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キリル・ペトレンコ(1972年2月11日 - )指揮者

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2022/07/24 (Sun) 13:31:08

キリル・ペトレンコ(Kirill Petrenko, 1972年2月11日 - )指揮者


Kirill Petrenko - YouTube
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キリル・ガリエヴィチ・ペトレンコ(ロシア語: Кирилл Гарриевич Петренко, ラテン文字転写: Kirill Garrievich Petrenko, 1972年2月11日 - )は、ロシア出身の指揮者。

オムスクで、父ガリはウクライナ西部のリヴィウ出身[1]のヴァイオリニスト、母オルガは音楽学者というユダヤ系家族に生まれた。11歳でピアニストとしてオムスクの交響楽団と演奏してデビューし、18歳の時に、父がフォアアールベルク交響楽団で演奏しているオーストリアに転居した。ペトレンコはフェルトキルヒのフォアアールベルク州立音楽学校で音楽を学び、ピアノの修養を優秀な成績で終えるとウィーン国立音楽大学に移り、そこでウロシュ・ラヨヴィチらに師事した。またペトレンコはペーター・ギュルケ(ドイツ語版)、チョン・ミョンフン、エドワード・ダウンズ、エトヴェシュ・ペーテル、セミヨン・ビシュコフにも指揮を学んでいる。

1995年にフォアアールベルクにてベンジャミン・ブリテンの『オペラを作ろう(英語版)』でオペラ指揮者としてデビューし、1997年から1999年まではウィーン・フォルクスオーパーの指揮者となって『ボリス・ゴドゥノフ』の初稿による上演を行っている。1999年から2002年までマイニンゲン宮廷楽団の音楽監督を務め、2001年にはクリスティーネ・ミーリッツ(ドイツ語版)演出でワーグナーの『ニーベルングの指環』を指揮し、アルフレート・フジュドリツカ(ドイツ語版)による舞台芸術としては初の4日間連続の公演で、国際的に注目を集めるようになった。

2001年からウィーン国立歌劇場で『魔笛』、ロイヤル・オペラ・ハウスで『蝶々夫人』、パリ国立オペラで『ドン・ジョヴァンニ』、メトロポリタン歌劇場で『メリー・ウィドウ』、リセウ大劇場とバイエルン国立歌劇場で『スペードの女王』、フランクフルト歌劇場で『ホヴァーンシチナ』、フィレンツェ五月音楽祭で『エフゲニー・オネーギン』、ゼンパー・オーパーで『ムツェンスク郡のマクベス夫人』の指揮を行った。

2002年からはベルリン・コーミッシェ・オーパーの音楽監督に就任し、2007年まで務めた。音楽監督となって3シーズンを終えた2005年には、『オペルンヴェルト』誌の年間最優秀指揮者部門でピエール・ブーレーズに続く2位を受賞した。ペトレンコはその後も同誌の年間最優秀指揮者に2007年、2009年、2014年、2015年と選出されている。

2009年にバイエルン国立歌劇場で『イェヌーファ』を上演すると、続いてフランクフルト歌劇場でハンス・プフィッツナーの『パレストリーナ』をハリー・クプファーの演出で公演を行った。同年10月には予定されていたウィーン国立歌劇場での『ムツェンスク郡のマクベス夫人』の公演を突然中止したが、翌年5月には病気の小澤征爾の代役として『エフゲニー・オネーギン』のシリーズを同劇場で振っている。2011年にアンドレアス・クリーゲンブルク(ドイツ語版)の新演出による『トスカ』をフランクフルトで指揮し、2012年3月にメトロポリタン歌劇場で『ホヴァーンシチナ』をアウグスト・エファーディングの1985年の演出で公演し、この上演は世界に中継された。

オペラ指揮者としてのキャリアと並行して、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、クリーヴランド管弦楽団、バイエルン国立管弦楽団、ロンドン交響楽団、バイエルン放送交響楽団、ハンブルク・フィルハーモニカー、フランクフルト・ムゼウム管弦楽団、ケルンWDR交響楽団、北ドイツ放送交響楽団、ウィーン放送交響楽団、ウィーン交響楽団といったオーケストラと共演した。

2013年より、ケント・ナガノの後任としてバイエルン国立歌劇場の音楽監督に就任するほか、同年からバイロイト音楽祭の新演出による『ニーベルングの指環』の指揮も担当している。

2015年にベルリン・フィルの次期首席指揮者・芸術監督に選出され、2019年からサイモン・ラトルの後任として就任する契約にサインした[2]。ロシア出身者が首席(常任)指揮者を務めるのはレオ・ボルヒャルト以来、約70年ぶりとなる。これによって、ペトレンコはドイツ最大の予算を持つコンサートオーケストラと歌劇場の両方の指揮者を兼ねることになった。

2022年ロシアのウクライナ侵攻については、「国際法に反する陰湿な攻撃」「芸術に対する攻撃でもある」「ウクライナの人々と連帯する」として批判的立場を表明している[3]。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9A%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B3

2:777 :

2022/07/24 (Sun) 13:48:33

ベルリン・フィルが選んだ「無名」の指揮者、キリル・ペトレンコ
2015/8/2
https://style.nikkei.com/article/DGXMZO89847340Y5A720C1000000#:~:text=%E6%BC%94%E5%87%BA%E3%81%AE%E8%A9%95%E5%88%A4%E3%81%AF%E8%8A%B3%E3%81%97%E3%81%8F%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%8C%E3%80%81%E3%83%9A%E3%83%88%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%82%B3%E3%81%AE%E6%8C%87%E6%8F%AE%E3%81%AF%E3%80%8C%E6%98%8E%E6%99%B0%EF%BC%88%E3%82%81%E3%81%84%E3%81%9B%E3%81%8D%EF%BC%89%E3%81%8B%E3%81%A4%E5%9D%87%E8%B3%AA%E3%81%AB%E7%B7%B4%E3%82%8A%E4%B8%8A%E3%81%92%E3%82%89%E3%82%8C%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B9%E8%B1%8A%E3%81%8B%E3%81%AA%E9%9F%BF%E3%81%8D%E3%81%8C16%E6%99%82%E9%96%93%E3%81%AB%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%82%8A%E3%80%81%E7%B7%91%E3%81%AE%E4%B8%98%EF%BC%88%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%88%EF%BC%89%E3%81%AB%E9%B3%B4%E3%82%8A%E7%B6%9A%E3%81%91%E3%82%8B%E3%81%93%E3%81%A8%E3%81%AF%E8%BF%91%E6%9D%A5%E3%81%BE%E3%82%8C%E3%81%A0%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%82,%E5%A4%9A%E3%81%8F%E3%81%AE%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%81%AF%E3%80%81%E5%BF%83%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E5%A4%A7%E6%AD%93%E5%A3%B0%E3%82%92%E9%80%81%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%8D%EF%BC%88%E3%80%8C%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%80%8D%E8%AA%8C%EF%BC%89%E3%80%81%E3%80%8C%E6%97%A9%E3%81%8F%E3%81%8B%E3%82%89%E3%80%8E%E5%A4%A9%E6%89%8D%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%AA%E3%81%84%E3%81%8B%E3%80%8F%E3%81%A8%E8%87%86%E6%B8%AC%E3%82%92%E5%91%BC%E3%82%93%E3%81%A7%E3%81%84%E3%81%9F%E3%81%8C%E3%80%81%E3%83%90%E3%82%A4%E3%83%AD%E3%82%A4%E3%83%88%E3%81%AE%E3%80%8E%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%EF%BC%88%E6%8C%87%E8%BC%AA%EF%BC%89%E3%80%8F%E3%81%A7%E8%BC%9D%E3%81%8F%E6%98%9F%E3%81%A8%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F%E3%80%82

