777投稿集 2483408


日本語は難し過ぎる

1:777 :

2023/03/14 (Tue) 06:00:15

【ゆっくり解説】日本人は何者?日本語の特殊性が奇妙すぎる...(海外の反応)
2023/02/28
https://www.youtube.com/watch?v=CUB_EPKmIEk

日本語の特殊性について解説!
外国人の反応とは?

====目次====
0:00 冒頭
1:32 文字が多すぎる
4:04 音読み訓読み
6:49 一人称が多すぎる
9:59 オノマトペを多用する
12:29 語順が謎すぎる
14:33 表現が曖昧すぎる
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○○○ 世界で最も《 繊細 》な表現をもつ日本語 ○○○

 雨や風といった自然の気象を表現する言葉や、魚を分類する言葉などの具体例を調べてみるならば、日本語の中に存在するそれらの数の多さに誰もが唖然とすることでしょう。日本語は、外的な事物を対象にした場合のみならず、内的な世界に向かう場合であっても極めて繊細なのです。

 日本語、英語、中国語、台湾語の4ヶ国語を自在に語れる、台湾の李登輝・前総統は、「じっくり考えたい時、私は日本語で考えている」 と語っているそうです。

 私は中国語を話せませんが、100ページ分の中国語を日本語に翻訳すると、どうしても150ページになってしまうことを経験しています。中国語には現在・過去・未来という時制がないこと等も原因の一つですが、対人関係や周辺状況などによっておのずと表現の異なってくる日本語の繊細さが、中国語にはないのです。

 この言語的特長は、「日本人が中国人(外国人)に対して、相手を気づかった繊細な表現をしても無駄である」 ことを示しています。中国語には繊細な表現がないのですから、日本語の繊細さがおのずと生み出している 「日本人の謙虚な態度が、中国人(外国人)には伝わらない」 のです。また、「中国の政治的傲慢さの出所は中国語を話す民族であるから」 とも言えるのです。

○《繊細さ》 それは日本語の中に生きている横の秘儀である 【現実世界での日本の優位性】○

 認知心理学の表現を借りると、「認識できないものは存在しない」 ことになります。言い換えるならば 「言葉で表現できないものは存在しない」 ということです。つまり、「細やかな表現を持つ日本人にとって存在する世界が、細やかな表現を持たない外国人には存在しない」 のです。このことを逆の方向から表現するならば、「言葉で表現できない外国人に創れないものが、言葉で表現できる日本人には創れる」 ということになります。

 常に未知の領域を目指して開発されてゆく最先端産業技術の領域や、繊細な感情表現を背後に内包するアニメなどのストーリー展開において、日本語を話せる人のみが、常に世界の先頭に立って、開発し生産し表現し続けることになるのは必然的なことなのです。

 さて、次に 《繊細》 さ とは全く逆と思われる、《曖昧》 な 表現が活きる日本語の特徴を、その背景から探って見ましょう。

●●● 曖昧な表現が活きる日本語の背景 ●●●

 今日では、日本のアニメがもたらした 「カワイイ(可愛い)」 とか 「ビミョー(微妙)」 といった意味の曖昧な単語が、世界中に広がっています。輸入先の各国では、これらの言葉がいろんな場面によって、異なった意味に用いられているため翻訳できず、「日本語の音」 をそのまま印刷して出版しています。

 言うまでもないことですが、日本語を話す日本人どうしならば、曖昧語を用いた表現でも即座にコミュニケーションが可能です。その理由は、「細やかな感情表現」 や 「音が媒介する意味の広がり」 を言葉の背後で共有しているからです。

■ 細やかな感情表現を持つ日本語 ■

 細やかな感情表現の有無を比較するには、小説や映画のラブストーリーの描かれ方を見るのが例として相応しいでしょう。
 外国のラブストーリーの面白さは、階級や身分の異なる者どうしが、それらの障害を乗り越えて互いを求め合うという “ 状況の中 ” にある ものが殆どです。 故にストーリー展開に引き込まれる傾向があります。「ロミオとジュリエット」 や 台湾・中国でブレイクした 「寒玉楼」 など、みなこのパターンに分類されます。 一方、日本人が心打たれるラブストーリーとは、「相手を思いやる優しさ」 とか、「相手を労わる美しさ」 とか、「惻隠の情」 といった “ 情感の中 ” に見出されるものなのです。

 繊細な日本文学や、日本映画だけを対象にし日本人の審査員だけが選ぶ日本映画大賞の最優秀作品の良さ(美しさ)を、外国人が分るかどうか、日本語の特徴から考えて、かなり難しいと思うのです。

■ 音が媒介する意味の広がりをもつ日本語 ■

 具体例を挙げるならば、「神」と「火水」、「姫」と「秘め」、「松」と「待つ」、「結び」と「生す霊」、「日の本」と「霊の元」、「性」と「生」と「正」と「聖」と「誠」、「愛」と「天意」、「真剣」と「神権」 など、神道の世界では、一つの音を聞いて同音の単語を瞬時に複数思い浮かべることは、「一を聞いて十を知る」 ための大前提になっているのです。神道の世界はここから始まると言っても過言ではありません。

 派生的な事例ですが、日本語の特徴として、音で表現する擬態語や擬声語が非常に多いことが挙げられます。 「ヨタヨタ歩く」 と 「ヨロヨロ歩く」 の違いを日本人に説明する必要はありませんが、外国人にこの違いを理解してもらうためには、ややこしい単語を用いて説明することが必要になります。 前編に記述してきたように、古代の日本人は現代の日本人より遥かに音(言霊)に対して敏感だったようですが、現代の日本人であっても、音としての日本語の特徴に多くを依存して使い分けを行っているのです。

●《言霊》それは日本語の中に生きている縦の秘儀である 【精神(霊的)世界での日本の優位性】●

 音は言葉以前の原初的なものです。日本人が自然の美しさや自然に対する畏怖を感じた時、深い感情をともなって、「ああ」 とか 「おお」 等の母音の単音表現が出てくるのです。感情表現としての音、この原初的な音に細やかな感情表現が乗せられた時、日本語は繊細であるが故に強力なエネルギーをもった言霊となります。

 この原初的な音(母音)を日本語の中に持つが故に、日本は言霊を介して宇宙(神)へと通ずる回路を脳の中に保持している、世界で唯一の特殊な民族集団として<言霊の国・日本>を形成しているのです。
http://74.125.153.132/search?q=cache:Dsy-yxb-UusJ:blogs.yahoo.co.jp/bmb2mbf413/30487456.html+%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%AA%9E+%E6%84%9F%E6%83%85%E8%A1%A8%E7%8F%BE%E3%81%A7%E3%81%8D%E3%81%AA%E3%81%84&cd=6&hl=ja&ct=clnk&gl=jp


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実はとてつもなく古かった日本語 2018 05.01
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3756.html#more
日本語は、もしかすると世界最古の言語であり、しかも世界で最も美しい言語かもしれません。


かつて谷村新司がロンドン交響楽団をバックにレコーディングをしたことがあります。
そのとき日本語の素晴らしさを再認識し、日本語を大切に歌っていくことを信念にしたそうです。

ディズニー・アニメの『アナと雪の女王』は、世界的ヒットとなったアニメ映画ですが、そのなかの挿入歌の『レット・イット・ゴー、ありのままで』は、世界25ヶ国語に翻訳され、それぞれの国の歌手が歌ったものが youtube で公開されました。

このとき、世界中の人たちが驚き、そして圧倒的な人気をはくしたのが日本語バージョンです。

Let It Go - Behind The Mic Multi-Language Version (from Frozen) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=BS0T8Cd4UhA

それは、歌った松たか子さんの声の素晴らしさももちろんあるでしょうが、日本語による発声が、メロディに+αの効果をもたらしたのかもしれません。

どこの国でも、それぞれにお国自慢があります。
ここで日本語が世界一だと述べるつもりは毛頭ありません。
ただ、ひとついえることは、どうやら日本語には、他の言語にはない、不思議なところがあるということです。

ひとつは言霊(ことだま)です。
言葉に魂が宿る。

ではどうして言葉に魂が宿るのかというと、日本語が実はもともとそのように構造された言葉だからなのだそうです。

構造とは、日本語の文法や発音や語彙のことです。

つまり、自然との共生を大切に育くむこと、自然を征服したり、人と自然とどちらが上かのような上下構造をもとうとするものではない文化の下で、人と自然とが対等な関係を育んで来たのです。

2つ目はオノマトペ(仏:onomatopee)です。
オノマトペというのは擬声語を意味するフランス語です。

擬声語は、たとえば

わんわん、メーメー、ブーブー、ニャーオ、ホウホウといった動物の鳴き声を真似たものや、

ドキドキ、パチパチ、バキューン、チリーン、ドカン、カリカリ、バタン、ガタピシ、ガタンゴトン、パチバチ、ビリビリ、ジュージュー、グワァ〜ン、パタパタ、ボキポキなどなど、音を真似たもの、

あるいは、おずおず、おどおど、めろめろ、ふらふら、きゅんきゅん、きらきら、ぴかぴか、ぐずぐず、ツルツル、サラサラのように、本来音を発しない感情などを言葉で表現するものなどのことです。

おもしろいことに、擬声語(オノマトペ)は、言語ごとに、表現がまったく異なります。

冒頭にあるのは、その違いを示した絵本の抜粋で、クリックしていただくと当該ページに飛びますが、たとえば食事をするときは、日本では「PAKU PAKU」ですが、英語では「CHOMP」、フランス語では「MIAM」、イタリア語では「GNAMグナム」、Korea語では「NYAM」です。

キスは日本語では「CHU」ですが、英語では「MWAH」、China語では「BOH」です。
つまり言語によって擬声語(オノマトペ)は、まったく異なります。
ということは、それぞれの言語圏においては、音がそのように聞こえているということです。

そして日本語の擬声語(オノマトペ)は、China語やKorea語ともまったく異なるものです。

ということは、日本語はChinaやKorea半島からの輸入語では絶対に「ない」ということです。


それだけではありません。

日本語は、この擬声語(オノマトペ)が、他の国の言語と比べて著(いちじる)しく多いのです。
その数、なんと5千語です。

日本語の単語数は、たとえば『日本国語大辞典』の収録単語数が50万語です。
このことは、日本語の1%、およそ100語にひとつが擬声語(オノマトペ)であるということです。

そして単語の中には、日常生活でよく使われるものと、そうでない(たとえば学術用語)ものがあります。

オノマトペは日常的によく使われる語です。
早い話、今朝起きたとき、ご家族に「ぐっすり寝れた?」と聞く。
その「ぐっすり」というのがオノマトペです。

しかし睡眠は「ぐっすり」などという音は立てません。
ではなぜ「ぐっすり」というのかというと、「ぐうぐう、すやすや」寝ているからです。
その「ぐうぐう+すやすや」が短縮されて「ぐっすり」です。

「ぐうぐう」も「すやすや」も、なんとなく、そのような音を立てているといわれれば、なんとなくそうかもしれないと思われるかもしれません。
では、

 風が「そよそよ」と吹く
 太陽が「かんかん」に照る
 白い雲が「ぽっかり」浮かぶ
 星が「きらきら」光る

などはどうでしょうか。

風は「そよそよ」などという音をたてないし、太陽は「かんかん」なんてしゃべったりしません。

ではなぜこのようなオノマトペが使われているのでしょうか。

実は、自然がそのような音を立てているのではなくて、受け止める側が自然が発する音をそのように聞いているのです。

このことについて考古学者の小林達雄先生は、「人々が、人と人との間で行うコミュニケーションのための言語活動と同じか、あるいはそれに近いレベルで自然と向き合い、自然との間で活発な言語活動を行ってきた結果」(『縄文文化が日本人の未来を拓く』p.134)と述べておいでです。

つまり、日本語は「自然と対話しながら発達してきた言語」なのです。

だから欧米人にはただの雑音にしか聞こえないカエルの鳴き声や虫の声も、日本人には美しい秋の音色となって聞こえる。なぜ美しいのかといえば、それは人がカエルや虫たちとコミュニケーションしているからです。

では日本語は、いつ頃の時代から形成されはじめたのでしょうか。
言語の発達には、ムラの形成が欠かせません。
なぜならムラを営むには、言語が必要だからです。
そしてそれは磨製石器の登場と時期を同じにするというのが世界の考古学会の定説です。

世界の磨製石器は、おおむね7千年前以降のものです。
中には2〜3万年前のものもあります。

 シベリアの2万年前のもの
 ロシア南西部の紀元前1万6000年前のもの。
 オーストリア中部の2万9000年〜2万1500年前のもの。

など、ほんの数例です。

ところがこれらは、異常に早過ぎる磨製石器であって、作成経緯等はすべて不明です。
そして、その後に起こるおよそ7千年前の磨製石器の時代(新石器時代)と接続していないのです。

ところが日本の磨製石器は、3万年前の磨製石器だけが単独であるのではなくて、昭和48年に東京・練馬区石神井川流域の栗原遺跡で2万7000年前の地層から磨製石斧が発掘され、また同じときに千葉県三里塚からも磨製石斧が出土、以後、秋田から奄美群島まで、全国135箇所から400点余の磨製石器が発掘されています。

そして1万7千年前には縄文時代が始まるのですが、なんとものの見事に、その縄文時代の文化へと、磨製石器の時代が接続しているのです。

ちなみに長野県日向林遺跡から出土した60点、長野県の貫ノ木(かんのき)遺跡から出土の55点の磨製石器に用いられている石は、伊豆の神津島から運ばれてきた石です。

つまり当時の日本人は航海術に長け海洋さえも自在に往来していたことも伺わせています。

こうしたことから、英国のJ・ラボックという考古学者は、

「日本列島の住民は世界に先駆けること二万数千~三万年前に新石器時代を迎えていた。」

と述べています。

言い方を変えると、これはつまり、日本は世界最古の文明を持っていたことが証明されている国である、ということです。

そして磨製石器の登場と言語の登場、そしてムラを営むための神話の登場が重なるものであるならば、日本語は、およそ3万年前には生まれ、そこから現代に至るまで、ずっと続いている世界的にも稀有な言語である、ということになります。
そしてそれが可能になったのは、日本人が殺し合いや、自然への征服を好まず、人と人、人と自然が常に調和することを好む民族であったからです。

というより、調和を好むという日本人の性質は、最低でも3万年という途方もない長期間のなかで、最終的に生き残ってきた性質である、ということができます。

おもしろいもので身勝手な文化、自分さえ良ければという文化は、一時的な成功を手に入れることができても、必ず最後に崩壊し、再起不能になります。
ところが調和を大切にする文化は、一時的にどん底に落とされても、必ずまた再生し復活します。

植物には一年草と多年草があります。

最近は品種の改良によって、どちらも美しい花を咲かせますが、もともとは一年草の多くは、だいたい派手な花を咲かせるのに対し、多年草の花は、わりと地味な花が多いです。
地味だけれど、ずっと咲き続けます。
まるで日本人そのもののようです。

日本人は、はっきりとわかっているだけでもおよそ3万年、ずっと自然と調和し共生する道を選んできました。

だから日本語には擬声語(オノマトペ)が圧倒的に多いのです。



コメント


新宿の縄文人は、どんな言葉を話していたか?

東京の新宿のど真ん中、皇居の御堀端から2㎞程の地点から、縄文時代中期や後期(5千年前~4千年前)の人骨が多数出土した事がありました。

江戸時代の遺跡を調査すると、その下から縄文時代や弥生時代の古い遺跡が続いて出土する事がありますが、その場合、江戸時代以降の大開発等によって、無残に破壊されていてる場合が多いそうです。

僅かな貝殻の堆積が確認されたとはいえ、分厚い貝層が存在しない内陸の地域から、多数の人骨がまとまって出土すること自体が非常に珍しく、当時現場は大変な興奮に包まれたそうです。

当時、保存状態の良かった、40代ぐらいの男性の顔が復元されました。

やや長めの顔に、上下に潰れた長方形の眼窩、彫りの深い目元の頭蓋骨は、ヨーロッパ人の様な風貌、あるいは、若い頃の宇梶剛士さんに似たイケメン風に仕上がりました。

彼のミトコンドリアDNAのハプロタイプは北方系と言われるA、一方彼の近くに葬られていた別の人骨は、南方系と目されるM7aだったそうです。

様々な地域をルーツに持つ縄文人たちが、新宿の地で仲良く暮らしていたのですから興味深いです。

日本語が「どのように成立したか分からない」と言われる所以は、様々なルーツを持つ人々の言葉が、極めて長い時間をかけて、ゴチャゴチャに混じり合った結果ではないかと思います。
2018/05/14(月) 11:38 | URL | 疑問 #iydQorAY[ 編集]


外国人に日本語で話しかける時にこの擬声語は使わない方が良いそうです。

擬声語に相当する外国語がないので、彼らにはさっぱり分からないようです。

また、行けなくも無いなどの二重否定もダメ。

日本人なら、何とかすれば行けると理解できますが、外国人は
理解できないようです。

外国人にとって日本語は本当に難解のようですが、
この言語を意識せず使いこなしている
我々は本当、凄いのかもしれませんね。
2018/05/14(月) 13:40 | URL | 名無し #mQop/nM.


新宿に生きた縄文人~市谷加賀町二丁目遺跡の発掘

新宿に生きた縄文人~市谷加賀町二丁目遺跡の発掘
http://www.city.shinjuku.lg.jp/video/video_jm01.html
https://www.youtube.com/watch?time_continue=607&v=P7VUMR0Mvzo

これですね。
2018/05/14(月) 14:31 | URL | KI



加賀町二丁目遺跡の関連本が出版されています。>KIさん

KIさんへ

動画等のご紹介ありがとうございます。

加賀町二丁目遺跡に関しては、講談社から関連書籍も出版されています。

『おどろきの東京縄文人』(瀧井宏臣著)
https://www.amazon.co.jp/%E3%81%8A%E3%81%A9%E3%82%8D%E3%81%8D%E3%81%AE%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E7%B8%84%E6%96%87%E4%BA%BA-%E4%B8%96%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%B8%E3%81%AE%E6%89%89-%E7%80%A7%E4%BA%95-%E5%AE%8F%E8%87%A3/dp/4062870029

という本です。

この本は、考古学少年から考古学おじさん・おばさんまで、幅広い層の人々が興味深く読める内容になっていると思います。

映像で見るのと、写真で見るのとでは、復元された縄文人の顔の印象は少々異なりますね。

映像の方はバックが暗めで、陰影が強調されていますが、写真の方は細部まで鮮明に写っていますので、少し印象が違ったのかも知れません。
写真で見ると、かなり欧米風味の顔に見えます。

個人的に注目されたのは、12号人骨(復元された縄文人)が腰にぶら下げていた、イルカの下顎の骨のアクセサリーです。

縄文人は、イルカやクジラやサメやエイ等も捕獲していたことが分かっていますが、丸木舟しかない時代ですから、漁の腕前は、現代人と比較しても大したものだったと思います。
2018/05/15(火) 09:54 | URL | 疑問 #iydQorAY
http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-3756.html#more



松たか子ver(日本語吹替版)「Let It Go」 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=4DErKwi9HqM
『アナと雪の女王』/2014年3月14日(金)公開
公式サイト:http://www.disney.co.jp/movies/anayuki

ウォルト・ディズニー・スタジオ・ジャパン 配給 (C)Disney Enterprises, Inc. All Rights Reserved.


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日本人のガラパゴス的民族性の起源

16-2. 日本語の母体のY-DNA「D」縄文語がホモサピエンスの祖語か!
  今朝の朝日新聞にまさしく日本学の研究者・マニアには衝撃的なニュースが小さく掲載されました。恐らく2012年の日本学最大のニュースの1つになるでしょう。
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The origin and evolution of word order

Murray Gell-Manna, Santa Fe Institute and Merritt Ruhlenb, Department of Anthropology, Stanford University
Contributed by Murray Gell-Mann, August 26, 2011

Abstract

Recent work in comparative linguistics suggests that all, or almost all, attested human languages may derive from a single earlier language. If that is so, then this language—like nearly all extant languages—most likely had a basic ordering of the subject (S), verb (V), and object (O) in a declarative sentence of the type “the man (S) killed (V) the bear (O).”

When one compares the distribution of the existing structural types with the putative phylogenetic tree of human languages, four conclusions may be drawn.

(i) The word order in the ancestral language was SOV.

(ii) Except for cases of diffusion, the direction of syntactic change, when it occurs, has been for the most part SOV > SVO and, beyond that, SVO > VSO/VOS with a subsequent reversion to SVO occurring occasionally. Reversion to SOV occurs only through diffusion.

(iii) Diffusion, although important, is not the dominant process in the evolution of word order.

(iv) The two extremely rare word orders (OVS and OSV) derive directly from SOV.


Conclusion:

The distribution of word order types in the world’s languages, interpreted in terms of the putative phylogenetic tree of human languages, strongly supports the hypothesis that the original word order in the ancestral language was SOV.

Furthermore, in the vast majority of known cases (excluding diffusion), the direction of change has been almost uniformly SOV > SVO and, beyond that, primarily SVO > VSO/VOS.

There is also evidence that the two extremely rare word orders, OVS and OSV, derive directly from SOV.

These conclusions cast doubt on the hypothesis of Bickerton that human language originally organized itself in terms of SVO word order. According to Bickerton, “languages that did fail to adopt SVO must surely have died out when the strict-order languages achieved embedding and complex structure” (50).

Arguments based on creole languages may be answered by pointing out that they are usually derived from SVO languages. If there ever was a competition between SVO and SOV for world supremacy, our data leave no doubt that it was the SOV group that won.

However, we hasten to add that we know of no evidence that SOV, SVO, or any other word order confers any selective advantage in evolution. In any case, the supposedly “universal” character of SVO word order (51) is not supported by the data.

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  語順のルーツはSOVだと言うことがアメリカ科学アカデミー紀要(業界用語でPNAS=プロナス、当方の学生時代はProNASと呼んでいました)に発表されました。つまり日本語やチベット語などY-DNA「D」遺伝子集団の文法である語順、S(主語)・O(目的語)・V(述語)が欧米語等のSVOより古いことがわかり、しかもホモサピエンスの祖語だろう、との驚異的な言語学上の発見です。

  これは遺伝子の調査結果と完璧に合致します。我々古代シーラカンス遺伝子Y-DNA「D」は古代の出アフリカした当時のホモサピエンスの形態を留めていると言うのが欧米の研究者の結論です。特に「D*」100%のアンダマン諸島のOnge族、Jarawa族は出アフリカ当時の形態をそのまま残していると信じられています。ならば当然言葉も出アフリカ当時のままのはずです。言葉は生き物でその時代のリーダーの決断で言葉は採用されるため、ドンドン変わります。そして征服者の人口が多く、経済力もあれば非征服者の言語はあっという間に征服者の言語に変わってしまいます。

  ところがOnge族や、Jarawa族は外来者を殲滅するという古代習慣を強く持っていたため、遺伝子を保ってきたわけですが、当然言葉も保ってきたはずです。と言うことが今回の発表で間接的に証明されたことになります。

  日本語は長い間孤立語として扱われてきましたが、とんでもない、縄文語から熟成したY-DNA「D2」日本語こそがY-DNA「D1」チベット語と並んで、出アフリカした当時のホモサピエンスの言葉(文法)を維持し続けてきた由緒正しい言葉だと言うことが正にアメリカの研究者によって証明されたのです。

  マレー・ゲルマン博士のチームの仕事ですが、なんとマレー・ゲルマン氏は言語学者ではなく、1969年「素粒子の分類と相互作用に関する発見と研究」でノーベル物理学賞を受賞した物理学者でクォークの提唱者の一人です。恐らく筋金入りの言語学者ではないことが柔軟な発想を生んだのでしょう。西欧優越主義の言語学者なら絶対に欧米語のSVOを祖語として主張すると思われるからです。何はともあれ縄文文化・時代を矮小化したい「O3」御用学者に取っては目障りな発表となりました。

  このことは当然ながら日本人の行動様式こそがホモサピエンスとして本来持っている行動様式であり、ガラパゴス的民族性こそがホモサピエンスの本来の行動様式である事が間接的に証明されたことにもなるはずです。

  そーなんです。やはり日本がガラパゴス化を捨てるのではなく、世界をJaponization(日本化)することこそが人類にとって正しいことなのです。日本人よ自信を持って世界に向かって発言しよう!スティーヴ・ジョブズごとき「R1b」御用商人の日本人に対する悪口・たわごと等クソくらえだ。そしてJaponizationで世界を導こう!

  このニュースの重大さは、何故日本列島人はY-DNA「D2」縄文人の文法を守り続けてきたのか?という点です。「D2」縄文人が圧倒的な文化を確立し、技術者集団だった「C1」、「C3a」縄文人が土器つくりなどで「D2」の精神風土を支え、後からボートピープルとして断続的に韓半島から水田稲作農耕技術を携えて流れてきた呉系長江人「O2b」の子孫も圧倒的な多数派の「D2」と敵対せず、その精神風土を受け入れたため言語の文法も縄文文法を受け入れたのでしょう。

  「O」は「R」などと同じ新興遺伝子集団です。既にSVO文法だったはずです。我々日本人は語順が変わってもそれほど奇異に感じず意味が通じるような適当にあいまいな言葉になっているのはこの「O」の人口と、文化がしっかりと根付いているためです。基本は縄文語ですが、呉系の長江語も漢語の語順でもその中間でも日本人は融通を利かせて理解してしまうように共存してきたからなのです。そして或る動作を強調したい時、我々は平気でSVOになるのです。なぜならSVOの方がキツく聞こえるからです。SOVの方が聞こえ方がやさしいのです。これが縄文の精神風土なのです。

  そして更に後から侵略者として韓半島から暫時流れてきた大和朝廷族や武士団族などのSVO文法の「O3」集団も朝廷内や官僚エスタブリッシュメント階級の中ではSVO漢語を話していたにも関わらず、全国をまとめるために縄文語文法を受け入れることにしたのだと思われます。そして縄文語に翻訳するために開発したのが「かな」、「カナ」なのでしょう。もしこれがなければ、縄文人は漢語を全く理解せず、日本の統一は相当遅れ、日本列島は文化レベルが立ち遅れ西欧列強の植民地化していた可能性が大です。当時の大和朝廷の上層部の誰かが縄文語を認め、縄文人に指示命令するために「かな」「カナ」の開発を命じたのでしょう。この人物こそ本当は歴史に名を残すべきなのでしょうが......。

  またこのニュースは、最近の研究で、人類の祖先は50000年前頃に突然洗練された道具を使ったり、絵画などの芸術活動を始めた、とも書いていますが、これは当たり前のことです。中東でネアンデルタール人と遭遇し交配し、彼らの文化を遺伝子とともに受け継いだけに過ぎません。もしかするとSVO文法はネアンデルタール人の文法だった可能性が実は大です。

  ホモサピエンスは本来SOV文法
  ホモネアンデルターレンシスはSVO文法だったのしょう。
  
  なかなかおもしろくなってきましたね。当ガラパゴス史観が歴史の真実に迫っていることが、少しづつ実証されつつあります。やはりデータマイニング手法はマーケティングだけでなく、古代日本学にも有効なようです。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/16-2.htm
2:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/14 (Tue) 06:09:51

日本語のルーツは9000年前の西遼河流域の黍(キビ)農耕民に!
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14019324

アイヌ人は北海道縄文人の直系の子孫、アイヌ語は縄文人が話していた言葉
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007570

金平譲司 日本語の意外な歴史
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14020106

日本語の系統とその遺伝子的背景
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/729.html

日本語の母体のY-DNA「D」縄文語がホモサピエンスの祖語かもしれない
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/450.html

日本独自の文字「ひらがな」は歌で定着してきた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/367.html


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古事記(原文・現代語訳・口語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/514.html

日本書紀(原文・現代語訳・口語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/513.html

先代旧事本紀 (現代語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/515.html

古語拾遺(現代語訳)
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/516.html


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日本人の3人に1人は日本語が読めない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14068776

外国語学習について - 内田樹の研究室
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14094875

日本人は金髪美女に弱い _ 小布施からセーラ・カミングスの姿が消えた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/444.html

ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html

女は東大出でも思考力・判断力・知性すべてゼロ _ 通産官僚 宗像直子は何故こんなにアホなの?
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/544.html
3:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/14 (Tue) 06:12:37

日本の成功の秘密は日本語にあるのですが,欧米人や中国人にはそれがわからない.中国語も日本語も漢字を使っているから,日本語は中国語と同じ様なものだと思い込んでいるんですね:

一口に日本語と言っても、書き言葉と読み言葉がある。ここで取上げるのは主に前者、つまり書き言葉である。主に日本語は、漢字という表意文字と、ひら仮名・カタ仮名という表音文字で構成されている。さらに日本語の表記には、これらの他に句読点やローマ字、簡単な英語、西洋数字、ギリシャ数字そして特殊な記号まで雑多な文字を使う。最近、メールには絵文字まで登場している。

表記方法も、横書きだけでなく縦書きもある。通常、横書きは左から右に書くが、昔の看板なんかは右から左に書いたものがある。縦書きは世界的に見ても珍しく、外国人は日本人が縦書きで文章を書くのを見て驚いている。これらの雑多の表記方法を使っている日本語は、マスターをするのが難しい言語かもしれない。しかし一旦マスターすれば、これほど便利な言語はないと考える。これは筆者の偏見かもしれないが、日本語は世界の中で一番進化した言語であり、優れた言語と思っている。


漢字は象形文字が基になった表意文字であり、文字そのものが意味を持つ。しかし今日、表意文字として使われているのは漢字くらいである。漢字圏は、日本を除けば中国、台湾、シンガポールと朝鮮半島、そしてべトナムである。しかし朝鮮半島やベトナムは漢字離れをしているようだ。

