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シャルル・デュトワ(Charles Dutoit、1936年10月7日 - )指揮者

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2022/07/23 (Sat) 09:08:10

シャルル・デュトワ(Charles Dutoit、1936年10月7日 - )指揮者


Charles Dutoit - YouTube
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シャルル・エドゥアール・デュトワ(Charles Édouard Dutoit、1936年10月7日 - )は、スイス出身の指揮者。「音の魔術師」との異名をとる。

ローザンヌ生まれ。青年期にエルネスト・アンセルメと交流を深めるかたわら、同地とジュネーヴの音楽院で指揮、ヴァイオリン、ヴィオラ、打楽器、作曲を学ぶ。指揮科を首席で卒業後、シエナのキジアーナ音楽院でアルチェオ・ガリエラに師事。その後、アメリカ合衆国のタングルウッド音楽祭でシャルル・ミュンシュに師事。また、ルツェルン音楽祭ではオーケストラの奏者としてヘルベルト・フォン・カラヤンと共演し影響を受けている。

学生時代からヴィオラ奏者として、欧州や南米のさまざまなオーケストラに在籍する一方で、1958年から1963年までローザンヌ大学合唱団の指揮者を務める。1959年1月、既に親交のあったマルタ・アルゲリッチをソリストに迎え、ローザンヌ放送所属のオーケストラを指揮して指揮者としてプロデビューする。以降、スイス・ロマンド管弦楽団やローザンヌ室内管弦楽団の客演指揮者を務める他、チューリヒ放送所属のオーケストラの指揮者となる。1964年にカラヤンの招きでウィーン国立歌劇場に登場し、以降2シーズン、同劇場のバレエを担当する。1967年にパウル・クレツキからベルン交響楽団を引き継ぎ1978年まで首席指揮者を務める一方、ベルンに在任中の1967年から1971年までチューリッヒ・トーンハレ管弦楽団でルドルフ・ケンペを補佐している。1973年から1975年にメキシコ国立交響楽団を、1975年から1978年までエーテボリ交響楽団の指揮者も兼務した。

1977年にモントリオール交響楽団の音楽監督に就任。短期間で同楽団をカナダ随一の世界的なオーケストラに育て上げ、「フランスのオーケストラよりもフランス的」と評された。以後2002年に辞任するまでの25年もの間、精力的に海外公演や録音活動を行い、世界中から数々の賞も受賞した。

1990年から2010年まで、フィラデルフィア管弦楽団が参加するニューヨーク州サラトガ・パフォーミング・アーツ・センター夏のシリーズの芸術監督ならびに首席指揮者を務める一方、2000年から3年間、レナード・バーンスタイン提唱の国際教育音楽祭パシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)でも芸術監督を務めている。

1991年から2001年までフランス国立管弦楽団音楽監督に就任、同楽団とは数々の録音で共演して高い評価を受けるとともに、広く五大陸で演奏旅行を行う。1996年にフランス政府より“Commandeur de l'Ordre des Arts et des Lettres”を授与され、同年にはカナダ政府からも叙勲された。カナダ人以外で初めて、ケベック州民勲章も受賞している。

2008年から4年間契約でフィラデルフィア管弦楽団の首席指揮者、2009年からはヴェルビエ祝祭管弦楽団の音楽監督とロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者・芸術監督を務めている。

主な客演としては、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、フィルハーモニア管弦楽団、パリ管弦楽団、北ドイツ放送交響楽団、バイエルン放送交響楽団、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団、ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団、シュターツカペレ・ドレスデン、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、また、シカゴ交響楽団やニューヨーク・フィルハーモニックなどのビッグファイブをはじめとする全米の主要なオーケストラにも頻繁に登場している。

家族
シャルル・デュトワは4度の結婚経験があり、かつての伴侶としては、2人目の妻であるピアニストのマルタ・アルゲリッチと、3人目のオンタリオ州出身のエコノミスト・実業家、マリー=ジョゼ・クラヴィス(英語版)(旧姓Drouin)の名が知られている。2010年にはヴァイオリニストのシャンタル・ジュイエと結婚した。アルゲリッチとの間に娘アンヌ=カトリーヌ(Anne-Catherine)がいる。また、1990年生まれの映画監督、女優、脚本家のアンヌ=ソフィー(Anne-Sophie)は、孫(最初の妻との間の長男イヴァンの娘)である。

