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イシュトヴァン・ケルテス(1929年8月28日 - 1973年4月16日)指揮者

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2022/07/23 (Sat) 18:30:55

イシュトヴァン・ケルテス(Istvan Kertesz, 1929年8月28日 - 1973年4月16日)指揮者


Istvan Kertesz - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Istvan+Kertesz


ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との『新世界交響曲』が今も同曲の決定盤として聴き継がれています:

Dvořák - New World Symphony (Istvan Kertesz - Vienna Philharmonic)
https://www.youtube.com/watch?v=kESVTF7GLuI
https://www.youtube.com/watch?v=RxvtbMivKfQ&t=1s


イシュトヴァン・ケルテス(Istvan Kertesz, 1929年8月28日ブダペスト - 1973年4月16日)は、ハンガリー生まれの指揮者である。ハンガリー式の表記ではケルテース・イシュトヴァーン(Kertész István)。

ハンガリー王国のブダペストで生まれ、同地のフェレンツ・リスト音楽院でゾルタン・コダーイ他に学んだ。1955年からブダペスト国立歌劇場の指揮者となる。1956年、ハンガリー動乱の時、ジョルジュ・シフラと共に西側に亡命した。その後アウクスブルク国立歌劇場、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団などを指揮し、1965年から1968年までロンドン交響楽団の首席指揮者を務めた[1]。日本にも客演したことがあり、日本フィルハーモニー交響楽団を指揮した1968年の演奏記録が残っている。

1973年4月、イスラエル・フィルハーモニー管弦楽団に客演した折、イスラエルのテルアビブの海岸で遊泳中、高波にさらわれ溺死した[2]。43歳没。

死後
1973年よりバンベルク交響楽団の首席指揮者の就任も決まっていたが、果たせなかった。

オーケストラの団員からの信頼は絶大であったという。ロンドン交響楽団の音楽監督解任も、聴衆が集まらなかったことが原因であった。また、ジョージ・セル亡き後のクリーヴランド管弦楽団の音楽監督として楽員選挙で選ばれたが、運営サイドは最終的にロリン・マゼールを選んだ。

突然の死により、曲の一部が未収録で終わったウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との『ハイドンの主題による変奏曲』は、ウィーン・フィルが追悼の意を込めて、その部分を「指揮者なし」で演奏し、レコーディングを完了させた。またブラームスの交響曲全集作成のために、交響曲第2番もウィーン・フィルと再録音が予定されていたが、果たせなかった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%B4%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%B9

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