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2022/07/23 (Sat) 16:55:05
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クラシック音楽の作曲家の主要作品とその評価
クラシック音楽 一口感想メモ
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クラシック音楽の名曲と歴史的名盤
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ゲオルク・ショルティ(Georg Solti、1912年10月21日 - 1997年9月5日)指揮者
Georg Solti - YouTube
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Georg Solti Wagner - YouTube
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ショルティ ウィーンフィル ワーグナー『舞台祝典劇 ニーベルングの指輪』
Wagner: Die Walkure - Solti (remastered 2022) - YouTube
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Wagner: Siegfried (Remastered 2022) · Wiener Philharmoniker, Sir Georg Solti Full Album - YouTube
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Wiener Philharmoniker, Sir Georg Solti - Wagner: Götterdämmerung (Remastered 2022) Full Album - YouTube
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クラシック音楽史上最高の録音、《ニーベルングの指環》2022リマスタリング版が登場!
2022.09.05 TOPICS
ショルティの生誕110周年・没後25周年を記念して、1958年から1965年にかけて完成させた、『ワーグナー:楽劇《ニーベルングの指環》』全曲スタジオ録音の新たなリマスター盤(全4作品)のリリースが決定。
1958年、当時DECCAレーベルのプロデューサーだったジョン・カルショーが考案した、ショルティとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるワーグナーの《ニーベルングの指環》の全曲スタジオ録音がスタートした。総演奏時間が15時間を超えるこの録音は、1965年に史上初の《ニーベルングの指環》の全曲スタジオ録音という快挙を遂げただけでなく、歌手、オーケストラ、演奏、全てにおいて、DECCAレーベルの総力を結集した史上最高の作品となった。
この2022年版リマスタリングは、1958年から1965年にかけて行われた録音セッション以来、DECCAの保管庫に保管されていた貴重なアナログ・マスターテープの修復プロジェクトにより実現したもの。一番古いテープで65年経過した38本のオリジナル・マスターテープの中には、編集修理や酸化膜剥離が必要なものもあったが、状態の悪いテープは、55℃で10時間焼成することで修復に成功し、24bit/192kHzの高解像度で新たにマスタリングを実施。従来の作品に比べ、細部まで鮮明に、そしてダイナミックなサウンドになっている。
https://www.universal-music.co.jp/sir-georg-solti/news/2022-09-05/
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試聴会レポート:ショルティ《ニーベルングの指環》。麻倉怜士氏&山崎浩太郎氏と聴く最新リマスター Published on 2月 28, 2023
https://www.udiscovermusic.jp/classical-features/sir-georg-solti-der-ring-des-nibelungen-report
2022年、サー・ゲオルグ・ショルティとウィーン・フィルハーモニー管弦楽団による『ワーグナー:楽劇《ニーベルングの指環》』の全曲スタジオ録音が新たなリマスターによって高解像度で甦り、フィジカルでは SA-CD~ハイブリッド仕様、デジタルではドルビーアトモス仕様でのリリースが発表された。オリジナルテープからのリマスターは、1997 年版以来、実に 25 年ぶりの快挙となった。
第1作目《ラインの黄金》』と第2作目《ヴァルキューレ》のリリースを記念し、2023年2月1日、KEF JAPAN直営のショールーム「KEF MUSIC GALLERY」(東京・有楽町)にて《ニーベルングの指環》2022年版リマスタリングの試聴会が開催された。コメンテーターにオーディオ評論家の麻倉怜士氏と「演奏史譚」を専門とする山崎浩太郎氏を迎え、KEFのHiFiスピーカー最上級モデルの「MUON」で2022 年リマスター(SACD)と1997年リマスター(CD)の聴き比べを実施した。今回、その試聴会の一部をご紹介する。
麻倉:今日はイギリスを代表するスピーカーメーカー KEF の「MUON」 で、イギリスを代表するデッカ・クラシックスの最高録音を聴いてみようという趣旨です。ジム・ロックさんがリマスターされた97 年のものと最新のSACD がどう違うかというところを聴いていただきたいと思います。
まず最初に、この《ニーベルングの指環》の録音というのが大変意義のあるものだということで、山崎先生にお話を伺いたいと思います。
