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篠田謙一 古代ゲノム研究のおそるべき技術革新

1:777 :

2022/10/06 (Thu) 10:23:59

2022.05.28 12:00
縄文人のルーツはどのように判明した? 人類学者が語る、古代ゲノム研究のおそるべき技術革新
篠田謙一
https://realsound.jp/book/2022/05/post-1036664.html

『人類の起源 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」』
篠田謙一 著
中公新書
https://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90-%E5%8F%A4%E4%BB%A3DNA%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E3%80%8C%E5%A4%A7%E3%81%84%E3%81%AA%E3%82%8B%E6%97%85%E3%80%8D-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-2683-%E7%AF%A0%E7%94%B0-%E8%AC%99%E4%B8%80/dp/4121026837


 我々ホモ・サピエンスの祖先は、ネアンデルタール人(旧人)と交雑していた、縄文人は東アジアに最初に到達した人類の子孫であった……など、近年、古代人の骨に残されたゲノム(遺伝情報)の解読・分析が進み、人類学の「常識」が大きく変わった。

 そんな最新の研究結果から、人類の起源とその歩みを見直したのが人類学者・篠田謙一氏の新書『人類の起源』(中央公論新社)だ。分子人類学を専門とし、東京・上野にある国立科学博物館の館長でもある篠田氏に、古代人の分析が飛躍的に進んだ背景と、どのようなことがわかってきたのか、そして今後期待される研究について聞いた。(土井大輔)

※メイン写真:イギリス(ブリテン島)でもっとも古い人骨のひとつ「チェダーマン」(約1万年前)のゲノム解析にもとづく復元像。暗褐色の肌、ブルーの目という、アナトリアの農耕民流入以前のヨーロッパ人集団の特徴が表されている(C)The Trustees of the Natural History Museum, London


数千年前は、いま見ている「日本」とはかなり異なる世界だった

ーー数年前にネットで、現代人のDNAにネアンデルタール人の遺伝子が入っていることが判明したというニュースを見て驚いたんですが、『人類の起源』を読んで、なるほど今はこんなことまでわかるのかと納得できました。

篠田:2006年頃に技術革新によって生まれた次世代シークエンサーによって、人間のゲノム(DNAのすべての遺伝情報)の解明が猛烈に進みました。次世代シークエンサーであれば、古代人の骨のかけらからでも現代人と同じように遺伝子を読むことができます。コロナウイルスの検査に使うPCR法は特定の部分のDNA配列を調べる方法で、1980年代後半からずっと続いてきたやり方でした。それが次世代シークエンサー以降は、網羅的に全部を読むことができるようになったんです。人間ひとりのDNAは30億塩基ほどあるのですが、これをすべて読むのに2日間ほど、塩基配列を解読するのに3~4日間ほどかかるので、だいたい1週間くらいで全てを読める。古代人の場合だと、骨からDNAを採取するのが難しいのでもう少しかかりますが、それでも3~4週間である程度読むことができます。

 2003年にはヒトゲノムを一人分読むのに成功していますが、13年という歳月と3000億円というお金を使ってやっとできたことだったんです。それが今や、次世代シークエンサーを使って古代人でも3~4週間、100万円ちょっとでできてしまう。これはなかなか怖いことですよ(笑)。これからのサイエンティストは10年程度でやり方がまるっきり変わってしまうような、激しい技術革新のなかを生き抜かなければならない。


ーー本を読むと、「人種」とか「日本人」という言葉になんの意味があるんだろうと思うようになりました。

篠田:「民族」とか「人種」であるというのは全部、後付けでその種につけられたタグですよね。生物学的には、人類はみんなシームレスに(途切れ目なく)つながっています。人間は複雑に絡み合って集団を作っていますから、それを区別することはできませんし、その意味では人類はみんな一緒なんだということが、おそらくDNAが語ることの本質なんだと思います。

ーーそもそも専門とされている「分子人類学」というのは、どういう学問ですか。

篠田:人類学を大きく分けると、人間の文化的な面を研究する文化人類学と、生物学的な面を研究する自然人類学になります。これまで自然人類学はおおかたが骨の研究であったり、軟部組織、つまり皮膚や髪の毛の違いであったりを調べていたわけです。それが1960年代になるとタンパク質や血液型の違いを対象にすることができるようになった。それが1970年代の終わりあたりから短いDNA配列まで読めるようになった。そこから遺伝情報を使った人間の成り立ちとか、他の生物との関係であるとか、そういったことを調べる学問が急速に伸びていきました。私はこの自然人類学を40年以上やっていて、はじめのころは骨の形の調査だったのが、だんだんと遺伝子の研究にシフトしていきました。この遺伝情報を使った人類学が、「分子人類学」になります。

ーーそのなかで、自身が驚いた発見や研究結果はありますか?

篠田:次世代シークエンサーによって古代人骨のDNA分析の実用化がなされた後でいえば、やはりホモ・サピエンスとネアンデルタール人の混血が判明したことですよね。それが一番大きい。

 ここ5年間ぐらいですと、ヨーロッパ人に関する研究も驚きでした。それまでは初期の狩猟採集民が、1万年くらい前にアナトリア半島(トルコのあたり)から入ってきた農耕民と混合してヨーロッパ人ができたと考えられていたんですが、実はそう単純ではなかった。5000年前以降の青銅器時代にステップ(シベリア南西部)からやってきた牧畜民が、狩猟採集民の上から乗っかるようにヨーロッパ人の遺伝的特徴を大きく変えていたんです。

 アジアですと、私どもの研究で、縄文人の起源が最初にアジアに入ってきた人たちの子孫であろうことがわかりました。縄文人と同じ遺伝子を持っている人は、世界中どこを探してもいなかったんです。それまでは縄文人と同じDNAを持つ人がいれば、そこが私たちの源郷の地、ホームランドであると考えられていたんですが、中国でもベトナムでも出てこないんですね。なんのことはなく、そもそも縄文人は日本にしかいなかったんです。

ーー興味深いのは、強い集団が弱い集団を打ち負かしていなくなったというより、融合していった結果として、その集団がいなくなっているという点です。

篠田:もちろん、中には強い集団が弱い集団を打ち負かして代わっていった場所もあるんですけれども、少なくとも今の日本人の場合は、9割方は弥生時代以降に大陸からやってきた人たちの遺伝子なのですが、私たちの中にまだ縄文人の遺伝子も残っていますから、融合していったと考えるべきですね。

 また、稲作農耕によって弥生時代になり、そこで縄文人と大陸の人々との混合が起こったんだろうと単純に考えられていたんですけれども、最近の研究では、その混合がすごく長い時間をかけて行われたということがわかりました。1000年から1500年かかっているんですね。実際に古墳時代だとか中世のいろんな地域のDNAを見てみると、まるっきり縄文人みたいな人もいるんです。

ーー縄文人と渡来した弥生人は文化を共有していた可能性がある。

篠田:そうですね。日本列島では長い間、人びとはある程度の棲み分けをしていたのでしょう。今私たちが見ている「日本」とは相当イメージが違うものだったんだろうと思います。辺境の地には姿かたちがまったく異なる人たちが住んでいるような、そういう世界だったんじゃないでしょうか。

今後は「空白の1万年」が明らかになっていく

ーーアフリカ大陸で誕生した人類が、アフリカを出て、世界に広がっていったのには、どのような欲求があったのでしょう。
篠田:よく聞かれるんですが、なかなか答えにくい質問です(笑)。結局は想像するしかない話になってしまいますので。私は「気がついたら広がっちゃっていた説」を支持しています。 徐々にテリトリーを広げているうちに、最終的に世界に広がっていた、と。本にも書きましたが、未踏の地に行った人たちも、もとにいた場所の人たちとのインタラクション(相互の影響)を持っていたと思います。少人数が「冒険にでよう!」と出かけたわけではなく、親族のネットワークを作りながら先へ先へと進んでいる。だから戻ることもすぐにできたと思うんです。

 また、アフリカを出たことは人類のテリトリーが圧倒的に広がるきっかけとなりましたが、当然ながら、アフリカを出ていった人類はごく一部でした。アフリカ人以外のホモ・サピエンスの遺伝的な違いはすごく小さいですから、出て行った人は多くないといわれています。ただ、そのあたりは謎も多いんです。我々の直接の祖先にあたる人たちは7~6万年前にアフリカを出たと考えられていますが、そこからアフリカ以外で化石が見つかるまでに1万年くらい空白の期間があるんです。研究者たちは今、そのあたりを調べています。そこで何が起きたのかと。

 少し前まで自然人類学の世界では、古い時代に遡って調べて、どこまでいったらチンパンジーの祖先と一緒になるんだろうと、みんな何百万年も前の古い時代の化石を探していました。けれども最近はむしろ、ホモ・サピエンスがどう成り立ったのかを研究をする人が多くなりました。今後、そうした時代の化石の発見が増えてくるはずです。

