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セルジュ・チェリビダッケ(1912年7月11日 - 1996年8月14日)指揮者

1:777 :

2022/07/24 (Sun) 00:26:32

セルジュ・チェリビダッケ(Sergiu Celibidache, 1912年7月11日 - 1996年8月14日)指揮者


Celibidache - YouTube
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Celibidache Bruckner - YouTube
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チェリビダッケ ブルックナー交響曲集
Bruckner Symphony conducted by Sergiu Celibidache
https://www.youtube.com/playlist?list=PLDHp-dZKD6X1LXD3NMrEZ0rRjp6Q827vX


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セルジュ・チェリビダッケ(Sergiu Celibidache, 1912年7月11日 - 1996年8月14日)は、ルーマニアに生まれ、ドイツで活躍した指揮者、作曲家。

1912年、ルーマニア王国のローマン(英語版)生まれ。第一次世界大戦中にヤシに転居、21歳頃まで同地で過ごす。6歳頃からピアノを学びはじめるが、これが直接音楽家を目指す契機にはならなかったようで、27歳になるまで天職を決めかねていたと告白している。父親は彼を政治家にしたがっていたという。ユダヤ文化の中心地であったヤシで育ちユダヤ人と深く交流したため、イディッシュ語も堪能であったばかりでなく、多くの言語に精通したポリグロットであった。また晩年には仏教に改宗し、日本でも多く参禅を行なっている。1996年 死去。84歳没。

指揮者として

ベルリン時代
チェリビダッケは初めパリに留学したが、1936年にベルリンに移り、フリードリヒ・ヴィルヘルム大学やベルリン音楽大学で音楽、数学、哲学などを学んだ。戦時中もベルリンに留まり、同地で終戦を迎えることになる[1]。

戦後、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者だったフルトヴェングラーら有名指揮者たちはナチスとの関係をとがめられ謹慎生活に入り、ロシア出身のレオ・ボルヒャルトが同楽団の暫定首席指揮者となるが、わずか3か月後に米軍の誤射で亡くなってしまう。チェリビダッケはこれを機にベルリン・フィルの指揮台に立つことになるが、その経緯についてははっきりしない。採用の直前に、ベルリン放送交響楽団の指揮者コンクールで優勝しているが、それとの直接的な関係も必ずしも定かではない[2]。 いずれにせよ、チェリビダッケはボルヒャルト死去のわずか6日後にベルリン・フィルの野外コンサートで指揮者デビューを飾る。曲はロッシーニの『セビリアの理髪師』序曲とウェーバーのファゴット協奏曲、そしてドヴォルザークの交響曲第9番『新世界より』であった。その後、暫定的にではあるがベルリン・フィルの首席指揮者に就任した[3]。

1945年当時、チェリビダッケには学生オーケストラを除けば本格的な指揮の経験はほとんどなく、ベルリン・フィルを指揮しながら広大なレパートリーを開拓していった。それはバロック、古典派から近現代の作曲家まで膨大なものに及び、しかも(協奏曲を除き)その全てを暗譜で指揮した[4]。活動初期は評論家の受けもよく、ベルリン・フィルを多く指揮し、フルトヴェングラーの後継候補と謳われた。フルトヴェングラーを深く尊敬していた彼は、フルトヴェングラーの非ナチ化裁判に協力するため奔走し、2年後の1947年にフルトヴェングラーがベルリン・フィルに復帰するのを手助けした。フルトヴェングラーも、チェリビダッケが恒久的な首席指揮者の地位に収まることを望んでいたといわれるが、多くの団員はフルトヴェングラーこそが本来の首席指揮者であり、チェリビダッケの登用は過渡的なものとみなしていた。オーケストラや(とくに年配の)団員たちにとって、チェリビダッケの非妥協的なリハーサルや、しばしば独裁的な気質は不評であり[5]、一方チェリビダッケからみれば、首席指揮者として十分な発言権がないことに不満が溜まっていった[6]。

国際的な客演指揮者として
こうした雰囲気に嫌気がさしたチェリビダッケはベルリン・フィルと距離を置き、ロンドンでの客演活動を始め、さらにヨーロッパ全域から中南米にいたるまで客演の範囲を拡大していった。チェリビダッケとフルトヴェングラーとの友情も失われ、1952年にフルトヴェングラーが「終身首席指揮者」に復帰すると、事態はより決定的となった。この時期、チェリビダッケとベルリン・フィル周辺の関係は破綻していたが、一方でベルリン・フィルでの指揮活動は聴衆や批評家から圧倒的な支持を受けており、1953年にベルリン市の「音楽芸術賞」、1954年には功労十字大勲章を、1955年にはドイツ批評家協会賞を受賞している[7]。

聴衆や批評家はチェリビダッケに熱狂し、オーケストラの団員や幹部は反発を強めるという状況のなか、フルトヴェングラーが肺炎で倒れ、事態は急展開する。1954年11月、フルトヴェングラーが死の病に伏しているさなか、チェリビダッケは『ドイツ・レクイエム』のリハーサルで大衝突を起こし、それから38年後の1992年3月31日に時の大統領ヴァイツゼッカーに請われて最初で最後の復帰を果たすまで、ベルリン・フィルを指揮することはなかった[5]。

フルトヴェングラーの死後、その後継者としてベルリン・フィルはヘルベルト・フォン・カラヤンを選出する。チェリビダッケはその後しばらくイタリアを中心に活動し、サンタ・チェチーリア国立アカデミー管弦楽団やイタリア放送協会 (RAI) に所属する複数のオーケストラ(トリノ、ローマ、ミラノ他)などで客演を重ねた。1960年から1963年まではデンマーク王立管弦楽団、1963年から1971年まではスウェーデン放送交響楽団との結びつきを強めた[8]。

1971年6月に、南ドイツ放送交響楽団(のちのシュトゥットガルト放送交響楽団)創立25周年コンサートでの指揮が好評を博したのがきっかけで、翌1972年に定期客演指揮者となる。以降1977年まで実質的な芸術監督として活動をし、同楽団の水準をドイツの有力オーケストラにまで引き上げた[9]。

ミュンヘン・フィル時代
客演指揮者として各地を転々とし、行く先々で評価を得てきたチェリビダッケであったが、1979年6月、ルドルフ・ケンペの後任を探していたミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者に就任する。きっかけは同年2月のミュンヘン・フィルにおける初指揮で、この演奏会が圧倒的な成功を収めたことだった。チェリビダッケは、新団員の多数採用、団員給与のバイエルン放送交響楽団並みへの引き上げ、プログラムや招聘する指揮者やソリストの決定に対する強い発言権など、厳しい条件を提示したが、そのほぼ全てが認められたといわれている[10]。また晩年にはミュンヘン市の芸術監督に就任した。

