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2022/07/24 (Sun) 11:36:14
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ヘルマン・アーベントロート(Hermann Abendroth, 1883年1月19日 - 1956年5月29日)指揮者
Hermann Abendroth - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Hermann+Abendroth
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Beethoven "Symphony No 9" Hermann Abendroth
(perf. Leipzig, 1953)
https://www.youtube.com/watch?v=Z9WaIKdqIU4&feature=emb_title
Choir – Leipzig Radio Chorus
Vocals – Anna Schlemm,
Diana Eustrati, Gert Lutze, Karl Paul
Conductor – Hermann Abendroth
Orchestra – Leipzig Radio Symphony Orchestra
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ブラームス: 交響曲第1番
ヘルマン・アーベントロート 、 バイエルン国立管弦楽団
https://www.youtube.com/watch?v=U6QIYojaa4k
爆演の金字塔、ブラ1演奏史に輝く凄演。
アーベントロート+バイエル国立管アカデミーコンサート1956
これが没年の演奏と言うことが信じられないアーベントロート会心の名演。爆演中の爆演であるブラ1がUHQCD化。すっかり東ドイツの人になっていたアーベントロートが珍しくバイエルン国立歌劇場管弦楽団(バイエルン国立管)の定期演奏会である「アカデミーコンサート」に登場。冒頭からして力こぶが盛り上がる様な雄々しく逞しいサウンドに圧倒されます。剛直でセンチメンタリズムに堕さない第2楽章。疾走する第3楽章。そして白眉は勿論のことフィナーレで、物をぶっ壊すかのようなティンパニの強打、旋律美が壊れるのを無視してまでブロック的に楽想を分断し、思う存分の変化をつけまくる超個性的解釈!アーベントロート屈指の名演として名高いものです。この前日には同会場でクナッパーツブッシュがミュンヘンフィルと演奏会を開いていたと言う正に神々の時代の記録。至高音質として知られたDISQUES REFRAIN盤のマスターを使用。テープの傷は可能な限り修正しUHQCD化しました。英日のライナーノート付です。
【曲目】
ブラームス:交響曲第1番
[13:00][9:02][4:21][15:03]
【演奏】
アーベントロート指揮
バイエルン国立管
【録音】
1956年1月16日
バイエル国立管弦楽団アカデミーコンサート
ミュンヘン・ドイツ博物館ライヴ
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アーベンロートの芸術 ヘルマン・アーベンロート
http://www.heibonnotomo.jp/classic/id23.htm
凄まじい情熱!ついに原音で蘇ったドイツの巨匠!! 宇野功芳監修によるアーベントロートのCDベスト5、ハイパー・リマスタリングでよみがえる!
今こそ聴くべし、アーベントロート!【宇野功芳】
アーベントロートは旧東ドイツで活躍していたため、もう一つ知名度が弱いが、フルトヴェングラーより3歳年上のこの巨匠の個性は極めて強烈で、ブラームスの一番と「悲愴」はフルトヴェングラーよりもはるかに雄弁であり、「第九」も部分的に上まわる。一方、ハイドンやモーツァルトの交響曲における、きりりとした造型の中に宿る豊かな内容は、この指揮者の芸風の広さを示して余すところがない。今こそ聴くべし、アーベントロート!
ヘルマン・アーベントロート(1883-1956)はフルトヴェングラー(1886-1954)やクナッパーツブッシュ(1888-1965)と同世代のドイツの巨匠指揮者。旧東ドイツのライプツィヒを拠点に活躍していたため、西側にとっては”幻”の指揮者であったが、ドイツシャルプラッテンと契約した徳間音工が”幻”の音源を発掘、1974年はじめてLPシリーズで発売、宇野功芳氏の推薦紹介とあいまって、業界に大反響をまきおこしたであった。その後CD化されたが、国内LP盤の音質には達していないのがファンの不満でもあった。そのCDも長らく廃盤になっている中、宇野功芳氏がLPで20枚分ある音源の中から自ら推薦演奏のみ厳選し全曲を解説、キング独自のハイパー・リマスタリング技術を施して発売!
ハイパー・リマスタリングとは歴史的アナログ録音の持ち味を最大限デジタル・マスタリングに生かすべく①管球式ハイパワー・ライン・アンプの使用②純粋正弦波交流電源の使用③伝送系ケーブルの使い分け-等々マスタリングの機器や周辺環境を整備して行う、当社独自の技術です。“世界最高水準の音質”との評価を誇るスーパー・アナログ・ディスクの技術に裏打ちされた、わが社のみが成しえる職人芸術の粋をCDで堪能できます。
アーベンロートの芸術 ヘルマン・アーベンロート 各巻
SOLD OUT
ヘルマン・アーベンロート
①ハイドン:交響曲 第88番ト長調「V字」
②ハイドン:交響曲 第97番ハ長調
③ヘンデル:管弦楽のための二重協奏曲第3番 ヘ長調
ヘルマン・アーベントロート指揮 ①ライプツィヒ放送交響楽団 ②③ベルリン放送交響楽団
録音:① 1956年ライプツィヒ放送局スタジオ(SRKホール) ②1956年ベルリン放送局スタジオ(SRKホール)③1955年9月15日ベルリン放送局スタジオ(SRKホール)
ヘルマン・アーベンロート
モーツァルト:
①交響曲第41番ハ長調K.551「ジュピター」
②ディベルティメント第7番ニ長調K.205(167A)
③四つのオーケストラのためのセレナード ニ長調K.286(269A)
ヘルマン・アーベントロート指揮 ①ライプツィヒ放送交響楽団 ②ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団 ③ベルリン放送交響楽団
録音:①②1956年3月26日ライプツィヒ放送局スタジオ(SRKホール) ③1956年4月12日ベルリン放送局スタジオ(SRKホール)
ヘルマン・アーベンロート
ベートーヴェン:交響曲第9番 二短調Op.125「合唱付き」
ヘルマン・アーベントロート指揮 ライプツィヒ放送交響楽団/エディット・ラウクス(ソプラノ)/ディアナ・オイストラティ(アルト)/ルートヴィヒ・ズートハウス(テノール)/カール・パウル(バス)/ライプツィヒ放送合唱団/ライプツィヒ音楽大学合唱団
録音:1951.06.29ライプツィヒ放送局スタジオ(SRKホール)
ヘルマン・アーベンロート
ブラームス:
①交響曲第1番ハ短調Op.68
②交響曲第3番ヘ短調Op.90
ヘルマン・アーベントロート指揮 ライプツィヒ放送交響楽団
録音:①1949年10月20日ライプツィヒ放送局スタジオ(SRKホール)②1952年3月17日ライプツィヒ・コングレスハーレ
ヘルマン・アーベンロート
チャイコフスキー:交響曲第6番ロ短調Op.74「悲愴」
ヘルマン・アーベントロート指揮 ライプツィヒ放送交響楽団
録音:1952年1月28日ライプツィヒ放送局スタジオ(SRKホール)
アーベントロートのプロフィール
1883年フランクフルトの大きな書籍商の息子として生まれた。7歳からヴァイオリンを始める。
1900年からミュンヘン音楽院でフェリックス・モットルに指揮法を、ルートヴィヒ・テュイレに楽理と作曲を、ピアノはアンナ・ランゲンハム・ヒルツェルに師事した。
1905年からリューベック市でプロの指揮者としてスタートする。
1911年から1914年までエッセン市の音楽監督をつとめた。
1914年ケルン音楽院の院長となり、1915年から1934年までケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団を指揮。1918年にケルン市の音楽監督に就任。1919年教授になる。
1922年からはベルリン国立歌劇場でも指揮し始める。
1934年1月、ナチス・ドイツより「ナチスの政策に非協力的であること」「ユダヤ人社会ならびにユダヤ人とその文化に好意的であること」などの理由から、ケルン音楽大学学長などの職務を解任され、公職追放された。同年、ライプツィヒに移住。ブルーノ・ワルターが亡命して空席となっていたライプチヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団常任指揮者に就任し、終戦まで務めた。
1943年・1944年バイロイト音楽祭でニュルンベルクのマイスタージンガーを指揮。
1945年末にゲヴァントハウス管弦楽団を退任し、翌1946年よりヴァイマル音楽大学学長ならびにリスト博物館館長に着任。
1949年よりライプツィヒでの指揮活動を再開し、ライプツィヒ放送交響楽団首席指揮者に、1953年からは ベルリン放送交響楽団首席指揮者に就任。
1949年08月25日ドイツ民主共和国から国家賞を受賞。
戦後は東ドイツに留まったが、西ドイツのオーケストラへも度々客演している。1951年にはプラハの春音楽祭に東ドイツ代表として参加。1954年から1955年まで、東欧各地やバルカン半島でも演奏活動を行っている。1956年5月下旬、イェナに演奏旅行で滞在中に脳卒中に倒れ、いったんは手術により小康状態を保つが、5月29日に病院内の庭を散策中に再び倒れ、そのまま帰らぬ人となった。葬儀は6月2日に、東ドイツにより国葬として行われた。
戦後の10年間、東西に分割されたドイツ楽壇において、西のフルトヴェングラーに対し東ではアーベントロートのみが最重鎮としてその存在をあらしむものであった。
http://www.heibonnotomo.jp/classic/id23.htm
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ヘルマン・アーベントロート(Hermann Abendroth, 1883年1月19日 - 1956年5月29日)は、ヨーロッパで活躍したドイツの指揮者。
1905年、指揮者として活動をスタートした頃のアーベントロート
フランクフルト・アム・マインの大きな書籍商を営む家に生まれ、7歳からヴァイオリンを始める。
ミュンヘンで書籍商向けコースに進学。友人に芸術サークルへ誘われ、カイム管弦楽団(現ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団)で演奏したりする中で指揮者を志し、書籍商を継がせるつもりであった父親の許可を得て音楽の勉強を始める。1900年からミュンヘン音楽院(現ミュンヘン音楽・演劇大学)でフェリックス・モットルに指揮法を、ルートヴィヒ・トゥイレに楽理と作曲を、ピアノをアンナ・ランゲンハム・ヒルツェルに師事した。
1905年からリューベック市でプロの指揮者としてスタートする。この時期、後に妻となったエリーザベト・ヴァルターと出会う。なお、アーベントロートの後任はヴィルヘルム・フルトヴェングラーであった。1911年から1914年までエッセン市の音楽監督を務めた。
1914年にフリッツ・シュタインバッハの職務を引き継いでケルン音楽院の院長となり、1915年から1934年までケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団を指揮。1918年にケルン市の音楽監督に就任。1919年教授になる。当時のケルン市長だったコンラート・アデナウアーから要請を受け、ヴァルター・ブラウンフェルスと協力しケルン音楽院をケルン音楽大学とするのに協力。1922年からはベルリン国立歌劇場でも指揮し始める。1931年から1932年までボン市管弦楽団を指揮した。
ケルン市の音楽監督であった頃から外国への演奏旅行をよく行っており、ソビエト連邦(ソ連)ではモスクワやレニングラード(現サンクトペテルブルク)で指揮した。1926年から1937年までロンドン交響楽団を指揮、この時期に制作されたヨハネス・ブラームスの交響曲第1番・第4番の録音はブラームス研究の専門家も注目している[1]。パリへもよく客演しているが、第二次世界大戦中にパリ音楽院管弦楽団を指揮した時、アルフレッド・コルトーやジネット・ヌヴーとルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンの作品で共演している。ケルンを中心に活動していた頃から客演していたオランダではアムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団も指揮し、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト、ベートーヴェン、フランツ・ヨーゼフ・ハイドン、グスタフ・マーラーやマックス・レーガーなどの作品を指揮した。戦後にソ連やフランスをドイツ人指揮者として最初に訪れたのも、アーベントロートである。