表意文字である漢字は、文字自体に意味を持つので、言葉を速く理解することができるという利点がある。特に漢字はパターンで認識するので、文字とイメージが結びきやすい。「犬」という文字を見ると、犬のイメージが頭に直ぐ浮かぶ。「京都」という言葉に当ると、京都という文字から京都に関するイメージが自然と頭に浮かぶ。


高速道路の標識も、漢字だから速く、しかも正確に認識できる。これがアルファベットなら一瞬のうちに認識することは難しい。例えば長い地名がアルファベットで記されていたなら、車を停車させなければ、書いてある行き先を読むことはできないであろう。これは言語の特徴を考える場合、重要な点である。

日本語の文書は、斜読みによって、ある程度の意味を把握することができる。これも日本語に漢字が使われているからである。速読の達人と呼ばれる人がいるが、もし文章が全て「かな」で書いてあったなら、とても一瞬のうちに読むことはできないであろう。またアルファベットだけの英語も速読に向かない言語と思われる。


しかし漢字にも欠点がある。基本的に一文字がそれぞれ意味を持ち、世の中の現象を表現するためには、漢字がどんどん増えることである。新しい物が発見されたり、新しい概念の表記が必要になると、それに対応する漢字が必要になる。しかしそこを日本語は、熟語と「かな文字」の発明で、極力使う漢字が増えることを回避してきた。

熟語の登場は、文字と文字の組合せだから、漢字の数を増やすことなく新しい概念を表現することを可能にした。また「ひら仮名」と句読点を用いることによって、どれが熟語であるのか明示できる。さらに外来語をとりあえず「カタ仮名」で表記することで、漢字を増やすことを回避している。

中国語も最近は句読点を使ったり、また熟語も使うようになっているようだが、基本的には漢字ばかり並んでいるので、覚える必要な漢字の数は膨大である。仕方がないので、簡略体の漢字を多用している。またインターネットや新聞では、漢字を表意文字としてではなく、表音文字として使っているという話がある。ちょうど全て「ひら仮名」の文書と同じである。おそらく「話し言葉」をそのまま「書き言葉」に使って表現を行っているのであろう。それなら使われている漢字は発音記号のようなもので、わざわざ漢字を使う必要がないような気がする。

筆者は、まず難しい日本語をマスターし、日本語に翻訳された本や文献で勉強するのが一番効率的な学習方法という気がする。英語の本を一冊読む間に、日本語なら二冊の本が読めるのではないかと思う程である。もしこのような方面を研究している方がいれば、是非その辺の事情を教えていただきたいものである。

日本語と中国語
知人から中国語には文法がないという話を聞いたことがある。たしかに漢字ばかり並んでいるのに、どうして文章として理解できるのか不思議であった。そもそも我々が学んだ漢文は、返り点などがあるから読めたのである。

どうも昔の中国人は「四書五経」という基本文献の文章を徹底的にマスターし、「四書五経」と同じ解釈で他の文章を読んだり、新しい文章を作成しているようである。「四書五経」は「論語」「中庸」「春秋」「礼記」などの中国の古典である。「四書五経」を参考に、漢字の並び方をどのように解釈するのかが決まるようだ。しかしこれも絶対的なものとは思われない。いまだに「魏志倭人伝」の解釈が別れるのも、中国語の文法というものが、あやふやな面があるからと考える。


「四書五経」は膨大な文章の集合体である。中国の官僚の登用試験である「科挙」には、これらの暗記と決まった文章の解釈の知識が必要とされた。中国語は文法がはっきりしないから、とにかく全部覚える他はないのである。つまり「科挙」の試験制度は、とてつもなく厳しいものである。しかし行政を司るためには、文書を正しく読み、正しい文章を書く必要がある。たしかにこのためには「四書五経」を完全にマスターしておく必要があったのだ。

一方、日本においては、昔から、一般国民の中に文章を読める者は大勢いた。特に明治時代に義務教育が始まり、誰もが日本語を書いたり読んだりするのが当り前になった。少なくとも日本では、中国のように、国語というものが、極少数の超エリートしか操ることができないという代物ではなかった。

戦後、GHQが日本人を色々調査した。当時、米国人から見れば「日本人は人間より猿に近い動物」という認識であった(失礼な話である)。そのような日本人が、どうして短期間のうちに列強と対等の国力を持つことができたのか、不思議だったのである。しかし調査によって、日本では、どのような地方に行っても、またどれだけ年配の人でも、文字を知り、文章が読めることを発見した。これはGHQにとって驚きであり、これで日本を見直したのである。これも日本の教育制度が優れていたのと、日本語が誰にもマスターできる優れた言語であったからである。


言語は重要である。ところが中国語はそれほど進化していると思われない。しかし世の中が変わって、新しい概念を言語で表現する必要に迫られる。本当に全ての文章が「四書五経」の解釈を踏襲して理解できるのか疑問である。筆者は、「四書五経」の時代にはなかったようなIT関連のマニュアル類が、どのような記述になっているのか興味がある。

「四書五経」の時代にはなかった文章で、一番関心があるのが「法律」である。「法律」は中国にとって新しい文章の形態である。本当に「四書五経」の解釈で現代の「法律」を適切に解釈できるのか疑問である。たしかに中国では、よく条文の解釈を巡って侃々諤々(カンカンガクガク)の議論がなされるという話は聞く。もっともこれは中国の問題であり、我々日本人には関係がないが(中国の日系企業には関係するかもしれない)。


しかし世の中には「国際法」というものがある。「国際法」の基では、日本も中国と利害関係者となる。日本は、戦時中「捕虜の虐待」などで戦時国際法を破った経緯もあり、あまり偉そうなことはいえない。しかし今日国際的な利害を調整するものは、「国際法」とこれに附随する各種の取決めである。少なくとも今日の日本はこれを順守する姿勢である。

ところが最近、日本と中国や韓国の間で国際法上のトラブルや対立が頻発している。しかし中韓の主張が、とても「国際法」に乗っとって行われているとは思われない。中国や韓国は「国際法」を勝手に解釈しているのだろうか。さらに度々日本の要人発言が曲解されている。まるで「四書五経」の解釈を持込んでいるのではと思われるくらいである。


しかしこれほど優れた言語である日本語が、最近の教育現場では軽視されている。群馬の太田市では、全て英語で授業を行う小学校が開校した。例のくだらない特区である。

最近読んだ雑誌に、算数の学力を向上させるには、まず国語の教育を徹底的に行うことが重要という記事があった。特に小学生の低学年の授業は、全て国語で良いというのである。算数や理科・社会の教育は、国語の力をつけてからの方が好ましいという意見であった。これには筆者も賛成である。とにかく太田市の小学校の教育成果が注目される。


今日、国語教育が軽視されているのに、英語、特に英会話の教育が重視されている。筆者は、英会話は必要に迫られればなんとかマスターできるものであり、学校教育で行う必要はないと考える。また必要のない英会話の技能は簡単に失われる。

日本人がどうしても英語で会話する必要に迫られるのは、年間平均で3分間という話を聞いたことがある。筆者の経験でもその程度と感じる。年に一、二度、外国人に道を訪ねられるくらいのものである。しかし年間平均でたった3分間のために、日本人は多額の費用を使い、膨大な時間を割いている。必要なら通訳を雇った方がずっと安上がりである。むろんこのような労力は国語教育に注ぐべきと考える。
http://www.adpweb.com/eco/eco395.html






漢民族という民族は存在しませんし,中国語という言葉も存在しません.
中国は昔から川筋が一つ違えば完全な異民族の土地で言葉も通じなかったので,共通語として漢文(中国語)を作ったのですね.

漢文(中国語)は始皇帝の時代に完成し,それ以降は全く進歩していません:

中国語は、(上古において)それぞれ別の言語を話していた商人が中原地帯で取り引きを行う片言(かたこと)から生まれた人工的な言語。

しかも、漢末期からの混乱期に、本来の漢族は実質的に絶滅。その後の歴史で、大量に流入した北方民族が改めて中国語を形成した。

つまり、古代中国語と現代中国語には断絶がある。古くから続く漢文(文章中国語)は本来、片言を記録するための記号列であり、そのため品詞の区別や時制など文法の本質的要件を備えていない。当初から言語(話し言葉)とは別の、通信・記録の手段。現代中国語の古語ではない


知人から中国語には文法がないという話を聞いたことがある。たしかに漢字ばかり並んでいるのに、どうして文章として理解できるのか不思議であった。そもそも我々が学んだ漢文は、返り点などがあるから読めたのである。

どうも昔の中国人は「四書五経」という基本文献の文章を徹底的にマスターし、「四書五経」と同じ解釈で他の文章を読んだり、新しい文章を作成しているようである。「四書五経」は「論語」「中庸」「春秋」「礼記」などの中国の古典である。「四書五経」を参考に、漢字の並び方をどのように解釈するのかが決まるようだ。しかしこれも絶対的なものとは思われない。いまだに「魏志倭人伝」の解釈が別れるのも、中国語の文法というものが、あやふやな面があるからと考える。


「四書五経」は膨大な文章の集合体である。中国の官僚の登用試験である「科挙」には、これらの暗記と決まった文章の解釈の知識が必要とされた。中国語は文法がはっきりしないから、とにかく全部覚える他はないのである。つまり「科挙」の試験制度は、とてつもなく厳しいものである。しかし行政を司るためには、文書を正しく読み、正しい文章を書く必要がある。たしかにこのためには「四書五経」を完全にマスターしておく必要があったのだ。

一方、日本においては、昔から、一般国民の中に文章を読める者は大勢いた。特に明治時代に義務教育が始まり、誰もが日本語を書いたり読んだりするのが当り前になった。少なくとも日本では、中国のように、国語というものが、極少数の超エリートしか操ることができないという代物ではなかった。


言語は重要である。ところが中国語はそれほど進化していると思われない。しかし世の中が変わって、新しい概念を言語で表現する必要に迫られる。本当に全ての文章が「四書五経」の解釈を踏襲して理解できるのか疑問である。筆者は、「四書五経」の時代にはなかったようなIT関連のマニュアル類が、どのような記述になっているのか興味がある。

「四書五経」の時代にはなかった文章で、一番関心があるのが「法律」である。「法律」は中国にとって新しい文章の形態である。本当に「四書五経」の解釈で現代の「法律」を適切に解釈できるのか疑問である。たしかに中国では、よく条文の解釈を巡って侃々諤々(カンカンガクガク)の議論がなされるという話は聞く。もっともこれは中国の問題であり、我々日本人には関係がないが(中国の日系企業には関係するかもしれない)。


しかし世の中には「国際法」というものがある。「国際法」の基では、日本も中国と利害関係者となる。日本は、戦時中「捕虜の虐待」などで戦時国際法を破った経緯もあり、あまり偉そうなことはいえない。しかし今日国際的な利害を調整するものは、「国際法」とこれに附随する各種の取決めである。少なくとも今日の日本はこれを順守する姿勢である。

ところが最近、日本と中国や韓国の間で国際法上のトラブルや対立が頻発している。しかし中韓の主張が、とても「国際法」に乗っとって行われているとは思われない。中国や韓国は「国際法」を勝手に解釈しているのだろうか。さらに度々日本の要人発言が曲解されている。まるで「四書五経」の解釈を持込んでいるのではと思われるくらいである。

中国語も最近は句読点を使ったり、また熟語も使うようになっているようだが、基本的には漢字ばかり並んでいるので、覚える必要な漢字の数は膨大である。仕方がないので、簡略体の漢字を多用している。またインターネットや新聞では、漢字を表意文字としてではなく、表音文字として使っているという話がある。ちょうど全て「ひら仮名」の文書と同じである。おそらく「話し言葉」をそのまま「書き言葉」に使って表現を行っているのであろう。それなら使われている漢字は発音記号のようなもので、わざわざ漢字を使う必要がないような気がする。
http://www.adpweb.com/eco/eco395.html

現代日本語と中国語で最も大きな差異があるのは外来語の扱いです。

中国語が抱える問題は漢字しか使えないことであり、それが外来語を受け入れにくくしている。

中国には日本語の平仮名や片仮名にあたる文字がないので、音訳する場合も漢字を使用する。
本来表意文字である漢字の音だけを利用するのですが、漢字はそれ自体に意味を持っているので、音だけを表すには向いていない。

中国語の場合は外来語をとりあえずは読みが近い音の漢字を当てはめて使い、概念が固まったところで意味にふさわしい漢字が当てられるようだ。だからどうしても外来語の翻訳は時間もかかり、読みだけの漢字を当てただけの文字の氾濫は混乱をもたらすのではないだろうか? 「盤尼西林」も最初見ただけでは何のことか分からない文字だ。ペニシリンと分かるまで時間がかかる。

このような言葉のハンデが外国文化を吸収する際には大きな差となって出てきてしまうのだろう。日常的な小説ぐらいなら翻訳も出来るのでしょうが、理科系の専門書を中国語に翻訳するのは不可能に近いのではないかと思う。それよりかは英語をマスターして英語でIT関係の事を学んだ方が早い。

中国人や韓国人の海外への留学生の異常な多さもこのようなことが関係しているのだ。日進月歩の最新技術を取り入れながら改良を重ねて行かなければならない世界では、中国語のハンデは大きい。中国語も一時期はベトナム語のようにアルファベットを用いてローマ字表記も検討されましたが、それだと河一つ渡れば発音が異なる中国はバラバラになってしまう。

このように外来語一つとっても中国語は適用が難しく、何万もある漢字を覚えなければならないのだから使いこなせる中国人は一部に限られてしまう。かといってハングルのように表音文字を使えば誰もが使えますが意味を掌握するのが難しくなり、専門書などは分からない言葉を読み飛ばしてしまう。だから言葉の数も少なくなってきてしまう。

中国や朝鮮半島の近代化がなかなか進まないのも、近代資本主義や近代西欧文化を理解するには越えられない壁のようなものが存在するからだ。だから理解しようとすれば一気に欧米にまで留学して言葉から学びなおしていかなければならないのだ。
http://blog.goo.ne.jp/2005tora/e/31f3ff231ae092df09a9a575c2058d6c


中国語を使っている人間は思考ができない,感情が発達しないんですね.
これは中国語が秦の始皇帝の時代から全く進歩していないのが原因です.
中国語を使っている人間は原始人と同じレベルだと思った方がいいですね:


中国語という言語は存在しません.
あるのは広東語とか北京語という全く異なる複数の言語です

今の中国人が使っているというのは漢民族と総称されている無数の民族の共通語として作られた人工語なんですね


自分の民族の言葉(中国語方言とは呼ばれているが実際にはそれぞれ系統の違う別言語)は未開民族の言葉と同じレベルで書き言葉も無い

共通語のはエリート以外には作文すらできない:

漢字のみの言語は致命的な欠陥言語だ。要するに大量な漢字を単に覚えさせるだけに子供の成長が費やされ会話の発達が遅れ高度理論の展開など更々不可能にしてしまうのだ。
無駄に大量な漢字を覚えさせることで多くの脳の記憶領域を費やしてしまい、一番重要な『 創造的 』な超高度理論を発展する頭脳領域の余裕などなくなるのだ。

▽明治日本に留学した清国留学生(年間8000人)がもっとも感動したのが、ひらがなとカタカナ 
 があって、誰でも漢字が学べて、すぐに読めるようになることであった

▽漢字の本場、中国では、二十世紀になるまで、漢字には発音記号がなく ただの表意文字だった

要するに,まともな言葉の無い中国人は永遠に原始人のレベルから抜け出せないんですね.

これなら中国語も自分の民族の言葉も両方捨てて英語にした方がましですね.
4:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/14 (Tue) 06:18:09

中国語の語彙の大半は日本から移入されたもの
日本語がなければ中国語は原始人の言葉そのもの:

現代中国語にあふれる日本語、「職場」「人気」など逆輸入
―シンガポール紙モバイル版
URL : http://rchina.jp/article/28577.html

2009年2月13日、シンガポール華字紙「聯合早報」は、現代中国語の社会や科学、文化の分野で日本語を由来とする言葉が7割を占めると報道。外来語である日本語が現代中国文化に大きな影響を与えてきたと説いている。

中国の漢字が日本に渡ると、日本人はこれを用いて日本独自の発想の下に新しい言葉を作った。その多くが中国に逆輸入されていることは中国ではあまり知られていない。芸能ニュースでよく目にする「人気」や「写真」「超…」といった言葉は日本からの外来語だ。

中国人が知らずに使っている言葉の多くが日本語である確率は高く、最近目にする「新人類」や「職場」「達人」なども日本語からの逆輸入。

また、日常的に使用される「健康」や「衛生」「文化」「時間」「労働」「生産」などの言葉もすべて日本語から来ている。

これら日本語の中国での浸透度はあまりにも深く、範囲も広い。今や日本からの外来語抜きで中国語は成り立たず、会話も出来ないほどだ。

一部の中国人はこうした状況を「日本語による文化侵略」や「中国語の災難」と批判しているが、それは彼らがあまりにも狭い立場からでしか物事を見ていない証拠であると同紙は指摘する。

現代中国語のなかにあふれる日本語は日中両国の文化交流と文化融合の結果であり、中国の現代化を推し進める原動力になっていると記事はまとめている。





中国人にこういう芸当ができるかな?:
当時、森有礼という人物がいた。日本の初代文部大臣である。文部大臣になったのは、38歳のときである。かれは明治3年(1870年)から3年間、少弁務使として駐米したとき、おそらく欧化しがたい日本に絶望したのであろう。日本はだめだという理由を日本語にもとめた。

この時期、医学や理化学用語の一部以外は日本語訳(漢訳)されておらず、西洋の諸概念さえとらえる能力を日本語はもっていなかったから、森の絶望もむりからぬことであった。森は、ついに、日本は日本語を捨て、英語を国語とすべきだと思いつめるまでになった」と述べている。

このような考えを持つ者は少なくなく、ほかにも前島密や、神田孝平、ローマ字論者の外山正一などがいた。

だがしかし、日本は何とか英語が国語にならずにすんだ。

明治の指導者たちが、西洋の衝撃にまともに対面したとき、多少の曲折はあったにしても、最終的には、日本語による高等教育に落ち着いた。今日の日本人が学術の全領域で日本語でいちおうは思索し、研究し、教育することができるのは当時の日本人が、新しいことばをつくりだすという苦労の多い作業を重ねながら開拓し構築したお陰である。
http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2010-01/12/content_239219.htm


明治初期の大翻訳時代

 19世紀半ば以降の日本の近代化は、ある意味で当時の常識を覆す動きであり、世界史に残る偉業だとすらいえるだろう。そのなかで翻訳が少なからぬ役割を担ったのはたぶん確かなので、翻訳について考えるのなら、明治初期の翻訳に注目するのが当然だ。

 明治の翻訳というと、たとえば二葉亭四迷が先駆者として有名だ。有名な「あひヾき」が発表されたのは明治21年(1888年)だ。二葉亭は1864年に江戸で生まれたというから、教育を受けたのは明治に入ってからだ。この事実をみると、明治も半ばのこのころになれば、外国語の教育も進んで、ようやく翻訳もできるようになったのだろうと思える。

 だが、このように考えるのは、小説の翻訳を中心に考えるからなのかも知れない。翻訳の歴史を扱った本はいくつかあるが、たいていは小説や詩の翻訳をテーマにしている。たぶん、翻訳研究者に文学系の人が多いからなのだろう。日本の近代化に翻訳が役立ったとするなら、主戦場は自然科学や社会科学、思想などのはずである。

 文明開化の時期の翻訳を考えるとき、便利な資料に加藤周一・丸山真男校注『日本近代思想体系15 翻訳の思想』(岩波書店)がある。この本に紹介されている明治初期の翻訳は、詩や戯曲もあるが、思想、法律、歴史などの分野のものも多い。丁寧な解説もあるし、翻訳だけでなく原文もあわせて紹介しているので、当時の翻訳を知るには恰好の資料だ。

『翻訳の思想』は絶版になっているが、幸い、丸山真男・加藤周一著『翻訳と日本近代』(岩波新書)がある。『翻訳の思想』の編集過程での問答を記録したもので、いわば座談会のようなものなので、はるかに読みやすい。新書なので安いし、入手しやすい。

『翻訳と日本近代』を読んでいて、少々驚く話がでていた。『経国美談』で有名な矢野文雄(竜渓)の『訳書読法』(明治15年)を紹介した部分だ。明治15 年にはすでに「其ノ数幾万巻」の翻訳書が出版されていて、何をどう読めばいいのかが一般の読者には分かりにくくなっていた。そこで矢野は「内務省図書局ニ納本セル総訳書ノ目録」を調べ、「数千部ノ多キヲ一々精査シ」、読むべき翻訳書をこの本で紹介したというのだ。

 これを読んだとき、「幾万巻」とか「数千部」とかは白髪三千丈の類に違いないと思った。明治15年にそれほどの数の翻訳書がでているなどとは考えられないと思ったのだ。ほんとうはどれぐらいの翻訳書が出版されていたのか、調べてみようとも考えたが、そのころは調べる方法は見つからなかった。

 最近、国立情報学研究所が公開している大学図書館所蔵図書データベース、Webcat Plusで、ある程度までは調べられることに気づいた。これは全国の大学の図書館にある蔵書のデータベースだから、出版された図書の全数のデータベースではない。それでも、出版年別に一覧表を表示させることもできるので、翻訳書の点数を調べることがある程度まで可能だ。

 そこで1868年から1882年まで15年間に出版された和書の一覧表を作り、そのなかから翻訳書を選んでみた。結果は以下の通りだ。


総点数 翻訳書点数 翻訳書純点数
1868年 290     25    19
1869年 279     37    32
1870年 275     35    22
1871年 356     76    53
1872年 410     108    84
1873年 668     132    106
1874年 757     155    116
1875年 781     168    130
1876年 780     172    124
1877年 793     155    114
1878年 789     182    128
1879年 818     188    159
1880年 805     117    88
1881年 934     138    89
1882年 978     181    146
合計   9713     1869    1410
注:Webcat Plus(http://webcatplus.nii.ac.jp/)のデータより作成


 この15年に、データベースに収録されている和書・文書の総点数は9713点(かなりの数の文書が含まれているので、出版点数ではない)、そのうち翻訳書が1869点もある(翻訳書かどうかを書誌情報から確認できないものは除外した)。このうち、あきらかな重複を取り除くと、翻訳純点数は1410点である。簡単には確認できない重複もあるので、この1869点のうちの純点数はもう少し少ないだろう。だが、翻訳と銘打たない翻訳書も多かったし、これは当時の翻訳書の全数リストではないので、明治15年までの15年間だけで1500点以上の翻訳書が出版されているはずだ。『訳書読法』がいう「数千部」はそれほどの誇張ではないようだ。

『訳書読法』が書かれた経緯とその内容からも、当時の翻訳熱のすさまじさが分かる。『翻訳と日本近代』53ページ以下、『翻訳の思想』269ページ以下の内容をまとめると、こうなる。大分県の南端にある現在の佐伯市に「訳書周覧ノ社」、つまり翻訳書の読書会が作られ、佐伯藩出身の矢野竜渓に「有益ノ訳書ヲ送致センコトヲ請フ」。矢野は「有益ノ訳書」を送ると同時に、「之ヲ読ムノ順序方法ヲ誤テ之ヲ解スルニ苦シマンコトヲ恐レ、更ニ一篇ノ訳書読法論ヲ草セラル、則チ是書ナリ」という。

『翻訳の思想』の273ページ以下に「読ムベキ書目」が見事に分類されて並んでいる。地理、歴史、道徳、宗教、政治、法律、経済、礼儀、医学、心理、論理、物理、化学、生物、天文などの訳書を紹介し、その後に雑書として、進化論、文明史、社会、伝記、乱世史、紀行、小説をあげている。

 たとえば、歴史ではヒュームの『英史』、宗教では『旧約全書』と『新約全書』、政治ではトクビルの『自由原論』(『アメリカの民主主義』)、ベンサムの『立法論綱』、経済ではミルの『経済論』、生物学ではダーウィンの『人祖論』、社会学ではスペンサーの『社会学』、ミルの『利学』(『功利説』)と『自由之理』、伝記ではスマイルズの『西洋立志論』があげられている。

 小説は9点紹介されている。『経国美談』ももちろん入っており、それ以外に『イソップ物語』、ベルヌの『八十日間世界一周』と『月世界旅行』、デフォーの『ロビンソン漂流記』などがあげられている。

 明治15年までの15年間に翻訳出版された1500点近くのリストをみていくと、小説は意外なほど少なく、矢野があげた9点以外ではバニヤンの『天路歴程』が目立つぐらいだ。

 翻訳点数がとくに多いのは、医学、工業技術、農業技術、法律などの分野である。当時、必要に迫られていた分野で大量の翻訳が行われていたのだろう。また、初等中等教育の教科書や、各種の分野の入門書が多数翻訳されていることにも気づく。外国から学んで国民を教育するという目的がはっきりしていたことが、翻訳書のタイトルを眺めただけで読み取れる。

 繰り返すが、ここで対象にしているのは明治15年までの翻訳である。当時はまともな辞書もなかった(当時の翻訳書には『ウェブストル氏英語字書』などもあるが)。それよりも何よりも、欧米の考え方を理解するのがきわめて困難だった。そして、たとえ理解できてもそれを表現する語彙が日本語になかった。その時代に、よくここまで翻訳ができたものだと思う。

 明治初期の翻訳を読むと、当時の苦闘の様子がよく分かる。この時代には、ヨーロッパの言葉で書かれた欧米の本を、漢文という枠組みを使って何とか表現するために格闘したのだろう。翻訳のスタイルは直訳ではなく、意訳だといえる。

 たとえば、中村正直訳『自由之理』の冒頭部分をみてみよう。これは経済学者、哲学者として有名なジョン・スチュアート・ミルのOn Libertyの翻訳である。原著の出版は1859年、翻訳書の出版は1872年だから、ほぼ同時代に訳されている。


自由之理、序論
 リベルテイ〔自由之理〕トイヘル語ハ、種々ニ用ユ。リベルテイ ヲフ ゼ ウーイル〔主意ノ自由〕(心志議論ノ自由トハ別ナリ)トイヘルモノハ、フーイロソフーイカル 子セスシテイ〔不得已〔ヤムヲエザル〕之理〕(理學家ニテ名ヅケタルモノナリ、コレ等ノ譯後人ノ改正ヲ待ツ。)トイヘル道理ト反對スルモノニシテ、此書ニ論ズルモノニ非ズ。此書ハ、シヴーイル リベルテイ〔人民の自由〕即チソーシアル リベルテイ〔人倫交際上ノ自由〕ノ理ヲ論ズ。即チ仲間連中(即チ政府)ニテ各箇〔メイ/\〕ノ人ノ上ニ施シ行フベキ權勢ハ、何如〔イカ〕ナルモノトイフ本性ヲ講明シ、并ビニソノ權勢ノ限界ヲ講明スルモノナリ。(『明治文化全集』第5巻、日本評論社、1927年、傍点は太字で示した)

THE subject of this essay is not the so-called 'liberty of the will', so unfortunately opposed to the misnamed doctrine of philosophical necessity; but civil, or social liberty: the nature and limits of the power which can be legitimately exercised by society over the individual.(John Stuart Mill, On Liberty, Penguin Classics, p.59)


 たとえばliberty、society、individual、natureなどの訳に苦労している様子が読み取れるはずだ(この4つの語は柳父章が名著『翻訳語成立事情』〔岩波新書〕で取り上げた10の言葉のなかに入っている)。

 苦労したのは中村正直が英語をよく読めなかったからなのだろうか。あるいはミルの主張をよく理解できなかったからなのだろうか。『自由之理』を読むと、どちらでもないとしか思えない。英語力の点でも、内容の理解力の点でも、中村正直らの当時の翻訳者は間違いなく巨人だ。それと比較すれば、いまの翻訳者はせいぜい子供といえるほどの力しかない。

 当時の翻訳は、中村らの巨人にとってすら、いまでは想像もつかないほど困難な作業だったのだろう。たとえばsocietyやindividualという単語をどう訳していいのかが分からないのは、訳語が決まっていなかったからではない。話はそれほど単純ではない。たしかに訳語は決まっていなかった。だが、訳語が決まらないのは、これらの語で表現されている概念がそれまでの日本になかったからだ。概念がないのは、考え方が違っていたからだ。考え方が違っていたのはかなりの程度まで、現実が違っていたからである。

 そして、翻訳にあたっては、現実の違い、考え方の違い、概念の違いを理解するだけでは不十分だ。理解した結果を読者に伝えなければならない。欧米の現実、考え方、概念を知らない読者に原著の内容を伝えようとするとき、直訳調では何も伝わらない。意訳になるしかない。そして、意訳にあたっては漢文という枠組みを使って表現する以外に方法はなかったはずだ。漢文は中国の古典を取り入れるために作られた文体なので、日本語の文章体のなかで翻訳にとくに適している。

 その後、たとえばlibertyは「自由」、societyは「社会」、individualは「個人」、natureは「自然」という風に訳語が決まってくる。これらの語があらわす概念が理解されるようになったのではない。訳語が決まっただけだ。だがこうなると、たとえばひとつのセンテンスで socialを「人倫交際」と訳し、societyを「仲間連中」と訳すのは許しがたいと思えるようになったはずだ。まして「即チ政府」という注をつけるのは。こうして、明治初期の大翻訳時代の後に、原語と訳語の一対一対応を追求する直訳調の翻訳がはじまったのだろう。この点についてはいずれ、明治初期の翻訳とその後の翻訳を比較検討するなかで考えていきたい。
http://homepage3.nifty.com/hon-yaku/tsushin/ron/bn/maiji.html


