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不潔を気にしていたら生きていけない

1:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/12 (Sun) 00:42:07

どん底が広がる世界では、今よりも清潔ではない環境を受容できる精神力が必要
2023.03.11
https://blackasia.net/?p=19301


日本経済は悪化し続け、私たちの生活はボロボロになっていく。サバイバルの中では「清潔」という概念を日本人は意図的にワンランク落とす必要があるのではないか。清潔に慣れると、今よりもレベルの落ちた環境を不潔に思い、精神的に対応できなくなってしまうからだ……。(鈴木傾城)


「清潔」という概念を意図的にワンランク落とす
日本の暮らしの環境がどんどん悪化していこうとしている。

コロナ禍でダメージを受け、物価上昇でダメージを受け、電気代の値上げでダメージを受け、増税でダメージを受け、社会保障費の引き上げでダメージを受け、実質賃金の低下でダメージを受け、私たちの生活環境はボロボロだ。

今の政治家・高級官僚どもは、もはや経済を成長させることができないほどの無能と成り果てており、今後も日本が成長するような方策はまるで持っていない。そのため、私たちの国は滑り落ちるように凋落するばかりで浮上は望めない。

国民負担率も約48%である。これは、給料の半分が政府にむしり取られているという意味でもある。

今の私たちは危機の中にあることが分かるはずだ。すでに社会のどん底(ボトム)は口を開けて人々を待っていて、ずるずるとそこに飲まれていく人が続出している。

当たり前だが、経済的に困窮すると、生活をダウングレードしなければならない。もっと家賃の安いところに引っ越ししなければならない人も続出するだろう。それが凋落していく国の中で起こることなのだ。

こうした中でしたたかに強く生き残れるのは、「清潔」という概念を意図的にワンランク落とせる人である。なぜなら、生活をダウングレードすると、着実に今よりも清潔度が落ちる環境が待っているからだ。

清潔さを維持するには金がかかる。しかし、それは金を払う価値があると誰もが知っている。だから、生活のアップグレードは清潔さの追求になる。

逆に言えば、ダウングレードは「清潔さ」を失うということだ。ということは、生活をダウングレードするために必須となるのは、今よりも清潔ではない環境を受容できる精神力であると言うこともできる。

ダウングレードは、清潔度を落とすことで成し遂げられる。


プライドと共に清潔観念も捨てる必要がある
どこの国でもいい。外国を巡って日本に降り立つと真っ先に感じることがある。それは、日本という国はとことん「清潔」であるということだ。

清潔と言えば、シンガポールも負けていない。しかし、そのシンガポールを上を行く「清潔さ」を、日本という国は持ち合わせている。それは、日本人がことさら「清潔」を好むからでもある。

しかし、生活をダウングレードするなら「清潔」に対するこだわりを弱める必要がある。「清潔」を失いたくないという気持ちのままでいると、不潔な環境を受容できる精神力が弱ってしまい、生活をダウングレードしてもしたたかさになれない。

わざわざ不潔を好む必要はないし、日本社会を不潔にしろと言っているわけではない。清潔を追求する日本社会は世界でも稀に見る美しい文化を生み出している。それは誇るべきだ。

しかし、その清潔さにどっぷりと浸ってそれが当たり前のように思っていると、ダウングレードしなければならない局面で気持ちが折れる。

地を這って泥水を飲んでも生き残る強さやしたたかさは、まずは清潔ではない環境でも生き残れる耐性を必要とする。だから、清潔である環境を当たり前と思うのは若干、危険なことではある。

誰でも常に順調なわけではない。誰でも浮沈を経験し、時にはどん底の中のどん底に落ちることすらもある。

経済的に困窮した時や、人生の下降局面で生活のグレードを落とさなければならない時は、プライドと共に清潔観念も捨てる必要がある。そんなものを引きずっていたら、気持ちがどうしても対応できないからだ。

いざとなっても、自ら生活をダウングレードして平然と生きていける人は強い。どんな環境でも生き残れる人というのは、今より清潔さの劣る環境に放り込まれても、それに対して耐性を持っているということでもある。


不潔を気にしていたら、海外では生きていけない
日本は世界でも有数の「清潔国家」だ。ということは、日本人が海外に出ると、だいたいは日本よりも劣る清潔環境に直面するということになる。