シュトゥットガルト放送交響楽団とは、放送用の録画が本人の意に沿わない「編集」を行われた、という理由で1982年を最後に決別した。

日本では、最初FMによるシュトゥットガルト放送交響楽団の放送で「幻の指揮者」としてファンを増やしていった。1977年秋と1978年春に単身で来日を果たし、読売日本交響楽団に客演、1980年にはロンドン交響楽団と来日した。手兵ミュンヘン・フィルとは1986年以降1990年、1992年、1993年と頻繁に訪れた。1986年の公演でのブルックナーの交響曲第5番以降、ブルックナーは来日公演の主要なレパートリーとなり、1990年10月にミュンヘン・フィルとともに来日した時は、ブルックナーの交響曲第4番、第7番、第8番を指揮して、7番、8番はハイビジョンによる録画も行われている。

アメリカには、フィラデルフィアのカーティス音楽学校の校長だったジョン・デ・ランシーの要請で、1984年に同校で指揮を教えた。そして、同校学生オーケストラを連れてカーネギーホールで開いたコンサートは、その素晴らしさでニューヨークの音楽界に衝撃を与えた。ニューヨーク著名の音楽評論家ジョン・ロックウェルは「いままで25年間ニューヨークで聴いたコンサートで最高のものだった。しかも、それが学生オーケストラによる演奏会だったとは!」とのコラムを掲載した[11]。

チェリビダッケは相当な毒舌で知られ、ミュンヘン市当局は他の指揮者(クラウス・ウムバッハ)への批判を金で黙らせたとされる。また、カール・ベームが晩年にミュンヘン・フィルに客演しようとした際、チェリビダッケの毒舌(ベームを「芋袋」「ドンゴロス野郎」と呼んでいた)を耳にし、それを演奏契約解除の通告と見做して出演を取りやめた、という逸話も残っている。反面、ベームが病気のため指揮できなくなったロンドン交響楽団の演奏会をわずか1日のリハーサルで引き受けるなど、その本音はよく分からない。かつてチェリビダッケの毒舌(カラヤンはじめ他の指揮者を批判)が新聞の紙面を賑わせた際には、見かねたカルロス・クライバーが天国にいるアルトゥーロ・トスカニーニからの手紙という形をとり「ブルックナーは”あなたのテンポは全て間違っている”と言っています。天国でもカラヤンは人気者です」とユーモアに託した反論のテレックスを打ったということもあった。

1980年、ミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団の首席トロンボーン奏者のオーディションの際、チェリビダッケはブラインド・オーディション(英語版)(衝立で姿形を隠した状態での選考)で女性トロンボーン奏者のアビー・コナント(英語版)の演奏を聴いて絶賛した。しかしコナントが女性だと分かるとチェリビダッケは彼女を敵視し、コナントの入団後は特に理由もないのに首席奏者から2番奏者に降格させるなどの嫌がらせを行った[12]。本件は裁判沙汰となり、コナントが勝訴している[12]。

エピソード等
チェリビダッケは厳しいリハーサルを行うことで知られ、例えば、読売日本交響楽団とのリハーサルでは、チューニングだけに数十分を要したと伝えられている。

死後
1947年から1948年頃のフルトヴェングラーとともに行ったベルリン・フィルのイギリス演奏旅行と前後して、チェリビダッケは初めての公式のレコーディングを行っている。ベルリン・フィルを指揮してのメンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲、プロコフィエフの『古典交響曲』などがその最初期のもので、その直後にはロンドン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮してモーツァルトの交響曲第25番、チャイコフスキーの交響曲第5番と『くるみ割り人形』組曲などをイギリスでレコーディングしている。自らの録音を聞いて、「エンジニアがテンポをいじった!」と疑ったほど、その結果には満足がいかなかったらしい。

ウォルター・レッグなどEMIのプロデューサーからかなりの悪条件でこき使われた、と感じたこともレコード業界不信を助長したが、ホールの音響に左右されるものをマイクの直接音収録で記録するのには限界がある、と悟ったチェリビダッケは以後、極端に録音媒体の発売を嫌い、ごく少数の例外を除いてはレコーディングは行わなかった。別の意味でカラヤンとの録音が比較されるのも意識したと言われている。他の正規録音には、自ら作曲した『秘密の小箱』がある(ドイツ・グラモフォン社録音)。

晩年になると、映像を伴う録画媒体の制作には積極的に(本人の言によればしぶしぶ)取り組み、ソニーなどで演奏会のビデオソフトが発売された。

チェリビダッケの死後、「遺族らが、(日本を中心に)音質劣悪な海賊盤が氾濫する現状を憂えている」と称して、未発表の演奏会の録音をドイツ・グラモフォン、EMIからCD化したが、その音源の選定については、膨大な中からのわずかな数に過ぎず、本当に最善の演奏であるかについては意見が分かれた。特にEMIの録音は年代によってもテンポの設定が若干異なるため、チェリビダッケの演奏の全貌を網羅しているというわけではない。


作品
作曲家としてのチェリビダッケの作品は『秘密の小箱』以外に3曲の交響曲などがある。近年、故国のルーマニアの青少年管弦楽団などで交響曲が初演され、しばしば再演でも取り上げられている。

教育
シュトゥットガルト、ミュンヘン、マインツ、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン、東京、イタリアなどで多数の指揮者講習会やゼミナール・講義・コンクールを持った。また、ほとんどの演奏会の直前のリハーサルは市民や学生のために公開されていたが、ベルリン・フィルに復帰したときの演奏会は関係者以外立入禁止であった。ただし実際は、シュトゥットガルト時代のようにベルリンの指揮科の学生が自由に出入りしていたといわれている。本人へのインタビューによると全世界で3千人の弟子を教えたという。

演奏解釈
「音楽は『無』であって言葉で語ることはできない。ただ『体験』のみだ」というのがチェリビダッケの音楽論である。しばしば行われた「音楽現象学」講義には「始まりの中に終わりがある」という思想が貫かれている。

後年チェリビダッケは、フルトヴェングラーから音楽の深遠な洞察のすべてを学んだと語っている。あるとき指揮者がフルトヴェングラーにある曲のテンポ設定について質問したところ、フルトヴェングラーは「それは音がどう響くかによる」と答え、ホールなどの音響を無視してメトロノームの数字だけを元に決められたようなテンポ設定は無意味だということを悟ったという。

彼も多くの巨匠指揮者と同じく、年齢を重ねてテンポは遅くなった。演奏に関しては総じて晩年のテンポが非常に遅い。最晩年のポルトガル・リスボンで演奏されたブルックナーの交響曲第8番は、一般的な演奏時間が約80分のところ105分かかっている。