1934年1月、ナチス・ドイツより、「ナチスの政策に非協力的であること」「ソ連に好意的であること」「ユダヤ人社会ならびにユダヤ人とその文化に好意的であること」などの理由から、ケルン音楽大学学長などの職務を解任され、公職追放された。同年、保守派のリベラル政治家カール・ゲルデラーが市長をしていたライプツィヒに移住、ブルーノ・ワルターが亡命して空席となっていたライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団常任指揮者に就任し、終戦まで務めた。しかし1937年にはこの職の保持と引き換えにナチスへの入党を余儀なくされる。それでもアーベントロート自身は入党に本意ではなかったことから、党大会に一度も参加しなかった。1943年と1944年のバイロイト音楽祭では『ニュルンベルクのマイスタージンガー』を指揮した。
1945年末にゲヴァントハウス管弦楽団を退任し、翌1946年よりヴァイマル音楽大学学長ならびにリスト博物館館長に就任した。また、ヴァイマル国立管弦楽団やヴァイマル国立歌劇場も指揮する。ナチス時代に禁じられていたフェリックス・メンデルスゾーンやマーラー、パウル・ヒンデミットらの作品を再びレパートリーに載せる。テューリンゲン州から1946年、枢密顧問官 (Staatsrat) の称号を与えられている。
1949年よりライプツィヒでの指揮活動を再開し、ライプツィヒ放送交響楽団首席指揮者に、1953年からは ベルリン放送交響楽団首席指揮者に就任した。1949年8月25日ドイツ民主共和国(東ドイツ)から国家賞を授与され、1952年にはベルリンのドイツ芸術院会員になった。
戦後は東ドイツに留まったが、西ドイツのオーケストラへも度々客演している。1950年5月にはかつて音楽監督を務めたケルン音楽大学での25周年記念の催しに招かれ、ギュルツェニヒ管弦楽団でアントン・ブルックナーの交響曲第3番を指揮した。1951年にはプラハの春音楽祭に東ドイツ代表として参加した(他の指揮者にはカレル・アンチェル、ヴァーツラフ・ノイマン、ヴァーツラフ・スメターチェクの他、ポーランドのグジェゴシュ・フィテルベルク、スイスのヘルマン・シェルヘンなど)。1954年から1955年まで、東ヨーロッパ各地やバルカン半島でも演奏活動を行っている。
1956年にロベルト・シューマン没後100周年記念の放送番組のために録音を行った[2]。同年5月下旬、イェーナに演奏旅行で滞在中に脳卒中に倒れ、いったんは手術により小康状態を保つが、5月29日に病院内の庭を散策中に再び倒れ、そのまま帰らぬ人となった。葬儀は6月2日に、東ドイツにより国葬として行われた。西側、特に日本では長らく知名度が高くなかったが、1970年代に録音が数多く発掘、発売され、一躍存在がクローズアップされた。
演奏・レパートリー
アーベントロートのレパートリーとして今日録音によって知られているのは、主にヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマン、ブルックナー、ブラームスなどの交響曲などで、一般的にドイツの正統を受け継ぐ指揮者と受けとめられているが、同時代の作品も積極的に取り上げている指揮者であり、レーガー、リヒャルト・シュトラウスやヒンデミット、ブラウンフェルス、マリピエロ、ゲルスター、バツェヴィチなども積極的に取り上げた。また、チャイコフスキーやショスタコーヴィチなどロシアの作曲家の作品も指揮した。
楽譜の正確な再現を心がけた演奏から、「楽譜の代弁者」とも言われるが、ライヴ録音などではしばしば豊かな感情表現に富んだ劇的な演奏を聴かせる。オペラもよく指揮しており、ヨハン・シュトラウス2世やモーツァルト、ベートーヴェン、ワーグナー、ヴェルディ、ダルベール、プフィッツナーなども指揮した。
人柄
文学を愛好する教養人であり、ゲーテやシラーの作品を好んだ。ヘビースモーカーであり、朝から夜まで葉巻を口から離さなかった。ライプツィヒでは自宅から練習会場までの足に自転車を使い、庶民にも愛されていた。
ケルン音楽院(ケルン音楽大学)やライプツィヒ音楽院(現フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学ライプツィヒ)、フランツ・リスト音楽院(現リスト・フェレンツ音楽大学)などでカール・エルメンドルフ、ヨーゼフ・デュンヴァルト、ギュンター・ヴァント、ギュンター・ヘルビヒ、ヴォルフ=ディーター・ハウシルトなど、多くの音楽家を指導している。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%98%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%88
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2022/07/24 (Sun) 11:37:15
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指揮者アーベントロートについて
http://www.sakaiyama.jp/conduct_brahms.html#:~:text=%E3%80%8C%E3%80%8E%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%BB,%E3%83%A0%E3%82%B9%E6%BC%94%E5%A5%8F%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%82
このところ、「爆演指揮者」という形容がつくことの多いアーベントロートですが、資料によっては
「楽譜の代弁者」
「作曲家の書いたスコア・作曲家の意図に対し忠実、温かみのある表現」
という説明がされています。
(アーベントロート70歳の誕生日に寄せて文章を書いているProf.Dr. カール・ラウクス [ LP・ET-1514の解説書に日本語訳が載っている ]によると、 アーベントロートという指揮者は以下の様な表現になっている。)
>「彼は多くの指揮者がするように楽譜を勝手に独自の解釈で演奏するのではなく、楽譜に書かれた内容を 作曲家の意思の伝達道具であることに常に敬意を払い、偉大なエネルギーと精神的熱慮をもって 実際の音に移し変えていった。」
>「ドイツ古典派のモーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス(フリッツ・シュタインバッハの真の意味の後継者として!)、 そしてブルックナーが特に彼の心のよりどころであったが、外国の芸術に対しても決して拒否反応は 示さなかった。いや、まったくその逆で、世界の音楽史上で有名な曲の多くが彼によってドイツで 初演された・・・・・」
■指揮者と「ブラームス・シュタインバッハの伝統」について
(1)「ブラームス・シュタインバッハの伝統」に基づいた演奏
次の太字の部分は、ブラームス演奏における「ブラームス・シュタインバッハの伝統」と指揮者に関することで色々伺った話をまとめたもの。
「『ブラームス・シュタインバッハの伝統』とは、テンポを自在に変え、シュタインバッハの楽譜への書き込みに基づいたブラームス演奏のこと。
この伝統に忠実なのはアーベントロート。
ヴァント、サヴァリッシュ、ベームのブラームスは楽譜の範囲内で『ブラームス・シュタインバッハの伝統』を解釈している。
(よくアーベントロートの指揮を19世紀的と言う人がいるが、実際にはそうではない、とのこと。)
ブラームスの演奏における『ブラームス・シュタインバッハの伝統』をシュタインバッハから継いだのは、ライナー、ストラヴィンスキー、アーベントロート。 アーベントロートから教わったのが、ヴァント。
なお、サヴァリッシュ・ベームは誰から教わったのかははっきりとは分からないが、サヴァリッシュ・ベームの振るブラームスも『ブラームス・シュタインバッハの伝統』の系統の演奏と考えられる。」
「ムラヴィンスキーのブラームスも『ブラームス・シュタインバッハの伝統』に基づいていて(誰から教わったのかは不明)、振り方そのものは大変近代的、モダンである。」
「ノリントン、マッケラスはシュタインバッハの楽譜への書き込みを意識してはいる。しかしその演奏そのものは『ブラームス・シュタインバッハの伝統』の再現というのとは少し違うようだ。」
「一方、クナッパーツブッシュの振るブラームスは『ブラームス・シュタインバッハの伝統』とは、異なる。クナッパーツブッシュはブラームスが楽譜に書いた通りにやろうとしていて、テンポを途中で変えないやり方。R.シュトラウスやセル、チェリビダッケの指揮するブラームスも同じ系統。」
「なお、トスカニーニはシュタインバッハのブラームス演奏を大変意識してはいたが、トスカニーニの演奏は「歌う」部分が強いので、この2つの系統とはまた異なるブラームス演奏と考えられる。」
(2)次に、「(1)以外」の点について以下に補足しておきます。
(1)の内容に関して思ったのですが、ブラームスの演奏をする時に楽譜通りにやるか、あるいはプラスアルファの要素としてシュタインバッハのやり方を取り入れるかどうか、その辺が指揮者自身の考え方により違うのだろうか、と思います。
ブラームスの演奏解釈を研究されている方などが、現在では
「ブラームス・シュタインバッハの伝統」
「マイニンゲンの伝統 ( Meiningen Tradition )」
というキーワードを度々使われることがあります。
しかし、アーベントロートやヴァント、サヴァリッシュなど、実際にシュタインバッハの楽譜への書き込みに基づいたブラームス演奏をしている指揮者達は、こうしたキーワードを使って説明したりすることはなかったのだそうです。
アーベントロートは
「ブラームス先生から教わったシュタインバッハ先生から、自分は教わったんだけど」
という感じで説明をしていたらしいです。また、アーベントロートから教わった方も
「シュタインバッハ先生が言ってたこと」
「シュタインバッハ先生から教わったことを、アーベントロート先生はこう言っていた」
という感じで説明していたそうです。
「マイニンゲンの伝統」とは、シュタインバッハに師事したことのあるヴァルター・ブルーメという人物が最初に呼んだものだそうですが、その後、ブラームス研究をする方のうち「シュタインバッハの楽譜への書き込み」に着目した人々(ウォルター・フリッシュなど)がこの「マイニンゲンの伝統」というキーワードを使うようになっています。
一方、アーベントロートが教えた指揮者、音楽家など、演奏する側の人々は
「シュタインバッハ先生が言ってたこと」
そういう言い方をされている。
この「シュタインバッハの書き込み」に関し研究者が本に書いたり論文で検証している内容というのは、演奏をしている現場でのやり取り、 指揮者や音楽家達の直接の伝承とはイロイロ異なる点などあるかもしれませんので、重く考え過ぎてはいけないのかもしれません。 (私、境山の個人的な感想ですが。)
また、「**の伝統」というキーワードが独り歩きすることも、余り好ましくないことなのかもしれません。
(シュタインバッハとトスカニーニは、どういうつながりがあったかは分からないのですが)
シュタインバッハの指揮するブラームスを聴いた経験のあるトスカニーニは
ニューヨークのある社交の場で、その演奏を聴いた時のことを
「それは素晴らしかった。音楽が難なくそう進んでいったのだ」
と語った、という話が伝わっているのだそうです。
ヴァントは、正しいテンポとは何か、という問いに対して
「・・ブラームスの交響曲や、ムソルグスキー/ラヴェルの『展覧会の絵』のような 管弦楽作品で大事なのは、むしろ、演奏のテンポが全体として納得できるものであること、 つまり『正しい』と感じられることなのである。」
ということを語っており、その際にこの、シュタインバッハの指揮するブラームスを聴いた トスカニーニの話に触れています。
「ギュンター・ヴァント」
ヴォルフガンフ・ザイフェルト( Wolfgang Seifert )著、根岸一美訳
(音楽之友社)
P.291-P.297 参照
「 Performing Brahms 」
アメリカのコロンビア大学音楽科の教授、ウォルター・フリッシュ(Walter Frisch)はこの本「 Performing Brahms 」の
