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ちばてつや『あしたのジョー』1968年

1:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/25 (Sat) 14:02:18

ちばてつや『あしたのジョー』1968年
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2:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/25 (Sat) 14:04:25

『あしたのジョー』 は、原作:高森朝雄(梶原一騎)・作画:ちばてつやによる日本の漫画作品。ボクシングをテーマにしたスポーツ漫画である。

『週刊少年マガジン』(講談社)に、1968年1月1日号(発売日は1967年12月15日)から1973年5月13日号にかけて連載された。2010年12月時点で単行本累計発行部数は2500万部を突破している[1]。


『週刊少年マガジン』連載中から社会的反響は大きく、ジョーのライバルである力石徹が作中で死んだ時には、架空の人物であるにも関わらず、寺山修司の提案で天井桟敷のメンバーにより東由多加演出による葬儀が行われた(1970年3月24日、講談社講堂にて)。また1970年3月31日に発生したよど号ハイジャック事件では、ハイジャック犯が「われわれは明日のジョーである」(原文ママ)と声明を残している。さらに、辰吉丈一郎をはじめ現実のボクシング界にも大きな影響を与えた。

これら社会的反響の大きさから、「戦後最大のヒットマンガ」の1つに数えられ、劇画路線にシフトした昭和40年代の『週刊少年マガジン』を『巨人の星』とともに支えた。

『週刊少年マガジン』の創刊50周年・『あしたのジョー』の連載40周年を迎えた2008年にはカレンダーやタオル・時計(G-SHOCK)などの記念モデルがリリースされ[要出典]、2010年代以降は展示施設での企画展が複数開催されるなど、発表から40年以上を経ても一定の関心を集め続けている。

タイトルは原作者が井上靖の「あした来る人」を読んでいて、そこから閃いたものである。

あらすじ
東京・山谷のドヤ街に、ふらりと一人の少年が現われた。矢吹丈(ジョー)と名乗るその少年に一方的に叩きのめされたアル中の元ボクサー・丹下段平は、ジョーと地元暴力団・鬼姫会の連中との乱闘から天性のボクシングセンスを見いだし、一流のボクサーに仕立て上げようと口説き始める。しかしジョーは、自分に向けられる段平の情熱を利用し、小遣いをもらってはドヤ街の子供たちを引き連れて乱行を繰り広げた揚げ句、犯罪にも手を染め、警察に逮捕されて少年鑑別所へと送られてしまった。

そんなジョー宛てに段平から「あしたのために」の書き出しで始まるハガキが届いた。その内容は、左ジャブの打ち方から始まるボクシング技術の講義であった。時間と体力を持て余していたジョーは、そのアドバイスに従ってボクシングの練習に身を入れるようになり、やがて自分のパンチの切れが、今までと比べものにならないほど向上していくのを実感する。

鑑別所から西寛一と共に野菊島の東光特等[注釈 1]少年院へ移されたジョーは、豚小屋掃除の際に、西の提案で豚たちを暴れさせ脱走を試みた。しかし、ライバル・力石徹にその邪魔をされてコテンパンに叩きのめされた。その後、小馬鹿にしていた青山とのボクシング対戦で防御法を身に着けたものの、宿命の対決が再戦されないまま力石は先に少年院を出た。遅れて少年院を出たジョーはなんとかプロボクサーライセンスを取り、強引な手腕でウルフ金串との対戦を実現させて、フェザー級からバンタム級へ転向した力石との対戦をも実現する。

減量による力石の変わりようは見られたものではなかったが、激闘の末にジョーは敗れた。しかし、勝った力石は減量の無理がたたって試合終了後に倒れ、そのまま死亡する。力石を死なせたショックで対戦相手の顔面を打てずに満足な試合を行えなくなったジョーは、それでもボクシングを捨て去ることなく、ドサ回りのボクサーに身を落とし罵声を浴びながらも試合を続けるのだった。