海外では欠けた皿、ガタガタのテーブル、埃が舞い、ハエが飛び交う中の食事など、どこでも当たり前にある。コップの底は水垢で黒くなっているようなものも使われている。食べ物に虫が入っていることさえある。

日本ではそんな不潔な店は、すぐに撤去されてしまうだろう。インターネットに書き立てられて大批判にさらされ、店じまいを余儀なくされるはずだ。しかし、東南アジアやインドの安宿は日本の環境で言えば、想像を絶する不潔さである。

安宿のベッドはすでに前の人の汗の臭いがすることもあれば、シーツをまくればトコジラミが棲息している跡がびっしりと残されていることもある。

(ブラックアジア:トコジラミ。部屋に入ったらベッドのシーツをまくって裏を見ろ)
https://blackasia.net/?p=2998


剥がれた壁、埃とゴミだらけの床、カビだらけの浴室、這い回る虫、天井から落ちてくるヤモリ、水道の蛇口から出てくる茶色の水……。

海外ではそんなものは普通なのである。そんなことをいちいち気にしていたら、生きていけないというのが実情だ。私も長らく貧困地区を這い回り、貧困の女たちと共にそんな場所で過ごしてきた。

たとえば1990年代後半にカンボジアにいる時、大きなバケツに溜められた濁った雨水で身体を洗うなんて私には普通のことだった。

繰り返すが、「清潔」であることが悪いとは誰も言っていない。清潔であることは素晴らしいことだし、誰でもそれは認める。しかし、限りない清潔さを求め、それに慣れきっていると、どん底に突き落とされた時にしたたかに生きられない。


それでもなお生き残る「したたかさ」を身につける
あまりに清潔さを追求してばかりいると、社会はおおらかさを失い、柔軟性を失い、清潔さのためにコストばかりがかかる世の中になってしまう。

野菜に土がついていたら苦情、虫がついていたら苦情、少しでも傷んでいたら苦情、色や形が揃っていなければ苦情……と万事がその調子でやっていたら、その分だけ製造も管理もコストがかかって大変なことになる。

清潔さを維持するにはコストがかかる。すべての商品にそうした厳密な清潔さを求め、そこに法規定まで重なると、清潔さは格段にアップするかもしれないが、社会の柔軟性は極度に悪化する。これは、海外に長くなった人が日本に帰ってきたら誰もが口にすることだ。

「日本は何か息が詰まる」
「日本はみんな縛られているように見える」

日本人の清潔志向が行き過ぎると、自ら生きにくい社会を作り出すことになってしまう。日本人自身が「自縄自縛のワナ」にかかってしまうのだ。

さらに悪いことに、その清潔さに子供の頃から慣れてしまうと、今度はそれより劣る環境に対する耐性が持てなくなる。無理やりそこに放り込まれると、激しい失意や恐怖に陥る。

社会が清潔になりすぎると、今よりもレベルの落ちた環境を不潔に思い、精神的に対応できなくなってしまうのである。その気持ちが人生の困難なときに訪れる生活のダウングレードを難しくする。どうすればいいのか。

生活を落としても、どん底に堕ちても、社会がめちゃくちゃになっても、国外の貧困地区に堕ちても、それでもなお生き残る「したたかさ」を身につけるには、そうした世界を最初から知っておけばいい。

どこかで最初から体験しておくのである。若いうちは安い地区の古いアパートから始めるのもいいし、そうでなければ積極的に海外に出てみるのもいい。

知らないのと知っているのとでは、その許容度はまったく違う。貧困から這い上がってきた人が精神的に強いのは、また落ちたとしてもその世界自体を知っているからである。知っていれば恐怖はないし受容も早い。

何らかの不運が重なっていったん落ちても、素早くダウングレードした生活に馴染んで、そこから這い上がる方向に集中することができる。

世の中は危険になりつつある。これから何が起きるのか分からない。今よりも悪いことは必ず起きる。そんな時、いつでもダウングレードできる人間は、できない人間よりも生き残れる強さを持つ。

