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【老後生活】団塊世代の老後生活、思い描いた未来とは違う!予想外の悲惨さ

1:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/05/02 (Tue) 12:03:29

【老後生活】団塊世代の老後生活、思い描いた未来とは違う!予想外の悲惨さ 01
2023/01/03
https://www.youtube.com/watch?v=qJuKtQKzxiU

2025年に後期高齢者となる団塊の世代ですが、
彼らはどのような老後を思い描き、その時を
迎えるのでしょうか。
団塊の世代長引く不況の日本社会で、一体
どのような老後生活を送っているのでしょうか?
今回は、団塊の世代の老後生活の実態と、
彼らが現役50代の時に思い描いていた理想像も
ご紹介します。


00:17 はじめに
01:05 そもそも団塊の世代とは?
03:38 2025年問題とは?
05:37 団塊の世代が経験してきた給与の推移
07:56 団塊の世代を待ち受ける老後生活
09:55 団塊の世代が50代で予想した老後とは?
11:35 予想とは違う、団塊世代の老後は悲惨な現実


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2:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/05/02 (Tue) 12:06:15

右を向いても左を見ても老人ばかり
2023年05月02日
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12801169640.html

 老人になった私が言うのも変だが、世の中、街を歩いていて、右を向いても左を見ても、本当に老人ばかりだ。
 たまに映るテレビを見てもCMに若い人が出てくることは少ない。

 私の若い頃、街角に出ても、テレビをつけても、登場するのは若者ばかりだった。
 いつから老人が多くなり始めたかというと、たぶん今世紀にはいったあたりだろうか?

 いわゆる「人口ピラミッド」とか「人口サンドイッチ」とかいわれるグラフが、日本人全体の老齢化シフトを顕著に示している。


jinkou001

 
 1945年に太平洋戦争が終わり、5年後の1950年、私が生まれる数年前だが、このときは、日本人口の大半を30歳以下の若者が占めていた。
 8000万人口中、400万人が戦争で死んだのだが、それでも若者が多かった。戦後当時の平均寿命が60歳に満たなかったからだ。

jinnkou002


  上のグラフでは、敗戦直後1947年の男性平均寿命は50歳になっている。
 私の子供の頃の記憶では、1950年~60年代、近所の老人たちは、60歳になればヨボヨボの老人だった。全身黒ずみ、腰が曲がり、しわくちゃで生きているのがやっとという印象で、70歳代まで生きれば「長寿」であり、80歳を超えられる人は(南西諸島方面を除けば)珍しかった。

 それは、当時の労働環境があまりにも過酷だったこと。朝鮮戦争特需でヒロポンを打ちながら不眠不休で働かされた人々が、疲れ果てて若死にしていたのだ。
 それから、戦後労働運動の昂揚から人権意識が高まり、労働条件が改善されてゆくことで「過労死」する人が激減していった。

 また、戦後は、米軍が街頭で手当たり次第DDTを噴霧しまくったり、空から無差別農薬散布が行われて、井戸に混入した殺虫剤で腎不全を起こして真っ黒になって死ぬ人が多かった。有機リン系農薬使用や空中散布が行われなくなって、平均寿命が伸びたのだ。
 また私の小学生時代の結核集団X線検診では、一撮影あたり30ミリシーベルトという間接撮影被曝が731部隊残党の厚生省と「集団検診協会」によって強制的に行われ、この被曝で数十年後に乳癌や肺癌を発症する人も多かった。

 我が実家も、石炭殻のヒ素で井戸水が汚染されていたことが、最近になって分かった。
 とにかく、当時は戦争中の習慣で人権意識が希薄だったこと、知識がないまま化学製品がまん延したことなどで、社会には危険な毒物が満ちていた。

 1950年といえば、ちょうど第一次ベビーブームの直後であり、団塊世代が人口ピラミッドの巨大な底辺にいた。
 私も団塊世代の終わりあたりなのだが、1956年当時、小学校に入学した人は、一学級に60人いることも珍しくなかった。私の時代は、45~50人だった。
 当時は、椅子や机が不足することもあり、また教室が不足して、階段や特別室での授業もあった。

