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中国の酒の歴史

1:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/01/09 (Mon) 04:53:32

2004年12月、中国で紀元前7000年頃の賈湖(かこ)遺跡(en)から出土した陶器片を分析したところ、米・果実・蜂蜜などで作った醸造酒の成分が検出されたという報告があった。いまのところこれが考古学的には最古の酒である。


中国大陸において殷・周の時代、酒は国家の重要事である祝祭において重要な意味を持っていた。非常に手の込んだ器である殷代青銅器のうち、多くのものは酒器である。

『論語』には「郷人で酒を飲む(村の人たちで酒を飲む)」などの記述があり、紀元前5世紀頃には一般的な飲み物になっていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%85%92


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三国志の時代にはお酒があった?酒宴でのエピソード紹介!
2018年07月28日
https://sangokushirs.com/articles/612

三国志の世界では、たびたび酒宴の描写があります。そこで気になるのが、三国志の時代にはお酒があったのかです。時代的に三国志は、180年~280年頃の話となっており、本当にお酒があったのか疑問に思うでしょう。そこで今回は、三国志とお酒について紹介していきたいと思います。


1.三国志の時代のお酒!

■ 三国志の時代にもお酒はある!
まず疑問点である三国志の時代にお酒はあったのかだが、単刀直入に三国志の時代にはすでにお酒が存在していたとされています。実は、中国のお酒の歴史は相当古いのです。なぜなら、中国は世界で最も早くお酒の醸造が始まった国とされており、約7千年も前からお酒が造られていたされているのです。また、歴史書である「史記」によると、夏の初代国王の時代にお酒が発明されたと記されています。いずれにしても、中国のお酒に関する歴史は古く、三国志の時代にお酒は確実に存在していたのです。

■ どんなお酒だったの?
三国志の時代にも、お酒があったことはわかったと思います。そうなると気になるのが、どんなお酒があったのかではないでしょうか。三国志の時代には、『事酒(じしゅ)』『昔酒(せきしゅ)』『清酒(せいしゅ)』の3種類のお酒があったとされています。事酒は、どぶろくをイメージするのが一番近いです。また、事酒を発酵させたものを昔酒とされており、アルコール度数が上がります。さらに、昔酒をもっと発酵させたのが清酒です。とは言え、現代に比べれば、蒸留酒を造る技術が圧倒的に劣っています。そのため、アルコール度数はあまり高くなかったとされているのです。

2.三国志のお酒関係でのエピソード

■ 酒飲みと言えば張飛
お酒関係のエピソードと言えば、張飛が真っ先に思い浮かぶと思います。劉備(玄徳)や関羽と義兄弟の張飛ですが、大酒飲みのイメージが強い武将でもあります。張飛は、お酒で失敗したエピソードをたくさん持っているのです。なかでも有名なのが、劉備(玄徳)らが袁術討伐に打って出た際に、徐州の留守を任された後のエピソードです。

劉備(玄徳)は張飛の酒癖の悪さを知っており、張飛に留守を任せるのを渋るのですが、張飛は「お酒を辞めるから」と懇願するため、城の守りを任せることにします。義兄弟との約束から張飛はお酒を飲まずに城を守っていました。しかし、部下たちを労う必要もあると考えて、部下にお酒を振舞うのです。張飛は、最初は一緒にお酒を飲むことを我慢していたのですが、「一杯くらい」と飲んでしまい、結局どんどんお酒を飲んでしまうのです。曹豹はそれを見て張飛にお酒を飲むのをやめるように説得するのですが、張飛は怒ってしまいます。

これにより曹豹は張飛を恨むことになり、呂布に城内の様子を密告するのです。そして、曹豹は呂布に寝返り、張飛や城兵が酔いつぶれている間に徐州を占領されてしまうのです。このように、張飛はお酒で失敗をしており、「酒は飲んでも飲まれるな」という格言がよくわかるエピソードとなっています。

■ 孫権も酒癖が悪い!
呉の初代皇帝である孫権も、酒癖が悪いことで有名です。酔いが回ると酒宴に参加している部下に対し、執拗に酒を注いで酔い潰すだけでなく、寝てしまう部下がいると水を掛けて起こして吐くまで飲ませたとされています。そんな孫権のお酒エピソードとしては、呉王に即位した際の酒宴が有名です。

孫権は呉王に封じられた際、主演を開催していつものように泥酔しながら強引に部下に酒を飲ませます。酒宴に出席していた孫権の部下である虞翻は、孫権が席の前にくると酔い潰れて寝ているふりをしたのです。虞翻は孫権が別の席にいったので、寝たふりをやめたのですが、それを孫権は見つけ激怒します。そして、孫権は斬ろうとするのですが、劉基がとりなしてなんとか宥めることができたのです。ちなみに、孫権はこのエピソードの後、酔いが醒めてから反省したとされています。しかし、その後も酒癖の悪さは治らなかったようです。

