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日本の研究力の低下 - 内田樹の研究室

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2022/10/04 (Tue) 17:56:53

日本の研究力の低下 - 内田樹の研究室
2022-10-04

 日本の研究力低下が止まらない。国際的に影響力のある論文ランキングで、日本は10位から12位に下がり、スペイン、韓国に抜かれた。日本の大学の学術的発信力はこの四半世紀ひたすら低下し続けている。2018年の科学技術白書も「わが国の国際的な地位の趨勢は低下していると言わざるを得ない」と認めたが、その後効果的な手立てを打てずにここまで来てしまった。論文数も、科学技術関連予算も、博士課程進学者数も、海外派遣研究者数も、あらゆる指標が日本の教育行政が失敗していることを示しているが、政府は教育コストの削減を止めようとしない。
 2015年に学校教育法が改定されて、大学教授会の権限が大きく殺がれた。大学は学長・理事長に権限が集中する「株式会社のような」トップダウン組織になった。それによって大学の組織運営は画期的に効率化するはずだった。たぶん「効率化」はしたのだろう。ひたすら人員を減らし、予算を削り、短期的に成功しそうな研究計画にだけ予算を配分する「選択と集中」が実現したのだから。だが、その結果がこの底の見えない研究力低下である。教育改革を主導してきた人々はこのみじめな結果をどう総括するのか。
 というのは修辞的な疑問であって、私は答えを知っている。それは「改革が足りなかった」というものである。政府の政策は100%正しかったのだが、頑迷固陋な現場の教職員がその実現に抵抗したせいで所期の成果が得られなかった。だから、さらにトップの権限を強化し、現場から自己裁量権を奪い取るべきだ。トップのアジェンダに忠実に従うイエスマンだけを重用し、反対する者は排除すれば、日本の研究力はV字回復する。そう信じている人たちが政策決定の要路にとどまる限り、日本の研究力低下と大学の非民主化は止まらないだろう。

http://blog.tatsuru.com/2022/10/04_1517.html
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2022/10/04 (Tue) 17:59:33

ゆとり教育を推進した三浦朱門の妻 曽野綾子がした事 _ これがクリスチャン
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/492.html

女は東大出でも思考力・判断力・知性すべてゼロ _ 通産官僚 宗像直子は何故こんなにアホなの?
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/544.html

体を売らなければ大学へ通えない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14047554
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2022/10/06 (Thu) 11:12:18

2022.05.28 12:00
縄文人のルーツはどのように判明した? 人類学者が語る、古代ゲノム研究のおそるべき技術革新
篠田謙一
https://realsound.jp/book/2022/05/post-1036664.html

『人類の起源 古代DNAが語るホモ・サピエンスの「大いなる旅」』
篠田謙一 著
中公新書
https://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E9%A1%9E%E3%81%AE%E8%B5%B7%E6%BA%90-%E5%8F%A4%E4%BB%A3DNA%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%82%8B%E3%83%9B%E3%83%A2%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%83%94%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%81%AE%E3%80%8C%E5%A4%A7%E3%81%84%E3%81%AA%E3%82%8B%E6%97%85%E3%80%8D-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%B0%E6%9B%B8-2683-%E7%AF%A0%E7%94%B0-%E8%AC%99%E4%B8%80/dp/4121026837


 我々ホモ・サピエンスの祖先は、ネアンデルタール人(旧人)と交雑していた、縄文人は東アジアに最初に到達した人類の子孫であった……など、近年、古代人の骨に残されたゲノム(遺伝情報)の解読・分析が進み、人類学の「常識」が大きく変わった。

 そんな最新の研究結果から、人類の起源とその歩みを見直したのが人類学者・篠田謙一氏の新書『人類の起源』(中央公論新社)だ。分子人類学を専門とし、東京・上野にある国立科学博物館の館長でもある篠田氏に、古代人の分析が飛躍的に進んだ背景と、どのようなことがわかってきたのか、そして今後期待される研究について聞いた。(土井大輔)

※メイン写真:イギリス(ブリテン島)でもっとも古い人骨のひとつ「チェダーマン」(約1万年前)のゲノム解析にもとづく復元像。暗褐色の肌、ブルーの目という、アナトリアの農耕民流入以前のヨーロッパ人集団の特徴が表されている(C)The Trustees of the Natural History Museum, London


