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エベレストで指9本を失った栗城史多さんに登山家たちが冷たかった理由

1:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/02/14 (Tue) 06:56:45

「ああいう凍傷は見たことがない」…エベレストで指9本を失った栗城史多さんに登山家たちが冷たかった理由
2023/2/11
https://news.yahoo.co.jp/articles/4197b9da97aeb6854901e49d977697feb33eeb7e


世界最高峰のエベレスト登頂に幾度となく挑戦した栗城史多さんは、4回目の挑戦で両手の指を凍傷により9本失った。たいへんな大ケガだが、それでも多くの登山家は栗城さんの挑戦に冷ややかだった。なぜだったのか。河野啓さんの著書『デス・ゾーン』(集英社文庫)よりお届けしよう――。

河野啓さんの著書『デス・ゾーン』(集英社文庫)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%B3-%E6%A0%97%E5%9F%8E%E5%8F%B2%E5%A4%9A%E3%81%AE%E3%82%A8%E3%83%99%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%83%88%E5%8A%87%E5%A0%B4-%E9%9B%86%E8%8B%B1%E7%A4%BE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E6%B2%B3%E9%87%8E-%E5%95%93/dp/4087444791/ref=sr_1_1?adgrpid=128665858295&hvadid=627552528174&hvdev=c&hvqmt=e&hvtargid=kwd-334037719624&hydadcr=16035_13611182&jp-ad-ap=0&keywords=%E3%83%87%E3%82%B9%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%B3&qid=1676325238&s=books&sr=1-1


■難しいルートにあえて挑む不可解さ

 ノーマルルートを逸れた末、カラスのせいで敗退したと発表した栗城さんは、翌年、このとき以上に「ありえない」行動に出る。

 2012年秋。4回目のエベレスト挑戦。

 栗城さんが選んだのは、ノーマルルートより格段に難度が高い西稜ルートだった。稜線(りょうせん)の上は常に強風に晒される。しかも西稜は長く険しい。

 1963年にアメリカ隊が初めて足を踏み入れ、1979年にはユーゴスラビア隊が基部から忠実に稜線をたどって頂上を踏んだ。1981年、明治大学エベレスト登山隊が、大学の「創立100周年記念」として挑戦したのもこのルートだ。総力戦を展開し、山頂のすぐ下、標高差98メートルの地点まで肉薄した末に断念している。いずれの隊も大人数で装備も日数も要する「極地法」で挑んだ。

 その難ルートに「単独無酸素」で臨むと言えば、ヒマラヤを知る人たちが怒り出すのも無理はない。

■「登頂が目的でなくなっているのでは」

 しかも栗城さんはこの年の6月、ヒマラヤのシシャパンマ(8027メートル・世界14位)でケガを負っていた。登頂を断念して下山中、クレバスに落ちて右手の親指を骨折し、胸の軟骨も損傷したのだ。

 体調が万全ではなく、過去3度の挑戦で一度も8000メートルに届いたことがないのに、わざわざ登頂困難なルートを選んだ。これには、児玉毅さんも首を傾げたという。

 「アラスカにスキーに行ったときは、まだまだやる気満々だったんですけど……。あれ?  登頂が目的ではなくなって来ているのかな……とは感じましたね」

 そしてこの登山で、栗城さんは指に重度の凍傷を負うことになる。

 このときベースキャンプ(BC)マネージャーを務めたのは女性だった。彼女の姿を見て私はハッとした。

 面差しが栗城さんの婚約者だったAさんに似ていたからだ。

 《AさんがなぜBCに? 》
《ええと、これはいつの映像だっけ? 》

 私はリアルタイムではなくDVDや動画で振り返っているので、余計に頭の中が混乱したのだ。

 彼女は東京の技術会社の音声スタッフで、栗城さんの最初の挑戦から同行していた。初回の収録映像はすべて見たので、私はスタッフに若い女性がいることには気づいていた。だが画面に大映しになることはなかったため、容姿までは気に留めていなかった。

 無線での対応も的確で、聡明な女性と思われた。

■野口健さんもツイートでチグハグな行動を指摘

 キャスティングはとても新鮮だったが、肝心の栗城さんの行動はチグハグだった。

 まず、このときの遠征はBC入りが遅かった。前年は9月7日にBCに入った(栗城さんは直前の8月にスポンサー「ニトリ」の社長にあいさつに行った際、「すぐに行った方がいい」と叱られている)。2012年はそれよりも遅い、9月12日のBC入りだった。

