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宮崎駿『千と千尋の神隠し 』

1:777 :

2022/09/30 (Fri) 06:02:58

千と千尋の神隠し - Bing video
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千と千尋の神隠し

荻野千尋、10歳。親の都合で田舎に越すことになり、道中ずっと膨れっ面をしていた。父の車が途中で侵入する道を誤り、奇妙な建物の前に出てしまう。俄に無謀な好奇心を発揮した父と母が建物の隧道に潜り、厭な気配を感じながら千尋はそのあとに従った。

出た先にあったのは、人気のない奇妙な町。食べ物のかぐわしい匂いに誘われ、店頭に並んだ食べ物を貪りはじめる両親を放っておいて、千尋は町の探索に出た。
その奥にある、「ゆ」と書かれた大きな暖簾の下がった建物。その前に架けられた橋の取っ付きで初めて千尋は美しい少年と出会う。

だが、少年は会ってすぐさま「日が暮れる前にここを出ろ」と命じる。何が何だか解らないままに町を駆け抜ける千尋だったが、そうこうしているうちにも夜の帳が降り、町中には黒い人影が溢れはじめる。そして漸く見つけた両親は、食べ物を貪るだけの豚と化していた。こんなのは夢だ、と否定する彼女自身の躰が透けていく。

 そこへ、先程の少年が現れて彼女に一粒の食べ物を与える――ここでは、ここの食べ物を口にしないと消える運命なのだ、と。ハクと名乗った少年は、千尋に生き延び両親を救う唯一の手立てとして、釜爺を介して湯屋の主・湯婆婆(ゆばーば)に会い、ここで雇って貰うよう指示する。

湯屋とは日本全国に存在する八百万の神が憩うための湯治場であり、本来人間の立ち入っていい場所ではなかった。案の定、巨大な頭を持つ湯婆婆は難色を示すが、粘り強く頼み続けた千尋に最後は折れて雇用を約束する。代わりに、千尋は千尋という名前を奪われて、「千」という小間使いにされた。――そうして、千尋の生き延びるための戦いが始まる。
http://www7a.biglobe.ne.jp/~tuckf/cinema/Chihiro.html


『湯屋は娼館である。 まあ、アメリカ人でも見ればわかるのだ。だって湯婆々の服装は19世紀欧米の娼館の女主人(マダム)そのものだから。

少女が娼婦に身を落として、自分や親の罪を贖うという物語は実は世界中のあちこちにある。お姫様や絶世の美女が苦界に落ち、我が身を男たちに与えていくが、本当の優しさにめぐり合った時、天女になって天に召されるという草紙だ。

千と千尋の客が神様(全員男)なのは、古来、神に仕えるものと娼婦は同一視されていたからだ。神社や神殿の巫女はバイシュンもしていた。最も聖なる者と最も下賎なる者は同じと考えられていた。日本に限らず、世界中で神に仕える女性は同時に娼婦でもあった。

神に身を捧げることと、誰にも分け隔てなく我が身を与えることは、同じことだからだ。

タルコフスキーの『サクリファイス』で象徴的に描写されているように、キリスト教以前の社会では、巫女との性行為を通じて人は神と対話した。

また、中世のキリスト教教会は娼館として機能していたこともあった。
民俗社会においては、巫女は、神の妻であり、人間にとっては処女であり(誰の妻でもなく)、、同時に娼婦でもある(誰の妻でもある)。

だから湯女たちは巫女の衣装を着ている。
性職者は聖職者だった。古今東西。
http://blog.livedoor.jp/deal_with0603/archives/51331139.html

千と千尋の湯屋をただのお風呂屋さんだと思ってる方が
いらっしゃったら大きな間違え犯してらしゃいますので認識を改めて下さいね
宮崎監督御本人が日本版『プレミア』の2001年6月21日号の『千と千尋』インタビューで

「今の世界として描くには何がいちばんふさわしいかと言えばそれは風俗産業だと思うんですよ

日本はすべて風俗産業みたいな社会になってるじゃないですか」


と答えているそうです。 『千と千尋』は、現代の少女をとりまく現実をアニメで象徴させようとしたので性風俗産業の話になったらしいです。

風俗産業で働く少女を主人公にするというアイデアを出したのは鈴木敏夫プロデューサーで

「人とちゃんと挨拶ができないような女の子がキャバクラで働くことで
心を開く訓練になることがあるそうですよ」

というようなことを宮崎監督に話したら「それだ!」とアニメの発想がひらめいたそうだ。
http://ameblo.jp/beautiful-japan/entry-10428654289.html


欄干に足を出している千尋の動きや、腹掛けのようなものを着て背中を出しているシーンに「エロティシズム」を感じる。また湯婆婆がカオナシのいる座敷に千尋を差し出すシーンは、遊女が初めて客を取らされるような「エロ」を感じる。

 「宮崎が想定しているのは戦前の日本、帝国としての日本であり、油屋という湯屋は巨大な遊郭を思わせる。そこに訪れる客はいずれも男である。湯婆婆と契約して『千』という源氏名を与えられる千尋は身売りをした芸者見習いのようであり、実際千尋がオシラサマと一緒にエレベーターに乗る場面はかなり際どいエロティシズムが感じられる」
http://www1.odn.ne.jp/kamiya-ta/sento.html


千尋は不思議な世界に迷い込みます。

親と引き離され、あやしい美少年の導きで、ソープへ沈められ湯屋の仕事を紹介されます。

やり手ババァユバーバによって、名前を奪われ、源氏名働きやすい名前を付けられてしまう。

タコ部屋に軟禁住み込みで働くことになります。

お客様は神様です。どんなに不潔で、臭くても、洗ってあげなければなりません(涙

くされ神さまのふところ深く、千はかわいい手を突っ込み、十五センチくらいの硬い棒状のものを探り当て、握りしめ…抜きます(射

神様は、昇天し、どこかへイッちゃいます。
一方、千は、臭い液でドロドロに。。
http://blog.livedoor.jp/deal_with0603/archives/51331139.html

『千と千尋の神隠し』-その1-

この映画は説明の必要もないと思いますけど、宮崎駿の最新作であの『タイタニック』を抜き興行成績日本一、そして三大映画祭の1つベルリン映画祭で金熊賞を受賞するという怪物みたいな映画です。

本題の『千と~』に入る前に、ちょっと宮崎駿の近作からおさらいしておきましょう。

   漫画版『風の谷のナウシカ』と『もののけ姫』

前作の『もののけ姫』には僕は全く不満だった。かなり肩透かしをくらった
感じがした。それには漫画版『風の谷のナウシカ』の印象が強かったことが
あげられると思うんです。漫画版『風の谷のナウシカ』は誰もが認めるとおり
傑作でした。思想的にも深かった、その後小難しい解説本がいっぱい
出ちゃうほど難解だったけど、素晴らしかった。

色々難しい説明はあれど、やはりあの作品の最大の魅力は、ナウシカの決意にあると思います。それも追い詰められたギリギリのところでの雄々しい決意のカタルシス。約束された美しい未来よりも、業苦の現在を、そして自己のうちに欺瞞を背負いながら生きていこうとする決意。決して明るいものではなく、微妙に支離滅裂で、或いは問題の先送りであるかも知れないけれど、その決意する瞬間そのものが
読み手に激しい高揚感と力をもたらしてくれる。

漫画版『風の谷のナウシカ』はそんな作品だった。


で、『もののけ姫』はどうだったかというと、提示されている問題は漫画版
『ナウシカ』同様深く入り混じったものであったとしても、主人公たちの問題
に対しての掘り下げがどうも漫画版『ナウシカ』程深くされていない。

自然界と人間界は分かり合えない、そして自然界同士、人間界同士ですら
分かり合えない。それぞれに立場があり、それぞれが懸命に生きています。
アシタカと「もののけ姫」サンはその間におかれた者なんですね。

だけど、ラストでの、

「アシタカは好きだ。でも人間は許すことが出来ない」

「それでもいい。サンは森で、私はタタラ場でくらそう。共に生きよう。
会いに行くよ」

という二人の対話は、なるようにしかならなかったとでも言うような印象を
受けてしまいます。物語も二人の決意による選択ではなく、ただもう必然に
よって流されていった感じですよね。それだからラストの二人の台詞も
白々しい。(ただ、実際の戦争というものはそういうものなのかもしれない
けど)

宮崎駿は『もののけ姫』が最後の作品になるだろうと言ってましたよね。
『もののけ姫』を見た後で、確かにこれ以上は無理かと思ってしまいました。
だってもう、理屈がどん詰まりだもん。


で、『千と千尋の神隠し』が公開される。タイトルも何か地味じゃんね。
期待してなかったんです。

それがよかったのかもしれないな。そうしたらやたら素朴に胸にしみる映画だった。宮崎駿自身も肩の力を抜いて作ったのかもしれない。そしていちいちワクワクドキドキさせる演出の魅力!

理屈ぬきで楽しませることに徹した映画だった。しかし、『もののけ姫』で
シリアスなテーマを扱ったものが限界になったので、次は子供向きのものに
しておいた、というような妥協的な産物ではないです。『もののけ姫』と同じ
くらい宮崎駿がこの映画に全精力を注いでいるということは見ればすぐに
分かる。

漫画版『ナウシカ』や『もののけ姫』を作ったことにより宮崎駿が
得た技術なり成熟を、土俵をかえて遺憾なく発揮した作品、それがこの
『千と千尋の神隠し』なのではないでしょうか。

この還暦過ぎのおじいちゃんは、10歳の千尋が可愛くてしょうがないんで
しょうね。その過剰な愛情が画面いっぱいにヒシヒシ伝わるから、

見ているこっちも手に汗握って千尋を応援してしまう。千尋が、一粒一粒がおっき
すぎる涙をボロボロと零しながらこれまたおっきすぎるオニギリを両手に
持ってばくばく食べるシーンなんかを見るとこっちも千尋が可愛くてしょう
がなくなってしまう(やばいかな)

物語は千尋の一家が引越しをするところから始まります。この引越しから
始まるという展開は『となりのトトロ』と同じ。ただ違うのは、『トトロ』の
サツキとメイは冒頭でまずいんじゃないかってくらいのハイテンションで
はしゃぎ回るけれど、千尋のほうはちょっと落ち込み気味で倦怠感を漂わせ
ている。現代っ子(この言葉ももう古臭いけど)ってわけなのでしょう。

そんな一行は、引越しの途中で道に迷い、古びたテーマパークのような場所
に行き着く。両親の後におどおどとついていく千尋の表情が実に繊細に描かれ
ています。そこで無人の屋台にあった食べ物を勝手に食べてしまった千尋の
両親は何と豚にされてしまいます。宮崎駿って豚好きだよねぇ。そこから両親
を取り戻すための千尋の冒険が始まります。謎の美少年ハクや蜘蛛みたいに
手がいっぱいある釜爺などに助けられながら、不思議な町の中心にある湯屋
「油屋」を支配する湯婆婆のもとで働き始めるんです。

この怪しいもののけたちの世界が実は現実の社会を照らしているというのは、
すぐに分かりますよね。いかにもとろい現代っ子の千尋が先輩のリンや
湯婆婆たちに怒られながら働く姿に、僕はダメ新入会社員だったころの自分を
思い出しましたよ。そういう人は多かったんじゃないのかな。

「油屋」で働く人たちは千尋に厳しいし、金の亡者である。しかしそれでも
優しいんですね。「油屋」の世界には様々な、破ってはならない「決まり」
がある。湯婆婆でさえもそれに従わなければならない。この「決まり」は
現実社会の常識のようなものなのではないだろうか。部長も課長も係長も
主任もみんな社会の常識に縛られて生きている。その常識に反する新参者を
叱りつける。そしてやっぱり自分が大事だしお金も儲けたい。でも、千尋の
ように率直に真剣にそれに向き合えば、みんな暖かく見守ってくれる。

幸いなことに僕の入った会社はそうだったのですが、しかしこうした厳しい
けど優しい社会は失われていっているのかもしれません。しっかり地に足を
ついた大人がいなくなってる。それは千尋の両親たちが態度がでかくなった
だけでちっとも大人になっていないということにも示されています。だって
勝手に人の料理を食べちゃうんですからね。
http://www.geocities.jp/pkfgd816/sen1.HTM


宮崎駿『千と千尋の神隠し』その2

映画館に二回観に行ったのですが、二回共大泣きしてしまいました(笑)。

 しかし、何にそう感動させられたのか、と言われると非常に答え難い。僕自身
は、〈「千尋」と「ハク」の淡い恋心〉の描かれ方に感動したのだとは思うのです
が、「千尋」と「ハク」という「人物の関係」だけを抽出しても同じものは得ら
れない。

ということは、世界観と多様な人物配置によって緻密に築かれた「物語」
自体に心を動かされた、ということになる。そこで僕の方では、〈「千尋」と「ハ
ク」の関係〉をその中心に置いて、『千と千尋の神隠し』という「物語」につい
て話してみたいと思います。


 まず始めにしておかなければならないことは、宮崎駿の諸作品(『千と千尋の神隠し』以前)についての検討ですが、『もののけ姫』は、その前に月刊『アニメージュ』誌上での約12年という長期連載を終え単行本化された大傑作である漫画版
『風の谷のナウシカ』と比べて惨憺たるものだったと思います。

『もののけ姫』で宮崎が何を訴えたかったのか、はよく判るのですが、それはあくまで登場人物達の生の(生きている)台詞としてではなく、意図的に無理矢理に言わされている、という感じでしか我々に伝わってこなかった。

 思うに、ただ何かを訴えたいだけならば、学者・研究者・思想家・批評家等に
任せておけばいい。しかし彼らと違い、芸術家(ここでは映画監督・漫画家)が
訴えることの方がより多くの人の心を打つのは、「物語」の中に観客(読者)を
引きずり込み、「言葉」では表せないものを「感じ」させられるからこそ、なの
ではないでしょうか。

流れとしてだけの物語を敷いて、登場人物達に訴えたいことを言わせても、男同士の pas de deux よろしく噛み合うものではない。要するに、のめり込んでしまうような流れの物語と、登場人物達の生きている鼓動が噛み合った、我々を心から感動させ・納得させ・考えさせられるような、何かを「感じ」させられるような、そんな「物語」、が『もののけ姫』においては創られていない、ということです。                 

 さて話を戻して、本編である『千と千尋の神隠し』の「物語」について、最初
はマクロ的な視点から話していきたいと思います。そのためには、まずこの作品
のメイン・テーマとなるポイントを三つ程出し、それを解体しながら進めていき
ましょう。
                 ・
 一つ目は「名前(言葉)」です。この物語を通しての統一的なテーマで、宮崎
自身がそこら中のインタビューで答えていることでもあります。しかし、皆が言
うように、「千尋」が「千」と名前を変えられてしまい、自分の名前を忘れた人々
が、生きるため(または欲望のため)だけに働き続ける世界に、「固有名の喪失」
から現代社会に対する暗喩、を求めても構わないのですが、僕にはむしろ「名前
(言葉)」の無深慮な使われ方に対するアンチ・テーゼとしての世界、と見えま
した。「固有名」=「自分」という概念に対する攻撃かな、と。

「固有名」というものは、その人が他者と異なる存在である時に始めて必要となるものであって、その人が他者と大差がないならば付ける必要などない、ということです。「自分(アイデンティティー)」というものを掴めている、独立した一個人、となった時に初めて自分で自分に対して「固有名」を付けられる(名乗れる)のではないでしょうか。

だからこそこの物語では、「千尋」という「名前(固有名)」は元々
親が付けたもので自覚はない、そして彼女には自分の「千尋」という名前の裏に
ある「自分」を掴めていない。それゆえ彼女は他の10歳の女の子と大差ないた
めに「名前」を失い、独立した一個人としての「自分」を掴んだ時にやっとそれ
は自分のところに戻ってくる、言い換えれば自分で自分に対して「千尋」という
「名前(固有名)」をもう一度付けた、と。要するに宮崎としては、「名前(言葉)」の裏にある重み、をきちんと感じて使っているのか、ということですね。
                 
 二つ目は「目的意志」です。これは前述の「名前(言葉)」と関連したもので、
「自分(アイデンティティー)」を掴むために必ず欠かせないものです。独立し
た一個人、となるためには「自分」が他者と異なる存在でなければなりません。
それは外見や表層的な思想などではなく、内面や根本的な思想の部分です。

千が「千尋」という「名前」=「自分」を掴むために戦い(頑張り)、それを成し遂げられたのには、ハクを救いたい・両親を救いたい・自分は自分(千尋)であり
たい、という強い「目的意志」がその結果へ導いたのではないでしょうか。

そしてその千尋と対照的な存在として現れるのが「カオナシ」でしょう。カオナシは自分が何をしたいのかを全く失っている、要するに「目的意志」の欠如した存在
です。

物語において「カオナシ」という存在は、「目的意志」を持った人間達の
「シャドウ」(註)という役割を持っているのではないでしょうか。

それゆえ皆はカオナシを嫌悪し、否定する(なぜなら、見たくない自分がそこに表われているため)。ここに、誰の心の中にも「カオナシ」がいる、という言葉の意味も判ってきますね。

しかしカオナシを否定せずに、少し前の自分、と正直に考え、その全てを受け入れられるようになったからこそ、千は、それゆえに「千尋」に、要するに「名前」を取り戻せたのです。

(註) ユング心理学の用語で、六つの「元型」の一つ。その人間の「影」に
    あたる人格であり、その自己(他者)否定・自己(他者)嫌悪といった
    否定的な側面の象徴。この「影」の存在を自覚し受容していくことが、
    人格の統合が成される上で非常に重要とされている。

 三つ目は、「純粋性」です。これは千尋と彼女の両親を比較してみると良く判
ります。

千尋は、恐い時には怯え、哀しい時には泣き、危ないと感じたら動かな
い。

これを「コドモ」という一語で片付けてしまうのが彼女の両親だろう。確か
に千尋が「コドモ」のままであったならば、「千」のままであったわけで、その
点では「コドモ」を卒業することは「自分」を掴むのと同義といえます。
しかし彼女の両親がなっているものは「大人」ではなく「純粋さ」を失った存在です。

「大人」とは、「自分」を掴んでいる存在なのであって、年齢でなるものではあ
りません。見たもの・聞いたもの・感じたものを、そっくりそのままに吸収する、
それが「コドモ」であり、その「コドモ」が持っているものこそ、「純粋さ」な
のではないでしょうか。

千尋は「純粋さ」を持っていたからこそ、危険を察知して豚にならなかったし、哀しい時には大粒の涙を零せる(感情を正直に出せる)ので自分の名前も忘れなかったのです。「コドモ」と「純粋性」はイコールではありますが、

「自分(名前)」を掴み「コドモ」を卒業して「大人」になった人は、同時に「純粋性」も持ち得ているのです。

最後のシーン、冒険を終えた千尋と、豚にされていただけの彼女の両親を見比べれば、それがよく判ると思います。
                 
 これら三つから判ることこそ、宮崎がよく言っている、「生きる」ということ
への思想ではないでしょうか。「生きる」とは、ただ生存する、のとは違います。
「自分」を掴み・「目的」を持ち・喜怒哀楽を正直に出し・「意志」の下に強く生
き抜くこと、それこそが、「生きる」という「言葉(名前)」の本当の意味だ、と。


