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セルジュ・チェリビダッケ(1912年7月11日 - 1996年8月14日)指揮者

1:777 :

2022/07/24 (Sun) 00:26:32

クラシック音楽の作曲家の主要作品とその評価
クラシック音楽 一口感想メモ
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クラシック音楽の名曲と歴史的名盤
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クラシック音楽の名演奏家の録音への youtube リンク
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【Windows 10・11】ブルーライトカットの設定方法!
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セルジュ・チェリビダッケ(Sergiu Celibidache, 1912年7月11日 - 1996年8月14日)指揮者


Celibidache - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Celibidache&sp=CAI%253D

Celibidache Beethoven - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Celibidache+Beethoven&sp=CAI%253D

Celibidache Wagner - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Celibidache+Wagner&sp=CAI%253D

Celibidache Bruckner - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Celibidache+Bruckner&sp=CAI%253D

Celibidache Brahms - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Celibidache+Brahms&sp=CAI%253D

Celibidache Debussy - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Celibidache+Debussy&sp=CAI%253D

Celibidache Ravel - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Celibidache+Ravel&sp=CAI%253D

チェリビダッケ ブルックナー交響曲集
Bruckner Symphony conducted by Sergiu Celibidache
https://www.youtube.com/playlist?list=PLDHp-dZKD6X1LXD3NMrEZ0rRjp6Q827vX


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【演奏家紹介】幻の指揮者チェリビダッケ!カラヤン対フルトヴェングラーの歴史に大きく関わった人物!その音楽の魅力を紹介!
車田和寿‐音楽に寄せて 2022/08/17
https://www.youtube.com/watch?v=lOCp_I-PFEc

0:00 オープニング
1:07 その生涯①
3:26 その生涯②
5:48 音と音の結びつき
11:24 ゆっくりなテンポ
13:16 声楽曲は苦手
18:14 おまけ



チェリビダッケ・先入観と予備知識まみれの名指揮者① Celibidache【ヒストリカル解説 Vol.58】お話:徳岡直樹 Naoki Tokuoka
徳岡直樹 Naoki Tokuoka Music Life 2022/09/30
https://www.youtube.com/watch?v=tonfAtqLplA&t=1318s

敗戦後のドイツ、混乱期に突如オーディションをパス、ベルリンフィルの首席指揮者となったセルジュ・チェリビダッケ(1912〜1996)。しかしフルトヴェングラーの後にベルリンフィルが指揮者として選んだのはカラヤンだった。その後チェリビダッケは決して一流とは言えないオーケストラも含めて客演の指揮を始める。やがてベルリンフィル時代とは打って変わった演奏スタイルを確立した… チェリビダッケ連続解説の第一回【解説:徳岡直樹】


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セルジュ・チェリビダッケ - Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%93%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%B1

セルジュ・チェリビダッケ(Sergiu Celibidache, 1912年7月11日 - 1996年8月14日)は、ルーマニアに生まれ、ドイツで活躍した指揮者、作曲家。

1912年、ルーマニア王国のローマン(英語版)生まれ。第一次世界大戦中にヤシに転居、21歳頃まで同地で過ごす。6歳頃からピアノを学びはじめるが、これが直接音楽家を目指す契機にはならなかったようで、27歳になるまで天職を決めかねていたと告白している。父親は彼を政治家にしたがっていたという。ユダヤ文化の中心地であったヤシで育ちユダヤ人と深く交流したため、イディッシュ語も堪能であったばかりでなく、多くの言語に精通したポリグロットであった。また晩年には仏教に改宗し、日本でも多く参禅を行なっている。1996年 死去。84歳没。


指揮者として

ベルリン時代
チェリビダッケは初めパリに留学したが、1936年にベルリンに移り、フリードリヒ・ヴィルヘルム大学やベルリン音楽大学で音楽、数学、哲学などを学んだ。戦時中もベルリンに留まり、同地で終戦を迎えることになる[1]。

戦後、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者だったフルトヴェングラーら有名指揮者たちはナチスとの関係をとがめられ謹慎生活に入り、ロシア出身のレオ・ボルヒャルトが同楽団の暫定首席指揮者となるが、わずか3か月後に米軍の誤射で亡くなってしまう。チェリビダッケはこれを機にベルリン・フィルの指揮台に立つことになるが、その経緯についてははっきりしない。採用の直前に、ベルリン放送交響楽団の指揮者コンクールで優勝しているが、それとの直接的な関係も必ずしも定かではない[2]。 いずれにせよ、チェリビダッケはボルヒャルト死去のわずか6日後にベルリン・フィルの野外コンサートで指揮者デビューを飾る。曲はロッシーニの『セビリアの理髪師』序曲とウェーバーのファゴット協奏曲、そしてドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』であった。その後、暫定的にではあるがベルリン・フィルの首席指揮者に就任した[3]。

1945年当時、チェリビダッケには学生オーケストラを除けば本格的な指揮の経験はほとんどなく、ベルリン・フィルを指揮しながら広大なレパートリーを開拓していった。それはバロック、古典派から近現代の作曲家まで膨大なものに及び、しかも(協奏曲を除き)その全てを暗譜で指揮した[4]。活動初期は評論家の受けもよく、ベルリン・フィルを多く指揮し、フルトヴェングラーの後継候補と謳われた。フルトヴェングラーを深く尊敬していた彼は、フルトヴェングラーの非ナチ化裁判に協力するため奔走し、2年後の1947年にフルトヴェングラーがベルリン・フィルに復帰するのを手助けした。フルトヴェングラーも、チェリビダッケが恒久的な首席指揮者の地位に収まることを望んでいたといわれるが、多くの団員はフルトヴェングラーこそが本来の首席指揮者であり、チェリビダッケの登用は過渡的なものとみなしていた。オーケストラや(とくに年配の)団員たちにとって、チェリビダッケの非妥協的なリハーサルや、しばしば独裁的な気質は不評であり[5]、一方チェリビダッケからみれば、首席指揮者として十分な発言権がないことに不満が溜まっていった[6]。


国際的な客演指揮者として
こうした雰囲気に嫌気がさしたチェリビダッケはベルリン・フィルと距離を置き、ロンドンでの客演活動を始め、さらにヨーロッパ全域から中南米にいたるまで客演の範囲を拡大していった。チェリビダッケとフルトヴェングラーとの友情も失われ、1952年にフルトヴェングラーが「終身首席指揮者」に復帰すると、事態はより決定的となった。この時期、チェリビダッケとベルリン・フィル周辺の関係は破綻していたが、一方でベルリン・フィルでの指揮活動は聴衆や批評家から圧倒的な支持を受けており、1953年にベルリン市の「音楽芸術賞」、1954年には功労十字大勲章を、1955年にはドイツ批評家協会賞を受賞している[7]。

聴衆や批評家はチェリビダッケに熱狂し、オーケストラの団員や幹部は反発を強めるという状況のなか、フルトヴェングラーが肺炎で倒れ、事態は急展開する。1954年11月、フルトヴェングラーが死の病に伏しているさなか、チェリビダッケは『ドイツ・レクイエム』のリハーサルで大衝突を起こし、それから38年後の1992年3月31日に時の大統領ヴァイツゼッカーに請われて最初で最後の復帰を果たすまで、ベルリン・フィルを指揮することはなかった[5]。

フルトヴェングラーの死後、その後継者としてベルリン・フィルはヘルベルト・フォン・カラヤンを選出する。チェリビダッケはその後しばらくイタリアを中心に活動し、サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団やイタリア放送協会 (RAI) に所属する複数のオーケストラ(トリノ、ローマ、ミラノ他)などで客演を重ねた。1960年から1963年まではデンマーク王立管弦楽団、1963年から1971年まではスウェーデン放送交響楽団との結びつきを強めた[8]。

1971年6月に、南ドイツ放送交響楽団(のちのシュトゥットガルト放送交響楽団)創立25周年コンサートでの指揮が好評を博したのがきっかけで、翌1972年に定期客演指揮者となる。以降1977年まで実質的な芸術監督として活動をし、同楽団の水準をドイツの有力オーケストラにまで引き上げた[9]。

ミュンヘン・フィル時代
客演指揮者として各地を転々とし、行く先々で評価を得てきたチェリビダッケであったが、1979年6月、ルドルフ・ケンペの後任を探していたミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任する。きっかけは同年2月のミュンヘン・フィルにおける初指揮で、この演奏会が圧倒的な成功を収めたことだった。チェリビダッケは、新団員の多数採用、団員給与のバイエルン放送交響楽団並みへの引き上げ、プログラムや招聘する指揮者やソリストの決定に対する強い発言権など、厳しい条件を提示したが、そのほぼ全てが認められたといわれている[10]。また晩年にはミュンヘン市の芸術監督に就任した。

シュトゥットガルト放送交響楽団とは、放送用の録画が本人の意に沿わない「編集」を行われた、という理由で1982年を最後に決別した。

日本では、最初FMによるシュトゥットガルト放送交響楽団の放送で「幻の指揮者」としてファンを増やしていった。1977年秋と1978年春に単身で来日を果たし、読売日本交響楽団に客演、1980年にはロンドン交響楽団と来日した。手兵ミュンヘン・フィルとは1986年以降1990年、1992年、1993年と頻繁に訪れた。1986年の公演でのブルックナーの交響曲第5番以降、ブルックナーは来日公演の主要なレパートリーとなり、1990年10月にミュンヘン・フィルとともに来日した時は、ブルックナーの交響曲第4番、第7番、第8番を指揮して、7番、8番はハイビジョンによる録画も行われている。

アメリカには、フィラデルフィアのカーティス音楽学校の校長だったジョン・デ・ランシーの要請で、1984年に同校で指揮を教えた。そして、同校学生オーケストラを連れてカーネギーホールで開いたコンサートは、その素晴らしさでニューヨークの音楽界に衝撃を与えた。ニューヨーク著名の音楽評論家ジョン・ロックウェルは「いままで25年間ニューヨークで聴いたコンサートで最高のものだった。しかも、それが学生オーケストラによる演奏会だったとは!」とのコラムを掲載した[11]。

チェリビダッケは相当な毒舌で知られ、ミュンヘン市当局は他の指揮者(クラウス・ウムバッハ)への批判を金で黙らせたとされる。また、カール・ベームが晩年にミュンヘン・フィルに客演しようとした際、チェリビダッケの毒舌(ベームを「芋袋」「ドンゴロス野郎」と呼んでいた)を耳にし、それを演奏契約解除の通告と見做して出演を取りやめた、という逸話も残っている。反面、ベームが病気のため指揮できなくなったロンドン交響楽団の演奏会をわずか1日のリハーサルで引き受けるなど、その本音はよく分からない。かつてチェリビダッケの毒舌(カラヤンはじめ他の指揮者を批判)が新聞の紙面を賑わせた際には、見かねたカルロス・クライバーが天国にいるアルトゥーロ・トスカニーニからの手紙という形をとり「ブルックナーは”あなたのテンポは全て間違っている”と言っています。天国でもカラヤンは人気者です」とユーモアに託した反論のテレックスを打ったということもあった。

1980年、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席トロンボーン奏者のオーディションの際、チェリビダッケはブラインド・オーディション(英語版)(衝立で姿形を隠した状態での選考)で女性トロンボーン奏者のアビー・コナント(英語版)の演奏を聴いて絶賛した。しかしコナントが女性だと分かるとチェリビダッケは彼女を敵視し、コナントの入団後は特に理由もないのに首席奏者から2番奏者に降格させるなどの嫌がらせを行った[12]。本件は裁判沙汰となり、コナントが勝訴している[12]。



エピソード等
チェリビダッケは厳しいリハーサルを行うことで知られ、例えば、読売日本交響楽団とのリハーサルでは、チューニングだけに数十分を要したと伝えられている。


死後
1947年から1948年頃のフルトヴェングラーとともに行ったベルリン・フィルのイギリス演奏旅行と前後して、チェリビダッケは初めての公式のレコーディングを行っている。ベルリン・フィルを指揮してのメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、プロコフィエフの『古典交響曲』などがその最初期のもので、その直後にはロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してモーツァルトの交響曲第25番、チャイコフスキーの交響曲第5番と『くるみ割り人形』組曲などをイギリスでレコーディングしている。自らの録音を聞いて、「エンジニアがテンポをいじった!」と疑ったほど、その結果には満足がいかなかったらしい。

ウォルター・レッグなどEMIのプロデューサーからかなりの悪条件でこき使われた、と感じたこともレコード業界不信を助長したが、ホールの音響に左右されるものをマイクの直接音収録で記録するのには限界がある、と悟ったチェリビダッケは以後、極端に録音媒体の発売を嫌い、ごく少数の例外を除いてはレコーディングは行わなかった。別の意味でカラヤンとの録音が比較されるのも意識したと言われている。他の正規録音には、自ら作曲した『秘密の小箱』がある(ドイツ・グラモフォン社録音)。

晩年になると、映像を伴う録画媒体の制作には積極的に(本人の言によればしぶしぶ)取り組み、ソニーなどで演奏会のビデオソフトが発売された。

チェリビダッケの死後、「遺族らが、(日本を中心に)音質劣悪な海賊盤が氾濫する現状を憂えている」と称して、未発表の演奏会の録音をドイツ・グラモフォン、EMIからCD化したが、その音源の選定については、膨大な中からのわずかな数に過ぎず、本当に最善の演奏であるかについては意見が分かれた。特にEMIの録音は年代によってもテンポの設定が若干異なるため、チェリビダッケの演奏の全貌を網羅しているというわけではない。


作品
作曲家としてのチェリビダッケの作品は『秘密の小箱』以外に3曲の交響曲などがある。近年、故国のルーマニアの青少年管弦楽団などで交響曲が初演され、しばしば再演でも取り上げられている。

教育
シュトゥットガルト、ミュンヘン、マインツ、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン、東京、イタリアなどで多数の指揮者講習会やゼミナール・講義・コンクールを持った。また、ほとんどの演奏会の直前のリハーサルは市民や学生のために公開されていたが、ベルリン・フィルに復帰したときの演奏会は関係者以外立入禁止であった。ただし実際は、シュトゥットガルト時代のようにベルリンの指揮科の学生が自由に出入りしていたといわれている。本人へのインタビューによると全世界で3千人の弟子を教えたという。


演奏解釈
「音楽は『無』であって言葉で語ることはできない。ただ『体験』のみだ」というのがチェリビダッケの音楽論である。しばしば行われた「音楽現象学」講義には「始まりの中に終わりがある」という思想が貫かれている。

後年チェリビダッケは、フルトヴェングラーから音楽の深遠な洞察のすべてを学んだと語っている。あるとき指揮者がフルトヴェングラーにある曲のテンポ設定について質問したところ、フルトヴェングラーは「それは音がどう響くかによる」と答え、ホールなどの音響を無視してメトロノームの数字だけを元に決められたようなテンポ設定は無意味だということを悟ったという。

彼も多くの巨匠指揮者と同じく、年齢を重ねてテンポは遅くなった。演奏に関しては総じて晩年のテンポが非常に遅い。最晩年のポルトガル・リスボンで演奏されたブルックナーの交響曲第8番は、一般的な演奏時間が約80分のところ105分かかっている。