今の清潔さを失っても問題ないと言って生きていける人は、したたかだ。


『野良犬の女たち ジャパン・ディープナイト(鈴木 傾城)』
https://www.amazon.co.jp/gp/product/B08B4358CC/ref=as_li_qf_asin_il_tl?ie=UTF8&tag=blackbook2tok-22&creative=1211&linkCode=as2&creativeASIN=B08B4358CC&linkId=bdf8967e8f2c80c8901a34333c3ad219

https://blackasia.net/?p=19301
2:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/12 (Sun) 00:47:17


音楽はこういう部屋で聴きたい
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/508.html

本当のオーディオファイルは「ミニマリスト」を目指す
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/691.html

昭和の人間は物を捨てられない、何でもかんでも物置にしまっておく
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14086203

過疎地の住民には行政コストはかけられない。 田舎の人間は都市に引っ越せばいい
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14091903

負け組が老後に住めるのは苗場の 10万円で叩き売りしているスラム・マンションだけ
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007825

日本の田舎は原住民の民度が極端に低いので、ロシアのダーチャは真似できない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14016388

ヨソの土地へ移住を考えている方へ _ 田舎あるある集
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14016278
3:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/12 (Sun) 02:36:23


「●●なんて信じられない!」ホームステイで日本に来た外国人が日本の家庭でビックリ仰天!その意外な理由が… 【海外の反応・ゆっくり解説】
2023/02/28
https://www.youtube.com/watch?v=wGC1ul4aVfk

4:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/12 (Sun) 04:17:59

日本食冒険記Tokyo Food Adventures - YouTube
https://www.youtube.com/@TokyoFoodAdventures/videos

Momoka Japan - YouTube
https://www.youtube.com/@momokajapan/videos

初カツ丼に外国人が大感動!今まで食べなくて後悔【海外の反応】日本しか住めない理由 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=uoLBAW4mQxI

Thelma in Tokyo - YouTube
https://www.youtube.com/@ThelmainTokyo/videos
5:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/18 (Sat) 06:55:44

春の臭い
2023年03月17日
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12794167409.html


 春を感じるのは独特の臭いだ。気温が上がると、土壌が微生物によって活性化し、あらゆる臭いが吹き出してくる。

 土の臭い、空気の臭い、菜花の臭い、さまざまな香りが小鳥たちのさえずりとともに、春を告げる季節感をもたらしてくれる。



 私は、最近、コーヒーやカレーでさえ臭いを、わずかしか感じなくなってしまい、調べてみると、認知症の前兆だと書かれている。 

https://brain-gr.com/tokinaika_clinic/blog/bpsd/dementia-patients-cant-smell/



 だから、なるべく臭いの強いカレーなどを作るようにしている。それも市販のルーでなく、カレー粉を玉ねぎとともに直接炒めて手作りルーを使うようにしている。そして毎日、自家焙煎のコーヒーを立てている。

 すると、強烈な臭いが立つので、衰えた臭覚を刺激してくれると期待している。



 私の若い自分、今から半世紀以上前と今の違いを記憶のなかで比較してみると、何が変わったかといえば「臭い」だ。

 私の子供の頃、社会はあらゆる臭いに満ちていた。

 民家の密集する街を歩けば、必ず、汲み取り便所(ボットントイレ)の臭いが至るところに漂っていた。



 そして、人間も今の何十倍も臭ったものだ。昔は今ほど洗濯をしなかったので、汗臭い衣類をまとっているのが普通だった。

 汗の臭いは、「不潔」をイメージする人も多いが、同時に、それは「体臭」であり、また「フェロモン」でもあった。



 女性に近寄れば、香水ではなく、体臭としての甘いフェロモンの香りがあって、これは不快とは正反対で、男心を惹きつけ女性に対する憧れを醸成するものであり、

女性の魅力を引き立たせるものだったのではないだろうか。

 それは男性側も同じで、フェロモン=体臭は、男女のなかをとりもつ大切なエッセンスであるような気がする。



 三毛別ヒグマ事件では、穴持たずの大熊は、女性ばかり襲って食べた。

 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E6%AF%9B%E5%88%A5%E7%BE%86%E4%BA%8B%E4%BB%B6