世界最高峰のオーケストラの1つ、ドイツのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団は今年6月下旬、2018年に退任するサイモン・ラトルの後任の首席指揮者・芸術監督を全楽員の合議により、キリル・ペトレンコと決めた。

10代からオーストリアで育つ
ロシア生まれのオーストリア育ち。ドイツ語圏のオペラ界でキャリアを積み、傑出した力量を評価されているが、CDやDVDだけでなくメディアへの登場機会は限られ、英語圏や日本では「無名の指揮者を選んだ」と、驚きの声が上がった。


ベルリン・フィルの次期首席指揮者・芸術監督に内定したキリル・ペトレンコ(撮影・Wilfried Hoesl)
最初にペトレンコの経歴に触れておこう。ユダヤ系ロシア人。1972年2月11日、シベリア第2の都市オムスクでヴァイオリニストの父、音楽学者の母の間に生まれた。まずはピアノの才能を伸ばし、11歳で地元のオーケストラと共演してデビュー。東西冷戦の終結を受けて父親がオーストリア連邦最西端のフォアアールベルク州の交響楽団へ転職、一家で旧ソ連を出た時は18歳。最初は同州立音楽院でピアノの勉強を続け、後にウィーン国立音楽大学でウロス・ラヨヴィッチに師事し、指揮法を本格的に学んだ。

プロとしてのデビューは95年。第2の故郷フォアアールベルクの歌劇場で、ブリテンの「オペラをつくろう」を指揮した。97~99年にはウィーン・フォルクスオーパーでカペルマイスター(常任指揮者)を務め、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」原典版に挑むなどの成果を上げた。99~2002年はドイツ最年少の音楽総監督(GMD)としてマイニンゲン宮廷劇場を率いた。ここで01年、クリスティーネ・ミーリッツ演出によるワーグナーの「ニーベルングの指輪」4部作で2組のオーケストラを振り分け、4日連続の上演を実現した時点で、ドイツ語圏の音楽メディアがこぞってペトレンコの存在をマークした。

オペラ指揮者として高い評価
「同世代で最も優れたオペラ指揮者」の評価は02~07年、ベルリン・コーミッシェオーパ―のGMDだった時期に固まった。どの国のオペラも原則ドイツ語で上演するコーミッシェオーパーはペーター・コンヴィチュニー、カリスト・ビエイトら一筋縄ではいかない演出家たちが原作の「読み替え」も辞さず、挑発的な舞台をつくるムジークテアーター(音楽劇場)の最先端。ペトレンコは海千山千の演出家と実りある音楽の共同作業をなし遂げ、「オペルンヴェルト」誌の「今年のベスト指揮者」に07、09年の2度選ばれた。初めてランク入りした05年もいきなりの2位で、巨匠ピエール・ブーレーズの次につけた。

ベルリンで完全燃焼したのか、GMD辞任後しばらくはフリーだったが、客演先はウィーン国立歌劇場、バイエルン州立歌劇場、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場など一流ぞろい。10年5月には病を得た音楽監督、小澤征爾の代役でチャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」をウィーンで指揮している。ベルリン・フィルとは06年に初共演し、09年と12年にも客演したが、ドイツ・オーストリアの古典の交響曲は慎重に避けてきた。昨年末にもマーラーの「交響曲第6番《悲劇的》」を指揮する予定だったが、リハーサル途中で降板し「自発的に後継者レースから降りたのではないか」と、うわさされた。

13年9月にはケント・ナガノの後任としてバイエルン州立歌劇場のGMDを引き受け、現在もその職責にある。13~15年は作曲家自身が創設したワーグナー上演の聖地、バイロイト音楽祭に招かれ、フランク・カストロフ演出の「指輪」全曲の指揮を委ねられた。演出の評判は芳しくないが、ペトレンコの指揮は「明晰(めいせき)かつ均質に練り上げられニュアンス豊かな響きが16時間にわたり、緑の丘(バイロイト)に鳴り続けることは近来まれだった。多くのワーグナー・ファンは、心からの大歓声を送った」(「シュピーゲル」誌)、「早くから『天才ではないか』と臆測を呼んでいたが、バイロイトの『リング(指輪)』で輝く星となった。後期ロマン派音楽においては向かうところ敵なしの優れた指揮者である」(「ツァイト」紙)などなど、ドイツ・メディアの絶賛に包まれている。


どこまでも楽譜を深く読み、「作曲家のしもべ」に徹する誠実な音楽づくりはドイツ語圏で高い評価を得ている(撮影・Wilfried Hoesl)
もう一つ、全メディアの意見が異論なく一致するのはペトレンコの「アンチ・マエストロ(非巨匠)」ぶりだ。「ターゲスシュピーゲル」紙は「世界のクラシック音楽界きっての無口な指揮者」とし、ペトレンコが「もう何年も単独インタビューに応じない」うえ、バイエルン州立歌劇場の年次記者会見にGMDとして出席しなければならない場面でも「ほとんどシャイともいえる態度で作品への畏怖の念をこめ、誠実に、言葉すくなに答える」との姿を詳しく伝えている。ベルリン・フィルからの第一報がバイロイトでリハーサル中のペトレンコに届いた瞬間も、ただ一言、「私はあなたたちのオーケストラを抱きしめる」と短いながら、心のこもったコメントを発しただけだった。

クリスティアン・ティーレマン(ドレスデン州立歌劇場GMD)、アンドリス・ネルソンズ(ボストン交響楽団音楽監督)、グスターヴォ・ドゥダメル(ロサンゼルス・フィルハーモニック音楽監督)、ヤニック・ネゼ=セガン(フィラデルフィア管弦楽団音楽監督)ら、ラトルの後任人事で有力候補とされた指揮者の多くはベルリン・フィルとも関係が深い名門レーベル、ドイツ・グラモフォン(DG)とすでに契約し、世界各地で演奏活動を展開している。ペトレンコはほぼ唯一の、DGと関係ない指揮者だった。クラシック音楽の有力市場とされる日本にもまだ、姿を現していない。オスロ・フィルやロイヤル・リヴァプール・フィルとのツアー、あるいはNHK交響楽団の演奏会などを日本で頻繁に指揮してきたのは1976年サンクトペテルブルク生まれのロシア人、ワシリー・ペトレンコである。キリルとは親戚でも何でもない、という。

ベルリン・フィルの精神風土とベルリンの街の力学
ベルリン・フィルはなぜ、「後継者を一人に絞れなかった」と発表した後、わずか1カ月あまりで国際サーキットに背を向けたアンチ・マエストロ、しかも、交響楽演奏会よりオペラで実績を積んできたロシア人に未来を託したのか?

