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時代錯誤の「比較優位の原理」を鵜呑みにしている自称経済学者 池田信夫

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2022/08/23 (Tue) 22:11:43

時代錯誤の「比較優位の原理」を鵜呑みにしている自称経済学者 池田信夫

内田樹氏の知らない比較優位 (池田信夫blog)
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51752213.html

自由貿易で交易が活発になることによって、経済が成長すると思っている人が多い。この理論的根拠の一つがリカードの「比較優位の原理」である。

このリカードの理論は供給サイドだけで経済の成長を捉えている(需要は無限で生産したものは全て消費されるといった前提)。交易によって余った生産要素が他の物の生産に振り向けられ、経済が成長するといった理屈である。つまりデフレ経済の今日の日本には全く当てはまらない幼稚な経済理論である。

しかし教科書でこのリカードの「比較優位の原理」を学んだ学校秀才は、いかなる時にもこの理論が適合できると思い込んでいる。そしてこの自由貿易の障害が、関税であったり、また非関税障壁と呼ばれている補助金や各国の規制と考えている。

中でも最大の交易の障壁が関税という認識である。したがって関税撤廃を目指すTPPは、自由貿易の信奉者に熱烈に歓迎されている。しかしリカードの「比較優位の原理」が唱えられたのは、18、19世紀の牧歌的経済システムの時代を前提にしている。また後ほど述べるが、今日では関税以外の大きな貿易の障壁があることが常識になっている。

http://adpweb.com/eco/eco651.html


 池田氏は、『内田樹氏の知らない比較優位』のなかで、「「アメリカが強硬に日本のTPP参加を要求」しているというのは、何を根拠に言っているのだろうか。たとえばNYタイムズで"TPP"を検索すると、2件しか出てこない。その一つでBergstenは「大統領も共和党もTPPに関心をもっていない」と嘆いている。アメリカにとってTPPは、小国を相手にしたローカルな通商協定にすぎない。そこに主要な輸出先でもない日本が入って来ても来なくても、どうでもいいのだ」と書いている。

 米国政権が日本政府にTPP参加を要求しているわけではないという根拠の最初に、NYTの記事検索を持ち出すのには驚いた。 それは、TPP(や対日通商交渉)が米国国民やメディアにとってそれほど大きな関心事ではないことを意味しているとしても、米国政権が日本政府にTPP参加を要求していないという傍証にすらならない。 TPPのキーワードでNYTの記事を検索せずとも、米国政権が日本政府にTPP参加を強く望んでいることは、日本で報道されている米国政権の言動から十分にわかることである。

 日米の貿易関係は、「水平分業」で棲み分けがうまくいっている構造になっていると考えている。

 韓国企業との関係とは違い、それほど激しいつばぜり合いを演じることはなく、品目や対象地域(市場)で棲み分けている。(韓国企業とは、市場と品目(完成品)の両方で深刻な角逐状況にある)

 池田氏は、米国にとって日本が主要な輸出先ではないという説明を否定せずそのまま使っているが、ちょっと調べればわかるように、カナダ・メキシコ・中国に次ぐ第4位の位置にあり、英国やドイツよりも上位なのである。(対日輸出512億ドル:輸出全体の4.8%)

 池田氏は、さらに、「TPP反対派は、高校の政治経済レベルの経済学も理解していないことが多い」と指弾し、その根拠として、『比較優位の原理』を持ち出している。

 池田氏は、クルーグマン氏の教科書から説明を引用し、

「各国で生産費が異なるときは、相対的にコストの安い財に特化して輸出することによって世界全体の生産量が増え、双方の国が利益を得るWin-Winが実現するのだ。これがリカード以来知られている(そして内田氏の知らない)比較優位の原理である」

と教示している。 クルーグマン氏の教科書からの引用部分:

『アメリカでは1000万本のバラを栽培しているが、これに使う資源で10万台のコンピュータを生産できるとしよう。他方、南米では同じ資源で3万台のコンピュータしか生産できないとする。アメリカでバラの生産をやめて全量を南米から輸入したら、南米のバラの生産は1000万本増えてコンピュータの生産は3万台減るが、アメリカではバラの生産がゼロになってコンピュータの生産が10万台増える。つまり世界全体では、バラの生産量は変わらないが、コンピュータの生産量は7万台増える』

 この論理で、南米にコンピュータ製造をやめさせバラ栽培に傾注させられると考えているのならお手並み拝見である。

 まず、近代経済学は物理的量ではなく金額的量が基本の考察ベースである。

 バラ1000万本の付加価値とコンピュータ3万台の付加価値を比較しなければならない。それが同じなら、とりあえずは比較優位の論を受け入れよう。 しかし、バラの付加価値が100万Gでコンピュータの付加価値が130万Gなら、南米はご冗談でしょとバラ栽培への特化を拒否するだろう。  付加価値は同じだとしても、商品の性質も関わってくる。

● バラの盛りは短く、売り時に売れなければ、腐らせてしまい収入が大きく減少する。輸送にも気をつかわなければならない。

  コンピュータは、コストダウンペースや技術革新が速く生鮮食品とも揶揄されるが、バラほどではない。見切りをつけ安売りすればバラほどの大損は食わない。経済的腐敗はあるが、物理的腐敗はほぼない。


● バラの栽培も奥行きは深いと思っているが、近代資本制産業を発展させる動因はあまりない。コンピュータの方は、半導体・映像表示装置・ソフトウェア・製造装置など近代資本制産業を発展させる要素が詰まっている。

  近代国家として今後も成長を遂げたいと思っている国であれば、現段階の生産性は低くとも、コンピュータの製造を放棄したりはしないだろう。

 池田氏は、「比較優位の原理」を使って、「日本のような製造業に比較優位をもつ国が農産物に高率の関税をかけて農業を保護するのは、製造業を犠牲にして世界経済を収縮させているのだ」という結論を導いているが、製造業従事者がこの3年間だけで100万人も減少し(総数900万人)、若年労働者層の8%以上(200万人)が失業しているこの日本で、「製造業を犠牲にして」というロジックは通用しない。

 世界最高レベルの競争力を持つがゆえに、日本の製造業は、日本国内で労働力を使いこなせなくなったのである。日本の製造業にとって日本の労働力人口は過剰なのであり、農業を保護しようがしまいが、それは変わりないのである。

「比較優位の原理」は、そのような状況ではまったく通用しないのである。

 池田氏が批判している内田氏のブログは申し訳ないが未読なので、池田氏が引用している


『貿易において一国が輸出によって大きな貿易黒字を得る場合、その相手国は輸入超過となって貿易赤字が増えることになっている。ふつうはそうである。貿易では(グローバリストの好きな)Win-Win はない。片一方が黒字なら、片一方は赤字になる。』

という部分のみについて感想を述べたい。  貿易収支の不均衡からWin-Win はないということらしいが、貿易黒字の多寡がWINの指標だというのなら別だが、経済成長や国民生活の向上を指標にするのなら、Win-Win はありえる。


 池田氏の誤りは、内田氏の主張を「比較優位の原理」で裁断していることだ。比較優位は、静態的一時的な話としては通用しても、持続的なWin-Win が論証できているわけではない。  持続的なWin-Winの条件は、

○ 一つは、米国のように、膨大な貿易赤字にお構いなしで、旺盛な財貨の輸入ができる国があること。

 戦後世界の経済発展は、国際基軸通貨ドルの発行国で軍事的にも破格の力を持つ米国が、鯨飲馬食とも言える輸入超過構造を継続してきたことに支えられている。

○ もう一つは、米国の輸入超過構造を頼りに、近代的製造業の移転を通じて途上国の国民所得をアップさせるような貿易関係。

比較優位ではなく、コストの比較どころか製造条件さえない国に先進国が製造拠点を築き、そこに生産財や部品を輸出し、そこから米国や自国などに完成品を輸出するという構造だ。それにより、雇用された人々の所得が増加し、その所得が消費を通じてその国の経済社会全体に回る。進出先の国の所得水準が上がることで、製造拠点の生産量が増えたり、自国からの製品輸出が増える。

 というようなもので、「比較優位の原理」は、Win-Winの条件でもなければ、その論証にもなっていない。

以下のリンク先の比較は参考になります。

野田オバマ初会談―各紙は何を書き何を書かなかったか

http://d.hatena.ne.jp/oguogu/20110923/1316769113


オバマ大統領


『大統領は初顔合わせにもかかわらず、具体的な結果を明確に求めてきた』(朝日新聞)、『オバマ大統領が示したビジネスライクな要求』(毎日新聞)、

『一変した大統領の実務的な口ぶりに、同席の米高官らも驚いたという』(産経新聞)、『初顔合わせで、米大統領が懸案を巡り、ここまで単刀直入に善処を迫るのは異例といえる』(日本経済新聞)。


オバマ大統領の口調が、これまで行われた日米首脳会談とは違っていた事を各紙が伝えています。しかし、どうしてオバマ大統領が、そういう口調で話さなければならないのかという事まで触れた新聞社は一社もありませんでした。私は、各社の論説委員が国内の事だけしか考えていないからだと思わざるを得ません。オバマ大統領が日本との外交で結果を求めたのは、それだけアメリカ国内で追い詰められているからです。実際に世論調査では再選が危ういと言われていますから。

結局、オバマ大統領は、野田総理に得点になるような物を寄越せと言っているわけです。

http://www.asyura2.com/11/senkyo121/msg/582.html


【経済学理論の虚妄】 「比較優位」というリカードの“詐欺的理論”が今なお生き延びている不可思議 

- 「自由貿易主義」は「保護貿易主義」である 

「国家破産15」ボードにも「比較優位」学説が散見されたので、それを俎上に乗せたい。

まず、「自由貿易主義」は、それが有利だと考える国家が主張する「保護貿易主義」だと考えている。

自由貿易がお互いの国民経済にとってメリットがあるという理論的根拠としては、「比較優位」という考え方が示されている。

「比較優位」は経済学で幅広く受け入れられている(流布されている)理論であるが、現実と歴史をとてつもなく捨象したモデルにおいでのみかろうじて成立するものでしかない。

ここで取り上げる「比較優位」の理論は、リカードの「比較生産費説」と「ヘクシャー=オリーンの定理」とし、その対抗理論(政策)としてリストの「幼稚産業保護論」を取り上げる。

経済学から少し離れ、経済が国民経済であり、国民経済が近代国家の基盤であることを考えれば、「比較優位」がどれほど“現実離れ”したものであるかわかる。
「比較優位」を根拠として、鉄鋼産業や機械産業を確立せず、それらを外国に依存した近代国家が、国際政治の荒波を乗り越えることができるのか?

「比較優位」を根拠として、食糧を外国に依存した国家が、農業の自然規定性と自然変動や国際政治の変動を考えたとき、それで長期的な国民生活の安定を維持できるのか?

諸外国と対等に交渉できる自立した国家をめざす統治者が「比較優位」を受け入れることはないだろうし、国民の安定的な生存を第一義とする統治者も、「比較優位」を受け入れることはないだろう。

また、グローバル化が進んだ戦後世界でも、日本を除く先進諸国は「比較優位」を度外視して食糧自給率100%をめざし、自由主義の権化と見られている米国でさえ、繊維・鉄鋼・家電・自動車・半導体と次々に対日貿易規制を強要してきたことなどを思い浮かべれば、「比較優位」が、建前や理論は別として、現実としては受け入れていないことがわかる。

「比較優位」が理論としては受け入れられていても、現実の近代世界史で「比較優位」に基づいて交易が行われたことはないというのが実態である。

(近代産業勃興期の英国も、相手国(インドなど)に強制するかたちで輸出増加を達成したのだから、相互が納得する「比較優位」で交易が行われていたわけではない)

しかし、このような政治論的立場から「比較優位」を批判することが目的ではないので、経済論理に限定してその誤りを考察したいが、先にリストの「幼稚産業保護論」を見ることにする。

■ リストの「幼稚産業保護論」


リカードの「比較生産費説」を批判したドイツのリストは、自由貿易があらゆる国に利益をもたらす政策だとしても、産業構造が不変で、短期静態的な条件でのみ適用できるとした。

例えば、ドイツが近代的な紡績工場を綿糸業の比較生産費を切り下げていけば、小麦の輸出国から綿糸という工業製品を輸出する工業国に変身し、生産が大きく拡大し、経済厚生水準も大きく向上すると説明し、国家の政策で、英国製品の輸入を抑え、綿糸の国内価格を引き上げることで綿糸工業の拡大を実現すべきだと主張した。そして、リストの考えはその死後1879年にビスマルクによって採用され、それが、ドイツの工業化を促進し、重化学工業で英国を凌駕するまでになった。

これは、19世紀末のドイツまで遡らなくとも、戦後の日本を考えれば理解できることである。

米国の産業に較べて劣っていた日本の産業がついには米国を凌駕するまでになった過程を考えれば、「幼稚産業保護論」どころか「幼稚国家保護論」に基づく政策によってそれが実現されたことがわかる。

戦後日本の高度成長期は、保護関税のみならず“舶来品は贅沢”という価値観まで国民に浸透させることで輸入を抑制し、外資の直接投資を原則禁止とし、輸出の増進を国策として取り組んだ成果である。

1960年前半までに「自由貿易」や「外資受け入れ」を政策として実行していれば、今では名だたる輸出優良企業のほとんどがなく、国民生活の水準も現実の歴史過程よりずっと下回るものになったはずである。

(安価な財の輸入により国民生活が一時的に上昇することは否定しない)


■ 戦後の発展途上国


「自由貿易」主義者が戦後世界を取り上げるときは、「幼稚産業保護論」で成功した日本ではなく、戦後独立を果たした発展途上国を対象とするだろう。
発展途上国はその多くが近代化をめざし、「幼稚産業保護論」に相当する「輸入代替工業化政策」を採った。

その具体的な政策は、保護関税・輸入数量割り当て・高い為替レートをベースに、育成対象の産業が生産する財の国内価格を引き上げ、その産業が必要とする資本財の輸入に必要な外貨を優先的に割り当てるという政策を採った。

しかし、このような政策が成果を上げることは稀であった。

戦後日本やかつてのドイツが成功を収める一方で、戦後類似的な政策を採った発展途上国がうまくいかなかった要因が何かを考える。

技術力・経営・活動力という歴史的蓄積の差異を総括的要因として上げることができるが、

● 資本における有機的構成の高度化すなわち固定資本比率と規模の拡大

戦後とっても「産業革命」から既に100年以上が経過し、二つの世界大戦を経ていることから、産業の機械化が生産装置と言えるまで高度化しており、国際競争力を確保するためには、競争優位の規模を実現するためには厖大な資本投入を必要とする。

特定産業を優遇的に育成するためには、他の産業に犠牲を強いることである。
資金(外貨)が不足しているのが途上国だから、国際借り入れを行い、生産した財を輸出することで返済していなければならない。

途上国はGDPの絶対的規模が小さいのだから、対外債務の返済負担が過大なものとなる。

対外債務の過大な負担はイコール国民生活の耐乏を意味するから、国際競争力を確保できるほどの規模で産業を確立するのは無謀な試みとなる。

せいぜいが「輸入代替」という規模に制約され、国内市場向けに販売されることになる。

しかし、産業育成の資金は国際借り入れだから、その債務履行分だけは、国民経済の需要が減少する。

巨額の生産財を国際借り入れで輸入しながら、それによって生産される財が国内市場だけで販売されていれば、その産業の維持さえ困難な国民経済状況になる。

● 自国通貨を高めに設定した為替レート

為替レートが“実力”以上に高ければ、国際借り入れも相対的に軽減でき、財の輸入も有利になる。

ところが、そのために財の輸出競争条件は厳しいものになる。

「輸入代替工業化政策」という国内市場に限定した考えであったが故に、途上国の産業は育成はうまくいかなかったと言える。

国際借り入れの返済のために国内需要は減少するのだから、最低でも、債務履行に必要な外貨を輸出で稼ぎ出さなければならないのである。


■ 東アジアの経済成長


東アジア地域は、ラテンアメリカ・南アジア・中東・アフリカと違って経済成長を達成した。

東アジアが経済成長を遂げたのは、「比較優位」に従った結果でもなく、「輸入代替工業化政策」を採った成果でもない。

成功の要因は、日本を中心とした外資を積極的に誘致し、輸出拡大と国内需要拡大を成し遂げたことにある。

自前の産業育成であれば国際借り入れが必要になるが、外資であれば、生産設備の投資は外資自身が行い、そこで働く人々の教育だけ面倒を見ればいい。

極端な例をあげると、外資の工場で生産される財が全量輸出されるのであれば、財が国内に供給されることなく、そこの勤労者が得る賃金がまるまる国内企業にとっての需要として増加することになる。

財の輸出でデフレ圧力がかかることなく、需要の純増加により産業活動が活発化するインフレ傾向を生み出すことになる。

そのような経済状況であれば、需要“純”増加を梃子に国内企業の力を徐々に高めていくことができる。 そして、産業育成に国際借り入れを行ったり高価な生産財を輸入する必要がないのだから、為替レートは安い状態でいいというか、外資誘致のためにも安いほうが有利である。


国内企業の力が付いて輸出ができるようになれば、安い為替レートが国際競争力の支えとして貢献することになる。

このような発展途上国の経済成長論理は、ここ10年の中国経済を顧みれば理解できるはずである。



■ リカードの「比較生産費説」


「比較優位」の先駆理論であるリカードの「比較生産費説」からまず見ていくことにする。 簡単に「比較生産費説」を説明すると、


「世界に英国とポルトガルの2ヵ国しか存在せず、生産している財も毛織物とワインの2種類しかないと仮定する。英国は毛織物1単位を生産するのに100人、ワイン1単位を生産するのに120人を必要している。

ポルトガルは毛織物1単位を生産するのに90人、ぶどう酒1単位を生産するのに80人必要だとする。そして、英国の全労動量を220人、ポルトガルの全労動量を170人とすれば、貿易が行なわれないときの2ヵ国の毛織物の総生産量は、英国1単位、ポルトガル1単位の合計2単位である。同様に、ワインの2ヵ国の総生産量も2単位となる。


         英国     ポルトガル   2ヵ国の総生産量  
 毛織物    100人     90人     2単位
 ワイン    120人     80人     2単位
 総労働力量  220人    170人

生産性という視点で見れば、毛織物とワインともポルトガルのほうが優位にある。
直感的に考えれば、ポルトガルが両方の財を英国に輸出すればいいということになるのだが、リカードは、“より生産性が優れている財に特化して生産した方がお互いにより利益を得ることができる”と唱える。

ワインを基準にすると、  

(100/120)0.83 < (90/80)1.13

だから、英国は毛織物の生産が相対的に得意ということになる。


毛織物を基準にすると、  

(120/100)1.25 > (80/90)0.89

だから、ポルトガルはワインの生産が相対的に得意ということになる。
だから、英国は比較優位の毛織物に特化し、ポルトガルは比較優位のワインに特化したほうがいいとする。


そうすれば、

        英国     ポルトガル  2ヵ国の総生産量 
 毛織物    220人      0人   2.2  単位
 ワイン      0人    170人   2.125単位
 総労働力   (220人) (170人)  


 2ヵ国の総生産量を見ればわかるように、貿易しない場合に比べて、総労働量に変化がないにもかかわらず、それぞれの財の生産量が増加する。」


このような“詐欺”的説明でリカードは、自由貿易がお互いの国民経済にとって有利なものだと主張した。

財の特性にふれることもなく二つの財だけを比較するだけで、国民経済の利害を論じるとはなんとも雑ぱく話である。

例として上げられたポルトガルは、当時英国の属国同然だったから反論をしなかったかもしれないが、まっとうな統治者がいればきちんと反論していたであろう。
仮想のポルトガル統治者による反論を試みる。

● ポルトガルの仮想反論


「私どもの生産性のほうが毛織物でもワインでも高いということがよくわかりました。しかし、私どもの国では毛織物とワインの生産量と需要はぴったり合っていて、ご提案の内容によって賃金総額が増えることはありませんから、生産量が増えてもそれらの需要は増加しません。余った財はどうなさるのですか?全部お金に代えるとしたら、安く売るしかないんじゃないですか?」

「リカードさん、ではこうしましょう。英国の毛織物とワインの需要量はどれほどですか?私どもでその分を生産して貴国に輸出して差し上げます。もちろん、現状の労働力量では生産量を増加させることはできませんから、おたくの国から労働者に来てもらって結構ですよ。ほら較べて見てください。

        英国   ポルトガル  2ヵ国の総生産量 
 毛織物     0人    220人   2.44  単位
 ワイン     0人    170人   2.125単位
 総労働力  ( 0人) (170人)

        英国     ポルトガル  2ヵ国の総生産量 
 毛織物    220人      0人   2.2  単位
 ワイン      0人    170人   2.125単位
 総労働力   (220人) (170人)

ワインの生産量は変わりませんが、毛織物は2.2単位が2.44単位に増加します。うちで全部生産したほうが毛織物も生産量が増えますよ」


「それがおいやでしたら、英国はワインを、ポルトガルは毛織物をという分担は如何でしょう。毛織物は機械産業も必要ですし、毛織物や機械産業を別の織物業の発展にも貢献します。ワインの生産量が減ることについては、飲酒抑制を呼び掛けて何とかしますから大丈夫です」


現代のリカードは、ポルトガルの反論にどう答えるのだろう。

国民経済の発展が、農業就業人口の減少とそれに代わる工業就業人口と商業・サービス業就業人口の増加という現象を伴ったこと、金額であるGDPでも同じ現象を示し、現在の日本の農林水産業がGDPに占める割合は1.4%しかないことを考えれば、ポルトガルがワインに特化すれば、その後どういう“発展”を遂げなければならないかを推測するのはそれほど難しいことではない。


■ ヘクシャー=オリーンの定理


 比較優位を説明する理論としては、リカードの「比較生産費説」の他に、ヘクシャー=オリーンの定理がある。

ヘクシャー=オリーンの定理は、貿易する2国間で生産関数と消費関数が同一であったとしても、2国間に要素賦存比率の違いがあれば両国で異なる財に比較優位が発生して貿易が有効になると証明したとされるものである。

ヘクシャー=オリーンの定理が成立する条件は、

(1)2国2財2要素モデル
(2)生産関数と消費関数は2国で同一
(3)市場は完全競争
(4)二つの国は一方が資本豊富国でもう一方が労働豊富国
(5)二つの財は一方が資本集約財でもう一方が労働集約財
(6)二つの要素は資本と労働であること。
(7)生産要素は国内では自由に移動できるが、国境を越えて移動できない

である。そして、要素賦存の違いが国内の財の相対価格に反映されるとする。
資本豊富国では、同一の生産関数の下では労働豊富国よりも資本集約財の相対価格が低く、労働集約財の価格が高くなる。

だから、各国は、自国に相対的に豊富にある生産要素を集約的に用いる財に比較優位をもつことになると結論する。

まず、この定理では、類似的な要素賦存比率である先進諸国間や途上諸国間の自由貿易の正当性を説明することができない。

先進国と発展途上国のあいだの自由貿易を正当化する説明として“限定的に”有効性を持っていることは認められるが、自由貿易ではなく、前述した外資導入による東アジア諸国の経済成長論理に較べれば劣った“経済利益”である。

また、発展途上国の位置づけを固定化するものであり、通貨的尺度で測られる資本増殖ではなく、財生産量の最大化や財価格の最小化が経済利益に直結すると考えたときのみ通用するものである。

日本経済や世界経済を見ればわかるように、「近代経済システム」では、財価格の極小化は経済利益をもたらすどころか、「デフレ不況」という経済的大災厄をもたらすことがわかっている。

「自由貿易主義」は、世界レベルで需要規模が大きく付加価値も大きい財の生産分野で国際競争力を誇っている国民経済の国家が主張する「保護貿易主義」なのである。

そして、それを高らかに唱え続けるためには、国内で完全雇用に近い経済状況が維持されていなければならない。

http://www.asyura2.com/2002/dispute3/msg/570.html


貿易とグローバリズム 05/3/7


リカードの「比較優位の原理」


ライブドアのニッポン放送買収劇は、色々な教訓を与えてくれた。日頃グローバリズムを唱えている日本のマスコミが一夜にして国家主義者に変身した。例えばテレビ朝日の広瀬社長は、政府が外資系企業による放送局への出資規制強化へ電波法や放送法の改正を検討していることについて「歓迎したい」と賛成する意向を示している。

今日、日本のマスコミは構造改革派やニュークラシカル経済学派に席巻されており、本来なら、市場至上主義を唱え、あらゆる規制に反対する立場のはずである。ところが自分達に降り掛かった災難に対してだけは、規制をして守れとはたいした了見である。まるで先週号で取上げた昔の社会党の政治家のように、日本のマスコミはダブルスタンダードである。


ところで筆者は、外資規制に賛成である。ただし放送業界だけに外資規制を適用するという考えには反対である(外国でもメディアに対して外資規制があることを根拠にしているらしいが)。全ての企業についても外資の規制を検討すべきと考える。そもそも筆者は、経済のグローバリズムそのものに疑問を持っている。筆者は、それぞれの国がメリットのある範囲で国際的な規制緩和を行えば良いという考えである。何でも規制を緩和すれば、国民が幸せになるという話は幻想と考える。

外国と交易することは、国とって良いことだという意見が強い。この考えの延長で、貿易をどんどん自由化したり、外国から大量の労働者の受入れることが良いことと考える人々がいる。日本にはFTAを積極的に進めることが必要と唱える政治家がいたり、経団連は単純労働者を日本も受入れるべきと考えている。

一般の人々の間には、素朴に日本人は国内に産出しない石油が使え、日本の製品が各国に輸出ができ雇用機会を確保できるという意見がある。しかし貿易というものは双方にメリットがあるから行われるのである。産油国は、その辺を掘ったら石油が出てきたのであり、そんなものを買ってくれる者がいることに感謝しているとも考えられる。交易が一方的に日本だけにメリットがあると考えるのはおかしい。


筆者は、経済のグローバリズムには光と影があり、今日、光の部分だけがやけに強調されていると考える。そこで本誌はしばらく経済のグローバリズムを取上げる。しかし経済のグローバリズムと言うと、テーマとして大きい。そこで経済のグローバリズムを「物の交易、つまり貿易」「資本の移動、つまり外資の進出」「人の移動、つまり外国人労働者」の三つの側面から論じたい。

まず「貿易」を取上げる。貿易が活発になることが、どの国にとっても良いという意見は誰もが主張したがるが、驚くことにこの根拠はとても薄弱である。このような考えの根本を辿って行くと、どうしてもリカードの「比較優位の原理」に到る。これについては中国との交易の関係で、本誌02/7/22(第261号)「中国の不当な為替政策」で取上げた。

「比較優位の原理」が適切に働くには、為替レートが適切な水準にある必要がある。しかし日本のように購買力平価より高い為替水準で推移している国がある一方、中国やインドのように購買力平価より著しく低い為替水準の国がある。さらに中国は、不適切な為替レートを米ドルにぺッグすることによってずっとこの不適切な為替レートを維持している。このようなことが許されるなら「比較優位の原理」が働くのではなく、全ての生産物は中国で生産することが有利になる。

だいたいリカードは18世紀後半の経済学者であり、当時は金本位制の時代である。つまり不適切な為替レートなんて考える必要がなかったのである。さらにリカードの唱える古典派の経済学では「生産した物は全て売れるというセイの法則」が成立っている。つまり「比較劣位」となって競争に破れても、生産者は他の物を生産する道があるという現実離れをした考えが根本にある。

やはり日本は内需拡大を


「比較優位の原理」は為替変動が適切でなければ適切に働かないだけでなく、古典派経済学の前提になっている完全競争下でなければ公正に働かない。ところが現実の経済では産業によって参入障壁の高さがまちまちである。参入障壁が高い産業は、政府の保護政策がなくとも自由貿易で損をすることがない。一方、参入障壁の低い産業は、貿易の自由化の悪影響をもろに受ける。

経済のグローバリズムと参入障壁の関係は、本誌でも

00/5/15(第162号)「経済のグローバル化とNGO」
http://www.adpweb.com/eco/eco162.html

で述べた。参入障壁の高さがまちまちの状態のままで、単純に貿易の自由化を進めれば、貿易の自由化で恩恵を受ける人々と、損害を被る人々に別れる。たしかに日本において所得格差の広がっているが、これも貿易の自由化の進展と関係している。また参入障壁が低い産業(農業などが典型)は主に地方に配置されており、貿易の自由化の進展は今日の地方経済の疲弊と密接な関係がある。

また部品工業を取り上げれば、参入障壁が低い汎用品を生産しているところは貿易の自由化で損害を受け、特殊な部品を造っているところは影響が少ない。たしかに汎用部品なんか作っている時代ではないという意見もある。しかし全ての部品メーカが特殊部品の製造メーカに簡単に移行できるわけではない。ましてや中国のような不当な為替政策を行っている国の台頭を容認することは問題である。

農業についても、北海道のような工作面積広く米に頼ることのない農業をやっている所と、本州のように農家が依然米作にこだわりを持つ地域とでは利害が対立する。北海道は貿易の自由化を容認するかもしれないが、本州の農家は簡単には農産物の自由化を容認できない立場である。このように貿易の自由化と言っても、国民の利害は一様ではないのである。


中国やインドの為替政策は不正であるとか、日本国内の産業構造を見ても競争が公正に行われるはずがないと言っても、貿易の自由化は確実に進んでおり、所得格差は大きくなっている。しかし中国やインドが簡単に政策を変えるはずがない。今日の日本の風潮を前提にするなら、残念ながら競争にさらされやすい産業の人々は、これに対抗する必要がある。物事を深く考える政治家もマスコミ人も少ない今日、これらの産業に携わる人々は自分で防衛手段を考える他はないという立場に追い込まれている。

日本の教科書には、日本は貿易立国であり、貿易で恩恵を受けていると記述されている。しかし単純にこのようなことが言えない時代になっている。貿易黒字が溜まれば、円高になる。円高を阻止するため資本の海外流出を続けると、今度は海外に持つ資産が増え、これからの利息や配当収入が増え、これがまた次の円高要因になる。円高になれば企業は合理化に迫られ、リストラを行い競争力を回復することになる。

政府が内需拡大をしない今日では、企業は輸出に頼ることになる。しかしこれが将来、自分達の首を絞めるのである。つまり貿易が、誰にとってメリットがあるのか分からなくなっている。企業のメリットと言っても、企業の経営者なのか従業員なのか、はたまた株主なのか、メリットを受ける者が分からない。


今期、最高益を記録したある企業では賃金の引下げを計画している。会社の利益は伸びているが、これは国内の販売の不振を海外事業がカバーしたからである。つまり国内従業員の給料を上げる理由がないのである。国内従業員は会社の海外進出に協力し、技術の海外移転に協力した。しかし海外事業発展の成果は、国内の従業員には還元されないのである。特にこの会社は外資の持ち株比率が高く、安易な国内従業員の賃上げはできず、むしろ賃下げに動いているのである。

このように日本は貿易に頼る貿易立国で、貿易によって国民は幸せになるという単純な概念は今日では通用しない。輸出が伸びれば、円高が進み、さらに輸出先の国での設備投資が要請される。会社は成長し生き残るが、国内の従業員や下請け業者はそのうち犠牲になるのである。

受験秀才のマスコミ人や政治家は、教科書の記述通り、貿易が盛んになれば国民は豊かになると信じている。政府も、FTAを推進すれば日本の経済成長率を押し上げると言っているが、これも一時的なものである(それもほんのわずかな数字)。むしろ将来、この反動の方が大きい。

今日では企業の利益が、国民や国家の利益とはならない時代になっている。筆者は、貿易黒字は、日本のODAの額に見合うだけで十分であると考える。もっと言えば所得収支が黒字であるから、さらに貿易黒字く小さくて良い。むしろ日本は、内需拡大を行って、海外に依存する度合いを低くしても成立つような経済に転換すべきである。  
来週は「資本の移動、つまり外資の進出」を取上げる。冷徹な資本の論理が正しく、これに逆らうのは資本市場の働きを歪めると言われている。たとえば「ライブドアの行動は、現行の法律の上で許されているのであり、これを否定することは市場を否定することになる」という意見はこれに沿っている。またこれがグローバルスタンダードとかアメリカンスタンダードと言われている。

しかし今回のようなだまし討ちのようなライブドア陣営の行動は、アメリカでも卑怯な行動と否定される可能性が強い。リーマンブラザースだって、米国なら今回のような商売を行っていたか疑問である。ハゲタカファンドだって、米国ではとてもやれないことを日本でやっている可能性が強い。それを日本のばかで思考力のない政治家やマスコミが、これがグローバルスタンダードと誤解しているのである。

http://adpweb.com/eco/eco380.html

中国の不当な為替政策 02/7/22

比較優位の原理


最初に、交易の有益性の理論的な背景を述べることにする。そのために分りやすい例えを用いる。まず北海道と鹿児島の交易である。

例えば北海道では、「じゃがいも」が極めて安く作れるが、「サツマ芋」の生産コストが物凄く高いとする。反対に鹿児島では「サツマ芋」を安く作れるが、「じゃがいも」の生産費がばか高いとする。このような場合、北海道は余計に「じゃがいも」を作り、これを鹿児島に売ることにし、反対に鹿児島は「サツマ芋」を増産し、増産分を北海道に売ることにする。そして北海道は「サツマ芋」、鹿児島は「じゃがいも」の栽培をそれぞれ取り止める。

このような交易を行うことによって、北海道と鹿児島の双方にメリットが生まれる。北海道は高コストの「サツマ芋」の栽培を止めることによって、生産資源を他の作物に振向けることができ、鹿児島も「じゃがいも」の生産資源を他の有益な作物に振向けられる。つまり北海道と鹿児島は、互いに低コストの生産物を交換することに、生産余力が生まる。さらにこのことによって所得の増加が可能になる。このように交易は、双方の所得増加と言うメリットを与えることになる。そしてここでポイントとなることは、交易が「双方」にメリットを与えると言う点である。

そしてこの交易によるメリットは、国内に止まらず、海外との交易にも広げることができる。このように互に生産コストが安い物を交換する、つまり外国と交易することによって双方の国に所得の増加がもたらされることを始めて理論的に説明したのがリカードである。そしてこれは「比較優位の原理」と呼ばれ、国際分業を推進する理論的根拠となっている。上の例の場合、北海道は「じゃがいも」が、そして鹿児島は「サツマ芋」が夫々「比較優位」と言うことになる。

人々がよく口にする

「自由貿易を推進し、交易を広めることは、双方にメリットがあり、これを阻害する障壁を除去することが大切」

と言うセリフの背景にも、このリカードの理論がある。WTOは、この精神に乗っとって、関税や補助金と言った貿易の障壁をなるべく低くすることによって、貿易の自由化を推進することを目的にした機関である。


たしかに先進国の間では、それぞれの国に得意な生産物があり、これを交易と言う形で交換すれば、互にメリットがあるるような気がする。しかし国際間の交易には、国内の交易とは決定的に違いことが存在する。貿易には為替が介在するのである。もちろん為替レートが適正な範囲に収まっているのなら問題はない。ところが日本のように購買力平価より著しく高く実際の為替レートが推移している場合には問題が生じる。

もっとも現実の円レートについては、購買力平価より高く推移している原因の大部分は日本に責任がある。まず国内需要が慢性的に不足しており、産業が輸出指向型になっていることがあげられる。さらに資本流出(為替介入による外貨準備金の増大も含まれる)による膨大な海外資産の累積があり、これらから発生する利息や配当が円高圧力となっている。本来なら、内需拡大を行ってこなければいけなかったのであるが、これが十分行われてこなかったツケが今日の円高となって跳ね返ってきているのである。


このように円レートはいびつな水準で推移している。しかし一方には、逆に購買力平価より著しく安い水準で推移している為替がある。中国の「元」やインドの「ルピア」などである。特に貿易量が増大している中国の「元」が大問題である。

01/5/28(第209号)「中国との通商問題」
http://www.adpweb.com/eco/eco209.html


で取上げたように、世銀の調査によれば、元の購買力は実際の為替レートのなんと4.55倍もある。ちなみに日本の円は逆に0.78倍の購買力である。これらの数値を元に、円と元の購買力を比較すると、中国の元は日本の円の、実に6倍の購買力があることになる。

今日、公定レートでは1元が15円である。したがって元の本当の購買力は、6倍の90円と言うことになる。また中国の元は米ドルにリンク(ベッグ)しており、特に今日のような円高が続けば、1元は100円、110円になる可能性がある。たしかに世銀の試算はちょっと古いが、中国の「元」が極めていびつな管理が行われているはたしかである。

中国の工業の発展がめざましいことは認めるが、中国の輸出の急増は、品質の向上ではなく、このようなとんでもない為替レートの維持政策によるものである。中国の工場労働者の賃金は、日本の20分の1とか、30分の1と言われているが、これはあくまでも公定レートの換算によるものである。元の購買力平価で換算すれば、3分の1から5分の1と言うのが実態である。

これは本誌で以前から述べていることであるが、こと中国の物価は、6倍で計算すると実態に合う。例えば、中国のGDPは1兆ドルを越えている。これを購買力平価で換算すると6兆ドル超と言うことになり、日本のGDPをはるかに越えることになる。もっともこれでも一人当りのGDPは、日本の8分の1から7分の1程度である。軍事費も公表されている額が200億ドルであるが、米国の国防省は、この3倍以上の650億ドルと見ている。もし国防省の見解が正しいなら、購買力平価で換算した中国の軍事費は45兆円となり、これは50兆円の米国に匹敵する額である。たしかに中国は年間50基ものミサイル基地を増設しいる。とても額面の200億ドルの軍事費ではとても賄えないような軍備の増強を行っているのである。


最初の交易の話に戻す。

「比較優位の原理」が働くには、交易を行う両国の為替が適正な範囲に収まっている必要がある。

日本の場合、対先進国でも厳しい円高を強いられている。しかしこれは日本が内需に依存する経済を実現することを怠ってきた結果でもあり、甘受すべき面もある。しかし対中国は事情が大きく異なる。あまりにも中国は異常な為替水準(常識を逸した元安)を維持している。これでは日本と中国の間ではとても「比較優位の原理」が働かないことになる。今後はほとんど全ての生産活動を中国で行うことが合理的となる。