数千年前は、いま見ている「日本」とはかなり異なる世界だった

ーー数年前にネットで、現代人のDNAにネアンデルタール人の遺伝子が入っていることが判明したというニュースを見て驚いたんですが、『人類の起源』を読んで、なるほど今はこんなことまでわかるのかと納得できました。

篠田:2006年頃に技術革新によって生まれた次世代シークエンサーによって、人間のゲノム(DNAのすべての遺伝情報)の解明が猛烈に進みました。次世代シークエンサーであれば、古代人の骨のかけらからでも現代人と同じように遺伝子を読むことができます。コロナウイルスの検査に使うPCR法は特定の部分のDNA配列を調べる方法で、1980年代後半からずっと続いてきたやり方でした。それが次世代シークエンサー以降は、網羅的に全部を読むことができるようになったんです。人間ひとりのDNAは30億塩基ほどあるのですが、これをすべて読むのに2日間ほど、塩基配列を解読するのに3~4日間ほどかかるので、だいたい1週間くらいで全てを読める。古代人の場合だと、骨からDNAを採取するのが難しいのでもう少しかかりますが、それでも3~4週間である程度読むことができます。

 2003年にはヒトゲノムを一人分読むのに成功していますが、13年という歳月と3000億円というお金を使ってやっとできたことだったんです。それが今や、次世代シークエンサーを使って古代人でも3~4週間、100万円ちょっとでできてしまう。これはなかなか怖いことですよ(笑)。これからのサイエンティストは10年程度でやり方がまるっきり変わってしまうような、激しい技術革新のなかを生き抜かなければならない。


ーー本を読むと、「人種」とか「日本人」という言葉になんの意味があるんだろうと思うようになりました。

篠田:「民族」とか「人種」であるというのは全部、後付けでその種につけられたタグですよね。生物学的には、人類はみんなシームレスに(途切れ目なく)つながっています。人間は複雑に絡み合って集団を作っていますから、それを区別することはできませんし、その意味では人類はみんな一緒なんだということが、おそらくDNAが語ることの本質なんだと思います。

ーーそもそも専門とされている「分子人類学」というのは、どういう学問ですか。

篠田:人類学を大きく分けると、人間の文化的な面を研究する文化人類学と、生物学的な面を研究する自然人類学になります。これまで自然人類学はおおかたが骨の研究であったり、軟部組織、つまり皮膚や髪の毛の違いであったりを調べていたわけです。それが1960年代になるとタンパク質や血液型の違いを対象にすることができるようになった。それが1970年代の終わりあたりから短いDNA配列まで読めるようになった。そこから遺伝情報を使った人間の成り立ちとか、他の生物との関係であるとか、そういったことを調べる学問が急速に伸びていきました。私はこの自然人類学を40年以上やっていて、はじめのころは骨の形の調査だったのが、だんだんと遺伝子の研究にシフトしていきました。この遺伝情報を使った人類学が、「分子人類学」になります。

ーーそのなかで、自身が驚いた発見や研究結果はありますか?

篠田:次世代シークエンサーによって古代人骨のDNA分析の実用化がなされた後でいえば、やはりホモ・サピエンスとネアンデルタール人の混血が判明したことですよね。それが一番大きい。

 ここ5年間ぐらいですと、ヨーロッパ人に関する研究も驚きでした。それまでは初期の狩猟採集民が、1万年くらい前にアナトリア半島(トルコのあたり)から入ってきた農耕民と混合してヨーロッパ人ができたと考えられていたんですが、実はそう単純ではなかった。5000年前以降の青銅器時代にステップ(シベリア南西部)からやってきた牧畜民が、狩猟採集民の上から乗っかるようにヨーロッパ人の遺伝的特徴を大きく変えていたんです。

 アジアですと、私どもの研究で、縄文人の起源が最初にアジアに入ってきた人たちの子孫であろうことがわかりました。縄文人と同じ遺伝子を持っている人は、世界中どこを探してもいなかったんです。それまでは縄文人と同じDNAを持つ人がいれば、そこが私たちの源郷の地、ホームランドであると考えられていたんですが、中国でもベトナムでも出てこないんですね。なんのことはなく、そもそも縄文人は日本にしかいなかったんです。

