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食べ飲み放題、Wi-Fi&サウナも 月4万で“住めるカプセルホテル”が安すぎる理由

1:777 :

2022/11/06 (Sun) 22:07:13

◆不安定な貧困社会に変質する中、彼女たちの見る夢はどんな夢なのだろうか?
2022.09.09

最近、ネットカフェ、サウナ、個室ビデオに定住していた人たちが、少しずつカプセルホテルに移行しているという話を聞いた。何でも、一ヶ月4万円で、風呂が入れて、食事は無料で酒も飲めて、コワークでちょっとした仕事もできる空間になっているのだという。

カプセルホテルと言えば「夜に一泊してすぐに去る場所」というイメージがあるのだが、いまや定住型に変化しつつあるのだ。
https://www.value-press.com/pressrelease/274602

さらに本来は住居には適していないはずの「倉庫」も「トランクルーム」も、住居を喪失して不安定な仕事で社会のどん底を漂流している人たちに仮の住所として貸し出すようになりつつある。

シェアハウスも完全に定着して、一軒家に5人どころか10人以上が共同生活する例も出てきている。車中泊も増えていて、道の駅で暮らす人も出てきている。

ネットカフェ、サウナ、個室ビデオ、カプセルホテル、倉庫、トランクルーム、シェアハウス、車中泊……。普通の住居ではもう暮らせない年収100万円層が増えたこともあって、住む場所がどんどん劣化してしまっているのである。

私は2年前に(『ボトム・オブ・ジャパン〜日本のどん底〜』)という書籍を出したのだが、コロナ禍の中で、ますます貧困層は増えて深刻さを増しているようだ。

これから世界は経済が悪化して不況(リセッション)の時代に入っていく可能性が非常に高まっている。不況がやって来た時、最も注意しなければならないのは女性だ。真っ先にクビを切られるのも女性、仕事が見つからなくなるのも女性、社会から放置されるのも女性だからである。

日本女性の絶望はますます悪化してしまうことになるのだろう。
https://blackasia.net/?p=33397


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2021-08-05
食べ飲み放題、Wi-Fi&サウナも 月4万で“住めるカプセルホテル”が安すぎる理由
https://www.oricon.co.jp/special/56986/


破格の定住型プランを展開しているカプセルホテル『安心お宿』
https://www.anshin-oyado.jp/

カプセルホテル 安心お宿 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%82%AB%E3%83%97%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%83%9B%E3%83%86%E3%83%AB++%E5%AE%89%E5%BF%83%E3%81%8A%E5%AE%BF


 コロナ禍で打撃を受けているホテル業界だが、全国で展開するカプセルホテル『安心お宿』が新たに始めた定住型の「カプ住プラン」が話題になっている。アルコール類を含めたドリンク飲み放題やご飯・味噌汁等の食べ放題、Wi-Fi、個室ブース、人工温泉、マッサージチェアなどがすべて無料で、「15日使い放題」が2万~、「30日使い放題」は4万円~で、「安すぎる」「楽しそう」「もうここに住もうかな」などと反響を呼んでいるのだ。超破格プランのねらいを同店に聞いた。
Uber Eats配達員などの利用増も利益創出は「厳しい」 業界不況続く中、“苦肉の策”


 「コロナ禍により、影響を受けた学生さんやビジネスマンを応援したい」という思いから生まれた『カプ住プラン』。アルコール類含むドリンク、食事(ご飯・味噌汁・生卵)、Wi-Fi、個室ブース、プリンター、マッサージチェア、タオル、館内着、洗濯洗剤、コミック、雑誌、充電ケーブル、人工温泉、ミストサウナがすべて無料で、グループ店パセラのコワーク(コワーキングスペース)も利用可能。

 既存のサービスに加え、アルコール類の提供や朝食時間以外(6:00~24:00)でのご飯サービスを新たに追加。また、無料アメニティもより充実させ、シャンプー、コンデショナー、ヘアワックス等の整髪料だけで50種類以上を用意している。

 これだけ充実したサービスでありながら、都内3店舗(男性のみ)の「15日使い放題」が2万5000円、「30日使い放題」が4万円。名古屋栄店(男女可)の「15日使い放題」プランが男性2万5000円/女性2万円、「30日使い放題」プランが男性5万円/女性4万円。利益はきちんと得られるのだろうか。


「正直厳しい部分もございます。弊社だけでなく、全国どのホテル施設様もそれは同じだと思います。短期的に考えるのではなく、長期的に安心お宿ファンのお客様に対し、現在は少しでもご利用いただける機会をつくるために尽力している次第です」(安心お宿事業部・前田実香さん/以下同)

 高級カプセルホテルとして全国展開していたファーストキャビンは、稼働率が10%程度に落ち込み、昨年自己破産を申請していた。安心お宿も、昨年の最初の緊急事態制限時には全店舗休業を余儀なくされた。その後もこの1年、コロナ禍で宿泊施設やカプセルホテルはどこも極限状態の中、空室だらけになるよりはと、苦肉の策を打ち出したというわけだ。

「カプ住プラン開始直後に店頭看板の写真がTwitterで拡散され、テレビでも取り上げていただきました。また、テレビ放映の様子を視聴者の方がツイートし、11.7万いいね。約2.2万リツイートされるなど大きな反響をいただきました。放映直後は問い合わせのお電話も多くいただいております」

 反響は上々の様子。都内は男性専用のため30~40代のビジネスマンが多く、最近は、Uber Eatsの配達員の宿泊も増えている。全店舗、最寄駅から徒歩3分以内で繁華街に近いため、カプ住プランで衣食住を確保して効率的に働いているようだ。
コワーキングスペース、就活生、女性利用で打開なるか「カプセルホテルも形を変えていく」