新しい日本語はいかにつくられたか

「近世西洋文化をわが国語の中に伝えたるものも亦主として漢語たり」と山田孝雄は『国語の中に於ける漢語の研究』で述べている。つまり、日本は西洋文化を受け入れるためにどうしたかといえば、今のようにカタカナ語を当てるのではなく、漢語に翻訳した。もちろん新しい物だけではなく、見たことも聞いたこともない新しい文化や技術や概念であるから、そのような漢語は中国にも日本にもない。そこで、中国の古典にあることばを転用して当てたり、まったく新たにつくったりした。他にも中国が西洋文化を輸入したときに翻訳書に用いたものや、わが国が西洋文化を輸入するために中国の古典に典拠のあるものをわが国が選定したものがある、と述べている。当時の日本の武士階級には根底に教養としての漢文•漢語が備わっており、新しい文化や概念を読み解くにも「漢才」が縦横に発揮されたのである。

学術用語確定の努力が学問の広汎な領域で、明治の初年から20年代の半ばにかけて、意識的にまたきわめて精力的に行われていた。


横浜鉄道蒸気車通行の図。明治5年新橋―横浜間に鉄道が開通、わずか1時間で行けるようになった(神奈川県立博物館蔵)
新宿路上の禁煙マーク。中国語・ハングル・英語と日本語で表示されている。多少の違いはあれ、漢字はアジア語でもある


穂積陳重博士は、その苦労をつぎのように言っている。法政学者が法政学のことばをつくったときの苦心は一通りではなかった。明治10年(1877年)前後はまだ日本語で西洋の法律の説明がかろうじてできる程度で、明治20年ごろまでは日本語で法律の講義をするのは大変難しかった。したがって明治14年東京大学の講師となった時は、教科は英語の教科書を使い、英語で講義をしたという。

今や高級官僚、政治家やありとあらゆる分野で、日本の頂点を極めている人々を輩出している、東京大学法学部が自国語の日本語で講義さえできなかったほど、当時の日本語は貧弱であった。

大隈重信の『開国50年史』に藤岡勝二が書いた「国語略史」によれば、「江戸に初めて渡来した西洋の文物は維新後も続々輸入され、国語の内容も豊富になった。専門語はその国のことばを用いることが多く、日本語にも各国のことばが入り混じったが、とくに英語は著しく普及し、日常のことばにも数百ものことばがとり入れられ、看板や商標などもその字を使って表記している。数字もアラビヤ数字を知らぬものはまれで、さらに著しいのは日本語化した漢語で西洋語を翻訳したものが日を追って増えた。印刷術も長足の進歩をし、新しいこれらのことばが出版物に現れ、国民が等しくこれを理解するようになった」という。

私がなぜこのような話を長々と引用するかといえば、冒頭で述べたように日本語が歴史の中で三度にわたって大きく変化した姿が、時代の違いはあれ明治に映し出されていると思うからである。目を見張るような進んだ文化が日本に渡ってきたときの、人々の驚きと嘆息が伝わってくる。

鎌倉•室町時代に宋から新たな文化が伝来したときも、きっとこのような光景があったと思われる。いかにも新しい文化的な雰囲気を持つ「玄関」「暖簾」「箪笥」「椅子」や、日本の家屋にはなかった「炬燵」「行火」などの暖房、おいしそうな「豆腐」「納豆」「饅頭」「饂飩」「蒲鉾」、今では欠かすことのできない調味料の「味噌」「醤油」「砂糖」などがやってきたのである。日本文化は模倣文化といわれるが、よくぞ真似してくれたとご先祖に感謝すべきである。こんな素晴らしいものを伝えてくれた「宋」とは一体どんな国であろうか、と羨望と憧憬をもって新文化の伝達者である僧の説法に耳を傾けたに違いない。

日本から中国に移入された漢語


1873年(明治6年)5月1日、オーストリアのウィーンで開かれた博覧会に日本は初めて参加。 (『墺国博覧会参同紀要』より)

「散切り頭を叩いてみれば、文明開化の音がする」といわれた明治時代は、新しい制度と文化と技術の移入に、国を挙げて取り組んだ時代であった。「尊王攘夷」を標榜した倒幕派も、明治になると一転「文明開化」にいそしみ、殖産興業や富国強兵•脱亜入欧などの一連の政策を推進する。「鬼畜米英」と叫んだ戦前から、戦後一転して親米「民主主義」を導入するように、良し悪しは別として日本は、新しいものや変化にきわめて順応しやすい。西洋建築、髪型、洋装、洋食などから、郵便や電信 などにいたるまで西洋化が急ピッチで進められた。さらに植民地経営で莫大な富をアジア諸国から吸い上げていた西洋列強にならって、軍拡に走り、1894年と1904年にそれぞれ清国とロシアに戦争を発動し、莫大な賠償金と利権を得る。

まさにこのころ、西洋化にある程度の成果を得た日本から和製漢字が中国に移入されていく。中国に孫文(1866~1925年)をはじめとする憂国の士が現われ、一足先に西洋の新しい技術や文化を得た日本から思想や近代科学とともにことばも移入する。それは科学技術、政治経済、制度や思想など多岐にわたっている。

科学や医学では、「科学•化学•現象•液体•蒸発•物質•材料•分析•実験•作用•伝播•電流•電話•反応•反射•医学•動脈•細胞•潰瘍•結核•手術•消毒•進化など」科学や医学の概念とそれを実験•証明する器具や論理を説明することば。

政治経済では「政治•経済•革命•政党•政府•主席•総理•議決•議案•議会•否決•政策•軍事•警察•財政•経理•企業•破産•投機•金額•消費•生産•商業•商品•不動産など」国造りに必要な基本的なシステムやその運営に欠かすことのできない概念。

制度や思想では「社会•身分•自治•主権•権利•法律•法廷•刑法•判決•批判•義務•反動•交渉•独裁•労働•代表•解放•情報•新聞•原則•現実•民主•共和•互恵•交通•軍国•命令•思想•唯物論•共産主義•抽象•概念•運動•積極•客観•観念•意識•目的•手段•要素•要点•判断•説明など」いわゆる社会科学的用語。

「教育•歴史•数学•物理•体育•保健•美術•哲学•文学•文明•文化•建築•学位•試験•環境など」の教育や人文科学に関する用語などである。

このようにみると、ほとんどのことばが現在も、日常的に使われている。それは中国においてもまったく同様に日常生活に欠かせないことばであり、現代の政治や経済においても重要なことばばかりである。

農文協の『図説 中国文化百華』の『漢字の文明 仮名の文化』で著者の石川九楊先生は、「大陸に生じた漢語が裏に西欧語を貼りつけて再び暴力的に里帰りした一面がないわけではない。むろん、そのことをもって東アジアの近代化に貢献したと言えるようなものではないが」といっている。

孫文の辛亥革命から毛沢東をはじめとする中国共産党の中華人民共和国成立にいたるまで、これらのことばが果たした役割は確かに大きい。とはいえ、これらのことばがもたらした代価も決して小さくはない。ただ、同じアジア人としてことばを共有し、文化を享受できたことを喜ぶべきなのかも知れない。

http://www.peoplechina.com.cn/zhuanti/2010-01/12/content_239219_2.htm




漢字漢文は不完全な言語である。情緒を表現することができない
論理とか道筋とかを正確に伝えることができない。 西尾幹二

◆訓読みの成功と日本文化の自立

『日本書紀』の編纂にあたっては、かなりの渡来帰化人の協力があるといわれている。ちょうどわれわれ現代人が英語をうまく書ける人につい頼ってしまうように、漢字漢文に練達である朝鮮からの渡来帰化人に依存するということがあったと思う。

日本人が外国語べただという性格は二千年前からつづいているという文化論に、あるいはまた文明の反省につながる話というふうにしてしまうと少し情けないし、間違える。そういう話ではない。古代の日本は他のアジアの国にはできなかったきわめて特異なことを行った。韓国が吏読という訓読みに近いやり方をいったん試みたが成功しなかった。

同じようなことは、ベトナムが字南という言語表記法を工夫し、開発するが、もちろんこれも成功しない。十五世紀につくられたハングルは一語一音表記の表音文字であるので日本の仮名に等しい。訓読みという中国漢字の自在の二重構造というものではおよそない。

韓国の場合、漢字漢文を正式書法とする上流階級の意向にあわせてハングルは軽蔑されたり、禁止されたりして二等級扱いされてきた。そして第二次世界大戦後、伝統となっていた漢字漢文の表記法もやめてしまい、ご承知のようにオールハングルに切り替えた。それで数世代を経て、今、非常に困った文化的局面に立ち至っていることは関係者の反省の言葉としてわれわれの耳に達しているとおりである。

古代の日本は何度も言いたいが、アジアの国で出来ないきわめて特異なことをやった、たった一つの国である。それは中国の文学を日本語読みし、日本語そのものはまったく変えない。中国語として読むのではなくて日本語としてこれを読み、それでいながらしかもなお、内容豊かな中国古代の古典の世界や宗教や法律の読解をどこまでもいじする。この決然たる意思であった。

今のフィリピンでは、公用語も新聞も英語である。しかし民衆はタガログ語を話している。アメリカに植民地として支配されたフィリピンの姿である。フランスに支配されていた旧フランス領アフリカでも同じことで、指導者はフランス語を話し、一般民衆は現地の言葉を話している。古代日本人は敏感にこのことのもつ危険を知っていたに違いない。

もし古代日本が中国語に接したときに、支配階級が中国人と同じように中国語を読み書き話す術を競い合い、他方、一般民衆は「倭語」を話しつづけていたらどうなっていたであろう。日本は中国の属州でありつづけ、日本そのものがすでに消滅してしまっていたであろう。

言語は民族の精神の核である。(P102~P103)

◆漢字漢文における表現カの限界

いうまでもなく私の関心は日本語の起源問題そのものにはない。前項以来、現代のこの方面の最新学説を紹介することで、日本語は孤立言語とは断定できないまでも、歴史的由来をただすことがきわめて困難を言語の一つであり、したがって日本文化そのものがユーラシア大陸から独立した"栄光ある孤立"を守る正当な根拠をもっている一文明圏だということに、読者が納得してさえくだされば、それで十分なのである。

文字は間違いなく中国から来て、それはいちじるしく変形され、日本化された。だからといって日本が中国文明圏だということにはならない。前にも言ったとおり、言語と文字は違う。言語はより根源的である。日本語は周知のとおり、中国語とは縁戚語ですらない。

人類が音声を使っな言語を用い始めたのは、すなわちスピーキングは、確たることはわからないが約三百万年前に始まる旧石器時代である。それに対し文字の出現、すなわちライティングは最古のシュメール文字にしてもせいぜい数千年前である。現代でも文字を持たない言語がいくらも存在する。

また、優れた文字を持つ文明下に生きているとしても、喋ったことを完全に文字で表現できるとは限らない。言語と文字表現との間にはつねに隙間がある。隙間という程度ではすまないほどの埋められない深い淵があるのが宿命だと言ったほうが、あるいは正しいかもしれない。

「書くことが話すことよりも完壁であるととかく考える誤解が、世には存在する。なかには書くことと言語とを同一視するような行き過ぎた間違いを犯す者さえいる」 書物に取り巻かれている文明社会の知識人が陥りがちな自己錯誤である。

中国の全国人民代表大会には約三千人が一堂に会する。しかし参加者は誰も発言しない。一人一秒もない、という時間の問題だけではない。中国は多言語社会である。誰かが突然立って発言しても言葉が通ない。

江沢民が壇上で演説するのを聴いても理解できない参会者が少なくないそうだ。皆がワーツと拍手するだけである。そこで紙が配られる。書かれている漢字漢文を目で読んで納得する。各々が自分の国の音で読んで、理解はするが、隣の人にこれを朗読して聞かせたらもうわからないということだ。

中国のテレビではニュースキャスターが話している間、ものすごい速さで漢字のテロップが流れることがある。中国人同士でも、耳で聴くだけではまったく理解できない場合がある証拠だ。

「官吏」という言葉も中国から来たが日本とは意味が違う。「官」はキャリアの役人、中央から派遣され、しばらく勤務し栄転していく高級官僚である。「吏」は下積みのノンキャリア組で、それぞれの地方に縛られている。これは端的に通訳のことである。地方語のわかる人が「吏」である。そういう区別が多言語社会の実質を物語っている。

台湾人の文明評論家、黄文雄氏から聞いた話だが、事情は台湾でも同様であるそうだ。国慶節で蒋介石が演説するのを何度も聴いたが、分からない人が大部分だった。台湾には高砂族という原住民がいて、今でも九つの部族に分かれ、それぞれ独自の集団生活をしている。彼らは固有の儀式を行い、お互いに言葉が通じない。仕方がないので、今でも必要な時には日本語で意思疎通を図っていると言う話だ。

私は以上、政治的なテーマを語っているのではない。言語哲学的に非常に重要な事を言っているつもりだ。中国はヨーロッパみたいなものだと思えばいいでしょう、と黄氏はおっしゃった。

フィンランド人はイタリア人が話していることがわからない。アイルランド人はポーランド人が話していることがわからない。それでは文字に書いた文章を見せればいいかというと、中国語と違って、ヨーロッパの文字は表音文字だから、それぞれ相手の言語を勉強していなければ理解はできない。

表意文字としての中国語はこの点断然有利だ。漢字漢文だと相互理解がたちどころに可能になる。中ていさいとつくろ国が曲がりなりにも統一国家としての見せかけの体裁を取り繕うことができ、有機的な一つの文明だと思わせることに成功しているのは、ひとえに表意文字の有効利用のせいであるが、他方、この有利さには別ともなの面の不利が伴っている。

すなわち漢字漢文の伝達力には必然的に制約がある。きわめて大雑把な、決まりきった定型しか表現できないという欠点がある。漢字漢文は不完全な言語である。情緒を表現することができない。論理とか道筋とかを正確に伝えることができない。

だいたい品詞の区別がない。名詞、動詞、形容詞、形容動詞の区別がない。日本語の助詞として重要な役割を持っ「てにをは」がない。だから読みようによってどうにでも読めるし、厳密な伝達ができない。

ヨーロッパ語のように性とか数とか格とかがない。そもそも語と語のつながりを表す言葉がない。したがって大略の内容表現しかできないで押し通してきたことが、偉大な古代文明を持つ中国がその後の発展を阻まれてきた原因かもしれない。

魯迅も孫文もこのことを嘆いていた。毛沢東の文字改革はこの嘆きのうえになされたものだが、文字を簡略化しても根本問題の解決にはならない。それに比べ一語一音を廃し、訓読みを導入し、しかも二種の仮名文字を自由自在に混在させる知恵を発揮した日本語のほうが、言語の表記法としてははるかに進歩し、微妙に洗練され、かつ精緻正確な形態に発達していることは言をまたない。

過日、加地伸行氏という儒学の大家にたいへんに興味深いお話を伺った。日本語の助詞も持たず、ヨーロッパ語の格変化や人称変化も持たない漢字漢文で、語と語の連結はどのようにして行われているのですかという私の質問に、氏はふと思いついたように「端」という字をお示しになった。日本人はこの字を見ると端っこというイメージをまっ先に思いつく。そして、それ以上はなかなか意識に思い浮かぷものがない。われわれには漢字が依然として外来語である所以である。

加地氏によると、「端」はものごとを区切るということであり、礼儀正しいということであり、さらに、恭しく人に物を捧げ持ってさし出す様子などをさえ示す言葉だという。私は知らないことを初めて言われた驚きを覚えた。「つまり『端』はじつにきちんとしているということを言い表す言葉なんですよ。たとえば日本語でも、『端正な芸風』、『端整な顔立ち』、『端然と座る』などという使い方をするでしょう」。

そう言われて私は、なるほどと悟った。日本語では中国語の原義のもつ広い概念が、ばらばらの熟語として二字連結で入っている。「端的にいえば」はまさに「ものごとを区切る」という最初の語義に発している。「端厳な態度」、「端座する」は礼儀正しく、きちんとした姿勢を紡佛させる。

私のようなヨーロッパ系の言語を学ぶ者でも、日本語と対応させるうえでの概念のズレをつねづね経験している。constitutionは組織や構成のことであり、体格や体質のことであり、かつ憲法のことだ。She is weak by conatitutionは「彼女は生まれっき身体が弱い」の意で、憲法とはなんの関係もない。英語やドイツ語だと私はある程度の概念の広がりを当然視しているが、漢字となると、自国語として用いているので、かえって一語の持つ広い概念範囲に平生気がついていない。

しかし中国人は「端」という一語を見ただけで、広範囲のイメージをじかに表象している。そしてひとつの概念の円が次の概念の円と次々に重なって、それによって語と語の連結をつづけていく。助詞や格変化がなくても不自由しないのはそのせいである。

教養のある中国人は一つの概念の円が、当然大きくて広い。歴史的に使われていた中国語のありとあらゆる教養のうえで、大きな円を描き、そのつながりで意味了解がなされていくのが中国語の特徴であるから、古典の教養がなければ理解できないことがたくさん出てくると言われるのも、むべなるかなである。

加地氏は自作の漢字漢文を中国人の先生に見せると、たいてい、ここはいらない、これも不要だ、と文字を削られ、短くされてしまうという。一つの概念の円の範囲がたぶん中国人の先生のほうが広いためである。

中国の科挙がなぜ膨大な量の古典文学の学習を強いたかという謎もここにあるのかもしれないと思ったが、現代の大衆社会に適用できる話ではないので、漢字漢文の伝達力の限界という先の間いに解答を与えてくれる話ではない。(P131~P135)


(私のコメント)
ゴールデンウィークも後半に入りましたが、相変わらずテレビの大リーグ中継を見て過ごしています。レッドソックスの松坂はストライクが入らずフォアボールで満塁にしてしまう。結局7点も取られてマウンドを降りましたが、明らかにフォ-ムを崩していた。どのように修正して立ち直るか分かりませんが、慣れるまで時間がかかるのだろう。

ゴールデンウィーク中はお休みのブログも多くて読む人も少ない。おまけに晴天だから外出している人が多いだろう。中には私のように金が無いので家でごろごろしているしかない人もいるだろう。このような時には本でも読んでいるのが一番いいのですが、月収が10万円しかないフリーターは本を買う金も無い。

私なども学生時代は金が無くて古本を買って読んでいましたが、今は古本も安くなって定価の十分の一ぐらいで買える。しかしフリーターは狭いアパート暮らしで本を置く場所も無い。最近ではマンガ喫茶で寝泊りしている人もいるようですが、こうなるとネットでしか知識を得られないことになる。

私のブログでは本の紹介もしているのですが、今回は西尾幹二氏の「国民の歴史」を紹介します。フリーター生活と「国民の歴史」とどんな関係があるのかと言うと、格差社会を作り出した政治を通じて若者がフリーター生活に追い込まれているのだ。なぜ政治が格差社会を生み出したのかと言うと、政治家達が日本の歴史と伝統を忘れて、アメリカの残していった教育を放置した事に原因がある。

安倍内閣は教育改革を推し進めていますが、憲法改正なども絡んで日本の歴史や伝統をどのように復活させるかが、これからの日本の大きな課題になる。日本の教育も一番直さなければならないのは歴史教育であり、戦後の自虐史観を正さなければ青少年の心に「日本は戦争犯罪を犯した悪い国」という歴史観が植えつけられてきた。

だからアメリカや中国や韓国などから歴史カードを突きつけられただけで日本は謝罪と反省を繰り返してきた。そうされていくうちに理不尽な要求を突きつけられても日本の政治家は受け入れざるを得なくなり、国民はいくら働いても富はアメリカに吸い取られていく仕組みになっていく。

あるいは中国に6兆円ものODAを援助しても中国に感謝される事はなく、国内の景気対策は放置されて、海外にばかり金は流れ出ていくようになってしまった。本来ならば世界一豊かな国のはずが、若者はフリーター生活を強いられて安アパートすら借りられない人が出てきた。

外国ならばこのような若者が出始めたらデモや暴動などが起きて社会問題化するのですが、日本の若者はデモをすることすら出来ないほど元気が無い。戦後教育で徹底的に政治に無関心になるように教育されてきたからだ。だから若者ほど選挙にも行かなくなっている。これは一種の愚民化政策なのだ。

特に戦後の歴史教育は徹底的に空洞化されて、日本の近代史はほとんど教えられていない。だから従軍慰安婦や南京大虐殺などの「歴史カード」を突きつけられると、何も分からないから謝罪と反省を繰り返すしかないのだ。このような反省に立って西尾幹二氏が「新しい歴史教科書を作る会」の会長となり教科書が作られましたが、採用する学校はまだ少ない。

とにかく中国や韓国やアメリカから歴史カードを突きつけられても反論できるだけの人材を育てなければなりませんが、60年に及ぶ戦後の洗脳教育は、ほとんどの日本人に自虐史観を植えつけてしまった。それに対して「国民の歴史」はその洗脳を解く為の解毒剤になるだろう。

連休期間中は「国民の歴史」をピックアップして注目すべき点を論じていってみたいと思います。その第一はなぜ日本だけがアジアで近代化に成功したかという点ですが、言語そのものに原因があるのではないかと思う。特に中国や韓国などについては何度か触れてきましたが、戦後の文字改革で歴史が断絶してしまった事だ。

中国では文字改革で漢字が極端に簡略化されて、表意文字なのに本来の意味が分からなくなってきている。だから中国語は中国の古典を読まなければ十分な意味が伝わらないのに、古典そのものが中国人は読めなくなっている。韓国にしてもハングル文字は表音文字であり戦前の漢文などが読めない。

それだけ中国や韓国は言語や文字に問題があり改革を必要としたのですが、日本だけは西洋の近代文化を取り入れることに成功した。現代においても中国はコピー文化に陥っていて、自立的な発展は難しいようだ。文化とは積み重ねで発展していくものだから、基礎となるような歴史がないと、いきなり近代文明を上に載せても基礎がしっかりしていないから発展は難しいのだ。

フィリピンなどのアジア諸国やアフリカ諸国などは、欧米に留学して欧米語を話す上流階級と、現地語を話す留学できない一般民衆の二つに分かれてしまって、これではいつまで経っても国が近代化できるわけがなく、欧米などに移民として移住するアジア・アフリカ国民が絶えない。中国や韓国もやはりアメリカに移住する事が唯一の道になってしまっている。

中国に関する限り英語を習うよりも日本語を習って近代化したらどうかと思う。現在でも中国から大勢の留学生が来ているが、日本語が読めるようになれば世界の翻訳された本を読むことが出来る。韓国にしても日本語教育を進めれば近代化のために役に立つだろう。

誇大妄想的にいえば、日本人と中国人と韓国人が日本語を公用語にすれば、英語以上の公用語人口となって世界に普及するかもしれない。
http://www.asyura2.com/07/bd48/msg/693.html
5:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/14 (Tue) 06:18:47

漢字と格闘した古代日本人
_/_/
_/ _/_/_/  外来語を自在に取り込める開かれた国際派言語・
_/ _/_/ 日本語は漢字との国際的格闘を通じて作られた。

■1.日本語と近代中国■

 中国の外来語辞典には、「日本語」とされているものが非常
に多い。そのごく一部を分野別に拾ってみると:

思想哲学: 本質、表象、理論、理念、理想、理性、弁証法、
      倫理学、倫理学、、、
政治軍事: 国家、国民、覇権、表決、領土、編制、保障、
      白旗、、
科学技術: 比重、飽和、半径、標本、波長、力学、博士、 
      流体、博物、列車、変圧器、冷蔵、
医学:   流行病、流行性感冒、百日咳、
経済経営: 不動産、労動(労働)、舶来品、理事、保険、
      標語、例会、

 博士などは、昔から中国にあった言葉だが、近代西洋の
"doctor"の訳語として新しい意味が与えられ、それが中国に輸
入されたのである。

 日本が明治維新後、西洋の科学技術、思想哲学を導入する際
に、各分野の概念、用語を表す数千数万の和製漢語が作られ、
それらを活用して、欧米文献の邦訳や、日本語による解説書、
紹介文献が大量に作成された。中国人はこれらの日本語文献を
通じて、近代西洋を学んだのである。

 軍事や政治の用語は、日露戦争後に陸軍士官学校に留学する
中国人が急増し、彼らから大陸に伝わった。後に国民党政府を
樹立した蒋介石もその一人である。当時はまだ標準的な中国語
は確立されていなかったので、各地の将校達は日本語で連絡し
あって革命運動を展開し、清朝打倒を果たした。

 さらに中共政府が建前としている共産主義にしても、中国人
は日本語に訳されたマルクス主義文献から学んだ。日本語の助
けがなかったら、西洋の近代的な軍事技術や政治思想の導入は
大きく遅れ、近代中国の歴史はまったく異なっていただろう。

■2.外国語を自在に取り込んでしまう日本語の柔軟性■

 日本人が文明開化のかけ声と共に、数千数万の和製漢語を作
りだして西洋文明の消化吸収に邁進したのは、そのたくましい
知的活力の現れであるが、同様の現象が戦後にも起きている。
現在でもグローバル・スタンダード、ニュー・エコノミー、ボ
ーダーレスなどのカタカナ新語、さらにはGNP、NGO、I
SOなどの略語が次々とマスコミに登場している。

 漢語を作るか、カタカナ表記にするか、さらにはアルファベ
ット略語をそのまま使うか、手段は異なるが、その根底にある
のは、外国語を自由自在に取り込む日本語の柔軟さである。

 漢字という表意文字と、ひらがな、カタカナという2種類の
表音文字を持つ日本語の表記法は世界でも最も複雑なものだが、
それらを駆使して外国語を自在に取り込んでしまう能力におい
て、日本語は世界の言語の中でもユニークな存在であると言え
る。この日本語の特徴は、自然に生まれたものではない。我々
の祖先が漢字との格闘を通じて生みだしたものである。

■3.文字のなかった言語■

 漢字が日本に入ってきたのは、紀元後2世紀から3世紀にか
けてというのが通説である。その当時、土器や銅鐸に刻まれて
「人」「家」「鹿」などを表す日本独自の絵文字が生まれかけ
ていたが、厳密には文字体系とは言えない段階であった。

 しかし、言語は本来が話し言葉であり、文字がなければ原始
的な言語だと考えるのは間違いである。今日でも地球上で4千
ほどの言語が話されているが、文字を伴わない言語の方が多い。
文字を伴う言語にしても、そのほとんどは借り物である。

 アルファベットは紀元前2千年頃から東地中海地方で活躍し
たフェニキア人によって作り出されたと言われているが、ギリ
シア語もラテン語もこのアルファベットを借用して書けるよう
になった。現代の英語やロシア語も同様である。逆に言えば、
これらの言語もすべて文字は借り物なのである。

 わが国においても文字はなかったが、神話や物語、歌を言葉
によって表現し、記憶によって伝えるという技術が高度に発達
していた。今日、古事記として残されている神話は、古代日本
人独自の思想と情操を豊かにとどめているが、これも口承によ
って代々受け継がれていたのである。

■4.古代日本にアルファベットが入っていたら■

 アルファベットは表音文字であるから、どんな言語を書くに
も、それほどの苦労はいらない。現代ではベトナム語も、マレ
ー語もアルファベットを使って表記されている。

 古代日本人にとっても、最初に入ってきた文字がアルファベ
ットだったら、どんなに楽だったであろう。たとえばローマ字
で「あいうえお」を書いてみれば、

a i u e o
ka ki ku ke ko
sa si su se so

 などと、「a i u e o」の5つの母音と、「k s 、、」など
の子音が単純明快な規則性をもって、日本語のすべての音を表
現できる。漢字が入ってきた頃の古代の発音は現代とはやや異
なるが、この規則性は変わらない。日本語は発音が世界でも最
も単純な言語の一つであり、アルファベットとはまことに相性
が良いのである。

■5.日本語は縁もゆかりもない漢語と漢字■

 ところが幸か不幸か、日本列島に最初に入ってきた文字は、
アルファベットではなく、漢字であった。「漢字」は黄河下流
地方に住んでいた「漢族」の話す「漢語」を表記するために発
明された文字である。そしてあいにく漢語は日本語とは縁もゆ
かりもない全く異質な言語である。

 語順で見れば、日本語は「あいつを殺す」と「目的語+動
詞」の順であるが、漢語では「殺他」と、英語と同様の「動詞
+目的語」の順となる。

 また日本語は「行く、行った」と動詞が変化し、この点は英
語も「go, went gone」と同様であるが、漢語の「去」はまっ
たく変化しない。発音にしても、日本語の単純さは、漢語や英
語の複雑さとは比較にならない。似た順に並べるとすれば、英
語をはさんで漢語と日本語はその対極に位置する。

 さらにその表記法たる「漢字」がまた一風変わったものだ。
一つの語に、一つの文字を与えられている。英語のbigという
語「ダー」を「大」の一字で表す。bigという「語」と、ダー
という「音」と、大という「文字」が完全に一致する、一語一
音一字方式である。さらに、英語では、big, bigger, bigness、
日本語では「おおきい」「おおきさ」「おおいに」などと語が
変化するのに、漢語はすべて「ダー」と不変で、「大」の一字
ときちんと対応している。漢字は漢語の特徴をまことに見事に
利用した最適な表記法なのである。

 たまたま最初に接した文字が、日本語とはまったく異質な漢
語に密着した漢字であった所から、古代日本人の苦闘が始まる。

■6.漢字との苦闘■

 漢字に接した古代日本人の苦労を偲ぶには、イギリス人が最
初に接した文字がアルファベットではなく、漢字であったと想
定すると面白いかもしれない。英語の語順の方が、漢語に近い
ので、まだ日本人の苦労よりは楽であるが。

 イギリス人が今まで口承で伝えられていた英語の詩を漢字で
書きとどめたいと思った時、たとえば、"Mountain"という語を
どう書き表すのか? 意味から「山」という文字を使えば、そ
れには「サン」という漢語の音が付随している。「マウンテ
ン」という英語の荘重な響きにこそ、イギリス人の心が宿って
いるのに、「山」と書いたがために「サン」と読まれてしまっ
ては詩が台無しである。

