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古代DNAに基づくアフリカの人類史

1:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/08 (Wed) 07:22:19

雑記帳
2023年03月08日
現代人の高品質なゲノムデータから推測されるアフリカの複雑な人口史
https://sicambre.seesaa.net/article/202303article_8.html

 アフリカの広範な地域の現代人の高品質なゲノムデータを報告した研究(Fan et al., 2023)が公表されました。現生人類(Homo sapiens)の起源地であるアフリカは、最も現代人の遺伝的多様性が高い地域です。現代人の遺伝学的研究は、地域単位での比較では、ヨーロッパおよび北アメリカ大陸が最も進んでおり、それが現代人の遺伝的多様性の検証において基準とされる傾向にありました。現代人では最も遺伝的多様性が高いアフリカの現代人の遺伝学的研究の遅れは、現代人の遺伝的多様性をまだ充分に把握できていないことを意味しており、本論文はこれまで報告されていなかった数百万もの多様体を同定しました。これにより、現代人の遺伝的多様性の理解がさらに進んだことになり、病原性多様体の判定もより正確になると期待されるなど、本論文の意義は大きい、と言えそうです。


●要約

 この研究は、アフリカの12の先住人口集団の180個体の高網羅率(30倍超)の全ゲノム配列決定を実行しました。数百万の未報告の多様体が特定され、その多くは機能的に重要と予測されました。アフリカ南部のサン人とアフリカ中央部の熱帯雨林狩猟採集民(rainforest hunter-gatherers、略してRHG)は他の人口集団から20万年以上前に分岐し、大きな有効人口規模を維持した、と観察されました。アフリカにおける古代の人口構造、および高度に分岐した遺伝的系統を有する「亡霊(ゴースト)」人口集団からの複数の遺伝子移入事象の証拠が観察されます。現在地理的に孤立していますが、12000年前頃まで続いた東西のコイサン諸語話者狩猟採集民人口集団間の遺伝子流動の証拠が観察されます。肌の色や免疫応答や身長や代謝過程と関連する特徴の、局所的適応の痕跡が特定されました。PDPK1のエンハンサー活性と遺伝子発現の制御による生体外(in vitro)における色素沈着に影響を及ぼす、色素の薄いサン人における正の選択の多様体が同定されました。


●研究史

 アフリカは、過去30万年以内に解剖学的現代人が出現した大陸で、過去8万年以内となるアフリカからの解剖学的現代人の移住の供給源です(関連記事)。アフリカは、とてつもない文化と言語と表現型と遺伝的な多様性の大陸でもあります。アフリカでは2000以上の民族言語集団が特定されており、これは世界の言語の約1/3を表しています。これらの言語は、4つの主要語族に分類されており、それはアフロ・アジア語族とナイル・サハラ語族とニジェール・コンゴ語族とコイサン諸語です。

 アフロ・アジア語族は約400の言語で構成されており、おもにアフリカ北部および東部の農耕牧畜および農耕人口集団により話されています。ナイル・サハラ語族は12の語派を形成する約206の言語で構成されており、おもにアフリカ中央部および東部の牧畜民により話されています。遺伝学と言語学と考古学のデータは、過去105000年以内にエチオピアとスーダンの国教近くに起源がある、ナイル・サハラ語族話者人口集団の共通の祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の可能性を示唆します。ニジェール・コンゴ語族は1500の下位語族で構成され、アフリカにおける最大の語族です。その最大の語派はバントゥー諸語で、カメルーンとナイジェリアの国境近くに起源があります。バントゥー諸語話者人口集団は鉄器技術と焼畑農耕を用いており、これはより大きな人口規模と、5000年前頃に始まるアフリカ東部および南部への移住を促進しました(「バンツー拡大」として知られています)。

 コイサン諸語は吸着音を特徴としており、おもにアフリカ南部のサン人集団とタンザニアのハッザ人(Hadza)およびサンダウェ人(Sandawe)で話されており、話者の全ては現在もしくは最近まで、狩猟採集を行なっています。しかし、サン人とハッザ人とサンダウェ人の言語は高度に分岐しており、隠逸の語族としての分類は議論され続けています。言語学的研究から、サンダウェ語はハッザ人の言語よりもアフリカ南部のサン人の言語の方と類似している、と示唆されています。さらに、砂漠や熱帯雨林やサバンナや低湿地や標高の高い山脈を含むさまざまな環境に暮らしているアフリカの人口集団は、気候や食性や病原体曝露など多様な環境圧に適応してきており、局所的適応が促進されました。

 アフリカが解剖学的現代人の起源と進化に果たしてきた重要な役割にも関わらず、アフリカ人はヒトゲノム研究において過小評価されています。アメリカ合衆国におけるアフリカ系の人々は、高血圧や糖尿病や腎不全など一般的な疾患の割合が不釣り合いに高く、環境(社会人口学的・経済的・健康の利用権利を含みます)と遺伝両方の要素に起因する可能性が高そうです。したがって、遺伝学的研究におけるアフリカの人口集団の表示の欠如は、ヒト進化史の理解を妨げるだけではなく、公正な精密医療の発展を制約もします。

 アフリカにおける全ゲノム配列決定(whole-genome sequencing、略してWGS)研究は、標的とされる地理的地域に焦点を当てたか(関連記事)、特定の民族集団の1~6個体を用いましたが(関連記事)、この研究では、アフリカの12の先住人口集団から標本抽出された180個体の高網羅率WGSが生成されました(1人口集団あたり15個体)。その内訳は、エチオピアのアムハラ人(Amhara)とディズィー人(Dizi)とチャブ人(Chabu)とムルシ人(Mursi)、タンザニアのハッザ人(Hadza)とサンダウェ人(Sandawe)、カメルーンのバカ人(Baka)およびバジェリ人(Bagyeli)を単一の人口集団にまとめたRHG(熱帯雨林狩猟採集民)とフラニ人(Fulani)とティカール人(Tikari)、ボツワナのヘレロ人(Herero)とジュホアン人(Ju|’hoansi)およびクー人(!Xoo)です(ジュホアン人とクー人はまとめてサン人と呼ばれます)。これらの人口集団は、アフリカの4語族全てを含む言語を話します。

 ハッザ人とサン人が依然として伝統的な狩猟採集生計様式を行なっている(ただ、サン人は今では食糧補助金を受け取っています)のに対して、サンダウェ人は過去数千年間に農耕と牧畜を採用してきました。低身長に基づいて「ピグミー」と呼ばれてきたRHGは、その伝統的な言語を失い、今ではバントゥー諸語を話しています。そうした言語置換は、伝統的に遊牧民であり、スーダンとアフリカ中央部および西部を含むアフリカの広範囲に暮らしているフラニ人でも起きました。フラニ人は今では、アフリカ西岸で話されている言語と最も類似したニジェール・コンゴ語族言語を話しています。チャブ人は人口調査によるとわずか1000~2000個体で(関連記事)、エチオピア南西部の山岳地域に暮らしており、採食生活様式を行なっています。その言語は「孤立言語」と考えらており、世界の「深刻な危機に瀕している言語」の一つです。言語学的研究では、チャブ語祖語はナイル・サハラ語族の初期の分枝に由来するかもしれない、と示唆されています。

 これらの人口集団全体で、何百万ものゲノム多様体が特徴づけられ、その多くは機能的関連で生物医学的関連の可能性がある、と予測されました。本論文は複数の手法を用いて、これら人口集団の系統発生的関係と混合事象と有効人口規模を再構築しました。本論文はさらに、局所的適応に寄与したかもしれない正の選択の人口集団固有の兆候を同定し、適応的表現型へのこれら多様体の一部の影響を特定しました。


●標本

 アフリカの12人口集団から1人口集団あたり15個体の高網羅率(30倍超)のWGSデータが生成され、これは以前の混合分析に基づくと、サハラ砂漠以南のアフリカにおける最も多様な遺伝的祖先系統を表します(図1A)。品質管理の後、合計で35201568個の多様体が同定されました。それは、32438935の一塩基多型(SNP)と、2762633の小さな挿入および欠失です。さらなる分析が、両アレル(対立遺伝子)の32044896のSNPに限定されました。SNPの平均数は人口集団で大きく異なります(図1B)。サン人およびRHG個体が最多のSNP(図1B)と最高水準の遺伝的多様性(図1C)を有しているのに対して、強い非アフリカ系との混合を経た(たとえば、エチオピアのアムハラ人)か、人口調査規模の小さい(たとえば、ハッザ人やチャブ人)人口集団の個体は、SNPが最小(図1B)で、遺伝的多様性が最低です(図1C)。以下は本論文の図1です。
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 dbSNPの第155版もしくはgnomAD(関連記事)第2.1版で報告されていない5344342のSNPが同定されました(図1D)。未報告のSNPの約78%は人口集団固有で、15%は同じ国の人口集団により共有されており、7%は異なる国に居住する人口集団により共有されています(図1E)。未報告のSNPの多様体は、以前に報告されていたSNPの多様体よりも有意に稀です。ディズィー人とジュホアン人とクー人は人口集団固有の未報告の多様体を最も多く有しており(図1F)、ジュホアン人とクー人は同じ国の人口集団間で未報告のSNPが最多でした。異なる国の人口集団間で共有されている未報告の多様体(図1H)のうち最多は、アフリカ南部(ジュホアン人とクー人)と東部(ハッザ人とサンダウェ人)との間、およびハッザ人とサンダウェ人とエチオピアの人口集団(アムハラ人とディズィー人とムルシ人とチャブ人)の間で共有されています。

 未報告のSNPでは、ANNOVAR を用いての機能的注釈に基づいて、28901のアミノ酸変化もしくは499の停止コドンの増減を引き起こす多様体と、転写因子結合部位(transcription factor binding site、略してTFBS)領域における95844の多様体、エンハンサーにおける253334の多様体、活性プロモーター領域における47777の多様体が同定されました。さらに、本論文のデータセットにおける154のSNPがClinVarデータベースにおいて「病原性」もしくは「病原性の可能性が高い」と報告されていました。

 これらのうち、44のSNPはこの研究の人口集団の少なくとも1つで0.05以上の頻度ですが、gnomADにおいて、非アフリカ系人口集団では存在しないか0.01未満の頻度です。たとえば、rs74853476-Cは、非アフリカ系標本において起立性低血圧1と関連するドーパミンβ水酸化酵素(dopamine beta-hydroxylase、略してDBH)のスプライスドナー多様体です。rs74853476-CはgnomADでは全ての超人口集団において稀ですが、フラニ人では13%の頻度に達します。別の事例は、アフリカ祖先系統の患者の頭頂部遠心性瘢痕性脱毛症(central centrifugal cicatricial alopecia)と関連すると報告されている、ペプチド1アルギニンデイミナーゼ3(peptidyl arginine deiminase 3、略してPADI3)における、3点のミスセンス変異(アミノ酸が変わるような変異)、つまりrs139426141-Gとrs140482516-Tとrs34097903-Aで構成されます。

 これらの各多様体は調べられた人口集団の少なくとも1つでは高頻度ですが、gnomADでは、非アフリカ系超人口集団において稀です。したがって、ClinVarにより病原性と推定されると分類されている多様体の数は、本論文で対象となる人口集団の1つもしくは複数において高頻度で、実際には良性かもしれません。これらの観察は、ヒトの遺伝学的研究において民族的に多様な人口集団を含める必要性を強調します。それは、とくに、希少性が臨床研究において多様体の病原性決定の基準として用いられるからです。


●世界規模の文脈におけるアフリカの人口集団の系統発生的関係

 本論文のアフリカのWGSデータをサイモンゲノム多様性計画(Simons Genome Diversity Project、略してSGDP)から得られたパプア人のWGSデータ、および1000人ゲノム計画(1000 Genomes Project、略して1KGP)ユタ州のヨーロッパ西部および北部人・トスカナ人・北京の漢人と統合した後で、移住と組換えを無視したMEGAを用いて近隣結合系統樹が構築されました。したがって、混合人口集団は近隣人口集団と相互にクラスタ化している(まとまっている)かもしれません。ジュホアン人とクー人が全ての現代人の最基底部系統で、RHGがそれに続く、と観察されました(図2)。以下は本論文の図2です。
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 残りの人口集団はいくつかの例外を利沿い手、現在の地理的位置によりほぼクラスタ化します。たとえば、カメルーンのフラニ人はアフリカ東部のアフロ・アジア語族話者人口集団とクラスタ化し、それらの人口集団との共通の祖先系統およびサヘル地域を横断しての移住期における言語置換が示唆されます。さらに、チャブ人はナイル・サハラ語族話者のムルシ人とクラスタ化し、チャブ語の言語学的分類と一致します。ハッザ人とサンダウェ人は相互に近くにクラスタ化しましたが、単系統的集団を形成せず、恐らくはサンダウェ人と他のアフリカ東部人口集団との間の強い混合に起因します(図3E)。以下は本論文の図3です。
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 先行研究と一致して、フラニ人とエチオピアの2つのアフロ・アジア語族話者人口集団であるアムハラ人とディズィー人は、系統発生的分析に基づくと非アフリカ人口集団と遺伝的に最も近い、と分かりました。しかし、アレル(対立遺伝子)共有に基づくD統計での分析から、出アフリカ供給源人口集団は本論文のデータセットでは、全ての非RHG、つまり非サン人集団の祖先だった、と示唆されます。これは、図2における非アフリカ系人口集団とフラニ人およびアムハラ人およびディズィー人とのクラスタ化が、これらの人口集団への非アフリカ人からの(直接的もしくは間接的な)遺伝子流動に起因することを示唆しており、これはD統計を用いて確証されました。


●アフリカの人口集団の複雑な人口史

 SGDPから得られた世界規模のWGSデータセットと統合された本論文のデータセットの主成分分析(principal component analysi、略してPCA)は、遺伝的差異の大陸および人口集団両方に固有のパターンを明らかにします。主成分1(PC1)はアフリカ人と非アフリカ人を分離し、アフリカ北部と中東の人口集団で、先行研究と一致します(図3A)。PC2はサン人を他のアフリカ人と区別します(図3A)。その後の主成分は、ハッザ人とチャブ人とディズィー人とムルシ人をPC3に沿って区別し、バカ人とバジェリ人とバコラ人(Bakola)とビアカ人(Biaka)とベヅァン人(Bedzan)とムブティ人(Mbuti)で構成されるRHG人口集団がPC4に沿って区別されます。PCAにおいて10000~160年前頃のアフリカ東部および南部の古代人標本55点を含めると、以前に指摘された(関連記事)アフリカにおけるコイサン関連個体群の広範な地理的分布が観察されました(図3D)。

 アフリカ東部(関連記事)など古代人標本15点は、現在のアフリカ東部と南部のコイサン諸語話者狩猟採集民人口集団間の地理的勾配と重複するか、収まります(図3D)。たとえば、エチオピアのモタ洞窟(Mota Cave)個体(4524~4418年前頃)とタンザニアおよびケニアの古代の採食民(4080~160年前頃)は、PCAにおいてサンダウェ人およびハッザ人と重複します。南アフリカ共和国の古代人標本5点(1069~817年前頃)は、現在のアフリカ南部のサン人集団と重なるか、その近くに位置し、先行研究(関連記事)と一致します。

 統合されたデータセットのADMIXTURE分析は、K(系統構成要素数)=2においてアフリカ系人口集団と非アフリカ系人口集団を分離しました。K=4では、サン人の祖先系統(黄色)が明確になり、RHGとサンダウェ人とハッザ人でも一般的です。K=7では、アフリカ東部の人口集団(たとえば、ハッザ人、サンダウェ人。チャブ人、ディズィー人、アムハラ人、ムルシ人)はクラスタとして現れます(暗青緑色)。K=8では、フラニ人が独特なクラスタを形成しました(紫色)。ハッザ人はK=10でクラスタとして現れ(茶色)、RHG(濃紫色)とチャブ人(黄緑色)はK=12で明確なクラスタになります。

 K=16では、コイサン諸語北部語を話すジュホアン人(濃緑色)、コイサン諸語南部語を話すクー人およびコマニ(Khomani)サン人(黄色)が区別されるようになります(図3E)。さらに、ディンカ人(Dinka)やムルシ人やセングワ人(Sengwer)などナイル・サハラ語族話者人口集団は、K=16で単一のクラスタ(薄茶色)になりました。ニジェール・コンゴ語族関連祖先系統(赤色)はサハラ砂漠以南のアフリカに広範に拡大したと推測されていますが、近隣の人口集団とさまざまな程度で混合したアフリカ東部および南部のニジェール・コンゴ語族話者人口集団と比較して、レマンデ人(Lemande)やティカール人などアフリカ西部および中央部のニジェール・コンゴ語族話者人口集団において最も一般的です。

 バントゥー諸語を話すヘレロ人は、サン人との混合水準が低くなっています。さらに、サンダウェ人はアフロ・アジア語族話者(明るい青色、50%程度)およびニジェール・コンゴ語族話者(赤色、25%程度)関連の祖先系統を高水準で有していますが、ハッザ人(茶色)およびサン人(黄色/濃緑色)と関連する祖先系統を低水準で有しており、祖先系統の共有および/もしくはアフリカ南部と東部の狩猟採集民人口集団間の古代の遺伝子流動を反映しています。

 TreeMixとqpgraphを用いて、より複雑な人口史がモデル化されました。混合を認めない場合、qpgraph(図4A)とTreeMixに基づく形態は、近隣結合樹(図2)と一致し、サン人が全ての他の人口集団の外群となります。しかし、人口集団間の混合を認めると、qpgraph(図4B)とTreeMixの形態は大きく変わります。10回の混合事象をモデル化すると、qpgraphでは、アフリカ東部のコイサン人口集団であるハッザ人とサンダウェ人はそれぞれ、その祖先系統の71%と38%がアフリカ南部のコイサン人口集団の祖先人口集団に由来する、と推定され、これは9回の移住事象でのTreeMixから推測されるハッザ人とサンダウェ人とサン人の間の移住と一致します。これらの人口集団、とくにサンダウェ人(図4B)は、アフロ・アジア語族話者的人口集団にも祖先系統が由来しており、最近のアフロ・アジア語族話者からの遺伝子流動(図3E)を反映している可能性が高く、4回の移住事象でのTreeMixと一致します。

 エチオピアの人口集団(アムハラ人とディズィー人とムルシ人とチャブ人)は、その祖先系統のうち、98%がハッザ人の祖先人口集団、2%が全ての現代の人口集団の祖先人口集団に由来する、と推定されます(図4B)。2%と推定されている後者は、非アフリカ人との高水準の混合に間接的に起因する、エチオピア人へともたらされたネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)からの遺伝子移入(関連記事)を反映しているかもしれません(図3E)。さらに、オモ語派話者のディズィー人の祖先系統は、80%がチャブ人関連人口集団に、20%がアムハラ人関連人口集団にたどれて、7回の移住事象でのTreeMixと一致します。さらに、qpgraphでは、RHGはその祖先系統の37%がサン人の祖先人口集団に、63%がニジェール・コンゴ語族話者人口集団に由来する(図4B)、と示唆され、バントゥー諸語話者からRHGへの高水準の遺伝子流動と一致します。

 他の人口集団とのティカール人とヘレロ人の関係は複雑です。両者は、全ての現代の人口集団の分岐の前に分岐した古代の人口集団と関連する祖先系統が23%、ナイル・サハラ語族話者のムルシ人と関連する人口集団に由来する祖先系統が77%としてモデル化できます。類似のパターンは、K=7~11でのADMIXTURE分析で観察されますが、ティカール人とヘレロ人ではナイル・サハラ語族話者関連祖先系統の推定がずっと低くなっています。TreeMix分析は、5回の移住事象で始まるムルシ人とティカール人およびヘレロ人の祖先との間の遺伝子流動の証拠を示しました。バントゥー諸語話者系統の祖先人口集団における古代の遺伝子移入を示唆する結果は、アフリカの古代人標本に基づく先行研究(関連記事)と一致し、その先行研究では、アフリカ西部のニジェール・コンゴ語族話者人口集団は全ての現代人系統の祖先的な系統を有している、と示唆されました。しかし、別の手法(後述)を用いて推測された時間分解された人口史では、サン人とRHGが他の現代人系統から最初に分岐したかもしれない、と示唆されます。以下は本論文の図4です。
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 ADMIXTUREの結果と一致して、TreeMixとqpgraphの結果はアフリカの人口集団における広範な最近の遺伝子流動を検出しました(図4B)。フラニ人の祖先系統は、50%がアムハラ人と関連する人口集団、50%がティカール人と関連する人口集団に由来し、3回の移住事象でのTreeMixの結果と一致します。後者の結果は上述のADMIXTURE分析(図3E)および核ゲノムの差異に基づく先行研究と一致し、フラニ人はアフロ・アジア語族話者人口集団と祖先系統を共有しており、サヘル全域を移動するにつれてニジェール・コンゴ語族話者人口集団と混合した、と示唆されます。ゲノムに沿って祖先系統共分散の減衰を用いて遺伝子流動事象を年代測定するDATESを用いると、フラニ人の混合事象は90±40世代前(1世代29年と仮定して3800~1400年前頃)に起きた、と推定され、遊牧民のその後の完新世拡大事象と一致します。

 本論文のWGSデータも、2つのモデル化手法であるMSMC(Multiple Sequentially Markovian Coalescent、複数連続マルコフ合祖)とmomiを用いて、人口史の詳細な分析を可能としました。MSMC分析は遺伝子流動をモデル化してないので、高度に混合した人口集団における分岐を過小評価する可能性が高そうです。全ての現代の人口集団の祖先人口集団の調査から始められました。Momiを用いて、人口集団が単一の任意交配供給源から分岐したモデルと、人口集団が構造化された人口集団から分岐したモデルとが比較されました。人口集団の全ての組み合わせで、全ての現代人は深く構造化された人口集団の子孫で、その祖先系統の約5~15%は、長ければ300万~100万年前頃に分岐したかもしれない系統に由来する、と推測され(図4C)、一部のアフリカの人口集団における古代の遺伝子移入を示唆する以前の調査結果(関連記事)と一致します。しかし、そうしたモデルは、深く日宇増加した現代人の祖先人口集団とも一致します。