ーー興味深いのは、強い集団が弱い集団を打ち負かしていなくなったというより、融合していった結果として、その集団がいなくなっているという点です。

篠田:もちろん、中には強い集団が弱い集団を打ち負かして代わっていった場所もあるんですけれども、少なくとも今の日本人の場合は、9割方は弥生時代以降に大陸からやってきた人たちの遺伝子なのですが、私たちの中にまだ縄文人の遺伝子も残っていますから、融合していったと考えるべきですね。

 また、稲作農耕によって弥生時代になり、そこで縄文人と大陸の人々との混合が起こったんだろうと単純に考えられていたんですけれども、最近の研究では、その混合がすごく長い時間をかけて行われたということがわかりました。1000年から1500年かかっているんですね。実際に古墳時代だとか中世のいろんな地域のDNAを見てみると、まるっきり縄文人みたいな人もいるんです。

ーー縄文人と渡来した弥生人は文化を共有していた可能性がある。

篠田:そうですね。日本列島では長い間、人びとはある程度の棲み分けをしていたのでしょう。今私たちが見ている「日本」とは相当イメージが違うものだったんだろうと思います。辺境の地には姿かたちがまったく異なる人たちが住んでいるような、そういう世界だったんじゃないでしょうか。

今後は「空白の1万年」が明らかになっていく

ーーアフリカ大陸で誕生した人類が、アフリカを出て、世界に広がっていったのには、どのような欲求があったのでしょう。
篠田:よく聞かれるんですが、なかなか答えにくい質問です(笑)。結局は想像するしかない話になってしまいますので。私は「気がついたら広がっちゃっていた説」を支持しています。 徐々にテリトリーを広げているうちに、最終的に世界に広がっていた、と。本にも書きましたが、未踏の地に行った人たちも、もとにいた場所の人たちとのインタラクション(相互の影響)を持っていたと思います。少人数が「冒険にでよう!」と出かけたわけではなく、親族のネットワークを作りながら先へ先へと進んでいる。だから戻ることもすぐにできたと思うんです。

 また、アフリカを出たことは人類のテリトリーが圧倒的に広がるきっかけとなりましたが、当然ながら、アフリカを出ていった人類はごく一部でした。アフリカ人以外のホモ・サピエンスの遺伝的な違いはすごく小さいですから、出て行った人は多くないといわれています。ただ、そのあたりは謎も多いんです。我々の直接の祖先にあたる人たちは7~6万年前にアフリカを出たと考えられていますが、そこからアフリカ以外で化石が見つかるまでに1万年くらい空白の期間があるんです。研究者たちは今、そのあたりを調べています。そこで何が起きたのかと。

 少し前まで自然人類学の世界では、古い時代に遡って調べて、どこまでいったらチンパンジーの祖先と一緒になるんだろうと、みんな何百万年も前の古い時代の化石を探していました。けれども最近はむしろ、ホモ・サピエンスがどう成り立ったのかを研究をする人が多くなりました。今後、そうした時代の化石の発見が増えてくるはずです。

ーー大発見が続々と出てくる可能性が高く、いま注目しておくと面白い分野ですね。

篠田:ただ、ひとつ注意しておかなければならないのは、遺伝子それぞれの違いを研究していくと、「我々のほうが優秀だ」という意見とくっついてしまうことがあることです。しかし、遺伝子には違いはあれど優劣があるわけではなく、ある環境において有利な遺伝子が別の環境では不利になることもあります。たとえば最近では、ネアンデルタール人の遺伝子が新型コロナウイルスの重症化リスクを軽減する可能性が指摘されましたが、一方でネアンデルタール人の遺伝子によって別の病気にかかるリスクもあるわけです。だからこそ、人類はお互いに尊重し合って多様性を保持する必要があるのだという視点に立つことが重要です。それを理解していただいた上で、ゲノムが語る人類の起源を知ってもらいたいですね。

ーーほかには、どのような研究結果が出てくることを期待されますか。

篠田:先ほど言ったように、現代日本人の遺伝子の9割は縄文人ではなく、後から入ってきた人たちの遺伝子で、そのホームランドであると言われているのが中国の西遼河流域です。だから日本人の起源を調べるのであれば、そこから始めるべきだと思うんです。