現代音楽については、レナード・バーンスタインによるピエール・ブーレーズのピアノ・ソナタ評のように真の理解者ではなく、現代音楽の指揮を拒否するトスカニーニと似た路線であった。イタリアのシルヴァーノ・ブッソッティが自分のスコアを見せて音楽のカオスだと説明した際、そんな子供じみた考えの音楽は振りたくないと拒否した経緯がある。とはいえ現代作品に完全に無理解であったわけではなく、新ウィーン楽派以降の無調作品をわずかながらも演奏はしていた。1968年にはミラノでジョルジョ・フェデリコ・ゲディーニの『弦楽三重奏とオーケストラのための対位法』(1962年)の録音に指揮で参加し、1974年にはスイスでシェーンベルクの『管弦楽のための変奏曲』op.31を演奏する他、ルイジ・ダッラピッコラ、ジョルジョ・フェデリコ・ゲディーニ、カルロス・チャベス、ボリス・ブラッハーら同時代の作曲家の作品を取り上げている。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%AB%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%AA%E3%83%93%E3%83%80%E3%83%83%E3%82%B1
2:777 :

2022/07/24 (Sun) 00:37:18

Bruckner - Symphony No 8 - Celibidache, MPO (1994)
https://www.youtube.com/results?search_query=Bruckner++Symphony+No+8++Celibidache++1994++Lisbon

Munich Philharmonic Orchestra conducted by Sergiu Celibidache
Recorded live: 23 April 1994, Lisbon, Portugal


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「音楽&オーディオ」の小部屋
ブルックナーの交響曲第8番「リスボン・ライブ」版
2018年12月09日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/b84e2dd9f354b7a3ce959bea84307b15

音楽愛好家の端くれとしてコンサート・マスター(以下「コンマス」)の重要性はある程度承知しているが、そもそも「なぜヴァイオリニストがコンマスを務めるのか?」なんて初歩的なことがつい気になってしまう。

そしてたまたま図書館から借りてきた本にコンマスの役割が詳細に述べられていた。

「ようこそ!すばらしきオーケストラの世界へ」 

本書〔2010年6月発行)の109頁~139頁にかけて、当時の3人の「コンマス」の生の声が収録されている。

NHK交響楽団「篠崎史紀」氏、東京フィルハーモニー「荒井英治」氏、東京都交響楽団「矢部達哉」氏たち3名に対する16の設問への回答形式。

日本を代表するオーケストラの「コンマス」の本音が書かれてあって興味深く拝見した。

その設問だがたとえば、

「コンマスとは何者?」「コンマスの一番重要な仕事とは?」「コンマスにとって理想的な指揮者とは?」「理想のコンマス像とは?」「コンマスにとって理想的なオーケストラとは?」など。

それぞれに違った回答を面白く拝見したが、「オヤッ!」と思ったのが「荒井英治」氏が理想のオーケストラとして「チェリビダッケ〔指揮者)+ミュンヘン・フィル」を挙げていたこと。

ウィーン・フィルやベルリン・フィルとかの超一流オーケストラなら分かるが、なぜ、ミュンヘン・フィルを?

実は思い当たる節があるのである。

チェリビダッケはフルトヴェングラー亡き後、ベルリンフィルの常任指揮者のポストをカラヤンと争って敗退した。〔楽団員の投票によるもの)。敗因の一つにスタジオ録音をことさら嫌悪し排除したことが上げられているが、いわば音楽にコマーシャリズムの導入を認めなかった頑固者。

後年「自分がベルリンフィルを継いでいたら、もっとドイツ的な響きを失わずに済んだであろう」と豪語した話は有名だが、ともかくミュンヘンで「配所の月」を眺めつつ徹底的に楽団員をしごき上げ、理想の響きを追求した。

つい「悪いオーケストラはない、悪い指揮者がいるだけだ。」という言葉を思い出す。

そして、その成果ともいえる「名演奏」が誕生した。

それはブルックナーの「交響曲第8番」のリスボンでのライブ演奏。世に言う「リスボン・ライブ」である。

チェリビダッケは録音を許さなかったし、ライブでもあるのでこの演奏は後世に残るはずがなかったのだが、何と海賊盤が存在しているのだ。

誰かが当日、こっそり録音機器を持ち込んで録音したという曰くつきのCD盤〔2枚組)。正式に陽の目を見ない盤だが、知人によると過去にオークションで法外な価格〔1万円以上)で登場していたという。

念のためネットで「HMV」を確認してみたがやはり「正規盤」としては流通していない。

巷間、ブルックナーの交響曲のうち最高傑作は8番と9番〔未完成)とされており、この8番は100分ほどに及ぶ大作だが幾多の名指揮者の録音があるものの、この「リスボン・ライブ」を一度聴いておかないと話にならないそうなので、まあそれ相応の価格と言っていいかもしれない。

フッ、フッ、フ・・、思わず出てくる含み笑い。実はこの「リスボン・ライブ盤」を持っているのである。

   

手に入れた経緯? 海賊版なのでそれはヒ、ミ、ツ(笑)。

荒井さんの記事に触発されて久しぶりにこの「リスボン・ライブ盤」にじっくりと耳を傾けてみた。(音楽には刷り込み現象があるので最初に聴く演奏が大切だが自分の場合この演奏だったので助かった。)

やはり、旋律を楽しむのではなくてたっぷりと大きなスケールで豊かな響きを楽しむ音楽である。はじめからお終いまで「豊潤な美酒」という言葉がピッタリ。

取り分け3楽章と4楽章が圧巻でオーケストラの躍動感に痺れてしまった。

通常、チェリビダッケの指揮はテンポが遅すぎると敬遠される方が多い。

それはオーケストラの直接音とホールの残響音とを綿密に考慮して「響き」を重視した指揮をしているからで、良し悪しの問題ではなくて各人の好みの問題なのだが、その点、このリスボン・ライブはホールの響きとのマッチングもあってかテンポもそれほど遅すぎず、絶妙〔だと思う)なので人気がある所以だろう。

しかも、鮮明に録れているのでおそらく最高の位置で録ったものだと推測される。

とはいえ、チェリビダッケの意図した響きを我が家のオーディオシステムがきちんと再生しているかどうかとなると別問題。

オーケストラのトゥッティ〔総奏)ともなれば、どんなシステムだって五十歩百歩で、〔生演奏に)とても及ぶところではないが、少しでもうまく騙されたいものである。

「このリスボン・ライブを聴いて退屈したら、それはシステムがダメな証拠」と知人は断言するのだが、はたして我が家のシステムはどうかな~?(笑)。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/b84e2dd9f354b7a3ce959bea84307b15




チェリビダッケ指揮「交響曲第8番」(ブルックナー)の復刻
2022年04月13日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/edc59a4f1187e042c3285862b7503fd1

ずっと以前の記事にチェリビダッケ指揮の「交響曲第8番」について搭載したことがある。

「はるか忘却のかなた」のことなので、おそらくご記憶にある方は少ないと思う。ちょっと長くなるが再掲させていただこう。

東京フィルハーモニーのコンマス(当時)「荒井英治」氏が理想のオーケストラとして「チェリビダッケ〔指揮者)+ミュンヘン・フィル」を挙げていた。

ウィーン・フィルやベルリン・フィルとかの超一流オーケストラなら分かるが、なぜ、ミュンヘン・フィルを?