 次に、現代の人口集団間の分岐年代が測定されました。最古の人口集団分岐を調べるため、momiを用いて、サン人(ジュホアン人)、アフリカ東部のコイサン諸語話者(ハッザ人)、RHG(バカ人)、バントゥー諸語話者(ティカール人)の人口集団と関連する時間分解された人口統計学的モデルが推定されました。外群をRHGとするモデル、外群をサン人集団とするモデル、RHGとサン人を全ての他の人口集団の祖先人口集団に由来する姉妹クレード(単系統群)とするモデルが検証されました。サン人とRHGを姉妹クレードとするモデルが一貫して可能性は最も高く、これらの人口集団間の最古の分岐はサン人およびRHGをハッザ人およびティカール人から早ければ285000年前頃に分離した、と示唆されます(図4C)。同様に、サン人もしくはRHGをあらゆる他のアフリカの人口集団と比較すると、MSMCの「交差合着(合祖)率」曲線(“cross-coalescence rate” curves、略してCCR)は、15万年前頃から20万年以上前まで、90%以上に達しません。まとめると、これらの結果から、最古の分岐はサン人およびRHGを他の全ての人口集団から分離し、この分岐は少なくとも15万年前頃までに起き、早くも285000年前頃に起きたかもしれない、と示唆されます。

 人口集団の全ての他の組み合わせは、もっと最近の分岐が推測され、momiは68000年前頃未満の分岐を推測し、MSMCのCCRは42000年前に50%に達しました。とくに、コイサン諸語内への位置づけが議論となっている孤立した言語を話すにも関わらず、サン人とRHGと他の人口集団との間の分岐と比較して、ハッザ人とサンダウェ人と非サン人/非RHGの人口集団間のより最近の分岐時間が推測されました。ハッザ人を非サン人/非RHGの人口集団と比較すると、momiは60000~25000年前頃の分岐時間を推測し、MSMCは42000~29000年前頃の50%のCCRを推測しました。アフロ・アジア語族話者とニジェール・コンゴ語族話者の人口集団の分岐時間は、momiとMSMCを用いると35000~22000年前頃と推定されました。

 語族内でさえ、古代の人口構造の証拠が観察されました。たとえば、バントゥー諸語話者のティカール人とヘレロ人との間では、momiは2万年前頃の分岐時間を推測し、MSMCのCCRは11000年前頃に50%に達しました。コイサン諸語話者のジュホアン人とクー人との間の分岐時間は、momiを用いると18000年前頃、MSMCを用いると24000年前頃と推定され、以前の推定と一致します。さらに、アフリカ東部のコイサン諸語話者のハッザ人とサンダウェ人の分岐は、MSMCを用いると23000年前頃、momiを用いると25000年前頃と推定されました。アフロ・アジア語族話者のアムハラ人とディズィー人の分岐は、momiを用いると30000年前頃、MSMCを用いると22000年前頃と推定されました。最後に、ナイル・サハラ語族話者のチャブ人とムルシ人の分岐は、momiを用いると22000年前頃、MSMCを用いると17000年前頃と推定されました。全ての対でのmomiの結果は補足表2に提示され、補足図7のモデルに基づいています。


●アフリカにおける有効人口規模の時間的動態

 対での逐次マルコフ合着(pairwise sequentially Markovian coalescent、略してPSMC、関連記事)およびSMC++を用いて、早ければ20万年前頃の有効人口規模(Ne)の違いが観察されました(図5)。20万~5万年前頃までは、RHGとサン人は他の人口集団と比較してより大きなNeを有していました(図5A)。アムハラ人とディズィー人は、他のアフリカの人口集団と比較してNeが最低です(図5A)。ハッザ人とチャブ人とヘレロ人とフラニ人を含む4人口集団は、10000~1000年前頃に劇的な人口規模減少を経ました(図5B)。とくに、ハッザ人とチャブ人両方のNeは、10000人から200人へと減少し(図5B)、現在の人口調査規模の1000人と一致します。以下は本論文の図5です。
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●アフリカ人における局所的適応

 多様な環境や食性への局所的適応に役割を果たすかもしれない候補遺伝子座を同定するため、Di統計を用いて、他のアフリカの人口集団と比較して各人口集団において高度に異なるアレル頻度を有する遺伝子座が同定されました。各SNPについてDiが計算され、99.9百分位数収まる外れ値がDi-SNPとして定義されました。GREATを用いて、Di-SNPに近い遺伝子の機能的影響が推測されました。国立ヒトゲノム研究所(National Human Genome Research Institute、略してNHGRI)のヨーロッパ生物情報学研究所(European Bioinformatics Institute、略してEBI)のゲノム規模関連研究(genome-wide association studies、略してGWAS)目録と、イギリス王国生物銀行(United Kingdom biobank、略してUKBB)標本を用いて、GWASから得られた有意なSNPと重複するDi-SNPも同定されました。その結果、多様な人口集団におけるさまざまな特徴で局所的適応の証拠が観察されました(図6)。以下は本論文の図6です。
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 他のアフリカの人口集団よりも肌の色が薄いサン人(関連記事)は、OCA2やTYRP1やSLC24A5などMITF皮膚の色素沈着と関わる遺伝子や、ケラチン遺伝子座(たとえば、KRT25やKRT27やKRT71)など他の皮膚の表現型と関わる遺伝子の近くにDi-SNPが濃縮されている、と分かりました。先行研究では、OCA2やTYRP1やSLC24A5やMITFといった遺伝子における変異が、ティーツェ白化難聴症候群(Tietz albinism-deafness syndrome)や眼白皮症(ocular albinism)2・3・6型の原因となるかもしれない、と示されています。OCA2の遺伝子本体では、112のDi-SNPが特定され、1つは同義変異、1つは非同義変異、110はイントロン変異でした。OCA2遺伝子における非同義多様体(rs1800417)は、サン人において皮膚の色素沈着の差異とは関連していない、と以前に報告されており、エクソン10における同義多様体であるrs1800404は、複数の民族において皮膚の色素沈着および目の色の差異と関連しています。薄い色素沈着と関連するアレルrs1800404-Tは、OCA2遺伝子の接合(スプライシング)量的形質遺伝子座(quantitative trait locus、略してQTL)で、この研究とgnomADにおいて、フィンランドの人口集団(84%)を除く全ての他の人口集団と比較して、サン人において最高頻度です(83%)。

 PDPK1遺伝子本体内で、サン人において22のDi-SNPも観察されました。PDPK1は色素細胞増殖の重要な調節因子で、PDPK1の喪失はマウスにおいて皮膚の色素沈着を減少させます。興味深いことに、1つのDi-SNP(rs77665059)は、PDPK1のイントロンにおいて色素細胞固有のオープン染色質(クロマチン)領域と重複しています(図7A)。祖先的アレル(rs77665059-C)はジュホアン人(0.67)とクー人(0.83)において、他の人口集団(平均頻度は、この研究の非サン人集団では0.14、gnomADにおける世界規模の人口集団では0.03)と比較してより高い頻度を示します。クロマチン免疫沈降配列決定(Chromatin immunoprecipitation sequencing、略してChIP-seq)データから、この領域は色素細胞のH3K27acとH3K4me1の兆候で濃縮されており、転写因子のMITFおよびSOX10(色素細胞の発達と色素沈着遺伝子の発現と関わっています)とSMARCA4(染色質リモデラー)の部位を結びつけている、と明らかになりました(図7A)。

 2つの黒色腫細胞株であるMNT-1(高度に色素沈着)とWM88(少ない色素沈着)におけるルシフェラーゼレポーターアッセイに基づいて、両細胞株において祖先的なCアレルは派生的なAアレルと比較してエンハンサーを増加させる、と観察され(図7C)、遺伝子型・組織発現(Genotype-Tissue Expression、略してGTEx)において繊維芽細胞でPDPK1のより低い量の発現と関連していることと一致します。Cアレルを有する個体群は、サン人においてAアレルを有する個体群と比較して、より薄い皮膚の色素沈着です(図7E)。さらに、このエンハンサーのCRISPR阻害は、MNT-1細胞において、PDPK1とメラニンの水準の発現を有意に減少させます。これらの観察から、このSNP(rs77665059)は、生体外で色素沈着に影響を及ぼし、サン人においてPDPK1のエンハンサー活性と遺伝子発現の調節により皮膚の色に影響を及ぼすかもしれない、色素細胞におけるエンハンサー活性内にある、と示唆されます。以下は本論文の図7です。
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 マウスにおいて毛包発達と「狭い目の開口部」に関わる遺伝子の近くでも、サン人においてDi-SNPの濃縮が観察されました。この観察は、サン人における独特な毛包形態(密に螺旋状になっています)と狭い目の形態の記述と一致します。とくに興味深いSNPの1つは、KRT74遺伝子の非同義多様体(rs111298318)です。KRT74遺伝子の変異はヒトにおいて「羊毛状毛髪」を起こす、と知られています。rs111298318-C多様体はサン人において頻度が0.73超で、本論文における他のアフリカの人口集団では頻度が0.05未満のとなり、gnomADでは非アフリカ系超人口集団においてほぼ存在しません。

 RHGでは、苦み受容活性と関わる遺伝子(たとえば、TAS2R1やTAS2R10)と免疫応答に関わる遺伝子(たとえば、HLA-DOAやIL2やIL4R)の近くでDi-SNPの濃縮が見つかり、先行研究と一致します。さらに、RHGの低身長と関連しているかもしれない、CISH/DOCK3/MAPKAPK3やGHRやIGF1やBMP4やBMP6やANKRD11やTRPS1やACANなど、骨の成長と軟骨細胞に関わる遺伝子の近くでDi-SNPの濃縮が観察されました。とくに、RHG の身長の差異と有意に関わっていた3番染色体(4500万~6000万塩基対)の1500万塩基対の領域では、76のDi-SNPのうち75がGTExのDOCK3もしくはMAPKAPK3の発現量的形質遺伝子座(eQTL)と予測されました。さらに、312のDi-SNPが、以前のGWASでは身長と有意に関連しており、RHGの低身長の表現型は複数の遺伝子座における正の選択に起因する可能性が高い、と示唆されます。

 フラニ人とチャブ人では、免疫関連経路で役割を果たす遺伝子の近くでDi-SNPの濃縮が観察されました。先行研究では、フラニ人は同様の環境の他の民族集団と比較して重度のマラリアへの耐性がより高い、と示されてきました。フラニ人では、IL6やIL6RやIL6STなど「インターロイキン6への細胞応答」と関わる遺伝子の近くで、Di-SNPの有意な濃縮が観察されました。遺伝子発現分析に基づく先行研究では、シグナル伝達経路のIL6の遺伝子がフラニ人で観察されたマラリアへの相対的耐性に役割を果たすかもしれない、と示唆されています。3つのDi-SNPのrs1889314-Aとrs10908834-Tとrs12118634-Tは、本論文で対象とされているかgnomADデータベースの他のアフリカの人口集団よりもフラニ人の方で頻度は高く、代替のアレルと比較してIL6Rの増加した発現と有意に関連しています。

 チャブ人では、フラニ人と比較して、さまざまな環境と病原体への適応を反映している、免疫応エフェクター過程、正のα-βT細胞活性、分化の正の調節と関わる遺伝子の近くでDi-SNPsの濃縮が観察されました。MICA遺伝子座内もしくはその近く(±5000塩基対)で318のDi-SNPも検出され、8ヶ所(rs1063630、rs1051786、rs1051792、rs1051794、rs1131898、rs1051798、rs1051799、rs61738275)のミスセンス変異(アミノ酸が変わるような変異)が含まれます。2ヶ所のSNP(rs1063630とrs61738275)は1つの連鎖不平衡(linkage disequilibrium、略してLD)群にありますが、他の6ヶ所のSNPは別のLD群にあります。MICAはNKG2Dの結合基で、ナチュラルキラー細胞とCD8T細胞の細胞傷害性を誘発し、自然免疫応答の重要な構成要素として作用します。

 ハッザ人では、心臓の機能と発達に関連する経路で役割を果たす遺伝子の近くでDi-SNPの濃縮が観察され、その遺伝子には、BMP2やHEY1やMYH6やRYR2やPITX2やTPM1が含まれます。先行研究では、心臓関連経路の遺伝子は、アフリカとアジアのRHG人口集団において正の選択の標的であるため濃縮されている、と示されてきました。ハッザ人は、伝統的な狩猟採集生活様式を行なっており、毎日の驚くべき移動距離でよく知られている、世界的に数少ない人口集団の1つです。男性は動物の狩猟と蜂蜜採取に1日あたり平均13km、女性は植物性食料の採食で1日あたり平均8km歩きます。したがって、心臓発達に関わる遺伝子座での選択は、この人口集団において適応的かもしれません。

 サンダウェ人のDi-SNPは、骨格筋線維の発達や胚の頭蓋骨角形態発生や頭蓋および頭蓋顔面縫合の形態発生など、顔面および骨格の筋肉発達と関わる遺伝子の近くにあります。たとえば、骨格筋発達に関わるMEF2CやTBX3やHIF1ANといった遺伝子、および頭蓋の発達と形態に重要な役割を果たすFGFR2やTGFBR2やTBX15やTWIST1といった遺伝子の近くで、Di-SNPが検出されました。これらの遺伝子座の適応的な意義は不明です。

 ヘレロ人とティカール人では、高血圧や腎臓病や肥満や糖尿病に役割を果たす遺伝子座でDi-SNPが観察され、こうした疾患はアメリカ合衆国では他の民族集団と比較してアフリカ系において相対的に一般的です。ヘレロ人では、圧受容体反応による全身動脈血圧の調節、アドレナリンの有無による血圧の正の調節、アドレナリンの有無による全身動脈血圧の調節、全身動脈血圧の調節と関わる神経系過程など、オントロジー(概念や用語の明示的仕様)が、Di-SNPで有意に濃縮されています。ヘレロ人における23のDi-SNP一式は、UKBB標本の以前のGWASでは、血圧特性(たとえば、収縮期と拡張期の血圧)と有意に関連しています。たとえば、本論文で対象となった他の人口集団およびgnomADの人口集団と比較して、ヘレロ人ではrs7821832-Gが最高頻度で、UKBB標本では収縮期血圧および拡張期血圧と有意に関連しています。ティカール人では、長鎖脂肪酸輸送に関わる遺伝子の近くでDi-SNPの濃縮が観察されました。たとえば、そうしたDi-SNPの1つであるrs2717609-Tは、UKBB標本の以前のGWASでは、体脂肪割率や全身の脂肪量や体幹脂肪量や腰の周囲径などの特徴と有意に関連しています。

 ムルシ人とアムハラ人とディズィー人では、乾燥することが多くも水の利用可能性がほとんどない環境への適応を反映しているかもしれない、腎臓の発達と形態に関連する経路と関わる遺伝子で濃縮が観察されました。たとえば、アムハラ人とディズィー人とムルシ人のDi-SNP(rs9823161とrs72841902とrs4567493)は、複数の祖先系統標本に基づく以前のGWASでは腎機能と関連している特徴と有意に関連している、と分かりました。rs9823161-Aとrs72841902-Aは推定される腎糸球体濾過率と関連しており、rs4567493-Aは血中尿素の窒素水準と負に関連しています。

 統合ハプロタイプ得点統計を用いて、拡張ハプロタイプ同型接合性に基づく最近の正の選択の兆候を示す遺伝子座も検出されました。外れ値としての極端な統合されたハプロタイプの最高割合のウィンドウの上位1%が定義され、最近の正の選択の共有される痕跡を示すいくつかの遺伝子座が観察されました。たとえばエチオピアのチャブ人とムルシ人とディズィー人では、主要組織適合複合体(major histocompatibility complex、略してMHC)遺伝子座における正の選択の共有された痕跡が観察されました。人口集団固有の正の選択の兆候も同定されました。たとえば、強い統合ハプロタイプ得点(integrated haplotype score、略してiHS)を示す外れ値ウィンドウに位置する遺伝子は、アムハラ人では、SNP配列データに基づくアムハラ人での観察と一致しているアルコール脱水素酵素活性(たとえば、DH4やADH5やADH6やADH7やADH1A)、ハッザ人では苦み受容活性(たとえば、TAS2R20やTAS2R30やTAS2R31やTAS2R43やTAS2R46やTAS2R50)、フラニ人では成長ホルモン受容体結合(たとえば、GH1やGH2やCSH1やCSH2やCSHL1)と関わる経路で濃縮されています。


●考察

 本論文は、アフリカ人に関する先行研究でよりもアフリカにおける文化と言語と表現型と遺伝子の多様性を広範囲に表している、12のアフリカ先住民人口集団の180個体から得られた高網羅率のWGSデータが分析されました。本論文は530万の以前には未報告の多様体を同定し、その多くは機能的と予測されます。さらに、ClinVarデータベースで定義されている、「病原性」もしくは「病原性の可能性が高い」154のSNPのうち44は、本論文で対象とされた1つもしくは複数の人口集団において一般的ですが(頻度が0.05超)、非アフリカ系人口集団では稀です(頻度が0.01未満)。

 これらの結果から、アフリカの人口集団は病原性多様体を高頻度では有している、とは示唆されないものの、多様体の低い割合が現在の臨床研究では病原性決定の要因であり、非アフリカ系人口集団への偏りが病原性多様体の誤分類をもたらしているかもしれない、ということを反映している可能性は高そうです。これらの観察は、ヒトの遺伝学的研究において、民族的に多様な人口集団を含むことと、偏らない遺伝子型決定(たとえば、アフリカ人祖先系統の標本で設計されたSNP配列)の開発の重要性を強調します。以下は本論文の要約図です。
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 この研究はアフリカの人口集団の複座な人口史を描写しており、古代の人口分岐と地域的および大陸間の移動と混合事象から構成されます(図3および図4B・C・D)。系統発生分析から、サン人は全ての他の現代人の祖先人口集団の子孫だと示唆されますが、人口集団間有効人口規模と移住の変化を認めるmomiを用いての人口統計学的モデル化は一貫して、RHGとサン人が、全ての他の現代の人口集団の祖先人口集団に由来する姉妹クレードを形成する、というモデルを裏づけます。20万~5万年前頃のサン人とRHGの類似の有効人口規模が明らかになり(図5)、これは共有される共通の祖先系統と一致します。同様に、ADMIXTUREはサン人とRHGとの間の共有される祖先系統を、とくに低いK値で特定します。一方qpgraphでは、RHGとバントゥー諸語話者人口集団は、その祖先系統のかなりの割合が、全ての現代の人口集団の外群である人口集団に由来する(図4B)、と示唆されます。

 これらの観察を説明する一つの可能性は、全ての現代人の祖先およびより最近のRHGとバントゥー諸語話者人口集団の祖先を有する深く分岐した人口集団間の複数回の混合事象を伴うモデルで、アフリカの人口集団における古代の遺伝子移入を報告した先行研究(関連記事)と一致します。しかし、これらの結果は、現代のアフリカの人口集団と関連する系統が深く構造化した祖先人口集団の一部だった場合でも説明できます。こりは、アフリカにおける現生人類の起源の「多地域」モデルで、構造化された人口集団間の遺伝子流動により促進されたかもしれません。アフリカの古代型人類【絶滅ホモ属、非現生人類ホモ属】からの古代DNAの配列決定が、非アフリカ系現代人におけるネアンデルタール人や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)の事例(関連記事)のように、非アフリカ系人口集団アフリカにおける古代の混合のより直接的な証拠を提供できるかもしれません。

 したがって、現生人類につながる系統の初期の人口史は複雑で、現生人類系統間および恐らくは他の人類系統との遺伝子流動の複数回の事象があったでしょう。遺伝子流動について説明するさいに、現代人の間の最も深い分岐は285000年前頃にさかのぼる、と本論文は推定し、これはアフリカの古代人標本(関連記事1および関連記事2)およびアフリカの化石記録(関連記事)に基づく推定と一致します。しかし、遺伝子流動を考慮しなければ、MSMCから得られた本論文の推定は、ずっと新しくなるものの(15万~10万年前頃)、それでもかなり深い分岐です。アフリカの全ての主要な語族の言語を話す人口集団が数万年前に分岐したことも示され、さまざまな語族の言語を話す人口集団間および人口集団内での長期の人口構造と一致します(関連記事1および関連記事2)。

 アフリカ人の言語は非常に多様で、コイサン諸語への分類は議論になっていますが、qpgraphとTreeMixとmomiは、現在地理的に孤立しているコイサン諸語狩猟採集民人口集団である、アフリカ東部のハッザ人およびサンダウェ人と、アフリカ南部に現在居住するジュホアン人およびクー人との間の、過去12000年以内の古代の遺伝子流動の兆候を特定しました。現代人と古代人の標本から得られたミトコンドリアDNA(mtDNA)と常染色体のデータに基づく証拠(関連記事)から、現在のサン人はアフリカ東部に起源があるかもしれず、その後でアフリカ南部に移住したので、アフリカにおけるコイサン諸語話者人口集団はより広範に分布するようになったかもしれない、と示唆されます。したがって、長期にわたって、アフリカ東部と南部ではコイサン諸語話者人口集団間の継続的な遺伝子流動があったかもしれません。

 さらに、ニジェール・コンゴ語族話者関連祖先系統はアフリカ西部および中央部のニジェール・コンゴ語族話者人口集団(たとえば、ティカール人)において最高であるものの、ボツワナのヘレロ人ではわずかに低い、と観察され、過去5000年以内のアフリカ西部および中央部におけるバントゥー諸語話者人口集団の起源と、過去1000年のアフリカ南部へのヘレロ人のより最近の移住と、その後のクー人などコイサン諸語話者人口集団との混合を反映しています。サンダウェ人とクー人でもバントゥー諸語話者関連祖先系統が観察されており、バントゥー諸語話者がアフリカ全域へと拡大するにつれて、在来の人口集団と混合したことを反映しています。言語学および考古学的記録と一致して、現在のスーダン/エチオピアから南方のケニアおよびタンザニアへの、ナイル・サハラ語族話者人口集団とアフロ・アジア語族話者人口集団の移住と遺伝子流動の証拠が観察されました(図3)。