現代音楽については、レナード・バーンスタインによるピエール・ブーレーズのピアノ・ソナタ評のように真の理解者ではなく、現代音楽の指揮を拒否するトスカニーニと似た路線であった。イタリアのシルヴァーノ・ブッソッティが自分のスコアを見せて音楽のカオスだと説明した際、そんな子供じみた考えの音楽は振りたくないと拒否した経緯がある。とはいえ現代作品に完全に無理解であったわけではなく、新ウィーン楽派以降の無調作品をわずかながらも演奏はしていた。1968年にはミラノでジョルジョ・フェデリコ・ゲディーニの『弦楽三重奏とオーケストラのための対位法』(1962年)の録音に指揮で参加し、1974年にはスイスでシェーンベルクの『管弦楽のための変奏曲』op.31を演奏する他、ルイジ・ダッラピッコラ、ジョルジョ・フェデリコ・ゲディーニ、カルロス・チャベス、ボリス・ブラッハーら同時代の作曲家の作品を取り上げている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%93%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%B1
2:777 :

2022/07/24 (Sun) 00:37:18

Bruckner - Symphony No 8 - Celibidache, MPO (1994)
https://www.youtube.com/results?search_query=Bruckner++Symphony+No+8++Celibidache++1994++Lisbon

Munich Philharmonic Orchestra conducted by Sergiu Celibidache
Recorded live: 23 April 1994, Lisbon, Portugal


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「音楽&オーディオ」の小部屋
ブルックナーの交響曲第8番「リスボン・ライブ」版
2018年12月09日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/b84e2dd9f354b7a3ce959bea84307b15

音楽愛好家の端くれとしてコンサート・マスター(以下「コンマス」)の重要性はある程度承知しているが、そもそも「なぜヴァイオリニストがコンマスを務めるのか?」なんて初歩的なことがつい気になってしまう。

そしてたまたま図書館から借りてきた本にコンマスの役割が詳細に述べられていた。

「ようこそ!すばらしきオーケストラの世界へ」 

本書〔2010年6月発行)の109頁~139頁にかけて、当時の3人の「コンマス」の生の声が収録されている。

NHK交響楽団「篠崎史紀」氏、東京フィルハーモニー「荒井英治」氏、東京都交響楽団「矢部達哉」氏たち3名に対する16の設問への回答形式。

日本を代表するオーケストラの「コンマス」の本音が書かれてあって興味深く拝見した。

その設問だがたとえば、

「コンマスとは何者?」「コンマスの一番重要な仕事とは?」「コンマスにとって理想的な指揮者とは?」「理想のコンマス像とは?」「コンマスにとって理想的なオーケストラとは?」など。

それぞれに違った回答を面白く拝見したが、「オヤッ!」と思ったのが「荒井英治」氏が理想のオーケストラとして「チェリビダッケ〔指揮者)+ミュンヘン・フィル」を挙げていたこと。

ウィーン・フィルやベルリン・フィルとかの超一流オーケストラなら分かるが、なぜ、ミュンヘン・フィルを?

実は思い当たる節があるのである。

チェリビダッケはフルトヴェングラー亡き後、ベルリンフィルの常任指揮者のポストをカラヤンと争って敗退した。〔楽団員の投票によるもの)。敗因の一つにスタジオ録音をことさら嫌悪し排除したことが上げられているが、いわば音楽にコマーシャリズムの導入を認めなかった頑固者。

後年「自分がベルリンフィルを継いでいたら、もっとドイツ的な響きを失わずに済んだであろう」と豪語した話は有名だが、ともかくミュンヘンで「配所の月」を眺めつつ徹底的に楽団員をしごき上げ、理想の響きを追求した。

つい「悪いオーケストラはない、悪い指揮者がいるだけだ。」という言葉を思い出す。

そして、その成果ともいえる「名演奏」が誕生した。

それはブルックナーの「交響曲第8番」のリスボンでのライブ演奏。世に言う「リスボン・ライブ」である。

チェリビダッケは録音を許さなかったし、ライブでもあるのでこの演奏は後世に残るはずがなかったのだが、何と海賊盤が存在しているのだ。

誰かが当日、こっそり録音機器を持ち込んで録音したという曰くつきのCD盤〔2枚組)。正式に陽の目を見ない盤だが、知人によると過去にオークションで法外な価格〔1万円以上)で登場していたという。

念のためネットで「HMV」を確認してみたがやはり「正規盤」としては流通していない。

巷間、ブルックナーの交響曲のうち最高傑作は8番と9番〔未完成)とされており、この8番は100分ほどに及ぶ大作だが幾多の名指揮者の録音があるものの、この「リスボン・ライブ」を一度聴いておかないと話にならないそうなので、まあそれ相応の価格と言っていいかもしれない。

フッ、フッ、フ・・、思わず出てくる含み笑い。実はこの「リスボン・ライブ盤」を持っているのである。

   

手に入れた経緯? 海賊版なのでそれはヒ、ミ、ツ(笑)。

荒井さんの記事に触発されて久しぶりにこの「リスボン・ライブ盤」にじっくりと耳を傾けてみた。(音楽には刷り込み現象があるので最初に聴く演奏が大切だが自分の場合この演奏だったので助かった。)

やはり、旋律を楽しむのではなくてたっぷりと大きなスケールで豊かな響きを楽しむ音楽である。はじめからお終いまで「豊潤な美酒」という言葉がピッタリ。

取り分け3楽章と4楽章が圧巻でオーケストラの躍動感に痺れてしまった。

通常、チェリビダッケの指揮はテンポが遅すぎると敬遠される方が多い。

それはオーケストラの直接音とホールの残響音とを綿密に考慮して「響き」を重視した指揮をしているからで、良し悪しの問題ではなくて各人の好みの問題なのだが、その点、このリスボン・ライブはホールの響きとのマッチングもあってかテンポもそれほど遅すぎず、絶妙〔だと思う)なので人気がある所以だろう。

しかも、鮮明に録れているのでおそらく最高の位置で録ったものだと推測される。

とはいえ、チェリビダッケの意図した響きを我が家のオーディオシステムがきちんと再生しているかどうかとなると別問題。

オーケストラのトゥッティ〔総奏)ともなれば、どんなシステムだって五十歩百歩で、〔生演奏に)とても及ぶところではないが、少しでもうまく騙されたいものである。

「このリスボン・ライブを聴いて退屈したら、それはシステムがダメな証拠」と知人は断言するのだが、はたして我が家のシステムはどうかな~?(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/b84e2dd9f354b7a3ce959bea84307b15




チェリビダッケ指揮「交響曲第8番」(ブルックナー)の復刻
2022年04月13日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/edc59a4f1187e042c3285862b7503fd1

ずっと以前の記事にチェリビダッケ指揮の「交響曲第8番」について搭載したことがある。

「はるか忘却のかなた」のことなので、おそらくご記憶にある方は少ないと思う。ちょっと長くなるが再掲させていただこう。

東京フィルハーモニーのコンマス(当時)「荒井英治」氏が理想のオーケストラとして「チェリビダッケ〔指揮者)+ミュンヘン・フィル」を挙げていた。

ウィーン・フィルやベルリン・フィルとかの超一流オーケストラなら分かるが、なぜ、ミュンヘン・フィルを?

実は思い当たる節があるのである。

チェリビダッケはフルトヴェングラー亡き後、ベルリンフィルの常任指揮者のポストをカラヤンと争って敗退した。〔楽団員の投票によるもの)。敗因の一つにスタジオ録音をことさら嫌悪し排除したことが上げられているが、いわば音楽にコマーシャリズムの導入を認めなかった頑固者。

後年「自分がベルリンフィルを継いでいたら、もっとドイツ的な響きを失わずに済んだであろう」と豪語した話は有名だが、ともかくミュンヘンで「配所の月」を眺めつつ徹底的に楽団員をしごき上げ、理想の響きを追求した。

つい「悪いオーケストラはない、悪い指揮者がいるだけだ。」という言葉を思い出す。

そして、その成果ともいえる「名演奏」が誕生した。

それはブルックナーの「交響曲第8番」のリスボンでのライブ演奏。世に言う「リスボン・ライブ」である。

チェリビダッケは録音を許さなかったし、ライブでもあるのでこの演奏は後世に残るはずがなかったのだが、何と海賊盤が存在しているのだ。

誰かが当日、こっそり録音機器を持ち込んで録音したという曰くつきのCD盤〔2枚組)。正式に陽の目を見ない盤だが、知人によると過去にオークションで法外な価格〔1万円以上)で登場していたという。

念のためネットで「HMV」を確認してみたがやはり「正規盤」としては流通していない。

巷間、ブルックナーの交響曲のうち最高傑作は8番と9番〔未完成)とされており、この8番は100分ほどに及ぶ大作だが幾多の名指揮者の録音があるものの、この「リスボン・ライブ」を一度聴いておかないと話にならないそうなので、まあそれ相応の価格と言っていいかもしれない。

フッ、フッ、フ・・、実はこの「リスボン・ライブ盤」を持っているのである。

   

手に入れた経緯? 海賊版なのでそれはヒ、ミ、ツ(笑)。

荒井さんの記事に触発されて久しぶりにこの「リスボン・ライブ盤」にじっくりと耳を傾けてみた。(音楽には刷り込み現象があるので最初に聴く演奏が大切だが自分の場合この演奏だったので助かった。)

やはり、旋律を楽しむのではなくてたっぷりと大きなスケールで豊かな響きを楽しむ音楽である。はじめからお終いまで「豊潤な美酒」(五味康佑氏)という言葉がピッタリ。

取り分け3楽章と4楽章が圧巻でオーケストラの躍動感に痺れてしまった。

通常、チェリビダッケの指揮はテンポが遅すぎると敬遠される方が多い。

それはオーケストラの直接音とホールの残響音とを綿密に考慮して「響き」を重視した指揮をしているからで、良し悪しの問題ではなくて各人の好みの問題なのだが、その点、このリスボン・ライブはホールの響きとのマッチングもあってかテンポもそれほど遅すぎず、絶妙〔だと思う)なので人気がある所以だろう。

しかも、鮮明に録れているのでおそらく最高の位置で録ったものだと推測される。

とはいえ、チェリビダッケの意図した響きを我が家のオーディオシステムがきちんと再生しているかどうかとなると別問題。

オーケストラのトゥッティ〔総奏)ともなれば、どんなシステムだって五十歩百歩で、〔生演奏に)とても及ぶところではないが、少しでもうまく騙されたいものである。

「このリスボン・ライブを聴いて退屈したら、それはシステムがダメな証拠」と知人は断言するのだが、はたして我が家のシステムはどうかな~?(笑)。

という、内容だった。

ところがこの曲について、「日経新聞」の日曜版(2022・4・10)に新たな情報が掲載されていたのである。



何と、このほど「遺族の許可」を受けてこの「リスボン・ライブ版」が正式なCD盤として発売の運びに至ったというのだ。

嬉しいやら、悲しいやら複雑な心境である(笑)。

P.S

「モーツァルトは好まないけどブルックナーは好き」という「T」さんからメールが届いた。それも充分ありでしょうよ(笑)。

サービス精神旺盛なので、新聞記事の活字部分を拡大して再掲してみたのでご一読してください。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/edc59a4f1187e042c3285862b7503fd1
3:777 :

2022/07/24 (Sun) 01:01:59

22名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:02:29.46ID:aioiL07Q

チェリダッケが、カラヤンのことを
「音は美しいが中身がない」
と言って、インタビューアーが
「でもカラヤンは世界中で知られていますよ」
と言ったら
「コカ・コーラだって世界中で知られているさ」
と言った話は有名です。
チェリビダッケは他にも
「トスカニーニは一流の演奏家だが音楽家として二流だ」
「オーマンディのような凡庸な指揮者がよくストコフスキーの後を継いでフィラデルフィア管の常任指揮者になれたものだ」
「人は水だけでもしばらくは生きていけるが、アバドの退屈な演奏を2時間聴いたら心筋梗塞を起こすだろう」
「ムーティは素晴らしい才能の持ち主だが、トスカニーニと同じで無学だ」
「ベームは音楽の解らないジャガイモ袋」
等、マスコミが喜びそうなことを言ってました

クナッパーツブッシュ
「(私がカラヤンみたいに暗譜で指揮をしないのはカラヤンと違って)楽譜が読めるからだ」

カラヤンがモーツァルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」を演奏していたときのこと。その上演になぜか立ち会っていたクレンペラーが突然大音声を発した。
「いいぞ カラヤン、いいぞ、決して皆が言うほど悪くない!」
カラヤンは、それ以後決してクレンペラーを許さなかった、という。

23名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:06:11.55ID:aioiL07Q
チェリビダッケ語録

「(マゼールは)カントについて語る二歳児」

「(クナッパーツブッシュは)スキャンダルそのもの」

「(ムーティは)才能はある、おそろしく無知だが」

「(アドルノは)世界史のなかでいちばんの大言壮語野郎」

「(ムターは)彼女は自分の弾き方に自信を持っている。だが彼女のやること全てには真に偉大な音楽性はない。彼女には視野がない」

「シェーンベルクはまったくどうしようもない愚鈍な作曲家である」

「イーゴリ・ストラヴィンスキーはディレッタントの天才に過ぎない。彼は生まれつき忍耐力に欠けていた。そしてこの欠陥をいつも、
新しい様式で補った。だから彼の音楽は様式感に欠けるところもあるわけだ」

「私の見るところ、サヴァリッシュは高校の校長といったところ。彼は音楽家ではない。メゾフォルテの男だ」

「リズムが機械的なものと理解すれば、それがブーレーズだ」

「(ムターに対して)さてと、あなたがヘルベルト・フォン・カラヤン氏のところで学んだことをすべて忘れなさい」

(とあるマスタークラスにて、若き日のインバルに向って)
「ちゃんと勉強しないと、バーンスタインみたいな指揮者になってしまうぞ!」

24名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:06:21.09ID:aioiL07Q
「ハイフェッツは哀れな楽譜運搬業者だ」

「人間は何も食わずとも3週間くらいは生きられる。だがアバドのコンサートを3時間聴いたら心筋梗塞を起こす」

「ベートーヴェンの交響曲第5番は失敗作、特に終楽章は」

「(カルロス・クライバーは)あんな常軌を逸したテンポでは何も分からない。
彼は音楽がなんであるか、 経験したことがない」

私が独裁者だって?モーツァルトこそ独裁者だ!」

評論家など寄生虫だ」

「フランス人くらいドビュッシーやラヴェルを下手糞に演奏する連中はいない」

「(ショルティは)ピアニストとしては傑出している。指揮者としては凡庸な耳しかない。テクニックはお粗末」

「チャイコフスキーは、真の交響曲作曲家であり、ドイツでは未知の偉大な男である」

「ベートーヴェンの《第九》の終楽章の合唱もサラダ以外のなにものでもない。ぞっとするサラダだ」

「(カラヤン時代の)ベルリンフィルには、世界最高のコントラバス奏者がいます。だから、ベルリンフィルのコンサートは、今、すべてがオーケストラ伴奏付きのコントラバス協奏曲なのです」