ーー大発見が続々と出てくる可能性が高く、いま注目しておくと面白い分野ですね。

篠田:ただ、ひとつ注意しておかなければならないのは、遺伝子それぞれの違いを研究していくと、「我々のほうが優秀だ」という意見とくっついてしまうことがあることです。しかし、遺伝子には違いはあれど優劣があるわけではなく、ある環境において有利な遺伝子が別の環境では不利になることもあります。たとえば最近では、ネアンデルタール人の遺伝子が新型コロナウイルスの重症化リスクを軽減する可能性が指摘されましたが、一方でネアンデルタール人の遺伝子によって別の病気にかかるリスクもあるわけです。だからこそ、人類はお互いに尊重し合って多様性を保持する必要があるのだという視点に立つことが重要です。それを理解していただいた上で、ゲノムが語る人類の起源を知ってもらいたいですね。

ーーほかには、どのような研究結果が出てくることを期待されますか。

篠田:先ほど言ったように、現代日本人の遺伝子の9割は縄文人ではなく、後から入ってきた人たちの遺伝子で、そのホームランドであると言われているのが中国の西遼河流域です。だから日本人の起源を調べるのであれば、そこから始めるべきだと思うんです。

 5千年ほど前に西遼河流域で雑穀農耕をしていた人たちがいた。彼らが広まっていき、朝鮮半島に入った。そこに稲作農耕をやっていた人たちが来て合流し、一部の人たちが日本列島に入ってきた。日本列島にも、もともと住んでいた縄文人たちがいて、「それを飲み込む形で今の日本人になりました」と書くのがおそらく一番正しいんですね。西遼河流域から朝鮮半島を越えて日本に至る経路、あるいは誰が来たのか。朝鮮半島で何が起きたのか。そういうことに一番興味があります。

ーー「日本列島に入ってくる」とはいっても、一度にやって来たとは限らない。

篠田:そうですね。何度も行き来をしていて、朝鮮半島と北部九州などの一部の日本列島が同じ文化圏になっていた時期があるはずです。実際、朝鮮半島から日本の土器が出てきているので、考古学的にはすでに行き来していた時期があったことはわかっています。そして、モノが動いていたということは人も動いていたはずなので、その辺りを分子人類学で解き明かせたら面白いです。最近、ようやく考古学者の人たちと話が合うようになってきたんですよ(笑)。考古学はすごく細かいことを調べてきていて、人類学はもっと大まかな話をしてきたんですが、研究が進むことで一致するところが増えてきました。

ーー他の分野の研究者と連携することによって、わかってくることもありそうですね。

篠田:私も参加している「ヤポネシアゲノム」という、国立遺伝研究所の斎藤成也さんが始められたプロジェクトが、まさにいろんな分野の人と一緒に研究するものです。たとえば、人が移動すれば動物も動いたでしょう。積極的に動いたのは犬でしょうし、くっついてくるのはネズミなんかだったでしょう。そうした動物の古代ゲノムを調べながら、人間の動きとどう違っているのかということを調べています。


自分のなかにも多様性を抱えておくことが大事

ーー篠田さんはなぜ、人類学の道に進んだのですか。
篠田:単純に面白いと思ったからです。学生時代は古生物だとか化石の研究をやりたいという思いが漠然とあって、地質学教室の化石部屋を覗いていたら、リンボクという中国の南部に生えていた木の化石があったんですね。それは福岡県の古墳から出てきたと。「なんで中国のものがあるんですか?」と教授に聞いたら「当時の誰かが持ってきたんだろう」と。千数百年前に中国の化石を見て「奇麗だな」と思って持ってきたやつがいたということが面白いなと。それで人類学に進みました。あのときリンボクそのもののほうが面白いと思っていたら、古生物学者になっていたんでしょうね。

 私が学生だった1970年代は、あまり役に立たないことを研究したほうが良さそうだという風潮もありました。60年代の「科学は明るい未来を作るんだ」という『鉄腕アトム』的な認識から、科学によって公害が起きたんだという認識に変わっていった時代です。役に立つというのはちょっと危険だという意識は今もあります。

 骨というのはちゃんと「読む」のに時間がかかるんです。私は医学部の解剖学教室に20年いましたけれども、10年ぐらいかけて人間を500体くらい解剖してやっと、人間の体とはこういうものなんだとわかってきたというレベルです。昔の研究者は一生それを続けたんです。ここは博物館ですから、「博物館行き」という言葉があるように、古いものが収まっていて、昔からの研究を続けている方もいらっしゃいます。けれど、世の中がなかなかそれを許してくれない時代になりました。

ーー役に立つものを研究しなければならない、と。

篠田:圧としてはそれが強いですね。あまりあからさまには言えませんが、なんとか役に立たないことをやれるフィールドをここに作っておきたいとは思っているんですけれども。実際のところ「役に立とう」と思ってやった研究に、たいしたものはないですよ。役に立たないと思われたものが、実はあとで役に立ったということの方が多いですから。

ーー冒頭で、これからのサイエンティストは技術革新が激しい時代を生き抜かなければならないと仰っていました。技術革新はサイエンティストのみならず、あらゆる職業の人々にとって大きな影響があると思います。そのような時代を生き抜くのに、どのような力が求められると思われますか。

篠田:生物が同じ遺伝子でも集団として内部にさまざまなタイプを抱えているのと同じように、自分の中にも多様性を抱えておくことですよね。何かひとつのことをやっていれば効率はいいけれど、環境が変化してそれが行き詰まったときに何もできなくなってしまいます。理科系の科学者だったら、文科系の素養を身につけておくとか、一見すると役に立たないようなことをしておくことが大切です。いろんなことに興味を持って、自分のなかに多様性を抱えこめば、きっとどこかにはたどり着けます。ホモ・サピエンスだって先が見えなかったからこそ、いろんなものを社会の中に抱え込んで、その時代に合わせて適応してきたわけですから。個人でも同じだと私は思います。
2:777 :

2022/10/06 (Thu) 10:25:17

雑記帳
2022年10月05日
今年のノーベル生理学・医学賞はスヴァンテ・ペーボ氏
https://sicambre.seesaa.net/article/202210article_5.html

 今年(2022年)のノーベル生理学・医学賞はスヴァンテ・ペーボ(Svante Pääbo)氏に授与される、と発表されました。ペーボ氏は、現在すでに大きな成果を挙げている古代DNA研究を、その技術面も含めて確立した功績者なので、この受賞を歓迎する人は多そうですし、古代DNA研究に強い関心を抱いている私にとっても、たいへん嬉しい受賞です。ペーボ氏の古代DNA研究における業績は、日本語訳もある著書(Pääbo., 2015、関連記事)に詳しく、同書は、ペーボ氏が自身の生活・信条にもそれなりに分量を割いているので、伝記とも言えるでしょう。

 ペーボ氏は沖縄科学技術大学院大学(OIST)で客員教授を務めており、NHKスペシャルでも取り上げられたこともあって(関連記事)、外国人研究者としては日本での知名度が高いようで、今年のノーベル生理学・医学賞は、日本人以外の受賞にしてはかなり大きく報道されているように思います。朝日新聞は社説で取り上げているくらいです。これでペーボ氏の著書への関心も高まり、古代DNA研究へもさらに注目が集まるのではないか、と期待されます。

 ペーボ氏の業績は著書でも知ることができますが、原書の刊行は2014年で、ペーボ氏それ以降も多くの研究成果を挙げており、当ブログでもそのうちごく一部を取り上げてきました。しかし、改めて確認してみると、当ブログで取り上げただけでもかなりの数となり、ペーボ氏が今でも第一線の研究者として古代DNA研究に貢献している、と改めて了解されます。古代DNA研究は、当初は解析が核DNAよりずっと容易なミトコンドリアDNA(mtDNA)で始まり、現在では核ゲノム解析も珍しくなくなり、古代ゲノム研究と言う方が適切かもしれません。ペーボ氏はこの点でも多大な貢献をしてきました。

 当ブログで取り上げた、ペーボ氏が関わった著書刊行以降のおもな研究を、以下にいくつか挙げます。ネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)や種区分未定のホモ属であるデニソワ人(Denisovan)など非現生人類ホモ属(絶滅ホモ属)では、43万年前頃となる中期更新世人類のDNA解析結果を報告した研究(Meyer et al., 2016、関連記事)があります。これは現時点で、DNAが解析された最古の人類となり、核DNAではデニソワ人よりもネアンデルタール人に近い、と推測されています。クロアチア(Prüfer et al., 2017、関連記事)とシベリア南部のアルタイ山脈のチャギルスカヤ洞窟(Chagyrskaya Cave)では(Mafessoni et al., 2020、関連記事)、高品質なネアンデルタール人女性個体のゲノムデータが得られています。アルタイ山脈のデニソワ洞窟(Denisova Cave)では、ネアンデルタール人の母親とデニソワ人の父親との間の交雑第一世代の娘が確認されています(Slon et al., 2018、関連記事)。人類遺骸だけではなく、堆積物からも古代DNAが解析されており(Slon et al., 2017、関連記事)、チベット高原(Zhang et al., 2020、関連記事)の洞窟堆積物からデニソワ人のmtDNAが確認されています。

