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カルロス・クライバー(1930年7月3日 - 2004年7月13日)指揮者

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2022/07/24 (Sun) 05:57:31

カルロス・クライバー(Carlos Kleiber、1930年7月3日 - 2004年7月13日)指揮者

カルロス・クライバー(Carlos Kleiber、出生名:カール・ルートヴィヒ・クライバー(Karl Ludwig Kleiber)、1930年7月3日 ベルリン - 2004年7月13日 コニシツァ)は、ドイツ出身の指揮者。第二次世界大戦期にアルゼンチンに亡命し、後に父の国籍であるオーストリア国籍を取得した(居住はしていない)。父は世界的な指揮者であったエーリヒ・クライバー。

出生
父は指揮者で当時ベルリン国立歌劇場音楽監督を務めていたエーリヒ、母はユダヤ系アメリカ人のルース・グッドリッチ(Ruth Goodrich)で、生まれた時にはカール(Karl)と名乗っていた。父親がナチスと衝突、一家でアルゼンチンに亡命するとともに、スペイン語風にカルロスと改名する。

デビュー
カルロスは1950年、ブエノスアイレスで音楽を学び始めるが、父の勧めで1952年からスイスはチューリッヒの連邦工科大学に一旦は入学する。しかし、その翌年にはミュンヘン・ゲルトナープラッツ劇場の無給練習指揮者になり、父の手助けで1954年にはポツダムの劇場でミレッカーのオペレッタ『ガスパローネ』を振って指揮者デビューを飾る。この時彼は有名指揮者である父の七光りで判断される事を嫌ったのか、あるいは指揮者になる事を反対していた父エーリヒへの配慮か「カール・ケラー」という芸名を用いている(カルロスのデビューに際し、エーリヒは『幸運を祈る 老ケラーより』と打電したという)。父は指揮者志望の息子に助言を与え、劇場関係者に紹介の労をとる一方、公の場で息子の音楽活動を手厳しく批判したこともあった。偉大な指揮者である父との関係は息子の指揮者人生に複雑で深い影を投げかける事になる。

世界的指揮者へ
その後、デュッセルドルフ、チューリッヒ、シュトゥットガルトなどの歌劇場で第1指揮者を務め、1968年にはバイエルン国立歌劇場の指揮者となり名声を確立する。1973年、ウィーン国立歌劇場に『トリスタンとイゾルデ』でデビューし、翌年6月にはロンドンのロイヤル・オペラに『ばらの騎士』で、7月にはバイロイト音楽祭に『トリスタンとイゾルデ』でデビューを果たす。1978年にはシカゴ交響楽団を指揮してアメリカデビュー。その後も世界の著名な歌劇場やオーケストラの指揮台に立つが、一度も特定の楽団や歌劇場と音楽監督などの常任契約を結ぶことなくフリーランスの立場に徹している。

晩年
1980年代後半から指揮の回数が2,3年に数回のペースとなってゆく(指揮したオーケストラは主にバイエルン国立歌劇場管弦楽団、ウィーン・フィル、ベルリン・フィルなど)。クライバーがどこかのオーケストラを指揮するというだけで大ニュースになり、首尾良く演奏会のチケットを入手しても当日、本当に彼が指揮台に立つまでは確かに聴くことができるか保証の限りではなかったが、多くのファンが彼の演奏会を待ち望んでいた。

しかし、1999年1月から2月にかけてバイエルン放送交響楽団を指揮したのを最後に公の場からほぼ姿を消した。そして2004年7月13日、バレエダンサーの妻 Stanka Brezovar(英語版)の故郷スロベニアにて闘病生活(前立腺癌[1])の末に死去。74歳没。前年に妻を亡くし非常に落胆していたという情報からか、生前のクライバーを知る人の間には自殺説も流れた。