山崎:《ニーベルングの指環》は、ワーグナーが1876年に初演した、4作品合わせて15時間かかる超大作です。時間だけでなく、あらゆる意味で規模も巨大。4作品の連作オペラなんてそれまで誰も実現しておらず、当時の歌劇場では上演不可能と考えられていた。
上演のあてもないのにワーグナーは書き上げたのです。上演するためにバイロイト祝祭劇場という劇場をわざわざ建て、バイロイト音楽祭という音楽祭を作って、ようやく実現した。そしてこれが突破口となって、現在では普通の歌劇場でも上演が可能になった。イノベーションを成し遂げた作品です。そして、この超大作にふさわしい録音がこのショルティ、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、デッカ・クラシックスによる録音です。なぜならこれもまた、レコード界においてイノベーションを起こしたものだからです。
これは、レコード化することを目的として、セッション録音で最初に作られた《指環》の全曲盤です。これ以前にも、ラジオのライヴ放送を録音したものなどはいくつもありますが、そうしたものとは異なり、録音セッションで徹底的に作り込んだという点に、はかり知れない意義と価値があります。
この録音を手掛けたプロデューサー、ジョン・カルショーはのちにソニック・ステージ(「音の舞台」)という言葉を使うようになります。映像はないけれども、音でオペラの物語が分かる。音だけで逆に楽しんでもらう。実際の劇場ではとても不可能な音響の再現であるとか、あるいは効果音を加えることによって、劇場体験とはまた違った形で作品に接してもらおうというものです。
カルショーは自ら手記(ジョン・カルショー著, 山崎浩太郎訳『ニーベルングの指環―リング・リザウンディング』, 2007.)を書きまして、これに4作品の録音の顛末を書いています。こういう本を残したこと、それから1964年《神々の黄昏》を録音した時のBBCテレビによるドキュメンタリー、「ゴールデン・リング」という映像によって、どんなスタジオか、歌手たちがどんな顔で歌っているか、スタッフたちはどんなふうに作業しているのかということを視覚で見せてくれた。
これがものすごく大きかった。カルショーは音だけでなく、文章と視覚によって、いわばメディアミックスの元祖みたいな形で、この録音を楽しめるようにしてくれた。名盤であるということに加えて、これも後世に親しまれ続けている一つの原因だと思います。
麻倉:音質の観点からは3つのポイントがあります。カルショーとともに一緒に作った録音エンジニアのゴードン・パリーさんが指向性マイクを使ったことが画期的でした。それまではオペラでは無指向性マイクの前面に歌手がいて、後ろにオケがあるという形だったのが、この録音では、指向性マイクを細かく調整し、声のクリアさとオーケストラの雄大さとを両立させたことが一つのポイントです。
そして、今回のリマスターを手掛けたデッカ・クラシックスのプロデューサー、ドミニク・ファイフさんとエンジニアのフィリップ・サイニーさんは、カルショーが使った編集用のオリジナルのスコアにあった書き込みを参考にするなど、彼らが頭の中でどういうことを考えていたかを徹底的に研究したそうです。
会場のゾフィエン・ザールが大変音がいいんですね。実はここには元々プールであって、下側が空洞になっているところに床が張っているので、チェロのような楽器は非常に響くというところで、会場の良さもポイントです。
1. 楽劇《ラインの黄金》から「前奏曲」
麻倉:まず音量差が大きい。これは全くボリュームをいじってないのです。何という違いでしょう。
山崎:冒頭のコントラバスの変ホ音の辺の音とかもう全然響きが違いますね。
麻倉:あの音を中心に倍音が上だけでなく、下にも出てるようです。ホルンの1本1本加わっていく響きは97年のCDの場合はフラットな感じで重なっていくんですけど、SACDを聴くと、すごく奥があって、しかもヴィブラートがすごく出ている。
山崎:ちゃんと遠近感があって、8人のホルンがどこにいて、だんだん増えていく感じがはっきり分かります。
カルショーの本によると、この冒頭部分というのは、実演では完璧に演奏することがほとんど不可能だといいます。ホルン8本がミスなく完璧に吹けることはまずない。セッションでは編集できますが、それでもチェロが出てくるまでの48小節は編集が不可能なので、たまたま完璧にできたものを採用するしかない。
麻倉:カルショーの本によると、録音時には結構深夜になってしまって、みんなワイン飲み過ぎちゃったそうですね。
山崎:ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団というのはウィーン国立歌劇場のオーケストラですから、セッションを2時間ぐらいやったあとでオペラ公演をやるという生活を毎日繰り返している奏者達です。この前奏を録音したのは最終日で、もうこの日しかできない。
「オペラが終わったあと戻ってきてくれ」と頼んだら、帰ってきてくれたそうです。先程聴いた部分は、オペラの後で録って、何度目かのテイクで運良くミスなく録音できた。そのテイクが採用されたのです。まだ少し時間が余っていたので、こんどは全曲の最後の部分をもう1回だけ録音することにした。で、その前にいったん休憩ということにしたら、楽員たちが油断してワインを何杯も飲んでしまい、完全にできあがっちゃった。大変なことになったとカルショーは思ったけれども、ウィーン・フィルというのは、こういう時にかぎって神がかった演奏をするものなんだそうで、それもこのディスクに使われています。
麻倉:奇跡の力を出したんですね。
今の冒頭だけでも、この録音というか、マスタリングのすごさっていうのがはっきり分かります。やはりオリジナルに返ったすごさが出てきました。
山崎:新たなマスタリングをする時に、LP原理主義なんて言ったら怒られるかもしれないけれど、とにかくオリジナルのLPの音が一番いいんだからそれに帰れ、それを再現しろ、みたいな意見も出ますよね。今回はどうなんでしょうか。