 在来の先住狩猟採集民人口集団は、同化されるか過酷な生息地への移動を強制され、ハッザ人とチャブ人における有効人口規模の大幅な減少につながりましたが、サンダウェ人は異なり、近隣のクシ(Cushitic)語派およびバントゥー諸語話者人口集団と同化し、高水準の遺伝子流動と農耕牧畜の採用と人口増加がもたらされました。フラニ人とヘレロ人における有効人口規模の現象も観察され、フラニ人についてはmtDNA標識に基づく研究と一致します。ドイツの植民地期の兵士は、過去100年でナミビアのヘレロ人をほぼ絶滅させ、これがヘレロ人集団におけるボトルネック(瓶首効果)を説明できそうです。

 アフリカの人口集団全体で、多様な環境と食性と病原体への表現型および生理学的適応に役割を果たすかもしれない遺伝子座が同定されました。これらの遺伝子座の一部は、よりと私的な環境に暮らしている現在の人口集団では疾患感受性に影響を及ぼすかもしれません。生体外と計算上のデータを組み合わせると、i-SNPの1つ(rs77665059)が、PDPK1遺伝子の発現調節によりサン人の薄い肌の色に役割を果たしているかもしれない、と示され、これは赤道から比較的遠くに暮らしているサン人集団において適応的かもしれません。

 複数の「オミックス」データと生体外および計算上技術の進歩に基づく世界規模の人口集団の継続中の深い表現型決定で、より多くの人口集団における適応的多様体の機能が将来特徴づけられるだろう、と予測されます。民族的な多様な人口集団において頻度が異なる遺伝的多様体の同定は、とくに、差異が強く祖先系統と相関し、GWASが小さな標本規模および/もしくは特定の人口集団において固定に近い多様体のため検出力を制約しているかもしれないような事例では、機能的に重要な差異を特定するためのGWASの補完的手法です。


●この研究の限界

 単純な人口史しかモデル化できないのに、実際の人口史はずっと複雑である可能性が高そうなので、アフリカの人口史の推測にはまだいくつかの曖昧さがあります。さらに、1人口集団あたり15個体の標本を考えると、選択下の全ての遺伝子座を検出するには能力不足かもしれません。さらに、いくつかの稀ではあるものの機能的に重要なSNPや、アフリカ西部および北部などこの研究で充分には表されていない複数地域の人口集団に固有かもしれないSNPが見落とされているかもしれません。アフリカの複雑な進化史の理解を深めるには、より効率的な計算法を開発し、広範な地理的地域と時間規模でより多くの先住人口集団と古代人標本を含め、ゲノムデータを古生物学や考古学や言語学のデータと統合しなければなりません。構造的多様体を解明するための長い読み取りの配列決定など、追加のゲノムデータ様式が、SNPを超えた遺伝的差異の追加の形態と、小さな挿入および欠失を明らかにできるかもしれません。


参考文献:
Fan S. et al.(2023): Whole-genome sequencing reveals a complex African population demographic history and signatures of local adaptation. Cell, 186, 5, 923–939.E14.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2023.01.042


https://sicambre.seesaa.net/article/202303article_8.html
2:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/08 (Wed) 07:23:06

2020年11月02日
アフリカ人の包括的なゲノムデータ
https://sicambre.at.webry.info/202011/article_3.html


 アフリカ人の包括的なゲノムデータを報告した研究(Choudhury et al., 2020)が公表されました。世界規模でのゲノム解析により、現代人で最も遺伝的多様性が高いのはアフリカ人と示されています。こうしたゲノムデータは、医療にも役立てられています。しかし、現在までに、約2000のアフリカの民族言語集団のうちわずかしか遺伝的に特徴づけられておらず、ヨーロッパ集団で一般的な限定的な数の多様体が含まれています。そのため、アフリカ人における新規で医学的に関連する稀な変異はほとんど不明のままで、複雑な疾患への遺伝的要因の理解が進んでいません。

 サハラ砂漠以南のアフリカ人集団は古典的に、アフロ・アジア(AA)、ナイル・サハラ(NS)、バンツー語族を含むニジェール・コンゴ(NC)、コイサン(KS)の各語族で説明されてきました。これらの語族の中には独立した集団も含まれており、たとえばコイとサンは、それぞれ異なる歴史があるにも関わらず、文献ではコイサン一括されています。バンツー語族はサハラ砂漠以南のアフリカでは最も広範に分布していまが、これは過去5000年にわたるアフリカ大陸全体の一連の移住に起因します(関連記事)。

 これらの移住事象とそれに続く在来集団との混合は、新たな環境と経験への適応を伴うので、アフリカのゲノムの全体像の形成においてたいへん重要な役割を果たしてきました。これらの適応の特徴は、マラリアと関連するHBB遺伝子、ラクターゼ(乳糖分解酵素)をコードするLCT遺伝子、肝機能障害と関連するAPOL1遺伝子、グルコース-6-リン酸脱水素酵素(G6PD)と関連するG6PD遺伝子の多様性で示される、重要な生理的特性もしくは伝染性流行病と関連するアレル(対立遺伝子)多様性のパターンにおいて明らかです。最近の研究では、食性・身長・血圧・肌の色といった多様な特徴に対して、混合により導入された新たな変異の重要性を反映する選択の兆候が特定されています。

 現代人で最も遺伝的多様性の高いアフリカ人のゲノムを研究することは、疾患の集団人口統計的理解への特有の機会を提供します。アフリカにおけるヒトの遺伝と健康(H3Africa)協会は、アフリカ人のゲノム研究の不足を補うために創設され、アフリカ人全体の遺伝的多様性を特徴づけ、ゲノム研究の枠組みを促進することが目的です。そこで本論文では、H3アフリカ研究においてアフリカの13ヶ国の50の民族言語集団から得られた、426人の全ゲノム配列データ(314人分の平均網羅率が30倍の高品質なゲノムデータと、112人分の平均網羅率が10倍の中程度の品質のゲノムデータ)が分析されました。これらの集団のいくつかは、本論文で初めて研究結果が報告されます。本論文では、一塩基多様体(SNV)に焦点が当てられました。以下、本論文で取り上げられた集団の地理(図1a)と主成分分析結果(図1b)を示した本論文の図1です。

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https://media.springernature.com/full/springer-static/image/art%3A10.1038%2Fs41586-020-2859-7/MediaObjects/41586_2020_2859_Fig1_HTML.png


●移住と混合

 これまで充分に研究されていなかった地域からの標本を含めることで、アフリカの集団規模のゲノムデータが得られました。主成分分析では、第一主成分は、ナイル・サハラ(NS)とアフロ・アジア(AA)とある程度は東部のニジェール・コンゴ(NC)個体群(ウガンダのバンツー語族個体群、略してUBS)を、他のNC話者から分離します。第二主成分は、残りのNC話者を西方から南方への勾配に沿って位置づけます。非NC話者集団をいくつか含むマリの個体群(MAL)は顕著な例外で、個人間のより多くの分散を示します。ベニンのフォン(FNB)、グル語話者(WGR)、ギニアのスス語話者(SSG)、コートジボワール人(CIV)、MALを含むアフリカ西部集団は近くに位置づけられますが、しばしばナイジェリアのヨルバ人(YRI)やエサン人(ESN)のような他のアフリカ西部NC話者からは独立しています。ウガンダのバンツー語族個体群(UBS)および南部のボツワナ(BOT)のNC話者は、それぞれの地域から以前に研究された集団とクラスタ化します。

 ナイジェリアのベロム(Berom)集団(BRN)、カメルーンの個体群(CAM)、コンゴ民主共和国の個体群(DRC)、ザンビアのバンツー語族話者(BSZ)、ウガンダのNS話者(UNS)の5集団は、主成分分析で特徴的な位置を示します。BRNは他のアフリカ西部集団とは独立して存在し、アフリカ東部集団に近づいています。CAMとDRCはカメルーンとコンゴの地理的近さと一致して、一まとまりに位置し、独立したアフリカ中央西部集団を形成します。UNSは他のNS集団であるグムズ(Gumuz)とは独立して位置します。同様に、BSZは他のNS話者集団とは大きく離れています。これらの集団のいくつかは独特の遺伝的位置を示し、標本抽出された集団の広範なゲノム多様性が確認されます。NC話者集団の地理的距離と遺伝的距離との間には有意な正の相関が観察されました。

 次に、非NC話者からの遺伝子流動が本論文の対象集団を区分したのかどうか、さらには混合事象が検証されました。結果は、アフリカ大陸全体の混合パターンに関する現在の理解と一致しており、ボツワナ(BOT)へのコイサン(KS)の遺伝子流動、UBSにおけるアフロ・アジア(AA)語族集団の遺伝子流動、アフリカ中央西部集団であるDRCとCAMにおける熱帯雨林狩猟採集民(RFF)からの様々な程度の遺伝子流動を示します。さらに、これらの分析では、2回の興味深く未報告の混合事象も明らかになりました。それは、ウガンダのNS話者(UNS)におけるRFFの遺伝子流動と、ナイジェリアのベロム集団(BRN)におけるNC話者からの遺伝子流動です。追加の母集団データセットを用いたさらなる分析では、UNSと他のNC話者集団との間の違いは、AAとの混合の欠如、およびRFFからの遺伝子流動の増加に起因するかもしれない、と示唆されました。アフリカ東部系統の追跡は、過去数千年のサヘル横断移動に由来し、ナイジェリアのハウサ(Hausa)人を含む他の集団で報告されてきました。しかし、アフリカ東部の遺伝子流動の観察は、おそらくチャドに由来し、最大となる在来の中央部ナイジェリア集団であるBRNにおいてひじょうに独特です。

 ボツワナの分析から、集団間の遺伝的距離への非NCの遺伝子流動の寄与が強調されます。対照的に、ザンビアのバンツー語族話者(BSZ)は、アンゴラやコンゴやボツワナの隣接地域集団とは異なり、RFFもしくはKS集団のような非NC話者からの主要な遺伝子流動の証拠を示しません。同様に、在来集団の混合の低水準は、マラウイとモザンビークのバンツー語族話者で指摘されてきました。アフリカ中央部を横断するバンツー語族集団の移動経路復元の試みでは、アンゴラ集団がアフリカ東部および南部のバンツー語族話者にとっての最良の起源地と結論づけられ、アンゴラ経由のバンツー語族の移動の西方経路が示唆されました(関連記事)。

 データセットにDRCとBSZ集団を含めることで、この経路がさらに調査されました(図2b)。主成分分析と同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD。かつて共通祖先を有していた2個体のDNAの一部が同一であることを示します。IBD領域の長さは2個体が共通祖先を有していた期間に依存し、たとえばキョウダイよりもハトコの方が短くなります)から、BSZは他のアフリカ中央部集団と比較して、UBSとBOTの両方に遺伝的に近い、と示されました。さらに混合の検証では、アフリカ東部および南部のバンツー語族話者系統にとって最も可能性が高いアフリカ中央部起源集団として、BSZを支持します。また、集団間で共有されるIBDの程度から、BSZにとってアンゴラ集団が最も密接な中央部もしくは中央西部の集団だった、と示唆されます。まとめると、これらの推定から、ザンビアがバンツー語族のアフリカ東部および南部両方への経路の中継地点だった、と示唆されます。

 いくつかの主要な混合事象を推定する試みでは、アフリカ南部におけるKSの遺伝子流動と、CAMにおけるRFFの遺伝子流動は以前の研究とほぼ一致した、と示されました。UNS におけるRFFの混合の年代範囲は、CAMにおけるそれと類似しており、以前の研究と一致します。これは、60~70世代前頃に、中央部熱帯雨林の東西両方のRFF集団の範囲が変化した可能性を示唆します。アフリカ西部へのサヘル横断移動に関する以前の研究では、移動の異なる2波が示唆されました。一方は100世代以上前(2900年前頃)で、もう一方はもっと最近となる過去35世代(1015年前頃)です。さまざまなアフリカ東部の代理集団に基づくと、BRNにおける混合は50~70世代前(1500~2000年前頃)に起きた、と推定されます。これらの年代は、地域水準もしくはより広範な地理的規模で、これまで知られていない人口統計学的事象が起きたことを示唆します。

 ボツワナとカメルーンとマリの定義された地政学的境界と、非NC話者集団をいくつか含むマリの個体群(MAL)間のホモ接合性の明確に長い断片の内部で、民族言語集団内もしくは集団間の広範な変異のような、これらの集団のいくつかの人口史における追加の特有の傾向が観察されました。片親からの単系統遺伝となるミトコンドリアとY染色体の分析では、BOTのミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)L0dや、BRN のmtHg-L3や、MALのY染色体ハプログループ(YHg)E1b1bといった、特定の優占するHgが特定され、これらの集団への複雑な祖先の寄与がさらに強調されます。以下、各集団の系統混合比(図2a)と、バンツー語族集団の移動経路(図2b)と、主要な混合事象の年代(図2c)を示した本論文の図2です。

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https://media.springernature.com/full/springer-static/image/art%3A10.1038%2Fs41586-020-2859-7/MediaObjects/41586_2020_2859_Fig2_HTML.png


●ゲノム多様性と選択の痕跡

 一塩基多様体(SNV)は標本規模と相関し、集団ごとに1200万~2000万のSNVが特定されました。合計で約340万のSNVはこれまで報告されていませんでした。新規SNVは、カメルーンの個体群(CAM)で最も少なく、ボツワナ(BOT)と非NC話者集団をいくつか含むマリの個体群(MAL)で最も多い(絶対数でも標本抽出された個体の最も少ない数に正規化した場合でも)、と明らかになりました。

 データセット内の新規多様体が飽和しているのか判断するため、BOTを開始母集団として用いて、発見された新規多様体の累積数を配置していき、追加の集団ごとに1標本でしか確認されていない(シングルトン)新規SNVを削除した後でも平坦域には達せず、最後の2集団(FNBとMAL)間でも依然として6000以上の新規SNVが存在しました。また、本論文の対象集団、とくにコイサン(KS)系統間では、多様体の発見と非中央西部アフリカ人系統の割合の間で、強い相関があることも明らかになりました。

 選択を受けたと推定される遺伝子は、C5AR1やMYH10(細菌感染)、ARHGEF1やERCC2やTRAF2(ウイルス感染)、IFNGR2(細菌およびウイルス感染)といった、免疫関連機能とおもに関わっています。BOTを代理とする、アフリカ南部、CAMを代理とするアフリカ中央部、グル語話者(WGR)を代理とするアフリカ西部の各集団に固有の選択に関しては、BOTでは代謝関連(MRAP2とARSKとGPD2)、WGR(C12orf65とFAN1)とCAM(FZR1とTDP1とKCTD1)ではDNA修復関連の遺伝子で見つかりました。BOTにおける選択の痕跡では、KSからの優先的な遺伝子流動の証拠が見つかりました。

 本論文のデータセットで観察された複雑な集団構造と可変的な選択圧は、集団間のアレル(対立遺伝子)頻度の分化を促進する、と知られています。そこで、集団間でかなり異なる(40%以上)アレル頻度を有する、高度に分化した多様体(HDV)が特定されました。2497のHDVのうち1106がBOT(アフリカ南部)とMAL(アフリカ北西部)で観察され、この地理的分離は最も異なるアレル頻度を生成します。これらのHDVのうちいくつかは、BOTにおける高い割合と歴史的により深いKS系統も繁栄しています。

 機能喪失(LOF)多様体では、インフルエンザやヒト免疫不全ウイルス(HIV)やC型肝炎ウイルス(HCV)の死亡率との相関が観察され、環境および社会経済的要因とともに、遺伝的影響が推定されます。病原性もしくは病原性の可能性がある262の固有の多様体のうち、54は低いアレル頻度を示します。マラリアによる死亡を防ぐ遺伝子座の予想と一致して、G6PDのアレルの推定値は、アフリカ全体の固有のマラリアの分布と概ね一致します。鎌状赤血球症の変異は、マラリアが蔓延するアフリカ西部および東部の集団において高いアレル頻度を示します。全体的に、62の遺伝子とその周辺領域で自然選択の新たな証拠が見つかりました。


●まとめ

 本論文の結果は、バンツー語族を含むニジェール・コンゴ(NC)話者集団の遺伝的連続を明らかにし、バンツー語族移動の経路と年代と範囲に関する理解を拡張します。本論文で提案されたバンツー語族の拡散経路は、カルンドゥ(Kalundu)土器伝統の拡大と重なり、これもバンツー語族の拡大と関連づけられてきました。しかし、カルンドゥ土器の拡大の推定年代は、本論文の混合年代に先行し、カルンドゥ土器伝統とバンツー語族の移動との間の関連は疑問視されており、考古学的な移動と遺伝的な移動との間の類似は未解決のままです。あるいは、先に文化的拡散が起き、その後で人類集団の移動が伴ったのかもしれませんし、推定混合年代が実際よりも新しいのかもしれません。

 ナイジェリアの言語はひじょうに多様で、ゲノムデータの観点でもアフリカの最も代表的な国です。ベロムにおけるかなりのナイル・サハラ(NS)集団との混合と、NCおよび非NC両方の話者における高度に分化した多様体(HDV)と新規変異両方との観察から、既知の刊行データベースにおけるナイジェリア集団は、ナイジェリアのゲノム多様性を過小評価している可能性が高いだけではなく、ほぼ確実にアフリカ大陸集団の貧弱な一般的代理である、と示唆されます。アフリカ全体の多様性のより包括的な要約の提供には、複数のアフリカ人集団における追加の深い配列が必要です。

 HIVやエボラ熱やラッサ熱を含むウイルスの流行がアフリカ全土で報告されています。この背景として、ウイルス感染に重要な遺伝子と重複する選択された遺伝子座の観察は、アフリカ全土の人類集団のゲノム形成における、ウイルス感染に対する耐性および/もしくは感受性の、まだ報告されていない役割の可能性を裏づけます。これは、インフルエンザとHIVに関わる遺伝子の推定LOF多様体と、疾患死亡率との強い相関関係により支持されましたが、疾患死亡率との相関についてはさらなる分析が必要です。免疫関連遺伝子の他に、DNA修復や炭水化物および脂質代謝に関連する遺伝子の正の選択、またNC話者内の地域固有の正の選択も観察されました。

 アフリカ人のゲノムの多様性と変異に対する祖先の事象と感染性病原体への暴露の複合効果は、ウガンダのバンツー語族個体群(UBS)とNS話者(UNS)との間で観察されたアレル頻度の違いにより示されます。このアレル頻度の違いから、マラリアが流行している西部地域(UBS)からではなく、マラリアがあまり一般的ではない北部地域(UNS)からの最近の移住が別の妥当な説明になる、と示唆されます。他のアレルからも、同様の想定が可能です。

 本論文の知見から、アフリカのゲノムデータの充足と使用には、多様体の高水準の精選に加えて、広く確認されて包括的な変異の概要が必要である、と示唆されます。アフリカのゲノム変異は、アフリカ人の移住と世界集団両方の多様体分布より良い表示である可能性が高く、したがって、アフリカ人のゲノム変異の完全な目録は、医療遺伝学および集団遺伝学の両方により良いゲノム参照を提供できるかもしれません。アフリカ現代人のゲノム研究が進めば、近年になってアフリカでも進展した古代DNA研究(関連記事)とともに、アフリカ人の人口史をさらに正確に理解できるようになるでしょう。以下は『ネイチャー』の日本語サイトからの引用(引用1および引用2)です。


遺伝学:アフリカ人集団における遺伝的多様性

 高深度塩基配列解読されたアフリカ人ゲノムの、これまでで最大級の研究から、300万を超える遺伝的バリアントが発見されたことを報告する論文が、今週、Nature に掲載される。今回の研究は、バントゥー諸語話者集団のルートに沿った古代人の移動に関する知見をもたらした。

 アフリカは現生人類の起源において中心的な役割を果たしているにもかかわらず、アフリカ人集団に見られる多様性については、これまでほとんど知られていなかった。今回、H3アフリカコンソーシアムのZané Lombardたちは、これまでに試料採取されていなかった集団を含む50の民族言語集団に属する426人の全ゲノム塩基配列解読解析を行うことで、この不均衡の問題に取り組み、アフリカ全体のゲノム多様性の幅を探った。今回新たに発見されたバリアントの大部分は、今回新たに試料採取された民族言語集団から見つかっている。また、ウイルス免疫、DNA修復、代謝に関連する62の遺伝子とその周辺領域での自然選択の新たな証拠が見いだされた。さらに、祖先集団内および祖先集団間での混合に複雑なパターンが見られ、バントゥー諸語話者集団の拡大ルートに沿って移動した入植者の中継地点がザンビアであった可能性が高いことを示す証拠も見つかった。以上の知見は、アフリカ大陸内の人類の移動に関する理解を深めるものであり、ヒトの疾患に対する応答と遺伝子流動が、集団の多様性の強い決定要因であることを明らかにした。

 Lombardたちは、人類の祖先をより包括的に理解し、健康研究を向上させるためには、アフリカ人のゲノム多様性に関する特徴解明の幅を広げること(対象者と対象集団を増やすことなど)が必要だと強調している。


進化遺伝学:高深度のアフリカ人ゲノムから得られたヒトの移動と健康についての情報

Cover Story:アフリカの多様性:全ゲノム解析によって明らかになったアフリカの豊かな遺伝的遺産の詳細

 アフリカは、現生人類のゆりかごと見なされているが、アフリカの人々の遺伝的多様性はごく一部しか調べられていない。今回H3アフリカコンソーシアムのZ Lombard、A Adeyemo、N Hanchardたちは、50の民族言語グループをカバーする426人の全ゲノム塩基配列解読の解析結果を提示して、この不均衡の是正を促している。著者たちは、300万を超える新規バリアント(その大半が、これまで試料採取されていなかった集団で見られた)を明らかにするとともに、ウイルス免疫、DNA修復、代謝に関連するこれまで報告されていなかった62の座位を特定した。さらに著者たちは、集団内と集団間での祖先の混合も発見し、バントゥー諸語話者集団の拡散経路においてザンビアが中継地点であった可能性が高いことを示す証拠を見いだした。これらの知見は、アフリカ全体における人類の移動に関する理解を深めるのに役立つとともに、遺伝子流動と疾患への応答が、集団のゲノムレベルの多様性の強力な駆動要因であることを明らかにしている。表紙は、今回の研究で集められた遺伝子データを基に、ジンバブエのマリーゴールド・ビーズ飾り協同組合が手織りで作ったビーズのネックレスである。


