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1:保守や右翼には馬鹿しかいない
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2023/04/27 (Thu) 08:40:04
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【ゆっくり解説】ベテラン登山家が脱落した学生登山者を置き去りした結果、全員死亡「2009年 北アルプス鳴沢岳遭難」
2023/04/25
https://www.youtube.com/watch?v=HAhws2Xgmg8
今回は、山岳部に所属していた学生2人と、コーチ役を担っていたベテランの男性1人、計3人が悪天候に見舞われて、登山中に疲労凍死!2009年に起きた『北アルプス鳴沢岳遭難事故』を紹介していくぜ。
20歳女子大生が雪山で置き去りにされ凍死!?ベテラン登山家の油断・慢心・判断ミスが招いた最悪の結果→隊は分裂みんなバラバラの位置で凍死した2009年鳴沢岳遭難事故について徹底解説!【ゆっくり解説】
2023/04/14
https://www.youtube.com/watch?v=kAwSgQ_3jaQ&t=12s
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北アルプスの府立大山岳部遭難:続報
北アルプスの府立大山岳部遭難:ベテランの死「どうして」 /京都
https://tozansupport.blog.fc2.com/blog-entry-701.html
◇山岳部3人死亡、学長「極めて残念」
府立大(左京区)山岳部の男女3人が北アルプス後立山連峰・鳴沢岳(標高2641メートル)で遭難した事故で、同大学は28日、断続的に記者会見を開いた。3人死亡の報に、竹葉剛学長は「極めて残念、非常に無念」とコメント、3人目の遺体が見つかると、竹葉学長らは急きょ現場方面へ向い、関係者は「どうして」とベテランの遭難に違和感を示した。
死亡したのは、桜井聖悟さん(25)=生命環境科学研究科博士後期課程2年▽伊藤達夫さん(51)=同研究科助教▽安西愛さん(20)=農学部3年。安西さんは同部主将で人望があったという。
男性1人の遺体発見を受けて開かれた午前の会見には、竹葉学長や山岳部顧問の牛田一成教授が出席。牛田教授によると、伊藤さんは18歳ごろから専門誌に記録が掲載された著名な登山家。「現場周辺を庭のように分かっている」(牛田教授)という。
牛田教授は今回のルートの難易度を「悪天候を度外視すれば非常に簡単」と述べた。悪天候の予報はあったが、伊藤さんの判断で対応可能と考えたと明らかにし、遭難理由は「全体像が明らかになってから判断すること」としたうえで、気象の問題ではないかとの見方を示した。また、「悪天候でもっと下にいると思った。りょう線近くにいたとは」と首をかしげた。
桜井さんと安西さんの登山歴は5年ほどで、うち冬山の経験は2年。2人について「このレベルの山登りはやっている」と述べた。【朝日弘行】
徐々に、登山経過が判ってきているようですが、不明点・疑問点の払拭には至っていません。
引き続き、経過などを調査したいと思います。
個人的に、どうしても納得がいかないのです。(汗)
一体何が起きたのか???