 古代の現生人類(Homo sapiens)では、シベリア西部のウスチイシム(Ust'-Ishim)近郊のイルティシ川(Irtysh River)の土手で発見された44380年前頃となる男性個体(Fu et al., 2014、関連記事)や、ルーマニア南西部の「骨の洞窟(Peştera cu Oase)」で発見された男性個体(Fu et al., 2015、関連記事)や、北京の南西56km にある田园(田園)洞窟(Tianyuan Cave)で発見された4万年前頃の男性個体(Yang et al., 2017、関連記事)や、ブルガリアのバチョキロ洞窟(Bacho Kiro Cave)で発見された複数個体(Hajdinjak et al., 2021、関連記事)があります。近年では、ネアンデルタール人に由来する、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の重症化(Zeberg, and Pääbo., 2020、関連記事)と保護(Zeberg, and Pääbo., 2021、関連記事)に関する遺伝子の研究も注目されました。


参考文献:
Fu Q. et al.(2014): Genome sequence of a 45,000-year-old modern human from western Siberia. Nature, 514, 7523, 445–449.
https://doi.org/10.1038/nature13810
関連記事

Fu Q. et al.(2015): An early modern human from Romania with a recent Neanderthal ancestor. Nature, 524, 7564, 216–219.
https://doi.org/10.1038/nature14558
関連記事

Hajdinjak M. et al.(2021): Initial Upper Palaeolithic humans in Europe had recent Neanderthal ancestry. Nature, 592, 7853, 253–257.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-03335-3
関連記事

Mafessoni F. et al.(2020): A high-coverage Neandertal genome from Chagyrskaya Cave. PNAS, 117, 26, 15132–15136.
https://doi.org/10.1073/pnas.2004944117
関連記事

Meyer M. et al.(2016): Nuclear DNA sequences from the Middle Pleistocene Sima de los Huesos hominins. Nature, 531, 7595, 504–507.
https://doi.org/10.1038/nature17405
関連記事

Pääbo S.著(2015)、野中香方子訳、更科功解説『ネアンデルタール人は私たちと交配した』(文藝春秋社、原書の刊行は2014年)
関連記事

Prüfer K. et al.(2017): A high-coverage Neandertal genome from Vindija Cave in Croatia. Science, 358, 6363, 655–658.
https://doi.org/10.1126/science.aao1887
関連記事

Slon V. et al.(2017): Neandertal and Denisovan DNA from Pleistocene sediments. Science, 356, 6338, 605-608.
https://doi.org/10.1126/science.aam9695
関連記事

Slon V. et al.(2018): The genome of the offspring of a Neanderthal mother and a Denisovan father. Nature, 561, 7721, 113–116.
https://doi.org/10.1038/s41586-018-0455-x
関連記事

Yang MA. et al.(2017): 40,000-Year-Old Individual from Asia Provides Insight into Early Population Structure in Eurasia. Current Biology, 27, 20, 3202–3208.
https://doi.org/10.1016/j.cub.2017.09.030
関連記事

Zeberg H, and Pääbo S.(2020): The major genetic risk factor for severe COVID-19 is inherited from Neanderthals. Nature, 587, 7835, 610–612.
https://doi.org/10.1038/s41586-020-2818-3
関連記事

Zeberg H, and Pääbo S.(2021): A genomic region associated with protection against severe COVID-19 is inherited from Neandertals. PNAS, 118, 9, e2026309118.
https://doi.org/10.1073/pnas.2026309118
関連記事

Zhang D. et al.(2020): Denisovan DNA in Late Pleistocene sediments from Baishiya Karst Cave on the Tibetan Plateau. Science, 370, 6516, 584–587.
https://doi.org/10.1126/science.abb6320
関連記事
3:777 :

2022/10/12 (Wed) 06:42:04

篠田謙一の学説の変化


篠田謙一
昔 「縄文人と弥生人は仲良く混血!」「虐殺はなかった!」
今 「こっち(韓国)に引っ張る 何かがあった・・・」


篠田著書(2007年出版)
「征服による融合では、基本的に(征服者側のオスの遺伝子である)Y染色体DNAの方が多く流入するのです。もし渡来人が縄文時代から続いた在来社会武力によって征服したのであれば、その時点でハプログループDは著しく頻度を減少させたでしょう。縄文・弥生移行期の状況が基本的には平和のうちに推移したと仮定しなければ説明がつきません。また日本のY染色体DNAは、日本の歴史のなかで、その頻度を大きく変えるような激しい戦争や虐殺行為がなかったことを示しているようにも見えます。」


弥生人のDNAで迫る日本人成立の謎(2018年放送)
篠田謙一「実はですね、現代日本人は、もう既に、この辺りだということが分かったんですね。つまり、弥生人って、混血していけば恐らく、混血する相手は、この縄文人になりますから、当然、現代日本人の位置っていうのは、こちらにずれてくるはずなんですよね。ところが、そうならなくてこっちに来てしまったということで、ちょっと考え方を変えなきゃならないというふうに思ったわけですね。つまり、こっち(韓国人)に引っ張る、何かがなければいけないということになるんですね・・・。」
https://livedoor.blogimg.jp/wan_nyan_zanmai-history/imgs/d/0/d0f1e875.png



シンポでは、これまで蓄積されてきた考察を根本から覆すことになるかもしれない発見も明らかにされた。
国立科学博物館の篠田謙一人類研究部長が示した韓国・釜山沖の加徳島で見つかった人骨のゲノム解析だ。

「この人たちが渡来したとするならば、(縄文人と)混血なしで今の日本人になる」と篠田さん。(2020年記事)
https://image.prntscr.com/image/4nIX5f21SPmeJ_Fr-7PyYw.png
4:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/02/20 (Mon) 05:17:41

【落合陽一】「今までの“常識”って何だったんだ」 定説が覆りまくる人類史!謎のデニソワ人の発見、『絶滅と生存』分けた理由、『縄文人と弥生人』の新説、 最新ゲノム解析が明かす現代人への“遺言”とは?
2023/02/16
https://www.youtube.com/watch?v=86BT7_aggag

唯一生き残った人類。それが1属1種の存在として今、地球上に生息する我々、ホモ・サピエンスだ。しかし近年、大量の情報を持つ核DNAの解析が可能となったことから、遥か昔に絶滅したはずの別の人類「ネアンデルタール人」の遺伝子を現代人も受け継いでいると判明し、その進化の過程はより複雑で多様である事がわかってきた。

今、飛躍的に進歩する古代DNA研究が、人類史の定説やこれまでの常識を大きく覆そうとしている。人類はどこからきたのか?私たちは一体何者なのか?10万部を突破した『人類の起源』の著者、国立科学博物館の篠田謙一館長を迎え、古代DNA研究の最前線と新たな「人類像」、そして日本人のルーツに、落合陽一が迫る。
5:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/02/20 (Mon) 16:26:20

ピロリ菌のゲノム解析から見たアジアにおける人類集団の近縁関係 l 斎藤成也 敎授(東京大, 国立遺伝学研究所 集団遺伝研究室 )l HONGIK FOUNDATION
2022/09/30
https://www.youtube.com/watch?v=IdiyRJbQfZw

日本列島人(ヤポネシア人)の起源と成立については、これまでヒトのミトコンドリアDNA、Y染色体DNA、そして常染色体ゲノム全体が調べられてきた。一方で、ヒトに随伴して移動するマウスのDNA研究も進められている。胃の中に生息するピロリ菌は外界では増殖できず、宿主特異性があるため媒介生物もいない。母から子に垂直感染するピロリ菌ゲノムの系統樹はヒトの移動を反映している。従来ピロリ菌は、ゲノム中のいくつかの遺伝子塩基配 列の情報を用いて、7系統に分類されてきた。日本本州の菌は中国・韓国と同じhspEAsia系統であり、この系統が持つ毒性の高い病原遺伝子(東アジア型CagA)が胃がんの発症率を高めていると言われてきた。ところが大分大学と琉球大学による研究で、沖縄には系統も病原性も異なる2つの系統(hspOkinawaとhpRyukyu)があることがわかった。前者は西~中央アジア株と近縁性があり、後者は東アジアと北アジアの中間的な性質を持ってい た。これらの研究は私の研究室の鈴木留美子特任准教授が中心になっておこなわれた。
6:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/02/21 (Tue) 20:26:34

ゲノム進化と形態進化をどうつなげるか?:斎藤 成也 教授【遺伝研公開講演会2021】
2021/11/24
https://www.youtube.com/watch?v=FNVnnURGrpE

真核生物のなかでも、動物と植物はすべて多細胞性であり、多様な形態を持っています。これらの形態は種特異的なので、それぞれの種のゲノム中に形態を決定する塩基配列があると考えられています。その鍵となる可能性があるCNS (進化的に保存された配列)の進化について、特に哺乳類のゲノム解析結果をお話しします。
7:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/02/22 (Wed) 15:46:50