 では、上記を踏まえた上で、僕にとっての主題である、「物語」の中に見える
〈「千尋」と「ハク」の関係〉について話していきましょう。
                 
 千尋とハクの間にあるのは、遠い日の思い出です。

「幼い千尋」と埋め立てられる前の「コハク川(琥珀川)」、二人の関係は互いに遊び合った仲です(「幼い千尋」はコハク川で遊び、それは同時に、川の神様である「ハク」にとっても彼女と楽しく遊んでいる、ということになる)。

だから「幼い千尋」が溺れそうになった時、「トモダチ」として「ハク」が彼女を救うのは当然ですよね。

 しかしここで重要となるのは、そのことを千尋が忘れている、ということです。
反対にハクは、「幼い千尋」との関係は憶えているが自分の「名前」を忘れてし
まっている。過去は忘れたが現在を忘れていない千尋と、過去は忘れていないが
現在を忘れているハク、二人が正反対にいながらも互いに通じ合えたのには、他
の人と違い、そのどちらか一方を忘れていないからなのでしょう。
 ここで、銭婆が言う、

  「一度あったことは忘れないものさ」

という言葉の重要性が出てきます。自分にとって本当に大切な事は、普段は思い
出す事がなくても、それを本当に大切だ、と心の底で思い続けているならば必ず
思い出せる、と。だからこそハクは「名前」を取られていても、他の人達とは違
う、なぜなら記憶があるからこそ、彼は「自分」を芯からは見失わなかったので
すし、また千尋も「コハク川」を思い出せたのです。

 そして、物語は進み、千尋はハクに淡い、非常に淡い「恋心」を抱きます。そ
れは、その渦中にいる千尋自身、自覚ができているのかさえも判らないくらいに
淡いものです。千尋にとって、「生きる」こととハクへの「恋心」はイコールの
関係で結ばれています。それも、非常に純粋無垢なカタチで。だから彼女は「恋
心」というものだけを独立して自分の中から引き出す事は出来得ない。これこそ
が、千尋にとっての「初恋」として宮崎は描いているのではないでしょうか。

「初恋」だからこそ、それはいずれ大きくなるにつれ、記憶の底の方へ流れ、「コハク川」を忘れていたように、その思い出も忘れてしまうだろう。

最後のシーン、千尋の髪の、銭婆がくれた髪止めが映る時、我々の胸に去来する切なさは、どんな大切な思い出も時の流れの中でやがて忘れてしまうものだ、という哀しく寂しい事実、を垣間見せられるからなのではないでしょうか。

 しかし同時に希望も湧いてくる。千尋にとってそれは本当に、本当に大切な思
い出だからこそ、「コハク川」をそして「ハク」を、忘れない、思い出せるので
す、「自分」を掴んでいるから。前述の銭婆の言葉の意味は、たとえ忘れていて
もいつでも思い出せる、ということです。それは、「生きる」と結び付けるなら
ば、「いつも何度でも」立ち上がれる・頑張れる、ということなのではないでし
ょうか。

 〈「千尋」と「ハク」の関係〉の中に、「物語」としての、この「切なさ」と
「希望」が巧みに折り込まれているからこそ、我々(特に僕)は感動の渦の中へ
引き込まれてしまうのでしょう。


僕はどうも「世界観」よりも「登場人物」でこの作品は観てしまいましたね。それぐらい、今迄の宮崎作品と比べて、際立ってキャラクターが立っていた気がします。それは、普通の女の子「千尋」だからこそ、なのかもしれませんね。
http://www.geocities.jp/pkfgd816/sen2.html


☆ 宮崎駿『千と千尋の神隠し』その3

この映画は本当に細かいところにやたらとこだわっています。何度見ても退屈しないくらい、というか一回では味わいきれないくらい多彩な世界が広がっています。
例えば銭婆の家から迎えに来たランタンに足の生えた生き物。玄関のところにくるとクルクルっと門にぶら下がってしまうという発想がまた楽しいけど、ハクと千
が銭婆のもとを去るときちゃんと門にぶら下がったままこのランタンは手を
振ってるんだよね。この細かい演出!「油屋」に訪れる神々たちの不気味だけ
ど次第に可愛く見えてくる楽しさも特筆すべき。相撲取りのお化けみたいな、
最初に千をエレベーターで救ってくれたちょっと怖そうな神様も、後半では
ノリノリで陽気に踊っていたりして笑わせてくれます。

そう、細部を楽しむ、ということもこの映画のメッセージだと思いました。

千尋を取り巻く、一見恐ろしい、そして下世話な世界も、よく見るとこんなに
面白い、そして美しい世界である。それを千尋の目を通してだけではなく、
見ている僕たちの目でも実感してしまいます。

「油屋」が現実社会を映しているのなら、下世話なこの現実社会もまた美しいのではないか。この世の中の僕らを取り巻く様々な事象のその多くが見過ごしてしまっているが、実は非常に多彩な魅力を放っている。もっと子供のような、好奇の目で世界を見る、そして世界との一体感を回復する。そこでの世界とは自然も人工物も人間たちもなく、ただ僕らを取り巻く全ての事象であるのでしょう。

そして美しい世界との一体感を取り戻すという決定的な場面が、やはりクラ
イマックス直前の千尋とハクが空を飛びそして落ちていくシーンでしょう。

龍になったハクの上に「日本昔ばなし」みたいにのっかった千尋は空を飛び
ながら、水の中につつまれる自分のイメージを思い出す。

「ハク、聞いて。お母さんから聞いたんで、自分ではおぼえていなかったんだ
けど、わたし小さい時、川に落ちた事があるの。

その川はもうマンションになって埋められちゃったんだって。でもいま思い出したの。その川の名は、その川の名はね、コハクがわ、あなたの本当の名はコハクがわ」

そう千尋に告げられた龍のハクは、ばらばらと体中のうろこを落とし人間の
姿に返る。

そして千尋と共に落下していく。この落下は決して恐ろしいものではなく、むしろほのかな官能のイメージを漂わせる。

「千尋、ありがとう。私の本当の名はニギハヤミコハクヌシだ。

私も思い出した、千尋が私の中に落ちた時の事を。くつを拾おうとしたんだよ」

「そう、コハクがわたしを浅瀬に運んでくれたのね。うれしい・・・」

千尋とハクは向かい合って手をつなぎ落ちていく。この映画の中でもっとも
感動的な至福のシーンです。

 ここでのハクと千尋の一体感、つまり人と川の一体感は、『もののけ姫』で
語られたような、自然と人間の複雑な関係ではなくもっと素朴な関係です。

たとえば『となりのトトロ』におけるメイちゃんが一人で自然と戯れている
ときのような自然、自分を取り囲むものとの一体感。川に落ちた千尋を浅瀬
に優しく運んでくれる自然。それに対しての千尋の言葉は「うれしい」。
ね、いい話でしょ。

 という感じで、僕は千尋とハクの関係を、恋愛関係というより、官能的な
周囲と千尋との一体感という見方で捉えました。

何故恋愛関係と見なかったかというと、やっぱりハクの印象の薄さだと思います。二人の恋愛と見るにしてはちっとも対等には思えない。それこそアニメに出てくる美少年って感じで。あんまりヤツは好きじゃないんだよね、無表情だし、千尋のこと「そなた」って呼ぶのも微妙だし、面白みのないやつだなって(ヤキモチか!?)

だからハクが川でよかったって感じでした。川ならしょうがないや、みたいな。

これ、全くの想像ですけどひょっとして宮崎監督もそうだったんじゃないで
しょうか? 完全に個性のある男を千尋の恋人として登場させることに躊躇し
て、「淡い恋愛」、というより僕はむしろ「ほのかな官能」という言葉のほう
がぴったりくるんだけど、そのほのかな官能のエッセンスだけ千尋に味わわせ
て、リアルな男との交渉は許しません!って感じで。

       カオナシ、もう一人の主人公

 さてさて、この映画のもう一方の主人公とも言えるカオナシの話です。
彼は真っ白い面をつけて体は真っ黒で、ボーっと立っているやつだったんです
が、千尋に優しく接してもらったために、千尋のストーカーみたいになっちゃ
うという変な神様(?)です。ものすごく悲しい声でなくんですね。鳥が死ぬ
間際に出しそうな声で。

カオナシは自分に優しくしてくれた千尋を喜ばせようと薬湯の札や金を千尋に
差し出すんですね。でも千尋の欲しいものはそんなものではないから断られて
しまう。千尋の望みは、傷ついたハクを救うことだったり、豚にされた両親を
救い出すことなわけです。

それもよく考えてみると、自分の大好きな人たちとともに過ごす幸福な時間ということなのでしょう。一方でカオナシは物によるコミュニケーションしか知らない。自分という人間そのものを出すことが出来ない。彼の持っているものは全て複製なのです。言葉は青蛙から取り込んだものだし、札や金も「油屋」でみかけて複製したものです。名前のとおり自分の「顔」が彼にはないんです。

しかし、そんなカオナシが千尋に求めるものは、決して物によりかえることが出来るようなことではないはず。千尋という人間を求めているのです。実際「千欲しい、千欲しい」と悲しい声で囁きます。

ただ、それでは千尋の何が欲しいのか。そこまではカオナシには分かっていな
いません。分からないが千尋に対しての欲望だけは膨らんでいく。そう、カオ
ナシに複製ではなく自前のものがあるとすれば、淋しさと欲望の二つなので
しょう。

その欲望が拒絶されて反転し、カオナシは千尋に襲いかかります。
その途中途中で飲み込んだ「油屋」の従業員を吐き出して小さくなり、最後
にはもとの大人しいカオナシに戻ります。悲しみと欲望を主張する手段として
の凶暴性さえ、彼には自前のものではなかったんですね。

僕はカオナシを「目的意志」を持つことの意味も分からない、深い虚無の存在だと思います。宮崎駿の「生きろ」というメッセージは『もののけ姫』を見れば分かるとおり根拠がないんですね。そして誰かれ構わず、生まれやイデオロギーにかかわらず「生きろ」なんだと思います。こうこうこういう理由で生きろなんて言ってくれないんです。それに対して、「何で」って内部から問いかけるような存在がこのカオナシなんじゃないでしょうか?
 
だから相当やばいやつなんですよ。

最終的に千尋はカオナシを最後は銭婆のところに置いていってしまいます。
よく考えると、カオナシの抱える淋しさや欲望はちっとも解決されていないん
ですね、ただ複製するものを失ったから大人しくなっただけで。カオナシの問
題はそのまま何の解決もされずにこの映画は終わるんです。

解決しようがないのかもしれないし、安易に解決することを拒んだのかもしれない、どちらにしろ千尋の手におえる存在ではないんですね。千尋はナウシカみたいに博愛の人ではないですから。豚のお父ちゃんお母ちゃんを救い出すことが先決だし。

        一度あったことは忘れない

それでもってやっぱり出てくるのが、銭婆の言葉。
この言葉はラストシーンの千尋が異世界のことを覚えているのかどうかという
問いだけではなく、映画全体にかかわってくる大事な言葉な気がします。
銭婆はこう言います。

「一度会ったことは忘れないものさ、思い出せないだけで」

小さい頃ハクに助けられたことも千尋は、思い出せなかっただけで忘れてはい
なかった。

人間は生まれてから死ぬまで様々な体験をする。しかしその殆どを
忘れてしまう。今の生活のことしか考えられなくなっている。

それではかつて体験したはずの貴重な体験はどこへ行ってしまったのだろうか。そんな切ない疑問に対して、この映画は優しく声援を送ってくれる。そしてもし思い出せなかったとしても、恐らく過去の体験は僕たちの生活を影で支える力となってくれているのだろう。恐らく、異世界での経験が今後の千尋の人生を幸のあるも
のにしてくれるだろうことと、同じようにね。
http://www.geocities.jp/pkfgd816/sen3.html
2:777 :

2022/09/30 (Fri) 06:03:42

女の子を持つ親からみた『千と千尋の神隠し』
 
 昨日日テレでやっていた『千と千尋の神隠し』を久々に観た。そして今更ながらに知ったことがあった。この物語の中で、千尋は初潮を迎えるらしい。です。
それは、ジブリプロデューサーの鈴木敏夫さんが糸井重里さんとの対談でそのようなお話をされていたそうで。。
「えー!」と思って良くみたわたし。ありました。そんな描写のシーンが。


両親を豚に変えられ、湯屋で働く仕事を湯場婆に与えられ、りんに着替えを用意してもらっている千尋。

そのとき、気分が悪くなり、お腹を押さえてうずくまる。

そして夜が明けてハクが声をかけるまえ、千尋はひとりで早朝に目が覚めて(寝られなかったのか)ぶるぶる震えていた。

そのあとは、あんなに怖がっていた階段も、ものともせずに淡々と歩く。きっと、自分の中でもっと大きなことが起こったからそれどころじゃなくなってるんだろう。


ここかー・・こんなの最初に観たときに気づく人って。ジブリアニメの女の子は、そういえば『魔女の宅急便』の「キキ」以外、ナウシカもシータもサンも皆初潮後の女子なのね。

「キキ」は意外と不安定な女の子。以前知人男子が、『魔女の宅急便』が好きじゃないという理由で、トンボが心配して訪ねてきたシーンで、キキが自分の気分でテンション低くトンボの好意を無下にするシーンがあるんです。それが「イヤな奴」に見えるみたいで。なるほど。と思ったわたし。女の子ってこんなものだよね。10歳そこらで、自分の複雑な部分を知ってしまうこと。その事件たら、同年齢の男の子にはわからないものかも。

うーん、物語の中で初潮になるなんて。両親が醜悪な豚になるとかって、そういった時期の嫌悪感を出してるのだとしたら巧い。

でね、わたしが面白かったのは、自分のこの物語の感想が、不思議と変わっていたのでした。

以前、23,4の頃にみたときは、「うわー、おもろいなー。」って純粋に面白がってたんだけど、だがしかし。昨日は。

「きもい。生理的にきもい。」だったのだ。

小さい千尋が、汚される描写が多いように感じる。小さい千尋は無垢すぎて餌食にされてるようなひやひや感がある。

例えば

●湯場婆の部屋に向かうエレベーターの中で一緒になる大根みたいな神様。ボンヨボンヨしてて、千尋を押しつぶす(結果隠す)のだけど、満員電車にいる怪しいお方みたい。

●湯屋で働く千尋のところに汚い神様が来て、その汚物まみれに千尋が裸足で歩いていくところ。

●一番はカオナシ。千尋のいくところに幾度となくヌボーン・・ヌボーンと現れるカオナシ、あれは、痴漢だ!痴漢をみたときと同じ嫌悪感があると感じた。千尋に執着してどんどん肥大化するところなんて、あちゃー。である。

前はこんなこと思わなかったのに、まず、千尋がちょっと娘にみえたりする自分がいた。ほっぺがぽよーんとしてて、まだ世界の汚いものを知らなくて、千尋のへにょへにょした、生き物として弱い、壊れそうな感じ。

 その小さい女の子が、親と離れて湯屋の世界であらゆる事象にまみれていく感じ。リアル。

豚になった両親が、鼻をはたかれるシーンとか、ドキっとする描写が多く、なるほど、全編を通して人の生理的感覚をうまく逆なでするのがうまいんだろう。惹き付けるのがうまいのかしら。世界的大ヒットだものね。

子どもを産んで神経過敏になったのだろうか、この自分の感想の変化は本当に面白かった。だからといって作品を「不潔!」「全面拒否!」とは決して思わないのだけど。ああ、こういう風に描いてたんかー、って新たに納得しました。

あの世界に、悪と正義が二分して描かれていないことが心地よかったのはこういうことだったんだあ。

千尋は湯女として描かれている。

江戸時代に市井の湯屋で客の世話をする女、湯女、その記録を描いた図を探したらすぐに見つかった。湯場婆がいる湯屋と全くおなじね!面白い。


もともと、鈴木敏夫プロデューサーが、「挨拶もろくにできない女の子がキャバクラで働いて成長するということがあるらしいよ。」という話から、宮崎監督が「それだ!」となり作った作品らしいです。

なるほど、2001年に封切りされ劇場鑑賞したとき、物語の最後に千尋が大きな声で

「お世話になりました!」

といって走り去るシーンを観て、納得したわたし。こんな伏線がはられていたとは。

以上女の子を持つ親になった身の、わたしの変化なのでした。

でも、だからといって、娘を純粋培養の温室で、ずっと育てていくわけにもいかない。娘には強くなってもらって、これからたくさん汚い手が伸びてくることがあっても、キリっとはねかえしていつか大人の女になり、強く生きていってもらわないと、困る。わたしがそうだったように。

http://mamma-man.jugem.jp/?eid=120
3:777 :

2022/09/30 (Fri) 06:04:24

宮崎駿『千と千尋の神隠し』について (立教講義草稿:01/10/15)
東アジアの民俗的記憶へと導く「混沌の力」

 僕は宮崎駿にたいしては、今度の『千と千尋の神隠し』のほかは、『風の谷のナウシカ』と『天空の城ラピュタ』しか買っていません。前回お話した鼎談記事[※01年夏に刊行された「ユリイカ」増刊の『千と千尋の神隠し』特集所収――出席は小黒祐一郎さん、切通理作君、それに僕の面子]では、『千と千尋』に連関するものとして、『となりのトトロ』の言及がありました(僕の発言は、紙面圧縮の要請からか消されていますけど)。これも一般的にはすごく成功作とみなされている作品ですが、僕はあまり好きではありません。たしかに、この作品は『千と千尋』同様に、一家が引越し先にたどりつく直前から作品がはじまる。それからヒロインを一連の怪異現象が包みこむ。また、ヒロインそのものにも共通点がある。つまり、年齢的にも、顔の造作・表情変化という点でも、「千尋」は、『トトロ』のふたりのヒロイン、「さつき」と「メイ」を足し算して2で割った結果として登場しているのではないか。もちろん「ススワタリ」という、ミニマルな妖怪も両作に登場してくる(これは、とうぜん『もののけ姫』の「コダマ」につうじる――神秘的「気配」が、最小単位の、しかも「消えやすい」ものの集合として、ともに描かれているからです――ただし、そのなかでは『千と千尋』の「ススワタリ」が最も擬人化され、しかも『トトロ』のそれとちがって、脚をもっているんですが)。

 けれども、『トトロ』の霊々(かみがみ)たちは本質的に「無気味」ではない――大中小のトトロにしてもネコバス(これは宮澤賢治的キャラクターの融和ととれる)にしてもススワタリにしても。それぞれが「無言」の威厳を湛えてはいるけれども、人間を害すかもしれないという危機意識をあたえない。それに僕は無言よりもヘンな言葉を喋る怪物のほうが、怪物としてはより本質的だとおもいます(『千と千尋』にそういうルイス・キャロル的言語が混入していれば完璧だったんですが)。それと、『トトロ』での怪物はいまいった3種にすぎない。いっぽう『千と千尋』の霊々の「数」は可能なかぎり、多数化・多種化していて、それがまた「無気味さ」の根拠にもなるんですね。これらのことが『トトロ』と『千と千尋』との、まず大きなちがいです。