逸話
クライバーはその指揮の回数の少なさに比例してレコーディングの数は少なかったが、ウィーン・フィルとのベートーヴェンの交響曲第5番、第7番とブラームスの交響曲第4番(いずれもドイツ・グラモフォンによる録音)は、評判が高い。ウィーン・フィル以外の録音では、バイエルン国立管弦楽団を指揮したベートーヴェンの『交響曲第4番』が、発売当初から好評を巻き起こした。オペラ録音でも『魔弾の射手』『椿姫』『トリスタンとイゾルデ』(以上録音)『こうもり』(録音と映像)『カルメン』(映像)『ばらの騎士』(映像2種)など数少ないものの、それぞれ各曲の名演とされる演奏記録である[2]。しかし『ラ・ボエーム』など多くの録音セッションがクライバー自身の放棄により中断してしまっている。その正規録音の少なさに比例して、放送録音やファンによる会場録音から製作された多くの海賊盤が市場に出回っている。彼はレパートリーを少なく限定し、リハーサルの時間を同時代のチェリビダッケに匹敵するほど多くとり、自分の意に沿わないとわかった仕事は次々とキャンセルするという仕事のスタイルを採り続けた。キャンセルにより代替指揮者が立つリスクがあるにもかかわらず、常にチケットは売り切れた。クライバーは生涯、およそ845回の歌劇・バレエと120回のコンサートの公演を行っている[3][注釈 1]。

ドイツ系の若手指揮者不足が問題化された時期でもあり、カルロスは数少ない希望の星として擬せられたこともあるが、彼自身はそうした期待とはまったく逆の方向へと走っていったといえる。クライバー自身はインタビュー嫌いで有名であり、自身の信条を開陳することはめったになかったが、親交のあったバーンスタインに「私は庭の野菜のように太陽を浴びて成長し、食べて、飲み、愛し合いたいだけ」とこぼしている。しかし、その舞台回数の少なさは、彼のこと音楽に関する極度の神経過敏[4]と、父エーリヒと比較されることへの恐怖心から来るものといわれている。

ウィーン・フィル
クライバーが指揮した数少ないオーケストラの一つであるウィーン・フィルは、1974年にベートーヴェンの「交響曲第5番」のレコーディング・セッションで初共演して以来、良好な関係を保ち続けるであろうと思われたが、1982年12月にベートーヴェンの「交響曲第4番」を練習中、意見の相違で楽員と対立し、定期演奏会をキャンセルしてしまう(「テレーズ事件」と呼ばれている[5])。6年間の空白の後、1988年3月に和解して再び指揮台に立ち、モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」とブラームスの交響曲第2番で、このときはあまりの練習の多さでミスが目立ったが、以来回数は決して多くないものの演奏を繰り広げた。1989年と1992年にはウィーン・フィルの有名なニューイヤーコンサートを指揮している[6]。

リハーサル
映像に残る彼のリハーサル風景は、楽員に対し彼の音楽解釈を比喩的な表現を用いて事細かく説明するものである(この点に関して父エーリヒも同様だったという)。またリハーサルの前には必ず作曲家の自筆譜を調べ、他の演奏家による録音を入手して演奏解釈をチェックし、また父エーリヒが使用した総譜を研究するなど入念に準備を行った。しかし細かいリハーサルに対し、本番は独特の流麗優美な指揮姿[7]で、観客を(そしてオーケストラの楽員や同僚の音楽家までも)魅了した(それらは幸い多くの映像に残されており、オペラ映像では舞台上で歌が続く最中にピットの指揮姿だけを1分以上映し続けるという、常識ではありえない編集が行われているものもある)。その指揮から溢れ出る音楽は、めくるめくスピード感、リズム感、色彩の鮮やかさ、詩情の美しさで群を抜いており、世間からしばしば「天才指揮者」と称せられた。またその疾走するような若々しさから、カルロスは常に新時代をリードする音楽家とされてきたが、実際はオーケストラを対向配置(第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンが左右に向き合う配置)にしたり、楽譜に改変を行ったり、楽曲のある部分では弦楽器の弓使いをプルトごとに上下逆に弾かせるといった、第2次世界大戦以前に盛んだった方式を用いることが多く、父エーリヒの強い影響の下に旧時代の指揮者たちの流れを汲んでいると見るのが妥当である。オーケストラのパート譜は自分で所有してボウイングなど細かい指示を書き込んで常にそれをリハーサルで使わせたという話である[8]。

