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蓮實重彦、『ジョン・フォード論』を語る

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2022/08/02 (Tue) 04:18:43

蓮實重彦、『ジョン・フォード論』を語る【前編】

──“愚かにも半世紀近い時間をかけて、あまり緻密ではない老人がなんとか辿り着きました”
7月21日、蓮實重彦さんがライフワークのひとつとして取り組んできた『ジョン・フォード論』が1冊の書籍となって刊行された。これを機会に、アメリカ思想史を専門にし、映画批評も手がける入江哲朗がロングインタビューを敢行。その前編をお届けする。
By 入江哲朗 2022年8月1日
https://www.gqjapan.jp/culture/article/20220801-shiguehiko-hasumi-intv-1


批評家の蓮實重彥さんは、いままでにいくつも偉業を成し遂げてきた。『映画の神話学』(1979)や『監督 小津安二郎』(1983)によって日本の映画批評に革新をもたらし、『夏目漱石論』(1978)や『表層批評宣言』(1979)によって文芸批評界に波瀾を起こし、『「ボヴァリー夫人」論』(2014)というフランス文学研究の記念碑的著作を上梓したかと思いきや小説『伯爵夫人』(2016)の三島由紀夫賞受賞によって時の人となる──そんな蓮實さんが、この7月に新著『ジョン・フォード論』(文藝春秋)を刊行した。西部劇映画の監督として知られるジョン・フォードをとことん論じた同書は、蓮實さんの映画批評の金字塔として発売前から大きな期待を集めてきた。『ジョン・フォード論』に込められた思いについて、蓮實さんに話を聞いた。(入江)


「老人」蓮實重彥の旺盛な生産力
──7月21日に、蓮實さんの新著『ジョン・フォード論』が発売されました。映画監督ジョン・フォード(1894–1973)を論じた蓮實さんの批評としては、『映像の詩学』(筑摩書房、1979)の巻頭にある「ジョン・フォード、または翻える白さの変容」がこれまで有名で、この文章の初出は1977年です。以来、蓮實さんはながらく、ジョン・フォード論を1冊の本にするつもりだと随所でおっしゃってきたので、それがこのたび実現したことに、私は蓮實さんの読者として特別な感慨を覚えました。

2014年に『「ボヴァリー夫人」論』(筑摩書房)が刊行されたときも似た感情を抱きましたけど、同書の謝辞は、『「ボヴァリー夫人」論』が「老齢の域に達してから構想された」議論から成る「「老年」の書物」であることを強調しています(798頁)。対して『ジョン・フォード論』は、蓮實さんの初期の議論がより直接的に活かされていて、「ライフワーク」と呼べる1冊になっていると思ったのですが、いかがでしょうか。

蓮實:おっしゃるように、『「ボヴァリー夫人」論』と『ジョン・フォード論』は書かれ方がはっきりと異なっております。『「ボヴァリー夫人」論』はそれまでに書いてきたものをすべて破棄してから始めました。ところが『ジョン・フォード論』のほうは、過去の文章を、もちろんそのまま使ってはおりませんが、決定的に破棄してもいないからです。

わたくしがジョン・フォードの西部劇を見はじめたのは中学生のときですが、そのころのことについてはわたくしの近著『ショットとは何か』(講談社、2022)で語っています。「翻える白さの変容」を書いたのはご指摘のとおり1977年。それ以来、愚かにも半世紀近い時間をかけて、あまり緻密ではない老人がなんとかかんとか『ジョン・フォード論』まで辿り着いたということです。

──『ジョン・フォード論』の構想が具体化するきっかけはどこにあったのでしょうか。

蓮實:決定的な契機と呼べるものは、『ジョン・フォード論』の「とりあえずのあとがき」に記したように、1983年の東京国立近代美術館フィルムセンターでの「ジョン・フォード監督特集」上映、および、1990年にパリのシネマテーク・フランセーズで催された「ジョン・フォード・レトロスペクティヴ」にありました。これらの機会に、それまで見ることの叶わなかった『香も高きケンタッキー』(1925)や『戦争と母性』(1933)などを見ることができたからです。

『ジョン・フォード論』は『文學界』(文藝春秋)に掲載された複数のテクストをもとにしており、それらのうちの最初は、『文學界』2005年2月号の「身振りの雄弁──ジョン・フォードと「投げる」こと」です。つまり、このころには『ジョン・フォード論』への見とおしのようなものを抱いていたはずですが、なにしろ、そのあとに『「ボヴァリー夫人」論』を刊行することになりましたから、2005年の段階で『ジョン・フォード論』の構想が十分に具体化していたかと問われれば、はなはだ怪しいと言わざるをえません。