 5千年ほど前に西遼河流域で雑穀農耕をしていた人たちがいた。彼らが広まっていき、朝鮮半島に入った。そこに稲作農耕をやっていた人たちが来て合流し、一部の人たちが日本列島に入ってきた。日本列島にも、もともと住んでいた縄文人たちがいて、「それを飲み込む形で今の日本人になりました」と書くのがおそらく一番正しいんですね。西遼河流域から朝鮮半島を越えて日本に至る経路、あるいは誰が来たのか。朝鮮半島で何が起きたのか。そういうことに一番興味があります。

ーー「日本列島に入ってくる」とはいっても、一度にやって来たとは限らない。

篠田:そうですね。何度も行き来をしていて、朝鮮半島と北部九州などの一部の日本列島が同じ文化圏になっていた時期があるはずです。実際、朝鮮半島から日本の土器が出てきているので、考古学的にはすでに行き来していた時期があったことはわかっています。そして、モノが動いていたということは人も動いていたはずなので、その辺りを分子人類学で解き明かせたら面白いです。最近、ようやく考古学者の人たちと話が合うようになってきたんですよ(笑)。考古学はすごく細かいことを調べてきていて、人類学はもっと大まかな話をしてきたんですが、研究が進むことで一致するところが増えてきました。

ーー他の分野の研究者と連携することによって、わかってくることもありそうですね。

篠田:私も参加している「ヤポネシアゲノム」という、国立遺伝研究所の斎藤成也さんが始められたプロジェクトが、まさにいろんな分野の人と一緒に研究するものです。たとえば、人が移動すれば動物も動いたでしょう。積極的に動いたのは犬でしょうし、くっついてくるのはネズミなんかだったでしょう。そうした動物の古代ゲノムを調べながら、人間の動きとどう違っているのかということを調べています。


自分のなかにも多様性を抱えておくことが大事

ーー篠田さんはなぜ、人類学の道に進んだのですか。
篠田:単純に面白いと思ったからです。学生時代は古生物だとか化石の研究をやりたいという思いが漠然とあって、地質学教室の化石部屋を覗いていたら、リンボクという中国の南部に生えていた木の化石があったんですね。それは福岡県の古墳から出てきたと。「なんで中国のものがあるんですか?」と教授に聞いたら「当時の誰かが持ってきたんだろう」と。千数百年前に中国の化石を見て「奇麗だな」と思って持ってきたやつがいたということが面白いなと。それで人類学に進みました。あのときリンボクそのもののほうが面白いと思っていたら、古生物学者になっていたんでしょうね。

 私が学生だった1970年代は、あまり役に立たないことを研究したほうが良さそうだという風潮もありました。60年代の「科学は明るい未来を作るんだ」という『鉄腕アトム』的な認識から、科学によって公害が起きたんだという認識に変わっていった時代です。役に立つというのはちょっと危険だという意識は今もあります。

 骨というのはちゃんと「読む」のに時間がかかるんです。私は医学部の解剖学教室に20年いましたけれども、10年ぐらいかけて人間を500体くらい解剖してやっと、人間の体とはこういうものなんだとわかってきたというレベルです。昔の研究者は一生それを続けたんです。ここは博物館ですから、「博物館行き」という言葉があるように、古いものが収まっていて、昔からの研究を続けている方もいらっしゃいます。けれど、世の中がなかなかそれを許してくれない時代になりました。

ーー役に立つものを研究しなければならない、と。

篠田:圧としてはそれが強いですね。あまりあからさまには言えませんが、なんとか役に立たないことをやれるフィールドをここに作っておきたいとは思っているんですけれども。実際のところ「役に立とう」と思ってやった研究に、たいしたものはないですよ。役に立たないと思われたものが、実はあとで役に立ったということの方が多いですから。

ーー冒頭で、これからのサイエンティストは技術革新が激しい時代を生き抜かなければならないと仰っていました。技術革新はサイエンティストのみならず、あらゆる職業の人々にとって大きな影響があると思います。そのような時代を生き抜くのに、どのような力が求められると思われますか。

