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東海アマ _ 我々は何を頼りに生きてゆくべきか?

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2023/04/20 (Thu) 07:51:15

東海アマ _ 我々は何を頼りに生きてゆくべきか?
2023年04月19日
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12799293095.html

 まず、我々の住む日本列島の住民が、何を頼りに生きているのか観察すると、第一に無意識の競争心が浮かび上がる。

 他家よりも立派な家を建てたい。他人より高級な住宅に住みたい。他人の嫁より美しい妻を得たい。他人よりイケメンな夫と結婚したい。他人よりも美しく見られたい。

 他人より多く財産を持ちたい。他人より高い車に乗りたい。他人に自分の姿を自慢したい。



 こうした競争心からくる要求は、序列を人間価値の基準と定めた儒教による思想的影響が非常に強く、儒教の影響を受けなかった国の価値観と比較してみればよくわかる。

 儒教国である中国、朝鮮半島、日本、ベトナムでは、競争意識やイジメが強いのだ。しかし儒教が伝えられなかった南太平洋諸国は違う。



 19世紀末、パリの証券マンだったゴーギャンは、金がすべての資本主義による欧州価値観に嫌気がさして、本当の幸せとは何かを探しにタヒチに渡り、そこで人生の真実を見つけた。

 やがてゴーギャンは、「我々は、どこから来てどこに行くのか」という思索を描いた生涯の代表作をものにした。

 https://news.yahoo.co.jp/articles/13bc84490ff86da51c7f37cab90e8bab421614ed



 タヒチの人々は、人の笑顔、人が喜ぶ姿を至上の価値と感じている。人間関係の一番の幸せはセックスから生まれると信じている。人々は、喜びのために生きている。

 http://bbs.jinruisi.net/blog/2013/03/1139.html



 今の日本人はどうだろう? 他人を見下すために生きている人が多いのではないか? それが、幼い頃から人々を競争に駆り立ててきた儒教教育システムの結果である。

 我々は幼い頃から、お絵描き、かけっこ、テスト、あらゆる場面で他人との競争を強いられ、点数をつけられ、他人より上に行くことが至上の価値と思い込まされてきた。

 そうした競争意識は、墓場に入ってまで生き続け墓石の大きさまで競っている。



 だいたい生涯を競争意識のなかで過ごし、墓石にまで競争にこだわる人たちは、どんな人種かといえば、それは第一に金持ちであり、政治家や組織長など特権意識の強い人達であり、権威が三度のメシより好きな人達である。

 人生の価値が、「他人を見下すこと」と洗脳されている人たちといってよい。



 でも、そんな人達はタヒチなどポリネシア・ミクロネシアの人々にはほとんどいない。多くの人達が、他人の幸せそうな姿を自分の喜びと捉えている。

 だが、儒教国の発祥地である中国では、滅多矢鱈に序列競争意識が強く、権力を得れば必ず利己的に自分の地位や蓄財しか考えない。

 儒教国では、権力を得た者は必ず独裁権力と蓄財を求めて腐敗に走るといってもいい。日本もその例外ではない。



 ロシアが儒教国のように腐敗している事情は、欧州資本主義と権威主義の延長にあるからだが、アシュケナージユダヤ人による金融資本主義と、12世紀以降の「タタールのくびき」がもたらした戦争と強奪による世界観も原因になっている。これは、いつか別に書くつもりだ。



 今回の表題は、「我々は何を頼りに生きてゆくべきか」ということで、これから予想される凄まじい戦争と気象異変がもたらすであろう生活苦のなかで、どのような哲学が必要なのか考えてみたい。



 あらゆる生活経費、食料品の高騰は、年金生活者を中心に、日本人の生活を激しく揺さぶっている。

 なぜ生活苦かといえば、これまでの消費スタイルでは、とても生活水準を維持できないからだ。1990年に較べて2023年の生活水準が4割下落させられていることをすでに書いた。

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/6029044.html



 これまでは、直接生活を支えていない、遊興交際費、家具備品購買などの支出を控えることで、とりあえず毎日の食生活と健康維持を直接損なうことはなかったが、これほど極端な物価上昇があると、もう食生活に手をつけないわけにはいかない。

 年金老人たちの貯蓄にも不安が見え始めている。もう一切の贅沢ができない。



 もしカネが底を尽けば、新自由主義政党である自民党や維新の「自助=自分でなんとかしろ」方針では、自殺以外の選択肢がない。

 世の中、異様に殺人事件が増えていることを感じている人も多いと思うが、これは底辺のギリギリの生活者たちの不安感、追い詰められ感が増していることから起きている現象である。



 もう、これ以上節約できない。食事の水準も落ちた。外食に向かう回数もめっきり減った。それでも、税金をはじめ、あらゆる経費が際限なく上がってゆく。

 いったい、どうしたらいいんだ?

 もう新しい服も買えない。車も手放すしかない。子供への援助も無理だから、子供を金のかかる学校に行かせることもできなくなった。



 こうした追い詰められ感の理由を探ってゆくと、結局、最初に述べた「競争意識と孤立生活」に行きつくのである。

 もしも少人数の孤立家族でなく、大家族でたくさんの人と一緒に生活していたなら、きっと、さまざまな知恵が対話によって湧き出してきて、例えば、食料は畑を手に入れて自給自足しようとかの対策を実現できる。



 田舎にダーチャ(個人農園)を確保して、イモ類を栽培すれば、もはや飢えの心配からは解放され、食料節約の大きな助けになる。

 一人では、やることが多すぎて、とてもやりきれないことでも、数名が助け合ってやれば、相当な大仕事が実現できる。

 一反(300坪)の畑を確保できれば、五人家族の一年分の食料が生産できる。



 衣類も貸し借りできるし、冷暖房も共有できるから燃料費が安くあがる。食事も大人数なら大幅に安上がりだ。

 何よりも、たくさんの人が、わいわいがやがやと対話してアイデアを出し合えば、無数の有益な知恵が湧き出して、みんなで実行することが人生の楽しさを演出してくれる。



 なぜ人々は、夫婦と子供だけの孤立した小家族で苦しい生活を我慢しているのだろう?

