動後、そんな猿之助さんの自宅周辺には規制線が張られ、ものものしい空気が漂っていた。近隣では猿之助さんが住んでいることは知られていたようだが、赤いスポーツカーを洗車したり、自宅前をほうきで掃く姿が時折見かけられるぐらいで、人の出入りなどはあまりなかったという。
近隣住民の男性が猿之助さんの人柄について振り返る。
「家族3人でひっそりと目立たないように暮らしていた」
「10年ぐらい前に近所で猿之助さんにお会いしたことがありますよ。『ご活躍ですね!』と声をかけると、気さくに『はい!』と応じてくれました。それからすれ違えば会釈をしてくれましたね。
お母さんもお見掛けしたことがありますが、芸能人の母といっても服装も派手な印象はなく控えめな方なのだなと思いました。40年以上は住んでいると思いますが、ここ最近は姿を見かけることも全くなかったので、もう住んでいないのかなと思っていました。家族3人でひっそりと目立たないように暮らしていたのでしょうね」
別の近隣住民の女性も、同様の印象を抱いていたようだ。
「数年前に町内会の会費をもらいに自宅を訪れたことがあり、お母さんとお会いしました。落ち着いた品のある女性でしたので、私の方がすごい緊張しちゃいました。家を出たタイミングでちょうど猿之助さんが車で帰ってきたので、生の姿を見ようと少し離れて待っていたのですが、人に見られるのが嫌なのか、一向に車から降りてこなかったのを覚えています。町内会では以前の『亀治郎』時代に、歌舞伎を皆で見に行ったことはありましたが、ご家族の方はそっとしておいて欲しかったのかもしれませんね」
共演者へのパワハラ・セクハラなどスキャンダルが報じられたばかりの出来事
歌舞伎役者としての輝かしいキャリアを重ねる一方、市川猿之助さんをめぐっては、5月18日に「女性セブン」で、共演者へのパワハラ・セクハラや、コロナ禍でのパーティー開催などのスキャンダルが報じられたばかりだった。
「これは憶測でしかありませんが、スキャンダルのすぐ後に事件が起こったということもあり、心中を企てようとした動機と何らかの関連があるのではと疑う声が上がるのは当然でしょう」(前出・社会部記者)
市川猿之助さんは5月3日にスタートした「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」に出演中で、28日まで公演される予定となっていたが、事件を受けて18日の昼公演は中止が決定した。今後の公演についても開催は未定という。
「公演は今日も開催される予定でしたが、今朝、『体調不良で休演する』と本人から連絡があったそうです。猿之助さんは一命をとりとめたようで、体調回復を待って、警視庁は詳しく事情を聞く方針です」(同前)
突如起こった白昼の惨事。歌舞伎界きってのトップスターの身に、一体何が起こったのか。歌舞伎界の歴史に残る大事件の真相解明が待たれる。
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4:保守や右翼には馬鹿しかいない
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2023/05/21 (Sun) 09:37:45
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市川猿之助「事件」を聞き“盟友”香川照之は号泣 梨園の“後輩役者”たちからは「復帰嘆願書」が!
5/21
https://news.yahoo.co.jp/articles/f024f243e98fceda87e8bfb0d5e0dbc64552b747
2013年、先代の市川團十郎さんの通夜にて。猿之助と、今回亡くなった段四郎さん(奥)が同じ車に乗って会場を後にした
「次の世で会おうね」――。
5月18日、歌舞伎俳優の市川猿之助(47)が、父・市川段四郎さん(76)夫妻とともに自宅で倒れているのが発見され、病院に搬送された。一命を取り留めた猿之助が、キャンバスに書き残していたのが、舞台で共演した俳優(40代)にあてた冒頭の文言だという。
【画像】猿之助(当時は亀治郎)と市川中車を襲名する前の“盟友”香川照之と息子の市川團子
猿之助は19日に退院したが、段四郎さんと母・喜熨斗延子(きのしのぶこ)さん(75)は死亡が確認された。
「両親の死因は、司法解剖で向精神薬中毒と判明しました。猿之助さんは警察の事情聴取に『死んで生まれ変わろうと家族で話し合い、両親が睡眠薬を飲んだ』と話しています。猿之助さんの自宅には、処方された睡眠導入剤・ハルシオンが大量にありました。両親はそれを飲んだようです。一家で心中を図ったのでしょう」(社会部記者)
自宅には、複数の遺書が残されていた。
「猿之助さんによる(前述の)共演者への書き置きのほか、その男性に自分の遺産を相続させたい旨の遺書もあったといいます。また、段四郎さんも遺書を残しており、そこにも相続について書かれていたようです」(同前)
事件当日が発売日だった「女性セブン」が、猿之助のセクハラ・パワハラ疑惑を報じていた。舞台で共演した役者や劇場スタッフに、役や仕事を盾に、過剰な性的スキンシップを求めていたという。
「記事が出ると知った猿之助さんは、明治座で公演中だった主演舞台の関係者に謝罪行脚していました。顔面蒼白で頭を下げたといい、かなり報道を気に病んでいる様子でした。
母・延子さんはプライドの高い方で、息子の不祥事で一生、世間から後ろ指をさされることに、耐えられなかったのかもしれません」(舞台関係者)
一方、報じられた猿之助の“乱行”について「かねてから心配していました」と語るのは、テレビ局関係者だ。
「酒さえ入らなければ、こんなにいい役者さんはいないんですが……。
2020年、猿之助さんは大ヒットドラマ『半沢直樹』(TBS系)に出演し、注目を集めました。劇中で堺雅人さんを追い詰めた『詫びろ!』というセリフは、彼の“鉄板ネタ”。銀座や六本木の高級クラブで披露しては、女性たちに大ウケして、本人もご満悦でした。しかし最近では、ドラマを見ていない若い女性も増えてきて……。酔いの回った彼は露骨に不機嫌になり、『部屋にテレビ置いてないなんて、貧乏なの?』『君の親は水商売をしていることを知っているの?』などと執拗に女性に問い詰めて、ハラハラさせられることも多かったです」
だが、この程度ならば酒席ではよくあること。一段とひどくなったのが、コロナ禍に突入してからだったという。松竹の関係者が語る。
「大っぴらに飲み歩けなくなり、身内の歌舞伎仲間と、人目をはばかり高級ホテルの部屋を借り切って、宴会を開くようになりました。それがストレスだったのか……。次第に過激な会になっていったのです。
猿之助さんはいわゆる“キス魔”で、酔うとすごく距離が近くなる。『女性セブン』で報じられたような濃厚接触がたび重なり、ご本人に直接、苦言を呈したこともありました」
そんな猿之助をここ数年、支えてきたのが、従兄に当たる香川照之(57)だった。
「いま、誰よりも打ちひしがれているのは、香川さんでしょう。事件の一報を聞いて、号泣したと聞いています。猿之助さんが2007年に、NHK大河ドラマ『風林火山』でテレビドラマに初出演した際には、香川さんが『従弟の亀治郎(当時)をよろしく』とあいさつ回りをしていました。一方、香川さんが市川中車を名乗って歌舞伎に挑戦した際に、サポートしたのが猿之助さん。2人の関係はいわば“盟友”です。香川さんが、2022年の性加害問題から歌舞伎界に復帰できたのも、猿之助さんの尽力があってこそ。猿之助さんが歌舞伎界を離れることになれば、ほかに後ろ盾のない香川さんが、今後も歌舞伎役者として活動するのは絶望的でしょう」(歌舞伎関係者)
今回の事件を悲しむのは、香川だけではない。別の歌舞伎関係者は「猿之助さんがいなくなれば穴は大きい」と嘆く。
「演出も主演もできて、脚本まで書けるのは、梨園では猿之助さんだけ。猿翁(えんおう)さん(三代目市川猿之助)も、脚本までは書きませんでしたから。昨今は『ワンピース歌舞伎』で主役を務めるなど、歌舞伎人気を支えてきました」
「女性セブン」では、若手役者へのハラスメントを告発された猿之助。梨園では、「すでに告発した“犯人探し”は終わっています。猿之助さんに切り捨てられて、恨みを抱えた関係者の腹いせとも……」(前出・歌舞伎関係者)という。「昼の部が始まったばかりの歌舞伎座に、事件の第一報が届くと、『ざまあみろ』と言い放った役者が、いるとかいないとか……。猿之助さんの不遜なところを嫌っていた人も多いのです」(同前)。
だがその一方で、高価な服を買えばすぐに、お下がりとして後輩に譲るなど、面倒見のよさでも知られていた。
「猿之助さんがこのまま表舞台から身を引くことになったらと、かわいがられていた後輩連中は『裏方でもいいから、猿之助さんを歌舞伎界に復帰させてほしい』という嘆願書を集めて、松竹に提出しようと話し合っていますよ。このまま退場させるにはあまりにも惜しい人材だからです」(前出・歌舞伎関係者)
実際、猿之助の量刑はどのように考えられているのか。前出の社会部記者が語る。
「一家で話し合って心中したということになれば、死刑もありうる殺人罪ではなく、せいぜい自殺ほう助や承諾殺人での立件になると見られます」
若狭勝弁護士もこう話す。
「承諾殺人罪ならば、被害者が2人でも量刑は懲役10年程度。自殺ほう助罪なら7年ほどでしょう。両親が自殺し、それをはかなんだ猿之助さんが後追い自殺を図ったということになれば、罪に問われない可能性もあります」
ザ・ショウ・マスト・ゴー・オン――。その言葉どおり、猿之助の主演舞台は、香川照之の息子・市川團子(だんこ)と若手俳優の中村隼人(はやと)が代役を務めて続けられると発表された。一度は自ら死を選んだ猿之助が、舞台に戻る日は来るのか――。
https://news.yahoo.co.jp/articles/f024f243e98fceda87e8bfb0d5e0dbc64552b747
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5:保守や右翼には馬鹿しかいない
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2023/05/21 (Sun) 09:43:29
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「猿之助、段四郎、母とも口から泡を吹いていた」“セクハラ報道”直後に一家心中か…市川猿之助さん(47)の“緊急取調室”はどうなる?「幕開けのときに事件の説明はなかった」
「文春オンライン」特集班2023/05/19
https://bunshun.jp/articles/-/62953
歌舞伎界きってのトップスターをめぐる前代未聞の事件が発生した。
歌舞伎役者の市川猿之助さん(47)の自宅で18日午前、本人と両親が倒れているのを猿之助さんの男性マネージャーが発見し、119番通報した。捜査関係者によれば「3人とも口から泡を吹いていた」という。
3人は病院に運ばれたが、父親で同じく歌舞伎役者の段四郎さん(76)と母親(75)はそれぞれ死亡が確認された。
猿之助さんは一命を取り留めたものの、本人の本名名義で書かれた“遺書”が見つかり、警視庁は猿之助さんが自殺を図ったとみて捜査を進めている。
猿之助さん宅 ©️共同通信社
猿之助さん宅 ©️共同通信社
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映画を控えていたテレビ朝日が対応に追われる
猿之助さんをめぐっては、5月18日に「女性セブン」で、共演者へのパワハラ・セクハラや、コロナ禍でのパーティー開催などのスキャンダルが報じられたばかり。
この報道後に猿之助さんが一家心中を図った可能性も浮上している。映画やテレビドラマ、バラエティー番組などにも多数出演していた人気歌舞伎俳優だけに、関係者やファンの間に激震が走っている。
そんななか、天海祐希さん主演で、猿之助さんが内閣総理大臣の役で出演する人気ドラマシリーズの映画「劇場版 緊急取調室 THE FINAL」の公開を6月16日に控えたテレビ朝日も対応に追われているという。
猿之助襲名に向けて記者会見した亀治郎さん(当時)。(左から)香川照之さん、香川政明君、市川猿之助さん、市川亀治郎さん、市川段四郎さん ©️共同通信社
猿之助襲名に向けて記者会見した亀治郎さん(当時)。(左から)香川照之さん、香川政明君、市川猿之助さん、市川亀治郎さん、市川段四郎さん ©️共同通信社
「劇場版 緊急取調室 THE FINAL」公式HPより
「劇場版 緊急取調室 THE FINAL」公式HPより
「報道を受けて、局内には『映画の公開延期もやむなしか』というムードが漂っています。19日からTVerで配信予定だった「緊急取調室」関連の過去作品は配信中止になりました。映画公開前に単発ドラマも予定していたのですが、こちらも放送できるかわかりません。テレ朝は猿之助が出演していた22年10月の金曜ナイトドラマ『最初はパー』のDVD発売も7月に控えており、頭を悩ませているようです」(ドラマ関係者)
事件が発生した18日も、東京・明治座で開かれている明治座創業150周年記念「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」の真っただ中。猿之助さんは今月3日から自身が座長を務めるこの公演に出演しており、28日まで公演される予定だった。
