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北アルプスで男性6人が遭難、体の一部が10センチの氷漬けで発見され…

1:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/01/30 (Mon) 00:20:16

北アルプスで男性6人が遭難、体の一部が10センチの氷漬けで発見され…“吹雪の山”で相次いだ悲惨な事故
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山でアリやミミズを食べ、足首の傷口からはウジが湧き…30歳男性登山者が経験した13日間の“サバイバル遭難” から続く

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 かつては“3K(きつい・汚い・危険)のアウトドアスポーツ”とまでいわれた登山だが、近年は若者にも人気のレジャーとなっている。その一方で、2000年以降は山の遭難事故が急増した。そして遭難事故は、多少の波はあるにせよ、増加基調で推移し続けている。

 ここでは、近年の遭難事例や遭難対策を紹介し、安易な山登りに警鐘を鳴らす羽根田治氏の著書『 山のリスクとどう向き合うか 山岳遭難の「今」と対処の仕方 』(平凡社)より一部を抜粋してお届けする。(全2回の2回目/ 1回目 から続く)

◆◆◆

相次いだ北アルプスでの事故
 例年、ゴールデンウィーク(以下、GW)ごろは大きな遭難事故が起きやすい。 まとまった休みが取れるということで大勢の登山者が山に繰り出す一方、この時期は気象の状況次第で山の天候が厳冬期のような厳しさになることもあるからだ。

 たとえば、2012(平成24)年のGWの後半、前線を伴う低気圧の通過と寒気の流入により、北アルプス一帯は真冬並みの悪天候となり、遭難事故が相次いだ。白馬岳では5月4日、栂池(つがいけ)ヒュッテを出発した60~70代の男性6人パーティが、夕方になっても宿泊予定の白馬山荘に到着せず、家族が警察に捜索願いを届け出た。

 この日の朝の天候は無風で青空ものぞいていたが、午後になって天候が急変し、稜線上はブリザードのような吹雪となった。その悪天候のなか、6人はなんとか白馬岳北方の三国境あたりまでやってきたが、そこで力尽きてしまった。現場を通りかかった登山者が、稜線で倒れている6人を発見したのは、翌朝のことだった。

 遭難者の体の一部は、厚さ10センチメートルほどの氷漬けとなっていて、地面に張り付いていた。6人の死因は、いずれも低体温症であった。

救助を求めに向かうも、猛烈な風雪に見舞われて行動不能に
 同じ日、穂高連峰では、北穂高岳から穂高岳山荘に向かっていた福岡の「あだると山の会」の男女6人パーティ(50~70代)のなかの女性メンバーが、オダマキのコル(ミヤマオダマキが咲く鞍部の通称)のあたりで低体温症にかかって動けなくなってしまった。このため、リーダーともうひとりのメンバーが女性に付き添ってその場に残り、ほかの3人が穂高岳山荘に救助を求めに向かったのだが、その3人も涸沢岳に登り着いたと同時に猛烈な風雪に見舞われ、こちらも行動不能に陥ってしまった。

 その後、午後7時過ぎになって、オダマキのコルにいるリーダーの携帯電話がようやく通じ、穂高岳山荘に常駐していた岐阜県警山岳警備隊に救助要請がなされた。

またこの通報により、先発隊の3人がまだ小屋に着いていないことも判明した。要請を受け、警備隊員と山荘のスタッフがただちに現場へと向かい、涸沢岳とオダマキのコルあたりで救助活動を行った。

オーナーは警察に通報 自ら現地へ向かったが…
 ところが、そのさなかに、さらに2人が低体温症で倒れてしまった。このため山荘から新たに応援スタッフらが現場に投入され、猛吹雪のなか、壮絶な救助活動が展開された。遭難パーティの全メンバーを山荘に搬送し終えたのは午後11時ごろで、山荘のスタッフが総出で応急処置に当たった。残念ながら、3人の行動不能者のうちひとりは助からなかったが、ほかの2人は朝方までに回復した。

 この日にはさらにもう一件、爺ヶ岳でも遭難事故が起きている。爺ヶ岳や鹿島槍ヶ岳の登山拠点となる種池山荘のオーナーの自宅に、単独の女性登山者(62歳)から電話がかかってきたのは、4日夕刻のことだった。相手は「吹雪でなにも見えない」と告げたあと、すぐに電話は切れてしまったが、その後も電話がかかってきて、以降、つながっては切れるというやり取りを何度も繰り返した。女性はこの日の朝から登山を開始したとのことだったが、オーナーがいくら現在地を尋ねても曖昧な答えしか返ってこず、「もう諦めて下山します」と告げたあとは、バッテリー切れとなって電話は不通になってしまった。

