-
1:777
:
2022/11/04 (Fri) 17:34:47
-
サコ先生との対談本の「あとがき」 - 内田樹の研究室
2022-11-03
http://blog.tatsuru.com/2022/11/03_1036.html
『君たちのための自由論』あとがき
2023-02-16
http://blog.tatsuru.com/2023/02/16_1659.html
ウスビ・サコ先生との対談を中心にまとめた本を出すことになりました。サコ先生は日本ではじめての「アフリカ出身でムスリムの学長」です。多様な出自の人々を同胞として迎える心構えにおいて日本社会はまだまだ十分な成熟に達していないと僕は思いますけれども、それでもサコ先生のような人が登場してきたこと、サコ先生の言葉に耳を傾ける人がしだいに増えてきたことは、日本の未来について僕を少しだけ楽観的な気持ちにさせてくれます。僕が日本の未来について「楽観的になる」ということはほとんどないのですけれど、サコ先生は僕にその「ほとんどない」経験をさせてくれる稀有の人です。
この本で、僕たちは主に日本の学校教育について論じています。学校教育が僕たち二人の「現場」だからです。僕はもう定期的に教壇に立つということはなくなりましたけれども、いまでもいくつかの大学に理事や客員教授としてかかわっているので、大学で「今何が起きているのか」はある程度わかっています。そして、大学に関して言えば、楽観的になれる材料はほとんどありません。大学教育は制度としてはどんどん劣化しているし、研究教育のアウトカムはどんどん低下している。それも加速度的に。その原因については本書の中でも繰り返し述べています。それは「教育研究を中枢的に統御し、管理しようとする欲望」がもたらしたものです。「諸悪の根源」というような激しい言葉を僕はあまり使いたくないのですけれども、「統御し、管理しようとする欲望」が今の学校教育の荒廃の主因であることは間違いありません。
でも、不思議な話です。「統御し、管理しようとする欲望」は「秩序」をもたらし、「効率」や「生産性」を向上させることをめざしているはずです。でも、それがまったく逆の結果を生み出してしまった。どうしてなんでしょう。
それは「創造」と「管理」ということが原理的には相容れないものだからです。そして、「管理」がどういうものであるかはほとんどの人が知っているけれど、「創造」がどういうものであるかを知っている人はそれに比べるとはるかに少ないのです。
日本社会では「管理」したがる人の前にキャリアパスが開かれています。彼らは統治機構の上層に上り詰め、政策決定に関与することができます。でも、「創造」に熱中している人はシステム内での出世にはふつう興味がないので、創造的な人が政策決定に関与する回路はほぼ存在しません。
ですから、資源分配の決定を「管理が好きな人たち=創造とは何かを知らない人たち」が下す限り、その集団が創造的なものになるチャンスはまずありません。自分の出世しか興味がないサラリーマンが組織マネジメントを委ねられると、組織はどんどん息苦しく、みすぼらしいものになることは避けがたい。
というのは、「管理」が大好きな人たちは、あらゆる仕事に先立って「まず上下関係を確認する」ところから始めるからです。「ここでは誰がボスなのか」「誰が命令し、誰が従うのか」「誰には敬語を使い、誰にはため口でいいのか」「誰には罵倒や叱責を通じて屈辱感を与えることが許されるのか」ということをまず確認しようとする。彼らはまずそれを確認しないと仕事が始められないのです。
この集団はそもそも何のためにあるのか、いかなる「よきもの」を創り出すために立ち上げられたのかとか、メンバーたちはそれぞれどういう能力や希望があるのかということには副次的な関心しかない(それさえない場合もあります)。関心があるのは「上下」なのです。
ですから、日本の組織においては、上司が部下に対して最初にするのは「仕事を指示すること」ではなくて、「マウンティングすること」ことなんです。目下の人間にまず屈辱感を味合わせて、「この人には逆らえない」と思い知らせることがあらゆる業務に優先する。
そんな集団が効率的に機能すると思いますか?
朝の会議で上司が部下に「発破をかける」ということが日本の会社ではよく行われますが、あれは別に今日する仕事の手順を確認しているわけではありません。誰が「叱責する人間」で、誰が「黙ってうなだれる人間」かを確認をする儀礼なんです。そんなこと何時間やっても仕事は1ミリも先に進まないのに。
でも、管理が好きな人たちは、その因果関係が理解できない。しっかり管理しているはずなのに、トップダウンですべての指示が末端まで示達されているはずなのに、なぜか組織のパフォーマンスはどんどん下がる。
どうして、仕事がうまくゆかないのか。そう問われると、彼らは反射的に「管理が足りないからだ」と考える。「叱り方が足りないからだ」「屈辱感の与え方が足りないからだ」と考える。そして、さらに管理を強化し、組織を上意下達的なものにし、査定を厳格にし、成果を出せない者への処罰を過酷なものにする。もちろん、そんなことはすればするほど組織のパフォーマンスはさらに低下するだけなわけですけれども、その時も対策としては「さらに管理を強化する」ことしか思いつかない。
軍隊には「督戦隊」というものがあります。前線で戦況が不利になった時に逃げ出してくる兵士たちに銃を向けて「前線に戻って戦い続けろ。さもないとここで撃ち殺す」と脅すのが仕事です。軍隊の指揮系統を保つためにはあるいは必要なものかも知れませんが、もし「半分以上が督戦隊で、前線で戦っているのは半分以下」という軍隊があったとしたら「管理は行き届ているが、すごく弱い」軍隊だということは誰にでもわかると思います。
今の日本の「ダメな組織」はこの「督戦隊が多すぎて、戦う兵士が手薄になった軍隊」によく似ています。学校現場もそうです。
教育行政が発令した政策はこの四半世紀ほぼすべてが失敗しました。でも、それを文科省も自治体の首長も教育委員会も自分たちのミスだとは認めませんでした。すべて「現場のせいだ」ということになった。指示した政策は正しかったのだが、現場の教員たちが無能であったり、反抗的であったりして、政策の実現を阻んだので、成果が上がらなかった。そういうエクスキューズにしがみついた。
そこから導かれる結論は当然ながら「さらに管理を強化して、現場の教員たちに決定権・裁量権をできるだけ持たせない」というものになります。そうやって次々制度をいじっては、教師を冷遇し、査定し、格付けし、学長や理事長に全権を集中させ、職員会議からも教授会からも権限を剥奪しました。こうすれば「現場の抵抗」はなくなり、教育政策は成功するはずでした。でも、やはり何の成果も上がらなかった。この失敗も「現場が無能だからだ。現場が反抗的だからだ。もっと管理を強化しろ」と総括された。そして、学校現場における「督戦隊」的要素だけがひたすら膨れ上がり、「前線で戦う兵士」の数はどんどん減少し、疲弊していった...というのが日本の現状です。
いま学校教育現場で最も深刻な問題は「教師のなり手がいない」ということです。毎年、教員採用試験の受験者が減っている。倍率が低いので、新卒教員の学力が低下し、社会経験が乏しいせいでうまく学級をグリップできない教員が増えている。それを苦にして病欠したり、離職する教員も多い。こんなことは教員たちから権利を奪い、冷遇し、ことあるごとに屈辱感を与えてきたわけですから、当然予測された結果のはずです。でも、たぶん文科省も自治体の首長も決してそれを認めないでしょう。
もう一度繰り返しますけれど、「管理」と「創造」は相性が悪いのです。
創造というのは「ランダム」と「選択」が独特のブレンドでまじりあったプロセスです。平たく言えば「いきあたりばったり」でやっているように見えるのだけれど、実は「何かに導かれて動いている」プロセスのことです。やっていることは見た目は「いきあたりばったり」ですから「管理」する側から「何をやってんだ」と問い詰められもうまく答えられない。やっている当人は自分がある目的地に向かって着実に進んでいることは直感されるのだけれど、それが「どういう目的地」なのか、全行程のどの辺りまで来たのかは、自分でもうまく言葉にできない。「このまま行けば、『すごいこと』になりそうな気がします」くらいしか言えない。そういうものなんです。完成品が何か、納期はいつか、それはどのような現世的利益をもたらすのかについて答えられないというのが「ものを創っている」ときの実感です。
「創造」は科学や芸術に限られたものではありません。例えば、食文化というのは本質的にきわめて「創造的なプロセス」だと僕は思います。
食文化の目標は何よりもまず「飢餓を回避すること」です。ですから、「不可食物」の「可食化」がその主な活動になります。実際に人類は実に多様な工夫をしてきました。焼く、煮る、蒸す、燻す、水にさらす、日に干す、発酵させる...などなど。
それまで不可食だと思われていた素材を使って最初に美味しい料理を創った人は人類に偉大な貢献を果たしたわけですけれども、こういう人たちはそれまで知られていたすべての調理法を試したわけではないと思うんです。よけいな迂回をしないで、割と一本道で目的地にたどりついたんじゃないかと思うんです。じっと食材を見ているうちにその人の脳裏に「これを食べられるものにするプロセス」がふと浮かんだ。まったく独創的な、これまで誰もしたことのない調理法を思いついた。試してみたら、いささか試行錯誤はあったけれど、「美味しいもの」ができた。
このプロセスはまったくの偶然に支配されていたわけではないと僕は思うんです。創造的な調理人は「何となく、こうすれば、これ食えるようになるんじゃないか」という「当たり」をつけてから始めたはずです。でも、どうしてその「当たり」がついたのかは本人もうまく説明できない。「なんとなく、そうすればできそうな気がした」というだけで。
「だいたいの当たりをつけてから、そこに向かう」プロセスのことを「ストカスティック(stochastic)」なプロセスと呼びます。ギリシャ語の「的をめがけて射る」という動詞から派生した言葉です。創造というのは「ストカスティックなプロセス」であるというのは多くの創造的科学者たちが言っていることです。
数学者のアンリ・ポワンカレによれば、数学的創造というのはそれまで知られていた数学的事実のうちから「これとあれを組み合わせたらどうなるかな」という組み合わせをふと思いつくということだそうです。その場合の「これ」と「あれ」はいずれも「長い間知られてはいたが、たがいに無関係であると考えられていた」事実です。誰も思いつかなかったその結びつきにふと気づいた者が創造者になる。
創造的な調理人もそうだと思うんです。これまで不可食とされていた植物や動物は目の前にランダムに散乱している。調理法も経験的に有効なものがいくつかが知られている。ある日、ある調理人が「長い間知られていたが、たがいに無関係であると考えられていた」ある不可食物とある調理法の組み合わせを思いついた。それが新しい料理の発明につながり、人類を飢餓から救うためにいくらかの貢献を果たした。たぶん、そういうことだと思います。
創造というのは「外からはまるで行き当たりばったりのように見えたのだけれども、ことが終わってから事後的に回顧するとまるで一本の矢が的を射抜くように必然的な行程をたどっていたことがわかる」というプロセスです。だから、「ストカスティック」なんです。
多くの創造的な人たちは、学者でもアーティストでも、自分たちの創造の経験を似たような言葉で語るのではないかと思います。
こう説明するとわかると思いますけれど、これはまったく「管理」になじまないプロセスです。僕やサコ先生の関心は、どうやってもう一度「創造」を活性化するかということだと思います。それについて二人ともずいぶん真剣に考えてきたし、いろいろ「実験」もしてきました。本書に出てくる、ソウルに焼肉を食べに行ったり、空港で学生たちとばったり会って旅行にでかけたり・・・というのは、どちらもそのときは「思いつき」ですけれども、あとから振り返ると、「それがあったから、次の展開があった」という重要な足場でした。でも、その時点では成算があったわけじゃないし、どういう効果が期待できるかもわからなかった。何となく「これは『当たり』じゃないかな」という気がしただけです。でも、サコ先生も僕もその直感を信じた。
サコ先生も僕も「管理する側」から見たら、とても手に負えない人たちだと思います。でも、それは僕たちがただ反抗的であるとか、反権力的であるとかいうことではなく、「創造」ということにつよいこだわりを持っているからです。そのことをぜひこの本を通じてご理解頂きたいと思います。
なんだかやたら長くなってしまいましたので、もう終わりにします。最後になりましたが、本書の成立にご尽力くださいました稲賀繁美先生、ラクレ編集部の黒田剛史さん、『大学ランキング』の小林哲夫さん、夕書房の高松夕佳さんにお礼を申し上げます。そしてつねに驚くべき話題で知的刺激を与え続けてくださったウスビ・サコ先生に感謝を申し上げます。みなさん、どうもありがとうございました。
(2023-02-16 16:59)
http://blog.tatsuru.com/2023/02/16_1659.html
-
2:777
:
2022/11/04 (Fri) 17:36:45
-
日本の学校は、考えない人間を5つの方法で生み出している
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14004524
日本の研究力の低下 - 内田樹の研究室
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14051677
▲△▽▼
ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html
女は東大出でも思考力・判断力・知性すべてゼロ _ 通産官僚 宗像直子は何故こんなにアホなの?