■ 面白いお酒のエピソードを持つ劉伶
劉伶とは、竹林の七賢のひとりです。ちなみに、竹林の七賢とは酒を飲んだり清談を行ったりしながら交遊した7人のことです。劉伶は身長が140㎝ほどであり、手押し車に乗り、下僕に手押し車を引かせて移動していたとされています。お酒好きとして有名であり、手には酒壺を抱え、どこでも構わずにお酒を飲んでいたとのことです。そんな劉伶と妻のお酒のエピソードが面白いのです。

劉伶の妻は、酒浸りの夫をいつも心配していました。ある日、劉伶は二日酔いがひどく、妻に迎え酒を持ってくるように言います。しかし、劉伶の妻は夫を心配して、お酒をやめるように説得します。劉伶は妻に諫めてくれたことに感謝し、「自分では意志が弱いから神に誓うためにお供え用のお酒と肉を用意してほしい」と妻に言うのです。劉伶はお酒と肉を神前に供え、「天は劉伶を生みたまい、酒をもって名を挙げてさせたもうた。一度に一斛を飲み、五斗を迎え酒としてくださいました。天に報いるため、婦人の言葉など決して聞きません」と口上を述べ、用意した神前の酒を飲み、肉を食べると酔っぱらって寝てしまったのです。劉伶は、お酒を飲みたいから神に誓うふりをして、酒と肉を用意させただけだったのです。

3.曹操や劉備(玄徳)はお酒を禁止した?

■ 禁酒令があった?
三国志の時代には、禁酒令が出たこともあります。禁酒令を出したことで有名なのが、曹操と劉備(玄徳)です。曹操は酒害を禁酒令の理由としていたのですが、実際には兵糧米の不足を恐れたからとのことです。当時の人もお酒が好きで、穀物の多くを酒に代えてしまうため、曹操は兵糧が不足することを恐れたとされています。ただ、曹操の禁酒令は厳密なものではなく、厳格に施行されていなかったとのことです。

また、劉備(玄徳)も禁酒令を出しています。劉備(玄徳)は、行き過ぎた取り締まりだったことが「三国志簡雍伝」からわかります。これによると、劉備(玄徳)は酒の醸造道具を持っていただけで、禁酒令違反として逮捕することがあったとのことです。これに対し、簡雍は「それならあのカップルも淫行罪で逮捕しましょう。彼らも“淫行の道具を持っている”のですから」と劉備(玄徳)を諫め、醸造道具を持っていた者は釈放されたというエピソードがあるのです。このエピソードから、劉備(玄徳)は厳しい禁酒令を出していたことが窺えます。

4.まとめ

三国志の時代にもお酒はあります。しかし、蒸留技術などが乏しいため、アルコール度数は低いようです。また、三国志の登場人物には、お酒に関係するエピソードが多くあります。なかでも張飛と孫権の酒癖の悪さは有名です。曹操と劉備(玄徳)は、禁酒令を出すこともありました。いずれにしても、三国志の時代の人々もお酒を嗜んでいたと思うとなかなか感慨深いものがあります。

https://sangokushirs.com/articles/612


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2016年10月19日
三国一のお酒好き!?画期的な酒造法を広めた曹操孟徳と日本酒の意外な関係


お酒に縁の深い三国武将と聞いて、真っ先に浮かぶのは誰ですか?『三国志演義』でお酒に関する失敗が多く描かれている張飛益徳?それとも宴会が大好きだったという呉の孫権仲謀?いえいえ、それより縁が深いのは、魏の君主・曹操孟徳なのです。今回は彼と日本酒の意外な関係や、お酒にまつわるエピソードなどをご紹介いたしますね!
https://sangokushirs.com/articles/40

武将たちが美味しそうに酌み交わしているお酒 三国時代のお酒はどんなものだったの?

三国志を読んでいると、武将たちがお酒を豪快に酌み交わしているシーンが度々描かれています。それを読んでお酒を飲みたい、飲めるようになりたい、と感じる方もきっと多いでしょうね。かくいう筆者も、「爵(しゃく・古代中国の酒器)を傾けて温かいお酒を味わいながら、剣舞などを眺めてみたいなあ」などと幾度となく憧れたものです。
それほどまでに印象的で美味しそうに感じられるのですが、三国時代のお酒は実際どのようなものだったのでしょうか?

周の時代、お酒は神事のための「斉(せい)」、人が飲むための「酒(しゅ)」に分かれていました。斉には5種類あり、そのうち主に使われたとされる醴斉(れいせい)とは甘い一夜酒のことであり、現在で言うの甘酒のルーツと考えられます。
人が飲むお酒は事酒(じしゅ)、昔酒(せきしゅ)、清酒(せいしゅ)の3種類でした。いずれも穀物が原料で、事酒はいわゆるにごり酒、昔酒は事酒の発酵を進めてアルコール度数を高くしたもの、清酒は昔酒を更に発酵させ、上澄みだけを甕に詰めたものです。
漢の時代になると醴斉も酒として扱われるようになり、前漢の歴史書『漢書』には「醴酒」という記述が確認できます。
醴斉や事酒はアルコール度数1%未満、昔酒や清酒であっても現在の発泡酒程度だったのだとか。いずれにせよたくさん飲まなければ酔うことができませんし、酒豪でなくとも浴びるほど飲むことができたのかもしれませんね。

曹操のお酒との付き合い方 なんとまさかの禁酒令を発布!?