 それと、『千と千尋』の霊々たちは、宮崎駿自身というよりも、日本人の民俗的/民族的記憶台帳から完全に生じている。しかも、そのなかに差異創造的な「ズラシ」があってそれが美的なんです。いっぽう本質的に「怪物」との出会い方にはルイス・キャロル『ふしぎな国のアリス』への依存がある(樹のうろに落下するときの運動性がモロだ)『トトロ』では、もっとアニメならではの「キャラクー輪郭」が明瞭になっているんですね。とくにトトロは西洋的です。さきの鼎談で小黒祐一郎さんは、《『トトロ』という作品の恐ろしいところは、自分はそういう体験をしたことがないにもかかわらず、子どもの頃あたかもそういうことをしたかのような記憶をもってしまうところなんですね》と発言なさっているけど、この発言(それは正しい発言です)に注意してください。そこでは、具体的な怪物との出会いの記憶ではなく、そういう怪物に出会ってしまうような自分自身の童心・純粋さ・未分化の記憶のほうが語られているんですね。

 けれども自分自身の「童心・純粋さ・未分化」――それへの「振り返り」は、かならず具体的ではなく抽象的なレベルで発露するものではないか。言い換えると、メイ、それからさつきをつうじて観客が刺激されたのは、「怪物と出会った」という具体的な記憶ではなく、「過去の自分自身と出会った」という抽象的な記憶のほうなんではないか。産出されたものは、これまた、抽象的な「ノスタルジー」。これ、ひじょうにマズイです。ノスタルジーは処方箋ではなく、人に行動を起こさせないようにする劇薬だから。これに包まれると世界は停滞します。宮崎アニメの作品ごとのフィルモグラフィはノスタルジーの産出をつよめてゆくという点においてこれまでつねに逼塞的だったんですよ。

 『トトロ』のノスタルジーがマズい――その証拠が、あの作品で「さつき」が「お父さん」のためにつくる弁当でした。ピンクの甘い「デンブ」と緑の「うぐいす豆」の甘煮で仕切られたカラフルな弁当。昭和30年前後という、まだ貧しい時代色を背景に、「いかにも」小6の女のコがつくりそうなカラフルな弁当という見立てなんでしょうが、その「いかにも」のなかに抽象性が隠されています(この「いかにも」は嵐の夜、家屋が立てる気味悪い物音に対抗してお風呂ではしゃぐ、父娘の混浴場面でも僕はつよく感じました)。考証としてもどうか。あの「デンブ」と「ウグイス豆」は、総菜屋などで買った「できあい」でしょう ――それがあの田舎でまず売られていたかどうか。それに、あれを「できあい」として見た途端に、作品が訴えようとする不器用な父親への娘の愛情に、「人工性」の色彩が付着する。僕、生年からいって、昭和30年代前半に、貧乏な家の子供が喜びそうな(すなわち作りそうな)弁当がどんなものだったか知っています。むろん、タクワンのみを付録にした「日の丸弁当」じゃない(これならば『巨人の星』)。やっぱりウィンナー(もしくはシャケ)と卵焼き。これが貧乏な家の子の「煮物だけ」の弁当に対抗する、貧乏ながらも「夢の」弁当だったはずです。

 観客が主要キャラクターとともに怪物と出会うのではなく、観客が作品をつうじて自分自身と出会ってしまう――そういう具体性を欠いた抽象体験が組織されるところに『トトロ』の弱点があった。その弱点はむろん、観客動員の点では強みとなる――観客は抽象性が好きですから。でも、『トトロ』が細部の風景・家屋内部の質感・男のコ=「カン太」(これも日本の昔の少年にたいする「抽象的」命名です)の容色に――つまり絵柄の局面に民俗的=民族的な既視感をもっていたとしても、ドラマ発想の根本では抽象性を病んでいる――この点は見逃されるべきではありません。

 トトロがくれた木の実を庭の畑に埋めると、それが爆発的に成長する――アニメならそこで終わっていい。終わるべきだ。ところがそこにさらに「夢オチ」が介在し、「けれども」翌朝見ると、木の芽が地面からわずかに顔を覗かせていた。それでさつき・メイの姉妹は「夢だけど・夢じゃなかった」と踊る。これもまた、政治手法のように「抽象的」な解決にすぎない。その結果、「怪物との出会い」を描くべき作品が、「母の病状悪化を予感した妹メイが」「母にトウモロコシを届けようとして」「迷子になり」「それを姉が探すために」「トトロとネコバスの助けを借りる」という、まったく抽象的な話に転落してしまうわけです。話に「主体」がない。そういう作為的なクライマックスのもっていきかたに「感動」をおぼえてしまった観客は多かったろうけど、僕はあの作品を劇場でみて、まったく白けてしまった記憶があります。

 もともと前回授業でいったように、腐海をつうじ80年代から90年代の精神風土に合致するような、「相殺」を運動化した「循環回路」を、しかも「魅惑」をともなってつくりあげてしまった宮崎のオリジナル劇場アニメは、それ自体、「抽象化」に傾斜してゆくような危機を孕んでいたんです。宮崎アニメに伴う「ノスタルジー」は、僕にとってはぜんぜん美点とならない――それは抽象化を作用させる先兵だから。『ラピュタ』はアクションの具体性が――天空的なものと地底的なものの相殺が――具体的な魅惑に富んでいたんですよ。作品の終わりのほうで登場する天空の島「ラピュタ」もそう。あれには、ルービックキューブ的な現代とギリシャ的な古代とが実に「具体的に」混淆されている。たった一体のロボットを乗せ、天空の島が浮遊するままにどこかへ消えてゆくという、ラピュタを取り巻く最後のシチュエーションの哀しみは、ダグラス・トランブル『サイレント・ランニング』のラストや、萩尾望都『銀の三角』のユニコーンの化身エルグの余生を思わせます(ともに絶対性の「宇宙的孤独」を強調される)。これも経緯が具体的なんです。

 けれども、彼のアニメはその具体性を、『トトロ』を契機に喪失してくる。まず「働く女性の自立」「まこごろの大切」を主題化した『魔女の宅急便』(この作品ではキャラクターに具体性が失われてくる)。次に「やせ我慢と童心に貫かれた男たちのダンディな生きざま」「こんな古き佳き時代(しかしいまは失われた時代)があったこと」を主題化した『紅の豚』(この作品では飛翔場面に魅力がなくなってくる)。それから「青春期の自己規定に伴う悩み」を「歌声喫茶趣味」で装飾した(作画と脚本を担当したかぎりは宮崎駿作品と見なすべき)『耳をすませば』(この作品では現代の風景への実写をアニメにトレースするという実験がおこなわれたはずだが、それ自体、アニメを創造的につくることにたいする錯誤がある)。――そう、みんな具体的ではない。

 そして宮崎というひとは、抽象性に傾斜してゆくと、作風が「恥ずかしくなる」という曰く言いがたい個性をもっているわけ。それは失敗のしかたが意欲的であっても、『もののけ姫』をも貫く欠点だとおもいます。だから、僕が『ナウシカ』『ラピュタ』そして今回の『千と千尋』を限定的に好きだといったのは、具体性を喪失していないと同時に、それらが「恥ずかしくない」作品だったからでもあるんですね。僕は一般に、自分よりも5歳から10歳年下のアニメマニアが、こうした「恥ずかしさ」にたいする感覚をひどく鈍磨させているんじゃないかという危惧もあります。切通君などは、恥ずかしさのレベルではひとに云々させない「英断」がすごく魅力的なんですが。

 鼎談に出て、僕がおぼえた違和感は、たとえば先程僕がくさした『トトロ』を、切通君も、小黒さんも、「表現に迷いがない」という点で一緒に褒めてしまうところなどで感じました。「迷いがないために」「恥ずかしさ」へと転落してしまった『トトロ』に現れている宮崎特有の個性――その病理のほうが僕には問題で、そのとき「表現」などは、僕にとっては二次的になってしまう。とくに宮崎アニメは、TVのトレンディドラマ同様、作品論よりもたぶん受容論(観客論=視聴者論)のほうが先行すべき分野に属しているはずなんです。なのにアニメマニアは、「表現論」に、自分の活路・アイデンティティをみいだそうとする。そういう彼らの「表現」重視は、『千と千尋』のなかでは、前半と後半のトーンがちがうという指摘となって鼎談記事中で現れた――おそらく僕はそうした指摘にも乗れなかったんだろうとおもう。

 たしかに前半は無気味でおどろおどろしい。湯婆婆をはじめ、霊々たちも怖く、たぶん画面経緯には「ショック」の醸成も図られている。ところが、後半になると湯婆婆は孫思いで少々我がままなだけの気のいい婆さんに、怪物的な寸法異常をもっていた赤ん坊の「坊」も、千の肩にのる、小さなムーミン(トーベ・ヤンソン)的形状をもつ「坊ネズミ」に変化してしまう。そのとき、作品は、労働の強制のなかで怪物たちとの出会いを重ねるという作品前半の「物語なき物語」から、空を泳ぐ龍に化身する美少年ハクを千が救済する「着地点をもちやすい」物語へと変貌してゆく――小黒さんや切通君の主張はそういう点にあったとおもうんです。たしかにそのとおりではあります。ところが彼らは表現の段階的「達成」をみて、その生成状態をみていないという誤謬を犯してはいないだろうか。シーンの変遷から作品の有機的連関を捉えるという態度が不完全なのではないだろうか。

 まず、坊-坊ネズミの極大から極小への変化。『ユリイカ』の臨時増刊に掲載された安達まみさんという英文学者の論考では、フランソワ・ラブレーの『ガルガンチュア物語』に同様の巨大な赤児の設定があったと指摘されています。この指摘は本質的です。この作品がラブレー的「無気味さ」(それは、バフチンのラブレー論では転倒と同時に豊饒な産出を結果する)に通底しているという見解を内包しているはずだから。『千と千尋』-ラブレーの連関は、同じ本でどなたかが指摘していた、『千と千尋』-オルフェウス神話(ラスト、オルフェウスは冥界から去るとき「振り返っちゃいけない」と命じられるが、それと同じ科白を千はハクからいわれる)よりもずっと本質的です。僕はラブレーを憶いださず、縮率異常を、ジョナサン・スウィフト『ガリバー旅行記』の巨人国/小人国に結びつけてしまった(『ガリバー』にも登場する「ラピュタ」を、独自なかたちではあれ『天空の城ラピュタ』で導入した宮崎駿がスウィフト好きだという点は明白だとおもいます――その点がスウィフトを修士論文にした四方田犬彦からの痛罵を呼びこむ要因となったかもしれない)。ともあれ、この縮率異常は、宮崎アニメが最も力をもっていたときに駆使された用法だった。とくに腐海の昆虫たちの巨大化がそう。芋虫と三葉虫と百足を合体させたような王蟲があれほど大きかったのも同じ意味合いからでしょう。いっぽうあの作品での極小は、やっぱりナウシカの肩に乗るキツネリスに顕著だったかもしれない。

 宮崎風の事物の縮率異常――そのなかで巨大化はむろん「恐怖化」と結びついています。宮崎アニメでは基本的に大きなものが怖い。そして小さなものは、あのキツネリスのように、もとは怖くはあっても馴化されたものの印になる――しかも小動物を肩に乗せるヒロインに擬制されているのは、孤児性のつよいヒロインが旅先で即成の「家族」をもったということなんです。ところで坊-坊ネズミの巨大→縮小化(親和化)は、とうぜん作品のなかでほかに縮率異常なものがないかと考えることで有機的に捉えられるはずです。まずあの作品で通常の縮尺をはずれてデカいものとしてヒヨコのお化け「オオトリさま」が挙げられる。それから、湯婆婆の顔や眼球。デカさ=恐怖という図式がここで簡単に成立するわけですけど、それは、デカさの方向に縮率異常を起こした作品中の最大のものに「恐怖」をあたえる方便にすぎない。それは何か――「食べ物=料理」です。

 引越しのためのクルマの運転中、道を誤った千尋の一家は道の終点、トンネルに行き着く。明治時代にできた駅舎のように古い建物から出ると、そこは不思議の町。バブル時代のテーマパークの廃墟だろうとタカを括った両親は、そこで「いい匂い」を嗅ぎ、カウンター形式の中華料理店風の店先で、すでにできあがっている料理を食べ始めてしまう。そのときその両親が食べる鳥の唐揚げやスペリリブ、あるいは春巻や魚のオカシラ風のものはすべて、常軌を逸して巨大です。しかも食べ物の柔らかさ、伸縮のようすに、どこか魔的なものが秘められていて、そういう物質感をアニメ表現で実現したとき、宮崎駿はそのトレードマークとなった「飛翔の快楽」の次の次元に行き着いたのだと作品に接しながら確信していました。ともあれ最初のほう、千がハクに連れられて、不思議の町をかけぬけるとき、食料倉庫にある魚もすべて巨大、それから、やがて登場する怪物「カオナシ」が、結果的には贋とわかる砂金の結晶を大盤振舞いしながら飽食を繰り返すとき、「油屋」の仲居たちが運んでくる料理もみな縮率異常的に巨大です。その巨大さがこの作品では「恐怖」と結ばれている――食べ物が恐怖化している ――まずその点に注意をしてください。

 ところで、僕がこの作品を買うのは、その巨大な料理がたとえばフランス料理的ではなく、すべて満漢全席的――つまり中国的だという点です。それは、不思議の町の提供料理を表す飲食店の看板に、「人肉」「蟲」「狗」「唇」という漢字が使われている点と同位です。「人肉食」(「喫人」)は魯迅の「狂人日記」にあるように、中国的伝統に象徴化されるし(それが事実か否かはこのさい問題ではない)、狗にはむろん赤犬(チャウチャウ)を食べる伝統のある中国-朝鮮の色彩がかぶせられている。「蟲」は蚊の目玉、そして「唇」ももしかすると熊の掌を重宝する中国人のように、ある動物の唇だけを食べる伝統が中華料理にはあるのかもしれない。いずれも無気味なイメージを発します。ともあれ、東アジアの漢字圏の国々がもつ、漢字そのものの堅牢な――それゆえに停滞から抜け出させない完璧な象徴化作用がたぶんここで問題になっているんです。

 漢字は完璧であるとともに空無だ――だから停滞を呼び込む。古代中国のつくりあげた形象の堅牢さはいっけん魅力的かつ機能的だが、東アジアはすべてそれに呪縛された――卜占・都の設計・科挙制度・「家」を重んじる父権的儒教思想などに。それらはすべて中国の大河・黄河が運んできた黄色い土のなかから生じてきたもので、色を当てれば黄色になる。その黄色が東アジア的無変化・無時間を象徴する色となる。しかしその無変化の土壌には、変化の因子が撒かれてもいる――それは色でいえば「青」だ。侠を象徴する刺青の青がそれだろう。僕は前期の授業で、谷川雁の最晩年の著作『幻夢の背泳』から、そういう黄-青の弁証法を紹介したことがありました。

 満漢全席が中国的停滞と結びついていたのはたしかだとおもいます。中国では天遣革命思想に乗って、為政者が刻々と変わる。ジュリア・クリステヴァが『中国の女たち』でいうように、その歴史は実体的ではなく陰-陽の抽象的な繰り返しにすぎない。それに無防備に巻き込まれる民衆のレベルでは、「明日をも知れぬ」現状を享楽するために、「今日」ひたすら美食を体験しようとする。それで中華料理は、山海の珍味が集められ、料理法が徹底追求され、食べられないほどの分量の皿が食卓を覆うものになった――だから満漢全席は中国的停滞――革命主体として自分たちを考えないがために招来される停滞の最大象徴なんですよ。停滞は刹那主義の別名。それが『千と千尋』では恐怖化されている。

 それと僕は、さっき魯迅の「狂人日記」を例示しましたけど、あの作品の最後に、中国的伝統――「喫人」にまだ染まっていない存在として「子供」が前後の文脈をとつぜん断ち切って登場してくる。そして唐突に、「せめて子供を救え」という言葉で作品は終わる。子供の救済は、根拠を例示しておこなうのではなく、徹底的に「無根拠」になされなければならない――それが魯迅の考えでした。僕は、その命脈が、この『千と千尋』で受け継がれているとおもいます。だから「名前を失う」というアイデンティティ・クライシスに直面した千尋がこの作品では、実は無根拠に――夢の文脈で、救われるんだとおもいます。そこが圧倒的に正しい。僕が宮崎駿を魯迅の愛読者だとおもうのは、前回講義で述べたとおり、『風の谷のナウシカ』に同じ魯迅の「非攻」の匂いを嗅ぎつけたからです。

 『千と千尋』が魯迅小説の細部を想わせるという点でもうひとつ指摘できることがあるとおもいました。湯婆婆の部屋にいて、賽子のようにゴロゴロ転がる緑色のオヤジの首――3つ併せて「頭(かしら)」と、パンフなどではネーミングされている妖怪です。あれはやがて銭婆によって「坊」に変身させられてしまうんだけど、あの3つの首は、魯迅の短篇「鋳剣」のラスト、煮えたぎる鼎のなかで踊る王様・黒い男・眉間尺の3つの首じゃないでしょうか。

 漢字という話題でもう一、二点。この作品でひじょうに人気のあるキャラクターに「釜爺」がいます。作品の主舞台――千が働くことになる場所は、全体の外観としては、遊郭に似た建物のなかです。しかしこれは遊郭ではなく、「油屋」というお湯屋――温泉だということがわかります(実は四国の道後温泉に油屋とそっくりな、有名な重文建造物があります)。そしてそこに霊々たちが季節的に湯治にやってくる。さっきいった釜爺というのは各湯船にお湯を提供する役目をもったお爺さんで、菅原文太が声優を演じています。釜爺は具体的に何をしているのかというと、彼は地下のボイラー室でお湯を炊く(そのとき彼は「ススワタリ」たちを働かせている)。それから湯治客の霊々に合うように個々の湯船のお湯のために薬草を調合している。その薬湯を個々の湯船に、非常に不思議な方式で提供もする。立場上は薬の神様と鍛治神の合成みたいなんだけど、そこには既存の神様への典拠はないと僕はおもいました。

 顔そのもののキャラクターは、『ラピュタ』のドーラの息子たち、あるいは『紅の豚』の空中海賊と同じです。つまりサングラスを着用した、「愛らしい」髭達磨。けれども、無気味きわまりない。なぜなら、座って作業をしている彼には右左に3本ずつ、腕があるからです。その腕が同時に釜の作業と薬草をとりだす作業を間断なくおこなうから、腕の多数性が極度に強調される。まるで蜘蛛みたいです。当初彼には脚がみえない――脚萎えかともおもう。やがて脚が見える。それで蜘蛛とまったく同じく、脚が8本あると判明するわけです。

 そのとき、実は「塩爺」にちかい、「釜爺」という可愛いネーミングの発見がこのキャラクターの造形にすべてをもたらしたんではないかという直観が働くんじゃないでしょうか。つまり「釜爺」の漢字上部は「父」「父」の連鎖です。その意味で彼は「父の父」――お爺さんでもあるわけですが、その部分を熟視してください。すると「父」「父」計8画の線が俄かに動きはじめる。そこで、両方の腕と脚の計8本の「釜爺」というキャラクターが自然に想像裡に動きはじめますから。つまり「釜爺」というキャラクターの誕生は、漢字の――すごくタイポグラフィックな想像力に負っているのだとわかるはずです。