参考文献:
Choudhury A. et al.(2020): High-depth African genomes inform human migration and health. Nature, 586, 7831, 741–748.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2859-7


https://sicambre.at.webry.info/202011/article_3.html
3:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/08 (Wed) 07:23:41

雑記帳 2020年08月30日
古代DNAに基づくアフリカの人類史
https://sicambre.at.webry.info/202008/article_41.html

 古代DNAに基づく近年のアフリカの人類史研究を整理した概説(Vicente, and Nielsen., 2020)が公表されました。古代DNA研究の急速な進展により、人類史はより深く理解されるようになりました。たとえば、ある物質文化の変化が、人々の移動の結果なのか、あるいは文化の拡散によるものなのか、より詳しく推測できるようになりました。古代DNA研究はアフリカでも進展していますが、熱帯地域を多く含むため、古代人標本からDNAを抽出することが困難なこともあり、アフリカにおけるゲノム規模の古代DNA研究は、たとえばヨーロッパと比較すると僅かです。本論文投稿時点でのアフリカの古代人のゲノム規模論文は、北部に関しては4本、サハラ砂漠以南に関しては5本だけです。本論文は、これまでのアフリカの古代DNA研究を、現代人の遺伝的多様性の文脈で検証します。以下、本論文で対象とされた標本の地理と主成分分析と系統構成を示した図1です。

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●アフリカ北部の古代DNA

 アフリカ北部では、現代人集団はおもにユーラシアおよび中東集団と関連しており、サハラ砂漠以南のアフリカからの遺伝的寄与の水準はひじょうに低い、と推定されています。これが旧石器時代におけるユーラシアからアフリカへの「逆流」の結果なのか、新石器時代におけるアフリカ北部への農耕の導入と関連しているのか、という議論がありました。モロッコの15000年前頃人類遺骸のDNA解析では、アフリカ北部は完新世と農耕開始の前にユーラシアから顕著な遺伝子流動を受けた、と示されました(関連記事)。

 さらに、アフリカ北部の7000年前頃となる前期新石器時代の個体群もこの15000年前頃のモロッコ個体群系統を継承していましたが、後期新石器時代となる5000年前頃の集団はイベリア半島集団の遺伝的影響を受けており、ジブラルタル海峡間の遺伝子流動が示唆されます(関連記事)。これら前期および後期新石器時代の個体群の遺伝的構成の違いから、アフリカ北部における農耕拡大は文化(アイデア)と人々の移動の両方が含まれていた、と示唆されます。

 サハラ砂漠は、断続的な「緑のサハラ」の期間を除いて、人類の移動の地理的障壁でした。エジプトの現代人集団とミイラのDNAに関する研究では、サハラ砂漠を越えて南方から現代のアフリカ北部人への遺伝子流動は低水準で、最近起きたと示唆されています(関連記事)。しかし、このエジプトのミイラよりも古いモロッコの更新世や新石器時代の個体群は、サハラ砂漠以南のアフリカ人と遺伝的により類似しています。「緑のサハラ」は12000~5000年前頃なので、モロッコの15000年前頃の更新世個体群と7000年前頃の前期新石器時代個体群は、前者が「緑のサハラ」の前、後者がちょうどその期間に相当します。

 しかし、両個体群ともにサハラ砂漠以南のアフリカ人とは同じような遺伝的近縁を示しており、類似の遺伝的構造を示します。一方、アフリカ北部の現代人は、サハラ砂漠以南のアフリカ人系統をわずかにしか有していません。結果として、サハラ砂漠の湿潤期と乾燥期の循環は、アフリカ北部とサハラ砂漠以南のアフリカとの間の遺伝子流動の量に影響を与えたようですが、これらの移住の正確な動態は、理想的にはゲノム規模の古代DNA研究でさらに調査されねばなりません。


●サハラ砂漠以南のアフリカ

 サハラ砂漠以南のアフリカの現代人および古代人のDNA研究では、ひじょうに異なる2段階の歴史があった、と示唆されました。農耕開始前の狩猟採集民集団は、地理的位置が集団の遺伝的関係を密接に反映する、「距離による隔離」と関連していたようです。しかし、過去の狩猟採集民の長距離移住は除外できず、この問題に関しては古代DNA研究が重要となります。サハラ砂漠以南のアフリカの初期の歴史は、農耕開始後の比較的短い期間におけるも大規模な人口移動と対称的です。

 サハラ砂漠以南のアフリカにおける農耕の起源は依然として不明確ですが、作物栽培は少なくとも3地域独立して始まったと考えられており、それはサハラ・サヘル地域での7000年前頃と、エチオピア高原での7000~4000年前頃と、アフリカ西部の5000~3000年前頃です。サハラ砂漠以南のアフリカにおける農耕は、これらの起源地から他地域へと拡大し、アフリカ南端への家畜動物の到達は2000年前頃、作物栽培は1800年前頃です。現代人および古代人のゲノム調査から、アフリカにおける農耕集団の拡大に関する仮説が確認されました。


●サハラ砂漠以南のアフリカにおける食料生産者の移住

 サハラ砂漠以南のアフリカにおいて最初に解析された人類のゲノムは、エチオピアのモタ(Mota)の4500年前頃の個体に由来します(関連記事)。モタ個体とアフリカ東部現代人を比較すると、現代人ではモタ個体よりもユーラシア系統の割合が増加している、という明確な証拠が得られたことから、ユーラシアからアフリカ東部への「逆流」が明らかになりました。しかし、その後の研究により、アフリカ北東部の特定集団、たとえばスーダンのディンカ(Dinka)やヌエル(Nuer)集団と、アフリカ東部のサブエ(Sabue)狩猟採集民は、現代までユーラシア系統との混合がほとんどない、と示されました。

 8100年前頃までさかのぼるアフリカ東部および南部の15人のゲノム解析では、このアフリカ東部およびユーラシア系統を有する古代の牧畜民はアフリカ南部へと移動し、牧畜をもたらした、と明らかになりました。これは、常染色体やY染色体や乳糖耐性多様体に基づく以前の研究を確証し、アフリカ南部牧畜民のゲノムにおけるアフリカ東部系統の存在を示唆します。

 アフリカ東部における農耕導入は、ケニアとタンザニアの後期石器時代・牧畜新石器時代・鉄器時代と関連する41個体の研究により、さらに洗練されました(関連記事)。その研究では、牧畜民の拡大に関連する2段階の混合が推測されました。最初の混合事象は、レヴァントもしくはアフリカ北部集団と関連した非アフリカ系統を有する集団と、現代のディンカ人およびヌエル人と関連する集団との間で、アフリカ北東部において6000~5000年前頃に起きました。

 第二の混合事象は、第一の混合集団と、モタ個体やケニアの後期石器時代個体群と関連したアフリカ東部の狩猟採集民との間で、4000年前頃に起きました。この非アフリカ系統のアフリカ東部への拡散経路はまだ不明で、ナイル川渓谷もしくは「アフリカの角」経由だった、と提案されています。またこれらの知見は、牧畜新石器文化を形成した、少なくとも2回の年代的に異なるアフリカ東部への牧畜民の南進を指摘します。

 興味深いことに、遺伝的分析では、考古学的に異なる2つの牧畜新石器文化である、エルメンテイタン(Elmenteitan)とサバンナ牧畜新石器文化の集団間で差異が見つかりませんでした。これは、考古学的に異なる文化が必ずしも遺伝的に異なる集団であることを意味しない、と示唆します。その後のアフリカ東部における鉄器時代は、同様に複雑でした。現代バンツー語族と関連するアフリカ西部からの遺伝子流動に続くスーダンの関連する遺伝子流動は、この地域の鉄器時代開始と作物栽培導入を示します。

 バンツー語族の拡大はアフリカ西部で5000~3000年前頃に始まり、世界でも最大級の農耕拡大事象の一つです。アフリカ西部の考古学的記録では、増加する定住は農耕拡大とその後の鉄の使用により示されます。現在、サハラ砂漠以南のアフリカのほとんどの地域では、バンツー語族が主要な言語です。以前の遺伝学的研究では、バンツー語族集団の現在の分布は、言語と農耕(文化)のみの拡大というよりもむしろ、人々の移動の結果だった、と示唆されています。これは古代DNA研究により確認されており、アフリカの東部および南部の鉄器時代遺骸は、遺伝的に現在のアフリカ西部集団と集団化します。

 アフリカ南部の7個体のゲノムデータにより、2000年前頃となる後期石器時代の3個体は現代のコイサン狩猟採集民と関連しており、500~300年前頃となる鉄器時代の4個体はアフリカ西部現代人と関連している、と明らかになりました。これにより、アフリカ南部における大規模な集団置換が確認されました。コイサン狩猟採集民の後期石器時代の祖先は、アフリカ西部系統を有するバンツー語族農耕民の侵入により置換された、というわけです。

 アフリカ南部では、バンツー語族がコイサン狩猟採集民からかなりの量の遺伝子流動を受けました。対照的に、マラウイとモザンビークの現代人集団は、バンツー語族拡大前にこの地域に存在した狩猟採集民と僅かしか若しくは全く混合しておらず、バンツー語族の移住が複雑な過程だったことを示唆します。バンツー語族拡大期間における人口動態と移住経路をより明確にするには、さらなる古代DNA研究と、赤道付近のアフリカ現代人集団のより高い網羅率のゲノムデータが必要です。以下、アフリカにおける農耕開始前の集団分布と、牧畜および農耕の拡大経路を示した本論文の図2です。

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●サハラ砂漠以南のアフリカにおける深い人口史

 アフリカ全域で農耕集団が大規模に移住する前には、狩猟採集民集団が勾配パターンで関連しており、距離と遺伝的近縁性とが比例関係にあったようです。このパターンは、アフリカ南部のコイサン狩猟採集民の研究で示されているように、現代の狩猟採集民集団間の関係にも反映されています。同様に、古代DNA研究では、農耕開始前におけるアフリカ東部と南部の狩猟採集民集団間の遺伝的勾配が明らかになっています。

 この勾配はアフリカ西部・中央部のシュムラカ(Shum Laka)岩陰の古代狩猟採集民にも当てはまるかもしれず、この古代狩猟採集民は、現在のアフリカ西部・中央部の熱帯雨林狩猟採集民と関連しています(関連記事)。シュムラカ個体群は、図1bの主成分分析のPC1軸では、アフリカ南部狩猟採集民とアフリカ西部のニジェール・コンゴ語族集団との間に位置します。古代および現代の狩猟採集民のみを対象とした主成分分析と比較して、農耕民を含む主成分分析では、地理との相関が低下します。

 古代および現代の狩猟採集民の遺伝的系統は、アフリカ全域の集団間の長期的な勾配関係を示唆しているかもしれませんが、あらゆる大規模な移住がこのパターンの根底にあるのかどうか判断するには、古代DNA研究のデータが必要です。ヨーロッパの現代人および古代人のDNA研究から、距離による孤立のパターンは、とくに混合していない現代人集団が存在しない場合、遠い過去におけるいくつかの大規模な移動と置換を隠せる、との教訓が得られました。したがって、アフリカの深い歴史はまだ明らかにされていませんが、古代DNA研究はすでに推論に貢献し始めました。

 2000年前頃となるアフリカ南部の後期石器時代人の高網羅率のゲノムデータから、「Ju/'hoansi」集団を含む全ての現代コイサン集団は、アフリカ南部に牧畜をもたらしたユーラシア・アフリカ東部集団から9~22%の遺伝的影響を受けている、と明らかになりました(関連記事)。これは図1の主成分分析で示され、現代コイサン集団はアフリカ東部人の方へと近づいており、中にはバンツー語族との混合によりアフリカ西部人にも近づいている標本もあります。

 「Ju/'hoansi」集団は以前には、近隣集団との混合がほとんどなく、現生人類集団間の最初の分岐事象(変異率に基づき推定された20万~10万年前頃)を表すコイサン集団とされていました。混合していない後期石器時代個体を他のアフリカ人と比較すると、分岐年代は35万~26万年前頃にさかのぼり、これは現生人類系統が解剖学的・行動学的に現代的になっていった、中期石器時代の起源に近づきます。この見解では、コイサン集団と他の全集団との最初の分岐が322000年前頃、熱帯雨林狩猟採集民の分岐が221000年前頃、アフリカ西部と東部の分岐が137000年前頃と推定されています。階層的分岐系統樹モデルは、集団間の一般的な関連性を適切に推定しますが、これは人類史の簡略化された表現であり、遺伝子流動や移住や深い集団構造を含むもっと複雑なモデルが、将来の研究では考慮されねばなりません。

 いくつかの研究では、すでにアフリカ西部における深い合着系統の証拠が報告されており、現代ではもはや分離した集団としては存在しない、現代人とは遠い関係にある「ゴースト」集団による、深い起源の混合の可能性が示唆されています。最近の研究では、アフリカ集団におけるネアンデルタール人との混合が以前の推定よりも高かったと推定されており(関連記事)、アフリカ集団における深い人口構造が追加されました。

 また最近の別の研究では、連続分岐モデルというよりもむしろ、4祖先的集団間の放射モデルが示唆されています(関連記事)。この放射モデルには、コイサン集団とアフリカ中央部熱帯雨林狩猟採集民とアフリカ東部および西部人と「ゴースト現代」集団につながる系統が含まれています。さらに、このモデルには「ゴースト非現生人類ホモ属(古代型ホモ属)」も追加され、アフリカ西部集団はゴースト古代型ホモ属系統からわずかに、ゴースト現生人類系統から多く、遺伝的影響を受けた、と推測されています。しかし、データに適合する他のモデルもあります。

 近年では、アフリカにおける現生人類の多地域起源の可能性を示唆する証拠が増えてきており(関連記事)、深いアフリカの歴史に関する将来の研究では、現実的なモデルのシミュレーションのより厳密な検証が必要です。さらに、地理および気候モデルが、古代DNA研究から得られた時系列データとともに、これらのモデルに組み込まれねばなりません。これは過酷な作業となりますが、いくつかの枠組みはすでに設定されており、古代DNAデータがアフリカ現代人集団のゲノムデータとともにより多く利用可能になると、将来の研究はアフリカにおける深い遺伝的歴史をさらに明らかにするでしょう。古代DNA研究と他分野からの補完的研究は、先史時代をさらに明らかにし続け、現生人類の過去と現在と将来を理解するのに役立つかもしれません。


 本論文は、近年進展したアフリカに関する主要な古代DNA研究を整理しており、たいへん有益だと思います。本論文でとくに重要とされている研究の多くは以前当ブログでも取り上げていましたが、見落としていたり、取り上げようと思って放置してしまったりしているものもあり、アフリカの人類史の流れを改めて確認できたとともに、新たに得た知見も多く、アフリカにおける古代DNA研究の現状を把握するのに適した論文だと思います。アフリカは熱帯地域を多く含んでおり、古代DNA研究に適していない地域と言えるでしょうが、それでも着実に進展していることが本論文で示されており、今後の研究の進展に期待しています。難しそうではありますが、サハラ砂漠以南のアフリカの更新世人類のDNAデータが得られれば、アフリカの人類史の解明に大きく貢献しそうなので、成功を願っています。なお、おそらくは本論文の投稿後に、サハラ砂漠以南のアフリカにおける完新世人類集団の複雑な移動と相互作用に関する研究が公表されており(関連記事)、今後もアフリカの完新世の古代DNA研究は進展していく、と期待されます。


参考文献:
Vicente M, and Schlebusch CM.(2020): African population history: an ancient DNA perspective. Current Opinion in Genetics & Development, 62, 8-15.
https://doi.org/10.1016/j.gde.2020.05.008


https://sicambre.at.webry.info/202008/article_41.html
4:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/08 (Wed) 07:24:17

雑記帳 2021年01月18日
アフリカ西部における11000年前頃までの中期石器時代の持続
https://sicambre.at.webry.info/202101/article_24.html

 アフリカ西部における11000年前頃までの中期石器時代の持続に関する研究(Scerri et al., 2021)が報道されました。アフリカの中期石器時代(MSA)は、調整石核石器技術や着柄や長距離交換などに特徴づけられる文化的段階で、現生人類(Homo sapiens)の生物学的出現と同時に出現しました(と本論文は主張しますが、今後も慎重な検証が必要だと思います)。これらの特徴とともに、30万~3万年前頃となるアフリカ全域のMSAの時空間的分布は比較的均質とみなされており、MSAという用語は時系列の指標として使われてきました。MSAにおいて行動学的および文化的複雑さがますます認識されていますが、後期石器時代(LSA)への移行は、小型化石器技術とダチョウの卵殻製ビーズのような特徴を伴い、人類史における発展の基礎となった転機、および最近の人類の特徴と類似した最初の社会とみなされています。一部では、移行はひじょうに劇的で、真に「現代的なヒト」の出現を示す認知能力の変異により引き起こされた、と示唆されました。

 アフリカ全体の最近の研究では、こうした単純で突然のアフリカ大陸全体のMSAからLSAへの移行という見解に異議が唱えられています。一部の遺跡ではこの移行は漸進的で、一部の事例では早くも67000年前頃に始まりました(関連記事)。他の遺跡ではこの移行はずっと遅くに起こり、後期MSA遺物群はしばしば、早期MSAで報告されている同じ古典的特色により特徴づけられます。現生人類の生物学的および文化的進化はアフリカ全域の過程だった、という証拠が蓄積されてきており(関連記事)、MSAとLSAの地域的な時空間的動態は、現生人類の進化史の理解の要因として示されてきました。保存された生物学的遺物が稀なアフリカ大陸では、物質文化がヒトの行動の豊富な記録を提供しており、そうした記録は、生物学的に焦点を当てたヒト進化のモデル化において、ヒト自身と重要なパラメータの両方において意義深いものです。

 アフリカ西部の古人類学的研究は、このよく理解されていない地域の別な特徴を浮き彫りにしています。アフリカ西部の既知で唯一の現生人類化石は、以前にはイウォエレル(Iwo Eleru)と誤って呼ばれていたナイジェリアのイホエレル(Ihò Eleru)遺跡のLSA文脈に由来し、年代は16000~12000年前頃ですが、その頭蓋冠はずっと早期のヒト集団で通常見られる形態学的特徴を示します。この知見は、物質文化の「段階」と骨格形態は必ずしも関連しているわけではなく、更新世末まで、別のおそらくは比較的孤立していた集団の地域的生存があったかもしれないことを示します。同様に遺伝的分析は、アフリカ西部を現生人類の遺伝的多様性の重要な源泉(関連記事)として浮き彫りにし、一部の研究では、過去のアフリカの古代型集団からの遺伝的寄与も示唆されています(関連記事)。

 考古学的記録も、アフリカ西部におけるヒトの先史時代に特有の特徴を示します。アフリカ西部では、新しい年代のMSAに関する議論が1970年代から行なわれており、通常は地形学と初期の放射性炭素年代に基づいています。ガーナやセネガルやニジェールを含むアフリカ西部全体の遺跡の初期の研究では、ガーナのビリミ(Birimi)遺跡の光刺激ルミネッセンス法(OSL)年代測定でじっさいに示されたように、アフリカ西部のMSAは35000~15000年前頃と予測されました。もっと最近では、マリのオウンジョウゴウ(Ounjougou)やファレメ(Falémé)川下流での研究により、海洋酸素同位体ステージ(MIS)6~2の石器群が特定され、それらの石器群はMSAの多様な技術を特徴とします。これは、3つの古典的なMSA遺物群が62000~25000年前頃にまたがっているセネガル沿岸部のティエマッサス(Tiémassas)での研究と、MSA遺物群の年代が12000年前頃のセネガル川下流での研究により、さらに詳しくなっています。

 これらの遺跡群は、一貫してルヴァロワ縮小手法に焦点を当てており、時には、掻器や鋸歯縁石器や加工された尖頭器のような石器の出現とともに、円盤状手法により補完され、これはアフリカ西部のMSAを特徴づけます。重要なことに、これらの石器群は、両極および石刃縮小や急角度の二次加工を含む、16000~12000年前頃までは出現しない、アフリカ西部における最初のLSA石器群に区分される技術的特徴を欠いています。しかし、アフリカ西部のMSA遺跡群の大半は、時系列の制御が制限されており、より広範な進化モデルに上手く統合するには、その新しい時間枠の明確な提示が必要です。


●遺跡の分析

 本論文は、セネガルの22000~21000年前頃となるラミニア(Laminia)遺跡と、11000年前頃以降となるサクソムヌンヤ(Saxomununya)遺跡の後期MSA遺物群を報告します(図1)。これらの年代は、アフリカ大陸の他の地域ではLSAにより置換された何千年も後の、アフリカ西部におけるMSA技術の継続を確証します。両遺跡は、それぞれの集水域の到達範囲内で最下層の段丘結合から成る河川堆積物で構成され、ラミニア遺跡の場合はガンビア川、サクソムヌンヤ遺跡の場合はファレメ川です。この地域で見られる構造隆起の割合が低いことは、多くの河川体系とは異なり、ガンビア川流域もファレメ川流域も段丘結合の広範な連続を含まない、と意味します。これは、数値標高モデル(DEM)の研究により裏づけられます。ラミニア遺跡の堆積物は段丘の露出内に見られますが、サクソムヌンヤ遺跡では段丘表面に見られます。以下、本論文の図1です。
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 ラミニア遺跡は、ガンビア川南岸の段丘に露出しています。ラミニア遺跡の石器群は、砂利堆積物の上部0.2m(ユニット1B)に由来します。サクソムヌンヤ遺跡は、ファレメ川西岸の河岸段丘表面にあります。堆積物は、活発な河川環境での堆積の典型です。石器はその堆積物から製作されました。両遺跡の年代は、石英粒子のOSL測定により推定されました。ラミニア遺跡では3点の標本が採取され、ユニット1Aで24600±980年前、ユニット1Bで22000±850年前と20800±830年前という結果が得られました(図2)。サクソムヌンヤ遺跡では、石器群よりも下層の標本で11100±580年前という結果が得られました。以下、本論文の図2です。
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 ラミニア遺跡とサクソムヌンヤ遺跡は両方とも、年代が新しいにも関わらず、古典的なMSAの技術的特徴を示します。ラミニア遺跡の完全な石器は、48個の石核と56個の剥片で構成されます。これらの石器群はおもに石英の小さな丸石と大きな礫で構成され、珪岩製の石器は3個だけで、ルヴァロワ技術を主とする、均質な技術的特徴を示します。石核は豊富で、石材はラミニア遺跡の堆積物から得られた、と推測されます。加工された石器は稀です。