 彼女は救助要請をしたかったわけではなく、オーナーの「大丈夫か」という問いにも「はい、大丈夫です」と答えたという。ただ、話の様子からルートを把握しておらず、山にも慣れていない印象を受けたため、オーナーは警察に一報を入れたのち、自ら現地へ向かい、ジャンクション(尾根の合流地点)ピークの上まで登って捜索を行った。しかし、目も開けていられないほどの猛吹雪のため、諦めて午後11時過ぎに下山した。

 翌5日朝、女性は爺ヶ岳に登った登山者によって発見された。場所は爺ヶ岳の中央峰と北峰の鞍部付近で、すでにこと切れていた。死因は低体温症とみられている。

天候に左右されるGWの事故形態
 続く2013年のGWは、全国の山で遭難事故が相次ぎ、発生件数141件、遭難者数185人と、ともにそれまでの過去最多を更新した。とくにこの年が異例だったのは、連休前から北アルプスでは雪が降り続き、涸沢と白馬大雪渓で入山に対する自粛要請が出されていたことだ。北アルプス南部で雪となったのは4月26日からで、翌日も雪が降り続いていたため、涸沢では雪崩の危険が高くなっているものと判断し、アルプス南部地区遭難対策協会の救助隊長を務める涸沢ヒュッテの山口孝社長が自粛要請を決定した。

 実は、2年前のGW直前にも涸沢では雪崩が発生しており、涸沢ヒュッテの支配人が巻き込まれて重傷を負い、売店が全壊するという被害が出ていた。このときの教訓を活かしての判断であった。

 なお、涸沢の自粛要請は、ひとまず雪崩のリスクが低くなったことから、翌28日午前中に解除されている。

パーティは「判断ミスだった」とマスコミにコメント
 一方、やはり26日からの降雪によって大雪渓での雪崩の危険が高まっていた白馬では、地元の大町警察署の判断によって、27日の早朝から入山に対する自粛要請が指導された。しかし、この日の午前10時35分ごろ、大雪渓で雪崩が発生し、2パーティが巻き込まれてしまった。そのうち50代の男女6人パーティでは4人が巻き込まれ、3人は仲間に救出されたものの、女性ひとりが行方不明となった。女性は翌日、雪に埋もれた状態で発見され、病院で死亡が確認された。死因は窒息死だった。

 このパーティは、自粛要請について「直接は聞いていないが、知っていた。ただ、天候回復が望めると思って入山した。判断ミスだった」とマスコミにコメントしている。

 もうひとつのパーティは、山口県の宇部山岳会の2人(32歳と50歳の男性)で、自粛要請が出される前日に入山していた。2人の捜索は難航したが、5月6日と19日にそれぞれ遺体となって発見された。死因はいずれも窒息死だった。ちなみに白馬の自粛要請は解除されず、GW期間中はずっと続けられた。

全国的に転滑落事故が多発
 このような自粛要請は、涸沢では2年前に次いで2度目、白馬では初めてだった。次に2014年のGWをみてみると、転滑落事故の発生が目につく。それも、奥穂高岳や北穂高岳、涸沢岳、白馬岳、立山、剱岳などの北アルプスエリアだけにかぎらず、岐阜の川上岳、丹沢の大山、群馬の荒船山で死亡事故が起きているほか、富山県の黒菱山、福岡県の犬ヶ岳、静岡県の黒法師岳、奥秩父の甲武信(こぶし)ヶ岳などでも負傷事故が発生するなど、全国的に転滑落事故が多かったのが特徴だ。

 例年、この時期に多発する気象が原因の遭難は、大きな天気の崩れがなかった影響で少なかったが、前線の通過によって天気が崩れたGW後半に奥穂高岳で連続発生している。5月5日の夜、奥穂高岳の山頂付近で、茨城の山岳会「ACC‐J茨城」の男性3人(40~60代)パーティが悪天候によりルートを誤り、身動きが取れなくなって救助を要請した。翌朝、岐阜県警の山岳警備隊員が現場へ向かって3人を救助したが、2人は低体温症によって命を落とした。そのうちのひとりは、多くの記録的な登攀を実践してきた先鋭的なクライマーだった。

2015年は遭難発生件数と遭難者数が過去最多に
 同じく5日、岳沢に入山していた長野県勤労者山岳連盟に加盟する複数の社会人山岳会の14人グループのうち、南稜から奥穂高岳に向かった8人パーティ(20~60代の男女)のメンバー5人が、低体温症や疲労で行動不能となり、翌日、全員が長野県警のヘリに救助された。全員、命に別状はなかった。