 ところで「不思議の町」の飲食店の看板以後、漢字は、実はこの作品では論理的整合性を組織しません(看板はあるかなきかで「食材」を示しているという判断となり、それでとくに「め」からは無気味な感触が生じます)。実は、「不思議の国のアリス」的言語迷宮は、この漢字の次元に実現されていたわけです。僕が笑ったのは、「オクサレさま」を玄関から引き入れるとき屏風にみえる「回春」の文字でした。「回春」、わかります? 役に立たなくなったお爺さんのアレが再び現役復帰することです。子供の客があの「回春」の文字をみて、母親か何かに「どういう意味?」と訊いたらどうするんだと咄嗟に考えた自分の道義性そのものが可笑しかった。

 それから湯婆婆のところにゆくため、千尋がエレベータで階を昇ってゆく場面(オシラさまが相客です)。階は「漢数字+階」ではなく「漢数字+天」で表示されます。で、「二天」という表示になる。これ、剣豪宮本武蔵の雅号ですね。なんで剣豪の雅号がここに脈絡なく出てくるんだと僕らのような年齢の観客はおもうはずです。だがそれに理由などない――そうおもったとき、それもまた笑いに転化する。それと、それぞれのお風呂の「○○湯」という漢字3文字のネーミングも実にいいかげんです。

 ということでいえば、湯屋全体が「油屋」というネーミングでした。湯(ゆ)-油(ユ)という音訓の同音だけども、ここには「水と油」という含みが隠されています。それとこの作品全体の日中混交は、湯の訓読みと油の音読みが同音という強引な接着剤によって接合されているんだという直観も、ここから生じるはずです。僕はそういう細部がこの作品で楽しくてしょうがない。

 ところで、千尋は、画面に初登場した時点で、手足が棒状の、異様な痩身と印象づけられるはずです。拒食症のイメージです。けれども彼女は、食べることでは救われない。食べればそれはいぎたない粘液状の涎を垂らし、彼女の両親のように豚になってしまう結果を招くから。じっさい彼女は限定的な、信頼できるものしか作品のなかで食べていない――ハクからもらうおにぎりにしても、リンからもらう饅頭にしても(ただ、それらは巨大化したもの=恐怖化したものではなく、掌に入るサイズのものです)。だから作品には明らかに現代的な飽食への批判がある。信頼できる食べ物とは、ここでは信頼できる友達にあたえられる食べ物として集約されています。しかしそれでもそれは救いとはならない。

 では異様な痩身の彼女を救うこととは、この作品ではどう考えられているか――(1)走ること、(2)機転を閃かせること、(3)友達の苦境を親身になって打開すること、(4)相手をよく見ること、(5)疑似家族を伴って旅をすること、です。作品テーマ上は「労働すること」として設定されているはずなのに、いわば宮崎駿の本能がそれを回避して、上記(1)-(5)が「救い」のための鍵となる――この作品ではそういうブレが美しいのです。

 だいぶ話が先回りしてしまいました。食べ物はこの作品では、恐怖化の様相を基本的に離れることがない――いま僕がいいたかったのはその点です。この世界ではラブレー的カーニヴァルに位置づけられるべき飽食が中国的伝統のなかに開花していて、それはラブレーにたいするバフチンの卓抜な読みとはちがって、問題を停滞させるものとして設定されている――なぜなら宮崎駿はこの作品で終始、「肉体」に直結する、「感触的なもの」を忌避しているからです。まず、不思議の町でガツガツと中華料理風なものを食べる両親から「一緒に食べろ」といわれても、千尋だけはそれを「ほしくない」と拒絶します。あるいは肉体に直結する「感触的なもの」は、この作品ではほかにもうひとつあります――それが「カオナシ」が振舞う砂金の固まりです。食べ物とカネはこの作品では同位なんです。だからこそそれも千は「いらない」と拒絶します。たぶん、ロリコンの気のある宮崎は、そうした拒絶能力を、純粋化された少女性に特有的にみいだしています。それを小黒氏などは、「偉くなった」オヤジ宮崎が現実の少女から軽視された実体験の反映として捉えていますが、僕はそういう「反映論」的な作品解析法をいっさいとりません。宮崎の――あるいはジブリの「楽屋裏」を特権的に学んだことと、作品の受容にいったい何の関わりがあるのか理解できないのです。逆に僕は、「肉体」に直結する、「感触的なもの」に囲いこまれる現在の少女たちに、単純に(1)走れ、(2)機転を閃かせよ、(3)友達の苦境を親身になって打開せよ、(4)相手をよく見ろ、(5)疑似家族を伴って旅をせよ、という託宣をあたえる宮崎の精神態度が、ここではアニメ作品の具体性を伴って発露されているだけと考えるだけです。

 上記(1)-(5)の主張というのは、「まごころを大切にしよう」とか「童心を貫くことでダンディに生きよう(豚から人間に回帰しよう)」などといった、白痴的なご託宣とはまったくレベルを異にした実践的・現在的なものだとはおもいませんか。みなさんが自分を取り巻く現状を考えてみればわかることだとおもいます。

 僕が提起した問題にもどります。つまり、この作品の前半と後半のトーンがちがうということは、非難に値する問題だろうかという点です。僕の考えでは、作品の前半は作品に動勢をもちこむための世界観の設定期間だった。そこでは、大きな物語とは本質的に関係のない事態が、ロールプレイングゲーム的に――つまり千の一人称で進む。作品の前半は後半のための助走期間。そして後半、作品は動勢を帯びる。そのときに、いわば「自動的な」感触をともなって、上記(1)- (5)の命題が、千の実際の行動を貫きはじめるんですね。これは実は人工的なクライマックス設定ではない。千が、ハクの苦境を救うために、坊ネズミとハエドリを伴って銭婆のところに電車で旅に出るというのは、作品の本質が要請する物語です。だからそれはとってつけたような、『トトロ』における妹探し-やがての発見という、クライマックス設定とはちがう。

 作品の感触が前半と後半で異なるというとき、後半、人物に前触れなく急に「親和的な」感触が生じてくるという問題も出ていました。しかしそんなことを問題とするに値するでしょうか。みなさんはたとえば小・中学校のとき転校した経験をもってはいないですか。最初、新たに自分の級友となった者たちは、すべてその顔・表情が、自分にとっての異質性――違和感に染められていて、ひじょうに「事物」のようにみえる。それが、だんだん、親和性を帯びてきたとき、彼らは自分の友達になる。視界を親和性において組織するというのは、「他者」を取り込む方法なんですね。宮崎が前半を「非親和」、後半を「親和」としたのは、むろん、そうした作品全体の進行(流れ)を価値化するためにほかなりません。

 というか、このような前半・後半の乖離がないと作品自体が成立しないんですよ。最初の構想段階では話はもっと長かった――物語に終わりがつかない――それで「カオナシ」に劇的振幅の大きい変貌のドラマをあたえ、ハクを救うために千たちを旅に出すようにした――宮崎駿は、製作発表の場所でそう語ったそうです。でも、もし「カオナシ」にそういう役柄をあたえず、千たちにそういう冒険をさせなかったら、作品全体はどうなっていただろうか――それは誰にも想像がつかないとおもいます。つまりそうしてできあがる作品は、初期設定はたとえ同じであっても、それは『千と千尋』ではない。ところが、その宮崎の作品短縮の方策を作為化の結果と受け取り、「だから」『千と千尋』は前半と後半の感触が別作品というほどに異なるんだと考える――これは、宮崎の発言を事大視したがために、本当の意味で作品を対象化しなかった証拠になるんじゃないでしょうか。『千と千尋』の前半後半にトーンの不統一がある――それ自体は非難の対象ではない。その不統一性をどう考えるかのほうが批評の方法となるはずなんです。

 作品前半で強調されるのは、「息」=プネウマです。まず千尋は、油屋につうじる橋を渡るとき、人間とバレないように、息を止めろとハクからいわれます。ところが小さな蛙の化け物が飛び出したために、千尋は息をしてしまい、「人間がいる」という気配を発散してしまう。このとき「息を止めろ」という命令は、観客にたいしても行われるんです。だから「同じ息を止める」という行為によって、千が観客のなかに主体化されてゆく。このとき、作品冒頭、引越しの場面でブームクレていた千尋が主情化されるという作用が起こるんですね。あるいは、千がハクのいうとおり、釜爺のところに行き着くために、油屋の外階段を駆け降りる――息が限りなく切れる。ここではその息切れによって肉体化された「危機」が観客と千尋のあいだに共有されます。この過程はいい意味で計算ずくなんじゃないでしょうか。「息」をする千尋――千は、番頭や湯女たちから、「人間くさい」と顔をしかめられる。このとき、この作品が従来の宮崎アニメにたいして転倒的な位置に立っていることも明白になります。なぜなら宮崎アニメにおいては「人間臭さ」――「ヒューマニズム」が絶対的な価値だったわけですから。そのことを冷笑する怪物たちに肩入れをするようなポジションに、この作品は立っているということです。

 もうひとつ、「透明性」という問題が作品冒頭では生じてきます。「不思議の町」はとつぜん夜になる。ハクはいま逃げないと戻れなくなるといい、「不思議の町」の入り口まで行くように千尋を促す。ところがもうそこは水没していて、霊々たちが乗船する豪華客船風の船が近づいてきている。このときの夜の水面にきらびやかな光が反映する感触が、通称「ジャンボ」というレストランのある、香港の観光名所にそっくりです。で、「春日様」を中心にして霊々たちが下船してくる。あの「春日様」はその顔部分に紙の護符をつけ、中国の文官のような帽子・黒衣をまとっているんだけど、あれは最初僕は顔に護符をつけたまま蘇った中国版ゾンビ――『霊幻道士』シリーズに描かれた死者だとおもいました(あれが秀逸だったのは、腕を前方に水平に伸ばし、ピョンピョン跳ねる――そのTVゲーム的、デジタルなアクションにもありましたが、「紙」が中国世界においていかに霊力をもっているかという民俗的想像力を駆使していたからでもあります ――ちなみにいえば、その「紙」は『千と千尋』においては空を飛ぶハク[龍]を襲う紙の小片――千に取り憑く紙[銭婆の化身の姿]――へと作品内で変遷してゆきます。あるいは「面」的なものは、自我のない「カオナシ」がアリバイ的につけている面へと隔世遺伝します。そういう同じ物質的想像力の「連鎖」が、あの作品においては前半顕著だった非親和性を緩和させる動力になっています)。

 このとき、「透明」という問題が現れる。下船してくる春日様は下半身が透明で、怪物たちは反世界に、透明→不透明化というベクトルを伴って実体化してくるんだという判断が生まれるんだとおもうんです。千尋はどうか。彼女はとつぜん自分を取り巻いた空間的変異にパニックになり、「みんな消えろ」と呪詛を吐きます。するとその言葉は彼女自身に返って、彼女の身体が刻々と透明化してくる。彼女は消滅の危機を迎える――その危機を救ったのがハクです。ハクは丸薬を飲ませ、彼女を透明性から元の身体に戻します(この丸薬もまた、作品世界では反復されます――千は、汚濁から元の姿にもどったオクサレさまに、作品世界では「苦薬」と称されている丸薬をもらうのです。それを「なぜか」彼女は豚になった両親を人間に戻す丸薬として認識するんですが、実際はそれは「なぜか」吐薬として使用されます――最初は銭婆の「呪い」を飲み込んで七転八倒する龍の姿のハクのための――次は酒肉はおろか番頭たちまで飲み込んで怪物化した「カオナシ」のための吐薬として)。霊々たちは透明性→不透明性という手続きを踏んで作品のなかに実体化してくる。以後は作品のなかでは透明になりません。

 ところがあの反世界のなかで本質的に違和をしるす者は、透明化する危機を内包しているんです。その示唆のために、千尋を透明化が襲った。もうひとつ、とくに下半身に透明性を病んでいるのが、あの作品では「カオナシ」です。そこで千と「カオナシ」は疑似等号で結ばれる。「カオナシ」は千の化身なんですね。「カオナシ」は顔がない。千は湯婆婆の専断によって、本名――「千尋」を失っている。だからどちらもアイデンティティクライシスの現在形といえます。ともあれ、世界にたいして「親和性」をしるさないものが「透明な存在」として自らを認識する――このとき、犯行声明文で自らを「透明な存在」と擬した「酒鬼薔薇聖斗」のことがやはり自然に想起されるでしょう。

 作品前半では千尋の「透明な存在」ぶりが定着的に描かれます。ハクにいわれて気配を消している彼女は番頭や湯女たちに気づかれません。視線を向けられないからです。あるいは、エレベータに「オシラさま」と同席してしまう場面。そこでも「オシラさま」は千尋に視線を向けず、彼女の存在に気づきません。というか「オシラさま」は他者の存在などどうでもいいというように、退化した自己閉塞のなかにいるようにも見受けられます。ドローンとした眼。僕、このオシラさまが大好きなんです。パンフレットにはこれは大根の神様で、東北地方で信奉されている農神に延源をもつというふうに紹介されているんだけど、垂れた両頬の位置でぶるんぶるん揺れるあの白い大根は、ふつう誰もが乳房として意識するとおもう。しかも二タ割れになった大根の股の部分に、髭が生えているんだけど、あの髭もまた卑猥極まりない。そういう卑猥を、僕同様に、客席の子供も喜んだとおもうんですね。

 ちょっと話がズレました。ともあれ、そこにいるのに、いないように扱われている――それがこれらのときの彼女を取り巻く状況です。しかしこのとき逆転が生じます。それは「無視」という手ひどい状況だったはずなのに、作品の「物語」に乗ることで、千尋が周囲に気取られずに目的地にゆく――いわば「ポコペン」と同じ、冒険的状況に転位するからです。このようなかたちで「救い」を刻々と連打してゆく宮崎駿の発想はすごく具体的だとおもいました。千の賦活もまた全部、具体行動のなかに実現されてゆきます。彼女は「元気になれ」「苦境を脱しろ」といわれることなく、元気になり、苦境を脱してゆくのです。逡巡の時がなく、行動あるのみだからです。つまり『もののけ姫』のように、作品世界の位相が言葉によって抽象的に説明されることがこの作品ではいっさいない。

 言葉上の説明をネグったことは、同時にこの作品が矛盾撞着によって組成されていることとも表裏しています。たとえばいまいったように、あるときは千尋が周囲の番頭・湯女、あるいは霊々たちから気配を気取られないようにするのが千尋にとっての至上命題だった。だがその問題は、千尋が千となって油屋で働くようになるや、忘却されてしまいます。また、千は湯婆婆から「働け」という至上命令をだされる。ところが、ハクを救うために銭婆のところに彼女が赴く作品末部では、彼女が油屋のために働くような細部は一切存在しなくなる。だけどもそれでいいのです――なぜならこの作品は、刻々と忘却を重ねてゆく「夢の文法」によって組成されているから。この作品が子供たちのため――あるいは童心をもつ者のためにあるというのは、そういった次元です。

 作品が進行に従って初期設定の忘却を重ねてゆく顕著な子供向けの映像作品としては、野島伸司が脚本監修したTVドラマ『家なき子』もありました。ひたすらな進行――それが両者に共通しています。進行は矛盾撞着を刻々と飲み込んでゆく。ところが作品世界が言葉で外在化されると、矛盾撞着は作品進行にたいしブレーキ機能をもってしまう。言葉の消去はそのための方策だというわけです。あとは漢字がタイポグラフィ的感触のみを残して、意味連環の外に残骸のように浮遊し、それがラブレー的カーニヴァルとは位相を変えた東アジア的カーニヴァルを形作る――それがこの作品の世界設定だということです。

 作品進行にしたがって細部が忘却されてゆくこの作品の反世界を体験した千=千尋が、人間世界の地上に両親とともに舞い戻ったとき、とうぜん、千尋はこの作品が描いた反世界自体の記憶を失っているか否かという判断が生じてきます。宮崎駿はたぶん作品ラストでこういっている――彼女は経験したすべてをもはや憶えていないかもしれない――だけど、彼女の身体の深さのなかに沈潜した身体的記憶=無意志的記憶=民俗的記憶は、彼女のあずかり知らぬところで――ちょうど銭婆が彼女にあたえた髪止めのように実在している――と。

 切通君は、そのことを淋しさという美しい体感のなかで反芻していました。このとき、銭婆が千にいった科白がひじょうに重要な意味を帯びてきます。銭婆はこういったのです――《一度体験したことは忘れない。ただ憶えていないだけだ》。その言葉どおりに、僕は、この作品の全体が子供たちにたいしては、東アジア的な民俗記憶の無意識レベルでの「刷り込み」として機能するんだとおもうんですね。

 この作品では、身体の奥底に日本人の誰もがもっている無意志的記憶が扱われている。そうであれば、中国的な細部が作品のある部分を覆うのも当然なんです。作品は、それらを解放しろ、といっている。そのとき、宮崎駿が霊々たちを、何かに典拠しつつ、実際は存在しないという、ズラシの文脈で登場させたことが積極的価値をもつんだとおもう。千尋が湯屋につづく橋を息を殺して渡るとき、同じように橋を渡っている妖怪たちがいる。僕は鼎談でそれらを『ガロ』的だと形容しました(そこには、高橋実さんがいうように、『もののけ姫』のタタリ神が『どろろ』的、シシ神が『火の鳥』的――つまりは手塚治虫的だったことの対比意識が生じていました)。

 けれども、気をつけてほしいのは『ガロ』的ではあっても水木しげる的ではないということです。あそこには一本足の傘のお化けはいそうでいない。一反木綿や、塗り壁もいない。水木しげるの妖怪たちは、民俗学的典拠をもっているんです。ところが宮崎駿が『千と千尋』で描いた妖怪たちは、民俗学的典拠をいわばコラージュした、新次元の妖怪たち――美学的な妖怪たちだといっていい。その類型の混ぜかたにいわば「悪趣味」が混在してくるんです。

 夏休みに、四国に旅行にいってきました。高知の写真店の店頭では「よさこい祭り」の写真があふれるように展示されていました。みな、婆娑羅的な扮装し、チーム別に振りを決めて街路を練り踊り、得点を競うんですね。しばしば誤解されるように、「よさこい祭り」はそれほど起源の古いものではない。町起こしのために挙行された、せいぜいが十年ぐらいの浅い歴史しかもっていないんです。ところが、各チームの扮装や踊りの振りを写真でみていて、僕はおもった――いわゆる不良性感度の高い若者たちに、すごく凝縮的に民俗的記憶が噴出していると。彼らは、西洋的な美意識からすれば、たんなる「悪趣味」に括られる。「悪趣味」にはいろんな局面があるけど(とくにアメリカ型の悪趣味というのがメディア作用のなかではひじょうに大きな役割をもっているけど)、生産的な「悪趣味」とは、民俗的記憶を、自らの身体表面に蘇らせることなんです。

 評論家の平岡正明も近著『キネマ三國志』のなかでそういっていた――とくに「在日」はわざとキムチ臭い仕種をすることで、方法悪としての「悪趣味」で日本人に一歩先んじていると。「在日」は三世・四世ともなれば、ハングル語を話せない。日本語しか喋らない。けれども彼らはやはり日本人ではない――その意味ではデラシネなわけです。その彼らがわざとキムチ臭く振舞うとき、自らにあたえるアイデンティティの符牒が意志的――方法論的なものとなる。国籍上の立脚点は無にちかいものたちが、仕種において民俗性(民族性)を発現する――そのときに、暴動の予感のように大地を踏み鳴らすわけです。それで彼らは「悪趣味」の体現者となる。この場合の「悪趣味」は「良識」への攻撃材料である以上に、変革・現状打破のための装いなんですね。

 その次元のものがいまの日本にはいっぱいある。コギャルのガングロや臍だしファッション、浴衣好きなど、みんなそうではないか。携帯電話の扱いにおいて日本人みながヤクザっぽくなっているのもそうではないか。絶望がある。だがそれは、絶望の奥底に変革がもとめられているからでもある。宮崎駿『千と千尋』の奇妙な民俗的記憶の噴出――「悪趣味」は、いわばその次元に突き刺さっているのではないか。だから現状的なんです。

 それは、「対立軸にないものが対立しその結果、作品世界内の線引きに混乱が起こった」ことが、現状の政治を暗喩した点でのみ現状的、あとは現在にいっさい当たらなかった『もののけ姫』からは大きく進展した点ではないでしょうか(もっとも『もののけ』における憤怒や怨念が相手ではなく自らを灼くというメッセージは、やはり現在的に捉えられる必要がありますが)。

 『千と千尋』を「悪趣味」とおもうゆえんをもう少し列挙してみましょう。まずは「オクサレ様」。糞尿とヘドロでドロドロになり、その汚泥で瞼すら重たげにみえるあのもののけも僕は大好きです。「悪趣味」の与件としては、性愛的なものの露呈(それがオシラ様の乳房状の大根や、スクール水着風の腹掛けによって大きく開いた千の裸の背中です)とともに、それに隣接するもの――つまりは糞尿譚的なものの露呈がある。ただしたしかに小黒さんのいうとおり、オクサレ様のドロドロは、デフォルメのために細部が跳んでしまっていて、それ自体は腐そうではないかもしれない――これは宮崎駿の教育論的配慮でもあるでしょう。しかしその臭さにビリビリくる千と湯婆婆のリアクションによって、臭さは記号的には充分に表現されています。

 それから、性愛的な意味では、「カオナシ」の乱行を止めるように湯婆婆から駆り出される千に、水揚げに直面した半玉芸者のようなイメージが二重化されます。そして、糞尿と境を接するのが吐瀉物。「カオナシ」は、圧倒的なゲロを吐き続けます。グロテスク極まりない。そのゲロが、物語の下支えを受けていて、理路のなかに置かれるとき、ゲロの物質的突出が忌避されます。これはいわば宮崎の、ゲロへの救済といってもいい事態だとおもいます。そして子供は、乳房や糞尿、さらにはゲロに驚きをおぼえる。その「驚き」が子供の場合はそのまま「それが好き」という証拠となります。その意味でこの作品は、先の「忘れっぽさ」と併せ、児童アニメ的なんですよ。たんに整然とした物語意識に乗っかった『トトロ』は、子供のためのアニメというより、ノスタルジアを買いにきた大人のためのアニメという気が僕にはする――対照的でしょう?