『モガンボ』のセットでのエヴァ・ガードナー(左)とジョン・

──『「ボヴァリー夫人」論』のあとには、三島由紀夫賞を受賞することとなる小説『伯爵夫人』(新潮社、2016)も著していらっしゃいますね。また、私がつくづく驚かされたのは、さきほどの「老人」というお言葉には似つかわしくないほどの旺盛な生産力を最近の蓮實さんが発揮していらっしゃることです。

『文學界』での「ジョン・フォード論」の不定期連載と並行して、『群像』(講談社)2020年5月号から「ショットとは何か」の不定期連載が始まり、加えて、同年末には『見るレッスン──映画史特別講義』(光文社新書)という新書も刊行されました。そして今年は、4月に『ショットとは何か』、7月に『ジョン・フォード論』と、新著の刊行が連続しています。

蓮實:当初、わたくしの考えにあったのは、『ジョン・フォード論』だけなのです。『見るレッスン』に関しては、新書を書くようにという依頼を『「ボヴァリー夫人」論』よりもまえにいただいており、新書は嫌だと10年近くごねておりましたが、ならばインタビュー形式の書物で、と言われ、『「ボヴァリー夫人」論』も終わったので、それもいいかなと思って話を進めました。

それと同時期に、『ショットとは何か』のもととなったインタビューもほぼ並行して受けておりました。こちらは映画一般について、という依頼で始まり、「ショット」という主題が明確化したのはしばらくあとのことです。ともあれ結果的に、『見るレッスン』、『ショットとは何か』、『ジョン・フォード論』という3冊の制作が並行することになりました。

『ショットとは何か』と『見るレッスン──映画史特別講義』(撮影・編集部)

──「妙に身がまえることなく、ごく普通に映画を見ていただきたい」という読者への呼びかけから始まる『見るレッスン』と、かくかくしかじかな人間に「映画を語る資格はない」といった厳しい評言がいくつも含まれる『ショットとは何か』とのあいだには、内容的な矛盾はないものの、浮かび上がる蓮實重彥像の違いがいくらかあるように読者としては感じられます。『ショットとは何か』や『ジョン・フォード論』に現れる「穏やかな厳密さ」という言葉に引きつけるならば、『見るレッスン』の蓮實重彥は比較的「穏やか」で『ショットとは何か』の蓮實重彥は比較的「厳密」、とでも申しましょうか……。こうした違いを蓮實さんご自身は意識なさっていましたか。


蓮實:いやいや、それはインタビューしてくださる方の話の持っていき方の問題です。ただし、『見るレッスン』はあくまでも新書であって、『ショットとは何か』はそうではないという事実が、わたくしの語り方の違いとして現れているとは言えるかもしれません。


──とりわけ『ショットとは何か』と『ジョン・フォード論』の2冊は制作がほぼ同時に進んでいたはずですが、そのことが内容に良い効果を及ぼすということはありましたか。

蓮實:それはあったと思います。たとえば『ショットとは何か』の「Ⅴ ショットを解放する」と『ジョン・フォード論』の第4章「「囚われる」ことの自由」の双方で、「180度の規則」に関する議論がなされています。

いわゆる映画理論においては、向かいあう2人の人間をキャメラに収めるとき、古典的ハリウッド映画はほぼつねに「180度の規則」を遵守してきたと言われるのですが、それが事実から途方もなくかけ離れているという現実を、『ショットとは何か』では、チャールズ・チャップリンやマーヴィン・ルロイなどの作品をとおして確かめました。ジョン・フォードの作品においても「180度の規則」があからさまに無視されている。それは、『ショットとは何か』である程度語り、『ジョン・フォード論』でより詳しく論じています。これら2冊のあいだの相互作用は、こういった点に認められるのかもしれません。


『アパッチ砦』より John Springer Collection/CORBIS/Corbis via Getty Images

ショットの「魂」
──『ジョン・フォード論』の帯で「『監督 小津安二郎』と双璧をなす、蓮實映画批評の金字塔」と謳われていますが、この文言にいっさいの偽りがないことを、私は、『ジョン・フォード論』の序章における『アパッチ砦』(1948)のラストシーンの分析から早くも実感しました。

