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猿は食べ物を分け合わない――700万年の進化史における人間の食とは?

1:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/11 (Sat) 11:37:37


1万個のゴリラのうんちから見えてきた“動物と自然と食の深いつながり”
堤未果×山極寿一対談#1
https://bunshun.jp/articles/-/61090

 20世紀の「緑の革命」が破壊したものから、日本の農家の人々がもつ知恵まで――。『ルポ 食が壊れる』が話題を呼ぶ国際ジャーナリスト・堤未果さんと、新著『猿声人語』を上梓した霊長類学者・山極寿一さんが、食をテーマに語り合った。

◆◆◆

「1万個以上のゴリラの糞を洗いましたね(笑)」
山極 堤さんの新著を読ませて頂きましたが、ジャーナリストならではの食の問題への切り込み方が非常に鋭い一冊でした。僕自身の研究の接点としてまず一番気になったのは、環境再生型農業のさまざまな取り組みを扱ったくだりの「腸内細菌」についてでした。


堤 ありがとうございます、山極先生にそう言って頂けて光栄です。そして腸内細菌! いきなり本の核心部分きましたね(笑)

山極 実はね、僕はゴリラの調査の大半を、ゴリラのうんこを洗って過ごしてたんですよ。ゴリラはなかなか見つけにくいし人間に慣れてくれるまで時間がかかるから、その糞跡を追って糞を拾い、キャンプに持ち帰って中身を調べ、そこから腸内細菌を取り出して培養することをチームでやっていました。もう1万個以上ゴリラの糞を洗いましたね(笑)。


堤 1万個以上のゴリラの糞を洗って……!

山極 洗って内容物を調べるわけですよ。そうするとフルーツの種が一番たくさん出てきます。ゴリラって繊維質の植物ばかり食べているイメージがあるけど、フルーツが大好きです。しかも、猿は熟さない未熟な果実も食べられますが、ゴリラは熟さないと食べられないので、植物にとって好都合なんですね。熟した果実は種の準備ができているから、肥料と一緒に蒔いてもらっているようなものなんです。

 ゴリラと植物は長年かかって共生し、共に進化を遂げてきた関係があります。例えばゴリラに食べられるフルーツの種は、飲み込んでもらいやすいように出来ている。


 もともと種子散布は、歯がない鳥がフルーツをそのまま飲み込んで種を空から撒いていたのですが、歯も手もある猿が出てきてフルーツを食べ始めると、美味しい果実の部分だけ食べて種をペッペッと親木の下に落としてしまう。すると発芽しませんから植物は動物にそのまま飲み込んでもらいやすいよう、果肉が種からはがれにくいよう工夫したんです。

堤 面白いお話ですね。ゴリラとフルーツが、お互いにお互いの力をうまく使うために工夫しながら、長い時間をかけて進化してきたなんて。聞いていて、「食べる」ということそのものが、全く別のレンズで見えてきました。



ところが今、その共存関係が無視されているという。元凶は…
山極 食べるという行為は、もともとは人間もまた生きるために細菌類や植物や動物たちと共進化を遂げてきた結果そのものです。ところが今や、ゲノム編集やデジタル変革によって新たな食物が次々と出てきて、食べるという行為にあった本来的な共存関係がまったく無視されてしまっている。それは自然との関係を断ち切ることに他ならないと僕は思っています。

堤 その危機感、全く同感です。今回の本では、急激に進んでいる人工肉やゲノム編集技術を使ったフードテックについて世界の事例を取り上げましたが、今あるいろいろな問題はテクノロジーの力で解決しよう、という発想が見えてきます。

 牛は“地球温暖化の元凶”だからとにかく減らして人工肉に置き換えていこう、増え続ける人口を養うために、ゲノム編集で遺伝子を破壊し、短期間で効率よく身を増量させた魚を養殖しよう、とかですね。確かに便利だけれど、根底にあるのは、言ってみれば、私達人間の都合による「生産性至上主義」に他なりません。