 それは資本主義社会がもたらした、競争意識の洗脳によるものだ。

 周囲の人は、すべて競争相手の敵だから、頼ることができない、他人は見下すものだ…という強烈な洗脳を我々は幼いことから受けてきたのだ。

 だから、他人を助けるなど、もってのほかだと思いこんでいる人が多い。もちろん、他人から援助を受けることを恥だと思う心根と一体に作られる。



 資本主義=新自由主義体制の「金儲け最優先」の価値観は、このような孤立性、敵対性への執着を持って助け合い生活を拒否する人々を大量に作り出している。

 これでは、今の窮乏がどんどん悪化してゆくと、結局、凄まじい犯罪の増加と、自殺の増加を生み出すしかない。

 メディアは、毎日、殺人を報じねばならなくなるし、実際にそうなっている。



 それでは、何をなすべきか? といえば、我々は洗脳されてしまっている競争意識から解放されて、周囲の信頼できる他人との対話を増やし、共同行動、共同の生活スタイルを増やしてゆくしかない。

 「三人寄れば文殊の知恵」というシステムを最大限に活用し、みんなで対話する機会をどんどん増やして、「どうやったら生活の困難を克服できるのか?」という話し合いを重ねて、次々に実行してゆくしかないのだ。



 私は、大都市の生活者に対して、過疎の田舎への移住を勧めてきた。

 それも孤立家族ではなく信頼のおける仲間と共同する移住である。せめて数家族は一緒になって、移住した方がいい。

 田舎暮らしはたくさんの困難があって、一家族では心が折れてしまうことも多いのだ。



 今は建材価格の物凄い暴騰があって、とても新築は無理だから、大きな農家の中古住宅を畑と一緒に手に入れるのがよい。

 耐震補強して、畑は獣害防止対策が必要になるが、そんなたくさんの仕事を仲間と一緒にこなし、一緒に生活することは人生最大の喜びになるだろう。



 政府は、基本的に、人をバラバラにして孤立させ、政府に頼らなければ生きてゆけないと思い込ませようとする。

 少人数で苦しい生活をしているとき、上から公的機関が「お情け」を与えることで、人々は政府への依存心を洗脳される。

 だから、歴代自民党政権は、必ず「上から与える」ばらまきを行い、制度として生活を豊かにする仕組みは決して作ろうとしない。



 日本は天皇を中心とした国家で、下々の者たちは、天皇のために命を捧げることが義務であるかのように洗脳し、個人の人権を破壊する徴兵制度や納税・教育の義務を「国民」押し付けようとしてきた。

 これまでは太平洋戦争のあまりの惨禍と、軍事力を持った独裁政権の成立を懸念して、徴兵制度だけは実現しなかったが、中国やロシアの軍事侵略が切羽詰まってくれば、必ず徴兵制度が実施されるに違いない。

 すでに裁判員徴兵制度や18歳成人制が、その布石として行われている。



 このとき、もしも民衆が小さな共同体を作って、生活の安定が保たれ、国=公的権力に依存する必要がなくなっていれば、民衆は自分たちの生活を守るため、徴兵などの義務に激しく反対することになる。

 国など強制力が邪魔なだけで、生活には何の意味もないのだから。



 こうして、国家は、民衆の共同体自立を国家に対する敵対行動をみなし、それを攻撃し、排除しようとする。

 国は、人々を弱い立場の個人として押し留めることで国に依存心を持たせ、共同した自立の力を持つことを嫌うのだ。

 だから、生活苦から共同することは、たぶん独裁政権で甘い汁を吸おうとする人々の利害と敵対することになる。



 だから、それを「共産主義=アカ」とレッテルを貼って、ソ連や中国の失敗を持ち出して激しく攻撃している。

 ヤマギシズムのような共産主義勢力とは無縁の共同体まで「アカ」と決めつけ、激しい弾圧を行ったし、大本教のような政府とは独立した力を持った宗教組織を敵視し、有害思想団体と決めつけて、幹部を逮捕し、本部を爆破することまで行った。



 もしも、我々が、大きな力を持った民衆組織を成立させたなら、必ず政府に攻撃される。国家は2ついらないからだ。

 だから、私は、大きな組織力を持たない、数家族、20名以下の小さな共同体が互いに助け合う「群体」のような結合体が望ましいと考えている。



 とにかく、何が何でも人々が助け合い「三人寄れば文殊の知恵」によって、生活を自立させていかないと、もう、とんでもない地獄社会になってしまうと考えている。

 これは、大規模国家の奴隷としての国民を抜け出し、いわば原始共産制における部族社会のような、自立したマイクロ国家を作り出してゆくことを意味している。

 ここでは、人間としての、あらゆる能力を発揮しなければ生き抜いてゆくことができないので、人々は最大限の能力を自ら引き出し、共同体に帰属し、助け合いの人間関係を人生最大の価値と考えて人生を送ることになる。



 もはや国家は必要ない。天皇もいらない。そこにあるのは、助け合って生きるグループだけだ。

 これを私は、人類の未来像と考えている。

 もちろん、それまでに、世界の独裁政権による大暴走=第三次世界大戦や恐ろしい気候変動、巨大な太陽風による現代文明の崩壊があると考える。

 我々は、原始的な生命力がなければ生きてゆくことができないと予想している。

 生きる大きな喜びを「助け合い社会」に見出すことで、未来が開けると私は思う。
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12799293095.html




国家権力は、なぜポルノを弾圧するのか?
2023年04月18日
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12799146609.html


 昔、たぶん半世紀ほど前のことだが、精神病院の増築工事で古い建物の外壁に足場を組んでいたとき、窓から突然、全裸の若い女性が現れて我々に自分の肢体を見せつけた。

 我々は「役得」と喜んだが、すぐに白衣の看護師がやってきて彼女を連れ去った。



 大昔の蔑視用語でいえば、女性は「色情狂」という分類になりそうだが、私は、それを見ていて、「性の抑圧」と言葉が脳裏を横切った。

 1,970年代の大都会は、まだ若い女性が全裸になって公衆の目に触れたなら、「精神異常者」のカテゴリーに押し込められるのが普通だった。

 当時、人が「おかしくなる」原因として、家族問題について多かったのが、たぶん性意識の問題だったと思う。



 私は、当時、暇があれば岐阜県の徳山ダム建設によって湖底に沈む運命だった徳山村の民俗調査を個人的立場で行っていた。

 徳山周辺の山に登るついでに、地元の飲食店を利用しながら、さまざまな民俗を取材した。それらを書き留めた文章は、フロッピーに入れたはずだったが、今は探しても見つからないし、ヤフーブログに公開したものは無断削除されて消えた。



 徳山で聞いた話として強く記憶に残っているものは、家の老人が孫娘を犯して妊娠させ、生まれた子を親戚に養子に出したという事件を数回聞いた。徳山は集落の人間関係の密度が濃かったので、隠し事など通らない。そんな事件は、村人全員が共有するものだった。



 しかし、徳山は白川郷と同じで、私の子供の頃まで、ろくな道もなく、冬期は事実上封鎖され孤立した地帯だった。

 徳山も白川郷も、西日本の弥生人文化圏で、今でも台湾やインドシナ半島に残る通婚(母系氏族社会)や歌垣、夜這いなどの民俗が伝えられている。



 私の半世紀を超える民俗研究の結論として、日本人の大源流であるヒマラヤ・シッキム地方のレプチャ族がインドシナ半島から中国雲南・江南地方に展開し、長江流域に照葉樹林帯文化圏を生成した。

 春秋時代に呉越戦争が起きて、蘇州を中心地とした呉の民が敗戦国民をまとめて坑刑(穴埋め)で殺戮した当時の風習から逃れて、国ぐるみ船で外洋に逃避し、台湾・山東半島・朝鮮南部・九州・山陰地方などにたどり着き、弥生人文化圏を生成した。



 日本に来た呉民が、稲作農耕を伝え、最大リーダーが神武天皇になったと考えていて、これは郭沫若も同じことを指摘し、中国史学界では、神武建国は呉の大伯の一族であるという見解が常識になっている。