蓮實:酋長コーチーズ(ミゲル・インクラン)率いるインディアンの部隊との戦いがもたらしたサーズデー中佐(ヘンリー・フォンダ)の死について、ジョン・ウエイン演じるヨーク大尉が記者会見で語る場面の分析ですね。

蓮實重彦、『ジョン・フォード論』を語る【前編】──“愚かにも半世紀近い時間をかけて、あまり緻密ではない老人がなんとか辿り着きました”
──映画監督ジャン゠マリー・ストローブを感動させたこのラストシーンに、研究者たちはしばしば「ブレヒト的」という形容詞を当てはめてきました。しかし、『ジョン・フォード論』の序章は、「ブレヒト的」という抽象的な概念に安住しようとした者たちがどれほど多くのものを見逃してきたかを、『アパッチ砦』のラストシーンの具体的な分析によって明らかにしてゆきます。とりわけ重要だと思われたのは、記者会見のシーンだけを見ていたのでは十分な分析はできないと蓮實さんがおっしゃっていたことです。

蓮實:わたくしは『ジョン・フォード論』の序章「フォードを論じるために」にこう記しました。「映画を論じるにあたって重要なのは、あるシークェンスを語ろうとするとき、それを構成しているあらゆるショットが、それに先だつ、あるいはそれよりもあとに姿を見せるしかるべき視覚的な要素との間に、必然的かつ想定外の響応関係を成立せしめているか否かを見極めることにある」(21頁)。


『アパッチ砦』より。中央がヘンリー・フォンダ演じるサーズデー中佐 John Springer Collection/CORBIS/Corbis via Getty Images

『アパッチ砦』のラストシーンに関して言えば、直前のショットと記者会見のシーンとのあいだに数年の時間が流れていると思われますから、ふつうの監督なら「○○年後」みたいな説明を書きくわえたショットを挿入しそうであるのに、ジョン・フォードはそうしない。そうしないことによって、『ジョン・フォード論』で論じたように、記者会見に先だつショット、すなわちサーズデー中佐らから奪った連隊旗を酋長コーチーズが無言で地面に立てるところを捉えた砂塵の巻きあがるロングショットと、記者会見のシーンとのあいだの響応関係が際だつわけです。

さらに言えば、これは『ジョン・フォード論』にはっきりとは書かなかったことですが、サーズデー中佐の最期を捉えたショット、すなわち迫りくる敵の集団を迎え撃つヘンリー・フォンダの勇姿……。

──『ジョン・フォード論』の序章の扉(7頁)にある画像を含むショットですね。

蓮實:そう、あの光景を、ジョン・ウエインもまた見ていたのではないか、という気さえしてくる。もちろん、そのときジョン・ウエイン演じるヨーク大尉は後方にいて、戦いを望遠鏡でむなしく見守っていたのですから、ヘンリー・フォンダがインディアンを迎え撃って戦死するというショットをジョン・ウエインが見ていたということは物語的にはありえません。しかしながら、あたかもジョン・ウエインがそれを見ていたかのように記者会見のシーンは推移しているのではないか。記者会見中にジョン・ウエインは、まさしくあのショットを脳裡に浮かべながらサーズデー中佐の威厳を想起しているのではないか。これはいささかこじつけのようでもありますが、こうしたありえないはずの響応関係を感じとる視点も、映画にはあっていいはずだとわたくしは考えております。

蓮實重彦、『ジョン・フォード論』を語る【前編】──“愚かにも半世紀近い時間をかけて、あまり緻密ではない老人がなんとか辿り着きました”
──いまのお話を伺って、『ショットとは何か』での、ショットの「穏やかな厳密さ」に関する議論を思い出しました。たとえば、『アパッチ砦』の記者会見のシーンがいくつのショットから成るかとか、それぞれのショットが何秒間持続するかといったことは「厳密」に計測できます。にもかかわらず、記者会見のシーンを構成するショットを「厳密」な計測によって取り出すだけでは十分な分析はできない。なぜならショットは「穏やかな」ものでもあるからで、それはつまり、「厳密」な単位に収まりきらずに別のショットへ浸透してしまうこともしばしば起こるからだということですよね。私としてはこれを、ショットは「フリンジ」(fringe)を持つ、あるいは「辺縁」を持つとも言い換えたくなってしまうのですが、いかがでしょうか。