 女性は甘い、美味しそうな香りがするのである。



  子供の頃、春の堤防を歩けば、一面の畑のなかに、金肥=屎尿堆肥の物凄い臭いが立ち込めて、同時に菜花の甘酸っぱい香り、土の発酵する香り、川の水の香り、さまざまな香りが立ち込めていて、体に染み入る日向臭さ、暖かさとともに、「素晴らしい春」の感動を実感できた。虫たちも一斉に湧き出していた。



 今は違う。どこを歩いても、あの懐かしいボットントイレの臭いなど、どこにもない。春になっているはずなのに、春を感じる臭いがないのだ。

 我が家のトイレも、EM菌で浄化しているので、臭いがほぼない。本当にいいことなのか、少し疑問に思えるようになった。



 臭いは脳の活動にとって、もっとも大切な刺激を与え、莫大な情報刺激をもたらしてくれて脳を活性化させる基本的な要素になっている。

 https://lululun.com/labo/%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E5%97%85%E8%A6%9A%E3%81%A8%E3%80%81%E3%82%A2%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%81%AE%E9%A6%99%E3%82%8A%E3%81%8C%E3%82%82%E3%81%9F%E3%82%89%E3%81%99%E3%82%82%E3%81%AE/

 人間の心と体の健康に、密接に関係していて、臭いによる刺激が少なければ、脳が活性化しないともいわれる。



 私の子供の頃に比べて、圧倒的に減った「臭い」、もしかしたら、そのことが人々の認知症激増の本質ではないのかと、私は自分の老化と認知症を感じながら考えている。

 我々には、もっと「臭い」が必要なのかもしれない…と思った。



 もちろん、強烈な香水の臭いを漂わせよというわけではない。でも、数年前に死んだ母の子供時代の思い出は、オーデコロンの香りとともにある甘い思い出だ。

 私は、感じた臭いとともに、たくさんの記憶が蘇ってくる。

 数年前から、嗅覚が衰えて、人々の間を歩いても臭いを感じられなくなり、臭いからの情報を得られず、それを処理する脳の活性がひどく鈍ってきている。



 認知症による臭覚退行が進むと、最初に、屎尿などの悪臭が自分で分からなくなるそうだ。私も、もしかしたら人前で悪臭を漂わせているのではないか心配になる。

 もっと臭いによる脳への大量の刺激が、私には必要ではないかと思っている。

 だから、私は夏場は、歩く前に虫除けの意味で、ハッカ水を全身に吹きかけている。それでも足りない。何かが間違っているような気がする。



 この先、自分や社会全体の認知症激増と向き合ってゆくとき、臭いの問題は避けて通れないような気がしている。

 食事も、香りを主題にしたメニューが必要かもしれない。カレーだけでなく、セージやバジル、パクチーを栽培して食事を彩る必要がありそうだ。



 木造の家は、杉や檜の香りが漂っていて、コンクリートや新建材の家に比べて、圧倒的に香りが強い。やはり、木造の家に住まねばならないだろう。

 認知症を予防するためには、これからたくさんの臭いと接する機会を増やしてゆく必要があるような気がする。

https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12794167409.html
6:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/19 (Sun) 13:22:39

日本の街がきれいになった理由
2023年03月19日
https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12794407613.html


 「日本の街はきれいだ、ゴミがどこにも落ちていない」と外国人に評判になっているといわれる。

 https://www.youtube.com/watch?v=mWOGfYYECrc&ab_channel=%E3%83%9C%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%83%ABTVBonSoirTV



 しかし、私の知る限り、今から半世紀前の日本社会は決してきれいではなかった。

 いたるところにゴミが捨てられ、とてもきれいとは言えない街並みだった。それは観光地でも同じで、当時は、外国人観光客はほとんどいなかったが、国内の観光地は、どこも悲惨なゴミに溢れ、トイレも入るのをためらうほど汚かった。

 公衆トイレも少なく、コンビニのような店もトイレを貸してくれなかった。どうしてもトイレに行きたければ、駅か公共施設、ガソリンスタンドなどに頼み込んだ。間に合わずにおもらしする人も少なくなかった。



 私が尾瀬に初めて行ったのは1970年代で、それから五回くらい行っているが、70年代の尾瀬は、今では信じられないほどゴミだらけで、当時のハイキングには缶詰が多用されていたので、至るところに空缶の山ができていた。