 だから、倭という国は、九州だけでなく台湾・山東半島・朝鮮南部・九州や山陰などを含めた沿岸部の交易範囲を指すと考えるのが合理的である。



 これは大河川下流域に分布した稲作農耕、稲作に適した裾からげ呉服、母系氏族社会の痕跡、妻問婚、歌垣、味噌や蕎麦、木地モノなどの食文化、刈り取りに適した曲剣(鎌)など、あらゆる照葉樹林帯民俗文化がその真実を示している。

 弥生人文化圏が東アジアモンスーンの東亜三角弧、いわゆる雨季の梅雨地帯と一致していることでも、それが浮かび上がってくる。



 私は、半世紀前から頻繁に、このことを提起しているが、権威主義と「万世一系説」がはびこる史学会が受け入れるはずがなく、未だに、朝鮮系弥生人と騎馬民族を混同している研究者が多いのは呆れ果てる。



 徳山村や白川郷は、弥生人文化圏なので、私の子供の頃、1960年代まで、夜這い文化は普通に見られた。

 例えば、西日本の家屋には、離れ屋に不思議なほど小さな「にじり戸」という出入り口が設けられていたことが多かったが、これは家の娘に月経が始まると、近所に赤飯を配り、その夜から娘を離れに寝かせ、近所の若者が夜中に忍び込んできて性交をする「夜這い」という習慣のために設けられていた。

 千利休の茶文化が定着してから、そのにじり戸屋は、茶室として利用されるようになった。



 たくさんの若者が忍んで来るので、妊娠後、父親を特定するのが困難だが、生まれる前に娘は父親を勝手に指名する権利があった。自分の好きな男を夫(父親)に指名でき、それを断った男は村八分に制裁された。



 つまり、弥生人文化圏では、子供は集落全体で育てるものであり、非常に自由度の高い男女関係が存在した。

 西日本では、村祭りになれば、「無礼講」という習慣があって、祭りに参加した男女は、既婚の有無とは無関係に自由に性交できるのが常識だった。

 この習慣も1960年代まで生き残っていた地方が少なくない。

 だから、今の西日本の80歳以上の人たちは、自分の両親と本当に血がつながっているのか不明な人が非常に多いのだ。



 こうした大昔から続いたフリーセックスの風習は、基本的に最底辺の農民・工民階級のもので、武家や商家は、家長の血を、その子に伝える必要から、女性は自由な性交を厳禁されていた。

 1960年代に、こうした弥生人性文化が急速に廃れた理由は、西日本の戦後資本主義が拡大し、資本主義工業が、労働者に「一夫一婦制」を要求し、孤立した小家族のライフスタイルが定着したからだ。



 社会全体が、中部、東日本における家族観、ライフスタイルに統一されていったのは、当時のメディアが、「夜這い文化=集落全体での子育て」という弥生人社会の文化を敵視し、当時勃興した女性自身や婦人公論などの女性誌が、まるで、陰惨な人権無視の封建習慣であるかのように報道し、日本のインテリ女性たちをヒステリックな活動家に育ててしまい、その影響で、日本女性の多くが夜這い習慣を悪霊のように忌み嫌うようになった。



 だが、当時の女性権利活動家を代表した平塚らいてう、福田昌子、加藤しずえ、市川房枝らは、同時に「優生保護思想」の活動家でもあった。

 彼女らが、優生保護法を制定させ、障害者の生殖能力を強制的に奪い去ったのだ。

 彼女らは、いずれも特権市民階級出身で、自分が西日本の夜這い集落に生まれたわけではなかった。



 実際に、夜這い文化のなかで、女性の本当の地位がどうだったのか、という議論は、民俗学を注視してきた私も、はっきりしたことがわからない。



 徳山村では、そうした自由な性習慣の影響か、祖父が孫娘を妊娠させる事例は珍しくないと、私は取材のなかで聞いた。

 また、村では後家になると、近所の若者が毎晩「やらせろ」と押しかけてくると飲食店の女性経営者が困り顔でぼやいていた。

 それが村の先祖代々の習慣だったのだ。



 日本は、西日本の弥生人文化圏の影響で、フリーセックスに寛容な土地だった。ただし、「子に家を継承させる」必要のある武家や商家は別である。

 あくまでも、「持たざる」農家・工家の下層階級の風習なのだ。



 つまり、フリーセックスを抑止する要因は、「家を継がせる」必要である。「家長が自分の子に権力と財産を継承させる」というのが封建社会の本質なのだ。

 だから、守るべき家を持たない下層大衆には、ただ男女の関係だけがあり、それが「婚姻という国家権力を支えるシステム」の束縛を受けずに、自由に情を通ずるのは動物と同様であって、自然のなりゆきであるというしかない。



 冒頭に紹介した精神病院に入れられた「露出狂」の女性は、いったいどんな理由で、精神の平衡を失ったのだろう?

 西日本の夜這いの残る集落の娘でも、人によって、習慣を受け入れる子と拒絶する子がいたようだ。



 夜這いの誰にでも受け入れる女性は、「させ子」と呼ばれたが、実は、昔の集落では、「させ子」と呼ばれた女性は、最高の女性像として男たちの争奪戦の的になったといわれる。

 誰とでも寝る子は必ず心優しい子で、生涯夫に尽くし、その周囲に幸せをもたらす存在とされ、結婚して独占すると、集落の男たちの羨望の的になった。



 逆に、夜這いを拒否したり、男を選別する娘もいた。

 広島県・岡山県のような部落差別の残る風土では、夜這いに部落出身者が来ると娘は激しく拒絶した。そして、それが凄まじい規模の悲劇を生んだ。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E5%B1%B1%E4%BA%8B%E4%BB%B6



 西日本で、どれほど性的関係が自由だったかは、宮本常一の「忘れられた日本」を読めばよく分かる。なかでも有名な土佐源氏には、当時の民衆の性に対する寛容さが描かれている。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9C%9F%E4%BD%90%E6%BA%90%E6%B0%8F



 人々は性に対しての寛容と自由を求めたが、一方で、武家商家の伝統的な世継ぎシステムや近代資本主義による大家族破壊→小家族による自由な転勤体制は、性倫理の厳格化を加速させた。

 民衆を国家や企業に隷属させるためには、民衆の性の自由を封じて、ライフスタイルを管理する必要があった。

 性の自由は、そのまま性を管理しようとする企業や国家の体制への批判、反発につながったからだ。



 つまり、民衆を管理して隷属化させるために、何よりも自由な性愛を封じ、性を管理し、生まれてくる子供たちへの画一的な教育管理体制が必要なのだ。

 これが、1960年代に起きた弥生人文化圏における自由な性の封殺と、教育体制の画一化の本質である。これによって「夜這いで誰の子が生まれるかわからないが、子供は【集落の子】」という家族価値観が、日本中のインテリや女性誌、雑誌などの宣伝によって崩壊させられていった。