ヤポネシア人ゲノム研究のご紹介 斎藤成也 教授
2020/10/15
https://www.youtube.com/watch?v=ktoRnH6bu3k
8:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/03 (Fri) 18:17:49

【落合陽一】人類最後のフロンティアは「イースター島」だった!ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは「お互いをどう見ていた?」絶滅した意外な理由、現生人類の起源の鍵“空白の30万年”とは?[再編ver]
2023/03/02
https://www.youtube.com/watch?v=bCmlfyQ0aj0

唯一生き残った人類。それが1属1種の存在として今、地球上に生息する我々、ホモ・サピエンスだ。しかし近年、大量の情報を持つ核DNAの解析が可能となったことから、遥か昔に絶滅したはずの別の人類「ネアンデルタール人」の遺伝子を現代人も受け継いでいると判明し、その進化の過程はより複雑で多様である事がわかってきた。今、飛躍的に進歩する古代DNA研究が、人類史の定説やこれまでの常識を大きく覆そうとしている。人類はどこからきたのか?私たちは一体何者なのか?10万部を突破した『人類の起源』の著者、国立科学博物館の篠田謙一館長を迎え、古代DNA研究の最前線と新たな「人類像」、そして日本人のルーツに、落合陽一が迫る。
9:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/04/26 (Wed) 09:26:53

雑記帳
2023年04月26日
『イヴの七人の娘たち』の想い出とその後の研究の進展
https://sicambre.seesaa.net/article/202304article_26.html

 2001年に刊行されたブライアン・サイクス(Bryan Clifford Sykes)氏の著書『イヴの七人の娘たち』は、このような一般向けの科学啓蒙書としては異例なほど世界的に売れたようで、私も購入して読みました(Sykes.,2001)。近年時々、『イヴの七人の娘たち』は日本でも一般向けの科学啓蒙書としてはかなり売れたようではあるものの、今となってはその見解はとてもそのまま通用しない、と考えることがあり、最近になって、そういえば著者のサイクス氏は今どうしているのだろう、と思って調べたところ、ウィキペディアのサイクス氏の記事によると、2020年12月10日に73歳で亡くなったそうです。まだ一般向けの啓蒙書を執筆しても不思議ではない年齢だけに、驚きました。

 『イヴの七人の娘たち』などで提示されているサイクス氏の見解が今ではとても通用しないことはウィキペディアのサイクス氏の記事でも指摘されており、イギリス人の起源に関するサイクス氏の理論の多くはほぼ無効になった、とあります。もちろん、同書のミトコンドリアDNA(mtDNA)に関する基本的な解説の多くは今でも有効でしょうし、20世紀の研究史の解説は今でも有益だと思います。本書により、初期のDNA解析による人類進化研究の様相を、研究者間の人間関係とともに知ることができ、この点で読み物としても面白くなっています。

 ただ、同書の主張の、現代ヨーロッパ人の遺伝子プールの母体を作り上げたのは旧石器時代の狩人で、新石器時代の農民の現代ヨーロッパ人への遺伝的寄与は1/5程度だった、との見解は今では無効になった、と確かに言えそうで、ヨーロッパのほとんどにおいて、狩猟採集民の遺伝的構成要素は新石器時代の拡大の結果としてヨーロッパ初期農耕民的な遺伝的構成要素にほぼ置換されました(Olalde, and Posth., 2020、関連記事)。ただ、新石器時代のヨーロッパにおいて、アナトリア半島起源の農耕民と在来の狩猟採集民が混合していったことも確かで、またその混合割合については時空間的にかなりの違いがあったようです(Arzelier et al., 2022、関連記事)。

 また、現代ヨーロッパ人の形成に、旧石器時代~中石器時代の狩猟採集民と新石器時代にヨーロッパへ到来した農耕民だけではなく、後期新石器時代~青銅器時代にかけてユーラシア草原地帯からヨーロッパへ到来した集団も強い影響を及ぼした、と指摘した2015年の画期的研究(Haak et al., 2015、関連記事)で、現代ヨーロッパ人の核ゲノムに占める旧石器時代狩猟採集民の割合がかなり低い、と示されていました(Haak et al., 2015図3)。以下はHaak et al., 2015の図3です。
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 もっとも、『イヴの七人の娘たち』が根拠としたのはミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)で、これは時代的制約からも当然であり、サイクス氏の怠慢ではありません。ただ、そのmtHgについても、ヨーロッパ中央部では旧石器時代人のmtHgは現代人に20%程度しか継承されていない、と2013年の時点で推測されていました(Brandt et al., 2013)。以下は、後期中石器時代から現代までのヨーロッパ中央部のmtHg頻度の推移を示したBrandt et al., 2013の図3です。
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 このように、『イヴの七人の娘たち』の見解が大きく間違っていたのは、当時はまだmtDNAでも解析された古代人の数は少なく、同書がほぼ現代人のmtDNAハプログループ(mtHg)の分布頻度と推定分岐年代に依拠していたからです。やはり、現代人のmtDNA解析から古代人の分布や遺伝子構成を推測することは危険で、古代DNA研究の裏づけが必要になる、と改めて思います(Schlebusch et al., 2021、関連記事)。もっとも、古代DNA研究がこれだけ進展した現在では、現代人のmtDNA解析結果だけで古代人の分布や遺伝子構成を推測する研究者はほぼ皆無だとは思いますが。

 さらに、ヨーロッパ中央部については、mtDNA解析から、初期農耕民は在来の採集狩猟民の子孫ではなく移住者だった、との見解がすでに2009年の時点で提示されていましたが(Bramanti et al., 2009、関連記事)、私は間抜けなことに、『イヴの七人の娘たち』を根拠に、現代ヨーロッパ人と旧石器時代のヨーロッパ人との遺伝的連続性を指摘する論者との議論が注目される、と述べてしまいました。当時の私の主要な関心は現生人類(Homo sapiens)のアフリカからの拡散におけるネアンデルタール人(Homo neanderthalensis)などユーラシアの先住の非現生人類ホモ属との相互作用と、現生人類が多少の遺伝的影響を受けつつも非現生人類ホモ属をほぼ完全に置換した理由で、アフリカから世界各地に拡散した後の現生人類の動向にはさほど関心はなく(関連記事)、ネアンデルタール人滅亡後のヨーロッパの人類史について最新の研究を追いかけようという意欲が低かったので、この程度の認識でした。

 さらにBramanti et al., 2009を取り上げた『ナショナルジオグラフィック』の記事では、移住者と考えられる初期農耕民と先住の採集狩猟民だけでは現代ヨーロッパ人の遺伝的構成は説明できない、とも指摘されています。これは上記の、現代ヨーロッパ人の形成に、旧石器時代~中石器時代の狩猟採集民と新石器時代にヨーロッパへ到来した農耕民だけではなく、後期新石器時代~青銅器時代にかけてユーラシア草原地帯から到来した集団も関わっていたことを報告した2015年の画期的研究とも通ずるたいへん示唆的な指摘で、アフリカから世界各地に拡散した後の現生人類の動向にはさほど関心はなかった当時の私でも、一応はブログで言及したくらいですが、その意味するところを深く考えていませんでした。見識と能力と関心が欠如していると、重要な示唆でも見逃したり受け流したりしてしまうものだ、と自戒せねばなりません。

 また上記のサイクス氏のウィキペディアの記事によると、サイクス氏は2006年に刊行された著書で、イングランドにおけるアングロ・サクソン人の遺伝的寄与はイングランド南部でさえ20%未満だった、と推測したそうです。ただ、昨年(2022年)の研究(Gretzinger et al., 2022、関連記事)では、確かにイングランド南部ではヨーロッパ大陸部からの外来の遺伝的影響は低めであるものの、中央部および東部では高く、全体的には平均76±2%に達するので、アングロ・サクソン時代にはヨーロッパ大陸部からの人類の移住は多かった、と推測されました。その後イングランドでは、さらなる外来からの遺伝的影響があり、アングロ・サクソン時代の外来の遺伝的影響は低下したものの、イングランドの現代人の遺伝的構成は、イングランド後期鉄器時代集団的構成要素が11~57%、アングロ・サクソン時代の外来集団的構成要素が25~47%、フランス鉄器時代集団的構成要素が14~43%でモデル化できる、と指摘されています。

 さらに言えば、イングランドでは、新石器時代の農耕民の遺伝的構成要素はアナトリア半島起源の初期農耕民(80%)と中石器時代ヨーロッパ狩猟採集民(20%)でモデル化でき、銅器時代~青銅器時代にかけて大規模な遺伝的置換があり(約90%が外来要素)、中期~後期青銅器時代にも大規模な移住があり、鉄器時代のイングランドとウェールズではその遺伝的影響が半分程度に達した、と推測されています(Patterson et al., 2022、関連記事)。このように、イングランドの人類集団では中石器時代以降、何度か置換に近いような遺伝的構成の変化があり、とても旧石器時代から現代までの人類集団の遺伝的連続性を主張できません。