評価
20世紀を代表する指揮者のカール・ベームは、ドイツ「シュテルン」誌(1981年8月20日号)のインタビューの中で、次の世代の若手指揮者で唯一才能を認めた指揮者として、カルロスをあげている。そこでは「カルロスは天才的な男だよ。父親のようにね」(だけど)「やっぱり(父親と同じく)気難しい男でね、周りの者がてこずってるよ」「彼にはいつも『お前は紡ぎ手だね。人を魅了する紡ぎ手だよ』と言ってるよ」と答えている。ベームとは特に親しかったらしく、バイエルン国立歌劇場でのベーム追悼演奏会を指揮している。その際に演奏(録音)されたものがベートーヴェンの交響曲第4番である。カラヤンは彼を正真正銘の天才と評しており[9](ヨアヒム・カイザーの談話)、またバーンスタインはクライバーの指揮したプッチーニの『ラ・ボエーム』を「最も美しい聴体験の一つ」だと語っている。


ディスコグラフィ
前述の通り、クライバーが極端にレコーディングを避けていたため、正規の音源は以下のもので全てである(初出LDと記した映像ソースはすべてのちにDVD化されている)。ただし、レコーディングはしたもののクライバーが発売を差し止めたという音源も存在するため、これからそういった音源が発掘されて、正規盤として発売される可能性は大いにある(ちなみにその差し止めとなった音源にはリヒャルト・シュトラウス「英雄の生涯」や「ばらの騎士」などがある)。オペラの公演映像についても同様である。また、リハーサルは開始されたものの中断され、レコーディングに至らなかったものとしては、アルトゥーロ・ベネデッティ・ミケランジェリとのベートーヴェン「皇帝」などがある。数少ない正規録音の中で最大の比率を占めるのがヨハン・シュトラウスであり、たとえ同じ作曲家であっても、嗜好の合わない曲を演奏するのを避けたクライバーにあっては異例なことである。他に、1970年にシュトゥットガルト放送交響楽団を指揮した「魔弾の射手」「こうもり」の各序曲のリハーサルを収録したTV番組がDVD化されており、本番も収録されているので、これも正規録音に含めることが可能である。「こうもり」序曲は、ソフト化はされていないが1986年来日公演のものもNHKが収録放映しており、3つのオーケストラによる4つのライブ映像(うち1つは全曲公演の一部)と1つのスタジオ録音(全曲録音の一部)が流通している状態である。

ウェーバー:歌劇「魔弾の射手」(全曲)、初出:1973年12月(LP) シュターツカペレ・ドレスデン
ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調Op.67「運命」、初出:1975年7月(LP) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」(全曲)、初出:1976年10月(LP) バイエルン国立管弦楽団
ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調Op.92、初出:1976年12月(LP) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ドヴォルザーク:ピアノ協奏曲ト短調Op.33、初出:1977年8月(LP) バイエルン国立管弦楽団、スヴャトスラフ・リヒテル(ピアノ)
ヴェルディ:歌劇「椿姫」(全曲)、初出:1978年2月(LP)バイエルン国立管弦楽団
シューベルト:交響曲第8(7)番ロ短調D.759「未完成」、交響曲第3番ニ長調D.200、初出:1979年12月(LP) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ブラームス:交響曲第4番ホ短調Op.98、初出:1981年5月(LP) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ワーグナー:楽劇「トリスタンとイゾルデ」(全曲)、初出:1982年12月(LP) シュターツカペレ・ドレスデン
ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調Op.60、初出:1984年9月(LP) バイエルン国立管弦楽団
ベートーヴェン:交響曲第4番変ロ長調Op.60、交響曲第7番イ長調Op.92、初出:1988年1月(LD) アムステルダム・コンセルトヘボウ管弦楽団
ヨハン・シュトラウス2世:喜歌劇「こうもり」(全曲)、初出:1988年4月(LD) バイエルン国立管弦楽団
リヒャルト・シュトラウス:楽劇「ばらの騎士」(全曲)、初出:1988年6月(LD) バイエルン国立管弦楽団
ニューイヤーコンサート1989、初出:1989年5月(CD)、1989年7月(LD) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ニューイヤーコンサート1992、初出:1992年4月(CD、LD) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
モーツァルト:交響曲第36番ハ長調K.425「リンツ」、ブラームス:交響曲第2番ニ長調Op.73、初出:1993年2月(LD) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
シュトラウス:楽劇「ばらの騎士」(全曲)、初出:1994年9月(LD) ウィーン国立歌劇場管弦楽団
ベートーヴェン:交響曲第6番ヘ長調Op.68、初出:2004年3月(CD)[17] バイエルン国立管弦楽団
ベートーヴェン:序曲《コリオラン》Op.62、モーツァルト交響曲第33番変ロ長調K.319、ブラームス:交響曲第4番ホ短調Op.98、初出:2004年12月(DVD)[18] バイエルン国立管弦楽団
ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調Op.92、初出:2006年1月(SACD) バイエルン国立管弦楽団
シュトラウス:楽劇「ばらの騎士」(全曲)、初出:2008年10月(SACD) バイエルン国立管弦楽団この演奏はバイエルンだけで通算82回演奏されたうちの1973年7月13日のミュンヘン・オペラ祭に録音されたもののライヴで、ヴィデオのものとは違う音源。