セクハラ事件
2017年に4人の女性がデュトワから性的暴行を受けたと告発する記事が公開された[1]。デュトワは否定したが、その後さらに匿名によるレイプ被害の訴え1件を含む複数名によるセクハラ行為を訴える記事が同じ記者から公開された[2]。告発後、世界各地の複数のオーケストラがデュトワとの公演を中止したほか、英国ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団はデュトワを芸術監督と首席指揮者から退任させ、ボストン交響楽団はデュトワへの名誉称号を剥奪のうえ関係を絶ったと発表した[2][3]。2019年、フランス国立管弦楽団は病気のエマニュエル・クリビヌの代役にデュトワを指名し抗議を受けた[4]。楽団側は、楽団員の6割もデュトワ起用に反対だったが、15人以上の代役候補に断られたうえの決定であると説明した[5]。

演奏
デュトワは、ベルリオーズやビゼー、ラヴェル、イベールなどのフランス音楽、リムスキー=コルサコフやチャイコフスキー、ラフマニノフ、ストラヴィンスキー、プロコフィエフといったロシア音楽を得意としている。このほかに、オネゲルの作品や、レスピーギのローマ三部作(「ローマの噴水」「ローマの松」「ローマの祭」)とヴァイオリン協奏曲、ファリャのバレエ音楽、武満徹の管弦楽曲の解釈にも卓越したものがある。ディプロマ取得の課題と最初のレコーディングが『兵士の物語』であり、若い頃の目標が30歳までに『春の祭典』を指揮することだったと本人が語っているように、とりわけストラヴィンスキーに関しては愛着を持っていて、ストラヴィンスキー本人指揮による『結婚』のレコーディング・セッションに譜めくり役としてもぐり込む、などの逸話もある。

ローザンヌ大学合唱団の指揮者としては主にバロック時代の声楽作品を指揮した。また、ウィーン国立歌劇場ではマシーン振り付けの『三角帽子』、ヌレエフ、マーゴ・フォンテイン出演のヌレエフ版『白鳥の湖』のプレミアを指揮し、ジョージ・バランシンなどとも仕事をしている。

また、1975年には、ヴァイオリニストのサルヴァトーレ・アッカルドと共演して、ニコロ・パガニーニ作品のうちヴァイオリン協奏曲全6曲を含む譜面が現存するヴァイオリンと管弦楽のための協奏作品のほぼ全てを録音している。

モントリオール交響楽団とのコンビはカーネギー・ホールにほぼ毎年登場するようになり、そこでは『戦争レクイエム』、『ロジェ王』、『イリヤ・ムーロメッツ』のような比較的演奏機会の少ない大作も取り上げた。また、フランス国立管弦楽団とはサン・ドニ音楽祭において1995年から4年間、ベルリオーズの宗教的声楽作品を1年に1作ずつ演奏し、その初回は『荘厳ミサ曲』のパリ蘇演であった。

2003年にテアトロ・コロンで『さまよえるオランダ人』を指揮し、同劇場では続いて2004年から4年をかけて『リング』を、2008年には同劇場の開館100年記念公演で『アイーダ』を指揮する計画が立てられた。[注釈 1]

シャルル・デュトワと日本
デュトワは大の日本びいきとして知られ、和食や陶磁器の愛好家でもある。インタビュー収録時にも広重や北斎の画集を眺める姿がある。

2000年から3年間、札幌を中心に行われるパシフィック・ミュージック・フェスティバル(PMF)、2004年から7年間、アイザック・スターンの遺志を継ぎ、宮崎国際音楽祭の芸術監督を務めた。宮崎では大ホールでのオーケストラ公演のほか、デュトワが得意とする小編成の楽曲や室内楽曲のレパートリーをも取り上げ、人形劇を加えてのファリャの『ペドロ親方の人形芝居』やストラヴィンスキーの『兵士の物語』を街頭で演奏するなどの企画が披露された。

1999年にはNHK教育テレビ『シャルル・デュトワの若者に贈る音楽事典』(世界の音楽主要10都市を特集した全10回の教育ドキュメンタリー・シリーズ)に出演、自らキャストとして作曲家の役にも扮した。

他にも、NHK教育テレビ「N響アワー」の新年番組にもゲストとして袴姿で出演している。(この際、「あけましておめでとうございます」と日本語で話した。)