逆に「マウンテン」という「音」を大切にしようとすれば、
「魔運天」などと漢字の音だけ使って表記できようが、それぞ
れの漢字が独自の意味を主張して、これまた読む人にとっては
興ざめである。

 英詩には英語の意味と音が一体になった所に民族の心が宿る。
それが英語の言霊である。古代日本人にも同じ事だ。漢字は一
語一音一字という性質から、それ自体に漢人の言霊が宿ってお
り、まことに他の言語にとっては厄介な文字であった。

■7.言語と民族の心■

 こういう場合に、もっとも簡単な、よくあるやり方は、自分
の言語を捨てて、漢語にそのまま乗り換えてしまうことだ。歴
史上、そういう例は少なくない。

 たとえば、古代ローマ帝国の支配下にあったフランスでは、
4世紀末からのゲルマン民族の大移動にさらされ、西ゲルマン
系フランク人が定住する所となった。フランク人は現代のドイ
ツ語と同じ語族に属するフランク語を話していたが、文化的に
優勢なローマ帝国の残した俗ラテン語に乗り換えてしまった。
これがフランス語の始まりである。

 英語も1066年フランスの対岸からやってきたノルマン王
朝に約300年間支配され、その間、フランス語の一方言であ
るノルマン・フランス語が支配階級で使われた。英語はその間、
民衆の使う土俗的な言語のままだった。今日の英語の語彙の
55%はフランス語から取り入れられたものである。そのノル
マン人ももとはと言えば、900年頃にデンマークからフランス
北西岸に植民したバイキングの一派であり、彼らは北ゲルマン
語からフランス語に乗り換えたのである。

 こうして見ると、民族と言語とのつながりは決して固定的な
ものではなく、ある民族が別の言語に乗り換えることによって、
その民族精神を失ってしまう、という事がよくあることが分か
る。前節の例でイギリス人が漢語に変わってしまったら、「や
ま」を見ても、"mountain"という語と音に込められた先祖伝来
の言霊を全く失い、「山」「サン」という漢人の心になってし
まっていたであろう。

■8.カタカナ、ひらがなと訓読みの発明■

 漢字という初めて見る文字体系を前に、古代日本人が直面し
ていた危機は、文字に書けない日本語とともに自分たちの「言
霊」を失うかも知れない、という恐れだった。しかし、古代日
本人は安易に漢語に乗り換えるような事をせずに漢字に頑強に
抵抗し、なんとか日本語の言霊を生かしたまま、漢字で書き表
そうと苦闘を続けた。

 そのための最初の工夫が、漢字の音のみをとって、意味を無
視してしまうという知恵だった。英語の例で言えば、mountain
を「末宇无天无」と表記する。「末」の意味は無視してしま
い、「マ」という日本語の一音を表すためにのみ使う。万葉集
の歌は、このような万葉がなによって音を中心に表記された。

 さらにどうせ表音文字として使うなら、綴りは少ない方が効
率的だし、漢字の形を崩してしまえばその意味は抹殺できる。
そこで「末」の漢字の上の方をとって「マ」というカタカナが
作られ、また「末」全体を略して、「ま」というひらがなが作
られた。漢人の「末」にこめた言霊は、こうして抹殺されたの
である。

 日本人が最初に接した文字は不幸にもアルファベットのよう
な表音文字ではなく、漢字という表語文字だったが、それを表
音文字に改造することによって、古代日本人はその困難を乗り
越えていったのである。

 しかし、同時に漢字の表語文字としての表現の簡潔さ、視覚
性という利点も捨てきれない。mountainをいちいち、「末宇无
天无」と書いていては、いかにも非効率であり、読みにくい。
そこで、今度は漢字で「山」と書いて、その音を無視して、mo
utainと読んでしまう「訓読み」という離れ業を発明した。こ
うして「やま の うえ」という表現が、「山の上」と簡潔で、
読みやすく表現でき、さらに「やま」「うえ」という日本語の
言霊も継承できるようになったのである。

■9.日本語の独自性と多様性■

 こうして漢字との格闘の末に成立した日本語の表記法は、表
音文字と表語文字を巧みに使い分ける、世界でももっとも複雑
な、しかし効率的で、かつ外に開かれたシステムとして発展し
た。

 それは第一に、「やま」とか、「はな」、「こころ」などの
神話時代からの大和言葉をその音とともに脈々と伝えている。
日本人の民族文化、精神の独自性はこの大和言葉によって護ら
れる。第二に「出家」などの仏教用語だろうが、「天命」とい
うような漢語だろうが、さらには、「グローバリゼーション」
や「NGO」のような西洋語も、自由自在に取り入れられる。
多様な外国文化は「大和言葉」の独自性のもとに、どしどし導
入され生かされる。

 外国語は漢字やカタカナで表現されるので、ひらがなで表記
された大和言葉から浮き出て見える。したがって、外国語をい
くら導入しても、日本語そのものの独自性が失われる心配はな
い。その心配がなければこそ、積極果敢に多様な外国の優れた
文明を吸収できる。これこそが古代では漢文明を積極的に導入
し、明治以降は西洋文明にキャッチアップできた日本人の知的
活力の源泉である。

 多様な民族がそれぞれの独自性を維持しつつ、相互に学びあ
っていく姿が国際社会の理想だとすれば、日本語のこの独自性
と多様性を両立させる特性は、まさにその理想に適した開かれ
た「国際派言語」と言える。この優れた日本語の特性は、我が
祖先たちが漢字との「国際的格闘」を通じて築き上げてきた知
的財産なのである。
(文責:伊勢雅臣)
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h13/jog221.html
6:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/14 (Tue) 06:19:36

日本から中国へ伝来した和製漢語

1.日本から中国へ“和製漢語”が伝来した背景


 日中両国は、その長い歴史の中で、早くから文化関係を持ち、その交流が連続して繰り返し行われてきたことは日中両国の多くの国民が知るところであろう。だが、その交流が「中国から日本へ」の一方的なものと捉えられがちなのが実情である。

中国人だけでなく、日本人すら「日本から中国へ」伝えられた文化についてはほとんど知らない。

南ドンは「交流に一方通行はありえない」と一貫して考えてきた。例えその交流が征服者と奴隷の関係であったとしても、征服者側だって奴隷から受ける影響はゼロとは言えないはずだ。


 日中両国の"文字"交流史は、後漢の光武中元2年(57年)、漢の皇帝が日本へ「漢委奴国王」と彫られた金印を贈ったことから始まったと広く認識されており、「史記」によれば、秦始皇帝28年(219年)には徐福が日本へ渡った。また、三国時代には日本の邪馬台国が4回に渡って使節を魏に送り、魏もこれに応え、二回にわたり使者を送っている。

 晋の武帝太康5年(285年)、百済の王仁が「論語」と「千字文」を日本に朝鮮半島経由で伝え、日本も推古天皇が630年から200年あまりにわたり、遣隋使を派遣、仏教文化や中国律令制などを積極的に吸収、その結果、大量の漢字が日本へ輸入された。

このような過程の中で、日本は3世紀より漢字の使用を始め、7世紀には漢字の音と訓を利用して日本の発音を表現する方法を創出するに至った。この所謂「万葉仮名」が後の9世紀に登場する「カタカナ」と「ひらがな」の元となり、日本で皇族文化だけでなく、庶民の文化までもが発展する大きな原動力となった。


 894年の遣唐使廃止によって、日本の中国からの"漢語"摂取は一時休止したものの、鎌倉時代に入ると中国から朱子学が入り、江戸時代には朱子学は官学にまでなった。つまり、日本的価値観=武士道を誇る武士の時代になっても、日本の中国からの"漢語"摂取は已然として続けられていたと言ってもいい。
 この「中国から日本へ」の流れが大きく変わったのは19世紀後半である。

1868年に明治の新体制に突入した日本は1881年には詔勅により1890年に議会を開催することを世に知らせたが、中国は1907年にようやく清朝が立憲の詔勅を出し、26年の遅れをとった。また、日本は1889年に大日本帝国憲法を発布したが、中華民国臨時約法は1912年の発布であり、23年遅れている。そして、清朝末期から中華民国初期にかけてのこうした流れを促進させたのは言うまでもなく清朝の日清戦争での大敗北(1905年)である。


 日清戦争以後の中国は「北はロシア、西は英国、南はフランス、東は日本、四方を列強に囲まれ危機迫る」(*1)という状況で「救国のためには維新が必要であり外国に学ばねばならず、西洋に学んで成功を遂げた日本を中国も見習いたかった」(*2)。

そして当時の中国維新派は欧米の書籍だけではなく、日本のものを大量に翻訳したのである。  

特に、康有為は「維新から今に至るまでの30年で欧米の政治、文学、武備など新しい知識の良書が翻訳されている。(中略)

日本の書籍を翻訳したほうがいいのは、文字の8割がわれわれの漢字であり、翻訳が時間をかけずに簡単にできるからだ」(*3)と主張し、

梁啓超は「西洋の政治、経済、哲学などに関する書籍を読もうとするなら、速くとも5、6年を費やさなければならず、踏み込んでやろうとすれば更に10数年かかる」(*4)、

「日本語なら学ぶのに数カ月で初歩まで達することが可能であり、日本の学問はすぐにでも我々のものとなる」(*5)と日本語書籍の翻訳の重要性を説いている。


 1896年、日清戦争が終わって間もなく清朝は駐日大使の新任にあわせて13人の留学生を日本に派遣した。これがおそらく近代中国初の日本への公費留学生であろう。

また1898年には、張之洞が『勧学篇』の中で「留学先としてはその便宜性において西洋は東洋(日本)には及ばない。近いために旅費を節約でき、多くの留学生の派遣が可能であり、また視察にも便利である。そして日本語は中国語に似ており、容易に理解できる。

西洋の本は膨大過ぎて要領を得難いが、日本人はそれらを既に取捨選択してくれている。

日本の風俗も中国に似かよっており、模倣も容易で、これに勝るものはない。

それで尚、更に詳しい知識を得たいと考えるなら、その時に改めて西洋へ渡ればよいのである」(*6)と説き、清朝も1903年にこの意見を取り入れて『遊学卒業生奨励規定』を制定、結果、日本への留学が大ブームとなったのである。


当時の日本への留学者数について正確な数を知るのは困難だが、馬祖毅氏は「20世紀初め、日本への留学生は最も多かった」とし「1905年は8000人」、「1906年は13000人」と推定している(*7)。


 こうした背景もあって、清朝末期から中華民国初期にかけての中国国内の日本語書籍の翻訳本は西洋の書籍数を大きく上回った。

楊寿椿は『訳書経眼録』の目録に基づき、光緒年代末期(1902年~1904年)に翻訳された533の書籍のうち60%以上の321が日本語書籍であったとしている。(*7)

そして、これらの翻訳書から日本で生まれた"和製漢語"が中国で広く使用されるに至ったのである。


________



2.現代中国語における“和製漢語”の重要性


 中国には1982年に出版された『漢字外来語詞典』という辞書がある。

この辞書は「劉正炎、高名凱、麦永乾などの学者が1960年から22年の歳月をかけて編纂した」(*8)もので約一万の外来語を収録しているが、日本語はその内、896で全体の10%を占めている。

この比率は、中国の漢語外来語吸収の歴史の長さや、英・仏・独・露などの外国語のみならず、朝鮮語・カザフ語・ウイグル語・モンゴル語といった少数民族の言語も含んでいることを考慮すれば、決して小さな数字ではないと言えよう。

ここで、『漢字外来語詞典』に紹介されている"和製漢語"896をその「成り立ち」から分析すると、次の六種に大きく分類し、南ドンが中国で中国人が使用したのを一度でも聞いたことがある"和製漢語"を中心に具体例を幾つかご紹介する。

)、漢字を利用して欧米の語彙の音訳が中国へ伝わったもの

瓦斯、基督、基督教、倶楽部、珈琲など

2)、漢字を利用して欧米の語彙の意訳が中国へ伝わったもの

亜鉛、暗示、意訳、演出、大熊座、温度、概算、概念、概略、会談、会話、回収、改訂、解放、科学、化学、化膿、拡散、歌劇、仮定、活躍、関係、幹線、幹部、観点、間接、寒帯、議員、議院、議会、企業、喜劇、基準、基地、擬人法、帰納、義務、客観、教育学、教科書、教養、協会、協定、共産主義、共鳴、強制、業務、金婚式、金牌、金融、銀行、銀婚式、銀幕、緊張、空間、組合、軍国主義、警察、景気、契機、経験、経済学、経済恐慌、軽工業、形而上学、芸術、系統、劇場、化粧品、下水道、決算、権威、原子、原則、原理、現役、現金、現実、元素、建築、公民、講演、講座、講師、効果、広告、工業、高潮、高利貸、光線、光年、酵素、肯定、小熊座、国際、国税、国教、固体、固定、最恵国、債権、債務、採光、雑誌、紫外線、時間、時候、刺激、施工、施行、市場、市長、自治領、指数、指導、事務員、実感、実業、失恋、質量、資本家、資料、社会学、社会主義、宗教、集団、重工業、終点、主観、手工業、出発点、出版、出版物、将軍、消費、乗客、商業、証券、情報、常識、上水道、承認、所得税、所有権、進化、進化論、進度、人権、神経衰弱、信号、信託、新聞記者、心理学、図案、水素、成分、制限、清算、政策、政党、性能、積極、絶対、接吻、繊維、選挙、宣伝、総合、総理、総領事、速度、体育、体操、退役、退化、大気、代議士、代表、対象、単位、単元、探検、蛋白質、窒素、抽象、直径、直接、通貨収縮、通貨膨張、定義、哲学、電子、電車、電池、電波、電報、電流、電話、伝染病、展覧会、動員、動産、投資、独裁、図書館、特権、内閣、内容、任命、熱帯、年度、能率、背景、覇権、派遣、反響、反射、反応、悲劇、美術、否定、否認、必要、批評、評価、標語、不動産、舞台、物質、物理学、平面、方案、方式、方程式、放射、法人、母校、本質、漫画、蜜月、密度、無産階級、目的、目標、唯心論、唯物論、輸出、要素、理想、理念、立憲、流行病、了解、領海、領空、領土、倫理学、類型、冷戦、労働組合、労働者、論壇、論理学など

3)、日本が独自につくった漢字が中国へ伝わったもの

腺、糎など

4)、漢字を使用してつくった日本語が中国へ伝わったもの

味之素、入口、奥巴桑(オバサン)、海抜、学会、歌舞伎、仮名、簡単、記号、巨星、金額、権限、原作、堅持、公認、公立、小型、克服、故障、財閥、作者、茶道、参観、支配、支部、実権、実績、失効、私立、重点、就任、主動、成員、銭、組成、大局、榻榻米(タタミ)、立場、単純、出口、手続、取消、内服、日程、場合、場所、備品、平仮名、広場、服務、不景気、方針、明確、流感、和服など

5)、古代漢文の中にあった語彙を使った欧米の語彙の意訳が中国へ伝わったもの

胃潰瘍(周礼)、医学(旧唐書)、意義、階級、綱領、労働(三国志)、意識、専売(北斎書)、遺伝、右翼、教授、共和、経費、交通、左翼、主義、侵略、生産、天主、博士、輸入(史記)、印象(大集経)、衛生(荘子)、演習、投機(新唐書)、演説(尚書)、鉛筆(東観漢記)、会計、具体、交際(孟子)、革命(易経)、科目、経済(宋史)、学士(礼儀)、学府(晋書)、課程(詩経)、環境(元史)、機関(易林)、記録、抗議、自由、柔道、神経、節約、分析、分配、理性(後漢書)、気質、身分(宋書)、気分(孔子家語)、規則(李群玉)、規範(孔安国)、偶然(列子)、計画、同情、理事(漢書)、現象(宝行経)、憲法(国語)、交換(魏志)、時事、信用、封建、保障(左伝)、思想(曹植)、事変(詩序)、資本(釈名)、社会(東京夢華)、主食(通鑑)、消極(周書)、条件(北史)、世紀(晋皇甫謐)、精神(庄子)、想像(楚辞)、相対(儀礼)、組織(遼史)、素質、白金(璽雅)、知識(孔融)、登記(斎民宝要)、道具(釈氏要覧)、能力(柳宗元)、発明(宋玉)、反対(文心彫竜)、美化(南史)、悲観(法華経)、標本(劉伯温)、服用(礼起)、物理(晋書)、文化(束哲)、文学(論語)、文明(易・乾)、分子(殻梁伝)、法則(周礼)、法律(管子)、保険(隋書)、民主(書・多方)、民法(書・湯誥)、予算(耶律楚材)、理論(鄭谷)など

6)、古代漢文の中にあった語彙を使い、日本が自ら創り出した概念が中国へ伝わったもの。

浪人(柳宗元)など


 "和製漢語"の掲載は全体の半分くらいにとどめたが、それでも今これらの言葉がもしなければ中国語での日常会話すらほとんど成り立たなくなることが分かる。

それほど"和製漢語"は現代中国人の日常生活に溶け込んでいると言えよう。


__________


3.「中華人民共和国」、「中国共産党」は“和製漢語

 多くの読者の方は前章における"和製漢語"の分類で「漢字を利用して欧米の語彙の意訳が中国へ伝わったもの」について、多くの社会思想用語が含まれていることにも気が付かれたことだろう。


 日本では1881年に早くもキリスト教の『六合雑誌』上にて小崎弘道が社会主義を紹介し、1897年には社会主義研究会が片山潜、幸徳秋水らによって設立された。そして1900年には社会主義協会が成立し、一年後には日本初の社会主義政党「社会民主党」が成立した。

1904年、マルクスの『共産党宣言』が幸徳秋水、堺利彦によって翻訳され、これが当時の革新的中国人留学生に啓蒙的影響を与えた。

呉玉章は「1903年、私は東京で幸徳秋水の『社会主義神髄』を読み、人間の平等、貧富の消滅などの大きな理想に感動を覚えた」(*9)と述懐している。

 こうした歴史から見れば、「中華人民共和国」、「中国共産党」という中国語も"和製漢語"がなければ成り立たないという状況も別段おどろくべきことではない。


________


4.“和製漢語”を忘れた日本人


 中国人が現在に至るまで多くの"和製漢語"を使用し続けてくれている反面、皮肉にも日本ではカタカナによる外来語化が進んでしまっている。

先に紹介した「漢字を利用して欧米の語彙の音訳」などはその最たるもので瓦斯はガス、基督はキリスト、倶楽部はクラブ、珈琲はコーヒーと表記するのが今は普通になっている。

これら簡単なものならともかく、デフレーションは「通貨収縮」、インフレーションは「通貨膨張」のほうが分かりやすくないだろうか。


 日本では昨今、分かり難い外来語を漢字表記に戻そうと国立国語研究所が躍起になっていると聞く。中国ブームと言っても過言ではない今、日本人は対中投資だけに夢中になるのではなく、漢語の"再輸入"を検討すべき態度が必要なのかもしれない。

 同時に中国人読者の方には以上の歴史を通して、経済のみならず、身近な言語文化においても日中双方が“影響し合って”きたのだということを認識していただきたい。「交流に一方通行はありえない」…日中両国民は古(いにしえ)から今日に至るまで“相互”交流を続けてきた。そして将来も互いに影響を与え合い、共に成長していくべきなのである。

参考文献
*1 『康有為詩文選・強学会序』 陳永正 広東人民出版社 1983年
*2 『毛沢東選集(四)』より「人民民主独裁を論ず」 毛沢東 人民出版社 1991年
*3 『変法以致昇平―康有為文選』より「請広訳日本書派遊学折」 謝遐齢 上海遠東出版社 1997年
*4 『飲冰室合集(四)』より「東籍月旦」 梁啓超 中華書局 1936年
*5 『飲冰室合集(四)』より「日本語を学ぶ益を論ず」 梁啓超 中華書局 1936年
*6 『勧学篇』 張之洞 中州古籍出版社 1998年
*7 『中国翻訳簡史(上)』 馬祖毅 中国対外翻訳出版公司 1999年
*8 『漢字外来語詞典』 劉正炎、高名凱、麦永乾 上海辞書出版社 1984年
*9 『呉玉章回憶録』 呉玉章 中国青年出版社 1978年
http://freett.com/nandon/lunwen1.htm
7:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/14 (Tue) 06:36:40

文字と日本人

「文字の上意味の上をば冬の蠅」-----中村草田男
http://archive.fo/mYoy#selection-25.0-2033.25


まだ物象の形をとどめ

きっかりと石に刻まれた神聖文字(ヒエログリフ)から
少し略された祭司文字(ヒエラテイク)へ
もっと書きやすい民衆文字(デモテイク)へ
五千年もたてば坐り疲れて
文字だってもじもじと身をよじり
膝を崩したりもするのだ

-----多田智満子「刻」『十五歳の桃源郷』(人文書院)

山という字を書いてみせ
川という字を書いてみせ
山という字は
山そのものから
川という字は
川そのものから生まれたのですよ
と説明すると
横文字の国の人は感動する
この間 岡山で
ひぐらしをひぐれおしみ
と呼ぶ人々がいると知って
胸がなった
人を打つ言葉が日本の言葉のなかにある
そのことに
日本語の国に住む私は感動する

-----川崎洋「ことば」『海を思わないとき』(思潮社)

 ココロ
 こころ
 心
 kokoro ほら
 文字の形の違いだけでも
 あなたのこころは
 微妙にゆれる【…】

-----谷川俊太郎「こころ1」

「漢字は難解で、新しい時代の言語生活に適合しないという考え方が一部に根強い。しかしわが国の文化は漢字に支えられているところが多い。ことに知的な営みの世界から漢字を除くことは、ほとんど不可能といってよい」


-----白川静『字通』序文

 友達のお父さんが脳溢血で倒れた。見舞いに行って、運動性の失語症だから治っても漢字は読めるけど仮名はダメだろう、と話しておいた。しばらくしてその友達から本当にそうなったといってきた。元気になってから雪囲いを作るときに材木に書いてある「西」「東」とかいうのをいとも簡単に理解して組み立てたというのだ。失語症の人には表音文字であるカナより、表意文字である漢字の方が遥かに読みやすいのである。





 アメリカやイギリスの子に失読症(dyslexia)が多い。トム・クルーズが告白したことで有名な言葉になったが、「『トップガン』を撮影していた22歳のときに、夢だったパイロットになろうと思ったんだ。でも、レッスンをいくつか受けて、すぐに投げ出してしまった。人からどうして? と聞かれたときは映画の準備に忙しくて時間がないと答えたけど、実際には操縦の理論を理解することができなかったんだ」とトムは告白している(1994年にトムは無事にパイロットのライセンスを取得)。オーランド・ブルームもそうだし、キーラ・ナイトレイも録音で学習したり、色付き眼鏡をかけて文章の文字が混じって見えないように工夫して読書しているそうだ。

 失読症が発見されたのは19世紀のイギリスで、「7」が読めるのに都even”が読めない子どもがいたのだ。失語症研究の笹沼澄子の研究によれば、失語症のアメリカ人は音で認識できなくなって言葉をアルファベットで紙に書いて見せても認識できないが、失語症の日本人は音声で認識できなかった言葉でも漢字で書かれると認識できるということは、日本人が大脳の2箇所、つまり音声処理と映像処理の部分を同時に使いながらコミュニケーションを行っていることを示しているという。※読み書きのみの学習困難への対応策

 小説ではヘンリー・ジェイムズの『ねじの回転』に文盲の家政婦グロースが出てくるし、ウルフの『レモネードを作ろう』には文字さえろくに書けない17歳で未婚の母のジョリーが出てくるし、ベルンハルト・シュリンクの『朗読者』はまさか職業をもっている人が文盲とは…という意外性があり、文字を取りかえすことで愛を取りかえす話になっている。映画ではミュージカル『フェーム』やキャメロン・ディアスの『イン・ハー・シューズ』で描かれている。キャメロン・ディアスが弁護士を演じた『私の中のあなた』では白血病のお姉さんのために放っておかれた長男が失読症治療の学校に進むシーンが出てくる。

 失読症と文盲とは直接関係がない。後者は教育の問題であって、『カラーパープル』では黒人女性ウーピー・ゴールドバーグが文盲のまま奴隷の状態で育っていく。どうにか文字を教えられて自立していく話なのだが、アフリカに行ってしまう妹と別れる時に展rite.”と一言いうのが泣かせる。

「手紙を書いてね」という、ごく普通の挨拶が心に響く。いや、別に黒人でなくても、日本の寺子屋のようなものがなかった欧米では文盲が多かったのである。1964年のデ・シーカ監督の映画『あゝ結婚』では娼婦のフィルメーナ(ソフィア・ローレン)が自分の名前をやっとかっとサインするシーンが出てくるが、これが実情だったのである。

1989年の映画『アイリスへの手紙』では小さい頃転校ばかりしていて文字を憶えなかったロバート・デ・ニーロが文盲を理由に(塩と消毒薬を間違えると大変だと言われ)コックを辞めさせられる。文盲だと口座も開けないし、注文品の受取もできない。ジェーン・フォンダが教え、お手紙も書けるようになり、免許も取れてめでたし、めでたし。同じ年の『ドライビング Miss デイジー』は1948年以降のアメリカの状況を表しているが、ここでは黒人の運転手モーガン・フリーマンが文盲でお墓の文字が読めないのだが、元教師でユダヤ人のデイジーが「クリスマスプレゼント」に文字の練習帳をあげるシーンがある。

 もちろん、日本にも読めない人はいた。落語では「三人無筆」「親の無筆」「無筆の手紙」というのがある。中勘助の『銀の匙』(岩波文庫)に出てくる伯母さんは物知りなのだけれど、「四角い字」つまり漢字が読めない。肥立ちが悪かったお母さんの代わりを務めてくれるのだが、想像力を駆使しておもしろおかしく話を聞かせてくれるので、主人公が完成豊かに育っていくことになる。昭和4年のスラム街の識字率は70%以下だったというという報告を見たことがある。

 欧米に文盲は多い。「正しい」英語を目指して初の『英語辞典』を完成させたジョンソン博士はスコットランドを訪れた時に識字率の低さに驚いて、文字を知らない人々は現在形でのみ生きる運命にあると述べた。なぜなら「いったん目の前から消えれば、永久に失われてしまうからだ」という。

 サインをする時には十字形署名といってラとだけ書いた。映画でいえば、ゾラの『居酒屋』などに見られる。「感性の歴史家」と呼ばれるフランスの歴史家アラン・コルバンは、『記録を残さなかった男の歴史 ある木靴職人の世界 一七九八…一八七六』(藤原書店)という本のなかで、名前と〈十字形署名〉というわずかな「痕跡」しか残さなかった〈ルイ=フランソワ・ピナゴ〉という男の人生を歴史学の方法で再構成しようと試みた。

 ディケンズの『大いなる遺産』ではピップがどうにか文字を覚えて手紙を書く。hの音が抜けているものだからhopeがopeになってしまう。


MI DEER JO i OPE U R KR WITE WELL i OPE i SHAL SON B HABELL 4 2 TEEDGE U JO AN THEN WE SHORL B SO GLODD AN WEN i M PRENGTD 2 U JO WOT LARX AN BLEVE ME INF XN PIP.
My dear Joe,

I hope you are quite well. I hope I shall soon be able to teach you, Joe and then we shall be so glad. And when I am apprenticed to you, Joe: what larks! Believe me, in affection,

親愛なるジョー お元気ですか。もうすぐ字を教えてあげられると思います。そういしたら二人とも嬉しいです。僕がジョーの弟子になったら、楽しくやろうね。親愛を込めて ピップより。


 東ドイツのジョークでこんなのがある。


質問:人民警察官の制服に線が三本あるのはどういう意味?