 トイレもなかったので、登山者はヤブに入って用を足すしかなく、このため富栄養化が進んだ場所もあった。

 権威主義に埋もれていた行政は、評価されない(票にならない)自然管理に対しては予算不足を口実に、ろくな手入れをしなかったので、日本一美しいはずの尾瀬なのに、まるで大自然の恥部と思うほどゴミが多かった。



 そこで、尾瀬長蔵小屋の三代目、四代目、平野長靖氏、太郎氏らは、尾瀬に捨てられた空缶を拾い集めてプレスし小屋の敷地に埋めていた。これは行政が無作為だったので、やむにやまれずやっていたことだ。

 もしも、空缶を指定処理しようとすれば、物凄い手間と資金が必要だったのだ。

 ところが行政側は、突然、埋めた空缶を発見して、長蔵小屋を告発起訴した。太郎氏は罰金120万円の判決を受けた。

 https://plaza.rakuten.co.jp/atoyota/diary/200402020000/



 私は、事情を知っていたので、この行政の姿勢には憤った。

 そもそも、尾瀬は、東京電力が、全部ダム底に沈めようと計画していたのを、長蔵小屋初代と二代目が体を張って差し止めたのだが、全域を買収していた東電は、ダム計画がうまくいかなくなると、あたかも尾瀬の守護神であるかのように装って、ちゃっかりと東電小屋の営業を始めた。

 長蔵小屋の空缶を告発したのも、尾瀬の自然美をこの世から消し去ろうとした東電のようだ。



 当時の日本社会は、高度成長バブル全盛期で、「カネになること」が正義であるかのような価値観に洗脳された者ばかりで、

自然保護への関心も低かった。

 我々が登山に夢中になっているころ、周囲の人は「なんで金にならない危険で馬鹿げた登山などするのか」と白い目で見る者が少なくなかった。

 そして山登りというと、山菜取りや希少植物、川魚釣り、狩猟など、何かを持ち帰らな帰れば行った意味がないと考える人が多かった。



 だから、純粋に「大自然を楽しむ」という価値観は、まだ定着しておらず、都会でも、「ゴミを拾うのは疲れるだけ損だ」と考える人が多く、「金にならない、実利のないことは無意味」という価値観に支配された人が大半を占めていた。

 ゴミが落ちていても、「清掃人業者が拾えばよい」と、ちょうど今の諸外国や韓国社会と同じだったように思う。

 当時は、行政からして率先して「利己主義」を前提にしていたのだ。



 最初に、日本社会で、「金にならない清掃活動」という「利他主義」を実践しはじめたのは誰だったかといえば、たぶん、1980年代あたりの大本教の流れを汲む新興宗教団体ではなかったかと思う。

 例えば松下幸之助のPHPなどが、率先して組織的に街頭清掃活動を行った。

  https://shuchi.php.co.jp/article/907



 私は、船井幸雄の思想活動も大きな影響を与えたと評価している。

 コンビニが、トイレに「きれいに使っていただいて、ありがとうございます」と書くようになったのは船井イズムの浸透によるものだろうと思う。

 https://uranaimae.com/2022/05/13/kirei-toilet/



 1990年代に入って、日本社会は自民党による消費税導入とともに経済的に衰退しはじめるが、一方で、利他主義思想が人生の価値観として若者たちに提起される時代が始まった。

 資本主義の金儲け一辺倒の価値観が見直され、「そんなに急いでどこに行く」というような標語にあるような、「時間を有意義に過ごす」という古くて新しい価値観が登場するようになった。



 「なんでも早ければ、儲かれば、よいわけではない」と人々が価値観を振り返る時代がきたのかもしれない。

 私が思うに、「得することが正義」という価値観が「戦後」を代表したとすれば、「トクしなくてもいい、人の笑顔が大切だ」という社会理念が芽生えるようになって、はじめて「戦後」が終わって新しい「利他主義」の時代に入ったのかもしれないと思った。



 「街が清潔で美しい」ということが人生の価値観と一致する「利他主義」の時代がやってきた。と、私のようなゴミ屋敷の住人が言える資格はないが、私でも、まともに呼吸ができて体が動くようになれば、なんとかきれいな家にしたいと思っている。しかし、建設資材が高騰しすぎて、壊れたものを修理さえできないのが実情だ。