山極 本書でも指摘されていますが、20世紀の始めに「緑の革命」という大生産革命がありました。空気中の窒素をアンモニアにして、それを肥料として土壌に撒くことによって、生産量が10倍になるという革命で、確かにものすごく農作物の収量は上がりました。

 しかし結果として、土壌が死んでしまった。多量のアンモニアが、アンモニア化合物となって流れ出し、窒素過剰状態になるわけですね。そしてもう1つの問題は、農業が大規模に工業化されてしまったことにより、生産と消費はグローバル企業に専有化され、価格も支配されるようになった。小規模農家は作っても作ってもお金は得られず貧乏になるだけという構造が南北格差を拡大させた。

 僕は長年アフリカでゴリラの調査をしながら、地元の人たちと付き合ってきましたが、ヤシ、紅茶、コーヒー、とうもろこし等のプランテーションが増えるなか、森をよく知る狩猟採取民の人たちは保護区から追い出され、雇われ農民たちはジリ貧で、自分たちの食べ物を作る土地がなくなってしまっている現実があります。

堤 食べ物を作る人が貧しすぎて食べ物を買えない、おかしな話ですよね。そんな「緑の革命」は、今再び息を吹き返しています。アフリカの食糧危機を救済するという「AGRA(アフリカ緑の革命同盟)」というプロジェクトですが、前のとの違いは、化学肥料と農薬、遺伝子組み換えのタネに加えて、デジタルテクノロジーが導入されている事だというんです。


今度のはデジタルで使う薬の量を調整するから大丈夫です、と大口出資者のビル・ゲイツさんなんかは豪語するんですが、根本の考え方や手法は変わってない。農業資材を売る側のグローバル企業はうんと儲かって、地域の生産者の立場は弱いまま。環境コスト、経済コスト、社会コスト、どれをとっても結局、アフリカ側にとっては持続不可能でしょう?

なぜ持続不可能な農業が行なわれるのか。
山極 本当にそう。アフリカ各地を見ていると、まず遺伝子組み換えの作物が援助物資としてタダで入ってくるんですね。でも、それは全部肥料付き。アメリカの大手肥料会社が肥料とセットで遺伝子組み換え作物を提供する。育てた作物から種子を取っても次世代が育たないようになっているから、農民たちは毎年のように多国籍企業から種を買わなくてはならない。

 それまでの農業は、その土地の様々な性質を持った種を保存して次世代に伝えていたからこそ、収量こそ劣っても、気候変動や災害などさまざまな状況下でも育つ作物を各地域で作れました。しかし遺伝子組み換えの種は一律ですから、災害や気候変動に弱い。


 それなのに毎年、種子会社から、種子も肥料も買わなくてはならず、その負債がどんどん膨らむから、いくら農地の生産力が高くなっても現地の農民たちの収入は上がらないわけです。



堤 全くですね。しかも今回のはデジタル化によるアップデート版で、どの時期にどの種をまき、どの化学肥料や農薬をいつ使うかまで、スマホに指示が来て、種まきから収穫までの全データを少数のアグリビジネスが独占する。その先にあるのは、風を読み、土にふれ、気象条件に合わせて作物を育ててきた農民たちも、コミュニティも必要とされない世界です。

 今の、農家がどんどん減っているんだから「スマート農業」にシフトせよという論調には、人と野生動物、自然との関係をどう結ぶかという視点がすっぽり抜け落ちていると思いますね。

そして土壌は死んだ。起きたのは“ミミズの反乱”だった
山極 人と自然との関係が一番あらわれるのが、ある意味土壌ではないでしょうか。最近観た映画ですごく感銘を受けたのが、新海誠監督のアニメーション『すずめの戸締まり』。この映画では、扉の戸締りを怠ると、ミミズが地面からうわぁーっと火山が噴火するように炎の集団のごとく出てきて、それが地震を起こす。まるで、“土壌の反乱”なんです。