麻倉:インタビューによると、今回はこれまで出ている全ての音源をLPからCD、SACDと全部聴いて、もっとも普遍的なイコライザー・カーブを作りましたとサイニーは、おっしゃっていました。単にLPに返っただけじゃなく、全てを振り返って、最高のカーブを作ったということです。
山崎:カルショーやエンジニアのゴードン・パリーが考えていた音に迫っていこうと。
麻倉:そのカーブがあったら、あとは絶対にいじらない。つまりやっぱりこの曲はもっと中音を上げたいなみたいなことはしない。一般にリマスターとはそういうことなんですけど、それを全くしなかったということですね。
では次は《ラインの黄金》の第2場から「さあローゲ、わしと一緒に下って行こう!」を聴いてみましょう。
2. 楽劇《ラインの黄金》第 2 場から「さあローゲ、わしと一緒に下りて行こう!」
麻倉:これも圧倒的な差ですよね。97年のCDを聴くと、あまり音場の感じがしませんが、SACDを聴くと、ものすごく会場の響きが出ている。
山崎:響いている空間を感じることができますね。各楽器の定位が明快で、クリアになっているんだけど、決して音が痩せているわけではない。一つ一つの倍音がきれいに聴こえて、なおかつ響いている空間が感じられるというのは、すごいことですよね。
麻倉:音の面積じゃなくて体積がすごいのです。その空間感の濃密さ、それからやっぱりウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の出す音のすごさですね。
山崎:そして、ワーグナーが指定した金床18台ですね。ワーグナーは配置の仕方まで書いている。実際には歌劇場で金床18台なんてそろうわけがないので、大概は数を減らすのですが、指定された配置のとおりにやってみると見事なステレオ効果を発揮していて、ワーグナーはそれを見越して書いたみたいだとカルショーは書いています。とはいえ、この時も18台も金床をそろえるのは大変で、しかも打楽器奏者18人はいかにウィーンでもそろわなくて、ハープ奏者とか、専門ではなくてもやる気のある人を集めて、叩いてもらったそうです。
とにかくワーグナーが書いたことを実際音にしてみようという制作サイドの執念ですよね。カルショーによると、1959年にこのレコードが最初に出た後は、ここだけがオーディオ店でやたらに響き渡っていたそうです。これがちゃんと鳴るかどうかで、オーディオの性能を判断していた。
ところで、その前のオーケストラの部分ですけど、音の動きを聴いているだけでワクワクする。ステレオで動くこの感じが、この録音のすごさですね。
麻倉:やっぱりカルショーの、発想力というか、展望力というか。ワーグナーのビジョンをそのまま全く再現している。一般にはステレオ効果っていうと、だいたい左右の話になるんですけれども、この《指環》は奥行きこそ、ポイントです。
山崎:今回のマスタリングだと、それがすごく明快になってますよね。
麻倉:そうですね。音場という概念が一般化するのは、概念的には結構あとなんです、オーディオのシーンらが出てくるのは。最初は左右に分かれるステレオ効果がすごいということが、2チャンネルでは言われたわけですけれども、カルショーとパリ―が音場をこれほど奥まで録っていたというのは、今から考えても驚異ですねれる。今回のSACDは、それが初めて分かったというところがたいへん重要です。
麻倉:次は《ヴァルキューレ》です。《ヴァルキューレ》といったらやっぱり「騎行」ですね。第三幕の前奏曲の「騎行」を聴きます。
3. 楽劇《ヴァルキューレ》第 3 幕から「ヴァルキューレの騎行」
麻倉:本当に聴きほれちゃいますね。圧倒的なダイナミズムです。
山崎:ヴァルキューレはブリュンヒルデまで入れて9人。今のシーンには8人いるのですが、それが順番に遠くから登場してくる。特に2番目のヘルムヴィーゲは、遠くから。
麻倉:奥から来ました。
山崎:雲の中にいるような響き。そんな響きにする仕掛けを施しているんですね。この《指環》録音の仕掛けというのは遠近感の作り方とか、当時の技術の限界のために、今から考えるとちょっと子どもっぽい部分もあって、やりすぎかなみたいなところもあるんですが、でも、こうして聴いてみると、子どもっぽい仕掛けに逆に共感できてしまうところがありますね。楽しくなってしまう。
麻倉:従来のCDは表現できる範囲が狭いので、そういうところがわかりにくい。でも音場感がきちんと再現できるSACDは、やっぱりそこまで表現できています。そういう意味ではおっしゃったように、プリミティブですが、舞台的な演出をそのまま出したという意味で、すごい説得力があります。音場に対するこだわりです。
山崎:そうそう。そのワクワク感がすごくあって。それからワルキューレたちの声。ここで聴くと、高音でもきれいに分離して割れない。うるさいとは感じないんですよね。ワーグナーはこういう響きを求めたんだと納得します。
麻倉:ヴァルキューレたちの1人1人の個性がすごく出てました。同じような叫び声にもすごく違いがある。
山崎:方向とか距離感とか、全員違うように、すごく凝って作っているのが分かります。
4作品の録音は、《ラインの黄金》が最初で、今お聴きいただいた《ヴァルキューレ》が最後なんです。58年と65年で7年ほど違います。
カルショーたちが注意したのは、あくまでも4作品をまとめたプロダクションとするために、音の印象をそれほど変えてはならないことでした。とはいえ多少は、進歩していく部分も取り入れている。だから、音自体、迫力そのものは、この《ヴァルキューレ》や《ジークフリート》《神々の黄昏》の方がはっきりと出せるようになってるんですね。
麻倉:そうですね。録音テープも違います。最初はAmpexのテープですけども、これはScotchのテープを使っているという音の違いもあります。