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/544.html
自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/564.html
-
3:777
:
2023/11/21 (Tue) 19:39:45
-
学問探究投げ捨てる愚行 議論もなくスピード可決した国立大学法人法改正 国立大学まで政財界の利権の具に
2023年11月21日
https://www.chosyu-journal.jp/kyoikubunka/28277
臨時国会でひっそりと審議入りした国立大学法人法改正案が17日、衆院文部科学委員会で採択され、与党の賛成多数で可決された。同法改正は、一定規模の国立大学を「特定国立大学法人」に指定し、最高意思決定機関として文科大臣の承認を要する委員で構成される「運営方針会議」の設置を義務づけるもので、大学運営のあり方を根本的に改変するものとなる。大学関係者は「大学の自治に死刑を宣告するものであり、日本の学術研究の衰退に拍車をかけ、国力をも損なうもの」として総反発している。学術レベルの著しい衰退を招いた一連の「大学改革」を見直すこともなく、大学を政治や財界の末端機関とする軽薄な法改正に批判が高まっている。
学術レベルの低下を招く「大学の自治剥奪」
国立大学法人法の改正案が10月31日に閣議決定され、臨時国会に提出された。その内容は、内閣府が組織し、財界代表者らも参画する「総合科学技術・イノベーション会議」(CSTI)の有識者会合(9月7日)で初めておおまかな概要が明かされた。国民はおろか大学関係者にも知らされることなく、当事者間の開かれた議論もないまま、わずか1カ月で法案化された。
改正の主な内容は、一定規模の国立大学に政令で「運営方針会議」という新たな合議体を置くことを義務付け、中期目標・中期計画の作成、予算決算に関する事項の決定権を持たせるというものだ【図参照】。これまで学長や理事など主に大学内の人員で構成される役員会が握っていた大学の運営権限を、この新たな合議体が握り、そこで決めた方針通りに大学運営を実行させるためのトップダウン体制の強化となっている。
新たに各大学に設置される運営方針会議は、文科大臣の承認を得たメンバー(委員)で構成され、運営方針通りに大学運営がされているかどうかを学長に定期的(3カ月ごと)に報告させ、運営方針に従っていないと見なされる場合は、学長に改善措置を指示する権限を持つ。また、「学長選考・監察会議」に対して、学長選考の方針に意見したり、学長が運営方針会議と対立するなど解任事由に相当すると認められた場合は報告するという、実質的な解任権限まで持つことになる。
学内の構成員は大学の運営や大学内部の資源配分について発言する権限を実質的に奪われることになり、大学の自治を担ってきた学内組織は形骸化せざるを得ない。
さらに、これまで「国立大学の公共性や公益性を損なう」として認可制にしていた国立大学法人による土地貸付も届出のみで済むようにしたり、長期借り入れ・債券発行などの対象事業も拡大するなどの規制緩和も盛り込まれている。
総じて、政府や経済界の意を汲んだ運営方針会議を使って学長(大学法人)をコントロールし、国立大学が保有する資産や教育組織(人間)を総動員して、学術研究よりも利益を生む「稼げる大学」へと邁進させるための体制づくりを促すものとなっている。
現在、「特定国立大学法人」に指定される見通しにあるのは、東北大学、東京大学、東海国立大学機構(名古屋大学・岐阜大学)、京都大学、大阪大学の五法人となっている。これらの大学の職員組合は10日、改正案に反対する共同声明を発表。全国110の国立大学や関連機関の教職員組合連合体である全国大学高専教職員組合(全大教)中央執行委員会も六日に反対声明を発した【ともに別掲】。国は、大規模国立大学を皮切りに同様の仕組みを他の国立大学にも広げていく方針を示しており、すべての大学関係者にとって他人事では済まされない。
研究の自由奪う「司令塔」作り 大学教員らの指摘
NPO法人「国立人文研究所」が11日におこなったオンライン会見で、北海道大学教育学研究院の光本滋准教授は、「“稼げる大学”は、昨年の国際卓越制度の議論の過程でたびたび使われてきた。古くは90年代ごろから始まっているが、直近では2015年当時の五神真(ごのかみ・まこと)東大総長が、財政制度審議会で“産業界が維持できなくなってきた中長期のための投資の受け皿を大学につくる”と表明し、大学内に産学一体のプラットフォームをつくるイメージを示した。今回の法改正は、“学術研究よりも経済社会に貢献する大学”(CSTI)を進めるために、研究・教育組織の上に“全学的な司令塔”をつくるものだ」と指摘した。
またこの間の一連の「大学改革」をふり返り、「2004年の国立大学法人化で、国立大学では政府の政策を学長の権限によって実施させるトップダウン体制が決定づけられた。2014年の学校教育法等の改正によって多くの大学で教授会が教員の選考権を失った。そして、学長選考会議が学内投票に拘束されずに済むような規定改正もおこなわれ、学長と学長選考会議が一体となって大学を私物化する事態が頻発した。今回の法改正は、運営方針会議が学長を支配する体制をつくるものであり、政府や産業界が運営方針会議を支配することになれば、大学はそれらに従属せざるを得なくなる」とのべ、「国立大学の法人化は、研究水準の向上や発展のためとされていたが、20年たった現在、研究力低下がさかんに問題にされている。その反省もない法改正だ」と警鐘を鳴らした。
特定国立大学法人への指定が名指しされている京都大学、東京大学、名古屋大学、大阪大学の職員組合も15日、声明発表とともに記者会見をおこなった。
京都大学の高山佳奈子教授は、「京都大学職員組合は、国際卓越研究大学制度について、研究機関である大学を特定の利権の下に置こうとするものであるという観点から反対してきた。結局、東大も京大も国際卓越には認定されなかったが、その理由の一つとしてトップダウンがうまく機能していないということがいわれている」とのべた。
国際卓越研究大学制度とは、国が10兆円規模の基金(ファンド)を設立し、その株式運用益を餌にして政府直結の「稼げる大学」をつくるという構想で、関連法が昨年5月に成立。9月に東北大学が初の認定候補に選出された。
高山教授は、「京都大学では総長が各分野のボトムアップを重視して、(国際卓越を)ゴリ押ししなかったことから候補に入らなかったが、それを覆す形で今般の国立大学法人法改正案が出てきている。利権を持っている人たちはどうしても大学を従わせ、利権のための道具として利用したい。国際卓越大学という“お金”をちらつかせてもダメだったからこその朝令暮改であり、私たちとしては狙い撃ちにされているという感じを受けている」とのべた。
また、日本学術会議が国によって解体されようとしていることにも触れ、「この状況下で、日本の学術研究や教育の国際競争力が低下しているというのは、当たり前のことだ。自由な研究のなかで、失敗から成功が生まれてノーベル賞につながるような発見が生まれるが、その自由な研究は、基盤的な研究費がある程度確保されたうえに成り立っている。私たち研究者は、自分たちの専門的知識は、学術全体から考えるとわずかな部分であるという認識のもとで研究に従事している。だが、今進められようとしているものは、その専門知識すらない人々、ごく少数の人々が思いつく範囲で、すぐに成果が上がるようなものについてだけお金を出すというものだ。目指すものは利権であり、その下に大学や学術会議を置くという制度だ。これでは人類の福祉に資するべき学術活動が実現できるはずもない。そもそも学術研究は、特定の範囲の人についてだけ考えておこなわれるものではない」と批判した。
また「(日本で)もっと自由な研究活動ができれば、他分野と協力して新しいものが生み出されていくチャンスが広がる。海外で研究成果が上がっているのは、自由な研究ができる基盤的な資金が確保されているからだ。だが特定の狭い範囲の思いつきで、目先のお金を稼ぐことを学術の目的とするのなら、特定の人の利権になるだけで、国力はさらに低下していくことになる。日本で政治資金が厳しく規制されているのは、たとえ紐付き資金でなくても、寄附に頼るようになれば、寄附をくれそうな人にとって利益になるような活動にインセンティブが働いてしまうからだ。同じように特定の利権に縛られた大学になれば、人類的な課題に資する自由な研究は確保できるわけがない」と問題点を指摘した。
東京大学教職員組合の井上聡委員長は、「東京大学も国際卓越大学に応募して落選したが、応募に至る学内的議論はほとんどなかった。私たちがしっかりした方針が出せなかったのは、東京大学ではすでに年間60億~70億円という欠損が生じ、私たちの部局でも年間数千万円という赤字が出て、基礎的な資金が“兵糧攻め”でかなり追い込まれていることがある。どういう形であれ、お金が入ってくれば良いのではないか…という考えがなきにしもあらずだった」と自戒を込めてのべ、「そもそもの大学のあり方から考えなければならない。研究の自由度が上がらないまま、外の経営や行政の専門家が大学運営に入ってきてもうまくいくわけがない。そのようなことを次々と振りまかれ、次第に大学が弱っていくのを感じる」と現状を吐露した。
名古屋大学職員組合の渡辺健史委員長は、「名古屋大学での国際卓越研究大学応募に向けた議論もトップダウン的に決まっていったのが実情だ。それ以外のことでも外部を意識してトップダウンで決まることが増え、運営費交付金も削減され、人事も思うように進まず、教員も時間がなく疲弊している。今回の改正案で採り入れようとしている合議体(運営方針会議)を置くことになれば、さらに外ばかりを意識しなければならなくなる」とのべた。
続けて、「大学はすでに力を失っており、外に還元することばかり考えると、わずかに残っている貯金も使い果たして立ち直れなくなり、研究力を含めて大学の自律性が極度に低下するのではないかと危惧している。国が大学運営に介入しようとしていることが透けて見える。大学の自治を侵害する大きな問題だ」とのべた。
大阪大学教職員組合の北泊謙太郎書記長は、「教職員給与削減をめぐる団体交渉の場で、大学理事が“国際卓越研究大学制度の選考に阪大が落ちたのは、大学の組織改革が足りないからであり、もっとドラスティックに組織を改革し、雇用もさらに流動的にして、次こそは国際卓越に採用されるように大学として一丸となってとりくむ”という趣旨の発言をした。今回、国際卓越に採用された東北大学では、テニュアトラック(一定の研究実績に基づいて研究環境や雇用が保証される資格)も付いていないような、任期付き雇用の若手教員が多いことが採用理由の一つだという。大阪大学でも短期で若手を雇い、どんどん入れ替えていく雇用の流動化を進める意志が表明されたものだと受け止めている。大阪大学は文科省と手を組んでトップダウンで決めていくことが多く法改正でそれに拍車が掛かるのではないか。大学の自治にとどめを刺すようなものだ」とのべた。
オンライン署名呼びかけ 各大学の研究者有志
各大学の研究者有志でつくる「『稼げる大学』法の廃止を求める大学横断ネットワーク」は現在、国立大学法人法改正に反対するオンライン署名を募っている。そこでは、概略以下のように法案の背景と反対理由をのべている。
■国立大学の「失われた20年」
今年は国立大学を法人化する法律が制定されてから20年目にあたる。大学の自律性を高めるための「改革」なのだという表向きの説明とは裏腹に、法人化後、国立大学の自治と自律性は段階を踏みながら破壊されてきた。
第1段階として、国は、大学運営にかかわる基盤的経費(運営費交付金)を10年近くかけて1割以上カットした。第2段階として、国立大学のトップである学長の選考について、政財界の意向が及びやすい仕組みをつくった。第3段階として、「選択と集中」の名の下に国が一方的に定める評価指標の達成度に応じて、基盤的経費を増減することにした。そのため、多くの学長は、予算を少しでも増やすために文科省の意向を忖度するようになった。第4段階として、大学が株式市場やベンチャー企業に投資することを奨励しつつ、企業から投資を受けて「稼げる大学」に変身することを要求した。