回答:一本線は「読める」しるし。二本線は「書ける」しるし。三本線は「読み書きできる人を知っている」しるし。

 西江雅之先生からアフリカではどんな選挙をやっているか知っているか、と言われたことがある。文盲が多いので、投票できない人が多いからなのだが、答えは立候補者を象徴する動物などを決めておいて、その絵柄の方にマークする方式を採っているのである。子ブッシュ大統領の不正選挙の時に、弟が知事をしているフロリダ州の選挙を報道している時に気づいたのだが、投票用紙に名前を書く方式になっていないものだから、どちらに投票したかとても分かりにくくなっていた。おかしいと思って調べたのだが、自書式と呼ばれる自分で用紙に名前を書く方式を採っているのは日本だけらしい。これはまさに識字率の問題なのだ。LDなどの例を除けば、日本人は文字が書けて当たり前なのだ。

 2010年のブラジル連邦下院議員選挙で、男性コメディアンが全国最多得票で当選したものの、「読み書きができないのでは」との疑惑が持ち上がったため、裁判所で学力テストを受けた。ブラジルでは、非識字者は議員になれないが、立候補の際「読み書きが出来ます」と手書きで選管へ提出したのが、実は妻が代筆したことが判明し、裁判所が読み書きテストを実施、書き取りの正解は30%未満だったが「文章を最低限は、理解出来た」と判断した結果、「合格」し、議員への就任が認められたという。

 ギリシャ時代にはオストラコン(陶片)に追放したい人の名前を書くオストラキスモスが紀元前508年に始まった。6000票を超えた最多得票者が一人、十年間、国外に追放されたのだが、みんなが書けたとはいえず、サラミスの海戦でペルシアをうち破ったアテネのテミストクレスも追放にあったのだが後に井戸から発見された陶片200枚を調べると十数人しかの筆跡が見られなかったという(政敵の陰謀?)。日本以外の国ではギリシャ時代と変わらない投票風景が残っている。

 村上春樹の『1Q84』には『空気さなぎ』という作品で新人文学賞をとったばかりの美少女作家ふかえりは失読症ということになっている。ふかえりは物語って、一緒に暮す「ふたつとしした」のアザミという女の子にタイプしてインサツしてもらったという。この作品によれば、アインシュタインもエジソンもチャーリー・ミンガスもみんあディスレキシアだという。


「君はいつもどんな本を読んでいるの?」

「ホンはよまない」

「ぜんぜん?」 ふかえりは短く肯いた。

「本を読むことに興味がないの?」

「よむのにじかんがかかる」

「時間がかかるというのは、つまり……、すごく時間がかかるってこと?」と天吾は尋ねた。

「すごく」とふかえりは断言した。

(中略)

「よんでいるふりをする」と彼女はこともなげに言った。

(中略)

「君が言っているのはつまり、いわゆるディスレクシアみたいなことなのかな?」

「ディスレクシア」とふかえりは反復した。

「読字障害」

「そういわれたことはある。ディスーー」

【…】

「でも読めなくても、書く方は大丈夫なんだね」、天吾は恐る恐る尋ねた。
ふかえりは首を振った。「かくこともじかんがかかる」

 ディスレキシアであっても悩むことはない。きちんと治療すれば治るだろうし、『海辺のカフカ』に登場する老人のナカタさんも文字が読めない人という設定になっているが、一緒に行動することになる長距離トラックの運転手の星野青年が

「おじさんも字が読めねぇってのはきっと不便だろうけど、つらいこともあるだろうけど、それがすべてじゃないんだ。たとえ字が読めなくたって、おじさんにはおじさんしかできないことがある。そっちの方を見なくちゃいけない。たとえばほら、おじさんは石とだって話ができるじゃないか」

という。すると、「はい。たしかにナカタは、石さんとは話ができます。前は猫さんとも話ができました」と答えるのである。





 もう一つは文字の特性がある。表意文字でなく(象形文字的なのはlocomotiveだけといわれる)、表音文字を使っているのに、スペリングが複雑なことがある。日本の子供は「あいうえお」を覚えればどんな絵本だって読めるが、英米の子供にはできない。

pneumoniaとかpsychologyとかwreathとかubiquitous

とかという言葉を初めて聞いたときに意味を調べようと思っても辞書で調べることもできない。Wednesdayなんてどうして読めるのだろう。つまり、表音文字とは名ばかりなのだ。

 日本の子どもは「はいえん」とか「しんりがく」「リース」「ユビキタス」でその意味を調べることができるし、暗記する時も「“指切った・す”ぐに治療してくれる病院は“どこにでもある”」などと簡単に覚えることができる。

 英語圏では5-10%くらいの子に失読症が存在するという。日本人小児では2-3%以内が失読症であろうと考えられている。アルファベット圏より少ないのは間違いない。落語でも文盲の人はあまり出てこない。わずかに「手紙無筆(むひつ)」というのがあって、地の読めない男が手紙をもらい、その手紙を地の読めない兄貴に読んでもらおうとする噺である。川柳には「串といふ字を蒲焼(かばやき)と無筆よみ」というのがあるが、逆にこれは読める人が多かったからこそ成立しているといえる。日本では寺子屋が見事に機能していたのである。

 日本人にとってアルファベットはとても簡単な文字体系だと思うのだが、アメリカ人にとってはそうでもなさそうで、電ot your i's and cross your t's”(iに点を打ち、tに横線を書く)で「作業を注意深く仕上げる」という意味になる。

 英語で溺ind your p's and q's.”というと「言動に注意する、言行を慎む」を意味するが、p と q は非常によく似た文字でで、書き方を教える先生は溺ind your p's and q's.”(p と q に気を付けて)と言って生徒に注意した。ここから意味が広がって「言動に注意しなさい」の意味にも使われるようになったとされる(面白語源は他にもあって酒場の勘定書きで、飲んだビールのグラスの大きさ【パイントのpと、倍量のクォートのq】をごまかされるな、という言葉ともされる)。日本語で子どもが「犬」と「大」を間違うようなものであるが、表音文字で似ていることが失読症の原因の一つと考えられる。ドナルド・キーンでも「ゑ」を憶えるのは苦労したというが、「惠」を意識すれば子どもでも覚えられる。それほど日本の文字は覚えやすい。

 マッケンジー・ソープMackenzie Thorpeは小さい頃、失読症でお前は大人になっても何もできない、と教師に言われて自殺まで考えたという。そのうち、美術学校を勧めてくれた人がいて、そこで才能が開花した。今では世界的に有名な画家になっている。

Mackenzie Thorpe


 紅白の司会を何度もしたことがある宮本隆治アナウンサーはシナリオをもらうと、目が悪いために全部ワープロで打ち直し、その形で文章を覚えるのだという。象形文字ならではの記憶法である。





 アメリカでは字幕入りの映画というのは受け入れられない。早い話、英語圏以外の映画がヒットすることは稀である。外国でヒットした映画はそのため、リメイクされることが多い。例えば、『赤ちゃんに乾杯』というフランス映画がヒットすると、そのまま『スリーメン&ベビー』としてリメイクされる。黒澤明の『用心棒』はイタリアで作られた『荒野の用心棒』の方は盗作として有名だが、『ラストマン・スタンディング』が最近ではリメイクとして有名だ。

 『ダンス・ウィズ・ウルブズ』が作られた時も、ネイティブ・アメリカンの言葉が出てきて字幕を付けざるを得なかったのでヒットしないといわれた。今のところ、字幕入りでヒットした唯一の映画といってよい。

 つまり、字幕があると英語だと読み切れないのである。日本語は漢字があるから大体のことはすぐにつかめる。表音文字は反応するまでに0.3秒かかり、表意文字は反応するまでに0.1秒かかるという説もある。つまり、表意の方が0.2秒も早いことになる。

 漢字はゲシュタルトとしてのまとまりがある。かなでずっともじをかかれたらとてもりかいできるものではないが、漢字が入っていると一気に読みやすくなる。とはいえ、漢字だらけだと読むのがつらい。中国の外来語は誰が決めているのかしらないが、マルクスは「馬克思」、アインシュタインは「愛因思坦」、ニュートンは「牛頓」、エジソンは「愛迪生」、ゲーテは「歌徳」となる。これらは短いからいいけれど、レオナルド・デカプリオなどはとっても長くて憶えられないくらいの名前になってしまう。

 「ゴミ」をカタカナで書くのもゲシュタルトを保つためでもある。ゴミを表わす漢字がない以上(塵はチリとしか読まれない)、「ここにごみを捨てないで」よりは「ここにゴミを捨てないで」と書いた方が分かりやすい。日本語はそうした表記が複雑なので、逆に簡単というパラドックスがある。

 日本人はさまざまな文字をうまく使い分けている。「破廉恥」と「ハレンチ」では語感が違う。「不倫」と「フリン」では重さが違う。<「あじさい」と「紫陽花」から受ける印象の違いに触れた文章で、ひらがなの花には「カタツムリがいそう」と感じる人が多いとか。「あ」の字がカタツムリの形に見えるから…ある小学1年生はそう話したという>とは読売新聞「編集手帳」(2011年7月12日)の一節だ。

 もちろん、読めない漢字だっていっぱいあって、困るのだが…。





 ただし、英語でも速読術がある。ベトナム戦争を激化させたマクナマラは国防長官時代、自分への説明は文書で提出せよと命じた。わけを聞く側近に、こう答えたそうだ。「彼らが話すより自分で読む方が早い」(『ベスト&ブライテスト』)。つまり、英語が象形文字的な、というか表意文字的でないとは決していえない。人間は文字をゲシュタルト的に読んでいるからである。以下の文章はケンブリッジ大学の実験だというが、人は語頭と語尾の文字だけを見て、読んでいることが分かるはずだ。人の脳は文字を一つ一つ読み取っているのではなく、単語を丸ごと読み取っているのである。


Had any Friday lunchtime drinkies?

I cdnuolt blveiee taht I cluod aulaclty uesdnatnrd waht I was rdgnieg

THE PAOMNNEHAL PWEOR OF THE HMUAN MNID

Aoccdrnig to a rscheearch at Cmabrigde Uinervtisy, it deosn't mttaer in what oredr the ltteers in a wrod are, the olny iprmoatnt tihng is taht the frist and lsat ltteer be in the rghit pclae. The rset can be a taotl mses and you can sitll raed it wouthit porbelm. Tihs is bcuseae the huamn mnid deosn't raed ervey lteter by istlef, but the wrod as a wlohe.

Amzanighuh ?



 戦後、敗戦の理由を軍国主義ではなくて日本語やその文字に求めた人が多かった。

 日本語を英語やフランス語にしてしまえ、という乱暴な議論もあったし、文字を平仮名だけとか、ローマ字にしてしまえ、という議論もあった。

 萩野貞樹『旧かなづかひで書く日本語』(幻冬舎新書)という、かなり反動的な?本があるが、次のように書いてある。


 【…】国語改革に大きく「貢献」した人物は、ごく最近までぞろぞろとゐました。その一人に石黒修といふ人があります。この人は「現代かなづかい」「当用漢字」を制定したときの国語審議会委員で、改革(破壊)を強力に主張した人です。その仲間には金田一京助、松坂忠則、岩淵悦太郎といつた人々があります。 
 その石黒氏は東京教育大学の教授もつとめた人ですが、その著『日本人の国語生活』で次のやうに述べてゐます。
 アルファベットは二十六字しかないのにすべての用を弁ずる。当用漢字千八百五十はその八十倍もある。無駄があり習得も困難である。
 これが東京教育大学、いまの筑波大学の言語系教授の「知性」ですから事はおだやかではない。やはりそのバカさ加減だけは一応教へておいた方がよいでせう。

 冷静になれば、ローマ字を使っていたイタリアもドイツも軍国主義に走ったのだからおかしいと分かるはずなのだが、混乱期にはそうはいかなかった。国家としてのアイデンティティが問われると言葉のアイデンティティも問われるようになる。

  Shikashi, chotto kangaete mireba wakaruga ro-majidakeno bunshoutoiunoha jituni yominikuinodearu.

 にほんごがひらがなだけになっていてもひじょうによみにくくてしそうというものをになうことはできない。谷崎潤一郎は『盲目物語』をひらがなでかいているが、馴れるまで苦労する。啄木の『ローマ字日記』だってローマ字のままだったら、どんなにいい本でも売れなかっただろう。

 米原万里も日本語の表記が煩わしいと思っていた一人だった。ところが、同時通訳の中でサイトラ、つまり都ight translation”(黙読通訳)をするようになって、この考えがコペルニクス的転回をとげたという。サイトラというのは、スピーカーの原稿の事前に入手して、目は文章を追い、耳はスピーカーの発言を確認しながら訳出していくものである。日本語からロシア語とロシア語から日本語と、後者の方が日本人には楽なはずなのだが、前者の方が楽なのに、気づいてきたという。アウトプットの問題ではなく、インプットのプロセスに謎があるのだという。つまり、複雑な表記の日本語の方がはるかに内容をつかみやすいということである。漢字のみの中国語よりも、意味の中心を表すのが漢字で、意味と意味の関係を表すのが仮名の日本語の方が一瞬にして、文章全体を目で捉えることが可能だという。いろいろためにしてみて時間を計りながら読み比べてみたという。


 そして、活字にして断言できるほどの自信満々な確信を持つにいたった。黙読する限り、日本語の方が圧倒的に速く読める。わたしの場合平均六、七倍強の速さで、わたしの母語が日本語であることを差し引いても、これは大変な差だ。

 子どもの頃から文字習得に費やした時間とエネルギーが、こんな形で報われているとは。世の中の帳尻って、不思議と合うようになっているんですね。
     -----米原万里『ガセネッタ&シモネッタ』(文藝春秋)





 日本人が訓読みを発明して、ひらがなやカタカナを発達したのは凄い。ただ、これも朝鮮で吏読(りとう、イドゥ)という読み方ができていて、朝鮮では残らなかったのをうまく利用したのである。朝鮮では中国語をそのまま外国語として受け入れ、今でも韓国人は名前を漢字で書けるけど外国語の意識だという。ベトナム人も同じで、例えば、「ホーチミン」は「舗胡志明」なのだが、そんな意識を持っている人はいないという。韓国ではハングルにして久しいのだが、今は漢字の元を知らないから、国語能力が低くなっているという。

 ところで、「弗」の読み方を知っているだろうか。「彷佛」の「弗」で「仏」の意味なのだが、実は「ドル」とも読む(「ドル」で変換される)。これは幕末にアメリカの「$」をどう書こうかということになって、形が一番似ている「弗」になったのである。ここまではいいのだが、これが中国や朝鮮にも伝えられたのが、中朝では基本的に音読みしかしないものだから、「フー」「プル」としか読まれず、多くの人が「ドル」をどうしてこう読むか分からなくなっている。しかも韓国では更にハングル表記だけとなったために、その理由が更に分からなくなっている。





 井上ひさしが『東京セブンローズ』を書いたのも豊かな表記法のある日本語への愛着だった。作品はすべて旧字、旧仮名で書かれていて、読み進むうちに違和感が消え、表記法も魅力の一つになっていくという趣向である。GHQ民間情報教育局の日本語簡略化担当官が「きみたち日本人のためを思って」と日本語のローマ字化を押し付けるのだが、主人公の団扇屋・山中信介はこれに反対する。「一生懸命に生きているうちに自然と思想犯になってしまった」というが、占領目的阻害の疑いで三度思想犯として逮捕されることになる。

 この時、「東京セブンローズ」と呼ばれる七人の高級娼婦、うち二人は信介の娘なのだが米軍高官を手玉にとって、日本語の危機を救うことになる。

 信介には日本人の変節ぶりが信じられない。「こんなに簡單に人間の考へが變へられるといふなら、なぜ絹子【愛娘】が燒夷彈の直撃を喰らふ前に變へてくれなかつたのだ」と憤慨する。文字政策、言語政策というものを路傍の石のようにころころと動かしてほしくない。

 実際、『東京セブンローズ』は僕より年下の年代の人には旧字、旧仮名なのでかなり読みづらいと思う。文化の断絶をも考えさせる作品である。

「世代」 谷川俊太郎(『二十億光年の孤独)

--詩をかいていて僕は感じた

漢字はだまっている
カタカナはだまっていない
カタカナは幼く明るく叫びをあげる
アカサタナハマヤラワ

漢字はだまっている
ひらがなはだまっていない
ひらがなはしとやかに囁きかける
いろはにほへとちりぬるを

--そこで僕は詩作をあきらめ
  大論文を書こうと思う
  「字於世代之問題」
  「ジニオケルセダイノモンダイ」
  「じにおけるせだいのもんだい」

 蓮實重彦の『反・日本語論』(文藝春秋)の中にこんな話がある。フランス人の奥さんがフランス語の授業で「伝言ゲーム」(メッセージを順に伝えていき、最初と最後の違いを楽しむゲーム…英語ではsecrets,rumors,Chinese whispers,Russian scandalなどと呼ぶ)をやったらなかなか成績がよかったという。ただ、その途中、日本人の学生達が何故かみんなしきりに指を動かしていたが、あれはいったい何の魔法かしら?と旦那に尋ねたというのだ。

 これは日本人にとってはなんら不思議のないことで、要するに学生達は宙に文字を書いてメッセージを覚えていたのである。

 同じことを菊澤律子が「目で見る言語・耳で聞く言語」(『月刊言語』1998年2月号)で書いている。フィジー人一家と暮らした時に筆記用具というものがなかったという。日本語を教えるとノートなど取らずに耳で覚えようとする。日本人が文字を書かない限り覚えられないのと対照的だ。


【…】結果として「目で見る言語」の文化にどっぷり使っている教師は、インド系フィジー人はよくできるkれど、フィジー系フィジー人はだめだとこぼすことになる。

…といったようなことをフィジーの首都スパで日本語教育に携わる友人に話してみたのではあるが、最初に述べたように、伝言ゲームをすれば二人目でたちまち内容が変わってしまう民族にとっては、これはやはり想像を超えた世界なのである。「だって書いたらずっと残るけど、記憶はかならず薄れていくものじゃない」というのが唯一、彼女から得た反応であった。もっともである。私だってそう思う。でも、書いたものを読まない人にとっては、風が吹けばどこかへ消え去ってしまう紙切れのような文字よりも、人間の記憶の方がずっと確かで永遠なのである。





 小野篁は嵯峨天皇の怒りに触れて難題を突き付けられたことがある。「子子子子子子子子子子子子」をどう読むのか。篁はすぐに「猫の子の小猫、獅子の子の小獅子」と読み、これで篁は許しを得た(『宇治拾遺物語』)。

 金田一春彦『ことばの歳時記』(新潮文庫)に「立秋のころ」というエッセイがある。風流人のところを訪ねた客が、通された茶室の掛軸に目をやると「夕有風立秋」と書いてある。夕風に秋の気配を感じるというのは、この季節にぴったりの良い句だと褒めると、微笑した主人は「これは、ユーアーフーリッシュと読む。『そんなバカな』ということだ。」と答えた。音訓二通りの読み方がある日本語だからできる文字遊びで、英語など他言語ではこんな風流は通じまいと金田一は書いている。

 文字を通して言語を理解するというのはどうやら日本人(や漢字文明圏の人々)特有の現象であろう。外山滋比古は『日本語の論理』の中で「ヨーロッパの言語が音声中心の一元的言語であるとすると、日本語は表意文字をともに用いる二元的言語だ」という。

 ちなみにエジプトのヒエログリフの文字は表音と表意の両方がある。シャンポリオン以前の研究者たちは、表意か表音か、このいずれかしかないと決めていたため、行き詰まっていたのだが、シャンポリオンは言語学の基礎があったので、先入観に惑わされなかった。

 山内昌之は『多神教と一神教 古代地中海世界の宗教ドラマ』(岩波新書)の中で、アルファベット、つまり表音文字の誕生と普及が一神教を生んだと考えている。複雑になるばかりの文明はある時点から単純化に転じる傾向があったのだが、アルファベットのようにあらゆる音声を記せる文字として、表音文字が開発されるなら、やがて全能の神の姿が人びとの脳裏に浮かんできても不思議はないという。それと社会の危機や抑圧という問題が結びつくと、問題解決の担い手となる虐げられた民族や階層は排他的な一神教に向うようになった。う〜ん。

 欧米人にはディクテーションというのがあり、音を聞き取り文字化する。逆に日本人は漢字を書き、さあ、これは何て読むのでしょう、と尋ねる。もし、知らない言葉が出てきたら、日本人は「どう書くの?」と聞き、西洋人なら、展hat do you mean by〜?”と聞き、滴ow do you spell it?”とはあまり聞かないだろう。

 銀行の現金自動支払い機、ATM(Automatic Teller Machine)になぜ鍍eller”という単語が用いられているか不思議に思ったことはないだろうか?鍍eller”というのは元来、銀行側と顧客が互いに納得できるように、出し入れする金銭を声を出しながら数えて確認する人だったのである。

 イギリスの大学には途eader”と呼ばれる職位があって上級講師と教授の間だ。たいてい学部にひとり、講義をすることが主たる任務で、学事を担当したり個人指導をしなくともよい(実際にはしているが)という特権が与えられた地位である。この言葉は「たくさんの本を読む人」ではなく、 「教室で声に出して原稿を読む人」、つまり講義者を意味していた。また、ケンブリッジ大学などでは日本の講師に相当する、ずっと低い教員に斗ector”というのがあるが、原義はカトリック教会で講義をする人、つまり声を出して講義をする人だった。

 アメリカの大学に留学する聴講生で講義には出席するが単位を取らない学生を殿uditor”という。これも14世紀用いられている語義では、組織や会社の経理報告が正しいかどうか検査する監事や監査役、会計検査官に当たる言葉だった。14世紀以来会計検査官が、数字を読み上げる経理担当者の報告を耳で聞いて、その是非を問うのを習慣としていたことを示している。





 養老孟司によれば日本語が世界の言語と違うのは、脳の2カ所を使わないと読めないという。一般に世界の人が文字を読むのに使っている脳の部分は「角回」と呼ばれる場所1カ所だけだが、日本人は「角回」では仮名を読み、漢字は別の場所で読むらしい。これは漢字の読みがたいてい1種類ではないという日本語の特徴による。つまり、日本人は文章を読むだけで外国人より2倍頭を使っていることになる。

 そんな脳の特殊性が影響してマンガ文化を育てたというのが養老の持論だ。日本のマンガではいわば、絵が漢字で、吹き出しの文字がルビにあたる。それを日本人は脳内ですばやく情報処理して読んでいく。日本語の教育をすれば、かなと漢字の2カ所の脳が働き、マンガの読解力も高まるというわけだ(『マンガをもっと読みなさい』晃洋書房)。内田樹もこんなことをブログで書いていた(2008年04月23日で後に『日本辺境論』)。


私たちは日常的には非識字者というものにほとんど出会うことがない。
だが非識字というのはヨーロッパでもアメリカでも重大な社会問題なのである。

非識字者の存在がプロットの鍵になるような物語(ルース・レンデルの『ロウフィールド館の惨劇』やロバート・B・パーカーの『プレイメイツ』など)に類するものを私は日本の小説のうちに知らない。

数年前に『フィガロ』が非識字率を主題にした特集を組んでいたことがある。
そこには、フランスの12歳児の35%が「速読できない」という統計結果が示されていた。

「速読できない」というのは単語を拾って文章を読み上げることはできるのだが、読み終えたあとに「今読んだところに何が書いてあったのか」と質問されても答えられないということである。

フランスの初等教育カリキュラムに別に構造的な難点があるわけではない。
しかし、つねに一定のパーセンテージで非識字者が発生する。

一方、日本の初等教育については、その欠点をなじる人はいくらもいるが、にもかかわらず日本人には非識字者がほとんどいない「功績」については、言及する人が少ない。

なぜ日本人は識字率が世界でもっとも高いのか。

私は長いことその理由がわからなかったが、先般、養老先生にその理由を教えていただいた。

それは、日本人が文字を読むとき脳内の二カ所を同時に使っているからである。

漢字は表意文字であるので、図像として認識される。ひらがなカタカナは表音文字であるので、音声として認識される。

図像を認識する脳内部位と、音声を認識する脳内部位は「別の場所」である。
だから、アルファベット言語圏では、脳の器質障害の結果の失読症では患者は端的に文字が読めなくなるが、日本人の失読症患者の場合、障害を生じた箇所によって、「漢字は読めないが、かなは読める」「かなは読めないが、漢字は読める」という二つの病態に分岐するのである。

文字を読むときに単一の部位を使うのと、二つの部位を使って並列処理するのでは、作業能率が違う(たぶん)。

だから、日本でマンガが生まれた、というのが養老先生の仮説である。

 日本語は複雑な文字体系をもっているが、実際には脳にあまり負担がかからない。ただ、外国語会話のような場合には負担がかかってしまって、外国語嫌いが増えるのだと考えられる。

 レヴィ=ストロースは『悲しき熱帯』で次のように書いているが、日本には当てはまらなかった。文字を中心とした教育が進んでいたからだ。


 結局のところ、数千年のあいだ、そして今日でさえ世界のかなりの部分で、文字というものは社会における制度として、その社会の圧倒的多数の成員がその取り扱いを知らない制度として存在して来ている。

 井上ひさしは『私家版 日本語文法』の中で次のように書いている。


 ところでかつて魯迅は中国に「挙毒(科挙の試験)、煙毒(阿片の吸煙)、字毒(漢字の使用)の毒がある。とくに字毒をなんとかしないかぎりこの国は救われない」と嘆じ、毛沢東は「漢字は封建制の異物である。世界の文字の大勢に従って表音化をはかれ」と行った。【…】これはむこうに仮名がなく、こっちには仮名があるという彼我のちがいをわきまえない愚挙で、こういう人たちにはつぎのようなことばを気付け水のかわりに進呈しよう。

「漢字はもはや中国からの借りものではな。訓読できるようになった瞬間からわれわれのものになったのである」

 これを言ったのは白川静であるが、ついでにわたしからもひとこと。

「政治家よ、字をいじるな、票でもいじっている」

 中国のトウ小平書記長は昔、「中国人は、日本人に対していくつも悪いことをした。そのうちもっとも悪いことの一つは、漢字を輸出して、こういうつまらんもので日本人民を苦しめたことである」と語ったが、「国字」も含めて、とっくの昔に「自家薬籠中」のものにしていたのである。

 トウ小平は上から目線で語っているが、日本人は西周らの努力で大量の概念を作ってきたのである。唐亜明『さくらの気持ち パンダの苦悩』(岩波書店)には日本製の漢語の例が出ている。これらが中国に逆輸入されていなければ社会主義も共産党もなかったはずだ。

 総理が会談で次のように述べている。「われわれは教科書などの出版物を通して共産主義の精神を宣伝しなければならない。必要な場合は、浪漫主義の現象を否定し、節約の経験を肯定すべきだ。わが国の公務員、乗務員、教授、憲兵、資本家、元帥らは、反動的ではなく、公認された共和国の幹部、公僕、公民であり主人公だ。無産階級は形而上学と主観主義には反対する。われわれは憲法にある自由、民主、人権などの内容を承認しているが、自分の法律観念と政策をもっている。国際組織の協定やわが国の対外関係、および経済の原理と指数にもとづいて、いわゆる制裁に対しては、消極的に反応し、積極的に抵抗しよう。

われわれは具体的な指標を制定し、工業と交通を発展させ、幹線を増やさなければならない。とくに重工業を発展させるべきだろう。わが国の手工業は特長があり、出発点でもある。われわれには条件も動機も目標も綱領もある。民衆を動員し、速度をはやめ、主動的に打って出よう。さらに建築の高潮を迎えようではないか。われわれはさらに現金収入と所得税を増やし、国庫の資本を増やそう。きみたちには日程表をつくってほしい。成功したら、座談会を開いて、広告を出そう。まあ、電報も打って、電話もかけよう。わしの豪邸で国立交響楽団の演奏でも聴いて、天安門広場で踊ろう。手榴弾の演習を行うのではないぞ」


 書家の石川九楊の『二重言語国家・日本』(NHKブックス)のテーゼ「日本語は中国語の植民地語である」というのは必ずしも当たっていない。日本語は漢語も外来語もどん欲に、柔軟に受け入れる余地のある言語である、としかいえないのではないだろうか。

 日本人は中国語を音読み、訓読みを駆使して日本語の取り入れ、更にその漢語を使って外国語を自家薬籠中のものにしてきた。

 内田樹も『日本辺境論』(新潮新書)で次のように書いている。


…東アジアの旧辺境国(韓国やベトナム)は彼らのハイブリッド文字を棄てました。フィリピンは二重言語ですが、知的職業の公用語は英語です。…他の旧植民地国はどこも同じ事情です。…日本だけが例外的に、土着語しか使用できない人間でも大学教授になれ、政治家になれ、官僚になれます。これは世界的にきわめて例外的なことです。

 それは英語やフランス語で論じられることは、ほぼ全部日本語でも論じることができるからです。どうして論じられるかといえば、外来の概念や術語をそのつど「真名」として「正統の地位」に置いてきて、それをコロキアルな土着語のうちに引き取って、圭角を削って、手触りの悪いところに緩衝材を塗り込んで、生活者に届く言葉として、人の肌に直に触れても大丈夫な言葉に「翻訳」する努力を営々と続けてきたからです。

…なぜ中国の人たちは日本人の作った漢訳を読み、自身で訳さなかったのか。

 日本人にとって、欧米語の翻訳とは要するに語の意味を汲んでそれを二字の漢字に置き換えることだった…。外国語を外国語に置き換えただけです。…でも、清朝の中国人にはそれと同じことができなかった。不可能ではなかったでしょうがけれど、つよい心理的抵抗を感じた。これまで中国語になかった概念や術語を新たに語彙に加えるということは、自分たちの手持ちの言語では記述できない意味がこの世界には存在するということを認めることだからです。自分たちの「種族の思想」の不完全性とローカリティを認めることだからです。ですから、中国人たちは外来語の多くをしばしば音訳しました。外来語に音訳を与えるということは、要するに「トランジット」としての滞在しか認めないということです。…

…明治維新の後の日本はそういう考え方はとらなかった。なにしろ外来の語に「真名」の地位を譲り、土着語の方を「仮名」すなわち一時的で、暫定的なものとして扱うという辺境固有の言語観になじんできたわけですから、外来語?ということは「強者の種族の思想」ということです?の応接は手慣れたものです。明治の日本が中国や李氏朝鮮を取り残して、すみやかな近代化を遂げ得た理由はこの日本語の構造のうちに読み取ることができるだろうと私は思います。

…「真名」」と」仮名」が絡み合い、渾然一体となったハイブリッド言語という、もうそこを歩むのは日本語だけしかいない、「進化の袋小路」をこのまま歩み続けるしかない。孤独な営為ではありますけれど、それが「余人を以ては代え難い」仕事であるなら、日本人はそれをおのれの召命として粛然と引き受けるべきはないかと私は思います。

 しかし、榊原英資『日本人はなぜ国際人になれないのか』(東洋経済新報社)は日本の世界に類を見ない翻訳文化がもたらした功罪である。翻訳文化のマイナス面として、翻訳することによって異文化との直接接触が薄くなるため、本来の意味で異質なものとして外国文化を理解することが出来なくなってしまうことをあげる。そして次のように述べている。


 翻訳大国であることが、今やネックになって日本の外国語インフラが相対的に大変貧しくなっている。翻訳は、西洋文明を急速かつ大きく移入するためには大変プラスだったが、日本企業や日本人が外国に出ていくに際しては大きなマイナスになってしまう。中国文明を吸収した時から積み上げられてきた翻訳文化を一挙に変えることは決して簡単ではないが、これを変えることなく、日本の真のグローバル化は望めない。