 サクソムヌンヤ遺跡の石器群は、231個の石核、336個の剥片、29個の加工された剥片、87個の借方(廃棄物)と破片で構成されます。おもな石材は石英の小石ですが、剥片状の珪岩が数個存在します。石核の多く(26.4%)は、求心性の準備を伴う古典的な優占ルヴァロワ石核です。求心性の準備を伴うものの、打撃痕のない石核(6.1%)や、円盤状石核(3.5%)もあり、放射状剥離パターンを示す石核(7.8%)もあります。全体的に、ルヴァロワおよび円盤状縮小体系の存在と、両極もしくは層状縮小の欠如により特徴づけられる石核と借方と道具はMSAによく分類でき、利用可能な石材の制約に起因して石器は小さいのが特徴です。


●考察

 11000年前頃のサクソムヌンヤ遺跡と24000~21000年前頃のラミニア遺跡は、アフリカ西部におけるMSA遺物群の末期に位置します。これらMSA末期の遺跡群には、11600年前頃のンディアイェネ・ペンダオ(Ndiayène Pendao)、33000年前頃のトーンボーラ3(Toumboura III)、62000~25000年前頃のティエマッサスが含まれます。この連続は、MSA技術が末期更新世に再発明されたのではなく、連続したことを示します。本論文の結果が意味するのは、新しいMSA遺物群はアフリカ西部の主要な河川系に存在する、ということです。つまり、ガンビア川のラミニア遺跡、ファレメ川のサクソムヌンヤ遺跡、セネガル川のンディアイェネ・ペンダオ遺跡、サルーム川のティエマッサス遺跡です。これらの遺跡はアフリカ西部におけるMSAの最終段階を表していますが、ラミニア遺跡もサクソムヌンヤ遺跡も、LSAに特徴的な要素を示しません。両遺跡の構成は、MSAとLSAとの間の移行段階を示しているのではなく、古典的なMSAです。

 アフリカ西部における新しいMSAの記録は、以前に報告されたものの、孤立もしくは例外的現象とよくみなされてきた、アフリカの他地域の新しいMSAの示唆に基づき、それを強化して拡張します。したがって、LSAの年代をさかのぼらせた最近の研究に加えて、アフリカ西部の新しいMSAは、MSAからLSAへの移行が年代と特徴の両方で大きな変異幅があった、という証拠を追加します。アフリカ西部は、後期MSAのとくに説得力のある証拠を提示します。アフリカ西部のMSA石器群は、アフリカ西部の最初のLSAでは欠けている一連の古典的なMSAの特徴で構成されており、石器技術の別の組み合わせで後に現れます。

 この状況は、アフリカ東部など他のアフリカの地域とは対照的です。急角度の二次加工や石刃製作や両極縮小法の使用といったLSA石器群の主要な特徴である石器技術の要素は、MIS5のMSA石器群で明確に出現しますが、一部の「MSA的」要素は完新世に再発明されたかもしれません。ケニア沿岸の湿潤な沿岸森林地帯のパンガヤサイディ(Panga ya Saidi)洞窟遺跡では、古典的な後期MIS5のMSAから、小さい石器とおもに細粒状石材により特徴づけられる67000年前頃の石器群への大きな移行が起きました(関連記事)。LSAの中で、両極法や石刃などさまざまな技術が稀に交替し、同様にルヴァロワ技術が再出現しました。そのような技術的重複は、アフリカ東部におけるMSAとLSAの区別を妨げませんが、LSAの特徴を欠く後期MSAが明確に存続するアフリカ西部とはひじょうに対照的です。

 アフリカ西部における新しいMSAの存在で興味深いのは、アフリカ西部ではLSAの始まりが遅いことです。LSA石器群はアフリカ中央部の西方で3万年前頃までには存在します。カメルーン西部のようなアフリカ西部で最初のLSA石器群が出現するのは16000~12000年前頃で、現代のナイジェリアやコートジボワールやガーナの森林地域です。LSAはそれ以降、ファレメ川流域で11000年前頃からさらに西方と北方に出現します。アフリカ西部において初期のLSA石器群はMSAの特徴を欠いており、小さな層状の原形での幾何学模様の細石器の製作が強調されます。LSAはアフリカ西部では、土器の使用とその後の農耕発展の直前まで出現しないようです。

 MSAからLSAへの移行における時空間的パターンの微妙な差異を調べるための多くの研究が必要ですが、アフリカ西部は、少なくともいくつかの点で、環境動態に従っているようです。アフリカ西部の中央部と東部の森林地域におけるLSAの出現は、15000年前頃となる末期更新世の森林拡大と相関しています。現在のデータに基づくと、氷期と間氷期の盛期の移行が平坦的だった可能性は低く、種間で同時には起きなかった生態学的ボトルネック(瓶首効果)が形成されました。以前の研究では、スーダンのサバンナ地帯やギニアの混合森林サバンナ地帯やマングローブ林と隣接したMSA遺跡であるティエマッサスなどで、推移帯生息地の居住が新たな生態学的環境との関わりの促進に役割を果たしたかもしれない、と示唆されています。湿度の時間的なピークは、低緯度地帯と関連する時空間的に斑状の文化的置換におけるMSAの持続にも光を当てます。

 これらの知見は、顕著な文化的変化がアフリカ西部で更新世から完新世の移行期に起きたことを示唆します。アフロユーラシア本土では最西端のセネガルでは、最も新しいMSAの年代は11000年前頃で、最古のLSAは同じ流域内で11000年前頃に出現し、技術的重複はありません。これは、アフリカ西部の末期更新世と初期完新世における強い文化的境界の存在を示唆します。この境界が生物学的なのか、それとも文化的なのか、まだ解明されていません。しかし、大まかに言えば最終結果は同じで、任意交配は起きそうになく、強い集団細分化が存在しました。アフリカ西部におけるMSAの終了は、湿度と森林の増加の頃に起きました。これは、生態学的障壁とボトルネックにより比較的孤立していたかもしれない地域へのLSA拡大の背景を提供します。15000年前頃からの比較的突然の湿度増加は、アフリカ西部におけるLSAの出現年代と一致し、それに続く11000年前頃からのアフリカの湿潤期の盛期への移行を伴い、セネガルにおけるMSAの終了およびLSAの拡大と相関します。

 本論文の結果は、アフリカ全域での他の最近の知見とともに、MSAからLSAへの移行は行動変化の時空間的に不均一な過程だった、と示します。これらの知見は、「現代性」への文化的変化の単純な線形モデルにも、特定のアフリカ大陸全体の年代指標としてのこれらの用語の使用にも適合しません。じっさい、完新世へのかなり一般的なMSAの継続は、MSAにおける複雑さの時空間的出現は斑状であることを示す多くの証拠への追加となり、技術革新に投資する動機は単純な行動学的能力以外の要因と関連していることを示唆します。根本的に異なる技術的伝統の狩猟採集民集団が近隣に居住し、時として恐らくは数千年もアフリカの一部地域を共有しました。これは少なくとも、過去15000年に見られた強い人口構造の遺伝的兆候と一致します(関連記事)。集団間の多様な関係を解明することは、現生人類進化の理解に重要で、アフリカ大陸規模への個々の遺跡・地域からの記録の推定への代案を提供します。


 以上、ざっと本論文について見てきました。アフリカにおける現生人類の形成および進化と文化的変化は、「現代性」への単純な線形ではなく複雑で多様なものであり、そうした多様性に、現生人類の起源と世界規模での拡散の要因があるのかもしれません。現生人類の起源に関しては複雑なモデルが提示されており(関連記事)、本論文はそうした見解とも整合的だと思います。本論文は、現生人類の文化(MSAの担い手に非現生人類ホモ属がいたとしても、さすがに末期更新世に非現生人類ホモ属が存在した可能性は低そうです)の複雑な変容を改めて示したという意味で、たいへん注目されます。


参考文献:
Scerri EML. et al.(2021): Continuity of the Middle Stone Age into the Holocene. Scientific Reports, 11, 70.
https://doi.org/10.1038/s41598-020-79418-4


https://sicambre.at.webry.info/202101/article_24.html
5:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/08 (Wed) 07:24:53

2021年03月02日
アフリカの人口史
https://sicambre.at.webry.info/202103/article_2.html

 アフリカの人口史に関する研究(Hollfelder et al., 2021)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。アフリカは現生人類(Homo sapiens)の起源地として特定されており、それはアフリカにおいて人々の最も高い遺伝的多様性と深い分岐が見られることからも明らかです。初期現生人類の最古級の化石群がアフリカで発見されてきたという事実は、初期現生人類の進化におけるアフリカの重要性をさらに指摘します(関連記事)。初期現生人類のアフリカの化石記録は、大きな形態的多様性、および他の現生人類もしくは異なる種の今では絶滅した系統との共存の可能性を示します(関連記事)。

 アフリカにおける現生人類の複雑な初期の歴史は、現生人類がどのように出現したのか、深い分岐人口構造とその起源、アフリカにおける現生人類との深く構造化された集団および/もしくは古代型集団との遺伝的交換があったのかどうか、という問題を提起します。多様なアフリカの集団から利用可能なゲノムが増え、古代DNA配列が進めば、アフリカ人の遺伝的多様性に関してより多くの情報をしだいに得られ、これらのゲノムデータは、移住もしくは混合前の情報の提供により未知の系統もしくは遺伝的構成を明らかにでき、人口集団継続の指標を与えることができます。

 狩猟と採集は、新石器時代の移行と農耕および牧畜の出現前には、全現生人類の生活様式でした。ほとんどの狩猟採集民集団は、拡大する農耕民および牧畜民集団により置換されるか、現在狩猟採集生活様式を実践していたとしてもごくわずかで、アフリカを含む世界中のさまざまな地域に散在しています。現在、狩猟採集民集団のほとんどは、農耕もしくは放牧に適さない、熱帯雨林や砂漠のような地域に居住しています。その結果、狩猟採集民集団(およびそれを実践している個体群)の数は過去数千年で大きく減少してきており、それは農耕民と牧畜民の人口規模の拡大と増加に起因します(関連記事)。

 アフリカでは、狩猟採集民集団は南部および東部とコンゴ盆地で見られます。アフリカ南部では、狩猟採集民のサン人と、アフリカ東部の牧畜民と接触した後に牧畜生活様式を採用した牧畜民のコイコイ人が、農耕に適さない乾燥地域に居住しています。こうした人々は、他の点では無関係な5言語族に属する「吸着音(クリック)」が豊富な言語で構成されるコイサン語に対応して、まとめコイサン人と呼ばれています。アフリカ東部では、狩猟採集生活様式をまだ実践しているか、最近まで実践していたさまざまな集団が存在します。アフリカ東部の狩猟採集民(EAHG)は、アフリカの他の狩猟採集民集団よりも相互と遺伝的に密接に関連しています。さらに、ビアカ(Biaka)やバカ(Baka)やバコラ(Bakola)やベヅァン(Bedzan)やバトゥア(Batwa)やトゥワ(Twa)やムブティ(Mbuti)などの狩猟採集民集団が、赤道付近のアフリカ熱帯雨林に居住しています。これら熱帯雨林狩猟採集民(RHG)集団は、近隣の農耕集団の言語を採用してきました。アフリカにおける過去5000年の急速な拡大と、他の最近の移住は、サハラ砂漠以南のアフリカにおける深い人口構造のパターンを曖昧にし、亜赤道帯アフリカの大半は現在、バンツー語族話者のアフリカ西部系の人々が居住しています。

 アフリカにおける現生人類集団は8万年前頃の出アフリカ移住の前に階層化していた、と今ではますます認識されており、アフリカ南部および西部とアフリカ外へ拡大したアフリカ東部における単一の任意交配人口集団という見解は棄却されています(関連記事)。10万年を超える深い人口構造を調べるためには、完新世後半に到来した新たな集団の前に、該当地域に居住する集団の子孫を表す可能性がある、広い地理的範囲の人口集団の調査が必要です。狩猟採集民集団と古代の個体群のDNA標本は、最近の大規模な移住の混同要因により曖昧になっていないより深い人口史への洞察を提供できます。最近の混合は、たとえば、分岐年代の過小評価につながる可能性があります(関連記事)。

 また古代DNAは、現代人の遺伝子プールでは失われた遺伝的多様性の解明の可能性を提供します。ゲノム配列技術は急速に発達しましたが、アフリカのほとんどは考古学者により広範には調査されておらず、DNAは高温多湿の気候ではとくによく保存されない、という事実にも関わらず、現代の狩猟採集民の利用可能な全ゲノム配列と、アフリカの考古学的標本からのゲノム規模情報の数は近年急速に増加しています。2015年にアフリカ東部の最初の古代ゲノムが刊行されて以来(関連記事)、いくつかの古代アフリカ人標本のゲノム規模情報の回収に成功し、それは地理的にはアフリカ大陸全域や島嶼部にまで、時間的には15000年前頃にまで及んでいます(関連記事)。


●狩猟採集民の人口構造

 アフリカの高い遺伝的多様性は、おそらくは気候変動のために起きた孤立により形成された、深い人口構造の結果です(関連記事)。比較的高いアレル(対立遺伝子)の豊富さやヘテロ接合性やホモ接合性の短さや遺伝的多様性のさまざまな測定値は、アフリカで最も極端な値を示します。アフリカ人のゲノムは平均して、ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)にさかのぼる系統を除いて、現代人全員の中で最も分岐した系統を有しています(関連記事)。アフリカの狩猟採集民集団は、最も遺伝的に多様な現代人集団で、最も基底的な片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)と(関連記事)、最も深い常染色体分枝を有している、と以前に示されてきました(関連記事)。

 さまざまな現代の地域的狩猟採集民集団間の遺伝的関係は、距離による孤立でモデル化でき、狩猟採集人口集団が、潜在的に重複する地域でつながり、より大きな地域に居住していた、と明らかになります(関連記事)。コイサン人と他のアフリカの狩猟採集人口集団間の、相互に分岐した後の遺伝子流動の指標があり(関連記事)、遺伝的交換が完新世まで続いたことを示唆します。たとえば、アフリカ南部のサン人集団とアフリカ東部の狩猟採集民との間には勾配のつながりがあるように見えます。現在のマラウイの先史時代個体群は、サン人集団およびアフリカ東部狩猟採集民との類似性を示しており(関連記事)、サン人的な系統はアフリカ東部の古代の個体群で検出されます(関連記事)。現在、アフリカ東部の狩猟採集民は、人口調査の規模が小さいため、低い有効人口規模を示します。

 現在知られている散在する人口集団につながる、かつて広範に存在し重複していた狩猟採集人口集団の縮小は、そのゲノムに痕跡を残しました。たとえば、多くの狩猟採集人口集団は、完新世に有効人口規模の増加を示さず、多くの他集団とは対照的です(関連記事)。現在、熱帯雨林狩猟採集民は周囲の農耕民よりも低い有効人口規模を示します。アフリカ南部のコイサン人は世界規模の比較で最高の遺伝的多様性を示す、と繰り返し指摘されてきており、これは、コイサン人の現生人類史の大半での大きな有効人口規模と、非コイサン人集団との混合に起因します(関連記事)。

 現代コイサン人集団につながる系統は、現代のアフリカ南部狩猟採集民の分布よりも広範な地域に居住していた可能性が高そうです(関連記事)。コイサン人の祖先はアフリカ南部の先史時代の大半においてこの地域唯一の居住者だった可能性が最も高い、との仮説が提示されています。コイサン人と他の全集団との間では、有効人口規模は30万~20万年前頃に異なり始めており、その時点で人口構造が存在し、その後に人口減少が続いて人口集団に異なる影響を及ぼした、と示されます。たとえば、サン人と熱帯雨林狩猟採集民は6万年以上前には他のアフリカ人集団よりも大きな有効人口規模を維持していましたが、コイサン人と熱帯雨林狩猟採集民を含む全集団は、この期間に人口減少を示します。

 アフリカ北部の人口集団は、深いアフリカの歴史を議論するさいに、よく除外されます。それは、アフリカ北部の人口集団がおもにユーラシア人系統を示し、サハラ砂漠以南のアフリカに分類される系統構成が多くないからです。しかし、15000年前頃にさかのぼるモロッコの化石標本に関する最近の古代DNA研究からは、アフリカ北部の当時の狩猟採集民の系統の大半は非アフリカ系で、最もよく適合するのはアジア南西部の14500~11000年前頃の文化であるナトゥーフィアン(Natufians)の担い手であるものの、系統の1/3はサハラ砂漠以南のアフリカ人に由来する、と明らかになりました(関連記事)。

 サハラ砂漠以南のアフリカ系統の構成要素は、アフリカ東部系統と西部系統の混合のようであるものの、明確な起源はなく、むしろ、アフリカ西部および東部両方の現代人と関連している標本抽出されていない人口集団に由来する可能性が高そうです。これらモロッコの個体群のうち新しい標本(7000~5000年前頃)は、経時的なサハラ砂漠以南のアフリカ系統の減少を示しており、この傾向はエジプトでも観察されました。このパターンは上部旧石器時代以降のマグレブにおける孤立から生じた可能性があります(関連記事)。非アフリカ系統が早期にユーラシアからアフリカに戻って来た混合事象に由来するのかどうか、あるいはアフリカ北部と非アフリカ系人口集団との間の長期の遺伝子流動があったのか、まだ解明されていません。


●現生人類進化のモデルと人口集団分岐年代の推定

 人類の進化史を分岐した樹としてモデル化し、分枝間の分岐年代を推定することは一般的です。系統樹は単純化されており、遺伝子流動など人口史の一部の特徴を欠いていますが、集団間の関係と集団間の相対的分岐を理解するのにモデルとして役立ちます。特定の事象の推定は通常、モデルの手法と仮定、基準パラメータ(たとえば、変異率や1世代の時間)、比較に用いられる個体群と人口集団の組み合わせにより異なります。あるいは、人類進化はメタ個体群(アレルの交換といった、ある水準で相互作用をしている、空間的に分離している同種の個体群の集団)モデルで表すことができるものの(関連記事)、深い人類史の問題に対処するためのそうしたモデルはまだ稀です。

 図1は、高網羅率の常染色体ゲノムに基づく現生人類の人口史における、深い分岐の推定範囲の概観を示しています。連続マルコフ合祖(MSMC)およびMSMC2手法は、前者が分岐年代として交差合祖の中間点を使用するという事実に起因する可能性があり、系統的一致、頻度に基づく手法、ベイジアン計算分析(同じ変異率での再基準化後)に基づく推定よりも新しい年代となることに注意が必要です。しかし、分岐年代の順序は、異なる手法間であまり違いはなく、これは手法全体で一貫した集団形態を示します。

 コイサン人の祖先と残りの現代人の祖先との間の分岐は、34万(関連記事)~20万年前頃(関連記事)と推定されており、MSMCに基づくより新しい推定年代は16万~9万年前頃です(関連記事)。単純化した分岐系統樹を想定した次の事象は、熱帯雨林狩猟採集民の祖先と(コイサン人の祖先を除く)残りの現代人の祖先との間の分岐です。この分岐の推定年代は35万~7万年前頃までさまざまですが(関連記事)、一般的にコイサン人の祖先と他の現代人の祖先との分岐よりもずっと新しくなります。ハッザ人(Hadza)やサンダウェ人(Sandawe)のような狩猟採集民を含むアフリカ東部集団は、アフリカ西部人を含む他の全アフリカ人集団とは14万~7万年前頃に分岐しました。以下、本論文の図1です。
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 ほとんどの研究では、分岐点が現生人類間の最も深い分岐と明らかになっていますが、後述のように未知の集団の潜在的な影響を考慮に入れる必要があります。たとえば、ミトコンドリアDNA(mtDNA)と完全なゲノムでは、コイサン人と他の全集団との間の最も深い分岐が繰り返し見つかっています。しかし、一部の研究では代替案が指摘されており、たとえば、カメルーン西部のグラスフィールド(Grassfields)地域に位置するシュムラカ(Shum Laka)岩陰遺跡の8000年前頃の人類遺骸(関連記事)に部分的に基づく、熱帯雨林狩猟採集民を含むひじょうに深い分岐、もしくはコイサン人とアフリカ西部人と熱帯雨林狩猟採集民との間の最も深い分岐としての3分岐です。8000年前頃のシュムラカ遺跡の1個体は、興味深いことにアフリカ西部人系統と熱帯雨林狩猟採集民系統の両方を示しました。この個体の分岐年代を推定すると、コイサン人とは35万~26万年前頃、アフリカ西部人および熱帯雨林狩猟採集民とは22万~12万年前頃と示されます(図2)。これにより、8000年前頃のシュムラカ遺跡個体を、コイサン人分枝、アフリカ西部人関連系統、熱帯雨林狩猟採集民系統(の混合もしくは共有系統の結果)として確実に位置づけられます。以下、本論文の図2です。
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 よく研究されていませんが、サン人の南北間の分岐の推定年代も、17万~3万年前頃と大きな範囲を示します。これは恐らく、距離による孤立モデルがこれらの集団間の関係をよりよく表しているかもしれない、という事実を反映しています。アフリカ西部および東部の熱帯雨林狩猟採集民の共通起源が示されており、その分岐は6万~4万年前頃と推定されています。これらの推定値は全てMSMC・MSMC2に基づいており、それは通常より新しい分岐年代を提供することに注意が必要です。


