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ある共産党員への手紙 - 内田樹の研究室

1:777 :

2023/03/29 (Wed) 09:43:08

ある共産党員への手紙 - 内田樹の研究室
2023-03-28 mardi
http://blog.tatsuru.com/2023/03/28_1605.html

 共産党員で、私の本の愛読者でもあるというSさんという方から手紙を頂いた。松竹伸幸さんの「共産党党首公選」をめぐる論争で私が松竹さんの行動を支持していることについてである。共産党の党規約はよくできていて、党運営も民主的であるのだから、松竹さんは「意見があるなら、党内でドンドン発言しなさい」という『しんぶん赤旗』の読者投書を引いて、私の行動をやんわりと批判するものだった。それに対してこんな返信をした。
 
 Sさま
 はじめまして、内田樹です。
 お手紙と投書拝見しました。ご指摘ありがとうございます。
 松竹さんの件については、実は僕も困惑しています。
 僕は非党員ですから、共産党の党規約というものがどんなものだか知りません。共産党の党内民主主義の実相についても存じ上げません。
 松竹さんは現役の共産党員であり、長く党中枢にいた人で、僕が実際に存じ上げて、人間を信頼している方ですので、その方から「党首や党幹部の選出方法がブラックボックス化している」と伺ったので、そうなのだろうと思っていました。
 党外の人間にはそれをどうこうしろという資格はありませんが、党内の人がそう思うなら、それは十分議論するに値する論件だろうと思いました。彼が本を出して問題提起をしたいというので、それに賛成しました。
 それは何よりも、このような問題を共産党がどういう手際で扱うのか、そのプロセスに興味があったからです。この問題提起は、共産党に対する国民的注目を集めるチャンスになると思ったからです。「共産党はどういう政党なのか、その意思決定プロセスはどういうものなのか」がひろくメディアの話題になり、人々の関心事になることは党外の共産党支持者の拡大に資するだろうと思ったからです。
 ご存じの通り、僕は共産党の支持者です。今回の統一地方選でも、大阪の辰巳コータローさん、地元の県議の木田ゆいさん、市議の西ただすさんの推薦人になっています。
 僕が松竹さんの企画に賛成したのは、松竹さんの問題提起をめぐって活発な議論がなされることで共産党の支持者が増え、国政、地方議会での議席が増えるという「政治的判断」をしたからです。
 ですから、共産党がこの「世間の耳目を集める好機」を松竹さんの除名というかたちで終わらせようとしたことは「政治的判断」としては適切ではなかったと今でも思っています。
 党規約をすぐに変更する必要なんか別になかったのです。今の規約が適切だと思っていたら、それが適切である所以を論理的に説明すればよい。まずなすべきは、党員からの異議申し立てついて、どれくらい「鷹揚な」対応をできる「練れた」政党であるかを世間に知らせることだったということです。最終的に党規約を変えなくてもよかったのです。「そのような異議申し立てが行われたことを重く受け止め、党首選定のあり方について一石を投じてくれたことを奇貨として、これから熟議してゆきたい」と(リップサービスでも)言うだけで十分だと僕は思っていました。それだけでも確実に党のイメージアップにつながるから。

 Sさんはどう思われるか知れませんが、僕は政治組織というのは、その政党が政権を取ったあとの未来社会を先駆的・萌芽的に表現するものだと考えています。
 現在その政治組織が一人の独裁的指導者によってトップダウン的に組織されているなら、その政治組織が実現する未来社会は「一人の独裁的指導者によってトップダウン的に組織される社会」になる。その政治組織が理想社会を実現するためには陰謀や暴力を用いてもよいという立場なら、それが実現する未来社会は「理想的な国家を実現するためには、政府が市民に対して陰謀や暴力を用いることが許される社会」になる。
 これは経験的にそう信じています。これまでさまざまな革命闘争がなされ、いくつかは成功しました。その結果できた政府は、革命を主導した党派の組織原理をそのまま引き継いだ。革命闘争を成功に導いた党派の組織原理なんですから、変える必要なんかない。それが最も効率的であることは、革命闘争に勝利したという現実が証明している。そうやって世界の各地で、革命闘争勝利の後に、市民への苛烈な弾圧を「非とする」ロジックを持たない強権的な政府ができました。そのことは、ソ連や中国を見ればわかります。
 僕がかつて左翼の学生運動にかかわった時に、「これはダメだ」と思って離れたのは、どの党派を見ても、その今の学生組織が未来社会の萌芽形態であるのだとしたら、「こんな社会には住みたくない」と思ったからです。
 共産党についても同じことを思います。「党規約に基づいて、適法的に異議申し立てをなさない党員は除名する」という原則主義的な態度は、その政党がめざす未来社会は「政府への異議申し立てを、法律に基づいて適法的に行わず、それ以外の手段で行った国民は国籍を剥奪されることを是とする社会」になる。
 残念ながら、「これを非とする」というロジックは今回の共産党の決定からは出てきません。論理的に無理筋なんです。
 僕の立場は「これを非とする」ものです。というのは、「それ以外の手段」にはデモや、ストライキや、地下出版、レジスタンスなどが含まれているからです。「それらの政府批判が適法的になされていない場合、実行した人間は処罰されて当然である」ということを是とするなら、これまでの日本共産党の活動の相当部分は(例えば治安維持法下の活動)は「法律違反だから処罰されて当然」ということになります。