 ただ、この作品の「悪趣味」は、そういう具体的な個々の霊々たちのディテールにのみ集約されるものだろうか。様式やタッチの不統一そのものが「悪趣味」ではないかということです。たとえば先程言及した「オクサレ様」は、千の献身によって汚れをすべて洗い流され、からだに含んでいた川の汚物をすべて引きずりだされることで、本来あった河の神の姿に復帰します(この河の神がやがて隔世遺伝して、ハクの出自へと変化します――これも作品が連環組成をもっている点の証になるとおもいます)。このときの絵柄の変遷を憶えていますか。さっきもいったように、ドロドロだったオクサレ様には、ひじょうにTVアニメ的なデフォルメがかけられている。それからそこから引きずりだされた川の塵芥はすごくハイパーリアル。そして、ついに出現した河の神の顔は、円空や木喰の木彫のようにというか、東南アジア彫刻のようにというべきか、すごく民俗的です。この短い一聯で、これほどの画柄の不統一がある。

 こうした不統一ってこの作品では延々つづくでしょう。飽食した「カオナシ」が大暴れしている部屋に千が入ったとき、絵の具チューブを捻ってそのままブチまけたような凄惨な画柄が観客の息を飲ませた。ああいう画柄は、ほかの場面にはない。あの場面もまた突出した不統一なんですね。不統一というなら、湯屋の建物全体がそう。中国式、日本の遊郭式のディテールがありながら、天守閣のような欄間と、かび臭い遊女小屋が同居している。上階の湯婆婆と坊の部屋にはペルシャ絨毯が敷かれ、デカい古伊万里の壷(それ自体はどこか朝鮮的でもあります)がある。ではこれが現在ではないのかというと、理容店があったりもする。脱中心性。その感触がこの作品を、全体的にかつての香港映画に近づけているんだとおもいます。そして香港映画の「悪趣味」もまた、民俗性の噴出の次元に認められます。

 まあともあれ、誤解によってバロック調とロココ式を混在させた三島由紀夫の豪邸の「悪趣味」、あるいは豪華絢爛のために過去のあらゆる美術様式を混在させたバヴァリアの狂王ルードヴィヒⅡ世の「悪趣味」が、ここではアジア大に実現されているわけです。しかも、鼎談でいったように、吹き抜け、ハクが落ちるダスターシュート、エレベータなどが通っている湯屋の建物の全体性は、空無が内部を侵食しているという意味ではひじょうにスポンジ的組成をもっていて、どこかその空間性の根拠に怪しげなところがあります。だからこそ、美術様式の混在が突発的というか玉手箱的な愉快さへと変じる。宮崎は湯屋の建築は「江戸東京たてもの園」の擬洋風建物にインスパイアされたといっていますけど、それが極度に創造的な次元へと加工されている点は、つよく意識すべきでしょう。

 質感の不統一は、アニメ特有の、無気味な平面還元に逆らうという意味で、大きな意義をもっているとおもいます。本当は不統一性、その結果としての「悪趣味」こそが、アニメ表現の打開にもとめられているものだった。それでアニメは多声体(ポリフォニー)、ロンド、もしくはバラエティ(エイゼンシュテインのいう「アトラクションのモンタージュ」)、コラージュ、さらにはデクパージュになる。押井守や大友克洋もそれぞれ彼らの様式でそれを実現しています。

 それと前回、僕はフロイトの論文「無気味なもの」を援用して、無気味なものは同一性によって組成されたものか、幼時体験的なものになるといいました。そしてそれはすべてのアニメ表現にとって必然ともいいました。宮崎駿は、ここでは糞尿譚的欲望によって、まず幼時的なものへと遡行しています。そして民俗的記憶の連打によって、幼時的なものは、さらに未生時間へと溯ってゆきます。その感触が画面をつうじて蘇るとき、親しんでいたものが蘇る際の――「ハイムリッヒ=ウンハイムリッヒ」という図式がここで成立したんです。

 いっぽうで、同一的なものは、アニメ表現のディテール上の統一感の剥奪によって遮断されてしまいました(その結果、作品全体が創造的な「悪趣味」となった)。ところでフロイトがいう同一的なものとは、「自己対自己」という閉塞的な図式のなかにもっともつよく滲みます。その自己対話性もまた、ここでの千にはほとんど到来しません――なぜなら彼女は動きつづけるからです。だから千=千尋はアイデンティティクライシスに直面しているのに、アニメ史上、もっとも星飛雄馬に似ていないヒロインとなった。そうして作品全体は、無気味なものを指標しつつ、アニメがもつ決定性からは身を引きはがしたという、誰も実現できなかった達成を遂げたのです。僕がこの作品を、これまでの宮崎アニメ以上に評価するのはそのためです。

 そして、彼は自らの『ナウシカ』で分泌した無時間=ノスタルジーの呪縛を逃れることともなった。『ナウシカ』の無時間は未来・過去の相殺作用の果てに生じたものです。一方この作品は無時間ではなく多時間です。季節とりどりの花がいっぺんに咲いているのは、無時間ではなく多時間の表徴だと僕は鼎談以後、おもいなおしました。無時間では多様性が殺される。多時間では多様性は温存されるどころか、さらに拍車をかけられる。僕は鼎談で『千と千尋』にたいし《今回は混乱ではなく同一性の中にある多様性の追求でしょう》と喋りました。その真意もいまや明白だとおもいます。アニメがアニメ表現である以上、最終的に「同一性」からは逃れられない。その桎梏のなかで、『千と千尋』は驚くほどの多様性を展覧したということなんですね。

 最後に「カオナシ」の話題。いま『千と千尋』のTVスポットでの追い広告では「あなたのなかにも、カオナシはいます。」というキャッチが流れています。さきほど僕は、千とカオナシは、アイデンティティクライシスのなかで表裏をなしているともいった。そしてこのカオナシから発散されるアイデンティティクライシスこそが、この作品がもっとも現代性をもっている証左となるんです。カオナシは作品全体がしめす反世界にすら違和をかたどるために、その下半身が主に透明状態――あるかなきかの状態で表象される。彼は喋れない。飲み込んだ者の言葉遣いや声をもちいて喋ることはできる。彼が一見もっている顔は仮面にすぎない(しかし何という見事な仮面でしょう――角度によって表情が変わり、とくに俯いたときには悲哀を発するのです)。そして縁側から湯屋に入るときふと登場する寂しげな彼の片足は、彼が飽食を繰り返し、番頭や仲居を飲み込んだときには、怪物的に多足化してしまう。自らと同質な者と見込んで眷恋した一見「寂しげな」対象・千には、「あなたにはあたしのほしいものは出せない」と拒絶されてしまう――ここではたぶん「おたくは自身を他者に反射できない」という真実が語られているはずです。

 この作品は有機的な連環を、作品組成にもっているという話をしました。坊は湯婆婆によって買い与えられた玩具のなか――ディズニーランドのような楽園のなかに幽閉されています(引きこもり状態にさせられています)。その連環でカオナシが映しだされるから、カオナシもまた、『千と千尋』の作品世界のなかでは引きこもり青年(少年)の役割をあたえられているとみるべきなのです。彼の行動の意義は、他人への波及性をもたない。その結果、ますます行動が夢想的な次元にあるようにみえる(彼が掌から砂金の結晶を吐き出すのはその夢想性によってです)。それは彼が湯屋のなかに「いるのにいない」という現れとなる――「いま」「このときに」湯屋は彼の「家庭」にすぎないのに。彼はたとえば千に自分の申し出を撥ねつけられると、「家庭内暴力」を起こす。つまり、彼は同一性の内部にあるあらゆるものと関わりがもてない――おそらく自分自身とも。

 『千と千尋』の製作時期に着目しましょう。宮崎が作品を構想していただろう二〇〇〇年――公開前年の上半期には、引きこもり青年の犯罪がつづいていました(「てるくはのる」事件、新潟少女監禁事件)。このことも考え併せ、宮崎はたぶんカオナシに引きこもり青年の面影を盛ったのではないでしょうか。そして、彼の欲望は対象を失って、過食に走ります(ハードな身体感覚を欲すれば、ひとは容易に性行為過剰か過食へと傾斜するのです)。そして彼は吐く。しかも壊滅的に吐く―― ここで彼の過食症のイメージは確定します。そしてすべてを吐き終わった彼に待ち受けるのは稀薄感です。だから彼は、拒絶されても、千を追うことしか方策
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2022/09/30 (Fri) 06:05:05

これが日本本来の風俗

30年前に徳山ダム予定地で水没する運命だった徳山村に入って民俗調査したとき、飲み屋のママが「「毎晩、若い衆が「やらせろ」と忍んでくるので本当に困る」」 とこぼしていた。徳山など西日本の閉ざされた村では、後家さんが若衆の性教育をする義務があった。

 女子は初潮が来れば離れに住まわせ、赤飯を配った。これが「おいで」の合図で、その晩から近所の若衆が娘の元に夜な夜な忍んでくる。これを「夜這い」と呼び、1960年代まで、西日本では、ありふれた習俗だった。

 当然、子供ができるが、お腹が膨らめば、娘は忍んできた若衆のなかから一番気に入った男を夫に指名する権利があった。若衆は、これを拒否することはできなかった。もし拒否すれば、村から叩き出されるほどの指弾を浴びた。 

夫指名はお腹の子の種男である必要はなかった。どうせ、生まれた子供は、村の共同体みんなで育てるのであって、誰の子でも構わないのだ。子供は村全体の財産であり、みんなで育てる義務があった。村の共同体では、困ったことは、みんなで相談して解決するのであって、一人でも飢える者を出すことは許されず、餓死するときが来れば、みんなで一緒に餓死したのである。そこには貧しくとも、孤独という苦悩は皆無であった。
 
 やがて若衆が都会に出るようになり、都会の家畜的労働者の習俗を村に持ち帰ることによって、夜這いも廃れ、共同体も瓦解していったが、祭りなどには、そうしたフリーセックスの習慣が遅くまで残り、1980年代まで村の祭りは無礼講であり、どの人妻と寝ても良かった。

できた子供が、父親の子である必要があるのは、権力と財産を相続する必要のある名主や武家に限られいて、共同体生活をしてきた民衆には、受け継ぐべき権力も財産もなく、したがって父の子を特定する理由がなかったのである。
http://blog.livedoor.jp/hirukawamura/archives/1805329.html


「夜這い」

 筆者は若い頃から民俗学が大好きで、宮本恒一の熱狂的ファンを自認し、その真似事をしながら、山登りの途中、深い山奥の里を訪ねて、その土地の人と世間話をしながら、新しい民俗的発見をすることを楽しみにしていた。

 かつて、揖斐川の上流に徳山郷 という平安以前に起源を持つ古い村があって、その奥に能郷白山や冠山という奥美濃山地(両白山地)の名峰があり、このあたりの山深い雰囲気に惹かれて何度も通った。今は無意味な形骸を晒すのみの巨大なダム底に沈んだ徳山の里は、筆者の足繁く通った1970年代には、いくつかの立派な集落があり、春から秋までは渓流釣りマニアでずいぶん賑わったものだ。

 そのなかに、名古屋からUターン里帰りした中年女性の経営する小さな飲食店があった。そこでよく食事をして世間話に興じながら、おばちゃんに村の事情を聞いていたが、実におもしろい話がたくさんあった。

 一番凄いと思った話は、近所の農家の中学生の娘が妊娠したことがあったが、その相手は祖父だったという。しかし、当時の徳山では、この程度は全然珍しいものでなく、ありふれていると言ったことの方を凄く感じた。

 夜になると近所の若者が飲みにくるが、必ず店仕舞のときまでいて「やらせろ!」としつこく強要し、うっとおしくてかなわないという話や、この村では後家女性がいれば、婿入り前の若者たちの性教育係を務めるのが村の伝統的義務とされているというような話も驚かされた。

 参考までに、昔の性事情を知らない若者たちに言っておくが、戦前の日本では、とりわけ西日本における古代弥生人の末裔たちの里にあっては、国家によって定められた一夫一婦制結婚形態というのはタテマエに過ぎず、それが厳格に守られた事実は存在しない。つまり適当なものであった、というより、民衆レベルでは自由な乱交が当たりまえであって、生まれた子供が自分の子供である必要はなかった。

 というと、ほとんどの若者たちが「ウソー!」と驚くに違いないが、これが真実なのだ。例えば一番典型的だった中国山陽地方の集落では、一つの集落で、結婚まで処女を保つ娘は皆無だった。初潮が始まると、親が赤飯を炊いて近所の若者宅に配る。それが「おいで」の合図となる。その日から娘は離れの座敷に寝泊まりするのである。

 これは、山陽地方(西日本の古い農家といってもいい)の古い農家の作りを見れば分かる。必ず夜這いのための娘の泊まり部屋が設けられていたはずだ。古い民俗家屋展示を見るときは、昔のこうした光景を見るのだ。すべての構造に歴史の深い意味が隠されていると知ってほしい。

 若者の男たち、ときには、なりすましの親父たちも、赤飯の出た家に夜這いをかけて、初々しい少女を抱いて性欲を満足させたわけで、これなら風俗性産業が必要なはずがない。昔だって男たちに強烈な性欲があった。それが、どのように処理されていたか? 考えながら、赤線・性産業の由来・必要性を考えるのだ。
 夜這いの結果、もちろん子供ができてしまうわけだが、生まれた子供が誰の子であっても、事実上関係ない。子供の父親を指名する権利は娘にあった。別に実の父親である必要はなかった。夜這いをかけた誰かの内、一番好きな男を父親に指名するのである。これが、やられる側の娘の権利であった。

 夜這いを拒否することは、男にとって大きな屈辱だった。そんなことをすれば後々まで男に恨まれて「八つ墓事件」のような事態が起きかねない。津山殺戮事件の裏には、こんな背景も考える必要がある。

 父親を特定することが意味を持つのは、子供たちに受け継がせるべき財産・権力のある有力者に限られていて、持たざる民衆にあっては、受け継がせるべきものもなく、名もない我が子種を残す必要もなく、したがって、女房が誰の子を産もうと、どうでもよいことなのである。

 生まれた子供は「みんなの子供」であった。集落全体が一つの大家族だったのだ。みんなで助け合って暮らし、みんなで子供を育てたのであって、小さな男女の家族単位など、権力が押しつけたタテマエ形式にすぎなかった。

 タテマエとしての結婚家族制度は、明治国家成立以降、政権が租税・徴兵目的の戸籍制度整備のために、それを強要したのである。
 それは権力・財産を作った男性の子供を特定するための制度であった。それは名主・武家・商家・有力者などの権力・財産を「自分の子供に受け継がせたい」インテリ上流階級にのみ意味のあることであり、このために女性を婚姻制度、貞操に束縛したのである。

 農民をはじめ一般大衆にとっては、束縛の多い不自由な一夫一婦制など何の意味もなく、たとえ配偶者がいても、誰とでも寝るのが当然であり、生まれた子供は「みんなの子供」であって、集落全体(大家族)で慈しんで育てたのである。

 このようにして、かつての日本では夜這いに見られるような自由な性風俗に満ちていた。「集落全体が大家族」という考え方で助け合い社会が成立していて、夫を失った後家は、若者たちの性教育係になり、冒頭の飲食店のオバサンも、徳山の若者たちから、そのように見られていたわけで、決して徳山の若衆が性的変態だったわけではない。

 そうした自由な性風俗は1960年あたりを境にして、急速に失われていった。その後、読者が知っているように、女性に貞操観念が求められるようになった理由は、世の中全体が豊かになり、個人が財産を蓄積する時代がやってきたことによるのである。

 豊かになれば財産を「自分の子供」に相続させたくなる利己主義が芽生えるのである。「自分子供」を特定するために、誰の子かはっきりさせる必要があり、女性の自由な性を抑圧し、貞操観念に閉じこめる必要があった。
http://protophilosophy.noblog.net/blog/t/10590234.html

夜這と村落共同体

日本における夜這の事例が数多く紹介されていますが、村落共同体の実態が紹介されないで、性関係だけが取り出されていると、一対婚しか知らない現代人には違和感の方が強くなりかねません。夜這いを理解するためには、村落共同体がどんなものだったかを理解する必要がありそうです。

大きな特徴は、村落の構成員に大きな変化が少なく、長年にわたって婚姻を重ね、地縁・血縁が複雑に重なり合った共同体であることでしょうか。現代は、苗字があり家族以外は他人という強い意識がありますが、当時は苗字等もなく、村中の人たちが大きな家族のようなものだったのでしょう。