猿之助さんは直近のインスタグラムの投稿で、次のような感謝の気持ちをつづっていた。
〈宙乗り1400回を迎えました。これからも翔び続けます〉
〈2023.5.7夜の部にて、宙乗り1400回を迎えました。安全に飛行するために、多くのスタッフさん、お弟子さんの、なかなか見えない支えがあります。そして、それを見守ってくれるファンの皆さん。ありがとうございます。観に来て下さったお客様に幸せが訪れますようにとの希いをこめて、これからも翔び続けますので、よろしくお願いします!〉
衝撃的な事件の一報を受けて18日の昼公演は中止され、夜公演は急遽配役を変更して上演されることとなった。夜公演を鑑賞した大勢のファンは一様に困惑の表情を浮かべていた。
急遽、配役変更が発表された
急遽、配役変更が発表された
友人と公演を鑑賞した女性が語る。
「最初は電車のなかで事件を知って、『え?』と驚きましたね。なにせ配役の変更を含めて運営からメールでの連絡も一切なかったし、明治座に来るまでどうなるかも分からなかったから。
でもメンバーはみんな一生懸命頑張っていたし、満足度は総合的に合格ラインでしたよ。今回は猿之助さんの役を中村隼人さんがやったけど、セリフが飛んじゃって、何度か黒子が後ろからちょこちょこ伝えている場面はあったので、ちょっとヒヤヒヤしちゃいましたけど」
「やっぱり猿之助さんの芸の厚みは違うなと痛感」
明治座の公演情報によると、夜の部の三代猿之助四十八撰の内『御贔屓繫馬』は、約40年前に明治座で初演され、評判を呼んだ作品である。事件を受けて、若手俳優の中村隼人さんが猿之助さんの代役を務め、相馬太郎良門役をはじめとした6役を早替りのほか、宙乗りも披露し、約2時間半の舞台を演じきったという。
猿之助さんの幟が立つ明治座の外観
猿之助さんの幟が立つ明治座の外観
だが、猿之助さん目当てでチケットを購入していたファンたちからは、落胆の声も上がった。
「やっぱり猿之助さんの芸の厚みは違うなと痛感しましたね。猿之助さんが今回の事件で抜けてしまったら、今指導する立場だったベテランの方々も多く亡くなっていますから、今後どうなっていくのかはやっぱり心配です……」(前出の女性)
宮城県仙台市からこの日の公演のために訪れたという女性は次のように話す。
「猿之助さんの魅力はやっぱり斬新なところとか、踊りや女形の上手さ」
「実は1時間くらい舞台を見てから会場を出てきちゃった。私は猿之助さんのファンクラブに入っていて、いつも東京まで見に来て応援していたんだけどね。猿之助さんの魅力はやっぱり斬新なところとか、踊りや女形の上手さです。
3カ月くらい前に今回の公演の案内が来たから、チケットを買って楽しみにしていたの。だけど今回、やっぱり猿之助さんがいないと華がないっていうか、とても残念で見ていられなくて……」
150周年を迎えた明治座
150周年を迎えた明治座
「幕開けのときに事件の説明はなかった」
観客は猿之助さんの休演と代役について配布された紙などで知らされただけだったという。女性はこう憤った。
「幕開けのときにてっきり今回の事件について何か挨拶でもあるのかと思ったら、説明もなくてね。やっぱり私たちは楽しみで見に来ているわけだから、少しでも何か挨拶があった方がよかったです。
でも代役の方は本当に一生懸命演じていらっしゃって、最後までやり切っていたのは素晴らしかったと思います。みんな大きな拍手を送っていましたよ」
従兄弟の香川照之さんと2人で ©️共同通信社
従兄弟の香川照之さんと2人で ©️共同通信社
別の観客の女性は絞り出すような声でこう話す。
「猿之助さんを最初に見たのはまだ彼が4歳だった頃です。初舞台から見てましたから……。自分の息子が事件を起こしてしまったような感覚で、本当に悲しいです……」
大勢のファンがショックを受けることとなってしまった今回の事件。猿之助さんの口から真相が語られることはあるのだろうか。
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6:保守や右翼には馬鹿しかいない
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2023/05/21 (Sun) 09:45:28
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「次の世で会おうね」市川猿之助さん(47)の“遺書”に残された“最愛の人へのメッセージ”《セクハラ報道直後に心中か? 両親は向精神薬を大量摂取》
「文春オンライン」特集班2023/05/19
https://bunshun.jp/articles/-/62968
歌舞伎界きってのトップスターをめぐる大事件。世間に衝撃を与え続けているばかりでなく、謎が謎を呼ぶミステリーの様相を呈してきた。
歌舞伎役者の市川猿之助さん(47)の自宅で、本人と両親が倒れているのが見つかったのは18日午前のことだった。搬送時に猿之助さんは意識があり何とか一命をとりとめたものの、父親の市川段四郎さん(76)と母親(75)の死亡が確認された。その後の捜査で、事件当時の実相が徐々に明らかになってきた。社会部記者が語る。
猿之助さん
猿之助さん
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母親は既に死後硬直が始まり、段四郎さんは病院で死亡
「昼の公演に備えて、朝10時に猿之助さんのマネージャーが自宅を訪れた際、猿之助さんが半地下の自身の生活スペースにあるクローゼットのドアで首を吊っていたところを発見されました。一方の両親は2階のリビングでパジャマを着たまま倒れている状態で見つかっています。2人は首から下に掛け布団をかけられていたといいます。
母親は既に死後硬直が始まっていたようで、段四郎さんは搬送先の病院で死亡しました。一方、猿之助さんは命に別状はないものの、いまだに受け答えが難しい状態で、警視庁は回復を待って話を聞く方針です」
そして新たに判明したのは、両親の死に薬物が関わっていたという事実だ。社会部記者が続ける。
両親は向精神薬を大量に摂取
「3人は発見された当初、全員が泡を吹いていたといいます。しかし、検視では死因が不明で、自宅内には薬の空き瓶や練炭など、“ブツ”となるものは見つかりませんでした。そして、その後の捜査で、3人がいずれも何らかの薬物を口から服用していたことが明らかになり、司法解剖の結果、両親は向精神薬を大量に摂取していたことが判明しています。
ただ、服用に至った経緯はいまだにわからず、自宅には第三者が侵入した形跡も見つからないことから、両親が自殺を試みたのか、猿之助さんが服用させたのかが、今後の捜査の焦点になります」
猿之助襲名に向けて記者会見した亀治郎さん(当時)。(左から)香川照之さん、香川政明君、市川猿之助さん、市川亀治郎さん、市川段四郎さん ©️共同通信社
猿之助襲名に向けて記者会見した亀治郎さん(当時)。(左から)香川照之さん、香川政明君、市川猿之助さん、市川亀治郎さん、市川段四郎さん ©️共同通信社
事件をめぐっては、猿之助さんの共演者やスタッフへのパワハラ・セクハラ疑惑などが5月18日発売の「女性セブン」で報じられた直後だったことから、スキャンダルが引き金になって一家心中あるいは自殺しようとしたという見方が強い。
しかし、猿之助さんは病院に搬送された後も受け答えがしっかりとできない状況だといい、事件が起きた理由についてはいまだに本人の口からはっきりと語られていない。
一方、自宅から“遺書”のようなものが見つかっていたことが明らかになっているが、その中身の詳細が新たに判明した。捜査関係者が話す。
スケッチ用のキャンバスに記された遺書の中身
「猿之助さんが見つかった場所のすぐ近くに、スケッチ用のキャンバスが壁に立てかけられた状態で、床に置いてありました。そこには、〈愛するM(*イニシャル。実際には猿之助さんと交流があった知人の名前)大好き。次の世で会おうね〉という内容が書かれていました」
また自宅にはこの遺書の他にも、自身の財産の相続についての“書き置き”が残されていた。
「そこに書かれていたのは、親族ではないMさんに財産を相続させるという内容でした。猿之助さんは独身で妻や子もおらず、自身の財産を最愛の人物に譲渡しようとしたのだと思われます」(同前)
高い演技力に裏打ちされた実力派で、アニメ「ONE PIECE」を舞台化するなど、日本の歌舞伎界を牽引してきた猿之助さん。2020年にはドラマ「半沢直樹」に出演、数々のドラマや映画でも“怪演”を見せてお茶の間の人気を集めてきた。
「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」の案内
「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」の案内
そんなスターの衝撃的な事件にファンらも戸惑いを隠しきれない。
「猿之助さんの歌舞伎は本当に革新的でしたよ。90代の知人をアニメ原作の歌舞伎に連れて行ったときには、『孫と話題ができた』と喜んでくれて、その子も歌舞伎に興味を持つきっかけになったようです。だから、伝統芸能の歌舞伎を現代と結びつける橋渡しになってくれていると感心していたんです。一時の衝動がきっかけになったとするなら、失われてしまったものはあまりに大きいと思いますね」(女性ファン)
事件はいまだ藪の中だ。猿之助さんの回復と事情説明が待たれる。
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7:保守や右翼には馬鹿しかいない
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2023/05/21 (Sun) 09:47:26
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《猿之助“心中騒動”の大波》「段四郎が嫌いな歌舞伎見物衆などいません」あまりに不審な死を遂げた父・市川段四郎の本当の実力
「文春オンライン」特集班2023/05/19
https://bunshun.jp/articles/-/62974
歌舞伎役者の市川猿之助さん(47)が18日、東京・目黒区内の自宅で両親とともに倒れているのが発見され、救急搬送されるという前代未聞の事件が発生した。
父親で歌舞伎役者の市川段四郎(本名・喜熨斗弘之)さん(76)と母親の延子さん(75)は病院に搬送されたが、その後死亡が確認された。猿之助さんの命に別条はないが、当初は会話ができる状態ではなかった。
段四郎が嫌いな好劇家などいない
自宅からは猿之助さん自筆の遺書が見つかるなど、心中を図った可能性もあり、警視庁は詳しい状況を調べている。
写真右から市川段四郎、市川猿之助、市川猿翁、市川團子、市川中車 Ⓒ文藝春秋
写真右から市川段四郎、市川猿之助、市川猿翁、市川團子、市川中車 Ⓒ文藝春秋
段四郎さんは近年、体調が芳しくなく舞台から遠ざかっていたなかでの突然の訃報。事件の全容は未だ謎に包まれたままだが、突如として亡くなった段四郎さんの才能を惜しむ声が上がっている。
「『段四郎が嫌いな好劇家などいないものではないか』と思うくらい、市川段四郎さんはいい役者で、尊敬していました。今回の事件に驚くとともに、残念でたまりません」
こう語るのは、明星大学人文学部日本文化学科教授で演劇評論家の村上湛さんだ。
「やはり上にはお兄さんの市川猿翁さんもいらっしゃいましたらから、お立場的にも主役を張るということはあまりなく、これまで主に脇役としてご活躍されていました。ですが実力は主役級の“バイプレーヤー”であったことに間違いなく、誰もが認める名役者です」
市川段四郎さんは、3代目段四郎と妻で元女優の高杉早苗さんの次男として生まれた。1957年4月に初代市川亀治郎を名乗り初舞台を踏んだのち、63年5月に4代目團子、慶大文学部卒業後の69年5月に4代目段四郎を襲名した。
兄の猿翁とは対照的だった
兄の市川猿翁さんが率いた一座では、スーパー歌舞伎から数々の古典の復活物まで幅広く活躍し、一座の“副将格”として澤瀉屋(おもだかや)を長く支えてきた。クラシックな芸風を生かし、存在感のある落ち着いた脇役を得意としてきた段四郎さん。その雰囲気は兄の猿翁さんとは対照的だったという。
兄の市川猿翁(写真右から2人目)を支え続けてきたという段四郎さん(左から2人目)
兄の市川猿翁(写真右から2人目)を支え続けてきたという段四郎さん(左から2人目)
「実は兄弟で一緒に芝居するというのは歴史を振り返っても難しいことなんです。やはりお互い技量が拮抗していることも多く、様々な事情で仲たがいしてしまうこともあります。ですが猿翁さんと段四郎さんはそれぞれ個性があり、“陰と陽“”白と黒“くらい正反対のタイプの役者だったので、またそれがよかったのだと思います。
線が細い感じだった兄の猿翁さんとは対照的に、段四郎さんは小柄ですが、野太く、ある意味“男くさい”男芸を得意とされていました。『スーパー歌舞伎』を手掛けた猿翁さんはどちらかというと実験主義的でしたが、段四郎さんは古典歌舞伎も重要視されていました」
段四郎さんの兄、そして猿之助さんの伯父でもある猿翁さんが始めたスーパー歌舞伎は、宙乗りや早変わりなどを取り入れた現代風な演出が特徴。猿翁さんが2003年に脳梗塞で倒れて以降、猿之助さんがスーパー歌舞伎を引き継ぎ、「スーパー歌舞伎Ⅱ(セカンド)」として「ワンピース」や「新版オグリ」などを手掛けてきた。