さて、そんな時代に酒をこよなく愛した武将のひとりが、魏の創始者・曹操孟徳です。詩人としても名を残している彼の代表作『短歌行』はこのように書き出されています。

対酒当歌  人生幾何
譬如朝露  去日苦多
慨当以慷  幽思難忘
何以解憂  唯有杜康

「酒を飲みながら大いに歌おう。人生は儚く短いもの。毎日辛いことや悲しいことばかりで嫌になるけれど、それを忘れるには酒を飲むのが一番いいんだ」
ざっくりと現代語訳するとこのような感じでしょうか。乱世の中、頭痛持ちでいかにも神経質そうな曹操は、気に病むことが他の人より様々あったのかもしれません。その緊張をほどいてくれるリラックスアイテムであり、楽しい気分を盛り上げてくれるカンフル剤的な役割だったのでしょうか。
そして『曹瞞伝』という書には宴席での姿についても描かれており、お酒を飲んでご機嫌になると、お皿や盃に頭を突っ込んで衣類を汚してしまうほど大笑いしていたとか。鬱憤晴らしの飲酒にしてはずいぶんと明るくお茶目な印象がありますよね。上司と飲むのが楽しいかどうかは、当時であっても個人の感じ方次第でしょう。とはいえ、こんなにご陽気な酒飲みだったら一緒に愉快な時間を過ごせるでしょうし、曹操はこうした面でも多くの臣下に愛されていたのかな、などと筆者は思うのでした。

お酒が大好きな曹操ですが、禁酒令を出したことがありました。理由は人々が飲みすぎて体を壊してしまうから……というのは表面的な理由。飢饉と戦争が続いて財政が困窮、次に戦争が起きたときに兵糧を確保できなくなることを恐れたためだとか。
しかし、禁じられたらますます飲みたくなるのが人情です。当時の人々は、澄んだお酒を「聖人」、濁ったお酒を「賢人」隠語で呼び、こっそり飲んでいたのだそうです。そして禁酒令を破って酒を飲み、酔った部下が失言して早々の逆鱗に触れるも、「酔った上での軽口だから」と周囲に取りなされ、処刑を免れたというエピソードも残っています。このことからも、この禁酒令がさほど厳密なものではなかったことがうかがい知れます。

曹操が広めたお酒の製法『九醞春酒法』って?皇帝にも上奏したレシピをご紹介

曹操はただ酔うのが好きなだけではなく、味にもこだわりを持っていたようです。
酒造職人であるの知人・郭芝(かくし)から聞き出した酒造法を、当時の皇帝(献帝)に上奏しています。その内容をレシピ風にまとめてみますね。

■材料
・麹……30斤(約7kg)
・水……5石(約100リットル)
■作り方
1・12月2日、麹を水で洗い、正月になったら凍っているところを溶かします。
2・良質な米を加えて3日にいちど発酵させ、9石(約180リットル)になったら米を追加するのをやめます。
3・発酵を9回繰り返せば出来上がりです。
※麹のカスを搾り取れば飲めます。こうすれば、麹や米に虫がたくさんついていたとしても、すべて取り去ることができます。
※この方法ではいつも発酵がよくでき、しかもきれいなので酒カスも飲めます。
※9回発酵させても苦くて飲みにくい場合は、10回発酵させてください。ずいぶん甘くなって飲みやすく、不快な酔い方もしにくくなります。
(原文とは文章が前後しています。ご承知おきください)

9回発酵させて作られるこの酒を九醞春酒(きゅううんしゅんしゅ)、その製法を九醞春酒法(きゅううんしゅんしゅほう)と呼びました。これは現在の醸造酒の製法と同じもの。日本酒で言う「段仕込み」ですね。アルコール度数も日本酒のそれと同程度であったと考えられます。事酒や昔酒、清酒のような度数の低い酒がほとんどだった1800年前としては、最先端の技術と言っても過言ではないでしょう。
この製法を誰が考え出したのかは不明ですが、分量や手順を事細かに書けるところを見ると、曹操も作り方について充分な理解があったと考えられます。軍略家で政治家、詩人でなおかつ酒造りの知識もあっただなんて、曹操は実に多才ですよね。

せっかくのお酒。どうせ飲むなら曹操のように

余談ですが、以前筆者が日本酒に関する講座に出席したとき、前述の九醞春酒法の話題が取り上げられました。文献として残されていないため、曹操のレシピが日本に伝わったという確証はないそうです。とはいえその可能性はなきにしもあらず。日本酒を楽しむ際には、かの英傑に思いを馳せてみるのも一興かもしれません。
また、せっかく飲むのならば、やはり陽気で愉快なお酒が一番。酒癖はなかなかコントロールできないものですが、できることなら曹操のようにリラックスして大いに歌ったり、料理に頭を突っ込むまでにならなくても(笑)大いに笑いながら、楽しく過ごしたいものですね。
https://sangokushirs.com/articles/40
2:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/01/09 (Mon) 04:59:14

酒物語:中国―酒と人とのかかわり
服部匡延
https://www.daito.ac.jp/gakubu/kokusai/asia21/sake/china1.html