 30日プランの宿泊が多いようだが、カプセルホテルに「定住」する客が増えることで、安全面や衛生面で懸念される問題はないのだろうか。


「現状、大きな問題は出てきておりません。連泊による感染リスクが危惧されるかと思いますが、来店時・外出戻りの検温・アルコール消毒および共用部でのマスク着用をお願いさせていただいております。また、定期的な換気はもちろんのこと、ソーシャルディスタンスを床で表示し、宿泊していただくカプセルの間隔をあけるなどの対策をとっております。従業員も毎日の検温・アルコール消毒をガイドラインに従い、実施しております」

 多くは国内外からの出張先で、ビジネスマンの男性が手軽に泊まれる場所として利用されてきたカプセルホテル。昨年から出張が激減し、テレワークが急激に促進したことから、同店は一部フロアをリノベーションして「カプセル型のコワーキングスペース」の提供を開始(カプ住プランでも使い放題)。SNSを中心に話題を呼び、20代の新たな客層の獲得につながった。また、今春からは「就活応援プラン」として、コロナ禍の影響を受けた22卒の学生を対象に、宿泊・コワーキングスペース利用をすべて無料で10泊まで招待するキャンペーンも行っている。


破格の定住型プランを展開しているカプセルホテル『安心お宿』

「名古屋店では女性やお子様にもご利用していただけるファミリー向けのカプセルホテルという一面も持っております。女性従業員がお客様目線で選んだアメニティも豊富に揃えておりますので、女性の方にも好評いただいております。最近では、人気ゲーム等とコラボレーションしたカプセルルームの販売などにも力を入れており、今までカプセルホテルには縁のなかった層にもアプローチしております」

 今後もしばらくは厳しい状況が続くと思われるが、目まぐるしく変化していく社会に合わせて、カプセルホテルの定義も新たな展開を見せてくれるかもしれない。

「服や食事のサブスクリプションがあるように、働く場所や住む場所も変化していくのではないかと考えています。そういった時代の変化に伴い、カプセルホテルも形を変えても人々に受け入れられる場所として再生させていきたく、生活様式の1つとして利用していただきたいと考えています。今後もカプセルホテルの概念にとらわれず、進化系ホテルとして常にチャレンジを続けていきたいと思います」
https://www.oricon.co.jp/special/56986/
2:777 :

2022/11/06 (Sun) 22:14:11


住所が無いと仕事も日雇い労働しかできなくなり、その賃金ではそこから這い上がれなくなる
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/527.html

日本政府は行政コスト削減のために、首都圏以外を無住の地にしようとしている
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/436.html

困難極める単身高齢者の部屋探し
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/867.html

保証人なし無職、借金苦でも入居審査に通るコツ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/840.html

彼らはなぜ「車中生活者」になったのか
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/440.html


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タダ同然で住める所がいくらでも有るのに知らないだけ

負け組が老後に住めるのは苗場の 10万円で叩き売りしているスラム・マンションだけ
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007825

苗場スキー場の元高級リゾートマンションが遂に10万円になった
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/565.html

買い手が見つからないスラム化したリゾートマンションを処分する方法
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/650.html

最低限、生き抜くだけのライフスタイル
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/525.html

「ミニマリスト」を目指そう
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/820.html

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賃貸住宅・簡易宿泊所

事故物件 _ 敷金礼金ゼロで家賃半額も…超安値の「いわく付き」事故物件に人気殺到!
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/662.html

高齢者の「身元保証サービス」が急増、保証人もお金で買う時代
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/957.html

「高齢者OK」賃貸のセーフティネット住宅情報
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/916.html

賃貸の原状回復は「しなくて良い」場合がほとんど
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/967.html

家賃2カ月滞納で地獄。サラ金より怖い保証会社の悪質な取り立て
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/828.html


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家を持たない生活、アドレスホッパー 都内の家賃上昇なら大量発生も
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/958.html

ネットカフェ難民都内で4千人 滞在は月14万円かかる
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/801.html

簡易宿泊所「ドヤ」とはなにか 手軽な安宿として人気
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/1024.html

「民泊」に泊り続けた女子の想像を絶する経験
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/825.html
 

3:777 :

2022/11/06 (Sun) 22:17:41

住所を失うというのは社会から抹殺されるも同然の出来事だ


2016年10月7日、加藤未香という24歳の女性が家賃を4ヶ月も滞納した挙げ句「仕事もなく、生きていくことがもう嫌になった」という理由で、家賃催促にきた大家を刺し殺して逮捕されるという事件があった。

24歳の女性が包丁で大家を刺し殺すのだから、尋常ではない精神状態に追い込まれていたと推測される。

収入もなく、貯金もない人間が4ヶ月も家賃を滞納したら、もう返すことはできない。そして、強制退去されれば新しい住処に入ることもできなくなる。

追い出されるその日が人生の終わりだと彼女は思いつめてしまったのだろう。

経済的に困窮すると、いろんなものを失っていくが、最後まで人が死守したいと考えるのは「住居」である。それを失ったら、事実上すべてを失ったも同然だ。

しかし、金がないとあっさりと失ってしまうのも住居である。住居を維持するというのは経済的に困窮した人間には大変な負担だからである。

実際、住居を失うというのは、どのような段階を経て行われるのだろうか。

家賃を滞納すると、いったいどうなるのか?