 徳山村や白川郷では遅くまで残ったが、白川郷における大家族制度→妻問婚は、紡績産業の勃興で娘たちが高山や松本、岡谷に出て、一夫一婦制が知られることで崩壊した。

 徳山では、たぶん日本でももっとも遅くまで、夜這いなどの性風俗が残ったが、それは巨大ダム建設によって、村人が大垣などに出ることで崩壊させられた。

 いつしか、人々は日本に集落共同体や夜這い習慣があったことまで忘れてしまった。

 「夜這い」という言葉を知っている人も、80歳を超える西日本の人だけだろうが、たぶん、今でも性に寛容な風土はあちこちに残っている。



 本日の表題は、「国家権力は、なぜポルノを弾圧したがるのか?」

 ということだが、答えははっきりしている。それは、ポルノが自由な性風土を拡大し、国家権力の存立基盤である一夫一婦制を破壊するからだ。



 もしも、性の解放された集団的生活=共同体が存在するなら、そこにいる人達は、国に頼らなくとも、どんなことでも助け合って生活を切り開き、守ってゆけるのだ。

 自給自足も、小家族では困難だが、大家族や共同体ならば、その作業自体が楽しい人生の断片になってゆく。

 つまり「国を必要としなくなる」わけで、集落共同体は、国家運営で一番困っった存在になる。誰も国を頼らず、仲間に頼って生きてゆくのだから。



 今のダボス会議=ビルダーバーク会議が、「グレートリセット社会」でもたらそうとしている超管理社会の本質もまた国家の延長であって、人々から対話と共同を奪い去り家畜の地位に貶める性質の民衆管理システムである。



 だから、民衆の性を過酷なほどに管理するシステムであり、すでに20年ほど前からはじまった、「先進国=新自由主義社会」では、性への弾圧管理が著しく強固なものになっている。



 恐るべき管理社会がやってきた! ポルノ規制法の苛酷取り締まりの現実 2009-07-10 22

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/1043898.html



 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828474.html



 

  警察国家への道 その2 児童ポルノ規制に見る矮小人間の大量生産 2010年05月03日

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/2636159.html



 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/1030261.html



 今や、パソコンやスマホに、児童ポルノがキャッシュとして残っていただけで、懲役1年、100万円以下の罰金に処せられるようになり、欧米では、地域社会で生きる権利を奪われるほど、はるかにひどい弾圧がある。



 このような性に対する弾圧が、何の目的で行われるのかというと、それは、性に自由な社会が、管理社会を破壊する性質を持っているからで、世界中の人々をスマートシティという監獄に押し込めて家畜として管理しようとしているダボス会議=ユダヤ金融資本や、国家権力を使って民衆を搾取する体制にあぐらをかきたい新自由主義者たちによって、若者たちの性は過酷に管理され、性倫理はネット上でも、ありえないほど厳格な、まるでイスラム社会のような規範が強要されるうようになっている。



 我々は、本当は性に対してどうあるべきなのか?

 それは寛容であり、子供達を「みんなの手で育てる」という「共同体ライフ」に向かうことだけが未来を保証するのだ。

 まずは、弥生人社会がどのようなあり方だったのか、もう一度振り帰って、その全体像を把握する必要がある。
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12799146609.html

2:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/04/20 (Thu) 07:53:11

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東海アマ _ カナダにおける精神障害者への安楽死計画
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東海アマ 福音派キリスト教はキリスト教の仮面を被ったユダヤ教
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東海アマ 名古屋の記憶
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東海アマ 立川の記憶
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東海アマ 山の歩き方
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東海アマ 夏場の毒虫が極端に増えた
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東海アマ 民俗学がもたらす宝物
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東海アマ 霊界への扉
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東海アマ 「いったい、自分の人生とは何だったのか?」
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東海アマ 「生きて行くために何をしたらよいのか?」
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東海アマ 何もかも壊れてゆく社会のなかで
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東海アマ 大量殺人
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東海アマ 病気は医者にかかると悪くなる
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東海アマ ロボトミー手術にも与えられたノーベル賞……ケネディの妹は廃人にされた
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東海アマ 驚くべき情報! 新型コロナウイルス肺炎は「間質性肺炎」
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東海アマ 統一教会の傀儡、安倍政権による移民政策で何が起きるのか?
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安倍晋三を操ってきた極右警察官僚の杉田和博・北村滋
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東海アマ 陰謀論
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1028.html

東海アマ 韓国のバイシュン
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東海アマ イスラム国を作ったのは、イスラエルであること
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東海アマブログ _ 畑の作り方
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14062482
3:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/04/20 (Thu) 20:04:38

儒教国の世界一斉崩壊! 韓国が壊れる
2023年04月20日
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12799452522.html 

 私のブログでは、人間者社会の序列主義、権威主義による住みにくさ、生きにくさの根源に、旧約聖書や儒教があると書き続けている。

 2500年前の春秋時代に、孔子が体系化したといわれる儒教の本質は、「人には生まれながらの侵し難い序列がある」というものだ。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%92%E6%95%99



 孔子の主張した「徳治主義」は、絶え間のない戦争の負荷に苦しんでいた春秋戦国時代の封建社会、王政支配の平和な安定化に貢献するものだったので、当時の社会に広く受け入れられ、民衆を納得させる哲学理論として普及した。

 「王は暴力ではなく徳によって統治する」

 という思想は、新鮮で合理的な哲学として東アジア社会に浸透し、本家中国から朝鮮半島、日本、ベトナムなどで社会安定化思想として信奉された。



 日本では、奈良時代にすでに遣唐使などによって持ち込まれていたが、本格的な「国家思想」として導入されたのは、家康の命により、林羅山らが全国の武家階級に藩校を設置させ、朱子学を学ばせることを指示してからである。



 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%AD%90%E5%AD%A6#:~:text=%E6%9C%B1%E5%AD%90%E5%AD%A6%EF%BC%88%E3%81%97%E3%82%85%E3%81%97%E3%81%8C%E3%81%8F%EF%BC%89%E3%81%A8,%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%8B%E3%82%89%E3%80%81%E9%81%93%E5%AD%A6%E3%81%A8%E3%82%82%E5%91%BC%E3%81%B0%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82



 江戸時代、全国の津々浦々にまで、当時としては世界最大の先端教育システムである、藩校、寺子屋が普及し、儒教の「四書五経」と呼ばれた教科書が採用され、日本人の識字率は8割と世界のなかでもずば抜けて高かった。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%9B%E6%9B%B8%E4%BA%94%E7%B5%8C



 この意味で、日本は世界でも有数の儒教国になり、儒教による序列・権威主義が、民衆の生活思想の根源に定着したといえる。

 ただし、日本が儒教発祥地である中国や、宗教的にまで昇華された朝鮮半島と異なる点は、日本では、鎌倉時代に高野山や比叡山の聖たちが全国を遊行して広めた仏教思想が広く普及していて、中国朝鮮が序列主義を利用して権力者が自分の利権を拡大したことに対し、日本では鎌倉仏教の利他思想の上に持ち込まれたので、中朝ほど強欲で残酷な権力者が生まれず、利他主義も死んでいなかった。