村全体で、田植えをし、水路を整備し、里山を管理し、稲刈りもしていた。年貢を納めるのも、村全体の課題だったかもしれません。子を育てるのも、家を作るのも、共同作業で家だとか個人とかいった観念は非常に稀薄であったように思えます。

みんな家族のようなものだから、誰の子種でも気にする必要は無いし、どっちみち、みんなで育てるのだから更に、誰の子でも良い。年貢もみんなで払うのであれば、相続なんて形式的なもので、どうでも良い。

このような状況では、家と言う意識が稀薄であり、家父長権は殆ど存在せず、色んなことは寄り合いでみんなで決めていた。

みんなが生まれたときから生活を共有し、気心も知れた者どうしだから、警戒心も違和感も好き嫌いもなく、支配も被支配もない。だから村人同士であたりまえのように性を満たしあう。

一対婚は私有制度を母体にした婚姻制度であり、このような血縁と地縁の双方で一体化した村落共同体には、一対婚制度こそ全く相応しくない制度だったといえそうです。

このように考えてみると、明治以降村落共同体を破壊し、夜這から一対婚に変わっていった原因に、家父長権の法制度化が存在する可能性が見えてきます。

それまでは、武士階級にしか存在しなかった家父長権が、明治憲法により農民にも拡大され、名字と一緒に一人ひとりの男に権利が与えられました。その結果、農村にも支配権力が発生し、私権意識、家意識が少しずつ浸透していき、ついに農村も私権を中心とした家が、村落共同体の紐帯を解体し始めた。

そして、村落共同体の中で貧富の差などの、身分意識が形成され、夜這制度も解体されていくという流れをたどったのではないでしょうか。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=83440

★娘の通経を村内へ披露する理由

遠州国曳馬村地方:女子に初めて月経が来ると、隣家では米二・三合を袋に入れて贈り、『初花が咲いてお目出とうございます』と祝詞を述べた。女子は月経の度に別に立ててある小屋に入ることとなっていた。

讃岐国小豆島:娘が十七歳になると村内の若い衆を招き、『娘も通経があるようになったから、何分ともよろしく頼む』と披露することになっていた。もし娘の家が貧しく披露の宴をひらけないときは、若衆が各自醵金して宴を張る定めであった。

八丈島:女子の初潮のときは『タビ祝い』として村内の若者が芋酒一升と里芋一籠を持ち寄って祝宴を開いた。娘が一人前の女―即ち妻となり母となる資格ができたことを村内に披露するのである。

「而して此の女子が通経を機会として、その事実のあったことを部落中へ披露―即ち若者の共有に提供することに就いては、種々なる方法と手段が存していたのである。他屋(月屋またはひま屋または汚れ屋などとも言う)と称する定められた家屋に別居することもその一つであるし、十三詣り(この事は後に述べる機会があろう)と称して神社仏閣へ参拝するのも又たその一つであった。」

★村内の娘を女にしてやる若者の権利

阿波国山城谷村:未婚の娘と寡婦は、村中の若者の自由になると考えていたから、他の村の者が娘に通じようとすれば、まず村内の若者に酒を買い黙認を受けることになっていた。守らなければ石打または殴打されるのが普通であった。

磐城国草野村付近:娘が年頃になると村の若者が集って、旧正月十五日の夜に『誰々の家の娘は、まだ女になっていぬから、あれを女にしてやろう』といって、娘達を呼び出して女にする行事が近年まで存在していた。

下野国氏家町:五人の若者を我が家に引き入れた娘に親が怒り、娘を裸にして外に立たせ、通行人に向かってこれが浮気女のよい手本ですと懲罰の意で説明したことを若衆が知り、神聖なる淑女を侮辱する不法の父母なりとして押しかけて大論判をした事件があった。


梁田村(筆者の生まれた隣の村):明治二十五六年頃、寺の娘が若者数名に悪戯され、親である寺の住職が立腹して告訴すると息巻くのを、村内の故老が調停に立ち、言った。

『昔は娘は若者持で身分の高下なく自由にして差支なかったのである。それに村の娘が他日嫁入りする際に不具者であるようなことがあれば、ただに親の恥辱ばかりでなく村の名折れになる。

それ故に嫁入りする前に娘が不具でないか否かを試験するために若者はこれを自由にする権利が与えられていたのである。

此の村の古い掟も知らずに告訴して表沙汰にするというのなら、住持は傘一本で追い出してしまう』

こうしてその住職は屈服しなければならなくなり、そのまま結末を告げた。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2008/12/000485.html

★処女は若者の共有物たりし類例

陸奥国東通村:明治の初期までは村の娘と出戻りの婦人とは青年男子の共有物であった。

娘達は十五歳になると娘宿に泊まりに行き、村の青年達の要求には絶対に従う事になっていた。

理由なく拒絶すると、拒絶された男子は直ちにこのことを娘の父兄に知らせると同時に村中に報じる。

娘の父兄は娘を一室に二週間も監禁して村の掟を説くが、それでも従わなければ村から放逐する。

また、反対に外来者に対しては、娘達は絶対に貞操を固守せねばならず、背くと同じく放逐される。実際に、区長が娘を青年に提供しなかった為に、襲撃された事実がある。


羽後国檜木内村:妙齢の女子を持つ親達は、旧正月十五夜に、一定の場所に仮小屋を設け、青年の男女を会合して徹夜させることになっていた。

もしこの会合に娘を出さぬ親があると、大勢の青年が押しかけて砂石を飛ばし誹謗をなし、さらにその娘の嫁入の妨害まで行なった。


★娘の嫁入には若者の承諾を要件とす

羽後国秋田群の村々:「媒介者の斡旋で縁談が進むと、新郎新婦の双方とも家族や親属の承認を経ることは勿論だが、更に村内の友人(即ち若者達の意)の異議の無いということが成立の要素となっていた。

かくてこれ等の者が総て承知すれば内約を取り結び、改めて組頭へその旨を口頭で届け出で式を挙ぐることになっていた。」


こうして若者の異議の有無を確かめるということは、未婚の女子は村の若者の共有であるという習慣から導かれたもので、親達と言えども、若者の承諾を得なければ嫁入りさせる事はできなかった。


★露骨で極端なる女子共有の風俗

「越後三條南郷談」より:明治四五年までは毎年盂蘭盆になると、村の若者が盆の休日間だけの妻女を村の娘の中から籤(くじ)引きで決めた。

もし自分の気に入らない娘が当たったら、清酒一升を出せば取りかえてもらえた。

勿論、この盆くじが縁で夫婦となる者も多い。村内の男女の数に過不足があるときは、その数だけ白籤を入れ、引いたものはその年だけ妻なしで過ごす。ただし酒を出して娘を譲ってもらう事はできた。


★村の娘の結婚の許可権は若者の手に

加賀国能美群:処女は村の若者の共有である。認めぬ家があると、若者が大挙してその家の屋根をめくり、またその娘の嫁入りを妨げて婚期が遅れるようにした。また、その娘が生活に困っても、同情せぬのを常とした。

美作国勝北群:娘は若者の共有物であり、他村に嫁ぐには若者団体の承認を要した。もし若者団体が異議を唱えたら、若者と仮に配婚して、その後に他村へ嫁ぐ習俗となっていた。

丹波国志賀郷村:村内の男女同士で結婚することが慣わしであり、これを破ると両人を素っ裸にして提灯を持たせて村民がその後ろにつき、村内を囃しながら歩かせる制裁があった。

安芸国十二ヶ浦:娘が他村のものと関係することは禁じられていた。

破ると、『樽入れ』と称して、村の若者から僅かな酒肴をその娘に送る。これを受けた娘は日時を定めて氏神の社に村内の人々を招き、できるだけ手厚い酒食の饗応をせねばならず、これを『樽開き』と称した。

これに要する莫大な費用は他村の男の負担となり、この樽開きをしないとその男と結婚することはできなかった。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2008/12/000481.html

共同婚(乱婚とも雑婚とも称し、部落中の男女が共同的に婚姻するものをいう)

共同婚の遺俗としての嬥会(かがい)

『常陸風土記』に現れた嬥会は、共同婚の遺風として認められる。『他妻に吾も交らむ、吾妻に他も言問ひ』とある。そこに参加した女は、「嫂財」として「貞操を提供する義務が負わされた」のである。

嬥会は、国初時代に入ると、歌垣として各地で行われるようになり、この系統の結婚方法は、明治初期まで行われていた。


土佐国西豊永村:毎年七月六日の例祭には、近隣から数千の男女が集まり参詣。夜になると男女で押し問答し、女が答えられぬようになると、男の意に従うことになっている。

三河国の山中村:毎年春に未婚の男女が盛装して山行を行い、夫婦の約束をすれば、父系は必ずこれを承認せねばならない。婚約の出来なかった女は笑いものになるので、近頃では山行の前に内約させたり、他村の青年を養子として必ず婚約できるように仕向けたりしている。


美濃国東村:三日間行われる秋祭りで、村中の若者が鎮守の森に集まって輪になって踊り続け、夜が更けると村長・村会議員・青年会長なども交じって、踊りながら共鳴した男女が交わる。

「此の奇習によって生れる幾多の喜悲劇は、総て神の裁きとして解決され、且つこの踊りが縁となって結ばれた男女は、氏神の許した夫婦として、村人から羨望される」


紀伊国白崎村:「旧暦の盆踊の最中に双思の男女は婚約するのを習いとしている。此の約束が出来ると後で他家からその女を貰いに来ても、身代や身分がどうあろうとも盆踊で約束したと断り、一方、断られた者も盆踊で約束した中では言うて引き退がるのを常としている。」


  この種の土俗が結婚の礼式となって存在する例を、次に挙げる。

下野国の宇都宮市を中心とした村落:「新婦の一行が乗りかけ馬で新郎の家の前まで来ると、門前に二人の男が立っていて『大勢して一体どこから来た』と問う。

新婦の方では『若者に美しい花をやるために来た』と答える。

かくて両者の間に押問答が始まるのであるが、先ず嫁方から口達者な一人の女が出て、婿方の男二人を相手に問答し合う。若し此の問答に嫁方が負けると、馬は元へ引き返してしまう。実に念の入ったものであるが今では稀にしか行なわれぬようになった。」


信州木曾山中の婚礼:花嫁が婿の家に往く道すがら、おこしを撒き散らしながら行く。媒酌人は、顔一面に墨を塗って婚礼の席に出る。

「嫁婿の座が定まると嫁は携えてきた小豆一升を入れた麻袋を取り出し、婿へ投げつけながら『わりゃ(私)、うね(郎)を頼りに来たぞ』と言うと、婿は『オウ石の土臺の腐るまで居ろよ』と答え、此の問答が済んでから盃事になるのである。」


 これらは、嬥会系に属する掛け歌の形式化・単純化されたものであると推知される。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2008/11/000477.html

★我国にも貸妻の習俗は各地に在った

阿波国澤谷村:かなりの山奥で十三戸しかない寒村であるが、宿屋がないので旅客は普通の民家に宿泊する。

旅客を迎えた家では、その夜は娘(なければ妻)を同衾させる。

もし旅客が娘に振られるようなことがあると、娘は『出戻りさんだ』と大声を発し、親や夫が出てきて夜中であろうとその旅客を追い出してしまう。一度『出戻りさん』の名を負わされると、その村では宿を得られない。


肥前天草島:他地方から旅客が来ると良家の子女が自らすすんで枕席に侍る。こうして多くの異性に接するほど、早く良縁が得られると信じていたためである。


肥前国富江村:殊の外に外来人を忌む風俗がある。それは昔から今(昭和二年の秋)に至るまで、外来人が『あの女を借りたい』と言うと、処女でも妻女でも貸さなければならぬ習慣があるためだと言われている。


他に、山陰の因幡・伯耆や越後国三面村等でも、貸妻が行なわれていた。それらは物質的な報酬を受けるのではなく、全くの好意に外ならぬのである。
http://bbs.jinruisi.net/blog/2008/12/000485.html
5:777 :

2022/09/30 (Fri) 06:05:32

ルイス・フロイスが見た日本女性の姿

日本における中・近世に到る時代をさかのぼってみましょう。当時の第一級の資料は外国人の宣教師ルイス・フロイスに求めることができます。

ルイス・フロイスはキリスト教の一派イエズス会の宣教師として来日し激動の時代を過ごしました。永禄五年(一五六二)より慶長二年(一五九七)長崎の地で没するまでの三〇数年間に多くの書簡を戦乱策謀の揺れ動く京都・堺・平戸・横瀬浦・口の津・長崎から発しております。

それには日本の政治情勢は勿論の事当時の権力者織田信長、豊臣秀吉、徳川家康そして竜造寺隆信、大村、有馬氏等耳慣れた人々の動きまで含まれております。加えて一般民衆の生活まで細かく興味深く書かれております。歴史から民俗学まで含む非常に貴重な報告書です。

ルイス・フロイスの「日欧文化比較」により当時の女性の姿に迫ってみてみましょう。ただルイス・フロイスがヨーロッパにおいては身分が高い宣教師であり、日本においても身分の高い人々の事を書いたとは思われます


日本の女性とその風貌、風習について、日欧文化比較より

 一、ヨーロッパでは未婚の女性の最高の栄誉と尊さは貞操であり、またその純潔がおかされない貞潔さである。日本の女性は処女の純潔を少しも重んじない。それを欠いても名誉も失わなければ、結婚もできる。

 二九、ヨーロッパでは夫が前、妻が後ろになって歩く。日本では夫が後ろ、妻が前を歩く。

 三〇、ヨーロッパでは財産は夫婦の間で共有である。日本では各人が自分の分を所有している。時には妻が夫に高利で貸し付ける。

 三一、ヨーロッパでは妻を離別することは最大の不名誉である。日本では意のままにいつでも離別する。妻はそのことによって、名誉も失わないし、又結婚もできる。

 三二、ヨーロッパでは夫が妻を離別するのが普通である。日本ではしばしば妻が夫を離別する。

 三四、ヨーロッパでは娘や処女を閉じこめておく事は極めて大事なことで厳格に行われる。日本では娘たちは両親に断りもしないで一日でも数日でも、一人で好きなところへ出かける。 

 三五、ヨーロッパでは妻は夫の許可がなくては、家から外へでない。日本の女性は夫に知らせず、好きなところに行く自由を持っている。

 四三、ヨーロッパでは尼僧の隠棲および隔離は厳重であり、厳格である。日本では比丘尼(尼)の僧院はほとんど淫売婦の町になっている。

 四四、ヨーロッパでは尼僧はその僧院から外に出ない。日本の比丘尼は何時でも遊びに出かけ、時々陣立(じんたち、軍陣の事、戦場か)に行く。

 五一、ヨーロッパでは普通女性が食事を作る。日本では男性がそれを作る。そして貴人たちは料理を作る事を立派な事だと思っている。

 五二、ヨーロッパでは男性が裁縫師になる。日本では女性がなる。

  五三、ヨーロッパでは男性が高い食卓で女性が低い食卓で食事をする。日本では女性が高い食卓で、男性が低い食卓で食事をする。

 五四、ヨーロッパでは女性が葡萄酒を飲む事は礼を失するものと考えられている。日本ではそれはごく普通の事で祭りの時にはしばしば酔っ払うまで飲む。

日本における結婚の様式 

日本において古来より婚姻は婿入り婚と呼ばれる方式がとられていたようです。

男性が女性の家に通い女性に気に入られればその家に入り婿となります。

したがって結婚が成立するまでの女性は自宅で男性の来訪を待ちそれも相手は一人だけの場合は珍しく複数相手の場合の方が一般的であったようです。

一方男性も訪ねる家が一軒だけでは不安であり、数人の女性の家を回っていたと解するのは常識でしよう。このような状態、すなわち婿入り婚の様式からルイス・フロイスの見たような男女関係ができあがってゆきました。

したがって万葉集にはおおらかな恋の歌が含まれているとよく書かれておりますがそれは真っ赤な嘘で男性にすれば就職運動の歌、女性にすれば良い男を見つけだす儀式の歌と解すべきでしよう。それにしてもおおらかな日本の女性の地位を象徴しております。

中世以前より家屋敷等の財産は母から娘へと受け継がれ女性が財産の相続権、管理権があったようです。ただ男性は父の官職をそのまま世襲しますから現在とは少し違ってはいるようです。

 江戸時代においても医者、儒者、大名等の系図を調べて見ましても婿入りが多い事に率直驚かされます。中・近世は婿入り婚が普通であり当然な現象でありました。

婿入り婚は優秀な男の後継ぎを見つけることができ、財産を分ける必要がなく、嫁姑の紛争もなくはぼ理想的な家庭が築けます。現在、婿入り婚が一般的になれば家族の問題、独居老人等の大部分問題が解決を見る事になります。私の故郷香川県塩飽の島々では最近まで漁師の間では婿入り婚がつづいておりました。

 ルイス・フロイスが書き残した女性に関する事柄はこの婿入り婚を前提に考えればそんなに飛躍した考えをしなくても想像することができます。

それにしても中世の女の人は明るく、結婚前から夜遊びはするし、人生を謳歌し、祭りにはおおぴらに酔っ払い、男を従えて歩き、良く遊び、堂々と男を離縁していたようです。

  日本における結婚の様式その二、

 異端な人々の台頭ー 関東武士

 ところが日本には婿入り婚ばかりではありませんでした。現在にも続く嫁入り婚の習慣を持つ勢力が台頭してきます。中世始め嫁入り婚の文化を持つ勢力が天下を握ります。鎌倉に幕府を開いた関東武士団です。

関東武士団は常に荒れる関東平野から育ち、特に京都を中心とした日本古来の文化を持ちませんでした。関東平野は季節風、洪水等自然条件が厳しく農業といっても境界争いは日常茶飯事で戦闘を職業とする武士団でなければ勤まらず、男性が家を継ぎ一夫一婦制でした。

例をあげればこの文化の違いは源頼朝とその妻政子の確執の原因となったようです。京で育った婿入り婚の文化を持ち政子以外の夫人のところを訪ねる事に疑問を持たなかった頼朝と一夫一婦制のなかで育った政子とではとかく問題になったようです。源頼朝から続く源氏の政権がいろいろな問題を起こし悲劇的な終末に終り、関東武士の流れを組む北条氏へと政権が移ったのは余りにも違いすぎる文化だった事も原因の一つでした。

この鎌倉時代と共に武士が権力を握るにつれ武士の社会が確立し、日本では異端であった嫁入り婚が徐々に広がってきます。しかし武士が人口に占める割合は少なく、京都を中心とする公家文化は従来の通り婿入り婚の様式でした。当時の公家社会及び西の文化を持つ者からみますと関東武士団は東の夷、田舎の風習、身分の低い武士の物真似などする必要もありませんでした。

中世より近世に移る時代にしてもルイス・フロイスが見た通りの社会でした。江戸幕府とともに全国的に武士の社会の結婚は先に述べた関東武士の風習が広まっていったようです。


  日本における離婚の方法

 結婚があれば離婚もあり、結婚と離婚とは裏表の関係にありますがルイス・フロイスは日本における離婚の方法にも驚いているようです。ルイス・フロイスの文章は日本の女性は男性に従属するような内容は読み取れません。

逆にどうみても日本の女性が上位であり逆にヨーロッパの女性が下位のように読み取れます。実際ルイス・フロイスの文章によれば日本ではしばしば妻が夫を離別すると書かれてあります。