村上さんにとって1番印象に残っている段四郎さんの姿は、1986年7月に東京・歌舞伎座で開かれた演目「近頃河原の達引」だという。
「脇役が多かった段四郎さんですが、この演目では猿曳与次郎という主役を務めました。私の覚えている限りで主役を張ったのはこのときくらいでしょうか。猿引きという実直な庶民の役で、独特の生活感がないとできない役です。それを見事に演じきったんです。40年近く前の一幕ですが、忘れられないですね」(村上さん)
近年は、体調不良で舞台に立っていなかった
存在感のある芝居でその実力を轟かせていた段四郎さん。だが2013年12月、猿之助さんの襲名公演となる京都・南座「吉例顔見世興行」公演の最中に倒れ、それ以降は表舞台に出ることなく療養していた。
一家になにがあったのか Ⓒ文藝春秋
一家になにがあったのか Ⓒ文藝春秋
「10年ほど前でしょうか。段四郎さんは当時まだ60代でしたが、セリフを覚えるのにご苦労されていた様子は、舞台でも見受けられました。人より少し老いの進みが早かったのかもしれません。その後、残念なことに表舞台から去ってしまいました。
もし健康でいらっしゃったなら、そして今回の事件も起きていなければ、きっと今頃は歌舞伎の中心人物となっていたでしょう。それくらい実力を持った素晴らしい役者でした。非常に残念で、悔しくてたまりません……」(村上さん)
1974年には重要無形文化財に認定されるなど、これまで歌舞伎界で功績を残してきた段四郎さんの突然の訃報。その存在は、猿之助さんひいては歌舞伎界にとってどれほどの支えになっていたことか。またひとり名優が去った。梨園の損失は大きい。
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8:保守や右翼には馬鹿しかいない
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2023/05/21 (Sun) 09:48:48
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「努力の父が猿之助を育て上げた」“一家心中”で世を去った市川段四郎の3つの「大功績」《歌舞伎史上最大の事件》
https://bunshun.jp/articles/-/62976
歌舞伎界きっての大スターをめぐる事件は、その全容が分からぬまま3日を迎えた。
東京・目黒区内の自宅で歌舞伎役者の市川猿之助さん(47)が18日、両親と共に倒れているのが見つかり、その後、父親の市川段四郎(本名・喜熨斗弘之)さん(76)と母親の延子さん(75)の死亡が確認された。
猿之助さんは一命をとりとめたものの、自宅にある半地下スペースのクローゼットのドアで首を吊っていたところを発見された。猿之助さん自筆の“遺書”なども見つかっており、一家3人が自宅で倒れていたという謎は深まるばかり。
市川猿翁一座の「副将」として活躍した
謎が謎を呼ぶなか、段四郎さんの生前に親交のあった歌舞伎関係者らは、その死を悼んでいる。段四郎さんは、兄の市川猿翁さんが率いた一座では、「副将格」で活躍してきた歌舞伎役者。現代風の歌舞伎「スーパー歌舞伎」から数々の古典の復活物まで幅広く歌舞伎界に貢献してきた人物だ。
早稲田大学演劇博物館館長の児玉竜一さんは、役者としての段四郎さんを次のように振り返る。
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9:保守や右翼には馬鹿しかいない
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2023/05/21 (Sun) 09:50:09
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「兄の猿翁さんが率いるスーパー歌舞伎でも活躍されたほか、別の一座でも重宝されていました。段四郎さんは重厚な演技も得意でしたが、踊りも得意で軽妙な役もこなすことができる唯一無二の存在でした。
客を引き付けるような現代的で華やかなカリスマのあった兄に比べて、地味だけれども古典的なところをしっかり持った役者でした。だから兄とは別の一座でも違和感なく演じることができたわけです。脇役を正しい形で締めたといえるでしょう」
猿翁、段四郎兄弟の絆は固かった Ⓒ文藝春秋
猿翁、段四郎兄弟の絆は固かった Ⓒ文藝春秋
これまで段四郎さんの当たり役は、「神霊矢口渡」の頓兵衛や「助六」の意休、スーパー歌舞伎では「ヤマトタケル」の帝など。渋い声と確かな演技力を生かし、老け役でも存在感を放っていた。脇役というと影の薄い存在だと思われがちだが、段四郎さんはそれを愛していたという。
「脇役が好きだ」
「段四郎さん本人も脇役が好きだと言っていました。彼が脇を固めているとたしかに歌舞伎がぐっと面白くなるんです。素晴らしい存在でした」(児玉さん)
また、舞台写真家の福田尚武さんも、段四郎さんの努力家としての一面を次のように振り返る。
「兄の猿翁さんの写真をずっと撮っていたので、一座にいらした段四郎さんはよくお見かけました。お兄さんから熱心に演技指導を受けていたのを覚えています。猿翁さんはお客さんをいかに喜ばせるを考えていた方だったから、『そこはもっとクサくやりなさい』とか『客に媚びを売るように見栄をおおきくまったりと』といったことをおっしゃってた。
段四郎さんは猿翁さんから『お客さんに受けるとはどういうことか』を吸収なさっていたと思います。非常に勉強熱心な方で、時間があると歌舞伎座の2階から兄の演技だけではなく、他人の芝居を観ていましたね。自分には脇役が向いているというのをよく分かってらして、人の演技を見て研究していたんだと思います」
努力の人。自らの役割を理解していた人。段四郎さんを知る人々は口をそろえてそう言う。
息子の猿之助を育てたことは段四郎の大きな功績
「彼の一方ならぬ努力はいろんな形で功績として残るはずです。兄の猿翁さんを支えただけにとどまらず、よその一座で脇役を伝統的な形で演じたこと、息子の猿之助さんを育てたことなどが挙げられるでしょうね。
猿之助さんは父親よりも叔父の猿翁さんに懐いているのが客席からも分かりました。華やかな芸風の叔父に憧れて歌舞伎の道に進んだことを、実の父である段四郎さんは咎めるでもなく伸び伸びと育てた。段四郎という父親の理解がなければ、猿之助の成功はなかったかもしれない」(前出・児玉さん)
多少の不祥事は芸の肥やし――浮世離れした梨園につきものの言葉だが、段四郎さんは粗相とは無縁の篤実な人物だった。児玉さんには忘れられない思い出がある。
©文藝春秋
©文藝春秋
「段四郎さんは梨園外部の人にも丁寧な対応をなさる方なんです。私がインタビューをした後、偶然会った時に『先日のインタビューの原稿で、ゲラを直しましたがあれで大丈夫でしたか』と気遣ってくれたんです。普通、ゲラの直しで気を遣ってくれる人なんていないのでよく覚えています」
「食事がのどを通らなくて…」
福田さんもまた、段四郎さんの人柄に触れた一人だ、
「性格は温厚そのもので、悪い噂は聞いたことがありません。今から25年くらい前ですが、私も段四郎さんも同じ時期に大病を患ったんです。それで数年ぶりに会ったときに、段四郎さんは面影が無いくらい痩せてしまっていて、一瞬誰だか分からなかったんですが、わざわざ向こうから『段四郎です』と話しかけてくださった。
それからは歌舞伎座の2階で会うと『体の調子はどうですか』互いを気遣う挨拶から始まって、他愛のないことを話すようになりました。10年位前に段四郎さんが舞台に上がらなくなったときに近況をお尋ねしたら、『体調はまあまあですが、食事がのどを通らなくて』とおっしゃっていました。歌舞伎は体を使いますし、お歳を召されたから仕方のないことだと思っていましたが……」(福田さん)
歌舞伎界を脇から支え続けた市川段四郎76年の生涯は、前代未聞の“事件”で幕が下りてしまった。喪失の悲しみは深い。
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10:保守や右翼には馬鹿しかいない
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2023/05/21 (Sun) 09:52:25
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「なぜパジャマのまま薬を…」市川猿之助さん(47)一家“心中”事件に残る違和感のナゾ「セクハラ報道」発覚後に家族会議「死んで生まれ変わろうと…」《猿之助さんは罪に問われるのか?》
「文春オンライン」特集班16時間前
https://bunshun.jp/articles/-/62979
歌舞伎界きってのトップスター市川猿之助さん(47)が自宅から救急搬送され、父親の段四郎さん(76)と母親(75)が死亡した、日本の歌舞伎界を揺るがす大事件。事件発覚当時、多くの謎からさまざまな憶測が飛び交ったが、捜査の進展や、猿之助さんが回復したことから、事情が少しずつ明らかになってきた。社会部記者が解説する。
「死んで生まれ変わろうと家族で話し合い、両親が睡眠薬を飲んだ」
「司法解剖の結果、両親の死因は、向精神薬を大量に摂取したことによる薬物中毒とみられています。また猿之助さんは事件当初、受け答えをするのも難しい状態でしたが、今では体調が回復し病院を退院。事件に至った経緯を語り始めています。
まだ全容がハッキリしたわけではありませんが、猿之助さんは『死んで生まれ変わろうと家族で話し合い、両親が睡眠薬を飲んだ』といった趣旨の発言をしているようです。『女性セブン』で猿之助さんの共演者やスタッフへのパワハラ・セクハラ疑惑が報じられたばかりで、その内容や対応を家族で話し合ったものとみられます。
猿之助襲名に向けて記者会見した亀治郎さん(当時)。(左から)香川照之さん、香川政明君、市川猿之助さん、市川亀治郎さん、市川段四郎さん ©️共同通信社
猿之助襲名に向けて記者会見した亀治郎さん(当時)。(左から)香川照之さん、香川政明君、市川猿之助さん、市川亀治郎さん、市川段四郎さん ©️共同通信社
ただ、こうした発言内容から一家心中との見方がある一方、『両親が睡眠薬を飲んだ』という発言が、両親が自らの意思で飲んだことを指すのか、猿之助さんが飲ませたのか、そもそも誰が持ちかけて心中に至ったのかなど詳細はまだわかっていません。警察は今後も慎重に捜査していく方針です」
猿之助さんは亡くなった両親と3人暮らしで、閉ざされた“家族会議”のなかでどのようなやり取りが交わされたのか、真相の解明は困難極まると予想される。猿之助さんが、罪に問われる可能性はあるのか。犯罪ジャーナリストの小川泰平氏は、「“家族会議”の中身次第でシナリオは大きく変わっていく」と解説する。
「無罪」「自殺ほう助」「自殺教唆」「殺人」の分かれ目とは
「まず1つ目は、猿之助さんが『無罪』のパターンです。猿之助さんの予想外に両親が睡眠薬を飲んで自殺。そして、それを発見した猿之助さんが悲嘆にくれて後追い自殺を試みたとします。この場合は、両親も猿之助さんも、お互いがお互いの意思で自殺しようとしているため、猿之助さんが罪に問われることはありません」
猿之助さんの自宅 ©️共同通信社
猿之助さんの自宅 ©️共同通信社
次に想定されるのが、「自殺ほう助」と「自殺教唆」のケースだ。
「週刊誌の記事を見て、猿之助さんと両親が一家心中を図ったパターンです。例えば全員で死ぬことを決断して、『睡眠薬は自分が用意する』と猿之助さんが薬を両親に渡し、両親が自殺した場合、これは自殺ほう助に該当します。また、『自殺するしかない』と猿之助さんが両親にもちかけていた場合には、自殺教唆に該当します。これらはいずれも、猿之助さんが罪に問われるパターンになります。また逆に両親の方から、『生き恥を晒すな』と家族に自殺を持ちかけた場合には、両親に容疑がかかる可能性もあります」
市川中車(香川照之)さんと2人で ©️共同通信社
市川中車(香川照之)さんと2人で ©️共同通信社
では、猿之助さんが殺人罪に問われることはあるのだろうか。
「可能性は低いと思いますが、酒などに薬を混ぜて両親を殺害した後に、猿之助さんが自殺を図ったケースです。ただ、仮に薬が無臭なものだとしても、大量の睡眠薬を無理矢理飲ませることは難しいと思います」
両親が薬を飲んだ経緯によって、事件の展開は様々だ。一方、今回の事件について、小川氏は「違和感ばかりが残る」と語る。
「両親の死には疑問がたくさんあります。まず薬での自殺は苦しみながら死亡するケースが多く、なぜあえてその手段を取ろうとしたのか…。
また、発表によると、今のところ見つかった遺書は猿之助さんのものだけです。社会的地位を築いている段四郎さんであれば、兄の猿翁さんなど関係者に遺書を書き残すのが自然ではないでしょうか。
さらに、両親は発見時にパジャマを着ていたということですが、こういった地位にある方が身なりを全く気にしないまま自殺することについても違和感があります。
猿之助さんが首を吊っていたというのも、事前にマネージャーが自宅に迎えにくる時間を知っているなら、タイミングが遅いと思います」
「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」の案内
「市川猿之助奮闘歌舞伎公演」の案内