Chapter 10
In search of Brahms's First Symphony :
Steinbach, the Meiningen tradition, and the recordings of Hermann Abendroth
ここで、
「アーベントロートのブラームス解釈がシュタインバッハの書き込みに一番近く、
ビューロー・シュタインバッハからの生きた伝統をアーベントロートは継承した」
と述べています。
「 Performing Brahms 」に関わった
ベルナルド・D・シェルマン( Bernard D. Sherman ) 氏、
私はこの方のサイトは2002年頃に気付いたのですが、
http://homepages.kdsi.net/~sherman/performingbrahms.htm
http://www.bsherman.org/mack.html
シェルマン自身がサイトでも書いていましたが、「シュタインバッハの楽譜への書き込み」を ノリントン、マッケラスも参考にして Meiningen Tradition のブラームス演奏を試みているけれども、 例えばマッケラスの演奏はシュタインバッハの書き込みとは異なる部分もある、等述べており、 シェルマンも、シュタインバッハのブラームス演奏については Meiningen Tradition に直接の接点が 有ったアーベントロートの演奏に注目しています。
(3)以下は 「 Performing Brahms 」が出版される前に
2003年01月時点で私が自分なりに調べてまとめた中からの転記。
Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは、 1914~1915年にかけフリッツ・シュタインバッハ( Fritz Steinbach 1855~1916)に師事したヴァルター・ブルーメ( Walter Blume )という人が呼んだもの。 ( Brahms in der Meininger Tradition )
ブルーメは、シュタインバッハがブラームスの4つの交響曲とブラームス・ハイドンの主題による変奏曲の楽譜に書き込んだものを転記して、1933年に出版している人なのですが、ブルーメによると 「マイニンゲンの伝統的演奏では、正確なリズムと常に変化する柔軟性のあるテンポとは、相互協力の関係にあった」
とのこと。
1886年、ビューローからマイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra )を引継いだのがシュタインバッハ。マイニンゲン宮廷楽団というのは、ビューローによって鍛えられ、その緻密なアンサンブルにより当時高く評価を受けていたオーケストラ。シュタインバッハ自身はブラームスの指揮を手本にして演奏、マイニンゲン宮廷楽団の演奏を信頼していたブラームス自身が、シュタインバッハのブラームス演奏を評価していた。
シュタインバッハの書き込みというのは、ブラームス自身は楽譜にはテンポを変えるような指示はしていない部分で、詳細にテンポに関し指示しているなど、楽譜通りではない箇所があるとのことです。ブラームスと直接の接点を持っていたシュタインバッハが、指揮者としての考えで書き込みをしているのか、それとも、作曲家自身に確認を取って書き込んだものなのか、この点は不明です。
音楽家や音楽学者の間で現在でも 「 Meiningen Tradition 」 はまだ研究中であるらしいが、マイニンゲン宮廷楽団を鍛えたビューロー、そのマイニンゲン宮廷楽団を 継いでブラームス本人にもその演奏を評価されたシュタインバッハ、そしてケルンのギュルツェニヒ管弦楽団という接点でアーベントロートと直接つながりのあった シュタインバッハからアーベントロートへ、そしてアーベントロートからヴァントへ引き継がれていった、ブラームスの演奏解釈、それが Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」
と呼ばれるものだとのこと。
なお、アーベントロートが自分の教え子にブラームスの演奏解釈を教えた際には、 Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは言っていない。
「ブラームス先生から教わったシュタインバッハ先生から、自分は教わったんだけど」
と、教え子には演奏のテンポ等の説明をしていたらしい。
なお、アーベントロートのブラームス演奏というのは、この Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統)とイコールということでは「無い」。
アーベントロートの演奏は、 Passion を抑えきれていない時があって、そのため楽譜や演奏解釈を超えてテンポが変わることがある、ということなんですが、 しかしそれでも結果として「演奏のテンポが全体として納得できるものである」演奏になっているので、素晴らしい演奏であり、 Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統)の流れの中から生れた演奏として考えられる、とのこと。
http://www.sakaiyama.jp/conduct_brahms.html#:~:text=%E3%80%8C%E3%80%8E%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9%E3%83%BB,%E3%83%A0%E3%82%B9%E6%BC%94%E5%A5%8F%E3%81%AE%E3%81%93%E3%81%A8%E3%80%82
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2022/07/24 (Sun) 11:38:32
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■ Performing Brahms ■
Cambridge University Press ISBN : 0521652731
2003.11-2004.01 境山
http://www.sakaiyama.jp/performing_brahms.html
「 Performing Brahms 」
この本、やっと2003年10月出版になりました。
http://books.cambridge.org/0521652731.htm
2002年秋に見た時には2003年1月出版予定だったのが、3月→4月→5月→6月→7月→8月→9月→10月、と 出版予定が遅れた、という・・・。 (私自身は以前丸善へ注文してたので、2003年10月29日にこの本入手しました。 自分は楽器演奏経験の無いリスナーなもので、分からない点を人に伺って教わりながらに なりますので、読んで知ったことをサイトへ反映させるまでには大変時間がかかります。 すみません・・・・・。)
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(1) まず、本の内容詳細はコチラ。この本の編集者であるベルナルド・D・シェルマン ( Bernard D. Sherman ) 氏のサイトへ。
http://homepages.kdsi.net/~sherman/performingbrahms.htm
なお、本の入手はしたいがお急ぎではないという方の場合、ネット通販がやはり便利かと思います。
「 Performing Brahms 」@ www.amazon.co.jp
◇◇◇
(2) この本が出る前から私が読みたくて仕方が無かったのが、この第10章。
Chapter 10
In search of Brahms's First Symphony :
Steinbach, the Meiningen tradition, and the recordings of Hermann Abendroth
( Walter Frisch --- アメリカのコロンビア大学音楽科の教授、ウォルター・フリッシュ)
自分はシロウトなので残念ながら翻訳出来るほどには キチンとは読めている訳では無いのですが・・・・・。
この Chapter 10 をざっと読んでみると、この章でフリッシュ教授は、
「アーベントロートのブラームス解釈が シュタインバッハの書き込みに一番近く、ビューロー・シュタインバッハから の生きた伝統をアーベントロートは継承した」
と述べています。
そしてこの第10章の要点は、p.294のココだと思いました。 フリッシュはココを言うために色々な根拠を提示した、という感じがします。
[ p.294 , Fig.10.1 ]
Fig.10.1 では
・ビューローからシュタインバッハ、そしてアーベントロートへ、という Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」継承の流れと、
・ブラームスが評価した若手指揮者がシュタインバッハとモットルだったが、そのモットルから アーベントロートは学んだ、
ということに関して記述している。
◇◇◇
(3) 付属CDの内容です。本の巻末の記載から参照。:
1. The Violin Playing of Joseph Joachim
Track 1. Bach : Bourrée (Partita in B minor)
Track 2. Bach : Adagio (Sonata in G minor)
Track 3. Joachim : Romance in C major
2. Brahms : Ein deutsches Requiem
Track 4. Fifth Movement , bars 1-26 : Furtwängler / Musikaliska Sällskapet Kor; Stockholms Konsertförenings Orkester, Kerstin Lindberg-Torlind, soprano (1948)
3. Brahms : Symphonies
Excerpts from Symphony No. 1 : First movement, bars 117-158
Track 5 Abendroth / London Symphony 1928
Track 6 Weingartner / London Symphony 1939
Finale, bars 1-13
Track 7 Abendroth / London Symphony 1928
Track 8 Stokowski / Philadelphia1927
Track 9 Klemperer / Berlin State Opera 1928
Finale, bars 279-302
Track 10 Abendroth / London Symphony 1928
Track 11 Walter / Vienna Philharmonic 1937
Track 12 Furtwängler / Berlin Philharmonic (1945)
Finale, bars 386-396
Track 13 Abendroth / London Symphony 1928
Track 14. Walter / Vienna Philharmonic 1937
Track 15 Furtwängler / Berlin Philharmonic (1945)
Excerpts from Symphony No. 3 , Third movement (to letter C)
Track 16 Clemens Kraus / Vienna Philharmonic 1930
Track 17 Walter / Vienna Philharmonic, 1937
4. Brahms. Piano Music
Track 18 Trio in C Minor, op. 101: opening of the third movement as rendered impromptu by Ilona Eibenschütz (recorded by the BBC, 1952)
Track 19. Ballade in G Minor, Op. 118/3 Ilona Eibenschütz, piano
Track 20. Intermezzo in E minor, Op. 119/2. Ilona Eibenschütz, piano
Track 21. Intermezzo in E flat, Op.117/1. Adelina de Lara
Track 22. Rhapsody in G minor, Op. 79/2. Adelina de Lara.