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2010/11/30
「平成21年4月 北アルプス鳴沢岳遭難事故調査報告書」
事故報告書
https://tamasaka.typepad.jp/tama/2010/11/%E5%B9%B3%E6%88%90%EF%BC%92%EF%BC%91%E5%B9%B4%EF%BC%94%E6%9C%88-%E5%8C%97%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%97%E3%82%B9%E9%B3%B4%E6%B2%A2%E5%B2%B3%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E6%95%85%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8.html
昨年4月。トップクライマーでもあり、冬の黒部に精通した伊藤達夫氏と2人の学生が亡くなった遭難のニュースは衝撃的だった。報告書を読むと、なんともやり切れずとても暗い気持ちになる。何よりも若い学生が2人も亡くなっていること。それがとてもつらい。うちの倶楽部も学生で入会してきた若い衆が多いので他人事とは思えないから。
伊藤達夫氏がこれまでにどれだけ凄い登攀をしてきたかはこの際関係がない。ただ、気象判断を誤り、パーティーをまとめることなく1人先行し、パーティーが窮地に追い込まれた時に保護責任者としてのリーダーの仕事を放棄した。リーダーとして、あまりにも呆れた行動。要するに優れたクライマーではあっても、リーダーとしては失格だったということだ。しかも、遭難の1年前にも今回と同様の遭難騒ぎを起こしているという事実は致命的だ。その時に徹底的に追求・議論していれば或いは…。関係者の取り返しのつかない悔しさが伝わってくる。
事故の原因と経過は、我々の想像とは全く違ったものだった。これは単なる気象遭難ではない。身勝手なリーダーによる人災とも言える。圧倒的な経験値の差は、パートナーシップなど生れるべくもない(これは我々の持論)。4月とは思えないほどの悪天の下、引き返すこともせずリーダーは先行し、パーティーはいつしかバラバラに。ひたすら追従するしか選択肢がなかった状況のなかで、ザックを背負ったまま力尽きるように倒れ絶命した女生徒の様には胸が締め付けられる思いだ。共同装備のテントとスコップは彼女が持っている為に、休む間も惜しみ「なんとか追い着かなくては…」という強い責任感があったのだろう。男子学生も人知れず滑落死亡。先行したリーダーは遅れる2人の様子を見に戻った形跡もなく、1人雪洞を掘り食事をとった後に疲労凍死した。
登山の常識では考えられないような不可解な行動にはまず驚いたが、この事実、この報告書を発表する勇気にとても感心した。これまでに読んだものの中では最も良くできているとさえ思う。昨今の相次ぐツアー登山の事故やプロガイドによる事故、リーダーの責任とパートナーシップの欠如という点で通じるところがあり、考えさせられる内容になっている。
遭難死亡事故報告書は、ともすれば当事者の家族や保険のことなども考えてしまい、書きにくいことは避けて本当のこと(不都合なこと)を隠して当たり障りのないものに仕上げてしまいがちだが、本書ではすべてを洗い出し、一つ一つの証拠・事実を慎重に探るように調査してあり、とても誠実さを感じた。第三者を招いて議論を繰り返した結果を考察し、事故の背景にあるものを書き出している点もいい。リーダーのパーソナリティーにまで踏み込み、偏見があってイカン!と批判する人もいるようだが、府立大山岳部内では伊藤氏に対してあまり快く思っていない人も多かったのも事実のようだ。『危ない登山者』というのは、まわりが見えない一直線な人に多い。伊藤氏もこういうタイプの人だったのか。(ランディー君も気を付けるべし。)
近年の冬の黒部での京都府立大学山岳部の活躍ぶりはある意味異常で、衰退著しい他大学と比べ、かなりの違和感があった。記録は伊藤達夫氏の力によるものであることは学生もOBもよくわかっていたはずなのに、慢性的に持ちつ持たれつで危険な関係を続けていたところにも問題がある。本書は、『山は自分の力で登るものだ』ということを改めて教えてくれる。計画に始まり~無事に帰ってくるまで、すべて自分(たち)で判断し自分(たち)で獲得するものだ。先輩やコーチ、プロガイドに連れていってもらっても、それは本当に登ったことにはならないし、かえって危険な状況に陥る場合もあるということだ。
そんなに困難な山でなくてもいい。『マイ・アルピニズム』こそが大事なのだ。
報告書からは、本書をより多くの登山者に読んでもらい、このような過ちを2度と起こしてはいけないという願いと、ようやく本来の学生主体の山岳部を再建していくんだ、という強い決意がよく伝わってきます。
がんばれ若者たち! がんばれ、京都府立大学山岳部!