「(ハスキルは)すばらしいコンサート・ピアニスト。機知に富み、魅力的で、徹頭徹尾、音楽的。 ユーモアと生きる歓びに充ちている」

25名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:13:04.12ID:aioiL07Q
指揮者チェリビダッケの音楽語録~ 2008年04月15日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/c2454e666c6de0a509d1ca7dcd889015

先日(4月5日)、我が家での試聴にjmc音楽研究所長のO君が持ってきたCD盤の「シェラザード」がすっかり気に入って、いまのところ愛聴盤として活躍中。(4月8日付けのブログで紹介)

オーケストラの音の響かせ方やテンポ、調和のとれたハーモニー、独奏ヴァイオリンの歌わせ方などによく練りこまれた独特の味わいが感じられる。

こうなると自然にその指揮者に関心が向く。

セルジュ・チェリビダッケ(1912~1996:ルーマニア)

「私が独裁者?モーツァルトこそ!~チェリビダッケ音楽語録~」(シュテファン・ピーンドルほか著、音楽の友社刊)に略歴や人となり、音楽の考え方などが詳しく記載されている。

哲学と数学を専攻する中、音楽に目覚め24歳のときにベルリンに移住して作曲、指揮、音楽学を修めた。1945年にはベルリン放送交響楽団の指揮者コンクールに入賞。

当時、ベルリン・フィルハーモニーの常任指揮者だったフルトヴェングラーが非ナチ化裁判のため指揮を許されなかった1945年から1947年にかけてベルリン・フィルを任されたほどの逸材。

フルトヴェングラー死去後、誰もが世界の名門オーケストラのベルリン・フィル常任指揮者に就任するものと思ったが、楽団員達が択んだのはなんとヘルベルト・フォン・カラヤンだった。

以後、チェリビダッケは国際的な指揮活動に集中せざるを得なくなり、イタリア、デンマーク、スウェーデン、フランスなどで指揮棒を振るが、晩年はミュンヘン・フィルハーモニーの音楽総監督として12年間に亘り蜜月時代が続く。

彼がとくに関心を抱いていたのが、若い指揮者を育てることで、自由になる時間のほとんどすべてを後輩の育成に捧げた。

彼がカラヤンに代わって当時のベルリン・フィルの常任指揮者に納まっていたら、その後、世界のクラシック音楽の動向も変わっていただろうといわれるほどの超大物指揮者だ。

26名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:13:39.94ID:aioiL07Q
チェリビダッケは言う。

「わたしがベルリン・フィルをさらに指揮し続けたら、このオーケストラは別の道を歩んだことだろう。カラヤンはアメリカ流に艶っぽく磨きぬかれたオーケストラに変えてしまった。わたしならそれをドイツ的なひびきを持つオーケストラに育て、その結果フルトヴェングラーの伝統を受け継いだことだろう。」

彼には指揮者から演奏者までさまざまな「歯に衣をきせない」発言がなかなか面白い。ここでは指揮者に限定して抜粋してみよう。

☆フルトヴェングラー

師として仰いだので次のように賞賛の言葉が続く。

「私はフルトヴェングラーの後継者になることを望まなかった。彼の後継者になれるものなどいない」

『私は彼にこう訊ねたことがある。「先生、ここのテンポはどうすればよいのでしょう。」答えは「そうだね、それがどんなひびきを出すかによるね」。まさに啓示だった。テンポとはメトロノームで測れるような物理的なものではない。結局、テンポが豊かなひびきを出し、多様性を十分に得るのに私はかなりの期間を必要とした。』

※通常、作曲家は楽譜にいかなるテンポで演奏するかを指定していないという。つまり、これは完全に指揮者任せということで、テンポ次第で音楽から受ける印象がすっかり変わる。しかし、速いテンポでも遅いテンポでも違和感がなく自然に聴ける唯一の音楽がベートーヴェンの作品!

☆クラウディオ・アバド

「まったく才能のない男。災厄だね。私は3週間何も食べなくても生きていける。だが演奏会に3時間もいれば~心臓発作を起こしかねない。その相手が彼なら怒り心頭」

☆カール・ベーム

「彼の演奏を聴けば聴くほど、彼が心の中で音楽と思い込んでいるものと、彼という人間のあいだの距離が目に見えてどんどん開いてゆくばかりだ。」

「ベーム・・・・・、これまでのキャリアのなかで、まだ一小節たりとも音楽というものを指揮したことのない男」

27名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:13:59.76ID:aioiL07Q
☆ヘルベルト・フォン・カラヤン

「彼は天才ではない。すべての若い音楽家にとってひどい毒となる実例である」

「彼は大衆を夢中にさせるやり方を知っている。コカ・コーラもしかり。」

☆ユージン・オーマンディ

「あんな凡庸な楽長がどうしてストコフスキーの後継者になることができたのか」


☆ヴォルフガング・サバリッシュ

「私の見るところ、彼は高校の校長といったところ。彼は音楽家ではない。メゾフォルテの男だ。イタリアでは長距離専門アスリートをメゾフォルテと呼ぶ」

☆ゲオルグ・ショルティ

「ピアニストとしては傑出している。指揮者としては凡庸な耳しかない。テクニックはお粗末。」

☆アルトゥーロ・トスカニーニ

「トスカニーニは楽譜どおりに演奏した唯一の指揮者だといわれてきた。といっても彼はそもそも音楽などまったくひびかせず、音符だけを鳴らした唯一の指揮者だった。彼は純粋な音符工場だった。」

以上、かっての名指揮者たちもチェリビダッケにかかってはかたなしというところ。

最後に、最近HMVから取り寄せた3枚のチェリブダッケが指揮するCD盤を試聴してみた。

28名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:14:26.37ID:aioiL07Q
☆ベートーヴェン交響曲第6番「田園」

以前、このブログで田園の11枚の試聴を行って、およその演奏レベルを把握しているつもりだが、これは、ベストだったマリナー、ワルター指揮と十分比肩しうる名盤。
嵐のあとの感謝の歌の神々しいまでの荘厳さといい、全体的に細かいところに手を抜かず、重厚かつ深々としたひびきに”チェリビダッケは凄い”と感心した。

☆ベートーヴェン交響曲「第九番」

何だかフルトヴェングラーの最新ステレオ録音を聴いている思いがした。第一楽章から第四楽章まで時を忘れて聴き耽った。

☆シューマン交響曲「第2番」

仲間のMさんによるとチェリビダッケはシューマンとかブルックナーといったあまり陽のあたらない作品に光を当てて、見直させるのが得意な指揮者だという。たしかにこのひびきは人を飽きさせず作品に没入させる何かを持っている。

以上3曲(ライブ録音)についてとにかく重厚なひびきに圧倒された。これがドイツ的なひびきというものだろうか。ミュンヘン・フィルでこのくらいだから、彼がベルリン・フィルを引き継いでいたらもの凄かっただろう。本人が言うようにフルトヴェングラーの伝統を引き継ぐ資格に太鼓判を押したい。

ただし、自分が思うところフルトヴェングラー、チェリビダッケともにひびきを重視していることに変わりはないが、前者はいったん演奏に入るとひびきを忘れて演奏に深く没入するが、後者は常にひびきを念頭において(そのひびきを)冷静に第三者の目で観察しているところに違いがある。

29名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:24:23.73ID:aioiL07Q
チェリビダッケがどんな言葉を放ったか?価値観をよく表しているものとして、例えば、

あなたが音楽で美しいものを体験しようとしても無理なのである。音楽では真実が問題なのだ。美は疑似餌にすぎない

テンポについては、

音楽に接して長すぎるとか、短すぎるといった感じを抱けば、その人は音楽のなかに入っていない。音楽はその意味で長い短いの問題ではない

フルトヴェングラーはどんなテンポでも、間違ったテンポでさえ、納得させることのできた唯一の指揮者である

他にも、テンポについては幾つも言葉が出て来ます。

同僚に対しては、褒め言葉もあるのですが、概して口が悪いのです!!

(ピエール・ブーレーズについて)リズムが機械的なものの作動と理解すれば、それがブーレーズだ

(カラヤンについて)わたしは彼のなしたことの全部は評価しない。彼にはエゴがありすぎる。そんなエゴが働くときには彼の自由な精神はひどく濁ったものになりやすい。

(カルロス・クライバーについて)彼はわたしにとって我慢のならない指揮者だ。彼の気違いじみたテンポでは音楽的な体験などできはしない。

もっとひどいものもあって、これが笑ってしまうのですが、ぜひ本書でお確かめを。。。

この最後にやり玉に挙げられているカルロス・クライバーが実はチェリビダッケのファンだったそうで、あまりに暴言が多いのをこらしめ半分、ふざけ半分になした投書が嬉しいことに全文載っております。

30名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:26:58.57ID:aioiL07Q
チェリビダッケ語録
7月25日(月)

„Hugendubel“(書店)で、チェリビダッケの『語録集』を買った。(Hg. von S. Piendl u. Th. Otto; „Stenographische Umarmung - Sergiu Celibidache beim Wort genommen“, ConBrio, 2002 )。
ちょっとした一言に、音楽に対する考えかたが現れていて、とても興味深い。

私は、この指揮者の日本公演にいくことができた。最初に聴いたのは、たしか、東京文化会館。このとき、ミュンヘン・フィルというオーケストラも知った。合計で、3回か4回の実演に接することができたが、いずれも、私の音楽観を根本から揺るがすものだった。

「藝術とはなにか?」と聴かれると、多くの人は、おそらく、「美をもとめる行為」と答えるだろう。古来、藝術と美は密接に結びついている。だが、チェリビダッケにとって、藝術は単に美しさに奉仕するものではない。もし、藝術が美だけを追究するなら、「美しければなんでもよい」ということにもなりかねない。極端なことをいえば、「嘘で固めた世界であっても、美しければかまわない」という人だって出てくる。美しいけれど倫理的には最悪、ということだってありうるのだ。

「Musik ist nicht schön, Musik ist wahr. (S. 20) 音楽は美しいのではない。音楽は真理なのだ」(以下、原文に適当訳をそえる。カッコ内 S. = Seite はページ数)

チェリビダッケの音楽は真理をめざす。単に美しいだけでは不充分。美に甘んじていてはいけない。感覚的に心地よいだけなら、藝術とはいえないのだ。

「Der Klang bringt die Schönheit zur Wahrheit(S. 79) 響きは美を真理へともたらす」

真理という言葉で、チェリビダッケがなにを考えていたのか、いまひとつはっきりしないが、真理は、ふつう、「なにかほんとうのこと」を意味する。真理と嘘は相容れない。さらに、嘘が「実際にはないこと」であるのに対し、真理のほうは、「現実にあること」だろう。つまり、チェリビダッケのめざしていた藝術というのは、「『これこそ現実』といえるなにか」ということになる。

31名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:27:48.24ID:aioiL07Q
「Ich bin sehr gegen diese Idee, daß Kunst Genuß sei. Kunst ist auch Genuß, sonst würden die Menschen das gar nicht machen. Aber das Wesen der Kunst ist nicht der Genuß. Es ist das Erleben(S. 21) 私は、藝術が享楽であるという考えに断固反対する。たしかに藝術は享楽でもある。そうでなければ、人間は藝術活動などしないだろう。しかし、藝術の本質は享楽ではない。藝術の本質は体験することである」

これ以外にはありえないなにかを「体験すること」。いいかえると、真理にふれること、人生や世界、あるいは宇宙の真相を垣間見ること、これこそが、藝術なのだ。私は、チェリビダッケの演奏に接したとき、ある種、宗教的な催しに参加したような錯覚を覚えたが、あの経験は、こうした考えと無縁ではあるまい。

そんなチェリビダッケが他の音楽家を観る目はきびしい。

たとえば、カラヤンについてはこう。

「Ich weiß, er begeistert die Massen. Coca Cola auch(S. 40) かれが大衆を興奮させることは知っている。コカ・コーラのように」

そういわれてみると、カラヤンの音楽はたしかにコカ・コーラに似ている。レガートを多用し、オーケストラの心地よい響きで、多くの人に歓迎された。まるで喉ごしのよいコーラのよう。クラシック音楽をひとつの産業としたのもかれ。世界企業となったコカ・コーラと、カラヤン・ブランドは似ている。カラヤンがクラシック音楽の大衆化にはたした功績はみとめられなければならない。だが、その音楽に、はたして真理を開示する力があったかどうか・・・。「響きの流麗さ、かっこよさ以上のなにかがあるのか? 」と、チェリビダッケはいっている。

マゼールについてはこう。

「Ein zweijähriges Kind, das von Kant redet.(S.42) カントについて語る二歳児」

難しいことを器用にこなすが、まだまだ子どもだといいたいのだろうか。わかるようでわからない。でも、マゼールの本質をいいあてているような気がする。

32名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:28:08.87ID:aioiL07Q
おなじ時期にミュンヘンで人気を二分したクライバーに対しても手厳しい。

「Er ist für mich ein unmöglicher Dirigent. Kein Mensch kann bei seinem wahnsinnigen Tempo etwas erfahren. Kleiber geht vorbei am heiligen Klang. Das finde ich tragisch. Er hat niemals erfahren, was Musik sei(S. 41) クライバーは私にとってはとんでもない指揮者だ。あんな常軌を逸したテンポでなにかを経験できる人なんていない。クライバーは聖なる響きのかたわらを通りすぎている。これは悲劇だ。かれは、音楽がなんであるか、経験したことがない」

毒舌だが、これもまたクライバーの性格にせまっている。というか、私には、クライバー評よりも、チェリビダッケにとって、「響き」がいかに重要なものだったかがわかって、興味深かった。音楽をどのように響かせるかということこそが、この指揮者にとっては、いちばん大事だったのだ。

33名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:32:24.66ID:aioiL07Q
「後年チェリビダッケはフルトヴェングラーから音楽の深遠な洞察のすべてを学んだと語っている。
あるとき指揮者がフルトヴェングラーにある曲のテンポ設定について質問したところ、フルトヴェングラーは「それは音がどう響くかによる」と答え、ホールなどの音響を無視してメトロノームの数字だけを元に決められたようなテンポ設定は無意味だということを悟ったという」。
はたして、フルトヴェングラーの回答が、彼の思った通りの回答だったかは、少々疑問が残るものだ。
フルトヴェングラーの音楽に対する根本的な関心は、即興の法則なるものの獲得に集中(だからいつも即興の源泉であろう作曲家の精神の話ばかりしているのである)していて、音について詳しい話は稀であるから、この回答はむしろ、チェリビダッケの頭の中で勝手に噴出した思想だったのかもしれないのである。
曖昧な回答をしたところ、チェリビダッケの合点の言った顔があらわれて、フルトヴェングラーは心ひそかに驚いていたのかも知れない。
天才は、天才らしく間違えるものである。テンポに対する疑問は、音がどう響くかという問題にすり替わり、彼の生涯の問題となった。
天才は問題を解決するのではない、むしろ問題を創造するのである。