 文字は邪魔だという考えがあることも確かだ。河合隼雄は『ケルト巡り』(NHK出版)の中で次のように書いている。意図的に文字を作らないということは言語学的にはありえないのだが…。


…辻井喬・鶴岡真弓両氏が、その対談のなかで興味深い指摘をしている(『ケルトの風に吹かれて』北沢図書出版)。「アイルランド人は意図的に文字を作らなかったのではないか」というのである。

 たとえば、文字で「山」と書くと、私たちは山が何なのかがわかったような気がしないだろうか。しかし、考えてみれば、山の本質など絶対にわかるはずがない。本来、山という存在は人が思いを巡らせ、考えを巡らせても、その全貌はわかるはずがないものなのに、「山に登りました」と記すと、わかったような気になってしまう。

 つまり、ケルトの人たちは、あるもののイメージやそこに内在するものが固定されるのを避けるために、あえて文字を作らなかったのではないか。ケルトのカルチャーは、ある意味では非常に高いレベルに達したが、それゆえに文字を作ることを拒否したという主旨のことを、ふたりはおっしゃっていた。私はそれを読んで深く感じ入り、大きくうなずいた。

 大昔の日本人も、文字を持っていなかった。外国との交流のなかで、他国の文字を自国のものとしていったわけだが、興味深いのは、そのときに「山」や「川」という漢字を持ち帰っただけでなく、それらを「あいうえお」に換え、ひらがなを作り出したことである。かつての中国人は具象的なものをポンと字にしただけだったが、日本人は、そこから「あいうえお」を作り出し、これを混じえて文章を作った。そして、このひらがな文字で書かれた文章による作品が、日本の物語の多くを構成していくことになる。紫式部をはじめとするこの頃の物語作家は、ひらがなで作品をどんどん書いていったのである。





 『アルプスの少女ハイジ』で感動的なことの一つはハイジがフランクフルトでクララのおばあさまから受けた教育だ。一つは宗教教育だが、もう一つは文字教育だった。文字なんか読めっこないと思っていたハイジの抵抗感を消したのはおばあさまの本の、緑の牧場にいる羊飼いの絵だった。その絵のお話を知りたい一心で、ハイジはすぐに読めるようになって、本をごほうびにもらう。しかも、山の戻った時に、ペーターのおばあさんが目を悪くして大好きな本が読めなくなっていたのだが、ハイジがその本を読んであげれることに気づき、朗読を聞いたおばあさんが喜びで涙を流すことになる。山にすぐ帰りたいという祈りが叶えられていたら、おばあさんをそんなに喜ばすことはできなかったとクララのおばあさまに感謝する。このことをアルムじいさんに話し、羊飼いの本のルカ伝「放蕩息子の帰還」というキリスト教の寓話を話してあげる。じいさんも放蕩息子だった自分も神のもとへ帰ろうと決心するのである。

 日本でも似たような話がある。1905年7月7日に北代色(きただい・いろ)という女性が高知県足摺岬の近くの土佐清水市に生まれた。彼女が3歳のときに両親が離婚して、お母さんにひきとられた。7歳のときにお母さんは再婚した。5歳のころから子守と部落産業である草履づくりをさせられていたので学校に行けなかった。そのため色さんは字をまったく知らないまま大人になった。差別ゆえに学習権を奪われ、字を知らずに育った。50歳で「識字学級」で字を覚える学習がはじまったときに参加して、やがて字が書けるようになった。

 字が書けるようになってはじめて書いた文章が次の通りだ。文字を覚えて始めて感動できることもあるのだ(cf.元木健・内山一雄『人権ブックレット37 改訂版 識字運動とは』部落解放研究所)。

わたくしはうちかびんぽうであったのでがっこうへいっておりません。
だからじをぜんぜんしりませんでした。いましきじがっきゅうでべんきょうしてかなはだいたいおぼえました。
いままでおいしゃへいってもうけつけでなまえをかいてもらっていましたがためしにじぶんでかいてためしてみました。
かんごふさんが北代さんとよんでくれたのでたいへんうれしかった。 夕やけを見てもあまりうつくしいと思はなかったけれどじをおぼえてほんとうにうつくしいと思うようになりました。みちをあるいておってもかんばんにきをつけていてならったじを見つけると大へんうれしく思います。
すうじおぼえたのでスーパーやもくよういちへゆくのもたのしみになりました。 またりょかんへ行ってもへやのばんごうをおぼえたのではじもかかなくなりました。これからはがんばってもっともっとべんきょうをしたいです。
10年ながいきをしたいと思います。

48年2月28日北代 色



 西洋では書き言葉(エクリチュール)は話し言葉(パロール)に従属すると考えられている。表音文字であるアルファベットはパロールを、音を分解してしまう。そんな道具に意味をもたせることはない。

 日本は全く逆で文字から入る。「剛」という人がゴウであろうと、タケシであろうと、ツヨシであろうと関係がない。本人すら違って呼ばれても異議を唱えることは少ない。そして、漢字が書けない人はどんなに弁舌巧みであっても教養を疑われる。「目に一丁字(いっていじ)も識らず」(『唐書』張弘靖伝「今天下無事。汝輩挽得両石力弓、不如識一丁字」)というのは一つも字を知らない人から無教養の人をいう〔「丁」は「个(か)」を誤ったものという説と「十文字ほどの字」だという説がある〕。

 落語の「泣き塩(焼き塩とも)」は文盲の女性が実家から送られてきた手紙を誰かに読んでもらいたくて、通行中の浪人者に依頼したのだが…。





 これらの文字が呪術性を持ったことは確かで、様々なお守りの護符や「耳なし芳一」の経文や、歌舞伎十八番「助六」侠客・花川戸の助六の「おれが手を手のひらへ三遍書いてなめろ、一生女郎に振られるということがねえ」という啖呵にいたるまで、まじないとしての機能を文字は持っている。書類がないと何も始まらない日本の官僚社会もこうした呪術性から生まれている。そして、その官僚たちを生むのもペーパーテストだった。

 中島敦の短編「文字禍」は文字を見ているうちに文字が解体してしまうという事件(「ゲシュタルト崩壊」!)に見舞われた古代アッシリアの老博士の話である。博士は王の命令をうけて文字の魂とはいかなるものか、調査にかかる。「文字を覚えてから目が弱くなった」とか「髪が薄くなった」という人もいた。狩人は文字を覚えたとたんに弓が下手になったという。文字を知るまでは本物の獅子を見て獅子を認識できたが、獅子という字を獅子だと思ってしまう人もいる。出来事も文字にかかれたものだけが事実となり、書かれなければないに等しい。文字の霊は人間を滅ぼそうとしているのではないか。博士は単なる線の集まりが音と意味を持つのはなぜかを考え、他でもないそれは「文字の霊」の働きによるものだということを思いつく。博士はそれから文字の霊がもたらす害悪をあげつらい、その崇拝をやめるよう王へ報告するが、文字の霊の思わぬ復讐を受けることになる。粘土板が…。

 仏教も梵字を使って呪術性を持たせているが、文字に呪術性を持たせた宗教は他にもモルモン教がある。モルモン教の創始者ジョセフ・スミス(1805-1844)は、ある日、天使の導きで自宅近くから読解不能な文字が刻まれた黄金の板を発見し、これがイスラエルの残された民がアメリカ大陸に渡ってきて書き残したものであることを教えられる!?書かれた文字は古代エジプトのヒエログリフを変形させたものとされるが、ジョセフはこれを特殊なメガネを使って解読し、この板にかかれた文面こそ本当のキリストの教えであるとして、解読した文書を「モルモン経典(モルモン書)」として1830年に出版した…。

 ちなみに、シャンポリオンによるヒエログリフ解読が1822年だから、スミスはもう少しで最初の解読成功の栄誉を受けるところだった!?




文字たち    『谷川俊太郎《詩》を読む』(澪標)から

 文字たちは種子
 砂漠を越えてやってきた
 海を渡り 空を飛んでやってきた

 文字たちは種子
 意味の重荷を担っている
 星の声 泥の無言を隠している

 文字たちは種子
 故郷を離れて芽吹き
 色とりどりの花 珍しい果実をもたらす

 文字たちは種子
 魂によって移植され育まれ 五〇年
 すでに新たなフローラを形成している

 文字は力を持っている。『シャーロットのおくりもの』で子豚のウィルバーを助けるためにクモのシャーロットがいう。


「『すばらしい』ってことばなら、ザッカーマンさんも感心するでしょう」
「だけど、シャーロット、ぼく、すばらしいブタなんかじゃないよ」と、ウィルバーが口をはさみました。
「実際はどうかなんて、どうでもいいの。人間は、書いてある文字なら、たいていなんでも信じてしまうものなのよ」

 文字は権力である。文盲の人が多かった頃はどんなにか権力を振るえたことだろう。

 ジョージ・オーウェルの『動物農場』でもリテラシーを身につけた豚たちが権力を握っていく。「七戒」では「全ての動物は平等」だったものが、


ALL ANIMALS ARE EQUAL.
BUT SOME ANIMALS ARE MORE EQUAL THAN OTHERS.

 「二本足以外は悪」だったはずが、


Four legs good, two legs bad.
Four legs good, two legs better.

といつの間にか言い換えてしまう。書かれたものは権力になって、誰も抵抗できなくなってしまう。

 もっとも、鈴木孝夫は『アメリカを知るための英語、アメリカから離れるための英語』(文藝春秋)で次のように書いている。


 イギリスを見てごらんなさい。イギリスというのは、なぜ機械を産業革命であれほど必死で発明したかというと、その前の奴隷制、つまり、ヨーロッパというのは古くから働くのは下層民か奴隷なのです。奴隷がいないときには農民なのです。帝政ロシアの農奴を考えればわかりますね。農民がダメなら機械、機械がダメなら植民地の人間なのです。つまり、上の人は自分から働くものではないのです、紳士は。韓国もそうです。朝鮮の両班(ヤンパン)という上の階層は、働くどころか地面を靴で歩くことさえも下人のすることだといって、自分の館に当時の一輪車を横づけさせて、縁側から乗ったのです。地面を歩くのは下人なのです。土と接してはダメなのです。

 ところが日本人は、天皇陛下まで長靴をはかれて稲を植えられたりするわけですよ。全く違うのです。中国の皇帝は長く愚はいて、「あ、そう」なんて言って稲植えていてはダメなんです。反対に酒池肉林で美女をはべらせ(北朝鮮の金主席を見てください)、自分はそっくりかえって、ものども、文句あるならかかってこいという、むき出しの誇示を常にしていなければ馬鹿にされてしまう。その山賊の親玉みたいなのがみんな王様や皇帝になるわけです。だから、昔のイギリス王というのは、大体字が書けなかった。学問や文学なんかに縁がないのが、ほとんどの王様でした。





 日本が文字の文化であることは日本語の音節が五十音あまりなのに漢字や仮名などの文字が2000以上、英語は音節が1000以上もあるのにアルファベットという文字は26しかないことから理解できるだろう。

 ちなみに、アルファベットといってもローマ字の最初の頃は小文字や筆記体がなく、カエサルの頃にもまだYとZがなく、21文字だった(アウグストゥス帝の時にギリシャ語の借用語を表すために加えられて23文字となった)。ギリシャにはユプシロンΥがあったが、Yをフランス語で「i grecイ・グレック」、イタリア語で「i grecaイ・グレカ」というのは「ギリシャ語のI」という意味だ。「W」は「ダブルU」か「ダブルV」で作った。

 中世まで「J」と「I」、「U」と「V」の区別がなかったのだが、ブランドの「BVLGARI(ブルガリ)」はわざと当時の表記法に従っている。外国のギフトショップでわざとGyfte Shoppeと書いてあるのもあるが、同じ効果を表す。日本でも「一番街」ではなく「壱番街」などとするのも歴史と伝統をかもしだすためである。

 日本語が文字に依存している、もう一つの例がソバ屋の看板である。あの奇妙な看板は「蕎麦屋」ではなく「楚者屋」という字の崩し字が書いてあるのだ。上は「きそば」と書いてあるが、「楚」は「そ」、「者」は 助詞「は」の変体仮名に濁点である。何という字が書いてあるか誰も気にしないで食べに行っている。

 映画館などのチケット売り場で「大人」「小人」と書いてあっても、何て読むか気にしないし、扉の「押」「引」とか、エレベーターの「開」「閉」というのも読まないで、記号になっている。マークを使って、文字になっていないエレベーターは僕にはとっても使いにくい。

 人名やさまざまなタイトルなども読めなくても字面で判別している。小津安二郎に『宗方姉妹』という、高峰秀子、田中絹代が出た映画があるが、これがちゃんと読めたら、立派な小津ファンだ(答え)。

 
8:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/14 (Tue) 06:37:31

人名やさまざまなタイトルなども読めなくても字面で判別している。小津安二郎に『宗方姉妹』という、高峰秀子、田中絹代が出た映画があるが、これがちゃんと読めたら、立派な小津ファンだ(答え)。

 また、日本人は文字そのものに大きな興味を持っている。書道という芸術の「道」がある。外国のカリグラフィーはカードや封書などにきれいに書くだけの技術だが、書道は芸術だ。

 文字がきれいな人は人間性まできれいだと思われがちで、字が汚い僕らは人格まで疑われる。実際、字のきれいな人の手紙を見るのは実に気持ちのいいものだ。間違った字の多い手紙はその場で破り捨てたくなる。ただ、吉田兼好法師は名筆だったことが知られているが、「手のわろき人の、はばからず文書き散らすはよし」と『徒然草』に述べている。下手でも遠慮せず、大いに手紙を書けば結構、と心やさしい。

 でも、作家は石原慎太郎のように字が汚い方が出世する。

 書道は漢字文化圏だけのものだと思っていたが、違っていた。鹿島茂『フランス歳時記』(中公新書)によれば、アレクサンドル・デュマ・ペールは能書で有名だったという。デュマは何をやらせてもダメだが、字がうまい。神父が褒めるとお母さんは天を仰いだという。フランスでも字のうまい男は出世しないという言い伝えがあるからだという。


 ところが、運命とは不思議なもので、この字のうまさがデュマを何度か助けることになる。

 最初は、デュマがパリに出て父の知り合いのフォワ将軍に職を紹介してもらいに行ったときのこと。勉強嫌いだったデュマは□はもちろん、得意な科目もない。そこで困った将軍はとりあえず住所だけでも書いて置くようにと命じた。デュマが住所を渡すと、将軍は叫んだ。「救われたぞ。君は字で食べていける」。デュマはのちにフランス国王となるルイ=フィリップの書記として採用されたのである。

 協力者のマケから『三銃士』は自分が書いたと訴えられたときにも能書が役に立った。裁判長は原稿を調べて、デュマの加筆がなければ作品は成立しなかったと判定を下した。能書ゆえに、デュマの筆跡が容易に鑑定できて、加筆の程度がわかったのである。





 メディア研究家というのか山根一眞の『変体少女文字の研究』はその意味で大変面白かった。当時の「かっわいい」としか言えなかった少女たちの時代を活写していた。

 ところが、97年に起きた神戸の「酒鬼薔薇聖斗」事件では赤と黒を使って直線的な(定規を使っているともいわれた)字体で書いていた。全体が角張っていて、濁点も下の方に意識的に持っていく。フェイスマーク状の文字や意味深なイラストも使われる。もちろん、筆跡を隠すために意識的に強調した部分があるのだろうが、丸文字になれていた世代には衝撃だった。丸文字に挑戦しているかのような字体であった。

 考えてみると学生の中にも三角を多用したような文字を見ることがある。「イラ文字」と呼ばれているそうだ。つまり、文面がイライラしているから、らしい(「イラスト系ヘコミ文字」でイラストみたい、という説もあるが信じがたい)。

 何でも「かっわいい」としか言えなかった時代に対して、どんな時代を迎えているのだろうか、不安に思った。





 蔡倫が紙を発明したおかげで漢字文明圏がより強固なものとなった。中国の『後漢書』に「古自(よ)り書契(しよけい)は多く編むに竹簡を以てし…」(岩波書店・吉川忠夫訓注)とある。書契は、文字の記録のことで竹簡や絹布を使っていたが、簡は重く、絹は高い。それで、蔡倫という人が工夫し、樹皮や麻くず、ぼろ布、漁網を用いて紙をつくったという。帝に奏上した年は、西暦の105年にあたる(『紙の文化事典』朝倉書店は、最近の学説で前3世紀ごろが紙の誕生の時期とされるとし、蔡倫がそれまでの製紙技術を集大成したとしている)。新古今和歌集(1021)に藤原伊尹の「水の上に浮きたる鳥の跡もなくおぼつかなさを思ふ比(ころ)かな」という一首が出てくる。水の上に浮かぶ鳥の足跡が見えないように、便りをくれないから不安な心になるこのごろですと嘆いた歌だが、この場合、「鳥の跡」とは文字や筆跡を意味する。これは鳥の足跡を見て文字を創作したという中国の故事に由来する。転じて下手な筆跡を指す場合もある。

 13世紀に元を旅行し、『東方見聞録』を書いたマルコ・ポーロはそこで紙幣が流通しているのを見て皇帝フビライ・ハーンを「錬金術師」と評した。ヨーロッパにまだ紙幣はなく、人工的に金をつくろうとする錬金術が盛んだったからだ。中国4大発明のうちの紙と活版印刷の2つを使って作られた紙幣は、ポーロの目には魔法に見えたようだが、その裏に皇帝の強力な権威があるのも見抜いた。ニセ札作りは斬殺刑に処すと印刷してあったからだ。

 こうして中国を中心とする漢字文化圏では科挙をはじめ、ペーパーテストが横行した。一方、紙がなかった西洋では口頭試問が一般的に長く続いた。ブリュノ・ブラセルの『紙の歴史』(創元社)によれば、紙の大量生産が私信の習慣を広めた。例えばドイツ人が1年に出す手紙は、19世紀半ばの1通強から世紀末には58通になったという。文化が変わったのはほんの少し前だったのである。

 プラトンも『パイドロス』(岩波文庫275A、B)でソクラテスの口を借りて、文字を批判した。「記憶と知恵の秘訣」を発見し、文字を広めましょうという進言する文字の発明の神テウトに対して王様の神タモスは次のように言う。


 たぐいなき技術の主テウトよ、技術上の事柄を生み出す力を持った人と、生み出された技術がそれを使う人にどのような害をあたえ、どのような益をもたらすかを判断する力をもった人とは別の者なのだ。いまもあなたは、文字の生みの親として、愛情にほだされて、文字が実際にもっている効能と正反対のことを言われた。なぜなら、人々がこの文字というものを学ぶと、記憶力の訓練がなおざりにされるため、その人達の魂の中には、忘れっぽい性質が植え付けられることだろうから。それはほかでもない、彼らは、書いたものを信頼して、ものを思い出すのに、自分以外のものに彫りつけられたしるしによって外から思い出すようになり、自分で自分の力によって内から思い出すことをしないようになるからである。じじつ、あなたが発明したのは、記憶の秘訣ではなく、想起の秘訣なのだ。また他方、あなたがこれを学ぶ人たちに与える知恵というのは、知恵の外見であって、真実の知恵ではない。すなわち、彼らは、親しく教えを受けなくとも物知りになるため、多くの場合、本当は何も知らないでいながら、見かけだけは非常な博識家であると思われるようになるだろうし、また知者となる代わりに知者であるという自惚れだけが発達するため、付き合いにくい人間になるだろう。

 そして、「書かれた言葉とは、ものを知っている人が語る、生命をもち、魂をもった言葉の影に過ぎないのか」と問うパイドロスにソクラテスは「そのとおり」と答える。プラトンはまた「ソクラテスがこう言っていた」といって「事実、長大な叙事詩を憶えた吟唱者に文字の知識を与えたとたん、すべての記憶が失せてしまったという例が世界の各地から報告されている」という言葉を引用している。とはいえ、このプラトンの言葉自体、文字でパピルスに書き留められていなかったら、後世の人々は知ることもできなかったのでないだろうか。

 レヴィ=ストロースの弟子で西アフリカ・ブルキナファソのモシ族を9年間もフィールドした川田順造は無文字社会の豊かな“音”の文化を研究してきた。モシ族は太鼓の音の高低で複雑な言葉を語る(talking drumという)。川田は、彼らは決して遅れた文化ではなく、文化の別の形なのだという。そしてむしろ、印刷技術やインターネットで文字に支配された我々の方こそ、彼らに学ぶべきだと説く。我々は文字を得て失った声の復権が必要だと訴えている。

 藤縄謙三『ホメロスの世界』(新潮選書)には次のように書いてあった。文字によって人間は身体性を失ってしまったのである。


 言葉の音声には強弱や遅速や色調があり、きわめて多彩な表現性を持っている。文字というものは、これらの微妙な要素を捨て去って、無味乾燥な骨だけにしたものである。文学とは文字で書かれたものだと考えるようになって以後、人間は言霊への感覚をむしろ大きく害されてしまったのである。

 口頭試問を重んじる西洋と筆記を重んじる漢字文化圏では大きな違いが生まれてきた。ハーバード大学のロースクールを描いた映画に『ペーパーチェイス』というのがあるが、法科学生は教授にいつも厳しい質問を受けて学んでいく。その仕上げにペーパーテストが行われるのだ。英語の「オーディション」auditionというのも「聴く」が語源となっているし、演劇も観るものではなく聴くものであった(「観客」audienceも「聴く」から)。日本人のものの考え方は視覚的だということである。

 米原万里は「通訳ソーウツ日記」の最終回で次のように書いている【名文で省略しきれなかった】。

脳が羅列モードの理由

 前回、この頁で「○ラモードの言語中枢」と題した文章を書いた。日本人が欧米人に較べて、情報を非論理的に羅列する傾向が強いこと。同時通訳をしていると、スピーカーの脳のモード差がモロに体感できること。それは、学校教育において、欧米では口頭試問と論文という能動的な知識の試し方を多用するのに対して、日本では○ラ式と選択式という受け身の知識の試し方が圧倒的に多いせいではないか、という愚見を披露した。単なる教育法の違いに原因を見ていたのだが、その背景にまで思い及ばずにいた。ところが、比較文学者の平川祐弘が、「せれね」という新聞に掲載されたエッセイに面白いことを書いている。
 日本人を含めてなべて東洋人が口下手なのは、「昔から科挙などで筆記試験に慣れてきたせいだろう。それに反し、西欧人は口頭試問で鍛えられてきた」と、ここまではわたしと同じ論旨なのだが、平川は、「それは紙が少なかったから」という。西洋では紙が非常な貴重品で、「第二次大戦中の米国兵は一日一回四片の割り当て」「18世紀に来日した西洋人は日本人が和紙で鼻をかんで捨てるという贅沢に一驚している」。「ケンブリッジ大学で筆記試験が始まったのは、数学は1747年、古典は1821年、法律と歴史は日本歴の明治5年にあたる1872年とたいへん遅い」と。
 日本人や中国人など漢字圏人間の脳の情報入力が視力経由に依存している割合が高く、西欧人の脳は聴力経由の依存度が高いという事は以前から指摘されている。西欧のアルファベットそのものが、音声を文字化したもので、文字そのものが聴力モードなのだ。文字は、音として発せられた瞬間に記憶に留めない限り消え失せてしまう言葉を固定化させる具として生まれた。要するに、記憶の負担を軽減するために発明されたとして過言でないだろう。実際に長大な叙事詩を記憶していた世界各地の吟遊詩人たちが、文字が発明された途端に大量の知識を失ってしまったと、ソクラテスやプラトンは嘆いている。わが国でも「平家物語」の全テキストを暗唱していた琵琶法師たちは文字の恩恵を受けることが不可能な盲人だった。
 先ほど同時通訳をしていると、スピーカーの脳のモード差がモロに体感できると述べたが、それは切実極まる問題だからだ。通訳者は、スピーカーの発言を訳し終えるまではそれを記憶していなければならない。ところが、論理的な文章はかなり嵩張ったとしてもスルスルと容易に覚えられるのに、羅列的な文章には記憶力が拒絶反応を起こすのだ。要するに、論理性は、記憶の負担を軽減する役割を果たしているわけで、文字依存度が高い日本人に較べて、それが低い西欧人の言語中枢の方が論理的にならざるを得ないのではないのだろうか。
 何かを得ることは、何かを失うことなのである。わたしたちは、文字に記憶の負担を転嫁することで、記憶のための貴重な具をいくつか失ったことになる。
 コンピュータ化が進むとともに記憶力のみならず計算力とか情報整理力とか、いくつもの脳の雑用と思われている作業を電脳に負わせるようになった。肉体労働だけでなく精神労働の負担からも人間を解放し、持てる力をなるべく創造的な仕事に振り向けようというのだろう。しかし、創造力とは何だろう。記憶力や情報整理力など脳の基礎体力の上に成り立つもののような気がしてならないのだ。わたしたちは、キャベツの葉を剥くように、今後も脳の持てる力をどんどん削ぎ落としていくのだろうか。

 イギリス議会の伝統に学んだのだろうが、日本の国会では文章の棒読みは1890年の国会開設以来禁止されている。「会議においては、朗読することはできない」と衆参両院規則にあるのだ。草稿なしに演説するためには、論点をしっかり頭に叩きこんでおかなければならないから、言葉の重みが違ってくる(若宮啓文『忘れられない国会論戦』中公新書)。福沢諭吉はスピーチを「演説」に換え、ディベートを「討論」と訳した。『学問のすゝめ』では「演説」を「大勢の人を会して説を述べ、席上にて我思うところを人に伝うるの法なり」といい、「第一に説を述ぶるの法あらざれば、議院もその用をなさざるべし」と解説している。でも実際は?