デュトワとかかわりのある人たちは日本と不思議な因縁で結ばれている。

初来日は1970年、日比谷公会堂での読売日本交響楽団の客演で、ストラヴィンスキー、ラヴェルなどを指揮した。

アルゲリッチが娘アニー・デュトワ(音楽ジャーナリスト)を身ごもったことに気づいたのが、この初来日の時であり、1974年には夫婦共演のために再び日本を訪れたが、夫婦喧嘩からアルゲリッチは一方的に公演をキャンセルして帰国、あげくデュトワと離婚に至ったという経緯がある。

その後、アルゲリッチはデュトワと和解し、近年では、デュトワ指揮、アルゲリッチのピアノで共演を重ねている。偶然とはいえ、デュトワとアルゲリッチは、それぞれ九州の音楽フェスティバルの芸術監督に就任している。また、娘アニーも、日本での取材が振り出しとなって記者活動を始めている。

2021年には、セイジ・オザワ 松本フェスティバルで小澤征爾の呼びかけにより、オーケストラの指揮を行った。ただし、新型コロナウイルスの影響により、YouTubeによるライブ配信となり、ラヴェルのマ・メール・ロワ(管弦楽版)、ドビュッシーの海、牧神の午後への前奏曲、ストラヴィンスキーの火の鳥(1919年版)を演奏した[6]。

同年、11月27日に予定していた、新日本フィルとの共演の来日コンサートでは、デュトワが新型コロナウイルスに感染したと発表され、来日は中止となった[7]。

NHK交響楽団音楽監督
1996年、NHK交響楽団の常任指揮者に就任した。就任記念定期では、オネゲルの『火刑台上のジャンヌ・ダルク』(演出付き)を上演。就任記念特別演奏会ではアルゲリッチとショパンのピアノ協奏曲第1番を共演。1998年から音楽監督に就任。1999年、高島勲演出、ダッラピッコラの歌劇『囚われ人』とフォーレ『レクイエム』を上演。2001年、創立75周年記念演奏会にてオルフ『カルミナ・ブラーナ』を演奏。

2003年6月、音楽監督を退任するが、(音楽監督として最後の演奏はR.シュトラウス『エレクトラ』(演奏会形式)であった。)同年9月から名誉音楽監督に就任し、以降もほぼ毎シーズン、定期公演の指揮をしている。

デュトワが来たことに伴って、ドイツ音楽に偏っていたレパートリーが、フランス音楽を始めとしてグローバルに広がり、サウンドも色彩感を持つように変化した。またこれまで国内をその活動の中心に置いてきた同楽団は周期的に海外公演を行うようになり、またデッカ・レーベルによるレコーディングも行われた。これまでにヨーロッパ、アジア、アメリカ、ロシアの各主要都市で広く公演を行っており世界的な知名度が増した。

また、NHK大河ドラマ第39作『葵 徳川三代』のテーマ音楽の指揮もした。さらにデュトワとN響にはユニクロのTVCM出演の企画まで持ち上がったこともあったが、これはNHKから待ったがかかり、実現しなかった。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%87%E3%83%A5%E3%83%88%E3%83%AF






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2022/07/23 (Sat) 09:08:47

クラシック演奏家のスキャンダル

クラシックの中で一番好きな楽器はヴァイオリンだが、ピアノも嫌いというわけではない。

モーツァルトのピアノソナタ(グールド)を聴いた時間からすると人後に落ちないはずと思っているし、またドビュッシーのピアノ曲も大好きで特に「ミシェル・ベロフ」(フランス)のCD盤は今でも愛聴盤の一つ。

   

しかし、このベロフさん(1950年生まれ)は残念なことにその後まったくの鳴かず飛ばずである。

前途ある有望な若手のピアニストがいったいどうしたんだろう?

気になってそれとなくアンテナを張っていたところ小耳にはさんだ情報によると「女流ピアニストのアルゲリッチから身も心もすっかり骨抜きにされた」とのことで、エ~ッ(笑)。

お上品なクラシック界にふさわしくない生臭い話だが、噂の真偽を確かめる術もないし、まあどうでもいいことなのだが、つい最近


現代の名演奏家50 クラシック音楽の天才・奇才・異才 (幻冬舎新書) – 2017/1/28
中川 右介 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%90%8D%E6%BC%94%E5%A5%8F%E5%AE%B650-%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E5%A4%A9%E6%89%8D%E3%83%BB%E5%A5%87%E6%89%8D%E3%83%BB%E7%95%B0%E6%89%8D-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%B8%AD%E5%B7%9D-%E5%8F%B3%E4%BB%8B/dp/434498451X


を読んでいたらこのベロフの件の「いきさつ」が詳しく書かれていた。

犬も歩けば棒に当たる!