この20年間を振り返ってみると、政財界の狙いは、バブル崩壊後の産業界の国際競争力を立て直すために大学を「活用」することにあった。経済がクローバル化する中で、多国籍化した企業にビジネスチャンスを与えることが重視された。
たとえば2017年には、国立大学法人に土地の貸付を認める通知がなされ、今回の改正案では、これまで文科大臣の認可が必要であった土地の貸付を届出のみで可能にすると規定した。土地貸付によって国立大学法人が利益をあげ、これを利用した企業がその「有効利用」によって利潤をあげることもあるだろうが、そこでは、学生にとっての運動場や寄宿舎、学生食堂、保健管理センターなどのキャンパス空間がいかに重要であるかは度外視される。学生たちがリーズナブルで安全安心な生活をおくれることを優先していたら、「稼げない」からだ。
これに限らず、大学を「稼げる大学」に変えようとする力は、学生を授業料の額に応じてサービスを受けるべきカスタマー(顧客)、教職員をコストカットに協力すべき従業員へと変質させた。大多数の国立大学で、学長を投票により選出する権利が剥奪されたことが象徴的だが、今改正案は、「運営方針会議」なる合議体を設置し、大学の運営・研究・教育にかかわる方針(中期目標・中期計画)や資源配分のあり方(予算・決算)を決定する権限を与えると定めている。しかも委員の任命にあたっては文科大臣の「承認」を必要とするとしている。
これは、学生や教職員と、政府の方針に忠実な「経営判断」をおこなう少数者(運営方針会議委員、学長、学長選考・監察会議委員)とを分離し、学生や教職員の意見を無視また否定できる制度を完成させようとするものであり、「大学の自治」への死刑宣告にも等しい内容といえる。
■「稼げる大学」「稼げる自治体」の行く末
わたしたちは、「大学の自治」だけが守られればよいと考えているわけではない。むしろ日本社会全体を多国籍企業にとって稼ぎやすい場にしようとする実践の一環として、今日の大学「改革」を捉えている。
たとえば地方自治体も「稼げる自治体」となることを迫られてきた。具体的には「公共サービスの産業化」を合言葉として、地方行政や社会保障などの公共サービスを民間企業の市場として開放することが求められてきた。その結果として生じたのは、公務の外部委託や派遣社員雇用の拡大であり、地域社会内で循環するはずのお金が、東京に本社を置く大企業や多国籍企業に吸い上げられていく事態だった。その結果、公共サービスの担い手が減り、場合によっては自治体そのものが吸収合併により消滅させられた地域も少なくない。
地方自治体の場合には、住民は主権者として首長を選挙により選出することができる。合併にかかわる住民投票でこれを否決することも可能だ。ところが、国立大学の場合には投票による歯止めがもともと慣行としてしか成立していなかったために、独裁的な体制がいとも簡単に形づくられてしまった。公立大学や私立大学の場合には大学により代表を選出する仕組みはそれぞれ異なるが、国立大学以上に「稼げる大学」になる圧力にさらされてきた。
わたしたちは、研究が結果としてイノベーションにつながり、新たな産業や文化を生みだすことの素晴らしさや、研究や教育の意義について市民社会に対して説明する責任は感じている。だが、研究や教育にまつわる創造性はつまるところ個々人の創意工夫と安定した環境に由来する以上、政財界の意向を体した人物がもっぱら経営的な判断に基づいて「計画」なり「目標」を定めていくことは、大学の研究力や教育力を低下させることにしかならないと確信する。国は、だれもが「大学で学び研究する権利」を保障するために大学政策を根本的に転換し、基盤的経費の充実と安定財源化に努めるべきだ。
「稼げる大学」「稼げる自治体」「稼げる保育園」「稼げる公園」…というように、 なにもかもが近視眼的に考えられた経済的利益に還元される社会の行く末には、いったいなにが待っているのか。それを透視し、その打開策を考えることも大学の重要な役割だ。大学人がその役割をきちんと果たせるようになるためにも、改正案に反対の意向を表明し、国の大学政策の根本的な転換を求める。
https://www.chosyu-journal.jp/kyoikubunka/28277
-
4:777
:
2023/11/27 (Mon) 14:04:51
-
国立大学法人法”改正”は30年の破壊の総仕上げ【内田樹の談論風発】4
https://www.youtube.com/watch?v=AQkGLqVLGwo
内田樹さんの新刊
『街場の米中論』(東洋経済新報社 2023.12.6.)
https://str.toyokeizai.net/books/9784492444795/
『街場の成熟論』(文藝春秋社 2023.9.13.)
https://books.bunshun.jp/ud/book/num/9784163917566
お相手: 池田香代子
2023年11月24日 収録
-
5:777
:
2024/06/19 (Wed) 14:44:16
-
国の未来のため大学予算増額を 国大協「もう限界」と訴え 研究者育たず学術は崩壊 【声明全文】
2024年6月18日
https://www.chosyu-journal.jp/kyoikubunka/30851
国立大学協会(永田恭介会長)が7日、「我が国の輝ける未来のために」と題する緊急の声明を公表した。国立大学の活動を支える運営費交付金の削減が続くなかで、物価高騰や円安などが経営基盤を悪化させており、いまや限界を迎えていると訴える内容だ【下別掲】。今月中に閣議決定が予定される政府の「骨太の方針」や、文科省の来年度政府予算案の概算要求(8月)に運営費交付金の増額を盛り込むよう訴えると同時に、国立大学の窮状を国民に知らせ、世論を喚起することを意図している。独立法人化以降、20年にわたり「大学改革」なるものが進められてきた結果、大学は「崩壊」「後退」「劣化」といった問題が表面化してきた。国立大学をして「もう限界」といわしめる状況のなかで、潤沢な資金をちらつかせて研究者を軍事研究に囲い込む体制づくりも着々と進んでいる。
2023年度、春に唯一の国立総合芸術大学である東京芸術大学が、ウクライナ危機などに端を発した光熱費の高騰でどうにもならないということでピアノ5台を売却して年間12万円ほどの調律費を節約したほか、「電気代を稼ぐコンサート」という身も蓋もない名称のコンサートを開催。同年10月には金沢大学がキャンパス内の老朽化したトイレを改修するためにクラウドファンディングで異例の寄付集め(目標額300万円)をおこなうなど、国立大学がいかに金銭的に窮しているかを世間に知らしめるできごとが立て続けに起こった。
国立大学協会が発した声明では、教職員の人件費や研究費に充てる運営費交付金が減額されたままのなかで、近年の光熱費・物価の高騰などで実質的に予算が目減りし続け、各大学が危機的な財務状況に陥っていることを明らかにし、そのなかで質の高い教育研究活動を維持・向上していくために外部資金やみずから収入を増やす努力も進めているものの、もう限界であると訴えている。
国立大学は2004年度に小泉政府のもとで独立法人化され、2015年度まで国から支給される運営費交付金は1%ずつの削減が続いた。2020年度からは横ばいだが、独法化時点の2004年度に全体で1兆2415億円だったものが、24年度には1兆784億円と約13%減っており、その額は中堅・地方大学20大学分に相当する【グラフ①】。
一方、法人化時には想定されていなかった、高年齢者の再雇用人件費や消費税率の引き上げ、固定資産税や情報システム費用といった義務的経費は増加し、社会保険料も法人化時点より4%以上増加するなど、経費は上昇の一途を辿っている【グラフ②】。それに加えて、近年の物価高騰や円安などが基盤経費を圧迫し、実質的に予算が目減りし続けているという。
政府は運営費交付金を削減する一方で「選択と集中」「競争と評価」を掲げて、目先の成果が期待される分野など財界や国の求める研究で業績を上げた大学に重点的に研究費を配分するようになり、そうではない基礎研究などは切り捨てられてきた。しかも「選択」され「集中」される案件の多くは期限付きプロジェクトであり、その増加によって若手研究者の不安定な雇用が拡大し、ポスドク問題を生み出した。
この状況は今も続いている。改正労働契約法の施行から10年を迎えた昨春、10年働くと無期雇用を申請する権利が得られるはずだった研究者や研究支援員が大量に雇い止めされたことは記憶に新しいが、国立大学協会が示した資料によれば、40歳未満の若手では、2023年で任期付き雇用が59・3%と6割に迫っている【グラフ③】。
修士課程、博士課程に進学する学生は減少を続けており、人口100万人当りで見ると修士号の取得者はもっとも多いアメリカの8分の1、博士号はドイツの半分に満たない【グラフ⑥】。それは、日本の研究力の低下となって如実にあらわれている。武蔵野学院大学の島村英紀特任教授は「研究面ではホームランが打てなくなった。研究者は、安直な内野越えのヒットばかり狙うようになり、短期的な研究成果にこだわらざるをえなくなった」(本紙2023年1月8日付)と指摘している。
国立大学協会は、修士課程の約60%、博士課程の約70%を国立大学の学生が占め、また国立大学の全学生の約65%が3大都市圏以外の学生であり【グラフ④⑤】、高等教育や地域における人材育成の拠点となっていることを強調しており、国民に対し、人材の育成・輩出という役割をこれまで以上に果たしていく決意とともに、危機的な財務状況の改善に対する理解と共感、協働を呼びかけている。
米国式大学運営の導入 軍学共同へいざなう
小泉政府から始まった大学改革は、新自由主義を基調とするアメリカ式の大学運営を日本に持ち込もうとするものだった。それは企業や個人の投資や寄付によって大学が自己資金を集め、その運用益で大学の運営費を調達するというもので、資金運用のプロが雇われ、経営陣にも企業からの出向者が増えた。
また、大学の授業料が基本的に無料であるヨーロッパの大学とは対照的に、アメリカの大学は授業料を引き上げ、支払い能力のある学生(学生ローンの借り入れを含む)を呼び込んできた。同じく日本の国立大学の学費も、運営費削減にともなって1975年には3万6000円だったものが2000年には34万円に、現在では54万円にまで上昇しており、物価高騰を受けて東京大学など一部国立大学ではさらなる値上げも検討されている。
こうして大学を兵糧攻めしながら、ここ10年で本格化してきたのが、研究者の軍事研究への囲い込みだ。2014年に安倍政府は学校教育法を変えて「大学の重要事項を審議する」機関であった教授会を「学長からの諮問事項を審議し意見を述べる」機関に格下げし、人事や予算決定の権限を持っていた教授会から権限を剥奪して、大学の自治を弱体化させた。
さらに2015年には国立大学に対して「役に立たない」人文社会学系や教員養成系の学部や大学院について、「組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むよう努めることとする」と通知。基礎研究や人文系など、目先の利益につながらない分野を切り捨てる一方で、防衛装備庁による「安全保障技術推進制度」をスタートさせた。当初3億円だった予算は104億円まで増額している。経済安保法制の立法化が企まれるもとで、学術研究機関にも多額の研究費と引き換えにして政府による統制の手が伸びている。
岸田政府になって以降、研究者の頬を札束で叩くような形で、その動きは一層進んでいる。2022年5月、「軍事技術開発への研究者の動員」という言葉を露骨に使い、「経済安全保障推進法」が成立した。その重要な柱として「特定重要技術開発支援」があり、このために5000億円の基金を用意することになっている。20年間に削減された国立大学の運営費交付金1600億円がいかにわずかな金額であるかを示している。ここでは海洋領域、宇宙・航空領域、領域横断・サイバー空間領域、バイオ領域の4つの領域を設定し、20の先端技術にかかわるプロジェクトを官民協議会を組織して進めようとしており、そこに研究者を誘い込む算段だ。