Track 23. Capriccio in B minor, Op 76/2. Alfred Grünfeld.
Track 24. Waltz in E, Op 39/2. Ilona Eibenschütz;
Track 25. Waltz in E, Op 39/2: Alfred Grünfeld.
Track 26. Waltz in A flat, Op. 39/15: Ilona Eibenschutz, piano
Track 27. Waltz in A flat, Op. 39/15: Alfred Grünfeld
5. Brahms in the Style Hongrois
Track 28. Brahms : Hungarian Dance No 1 in G minor (Johannes Brahms ,piano): cylinder. Digitally remastered by Jonathan Berger.
Track 29. Brahms : Hungarian Dance No. 1 in G minor. (Joseph Joachim, violin)
Track 30. Brahms : Hungarian Dance No. 2 in D minor. (Joseph Joachim, violin)
Track 31. Brahms : Hungarian Dance No.1 in G minor (Leopold Auer, violin)
Track 32. Brahms : Hungarian Dance No.7 in A major: Bronislaw Huberman, violin)
Track 33. Brahms : Hungarian Dance No.6 in E-flat major: Henri Marteau, violin)
Track 34. Brahms : Hungarian Dance No. 5 in G minor (Eugène Ysaÿe: violin)
Track 35. Brahms : Clarinet Quintet, Op. 115, Second movement, bars 52-86 Charles Draper / Lener Quartet,
・「 Performing Brahms 」付属CDの
Brahms in the Style Hongrois この中で、
Track 28. Brahms : Hungarian Dance No 1 in G minor ( Johannes Brahms , piano )
: cylinder. Digitally remastered by Jonathan Berger.
エジソンがシリンダー方式の蓄音機「フォノグラフ(Phonograph)」を発明したのは1877年。
このTrack 28の録音の当時は蝋管式蓄音機。
1889年にトーマス・エジソンのアシスタントの方がウィーンを訪れて、その時、幸運にも ブラームス自身が Hungarian Dance とシュトラウスのワルツをピアノでひいたので、 蝋管(シリンダー)による録音が一部残ったのだそうです。
このTrack 28は、 Hungarian Dance No. 1 だ、というのは、何とか分かる・・・という程度です。
最初、ブラームス御本人(?)が何かワーワー喋っている様子なんですが 全然分からないので、ドイツ語の堪能な知人(日本人)に伺いますと
「さっぱり分からない」
とのことでした。
(あの声はブラームスのものでは無い、という話も聞いたことがあります。)
「山野楽器:ピアニズムの20世紀」の 「第1回 失われた響き-SP録音最初期のピアニストたち」のこちらの記事では
>ブラームスがエジソンのために蝋管録音した『ハンガリー舞曲』・・・この中で
>「ミスター・エジソン! アイ・アム・ブラームス! ドクター・ブラームス!」と
>甲高い声で叫んでいるブラームスの声
とありました。
◇◇◇
(4)以下は「 Performing Brahms 」が出版される前の、
2003年01月時点で自分なりに調べてまとめた中からの転記。
Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは、 1914~1915年にかけフリッツ・シュタインバッハ( Fritz Steinbach 1855~1916)に 師事したヴァルター・ブルーメ( Walter Blume )という人が呼んだもの。
( Brahms in der Meininger Tradition )
ブルーメは、シュタインバッハがブラームスの4つの交響曲とブラームス・ハイドンの主題による変奏曲 の楽譜に書き込んだものを転記して、1933年に出版している人なのですが、ブルーメによると
「マイニンゲンの伝統的演奏では、正確なリズムと常に変化する柔軟性のあるテンポとは、 相互協力の関係にあった」
とのこと。
1886年、ビューローからマイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra )を 引継いだのがシュタインバッハ。マイニンゲン宮廷楽団というのは、ビューローによって鍛えられ、 その緻密なアンサンブルにより当時高く評価を受けていたオーケストラ。 シュタインバッハ自身はブラームスの指揮を手本にして演奏、マイニンゲン宮廷楽団の演奏を信頼していた ブラームス自身が、シュタインバッハのブラームス演奏を評価していた。
シュタインバッハの書き込みというのは、ブラームス自身は楽譜にはテンポを変えるような指示はしていない 部分で、詳細にテンポに関し指示しているなど、楽譜通りではない箇所があるとのことです。 ブラームスと直接の接点を持っていたシュタインバッハが、指揮者としての考えで書き込みをしているのか、 それとも、作曲家自身に確認を取って書き込んだものなのか、この点は不明です。
音楽家や音楽学者の間で現在でも 「 Meiningen Tradition 」 はまだ研究中であるらしいが、 マイニンゲン宮廷楽団を鍛えたビューロー、そのマイニンゲン宮廷楽団を継いで ブラームス本人にもその演奏を評価されたシュタインバッハ、そして ケルンのギュルツェニヒ管弦楽団という接点でアーベントロートと直接つながりのあった シュタインバッハからアーベントロートへ、そしてアーベントロートから ヴァント、サヴァリッシュへ引き継がれていった、ブラームスの演奏解釈、それが
Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」
と呼ばれるものだとのこと。
なお、アーベントロートが自分の教え子にブラームスの演奏解釈を教えた際には、 Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは言っていない。
「ブラームス先生から教わったシュタインバッハ先生から、自分は教わったんだけど」
と、教え子には演奏のテンポ等の説明をしていたらしい。
アーベントロートのブラームス演奏というのは、この Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統) とイコールということでは無い。
アーベントロートの演奏は、 Passion を抑えきれていない時があって、そのため楽譜や演奏解釈を超えて テンポが変わることがある、ということなんですが、しかしそれでも結果として 「演奏のテンポが全体として納得できるものである」演奏になっているので、素晴らしい演奏であり、 Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統)の流れの中から生れた演奏として考えられる、とのこと。
http://www.sakaiyama.jp/performing_brahms.html
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4:777
:
2022/07/24 (Sun) 11:38:59
-
■ アーベントロートと Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統) ■
2003.01 境山
http://www.sakaiyama.jp/abendroth_brahms.html
アーベントロートとブラームスに関して調べるうちにたどり着いたキーワードが
Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」
です。
私なりに調べたことなどを、まとめて書いてみたいと思います。
◇◇◇
以下の話へと続く前に、まずお話させて頂きたいのですが、私個人は音楽に関する専門的知識は乏しいので、 楽譜の解釈等に関する話などは専門家の意見や著作物を参照しています。
自分の目についたことだけを材料にして考えると誤解・曲解したりする危険性もあると考えましたので、 知人を通じて音楽をやっておられる方にも伺って、
「 アーベントロートのブラームス演奏 ←←← Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統) 」
ということに関し色々と確認をさせて頂いた上で書いています。
◇◇◇
まず、この Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは何かというと、 1914~1915年にかけフリッツ・シュタインバッハ( Fritz Steinbach 1855~1916)に 師事したヴァルター・ブルーメ( Walter Blume )という人が呼んだものです。
( Brahms in der Meininger Tradition )
ブルーメは、シュタインバッハがブラームスの4つの交響曲とブラームス・ハイドンの主題による変奏曲 の楽譜に書き込んだものを転記して、1933年に出版している人なのですが、ブルーメによると
「マイニンゲンの伝統的演奏では、正確なリズムと常に変化する柔軟性のあるテンポとは、 相互協力の関係にあった」
のだそうです。
1886年、ビューローからマイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra )を 引継いだのがシュタインバッハなのですが、マイニンゲン宮廷楽団というのは、ビューローによって鍛えられ、 その緻密なアンサンブルにより当時高く評価を受けていたオーケストラです。 シュタインバッハ自身はブラームスの指揮を手本にして演奏、マイニンゲン宮廷楽団の演奏を信頼していた ブラームス自身が、シュタインバッハのブラームス演奏を評価していました。 シュタインバッハの書き込みというのは、ブラームス自身は楽譜にはテンポを変えるような指示はしていない 部分で、詳細にテンポに関し指示しているなど、楽譜通りではない箇所があるとのことです。 ブラームスと直接の接点を持っていたシュタインバッハが、指揮者としての考えで書き込みをしているのか、 それとも、作曲家自身に確認を取って書き込んだものなのか、この点は不明です。