 10月2日。栗城さんは「8日の登頂を目指す」とBC(5300メートル)を出発した。

 C1(6000メートル)、C2(6400メートル)まで登ったものの、「ジェット・ストリームが近づいているので去るのを待つ」と10月6日にBCに戻る。

 10月9日、再びアタックに向かった栗城さんは、C1を飛び越えC2まで一気に登るが、そこで4泊。13日になってC3(7200メートル)へ上がったが、体調不良を理由に2泊する。この状況には親交のある登山家、野口健さんも「ステイ?  二泊はつらい」とツイートしている。

 せっかく体が高度に順応してきたのに、停滞が続けば耐性が失われてしまう。動かなくても疲労がどんどん蓄積する。長引けば大量の脳細胞が死んでいく。登頂アタックの段階になったら、極力迅速に登るのが高所登山の鉄則である。

 こうした高度退化への疑問のほか、ネット上には「ガスや食料がもつのか?  非常に不自然」という声も上がっている。

■通常では考えられない場所でテントを張る

 動きのない栗城さんに代わって、心配そうに山を見上げる女性BCマネージャーを主軸に、エベレスト劇場は展開していく。

 栗城さんは10月15日、C3から下山の意向をBCに伝える。しかしそれを撤回して、16日、また登り始めた。予定のキャンプ地には届かず、遥か手前、標高7500メートル地点の岩陰にテントを張ることになる。エベレストの最終キャンプは8000メートルを超えた地点に設置するのが一般的だ。それより500メートルも低い。山頂までの標高差は1348メートルに及ぶ。

 それなのに栗城さんは、17日、「モンスーンが来るまでのラストチャンスなので登頂を目指す」とBCに告げるのだ。

 「頂上で会いましょう」

 午後7時15分に入ったその無線連絡を、女性マネージャーは表情一つ変えずに聞く。

 「標高7500メートルからの山頂アタック、了解しました。決めたからには頑張ってください。無理はしないように」

 淡々とした口調で言うと、彼女は「オーバー(以上)」と無線を切った。

■「本当にもう指はダメだと思う」

 壁に取りついた栗城さんは、凄まじい風に晒され続けた。同じころ、エベレストの隣の高峰、ローツェを目指していたポーランド・スペイン隊は、シェルパが強風の影響で滑落死したため下山している。

 栗城さんは、10月18日の早朝、登頂を断念する。

 「風が強すぎて、これ以上は危険だって判断しました……ごめんなさい……」

 栗城さんが標高7500メートル地点のテントに戻ったのは、18日の午後5時半ごろだった。下山を決意して12時間、前夜の出発からは実に22時間15分が経過していた。栗城さんはすぐに無線でBCに救助を要請した。

 夜10時、救助のシェルパを待つ栗城さんはBCのスタッフに無線で思いを語っている。

 「水分補給もできていない。体がブルブル震えていて……。本当に7500メートル、酸素と水がないと厳しいかもしれないよ」

 指を動かせず水が沸かせないことを、切々と訴えている。

 「本当にもう指はダメだと思うの。もう心も体も厳しい状況なの」

 BCの撮影スタッフが、言葉を選びながら静かに伝えた。

 「栗城君一人の命を救うために本当に多くの人間が動いています。本当に多くの人間が必死に栗城君の無事を祈っています……。栗城君が今できることは、一晩、とにかく一晩、がんばって生き抜いて、そしてまた元気な顔を見せてくれることだけです。とにかく一晩生きてください。いいですね」

 その言葉を女性BCマネージャーも悲痛な面持ちで聞いていた。栗城さんの声が届く。

 「ああ、了解、ごめんなさいね。こっちもだいぶ精神的に……テントの中が寒すぎて……ハア、ハア、ごめんなさい」

■両手の第2関節から先が凍傷で黒く変色

 翌日、シェルパの助けを借りてC2に下りた栗城さんは、ヘリコプターでカトマンズの病院に搬送された。病院のベッドで両手を広げた写真を、栗城さんはネットに公開した。左右ほとんどの指の、第2関節から先が真っ黒に変色している。

 私が栗城さんのブログを覗いたのは、彼が凍傷を負って半年以上が経過した2013年の夏だった。当時はもう彼の活動に注意を払っていなかったので、情報に接するのが遅くなってしまったのだ。

 私がショックを受けたのは、彼の黒く変色した指に対してではなかった。

 私がアクセスする数日前、栗城さんは長い文章をアップしていた。

 「『(筆者注・スマートフォンをいじるために)指なし手袋でアタックした』(中略)など、訳のわからない言葉が並ぶ…。(中略)現場のことが分からない人や、足を引っ張りたい人は、そのように書きたいのでしょうが、(中略)知っている人は知っているので、人の挑戦を馬鹿にする人はどうでもよいのです」