 地球上で一番バイオマスの多い生き物はミミズですが、ミミズが土壌の粒子をつくり、そこに雨や空気を入れて、土を豊かにして植物を生やしてる。だから、畑を作るにも植物が生えるにも、動物の様々な糞を分解して植物の栄養になるよう、ミミズが管理しているんですね。

僕らの小さい頃はよくミミズを獲ってから釣りに行ったものですが、今やアスファルトと化学肥料でミミズはほとんど消え、ミミズが大好物のモグラも見なくなりました。

 いうなれば地球を根底で支えてくれていたミミズという分解者がいなくなれば、土壌は死んでしまう。だから、新海さんはミミズを反乱させたんですよ。無論あの作品は震災をテーマにした作品ですが、私の解釈ではそんな自然観も込められているように感じました。

堤 面白い見方ですね、ミミズの反乱、まさに私達人間にとってのウェイクアップコールのような……。そうやってミミズもモグラも元気に生息するような環境、有機よりさらに一歩進んだ、本来の土の循環を取り戻すリジェネラティブ農業(環境再生型農業)の動きが今世界各地で広がっていて、取材してみたらとても面白かったんです。


 例えば、アメリカで見た、「カバークロップ(被膜植物)」です。大豆やトウモロコシを収穫した後、土壌有機物を増やしたり畑の表面保護のために別な植物を植える。多様性を保てるし、炭素を土に閉じ込めて温室効果ガス削減にもなる。堆肥になるからミミズも戻ってくるんですよ。モノカルチャーで失われた多様性を蘇らせ地域経済も活性化させる、ここでのキーワードは「土壌」です。日本にも昔からありますよね?

山極 そうですね。東北をはじめ、もともと日本では自然農法も盛んで、土壌をきちんと作って、自然の恵みをしっかり捕まえて、作物をつくるってことに精を出している人が沢山いました。自然の循環にそって作物を育て、食べ物を自然からいただき、それをシェアするという農の原点に日本は立ち返るべきだと思います。



日本が持っている優れた農の知恵
堤 考えたら私達日本人は、農の原点を知っている民族ですものね。栃木県民間稲作研究所の故・稲葉光國さんに、〈本当の稲作〉とは単に農薬や化学肥料を使わない事じゃない、田んぼの無数の生き物たちの力を借りる事なんだと言われた時、胸が熱くなったのを覚えています。稲葉さんが開発した、農薬を使わず生態系の力で雑草を抑える技術は、豊岡市のコウノトリと共生する水田再生事業やいすみ市の100%有機米給食を成功させました。こういう優れた農の知恵が、日本中にあった事に感激しましたね。

 今仰られた自然農法でいえば、「大地といのちの会」を創った吉田俊道さんからも、有機野菜は虫食いだらけのイメージだろうけど、肥沃な土壌で育った野菜は生命力が強くて虫が寄ってこないと教えてもらい、これも目から鱗でしたね。

山極 生命というのは大きな生態系のなかでつながり、互いに連絡を取り合っているから、本来の循環に戻すことがすごく大切なんですね。


 腸内細菌には面白い話があって、腸の中でただ食物を分解するのに役だっているだけでなく、人間の精神状態もふくめた臓器間のコミュニケーションにも役立っている可能性があるんです。

堤 えっ、臓器同士もコミュニケーションを取るんですか?

山極 ええ。腸内細菌叢はエネルギー代謝や免疫、情動にかかわる中枢神経にも影響を与えると言われていて、成人のもつ腸内細菌は約100兆個で総重量1.5kgくらい、総遺伝子数は300万個を超えます。人間の遺伝子の総数は2万1000個くらいですから、いかに膨大な数かがわかると思います。


 そんな腸内細菌が体を守ってくれているわけですが、堤さんはお腹の病気になったことを書いてましたね。

堤 はい。私若い時にアメリカに憧れて留学したので、早く手軽でいつでもどこでも手に入るアメリカ的食生活も含めてカッコいいと思っていたんでしょうね。でもそういう食生活を続けていたら、消化器系に深刻な問題が出てしまったんです。日本の病院で「総理と同じ難病、一生治りません」と宣告され、薬やらサプリやら奇跡の何とかジュースやら沢山試したけど駄目。病院からはNGの食べ物リストを渡されるし、最後は大腸摘出する人もいると言われて……すっかり怖くなって落ち込んでいました。