オーディオ的な観点からすると、オリジナルの音を聴くということは、やっぱすごい特別な体験です。メディアっていうのは簡単にコピーできてしまうので、我々は多くはコピーから始まってしまった音を聴いています。だけども、本当の意味のオリジナルまで立ち帰ってみると、やはりすごい。ワーグナーのスコアそのものもすごいし、録音もすごいし、歌手もすごいしという、天才たちの合算というものがまさにオリジナルの中に入っていると思います。それが今回、体験できました。
それからSACDを見直しました。この録音がもともと持っている演劇性というか、元が持ってる音楽性が全くそのまま、ストレートに濃密に出ているというのが、本当にすごいと思いました。
山崎:私がクラシックに興味を持った1970年代には、これはもう大名盤として君臨していた。だから、私なんかは斜に構えたんですよ。若造だから生意気に「えーちょっと古臭いよ」みたいなことを偉そうに言ってた。
ところが今日、こういう音を聴いてみると、一番最初に《ラインの黄金》が出たとき、なんでみんながあんなにビックリしたか、なんであんなに喜んだか理解できた気がしました。とにかく音にワクワク感がある。主旋律、メロディーだけじゃなくて、オケの楽器の音が飛び交うだけで、こんなに音楽ってワクワクさせられるんだと、初めて分かった気がしました。この《指環》録音は、だからこそ特別なんだと改めて実感しましたね。
麻倉:あとね、ウィーン・フィルの音がすごいなと。
山崎:そうですね、すごいです。
麻倉:やっぱりウィーン・フィルとショルティっていうのは、ものすごいコンビであって。しかも当時のフラグスタートを始め、ピカイチの人を集めたわけじゃないですか。
つまり、そういう意味では録音が奇跡的に成立したというか。ワーグナーのスコアはすごい、会場もちゃんと取れた、スケジュールも取れた、録音も何とかできたという。オペラの制作っていうのは大変なことなんですよね。それが全て奇跡的に集まった一つの集合体がね、やっと今回、SACDで全貌が分かったという感動があります。
山崎:今日は《ヴァルキューレ》まで聴きましたけど、《ジークフリート》以降ではワーグナーのオーケストレーションがさらに複雑になって、いわゆるライトモティーフ、示導動機が絡み合う音楽になってくる。《ジークフリート》、《神々の黄昏》の音がどういうふうに響くのか、すごく楽しみです。
麻倉:CDだとね、解像度が低いので、どっかで鳴ってるライトモティーフがなかなか聴こえないんですよ。SACDが持ってる解像度の高さとか空気感の再現性は、ものすごく小さい音であっても、たいへんクリアに聴こえます。
そういう意味ではワーグナーを心底、楽しむには、音の良さがすごく大切だって、今回改めて分かりました。
https://www.udiscovermusic.jp/classical-features/sir-georg-solti-der-ring-des-nibelungen-report
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2022/07/23 (Sat) 16:56:40
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サー・ゲオルク・ショルティ(Sir Georg Solti KBE、1912年10月21日 - 1997年9月5日)は、ハンガリー出身で、ドイツ、のちイギリスの国籍で活躍した指揮者、ピアニスト。ゲオルグ・ショルティとも書かれる。ユダヤ系。ハンガリー語の発音に基づく表記はショルティ・ジェルジ(Solti György [ˈʃolti ˌɟørɟ])。『グラミー賞』を31回受賞(74回ノミネート)しており[1]、受賞数、ノミネート数ともに世界一である[2]。
ハンガリーのブダペスト生まれ。シュテルン家の次男として生まれ、生まれた時の姓名はシュテルン・ジェルジュ(Stern György [ˈʃtern ˌɟørɟ])。父親はシュテルン・モーリツ (Stern Móric [ˈʃtern ˌmoːriʦ])、母親はローゼンバウム・テレーズ (Rosenbaum Teréz [ˈroːzenbɒum ˌtɛreːz])。写真家のモホリ=ナジ・ラースローは再従兄弟にあたる。作曲家のジョゼフ・コズマ(コズマ・ヨージェフ)も親戚である。父親はハンガリーで民族主義が高まるのを感じて、子供らの将来のためにユダヤ的なシュテルンという姓をハンガリー風のショルティに改姓した。
6歳でピアノを習い始める。その後1924年に、リスト音楽院でヴェイネル、バルトーク、コダーイ、ドホナーニらに指導を受け、ピアノ、作曲、指揮なども学んでいる。13歳の時、コンサートで聞いたエーリヒ・クライバー指揮のベートーヴェン・交響曲第5番の演奏に感動して指揮者を目指すこととなる。
1930年 - リスト音楽院を卒業するとブダペストの国立歌劇場でコレペティートル(歌手の練習のためのピアニスト)に採用され、チェレスタやチェンバロなどの楽器の演奏も手がけるなど、努力の日々を送りながらオペラを学ぶ。
1936年 - コレペティートルとしてザルツブルクを訪れた時、ザルツブルク音楽祭のリハーサルのためのピアニストに欠員が出たためショルティに声がかかったが、これがトスカニーニの目にとまり、同年と翌年のザルツブルク音楽祭のトスカニーニの助手を務めることとなる。1937年には『魔笛』の公演でグロッケンシュピールを担当した。
1938年3月11日-ブダペスト歌劇場の『フィガロの結婚』で指揮者デビュー。ぶっつけ本番であった(同日、ナチス・ドイツによるオーストリア併合)。
1942年 - ジュネーブ国際コンクールのピアノ部門で優勝し(審査員にはヴィルヘルム・バックハウスやフランク・マルタンがいた)、その後ピアニストとしてデビューする。それまで仕事にありつけずにいたショルティだが、この成功によって音楽家として名声を博していくことになる。