大家を刺し殺した加藤未香は、大家の二階を間借りしていた。そのため、大家自身が直に彼女のところに出向いて、繰り返し催促をしていたようだ。

大家も家賃収入が入らなければ他人に部屋を貸している義理はない。回収するのに必死だったはずだ。

最近は多くが不動産を生業とする管理会社が間に入っているので家賃滞納が起きた場合、その取り立ては管理会社が行うことになる。

家賃を滞納すると、すぐに管理会社から迅速に支払うように電話が入る。多くの滞納者は電話があると驚いてしまって、たとえ金がなくても必死になって金を掻き集めて支払う。

しかし、ない袖は振れない人もいるわけで「近いうちに支払います」と言いながら支払わない人も出てくる。そうすると、内容証明郵便で「契約解除予告状」というものが届き、数ヶ月のうちに契約解除に至る。

その合間に、連帯保証人に連絡がいき家賃の請求を連帯保証人にするケースも出てくるのだが、そうなったときは連帯保証人も寝耳に水であり、家賃の支払いを渋るケースが多い。

連帯保証人は、実際には法的に支払う義務があるのだが、現実はそれほどすんなりといかないのである。

最近では連帯保証人を家賃保証会社が行うこともあるのだが、家賃保証会社の場合は、当事者が一ヶ月でも滞納すると、一瞬にして部屋の退去を求められる。

契約解除に至るとどうなるのか。

部屋の鍵を勝手に変えてしまう管理会社もあれば、不在時に勝手に所持品を撤去してしまう荒っぽい管理会社もある。

以前、池袋北口のラブホテル街を抜けた向こうにあるアパートが密集した地区を歩いていたとき、あるアパートの前に寝具から家具から家電まで、一切合切を放り出されていた光景を見たことがある。

家賃滞納で部屋の中のものを、何もかも放り出されたらしいのはおおよそ想像が付いた。こうしたやり方は違法なのだが、違法などと言ってられない事情が大家にもある。


「無一文」で放り出されるのではないという事実

家賃を滞納する側も、住居を失うというのは死活問題なのだが、同時に大家の方も家賃を滞納されたまま住まれるのは死活問題である。

なぜなら、ほとんどの大家は借金をして不動産を所有しており、家賃収入をそのまま借金の返済に回しているからだ。家賃滞納が起きると、自分が銀行に絞められる。

そのため、大家は自分の資産を守るために、何が何でも「強制退去」させようと必死になる。そのために何度も家賃の督促を行い、内容証明郵便で証拠を取る。

そして、3ヶ月で裁判を起こし、6ヶ月以内には強制退去を完了させる。

多くの滞納者は勘違いしているのだが、強制退去されたら「無一文」で放り出されるのではない。莫大な損害賠償を請求されて放り出されるのだ。

今まで滞納した家賃の請求はもちろん、退去費用も、裁判費用も、違約金も、遅延損害金も、損害賠償金も、ありとあらゆるものを乗せられて、請求されるのである。

金がないから放り出されるのだが、返さなければならない借金を背負わされて放り出されるのだから、困窮して住居を失う人が「これで人生が終わった」と考えるのは無理もない。

世の中は、金のある人間には配当や利息で不労所得を山ほど与えるのだが、金のない人間からは持っているものを奪い、さらに借金を覆いかぶせる仕組みになっている。

分かるだろうか。いったん金がなくなると、すべてを奪われた上に、将来の稼ぎも奪われることになるのだ。

損害賠償は「裁判命令」である。そこから逃れられない。さらにブラックリストにも載せられて就職にも困難をきたす。その前に、次の住処(すみか)が見つからない。


絶対に「住所」だけは失ったらいけないのだ

大家が家賃の回収よりも強制退去の方を望むのはなぜか。それは、金を滞納する人間は「滞納癖」があると経験則で知っているからだ。

滞納しない人間は10年でも20年でも同じところに住み続けても1回も滞納することはない。しかし、滞納癖のある人間は、頻繁に家賃の遅延を起こし、滞納し、いったん支払ってもまた気が付けば滞納を繰り返す。

だから一度でも滞納が起きると、大家は家賃を回収するよりも、もっと信頼できる人に貸したいと合理的に考える。次もきちんと払ってもらえるのかどうか分からないというのは、銀行に借金を持っている人間にとっても眠れない事態だ。

家賃を滞納している側だけでなく、滞納されている側もまた夜も眠れないのである。

だから家賃の滞納が起きると強制退去させる方向に向かい、困窮した人は住居を失ってより困窮してしまう。

住んでいる場所を失うというのは、受けられるべき行政の保護からも弾き飛ばされるということになる。生活保護も住居がないと受けられない。

仕事も住居がなければ見つからないことの方が多い。カードどころか、銀行口座も、郵便局の口座も、住所がなければ作れない。さらに携帯電話も住所がなければ手に入らない。

住所を失った時点で、すべてを失うのである。

住所を失うというのは、単に寝る場所を失うだけでなく、社会から抹殺されるも同然なのである。

そのため、どんなに小さくてもボロボロでも何でもいいから、現代社会との接点を見失わないためには、絶対に「住所」だけは失ったらいけないのだ。

社会から抹殺されたくなければ……。


加藤未香。「仕事もなく、生きていくことがもう嫌になった」という理由で、家賃催促にきた大家を刺し殺して逮捕された。追い出されるその日が人生の終わりだと彼女は思いつめてしまったのだろう。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20161010T0240430900.html
4:777 :

2022/11/06 (Sun) 22:20:18


「自分の人生をシンプルにする」

自分の人生に関係のなくなったものは捨てていく。

価値のなくなったものを見つけ出して、自分の人生から切り離す。

そして、それを捨て去る。

自分の人生に価値のあるものだけを残し、そうでないと判断したものは削いでいく。

作物を育てるのと同じだ。自分の人生から「雑草」に過ぎないものは抜き取って捨て、よけいな枝も切り捨てて、大事なものだけに集中する。

物だけの話をしているのではない。不要な人間関係、意味のない習い事、惰性の趣味も、切り捨てる。そうすることによって人生も、生活も、行動も、持ち物も、非常にシンプルになっていく。