実は思い当たる節があるのである。

チェリビダッケはフルトヴェングラー亡き後、ベルリンフィルの常任指揮者のポストをカラヤンと争って敗退した。〔楽団員の投票によるもの)。敗因の一つにスタジオ録音をことさら嫌悪し排除したことが上げられているが、いわば音楽にコマーシャリズムの導入を認めなかった頑固者。

後年「自分がベルリンフィルを継いでいたら、もっとドイツ的な響きを失わずに済んだであろう」と豪語した話は有名だが、ともかくミュンヘンで「配所の月」を眺めつつ徹底的に楽団員をしごき上げ、理想の響きを追求した。

つい「悪いオーケストラはない、悪い指揮者がいるだけだ。」という言葉を思い出す。

そして、その成果ともいえる「名演奏」が誕生した。

それはブルックナーの「交響曲第8番」のリスボンでのライブ演奏。世に言う「リスボン・ライブ」である。

チェリビダッケは録音を許さなかったし、ライブでもあるのでこの演奏は後世に残るはずがなかったのだが、何と海賊盤が存在しているのだ。

誰かが当日、こっそり録音機器を持ち込んで録音したという曰くつきのCD盤〔2枚組)。正式に陽の目を見ない盤だが、知人によると過去にオークションで法外な価格〔1万円以上)で登場していたという。

念のためネットで「HMV」を確認してみたがやはり「正規盤」としては流通していない。

巷間、ブルックナーの交響曲のうち最高傑作は8番と9番〔未完成)とされており、この8番は100分ほどに及ぶ大作だが幾多の名指揮者の録音があるものの、この「リスボン・ライブ」を一度聴いておかないと話にならないそうなので、まあそれ相応の価格と言っていいかもしれない。

フッ、フッ、フ・・、実はこの「リスボン・ライブ盤」を持っているのである。

   

手に入れた経緯? 海賊版なのでそれはヒ、ミ、ツ(笑)。

荒井さんの記事に触発されて久しぶりにこの「リスボン・ライブ盤」にじっくりと耳を傾けてみた。(音楽には刷り込み現象があるので最初に聴く演奏が大切だが自分の場合この演奏だったので助かった。)

やはり、旋律を楽しむのではなくてたっぷりと大きなスケールで豊かな響きを楽しむ音楽である。はじめからお終いまで「豊潤な美酒」(五味康佑氏)という言葉がピッタリ。

取り分け3楽章と4楽章が圧巻でオーケストラの躍動感に痺れてしまった。

通常、チェリビダッケの指揮はテンポが遅すぎると敬遠される方が多い。

それはオーケストラの直接音とホールの残響音とを綿密に考慮して「響き」を重視した指揮をしているからで、良し悪しの問題ではなくて各人の好みの問題なのだが、その点、このリスボン・ライブはホールの響きとのマッチングもあってかテンポもそれほど遅すぎず、絶妙〔だと思う)なので人気がある所以だろう。

しかも、鮮明に録れているのでおそらく最高の位置で録ったものだと推測される。

とはいえ、チェリビダッケの意図した響きを我が家のオーディオシステムがきちんと再生しているかどうかとなると別問題。

オーケストラのトゥッティ〔総奏)ともなれば、どんなシステムだって五十歩百歩で、〔生演奏に)とても及ぶところではないが、少しでもうまく騙されたいものである。

「このリスボン・ライブを聴いて退屈したら、それはシステムがダメな証拠」と知人は断言するのだが、はたして我が家のシステムはどうかな~?(笑)。

という、内容だった。

ところがこの曲について、「日経新聞」の日曜版(2022・4・10)に新たな情報が掲載されていたのである。



何と、このほど「遺族の許可」を受けてこの「リスボン・ライブ版」が正式なCD盤として発売の運びに至ったというのだ。

嬉しいやら、悲しいやら複雑な心境である(笑)。

P.S

「モーツァルトは好まないけどブルックナーは好き」という「T」さんからメールが届いた。それも充分ありでしょうよ(笑)。

サービス精神旺盛なので、新聞記事の活字部分を拡大して再掲してみたのでご一読してください。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/edc59a4f1187e042c3285862b7503fd1
3:777 :

2022/07/24 (Sun) 01:01:59

22名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:02:29.46ID:aioiL07Q

チェリダッケが、カラヤンのことを
「音は美しいが中身がない」
と言って、インタビューアーが
「でもカラヤンは世界中で知られていますよ」
と言ったら
「コカ・コーラだって世界中で知られているさ」
と言った話は有名です。
チェリビダッケは他にも
「トスカニーニは一流の演奏家だが音楽家として二流だ」
「オーマンディのような凡庸な指揮者がよくストコフスキーの後を継いでフィラデルフィア管の常任指揮者になれたものだ」
「人は水だけでもしばらくは生きていけるが、アバドの退屈な演奏を2時間聴いたら心筋梗塞を起こすだろう」
「ムーティは素晴らしい才能の持ち主だが、トスカニーニと同じで無学だ」
「ベームは音楽の解らないジャガイモ袋」
等、マスコミが喜びそうなことを言ってました

クナッパーツブッシュ
「(私がカラヤンみたいに暗譜で指揮をしないのはカラヤンと違って)楽譜が読めるからだ」

カラヤンがモーツァルトの歌劇「ドン・ジョバンニ」を演奏していたときのこと。その上演になぜか立ち会っていたクレンペラーが突然大音声を発した。
「いいぞ カラヤン、いいぞ、決して皆が言うほど悪くない!」
カラヤンは、それ以後決してクレンペラーを許さなかった、という。

23名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:06:11.55ID:aioiL07Q
チェリビダッケ語録