 ヨーロッパでは旧石器時代の人類のDNA解析も進んでおり、最近の研究(Posth et al., 2023、関連記事)からは、旧石器時代のヨーロッパにおいて人類集団の完全に近いような遺伝的置換がたびたび起きていた、と示唆されます。以前にまとめましたが(関連記事)、現生人類がアフリカから世界中に拡散した後で、絶滅も含めて置換は頻繁に起きていたと考えられるので、特定の地域における1万年以上前にわたる人類集団の遺伝的連続性を安易に前提としてはならない、と思います。そのまとめ記事でも述べましたが、これはネアンデルタール人など非現生人類ホモ属にも当てはまり、絶滅や置換は珍しくなかったようです。


参考文献:
Arzelier A. et al.(2022): Neolithic genomic data from southern France showcase intensified interactions with hunter-gatherer communities. iScience, 25, 11, 105387.
https://doi.org/10.1016/j.isci.2022.105387
関連記事

Bramanti B. et al.(2009): Genetic Discontinuity Between Local Hunter-Gatherers and Central Europe’s First Farmers. Science, 326, 5949, 137-140.
https://doi.org/10.1126/science.1176869
関連記事

Brandt G. et al.(2013): Ancient DNA Reveals Key Stages in the Formation of Central European Mitochondrial Genetic Diversity. Science, 342, 6155, 257-261.
https://doi.org/10.1126/science.1241844

Gretzinger J. et al.(2022): The Anglo-Saxon migration and the formation of the early English gene pool. Nature, 610, 7930, 112–119.
https://doi.org/10.1038/s41586-022-05247-2
関連記事

Haak W. et al.(2015): Massive migration from the steppe was a source for Indo-European languages in Europe. Nature, 522, 7555, 207–211.
https://doi.org/10.1038/nature14317
関連記事

Olalde l, and Posth C.(2020): African population history: an ancient DNA perspective. Current Opinion in Genetics & Development, 62, 36-43.
https://doi.org/10.1016/j.gde.2020.05.021
関連記事

Patterson N. et al.(2022): Large-scale migration into Britain during the Middle to Late Bronze Age. Nature, 601, 7894, 588–594.
https://doi.org/10.1038/s41586-021-04287-4
関連記事

Posth C. et al.(2023): Palaeogenomics of Upper Palaeolithic to Neolithic European hunter-gatherers. Nature, 615, 7950, 117–126.
https://doi.org/10.1038/s41586-023-05726-0
関連記事

Schlebusch CM. et al.(2021): Human origins in Southern African palaeo-wetlands? Strong claims from weak evidence. Journal of Archaeological Science, 130, 105374.
https://doi.org/10.1016/j.jas.2021.105374
関連記事

Sykes B.著(2001)、大野晶子訳『イヴの七人の娘たち』 (ソニー・マガジンズ社、原書の刊行は2001年)

https://sicambre.seesaa.net/article/202304article_26.html
10:777 :

2023/06/16 (Fri) 23:08:41

「弥生人」の定説に待った、ゲノム解析で迫る日本人の由来の新説
橘玲、人類学者・篠田謙一対談(後編)
https://diamond.jp/articles/-/306767

2022.7.26 4:10
「弥生人」の定説に待った、ゲノム解析で迫る日本人の由来の新説

化石となった人骨のゲノム(遺伝情報)を解析できるようになり、数十万年に及ぶ人類の歩みが次々と明らかになってきた。自然科学に詳しい作家・橘玲(たちばな・あきら)氏が、国立科学博物館の館長でもある遺伝人類学者・篠田謙一氏に、人類の歴史にまつわる疑問をぶつける特別対談。後編では、日本人の歴史に焦点を当てる。現在の日本人に連なるいにしえの人々は、いったいどこからやって来たのだろうか――。(構成/土井大輔)


日本人のルーツは?
縄文人のDNAから考える
橘玲氏(以下、橘) 日本人の話題に入りたいと思います。6万年ほど前に出アフリカを敢行した数千人のホモ・サピエンスは、ネアンデルタール人やデニソワ人などの旧人と各地で出会い、交わりながらユーラシア大陸を東に進んでいきます。その東端にある日本列島に到達した人たちが縄文人になるわけですが、主要なルートは朝鮮半島経由とシベリア経由と考えていいんでしょうか。

篠田謙一氏(以下、篠田) ほぼその通りですね。5万年くらい前、人類は東南アジアから海岸伝いに北に上がってくるんです。そのころは中国大陸の海岸線が今より広がっていて、朝鮮半島も台湾も大陸の一部でした。日本列島は孤立していますけれど、今より大陸との距離は近かったんですね。


大陸で数万年間かけて分化していった集団が、北方からであったり朝鮮半島経由であったり、複数のルートで日本列島に入ってきた。それがゆるやかに結合することで出来上がったのが縄文人だと考えています。

 私たちは北海道の縄文人のDNAを多く解析したんですけども、そこには(ロシア南東部の)バイカル湖周辺にあった遺伝子も多少入っているんです。もしかすると、ユーラシア大陸を北回りで東にやって来た人たちの遺伝子も、東南アジアから来た人たちと混血して、日本に入ってきたのではないかと考えています。

橘 中国も唐の時代(618年~907年)の長安には、西からさまざまな人たちが集まっていたようですね。

篠田 大陸は古い時代からヨーロッパの人たちと遺伝的な交流があったと思いますよ。例えばモンゴルは、調べてみるととても不思議なところで、古代からヨーロッパ人の遺伝子が入っています。陸続きで、しかも馬がいる場所ですから、すぐに遺伝子が伝わっていくんです。

橘 ということは、長安の都を金髪碧眼(へきがん)の人たちが歩いていたとしても、おかしくはない。

篠田 おかしくはないですね。ただ、それが現代の中国人に遺伝子を残しているかというと、それはないようですけれども。

弥生人の定説が
書き換えられつつある
橘 日本の古代史では、弥生時代がいつ始まったのか、弥生人はどこから来たのかの定説が遺伝人類学によって書き換えられつつあり、一番ホットな分野だと思うのですが。

篠田 そう思います。

「弥生人」の定説に待った、ゲノム解析で迫る日本人の由来の新説
弥生時代以降の日本列島への集団の流入(『人類の起源』より)
https://diamond.jp/articles/-/306767?page=2


橘 篠田さんの『人類の起源』によれば、5000年くらい前、西遼河(内モンゴル自治区から東に流れる大河)の流域、朝鮮半島の北のほうに雑穀農耕民がいて、その人たちの言葉が日本語や韓国語の起源になったというのがとても興味深かったんですが、そういう理解で合っていますか?


篠田 私たちはそう考えています。1万年前よりも新しい時代については、中国大陸でかなりの数の人骨のDNAが調べられているので、集団形成のシナリオがある程度描けるんです。その中で、いわゆる渡来系といわれる弥生人に一番近いのは、西遼河流域の人たちで、黄河流域の農耕民とは遺伝的に少し異なることがわかっています。

橘 黄河流域というと、今でいう万里の長城の内側ですね。そこでは小麦を作っていて、西遼河の辺りはいわゆる雑穀だった。

篠田 まあ、中国でも小麦を作り始めたのはそんなに昔ではないらしいんですが、違う種類の雑穀を作っていたんでしょうね。ただ陸続きで、西遼河も黄河も同じ農耕民ですから、全く違ったというわけではなくて、それなりに混血して、それが朝鮮半島に入ったというのが今の説なんです。

 さらに誰が日本に渡来したのかっていうのは、難しい話になっています。これまではいわゆる縄文人といわれる人たちと、朝鮮半島で農耕をやっていた人たちは遺伝的に全く違うと考えられてきたんですね。それがどうも、そうではなさそうだと。

 朝鮮半島にも縄文人的な遺伝子があって、それを持っていた人たちが日本に入ってきたんじゃないかと。しかもその人たちが持つ縄文人の遺伝子の頻度は、今の私たちとあまり変わらなかったんじゃないかと考えています。

橘 「日本人とは何者か」という理解が、かなり変わったんですね。

篠田 変わりました。特に渡来人の姿は大きく変わったと言ってよいでしょう。さらに渡来人と今の私たちが同じだったら、もともと日本にいた縄文人の遺伝子は、どこに行っちゃったんだという話になります。

 両者が混血したのだとすれば、私たちは今よりも縄文人的であるはずなんですけども、そうなっていない。ですから、もっと後の時代、古墳時代までかけて、より大陸的な遺伝子を持った人たちが入ってきていたと考えざるを得なくなりました。

橘 なるほど。西遼河にいた雑穀農耕民が朝鮮半島を南下してきて、その後、中国南部で稲作をしていた農耕民が山東半島を経由して朝鮮半島に入ってくる。そこで交雑が起きて、その人たちが日本に入ってきたと。