ところで本来一時的に為替水準が異常な水準でも、しばらくすれば、パラメータである為替が適正な値に動くはずである。中国は、対日本だけではなく、米国を始め各国との貿易収支は大きな黒字である。つまりこのような状態が続けば、元が強くなり、円を始め各国の通貨が安くなるよう動くはずである。しかし中国は米ドルにしっかりリンクさせることによって、安い元を維持しているのである。特に中国の元は国外に持出しが禁止されており、各国が売買することによって元の為替水準に影響を与えることができない仕組になっている。

為替操作の結果


ドイツのフォークスワーゲンは、昨年チェコに自動車工場を造ることを検討したが、最終的にこれを取り止め、ドイツ国内に工場を造ることにした。チェコの人件費は、ドイツの5分の1であり、これはフォークスワーゲンにとっては魅力的である。しかしチェコのインフラの状況などを勘案すると、やはりドイツ国内の生産設備を増強した方が良いと言う結論になったのである。

ところが中国の人件費は、日本の20分1、30分の1である。これではいくら中国のインフラが劣っていても、日本の製造業は全て中国に移転した方が良いと言う結論になる。

このように全く「比較優位の原理」が働かない状態である。まさに中国の為替政策は、日本を始めとして、各国に対する産業の破壊活動である。

実際、日本だけでなく世界的に中国の為替政策の犠牲者がどんどん出てきている。香港は超不況で失業率は7.7%となっており、東南アジアや台湾の生産拠点もどんどん中国に移転している。メキシコの保税工場も、中国製品の対米輸出の急増で、瀕死の状態である。

中国が不適正な為替を是正すれば、人件費はチェコ並(ロシアも同じくらい)になるはずである。こうなれば、フォークスワーゲンの例ように、中国に移転した方が良い工場もあれば、やはり日本に置いておく方が良いと言った住み分けも起るはずである。ちなみにフォークスワーゲンは、中国に生産拠点があり、「サンタナ」などを製造しており、中国で4割以上のトップシェアーを占めている。


筆者が、危惧するのは、中国のこのむちゃくちゃな為替政策があまりも問題視されていないことである。本誌が異常な中国の為替政策を取上げたのは1年以上も前である。それ以降、中国の経済や中国との通商問題は、色々なメディアで取上げられている。しかしほとんど全てが、この不適正な為替操作には全くと言って良いほど触れない。中国の経済を考える場合には、為替を問題にしなければ、全く意味がない。したがって中国の実状を伝えるテレビ番組も全てピントが大きくづれている。


一般の人々も中国の為替政策を放任したまま、「比較優位の原理」が働かない状態が続けば、大変なことになると言うことに気がついていない。

ただ人々は何故か日本の製造業がどんどん移転していく様子を不安げに見つめているだけである。そのうちこの流れも変わると楽観的に考えようと努めている。しかし中国の為替政策が変わらない限り、この流れは止まらない。5年後、10年後には大変な事態になっているはずである。


国際的に中国の為替政策に無頓着なのは、国際機関の主流派となっている人々がほとんど欧米人と言うことと関係があると筆者は考える。まず欧州各国は、国外との経済交流は大きいが、大半がユーロ圏内であり、単一通貨ユーロ導入で、経済は為替変動にあまり影響されない。一方、米国は、元々GDPに占める貿易額の比率が小さい。さらに米ドルは世界の基軸通貨であり、これにリンクしている通貨も多い。つまり米国も為替の変動をあまり気にしなくても経済活動が行えるのである。

米国が多少気にするとしたなら次のようなケースだけである。米ドルが高くなった時の国内産業、特に自動車メーカーからの不満が出る場合である。また反対に米ドルが安くなった場合の産油国からのクレームが起るケースなどである。しかし総じて米政府は、選挙の時でもない限り、あまり為替を気にしていない。このように欧米の経済は、日本ほどには為替水準の動向に影響を受けないのである。

実際、WTOは各国の為替の水準や為替政策をほとんど気にしていない。ここは重要なポイントである。WTOは、交易を活発化させるために障害となるのは、関税と補助金、そして各国の商慣行や国内産業の保護を目的とした法律などの非参入障壁だけと考えている。ところが中国が行っているいる為替政策は、関税と補助金などと比べられないくらい大きな参入障壁である。しかしどう言う訳か、どうしてもWTOはこの事実を公には認めたがらないのである。かろうじて中国のWTOの加盟と同時に、中国に対する特別のセーフガード

(01/9/17(第222号)「対中国、WTOの特例保護措置」
http://www.adpweb.com/eco/eco222.html


を参照)を認めたことに止まっている。どうも米国やWTOの認識はまだまだ甘いようである。

また政治家だけでなく、経済学者やエコノミストも為替に関する関心が低い(米ドルの大幅下落によって米国の製造業は持直したと筆者は考えているが)。ニュークラシカル派の代表的な存在(教祖の一人)であるロバート・ルーカスなどは

「米国に居ながらフランスのワインと日本のスシが味わえる」

「中国へ生産拠点が移るのも、中国人の人件費が安い上に製品の質が向上しているからであり、これは自然の流れである」

と極めて単純に経済のグローバル化を礼讃している。しかしこの程度の発言なら小学生の意見とほとんど変わらない。中国が政策として、とんでもない為替水準を維持し、世界中の経済を撹乱していることには、全く考えも及ばないのである。

教祖が教祖なら、彼の日本の信者も信者である。日本が農産物に対してセーフガードを発動すると途端に反応し、

「自由貿易に反する」とか

「日本は競争力をつけるべき(中国の為替操作によって人件費が20分の1や30分の1になっていては、競争力もへったくりもないであろう)」

とばかな発言をしている。中には「WTOの交渉の進展のためには、日本はもっと農業分野の開放をおこなうべき」と言っている人々もいる。日本の食料の自給率はたったの40%であり、この数値はほぼ世界最低である。これをさらに下げろとまじめに言っているのであるから、本当にあきれる。

日本が行うことは、まずWTOに為替水準が著しく異常な水準にある国に対して是正を求めるよう要請することである。もしこれが認められない場合には、日本独自で、為替不適正国に対する特別関税を設ける他はない。もちろん日本と同じ被害を被っている国と同一歩調をとることも考えられる。そこで中国がこのような動きにクレームをつけるようなら、中国との貿易を大幅に制限するか、最悪の場合は取り止めることも考えるべきである。中国との交易を止めても、今なら日本にはほとんど被害がないはずである。むしろ今日の状況が続けば、それこそ抜き差し成らぬ状況に追込まれるだけである。


最後に、中国の為替政策の変遷について述べる。今日の1元15円と言う為替レートが、何か合理的な経緯で決まっていると誤解している人々が多いはずである。しかしこれには合理性は全くない。実際、1,980年には1元は実に151円であり、1,990年には30円であった。つまり中国は実に簡単(適当)に「元」の信じられないほど大幅な切下げを行っている。ただ当時の中国経済が今日のように大きくなかったから誰も注目しなかっただけの話である。そして以前の為替水準なら、中国の人件費は1,980年で2分の1から3分の1であり、1,990年で10分の1から15分の1と言うことになる。

このように昔から中国は極めていい加減(適当)に為替を操作している。ところが何も知らない経済学者やエコノミストは、昔から中国の人件費は20分の1、30分の1だったと誤解しているのである。中国はおそらく東南アジア諸国との競争で勝てる水準を探りながら、為替をここまで操作してきたと思われる(たしかにここまで元が安くなれば、日本の企業も東南アジアから中国に生産拠点を移すようになった)。

「水が高いところから低いところに流れるようにコストの低い中国に生産拠点が移転するのは当然」

と判ったようなことを言っている識者と言われる人々が実に多い。しかしこの低コストは、中国政府が適当に決めていると言うことに気づくべきである。したがって万が一でも日本がものすごい努力をして、中国とのコスト競争に勝つようなっても、中国にとっては為替の切り下げをもう一度行えば済む話なのである。

このようなめちゃくちゃの中国の為替政策によって、企業倒産や工場の移転によって失業したり、不幸な目にあっている人々が相当いる。しかしマスコミやメディアには、不思議と中国の為替政策の不当性を指摘する声がない。外務省のチャイナースクールが話題となったが、どうも日本のマスコミもチャイナースクール化しているようである。来週はこのチャイナースクール化を取上げる。

小泉首相は、今日の深刻な日本のデフレ経済にもかかわらず、公共投資の削減や数々の公的支出の削減を進める方針である。およそ経済原則に反する政策のオンパレードである。しかしどうもマスコミはこれを悪い政策とは見なしていないようである(たしかに悪影響が現れるまでには時間がかかり、政策と結果の因果関係が分かりにくくなる)。

まず公共投資や他の支出を削減した場合、どう言う経済効果が期待されるのかを明示すべきである。もし財政赤字が減り、金利が低下するとか、投資や消費が増えると言う目算があるなら、そのような説明をすべきである。もう昨年のようないきなり補正予算を策定すると言ったみっともないことは止めてもらいたい。周りも小泉政権に景気対策を求めることを止めるべきである。本人の希望通りにさせる。そのかわり、結果についてはきっちり責任をとってもらうことが大切である。

これまでの小泉首相の行動を見ていて、筆者の知人は

「日本の首相は俺でもやれそうだ」

と言っていた。結果を見ようとしないのなら(失業が増えてもミスマッチで、株価が下落しても米国のせいにする)、どのような政策でも良いし、誰でも首相は勤まる。彼が進める政策の結果、日本の経済と社会がガタガタになっても、おそらく彼は「辞めれば良いのか」の一言であろう。彼を日本の首相に選んだ人々は、真剣に責任を感じるべきである。

竹村健一氏が、久しぶりにまとものことを言っていた。

「日本は、個人だけでなく企業も貯蓄を始めた。つまり巨額のその貯蓄は政府が使わざるを得ない。金利もこれだけ安くなったのであるから、政府は公共投資を減らすのではなく、今こそ増やすべきである。」

と言っていた。まさに正論である。


ただ今日、安易に大量の国債を増発することは難しい。たしかに国債利回りが3%(これでも国際的には一番低い金利)になるまで国債を発行すれば、数十兆円から100兆円程度の資金は調達できると思われる。しかし大手銀行だけでも70兆円から80兆円の国債を既に保有しており、利回りが3%(今日1.26%)と言うことになれば、相当大きな評価損を抱えることになる。地方銀行も大量の国債で資金運用している。預貸率が55%と言う銀行もある。残りの45%近くは国債と地方債の運用である。ここまで野方図に金利低下を放置していた政府の責任は大きい。

したがって今日、公共投資などの積極的な財政政策で、経済を活性化させ、銀行の不良債権問題を解決し、さらに財政再建を実現するには、我々が主張しているセイニアリッジ政策、つまり政府の紙幣発行特権(日銀の国債引受けも含む)を使う他はないのである。ところで竹村氏のこの「公共投資を増やす」と言う意見に対してマネックス証券の若い社長が、思わず反論しようとしていた。今日、公共投資の賛同者はテレビには出してもらえないのであろう。今日、「中国の為替政策」と「公共投資」はタブーである。このようなメディアの言論統制に勝てるのは、よほどの
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2022/08/23 (Tue) 22:13:07

したがって今日、公共投資などの積極的な財政政策で、経済を活性化させ、銀行の不良債権問題を解決し、さらに財政再建を実現するには、我々が主張しているセイニアリッジ政策、つまり政府の紙幣発行特権(日銀の国債引受けも含む)を使う他はないのである。ところで竹村氏のこの「公共投資を増やす」と言う意見に対してマネックス証券の若い社長が、思わず反論しようとしていた。今日、公共投資の賛同者はテレビには出してもらえないのであろう。今日、「中国の為替政策」と「公共投資」はタブーである。このようなメディアの言論統制に勝てるのは、よほどの有力者に限られるのである。

http://adpweb.com/eco/eco261.html

関税以外の貿易障壁 11/2/21

WTOの弱体化


現実の経済を理論的に論じることは難しい。ましてや話が世界に及ぶと、整合性を持って経済を語ることが一段と困難になる。そのような事もあってか、中には議論の混乱を見越し、自分達にとって有利な政策を実現したいがために、とんでもない虚言・妄言を発する人々が出てくる。

TPPの議論に関しても、根拠が薄弱な意見がまかり通っている。例えば自由貿易こそが、日本にとって(日本だけでなく世界のどの国にとっても)極めて好ましいと主張する人々がいる。彼等はTPP参加こそ唯一正しい選択とまで喧伝する。

また日本のマスコミ人には「日本は貿易立国だ」という強い思い込みがある。彼等は経済が成長するには輸出を伸ばすことしかないとさえ思っている。しかし日本が高度経済成長していた時代は、主に内需が増えていた。むしろ低成長になってから、日本経済は外需に依存する度合が大きくなったのである。これについては来週取上げる予定である。


このように自由貿易で交易が活発になることによって、経済が成長すると思っている人が多い。この理論的根拠の一つがリカードの「比較優位の原理」であり、本誌は02/7/22(第261号)「中国の不当な為替政策」でこれを取上げた。

しかしこのリカードの理論は供給サイドだけで経済の成長を捉えている(需要は無限で生産したものは全て消費されるといった前提)。交易によって余った生産要素が他の物の生産に振り向けられ、経済が成長するといった理屈である。つまりデフレ経済の今日の日本には全く当てはまらない幼稚な経済理論である。

しかし教科書でこのリカードの「比較優位の原理」を学んだ学校秀才は、いかなる時にもこの理論が適合できると思い込んでいる。そしてこの自由貿易の障害が、関税であったり、また非関税障壁と呼ばれている補助金や各国の規制と考えている。

中でも最大の交易の障壁が関税という認識である。したがって関税撤廃を目指すTPPは、自由貿易の信奉者に熱烈に歓迎されている。しかしリカードの「比較優位の原理」が唱えられたのは、18、19世紀の牧歌的経済システムの時代を前提にしている。また後ほど述べるが、今日では関税以外の大きな貿易の障壁があることが常識になっている。


しかし第二次大戦後、自由貿易を推進する人々が常に問題にしたのが、この関税であった。GATT(関税と貿易に関する一般協定:WTOの前身)やWTOのメインテーマも関税であった。関税は単純であり目に見えやすいためか、これまでの交渉である程度まで引下げが実施されてきた。しかし補助金や規制などのその他の保護政策に話が及ぶと各国の利害がもろにぶつかり、話が進展しなくなった。


このため各国は、妥協が見込める国とのFTA(自由貿易協定)やEPA(経済連携協定)の締結に走り出している。しかしこれは一種の抜け駆けであり、世界中の国の一斉の貿易自由化を目指すWTOの精神に反している。FTAやEPAが結ばれる毎に、今日、WTOは弱体化している。

筆者は、今後の世界の貿易体制は、TPPに見られるようなグループ化による保護貿易と見ている。ところが自由貿易信奉者は、WTOの弱体化については何もコメントしなくなった。おそらくこれも、彼等の頭の中が混乱しているからであろう。


現行、日本の工業品の輸入関税率はほとんどゼロに近い。つまりTPPに加入した場合、相手国の関税が基本的にゼロになるのだから、輸出企業にとって極めて有利になる。したがって輸出企業に携わっている人々がTPPに賛成なのは理解できる。

ところでこれまで規制緩和や郵政改革などの改革運動では、幼稚な観念論者と強欲に自分の利益を求める者が結び付いていた。筆者は今回のTPP推進派にも同じ匂いを感じる(リカードの「比較優位の原理」などを信じるような観念論者と輸出で利益を得ようする者)。しかし今回は彼等がとんでもない矛盾を抱えそうである。

シー・シェパードのような説得不能な国

貿易の障壁が関税だけでないことは周知の事実である。WTOでも知的所有権といったものが問題になっている。しかし知的所有権は法律だけで縛れるものではない。その国の国民性というものが関係してくる。

先週号で取上げた環境問題も、今日、大きな障壁になっている。中国のように環境を無視する国は、環境を気にせず低コストで製品を製造し輸出することができる。しかし自由貿易の信奉者はこのような問題から逃げている。

しかし何度も繰返すが、筆者は、今日、世界貿易で最大の問題は為替操作と考えている。中国は大きな貿易黒字を続けながら、いまだに購買力平価の4分の1、5分の1の為替レートを維持している。実際、貿易の障壁の話なら、為替操作に比べれば関税なんて霞んでしまう。しかし為替操作はWTOで問題にならないし、自由貿易主義者も触れようとしない。


本誌は、昔、1人民元が1ドルだったことを指摘した。つまり1人民元が360円だった時代もあったである。今日の人民元レートは、対円で30分の1に減価しているのである。世界最大の貿易黒字国の通貨が、購買力平価の4分の1、5分の1でしか評価されていない異常な事態が起っている。

訳の分らない評論家は

「東京の中国人のアルバイトはよく働く」、

一方「日本の若者はニートとなって引きこもっている」


と発言している。彼等の考えでは、これが日本経済の低迷の原因らしい。しかし中国人のアルバイトとっては、中国の所得水準が低いことに加え、人民元が購買力平価の何分の1に維持されていることが大きい。

反対に日本の円が購買力平価より高く推移していることを考慮すれば、東京でのアルバイトの時給は、中国人にとって6,000~7,000円程度に感じられるのである。時給が6,000~7,000円ということになれば、日本の若者も目の色を変えて働くはずである。ニートも半減するであろう。

韓国も、近年、為替操作が目立つ国の一つである。KーPOPタレントの本国での低賃金が話題になっているが、これも彼等が日本に進出したことによって気付いたことと思われる。筆者は、これも少なからず韓国の為替操作が影響していると考える。


今日、一番のTPPの推進者は大手の輸出企業である。輸出企業がCMスポンサーとなっているため、メディアも概ねTPPに賛同している。しかしTPPはとんだ問題を孕んでいる。

これは先週号でも述べたように、TPPが中国排除を意識したものと見られるからである。既に中国に生産設備を移した企業にとって、このことが将来痛手になる可能性がある。せっかく中国を世界の輸出基地にしようと思っていた企業にとって、これまでの中国での設備投資が無駄になるのである。


TPP推進の母体である財界にも、中国との親密な関係を望む者が多い。しかし、今後、彼等はTPPを取るか、中国を取るかの選択に迫られる可能性がある。TPPの内容を見れば、両方を同時に取る(具体的には中国のTPP加入)ということはほぼ不可能である。

筆者は、日本のTPP参加の是非について、判断に正直迷っている。もし農業などへの悪影響が最小限に抑えられるのなら、TPP加入もしょうがないと思う今日この頃である。貿易を含め、国同士の付合いは、最終的には、国民同士の価値観の相違ということになると筆者は考える。

国民の価値観の違いが一定の範囲にある国だけがTPPに参加するのなら、筆者は日本もこれに加入しても良いと考えるようになっている。それにしても日本の周りは、領土問題に見られるようにデリカシーのない国ばかりである。日本はまるでシー・シェパードのような説得不能な国に取り囲まれているのだ。TPPに活路を見い出すのも悪くないかもしれない。もちろんTPP加入の目的は、自由貿易信奉者のそれと大きく異なる。

http://adpweb.com/eco/eco651.html



07. 2011年11月10日 22:03:05: MiKEdq2F3Q

自由貿易理論の問題点~リカードのウソ

貧困と環境破壊を招く自由貿易の問題点を検証する


このページでは、フェアトレード(公正貿易)の対極にあると考えられている、 自由貿易の問題点について説明したいと思います。

今、自由貿易は世界中で失業や貧困、環境破壊を引き起こしています。にも関わらず自由貿易を世界がやめないのは、 「比較優位」という経済学の考え方を信じているためです。18世紀のイギリスの経済学者リカードによって提唱された理論です。

比較優位とは、ものすごく簡単に言うと、 それぞれの国でそれぞれ得意なものを作ればいい。食料を作らなくてもその土地で採れたもので稼いで、輸入すればいい」と言う考え方です。この考え方を「信じている」というより、自由貿易にした方が儲かる人たちがいて、 そういう人たちによって、世界に経済が動かされているから、 みんなで信じているふりをしていると言った方が適切かも知れません。

今の世界で、途上国に貧困などの問題を引き起こしている大きな原因の一つに、 欧米先進諸国による穀物の過剰生産が挙げられます。先進国では、大型機械を使う大規模な農業が行われ、生産性を上げています。機械化、効率化が進むとともに、生産量が増大し、自国の需要以上に穀物が生産されるようになりました。

過剰生産を放っておくと、農産物価格が低下し、 農民が失業して都市に流入するなどして社会不安を引き起こしかねません。そこで、お金のある先進国では、補助金をつけて輸出をするようになります。補助金にはいろいろありますが、自国の農民に所得を保証したうえで、穀物を輸出相手国の国内価格か、 それ以下の価格にダンピングして売るのが目的になています。これにより、先進国の農民は救われます。

が、輸出先にも農民はいるわけです。先進国の補助金付きの安い穀物が入って来るようになって、 アジアやアフリカの途上国での主要産業であった農業が立ち行かなくなりました。これらの貧しい国ぐにでは、自国の農民に補助金を出すことはできません。結果、農民たちは輸入農産物に対抗するため、生産性を上げようとします。

先進国のように機械化するのではありません。より高い生産性を得られる土地を探すことになります。すなわち森林を焼いて畑を作れば、先進国の穀物に対抗できる価格での生産が可能になります。が、長くは続きません。そうした方式の農業は、土地から収奪する農業です。3~5年で地力が落ちて養分がなくなり、作物が作れなくなります。そして耕作が放棄され、また別の場所を探すことになります。捨てられた土地は、すでに周りの森林もなくなっていて他から養分を供給されることもなく、荒れ果てます。

日本でもそうですが、耕作放棄された田畑は荒れ果ててしまい、回復させるのは困難です。熱帯では気温が高いために土地の有機物の分解が速く、 土地を覆っていた森林がなくなると雨や風によって薄い表土が流れてしまいます。場所によっては、砂漠化が進むことになります。こんなことの繰り返しで、途上国では新たに畑にできる場所はどんどん少なくなります。

行き場をなくした農民は、都市に出てスラムに集まります。あるいは、大地主のもとで小作人になるしかありません。でも、地主もそのうち農業を機械化するようになり、人がいらなくなります。結局農民は失業して、都市のスラムに流れこむことになります。

スラムでは、先進国の食糧援助があるために、貧しくてもとりあえず飢えることはありません。が、その援助のための食料は、先進国の余剰農産物のはけ口になっているという側面もあります。

先進国の補助金付きの農産物の輸出は、自国農民の保護のためでした。が、それはアジアやアフリカの生産性の低い零細農民を失業させ、貧困に陥らせる原因となりました。 生産性が低いというのは、それだけたくさんの人に職が与えられるということでもあったのに。

先進国で広く行われている化学肥料や農薬を大量に使い、地下水をくみ上げ大型機械で耕作する農業は、 自然から収奪する農業です。こんなことで生産性を上げても長続きはしません。異常気象にでもなればたちまち収穫が激減して、食料の不足を招くことになるでしょう。先進国こ援助に回せるだけの食料がなくなれば、世界的な食料不足、飢餓が引き起こされます。

かつて途上国で行われてきた農業は、 小規模ではあっても定期的に土地を休ませて行う持続可能な農業でした。とりあえずは飢えたりすることはなく、自給自足的な生活を送っていました。そこに入ってきたのが今の先進国による植民地支配です。やっとそこから独立したと思ったら、 今度は先進国から入ってくる安い農産物のために貧困と失業、環境破壊がもたらされることになりました。

途上国の農民が失業したり、貧困に陥ったりする原因には、かつての植民地支配の影響もあります。植民地支配や今の補助金付き作物の輸出といった、 途上国の人たちにとっては何も良いことのない経済の有り方は、自由貿易の考えに基づくものです。フェアトレードを行う団体は、ずっと「自由貿易より公正貿易(フェアトレード)を」と訴え、 活動をしています。


では自由貿易の何が問題なのか?そのあたりのことを次にお話します。


自由貿易の問題点~比較優位のウソ


自由貿易の考え方を作ったのは、200年ほど前のイギリスの経済学者で商人のリカードです。リカードは、「比較優位」という言葉を使って、 国際分業をすることがすべての国にとって利益になると説きました。


槌田敦著「エコロジー神話の功罪 サルとして感じ、人として歩め」
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A8%E3%82%B3%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%BC%E7%A5%9E%E8%A9%B1%E3%81%AE%E5%8A%9F%E7%BD%AA%E2%80%95%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E6%84%9F%E3%81%98%E3%80%81%E4%BA%BA%E3%81%A8%E3%81%97%E3%81%A6%E6%AD%A9%E3%82%81-%E6%A7%8C%E7%94%B0-%E6%95%A6/dp/4795238529

という本に、リカード理論の問題点が わかりやすく解説されているので、この本で示されている考え方を使って、 自由貿易の問題点を探っていきたいと思います。


リカードは「貿易論」という本の中で、イギリスとポルトガルの毛織物と、 ワインの生産性の比較をしました。その中でイギリスは、毛織物が国内で生産されるワインよりも生産性が高く、 ポルトガルは、ワインの生産性が国内で生産される毛織物よりも生産性が高いと説明しました。つまり、イギリスでは農業に比べて工業の生産性が高く、 ポルトガルは工業に比べて農業が生産性が高いということです。そこで、それぞれの国で生産性の高い商品を交換すれば、 両方の国にとって得になると主張したのです。イギリスは工業国になり、ポルトガルは農業国になれば、両国ともに利益を得ることになる。これが比較優位という自由貿易、国際分業の理論的根拠となっている考え方です。

でも、本当にそうでしょうか?

もし、リカードが正しければ、今の世界はもっと違った形になっていたはずです。それぞれの国が比較優位なもの、得意な物の生産に特化し、輸出をしてお金を儲けて、 そのお金で必要な物を輸入すればいい。そうすればすべての国が利益を得て豊かになれるのなら、 なぜ世界には貧困に苦しむ国ぐにや人びとがこんなにも多く存在するのでしょうか?

カカオの生産が比較優位な国は、カカオの生産に力を集中して、輸出して儲けて、 必要な物はすべて儲けたお金で輸入すればいい。そうしていれば豊かになれるのなら、コーヒーの生産が比較優位な国はコーヒーの生産に特化して、 それを輸出して必要なものを外国から買えばいいということであれば、 なぜそうした商品作物の生産農家の多くが、貧困に苦しんでいるのでしょう?
コーヒー農家の生活については、

「あのスターバックスにも、フェアトレードコーヒーが!」
http://www.fair-t.info/ft-coffee/index.html


をお読みください。

貧困に苦しむカカオの生産地の中でもとりわけ状況が厳しいのは、 コートジボアールなど西アフリカの国ぐにです。この地では、のカカオ農園主たちは貧困に苦しんでいるのでしょうか?

なぜ子供たちを奴隷にしなければならないのでしょうか?

21世紀の今でも奴隷を使った生産が行われています。奴隷を使っているのなら、給料を払う必要がないから、 農園主は儲けているはずと思うかも知れませんが、農園主もまた貧しいのです。

なぜ、理論どおりうまくいかないのでしょうか?


リカード理論には、ごまかしがあるからです。


先ほどのイギリスとポルトガルの例で言えば、両国内での毛織物やワインの価格は関係ないというのが、 この理論の特徴です。イギリスの毛織物が、ポルトガルの毛織物より高くてもかまわないのです。

イギリス商人は、ポルトガルに行って自国の毛織物をポルトガル価格にダンピングして売ります。

イギリス商人が損するように見えますが、彼らは毛織物を売ることで、 ポルトガルのお金を手に入れることができます。

そのお金で安いポルトガルのワインを買ってイギリスで売れば高く売れるわけで、 商人は利益を得ることができます。

同じようにポルトガルの商人も、自国のワインをイギリスで売れば高く売れて、 それだけ多くのイギリスのお金を得ることができます。そしてポルトガルで買うより多くの毛織物をイギリスで買うことができます。

比較優位の考え方を使えば、お互いの商人が儲かるというのが、リカードの理論です。

もっとも、商人などという言葉は使わず、もっと学問的な言葉を使って説明し、 当時の経済学者たちを説得しましたが。

比較優位の理論は、経済学者たちが本や学問の世界だけで勝手に議論していてくれているだけなら害はないのですが、世界中がこの理論を信じてしまい、実行してしまったために、様ざまな問題が起こることになりました。

現実の世界にはイギリスとポルトガルだけでなく、もっとたくさんの国ぐにが存在します。毛織物とワインだけでなく、もっとたくさんの生産物が存在し、貿易が行われています。それに、リカードの理論ではお互いの国が儲かることになっているのですが、 実際に貿易を行うのは国ではなく、貿易商です。

それでもイギリスやポルトガルの商人が活躍して、利益を上げれば、 税金と言う形で国家は利益を得ることができます。が、ここに第三国の商人が介入したらどうでしょうか?


比較優位のウソ~商人だけが儲かるしくみ


ここで、金と銀の貿易を例として、国際貿易について考えてみたいと思います。

A国とB国があって、A国では金1キロが銀5キロと同じ値段だとします。

そしてB国では、金1キロと銀100キロが同じ値段だとします。


A国:金1キロ = 銀5キロ
B国:金1キロ = 銀10キロ


私がA国の商人だったら、金1キロを持ってB国へ行きます。

そしてその金を売って銀を10キロ買います。

そしてA国に戻って金2キロを買います。A国とB国をただ往復するだけで、 手持ちの金を2倍にすることができます。

B国の商人も、国内で銀10キロを買ってA国に行き、金2キロを買うことで、 手持ちの金を2倍にすることができます。

いづれにしても両国ともに利益を得て儲かるように見えます。が、ここに第三国、 C国が加わると話が違ってきます。

C国の商人10キロを手に入れます。

その銀をA国に持って行けば、金が2キロ手に入ります。

手持ちの金を2倍にすることができるのです。しかし、A国とB国はどうでしょうか?

まずB国は、C国商人が持ってきた金1キロと、銀10キロを交換しただけなので、損得はゼロです。

A国も銀10キロと金1キロを交換しただけなので、同様に損得ゼロです。

両国ともに何の利益もありません。

C国商人だけが一方的に儲かるのです。


これが自由貿易によって商人が利益を手に入れる仕組みです。実際には関係国であるAB両国は、何の利益も得ていないのに、巧妙なトリックによって、 リカードは両国が儲かると主張し、世界はだまされたのです。

リカードは、お金儲けがうまい貿易商人でした。だから自分に都合の良い理論を作り出したのです。自分の理論の矛盾は承知の上で、一人大儲けをしてほくそえんでいたことでしょう。


C国商人を、多国籍企業とします。A、B国はアメリカと日本。


C国商人は、日本で比較優位の自動車を買い付けてアメリカに持っていきます。
そして自動車を売った金でアメリカの比較優位の安い米を大量に買い付けて日本で売ったら...。

こう考えると失業や貧困に苦しむ人が出ることなど、比較優位の理論で様ざまな矛盾、 問題が発生することが良くわかると思います。

次にぜひ、あなたに知っていただきたいのは、代表的な商品作物である、カカオについてです。 おいしいチョコレートの原料になるカカオですが、その生産に、 「奴隷」が使われていることを知っていましたか?

奴隷といっても10代前半くらいの少年の奴隷です。世界最大のカカオ産地、 西アフリカのコートジボアールの奴隷を使ったカカオ豆生産について、 それから自由貿易がもたらした単一栽培も問題点についてをご覧ください。

カカオ農園の少年奴隷問題 
http://www.fair-t.info/ft-cocoa/index.html

http://www.fair-t.info/economy-society/freetrade-ricardo.html

TPPや自由貿易は未だにリカードの比較優位論を根拠にしており、そして比較優位論は以下の三つが成り立たないと巧くいかないためです。


◆セイの法則:供給が需要を産み出す(逆じゃないです)
◆完全雇用
◆資本移動の自由がない

 最後の資本移動の部分ですが、工場などの資本移動が自由自在になってしまうと、リカードの比較優位論も何もあったものではないという話です。実際、アメリカは日独などの製造業の猛攻を受けた時期('70~'80)に、本来であれば「技術開発投資」にお金をつぎ込むべきだったのですが、資本を外国に移すという道を選び、製造業の一部が「産業ごと」消えてしまいました。

 残った製造業(自動車ーメーカーなど)も、やはり技術開発投資を軽視し、自国や各国の制度システムを変えることで生き残りを図ります。すなわち、市場にあわせた製品開発をするのではなく、市場を自分に合わせようとしたのです。

 制度システムを変更するのは政府にしかできませんので、アメリカの自動車メーカーなどはロビイストや献金を通じて政府に影響力を発揮し始めます。しかも、アメリカの自動車メーカーは自国のシステムならともかく、外国(日本など)の制度システムも目の敵にし、「非関税障壁だ!」と叫び、政治力を使い、「市場を自分に合わせようと」したわけです。結果、現在のTPPに繋がる日米構造協議が始まりました。

 世界経済はいま、上記リカードの比較優位論の前提条件を三つとも満たしていません。こんな状況でTPPを推進したら、日本は物価がますます下落し、失業率が上昇することになります。恐ろしいことに、アメリカの方もそうなる可能性があります。

 木下栄蔵先生は、デフレに突っ込んでいる国同士の自由貿易協定は「ロス-ロス」になると警告していらっしゃいます。日本とアメリカがTPPで「ロス-ロス」になった日には、冗談抜きで世界は大恐慌目掛けてまっしぐらということになりかねず、そんな未来は心から願い下げだと思うわけです。

22 ■型に嵌めたがる習性の多面的考察

>比較優位論は以下の三つが成り立たないと巧くいかない

 リカードモデルに限らず、あらゆる自由貿易賛美論には、

「自分の求める品質の財・サービスを相手国が作れる」

という前提条件が組み込まれています。日本人なら「おい、おい、ちょっと待ってよ」と、この前提条件がいかに現実離れしているかすぐに気づくでしょ。

はっきり言って、「モデル」って名付けるのも馬鹿らしい「リカちゃんハウス」なんです、あんなもの。


 そもそも経済学は、「品質」なんて取り扱えません。

例えば、PS3とXboxの「品質」をポイント計算できる「客観的」基準なんて存在しない。近代以降の経済学は、そういった非客観的要素を排除し、市場売買価格を基礎に据えることによって数学を自在に取り込み、科学の装い(あくまで装いですよ)を身に纏うことができたんです。

 ここに気づいてない学者連中がほんとうに多いんです。経済学にそもそも出来ることと出来ないこと、を根元から考えたことがない。経済産業省の「信者」さんも恐らく同じなんでしょう。、自分のやってる学問を外から冷静に眺めたことがない。ただただひたすら「覚えた」だけ。いい意味で「遊んだ」経験がなく、例えば「自動車の排気音の文化的価値」なんてものを感じたことがない。そりゃ、「品質」なんか気になりませんよ。学歴はあっても、文明人・文化人じゃないんです。

http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11049519345.html


08. 2011年11月12日 21:39:51: MiKEdq2F3Q

グローバリズムというのは“帝国主義”の単なる言い換え


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     | イ●丶  ィ●ア|   |
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.  Π  | 丶  ー→   ノ   リ
   | |   \ \___ /    /
   | |_   )ノリ )   ∠彡//
  /スノ   /  |_/ |\
  L_ノ   / >  | /  (   ヽ
   \ \ノ /ヽ │/ /  ィ  |
    \__ │   //  . │ |

グローバリストを信じるな


Againの定例経営会議で箱根湯本に集まり、平川くん、兄ちゃん、石川くんと日本の行く末について話し合った。

EUの先行き、日本のデフォルトの可能性から、TPPが「空洞化したアメリカ産業の最後の抵抗」という話になる。

いったいアメリカは自由貿易によって日本に何を輸出して、どういうメリットを得るつもりなのか?