「(マゼールは)カントについて語る二歳児」

「(クナッパーツブッシュは)スキャンダルそのもの」

「(ムーティは)才能はある、おそろしく無知だが」

「(アドルノは)世界史のなかでいちばんの大言壮語野郎」

「(ムターは)彼女は自分の弾き方に自信を持っている。だが彼女のやること全てには真に偉大な音楽性はない。彼女には視野がない」

「シェーンベルクはまったくどうしようもない愚鈍な作曲家である」

「イーゴリ・ストラヴィンスキーはディレッタントの天才に過ぎない。彼は生まれつき忍耐力に欠けていた。そしてこの欠陥をいつも、
新しい様式で補った。だから彼の音楽は様式感に欠けるところもあるわけだ」

「私の見るところ、サヴァリッシュは高校の校長といったところ。彼は音楽家ではない。メゾフォルテの男だ」

「リズムが機械的なものと理解すれば、それがブーレーズだ」

「(ムターに対して)さてと、あなたがヘルベルト・フォン・カラヤン氏のところで学んだことをすべて忘れなさい」

(とあるマスタークラスにて、若き日のインバルに向って)
「ちゃんと勉強しないと、バーンスタインみたいな指揮者になってしまうぞ!」

24名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:06:21.09ID:aioiL07Q
「ハイフェッツは哀れな楽譜運搬業者だ」

「人間は何も食わずとも3週間くらいは生きられる。だがアバドのコンサートを3時間聴いたら心筋梗塞を起こす」

「ベートーヴェンの交響曲第5番は失敗作、特に終楽章は」

「(カルロス・クライバーは)あんな常軌を逸したテンポでは何も分からない。
彼は音楽がなんであるか、 経験したことがない」

私が独裁者だって?モーツァルトこそ独裁者だ!」

評論家など寄生虫だ」

「フランス人くらいドビュッシーやラヴェルを下手糞に演奏する連中はいない」

「(ショルティは)ピアニストとしては傑出している。指揮者としては凡庸な耳しかない。テクニックはお粗末」

「チャイコフスキーは、真の交響曲作曲家であり、ドイツでは未知の偉大な男である」

「ベートーヴェンの《第九》の終楽章の合唱もサラダ以外のなにものでもない。ぞっとするサラダだ」

「(カラヤン時代の)ベルリンフィルには、世界最高のコントラバス奏者がいます。だから、ベルリンフィルのコンサートは、今、すべてがオーケストラ伴奏付きのコントラバス協奏曲なのです」

「(ハスキルは)すばらしいコンサート・ピアニスト。機知に富み、魅力的で、徹頭徹尾、音楽的。 ユーモアと生きる歓びに充ちている」

25名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:13:04.12ID:aioiL07Q
指揮者チェリビダッケの音楽語録~ 2008年04月15日
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/c2454e666c6de0a509d1ca7dcd889015

先日(4月5日)、我が家での試聴にjmc音楽研究所長のO君が持ってきたCD盤の「シェラザード」がすっかり気に入って、いまのところ愛聴盤として活躍中。(4月8日付けのブログで紹介)

オーケストラの音の響かせ方やテンポ、調和のとれたハーモニー、独奏ヴァイオリンの歌わせ方などによく練りこまれた独特の味わいが感じられる。

こうなると自然にその指揮者に関心が向く。

セルジュ・チェリビダッケ(1912~1996:ルーマニア)

「私が独裁者?モーツァルトこそ!~チェリビダッケ音楽語録~」(シュテファン・ピーンドルほか著、音楽の友社刊)に略歴や人となり、音楽の考え方などが詳しく記載されている。

哲学と数学を専攻する中、音楽に目覚め24歳のときにベルリンに移住して作曲、指揮、音楽学を修めた。1945年にはベルリン放送交響楽団の指揮者コンクールに入賞。

当時、ベルリン・フィルハーモニーの常任指揮者だったフルトヴェングラーが非ナチ化裁判のため指揮を許されなかった1945年から1947年にかけてベルリン・フィルを任されたほどの逸材。

フルトヴェングラー死去後、誰もが世界の名門オーケストラのベルリン・フィル常任指揮者に就任するものと思ったが、楽団員達が択んだのはなんとヘルベルト・フォン・カラヤンだった。

以後、チェリビダッケは国際的な指揮活動に集中せざるを得なくなり、イタリア、デンマーク、スウェーデン、フランスなどで指揮棒を振るが、晩年はミュンヘン・フィルハーモニーの音楽総監督として12年間に亘り蜜月時代が続く。

彼がとくに関心を抱いていたのが、若い指揮者を育てることで、自由になる時間のほとんどすべてを後輩の育成に捧げた。

彼がカラヤンに代わって当時のベルリン・フィルの常任指揮者に納まっていたら、その後、世界のクラシック音楽の動向も変わっていただろうといわれるほどの超大物指揮者だ。

26名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:13:39.94ID:aioiL07Q
チェリビダッケは言う。

「わたしがベルリン・フィルをさらに指揮し続けたら、このオーケストラは別の道を歩んだことだろう。カラヤンはアメリカ流に艶っぽく磨きぬかれたオーケストラに変えてしまった。わたしならそれをドイツ的なひびきを持つオーケストラに育て、その結果フルトヴェングラーの伝統を受け継いだことだろう。」

彼には指揮者から演奏者までさまざまな「歯に衣をきせない」発言がなかなか面白い。ここでは指揮者に限定して抜粋してみよう。

☆フルトヴェングラー

師として仰いだので次のように賞賛の言葉が続く。

「私はフルトヴェングラーの後継者になることを望まなかった。彼の後継者になれるものなどいない」

『私は彼にこう訊ねたことがある。「先生、ここのテンポはどうすればよいのでしょう。」答えは「そうだね、それがどんなひびきを出すかによるね」。まさに啓示だった。テンポとはメトロノームで測れるような物理的なものではない。結局、テンポが豊かなひびきを出し、多様性を十分に得るのに私はかなりの期間を必要とした。』

※通常、作曲家は楽譜にいかなるテンポで演奏するかを指定していないという。つまり、これは完全に指揮者任せということで、テンポ次第で音楽から受ける印象がすっかり変わる。しかし、速いテンポでも遅いテンポでも違和感がなく自然に聴ける唯一の音楽がベートーヴェンの作品!