亡くなられた三人の岳人のご冥福をお祈りします。
付記: この報告書をめぐっては京都労山が謝罪・訂正を要求しているらしい。京都労山も府立大も、伊藤氏から見れば身内であるしオカシな話だ。しかも、1年かけてしっかり調査・検討した本書と比べて、反論の内容もおそまつ。
また、雑誌『岳人』№759の編集後記の(山)氏によって書かれた、切って捨てるような乱暴な言葉には嫌悪感を覚えた。しかも匿名というのが卑怯だ。編集者としてバランスを欠いたヒステリックな批判文はいかがなものかと思う。
いずれも身内として伊藤氏を擁護したい気持ちはわかるが、2人の生徒が亡くなっているという重い現実を忘れないでほしいと思う。だけど、こういったリアクションがあることは改めて多くの人の関心を集める結果にもなるし、この遭難を風化させないためにはかえっていいことなのかもしれない。
PS; 冬の黒部での登攀にこだわり続けたクライマー・伊藤達夫氏に関する本を、手持ちの中から発行された順に紹介します。
『彼ら「挑戦者」 新進クライマー列伝』大蔵喜福 (1997/東京新聞出版局)
雑誌『岳人』№559~586の24回に亘り連載された、気鋭のクライマーを紹介した企画を単行本化したもの。
雑誌『RUN OUT 3号』 (1999/非売品)
“Giri-Giri Boys”の馬目弘仁氏が中心になり発行していた幻のフリーペーパー。伊藤氏のロングインタビューは他にはないので貴重。この号での伊藤氏の発言は、次の4号でクライミングスタイルをめぐる「ボルトラダー・残置・デポ」の問題について論争になった。
『黒部別山- 積雪期』黒部の衆 (2005/私家本)
黒部の怪人・和田城志氏と並んで多い10編の登攀記録を収録。重厚な記録が詰まった大冊です。出版記念パーティーでお会いした氏は、無口な芸術家のようでした。
『登山・登攀半世紀の記録』京都府立大学山岳会 (2007/非売品)
アイアンマン・京都府立大ルートなど夏の開拓も含めて11編の登攀記録を収録。
『伊藤達夫 冬の黒部記録集』京都勤労者山岳連盟 (2010/私家本)
1987年~2000年にかけて京都左京勤労者山岳会の機関誌『ルンゼ』に寄せられた登攀記録から、積雪期の15編を再録した遺稿・追悼集。巻頭のカラー写真集が新鮮。絶頂期の記録がこれでもかと並ぶのは圧巻です。コピーを製本した一見簡素な作りだが、それが同じ仲間の目線で読むことができるようで温かく、また初出オリジナルの形で読むことができるのでとても貴重な資料にもなっている。
冬も夏も思想も含めたトータルな形で伊藤達夫氏の全体像が読んでみたい…、というのが自分も含めたファンの気持ちだ。黒部の研究もほぼ完成しているとも聞く。それが形になるのが墓標となる遺稿・追悼集というのは悲しいけど、京都府立大学と京都労山が協力し合って1冊、ものにできたならば、その時こそ伊藤氏も浮かばれるのではないだろうか、と思うのだが…。
https://tamasaka.typepad.jp/tama/2010/11/%E5%B9%B3%E6%88%90%EF%BC%92%EF%BC%91%E5%B9%B4%EF%BC%94%E6%9C%88-%E5%8C%97%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%97%E3%82%B9%E9%B3%B4%E6%B2%A2%E5%B2%B3%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E6%95%85%E8%AA%BF%E6%9F%BB%E5%A0%B1%E5%91%8A%E6%9B%B8.html
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平成22/鳴沢岳遭難事故調査委員会・京都府立大学山岳会
鳴沢岳西尾根計画 出発までの背景
文責:藤井良太
https://kpuaa.jimdofree.com/%E7%99%BB%E5%B1%B1-%E7%99%BB%E6%94%80%E3%81%AE%E8%A8%98%E9%8C%B2/%E9%81%AD%E9%9B%A3%E4%BA%8B%E6%95%85/
2009 年度、京都府立大学山岳部は3回生になった安西愛を主将とした新しい体制で、GW に残雪期の雪山登山を企画することとなった。登山対象とするのは剱岳周辺であり、計画を新入生の参加状況に