 公的なものである法律と一政党の党規約を同一視するのは論理の飛躍だというご批判がきっとあると思います。共産党を除名されても、別に明日からの生活に支障があるわけではない。国籍と任意加盟の政党の党員資格はまったく次元の違うものだというのはその通りです。でも、僕が問題にしているのは、政府に適法的でない異議申し立てをする国民の国籍を剥奪するのと、党中央に適法的でない異議申し立てをする党員を除名するのは「同じロジック」によるということです。問題はロジックなんです。
「異議申し立て」にもいろいろあります。「異議申し立て」というのはアナログな連続体ですから一律には扱えない。中には傾聴に値するものもあるでしょうし、まるで箸にも棒にもかからないくだらないものもあるでしょう。異議申し立てなんて、玉石混淆が当たり前です。ですから、あるものは取り上げ、あるものは無視するということでよい。ろくでもない異議申し立てに貴重なリソースを割く義理はない。それが常識的な判断です。
 でも、今回の松竹さんの申し立ては、「傾聴に値する」ものだったと僕は思います。これを「ろくでもない異議申し立て」にカテゴライズして、一蹴することは常識的ではない。

 松竹さんの行動が党規約に照らして違法であるから取り上げるに値しないという判断は「十分に政治的ではない」と僕は思います。ある行動がどういうふうに現実に影響を及ぼすかについて思量することの方が、その行動が合法的か違法かを議論することに優先するというのが「政治的」ということの一つのかたちだと思うからです。
 松竹さんは共産党の党勢が衰退してゆくことにつよい危機感を持ち、党勢を回復させるためには、通常の党内での意見具申とは違うかたちで、党内外をまきこんだ議論を起こすことが必要だという「政治的判断」を下しました。松竹さんはそういう意味ではすぐれて「政治的な人」だと僕は思っています(それは彼の「自衛隊を活かす」という発想からも知られると思います)。
 最初にボールを投げたのは松竹さんですが、それが結果的に右派メディアを含む「共産党叩き」を呼び出すことになった。これはまことに残念なことだと思います。僕が先に「困惑している」と書いたのはこのことです。もし、そこまでの展開を読めなかったとすれば、この点については松竹さんの「政治的判断」が不適切であったという批判は正しいと思います。
 問題はロジックの水準と、「政治」の水準の両方にかまわっています。
 松竹さんは政治的にふるまい、日本共産党も政治的にふるまった。その結果、共産党は多くメディアから手厳しい批判を受け、その結果無党派層の支持をいくぶんか失った。僕はそのことを残念に思うのです。
 共産党は「どんな難問でも一刀両断できる、政治的に正しい政党」ではなく、「難問に遭遇すると、困惑して、葛藤する常識的な政党」であって欲しいと僕は思っています。あるいは、実際にはそうでなくても、そのような政党であるかのようにふるまって欲しいと思っています。それはこれまでも書いてきた通りです。そういう政党なら、その政党が政権をとったあとに実現する未来社会は「どんな難問でも一刀両断できる、原則主義的な政府」ではなく「難問に遭遇すると、困惑して、葛藤する常識的な政府」を持つことになるはずだからです。
 僕はそういう「常識的な政府」の下で暮らしたい。そういうふうに考えています。
 長くなってすみませんでした。言いたいことがご理解頂けたらいいんですけど。

http://blog.tatsuru.com/2023/03/28_1605.html

2:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/29 (Wed) 09:52:03


アメリカとマルクス - 内田樹の研究室
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格差について - 内田樹の研究室
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1133.html