34名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:36:55.64ID:aioiL07Q
セルジュ・チェリビダッケ(1912~1996)
晩年の彼はもはや伝説の指揮者などではなかったことが白日の下に晒された。
自分のために大金を積んでくれる日本へ毎年のように演奏旅行へ出かけ、自らの恍惚とした表情をせっせと映像に残す様は、彼がカラヤンを軽蔑する際に使う「金の亡者」そのものの姿であった。当時の日本の聴衆は愚かだった。
それでもこの老巨匠が他の指揮者を罵れば歓喜し、その極端に遅いテンポからは忘れられたドイツ・ロマン派の香りがする本物だと広言した。
かなり毒のある書き方をしたが、チェリビダッケが雄弁に物事を語るときは常にこのような感じである。
そもそもフルトヴェングラーは自らの後継者にはルーマニア出身のセルジュ・チェリビダッケをと考え、非ナチ化の影響により多くの指揮者がその演奏機会を失ってる中、四百を超えるベルリン・フィルの公演を任されていた。
彼はカラヤンと違いフルトヴェングラーのために汗を流し、そしてまたその恩恵を受けていた。一方のカラヤンは録音や演奏旅行等を通じてウィ-ン、ロンドン、ミラノ、ルツェルン、バイロイト等で高い評価を得ていた。
この間ベルリン・フィルはフルトヴェングラーの妨害によりわずか10回の公演程度であったが、聴衆や批評家には高い評価を得ていた。この頃のベルリンにとってはむしろカラヤンの方が伝説の人物だったのである。
そしてカラヤンは、-彼は後に事ある度に巧みにそれを利用するのであるが、ベルリンの人間にとってスカラ座や楽友協会に取られるのは耐え難い存在であった。
両者の違いはそのプローベからも明らかである。

35名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:37:05.90ID:aioiL07Q
カラヤンは効率を求め、特に難しいと思われる箇所を各パートに別け練習するのに対し、チェリビダッケは指揮台で激高し楽団員を無能と罵り、解雇を匂わせ脅した。
(しかし何もこれはチェリビダッケだけに言えたことではなく、一昔前の指揮者は殆ど皆がそうであった。)
こうしてチェリビダッケは楽団員と聴衆の支持を失った。
彼はここで大きく見誤っていた。確かにチェリビダッケの後ろには絶対なるフルトヴェングラーが存在したが、彼がオーケストラと決定的に対立した数日後にフルトヴェングラーは深い眠りについたのである。
その後、ハイデルベルクにあるフルトヴェングラーの墓のそばに寄り添ったチェリビダッケは次のように述べた。
「フルトヴェングラーはよい時に死んだ、耳が聞こえなくなっていたのだから」

36名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:37:52.56ID:aioiL07Q
彼はそれでも連邦功労大十字勲章を授与したこともあり、呼び出しが掛かるのを待っていた。しかし呼び出しが掛かったのはカラヤンの方でありチェリビダッケを多いに失望させた。その後チェリビダッケは再三に渡りカラヤンとベルリン・フィルを口撃することになる。

チェリビダッケ「カラヤン?身の毛がよだつ。彼は才能ある商売人、でなければ耳が聞こえないんだ。」「ハンス・クナッパーツブッシュ?スキャンダルだ。非音楽か、それ以下だ。」「アルトゥーロ・トスカニーニ?あれはただの楽譜工場。」「カール・ベーム?あれはただのジャガイモ袋。生きている間に、ただの一小節も音楽を指揮なんかしていない。」「レナード・バーンスタイン?ズビン・メータ?私の世界ではそんな名は聞いたことない。」「リッカルド・ムーティ?才能はあるが、途方もなく無知なやつ。」「クラウディオ・アバド?全く才能のないやつだ。三週間くらい何も食べなくても私は生きのびられるが、彼のコンサートに三時間でも付き合わされた日にゃ、心筋梗塞だ。」

37名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:39:19.26ID:aioiL07Q
天国のトスカニーニ(クライバー)「ジャガイモ袋のカーリはぶつぶつ文句をいってました。
でもクナと私が、あの批難は間違っている。おまえさんが音楽的だったのは事実だ、といったのでやっと文句をいうのをやめました。
ヴィルヘルムが突然言い出すには、あなたの名前はこれまで聞いたこともないそうです。
またヨーゼフ、ヴィルフガング、ルートヴィッヒ、ヨハネス、それにアントンがいうには、第二ヴァイオリンは右側のほうがよいそうです。
また、あなたのテンポは全て間違っているそうです…。
私の住まいの隣には禅の老師が住んでいますが、彼がいうには、あなたは禅を全く間違って理解しているそうです。
ブルーノはあなたの私たちのこきおろし記事を読んで、死ぬほど笑い転げていました。
私は、私とカーリにたいするあなたの批判の出所はブルーノではないかと疑っています。
…こんなことをお伝えするのは、お言葉を返すようですが、実はここ天国に住むもの皆がヘルベルトに首ったけなのです。
指揮者だったものには、嫉妬心もおぼえる程の存在です。
でも彼があと15年か20年後にここに来て、私達が歓迎の挨拶ができるなど、殆ど誰も信じていません。
あなたがその場に居合わせられないのは残念です。
でも聞くところによりますと、あなたの行くところでは煮炊きもずっとうまくできると言いますし、オーケストラは永遠にリハーサルに付き合ってくれるといいます。
それどころかオーケストラは小さなミスを故意にしてくれて、あなたに永遠にやり直しをさせてくれるそうです。
ここ天国ではエンジェルが直接作曲者の眼から読み取って演奏してくれ、私達指揮者は、ただそれを聴いていればよいのです。
どうやって私がここへ来られたのか、それは神様だけが知っていることです…」


38名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:53:35.18ID:aioiL07Q
という事で、日本のクラシックファンが大指揮者だと信じていた二流指揮者のリスト

1.カール・ベーム
2.カラヤン
3.バーンスタイン
4.ヴァント
5.マタチッチ
6.朝比奈隆

特にヴァントと朝比奈隆とバーンスタインは酷かった
指揮者というより宇野功芳に騙されたんだね

41名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 20:56:22.90ID:s4QGfL8c
フルトヴェングラーの振った現代曲なんて
メニューヒンとのバルトークVn協を聞く限りダメだと思ってたら
RIAS録音集のフォルトナー、ブラッハー、ヒンデミットなど聴くと
しっかりザッハリッヒに決めている。
同じ日の演目が、ブラ3、ベト3といずれも名演ぞろいなので
フルヴェンらしくないなんて断じるのは間違ってる。

42名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 21:27:19.22ID:P8LAMRde
R.シュトラウスも当時の現代曲だよ
ブルックナーやブラームスやシベリウスも若い時は現代曲だよ

43名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 21:52:10.40ID:P8LAMRde
無調音楽や十二音階に馴染めなかっただけだろ、頭が古いから

44名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 22:04:06.31ID:P8LAMRde
ベルクやウェーベルンは今でも現代音楽だからね
フルトヴェングラーには現代音楽は理解できなかったんだ

45名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 22:24:50.94ID:kxhMV9hc
21世紀の聴衆からしたら20世紀の一部楽派の曲がレパートリーにあったかどうかなんてどうでもいい

47名無しの笛の踊り2022/01/29(土) 06:18:40.90ID:ypZ0L9o3
チャップリンと撮ったフルトヴェングラーの写真(1929)
すごいね。

48名無しの笛の踊り2022/01/29(土) 06:28:35.08ID:ypZ0L9o3
55CDのリマスター箱に入ってる本に出ている写真。イギリスからオランダまで旅行したとあります。(フェースブックの同じ写真の記事より)

49名無しの笛の踊り2022/01/29(土) 07:28:18.44ID:GMBeMPiP
どう凄い

50名無しの笛の踊り2022/01/29(土) 08:05:31.88ID:GnowKPQA
チャップリンとルーズベルトは共産主義者で反ウォール街、反ファシズム、反ヒトラーでスターリンや毛沢東の支援者
フルトヴェングラーはゲルマン主義、反共、親ナチス、反ユダヤだからロマ(ジプシー)出身の共産主義者のチャップリンと合う訳ないんだよ

51名無しの笛の踊り2022/01/29(土) 08:18:42.58ID:GMBeMPiP
お前はマッカーシーか

52名無しの笛の踊り2022/01/29(土) 08:35:46.25ID:GnowKPQA
ドイツ人は全員 反ユダヤ、反共、親ナチス
ウォール街は反共、親ファシズム、でヒトラーを支援していたんだ
ロックフェラーやフォードはヒトラーに多額の援助をしていた。
ナチスの優生思想はロックフェラーの優生思想をそのまま実行しただけだ。
ナチス残党を南米に亡命させて支援したのもウォール街だよ

ウォール街はなんとかチャップリンとルーズベルトを潰そうと画策していたんだ
ルーズベルトのニューディール政策はスターリンの五か年計画を真似した共産主義計画経済だよ。

フルトヴェングラーはチャップリンと敵対する人間なんだ

https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1643251651/
4:777 :

2024/06/29 (Sat) 19:35:57

チェリビダッケ/RIAS録音集
https://www.hmv.co.jp/en/news/article/1103280051/

『ベルリン時代のチェリビダッケ』
ついにRIASオリジナル・マスターより望みうる最高の音質でのCD化が実現!

抜群の高音質復刻で評判を呼ぶauditeの「ドイチュラントラジオ・クルトゥーア・エディション」に、またまた大物が登場します。チェリビダッケがベルリン・フィルほかを指揮したCD3枚組セットの内容は、1948年から1957年の間にRIASによってライヴならびにセッション収録されたすべての音源を集めたものです。

【チェリビダッケとベルリン・フィル】
セルジウ・チェリビダッケ[1912-1996]は、地元ルーマニアの大学で哲学と数学を学んだのち、1936年にベルリンに赴き、ベルリン音楽大学で、フーゴ・ディストラーに対位法を、クルト・トーマスとフリッツ・シュタインに音楽理論を、ヴァルター・グマインドルに指揮法を、そしてハインツ・ティーセンに作曲を師事しています。
 フルトヴェングラーを心から尊敬していたといわれるチェリビダッケは、第2次大戦後に指揮活動を禁止されたフルトヴェングラーの代役として、1945年にベルリン・フィルの首席指揮者として迎えられ、以後7年間ベルリン・フィルを指揮、1952年にフルトヴェングラーが終身首席指揮者として復帰した後も支え、1954年までベルリン・フィルの復興再建に尽力しました。

【キャリア初期の貴重なドキュメント】
チェリビダッケはごく少数の例外を除いて、レコーディングには否定的な立場を取り続けたことでもユニークな存在でした。ようやく死後に解禁された晩年のライヴ演奏では、ミュンヘン・フィルとのブルックナーなどに代表されるように、入念なリハーサルによる徹底して磨き抜かれた表現と、極端に遅いテンポの採用に特徴が顕著ですが、ここでは、オケに厳しいリハーサルを要求した「完璧主義者」チェリビダッケの一貫した姿勢が垣間見られると同時に、まだ比較的まともなテンポ設定で演奏が行われている点にも気付かされます。

【ガーシュウィン、ヒンデミットそしてラヴェル】
録音嫌いのチェリビダッケの遺したRIASのアーカイヴはキャリア初期のドキュメントとしても貴重なのはもちろんですが、その収録内容もベルリンで活躍していた時期ならではともいうべきたいへん興味深いものとなっています。ピアノの即興演奏などからも知られるように好んでいたガーシュウィンや、精妙なグラデーションにより、かねて得意なことで有名なラヴェル。演奏効果の上がることから、チェリビダッケがコンサートのオープニングのプログラムに組むことが多かった『アナクレオン』序曲のほか、ナチ政権下で演奏を禁じられていたヒンデミットと、その弟子ゲンツマーの作品などが取り上げられています。

【「チェリビダッケの師」ティーセンによる作品】
上記のように、ベルリン音楽大学でティーセンに作曲を学んだチェリビダッケは、1957年、師ティーセンの70歳の誕生日の機会に、ベートーヴェンの第7交響曲をのぞいて、すべてティーセンの作品のみを演奏するためにベルリンへ帰還しました。
 ハインツ・ティーセン[1887-1971]は、チェリビダッケに意見できる数少ない人物のひとりで、米兵の誤射でレオ・ボルヒャルトが死亡し、ベルリン・フィルの首席指揮者が不在となった際に、チェリビダッケにベルリン・フィルの首席指揮者のオーディションを受けるように勧めたとも云われています。表現主義への傾向を強めた作風により、やはりナチによってマークされていたティーセンですが、こうして直弟子チェリビダッケの演奏で聴けるのは思いがけない喜びといえるでしょう。チェリビダッケが、すでに疎遠になっていたベルリン・フィルではなく、ベルリン放送響を指揮したこのコンサートは、1992年にシャウシュピールハウスでベルリン・フィルを指揮してブルックナーの第7交響曲を演奏するまでの間、結果的にチェリビダッケにとっての「ベルリン告別」演奏会となりました。

【ベルリンRIAS正規マスターを初めて使用】
ブゾーニ、ケルビーニ、ヒンデミットなど、別のレーベルから出ていたことのある演奏も含まれていますが、このセットのために、RIASのアーカイヴよりオリジナル・マスターテープが初めて利用可能となり、その結果、望みうる最高のクオリティのCD化が実現しました。
 なお、時折、低域にブーンというノイズの混入がみられることがありますが、これは1948年6月24日から1949年5月12日にかけて、いわゆる「ベルリン封鎖」によりティタニア=パラスト上空が大渋滞を起こしていたことによるもので、この演奏が行われた当時の時代背景をなまなましく感じさせるものといえるでしょう。(キングインターナショナル)

【収録情報】
CD1 (70:12)
・ガーシュウィン:ラプソディ・イン・ブルー
 ゲルハルト・プッヒェルト(ピアノ)
 RIAS交響楽団
 録音時期:1948年10月20日
 録音場所:ベルリン=ダーレム、ティタニア=パラスト
 録音方式:モノラル(ライヴ)

・ラヴェル:スペイン狂詩曲
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 録音時期:1948年10月14日
 録音場所:ベルリン=ダーレム、ティールアレー・ゲマインデハウス
 録音方式:モノラル(セッション)

・ブゾーニ:ヴァイオリン協奏曲 Op.35a
 ジークフリート・ボリース(ヴァイオリン)
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 録音:1949年5月9日
 録音場所:ベルリン=ダーレム、ティタニア=パラスト
 録音方式:モノラル(ライヴ)

・ケルビーニ:『アナクレオン』序曲
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 録音時期:1949年3月7日
 録音場所:ベルリン=ダーレム、ティタニア=パラスト
 録音方式:モノラル(ライヴ)

CD2 (80:48)
・ヒンデミット:ピアノ協奏曲 (1945) ドイツ初演
 ゲルハルト・プッヒェルト(ピアノ)
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 録音時期:1949年9月5日
 録音場所:ベルリン=ダーレム、ティタニア=パラスト
 録音方式:モノラル(ライヴ)