ドキュメンタリー
Georg Wübbolt 『Ich bin der Welt abhanden gekommen』(邦題『アイ・アム・ロスト・トゥ・ザ・ワールド』、2010年)[19]
このドキュメンタリーのタイトル『Ich bin der Welt abhanden gekommen』は、マーラーの『リュッケルトの詩による5つの歌曲』の「私は俗世から離れて」[20] からとられている。「私はこの世から姿を消してしまった。そこでは多くの時間を無駄に過ごしてしまった。消息を聞かなくなってから随分経つでしょう。きっともうすっかり死んだと思われているんだろうな。そう思われても、私にはどうでもいいこと。何も言うことはないよ。だって本当にこの世では死んでいるんだもの。世の中の騒がしさの中では死んでしまって、私だけの静かな場所で安らいでいる。至福の中で、愛の中で、私だけの歌の中でひとりで生きているんだ。」
<出演>カルロス・クライバー、スタンカ(妻)、リッカルド・ムーティ、ヴォルフガング・サヴァリッシュ、オットー・シェンク(演出家)、マーティン・エングストローム(仏語版)(レコード会社プロデューサー)、イレアナ・コトルバシュ(歌手)ほか
<監督>ゲオルク・ヴュープボルト [21], [22]
ドイツで制作された音楽関係者にカルロス・クライバーについて語ってもらったインタビューと彼のリハーサル風景を合わせたドキュメンタリーである。NHK-BSプレミアムで「カルロス・クライバー ~ロスト・トゥー・ザ・ワールド~」というタイトルで放送された。冒頭から随所に「トリスタンとイゾルデ」のリハーサル映像の指揮ぶりが挿入される。「テレーズ事件」の音声も採録されている。

Eric Schulz 『Traces to Nowhere』(邦題『無への足跡』、2010年)[23]
このドキュメンタリーは、南ドイツの放送局「SERVUS TV」で制作された。

<出演>カルロス・クライバー、プラシド・ドミンゴ、ブリギッテ・ファスベンダー(歌手)、オットー・シェンク(演出家)、ヴェロニカ・クライバー(カルロス・クライバーの実姉)、ミヒャエル・ギーレン、マンフレート・ホーネックほか

<監督>エリック・シュルツ(独語版)[24]

NHK-BSプレミアムで「目的地なきシュプール ~ 指揮者カルロス・クライバー ~」というタイトルで放送された。2004年7月11日、クライバーは、ミュンヘンから自分の車に乗ってアルプス山脈を経由し、別荘まで6時間の道のり、スロベニアのコシニツァへ向かった。ドキュメンタリーでは、クライバーの生い立ちから指揮者デビュー、シュツットガルトでの活躍、バイエルン国立歌劇場(ミュンヘン)での成功、晩年のウィーンでの模様、避けていたザルツブルク音楽祭、そしてスロベニアでの独りきりの死までが辿られている。「魔弾の射手」序曲、「こうもり」序曲などのリハーサル風景が織り込まれ、ヴェロニカ・クライバー(実姉)(2017年4月、ベロニカ・クライバーは、89歳で死去)[25] へのインタビューや、プラシド・ドミンゴ、マンフレート・ホーネックらによるクライバーの指揮法の解説、ブリギッテ・ファスベンダーが語った、クライバーがが東洋の哲学・思想に惹かれていた話などが採録されている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC


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カルロス・クライバー/DG録音全集(12CD+ブルーレイ・オーディオ)

カルロス・クライバーがドイツ・グラモフォンに残した珠玉の音源をすべて収めたCD12枚と、全ての録音を1枚に収めたブルーレイ・オーディオをセットした13枚組。
ブルーレイ・オーディオの音源は、『トリスタンとイゾルデ』以外全て24-bitにリマスターされた音源で収録(『トリスタンとイゾルデ』のみ16-bit)。


【収録情報】
CD1
ウィーン・フィル/ベートーヴェン第5番&第7番

クライバーの交響曲セッション録音第1弾となった『運命』は、1975年にLPで発売されるとすぐに大評判となり、翌年発売された第7番も同じく熱狂的な高評価で迎えられます。
このCDは、そうしたクライバーのカリスマ化に大きな役目を果たしたLP2枚分の演奏をまとめたもので、非常にお得な内容となっています。

● ベートーヴェン:交響曲第5番ハ短調 Op.67
● ベートーヴェン:交響曲第7番イ長調 Op.92
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
カルロス・クライバー(指揮)

録音時期:1974年3&4月、1975年11月、1976年1月
録音場所:ウィーン、ムジークフェラインザール
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)


CD2
ウィーン・フィル/ブラームス第4番

クライバーのデジタル録音第1弾で、LP発売時は銀色に輝くジャケットデザインも話題になったアルバム。レコーディングの精度が上がったこともあり、隠し味的な部分も含め、細部まで徹底的に表現が磨きこまれた演奏の凄みが実感できるようになったことでもマニアを大いに喜ばせた録音です。しかも大局的には奔流を思わせるような音楽の進行ぶりでありながら、時に官能的でさえある生々しい生命力をも感じさせてくれる多義的で複雑な味わいは他に類例のないアプローチと言えるかも知れません。クライバーの厳しく細かい要求を完璧に受け止めたウィーン・フィルの驚異的な能力があればこその名演です。

● ブラームス:交響曲第4番ホ短調 Op.98
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
カルロス・クライバー(指揮)

録音時期:1980年3月
録音場所:ウィーン、ムジークフェラインザール
録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)


CD3
ウィーン・フィル/シューベルト第3番&第8番

シューベルト=歌謡的という印象が常識的だった時代に、クライバーは非常にドラマティックな表現を持ち込み、強烈なアクセントとダイナミックな構築のもたらすコントラスト効果により、結果として歌の魅力をさらに際立たせることに成功した演奏。第8番『未完成』はもちろん第3番での豪快なノリの良い演奏も素晴らしい聴きものです。

● シューベルト:交響曲第3番ニ長調 D.200
● シューベルト:交響曲第8(7)番ロ短調 D.759『未完成』
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
カルロス・クライバー(指揮)

録音時期:1978年9月
録音場所:ウィーン、ムジークフェラインザール
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)


CD4-5
バイエルン国立歌劇場/J.シュトラウス『こうもり』全曲

クライバーのオペラ録音第2弾。バイエルン国立歌劇場の指揮者になって7年目の録音だけに、細部まで息の合ったアンサンブル、繊細で俊敏なリズムの切れ味に、ヨハン・シュトラウスの天才が改めて浮き彫りにされる稀有な演奏です。この録音の11年後のライヴ映像と較べると、クライバーの意思の徹底振りの凄さに驚かされること間違い無しの演奏です。ヴァラディ、ルネ・コロ、ルチア・ポップ、ヴァイクルなど歌手も高水準。

● J.シュトラウス2世:喜歌劇『こうもり』全3幕
ヘルマン・プライ
ユリア・ヴァラディ
ルネ・コロ
ルチア・ポップ
ベルント・ヴァイクル、他
バイエルン国立歌劇場合唱団
バイエルン国立歌劇場管弦楽団
カルロス・クライバー(指揮)