結果的に余計な出費が減るばかりか、時間も増え、さらに自分にとって一番大事なことに集中できるというメリットすらも味わうことができる。

人生は試行錯誤の連続だから、よけいなものは数年ごとに増えて行く。だから、そういったものを捨てることによって人生をリセットをして、無駄な出費も時間も減らす。

消費を減らすというのは、自分の人生の中から無駄を見つけるということだ。必要なものを削るのではなく、無駄なものを極限まで削るのである。「捨てる」というのは、「生き残る」というのと同義なのだ。

合成の誤謬を解決しなければならないのは政府であり、国民ではないということに注意すべきだ。「消費しないと世の中が悪くなる」と言われて、好きに消費していれば生活破綻して自己責任論を押し付けられる。

どのみち、世の中が悪くなればなるほど、よけいな物を抱えている余裕はなくなっていく。

今、まさに世の中が悪くなっていこうとしているのだから、自分の人生から無駄なものを切り捨てるために動く時期がやってきている。

「自分の人生をシンプルにする」というのは、どんな時代でも通用する法則である。無駄なものを徹底的に切り捨てる。それは世の中が悪くなればなるほど効果を発揮するシンプルなサバイバル方法である。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20160408T1751260900





生きる目的を見つけた人は、生き方がシンプルになっていく
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180304T0137570900.html#QlFvzHp.google_plusone_ninja_m

本物はシンプルだ。

ニセモノの家具はすぐに壊れるが、本物の家具は100年でも平気で使える。ニセモノの建築物は20年で老朽化してボロボロになるが、本物の建築物は100年でも崩れない。

人は、人生のどこかでこのような「本物」を知れば、ニセモノには耐えられなくなってしまう。本物の凄みに圧倒されてしまい、他では満足できなくなってしまうのである。


世の中のあらゆるものが過剰になっていくと、逆に人々が求めるのは、シンプルなもの、最小限なもの、研ぎ澄まされたものになっていく。

面白いことに、過剰なものを一通り経験した人が最後に辿り着くのも、過剰なものが一切ない最小のものなのである。余計なものを捨てて、最後の最後に残ったものを愛でる。


シンプルになるというのは、付け加えるのではなく、要らないものを捨て去るという発想である。あれもこれもゴテゴテと付け加えるのではなく、逆にバッサリと削っていく。

絞り込み、捨て去り、余計なものをいっさい省き、無駄を排除する。そうやって「大切なもの」だけを残す。それだけではない。大切なものだけを残して、その大切なものを極限まで磨いていく。

磨き抜かれたものは、必ずシンプルなものになっていく。これは、ヒトでもモノでもそうだ。女性のファッションにしてもそうだ。

過剰なものからシンプルなものへと転換した時、女性もはじめて本当の意味の美しさを得ることができる。ただ多くの人はそこまで達観することができないので、やたらめったらと飾り立てて自滅していくことになる。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20180304T0137570900.html#QlFvzHp.google_plusone_ninja_m


My Way-Frank Sinatra 動画
https://www.youtube.com/watch?v=J9Enr0FW6E8

自分に必要なモノを残し、それ以外は未練を持たずに捨てる


「ミニマリスト」という言葉がある。ミニマリストというのは、「必要最小限のモノしか持たない人」という意味で捉えられているが、実はミニマリストの本質はそこではない。

確かに必要最小限のモノしか持たないという状態を好む人をミニマリストと言うのは間違っていないのだが、本質はもっと深いところにある。

「必要最小限のモノしか持たない」ことで、いったい何が成し遂げられるのか、という部分が真に重要な部分である。

ミニマリストのライフスタイルは、2009年頃にジョシュア・フィールズ・ミルバーンとライアン・ニコデマスというふたりが提唱した「生き方」が元祖になっている。

ここでこのふたりは「自分の生活の中で無駄なものを極限まで省く」ことによって何を目指したのか。それは「自分の人生を取り戻す」ということだった。

では、「無駄なものを極限まで省く」ことによって、なぜ自分の人生が取り戻せるのか。

この部分の本質が分かっていないと、ただ「モノを持たない」というだけでは形だけを真似しているのと同じで、何も得られるものはない。

人生というのは「何」で構築されているのか?

要らないモノを捨てることによって、人生を取り戻すことができる。それはなぜか。それを知るには、人生というのは「何」で構築されているのかを考えればよく分かる。

人生というのは、時間で構築されている。

今日一日は何をしたのか。その中で自分の人生で重要だったのはどの部分か。その「重要な部分」が日々積み重なっていくと、それが人生になる。

短い人生というのは、単純に生きる時間が少なかったということである。無駄な人生というのは、単純に長い時間を有益に過ごさなかったということだ。

素晴らしい人生というのは、自分が本当にやりたかったことをたっぷりと時間をかけて行ったということだ。

往年の名歌手フランク・シナトラは晩年になって「これが私の人生だ」と朗々と歌って彼の代表曲になった。自分がやりたいことに時間をかけて燃焼するというのは、まさに「私の人生だ」という生き方になるのである。

人生=時間

という大切な事実がここにある。ということは、時間を大切にして自分のやりたいことをたっぷりとできる「環境作り」をしなければならないということになる。

では、その具体的な環境作りというのはどのようにすればいいのだろうか。その方法論のひとつとして「要らないモノを捨てていく」というものがあるのだ。

なぜ、要らないモノを捨てることが時間を取り戻すことになるのかというと、「モノ」というのは基本的にそれ自体が自分の時間を奪う存在と化し、さらにモノの維持や保守にもまた時間が取られるからである。

テレビやゲームは、それ自体が自分の時間を大量に奪っていくモノと化す。多くの老人はテレビを見過ぎており、多くの若者はゲームをし過ぎている。

ただの暇つぶしのために見ているというのであれば、テレビやゲーム機を捨てるだけで、自分の時間を大量に取り戻すことができるようになる。

自分の人生を見直すために何をしたらいいのか?