同じ時期に成立させた「国際卓越研究大学法」(通称・稼げる大学法)では、財政投融資をおもな原資にした10兆円規模の大学ファンドを設立し、その運用益から年3000億円を上限に配分するという「鼻先にんじん」的なメニューを打ち出した。初めての公募となった2023年春には10校が応募したものの各大学内で反発が高まり、認定されたのは東北大学1校。東大など複数の大学が、今年度に予定される次の公募に再チャレンジする意向を示している。
「国際卓越研究大学」に認定されれば、大学ファンドからの助成を受けるかわりに、学外者でつくる経営意思決定機関(学長を解任できる権限など、人事権を持つ)の新設や、年3%の事業成長が求められるなど、非常に強い統制を政府から受けるようになる。そして、ファンドからの助成額の決定のうえで、「外部資金の獲得実績」などの条件があり、認定大学が「外部資金獲得」の名の下に、安全保障技術研究推進制度など軍事研究に参加せざるを得なくなることも指摘されている。
いずれ政府は、アメリカのように既存の大学や研究所から切り離された、もっぱら軍事研究をおこなう研究所を設置することも検討していると指摘されており、原発事故を契機にして住民の離散が進んだ福島では「福島イノベーション・コースト構想」がきな臭い案件として注視されている。これに関連するイベントでは「研究開発費が7億円出る」「ロボット1台当たり100万円、最大15台1500万円まで出る」などと宣伝されていた。
「国立大学の研究資金が(1人当り)年間平均40数万円」ともいわれるなかで、桁違いの資金をちらつかせて研究者を軍事研究に誘い込む動きを見れば、運営費交付金1600億円を復活させることなどたやすいことは明らかといえる。
2023年11月には、国立大学法人法が改正され、一定規模の国立大学に政令で「運営方針会議」という新たな合議体(文科大臣の承認を得た委員で構成)の設置を義務付け、運営方針通りに大学運営がされているかどうかを学長に3カ月ごとに報告させ、運営方針に従っていないと見なされる場合は、学長に改善措置を指示する権限や、実質的な解任権限まで持たせることになった。役員会など学内構成員は大学運営や大学内部の資源配分について発言する権限は奪われることになり、大学自治の主体であるはずの学内組織を形骸化させる措置となっている。
文部科学省の報告書によると、日本の研究者数の合計は中国、アメリカに次いで世界第3位だが、世界で最も多く引用された論文の上位10%に入る日本の研究論文のシェアは6%から2%にまで低下。発表論文数も世界で5番目に多いが、引用数で上位10%に入る研究論文の数は13位に転落するなど、国際的な地位低下に対する懸念が高まっている。基礎研究を軽視して、手っ取り早く稼げる商用技術がもてはやされるなど、学問研究の価値基準をビジネス的な数字に置き換える軽薄な「改革」がもたらした低レベル化というほかない。
日本社会の発展と繁栄のために、各分野の人材を育成することは大学の使命である。政府が目先三寸の政治目標のためそれを歪め、土壌を破壊することは国の将来を切り拓く可能性の芽を摘むことであり、必要なことは公共の福祉に資する学術研究の土台と独立性を国として保証することである。
○ ○
【国立大学協会声明】我が国の輝ける未来のために
1、国立大学の覚悟
天然資源に乏しい我が国にとって、最も重要なのは人材であり、社会と産業を動かす科学技術の進歩です。大学は、高い能力と見識を備え、未来を創造する人材の育成と、高度で先端的な研究の推進に重要な役割を果たしてきました。その中でも国立大学は、創設以来、世界最高水準の教育研究の実施や重要な学問分野の継承・発展、すべての都道府県に設置され全国的な高等教育の機会均等の確保、グローバル人材の育成といった役割を担ってきました。これからも国立大学は、我が国の研究力の源であって、我が国全体の、そして各地域の文化、社会、経済を支える拠点であり、産業、教育、医療、福祉などに十全の責務を負っていく覚悟です。
2、国立大学を取り巻く財務状況の悪化
国家予算が厳しさを増すにつれ、国立大学の活動を支える基盤経費(運営費交付金)は減額されたままです。加えて、社会保険などの経費の上昇、近年の物価高騰、円安などにより基盤経費を圧迫し、実質的に予算が目減りし続けています。また、働き方改革の実現のため、大学教職員、学校教員や医師を確保する必要も出てきました。その中にあっても質の高い教育研究活動を維持・向上していくために、寄付金などの外部資金や自ら収入を増やす努力も進めています。そうして、我が国の課題、また地球規模の課題の解決に、教育と研究を通じて全力で取り組んできました。
しかし、もう限界です。
3、輝ける未来への協働
我が国の教育研究の根幹をなす86の国立大学は、輝ける未来に向けて、以下のことに取り組みます。
①博士人材などの高度人材の養成をさらに進め、輝ける未来創造を牽引します。
②社会人や女性、外国人など多様な人材を受入れ、多様性の時代を牽引します。
③全国の大学進学率の向上に努め、国全体の知のレベルを上げて、地域社会とグローバル社会を牽引します。
4、国民の皆様へのお願い
このように、国立大学はこれまで以上に大きな役割を果たして、我が国全体のさらなる発展を支え、豊かな社会を実現していこうとしています。国立大学の担うこのミッションは、国や地域、産業界や自治体を含む社会全体、そして国民の皆様一人ひとりに、積極的に参加いただき、ともに協力していくことにより、実現していくことができます。
国立大学の危機的な財務状況を改善し、我が国の輝ける未来を創り出すために、皆様の理解と共感、そして力強い協働をお願いする次第です。
令和6年6月7日
一般社団法人 国立大学協会理事会
(参考)
一般社団法人 国立大学協会理事会メンバー永田恭介 (筑波大学長)、寳金清博(北海道大学長)、藤澤正人(神戸大学長)、益一哉(東京工業大学長)、佐々木泰子(お茶の水女子大学長)、西川祐司(旭川医科大学長)、冨永悌二(東北大学長)、松岡尚敏(宮城教育大学長)、田中雄二郎(東京医科歯科大学長)、林佳世子(東京外国語大学長)、梅原出(横浜国立大学長)、牛木辰男(新潟大学長)、和田隆志(金沢大学長)、上田孝典(福井大学長)、松尾清一(東海国立大学機構長)、湊長博(京都大学長)、西尾章治郎(大阪大学長)、中島廣光(鳥取大学長)、河村保彦(徳島大学長)、仁科弘重(愛媛大学長)、石橋達朗(九州大学長)、兒玉浩明(佐賀大学長)、小川久雄(熊本大学長)、田野俊一(電気通信大学長)、藤井輝夫(東京大学長)、中野聡(一橋大学長)、岡本幾子(大阪教育大学長)、塩﨑一裕(奈良先端科学技術大学院大学長)、越智光夫(広島大学長)、浅井祥仁(高エネルギー加速器研究機構長)、位田隆一(専務理事・前滋賀大学長)、村田善則(常務理事・事務局長)
https://www.chosyu-journal.jp/kyoikubunka/30851
-
6:777
:
2024/06/28 (Fri) 13:52:39
-
学校は社会は理不尽であることを教え、自分たちには敵があることを教えろ
2024.06.27
https://blackasia.net/?p=44784
意味のない怒りもある。一方で社会正義としての「必要な怒り」もある。しかし「みんな仲良く」みたいな教育があまりにも徹底され、怒りを持つのはいけないという教育がされ過ぎると、若者はうまく怒りを表明できなくなる。そして、あきらめた若者の中に希死念慮が生まれる。(鈴木傾城)
面倒を避け、対立を避け、トラブルを避ける生きかた
著書『病み、闇。ゾンビになる若者、ジョーカーになる若者』
https://www.amazon.co.jp/%E7%97%85%E3%81%BF%E3%80%81%E9%97%87%E3%80%82-%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E8%8B%A5%E8%80%85%E3%80%81%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E8%8B%A5%E8%80%85-%E5%9B%9B%E6%B1%90%E8%88%8E-%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%82%BE%E5%9F%8E/dp/4434329901?&linkCode=sl1&tag=blackbook2tok-22&linkId=84c64ccebe7c52718ab5e61162b3267b&language=ja_JP&ref_=as_li_ss_tl
の中で、「死の恐怖が希薄な若者たち」という章で、あっさり自殺していく若者たちが出てきていることを取り上げた。
自殺配信した少女もいたのだが、彼女は横浜駅と海老名駅を結ぶ相鉄線の瀬谷駅でカメラを設置して、電車がきたら何の逡巡も見せずにあっさりと飛び降りて死んだ。普通、死の恐怖というものがあれば、そんな簡単に死なない。
しかし、彼女は本当に「死の恐怖が希薄」であったように見えた。書籍『病み、闇。』の中ではそういう話を冒頭に取り上げた。
日本の若年層が心身に大きな問題を抱えるようになっているというのは、臨床にかかわっている医師たちが十年以上も前から報告している。若者たちは、2000年代に入った頃から、あきらかに精神的に変わってしまったという。
「何とか立ち直ろうとする力が落ちている」
「悩む力が落ちている」
「主体的に動く力も落ちている」
「疲れない付き合いだけに限定する」
「漠然たる不安を抱えている」
そのような傾向が強くなっているというのだ。これらに共通するのは、面倒を避け、対立を避け、トラブルを避け、自分が傷つかないように自我を必死に守り、傷つくくらいなら何もしないことを選択する受動的な生きかたである。
全員が全員そうではないが、若年層にそうした傾向が出てきているということは、教育の現場がそのような若者たちを作っているということでもある。
世の中には怒りを持たなければならない場面もある
今に始まったことではないが、日本の教育というのはもともとそういう面がある。それが、いよいよ強烈に若者を縛るようになり、若者はもうそれを服従するかのように受け入れるようになった。
「面倒を避け、対立を避け、トラブルを避け続ける若者たち」が大量に産まれているということは、教育の現場で若者たちがそのようになることを求め、もう若者が反抗できないほどまで、それがうまく機能するようになっているということだ。
今の教育は「正しいことを信念を持って訴えなさい」という教育はしていない。あるいは「自分が考えていることが何かをはっきりと主張しなさい」という教育もしていない。
「みんな仲良くしなさい、協調性を持ちなさい」という面をことさら強調し、逆に強い信念や自分の主張をしないように抑える教育が意識的にも無意識的にも為されている。
人間社会は集団生活の場だから、ある程度は同調性や協調性がなくては困る。しかし、だからといって100%それで押し通すと自分という存在が消えてしまう。
協調性を強く押しつける教育では、信念や主張のような強いものを表に出したら怒られるので表に出せなくなり、それが習い性となって身につく。
あまりにも協調性ばかりを教育で叩き込まれていくと、当然だが「怒り」を出すこともできなくなっていく。怒りは協調性を破壊し、同調を乱すものだからである。
しかし、人は理不尽なことをされたら怒りを感じるものだ。社会の不正にも怒りを感じるはずだ。弱い者がいじめられていても怒りを感じる。そして、間違ったことがまかり通っているのを発見しても怒りを感じて当然だ。
あるいは、自分が、自分の家族が、自分の国が、おとしめられていても激しく怒りを感じるはずだ。自分や自分の家族や国が他国の人間に馬鹿にされてヘラヘラ笑っているような人はまともではない。
意味のない怒りもあるのだが、一方で社会正義としての怒り、正当防衛としての怒りもある。世の中には、怒りを持たなければならない場面もある。
理不尽でも黙って指示に従うのが正しい生きかたか?