(シュタインバッハからトスカニーニは楽譜の解釈を教わっていたことがあるそうなのですが)
シュタインバッハの指揮するブラームスを聴いた経験のあるトスカニーニは
ニューヨークのある社交の場で、その演奏を聴いた時のことを
「それは素晴らしかった。音楽が難なくそう進んでいったのだ」
と語った、という話が伝わっているのだそうです。
ヴァントは、正しいテンポとは何か、という問いに対して
「・・ブラームスの交響曲や、ムソルグスキー/ラヴェルの『展覧会の絵』のような 管弦楽作品で大事なのは、むしろ、演奏のテンポが全体として納得できるものであること、 つまり『正しい』と感じられることなのである。」
ということを語っており、その際にこの、シュタインバッハの指揮するブラームスを聴いた トスカニーニの話に触れています。
「ギュンター・ヴァント」
ヴォルフガンフ・ザイフェルト( Wolfgang Seifert )著、根岸一美訳
(音楽之友社)
P.291-P.297 参照
アメリカのコロンビア大学音楽科の教授、ウォルター・フリッシュの著書
「ブラームス4つの交響曲」
ウォルター・フリッシュ ( Walter Frisch ) 著 (天崎浩二 訳)
(音楽之友社)
この本で、歴史的録音の中では、ヘルマン・アーベントロートのブラームス解釈が シュタインバッハと色々な点で近い、とウォルター・フリッシュは述べています。
(フリッシュがこの本でアーベントロートの録音に関し触れていたのは、 ロンドン交響楽団とのブラームス交響曲第1番(1928年)と ブラームス交響曲第4番(1927年)の2つ。)
また、ベルナルド・D・シェルマン( Bernard D. Sherman ) は、フリッシュの研究も参照した上で文章を書いており、 アーベントロートの録音には大変関心を持っているようで、(Tahra のTAH 141-142 あるいはTAH 490-491 の) アーベントロート指揮ブラームス交響曲第1番 (1956年1月16日)(バイエルン国立管弦楽団) も聴いている人です。
http://homepages.kdsi.net/~sherman/
シェルマン自身、自分のHPでも書いていますが、 「シュタインバッハの楽譜への書き込み」をノリントン、マッケラスも参考にして Meiningen Tradition のブラームス演奏を試みているけれども、例えば マッケラスの演奏はシュタインバッハの書き込みとは異なる部分もある、等述べており、 シェルマンは、シュタインバッハのブラームス演奏については Meiningen Tradition に直接の 接点が有ったアーベントロートの演奏を大変重視しています。
**「 Performing Brahms 」**
この本が紹介されているページを見つけ、 Contents-Introduction で
In search of Brahms’s First Symphony:
Steinbach, the Meiningen tradition and the recordings of Hermann Abendroth
Walter Frisch
というのを見てから大変読んでみたいと昨年からずっと思っていたのですが、
やっと今年2003年10月出版になりました。
http://books.cambridge.org/0521652731.htm
2002年秋に見た時には2003年1月出版予定だったのが、3月→4月→5月→6月→7月→8月→9月→10月、と 出版予定が遅れた、という・・・。 (私自身は以前丸善へ注文してたので、2003年10月29日にこの本入手しました。 自分は楽器演奏経験の無いリスナーなもので、分からない点を人に伺って教わりながらに なりますので、読んで知ったことをサイトへ反映させるまでには大変時間がかかります。 すみません・・・・・。)
内容詳細はコチラ。
http://homepages.kdsi.net/~sherman/performingbrahms.htm
なお、本の入手はしたいがお急ぎではないという方には、コチラ。
http://www.amazon.co.jp/
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音楽家や音楽学者の間で現在でも 「 Meiningen Tradition 」 はまだ研究中であるらしいのですが、 マイニンゲン宮廷楽団を鍛えたビューロー、そのマイニンゲン宮廷楽団を継いで ブラームス本人にもその演奏を評価されたシュタインバッハ、そして ケルンのギュルツェニヒ管弦楽団という接点でアーベントロートと直接つながりのあった シュタインバッハからアーベントロートへ、そしてアーベントロートから ヴァント、サヴァリッシュへ引き継がれていった、ブラームスの演奏解釈、それが
Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」
と呼ばれるものだとのことです。
なお、アーベントロートが自分の教え子にブラームスの演奏解釈を教えた際には、 Meiningen Tradition 「マイニンゲンの伝統」というキーワードは言っていないらしいです。
「ブラームス先生から教わったシュタインバッハ先生から、自分は教わったんだけど」
と、教え子には演奏のテンポ等の説明をしていたらしい。 (シュタインバッハ先生は大変厳しい先生だったようで、教えて貰いにいっても結局逃げ出す 指揮者もいたそうで、その中で、アーベントロートはシュタインバッハからケルンの ギュルツェニヒ管弦楽団を引き継いでますので、どういう師弟関係だったのでしょうか・・・。)
ただ、伺った話によると アーベントロートのブラームス演奏というのは、この Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統) とイコールということでは無い様です。
アーベントロートの演奏は、 Passion を抑えきれていない時があって、そのため楽譜や演奏解釈を超えて テンポが変わることがある、ということなんですが、しかしそれでも結果として 「演奏のテンポが全体として納得できるものである」演奏になっているので、素晴らしい演奏であり、 Meiningen Tradition (マイニンゲンの伝統)の流れの中から生れた演奏として考えられる、とのことです。
【参照】
■マイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra )
***1880年、マンハイムの君侯ゲオルグはハンス・フォン・ビューロー(1830-1894)を、 「好きなだけ練習を行って良い、楽員の解雇権限をビューローに与える」、 という条件でマンハイム劇場における楽団・マイニンゲン宮廷楽団 ( the Meiningen Court Orchestra )へ指揮者として招く。
このマイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra ) は48人での構成で、ビューローが納得するまでとことん練習を積み重ね、演奏会では暗譜で演奏した。 レパートリーの中心はベートーヴェン、当時の習慣で楽譜は部分的に改訂されたものが使用された。 全ヨーロッパを演奏旅行した最初の楽団であり、その緻密なアンサンブルにより高く評価を受けた。
1881年、ビューローはブラームスにこのオーケストラを作品発表するオーケストラとして 提供し、このオーケストラを高く評価したブラームス自身も指揮する機会を持った。 1885年、ビューローとブラームスは演奏旅行の際に仲違いし、個人的な関係は以後疎遠になるが、 しかしそれでもビューローはブラームス作品を評価しており、生涯に渡って取り上げ指揮している。
1886年、ビューローからこのマイニンゲン宮廷楽団をシュタインバッハ (1881年から既にマイニンゲン宮廷楽団を指揮していたようです) が引継ぎ、1903年まで指揮した。 シュタインバッハはブラームスの指揮を手本にして演奏、ブラームス自身も シュタインバッハのブラームス演奏を評価。 (なお、このマイニンゲン宮廷楽団でR.シュトラウスが1884年に指揮者デビュー、 1885年この楽団の副指揮者になり、1886年マイニンゲンを去っている 。) ***
■ハンス・フォン・ビューローとハンス・リヒターのブラームス演奏
***ハンス・フォン・ビューロー(1830-1894)もハンス・リヒター(1843-1916)は、両者共に ブラームスの交響曲を積極的に取り上げており、ブラームスも彼らの演奏を聴いています。
(ブラームスの交響曲第2番・第3番の世界初演をウィーンで行ったのはリヒターでしたが) リヒターによるブラームスの交響曲の演奏をブラームス自身は好まなかったそうです。 ブラームス自身はテンポ・リズム・フレージングが柔軟なことを好み、自分が指揮する際にも その様に演奏したそうなんですが、そのブラームスでも、ビューローはかなり自由に 「やり過ぎている」ために頭を悩ませていたそうで、一方ビューローは、ブラームスからは 好きに演奏していいと言われていた、と話していたとか。2人の間に「どこまで自由にやって OKか」ということに関してずれがあったようです。 しかしそれでも、作曲家自身はリヒターよりはビューローの演奏をむしろ好んでいたとのこと。 ***
■フリッツ・シュタインバッハ( Fritz Steinbach 1855~1916)
***1886年、ビューローからマイニンゲン宮廷楽団( the Meiningen Court Orchestra )を 引継ぎ、1903年まで指揮した。
なお、シュタインバッハは1903年~1914年の間はケルンのギュルツェニヒ管弦楽団で指揮しているが、 この時期にアーベントロートはシュタインバッハと直接の接点があったようです。
(アーベントロートはシュタインバッハの後を引き継いで 1914年から1934年の間ケルンのギュルツェニヒ管弦楽団を指揮。 なお1946年から1974年までヴァントはケルン・ギュルツェニヒ管弦楽団のカペルマイスターを務めている。) ***
■アーベントロート指揮ブラームス交響曲第1番 (バイエルン国立管弦楽団)1956年1月16日
***他と演奏スタイルが大変異なる、ということで、 アーベントロートについて触れられることの多いブラームス交響曲第1番の録音、
アーベントロート指揮「 ブラームス 交響曲第1番 」