 そんな時ある中国医学の先生から「腸と土壌は同じ。不健康な土にいくら良い種を蒔いても育たない、まずは腸内微生物を本来の姿に戻しなさい。すべてはつながっているんだから」といった話をされて、いつのまにか臓器をモノ扱いしていたことを猛省したんです。

 根本的に考え方を変えて、その先生のもとで腸内細菌を蘇生させる治療をしたところ、なんと3ヶ月で症状が消えたんですよ。本当に驚きました。

同じように京都の子ゴリラも…
山極 おっしゃるとおり、すべて繋がっているんですよね。腸内細菌叢は、国によっても、土地によっても、みんな違う。母親の腸内細菌が自然出産で膣から出てくる時に受け継がれて、それが最初の赤ん坊の腸内細菌になるんです。生まれて1年以内に、抗生物質を使って腸内細菌を一掃してしまうと、太りやすくなるとも言われていますね。

 面白い話があって、ガボン共和国の調査地でゴリラの糞から、新種のバクテリア、細菌が発見されたんです。ニシローランドゴリラだったんですが、新たに見つけたバクテリアを京都市動物園のゴリラの子も持っていた。つまり、都市動物園のゴリラはみんな動物園生まれですが、アフリカ原産の母ゴリラから腸内細菌を受け継いでいた。

堤 じゃあ、今京都のゴリラの子たちを守っているのはまさかの……。


切除する人も多いあの臓器も重要だった
山極 アフリカ由来の菌が京都の子ゴリラたちもしっかりと守っている(笑)。余談だけど、盲腸(虫垂)ってあるじゃないですか。昔は、要らないから取りましょう、盲腸炎になったら困るからって、切除する人が多かったんですが、あれはものすごく重要な臓器。抗生物質などで腸内細菌を洗い流したときに、腸内細菌が逃げ込む場所だったんです。盲腸は抗生物質の作用を受けないので、腸内細菌が洗い流されても、残った細菌がどんどん増えて、新たな腸内細菌叢をつくることができる。

堤 そんなに大事な臓器だったんですか! 実は今だから告白しますが、さっきお話しした、お腹の病気で苦しんでいた時期に、「こんなに苦しいならいっそ切ってしまいたい」とまで思い詰めてたんですが(笑)、とんでもなく西洋的で偏った考え方だったんですね。

山極 人間の体はいろいろなものが複雑に相互作用し合いながら形作られているから、西洋医学のように悪い部分を害悪とみなして切除するとか、やっつける薬を使うという発想だけでは捉えきれない深さがあるんですね。




猿は食べ物を分け合わない――700万年の進化史における人間の食とは?
堤 未果,山極 寿一 によるストーリー
https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E7%8C%BF%E3%81%AF%E9%A3%9F%E3%81%B9%E7%89%A9%E3%82%92%E5%88%86%E3%81%91%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%AA%E3%81%84-700%E4%B8%87%E5%B9%B4%E3%81%AE%E9%80%B2%E5%8C%96%E5%8F%B2%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E9%A3%9F%E3%81%A8%E3%81%AF/ar-AA18u0a4?ocid=Peregrine&cvid=083031588e5d4badaf661149aa718004&ei=49


1万個のゴリラのうんちから見えてきた“動物と自然と食の深いつながり” から続く

マーケットを支配する大企業が壊した“伝統”
山極 今、僕が食に関して深く懸念しているのはフードチェーンの問題です。例えば、日本ではマーケットに並ぶ魚製品というのは質も量も大体均一でないと困るという理由から、伝統的な近海漁業が姿を消しつつある。なぜなら近海漁業は日々の天気や季節、波の影響、気候変動の影響によって獲れ高が全く違う。質や量をコントールしやすい遠洋漁業や養殖に比して不確実性が高いため、マーケットを支配する大企業からは、見放されつつあるんですね。