 日本人は、短所でもあり長所でもある「同調圧力」が強い民族なので、「右ならえ」の社会であり、大勢が「美しい街」を大切にするようになると、汚い家や道が犯罪であるかのように思われる。

 私のゴミ家など、まるで犯罪者住宅なのだ。だから、日本社会が昔のように汚くなることは当分ないかもしれない。



 私が船井幸雄の思想活動で、もっとも大きな意味があったと思っているのは、「短所是正法」という儒教的価値観を見直させるきっかけになったことだ。

 http://hirukawamura.livedoor.blog/archives/5828476.html



 何度も書いてきたが、日本社会は、家康が林羅山らに命じて「朱子学」という儒教を武家社会に導入した。

 これは、「人間関係には侵されざる序列があり、目上の者に従順に従え」という思想なのだが、これが全国に湧いて出た「儒者」たちによって社会全体に拡大した。

 儒者たちは、藩校・寺子屋の教師も兼ねていたので、江戸時代から教育の普及とともに日本は儒教社会、すなわち序列社会へと移行した。



 差別のある社会では、必ず「短所是正法」が横行する。上位の者は、下位の者を統制し、叱りつけることで自分の地位に陶酔できるわけだから、下位の者が間違ったことをしでかすと、鬼の首を取ったように喜んで罵倒し、「短所を是正してやろう」と思うのだ。

 もちろん、これが逆効果で、それは上位の者の権威承認要求から来ているだけなので、本音では、下位の者の間違いを怒鳴りつけている自分に陶酔したいだけのことなのだ。だから、結果は正反対にしかならない。

 船井幸雄は、このメカニズムに真正面から切り込んで、短所を是正する発想ではなく、長所を伸ばす発想を求めたのだ。



 身分差別や序列の思想は、人々の自然な人間関係を拘束し、素直で温かい感情を硬直させるのだ。

 儒教を導入すれば、権威主義、序列主義がはびこることで、人間関係の暖かさは損なわれる。代わりに登場するのが実利主義である。人間関係が悪ければ、あとは実利の関係しか残らないのである。

 すると、社会全体が、本音よりも建前、心を満たすよりも利権を満たす、金にならないことはやらない…という思想に変化してゆくことになる。



 そうなれば、金にならない街頭のゴミ掃除などやる者は少なくなる。利他主義が失われ、利己主義にとって変わられるのだ。

 このようにして、儒教による硬直した社会とともに、社会秩序に対して愛を抱く者はいなくなり、街は荒れてゆく。

 冒頭に書いた、「尾瀬が荒れていた時代」というのは、人々が「金儲けだけが正義」と勘違いさせられていた時代である。



 そして、今に至って街が美しくなったことの意味は、もしかしたら、序列が崩壊し、「今を美しく生きたい」という価値観を人々が取り戻している成果なのかもしれないと思った。

 確かに、私の子供時代に比べても、序列や差別、いじめを否定する世論が非常に強くなっている。

 例えば、私に対し、20年以上、悪意の誹謗中傷を続けるlove2mac2002jp/らぶらぶMACなる人物がいる。

 

 この男の、私に対する誹謗は、「私が中卒でデタラメばかり書いている」という内容ばかりなのだが、いまどき、「中卒」などと学歴差別を書けば非難殺到で、一発で、この男の差別体質が誰にでも理解できてしまう。

 いまどき、学歴差別をする習慣は、世界でも儒教に束縛された韓国くらいしか残っていないので、たぶん、この男は韓国人ではないかと思っている。



 まあ、私は、この人物の100倍以上は勉強しているので、学歴差別は逆に嘲笑するしかないのだが、私の子供時代は、この種の学歴や権威主義、「末は博士か大臣か」の価値観に洗脳された人物が大量にいて、そんな連中がいると、社会全体への不快感が増して、街が美しくならないのだ。

 弁解ではあるが、我が家が汚いのも、近所に泥棒がいて被害を受け続けているせいもある。



 逆に考えれば、「日本の街がキレイになった本当の理由」は、社会から不快な差別が消えていっていることの証左なのではないかと思う。

 「みんな同じ人間だ」という連帯感が、社会全体を美しくするのである。

https://ameblo.jp/tokaiama20/entry-12794407613.html

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