   

206頁~210頁にかけて詳述されており、手短に要約すると、

「ベロフとアルゲリッチは4年間の同棲生活を解消した。この間、ベロフは肉体的にも精神的にもすっかり疲弊してしまったが、ようやく演奏活動を行えるほどまでに回復した。ただしベロフは今でもアルゲリッチのことを絶賛している」

よかったですねえ、喧嘩別れじゃなくて(笑)。

それにしてもアルゲリッチというのは雰囲気に不潔感が漂っているとでもいうのかな、どうも好きになれないピアニストである。

本書によると、ベロフと知り合った当時は指揮者のデュトワと離婚し、ピアニストのコヴァセヴィッチと暮らして娘を生んだものの破局した後だったそうだ。

つまり特定の男性がいなかったので、ベロフは「飛んで火に入る夏の虫」ならぬ「蜘蛛の巣」によってがんじがらめにされたようだ(笑)。

そして、デュトワの名前がここでも出てくる。この人はその筋ではとかく有名な人なのだ。


画像右側の「クラシックCDの名盤」の180頁にも宇野功芳さん(音楽評論家)がこう書いている。

「デュトワは美人演奏家殺しである。アルゲリッチ、チョン・キョンファをものにし、噂では諏訪内晶子にも子を産ませ、それが彼女のDVの原因にもなったとか」

ほんまかいな(笑)。

クラシック演奏家といっても所詮は人の子で「木の股」から生まれたわけでもないので仕方がないのだろうが、かって、指揮者のブルーノワルターはこんなことを言っていた。

1 恥ずかしいことながら音楽家は概して他の職業に従事している人々に比べて別に少しも善くも悪くもない。

2 音楽に内在する倫理的な呼びかけ(高揚感、感動、恍惚)はほんの束の間の瞬間的な効果を狙っているに過ぎない。それは電流の通じている間は大きな力を持っているが、スイッチを切ってしまえば死んだ一片の鉄に過ぎない「電磁石」のようなものだ。

3 人間の性質にとって音楽が特別に役立つとも思えず過大な期待を寄せるべきではない。なぜなら、人間の道徳的な性質は非常に込み入っており、我々すべての者の内部には善と悪とが分離しがたく混合して存在しているからだ。

まあ、そんなところなんだろうが、「音楽は哲学よりもさらに高い啓示」(ベートーヴェン)というほどなんだから、少しは演奏家にもストイックな姿勢が必要のような気もするが皆様のお考えはいかがですか。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/c9424147dc23385540df825bafbfd222
3:777 :

2023/09/03 (Sun) 03:37:23

モントリオール・イヤーズ [直輸入盤][限定盤]
シャルル・デュトワ
https://www.universal-music.co.jp/charles-dutoit/products/478-9466/

デュトワ80歳記念、モントリオール交響楽団との録音を全て収録した限定ボックス

1935年Les Concerts Symphoniquesとして結成され、1954年より「モントリオール交響楽団」となった名門オーケストラ。歴代首席指揮者にはマルケヴィチやメータなどが名を連ねていました。そして1977年にシャルル・デュトワが音楽監督に就任。楽団員を大きく入れ替えてオーケストラを鍛え上げた結果、磨き抜かれた美しい響きと確かな技術が「フランスのオーケストラよりフランス的なオーケストラ」と称され、世界的な名声を獲得するに至りました。デュトワ80歳の誕生日を記念して、彼がモントリオール交響楽団を指揮したDecca録音を全て収録したBOXが完成。各ディスクはオリジナル・デザインの紙ジャケに封入。