ボクシングに対する苦悩の末、強敵カーロスとのスパーリングで顔面を打てないという後遺症を乗り越えて復帰を果たし、本格的にボクシングの道へと足を踏み入れることとなったジョーは、金竜飛やハリマオとの対戦を経て遂に、世界チャンピオンの座を賭け最強のボクサー・ホセ・メンドーサとの闘いに挑んだ。

しかし、パンチドランカーに冒されていたジョーは、善戦むなしくホセに判定負けを喫して敗れ去ってしまう。試合後、ジョーはグローブを葉子に手渡した。灰のように真っ白に燃え尽きたジョー。しかし、その顔には満足げな微笑みがあった。

執筆の背景と経緯
連載開始までのきっかけは、ちばてつやが『ハリスの旋風』を描くための過程で取材したボクシングに感銘を受け、後継作品として構想していたことが原点になっている。ちょうど同時期に、ボクシング作品の提供先を模索中だった原作者の梶原一騎と、週刊少年マガジンの編集部が両者を引き合わせて、共作合意したのが始まりである。

ちばは当初、梶原と共作する考えまで至っておらず、「これから描くボクシング漫画の参考になればいい」と、編集部との付き合い程度の気持ちで梶原と面会したら、既に決定事項の雰囲気になっていたことを明かしている。

本作において、梶原一騎は「高森朝雄」名義で原作を手がけている。これは梶原一騎の名前を用いると『巨人の星』のような熱血スポ根もの作品であるという先入観を持たれかねない、と危惧したためであることと、当時連載中であった『巨人の星』と同一誌に掲載するにあたり、同一原作者による作品を併載している事実を隠すためであったという。このため、高森朝雄=梶原一騎という事実は、連載開始後もしばらく公表されなかった。高森朝雄というペンネームは、梶原の本名・高森朝樹に由来しており、本作品以前にも使用されたことがある。

当時の梶原は、原作の改変を激しく嫌うことで有名だった。しかし、ちばてつやは本作の作画を引き受けるにあたり、「時と場合に応じて、こちらの方で原作に手を加えさせてくれ」と注文をつけた。担当編集者が恐る恐る梶原にその旨を伝えたところ、「手塚治虫とちばてつやは別格だ、いいでしょう」と快諾した。だが連載1回目、ちばはいきなり「話の導入部がわかりづらい」と梶原の用意した原稿を丸々ボツにし、自ら新たに第1話のストーリーを作り上げた。「好きに手を加えてくれ」と言った梶原もさすがにこれには「こんな馬鹿くせえことやってられるか!」と憤慨し、連載を止めるとまで言い出した。ちばは「新鮮な素晴らしい材料を揃えてもらうのが原作、その原作を料理して美味しく食べやすく味付けをするのが僕の仕事」というスタンスを持っており、ちばはそうした作法を梶原と話し合うことで梶原はこれを納得することとなった[2]。

力石の死
力石徹の減量と死のエピソードは、ちばと梶原の設定確認の行き違いによって生まれたものである。ジョーと力石の初対面シーン、渡された原稿の一文を自分なりに解釈したちばは、力石の身長をジョーより頭一つ分高く描いてしまった[3]。発行された誌面を見てそれを知った梶原は、この身長差では二人が同じ階級で戦えないということに気付き、後に話の辻褄を合わせるため「これで死ななきゃ嘘だ」とまで思わせるほどに人間の限界を超える過度の減量を力石に強いねばならなかった[3]。

力石をどうするかで、梶原は力石を殺したいが、ちばは生かしておきたいということになり、口論になった。ここで梶原が「力石は、絶対殺す!」と発言。口論の場となった新宿のバーのバーテンダーが梶原の発言を聞いて本物の殺人予告だと思い込み、警察に通報した。最終的には編集次長の宮原照夫がちばを説得、力石は試合後に死ぬという方向に決まった[4]。もっとも、ちばは斎藤貴男の後年のインタビューに対しては「力石には、もう死相が出ていた」と話し、ここで殺さなければ「その後の力石に何をやらせても、それは堕落にしかなりはしないとも考えた」という[5]。