近世における離婚にあたっては男より女性に「みくだりはん」(通常、三行と半分に書かれた。しかし例外もあり。現在の離婚証明書)を渡すことによって成立しました。この事をとらえ江戸時代は男が一方的に離婚できた根拠にしておりますが実際は相当違う様です。最近は民俗学の方面からいろいろ研究が進んでおります。それによりますと離婚にあたり男性側が「みくだりはん」を女性側に出す事は勿論ですが、男性にしても女性より「みくだりはん」の受取り証を貰わなければなりませんでした。これを「返し離縁状」もしくは「返しみくだりはん」と呼んでおりました。

男性は離縁した女性よりの受取り証なしに再婚すれば、何か事ある時に「返し離縁状」がなければ重婚罪となり「所払い」の追放刑の重罪が待っておりました。「みくだりはん」の前提としては女の持参金、嫁入り道具を全て返さねばならず一点をも欠けては「みくだりはん」は出せなかった事は勿論です。

ある地域の「みくだりはん」の調査によりますと現存する「みくだりはん」と家系図を比べて見ますとほとんどが婿入りの家であったとの報告だったと思います。後継ぎが出来ると女は男に「みくだりはん」を書かせ手切金を渡し家から追い出したのががほとんどであったとのことです。

これまたルイス・フロイスの記述どおりです。

ルイス・フロイスは中世の日本でこの報告書を執筆したおり、日本に関するこの報告書が絶対にヨーロッパにおいては絶対に信用してもらえないだろうと思って書いた事でしょう。


ルイス・フロイスによって描かれた日本を丁寧に見ますと現在の社会との違いに驚かされます。

日本的に完成された社会が一大変革を迎えたのは明治維新に求めることができます。明治維新は長く日本に続いた家族制度をも破壊しました。江戸時代に形式だけであった女性の地位も西洋の法律を丸写をした為にほとんどなくなりました。

ルイス・フロイスの描くヨーロッパの世界は男女同権の世界ではなく男尊女卑の社会であった事は間違いありません。日本における家族制度と家父長の考え方は軍国化する時代すなわち日清、日露戦争の時期に完成しました。明治維新は理念、すなわち革命目標がなかった事で有名で新しい国家を作るにあたり理想像を外国に求めた事にみられます。

 明治の革命の主役薩長土肥の下級武士達は自分達の武力革命を正当化する為に江戸時代は悪い時代と盛んに学校教育の場を利用しその影響は現在にも続き教科書は勿論の事、多くの歴史書もこの影響から抜けだすことができないのは誠に残念です。

 永い歴史を持つ日本史の上で女性の最大の悲劇の歴史は明治より昭和二〇年間の七五年間であった事は明らかです。

女工哀史、カラユキさん、戦争未亡人等々明治維新以後は多くの男の血と女の涙が流れました。又日清・日露の戦い・シベリヤ出兵、支那事変太平洋戦争等一〇〇〇万人を越える人々の血が流れました。その中でも昭和史は女の涙の歴史でした。

 江戸時代二五〇年間は島原の乱の死者約五万人が最高で誠に平和な時代でした。日本史において戦死者が一番少なかった事は特筆に値します。今こそ現代人にとって江戸時代とは何かを真剣に考えてもいいのではないでしょうか。
http://www.fsinet.or.jp/~yukio/ishis/onnaisa.htm
6:777 :

2022/09/30 (Fri) 06:06:11

本当は怖かった日本の農村

世間には「犯罪とは都市で起こるものであり日本古来の農村地帯は牧歌的で秩序だっていて、近代の都市部とは違い平和で犯罪はなかった」という誤解があります。
しかし、そういう閉鎖された農村地帯とか地方コミュニュティーというのは実は陰鬱でおかしな犯罪の温床でもあったのです。
例えば、間引き、夜這い、村八分、村の権力者による暴行、強姦、犬神や狐憑き殺人のような迷信や因習に縛られた暴行事件、実は殺人事件であった神隠しなど犯罪行為はゴロゴロありました。

まあ村の女性がレイプ同然に暴行されてたり、村のある一家が村八分で酷い目に合わされたり、嬰児が大量に間引きで処理されても、お上には訴えられず表立った犯罪にはなりにくいということはありますけどね。

「昔は村や地元の秩序状態が犯罪にはなりにくい犯罪を誘引していた」が正解です。

ただ、夜這いについては現代では少々、誤解があり、まるで村の女性が村の男に有無を言わさずレイプされてしまうよう言われてますが、実際は

当時の独身女性には貞操観念などなく、しかもセックスは最大の楽しみであり、村の女性たちは

「村の男が私を悦ばせにやってくる」

と夜ワクワクして床についたそうです。

薩摩だったかの逸話に村の男が男色に耽り女性とのセックスをサボりだしたのに怒った女性たちが、男たちが集まって男色している所に殴りこんで乱闘になったという逸話すらあります。

「当時の村の女は夜這いによって無理矢理犯された哀れな性奴隷であった」

という現代の誤解は「女性が自分の意思でセックスを求めるわけがない」という歪んだ女性像から来ています。

第二に女性の側にちゃんと自分の体調や相手によっては拒否権があり、
もしも、それを破って強引な夜這いに及んだ男は村八分などの制裁を受けます。

つまり夜這いは「村の男女の性の捌け口であり最大の娯楽」という男女共に楽しめる平等なものでした。

しかし、これもあくまで過去の時代の話しで現代では夜這いは一般的風習にそぐわない単なる犯罪行為になってしまったのも事実です。
夜這いの習慣の名残は各地でトラブルを生みました。

例えば単なる旅行者の女性が村の若者に村の夜這いの習慣によって集団レイプされた事件とか南九州で東京から来ていた女性が地元の男に略奪婚の習慣で拉致されて、親子ともども「うちにもやっと嫁さんが来た」と泣いて喜んだ事件とか表立った騒ぎになった事件がいくつもありました。

あと名張毒ブドウ酒事件とか津山三十人殺しも動機は夜這いのもつれらしく、
陰鬱な農村型犯罪です。

他に月ヶ瀬村の殺人や殺人事件とは思いにくいですが「便層で死んだ男」事件などもそのカテゴリでしょう。
http://pandaman.iza.ne.jp/blog/entry/526459/
7:777 :

2022/09/30 (Fri) 06:10:22

津山30人殺し
http://www.youtube.com/watch?v=yKnhrK3Fiv8&feature=related

丑三つの村 特報
http://www.youtube.com/watch?v=0vlnBB3idyk


八つ墓村 異談・横溝正史と津山30人殺し
http://www.youtube.com/watch?v=yoW7eV2MacQ&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=GqqR9qBzp1E&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=DYv8Kr7HH1A&feature=related

八つ墓村 村人惨殺シーン
http://www.youtube.com/watch?v=N5jLvL4L0ew&feature=related

津山30人殺し コレクションサイト
http://s1.shard.jp/sizimikaikann/tuyama0.html

津山事件: 津山事件報告書
http://flowmanagement.jp/wordpress/archives/1340

津山事件報告書 その2
http://flowmanagement.jp/wordpress/archives/1346

津山事件: 都井睦雄の進学先
http://flowmanagement.jp/wordpress/archives/1093
http://flowmanagement.jp/wordpress/archives/1120

津山事件: 70年目の新証言
http://flowmanagement.jp/wordpress/archives/189
http://flowmanagement.jp/wordpress/archives/category/%e6%b4%a5%e5%b1%b1%e4%ba%8b%e4%bb%b6


津山三十人殺しは、1938年(昭和13年)5月21日未明に岡山県苫田郡西加茂村大字行重(現・津山市加茂町行重)の貝尾・坂元両部落で発生した大量殺人事件である。2時間足らずで30名が死亡し、3名が重軽傷を負うという、日本の犯罪史上前代未聞の殺戮事件であった。

津山市加茂町行重
http://maps.google.co.jp/maps?oe=UTF-8&ie=UTF8&q=%E6%B4%A5%E5%B1%B1%E5%B8%82%E5%8A%A0%E8%8C%82%E7%94%BA%E8%A1%8C%E9%87%8D&fb=1&gl=jp&ei=X7SoS9W2G5SYkQWt3b2HDA&ved=0CBIQpQY&hl=ja&view=map&geocode=FZqDGAIdryH9Bw&split=0&iwloc=A&sa=X


都井睦雄は大正6年、岡山県に生まれた。両親はともに肺結核で病死、姉と祖母との3人家族だったが、彼は祖母に溺愛されて育った。知能は高く、成績いたって優秀であったが、「病弱で学校を休みがち」だった。しかしその実は、祖母が可愛い孫を風雨の強い日などは外に出さないからであった。

 小学校ではずっと級長をつとめたほどの優等生だったが、中学校には進めなかった。教師は強く推薦したのだが、祖母がうんと言わなかったためである。しかし都井はこれにさして抵抗せず進学をやめている。

 とはいっても彼に百姓仕事などできるはずもなかった。彼は巡査と教員の資格をとるべく勉強をはじめる。が、軽い肋膜炎にかかり、彼はすぐ勉強を放棄した。彼の中には強い肺病への恐怖があった。(事実、両親だけでなく姉ものちに発病している)

 この「肺病への恐怖」が強まったことが、都井の性格の変化の一因と見られている。彼は「陰性」「無気力」「怠惰」、かつ「自暴自棄」な男へと変貌していく。実際には病気はたいしたことはなかったのだが、自分より成績の劣っていた同級生たちが、経済的に豊かであるというだけで進学していったことも、彼の劣等感と被害妄想に拍車をかけたのかもしれない。

 さて、この当時の山村にはまだ「夜這い」の風習が色濃く残っていた。村や集落の女を「共有」するという考え方にもとづくものである(だから他村の者がしのびこんできた場合には、発見されると袋叩きにされた)。 都井もまた、この風習に馴染んでいた者の1人だった。

 当時の山村の貞操観念はきわめてルーズであり、それが普通とされていた。姦通罪はあったが、いさかいは相手の男が「酒を一升、夫に買ってやる」ことでたいていカタがついた。人妻であってもそれは「みんなのもの」だったのである。

 それに都井は顔青白く、そのへんのがさつな農婦などよりよっぽど物腰の柔らかな繊細な感じのする美少年だった。女たちはどうも、最初はすすんで彼にちょっかいを出していたふしがある。

 都井は村の10人前後の女性と関係を結んでいた。上は50歳から下は19歳という。

 都井は次第に村の女たちに疎まれることになる。最初は「ちょっとかわいい」からと媚態を示したものの、都井は病気でぶらぶらしているばかりで家も貧しいし、長く関係していたところでなんの得もないのだった。しかも彼はしつこかったし、肺病やみの家系でもある。女たちは急速に彼を避け、拒みはじめた。都井は戸惑ったが、しつこくすればするほど、女たちの拒絶はきつくなるばかりである。

 のちに事件を起こした都井の憎悪の中心は、この女たちへのものであった。
 彼は村の人間に村八分にされている、馬鹿にされている、と感じ、憎悪をつのらせた。

もとより根拠のまったくないことではなかったが、優等生としてのプライドの崩壊、病気への恐怖などが過敏な神経をさらにいらだたせ、関係妄想を強めさせた。妄想が拡大した結果、復讐計画はますます大規模かつ周到なものとなり、ついには村全体を標的とするまでになったのである。

 都井は峠の頂上において、心臓を撃ち抜き自殺しているのが見つかった。
 かたわらには遺書があり「うつべきをうたず、うたいでもよいものをうった」という言葉が見つかった。

彼がもっとも憎んでいた「あれほど深い仲だったのに、病気になった途端、掌を返し」た女は、虫の知らせか、その数日前に転居していた。

そして彼が男の中で憎んでいた「村の裕福者で、女たちを1人じめにしていた」者は、彼の女房が健気にも、撃たれながら必死で戸を押さえていたため殺すことができなかった。
http://www8.ocn.ne.jp/~moonston/mass.htm

以前から関係のあったA子が急に冷たくなり、「お国のためになれない肺病患者がゴロゴロしおって・・・」というような罵詈雑言を浴びた。

都井は、A子のみならず、以前から関係していたB子、C子などが急に冷たくなったり、一言も告げずに嫁いでいったりしたことを恨んだ。

「学校の級長、総長にまでなり、村の神童とまで言われた俺がなんでこのような侮辱を受けねばならないのだ」と激昂した。
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage393.htm
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/tuyama.htm

夜這いを拒否することは、男にとって大きな屈辱だった。そんなことをすれば後々まで男に恨まれて「八つ墓事件」のような事態が起きかねない。津山殺戮事件の裏には、こんな背景も考える必要がある。
http://protophilosophy.noblog.net/blog/t/10590234.html


女性の側にちゃんと自分の体調や相手によっては拒否権があり、もしも、それを破って強引な夜這いに及んだ男は村八分などの制裁を受けます。

夜這いの習慣の名残は各地でトラブルを生みました。 あと名張毒ブドウ酒事件とか津山三十人殺しも動機は夜這いのもつれらしく、陰鬱な農村型犯罪です。
http://pandaman.iza.ne.jp/blog/entry/526459/

事件の要因は都井が西隣に住む中年女性、Nさん (Tさんの姑) から恥辱を受けた事である。

彼女に年配の男性と関係を持っていると言い掛りをつけ犯そうとしたところ、嘘だと見破られ涙を流しながら畳に額をこすりつけて口止めを頼んだがNさんはこの一件を部落中に告げた。
 
これが元で都井は修羅と化し、未曾有の凶行に走る。

都井自殺現場にあった遺書の最後の一文が殺人鬼が書いたと思えぬ程美しく、印象深い:

もはや夜明けも近づいた、死にましょう。
http://iai1016.jugem.jp/?eid=766

6 名前:修羅 投稿日: 2003/10/21(火) 01:55
 小生は、当時の風俗その他状況証拠(噂等含む)からも、都井睦雄の遺書が大筋真実で、
女達の供述は死んだ都井に原因を全て被せようとする嘘に違いないと思いますが 
都井に感情移入しているせいでしょうけど、女達の態度が許せないと思います


8 名前:修羅 投稿日: 2003/11/01(土) 01:18
当時の同年代の加茂町周辺在住のおばあちゃんが、事件のことを
語りたがらないというHPをどこかで見ました 夜這いの慣習はあり、女の
側が誘うケースも多々あったのではないかと連想させられます

丑三つの村の映画、小生も見ました 「田中美佐子の裸以外見るべき
所のない三流エロ映画」という酷評もありますが(^^;)、津山事件を
うかがい知るには、八つ墓村よりも遙かに(というか八つ墓村は元々違う
のですが)、村の女達も、結核に対する差別も、そして雰囲気全般も、
「当時はこんな感じではなかったか」と思わせる秀作だと思っています
奥山和由作品とのことですが、どうなんでしょう・・


12 名前:サキ子 投稿日: 2003/11/15(土) 16:03
やっぱり殺しちゃうのはよくないかなとは思うのですが、
都井に対する村人の態度は許せないものがありますよね。
特に嘘をついてデマを流し、病気だった都井を
精神的に更に追いつめた女達はひどすぎますよね。

都井をかばうとかじゃないんだけど、遺書を読むと、都井の悲しみが
流れてきて、こんな風に簡単に書くのもどうかと思うのだけど、
せめて一人でも彼の本当の気持ちを解ってあげられる人がいたならと
思ってしまいました。
それでもやっぱりどうなったかはわからないのだけど。


17 名前:加茂 投稿日: 2003/11/24(月) 01:40
隔離された山村では、昭和に入っても夜這いという風習が行われていたんですね・・・


18 名前:田舎っぺ 投稿日: 2003/11/27(木) 01:27
この事件はたしかに夜這いという風習も無視できないだすね。女性は村の共同
財産で、村の男が共有できるという考え方だすね。昔は地方だったら、どこでも
行われていたらしいだす。大和撫子だとか貞操観念だとかそんなもんあった
もんじゃなかったらしいっす。都井もかなりの色物で、大阪の遊郭まで足を
運んでたし、村の複数の女と関係してただす。


34 名前:修羅 投稿日: 2004/02/18(水) 02:09
当時の新聞の他の記事や広告を見て、何となく当時の雰囲気が分かった気になりました
そのうちの一つでかなり目に付いたのが、健康増進の記事や
広告記事でした 現在なら雑誌の広告特集に載っているよう
な「体験談」等が、新聞広告として大きく掲載されていました

読むと「・・?」と思う、科学的根拠が乏しいと思われるものも
多くありました 都井睦雄が結核治療のために石油を飲んだ、
という逸話もうなづけます

そして結核で誰々が死亡という記事も多く目に付きました 間
違いなく、当時は結核は怖れられていて、患者は避けられ、
差別されていたのだろうと思いました


36 名前:えふ 投稿日: 2004/02/19(木) 23:57
田舎に住んでいるとよく分かりますが、田舎へ行けば行くほど
「自分たちとはどこかが違う」人に対しての風当たりがきつかったりします。
極端な言い方をすると「目立つ」だけで時には「困った存在」に
なる事もあるぐらいですね。
都井睦夫をかばうとかというのではないですが、
かつての田舎(都井の故郷だけでもないですが)は「村の秩序の中で横並びに
生活できる」事が重要だったんだろうと思います。


47 名前:ゼロ 投稿日: 2004/05/14(金) 01:23
都井睦雄の頭の中は村人との関係において不治の病に罹ったことで自分がのけものにされているという妄想が支配していたんでしょうね。文武両道という言葉がありますが、成績優秀にもかかわらず祖母に反対されて進学することを断念し、徴兵検査では不合格になり、仲の良かった女にもそっぽをむかれ、、、いいことないですね。


49 名前:ムチヲ 投稿日: 2004/05/18(火) 01:11
中村氏は精神分裂病の可能性を明快に否定されてますねー。
都井睦雄の場合、敏感関係妄想と発揚性神経闘争症という2つの性格が
1人の人間のうちに凝縮している例だと分析されています。
55 名前:オペロ~ン 投稿日: 2004/08/23(月) 21:06
都井の遺書を読むと、確かに都井のことが不憫に思えます。
生い立ちのあたりを読んでも、特にこんな事件を起こすような感じにも思えませんでした。
やはり「迫り来る死」がわかったことによって、至って自分中心の考え方しかできなくなってしまったのでしょうか。

逆に事件に至る直前のあたりを読んでみると、都井のどうしようもない部分が感じ取れました。どんどん自分で破滅へと向かってますもの。
いくらなんでも、単純に銃を持って村の中をうろついてたら、誰だって避けるに決まってますからね。
周囲の村人も十分悪いと思いますが、やっぱり自業自得感は否めませんね。
でもどっちかと言うと、その行為を肯定するわけじゃないですけど、事件を起こした都井の感情の部分、私は納得できる。

そんな中、私が一番興味を惹かれたのは、2.26事件と密接に関係してる点ですね。 あのクーデターが要するに軍の覇権争いなワケですよね。
で、結局軍事国家になってしまった、というワケですよね。

そこで男子でありながら、結核になってしまった都井は、軍人になれない、「使えない人間」の位置づけになってしまう。そのため、周囲の目が一転してしまう。

この時代、都井だけではないでしょうけど、こういった人の為の「受け皿」がなかたことが、事件の発生につながったように感じます。


68 名前:はな 投稿日: 2004/09/01(水) 21:52
 この事件の起こった要因は、いろいろあるのでしょうが、
一番の大きな要因というか、起因は「祖母からの溺愛」であると、私は思います。