キーワードは2つ。第一はもちろん、名声に甘んじることなく人材発掘と演奏能力、メディア戦略のあらゆる部分で「世界最先端のオーケストラであろう」と努めるベルリン・フィル自体に備わった精神風土。第二は、19世紀末から20世紀半ばにかけて何度も栄光と挫折を繰り返した都市ベルリンの「創造と破壊」の摩訶(まか)不思議な力学だろう。

ベルリン・フィルと並び称される名門、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は基本的にウィーン国立音楽大学の師弟関係に基づいて楽員を補充し、同質の響きを保ってきた。これに対しベルリンは第2次世界大戦中、ナチス政権の干渉でユダヤ系楽員を失う一方、ドイツ人楽員にも多くの戦死者を出し、伝統が分断された。「帝王」として君臨した指揮者、ヘルベルト・フォン・カラヤンは世界最高のアンサンブルを目指してドイツ語圏外からの採用にも力を入れ、日本人や女性に門戸を開いた。

続くクラウディオ・アバドの時代は終戦直後の大量採用世代の引退期と重なった。アバドはヨーロッパ室内管弦楽団、グスタフ・マーラー・チェンバー・オーケストラなど自身が育成に携わった若手集団からの入団を積極的に促す一方、最新の音楽学の成果を採り入れ、演奏様式のリフレッシュに成功した。ヨーロッパ大陸の外から招いた初めてのシェフ、英国人サイモン・ラトルの下には20以上の国籍を異にする楽員が集まり、世界最高のヴィルトゥオーゾ(名人)集団の様相を呈している。

2003年にはベルリン特別市の管理下を離れ、完全民営の独立法人に移行した。楽員の合議制による運営が一段と進み、インターネットで世界に最高音質・画質のライヴ映像を配信する「デジタルコンサートホール」などのメディア戦略を担う子会社でも、楽員代表が代表取締役を兼ねる。DGなど外部のレコード会社の思惑に左右されず、独自の音楽ソフトを販売するためにも、ペトレンコの「無色」には魅力があった。若い時期からGMDとして劇場の運営に携わり、大勢の音楽家やスタッフと根気よく心を通わせ、入念かつ情熱的なリハーサルで音楽の質を高めてきた実績は、合議制チームにもフィットするはずだ。

ベルリンの近代史を振り返ってみよう。「鉄の宰相」のオットー・フォン・ビスマルクが推進したドイツ統一を受けて生まれたプロイセン王国~ドイツ帝国の流れは第1次世界大戦で挫折、欧州の文化的な首都として栄えた黄金の1920年代(ローリング・トゥエンティーズ)はアドルフ・ヒトラー率いるナチス政権の台頭で消え去り、ヒトラーが夢見た第三帝国の栄光も第2次大戦の敗戦で無に帰した。

ベルリン・フィルの歴代指揮者
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ある時期、ある分野で世界を制覇しかけては崩れ去る……。滅びの構図を何度も体験しても、あるいは体験したからこそ、ベルリナー(ベルリン市民)の不屈の精神は時として、すさまじく激しい創造のエネルギーへと昇華する。

西のドイツと日本が同時に享受した戦後の高度成長期、音楽の世界でもテレビ放送や長時間収録(LP)レコード、ステレオ録音、ビデオソフトといった新しいテクノロジーが大量に投入された。技術マニアだったカラヤンはクラシック音楽のメディア戦略を徹底して主導したし、後任のアバドもラトルもカラヤンほど強烈なカリスマ性、商業主義の匂いはなかったにせよ、ベルリン・フィルのシェフに選ばれた時点で大量のディスコグラフィー(盤歴)を蓄えていた。カラヤンからラトル(退任時点)までの63年間はある意味、同質の指揮者との共同作業が続いたわけで、ベルリンの一角にそろそろ「破壊」への危険な誘惑が充満していたとしても何ら不思議はない。ゼロからの創造にはゼロから勝負できる指揮者……。2度目の投票で、そんな機運が一気に盛り上がってしまったのではないか?

ペトレンコも含め、ベルリン・フィルの歴代指揮者10人が常任指揮者、首席指揮者、芸術監督に就いた時点の年齢を点検すると30代が2人、40代が6人、50代が2人。就任時点で46歳のペトレンコは意外にも「多数派」に入る。カラヤンだけは終身指揮者の称号を与えられたが、晩年に悪化した健康状態とスキャンダルの表面化で急死の直前に退任。亡くなるまでベルリン・フィルの指揮者を務めた、つまり「在職死亡」扱いのシェフはアルトゥール・ニキシュ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、レオ・ボルヒャルトの3人にとどまる。ボルヒャルトはペトレンコに先立つロシア人で戦後の混乱期、ベルリンに駐留した旧ソ連軍の意向で君臨したのもつかの間、米国兵の誤射によって3カ月後に落命した。ボルヒャルトを除く9人の平均在任期間は15年あまり。ラトルの16年間が極端に短いわけでもない。ベルリン・フィル人事の実態は、マエストロ神話と無縁のところに位置する。

興味深いのは本国ドイツを上回る勢いでベルリン・フィルを神格化し、豪華なキャストや舞台演出を伴う海外オペラ団体の引っ越し公演にも匹敵する高額入場料(2013年日本公演のS席は4万円)もいとわなかった日本市場の反応だろう。高額が暴利というわけではない。一人一人の楽員が独奏家(ソリスト)の力量を備え、オーケストラ全体のツアーがない年にも単独や室内楽チームでの演奏会、音楽祭や音楽大学でのマスタークラスの指導などで頻繁に日本を訪れるうちに相場が上がり、指揮者以前に、ベルリン・フィル自体のコストが驚くほど高いのである。あるテレビ局のニュースはペトレンコをあっさり「無名の指揮者」と報じたが、ラトルからペトレンコにシェフが替わったとしても、入場料金の値下がりは期待できない。興行の主催者にとっても、ベルリン・フィルのファンにとっても、かなり悩ましい決定が下されたものだ。

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2022/07/24 (Sun) 13:51:45

世界の指揮者地図も変わって__
2015年09月29日 | 指揮者あれやこれ
https://blog.goo.ne.jp/jsbach2005/e/84a90b55f83ad718c92bc3ac59f7b444

左上写真は、ベルリン・フィルの次期首席指揮者・芸術監督に内定したキリル・ペトレンコ。 右上はチョン・ミョンフン。 左下はリニューアルしたロームシアター京都 (京都会館) のメインホールで指揮を執る小澤。 右下はアンドリス・ネルソンス。
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20世紀末に大物指揮者 (ベーム/カラヤン/バーンスタイン/ショルティ など) が相次いで亡くなり、かつてのようなカリスマやマエストロといわれる大指揮者は、払い底状態になってきています。 オペラの世界もかつては、歌手の時代から、指揮者の時代、そして今は演出家の時代といわれるように、オペラの世界では指揮者よりは演出家が注目されるようになってきました。

それだけ 相対的に、指揮者の影響力が減ってきたともいえます。 (19世紀以前の) 歌手の時代は、歌手が強く 受けがいいと同じアリアを指揮を無視して歌っていたらしい。 20世紀の指揮者の時代は、例えば カラヤンがウィーン歌劇場の監督をしている頃は カラヤン指揮のオペラで歌っただけで歌手がスター扱いされることもあったという。 今は指揮するだけで客が集まるというケースは少ないでしょう。
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「独名門楽団に36歳指揮者 過去150年で最年少」(9月10日 ベルリン共同) __ ※追加1へ
「ソウル市響・鄭明勲芸術監督が辞意表明」(8月28日 朝鮮日報) __ ※追加2へ