 また、日本には世界有数の恵まれた降雨と森林の恵みがあり、中朝のような巨大な飢餓が発生したことが少なく、そのため残酷な戦争による争いも少なかったことが日本人の特性を定め、中朝の儒教とは異なる展開を見せた。

 日本の恵まれた自然環境が、日本人の優しさを作り出していることは間違いないだろう。



 儒教は、東アジアの中国・朝鮮半島・日本・ベトナムで国家思想として採用されたが、その価値観は、モンゴルのような中央アジア諸国や、インドシナ半島にまで影響が及んでいる。

 これらの国では、儒教の序列主義からくる価値観として「一にメンツ、二にメンツ、三に利権」という権力者の思想が定着しているといえる。

 しかし、現代において、もっとも強烈な影響を及ぼしている国は朝鮮半島の朝鮮・韓国である。



 朝鮮半島では、序列主義が著しく、「男性は女性に従属する、家族は父親に従属する、弟は兄に従属する」という序列価値観が人々を完全に洗脳していて、「民衆は権力者に従属しなければならない」という歴史的な観念の上に、民衆に強権をふるいながら、民衆を飢えさせる理不尽な金王朝の権力が成立している。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E5%84%92%E6%95%99



 朝鮮半島の儒教思想の特徴は、建前とホンネの分離を前提としながら、建前が何よりも重視されることで、社会全体が建前の虚構を容認していることだ。

 これについては、近年の慰安婦問題をはじめとする日韓問題でも次々に不可解な矛盾が暴露されている。

 韓国民は、ほとんどの人が竹島問題や慰安婦問題の真実を知っていても、それを認めず、建前の屁理屈を優先させて自らを窮地に追い込んでゆく。



 見え透いた嘘であっても、メンツと自尊心の方を大切にするのだ。

 だから、韓国では、男尊女卑思想を背景に、女性の地位を貶め、子供のうちから性犯罪が多発することになる。

 建前を重視するあまり、「謝罪すれば許される」という方便がまかり通り、世界各国で終身刑になるような重犯罪でも、謝罪した犯人が解放されてしまう。

 また死刑制度があるのに、謝罪したことで史上最悪の殺人を重ねた犯人が無期刑になっている。

 https://bunshun.jp/articles/-/42625



 https://www.banger.jp/drama/70606/



 こんな現実の人間関係の倫理を無視した儒教による統治スタイルが何をもたらすかといえば、権力者のメンツを前提とした強欲な利権体制が成立し、社会の不満が吸収されないから、凶悪な犯罪が多発することになり、嘘のまかり通る社会になってしまう。

 日本でも、建前主義の傾向があるのだが、中朝では、桁違いに深刻な「解決されない不満」が鬱積し、社会矛盾が社会全体の明るさを奪うことで暗い硬直した社会が成立してしまう。



 こんな社会では、社会的ルールが、ほとんど権力者の強欲によって捻じ曲げられ、どんどん権力者のための社会システムだけが整備されてしまい、それはやがて合理性を欠いた利権一辺倒の国家に変質することで、社会全体が根底から崩壊してしまうのだ。



 今、まさに中朝(韓)では、その矛盾崩壊が始まったように思える。筋の通らない合理性を欠いた政治システムにより、透明性がなければ成立しない世界経済システムが、中朝を崩壊に追い込んでいるのだ。

 いわば「儒教社会の一斉崩壊」が始まったと思えるほどだ。



2022.09.03 先進国”韓国が「経済崩壊」のカウントダウンで…! もはや「日本超えできない」“危ないシナリオ”が浮上してきた…!

 https://gendai.media/articles/-/98857



 https://www.youtube.com/watch?v=0euyb-JzDC4&ab_channel=FNN%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%A0%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%B3



 https://www.youtube.com/watch?v=KkrMru7Nvf8&ab_channel=%E4%B8%8A%E5%B2%A1%E6%AD%A3%E6%98%8E%E3%80%90MBA%E4%BF%9D%E6%9C%89%E3%81%AE%E8%84%B3%E7%A7%91%E5%AD%A6%E8%80%85%E3%80%91



 中国経済が崩壊の瀬戸際に追い詰められていることは世界中が報道している。

 中国経済破綻は、リーマンショックやニューディール大恐慌の数百倍の未曾有の巨大恐慌を招くと指摘されている。

 

 私に言わせれば、こうした究極の経済崩壊の正体は、実は儒教思想の必然的帰結である。

 ネットの普及により、世界中の人々が、人間の合理的なライフスタイルを評価し、それを共有することができるようになると、それまで狭い世界で封印されてきた儒教思想の非合理性=欠陥が、人々に共有され、それを糾そうとする動きが浸透してゆく。



 これによって、「間違っている!」と人々が叫び始めるのだ。

 韓国社会の、旧両班階級によって恣意的に作り出された「反日運動」も、その嘘や誤りが次々に暴露されるようになって、それが嘘で固めた屁理屈であったことが韓国民衆の間に共有されるようになった。



 このことで、韓国社会に根付いた、儒教思想によるあらゆる嘘が白日のもとにさらされることになった。

 実は、日本でも同じなのだ。「女性の地位向上」を口にする日本社会が、どれほど男性優位の儒教社会なのか、人々が知り始めた。

 ひとたび、民衆が矛盾に気づいたなら、それは正されずにはおかないのだ。



 ネットは、世界の儒教価値観を根底から崩壊させている。

 それとともに、権力者を畏敬するという儒教習慣も崩壊してゆくのだ。もう国家権力など怖くない。力を失って、本当に大切なことは、国家や権威システムに頼ることではなく、一人一人が自覚し、発言することだという思想が共有されるようになるのである。



 権力信仰の果実である天皇制に対する幻想も、これから死滅してゆくだろう。

https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12799452522.html
4:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/04/22 (Sat) 12:52:29

なぜ、「みんなが幸せになるために」という人がいなくなってしまったのか
2023年04月22日
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12799738816.html


 私の若い頃、今から半世紀以上前の国内の書物やメディアの情報は、「利他主義」に満ちていた。

 小田実、大江健三郎、吉野作造、本多勝一、有吉佐和子と思い出す人たちは、すべて戦争の惨禍を体験し、空襲爆撃に逃げ惑った人たちだった。



 もちろん、中道も極右もいたが、みんな戦争体験の上に「利他主義」を前提に発言していたように思う。

 少なくとも、「自分の利益のためだけに生きよう」と主張する人はいなかったし、いたならば徹底的に排撃された。

 そこには、戦前の軍部専制独裁による軍国主義の再現を許さない、「民主主義と正義」の理念が核心に据えられていたと思う。



 この当時の言論は、何よりも「みんなが幸せになるためには、どうしたらよいのか?」という問題意識=哲学が社会全体で共有されていたように思う。

 この頃は、「自分さえ良ければいい」という利己主義は、強く批判されていた。



 それから、戦争体験を土台にした知識人が寿命によって次々に消えて、江戸時代生まれが全滅した1970年代の半ばあたりから、新左翼が赤軍派と心中して没落するとともに、中曽根康弘が持ち込んだ「新自由主義」の影響がじわじわと国内に拡大しはじめた。