国民国家 対 グローバル資本主義
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1326.html

内田樹 - これから「米中露すべて衰退し、世界が多極化する」カオス化社会が到来する
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14064843

内田樹 「なぜ人を殺してはいけないのか?」
20世紀の倫理-ニーチェ、オルテガ、カミュ - 内田樹の研究室
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/520.html

内田樹の研究室 :有権者たちは「勝ち馬に乗る」ことを最優先して投票行動を行っている
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14014956

内田樹 嫌韓の構造
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/664.html

内田樹:全面的な対米従属、アメリカの企業に対する市場開放と、日本の公共財の切り売りさえしておけば政権は延命できる
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/398.html

比較敗戦論のために - 内田樹の研究室
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/301.html

民主主義をめざさない社会 - 内田樹の研究室
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/971.html

内田樹 生きづらさについて考える
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/647.html

内田樹 事大主義 権力者を批判したければ、まず自分が権力者になれ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/1024.html 

内田樹 パンデミックをめぐるインタビュー
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/982.html

内田樹 聖者とは何も考えないアホの事
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/980.html

「恥の文化」の力
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/778.html

生産性の高い社会のゆくすえ - 内田樹の研究室
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3:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/05/10 (Wed) 19:01:01

『若者よマルクスを読もう 資本論編』まえがき - 内田樹の研究室
2023-05-10 mercredi
http://blog.tatsuru.com/2023/05/10_1028.html

まえがき

 みなさん、こんにちは。内田樹です。
 本書は石川康宏先生との共著『若者よマルクスを読もう』のシリーズ最終巻です。マルクスの『資本論』をめぐって二通ずつ計四通の往復書簡を収録しました。それと、巻末に「関連文献」として石川先生の『イギリスにおける労働者階級の状態』についての書簡と中国語版に寄せた二人からの言葉を収録しています。
『若者よマルクスを読もう』は本書を入れてシリーズ全四巻、番外編として池田香代子さんをまじえた『マルクスの心を聴く旅』を含めると全五巻というものになりました。石川先生と二人でマルクスの主著を順番に全部読んでゆくという無謀な企画が始まって15年。ついに本書で終わったわけです。よく続いたものだと感慨無量です。
 マルクス読解の「先導役」の石川先生と、この気長な企画に忍耐づよく付き合って下さったかもがわ出版の松竹伸幸さんに、心からお礼を申し上げます。このあとの往復書簡の中でも二人への謝辞が繰り返されますけれど、それだけ感謝しているということで、おめこぼしください。
 
 この本はタイトルから分かる通り「若者」に向けて書かれたものです。最初に石川先生と話し合って、想定読者は「まだマルクスを読んだことがない(けれども、そのうち読むことになるのかなと何となく思っている)高校生」に設定しました。この「そのうち読もうかな」と思っている高校生が意を決して「じゃあ、マルクス読むか」と実際に一冊目を手に取るところまで持ってゆくのが僕たちの仕事です。そうやって書くとわずかな距離のようですけれども、「いつか読もう」から「さあ読もう」までの隔たりを乗り越えるためには(マルクスの好む言葉を借りれば)「命がけの跳躍」が必要です。
 僕たちの本は高校生たちにこの「命がけの跳躍」をしてもらうために書かれています。それだけが目的で書かれています。そういう意味では実にすっきりとした執筆方針の本です。
 想定読者と執筆の目的をはっきり決めておくのは本を書く上ではとてもたいせつなことです。「誰にでも気軽に手に取ってもらえる本」というのが初心者のための入門書の要件だとふつうは思われていますけれど、「誰にでも」というふうにあまり想定読者の層を拡げてしまうと、想定読者の像がぼやけてしまいます。できれば、想定読者の解像度は高い方がいい。