しかし、「みんな仲良く」だとか「人類みな兄弟」みたいな教育があまりにも徹底され過ぎて、何があっても怒りという感情を抑えなければならないと教育されたらどうなるのか。
「怒りを感じたらいけない……」
「理不尽なことをされても仲良くしなければ……」
「自分が我慢しなければ……」
このような思考回路になっていくのは容易に推測できる。とにかく協調性を崩さず、その場を丸く収めることばかり求められるようになり、不安の中で生きるしかなくなってしまう。
「みんな仲良く」を基本として教育するのは間違っていない。子供に対立と暴力を教えるのは教育ではない。強調性は生きるためには必要不可欠なものだ。
しかし、小学生・中学生でしっかりと基本を教えたら、それを踏まえた上で、高校生からは「信念を持つ」ことや「主張する」こともしっかり教えないと社会に対応できない若者が続出することになる。
ただ「面倒を避け、対立を避け、トラブルを避け続ける」だけしか学ばないで義務教育を終われば、面倒や対立やトラブルだらけの社会では押し潰される。そして、自分が社会に合っていないと自分を責めて、生よりも死に惹かれるようになっていく。希死念慮が育っていく。
本来は、世の中が理不尽なことや危険なことを教えるべきだ。そして、その中で押し潰されないようにする方法を教える必要がある。そうしないから、若者たちはどうしたらいいのか分からずに、最初から最後まで自分を殺して生きることになってしまう。
なぜ、「正しいことを主張する」ことを教えないのかというと、今の学校は若者をサラリーマンにするための養成学校のようになっており、「主張するより上司に従うこと、客に従うこと、同僚に従うこと」が優先されるからである。
「上司の命令が理不尽でも、黙って指示に従うのが正しい生きかただ」というのを学校から教わかって社会に出て、サラリーマン社会でクビにされないようにしているのだ。
相手がどんなに理不尽なことをいってきても、自分の主張は殺してひとまず謝罪したり賠償したりするように教えている。こんな生きかたを義務教育で徹底されたら、誰でも主体性を失って流れるように生きるしかない。
本当に、こんなことでいいのだろうか。
「怒りをうまく表明する練習」が必要ではないのか?
日本の教育は、社会が理不尽であり混乱しており暴力的なものであることを教えない。まるで世界は「人類みな兄弟」みたいなユートピアであるかのような前提で「みんな仲良く」「平和がすべて」と教え込む。
だから、多くの日本人は社会に出て突如として理不尽が自分に降りかかったとき、自分の主張はしないで、対立もできないで、ひたすら低姿勢で謝ることしかできない。
「怒り」という感情を去勢され、闘争心という牙を抜かれてしまったので、何もできずに右往左往するだけになる。戦うことができない。
現状を変えるには教育を変える必要がある。社会は理不尽であることを教え、自分たちには敵があることを教え、敵には強く対抗しなければ国が滅びることを教えなければならない。
理不尽には戦い、守るべきものは戦って守ることを教えなければならない。理不尽や社会不正に怒りを感じることは自然なことであることを教えなければならない。
怒りという感情があるから、世の中が間違っていたら是正しようとする力が生まれ、また間違った社会から自分が立ち直るためのエネルギーが生まれる。
怒りがあるから、現状を変えるために強く悩み、考え、主張するエネルギーが生まれる。怒りがあるから、現状を変えようとする強い力が働き、主体的に動けるようになる。
怒りがあるから、どんな力強い敵にも対抗できるエネルギーが生まれ、怒りがあるから漠然たる不安を吹き飛ばすエネルギーが生まれる。
今の教育は若者たちから「怒り」という感情を奪い取っており、だから若者たちはもはや現実社会で生きる夢も希望も失ってしまい、ファンタジー(虚構)の世界に逃げるしかない。
「生まれ変わったら、ああだこうだ」「異世界がどうしたこうした」「転生した」とか、そういうのはすべて「現実世界に対応できないのでファンタジーに逃げたい」という心境が映しているものなのだろう。
そういうのに感化されると、結局「死の恐怖が希薄な若者たち」が量産されることになる。ファンタジーは、ただの妄想にすぎない。ファンタジーの世界で強くても、現実社会で何もできなければただの弱者である。
現実で戦わなければ敗者と化す。現実で戦うためには闘争心が必要だ。闘争心は、まず「怒り」を感じるところから始まる。
だから、この「死の恐怖が希薄な若者たち」 を現実に引き戻すには、まずは「怒りをうまく表明する練習」をして、その上で「自分の意見を主張する訓練をする」ことではないかと思うようになっている。
そろそろ日本人は自分の人生から「怒り」を奪われていたことに気づいてもいい頃だ。怒りという牙を取り戻せば、自分自身が秘めているパワーも取り戻すことができる。
https://blackasia.net/?p=44784
-
7:777
:
2024/08/12 (Mon) 17:45:00
-
2024年08月12日
「元朝日新聞記者」の学力と再就職 / 軍事と翻訳は難しい
https://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68972174.html
“新聞記者”上がりの“大学教師”
Tim Walz & Kamala Harris 3US Army 213
日本の大学は教育機関というより、“身分製造機”といった役割の方が多い。昔、小室直樹先生が述べていたけど、入学した大学のランキングが、そのまま卒業生の「属性(attribution)」になっているそうだ。“一流大学”の出身者は無条件で“優秀”と見なされ、“Fランク大学”の卒業生は問答無用で“劣等生”と思われる。筆者は小学生の時、弓月光(ゆづき・ひかる)先生の名作『エリート狂走曲』を読んで受験勉強の大変さを知ったが、令和の小学生は『ドラゴン桜』で世の“現実”を学んでいるようだ。原作者の三田紀房(みた・のりふさ)先生によれば、「世の中のルールは頭のいい奴によって都合良く作られている。勉強しない奴は一生騙され続ける」というから辛辣だ。でも、「本音」を語っているから、中学生や高校生の子供は納得するんだろう。
所謂“教育ママ”のみならず、世間のオッちゃんオバちゃん達も大学教授を尊敬する。こんな風潮なら、口先だけのボンクラどもが自惚れてしまうのも当然だ。しかし、大学の内情を知っている者からすれば、こうした一般人のメンタリティーは、宝塚歌劇団に憧れる女子中学生と同じである。派手な演劇だけを見て感動する少女は、劇団の先輩による陰湿な後輩イジメを知らないから、「私も宝塚に入りたい!」と叫んで夢を抱く。イジメられた末に自殺するかも、とは考えない。たとえ舞台に出ることができても、人気が出ないまま退団というケースもあるから大変だ。
大学にも陰湿なイジメが少なくない。長老教授には裏と表の顔があって、専任講師をイビリまくる大御所が居たりする。そもそも、教員の質なんてかなり怪しいし、有名校であっても学力不足の教授や赤色分子の活動家が珍しくない。「ゼミ」とか「講義」と称しても、カルト宗教の洗脳と変わりがない授業がある。慶應義塾で小林節の憲法学講義を取っていた学生は、「蛇に睨まれた蛙」のようだった。
雨後の竹の子みたいに出来上がった「駅弁大学」はもっと悲惨で、三流学者がやる気の無い”学生を教えているから、授業内容は高校の補習レベルだ。私立の「植民地大学」となれば、もはや教育機関じゃない。東大や京大から派遣される直弟子の就職先だ。新しい大学や学部には、大手企業に招かれないB級官僚が天下ってくる。ちょっと賢い学生なら、東京都立大学の教授になった木村草太なんかを思い浮かべてしまうが、まぁ、師匠が東大の長谷部恭男なんだからしょうがない。長谷部氏は東大法学部の札付き学者、芦部信喜の門下であるという。だから、長谷部氏や木村氏の憲法学が歪んでいても、それは当然で、ホルズワース(William Searl Holdsworth)やメイトランド(Frederic William Maitland)みたいな法学者を望む学生の方が非常識なだけである。
Ikegami 001(左 / 池上彰 )
日本は少子化社会なのに大学だけは腐るほどある。教育情報センターによれば、2022年の大学数は790校で、翌年の2023年から3校(793校)も増えていた。これなら、テレビ藝人の池上彰が大学教師になったのも頷ける。実際、池上氏は名城大学教授や東京工業大学特命教授、東京大学客員教授、日本大学理学部客員教授、立教大学グローバル教育センター客員教授、信州大学特任教授、愛知学院大学経済学部特任教授、順天堂大学特任教授になっている。NHKの番組で小学生を相手にしていた人物が、フリーになったら大学生相手の教師になっている、なんて喜劇だ。日本の高等教育は学問が目的じゃない。授業を聞いていた学生はどう思っていたのか?