ウィキペディアから__チョン・ミョンフンは、2005年 ソウル市長李明博 (当時) からの「ソウル・フィルをアジア一のオーケストラに」との要請を受けてソウル市立交響楽団の音楽監督に就任 (※追加3へ)。

「ベルリン・フィルが選んだ “無名” の指揮者、キリル・ペトレンコ 」(8月2日 池田卓夫/日経) __ ※追加4へ
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今 カリスマやマエストロといわれる指揮者の中に、小澤は間違いなく入っているでしょう。 けれど 80歳と高齢で病気がちとなると、いつも聴衆の期待に応えて登場、というわけにはいきません。 どうしても健康な60代以前の指揮者の活躍が期待されてしまうのは避けられないでしょう。

その意味で60代のチョン・ミョンフンは、実績もあり マエストロの仲間入りしていると想像しますが、ソウル市響の監督職を退くという上記記事によれば 市響代表とミョンフンの不和が原因のようです。

こういうことは実は珍しくありません。 カラヤンもベルリン・フィルの全ての歴代支配人といつも良好な関係とはいえなかったし、ウィーン歌劇場の監督時代もそういうことがありました。

ただ ソウル市響はミョンフンあっての存在だったでしょうから、彼が去ってしまったら 人気の継続、名門 DG との CD 録音継続は難しいのではと想像します。
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アンドリス・ネルソンスについては、情報が少ないので何ともいえません。 手持ち CD には、ブラームスのピアノ協奏曲1番と2番を指揮したものがありますが、どちらもよかったですよ __ 独奏はエレーヌ・グリモー (P)、オケはバイエルン放響 (1番 ライヴ録音) とウィーン・フィル (2番) で、2012年 DG 録音。

ただ 名門楽団とはいっても、ゲバントハウス管のランクはどのあたりなのでしょうか。 ドイツはベルリン・フィルを筆頭に、ドレスデン、バイエルン、ハンブルクがAクラス、フランクフルト、バンベルク、フンガリカ、ゲバントハウス、南西ドイツ、北西ドイツあたりがBクラスと認識していますが。
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キリル・ペトレンコについては、全く情報なしですね。 殆どの日本人も知らないんじゃないでしょうか。

思い起こせば カラヤンを選んだベルリン・フィルの選択眼は当り、ベルリン・フィルの名声は更に上昇、レコードも世界の隅々に行き渡り、世界のトップオーケストラの名を欲しいままにしますが、カラヤンの晩年には仲違いしてしまいます。

跡を継いだイタリア人のアバドは、直前のブラームスの指揮が評価されたと記憶しています。 しかし 肝心要のベートーヴェンの交響曲全集録音は、室内学的なものに聴こえ、あまり評価は高くないように思います。 ウィーン・フィルとのベートーヴェン交響曲全集録音は良かったと思いますが。

その跡を継いだイギリス人のラットルは古楽演奏を取り込んだ解釈が評価されたらしいですが、ベルリン・フィルとはベートーヴェンの録音は残しませんでした。 もっとも まだ3年も任期を残していますから、録音するかも知れません。

ペトレンコはどんなベートーヴェンを聴かせてくれるのでしょうか。
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一時 病気で指揮から遠ざかっていた小澤が京都の新ホールで、(予定していなかった指揮を?) 促されて、久しぶりに指揮を披露しました。 動画映像を見て、大丈夫かなと心配しましたが、危なげなく指揮を終えていました。 それはそれで良かったのですが、もし指揮台でこけていたりしたらオオゴトになっていたはずです。 私はもっとマエストロを大事にしてもらいたい、と思う心境です。
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「小澤征爾さん 復活する京都会館ホールで力強い指揮披露」(9月13日 The Page) __ ※追加4へ
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以上


※追加1_ ドイツ東部ライプチヒを拠点とする世界屈指のオーケストラ、ゲバントハウス管弦楽団は9日、カペルマイスター (常任指揮者) のリッカルド・シャイー氏 (62) の後任に、米ボストン交響楽団のアンドリス・ネルソンス音楽監督 (36) を迎えると発表した。 2017年に就任する。

ゲバントハウス管弦楽団は270年以上の歴史を誇る世界最古の市民楽団とされ、歴代常任指揮者にはドイツの作曲家メンデルスゾーンも名を連ねる。 ネルソンス氏は、過去150年間では最年少の常任指揮者となる。

ラトビア出身で、ラトビア国立歌劇場の音楽監督などを歴任。
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※追加2_ 2006年以来10年間 ソウル市立交響楽団 (ソウル市響) を率いてきた鄭明勲 (チョン・ミョンフン) 芸術監督 (62) が、27日「監督の職を退く」と表明した。 鄭氏は本紙とのインタビューで、「ソウル市響と聴衆たちが望むのであれば、すでに約束した公演での指揮は続けるが、指揮料は私のためには 1銭 も使わず、ソウル市響の発展や、国連児童基金 (ユニセフ) への支援など人道的な事業に役立てていく」と述べた。

鄭氏は、昨年12月 ソウル市響の一部の職員が、パク・ヒョンジョン代表 (当時) から暴言やセクハラ発言を浴びせられたと暴露した直後、職員たちの姿勢を支持し、パク前代表と対立した。 このような事態はパク代表が辞任することで一段落したが、一部の市民団体は鄭氏を、業務費や (海外出張時の) 飛行機代の横領容疑で告訴し、現在も警察の捜査が行われている。

鄭氏は、2005年 ソウル市響に芸術顧問として迎えられた後、ソウル市響をアジアでもトップクラスのオーケストラに成長させたと評価されている。 昨年夏 英国ロンドンで行われたクラシック音楽コンサート・シリーズ「ザ・プロムス」で指揮者を務めた際には、現地メディアから好評を得た。 だが 高額の年俸をめぐって論議を呼び、横領などの疑惑も相次いで浮上したことで、芸術監督としての契約更改が話題になっていた。
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※追加3_ 世界各地でオーディションを行い、団員の約1/3を入れ替えるという大改革を実施した。 2009年 同団はアジアのオーケストラとして初めて、ドイツ・グラモフォンとの長期専属契約を結んだ。

鄭監督の改革は一定の成功を収め、それまで 40% を下回っていたチケット販売率が、2014年には 92.8% まで引き上げるなどの成果を上げた。 一方で 2014年の初めに、ソウル市立交響楽団は、ソウル市が行った経営に関する評価で最下位となった。

また 2014年12月8日には、人事考課なしで昇進人事が行われていた事が発覚し、行政監査では、鄭明勲が海外活動のため、楽団の日程をいくつかキャンセルした事も明らかとなった。 また 楽団の朴ヒョン貞代表の暴言・セクハラしていると楽団職員が暴露した問題に対して、鄭は「容認できない人権蹂躙」と批判したが、朴は自身の疑惑を否定して、逆に鄭を批判して「鄭明勲氏が私を追いだそうとしている」と批判を展開した。