 過度の「溺愛」は、ある意味、一つの「精神的虐待」であると思います。
過度の溺愛というのは、愛しているかのように見えて、実は子供を、愛してないと思います。

自分の心の欠けてる所を補おうとして、子供の心と癒着し、子供に必死に、しがみついているのです。
子供が「自分の一部」になることを望み、自分の中に「取り込もう」としてるのです。

 やっかいなことですが、多くの場合、やってる本人はまったく自覚がなく、
むしろそれが「愛情」だと信じて疑わず、「良かれと思って」やっています。
べったりと、身も心も子供と癒着してますが、
決してその目を「子供自身」に向け、見ようとはしません。

実際は自分のことしか考えておらず、「自分の為」に子供を利用しているのです。
自分の支配下で、無言下に自分の思い通りに動くのを期待してるのです。

 子供は、自分(心)を取り込もうとする親(親に代わる対象)に追い込まれ、
脅威を感じ、窒息しそうになり、そして無意識ながらも「決してこの人は
本当の自分を見てはくれないのだ」という絶望感と孤独にさいなまれます。
そして、一番身近で頼るべき存在の親が「自分という存在を見ようとせず」に、
暗にずっと『自分の存在を否定され続けて』育つわけですから、自ずと
無意識の強い「自己否定感」と「抑圧された自我」を持つことになります。

 また、心が未熟で、自分自身が自立できてない親は、子供との癒着によって
自分の心のバランスを取ろうとするので、子供が精神的に自立し、成長し、
自分から離れていくということは、決して許せません。

 それ故、身体的虐待に限らず、「溺愛」といった精神的虐待も、子供の心を蝕み
その精神的成長を著しく阻害し、また破壊して『病的な心』を生む大きな要因と
なるのだと思います。また「過干渉」「無関心」も同様です。

 近年の少年少女による殺人の多くは、目に見える身体的虐待だけでなく、
『一見ごく普通で、よく見える家庭』で、その実「精神的に未熟で自立できてない親」による、親自身も自覚してない、目に見えない精神的虐待に、
大きな原因があるのでは?という気がしています。


70 名前:シアン 投稿日: 2004/09/02(木) 00:05
私も愛情を注ぎすぎるのも問題だと津山事件を知った時に思いました。
津山事件の場合、両親が早くに亡くなり、都井家を継ぐ
長男という事で目に入れても痛くないかわいさだったのでしょうね。

よく自分の子供より孫の方がかわいいと聞きます。
孫可愛さに学校には行かせない手元においておきたいという祖母の愛情をいい事に
働きもしないで、畑仕事やご飯の支度まで年老いた祖母にさせるとは!!と
ちょっと腹がたつところもあります。


77 名前:シアン 投稿日: 2004/09/24(金) 09:49
ミステリーの系譜よりも圧倒的な情報ですごいですよね。
でも、1歳からの生い立ちはどうやってあんなに詳細にわかるのか不思議です。
都井の友達の話がすごいなと思いました。
蝶よ花よと育てられた(違)結果が都井の性格になってしまって
両親の存在は大きいのだと実感させられますね。


78 名前:ポーロック 投稿日: 2004/11/12(金) 20:19
この事件に関してですが、大学の図書館で少し調べたことがありますが、
当時の内務省の調査資料と司法精神医学に関する文献に事件の概要などが
詳細に記載されています。
被疑者の心理学的プロファイルも作成されており、仮に逮捕されて裁判
にかけられても心神耗弱が認められる公算が大な事例であったと記憶して
おります。


79 名前:昔話 投稿日: 2004/11/15(月) 18:53
この事件のことを、何回も父親や叔父達に詳しく聞いた事があります。
明方半鐘が鳴り、祖父たちが山狩りに出かけた事や、風穴の開いた死体、
都井の自殺現場、(何かにもたれて膝の上に猟銃があり、死んでいるのか、
寝ているのか判らなかったそうで、石を投げつけたり、棒でつついたりしたそうです)

都井の生い立ち、当時の結核患者に対する地域意識などなどの話の中で動機について、みな一様に自分でもそうしたであろうと言う風に断言はしませんがそれに近い事を云っていました。

何で?と、質問すると渋染め一揆から後の色々な事件、騒乱の話をしてくれました。

当時、都井は正常で、生い立ちより両親を肺病で亡くして倉見を後にし(肺病で両親を亡くせば自然と敬遠された筈)、祖母の生地に都井家を構えたが、肺病の系統の家、都井家の継続の狭間で、自分も肺病にかかり小さい集落の中での奈落の底の差別を受けてただ死ぬことは出来ない!というようなことを話していました。結論的に言うとなるべくしてなった。

と、言う事です。


82 名前:昔話 投稿日: 2004/11/17(水) 14:51
近づけば当然判るのですが、林の中で、見通しが悪く都井らしき者が横たわってる
程度しか最初は判らなかったみたいです、武装した凶悪犯ですから、いつ撃たれるかも知れないので恐ろしくて皆、声は掛けても、なかなか近寄れなかったみたいです。

 今でも津山警察に犯行時都井が着ていた装束一式を、展示してあると思いますよ。


90 名前:奈々 投稿日: 2005/01/26(水) 12:36:49
>バイシュン、買春と呼ばずとも夜這い、間男、女狐など日本の山間部やどこの田舎にも存在していたことは事実のようですよ。

所謂「パンパン」とも異なり、生活のために身体を張った女性達の存在とも何処か違うのは「性の捌け口」を求めて夜な夜な彷徨う田舎の若者や年寄りたち子どもに至るまで映画以上だと聞きます。祖父達がどうも話したがらない口の重い問題でもあるようです。

先ず貞操観念は皆無だったのではと思わせる事実関係として、女性は伴侶に亡くなられ未亡人になると次から次へと嫁に出されていた訳です又旦那の不在中には裏戸の鍵を閉めていなかった「戸が開いていた」とも言われています。

田舎ほどに開放的?であり長閑な集落で陰惨な殺人事件が発生しても不思議ではないようです。

犯罪に女性の存在があった無秩序であり閉鎖され口減らしも背景にあると思われています。

ストライクゾーンが血縁でも行われていた事実であると認識しています。

実際に起こった事です。

昭和20年母方の田舎では、近所で女性を巡り他所様の女房に手をかけて挙句の果てに旦那を殺している事件があったそうです。

語り部さんも口を憚るあっという間で噂も広がり親族が出て行くと言う悲しい出来事も存在していたようでした。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1064241807/


都井睦雄の遺書は3通あった。2通は自宅で発見された「遺書」と「姉上様」と書かれたもの。他1通は都井が自殺した現場から発見された。 自殺現場から発見された遺書を掲載する:


いよいよ死するにあたり一筆書置申します、決行するにはしたが、うつべきをうたずうたいでもよいものをうった、時のはずみで、ああ祖母にはすみませぬ、まことにすまぬ、

二歳のときからの育ての祖母、祖母は殺してはいけないのだけれど、後に残る不びんを考えてついああした事をおこなった、楽に しねる様と思ったらあまりみじめなことをした、まことにすみません、涙、涙、ただすまぬ涙がでるばかり、
姉さんにもすまぬ、はなはだすみません、ゆるしてください、つまらぬ弟でした、この様なことをしたから決してはかをして下されなくてもよろしい、野にくされれば本望である、

病気四年間の社会の冷胆、圧迫にはまことに泣いた、親族が少く愛と言うものの僕の身にとって少いにも泣いた、社会もすこしみよりのないもの結核患者に同情すべきだ、実際弱いのにはこりた、今度は強い強い人に生まれてこよう、実際僕も不幸な人生だった、今度は幸福に生まれてこよう。

思う様にはゆかなかった、今日決行を思いついたのは、僕と以前関係があった寺井ゆり子が貝尾に来たから、又西川良子も来たからである、 しかし寺井ゆり子は逃がした、

又寺井倉一と言う奴、実際あれを生かしたのは情けない、ああ言うものは此の世からほうむるべきだ、あいつは金があるからと言って未亡人でたつものばかりねらって貝尾でも彼とかんけいせぬと言うものはほとんどいない、
岸田順一もえい密猟ばかり、土地でも人気が悪い、彼等の如きも此の世からほうむるべきだ。

もはや夜明けも近づいた、死にましょう。
http://gonta13.at.infoseek.co.jp/newpage393.htm
8:777 :

2022/09/30 (Fri) 06:13:37

» 寺井ゆり子(筑波本で使われていた仮名、都井睦雄が最も執着していた女性)

ゆり子の孫が死んで「そりゃーバチがボチボチ当たらにゃー」と言われたという話について。「ダークサイドJAPAN」2001年10月号に下記のような記述があります。

実はゆり子は事件から半年余り後、嫁ぎ先で娘を出産した。結婚から出産までの短さを考えると、あまりにも不自然なことだ。そこで、ゆり子の家の近所の老人たちは、これを都井の子供ではないか、と陰でささやいている。

「ゆり子の夫は、元々結核持ちで、戦争末期に兵隊にとられて、すぐに兵舎で死んでしまったのです。明らかに持病のせいだったのですが、ゆり子は徴兵中に夫は結核に感染し、死亡したと申請し、その後かなりの金額の遺族年金を受給し続けました。だから、都井をだまし、夫の死因をだまして生きてきて、よくバチがあたらないね、と噂していたものです」(ゆり子の近所の古老)


ゆり子はその後罪の意識から新興宗教に入信していたとのことです。
http://flowmanagement.jp/wordpress/archives/257
http://flowmanagement.jp/wordpress/archives/tag/%e5%af%ba%e4%ba%95%e3%82%86%e3%82%8a%e5%ad%90



266 :本当にあった怖い名無し[sage]:2008/06/17(火) 02:07:41 ID:f6XGXFTU0
睦雄は過去に関係のあった岸田栄子42歳と会話中に
姉に似ている寺井ゆり子のような女が好みだと言った。

睦雄は世間を甘く見ており、これで誰かがゆり子との仲を
取り持ってくれるだろうなどと考えたが、逆に岸田栄子は
友人の西川須磨子にこの件を話し、須磨子はゆり子と
隣村の男との縁談を急ぎとりまとめた。

同時に栄子と須磨子は睦雄と交際していた寺川みゆきに
睦雄はゆり子が好きだったと話した。

怒ったみゆきは睦雄の幼馴染である丹波隆の所に嫁入りした。
ここに及んで睦雄の村の女への疑心暗鬼は一層高まった。
http://s1.shard.jp/sizimikaikann/tuyama30.html

「お前は肺病で徴兵をハネられたんやないか。それやったら1日も早く病気を治して、お国のためにご奉公するのが若いもんのつとめやないか。

それもせえへんで、肺病やいうてのらくらしくさっているんくせして、女に手え出すちゅうのんはなんじゃい。

それにうちは亭主持ちじゃぞい。人のかみさんに手え出すちゅうのんは、とんでもないこっちゃ。

お前がそないに恥知らずとは知らんかった。こら強姦やからな。お前のおばはんに話しして、駐在所にも知らせにゃいけん。このままほっといたらなにやらかすか恐ろしけんの」
http://s1.shard.jp/sizimikaikann/tuyama4.html

只友登美男さんは22歳の時に隣の地区から嫁をもらいました。その嫁の実家が都井君の近所だったのです。

この「嫁」というのが「西川秀司」方の長女「良子」さん(当時22)。

「登美男」さんによれば、結婚して3ヶ月ほどたった5月20日、「登美男」さんの妻「良子」さんの友人である同郷の女性が、「弟が結婚したから、祝いをかねて里帰りする」から一緒に帰らないかと誘ったといいます。

「寺井ゆり子」さん(当時22)さんは都井君のいわば「本命」ということのようですが、都井君によれば「良子」さんとも「関係」があったとのことで、たまたまこの日2人が里帰りしていたのが犯行のきっかけとなったといわれています。

「登美男」さんは「ゆり子」さんについては、彼女が嫁に行く時に都井君が茅を積み上げて通せんぼしたという話しをして、2人の「関係」を強調しています。

「ゆり子」さんは都井君を振ってこの年の1月に同じ部落の「丹羽卯一」と結婚しましたが、都井君がこれにも夜這いをかけるので3月に離婚しています。

5月には上賀茂村大字物見の「上村岩男」と再婚していて、この度の里帰りは再婚してから2週間目ですから、これは土地の習慣に習ったもののようです。

都井君は「おまえを残しちゃいけんのや!」と言って、床下に隠れた「ゆり子」めがけてバンバン撃ち込んだようです。その際「ゆり子」さんの喉元を銃弾がかすめ、擦過傷を負わせました。
http://worstblog.seesaa.net/archives/20080513-1.html


花輪和一 画 :都井睦雄と女性達
http://blog.naver.com/PostView.nhn?blogId=obseenko&logNo=80055864389&viewDate=¤tPage=1&listtype=0

睦雄は寺井ゆり子に徹底的に振られているばかりか、他の女性たちからも蛇蝎の如く嫌悪され、村の中では「へのけ」にされ、青年団への入団の勧誘もなく、完全に孤立した状態に置かれています。

そしてそれは最終的には性的な孤独であって、「共同の閨」としての村の性的なネットワークに参入出来ないこと、「なんでおれだけさせてくれんのじゃ」という絶望的な怒りなのです。

そうであってこそ、あるいは銃弾を女たちの下半身にぶち込み、あるいは日本刀で女たち刺し殺しまくるという惨劇にも納得がいくというものでしょう。
http://worstblog.seesaa.net/article/96842633.html

非常時局下の国民としてあらゆる方面に老若男女を問わずそれぞれの希望をいだき発刺と活動している中に僕は一人幻滅の悲哀をいだき寂しく此の世を去っていきます。

 姉上様何事も少しも御話しせず死んでいく僕、何卒御許しください。自分も強く生きて行かねばならぬとは考えては居ましたけれども不治と病と言われる結核を病み大きな恥辱を受けて、加うるに近隣の冷酷圧迫に泣き遂に生きて行く希望を失ってしまいました。たった一人の姉さんにも生前は世話になるばかりで何一つ恩がえしもせずに死んで行く此の僕をどうか責めないで不幸なるものとして何卒御許し下さい。

僕もよほど一人で何事もせずに死のうかと考えましたけれど取るこ取れぬ恨みもあり周囲の者のあまりのしうちに遂に殺害を決意しました。

病気になってからの僕の心は全く砂漠か敵地にいる様な感じでした。周囲の者は皆鬼の様なやつばかりでつらくあたるばかり病気ほ悪くなるばかり、僕は世の冷酷に自分の不幸な運命を毎日のように泣いた。

泣き悲しんで絶望の果て僕は世の中を呪い病を呪いそうして近隣の鬼の様な奴も。

 僕は遂にかほどまでつらくあたる近隣の者に身を捨てて少しではあるが財産をかけて復讐をしてやろう思うようになった。それが発病後一年半もたっていた頃だろうか、それ以後の僕は全く復讐に生きていると言っても差し支えない。

そうしていろいろと人知れぬ苦心をして今日まで至ったのだ。目的の日が近づいたのだ、僕は復讐を断行します。

けれど後に残る姉さんの事を思うとあれが人殺の姉弟と世間のつめたい目のむけられることを思うと、考えがにぶる様ですが、しかしここまで来てしまえばしかたがない。どうか姉さん御ゆるしの程を。

 僕は自分がこのような死方をしたら、祖母も長らえては居ますまいから、ふびんながら同じ運命につれてゆきます。道徳上から言えば是は大罪でしょう。それで死後は姉さん、先祖や父母様の仏様を祭って下さい。祖母の死体は祖父のそばに葬ってあげて下さい。僕も父母のそばにゆきたいけれどなにしろこんなことを行うのですから姉さんの考えなさる様でよろしい。

けれど僕は出来れば母のそばにゆぎたい。そうして冥土とやらへいったら父母のへりでくらします。何しろ二、三歳で両親に死別しましたから、親は恋しいです。それから少しの田や家はしかるべく処分して下さい。尚簡易保険が二つ、五十銭ずつ毎月はるやつがあるのですがもらえる様でしたらもらって下さい。おねがいします。

 ああ僕も死にたくはないけれど家のことを思わぬではないけれど、このまま暮していたらどうせ結核にやられるべきだろう。

そうしたら、近隣の鬼の様な奴等は喜ぼうけれど僕はとてもうかばれぬ。どうしてもかなり丈夫で居る今の間に、恨みはらすべきです。復讐々々すべきです。

では取急ぎ右死する望み一筆かきおきます。僕がこのような大事を行ったら、姉さんは驚かれるでしょう。すみませんが゛とうかお許し下さい。

 こういうことは日本国家のため、地下に居ます父母には甚だすまぬことではあるが、しかたがありません。兄さんによろしく


 五月十八日記之

 おなじ死んでもこれが戦死、国家のために戦死だったらよいのですけれども、やはり事情はどうでも大罪人と言うことになるのでしょう。

(どうか姉さんは病気を一日も早く治して強く此の世を生きて下さい。僕は地下にて姉さんの多幸なるべきを常に祈って居ます)

死するに当たり一筆書置申します、

決行するにはしたが、うつべきをうたずうたいでもよいものもうった。

時のはずみで、ああ祖母にはすみませぬ。まことにすまぬ。二歳の時からの育ての祖母、祖母は殺してはいけないのだけれど後こ残る不びんを考えてついああした事を行なった。楽に しねる様にと思ったらあまりみじめなことをした。まことにすみません。

 涙 涙 ただすまぬ涙が出るばかり、姉さんにもすまぬ、はなはだすみません許して下さい。つまらぬ弟でした。

この様なことをしたから(たとい自分のうらみからとは言いながら)決して墓をして下さらなくてもよろしい。野に腐れれば本望である。

病気四年間の社会の冷淡、圧迫にはまことに泣いた。

親族が少なく愛と言うものの顔の身にとって少ないにも泣いた。

社会もすこしりみよりのないもの結核患者に同情すべきだ、実際弱いのにはこりた。今度は強い人に生まれてこよう、

実際僕も不孝な人生だった。今度は幸福に生れてこよう。

思う様にはゆかなかった

もはや夜明けも近づいた、死にましょう。

http://www.unkar.org/read/bubble6.2ch.net/archives/1161653541
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/tuyama.htm


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2024/03/24 (Sun) 06:07:43

宮崎駿 「君たちはどう生きるか 」 アカデミー賞受賞の理由
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宮崎 駿 みやざき はやお (東京都 1941年1月5日 - )
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扱いが酷すぎたジブリ作品4選
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宮崎駿『となりのトトロ』
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宮崎駿『風の谷のナウシカ』
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宮崎駿『千と千尋の神隠し』
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【ジブリ】「実は、10年前からずっと採算取れてないんですよ」社員を95%以上リストラ!?スタジオジブリの裏事情がヤバすぎる…【宮崎駿】【岡田斗司夫 / 切り抜き / サイコパスおじさん】
2023/07/14
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壺齋散人 映画を語る
https://blog2.hix05.com/archives.html

ルパン三世カリオストロの城:宮崎駿
風の谷のナウシカ:宮崎駿
天空の城ラピュタ:宮崎駿
となりのトトロ :宮崎駿
もののけ姫:宮崎駿
千と千尋の神隠し:宮崎駿
ハウルの動く城:宮崎駿
崖の上のポニョ:宮崎駿

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