「責任感の強い猿之助さんがなぜ?」
こうした不自然な点以外にも、小川さんは動機についても疑問があるという。
「メディア関係者からは『猿之助さんはとにかく責任感が強い人』だと聞いています。出演している映画の公開が近くに迫っていましたし、歌舞伎の公演も真っ最中でした。関係者に迷惑がかかることを猿之助さんが知らないわけがありません。週刊誌の記事も自殺するまでの内容とは思えず、何がここまで猿之助さんを追い詰めることになったのか、原因がハッキリしません」
令和の歌舞伎界に衝撃を走らせた“猿之助心中騒動”。今後、本人からどのような経緯が語られるのだろうか。
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11:保守や右翼には馬鹿しかいない
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2023/05/23 (Tue) 21:42:54
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市川猿之助「泥を塗った」と香川照之の性加害事件に激怒…悲劇の裏で抱えていた一門の重圧
女性自身 の意見 • 15 時間前
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E7%8C%BF%E4%B9%8B%E5%8A%A9-%E6%B3%A5%E3%82%92%E5%A1%97%E3%81%A3%E3%81%9F-%E3%81%A8%E9%A6%99%E5%B7%9D%E7%85%A7%E4%B9%8B%E3%81%AE%E6%80%A7%E5%8A%A0%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AB%E6%BF%80%E6%80%92-%E6%82%B2%E5%8A%87%E3%81%AE%E8%A3%8F%E3%81%A7%E6%8A%B1%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E4%B8%80%E9%96%80%E3%81%AE%E9%87%8D%E5%9C%A7/ar-AA1bxvAA?ocid=Peregrine&cvid=d1d0a7406c8a4afda7e1f583f4387dc8&ei=72
「室内には猿之助さんが書いた複数の“遺書”が残されていました。家族以外の者へ遺産を分配してほしいという趣旨のものや“迷惑かけて申し訳ない”といった内容でした」(捜査関係者)
5月18日午前10時過ぎ、東京都目黒区内にある市川猿之助(47)の自宅を訪れたマネージャーたちが、半地下のクローゼットの中で意識がもうろうとしている猿之助を発見した。2階のリビングでは父・市川段四郎さん(76)と母・延子さん(75)が横たわっていた。いずれもパジャマ姿で、首から下には布団が掛けられていたという。
延子さんはその場で死亡が確認され、段四郎さんは搬送先の病院で死亡が確認された。 司法解剖の結果、両親の死因は向精神薬中毒とみられている。
「向精神薬とは鎮痛剤、精神安定剤、睡眠導入剤など中枢神経に作用して精神機能に影響を及ぼす薬物の総称です。服用には通常、医師の処方箋が必要です。今後、血液検査を経て、どのような経緯で入手した薬で、どれほどの量を服用していたのかが特定されることになるでしょう。
同じく薬物を摂取し自殺を図ったとみられる猿之助さんは搬送先の病院を19日に退院しました。警視庁は両親が薬を摂取した状況などについて猿之助さんに事情を聴き、『死んで生まれ変わろうと家族で話し合い、両親が睡眠薬を飲んだ』と説明していたことが判明しました。一家心中を図った疑いがあります」(前出・捜査関係者)
歌舞伎に映画にドラマにと精力的な活動をしていた猿之助だけに、各所に激震が走った。 彼が主演していた東京・明治座の歌舞伎公演は18日昼の部は休演。夜の部は中村隼人(29)が代役を務めた。6月16日から公開予定の映画『劇場版 緊急取調室 THE FINAL』にも猿之助は出演。主演の天海祐希(55)も相当なショックを受けているという。
今回の事件当日に発売された週刊誌では、猿之助のパワハラとセクハラ疑惑が報じられていた。
「共演する役者たちにキスや体を触る“性的スキンシップ”を求めていたと、劇場関係者らが証言していました。断ったスタッフが公演から外されることもあったとして、各方面に強い影響力を持つ猿之助さんに対し、周囲が“拒否できない雰囲気だった”と指摘する内容でした」(全国紙記者)
同誌の直撃を受けた猿之助は「答える義務はありません」とだけ答えたという。その記事の影響があったのだろうか――。猿之助の知人はこう語る。
「猿之助さんは仕事に厳しく、完璧主義者でした。喜怒哀楽も激しいところがあったので、パワハラと受け取られたのでしょうか……。でも本当はとても繊細な性格で、かなりお酒を飲むことに加え、1~2年前から睡眠薬を手放せなくなったと言っていました。あるとき、私が家庭の悩みがあると打ち明けたら『僕もありますよ』と神妙に言っていたのを記憶しています」
■《これからどうやって生活したらいいか》
猿之助の屋号は澤瀉屋。三代目猿之助だった二代目市川猿翁(83)が’86年、歌舞伎に最新技術や現代音楽を取り入れ、宙乗りなどの演出で魅せる「スーパー歌舞伎」を創始。歌舞伎界に新たな歴史を刻むこととなった。
「澤瀉屋は学業優先でも知られます。段四郎さんは高校生の猿之助さんに『大学に行くのなら、絶対に卒業しなさい。稽古を理由に学校を休んではいけない。二莵を追う者は一莵も得られない』と言い聞かせてきました。その結果、猿之助さんは慶應義塾大学文学部に合格。きちんと卒業もしています」(後援会関係者)
’12年、伯父・猿翁から四代目猿之助を襲名。その芸を「スーパー歌舞伎II」として発展させ人気者となった猿之助だが、このころから父・段四郎さんは体調不良に悩まされるようになったという。
「段四郎さんは10年くらい前から体が言うことを聞かなくなったそうで、’15年のスーパー歌舞伎II『ワンピース』での親子共演が最後の舞台となりました。段四郎さんを妻・延子さんが老老介護する生活になっていました。特に最近の段四郎さんは寝たきり状態だったとも聞いています。そのため、猿之助さんは金銭面に加え多忙の合間を縫って両親のサポートにも最大限努めていたといいます」(前出・後援会関係者)
父が表舞台から去り、澤瀉屋を一身に背負った猿之助を襲ったのが、コロナ禍だった。 途切れたことのなかった歌舞伎の舞台に立てない事態に直面することとなった。2年前のインタビューでこう振り返っている。
《僕も、これからどうやって生活していこうかと悩みましたからね。働く場所がないんだから切実ですよ。ようは失業者。それでもお弟子さんを食べさせなくてはいけない。蔵書や絵を売ったらいくらになるかなって本気で考えました》(『婦人公論』’21年1月26日号)
■猿之助一家の悲劇を聞いた香川は嗚咽
そこへ追い打ちをかけたのが、’22年8月に発覚した猿之助のいとこ、香川照之(57)の性加害事件だった。
「父・猿翁さんとの恩讐を越えて、香川さんは’12年に市川中車として歌舞伎デビュー。猿之助さんと香川さんとの間では、香川さんの息子(團子)が五代目として猿之助を継ぐことで話がまとまっているといわれています。そのため、銀座のホステスへの性加害行為が発覚した香川さんに対し、猿之助さんは“澤瀉屋に泥を塗った”として怒り心頭でした。
その一方で、活動を自粛した香川さんがそのまま芸能界を引退することは避けるべく、猿之助さんは奔走。昨年12月、團十郎さんの力を借りて、再び香川さんは歌舞伎座の舞台に立つことになったのです」(前出・後援会関係者)
本来なら今年の6月、猿之助と香川は歌舞伎座で共演する予定だった。事件4日前のスポーツ紙のインタビューで、猿之助は熱く語っていた。
《言えるのは2人(中車と團子)とも、まだまだ経験不足ということです。歌舞伎は何より場数を踏むことが大事。(略)厳しい言い方に聞こえるだろうけど、早く使いものになってほしい》
《世間も社会も混乱した移り気な現実の中で、歌舞伎がどうすれば生き残っていけるかを考えなければならないんです》(『スポーツ報知』5月14日付)
澤瀉屋のすべての重責を担う、猿之助の強い覚悟がうかがえる。前出の後援会関係者は続ける。
「猿之助さん一家の悲劇を聞いた香川さんは嗚咽したそうです。“なぜ相談してくれなかったのか”と……。もはや“澤瀉屋は呪われている”と言う梨園関係者もいます」
猿之助が出演中だった明治座創業百五十周年記念公演歌舞伎スペクタクル『不死鳥よ 波濤を越えて―平家物語異聞―』で彼が演じていたのは平知盛だった。歌舞伎関係者は言う。
「今回の報道を聞いて、梨園の人たちの多くは、物語との奇妙なつながりを感じました。 今作の平知盛は壇ノ浦の合戦で落命寸前で助けられた後、大陸に渡り、生き抜いていきます。しかし、ラストでは自ら死を選ぼうとして実際に散ってしまうのです。猿之助さんもほかの選択肢があったはず。親の介護や、澤瀉屋の呪縛で心身ともに疲弊してしまったことで、ひょっとしたら現実と物語の境界線が薄れてしまっていたのかもしれません」
かつて猿之助は、父との対談で、こんな感謝を述べて、決意表明していた。
《無理に稽古を押しつけられなかったし、そのおかげで私も自然に歌舞伎が好きになれた。今では歌舞伎が私の生きる道だと思っています。(略)澤瀉屋を盛り上げていきたい。次世代につながるように若い私たちが努力する。それが親孝行だと思っています》(『サンデー毎日』’00年6月18日号)
警視庁は事件当時の状況を詳しく調べるとともに、猿之助からさらなる事情を聴く予定だ。自宅の家宅捜索ではすでに数台のスマートフォンが押収されたという。今後、彼の口から、どんな真実が語られるのだろうか――。
https://www.msn.com/ja-jp/news/opinion/%E5%B8%82%E5%B7%9D%E7%8C%BF%E4%B9%8B%E5%8A%A9-%E6%B3%A5%E3%82%92%E5%A1%97%E3%81%A3%E3%81%9F-%E3%81%A8%E9%A6%99%E5%B7%9D%E7%85%A7%E4%B9%8B%E3%81%AE%E6%80%A7%E5%8A%A0%E5%AE%B3%E4%BA%8B%E4%BB%B6%E3%81%AB%E6%BF%80%E6%80%92-%E6%82%B2%E5%8A%87%E3%81%AE%E8%A3%8F%E3%81%A7%E6%8A%B1%E3%81%88%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%9F%E4%B8%80%E9%96%80%E3%81%AE%E9%87%8D%E5%9C%A7/ar-AA1bxvAA?ocid=Peregrine&cvid=d1d0a7406c8a4afda7e1f583f4387dc8&ei=72
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12:保守や右翼には馬鹿しかいない
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2023/05/24 (Wed) 12:19:17
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市川亀治郎・父仲代達矢を甲斐から追い出す・廃嫡を謀られて決死の抵抗
2015/02/05
https://www.youtube.com/watch?v=ti8Z_UltWQ0
市川亀治郎(現4代目市川猿之助演じる武田春信、圧巻シーン。歴史に残る名場面。NHK大河「風林火山」。
市川猿之助に何が起きたのか、始まりは女性セブンの記事
2023.05.24
歌舞伎のスター一家に何があったのか
女性セブンの取材がきっかけ
歌舞伎俳優の市川猿之助(47)が病院に搬送され両親が自宅でなくなっていた出来事はマスコミが中々事実を報道しようとせず警察も公表しないので何があったのか伝わっていない
23年5月18日午前に猿之助さん(47)と父親の市川段四郎さん(76)、母親(75)が自宅で倒れている状態で見つかり、緊急搬送された
報道によると搬送時に猿之助さんはもうろうとしていたが意識があり、倒れていた半地下の自室には本名で書かれた遺書のような書き置きがあった
2階のリビングであおむけに倒れていた両親に目立った外傷はなく母はその場でなくなっているのが確認され、父の段四郎さんは搬送先の病院で確認されました
両親には毛布がかけられていたので猿之助さんがかけたと見られ、両親がなくなった事と猿之助さんにどのような関係があったのかが憶測を呼んでいます
事件のはじまりは5月18日ネット配信の女性セブンで、過激な見出しで猿之助パワハラ疑惑として報じています
記事によると猿之助は自分の名前で興行を打てる数少ない歌舞伎役者で、絶対的な権力を背景に共演者らに抑圧的に振舞っていた
厳しい上下関係のもとで口答えを許さない空気を作った他、共演者に親密な関係を求めて拒否するとすぐに配役やスタッフから外されたと書かれています
なお歌舞伎俳優は全員が男性なので、これらの被害を受けたとされる人たちも全員が男性のようです
猿之助さんが女性セブンから取材を受けたのは5月15日で他紙(東京スポーツ)によると取材時はもっと過激な内容を取材され精神的にショックを受けていた