録音時期:1975年10月
録音場所:ミュンヘン、ヘルクレスザール
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)


CD6-7
バイエルン国立歌劇場/ヴェルディ『椿姫』全曲

多くの場合、抒情的に演奏される作品から、おそろしいほどの緊張感と起爆力を引き出して聴衆のド肝を抜いたこの演奏、クライバーとしても若いころだけのものだった動的な感覚の凄みと冴えが、随所で驚きと興奮をもたらして実に刺激的です。
イタリア・オペラなのに、全編「音が立ってる」という感じのスゴイ演奏で、鋭利なフォルテ、強弱の振幅、歌手の感情表現の高揚に合わせ速度を上げていく劇的な手法など、表現意欲の凄まじさには目を見張らされるばかりです。
なお、第2幕冒頭のカバレッタでは、ここでは慣習に従い最後の音を上げています。当時のドミンゴは高域が苦手だったこともあってか、ファルセットのような妙な音になっていますが、これはLP時代から有名なもので、今回もそのままの状態となっています。

● ヴェルディ:歌劇『椿姫』全3幕
イレアナ・コトルバス
プラシド・ドミンゴ
シェリル・ミルンズ、他
バイエルン国立歌劇場合唱団
バイエルン国立歌劇場管弦楽団
カルロス・クライバー(指揮)

録音時期:1976年5月、1977年5、6月
録音場所:ミュンヘン、ビュルガーブロイ=ケラー
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)


CD8-10
ワーグナー『トリスタンとイゾルデ』全曲

LPは5枚組で最初のCDは4枚、そしてようやく各幕1枚に収まってフェイドアウト&フェイドインから逃れることとなったクライバーの『トリスタン』。この演奏のすごいところはオーケストラも主役級ということでしょうか。炎のように熱く水のようにしなやか、異常な熱狂と浄化された美感という相反する要素がここでは奇跡的に同居しているのです。マーガレット・プライスの清廉なイゾルデ役、終幕の絶唱が凄いコロのトリスタン役と、キャストも高水準です。

● ワーグナー:楽劇『トリスタンとイゾルデ』全3幕
マーガレット・プライス
ルネ・コロ
ディートリヒ・フィッシャー=ディースカウ
ブリギッテ・ファスベンダー
クルト・モル、他
ライプツィヒ放送合唱団
シュターツカペレ・ドレスデン
カルロス・クライバー(指揮)

録音時期:1980年8&10月、1981年2&4月、1982年2&4月
録音場所:ドレスデン、ルカ教会
録音方式:ステレオ(デジタル/セッション)


CD11-12
ウェーバー『魔弾の射手』全曲

クライバーのテビュー盤。発売当時の批評でも、「文字通りオペラティックとしか言いようがない劇場的魅力」などと早くもその才能を絶賛されていましたが、実際、レントラーなど、通常の演奏とのあまりの違いっぷり、大胆すぎるほどの快速とアクセントの強烈さにド肝を抜かれた方も多かったことでしょう。
許光俊氏も「もし1枚だけというのなら、私はウェーバー「魔弾の射手」を選ぶ。素直に「ああ、すごい」と溜息をつかせるような演奏だ。序曲を聴いただけで、弱音の暗さ、緊張感、ホルンの牧歌的のどかさ、悲痛な弦の歌、膨れあがるような迫力・・・密度の高さにうならされる。」と絶賛するクライバー初期の傑作です。

● ウェーバー:歌劇『魔弾の射手』全3幕
ペーター・シュライアー
グンドゥラ・ヤノヴィッツ
エディト・マティス
テオ・アダム、他
ライプツィヒ放送合唱団
シュターツカペレ・ドレスデン
カルロス・クライバー(指揮)

録音時期:1973年1&2月
録音場所:ドレスデン、ルカ教会
録音方式:ステレオ(アナログ/セッション)
https://www.hmv.co.jp/artist_Box-Set-Classical_000000000088040/item_%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%AD%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%90%E3%83%BC%EF%BC%8FDG%E9%8C%B2%E9%9F%B3%E5%85%A8%E9%9B%86%EF%BC%8812CD%EF%BC%8B%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%83%AC%E3%82%A4%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%82%AA%EF%BC%89_9072443
2:777 :