よって場合分けして考えていた。同時に、4月上旬~5 月は新入生を勧誘する時期であり、クライミング
やハイキングなどの新歓活動を行い、三名の新人が入部した。安西自身は、月曜日の講義がないため土
日月の週休 3 日を利用して、フリークライミングや沢登りなど個人の登山も活発に行っていた。主将を
交代した(実際に交代したのは 1 月末日)4 回生の藤井は 4 月 1 日から休学しており部会以外では大学
に来ていなかった。GW 合宿の計画は、昨年同様、内蔵助平周辺で行うことに決まりそうで、安西はリ
ーダーとして牛田山岳部顧問や伊藤先生(山岳部コーチ:京都てつじん山の会所属)に相談していた。
伊藤先生は、GW 合宿にも参加する一方で、その前の週末で鳴沢岳の残雪期山行を計画していた。2008
年度にも同じ、気候の落ち着く時期(2008 年 4 月 25~27 日)に蓮華岳丸石尾根を櫻井(山岳部所属)お
よび京都てつじん山の会のメンバーと登っていた(この時は初日の午後の天候が悪かったが、翌日は晴
れた。しかしメンバーのペースが遅かったため、新越尾根下降の予定を止め、屏風尾根のエスケープを
使い、午後三時過ぎごろに下山していた)。この時の計画段階では、2008 年 4 月 15 日付で伊藤先生から
中島、加藤、藤井、安西、嘉門、高岸へ、「テントと車に 1 名分の余裕がある(から参加しないか)」と
の誘いのメールが入っていたが、現役部員は GW 合宿を控えていたため誰も参加しなかった。
今回も、昨年と同様に伊藤先生が櫻井を誘って計画したものに安西を誘ったものと思われる。今年の
場合は現役部員にメールとしての誘いはなく、伊藤から安西を経て伝えられたものだった。最終的には、
伊藤からも安西からも山行計画が現役および OB にメールで流されることはなかった。
伊藤先生の企画するこの形態は、部員だけの計画とは少し異なり、伊藤の既成の計画に希望者が参加
させてもらうという形をとるため、どうしても部員の主体性に欠ける。今回、鳴沢岳西尾根計画に関し
て、部会で重点を置いて話されることはなかった。
2009 年の 4 月は全般的に高気圧に覆われ、期間の中ごろに少し崩れたが、あとはおおむね晴天が続い
た。藤井は 4 月 17~20 日で OB の中村氏と 3 月から計画していた北鎌尾根山行を行っていた。その週末
以前もほとんどが晴れで、北鎌尾根でも標高の低いところではほとんど雪は溶けていた。昨年の GW 前
に信濃大町駅前に残っていた雪は、今年の 4 月 16 日の時点で全くなかった。気温も高く、5 月中ごろの
陽気が続いていた。そういった中で、4 月も終わりの 23 日ごろ中国東南部で発生した低気圧が日本に接
近し、26 日に二つ玉になることが予想されていた。二つ玉低気圧による風雪を予想しながら、(どの程度
まで想定されていたかはわからないが、)伊藤先生の判断のもと、3 人は 24 日の夜に扇沢に向かった。
出発までの経緯
4 月 7 日(火)
・部会(GWの計画を話しあう今年度初めてのミーティング)。
参加者;藤井、安西、竹中、薮内、栗原、横山、岡本(岡本はこの時点で退部)
山域を内蔵助平~剱岳周辺に絞り、上回生もだいたいの参加者(安西・竹中・横山・小阪)が決まる。
伊藤先生・牛田顧問も GW は参加予定。藤井は必要があれば参加すると言っていたが決めていなかった。
・この時点で鳴沢岳計画は出ていない。
4 月 9 日(木)
・安西→竹中(メール 10:31)
「伊藤先生に 25-26 の鳴沢岳にこやんか(来ないか)?って言われたんやけど行く?」
これ以前に安西は伊藤先生に鳴沢岳に誘われたことが分かる。
この安西からの計画への誘いに対し、竹中は授業や実行委員の仕事で断っている。【竹中の証言】
・安西、薮内、竹中、中村、藤井がクラックスにて新歓クライミング。
藤井は、安西から「伊藤先生に鳴沢岳西尾根に誘われて、行きたいが、GW の準備のためにおそらく行
かないだろう」という旨の話を聞く【藤井の記憶】。安西はこの時点では鳴沢岳計画にまだ参加を決定し
ていなかった。
4 月 11 日(土)
安西、竹中、薮内、中村、藤井で愛宕山に新歓ハイキング。
4 月 15 日(水)
・部会 参加;竹中、栗原、薮内、横山、中村、河村、石川。 安西は遅れて参加。
・鳴沢岳計画の話は出てきていない。