この中心的な論点について、メディアは実はほとんど言及していない。


「TPPに参加しないと、『世界の孤児』になる」とか「バスに乗り遅れるな」

というような、「自己利益(というよりは「自己利益の喪失)」にフォーカスした言葉が飛び交うだけで、

「なぜアメリカがこれほど強硬に日本のTPP参加を要求するのか?」

という、アメリカの行動の内在的なロジックを冷静に解析した記事をメディアで見る機会はほとんどない。

まさか、アメリカが自国の国益はさておき日本の国益を守るために完全な市場開放を日本に求めているのだと思っている国民はいないと思うが、メディアの社説を徴する限り、論説委員たちはその数少ない例外らしい。

TPP参加は日本の国益のためだ、と推進派の人々は言う。だが、それではアメリカが日本に市場開放を求め理由を説明したことにはならない。アメリカが他国に市場開放を求めるのは、自国の国益がそれによって増大するという見通しが立つからである。そして、貿易において、一国が輸出によって大きな貿易黒字を得る場合、その相手国は輸入超過となって貿易赤字が増えることになっている。ふつうはそうである。

貿易では(グローバリストの好きな)Win-Win はない。片一方が黒字なら、片一方は赤字になる。

アメリカは自国の貿易収支が黒字になることをめざして他国に市場開放を求めている。それは「売りたいもの」があるからで、「買いたいもの」があるからではない。アメリカが自国の貿易黒字を達成すれば、相手国は貿易赤字を抱え込むことになる。

だから、「アメリカの求めに応じて、日本が市場開放することは、日本の国益を増大することになる」という命題を有意味なものにするためには、

「アメリカの国益を最大限に配慮することが、結果的には、日本の国益を最大化することになる」

という命題をそこに媒介命題としてはめ込むしかない。だが、「アメリカの国益を最大限に配慮することが、結果的には、日本の国益を最大化することになる」という命題は汎通的に真であるわけではない。

そう思っている人は少なからずいるが、それはあくまで個人的な「信念」であって、一般的真理ではない。もちろん私はそのような「風が吹けば桶屋が儲かる」式の推論にまるで根拠がないと言っているわけではない。経験的に「そういうこと」が繰り返しあったからこそ、彼ら(松下政経塾系政治家とか財界人とか官僚とかメディア知識人のかたがた)はそのような推論になじんでいるのである。

私とて経験則の有効性を否定するものではない。でも、その場合には、「この政治的選択は原理的には合理性がないが、経験的にはわりと合理性がこれまではあったので、これからも妥当するかも・・・」というくらいの、節度ある語り口を採用すべきだと思う。「バスに云々」のような、人を情緒的に不安にしておいて、その虚を衝いてガセネタをつかませるあくどいセールスマンのような安手の語り口は採るべきではないと私は思う。

誤解して欲しくないのだが、私は市場開放や自由貿易に「原理的に」反対しているのではない。その点については、ぜひご理解を頂きたい。ただ、市場開放や自由貿易は「主義」として採用すべきものではなく、国民経済に資する範囲で「按配」すべきものだという下村治の立場に与するのである。貿易政策の得失については、「これでいいのだ」と包括的に断定したりしないで、個別的に吟味した方がいいと申し上げているだけである。

とりあえず私たちが知っているのは「アメリカは必死だ」ということである。ここでTPPに日本を巻き込むことができるかどうかが「アメリカ経済の生命線」であるかのような悲壮な覚悟でアメリカは日本に迫っている。別に、日本の国運を案じて悲愴になっているわけではない。アメリカの行く末を案じて悲愴になっているのである。

アメリカの貿易について考える場合に、私たちがまず前提として理解すべきことは、「アメリカには、日本に売る工業製品がない」ということである。アメリカの製造業は壊滅してしまったからである。「ものつくり」という点について言えば、もうアメリカには世界のどんな国に対しても国際競争力のある「もの」を輸出する力がない。自動車も家電も衣料品も、なにもない。
一応作ってはいるけれど、クオリティについての信頼性が低く、割高なので、買い手がつかないのである。「もの」でまだ国際競争力があるのは、農産物だけである。

残りは「ノウハウ」、つまり「頭のなかみ」である。GoogleとAppleのような情報産業と司法、医療、教育といった制度資本を「金にするノウハウ」だけはまだ「売り物」になる。でも、正直に言うと、GoogleもAppleも、「なくても困らない」ものである。あると便利なので私も愛用しているが、ほんとうに必要なのか、と改めて考えるとわからなくなる。

「そうやって温泉宿にまでiPhoneやiPadを持ち込むことで、キミたちの人生は豊かになっていると言えるのかね。そんなものがあるせいで、キミたちはますます忙しくなり、ますます不幸になっているようにしか、オレには見えないのだが」

と兄ちゃんに言われて、私も平川くんも返す言葉を失ったのである。たしかに、そのとおりで、このような高度にリファインされた情報環境があった方がいいのか、なくてもいいのか、考えるとよくわからない。朝起きてパソコンを起動して、メールを読んで返事を書いているうちに、ふと気づくとが日が暮れ始めていたことに気づいて愕然とするとき、

「いったいオレは何をしているのか」

と考え込んでしまう。私が機械を使っているのか、それとも機械が私を使っているのか。『モダンタイムス』的不条理感に捉えられる。

兄ちゃんの話では、最近のサラリーマンたちはオフィスで朝から晩までプレゼン用の資料をパワーポイントとエクセルで作っているそうである。

「仕事の時間の半分をプレゼンの資料作りに使っているのを『働いている』と言ってよいのだろうか?」

と兄ちゃんは問う。情報環境の「改善」によって、私たちの労働は軽減されるよりはむしろ強化された。それは実感として事実である。家にいながら仕事ができるようになったせいで、私たちは外で働いているときも家にいるときも働くようになり、そうやって増大する作業をこなすためにますます高度化・高速化した端末を求めるようになり、その高度化した端末のせいで私たちのしなければいけない仕事はますます増大し・・・

エンドレスである。アメリカはこのエンドレスの消費サイクルに私たち「ガジェット大好き人間」を巻き込むことによって、巨大な市場を創設することに成功した。もうアメリカが「売ることのできるもの」は、それくらいしかない。

だから、アメリカの大学と研究開発機関は世界中から「テクニカルなイノベーションができそうな才能」を必死で金でかき集めようとしている。アメリカの先端研究の大学院に占める中国人、インド人、韓国人の比率は増え続けているが、それは彼らにアメリカで発明をさせて、それを絶対に故国に持ち帰らせず、アメリカのドメスティックなビジネスにするためである。いつまで続くかわからないが、しばらくはこれで息継ぎできるはずである。

「アメリカの大学は外国人に開放的で素晴らしい」

とほめたたえる人がよくいるが、それはあまりにナイーブな反応と言わねばならぬ。先方だって生き残りをかけて必死なのである。外国人だって、国富を増大させてくれる可能性があるなら、愛想の一つくらい振りまくのは当たり前である。これが「教育を商売にする方法」である。

アメリカの学校教育には「子供たちの市民的成熟を促す」という発想はもうほとんどない。

学校はビジネスチャンスを生み出す可能性のある才能をセレクトする機会であり、市民的成熟のためのものではない。

アメリカでは、高付加価値産業だけが生き残り、生産性が低い代わりに大きな雇用を創出していた産業セクターは海外に移転するか、消滅した。だから、「才能のある若者」以外には雇用のチャンスが減っている(失業率は2010年が9・6%だが、二十代の若者に限ればその倍くらいになるだろう)。ウォール街でデモをしている若者たちは「まず雇用」を求めている。これまでアメリカ政府は彼らに「我慢しろ」と言ってきた。

まず、国際競争力のある分野に資金と人材を集中的に投入する。それが成功すれば、アメリカ経済は活性化する。消費も増える。雇用も増える。貧乏人にも「余沢に浴する」チャンスが訪れる。だから、資源を「勝てそうなやつら」に集中しろ、と。

「選択と集中」である。

でも、それを30年ほどやってわかったことは、


「選択されて、資源を集中されて、勝った諸君」は、そうやって手に入れた金を貧乏な同胞に還元して、彼らの生活レベルを向上させるためには結局使わなかった、ということである。

それよりは自家用ジェット機買ったり、ケイマン諸島の銀行に預金したり、カリブ海の島を買ったり、フェラーリに乗ったり、ドンペリ抜いたり、アルマーニ着たり(たとえが古くてすみません・・・)して使ってしまったのである。

選択-集中-成功-富の独占というスパイラルの中で、

「選択から漏れ、集中から排除された、その他大勢の皆さん」

が絶対的な貧窮化にさらされ、今ウォール街を占拠している。彼らの運動に

「政策的な主張がないから、政治的には無力だろう」

と冷たく言い捨てる人々が日米に多いが、それは間違いだと思う。彼らが政府に何を要求していいかわからないのは、


「完全雇用は経済成長に優先する」


という(日本の高度成長を理論づけた)下村治のような「常識を語る人」がアメリカでは政府部内にも、議会にも、メディアにもいないからである。ウォール街を占拠している若者たち自身

「成長なんか、しなくてもいい。それより国民全員が飯を食えるようにすることが国民経済の優先課題である」

という主張をなしうるだけの理論武装を果たしていないのである。

「生産性の低い産業分野は淘汰されて当然だ(生産性の低い人間は淘汰されて当然だ)」

というグローバリストのロジックは貧困層の中にさえ深く根付いている。だから、彼らはこの格差の発生を「金持ちたちの強欲(greed)」という属人的な理由で説明することに満足している。「属人的な理由で説明することに満足している」というのは、それを社会構造の問題としては論じないということである。「強欲である」というのは「能力に比して不当に多くの富を得ている」という意味である。

問題は個人の倫理性のレベルにあり、国家制度のレベルにはない。「アメリカはこれでいい」のである。ただ、一部に「ワルモノ」がいて、国民に還元されるべき富を独占しているので、それは「倫理的に正しくない」と言っているのである。

このような一部の富者だけを利する経済システムは「アメリカの建国理念からの倫理的な逸脱」であって、構造的な問題ではない。だから、建国の父たちが思い描いた「あるべきアメリカの姿」に立ち戻れば問題は解決する。

彼らの多くはまだそう思っている。

アメリカのこの頽落はもしかすると「建国の理念のコロラリー」ではないのか・・・

という足元が崩れるような不安はまだアメリカ人のうちに広まっていない。それが最大の危機であるように私には思われる。


話を続ける。情報と教育の他、あと、アメリカが商売にしようとしているのは司法と医療である。これについては、専門家が的確に危険性を指摘しているから、私の方からは特に付け加えることはない。医療については、前にご紹介したYoo先生の『「改革」のための医療経済学』をご一読いただければよろしいかと思う。

そして、アメリカの最大の売り物は農産物である。

驚くべきことに、アメリカが「かたちのあるもの」として売れるのはもはや農産物だけなのである(あと兵器があるが、この話は大ネタなので、また今度)。

農産物はそれは「その供給が止まると、食えなくなる」ものである。Googleのサービスが停止したり、Appleのガジェットの輸入が止まると悲しむ人は多いだろうが(私も悲しい)、「それで死ぬ」という人はいない(と思う)。日本列島からアメリカの弁護士がいなくなっても、アメリカ的医療システムが使えなくなっても、誰も困らない。でも、TPPで日本の農業が壊滅したあとに、アメリカ産の米や小麦や遺伝子組み換え作物の輸入が止まったら、日本人はいきなり飢える。国際価格が上がったら、どれほど法外な値でも、それを買うしかない。そして、もし日本が債務不履行に陥ったりした場合には、もう「買う金」もなくなる。

NAFTA(North America Free Trade Agreement)締結後、メキシコにアメリカ産の「安いトウモロコシ」が流入して、メキシコのトウモロコシ農家は壊滅した。そのあと、バイオマス燃料の原材料となってトウモロコシの国際価格が高騰したため、メキシコ人は主食を買えなくなってしまった。基幹的な食料を「外国から買って済ませる」というのはリスクの高い選択である。

アメリカの農産物が自由貿易で入ってくれば、日本の農業は壊滅する。

「生産性を上げる努力をしてこなかったんだから、当然の報いだ」

とうそぶくエコノミストは、もし気象変動でカリフォルニア米が凶作になって、金を出しても食料が輸入できないという状況になったときにはどうするつもりなのであろう。同じロジックで

「そういうリスクをヘッジする努力をしてこなかったのだから、当然の報いだ」

と言うつもりであろうか。きっと、そう言うだろう。そう言わなければ、話の筋目が通らない。


でも、こういうことを言う人間はだいたい日本が食料危機になったときには、さっさとカナダとかオーストラリアとかに逃げ出して、ピザやパスタなんかたっぷり食ってるのである。

TPPについて私が申し上げたいことはわりと簡単である。


「生産性の低い産業セクターは淘汰されて当然」とか

「選択と集中」とか

「国際競争力のある分野が牽引し」とか

「結果的に雇用が創出され」とか

「内向きだからダメなんだ」


とか言っている人間は信用しない方がいい、ということである。そういうことを言うやつらが、日本経済が崩壊するときにはまっさきに逃げ出すからである。彼らは自分のことを「国際競争に勝ち抜ける」「生産性の高い人間」だと思っているので、

「いいから、オレに金と権力と情報を集めろ。オレが勝ち残って、お前らの雇用を何とかしてやるから」

と言っているわけである。だが用心した方がいい。こういう手合いは成功しても、手にした財貨を誰にも分配しないし、失敗したら、後始末を全部「日本列島から出られない人々」に押しつけて、さっさと外国に逃げ出すに決まっているからである

「だから『内向きはダメだ』って前から言ってただろ。オレなんかワイキキとバリに別荘あるし、ハノイとジャカルタに工場もってっから、こういうときに強いわけよ。バカだよ、お前ら。日本列島なんかにしがみつきやがってよ」。

そういうことをいずれ言いそうなやつ(見ればわかると思うけどね)は信用しない方が良いです。私からの心を込めたご提言である。

http://blog.tatsuru.com/2011/10/25_1624.php

池田信夫VS内田樹


TPP 対 反TPP、池田信夫センセイは詭弁を弄す2011.11.04 Friday


全体の論旨を無視して、部分だけを取り上げて批判して、さらに、それを根拠として全文の内容を否定する。こういう池田信夫の様な批判のやり方が、私は一番嫌いである。 卑怯だからだ。

内田樹氏が、TPPに反対する『グローバリストを信じるな』という記事をブログに書いた。その批判を池田氏がブログに書いた。しかし、この池田信夫と言う人物は、論理的整合性ということを知らないのだろうか?

ある人物が書いた、ある文章と、それとは違う別のところに書いた文章との論理的整合性が無いということはよくあります。それは、語る対象の人物が違う以上、ある程度仕方が無いのですが、この池田信夫という人物は、短い一つの文章の中でも、論理が破綻しています。

論理というか、言ってることが真逆だったりして驚きます。例えばこれ。



『グローバル化の最大の受益者は見えない』
http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51751717.html

という文章の最初の方では、


>中国で700円でジーンズをつくれるとき、日本で7000円でつくる意味はない。

>中国に比較優位があるものは輸入すれば、あなたの実質所得は10倍になるのだ。


と書き、後の方では、


>理論的には、世界中で同一労働の賃金が同一になるまで進む。

>労働移動がなくても、低賃金労働の製品を輸入することによって労働を輸入するのと同じ効果があるからだ。



グローバル化で、あなたの賃金は10倍になると言っておきながら、同じ文章の中で、先進国日本に住むあなたの賃金は、発展途上国並になると言う。(発展途上国並になる、ではなく、平均化されて、発展途上国と変わらなくなるということですね。どっちにしろ、グローバル化で、記事の前半では賃金が増えると言い、後半で賃金が減ると言っています。)

(池田信夫の) 頭は大丈夫か?

ということで、池田信夫氏の『内田樹氏が知らない比較優位』という文章ですが、まず、文章の一番の要点を無視して批判している。文中の経済学的観点での間違いを指摘している(けど的外れ)だけで、肝心要の内田氏の結論、一番のキモを無視している。

内田氏は、アメリカが執拗に日本にTPP参加を迫っているというが、アメリカの世論、マスコミはTPPに関心が無いと池田氏は指摘する。

アメリカが、日本にTPP参加を迫っていないというなら、誰が迫っているのか?チリかブルネイかシンガポールか?

(池田信夫は)アホか。

内田氏がここでアメリカと言っているのは、アメリカの世論やマスコミじゃないことぐらい分かるはずです。

アメリカの金融、産業資本、財界、多国籍企業、その手先であるアメリカの政治家、官僚等、TPP利権に与れる者でしょう。日本にTPP締結を迫るのに、アメリカの世論やマスコミを煽る必要がどこにある?
逆にアメリカのマスコミや世論が日本にTPP参加を激しく迫れば、逆効果でしょう。怪しさも百万倍です。


>各国で生産費が異なるときは、相対的にコストの安い財に特化して輸出することによって世界全体の生産量が増え、双方の国が利益を得るWin-Winが実現するのだ。


というのが比較優位の原理であり、内田氏はこの比較優位の原理を知らないと池田氏は批判する。

しかし、『グローバリストを信じるな』を読んでみると、そのことについては、内田氏良く理解しているように読める。

>だが、「アメリカの国益を最大限に配慮することが、結果的には、日本の国益を最大化することになる」という命題は汎通的に真であるわけではない。

(中略)

>経験的に「そういうこと」が繰り返しあったからこそ、彼ら(松下政経塾系政治家とか財界人とか官僚とかメディア知識人のかたがた)はそのような推論になじんでいるのである。

>私とて経験則の有効性を否定するものではない。

というように、内田氏は、日米の関係において、Win-Winの関係は成立したこともあったであろうと述べていて、比較優位の原理を知らないという批判は的外れである。というか、卑怯であり腹立たしい。

全体の論旨を無視して、部分だけを取り上げて批判して、さらに、それを根拠として全文の内容を否定する。こういう批判のやり方が、私は一番嫌いである。卑怯だからだ。


さて、この池田氏が言う比較優位の原理ですが、大変に問題です。

>各国で生産費が異なるときは、相対的にコストの安い財に特化して輸出することによって世界全体の生産量が増え、双方の国が利益を得るWin-Winが実現するのだ。

まず、生産量が増えればそれだけで人類は幸せになるか?

なりません。生産量が増えても、それを分配するシステムが無い限り、格差と貧困が広がるだけの可能性が高い。現にそうなってるじゃないですか。『双方の国が利益を得る』というが、双方の国の誰か?という問題です。

グローバル化で利益を得るのは、多国籍企業、生産と流通、分配の『システムを所有する者』です。システムを所有しないもの、システムの支配を受けるもの、一般の消費者、労働者は酷い目に合わされる可能性が高い。コーヒー、ココア、天然ゴム、パーム椰子等、商品作物を作っている途上国の農民は、グローバル化で豊かな暮らしを享受していますか?

なぜ、自分たちの食べる食べ物も作れないで、貧困に喘ぎながら、先進国の企業に賃金を買い叩かれて、先進国の企業の売る高い食べ物を買わされているのか?

グローバル化で利益を得るのは誰か?

仮にグローバル化で生産量は増えても、普通の人が普通に暮らしやすい世の中になるとは到底思えません。


_________



コメント

池田センセイの物言いには甚だ不快感を催すのですが、まぁそれはいつもの事として・・・。

>実質所得は10倍になるのだ。

これは”実質”じゃなく、”実質的”なのでしょうね。グローバル化(←この語句がそもそもマヤカシっぽいです)=均一化なら、高所得国側の”実質”所得は減りますよね。”実質物価”が下がっても、”実質”所得がその割合より下がれば、”実質的所得”も下がり結局”豊か”にはなりません。

センセイの理屈では、得意な物を得意な者が効率よく生産・従事する事でモノやサービスのコストを下げ、すなわちその”価値”を下げる事が”豊さ”への道っと言う事なのでしょうか?。

既存の個性・文化伝統・風習・地域性・国民性を無視し、効率のみを優先して資本主義の都合で全てに均一化を計ることが、皆の幸せである言う見識には納得できません。

鍛冶屋 2011/11/04 6:24 PM

____

>生産量が増えても、それを分配するシステムが無い限り、格差と貧困が広がるだけの可能性が高い。
>。リ双方の国が利益を得る』というが、双方の国の誰か?という問題です。
>グローバル化で利益を得るのは、多国籍企業、生産と流通、分配の『システムを所有する者』です。

生産効率が上がり、生産量が増えても、その生産システム、分配システムを所有する者が肥え太るだけで、労働者、つまり、労働以外に交換手段(お金)を得ることが出来ないものは、徹底的に買い叩かれるということです。先進国だろうと、発展途上国だろうと同じことです。まったく、池田信夫氏の言説は腹立たしい限りです。

湧泉堂 2011/11/04 6:38 PM

_______

おはようございます。初めてお邪魔いたします。先般EXAスレッドで意見交換させていただいたローズです。湧泉堂さんとはEXA交流の親しさからコメ入れしたくなりましたので、よろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。


さてTPPですが、ISD条項ぬき/知財ビジネスぬき、で、関税のみ撤廃/モノ主体というフレームでなら、参加すべきと考えています。"鎖国"と"開国"の価値の相違は、明治維新でも証明されていますので。しかし、米国の経済陰謀に対しては、日本として今の100倍ぐらい警戒しつつ、実証主体の理論武装の増強を実施すべきと思います。

という意味で、前述の、条件付き参加、論者です私は。

マルクスの資本論が経済学の表舞台から消えて早30年経過します。しかるに、彼の拡大再生産循環論は、企業家にとっては、規模の利益の追求、などでバックボーンにはなっているようです。反ケインズのピグーなどが端緒となり、昨今のノーベル経済学受賞学者たちは、資本主義経済学ではなく自由主義経済学にカジをきって久しいです。

湧泉堂さんも仰せのように、課題は、再分配システム/すべての厚生利益は消費者に回帰するシステムの実現、です。為政者も企業家も、マクロの優位さにばかり注力しているので、なかなか実現しそうにない昨今です。

人間(ミクロ社会)を真に幸福にする経済学や経済活動は、まだまだ未熟な地球世界のようです。

いけだ氏の持論サイトは、数年前に覗いた記憶があります。そのときは、偏狭的で、裏づけ理論も乏しい、ある意味、フツーの人だな、と感じ、わたし、ROMしなくなりました。湧泉堂さんブログのおかげで、久しぶりに彼の論に触れることができました。偏狭的なのは相変わらずですね。

裏づけ理論の提示のほうは、以前にだいぶ叩かれていたことから、今般は改善されているように、私は感じました。
ただし、(私が敬愛する浜矩子氏を、歪曲しながら否定しているので)、心証はワルイですが(笑)。

あと、僭越かつ失礼をお許しいただきたいのですが、

いけだ氏に関する湧泉堂さん

>グローバル化で、あなたの賃金は10倍になると言っておきながら、同じ文章の中で、先進国日本に住むあなたの賃金は、発展途上国並になると言う。


これは少し違いますね。彼の原文は、

・実質所得は10倍、ですから、賃金が10倍になる、とは言ってない、から。

・理論的には世界中で同一労働の賃金が同一になるまで進む、ですから、発展途上国並になる、とは言ってない、から。

ちなみに私は、世界中で同一労働の賃金が同一になるまで進む、これ同感なんです。

世界で最低人件費の最後の国(≒アフリカ)の殖産興業に行き着いたら、最高人件費の諸国(≒先進国)と最低人件費の諸国(≒南米&アフリカ)の、人件費水準の加重平均値あたりに落ち着くのでは、と推測しています。
なぜなら、最高諸国のそれは逓減し、最低諸国のそれは逓増していき、収れんするはずだから。


>というか、卑怯であり腹立たしい。
>全体の論旨を無視して、部分だけを取り上げて批判して、さらに、それを根拠として全文の内容を否定する。
>こういう批判のやり方が、私は一番嫌いである。卑怯だからだ。


同感です。いけだ氏がメジャー認知の一歩手前で停滞している原因です。


>さて、この池田氏が言う比較優位の原理ですが、大変に問題です。
>>。ハ各国で生産費が異なるときは、相対的にコストの安い財に特化して輸出することによって世界全体の生産量が増え、双方の国が利益を得るWin-Winが実現するのだ。)
>まず、生産量が増えればそれだけで人類は幸せになるか?


いけだ氏の原文には、生産量が増えればそれだけで人類は幸せになる、とは書いていないので、これについては湧泉堂さんの勇み足じゃないでしょうか?

なお、いけだ氏の言うWin-Winの環境が整うのは、今後おおむね50年はかかると思います。

わたし前述の、世界で最低人件費の最後の国(≒アフリカ)の殖産興業に行き着いたら、それ以降は、Win-Win成立の可能性が飛躍的に高まると思いますが、それまでは、弱肉強食/人件費による価格破壊の時代が続くので、真のWin-Winは成立するわけが無いからです。

>グローバル化で利益を得るのは、多国籍企業、生産と流通、分配の『システムを所有する者』です。


同感です。私すぐ上に記述の、その時期、が到来するまでは。

ローズ 2011/11/06 9:58 AM


_____

ローズさん、コメントありがとうございます。

賃金は発展途上国並にな
3:777 :

2022/08/23 (Tue) 22:14:05

生産効率が上がり、生産量が増えても、その生産システム、分配システムを所有する者が肥え太るだけで、労働者、つまり、労働以外に交換手段(お金)を得ることが出来ないものは、徹底的に買い叩かれるということです。先進国だろうと、発展途上国だろうと同じことです。まったく、池田信夫氏の言説は腹立たしい限りです。

湧泉堂 2011/11/04 6:38 PM

_______

おはようございます。初めてお邪魔いたします。先般EXAスレッドで意見交換させていただいたローズです。湧泉堂さんとはEXA交流の親しさからコメ入れしたくなりましたので、よろしくお付き合いのほどお願い申し上げます。


さてTPPですが、ISD条項ぬき/知財ビジネスぬき、で、関税のみ撤廃/モノ主体というフレームでなら、参加すべきと考えています。"鎖国"と"開国"の価値の相違は、明治維新でも証明されていますので。しかし、米国の経済陰謀に対しては、日本として今の100倍ぐらい警戒しつつ、実証主体の理論武装の増強を実施すべきと思います。

という意味で、前述の、条件付き参加、論者です私は。

マルクスの資本論が経済学の表舞台から消えて早30年経過します。しかるに、彼の拡大再生産循環論は、企業家にとっては、規模の利益の追求、などでバックボーンにはなっているようです。反ケインズのピグーなどが端緒となり、昨今のノーベル経済学受賞学者たちは、資本主義経済学ではなく自由主義経済学にカジをきって久しいです。

湧泉堂さんも仰せのように、課題は、再分配システム/すべての厚生利益は消費者に回帰するシステムの実現、です。為政者も企業家も、マクロの優位さにばかり注力しているので、なかなか実現しそうにない昨今です。

人間(ミクロ社会)を真に幸福にする経済学や経済活動は、まだまだ未熟な地球世界のようです。

いけだ氏の持論サイトは、数年前に覗いた記憶があります。そのときは、偏狭的で、裏づけ理論も乏しい、ある意味、フツーの人だな、と感じ、わたし、ROMしなくなりました。湧泉堂さんブログのおかげで、久しぶりに彼の論に触れることができました。偏狭的なのは相変わらずですね。

裏づけ理論の提示のほうは、以前にだいぶ叩かれていたことから、今般は改善されているように、私は感じました。
ただし、(私が敬愛する浜矩子氏を、歪曲しながら否定しているので)、心証はワルイですが(笑)。

あと、僭越かつ失礼をお許しいただきたいのですが、

いけだ氏に関する湧泉堂さん

>グローバル化で、あなたの賃金は10倍になると言っておきながら、同じ文章の中で、先進国日本に住むあなたの賃金は、発展途上国並になると言う。


これは少し違いますね。彼の原文は、

・実質所得は10倍、ですから、賃金が10倍になる、とは言ってない、から。

・理論的には世界中で同一労働の賃金が同一になるまで進む、ですから、発展途上国並になる、とは言ってない、から。

ちなみに私は、世界中で同一労働の賃金が同一になるまで進む、これ同感なんです。

世界で最低人件費の最後の国(≒アフリカ)の殖産興業に行き着いたら、最高人件費の諸国(≒先進国)と最低人件費の諸国(≒南米&アフリカ)の、人件費水準の加重平均値あたりに落ち着くのでは、と推測しています。
なぜなら、最高諸国のそれは逓減し、最低諸国のそれは逓増していき、収れんするはずだから。


>というか、卑怯であり腹立たしい。
>全体の論旨を無視して、部分だけを取り上げて批判して、さらに、それを根拠として全文の内容を否定する。
>こういう批判のやり方が、私は一番嫌いである。卑怯だからだ。


同感です。いけだ氏がメジャー認知の一歩手前で停滞している原因です。


>さて、この池田氏が言う比較優位の原理ですが、大変に問題です。
>>。ハ各国で生産費が異なるときは、相対的にコストの安い財に特化して輸出することによって世界全体の生産量が増え、双方の国が利益を得るWin-Winが実現するのだ。)
>まず、生産量が増えればそれだけで人類は幸せになるか?


いけだ氏の原文には、生産量が増えればそれだけで人類は幸せになる、とは書いていないので、これについては湧泉堂さんの勇み足じゃないでしょうか?

なお、いけだ氏の言うWin-Winの環境が整うのは、今後おおむね50年はかかると思います。

わたし前述の、世界で最低人件費の最後の国(≒アフリカ)の殖産興業に行き着いたら、それ以降は、Win-Win成立の可能性が飛躍的に高まると思いますが、それまでは、弱肉強食/人件費による価格破壊の時代が続くので、真のWin-Winは成立するわけが無いからです。

>グローバル化で利益を得るのは、多国籍企業、生産と流通、分配の『システムを所有する者』です。


同感です。私すぐ上に記述の、その時期、が到来するまでは。

ローズ 2011/11/06 9:58 AM


_____

ローズさん、コメントありがとうございます。

賃金は発展途上国並になる、というよりは、平均化されて、発展途上国と変わらなくなるということですね。はい。

ローズさんは、世界レベルで、同一労働同一賃金になるとお考えのようですが、ずいぶんと楽観的なお考えのように思えます。私の考えでは、

『あらゆる労働はすべて、ほとんど同一賃金になる』

です。つまり、奴隷制度ですね。どんな職業に就こうと、労働者は、生きていけるだけの最低の賃金しか得られなくなるということ。なぜ、公認会計士や弁護士が就職難で、歯科医がワーキングプアなになってしまったのか?

それは、所詮は労働で賃金を得る職業だからです。支配階級、つまり、生産流通分配の『システムの所有者』、権利収入を得るものだけが圧倒的な富と権力を手に入れる。これが、グローバル化の行き着く未来です。説明します


新自由主義、強欲資本主義、自由競争自己責任主義、ネオリベラリズム、弱肉強食の殺戮の荒野資本主義を徹底的に推し進めると何が起こるか?

もっとも強い、もっとも資本力のある企業(グループ)が全ての産業を独占するようになる。(もはや企業間の競争も無い社会=共産主義社会実現)

当たり前です。資本力を利用して、官僚の天下りを受け入れ、政治献金で政治家を抱きこみ、マスコミに宣伝費を垂れ流して手なずける。そして、法律を捻じ曲げ、あるいは、自分たちに有利な法律に改定、新法を制定して何でもかんでもやりたい放題になるからです。

パチンコは賭博なのに、なぜ、取締りの対象にならないのか?警察官僚を天下りで受け入れ、政治献金をして、テレビで宣伝費をばら撒くからです。法律なんてあったもんじゃない。これが、世界レベルで起こるわけです。

資本主義を無制限に解放するということは、より資本力のあるものが無制限に勝つことになるから

たった一つの最強の資本グループが全ての産業を牛耳る世界(世界の共産主義化)では、どんな職業であろうと労働者の賃金は徹底的に買い叩かれます。

新自由主義とグローバル化を推し進めると、世界の共産主義化が実現し、どんな職業であろうとも、賃金労働者はすべてワーキングプア、奴隷になるということです。

★補足

>世界全体の生産量が増え、双方の国が利益を得るWin-Winが実現するのだ。

という池田氏の意見に対して、私は、疑義を呈しているわけです。『国が利益を得ること=人類を幸福にする』のか?国が利益を得ても、国民にその利益を分配するシステムが無ければ、格差と貧困が広がるだけであると。

湧泉堂 2011/11/06 10:51 AM


____

>賃金は発展途上国並になる、というよりは、平均化されて、発展途上国と変わらなくなるということですね。はい。

いえ、違います。

私が書いたのは、最高人件費の諸国(≒先進国)と最低人件費の諸国(≒南米&アフリカ)の人件費水準の加重平均値あたりに落ち着くのではと推測する、でした。ほぼ中央ゾーンに収れんする、という意味でした。それと、平均化されて発展途上国と変わらなくなる、は文章として間違っていませんか?


>ローズさんは、世界レベルで、同一労働同一賃金になるとお考えのようですが、ずいぶんと楽観的なお考えのように思えます。

いえ、その逆です。そういう覚悟をしている、という意味です。

なぜなら、泣いても笑っても、今後50年ぐらいのあいだに、地球全体が、避けようの無い物理メカニズムによって、すなわち、必然的に、そうなってしまうと考えるからです。狭いエリアで短期的に見ても、すでに、日本と中国は、そういうことになっています。(日本の人件費は逓減し、中国の人件費は逓増していっている)。


>私の考えでは、『あらゆる労働はすべて、ほとんど同一賃金になる』です。つまり、奴隷制度ですね。
>どんな職業に就こうと、労働者は、生きていけるだけの最低の賃金しか得られなくなるということ。

これら二つも、違います。
上記の、賃金水準の今後予測の結論が根本的に(≒間違っている)ので、それを前提にしてお書きの事柄は、別方向に行ってしまっていると考えます。


>なぜ、公認会計士や弁護士が就職難で、歯科医がワーキングプアなになってしまったのか?

需要の総量を無視した、供給の過剰、これによる、当然の結果です。その証拠に、需要と供給がバランスしていた時代の彼らの平均年収は、他に比して突出して高かったです。


>それは、所詮は労働で賃金を得る職業だからです。

はて?イミフです。
用益(サービス)も立派に価値がある職業だと思いますが。ゆえに、仰せのような就職難やワーキングプアの発生根拠には、なりえないと考えます。


>支配階級、つまり、生産流通分配の『システムの所有者』、権利収入を得るものだけが圧倒的な富と権力を手に入れる。
>これが、グローバル化の行き着く未来です。説明します
>新自由主義、強欲資本主義、自由競争自己責任主義、ネオリベラリズム、弱肉強食の殺戮の荒野資本主義を徹底的に推し進めると何が起こるか?
>もっとも強い、もっとも資本力のある企業(グループ)が全ての産業を独占するようになる。(もはや企業間の競争も無い社会=共産主義社会実現)
>当たり前です。資本力を利用して、官僚の天下りを受け入れ、政治献金で政治家を抱きこみ、マスコミに宣伝費を垂れ流して手なずける。
>そして、法律を捻じ曲げ、あるいは、自分たちに有利な法律に改定、新法を制定して何でもかんでもやりたい放題になるからです。
>パチンコは賭博なのに、なぜ、取締りの対象にならないのか?警察官僚を天下りで受け入れ、政治献金をして、テレビで宣伝費をばら撒くからです。


別方向にブッ飛んでいますが、お書きのことそのものは、仰せのとおりです。でも、上の事柄の説明としては、弱いです。というか別方向。


>法律なんてあったもんじゃない。これが、世界レベルで起こるわけです。

人間世界は卑しいですから、理想への過渡期なんだと思います。天下りもパチンコ献金も今後さらに規制され、早晩、なくなるだろうと考えます。

>資本主義を無制限に解放するということは、より資本力のあるものが無制限に勝つことになるから


たしかに1980年代までは、その面が強かったですが、それ以降は、当てはまらなくなってきています。開発力の乏しい巨大企業は、収益的にも資産的にも脆弱化してきています。価値が高いものを開発&提供している企業は、どんどん伸びてきています。


>たった一つの最強の資本グループが全ての産業を牛耳る世界(世界の共産主義化)では、どんな職業であろうと労働者の賃金は徹底的に買い叩かれます。
>新自由主義とグローバル化を推し進めると、世界の共産主義化が実現し、どんな職業であろうとも、賃金労働者はすべてワーキングプア、奴隷になるということです。

>たった一つの最強の資本グループが全ての産業を牛耳る世界(世界の共産主義化)では、どんな職業であろうと労働者の賃金は徹底的に買い叩かれます。
>新自由主義とグローバル化を推し進めると、世界の共産主義化が実現し、どんな職業であろうとも、賃金労働者はすべてワーキングプア、奴隷になるということです。


違います。共産主義化の真逆です。賃金の買い叩きも発生していません。地球世界をひとつの労働市場にした中での、理にかなった収れん、これに近づいていっているのです。鎖国は、200年前も現在も、誰のためにもならないのです。

>★補足
>>>世界全体の生産量が増え、双方の国が利益を得るWin-Winが実現するのだ。
>という池田氏の意見に対して、私は、疑義を呈しているわけです。
>『国が利益を得ること=人類を幸福にする』のか?国が利益を得ても、国民にその利益を分配するシステムが無ければ、格差と貧困が広がるだけであると。


これについては、先に既述のように

・分配システム不備なままでは、仰せのとおりです。
・人間(ミクロ社会)を真に幸福にする経済学や経済活動、これが喫緊の課題であり、私の願望でもあります。

ローズ 2011/11/06 12:06 PM

_______

ローズさん、コメントありがとうございます。

>それと、平均化されて発展途上国と変わらなくなる、は文章として間違っていませんか?

えーっと、これは、日本語の問題で、議論してもしょうがないような気もするのですが…。

グローバル化で平均化されて、賃金の高い先進国も、賃金の低い発展途上国も同一労働同一賃金になるということで、言ってることは同じではないですか?

先進国も発展途上国も、同じ賃金になるという意味で。こんなことで議論してもしょうがないと思いますが。



>はて?イミフです。
>用益(サービス)も立派に価値がある職業だと思いますが。
>ゆえに、仰せのような就職難やワーキングプアの発生根拠には、なりえないと考えます。

いや、あのですね、私が言っているのは、

『労働で収入を得る者 VS 権利収入を得る者』

ということです。サービスを提供しようが、教員だろうが、消防士だろうが、警察官だろうが、弁護士や医師だろうが、所詮労働をしないと収入が得られない者にしか過ぎません。ここで言う権利収入の権利というのは、『システムを所有する権利』で、システムとは、生産流通分配のシステムのことです。

もちろん、個別の企業で言えば、大企業のGMやソニーが衰退したりはしています。アップルや、グーグル、DeNAの台頭ということもあるでしょう。しかし、そういう個別の企業の話ではないのですよ。もっと大きな資本の流れを見れば、巨大な資本を握るものが富を膨らませ続けています。見えませんかね?