猿之助さんと両親は5月17日に家族会議を開き、その場で何かが決定されて18日朝までに両親はなくなり猿之助さんは地下室で発見された
女性セブンの記事がネット配信されたのは5月18日の午前7時1分でマネージャーが発見したのが10時15分、家族会議が持たれた17日には記事を見ていなかった
家族会議後の両親の行動
だが週刊誌業界の慣習として芸能人のスクープ記事は訴訟対策として発売前に本人に見せて「事実と相違ありませんね」と確認する場合があります(否定しても発売する)
この場合はネット配信だったが同様になんらかの方法で本人に記事を見せた可能性もあり、その辺は今のところ分かっていません
東スポによると取材内容は「記事に出ているものをはるかに上回る過激なスキャンダルだった。猿之助さんは、それが掲載されると思い込んで」いたのではないかと書かれています
警察に取材したメディアによると玄関のカギは開いた状態で家の中を物色された形跡はなく、第三者が侵入した形跡はないため一家無理心中の可能性で捜査している
その後警察の事情聴取に対して猿之助さんは「家族会議をした」「両親が睡眠の薬を飲んだ」と話している
父の市川段四郎さんは息子が猿之助を襲名した公演で体調を崩し引退したが、この襲名でひと騒動あったともされています
父が段四郎なので息子も段四郎を襲名すると思われていたが、伯父の名である猿之助を襲名しショックを受けた様子だったと言われている(段四郎より猿之助はビッグネームで格上とされる)
以来病名は非公開だが段四郎はほぼ寝たきりになり76歳の段四郎を75歳の妻延子さんが介護していた
猿之助には多額の収入があるので医療施設や介護施設での生活も可能だったと思うが、おそらく本人の希望で地宅療養していたのでしょう
17日の家族会議の後で両親が何かを決めて先に倒れ、それを発見した猿之助さんが後を追おうとした可能性が高い
報道によると両親と猿之助さんは向精神薬を服用し他の毒性のものは発見されておらず、前もって用意してはいなかったと推測されます
テレビ解説した慶応医学部教授の満倉氏は「医師の処方がないともらえないし相当の量でないとそうならない」と解説していた
家族会議で猿之助さんは自身のスキャンダルを詫びたか弁解したと思われ、思いつめた両親が先立ちそれを発見した猿之助さんが続こうとしたという流れが推測されます
これも推測ですが両親が大量の向精神薬を服用したので、発見後に後を追おうとした”猿之助さんの分”は足りなかったのではないか
https://www.thutmosev.com/archives/271064y.html
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13:保守や右翼には馬鹿しかいない
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2023/05/25 (Thu) 11:11:27
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aあ
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14:777
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2023/05/28 (Sun) 04:46:46
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猿之助に「愛している」と言わせた「付き人俳優」は何者? 母親は「息子宛ての遺書」の存在に絶句
5/27
https://news.yahoo.co.jp/articles/5aa5ab9fb78ba20238edfa0879890c62aa0a085c
現場からは2種類の「遺書」が見つかり、それらはいずれも男性マネジャーに宛てられていた。数多(あまた)のハラスメントを重ねてきた梨園の大物から、かくも厚い“寵愛”を受けていたこの男性は、いったい何者なのか。
【写真11枚】29年前、慶應大1年生だった猿之助。やはり現在とは雰囲気が全く違う
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当の男性は現在44歳で、仮に大山氏としておく。梨園関係者によれば猿之助の「マネジャー兼運転手」を務めているといい、その一方で俳優としても活動。猿之助が主宰する演劇プロジェクト「猿之助と愉快な仲間たち」の公演にも出演するなど、文字通りの“側近”である。
「70代半ばになる彼の父親も俳優で、やはり猿之助とは近しく、現在も明治座の『市川猿之助奮闘歌舞伎』で共演している。若い頃は学園ものの青春ドラマに出演し、また歌手として紅白歌合戦にも出場歴があります」(梨園関係者)
「事件」が報じられた18日の午後、神奈川県横浜市にある大山氏の実家を訪ねると、母親が応対し、
「えっ!! (息子宛ての遺書があることは)いま初めて聞きました」
と、しばし絶句したのち動揺を隠せずに、
「息子が猿之助さんの付き人になって3年がたちます。始めた当時は喜んでいました。そこから舞台のお仕事でご一緒するようになったのですが……」
人目もはばからず師匠とけんか
18日発行の「女性セブン」では、猿之助の度重なる「男性への性加害」が報じられたばかりだが、澤瀉屋(おもだかや)の事情を知る関係者によれば、
「大山さんが、猿之助の現在の“お相手”であることは知られています。付き人であるにもかかわらず、人目もはばからず師匠と口げんかをするものだから、スタッフはいやでも事情をのみ込んでしまうのです」
とのことで、
「大山さんが“抜てき”される前、猿之助には別のお相手がいました。おもに歌舞伎座に出入りしている大道具さんでしたが、その人は用済みとばかりに“乗り換え”られてしまったのです」(同)
“推し変”したというわけだ。
ベテラン歌手と
ところでこの大山氏、実に異色の経歴をお持ちのようで、スポーツ紙デスクが言うには、
「彼が27歳だった2006年、紅白出場18回を数える27歳年上のベテラン女性歌手との熱愛が発覚。翌年には“結婚へ”と報じられたことがありました」
実際に、大山氏の実家の近隣住民に聞くと、
「当時、この女性歌手はよく大山さん宅を訪れていて、年の違わない大山さんのお母さんも『(彼女が)うちに来るの』と喜んでいたと聞きました」
というのだが、
「07年秋にはこの歌手がTVのワイドショーで『甘えられて疲れた』と吐露し、大山との破局を明かしたのです。彼も当時、女性誌の取材に『今でも連絡を取り合っており(彼女には)感謝している』などと答えていました」(前出デスク)
それから十余年。再び大御所のお相手として浮名を流すことになろうとは……。
前編では、心中に使用された薬の入手経路などについて報じている。
「週刊新潮」2023年6月1日号 掲載
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15:777
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2023/05/28 (Sun) 04:49:30
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市川猿之助、性被害を受けた人数は2桁か 心中に使用した薬の入手経路は?
2023年05月27日
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/05270551/?all=1
男女の道行きを題材にした「心中もの」は、歌舞伎では定番の演目となっている。が、役者一家が実際に遂げようとしたとなれば、痛ましいというほかない。さる5月18日に自殺を図った市川猿之助(47)。梨園に新風を吹き込んできた「澤瀉屋(おもだかや)」で何があったのか――。
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【写真11枚】29年前、慶應大1年生だった猿之助。やはり現在とは雰囲気が全く違う
一門の屋号である「澤瀉屋」は、明治時代に活躍した初代猿之助の生家が、薬草のオモダカを扱う薬屋を営んでいたことに由来する。面目が立つ「面高」に通じ、「勝ち草」とも称されることから、戦国時代には武家の家紋にも多用されていたという。
が、当代の大名跡が呷(あお)ったのは、あろうことか「死に至る薬」であった。
〈死んで生まれ変わろうと話し合って薬を飲んだ〉
一命をとりとめた猿之助は、警視庁の聴取にこう答えたものの、その信憑性は今なお裏付けられていない。世をはかなんでの心中か、はたまた同意なきまま両親を手に……。真相解明が急がれる中で浮かび上がってきたのは、にわかに信じがたい“情景”だった──。
澤瀉屋 家系図
澤瀉屋 家系図(他の写真を見る)
パジャマ姿で口から泡を
あらためて惨劇を振り返ってみると、
「猿之助は5月3日から、明治座の『市川猿之助奮闘歌舞伎公演』に出演中でした。18日の朝10時過ぎ、40代男性と60代女性のマネジャーらが東京・目黒区の自宅に迎えに行ったところ、“異状”を目の当たりにしてしまったのです」(警視庁担当記者)
119番通報は10時16分、直ちに110番に転送された。自宅は地上2階建ての一軒家で、
「救急隊が駆け付けると、猿之助は半地下にあるスペースのクローゼット内に座り込む形でぐったりしていました。同居する父親の市川段四郎(76)と母親の延子さん(75)は、2階のリビングに仰向けで倒れており、三人ともパジャマ姿で口から泡を吹いていた。延子さんはすでに死後硬直が始まっており、段四郎さんもおよそ1時間後、搬送先で死亡が確認されました。両親の首から下には布団が掛けられていたことからも、自死であったとしても“時間差”がうかがえるような状況だったのです」(同)
男性マネジャーへの遺書
猿之助が倒れていた半地下のスペースでは、自身の「遺書」とみられるものが見つかった。一点はスケッチ用のキャンバスに数行、書き留められており、
〈愛する○○ 次の世で会おうね〉
と、第一発見者である男性マネジャーを名指しし、文末に「たかひこ」と猿之助の本名が平仮名で記されていた。もう一点はこの男性を「養子にする」「財産の相続人にする」といった内容で、キャンバスは壁に立て掛けられていたという。
翌日に退院した猿之助は、
〈家族会議を開いた〉
と口にし、「自殺」の結論に至ったと説明している。さる舞台関係者が言うには、
「18日発行の『女性セブン』に、猿之助が役者やスタッフを相手にパワハラや性加害に及んでいるとの記事が掲載されました。記事によれば、猿之助が直撃取材を受けたのは15日の夜。疑惑について質され“答える義務はありません”と回答を拒んでいたのですが、ほどなく劇場や、公演の製作を手がける松竹の関係者にもうわさが広まっていきました」
とのことで、
「記事の内容は、発行前日の17日にはすでに関係者に出回っていました。この日はたまたま公演の休演日で、周囲も猿之助から詳しい話を聞き取ることができないまま18日を迎えてしまったのです」(同)
「カメちゃん」と溺愛
亡くなった父・段四郎は、先代猿之助(現・猿翁)の弟にあたり、2013年に息子の猿之助襲名披露公演の際に倒れて以来、舞台から遠ざかっていた。さる梨園の関係者によれば、
「最近では認知症を患って寝たきりに近い状態が続き、要介護認定を受けて妻の延子さんが世話をしていました」
手描き友禅の図案家を父に持つ京都出身の延子さんは1974年に段四郎と結婚。翌年出産すると、“息子ひとすじ”だったという。
「猿之助は83年に市川亀治郎を襲名しましたが、延子さんは彼が成長しても変わらず『カメちゃん』と呼んで溺愛してきました。段四郎さんが仕事で留守がちだったこともあり、息子の学校行事に積極的に参加するなど、二人家族のような密着度でした」(同)
あるいは、そのかわいい一人息子が醜聞に塗れていく姿を見るにしのびないと感じたのかもしれない。
「関係者の間ではもっぱら、気丈に一家を支えてきた延子さんが猿之助から『死にたい』と持ち掛けられ、悲観して心中を決意したのではとささやかれています」(同)
薬をため込んで
司法解剖の結果、両親の死因はともに向精神薬による中毒死とみられている。とすれば、薬品は誰がどのように手に入れたというのだろうか。
「猿之助さんはこれまで、向精神薬を処方してもらっていました」
そう明かすのは、ある捜査関係者である。
「おもに催眠作用のある薬で、処方できる限度に近い強さのものだったと思われます。実際に発見当日、救急搬送された医療機関が、その処方薬を確認している。もっとも医師の指示通りには服用しておらず、大量にため込んでいた模様で、それを両親に手渡して何らかの形で飲ませ、自らも大量服用したものとみられています」(同)
数種類の向精神薬を混ぜ合わせて1人あたり50~60錠ほど飲み込んだとされ、両親の遺体には消化しきれない薬が食道の部分に残っていたという。
「三人で自殺を図ったのは17日の夜とみられます。一夜明けて猿之助さんだけが目覚め、両親が倒れているのを見て思わず布団を掛けた。残りの薬はなく、確実に しねる方法を探して半地下のクローゼットにこもり首を吊った。ところが、それでも死にきれなかった――。本人は聴取に、そう説明しています」(同)
性被害を受けた役者、スタッフは2桁?