・ゲンツマー:フルートと室内オーケストラのための協奏曲 (1944)
 グスタフ・シェック(フルート)
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 録音時期:1950年12月9日
 ベルリン=ダーレム、イエス・キリスト教会
 録音方式:モノラル(セッション)

・コープランド:バレエ音楽『アパラチアの春』
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 録音時期:1950年4月4日
 録音場所:ベルリン=ダーレム、ティタニア=パラスト
 録音方式:モノラル(ライヴ)

CD3 (65:15)
・ティーセン:ハムレット組曲 Op.30
・ティーセン:サランボー組曲 Op.34a
・ティーセン:交響曲第2番 Op.17『死してなれ』
 ベルリン放送交響楽団、合唱団
 録音時期:1957年10月7日
 録音場所:ベルリン=ダーレム、ティタニア=パラスト
 録音方式:モノラル(ライヴ)

・シュヴァルツ=シリング:弦楽オーケストラのための序奏とフーガ(世界初演)
 ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 録音:1949年4月11日
 録音場所:ベルリン=ダーレム、ティタニア=パラスト
 録音方式:モノラル(ライヴ)

 セルジウ・チェリビダッケ(指揮)
https://www.hmv.co.jp/en/news/article/1103280051/
5:777 :

2024/06/30 (Sun) 02:28:53

チェリビダッケ&ミュンヘン・フィル/ブルックナー:交響曲第3~9番、他(12SACD)
https://www.hmv.co.jp/en/news/article/240613158/


近年最も重要で独創的解釈の指揮者のひとりであったチェリビダッケ。完璧主義者であり、コンサートの即時性と聴衆とのライヴ感を好み、レコーディング・スタジオで生成された合成音を嫌いました。1979年から1996年のミュンヘン・フィル音楽監督就任中の演奏は、仏教の影響を強く受け、音と空間のバランスを完璧に兼ね備えたものでした。卓越したこの旧EMIからリリースされて話題になった「チェリビダッケ・エディション」は、通常のオーケストラ演奏では考えられない響きの繊細な美しさや大胆なデフォルメの数々が、作品の可能性を改めて考えさせてくれる個性的名演の宝庫であり、ブルックナーやブラームス、ベートーヴェンの演奏にはこれまでにもさまざまな賛辞が寄せられました。

 その中でも、ここに収録されたブルックナーの演奏は、ゆったりとした時間感覚と、徹底したリハーサルの果ての精緻をきわめたオーケストラ表現によって、圧倒的な情報量の音楽つくりあげていたチェリビダッケ晩年の充実した名演です。


【収録情報】

Disc1
● ブルックナー:交響曲第3番ニ短調 WAB103(1888/89、ノーヴァク版)
 録音:1987年3月19,20日 ミュンヘン、ガスタイク・フィルハーモニー
 演奏終了後拍手入り

Disc2
● ブルックナー:交響曲第4番変ホ長調 WAB104『ロマンティック』(ハース版)
 録音:1988年10月16日 ミュンヘン、ガスタイク・フィルハーモニー

Disc 3-4
● ブルックナー:交響曲第5番変ロ長調 WAB105(1878、ハース版)
 録音:1993年2月14,16日 ミュンヘン、ガスタイク・フィルハーモニー
 演奏開始前、終了後拍手入り

Disc5
● ブルックナー:交響曲第6番イ長調 WAB106(ハース版)
 録音:1991年11月29日 ミュンヘン、ガスタイク・フィルハーモニー
 演奏開始前、終了後拍手入り

Disc6-7
● ブルックナー:交響曲第7番ホ長調 WAB107(ハース版)
 録音:1994年9月10日 ミュンヘン、ガスタイク・フィルハーモニー
 演奏開始前、終了後拍手入り

● ブルックナー:テ・デウム ハ長調 WAB.45(1883/84、ペータース版)

 マーガレット・プライス(ソプラノ)
 クリステル・ボルヒェルス(コントラルト)
 クラエス・H・アーンシェ(テノール)
 カール・ヘルム(バス)
 ミュンヘン・フィルハーモニー合唱団
 ミュンヘン・バッハ合唱団員
 エルマー・シュローター(オルガン)
 録音:1982年7月1日 ミュンヘン、聖ルカ教会

Disc8-9
● ブルックナー:交響曲第8番ハ短調 WAB108(1890、ノーヴァク版)
 録音:1993年9月12,13日 ミュンヘン、ガスタイク・フィルハーモニー
 演奏開始前、終了後拍手入り

Disc10-11
● ブルックナー:交響曲第9番ニ短調 WAB109(ノーヴァク版)
 録音:1995年9月10日 ミュンヘン、ガスタイク・フィルハーモニー
 演奏開始前、終了後拍手入り

● 交響曲第9番ニ短調のリハーサルより
 録音:1995年9月4-7日 ミュンヘン、ガスタイク・フィルハーモニー

Disc12
● ブルックナー:ミサ曲第3番ヘ短調 WAB28

 マーガレット・プライス(ソプラノ)
 ドリス・ゾッフェル(アルト)
 ペーター・シュトラーカ(テノール)
 マティアス・ヘレ(バス)
 ミュンヘン・フィルハーモニー合唱団
 録音:1990年3月6,9日 ミュンヘン、ガスタイク・フィルハーモニー

 ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
 セルジウ・チェリビダッケ(指揮)

 SACD Hybrid
 CD STEREO/ SACD STEREO
 2024年リマスター


【音楽評論 西村 祐氏による新リマスターへのコメント】
「チェリビダッケとミュンヘン・フィルによる有名なブルックナー録音。ブルックナーの理想像を高い集中力で実現させようとする晩年のチェリビダッケとオーケストラとの共同作業のさまがよくわかる演奏として知られてきたが、今回のリマスターは今まで聴いてきたものとは趣が異なり、会場を包む空気感や緊張感、そしてチェリビダッケの真に伝えたかったことが感じ取りやすい音質となった。

今回のリマスターのポイントは、当時の16bit/44.1khzによるデジタル録音、または変換されしまい収録できなかった倍音(ハイレゾ)音域を最新のAIテクノロジーによって復元させたこと。豊かで伸びやかな響きとなり、今まで平板にすら聴こえていた全合奏にはダイナミックな広がりと奥行きが加わったのが特徴である。

チェリビダッケのブルックナーは、晩年の演奏になればなるほどその「極限的な遅さ」が好悪を分けた。確かに彼が存在のすべてを賭けて臨んでいた演奏会を体験していない聴き手にとっては、弛緩しているように聴こえることもあったかもしれない。しかしこのリマスターからは、その「長い時間」こそに大きな意味があり、チェリビダッケにとってなぜこのテンポが必要だったのかが理解できるように思える。たとえばこれらの演奏では随所に登場する長大なクレッシェンドの末にもたらされるクライマックスがまさに巨大だが、オーケストラに経過と結果を(瞬間ごとの響きを聴き取りつつ)綿密に構築させたいというチェリビダッケの意図がわかってくる。すべての音とフレーズがある一点を目指して動き始め、各パートが連動し絡み合い、最後にそれが大きなまとまりとして爆発するさまを以前にもまして味わうことができるのだ。

現地での経験を記した多くの評論による、「透明感」や「暖かさ」といったキーワードのとおりの音が今回のリマスターで初めて再現され、チェリビダッケとオーケストラが細部にわたって作り込み、本番で実際に響かせていた音の姿を想像することができるようになったのだ。」
https://www.hmv.co.jp/en/news/article/240613158/
6:777 :

2024/08/13 (Tue) 05:50:12

チェリビダッケの録音
https://kabukisk.com/classic/celibidacherec.htm

○1973年12月ライヴ

ラヴェル:道化師の朝の歌

シュトゥットガルト放送交響楽団
(ニュルンベルク、ライヴ)

オケがラヴェルの音楽によくマッチした軽やかで・明るく透明な響きで、チェリビダッケのリズム処理が絶妙です。リズムがよく斬れて・表情が生き生きしており、決して派手派手しさはないのですが、見事な出来栄えです。

○1974年3月8日ライヴ

ラヴェル:バレエ組曲「ダフニスとクロエ」第2組曲

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

テンポは心持ち遅めですが、雰囲気が素晴らしい。響きが繊細かつ透明で柔らかく、香り立つように管居られます。ラテン的な直接光的な明晰さよりも、淡い間接光的な明るさなのも・このテンポでは効果的に思われます。特に「夜明け」・「パントマイム」でのニュアンス豊かな木管の扱いが素晴らしいと思います。響きの色彩感よりも、旋律線を大事にした扱いで、とても聴きやすいと思います。若干甘めでロマンティックに過ぎるという批判もありそうですが、とにかく前半は実に魅力的です。「全員の踊り」もリズムが斬れていてダイナミックです。

○1974年3月23日ライヴ

ブラームス:交響曲第4番

シュトゥットガルト放送交響楽団
(ヴィースバーデン、ライヴ)

リズムの彫りが浅くて・曲の彫りが平板であると感じられます。ブラームスの重層的な構造が表現できておらず・線で描こうとしているのでしょうが、その線が細いので・ひどく痩せた音楽に聴こえます。これはチェリビダッケのブラームスに共通して言えると思います。第1楽章は表現が上滑りして・サラサラ流れるようで、ブラームスの濃厚なロマンティシムズを感じさせてくれません。響きは透明で軽くて・それ自体は美しく、あるいは清怜で叙情的なイメージを表現できるかと言う期待がなくもなかったのですが、根本的に音楽の捉え方が違っている感じです。特に第2楽章は表現に冴えがなくて・詰まらないと思います。第4楽章の中間部でテンポをグッと落として、響きに沈溺していき・音楽が停滞するのもいただけません。

○1975年4月11日ライヴ

ブラームス:交響曲第2番

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

低音が弱く・響きに重量感がなくて・音楽の線が細いのはブラームスとしては不満に思います。良く言えば旋律主体ということでしょうが、悪く言えば響きが平板で・ブラームスの重層的構造を表現できていないと思えます。テンポは晩年ほど遅くはないので安心して聴けますが、リズムは一定ではなく・微妙に伸縮しています。そのせいかブラームスのフォルムを感じ取りにくいと思います。リズムが前面に出てくる両端楽章ではあまり気になりませんが、緩徐楽章においては旋律の歌いまわしが不自然に間延びした印象に聴こえます。特に第2楽章は耽美的と言うか・響きのねっとりした動きがまったくブラームスではなく・聴いていて眠くなりました。

○1975年6月1日ライヴ

ラヴェル:マ・メール・ロア

スイス・イタリア放送管弦楽団
(ルガノ)

チェリビダッケとフランス近代音楽との相性が良いのは、響きが透明で・音楽に水彩画的な感覚があるせいでしょうか。そのリズムは決して軽ろやかとは言えませんが、その感覚も不思議にラヴェルの音楽とマッチするようです。特に「パゴダの女王レドロネット」と「美女と野獣の対話」に独特の感覚が感じられます。スイス・イタリア放送管は技術的には決して十全ではないですが、チェリビダッケの意図を反映しようとよく頑張っています。

○1976年ライヴ-1

バルトーク:管弦楽のための協奏曲

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

テンポが早くて・リズムの斬れで聞かせるシャープな表現です。旋律に思い入れを入れずに・直線的に斬り込んでいきます。これはオケの個性もあると思いますが・あまり低弦を強調しない行き方で、響きは硬質で冷たいクリスタルな感じです。そのせいか冒頭はややサラリとし過ぎの感じなくもなく、悲歌は早いテンポで拍子抜けするほどあっさりした感じです。しかし、全体としては曲が進むにつれて乗りが良くなっていき、終曲はかなり早いテンポでオケを追い込んで行って・ダイナミックに終わります。オケはチェリビダッケの棒によく喰い付いていて・白熱した演奏を展開しています。

○1976年ライヴ-2

ドビュッシー:牧神の午後への前奏曲

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

テンポを遅めにして・旋律の歌い方は情感込めてじっくり歌う感じで旋律線を大事にした演奏ですが、予想以上に甘ったるく・ムード音楽のような感じに思われるのは意外。オケの響きが透明で明るく、低弦を効かせる感じではないので・軽やかに感じられます。香気を感じさせる印象派的な響きではなく、明るい陽光を感じさせ・どちらかと言えばラヴェル的な処理です。

○1976年3月12日ライヴ

ストラヴィンスキー:バレエ組曲「妖精の口づけ」

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

リズムが後半で若干重めの感じはありますが、色彩感もあって・オケのダイナミックな動きが楽しめます。前半はリズム処理の巧さが素晴らしく、特に第2曲「村祭り(スイス舞曲)」ではオケの木管・金管の輝かしさが見事です。

○1976年6月20日ライヴ

レスピーギ:交響詩「ローマの松」

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

曲との相性がよいのか・ラテン的感性が感じられて、陽光に照らされたような・響きの抜けの良い演奏です。これも絵画的表現であると言えますが、輪郭がシャープで・冴えた造形です。中盤の涼しい表現も印象的です。オケの響きが透明で明るく、フィナーレのアッピア街道の松での金管の輝かしさは聴きものです。

○1976年6月21日・22日ライヴ

ムソルグスキー/ラヴェル編曲:組曲「展覧会の絵」

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

この曲はチェリビダッケの得意曲で・多くの録音が残っていますが、全体にリズムが重い感じでは共通しており、基調となるテンポが晩年の演奏は遅くなっている以外の点では・解釈もあまり変化していないように思います。晩年の演奏と同様で・前半部分の出来がよく、後半の2曲「バーバ・ヤーガの小屋」と「キエフの大門」はリズムが重くて粘る感じがあり、スケール感が足りないと思います。もっと音楽に躍動感が欲しいと思います。前半の小曲群は各曲の正確をよく足描き分けています。オケの響きは若干軽めですが・その透明な色彩感をよく生かし、淡いタッチの水彩画的なイメージがあります。旋律がよく歌われており、チェリビダッケは微妙な色彩の扱いがうまいと感心します。

○1976年6月22日ライヴ-1

R.シュトラウス:交響詩「ドン・ファン」

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

薄味のシュトラウスという感じです。テンポは意外に早めで、オケの響きが透明で軽く爽やかに感じられます。したがって、テンポが遅い叙情的な部分においては清冽な美しさを出して・独特なチェリビダッケ節です。しかし、テンポが速い狂騒的な部分においてはオケの動きが空回りしている感じで、情熱の熱さが感じられません。静と動の対照が際立たないのです。 残念ながらフィナーレの寂寥感はいまひとつです。

○1976年6月22日ライヴー2

ラヴェル:スペイン狂詩曲

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

チェリビダッケの響きに対する感覚の鋭さには感嘆させられます。高弦と木管のニュアンスが素晴らしいと思います。オケの響きは明るく、陽光に照らし出されたように明晰な感覚に満ち溢れており、これがラヴェルの音楽にマッチしています。特に素晴らしいのは響きの香りが匂い立つような第1曲「夜への前奏曲」と第3曲「ハバネラ」で、ここにチェリビダッケの響きへの感覚が生きています。色彩はむしろ淡い感じであり、決して派手さはないのですが、押さえるべきところはしっかり押さえた見事な出来栄えです。