☆クラウディオ・アバド

「まったく才能のない男。災厄だね。私は3週間何も食べなくても生きていける。だが演奏会に3時間もいれば~心臓発作を起こしかねない。その相手が彼なら怒り心頭」

☆カール・ベーム

「彼の演奏を聴けば聴くほど、彼が心の中で音楽と思い込んでいるものと、彼という人間のあいだの距離が目に見えてどんどん開いてゆくばかりだ。」

「ベーム・・・・・、これまでのキャリアのなかで、まだ一小節たりとも音楽というものを指揮したことのない男」

27名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:13:59.76ID:aioiL07Q
☆ヘルベルト・フォン・カラヤン

「彼は天才ではない。すべての若い音楽家にとってひどい毒となる実例である」

「彼は大衆を夢中にさせるやり方を知っている。コカ・コーラもしかり。」

☆ユージン・オーマンディ

「あんな凡庸な楽長がどうしてストコフスキーの後継者になることができたのか」


☆ヴォルフガング・サバリッシュ

「私の見るところ、彼は高校の校長といったところ。彼は音楽家ではない。メゾフォルテの男だ。イタリアでは長距離専門アスリートをメゾフォルテと呼ぶ」

☆ゲオルグ・ショルティ

「ピアニストとしては傑出している。指揮者としては凡庸な耳しかない。テクニックはお粗末。」

☆アルトゥーロ・トスカニーニ

「トスカニーニは楽譜どおりに演奏した唯一の指揮者だといわれてきた。といっても彼はそもそも音楽などまったくひびかせず、音符だけを鳴らした唯一の指揮者だった。彼は純粋な音符工場だった。」

以上、かっての名指揮者たちもチェリビダッケにかかってはかたなしというところ。

最後に、最近HMVから取り寄せた3枚のチェリブダッケが指揮するCD盤を試聴してみた。

28名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:14:26.37ID:aioiL07Q
☆ベートーヴェン交響曲第6番「田園」

以前、このブログで田園の11枚の試聴を行って、およその演奏レベルを把握しているつもりだが、これは、ベストだったマリナー、ワルター指揮と十分比肩しうる名盤。
嵐のあとの感謝の歌の神々しいまでの荘厳さといい、全体的に細かいところに手を抜かず、重厚かつ深々としたひびきに”チェリビダッケは凄い”と感心した。

☆ベートーヴェン交響曲「第九番」

何だかフルトヴェングラーの最新ステレオ録音を聴いている思いがした。第一楽章から第四楽章まで時を忘れて聴き耽った。

☆シューマン交響曲「第2番」

仲間のMさんによるとチェリビダッケはシューマンとかブルックナーといったあまり陽のあたらない作品に光を当てて、見直させるのが得意な指揮者だという。たしかにこのひびきは人を飽きさせず作品に没入させる何かを持っている。

以上3曲(ライブ録音)についてとにかく重厚なひびきに圧倒された。これがドイツ的なひびきというものだろうか。ミュンヘン・フィルでこのくらいだから、彼がベルリン・フィルを引き継いでいたらもの凄かっただろう。本人が言うようにフルトヴェングラーの伝統を引き継ぐ資格に太鼓判を押したい。

ただし、自分が思うところフルトヴェングラー、チェリビダッケともにひびきを重視していることに変わりはないが、前者はいったん演奏に入るとひびきを忘れて演奏に深く没入するが、後者は常にひびきを念頭において(そのひびきを)冷静に第三者の目で観察しているところに違いがある。

29名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:24:23.73ID:aioiL07Q
チェリビダッケがどんな言葉を放ったか?価値観をよく表しているものとして、例えば、

あなたが音楽で美しいものを体験しようとしても無理なのである。音楽では真実が問題なのだ。美は疑似餌にすぎない

テンポについては、

音楽に接して長すぎるとか、短すぎるといった感じを抱けば、その人は音楽のなかに入っていない。音楽はその意味で長い短いの問題ではない

フルトヴェングラーはどんなテンポでも、間違ったテンポでさえ、納得させることのできた唯一の指揮者である

他にも、テンポについては幾つも言葉が出て来ます。

同僚に対しては、褒め言葉もあるのですが、概して口が悪いのです!!

(ピエール・ブーレーズについて)リズムが機械的なものの作動と理解すれば、それがブーレーズだ

(カラヤンについて)わたしは彼のなしたことの全部は評価しない。彼にはエゴがありすぎる。そんなエゴが働くときには彼の自由な精神はひどく濁ったものになりやすい。

(カルロス・クライバーについて)彼はわたしにとって我慢のならない指揮者だ。彼の気違いじみたテンポでは音楽的な体験などできはしない。

もっとひどいものもあって、これが笑ってしまうのですが、ぜひ本書でお確かめを。。。

この最後にやり玉に挙げられているカルロス・クライバーが実はチェリビダッケのファンだったそうで、あまりに暴言が多いのをこらしめ半分、ふざけ半分になした投書が嬉しいことに全文載っております。

30名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:26:58.57ID:aioiL07Q
チェリビダッケ語録
7月25日(月)

„Hugendubel“(書店)で、チェリビダッケの『語録集』を買った。(Hg. von S. Piendl u. Th. Otto; „Stenographische Umarmung - Sergiu Celibidache beim Wort genommen“, ConBrio, 2002 )。
ちょっとした一言に、音楽に対する考えかたが現れていて、とても興味深い。

私は、この指揮者の日本公演にいくことができた。最初に聴いたのは、たしか、東京文化会館。このとき、ミュンヘン・フィルというオーケストラも知った。合計で、3回か4回の実演に接することができたが、いずれも、私の音楽観を根本から揺るがすものだった。

「藝術とはなにか?」と聴かれると、多くの人は、おそらく、「美をもとめる行為」と答えるだろう。古来、藝術と美は密接に結びついている。だが、チェリビダッケにとって、藝術は単に美しさに奉仕するものではない。もし、藝術が美だけを追究するなら、「美しければなんでもよい」ということにもなりかねない。極端なことをいえば、「嘘で固めた世界であっても、美しければかまわない」という人だって出てくる。美しいけれど倫理的には最悪、ということだってありうるのだ。

「Musik ist nicht schön, Musik ist wahr. (S. 20) 音楽は美しいのではない。音楽は真理なのだ」(以下、原文に適当訳をそえる。カッコ内 S. = Seite はページ数)

チェリビダッケの音楽は真理をめざす。単に美しいだけでは不充分。美に甘んじていてはいけない。感覚的に心地よいだけなら、藝術とはいえないのだ。

「Der Klang bringt die Schönheit zur Wahrheit(S. 79) 響きは美を真理へともたらす」

真理という言葉で、チェリビダッケがなにを考えていたのか、いまひとつはっきりしないが、真理は、ふつう、「なにかほんとうのこと」を意味する。真理と嘘は相容れない。さらに、嘘が「実際にはないこと」であるのに対し、真理のほうは、「現実にあること」だろう。つまり、チェリビダッケのめざしていた藝術というのは、「『これこそ現実』といえるなにか」ということになる。