・部会後、京都学生登山交流会(山岳団体の交流会)に安西・竹中・河村が参加。藤井も遅れて参加。
この交流会で山行計画発表をする。安西が府大山岳部の山行計画を発表したが、内容は主に GW 合宿
の計画についてで、鳴沢岳計画は出てきていない。
・交流会後の部室で。話の中で、藤井は安西から「伊藤先生の 4 月 25~26 日の鳴沢岳西尾根計画に参加
する」ということを聞く【藤井の記憶】。
・その後、藤井は安西と竹中に「25~26 日は GW 合宿前のテント泊山行にするべき」という趣旨の意見
をメールでするが、安西は「テント泊はもちろん行うが、鳴沢岳計画があるので、29 日の金毘羅トレ
と合わせて行うことになりそう」という趣旨の返事が来る。
4 月 17 日(金)
・櫻井のパソコンに鳴沢岳計画書が 17 日付けで保存されている。
・週末の比良山行の計画書が安西からパソコンメールで送られてくる。
4 月 16 日~21 日
藤井は OB 中村と北鎌尾根に行く。
4 月 18 日(土)
・BOX ノート(部の情報交換兼議事録用ノート)に安西が記載
「4/18 時点での今後の予定 4/25-26 鳴沢岳西尾根(伊藤、櫻井、安西)」と記載あり。
・この頃に安西が部室のホワイトボード(部の予定を記載するもの)に鳴沢計画を書く。
・竹中が部室で印刷された鳴沢岳計画書を見つける。竹中が知らないうちに計画の在京留守担当になっ
ており、安西に確認する。その後竹中は在京留守担当を承認。
4 月 19 日(日) 府立医大との合同新歓 安西と一回生と府立医大山岳部。
4 月 20 日(月) 比良・ヘク谷遡行 安西 小阪(府立医大山岳部)と。
4 月 22 日(水)
・部会で安西が「4 月 25~26 日に鳴沢岳西尾根に行きます。」という発表をする。部会で検討は行って
いない。1,2 回生の部員はこの時に計画を全員が知った。この時点で悪天の話はされていない。【部員 2
回生の証言】
・藤井は遅れて参加。ロープワーク練習後、安西はパソコン室に GW 合宿の登山届作成に向かう。
4 月 23 日
・安西が学外活動届を大学学務課に提出する。
・伊藤→安西(メール 16:29)
「山は風雪になると思います。去年の蓮華岳は次の日晴れたからよかったのですが…」【安西の携帯より】
・安西はスコップをワンゲル部から借りる。(藤井が北鎌計画で借用したままだったため)
・安西はパソコン室で週末の天気を調べる。「バイオウェザー・週間天気予想」を印刷したものがある。
26 日の二つ玉低気圧が予想されており、安西はここでも週末の悪天を知ったと思われる。
4 月 24 日
・0 時頃 修正版の計画書が保存される。【伊藤コーチのデータ】この時点で計画を修正していた。
・伊藤→櫻井・安西(メール 9:20)
「集合場所の変更 大津駅→近江八幡駅。共同装備としてコッヘルは伊藤がもっていく。午後 5 時ごろ
に荷物を車に積み込む」【安西の携帯より】 伊藤先生には出発自体を中止する考えは見られない。
・安西→藤井(メール 15:08)
「かなり天気が悪そうなので(入山は)どうなるか…、とりあえず出発だけはする予定ですが…」
・小林先生・院生方の証言(※報告書に記載する場合は小林先生に承認がいる)
夕方 18 時ごろ、F2の研究室で櫻井が小林先生・研究生と山の話をしていた。そこで櫻井は「週末
の山は天気が悪そうで行くのは嫌だなぁ」というようなことを言っていた。そこに伊藤先生が来て、
遅れて安西もザックを持ってきて三人が合流する。安西は一回生 2 人〔石川・河村〕と新町(同志社大
学)の人工壁に向かうために荷物を置いて帰る。安西が帰った後、伊藤先生は安西のザックが大きすぎ
るので何が入ってんねん」などという話をしていた。伊藤先生はその後荷物を車に積み込む。研究生
らの話では、櫻井の様子がいつもと違ったとのこと。
・18 時半ごろ 竹中が伊藤先生に呼び出される。伊藤先生は「エスケープ追加した」と言い、竹中に印
刷済みの計画書を手渡す。
・安西は一回生を連れて、新町の人工壁で他大学生(京大、同志社、府立医大)とも交流してクライミ
ングをする。その後、安西が一回生と夕食をとったが、この時、安西は「週末の天気が悪そうだから
敗退するだろう」と言っていた。
・その後、安西は 21:30 京都駅発新快速長浜行に乗り、集合場所である近江八幡駅に向かう。駅北口で