篠田:生物が同じ遺伝子でも集団として内部にさまざまなタイプを抱えているのと同じように、自分の中にも多様性を抱えておくことですよね。何かひとつのことをやっていれば効率はいいけれど、環境が変化してそれが行き詰まったときに何もできなくなってしまいます。理科系の科学者だったら、文科系の素養を身につけておくとか、一見すると役に立たないようなことをしておくことが大切です。いろんなことに興味を持って、自分のなかに多様性を抱えこめば、きっとどこかにはたどり着けます。ホモ・サピエンスだって先が見えなかったからこそ、いろんなものを社会の中に抱え込んで、その時代に合わせて適応してきたわけですから。個人でも同じだと私は思います。
4:777 :

2023/11/21 (Tue) 19:39:31

学問探究投げ捨てる愚行 議論もなくスピード可決した国立大学法人法改正 国立大学まで政財界の利権の具に
2023年11月21日
https://www.chosyu-journal.jp/kyoikubunka/28277


 臨時国会でひっそりと審議入りした国立大学法人法改正案が17日、衆院文部科学委員会で採択され、与党の賛成多数で可決された。同法改正は、一定規模の国立大学を「特定国立大学法人」に指定し、最高意思決定機関として文科大臣の承認を要する委員で構成される「運営方針会議」の設置を義務づけるもので、大学運営のあり方を根本的に改変するものとなる。大学関係者は「大学の自治に死刑を宣告するものであり、日本の学術研究の衰退に拍車をかけ、国力をも損なうもの」として総反発している。学術レベルの著しい衰退を招いた一連の「大学改革」を見直すこともなく、大学を政治や財界の末端機関とする軽薄な法改正に批判が高まっている。



学術レベルの低下を招く「大学の自治剥奪」



 国立大学法人法の改正案が10月31日に閣議決定され、臨時国会に提出された。その内容は、内閣府が組織し、財界代表者らも参画する「総合科学技術・イノベーション会議」(CSTI)の有識者会合(9月7日)で初めておおまかな概要が明かされた。国民はおろか大学関係者にも知らされることなく、当事者間の開かれた議論もないまま、わずか1カ月で法案化された。



 改正の主な内容は、一定規模の国立大学に政令で「運営方針会議」という新たな合議体を置くことを義務付け、中期目標・中期計画の作成、予算決算に関する事項の決定権を持たせるというものだ【図参照】。これまで学長や理事など主に大学内の人員で構成される役員会が握っていた大学の運営権限を、この新たな合議体が握り、そこで決めた方針通りに大学運営を実行させるためのトップダウン体制の強化となっている。





 新たに各大学に設置される運営方針会議は、文科大臣の承認を得たメンバー(委員)で構成され、運営方針通りに大学運営がされているかどうかを学長に定期的(3カ月ごと)に報告させ、運営方針に従っていないと見なされる場合は、学長に改善措置を指示する権限を持つ。また、「学長選考・監察会議」に対して、学長選考の方針に意見したり、学長が運営方針会議と対立するなど解任事由に相当すると認められた場合は報告するという、実質的な解任権限まで持つことになる。



 学内の構成員は大学の運営や大学内部の資源配分について発言する権限を実質的に奪われることになり、大学の自治を担ってきた学内組織は形骸化せざるを得ない。



 さらに、これまで「国立大学の公共性や公益性を損なう」として認可制にしていた国立大学法人による土地貸付も届出のみで済むようにしたり、長期借り入れ・債券発行などの対象事業も拡大するなどの規制緩和も盛り込まれている。



 総じて、政府や経済界の意を汲んだ運営方針会議を使って学長(大学法人)をコントロールし、国立大学が保有する資産や教育組織(人間)を総動員して、学術研究よりも利益を生む「稼げる大学」へと邁進させるための体制づくりを促すものとなっている。



 現在、「特定国立大学法人」に指定される見通しにあるのは、東北大学、東京大学、東海国立大学機構(名古屋大学・岐阜大学)、京都大学、大阪大学の五法人となっている。これらの大学の職員組合は10日、改正案に反対する共同声明を発表。全国110の国立大学や関連機関の教職員組合連合体である全国大学高専教職員組合(全大教)中央執行委員会も六日に反対声明を発した【ともに別掲】。国は、大規模国立大学を皮切りに同様の仕組みを他の国立大学にも広げていく方針を示しており、すべての大学関係者にとって他人事では済まされない。