見えないよ!と言われればそれまでですが(笑)。

新自由主義、規制無き強欲資本主義とグローバル化の行き着く最終形態の話です。自動車メーカーも、経営統合や資本提携などで、各国小メーカー乱立から、大きなグループに統合されていく。強い企業が弱い企業を飲み込んでいく。


>別方向にブッ飛んでいますが、お書きのことそのものは、仰せのとおりです。
>でも、上の事柄の説明としては、弱いです。というか別方向。

別方向ではなくてですね。お金(資本力)さえあれば、何でもありだということです。法律も、世論も、道徳も、すべて乗り越えてゆける。

仮にパチンコ産業が衰退しても、資本は肥え太りながら、収奪を繰り返し、軽々と別の産業に乗り換えていく(国境も法律も乗り越えて)。都市銀行も3大メガバンクに統合されていきました。より巨大な企業(資本)に飲み込まれ、あるいは弱いもの同士が合併してより強くなり、統合を繰り返していく。

この世にたった一つの金融機関しかない世界(競争の無い社会。あるいは表向きは数社あっても、裏で利害を共にする関係)。一つの産業につき、一つの企業(グループ)しかない社会。さらに、最強の企業(資本)グループが、全ての産業を支配する社会。無制限の弱肉強食資本主義で、弱い企業は強い企業に飲み込まれ、統合されていく(長い目で見れば)。

ホワイトカラーエグゼンプションというのもありましたが、そうなれば、ホワイトカラー労働者の賃金も買い叩かれます。企業間の競争が無く賃金はコストだから。


>違います。共産主義化の真逆です。賃金の買い叩きも発生していません。
>地球世界をひとつの労働市場にした中での、理にかなった収れん、これに近づいていっている、のです。

新自由主義とグローバル化をこれからさらに推し進めれば、全ての労働に対する賃金、報酬は徹底的に買い叩かれます。これから、起こることです。


>需要の総量を無視した、供給の過剰、これによる、当然の結果です。

なぜ供給過剰になったのか?
なぜ、規制緩和、制度改革されたのか?
なぜ抵抗できなかったのか?
(資格の規制緩和が一般国民にとってどうかは別問題)

弁護士や公認会計士が巨大資本の所有者ではなかったからです(たいした権力が無かった)。システムの所有者でもないのに、高収入なのは目障りだった。個人が個人のまま力をもっていたのが邪魔だったのでしょう。弁護士や公認会計士は、所詮は資本の使いっ走りでしかなかった。新自由主義とグローバル化をこれからさらに推し進めれば、全ての労働に対する賃金、報酬は徹底的に買い叩かれます。今後、規制無き弱肉強食を推し進めれば、そうなります。部分を見れば逆流したり、渦を巻いていたりする所もありますが、大きな流れはそういうことです。

規制を撤廃した弱肉強食資本主義においては、国家や法律を超越して資本(企業)の論理がまかり通ります。巨大多国籍企業の経済活動が、全てに優先する。ISD条項や、米韓FTAやNAFTAが良い例です。

やがて最強の資本(企業)グループが生まれ、独裁体制が成立し(企業活動は法律に優先するから)、世界の共産主義化、労働者の奴隷化が実現します。これは、


>最高人件費の諸国(≒先進国)と最低人件費の諸国(≒南米&アフリカ)の人件費水準の加重平均値あたりに落ち着く

のようなことが起きた、そのさらに後に起こることです。


>鎖国は、200年前も現在も、誰のためにもならないのです。

アメリカ大陸に住んでいたネイティブアメリカンは、ヨーロッパ人の侵入で何か良いことがあったのでしょうか?

ピサロがやってきた南米は?

オーストラリア大陸のアボリジニは?

アイヌ民族は?

沢山の人々を奴隷として拉致され植民地化されたアフリカは?

コーヒー、ココア、天然ゴム、パーム椰子等、商品作物を作っている途上国の農民は、グローバル化で豊かな暮らしを享受していますか?

もともとは、自分たちの食べる食べ物を自分たちで調達して自給自足していた人たちですよ?

なぜ、自分たちの食べる食べ物も作れないで、貧困に喘ぎながら、先進国の企業に賃金を買い叩かれて、先進国の企業の売る高い食べ物を買わされているのですか?

生産流通分配、そして労働の機会も企業が独占しているからですよ。これがグローバル化の行き着く未来図です。



世界が共産主義化などする前に、ヨーロッパ経済危機や米国債デフォルトや中国バブル崩壊等によって、世界の経済システムは、システムクラッシュを起こすんじゃないでしょうか)
その後のことは私にはわかりません。)

湧泉堂 2011/11/06 3:08 PM


_____


湧泉堂さん一つ前のブログ記事の冒頭


>それよりは、グローバル化を拒否して緩慢に衰退して死に至るほうが、痛みが少ないかもしれません。
>どのみち、人は死ぬし、人類は絶滅するし、地球は消滅する(45億年も経てば)んだから、日本固有の文化などどうでもよいのかも知れませんが…。
>あるいは、鎖国して、アーミッシュのような生活をするのも一つの選択肢かも知れません。

湧泉堂さんの思想ポリシーが集約されています。

お気づきのように私は、システム等々の不備な点は人類の英知で打開して人類幸福の最適解を諦めずに追求する、という思想ポリシーですので、この辺は、永遠にマッチングしないと思っていましたし、100人いたら100人ともそういうものですので、それでいいと思っています。


>(先のご返信)ずいぶんと楽観的なお考えのように思えます。
>えーっと、これは、日本語の問題で、議論してもしょうがないような気もするのですが…。
>先進国も発展途上国も、同じ賃金になるという意味で。こんなことで議論してもしょうがないと思いますが。
>見えませんかね?見えないよ!と言われればそれまでですが(笑)。

書くほうだけが墓穴を掘っていることになるので、こちらはシラけます(笑)し、互いの議論のノリも損なわれますので、あまり価値は無いと思います。

>(先のご返信)賃金は発展途上国並になる、というよりは、平均化されて、発展途上国と変わらなくなるということですね。はい。

これについては、すでに、文章的な間違い指摘を済ませ、私の思う正解も提示し、そして、さきほど、後付け詭弁のような返信を頂戴していますが、

加重平均値あたりにほぼ収れんした時点で、もともとの発展途上国の水準からは高いほうに移動しているわけですから、発展途上国と変わらなくなる、という結論づけは間違っている、と思います。


>ここで言う権利収入の権利というのは、『システムを所有する権利』で、システムとは、生産流通分配のシステムのことです。

湧泉堂さんブログで頻繁に出てくるフレーズですが、具体的な意味の記述は無いまま、のように思いますので、
いい機会?ですので、お手すきのとき、具体的な、システム形態名/または多国籍集団名/あるいは官民合同のグループ名/とかをお教えください。


>もちろん、個別の企業で言えば、大企業のGMやソニーが衰退したりはしています。
>アップルや、グーグル、DeNAの台頭ということもあるでしょう。
>しかし、そういう個別の企業の話ではないのですよ。

私が先レスで書いたことも勿論個々の企業の断片的な事例ではありません。普遍的なウネリ(価値主義での優勝劣敗)です。


>もっと大きな資本の流れを見れば、巨大な資本を握るものが富を膨らませ続けています。見えませんかね?
>見えないよ!と言われればそれまでですが(笑)。

これも、いい機会ですので、お手すきのとき、具体的な、資本形態名/または多国籍企業名/とかをお教えください。


>この世にたった一つの金融機関しかない世界(競争の無い社会。あるいは表向きは数社あっても、裏で利害を共にする関係)。
>一つの産業につき、一つの企業(グループ)しかない社会。さらに、最強の企業(資本)グループが、全ての産業を支配する社会。
>無制限の弱肉強食資本主義で、弱い企業は強い企業に飲み込まれ、統合されていく(長い目で見れば)。

失礼ですが、過去の数々の打開実例をご存じないのでしょうか?
人類は愚かな面は多々ありますし失敗や誤認も多かったですが、ほぼどれも乗り切ってきたと考えます。

なお、反面教師の教訓として生かしてきたか?というと、苦笑する歴史ではありますが。

>弁護士や公認会計士が巨大資本の所有者ではなかったからです(たいした権力が無かった)。
>システムの所有者でもないのに、高収入なのは目障りだった。
>個人が個人のまま力をもっていたのが邪魔だったのでしょう。

ここまでくると、もう、教祖的レベルですので、なにをかいわんや、です。


>世界が共産主義化などする前に、ヨーロッパ経済危機や米国債デフォルトや中国バブル崩壊等によって、
>世界の経済システムは、システムクラッシュを起こすんじゃないでしょうか

世界は共産主義化の反対方向を力強く歩んでいますので前提としてはナンセンスですが、たしかに経済システムのクラッシュは早晩勃発すると思います。湧泉堂さんに同意です。

でもただし、私は、湧泉堂さんのように、悲観的ではないし、厭世的でももちろん無いので、湧泉堂さんご持論の終末イメージとは真逆の予測をしています。世界のビジネス人間は卑劣な面は持っていますが、しばらくしたら悪は善に叩かれ、価値あるモノや良いモノだけが生き残るという、自動制御が機能します。そこまでのリードタイムは長いですが、最後の最後は、悪行は衰退し、正義のシステムが勝ち残るのです。過去の勝利事例をもとに、人間の英知を信じませんか?
人間って、それほどの馬鹿ではないと思うんです。

ローズ 2011/11/06 5:05 PM

_______

ローズさん、コメントありがとうございます。


>>グローバル化で利益を得るのは、多国籍企業、生産と流通、分配の『システムを所有する者』です。

>同感です。私すぐ上に記述の、その時期、が到来するまでは。


はあ。同感いただいているとのことで『システムを所有する者』の説明は不要だと思いますが?

ジェイ・ロックフェラーだ!とか、ジェイコブ・ロスチャイルドだ!とか、国際金融資本だ!とか言ったところで仕方が無いでしょう。誰か特定の個人や団体ではなく概念ですから。そういう概念(道具)を使って、現象を説明しようとしているだけです。




議論が、言葉の細かい定義や、言葉遣い、言い回し、人格についての攻撃になってくると、私はあまり楽しくありません。不毛だからです。あまり建設的な議論にはならないでしょう。

池田氏が、文章の前半ではグローバル化で賃金が増えると言っておきながら、後半では賃金が下がると言っているという矛盾を指摘したまでです。

なぜそんな言い回しの細かい違いにこだわるのか理解できません。『平均化されて』ということの定義の問題にしか過ぎないのじゃありませんか?

一億人の人が年収1千万円で、十億人の人が年収百万円。平均化すると、550万円てことはないでしょう?

(一億人×一千万円+十億人×百万円)÷十一億人です。算数が苦手なので計算しませんが。一千万円の年収の人の収入は激減しますね。



>ここまでくると、もう、教祖的レベルですので、なにをかいわんや、です。

人間が世界や現象について理解しようとするときには、あるモデルを使って理解するより他ありません。事実はありのままに人間存在に届けられるのではなく、事実は概念によって区切られ、意味付けられて人間の意識に届けられます。例えば、世界を

『労働で収入を得るしかない者VSシステムを所有し、権利収入を得る者との対立』

というモデルで見ると何が言えるのか?ということを考えた次第です。

証拠を見せろ!と言われても困ります。こういうモデルで考えるとこういうことが言えますよという話です。




私は、議論に勝ちたいとか、相手を論破したいとかいう欲望は余り無いのです。私の欲望は、私の言うことを正しく理解して欲しいということです。議論のための議論には興味ありません。

湧泉堂 2011/11/06 7:13 PM

______


横レス失礼します。 

最初はよい議論の方向へ話が向かうかと期待していたのですが、途中からはやはり何時ものような流れになってしまい残念です。

>>ローズさんへ
議論の対象は、池田氏の記事に対する意見を述べ合う事ではありませんか?。

湧泉堂さんの解釈や発言、思考が理解できないまたは納得できない、ご自身のお考え方と違うからといって、その結論に至る証拠や実例を具体的に提示せよと言うのはいささか乱暴すぎるのではないでしょうか。池田氏の発言に対しローズさんなりの解釈・見解を示し、もしそれを証明したいのであれば、それを述べられるだけでよろしいのではありません?

鍛冶屋 2011/11/06 8:32 PM

_______


湧泉堂さんへ

いけだ氏の原文

①中国で700円でジーンズをつくれるとき、日本で7000円でつくる意味はない。中国に比較優位があるものは輸入すれば、あなたの実質所得は10倍になるのだ。

②理論的には世界中で同一労働の賃金が同一になるまで進む。労働移動がなくても低賃金労働の製品を輸入することによって労働を輸入するのと同じ効果があるからだ。


湧泉堂さんの誤謬≒スリカエ

①池田氏が、文章の前半ではグローバル化で賃金が増えると言っておきながら、

②後半では賃金が下がると言っているという矛盾を指摘したまでです。


湧泉堂さんの誤謬については既に指摘&説明済みなので割愛しますが、上記の、原文と湧泉堂さん代弁は、明らかに食い違っています。そういうのは、フェアじゃない、と言いたかっただけです。

>弁護士や公認会計士が巨大資本の所有者ではなかったからです(たいした権力が無かった)。
>システムの所有者でもないのに、高収入なのは目障りだった。
>個人が個人のまま力をもっていたのが邪魔だったのでしょう。

後付けで、概念による論述だと抗弁なさっていましたが、それにしてはリアルな事象を例示して、事実としては誰も信用しない説明でしたね。私は穏便にオブラートに包んで、教祖的うんぬんと書きましたが、はっきり言うと、間違っているんですよね。

はい、いずれの供給過剰も、怪しげなグローバル企業や巨大資本家コンツェルンが関係しているのではなく、

・仰せの司法試験合格者の激増そして就職難は、法科大学院の乱立からの派生。供給過剰。

・仰せの公認会計士試験の合格者の激増そして就職難は、会計士受験専門学校の乱立からの派生。供給過剰。

・仰せの歯科医師試験の合格者の激増そしてワーキングプア化は、私立歯科大学の乱立からの派生。供給過剰。


いずれも、個別事情と収益源としての、学校の乱立ですから、仰せのようなグローバル巨大システム集団とかの仕業では無いのです。

ちなみに私も、いけだ氏に対しては、好感はもっていませんので、弁護するつもりは皆無です。しかし、どんな評論家でも、その人なりにアップしている論述なので、批判するなら、もっとフェアに批判しませんか?だったのです。

たぶん湧泉堂さんもお嫌いな、歪曲した前提の上に、批判自論を積み重ねる、そういうアン・フェアなことを、湧泉堂さんご自身がおやりだったので、老婆心ながら指摘と正解提示をした次第です。

御用学者ならぬ御用コメントだけを、もしも想定または期待されておられるなら勿論それも自由ですが、それについて何か価値はありますか?

ローズ 2011/11/07 2:36 AM

______

ローズさん、コメントありがとうございます。

私は、こういうモデルで社会現象を見てみるとこういうことが言えますよというアイデアを提示しているだけで、それに賛同しろとか共鳴しろとか言っているわけではありません。そういうモデルを使わなければ、そうは見えないということは当たり前です。それについて、正しいとか間違ってるとか言い合いをしても不毛です。そういうモデルは採用しないということであれば、はいそうですかと言うより他ありません。


>はい、いずれの供給過剰も、怪しげなグローバル企業や巨大資本家コンツェルンが関係しているのではなく、
(中略)
>いずれも、個別事情と収益源としての、学校の乱立ですから、仰せのようなグローバル巨大システム集団とかの仕業では無いのです。

ある具体的な社会現象に、どういう力学が働いているかということについて、ある概念、モデルを用いて説明したと言ってるじゃないですか。特定の権力者や、企業の仕業だなどと言っているのではありません。

ジグムント・フロイトが、エス(イド)・自我・超自我のモデルで具体的な人間の行動を説明したように、モデルを使って現象を解釈したら、ということです。フロイトに向かって、エスや自我や超自我など実在していない!と言ったところで何になるんです?

概念やモデルは道具なので、使うか使わないかは自由ですよ。ところで、他人に対して、自分がわからないことを質問するときに、なぜそのように高圧的で居丈高な物言いをされるのでしょう。



離れ小島に島民が千人、仲良く暮らしておりました。

そこへ、船がやってきて、船員が島民を皆殺しにして島に住み着きました。

やがて、船でやってきた新しい島民は農耕と漁労の技術に長けていたので、生産性が上がり、人口は二千人に増えました。

おお!島民が、千人から二千人に増えた!漁業も農業も発展した!この島は、発展したので良かった!



旧島民の立場から見るか、新島民の立場から見るかで、物事の在り様は、まったく異なります。

湧泉堂 2011/11/07 7:37 PM


_______

またまた詭弁が続いていますね。

>ある具体的な社会現象に、どういう力学が働いているかということについて、ある概念、モデルを用いて説明したと言ってるじゃないですか。
>概念やモデルは道具なので、使うか使わないかは自由ですよ。


あなたは学者ではないみたいなので仕方がないのかも知れませんが、一般人でも賢人なら、抽象的モデルを使って論及する場合は、抽象的な事象に対して論ずるのが、正常な定石です。もしも、抽象的モデルを使って、具体的な事象を論ずるのなら、現実と真逆な結論づけは、説得力ゼロです。ですから、本当の知識人は、はなから、そういう愚は、おかさないのです。

例の、弁護士・会計士・歯科医師の事例なんぞは、具体的に原因背景が証明されているのですから、無理やり、モデルとかなんとかで言及すると、今やご自身も本当はお気づきのように、あのように、とんでもない頓珍漢な論及になります。

>旧島民の立場から見るか、新島民の立場から見るかで、物事の在り様は、まったく異なります。

これも、お得意の誘導詭弁ですね。私は、ここまでのコメ入れで、貴方のような、片方からだけ見た、そういう論及はしていません。全体双方の最適解を、あなたに対して、説いてきました。

あなたの【論法】を借りるなら、そんな片方からだけのモノの見方しても【仕方ないでしょう】、です。

ちなみに、あなたは、例の、セーフティネット必需論も含めて、とにかく弱者保護のスタンスのようですが、それについては、個人の自由思想ですので、少なくとも尊重は致します。もちろん、賛同するかどうかは、関係なく。

昨日だか、ブログ記事の部分訂正をしておられましたね。これは評価できます。
しかるに、残念ながら、あなたの頑迷さ(または当該知識そのものの錯誤)により、ほとんど変わり映えしていないですね。残念です。

>>>中国で700円でジーンズをつくれるとき、日本で7000円でつくる意味はない。
>>>中国に比較優位があるものは輸入すれば、あなたの実質所得は10倍になるのだ。

>と書き、後の方では、

>>>理論的には、世界中で同一労働の賃金が同一になるまで進む。
>>>労働移動がなくても、低賃金労働の製品を輸入することによって労働を輸入するのと同じ効果があるからだ。

>グローバル化で、あなたの賃金は10倍になると言っておきながら、同じ文章の中で、先進国日本に住むあなたの賃金は、発展途上国並になると言う。
>(コメント欄で注意を頂きましたので、訂正をいれさせていただきます。発展途上国並になる、ではなく、平均化されて、発展途上国と変わらなくなるということですね。
>どっちにしろ、グローバル化で、記事の前半では賃金が増えると言い、後半で賃金が減ると言っています。)


ハハハ(失礼!)、
どっちにしろグローバル化で記事の前半では賃金が増えると言い後半で賃金が減ると言っています、
ですか。また苦笑しました。

今回わたし初コメ以来、すでに2度も、あなたの知識錯誤やアン・フェアな他者批判の愚かさを指摘してきましたが、ブログ訂正ここに至っても、実質的には、なんら改善されていないのは何故か?

その(悲しい)答を、絞り込むことが出来ました。

失礼ですが、あなた、所得または可処分所得の余裕余剰の増加、と、賃金の増加、を、同一視しておられるようですね。言ってわるいですが、悪い意味で、あなた、とても珍しい御仁です。

ここの読者に、一定以上のレベルの知識人がいらっしゃるなら、苦笑しておられると思います。


_____

ローズ 2011/11/08 12:56 AM

実は、つくづく、あなたのことを不思議な論述者と感じたので、礼儀上、過去ログを以前よりも、さらにソコソコさかのぼって、ざっと拝読してみました。おかげで、ほぼ、解明できました(笑)。

以下に、特別おもしろかったふたつ、例示します。


湧泉堂さんブログ2011.02.02
http://miruton.jugem.jp/?eid=480#comments

>資本主義というのは、拡大再生産→拡大再消費

他の記事も、その殆どが、拡大再生産/システム所有者うんぬん、ほぼ、これ一辺倒ですね。
30年も前に廃れたマルクス経済学での資本主義論ですか?
現代は、とっくの昔から、自由主義経済学の時代ですよ。

拡大再生産論/システム所有者うんぬん、だけでは、湧泉堂さんも実は、しんどいのでは?
もっともっと現代学やリアル実態を、勉強しませんか?

それと、システム所有者うんぬん、ホント頻繁に出てきますが、不思議に、どの記事にも、その定義は皆無ですね。
また、お得意の論法である、モデルだからイイだろ、ですね?(笑)。
明確な知識、裏づけデータ、お持ちなんですよね?
まさか?
(笑)

>売上が上昇しないとき、企業は経費削減の方向に向かいます。
>所謂リストラというヤツです。人員削減、賃金カット、正社員から派遣社員への移行。
>そして企業は内部留保を増やし、株主配当と役員報酬を拡大する。

ハハハ(失礼)、まるで不勉強な高校生の政経の答案みたいなので、つい。

マーケティング活動や、VE/TOCによるコスト・リダクション活動、ニーズとシーズのマッチング、新規開発力の増強、CS向上活動などが、収益主要対策ですよ。
内部留保は、設備投資の原資化が、第一プライオリティ、ですよ。

まるで、大昔の共産党か社会党みたいですね。

>もちろん、いまさら世界が共産主義化するとは思っていませんが、
>これ以上経済システムが暴走し、人間を踏み潰すようなら、民衆は黙っていないでしょう。

あれあれ、上記2011.02.02湧泉堂さんブログでは、いまさら世界が共産主義化するとは思っていません、なのに、

ナント(笑)、今般2011/11/06湧泉堂さんコメントでは、世界が共産主義化などする前に、と、書いておられる、
* 湧泉堂 2011/11/06 3:08 PM=世界が共産主義化などする前にヨーロッパ経済危機や米国債デフォルトや中国バブル崩壊等によって世界の経済システムはシステムクラッシュを起こすんじゃないでしょうか。

失礼ですが、拡大再生産/システム所有者うんぬん、一辺倒だけでなく、誰もが失笑する共産主義化うんぬんも、場面によっては正反対になるんですね。
大丈夫ですか?

おしまいに、

やはり、私ローズ既述の直感はビンゴ!でした。
はい、あなたは、やはり、教祖さま、です。(笑)

なぜなら、あなたのブログ記事に対して、ほんのたまにあるコメントを見てたら、その証拠があります。

コメント文面から伺える、

・素朴な一般人からは、ブログ記事への賛同が多くて、

・幅広い知識をお持ちのかたからは、やんわり嘲笑されておられるから。


ではでは。(笑)。

ローズ 2011/11/08 6:19 AM コメントする

http://miruton.jugem.jp/?eid=539

              /               \
          / / ∠三ミレ-- 、      ヽ
         / / //─'''´ ̄ ̄`ヽ      ゙i
        / /  //        ゙iヽ  ヽ  |
        ,' /  //          | ヽ  ', |
        | |  / l,、、,,_   -‐''" ̄`゙i. |   | |
        | | / ノ,.t-、    'Tッ'Tゝ ヽ|レ‐、| |
        ゙i |/ ,ィ`' _L.,!    ` ┴'  リ‐、 } |
        .!///゙!     ,         ノ__/ .!
         |/ | ',    ゙        /  |  |
          |! |  \   ゚       /  |  .!
          {  |  | | ゙ヽ、    /  |   |  | アホは経済学で何でも説明できる
         ゙、 ', | |   | `l'"´    ゙、|  |i   | と思ってるのね
         ヽ ヽ | |   レ'′      \ || /
           /ヽ \!  |  ̄ ``   r'´ ` ̄``ヽ
        /   ヽ ヽ ノ                   ヽ
        |     〉 V              |   |
        |    /  /       \       ヽ、 |
        |    / / /|       ヽ       \
        .!   / { ヽ|    ...     ゙、        ヽ
        |  {  ゙i   ヽ  ::r.;:.     l         ::_)
        .!  \ ト、 |   `゙"     /          /
         |    ト| | ∧       /           /
            |  / / /|| ゙ヽ、 __ ,. -'"    ` ーr┬ '′
          | / / | ヽ、               | /

ローズさんのは唯の言い掛かりにしか見えないですね。 これは経済ではなく生物学的な適応と淘汰の問題ですから。直観力がゼロのローズさんが経済の知識と論理だけでいくら考えても本質には到達できないのですね。

人類は天敵がいないので互いに殺し合って人口を減らすしかないのですね。だから、環境に適応した民族が適応できなかった民族を滅ぼすしか進化の道は無いのですね。

“世界のビジネス人間は卑劣な面は持っていますが、しばらくしたら悪は善に叩かれ、価値あるモノや良いモノだけが生き残るという、自動制御が機能します。そこまでのリードタイムは長いですが、最後の最後は、悪行は衰退し、正義のシステムが勝ち残るのです。過去の勝利事例をもとに、人間の英知を信じませんか?
人間って、それほどの馬鹿ではないと思うんです。“


“失礼ですが、過去の数々の打開実例をご存じないのでしょうか?
人類は愚かな面は多々ありますし失敗や誤認も多かったですが、ほぼどれも乗り切ってきたと考えます。“


ローズさんのこの言葉には笑ってしまいますね。


縄文人を滅ぼさなければ弥生人は日本列島を奪えなかったのですね。

アメリカインディアンを滅ぼさなければアングロサクソンはアメリカを奪えなかったのですね。

ネアンデルタールを滅ぼさなければホモ・サピエンスは生き残れなかったのですね。

全く同じ様に今、西欧人は有色人種を滅ぼそうとしているのですね。地球に68億人は多過ぎますから。

ロスチャイルドは地球の世界人口68億人のうち、40億人を削減する計画みたいですね。聖書の「黙示録」では人類の2/3が滅ぶことになっているので。

まあ、民族の優秀さでは西欧人が世界一ですが、生存できるかどうかは優秀さではなく環境への適応力で決まりますから、西欧人が最終勝者になる事は絶対に有りないんですけどね。

ローズさんは目先の10年・20年単位でしか物を考えられない人なんでしょう。研究者には一番向かない性格ですね。


湧泉堂さんの考え方の本質はこういう事でしょう:

グローバリズムは、帝国主義。 August 25, 2007


すこし、涼しくなってきた。アメリカの経済にも秋風が吹いている。このままだと、近い将来ドルの暴落という事態も考えられる。

政治的なアメリカの威信は、イラク戦争の失敗ですでに翳りを見せていた。必然的にアメリカはユニラテラリズムを採用せざるを得なかったということだろう。難破船からねずみが逃げ出すように、ブッシュ政権からは何人もの関係者が退散している。そして、政治的な威信失墜の兆しが、今度は経済的な信用崩壊へと接続されそうな気配である。クレジットクランチである。

日本の経済学者は、楽観論が多いようであるがこの度の住宅ローンの破綻に始まる米国経済の混乱と、連動する世界同時不況は予断を許さない状況になっている。アメリカの事態に関しては悲観的な観測を述べているエコノミストの一人、水野和夫の『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』
http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E3%80%85%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%9C%E3%82%B0%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%90%E3%83%AB%E7%B5%8C%E6%B8%88%E3%81%AE%E6%9C%AC%E8%B3%AA%E3%82%92%E8%A6%8B%E8%AA%A4%E3%82%8B%E3%81%AE%E3%81%8B-%E6%B0%B4%E9%87%8E-%E5%92%8C%E5%A4%AB/dp/4532352452

を読んだ。

 水野は、1995年を境にして、戦後が終焉し、日本も世界もこれまでの経済的な常識はもはや使い物にならないということを、実証的に裏付けてゆく。

彼はシンクタンクの保有しているあらゆるデータを分析することで、95年が時代の転路点であることを発見する。ここまでなら、多くの経済学者、エコノミストも予見することはできる。水野の創見は、それが経済の世界における近代の終焉であり、同時に資本による反革命の始まりであるという、経済システムの変換を読み込んだことである。

 大変に面白く、スリリングな理論である。

俺もかつて、94年という年が時代の転換点であると書いたことがあった。

「ぼくはビジネスの世界で、1994年を境に劇的な変化、価値変動がおこったと考えています。そしてその変化は日本中を隈なく覆い尽くして文化や人々の言葉づかいまで変えていくほどの繁殖力をもっていました。正確に言えばアメリカン・スタンダードというものがカバーする地域、人種、職業すべての価値観に大きな修正をもたらすものとなった」(『東京ファイティングキッズ』)

俺は、ビジネスの現場における人々の言葉づかいが大きく変わったことから、このアイデアを思いついたのであるが、水野は専門家らしく経済的な指標を読み解くことの中から、この転換が根源的なシステムの転換であることを「発見」する。そして、ポスト近代とは、インターネットや金融技術が牽引する超近代などではなく、帝国の再来,資本が、自らへの分配を確保するための反革命であると言うのである。 これは、実に目から鱗の指摘であった。

なるほど、グローバリズムとは、自由主義の拡大ではなく経済帝国主義であったのか。

そう考えればいろいろなことが腑に落ちる。そう考えなければ、グローバル企業の飽くなき膨張や、経済成長しながらも拡大する格差や周縁の疲弊といった問題がうまく理解できない。膨張しているのは、資本だけであり、国民経済ではないのである。


帝国主義とは何か。

レーニンはその帝国主義論でこう述べている。

「帝国主義とは、独占体と金融資本の支配が成立していて、資本輸出が著しく重要性を増し、国際的なトラストによる世界の分割が始まり、最強の資本主義諸国による世界の全領土の分割が完了したという発達段階に達した資本主義のことである。」

簡単に言えば、帝国主義とは、国益拡大のための際限のない周縁国の植民化であった。

帝国主義はどのようにして終結したのか。

それは、有限な世界の中で、覇権同士がぶつかり合い、経済的なブロック化が進行し、ついには戦争による以外、つまりは覇権の蕩尽という方法でしか決着をつけることができなかったからだ。

 いま起こっているグローバリズムとは、この帝国主義の時代における軍に代わって、企業が、世界経済を再分割してゆく動きであるといえるかもしれない。低賃金の労働力、飢えたマーケットを固定化、植民化するという形で、企業が国境を超えていく。
 
 「グローバリゼーションは誰の手にも負えないコントロール不可能な経済現象で、関わる者すべてはこれに影響を受け、そして、たまたま適切な準備ができていた者だけがその恩恵を受けることができるのだと考える人もいる」

(『ウォルマートに呑みこまれる世界』)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A6%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%88%E3%81%AB%E5%91%91%E3%81%BF%E3%81%93%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%82%8B%E4%B8%96%E7%95%8C-%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A3%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9E%E3%83%B3/dp/4478000905


ちょうどいま書評を書いている本の中で、その著者チャールズ・フィッシュマンが言っている。市場主義といい、グローバリズムといい、その渦中にいるものにとっては、それが時代の中の過程的なシステムであると考えるよりは、究極の姿であると考えやすい。ビジネスも政治も、限定的な時間の中での損得勘定しかできないからである。


「改革なくして成長なし」も

「成長がすべての怪我をなおす」

という法則も、限定的な時間の中でしか意味を持ち得ない。こういったスローガンは、何かの真理を言いあらわすというよりは、現在のシステムが、それを弁護ないしは強化するために言わせているのだと思ったほうがよいのである

http://plaza.rakuten.co.jp/hirakawadesu/diary/200708250000/


帝国主義・民主主義・グローバリズム


 帝国主義は悪で、民主主義は善、そして少し前までグローバリズムは正しかったと言うのが、良識派の人の認識である。そして、帝国主義 vs 民主主義の戦いが、第二次世界大戦で、正義が勝ったのだと言うのが常識となっている。しかし、この図式の中には忘れられていると言うか、隠蔽されている重要な事実が隠されている。

 帝国主義も民主主義もグローバリズムもプレイヤーが違うために一見違う目的を持つものだと考えられがちだが、役者(と出し物)が違うだけで、目的は15世紀から代わっていないという事なのだ。役者や出し物は代わっても同じ興行主が掛けている芝居(ヨーロッパの興行主がロスチャイルドで、アメリカはロックフェラー)に過ぎないと分かれば国際金融資本というものがどういうものかは自ずと明らかになってくるのだ。便宜的にユダヤと言う言葉を使う事もあるが人種としてのユダヤでも、イスラエルに住んでいる人達を指すものでも無い。そもそも、純粋なユダヤ人など本当は存在しないと考えるべきなのだ。

自虐史観に囚われた人達から見れば帝国主義と言えば枢軸国(日独伊)の事になるのだろうが、第二次大戦中の最大の帝国は間違いなく大英帝国だったし、日本が占領した地域の多くは大日本帝国では無くヨーロッパの列強の植民地だった。植民地を持っていると言う事は、フランスやオランダも当然帝国主義国家で、帝国主義を批判していたアメリカだってフィリピンを統治(満州を批判したアメリカだって傀儡政権を使ってフィルピンを植民地化していたのだ)していた立派な帝国主義国だったのだ。

 要するに戦勝国が善だとすれば帝国主義は悪では無く枢軸国だけは限定的に悪い帝国主義だったと考えなければならない。では、何故帝国主義は悪となったのだろうか。第二次世界大戦で悪の帝国主義国家が胡散霧消しただけでは無く、多くの植民地が独立し、ヨーロッパ列強が帝国主義を続けられなくなり帝国主義では金儲けが出来なくなったから悪になってしまっただけの話なのだ。第二次大戦は民主主義と帝国主義の戦いと言われているが、古い帝国主義と新興の帝国主義の戦いに過ぎなかったのである。その両方の帝国を育てたスポンサーは東インド会社のオーナーだった連中(ロスチャイルド)だったのだ。

 民主主義(資本主義)の方はどうだろう。帝国主義が無くなったあとに敵対したのは共産主義だった。ドイツや日本と言うビッグプレイヤー(勝つ事はないが取りあえず長い間戦争の相手を出来ると言う意味)がいなくなった時には、共産主義と言う種が大きく育っていた。

 敵対する相手がいない事には世の中は平和でなければいけないが、平和では金儲けは出来ない。日露戦争で日本に加担(シフを通じてロスチャイルドが支援)し、同時に共産主義者たち(実は労働者では無くロスチャイルドに資金を提供された貴族階級だ)はソビエトと言う国を興し、民主主義国家と渡り合えるようになった。冷戦と言う長い戦い(核兵器を競い合ったが、核兵器の原料は誰が支配していたかを忘れてはいけない)が続けられたが、アフガニスタンと言う火種を残しソビエトは崩壊したが、それは火種が出来たからであって、民主主義が正しかったからではなかったのだ。

 アフガニスタン侵攻と軍拡競争で疲弊したソビエトは消えてなくなり、世界は平和になる筈だったが、イラクによるクェート侵攻と言う出来過ぎのシナリオで中近東が火薬庫の役目を果たしてくれた。悪いアラブと良いアラブ、アラブとイスラエル、パレスチナとイスラエルと争いの種はいくらでもあるが、ロックフェラーは、911を口実にイラクとアフガニスタン(どちらもロックフェラーのテリトリー)に戦いを仕掛けて金儲けの種にし、オイルマネーを絞り取るためにドバイなどの窓口に資金を集めるために金融バブルを仕掛けてきたのが、ついこの前までの話だった。結局、世界の金融を実際に牛耳っているロスチャイルドには敵わなかったのが今なのである。グローバリズムも、要は金儲けのための一時的な道具だったのだ。

結論:世の中に数多ある主義主張やイデオロギーに正しいも何も無い。金を儲ける手段として機能している内は善で、そうでなくなれば悪になるだけの話なのだ。神聖ローマ帝国の御用銀行家がルーツのロスチャイルドは、英国だけでは無くユーラシアからアフリカ全体を支配する金融資本の総元締め。北米が主体のロックフェラーが出先に過ぎない(表面的に戦後60年以上最強に見えたが)のは仕方がない。イデオロギーなどという色眼鏡を外し、金の流れを見れば世の中の仕組みは非常に単純なのである。

http://maimaikaburi.blogspot.com/2009/01/blog-post_1042.html

マルクスは資本主義については正しかった 2011/11/05 (Sat) 22:40:26


 カール・マルクスは共産主義については間違っていたが、資本主義の大部分については正しかった、とジョン・グレイは書いている。

 金融危機の副作用として、ますます多くの人々がカール・マルクスは正しかったと考え始めている。19世紀の偉大なドイツ人哲学者、経済
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2022/08/23 (Tue) 22:14:54

マルクスは資本主義については正しかった 2011/11/05 (Sat) 22:40:26


 カール・マルクスは共産主義については間違っていたが、資本主義の大部分については正しかった、とジョン・グレイは書いている。

 金融危機の副作用として、ますます多くの人々がカール・マルクスは正しかったと考え始めている。19世紀の偉大なドイツ人哲学者、経済学者であり革命家は、資本主義は根本的に不安定であると信じた。 資本主義には、より大きなブームと破滅を作り出す傾向がビルトインされており、長期的には自分自身を破壊するにちがいないというのだ。

 マルクスは、資本主義の自滅を歓迎した。彼は、大衆的な革命が起こり、より生産的ではるかに人間的な共産主義システムを実現すると確信していた。

 マルクスは、共産主義については間違っていた。彼が予言的に正しかったのは、資本主義の革命のとらえ方においてだった。彼は、資本主義固有の不安定性を理解しただけではない――もちろん、この点で彼は、当時の、また現在の大多数の経済学者よりも鋭かったのだが。

 もっと深くマルクスが理解したのは、どのようにして資本主義が自分自身の社会的基盤――中産階級 the middle-class の生活様式――を破壊するか、ということだった。ブルジョアジーとプロレタリアというマルクス主義者の用語は古い響きをもっている。

 しかし、資本主義は中産階級を当時の厳しく抑圧された労働者の不安定な存在に似た状態におとしいれるとマルクスが主張するとき、彼は、われわれの生活の変化を予測していた。それは、いまわれわれが立ち向かっているものだ。

 彼は、資本主義を、歴史上もっとも革命的な経済システムとして描き出した。資本主義がそれ以前の経済システムと根本的に違っていることは疑い得ない。

 狩猟・採取民は、何千年もその生活を守り続け、奴隷は長期にわたって耕し、封建社会は何世紀も続いた。反対に、資本主義は、それが触れるものすべてを変化させる。

 資本主義は、絶えず変化するだけではない。企業と産業は、革新の絶えざる流れのなかで創造され破壊され、その一方で、人間関係は解体され新しい形態で再現する。

 資本主義は、創造的破壊のプロセスとして描かれてきた。資本主義が驚くほど生産的であったことは誰も否定できない。実際、現在のイギリスに暮らす誰もが、資本主義が存在しなかった場合に受け取っていたであろう収入よりも多くの収入を得ている。