1946年 - 戦後、7年ぶりにたった2度ほど『フィデリオ』を指揮した後、ミュンヘンのバイエルン国立歌劇場の音楽監督に抜擢される(本人は、これにはトスカニーニとエーリヒ・クライバーの援助があったと語っている。非ナチ化の影響で多くのドイツ人指揮者が失脚していたという幸運もあった)。この年にはリヒャルト・シュトラウスと会う機会を得て、彼の作品の指揮について指導を受けている他、チューリッヒ大学の講師の娘だったヘトヴィヒ・エークスリ(ヘディ)と結婚。
1947年 - スイスのテノール歌手リヒテクの推薦で、ピアニストとして英デッカと契約を結び、録音活動もスタートしている。
1951年 - ザルツブルク音楽祭にデビュー
1952年 - フランクフルト歌劇場の音楽監督に就任する( - 1961年)。
1953年 - サンフランシスコ歌劇場にて『エレクトラ』の指揮でアメリカデビュー。後に音楽監督として緊密な関係を築くシカゴ交響楽団の初指揮は、1954年夏のラヴィニア音楽祭で果たしている。1958年から始まったウィーン・フィルハーモニー管弦楽団との『ニーベルングの指環』全曲スタジオ録音で、指揮者としての評価を国際的に著しく高める(世界初全曲録音)。
1959年 - 『ばらの騎士』でイギリスのコヴェント・ガーデン王立歌劇場に登場、その成功により1961年に音楽監督に就任( - 1971年)。
1964年 - ヘディと離婚。
1967年 - BBCの記者ヴァレリー・ピッツと再婚。
1969年 - シカゴ交響楽団の音楽監督に就任すると、コンサートオーケストラの本格的在任は生涯初ながら、やや停滞が伝えられていたこのオーケストラを数年で立て直し、その活躍はめざましいものとなる。シカゴ響初の海外公演を成功させる。当初2年間のコヴェントガーデン歌劇場兼任、1979年からの4年間のロンドン・フィル兼任があったものの、二十数年の在任期間の多くを同団に傾注し、名コンビを謳われた。
1972年 - イギリス国籍を得て帰化し、ナイトの称号を授与される(CDなどでサー・ゲオルク・ショルティと表記されるのはこのため)。
1983年 - バイロイト音楽祭に出演し、『ニーベルングの指環』を指揮するが、バイロイト登場はこの年限りに終わった。
1991年 - シカゴ交響楽団の音楽監督を辞すと、桂冠指揮者として死の直前までシカゴ交響楽団を中心に幅広い指揮活動を続けた。
1995年 - ジュネーヴで開催された「国連50周年記念演奏会」にて、世界各地のオーケストラに所属する40カ国余り81人の演奏家から編成される「ワールド・オーケストラ・フォア・ピース」による初演を成功させ、3年越しの構想を実現させた。
1997年9月5日 - 休暇中の南フランスのアンティーブで自伝の最終チェックを終えた直後、就寝中に心筋梗塞により死去。84歳没。敬愛するバルトークの墓の隣で眠りについている。
演奏スタイル
音楽評論家の吉田秀和は、ショルティがウィーン・フィルハーモニー管弦楽団を指揮した交響曲第3番 (ベートーヴェン)の録音の第二楽章について、「こういう音楽を大真面目でやれるというには、何か一種の反知性的な気質か、さもなければ劇場的性格か、あるいは、そういうことを超越した本当に崇高なまでの精神的態度か、何かそういうものが要るのではなかろうか?そうして、ショルティには、この中で劇場的なもの theatrical な効果というものに対する本能が極度に強く発達しているのではなかろうか?」と述べ、次にリヒャルト・シュトラウスの『エレクトラ』の録音を挙げた上で「ショルティほどに、無慚な手つきでこういう響きを引き出している指揮者は、ほかに誰がいるのだろうか?」と、その劇的表現力を評している[3]。
また作曲家の諸井誠は、シカゴ交響楽団を指揮した交響曲第9番 (ブルックナー)の録音を「究極のブルックナー」と評している[4]。
平和への祈り
ショルティは、1938年3月11日、ブダペスト歌劇場の「フィガロの結婚」で指揮者としてのデビューを飾ったが、ユダヤ系だったこともあって、再び指揮台に立つ機会はなかった。歌劇場の後援会長からルツェルン音楽祭に参加しているトスカニーニを頼ってニューヨークへ渡ることを勧められ、ルツェルンでトスカニーニに約束まではもらえたが、戦争が始まってしまったことと、トスカニーニの妻から貰った所持金が底をついてしまったことなどから実際にはかなえられず、そのままスイスで生活を送ることとなる。以後、戦争が終わるまでは家族(父親は1943年に病死している)と再会していない。青年期が第二次世界大戦の真っ只中と重なり、またユダヤ系であることから、ショルティの生涯は戦争に翻弄され続けた。この経験から、政治家もまた、音楽家と同様に思想の違いを超えて平和を実現することが必ずできるはずだという信念を抱き、1992年にバッキンガム宮殿にてチャールズ王太子とダイアナ妃の主催で開かれたショルティ80歳記念演奏会の場で、「音楽が持つ、平和の使節としての特別な力」を体現化する「ワールド・オーケストラ・フォア・ピース」の構想を発表した[5]。
エピソードなど
戦後は自身の名前(Georg)をドイツ風で通し、1972年までドイツ国籍を持っていたショルティは、イギリスに帰化したのちも「ドイツ語が、思い通りのことを一番うまく言える言語」「マジャール語は忘れてしまった」として、ヘルマン・ヘッセやトーマス・マンを原書で愛読する生活を送っていた[6]。同名かつ同郷で、やはり壮年期にドイツ風名乗りを行っていたジョージ・セルと異なり、ショルティは帰化後も綴りを英語風に改めることはしていない[7]。妻は英国人である。
初来日は1963年、ロンドン交響楽団との演奏旅行であった。当時最晩年だったピエール・モントゥーが同行していたため、その影に隠れてさほど脚光を浴びることはなかった。このほかにアンタル・ドラティも同行していた。その後は、1994年のウィーン・フィルとの最後の来日まで、たびたび日本を訪れた。
演奏会・録音ともに、ウィーン・フィルとは頻繁に共演している。デッカはショルティのダイナミックな指揮に魅了され、『指環』の全曲録音を依頼した。