櫻井と一緒に、遅れている(なぜ遅れたか不明)伊藤車を待つ。その際、電車で乗り合わせた帰宅途中
の一回生石川と話をして時間をつぶす(鳴沢岳の話はしていない)。しばらくして伊藤先生が到着し、
少し会話をした後、石川に見送られて三人は出発した。この時に伊藤先生は一回生の石川にも鳴沢岳
に来ないかと誘ったらしい。【石川の証言】
・他の一回生やワンゲル部員も安西から誘われており、伊藤先生も難易度は高くないと考えていたよう
である
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登山者が警戒すべき二つ玉低気圧のリスクVol.1 2009年4月の鳴沢岳遭難事故の教訓
2020年03月18日
https://www.yamakei-online.com/yama-ya/detail.php?id=948
最近、よく耳にする「爆弾低気圧」という言葉。中でも「二つ玉低気圧」と呼ばれるものは、過去に大きな山岳遭難を引き起こす原因となっている。今回は、二つ玉低気圧が引き起こした、2009年4月に発生した北アルプス鳴沢岳遭難事故を取り上げる。
ヤマケイオンライン読者の皆様、山岳防災気象予報士の大矢です。冬の名残の北からの冷たい空気と、季節を春から夏に進めようとする南からの暖かい空気とが日本付近でぶつかり合う春は、「急速に発達する低気圧」――いわゆる「爆弾低気圧」が発生しやすい時期です。
その中でも日本海と南岸の低気圧が発達しながら日本付近を通過する「二つ玉低気圧」は、過去に何度も山岳遭難事故を引き起こしており、登山者にとって最も警戒すべき気象リスクの一つです。そこで、このコラム記事で数回にわたって二つ玉低気圧について解説していきたいと思います。
まず、今回はこの「二つ玉低気圧」による遭難事例として、2009年4月に発生し、3名が亡くなった北アルプス鳴沢岳遭難事故について取り上げて、その時の気象状況について解説いたします。
鳴沢岳遭難事故現場を北側から遠望する(オレンジの点が遭難者の発見位置)
出典:平成21年4月 北アルプス鳴沢岳遭難事故調査報告書/京都府立大学山岳会
全員が低体温症により遭難死――、鳴沢岳遭難事故の概要
この鳴沢岳遭難事故とはどのようなものだったのでしょうか。2010年3月末に京都府立大学山岳会から発刊された「平成21年4月 北アルプス鳴沢岳遭難事故調査報告書」の内容が掲載された、同山岳会ホームページからから引用します。
2009年4月26日、京都府立大学山岳部(以下府大山岳部)の三名のパーティーが北アルプス鳴沢岳で二つ玉低気圧による荒天のなか、全員が低体温症(疲労凍死)により遭難死するという事故が発生しました。リーダーのA氏(府大助教)は積雪期・無雪期を通してこの山域を熟知しており、二人の学生についても山岳部員として積雪期登山の経験もあり、事前に低気圧接近による悪天を予想していたにもかかわらず三名は鳴沢岳頂上への登行を続行し、風雪の鳴沢岳頂稜部でそれぞれが疲労凍死いたしました。
(以下、割愛)
私はこの報告書を京都府立大学山岳会から購入して何度も読みました。厳冬期の黒部・丸山東壁にルート開拓で活躍したベテラン登山家と、まだこれからの将来がある学生2人が亡くなるという本当に痛ましい遭難事故だと思います。現在では京都府立大学山岳会ホームページで事故報告書が公開されていますので、興味のある方はご覧ください。2つ目の資料に事故の詳細が書かれています。
この事故報告書では、ベテラン登山家であるAさんのリーダーとしての資質を問題視していますが、確かにリーダーとしての判断を誤ったことは間違いないと思います。しかし、当時の気象状況を詳細に解析しますと、山越え気流の影響によって北アルプス付近の風が台風並みに強まっており、かなり特殊な気象状況であったことが分かってきました。
詳細については次回以降で解説しますが、気象遭難の中には山越え気流の影響による強風が寄与しているケースがあり、同じ2009年の7月16日に発生したトムラウシ遭難事故も山越え気流が影響している可能性があることを発見しました。気象遭難事故防止のために、どのような条件でこのような強風が発生するのかが私の最大の研究課題となっています。
天気図で振り返る遭難当時の気象状況
遭難時の京都府立大山岳部のメンバーは、Aさん(当時51歳、山岳部コーチ)がパーティーリーダー務め、ほか2名の学生という構成でした。