長く生きていると、いろんなものを買う。

自分の人生の目的以外に、ただの興味本位で買ったモノや、衝動的に欲しいと思って買った無駄なモノや、その時は必要だと思って買ったが使わないモノや、飽きて見たくもないモノや、ただ押し入れや倉庫に置いてあるだけのモノなどが、誰の家にも溢れているはずだ。

こうしたものは、もはや自分の人生には要らないというのは分かっているのだが、捨てるには惜しいというだけで置いてあるだけになる。

そんなものが大量に溢れるようになると、邪魔になり、目ざわりになる。こうした邪魔なモノが溢れていると、やがて人間はイライラするようになっていくのだ。大事なことに集中できなくなっていくのだ。

要らないモノであっても、それは物理的に存在するのだから空間を圧迫している。

どうするのか。それは捨てることによって解決することができるというのがミニマリストたちの提案である。要らないモノを捨てれば維持費もいらず、メンテナンスもいらず、空間も広く使えるようになり出費も抑えられる。

そして、自分の人生の「本当に重要なこと」に集中できるようになる。

生活がシンプルになると「本当に重要なこと」が鮮明になって迷いがなくなる。その結果、自分のやりたいことにたっぷりと時間をかけることができるようになる。

ミニマリストたちが「必要最小限のモノしか持たない」ことで自分の人生が取り戻せるというのは、そうした意味合いを込めて言っているのである。

自分の人生を見直すために何をしたらいいのか分からない人は、まず、「必要最小限のモノしか持たない」というシンプルな提案を取り入れるのが具体的な方法である。


自分の人生を見直すために何をしたらいいのか分からない人は、まず、「必要最小限のモノしか持たない」というシンプルな提案を取り入れるのが具体的な方法である。


自分の人生を取り戻すために具体的な行動とは?

人生をシンプルにするためには、余計な枝葉末節をひとつひとつ丁寧に剥ぎ取っていく必要がある。

奇妙なことのように思えるかもしれないが、自分の人生を取り戻すために具体的な行動を起こすとすれば、目標や計画を立てることではなくて、要らないモノを捨てることなのである。

実は「要らないモノを捨てる」過程の中で「自分の人生とは何なのか?」という自問自答もできるようになる。

ミニマリストになるために「モノを捨てる」というのは、自分にとって大事な部分のみを残すということなのだから、その過程で取捨選択をしなければならない。

自分の人生でこれは必要なのか?」「自分の人生で何を残せばいいのか?」を選ぶということでもある。捨てながら、あるいは残しながら、何度も何度も自分の人生を考えるのだ。

捨てるというのは、「これはもう自分の人生には関係のないものなのだ」と見切りを付けるということであり、それこそが自分の人生の枝葉末節を剥ぎ取るということなのだ。

一部のミニマリストは、手持ちのものをすべて捨て去って極小の持ち物でいかにサバイバルするのかというゲームのようなことをしている。

しかし「極小のモノで生きのびるサバイバル・ゲーム」は、本質からやや外れているように見える。

むしろ自分の生きる道(マイ・ウェイ)に必要なモノを残し、それ以外は未練を持たないで捨てるという哲学の方にミニマリストの本質があるように思える。

私自身は旅人出身だったので、元からミニマリストという言葉が流行る前からミニマリスト的に生きていた。なぜなら、旅人は生活用具のすべてを持って行けないので、常に必要な最小限だけを持つしかない。

20代の頃、私はほとんど手ぶらで数ヶ月から半年、あるいは1年以上もの旅をしていたが、風に吹かれるがまま放浪するにはミニマリストでいるしかなかった。旅が私の人生の重要なものだったので、私は何も持たなかった。

だから、今でも私はミニマリストを実践している人たちの気持ちや心情がよく理解できる。モノはあまり持ちたくない。そして、やりたいことに集中したい。ミニマリストであることは、シンプルに生きたい人には重要だ。


旅人は必要最小限のモノしか持てない。私自身は旅人出身だったので、元からミニマリストという言葉が流行る前からミニマリスト的に生きていた。だから、今でも私はミニマリストを実践している人たちの気持ちや心情がよく理解できる。モノはあまり持ちたくない。そして、やりたいことに集中したい。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20170213T0302090900.html  


最近、日本では必要最小限の物しか持たないようにして生きるミニマリストが増えている。
凄まじい経済崩壊がきたら私たちの全員が生活のダウングレードを強いられるのだが、洗練されたダウングレードの手法としてミニマリストの生き方は注目に値する。

フランス女性のドミニック・ローホー氏は、そういった「物は最小限に、精神性を最大限に」という生き方を指南する第一人者でもある。

「物を持たないことが物に振り回されないこと」と彼女は述べる。ちなみに、彼女の言うシンプル主義の実践には、以下のようなものがある。


「少ないものが多くをもたらすことを実感する」

「欲求と必要の違いを区別できるようにする」

「物の処分に罪悪感を持たない」

「買わなくても済むものリストアップする」

「自分の欲求や経験から迷いが出るものは捨てる」

「1年間、1度も使わなかったものは捨てる」

「大事なもの以外なにもいらない、をおまじないにする」

「可能な限り物質的なものを排除する」

「嫌なことは引き受けない」


彼女はそのいくつかの著書で、女性らしく、きめ細かい実践方法をたくさん書いている。

上記は彼女の言っていることのごく一部だが、こうしたライフスタイルを知っておくのは重要だ。

知っておくだけでなく、余裕のあるうちから可能な限り実践していくのは、不安定化する社会の中でも普通に生き残れるライフスタイルであると私は認識している。
https://www.bllackz.net/blackasia/content/20170818T0135140900.html