2022/07/24 (Sun) 05:58:36

宇野功芳:ヴァントがいちばんいい例で、三流、二流、一流、超一流となる。
朝比奈先生も二流だったもんね。

60歳ぐらいから少しずつ一流になってきて、長生きしたおかげで曲によっては超一流になった。


山崎浩太郎:そういう意味ではカルロス・クライバーは、決して亡くなったとき若くはないですけれども、老い、円熟ということは一切なく、カルロス・クライバーという人がそのまま来て、そのままいなくなった。

宇野功芳:ああいう天才型は大体そうだなあ。アルゲリッチもそうだし、ハイドシェックもそうだし、天才型というのは何か進歩しないんだ。
https://kirakuossa.exblog.jp/20038456/


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宇野功芳さんとの和解 2016年06月13日
https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1953389990?org_id=1953541938

クラシック音楽評論家の宇野功芳が亡くなった。
不死身かと思うような活動ぶりだったのではあるが、不死身ということはないとわかる。

他所のコメントで書いたのだが、けっこう個人的な内容なので、自分の日記に移すことにした。

私のクラシック音楽観の49%ぐらいはこの人と共有してきた気がする。

講談社現代新書で出た名曲名盤的な本が大ブレイクしたのではと思うが、私は諸井誠の「交響曲名曲名盤100」がバイブルだったので、諸井氏が推すカラヤン・ショルティ・アバド・レヴァインあたりの権威を、現代風の無機的なものだと、アクの強い文章で一刀両断した宇野氏はどうしても許せなかった。
大学時代に、気取ったクラシック青年と知り合いだったが、彼が宇野氏の信奉者で、ハイドシェックなどの怪しい?CDを持っているのにも失笑していた。
とはいえ、カラヤンのスタジオ録音のベートーヴェンがつまらないとか、小沢征爾より朝比奈隆の不器用さに感動するとかいうのは、同意できたので、どうにも気になって、隠れて何冊も読んでいた。

高校生から大学生にかけて読んだため、自分の発想自体が評論家的・アマチュア主義的になったところもあり、そういう意味では、自分を不良(ワル)くした大人の一人かもしれない。

アバドの若手室内オケとのハイドンを褒めるなど、嫌いな演奏家をたまにもちあげるとよい味があった。

亡くなったことで、単純に和解した気がする。
こういうことはあるのだなと思う。
こういう、精神が自由で、権威におもねらず、一生懸命活動してる人は本来的に好きだったのだ。

宇野評価軸のひとつで、カルロス・クライバーは「真の天才、ただし、深みは往年の巨匠たちに及ばない、指揮姿が美しすぎて音楽が過大評価を受けている、オペラのほうが良い」みたいなことになっている。
私はクライバーの信奉者なので、この「ただし」以降が許せなかったし、気にもなっていた。

最近、クライバーとシカゴ響の「運命」海賊盤を久々で気まぐれに聴いて、強い印象を受けた。
これはマスターテープを変な加工なしで発売できたら、有名なスタジオ録音を、ラディカルさでは一蹴するだろう。

気になっていた「大地の歌」(1967年ライブ録音で、初期海賊盤はひどい音)の正規?盤と、椿姫(1985年あたりの客席録音?)を購入。

「大地の歌」は、聴ける程度の音になっている。
「椿姫」も、割れているが臨場感のある音で、流れるような音楽性は伝わる。
調べると、クライバーの演奏記録は、ほとんどがオペラで、オケコンサートは数えるほどしかない。
宇野氏の言うように、オペラが本領の人だったのは確かだと、はじめてわかった。

オペラはわからず、再生環境もよくなかったので、聴かずにとっておいていた。
ミュージカルを聞き込んだことで、オペラがわかるようになった。

もう、若いころのように、クライバーや宇野氏のようなカリスマに強い影響を受けることもないだろう。
演奏は、それこそ世界に一つだけの花であって、ベスト盤を競うことにさほど意味もないとも気づいた。
しかし、まだ未聴の名曲名盤の宝庫がオペラにたくさんある。
クラシックの趣味のよいところかもしれない。


