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フランソワ・オゾン _ まぼろし(Sous le sable) 2001年

1:777 :

2022/08/22 (Mon) 13:12:30

François Ozon Sous le sable 動画
https://www.bing.com/videos/search?q=Fran%c3%a7ois+Ozon+++Sous+le+sable&FORM=HDRSC3



「映画の中のクラシック音楽」 
配信日 03年10月8日
取り上げた映画作品 まぼろし (原題「SOUS LE SABLE (直訳すると(砂 の下)」)
制作 2001年 フランス
監督 フランソワ・オゾン
使われた音楽 グスタフ・マーラー作曲 交響曲第2番 「復活」使われた意図 復活
https://geolog.mydns.jp/movie.geocities.jp/capelladelcardinale/old/03-10/03-10-08.html

このメールマガジン「映画の中のクラシック音楽」において、前回はリリアーナ・カヴァーニ監督の「愛の嵐」でした。
今回の文章では、その「愛の嵐」で主演をやっていたシャーロット・ランブリングが出演した近作、フランソワ・オゾン監督の「まぼろし」について考えて見ましょう。

そういえば、今回の「まぼろし」が、今までで取り上げてきた映画作品の中で、初の21世紀制作の作品ですね。
次回は、また別の世紀の予定です。

この「まぼろし」という作品で使われている音楽は、グスタフ・マーラー作曲の交響曲第2番です。「復活」というニックネームで親しまれている曲です。
使われている場面は、主人公の夫婦が別荘に向かう車の中のカーラジオから流れて来る音楽として使われています。ほんのチョットですが・・・

これはちょっとヘンですよね?

マーラーのような「重い」曲は車の運転中に聴くような曲ではないでしょ?
カーラジオから流れるマーラーに曲に合わせて、「生きるためにこそ、私は死ぬのだ!」などと絶唱しながら運転していたら、事故を起して、本当に死んでしまいます。
運転中はもっと「軽い」曲を聴かないと・・・シャレにならないわけです。

実はこの「まぼろし」という映画では、「重い」と「軽い」という言葉が重要な意味を持っています。人生の重さを認識する人と、そうではない「お軽い」人・・・そのあたりの対比が結構でてきます。

しかし、オゾン監督はマーラーの曲の「重さ」を印象付けたかったわけではないでしょう。重い曲がほしいという観点だったら、マーラーではなくブルックナーでもいいはず。マーラーを使うと、曲の重さ以外にも多くの視点が出てきてしまう。
あるいは、マーラー作曲のうちでシリアスで重い曲となると、別の曲でもよかったはずです。それこそ、あの悲劇的な交響曲第6番でもいいでしょ?オゾン監督としては、多分、あえて「復活」という曲を選んだはずです。

そういえば、プレス筋によると、主演のシャーロット・ランブリングはこのオゾン監督の「まぼろし」で「復活」したとマスコミの論評があったそうです。
しっかし「復活」とは!

逆に言うと、その前は死んでいたってことですよね?
まあ、シャーロット・ランブリングは結構色々な作品に出演してはいましたが、最近は、どうもパっとしなかった。だから、この「まぼろし」で「復活」した・・・というわけなんでしょう。

じゃあ、「復活」という曲を使ったのは、シャーロット・ランブリングの「復活」と掛けていたの?
それはちょっと違うと思います。全然違うとは言えないでしょうが・・・

シャーロット・ランブリングはカルトな「魔性の女」を演じさせれば当代随一の女優でした。実に細身の身体、そして一重まぶたのちょっとキツイまなざし。
実際に過去の出演作品でも、ラブシーンの相手として、兄(さらば美しき人)、弟(トレンチコートの女)、女性(美しさと悲しみと)、チンパンジー(マックス・モン・アムール)等々と多岐に渡っています。
まあ、昔は映画の中では、必ず殺されていましたっけ・・

そのような「魔性の女」を得意にしている場合、年齢が上がって来るとちょっと難しいところがありますね?

「魔性の女」たるもの、やっぱり若くないと決まらない。
「魔性のおばさん」というのはピンと来ないわけです。そうでしょ?

というわけで、自らの魔性をもてあまし、くすぶっていたシャーロット・ランブリングは近頃死んでいて?「まぼろし」で復活した!とプレスの方は思ったのでしょう。

しかし、シャーロット・ランブリングのような「魔性の女」的な特殊なキャラクターだけでなく、一般の人間にとっても年齢を重ねることは難しいことですよね?