複雑化のワナに落ちたら、そこから逃れるためにすべきこと

やることが多ければ多いほど、そのどれもが中途半端になり、うまくいっているものも、いずれ問題を引き起こしてうまくいかなくなってしまう。

荷物が多ければ多いほど、大事なものをたくさん忘れていく。付き合う人が増えれば触れるほど、ひとりひとりに対するケアができなくなる。

仕事も経営も商品もそうだ。やっていることが複雑になればなるほど、自分の掌握できない部分や、見えない部分がどんどん増えていき、最終的には問題が起きても対処できなくなってしまう。

どこで限界が生じるかは、関わっている人や組織の能力や器にかかってくるが、抱えるものが増えれば増えるほど、複雑さが増していき、やがては対処できなくなってしまう日がやって来る。

複雑なものは、それが足かせになって、やがては最後に滅亡する。いずれ、遅かれ早かれ、それが維持できなくなる。

だから、シンプルであることは大切なのだ。

世の中は常に複雑さを志向しているが、複雑だから優れているわけではない。複雑になればなるほど、その複雑さに対応できなくなって脱落していく人が増える。


なぜ、誰も使えないほど複雑化してしまうのか?

しかし、そういった脱落していく人を無視して、世の中も製品も社会のあり方も人間関係も、ありとあらゆるものが複雑化していく。

企業は素晴らしい製品を作ると、やがて余計な機能をあれこれと山ほど付与して複雑なものにしていく。日本の製造会社にその傾向が強い。付加価値を付けてどんどん奇怪な製品になっていくのである。

最初はそれでいいかもしれない。誰でも目新しく新しい機能は大好きだ。

しかし、限度がある。機能が大量になりすぎると、説明書を読んでも製品が使えないようになり、やがてその複雑さが元で捨てられる。

なぜ、製品を複雑にしてしまうのか。

それは、サラリーマンが仕事をしているという成果を見せるためだと言われている。新しい付加価値を付けていないと、何をしに会社に来ているのだと言われる。

逆に今まであった機能を削減すると、これまでやってきたことは間違いだったと思われる。だから、自己の保身のためにどんどん機能を追加して「仕事をしている」というアピールで複雑化に向かう。

さらに対外的にも、新しい機能は新しい成果として誇示しやすい。だから、ユーザーを無視して高機能化させていく。

あるいは、あれもこれも機能がたくさんあった方が、営業的にも高機能で売りやすいという目論みもある。シンプルだというよりも、高機能だと言う方が「お得だ」と思わせやすい。

経営者も、競争が増えれば増えるほど、とにかく競争に勝てるように、いろんな機能を付与して差別化を図りたい。

こういった全員の思惑が過剰な機能を盛り込む方向を示すようになり、結果として製品がどんどん複雑化し、使いにくくなっていく。

モノをシンプル化して成果を出せるのは非常に優れた経営者だが、そういった経営者は万に一人もいない。多くの経営者は、何も考えずに物事を複雑化させていくのである。


複雑さがもたらすワナについては何も考えない

人々は、複雑さがもたらすワナについては何も考えない。

複雑化したものはメンテナンスにも手間がかかる。コストも増大し、トラブルも多くなる。スピードも遅くなり、重くなり、邪魔になり、原因不明の機能衝突が起こりやすくなる。

企業はこういった複雑さに対応するために、新しい部署を新設し、それがまた企業組織そのものも複雑化させていく。

小さな企業では誰が何をやっているのか全員が分かっているが、人が増え、組織が増えると、誰が何をやっているのか分からなくなる。

さらに、それぞれの部署が勝手に動き出して、収拾がつかなくなっていく。

複雑化した組織の解体は、その組織の抱えている仕事を清算させるということである。それもまた難しい。事業の清算は何であっても清算コストがかかり、損金が発生するからである。

つまり、複雑化したものは製品も部署も関係者もすべてまとめて複雑化しているので、それを解体することすらもできないのだ。身動きが取れなくなってしまう。

そうしているうちに、やがて時代が変わり、他社から「単機能でシンプルなもの」が現れて、いつの間にかそちらの方が人気化していく。

しかし、そのシンプルさに合わせようと思っても、いったん複雑化したものはシンプルになりにくい。機能を捨てるという決断は付けるという決断よりも難しい。

その複雑化したものが利益を生み出しているのであれば、なおさら捨てるという決断は困難になる。

だから、高機能化・複雑化したものは、やがて企業がそれを維持できなくなるまで、ずっと複雑化で暴走していくのである。しかし、それにも限界があり、やがては時代に対応できなくなって捨てられる。

複雑さに耐えられなくなって自滅する。


シンプルになることで見失ったものを再発見できる

こういった複雑さは、人間関係にも表れる。人間関係は多ければ多いほど良いというものではない。

ビジネスの現場では人脈が重要視されているようだが、見境いなく片っ端から人とつながっても、人間関係が複雑になっていけば、どんどん厄介ごとも増えていく。

また、人間関係を維持するためのコストも増えていく。そして、それだけコストをかけてもリターンが得られるというわけでもなくなり、負担と義務だけが増大していく。わずらわしい義理や義務も発生する。