中国では、古く殷(商)代の亀甲獣骨文、略して甲骨文と称するものに、楷書風に書くと「」となるような文字がしばしば登場する。この字は酉と彡との二つから成っているわけであるが、彡は酉の右側にあったり左側にあったりする。これをどう発音したものかいま一つはっきりしないが、意味は祖神・河神・岳神・星神などさまざまな神々を「まつる」ことであるらしい。酉はもともと象形の字で、頸が細く長い壺のような容器を表したものであるが、このなかで酒を醸成し、また酒を満たしたことから酒の原字ともされた。その器口から香気が洩れ立ちのぼるさまをあらわしたのが「」字で、これも酒の原字とされる。のつくりの彡もおそらく酒の香気を表したものであろう。

殷人は、とにかくこの酒を用いて神々を祭った。例えば甲骨に刻まれた貞問(おうかがい)の一つに「戊午トして宕貞(と)う。彫(まつり)して年(みのり=稔)を岳・河・?にのらんか」などとあるのだが、そのことを示している。その股はのちに周に滅ぼされることになるわけであるが、B.C.10世紀、西周の康王23年に鋳造された有名な「大孟鼎」の銘文の一節に「我聞くに、殷の命を墜(おと)せるのは、これ殷の辺・侯・田(の諸侯)と、殷の正百辟(官長)と、率(ひき)いて酒に肄(なら)いたればなり云々」、つまり股の連中は酒を飲みすぎて天命を失ったのである。それに引きかえわが周は「御事(祭祀・儀礼)に在りて、酒におよぶも敢てようことなく……烝祀(祭の名)すること有るも、敢てみだること無かりき」であったために天命をえ、天命によって天下を保有したのである、とある。事実関係はなお検討を要するとしても、とにかく何かといっては祭りをし祈りを捧げ、そしてそのつど、ある程度もしくは相当の程度、アルコールを愛用したことは事実だったにちがいない。殷代の彝器(宗廟の祭器)に酒器が多いといわれていることも参考になる。とはいっても、股人がはたして周人のいうように、神意をそこなうような飲み方をしたものかどうか注1)。殷に臣礼をとっていた周が、殷を放伐し奪権したことに対し、酒にことよせた自己正当化の論理ではなかったか。

それはさておき、ともかく殷人は加護するものであると同時に、まかりまちがえば加害にも及ぶそらおそろしい神々に対し、酒を介して神人合一感の充足を希求したにちがいない。穀霊の精粋である酒の霊力による精神の昂揚と陶酔のなかで、その充足の幸福感に浸ったであろう。周人は「われわれは殷人のような飲み方はしない」、酒と彼等のような付き合い方はしないといっているが、その言明自体、ひるがえせば神―酒―人といった構図は変わらず、自己抑制という道徳性の色あいを帯びてはいるものの、つづまるところ量の差でしかないことを反証する。酒を装置として神人合一の至福境を演出する点では両者同類といえよう。後代、人と神との距離が遠ざかるにつれて人が神にとって替わり、その構図が人―酒―人に変貌するに至っても人人合一の愉快感は、敬虔さの点では劣るにしても似たようなものといえるかも知れない。

ここで、かの文豪レフ・トルストイの言説をもじって言わせてもらえば、「しあわせ」な生活の様相はどれも似たりよったりなものであるが、「ふしあわせ」な生活の様相は千差万別である。とすれば、似たようなものはこのくらいにして、つぎには反転して不幸な様相における人と酒とのかかわりを採りあげてみよう。

天下統一の後漢の崩壊、魏を最大勢力とする三国の鼎立、そして晋による再統一へ。紀元3世紀百年にわたるこの時代は、戦乱に明け暮れる英雄たちの時代であった。別ないい方をすれば英雄個人の意志が法の時代であった。とりわけ魏晋の交替期は権力の座に近く位置し、それだけにまた警戒され猜疑され、へたをすれば抹殺されさえする、まさに貴族たちにとっては危険きわまりない時代であった。その危険に対して貴族たちの多くは、すでに内実を失い形骸だけに落ちぶれはてた礼教の皮を身にまとって迎合したが、心ある文人貴族たちは、彼等の偽善と、それを政治的に利用する権力と、あるものはそれらを白眼視しつづけ(例えば阮籍のごとく)、またあるものはそれからの韜晦に徹して成功し(例えば劉伶のごとく)、しかしまたあるものは韜晦に失敗して殺されもした(例えば?康のごとく)。総じていえば、彼等は反俗と不服従のともがらだといえるが、その反俗と不服従の武器でもあり旗じるしでもあったのが、その酒であり飲みっぷりであった。魏晋交替期のこの時代に、このような生きざまを示したのが「竹林の七賢人」であったが、上に列挙した阮籍と?康こそグループを代表する存在に外ならず、劉伶もまたそのメンバーであった。