○1976年10月21日ライヴ

ブラームス:交響曲第1番

シュトゥットガルト放送交響楽団
(マンハイム、ライヴ)

晩年と違ってテンポが早めで、チェリビダッケの傾向として・響きに傾注して若干間延びする場面もありますが、この曲の場合はリズムが比較的前面に出るせいか・ブラームスの他の交響曲よりは聴きやすい感じです。ただし響きが透明と言うか・悪く言えば薄味で軽いので、音楽の線が細い感じで・レントゲン写真を見ているような感じがあり、そういう意味でやはり違和感がぬぐえません。全体にリズムの刻みが浅くて・表現が平板に感じられるのです。第2楽章は旋律がブルックナー的で・間延びする感じで・表現に冴えがなく・つまらなく思えます。第4楽章もテンポの緩急が大きく・印象が散漫です。

○1976年11月19日ライヴ

ブラームス:交響曲第3番

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

叙情的な要素の強い第3番ではチェリビダッケの個性がマッチせず、ブラームスの音楽からますます遠ざかってしまった感があります。中間の第2・3楽章の旋律がねっとりと間延びして、響きの色にばかり注意が向いている感じで実に詰まらない。耽美的と言うか・リズムが間延びして・やればやるほどブラームスではないと思います。両端楽章はリズムが前面に出るのでまだしもですが、響きが軽くて・重量感が不足していて・物足りない出来です。

○1977年2月11日ライヴ

ドビュッシー:交響詩「海」

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

ラヴェル的な線の強い演奏ですが、オケの明るく・透明な響きが魅力的で、明晰な感性を感じさせます。テンポはかなり緩急をつけていますが・曲想によく合っており・作為的な感じは全くなくて、場面にダイナミックな変化が感じられます。色彩の変化も面白く、全体の構成がしっかりして・聴き応えのある演奏に仕上がりました。特に第3部「海と波との対話」は造形の彫りが深く、素晴らしいと思います。

○1978年6月26日ライヴ

ストラヴィンスキー:バレエ組曲「火の鳥」(1923年版)

シュトゥットガルト放送交響楽団
(テュービンゲン、ライヴ)

シュトゥットガルト放送響の響きは透明で明るく、リズムは若干重めに感じられる部分もあるが・全体に躍動感があり・見事な出来です。特に「火の鳥の踊り」ではそのリズム処理が面白く・幻想的な雰囲気を醸し出します。「カスチェィ一党の兇悪な踊り」やフォナーレにおいてはダイナミックなオケの動きで聞かせます。細やかな色彩の扱いが上手く、この辺にチェリビダッケの特質がよく出ています。

○1979年6月20日ライヴ

ブラームス:交響曲第3番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ヘラクレス・ザール)

テンポは意外と早めに始まり・キビキビして悪くないのですが、第1楽章中間部や第4楽章中間部ではテンポが遅くなり・音楽の意識が響きの調合の方へ傾き・流れが停滞してきます。響きが明るく透明なのも・この曲の場合にはそう相性は悪くないように感じられます。しかし、第2楽章ではやはり音楽が停滞する感じで、どうも全体の構成が見えてきません。第3楽章はテンポ速めであっさりした味付けです。

○1978年10月26日ライヴ

ラヴェル:組曲「クープランの墓」

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

オケの響きは透明ですが・柔らかく暖かい感じで、ラテン的な涼しいラヴェルとはまた違った趣があります。旋律線を大事にした演奏で、香り立つような細部のニュアンスが素晴らしいと思います。特に木管の扱いが繊細で・タッチが柔らかくて印象的です。中間の2曲(フォルラーヌ、メヌエット)はテンポ遅めの設定ですが・実にロマンティックで、甘ったるくなる寸前の表現です。高弦の繊細な響き、旋律をいとおしむように奏でるニュアンスの急高さなど、この中間2曲の扱いが重要であると感じます。リズム処理も見事で、とても印象に残る演奏です。

○1979年11月8日ライヴ

R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

全体に感触がのっぺりして・平板な印象です。聴いている時にはそれほど感じませんが、聴き終わって・いまひとつ物足りない感じがします。表情の彫りが浅い感じなのです。響き自体は豊穣で美しいのですが・主旋律が浮かび上がってこないことに起因しているようです。表面的・音響的な美しさに耽溺しているような印象があります。リズムの打ちも甘い感じで・深みに乏しい気がします。曲の展開への設計を チェリビダッケが十分掴み切れていない気がします。絵画的な感触と言うか・動的な印象があまりなくて、愛の場面も・戦場の場面もそれぞれの場面が際立ってこないのです。

○1979年11月19日ライヴ

ラヴェル:ラ・ヴァルス

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

旋律線を大事にした演奏ですが、テンポが大きく伸縮して・作り方が作為的で、あまり感心できない解釈です。響きは透明で・柔らかで良いのですが、ラヴェルが書いたウィンナ・ワルツの幻想曲としての音楽に酔い切れていないようです。部分では確かに面白いところもありますが、全体が一貫し ていない感じです。

○1980年2月29日ライヴ

ドビュッシー:管弦楽のための映像~第2曲「イベリア」

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

第1曲「街の道と田舎の道」冒頭からしてみずみずしさに溢れています。オケの透明な音色がドビュッシーの音楽によくマッチしており、曲のすみずみまで見渡せるような・明晰でみずみずしい表現です。リズム感は精妙で、オケの軽やかな動きが涼しい響きを作り出します。木管の絶妙なニュアンスにチェリビダッケの響きに対するこだわりが感じられます。明るい陽光に照らしだされたような感覚が印象的です。

○1980年4月18日ライヴー1

ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」

ロンドン交響楽団
(東京、東京文化会館)

チェリビダッケお得意の曲ですが、絵画的・静的な表現であり・ドラマを感じにくい演奏です。派手に鳴らすのが良いとは言えませんが、ババ・ヤーガやキエフの大門はもっとドラマティックにできると思います。もちろん敢えてそうしないところにチェリビダッケの意図があるのでしょうが、全体に渋い表現なのです。。カタコンブなどでは遅いテンポが沈滞していくムードに拍車をかけるようで・音楽が重くなります。弱音の表現にもう少し工夫が欲しいと思います。ロンドン響は硬質で引き締まった響きで、チェリビダッケの棒によく付いていると思います。このコンビはなかなか相性が良いと思います。

○1980年4月18日ライヴー2

プロコフィエフ:バレエ「ロメオとジュリエット」~タイボルトの死、
ドヴォルザーク:スラヴ舞曲第8番

ロンドン交響楽団
(東京、東京文化会館)

当日のアンコール2曲はいずれも素晴らしい出来です。プロコフィエフはその精緻なリズム処理が実に面白く、描写音楽的ではないにせよ、とても密度が高い演奏です。ロンドン響の引き締まった細身で硬質な響きが、この曲によく似合っています。ドヴォルザークも民族的というのではなく・純音楽的な表現ですが、中間部の透明な美しさと動的な部分での躍動感の対比が効いて・スケールが大きい表現であると思います。

○1980年10月16日ライヴ

ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ヘラクレス・ザール)

各変奏の変化を楽しむ曲だけに・微視的に細部の構築にこだわるチェリビダッケの行き方はどうかと心配しましたが、各変奏ともにきっちり描き分けられていて、スケール感もあり・なかなかの出来。もう少し音楽に推進力が欲しいところもありますが、全体としてテンポ遅めで・茫洋として感覚はなかなか良いと思います。

○1980年11月15日ライヴ

ドビュッシー:夜想曲

シュトゥットガルト放送交響楽団・合唱団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

響きの色彩のブレンドに対する配慮が行き届いている演奏で、木管の響きがよく通る・明るく透明な響きが魅力的です。旋律線を大事にするチェリビダッケの行き方はドビュッシーよりラヴェルに合う感じであり、そのせいで「祭り」は相性が良く、リズムが斬れて・ダイナミックで良い出来に仕上がりました。一方、「雲」はテンポが遅くて・やや腰が重い感じがします。「シレーヌ」は合唱とオケとのバランスが良く、チェリビダッケの響きへのこだわりがよい方に作用しています。

○1981年2月ライヴ

プロコフィエフ:バレエ組曲「ロミオとジュリエット」からの三曲

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

オケの響きは冷たく冴えた透明な響きで・リズムが軽やかです。澄み切った叙情的表現が聴き物で、特に「ジュリエットの墓の前のロミオ」での清冽さと・弦のピアニシモの美しさは格別です。「タイボルトの死」でのオケのリズム処理も素晴らしいと思います。その色彩的かつ絵画的表現が、実に魅力的です。「少女ジュリエット」も透明で冷たく感じられるほどに神経が冴え切った表現です。オケの響きが磨き上げられている感じがします。

○1981年7月2日ライヴ

ブラームス:ドイツ・レクイエム

アイリーン・オージェ(ソプラノ)
フランツ・ゲリーセン(バリトン)
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団・合唱団
(ミュンヘン、聖ルカ教会)

テンポが遅いのはいつものチェリビダッケ節。響きは汚れがなくて、透明で実に美しいと思います。特に合唱団はこの遅いテンポに付き合って・本当にご苦労さまという感じです。その集中力はたいしたものです。この合唱はなかなか素晴らしいと思います。ただし、このテンポではやはり音楽は持ちきれません。聴き終わって響きの美しさは耳に残っていますが、何を聴いたのかほとんど印象が残っていません。音楽が残らず・ただボワッとした印象だけが残る感じです。第1曲からその印象で・ダラダラと音楽が続く感じです。第2曲は比較的テンポが早く判じられて・このなかでは聞けます。第6曲は遅いテンポでスケール感はありますが、音楽にとにかく勢いがない。全体のフォルムへの意識が弱く、何が描きたいのかいまひとつ分かりません。どうもチェリビダッケはブラームスとの相性が良くないと思います。

○1982年ライヴ

チャイコフスキー:交響曲第5番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ヘラクレス・ザール)

全体的にかなり遅いテンポですが、テンポの伸縮がかなり大きくて、遅いところは倍くらいの遅さ、早い場面ではまあ普通よりやや遅い程度のテンポになる場合もあるというちょっと風変わりな演奏です。問題はチェリビダッケがこういうテンポ設計をどういう意図でやっているかということですが、クライマックスに向けて力を溜めるために遅いというのでもなく、クライマックスの熱気を沈静化するために遅くなるというのでもなく、ただ何となくテンポが揺れているという感じに聴こえます。というのはリズムの揺れが曲想の変化にマッチする感じではなく、曲から距離を置いたところでコントロールされているような醒めた印象があるからです。第2楽章などかなり遅いテンポで・これを緊張を保ってそれなりに聴かせるのはオケもご苦労さんと言いたいところですが、どこか没入しきれない・表面的な音楽に聴こえます。中間2楽章が重めに設計されていることはそれなりに感じられますが、両端楽章のテンポの揺れが作為的に過ぎてあまり良い評価ができないというのが正直なところです。

○1982年2月18日ライヴ

R.コルサコフ:交響組曲「シェラザード」

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

これはなかなかの好演です。テンポは意外に早めですが、この色彩豊かな曲を透明な響きで・明るく照らし出した感じです。オケのリズムも良く斬れていて、スッキリと爽やかなラテン的感性を感じさせて、その手触りの軽やかさが魅力的です。スケールの大きさはさほどでないのですが、明るい絵画的な面白さがあり・音楽が軽快そのものです。濃厚な民俗色を出すのではなく、淡彩の水彩画を見る趣です。したがって、旋律の歌い方に粘りはなく・サラリとした味わいが持ち味になっています。

○1982年11月11日ライヴ

R.シュトラウス:交響詩「死と変容」

シュトゥットガルト放送交響楽団
(シュトゥットガルト、ライヴ)

全体に絵画的表現と言うか・響きは確かに美しいのですが、聞いていて表現が平板で・彫りが浅い印象があります。特に中盤のクライマックスでは、リズムの打ちが浅く感じられ・どうも表現にシャープさが感じられません。音楽の深みに乏しい感じで・表現が表面的に流れるようで、いまひとつ曲がつかみきれていないもどかしさを感じます。

○1985年3月16日ライヴ

ブラームス:交響曲第4番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ヘラクレス・ザール)

テンポは意外と早めに始まりますが・微妙にテンポが揺れており、ともすれば音楽が響き主体に傾く傾向があります。例えば第1楽章中間部や第4楽章中間部など気が緩むと響きのブレンドに気が行って・音楽が弛緩する感じです。チェリビダッケはどうもブラームスをムーディーにとらえる傾向があるようです。第2楽章は特にテンポが遅くて・響きだけの感じで音楽がまったく止まっているように思います。こうなるとブラームスのフォルムはまるで感じられません。第4楽章など遅いテンポでスケール大きい表現で・部分的には面白い場面もありますが。

○1986年9月23日ライヴ-1

シューマン:交響曲第4番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

出だしからテンポが遅めのチェリビダッケ節。ゆっくりとしたテンポで・旋律を嘗め回すような歌い方で・どこかぬめりを感じさせ、確かに響きは美しく・独特の構えの大きさも感じさせますが、音楽の持つ生命力・推進力に欠ける感じです。この点は両端楽章においては・その茫洋としてスケールの大きさに独特な魅力を感じさせますが、中間楽章においてはかなり不満を感じます。微視的で・全体のバランスが悪くて、中間2楽章はもう少しはやめのテンポ設定が望ましいと思います。

○1986年9月23日ライヴ-2

ムソルグスキー:組曲「展覧会の絵」

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

これも出だしから遅めのチェリビダッケ節で、テンポを意識的に遅くして・聴衆に発想の転換を迫っているようでもあります。スコアをじっくりと嘗め回すような歌い方は独特の斜に構えた趣があり、この曲の別の面を見せているようです。チェリビダッケは本曲を得意としているだけに各曲の性格を見事に描き分けており、オケもこの遅いテンポでも緊張感をしっかりと保っていて秀逸です。。古城やカタコンブにその良さが出ています。最終2曲(ババヤーガ、キエフの大門)はちょっとテンポを遅く取り過ぎに思いますが、その間合いの大きさとスケール感は群を抜いています。

○1986年10月15日ライヴ-1

R.シュトラウス:交響詩「死と変容」

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(東京、東京文化会館)

全体のテンポは遅めで、特に前半のテンポが遅くて・旋律に粘りが強いと思います。高弦のきめが細かい響きは透明で美しいですが、シュトラウスにしてもちょっと耽美的に過ぎて・甘ったるい感じです。響きの色合いの混ぜ具合に注意が行っているような感じで、音楽の流れが停滞していると思います。中間部からの盛り上げは遅いテンポを利用して・スケールの大きさを感じますが、全体としては流れが平板な演奏であると思います。

○1986年10月15日ライヴ-2

ブラームス:交響曲第4番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(東京、東京文化会館)