前述の「女性セブン」の記事が引き金となったのは明らかだとはいえ、先の梨園関係者は、
「12年6月に猿之助を襲名してから、彼はまるで大名跡の魔力に取りつかれたかのように、尊大な振る舞いが目立ってきた。公演では演出も手掛けるプロデューサーとして君臨し、配役に自身の“推しメン”を入れることで知られていました」
たとえば来年に上演予定の「スーパー歌舞伎II 鬼滅の刃」でも、
「総合演出を手掛ける猿之助以外の配役は、市川染五郎、市川團子、松本幸四郎の三人しか発表されておらず、“今回はどの推しメンを入れるのか”とうさわになっていました。気に入った若手であれば歌舞伎界以外からも積極的に起用していたことで一門からの反発も強く、嫌気がさして澤瀉屋から抜けていった役者も少なくありません」(同)
さらに続けて、
「猿之助から性被害を受けた役者やスタッフは2桁に上るといいます。本人は、まだ報じられていない告発があることを察知し、それらについても身に覚えがあったため、観念するしかなかったのです」
当代きっての花形役者は、自ら奈落へと身を投じてしまったのだ。
猿之助が「次の世で会おうね」と遺書を託した男性マネジャーの正体については、後編に続く。
週刊新潮 2023年6月1日号掲載
特集「殺人で逮捕!? 遺書に記された『最愛の人』とは!? 『猿之助』7つの謎」より
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16:777
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2023/05/28 (Sun) 11:26:39
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ニューハーフや ゲイ用のオナホ
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14099413
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17:777
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2023/05/31 (Wed) 17:12:24
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市川猿之助を自殺幇助で逮捕へ「両親は別の薬物摂取の可能性も」「ビニール袋、薬のパッケージをゴミに」
週刊文春 2023年6月8日号
https://bunshun.jp/articles/-/63278
歌舞伎俳優の市川猿之助(47)と両親が5月18日、東京都目黒区の自宅で倒れているのが見つかり、両親が死亡した事件で、警視庁捜査一課は猿之助を自殺幇助罪で近く逮捕する方針を固めたことが「週刊文春」の取材でわかった。
自殺の過程で浮上した複数の疑問点
警視庁は父親で歌舞伎俳優の市川段四郎さん(76)と母親の喜熨斗延子(きのしのぶこ)さん(75)の死因は、いずれも向精神薬中毒とみられると発表している。
捜査関係者が明かす。
「当初、捜査一課は殺人容疑を念頭にチャート図を作成し、捜査をスタートさせていた。猿之助は事件後、入院先の病院内で『家族で死んで生まれ変わろうと話し合った』『(両親は)自分が用意した向精神薬を約10錠、自ら飲んだ』と説明。その過程で複数の疑問点が浮かび上がったのです」
司法解剖の結果、両親の体内からは睡眠導入剤「サイレース」などの成分であるフルニトラゼパムが検出された。薬物鑑定に詳しい法科学研究センター所長の雨宮正欣氏が解説する。
なぜ一家心中の証拠を“隠滅”しようとしたのか
「フルニトラゼパムは眠れない人の最後の切り札として使われることが多い。翌日ボーッとしたり、運動機能に強い作用を起こすこともあり、睡眠薬の中では比較的危険性が高い。1回の量は0.5mgから2mgですが、呼吸困難などの重大な症状が起こるのは約1g程度。致死量は約6gと言われています」
捜査関係者によれば、基礎疾患や年齢を考慮すると、現実的に死に至るには少なくとも300~400錠が必要とされる。
「そのため、両親はフルニトラゼパムに加え、別の薬物も摂取した可能性がある」(前出・捜査関係者)
さらに疑問なのが、猿之助の当日の行動だ。両親が意識を失うのを見届けた後、猿之助は2人に白色のビニール袋を被せている。
「猿之助は病院内の聞き取りで『両親が動かなくなった後、ビニール袋を取り外し、薬のパッケージと共に家の近くのゴミ置き場に捨てた』と話していた。事件当日は燃えるゴミの日で、清掃事務所は午後12時半前後にごみを回収。“犯行”を裏付ける物証は、すでに失われてしまった。2人の死因はビニール袋を被せたことによる窒息死ではなく中毒死ですが、なぜ一家心中の証拠を“隠滅”しようとしたのか、謎が残る」(同前)
警視庁は猿之助を逮捕する方針を固めている
今後の捜査はどう展開するのか。
「自殺という目的のために睡眠薬やビニール袋を用意するなど、自殺を容易にする援助を行った場合、刑法第202条の自殺幇助罪に抵触する可能性が高い。警視庁は近く猿之助を逮捕する方針を固めている。自殺幇助罪の刑事罰は、6カ月以上7年以下の懲役または禁錮です」(同前)
Xデーはいつになるのか、捜査状況が注目される。
5月31日(水)12時配信の「週刊文春 電子版」および6月1日(木)発売の「週刊文春」では、今回の心中現場にも最初に駆け付けた恋人が小誌に語った猿之助との驚くべき関係、心中事件に残された“3つの謎”、猿之助が孤立を深めていったターニングポイント、突然、澤瀉屋の“後継者”となった香川照之の恍惚と不安、香川の母・浜木綿子や寺島しのぶらが味わった「梨園の女」の悲劇などを8ページにわたり詳報する。
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18:777
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2023/06/01 (Thu) 07:52:14
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市川猿之助 主演公演中の心中騒動で仲間からの信用は地に…囁かれる“贖罪出家”の道
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https://news.yahoo.co.jp/articles/016953814aa67e1fade061767918085d7d2764d0?page=1
「生き残った猿之助さんですが、梨園の関係者たちは『これからが地獄だよな……』と嘆いています」(歌舞伎関係者)
5月18日午前中、東京・目黒区内の自宅で市川猿之助(47)が緊急搬送されてから約2週間が経過した。亡くなった父・市川段四郎さん(享年76)と母・延子さん(享年75)は司法解剖の結果、向精神薬の服用による中毒死だと判明。現在、猿之助は都内の警察関連施設で事情聴取に応じているという。
「猿之助さんは“家族で話し合い両親それぞれ薬を飲んで一家心中を図った”と繰り返し話しているそうです。一般的には向精神薬は大量摂取しないと死に至ることはないといわれ、『週刊文春』は亡くなった両親にはビニール袋がかぶせられていたと報じています。猿之助さんは事件直後の病院での事情聴取では『ビニール袋を自分でかぶるのは無理だと思った。今回は薬が切れてしまい、死にきれなかった』と供述したといいます」(社会部記者)
刑事事件に詳しい、渋谷第一法律事務所の寺井友浩弁護士は言う。
「今後の供述にもよりますが、亡くなるまで見届けるという行為やビニール袋の用意をしたということであれば、自殺幇助罪は免れないと思います。6カ月から最長7年の懲役および禁錮刑となりますが、初犯でもあり、状況次第では4~5年の執行猶予がつく可能性もあります」
凄惨な事件当日に発売された週刊誌では猿之助のパワハラ、セクハラ疑惑が報じられたが、所属事務所は23日、「そのような事実は現在出てきていない」と発表した。猿之助が主演していた明治座の舞台では、香川照之(57)の長男・團子(19)が代役を務めた。
「香川さんは化粧をしていても顔色が悪いのがわかるほど疲労が蓄積して目が腫れていました。眠れないのでしょう。團子の代演初日に皆を集め、澤瀉屋を代表して『頑張りましょう』となんとか声を絞り出していました」(後援会関係者)
だが、“梨園の禁忌”を犯してしまった猿之助への視線は非常に厳しいと前出の歌舞伎関係者は言う。
「座頭公演の最中に、座頭自らが舞台を投げ出すなんて親が死んでもしてはいけないというのが梨園の掟。ましてや一家心中なんて……。才能も人気もあった猿之助さんでしたが、仲間からの信用は地に落ちてしまったんです。このまま表舞台から退くことになるでしょう。猿之助さんはもともと仏の道に興味を持っていました。両親への贖罪のため、出家することも考えていると思います」
『比叡山への憧れ』なるコラムも書いて
すでに家族のために出家の儀式「得度」を受けた歌舞伎役者がいる。市川團十郎(45)だ。
「海老蔵時代の’16年、屋号『成田屋』の由来となった成田山新勝寺で『生まれ変わる』と言って得度したのです。当時、乳がんを患っていた麻央さんの闘病のため、『自分に鞭を入れる意味で受けた』と話していました」(團十郎の知人)
猿之助は幼少期から仏教への関心があった。亡くなった母・延子さんはかつてこう語っていた。
《子供ってたいていデパートのおもちゃ売り場に行きたがるのに、あの子はね小さいときから『ねえお母さん、仏壇屋さんに連れていって』と言うて、お店で『僕このお厨子が欲しいな』って言う子でしたわ》(『SAY』’93年4月号)
長じて、猿之助の仏教への情熱はさらに高まっていった。
「猿之助さんの歴史や骨董好きは有名ですが、私の誕生日が伊勢湾台風の上陸日だと話したら、伊勢市内で倒木整理作業中に発見された線刻阿弥陀三尊来迎鏡像という遺物の話を熱心にしていました」(猿之助の知人)
猿之助は’03年に比叡山延暦寺初の歌舞伎上演『比叡山薪歌舞伎』に出演。以後、定期的に比叡山に足を運ぶようになった。
「’16年には比叡山で命がけの荒行『千日回峰行』を成し遂げた僧侶との対談本も出版。同年、大津市内の延暦寺会館で開かれた『比叡山仏教文化講座』では約430人の聴衆の前で講演しています。猿之助さんいわく、天台宗の特徴は『誰もが仏になれ、自分が悟りを開けば他人を救うように説いていることではないか』と語っていました。当時、連載していた新聞に『比叡山への憧れ』なるコラムも書いています」(地元紙記者)
仏教への傾倒は、瀬戸内寂聴さん(享年99)との対談でも明らかだ。寂聴さんから歌舞伎で同じ台本を何度も繰り返し演じて退屈しないかと問われた猿之助は、こう答えている。
《退屈することもあります。嫌になるときもあります。私は仏教の修行の経験はありませんが、ちょっと比叡山の千日回峰行に近いところがある。一旦始めたら、止めるときは命を絶つときだ、という。まさに難行苦行です》(『the寂聴』’10年9月15日発行)
座頭公演を投げ出した猿之助はやはり死ぬ覚悟だったのか――。
初代市川段四郎が眠るお寺に地蔵菩薩を奉納したことも
’20年、猿之助は「没後1千200年 最澄の足跡」というインタビューで、天台宗の開祖である最澄について、こう語っていた。
《かく言う私は、何を隠そう最澄さんの大ファンである。どれくらいファンかというと、不遜ながら、最澄さんその人になってしまいたいくらいにファンである(中略)。だから、ついつい出過ぎてしまいそうな時には、いつも最澄さんの生き方を思い出すように心掛けている》(『毎日新聞』’20年11月28日号)
翌年、延暦寺で行われた1千200回忌法要では最澄の「聖句」を朗読していた猿之助。当時、“出すぎてしまう”自覚が本人にあったのか。前出の歌舞伎関係者は言う。
「猿之助さんはもともと“俺は亀治郎のままでいい”と言っていたほど、名跡には興味がなく、ガツガツしていませんでした。それが猿之助を襲名してからは、テレビでも饒舌になり、上品さを感じなくなりました。私はそれを心配して、本人にも『亀治郎時代のほうがよかった』と言ったことがあるんです。本人は『そう?』と首をかしげていましたが、猿之助になったプレッシャーは強く感じていたことでしょう」
父・段四郎さんは四代目だったが、初代市川段四郎の墓は都内の正源寺にある。本堂にまつられている地蔵菩薩は猿之助が奉納したものだという。住職に話を聞いた。
――猿之助さんはこちらに墓参されていましたか。
「たまにですかね。初代のお墓があるので、いらっしゃってました」
――事件についてどうお感じになりましたか。
「いや、本当にショックですよ。なんでこんなことになってしまったんでしょう……。またいつかいらしたら、いろいろとお話ししたいですね。なぜこんなことを……」
いまだ心の整理がついていないようだった。
「猿之助さんは元来、信心深い方でした。比叡山で修行し、残りの人生、悔い改めることが両親へのせめてもの罪滅ぼしなのではないでしょうか」(前出・歌舞伎関係者)
最澄の教えに「一燈照隅」という言葉がある。最澄が唐から持ち帰った言葉だ。最初は一隅を照らすような小さな灯火でも、その灯火が増えれば、国中を明るく照らすことができる。個々人が自分の置かれている環境で精いっぱい努力することが組織全体では最も大切だという教えだ。猿之助は出家により歌舞伎界の未来を照らすことができるのか。
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19:777