朴代表は辞任したが、この時に「鄭監督がソウル市響の人事や予算などに対し独断的に権力を行使している」と暴露した。 韓国の監査院は調査を行い、朴代表の発言が事実であることを確認した。

具体的には、鄭の息子のピアノレッスンを担当した者 (鄭の義姉の友人) を、職制にない職位を作ってソウル市響に就職させたことや、鄭監督の兄が代表の会社で課長を務めた職員がソウル市響に採用されたこと、マネジャーに支給されるべき航空券の一部が鄭の息子など家族に渡ったことなどである。
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※追加4_ 世界最高峰のオーケストラの1つ、ドイツのベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (以下 BPO) は今年6月下旬 2018年に退任するサイモン・ラトルの後任の首席指揮者・芸術監督を全楽員の合議により、キリル・ペトレンコと決めた。

■10代からオーストリアで育つ

ロシア生まれのオーストリア育ち。 ドイツ語圏のオペラ界でキャリアを積み、傑出した力量を評価されているが、CD や DVD だけでなく メディアへの登場機会は限られ、英語圏や日本では「無名の指揮者を選んだ」と、驚きの声が上がった。

最初にペトレンコの経歴に触れておこう。 ユダヤ系ロシア人。 1972年2月11日 シベリア第2の都市オムスクでヴァイオリニストの父、音楽学者の母の間に生まれた。 まずはピアノの才能を伸ばし、11歳で地元のオーケストラと共演してデビュー。 東西冷戦の終結を受けて父親がオーストリア連邦最西端のフォアアールベルク州の交響楽団へ転職、一家で旧ソ連を出た時は18歳。 最初は同州立音楽院でピアノの勉強を続け、後にウィーン国立音楽大学でウロス・ラヨヴィッチに師事し、指揮法を本格的に学んだ。

プロとしてのデビューは95年。 第2の故郷フォアアールベルクの歌劇場で、ブリテンの「オペラをつくろう」を指揮した。 97~99年にはウィーン・フォルクスオーパーでカペルマイスター (常任指揮者) を務め、ムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」原典版に挑むなどの成果を上げた。 99~2002年はドイツ最年少の音楽総監督 (GMD) としてマイニンゲン宮廷劇場を率いた。 ここで01年 クリスティーネ・ミーリッツ演出によるワーグナーの「ニーベルングの指輪」4部作で2組のオーケストラを振り分け、4日連続の上演を実現した時点で、ドイツ語圏の音楽メディアがこぞってペトレンコの存在をマークした。

■オペラ指揮者として高い評価

「同世代で最も優れたオペラ指揮者」の評価は02~07年 ベルリン・コーミッシェオーパ―の GMD だった時期に固まった。 どの国のオペラも原則ドイツ語で上演するコーミッシェオーパーはペーター・コンヴィチュニー、カリスト・ビエイトら一筋縄ではいかない演出家たちが原作の「読み替え」も辞さず、挑発的な舞台をつくるムジークテアーター (音楽劇場) の最先端。 ペトレンコは海千山千の演出家と実りある音楽の共同作業をなし遂げ、「オペルンヴェルト」誌の「今年のベスト指揮者」に07、09年の2度選ばれた。 初めてランク入りした05年もいきなりの2位で、巨匠ピエール・ブーレーズの次につけた。

ベルリンで完全燃焼したのか、GMD 辞任後しばらくはフリーだったが、客演先はウィーン国立歌劇場、バイエルン州立歌劇場、ニューヨークのメトロポリタン歌劇場など一流ぞろい。 10年5月には病を得た音楽監督、小澤征爾の代役でチャイコフスキーの「エフゲニー・オネーギン」をウィーンで指揮している。 BPO とは06年に初共演し、09年と12年にも客演したが、ドイツ・オーストリアの古典の交響曲は慎重に避けてきた。 昨年末にもマーラーの「交響曲第6番《悲劇的》」を指揮する予定だったが、リハーサル途中で降板し「自発的に後継者レースから降りたのではないか」と、うわさされた。

13年9月にはケント・ナガノの後任としてバイエルン州立歌劇場の GMD を引き受け、現在もその職責にある。 13~15年は作曲家自身が創設したワーグナー上演の聖地、バイロイト音楽祭に招かれ、フランク・カストロフ演出の「指輪」全曲の指揮を委ねられた。 演出の評判は芳しくないが、ペトレンコの指揮は「明晰 (めいせき) かつ均質に練り上げられニュアンス豊かな響きが16時間にわたり、緑の丘 (バイロイト) に鳴り続けることは近来まれだった。

多くのワーグナー・ファンは、心からの大歓声を送った」(「シュピーゲル」誌)、「早くから『天才ではないか』と臆測を呼んでいたが、バイロイトの『リング (指輪)』で輝く星となった。 後期ロマン派音楽においては向かうところ敵なしの優れた指揮者である」(「ツァイト」紙) などなど、ドイツ・メディアの絶賛に包まれている。

もう一つ 全メディアの意見が異論なく一致するのはペトレンコの「アンチ・マエストロ (非巨匠)」ぶりだ。「ターゲスシュピーゲル」紙は、「世界のクラシック音楽界きっての無口な指揮者」とし、ペトレンコが「もう何年も単独インタビューに応じない」うえ、バイエルン州立歌劇場の年次記者会見に GMD として出席しなければならない場面でも「ほとんどシャイともいえる態度で作品への畏怖の念をこめ、誠実に、言葉すくなに答える」との姿を詳しく伝えている。 BPO からの第一報がバイロイトでリハーサル中のペトレンコに届いた瞬間も、ただ一言、「私はあなたたちのオーケストラを抱きしめる」と短いながら、心のこもったコメントを発しただけだった。

クリスティアン・ティーレマン (ドレスデン州立歌劇場 GMD)、アンドリス・ネルソンズ (ボストン交響楽団音楽監督)、グスターヴォ・ドゥダメル (ロサンゼルス・フィルハーモニック音楽監督)、ヤニック・ネゼ=セガン (フィラデルフィア管弦楽団音楽監督) ら、ラトルの後任人事で有力候補とされた指揮者の多くは BPO とも関係が深い名門レーベル、ドイツ・グラモフォン (DG) とすでに契約し、世界各地で演奏活動を展開している。

ペトレンコはほぼ唯一の、DG と関係ない指揮者だった。 クラシック音楽の有力市場とされる日本にもまだ、姿を現していない。 オスロ・フィルやロイヤル・リヴァプール・フィルとのツアー、あるいは NHK 交響楽団の演奏会などを日本で頻繁に指揮してきたのは1976年サンクトペテルブルク生まれのロシア人、ワシリー・ペトレンコである。 キリルとは親戚でも何でもない、という。

■ベルリン・フィルの精神風土とベルリンの街の力学

BPO はなぜ、「後継者を一人に絞れなかった」と発表した後、わずか1カ月あまりで国際サーキットに背を向けたアンチ・マエストロ、しかも 交響楽演奏会よりオペラで実績を積んできたロシア人に未来を託したのか?