人間関係を増やすというのは、人生を豊かにするというメリットも確かにある。しかしその反面、自分の人生を複雑にして消耗してしまうデメリットもある。

どんなに人間関係を増やしたところで、自分の時間は限られている。関係を持ったすべての人と、対等に付き合えるわけでもない。

本来は自分の時間に当てられるものが削られて自分を見失う。そうした状況が続くと、人はそれに耐えられなくなって精神的にも肉体的にも疲弊し、破綻してしまう。

人にはライフスタイルや気質がひとりひとり違っている。だから、どれくらいの人数と付き合うかの線引きは人によってキャパシティーが違う。

しかし、誰しもが限界を持っているので、それを超えると自滅に向かうのは間違いない。結局、人間は複雑さに押しつぶされてしまうのである。

人間の営みは、放置していても、どんどん複雑化していくのは目に見えている。蓄積が増えれば増えるほどいろんなものが複雑化していくのだ。

だから、常にシンプルさを志向するというのは重要なことになる。複雑化した世の中で、見失った自分を再発見する方法があるとすれば、まさにシンプルを志向することである。

対象がシンプルであれば常に初心に返ることができるし、最も重要なものに集中できる。

日々の生活に埋もれ、流され、複雑さの中で目的を見失いつつあるのなら、要らないものを捨ててシンプルになることが望ましい。

そうすることによって、見失ったものを再発見できる。


日々の生活に埋もれ、流され、複雑さの中で目的を見失いつつあるのなら、要らないものを捨ててシンプルになることが望ましい。そうすることによって、見失ったものを再発見できる。シンプルなものは美しい。
https://darkness-tiga.blogspot.jp/2017/09/20170907T1712060900.html

5:777 :

2022/11/06 (Sun) 22:25:01

モノも人間も、そして住処(すまい)もまた使い捨てになる 2014年9月27日

もう日本は終身雇用も年功序列も過去の話になった。今の中高年にはまだこの変化が心の中で受け止められないかもしれないが、現実は押しとどめられない。

今の若年層は、終身雇用も年功序列も知らないし、そんなものはあり得ないというのが逆に常識となっている。

戦後から1980年代までのサラリーマンにとって、転職をするというのは「だらしない人間のやること」のように思われていた。ところが今や、会社が働かない中高年をリストラして放り出したい時代になっており、転職はむしろ奨励されている。

今の若年層は、もう転職するという人生設計が当たり前であり、ひとつの会社にいつまでも働き続けられるとは誰も考えていない。そう願っても、リストラされてしまうのである。

これは、もはや戦後から一貫して続いて来たサラリーマンという生き方の終焉だ。

その結果、考え直さなければならない重要な変化が生まれて来た。それは、「持ち家」に対するものである。サラリーマンという生き方の終わりと共に、「持ち家信仰」も終わる。

「住宅のために人生がある」のが日本人だった

かつて建築批評家の布野修司氏は著書『住宅戦争』の中で、このように述べた。

「住宅を手にすること、それは今のところ人生にとって、最大の事業である。住宅は人生で最大の買い物なのだ。住宅を買うために、その人生のほとんどの期間、ローンや家賃を払い続けるのである。人生のために住宅があるのではなく、住宅のために人生がある。全く転倒してしまっている。どこかおかしい」

現在、住宅を買うのに35年ローンすらも当たり前になっているのだが、35年ローンが馬鹿げた選択であるのはもう10年以上も前から指摘されている。

35年もローンが組めるのは、サラリーマンが終身雇用であり、年功序列であり、不動産が上がっているという前提が成り立たなければならない。

今やそのすべての前提が崩壊してしまっている。それでも35年ローンを組むのは、自分の人生が35年間も風波が立たないという方向に賭けているということになる。

現在の社会情勢を見渡すと誰も35年も淡々と生きられると思えない。まして現在のコスト削減を優先して作られた安普請の建物が35年も持つなど誰も考えていない。

「住宅のために人生がある」という本末転倒な生き方は、サラリーマンの終わりと共に消えていく現象であると言える。つまり、住宅は「所有するもの」ではなく、「消費するもの」「使い捨てするもの」になったのである。

買うのではなく、適当に借りて古くなったり都合が悪くなったら捨てて新しいところに移るというのが現実的になり、今後はその方向に向かって時代が動いて行く。


「消費して使い捨てする時代」がやって来ている

住宅は所有するものではなく、「消費して、使い捨てするものだ」という感覚が当たり前になっていくのは、他にも理由がある。

日本人には2つの大きな経験が忘れられない。

それは、1995年に起きた阪神・淡路大震災と、2011年に起きた東日本大震災である。

どちらの震災でも「永遠の住処」だったはずの住居は、いとも簡単に自然の脅威に押し流され、叩きつぶされ、ガレキの山となって消えていった。

かろうじて残った住居も欠損し、神戸では今もひび割れたマンションがそのまま使われている。福島では津波によって原発が次々とメルトダウンして放射能が拡散し、半径20キロ圏内の不動産はすべて無価値と化した。

それだけではなく、福島全体の不動産が毀損してしまい、福島は永遠に放射能汚染という現実から逃れることができない。

不動産は持って逃げることができない。そして、日本では自然の脅威は今後も続く。まさか、大震災はもう二度と来ないとか、防止できると考えている日本人はひとりもいないはずだ。

2014年8月20日に広島県広島市安佐南区で起きた広島土砂災害を見ても分かる通り、自然の脅威の前に、人々の生活や夢や安全は一瞬にして壊されるのである。今後、激しい大規模災害はしばしば起きる。

地震も、火山噴火も、土砂崩れも、台風も、津波も、日本では何でも起きるのだ。

そんな中で、「永遠の住処」を数十年もローンを抱えながら買うという選択が見直されるのは当然の話だ。そうなれば住宅というのは「消費して、使い捨てにする」という発想をする人が増えたとしても不思議ではない。