 当時、戦後、日本軍が大陸や朝鮮半島で行った731部隊の人体実験殺戮や三光作戦の隠されていた真実が「悪魔の飽食」のような暴露小説で暴かれ、社会全体を震撼させた。松本清張も、小説のなかで次々に権力犯罪をやり玉に挙げた。

 社会全体に「正義を実現しなければならない」という価値観が共有された時代だったように思う。



 だが、同時に、新自由主義による「金儲けだけが正義」という思想が日本社会に持ち込まれ、1980年代には、バブルが全盛期を迎え、投機バクチの風潮が社会全体を席捲する時代がやってきた。

 当時、私は国立駅前で、「営業研修」と称して、お立ち台の上で、営業目標をお大声でがなり立てていたグループを見て、日本の底知れない地獄の始まりを予感させられた。



 世の中全体が金儲けに発狂した時代だった。そして、急速に利他主義思想が失われ、徹底した利己主義にとって代わられた時代だったように思える。

 戦前から日本社会を支える底辺の細胞だった「隣組」の連帯はもう失われ、見渡す限り社会全体が敵意に満ちた時代に変わり果てたように思えた。



 バブル崩壊とともに、繁華街で豪遊する人たちが大騒ぎする一方で、街角に浮浪者が目立ち始め、ゴミを漁って辛うじて生きている人も激増した。

 社会全体に、もうかつての連帯感、相互主義は失われていた。そこにあるのは、「自分さえ良ければいい」 「他人のことなどどうでもいい」という社会観であり、利己主義の人生観だった。

 私だって、例外ではなかった。



 1990年代、山一證券の崩壊から、日本社会は沈滞と低迷の時代に入った。それは30年以上を経た2023年の今でも続いている。

 原因は消費税にあることがはっきりしているが、自民党保守政党はもちろんのこと、革新系の政党でさえ、簡単明瞭な消費罰金税がもたらす社会の停滞について、理解できる人はほとんどいなかった。



 ただ、私は、消費税という繁栄抑止の毒薬が、底辺の社会に、「モノを大切にし、無益なゴミを作らない」効果が生まれたことだけは評価している。

 自民党は、金持ちの特権階級だけが贅沢を謳歌する社会を作りたかったのだろう。



 20世紀が終わるころになると、自民党内に強力な新自由主義勢力が登場するようになる。

 それは、ハーバード大ロックフェラー経済研究所の竹中平蔵が、ユダヤ金融資本から日本保守政界に送り込まれたからだ。

 竹中平蔵を閣僚として採用し、戦後社会の市民・労働者としての権利を剥奪し、安定雇用が約束された正社員から、ルンペンプロレタリアート(臨時・派遣社員)の地位に貶めたのは小泉純一郎である。



 それは、戦後労働運動を支えた総評を解体するところから始まった用意周到で計画的なものだった。この背後には、岸信介~中曽根康弘の壮大な陰謀があった。

 岸は、もしかしたら両親が李朝王族関係者で、文鮮明とともに、韓日反共統一国家を目指していたのかもしれない。



 竹中平蔵らの計画は、「金儲けだけが正義」という新自由主義の思想を日本の若者たちに浸透させて、徹底した利己主義の価値観・人間観を定着させるところから始まっていた。

 これを支えた組織が、国際勝共連合→日本会議であり、ギャンブル王、笹川良一がその資金を提供していた。

 そして小泉純一郎は、「日本を金融(バクチ)国家に変える!」と宣言した。



 日本人の多くが、戦後教育の土台としての競争主義に洗脳されていたので、「人間として生きる価値の根源は金儲け競争だ」と容易に受け入れてしまった。

 この結果、人々の関心は、蓄財と増殖、利己主義だけに向いてしまい、1970年代に社会的に共有されていた「みんなが幸せになるためには、どうしたらいいのか?」というテーゼを思い浮かべる者は、ほとんどいなくなってしまった。



 日本社会全体が「カネがすべて」という価値観に席捲され、「みんなが幸せになることで、自分も幸せになれる」という理念を主張する者は、どこにもいなくなってしまった。

 本来は、人間社会の本質を霊的視点で見ているはずの霊能者たちですら、金儲けと利己主義が正義であるかのように語り始めた。

 https://www.youtube.com/watch?v=g00flJ4Qlyw&ab_channel=KenHonda%E6%9C%AC%E7%94%B0%E5%81%A5



 霊能者たちの多くが、金儲けビジネスに吸収されてしまっている。

 江原啓之も木村藤子も検索すれば、有料クラブサイトに誘導される。下ヨシ子は、頼めばひどくカネがかかるらしい。



 本来、霊的世界にはカネなど何の関係もなく、「みんなを幸せにすれば自分が幸せになれる」という霊的真実を教える立場のはずなのだが、なぜか、それを前面に出している人は見当たらない。

 釈迦は、「因果応報論」のなかで、自分が他人に対して行ったことが、すべて自分に返ってくるカルマ論を教えているのだ。人生は利他のなかにだけあると諭し、利己的な権力と蓄財を勧めたことなど一度もない。



 話を本題に戻そう。

 「なぜ、『みんなが幸せになるために』という人がいなくなってしまったのか」

 という理由は、日本人が戦争で地獄に堕とされた体験を忘れてしまったからだ。

 戦争を実際に体験した人は、現在80歳以上で、記憶に残している人は、90歳を超えた人くらいだから、もちろん私も経験していない。



 だが、私の周囲には両親はじめ、凄まじい恐怖の体験をした人たちが無数にいて、その記録もいやというほど教えられてきた。

 だから、私の世代は、いわば戦争を疑似体験できた世代なのだ。だから反戦や軍部専制独裁という社会を二次的に理解しているといっていい。

 しかし、一次的に戦争を体験した世代のほとんどが死に絶え、二次的に疑似体験できた我々の世代も、多くが死に始めている。



 だから、今の若者たちは、正真正銘の「戦争を知らない世代」なのだ。

 今の若者たちは、もしかしたら体験したことのない戦争に好奇心を抱き、「戦争を経験してみたい」と思っているのかもしれない。

 だから、ネット上では軍事大国になることに憧れているような発言が非常に多い。



 霊的真実をいえば。「みんなが憧れ、希望することが実現する」のである。

 だから、日本は戦争に向けてひた走っている。やがて、実際にその凄まじい惨禍を体験させられることになるだろう。



 もう一つの視点として、今、「日本社会のやさしさ」が、ネット上で語られることが多い。

 これは、戦争と同じ意味で、阪神大震災、熊本震災、東日本大震災を体験させられた人が多く、被災者に同情して支援を寄せた人たちが、巨大震災を疑似体験することで、人が困難な状況に置かれたことから生まれる助け合い=利他主義を獲得しているからだと私は思う。