堤 それは大きな問題ですね。近海の天然のお魚が減った分、海外から乱獲された魚や養殖の魚が輸入されてきて、ますます悪循環。値段や生産性という、市場の都合だけで価値を測られた魚たちは、生き物ではなく「モノ」ですね。生態系を無視した皺寄せに気づくどころか、日本では効率がいい陸上養殖をもっと自由にできるよう漁業法を変え、異業種やベンチャーなどがどんどん参入しています。

山極 それは農業も一緒で、規格に合わない野菜は企業が引き取ってくれないから、どんどん捨てられてしまう。私はいま京都市動物園の名誉園長をしていますが、京都周辺の野菜農家さんに「捨てる野菜は動物園に寄付してください」と呼びかけたら、野菜をどんどん寄付してくれたそうです。動物たちは野菜で暮らせるようになり、農家さんもせっかく育てた野菜を捨てずにすむと喜んでくれてウィンウィンの関係です。


 我々は果物も野菜も魚も、値段を見て「商品価値」と思って買うけれども、本当の価値は値段ではなく「使用価値」にあるんですね。いびつな形の野菜だって、食べ物としての使用価値が一緒なら、同じ値段でスーパーに出せばいい。そこから社会の常識を変えていかないと、過大生産・過大消費・過大廃棄はこの先もずっと続いてしまう。

堤 確かに生産性だけで考えれば、出来るだけ同じ規格で大量に、低コストの途上国で作って輸出した方が効率がいいのでしょう。でも今回の本で、「食」が持つ多くの付加価値に改めて気づかされました。山極先生がおっしゃっていた「農業の原点は食料生産を通じて人々がつながること」という指摘にも、深く共感します。

山極 食べ物をつくって他者と分かち合う「食事」は、人間がつくった最初の文化です。文字通り「食」に「事」がついた、人と人をつなぐ行事であり、集団的な営為なんですね。

 なぜなら、猿は絶対に食物を分け合いません。チンパンジー、ゴリラ、オランウータンは、時々食べ物を分けますが、食べ物があるところでしか分配しないし、しかもケチ。まずい方か小さいほうを仲間にあげます(笑)。

なぜ猿は分配をしないのか?
堤 お裾分けの精神はないんですね。その辺は、猿が一番はっきりしているんですか?

山極 猿は自分中心で、おのおのが食べ物は自分で確保し、分配しません。強い方が餌場を独占するんですよ。ただし、先行保有者優先の原則があって、一度食物を手に取ってしまえば、それは奪われません。

 餌場を優先的に取るのは強い猿で、小さい弱い猿は他に行って探さないといけないわけです。ただし、これはさほど不公平な話でもなく、木の上はむしろ小さい猿の方が有利で、枝先の美味しい実や葉っぱを採れる。地上には猿が食べられる餌はあまりないので、同じ食物資源で鉢合わせをしないよう、弱いほうが分散して食べましょうというルールです。

堤 ちゃんと住み分けてるんですね。弱いチンパンジーやゴリラはどうしてるんですか?

山極 大きなチンパンジーやゴリラが、デカいフルーツを食べていたり、今しがたハンティングしてきた動物の肉を食べたりしていると、メスや子供たちがやってきて、おねだりするんです。弱いほうが「頂戴」していく。

 オスだって、本当は自分が独占して食べたいんですよ。でも、メスは要求がすごくしつこくて付きまとったりするから、根負けして渋々分けてやるんです。

堤 心の広い良く出来たオス、という美談かと思いきや……。

山極 寛容だからじゃない(笑)。それに比べたら、人間はめちゃくちゃ気前がいいんですよ。自分の取り分を少なくしても、「食べて、食べて」って大盤振る舞いしたりするじゃないですか。

 しかも、仲間のために食物を運ぶ。例えば、キノコ狩りとか山菜取りとか、その場で食べられるイチゴとか柿とか、採ったらその場で食べるか、自分のために持ち帰ればいいのに、わざわざ必要量以上のものを持ち帰って、みんなに分けて一緒に食べるでしょう。