蓮實:「辺縁」というよりはむしろ、ショットには不可視の「魂」のようなものが込められているということです。ショットは、何か魂のような見えないものをとおして別のショットと繫がることがある。こうした魂による繫がりは誰にも否定しえないけれども、にもかかわらず、ほとんどの人はそれを見ておりません。

ジョン・ウエイン主演の『駅馬車』より JohnSpringer Collection / CORBIS / Corbis via Getty Images

──なるほど。『ジョン・フォード論』の第5章にある重要な一節が、ショットの「魂」とも関わっているように思われます。そこで蓮實さんは、『駅馬車』(1939)に関するある研究者の議論に、「映画では可視的なイメージだけが意味を持つと高を括り、不可視の説話論的な構造へと思考を向けまいとする者の視界の単純化」が「みじめなまでに露呈」されていると述べていらっしゃいます(302頁)。いましがた蓮實さんがおっしゃった「魂による繫がり」は、「可視的なイメージだけ」を見ていては感じとれないものですよね。

蓮實:はい。いま引用していただいた箇所でわたくしが述べていたように、「可視的なイメージ」と「不可視の説話論的な構造」との双方へ同時に注意を向けるということが、映画を見るうえでは重要な作業となってきます。これは至難の業ではありますが、そうしないと映画を見たことになりません。

──蓮實さんの映画批評に関してはときおり、「可視的なイメージだけ」をひたすら見ることがその特徴だと語られることがありますが、それが誤りであることが、いま蓮實さんご自身の言葉によっても確かめられたかと思います。

『騎兵隊』(1959)撮影時のジョン・ウエインとウィリアム・ホールデン。背中を向けているのがジョン・フォード John Springer Collection/CORBIS/Corbis via Getty Images

触手を持つ意義深い細部
──『ジョン・フォード論』において、さらには蓮實さんの批評全般においては、「主題」がひとつのキーワードになっています。『ジョン・フォード論』で論じられる主題は馬、樹木、投げること、白いエプロンなどです。この「主題」を英語で言うと……。

蓮實:“theme”です。

──英語の“theme”にあたるとはいえ、蓮實さんの「主題」は、日本語の「テーマ」の日常的な語感からはだいぶ離れていますよね。たとえば「『リバティ・バランスを射った男』(1962)のテーマは、失われつつある西部劇というジャンルへの郷愁である」みたいな紋切型に現れる「テーマ」と、蓮實さんの「主題」はまったく異なります。そのことは『ジョン・フォード論』の第4章を読めばはっきりわかるのですが、ここであらためて、「主題」とは何かをご説明いただけますか。


『リバティ・バランスを射った男』より Sunset Boulevard/Corbis via Getty Images

蓮實:「主題」というものがどこから来たかというと、ガストン・バシュラールからです。たとえば彼の『水と夢』(1942)という試論は、「水」という主題を扱っています。そして、バシュラールがテマティック(主題論的)な批評の大本にいるとすれば、それを精緻化したのがジャン゠ピエール・リシャールだというのが、わたくしの見たてです。

リシャールは、主題が孕んでいる、ほかのものに対する漠たる色気のようなものを掬い上げました。さきほどあなたがおっしゃった「フリンジ」とも近い、ほかのものへと伸びる触手のようなものです。わたくしは、そうした触手のようなものを持つ意義深い細部にことのほか惹かれるのであり、触手を持たないひとつのイメージには、それがどれほど見事な構図におさまっていようと、興味がありません。たとえば、ジョン・フォードのある作品における「投げる」という身振りが、フォードのほかの作品における「投げる」ことへと触手を伸ばしている。さらに、今度は白いエプロンがほかのものへと触手を伸ばしている。このように触手に導かれながら、いましがた申し上げた「魂による繫がり」をわたくしは見ているということです。

『リオ・グランデの砦』でのジョン・ウエイン(左)とモーリン・オハラ Sunset Boulevard

──主題に注意を向けることで見えてくる繫がりを、蓮實さんは「主題論的な統一」とも呼んでいらっしゃいます。『ショットとは何か』によると、蓮實さんは早くも中学生のころに、ジョン・フォードの『わが谷は緑なりき』(1941)と『リオ・グランデの砦』(1950)に共通する演出、すなわち男がマッチでランプに火を灯すと闇のなかからモーリン・オハラが現れるという演出から、主題論的な統一を読みとったのですよね。