 私が小学校に入ったとき伊勢湾台風があって、避難民が学校を占拠したので、子供達は階段で授業を受けた。代替施設など存在しなかった。あらゆるものが不足した時代だった。
 その当時の、人口最多年齢層が、現在、後期高齢者と呼ばれる終末期にさしかかっていて、まだ人口ピラミッドの核心をなしている。
 そして、日本人全体の死亡率を上げることに貢献している。新型コロナワクチンによる統計予測を超える過剰死が、この世代も直撃しているため、ワクチン副作用死の実態が見えにくくなっているのは、たぶん計画的なものだろう。
 
 【老後生活】団塊世代の老後生活、思い描いた未来とは違う!予想外の悲惨さ1
https://www.youtube.com/watch?v=qJuKtQKzxiU&ab_channel=%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%82%A2%E3%83%83%E3%83%97%E3%83%8A%E3%83%93

 昔、日本が共同体社会だった時代(江戸時代まで、武家階級を除けば日本社会は五人組を単位とする共同体社会だった)、死にゆく老人たちには、大きな役割があった。
 それは、子供達に、自分の体験した知識を与えるとともに、自分の死に様を見せることだ。

 子供達は、自分の教育係である老人から、さまざまな生活の知恵を学ぶとともに、「愛する人が死ぬ」という現実を身近に直面し、人生観、思想哲学を無意識に身に着けていった。
 今ではどうか? 我々老人たちは、この世に登場してきた子供達に、自分の人生で得た何を教え、そして自分の死によって、子供達に死生観を学ばせることができているのか?

 今の老人たちは、資本主義=新自由主義の価値観に薫陶されて人生を過ごしたので、自分の利権にしか興味を持てない人が大半だ。
 だが、自分の人生は自分の利益のためにあるのではない。次に社会を作る子供達のためにあるという利他主義が本当の人生観なのだ。

 子供達に、自分の体験と価値観を教え渡し、自分の死を見せることで人生の意味を教えることが、我々老人の歴史的、人類史的な使命だ。
 だが、資本主義競争社会がもたらした利己主義価値観のなかで、我々老人は、その本質的な使命を見失ってしまっている。

 我々の人生は、はるか太古から連綿と受け継がれてきた社会の連鎖のなかで、生み出され、死を見せられ、教育され、仕事をし、生まれてきた子供達を教育し、自分の死を見せ、次の世代により良き人生と社会を伝えてゆく、何万年も続いてきた人間社会の川の流れのような「命の生成消滅」の一断片にすぎないのである。

 そこには、子供達の未来に奉仕するという人生以外は存在しないはずだが、今の老人たちが競争社会の価値観によって、利他主義を忘れ、自分の利権のために、子供達の未来を根底から破壊しはじめた。
 実は、この本質が、冒頭に示した、老人過多社会の意味である。

 「自分さえ良ければいい」という価値観によって日本社会は、老人ばかりの社会になった。子供達が生まれ、育ち、未来を作り出す条件を自分の利権競争のために売り飛ばしてしまったことにより、子供達が生まれず、育てることも困難な時代にしてしまった。

 だから、凄まじい老人社会がやってきた。未来などどこにも見えない。見えるのは我々老人たちの死ばかりだ。
 やがて屍を始末する若者たちもいなくなるだろう。日本社会は、片付ける者もない腐乱死体が路傍に点在するような、終末社会に向かっている。
 それが子供達を大切にしなかったツケというものだ。

 我々は、子供達のために放射能汚染や化学汚染のない世界を用意してやらねばならなかった。
 巨大地震の起きる日本列島に、絶対に原発など作ってはならなかった。
 化学製品や工業製品で、面白く、楽をできる社会などではなく、汗水垂らして、みんなが筋肉を喜ばせるような社会を作らねばならなかった。

 贅沢浪費文明ではなく、健康で毒物のない、笑顔に満ちた社会を作らねばならなかった。
 車ではなく、徒歩や自転車で移動するインフラを作らねばならなかった。
 自分だけ特権階級として君臨することを自慢するような愚かな人間性を作ってはならなかった。

 我々老人には、死だけが待ち構えている。だが、人生を利己主義で過ごした者に、人生の満足は存在しない。
 子供達に、自分の生き様、死に様を見せられないような人生に、どんな価値があるというのだろう。
 死に際して自分の人生に満足できるのは、ただ利他の価値観で生き抜いてきたことだけなのだ。

 利己主義の価値観で生きてきた人生は、それ自体が残酷なカルマであり、次の人生もまた、利己主義の残酷を体現するものになるのだろう。
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12801169640.html

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