(1956年1月16日)(バイエルン国立管弦楽団)
以前ディスク・ルフランで発売され、TAHRAからはTAH141/142で出ていましたが、 昨年2002年末にTAH 490/1という番号で再プレスされています。 (なお、CD-RではRE DISCOVER RED 34で入手可能。) ***
(初稿UP)2003.01
(「 Performing Brahms 」に関し一部加筆)2003.11
(一部追記)2006.04
http://www.sakaiyama.jp/abendroth_brahms.html
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5:777
:
2022/07/24 (Sun) 11:39:20
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about Abendroth
Since 2002.08.24
http://www.sakaiyama.jp/index.html
Hermann Abendroth (ヘルマン・アーベントロート)
(1883年01月19日生~1956年05月29日没)
について、自分なりに調べて知ったこと、分かったことを、
覚え書としてまとめてゆくホームページです。
参照した資料はこちら --> reference.html
指揮者と「ブラームス・シュタインバッハの伝統」については
こちら --> conduct_brahms.html
Hermann Abendroth _____ Profile
(* 19.01.1883 Frankfurt/Main; † 29.05.1956 Jena)
(1883年-1934年)
(1934年-1945年)
(1945年-1956年)
Naxosで聴けるアーベントロート
Naxos Classical Archivesで聴ける、アーベントロート指揮の録音一覧。
Jube-NML1208 グレート・コンダクターズで、シュターツカペレ・ベルリンとのグレーナー「コメディエッタ」、 ドホナーニ「女ピエロのヴェール-婚礼のワルツ」が聴けます、要チェック。
http://ml.naxos.jp/artist/43334
YouTubeで聴けるアーベントロート
YouTubeで、アーベントロート指揮のSP、LPの録音をUPして下さった方々が居られます。感謝
z650さんがUPされた
1922年アーベントロート指揮ベルリンフィル・ベートーヴェン交響曲第1番第1楽章
http://www.youtube.com/watch?v=I6m5okCj1Yg
これはまだCD化されていない録音ではないかと思います。
つっちぃさんがUPされた
1930年代アーベントロート指揮リスト・ハンガリー狂詩曲第1番、英Parlophone E11334
http://www.youtube.com/watch?v=Y1PoBmdMeqU
凄い楽しめる音。
(リスト・ハンガリー狂詩曲第1番はODEON O-7734&7887のがRICHTHOFEN DISCというCD-Rレーベルから以前出てましたが、そっちは 残念ながら余り音がよろしくない。)
注目サイト
50. Todestag von Hermann Abendroth (DRA)
DRA(Deutsches Rundfunkarchiv)のサイトで、Hermann Abendrothに
ついてのPDFファイルが22ページ出ています。
内容凄いです。
まだCD化されていないと思われる録音がここに沢山載っています。
ちなみに、2003年はアーベントロート生誕120周年、2006年はアーベントロート没後50年でした。 アーベントロート指揮の歌劇の録音とか(録音状態によっては、全曲・・・は難しいかもしれないので抜粋版で)、 DRA(Deutsches Rundfunkarchiv)で既に把握していてサイトでもリストが出ているこれらの録音などが、 もっとどんどんCD化されるといいのですが。
アーベントロートの本
Hermann Abendroth. Ein Musiker im Wechselspiel der Zeitgeschichte
Dr. phil. Irina Lucke-Kaminiarz
(www.amazon.co.jpで2011年2月時点では604円、2009年06月には1,709円でした。)
アーベントロートのバイオグラフィー、ついに2007年5月末ドイツで出版。
www.amazon.deではEUR 12,90。
写真、演奏会でのプログラムなど情報満載。
アーベントロート・ファン必見の本。
ヘルマン・アーベントロートの新譜情報
2017/04/25更新 New!
ヘルマン・アーベントロート 新譜情報
今後出る予定の&既に出たヘルマン・アーベントロートのCD情報はコチラ。
ヘルマン・アーベントロートCDリスト
Hermann Abendroth Discography(レーベル別)
レーベル別CDリストの入り口はコチラ。
Gerhard Taschner (ゲルハルト・タシュナー)
2009/08/22更新
Gerhard Taschner Cd List
アーベントロートも好きですがタシュナーも好きです。CDリストはコチラ。
(アーベントロート生誕120周年にあたる2003年1月19日よりカウント)
http://www.sakaiyama.jp/index.html
-
6:777
:
2023/09/02 (Sat) 02:44:13
-
宇野功芳監修によるアーベントロートのCDベスト5、最新リマスターで復活!『アーベントロート不滅の遺産』(5枚組)
https://tower.jp/article/feature_item/2022/08/19/1112
凄まじい情熱!
ついに原音でよみがえったドイツの巨匠!
ヘルマン・アーベントロートはフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュと同世代のドイツの巨匠指揮者。旧東ドイツのライプツィヒを拠点に活躍していたため、西側にとっては"幻"の指揮者でしたが、ドイツ・シャルプラッテンと契約した徳間音工が"幻"の音源を発掘、1974年にLPシリーズで発売、「悲愴」「第九」「ブラ3」「ハイドンV字」等、宇野功芳の推薦紹介とあいまって、レコード業界に大反響をまきおこしました。2008年にはキングレコードが宇野功芳に監修を依頼、LPで20枚分ある音源の中から推薦演奏のみ厳選し、CD5点を発売。ベストセラーを記録しています(「アーベントロートの芸術」KICC-701~5)。
廃盤になって久しいアーベントロート不滅の遺産CD5枚がセットとなってキングインターナショナルから登場!2トラック、38㎝/秒速のアナログ・マスターテープより、キング関口台スタジオでデジタル・リマスタリングをおこない、音にいっそう磨きをかけて発売します。巨匠の内奥にまで迫ったアナログ本来の音再現にご注目ください。ブックレットは宇野功芳の“熱烈"解説(22,000字)を転載します。
宇野功芳(ブックレット解説より)
「アーベントロートはワルターより7つ、シューリヒトより3つ年下であり、クレンペラーより2つ、フルトヴェングラーより3つ年上である。ゲヴァントハウス管弦楽団ではワルターの後任、コンヴィチュニーの前任であった。まさに大指揮者の時代の輝かしい一人である。第2次大戦後、東ドイツを拠点としたため、レコード発売が遅れてしまったわけだが、現在残された20点の演奏は、そのほとんどが名演であり、わけてもヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーなど、実にすばらしい。録音も含めて僕がとくに推賞したいのはハイドンの「第88番」とチャイコフスキーの「悲愴」であり、つづいてヘンデルの「二重協奏曲」、ハイドンの「第97番」、モーツァルトの「ジュピター」、同じく「ディヴェルティメントK205」、ベートーヴェンの「第9」における前半の2つの楽章、ブラームスの「第3」も絶品だ。また録音がやや古いのを我慢すれば、ブラームスの「第1」やチャイコフスキーの「第4」も絶対に聴き逃せない。このシリーズはいずれも1949年から56年にかけて行われた放送用の録音で、一回限りの演奏であるため、流れに血が通っているのも大きな特長である。」(1989年記)
【CD 1】
ベートーヴェン: 交響曲第9番 ニ短調Op.125「合唱」
ライプツィヒ放送交響楽団
エディット・ラウクス(ソプラノ)/ディアナ・オイストラティ(アルト)/
ルートヴィヒ・ズートハウス(テノール)/カール・パウル(バス)/
ライプツィヒ放送合唱団/ライプツィヒ音楽大学合唱団
録音:1951 年6月29日(a)
【CD 2】
ブラームス:
交響曲 第1番 ハ短調 Op.68
交響曲 第3番 ヘ短調 Op.90 *
ライプツィヒ放送交響楽団
録音:1949年10月20日(a) / 1952 年3月17日(c) *
【CD3】
チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 Op.74「悲愴」
ライプツィヒ放送交響楽団
録音:1952 年1月28日(a)
【CD 4】
モーツァルト:
交響曲 第41番 ハ長調 KV 551「ジュピター」
ディヴェルティメント 第7番 ニ長調 KV 205
セレナード 第8番 ニ長調 K.286「ノットゥルノ」*
ライプツィヒ放送交響楽団/ベルリン放送交響楽団*
録音:1956 年3月26日(a) / 1956 年4月12日(b) *
【CD 5】
ハイドン:
交響曲 第88番 ト長調「V字」
交響曲 第97番 ハ長調*
ヘンデル:
管弦楽のための二重協奏曲 第3番 ヘ長調*
ライプツィヒ放送交響楽団/ベルリン放送交響楽団*
録音:1956 年(a) / 1955 年9月15日(b) *
(a)ライプツィヒ放送局 SRK ホール
(b)ベルリン放送局 SRK ホール
(c)ライプツィヒ・コングレスハーレ
原盤:ドイツ・シャルプラッテン
ヘルマン・アーベントロート(指揮)
アーベントロート
【参考】初出LPのアートワーク(徳間 ET1502~3、1974年5月発売)
宇野功芳(ブックレット解説より)
★アーベントロートの「第九」について
アーベントロートの「第九」には二つの有名な録音がある。一つはベルリン放送交響楽団を振った1950年ライヴ、もう一つがこのライプツィヒ放送交響楽団を振った51年の放送録音である。両者の演奏間隔は半年しか開いていないので、当然スタイルは似ているが、51年盤の方が音質が良く、形の崩れも少ない。50年盤は音が荒れている上、えげつないほど表情が過激で、やはり聴衆の有無が演奏に影響をあたえており、どちらを採るかは好みに任せるしかあるまい。そうはいっても51年盤の第3楽章の超スロー・テンポ、終楽章の極端に自由なテンポはアーベントロートならではだが、50年の徹底した迫真ライヴに比すると、今一つ吹っ切れなさが残り、ぼくは最初の二つの楽章を採りたい。