 もう一つたいせつなことは「読者を案内すること」です。
 マルクスのような巨大な哲学者・思想家の書いたものを、初心者が独力で読解し、解釈することはとても困難な仕事です。高校生の手持ちの知識や、手持ちの価値判断の枠組みではマルクスには容易には立ち向かうことができません。マルクスのようなスケールの思想家と向き合うためには、どこかで高校生が抱きしめている自分の「世界の見方」を手放さなければいけません。いったん自分のものの考え方を「かっこに入れて」、自分の価値観を「棚上げ」して、自分が見える世界とはまったく違う世界の光景をこの人は見ているのかも知れないということを仮説的にではあれ受け入れないと、話は始まらない。
 そう書くとなんだか難しそうですけれども、実際には高校生だってそれに類することはしてきたはずなんです。例えば、小説を読むというのはそれに似た経験です。
 自分の知らない時代の、はるか遠くの国の、年齢も、性別も、職業も、ものの考え方も、感情も、まったく違う人の中に想像的に入り込んで、その世界を生きる...ということは小説を読むときに誰もがしていることです。
 僕は10歳くらいのときにルイザ・メイ・オルコットの『若草物語』という四人姉妹が主人公の小説を読んで、生まれて初めて「少女」の中に想像的に入り込んで、「少女から見える世界」を経験しました。そのときに味わった解放感と浮遊感をいまでもよく覚えています。19世紀終わりのニューイングランドの女の子の気持ちと「同調」したときに、10歳の僕は揺り動かされて、「日本の10歳の小学生らしさ」が僕に強制していたものの考え方や感じ方から解き放たれて、なんだかずいぶん自由になった思いがしました。
 そして、それからは、できるだけ遠くの時代の、遠くの国の、自分とぜんぜん似てない人たちの「中に入り込む」ことから読書の愉悦を引き出すようになりました。
 哲学書や思想書の場合も、そこで得られるのは、小説を読む愉悦や解放感と本質的には変わらないと思います。哲学者たちの言葉づかいは小説家のそれに比べるとずっとごつごつしていますし、難解ですけれども、その哲学者や思想家が生きている時代の「生々しい現実」が彼らを駆動して、それを書かせているという点では小説家と変わりません。「どうしてもこれだけは言っておかなければ、死んでも死にきれない」というくらいの切迫を以て書かれたものだけが何世紀もの風雪に耐えて、古典として生き残っているのです。
 だから、哲学書や思想書というと、ずいぶん抽象的なことを論じているように思えるかも知れませんけれど、実際はすごく「リアル」なんです。よく読めばわかります。書き手の激しい息遣いや鼓動が微かにではあれ行間から読み取れるはずなんです。
 でも、この「行間を読む」という仕事が難しい。
 小説やマンガや映画の場合、作品世界の中に深く入り込むためには、別に専門的な読み方の「先導者」や「先達」は不要です。もちろん、そういう先達がいて、手を引いてもらった方がはるかに深く作品世界を経験できるのですけれども、誰にも教えてもらわずとも、僕たちは作品を自分なりの仕方で享受し、愉悦することはできます。
 けれども、マルクスのようなごりごりした本の場合は、どうしても「行間を読む」ためには「先達」や「先導者」が要ります。
 道を先に進んで、ときどき振り返って「ちゃんとついてきてるかい?」と声をかけてくれて、足場の悪いところでは手を差し伸べて引き上げてくれて、「ここがかんどころ」というところにたどりついたら、つるはしで硬い岩盤を叩き割って、「ほら、ここに耳を当ててごらん」と教えてくれる。そういう「先達」が必要です。その時に「先達」に言われるままに地面に耳を当てみると、たしかに書き手の激しい息遣いや鼓動が聴こえる。そういう「ポイント」がところどころにあるんです。それを教えるのが「先達」の仕事です。僕はそんなふうに考えています。
「この本にはこんなことが書いてありますよ」と分かりやすく教えるのは「先達」の仕事ではありません。そこまで踏み込んではいけない。何が書いてあるのか、それを見つけ出して、それを聴き取って、自分の中に収めてゆくのは読者自身のすべき仕事です。それは他の誰にも代行できませんし、代行させてはいけません。
 ですから、僕たちのような「先達」にできるのは、「ほら、ここに耳を当ててごらん」と言って、書き手の「生の声」が聴き取りやすいポイントを教えてあげることまでです。それ以上読者に影響を及ぼすことは自制すべきだろうと僕は思います。
 果たして、そういう抑制の効いた本を書き上げることができたかどうか、それはみなさんにご判断頂きたいと思います。
 僕がマルクスについて書くのはもうこれが最後になるかも知れません。ですから、最後にこれからマルクスを読もうとする勇敢な若い人たちに対して、祝福の言葉を贈って終わりにしたいと思います。