研究の自由奪う「司令塔」作り 大学教員らの指摘



 NPO法人「国立人文研究所」が11日におこなったオンライン会見で、北海道大学教育学研究院の光本滋准教授は、「“稼げる大学”は、昨年の国際卓越制度の議論の過程でたびたび使われてきた。古くは90年代ごろから始まっているが、直近では2015年当時の五神真(ごのかみ・まこと)東大総長が、財政制度審議会で“産業界が維持できなくなってきた中長期のための投資の受け皿を大学につくる”と表明し、大学内に産学一体のプラットフォームをつくるイメージを示した。今回の法改正は、“学術研究よりも経済社会に貢献する大学”(CSTI)を進めるために、研究・教育組織の上に“全学的な司令塔”をつくるものだ」と指摘した。



 またこの間の一連の「大学改革」をふり返り、「2004年の国立大学法人化で、国立大学では政府の政策を学長の権限によって実施させるトップダウン体制が決定づけられた。2014年の学校教育法等の改正によって多くの大学で教授会が教員の選考権を失った。そして、学長選考会議が学内投票に拘束されずに済むような規定改正もおこなわれ、学長と学長選考会議が一体となって大学を私物化する事態が頻発した。今回の法改正は、運営方針会議が学長を支配する体制をつくるものであり、政府や産業界が運営方針会議を支配することになれば、大学はそれらに従属せざるを得なくなる」とのべ、「国立大学の法人化は、研究水準の向上や発展のためとされていたが、20年たった現在、研究力低下がさかんに問題にされている。その反省もない法改正だ」と警鐘を鳴らした。



 特定国立大学法人への指定が名指しされている京都大学、東京大学、名古屋大学、大阪大学の職員組合も15日、声明発表とともに記者会見をおこなった。



 京都大学の高山佳奈子教授は、「京都大学職員組合は、国際卓越研究大学制度について、研究機関である大学を特定の利権の下に置こうとするものであるという観点から反対してきた。結局、東大も京大も国際卓越には認定されなかったが、その理由の一つとしてトップダウンがうまく機能していないということがいわれている」とのべた。



 国際卓越研究大学制度とは、国が10兆円規模の基金(ファンド)を設立し、その株式運用益を餌にして政府直結の「稼げる大学」をつくるという構想で、関連法が昨年5月に成立。9月に東北大学が初の認定候補に選出された。



 高山教授は、「京都大学では総長が各分野のボトムアップを重視して、(国際卓越を)ゴリ押ししなかったことから候補に入らなかったが、それを覆す形で今般の国立大学法人法改正案が出てきている。利権を持っている人たちはどうしても大学を従わせ、利権のための道具として利用したい。国際卓越大学という“お金”をちらつかせてもダメだったからこその朝令暮改であり、私たちとしては狙い撃ちにされているという感じを受けている」とのべた。



 また、日本学術会議が国によって解体されようとしていることにも触れ、「この状況下で、日本の学術研究や教育の国際競争力が低下しているというのは、当たり前のことだ。自由な研究のなかで、失敗から成功が生まれてノーベル賞につながるような発見が生まれるが、その自由な研究は、基盤的な研究費がある程度確保されたうえに成り立っている。私たち研究者は、自分たちの専門的知識は、学術全体から考えるとわずかな部分であるという認識のもとで研究に従事している。だが、今進められようとしているものは、その専門知識すらない人々、ごく少数の人々が思いつく範囲で、すぐに成果が上がるようなものについてだけお金を出すというものだ。目指すものは利権であり、その下に大学や学術会議を置くという制度だ。これでは人類の福祉に資するべき学術活動が実現できるはずもない。そもそも学術研究は、特定の範囲の人についてだけ考えておこなわれるものではない」と批判した。



 また「(日本で)もっと自由な研究活動ができれば、他分野と協力して新しいものが生み出されていくチャンスが広がる。海外で研究成果が上がっているのは、自由な研究ができる基盤的な資金が確保されているからだ。だが特定の狭い範囲の思いつきで、目先のお金を稼ぐことを学術の目的とするのなら、特定の人の利権になるだけで、国力はさらに低下していくことになる。日本で政治資金が厳しく規制されているのは、たとえ紐付き資金でなくても、寄附に頼るようになれば、寄附をくれそうな人にとって利益になるような活動にインセンティブが働いてしまうからだ。同じように特定の利権に縛られた大学になれば、人類的な課題に資する自由な研究は確保できるわけがない」と問題点を指摘した。