第1楽章は当時としてはかなり早いテンポを基調に、自然な動きを伴って進められるが、その造型といい、意味深いひびきといい、有機的な迫力といい、どこにもいやなところがなく、まずは理想的な第1楽章の一つといえよう。冒頭の弦の動機の強さ、意志的な行進リズム、第2テーマのスムーズなテンポ変化、展開部のフーガにおける緊迫した前進性など、実に見事な巨匠芸だ。再現部冒頭など、意識的に抑制したフルトヴェングラーよりもはるかに凄絶だし、コーダも十二分に満足できる。第2楽章も速いテンポで阿修羅のようなものすごい迫力を聴かせ、ここでもフルトヴェングラーを凌ぐ部分が多い。これは大したことなのだ。(以下略)
★ブラームス「第3」の演奏について
アーベントロートはブラームスの交響曲を3曲録音しており、いずれも凄まじい気迫と、大きなテンポの変転を伴ったロマンティックな情緒が際立った名演であるが、それらの中でいちばん安心して聴けるのは、この「第3」であろう。録音が優れているだけでなく、表現も最も自然だからである。
第1楽章は冒頭から激しい気迫に溢れており、一気呵成の寄り身を見せる。テンポは他の誰よりも速いが、12小節から大きくリタルダンドをかけ、15小節で再び速めてゆく。この動きはブルーノ・ワルターの表現とそっくりである。第2主題は神秘的な思い入れがなく、音楽の流れを最優先させているが、こうしたトスカニーニ流の良さも全曲を通じてしばしば現われる。テーマの終りの部分には味の濃いリタルダンドがあり、展開部冒頭のものすごい緊迫感を伴ったテンポの煽り方はフルトヴェングラーに次ぐ。このようにアーベントロートの表現には当時の他の大指揮者たちのスタイルが渾然と融け合って現われ、同じブラームスでも「第4」あたりになるとメンゲルベルクのような様式化されたテンポの動きさえ表現する。しかし彼の場合、それらが決して真似事ではなく、むしろ彼等の良い面だけを集約して持っている趣さえあり、まことに興味が尽きない。再現部直前のクレッシェンド、コーダ冒頭の激烈さなども、指揮者のデモーニッシュな血の騒ぎがオーケス
トラに乗り移った瞬間であり、まさに巨匠ならではの芸といえるだろう。(以下略)
★チャイコフスキーの「悲愴」について
アーベントロートの20点におよぶレコードの中でベスト・ワンを挙げよ、といわれたら、僕は躊躇なくハイドンの「第88番」かチャイコフスキーの「悲愴」を選ぶだろう。ハイドンの方は他の大指揮者たちのレコードを大きく上廻り、チャイコフスキーはメンゲルベルクやムラヴィンスキーに匹敵する。超名演は中間の2つの楽章だ。第2楽章アレグロ・コン・グラツィアの主題の美しさはどうだろう。チェロがアーベントロートの指揮棒に魅せられたのかのように歌う。揺れるように歌う。カンタービレとリズミックな進行の巧みな交代は、名人芸であるとともに、それを超えた驚くべき音楽性の勝利である。むせかえるような情緒も最高だし、中間部に向うリタルダンドも実に自然で間が良い。(以下略)
★モーツァルトの演奏について
このCDに収められたモーツァルト3曲は、いずれもアーベントロートの晩年の放送録音である。聴衆こそ居ないが、一発勝負の連続演奏であり、通常のスタジオ録音とは次元の違う高みに到達しているのも当然といえよう。(中略)僕はアーベントロートの演奏がことごとく《主観的》という意見には賛成しかねる。なるほどチャイコフスキーの「悲愴」やベートーヴェンの「第九」は主観的である。前者のフィナーレなど、おどろくほどであるが、そんな彼がこの「ジュピター」では微動だにせぬイン・テンポを守り、《客観的》な演奏を成就しているのだ。問題はその両方がすばらしいということである。チャイコフスキーのように大きくテンポを崩し、劇的な起伏を強くあたえながら、しかも人工的に陥らず、絶大な効果を挙げるのもむずかしいが、モーツァルトのようにイン・テンポで押してゆき、少しも無味乾燥にならず、強い感動をあたえるのは、それ以上に至難な業である。桁はずれな表現力を持つアーベントロートが、チャイコフスキーのような演奏を示し得るのは、あえていえば当然であるが、「ジュピター」の表現は才能を鍛えに鍛えていった結果、獲得されたものにちがいない。すなわち晩年のアーベントロートにとって、いかなる表現も自由自在だった。演奏の奥義をきわめていたからである。
★ハイドンの演奏について
アーベントロートのディスクからベスト2を選ぶとすれば、順不同で、このハイドンの2曲とチャイコフスキーの「悲愴」が挙げられるだろう。いや、彼の最高傑作であるばかりか、すべての同曲レコード中、ベスト・ワンに推したい。とくに「第88番」はフルトヴェングラー、ワルター、クレンペラー、クナッパーツブッシュ、バーンスタインなどを大きく引き離したダントツのトップなのである。
ヘルマン・アーベントロートは、1956年5月29日、73歳の生涯を閉じたドイツの名指揮者だが、このハイドンは彼の死の年の放送録音であり、音質も良く、まさに人類の持つ至宝といえよう。「第88番」はハイドンの交響曲の中では地味な存在だが、内容の充実していることでは屈指であり、その魅力を100パーセント伝えているのがアーベントロート盤なのだ。(以下略))
https://tower.jp/article/feature_item/2022/08/19/1112
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2023/09/02 (Sat) 02:46:38
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ベートーヴェン交響曲第1・3・4・5・6・7・8・9番、他(5CD)
https://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%EF%BC%881770-1827%EF%BC%89_000000000034571/item_%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC%EF%BC%91%E3%83%BB%EF%BC%93%E3%83%BB%EF%BC%94%E3%83%BB%EF%BC%95%E3%83%BB%EF%BC%96%E3%83%BB%EF%BC%97%E3%83%BB%EF%BC%98%E3%83%BB%EF%BC%99%E7%95%AA%E3%80%81%E4%BB%96-%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%88%EF%BC%88%EF%BC%95%EF%BC%A3%EF%BC%A4%EF%BC%89_5987258
往年のドイツの巨匠ヘルマン・アーベントロート[1883-1956]の芸風は、個性的な味わいに富むもので、多彩をきわめた緩急と強弱のコントロールにより、白熱する劇的な効果から憂いに満ちた優しさに至るまで幅広い表現を追求、ベートーヴェンも大編成で演奏してそうした手法で一貫、ユニークな魅力を作品から引き出しています。(HMV)
【収録情報】
ベートーヴェン:
● 交響曲第1番ハ長調作品21
ライプツィヒ放送交響楽団
1949年12月4日(セッション)
● 交響曲第3番変ホ長調作品55『英雄』
ベルリン放送交響楽団
1954年2月13日(ライヴ)
● 交響曲第4番変ロ長調作品60
ライプツィヒ放送交響楽団
1949年12月4日(セッション)
● 交響曲第5番ハ短調作品67『運命』
ベルリン・フィル
1937年11月27日(セッション)
● 交響曲第6番ヘ長調作品68『田園』
1950年6月18日(セッション)
● 交響曲第7番イ長調作品92
ワルシャワ・フィル
1954年5月16日(ライヴ)
● 交響曲第8番ヘ長調作品93
ゲヴァントハウス管弦楽団
1944年12月27日(セッション)
● 交響曲第9番ニ短調作品125『合唱』
ライプツィヒ放送交響楽団
1951年6月29日(セッション)
● ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品61
ベルリン放送交響楽団
1952年3月31日(ライヴ)
● レオノーレ序曲第3番
ライプツィヒ放送交響楽団
1950年8月15日(セッション)
● 『コリオラン』序曲
ライプツィヒ放送交響楽団
1949年5月27日(セッション)
● 『エグモント』序曲
ベルリン放送交響楽団
1954年2月13日(セッション)
ダヴィド・オイストラフ(ヴァイオリン)
エディット・ラウクス(S)
ディアナ・オイストラティ(A)
ルートヴィヒ・ズートハウス(T)
カール・パウル(Bs)
ライプツィヒ放送合唱団
ライプツィヒ音楽大学合唱団
ヘルマン・アーベントロート(指揮)
https://www.hmv.co.jp/artist_%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%EF%BC%881770-1827%EF%BC%89_000000000034571/item_%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC%EF%BC%91%E3%83%BB%EF%BC%93%E3%83%BB%EF%BC%94%E3%83%BB%EF%BC%95%E3%83%BB%EF%BC%96%E3%83%BB%EF%BC%97%E3%83%BB%EF%BC%98%E3%83%BB%EF%BC%99%E7%95%AA%E3%80%81%E4%BB%96-%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%B3%E3%83%88%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%88%EF%BC%88%EF%BC%95%EF%BC%A3%EF%BC%A4%EF%BC%89_5987258
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2023/09/29 (Fri) 23:19:43
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宇野功芳監修によるアーベントロートのCDベスト5、最新リマスターで復活!『アーベントロート不滅の遺産』(5枚組)
https://tower.jp/article/feature_item/2022/08/19/1112
凄まじい情熱!
ついに原音でよみがえったドイツの巨匠!