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2023/06/02 (Fri) 18:08:44
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市川猿之助が“遺書”で宛てた付き人兼俳優 騒動後も平然と明治座に現れる姿に「恐ろしく精神の強い人」の声
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https://news.yahoo.co.jp/articles/f8c23e9e60ea46f6bb58720189faa42850cc4d7e
NEWSポストセブン
猿之助が“遺書”に名前を書いたA氏のメンタルの強さとは
《A 次の世で会おう たかひこ》。市川猿之助(47才)が倒れていた自宅の半地下には、猿之助の本名(喜熨斗孝彦)が記された、付き人兼俳優のA氏あてのメッセージが残されていた。
「Aさんは猿之助さんの運転手で、ベテラン俳優の父を持つ40代の役者です。コロナ禍で出演機会が減った舞台俳優のために猿之助さんが立ち上げた演劇プロジェクトに参加し、昨年の公演では主役級に抜擢されました。所属事務所の女性マネジャーと共に自宅で倒れている猿之助さんと両親を発見したといいます」(全国紙社会部記者)
現場には《自分の財産はAに相続させる》という趣旨の書き置きもあったといい、猿之助がA氏に信頼を寄せていたことがうかがえる。役者としてはほぼ無名だが、A氏にはマスコミを騒がせた過去がある。
「20代の頃に舞台で共演した20才以上年上の大物タレントとの交際が発覚し、結婚間近と報じられました。Aさんは周囲に『一生ついて行く』と話していたものの、相手が身を引く形で破局。当時、Aさんは『地方の仕事から帰ったら、(同棲していた)部屋から家具や服が全部なくなっていた』と嘆いていました」(A氏の知人)
猿之助と出会うまでのA氏は歌舞伎座で大道具のアルバイトをしていた。現在のプロフィールからは抹消されているが、10年近く前にアダルトメーカーが制作した作品に出演した経歴もある。
「グラビアアイドルやセクシー女優が主演するいくつかの作品に出演。出番は少なく目立たない存在でも、現場では共演者を口説いていた。セリフを覚えるのが苦手で、先輩の俳優からはしょっちゅう叱られていましたが、母性本能をくすぐるタイプで年上にはモテる。往年の人気ドラマに主演した10才上の共演者と交際していた時期もありました」(メーカー関係者)
周囲はA氏の演技より歌唱力を評価していたという。
「カラオケの十八番は歌手としても人気だったお父さんのヒット曲。実力はあるが、本人の口から歌手になりたいという話は聞いたことがない。ましてや歌舞伎に関心があるとは知らず、猿之助さんが監修する舞台への出演が決まったときは誰もが驚いていました」(前出・A氏の知人)
猿之助とA氏が急速に距離を縮めたのは2019年頃。同年に猿之助が演出を手掛け、猿翁がスーパーバイザーを務めた『スーパー歌舞伎II 新版 オグリ』に父と共に出演した。
「お父さんは重要な役どころでしたが、Aさんはクレジットにも名前の出ない端役。それでも周囲に『大したもんだね』と褒められると『自分も努力したんです』とうれしそうに話していたそうです。コロナ禍前から都内の水炊きの店の個室で、猿之助さんとAさんが2人で食事をしている姿を見かけましたが、そこまで親密な関係とは知りませんでした。今回の報道で遺産相続の話まで出たことに知人の多くが衝撃を受けています。ほかにも色恋の噂が絶えなかったですから……。親しい人には“警察がしつこくて参っちゃうよ”と笑っていたそうです」(前出・A氏の知人)
この騒動後、A氏は友人や知人にも連絡が取れない状況が続いていると報じられた。
「ほぼ毎日、明治座に姿を見せていましたよ。猿之助さんが降板した歌舞伎『不死鳥よ 波濤を越えて-平家物語異聞-』にAさんも目立たない形で出演していたんです。あれだけショッキングなことがあったのに、平然としているので恐ろしく精神の強い人だなと……」(歌舞伎関係者)
猿之助はなぜ“遺書”にA氏の名前を書いたのか。慎重に捜査を進める警察にとってA氏がキーパーソンであることは間違いない。
※女性セブン2023年6月15日号
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20:777
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2023/06/04 (Sun) 16:53:47
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「親子で特別扱い」市川猿之助の恋人、父親も「たくさんお世話になっていた」驚愕の事実
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https://news.yahoo.co.jp/articles/fbe355587b13cee1747ea4ba66562cdeb951a8f9
4代目・市川猿之助の“心中事件”発生から約2週間が経過した。一命を取り留めた猿之助は警視庁の聴取を受けており、報道を通してその供述内容が徐々に明らかになる中、世間では、遺書とみられるメッセージに記された恋人・Mの存在に注目が集まっている。
【写真】「親子でお世話に…」市川猿之助の恋人Mと父親のツーショット
「週刊文春」6月1日発売号(文藝春秋)の直撃を受けたMは、≪(猿之助が死のうが)関係ありませんね≫とつれないコメントを残したが、「Mは父ともども猿之助さんの舞台に多数起用されているだけに、こうした態度は猿之助さんファンから大きな反感を買ってしまうのでは」(芸能記者)という。
猿之助の恋人・M、直撃に“驚愕回答”
猿之助は、自身のハラスメント行為の告発記事が掲載された「女性セブン」(小学館)発売日(5月18日)、都内の自宅で父・段四郎さんと母・延子さんとともに自殺を図り、緊急搬送。両親は同日中に死亡が確認された。猿之助は当時、意識がもうろうとした状態だったというが、無事に一命を取り留め、同24日に行われた警視庁の聴取に対し、「事件前日に両親と“死んでもう一度やり直そう”と話し合い、両親が睡眠薬を飲んだ」と話したそうだ。
「司法解剖の結果、両親の死因は、睡眠導入などに用いられる向精神薬の過剰摂取による中毒死とみられ、猿之助さんも薬物を飲んだ可能性があるそう。しかし、警視庁が行った家宅捜索では、自宅から薬物や包装容器が見つかっておらず、今のところ入手ルートもわかっていないとのことで、これらが捜査のポイントになるといわれています。
一部週刊誌では、猿之助さんが、薬物を摂取して意識を失った両親の顔にビニール袋をかぶせたとも伝えられ、警視庁は猿之助さんを自殺ほう助の疑いで逮捕する方針という話も浮上。実際に逮捕までのカウントダウンが始まっているとみられます」(前・同)
猿之助の心中事件をめぐっては、彼の恋人・Mの存在も世間の耳目を集めている。というのも、猿之助が自殺を図った部屋に立てかけてあったスケッチ用のキャンバスには≪愛するM だいすき 次の世で会おうね≫、また仏壇に置かれたメモには≪Mを喜熨斗孝彦の養子にし、遺産の全てを相続する≫と記されていたことが明らかに。このMは当初、猿之助の知人と報じられたが、のちに40代の役者で、猿之助の付き人も務めている男性であることが判明した。
「『週刊文春』最新号では、このM氏が心中事件から9日後、同世代の女性と手をつないで駅前の商店街を歩く姿をキャッチ。記者の≪猿之助さんの事件はどういうふうに見ている?≫という質問に対し≪何にも関わりないので≫、また≪まったく悲しくない?≫の問いにも≪はい。全然≫とつれない回答をしており、本当に猿之助さんが全財産を相続させると指名した人物なのか? と疑わしく感じた人は多いのではないでしょうか。
同誌はそんなM氏について、≪年上の女優を口説いては業界内で居場所を見つけていく術に長けていました≫という知人の証言を掲載しているのですが、猿之助さんもまた居場所づくりのために利用されてしまったのではないかという見立てもできるかもしれません」(芸能メディア編集者)
Mは4年ほど前から、猿之助が携わる舞台に出演するようになり、メインに起用されることも。近年の仕事は「基本的に“猿之助さん絡み”と言っていい」(前・同)ようだ。
「M氏のこれまでの出演歴を見ても、猿之助さんと知り合ってから、一気に仕事が増えている印象です。『スーパー歌舞伎II 新版オグリ』(2019年)や歌舞伎座三月大歌舞伎『新・三国志 関羽篇』(2022年)、また『猿之助と愉快な仲間たち』(2022年~)シリーズには第一回公演から参加しています。
特筆すべきは、M氏だけでなく、M氏の父親もまた、昨今、猿之助さん関連の舞台に多数出演している点。M氏の父親は1970~80年代、テレビや映画界で活躍した俳優なのですが、公式サイトを見ると、昨年から今年にかけてだけでも、猿之助さんの携わる舞台に7作も参加しているんです。M氏と父親が共演する機会もあり、M氏のインスタグラムには、衣装を身にまとった父子のツーショットも投稿されています」(前・同)
猿之助とMが出会ったきっかけは、猿之助と父親の共演という報道もあったが、「M氏は父ともども猿之助さんから特別扱いを受けていたという可能性もある」(前・同)という。
「もちろん猿之助さんが、M氏との関係を抜きに、父親の実力を買って起用していたとも考えられるだけに、断言はできませんが……少なくとも、M氏父子が、猿之助さんの“お世話になっていた”というのは間違いない。
そういった家族ぐるみの関係性があるにもかかわらず、『文春』の直撃に対し、あんなにも冷たい受け答えをするとは、猿之助さんファンの心証は悪いはず。M氏のインスタグラムには、事件後、応援のメッセージが寄せられていましたが、こういった言葉も、M氏にとっては煩わしいものでしかなかったのでしょうか」(前・同)
猿之助は、Mの≪関係ありませんね≫という言葉を、今どのように受け止めているのだろうか――。
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21:777
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2023/06/08 (Thu) 16:18:35
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【俺は特別な存在だ】市川猿之助、顕著になっていった公私混同 人気俳優との共演計画は頓挫
6/8
https://news.yahoo.co.jp/articles/8d3924611394948cf5efc45a67d6ac7e7a27bcd9
《本日初日》──東京・歌舞伎座で、そう書かれた大きな赤い垂れ幕が、強風に打ち叩かれていた。6月3日に開幕した「六月大歌舞伎」。多くの歌舞伎ファンが足を運ぶのは、市川猿之助(47才)の“一家心中”騒動後、初めて迎えた主演舞台だったからだろう。
「もちろん代役ですが、かえって注目を浴びました。猿之助さんは現在、メンタル治療を専門とする病院に入院し、外出せずに籠もる日々だといいます。精神的な不調を訴え、うしろ向きの発言も見られるため、万が一があってはならないと、常時動向を見守られています」(捜査関係者)
6月3日、歌舞伎興行を担う松竹は次のように発表した。
《市川猿之助につきましては、今なお当局による対応が続いており、(中略)6月公演に引き続き、その後の出演も困難と判断し、10月までの下記各公演につきましても休演とさせていただきます》
事態が不透明な中での苦肉の対応だ。歌舞伎関係者は疑問を口にする。
「無期限休演とせず、復帰含みであることはどうなんでしょう。仮に罪に問われなかったとしても、歌舞伎の大名跡を名乗った市川段四郎さん(享年76)を失う事態を招いた猿之助さんの復帰へのハードルは低くありません。今後の澤瀉屋のことを考えるなら、司法の判断に移る前に、『市川猿之助』の名跡をどうするか、本人に決断していただきたい……」
6月中旬公開予定の出演映画は公開延期になり、7月の監修舞台や写真展も中止された。そんななかで人知れず、未発表だった大型舞台の計画も暗礁に乗り上げたという。
「猿之助さんが最近熱を上げていた、美しい顔立ちでスタイル抜群の俳優Xさんとの舞台共演が水面下で計画されていました。猿之助さんのたっての希望で、“ダブル主演”になる予定だったそうです」(芸能関係者)
「自分は特別。何をしても許される」
猿之助は、歌舞伎の名門「澤瀉屋」のリーダーとして演目の決定からキャスティングに至るまで、絶大な力を持ってきた。古典歌舞伎だけにとどまらず、新作歌舞伎や現代劇まで自ら興行を仕掛けられたので、影響力は一門内のみならず、現代劇の俳優や裏方スタッフにまで及んだ。手を握られる。キスをされる。下半身を弄ばれる。ベッドに誘われる──本誌『女性セブン』は猿之助の「濃厚セクハラ」の実態を報じてきた。澤瀉屋関係者が言う。
「猿之助さんが持つほうぼうへの影響力は絶大です。これまでにも、猿之助さんの不興を買って役を奪われたり、楽屋にさえ入れてもらえなくなったり、地方興行ばかりに回されたりした人がいました。自分が“明日仕事を失うかもしれない”“拒否したらクビになる”と思うと、その恐怖心に支配されて拒絶することができないんです」
有力門閥の御曹司に生まれれば、それだけで多くの弟子や裏方を従える存在になる。