実際、自分の人生が波乱に満ちたものになることや、自然災害がどのように襲いかかるのか分からないこともあって、すでに現実的な若年層から「持ち家信仰」が消えている。


広島県広島市安佐南区で起きた広島土砂災害。一瞬で、こうなった。

買うのではなく「借りて、使い捨てる」ものに

現代に生きる日本人から急速に持ち家信仰が消えているのは、建設会社にも責任がある。

首都圏のあちこちに猛烈な勢いで建てているマンションや一戸建て住宅は、コスト削減や手抜きのために、壁は薄く、安っぽく、狭く、備品もちゃちだ。

家は一戸建てでもマンションでも100年持つというのは業者の作った嘘であり、実際には30年も経つとボロボロになって資産価値は毀損している。

そうなると立て替えが必要になるが、老朽マンションの建て替えなどは、各区分所有者に自己負担が発生することから、現実的には不可能であることが多い。

つまり、ボロボロの老朽マンションは、老朽するに任されるだけなのだ。一戸建ての建て替えにしても、35年もローン地獄をくぐり抜けて、終わったら今度はまた立て替えで1000万円も2000万円も出せる人はそういない。

35年にして、それが分かって来たのだ。そんなものを所有するために人生を棒に振るのを嫌がる人は増える。

おまけに、現在は価値観も変化しており、「持ち家」にこだわる人も減っており、年代に合わせて一番適切な場所や住居に移り住む方が合理的だと思う人も増える。

資産として見ても、今後は少子高齢化で日本の不動産は一等地以外は先行きが不透明となっており、不動産ビジネスは難しい事業に変わりつつある。

住宅に投資するのであれば、証券化されたJ-REIT(Jリート)に投資した方がまだ効率が良いと考える人も増えている。

住宅は、もう所有するものではなく、消費するものに変わっているのである。買うのではなく、借りて、使い捨てる。

モノが「使い捨て」にされるようになり、人間も「使い捨て」されるようになったのと同じく、住処(すまい)もまた「使い捨て」が主流になっていく。



東日本大震災。地震と津波で、見渡す限りのガレキの山となった。
http://www.bllackz.com/2014/09/blog-post_27.html
6:777 :

2022/11/06 (Sun) 22:36:41

2022年11月05日
カリフォルニア州オークランド、人々は車の中に住んでいる
こういう通りが全米のあらゆる街にある

画像引用:https://twitter.com/ktvu/status/885846899139395584

破綻した普通のアメリカ人の生活

アメリカは2010年のリーマンショック終息後の10年間で経済成長を謳歌し一見すると非常に豊かで幸福な国に見えていました

だがしばしば指摘されていたのが資産を増やしたのは富裕層だけで2/3以上の普通レベルかそれ以下の人々は貧困化が進んでいた

1990年以前のアメリカは60年代から30年ほど不況が続いていたが、まだ労働者は郊外にプールつきマイホームを買って一生住むことができた


今全米50都市くらいの大都市で一戸建てや中心部のマンション価格は平均1億円にも達していて、家賃ですら月3000ドルから5000ドルに上昇した

アメリカの1人当たりGDPは6万ドルでサラリーマンでそのくらいの年収だが、どんな統計でも「平均」に達しているのは1/3程度しかいません


アメリカ労働者の2/3は年収6万ドル以下なのに都会で家を借りると月3000ドル、家族用だと5000ドルの家賃をとられます


月3000ドル家賃で計算しても年3万6000ドル、月5000ドルの家賃だと年6万ドルなので全収入が家賃に消えてしまいます

年収6万ドルの普通のアメリカ人がニューヨークの郊外で普通のマンションを借りると年収の100%が家賃に消えるのでした

東京で年収400万円程度の人が23区内でマンションを借りると平均10万円でまともな部屋を借りれるので年120万、まだ280万円の余裕があります



NY郊外で月3000ドルだと1ルーム(ベッドを2つ置ける)、月2000ドルだとトレーラーハウス、月1000ドルだと貧困地区しか選択できなくなります

当然ながら普通の部屋に住めない人が多く発生し、中古車を買って車上生活している人が全米で数十万人居ると考えられます

車は地区をまたいで移動するので信頼できる統計がなく、ホームレス人口は約60万人だが統計から漏れた人も多い


アメリカでは日本のように車を所有することに税金がかからず、譲渡や売買時にしか車検証明も必要ないので、車上生活自体に税金はかからない


アメリカ各地に治外法権地区が出現

アメリカの掲示板でペンシルベニア州フィラデルフィアの現状が動画付きで紹介されていて、日本人がイメージするメキシコやフィリピンの治安が悪い地区のようになっていました

数百メートルに渡って路上生活者のテント村があったり人が座っていたり寝転んでいるが、休憩してるのではなく何らかのくすりの影響と説明されていた

フィラデルフィアのホームレス対策予算は3600万ドル(36億円から50億円)でホームレスは統計で4300人が確認された


1人当たり年間100万円も予算があるのにホームレスにはほとんど渡っていないように見えました

これはアメリカでは日本の生活保護のような制度ではなくフードクーポンやシェルター施設の建設に使われているからと考えられる

シェルターを建設したり確保するのに予算の多くが使われ、シェルターで働く天下り役人の給料にも使われて残りがフードクーポンなどで配られている



カリフォルニア州オークランドでも同じような地区があり、ホームレス通りには数百メートルに渡ってテント村が続いている

あのシリコンバレーの近くにも同じような地区があり、家賃高騰で部屋を借りれなくなったIT企業の労働者は車上生活をしています

こうして収入が平均程度のアメリカ人の生活は破綻してきているが、統計上アメリカは豊かで人々は高収入を得ている事になっています


実態を見えなくしているのが『為替レート』で今1ドル145円以上なので日本が貧しくアメリカが豊かなように表示されています

不動産や資産価値を吊り上げて経済成長した国は通貨の価値も高くなりGDPが上昇したが、同時に貧困化が進行します

中国や韓国などもそうだが不相応に高すぎる不動産価値や通貨価値を適正に直したら、彼らの本当の姿が見えてくる


1ドル100円になると日本とアメリカの1人当たりGDPは近くなり、より両国の本当の姿を比較できるでしょう
https://www.thutmosev.com/archives/89314503.html

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