『孤独のグルメ』に共感する現代人
 その行動の起源は、700万年前にチンパンジーの共通祖先から離れた直後に、人が二足歩行をはじめたことにあるんです。立って歩いて両手が自由になると、口にくわえるのではなく、手で食物を運んだ。


 その時、「食事」という文化が生まれた。食事は個々の食欲を満たすだけでなく、他者との関係をつくり維持する重要な社会的な道具となっていったんです。

堤 進化の過程で食べ物を分け与えるようになって、他者のことを考える文化やスキルが生まれた、そういう順番だったんですね?

山極 その通りです。人間は猿の子孫ですから、毎日食べます。ライオンやヒョウのような動物だったら3~4日に1度で十分ですが、人は1日のなかでも2度3度と食事をとり、他人と食卓を囲むわけです。これは共感力を育む、またとない社交の機会なんですね。

堤 今は昔と違って家族がバラバラに食事をしたり、若い部下をご飯に誘っても「忙しい」と断られたという声が多いですし、コロナで自粛中にデリバリーも大ブレイクしました。先生、『孤独のグルメ』ってご覧になったことがありますか。五郎さんという独身男性の主人公がひとりで美味しそうなお店を探し、ひとりで食べて脳内で会話する漫画なんですが、まさに現代人に大人気、ドラマ化もされてます。

 スマホの普及で食事もどんどん個人化されてますけれど、便利さと引き換えに失ってるものを考えると、かなりもったいないですよね。

山極 他人と一緒にご飯を食べると、ただ食欲を満たすという以上に、仲良くなりますよね。みんなで一緒に食べることはいかに楽しい営みかを、もっと思い出すべきです。

 ひとりで食べたら10分で終わるご飯でも、3、4人で食べたら、時間かかるじゃないですか。それは互いに食べる速度を合わせる身体的な「同調」なんですね。会話は意味を伝えあうコミュニケーションだから一定の技術が必要になりますが、食事には対面するのに理由がいらない。あまりしゃべらなかったとしても、食べながら同調しているだけで、互いの共鳴感が増すんです。

堤 何故一緒に食べるだけで心のつながりができるんだろうと不思議でしたが、無意識に全身で同調していたんですね、謎が解けました。言葉を使わなくても、同じ空間で食事をすることが大事だと。そういえば、「同じ釜の飯を食う」という日本語には、信頼できる仲間、というニュアンスがありますね。

ゴリラも人間と同じように食べ物を分け合った時が一番満足する
山極 さきほどゴリラはねだられて食物を分けてあげている話をしましたが、実は、そんな分け合った食べ物をお互いちょっと離れて一緒に食べている時が一番満足するようなんです。ハミングという歌声を出すんですよ。

堤 食べながら歌うんですか?(笑)

山極 ウゥウン、ウーウーゥーンーウーって、とてもメロディアスな声を出すんです。食べてるときに伝染していって、みんなでそういう声を出し合う。一緒にいてとても感動的で、本当にみんな楽しいんだろうなって思いますよ。

堤 うわぁ、想像するだけで楽しそう。そこに一緒にいたなんて、感動的な体験ですね。

山極 話を戻すと、やっぱり農業の原点には、作物をつくって収穫する喜び、みんなでその恵みに感謝し、分け合う楽しさがあります。他者とともに喜び合うことが、第一次産業の一番核にある。

 わが家は、ささやかながら日本の近海漁業を守りたくて、瀬戸内海のある漁師さんに毎月投資しているんです。どんな魚が欲しいかは一切言いません。獲れた魚に応じて、季節によってイカだったりサヨリだったり全く違う魚種を送ってくれるんです。そのたびに「どうやって食おうかな」と考えるんですが、時々「こうやって食べると美味しいよ」という調理法まで書いて送ってくれるんですね。

堤 それは素晴らしいですね!