コメント

mixiユーザー2016年06月13日 20:43

カルロス・クライバーはフェスティバルホールで観ました(ベト4,7)。
あんな美しい指揮姿を見たことはなかったし、これからもないでしょう。
演奏は必ずしも最高ではなかったのですが。
「指揮姿が美しすぎて音楽が過大評価を受けている」
というのは、たしかにそうだと思いました。
あくまでナマ体験の話ですが。
そういう体験をすると、宇野氏のコメントはうなずけるものがあります。

mixiユーザー2016年06月13日 22:45

> mixiユーザー 

生で聴かれたのはうらやましいの一言です。
私は、クライバーもバーンスタインも、チケットは持っていて、キャンセルです。オーディオにはまった原因でしょう。のちに、ニューヨークのブロードウェイで、生で聴いたが吐き気でフラフラだったということもあります。そういう人生みたいです。

クライバーは、椿姫やこうもりやらで、軽やかな響きで胸に染み入るみたいなのが芸風なのだと思います。
ファンにとってはベートーヴェンもブラームスも大事ですが。

mixiユーザー2016年06月14日 03:06

BSのNHKでクラシックコンサートを見ると、時間合わせに演奏家のドキュメントをよく放送してます。「Traces to nowhere」というのがクライバーで、ウィーンフィルとの確執とか、バイエルン時代のうっとりするような演奏している姿とか、「欠点があるとすれば女癖の悪さだけね」とかいう歌手の話とか、テンコモリで面白かったです。

私は彼のスタジオ録音はあんまり好きでなくて、ライブのベートーベン4番とか、最近聞いた「こうもり」がとても好きです。彼はおそらく自殺で、奥さんの死がその引き金だったようです。奥さんは、なんであのクライバーがこの人と、と皆が驚くほどに静かな人でした。売れないオペラ歌手だったか。

想像ですけれど、彼の内面はその奥さんに惹かれたのでしょう。外では、美し過ぎる指揮姿、と言われ、浮名も流してそれもクライバーの確かな一面ながら、晩年につながる種と言うのか本質は、若い頃からあったのかなと思います。確か、とても指揮を嫌がる人だったと、ドキュメントでも言ってました。「冷蔵庫がカラにならないと指揮しない」と、カラヤンに揶揄されてますが、本当に指揮は嫌だったのでしょう。

それやこれやを考えると、クライバーは天才という部類に入ると思います。フルトヴェングラーも。世間との不適合と言う意味で。トスカニーニとカラヤンは入らないと思います。あくまでも私の主観ですが。「Traces to nowhere」とは、行き場がない、ですね。クライバーとしては。

mixiユーザー2016年06月15日 02:16

> mixiユーザー 

ドキュメンタリーはもうひつありますが、思い切ったタイトルだなと思います。
全盛期を知ってる人は、あんなに幸福で生気に満ちた人はいないと思うでしょうが。

私は、シューベルトの「未完成」とか、最晩年のスロヴェニアフィルとのブラ4なんかは好きです。
まさにTraces to nowhereって感じがします。

mixiユーザー2016年06月20日 16:19

われわれの世代は多感な時期に例のベストセラーにたいそう影響を受け、中には信奉といえるまで入れ込む者もおりました。ちょっと滑稽でしたね。個人の趣味のスタイルを完全に影響下に置くようなインパクトのある評論だったとも言えます。
今ふりかえると「フルトヴェングラーかワルターか」という次元の話なのですが、兎に角、今のシーンは随分遠いところに来たものだと思います。

mixiユーザー2016年06月22日 02:16

> mixiユーザー 

最近、地下鉄のトイレで、「そういえば、ベストCDとかって考える必要ないのでは?」と思いました。ベストCDとかを決めねばならない、という思い込みをここまで与えられていたとは・・・  あっぱれです。

https://open.mixi.jp/user/5343821/diary/1953389990?org_id=1953541938
3:777 :

2023/08/28 (Mon) 18:20:58

あげ

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