ショルティによって、シカゴ交響楽団は今日の世界的評価を獲得した。シカゴ交響楽団はショルティ赴任以前にフリッツ・ライナーによる第1期黄金時代を謳歌していたものの、ライナー辞任後は楽団の内紛で低迷してしまっていた。初のヨーロッパ公演を成功させたショルティとシカゴ交響楽団は、シカゴ市民に熱狂的に迎えられ、「シカゴはギャングの街からオーケストラの街になった」との評もあった。シカゴの野球解説者は、正確であることを「ショルティのよう」と喩えた。シカゴの電話帳の表紙を飾ったこともあり、市民から愛された指揮者であった。
ヨーロッパ大陸への客演はドイツの放送交響楽団が多く、晩年までミュンヘン・シュトゥットガルト・ケルンには特に頻繁に客演していた。1990年代には、ヘルベルト・フォン・カラヤンの生前にはあまり縁のなかったベルリン・フィルやザルツブルク音楽祭にも登場するようになる[8]。
代表的な録音
モーツァルト:オペラ『魔笛』(デッカ)
ハイドン:ロンドン交響曲全集(同)
ベートーヴェン:交響曲全集(同)
ワーグナー:楽劇『ニーベルングの指環』全曲(同)
リヒャルト・シュトラウス:『ばらの騎士』、『影のない女』(サヴァリッシュに次ぐ、ノーカット全曲録音)(同)
ブラームス:交響曲全集(同)
ブルックナー:交響曲全集(同)
マーラー:交響曲全集(同)
バルトーク:管弦楽曲集(同)
録音は膨大であり、そのほとんどが専属契約を結んでいたデッカ(Decca)レーベルの録音である。オーケストラは、手兵シカゴ交響楽団のほか、ウィーン・フィル、ロンドン・フィル、ロンドン交響楽団など、多岐にわたる。
ワーグナーの『さまよえるオランダ人』以降の10大オペラを全てスタジオ録音した数少ない指揮者の一人でもある。なかでも最大の偉業は、ジョン・カルショー率いるデッカチームとの「指環」全曲録音であろう。ステレオ録音で長大な楽劇を遺した功績は、グラモフォン誌において20世紀最大の録音事業と賞賛された。往年の名歌手の歌唱、ウィーン・フィルの響きを伝える記録としても貴重である。
グラミー賞受賞は史上最多の40回を誇り、女性最多受賞のアレサ・フランクリン(ソウル・パフォーマー、16回受賞)をも大きく引き離している。グラミー賞は英語圏の業績に偏りがちという意見もあるが、活動期間がほぼ重なるレナード・バーンスタインをしのぐ最多の受賞である。
シカゴ交響楽団との録音
(すべてステレオ録音、レーベルはデッカ)
J.S.バッハ:マタイ受難曲(テ・カナワ〈sop〉、オッター〈Alt〉、ブロホヴィッツ〈Ten〉、ベーア〈バス〉、ロルフ・ジョンソン〈Ten〉、クラウゼ〈Bas〉、シカゴ交響合唱団/1987)、ミサ曲ロ短調(ロット〈sop〉、オッター〈Mez〉、ブロホヴィッツ〈Ten〉、シメル〈Bar〉、ハウエル〈BasBar〉、シカゴ交響合唱団/1990ライヴ)、組曲第3番~Air(1974)
R.シュトラウス:ツァラトゥストラはかく語りき(1975)、ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら(1975)、ドン・ファン(1972)
ウェーバー:「オベロン」序曲(1974)
ヴェルディ:オテロ(テ・カナワ〈sop〉、パヴァロッティ〈Ten〉、ロルフ・ジョンソン〈Ten〉、ヌッチ〈Bar〉、シカゴ交響合唱団/1991)、レクイエム(プライス〈sop〉、ベイカー〈Mez〉、ヴルケッティ〈Ten〉、ヴァン・ダム〈Bas〉、シカゴ交響合唱団/1977)、合唱曲集(シカゴ交響合唱団/1989)、聖歌四篇(シカゴ交響合唱団/1978)
エルガー:エニグマ変奏曲(1974)、演奏会用序曲「コケイン」(1976)
シェーンベルク:モーゼとアロン(マツーラ〈Bas・Bar〉、ラングリッジ〈Ten〉、ハウグランド〈Bas〉、ボニー〈sop〉、シカゴ交響合唱団、グレン・エリン少年合唱団員/1984)、管弦楽のための変奏曲(1975)
ショスタコーヴィチ:交響曲第8番(1989)、交響曲第10番(1990ライヴ)、交響曲第13番「バビ・ヤール」(アレクサーシキン〈Bas〉、アンソニー・ホプキンス〈朗読〉、シカゴ交響男声合唱団/1995)、交響曲第15番(アレクサーシキン〈Bas〉/1997)
スーザ:星条旗よ永遠なれ(1986)
スタッフォード・スミス:アメリカ国歌「星条旗」(1986)
ストラヴィンスキー:春の祭典(1974)、ペトルーシュカ(1993)、3楽章の交響曲(1993)、カルタ遊び(1993)、交響曲ハ調、詩篇交響曲(1997)
ダウンズ:がんばれ、シカゴ・ベアーズ(1986)
チャイコフスキー:交響曲第4番(1984)、交響曲第5番(1987)、交響曲第5番(1975)、交響曲第6番「悲愴」(1976)、幻想序曲「ロメオとジュリエット」(1986)、組曲「くるみ割り人形」(1986)、組曲「白鳥の湖」(1988)、大序曲「1812年」(1986)、ピアノ協奏曲第1番(シフ〈ピアノ〉/1985)
ティペット:交響曲第4番(1979)、チャールズ皇太子の誕生日のための組曲(1981)、ビザンティウム(1991)
デル・トレディチ:最後のアリス(ヘンドリックス〈sop〉/1980)
ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」(1983)
ドビュッシー:海(1991)、海(1976)、牧神の午後への前奏曲(1976)、牧神の午後への前奏曲(1990)、夜想曲(1990)
ドホナーニ:童謡主題による変奏曲(シフ〈ピアノ〉/1985)
ハイドン:オラトリオ「四季」(ツィーザク〈sop〉、ハイルマン〈Ten〉、パーペ〈Bas〉、シカゴ交響合唱団/1992ライヴ)、オラトリオ「天地創造」(ツィーザク〈sop〉、リッペルト〈Ten〉、シャリンガー〈Bar〉、パーペ〈Bas〉、シカゴ交響合唱団/1993)、オラトリオ「天地創造」(バロウズ〈sop〉、ヴォーラーズ〈Ten〉、グリーンバーグ〈sop〉、ニムスゲルン〈Bas〉/1981)