 あなたがたの哲学的未来が豊かなものでありますように。

 これは僕がずいぶん若い頃に哲学上の師であるエマニュエル・レヴィナス先生から贈ってもらった言葉です。それをみなさんにもお贈りしたいと思います。
 
2023年5月
http://blog.tatsuru.com/2023/05/10_1028.html
4:777 :

2023/08/10 (Thu) 02:59:52

『若マル資本論』韓国語版のためのまえがき
2023-08-08
http://blog.tatsuru.com/2023/08/08_1452.html

 みなさん、こんにちは。内田樹です。
 『若者よマルクスを読もう』の最終巻、『資本論』編の韓国語訳をお手にとってくださってありがとうございます。
 この『若者よマルクスを読もう』はマルクスの主著を中学生・高校生のために解説するために企画されました。『共産党宣言』から始まって、番外編『マルクスの心を聴く旅』を含めての全5冊のシリーズ。この『資本論』で完結します。
 と書くと、「え、私、中学生高校生じゃないんだけど・・・この本の読者に想定されていないんじゃのかしら」と思った方がおられると思います。大丈夫です。この本は「まだマルクスって、ちゃんと読んだことないんだけれど、そのうちにいつか読まないといけないな」と思っているけれどたまたままだその機会に恵まれない方のための本です。別に年齢とかは関係ないです。
 それから、もう一つご注意があります。それは、この本を読んだ方が「ああ、これ読んでだいたいマルクスのことはわかったわ。これで『資本論』とか読む必要なくなった」と思われては困るということです。これは「じゃあ、いよいよマルクスを実際に読んでみるか」という気分になってもらうために、「背中を一押しする」ための本であって、これで「マルクスがわかった気」になるための本じゃないんです。
「え、この本を読んで、それからさらにマルクスも読まないといけないの?だったら二度手間じゃない。それならはじめからマルクス読んだ方が話が早いじゃないか」と思った方もおられるでしょう。その気持ちはわかります。でもね、そうはゆかないんです。マルクスのような巨大な思想家の著作に取り組むときは、素人がいきなりとりついても無理なんです。巨大な壁がたちはだかっているんですから、どうしても「道案内人」が必要なんです。どういう登山ルートがあって、どの辺に難所があって、どの辺に迷い道があって、どの辺で道を踏み外すと転落するか...ということを知っている人が必要です。
 この本の二人の著者では、石川さんは若い時に正統的な道案内人にしたがって難所をくぐり抜けて、ご自身もベテランの道案内人になった方です。僕の方は若い時には「道案内人なんか要らないよ」と豪語して、無謀なマルクス単独行を敢行して、そこらじゅうで痛い目に遭って、「やっぱり道案内人がないとまずいわ」と思うに至った人間です。
 そういうタイプの違う二人の道案内人がみなさんをマルクスという巨峰への登攀にお誘いしようというわけです。でも、あくまで登るのは皆さんご自身です。僕たちは案内をするだけで、実際に汗をかいて、足を痛めて歩くのはみなさんご自身です。僕たちの仕事は「とにかく、この山に登りましょう」とお誘いし、その気になった人がいたら、ルートをいくつかご案内するところまでです。

『共産党宣言』から『資本論』の間には二十年以上の歳月があり、マルクスの思想も、その時代の歴史的経験を通じてかなり変化しています。『若者よマルクスを読もう』シリーズは主著を年代順に解説しておりますけれども、みなさんは別に初期マルクスから始めて、晩期マルクスに至るという順序で読まれる必要はありません。「手に取ったのも何かの縁」です。ですから、この『資本論篇』から読み始めてくださってもぜんぜん構いません。どの時代のマルクスも、それぞれに深い思想を語っていて、そこに伏流する「社会は公正なものであるべきだ」という信念に揺らぎはないからです。