 このときの天気の崩れは、強い寒気の流入などによって厳冬期並みの暴風雪になっていたわけではなく、この時期の3000メートル級の山としては平均的な、つまりはよくある悪天候であった。それでも標高が高い山では、状況はより厳しくなり、判断ミスやちょっとの油断が事故を招いてしまうことを再認識させられた2つの事例であった。

 2015(平成27)年から2017年のGWも、北アルプスをはじめとして全国各地の山で遭難事故が起きている。とくに2015年は、遭難発生件数173件、遭難者数208人で、いずれも現在(2022年)までの過去最多となった。2018(平成30)年のGWには、マスコミにも連日大きく報道された遭難事故が起きた。新潟県の五頭(ごず)連峰で親子が行方不明になったという事案である。

駐在所に遭難の可能性を伝えていたことが発覚
 5月5日の午後2時ごろ、37歳の父親と6歳の男児が日帰りの予定で赤安(あかやす)山と扇山に入山したが、午後4時ごろになって、「道に迷ったのでビバークする」という連絡が家族に入った。そして翌朝、「これから下山する」という通話を最後に、連絡がとれなくなってしまった。2人の捜索は7日の早朝から開始され、その後、2つの山の北東にある松平山の登山口で父親の登山届が見つかり、複数の目撃情報も寄せられたことから、捜索の中心は松平山周辺へと移った。

 しかし、連日多くの人員が山に入り、ヘリやドローンも投入されたが、捜索は難航し、手掛かりはまったく得られないでいた。この間に、遭難者の父親が6日の朝に駐在所を訪れて遭難の可能性を伝えていたことが発覚し、連絡ミスにより初動が遅れたことを新潟県警が陳謝する一幕もあった。2人の遺体がようやく見つかったのは、遭難から24日が経過した5月29日のことだった。場所は松平山と赤安山の間を流れるコクラ沢の斜面で、父親の上に男児が重なるようにしてうつ伏せに倒れていた。死因はいずれも低体温症とみられる。
2:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/01/30 (Mon) 10:04:07

山でアリやミミズを食べ、足首の傷口からはウジが湧き…30歳男性登山者が経験した13日間の“サバイバル遭難”
『山のリスクとどう向き合うか 山岳遭難の「今」と対処の仕方』より #1
羽根田 治2023/01/29
https://bunshun.jp/articles/-/60306


 かつては“3K(きつい・汚い・危険)のアウトドアスポーツ”とまでいわれた登山だが、近年は若者にも人気のレジャーとなっている。その一方で、2000年以降は山の遭難事故が急増した。そして遭難事故は、多少の波はあるにせよ、増加基調で推移し続けている。

 ここでは、近年の遭難事例や遭難対策を紹介し、安易な山登りに警鐘を鳴らす羽根田治氏の著書『山のリスクとどう向き合うか 山岳遭難の「今」と対処の仕方』(平凡社)より一部を抜粋してお届けする。(全2回の1回目/2回目に続く)


壮絶なサバイバル遭難
 携帯電話の普及は、私たちの生活はもとより山での通信手段をも一変させ、遭難事故の発生現場からリアルタイムでの救助要請を可能にした。また、ヘリの機動力を活かした救助体制の確立と救助隊員の技術向上により、今日では迅速で的確な救助活動が実現できるようになっている。

 だが、最先端のテクノロジーの光明をもってしても、奥深い山の自然の隅々まで明るく照らし出すまでには至らない。そこには、太古から変わらぬ、深い闇が潜んでいるように思う。その闇のなかに、ふとしたきっかけで落ち込んでしまったかのような遭難事故が、今でもときに起こる。

 30歳男性が単独で奥秩父の両神山に向かったのは、2010年8月13日のことである。翌14日の午前10時ごろ、登山口の日向大谷から登りはじめ、午後1時半ごろには山頂に到着した。下山は登りと同じルートをたどり、夕方の最終バスが出る時刻までに下りてくるつもりだった。

 だが、下りの途中にある分岐点まで来たときに気が変わった。「同じ道を下るのはおもしろくないだろう」と思い、七滝沢ルートを下りることにした。その判断が暗転のはじまりだった。斜面をトラバースしていたときに足元が滑って40メートルほど滑落し、足首上の開放骨折という重傷を負ってしまったのだ。

地面の泥水をすすり、アリやミミズを食べて飢えをしのいだ
 以降、男性は13日間を山のなかで過ごした。ときに地面の泥水をすすり、アリやミミズや苔を食べて飢えをしのいだ。傷口からはウジが湧き、やがて腐乱臭も漂いはじめた。死を覚悟し、「いっそ死んだほうが楽なのかな」とも考えたが、朝になると目が覚めているという日が何日か続いた。そして遭難して14日目の午後、ずっと捜索を続けていた埼玉県警の救助隊員によって発見・救助されたのだった。