●絶滅系統からの遺伝子移入

 アフリカに関しては、古代型ホモ属(絶滅ホモ属)との混合の問題に再び関心が集まっています。非アフリカ系現代人のゲノムにおけるネアンデルタール人やデニソワ人からの遺伝的影響は、現在では有力説と確立しています(関連記事)。遺伝子移入元の系統からの参照ゲノムを必要としない新たな手法と、より良好なゲノムデータにより、アフリカにおける絶滅系統からの遺伝子移入の問題を調査できるようになりました。こうした新たな手法は、ネアンデルタール人のゲノム解読前に現生人類とネアンデルタール人の交雑を推測でき(関連記事)、アフリカ系現代人における未知の系統の遺伝的痕跡(関連記事)や、アフリカ西部の現代人集団に見られる未知の人類系統の遺伝的痕跡(関連記事)を検出しています。

 アフリカにおける豊かな人類史を考えると、現代人へとつながる系統が、過去に現代人系統と分岐した人類集団と相互作用して混合した可能性があり、おそらくその系統は、ネアンデルタール人やデニソワ人と同じ頃(60万年前頃)に現代人系統と分岐しました。また、おそらく数十万年前もしくはそれ以降に現代人系統と分岐し、後に何らかの理由で絶滅した、異なる現生人類集団が存在した可能性もあります。そうした人口集団は、現代アフリカ人の主要な遺伝的祖先集団と混合したかもしれません。後者の事象は「ゴースト」人口集団からの遺伝子移入、前者は「古代型」遺伝子移入と呼べます。これら2つの遺伝子移入過程を分離する1つの方法は、現代人の中で最も深い分岐前(30万年前頃以前)の系統から分離した人類集団に関わるものが「古代型」遺伝子移入、30万年前頃以降に現代人と分離した絶滅現生人類に関わるものが「ゴースト」遺伝子移入、とそれぞれ定義することです。

 ネアンデルタール人と現生人類との混合に関してはすでに多くの研究がありますが、これはアフリカの人口史にも関連しています。アフリカ西部のヨルバ人は、ネアンデルタール人系統の割合が小さいと示されてきており、世界中の現代人におけるネアンデルタール人の遺伝的影響の割合を推定するさいに、ネアンデルタール人と混合していない人口集団としてよく用いられてきましたが、新たな手法(IBDmix)を用いたその後の研究で、アフリカ人のゲノムにおけるネアンデルタール人系統の割合は以前の推定よりも高い、と示されました(関連記事)。この研究では、平均して1個体につき1700万塩基対のネアンデルタール人配列が見つかり、そのうち94%は非アフリカ系現代人と共有されています。別の研究では、ネアンデルタール人およびデニソワ人と共有され、非アフリカ系現代人では存在しない古代型多様体がアフリカ西部現代人で見つかり、アフリカにおけるより大きな遺伝的多様性を反映しています。現代アフリカ人のゲノムにおけるネアンデルタール人系統は、ヨーロッパ人的な祖先集団のアフリカへの「逆移住」により説明できます(関連記事)。この想定は、ユーラシア系統の割合と相関するネアンデルタール人系統の割合を明らかにした他の研究(関連記事)により裏づけられます。

 上述のように、ネアンデルタール人のゲノムデータが公開される前でも、現代アフリカ人集団で深く分岐した集団からの遺伝子移入の兆候が検出されていました。この観察の可能性な説明は、これら他の人口集団は今では絶滅し、現代の人口集団にその遺伝的痕跡を残しているのみである、というものです。ネアンデルタール人とデニソワ人のゲノムデータ公開後の研究の進展により、ネアンデルタール人とデニソワ人は非アフリカ系現代人の古代型混合の全てを説明できるものの、現代アフリカの人口集団で観察される古代型混合の兆候を説明できない、と明らかになりました。この古代型集団を表す参照ゲノムが存在しないため、古代型およびゴースト遺伝子移入はよく、強く関連した祖先型多様体を含み、および/もしくは深い合着(合祖)年代を示す、ゲノムにおける分岐した領域として識別されます。この方法で識別された配列は、標本抽出されていない絶滅「ゴースト」人口集団に由来するか、過去の集団間の深い階層化を含む、いくつかの代替的な複雑な人口統計から生じるパターンを表しているかもしれません。しかし、これまでに提示された分析では、深い構造、古代型および/もしくはゴースト人口集団からの真の遺伝子移入、統計上の産物を区別することは困難です。

 表1で示されるように、「ゴースト」人口集団さらには「古代型集団」との混合は、さまざまなアフリカの人口集団の特別な多様性パターンを説明するために提案されてきました(関連記事)。古代型人口集団との交雑は頻繁に起きたものの、低水準だった、との仮説が提示されています。とくにアフリカ西部現代人では、古代型系統を有する、とよく識別されてきました。この兆候は、現代人の祖先とネアンデルタール人の祖先が分岐したのと同じ頃か、やや早い年代に分岐した、1つもしくは複数の人口集団に由来する、と示されてきました(関連記事)。

 古代型遺伝子移入への別の兆候もしくは代替的な説明はアフリカ西部現代人で提案されてきており、それは30万年前頃に分岐したゴースト人口集団からの遺伝子移入です(関連記事)。アフリカ西部における古代型もしくはゴースト人口集団からの混合の兆候は、アフリカ西部および東部人口集団へのコイサン人口集団の非対称的な関係と一致します(関連記事)。さらに、アフリカ全体における古代型系統の割合の違いから、人口構造は遺伝子移入の時点ですでに確立していたか、あるいはこの観察が上述した非アフリカ系集団からの遺伝子流動の結果かもしれない、と示唆されます。

 またいくつかの研究では、遺伝子移入配列は大きな有効人口規模の人口集団に由来し、それは自身が構造化された人口集団であることを示唆している、と提案されています。別の可能性は、大きな有効人口規模が異なる系統からの複数の遺伝子移入により形成され、古代型参照配列なしに区別することは困難である、というものです。残念ながら、アフリカにおける古代型もしくはゴースト遺伝子移入の多くの研究は少数の人口集団に焦点を当てており、および/もしくは推定に1つの手法しか用いていないので、識別された古代型もしくはゴースト遺伝子移入の影響は、まだ体系的な方法では現代人の主要な分枝全てにわたって比較することはできません。

 興味深いことに、多くの研究はアフリカにおける絶滅系統からの遺伝子移入に関してかなり最近の時期を特定しており、非アフリカ系人口集団と分岐した後にさえ遺伝子移入事象があった、と想定しています。これは、比較的最近まで古代型人口集団が存続していたことを示唆します。これは、10万年前以前に形態的多様性のほとんどが消滅したことを示す、化石記録からの観察とは対照的です。ただ、16300~11700年前頃と推定されているナイジェリアのイホエレル(Iwo Eleru)で発見された個体や、25000~20000年前頃と推定されているコンゴのイシャンゴ(Ishango)で発見された個体では、祖先的な形態的特徴が指摘されています(関連記事)。


●今後の展望

 まだ解決されていない問題の一つは、現生人類がどのように出現したのか、ということです。現生人類の起源もしくは出現が比較的長期間の進化的過程であることは明らかですが、いくつかの時間制限を設定することにより、現生人類の起源に関する問題を絞り込めます。現在から始まって過去にさかのぼると、現生人類間の最も深い分岐は30万年前頃となり、充分に発達した(行動と認知両方でその可能性が高い)現生人類(必ずしも解剖学的現代人ではありません)の存在の下限とみなせます。それは単に、この最初の分岐の(現存している)子孫集団が、確かに現生人類であるからです。現生人類とネアンデルタール人およびデニソワ人との65万年前頃の分岐は、現生人類固有の特徴の発達の上限とみなせます。

 換言すると、これらの制約の使用により、現生人類がネアンデルタール人およびデニソワ人との共通祖先から分岐して、現在観察される人類の階層化の開始時期までに、固有の特徴をどのように発達させたのか、という問題を提起できます。そうした固有の特徴は、頻度変化や潜在的にはエピジェネティックな変化を含む遺伝的変化に制御されている可能性があります。アフリカにおける現生人類の起源に関しては、さまざまなモデルがあります。これらのいくつかには、(1)拡大し他の全ての人口集団を置換した単一起源説、(2)いくつかのアフリカ人集団(地理的には分離していた可能性が高そうです)がおそらくは孤立により深く階層化されていたとするアフリカ複数地域モデル、(3)1つの集団および地域からの拡大ではあるものの、一部の地域的継続および/もしくは古代型遺伝子移入を伴う、といった見解があります。

 化石の発見からの多様な形態と物質文化と遺伝学は、アフリカにおける現生人類の純粋に単一の起源を示唆しますが(関連記事)、散在した多様な人口集団からの散発的な遺伝子流動の可能性もあります(関連記事)。しかし、構造化されたメタ個体群のモデルが、現生人類の発達に重要な遺伝的多様体が人口集団間で同時に拡大することを可能としながら、階層化を引き起こす遺伝子流動に対する障壁をどのように維持するのか、明確ではありません。

 現生人類の複雑な可能性がある初期の歴史を解明することは、遺伝子流動や移住のさまざまな形態を含む後の事象が遺伝的兆候を歪めるかもしれないので、やりがいのある研究です。より複雑なモデル、より多様なデータ、より優れた統計手法により、単純な分岐モデルを超えて観察することや、アフリカの人口集団の複雑な人口統計を解明することや、上述したような現生人類の起源のモデルに関する情報を提供することができます。より多くのデータを収集するための努力はありますが、データ標本抽出における偏りが依然として見られます。とくにアフリカ南部は現在、現代人と古代人のゲノムデータの両方で大きな割合を占めます。充分に研究されていない地域からのより多くのゲノムデータと、古代DNA分析における可能な改善により、アフリカの先史時代の時空間的理解が洗練され、現生人類進化の初期の事象を解明できるようになるでしょう。


参考文献:
Hollfelder N. et al.(2021): The deep population history in Africa. Human Molecular Genetics.
https://doi.org/10.1093/hmg/ddab005


https://sicambre.at.webry.info/202103/article_2.html
6:保守保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/04/02 (Sun) 10:48:05

古代DNAに基づくアフリカの人類史
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14092942

現代アフリカ人 の起源
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14100876
7:保守保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/04/02 (Sun) 10:48:44

【女⇒男?】古代エジプト不思議な死生観と女性たちの姿
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14100839


河江肖剰の古代エジプト - YouTube
https://www.youtube.com/@yukiancientegyp/videos

エジプト考古学者の河江肖剰(かわえ ゆきのり)です。名古屋大学高等研究院准教授、米ナショナル ジオグラフィック協会のエクスプローラー。エジプトのピラミッドの研究調査を行なっています。YouTubeを通して、みなさんにもっと古代エジプトを知っていただけるよう、分かりやすく、そして学術的にもしっかりとした内容をお届けいたします。



エジプト人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/282.html

古代エジプト人の料理
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/629.html
8:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/04/07 (Fri) 15:29:16

雑記帳
2023年04月07日
アフリカ人の大規模なゲノムデータ
https://sicambre.seesaa.net/article/202304article_7.html
 アフリカ人の大規模なゲノムデータを報告した研究(Bird et al., 2023)が公表されました。本論文は、カメルーンとコンゴ共和国とガーナとナイジェリアとスーダンの150以上の民族集団から得られた1333個体のゲノム規模データを報告しています。現生人類(Homo sapiens)の起源地であるアフリカは、最も現代人の遺伝的多様性が高い地域です。現代人の遺伝学的研究は、地域単位での比較では、ヨーロッパおよび北アメリカ大陸が最も進んでおり、それが現代人の遺伝的多様性の検証において基準とされる傾向にありました。現代人では最も遺伝的多様性が高いアフリカの現代人の遺伝学的研究の遅れは、現代人の遺伝的多様性をまだ充分に把握できていないことを意味しており、本論文はアフリカの広範な地域の12人口集団からそれぞれ15個体のゲノム規模データを報告した最近の論文(関連記事)とともに、現代人の遺伝的多様性の理解を深める画期的成果と言えそうです。


●要約

 先行研究は、アフリカ人のゲノムが複雑な一連の歴史的事象によりどのように形成されてきたのか、浮き彫りにしてきました。それにも関わらず、ゲノム規模データは現在の民族言語集団の少ない割合からしか得られていませんでした。カメルーンとコンゴ共和国とガーナとナイジェリアとスーダンの150以上の民族集団から得られた1333個体の新たな常染色体の遺伝的差異のデータ分析により、これらの諸国内における以前には正当に評価されていなかった精細な規模の水準の遺伝的構造、たとえばカメルーン西部の歴史的政体との相関が論証されます。人口集団間の遺伝的差異のパターンを比較することにより、カメルーン北部とスーダンの多くの集団が複数の地理的に異なる人口集団と遺伝的つながりを共有しており、それは長距離移住の結果だった可能性が高い、と推測されます。ガーナとナイジェリアでは、おそらくは気候変動と関連している環境変化の報告に該当する、2000年以上前となる混合の痕跡が推測されます。バントゥー諸語話者の人々の拡大と関連している可能性が高い、コンゴ人を含む複数のアフリカ人口集団における最近の混合兆候も推測されます。


●研究史

 ゲノム規模の遺伝子型決定と配列決定の開始以来、アフリカ人の常染色体ゲノムを分析した研究の数は、他の大陸、とくにヨーロッパのゲノムの研究に遅れをとっています。これは、アフリカ人のゲノムが非アフリカ人と比較してより多くの変異を含んでおり、高度な遺伝的構造を示す、という事実にも関わらず、です。近年では、アフリカの遺伝的多様性研究で複数の発展があり、ほぼ全ての国と全ての主要な語族から得られた常染色体データを提供する研究があります(関連記事1および関連記事2)。

 これらの研究では、遺伝的構造は大小両方の規模で地理および言語と相関するひとが多く、文化的要因も影響を及ぼした、といういくつかの証拠がある、と示されてきました。さらに、複数の期間のさまざまに考古学的文脈内でのアフリカ人の古代DNA研究は、深い人口構造の存在を明らかにしてきており、その一部はより最近の移住により覆われてきました(関連記事1および関連記事2および関連記事3および関連記事4および関連記事5)。

 アフリカ人のゲノムの以前の分析では、地理的に異なる人口集団間の混合が遺伝的多様性のパターンの形成に重要な役割を果たしている、と示されてきました。たとえば、先行研究はスーダンやエチオピアなどアフリカ北東部におけるユーラシア西部関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)の存在、ガンビア共和国やブルキナファソやチャドなどサハラ砂漠全体での遺伝子流動、フラニ語(Fulani)/フルベ語(Foulbe)およびナイル・サハラ語族話者など、サハラ砂漠以南の経度に沿った移住を推測してきました。

 3500年前頃に始まった、カメルーンとナイジェリアの国教地域からサハラ砂漠以南の大半を通ってのバントゥー諸語話者の人々の拡大は、アフリカ大陸の遺伝的構造を急速に再形成し(関連記事)、移民と在来の人口集団との間の広範な混合につながりました(関連記事)。ずっと局所的な規模での混合も推測されてきており、地理的近さおよび共有された文化的慣行と相関することが多くなっています。混合事象の年代測定の精度の進歩により、帝国の形成や拡大や移住など、過去の事象が現在のアフリカの人口集団の遺伝的多様性に及ぼしてきた影響についての推測が可能になりました。

 これらの進歩にも関わらず、アフリカ人の遺伝的多様性の研究は、民族集団および/もしくは地理的地域の疎らな標本抽出により制約されることが多く、他の大陸、たとえばヨーロッパ諸国で報告されてきたような、そうした精細な規模の構造を検出する能力が低下しました。アフリカ北東部と中央部と南部における精細な規模の研究では、最近のいくつかの進歩がありましたが、多くの国と地域はまだ充分には研究されていません。より小さな地域内の遺伝的構造の水準の理解は、大規模なゲノム規模関連研究(genome-wide association studies、略してGWAS)における人口集団階層化の修正に不可欠かもしれません。

 さらに、ある地域における連鎖不平衡(linkage disequilibrium、略してLD)のパターンをより深く推定することは、この推測に依存する、補完や精細なマッピング(多少の違いを許容しつつ、ヒトゲノム配列内の類似性が高い処理を同定する情報処理)や共局在や多遺伝子危険性得点の手法を改善できるかもしれません。さらに、同じ地域の集団で混合の歴史と痕跡が大きく異なることはよくあります。集団の密な標本抽出なしには、ある地域の遺伝的歴史の包括的な理解は不可能です。

 本論文は、標本の大半がアフリカの5ヶ国の1387人から得られた510615の一塩基多型(Single Nucleotide Polymorphism、略してSNP)における、新たに獲得された遺伝的変異のデータを分析します。その5ヶ国とは、カメルーンとコンゴ共和国とガーナとナイジェリアとスーダンで、他の3ヶ国(モザンビークと南アフリカ共和国とジンバブエ)から得られた54点の標本も分析されます。この新たなデータには、166の異なる自己申告の民族集団の人々が含まれ、アフリカにおける主要な4語族のうち3語族(アフロ・アジア語族とナイル・サハラ語族とニジェール・コンゴ語族、他の主要な語族はコイサン諸語)と、スーダンの南コルドファン(South Kordofan)地域のいくつかの推定される孤立言語の話者で構成されます。

 標本抽出された個体はアフリカ大陸全体の東部から西部にまたがり、ナイル渓谷とスーダン南部の山脈の個体群からコンゴの熱帯雨林の住民までを含み、アフリカ大陸のさまざまな環境を占めています(図1)。これらのデータにおける、以前に均一にデータを標本抽出された集団もしくは地域の事例は、カメルーン北部のアフロ・アジア語族のチャド語派話者(図1のC)、カメルーンのグラスフィールド(Grassfields)地域の民族集団(図1のA)、スーダンの南コルドファンの民族集団(図1のB)が含まれます。以下は本論文の図1です。
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 これらのデータは、この地域における人々の遺伝的歴史への洞察を可能とします。簡潔にするため、本論文は以下で簡単に述べられる問題に焦点を当てます。

(1)遺伝的構造は、他のアフリカ諸国内で観察されてきたように、カメルーンとコンゴ共和国とナイジェリアとスーダンそれぞれの内部において地理および言語および/もしくは民族集団で異なりますか?

(2)カメルーンの北西部および西部地域に広く位置するグラスフィールド地域(図1のA)には、さまざまな規模の複数の政治組織の長く複雑な歴史があります。遺伝的構造はこれらの歴史的政治組織と相関していますか?

(3)スーダンの南コルドファン地域で話されているコルドファン語派の一部(図1のBの三角)は、ナイル・サハラ語族内に位置づけられてきました。言語学者は他のコルドファン語派言語(図1のBの四角)の位置づけを議論してきており、そうした言語はニジェール・コンゴ語族話者内に位置づけられるべき、と提案する言語学者もいれば、そうした言語は孤立言語と主張する言語学者もいます。遺伝的データはこれら2つの言語分類の間を区別しますか?

(4)アフリカへのアラブ人の拡大はエジプトで7世紀に始まりましたが、他の地域にはその後まで到達しませんでした。スーダンとカメルーンにおいてアラブ人との混合の証拠を見つけて、そうした混合の年代を測定できますか?

(5)700年頃に始まったカネム・ボルヌ(Kanem-Bornu)帝国は、現在のカメルーン北部とナイジェリア北部とチャドにまたがる大規模な交易国家でした。カメルーンで標本抽出された2つの民族集団、つまりカヌリ人(Kanuri)およびコトコ人(Kotoko)において、歴史的に帝国と関連していたその年代および帝国の交易網と相関する混合の証拠はありますか?

(6)フラニ人(Fulani)はアフリカ西部沿岸からスーダンまでのサヘル地帯の大半に居住し、セネガルで話されている言語と密接に関連する言語を話す牧畜民族集団です。他の国々のフラニ人に関する先行研究は、フラニ人がモロッコ人およびアフリカ西部人と関連する人口集団の混合子孫と推測しました。カメルーンから標本抽出されたフラニ人は他の国々のフラニ人の遺伝学的研究で以前に報告されたものと類似の混合の兆候を示しますか?

(7)アフロ・アジア語族のチャド語派はチャドとカメルーン北部とナイジェリア北東部で話されていますが、アフロ・アジア語族内におけるその最も密接な言語は議論されています(図1のC)の菱形)。少数の遺伝子座を用いたチャド語派話者に関する先行研究は、ナイル・サハラ語族話者と関連する大量の最近の祖先系統を推測しました。本論文で分析されたチャド語派話者97個体の標本一式において、ナイル・サハラ語族的祖先系統の痕跡を再現できますか?チャド語派話者がどの標本抽出されたアフロ・アジア語族話者集団とより最近関連しているのか、特定できますか?

(8)バントゥー諸語は、その話者が3500年前頃に南方と東方へ拡大し始める前に、ナイジェリアとカメルーンの国境地域において発達した、と仮定されています(関連記事)。複数の波を示唆するコンゴ盆地からの最近のデータとともに、サハラ砂漠以南のアフリカ全体での拡大経路と拡大の数について、議論があります。提案された「バントゥー諸語の発祥地」からの新しい密な標本抽出を活用して、バントゥー諸語話者の人々の拡大の起源と経路と時期に関して、詳細を提供できますか?