 竹中平蔵の金融バクチ主義=新自由主義に向かった者たちは、投機に旨味が失われると、特殊詐欺のような詐欺集団に取り込まれていった。

 小泉純一郎が「日本を金融国家にする」と宣言してから、日本社会にはオレオレ詐欺など詐欺師が跋扈する社会に変わったのだ。



 しかし、大震災の被災者を援助することで疑似体験した人々は、心に「優しさ」という財産を蓄積した。

 これは釈迦の言った利他=「他人を幸せにすることが自分を幸せにする」という因果応報の原理が実現したものといえるだろう。



 結論をいえば、我々は、目先の金儲けや利己主義を賛美してはならない。

 我々が語ることは、いつでも「みんなが幸せになるためには、何をすべきなのか?」という視点だけである。

 そして、「三人寄れば文殊の知恵」システムに目覚め、人と対話を重ね、良いアイデアを得て実現してゆく人生、利他主義に人生の価値を見出すことが必要なのだ。

 

 江原啓之は、今年、「終焉のワルツ」と警鐘を鳴らした。

 たぶん、これから未曾有の凄まじい災厄がやってくる。日本社会が終わりになることを実感させられるほどのことだ。

 だが、みんな、そんな恐ろしい未来など見たくもないし、考えたくもないから、気分の良いことだけを見せられて、明るい未来を信じてワルツを踊っている。



 なぜ、人々が、「嫌なものを見たくない」と思うようになったのかというと、ネットの共有倫理をネット支配者であるユダヤ金融資本が、今世紀に入って「不快になるものを見せない」という管理を徹底するようになったからだ。



 私の知る限り、前世紀末には、ネット上には真実が溢れていた。そこには、残酷な死体の写真や、人間の強欲、大きな過ち、それを糾弾する声など、あらゆる真実が溢れていた。

 だが、GAFAMユダヤ金融資本と新自由主義は、ネットの媒体から、そうした真実を「保護」の名の下に排除していった。



 だから、かつてあれほど溢れていた残酷な写真や動画など、ほとんど見ることができなくなった。

 あらゆる、ある種の人々が「見せたくない」ソースが排除されるようになり、情報から真実が失われていった。

 いわば、キレイゴトだけの情報に包まれるようになったのだ。



 こうした傾向が、社会に対する危機感を失わせ、「みんなが幸せになるために、どうしたらよいのか?」という問題意識を人間社会から追放してしまっているのではないか。

 我々に必要なものは、見たくもない真実なのだ。
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12799738816.html
5:777 :

2023/05/31 (Wed) 13:52:57

老人問題 認知症問題
2023年05月31日
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12805398640.html

  日本社会で、もっとも深刻といわれている問題は、「老齢化問題」である。
 日本総人口に占める高齢者(65歳以上)の比率は、1950年(73年前)に5%以下だったものが、2022年には30%に達している。
 さらに、日本総人口は急速に減少が続き、日本が「衰退国家」であることを端的に示している。
 https://www.stat.go.jp/data/jinsui/2022np/index.html


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 この減衰率が続けば、日本という国で新生児がほとんど誕生しなくなり、高齢者の死亡との相乗効果で、2050年くらいには日本国がなくなってしまうか、外国人移住者が大半を占めるようになると予想する人が少なくない。
 https://gendai.media/articles/-/51994

 この最大の原因は、自民党政権と経団連が、若者たちを企業奴隷のように使役し、給与をろくに与えず、税金ばかり取り立てて、増税地獄のなかで「子供を作って育てられる生活条件」を与えてこなかったことだ。
 「少子化対策」と称する自民党の政策に、若者たちが本気で子供を増やせる内容(減税)は皆無である。

 昨年の人口ピラミッドを見てみよう。


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 上のグラフでは、日本人口の主力は、第一次ベビーブームの70~74歳、そして、その子供達の40~50歳だが、その下側、最近十年間に生まれた子供達の総数は、70代の半分にすぎない。
 これでは、現在、年金を受給している65歳以上の4000万人を、残りの7000万人が支えることになり、若者たちの経済的負荷は恐るべき重さになってしまう。

 年金も、私の時代は、「自分で積み立てた社会保険料が老人になったとき還ってくる」という説明だったのに、いつのまにか、「社会保険料支払い者が受給者を支える」という理屈に変えられてしまった。
 それでは強制徴収させられてきた社会保険料積立金はどこに行ってしまったのか?
 「政府自民党が経済的利権のために使い込んでしまった」ということらしい。
 これは詐欺ではないか?

 まあ、厚生省・社会保険庁が全国に「グリーンピア」という巨額の箱物を作り、その大半が見通しの甘さにより潰れてしまい、私の近所の恵那笠置山でも、年金積立金を数千億も投入したグリーンピアの荒廃した跡地が晒されているだけだ。
 厚生省・社会保険庁が、出鱈目杜撰な事業で灰燼に帰した事業は、数兆円に上るといわれている。玉川徹が走って追求しても、何一つ変わることはなかった。
 余談ではあるが、社会保険庁のグリーンピア詐欺に乗せられた恵那市は、100億円以上、市民一人あたり200万円の負債を背負うことになった。だから、私の住む蛭川村は恵那市との合併を拒否し、負債の少ない中津川市に乗り換えた。

 私を含む第一次ベビーブーム世代(現在70~74歳)が、日本の最多年齢階級であって、65歳以上が三割を占める社会になってしまったのだが、この世代の大半に、恐怖の認知症が忍び寄っていることが、若者たちの未来に暗黒をもたらしている。
 これを解決するためには、現在の60歳以上の5000万人を皆殺しにするしかない。(半分冗談です)

 その最前線が新型コロナワクチンによる殺戮作戦である。なるほど、これでワクチン禍問題がズバリ理解できた……と、もしかしたら納得する人が多いかもしれない。
 藤江成光 凄まじい謎の大量死
 https://www.youtube.com/watch?v=QJwukPIM8tk&ab_channel=%E5%9B%9B%E6%B5%B7%E5%85%84%E5%BC%9F%E3%80%90%E8%97%A4%E6%B1%9F4th%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%8D%E3%83%AB%E3%80%91

 私のように、最初からワクチンの胡散臭さに接種を拒否して、間質性肺炎なのに生き延びてしまった老人たちを、どうやって皆殺しにするかが今後の課題だ。
 無理に殺さなくても、時間の問題で死ぬ我々ではあるが、90歳以上まで生き延びてしまうことで社会保険予算を大きく浪費することと、認知症の蔓延によって社会負担が増えることが問題になるので、政府官僚は、もっと効率のよい疫病パンデミックや放射能汚染を準備しているのかもしれない。

 そのうち、我々が知っておかねばならないのが、誰にでもやってくる老化と認知症の問題である。
 これを書いていても、若い頃にくらべてタイピングミスが何十倍で、まともな文章を作るのが至難の業になっている。もう誤字脱字だらけ、それを校正したくとも、視力が衰えて見えないのだ。