 日本語は難しくはないが、文字言語までいれると途端、難しくなる。人の名前をいうときも、「あの人の名前は読めないけれどこう書く(「こう言う」とはならない)」といって音を離れた漢字で人を識別する。難しい漢字を書けるだけで尊敬されたりもする。歌人の塚本邦雄は「薔薇(ばら)」と漢字で書いて罰せられるならば、罰金を払ってでも書く、と語った。グロータース神父も講演する時には「薔薇」とか「憂鬱」とか書いてみせるという。

 河野六郎先生は「漢字の場合、言葉は文字の背後に隠されてしまうことも稀ではない」(「文字の本質」)と指摘されている。経験や実験より文字で書かれたものをありがたがるのも同じ理由からであろう(幸か不幸か本校の学生には本を読みすぎる人はいないが、本ばかり読んで実践しない人は結構多いものだ)し、こうした視覚性が日本人の外国語学習の弱点になっているのだろう(とはいえ証明は難しい、というのは同じ漢字文化圏の中国人や韓国人の英語のうまさは説明できない)。

 たとえばアルファベットの文字から入っていく(筆順まで気にする人がいる)し、スペリングにやたらこだわる。「読み書き」中心であって「話し聞き」ではない。それに日本人の完ぺき主義が加わるから余計にっちもさっちもいかなくなっているのだろう。





 音声言語に対して文字言語は二次的なものなのだが、日本では文字言語が優先される。前者を優先するのを「音声中心主義」(phonocentricism)、後者を優先するのを「ロゴス中心主義」(logocentricism)というが、もともと一次的だった音声が文字におされている。つまり、一次性と二次性が逆転している。これをジャック・デリダはプラトン以来の西洋形而上学は「ロゴス中心主義」に陥っているといった。

 プラトンの『パイドロス』の中で、ソクラテスは「ロゴス(=パロール)こそが真の言葉であり、「正しきもの、美しきもの、善きものについての教えの言葉、学びのために語られる言葉、魂の中にほんとうの意味で掻きこまれる言葉」であるのにたいして、「書かれた言葉(=エクリチュール)の中には、その主題が何であるにせよ、たぶんに慰みの要素が含まれて」おり、「言葉というものは、ひとたび書きものにされると、どんな言葉でも、それを理解する人々のところであろうと、ぜんぜん不適当な人々のところであろうとおかまいなしに、転々とめぐり歩く。そして、ぜひ話しかけなければならない人々にだけ話しかけ、そうでない人びとには黙っているということができない」と語る。語られる言葉(パロール)こそが「正嫡の息子」であり、「自分で自分の力によって内から思い出す」記憶の秘訣[毒=薬]であるのに対し、書かれる言葉(エクリチュール)は、いわば父親のいない私生児であって、「自分以外のものに彫りつけられたしるしによって外から思い出す」ための「想起の秘訣」にすぎないとされる。

 旧約聖書でも『出エジプト記』24章には次のようにある。「神はことばを使って、人間と契約する」のである。


そこでモーセは来て、主のことばと、定めをことごとく民に告げた。すると、民はみな声を一つにして答えて言った。「主の仰せられたことは、みな行ないます」。
それで、モーセは主のことばを、ことごとく書きしるした。そうしてモーセは、翌朝早く、山のふもとに祭壇を築き、またイスラエルの十二部族にしたがって十二の石の柱を立てた。
それから、彼はイスラエル人の若者たちを遣わしたので、彼らは全焼のいけにえをささげ、また、和解のいけにえとして雄牛を主にささげた。
モーセはその血の半分を取って、鉢に入れ、残りの半分を祭壇に注ぎかけた。
そして、契約の書を取り、民に読んで聞かせた。すると、彼らは言った。「主の仰せられたことはみな行ない、聞き従います」。
そこで、モーセはその血を取って、民に注ぎかけ、そして言った。「見よ。これは、これらすべてのことばに関して、主があなたがたと結ばれる契約の血である」。
それからモーセとアロン、ナダブとアビフ、それにイスラエルの長老七十人は上って行った。
そうして、彼らはイスラエルの神を仰ぎ見た。御足の下にはサファイヤを敷いたようなものがあり、透き通っていて青空のようであった。
神はイスラエル人の指導者たちに手を下されなかったので、彼らは神を見、しかも飲み食いをした。
主はモーセに仰せられた。「山へ行き、わたしのところに上り、そこにおれ。彼らを教えるために、わたしが書き記した教えと命令の石の板をあなたに授けよう」。

 さて、デリダがこんなことをいわなくても日本では「ロゴス中心主義」がごく自然のことだったのである。

 【初出『富山商船高専図書館だより』1988年】

「むねかたきょうだい」というのが正しい。知らなかったでしょ。僕も知らなかったから…。


 俳優トム・クルーズは小学生の時から読書障害に苦しんできたが、サイエントロジー教会の創設者L.ロン・ハバードが開発した学習技術で読書障害を克服できたことを米誌に語った。クルーズは今、ハバードの学習技術を使う非営利の個人指導教師プログラムの創設委員を務めており、同じ学習障害を背負う子供たちを救おうとしている。


「私は7歳の時、読書障害児と呼ばれました。読書に集中しながらページの最後まで読み終わっても、何を読んだのかほとんど記憶がない。(一時的に)記憶を失い、不安を感じ、落ちつかず、退屈して、いらいらし、愚かに感じる。怒り出したりもする。勉強している時、両脚が実際に痛くなる。頭も痛くなる。学生時代から俳優になるまでずっと私は秘密を持っているように感じました」

「新しい学校に行く時、他の子供に私の読書障害のことを知られたくありませんでした。でも、読書力補強のクラスに行かされました」 (クルーズ)

「学習障害で一番多いのは読書障害で、5人の子供のうち1人が 読書障害を持っている」と専門家がいう。

 学習障害は知的発達の遅れがないのに、学齢期にいたっても読み、書き、計算、運動などのうちどれかの能力に障害があるものをいう。

 「Overcoming Dyslexia」(直訳で「読書障害の克服」)の著者でエール大学医学部小児科のサリー・シェイウィッツ教授によると、学習障害の中で一番多いのは読書障害(dyslexia)で、5人の子供のうち一人がこの読書障害を持っているという。

 読書障害は言葉が理解できないという意味ではなく、書かれている言葉を話し言葉の音声にして読めないことに問題がある。

 母親は「絶対にあきらめないで」と言い続け、勉強を助けてくれた


 「母は私に『あなたにはとても大きな可能性がある。絶対にあきらめないで』と言い続けました。彼女は仕事を3つ持って、私と妹の面倒を見てくれましたが、私の勉強のためにも時間を割いてくれました。私が学校の宿題を書かなくてはいけない時は、まず最初に、母にそれを口述して書き取らせ、私はそれを非常に慎重に書き写しました」

 「私は1980年に高校を卒業しましたが、卒業式にも出席しませんでした。私は学ぶことが大好きでした。学びたかったけど、今の教育制度の中で失敗したことを知っていました」

 クルーズは1986年、「トップガン」の公開後、L.ロン・ハバードの学習障害克服の学習技術を発見し、サイエントロジー教会のメンバーになった

 クルーズは1986年、「トップガン」が公開されてからサイエントロジー教会のメンバーになった。彼はハバードが1960年代に開発した3つの学習障害を克服する「Study Technology」(学習技術)を発見した。クルーズはこの技術を使って読書障害を克服することができたという。

 「私は読書障害のすべての症状があると言われてきたが、誰も解決法を与えてくれなかった。私は自分が学びたいものは何でも学べることを悟りました」(クルーズ)

 そしてクルーズはハバードの学習技術を使って子供たちに個人指導する非営利プログラムHollywood Education and Literacy Projectの創設委員を務めている。

 「私はみんなに自分が体験したことと同じ体験をして欲しくない。私は、子供たちが読み書きの能力を持ち、人々が何を言っているのかを理解し、人生の問題を解決できるようにして欲しい」(クルーズ) …

(07/16/03、ロサンゼルス=ZAKZAK特電)


 韓国ドラマ『星を射る』では俳優を目指すのだが、難読症のインソン君扮する青年が、ドヨン姉さんの手助けで文字の学習をしながら並外れた記憶力を武器に映画界で頭角を表し やがてはカミングアウトし周囲の理解を得るという設定になっている。ハングルも同じように表音文字なのである。

 2004年9月に脳卒中などで文字が読めなくなる「失読症」は、アルファベットを使う西洋人と漢字を使う中国人や日本人では、脳の損傷部位が違うことが、香港大の研究で分かった。

 文化に合わせた治療法の必要性を示した結果で、2日付の英科学誌ネイチャーに発表される。

 欧米を中心としたこれまでの研究では、失読症の人は、文字のつづりを音の固まりに分ける過程に障害があり、左脳の「頭頂葉」や「側頭葉」などでの神経活動の低さが原因と考えられてきた。しかし、香港大のリ・ハイ・タン助教授らが、先天的に失読症である中国人の子ども8人の脳を、磁気共鳴画像装置を使って調べたところ、左脳の「中前頭回」という西洋人とは別の部位の活動性が低いなど、これまでの実験結果とは大きく異なることが分かった。文字自体は意味を持たない表音文字のアルファベットを使う言語と、表意文字の漢字では、脳での読み方の仕組みが異なるらしい。研究チームは「理という漢字のなかに読み方を表す里が入っているなど、漢字の読み書きの仕組みは英語などとは大きく違う。文化に即した治療法の開発などにつながるのではないか」としている。

※冒頭の「科研交付」は北岡明佳が考案したものである。ポップル錯視(文字列傾斜錯視)というのは平行に並べた図形の模様を均等に上下にずらすと、図形が傾いて見える錯視。ツェルナー錯視のように並べると顕著になる。なおパソコンの活字体でもこの傾向が見られ、「杏マナー」とパソコンで入力すると文字が右下がりになっていることが2ちゃんねるで採り上げられ後に『トリビアの泉』で採用、北岡明佳がポップル錯視との関連を指摘(但し、学術的に検証を行ったわけではない)したことで知られるようになった。この錯視は単なるインターネットメディアの話題にとどまらず国内錯視研究の第一人者でもある北岡のホームページでも「読み人知らず」として採り上げられているほか、新井仁之がこの錯視を『文字列傾斜錯視』と定義して論文を発表している。また、「アロマ企画」「コニア画」「科研交付」などと入力してもこの錯視が発生する。
http://archive.fo/mYoy#selection-25.0-2033.25
9:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/14 (Tue) 06:38:06

科学も証明。日本の漢字教育が育む、子供の心と高い知能指数 2017/2/1

外国の方からよく「難易度が高い」と言われる日本語。その理由として漢字、ひらがな、カタカナの使い分けが挙げられますが、今回の無料メルマガ『Japan on the Globe-国際派日本人養成講座』で紹介されている小学校教師の石井勲氏は、あることをきっかけに「漢字」に子どもの能力を伸ばす不思議な力があることに気付き、「石井式漢字教育」を編み出したと言います。「幼児に漢字は難しい。まずはひらがなから」は誤りなのでしょうか。

子どもを伸ばす漢字教育

きっかけは偶然だった。小学校教師の石井勲氏が炬燵に入って「国語教育論」という本を読んでいた。そこに2歳の長男がよちよち歩いてきて、石井氏の膝の上に上がり込んできたので、氏は炬燵の上に本を伏せて置いた。

その時、この2歳の幼児が「国語教育論」の「教」という漢字を指して「きょう」と言ったのである。びっくりして、どうしてこんな難しい字が読めたんだろう、と考えていると、今度は隣の「育」の漢字を指して「いく」と言った。

石井氏が驚いて、奥さんに「この字を教えたのか?」と尋ねると、教えた覚えはないという。教えてもいないものが読めるわけはない、と思っていると、奥さんが「アッ! そう言えば一度だけ読んでやったことがある」と思い出した。奥さんは音楽の教師をしており、「教育音楽」という雑誌を定期購読していた。ある時、息子が雑誌のタイトルを指で押さえて、「これなあに?」と聞くので、一度だけ読んでやったような記憶がある、というのである。

そんなこともあるのか、と半信半疑ながら、ひょっとしたら、幼児にとって漢字はやさしいのかもしれない、と石井氏は思いついた。ひらがなは易しく漢字は難しい、幼児に教えるものではない、と思いこんでいたが、実はそうではないのかもしれな い。これが石井式漢字教育の始まりだった。

漢字学習で幼稚園児の知能が伸びた!

それから石井氏は昭和28年から15年にもわたって、小学校で漢字教育を実践してみた。当初は学年が上がるにつれて、子どもの学習能力が高まると信じ込んでいたが、実際に漢字を教えてみると、学年が下がるほど漢字を覚える能力が高いことが分かった。

そこで今度は1年生に教える漢字を増やしてみようと思った。当時の1年生の漢字の習得目標は30字ほどだったが、これを300字ほどに増やしてみると、子供たちは喜んでいくらでも吸収してしまう。それが500字になり、とうとう700字と、小学校6年間で覚える漢字の8割かたを覚えてしまった。

ひっとしたら就学前の幼児は、もっと漢字を覚える力があるのかもしれない。そう思って昭和43年からは3年間かけて、幼稚園児に漢字を教えてみた。すると幼児の漢字学習能力はさらに高いということが分かってきた。同時に漢字学習を始めてからは幼児の知能指数が100から110になり、120になり、ついには130までになった。漢字には幼児の能力や知能を大きく伸ばす秘密の力があるのではないか、と石井氏は考えるようになった。

複雑でも覚えやすい漢字

どんな子どもでも3歳ぐらいで急速に母国語を身につけ、幼稚園では先生の話を理解し、自分の考えを伝えることができる。この時期に言葉と同時に漢字を学べば、海綿が水を吸収するように漢字を習得していく、というのが石井氏の発見だった。漢字は難しいから上級生にならなければ覚えられない、というのは、何の根拠もない迷信だったわけである。

同時に簡単なものほど覚えやすい、というのも、誤った思いこみであることが判明した。複雑でも覚える手がかりがある方が覚えやすい。たとえば「耳」は実際の耳の形を表したもので、そうと知れば、簡単に覚えられる。「みみ」とひらがなで書くと画数は少ないが、何のてがかりもないのでかえって覚えにくい。

石井氏はカルタ大の漢字カードで教える方法を考案した。「机」「椅子」「冷蔵庫」「花瓶」などと漢字でカードに書いて、実物に貼っておく。すると幼児は必ず「これ、なあに?」と聞いてくる。そこではじめて読み方を教える。ポイントは、遊び感覚で幼児の興味を引き出す形で行うこと、そして読み方のみを教え、書かせないことである。漢字をまず意味と音を持つ記号として一緒に覚えさせるのである。

抽象化・概念化する能力を伸ばす

動物や自然など、漢字カードを貼れないものは、絵本を使う。幼児絵本のかな書きの上に、漢字を書いた紙を貼ってしまう。そして「鳩」「鴉」「鶏」など、なるべく具体的なものから教えていく。すると、これらの字には「鳥」という共通部分があることに気づく。幼児は「羽があって、嘴(くちばし)があって、足が2本ある」のが、「鳥」なのだな、と理解する。ここで始めて「鳥」という「概念」が理解できる。

これが分かると「鶯」や「鷲」など、知らない漢字を見ても、「鳥」の仲間だな、と推理できるようになる。こうして物事を概念化・抽象化する能力が養われる。

またたとえば「右」、「左」など、抽象的な漢字は「ナ」が「手」、「口」は「くち」、「工」は「物差し」と教えてやれば、食べ物を口に入れる方の手が「右」、物差しを持つ方の手が「左」とすぐ覚えられる。そう言えば、筆者は小学校低学年の時、右と左の字がそっくりなので、どっちがどっちだか、なかなか覚えられなかった記憶があるが、こう教わっていたら瞬時に習得できていただろう。

推理力と主体性を伸ばす

また一方的に教え込むのではなく、遊び感覚で漢字の意味を類推させると良い。石井式を実践している幼稚園でこんな事があった。先生が黒板に「悪魔」と書いて、「誰かこれ読めるかな」と聞いた。当然、誰も読めないので、「じゃあ、教えてあげようね」と言ったら、子供たちは「先生、待って。自分たちで考えるから」。

子供たちは相談を始めて、「魔」の字の下の方には「鬼」があるから、これは鬼の仲間だ…、こうしてだんだん詰めていた。

この逸話から窺われるのは、第一に、幼児にも立派な推理力がある、という事だ。こういう形で漢字の読みや意味を推理させるゲームで、子どもの論理的な思考能力はどんどん伸びていく。第二は、子どもには自分で考えたい、解決したい、という気持ちがあるということである。そういう気持ちを引き出すことで、子どもの主体的な学習意欲が高まる。そして自ら考えて理解できたことこそ、本当に自分自身のものになるのである。

漢字から広がる世界

石井式の漢字教育と比較してみると、従来のひらがなから教えていく方法がいかに非合理的か、よく見えてくる。たとえば、「しょうがっこう」などという表記は世の中に存在しない。校門には「○○小学校」などと漢字で書かれているのである。「小学校」という漢字熟語をそのまま覚えてしまえば、近くの「中学校」の側を通っても、おなじ「学校」の仲間であることがすぐに分かる。「小」と「中」の区別が分かれば、自分たちよりやや大きいお兄さん、お姉さんたちが行く学校だな、と分かる。

こうして子どもは、漢字をたくさん覚えることで、実際の社会の中で自分たちにも理解できる部分がどんどん広がっていくことを実感するだろう。石井氏の2歳の長男も、お父さんが読んでいる本の2つの文字だけでも自分が読みとれたのがとても嬉しかったはずだ。だから、僕も読めるよ、とお父さんに読んであげたのである。

このように漢字を学ぶことで外の世界に関する知識と興味とが増していく。本を読んだり、辞書を引けるようになれば、その世界はさらに大きく広がっていく。幼児の時から漢字を学ぶことで、抽象化・概念化する能力、推理力、主体性、読書力が一気に伸びていく。幼児の知能指数が漢字学習で100から130にも伸びたというのも当然であろう。

漢字学習を通じて、多くの言葉を知り、自己表現がスムーズに出来るようになると、情緒が安定し、感性や情操も豊かに育っていく。石井式を取り入れた幼稚園では、「漢字教育を始めて一ヶ月くらいしたら、園児たちの噛みつき癖がなくなりました」という報告がしばしばもたらされるという。子供たちのうちに湧き上がった思いが表現できないと、フラストレーションが溜まって噛みつきという行為に出るが、それを言葉で表現できると、心が安定し、落ち着いてくるようだ。最近の「学級崩壊」、「切れやすさ」というのも、子どもの国語力が落ちて、自己表現ができなくなっている事が一因かもしれない。

自閉症児が変わった

NTTと電気通信大学の共同研究では、「かな」を読むときには我々は左脳しか使わないが、漢字を読むときには左右の両方を使っているということを発見した。左脳は言語脳と呼ばれ、人間の話す声の理解など、論理的知的な処理を受け持つ。右脳は音楽脳とも呼ばれ、パターン認識が得意である。漢字は複雑な形状をしているので、右脳がパターンとして認識し、それを左脳が意味として解釈するらしい。

石井氏は自閉症や知的障害を持った子供にも漢字教育を施して、成果をあげている。これらの子どもは言語脳である左脳の働きが弱っているため、言葉が遅れがちであるが、漢字は右脳も使うので、受け入れられやすいのである。

石井氏が校長をしていた小学校にはS君という自閉症児がいた。授業中、机に座っていることができずに、廊下に出てはぐるぐると左回りを続けているという子どもだった。校長としてS君を引き取った石井氏は、彼が電車に関心を持っているのを見つけた。絵を描かせると、黄色い電車と新幹線を描く。「黄色いのは総武線で、東京に行くんでしょ」と言って電車のそばに「東京」と書いてやった。新幹線にほうにも「新幹線」と書いてやると、S君は本当に嬉しそうに笑った。

翌日、また絵を描かせると、今度は電車の絵に「東京」「新幹線」という文字に似た模様を書き付けていた。これを生かさない手はない、と思った石井氏は、S君のお母さんを呼んで夏休みの間、毎日5分でいいから「漢字カード」で遊んでやってください、と頼んだ。

休みが終わると、お母さんが200枚もの漢字カードを持って、「あまりにS君の反応が良いので、どんどんやっていったら、こんなにできた」という。

夏休み明けのS君にクラスの友だちは驚いた。「S君が授業中ずっと椅子に座れるようになった」「体育の時間に皆と一緒に駆け足をやった」そしてついに「S君が教科書を開いた。」

S君は家でお父さんと一緒にお風呂に入っている時、「学校で勉強、頑張るからね」と言った。父親は思わずS君を抱きしめて「頑張れよ」と励ましたそうである。

漢字かな交じり文の効率性

漢字が優れた表記法であることは、いろいろな科学的実験で検証されている。日本道路公団が、かつてどういう地名の標識を使ったら、ドライバーが早く正確に認識できるか、という実験を行った。「TOKYO」「とうきょう」「東京」の3種類の標識を作って、読み取るのにどれだけの時間がかかるかを測定したところ、「TOKYO」は1.5秒だったのに対し、「とうきょう」は約半分の0.7秒、そして「東京」はさらにその十分の一以下の0.06秒だった。

考えてみれば当然だ。ローマ字やひらがなは表音文字である。読んだ文字を音に変換し、さらに音から意味に変換する作業を脳の中でしなければならない。それに対し漢字は表意文字でそれ自体で意味を持つから、変換作業が少ないのである。

日本人はこの優れた、しかしまったく言語系統の異なる漢字を導入して、さらにそこから、ひらがな、カタカナという表意文字を発明した。その結果、数千の表意文字と2種類の表音文字を使うという、世界でも最も複雑な表記システムを発明した。たとえば、以下の3つの文章を比べてみよう。


朝聞道夕死可矣

あしたにみちをきかばゆうべにしすともかなり

朝に道を聞かば夕に死すとも可なり

漢字だけ、あるいは、ひらがなだけでは、いかにも平板で読みにくいが、漢字かな交じり文では名詞や動詞など重要な部分が漢字でくっきりと浮かび上がるので、文章の骨格が一目で分かる。漢字かな交じり文は書くのは大変だが、読むにはまことに効率的なシステムである。

情報化時代になって、書く方の苦労は、かな漢字変換などの技術的発達により、急速に軽減されつつあるが、読む方の効率化はそれほど進まないし、また情報の洪水で読み手の負担はますます増大しつつある。読む方では最高の効率を持つ漢字かな交じり文は情報化時代に適した表記システムであると言える。

漢字教育で逞しい子どもを育てよう

英国ケンブリッジ大学のリチャードソン博士が中心となって、日米英仏独の5カ国の学者が協力して、一つの共通知能テストを作り上げた。そのテストで5カ国の子ども知能を測定したところ、日本以外の4カ国の子どもは平均知能指数が100だったのに、日本の子どもは111だった。知能指数で11も差が出るのは大変なことだというので、イギリスの科学専門誌「ネイチャー」に発表された。

博士らがどうして日本の子どもは知能がずば抜けて高いのか、と考えた所、この5カ国のうち、日本だけが使っている漢字に行き着いたのである。この仮説は、石井式で知能指数が130にも伸びる、という結果と符合している。

戦後、占領軍の圧力や盲目的な欧米崇拝から漢字をやめてカタナカ書きやローマ字書きにしよう、あるいはせめて漢字の数を減らそうという「国語改革」が唱えられ、一部推進された。こうした科学的根拠のない「迷信」は事実に基づいた石井式漢字学習によって一掃されつつある。

国語力こそ子どもの心を大きく伸ばす基盤である。国語力の土壌の上に、思考力、表現力、知的興味、主体性などが花開いていく。そして国語を急速に習得する幼児期に、たくさんの漢字を覚えることで、子どもの国語力は豊かに造成されるのである。

石井式漢字学習によって、全国津々浦々の子供たちが楽しく漢字を学びつつ、明日を担う日本人としての逞しい知力と精神を育んでいくことを期待したい。

文責:伊勢雅臣
http://netallica.yahoo.co.jp/news/20170201-47736643-magmag
10:777 :

2023/06/15 (Thu) 12:01:44

「漢字が読めない」日本の識字率ほぼ100%は幻想か 見過ごされてきた「形式卒業者」の存在、注目集める夜間中学
2023/06/15
https://nordot.app/1038705390451458905?c=39546741839462401

石尾彰さんが勉強に使っている漢字ドリルとノート。現在は小4レベルを学んでいる
 日本では憲法で教育を受ける権利が保障されていて、ほぼ全ての人が中学校を卒業している。「文部科学統計要覧」によると、統計が始まった1948年から義務教育の就学率は99%台で推移し、2022年も99・96%だった。
 しかし、学校関係者の間で長年認識されながらも見過ごされてきた「形式卒業者」の存在が近年、クローズアップされている。病欠や不登校などで学校に十分通えず形式的に中学を卒業した人を指す。自身に卒業したとの認識がない人ですら一定数いるとされる。
 今や中学生の二十数人に1人が不登校と言われる時代。義務教育が十分に受けられなかったことで基礎学力が足りず、抱えることになる生活上の不便は想像以上に深刻だ。読み書きに不安を持つ人々が学び直す場としての夜間中学が、今再び注目されている。(共同通信=浦郷遼太郎)


香川県三豊市の夜間中学の授業風景。5月末時点で10~80代の18人が学んでいる=2022年10月
 ▽切符が買えない
 岡山市の井上健司さん(38)は今も読み書きに不安がある。漢字が読めず、電車の切符が買えない。住所の漢字も覚えられず、30歳過ぎまでメモを持ち歩いていた。
 「5の段」が覚えられなかった。小学3年の時、九九が覚えられずに先生に怒られ、友人と2人で居残りさせられたことを今も鮮明に覚えている。同じ時期に友人トラブルも重なって学校が嫌になり、不登校になった。遺伝性の糖尿病も発症し、退院した後も学校にはほとんど行けなかった。かといって家で勉強を教えてくれる人もいない。入退院を繰り返し、テレビアニメを見て過ごす日々が卒業まで続いた。
 中学入学後も不登校は続いたが、友人に誘われ3年の1年間は通った。ただ、1年ごとの学習の積み上げがないままでは、授業の内容はちんぷんかんぷんだった。友人とたわいもない話をして過ごす学校生活は楽しく、そのまま通い続けたが、受け取った卒業証書に実感は湧かなかった。


岡山市の自主夜間中学に通う井上健司さん
 卒業後、読み書きができず困り始めることになる。就職するにも、まず履歴書の書き方が分からない。説明書きにある漢字が読めなかった。土木作業員や警備員の仕事を始めたものの、派遣先の地名が漢字で理解できない。日報には平仮名ばかりが並んだ。「漢字が書けないのか?」と上司に言われても適当にごまかした。「なかなか理由は言えず、ただ謝っていた」と振り返る。
 その後は持病が悪化し、20代はほとんど働けず生活保護を受けながら生活した。車の運転免許の取得も試みたが、学科試験対策の引っかけ問題に苦戦し、挫折した。
 読み書きが難しいと、外出にも支障をきたす。行ったことがない場所へ足を運ぼうとしても不安やストレスから腹痛が起きる。買い物で街中に出ても、用が済めばすぐ家に帰る始末だ。海外へ旅行や留学する人を見ると、「不安じゃないのかな。僕だったらあり得ない」とこぼす。
 井上さんは、かかりつけ医の紹介で5年ほど前から「岡山自主夜間中学校」(岡山市)に通っている。週3日開校しているが、糖尿病の人工透析を受けながら福祉施設で働く日々なので、通って机に向かえるのは土曜日だけだ。現在は漢字検定8級(小3修了程度)の合格に向け勉強に励んでいる。
 「学校に通えなかった後悔がある。自分を変えたい。全力で学び直していきたい」と話す。


香川県三豊市の夜間中学に通う石尾彰さん。授業で分からないところがあれば、左にある「HELP」の札を立て意思表示する=2023年5月30日
 ▽授業では「いない存在」に
 50歳を過ぎて学び直す人もいる。香川県三豊市の石尾彰さん(55)は幼い頃から体が弱く、入退院を繰り返してきた。小学校でも腹痛で欠席することが多く、小4の時に精神的な不調から半年ほど入院したことがきっかけで本格的に勉強が分からなくなった。
 中学でも状況は変わらない。本当は小学校の勉強からやり直したかったが、先生はそこまで面倒をみてくれなかった。授業では他の生徒が順番に当てられていく中、石尾さんは飛ばされた。勉強ができない子とレッテルを貼られ、授業では「いない存在」にされたと感じた。「気分は悪かった」と振り返る。小学生の頃より体調は良かったため、学校には通い続けた。

香川県三豊市で開かれた夜間中学の開設式で、新入生に祝辞を述べる山下昭史市長=2022年4月
 卒業後は職業安定所の紹介で、車の整備工として働いてきた。だが車検項目のチェックリストに書いてあることが読めない。漢字も書けない。仕事は見て覚えたが、上司にメモを取るように言われることは苦痛だった。
 心の中でもう一度学びたいと強く願ってきた石尾さん。その思いは家族にすら伝えられず、どうすればいいのか分からなかった。そんな中、三豊市の夜間中学(市立高瀬中夜間学級)が設置されることをニュースで知り、すぐに市の教育委員会に電話で問い合わせた。
 2022年4月にスタートした三豊市の夜間中学は5月末時点で10~80代の18人が在籍する。石尾さんは小4の漢字ドリルを使って読み書きを中心に学び直しを続ける。今の目標は高校に進学し、電気工事士の資格を取ることだ。


石尾彰さんが漢字練習に使っているノート。ページの右端まで書けるだけ反復して書いて覚えるようにしているという=2023年5月30日
 ▽小卒80万人の衝撃
 小中学校での義務教育の内容を理解していることは、人生をよりよく生きるための土台として必要不可欠だ。文部科学省は義務教育の目的の一つに「国家・社会の形成者として共通に求められる最低限の基盤的な資質の育成」を挙げている。
 2020年の国勢調査では、約80万人が最終学歴を「小卒」と回答した。戦中、戦後の混乱期で教育を受けられなかった人が多いため、80歳以上は約74万人。一方、50代以下でも約2万人いた。中卒と回答した人は約1126万人。既卒者の全体に占める割合は約11%となる。

夜間中学の意義について講演する城之内庸仁教諭
 ただ、中学を卒業したとしても、十分に義務教育を受けたことを示すとは限らない。不登校を含め、年間30日以上登校しなかった長期欠席者は小中学生で約41万人に上るとのデータがある。
 昼間の中学校でも勤務経験があり、今は三豊市の夜間中学で教える城之内庸仁教諭が明かす。「公立の学校現場では、明らかに出席日数や学力が足りないと分かっていても、教育的配慮の名のもと、年齢に応じて進級あるいは卒業させている実情がある。この考え方自体を見直さないといけない時期に来ている」。事実、小中学校の卒業に出席日数は必須ではない。こうした人が形式卒業者となって“無学”のまま社会に押し出されている。


夜間中学を併設している香川県三豊市立高瀬中学校
 ▽不登校にフォーカスする夜間中学
 夜間中学は戦後の混乱期に、さまざまな事情で義務教育が十分に受けられなかった人たちを対象に誕生したが、近年は高齢者に加え、外国人労働者の受け皿としても期待される。
 夜間中学は自治体が設置する「公立夜間中学」と、民間で運営される「自主夜間中学」の二つに分けられる。公立は教員免許を持った教員が指導。授業は週5日で学費は無料。全課程を修了すれば、中学卒業資格が得られる。これまでは中学を卒業していない15歳以上が入学するのが一般的だった。だが、文部科学省は2015年、形式卒業者の受け入れを認める通知を出している。
 一方、井上さんが通うような自主夜間中学は民間のボランティアで運営される。公立と違って入学要件はない。授業は週に2~3回。学校としての認可を受けていないため、中学の卒業資格は得られない。
 公立夜間中学の中には、特殊な位置づけの学校もある。香川県三豊市の夜間中学は不登校中の“現役”中学生を受け入れる。文科省から「不登校特例校」に指定された、全国で唯一の夜間中学だ。不登校生の実態に配慮した授業時間の削減や、習熟度に応じた柔軟な教育プログラムを実施し、現在2人の生徒が在籍する。形式卒業者予備軍の生徒にとって社会に出る前の“最後のセーフティーネット”かもしれない。
 新たな役割を担い、重要性がクローズアップされつつある夜間中学。文科省は都道府県と政令指定都市にそれぞれ1校以上の公立夜間中学の設置を促す。文科省によると、今年4月現在、17都道府県44校まで広がった。2025年度までに28都道府県に拡大し、新たに14校が設置される見通しだ。


香川県三豊市の夜間中学で実施された識字調査
 ▽識字率の実態は?
 基礎学力を測る最もベーシックな尺度は「読み書き」で、識字率として数値化することができる。しかし、識字率の現状を把握する全国規模の識字調査は、実は1948年以来行われていない。
 戦後、連合国総司令部(GHQ)の占領下で約1万7千人を対象に「日本人の読み書き能力調査」として一度実施されただけだ。その結果、読み書きが全くできない「非識字者」は1・7%で、読み書き能力の水準は極めて高いとされた。この結果や、戦後も義務教育の就学率が高水準のまま維持されてきたことを背景に、国内の識字率は「ほぼ100%」と認識され、識字問題は「終わった課題」とされてきた。
 しかし近年、小・中卒が一定数いることや外国人労働者が増加していること、また形式卒業者の存在にも光が当たり始め、全国的な識字調査を目指す動きも出ている。

取材に応じる国立国語研究所の野山広准教授
 日本語学などの研究機関である「国立国語研究所」(東京)が、一部の夜間中学で試行調査を進めている。その結果、井上さんが通う岡山市の自主夜間中学では約2割、石尾さんが学ぶ香川県三豊市の夜間中学では、ほぼ全ての生徒が「識字に問題を抱えている可能性」があった。 