蓮實:はい。さきほど、『ジョン・フォード論』を書くうえでの決定的な契機に関してお話ししましたが、その契機のまえから、つまり、それまで見ることの叶わなかった作品を見るまえから、ジョン・フォードの作品からすでに読みとっていた主題論的な統一に対する絶対的な確信のようなものをわたしくしは抱いておりました。しかし合衆国で書かれたジョン・フォード論にいくら目を通しても、不必要な議論を読まされるばかりで、伝記的な情報に関しては教えられるところなどが多かったにせよ、あれだけたくさん描かれている「投げる」という身振りに惹かれている論者はひとりとして見つかりませんでした。これには、唖然としているほどです。


──主題論的な統一を蓮實さんが最初に学んだのはジョン・フォードからですか。

蓮實:ジョン・フォードと小津安二郎からです。より多く見ていたのはフォードのほうです。『ショットとは何か』でも述べたように、主題論的な統一というものを学んだわたくしは、その後、ハワード・ホークスの作品にも主題論的な統一を見出しはじめました。しかし、どちらかと言えば、いかにも隙のないホークスの作品よりも、ときにはいい加減ささえ感じられるフォードの作品に、わたくしはいっそう惹かれておりました。

もっとも、触手を持つ意義深い細部に導かれながら見るということは、いわゆる古典的な映画に関してのみ可能というわけではありません。たとえばジャン゠リュック・ゴダールの作品やペドロ・コスタの作品に対してもできるでしょう。

──『ショットとは何か』で取り上げられている1950年代の映画作家たち、ニコラス・レイやドン・シーゲルなどに関しては話が少し変わってきますか。

蓮實:若干違うと思います。ニコラス・レイの場合は、上とか下とか斜めとかへの空間的な拡がりにもっと目をこらす必要がありますね。

──『ショットとは何か』のなかで蓮實さんは、映画は「「人類」の普遍的な資産」ではなく、「[ミシェル・]フーコー的にいうなら、その生誕の日付が正確に決定しうる比較的に新たでかつ過渡的な何ものかでもある「人間」という、まったく「新しい被造物」が捏造した途方もないフィクションの装置」なのだ、とおっしゃっています(185頁)。

しかし、『ジョン・フォード論』の第1章の註12には、「フォードが[…]映画の歴史を貫いて到達せんとした超゠歴史的な持続」という言葉があります(362頁)。これは要するに、あくまでも歴史的な「人間」であるはずのジョン・フォードの作品に、歴史を超越したかに見えるショットが含まれているということかと思います。そうしたショットを撮ることがなぜフォードに可能だったのでしょうか。

蓮實:それは「なぜ?」とつぶやくほかに対処しようのない問いです。もちろんフォードにかぎらず、小津安二郎の作品にもそうしたショットは含まれています。しかし、禅寺にこもって仕事をしていたかのような印象を喚起する小津であれば、そうしたショットが撮れてもおかしくはなかろうと思うじゃないですか。対してジョン・フォードは、およそ世俗的な「人間」であるにもかかわらず、歴史を超越したかに見えるショットを撮ってしまう。そこが驚きであり、面白いところです。

【後編へつづく】 [8/2(火)20時公開]

蓮實重彥(はすみ しげひこ)PROFILE
1936年生まれ。映画批評家、文芸批評家、フランス文学者。東京大学文学部仏文学科卒業。パリ大学にて博士号を取得。東京大学教授を経て、東京大学第26代総長。1978年に『反゠日本語論』で読売文学賞、1989年に『凡庸な芸術家の肖像──マクシム・デュ・カン論』で芸術選奨文部大臣賞、2016年に『伯爵夫人』で三島由紀夫賞を受賞。1999年、フランス芸術文化勲章コマンドゥールを受章。ほかの著書に『夏目漱石論』、『表層批評宣言』、『監督 小津安二郎』、『「赤」の誘惑──フィクション論序説』、『「ボヴァリー夫人」論』、『見るレッスン──映画史特別講義』、『ショットとは何か』など多数。

入江哲朗(いりえ てつろう)PROFILE
1988年生まれ。日本学術振興会特別研究員(PD)。アメリカ思想史を研究するかたわら、映画批評も執筆。著書に『火星の旅人──パーシヴァル・ローエルと世紀転換期アメリカ思想史』(青土社、2020年)など、訳書にジェニファー・ラトナー゠ローゼンハーゲン『アメリカを作った思想──五〇〇年の歴史』(ちくま学芸文庫、2021年)など。
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