キーワードは2つ。 第一はもちろん、名声に甘んじることなく人材発掘と演奏能力、メディア戦略のあらゆる部分で「世界最先端のオーケストラであろう」と努める BPO 自体に備わった精神風土。 第二は、19世紀末から20世紀半ばにかけて何度も栄光と挫折を繰り返した都市ベルリンの「創造と破壊」の摩訶 (まか) 不思議な力学だろう。

BPO と並び称される名門 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団は基本的にウィーン国立音楽大学の師弟関係に基づいて楽員を補充し、同質の響きを保ってきた。 これに対し ベルリンは第2次世界大戦中、ナチス政権の干渉でユダヤ系楽員を失う一方、ドイツ人楽員にも多くの戦死者を出し、伝統が分断された。「帝王」として君臨した指揮者 ヘルベルト・フォン・カラヤンは世界最高のアンサンブルを目指してドイツ語圏外からの採用にも力を入れ、日本人や女性に門戸を開いた。

続くクラウディオ・アバドの時代は終戦直後の大量採用世代の引退期と重なった。 アバドはヨーロッパ室内管弦楽団、グスタフ・マーラー室内管弦楽団など自身が育成に携わった若手集団からの入団を積極的に促す一方、最新の音楽学の成果を採り入れ、演奏様式のリフレッシュに成功した。 ヨーロッパ大陸の外から招いた初めてのシェフ 英国人サイモン・ラトルの下には20以上の国籍を異にする楽員が集まり、世界最高のヴィルトゥオーゾ (名人) 集団の様相を呈している。

2003年にはベルリン特別市の管理下を離れ、完全民営の独立法人に移行した。 楽員の合議制による運営が一段と進み、インターネットで世界に最高音質・画質のライヴ映像を配信する「デジタルコンサートホール」などのメディア戦略を担う子会社でも、楽員代表が代表取締役を兼ねる。

DG など外部のレコード会社の思惑に左右されず、独自の音楽ソフトを販売するためにも、ペトレンコの「無色」には魅力があった。 若い時期から GMD として劇場の運営に携わり、大勢の音楽家やスタッフと根気よく心を通わせ、入念かつ情熱的なリハーサルで音楽の質を高めてきた実績は、合議制チームにもフィットするはずだ。

ベルリンの近代史を振り返ってみよう。「鉄の宰相」のオットー・フォン・ビスマルクが推進したドイツ統一を受けて生まれたプロイセン王国~ドイツ帝国の流れは第1次世界大戦で挫折、欧州の文化的な首都として栄えた黄金の1920年代 (ローリング・トゥエンティーズ) はアドルフ・ヒトラー率いるナチス政権の台頭で消え去り、ヒトラーが夢見た第三帝国の栄光も第2次大戦の敗戦で無に帰した。

ある時期、ある分野で世界を制覇しかけては崩れ去る ……。 滅びの構図を何度も体験しても、あるいは体験したからこそ、ベルリナー (ベルリン市民) の不屈の精神は時として、すさまじく激しい創造のエネルギーへと昇華する。

西のドイツと日本が同時に享受した戦後の高度成長期、音楽の世界でもテレビ放送や長時間収録 (LP) レコード、ステレオ録音、ビデオソフトといった新しいテクノロジーが大量に投入された。 技術マニアだったカラヤンはクラシック音楽のメディア戦略を徹底して主導したし、後任のアバドもラトルもカラヤンほど強烈なカリスマ性、商業主義の匂いはなかったにせよ、BPO のシェフに選ばれた時点で大量のディスコグラフィー (盤歴) を蓄えていた。

カラヤンからラトル (退任時点) までの63年間はある意味、同質の指揮者との共同作業が続いたわけで、ベルリンの一角にそろそろ「破壊」への危険な誘惑が充満していたとしても何ら不思議はない。 ゼロからの創造にはゼロから勝負できる指揮者 ……。 2度目の投票で、そんな機運が一気に盛り上がってしまったのではないか?

ペトレンコも含め、BPO の歴代指揮者10人が常任指揮者、首席指揮者、芸術監督に就いた時点の年齢を点検すると30代が2人、40代が6人、50代が2人。 就任時点で46歳のペトレンコは意外にも「多数派」に入る。 カラヤンだけは終身指揮者の称号を与えられたが、晩年に悪化した健康状態とスキャンダルの表面化で急死の直前に退任。 亡くなるまで BPO の指揮者を務めた、つまり「在職死亡」扱いのシェフはアルトゥール・ニキシュ、ヴィルヘルム・フルトヴェングラー、レオ・ボルヒャルトの3人にとどまる。

ボルヒャルトはペトレンコに先立つロシア人で戦後の混乱期、ベルリンに駐留した旧ソ連軍の意向で君臨したのもつかの間、米国兵の誤射によって3カ月後に落命した。 ボルヒャルトを除く9人の平均在任期間は15年あまり。 ラトルの16年間が極端に短いわけでもない。 BPO 人事の実態は、マエストロ神話と無縁のところに位置する。

興味深いのは、本国ドイツを上回る勢いで BPO を神格化し、豪華なキャストや舞台演出を伴う海外オペラ団体の引っ越し公演にも匹敵する高額入場料 (2013年日本公演のS席は 4万円) もいとわなかった日本市場の反応だろう。 高額が暴利というわけではない。

一人一人の楽員が独奏家 (ソリスト) の力量を備え、オーケストラ全体のツアーがない年にも単独や室内楽チームでの演奏会、音楽祭や音楽大学でのマスタークラスの指導などで頻繁に日本を訪れるうちに相場が上がり、指揮者以前に BPO 自体のコストが驚くほど高いのである。 

あるテレビ局のニュースはペトレンコをあっさり「無名の指揮者」と報じたが、ラトルからペトレンコにシェフが替わったとしても、入場料金の値下がりは期待できない。 興行の主催者にとっても、BPO のファンにとっても、かなり悩ましい決定が下されたものだ。
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※追加4_ 京都市民や国内外のアーティストに愛された「京都会館」(京都市左京区) が来年1月に「ロームシアター京都」として新たなスタートを切ることになり、13日に竣工式が行われた。 この式にあわせ、同会館のメインホールで初演奏が行われ、世界的指揮者、小澤征爾さんが自らの音楽塾メンバーのオーケストラ演奏を指揮し、会場中が大興奮に包まれた。

リニューアルしたホールでパワフルな指揮

同会館は1960年に開館し、様々なアーティストにも親しまれていたが、老朽化のため音響の低下なども叫ばれ2012年3月に一時閉館。 その後 様々な工事などが行われ、来年1月に「ロームシアター京都」として新たなスタートを切ることになった。

今回はその来年のスタートを前に、リニューアルしたメインホールが披露され、最新技術によって甦ったホールで、小澤さんが主宰する音楽塾のメンバーが演奏を行った。

小澤さんは演奏前は客席に座ってオーケストラメンバー紹介を見守っていたが、途中から舞台に向かって歩き出し、司会者からマイクを引き継ぐと自らメンバーらを紹介。 そして、曲が始まると自らも激しい動きで指揮を執り 新たなホールに迫力のある音を響かせ、会場中から盛大な拍手をおくられた。

客席の女性「指揮と演奏に涙が出た」

今回のお披露目に招待された京都市の女性 (59) は、「こんなにすばらしい会館が復活してうれしい。 下のカーペットとかもほんまにきれいで、これはまた、いろいろと楽しむことができそう。 それよりも、小澤さんの指揮と音楽塾の演奏に涙が出てもうた。やっぱり世界の小澤さんやね」などと、興奮した様子で話していた。

同会館は来年1月10日に「ロームシアター京都」としてオープンする。

以上
https://blog.goo.ne.jp/jsbach2005/e/84a90b55f83ad718c92bc3ac59f7b444
4:777 :

2022/07/24 (Sun) 14:08:26

有名な指揮者ランキングTOP10!世界最高のマエストロはだれ?
2020年7月23日
https://www.kappa-viola.com/entry/conductor-ranking

世界一の指揮者が知りたい!