「かつて、猿之助さんは一門の弟子に向かって“弟子なんか家畜だからな! お前らは家畜だよ!”と言い放ったことがありました。弟子とはいえ、10才も20才も年上の人もいます。いくら一門の大黒柱でも、あまりの物言いに唖然としました」(劇場関係者)
古くから猿之助を知る後援会関係者が明かす。
「まだ『亀治郎』を名乗っていた頃のことです。東京・新宿でも通な人が好んで足を運ぶ飲食店エリアの店で、居合わせた客とトラブルになったことがあったんです。警察が駆けつけるほどの騒動になり、澤瀉屋一門を中心として、周囲は火消しに奔走しました。御曹司のキャリアに傷をつけては大変だとばかりに、“誰か身代わりで出頭したらどうか”ととんでもない意見も出たようです。
それでも、猿之助自身は“どこ吹く風”だったんです。結局、金銭的な解決を図ったのか、事件になることなく処理されましたから」
一般の人ならば罰せられることでも、周囲に手厚く守られて見逃されてきた猿之助は、若い頃から周囲にたびたびこんな言い方をしてきたという。
「俺は特別な存在だ。何をしても許されるんだ」
「役」を与えてから「見返り」を求める
その意識は、2012年に「四代目猿之助」を襲名して、一層強くなっていく。
「日に日に公私混同が顕著になり、お気に入りの“優遇”が手に負えないほどになりました。最近、その恩恵をいちばん享受したのは、Aさんでした」(別の劇場関係者)
自宅で倒れていた猿之助は、付き人兼俳優の40代のA氏へのメッセージを書き残すほど、心を寄せていた。猿之助と出会う前、A氏は歌舞伎座の大道具のアルバイト。猿之助と急速に距離を縮めたのは2019年頃で、猿之助が演出を手掛けたスーパー歌舞伎に、A氏は、もともと歌手・俳優として活動していた父親とともに出演した。
「昨年は猿之助さんが立ち上げた演劇プロジェクトの公演で主役級に抜擢されました。ただ、お世辞にもAさんは演技力があるとは言えません。ちょっと前まで大道具のアルバイトだったAさんが、猿之助さんとの距離が近づくやいなや主役を射止めたんですから、周囲は眉をひそめますよ。
Aさんはもともと猿之助さんと密接な関係ではなく、ほかの有力俳優さんたちとも親しくつきあっていた。それでも、猿之助さんに役を与えられ、おまけに父親にまで出番をもらったので、“見返りとしての関係を断るに断れない”というところだったようです」(前出・別の劇場関係者)
こんなこともあった。猿之助が何度も再演する人気演目で、初期から出演していたメインキャストが、不可解なタイミングで途中降板するという出来事があった。
「テレビドラマでも活躍するバイプレーヤーです。猿之助さんはその俳優に興味を持ち、自分の舞台でいい役を与えた。それで猿之助さんは、プライベートでも自分の言うことを聞くだろうと思ったのでしょうが、その俳優は猿之助さんになびかなかった。降板の理由は、猿之助さんの誘いを拒否したことによる『更迭』だともっぱら言われています」(前出・澤瀉屋関係者)
「猿之助さんの態度は、相手の格によってコロコロ変わる」と話すのは、猿之助をよく知る歌舞伎評論家だ。
「弟子や裏方スタッフ、無名の俳優たちには絶対的に強気ですが、歌舞伎の御曹司たちや現代劇の有名俳優には、“優しくて陽気で無邪気な一面”しか見せなかった。本当は、人からどう見られるのかを極端に気にする繊細な人です。だから、猿之助さんを心から慕う実力派俳優は少なくなかったんです。そんな中でも、人気上昇中の俳優Xさんは猿之助さんの“お気に入りのひとり”だと界隈では知られていました」
猿之助はX氏に、自分とペアルックの洋服や小物、あるときは高価な装飾品まで買い与えたという。
「それだけXさんに、恋慕に似た気持ちを持っていたということです。猿之助さんはXさんに、自分がプロデュースする東京の大きな劇場での舞台の主演を提案し、実際に製作に動き出したところで、“一家心中”の騒動が起きたんです。猿之助さんはその共演によって、さらに関係を深めようとしていたのでしょう。しかし、Xさんはそこまで猿之助さんに“義理”もないので、すでに舞台は頓挫しているそうです」(前出・歌舞伎評論家)
倒れた猿之助が発見されたあの日、何があったかは、警察の手によっていずれ解明されるだろう。だが、歌舞伎がこれからも長く日本で、そして世界で愛されるために、まっすぐに向き合い、調査し、検証すべきことがあるのではないだろうか。
※女性セブン2023年6月22日号
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2023/06/27 (Tue) 13:24:14
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市川猿之助心中事件で逮捕、その日何があったのか
2023.06.27
https://www.thutmosev.com/archives/28238.html
当日の自宅周辺のようす
画像引用:https://dot.asahi.com/dot/2023051800090.html?page=2 「市川猿之助」一家に何があったのか 近隣住民と歌舞伎関係者が見ていた「家族の内情」(2_2)〈dot.〉 _ AERA dot. (アエラドット)
関連動画が記事下にあります
端役俳優から歌舞伎界トップに上り詰めた
大手メディアはそれまで持ち上げていた人をある日を境に手のひらを返す事があり、歌舞伎役者の市川猿之助がまさにそうなっています
現市川猿之助こと亀治郎は歌舞伎では傍流でドラマの端役などをしていたが、2007年のNHK大河「風林火山」の武田信玄役が当たり役になり一躍トップ俳優になった
するとそれまで下っ端俳優だったのが一流俳優扱いになり四代目市川猿之助を襲名してからは人気俳優より上の扱いで、ドラマ以外のテレビ出演では他の芸能人より尊大な態度が目立つようになった
この頃周囲には「おれは歌舞伎俳優だから何をやっても許されるんだ」とうそぶいていて、急速に浮世離れしていきました
歌舞伎界を代表する人物、さらには日本の芸能界を代表する名俳優という地位に上り詰めたが内情はまったく異なっていたと報道されています
23年5月18日に両親とともに自宅で倒れているのをマネージャーが発見し、この時からマスコミの呼び名は「市川猿之助」で呼び捨てになり「さん」は削り取られた
6月27日に警視庁が逮捕状を取ったのが伝わるとその瞬間から呼び名は「市川猿之助容疑者」になり、おそらく本名の喜熨斗孝彦(きのし たかひこ)に変わるでしょう
5月18日の発見時に救急隊がかけつけたが母親はすでになくなっていて父親は搬送先の病院でなくなり、本人は意識がある状態で救助された
また両親は寝室で横になった状態で発見されたが猿之助がかぶせた布団とビニールがかけてあり、本人は地下室で倒れていたという
報道によると警視庁の取り調べに猿之助は薬を用意するなどして母親がしのうとするのを手伝ったと話していて、ほう助罪で逮捕される
取り調べには当初「死んで生まれ変わろうと家族で話し合い、両親が睡眠薬を飲んだ」と話していて、その後自分が薬を用意したと供述したようです
警視庁は父親の市川段四郎さん(76)と母親の延子さん(75)はいずれも向精神薬中毒とみられると発表しているので、これを猿之助が用意した事になります
猿之助は一家が発見される前夜に3人で家族会議を開き、「自分が用意した薬を約10錠、自ら飲んだ」と説明しています
偽装工作か偶然か
報道によると向精神薬はフルニトラゼパムで専門家によると「不眠症の最後の切り札で効き目が強く、大量に飲むと呼吸困難になりさらに大量に飲むと致命的」とされています
これだけで両親2人ともなくなるには各自が300錠以上飲む必要があり、猿之助が話す10錠ではぐっすり眠る程度の効果しかありません
この為警視庁は供述した以外のものも同時に服用した可能性があると見て、内容物などの鑑定を続けている
猿之助は両親の顔にかぶせてあったビニール袋を、なくなったのを確認後に外し薬のパッケージは近所のゴミ箱に捨てて警察が回収する前に収集車が回収していった
報道によると警視庁は薬とビニール袋を用意したのは猿之助だったので、刑法第202条のほう助罪が成立するとみて逮捕に踏み切った
両親に毛布をかけたりゴミ捨てをした猿之助は地下室で薬を飲んだが、両親が飲んだ量とはかけ離れていて偽装工作の疑いも持たれている
好意的に考えると両親がほとんど使い切ってしまったので「猿之助の分」は残っておらず、両親は息子が後追いしないようそうしたのかも知れません
だが警視庁はそもそも家族会議で合意したというのも猿之助の供述にすぎず、薬を用意したりビニール袋をかぶせたり外すなど不自然な行動に注目している
両親がなくなった後もすぐ救急車を呼ぶわけではなく冷静にゴミを捨てたりした後で”少量の”薬を飲んだのは不自然だと考えているようです
一家が5月17日夜に家族会議を開いたのは週刊誌『女性セブン』のインタビュー後にパワハラ告発記事が掲載されると知ったからで、報道を恐れて話し合った
実際にはセブンの報道は猿之助が恐れたほどの物ではなく「過激なゴシップ記事」だったが、取材した時点では刑事事件に発展するような内容もあったという(おそらく週刊誌は自粛した)
また猿之助の遺書らしきメモには「愛するM。あの世で会おう」などと書かれていて男性俳優の名前がネット上では流布されています
歌舞伎界ではこの手の事は日常茶飯事なので猿之助一家がショックを受けるとは思えないが、パワハラ報道の方は最近話題になったジャニーズ騒動と共通し告訴される恐れもあったと言われています
料理のインタビューだが周囲が腫れ物に触るように緊張しているのは伝わってくる
https://www.youtube.com/watch?v=ufw4H8q6KZU
https://www.thutmosev.com/archives/28238.html
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2023/07/08 (Sat) 12:29:11
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市川猿之助容疑者の男性へのセクハラ報道を「信じられない」…口説かれた女優が心情吐露
7/8(土) 9:06配信
日刊ゲンダイDIGITAL
母親の自殺ほう助容疑で逮捕された人気歌舞伎俳優の市川猿之助容疑者(47)は一家心中を図ったことについて、「(自身の)セクハラ・パワハラ疑惑が報道されることを知り、死んで生まれ変わろうと家族で話した」と話しているという。一家心中を図った当日に発売された「女性セブン」が報じたのは、キスや猿之助との入浴の強要、体を弄んだり、ベッドに誘われるといった男性へのセクハラ行為だった。猿之助が逮捕された今、一連の事件に衝撃を受けている女優がいるという。
超肉食同士は食い合わない?蒼井優が唯一落とせなかった男
「猿之助さんが市川亀治郎時代に、しつこく交際を迫られていた女優のA子は、『彼が男性にセクハラを働いたことが信じられない』と驚いてますよ」と話すのは、A子の女友だちのCさん。Cさんが語るA子は、2000年代後半に市川亀治郎時代の猿之助とドラマで共演している。2人の関係は表面化しなかったが、業界関係者の間では噂になっていた。
「確かに噂はありましたが、デート現場を撮られるどころか、目撃情報すらなくニュースになりませんでした」(芸能プロダクション関係者)
前出のCさんは「ドラマで共演後に、猿之助さんから食事の誘いが頻繁にあったんです、でも、A子はドラマ現場での彼の傲岸不遜な態度を嫌っていた。それに、付き合う女性とは『結婚しない』と公言していたり、あまりいい噂を聞かなかったために付き合わなかった。そのしつこさには参ったと言っていました」と言う。
「思い出したくもない猿之助さんの報道に、彼女はとても驚いてました」(Cさん)
猿之助容疑者は亀治郎時代の08年にNHKドラマ「七瀬ふたたび」で共演した蓮佛美沙子(32)や、2010年のNHK大河ドラマ「龍馬伝」で共演し、その1年後に舞台「その妹」で共演した蒼井優(37)との熱愛が噂されたことがあったが、A子さんと同様、熱愛現場や目撃情報もなかったことから表面化しなかった。
■銀座のクラブではホステスを口説く姿が
「猿之助さんが女性が苦手という話は聞いたことがありません。むしろ、クラブではホステスを積極的に口説いてましたから」(銀座8丁目のクラブ関係者)
昨年の夏、猿之助の従兄で俳優兼歌舞伎役者の香川照之(57)は、銀座8丁目の高級クラブでホステスに対するセクハラ行為を働いていたことを「週刊新潮」に報じられ、CMや番組を降板し地上波から姿を消している。
「香川はセクハラ相手の女性に慰謝料を払いましたが、香川にセットした髪を掴まれ、髪形を崩されたチーママには謝罪していない。チーママはこの件で店を辞めているんですが、彼女はいまだに納得がいかないようで、彼女の中で香川のセクハラ事件はまだ終わっていないといいます」と前出のクラブ関係者は言う。
「その点、猿之助の遊び方はきれいでした」
こう話す銀座の某クラブのオーナーは、「猿之助を銀座の裏通りにある有名店『Ⅿ』で見かけました、この店は、お客同士が顔を合わさない作りになっていて、芸能人には好都合な店なんです。猿之助は友人とやって来て、隣についたホステスを口説いていたと店のスタッフから聞いていましたから、今回の件は本当に信じられませんでした」と話す。
これまでの女性関係を見る限り、週刊誌の記事は否定すれば済むような話に思えなくもないだろう。この記事を理由に両親を巻き込んで自殺を選択したことはいまだに信じがたい。謎は深まるばかりだ。
(本多圭/芸能ジャーナリスト)
https://news.yahoo.co.jp/articles/0ea77f051b918bb0430b7405785ab79582f1b5ef