 東京大学教職員組合の井上聡委員長は、「東京大学も国際卓越大学に応募して落選したが、応募に至る学内的議論はほとんどなかった。私たちがしっかりした方針が出せなかったのは、東京大学ではすでに年間60億~70億円という欠損が生じ、私たちの部局でも年間数千万円という赤字が出て、基礎的な資金が“兵糧攻め”でかなり追い込まれていることがある。どういう形であれ、お金が入ってくれば良いのではないか…という考えがなきにしもあらずだった」と自戒を込めてのべ、「そもそもの大学のあり方から考えなければならない。研究の自由度が上がらないまま、外の経営や行政の専門家が大学運営に入ってきてもうまくいくわけがない。そのようなことを次々と振りまかれ、次第に大学が弱っていくのを感じる」と現状を吐露した。



 名古屋大学職員組合の渡辺健史委員長は、「名古屋大学での国際卓越研究大学応募に向けた議論もトップダウン的に決まっていったのが実情だ。それ以外のことでも外部を意識してトップダウンで決まることが増え、運営費交付金も削減され、人事も思うように進まず、教員も時間がなく疲弊している。今回の改正案で採り入れようとしている合議体(運営方針会議)を置くことになれば、さらに外ばかりを意識しなければならなくなる」とのべた。



 続けて、「大学はすでに力を失っており、外に還元することばかり考えると、わずかに残っている貯金も使い果たして立ち直れなくなり、研究力を含めて大学の自律性が極度に低下するのではないかと危惧している。国が大学運営に介入しようとしていることが透けて見える。大学の自治を侵害する大きな問題だ」とのべた。



 大阪大学教職員組合の北泊謙太郎書記長は、「教職員給与削減をめぐる団体交渉の場で、大学理事が“国際卓越研究大学制度の選考に阪大が落ちたのは、大学の組織改革が足りないからであり、もっとドラスティックに組織を改革し、雇用もさらに流動的にして、次こそは国際卓越に採用されるように大学として一丸となってとりくむ”という趣旨の発言をした。今回、国際卓越に採用された東北大学では、テニュアトラック(一定の研究実績に基づいて研究環境や雇用が保証される資格)も付いていないような、任期付き雇用の若手教員が多いことが採用理由の一つだという。大阪大学でも短期で若手を雇い、どんどん入れ替えていく雇用の流動化を進める意志が表明されたものだと受け止めている。大阪大学は文科省と手を組んでトップダウンで決めていくことが多く法改正でそれに拍車が掛かるのではないか。大学の自治にとどめを刺すようなものだ」とのべた。



オンライン署名呼びかけ 各大学の研究者有志



 各大学の研究者有志でつくる「『稼げる大学』法の廃止を求める大学横断ネットワーク」は現在、国立大学法人法改正に反対するオンライン署名を募っている。そこでは、概略以下のように法案の背景と反対理由をのべている。



■国立大学の「失われた20年」


 今年は国立大学を法人化する法律が制定されてから20年目にあたる。大学の自律性を高めるための「改革」なのだという表向きの説明とは裏腹に、法人化後、国立大学の自治と自律性は段階を踏みながら破壊されてきた。



 第1段階として、国は、大学運営にかかわる基盤的経費(運営費交付金)を10年近くかけて1割以上カットした。第2段階として、国立大学のトップである学長の選考について、政財界の意向が及びやすい仕組みをつくった。第3段階として、「選択と集中」の名の下に国が一方的に定める評価指標の達成度に応じて、基盤的経費を増減することにした。そのため、多くの学長は、予算を少しでも増やすために文科省の意向を忖度するようになった。第4段階として、大学が株式市場やベンチャー企業に投資することを奨励しつつ、企業から投資を受けて「稼げる大学」に変身することを要求した。



 この20年間を振り返ってみると、政財界の狙いは、バブル崩壊後の産業界の国際競争力を立て直すために大学を「活用」することにあった。経済がクローバル化する中で、多国籍化した企業にビジネスチャンスを与えることが重視された。