篠田 日本で弥生時代が始まったころの人骨は、朝鮮半島では見つかってないんですけども、それより前の時代や、後の三国時代(184~280年)の骨を調べると、遺伝的に種々さまざまなんです。縄文人そのものみたいな人がいたり、大陸内部から来た人もいたり。遺跡によっても違っていて。

橘 朝鮮半島というのは、ユーラシアの東のデッドエンドみたいなところがありますからね。いろいろなところから人が入ってきて、いわゆる吹きだまりのようになっていた。

篠田 しかもそれが完全には混じり合わない状態が続いていた中で、ある集団が日本に入ってきたんだろうと考えています。

橘 その人たちが初期の弥生人で、北九州で稲作を始めたのが3000年くらい前ということですね。ただ、弥生文化はそれほど急速には広まっていかないですよね。九州辺りにとどまったというか。

篠田 数百年というレベルでいうと、中部地方までは来ますね。東へ進むのは割と早いんです。私たちが分析した弥生人の中で、大陸の遺伝子の要素を最も持っているものは、愛知の遺跡から出土しています。しかもこれは弥生時代の前期の人骨です。だから弥生時代の早い時期にどんどん東に進んだんだと思います。

 ただ、九州では南に下りるのがすごく遅いんです。古墳時代まで縄文人的な遺伝子が残っていました。

橘 南九州には縄文人の大きな集団がいて、下りていけなかったということですか。

篠田 その可能性はあります。今、どんなふうに縄文系の人々と渡来した集団が混血していったのかを調べているところです。おそらくその混血は古墳時代まで続くんですけれども。

 当時の日本列島は、ある地域には大陸の人そのものみたいな人たちがいて、山間とか離島には、遺伝的には縄文人直系の人がいた。現在の私たちが考える日本とは全然違う世界があったんだろうと思います。平安時代に書かれた文学なんかは、きっとそういう世界を見たと思うんです。

橘 すごくロマンがありますね。

篠田 今の私たちの感覚では、わからないものなのかなと思いますね。

弥生人の渡来に
中国の動乱が関係?
橘 中国大陸の混乱が、日本列島への渡来に影響したという説がありますよね。3000年前だと、中国は春秋戦国時代(紀元前770~紀元前221年)で、中原(華北地方)の混乱で大きな人の動きが起こり、玉突きのように、朝鮮半島の南端にいた人たちがやむを得ず対馬海峡を渡った。

 古墳時代は西晋の崩壊(316年)から五胡十六国時代(439年まで)に相当し、やはり中原の混乱で人々が移動し、北九州への大規模な流入が起きた。こういったことは、可能性としてあるんでしょうか。

篠田 あると思います。これまで骨の形を見ていただけではわからなかったことが、ゲノム解析によって混血の度合いまでわかるようになった。今やっと、そういうことがゲノムで紐解ける時代になったところです。

 古墳を見ても、副葬された遺物が当時の朝鮮半島直輸入のものだったり、あるいは明らかに日本で作ったものが副葬されたりしてさまざまです。その違いが埋葬された人の出自に関係しているのか、ゲノムを調べれば解き明かすことができる段階になっています。

橘 イギリスでは王家の墓の古代骨のゲノム解析をやっていて、その結果が大きく報道されていますが、日本の古墳では同じことはできないんですか。

篠田 それをやるには、まず周りを固めることが先かなと思いますね。「ここを調べればここまでわかるんですよ」というのをはっきり明示すれば、やがてできるようになると思います。


政治的な思惑で
調査が進まないプロジェクトも
橘 古墳の古代骨のゲノム解析ができれば、「日本人はどこから来たのか」という問いへの決定的な答えが出るかもしれませんね。中国大陸から朝鮮半島経由で人が入ってきたから、日本人は漢字を使うようになった。ただ、やまとことば(現地語)をひらがなで表したように、弥生人が縄文人に置き換わったのではなく、交雑・混血していったという流れなんでしょうか。

篠田 そう考えるのが自然だと思います。弥生時代の初期に朝鮮半島から日本に直接入ってきたんだとしたら、当時の文字が出てきているはずなんです。ところがない。最近は「硯(すずり)があった」という話になっていて、もちろん当時から文字を書ける人がいたのは間違いないんですが、弥生土器に文字は書かれていません。一方で古墳時代には日本で作られた剣や鏡に文字が書かれています。

橘 日本ではなぜ3世紀になるまで文字が普及しなかったのかは、私も不思議だったんです。

篠田 弥生時代の人たちは稲作を行い、あれだけの土器、甕(かめ)なんかも作りましたから、大陸から持ち込んだ技術や知識は絶対にあったはずなので。いったい誰が渡来したのか、その人たちのルーツはどこにあったのかっていうところを解きほぐすことが必要だと思っています。

「弥生人」の定説に待った、ゲノム解析で迫る日本人の由来の新説
篠田謙一氏の近著『人類の起源』(中央公論新社)好評発売中!
橘 古墳時代に文字を使うリテラシーの高い人たちが大量に入ってきて、ある種の王朝交代のようなものが起きて、『古事記』や『日本書紀』の世界が展開する。縄文から弥生への二段階説ではなく、縄文・弥生・古墳時代の三段階説ですね。

篠田 そうしたことが、おそらくこれからゲノムで読み取れるんだろうなと思います。

 弥生時代、最初に日本に入ってきた人というのは、現在の我々とは相当違う人だったというのが現在の予想です。それを知るには当時の朝鮮半島の状況、弥生時代の初期から古墳時代にかけてどうなっていたのか、人がどう動いたのかをちゃんと調べる必要があるんですが、難しいんですよ。いろいろと政治的な問題もあって。

橘 国家や民族のアイデンティティーに絡んできますからね。

篠田 現地の研究者との間では「この人骨を分析しましょう」という話になるんですけれども、上からOKが出ないわけです。「今この人骨を渡すのは困る」と。それでポシャったプロジェクトがいくつかあって。なかなか進まないんです。

橘 政治の壁を突破して、ぜひ調べていただきたいです。朝鮮半島は「吹きだまり」と言いましたが、日本こそユーラシア大陸の東端の島で、北、西、南などあらゆる方向から人々が流れ着いてきた吹きだまりですから、自分たちの祖先がどんな旅をしてきたのかはみんな知りたいですよね。

篠田 ここから東には逃げるところがないですからね。

 次に「日本人の起源」というテーマで本を書くのであれば、5000年前の西遼河流域から始めようと思っているんです。

 朝鮮半島で何が起こったかわからないので今は書けないんですけれども、そこでインタラクション(相互の作用)があって、今の私たちが出来上がったんだというのがおそらく正しい書き方だと思うんですよね。

橘 それは楽しみです。ぜひ書いてください。
11:777 :

2023/06/16 (Fri) 23:19:30

ホモ・サピエンスが繁栄し、ネアンデルタール人が絶滅した「意外な理由」
橘玲、人類学者・篠田謙一対談(前編)
https://diamond.jp/articles/-/306758


2022.7.25
ホモ・サピエンスが繁栄し、ネアンデルタール人が絶滅した「意外な理由」

人類の祖先(ホモ・サピエンス)は、なぜ世界を席巻できたのか。ネアンデルタール人などの旧人や、いまだ謎の多いデニソワ人を圧倒した理由はどこにあったのか。ゲノム(遺伝情報)の解析によって解明を進め、『人類の起源』(中央公論新社)などの著書がある人類学者・篠田謙一氏に、自然科学、社会科学にも詳しい作家・橘玲(たちばな・あきら)氏が、ユニークな観点からその謎に迫る。(構成/土井大輔)

人類の祖先は水の中で暮らしていた!?
「水生人類説」の可能性は?
橘玲氏(以下、橘) 以前から遺伝人類学にはとても興味がありました。遠い過去のことは、これまでは化石や土器でしかわからなかった。ところが、篠田さんが『人類の起源』で詳しく描かれたように、古代の骨のゲノム解析ができるようになったことで、人類の歴史を大きく書き換える「パラダイム転換」が起きています。せっかくの機会なので、これまで疑問に思っていたことを全部お聞きしたいと思います。

 私を含む多くの読者の興味として、人類の誕生と日本人の誕生があると思います。人類とパン属(チンパンジーとボノボ)が共通の祖先から分岐したのは、約700万年前のアフリカということでよいのでしょうか?