パーティーは25日朝に黒部ダムに入り、鳴沢岳西尾根から鳴沢岳に登って、新越尾根を降りて26日午後に扇沢に下山する予定でした。入山3日前の22日の週間予報資料の地上天気図(下図)では、すでに25日の二つ玉低気圧、26日の強い冬型気圧配置は予想されていました。遭難事故報告書によると、少なくとも23日の時点ではメンバー全員が25日から26日は二つ玉低気圧によって悪天になることを知っていたようです。
2009年4月22日発表の、4月24日・25日・26日の予想気圧配置図
そして、遭難事故当日4/26の6時と15時の実況天気図では、週間予報天気図の予想通り、二つ玉低気圧が発達しながら本州付近を通過して、冬型気圧配置が強まっています。
注目は2つの低気圧に挟まれたエリアでは、等圧線の間隔が広く、一時的に風が弱まることです。これが二つ玉低気圧の「疑似好天」をもたらします。疑似好天は、あくまで一時的なものであり、ほどなくして以前にも増して悪天になります。
2009年4月26日6時と15時の気圧配置図。6時の時点の北アルプス付近は等圧線の間隔が広くなっているのが確認できる
事故発生時の鳴沢岳付近の気象状況の解析(気温・風)
実際に気象庁の数値予報データから当時の鳴沢岳稜線付近の気温(上)と風(下)を解析してみますと、25日は日本海の低気圧に向かって暖かい南風が入った影響で、18時には3℃以上まで上昇しています。事故報告書に残されている写真では傘をさしていることが示すように、標高の低い場所では雨でした。一方、25日の18時以降は26日昼にかけて気温は-8℃近くまで急降下します。
一方、風は25日15時に風速20m/sを超えた後、26日の6時には13m/sまで弱まっています。これが「疑似好天」です。26日6時の天気図で分かりますが、北アルプスは二つ玉低気圧の間で相対的に気圧の尾根になり、一時的に風が弱まりました。しかし、その後は急激に風が強まり風速25~30m/sの猛吹雪になりました。二つ玉低気圧がもたらすこのような気象状況の急変による遭難は、過去に何度も起きています。
2019年4月25~26日の気温と風速の様子を、気象庁データに基づき大矢にて解析
二つ玉低気圧による「疑似好天」の発生メカニズム
二つ玉低気圧によって、2つの低気圧に挟まれたエリアで一時的に天気が回復する「疑似好天」が起きるメカニズムをまとめると下図のようになります。
二つ玉低気圧による「疑似好天」のメカニズム(大矢まとめ)
まず、低気圧の中心付近で上昇気流が発生しています。空気は上昇すると冷える性質(断熱膨張冷却と言います)を持っているため、冷えて水蒸気が凝結して雲ができます。上昇する空気だけでは低気圧の中心付近の地上では空気が無くなって真空になってしまうので、低気圧から離れた場所では必ず下降気流が発生しています。
2つの低気圧の間では、両方の低気圧による下降気流が発生します。空気は下降すると温まる性質(断熱圧縮昇温と言います)を持っているため、今度は空気が温まって雲粒は蒸発して雲が消えます。
さらに2つの低気圧の間では、それぞれの低気圧による風が互いに打ち消し合うため、風も弱まります。これが「疑似好天」のメカニズムです。何度も繰り返しますが、「疑似好天は」あくまで一時的なものであることを肝に銘じておいていただけると幸いです。
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2:保守や右翼には馬鹿しかいない
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2023/04/27 (Thu) 08:48:44
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鳴沢岳 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=+%E9%B3%B4%E6%B2%A2%E5%B2%B3
標高2641 m北アルプス鳴沢岳山頂からの絶景 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=U88TKzl-j0U
2019 08 03 鳴沢岳 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=QMtyiGi98Tk