現役で活躍している最高の指揮者を決めます!
こんにちは!都内の音大でバイオリンを勉強している筆者のあずさです。

指揮者を目指して音楽の道に進んでも、実際に指揮者として活躍できる人はほんの一握り。しかも世界一流の指揮者ともなると、クラシック音楽界の頂点に君臨する存在となります。

そんな指揮者のなかで世界最高のマエストロはだれなのでしょうか?

そこでこの記事では超一流の指揮者をランキング形式で紹介します!今回は2019年7月現在存命の指揮者に限定しました。


有名な指揮者ランキングTOP10

評価の基準
①実績…一流オーケストラへの客演経験がある
②音楽…唯一無二の音楽を作り上げている
③人気…熱心なファンが多い


第10位 パーヴォ・ヤルヴィ
パーヴォ・ヤルヴィはエストニア出身の指揮者で、世界各地の一流オーケストラと共演を重ねています。日本でもNHK交響楽団の首席指揮者として、人気を博していますね。

音楽作りは非常に緻密で正統派な印象。特別に奇をてらうことなく、オーケストラの実力を最大限引き出すことに長けています。


個人的にお気に入りの録音は、ショスタコーヴィチのオラトリオ「森の歌」。かなりマイナーな曲ですが耳に残る旋律が多く、エストニア国立交響楽団も上手です。

ショスタコーヴィチ:カンタータ「森の歌」他


第9位 ヘルベルト・ブロムシュテット
ヘルベルト・ブロムシュテットは御年92歳ながら、生命力あふれる音楽を作り上げているマエストロ。

NHK交響楽団の桂冠名誉指揮者をはじめ、ベルリン・フィル、ウィーン・フィル、ドレスデン・シュターツカペレなど世界最高のオーケストラと共演し続けています。

ブロムシュテットの懐の深い音楽は味わいがあり、何度聴いても新しい発見があります。お気に入りの録音は、モーツァルトの交響曲40番&41番。

バイエルン放送交響楽団の上手さを存分に引き出したモーツァルトです。

Mozart: Symphonien Nr. 40 & 41



第8位 マリス・ヤンソンス
往年の巨匠ムラヴィンスキーの助手として経験を積んだマリス・ヤンソンスは、現在76歳。手兵のロイヤルコンセルトヘボウ、バイエルン放送交響楽団からは絶大な信頼を得ています。

毎年のように来日公演もしてくれて、日本でもかなり多くのファンがいますね。フレーズやアーティキュレーションなど独自の”ヤンソンス節”も聴いていて面白いです。


ヤンソンスの演奏はどれも外れがありません。私がよく聴くのはロイヤルコンセルトヘボウとのマーラー交響曲第2番です。


マーラー:交響曲第2番「復活」


第7位 キリル・ペトレンコ
ロシア出身のキリル・ペトレンコは、2019年からベルリン・フィルの首席指揮者に就任した、いま最も話題の指揮者です。

47歳と中堅の年齢ながら、これまでバイロイト音楽祭での指環を担当、バイエルン国立歌劇場の音楽監督就任、そしてベルリン・フィルと輝かしい経歴です。


ドイツ音楽の伝統と歴史を牽引するベルリン・フィルがロシアの指揮者を選んだことからも、ペトレンコの実力の高さがうかがえます。

ダイナミックな指揮ぶりながら、表現は繊細で音色の幅も広いのが特徴です。


チャイコフスキー : 交響曲第6番 ロ短調≪悲愴≫作品74 / キリル・ペトレンコ | ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団 (Tchaikovsky : Symphony No.6 “Pathetique” / Kirill Garrievich Petrenko | Berliner Philharmoniker) [SACD Hybrid] [Import] [日本語帯・解説付]



第6位 小澤征爾
日本が世界に誇る指揮者と言えば、小澤征爾さんでしょう。現在は見ることが少なくなりましたが、黄金期はベルリン・フィルへ客演、ウィーン国立歌劇場の音楽監督など、第一線で活躍してきました。

硬派でダイナミックな演奏は多くの観客を魅了し、国内外に熱心なファンを持っています。

日本ではサイトウ・キネン・オーケストラ、水戸室内管弦楽団との共演が有名で、演奏会のたびにクラシック業界に反響をもたらします。


ベルリオーズ:幻想交響曲



第5位 グスターボ・ドゥダメル
ベネズエラの指揮者であるドゥダメルは、2004年に開かれた第1回グスタフ・マーラー国際指揮者コンクリートで優勝し一躍有名となりました。

今ではベルリン・フィルやウィーン・フィルといった世界最高のオーケストラに何度も招聘され、次世代の巨匠候補として人気を高めています。

ドゥダメルの音楽はとにかく美しさにこだわっている印象。彼のリハーサル映像を見ればよくわかりますが、1つの音を突き詰めて仕上げる姿は感嘆の一言。

LA Phil Rehearsal with Gustavo Dudamel: Felix Mendelssohn's Symphony No. 3
お気に入りの演奏はロサンゼルス・フィルとのマーラー交響曲第1番。非常にテンポの遅い部分でも、違和感なく音楽の流れを作っていて見事です。


Mahler: Symphony No.1 – From The Inaugural Concert (DG Concerts 2009/2010 LA 1)



第4位 ワレリー・ゲルギエフ
ロシア出身の指揮者ゲルギエフは、ロシアが誇る至宝とも言うべき音楽家。これまで客演してきたオーケストラはどこも超一流で、レパートリーもロシア、ドイツ、フランス、イタリアなど幅広いです。

迫力のある風貌とは相反して繊細な音楽作りが魅力。美しい旋律をゲルギエフが指揮すると絶品になりますね。

ペトレンコやドゥダメルと共に、間違いなく10年後に巨匠として活躍している指揮者でしょう。


ラフマニノフ:交響曲第2番(完全全曲盤)


第3位 サイモン・ラトル
イギリス出身のサイモン・ラトルは、2002年から2018年までベルリン・フィルの首席指揮者を務めた巨匠です。

古典やドイツものはもちろん、現代音楽も豊富に取り上げる意欲的な指揮者ですね。個人的には、ベートーヴェン、ブラームス、マーラーといった王道の曲が素晴らしく、密度が極めて濃い音楽を作り上げています。

私はラトルとベルリン・フィルの来日公演を2回聴きに行きましたが、特にベートーヴェンの第九は圧巻でした。オーケストラと合唱の手綱さばきが本当に上手です。


ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン : 交響曲全集 (Ludwig Van Beethoven : Symphonien 1–9 / Berliner Philharmoniker & Sir Simon Rattle) [5SACD Hybrid] [Live Recording] [輸入盤] [日本語帯・解説付]