 これらの問題に取り組むため、これらのデータは、現在の世界規模の287人口集団の個体群、および高網羅率のアフリカの古代人20個体の遺伝的変異データを含む、刊行された情報源とともに分析されました。この古代人には、カメルーン西部のカメルーン西部のシュムラカ(Shum Laka)岩陰の後期石器時代1個体(関連記事)が含まれます。新たに報告された遺伝的変異データを有する標本抽出された各個体について、自己申告の民族集団、出生地、第二言語、両親と母方祖母と父方祖父の言語についての情報が、大半の事例(80%)で同じ民族集団および出生記録された祖父母両方とともに記載されました。これは、人口構造と祖先系統についての推測への最近の移住もしくは混合の影響を軽減するよう機能し、上述の問題に取り組むさいに大きな交絡要因の可能性を改善します。特定の識別子(たとえば、地理的地域や言語集団)と関連する「祖先系統」に言及する場合、その識別子を有する標本抽出された個体群と合致する遺伝的変異のパターンを参照しており、これは便宜的に使用している略語であることに要注意です。


●遺伝的構造は地理・言語・民族集団と関連しています

 複数のさまざまな手法が用いられ、データセット内の遺伝的構造が分析されました。遺伝的多様性の主要な軸を視覚化するため、まず個体間で共有される推定上の最近の祖先のパターンについて主成分分析(principal component analysi、略してPCA)が実行されました。具体的には、5253個体それぞれについて、まずハプロタイプに基づくプログラムであるChromoPainterを用いて、各個体が世界規模の260の各人口集団から標本抽出された人々と最も最近の祖先を共有する、DNAのゲノム規模の割合が推定されました。

 次に、カメルーンとガーナとナイジェリアとコンゴ共和国とスーダンの1333個体全体でこれら推定される割合についてPCAが実行され、比較のため他のアフリカ人集団およびサウジアラビア人の選択からのデータが組み込まれました(図2)。さらに、smartPCAを用いて遺伝子型データのより一般的に用いられるPCAが実行されましたが、以前に報告されたように、プロクラステス整列をハプロタイプに基づく分析に適用すると、遺伝学と地理との間でより強い相関が観察されました。クラスタ化(まとまること)演算法であるADMIXTUREも適用され、広範な遺伝的パターンが浮き彫りになります。以下は本論文の図2です。
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 第一主成分(PC)はサウジアラビア人からアフリカ西部のニジェール・コンゴ語族話者までの勾配を形成します(図2)。この分析に含まれるほとんどのアフリカ西部のニジェール・コンゴ語族話者は、シエラレオネ人(左上)からコンゴ人まで、地理を反映する方法で第二主成分に沿って位置しますが(図2A)、カメルーン人とフラニ人は顕著な外れ値で、K(系統構成要素数)=8でのADMIXTUREの結果を反映しています。バカ人(Baka)とバコラ人(Bakola)とベヅァン人(Bedzan)で構成されるカメルーンの熱帯雨林狩猟採集民も、南アフリカ共和国とケニアのバントゥー諸語話者と同様に、他のカメルーン人およびコンゴ人とは離れてクラスタ化します(図2Aの左下、K=4のADMIXTUREでは桃色)。第三主成分では、ナイル・サハラ語族話者とコルドファン語派話者のスーダン人が、ナイル・サハラ語族話者であるエチオピアのヌエル人(Nuer)の近くで緊密にクラスタ化し(図2Bの右下)、ほとんどのアラブ語話者のスーダン人は第三主成分に沿ってサウジアラビア人へと転がります(図2Bの右上)。アフロ・アジア語族およびナイル・サハラ語族話者であるカメルーン北部人は、ナイル・サハラ語族話者のスーダン人とアフリカ西部人との中間に位置します。

 次に、(1)民族集団、(2)言語集団、(3)さまざまな距離により出生地が離れている個体の間の遺伝的距離が、遺伝学がこれらの要因のそれぞれとどのように相関しているのか、理解するために計算されました。固定指数(Fst)と全体的な差異の距離(total variation distance、略してTVD)であるハプロタイプに基づく測定の両方を用いて、遺伝的距離が測定され、ここでは、順列検定を用いて有意性が計算され、標本規模での距離の違いが説明されました。Fstとハプロタイプに基づく分析の両方を用いると、同じ国の民族集団は、近い隣人を含めて他国の集団とよりも相互と遺伝的に類似していることが多くなります。たとえば、ナイジェリア南東部の6集団は、近くに居住しているにも関わらず、カメルーン西部の全ての集団と遺伝的に区別できます。一部の地域、具体的にはガーナとカメルーン北西部および西部とスーダン南部の内部では、民族集団は通常、相互と有意に遺伝的に異なります。

 カメルーン内の語族間の遺伝的距離を調べると、ナイル・サハラ語族およびアフロ・アジア語族話者は通常、ニジェール・コンゴ語族話者と遺伝的区別でき、PCAと一致します(図2)。カメルーンのニジェール・コンゴ語族話者内では、バントイド語群を除くバントゥー諸語と草原バントゥー諸語と北バントイド語群(Northern Bantoid)話者は全て区別でき、大西洋北部・中部のフラニ語話者も同様です。各国では、遺伝的類似性と地理的距離との間に負の関係があります。しかし、諸国間で相関の強さに大きな差異があり、ナイジェリアではR²=0.10、カメルーン南部ではR²=0.96です。カメルーンとスーダンの個体群は距離に応じて遺伝的類似性で最大の減少を示し、同じ民族集団に属する人々とのみの比較後でさえ、その傾向は維持されました。しかし、スーダンでは、ナイル川沿いで標本抽出されたスーダン人のみを分析すると、遺伝的類似性と距離との間でより弱い相関が観察されました。これらの相関は距離による孤立か、異なる混合(後述)か、両者の組み合わせに影響を受ける可能性があります。

 次に、fineSTRUCTUREを用いて、個体をクラスタに分類し、個体間の遺伝的関連性の系統樹が推測されました(図3)。PCAの結果と一致して、ガーナの個体群は地理による明確な構造を示し、最初の分岐(つまり、fineSTRUCTUREで推測される系統樹ではより上部)は北部と南部の標本をそれぞれ区分し、その後で南北両方において東西間の分岐が続きます(図3)。ナイジェリアでは、南西部民族集団、つまりヨルバ人(Yoruba)とエサン(Esan)人はfineSTRUCTURE系統樹ではナイジェリア南東部人とよりもガーナ人の方と密接にクラスタ化します。民族集団もしくは地理と関連する明確な分岐は、この標本ではナイジェリア南東部人では推測されません。以下は本論文の図3です。
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 同様に、コンゴ共和国では、限定的な遺伝的構造がありますが、ヨンベ人(Yombe)は明確なクラスタを形成します。カメルーン北部人はチャドおよび中央アフリカ共和国の人口集団との1本の枝にクラスタ化し、沿岸部アフリカ西部人の枝でクラスタ化するフラニ人とは離れています。アラベ人(Arabe)やカヌリ人やコトコ人など特定のカメルーン北部の民族集団は、自身の独特なクラスタを形成しますが、他の全ての民族は2つの大きなクラスタに収まります。しかし要注意なのは、より大きな標本規模では、存在する遺伝的構造を検出する可能性がより高くなる、という点で、標本規模がfineSTRUCTUREの推測に影響を及ぼすかもしれない、ということです。


●精細な規模の遺伝的構造はカメルーンのグラスフィールド地域における民族集団と相関します

 カメルーン南部人は、言語集団により大まかではあるものの完全に定義されるわけではない3つの主要な遺伝的クラスタを形成します。それは、北バントイド語群話者、草原バントゥー諸語話者、バントイド語群を除くバントゥー諸語話者です(図3)。例外に含まれるのは、草原バントゥー諸語を話すものの北バントイド語群話者とクラスタ化するヤムバ人(Yamba)、バントイド語群を除くバントゥー諸語を話すものの北バントイド語群話者とクラスタ化するムボ人(Mbo)、北バントイド語群話者を話すもののバントイド語群を除くバントゥー諸語話者とクラスタ化するバミレケ人(Bamileke)です。とくに、北バントイド語群および草原バントゥー諸語話者内では、fineSTRUCTUREは相互に20km未満に住む民族集団を区別しました(図4D)。以下は本論文の図4です。
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 対照的に、バントイド語群を除くバントゥー諸語話者は民族集団と関連する遺伝的構造をほぼ示さず、TVD分析と一致します。カメルーンのシュムラカ岩陰の高網羅率の後期石器時代1個体(8000年前頃)はfineSTRUCTURE系統樹では、中央アフリカ共和国のビアカ人(Biaka)、バカ人、バコラ人、カメルーンのベヅァン人と同じ枝でクラスタ化します(図3)。これは、このシュムラカ岩陰の古代人1個体における遺伝的差異のパターンが、カメルーンのグラスフィールド地域のバントイド語群を除くバントゥー諸語話者および草原バントゥー諸語話者よりも、現在の熱帯雨林狩猟採集民の方と類似している、との以前の調査結果(関連記事)と一致します。


●スーダンの南コルドファン地域のナイル・サハラ語族話者とコルドファン語派話者は遺伝的に異なります

 スーダンの南コルドファン地域のナイル・サハラ語族話者とコルドファン語派話者は、スーダンのアラブ語話者およびエチオピアのナイル・サハラ語族話者を含む他のクラスタとの枝で、別々のクラスタを形成します(図3)。南コルドファン地域のクラスタは、自己申告の民族的帰属および言語との顕著な対応を示し(図4C)、例外はともにクラスタ化するケイガ人(Keiga)とコロンゴ人(Korongo)です。しかし、地理との相関は比較的低い、と推測されます。

 南コルドファン地域以外のスーダン人は、4つの主要なクラスタに区分されました。まず、1民族集団であるベニ・アメル人(Beni-Amer)は独自のクラスタを形成します。さまざまな異なる民族集団の個体群の別の集団は、カメルーンのフラニ人と同じ枝にクラスタ化します。残りの個体は、民族集団もしくは地理とほとんど対応を示さないものの、代わりに、異なる量の非アフリカ人と関連する推測される混合を示す、2つの主要な遺伝的クラスタに区分されます(後述)。


●同祖対立遺伝子共有と最近の共有祖先系統と混合分析

 本論文は、カメルーンとコンゴ共和国とガーナとナイジェリアとスーダンの個体群を含む、101の「クラスタ」を定義しました。これらの国では、各集団の個体群は同じ自己申告の民族を有しており、fineSTRUCTUREを用いてともにクラスタ化します。孤立の相対的程度を示唆しているかもしれない、集団における遺伝的均一性の相対的程度を調べるため、hap-ibdを用いて、各クラスタ内の個体の各組み合わせ間で共有される同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)断片の合計長が計算されました。平均的な推定ゲノム規模IBD共有は、クラスタにおいて3~241 cM(センチモルガン)で、フラニ人において最高値が観察されました。高い値はいくつかの他のカメルーン人およびスーダン人クラスタでも見られました。

 SOURCEFINDを用いて、101の各クラスタの個体群が226の参照人口集団と遺伝的にどのように関連しているのか、推測されました。コンゴ共和国とガーナとナイジェリアとカメルーン南部の個体群における遺伝的差異の大半がアフリカ西部集団およびバントゥー諸語話者集団と最近関連している一方で、カメルーン北部とスーダンの個体群における遺伝的差異のパターンは、アフリカ東部と西部と北部の人々の混合として最適に記載される、と推測されます。より高水準のfineSTRUCTURE系統樹と共にこれらSOURCEFINDの結果を用いて、101のクラスタを18の「超集団」に統合しました。この「超集団」はともにクラスタ化し、これら227の参照人口集団と類似の推測された関連性を示します。個体群のこれらより大きな集団は、混合事象の検出と年代測定の能力を増加させます。

 次に、別々の3手法が適用されました。それは、MALDERとfastGLOBETROTTERとMOSAICで、18の各超集団において別々に混合を推測します。この分析では、カメルーンとコンゴ共和国とガーナとスーダンの集団は、混合供給源の潜在的代理として用いられませんでした。それは、そうすることでこれらの人口集団で共有される混合の兆候が隠されるかもしれないからです。混合は全ての超集団で少なくとも1つの手法により推測され、12の超集団では2つ以上の手法で推測されました。年代推定は紀元前2650~紀元後1800年で(図5)、10の事例において3つの手法のうち少なくとも2つで信頼区間が重なります。より遺伝的に分岐している人口集団間の混合事象は、検出がより容易であることに要注意です。超集団の標本規模は大きく異なるので、混合事象の検出と年代測定の能力と、したがって信頼区間も異なるでしょう。同様に、一部の混合事象については、データセットが適切な参照代理人口集団を欠いているかもしれず、これも能力に影響を及ぼすでしょう。したがって、より大きな信頼区間もしくは手法間の不一致は慎重に扱われます。以下は本論文の図5です。
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●カメルーン北部人における混合の推測

 非コトコ人のチャド語派話者のカメルーン人(「カメルーン北部」超集団)では、fastGLOBETROTTERは、紀元後710年頃(紀元前10~紀元後840年頃)となる、(1)沿岸部アフリカ西部人、(2)アフリカ東部人、(3)バントゥー諸語話者、(4)チャドの人口集団と関連する供給源間の多方向の混合事象を推測しました。この年代はMALDERによる推測と重なりますが、より正確な信頼区間とは重なりません。対照的には、チャド語派話者のコトコ人では、ナイル・サハラ語族話者のカヌリ人と同様に、3手法全てを用いてより最近(点推定値が紀元後1000年頃以後)の多方向混合が推測されました。これら2集団の推測された混合事象は、アフリカ西部人的およびアフリカ東部人的供給源と、アフリカ北部人およびレヴァント人およびアラブ人集団と関連する第三の供給源を含んでおり、年代はカネム・ボルヌ帝国と重複します(紀元後700~紀元後1890年、図6)。さらに、MALDERはコトコ人におけるより古い混合事象を推測しました。以下は本論文の図6です。
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 フラニ人では、MOSAICとMALDERを用いて、モロッコのベルベル人(Berber)と関連する供給源およびガンビアとセネガルフラニ人の仮定される故地の人口集団と関連する供給源との間の、紀元後670~紀元後1190年頃の混合が推測されました。fastGLOBETROTTERは混合の類似の供給源を推測しましたが、紀元後1800年頃(紀元後1510~紀元後1850年頃)および紀元前680年頃(紀元前2090~紀元後130年頃)という複数の年代があります。さらに、fastGLOBETROTTERとMOSAICの両方は、これらカメルーンのフラニ人はスーダン人の1集団における紀元後1650~紀元後1800年頃の1回の混合事象の供給源の一つを最適に表しており、他の供給源はカメルーン北部人的と推定される、と推測しました。


●カメルーンとスーダンにおけるアラブ人的供給源からの2000年にわたる推測される混合

 カメルーンとスーダンの4超集団は、アラブ人/レヴァント人関連供給源からの混合の証拠を示します(図5Aの赤色の事象)。カメルーンのアラブ人およびナイル川沿いに暮らすスーダン人のクラスタでは、サウジアラビア人的な供給源からの混合の波が、紀元後1340~紀元後1720年頃と年代測定されました。一部のナイル川を拠点とするスーダン人では、fastGLOBETROTTERは、現在のサウジアラビア人と関連する供給源からの紀元後640年頃(紀元後160~紀元後800年頃)となるより古い混合事象を推測し、長期にわたるアラビア半島からの継続的な遺伝子流動と一致します。対照的に、ベニ・アメル人における推測されるアラブ人関連の混合は、ソマリ人(Somali)とより密接に関連するアフリカ人供給源を含み、その年代はMOSAICとfastGLOBETROTTERでは紀元後680~紀元後1130年頃、MALDERでは紀元前170~紀元後580年頃です。MOSAICとfastGLOBETROTTERを用いると、南コルドファン地域の2クラスタではアラブ人関連の混合は推測されません。MALDERはこれら両方の超集団で古い混合を推測しますが、信頼区間は大きくなっています(紀元前4590~紀元後990年頃)。


●カメルーン南部人とガーナ人とナイジェリア人とコンゴ人における混合はバントゥー諸語話者の最初の拡大と相関します

 fastGLOBETROTTERは、沿岸部アフリカ西部人およびバントゥー諸語話者と関連する供給源間の、カメルーンとナイジェリアとガーナのバントイド語群を除くバントゥー諸語話者と草原バントゥー諸語話者の歴史における類似の混合事象を推測しました。MALDERも、カメルーンの北バントイド語群話者と草原バントゥー諸語話者におけるアフリカの2人口集団間の混合を推測しており、信頼区間はこれらの事象と重複しますが、MOSAICはこれら超集団における混合を推測しませんでした(図5A)。fastGLOBETROTTERの推定点推定値年代は、より西方の超集団であるガーナ(紀元前450年頃)とナイジェリア西部(紀元前200年頃)ではより新しく、ナイジェリア東部(紀元前1420年頃)とカメルーンのグラスフィールド地域(紀元前980年頃)およびバントイド語群を除くバントゥー諸語(紀元前820年頃)ではより古いものの、95%信頼区間は全ての年代で重なります。

 コンゴ人では、fastGLOBETROTTERによる複数の混合の波の証拠は、バントゥー諸語話者と関連する供給源とは紀元前560年頃(紀元前1790~紀元前320年頃)、ビアカ人的な熱帯雨林狩猟採集民と関連する供給源とは紀元後1260年頃(紀元後950~紀元後1710年頃)と推測されました。MALDERとMOSAICは両方、より最近の事象を再現し、これらの手法は同じ供給源を含む複数の混合事象の検出ができません。


●拡大および「後期分岐」経路の複数の波と一致するバントゥー諸語話者における混合

 言語学的証拠から、バントゥー諸語話者の拡大はカメルーンとナイジェリアの国境に起源がある、と示唆されておりこの地域のゲノムは他の人口集団におけるバントゥー諸語話者と関連する祖先系統の適切な代理である可能性が高い、と提案されます。これを調べるため、現在の14人口集団と、現在のバントゥー諸語話者と関連する遺伝的変異があると以前に報告された古代人4個体(関連記事1および関連記事2)で、SOURCEFINDが実行されました。

 混合供給源の潜在的な代理として、データセットにおいて4個体以上の270の他の標本抽出された人口集団が用いられ、この中にはバントゥー諸語話者のカメルーン人の8集団と、非バントゥー諸語話者の262集団が含まれます。これら非バントゥー諸語話者は、カメルーンとナイジェリアの南バントイド語群話者を含んでおり、南バントイド語群はバントゥー諸語の起源となった語族です。現在および古代の18集団すべてで、SOURCEFINDはカメルーンの非バントゥー諸語の南バントイド語群話者のバミレケ人(具体的にはバミレケ人北部クラスタ)が、バントゥー諸語話者と関連する遺伝的差異のパターンを最適に反映している、と推測しました(図7)。以下は本論文の図7です。
画像

 前と同様に、fastGLOBETROTTERとMALDERとMOSAICの3手法を用いて、現在の13人口集団(前に分析されたコンゴ共和国は除きます)と、現在のバントゥー諸語話者と関連する遺伝的変異を有すると以前に報告された古代人4個体における、カメルーン的供給源と在来供給源との間の混合が年代測定されました。アフリカ西部人的供給源と、地理的に近い人口集団と関連する供給源との間の混合は、現在の11集団について2つ以上の手法で推測され、そのうち10集団は少なくとも2つの手法において推定された混合年代で信頼区間が重なります。

 これらの混合事象の多くで、MOSAICは以前に報告されたようにMALDERとfastGLOBETROTTERによる推測よりも最近の年代を推定します。3集団で混合の複数の波がfastGLOBETROTTERにより推測され、1つの事象は各事例で紀元前と推測されました。より最近の混合事象と年代が一つ推定された混合事象のうち、年代点推定値の範囲は紀元前170~紀元後1630年頃でした。SOURCEFINDの推測と一致して、fastGLOBETROTTERと MOSAICはバミレケ人が集団の大半においてバントゥー諸語話者関連混合供給源の最適な代表的供給源である、と報告しました。

 次に、バントゥー諸語話者の拡大の経路が調べられました。拡大期における南部および東部の枝へのバントゥー諸語話者の後期分岐の証拠について検証した以前の手法(関連記事1および関連記事2)に倣って、バントゥー諸語話者関連祖先系統の潜在的代理として、(1)カメルーン人とコンゴ人のバントゥー諸語話者のみ、(2)バントゥー諸語話者全員を用いて、fastGLOBETROTTERが実行されました。コンゴ人集団は、分析において全てのバントゥー諸語話者の対象人口集団の代理としてカメルーン人を上回り(1)、マラウイとモザンビークのバントゥー諸語話者集団は、分析では南部および東部バントゥー諸語話者集団の代理として選好されました(2)。これらの観察は、後期分岐モデルを支持する以前の結果と一致します。後期分岐モデルでは、バントゥー諸語話者はまず現在のコンゴ共和国(および恐らくはさらに南方のアンゴラへと)移動した、とされます。これに続いて、東部と南部の枝の分岐前に、東方への移動があり、マラウイとモザンビークにまで達したかもしれません。

 考古学的証拠は最近、コンゴ盆地における紀元後600年頃の人口崩壊と、その約800年後に起きた第二次拡大事象への裏づけを提供しました。この遺伝的痕跡を評価するため、GONEとIBDNeを用いて、コンゴ共和国における有効人口規模(Ne)の最近の変化が推測されました。その結果、両手法を用いての約60世代前もしくはそれ以前に始まる小さな人口拡大の証拠と、IBDNeを用いての継続的な拡大に続く最近(20世代前)の減少の証拠が見つかりました。より古い人口崩壊の兆候はありませんでした。しかし、GONEとIBDNeを、考古学的データからの有効人口規模の提案された変化を模倣するいくつかの模擬実験に適用することにより、そうした崩壊を特定する能力が評価されました。

 その結果、「拡大・ボトルネック(瓶首効果)・拡大」のシナリオは、本論文の遺伝子型配列データと現在の手法を用いると、単一の最近の拡大と区別するのはひじょうに困難なので、本論文のデータはこれらの技術を用いてこの仮説を検証するのに適していないようです、と示されます。さらに、混合が有効人口規模推定を増加させるかもしれない、と考えると、人口規模の変化からコンゴ共和国の人口集団における推定された混合を解明するのは難しい可能性が高そうです。