 国語研究所は、調査対象を日本語教室などにも拡大する方針。 将来的な全国規模の調査につなげたい考えだ。
 調査チームの野山広准教授はこう指摘する。「実際にどれくらいの人が日本語の読み書きに生活上困っているかを計る基礎的な資料を提供したい。調査を通じて識字率がほぼ100%とされてきたことが『共同幻想』だったと世の中に知ってもらい、必要な施策を取らなければならない」
https://nordot.app/1038705390451458905?c=39546741839462401
11:777 :

2023/09/05 (Tue) 13:45:04

故郷を忘れた日本人へ (前編) 現代の若者が人生に“無気力“なワケ [2023 8 28放送]週刊クライテリオン 藤井聡のあるがままラジオ
https://www.youtube.com/watch?v=0scQLd2rguU&t=29s

[2023.9.4放送]「故郷を忘れた日本人へ」Part2、 行きすぎた英語教育は国力を下げる(藤井聡/KBS京都ラジオ)
https://www.youtube.com/watch?v=D6WhJH79yZA


▼動画で紹介した、仁平千香子氏の著書「故郷を忘れた日本人へ」の詳細はコチラ
https://www.amazon.co.jp/dp/4899920814/
12:777 :

2024/02/18 (Sun) 14:42:02

吉村府知事や岸田総理は「英語化」で 多民族共生を強制
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16840196



外国語学習について - 内田樹の研究室
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14094875

「漢字が読めない」日本の識字率ほぼ100%は幻想
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14120908

日本人の3人に1人は日本語が読めない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14068776

日本語は難し過ぎる
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14094861

ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html

女は東大出でも思考力・判断力・知性すべてゼロ _ 通産官僚 宗像直子は何故こんなにアホなの?
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/544.html

日本人は金髪美女に弱い _ 小布施からセーラ・カミングスの姿が消えた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/444.html

室伏謙一 岸田政権が今更移民政策推進
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14046858

外国人600万人時代、建設労働者、観光客から IT人材まで
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14123051

グローバリズムとは思想やイデオロギーではなく、 単に労働者の賃金を下げるコスト削減の事
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多文化共生とはイスラム移民がレイプしまくるのを放任する事
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【河添恵子】酷すぎる...中国人の民度とモラルの低さには驚きました
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対外戦争で勝った事が一度も無い中国とロシアはこういう手口で領土を乗っ取る
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クルド人問題の裏にテロ組織、 麻薬密輸、人身売買!? 日本がスウェーデン化
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14146905

【ch桜北海道】移民、難民!欧州の例から考える。日本ではクルド人問題が![R5/7/18]
https://www.youtube.com/watch?v=HOnOWDfXXjM

川口市ではクルド人が病院を占拠したり、集団で女性を追い回したりしている
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特番『外国人との「共生」は困難-クルド人問題で混乱する埼玉の実情ー』ゲスト:経済・環境ジャーナリスト  石井孝明氏
2024/02/06
https://www.youtube.com/watch?v=dAJSsgPB4SA

移民が引き起こしたケルン事件とロザラム事件 欧州で起きた現実
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人口の4割が移民になったスウェーデンのパラレルワールド
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移民による犯罪多発 _ 検問を突破した移民少年への発砲をめぐるパリ暴動
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日本のアジア化は着々と進行している
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エリート洗脳システムとしての留学制度
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日本の学校は、考えない人間を5つの方法で生み出している
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日本の研究力の低下 - 内田樹の研究室
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内田樹 _ 「統御し、管理しようとする欲望」が今の学校教育の荒廃の主因
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大学でいま、起きていること
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日本の学校教育は 「我が国とは全てが違う…」
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甘過ぎる日本の帰化制度
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「『移民』で日本もこうなる(前編-1)」宇山卓栄 AJER2023.10.27(1)
https://www.youtube.com/watch?v=qGpJvPeZRLg&t=318s

「『移民』で日本もこうなる(後編-1)」宇山卓栄 AJER2023.11.3(3)
https://www.youtube.com/watch?v=5kzGnH1F3_Y
13:777 :

2024/03/02 (Sat) 14:35:24

内田樹の研究室
文字の書けない子どもたち
2024-02-27
http://blog.tatsuru.com/2024/02/27_1129.html

 高校の国語の先生から衝撃的な話を聴いた。生徒たちが文字を書けなくなっているというのである。教科書をただノートに筆写するだけの宿題を毎回課すが、やってくるのは半数以下。授業中に書いた板書をノートに写すようにという指示にも生徒たちは従わない。初めはただ「怠けているのか」と思っていたが、ある時期からどうもそうではないらしいことに気がついた。
『鼻』の作者名を問うテストに「ニコライ・ゴーゴリ」と答えを書いた生徒がいた。ゴーゴリもその名の短編を書いているが、教科書で読んだのは芥川龍之介である。どうしてわざわざゴーゴリと書いたのか生徒に訊ねたら「漢字を書くのが面倒だったから」と答えたそうである。 
 生徒たちの提出物の文字が判読不能のものが増えて来たという話は大学の教員たちからも聴く。学籍番号までは読めるが、名前が読むのが困難で、コメントの文字に至ってはまったく解読不能のものが少なくないという。何を書いたのか学生自身に訊いてみたら、自分でも読めないと答えたそうである。
 一体何が起きているのか。どうやら文字を書くという動作そのものに身体的な苦痛を感じる子どもが増えているらしい。
 文字を書くというのはかなり精密で繊細な身体運用を要求する。筆で書くなら、ひとさし指と中指をかけて親指で筆を抑え、肘を上げて穂先をまっすぐ立てる。これを「懸腕直筆」という。昔お習字の時にそう教わったはずである。この姿勢をとると体軸が通る。
 武道家として言わせてもらえば、体軸が通っていないと手足の自由は得られない。文字を書くためには、まず身体の構造が整っていないと始まらない。当たり前の話なのだが、どうも当今の子どもたちはその身体の構造そのものが崩れ始めているように思われる。
長い話になりそうなので、続きはまた次週。
 
 先週の続き。「文字の書けない子どもたち」がどうして生まれて来たのかについて武道的立場から考察したいと思う。
 筆で字を書く時にかなり精密な身体運用が求められる。能筆の人は横に一本線を引く時も、勢い、太さ、濃淡を細かく変化させながら筆を運ぶことができる。
 最後の首切り役人だった八世山田朝衛門は斬首の一閃の間に涅槃経を唱えたと後年述懐している。右手の人差し指を下ろす時に「諸行無常」、中指を下ろす時に「是生滅法」、薬指を下ろす時に「生滅滅已」、小指を下ろす時に「寂滅為楽」。そこで首がぽとりと落ちるのだそうである。一瞬の動作を四句十六文字に分節していることになる。斬ることの本質が力ではなく、動作の精密さと多分割にあることがよくわかる逸話である。
 精度の高い身体運用をなしうることは生きる上での必須の能力である。それができなければ、包丁で葱を刻むこともできないし、針の穴に糸を通すこともできないし、文字も書けない。しかし、どうやらその基礎的な「生きる能力」が今の子どもたちは衰えているらしい。
 文字なんか書けなくても、キーボード叩けば済む。 葱だって刻んだものを売っているし、靴下の穴なんかけちくさく繕わずに買い替えればいい。そうかも知れない。でも、身体の構造が崩れて、細密動作ができないという子どもたちを制度的に創り出しているかもしれないという危機感を大人たちは持った方がいい。
 文字を書くというのは、罫に沿って、あるいはます目に合わせて、複雑な図形をかたちよく配列することである。字間調整も必要である。おそらく古人は子どもたちが書字によって身体の精密な運用を学び、生きる力を高めるということを知っていたのだろう。だから、子どもたちに「黙って臨書しろ」と命じたのだと思う。今さら習字を必修にすることはできない。
 では、どうしたらいいのか。私にもわからない。
http://blog.tatsuru.com/2024/02/27_1129.html
14:777 :

2024/03/31 (Sun) 18:15:40

2024年03月31日
英語の先生は白人の方がいい / 混迷する英語教育 (前編)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68956517.html

ネイティヴの先生が欲しい

teacher 44Filipino teacher 442
(左 : 「理想的な英語教師」と思われるアメリカ人女性 / 右 : 「現実的な英語教師」となるフィリピン人女性 )

  近い将来、日本は「アジア圏に埋没した東洋のブラジル」になる。というのも、“グローバリゼイション”が日本の潮流となり、アジア人が大量に住み着く多民族国家になるからだ。歴代の自民党政権、とりわけ岸田内閣は移民の輸入に熱心で、外国人労働者を“育成”するという名目で家族連れの移民を増やす政策に舵を切った。

  実に恐ろしい方向転換だが、政府は輸入目標を82万人くらいに設定し、介護や食料製造業のみならず、自動車産業や運輸業界、バスや鉄道などの分野でも外国人労働者を増やすつもりらしい。(「特定技能の外国人、5年で82万人に拡大 政府が閣議決定」日本経済新聞、2024年3月29日) 日本政府は国境の壁を低くして安価な労働力を獲得する一方で、日本人にも“アジア化”の努力を要求している。

  日本に入ってくるアジア人やアフリカ人は、日本語研修でコミュニケーションが取れるよう訓練されるそうだが、日本人の方も「英語」で外人と意思疎通が出来るよう訓練されるという。実際、英語教育は小学校から始まり、三年生と四年生は英語に親しむ「外国語活動」を受講し、週1コマ、年間35時間ほどの“調教”を受けるそうだ。五年生や六年生になると英語の授業は「教科」となり、週2コマ、年間70時間くらいの授業になるという。

  こうした英語教育は中学校になると更に強化され、教室には直接あるいは間接的に外国人の「ALT(Assistant Language Teacher / 外国語補助教員)」が現れる。形式的には、生徒に“本場の発音”とやらを伝授する方策というが、実際は“お遊び”の一環だ。たぶん、日本人の教師だと英語の発音が下手糞だから、ネイティヴ・スピーカーを雇って“臨場感”を体験させるつもりなんだろうが、そんな授業で“英会話力”がつくことはない。もし、英国のコメディー番組を子供達に見せたら、「先生、何を話しているのかサッパリ解らない!」という反応だけが返ってくるはずだ。

  文部省の役人は対面教育を企画したが、実際にイギリス人やアメリカ人、つまり西歐系の白人を雇うとなれば費用が嵩むから、現実的な対策としてフィリピン人やインド人、あるいは香港の支那人を雇うことにしたのだろう。こうしたアジア人を雇えば、多少なりとも経費の節約になるからだ。

  そもそも、歐洲や北米から白人教師を招こうとする発想じたいが間違っている。文部省の役人は「JETプログラム(Japan Exchange and Teaching Programme)」を拵えて、ネイティヴ・スピーカーを招こうと考えたが、日本の学校で英語を教えたいと望む白人青年は、いったい何人いるのか? キリスト教のプロテスタント宣教師なら「日本行き」に手を挙げるかも知れないが、普通の白人青年だと難しいぞ。

  政府は年間で約280万円から396万円を払い、渡航費用や住宅手当、健康保険料などを負担するというが、そんな条件で適切な人材が集まるとは思えない。(総計で1人当たり約600万円の費用となるらしい。) 確かに、効果的な宣伝を繰り返せば、ある程度の人数を確保できようが、“まとも”な西歐人は応募しないだろう。実際、教員の確保に困った学校は、民間の派遣業者に頼っている。

  歐米諸国と同じく、日本の役所も人種問題には敏感で、全国の小中学校に補助教員を派遣しても、実際にどんな人物なのか、つまり「国籍」ではなく「民族・血統」での分類、経歴や能力のレベル、生徒による正直な評価を公表することはない。補助教員の大半はアメリカやカナダからの教師らしいが、それだって黒人なのかヒスパニックなのかも判らないし、ひょっとしたら「カナダ国籍の支那人」という場合だって有り得る。民間業者に頼っても西歐人の教師を獲得できない学校は、在日フィリピン人を雇うか、フィリピンからのオンライン授業で誤魔化すしかない。つまり、“安上がりの外人”で困難を克服しようとする訳だ。

  ところが、フィリピン人の「ALT」じゃ不満というか、「そんな先生じゃイヤだ!」という拒絶反応が、生徒や保護者から出てくる。最近、大阪府の堺市でちょっとした騒動が起きた。3月13日に行われた市議会特別委員会の席で、水ノ上成彰・市議が「フィリピン人に英会話を教わるなら、日本人の教師に教わればいいのではないか」と述べたらしい。彼は現在の英会話授業に疑問があるらしく、日本の子供達は「かつてアメリカの植民地だったフィリピン人に英語を教わっている。これは決して愉快な話ではない」と発言したそうだ。(「市立中でフィリピン人が英会話講師『愉快な話ではない』『日本人に教われば』…市議発言に厳重注意」読売新聞、2024 年3月26日)

  現地の市民グループは直ちに水ノ上市議の発言を「ヘイトスピーチ」と非難したが、一般国民の中には彼の意見に共鳴する人も居るんじゃないか? 批判を受けた水ノ上市議は新聞記者の取材に対し、「フィリピン人の方を下に見るつもりではなく、日本人がもっと頑張れというつもりだった。委員会での発言を全部聞けば分かってもらえる。撤回するつもりはない」と話していた。

  主流メディアの論説員や御用学者は、水ノ上氏の発言を捉えて「差別だ! 人種偏見だ!」と糾弾するが、それなら訊くけど、新聞社の重役や大株主、広告企業の経営者は、自分の子供達を普通の公立学校に通わせ、フィリピン人の教師に預けているのか? 例えば、テレビや新聞に広告を出すトヨタ自動車とか三菱UFJ、住友商事、三井物産、NTT、ソニーといった有名企業の重役は、自分の息子や娘に“エリート教育”を授けるが、庶民の子供が集う公立学校に通わせ、フィリピン訛りの英語を学ばせることはない。

  具体的に言うと失礼になるけど、港区のタワーマンションに住む高学歴の“リベラル・ママ”は、足立区や荒川区の公立学校を選択しないだろう。慶應義塾の幼稚舎、暁星幼稚園、成城幼稚園などで“英才教育”を受ける箱入り娘は、西歐白人の教師から“ちゃんとした英語”を学び、西洋風の“国際感覚”を身に付ける。お金持ちの家庭だと、アメリカ白人の家庭教師を雇って、自宅でのプライベート・レッスンだ。ちなみに、安倍晋太郎は若き平沢勝栄を家庭教師に選んだが、息子の晋三がどう反応したのか判らない。まぁ、晋三坊っちゃんは、「えっ!、この人、江戸時代の水呑百姓みたい!」と思ったんじゃないか? (知らんけど。) とにかく、安倍家の人選にはセンスが無かった。

  一般的に、校長先生や教育評論家は、生徒の自主性とか言論の自由、独立精神の涵養など、綺麗事を並べて自前の教育論を披露するが、実際は違っており、権威主義の“事なかれ”学校とか、規則で雁字搦めの“お役所的学校”が多い。「俺の在任中だけ問題が発覚しなければいい!」という校長や教頭がほとんど。日本各地がこんな有様だから、普通の公立学校には「選択の自由」は無い。教室の壁によく、毛筆で書かれた「誠実」とか「真理」の紙が貼られているけど、こんなのは滑稽な標語だ。「臭い物には蓋」という壁紙に変えればいいのに。

Kate Middleton 6203Meghan Merkel 772(左 : キャサリン・ミドルトン / 右 : メーガン・マークル)
  話を戻す。もし、本当に生徒がATL教員を選べるとしたら、校長先生が真っ青になる事態が起こってしまうだろう。例えば、ブリテン英語を授けるため、地方の中学校がイングランドから補助教員を2名招いたとする。一人はキャサリン・ミドルトン(Catherine E. Middleton)のようなイギリス人女性で、もう一人はメーガン・マークル(Meghan Markle)の如き黒人女性だ。仮定の話だが、もし生徒100名に「選択の自由」が与えられ、アンケート調査を行ったら、どんな結果になるのか? もし、97名が「ミドルトン先生がいい!」と答えてしまい、残りの3名が仕方なく「メーガン先生」を選んだとしたら、担任の先生や校長は冷や汗ものだ。おそらく、生徒の希望は却下され、教師の勝手な裁量で50名が「ミドルトン・クラス」に、そして残りの50名は「メーガン・クラス」に振り分けられるだろう。

学校英語は「実用的」じゃない

  学校での英語教育に関しては、昭和の頃から色々な苦情があり、言語学者の故・渡部昇一・上智大学教授も持論を述べていた。英文法史を専攻していた渡部先生は、学校の授業は英文読解と文法理解にあると喝破していた。もちろん、先生は英会話の重要性を知っていたが、それは“慣れ”というか、英語圏内で暮らしているうちに身につく“反射神経”のようなものだ、と説明していた。大切なのは、英語の文章を正確に理解できるよう文法を勉強し、きちんとした文章を書けることにあるらしい。なるほど、英米の大学では、教師の前でペラペラ喋ることができる学生より、論理的で立派な論文を書ける学生の方が高く評価される。それゆえ、教養人になりたい日本人は「読み書き」の勉強をした方がいい。

  もう一つ、渡部先生が共著『英語教育大論争』の中で討論した事で、とても印象的だったのは、学校の穎悟教育を受けた日本人には、「恨み(resentment)」があるという指摘だ。勉強熱心な人でも、「俺は中学から大学まで、ずっと英語を勉強してきたのに、実際にアメリカ人と会うとしどろもどろで、まともな会話が出来ない! しかも、英語の発音が悪いし、相手が何を喋っているのかさえ解、ちっともらない。これは学校教育に問題があるからだ!」と嘆く人が多い。こうした辛い経験をした人が役所の中にも多いから、「もっと英会話力を強化する授業が必要なんだ」という意見が多数派になってしまうのだろう。高級官僚の中にも、ハーヴァード大学やジョージタウン大学に官費留学をする人がいるから、文部省の“改革”に賛成する人は少なくなかった。

  しかし、「英会話力」は一部の人だけに必要な能力だ。自分の「英語力」を嘆く人は、独自の努力で身に付けるしかない。英文学の研究家として著名だった福原麟太郎も、英語教育に対する世間の非難を取り上げていた。福原氏によると、「英会話力」というのは畢竟「実用的価値」であり、日本国民全体が没頭する勉強じゃないという。一般国民の大多数は国内で生活し、イングランドやアメリカ、オーストラリアで仕事をする人は極少数だ。福原氏に言わせれば、外交官や貿易商などの“特殊な人々”が必要とする能力である。

  確かに、スイスの国民なら、ドイツ語を日常語にする人でもフランス語やイタリア語を多少なりとも知る必要があるし、香港やシンガポールの人々なら英語は必須科目だ。もちろん、シンガポールやマレーシアの華僑は、家庭内で上海語や広東語を話しているが、商売では便利だから、もっぱら英語で通している。フィリピンでも土人が英語を話しているが、それは現地語だと近代文明の学問が出来ないからだ。例えば、タガログ語やセブアノ語では学術論文どころか、小学校の理科や数学ですら出来ない。インドと同じで、支配者の言語で勉強するしかないのだ。

  学校の英語教育に関して、福原氏は「必要が才能を生むので、学校教育とは無関係である」と述べていた。(福原麟太郎『この国を見よ』大修館書店、昭和36年、pp.109-110.) 昭和の頃、よく多国籍企業や大会社の重役などが、英会話の苦手なヒラ社員を見て「学校の教師は何をしているんだ!」と文句をつけていたが、福原氏は苦々しく思っていたという。なぜなら、下っ端の若い社員たちは、たとえ経済学士や法学士であっても、入社すればソロバンの稽古や簿記の勉強をしたりする。もし、会社の上司が「実用英語」を要求するなら、新入社員に「英会話」という能力を仕込めばいいじゃないか、という訳である。1年くらい“みっちり”稽古すれば、英会話や商業通信くらいできるはずだ。

  なるほど、福原氏が言うように、英語の訓練だけは学校に押しつけ、重役どもが一方的に「学校の授業など役に立たない!」と不満をぶつけるのはおかしい。英語の専門家である福原氏は、しばしばラジオの座談会などに招かれ、英語教育に関する質問を受けたというが、そうした時には次のように答えたそうだ。「私はいつも実用になるようになどと思って私は英語を教えてやりません、学校の英語は実用になりません」と。(上掲書、p.110.)

  一般的に、我々は学校教育に期待しすぎる。平成時代になると「モンスター・ペアレント」なる保護者が現れ、子供の躾まで教師に要求するようになった。実の親がしないことを担任教師に押しつけるなんて言語道断だ。福原氏によると、学校の英語教育における目的は、「言葉の不思議さ」を体験させることにあるという。福原氏は次のように説明していた。英語は日本語とかなり違うことが子供にも解る。日本語だと1頭でも100頭で「馬」という単語に変化は無いが、英語だと1頭の馬(単数)と2頭の馬(複数)とでは言葉が違ってくる。子供はこうした言語の違いに直面した時、心に何らかの振幅を抱く。福原氏によれば、これこそ学校英語の「功徳」らしい。学校英語というのは「非実用的」で、西洋人に会った時、「おはよう」と言うためのテクニックを教えるのが主眼ではないという。

  文部省の役人が提言する教育理念は単純だ。幼い頃からネイティヴ・スピーカーに接触し、彼らと直接“会話”し、それに慣れれば、自然と“英語力”が身につく。グローバル化した社会では、英語を流暢に話せる者は有利だ。「さぁ、皆さん、レッツ・スピーク・イングリッシュ!」と呼びかける。だが、福原氏が指摘するように、英会話が必要となれば、その時に猛勉強すればいいのである。大切なのは学校で基礎知識を身につけることだ。すなわち、英文法をしっかりと勉強し、明確で論理的な文章を書けるようになれば、英会話の訓練にも充分対応できる。これがもし、英文法の知識が曖昧で、英語論文すら正確に理解できない人は、ブリテンやアメリカに行っても英会話力は身につかない。

  まぁ、長いこと暮らせば、簡単な日常会話なら出来るようになるだろう。日本でもフィリピン人酌婦が、日本語を覚えて客の相手をしているから、日本の一般人でも不可能じゃない。だが、英米の教養人を相手とした会話は無理だ。なぜなら、アメリカやブリテンには腐るほど「英語を話せる人」が存在し、流暢に話せたくらいじゃ尊敬されないからだ。よく、日本の英語教育に不満を漏らす日本人は、「アメリカやイングランドで暮らせば、自然と流暢に話せるようになる!」と思い込んでいる。

  しかし、こうした意見は妄想だ。愚かな学習方法を信じる日本人は、呆れるほど語彙が乏しく、専門知識も無いから、話している内容も幼稚でつまらない。上層中流階級のイギリス人やアメリカ人は、たとえ拙くとも“面白い”話をする日本人の方を好む。つまり、歐米の知識人というのは、自分が知らない事を教えてくれる外国人や、知的好奇心を喚起するような会話、もっと知りたくなるような刺戟的で深みのある会話が大好き。NYやLAの黒人ラッパーが話す程度の英語じゃ笑われてしまうぞ。

  英語の発音が下手糞な日本人は劣等感に苛まれ、英語を流暢に話す日本人を羨むが、そんなのは愚かな発想だ。米国だと、黒人のアメフト選手やコメディアンが早口で流暢に喋るが、手紙や論文を書かせると、「小学生並」だったりする。英米だと乞食やシャブ中だって英語を話すが、そんなことで尊敬する人は虫眼鏡で探しても居ないだろう。英会話に劣等感を抱く親は、「早期教育が大切だ」とばかりに、我が子を無理矢理、遠くのアメリカンスクールや“白人生徒”が通うインターナショナル・スクールに通わせたりする。だが、そんなのは資金と時間の無駄でしかない。

  本来なら、日本語能力を先に附ける方が重要なのに、幼稚園から英語を学ばせれば“インターナショナル”な秀才に育つと思っているのだ。でも、実際は学校の英語と家庭の日本語で、子供の頭が混乱してしまい、どちらも中途半端になってしまうのがオチである。可哀想なのは、ペットにされた子供の方である。不充分な言語能力で勉強となるから、論理的思考を基礎とする理科や数学の授業について行けなくなるのだ。試験の設問を読んでも理解できない子供が、正確に答えを述べることが出来るのか?英会話に夢中の親は、子供が中学生や高校生になった時に自分の間違えに気づいたりする。
 
日本語で暮らせる日本

  文部省の役人は「有識者」という提灯藝者を集め、「自分たちの意見」を正当化する。「グローバル化に対応した英語教育改革の五つの提言」という報告書なんて実に馬鹿らしい。ここで披露されている「提言」なるものは、呆れてしまうほどの妄想で、「別の魂胆があるんじゃないか?」と疑いたくなる。例えば、次のような文言があった。

 国民一人一人にとって、異文化理解や異文化コミュニケーションはますます重要になる。その際に、国際共通語である英語力の向上は日本の将来にとって不可欠であり、アジアの中でトップクラスの英語力を目指すべきである。今後の英語教育改革において、その基礎的・基本的な知識・技能とそれらを活用して主体的に課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力等を育成することは、児童生徒の将来的な可能性の広がりのために欠かせない。

  「アジアの中でトップを目指す」だって? どうして日本がアジア諸国に参入し、アジア人と比較されねばならぬのか? 日本は昔から「アジアの国」でもないし、「儒教圏」でもなかった。日本人は独自に日本文化圏を築き、日本人同士で暮らしてきたから、素晴らしい民族となったのだ。別の機会で述べたいが、近くに住んでいようが、支那人や朝鮮人は日本人にとって「エイリアン」でしかない。ベトナム人やフィリピン人も、全くの“異邦人(よそ者)”である。明治維新後の日本人は、「やっと海外渡航が解禁になった!」と喜んで、朝鮮半島や支那大陸、東南アジア、インド、アフリカを漫遊したが、現地の土人を目にしてビックリ仰天だった。明治の頃は共同通信社の「禁止用語集」や「PC(政治的に正しい言葉遣い)」が無かったから、露骨な評論が多かったけど、正直な感想だから本当に面白い。

 「報告書」の有識者は、次のような事も述べていた。

 現在、学校で学ぶ児童生徒が卒業後に社会で活躍するであろう2050(平成62)年頃には、我が国は、多文化・多言語・多民族の人たちが、協調と競争する国際的な環境の中にあることが予想され、そうした中で、国民一人一人が、様々な社会的・職業的な場面において、外国語を用いたコミュニケーションを行う機会が格段に増えることが想定される。

  こうした「提言」を聞いていると、もうウンザリしてしまうが、文部省の役人が取り上げる「思考力」や「判断力」を育成したいのであれば、先ず国語や歴史の授業に力を入れるべきだろう。日本人は日本語で考え、日本語で意思疎通を図り、日本語で表現するのが普通だ。ルー大柴みたいな藝人は例外だし、ゼンジー北京は偽の支那人だった。小池百合子は「コンプライアンス」とか「ウィン・ウィンの関係」といったカタカナ英語を得意とするが、江戸の庶民は日本語で暮らしているんだぞ。小池都知事はアラビア語を“習得”したというが、本当に学術的なアラビア語論文を書けるのか?

  元キャスターの小池百合子は、武漢ウイルスがちょっと終熄した時、「ゴー・トゥー・トラベル」と口にして一般国民に旅行を勧めていたが、我々はサーカスの犬じゃない。日本語で「みんな揃って旅に行こう!」でいいじゃないか。もし、小池都知事に「伏せ、お坐り、でんぐり返し」と言われたら、東京都民はそうするのか? 今流行(はやり)の「SDGs」なんて、支那人の悪徳業者かヤクザが儲けるためのスローガンである。
 
  有識者の面々は、“アジア化”された日本の未来を喜んでいのか、「外国語を用いたコミュニケーションを行う機会が格段に増えることが想定される」と述べていた。しかし、一般の日本国民はバラ色の国際化社会を望んで居るのか? なるほど、楽天やユニクロといった無国籍企業に就職すれば、「外国語を用いたコミュニケーション」ということで英語での会議や交流が“普通”になるんだろう。だが、一般国民の大半は、英語を使って仕事をする訳じゃない。もしかすると、財界人と霞ヶ関の役人は、日本語を不得意とするフィリピン人やマレー人とコミュニケーションを取るため、簡単な英語を使え、と仄めかしているんじゃないか?

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(左 : 日本に移住しかねないアジア人 / 右 :「未来の日本」を想像させるアジア人労働者 )

  政府は深刻な 「人手不足」を解決するため、アジア諸国から労働者を輸入するという。しかし、彼らが複雑怪奇な日本語は習得するには、大変な努力と膨大な時間を要する。それなら、「カタカナ英語」で会話をする方が簡単だろう。おそらく、介護施設の管理責任者や食品工場の係長は、マレー人やフィリピン人、あるいはインド人やパキ人、ケニア人、エジプト人の部下に小学生程度の英語で語りかけ、ジェスチャーを交えて命令を下すようになるのかも知れない。そして、何となく解った外人社員は、“ジャングリッシュ(日本語発音の英語)”に慣れた同胞に確認し、見よう見まねで作業に就く。文書による命令だとアジア人はお手上げだから、日本人上司が英語の書類を作成し、外人の部下に説明するしかない。

  歐米の資本家に買収された会社だと、そこに勤める日本人従業員はもっと大変だ。英文の報告書はもちろんのこと、会議でのプリゼンテーションも英語となるから、前日から頭が痛くなる。小便の時だけ、同僚と日本語で話せる会社なんて、本当に気の毒だ。役人は「グロール化時代の日本」と宣伝するが、そんなのは「根無し草の世界」でしかない。「日系日本人による日本的国家」が本来のにほんだ。我々は子孫のためにも、日本語で幸せに暮らせる社会にすべきなんじゃないか。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68956517.html

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