Shiohara 5435(左 / 塩原俊彦)
もう一人、ジャーナリスト上がりの大学教師がいるので紹介したい。日本経済新聞社と朝日新聞社を経て高知大学の大学院准教授となった塩原俊彦だ。彼がどんな経緯で大学教師になれたのか判らない。しかし、何とも驚くべき人物だ。最近、彼はオンライン雑誌に記事を投稿し、副大統領候補になったティム・ウォルツ(Timothy James Walz)について書いていた。記事の内容は米国メディアで紹介されたニュースの和訳に過ぎないが、刮目すべきは彼の“翻訳”である。塩原氏はウォルツ知事の軍歴を紹介した。でも、ウォルツの階級に関する“和訳”が実に奇妙で、誰が読んでも首を傾げたくなる。例えば、
・2004年春に部隊がミネソタに戻った後、彼(ウォルツ)は高いレベルの司令部少佐たちから、第1-125野戦砲兵大隊の司令部少佐に抜擢された。
・2005年9月10日、条件付きで昇進したウォルツ少佐は曹長に格下げされた。少佐への条件付き昇進後、2年間勤務しなかったためである。
(塩原俊彦「米民主党ウォルツ副大統領候補の『闇の4年』が暴かれ、こりゃヤバッ!」現代ビジネス、2024年8月10日)
Tim Walz 3213(左 / ティム・ウォルツ)
副大統領候補になったウォルツは、1981年4月8日、17歳の時にミネソタ州の軍(Minnesota National Guard)に入隊し、2005年5月16日まで在籍したという。しかし、下院議員選挙に出馬するため、彼は24年間在籍した州軍を除隊した。2007年に連邦下院議員に当選したウォルツは、2018年にミネソタ州の知事選に出馬する。そして州知事になったウォルツは、2022年に再選を果たし、2024年7月にカマラ・ハリスのランニング・メイトになる。
州軍にいた時のウォルツは、第一大隊第125野戦砲部隊(1st Battalion, 125th Field Artillery)に配属となり、順調に行けば「最先任上級曹長(Command Sergeant Major)」になれるはずだった。しかし、ミネソタ州の軍事務所によれば、退役した時の階級は「上級曹長(Sergeant Major)」であったという。というのも、彼は「陸軍の上級曹長用アカデミー(U.S. Army Sergeant Major Academy」に入ったが、要求された750時間の課程を修了していなかったので、「最先任上級曹長(CSM)」に昇進できなかったのである。ところが、ウォルツは地元の有権者と話をする時、「CSM」の階級を口にしていた。これを共和党員から指摘され、「不誠実だ」と批判された訳である。FOXテレビもこれを話題にしたから、ローラ・イングラム(Laura Ingraham)が自身の冠番組で取り上げることにした。一方、元ミネソタ州知事のジェシー・ベンチュラ(Jesse Ventura)は、CNNに出演し、ウォルツ知事を擁護していた。たぶん、Navy SEALs出身のベンチュラ氏は、生意気なJ.D.ヴァンスが嫌いなのかも。
Tim Walz 213(左 / 州軍時代のティム・ウォルツ )
話を塩原氏の記事に戻す。彼はウォルツの階級を「司令部少佐」と訳していたが、おそらくこれは「Command Sergeant Major」の直訳だろう。しかし、これは誤訳だ。下士官の「Major」というのは、「大尉」よりも上の「少佐」を意味する言葉じゃない。塩原氏は「条件付きで昇進したウォルツ少佐は曹長に格下げされた」と書いていたが、もし陸海空の自衛官が耳にすれば「えっ、何だ?!」と驚愕するだろう。なぜなら、「少佐(Major)」だった者が、大尉→中尉→少尉→准尉→上級曹長にまで格下げとなれば、物凄い“降格”となるからだ。士官学校を出ていないウォルツは、准尉や少尉にはなっていないし、中隊を率いる「大尉(Captain)」になったこともない。
また、塩原氏は「2003年初め、彼はアメリカ陸軍少佐アカデミーに選抜された」と記事に書いたが、「アメリカ陸軍少佐アカデミー」というのは「U.S. Army Sergeant Major Academy」のことだろう。(ここは指揮官を目指す上級曹長が入る養成所で、色々な技能や知識を身に付けるクラスがある。) でも「少佐アカデミー」とは何なのか? 筆者は聞いたことがないけど、アメリカには「少佐を育成する学校」があるのか?
日本では、西洋史を勉強する高校生だけじゃなく、国際関係論を専攻する大学生でも軍隊の階級については疎い。下士官(non-commissioned officer)のランクは以下の通り。(註 : 軍の階級に関する和訳は難しいので、一応、理解できる翻訳にした。)
Sergeant Major of the Army 陸軍先任上級曹長(最高位の陸軍下士官)
Command Sergeant Major 最先任上級曹長
Sergeant Major 上級曹長
First Sergeant 副上級曹長
Master Sergeant 曹長
Sergeant First Class 一等軍曹
Staff Sergeant 二等軍曹
Sergeant 三等軍曹
Corporal 伍長
Specialist 特技兵
Private 1st Class 一等兵
Private 2nd Class 二等兵
ついでに言うと、英文科や独仏の文学を専攻する学生でも、英米のアクション映画を理解できない者がいる。昔、筆者は英文科の女子学生と一緒にオリヴァー・ストーン監督の『プラトゥーン(Platoon)』や、007シリーズの『私を愛したスパイ』(ロジャー・ムアー主演)を観たことがある。ところが、彼女はジェイムズ・ボンドの階級が解らなかった。映画の設定では英国海軍の「Commander」となっており、日本語で言えば「海軍中佐」である。海軍の階級は陸軍と違い、「Captain」は「大尉」じゃなく「大佐」で、「Lietenant Commander」が「少佐」となる。また、日本の教育は軍隊組織を無視するから、大学生でもハリウッドの娯楽映画を理解できない。映画の中で「Division(師団)」とか「Brigade(旅団)」と聞いても、どれくらいの規模になる部隊なのか解らないのだ。ここで洋画を楽しみたい高校生のために軍隊の編成を紹介したい。
野戦軍(Field Army) 2個軍団から成り9万名の兵を擁する、統率者/大将か中将
軍団(Corps)は2~5個師団で編成 (2万~4万5千名)統率者/中将
師団(Division) 3~4個旅団で編成 (1万~1万5千名)統率者/少将
旅団(Brigade)か連隊(Regiment) 2~3個大隊で編成(3千~5千名)統率者/大佐
大隊(Battalion) 4~6個中隊で編成 (100~1000名)統率者/中佐
中隊(Company) 3~4個小隊 (60~200名)統率者/少佐か大尉または中尉
小隊(Platoon) 2~3個分隊で編成 (18~50名)統率者/中尉か少尉
分隊(Squade) 6~10名の兵から成る 統率者/軍曹
こうした基礎知識がないと戦争アクション映画を楽しめない。映画俳優が「師団長」や「旅団長」を演じていても、日本人の観客はどれくらいの兵を率いている指揮官なのか解らないし、「lieutenant」の言葉だけじゃ「中佐」なのか「中尉」なのか判らぬ場面がある。英国海軍の「Chief Petty Officer」が「曹長」で、米国海軍の「Ensign」が「少尉」を指すと知らぬ者は、ドラマのストーリー展開を理解できない。
ちなみに、米国の人気TVドラマ・シリーズ『NCIS』でマーク・ハモンが演じる捜査主任「リーロイ・ジェスロー・ギブス(Leroy Jethro Gibbs)」は、元海兵隊の「Gunnery Sergeant」のスナイパーである。一方、マニアの間でヒットした映画『山猫は眠らない(Sniper)』で、トム・ベレンジャーが演じた「トマス・ベケット(Thomas Beckett)」は、海兵隊の「Master Gunnery Sergeant」である。ベケットの方がギブスよりも階級と給料は上である。映画『Lone Survivor』でマーク・ウォーバーグが演じた「マーカス・ルトレル(Marcus Luttrel)」は、合衆国海軍特殊部隊(Navy SEALs)の「二等軍曹(Petty Officer, 1st Class)」である。
Mark Hammon 523Tom Berenger 424Mark Wahlberg 21John Wayne 1345
(左 : マーク・ハモン / トム・ベレンジャー / マーク・ウォーバーグ / 右 : ジョン・ウェイン )
1968年に公開された映画『Green Berets』では、西部劇で有名なジョン・ウェインが出演していた。ベテラン俳優のウェインは「マイク・カービィ(Mike Kirby)」役を任され、陸軍特殊部隊の「グリーン・ベレー」を率いていた。しかし、その階級が「大佐」だったので笑ってしまった。通常、敵地へ乗り込む特殊部隊の指揮官となれば、経験豊富な上級曹長(Sergeant Major / Master Chief Petty Officer)か少尉くらいだ。でも、看板俳優のジョン・ウェインが主役だから、やはり威厳のある「大佐」じゃないとイメージにそぐわない。日本の戦争映画だって同じである。萬屋錦之介や仲代達矢が「軍曹」役じゃ申し訳ない。やはり、海軍中将とか陸軍大将でなきゃ。これが伴淳三郎やガッツ石松なら「一等兵」でもOK。三國連太郎は脱走した二等兵が似合っている。(実際、若い頃の三國氏は徴兵忌避をしていた。)
予想を外した専門家
高知大学の大学院で准教授となった塩原氏だが、そのプロフィールによれば、一橋大学の大学院で経済学研究科の修士課程を修了し、北海道大学から学術博士を得たという。朝日新聞社時代にはモスクワ特派員を務めたそうで、ウクライナやロシアに関する著書を出している。例えば、『ウクライナ・ゲート』、『ウクライナ2.0』、『ウクライナ3.0』、『プーチン3.0』、『復讐としてのウクライナ戦争』、『サイバー空間をめぐる覇権争奪』(いずれも社会評論社)、『ロシアの軍需産業』(岩波新書)、『「軍事大国」ロシアの虚実』(岩波書店)、『ビジネス・エシックス』(講談社現代新書)、『ウクライナ戦争をどうみるか』(花伝社)、『ネオKGB帝国:ロシアの闇に迫る』(東洋書店)などである。
「ウクライナ問題の第一人者」という肩書きの塩原氏は、陸海空およびサイバー空間の地政学・地経学に関しても詳しいようで、社会評論社からは『知られざる地政学』という本(上・下巻)を出版している。さらに、『すべてを疑いなさい:バカ学生への宣戦布告』という電子書籍まで出しているから、とても精力的な学者である。しかし、アメリカの軍事組織に関しては素人らしい。
日本の大学には“専門家”と称する“居候”が多く、外国で何らかのテロ事件や戦争が起これば、ワイドショーや雑誌に見たこともない“事情通”が登場する。塩原氏もその一人で、元「モスクワ特派員」という経歴を看板にしてウクライナ紛争について書いていた。まだロシア軍がウクライナに進撃する前、彼は米国による警告を“偽情報”と思っていた。ジョー・バイデンとアンソニー・ブリンケン国務長官が、ロシアは侵攻計画を進めていると公表したが、塩原氏は古巣の『論座』に寄稿し、「熊が来る」という嘘を米国が垂れ流している、と批判した。塩原氏は次のように述べた。