バルトーク:弦楽器、打楽器とチェレスタのための音楽(1989)、管弦楽のための協奏曲(1981)、「中国の不思議な役人」組曲(1990)、ヴァイオリン協奏曲第1番(チョン・キョンファ〈Vn〉/1983)、ディヴェルティメント(1990)、舞踏組曲(1981)
ブラームス:交響曲全集(第1番~第4番〈1978・1979〉)、大学祝典序曲(1978)、悲劇的序曲(1978)、ハイドンの主題による変奏曲(1977)、ドイツ・レクイエム(テ・カナワ〈sop〉、ヴァイクル〈Bar〉、シカゴ交響合唱団/1978)
ブルックナー:交響曲第0番(1995ライヴ)、交響曲第1番(1995)、交響曲第2番(1991)、交響曲第3番(1992)、交響曲第4番「ロマンティック」(1981)、交響曲第5番(1980)、交響曲第6番(1979)、交響曲第7番(1986)、交響曲第8番(1990ライヴ)、交響曲第9番(1985)
プロコフィエフ:交響曲第1番「古典」(1982)、ロメオとジュリエット(抜粋)(1982)
ベートーヴェン:交響曲全集(第1番~第9番/ローレンガー〈sop〉、ミントン〈Mez〉、バロウズ〈Ten〉、タルヴェラ〈Bas〉、シカゴ交響合唱団/1972~74)、交響曲全集(第1番~第9番/ノーマン〈sop〉、ルンケル〈Alt〉、シュンク〈Ten〉、ゾーティン〈Bas〉/1986~1990)、「エグモント」序曲(1972)、「エグモント」序曲(1989)、「コリオラン」序曲(1974)、「レオノーレ」序曲第3番(1972)、「レオノーレ」序曲第3番(1988)、ピアノ協奏曲全集(第1番~第5番「皇帝」/アシュケナージ〈ピアノ〉/1971~72)、フィデリオ(ベーレンス〈sop〉、ホフマン〈Ten〉、ゾーティン〈Bas〉、アダム〈Bas・Bar〉、シカゴ交響合唱団/1979)、ミサ・ソレムニス(ポップ〈sop〉、ミントン〈Mez〉、ウォーカー〈Ten〉、ハウエル〈Bas〉、シカゴ交響合唱団/1977)
ベルク:ヴァイオリン協奏曲(チョン・キョンファ〈Vn〉/1983)
ベルリオーズ:幻想交響曲(1972)、幻想交響曲(1992ライヴ)、ファウストの劫罰(フォン・シュターデ〈Mez〉、リーゲル〈Ten〉、ヴァン・ダム〈Bas〉、キング〈Bas〉、シカゴ交響合唱団/1981)、序曲「宗教裁判官」(1974)
ヘンデル:メサイア(テ・カナワ〈sop〉、イェヴァング〈Alt〉、ルイス〈Ten〉、ハウエル〈Bas〉、シカゴ交響合唱団/1984)
マーラー:交響曲第1番「巨人」(1983)、交響曲第2番「復活」(ブキャナン〈sop〉、ザーカイ〈Alt〉、シカゴ交響合唱団/1980)、交響曲第3番(デルネシュ〈sop〉、グレン・エリン少年合唱団、シカゴ交響女声合唱団/1982)、交響曲第4番(1983)、交響曲第5番(1990ライヴ)、交響曲第5番(1970)、交響曲第6番(ミントン〈Mez〉/1970)、交響曲第7番(1971)、交響曲第8番「千人の交響曲」(ハーパー〈sop〉、ポップ〈sop〉、オジェー〈sop〉、ミントン〈Mez〉、ワッツ〈Alt〉、コロ〈Ten〉、シャーリー=カーク〈Bar〉、タルヴェラ〈Bas〉、ウィーン少年合唱団、ウィーン楽友協会合唱団、ウィーン国立歌劇場合唱団/1971)、交響曲第9番(1982)、大地の歌(ミントン〈Mez〉、コロ〈Ten〉/1972)、さすらう若人の歌(ミントン〈Mez〉1970)、歌曲集「子供の不思議な角笛」から(ミントン〈Mez〉/1970)
ムソルグスキー:展覧会の絵(1980)、「ホヴァンシチナ」~前奏曲、死の歌と踊り(1997)
メンデルスゾーン:交響曲第3番「スコットランド」(1985)、交響曲第4番「イタリア」(1985)
モーツァルト:交響曲第38番(1982)、交響曲第39番(1982)
ラヴェル:ボレロ(1976)、クープランの墓(1980)
リスト:ファウスト交響曲(1986)、交響詩「前奏曲」(1992ライヴ)
ロッシーニ:「セビリアの理髪師」序曲(1972)
ワーグナー:さまよえるオランダ人(ベイリー〈Bas〉、マーティン〈sop〉、コロ〈Ten〉、タルヴェラ〈Bas〉、クレン〈Ten〉、シカゴ交響合唱団/1976)、ニュルンベルクのマイスタージンガー(ヴァン・ダム〈Bar〉、オピー〈Bas〉、パーペ〈Bas〉、ヘップナー〈Ten〉、マッティラ〈sop〉、シカゴ交響合唱団/1995ライヴ)、序曲と前奏曲集(1972-1977)
ハンガリー曲集(1993ライヴ)
ケルビーニ:レクイエム ハ短調(シカゴ交響合唱団/ 1985)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%82%AA%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%AB%E3%83%86%E3%82%A3
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3:777
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2024/06/30 (Sun) 04:08:13
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(リクエストお応え回)ゲオルグ・ショルティの演奏を手持ちCDで聴いてみよう!〜ベートーヴェン交響曲全集を中心に〜【ヒストリカル解説 Vol.134】Gerog Solti 話:徳岡直樹
徳岡直樹 Naoki Tokuoka Music Life 2024/05/24
https://www.youtube.com/watch?v=wIAfujQ5vDI