篠田謙一氏(以下、篠田) そうですね。化石が示しているのがそれくらいで、ヒトとチンパンジーのゲノムの比較でもだいたい700万年前ということがわかっています。ただ、その後も交雑を繰り返したと考える人もいて、最終的な分岐は500万年前ぐらいではないかという説もありますね。

 この700万年前から500万年前の間は化石がほとんど見つかっていないので、なかなか確たることが言えないというのが現状です。


橘 人類の祖先が分岐したのは、環境の変化で森からサバンナに移り住み、二足歩行を始めたからだというのがこれまでの定説でした。しかし今、この常識も疑問視されていますよね。

篠田 地球環境がうんと変わって森がサバンナになってしまったので、地面に降りざるを得なかったんだというのが、一般的に考えられている学説です。ただ、よく調べると数百万年もの間、化石に木のぼりに適応できる形態が残っているので、実はそんなに劇的に環境が変わったわけじゃないじゃないかと。

 地面に降りた説が一般に信じられている背景には、「環境が物事を決める」という現代の思想があると思います。テクノロジーに左右されるように、私たちは環境によってどんどん変わっていくんだと。社会が受け入れやすいものが、その時代の定説となっていくんです。逆に言うと、まだそれほど確実なことはわかってないということです。

橘 人類の祖先が樹上生活に適応していたとするならば、なぜ木から降りたのかという話になりますよね。

 人類学では異端の考え方だと思うんですが、水生類人猿説(アクア説)に興味があるんです。人類の祖先は森の近くの河畔や湖畔などで長時間過ごすようになったという説で、これだと直立したことがシンプルに説明できます。四足歩行だと水の中に沈んでしまいますから。

 体毛が喪失したのに頭髪だけが残ったことや、皮下脂肪を付けるようになったこともアクア説なら説明可能です。より面白いのは鼻の形で、においをかぐのが目的なら鼻腔は正面を向くはずなのに、人間は下向きになっている。なぜなら、鼻の穴が前を向いていると潜ったときに水が入ってきてしまうから。

 さらに、今でも水中出産が行われているように、新生児は泳ぐことができる。という具合に、この水生類人猿説は、素人からするとかなり説得力があると思うんですが。

篠田 いただいた質問リストにその質問があったので、「困ったな」と思ったんです(笑)。1970年代、私が学生だったころ提唱された説ですね。当時、本で読んで面白いなと思ったのを覚えています。しかし人類学の仲間とも話をしたんですけども、みんな「これは追わないほうがいい」って言ってましたね。

 というのも、この説は「なるほど」と思わせますが、化石の証拠が何もないんです。もちろん可能性としてはあるんですが、証拠のほうから追求することができない。だから研究者はみんなここに手を出さないんです。

橘 わかりました。ではこれ以上、先生を困らせないようにします(笑)。

 700万年前に人類の祖先が分岐した後、250万年ほど前から石器が使われるようになり、200万年ほど前に原人が登場する。これも共通理解となっているのでしょうか。

篠田 今ある化石証拠によれば、そういう話になっています。基本的には、脳が大きくなって、直立二足歩行も現在の人間に近い状態になっていくわけですけれども、その理由はまだよくわかっていないんです。最近は、「火を使うようになったからだ」という説もあります。食生活が大きく変わったからだという話ですね。250万年前から200万年前の間は本当に重要な時代なんですけども、いろんな人類のグループがいて、なかなか整理がついていないんです。

橘 となると、そのさまざまなグループの中からどういう経路でヒトの祖先が出てきたのかというのは推測でしかない。

篠田 そうです。完全にスペキュレーション(推測、考察)です。


橘 原人が1回目の出アフリカを敢行してユーラシア大陸に進出した後、西(ヨーロッパ)の寒冷地帯に住むネアンデルタール人だけでなく、中央アジアや東アジアにデニソワ人という別の旧人が存在していたというのは衝撃的な発見です。彼らはどこで、どういうふうに生まれてきたのでしょうか。

篠田 そこは現在、最も混沌(こんとん)としているところでもあるんです。人類進化の研究は、基本的に化石を調べることでした。何十年もの間、古い時代、古い時代へとさかのぼっていたんです。ですから、ほとんどの努力がアフリカ大陸で行われていました。旧人類についてはアフリカ大陸以外のところ、特にユーラシア大陸で骨を探すという努力になるんですが、これまでそれほど注目されていませんでした。最近になってDNA人類学がこの時代の進化のストーリーを提唱したばかりなんです。

橘 ホモ・サピエンスはこれまでアフリカで誕生したというのが定説でした。しかし、近年の遺伝人類学では、ネアンデルタール人やデニソワ人と同様、ユーラシア大陸で共通祖先から分岐した可能性が出てきたんですね。これこそまさに、最大のパラダイム転換です。

篠田 ホモ・サピエンスとネアンデルタール、デニソワ人が共通祖先から分かれたのがおよそ60万年前、最も古いホモ・サピエンスと認識できる化石が出てくるのが30万年ほど前になります。ですから私たちの進化の過程の最初の30万年間は謎に包まれているんです。祖先がどこにいたのか、今後より古いホモ・サピエンスの化石の探求は、アフリカだけでなく、ユーラシア大陸まで視野に入れたものになるでしょう。

ホモ・サピエンスは
なぜ、生き残れたのか
橘 6万年ほど前にホモ・サピエンスによる出アフリカが起こり、アフリカ(サブサハラ)以外のヒトはみなその子孫というのが定説ですが、最新の研究ではどうなっているんでしょうか?


篠田 それはある程度従来の予想通りといえそうです。7万年から5万年前、だいたい6万年前にアフリカ大陸を出た数千人のホモ・サピエンスのグループが、今のアフリカ人以外の人類の先祖であるという考え方、そこは揺らいでいないと思います。

ユーラシア大陸における初期拡散の様子(『人類の起源』より)
https://diamond.jp/articles/-/306758?page=4


橘 しかし、遺伝人類学の近年の知見では、その先祖より前に、ユーラシア大陸にはホモ・サピエンスがいたとされているわけですよね。

篠田 そうです。ある程度は出ていたのでしょう。それも難しいところでして。中国では10万年くらい前にサピエンスがいたという説があったんですが、それは化石の年代が間違っていたんだという話もあって。出たんだ、いや違うっていうところでせめぎ合っていますが、6万年前より前に出ていたという証拠が多くなってきています。ただし、彼らは現在の私たちにつながらなかったということになりますが。

橘 それ以前から中近東や北アフリカで細々と暮らしていたサピエンスは、かなり脆弱(ぜいじゃく)な種で、ほぼ絶滅してしまったということですか。

篠田 そういうふうに考えています。

橘 だとすると、6万年前に出アフリカしたサピエンスが、なぜ短期間で南極を除く地球上に繁殖したのか、という疑問が出てきますよね。それまでネアンデルタール人やデニソワ人に圧倒されていたのに、いきなり立場が大逆転してしまう。旧サピエンスに対して、ミュータント・サピエンスというか、「ニュータイプ」が現れたんじゃないかと思ってしまいます。

 東アフリカのサピエンスの一部が突然変異で大きな前頭葉を持ち、知能が上がって複雑な言語を使うようになって、大きな社会を作るようになったからだという説もありますね。

篠田 『5万年前――このとき人類の壮大な旅が始まった』(ニコラス・ウェイド著、安田喜憲監修、沼尻由起子訳、イースト・プレス)という有名な本がありまして、まさにその発想で書かれているんです。ホモ・サピエンスには言葉や集団を束ねる力があったといった話をされているんですけれども。

 ただ、文化の視点で見ていくと、例えばビーズを作ることは10万年以上前からやっているんですね。アフリカ大陸全体で。そういうことから考えると、サピエンスは徐々に変化していったんだろうと私は考えているんです。そのころ、サピエンスに知識革命が起こったんだっていう説は、今では信じていない人のほうが多くなっていると思います。

 じゃあ、なんで6万年前に出たのかと言われると、ちょっと答えが見つからなくて。まさにそこ、サピエンスがアフリカを出たということ、世界を席巻したということがキーになっているんです。

橘 それまで東アフリカと中近東の一部に押し込められていたサピエンスが、わずか2万年ほどでユーラシア大陸の東端まで到達し、ネアンデルタール人やデノソワ人などの先住民が絶滅していく。そこでいったい何があったのかは誰もが知りたいところです。

篠田 ネアンデルタール人のゲノムと、ホモ・サピエンスのゲノムとを比べていったとき、私たちに伝わらなかった部分があります。X染色体のある部分もそのひとつです。

 そこは何に関係しているかというと、生殖能力だという話があるんです。つまり結局、サピエンスが世界を席巻できたのは、ネアンデルタール人より生殖能力が高かったからだと。繁殖能力が高かったという、そういう考え方です。

 一方で、ご指摘のように彼らとは文化が違うんだと。それが席巻する理由になったんだという考え方ももちろんあります。ただ、今はそちらの旗色はあまりよくないんです。

 というのは、ヨーロッパでネアンデルタール人が作った文化は、ホモ・サピエンスに近いレベルのものであったという証拠が出始めているんです。

 ネアンデルタール人の位置づけは歴史的にすごく変遷していて、時代によって野蛮人だったり、我々に近かったりと捉え方もさまざまです。今は我々に近いところだと考えられているんですけども、だから彼らは滅んだというより、私たちサピエンスが吸収してしまったとみるほうが正しいんじゃないかという人もいます。