 マルクスの解説書がこうして韓国語訳になって、多くの人たちの手に取ってもらえるということを僕たちはとてもうれしく思っています。
 ご存知の通り、韓国には今も国家保安法という法律があって、朝鮮民主主義人民共和国と共産主義を賛美する行為及びその兆候は処罰の対象となります。事実上空文化しているとはいえ、この本のように「マルクス主義を賛美する」ことを主たる目的とする書物が堂々と書架に並ぶ時代が来たということには多くの方が「隔世の感」を覚えておられることでしょう。これはいったいどんな歴史的変化を意味するのでしょうか。これが韓国におけるマルクス主義運動の再評価の兆しであれば、僕はうれしく思います。
 朝鮮共産党は1925年に日本の統治下のソウルで結成されました。東アジアでは、インドネシア共産党(1920年創設)、中国共産党(1921年創設)、日本共産党(1922年創設)に続いて創設された「老舗」です。みなさんの国でも、マルクス主義の歴史はずいぶん古いんです。
 1919年の三・一独立運動の流れの中で生まれた朝鮮共産党は、朝鮮の独立をめざす運動でしたから、当然日本の官憲から激しい弾圧を受けましたが、それでも生き残り、1945年の日本の敗戦と同時に党は再建されました。しかし、ソ連が支配する朝鮮半島北部に党中央組織を作ろうとする人たちと、南北一体の組織維持を目指す人たちが対立し、組織は南北に分裂します。南の組織(南朝鮮労働党)は韓国政府に弾圧され、党員たちの多くは北へ逃れましたが、のちに金日成によってほぼ全員が粛清されました。
 この人たちはマルクス主義の名において、朝鮮半島の統一と独立、市民の自由と平等をめざして戦い、その多くは日本政府、韓国政府、そして北朝鮮政府によって殺されました。この先駆的なマルクス主義者たちひとりひとりの事績の評価については歴史学的な検証を待つ必要があると思いますが、運動の目標そのものは正しかったと僕は思います。
 でも、朝鮮半島におけるマルクス主義の歴史は戦後の韓国の「正史」ではあまり詳しくは言及されてきていませんでした。おそらく多くのマルクス主義者は「国賊」とか「スパイ」というラベルを貼られて、断罪され、忘却されてしまったのではないでしょうか。
 いま、マルクスについての本が韓国の読者に求められているということは、もしかすると、韓国の人たちが自国における「マルクス主義の100年」について、その暗部も栄光も含めて正面から向き合おうとしている徴候ではないか、そんな気が僕にはします。そうであれば、そのような国民的な事業の一助となれることは僕たちにとって大きな喜びです。

http://blog.tatsuru.com/2023/08/08_1452.html
5:777 :

2023/10/15 (Sun) 09:08:08

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白井さんと話したこと - 内田樹の研究室
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パリ・コミューンについて - 内田樹の研究室 2019-03-05
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『アメリカは内戦に向かうのか』バーバラ・F.ウォルター - 内田樹の研究室
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内田樹 - これから「米中露すべて衰退し、世界が多極化する」 カオス化社会が到来する
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内田樹:全面的な対米従属、アメリカの企業に対する市場開放と、日本の公共財の切り売りさえしておけば政権は延命できる
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中国最新事情 - 内田樹の研究室
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上海の近況 - 内田樹の研究室
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生産性の高い社会のゆくすえ - 内田樹の研究室
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「人口減少社会の病弊」 - 内田樹の研究室
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内田樹 事大主義 権力者を批判したければ、まず自分が権力者になれ
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内田樹 「なぜ人を殺してはいけないのか?」
20世紀の倫理-ニーチェ、オルテガ、カミュ - 内田樹の研究室
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「歴史戦」という欺瞞 「関東大震災と朝鮮人虐殺、南京大虐殺」- 内田樹の研究室
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ある共産党員への手紙 - 内田樹の研究室
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アメリカとマルクス - 内田樹の研究室
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書評・白井聡「武器としての「資本論」(東洋経済新報社刊) - 内田樹の研究室書
2020-06-12
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白井さんと話したこと - 内田樹の研究室
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パリ・コミューンについて - 内田樹の研究室 2019-03-05
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『アメリカは内戦に向かうのか』バーバラ・F.ウォルター - 内田樹の研究室
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内田樹 - これから「米中露すべて衰退し、世界が多極化する」 カオス化社会が到来する
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生産性の高い社会のゆくすえ - 内田樹の研究室
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「人口減少社会の病弊」 - 内田樹の研究室
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内田樹 事大主義 権力者を批判したければ、まず自分が権力者になれ
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内田樹 「なぜ人を殺してはいけないのか?」
20世紀の倫理-ニーチェ、オルテガ、カミュ - 内田樹の研究室
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「歴史戦」という欺瞞 「関東大震災と朝鮮人虐殺、南京大虐殺」- 内田樹の研究室
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6:777 :