歳をとることによる、身体の衰え,容姿の衰え・・・そのようなことは、色々と出てきます。自分自身の将来もバラ色の未来を夢見ることも難しくなる。
身体的にも精神的にも、「つらい」現実と向き合う必要が出てくるわけです。

この自分にとって、「つらい」現実から目をそらしたい!・・・そう思うのは人情でしょう。
しかし、それが度を過ぎると、自分自身にとってもっとも重要なことからの逃避となってしまう。

私はこの文章で別に説教をしているわけではありませんよ。勿論ですって。あくまでフランソワ・オゾンの「まぼろし」という映画について語っています。

実は、この「まぼろし」という作品の中心テーマは人間の老いということなんですね。
だからこそ、老いがもっとも「似合わない」女優のシャーロット・ランブリングが起用されたわけです。もっとも「おばさん」が似合わない女性・・・それがシャーロット・ランブリングというわけです。

その「おばさん」が似合わない女性に「おばさん」をやらせる。このことにより「人間の老い」が強調されるわけです。

その強調のために、「かつては」小枝のようだった二の腕がいつのまにか「プヨプヨ」しているのもちゃんと映している。太ももだって、「あれ!いつのまに!あんなに太くなっちゃって・・・タプタプじゃん!」と誰でも思ってしまうように、強調した撮影をしています。その他では、顔のシワも強調しています。まあ、見ていて楽しい絵ではない。
その他、朽ち果てた樹などを映したり・・・と分かりやすい表現です。

しかし、シャーロット・ランブリング演じるマリーという女性は、自分の老いに抵抗しようと、いい歳をしてフィットネスクラブに通ったり、トイレで入念に化粧したりして、がんばっている。自分自身の老いを受け入れられないわけです。

夫の死を受け入れられないのは、夫を愛しているから・・・というだけではありません。その「夫の死」が自分自身の死を連想させるからなんですね。
自分自身が、やがては死ぬ存在であることを受け入れられないから、自分自身の死を連想させること・・・つまり、夫の死も拒否したいわけです。

しかし、そうまでして「人間の老い」は、拒否しなければならないものなのか?
この「まぼろし」という映画のテーマは、そのような問いかけと言えるわけです。

マリーは自分自身の老いを受け入れられずに、目一杯抵抗している。それはそれでいいのですが、そのおかげで自分自身が見えなくなって来ている。最も身近な人間である夫のことも見えなくなって来ている。

それに対し、夫のジャンは自分自身の老いを受け入れていた。たとえうつ病になったとしても・・・
マリーは老いを拒否することに一生懸命で、その他のことができなくなって来ている。
自分自身に都合のいいことしか見なくなってしまっていたわけですね。

つまり、老いを受け入れられないことによって、ある意味において死んでいたわけです。

そして、自分自身の老いを受け入れることにより「復活」する。

だからこそのマーラー作曲の「復活」というわけです。

つまり、この「まぼろし」という作品は「老いを受け入れることによって、人間の新たなステップに復活する。」という作品なんですね。

だから、カーラジオからという似合わないシチュエーションで、マーラーが流れ、「復活」ということを観客に強調しているわけ。

「老い」ということは、すべての人間に共通ですよね?

だから、その中年の夫婦の名前はジャンとマリー。
これって、日本風に言うと太郎と花子の夫婦ですよ。
オゾン監督は名前にも拘る監督なんでしょう。
同じフランソワでも、登場人物の名前にズボラだったトリュフォーとは大違い。

しっかし、「ジャンかぁ・・・マイッタなぁ・・」そのうち「男の子の名前はみんなジャンというの」なんて映画も出来そうだなぁ・・・と、映画を見終わった後で、「ジャン」という名前について、考え事をしながら渋谷を歩いていたら、足元の立て看板を蹴飛ばし、転びそうになりました・・・見てみると「雀荘」の看板でした・・・
トホホ・・・


次回の配信では今回と同じマーラーの「復活」の「音楽」を使った、誰でもタイトルを聞いたことがある映画作品について書いて見ます。きっとその作品のタイトルを見て、「アレツ?!?!」と思われることと思います。
お楽しみに・・・

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発信後記
そういえば、この10月はこのマーラー作曲の交響曲第2番「復活」がオーケストラの定期公演で演奏されます。
10月23日,24日のNHK交響楽団 準メルクル指揮
10月18日 東京交響楽団 井上道義指揮 です。
ご興味がありましたら、どうぞ!
R.10/5/21
https://geolog.mydns.jp/movie.geocities.jp/capelladelcardinale/old/03-10/03-10-08.html
2:777 :

2022/08/22 (Mon) 13:16:09

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①過去に配信されていた機能不全家族に関するメールマガジンを収録したサイトである「ダメダメ家庭の目次録」


②ミラーサイトの記事

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③MediumのPublication「ダメダメ家庭の目次録」

へ転載したものです。

したがって、山崎奨は著作者ではありません。
記事は全てミラーサイトから、誤字脱字等も修正することなく、MediumのPublicationに転載しています。

「ダメダメ家庭の目次録」 の記事の著者は、ハンドルネーム「ノルマンノルマン」氏とのことですが、連絡が取れない状態です。
レスポンシブ化および広告の非表示化によって、記事の参照を容易にすることを目的として、MediumのPublicationに転載することとしました。

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