『週刊少年マガジン』の1970年第9号(2月22日号)にて力石が試合後に死亡したのを受け、1970年3月24日には寺山修司の呼びかけで、天井桟敷により文京区の講談社講堂にて力石の葬儀が行われた(構成・演出東由多加)[6]。現在は実在しない漫画キャラクターの葬儀として語られることが多いが、葬儀自体はアニメ版(1970年4月1日に放送開始)の主題歌を歌っていた尾藤イサオがライブ形式で歌いだすなど、力石戦で人気が最高潮に達していたことをきっかけとした、ファンイベント的な要素が強かったようである。当時のこの作品に対する注目度がいかに高かったかを示すエピソードになっている。また、2002年5月9日には雑誌『ジョー&飛雄馬』の創刊イベントとして、講談社講堂で力石の33回忌献花式が行われた[7]。

『トリビアの泉』で「力石徹は作者のつじつま合わせで死んだ」というトリビアが紹介され、ちばがVTRで『彼(力石)には申し訳なく思っている』とコメントしている[3]。

ラストシーン
ちばの後年の回想によると、梶原から伝えられたラストの内容は「ホセ・メンドーサに判定で敗れたジョーに、段平が『お前は試合では負けたが、ケンカには勝ったんだ』と労いの言葉をかける。ラストシーン、白木邸で静かに余生を送るジョーと、それを見守る葉子の姿」というものだった[8]。これに対してちばは「ここまでやってきて、『ケンカに勝った』はないじゃないか」と考えて、電話で「ラスト、変えますよ」と梶原に伝え、梶原も「ああ、任せるよ」とこれを承諾した[8]。その結果出来上がったのが「真っ白に燃え尽きた」ラストシーンであった。

幻のラストシーンともいえる「白木邸で静かに余生を送るジョーと、それを見守る葉子の姿」は民放バラエティ番組と、2019年8月5日放送の『ごごナマ』(NHK総合テレビ)においてちばの直筆色紙で紹介されている。梶原が書いた原稿をちばに渡す前に見ていたという真樹日佐夫も最終回について、ちばとほぼ同様のことを述べているが、ラストシーンがパンチドランカーとなったカーロス・リベラと共に療養所のような所で笑顔で戯れている姿で終わっていたと書いている[9]。

上述の経緯でちば自身がラストシーンを作ることが決まり、アシスタントとともに締めくくりをどうすべきか考え、20通りのアイデアが出るもどれもちばの納得のできる内容ではなく、締め切り時間が刻々と迫る中、悩んでいたところ、本編を最初から読み返していた当時の担当編集者が、ジョーが紀子に「ほんの瞬間にせよ、まぶしいほどまっ赤に燃えあがるんだ。そしてあとにはまっ白な灰だけが残る。燃えかすなんか残りやしない。まっ白な灰だけだ」と語るシーンを発見し、「これこそあしたのジョーのテーマではないか!」とちばに差し出した[10]。ちばはこの意見に同意し、これを基にラストシーンを描き上げた。その後、5日間は何もできず、「ご飯もおかゆしか食べられなくて、家族も心配していた」と週刊誌の取材に述べている。

連載最終回付近では、「ジョーが死亡するかもしれない」といった特集記事も組まれ、完結間際のジョーの世界タイトルマッチに入ってからも、その社会的人気は衰えることはなく、最終回は増ページで掲載、表紙は原作者梶原と作画のちばの双方がリングに立ち、本作の登場人物が観客として二人を労い、表紙全体を「どうどう完結」としてジャックするという破格の扱いであった。