全体にテンポの遅いチェリビダッケ節で、特に中間2楽章のテンポが遅くて・バランスが悪いと思います。響きの色合いの調整にばかり関心が行っているようで、確かに肌触りの良い響きですが、フォルムへの関心は最初からない感じです。特に第2楽章中間部、第4楽章中間部などは耽美主義的というか・響きの艶が美しければ美しいほどブラームスの音楽から遠ざかる感じです。もうひとつの不満は主旋律の浮かび上がりが明確ではなく・ブラームスの音楽の重層的構造が明らかにならない点で、茫洋としたスケールの大きさはあるが・音楽につかみ所がない感じです。こうなると低音が効かないオケの明るめの響きも気になってきます。強いてあげれば第1楽章は比較的無難な出来です。

○1987年1月21日ライヴ

ブラームス:交響曲第1番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

テンポの遅い・典型的なチェリビダッケ節です。曲の構成がしっかりしているから持っていますが、このテンポで持たされるのはオケもご苦労さんという感じです。しかし、響きのブレンドに気を使う余り、音楽の躍動感が犠牲になっています。表情の彫りが浅くなり・のっぺりした表現で、それが茫洋とした雰囲気を醸し出していると 確かに言えなくもないですが、ブルックナー的な感じで・ブラームスの本質からはほど遠いと思います。両端楽章のようにリズムが比較的前面に出る場面はともかく、中間の緩徐楽章はかなり不満を感じます。またテンポを微妙に伸縮させること・特に休止の取り方が長く気を持たせます。響きは確かによく調整されて美しく・透明感があります。しかし、全曲を通じて響きの色調が変わらないのも一本調子な感じで気になります。テンポの遅さより・根本的に曲との相性が合っていない感じなのです。

○1987年4月12日・13日ライヴ-1

ベートーヴェン:交響曲第4番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

ベートーヴェンの交響曲のなかではチェリビダッケの体質に合った曲のようです。確かにテンポは遅いですが、リズムの持つ推進力に頼らず・響きの細部に磨きを掛けて・フォルムの縛りから音楽を開放したような感じがあり、そのイメージのふわふわした浮遊感が面白いとは言えます。その意味で第1楽章が興味深い出来です。第2楽章は第1楽章の遅いテンポからすると似たような感じで・その関連が見出せませんが、これもチェリビダッケの行き方に沿うと言えるかも知れません。しかし、第3楽章 のテンポ設計には疑問を感じます。この楽章の軽味や・曲全体のなかでの転換という意味が見えてこない感じです。第4楽章は可もなく・不可もなしと言ったところ。しかし、聴き終わって・四つの楽章の連関は見出せず・構成感には乏しい感じ は否めません。

○1987年4月12日・13日ライヴー2

ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

テンポはチェリビダッケらしく非常に遅いのですが、ミュンヘン・フィルの弦はなかなか美しくて・このテンポでご苦労さんと言いたくなります。両端楽章はこの遅いテンポでは少々違和感を感じなくもないですが・音楽が動き出せば器の大きさで語るような所があるのはベートーヴェンの音楽の偉大さに改めて脱帽という感じです。しかし、茫洋としたスケールの大きさというのともちょっと違った感じで、躍動感とか推進力は希薄であり、全体に造形の彫りが浅く平板で・のっぺりした感じがします。オケの響きは透明ですが・色調が淡く、くっきりした陰影に乏しいように思います。第2楽章など悲愴感とか言うのとも違って、澄んだ純音楽的な美しさがあって・透明な感覚が中空に漂っている感じがあって、確かにユニークなベートーヴェンではあります。響きの美しさを追求しただけのようにも思えますが、ベートーヴェンから観念的な要素を取り去り・純音楽的にアプローチした結果なのでありましょうか。

○1989年1月20日ライヴ-1

ベートーヴェン:レオノーレ序曲第3番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

この曲をオペラの序曲として演奏することも・交響詩として演奏することも可能だと思います。いずれにしてもこの曲にはドラマがあると思います。ところが、このチェリビダッケの演奏にはドラマがまったく欠けています。チェリビダッケはこの曲を純器楽と見て・この曲からドラマ 性も思想性も取り去りたいのでありましょう。これはただテンポが遅いだけの・音響の塊りで、音楽にすらなっていないと思います。この曲でこういう演奏ができるのは、まあかなりの変人だということは確かに実感できます。

○1989年1月20日ライヴー2

ベートーヴェン:交響曲第7番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

曲自体がリズム主体にしっかりした構造を持っているので、チェリビダッケが多少テンポを遅くして・リズムの刻みを明確にしないで・仕掛けてきても、ビクともしないのはさすがだと・妙なところで納得してしまいます。響きは透明で・あまり低音を効かせない・軽めの響きで、リズムが持つ推進力をあまり感じさせず・ゆっくりと流れのままに流れていく感じです。フォルムへの意識を感じさせず・躍動感も感じさせませんが、茫洋としたスケール感はあります。第2楽章は第1楽章と比するとバランス上速めに感じられます。ゆったりと透明な流れが美しいですが、第1楽章と似たような感じで・対比感が出てきません。第3・4楽章でも・各楽章の連関はあまり感じられず、ただ同じような流れがあるだけなのです。

○1989年3月17日ライヴ

ベートーヴェン:交響曲第9番「合唱」

ヘレン・ドナート(ソプラノ)/ドリス・ゾッフェル(アルト)
ジークフリート・イェルザレム(テノール)/ペーター・リカ(バス)
ミュンヘン・フィルハーモニー合唱団
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

第1楽章はフルトヴェングラー的原始霧開始ではなくて・むしろ純器楽的にとらえようとしているようにも思えます。思いのほかに早めのテンポでサラリとした感触なのも意外で、フルトヴェングラーの亜流と見られたくないという感じもあるのかも知れません。第 2楽章はリズムの緩急に独特の個性を感じるユニークな解釈です。アイロニカルに乾いた感触なのは面白いですが、第1楽章につづく楽章としてはやや重めに感じられます。第3楽章はチェリビダッケのイメージからすると早めに感じられます。オケの響きに透明感がありますが、音楽の流れが少々重く感じられます。第4楽章は可もなく不可もなしという出来。全体にのっぺり とした平板な感じで・ドラマの起伏を感じさせてくれません。あるいは音楽に哲学的な重さを与えるのを意識して避けているようにも感じられますが、それでは「合唱」の場合は 意味がないと思います。独唱合唱は優秀な出来です。

○1990年10月18日ライヴ

ブルックナー:交響曲第7番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(東京、サントリー・ホール)

全体の印象は20日の第8番の演奏とも共通しますが、第7番は叙情的要素が強い曲であるだけにチェリビダッケの遅いテンポが音楽の流れを単調にしていると感じられる部分が多いと思います。この遅いテンポではブルックナー・ゼクエンツの推進力が失われ、音型が単なる無機的な音符の上がり下がりになる寸前に思われる場面が多々あります。これもある程度意図的なことかと思われますが、チェリビダッケはブルックナーの宗教的な高揚にはあまり関心がないようです。この遅いテンポが後半のふたつの楽章ではあまり効いていないと感じられます。第8番の場合でもそうですが、スケルツオ楽章はほとんど動的な興奮を示しません・というよりも聴き手にそう感じさせないようにしているように思えます。一方、第2楽章アダージョでは相対的に遅さが際立たないせいか・流れがスムーズで、この楽章が一番出来が良いようです。全体として音楽の流れが単調で・ミュンヘン・フィルの金管にもっと輝かしさが備わっていればアクセントがついただろうと思われるところがあります。しかし、弦セクションはこのテンポをダレずに・息をよく保っているのには感心させられます。

○1990年10月20日ライヴ

ブルックナー:交響曲第8番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(東京、サントリー・ホール)

テンポをじっくり過ぎるくらい・じっくりと進めるチェリビダッケのブルックナーはとても個性的ですが、その滔々とした大河の流れはこの曲のスケールの大きさを確かに感じさせます。ミュンヘン・フィルはチェリビダッケの要求によく応えています。金管がちょっと渋い感じで・もう少し 輝きと力強さがあればという不満が両端楽章にありますが、弦セクションはこの遅いテンポを息深く取って・よく緊張感を持続しています。ただし全体の色合いが一様に感じられるようで、テンポと色合いに細やかな変化がもっと必要 だと思います。第1楽章では遅く感じられるテンポも慣れてくればそれなりですが、第2楽章スケルツオが遅いのがこの演奏の重い印象をバランス上さらに重くしているようです。第3楽章は響きに耽溺していくようで・その茫洋とした大きさと単調さが背中合わせ のところがあるのも確かです。しかし、チェリビダッケのブルックナーの特徴が第3楽章によく出ていると思います。

○1990年11月ライヴ

ブラームス:ピアノ協奏曲第2番

ダニエル・バレンボイム(ピアノ独奏)
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

全体として音楽がサラサラと平板に流れて、感銘度が薄い。チェリビダッケが細部を磨こうとするほどブラームスの音楽から遠くなる印象です。強固な構成のなかからフッと漂う物憂げな情感の揺らぎこそブラームスの魅力であるのに、そういうものが完全に吹っ飛んで、冗長な流れがあるのみです。バレンボイムのピアノは打鍵が力強くなかなか健闘しています。第1楽章ではオケとピアノがぶつかりあう協奏曲的な面白さが出ているかも知れません。

○1991年5月29日ライヴ

チャイコフスキー:交響曲第5番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

テンポは異様に遅いのは・チェリビタッケの特徴なので別に驚きませんが、ミュンヘン・フィルが指揮者の要求によく応えて・この遅いテンポにも関わらず・緊張感を持続させて美しい響きを出していることには感心させられました。全体としてテンポが遅過ぎで・音楽の推進力と言う点で問題があると思いますが、四つの楽章の連関が失われていると感じられます。茫洋としてスケールの大きな点がこの演奏の持ち味だと思いますが、ここまで細部の磨き上げにこだわるのがチェリビダッケらしいところと言えましょう。第2楽章はかなり遅いテンポですが、それなりに瞑想的な雰囲気を出していて・ここだけ聴けばそれなりかとも思えます。オケは遅いテンポを良く持たせていますが、息の持続と言う点ではさ すがにこのテンポでは息が持ちません。それでも弦の響きは磨き抜かれてなかなかの美しさです。問題は第3楽章のテンポ設定にあるように思えます。この楽章のリズムがもう少し早めならば全体のバランスはかなり良く なると思いますが、この部分の歪んだワルツのリズムの面白さをチェリビダッケは体現できていないと思います。両端楽章は遅いテンポでスケール感がありますが、音楽が求めるものより重過ぎる感じは否めません。第1楽章の展開がスローモーションのように感じられ、いかにも作り物に感じられて・音のドラマが聴き手に迫ってきません。

○1991年6月8日ライヴ

ブラームス:交響曲第2番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

チェリビダッケ晩年の演奏ですが・意外とテンポは遅くなくて、比較的淡々としたテンポで進められます。第1楽章はその響きの透明感と叙情性で好ましい出来です。しかし、中間部ではテンポが落ちて・響きの調合に意識が移るような感じがあります。同様な傾向が第2楽章や第4楽章中間部にもあり、ともすれば響きの美しさの方に傾いて・音楽が停滞気味になります。全曲通すとやはり四つの楽章の連関が見えないきらいがあります。

○1991年7月ライヴ

シューマン:ピアノ協奏曲

ダニエル・バレンボイム(ピアノ独奏)
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

チェリビダッケらしいというか・細部の響きの磨き上げにこだわって、遅いテンポで音楽をじっくりと描きあげていきます。バレンボイムのピアノは力強く聞かせますが、全体的にはオケの響きのなかに埋没気味です。もともと構成に難ある曲だと言われますが、部分部分ではハッと思わせるところがありますが、山場なく・どこを聞いても同じ感じがします。

○1991年7月ライヴ

ブラームス:ピアノ協奏曲第1番

ダニエル・バレンボイム(ピアノ独奏)
ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(エアランゲン、エアランゲン市立ホール)

テンポは遅く(遅すぎると云うほどでもないが)、スケール大きい構えの演奏ですが、感銘度は薄い。全体的にやや長く、第1楽章冒頭の金管の扱いなどはオルガンみたいなスケール感があるのが、興味深いところです。ミュンヘン・フィルの響きが透明で流麗な流れを作りだしていますが、恐らく低音を意識的に弱めにしているので、音楽の感じが軽いのもブラームスとしては違和感があり、細部を磨きぬいた滑らかな音楽は聴けば聴くほどブラームスからは遠くなるようで、つかみどころがなく、かなり不満を感じる演奏です。どこかブルックナー的な流れの音楽としてブラームスを捉えているようで、がっちりした重層的な形式感が感じられない点が、決定的に不満。構成感に欠けるので、どこを聴いても同じような印象で、山も谷もあるようでなく、ダラダラと冗長に聴こえます。録音のせいもあると思いますが、バレンボイムのピアノがオケの響きのなかに埋没してしまって印象が薄い。もともとピアノ付き交響曲みたいな感じの曲ではあるが、バレンボイムもちょっと萎縮し過ぎで、もう少し自己主張した方が良いのではないか。

○1991年11月27日~30日ライヴ

ブルックナー:交響曲第6番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール、ソニー・クラシカル・ライヴ録音)

チェリビダッケのブルックナーは宗教性をあまり感じさせず・むしろ悪魔的な凄みを感じさせる点がユニークで興味深いと思います。まあこれはブルックナーの音楽のバロック的な一面を捉えているとは思います。それがどこから来るのかは断定しにくいですが・全体にテンポは遅めで・揺れ動くこともないのですが、立ち上がりの鋭いリズムの打ち方にあるようです。第1楽章冒頭から無機的なリズムの打ち方で・普通は宗教的な荘厳さを感じさせるところですが、まるで暴力的な奇怪なイメージを呼び起こします。第4楽章もとても荒々しい音の蠢きがあります。仕上げが微視的であり・全体への配慮があまりない感じで、建築のような重層構造や荘厳さは感じられません。ミュンヘン・フィルの出来は素晴らしく、特に弦の繊細さが印象に残ります。それは第2楽章のクリスタルなピアニシモによく現れていますが、これとてもあまり人間性を感じさせるものではありません。マーラーにも通じるような歪んだ感性を感じさせる点ではある意味で現代的と言えるのかも知れませんが、 チェリビダッケならではの演奏と言えるでしょう。

○1992年1月ライヴ

チャイコフスキー:幻想序曲「ロメオとジュリエット」

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

冒頭からぐっと遅めのテンポを取った期待通りのチェリビダッケ節で、聴き手に対して挑戦的に始まります。楽譜の音符を丹念に音にしましたと云う感じで、弦がお互いの響きを探り合うようです。響きの表面的な美しさを整えることばかりに気が行っているように聴こえます。それでもオケは緊張感を失わずに、チェリビダッケの棒に付いて言っています。しかし、聴き終わって感じるのは、曲の細部にこだわりすぎで、全体の構成感がまったく欠如して、ドラマが聴こえてこないことです。細部では面白いところもあります。例えば戦いの動機は立ち上がりが鋭くダイナミックで聴かせますが、全体としては音楽の劇的密度の点で問題ありです。

○1992年4月1日ライヴ

ブルックナー:交響曲第7番

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
(ベルリン、ベルリン・フィルハーモニー・ホール)