阮籍は?康とともに曹魏建国の前後に生まれている。魏の二代目こと文帝の曹丕は後漢のラスト・エンペラー献帝の禅譲を受けて魏の初代皇帝となるわけであるが、次代の明帝曹叡の死(239年)を境に魏国内は曹氏一族派と重臣司馬氏派との対立抗争が激化し、結局は司馬炎が政権を奪取して晋朝が成立(265年)する。そのプロセスのなかで名のある士人たちは曹氏につくか司馬氏につくかの選択を迫られることになる。意志表明の次第いかんがいのちとりにもなる。こうした全過程を院籍も奮康も生き、そして死んだのである。劉伶もまたそれに近い。

阮籍は父の代から魏の名族であった。司馬昭は政治的おもわくから、息子の炎に阮籍の娘をめあわせようとはたらきかけた。それに同意することも拒絶することも、実力者司馬氏に対する決定的態度の表明になる。それはまた火中の栗を拾うことでもある。そこで彼は60日間酔いに酔い、はなしもできないほどに酔いつぶれることでみずからの非政治的姿勢を保守したと伝えられる。

劉伶の場合は自分でこんなことをいっている。「天の劉伶を生むや酒を以て名と為す(酒の権化だ)。一たび飲めば一解、五斗にして酲(二日酔い)を解く。」と。阮籍の深刻さとはことなり、彼はひたすら天真欄漫に酒をのみ愛したかにみえる。しかしはたしてそうか。彼とても当時の文人貴族が「魏晋の際に属し、天下に故多く、名士全うする者あること少なし。」という状況であったことはみていたはずである。彼は官途につかないまま天寿を全うしたという。おそらく彼は酒中にすべてを投げ込んで、みずからの存在を晦ましたのだと思う。

?康は洛陽の東市で棄死された。ときに年40(262年)。彼の妻は魏曹操の孫娘であったために政治的立場はいっそう困難であった。その困難を彼は音楽と酒(それに薬物)に没入することでくぐり抜けようとした。しかし、もってうまれた名流としての我が、友人呂安の不孝罪に対する弁護とういう倫理問題への介入、そして「湯・武を非とし、周・孔を薄んず」論による政治問題への言及へわが身を駆りたててしまった。彼の処刑という事実は、この時代の険悪さを典型的に示している、いいかえれば明哲保身がいかにいのちがけであったかを示している。酒を駆使することの深刻さが分かろうというものである。

世は酒につれるかそうかは異論ありとしても、酒は確実に世につれる。酒は逃げのエネルギーともなるばかりではなく、芸術創造のエネルギーともなる。もちろん人がそれにかかわってである。それを唐代を例としてみてみよう。

呉道玄といえば盛唐は玄宗皇帝の時代に、国都長安および東都洛陽を舞台にして絵画界に君臨した画家の一人である。彼の真蹟はいますべて失われてしまったが、その画風はわが正倉院に伝わる「麻布菩薩像」という白描画に窺うことができる。リズムとスピード感あふれる描線を身上としたものであったらしい。記録によれば、長安・洛陽のほぼ寺観という寺観に300余間の壁画を画いたことになっている。多作家である。その彼が伝によれば「酒を好み使気す(気分を引きたてる)。毫を揮わんと欲する毎に、必ず酣飲(したたかにのむ)を須う。」とある。酒をテコにして創造精神を燃焼させたのである。「燃える」画家、「燃える」芸術と評されるゆえんである。

唐代の芸術家もまた酒を愛飲した。呉道玄は書法においては大成するにいたらなかったが、はじめ志を書に立てたとき師事した張旭も、酒を飲んで酔ったあげくは大声をあげて走りまわり、それから揮毫する書は変化きわまりなく「神助あるがごとし」と称賛されたという人物で、これまた「燃える」書家であった。世に「張?」と称された、と伝える。

年代はやや降って唐も8世紀の末に王黙なる画家がいた。人となり「風?にして酒狂なり。」酒を飲むと「酔後に頭髪を以って墨を取り、絹に抵(ぶつけるように)して画」いたという。画蹟が伝わらないから具体的には分からないが、のちに?墨と呼ばれる、水墨画の一種の祖型らしい。

このほか唐代では、文学の世界において「李白一斗詩百篇、長安市上酒家に眠る」と「飲中八仙歌」(杜甫)に吟われた李白以下、赫赫たる酒仙が山脈をなしているが、いまは省略する。

要するに、宗教的であった上古の酒と人とのかかわりが祝福されたものであったとするならば、魏晋の酒はむしろ自虐の苦海にさえみえる。それに対して盛唐の酒と人とは、そのあいだに悲喜哀歓のなにがあるにせよ、明澄活漢に輝いてみえるのである注2)。

<注>
1.股人は祖霊を最高者としたが、周人はそれをも超越する「天」の観念を打出すこと、つまり股とは異る価値観をもって股を断罪した。股人は股人みずからの神一祖霊には忠実だったにちがいない。

2.一般に中国人と酒といえば陶淵明をみすごすわけにはいかないのであるが、魏晋交替期とは時代がずれるので、ここでは触れなかった。

参考文献
本稿の内容に関連のある文献のうち、読み易く、また手にし易いものを以下に掲げておく。

『甲骨文の世界一古代股王朝の構造』白川静著 平凡社 昭和47年2月初刷(『東洋文庫』204)

『金文の世界一殼周社会史』自川静著平凡社 昭和46年4月初刷(『東洋文庫』184)