2022年2月16日に侵攻があるかのように米国政府が危機を煽(あお)っていたのはたしかだから、またしても嘘をついたことになると筆者には思われる。・・・・筆者がこのサイトで何度も主張しているのは、米国政府がリークしたロシアによる「ウクライナ侵攻計画」など存在しないということであり、それは米国政府によるディスインフォメーション(意図的で不正確な情報)にすぎないということである。このとき、米国政府が明らかにしたのは、全面的なウクライナ侵攻計画であったが、事実として、そんな全面侵攻はいま現在も行われていない。部分的な武力衝突の話であれば、ドンバスではずっとつづいているのであり、それが激化するか否かといった問題にすぎない。そしていま、ロシア軍の一部撤退の真偽をめぐる情報戦が展開されている。(塩原俊彦「ウクライナをめぐる『情報戦』:なぜ世界は米国を批判しないのか」、『論座』、2022年2月19日)
ところが、塩原氏の予想は大外れ。ロシア軍は2月24日にウクライナに侵攻した。未来予測というのはとても難しく、様々な要素が絡み合い、偶発的な事件も重なるから、優秀な専門家でも予想を外すことはよくある。しかし、ロシア軍がウクライナ侵攻を中止するとは断言できず、「もしかすると本当に侵掠するかも」と考えるのが普通だ。ところが、二月中旬に文章を書いた塩原氏は、自分の“情勢分析(判断)”にかなりの自信を持っていた。高知大学の小部屋にどんな“情報”が届いたのか判らないが、塩原准教授は最初からCIAの情報に対して疑念を抱いていた。
筆者(註:塩原氏)が不思議に感じているのは、なぜ世界は米国政府の「嘘」を批判しないのかということだ。スパイ情報が信頼できるのかもしれないが、米国政府は防諜(ぼうちょう)に失敗した経験をもつ国であり、アフガニスタンからの米軍撤退時の大混乱が示すように、近年、諜報活動は劣化の一途をたどっているのではないか。(上掲記事)
もちろん、CIAによる情報操作や偽情報の拡散というのは結構ある。しかし、当時のバイデン政権は何が何でもロシアをウクライナ紛争に引きずり込みたかったから、ロシアの内部情報をかなり摑んでいたはずだ。それゆえ、ロシアが着々と戦争の準備をしていてもおかしくはないし、プーチン大統領が腹を括っていても不思議じゃない。一方、ひょんな事からクレムリンが急に態度を変えてしまい、突然、特殊作戦を中止する、というハプニングだって有り得る。クレムリン内部でのクーデタという“ドンデン返し”もあるだろう。対外諜報組織や軍隊を持たない日本は、独自の情報分析はできないし、正確な現状報告も二有珠できないから、宗主国のアメリカに縋るしかない。「米国のATM」と化した日本は、上納金を差し出すだけの属国だ。
「ロシアの政治や地政学に詳しい」と称する塩原氏は、「リアル・ポリティックス」についても蘊蓄(うんちく)を述べていた。「マスコミを疑え!」とか「スパイによる偽情報に気をつけろ!」と警告する塩原氏は、次のように述べていた。
いま、高知新聞の記者から、情報に騙(だま)されないようにする方法について取材を求められている。ウクライナの情報戦を理解するためには、情報戦がスパイといった人間によって展開されているという、大元の部分に対する理解が必要だと言いたいと考えている。日本人の大多数は、自分の身の回りに外国のスパイがいるとは考えたこともないであろう。しかし、それはリアルポリティークの世界をまったく知らないことを意味している。(上掲記事)
元「朝日新聞の記者」から、こんな説教を受けるなんてチャンチャラ可笑しい。おそらく、大学教師になった塩原氏は、他の新聞記者や論説委員とは“格”が違うんだぞ、と言いたかったんだろう。でも、こんなのは「ドングリの背比べ」だ。テレビや新聞といった主流メディアには、子飼いにされた“ポンコツ”の専門家が矢鱈と多い。慶應義塾や早稲田大学といった有名大学にも、三流学者が雲霞の如く存在し、有害思想を垂れ流している。
例えば、衆院から早稲田大学に鞍替えした中林美恵子教授は、8月8日のTBS系「ひるおび」に出演し、「カマラ・ハリスが有利」と述べたそうだ。こんな解説は馬鹿らしいけど、地上波放送を観ている一般人を騙すには「ブランド名」と「肩書き」で充分だ。上智大学にも「アメリカ政治」の専門家がいて、前嶋和弘教授が有名だ。彼は7月29日放送のBS日テレ「深層NEWS」に出演し、「ハリスに追い風が吹いている」と述べたそうだ。(読売新聞2024年7月29日)
Nakabayashi 11Maejima 1Hidaka 1Tejima 1
(左 : 中林美恵子 / 前嶋和弘 / 日高義樹 / 右 : 手島龍一 )
一般の日本人は三ヶ月もすれば過去を忘れてしまうが、新聞の記事を集めたり、VTRを保存している人は、著名「専門家」の転職を知っているはずだ。例えば、NHKのワシントン支局長を務めた日高義樹は、英会話さえ未熟なのに、有名なハドソン研究所に就職できたし、同僚の手島龍一も退職後は民放の解説藝人となっていた。朝日新聞のワシントン特派員だった船橋洋一は、ブルッキングス研究所に雇われ、“アメリカ政治の専門家”と称していた。野田内閣で防衛大臣になった森本敏は、元々、航空自衛隊から外務省に出向した事務系公務員で、自衛隊を退官した時の階級は「三等空佐(空自少佐)」である。しかし、空軍士官のオーラは微塵も無い。雑誌『VOICE』に寄稿した論文はどれも駄文で、お金を払って読む代物じゃない。森本氏は「日米安保維持」が“売り”の一発藝人だ。これならダンディー坂野やムーディー勝山の方が、よっぽどマシである。
宮家邦彦(左 / 宮家邦彦 )
外務省出身の“研究員”という種族にもポンコツが多く、産経新聞に登場した宮家邦彦はその典型だ。退官後に宮家氏は「キャノン・グローバル戦略研究所」の主幹になるが、国際政治に関する解説は至って凡庸である。有料視聴の「ニコニコ動画」を開設しても、利益が出るほどの登録者数は望めまい。500円払って聞くような意見じゃないから、380円に値下げしても無理だ。それでも、宮家氏は立命館大学の客員教授になれた。彼は『産経新聞』で「World Watch」という連載を持っているが、こんなコラムを有料で読むのは、知能が低い保守老人くらいである。ただし、洗濯機の水流をジッと見つめている暇人なら読むかも。
宮家氏はアメリカ政治にも詳しいというが、ドナルド・トランプとMAGA(Make America Great Again)旋風に関する評論は酷かった。彼はトランプ支持者を次のように説明していた。
トランプ支持者の中核は「白人・男性・低学歴・ブルーカラー」である。トランプ現象の原因は彼らの現状(とワシントン)に対する怒りと不信であり、社会の「影」の部分に溜まるマグマが噴出し始めた結果に過ぎない。・・・ドナルド・トランプが強い理由は、その知性でも行動力でも資金力でもない。トランプは21世紀の情報化社会が生んだ共和党の疫病神だ。彼を支持するのは米国の非エリート層、極論すれば、白人、男性、低学歴、ブルーカラーの落ちこぼれ組だ。(宮家 邦彦「日本はこれから和製トランプの登場に悩まされることになる」、PRESIDENT Online、2021年4月3日)
外務省の元役人だから鋭い分析は期待できないが、アメリカの歴史や社会情勢を知っている者なら、腹を抱えて笑ってしまうだろう。ここでは詳しく説明できないけど、異民族を引き入れてアメリカ社会を変質させたのは、高学歴の研究者や財閥・財団に雇われた知識人、安い労働力を求める企業経営者、HIASやAJC、JOINTのユダヤ人、リベラル派の政治家、「米国法曹協会(National Lawyers Guild)」の左翼弁護士、国境を壊したい大富豪たちである。こういった悪党は街頭に出て抗議デモなんかしないから、一般人はどんな勢力なのか判らない。
「トランプ現象と歐洲での醜い民族主義の再台頭は同根だ」と論ずる宮家氏は、「この種の現象は今後、世界中に拡散していくだろう」と述べていた。外務省で呑気な仕事をしていた元官僚に“現実の厳しさ”や“冷徹な英断”に関する見解を求めても無駄である。役人生活には「深い洞察力」や「別の角度から考える知能」なんて必要ない。役所勤めは実力主義とは関係無い“親方日の丸”の世界だ。こんな人生を30年も続けていれば、退官する頃には“役立たずの木偶の坊”になってしまうだろう。
岡本行夫( 右 / 岡本行夫 )
同じ外務官僚だった岡本行夫も、フジテレビの「ユア・タイム」でニュース解説者になっていたし、産経新聞の「正論メンバー」にもなっていた。宮家氏同様、岡本氏も立命館大学の客員教授となり、国際社会で活躍する人材を育てていたというが、いったい、どんな人材が輩出されたのか、ちょっとだけ教えてもらいたい。なぜなら、国連とか国際機関で働きたいという学生は、善意で地獄の道を築いてしまう愚者になってしまうからだ。たとえ真面目な青年でも、やがて国家を解体せしめる有害人物になってしまうケースがある。民主党の田島麻衣子とか東祥三、自民党の英利アルフィヤとか山本一太、あるいはWHOの手先となった武見敬三のような人物に育ったら、日本にとってマイナスでしかない。立命館大学は「岡本先生の意志」を継いでNGOやNPO、国際開発の援助団体で働く人材を育成すると謳っているが、厭な予感が湧いてくる。
廃棄場か精神病院みたいな日本の大学には、ジャーナリストや官僚上がりの“客員教授”、もしくは訳の解らぬ“特任教授”が矢鱈と多い。彼らの授業を取っている学生は、どんな利益があって受講しているのか? たぶん、大半の学生は卒業単位を揃えるために嫌々ながら受講しているんだろうが、中には容易に感化される者が出てくる。洗脳されたのか、元々バカだったのか、勝手な妄想を抱いて大学教授や国連職員を目指す。先進国は外敵よりも内部の腐敗によって瓦解する。
判断力が乏しい若者は、駅弁大学で気楽な生活を 楽しんでいる。だが、劣悪な教師からの刷り込みは、徐々に若年層の精神を蝕んで行く。没落する新聞社からは、これからも続々と“脱出組”が出てくるだろう。地方の国立大学や落ち目の私立大学は、元官僚や元論説委員を喜んで迎え入れる。立教大学や東工大、日本大学で客員教授を務めた池上彰が、東京大学でも客員教授になるくらいだから、日本の知的レベルは凋落の一途を辿っているようだ。まぁ、東京帝國大学も今じゃアジア人留学生の“溜まり場”となっているから、やがて「トンキン大学」と呼ばれるかもね。権力の座から滑り落ちた習近平が、ペキン大学じゃなくトンキン大学の「客員教授」になるのも夢じゃない。
https://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68972174.html
-
8:777
:
2024/08/20 (Tue) 01:19:00
-
フィンランド教育の失敗:日本の詰め込み教育はそこまで悪いのか?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16865271
ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html
女は東大出でも思考力・判断力・知性すべてゼロ _ 通産官僚 宗像直子は何故こんなにアホなの?