 私はこれを読んで初めて、栗城さんがネットで批判されるようになっていたことを知った。そして自分を攻撃する投稿者に彼が反論していることにショックを受けたのだ。

■いつの間にか「アンチ」が現れ始めた

 私が彼を取材した2008、9年ごろ、ネット民の栗城評は「称賛」一色だった。

 「大好きです!」
「素晴らしい!」
「大注目のヒーロー!」
「こんな若者を待っていた!」

 正直に言うが、栗城さんに様々な疑問を抱き始めていた私は、「誰か文句を言っているヤツはいないのか?」と検索したことがある。30分ほど探したが、誰もいなかった。

 栗城さんはネットが大好きだった。「もうテレビは厳しいんでしょう?」と私にイタズラっぽい目を向けたこともある。その彼とネット民の関係の変化に、私はホラー映画を見たような鳥肌を伴う寒気を感じたのだ。

■「あんな凍傷は見たことがない」

 先輩の森下亮太郎さんは、栗城さんが凍傷になった後、頃合いを見計らってメールを送っている。「ご心配かけてすみません」と返信があったそうだ。

 「凍傷だと聞いてさすがに心配になりましたけど、一方では『何やってるんだ? 』と腹立たしい思いもありました。冬山のトレーニングをしっかり積んでおけば、凍傷になりかかったらすぐに気づくはずなんです。『指の体温が戻りづらい。おかしいな』って。その感覚が養われていないのは、準備不足と自己管理ができていない証拠です。今の時代、凍傷は登山家の勲章にはなりません」

 ある疑念を、森下さんは抱いたという。

 その疑念は多くの登山家に共通していた。佐藤信二さんは言う。

 「1本2本ならわかるけど、彼の場合、凍傷の境目が何本もの指にわたってきれいに一直線になってる。ああいう凍傷はちょっと見たことがないですね」

 エベレスト4回目の遠征メンバーは、森下さんが副隊長を務めたころと大きく変わってはいない。森下さんは今も交流が続く隊員の一人からある情報を得ていた。

 「登頂を諦めて『下りる』って言ってから、4時間も無線連絡が途絶えた、呼んでも返事がなかった、って……。何してたんだ?  って思いました。それで最初は、栗城が自分で手袋を外して、雪の中に指を突っ込んだんじゃないかって……凍傷になるために、わざと……ここまでひどくなるとは想像せずに……」

 その後、22時間も外にいたと知って多少は自作自演の疑念を拭ったが、そんな長時間行動すること自体、高所登山のセオリーを無視している。

■「カッコイイ大人の姿」の代償

 栗城さんの凍傷は、広い意味で言えば、やはり演出上の誤算だったのではないか? 

 彼は「登山を面白くしたい」と語るエンターテイナーである。観客の目を常に意識していたはずだ。出国前の記者会見で、栗城さんはこう発言している。

 「これが最後のエベレストになるかもしれない」

 それだけではない。大きな構想を語っていた。

 「これまでの登山と今回の映像をドキュメンタリー映画にまとめたい」

 リアルドキュメンタリー夢教育映画「エベレスト・ライジング」──そう命名していた。全国の小中学校での無料上映を想定しているという。その製作意図を、会見でもブログでもこう説明している。

 「夢に向かうカッコイイ大人の姿を伝えたい」

 公開予定は翌2013年夏だった。制作費が不足しているとして、クラウドファンディングで一般からの出資も募っていた。

 栗城さんはこの映画用の「強いシーン」が欲しかったはずだ。

 停滞を長引かせて観客をハラハラさせ、追い込まれた状態になってから必死にもがく……。過酷な西稜ルートを舞台に選んだのも、映画が面白くなりそうだという直感からかもしれない。

 「今回は空からの撮影も行なう」と、栗城さんはラジコンヘリコプター3機を手配し、そのオペレーター2人を現地に同行させている。

 だが、舞台となる西稜の“売り”は強風である。ラジコンヘリなど簡単には飛ばせない。順応登山の段階では撮影できたが、舞台の「山場」である登頂アタックに入ってからの空撮映像はなかった。

■エベレストでの不可解な行動の真相

 子どもに夢を与えるのは、普通に考えれば、何よりも「登頂」というクライマックス・シーンだろう。単純明快、ストレート、子どものハートのど真ん中を捉える。

 この作品がカッコイイ大人を描く人物ドキュメントだとするなら、観客の心を揺さぶることができるのは、唯一、主人公の行動だけなのだ。

 難度の高い西稜ルートを選んだこと、遅いBC入り、強風や体調不良を理由にした高所キャンプでの長いステイ、山頂に届くはずのない標高差1348メートルの最終アタック、その22時間に及ぶ行動……栗城さんの4回目のエベレスト劇場は、不可解なシーンが連続した結果、凍傷という後味の悪いエンディングを迎えたのだ。

 全責任は「演出家」に帰する……残酷だが、舞台の鉄則である。


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