『三国志V不服従の思想』花村豊生・丹羽隼平訳 徳間書店 昭和54年11月初刷

「魏晋の気風および文章と薬および酒の関係―1927年7月広州夏期学術講演会での講演―」 魯迅述『魯迅評論集』(竹内好編訳 岩波書店 1981年9月初刷)所収

『中国の文人一「竹林の七賢」とその時代一』王揺著 石川忠久・松岡榮志訳 大修館書店 1991年11月初刷

『歴代名画記』1・2 唐・張彦遠著 長広敏雄訳注 平凡社 昭和52年3・7月初刷(『東洋文庫』305・311)

初出誌情報
服部匡延 1992「酒物語:3.中国―酒と人とのかかわり」 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所編『ASIA 21 基礎教材編』 第2号 大東文化大学国際関係学部現代アジア研究所広報出版部会 pp.116-118.
https://www.daito.ac.jp/gakubu/kokusai/asia21/sake/china1.html
3:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/01/09 (Mon) 05:05:41

歴史に残っている中国酒の誕生秘話やその種類と文化
2018年05月31日
https://www.sake-kaitori.jp/textbook/textbook-2696/

世界最古の酒造りは中国です
中国は世界で最も早く酒の醸造が始まった国です。
今から5000年から6000年以上も前の大昔に中国で酒が発明されました。
当時の文献は残っていないので正確な発明者ははっきりしません。
現存する最も古い文献をみてみましょう。
中国の歴史書で史記というのがあります。
史記によれば、夏(か)の初代国王の禹(う)のころ、儀狄(ぎてき)が酒を発明したと記述されています。
ひとくちに中国酒といっても、それにはたくさんの種類があります。
原料の面からそれを見てみると、米、高粱、小麦などの穀物があります。
それから葡萄やリンゴなどの果実があります。
現在、中国酒は大別すると6種類に分けられます。
すなわち、 黄酒、白酒、果酒、薬酒、啤酒、外来酒の6種類です。

中国酒の種類
外来酒とは外国から輸入されたウイスキーやブランデーのことを称します。
それから啤酒はビールのことです。
中国ではピーチウと発音されますが、 ビールのイメージが湧きにくい漢字です。
果酒とは様々な果実種やぶどうを原料とするワインなどがあります。
薬酒はお酒に薬草の成分を含ませたものです。
中国では薬膳酒として食事の前に飲用する習慣があります。
黄酒は、中国の米を原料とする醸造酒です。
紹興酒は黄酒の代表格です。
また老酒は黄酒を長期熟成させたものです。
白酒は中国の北方でつくられるアルコール度数の極めて高いお酒ですが、これは醸造酒を蒸留してできる透明な酒です。
中国の北方は寒いのでその自然条件がアルコールの高いお酒を造らせたのでしょう。

中国酒の飲み方とマナー
中国の酒文化ですが、外国のビジネスマンたちが、中国で気を付けなければならない酒文化もあります。
中国ではアルコール度数の高い白酒を一気飲みする習慣があります。
乾杯は中国ではカンペーと発音されます。
ビジネスでも、あるいは中国人と知り合う場合でも、まずパーティーが欠かせません。
美味しい中華料理は大変魅力的ですが、アルコール度数の高い中国の酒には注意が必要です。
パーティーの初めに、乾杯の掛け声とともに、グラスの中国酒を一気飲みします。
一気に飲み干すのが中国の流儀であり習慣です。
アルコールに弱い人たちは大変です。
アルコールに弱い人たちは、半杯(ハンペー)と 掛け声をかけて、グラスに口を付けるだけでも許されます。
https://www.sake-kaitori.jp/textbook/textbook-2696/
4:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/01/09 (Mon) 05:16:46

紹興酒
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B9%E8%88%88%E9%85%92


紹興酒(しょうこうしゅ)はもち米と中華人民共和国の浙江省紹興市の鑑湖の湧水を使って醸造し、3年以上の貯蔵熟成期間を経た黄酒(ホアンチュウ、拼音: Huángjiǔ、すなわち醸造酒)である[1]。中国では鑑湖の水で仕込むので、鑑湖名酒とも言う。アルコール度数は14 - 18度。飲用にするほか、調味料としても用いられる。

黄酒を長期熟成させたものを老酒(ラオチュウ、拼音: Lǎojiǔ)と呼ぶ。中国青島市の即墨老酒は代表的な老酒(台湾・日本で作られたものも老酒と言うこともある)。


分類
黄酒は直糖分によって4種類に分類できる(直糖は繊維以外の甘みを感じる糖類。酒ではほとんどがブドウ糖)。それぞれのタイプに属する典型的な紹興酒を示す。

黄酒の直糖分による分類

直糖分(g/100mL) 黄酒のタイプ 名称 仕込み時添加物 熟成期間 備考

0.5以下 乾型黄酒 元紅酒 (標準とする) 1 - 2年 昔は甕が朱色
0.5 - 3.0 半乾型黄酒 加飯酒 + 米と麹を1割増 3年以上 古酒は花彫酒
3.0 - 10.0 半甜型黄酒 善醸酒 水に代えて元紅酒 濃厚な酒
10.0以上 甜型黄酒 香雪酒 + 麹と粕取り焼酎 甘いリキュール