山極 規格化されたものを買って消費するのではなく、漁業している人、農業している人に投資して、そこで出来たものを「使用価値」として送ってもらう。それをありがたくいただいて調理することを自ら実践しています。

価値を転換させる成功の秘密は「小さくやること」
堤 まさに、市場ファーストの大量生産大量消費の構造と対極にある投資法ですね。今のお話を聞いて、前に取材した、地方のある保育園の給食を思い出しました。ある時、食材を地元の有機農家さんから入れようと決めたんですが、有機野菜は規格がバラバラでいつ何がどの位採れるかわからないでしょう? だから先払いしてその時出来たものを送ってもらい、材料を見てからメニューを考えるやり方に変えたんですね。これだと無駄がでないし、旬のものを一番いい形で使えるから味もいいし栄養価も高い。生産者さんも支えられ、子供たちも健康になったそうです。

 さっきの山極先生の取り組みもそうだし、価値を転換させる成功の秘訣は、まず「小さくやること」ですよね。

山極 そう、小規模こそが日本の強みなんですよ。日本列島の特性にも由来するものなんでしょうが、日本には小さな単位の農家さんや漁師さんたちが独自の知恵をもって生き残っていて、それこそが未来に対する強みだと僕は思う。

日本ならできる、そう言い切れる理由
堤 私もそう思います。日本は全国に農業や漁業の協同組合という、権力が集中しないインフラを持っているので、小規模で地域ごとでやれますよ。この本にも協同組合を中心に食と農と共同体を立て直した事例が出てきます。

 今日山極先生と深く広くお話しできたことで、食べ物を分け合える私たち人間は、共に食べて共感を育み、未来に繋げていける――きっとまだ大丈夫だと希望を感じました。

 今日は本当にありがとうございました。

山極 こちらこそありがとうございました。

(大垣書店京都本店主催イベントにて)

プロフィール


堤未果(つつみ・みか)

国際ジャーナリスト。東京都生まれ。ニューヨーク州立大学国際関係論学科卒、ニューヨーク市立大学大学院国際関係論学科修士号取得。国連、米国野村證券などを経て現職。米国と日本を中心に政治、経済、医療、教育、農政、エネルギー、公共政策など、公文書と現場取材に基づく幅広い調査報道と各種メディアでの発信を続ける。『報道が教えてくれないアメリカ弱者革命』で黒田清・日本ジャーナリスト会議新人賞、『ルポ 貧困大国アメリカ』で日本エッセイスト・クラブ賞、新書大賞を受賞。『政府は必ず嘘をつく』『日本が売られる』『デジタル・ファシズム』など著書多数。


山極寿一(やまぎわ・じゅいち)

1952年、東京都生まれ。霊長類学・人類学者。京都大学大学院理学研究科博士後期課程単位取得退学。理学博士。ルワンダ・カリソケ研究センター客員研究員、京都大学大学院理学研究科教授などを経て、2014年から2020年まで京都大学総長を務めた。国立大学協会会長、日本学術会議会長などを歴任し、現在は総合地球環境学研究所所長を務める。ゴリラ研究の世界的権威であるとともに、日本の学術界を牽引する存在でもある。2021年、第31回南方熊楠賞を受賞。著書に『暴力はどこからきたか』『「サル化」する人間社会』『ゴリラからの警告』『京大というジャングルでゴリラ学者が考えたこと』『人生で大事なことはみんなゴリラから教わった』など。

(堤 未果,山極 寿一/ライフスタイル出版)

https://www.msn.com/ja-jp/news/national/%E7%8C%BF%E3%81%AF%E9%A3%9F%E3%81%B9%E7%89%A9%E3%82%92%E5%88%86%E3%81%91%E5%90%88%E3%82%8F%E3%81%AA%E3%81%84-700%E4%B8%87%E5%B9%B4%E3%81%AE%E9%80%B2%E5%8C%96%E5%8F%B2%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E9%A3%9F%E3%81%A8%E3%81%AF/ar-AA18u0a4?ocid=Peregrine&cvid=083031588e5d4badaf661149aa718004&ei=49

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