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/544.html
自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/564.html
日本の研究力の低下 - 内田樹の研究室
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14051677
内田樹 _ 「統御し、管理しようとする欲望」が今の学校教育の荒廃の主因
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14060400
大学でいま、起きていること
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14078866
高校生で人生がほぼ決まってしまうフランスの超学歴社会…日本人ははるかに幸せ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/962.html
中国では2日間の全国統一大学入試だけで大学も卒業後の就職先も会社や役所での地位も決まる
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14124906
ハーバード大などの入試で黒人などを優遇する措置について、米連邦最高裁が違憲判断
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14125642
アメリカでは低所得層の子どもは 教育を受ける権利を奪われている
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14149656
アメリカが抱える最大の問題は教育
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14147158
米有名大学は金で学歴を「販売」 名門大学生の半分がコネと金入学
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/934.html
米大統領選の争点に浮上した大学生の巨額借金問題
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/532.html
アメリカ人の家計は火の車だった のしかかる住宅、医療、教育費
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/964.html
ネオコンが留学生を洗脳してアメリカ金融資本のエージェントにする手口
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14017634
エリート洗脳システムとしての留学制度
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14118494
若者に数百万もの借金を負わせて社会へ放り出す大学。学生はあこぎな大人たちの食い物
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14083035
米大統領選の争点に浮上した大学生の巨額借金問題
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/532.html
体を売らなければ大学へ通えない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14047554
「漢字が読めない」日本の識字率ほぼ100%は幻想
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14120908
日本人の3人に1人は日本語が読めない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14068776
日本語は難し過ぎる
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14094861
外国語学習について - 内田樹の研究室
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14094875
吉村府知事や岸田総理は「英語化」で 多民族共生を強制
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16840196
日本人は金髪美女に弱い _ 小布施からセーラ・カミングスの姿が消えた
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/444.html
グローバリストが企む?英語公用語化 日本語は“文化的なバリア”
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16865248
日本の学校は、考えない人間を5つの方法で生み出している
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14004524
日本の学校教育は「我が国とは全てが違う…」
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14093125
施光恒 _ 普通の人々の質の高さこそ日本の国力
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16853809
-
9:777
:
2024/09/10 (Tue) 11:32:47
-
『新自由主義と教育改革:大阪から問う』 著・高田一宏
2024年9月8日
https://www.chosyu-journal.jp/review/31670
https://www.amazon.co.jp/%E6%96%B0%E8%87%AA%E7%94%B1%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%A8%E6%95%99%E8%82%B2%E6%94%B9%E9%9D%A9-%E5%A4%A7%E9%98%AA%E3%81%8B%E3%82%89%E5%95%8F%E3%81%86-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E6%96%B0%E8%B5%A4%E7%89%88-2029-%E9%AB%99%E7%94%B0/dp/4004320291
本書は、橋下徹の府政が始まった2008年以降の十数年を振り返り、維新の会が府知事と市長をおさえ、府・市ともに第一党となった大阪で、「改革」を掲げた教育政策の転換は教育をよくしたのか、子どもたちの学びと成長は保障されたのかを検証したものだ。著者は、1965年生まれの大阪大学大学院教授である。
著者はまず大阪の教育改革について、中曽根内閣の臨教審に始まり小泉・安倍内閣が受け継いだ新自由主義にもとづく教育改革を、もっとも大規模かつ急激に具体化したものだという点をはっきりさせている。「改革」の看板にだまされてはいけない。
特徴は、教育現場の意見を尊重せず、教育委員会の独立性を否定して、教育についてシロウトの政治家が教育内容に直接クチバシをいれる「政治主導」で進められたことだ。それは第一次安倍内閣が教育基本法を改悪し、政治による「不当な支配」を容認する内容に変えたことで保障された。
教育の新自由主義改革とは、学力テストの結果を公表して学校や自治体を競争させること、一人一人の教員の業績評価を給与や処遇に反映させ、教員同士を競争させることなどをさす。その目的は、元教育課程審議会会長・三浦朱門の次の言葉に示されている。「できん者はできんままで結構。戦後50年、落ちこぼれの底辺を上げることにばかり力を注いできた労力を、できる者を限りなく伸ばすことに振り向ける。限りなくできない非才、無才には、せめて実直な精神だけを養っておいてもらえばいいんです」
では、維新の会はなにをやったのか。
大阪府知事になった橋下徹は2008年9月、全国学力テストでの大阪の成績が全国平均を大きく下回ったことから「教育非常事態」を宣言し、「競争を否定する教師が教育をダメにした。教育界の外から競争原理を持ち込んで教育を立て直す」と主張した。テストの結果公表に慎重な教育委員会を「クソ教育委員会」と罵倒したり、「ダメ教師は排除する」といったりと、メディアを使った世論喚起を重視した。
2011年の府・市ダブル選挙で松井・橋下体制になってからは、「大阪府教育行政基本条例」などを府議会で可決・成立させ、教育委員会の独立性を骨抜きにして政治主導で教育改革を進める体制を整えた。
さらに2度目のダブル選挙で2人が再選された2014年からは、改革が全面展開する。
まず、大阪府・市独自の学力テスト「大阪府中学生チャレンジテスト」などの実施を開始し、その市町村別成績を教育委員会が公表するようになった。そして大阪市は各学校の全国学力テストの成績を公表し始めた。これが突破口になり、その後全国で市町村や学校が公表するようになっていく。
第二に、大阪市の24区すべてで、小・中学校の学校選択制が導入された。大阪市は、府内の小・中学校の約4分の1を占める。
第三に高校については、府立学校条例で、3年連続定員割れで改善の見込みのない高校は「再編整備」の対象とすると決められた。
その結果、どうなったか? 各種調査から著者は次のようにいう。
チャレンジテストによって、教師が一人一人の子どもに主体的に向き合うことが困難になった。ペーパーテストで測定できない個人の資質や能力を見出すことが難しくなった。
学校選択制によって、「人気校」と「不人気校」の分化、それと結びついた学力格差の固定化・拡大が進んだ。たとえば人口減少率が最も高い西成区は、経済的に厳しい家庭が多く、その学校で子どもが荒れると、一部の親は他の区へ流出していき、さらに地域が衰退するという悪循環に陥っている。また、家庭訪問・親との連携や地域との連携が困難になり、それが子どもの成長に大きな影響を与えている。学校選択制は、全国では廃止や見直しをおこなう自治体が増えた。
高校については、大阪では私立高校の授業料無償化を進め、公立と私立を競わせたため、生徒が公立から私立に流れ、公立高校の定員割れが常態化して募集停止となる高校があいついだ。昨年度までに募集停止になった公立高校は17校にのぼり、今年の入試では公立高校の約半数、70校が定員割れとなった。そのなかで難関大学への進学に力を入れる文理学科10校の生徒数が増える一方、義務教育段階でつまずいた生徒を受け入れる高校の入学者は減って廃校が必至となり、行き場がなくなる生徒が生まれているという。
その一方で、教育改革がもっとも重視した学力向上だが、この10年間、全国平均との差はほとんど縮まらず、「全国平均を上回る」という目標は未達成のままだ。そもそも学力低下の背景には、大阪府で就学援助を受ける児童・生徒の数が全国1位(全国平均の約2倍)であることに見られるように、家庭の貧困化がある。そうした子どもたちをしっかり教育し、全体の底上げをはからなければ成績は上がらないが、その真逆をいったわけだ。
そのうえ、不登校や高校中退はこの期間に急増した。大阪府の不登校者数(2022年度)は、小学校7153人、中学校1万3651人、高校6452人となり、高校では1000人当り不登校者数が全国1位になった。それは、将来の働く場を見つける困難さにつながらざるをえない。
そしてハッとさせられたのは、新自由主義改革の結果、教師が教育者としての誇りを失い、萎縮してしまったという指摘だ。本書のなかに幾人かの教師へのインタビューがある。
「昔やったら、校長が“かまへん。最後は俺が責任持つから、やれ”やったけど、今は上からいわれることを恐れ、最後は“こいつが悪いんです”と切り捨てられる。だから教師も萎縮するんですよ」
「“目標を数値化せえ”といつもいわれる。けど、僕たちはやはり、1年、2年だけじゃなくて、5年後、10年後に子どもたちがどんな大人になっているかを考える」
現場の教師が、自由に本当のことを語ることができなければ、成長する世代の心を動かすことはできないし、人間は育たない。教育の新自由主義改革は、20年余り経ってさまざまな弊害を生んだことで批判が高まり、国内外で見直しが始まっている。
以上のことは、大阪に典型的にあらわれているが、 全国的な問題でもある。教師が、子どもや保護者の顧客満足度を高める存在にあまんじるのでなく、子どもたちが持つ力を知育・徳育・体育の全面で開花させ、ひ弱でなく、思いやりが深く、間違ったことを許さない人間に、将来の日本の担い手に育てる――そうした教育者としての使命をとり戻す教訓とし、現状を変える力としたい。
(岩波新書、216ページ、定価920円+税)
https://www.chosyu-journal.jp/review/31670
-
10:777
:
2024/09/28 (Sat) 16:42:25
-
新しい門閥制度 - 内田樹の研究室
2024-09-26 jeudi
http://blog.tatsuru.com/2024/09/26_0742.html
自民党総裁選についての報道は専ら候補者たちの政策や党内基盤についてのみ論評している。でも、見落としていることがある。それは9人の候補者のうち6人の最終学歴がアメリカの大学または大学院だということである。残る3人のうちの一人も、日本の大学を出た後にアメリカの下院議員のスタッフになったことをその後のキャリア形成においてずいぶん強調していた。
ということは、自民党に限って言えば、最終学歴がアメリカであることがどうやらキャリア形成の必須条件だということである。私の知る限りでも、日本の富裕層の中では中等教育から子どもを海外あるいはインターナショナル・スクールに送り込むことが「ふつう」になってきている。その方が英語圏の大学に進む上でアドバンテージが大きいからだと説明された。
「グローバル化の時代なんだから、レベルの高い教育を受けるために海外に出るのは個人の自由だ。横からがたがた言うな」と言う人もいるだろう。だが、私はこういう傾向は端的に「よくない」と思う。
ハーヴァード大学の学費は年間56550ドルである。日本円で800万円。生活費を入れると年間1000万円以上を支出できる家庭の子どもしかアイヴィー・リーグに留学することはできない。このハードルを越えられるのは、日本国民の数%にも達しないだろう。
ご存じの通り、日本の学校教育への公費支出のGDP比率は久しく先進国最低レベルである。高等教育機関の私費負担割合は、日本が67%。OECD平均は39%である。見ればわかる通り、日本の政府は「高等教育については自己責任で(お金のある人はよい教育を、ない人はそれなりに)」という方針で教育政策を実施している。
海外の大学大学院を出た人たちがそのまま海外で生活するのなら「グローバル化」と言えるかも知れない。だが、自民党総裁候補者たちのキャリアが明らかにした通り、彼らがアメリカで高等教育を受けたのは、その学歴が日本に帰ってきてから支配層に駆け上がるための捷径だと思ったからである。
だが、これは典型的な「植民地人」のふるまいである。
明治維新のあと、先人は日本人が、日本語で高等教育を行える高校・大学を短期間に創り上げた。これは見事な達成だったと私は思う。彼らは「教育は海外にアウトソースしてはならない」ということ、高等教育を自国語で行えることが植民地にされないための必須の条件だということを知っていた。
今でも母語で大学院教育が行われ、母語で書いた論文で博士号が取れる国は決して多くない。日本はわずか1億2500万人の母語話者しか存在しないにもかかわらず、それができる例外的な国の一つなのである。
だが、 いま支配層たちが進めているのは「グローバル化」という看板の下での「高等教育のアウトソーシング」である。「海外にレベルの高い高等教育機関があるなら、何も高いコストを負担して国内に作る必要はないじゃないか」と彼らは考えている。お金持ちはそう考えるのである。そうすれば経済格差が教育格差を経由して、自動的に階層格差を再生産するからである。「下から」這い上がって、彼らの地位を脅かす若者たちは制度的に排除できる。確かに合理的な考えである。けれども、ここには致命的な過誤がある。
19世紀アメリカでも富裕層は公教育の導入に反対した。われわれの子どもの競争相手を育てるためになぜ税金を投じなければならないのか。貧乏人は自己責任で教育機会を手に入れろ、と。一理はある。けれどももしその理屈に従っていたら、アメリカは今も後進国のままだったろう。(9月18日)
http://blog.tatsuru.com/2024/09/26_0742.html