否定的な帰結

 問題は、プロセスの中で破壊されてきたさまざまなもののなかで、資本主義が過去において依拠した生活様式を破壊してきたことだ。

 資本主義の擁護者たちは、次のように主張する。資本主義はあらゆる人に利益を提供するが、それは、マルクスの時代にはブルジョアジー――資本を所有し、生活において適切な水準の安全と自由を享受した安定した中産階級――だけが享受したものだ、と。

 19世紀資本主義においては、大多数の人々は何も持たなかった。彼らは、自分の労働を売って生活した。市場が低迷すると、彼らは厳しい生活に直面した。しかし、資本主義が発展するにつれて、ますます多くの人々がそこから利益を手にすることができるようになるだろう――資本主義擁護者たちはそう言う。

 誇るべきキャリアは、もはや、少数の特権ではなくなるだろう。もはや人々は、毎月毎月、不安定な賃金で苦労して生活することはないだろう。貯蓄、自身が所有する家屋および相当な年金によって保護され、彼らは、懸念なしに生活設計することができるだろう。民主主義および富の拡張とともに、誰かがブルジョア的生活から締め出される必要はなくなる。誰もが中産階級になれるのだ。

 実際には、イギリスやアメリカ、その他の先進国では、過去2、30年間にわたって、反対のことが起こっている。仕事の安定は存在しない。過去の職業や専門は、ほとんど消えうせて、生涯にわたるキャリアというものはほとんど記憶でしかない。

 もし人々がなんらかの富をもっているとすれば、それは家の中にあるが、住宅価格はつねに上昇するわけではない。いまのように信用がタイトなときには、彼らは数年間にわたって停滞するだろう。快適に暮らすことのできる年金をあてにできる人はますます少数派になっており、多くは十分な貯蓄を持ってはいない。

 ますます多くの人々が、将来のことをほとんど考えることもなく、その日暮しをしている。中産階級の人々は、彼らの生活が秩序正しく展開すると考えたものだった。しかし、人生を、最後から一つずつ昇っていくステージの連続とみなすことは、もはや不可能だ。

 創造的破壊のプロセスのなかで、梯子は外されてしまい、ますます多くの人たちにとって、中産階級であることは、もはや人生の目標にさえならなくなっている。

リスクを負わされる人


 資本主義が発展するのにつれて、それは大多数の人々を、マルクスの言うプロレタリア階級の不安定な存在の新バージョンへと追い返した。現在の収入ははるかに高いし、ある程度は、戦後の福祉国家の名残によって衝撃から守られてもいる。

 しかし、われわれは自分の人生コースをほとんど効果的にコントロールしてはいない。われわれは不安定さのなかで生活しなければならず、その不安定さは、金融危機に対処するためにとられた政策によって悪化させられている。物価上昇のもとでのゼロ金利は、あなたのカネにマイナスの報酬をもたらし、やがてあなたの資産を腐らせるということだ。

 多くの若者の状況はもっと悪い。必要なスキルを身につけるためには、あなたは、借金を背負わなければならない。いくつかの点から、あなたは貯蓄に努めるように再訓練されなければならないだろう。しかし、もし出発点から借金を背負っていたら、貯蓄は、あなたにできる最後のことだ。何歳であれ、今日、大多数の人々が直面している可能性は、不安定な生活である。

 資本主義は、人々からブルジョア的生活の安全を奪い取るのと同時に、ブルジョア的生活を送ってきたようなタイプの人々を絶滅させてきた。1980年代には、ビクトリア朝的価値観のことがしきりに言われた。そして、自由市場の促進者たちは、それがわれわれを過去の健全な美徳に連れ戻すだろうと主張したものだった。

 多くの人々にとって、たとえば女性や貧困者にとって、これらビクトリア朝的価値観は、彼らの効果においてほとんど無意味なものになっただろう。しかし、より大きな事実は、自由市場がブルジョア的生活を支えた美徳を掘り崩す働きをすることだ。

 貯蓄が融けてなくなってゆくとき、質素倹約は、破滅への道になるかもしれない。たくさん借金をして、破産宣告することを恐れない人こそが生き残り、成功へむかうのだ。

 市場の力によって持続的に変化させられる社会では、伝統的価値観は上手く機能せず、それによって生活しようとする人は誰もがガラクタの山にたどり着く恐れがある。


莫大な富

 市場が人生のすべての曲がり角に浸透した未来を展望して、マルクスは、「共産党宣言」で、「すべての固定したものは消え去る」と書いた。ビクトリア朝初期――「宣言」は1848年に出版された――のイングランドに生活する者にとっては、これは、驚くほど遠くまで見通した観察だった。

 当時、マルクスが生活した社会の周縁部以上に固定的に見えたものはなかった。一世紀半ののち、われわれは、われわれ自身が、彼が予告した世界にいることを発見する。そこは、あらゆる人の生活が暫定的で一時的であり、いつでも突然の破滅が起こりうる世界だ。

 ごくわずかな人々だけが莫大な富を蓄積してきたが、それははかない、たいていは幽霊のような性質をもっている。ビクトリア朝時代には、とてつもない富者は、自分たちのおカネをどう投資するかという点で保守的でありたければ、くつろいでそうすることもできた。ディケンズの小説の主人公たちは、最終的には、遺産を手に入れ、その後は永久に何もしない。

 今日、安息地はどこにも存在しない。市場の急激な変動は、わずか数年後であれ、何が価値を持っているか知ることができないほどだ。

 このような永久に休息することのない状態は、資本主義の永続革命であり、資本主義は、現実的に考えられる限りのどんな未来にわれわれを連れてゆこうとしているのかと考える。

 通貨と政府は、われわれがずっと安全だと思ってきた金融システムのさまざまな部分と一緒に、ほとんど破滅しかかっている。たった3年前に世界経済を凍りつかせる恐れのあったリスクは、手つかずのままだ。リスクは国家にしわ寄せされただけだ。

 政治家たちが、赤字を抑制する必要について何を言っても、負債は返済できないほどのスケールで膨れ上がっている。 それらが膨れ上がるプロセスは、多くの人々にとって痛みをともない、多くの人々が貧しくなるプロセスと結びついている。

 結果は、非常に大きなスケールで激動が起こるという以上のものでしかありえない。しかし、 それは世界の終わりではないだろう。あるいは資本主義の終わりでさえないだろう。何が起ころうと、われわれは、依然として、市場がときはなってきた マーキュリー(商業の神様)のエネルギーとともに 生きてゆくしかないだろう。

 資本主義は、革命に導いてきたが、それはマルクスが期待したような革命ではない。燃えるようなドイツ人思想家はブルジョア的生活を嫌い、共産主義がそれを破壊することを期待した。そして、彼が予測したとおり、ブルジョア的世界は破壊された。 しかし、共産主義に席を譲ったのではない。資本主義がブルジョアジーを殺してしまったのだ。

http://www.asyura2.com/11/senkyo121/msg/726.html




09. 2011年11月19日 09:02:51: MiKEdq2F3Q
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◇「ネット・ストーカー( 池田信夫) 」について(2003.10.1)
 池田信夫という人がいる。経済産業研究所で、IT関係の仕事をしているらしい。彼が私的なサイトで私について触れているとゼミ生が言うので、拙著「長期不況論」への「反書評」なる文章を見てみた。


書評を「業績」として誇る経済学評論家 松原隆一郎『長期不況論』NHKブックス
http://www003.upp.so-net.ne.jp/ikeda/matsubara.html


 書評としては、お粗末の一言。なにしろ拙著に書いてあることの要約にしてからが、学生のレポートの水準にも達していない 。批判ならありがたく拝聴するが、拙著には関係ないことばかり書いてあてこするのだから、話にならない。この人は 世間の人が誰も読まない研究所の内輪の雑誌に難しげなテーマで文章を書いているようだが、誰にも分かる書評のような文章を書くととたんに馬脚をあらわして、 読んだり考えたりさらにその結果を文章化するという作業を平静に遂行できないことを、自分で暴露してしまっている。プロとして書評の仕事を頼む活字媒体は稀有らしいが、それも当然であろう。

 それでも一応、敢えて本欄を覗いて下さっている方のために、どこがおかしいのか指摘しておく。


・「著者(松原)は、構造改革によって「制度が崩壊」していることが不安の原因だから、改革をやめて政府が「信頼を回復」すべきだという」

→私が主張しているのは、生産要素にかんする制度を「ビッグバン的に」改革するという構造改革が不安を引き起こしているのだから、「漸進的に」改革すべきだということ 。改革の内容についても土地・資本・労働に分けて論じている。私は「改革をやめて」などとは一言も言っていない。構造改革に反対する論者が述べることはすべて同じに読めてしまうらしいが、この人の読解力の構造改革こそが必要だ。


・「「お上」の力で国民を情緒的に「統合」しようとする主観主義は、佐伯啓思氏などとも共通する西部一派の特徴だが、問題は逆である。いま不安が広がっているのは、政府が信頼に値しないから ・・」

→私が述べているのは、BSE対策などで政府が信頼を失い、しかもその政府が失敗を棚に上げて構造改革などと言ってみたり、金融制度改革や牛肉買い上げなどを行っていることの滑稽さである。 つまり「お上」じたいが信頼をなくしているのに、その「お上」がさらに制度を解体しようとしていることを批判しているのである。「お上」の力で国民を統合しようというのに近い印象のことを佐伯氏や西部氏は述べているのかもしれないが、私は佐伯氏の著作への書評などではしばしばこの点を批判してきた。
・「必要なのは、信頼を回復することではなく、信頼できる制度を作り直すことである。」

→これなどは、逆に私が主張していることである。何を言っているのやら。だがしかし、現在進行している「構造改革」では、この人が主張するようには「信頼できる制度を作り直す」ことなど 決して行われていない。「規制緩和」「経済慣行の撤廃」に象徴されるごとく構造を破壊することに主眼があり、その結果現れた現在の金融庁などは、逆に役人が強権を持つよう「制度を作り直」したものだ からだ。「お上の焼け太り」 現象である。この人などは、さしずめ焼けて太った公務員の好例であろう。官僚を焼け太りさせる構造改革ではなく、まっとうな改革を行うべきなのだ。

 さらに、この人は「まともな経済学のトレーニングを受けた」とか「ノーベル賞をもらった」とか言えば、何か信頼が得られると思っているらしい。そんなことを信じているのはPh.Dを取ったとかいう既得権益を持つ人たちだけで、市場(関係者)ではない。そういえば、「インフレにする」と日銀が宣言すれば市場が信じるから本当にインフレになる、とインフレ・ターゲット論者 も言っていたが、そんなことを信じているオメデタイ人は経済学者だけ である。この連中の魂胆は、国という「お上」が信用できなくなった隙に、竹中大臣を始めとする学者を「お上」に祭り上げ、自分たちで利権を得ようということだ。だが、国という「お上」も、経済学界という「お上」も、 世人は信じていないのである。

 そもそもこの人の言う「まともな・・・トレーニング」は、受ければ書く文章の水準が学生以下まで下がるたぐいのものではないのか。

 といった具合だから、私がうんざりするのもお分かりいただけるであろう。とはいえこの手のいじましい人はネットには掃いて捨てるほど生息しているのだから取り立てて触れる必要はないのに、と読者は思われるかもしれない。私もそう思って いたのだが、それでも敢えてここで取り上げようと思い直すことにした。それは、書評への反論を上述のごとく書くためはない (それはあまりにも簡単だと、我がゼミ生も言っていた)。こういった手合いがどのような背景からものを言っているのかについて注釈を付けておきたいのである。

 この人は、サイトを御覧いただけばお分かりのように、佐伯氏や西部氏、そして私も含めて「西部一派」と彼が想定する人々を、異様な敵意と粘着性をもって攻撃している。それも本を読んでのまとも な批判ではなく、「学生時代から知っているがあのころはこうだった」という手の、証拠もない与太話や当てこすりばかりである。まったく、「卑しい」としかいいようのない文章の羅列 である。

 この人にならって昔話をすれば、私は幾度かこの人を見かけたことがある。彼は学生時分に西部氏の追っかけのようなことをしていて、かまって欲しいのか、うるさくがなり立てては西部氏に一喝され 、しゅんとして逃げ出すといったことを幾度か繰り返していた。しばらく見かけなかったが、インターネットという利器を得て、またぞろ学生時分の恨みを晴らそうとしているらしい。 追っかけても受け入れられないので妄想にかられつつ「一派」にまで執拗なストーカー行為を及ぼすわけだ。まあ、こう した例を見せつけられると、 淋しい人にとって、ネット社会は憂さ晴らしの天国に違いないと 改めて感じる。それでいてこうした人物に限って「信頼できる制度」うんぬんと説教するのだから、たまらない。

 ちなみにアマゾンの拙著紹介のページには、非固定のハンドルネームを名乗る人物がこの人にそっくりな文章で拙著をけなすレビューを投稿している。そこでも「西部一派」という言い方 がなされているが、こういう呼び方をする人を私はこの人の ほかには知らないし、とくに前著の景観論以降、西部氏主幹の『発言者』と異なる路線をたどっている私を「西部一派」に加える人も珍しい。

 こういった人が官庁に巣くい、社会から信頼を奪う構造改革を主導しているのである。このことを、銘記しておきたい。


(後記)この人がここで私が書いたことを読んだらしい、とふたたび学生が知らせてくれた。サイトを覗くと、私が書いたことが本当かどうか、西部氏を交えて検証しよう、などと 付け加えている。変なこと言うねえ。ならば、佐伯啓思氏やその他、この人が勝手に思い出などを書き散らした人も呼んで検証しなけりゃならんでしょうに。自分の都合のいいことしか考えないんだな。

 それと、私が「プロとして書評の仕事を頼む活字媒体は稀有」と書いたら、『ダイヤモンド』誌でやってるのを知らないらしい、と反論している。だからぁ、そんなこと、知ってて書いてるんだって。文意を読めない人ですねえ。

http://homepage3.nifty.com/martialart/sikou.htm


10. 2011年11月24日 21:41:44: MiKEdq2F3Q

TPPを推奨しようとする人達の背景にあるのは、比較優位説などの自由化が善であるとする間違った経済理論を踏襲していることである。

このような自由化理論は、欧米が植民地政策の推進や、アジアへの進出に当たってのプロパガンダであったことが分かっていないのである。このプロパガンダにより明治初頭の日本やアジア、そしてアフリカ諸国がどれほどの被害を受けたことか。これによりヨーロッパがどれだけ利益を受けたであろうか。


このことを理解せずうかつに比較優位説などを唱えてはならない。みんなの党などの賛成派は、その真意を理解せず、現実を理解せず、自分たちも昔と同じようにその恩恵を受けられると思っているのだ。


この理論は、単なる平均値の問題であり、それぞれの国が今より豊かになるという保証はしていない。総額が伸び平均値は上がるという理論に過ぎないのである。

比較優位説は、物物交換の場合で、同じような経済状態にある国同士で成り立つ特殊理論であり、貨幣経済が発達し、グローバル化した市場では、すべてが成り立つものではない。

特にバブル国やデフレ国との交易では成り立たない。

バブル国とデフレ国の交易は、一方的にインフレ国が、利益を得、デフレ国は損を被ることになるからである。お互いの利益にならないのである。

ここではデフレ国とインフレ国との交易を主に説明しよう。それを説明すれば比較優位説もどんなものか分かるからである。


生産量と資金量の間に大きな差額が生じているデフレ国とインフレ国の所得線の角度を、インフレ国が60度、デフレ国が30度としよう。インフレ国は、生産量に比べ資金量が著しく多くなっている。デフレ国は逆に生産量に比べ資金量が著しく少なくなっている。それゆえ所得線の角度が違っている。

(デフレの原理と消費税参照
http://www.eonet.ne.jp/~hitokotonusi/teraxBLG/blg-hiduke.html

もちろん正常な国は45度である。


デフレの国は、生み出した付加価値に対する貨幣的評価が本来あるべきものより低く評価されるため、常に儲けの悪い状態にある。8時間の労働で6時間ぐらいの儲けしか得られない。(8時間労働で生み出した付加価値が、資金量が少ないため貨幣的評価が少なくなされる。)

逆にインフレの国は付加価値に対する貨幣的評価が高く評価されるため常に儲けが良い状態です。8時間の労働で10時間ぐらいの儲けが得られる状態です。

正常な国は当然の8時間の労働で8時間の儲けになります。

このような時デフレ国とインフレ国が通商を行ったとしよう。全体で平等に交渉が行われ、適材適所で生産が行われすべてが融合した時、資金量と生産量の差がなくなり所得線の角度が45度になった。めでたしめでたし。数値的には正しいでしょう。

しかしその内容を吟味すると、デフレ国はよりデフレが激しくなり、所得線の角度がさらに下がり20度になっており、インフレ国は所得線が70度になって、よりバブルが激しくなるのです。二つを足して90度これを2で割れば45度になる。

デフレの国は所得線が30度より下がっている。インフレの国は60度より上がっている。デフレの国は資金量がさらに少なくなり、インフレの国は資金量がさらに多くなる。

同じ労働時間でも、稼ぐ資金量が違うため、デフレ国は常にインフレ国にたくさん買われ、デフレ国はいつも少なく買うことになり、資金がどんどん流出していく。

デフレ国は物でもサービスでも資産でも、株式でもどのような物でも値下がりしているため、相手国側に有利に買われるのである。

インフレ国は反対に物でもサービスでも資産でも常に割高になっている。相手国側が買い難いのである。

しかもデフレ国は、ハートランド(産業経済基盤)から湧出する資金がほとんど無く逆に枯渇している状態である。それゆえ国内資産の換金売りが多く、海外資産の購入などほとんどできない。

逆にインフレ国は旺盛なハートランドの活動により、資金がどんどん湧出し、国内資産や海外資産の購入が活発になる。

このようなことが世界的に起こると、デフレの国は世界全体でいくらパイが増えようとも、その恩恵を被ることができずさらに食い物されるだけなのだ。

比較優位説でも結論は同じです。この理論は、正常な経済同士の間だけで成り立つものであるが、それでも適材適所の生産が行われ、全体のパイが大きくなっても、その恩恵は平均値以上の国がもっていくのであり、平均値以下の国は損失を被るものです。

そのため自由貿易による損失を防ぐため、あるいは自国の生活レベルを維持するため、競争力のない国はさまざまな障壁を儲けることになる。それは民主主義国家として当然のことなのです。

自由貿易を善とする考え方は、弱肉強食の考え方であり、強い国はより強く、弱い国はより弱くなる。自由貿易は万能ではない。適度に管理しながら全体の国富を上げて行くのが良いのです。それにはどの国もデフレでないことが前提になります。

現在デフレにあえぐ日本は、自由化をすればさらに不利被るのは必定です。この20年間日本はぼろ負けであり、一方的に負け続けているのです。

それは時間が経つにつれその差がどんどん大きくなっていきます。
例えばバブルの時、東京の人達の資産価格が寝ている間に上がり、その他の地域の人達は寝ている間に資産を買い取られたの同じようなものなのです。

資金不足による内需の停滞は多くの企業や個人に借金をもたらし、その返済のための換金売りが増えたため、商品価格や資産価格、株式が割安になっている。それが外資の餌食になっている。

最近になりようやく欧米がデフレに陥り始めたため、以前のようなぼろ負け状態ではないが、ここにカナダやメキシコなどの正常な経済国が参入すれば、確実に彼らに日本は食われるであろう。また中国や、東南アジアの国が入っても同じくすさまじい様相を照らすだろう。

TPPの怖さはアメリカだけにあるのではない。バブルの新興国の方が怖いのである。特にバブルの中国や発展する東南アジアが日本の富を食い荒らすのである。
アジアの発展を取り込むより以上に彼らに食われてしまうのだ。
デフレの国はそうではない国に食われてしまうのです。TPPの広がりは、デフレの日本にとって非常に悪いことです。このような非常識なことが日本で行われようとしているのです。

日本の山林や土地の多くが外国人に買われ、株式市場は外国人バイヤーがいなければ閑散としてしまうのが現状だ。上場企業の多くが外国資本に変わっている。

外資の導入などという甘い言葉にだまされ、日本の多くの企業が買われ、名前を変え、日本が食われているのです。

外資がいくら増えても、デフレの解消にはなりません。それは皆さんよくご存じでしょう。デフレは消費不足で起こっています。外資は消費をしません。企業を買収するだけなのです。

(デフレの成長戦略とは何か参照)


このことを経済専門家は如何に考えているのだろうか。政治家はどこを見ているのだろうか。相も変わらず間違った教科書紐解いて、デフレを促進し続けているのである。

第2次世界戦争後の世界経済の拡大期、欧米や日本がその拡大の恩恵の大半を享受し、南北間格差はさらに広まったのです。それは発展途上国の多くが、デフレ経済であり、内需が停滞し、伝統的産業が廃れ、輸出品が安く買い叩かれ、大量に外国に流れ、輸入品に国内産業が圧倒され、資金がどんどん流出したのです。そして多くの資産が外国資本に買われたのです。

今の日本と寸分変わりません。

そのようなことが現実に日本でこの20年間起こったのです。日本は自由貿易の敗者なのです。その根本的認識がないため、TPPを推進しようとするのです。

日本で反対しているのは、農業もそうですが、多くの地方経済が疲弊している地域です。彼らは身をもってその現状が分かっています。日本は敗者であること。これ以上の自由化は地場産業がなくなること、地域経済が崩壊することをよく知っているのです。

しかし今なお日本の中枢、官僚組織、公務員層、政治家達、新聞の解説者達は勝者だと思っているのです。

日本の敗退の主な原因はデフレだからです。それが内需を減退させ、輸出を促進しているのです。内需の減退は低価格競争を余儀無くさせ、輸入品の拡大をもたらしています。

日本人は怠けているのではなく、冒険をしないのでもない。ただ政策が悪いだけなのです。

船中八策
http://blog.so-net.ne.jp/siawaseninarou/参照

日本のウイニングショット
http://www.eonet.ne.jp/~hitokotonusi/winningshot.html


今の日本は少しでもよいから資金を増やし消費を増やしたいのです。TPPはそれを真っ向から潰すものです。弱体化した経済を、解放して得することはなにもないのです。

TPP参加の中で、デフレから解消するのは至難の業だ。2千5年頃の日本にとって有利な輸出状況でも、一向に借金を返すことができなかったのだから。

日本は、デフレから逃れ、拡大再生産がなされる時までTPPなどの無制限な自由化に応じてはならないのです。

http://www.asyura2.com/11/hasan74/msg/275.html
5:777 :

2022/08/23 (Tue) 22:15:33

リカードの比較優位説 2011年11月18日


『列強の植民地化政策と、比較優位』


悪魔の碾き臼 新自由主義の推進者池田信夫などが賞賛するTPP賛成論の中では、リカードの『比較優位説』なる聞き慣れない言葉が突然言い出されている。

デヴィッド・リカード(David Ricardo、1772年~1823年)は、各国が比較優位に立つ産品を重点的に輸出する事で経済厚生は高まる、とする『比較生産費説』を主張したイギリスの経済学者。

『比較優位』とは比較生産費説ともいい18世紀の膨張するイギリスの帝国主義を経済学の立場で合理化・説明している。

比較優位論は、『国際分業の利益』を説く理論であるが、ダーウィンの進化論の悪しき庶子である社会ダーウィニズムや優生学との共通点を考えることが出来そうです。

この『比較優位論』とは18~19世紀当時全盛だった過酷な帝国主義(植民地主義)的な、自由貿易を推進する考え方でリカードモデルの基本である。

穿って考えれば、この『比較優位論』の意味とは、1813年よりイギリスの対インド貿易が自由化(関税自主権の剥奪)され、産業革命のイギリスから機械製綿織物がインドへ流入、インドの伝統的な綿織物産業が完全に破壊され植民地化された例や、『自由貿易の確立』を口実にしたアヘン戦争(1839年~1842年)でイギリスが清を半植民地化した、当時の西欧列強諸国の無慈悲で過酷な植民地化政策を経済理論的に正当化する為の武器でもあった。

屁理屈と膏薬は何処にでもつくとは言うが、幾ら『悪魔の碾き臼』の新自由主義とは言え、200年も前のこんな血まみれの禍々しい過去の亡霊『比較優位』が今頃蘇るとは地下のデヴィッド・リカードも苦笑いしているだろう。


『水説:比較優位とTPP』潮田道夫 毎日新聞 2011年11月16日

ある女性弁護士がその町で1番のタイピストでもある場合、彼女が利益を最大にするには、タイピストを雇わず自分で書類をタイプするのがよいだろうか。

答えは給料を払ってでもタイピストを雇い、自分は弁護士業務に専念すべきだ、というものだ。

仮に10万円給料を払っても、その時間を弁護にあてれば15万円の報酬を得られる。ふたりともトクする。

タイピストはタイプの能力で弁護士に劣るのに、2人の関係においてはタイピングで『比較優位』を有する。

この『劣っていても優位』というのがミソである。

経済学者リカードが自由貿易の正しさを説くのに初めて使った経済学上の大原理だ。何でもかんでも自国で生産するより、各国が比較優位を有するものを分業し、貿易する方が利益になる。

女性弁護士のたとえ話はあのサミュエルソンが、教科書史上空前のベストセラー「経済学」のなかで、比較優位の応用問題として述べていることである。分かりやすい。

今度の環太平洋パートナーシップ協定(TPP)について、経済学者はほとんどが賛成に回った。比較優位の観点からは自由貿易を推進することがどの国にとっても利益になるのは明白で、経済学の教えに忠実であれば賛成するのが当然だからだ。
で、TPP推進論を述べるに当たって、多くの経済学者は『比較優位』を説き、

『であるからTPP参加は当然である』

と胸をはったのであるが、多くの場合、人々を納得させられなかった。ある先生は

『タイピストという例えが古すぎたかな。そういう職種はもう存在しないと注意された』

と反省していた。ま、それは軽口として、経済学者がTPP問題で人々をうまく説得できなかったのは事実で、まじめな方々はちょっとショックを受けているようだ。

JPモルガン証券の北野一氏によれば、1950年代、『法皇』と称された一万田尚登日銀総裁や民社党委員長になる西尾末広衆院議員らは、日本は乗用車生産を中止し輸入したほうがよい、と主張したそうだ。


『比較優位からすると両者は正しいことを言っていたのかもしれない。当時、日米自由貿易協定(FTA)で合意していれば、いまの日本にトヨタもホンダもなかっただろう』

と言う。なるほど。

ともあれ、自由貿易論も自由貿易神話論も、TPPを機にボンヤリ聞いていれば分かるという段階を過ぎ、聞き手に学習を強いている。やれやれ、えらいことになってきたなあ。
(専門編集委員)


『科学と偽科学』

毎日新聞など大手マスメディアは全員がTPP推進の方針で一致しているので、この上記のコラム『水説:比較優位とTPP』潮田道夫専門編集委員も、勿論推進の為の記事を書いている。・・・はず、なのである。


確かに、コラムの前半の4分の3はリカードの比較優位を使ってTPPの効用(正さ)を説いている。ところが続く6行は、この『比較優位』論が誰にも支持されなかった事実が述べられている。

最後の8行に至っては、正反対に前半部分(リカードの比較優位説)が真っ赤な嘘(偽科学)である明確な事例を書いている。潮田氏はコラムで何が言いたい(目的)のだろうか。


半世紀前には日本の自動車産業など、アメリカの足元にも及ばないほど貧弱な、リカードの比較優位説では絶対に無理な(産業として無駄な)代物だったのです。当時のトヨタクラウンはアメリカの高速走行には耐えられずエンジンが焼け付いたし日産エコーは98キロ以上だとプロペラシャフトが脱落して仕舞い大事故を起こしている。

過去のイギリスとインドや清の歴史が証明している様に、国内産業保護の関税がなければ(自由貿易なら)今の日本の自動車産業の隆盛はあり得ない。日本政府の手厚い保護政策(関税と消費税の戻し税以外にも免税や各種の優遇策)の結果、日本の自動車産業は、今では絶対的な比較優位を獲得した。

自動車に限れば『比較優位』は、今では日米の立場が逆転しているのです。トップメーカーGMまでが倒産の危機に瀕し、連邦政府の全面支援で息を吹き返したアメリカの自動車産業は、日本のマスコミでは報道されていないが実はTPPに反対している。


科学の仮説とは、誰が何を説いても良いが必ず第三者の検証作業に耐えて初めて定説となる性質を持っている。『事実』とは違いすぎる、間違っていた仮説は捨て去られる。

究極の新自由主義であるTPPの賛成論が、崩壊した18~19世紀の帝国主義の経済論理(間違いが証明されている偽科学)を出すまでに落ちぶれ果てたとは驚くばりで、実は潮田道夫氏は、毎日新聞専門編集委員の立場なので嫌々TPP推進を言っているが、本心でTPP推進が売国行為である事実を、誰よりも良く知っているのです。

だから潮田氏は、迂闊に一見するだけならTPP推進に見えるが最後まで読めば正反対になる支離滅裂で意味不明のコラム『水説:比較優位とTPP』を書いたのでしょう。


『ブードゥー教経済学池田信夫の比較優位論』


『無制限の規制緩和』が格差拡大やワーキングプアの大量発生など間違いであることが証明されている新自由主義のミルトン・フリードマンを、未だに『最強の経済学者』として信奉する目の前の事実が見えない自称マクロ経済学者の池田信夫が、今回は比較優位論を絶対視して『リカードの比較優位も知らないのか』と、TPPに反対する人々を口汚く罵っている。

比較優位とは、巨大な対象を扱うマクロ経済学ではなくて、その正反対の微細な経済単位が対象の経営学の御粗末な誤用である事実に気が付かないふりを装う。

リカードの比較優位が成立する為には、完全雇用とか為替の完全な固定相場制とか人口増加率がゼロであるなど形而上学的な絶対にありえない経済モデルを採用した時だけ限定的に成り立つが、普通はその逆で成立しない。

貿易で一国が大きな貿易黒字を得る場合、その相手国は輸入超過となって貿易赤字なる。貿易では(グローバリストの好きな)Win-Win はない。片一方が黒字なら、片一方は必然として絶対に赤字になる。

相撲の白星の数と黒星の数が必ず『同じ』であるように国家間の貿易でも原理は同じで、それ以上でもそれ以下でもない。例外は一つも生まれない。

この事実は中学生でも気が付くが、池田氏は

『リカードの比較優位の原理を知らないバカ』

と罵るばかりで、この子供でも判る論理には絶対に答えない。答えたくとも答えられないのですよ。池田信夫は、


『日本のような製造業に比較優位をもつ国が農産物に高率の関税をかけて農業を保護するのは、製造業を犠牲にして世界経済を収縮させているのだ。
このとき貿易黒字になるか赤字になるかはどうでもよい。』


と、無茶苦茶である。

経済学では、経常収支の『赤字』は大問題である。日本を除く世界各国の普通の政府も同じで、池田信夫的には『どうでも良い貿易などの経常収支の大赤字』を問題とするのですよ。

そして今世界経済の大問題のアメリカのデフォルト危機や欧州のPIIGS諸国のソブリンリスクも同じで、各国の抱える大赤字が全ての原因である。

勿論オバマアメリカ大統領のTPP推進の目論みも全く『同じ』である。日米の倍近い貿易不均衡の是正(アメリカの大赤字の解消)であることは論を待たない。


『貿易黒字を目的にするのは17世紀の重商主義で大間違いである』

と主張する池田信夫の非科学性には呆れるばかりで、科学的に正しいものは時間には無関係で例え17世紀であれ紀元前であれ正しい。

まともな国家(政府)なら貿易赤字を忌避し黒字を目指すのは、力士が白星を目的に土俵に上がるのと同じで、(八百長を除けば)時代に関係ない絶対的な真理である。

21世紀の今でもアルキメデスの原理は矢張り正しくて、否応なく誰も逆らえないのですが、今とは大違いのアメリカが絶対的な比較優位を保持していた時代のポール・サムエルソンの『経済学』など、今では誰も信用していない。

サミュエルソン『経済学』の明確な間違いが、半世紀の時間の検証によって証明されているのです。

http://blog.goo.ne.jp/syokunin-2008/e/ec52d4bbc8ecd0e74524b831157f3363

経済成長の定式(モデル)08/9/15(541号)


構造改革の定式化


自民党の総裁選で経済論争が行われている。その中で積極財政派と財政再建派の主張は、正しいかどうかを別にして分りやすい。しかし上げ潮派(構造改革派)の言い分が曖昧である。そこで今週から筆者なりに上げ潮派の主張の背景にある経済理論を解明してみる。

まず最初に理論経済における経済成長の定式(モデル)を示すと次のようになる。


g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)


v(資本係数)とはY(生産・所得)1単位を増やすのに必要なK(資本・・生産設備など)である。つまり


v(資本係数)=K(資本)/Y(生産・所得)


となる。そこでv(資本係数)が一定ならば(技術進歩がなく生産設備の効率が不変ならば)、s(貯蓄率)が大きい国ほどg(経済成長率)が大きくなる。

つまり生産されたもの(所得)が、なるべく消費されず貯蓄され、これが投資に回される国ほど経済成長率は大きくなる。極端なケースで生産されたものが全て消費されるような国は、経済成長率はゼロになる(外資の導入はないものとする)。またs(貯蓄率)が同じ大きさであっても、資本係数(生産(所得)1単位を増やすのに必要な資本量)が小さい、したがって生産効率の高い資本備えている国の方が経済成長率は大きくなる。

次にこの定式にn(労働人口増加率)の要素を加味すると次のようになる。


g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)


この式は

s(貯蓄率)/v(資本係数)が一定ならば、n(労働人口増加率)が大きい国ほど経済成長率が大きくなる。


よく上げ潮派の政治家やエコノミストが

「人口がこれから減るのだから、日本は経済成長のため積極的に移民を受入れる必要がある」

と主張するのもこのような定式が頭の中にあるのであろう。


さらにここにt(技術進歩あるいは生産性の向上)の要素を加味すると次の通りになる。


g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)+t(技術進歩)


ただしこのt(技術進歩あるいは生産性の向上)は、資本(生産設備など)と労働の双方の効率化の成果を外に出して一つにまとめたものである。

具体的には、生産工程の改良や新しい技術を体現した設備の導入であり、労働者の教育・訓練による生産性の向上である。


またt(技術進歩あるいは生産性の向上)を外に出さない表現も考えられる。

この場合「技術進歩あるいは生産性の向上」は、v(資本係数)を小さくするとか、n(労働人口増加率)を大きくするものとして理解される。


上げ潮派(構造改革派)は

「構造改革なくして経済成長なし」

と主張する。しかしこの「構造改革」という言葉がはっきりしない(もっとも構造改革派の人々もこれを本当に理解しているか疑わしいが)。そこで筆者の示した経済成長の定式(モデル)でこれを考えてみる。

構造改革とは端的に言えばt(技術進歩あるいは生産性の向上)を大きくすることである。その方法はの

v(資本係数)を小さくし、n(労働人口増加率)を大きくすることである。

たしかにこれによってg(経済成長率)は大きくなる。


これをさらに具体的に説明する。


v(資本係数)=K(資本)/Y(生産・所得)


である。v(資本係数)を小さくするには、K(資本)が一定ならそれから産まれるY(生産・所得)を大きくするような「技術進歩あるいは生産性の向上」を行うことになる。

またY(生産・所得)が一定ならば、一単位のY(生産・所得)を産出するためのK(資本)を小さくするような「技術進歩あるいは生産性の向上」を行うことになる。

さらに教育・訓練による労働の生産性を向上させることがn(労働人口増加率)を大きくする。


これらを一つの企業で考えた場合、当り前の話である。しかしこれを一国の経済で考えた場合は多少複雑になる。

一国の資本(K)と言った場合、民間の生産設備や販売設備などだけではなく、道路や港湾と言った公共資本や社会資本も含まれる。

また一国のY(生産・所得)はGDPということになる。

したがってY(生産・所得=GDP)の増加に結び付かないような公共投資を構造改革派は「無駄な公共投資」と批判する。


また上げ潮派(構造改革派)は「官」が「民」より非効率と考え、政府部門の縮小を訴える。

「「民」にできることは「民」」

ということになる。そして社会全体の「技術進歩あるいは生産性の向上」のために行う施策が、規制緩和などの競争促進政策である。このように構造改革に必要な具体的な施策は、規制緩和や公企業の廃止や民営化ということになる。


スッポリ抜けているもの


ところが上げ潮派(構造改革派)が念頭に置いていると思われる経済成長の定式(モデル)には、大事なものがスッポリ抜けている。

抜けているのは「需要」である。

彼等が訴える施策は全て「供給サイド」に関するものに限られる。

しかしどれだけ企業や国を効率化しより多くの生産物を生産しても、需要がなければ生産物は余る。生産物が売残れば、その次には資本や労働が余剰となり、資本や労働の遊休が生じる。

しかし上げ潮派(構造改革派)の考えには、

作った物は全て売れ消費される

というびっくりするような前提条件が、暗黙のうちに設定されている。ところが上げ潮派(構造改革派)の人々は、このことに気付いていないか、もしくは気付いていても誤魔化す。多くの場合、単に需要不足が原因で遊休設備や失業状態になっていることを、上げ潮派(構造改革派)は認めない。


彼等は遊休設備や失業という現実を突き付けられても、遊休状態の設備は既に陳腐化して使い物にならないと決めつける。また失業者は、生産性の向上に追いつけない人々であり、新たな教育・訓練が必要であると主張する。したがって一時的に余った資本や労働といった生産資源は、もっと生産性の高い成長分野にシフトさせるような構造改革が必要があると説く。このように上げ潮派(構造改革派)は供給サイドのことしか言わない。

しかし筆者は遊休設備の全てが陳腐化しているとは考えない。また職に就いている人と失業している人の間に、技術や知識に大きな差は認められない。そういう事ではなく、多くの場合需要の不足によって遊休設備や失業が発生していると考えるべきである。特に日本は慢性的に需要不足(内需不足)に陥る体質にあり(このことを本誌は何回も取上げてきた)、むしろ構造改革を目指す政策がさらなる需要不足を促進している。