 私が老人になってみて、若い頃には想像もできなかった老化現象が無数に出てきて、「老人になるということは、これほど恐ろしいことだったのか」と強烈な感慨を強いられている。
 まあ、たくさんの病気が出てきたり、反応が悪くなったり、体中が痛くなったりは、40歳くらいから、少しずつ現れるので、それほど大きなショックではない。
 そもそも、縄文弥生時代まで平均寿命は30歳以下であって、40歳以上が「老人」であったはずだ。だから、人間の肉体は、たぶん30歳くらいまでしか正常に作動できないように設計されているのだろう。
 70歳まで生きられるようになったのは、まだ半世紀前、最近のことなのだ。

 私が自分の老化現象を深刻に受け止めるようになったのは、たぶん60歳くらいだと思う。私の子供時代、企業の定年制は、50~55歳くらいだった。これをすぎれば、企業にとっては役立たずの無用の長物なのだ。だから管理職くらいしかやる仕事がない。
 今は、65歳になっているが、実際には業務定年は昔と同じ55歳くらいだ。それ以上では、目が見えないから書類もまともに作れない。旋盤もプレスも危険で触れない。

 私の場合は、「即時記憶=海馬」の劣化が著しく、たった今起きたことを忘れてしまうので、帰宅して鍵やスマホをぽんと置いた場所を忘れてしまい、年がら年中、「デバイスを探す」のお世話になり、また鍵にはビーコンをつけてスマホで探すしかない。
 何かを買うときは、スマホにメモを作らなければ忘れてしまって不可能だ。何か、言葉を思い出そうとしても、どうしても出てこないので、しょっちゅう検索ソフトのお世話になる。

 怖いのは、車やバイクを運転していて、突然、自分が今、どこにいるのか見当識がつかず慌てることだ。南アルプスの獣道しかない薮山でも地図無しで自在に歩き回ることのできた私が、近所の普通の道で、突然、脳内GPSが切断してしまうのだ。
 今のところは、すぐに記憶が蘇るのだが、だんだん頻度が増してきたなら、私の父がそうであったように、散歩に出たまま戻ってこれなくなり、近所の公園で夜の帳を迎えていたという事態になるのは確実だ。
 私には探してくれる家族もいないので、迷ったなら、そのまま、そこで死ぬ運命しか残されていないように思える。

 だから、私は、脳内GPSの劣化が始まったことを自覚してから、本気で「自分の始末」を考え始めた。
 どうせ間質性肺炎を患ってバリバリ音で呼吸していたときから、とっくに死を覚悟していたから、死ぬこと自体には、運命として受け入れる覚悟ができているし、人生に未練はない。
 近所の泥棒問題や私へのネット嫌がらせ問題が解決していないことで、逆に生きる意欲になっているくらいだ。こいつらを始末できたなら自分も始末できると考えるようになった。

 まずは、自分の最期をどこに定めるかで、近所を見て回った。最初は恵那峡大橋を考えたが、女性が飛び降りた後、脇にある紅岩山荘に行ったら彼女の幽霊が出て全身金縛りに遭い、恐ろしい思いをしたので諦め、次に、新しい新東雲橋とか、少し遠いが八百津の新旅足橋や、福岡大橋なんかを見て回ったが、100mの高さでは、死体がバラバラになって回収する人が困るだろうと考え諦めた。

 結局、あまり苦しまずに逝ける二酸化炭素がいいだろうと思い、最期は庭にテントを張って目張りし、中で木炭を炊くことにした。
 これを決行するのはいつか? 第一にカネの切れ目が人生の切れ目で、あと数年後か、5万円の年金で暮らせなくなった人が膨大な数に上っているので、どこかの教授が言ったように、老人たちが国家議事堂の前で集団自殺するしかないだろう。
 このとき連帯を表明して、同調するのがいいだろか?
 https://news.yahoo.co.jp/articles/8e64acd38a9b647497790224efbf86ec87662f8f

 第二に認知症が進行し、脳内GPSが役立たたなくなったときで、これ以上、物忘れが激しくなったなら、ほぼアルツハイマー発症と断定してもよく、もうブログも書けないし、回復の見込みもないので、山を歩いているうちに道を失って、帰れなくなって御陀仏も考えている。
 まあ、ブログが書けるうちは、とりあえず生きていよう。

 私の住む弩田舎では、公共交通機関が廃止されたので、一番近いバス停まで山道を2時間歩かねばならない。なんらかの救済措置は皆無である。だから、バイクか車が生活必需品なのだが、この税金がどんどん上がってゆき、保険も車検も上がってゆき、年金が上がらないため、いずれ車を手放さなければならなくなる。

 それよりも、免許証の更新が事実上不可能になりつつある。
 私が次に免許更新をするときは、以下の手順となる。
 https://www.ins-saison.co.jp/otona/oshiete/car/elderly-training.html#:~:text=%E3%81%BE%E3%81%9A%E3%80%8170%E6%AD%B3%E3%80%9C74%E6%AD%B3,%E3%80%81%E5%85%8D%E8%A8%B1%E6%9B%B4%E6%96%B0%E3%80%81%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

 「高齢者講習」なるものを多額の受講費を支払って受講することが義務付けられ、おまけに些細な違反でもあれば、これまた高額の運転技能検査なるものを強要される。
 最初の「認知症検査」の合格点数は、なんと70点なのだ。
 https://www.zurich.co.jp/car/useful/guide/cc-seniortraining-cognitivefunction-test/#:~:text=75%E6%AD%B3%E4%BB%A5%E4%B8%8A%E3%81%AF%E4%BA%8B%E5%89%8D,%E4%BB%A5%E4%B8%8A%E3%81%AE%E5%A0%B4%E5%90%88%E3%81%AB%E5%90%88%E6%A0%BC%E3%80%82

 私のように海馬劣化の場合、この記憶テストが物凄く難しい。16種類の絵を記憶して、ランダムに出題するので、たぶん75歳以上の合格率は半分に満たないだろ。
 これは、老人たちから運転免許を剥奪するための仕組みである。おまけに全部受験すると費用は数万円になってしまう。これでは受験したくともカネの問題で受験さえできない人もたくさん出てくる。

 田舎暮らしでは、運転は死活問題だ。車がなければ生きてゆけないのだ。
 私も、一番近いスーパーまで車で15分、距離では十数キロある。徒歩では片道3時間くらいかかる。
 バスは廃止され、交通の救済措置は皆無である。
 だから、国は老人たちに「しね!」と言っているのだ。だから国家議事堂前で集団自殺するしかないのだ。
 可能ならテントを張って練炭自殺くらいにしてほしい。切腹は痛そうだ…。

 「誰がこんな社会にした!」と言いたいが、たぶん「新自由主義」という思想が生み出した社会なのだ。その代理人政党が自民党である。
 電気代が上がり、食品が上がり、あらゆる税金がどんどん上がり、「おめーら しね!」政策を自民党が採用している以上、結局、国家議事堂前で集団自決以外、何一つ意思を示す手段がないのが実情だ。

 認知症の始まりを自覚する我々には、 何一つ怖いものはない。この世への最後っ屁として、これほど人を大切にしない社会に変えた自民党に抗議しておさらばするしかないのだ。
 日本社会は、世界最大、最悪の集団自殺国家になることを予告しておく。
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12805398640.html

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