橘 単に生殖能力が違っていたということですか。

篠田 ヨーロッパのネアンデルタール人は人口比でサピエンスの10分の1くらいしかいなかっただろうといわれています。

 彼らも進化の袋小路に入りかけていて、なかなか数が増やせなかったところに、とにかく多産なホモ・サピエンスが登場したので、吸収されたんだと。ネアンデルタール人との交雑によって、最初はホモ・サピエンスのゲノムに10%くらいネアンデルタール人のゲノムが入っていったと考えられていて、それはまさに両者の人口比そのものだったのではという説もあります。

橘 なるほど。

篠田 ネアンデルタール人とサピエンスは融合してゆくんですけれども、サピエンスのほうが結果的に人を増やすことができた。そこが一番大きいんじゃないかと私は思いますけどね。

橘 その一方で、サピエンスによるジェノサイド説がありますよね。チンパンジーは、自分たちと異なる群れと遭遇すると、オスと乳児を皆殺しにして、妊娠できるようになったメスを群れに加えます。

 現在のロシアとウクライナの紛争を見ても、人間の本性だって同じようなものじゃないか。6万年前のホモ・サピエンスが、容姿の大きく異なるネアンデルタール人やデニソワ人と初めて遭遇したとき、「友達になりましょう」なんてことになるわけがないというのは、かなり説得力があると思うんですが。

篠田 今の社会状況を見れば、直感的に受け入れやすい学説かもしれません。

ホモ・サピエンスが繁栄し、ネアンデルタール人が絶滅した「意外な理由」
篠田謙一氏の近著『人類の起源』(中央公論新社)好評発売中!
橘 サピエンスは言語や文化(祭祀や音楽、服や入れ墨)などを印(シンボル)として、1000人規模の巨大な社会を構成できるようになった。それに対してネアンデルタール人の集団はせいぜい数十人なので、抗争になればひとたまりもなかった。

 生物学的に、男はできるだけ多くの女と性交して遺伝子を後世に残すように設計されているから、チンパンジーと同様に、先住民の女を自集団に取り込んで交雑が進んだ。リベラルの人たちには受け入れがたいでしょうが、納得してしまいますよね。

篠田 人類がなぜ進化したのかについて、第2次世界大戦が終わったころはそういう説が多かったんです。「キラーエイプ」という考え方です。今はそれがある意味、復権しているところもありますね。

 ただ、もしそれが起きていたとしたら、ネアンデルタール人の(母親から受け継がれる)ミトコンドリアDNA系統が私たちの中に残っているはずなんです。それがないですから、やはりそんなふうには交雑していなかったんだろうと私は思いますね。

橘 少なくとも大規模な交雑はなかったと。

篠田 交雑の際、メスだけが選抜的に取り込まれたという証拠はないはずです。エビデンスがない領域の議論は結局、先ほど申し上げたようにスペキュレーションの世界なので、イデオロギーが入ってきてしまうのです。

 社会状況によって、解釈しやすいものがみんなの頭の中にスッと入ってきちゃうんですよね。その中で真実を探すのは、とても難しいんです。
12:777 :

2023/08/11 (Fri) 20:06:47

【落合陽一】「今までの“常識”って何だったんだ」 定説が覆りまくる人類史!謎のデニソワ人の発見、『絶滅と生存』分けた理由、『縄文人と弥生人』の新説、 最新ゲノム解析が明かす現代人への“遺言”とは?
2023/02/16
https://www.youtube.com/watch?v=86BT7_aggag


唯一生き残った人類。それが1属1種の存在として今、地球上に生息する我々、ホモ・サピエンスだ。しかし近年、大量の情報を持つ核DNAの解析が可能となったことから、遥か昔に絶滅したはずの別の人類「ネアンデルタール人」の遺伝子を現代人も受け継いでいると判明し、その進化の過程はより複雑で多様である事がわかってきた。今、飛躍的に進歩する古代DNA研究が、人類史の定説やこれまでの常識を大きく覆そうとしている。人類はどこからきたのか?私たちは一体何者なのか?10万部を突破した『人類の起源』の著者、国立科学博物館の篠田謙一館長を迎え、古代DNA研究の最前線と新たな「人類像」、そして日本人のルーツに、落合陽一が迫る。






11:56 / 15:42


【落合陽一】人類最後のフロンティアは「イースター島」だった!ネアンデルタール人とホモ・サピエンスは「お互いをどう見ていた?」絶滅した意外な理由、現生人類の起源の鍵“空白の30万年”とは?[再編ver]
2023/03/02
https://www.youtube.com/watch?v=bCmlfyQ0aj0&t=19s

唯一生き残った人類。それが1属1種の存在として今、地球上に生息する我々、ホモ・サピエンスだ。しかし近年、大量の情報を持つ核DNAの解析が可能となったことから、遥か昔に絶滅したはずの別の人類「ネアンデルタール人」の遺伝子を現代人も受け継いでいると判明し、その進化の過程はより複雑で多様である事がわかってきた。今、飛躍的に進歩する古代DNA研究が、人類史の定説やこれまでの常識を大きく覆そうとしている。人類はどこからきたのか?私たちは一体何者なのか?10万部を突破した『人類の起源』の著者、国立科学博物館の篠田謙一館長を迎え、古代DNA研究の最前線と新たな「人類像」、そして日本人のルーツに、落合陽一が迫る。
13:777 :

2023/08/11 (Fri) 20:34:28


もっと!かはくVR ~解説付き動画でかはくVRの楽しみ方を紹介~
2021/05/19
https://www.youtube.com/watch?v=6GPb2orIHjA

国立科学博物館 篠田謙一館長が、地球館B2Fに展示されている人類展示(マンモスの骨を利用した住居、スンギール遺跡の墓)をご紹介します。
14:777 :

2023/08/11 (Fri) 21:02:52

ノーベル生理学医学賞 ペーボ教授の「進化人類学」とは…日本の第一人者が解説(2022年10月4日)
2022/10/05
https://www.youtube.com/watch?v=Z9SvJ3CjRfM&t=89s

 ノーベル生理学医学賞にネアンデルタール人など古代人のゲノム解析と人類の進化に関する発見をしたとして、スウェーデンのスバンテ・ペーボ教授(67)が選ばれました。受賞した研究について、日本の人類学の第一人者に話を聞きました。

 国立科学博物館・篠田謙一館長:「人類学っていうと一般に骨を研究したりとか、そこから人類の起源を調べるんですが、(ペーボさんは)そういう教育を受けた人ではない。むしろお医者さんで、医学の方から考古学にも興味があって、古い人はどういう人だったのか知りたいと思ってDNAの研究を始めたっていう人なんです」

 人類学の第一人者・国立科学博物館の篠田謙一館長は、ペーボ教授と同じく古代人のDNAを研究しています。

 ノーベル生理学医学賞では人間の健康の役に立ったり、病気を克服したりといった応用的な部分が評価されやすく、「進化人類学」のような基礎的な学問が評価されるのは珍しいということです。

 国立科学博物館・篠田謙一館長:「恐らく評価されているのは、ネアンデルタール人という今から何万年も前の私たちの親戚筋にあたる人類の骨からDNAを取って、その彼らがDNAからどんな人たちだったのかを調べる、ネアンデルタール人のDNAが私たちにも入っているとのことを2010年以降に発表する、その部分が直接の受賞の理由だと思いますが、単純に古い骨のDNAが取れたということだけではなくて、私たちは何者だということに関するゲノムからの答えが出せるということを示したことであるとか、考古学とか、歴史学とか色んな学問に大きな影響を与える、人間とは何だということを分かるような、そういう研究方法を生み出したというところが一番評価されているのだと思います。彼(ペーボさん)の場合は恐らく、古代の人のことを知りたいっていうモチベーションが非常に強くあるわけです。昔の人と私たちの関係を調べるっていったらDNAを調べるのが一番そういう意味では確かですよね。そのDNAはどうやって調べたらいいんだろうというところから話を始めて、技術開発をうまく自分のモチベーション、自分の知りたいことにつなげていったということを延々ときっとやってきた人なんです。それで誰しもが思わなかったような古代のDNAを現代人と同じレベルで解析するっていうことは彼をして可能になったということになります」
15:777 :

2023/12/11 (Mon) 14:28:35

ヨーロッパ人と東アジア人は同一集団の子孫~2022年の研究で明らかになったアフリカ人、東西ユーラシア人の分岐と人種の成立過程~
LEMURIA CH/レムリア・チャンネル
2023/02/18
https://www.youtube.com/watch?v=pzLQVY-xOmQ&t=120s

古代の化石に残るDNAを解析する技術の進展により、化石の形態では分からなかったホモ・サピエンスの進化の過程が明らかになってきました。
アウストラロピテクス、ホモ・エレクトゥス、ホモ・ハイデルベルゲンシス、ホモ・アンテセソール(ホモ・アンテセッサー)、ネアンデルタール人、デニソワ人などの絶滅人類とホモ・サピエンスとの関係についても従来の説が次々と塗り替えられています。
今回はホモ・サピエンスの進化と人種の形成過程について最新の研究を交え解説していきます。

人類の起源-古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」
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交雑する人類  古代DNAが解き明かす新サピエンス史
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