 たとえば2017年には、国立大学法人に土地の貸付を認める通知がなされ、今回の改正案では、これまで文科大臣の認可が必要であった土地の貸付を届出のみで可能にすると規定した。土地貸付によって国立大学法人が利益をあげ、これを利用した企業がその「有効利用」によって利潤をあげることもあるだろうが、そこでは、学生にとっての運動場や寄宿舎、学生食堂、保健管理センターなどのキャンパス空間がいかに重要であるかは度外視される。学生たちがリーズナブルで安全安心な生活をおくれることを優先していたら、「稼げない」からだ。



 これに限らず、大学を「稼げる大学」に変えようとする力は、学生を授業料の額に応じてサービスを受けるべきカスタマー(顧客)、教職員をコストカットに協力すべき従業員へと変質させた。大多数の国立大学で、学長を投票により選出する権利が剥奪されたことが象徴的だが、今改正案は、「運営方針会議」なる合議体を設置し、大学の運営・研究・教育にかかわる方針(中期目標・中期計画)や資源配分のあり方(予算・決算)を決定する権限を与えると定めている。しかも委員の任命にあたっては文科大臣の「承認」を必要とするとしている。


 これは、学生や教職員と、政府の方針に忠実な「経営判断」をおこなう少数者(運営方針会議委員、学長、学長選考・監察会議委員)とを分離し、学生や教職員の意見を無視また否定できる制度を完成させようとするものであり、「大学の自治」への死刑宣告にも等しい内容といえる。



■「稼げる大学」「稼げる自治体」の行く末


 わたしたちは、「大学の自治」だけが守られればよいと考えているわけではない。むしろ日本社会全体を多国籍企業にとって稼ぎやすい場にしようとする実践の一環として、今日の大学「改革」を捉えている。



 たとえば地方自治体も「稼げる自治体」となることを迫られてきた。具体的には「公共サービスの産業化」を合言葉として、地方行政や社会保障などの公共サービスを民間企業の市場として開放することが求められてきた。その結果として生じたのは、公務の外部委託や派遣社員雇用の拡大であり、地域社会内で循環するはずのお金が、東京に本社を置く大企業や多国籍企業に吸い上げられていく事態だった。その結果、公共サービスの担い手が減り、場合によっては自治体そのものが吸収合併により消滅させられた地域も少なくない。



 地方自治体の場合には、住民は主権者として首長を選挙により選出することができる。合併にかかわる住民投票でこれを否決することも可能だ。ところが、国立大学の場合には投票による歯止めがもともと慣行としてしか成立していなかったために、独裁的な体制がいとも簡単に形づくられてしまった。公立大学や私立大学の場合には大学により代表を選出する仕組みはそれぞれ異なるが、国立大学以上に「稼げる大学」になる圧力にさらされてきた。



 わたしたちは、研究が結果としてイノベーションにつながり、新たな産業や文化を生みだすことの素晴らしさや、研究や教育の意義について市民社会に対して説明する責任は感じている。だが、研究や教育にまつわる創造性はつまるところ個々人の創意工夫と安定した環境に由来する以上、政財界の意向を体した人物がもっぱら経営的な判断に基づいて「計画」なり「目標」を定めていくことは、大学の研究力や教育力を低下させることにしかならないと確信する。国は、だれもが「大学で学び研究する権利」を保障するために大学政策を根本的に転換し、基盤的経費の充実と安定財源化に努めるべきだ。



 「稼げる大学」「稼げる自治体」「稼げる保育園」「稼げる公園」…というように、なにもかもが近視眼的に考えられた経済的利益に還元される社会の行く末には、いったいなにが待っているのか。それを透視し、その打開策を考えることも大学の重要な役割だ。大学人がその役割をきちんと果たせるようになるためにも、改正案に反対の意向を表明し、国の大学政策の根本的な転換を求める。
https://www.chosyu-journal.jp/kyoikubunka/28277
5:777 :

2023/11/27 (Mon) 14:05:06

国立大学法人法”改正”は30年の破壊の総仕上げ【内田樹の談論風発】4
https://www.youtube.com/watch?v=AQkGLqVLGwo


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