酒母の造り方

原料
紹興酒の酒母(淋飯酒)は次の原料から造る。

糯米(もちごめ)
麦麹: 小麦で作った麹。クモノスカビなどを含み、発酵に必要な酵素力を補う。
麦曲(草包曲):粗砕小麦を発酵させたもの[2]。
酒薬:粗砕した粳白米粉に辣蓼の葉を混ぜ、水で練って乾燥させたもの。
鑑湖水:清潔で醸造微生物に必要な鉱物質を適量含有しており、紹興酒の香味が佳良である理由の1つとされる[2]。
漿水:糯米を浸した後の鑑湖水。
伝統的手法では、糯米を精白して鑑湖の水に浸漬しておくと乳酸発酵する。1 - 2週間たったら糯米を取り出して蒸し、原料とする。浸漬水も“漿水”と呼んで原料として用いる。乳酸が腐敗を防ぎ、酒にコシ(酸味)を加える。元紅酒と加飯酒は上記の原料のみで醸造するが、その他の原料として、元紅酒や酒粕から造った焼酎も用いる場合がある。

淋飯酒(酒母)
淋飯酒は次のようにして造る。

糯米を蒸す。
蒸した糯米を底がすのこになっている桶に入れ冷水をかけて冷ます。これを淋飯と言う(“淋”は「ポタポタしたたる」という意味)。
酒薬をまぶし、大甕の内部の側壁に塗りつける。
3日ほどででんぷんが糖化し、底に甘酸っぱい液となって溜まる(これを漿凹酒と言う)。
麦麹と鑑湖水を加え、時々混ぜる。これを繰り返す。
そのまま発酵させ、絞って殺菌したものを「淋飯酒」と言う。現在の紹興酒の酒母(母体)として用いられる淋飯酒は、絞ったり殺菌したりしない。アルコール度数は低い。以前はよく飲まれていたが、アルコール度数が低く、味も薄いので、現在は販売されていない。

紹興酒の種類と造り方
元紅酒
元紅酒は標準酒で、酒母・漿水・蒸した糯米・麦麹を加えて、10日間の一次発酵の後、小さめの甕に入れて蓋をし、屋外で3ヶ月の二次発酵をする[1]。熟成期間は1~2年間で、アルコール度数は16~17度[1]。

昔は朱紅色の甕(かめ)に入れて売っていたので、元紅酒と呼ばれている。中国ではこのタイプの黄酒が最も多く飲まれている。

加飯酒
加飯酒は、元紅酒と同様の製造法だが、糯米と麦麹を1割増量して作る[1]。最低3年熟成させて出荷する。アルコール度数は18~19度[1]。日本では加飯酒がよく飲まれている。

黄酒は、濾過した後、80 - 90℃に加熱(煮酒)して殺菌し、甕に詰める。その口を蓮の葉と油紙で覆い、素焼きの皿で蓋をし、竹皮で包み、粘土で塗り固める。日本向けのものは、粘土の代わりに石膏を使う。粘土では、日本の植物防疫法(検疫)に触れるので、輸出できないからである。

花彫酒
花彫酒は、古代人物や動植物を彫刻して色づけされた壺に入った加飯酒のことである[1]。かつて娘が生まれると地下に酒甕(花彫酒瓶)を埋め、嫁入りのお祝い酒用に備える女児酒という風習があった[1]。この風習は4世紀初頭にはあり、その頃から殺菌技術があったことが文献によって確認できるが、この風習は既に失われた[1]。

紹興の古い習慣では、誕生3日目を祝って贈られた糯米で黄酒を造り、1か月後の満月の日(農暦十五日)に親戚を集めて祝宴をし、密封・殺菌した甕を父親が埋めた。女児の場合は花彫酒と言い、娘が嫁ぐ時に、父親が掘り出して、母親が「囍」と書いた赤紙を貼り、甕に彫り師が彫刻をし美しい彩色をして、「嫁酒」として持たせた。男児の場合は状元紅と言い、出世・結婚などの時に掘り出して飲む。状元とは科挙での最高位合格者のことである。

善醸酒
善醸酒は仕込み水に元紅酒を用いる[1]。この製法は、アルコール分を増すために工夫された、古くからある方法である。この製法の酒を、昔は「重醸酒」、「酎(焼酎の字源)」、「醇酒」などと呼んでいた。直糖

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B4%B9%E8%88%88%E9%85%92
5:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/01/09 (Mon) 05:21:47

中国の代表的なお酒?四川省の銘酒・五粮液の特徴とは
2018年05月31日
https://www.sake-kaitori.jp/textbook/textbook-2694/