31名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:27:48.24ID:aioiL07Q
「Ich bin sehr gegen diese Idee, daß Kunst Genuß sei. Kunst ist auch Genuß, sonst würden die Menschen das gar nicht machen. Aber das Wesen der Kunst ist nicht der Genuß. Es ist das Erleben(S. 21) 私は、藝術が享楽であるという考えに断固反対する。たしかに藝術は享楽でもある。そうでなければ、人間は藝術活動などしないだろう。しかし、藝術の本質は享楽ではない。藝術の本質は体験することである」

これ以外にはありえないなにかを「体験すること」。いいかえると、真理にふれること、人生や世界、あるいは宇宙の真相を垣間見ること、これこそが、藝術なのだ。私は、チェリビダッケの演奏に接したとき、ある種、宗教的な催しに参加したような錯覚を覚えたが、あの経験は、こうした考えと無縁ではあるまい。

そんなチェリビダッケが他の音楽家を観る目はきびしい。

たとえば、カラヤンについてはこう。

「Ich weiß, er begeistert die Massen. Coca Cola auch(S. 40) かれが大衆を興奮させることは知っている。コカ・コーラのように」

そういわれてみると、カラヤンの音楽はたしかにコカ・コーラに似ている。レガートを多用し、オーケストラの心地よい響きで、多くの人に歓迎された。まるで喉ごしのよいコーラのよう。クラシック音楽をひとつの産業としたのもかれ。世界企業となったコカ・コーラと、カラヤン・ブランドは似ている。カラヤンがクラシック音楽の大衆化にはたした功績はみとめられなければならない。だが、その音楽に、はたして真理を開示する力があったかどうか・・・。「響きの流麗さ、かっこよさ以上のなにかがあるのか? 」と、チェリビダッケはいっている。

マゼールについてはこう。

「Ein zweijähriges Kind, das von Kant redet.(S.42) カントについて語る二歳児」

難しいことを器用にこなすが、まだまだ子どもだといいたいのだろうか。わかるようでわからない。でも、マゼールの本質をいいあてているような気がする。

32名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:28:08.87ID:aioiL07Q
おなじ時期にミュンヘンで人気を二分したクライバーに対しても手厳しい。

「Er ist für mich ein unmöglicher Dirigent. Kein Mensch kann bei seinem wahnsinnigen Tempo etwas erfahren. Kleiber geht vorbei am heiligen Klang. Das finde ich tragisch. Er hat niemals erfahren, was Musik sei(S. 41) クライバーは私にとってはとんでもない指揮者だ。あんな常軌を逸したテンポでなにかを経験できる人なんていない。クライバーは聖なる響きのかたわらを通りすぎている。これは悲劇だ。かれは、音楽がなんであるか、経験したことがない」

毒舌だが、これもまたクライバーの性格にせまっている。というか、私には、クライバー評よりも、チェリビダッケにとって、「響き」がいかに重要なものだったかがわかって、興味深かった。音楽をどのように響かせるかということこそが、この指揮者にとっては、いちばん大事だったのだ。

33名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:32:24.66ID:aioiL07Q
「後年チェリビダッケはフルトヴェングラーから音楽の深遠な洞察のすべてを学んだと語っている。
あるとき指揮者がフルトヴェングラーにある曲のテンポ設定について質問したところ、フルトヴェングラーは「それは音がどう響くかによる」と答え、ホールなどの音響を無視してメトロノームの数字だけを元に決められたようなテンポ設定は無意味だということを悟ったという」。
はたして、フルトヴェングラーの回答が、彼の思った通りの回答だったかは、少々疑問が残るものだ。
フルトヴェングラーの音楽に対する根本的な関心は、即興の法則なるものの獲得に集中(だからいつも即興の源泉であろう作曲家の精神の話ばかりしているのである)していて、音について詳しい話は稀であるから、この回答はむしろ、チェリビダッケの頭の中で勝手に噴出した思想だったのかもしれないのである。
曖昧な回答をしたところ、チェリビダッケの合点の言った顔があらわれて、フルトヴェングラーは心ひそかに驚いていたのかも知れない。
天才は、天才らしく間違えるものである。テンポに対する疑問は、音がどう響くかという問題にすり替わり、彼の生涯の問題となった。
天才は問題を解決するのではない、むしろ問題を創造するのである。

34名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:36:55.64ID:aioiL07Q
セルジュ・チェリビダッケ(1912~1996)
晩年の彼はもはや伝説の指揮者などではなかったことが白日の下に晒された。
自分のために大金を積んでくれる日本へ毎年のように演奏旅行へ出かけ、自らの恍惚とした表情をせっせと映像に残す様は、彼がカラヤンを軽蔑する際に使う「金の亡者」そのものの姿であった。当時の日本の聴衆は愚かだった。
それでもこの老巨匠が他の指揮者を罵れば歓喜し、その極端に遅いテンポからは忘れられたドイツ・ロマン派の香りがする本物だと広言した。
かなり毒のある書き方をしたが、チェリビダッケが雄弁に物事を語るときは常にこのような感じである。
そもそもフルトヴェングラーは自らの後継者にはルーマニア出身のセルジュ・チェリビダッケをと考え、非ナチ化の影響により多くの指揮者がその演奏機会を失ってる中、四百を超えるベルリン・フィルの公演を任されていた。
彼はカラヤンと違いフルトヴェングラーのために汗を流し、そしてまたその恩恵を受けていた。一方のカラヤンは録音や演奏旅行等を通じてウィ-ン、ロンドン、ミラノ、ルツェルン、バイロイト等で高い評価を得ていた。
この間ベルリン・フィルはフルトヴェングラーの妨害によりわずか10回の公演程度であったが、聴衆や批評家には高い評価を得ていた。この頃のベルリンにとってはむしろカラヤンの方が伝説の人物だったのである。
そしてカラヤンは、-彼は後に事ある度に巧みにそれを利用するのであるが、ベルリンの人間にとってスカラ座や楽友協会に取られるのは耐え難い存在であった。
両者の違いはそのプローベからも明らかである。

35名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:37:05.90ID:aioiL07Q
カラヤンは効率を求め、特に難しいと思われる箇所を各パートに別け練習するのに対し、チェリビダッケは指揮台で激高し楽団員を無能と罵り、解雇を匂わせ脅した。
(しかし何もこれはチェリビダッケだけに言えたことではなく、一昔前の指揮者は殆ど皆がそうであった。)
こうしてチェリビダッケは楽団員と聴衆の支持を失った。
彼はここで大きく見誤っていた。確かにチェリビダッケの後ろには絶対なるフルトヴェングラーが存在したが、彼がオーケストラと決定的に対立した数日後にフルトヴェングラーは深い眠りについたのである。
その後、ハイデルベルクにあるフルトヴェングラーの墓のそばに寄り添ったチェリビダッケは次のように述べた。
「フルトヴェングラーはよい時に死んだ、耳が聞こえなくなっていたのだから」