ヘルマン・アーベントロートはフルトヴェングラーやクナッパーツブッシュと同世代のドイツの巨匠指揮者。旧東ドイツのライプツィヒを拠点に活躍していたため、西側にとっては"幻"の指揮者でしたが、ドイツ・シャルプラッテンと契約した徳間音工が"幻"の音源を発掘、1974年にLPシリーズで発売、「悲愴」「第九」「ブラ3」「ハイドンV字」等、宇野功芳の推薦紹介とあいまって、レコード業界に大反響をまきおこしました。2008年にはキングレコードが宇野功芳に監修を依頼、LPで20枚分ある音源の中から推薦演奏のみ厳選し、CD5点を発売。ベストセラーを記録しています(「アーベントロートの芸術」KICC-701~5)。
廃盤になって久しいアーベントロート不滅の遺産CD5枚がセットとなってキングインターナショナルから登場!2トラック、38㎝/秒速のアナログ・マスターテープより、キング関口台スタジオでデジタル・リマスタリングをおこない、音にいっそう磨きをかけて発売します。巨匠の内奥にまで迫ったアナログ本来の音再現にご注目ください。ブックレットは宇野功芳の“熱烈"解説(22,000字)を転載します。
宇野功芳(ブックレット解説より)
「アーベントロートはワルターより7つ、シューリヒトより3つ年下であり、クレンペラーより2つ、フルトヴェングラーより3つ年上である。ゲヴァントハウス管弦楽団ではワルターの後任、コンヴィチュニーの前任であった。まさに大指揮者の時代の輝かしい一人である。第2次大戦後、東ドイツを拠点としたため、レコード発売が遅れてしまったわけだが、現在残された20点の演奏は、そのほとんどが名演であり、わけてもヘンデル、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーなど、実にすばらしい。録音も含めて僕がとくに推賞したいのはハイドンの「第88番」とチャイコフスキーの「悲愴」であり、つづいてヘンデルの「二重協奏曲」、ハイドンの「第97番」、モーツァルトの「ジュピター」、同じく「ディヴェルティメントK205」、ベートーヴェンの「第9」における前半の2つの楽章、ブラームスの「第3」も絶品だ。また録音がやや古いのを我慢すれば、ブラームスの「第1」やチャイコフスキーの「第4」も絶対に聴き逃せない。このシリーズはいずれも1949年から56年にかけて行われた放送用の録音で、一回限りの演奏であるため、流れに血が通っているのも大きな特長である。」(1989年記)
【CD 1】
ベートーヴェン: 交響曲第9番 ニ短調Op.125「合唱」
ライプツィヒ放送交響楽団
エディット・ラウクス(ソプラノ)/ディアナ・オイストラティ(アルト)/
ルートヴィヒ・ズートハウス(テノール)/カール・パウル(バス)/
ライプツィヒ放送合唱団/ライプツィヒ音楽大学合唱団
録音:1951 年6月29日(a)
【CD 2】
ブラームス:
交響曲 第1番 ハ短調 Op.68
交響曲 第3番 ヘ短調 Op.90 *
ライプツィヒ放送交響楽団
録音:1949年10月20日(a) / 1952 年3月17日(c) *
【CD3】
チャイコフスキー:交響曲 第6番 ロ短調 Op.74「悲愴」
ライプツィヒ放送交響楽団
録音:1952 年1月28日(a)
【CD 4】
モーツァルト:
交響曲 第41番 ハ長調 KV 551「ジュピター」
ディヴェルティメント 第7番 ニ長調 KV 205
セレナード 第8番 ニ長調 K.286「ノットゥルノ」*
ライプツィヒ放送交響楽団/ベルリン放送交響楽団*
録音:1956 年3月26日(a) / 1956 年4月12日(b) *
【CD 5】
ハイドン:
交響曲 第88番 ト長調「V字」
交響曲 第97番 ハ長調*
ヘンデル:
管弦楽のための二重協奏曲 第3番 ヘ長調*
ライプツィヒ放送交響楽団/ベルリン放送交響楽団*
録音:1956 年(a) / 1955 年9月15日(b) *
(a)ライプツィヒ放送局 SRK ホール
(b)ベルリン放送局 SRK ホール
(c)ライプツィヒ・コングレスハーレ
原盤:ドイツ・シャルプラッテン
ヘルマン・アーベントロート(指揮)
宇野功芳(ブックレット解説より)
★アーベントロートの「第九」について
アーベントロートの「第九」には二つの有名な録音がある。一つはベルリン放送交響楽団を振った1950年ライヴ、もう一つがこのライプツィヒ放送交響楽団を振った51年の放送録音である。両者の演奏間隔は半年しか開いていないので、当然スタイルは似ているが、51年盤の方が音質が良く、形の崩れも少ない。50年盤は音が荒れている上、えげつないほど表情が過激で、やはり聴衆の有無が演奏に影響をあたえており、どちらを採るかは好みに任せるしかあるまい。そうはいっても51年盤の第3楽章の超スロー・テンポ、終楽章の極端に自由なテンポはアーベントロートならではだが、50年の徹底した迫真ライヴに比すると、今一つ吹っ切れなさが残り、ぼくは最初の二つの楽章を採りたい。
第1楽章は当時としてはかなり早いテンポを基調に、自然な動きを伴って進められるが、その造型といい、意味深いひびきといい、有機的な迫力といい、どこにもいやなところがなく、まずは理想的な第1楽章の一つといえよう。冒頭の弦の動機の強さ、意志的な行進リズム、第2テーマのスムーズなテンポ変化、展開部のフーガにおける緊迫した前進性など、実に見事な巨匠芸だ。再現部冒頭など、意識的に抑制したフルトヴェングラーよりもはるかに凄絶だし、コーダも十二分に満足できる。第2楽章も速いテンポで阿修羅のようなものすごい迫力を聴かせ、ここでもフルトヴェングラーを凌ぐ部分が多い。これは大したことなのだ。(以下略)
★ブラームス「第3」の演奏について
アーベントロートはブラームスの交響曲を3曲録音しており、いずれも凄まじい気迫と、大きなテンポの変転を伴ったロマンティックな情緒が際立った名演であるが、それらの中でいちばん安心して聴けるのは、この「第3」であろう。録音が優れているだけでなく、表現も最も自然だからである。
第1楽章は冒頭から激しい気迫に溢れており、一気呵成の寄り身を見せる。テンポは他の誰よりも速いが、12小節から大きくリタルダンドをかけ、15小節で再び速めてゆく。この動きはブルーノ・ワルターの表現とそっくりである。第2主題は神秘的な思い入れがなく、音楽の流れを最優先させているが、こうしたトスカニーニ流の良さも全曲を通じてしばしば現われる。テーマの終りの部分には味の濃いリタルダンドがあり、展開部冒頭のものすごい緊迫感を伴ったテンポの煽り方はフルトヴェングラーに次ぐ。このようにアーベントロートの表現には当時の他の大指揮者たちのスタイルが渾然と融け合って現われ、同じブラームスでも「第4」あたりになるとメンゲルベルクのような様式化されたテンポの動きさえ表現する。しかし彼の場合、それらが決して真似事ではなく、むしろ彼等の良い面だけを集約して持っている趣さえあり、まことに興味が尽きない。再現部直前のクレッシェンド、コーダ冒頭の激烈さなども、指揮者のデモーニッシュな血の騒ぎがオーケス
トラに乗り移った瞬間であり、まさに巨匠ならではの芸といえるだろう。(以下略)
★チャイコフスキーの「悲愴」について
アーベントロートの20点におよぶレコードの中でベスト・ワンを挙げよ、といわれたら、僕は躊躇なくハイドンの「第88番」かチャイコフスキーの「悲愴」を選ぶだろう。ハイドンの方は他の大指揮者たちのレコードを大きく上廻り、チャイコフスキーはメンゲルベルクやムラヴィンスキーに匹敵する。超名演は中間の2つの楽章だ。第2楽章アレグロ・コン・グラツィアの主題の美しさはどうだろう。チェロがアーベントロートの指揮棒に魅せられたのかのように歌う。揺れるように歌う。カンタービレとリズミックな進行の巧みな交代は、名人芸であるとともに、それを超えた驚くべき音楽性の勝利である。むせかえるような情緒も最高だし、中間部に向うリタルダンドも実に自然で間が良い。(以下略)
★モーツァルトの演奏について
このCDに収められたモーツァルト3曲は、いずれもアーベントロートの晩年の放送録音である。聴衆こそ居ないが、一発勝負の連続演奏であり、通常のスタジオ録音とは次元の違う高みに到達しているのも当然といえよう。(中略)僕はアーベントロートの演奏がことごとく《主観的》という意見には賛成しかねる。なるほどチャイコフスキーの「悲愴」やベートーヴェンの「第九」は主観的である。前者のフィナーレなど、おどろくほどであるが、そんな彼がこの「ジュピター」では微動だにせぬイン・テンポを守り、《客観的》な演奏を成就しているのだ。問題はその両方がすばらしいということである。チャイコフスキーのように大きくテンポを崩し、劇的な起伏を強くあたえながら、しかも人工的に陥らず、絶大な効果を挙げるのもむずかしいが、モーツァルトのようにイン・テンポで押してゆき、少しも無味乾燥にならず、強い感動をあたえるのは、それ以上に至難な業である。桁はずれな表現力を持つアーベントロートが、チャイコフスキーのような演奏を示し得るのは、あえていえば当然であるが、「ジュピター」の表現は才能を鍛えに鍛えていった結果、獲得されたものにちがいない。すなわち晩年のアーベントロートにとって、いかなる表現も自由自在だった。演奏の奥義をきわめていたからである。
★ハイドンの演奏について
アーベントロートのディスクからベスト2を選ぶとすれば、順不同で、このハイドンの2曲とチャイコフスキーの「悲愴」が挙げられるだろう。いや、彼の最高傑作であるばかりか、すべての同曲レコード中、ベスト・ワンに推したい。とくに「第88番」はフルトヴェングラー、ワルター、クレンペラー、クナッパーツブッシュ、バーンスタインなどを大きく引き離したダントツのトップなのである。
ヘルマン・アーベントロートは、1956年5月29日、73歳の生涯を閉じたドイツの名指揮者だが、このハイドンは彼の死の年の放送録音であり、音質も良く、まさに人類の持つ至宝といえよう。「第88番」はハイドンの交響曲の中では地味な存在だが、内容の充実していることでは屈指であり、その魅力を100パーセント伝えているのがアーベントロート盤なのだ。(以下略))
https://tower.jp/article/feature_item/2022/08/19/1112