上げ潮派(構造改革派)の考えの背景には、

「作ったものは全て売れる」という古典派経済学の「セイの法則」がある。


しかし現実の経済を知っている者は「そんなばかなことはない」とすぐ分る。ところが頭がおかしい構造改革派は、この単純な経済理論の信奉者なのである。

「セイの法則」が成立つのは極めて特殊な時だけと指摘したのはケインズである。

たしかに「作ったものは全て売れる」のは、例えば戦争で大半の生産設備が破壊され極端な物不足に陥った国や、新興国における経済の高度成長期くらいのものである。古典派の特殊理論に対して、彼は一般的な一国の経済状態での理論展開を行った。ケインズは著書「一般理論」で、ごく普通に需要不足が起き、遊休設備や失業が発生するメカニズムを解明した。またケインズの弟子のハロッドは、経済成長理論を展開したが、供給と需要の増大の過程での両者の関係の不安定さを指摘した。

ケインズは需要不足による不況が起ることを理論的に解明した。彼はその場合には金利を下げるだけでなく、政府が財政支出を増やすことによって需要を創出することが有効とした。今日このような政策は世界中の国で採られている。これもあってか第二次世界大戦後、先進資本主義国家は深刻な不況に陥っていない。


また上げ潮派(構造改革派)が盲目的に信奉する「供給サイド重視」の考えは、貿易収支が慢性的に赤字の米国で生まれた。たしかに米国のように供給サイドに問題のある国で、このような考えが一定の支持を得るのは解る。しかし慢性的に貯蓄が過剰で内需が不足し、過剰生産のはけ口を外需に頼っている日本に「供給サイド重視」の考えを適用しようとするからおかしくなるのである。

だいたい供給サイドに問題のある米国でさえ、今日サブプライム問題で不況になったため、減税などによる需要創出政策、つまりケインズ政策を行っているのである。需要創出政策を「オールドケインズ政策」と否定的な決めつけをするエコノミストや、自民党の総裁候補の中で今だに「私は構造改革派」と言っている人々は、頭の中の構造の改革が必要だ。

http://www.adpweb.com/eco/eco541.html


技術進歩の恩恵 11/11/28(688号)

意味のない経済成長の定式(モデル)

人々の所得が増え、一人一人の国民が豊になるのが国家の理想と筆者は思う。

そのためには経済が成長する必要がある。本誌はこの経済成長の定式(モデル)を08/9/15(第541号)「経済成長の定式(モデル)」で取上げた。これを示せば

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)+t(技術進歩)

となる。つまり机上の経済理論では、

s(貯蓄率)とv(資本係数)が一定ならば、労働人口が増え技術進歩がなされれば経済は成長することになる。

実に簡単な話である。しかしこの理論の最大の弱点は、これが供給サイドのみに着目していることである。したがってこの定式(モデル)が有効なのは生産力が乏しかった時代や、よほど産業の発展が遅れている国だけである。

今日、少なくとも先進国でこの経済理論があてはまる国はない。どの国も余剰の生産設備と労働力を抱えている。ところがいまだに構造改革派は「改革」が必要と寝ぼけたことを言っている。


今日、国の経済成長を決めるのは供給ではなく間違い無く「需要」である。毎年、10%前後の経済成長を続けている中国は、供給サイドに様々な大きな問題を抱えている。例えば慢性的な電力不足といった致命的な問題をずっと抱えて来ており、当分、これは解消される見通しがない。しかし旺盛な民間と政府の投資、さらに輸出の伸長といった需要増がこれまで続いて来たので(今後の見通しは不透明)、高い経済成長が実現できたのである。

つまり現実の経済においては、中国のように供給サイドに問題があっても需要さえあれば経済はどれだけでも成長する。つまり伝統的な古典派の経済理論なんて、現実の経済において何の役にも立たない。しかし経済学者は、これしか知らずまた現実の経済に興味がないので、今でも意味のない経済理論を学生に教えて生活をしている。


彼等は、日頃の言動と現実の経済の動きとの辻褄を合わせるため、供給サイドと潜在需要にミスマッチがあるといった奇妙な事を言う。彼等のいう潜在需要とは例のごとく医療や介護といったものである。

「この分野の規制緩和がなされないから、潜在需要が顕在化しないのだ」

と主張する。しかし仮にかれらの言っている事が正しくそれが解決したとしても大してGDPは伸びない。また医療や介護の需要を伸ばす有効な方法は、筆者は規制緩和ではなく予算の増額による医療や介護に勤務する人々の待遇改善と考える。決して規制緩和やフィリピンやインドネシアから看護士を連れてくることではない。


彼等は何十年も前から

「規制緩和が不十分で潜在需要が顕在化しない」

という間抜けな主張を続けている。つまり何でも需給のミスマッチと言って誤魔化そうとしている。しかし民間は、四六時中、どこに潜在需要があるのか必死になって探し回っている。供給力が需要をはるかにオーバーしている日本においては当り前の話である。実際、


09/4/13(第565号)「筆者の経済対策案」
http://www.adpweb.com/eco/eco565.html


で述べたように、少なくともリーマンショックの前までは日本の製品在庫率指数はずっと100前後で推移していた。つまり日本では、消費者が必要とする商品はピタリと供給されてきた。またサービスについても供給サイドにネックが生じているとは思われない。つまり日本経済はコンビニみたいなものであり供給サイドにさしたる問題はない。

ちなみにリーマンショック後の世界的な経済の混乱以降、この数値が乱れ始めた。ただし2010年から東北大震災の直前まではこの数値も落着きを取戻していた(100~110程度で推移)。ところが震災後は再び120程度まで上昇している。おそらく復興事業の遅れによる、関連製品の在庫増が影響していると筆者は見ている。

豊かさを与えない技術進歩

昔の経済学のメインテーマは、供給力をいかにして上げるかであった。消費を抑えながら生産力を増やすための資本の蓄積(つまり投資)が重要であった。また生産資源の適正な配置が経済成長に有効と考えられた。そのためには価格メカニズムを働かせることが大切と考え、規制緩和による競争政策が必要とされた。

この経済理論の背景には、需要は無限にある(セイの法則)という錯覚がある。しかし前段で述べたように、たいていの先進国はどこも生産設備と労働力の余剰を抱えている。必要なのは供給力の整備ではなく「需要」である。


たしかにギリシャのような例外的な国がある。このギリシャのように慢性的に経常収支が赤字の国は、供給サイドの強化が有効である。そのためには一刻も早くユーロから離脱し、自国通貨を大幅に切下げることが必要と考えられる。

一方、少なくとも日本は需要不足の経済が常態化している。必要なのは需要創出政策であり、ギリシャのような国にとって必要な「改革」ではない。ただし通貨の切下げ(円安)は日本にとっても有効と考える。ただし経常収支の黒字が常態化している日本の通貨の切下げは、なかなか国際的に認められるものではない。


筆者は、先進国における需要不足の一つの原因を、長らく平和が続いたことによって生産設備の破壊がなかったことと考える(大きな戦争がなくせいぜい大災害があったくらい)。そしてもう一つ重要なことは、第二次世界大戦後、生産技術が飛躍的に向上したことである。つまり世界的な供給力の余剰が生じている。さらに世界的なバブル生成の過程で凍り付いたマネーサプライが積み上がった(GDPより金融資産の方が伸び率が大きく、これによって大きな有効需要の不足が生じている)。


筆者は、生産技術の向上、つまり技術進歩に注目している。技術進歩によって小さな生産資源(生産設備投資と労働力)の投入によって、より大きな産出が生まれるようになった。たしかに


需要は無限にある(セイの法則)


といった改革派の戯言(たわごと)が本当なら、問題(設備の遊休や失業)は生じない。ところがこれが大嘘だから今日問題が起っているのである。


毎年10%前後の高度経済成長を続けている中国で失業がなくならないといった奇妙な現象が起っている。同じような高度経済成長を経験した日本では、当時、人手不足が深刻で人件費がどんどん上がったが、中国の現状は対照的である。これについて本誌は10年前

01/11/12(第230号)「中国通商問題の分析(その2)」
http://www.adpweb.com/eco/eco230.html


で、この原因を中国が先進国の進んだ技術を取り入れながら経済発展したからと指摘した。

今日、中国でもバブルが起って物価上昇が起っているが、日本の高度経済成長期と比べれば大したことはない。むしろ中国の雇用問題は深刻で、人気のある公務員の募集に1,000倍の応募があったという話さえある。これだけの経済成長を達成しても失業問題が解消しない背景には、労働力をさほど必要としない進んだ生産システムを中国が取入れたからと筆者は考える。


技術進歩は人類にとって大事であり、人々に豊かさを与えるものと思われてきた。筆者も技術進歩は絶対に必要なものと考えている。技術進歩は、過酷で長時間の労働から人々を解放してくれるものと考えたい。実際、技術進歩によって日本では労働者の単純作業が軽減され、労働時間も短縮されてきた。例えば週休二日制も技術進歩なくして実現しなかったと考える。つまり日本もある時期までは良い方向に進んでいたのである。

ところが今日、日本ではむしろ労働強化の方向に向かっていて、雇用条件がどんどん悪くなっている。日本でも中国と同じように技術進歩の恩恵が人々に行き渡らず、むしろ人々を不幸にしているかのようだ。いつ頃からこのような事態が目立つようになったのか筆者も考える。大雑把な感想で申し訳ないが、筆者は日本で財政再建運動と構造改革運動が盛んになってからと思っている。

http://www.adpweb.com/eco/
6:777 :

2022/08/23 (Tue) 22:16:14

植民地インドの後釜にされた日本

 実はアメリカのこの「うまい話」は、19世紀に繁栄した大英帝国をまねているだけだ。大英帝国の場合は、その繁栄の謎をとく鍵はインドをはじめとする植民地が持っていた。たとえば当時イギリスの植民地であったインドは、香辛料などの原材料を輸出してイギリスを相手に多額の黒字を計上していた。ところが黒字はルピーではなく、ポンドを使って決済され、そのままイギリスの銀行に預けられていた。

 だからイギリスはいくら植民地を相手に赤字を出しても平気だった。イギリスの銀行に預けられたポンドを、イギリス国内で使えばいいからだ。インドは名目上は債権が増え、お金持ちになったが、そのお金をイギリスの銀行から自由に引き出し、自分の国では使えなかった。お金の使い道は預金者ではなく、イギリスの銀行が決めていたからだ。そしてもちろん、イギリスの銀行は国内の人々に貸し出した。

 イギリス国民は植民地から輸入した品物で生活をたのしみ、しかもしはらったポンドもイギリスの銀行に吸収され、イギリスのために使われるわけだ。こうしてイギリスはどんどん発展した。

 一方植民地はどうなったか。たとえばインドは商品を輸出しても、その見返りの代金はポンドでイギリスに蓄積されるだけだから、国内にお金がまわらなくなる。どんどんデフレになり、不景気になった。

仕事がきつくなり、給料が下がり、ますます必死で働いて輸出する。ところが黒字分の代金は、ポンドのまま名義上の所有としてやはりイギリス国内で使われる。こうしていくら黒字を出してもインドは豊かになれなかった。そして、赤字を出し続けたイギリスは、これを尻目に繁栄を謳歌できた。

 このイギリスとインドの関係は、そっくり現在のアメリカと日本の関係だと言ってもよい。経済同友会元副代表幹事の三國陽夫さんは、「黒字亡国」(文春新書)にこう書いている:


輸出拡大によっていくら日本が黒字を蓄積しても、それはアメリカ国内にあるアメリカの銀行にドルで預け入れ、アメリカ国内に貸し置かれる。日本からの預金は、アメリカにしてみれば資金調達である。貸し出しなどに自由に使うことができる。

 日本は稼いだ黒字にふさわしい恩恵に与らないどころか、輸出関連産業を除いて国内消費は慢性的な停滞に喘いでいる。停滞の原因であるデフレはなかなか出口が見えない。

 日本の黒字がドルとして流入したアメリカはどうなのか。ドルはアメリカの銀行から金融市場を経由して広く行き渡り、アメリカ経済の拡大のために投下されている。日本の黒字は結局、アメリカが垂れ流す赤字の穴埋めをし、しかもアメリカの景気の底上げに貢献しているのである。・・・

 輸出で稼いだ黒字を日本がドルでアメリカに預け、日本の利益ではなく、アメリカの利益に貢献している限り、円高圧力もデフレ圧力も弱まることなく、政府・日銀がいくら財政支出や金融緩和というデフレ解消策を講じても、一向に持続性ある効果は現れないのである.

http://www.asyura2.com/0601/hasan45/msg/253.html

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          / `Y;{. . . .|;|. : : : /i: : : : : : : : :l

インド,日本そしてその次は?  


アメリカ政府も大資本も日本のマネーを吸い取っているのです。アメリカの日本経済研究者の間には次のような見方が強いそうです。

―『2015年くらいまで、日本の金を使ってアメリカの繁栄を支える。2015年になれば日本の金は尽きてしまう。その時は中国とインドをアメリカ財政の補給源にする』

「2020年の世界」という2004年秋に作られたアメリカ政府部内のリポートには、「2020年にはアメリカのパートナーは中国とインドだ」と書かれています。 つい先日、アメリカの著名な大学教授がNHK・BSで「中国とインドがアメリカのパートナーだ」と明言したということです。アメリカの有力な経済人も同趣旨の発言をしています。

アメリカは日本の富を緻密に計算して「2015年限界説」を述べているのでしょう。日本はアメリカによって使い捨てにされようとしているのです。

http://wanderer.exblog.jp/4632381/
7:777 :

2022/08/23 (Tue) 22:19:42

経済成長の三つのパターン 14/7/7(804号)

•経済成長の定式(モデル)

今週は、改めて経済成長のメカニズムについて述べる。このテーマはこれまで何回も取上げてきた。まず


08/9/15(第541号)「経済成長の定式(モデル)」
http://www.adpweb.com/eco/eco541.html


で説明したように、経済学の教科書には、

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)

で示される経済成長の定式がある。


しかしこの定式が規定しているのは供給サイドである。

つまりこの定式は暗黙のうちに生産されるものが全て消費されることを想定している。

まさにこれは古典派経済学(新古典派を含め)の「セイの法則」の世界である。


しかしケインズは「セイの法則」が成立するのは特殊な状況においてのみと説明する。彼は古典派経済学がこのような特殊理論であることを証明するため「一般理論」を著したのである。

筆者も、「セイの法則」が通用するのは、生産力の極めて乏しかった大昔や大きな戦争で生産設備が徹底的に破壊されるといった特殊なケースに限られると認識している。


教科書で学ぶ経済成長理論は、事実上、古典派経済学の世界である。

上記の定式に従えば、経済成長率を大きくするには貯蓄率を大きくし、資本係数を小さくする必要がある。資本係数を小さくするには、技術進歩による生産性の向上や社会の構造改革ということになる。また労働人口を増やすことも有効ということになる。

しかしこれらは全て供給サイドの話であり、またこのg(経済成長率)は潜在的な成長率に過ぎない。したがってケインズの指摘したような需要不足が起れば、これは全く成立たない定式になる。

ところがほとんどの経済学者やエコノミスト(さらには多くの政治家やマスコミ人まで)は、今日でも役立たずのこの定式にしがみついている。

それどころか自分達がこの定式にしがみついているという事さえ理解していないのである。


筆者は、単純に需要があれば経済は成長し、反対に需要が減少すれば経済は停滞し、場合によってはマイナス成長になるとずっと主張してきた。つまり少なくとも今日の日本にとって、供給サイドの経済成長の定式なんかまるで関係がない。また世間に流布している経済成長への処方箋はほとんどが嘘である。

新興国や途上国が高い経済成長を続けているのは大きな需要があるからである。何もない途上国の人々には、物やサービスに対して飢餓感に似た大きな需要がある。たしかにこのような国には経済成長の定式が適用できるかもしれない。

実際、ある程度の条件(具体的には政治の安定や基礎的な国民教育など)が揃えば、今日、元々十分な需要がある新興国や途上国は経済成長を続けることができる。仮に資金が不足していても、投資機会が乏しくなった先進国から潤沢な余剰資金が流れてくる。つまり貯蓄の必要性は小さい。また技術がなくとも先進国から技術を伴った最新設備を導入することができる。

また経済発展に必要なインフラも、例えば携帯電話などの登場によってハードルが低くなっている(以前は電話線網の設置工事から始める必要があった)。要するに旺盛な需要さえあれば、どのような国でも経済成長は可能なのである。いずれにしても規制緩和や構造改革なんて経済成長にほとんど関係がない。


先進国の中で、米国は比較的高い経済成長を続けてきた。これについて筆者は

01/6/18(第212号)「需要があっての経済成長」
http://www.adpweb.com/eco/eco212.html


で米国の貯蓄率が低下していることに着目した分析を行った。しかし今になって思えばこれは不十分な説明だったと感じる。筆者は、米国に流入した膨大な移民(合法・違法を問わず)の影響をもっと考えるべきだったと今日思っている。

米国は先進国の中でもめずらしく人口増加率が大きな国である。これは移民の影響が大きい。特に移民の出生率は大きく、移民の代表であるヒスパニック系住民だけでも既に5,000万人(全人口の17%)を越えている。何千万もの移民の流入は、米国に新興国・途上国の一国が生まれたようなものである。何も持たずに米国へやってきたのだから移民には旺盛な需要がある。これによって

07/11/5(第503号)「米国のサブプライム問題」
http://www.adpweb.com/eco/eco503.html


他で述べたように、これまで米国の経済成長率がある程度かさ上げされてきたと筆者は考える。

•精神的に分裂状態

先週号でフランス経済学者のトマ・ピケティが、1930年代から1980年まで小さかった米国の経済格差が、1980年(レーガン大統領時代、つまり新保守主義台頭期)以降大きくなったと指摘した話をした。そして経済格差が大きくなると、国全体では貯蓄が増え経済成長にはマイナスに働くとトマ・ピケティは主張している。すなわち米国では特にヒスパニック系の移民が増えることによる需要増が、このマイナスを打ち消していたとも見られる。

ところが米国の比較的高い経済成長率は、レーガン大統領以降の規制緩和や構造改革のお陰と新古典派のエコノミストは間抜けたことを言い続けている。

彼等は、経済成長が需要で決まるということをどうしても認めたくないのである。

そして経済成長の定式から導かれる理論と「経済成長は需要が決める」という経済理論(筆者などが主張する)との間には大きな溝がある。

ここをはっきりさせず曖昧なまま日本で経済論議が進められてきた。これが原因で日本の経済学者やエコノミストが言っていることが分かりにくく混乱している。


経済学者は、学校で供給サイドの新古典派の経済成長理論の定式を教える。

ところが彼等は、実際の経済成長の実績や予想の分析には、内閣府が作成する経済成長の数値(速報値、改定値など)を使う。

この内閣府の数値は、供給サイドではなく需要サイドを積上げたものである。具体的には、個人消費、設備投資、公共投資、住宅投資、政府消費、在庫投資、そして純輸出(輸出-輸入)を合計したものである。


つまり彼等は、経済理論は供給サイドであるが、現実の経済分析は需要サイドで行うといった精神的に分裂状態である。

これを誤魔化すために、彼等は極めて悪質な細工を使う。

例えば需要と供給のギャップであるデフレギャップを異常に小さく算出するのである。

経済成長理論を構築したのは、ハロッドやサミュエルソンといったケインズの弟子達である。しかし彼等が作った経済成長の定式は、供給サイドだけに着目したものであり、事実上、需要サイドを無視している。

唯一需要サイドも考慮したのがハロッドである。ハロッドは、自分達が作った経済成長理論では、需給の不均衡に陥る危険性があることを認識していた(均衡点はナイフの刃の上を歩くように不安定と説いた)。今日の日本などの先進国の経済を見れば、ハロッドの認識が正しかったと言える。もっともサミュエルソンやソローなど当初新古典派と呼ばれた経済学者も後に考えを変えている。これについては来週号で触れる。


筆者は、経済発展段階によって適用できる経済成長のメカニズムは異なると考える。これを筆者は三つのパターンに分けて理解している。

一つは新興国や途上国のような十分な需要のある国のものであり、

もう一つは日本や欧州の先進国のように慢性的な需要不足に陥る国の経済成長メカニズムである。

もう一つ加えるならば、米国のような新興国・途上国の要素を併せ持つ国の成長パターンがある。

つまり供給サイドの経済成長の定式がある程度当てはまる国と全く適用できない国、そして米国のようなそれらの中間の国ということになる(ただし米国は今後日本などのグループに近付くと考える・・つまりサマーズの言っている長期停滞)。

このようなその国が置かれている状況を無視して経済政策を押し進めるから、訳の分からないことになる。例えば国内に十分な需要がない状態で設備投資を刺激しても、民間企業が設備投資を行うはずがない(設備投資が需要のある新興国・途上国に流れるのは当たり前)。またNISA(少額投資非課税制度)を拡充すれば、ますます個人消費が減少することになる。ましてや消費税増税なんてもっての他である。
http://www.adpweb.com/eco/eco804.html

ポンコツ経済理論の信奉者達 14/7/14(805号)


「セイの法則」が意味を持った時代もあった

先週号で、

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)

で示される経済成長の定式は古典派(新古典派を含む)の経済理論の本質を示すものと説明した。

これは供給サイドだけを規定したものである。一方、需要サイドでは作ったものは全て消費されるという「セイの法則」が暗黙のうちに想定されている。したがって現実の経済で需要不足が当たり前になれば何の価値もない定式になる。


つまり慢性的に需要が不足している今日の日本など先進国にとっては、ほとんど関係のない定式である。今日のような低成長になれば、需要サイドだけを見ていれば十分であり、供給サイドはほとんど無視して良い。

ところが役立たずの経済学者やエコノミストは、相変わらず既にポンコツとなったこの定式にしがみついて経済成長戦略とか言っているのだから驚く。


この理解を容易にするため、s(貯蓄率)とv(資本係数)についての説明を行う(ただし平均値と限界値への言及はややこしくなるので割愛する)。

v(資本係数)は資本(K)/総生産額(Y)で算出される。

資本(K)は総資本ストックであり、総生産額(Y)はGDP(国内総生産)や総国民所得と読み替えても良い。

v(資本係数)はより小さな資本(K)でより大きなGDPを産み出す国では小さくなる。つまりこの数値が小さいほど生産効率の良い国である。


また古典派経済学では

S(貯蓄)=I(投資)と s(貯蓄率)=i(投資率)

が成立していることになっている。したがってI(投資)やs(貯蓄率)が大きくv(資本係数)が小さい(生産効率の良い)国ほどg(経済成長率)は大きくなる。

つまり貯蓄(つまり投資)が大きく生産効率の高い国ほど経済成長が高いという、分かりやすい話である(正しいかどうかは別)。

また生産物(GDPと見なして良い)を消費財と資本財に分け、この議論を補足する。

生産物の全てが消費財で資本財がゼロの国は、総資本ストックが増えないので生産力が増えない。したがって古典派経済学の世界では経済成長ができなことになる。反対に消費を切り詰め(貯蓄を増やすことと同じ意味)、それを投資に回す国は高い経済成長が実現できるということになる。


第二次世界大戦で生産設備が壊滅的な打撃を被った日本は、戦後、消費を削り設備投資に資金を回した。貯蓄が奨励され、預貯金の利息への課税を免除するマル優制度まで導入した。また企業は多額の銀行借入れを行い、最新鋭の生産設備を導入した(古くて生産効率の悪い設備が戦争で破壊されたことが幸いした)。このため日本の企業の自己資本比率はずっと小さかった。

人々も新技術を学び日本全体の生産性は飛躍的に向上した。これによって日本のv(資本係数)は欧米先進国より小さいまま推移している(傾向としては近年大きくなっているが)。この結果、日本製品は驚異的な競争力を持つことになった。しかし生産力が大きくなり過ぎたため日本国内では生産物が全部消費されず、余った生産物は輸出されるようになった。戦後、日本の貿易収支は慢性的に赤字であったが、1964年の東京オリンピックの年を境に貿易収支が黒字に転換した。この様子は

11/3/7(第653号)「日本が貿易立国という誤解」
http://www.adpweb.com/eco/eco653.html


で紹介した。


少なくとも1973年のオイルショックまで日本は高いレベルの設備投資が続いた(それ以降も日本の設備投資のGDP比率は欧米に比べ大きい)。これが原因で日本は過剰生産力を常に抱えることになった。したがって日本経済は景気後退で国内需要が縮小すると、直に輸出ドライブが掛かるという状態になった。

しかし日本の貿易収支と経常収支の黒字幅が拡大するにつれ、欧米からの批難が大きくなった。この貿易のインバランス解消のため円高が要求され、従順に日本はこれに従ってきた(この点が中国と大きく違う)。しかしどれだけ円高になっても、日本はそのハードルを乗り越え貿易黒字を維持してきた。この結果、とうとう1ドル76円と言った明らかに行き過ぎた超円高に到った。

このように見てくると1973年までの高度経済成長期は、日本経済は古典派(新古典派)経済学の経済成長の定式がほぼ当て嵌まっていたと考えて良い。戦争で着の身着のままになった日本国民の需要(テレビや冷蔵庫を買い、次は車や住宅を買いたいといった時代)は旺盛であった(人口構成も関係するがこの話は後日に)。また一時的に生産過剰になっても余剰生産物は輸出すれば良かった。特に日本製品は圧倒的な国際競争力を持っていた。つまり作ったものは全て消費(輸出を含め)されるといった「セイの法則」がある程度意味を持った時代はたしかにあった。

•高所得国の罠

今日の平均的な日本人は、一応の耐久消費財と住宅を所有している。したがってこれから日本で飛躍的に消費が伸びることは考えられない。消費物資が不足しているとしたなら、これは若い年代層、特に低賃金の非正規労働者であろう。しかしそれも彼等の親が住宅や車を所有しておれば、これらを購入する意欲は弱くなる。

ただし購買意欲が弱いと言っても、昔の日本(高度経済成長期)や今日の新興国・途上国と比べた話である。実際のところ今でも日本の耐久消費財や住宅の購入はそこそこ高いレベルにある。例えば日本では自動車が年間500万台程度売れている。中国は自動車ブームと言われているが、年間の販売台数は2,500万台程度である。中国の人口は日本の10倍であるから、つまり一人当りの平均では日本は中国の倍の車を購入している計算になる。

住宅も日本は年間100万戸建築されていて、人口が2.5倍の米国とほぼ同じ数字である(ただし米国の方が住宅の耐用年数は長い)。また資産家や株価上昇の恩恵を受けた者達は、高額商品を盛んに買っている。しかし国全体の消費の伸びという点では極めて弱く、ここが問題であり、このままではとてもデフレ脱却なんて無理と言いたい。


日本など比較的高い所得水準が続く国においては、国民は既に一揃の耐久消費財や住宅を所有していると考えて良い。したがって需要と言っても買い替え需要が中心になる。つまり爆発的な需要増というものは生まれにくくなっている。

また日本のように高い消費レベルが続いている国では、これ以上の消費はどうしても選択的になる。消費が個人の考えや趣味に左右されるのである。多くの人々が同じような電化製品や車を買い求めた現象は過去のものとなった。つまり昔のような大ヒット商品というものが現れにくい。要するに今日の日本の平均的な消費レベルが低いわけではないので、これを飛躍的に伸ばすことが難しいのである。


これまで経済成長が著しかった新興国の経済が今日怪しくなっている。このような現象を「中所得国の罠」と呼ぶケースがある。「高所得国」になる前に既にもたついているのである。

しかし「中所得国の罠」が存在するなら「高所得国の罠」があって良いと考える。筆者は、前から人々に消費意欲に限界みたいなものがあるのではないかと考えてきた。これに関連し

98/4/20(第62号)「消費の限界を考えるーーその1」
http://www.adpweb.com/eco/eco62.html



99/8/30(第128号)「日本経済と欲求の限界(その1)」
http://www.adpweb.com/eco/eco128.html

などで、消費者の欲求にも限界があるという仮説を唱えてきた。


しかし一方には消費や需要は無限という経済論を唱える者がいる。

作ったものは全て消費されるという、例の間抜けな「セイの法則」の信奉者達である。

また中には規制緩和で需要が増えるといった奇妙な経済論を平気で説く者までいる。これについて

04/3/29(第338号)「規制緩和に飛びつく人々」
http://www.adpweb.com/eco/eco338.html


他で筆者は、純粋に需要が増えるのは、麻薬、銃、バイシュン、賭博といった公序良俗に反するものの規制緩和だけと述べた(規制緩和の影響はほぼ中立と説明)。

しかし筆者は、日本の消費や需要を確実の伸ばす方法はあると主張してきた。

それは国民の所得を増やすことである。

増えた所得の一定割合は消費に向かう。国民所得を増やすには財政支出を増大させれば良い。

一時的に国の財政赤字が増えても、将来、税収増となって返って来る(政府紙幣の発行や永久債の日銀買入れという手段もある)。また今日の長期金利が0.5%と、市場は国債の増発を催促しているのである。

この手の肝心な政策を考えず、「特区」とか「岩盤規制の緩和」による成長戦略とか言っているからおかしいのである。

これを言っている人々は、既にポンコツで廃棄処分にすべき経済成長の定式(モデル)の信奉者なのである。
http://www.adpweb.com/eco/
8:777 :

2022/08/23 (Tue) 22:20:17

一家に一台が需要の天井 14/7/21(806号)


•需要サイド重視という風潮

先週まで述べたように、教科書の経済成長理論は供給サイドだけを規定したものである(需要は常に十分あるというばかげた暗黙の前提がある)。当然、これは日本など成熟した国の現実の経済には全く当て嵌まらない。ところが教科書のこの間違った記述を本当のことと信じている者が極めて多い。特に学校で、一生懸命、経済学を学んだ秀才タイプ(教科書に書いてあることは真実と思い込み、柔軟に物事を見ることができないタイプ)がこれである。また公務員試験などの各種試験の経済学の出題もこの教科書からなので問題は大きい。

このタイプは経済学者やエコノミストだけでなく、政治家や官僚、そしてマスコミ人などによく見られる。彼等は「自分は教科書でよく勉強し間違っていない。間違っているのは現実の方」と堅く信じている。そのためかこのタイプが好むのが「構造改革」である。「構造改革」によって、現実の経済を自分が信じている経済理論が機能する形に変えようというのである。ところがこの間違った認識を持った人々が、現実の経済政策に影響力を持っているのでさらに問題を大きくしている。実際、今日の経済成長戦略のほとんどは、この教科書の記述に沿ったものである。


教科書の古典派経済学の中心命題は、資本の蓄積と生産性の向上である。これに関連した例え話がある。ある漁師が魚を一匹ずつ釣っているとする。しかしこれでは自分が食べる分の魚しか釣れない(つまり生産物が全て消費される自給自足時代の経済である)。そこで魚を釣る時間を割いて、漁師は網という資本財を作製する。この網という資本財によって以前より多くの魚を獲ることができる。

この結果、漁獲(生産物)に余剰が生まれ、これによって漁師はさらに別の網を手に入れることができる。網という資本財がさらに増えるので、漁獲量ももっと増え、余剰はさらに大きくなる。そこで漁師を資本家と読み替え、経済の概念を一人の漁師から一国全体に広げると新古典派の経済成長理論になる。


新古典派の

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)

で示される経済成長の定式が正しければ、資本主義経済は自律的に成長するメカニズムを内在していることになる。したがって経済はこれによってどこまでも持続的な成長が可能という話になる。

この経済成長理論の信奉者は、日本経済がこの定式通りに成長しないのは、政府の経済への余分な介入や労働組合の存在が原因と訴える。彼等は、例えば政府が資本家から税金を取ることによって資本蓄積の邪魔をし、これを無駄な公共事業に使っているとずっと主張してきた。また彼等は各種の規制によって資本蓄積(投資)の機会を奪われ、さらにこの規制が国の経済の生産性を低下させたと言っている。まさに供給サイドだけを見ている者の言い分である。


この古典派経済学に沿った経済成長のメカニズムは単純である。したがってたとえ法律しか学んでこなかった政治家や官僚でも簡単に理解できる。実際、高度経済成長期の日本を思い浮かべたり、これまでの中国などの経済成長を目の当たりにすると、この定式がもっともらしく見える。

大学の教師はこの単純な経済成長論を学生に教えて生活をしている。しかし経済理論そのものは単純であるが、厳密性という名のもとに複雑な数式で化粧しているので学ぶ者にとって難しく感じる。彼等が教える経済理論は、なにか新興宗教の教義や密教の奥義と通じる所がある。したがって学ぶ者は苦労して数式が解けると、自分のステージが上がって経済が解ったような気になる。

ただこの単純であるが幼稚な経済理論を唱えてきた日本の経済学者も最近では少し不安になっている(ほぼノイローゼ状態になっていると言って良い・・これについては翌週取上げる)。これまで彼等は低成長になったのは日本の政府の対応や日本の社会の在り方に問題があったと片付けてきた。つまり日本固有の障害で日本経済は低成長に陥ったと誤魔化しておけば良かったのである。


ところが日本における経済認識が大きく変わる兆しが出てきた。

14/6/30(第803号)「サマーズとトマ・ピケティ」
http://www.adpweb.com/eco/eco803.html


で取上げたように、欧米の経済成長の論議において、供給サイドではなく需要サイドを重視するという考えが注目されるようになっている(筆者に言わせれば当たり前の話)。筆者は、そのうちこの流れが日本にも及んでくるのではと考える。

まずトマ・ピケティの著作の日本語版翻訳がそのうち出版され、反響が出ると予想される。また米国経済が長期停滞に陥ったと説くサマーズは、この対策として米国の老朽化したインフラの大改修を主張している(まさに批難を浴びながらも昔から日本でやってきたこと)。日本でもこの需要サイド重視という風潮が及んでくれば、これまで「真っ赤な嘘」を風潮してきた経済学関係者の立場がなくなるのである。

•日・米・中の年間新車販売台数

古典派(新古典派を含め)の経済成長理論がおかしいことは、昔から相当の人々が気付いている。たしかに需要が旺盛で作れば全てが売れる時代の企業経営者は、どれだけ生産力を引上げるかが経営の最重要課題であった。日本の高度経済成長期の企業経営を思い浮かべれば良い。銀行からの借入金でどんどん設備投資を実施し、人を雇い入れ、生産工程を改善して生産性を上げることが経営の要諦であった。まさに新古典派の

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)

で示す経済成長の定式が適用できる世界であった。

ところが段々と売上が伸びない時代になる。経営者は、新製品の開発や販売促進を行うだけでなく、従業員のリストラをおこなって合理化を進めるようになった。そして国全体で売上(需要)が伸びない事態に陥ったのがここ20年くらい(筆者は、既に40年も前からこの徴候は出ていたと言ってきた)の日本経済である。

資本主義経済では需要不足が起るというケインズ理論は、戦後一時的にもてはやされた。しかし米国産業の競争力が弱くなった頃から、ケインズ理論に対する風当たりが強まった。ただケインズ理論を否定した後の埋草に使われたのが、なんとポンコツ同然の古典派経済学であった。


経済成長が続き生産力が増せば、そのうち需要不足が起ることは誰でも分かる。ところが日本の経済学者は、この当たり前のことを絶対に認めようとはしない(生活が掛かっているのであろう)。このばかばかしさを示す一つの方法として、各国の新車販売台数の推移を取上げ、これを分析してみる。

次の表は日本、米国、中国の年間新車販売台数の推移を示している。ただし日本だけは、ベースが年度であり、また98年度から01年度までは乗用車のみの集計である。

日・米・中の年間新車販売台数(万台)


年  日本  米国  中国 

98
(414) 1,544 167

99
(419) 1,677 208

00
(426) 1,724 215

01
(430) 1,702 237

02
587 1,681 325

03
589 1,664 456

04
582 1,686 520

05
586 1,694 587

06
562 1,650 722

07
532 1,608 879

08
470 1,319 963

09
488 1,040 1,365

10
460 1,155 1,806

11
475 1,273 1,851

12
521 1,444 1,930

13
569 1,549 2,198


まず目を引くのが中国の物凄い伸び率である。ここ10年間は毎年10~30%程度の増加を示している。中国の国民所得の伸びはすごく、自動車に対するニーズが極めて高いことは分かっていた。しかし国内産業振興という中国政府の政策があり自動車に対する輸入関税は極めて高い。また人民元が低く操作されていることもあり、中国への自動車輸出はほぼ不可能であった。

したがって中国で車を売ろうという外国企業は中国政府の方針に従い、現地企業との合弁で中国国内に生産拠点を設ける他はなかった。しかし車に対して旺盛な需要があったから、外資は大挙して中国に進出した。つまり中国には十分な需要があったので、むしろ問題は供給サイドであった。まさに中国の自動車産業こそ新古典派の

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)

の経済成長の定式が適用できる世界であった。

はたして外資は、設備資金の提供に加え、生産性の高い最新の生産設備を中国に導入した。つまり

s(貯蓄率)/v(資本係数)

は外資導入によって大きくすることができたのである。また中国にはタダ同然(人民元が極めて低く抑えられているため)の余剰労働力がありn(労働人口増加率)は確保されていた。このように中国の自動車産業はほぼ古典派経済学の理論通りの経済成長を成し遂げているのである。


一方の日・米は08年のリーマンショック後のスランプを除き、年間に売れる車の台数はほぼ一定である。まさに日米は買い換え需要が全てと言って良い。つまり生産力増強の投資はほぼ必要がない。投資が行われるとしたなら設備の減耗を補う程度か合理化に伴う投資であり、その他では車に新装備を施すもの(例えばハイブリッド)に限られる。実際、少なくとも日本国内ではここ10年くらいは、新工場の建設は全くない(米国は、新工場の建設される場合、どこかの工場が閉鎖されているケースが多い)。

つまり日米はともに需要の天井にぶつかっているので、新古典派の

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)

の経済成長の定式は無関係である。しかし日本も米国も、今の中国と同じような高度成長期が過去にあった。ところがある程度まで来ると、全く伸びなくなったのである。


ここまでの話は自動車産業だけを例に採った。これは自動車産業の規模が大きく、また関連産業が広く(ガソリン販売、保険など)、適当と思われたからである。実際、中国では車以外の産業でも同じような高度成長が続いてきた。これからの関心は、中国の高成長がいつまで続くかということになる。