●考察

 本論文は、カメルーンとコンゴ共和国とガーナとナイジェリアとスーダンで大半が標本抽出された1387個体の、新たに報告されたゲノム規模常染色体の分析を提示します。これらのデータは、利用可能な人類学および考古学的記録に基づく仮説など、一連の仮説を調べるのに使用できます。以下では、上述の研究史の項目で記載された各問題との関連で、遺伝的データが活用されます。これら遺伝的痕跡の一部は歴史的事象へと関連づけられますが、歴史的な混合の正確な原因の確定は不可能であることに要注意です。これは、推定される年代の信頼区間が大きい場合、とくに当てはまります。本論文は代わりに、重複する年代と人口集団と地理的領域に基づくあり得る説明を提供します。


●遺伝学はカメルーンとコンゴ共和国とガーナとナイジェリアとスーダンという各国内の地理・自己申告の民族的帰属・言語と相関します

 アフリカ西部および中央部の人々とスーダン人の密に標本抽出されたデータセットを活用して、以前には過小評価されていたアフリカの人口集団における精細な規模の遺伝的構造が推測されました。カメルーンとガーナとスーダン内における、国単位(図2)と地理および/もしくは民族単位(図4)のクラスタ化が観察されます。遺伝学は主要な語族と相関することが多く(たとえば、カメルーンにおけるニジェール・コンゴ語族対アフロ・アジア語族、スーダンにおけるナイル・サハラ語族対アフロ・アジア語族)、時には、たとえばカメルーンのバントイド語群話者間など、より小さな言語分類と相関します。コンゴ盆地内などこれらの遺伝的違いの一部は、以前には把握が困難でした(関連記事)。本論文で推測される遺伝的構造は、ハプロタイプに基づく技術を用いると、より検出できることが多く、ハプロタイプが精細な規模の構造をどのようにより深く記載できるのか、示唆した最近の研究を裏づけます。これは、大規模なGWASの階層化を適切に調節するさいに影響を及ぼすかもしれません。

 おそらくは意外なことに、ナイジェリア南東部とカメルーン西部の民族集団は、国境が紀元後1913年以降にしか存在せず、その国家創立時に民族集団の分布がほとんど考慮されなかったにも関わらず、出身国ごとにほぼクラスタ化します。これは、本論文で標本抽出された集団が、この国境形成前に相互に分離されており、それは恐らく現在両側に存在する下位集団間のより古い構造に起因することを示唆します。この構造は、国境がたどりがちな地形的な障壁に起因しているかもしれません。しかし、標本抽出された民族集団には両国の個体が含まれていなかったので、本論文の標本収集ではよく表れておらず、国境の両側の集団は遺伝的により類似している事例がある可能性に要注意です。

 遺伝学と民族的帰属と地理との間で観察された関連とは顕著に対照的に、横断区手法を用いて、ナイル川沿いで標本抽出されたアラブ人とヌビア人の民族集団に属するスーダン人の間の遺伝的差異のパターンは、民族的帰属との一致をほぼ示さず、距離関係による微妙な分離のみを示します。対照的に、単一の場所から各スーダンの人口集団を標本抽出した先行研究は、アラブ人とヌビア人の集団が遺伝的に区別できる、と分かりました。これは、ミトコンドリアDNA(mtDNA)データを用いて以前に示唆されたように、たとえば遺伝子流動の回廊としてなど、ナイル川がスーダンの集団間の混合を促進するよう作用したことと一致します。ほぼ全てのアラブ人とベジャ人(Beja)とヌビア人の個体群は、主要な違いがアラブ人集団と最近関連すると推測された遺伝的差異のパターンの割合(48%と12%)である、2つの遺伝的クラスタに収まり、ベジャ人とヌビア人の個体群におけるそうした推測されたアラブ人関連祖先系統は平均的に少なくなっています。


●遺伝的構造はカメルーンのグラスフィールド地域における歴史的政体と相関しますか?

 図4Dは、グラスフィールド地域を含むカメルーン南部および西部における精細な規模の構造を示します。カメルーンのグラスフィールド地域(広くは北西部および西部地域)は、バムン人(Bamun)など紀元後19世紀末に大規模で統一された王国(fondomとして知られています)を有した民族集団から、アゲム人(Aghem)などわずか数村落で構成されるより小さな民族集団まで、さまざまな歴史と政体のある民族集団の故地です。グラスフィールド地域の個体群における顕著な精細な規模の構造が推測され、ほとんどの民族集団は、標本抽出された個体群が相互に20km以内に暮らしている集団でさえ、独自の遺伝的クラスタを構成しています。この構造は異なる混合ではなく集団間の孤立の結果と考えられ、それは、これらの集団はすべて非グラスフィールド地域人口集団と遺伝的に同様に関連しているからです。代理として154のアフリカ人集団が標本抽出されましたが、(未知の)祖先供給源に寄与した充分に適切な代理を有していない場合、そうした集団間の真の混合の違いの検出能力に制約がある可能性に要注意です。

 民族集団が遺伝的クラスタと一致しない、2つの重要な例外が見つかりました。まず、ンソ人(Nso’)とウィンバム人(Wimbum)は、草原バントゥー諸語の異なる枝の言語を話し、70km離れて暮らしているにも関わらず、ともにクラスタ化します。ンソ人は先植民地期に大規模で統一された王国を形成し、近隣の民族集団に影響を及ぼし、恐らくは遺伝子流動を促進しました。もう一方の民族集団であるノニ人(Noni)は、ンソ人とは20km以内で暮らしていますが、ンソ人とクラスタ化しません。ノニ人はンソ王国により支配されることもありましたが、別々の独自性を維持し、植民地期と植民地期後の両方で独立を確立しようとしており、これが2集団間の遺伝子流動を制約したかもしれません。第二の例外は、ティカール人(Tikari)と自己認識している民族集団で、この集団は2つの別々の遺伝的クラスタに収まります。とくに、ティカール語を話し、アダマワ(Adamawa)地域に暮らすと申告しているティカール人と自己認識している人々は全員、他の北バントイド語群話者の間にクラスタ化します。対照的に、ティカール語を話し、グラスフィールド地域で暮らしていると申告しているティカール人は、他のグラスフィールド地域の民族集団とクラスタ化します。

 標本抽出されたグラスフィールド地域の民族集団のうち、バムン人とバミレケ人は最低の推定集団内IBD共有を示します。バムン人の王国はグラスフィールド地域において最大と報告されており、近隣の民族集団との戦闘および交易で知られています。これらの相互作用は、バムン人における遺伝的孤立/族内婚を減少させるよう、作用したかもしれません。一般的にこれらの結果から、カメルーンのグラスフィールド地域における異なる政治的構造は類似の遺伝的痕跡と一致しない、と示唆されます。グラスフィールド地域における遺伝的差異のパターンを解釈するさいには、植民地の歴史を検討することも重要です。たとえば、バミレケ人との分類は、植民地期にドイツ人によっていくつかのより小さなフォンドム(fondom、政体)に与えられ、これは、そうした広範な植民地期の分類を課されなかった近隣の民族集団と比較して相対的に高い遺伝的多様性を説明できるかもしれません。


●スーダン南部においてコルドファン語派話者とナイル・サハラ語族話者との間で構造が検出されますか?

 ナイル川沿いに標本抽出されたスーダン人で観察された遺伝的構造の欠如とは対照的に、南コルドファンのヌバ(Nuba)山脈で標本抽出された個体群ではひじょうに精細な規模の構造が推測され、民族言語集団と相関します(図4C)。この地域は、近寄りにくい性質のため、歴史的な退避地として記載されてきました。エスノローグ(Ethnologue、キリスト教系の少数言語の研究団体が公開しているウェブサイトで、少数民族言語の概況を説明しています)は南コルドファンの言語を2つの大語族に位置づけています。それは、ニジェール・コンゴ語族(コルドファン語派)とナイル・サハラ語族ですが、分類について論争があり、いくつかの言語は孤立言語として分類されることが多くなっています。

 本論文は、コルドファン語派話者として分類される集団はナイル・サハラ語族話者として分類される集団と遺伝的に異なっている、と推測し、後者はエチオピアの標本抽出されたナイル・サハラ語族話者とより大きな遺伝的類似性を示します(図2)。これらの違いは、最近の族内婚の影響を軽減した後にも残り、異なる大語族と相関する、恐らくはコルドファン語派とナイル・サハラ語族の話者間のいくつかの古代の構造が示唆されます。この地域における遺伝学と地理との間の比較的低い相関も推測されますが、これは、アケローン人(Acheron)など主成分を歪める比較的孤立した集団の結果である可能性が高そうです。以前の報告を再現して、スーダンへのアラブ人の拡大後の南コルドファンにおけるアラブ人関連の混合の証拠は推測されず、再び退避地としての山脈の役割と一致します。


●アフリカへのアラブ人の拡大の結果としての混合を年代測定できますか?

 アラブ人的供給源と関連する、スーダン人における混合の複数の波が推測されました。他の標本抽出されたスーダンの民族集団とは対照的に、沿岸部ベジャ人民族集団であるベニ・アメル人は、エチオピアのアフロ・アジア語族話者集団と関連する遺伝的変異のより大きな推定割合(図5C)、および紀元後千年紀のサウジアラビア人およびイエメン人と関連する供給源からの混合のより古い波を示します。アクスム王国(The Kingdom of Aksum)はこの期間にエチオピア北部全域と沿岸部スーダンとイエメンに広がり、アラビア半島と交易したと知られており、推測された遺伝子流動について説明できる可能性を提供しますが、この帝国と無関係な他の相互作用もこの兆候を説明できます。この混合事象は、ベニ・アメル人においてそれ以前の期間の追加の非アフリカ人との混合とともに以前に報告されており、この以前の兆候は、より最近の兆候により隠されたため推測できないかもしれません。

 紀元後1340~紀元後1730年頃の、(1)現在のアラブ人および(2)アフリカ東部のナイル・サハラ語族話者と関連する供給源間の、おもにナイル川住民を含む他のスーダン人の2クラスタにおける混合が推測されました。この推測された混合の年代と供給源は以前の調査結果と一致しており、この期間のマクリア王国(the Kingdom of Makuria)の崩壊を反映しているかもしれず、これによりアラブ人集団はナイル川を下ってスーダンへと拡大することが可能になりました。これらのクラスタのうち1つでは、類似の供給源間の紀元後640年頃(紀元後160~紀元後800年頃)となる混合のより古い波についての以前の報告が再現され、紀元後7世紀のアラブ人の拡大に先行するか一致するスーダンへの移住の波の可能性が示唆されます。最後に、紀元後16世紀頃となるカメルーンの最北地域のアラブ人におけるアラブ人的混合が推測され、紀元後14世紀半ば以降の湖地域へのアラブ人集団の報告された移動と重なります。


●カネム・ボルヌ帝国は関連するカメルーン北部人口集団の遺伝的構成にどのような影響を及ぼしましたか?

 チャド語派話者のコトコ人とナイル・サハラ語族話者のカヌリ人の両方で、コトコ人では紀元後960~紀元後1690年頃、カヌリ人では紀元後820~紀元後1760年頃となる混合事象が推測され、これには現在の、アフリカ東部人、アフリカ西部および南部のバントゥー諸語話者、アフリカ北部人とレヴァント人とアラブ人それぞれと関連する、3つの異なる供給源が含まれます。その推定年代は、この期間にカメルーン北部に存在したカネム・ボルヌ帝国と重なります(図6)。カネム・ボルヌ帝国は紀元後700年頃以降、チャド湖の東側のカネムに拠点を置きました。紀元後14世紀後半には、カネム・ボルヌ帝国の中心地はナイジェリア北東部のボルノ(Borno)へと移り、19世紀後半までそこに留まり続けました。

 文化的および言語的にコトコ人と関連している在来のチャド語派話者人口集団が、ナイル・サハラ語族話者のカネム・ボルヌ帝国へと同化され、カヌリ人が民族集団として出現したのは、この後期のことです。これは、カネム・ボルヌ帝国の後半にコトコ人における混合年代を2つの手法が推測した理由を説明できるかもしれません(図6)。カヌリ人では、MOSAICはカネム・ボルヌ帝国の期間内の複数の混合事象を推測し、それは、前期もしくは帝国期と後期で、おそらくはより長期にわたるより継続的な混合を反映しています。カネム・ボルヌ帝国はアフリカの北部と西部と東部の間の交易関係で知られており、恐らくはこれらの地域の人々の混合を促進しました。しかし、本論文の信頼区間は長期にまたがっており、この期間におけるカメルーン北部への遺伝子流動はカネム・ボルヌ帝国と無関係な長距離の相互作用と関連しているかもしれないことに要注意です。


●カメルーン北部のフラニ人の歴史において混合を年代測定できますか?

 カメルーンの最北とアダマワ地域で標本抽出されたフラニ人において類似の混合供給源が推測され、これは他の国々のフラニ人の研究でも報告されました。その1供給源は12%ほど寄与したモロッコのベルベル人関連で、残りのDNAはガンビア人およびセネガル人と関連する供給源からの寄与でした。モロッコのベルベル人およびガンビア人と関連する供給源間の混合は、これらカメルーンのフラニ人において、MALDERとMOSAICを用いると紀元後670~紀元後1190年頃で、ガンビアとブルキナファソとニジェールとチャドで標本抽出されたフラニ人での紀元後200年頃という、一部の以前の混合年代推定よりも最近となります。fastGLOBETROTTERは混合の複数の年代を推測し、上述の供給源間のより古い事象は紀元前700年頃ですが、信頼区間がひじょうに大きくなっています。fastGLOBETROTTERが推測したひじょうに最近の混合は、以前に示されたように、より古い事象へとその年代推定値がさかのぼるかもしれません。サハラ砂漠を横断する交易および移動経路は、アフリカのり北部と西部を何千年もつなげ、推測される遺伝子流動を促進したかもしれません。フラニ人クラスタ内でのIBD共有のより大きな量も推測され、民族集団の歴史的な族内婚慣行の結果かもしれません。

 いくつかのスーダン人個体において、フラニ人的供給源とカメルーン北部的供給源との間の、紀元後1650~紀元後1800年頃となる混合が推測されました。非フラニ人供給源はスーダン人よりもカメルーン人の方と密接に関連しているので、混合はスーダンよりも西方で起きた可能性が高い、と示唆されます。推定信頼区間は、ナイジェリア北部とカメルーンのフラニ人とハウサ(Hausa)人と他のチャド語派話者人口集団との間の、歴史的に証明された、相互作用増加期間と重なっており、ウスマン・ダン・フォディオ(Usman dan Fodio)のフラニ人のジハード、および多民族のソコト人カリフの確立と拡大で最高に達ました。この混合の一部の子孫は、その後でスーダンに移住したかもしれませんが、それ以前の時点で東方に移動した集団間のスーダン内での混合など、いくつかの他の説明も可能です。


●どのアフロ・アジア語族話者人口集団がカメルーン北部のアフロ・アジア語族チャド語派話者と遺伝的に最も密接に関連していますか?

 14のカメルーン北部のアフロ・アジア語族チャド語派話者民族集団のうち11集団を含む超集団(カメルーン北部超集団、図3)では、現在の沿岸部アフリカ西部人、バントゥー諸語話者集団、エチオピアとチャドのナイル・サハラ語族話者により表される複数の供給源間の混合年代が、紀元後710年頃(紀元前10~紀元後840年頃)と推測されました。この混合は複数の祖先供給源を含んでいるので、移住事象の方向性は推測困難です。紀元前6000~紀元前2000年頃となるカメルーンへのチャド語派話者の最初の移住と関連するには最近すぎる一方で、混合の類似の年代と供給源が、ナイジェリア北部のニジェール・コンゴ語族話者であるベロム人(Berom)について報告されました(関連記事)。

 まとめると、これらの結果は紀元後千年紀におけるカメルーン北部とナイジェリア北部での少し特徴的な混合事象を示唆しており、この混合事象は東西のアフリカ人と遺伝的に関連する供給源が含まれます。この期間は外来的な副葬品の存在の顕著な増加についての考古学的証拠、したがって、この地域における外部供給源との交易と一致しています。以前の報告と一致して、チャド語派話者では、カメルーンとチャドのナイル・サハラ語族話者と最近関連する大量の遺伝的変異の証拠が見つかり、チャド語派の最も密接なアフロ・アジア語族話者の識別が困難となります。カメルーン北部内の標本抽出されたナイル・サハラ語族話者とチャド語派話者は、本論文の手法を用いると、遺伝的に区別できないようです。


●現代のアフリカの人口集団にバントゥー諸語話者の拡大はどのような影響を及ぼしましたか?

 ナイジェリアとカメルーンの国境およびその周辺の「バントゥー諸語の発祥地」の個体群の密な標本抽出を考慮して、どの標本抽出されたカメルーンとナイジェリアの集団が、アフリカ全域のバントゥー諸語話者集団と関連する祖先系統を最もよく代表しているのか、調べられました。バントゥー諸語における初期の分岐に関して愚論があり、祖型バントゥー諸語はより広範な南バントイド語群内で側系統である可能性が高いので、バントゥー諸語と非バントゥー諸語の南バントイド語群との間の区別が議論になることもあります。これと一致して、OURCEFINDとfastGLOBETROTTERとMOSAICを用いての手法では、全ての人口集団におけるバントゥー諸語話者的構成要素は、カメルーンのバントゥー諸語話者人口集団と比較しても、非バントゥー諸語の南バントイド語群話者であるバミレケ人と最も密接に関連している、と推測されました(図7)。しかしこれは、バミレケ人をより適切な祖先系統の代理とする可能性がある、少ない最近の族内婚と一致する、バミレケ人における集団内IBD共有の結果かもしれません。この地域の遺伝的構造がバントゥー諸語の拡大開始と同じ4000年前頃ではなかった可能性が高そうなので、この結果からバミレケ人は拡大の供給源だった、とは示唆されない、と本論文は強調します。

 南アフリカ共和国で発見された古代人3個体(530~310年前頃)を含めて、混合の単一の年代が推定されたバントゥー諸語話者集団では、混合事象はバントゥー諸語話者的気湯と在来の供給源を含んでいました。年代点推定値は紀元前170~紀元後1630年頃の範囲で、先行研究における推測と一致します。バントゥー諸語話者が在来の人口集団と混合した年代についての本論文の推測は、考古学および言語学的証拠において示唆された、地域への最初の到来よりも最近であることが多くなっています。これは、最初の移住および/もしくは、類似の経路に沿って、元々の混合事象を覆い隠す類似の供給源を含む、複数の「拡大の上書き(spread over spread)」の移住後の、バントゥー諸語話者の長い孤立により説明できるかもしれません。後者と一致して、コンゴ共和国のバントゥー諸語話者からの新たなデータでは、紀元前560年頃と紀元後1260年頃の複数の混合事象の証拠が見つかり、両者は現在のバントゥー諸語話者および熱帯雨林狩猟採集民と関連する供給源を含んでいます(図5A・B)。

 より古い年代は、コンゴの熱帯雨林への紀元前800年頃となるバントゥー諸語話者の拡大の最初の段階と一致しており、コンゴ民主共和国の集団における以前の混合推定(関連記事)と合致します。推測された最近の事象と類似する混合は、ガボンとアンゴラの集団でも以前に報告されており、第二の「拡大」事象を表しているかもしれません(関連記事)。「拡大の上書き」理論と一致して、南アフリカ共和国のズールー人(Zulu)やケニアおよびウガンダのバントゥー諸語話者における、バントゥー諸語話者供給源と在来の供給源との間の複数の混合年代の証拠も見つかり、より古い年代はこれらの地域へのバントゥー諸語話者の最初の移住と重なります。これら3クラスタはバントゥー諸語話者では最大の標本規模で、これらより古い年代を検出する能力が増加します。

 ガーナ人とナイジェリア人とカメルーン南部の3超集団では、fastGLOBETROTTERと、時にはMALDERが
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2023/10/28 (Sat) 06:40:13

人類は1200人まで減少し、自分自身や環境を変える事で生き残った
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16822339



現生人類の起源
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/735.html

人類進化史
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/581.html

雑記帳 古人類学の記事のまとめ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/592.html

ネット上でよく見かける人類進化に関する誤解
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/774.html

『イヴの七人の娘たち』の想い出とその後の研究の進展
https://sicambre.seesaa.net/article/202304article_26.html

(人類史年表)過去1000万年の気候変動の概要
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/603.html

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http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/759.html

類人猿ギガントピテクス、大きすぎて絶滅していた
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/678.html

アウストラロピテクス属と初期ヒト属の進化過程のギャップを埋める化石発見
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/589.html

北京原人、火の利用を裏付ける新証拠が発見
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/627.html

原人:台湾で新たな化石発見 北京やジャワと別系統
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/575.html

デニソワ人 知られざる祖先の物語
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/675.html

チベット人の高地適応能力、絶滅人類デニソワ人から獲得か
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/497.html

4代前にネアンデルタール人の親、初期人類で判明
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/620.html

日本人はネアンデルタール人の生き残り?
http://www.asyura2.com/18/revival4/msg/105.html

人類の「脱アフリカ」は定説より早かった!? 現代人は13万年前にヨーロッパに到着していた
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/471.html

洞窟壁画の発見は4万年前のアジアでも具象芸術が存在していた事を証明する
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/536.html

なぜ華北黄河流域で天の信仰が、華南長江流域で太陽の信仰が誕生したのか
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/707.html

中国の黄河で4000年前に大洪水が起きた _ 中国・伝説の大洪水、初の証拠を発見
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/714.html

レベッカ・ウラグ・サイクス著『ネアンデルタール』
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14056986

ヨーロッパにおけるネアンデルタール人と現生人類の関係
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14095189

古代DNAに基づくアフリカの人類史
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14092942

現代アフリカ人の起源
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14100876

人類最初のアメリカ到達は16,000年以上前であったことが判明
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/613.html

インド アンダマン諸島先住民、米国人宣教師を矢で殺害
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/929.html

アジア東部集団の形成過程
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/739.html

更新世におけるユーラシア東方から西方への大規模な移動
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/756.html

ヨーロッパ人の起源
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007381

白人はなぜ白人か _ 白人が人間性を失っていった過程
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/390.html

先住民族は必ず虐殺されて少数民族になる運命にある
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/590.html

氷河時代以降、殆どの劣等民族は皆殺しにされ絶滅した。
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