戦後ベルリン・フィルと深い関係にあったチェリビダッケが久しぶりにベルリン・フィルを振ったということで話題になった演奏会ですが、端的に言えば別居生活が長過ぎたということかと思います。テンポ設定が異様に遅いチェリビダッケの音楽作りにベルリン・フィルが共感しているとは言えず、響きが表面的に鳴っている感じが・特に両端楽章で強く感じられます。息を保って旋律をねっとりと嘗め回すような感覚もミュンヘン・フィルのようには行きません。この遅いテンポでは音楽が停滞することは否めず、茫洋としたスケールの大きさと言うのともちょっと違う感じで、かなり変わったブルックナーだと思います。第3楽章スケルツオの鋭角的なリズムにはチェリビダッケの独特な感覚が感じられ て、テンポがもう少し速ければ面白いものになったかなとも思います。

○1993年1月25日ライヴ

ベートーヴェン:交響曲第6番「田園」

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

チェリビダッケには比較的似合った曲かと思いましたが、遅めのテンポが全曲ダラダラと続く感じで・構成力が見出せません。しかし、遅いテンポですが・オケの響きが透明で明るいので、重い雰囲気になっていないのはまあ良いと思います。響きの瞬間だけ捉えれば独特の開放感というか軽さがあるようです。ただしチェリビダッケは描写音楽としての「田園」には全然興味がないようで、展開していく光景にまったく気分の変化が見られないようです。テレビか何かで田園風景を見ているような実体感の希薄さがこの演奏の特徴でしょうか。特に第1・2楽章 がそう言う感じです。第5楽章など湧き上がる自然への感謝・生への喜びという感じはなく、ただ美しい音響の歩みがあるだけです。チェリビダッケが一体何を描きたい のかよく分かりません。

○1993年9月24日、25日ライヴ

ムソルグスキー/ラヴェル編曲:組曲「展覧会の絵」

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

チェリビダッケはこの曲をよく取り上げていますし、個人的にも好きなのでしょうが、チェリビダッケの色彩感覚とオケのコントロールの上手さがよく分かります。全体としてのテンポは期待通りに遅いけれども、チェリビダッケはテンポを自在に伸縮させて、各曲の性格を上手く描き分けています。プロムナードはゆっくりと舐めるような遅いテンポで、これからどうなるかと思わせますが、第1曲グノーム(小人)は遅いテンポのなかに奇怪な感じをよく出しています。第4曲「ブイドロ」もスケールが大きい表現です。一方、テンポを速めた第3曲「ティルニーの庭」・第4曲「卵の殻をつけた雛の踊り」もオケの動きが面白く聴けます。しかし、後半の2曲はもう少し工夫が欲しいと思います。スケール感がいまひとつなのです。第9曲「ババ・ヤガー」はテンポが遅すぎでオケのダイナミックな動きが出ない。終曲「キエフの大門」は終結部を長く引き延ばす大見得をみせていますが、出だしがあっさりして、演出がやや作為的です。

○1994年

ラヴェル:ボレロ

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ケルン)

ゆっくりしたテンポを予想していたら、テンポは意外と速めに感じられます。しかし、じっくりと足を踏みしめるようなリズムの取り方は独特の重量感と威厳があります。クレッシェンドしていく音楽のドラマと言うよりも、積みあがっていく建築物を見る趣です。なかなかの好演だと思います。

○1994年6月18日ライヴ

ラヴェル:ボレロ

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

確かに遅めのテンポですが、遅すぎるというほどのテンポではありません。最初のテンポを決めてしまえば、音量コントロール以外は指揮者の解釈の入る余地が少ないので、個性的なのかは判断しかねる所です。ピアニッシモからの悠然としたクレッシェンドは、堂々たるスケールであり、なかなか聴かせます。オケの響きは透明度が高く、大音量になっても混濁せず威圧的な感じはないのは、素晴らしいです。このラヴェルは高水準の出来だと思います。

○1994年11月29日ライヴ

シューマン:交響曲第2番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

この演奏は素晴らしいと思います。フォルムへの意識を感じさせず、イメージが宙に浮遊する感じで、ベートーヴェンやブラームスでは不満に感じる要素がシューマンのこの曲ではそのまま長所になっています。明るく透明で 、軽さを感じさせる響きが、シューマンの叙情性を揺らぎを以って立ち上らせます。ここではチェリビダッケのかなり遅めのテンポさえ心地良く感じられます。旋律の響きを手探りするようにして・その最も美しい部分を手繰っていくような錯覚さえ覚えます。微視的な行き方で、結果としては全体のフォルムを見失っているように思いますが、これもまたシューマンの行き方に合っているのです。両端楽章では旋律は大きく歌われ、リズムの躍動感には乏しいのですが、その代わりスケールは大きい音楽になっています。どこにも無理な力が入っていない感じで、第3楽章などはその典型で、ゆったりと浮遊するイメージがたとえようもなく美しく感じられます。実に大きいロマン的世界を構築しており、この曲では特筆すべき名演だと思います。

○1995年1月4日ライヴ

ベートーヴェン:交響曲第8番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

チェリビダッケのベートーヴェンは第9のようなメッセージ性の強いものは身構える感じがあって、成功していると言い難いところがありますが、この第8番は純器楽的な曲だけに・肩の力が抜けた良い方の出来になっています。もっともチェリビダッケのことですから・軽い感じ に仕上がっていはいませんが、テンポが遅いにしても・重苦しい感じはあまりありません。第1楽章ならばもう少しテンポの早い方が良いと思いますが、響きは澄んでいて軽いので・演奏は重くは なっていません。しかし、通して聴いてみると四つの楽章がどれも同じような感じがして・単調に思われます。部分では、第2楽章など面白い場面があるのですが。

○1996年6月4日ライヴ

ベートーヴェン:交響曲第2番

ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団
(ミュンヘン、ガスタイク・ホール)

最晩年の演奏と言うこともあるでしょうが、チェリビダッケ節が濃厚です。遅いテンポに全体の構成が持ちきれていないと思います。響きの細部の磨き上げばかりに注意が傾き過ぎで、部分には聴くべきところがあっても 、ほとんど完璧な音響を聴くだけに等しい感じです。冒頭の第1楽章序奏からそんな感じで、序奏から展開部に移行するその意味さえこの演奏からは聴こえません。中間2楽章はもっとひどくて、音楽というよりほとんど音響のような感じで・ただ透明な情感の浮遊だけのイメージだけが残ります。ベートーヴェンでこういう演奏ができるとはいや驚き です。
https://kabukisk.com/classic/celibidacherec.htm
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2024/12/22 (Sun) 07:38:40

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セルジュ・チェリビダッケが取り上げた作曲家の主要作品とその評価


ヨハン・ゼバスティアン・バッハ(Johann Sebastian Bach, 1685- 1750)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%8F
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830326

ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル(Georg Friedrich Händel, 1685 - 1759)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830327

ヨーゼフ・ハイドン(Franz Joseph Haydn, 1732 - 1809)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%B3%28%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E3%80%81%E5%8D%94%E5%A5%8F%E6%9B%B2%29
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830344

アマデウス・モーツァルト(Wolfgang Amadeus Mozart 1756 - 1791)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88
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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven,1770 - 1827)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3
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カール・マリア・フォン・ウェーバー Carl Maria Friedrich Ernst von Weber(1786年11月18日 - 1826年6月5日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830355

ジョアキーノ・ロッシーニ Gioachino Antonio Rossini(1792 - 1868)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830356

フランツ・シューベルト(Franz Peter Schubert 1797 - 1828)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88
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ヨーゼフ・ランナー(Joseph Lanner, 1801年4月12日 - 1843年4月14日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%BC%E3%82%BC%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%BC

アルベルト・ロルツィング(Gustav Albert Lortzing, 1801年10月23日 - 1851年1月21日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%83%AB%E3%83%84%E3%82%A3%E3%83%B3%E3%82%B0

ミハイル・グリンカ Mikhail Ivanovich Glinka(ロシア スモレンスク県 1804年6月1日 - 1857年2月15日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830360

ロベルト・シューマン(Robert Alexander Schumann, 1810 - 1856)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3
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オットー・ニコライ(Carl Otto Ehrenfried Nicolai, 1810年6月9日 – 1849年5月11日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830778

フランツ・リスト(Franz Liszt 1811 - 1886)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830365

ジュゼッペ・ヴェルディ Giuseppe Fortunino Francesco Verdi(1813年10月10日 - 1901年1月27日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830366

ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner , 1813 - 1883 )
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830367

ベドルジハ・スメタナ Bedřich Smetana(1824-1884)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830370

アントン・ブルックナー(Josef Anton Bruckner, 1824 - 1896)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830371

ペーター・コルネリウス(Carl August Peter Cornelius, 1824年12月24日 - 1874年10月26日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9A%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%B3%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9

ヨハン・シュトラウス2世 Johann Strauss II(オーストリア ウィーン 1825年10月25日 - 1899年6月3日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830372

ヨーゼフ・シュトラウス Josef Strauss(オーストリア ウィーン 1827年8月20日 - 1870年7月22日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830780

ヨハネス・ブラームス(Johannes Brahms, 1833 - 1897)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%96%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%A0%E3%82%B9
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830373

ピョートル・イリイチ・チャイコフスキー(Peter Ilyich Tchaikovsky、1840 - 1893)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%82%A4%E3%82%B3%E3%83%95%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%BC
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830549

カール・ミヒャエル・ツィーラー(Carl Michael Ziehrer, 1843年5月2日 - 1922年11月14日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%92%E3%83%A3%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%84%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC

カレル・コムザーク2世 Karel Komzák II(チェコ プラハ 1850年11月8日 - 1905年4月23日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830779

フーゴ・ヴォルフ(Hugo Wolf、1860年3月13日 - 1903年2月22日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%BC%E3%82%B4%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95

グスタフ・マーラー Gustav Mahler(1860年7月7日 - 1911年5月18日)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16831003

リヒャルト・シュトラウス(Richard Georg Strauss, 1864 - 1949)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AA%E3%83%92%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%A6%E3%82%B9
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/818.html

ハンス・エーリヒ・プフィッツナー(Hans Erich Pfitzner 1869年5月5日 – 1949年5月22日)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830681

マックス・レーガー(Johann Baptist Joseph Maximilian Reger, 1873年3月19日 - 1916年5月11日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%BC

フランツ・シュミット(Franz Schmidt、1874年12月22日 - 1939年2月11日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%84%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%9F%E3%83%83%E3%83%88

クレメンス・フォン・フランケンシュタイン (1875年7月14 - 1942年8月19日)
https://de.wikipedia.org/wiki/Clemens_von_Franckenstein

ヴォルフ=フェラーリ(Ermanno Wolf-Ferrari, 1876年1月12日 - 1948年1月21日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%83%8E%E3%83%BB%E3%83%B4%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%83%95%EF%BC%9D%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%AA

オットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi, 1879年7月9日 – 1936年4月18日)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830691

マックス・トラップ(Hermann Emil Alfred Max Trapp, 1887年11月1日 – 1971年5月31日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%83%E3%83%97

テオドール・ベルガー(Theodor Berger, 1905年5月18日 - 1992年8月21日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%AA%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BC

ラーシ・ボーデマン (Laci Georg Boldemann, 1921年4月14日‐1969年8月18日)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%82%B7%E3%83%BB%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%87%E3%83%9E%E3%83%B3
10:777 :

2025/01/19 (Sun) 09:13:37

アントン・ブルックナー(Josef Anton Bruckner, 1824 - 1896)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830371


Bruckner - Symphony No 8 (Celibidache) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YRDZ0XotytA



Bruckner - Symphony No 8 - Celibidache, MPO (1994)
https://www.youtube.com/results?search_query=Bruckner++Symphony+No+8++Celibidache++1994++Lisbon

Munich Philharmonic Orchestra conducted by Sergiu Celibidache
Recorded live: 23 April 1994, Lisbon, Portugal



11:777 :

2025/01/19 (Sun) 09:15:40

ラヴェル

7 Ravel Bolero Sergiu Celibidache 1971 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=AlM5SMXJL-I
12:777 :

2025/01/19 (Sun) 09:17:01

ラヴェル

Celibidache - Ravel and Debussy (Live Video concert 1994)
https://www.youtube.com/watch?v=nXcYcW2toI4

1. Ravel - Alborada del gracioso - Quite lively
2. Debussy - Prelude to the Afternoon of a Faun
3. Ravel - Rapsodie espagnole
4. Debussy - Iberia
5. Ravel - Bolero

Recorded live at the Cologne Music Triennale, Kölner Philharmonie, May 1994
13:777 :

2025/01/19 (Sun) 09:18:46

オットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi, 1879年7月9日 – 1936年4月18日)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%A4%E3%82%BF%E3%83%AA%E3%82%A2
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830691


Respighi: Pini di Roma - Sergiu Celibidache, Orchestra Sinfonica di Torino della RAI
https://www.youtube.com/watch?v=JW-nIRRVmck

Pini di Roma
I I Pini di Villa Borghese
II Pini presso una Catacomba
III I Pini del Gianicolo
IV I Pini della Via Appia

Sergiu Celibidache, direttore
Orchestra Sinfonica di Torino della RAI
live Torino, 1960
14:777 :

2025/01/19 (Sun) 09:21:42

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン(Ludwig van Beethoven,1770 - 1827)
https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16830351


Celibidache conducts Munich Phil. in Beethoven & Bartók
https://www.youtube.com/watch?v=Re-AvkcBCC4


Symphony No. 4 in B♭ major, Op. 60, by Beethoven
Concerto for Orchestra, Sz. 116, BB 123, by Bartók


Sergiu Celibidache
the Münchner Philharmoniker (Munich Philharmonic)

15:777 :

2025/01/19 (Sun) 11:03:03

ベートーヴェン


Beethoven Piano Concerto No 5 E♭ Emperor Arturo Benedetti Michelangeli Sergiu Celibidache ONF HQ
https://www.youtube.com/watch?v=U5nnLmq2Q6g

Arturo Benedetti Michelangeli, piano
Sergiu Celibidache conducts Orchestre Nationale de France, on 16.10.1974 in Théâtre des Champs-Élysées, Paris



Beethoven Piano Concerto No 5 Emperor Arturo Benedetti Michelangeli Sergiu Celibidache Helsinki 1969
https://www.youtube.com/watch?v=LwOtzCe_eQM

Arturo Benedetti Michelangeli, piano
Sergiu Celibidache conducts Swedish Radio Symphony Orchestra
Helsinki, 22 May 1969
16:777 :

2025/01/19 (Sun) 12:00:59

Bruckner: Symphony No.4 Celibidache/ Münchner Ph/ Wien Live ブルックナー:交響曲第4番 チェリビダッケ ウィーンライブ
https://www.youtube.com/watch?v=QVUyaiIHSW4

ブルックナー:交響曲 第4番変ホ長調「ロマンティック」
ミュンヘンフィルハーモニー管弦楽団
セルジュ・チェリビダッケ
1989年2月5、6日、ウィーン、ムジークフェラインザール

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