第2位 ベルナルト・ハイティンク
オランダの名指揮者ハイティンクは、90歳を迎えた現代の巨匠。長年にわたり、ベルリン・フィルやウィーン・フィルと関係を築き、クラシック音楽界を牽引してきました。

そんなハイティンクは2019年9月6日にルツェルン音楽祭で行われるウィーン・フィルとの公演で引退する予定。

当日演奏するブルックナーの7番が楽しみです。個人的にお気に入りなのは、シカゴ交響楽団と演奏したマーラー交響曲第3番。終楽章がきれいすぎてまさに天国です。


Symphony 3



第1位 クリスティアン・ティーレマン
数々の巨匠たちを差し置いて1位に輝いたのは、ドイツの指揮者ティーレマン。熱狂的なファンを持つティーレマンの音楽はとにかくダイナミックです。

特にワーグナーのオペラでは音楽のうねりを巧みに表現し、音楽祭で客演するたびに大絶賛されています。

レパートリーはドイツ音楽が中心に限定されますが、堅実な音楽作りと、ティーレマンにしかできない世界観は唯一無二。日本でも来日公演が即日完売するほど人気です。

私はウィーン・フィルとの第九を聴きましたが、歓喜の歌で泣きそうになりました。力強い箇所は極限までダイナミックに、美しい旋律は天にも昇るように、最上の音楽を魅せてくれます。


ワーグナー:楽劇「ニーベルングの指環」


世界的な有名指揮者まとめ
順位 指揮者名

1位 クリスティアン・ティーレマン
2位 ベルナルト・ハイティンク
3位 サイモン・ラトル
4位 ワレリー・ゲルギエフ
5位 グスターボ・ドゥダメル
6位 小澤征爾
7位 キリル・ペトレンコ
8位 マリス・ヤンソンス
9位 ヘルベルト・ブロムシュテット
10位 パーヴォ・ヤルヴィ

https://www.kappa-viola.com/entry/conductor-ranking
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2022/07/24 (Sun) 16:03:28

ベルリン・フィル デジタル・コンサートホール
https://www.digitalconcerthall.com/ja/live

デジタル・コンサートホール:チケットおよび月額視聴契約
https://www.digitalconcerthall.com/ja/tickets


2021年 02月 03日
デジタルコンサートホールの音の進化 : GRFのある部屋
https://tannoy.exblog.jp/32118671/


ベルリンフィルのデジタルコンサートホール(DCH)のサービスがはじまって、もう10年以上になります。ベルリンフィルのコンサートを世界中に配信しているサービスで、技術の進歩とともに、画質、音質ともめざましい進歩を遂げて、居ながらにしてベルリンフィルハーモニーのコンサートホールに行くことが出来ます。常任指揮者が半分、ゲストコンダクターが半分の内容ですが、招かれるゲストコンダクターも超一流の人だけですから、その曲目の選定とともにコンサートのプログラムとしても楽しめます。

毎日曜の夜八時から、ライブと称して新しいコンテンツが配信されます。本当の意味でのライブは、当日の朝、4時にライブ配信されています。土曜日の夜八時です。ヨーロッパのコンサートは夜八時から始まります。大人の時間ですね。日本では、コンサート会場が公営がおおく、夜10時の閉館を迫られますから、7時開演が多いですが、夜をたっぷり楽しむにはやはり八時開演が良いのですが、、終電車も速くなってますます難しいでしょうね。

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その再放送が、日本時間の日曜の夜八時に行われます。八時になると低い教会の鐘がゴ〜ンとなります。インターネットを繋ぐとそこはベルリンフィルハーモニーの会場です。画像もいまや4K・HDRですし、東京春祭を主宰されている鈴木さんの(株) IIJが、インターネットの技術的なバックアップをしています。現在はソニーに代わって、パナソニックが技術・機材の提供を行っています。ストリーミングによる映像・音声の配信ですが、10年間の技術の革新は素晴らしく、映像も音声も満足いく水準だと思います。

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椀方さんの案内で、TW5でライブ配信を聞いてみました。先日の指揮者は、コンセルトヘボウをセクハラ問題で辞任したガッティです。スキャンダルで辞任した後も、イタリアやドイツで活躍していて、ベルリンフィルとも二回のコンサートを行っています。今後も、マーラー室内管弦楽団や、ミュンヘンフィルなどの予定もアナウンスされています。一時のギラギラした感じはなくなりましたが、音楽とは真摯に向かい合っている演奏でした。今まで聞いたことのないような個性的な演奏で、同じ曲をベルリンフィルで演奏した佐渡裕とは、随分と違う演奏を披露したと思います。

第一楽章の真摯な祈り、第二楽章のベルリンフィルの圧倒的な迫力、第三楽章の死の影が現れるところは、マーラー的な響きも出ていました。それはベルリンフィルの演奏スタイルにあるのかもしれませんが、今まで聞いたことのない演奏スタイルに思えました。終楽章の圧倒的な迫力といい、随所にマーラーの影を見た気がします。特筆すべきは、やはりベルリンフィルの低弦の迫力です。デジタルコンサートホールでは聞いたことない音でした。木管の低域も、大太鼓の響き、チューバの力強さをはっきりと聞こえ、オーケストラの立体感も増して本当に音を楽しめました。

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今日、最近のアーカイブを見てみると無料放送の中に「マーラーの世界」と称した特集がありました。デュダメルから始まり、ネルソンス、1989年の初めてのリハーサルでのアバド、首席ホルン奏者による第七番の二楽章の素晴らしいホルン、ゲルハールの「さすらう若人の歌」、ガランチャの第三番の5楽章、そして最後はペトレンコの第六番の最終楽章です。この演奏会は、昨年五月のアムステルダムでの演奏会のチケットを取っていたのですが、キャンセルになりました。とても残念です。でも、ペトレンコは余りマーラーには向かない気もしますね。今週のプレトニョフトのプロコフィエフはどうだったのでしょう。

このマーラーの特集は、収録された日が1989年から去年まで録音の違いが聴けるとても良い例です。無料ですから、ぜひご覧になってください。


Commented by 椀方 at 2021-02-04 12:01 x
デジタルコンサートホールの年間有料会員になったのはもう8年前になります。
当時はドイツ銀行がメインスポンサーでSONYが機材や配信のサポート体制でしたが、スポンサーの経営刷新やSONYの事業再構築などで機材はPanasonicに変わり配信サポートはIIJに変わって現在に至ります。
その間の音質の向上はもとより画質の方もHDレベルになり、カメラ数も数台から倍増して様々なアングルからステージを捉えるように進化していますから、普段地デジでN響の中継録画を視聴されている方ならデジタルコンサートホールの配信には満足されるのではないでしょうか?

IIJはここでライブ中継の音声だけをDSDストリーミングで配信を実用化していますし、更にその経験を経営に活かして劇場やホールからのライブストリーミング配信設備構築と運用までを事業化していますね。
東京春祭の運営は当初経営者の道楽だと揶揄する向きもありましたが、ここまで定着すると企業メセナの成功事例として取り上げられるまでになっていますが、それらの活動さえも事業活動に活かす経営姿勢にも好感が持てます。

ということで、小生も格安スマホデビューした時は、ポッと出の格安だけのには見向きもせず迷わずIIJを選びました(笑)
https://tannoy.exblog.jp/32118671/  

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