しかしその中国で成長に陰りが既に出ている。一つは過剰在庫を抱えた住宅産業である。他にも自動車産業に先行して成長してきた電機産業が既に需要の天井にぶつかったと見られる。今年のテレビの販売が減少に転じると予想されている。おそらくエアコン、冷蔵庫、洗濯機といった他の家電製品も近々減少に転じるものと考えられる。これも家電製品は既に一家に一台以上普及していて、旺盛ただった需要が消えているからである。

やはり耐久消費財は、一家に一台というものが一応の需要の天井になるようである。唯一中国で一家に一台普及していないのは自動車だけということになる。つまり中国でさえ、新古典派の経済成長理論が適用できなくなる時代が近付いているのである。それにしても日本でこのポンコツ経済学を教えている人々は、一体何を考えているのであろうか。
http://www.adpweb.com/eco/
9:777 :

2022/08/23 (Tue) 22:20:47

三教授のサマーズ論の解説 14/7/28(807号)

•サマーズとトマ・ピケティへの大きな反響

本誌14/6/30(第803号)「サマーズとトマ・ピケティ」
http://www.adpweb.com/eco/eco803.html


で取上げた、米国経済の長期停滞論が日本でも注目され始めた。サマーズ元財務長官は消費や投資の減少などで、米国経済が長期停滞に陥ると警告している。この話は、筆者が本誌にこれまで述べてきたことに合致するところが多い(筆者は長期停滞論に関してこの他にいくつかの原因を仮説として提示している)。

サマーズ氏は、この対策として米国のインフラの大改修や成長産業への投資促進策を提言している。またフランスの経済学者のトマ・ピケティは所得格差の拡大が全体の消費を抑え需要不足を生むと指摘している(この点についてサマーズも同じことを言っている)。両者の主張は欧米で反響を呼んでいる。長期停滞論に人々が何となく共感を覚えるからであろう。リーマンショック後の落込みから日・米・欧の経済は、程度の差はあるが回復基調にある。しかし期待したほどの力強い回復ではないと人々は感じている。


先進国においてこれまでの経済論壇の主流派(つまり古典派、新古典派経済学)の議論は、もっぱら供給サイドを重視するものであった。例えば職業訓練によって労働市場のミスマッチをなくすといったものである。また彼等、主流派は供給サイド重視の観点から、潜在成長率を高めることを主張してきた。このためには規制緩和による構造改革が必要と言い続けている。

一方、サマーズとトマ・ピケティは消費と投資の不振による需要不足を問題にしている。ただ各国政府も全く需要サイドを無視してきたわけではない。実際、リーマンショック後の急激な経済の落込みに対して、財政出動などによる需要創出政策を実施した。しかしギリシャの財政危機が起り、各国は一転して緊縮財政に転じた。英国は付加価値税、そして日本は消費税を増税し、また米国は軍事費などの財政支出を削減している。


ところでIMFは14年の先進国の需給(デフレ)ギャップが110兆円(GDPの2.2%に相当)と推計している(しかし筆者はこれを小さ過ぎると指摘した)。サマーズは米国のGDPは潜在GDPを10%も下回っていると主張している。ところが日本では内閣府がデフレギャプを0.2%、日銀はなんとデフレギャツプが解消し、逆にインフレギャップが0.6%生じていると実にばかげたことを言っている。これも主流派(供給サイド重視派)の影響であろう。

実際、現実を見れば欧州は若者の失業率が10%を越えており、設備投資も盛上がりに欠けている。米国も失業率は低下しているが、非正規雇用が増えているだけである。各国政府は、この状況を見て苦慮している。しかし財政が逼迫していると思い込んでいるので、財政政策は打てず、もっぱら金融緩和に頼っているのが現状である。ところがトマ・ピケティは、今日の状況においての金融緩和はさらに所得格差を拡大すると批判している。

筆者は、経済論壇の主流派が世間から相手にされなくなる時期が近付いていると見ている。サマーズやトマ・ピケティの説が全て正しいかどうかは別にして、需要サイド重視という考えが、世間に何か新鮮なものと受取られている。これも今日の経済論壇の主流派がボロボロになっているからであろう。


サマーズやトマ・ピケティの主張は、当たり前のことと筆者は考える。需要があれば経済は成長し、需要が不足すれば経済は停滞する。したがって先週号で取上げたように需要が旺盛な新興国や途上国は、条件さえ揃えば高い経済成長が可能である。

逆に供給サイドがネックになって経済成長が出来ないなんて、例外的なケースである。過度に一次産品に依存し製造業が貧弱な、ブラジルやアルゼンチンなどの南米諸国やロシア、そして近代産業のほとんどない途上国の一部などに限られる(一方、少し前の中国なんて一週間に電気が3日間しか供給されない状況で高い経済成長を続けてきた)。この限られた国々にしか適用できない主流派経済学のポンコツ理論で、成熟した日・米・欧の経済を分析し経済政策を進めようとしてきたことがそもそもの間違いだったのである。

•日経新聞のサマーズ理論の解説

昨年11月サマーズはIMFの会議で長期停滞論を初めて論じ注目された。IMFは元々経済論壇の主流派色(つまり古典派、新古典派経済学)が強い機関である。このIMFでさえ先進国全体でデフレギャップを前述の通り110兆円と推計している。たしかにこの数字は異常に小さいが(サマーズは米国のデフレギャップをGDPの10%としているので、米国だけで110兆円なんて軽く越える)、IMFでさえデフレギャプの存在を認め問題にしたことに意味がある。ちなみにデフレかどうかは、このデフレギャップで見るべきなのに、ポンコツエコノミスト達はいまだに物価の上がり下がりで見ようとする。

本来、長期停滞論は日本で言い出すべきものである。ところがバブル崩壊後、何を勘違いしたのか日本では供給サイド重視の論調が一斉を風靡し、今日でもこの路線が続いている。逆に日本では、サマーズ氏のような需要サイド重視や積極財政を唱える経済学者やエコノミストがほとんど排斥されて行った。

ところが欧米経済も日本経済を追い掛けるようにデフレが深刻になったのである。ようやく欧米もデフレに真面目に取組もうという雰囲気が出てきたのである。この先駆けとなっているのがサマーズとトマ・ピケティと筆者は捉えている。


情けないのが日本の経済論壇であり、いつも米国の経済学の流行りを追い掛けるしか能がないのである(人材不足が深刻)。おそらく米国の経済論壇で需要サイド重視の流れが定着すれば、日本も追随する可能性がある。そしてその徴候が既に出ていると見られる。

7月26日発行の週刊東洋経済は、トマ・ピケティの特集を組んでいる。また日経新聞は7月14日から3日間に渡り、サマーズの長期停滞説を経済学教室で取上げている。経済論壇の主流派(古典派、新古典派経済学)色が極めて強い、つまり供給サイド重視一辺倒の日経がサマーズの長期停滞論を取上げたのには筆者も驚いた。


3日間の執筆者は、福田慎一東大教授、池尾和人慶応教授、そして岡崎哲二東大教授である。3氏ともサマーズ氏が需要不足を根拠に長期停滞論を展開していることを紹介している。ただ岡崎氏だけは、米国の投資率(GDP比率)はまだ15%程度とまだ比較的高く投資と実質金利の関係では米国の停滞説は早計と見なしている。

ただ三氏とも長期停滞という点では日本の方が事態は深刻という分析をしている。それなら、何故、これまで日本で需要不足に起因する長期停滞を警戒する声が出なかったのかという話になる。やはりこれも米国が動かなければ日本は動かないという情けない図式なのであろう。


しかし三氏ともサマーズ氏の総需要政策には必ずしも賛同していない。今日のような過度の金融緩和状態での需要政策は、バブルを発生させると三氏は主張している。筆者は現状では簡単にバブルが起るとは考えないが、中には先走りしてバブル崩壊の惨状を説いている者までいる(福田教授)。

三教授は、サマーズ氏の長期停滞論を受けた対策をそれぞれ提示している。少子高齢化と財政健全化に正面から向き合って経済の構造を改革することが急務(福田教授)。サマーズ氏は成長戦略に消極的であるが、政治的忍耐力を持って成長戦略を実行(池尾教授)。高齢化社会に適合する経済構造への移行(岡崎教授)。それにしても「これらは一体何だ」といった惨めな政策のオンパレードである(対策を思いつかないのなら「ない」と言えば良い)。三教授の対策を見ると、やはり今日の日本の経済学者にサマーズ論の解説は無理だったようである。

日経新聞がサマーズ氏の長期停滞論を取上げたので筆者も日経も少しは変わったのかと思った。しかし23日の「エコノミクス・トレンド」では、柳川東大教授が「供給能力の天井 克服を」とまさに供給サイド重視一辺倒の文章を書いている。柳川氏はサマーズ氏の長期停滞論を引用しながらこれを書いているのだから驚く。また24日には「大機小機欄」に隅田川氏が同様の論調で間抜けなコラムを書いている。

そもそも日本経済は需要の天井にぶつかっても、供給の天井にぶつかることは百パーセントない(三教授でさえ日本のデフレが一番深刻と言っているではないか)。現実の経済の実態を知らずに経済を論ずる人々は幸せである。どうも日経新聞は、リハビリ程度では治らないほどの重病である。
http://www.adpweb.com/eco/
10:777 :

2022/08/23 (Tue) 22:21:51

貯蓄と貧困 再論(セイの法則をめぐって)
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/908.html

経済学には、売り切れる経済学と、売りきれない経済学がある。

(私の説明がつたなくて何のことを言っているのかわからないという方がいらっしゃるかもしれないので、

小室直樹『資本主義のためのイノベーション(革新)』
http://www.amazon.co.jp/%E5%B0%8F%E5%AE%A4%E7%9B%B4%E6%A8%B9-%E7%B5%8C%E6%B8%88%E3%82%BC%E3%83%9F%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%AB-%E8%B3%87%E6%9C%AC%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%AE%E3%81%9F%E3%82%81%E3%81%AE%E9%9D%A9%E6%96%B0-%E5%B0%8F%E5%AE%A4-%E7%9B%B4%E6%A8%B9/dp/4822229025


から、

第4章 イノベーション(革新)理解のための経済原論 の冒頭部 
-「有効需要の原理」と「セイの法則」だけ分かれば、あなたも立派な経済学者- 
を数ページこちらに引用→ (『情況へ…shn』19.1小室直樹)しておきます。

「経済学は、アダム・スミスから始まり今日にいたる古典派とケインズ派とからなる。古典派は自由放任を唱え市場万能論者である。ケインズは古典派を批判した。本章は中学1年程度の数学で理解できる。」だそうです。)


売り切れる経済学とは古典派で、セイの法則が成立するとします。

セイの法則を小室直樹は少し長く説明していますが、私が昔読んだときにはもっと単純な説明であったと思います。
"supply creates its own demand"、供給は自分自身に対する需要を生み出す。

一番単純な例を考えると、床屋さんの商品は散髪することで、散髪料金が2500円なら、一人散髪をすると2500円の収入が発生する。市場に或る商品を提供すると、同額の収入がもたらされる。少し複雑な場合を考えると、120万円のトヨタカローラが一台売れると120万円の収入がもたらされる。120万円は土地(自然)、労働、資本という生産の三要素にそれぞれ地代、賃金、利潤として支払われ、それらは地主、労働者、資本家の収入になる。商品の総額と収入の総額は等しい。

ここまでは当たり前で、ケインズ派もマルクス派もだれも反対しない。
ここから先が違う。

古典派は、人は商品を売って収入を得てそれで何かを買い(消費)、残りは必ず投資するだろう、と考える。自分で投資しないときは人に貸し、借りた人はただ利子を払うのではなく必ず投資する。500兆円の商品が市場にもたらされるときは500兆円の収入が発生し、それは必ず500兆円の需要になる。収入は必ず支出される。ため込まれてしまうことはない。だからたとえ市場の一部で売れ残りが発生してもそれと同額の購買力が他方に残っているのだから、市場に任せておけば必ず売り切れるように市場自身が調整する。…

マルクスは、資本主義においては「売り」は強制されるが「買い」は強制されない、だから必ず「買い」が不足する、と批判しました。売り上げを握りしめて模様眺めをすることだってできるわけです。

ケインズは流動性選好という言葉で説明しています。
たとえば「投機」目的のためには自分の収入をなるべく現金に近い形で(流動性の高い形で)持っている必要がある。すると、収入が現金で持たれている分だけ商品が売れ残り、失業が発生する。

収入が貯蓄され、貯蓄が投資されずに溜め込まれると失業、貧困が発生する。

ここまで説明すると必ずと言っていいほど
いや、「三面等価の法則」があって、必ず売り切れることになっているのだ、というコメントが寄せられるのですが、「三面等価の法則」というものはない、あるのは「三面等価の原則」なのだそうです。
野口悠紀雄もたしかビデオニュースドットコムで「貯蓄が失業の原因だという考えがあるが」と意見を求められて「三面等価の法則があって、売り切れるのです」と答えていました。

三面等価の原則に関してはこちらがわかりやすくまとめられています。
→   http://free-learning.org/?page_id=390#05
検索する場合は、フリーラーニング→速習マクロ経済学→part2国民経済計算-日本経済をどう測る?→第5回 三面等価の原則 です。

テキストでは
「三面等価の原則は統計上の操作を行うことによって常に成立する統計上の原則にすぎません。しかし、この原則より、現実経済の需要と供給も等しいと勘ちがいする人が多いので気を付けましょう。」
と中扉で注意を呼びかけられています。(石川秀樹 「速習!マクロ経済学」65ページ)

その「三面等価の原則」というのは
 (生産面からみると)国内総生産・500兆円
=(分配面からみると)国内総収入・500兆円
=(支出面からみると)国内総支出・500兆円
ですが
「国内総生産より、国内総支出が小さい場合、生産した分より支出が少ないので、ものが売れ残り、倉庫に売れ残り品が増えます。ところが統計上は、この売れ残った分は、その作った企業が支出したと考え、在庫品増加という項目にして国内総支出に加えるのです。(中略)
 このように考えれば、統計上は、支出面の国民所得(国内総支出)と生産面の国民所得(国内総生産)とは常に等しくなります。」
「しかし、これは、統計上は、売れ残った分は作った企業が支出して買ったことにしてしまうので、等しくなるというだけで、現実の生産量と需要量(支出額)が等しく売れ残りがないということではありません。」(同67ページ)

個々ばらばらの生産額の数字を集計すると、個々ばらばらの収入額の合計とは誤差や漏れがあって必ずしも一致するとは限らないから、統計上はその数字をそろえる、というのはわかる。しかし総支出額も操作して揃えてしまうというのは一種のトリック、インチキで、「勘ちがいする・させる」の元になるのではないか。

貯蓄の一部が投資されないでため込まれると商品が売れ残り失業が発生するからその分を(政府が)新たに投資しなければいけない、と話を進めると
「売れ残り在庫は在庫投資という投資だから、投資しているのだ」
という反論が寄せられたことがあったのですが、それが「勘ちがい」なのでしょう。
で、野口悠紀雄もその勘ちがいをしている一人なのでしょうか。

例えば薄型テレビ業界に参入するために1000億円をかけて工場を建てた、労働者も雇った、部品も仕入れた、これが1000億円の投資だ。一方、売れるはずの見込みが外れて10万円のテレビ100万台が売れ残ってしまった、これが1000億円の在庫だ。この二つが同じだ、投資だ、という人にまともな経済運営は可能なのでしょうか。

結局小室直樹の結論も一緒で、貯蓄が投資されずに溜め込まれると失業が発生する。
だから貯蓄を吸収しきるだけの国債を発行して公共事業をするなり、「何とか手当」という口実を作ってお金を使いたいという人にばらまけば売れ残りが一掃されて市場の機能が回復する。市場を否定するのではなくて、市場の機能を回復させるために、貯蓄分をプラスマイナスでゼロにするだけのバラマキをしなければいけない。
または、初めから、お金を使う必要のない人にはお金が回らない所得体系にしなければいけない。
 また、いったん売れ残り・失業が発生すると、立場の弱い商品から投げ売りが始まる。
底辺の「労働力」は一番立場の弱い商品だから、すぐ値崩れが起こる。つまり貯蓄によって不当廉売を強いられることになる。すると、不当に安値を付けられた労働の買い手はその分不当な利益を得ることになる。
だから、アメリカ大統領選で語られたという「真面目」に働いて自分の生活を成り立たせてきた人間(53%の納税者)、対、「税金で食わしてもらっている人間」(47%非納税者)という対比そのものが不当なものだといえる。

労働力の供給に関する古典派・新古典派の理論では労働者は労働するかしないか自分で選べることになっている。ある時間働いて得られる収入と、そのために失われる余暇とをはかりにかけていいほうを選ぶのだという。そんな労働者を見たことがあるか。それはまるで食べるには事欠かない親がかりの学生アルバイトだ。
 ならば国民一人当たり100万円のベーシックインカムを保証して働くか働かないか自由に選べるという条件を作り出せば古典派・新古典派の市場の理論が実現するといえる。

(「セーの法則」を眺めていたらこんなことも言えるのではないか。
日本は労働賃金が高いから国際競争力が失われる。…
 ある業界で賃上げが行われ、計10兆円賃金が上がり、それがすべて価格に転嫁されて、国内の全商品の値段が計10兆円上がったとする。けれどその時、その商品を買う国民の総収入も10兆円増えているのだから、国民全体が損をするわけではない。損をするのは輸出業界だろう。輸出のために労働者の賃金を貧しい国並みに引き下げるというのは、本末転倒ではないか。
 特に農業問題でも同じだ。
 日本の農業が全体で10兆円の農産物を生産していたとする。しかし外国では同じものを8兆円で作っている。ならばといって日本の農家も値下げして8兆円で作ることにしたら、国民の総収入も2兆円減ってしまう。国民の利益が全体として増えるわけではない。
 その8兆円の農産物を輸入してしまったら、国民の総収入が8兆円失われ、8兆円の商品が売れ残り、8兆円分の失業が発生する。…)
11:777 :

2022/08/23 (Tue) 22:23:12

経済コラムマガジン 16/10/24(913号)

落日の構造改革派


•スッポリ抜けているもの

日本経済は低成長が続いている。筆者達はこの原因を需要不足と分析している。この主な要因は、日本で30才台、40才台の「消費年齢世代」の人口が減少していることである(需要不足なのだから「生産年齢世代」の人口の減少は主な問題ではない)。また所得(可処分所得)が伸びないこともこの一つの要因になっている。さらに他にも需要不足の要因は色々と考えられるが、ここではこれ以上の言及は省略する。

これに対して、低成長の原因は需要サイドではなく、日本の供給サイドに問題があるからと主張する者が実に多い。この考えから導き出される対策は日本の構造改革ということになる。先週号で述べたように、この構造改革派によとって、筆者達が主張する財政支出による需要創出政策は、むしろ日本の構造改革にとって邪魔であり障害になるらしい。


構造改革派の発想は古典派経済学理論(新古典派経済学を含む)に根ざしている。いわゆる「セイの法則」、つまり作ったものは全て売れるという法則が成立つ世界である。したがってもし売れ残りや失業が生じるなら供給サイドに問題があるということになる。具体的には生産設備が陳腐化していて製品が時代に合わないとか、労働者の質に問題があるということになる。

構造改革派の対策は、まず規制緩和などによる競争政策の強化ということになる。これによって劣化した生産設備やゾンビ企業の退出を促すことになる。また技術的に劣る労働者には教育・訓練を施すということになる。これらの話は、構造改革派に染まっている日経新聞などのメディアでもよく見かける。


構造改革派の経済成長理論の支柱となっている定式がある。それについて

08/9/15(第541号)「経済成長の定式(モデル)」
http://www.adpweb.com/eco/eco541.html



14/7/7(第804号)「経済成長の三つのパターン」
http://www.adpweb.com/eco/eco804.html


などで説明した。

これは経済学の教科書に載っている

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+ n(労働人口増加率)

である

(これに技術進歩を加味すると

g(経済成長率)=s(貯蓄率)/v(資本係数)+n(労働人口増加率)+t(技術進歩)

になる)。

したがってs(貯蓄率)が一定なら、経済成長率を大きくするには合理化などによって資本係数を小さくし、労働者に教育・訓練を施し労働投入量を増やせば経済は成長することになる。

上記の経済成長理論の定式は、一見正しく当たり前のように感じる。ところがこれには「スッポリ抜けているもの」がある。それは「需要」である。もし需要不足が常態化しているなら、上記の定式は何の意味もない。つまり構造改革派は、需要サイドを全く見ていないのである。まさに「作ったものは全て売れる」という「セイの法則」の世界にいる。このように構造改革派の経済理論は著しく現実離れしている。


ところが安倍政権の登場で状況は一変した。安倍政権は第一の政策をデフレ経済からの脱却とした。つまりデフレギャップの存在を公式に認め、この解消を第一の政策目標に置いたのである。政府機関も渋々とデフレギャップの存在を認めるようになった。

ところが政府機関の公表するデフレギャップはいつも1~2%と異常に小さい。これは

16/8/1(第902号)「大きな車はゆっくり回る」
http://www.adpweb.com/eco/eco902.html


で述べたように、デフレギャップの算出に「可変NAIRUアプローチ」という浮き世離れした手法を採っているからである。またデフレギャップ異常が小さいため、潜在成長率も異常に小さく算出されている。

筆者達は、ヘリコプター・マネーによる需要創出政策を唱えている。しかし構造改革派に染まった日本の経済の論客は、デフレギャップが小さいのだからたちまち日本経済にインフレが起り物価が高騰すると脅かすのである。これもヘリコプター・マネー政策への一つの雑音である。

•有り得ないデフレギャップの1~2%

日本経済の成長率を高めるには、生産性の向上しかないという話をよく聞く。この根拠は潜在成長率がこれだけ小さくなっているのだから、生産性を上げる他はないというのである。具体的には規制緩和によって競争を活発にすることや生産工程への新機軸の導入、そして労働者の教育・訓練などである。ちなみに本誌では過去

01/9/10(第221号)「「生産性」と「セイサンセイ」の話」
http://www.adpweb.com/eco/eco221.html


で、この話を取上げたことがある。

しかしこれらの全てが前段で紹介した構造改革派のセリフと一致する。つまり生産性を上げるということは構造改革を実施することと同じ意味である。言い方を変えると構造改革を行うことによって生産性が上がるという話である。

たしかに国全体ではなく一つの企業で考えると、注文が殺到し生産が間に合わない場合は生産工程の改善(新機軸の導入などを含め)や従業員の教育・訓練が必要になってくる。つまりこの生産性の向上によって注文増に対応するということは有りうる。しかし反対に注文が少なくなるケースが有りうる。この時にはリストラによる生産性の向上という方法が考えられる。また場合によっては不採算部門の整理といういうことが必要になる。


しかし一国の経済を考える場合と一企業を対象にする場合では事情が異なることがある。たしかに国全体の需要が伸びている時代なら、国も企業もやるべきことは似ている。言っているように生産性の向上ということになる。企業はこれによって限られた生産資源(生産設備と労働者)をより効率的に使って最大限の生産を行うのである。国はこの動きを税制などで支援することになる。

ところが今日のようなデフレ経済で需要不足が常態化している現状では、国と企業では利害が異なるといった事態が起る。例えば企業は売上が落ちれば、当然、前述のような生産性の向上のためリストラを考える。しかし国にとって企業のリストラによる失業者の増加は由々しき問題となる。


このように構造改革派の論客は、経済の高度成長期のように需要がどんどん増える時に適合したかもしれない稚拙な経済理論(供給サイドの重視)を、慢性的な需要不足が続く今日の日本にも適用しようとしているのである。筆者はこのことを間違っているとずっと言って来た。

精一杯優しく言えば、構造改革派の面々は現実の経済に疎い「おバカ」の集りということになる。少しでも現実の経済を知っているなら、1~2%のデフレギャップとかほとんどゼロの潜在成長率といった現実離れしたことは決して言わない。本当にデフレギャップが1~2%なら、景気は超過熱状態であることを意味する。そのような状況ならほとんどの生産設備の稼働率は100%であり、商店やデパートの店先には買い物客が殺到し長い行列を作っているはずである(終戦直後の日本や旧ソ連時代の店頭と同じように)。

また本当にデフレギャップが1~2%なら、どの企業や商店ではこれ以上売ることのできる製品や商品の在庫がなくなっていて、営業担当者のほとんどの仕事は注文を断ることになっているはずである。したがって販売促進のための広告・宣伝なんてとんでもないことである。このように「可変NAIRUアプローチ」によって導き出されるデフレギャップの数字はばかばかしく有り得ないものである。


さすがに構造改革派の中にも、段々と問題は供給サイドだけでなく、需要サイドにもあるのではないかと考える者が現れるようになった(日本の供給サイドは特に大きな問題がないと筆者は見ている)。明らかに構造改革派は落日を迎えている。しかしいきなり財政支出による需要創出というわけには行かない。筆者の記憶では、最初に需要サイドに着目した構造改革派は「霞ヶ関埋蔵金」を問題にした人々である(埋蔵金を使っての需要創出をしろと主張)。

その次は外国人観光客の誘致を唱える人々である。これは外国人観光客の買い物による需要増を狙っている。そして最近ではTPP締結が注目されている。ところでアベノミクスの第三の矢である「成長戦略」の柱は規制緩和などによる構造改革だったはずである。ところが奇妙なことに最近になって「成長戦略」の第一はTPPという話が出るようになっている。これは TPP による輸出増が狙いである。

このように外国人観光客の誘致やTPPの目的は需要増といっても外需の増加ということになる。たしかに構造改革よる供給サイドの強化といった現実離れした考えからは、これらはいくらか進歩していると言える。しかしこれに対して筆者達は、これ以上外需依存を高めるのではなく(外需依存はいずれ円高で苦しむことになる)、財政政策(ヘリコプター・マネーなどによる)による内需拡大政策を主張しているのである
http://www.adpweb.com/eco/
12:777 :

2022/08/23 (Tue) 22:25:26

経済コラムマガジン 2017/12/11(966号)
日本の経済の専門家はおかしい

日本の経済論壇の「闇」は深い

筆者は、

16/3/28(第885号)「終わっている日本の経済学者」
http://www.adpweb.com/eco/eco885.html


などで日本の経済学者やエコノミスト、そして日経新聞の論説委員等を批判してきた。これらの日本の経済の専門家が言っていることが「おかしい」と思うからである。また筆者は何となくこの原因を分っているつもりである。

日本経済の低成長の原因は慢性的な需要不足と先週号で説明した。しかし日経新聞の論説委員を始め日本の経済の専門家は、どうしても原因を需要不足とは認めないのである。そこで彼等は、低成長の原因を人手不足や低い生産性など供給サイドの話で誤魔化している。


だから人手不足を示すデータをやたら強調したがる。また間抜けなエコノミストの中には「日本は完全雇用状態」と言って譲らない者までいる。しかし先週号で述べたように、本当に日本が人手不足ならもっと賃金が上昇しているはずである。

それどころか全てのメガバンクが大きなリストラ計画を発表している。大手銀行の事実上の定年は52~53才という話は昔聞いたことがる。ところがそれが最近では、どうやら50才程度までに早まっているという記事を日経新聞が掲載している。日経新聞にはこのような矛盾した話が満載である。そこで今週はこのような矛盾した話を二つ取上げる。


日本の経済成長率は、内閣府から国内総生産(GDP)の情報として定期的に公表されている。日経新聞などのメディアは、この数字の推移に基づき経済成長の様子を解説している。内閣府が公表するのは「消費、投資(設備・住宅)、政府消費、公共投資、輸出・輸入」と需要の項目毎の数字とそれらの合計である。日本経済成長率はこれらの需要項目の数字を積上げて算出されている。

日経新聞などメディアのこれに対する分析と解説は、例えば「天候不順で消費が落込んだ」「半導体の需要が好調なので設備投資が増えた」「予算消化が進まず公共投資が減った」「円安と中国の景気持直しで輸出が増えた」といった具合である。注目されるのは全てこれらは需要サイドの話ということである。まさに先週号で述べたように「需要で日本の経済成長は決まる」のである。日本の生産性が上下したことが原因で経済成長率が変動したといった話は一切出ない。これは当たり前の話であり、需要が増えれば当然のこととして工場や商業施設の稼働率が上がり生産性が上がるのである。


ところが日本の経済の専門家は、日経新聞などで日本経済の成長に関しては「生産性の向上が必須」「生産力の増大が必要」と供給サイドのことしか言わない。したがって彼等は「設備投資を喚起する政策が必要」「家庭の主婦も職場に狩出すような政策が必要」といった主張を繰返す。つまり日本の経済成長を決めるのは全て供給サイドという話になっている。

ところが同じ日経新聞の紙上では、前述の通り日本の経済成長を全て需要サイドだけで分析・解説して見せるのである。明らかに日経新聞や日本の経済の専門家の経済成長に関する論調は矛盾している。筆者は、もっと辛辣に「日経新聞と経済の専門家は頭がおかしくなっている」と言う他はないと思っている。

不思議なことに、日本の経済論壇では誰もこのような矛盾を指摘しないし問題にもしない。しかし「おかしい」と指摘する経済学者やエコノミストがいることを筆者は知っている。ところがこのような声をほとんどの日本のメディアは取上げない。まことに日本の経済論壇の「闇」は深いと言える(日本のメディアもおかしい)。


算出方法がおかしいデフレギャップ

もう一つの「日経新聞と経済の専門家は頭がおかしくなっている」ことを示す事例は、日本のデフレギャップの認識である。これに関しては日本の潜在成長率も関係する。筆者は

06/2/27(第426号)「潜在GDPとGDPギャップ」
http://www.adpweb.com/eco/eco426.html



06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
http://www.adpweb.com/eco/eco427.html


で、これらの算出方法がおかしいと指摘して来た。しかし今日でもこのインチキな算出方法が続いているのである。

日本のデフレギャップを政府はわずか1~2%と公表して来た。それどころか直近ではデフレギャップがなくなり、逆にインフレギャップが生じたと驚くようなことを言っている。ところが誰もこれを「おかしい」とは指摘しない。


デフレギャップを文字通りに解釈すれば、供給力が需要を上回る場合の両者の差額ということになる。たしかに理論上では、これがゼロになることは有りうることである。しかしこれがマイナスになり、逆にインフレギャップが発生したのだからただごとではない。

これも文字通りに解釈すれば、日本全体で需要が生産力を上回ったことになる(一部の特定の企業に限るなら有り得る現象である)。これはちょっと有り得ないことであり、少なくとも日本の景気が超過熱状態ということを意味し、当然、物価は高騰しているはずである。ところが日本経済は低迷し、物価は一向に上がっていない。日銀なんて、物価上昇率の達成目標年度を毎年延期しているほどである。


結論を言えば、筆者が何回も指摘してきたようにデフレギャップや潜在成長率の算出方法がおかしいのである(実際のデフレギャップはずっと大きい)。しかし関係者がこれは「おかしい」と気付いているのか不明である。また「おかしい」と気付いていたとしても修正する気があるのか、これも不明なのである。

それにしてもこの怪しいデフレギャップを基づき経済政策が実施されることが問題である。構造改革派と見られるある経済閣僚は、日本のデフレギャップや潜在成長率が著しく小さく算出されていることを知らないと思われる。この大臣は「日本の経済成長率を上げるには潜在成長率を大きくする他はない」と言っているようだ。

日本のデフレギャップや潜在成長率を著しく小さく算出している裏には、日本経済の問題点を需要サイドから供給サイドにスリ変える意図が見える。これには財政再建派も悪乗りしている。もし需要サイドの問題、つまり需要不足が認められると財政支出による需要創出という話が避けられなくなると財政再建派は思っている。


デフレギャップや潜在成長率の算出方法や認識の違いには、理論経済学上の対立の影響も垣間見られる。先週号で、古典派(新古典派)経済学に基づく構造改革派と財政再建派、そして財政による需要創出の有効性を唱えるケインズ主義の積極財政派という分類を行った。デフレギャップや潜在成長率を異常に小さく算出している経済学者やエコノミストは、古典派(新古典派)経済学の信奉者と見て良い。

そもそも古典派(新古典派)経済学ではデフレギャップという概念は存在しない。古典派(新古典派)経済学の理論的な根幹をなす「セイの法則」では、作った物は全て売れることになっている。したがってパラメーターが動き価格メカニズムが機能すれば、失業者や生産設備の遊休は発生しないことになっている。

古典派(新古典派)経済学の世界では、自然失業率以上の失業は労働者の技能が劣るからであり、需要拡大策ではなく職を得るための教育訓練が必要と説く。また遊休状態の生産設備は、既に陳腐化していて使い物にならないから廃棄すべきと考える。たしかに「セイの法則」からは、このような結論が導き出される。
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経済コラムマガジン 2017/12/18(967号)

経済論議混迷の根源はNAIRU


卑怯な言い訳を行う経済学者とエコノミスト

デフレギャップの推計には、

06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
http://www.adpweb.com/eco/eco427.html


で取上げた「可変NAIRUアプローチ」という方法がある。NAIRU(Non-Accelerating Inflation Rate of Unemplayment)とはインフレ非加速的失業率のことである。これを自然失業率、つまり長期的にインフレ率に関係なく一定水準で存在する失業者の割合と同じという見方がある。

例えば失業率が5%であっても、自然失業率が3%であれば、実際の失業率は両者の差である2%と見る。もしこの2%の失業が解消すれば、実質的に失業者はいなくなり完全雇用ということになる。またこの状態(自然失業率の3%)でさらに追加の求人があれば、賃金率は上昇しインフレになるという認識である。


日本のデフレギャップの推計はこのインフレ非加速的失業率(自然失業率と言って良い)を念頭に行われている。また潜在成長率の推計はこのデフレギャップを元に算出される。失業率がインフレ非加速的失業率まで下がればデフレギャップはゼロになると解釈される。

デフレギャップがゼロになった状態で追加的に需要が増えても、賃金が上昇するので名目GDPが増えても実質GDPは増えないという考え方がある。つまり財政政策による需要創出は物価が上昇するだけなので無駄と見なす。したがってデフレギャップがゼロに近付けば、これ以上の経済成長のためには生産性を上げるしかないと主張する。

またデフレギャップや潜在成長率は内閣府や日銀など政府の機関で算出されているので、これらは公式の経済数字として扱われる。つまりこれらの数字は日本の経済政策に深く関わっていると言える。また多くの経済学者やエコノミストも同様の手法でデフレギャップを捉えている。日経新聞などには、これらの数字を絶対的なものと見なす論説ばかりが目立つ。


特に考えが固い経済学者は、デフレギャップがゼロの状態で少しでも需要が増えると、物価が止めどなく上昇するという。

04/11/1(第365号)「妄言・虚言の正体」
http://www.adpweb.com/eco/eco365.html

で紹介したA教授はその典型であろう。A教授は「1兆円も財政支出を増やすと日本でハイパーインフレが起る」「私のシミュレーションプログラムでは、物価がどんどん上昇し計算不能に陥る」と言って引下がらない。どうもデフレギャップがゼロの状態が「閾(しきい)値」になっているようだ(まさにルーカス方程式)。またA教授が内閣府でも働く官庁エコノミトでもあることから、内閣府の現状認識が垣間見られる。

しかし驚くことに公表されるデフレギャップがゼロに近付き、それどころかマイナスとなった(逆にインフレギャップが発生)。ところが賃金が上がらず物価も一向に上昇しないのである。これが日本経済の現実の姿である。おそらくこれらの間抜けな面々にとっては信じられないことである。

そこでこれらの経済学者やエコノミストは、極めて卑怯な言い訳を行う。例えば「同じ可変NAIRUアプローチを使っても、研究者によってデフレギャップや潜在成長率の推定値に多少幅がある」「デフレギャップがゼロになると物価が上がりやすくなるだけ(必ず上がるとは言っていない)」と言った具合である。彼等は自分達の考え(経済理論)が根本的に間違っていることは絶対に認めない。そのうち本誌でも取り上げるが、認めると「まずい」のであろう。


NAIRUが潜在成長率を決めている

まずデフレギャップを失業率、つまり労働サイドだけに偏重して算定することがおかしい。供給力を規定する生産関数は、労働・資本・生産性の三要素ということになっている。しかしこれらの経済学者やエコノミストは労働と生産性をことさら重視するが、資本、つまり生産設備についてはほとんど触れない。

これについては

02/12/2(第276号)「日本のデフレギャップの怪」
http://www.adpweb.com/eco/eco276.html

で取上げた。生産関数に関し、経済企画庁時代の80年代及び90年代の労働への分配率は0.54から0.58であり、資本への分配率は、0.42から0.46であった(同じ年の両者を合計すると1.00になる)。ところが2001年度の「経済財政白書」では、資本のウエートがいきなり0.33に引下げられ、労働への分配率が0.67と大幅に引上げられている。これは伸びの低い労働(就業者数は、1970年から2000年では1.2倍にしか増えていない)への分配率を大きくしデフレギャップを小さく算定するためのトリックと故丹羽春喜大阪学院大学名誉教授は推察していた。おそらく資本軽視(労働重視)の流れは、最近もっと酷くなっていると筆者は認識している。実際のところ

06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
http://www.adpweb.com/eco/eco427.html


で述べたように、日本の設備稼働率は低く経済産業省の調査統計部経済解析室のIIPの稼働率指数担当者に直接聞いた話では72~74%で推移していた。


また

02/7/15(第260号)「セイニアリッジ政策への反対意見」
http://www.adpweb.com/eco/eco260.html


で取上げたように、この話を裏付ける大手製造業に対するアンケート結果が日経新聞の02年7月8日の一面トップに掲載された。需要が増えた場合の増産方法を問うものであった。回答は複数回答であり、なんと驚くことに、断トツで第一位の回答は76%の「既存設備の活用、稼働率の引上げ」であった。おそらくこの余剰生産力は今日でも保持されていると筆者は思っている(原発が止まっても遊休状態の火力発電所を動かしたように、ある程度の余剰生産力を持っている)。