連載終了後しばらく、ちばはジョーの絵が全く描けなくなったという。また後年「今でもたまにジョーや力石のイラストを描くが、あの頃の迫力には全く及ばない」とも語っている。現在でも特に、ラストシーンについて、「ラストシーンの再現は無理。あの時のテンションには戻れない」とテレビ番組『行列のできる法律相談所』の「100人の絵で作るカンボジア学校健設プロジェクト」でジョーの絵を依頼された際に述べている。

矢吹丈の生死
ジョーが燃え尽きた実態に関して、ちばてつや自身の発言には変遷が見られる。執筆当時のちばは、生死について全く考えていなかった[11]。後のインタビューで「子供向けには「今日のリングに負けても、また明日も勝利を目指して戦い続けるジョー」」「大人向けには「文字通り真っ白な灰になるまで、燃え尽きるまで戦った男・ジョー」」という双方の生き方を読者それぞれが感じたまま受け止めてくれればいい、と語った。しかしながら続けて「自分の中ではこの終わりは(ジョーが死んだか否か)確実に決まっている」と発言した。さらに後年では、『タイトルに「あした」と付くくらいだからジョーは死んではおらず、明日も太陽に向かって白木葉子と共に歩き出していると思う』というジョー死亡説を否定するような発言もした[12]。

2011年に熊本県湯前町の湯前まんが美術館での「あしたのジョー」原画展に合わせて、町農村環境改善センターで行われたトークショーにおいて、「丈は死んでいない」との発言をした[13]。医学的な観点から論じると、疲労で死亡した場合、微笑むなどの顔の筋肉の運動や椅子に座った姿勢を保つようなことは不可能であるため、疲れて休んでいるだけに過ぎないと一部の専門家が指摘していたが[14]、ちばはそういった医学考証の裏付けで作画した訳ではない[11]。

2014年に、CS番組『漫道コバヤシ』に客演したコメントによると「矢吹ジョーの生死に関しては原作者・梶原一騎の考えもあり既に故人であるため、もう確実なことは言えない。自分が描いたのは、ジョーの燃え尽きた姿がそこにあるという最後が全てであって、生死についてはどうでもよかった」と説明している。また、ジョーは生きているかもしれないという過去の発言は「心情的にジョーが生きていてくれた方がホッとするから、そう言ったのかもしれない」と弁明している。そして、いずれにせよ原作者が亡くなっている以上、もはや想像の域を出ないことを示唆した。

2018年3月の東京中日新聞のインタビューで、「死んでいませんよ。持っている力をすべて出し切り、真っ赤に燃えて白い灰になるというイメージ。ただただ燃え尽きた」と答えている[15]。

外部からの見解として梶原の実弟である真樹日佐夫は、「死んだとは描いてない、白い灰はあくまで比喩」と語っている[16]。漫画評論家の夏目房之介も、「ジョーの身体が次のページ方向を向いており、リングの線も同じように途切れずに向かっていることから明日があることを意味している」と解説した[17]。

両作者による後の評価
梶原は後年「あしたのジョーはちばてつやの作品であり、社会現象も彼のおかげだ」とさいとう・たかをに語っているが、ちばは「ジョーはね、私の物でなければ原作者の物でもありません。もうジョーは読んで下さった読者のみなさまの物ですから」と西原理恵子の著書『西原理恵子の人生画力対決』にて語っており、近年流行っている漫画のリメイクなども「オファーはあるが自分の一存では決められない」という[要文献特定詳細情報]。

表現に関して
制作年代の制約から21世紀においては出版物での使用が困難な用語が多く、ジョーが力石の死によって、一時的に相手のテンプル(頭の側面)を打てなくなった際、段平が「やつ(矢吹丈)はかたわだ」と言ったセリフは現在自粛され、「ボクサーとして欠陥品だ」に差し替えられた。アニメ『あしたのジョー2』の東京MXテレビでの再放送では当該カットが削除されていた。[要出典]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%82%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC

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