2024/01/19 (Fri) 16:13:35

朴先生からのご質問「原理主義について」- 内田樹の研究室
2024-01-17 mercredi
http://blog.tatsuru.com/2024/01/17_1736.html

 さてここで第二番目の質問です。
 マルクス主義あるいはフェミニズムへの盲信と、内田先生のレヴィナス信奉との根本的差異をお聞きしたいと思います。いや、私にはなんとなくわかるんですが、内田先生はレヴィナスへの「帰依」、批判者への「筆誅」という言葉をお使いになるので、韓国読者に対しては、そのへんをクリアしていただければと思います。

 二番目の質問にお答えします。朴先生はもう「なんとなくわかる」とお書きになっていますけれど、その通りです。僕の答えはいつもと同じです。僕がある種のマルクス主義者やある種のフェミニストに対して異議を申し立てしているのは、その「原理主義的」な姿勢が不適切だと思うからです。
 マルクス主義もフェミニズムもすぐれた思想であり、それまではっきりとは意識化されてこなかったさまざまな社会的な不正や非道を前景化して、社会を「より住みやすいもの」にしたことについては多大な功績があります。僕はその功績は率直に認めますし、敬意も払います。でも、マルクス主義者もフェミニスト、その他の「主義者」たちの多くが陥るピットフォールは「切れ味のよ過ぎる思想的利器」を手にしたときに、それで「すべてのものを切りさばきたい」という欲望を抑制できないことです。
 いかなる思想でも、それが効果的に適用できる分野と、あまり有効でない分野と、全く有効でない分野があります。例えば、マルクス主義やフェミニズムで文学や映画や音楽や美術を論じることは「適用過剰」だと僕は思います。そして、「適用過剰」によって、それらの思想はむしろその本来の寿命を短縮してしまったように見えます。

 僕が中学生から大学生、大学院生だった頃、60年代から70年代にかけては、マルクス主義の全盛期でした。その時期、マルクス主義者たちは政治や経済や歴史について語るだけにあきたらず、芸術の領域にまで踏み込んできました。そして、個々の作物について、そこに「階級意識があるかどうか」「革命的かどうか」「前衛的であるかどうか」をうるさく査定するようになりました。僕はそれにうんざりしていました。僕はとにかく「査定されること」が大嫌いだったからです。できあいの「ものさし」をあてがわれて、査定されて、格付けされて、点数をつけられることが僕は骨の髄から嫌いなのです。
 僕の書くものに階級意識が欠如していようと、革命性がなかろうと、そんなことは僕にはどうでもいいことです。僕はどうしても言いたいことがあるので書いている。「こういうふうに書くと階級意識があると評価される」というような査定基準を横目で見ながら書くなんて、まっぴらごめんです。
 そもそも「他の人間が書いた模範に従って書け」というのは、「僕が書かなくても、誰かが似たようなことを代わりに書くようなことを書け」ということです。それは言い換えると「私が存在してもしなくても、世の中には何の変化もない」と宣言するということです。これは自分に対する「呪い」です。
 僕は久しく「僕が語らなければ、他に僕と同じことを語る人がいないこと」だけを選択的に語ってきました。そうでなければ、ものを書く甲斐がありません。誰かが僕に代わって、僕が言いたいことを過不足なく語ってくれるなら、僕は別の「僕がしないと誰もしそうもない仕事」を探して、それをします。
 そういう人間にとって、この「マルクス主義的査定」は耐えがたいものでした。さいわい、マルクス主義者たちがあちこちで人々の意識や、創作物における「階級意識の欠如」をうるさくとがめているうちに、みんなうんざりして、誰も彼らの話を聴かなくなりました。
 やれやれと思っていたら、80年代にフェミニストたちが登場してきて、今度は「ジェンダー・ブラインドネスをはしなくも露呈し」とか「無意識の男性中心主義が行間からにじんで」という「フェミニズム的査定」が始まりました。
 僕自身はそれまでも女性の権利拡大にはつねに賛同してきました。ご存知の通り、僕は家事労働を進んで引き受ける夫でしたし、育児については妻以上に熱心な父親でした。フェミニズムの政治的主張については最大限の敬意を払ってきました。
 でも、文学や映画にまでフェミニズムが入り込んで来て、作品の良否を言い出したことについては反対しました。僕のフェミニズム批判の書『女は何を欲望するか』はたしか韓国語訳が出ていると思いますけれども、フェミニズム言語論と文学論に対する反論です。
 勘違いしないで欲しいのですけれど、僕は社会理論としてのフェミニズムにはまったく反対していません。そうではなくて、それが適用されるべき領域(政治や経済や社会問題)には適用し、それが適用するのが不適切な領域(映画や文学)に持ち込むのは抑制的であって欲しいと言っているだけです。
 その頃フェミニストたちの集会で「身体論」についての講演することがありました。講演の後に、フロアーにいたフェミニストから「あなたの身体論は100%男性至上主義的な観念論である」と言われました。僕の語る身体論には全くジェンダーの観念がないからだそうです。彼女によると、女性は自分の身体を考えるときに、おのれの女性性をまず意識し、徹底的にそれに繋縛される。ところが、内田はそのことが全然わかっていないと言われました。
 僕はしかたなくこう反論しました。もし、自分の身体をとらえるときに、「私は日本人としてしか身体をとらえることができない」とか「私はキリスト教徒としてしか身体をとらえることができない」とかいう人がいたら、「国籍とか信教とかいう人工物を経由してしか身体にアプローチできないとは、ずいぶん不自由ですね」と僕なら言います。
 僕たちが武道で扱っている身体は、骨格筋とか関節とかいう解剖学的な身体から始まって、呼吸や経絡や「気の流れ」のような計測不能のものにまでに及びます。そのレベルでの活動には、自分が社会的に何者であるかというようなことはもうまったく関与しません。分子生物学レベルには、人種も国籍も信教も年齢も性別もありません。ですからもし、あなたが「私たちにとっての身体とは『女性であること』に尽くされて、いついかなる場合でも『女性であること』から抜け出すことができない」と本気で思っていらっしゃるなら、あなたは武道にはまったく向いていないですと答えました。
 僕はどんなものであれ「原理主義的なもの」が嫌いなのです。そして、原理主義的立場から「できあいのものさし」でものごとの良否を査定できると思っている人たちが嫌いなのです。
 