つまり日本の生産力は5~10%程度の需要増に即座に対応できると思われる。しかも需要増による物価の上昇はほとんど考えられないのである。つまり今日のデフレギャップや潜在成長率の認識と議論は全く現実離れしている。


06/2/27(第426号)「潜在GDPとGDPギャップ」
http://www.adpweb.com/eco/eco426.html


で述べたように政府系エコノミストはGDPの過去の実際値の平均値や、景気動向指数を使って「潜在成長率」を算出している。つまりこれでは、大きく経済が落込こみ、かつその状態が長く続いた場合、落込んだ状態が普通、あるいは正常と見なすことになる。当然、デフレギャップはものすごく小さく算出される。特に日本経済はバブル崩壊、橋本政権の逆噴射財政政策、リーマンショックなどによる急激な落込みを経験している。

しかもその正常時とやらの失業率をNAIRU(インフレ非加速的失業率)と見なしている可能性がある。特に最近の労働偏重のデフレギャップの算出方法を考えると、極端な話、このNAIRU(インフレ非加速的失業率)だけでほとんど潜在成長率も決まることになる。


これらの一連の話に表立って「異」を唱えていたのは、筆者が知る限り故丹羽教授だけであった。唯一の例外は数年前に日経新聞の大機小機欄に掲載された「不況は潜在成長率を下げる」という「カトー」氏のコラムである。

17/11/13(第962号)「これからの重大な政治課題」
http://www.adpweb.com/eco/eco962.html


で述べたように、虚言・妄言が溢れる日経新聞にあって、「カトー」氏は「唯一まともで良識のある執筆者」と筆者は評価している。

まず「カトー」氏は、内閣府、日銀の両方とも、潜在成長率のNAIRUを使った推計値は信頼性が低いと指摘している。次に不況によって潜在成長率が下がっていることが考えられると言う。潜在成長率の低下は需要不足によるところが大きいと述べ、拡張的なマクロ政策が必要と説く。さらに「履歴効果」にも言及している(これについては来週号)。最後に「カトー」氏は消費増税などはもってのほかと締めている。
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経済コラムマガジン 2017/12/25(968号)

狙いは需要創出政策の阻止


勝手に意味をスリ変え

ここ数週に渡りデフレギャップや潜在成長率などを取上げてきたが、これに関する議論が混乱していることを説明した。混乱の原因は、同じ経済用語でも使う者によってその意味が異なるからと筆者は考える。特に主流派と言われる経済学者やエコノミストが問題である。この違いをはっきりさせないまま彼等は勝手に議論を展開する。

そもそも彼等は経済論議を深めようといった意思を全く持っていない。もし議論を深めるつもりなら、最初に使う経済用語の意味や定義をはっきりさせる必要がある。しかし始めから議論なんかするつもりがないので、主流派の経済学者やエコノミストはこの重要なプロセスを省略し、一方的に片寄った持論を押付ける。日経新聞などはこの手のプロパガンダまがいの論説で溢れている。これら対し「おかしい」という意見を日本のメディアはまず取上げない。唯一の例外は、日経新聞では「カトー」氏のコラムぐらいである。


彼等と筆者達ではデフレギャップや潜在成長率の認識が異なる。筆者達は実際の供給力の天井と現実の名目GDPの差がデフレギャップと捉え、そのデフレギャップを元に算出した最大可能な成長率が潜在成長率と認識している。日本の供給力の天井は、主流派の経済学者やエコノミストが想定しているよりずっと高いというのが筆者達の主張である。

デフレギャップが1~2%とか、ましてやデフレギャップがマイナスになる事態(つまりインフレギャップの発生)なんて絶対に考えられない。おそらく彼等は、日本ではなくインフレが常態化している中南米やアフリカなどの経済を想定した経済モデルでも使っているのであろう(あるいは「セイの法則」がある程度通用した19世紀の経済を想定)。


ところが今日、デフレギャップが極小(彼等のばかげたデフレギャップの算出方法で)となったにもかかわらず、一向に物価が上昇しない現実に直面している。先週号で述べたように、困惑した主流派の経済学者やエコノミストはデフレギャップのゼロの意味を「必ず物価が上がる」ではなく「上がりやすい状況になる」と卑怯にも勝手にスリ変えている。その程度の話なら、何故、彼等がこれまでデフレギャップや潜在成長率をことさら取上げて来たのか意味がない。

筆者は、政府機関は人心を惑わせるこれらの数字の算定を即刻止めるべきと言いたい(少なくともこれらのデタラメな経済数字の公表はするな)。もっとも主流派の経済学者やエコノミストの意図は見え透いている。人々(政治家を含め)が需要不足に関心が向かないないよう、供給サイドがパンク状態ということを強調したいのであろう。要するに財政出動による需要創出政策を阻止することが真の狙いと見られる。


先週号で説明したように、日本のデフレギャップや潜在成長率は、NAIRU(インフレ非加速的失業率)を意識して算出されている。この詐欺的な算出方法に同調する日経新聞は、日本中の人手不足の現場を必死になって捜し回って記事にしている。人手不足だからこれ以上の需要創出政策は不要と言いたいのであろう。

しかし人手不足の職場は、不正規雇用が中心で低賃金のところばかりである。例えば時給1,000円のアルバイトが足らないといった類の話になる。このような職場には、外国人の労働者が目立つのですぐ分る。しかし日経新聞を始め、日本のメディアは「時給1,000円」の意味を考えない。年間2,000時間も働いても(日本の正規雇用労働者の年間労働時間の平均はもっと少ない)、たった2百万円の収入にしかならない仕事である。一時的、あるいは片手間で働くのなら別だが、外国人を除けばそのような職場に人が集るわけがない。

もう一つの人手不足の現場は、昔から人々が敬遠する3Kの職場である。特に団塊の世代が引退しているので人手不足が顕在化している。ところがまだ有効求人倍率を見て、日本は完全雇用と言っている間抜けなエコノミストがいる。しかし求人の中にどれだけ多くの「ブラック職場」が含まれているか彼等は関知しないようだ。


履歴効果に負けないために

観念論者が唱えるNAIRU(インフレ非加速的失業率)や自然失業率を使ったデフレギャップや潜在成長率の算定方法が、「おかしい」という声はとうとう米国でも起っている。失業率が完全雇用に近いと言われるレベルまで下がっているのに、米国でも一向に物価は上昇しないし賃金の上昇も鈍い。特にこれを気にしているのが米FRBである。

16/8/22(第904号)「芥川賞受賞作「コンビニ人間」」
http://www.adpweb.com/eco/eco904.html


で述べたように、求人が増えているといっても「雇用の質」が問題とイエレンFRB議長は適確な指摘をしている。米FRBが金融政策の転換に慎重なのも、このような米国の雇用情勢が影響している。移民が多く新興国並の需要がまだ期待できる米国でも、自然失業率というものに対する疑問が呈されているのである。米国より経済が成熟し高齢化が進む日本で、NAIRU(インフレ非加速的失業率)を意識した議論がまかり通っていることの方が異常である。


そして日本経済が長く不調を続けることによって、本当の経済力を失うことを心配する声がある。先週号で紹介した「不況は潜在成長率を下げる」という「カトー」氏のコラムである。ここで言う潜在成長率は、NAIRU(インフレ非加速的失業率)に基づいて算出されるインチキ潜在成長率ではなく、本当の意味での日本の潜在的な成長力と筆者は理解している。ケインズが言っていた資本主義経済における経営者のアニマルスピリットみたいなものと考えて良い。

たしかにここ30年間を見ても、経済が上向くと「次は財政再建だ」という声が必ず上がり、緊縮財政に転換し日本経済の成長を阻止する動きが起った。例えば異次元の金融緩和と大型補正予算で13年度は日本経済が上向いたが、14年度の消費増税と補正予算の大幅削減で日本経済は沈んだ。このようなことを続けていては、経営者のアニマルスピリットが萎えるのは当たり前である。

また「カトー」氏は同コラムでサマーズ元財務長官の「履歴効果」を引合いに出している。「履歴効果」とは「不況が長引くと物的資本や人的資源への投資が減少し、不況の影響が履歴のように潜在成長率に残っていく」というものである。そして「カトー」氏は「履歴効果のことを考えると、潜在成長率の低下は需要不足によるところが大きい」と指摘している。したがってこの対策には拡張的なマクロ政策が必要と「カトー」氏は結論付けている。


サマーズ元財務長官は

14/6/30(第803号)「サマーズとトマ・ピケティ」
http://www.adpweb.com/eco/eco803.html



14/7/28(第807号)「三教授のサマーズ論の解説」
http://www.adpweb.com/eco/eco807.html

で紹介したように、「米国経済の長期停滞論」を展開している。サマーズ氏は、米国のデフレギャップが10%以上あると主張している。つまりNAIRU(インフレ非加速的失業率)や自然失業率を使ったデフレギャップの算出方法を完全否定しているのだ。したがってこれでは賃金が上がるはずがないとサマーズ氏は指摘している。

米国のデフレギャップが10%なら、生産設備の稼働率が米国より常に10%程度低く推移していた日本のデフレギャップは15~20%程度と見て良いと筆者は思っている。またサマーズ氏は、「履歴効果」に負けないためには需要創出のマクロ政策が必要と説いている。ただし需要創出は財政政策を中心にすべきと主張し、金融緩和政策に偏重することをサマーズ氏は警戒している。

これは金融緩和政策への偏重によるバブル生成とバブル崩壊を危惧するからである。またサマーズ元財務長官は、米国だけでなく日本の経済政策にも同様のことが言えると指摘している(金融政策偏重に警鐘)。この意見に筆者は賛成である。しかし日本の来年度の予算編成を見ても、とても十分な財政政策が組込まれているとは思われない。筆者は新規国債発行による大胆な財政政策を主張してきた。しかし残念ながら、日本ではこれからも金融政策に偏重した政策が続くのである。
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13:777 :

2022/08/23 (Tue) 22:26:57

経済コラムマガジン 2018/6/11(989号)


デフレギャップの分析


デフレギャップを誤魔化す人々

2週前から「永久債を日銀が買って100兆円の基金を作る」という一見無茶な政策を提言している。しかし日本経済の現状を考えると、これこそが一番合理的な政策と筆者は確信している。今のままでは永遠に日本経済はジリ貧路線を歩むことになる。

この政策は「シニョリッジ(ヘリコプター・マネー)」と呼ばれるものである。伝統的な経済学ではこれを異端とか劇薬と見なす。しかし日本経済の現状では、このような劇薬的な政策が必要と筆者は考える。

これも日本の経済が先進各国の中で一番成熟しているからである。米国は多くの移民を抱えるなど新興国的な要素を持つ。また欧州はEUの拡大によって、新たな投資機会と需要を得た。このように欧米には、日本に比べ多少の救いがある。しかしいずれこれらの効果も限界が来て、そのうち米国や欧州も日本を追掛けるように低成長の世界に入るものと筆者は見ている。


先週号でデフレギャップの話をしたが、「シニョリッジ」政策においてはこれが一番重要なポイントとなる。筆者は、2002年から一年ほど丹羽経済塾(丹羽春喜大阪学院大学名誉教授を中心にした勉強会)に参加し、シニョリッジについて学んだ。しかし丹羽教授の講議の半分はこのデフレギャップに関するものであった。

デフレギャップは供給と需要の差である。ところが日本政府(内閣府)が公表しているデフレギャップや潜在成長率の数字は、デタラメであり異常に小さい。丹羽教授はこれに毎回怒っていた。これについては

06/3/6(第427号)「GDPギャップのインチキ推計法」
http://www.adpweb.com/eco/eco427.html



15/11/30(第870号)「堂々と新規の国債発行を」
http://www.adpweb.com/eco/eco870.html

などで説明した。


デフレギャップを小さく算出するのは「だから経済成長のためには構造改革しかない」といった間違った結論に人々を誘導するのが狙いと思われる。これは需要サイド重視のケインズ経済学を目の仇にする新古典派経済学者(ニュークラシカル派)の仕業と丹羽教授は指摘していた。丹羽教授は多くの日本の経済学者が信奉しているシカゴ学派のルーカス教授をいつもヤリ玉に上げていた。これについては

02/12/9(第277号)「ルーカスの子供達」
http://www.adpweb.com/eco/eco277.html

で取上げた。

ルーカス教授の供給曲線(ルーカス方程式と呼ぶべきもの)と言うものがが曲者で、どの生産段階でも設備の稼働率は100%と言うことになっている(つまりデフレギャップはゼロ)。これは明らかに「作った物は必ず売れる」といった古典派経済学の基本理念である「セイ法則」に通じる。

04/11/1(第365号)「妄言・虚言の正体」
http://www.adpweb.com/eco/eco365.html

で取上げたA教授もこのルーカス方程式に基づく経済理論を唱えていた。問題は、このA教授のような学者が内閣府に出向しいい加減なデフレギャップを算出していることである。


一方の丹羽教授は日本の供給力を「オークンの法則」に基づき算出していた(オークンの法則については説明を省略)。丹羽教授の計算では、日本のデフレギャップは数百兆円にもなる。ただ参加者の筆者達はこの数字に正直ピンとこなかった。しかし筆者達は日本のデフレギャップが巨額だということは認識していた。

このようにデフレギャップを正確に計測することは難しく、仮にそれが正しく算出できても多くの人々がその数字に納得するとは限らない。むしろシニョリッジ政策に伴って物価が上昇した場合の「制御」を考えた方が「生産的」と筆者は考える。インフレターゲットを政策に組込むのもその一つである。例えば物価上昇が3%に達したら、シニョリッジ政策を中断するとか金融を引締めを行うといった決まりを設けるといった方法が考えられる。


日本の需要不足(貯蓄過多)の要因

前段で述べたように、筆者は供給サイドからデフレギャップを議論することは「空中戦」に陥ると考える。むしろ需要サイドから、また資金の流れから分析した方が分りやすいと考える。日本のデフレは慢性的な需要不足、つまり貯蓄の過多が主な原因と筆者は見る。

またこの日本のデフレは

03/6/30(第303号)「経済の循環(その2)」
http://www.adpweb.com/eco/eco303.html

で説明したように、経済循環において「漏出(ろうしゅつ)」が「注入(ちゅうにゅう)」を上回っていることが常態化していることを示す。古典派・新古典派の経済理論では、このような場合には金利がパラメートとして動き(この場合には低下)貯蓄過多は解消されることになっている。ところが今日の日本においては、金利がゼロ(実質金利はマイナス)になっても貯蓄過多は解消されない。それほど日本のデフレは深刻と見るべきである。結論を申すと、したがって日本にはシニョリッジ政策しかない。


本誌はこれまでこの日本の需要不足(貯蓄過多)の要因を幾度となく取上げてきた。これらを列記すると「バブル崩壊に伴う需要不足」「消費人口の減少による需要不足」「将来不安に備えた消費のセーブ」「所得格差拡大による消費性向の低下」ということになる。これらを一つずつ検討する。ただ最後の「所得格差拡大による消費性向の低下」はサマーズ元米財務長官等が唱える説であり、日本より米国の方が関係が深いと思われるのでここではこれ以上の言及を省略する(消費性向の小さい高額所得者の所得割合が増えることによって、全体の消費性向が低下)。


まず「バブル崩壊に伴う需要不足」を取上げる。バブル経済においては資産価格が高騰し、このバブルが崩壊すると資産価格は反動で大きく下落する。人々が注目するのは、資産を高値で買い損害を被った側である。このバブル崩壊で傷付いた人々は、当然、消費や投資を控えるため全体では需要不足が起る。

筆者が注目するのは、一方の資産を高値で売り抜けた人々の消費・投資行動である。もしバブルで大きな利益を得た人々が、この利益を全て使ってしまえば需要不足は解消する。ところが資産を売って得られた代金の大部分は銀行で眠ったままになる。したがってバブル崩壊は経済循環において「漏出」が「注入」を上回る現象を引き起す。つまりバブル経済の生成と崩壊が起ることによって、世の中の余剰資金は大きくなると筆者は分析する。

特に地価の高い日本では、バブルの崩壊がなくとも土地の売買が起る度に貯蓄過多が起ると筆者は考える。この様子は

04/10/11(第362号)「日本経済のデフレ体質の分析(その2)」
http://www.adpweb.com/eco/eco362.html

で取上げた。ちなみに家計部門は70年から93年までの24年間で140兆円もの土地を売越している。この代金の一部は今日でも貯蓄として眠っている可能性がある。


「消費人口の減少による需要不足」は、小子高齢化が進む日本にとって深刻な問題である。

13/4/8(第751号)「久しぶりの「朝まで生テレビ」」
http://www.adpweb.com/eco/eco751.html

で述べたように、総務省統計局のホームページによれば、消費金額は30才台、40才台でピークを打ち、50才台、60才台で極端に落ちる。したがって30~50才の消費人口が減り続ける日本では、消費が伸びるはずがない。

「将来不安に備えた消費のセーブ」の深刻さも、今後、注目されるであろう。将来の公的年金支給の不安が囁かれ、30~50才の消費世代の人々さえ消費を抑える傾向が見られる。また公的年金を補うため、個人年金に入る人々もいる。これは将来のために今日の消費を減らす行為である。明らかににこれも経済循環における「漏出」が「注入」を上回る現象を引き起す。

国も将来不安に備え、公的年金の保険料の引上げを行い、また消費税増税分の大部分(8割)を財政再建に回している。これらも経済循環における「漏出」の増加である。つまり日本政府自らがデフレを助長しているのである。これでは多少所得が多少増えても、日本経済が低迷から脱却することは無理である。

とにかく安倍総理の周りには本当の経済が分っている者が少ないのである(そのうち取上げるが経済スタッフは入れ替えるべき)。いまだに「成長戦略で経済成長」と間抜けなことを言っている。1~3月がマイナス成長になるのも納得である。金融緩和だけに頼る今日の政策の転換が必要であり、今のうちに大量に国債を発行し財政政策を大胆に行うべきである。金利は上昇しないし、物価もさほど上がらない。
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14:777 :

2022/08/23 (Tue) 22:27:32

経済コラムマガジン 18/7/9(993号)

トランプ大統領の一連の通商制裁は「無茶苦茶」「常軌を逸している」と評価されている。特に反トランプのメディアの評論は厳しい。まるでトランプ大統領の判断と行動が完全に間違っていると言わんばかりである。

よく聞くのが「誰も得をしないトランプ大統領の通商制裁」という薄っぺらな意見である。筆者は、これを「自由貿易こそが人々に利益をもたらす」という観念論者の常套句の裏返しとして聞いている。日経新聞にもこのセリフが溢れている。


このセリフの根底には古典派経済学の「比較優位の原理」がある。交易が活発になれば、交易を行う両国に利益が生まれるという単純で幼稚な経済理論である。しかしこれには両国間の為替レートが適正な範囲に収まっているという前提条件が必要である。

ところが中国は

02/7/22(第261号)「中国の不当な為替政策」
http://www.adpweb.com/eco/eco261.html

で説明したように、著しく不当な為替レートをずっと維持してきた。これは本誌が16年も前から指摘して来た話である。

不当な為替レートのままでは「比較優位の原理」が働かず、全ての生産活動を中国で行うことが一番合理的ということになる。

さすがに米議会で中国の為替操作が度々問題になったが、中国や中国に進出した米大企業はロビー活動によってこの動きを潰してきた。この結果が今日の米国の膨大な対中貿易赤字である。トランプ大統領までの歴代の米国大統領は、この異常さに全く対応できなかった。


それどころか驚くことに自由貿易を推進するはずのWTOは為替に全く関心がない。また間抜けな自由貿易主義者達は、中国の為替の操作を問題にして来なかった。このようして中国の不当な為替操作は、長い間、世界から見逃されて来たのである。

中国の輸出品に関する補助金も問題である。しかし中国政府が補助金を出していることを証明することは簡単ではない。特に中国のような中央集権で秘密主義の国の場合には困難が伴う。WTOは補助金を一応問題にするが、巧妙な形で出される補助金まで把握しているとは思われない。

米国政府は、中国の大手通信機メーカーの華為技術や中興通訊(ZTE)に対し米国からの締出しや制裁を行っている。一つは安全保障上の問題が理由になっているが、この他にこれらの通信機メーカーに中国政府から多額の補助金が出ているという情報を掴んでいるからと言われている。何しろ両社の製品価格は他メーカーの半額という。中国からの輸入品については、これまでも他に補助金が噂になったものが多い(太陽光パネルなど)。

このように貿易に関し、中国は問題だらけである。ところが中国は、何を勘違いしたのか自分達こそが自由貿易主義と大笑いしそうなことを言い始めている。
http://www.adpweb.com/eco/
15:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/09 (Thu) 04:20:38

”輸出で食べている”幻想はやめろ
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14093223

これから起きる超円高によるバブル崩壊と預金封鎖
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14091470

時代錯誤の「比較優位の原理」 を鵜呑みにしている自称経済学者 池田信夫
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14037511

自由貿易と輸出・インバウンドが日本経済を滅ぼす
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14026948

世界最大の対外純資産に惑わされるな!国が強くならないデフレ日本の経常収支サイクル
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/989.html

イギリスはどうやってインドの綿工業を壊滅させたのか
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/715.html

トヨタの為に毒塗オレンジを食べさせられている日本人 _ 日本を農業の無い国にして良いのか?
http://www.asyura2.com/09/gaikokujin01/msg/518.html

「TOYOTA日本脱出?」日本を捨てるのか? 日本が捨てるのか?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14081240

良いものを安く売る日本、粗悪品をより高く売る欧米
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/961.html
16:777 :

2023/06/07 (Wed) 12:17:46

対外純資産が増えても日本は豊かにならない仕組み
2023.06.07
対外純資産が増えても「使えないお金」が増えるだけで日本のGDPは増えない


画像引用:https://www.yutaka-trusty.co.jp/market/blog_oogo/ 2022年末の日本の対外純資産、4年連続で過去最高を更新!日本が32年連続で最大の純資産国に!! – 豊トラスティ証券マーケット情報
国滅んで対外資産あり

財務省が5月26日に発表した2022年末の対外資産は円安で過去最高を更新し32年連続で世界一、418兆6285億円に達しました

なんだか誇りに思えるような気がしますが言い方を変えると「日本国外にあって日本人が使えないお金が418兆円で世界一」になっています

対外純資産の内訳は直接投資(海外企業の買収)で45.8%。外貨準備が39.3%、証券投資が26.1%、かつては証券投資が最大だった

海外企業の買収ではソフトバンクによるスプリントやArm買収、武田製薬によるシャイアー買収などが大型M&Aとして話題になりました

例えば武田はシャイアー株主に6兆円払いソフトバンクはアーム株主に3兆円を払い、利益が出れば配当を受け取ったり企業としての利益を得る事ができます

一見すると日本は儲かっているようですがもしこの10兆円を武田とソフトバンクが日本国内に投資し国内で成功したらもっと日本として儲かった筈です

日本国内のお金で外国企業を買収して利益を得ても、そのお金を日本国内に投資した場合と比べて日本の国内は貧困化していきます


バブル崩壊以前の日本はこうではなく企業は日本国内に投資して国内で利益を出していたので、全額が日本のGDPになり日本経済は不沈艦と呼ばれていました

分かりやすいのはバブル絶頂期の1986年の対外純資産が28兆円でバブル崩壊した90年は44兆円だったのが、阪神大震災の95年に84兆円に増えています

その後日本企業の日本脱出(あるいは海外進出)によってリーマンショックの2008年に225兆円、安倍政権発足の12年末に300兆円に達しました

対外純資産が増えたのは「日本のお金が海外に投資された」事ですが、その分日本国内への投資が減った事でもあります

日本の労働者や日本企業が稼いだ418兆が日本の為に使われず、米中欧や東南アジアや中東やアフリカなどで投資されました

一層日本を貧しくするのはここから先で、日本国内に投資したお金で利益をえるとそのお金は日本国内に再投資されます


一度出て行った金は日本に戻らない
例えば日本のアニメを日本で制作してヒットして利益が出たら「同じアニメスタジオでもう一本作ろう」という事になると思います

ところが一度海外に投資されたお金は海外で利益を挙げたのでまた海外に再投資され、2度と日本に戻ってくることはありません

ソフトバンクがアームやスプリントに投資した金はアームやスプリント事業に再投資されたり、別の海外事業に投資されます

武田製薬が6兆円もかけてシャイアーを買収したのは海外で販売する為なので、利益が出たら全額を海外事業に再投資します

対外純資産で最多は海外企業買収でしたが2番目は政府による外貨準備が39.3%、海外への証券投資が26.1%でした

日本政府は外貨準備のほとんを米国債で保有していて、米国政府は日本のお金で道路や橋や病院などを建設しています


これも日本人のお金なのに日本人のために使われておらず、配当があっても日本政府はそれで再び米国債を買い増すので永遠に日本に戻ってきません

3番目の証券投資はNY株式や中国や欧州など世界の株式市場に投資されていて、当然利益が出たら海外株式を買い増すので日本には戻ってきません

このように対外純資産とは『日本が失ったお金』なので何兆円あったとしても日本人が使う事はできないのです

一方で日本が投資した外国では日本のお金でインフラ整備したり工場を立てたり企業活動が活発になるので株価は上がりGDPもあがり生活水準も向上します

こうして新興国は先進国からの投資で急成長し韓国や中国企業は急成長して日本企業を次々に倒し、日本は自分が投資したお金を使って倒されるという滑稽な事態になりました

アメリカは国債を買っている日本のお金で生きているのに、日本に対して親分気取りで指図し巨大IT企業を作って日本企業を倒しました

もし日本が418兆円を外国に投資せず月への有人飛行でもしていたら、今頃日本が世界のIT産業リーダーだったかも知れません

最近台湾の TSMCを筆頭に外国から日本への投資が増えていますが、対国内投資のGDPで日本は長く世界最下位(OECD加盟国)で北朝鮮と同程度だったと考えられます

もし外国から日本への投資が増えて日本企業の国内投資が増えると日本の対外純資産は半減するかもしれませんが、そうなった方が日本の成長率は倍増するでしょう

https://www.thutmosev.com/archives/27394.html
17:777 :

2024/01/20 (Sat) 08:05:36

資本が海外流出して海外資産だけが増えると日本のようになる
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16835976



大西つねきがやろうとしていること(第49回衆議院選挙に向けて)
https://www.youtube.com/watch?v=Z0aesmYcl0U

大西つねきの世界
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/162.html

イギリスはどうやってインドの綿工業を壊滅させたのか
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/715.html

世界最大の対外純資産に惑わされるな!国が強くならないデフレ日本の経常収支サイクル
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/989.html

自由貿易と輸出・インバウンドが日本経済を滅ぼす
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14026948

英米を超大国にした近隣窮乏化政策とは
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/186.html

イギリスの手法は「まずブタを太らせて、後で食べる」
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/153.html

アメリカはソ連崩壊後に NO.2 になった日本をどうやって叩き潰したのか
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/573.html

日銀が平成バブルを潰して失われた30年を作った
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14037444

欧米は自由貿易ではない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16834363

株式投資は企業への投資ではない _ 外資が儲けたらそれと同額だけ日本が損する
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14008776

”輸出で食べている”幻想はやめろ
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14093223

自動車産業が儲かるほど日本は貧しくなる
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14118307

良いものを安く売る日本、粗悪品をより高く売る欧米
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/961.html

訪日観光客3000万人でGDPは1円も増えなかった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14021350

時代錯誤の「比較優位の原理」を鵜呑みにしている 自称経済学者 池田信夫
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14037511

平成バブル崩壊と ソロモン・ブラザース証券 相場師列伝3
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/258.html

1989年、CIA とソロモン・ブラザーズ証券は先物取引とデリバティブ売買を駆使して日本株式市場の「平成バブル崩壊作戦」を実行に移した
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/205.html

平成バブルはアメリカの指示で小沢一郎が作り、日銀総裁が意図的に潰した
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/217.html

日銀が 2011年から500兆円も ばら撒いたので「超円安・輸入物価高の時代」に変わった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14010201

日銀金融緩和が終わった、円安は日本人にとって何の得にもならなかった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14074282

これから起きる超円高によるバブル崩壊と預金封鎖
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14091470
18:777 :

2024/01/25 (Thu) 10:52:11

日本は再びバブルへGO? 景気回復しても輸出立国はやめた方が良い
2024.01.24
https://www.thutmosev.com/archives/32801.html

日本より生活水準が高い国の多くは貿易赤字


https://monoist.itmedia.co.jp/mn/articles/2108/02/news001_4.html 日本は本当に「貿易立国」なのか、ファクトに見える真実:「ファクト」から考える中小製造業の生きる道(6)(4_4 ページ) – MONOist
バブルへGO

書いている時点で日経平均株価は3万6000円台半ばで、1989年12月29日史上最高値3万8915円まで秒読みカウントダウンに入っています

99%以上の確率でバブル最高値を更新すると考えますが、さてバブルの株価を回復後に日本はどこに行くのか誰も確信をもって語っていません

1989年に常識として言われていたのは日本の技術力は世界最高、経済力も勤勉さも世界最強なので輸出国家として成長するというような事でした

実際にはそうならなかったのですが例えバブル経済が崩壊しなくても当時日本の人件費は世界一高く、従ってあらゆる生産コストも世界一高くなっていた

今で言えばニューヨークのマンハッタンに自動車工場を建てて世界に輸出していたようなもので、コスト競争で後進国に勝てる筈がありませんでした

ドイツを除く欧米先進国は80年代から貿易赤字なので日本のような悩みは無く、人件費が世界一高くなっても購買力が上がるだけで輸出で不利になったりはしない

世界を輸出国家と輸入国家に分けると先進主要国で貿易黒字の輸出国家はドイツと日本だけで、他の国々は輸入国家なので自国の国内経済で成長します

80年代日本のような極端な輸出主導国家は貿易黒字によって通貨高になり、経済成長したので自国通貨建てで給料もあがりあっという間に10年前の2倍になったりします

10年でドル建て給料が2倍になると他国に比べて製造コストが2倍になってしまうので、輸出国家が成功すると輸出できなくなってバブル崩壊を起こします

輸入国家にもバブルはあり地価や物価が上昇しすぎるが、彼らは輸出でメシを食っていないのでドイツよりフランスの給料が高くなってもフランスは困らない

日本、ドイツ、韓国、中国、ベトナムのような輸出主導国家でライバル国より給料が高くなるとライバルより不利になるので、輸出立国には持続性がないのです

日本経済が立ち直ったとしても貿易収支はトントンで良く、経常黒字があるので時々貿易赤字になるくらいが丁度良いのです

日本の輸出は負けた方が良い
経常収支は貿易以外のモノが動かない外国との取引で、海外投資や海外工場やアニメ・ゲームコンテンツなど輸出以外はすべて経常黒字になります

日独以外のほとんどの先進国はずっと経常赤字だが、経常赤字と同じ程度の投資黒字があるので経済破綻しません

例えばアメリカは日本に対しずっと貿易赤字で経常赤字ですが、日本企業はアメリカに投資するので「経常赤字でアメリカが倒産」したりはしないのです

日本のマスコミや財務省や評論家は「貿易収支や経常収支が赤字になると日本が破産する」と言いますが、そんな事は起きません

日経平均がバブル越えした後で日本が数十年成長するためには、輸出を増やさず輸入を増やして経常黒字をため込まないほうが長続きします

マスコミはまた「貿易赤字だ日本が破産するぞ!」と大騒ぎするでしょうが、迷惑なのでテレビ局が破産して放送を辞めた方が良いです

貿易や貿易外収支が赤字だと経済成長しないのではと思うでしょうが、輸出でも輸入でも貿易や海外取引は経済を成長させます

200万円で車を製造して300万円で輸出すれば100万円のドルを受け取れますが、ドイツ車を300万円で輸入して400万円で国内販売しても日本のGDPは同じように100万円増えます

輸出で100万円貿易黒字を得ると100万円分円高になるが、輸入して国内販売すれば逆に円安に作用するのでかえって輸出を助ける事になります

牛丼という商品は牛肉を100円以下で輸入して国内で付加価値をつけて500円程度で販売しているので、輸入肉の牛丼を売れば売るほど日本のGDPは増えます

アメリカはほとんどの日用品や工業製品を外国から輸入しているが、輸入原価の2倍ほどで売るので貿易赤字額以上にGDPが増えています

国内で経済を発展させるとはこういう事で、 もしアメリカが安いおもちゃや衣類をすべて国内生産したら低賃金労働に労働力を取られて経済が発展しない筈です

何から何まで国内で生産して輸出するような国は競争力を維持する為に低賃金を維持せざるを得ないので、早晩経済破綻します

日本の輸出産業が世界を制したようなニュースは気分が良いが、日本の輸出企業が世界上位を独占すると数年でそ製造コスト上昇が限界に達しバブルが崩壊します
https://www.thutmosev.com/archives/32801.html
19:777 :

2024/02/02 (Fri) 10:56:20

中国の生産過剰が世界中で貿易摩擦を引き起こしている
2024.02.02
https://www.thutmosev.com/archives/32996.html

80年代アメリカの日米自動車摩擦


https://www.80s.ne.jp/1988/aug-23rd-1988.html 1988年8月23日 │ 80年代へようこそ!
輸出が増えるのは良くない兆候

世界には限りがあり無限に輸出を増やすことはできないが、往々にして輸出大国を自負する国は「世界は自分の財布だ」のように思い込んだりそれを口にして傲慢になる

1980年から90年代の日本がそうで1人当たりgdpでアメリカに追いついてしまい高コストになったが、もっと欧米に輸出しようとしてジャパンバッシングを招いた

各国政府は当然外国企業より自国産業を守ろうとするので貿易摩擦が起き、遅かれ早かれ成功し過ぎた輸出大国は排除され没落します

世界最初の輸出大国だった大英帝国、T型フォードで自動車産業を別次元にしたアメリカ、高度成長後の日本も同じ道を辿り最後に退場する羽目になった

輸出大国は最初安くて良い物や今までになかった社会で必要な物を輸出し歓迎されるが、成功するとコスト高になり高度な製品に移行し金額も高くなります

輸出大国が「技術の高さ」を自慢したりハイテク製品を輸出し始めるのは没落のサインで、高価で高性能な製品を大量に輸出すれば相手国の貿易赤字も高額になります

すると相手政府は貿易赤字解消に動き、相手国の企業は政府に「不公正貿易だ」と不満を訴え、消費者は輸出国から搾取されていると感じるようになります

日本は80年代後半にこういう状態になって主要市場の欧米で日本製品排斥運動があって、その結果輸出ではなくアメリカで自動車の現地生産へ移行する事になりました

欧州ではもっと拒否されて例えドイツ国内に工場を作っても日本車は輸入車扱いになり関税を取られるので、欧州で日本車のシェアはほぼゼロになっています

日本メーカーが欧州の有名レースに出場するにも欧州メーカーと比べて様々な不利益を課せられ、多額の投資をしたうえで1回勝ったらルール改正でその技術が無効化されて勝てなくするのを繰り返しています

日本のコンビニは訪日観光客から好評ですが世界のほとんどの国では自国資本以外のスーパーやコンビニ出店に制限があり自由に出店はできません

もしセブンやローソンが「全世界のコンビニを制圧する」と決めたとしても、自国資本の商店を優遇する法律があるのでそれは不可能なのです

輸出立国の努力は徒労で終わる
一見すると自由貿易の世界はこんな風に「ちょっとだけ自由貿易」だが規模が大きくなると輸入国側が拒否反応を示して排除される仕組みになっています

23年に中国の自動車輸出台数が日本を抜いて世界一になりましたが、これは日本にとって「良い事」だという風に考えています

思い出してほしいのはトヨタやホンダの世界販売が急増し始めたのはバブル崩壊後で、彼らの輸出や世界販売が伸びても日本はマイナス成長でした

それどころかトヨタホンダ日産が成長すればするほど日本はデフレ不況に陥り、自動車産業や輸出が日本に貢献したのか非常に疑問です

自動車や家電を輸出するとGDPは増えるのだが貿易黒字が増えると仕組み上円高が進むので、95年の1ドル79円や2011年んの1ドル75円は輸出産業が自分で自分の首を絞めたと言えます

輸出で儲けると輸出で円高になって輸出企業が苦しみ日本が不況になってホームレスが増えるのを繰り返し、徒労という言葉を連想させました

2分すると世界には輸出立国と輸入立国があり欧州で大きな輸出立国はドイツだけで英仏伊を初めほとんどの国は貿易赤字になっています

ではドイツが大儲けして赤字国が貧困になったかと言うと、世界の先進国や大国のほとんどは貿易赤字国で黒字国はむしろ中進国以下が多いです

先進国の人は自分より人件費が安い国で生産した商品を買う事で、自国で生産するより生活水準が良くなるので購入しています

もしアメリカ人が全ての工業製品を国産したら、結局時給1000円以下でiPhoneを作ったりして生活水準が低下してしまうからです

アメリカはアジアからスマホや自動車や服などを輸入するが、多くの商品は輸入時の何倍もの値段で売られるのでその分は「アメリカのGDP」になります

良くある勘違いは輸入するとGDPが下がり輸出するとGDPが上がるというものですが、実際は500万円の自動車を輸出してもGDP増加分はその半額にもならないし、輸入品にかなり上乗せして販売するので輸入でもGDPは増えます

だからアメリカは世界最大の経常赤字国なのに世界最大の大国でいられるので、もし輸入がGDPを下げて貧困化するならアメリカはもう破産しています

輸出立国は成功したら排除されるし失敗したら競争に負けるし、どのみち輸出で先進国にまで上り詰めるのは不可能です

英米がそうだったように自国の国内で経済を発展させて、 安い商品はアジアから輸入して国内で使う事でGDPを上げれば先進国になれます

日本もいい加減輸出主導経済を辞めるべきで、貿易は赤字かせいぜいトントンで良く国内経済を発展させれば自動車の輸出なんかなくなっても良いです
https://www.thutmosev.com/archives/32996.html

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