四川省の名水から生まれた歴史ある銘酒
五粮液(ごりょうえき)は、名水が多い四川省で作られている蒸留酒・白酒です。
貴州茅台酒に並ぶ中国の代表的なお酒で、長い伝統を持っています。
五粮液の醸造を行うための専用の穴蔵があり、そこを粘土で封印するという伝統的な方法で作られてきました。
発酵には70~90日ほどかけ、そこからさらに熟成させていきます。
五粮液の名前は、原料に高粱にうるち米、もち米、とうもろこし、小麦の5種類を使っていることに由来し、厳選した素材を使い丹念に醸造した蒸留酒です。
1200年以上の歴史を持つ宜賓市で再び作られるようになりました。
この歴史あるお酒には300年以上経ったものが今でも数多く残っており、中には600年以上の歳月を経た老酒も存在します。
まさに、歴史ある中国の銘酒だと言えるでしょう。

お酒好きにはたまらない独特の風味が魅力です
五粮液はアルコール度数が52度と高く、お酒に強い人でないとゆっくり味わう前に酔っぱらってしまうかもしれません。
ですが、その風味は独特で、多くのお酒好きの方に支持されています。
中でも特徴的なのがその香りで、封を開けた途端に熟したバナナのような濃厚な香りに襲われます。
飲むたびに口いっぱいに広がる香りが強烈です。
それでいて濃厚でやわらかい味わいがあり、穀物由来の旨味とコクが楽しめるでしょう。
この香りの正体は、五粮液を作るのに使われている包包曲という特殊な麹です。
培養していくと真ん中が隆起して空気との接触面が増えるのが特徴で、完全に成長すると独特の香りを発するようになります。
最近ではお酒に弱い方でも飲みやすいように、38度程度のアルコール度数が低いものも作られるようになりました。

思わずコレクションしたくなる高級酒
元々、白酒とは国賓をもてなすためのお酒であり、世界三大蒸留酒の一つにも挙げられる世界的に知られたお酒です。
白酒の中でも五粮液と貴州茅台酒は人気が高く、熟成に時間がかかることもあって中国の高級酒としても知られています。
そのため、偽物が作られることも少なくありません。
偽物対策とし鍵付きのケースに入った状態で販売されており、見るからに高級酒といった印象です。
さらに、記念日などで限定販売されるような豪華なつくりのものもあり、舌だけでなく目でも楽しめるでしょう。
https://www.sake-kaitori.jp/textbook/textbook-2694/
6:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/01/09 (Mon) 05:25:12

日本の女性に人気になっている中国酒の果実酒
2018年05月31日
https://www.sake-kaitori.jp/textbook/textbook-2698/

いろいろある中国酒
中国には長い歴史と広大な土地から、様々なお酒があります。
それを大きく黄酒・白酒・果実酒・薬酒・啤酒の5種類ほどに大別することができるでしょう。
黄酒は日本の清酒に相当します。
穀類などを醸造して作られており、中国でも一番歴史が古いお酒です。
白酒は蒸留酒であり、透明でアルコール度数が高いのが特徴です。
果実酒はその白酒に果実を漬け込んだものと果実を原料に醸造されたものの2種類があります。
薬酒は上記のお酒の何れかに漢方薬を漬け込んだものです。
啤酒は日本では見慣れない単語ですが、ビールのことです。
実は、ビール消費・製造ともに中国が世界一になっています。

中国酒の果実酒
その中国酒のなかで、日本に馴染み深いものの一つが果実酒でしょう。
いろんなメーカーから様々な果実酒が販売されています。
先ほど述べたように、果実酒には大きく果実で醸造されたものと白酒に漬け込んだものの2つのタイプがあります。
果実で醸造されたものを果酒と呼び、ワインもこれに含まれます。
ビール同様、中国ではワインの製造も多くされています。
そして、白酒に漬け込むタイプで有名なのが梅酒です。
日本の家庭でも作られることの多い梅酒ですが、その手法は実は中国から伝わったものだと言われています。
近年、日本で人気となっている中国酒の果実酒といえば杏露酒(しんるちゅう)を挙げることができるでしょう。
杏露酒はどちらに分類されるかといえば、基本的には果酒です。
杏子や蜂蜜などで醸造されたものが杏露酒なのですが、日本のメーカーによっては白酒に杏子を漬け込んだものも杏露酒として販売されています。
酸味と甘みのバランスが良いため、甘口ながらもスッキリと飲めることで人気なのです。

果実酒の特徴について
様々ある中国酒の果実酒ですが、ワインを除くとその特徴は、甘口であるとともに豊かな香りが共通しています。
さらに加熱せずに造られているため、美容効果があるとされるポリフェノールやビタミンCも壊れずに豊富に含まれているのです。
その味や栄養素などから、女性を中心に中国酒の果実酒が日本で人気になっているわけです。
基本的には、そのまま飲むことが多いですが、最近ではお菓子の風味付けとして添加されることも増えています。

https://www.sake-kaitori.jp/textbook/textbook-2698/
7:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/01/15 (Sun) 06:26:07

中国 三国時代の食事! 主食やおかず、武将はどんなお酒を飲んでいたの?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14080321
8:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/01/15 (Sun) 06:51:59

杏仁豆腐を生み出した中国 三国時代の名医 董奉
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14080324
9:777 :

2024/04/22 (Mon) 08:15:50

食に関する情報が闇過ぎる! 中国国内が香港での調査結果に愕然
妙佛 DEEP MAX
2024/04/22
https://www.youtube.com/watch?v=90UQj7sMW8o

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