今回は視聴者の方からのリクエストで、サー・ゲオルグ・ショルティ(1912〜1997)についてお話しします。戦後オペラ中心の指揮者で知られ始めましたが、中でも特筆すべきは1958年から英デッカに録音した『ニーベルングの指環』の大ヒット! その後ワーグナー、R.シュトラウスの数々のオペラを正式に録音、コヴェントガーデン歌劇場の総監督を務めた後、シカゴ交響楽団の音楽監督として数々の名レコードを残しました。そんなショルティのディスクから、私くし徳岡が聞いているもの、ショルティの生涯、様々なエピソードを交えてお話しします(話:徳岡直樹)
00:00 イントロ
01:29 ショルティ生涯ざっと回想
08:36 ベートーヴェン:交響曲No.1〜3
15:44 No.4〜6
19:07 No.7〜9
21:36 ウィーンフィルとの旧録音「英雄」第五、第七
25:30 ブラームス、シューマンほか
28:12 デッカの『リング』
31:28 1983年バイロイトの『リング』
38:38 ショルティはワーグナー指揮者だった?
41:57 バルトークの「オケコン」に関する妙な思い出
47:32 マーラー、ブルックナー、そして…
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4:777
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2024/06/30 (Sun) 04:09:28
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【演奏家紹介】大指揮者!ゲオルク・ショルティの魅力を解明!あの躍動感の秘密とは?
車田和寿‐音楽に寄せて 2023/03/29
https://www.youtube.com/watch?v=NpWN8sCSYFE
目次
0:00 オープニング
1:01 ショルティの生い立ち
4:51 ショルティの生い立ち②
6:50 躍動感の秘密
11:19 音楽の大きさ
13:20 音楽の深さ
15:04 ヴェルディとヴァーグナー
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5:777
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2024/07/27 (Sat) 07:00:12
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(リクエストお応え回)ゲオルグ・ショルティの演奏を手持ちCDで聴いてみよう!〜ベートーヴェン交響曲全集を中心に〜【ヒストリカル解説 Vol.134】Gerog Solti 話:徳岡直樹
徳岡直樹 Naoki Tokuoka Music Life 2024/05/24
https://www.youtube.com/watch?v=wIAfujQ5vDI
今回は視聴者の方からのリクエストで、サー・ゲオルグ・ショルティ(1912〜1997)についてお話しします。戦後オペラ中心の指揮者で知られ始めましたが、中でも特筆すべきは1958年から英デッカに録音した『ニーベルングの指環』の大ヒット! その後ワーグナー、R.シュトラウスの数々のオペラを正式に録音、コヴェントガーデン歌劇場の総監督を務めた後、シカゴ交響楽団の音楽監督として数々の名レコードを残しました。そんなショルティのディスクから、私くし徳岡が聞いているもの、ショルティの生涯、様々なエピソードを交えてお話しします(話:徳岡直樹)
00:00 イントロ
01:29 ショルティ生涯ざっと回想
08:36 ベートーヴェン:交響曲No.1〜3
15:44 No.4〜6
19:07 No.7〜9
21:36 ウィーンフィルとの旧録音「英雄」第五、第七
25:30 ブラームス、シューマンほか
28:12 デッカの『リング』
31:28 1983年バイロイトの『リング』
38:38 ショルティはワーグナー指揮者だった?
41:57 バルトークの「オケコン」に関する妙な思い出
47:32 マーラー、ブルックナー、そして…
53:57 ラストコンサートのマーラー第五
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6:777
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2025/03/10 (Mon) 10:01:49
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シュトラウス《サロメ》全曲 ニルソン/ショルティ指揮/ウィーンフィル
https://www.youtube.com/watch?v=VT-5zz92mNQ
歌詞対訳字幕付き。 リヒャルト・シュトラウス《サロメ》全曲。ビルギット・ニルソンのサロメ、ゲオルグ・ショルティ指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏です。翻訳は森鴎外です。
1:00:00 7つのヴェールの踊り
1:22:10 お前はこの口に接吻をさせなかったのね
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7:777
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2025/03/10 (Mon) 10:03:35
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シュトラウス《エレクトラ》全曲 ニルソン/ショルティ指揮/ウィーン・フィル
https://www.youtube.com/watch?v=5_3j5HJAj6g
オペラ対訳プロジェクトよりリヒャルト・シュトラウス 《エレクトラ》全曲をドイツ語日本語歌詞対訳字幕付きでお届けします。ビルギット・ニルソンのエレクトラ、ゲオルグ・ショルティ指揮/ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団です。翻訳は楠山正雄です。