36名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:37:52.56ID:aioiL07Q
彼はそれでも連邦功労大十字勲章を授与したこともあり、呼び出しが掛かるのを待っていた。しかし呼び出しが掛かったのはカラヤンの方でありチェリビダッケを多いに失望させた。その後チェリビダッケは再三に渡りカラヤンとベルリン・フィルを口撃することになる。

チェリビダッケ「カラヤン?身の毛がよだつ。彼は才能ある商売人、でなければ耳が聞こえないんだ。」「ハンス・クナッパーツブッシュ?スキャンダルだ。非音楽か、それ以下だ。」「アルトゥーロ・トスカニーニ?あれはただの楽譜工場。」「カール・ベーム?あれはただのジャガイモ袋。生きている間に、ただの一小節も音楽を指揮なんかしていない。」「レナード・バーンスタイン?ズビン・メータ?私の世界ではそんな名は聞いたことない。」「リッカルド・ムーティ?才能はあるが、途方もなく無知なやつ。」「クラウディオ・アバド?全く才能のないやつだ。三週間くらい何も食べなくても私は生きのびられるが、彼のコンサートに三時間でも付き合わされた日にゃ、心筋梗塞だ。」

37名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:39:19.26ID:aioiL07Q
天国のトスカニーニ(クライバー)「ジャガイモ袋のカーリはぶつぶつ文句をいってました。
でもクナと私が、あの批難は間違っている。おまえさんが音楽的だったのは事実だ、といったのでやっと文句をいうのをやめました。
ヴィルヘルムが突然言い出すには、あなたの名前はこれまで聞いたこともないそうです。
またヨーゼフ、ヴィルフガング、ルートヴィッヒ、ヨハネス、それにアントンがいうには、第二ヴァイオリンは右側のほうがよいそうです。
また、あなたのテンポは全て間違っているそうです…。
私の住まいの隣には禅の老師が住んでいますが、彼がいうには、あなたは禅を全く間違って理解しているそうです。
ブルーノはあなたの私たちのこきおろし記事を読んで、死ぬほど笑い転げていました。
私は、私とカーリにたいするあなたの批判の出所はブルーノではないかと疑っています。
…こんなことをお伝えするのは、お言葉を返すようですが、実はここ天国に住むもの皆がヘルベルトに首ったけなのです。
指揮者だったものには、嫉妬心もおぼえる程の存在です。
でも彼があと15年か20年後にここに来て、私達が歓迎の挨拶ができるなど、殆ど誰も信じていません。
あなたがその場に居合わせられないのは残念です。
でも聞くところによりますと、あなたの行くところでは煮炊きもずっとうまくできると言いますし、オーケストラは永遠にリハーサルに付き合ってくれるといいます。
それどころかオーケストラは小さなミスを故意にしてくれて、あなたに永遠にやり直しをさせてくれるそうです。
ここ天国ではエンジェルが直接作曲者の眼から読み取って演奏してくれ、私達指揮者は、ただそれを聴いていればよいのです。
どうやって私がここへ来られたのか、それは神様だけが知っていることです…」


38名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 09:53:35.18ID:aioiL07Q
という事で、日本のクラシックファンが大指揮者だと信じていた二流指揮者のリスト

1.カール・ベーム
2.カラヤン
3.バーンスタイン
4.ヴァント
5.マタチッチ
6.朝比奈隆

特にヴァントと朝比奈隆とバーンスタインは酷かった
指揮者というより宇野功芳に騙されたんだね

41名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 20:56:22.90ID:s4QGfL8c
フルトヴェングラーの振った現代曲なんて
メニューヒンとのバルトークVn協を聞く限りダメだと思ってたら
RIAS録音集のフォルトナー、ブラッハー、ヒンデミットなど聴くと
しっかりザッハリッヒに決めている。
同じ日の演目が、ブラ3、ベト3といずれも名演ぞろいなので
フルヴェンらしくないなんて断じるのは間違ってる。

42名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 21:27:19.22ID:P8LAMRde
R.シュトラウスも当時の現代曲だよ
ブルックナーやブラームスやシベリウスも若い時は現代曲だよ

43名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 21:52:10.40ID:P8LAMRde
無調音楽や十二音階に馴染めなかっただけだろ、頭が古いから

44名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 22:04:06.31ID:P8LAMRde
ベルクやウェーベルンは今でも現代音楽だからね
フルトヴェングラーには現代音楽は理解できなかったんだ

45名無しの笛の踊り2022/01/28(金) 22:24:50.94ID:kxhMV9hc
21世紀の聴衆からしたら20世紀の一部楽派の曲がレパートリーにあったかどうかなんてどうでもいい

47名無しの笛の踊り2022/01/29(土) 06:18:40.90ID:ypZ0L9o3
チャップリンと撮ったフルトヴェングラーの写真(1929)
すごいね。

48名無しの笛の踊り2022/01/29(土) 06:28:35.08ID:ypZ0L9o3
55CDのリマスター箱に入ってる本に出ている写真。イギリスからオランダまで旅行したとあります。(フェースブックの同じ写真の記事より)

49名無しの笛の踊り2022/01/29(土) 07:28:18.44ID:GMBeMPiP
どう凄い

50名無しの笛の踊り2022/01/29(土) 08:05:31.88ID:GnowKPQA
チャップリンとルーズベルトは共産主義者で反ウォール街、反ファシズム、反ヒトラーでスターリンや毛沢東の支援者
フルトヴェングラーはゲルマン主義、反共、親ナチス、反ユダヤだからロマ(ジプシー)出身の共産主義者のチャップリンと合う訳ないんだよ

51名無しの笛の踊り2022/01/29(土) 08:18:42.58ID:GMBeMPiP
お前はマッカーシーか

52名無しの笛の踊り2022/01/29(土) 08:35:46.25ID:GnowKPQA
ドイツ人は全員 反ユダヤ、反共、親ナチス
ウォール街は反共、親ファシズム、でヒトラーを支援していたんだ
ロックフェラーやフォードはヒトラーに多額の援助をしていた。
ナチスの優生思想はロックフェラーの優生思想をそのまま実行しただけだ。
ナチス残党を南米に亡命させて支援したのもウォール街だよ

ウォール街はなんとかチャップリンとルーズベルトを潰そうと画策していたんだ
ルーズベルトのニューディール政策はスターリンの五か年計画を真似した共産主義計画経済だよ。

フルトヴェングラーはチャップリンと敵対する人間なんだ

https://lavender.5ch.net/test/read.cgi/classical/1643251651/

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