 救助活動は激しい雨が降るなかで行われたが、現場の沢はみるみるうちに増水して、男性が救助を待っていた場所は瞬く間に水没してしまった。まさに間一髪の救助劇であった。

 両神山で男性が遭難したのと同じ8月14日、北アルプスの三俣蓮華(みつまたれんげ)岳では61歳の女性が道迷いの迷宮に足を踏み入れようとしていた。


写真はイメージです ©AFLO
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16日間も山のなかで過ごした61歳の女性
 女性は前日に岐阜県の新穂高(しんほだか)温泉から入山し、3泊4日の行程で笠ヶ岳、弓折岳、三俣蓮華岳、黒部五郎岳、北ノ俣岳と縦走して、富山県の折立(おりたて)へ下山する予定であった。ところが、14日に双六小屋から巻道コースをたどって三俣蓮華岳へ向かう途中、東側の沢のほうへと迷い込んでしまった。この日は風雨が強く、雨で登山道が水浸しになっていたので、悪路や視界の悪さなどが要因となって登山道を外れてしまったようだ。

 女性が迷い込んだのは、湯俣川源流の樅沢(もみさわ)かその枝沢あたりだと思われる。以降、彼女は16日間という長い時間を山のなかで過ごすことになる。

 女性の家族から岐阜県警高山署に捜索願が出されたのは、下山予定日を6日も過ぎた8月22日であった。ひとり暮らしをしていた女性と連絡がとれなくなったことから、心配した家族が女性の住居を訪れて登山計画のメモを見つけ、初めて山に行ったことを知ったのだった。

いくつもの幸運が重なったことによる生還
 女性が救助されたのは、偶然の賜物だった。8月30日、ガイド登山の8人パーティが、20年以上も前に廃道となった伊藤新道を三俣蓮華岳方面から下ってくる途中、赤沢の出合付近の岩陰で助けを求める遭難者の女性を発見し、連絡を受けた長野県警のヘリによって無事救助されたのである。

 本人の話によると、18日までは正しいルートを探して山中を彷徨していたが、水がなくなったため沢筋に下り、岩陰でビバーク(露営)しながら沢を下っていったという。幸いだったのは、果物やお菓子、アルファ米、パン、栄養補助食品など、山小屋を利用する3泊4日の山行にしては豊富な行動食を携行していたことだ。

 これらで10日以上食いつなぎ、食料が尽きてからは沢の水を飲んで空腹を満たしていた。ツエルト(簡易テント)は持っていなかったため、夜はすべてのウェアを着込み、レスキューシートにくるまって寒さをしのいだ。


 遭難中は好天続きで雨が降らなかったこと、廃道となっていたルートをガイド山行のパーティが通りかかったことなど、いくつもの幸運が重なった16日ぶりの生還であった。

激しい雷雨に見舞われ、奥深い山のなかへ迷い込んでしまう
 その約1年後の2011年8月5日、69歳の男性が紀伊山地の大峰奥駈道(おおみねおくがけみち)の弥山(みせん)~八経(はっきょう)ヶ岳~仏生(ぶっしょう)ヶ岳~釈迦ヶ岳を2泊3日で縦走する計画を立て、天川(てんかわ)村の川合から単独で入山した。初日は弥山の山頂にある弥山小屋に泊まり、翌日は奥駈道をたどって釈迦ヶ岳を越え、太古ノ辻から稜線を離れて、この日の宿泊地・前鬼(ぜんき)へと向かった。

 ところが、下っていく途中で激しい雷雨に見舞われ、焦りもあっていつの間にか登山道を外れ、奥深い山のなかへ迷い込んでしまった。その日から8日までは、がむしゃらに歩き回って道迷いからの脱出を図った。しかし、道、案内板、人間、人家、宿坊、救助のヘリコプターなどが、次々と男性の前に現れては消えた。すべて幻覚だった。激しい幻覚に翻弄され、いたずらに体力を消耗した。しまいには背負っていたザックも投げ捨ててしまった。

救助隊長の閃きが発見につながることに
 精魂尽き果て、9日から11日までは涸れ沢のなかで動かずに過ごした。しかし喉の渇きに耐えきれず、水を求め、膝行(しっこう)して沢を下りはじめた。100メートルの距離を3時間かけて下り、ようやく水にありつけてほっとしていたときに、救助隊が男性を発見した。

 男性の捜索は8、9日の2日間にわたって行われたが、「発見は絶望的」と判断され、すでに打ち切られてしまっていた。だが、救助隊長の閃きによって1日だけ捜索を再開することになり、それが発見につながったのだった。




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