 では、僕のレヴィナスに対する「帰依」はどうなのか、それは原理主義ではないのか、というお訊ねが続きます。
 ご存知の通り、僕は「レヴィナスの弟子」であって、「レヴィナス主義者」ではありません。「レヴィナス主義者」であるためには、「レヴィナスが何を言おうとしているか私は知っている」ということが前提になります。そうであるからこそ「レヴィナス主義に照らして」、ものごとの良否を判断できる。でも、僕はそもそも「レヴィナスが何を言おうとしているのかよくわからない」から「弟子」をしているわけです。40年以上読んで来て、まだよくわからない。そんな人間が「レヴィナス主義」の名において、何ごとかを断定的に述べることはできません。
 僕がしているのは「伝道」です。「とにかくレヴィナスを読んでください」と道行くみなさんにとりすがって懇請している。
 ですから、僕はこれまでさまざまな方のレヴィナス論を読みましたけれど、一度として「おまえはレヴィナスが読めていない」とか「おまえのレヴィナス理解は間違っている」とかいう論評をしたことはありません(されたことは多々ありますが)。それは他人のレヴィナスの理解度を査定する権利が僕にあるとは思っていないからです。
 レヴィナスは「開かれた謎」として等しくすべての読者の前にあります。そこからひとりひとりの読者はその人固有の「意味」を読み出し、それを通じて、知性的・感性的・霊性的な成熟を遂げることができる。僕の仕事は「レヴィナスという人がここにいるよ」と告げるだけです。レヴィナスをどう読むかは、ひとりひとりの自由です。そういう人間のことを「レヴィナス主義者」と呼ぶことはできないと思います。

 最後に「筆誅」の件ですけれど、これはあるフェミニストがレヴィナスはただのセクシストだと評したことに対して、「伝道者」として抗議したものです。レヴィナスであれ誰であれ、「縮減する読み」に対して僕は抗議します。自分に理解できないところについては、「理解するに値するものは何もない」というのは、いくらなんでもひどい。
 レヴィナスをどう読むのもその人の自由ですし、「私はレヴィナスをこう読んだ」ということを語る自由はどなたにもあります。多様な「読み」が共生することが何よりの僕の願いです。ですから、「私はこう読んだ。そして読む価値がないと判断した。だから、みんなも読むな」という方向に読者を導くような読みは「伝道者」としては許すわけにはゆきません。それだけの話です。お分かり頂けたでしょうか。


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