内容
【CD1】ラヴェル:バレエ音楽「ダフニスとクロエ」(全曲)[録音:1980年]
【CD2】ラヴェル:ボレロ、道化師の朝の歌、スペイン狂詩曲、ラ・ヴァルス[録音:1981年]
【CD3】ファリャ:バレエ音楽「三角帽子」「恋は魔術師」[録音:1981年]
【CD4】サン=サーンス:交響曲第3番ハ短調Op.78 「オルガン付き」, ショーソン:交響曲 変ロ長調Op.20[録音:1982年, 1995年]
【CD5】ラヴェル:ピアノ協奏曲ト長調, 左手のための協奏曲ニ長調~パスカル・ロジェ(P), 古風なメヌエット, 海原の小舟, バレエ「ジャンヌの扇」より ファンファーレ[録音:1982年]
【CD6】レスピーギ:交響詩「ローマの松」「ローマの祭り」「ローマの噴水」[録音:1982年]
【CD7】ラヴェル:マ・メール・ロワ、亡き王女のためのパヴァーヌ、組曲「クープランの墓」、高雅にして感傷的なワルツ[録音:1983年]
【CD8】R=コルサコフ:交響組曲「シェエラザード」Op.35、スペイン奇想曲Op.34[録音:1983年]
【CD9】オッフェンバック:バレエ「パリの喜び」, グノー:歌劇「ファウスト」より バレエ音楽[録音:1983年]
【CD10】ベルリオーズ:幻想交響曲、序曲「ローマの謝肉祭」、序曲「海賊」、序曲「宗教裁判官」[録音:1984年, 1995年]
【CD11】ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」、管楽器のための交響曲[録音:1984年]
【CD12】スッペ:序曲集~「軽騎兵」「ファティニッツァ」「ウィーンの朝、昼、晩」「怪盗団」「美しいガラテア」「詩人と農夫」「スペードの女王」[録音:1984年]
【CD13】ストラヴィンスキー:バレエ音楽「火の鳥」、幻想的スケルツォOp.3, 幻想曲「花火」Op.4[録音:1984年]
【CD14】ムソルグスキー:「ホヴァーンシチナ」序曲、交響詩「はげ山の一夜」, 組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編)、R=コルサコフ:「ロシアの復活祭」序曲[録音:1985年]
【CD15】メンデルスゾーン:劇付随音楽「夏の夜の夢」(抜粋)、序曲「フィンガルの洞窟」、序曲「美しいメルジーネの物語」、序曲「ルイ・ブラス」[録音:1986年]
【CD16】ホルスト:組曲「惑星」[録音:1986年]
【CD17】ストラヴィンスキー:バレエ音楽「ぺトルーシュカ」、交響詩「うぐいすの歌」、オーケストラのための4つのエチュード[録音:1986年]
【CD18】ビゼー:「アルルの女」第1&2組曲、「カルメン」第1&2組曲[録音:1986年]
【CD19】フォーレ:レクイエムOp.80~キリ・テ・カナワ(Sp) シェリル・ミルンズ(Br)、組曲「ペレアスとメリザンド」Op.80, パヴァーヌOp.50[録音:1987年]
【CD20】バルトーク:管弦楽のための協奏曲, 弦楽器と打楽器とチェレスタのための音楽[録音:1987年]
【CD21】シャブリエ:楽しい行進曲、デュカス:交響詩「魔法使いの弟子」、シャブリエ:狂詩曲「スペイン」、サティ:2つのジムノペディ、サン=サーンス:歌劇「サムソンとデリラ」より バッカナール、ビゼー:小組曲「子供の遊び」、トマ:歌劇「レーモン」序曲、イベール:喜遊曲(室内オーケストラのための) [録音:1987年]
【CD22】ドビュッシー:管弦楽のための映像、夜想曲[録音:1988年]
【CD23】ドビュッシー:交響詩「海」、バレエ「遊戯」、交響的断章「聖セバスティアンの殉教」、牧神の午後への前奏曲[録音:1989年]
【CD24】フランク:交響曲ニ短調、ダンディ:フランス山人の歌による交響曲~ジャン=イヴ・ティボーデ(P) [録音:1989年]
【CD25-26】チャイコフスキー:バレエ「白鳥の湖」全曲[録音:1991年]
【CD27-28】チャイコフスキー:バレエ音楽「くるみ割り人形」全曲, オーロラ姫の結婚(ディアギレフ版)[録音:1992年]
【CD29】イベール:交響組曲「寄港地」、フルート協奏曲、モーツァルトへのオマージュ、交響組曲「パリ」、バッカナール、ボストニアーナ、ルイヴィル協奏曲~ティモシー・ハッチンズ(Fl) [録音:1992年]
【CD30】ドビュッシー:交響組曲「春」、「子供の領分」(カプレ編曲)、レントより遅く[録音:1994年]
【CD31】ビゼー:序曲イ長調、組曲「美しきパースの娘」、交響曲ハ長調、序曲「祖国」[録音:1995年]
【CD32】オルフ:カルミナ・ブラーナ[録音:1996年]
【CD33】リスト:ハンガリー狂詩曲第2番ハ短調 S.359-4(ミュラー=ベルクハウス編)、ドヴォルザーク:スラヴ狂詩曲第3番変イ長調 Op.45-3、アルヴェーン:スウェーデン狂詩曲第1番 Op.19「夏至の徹夜祭」、エネスコ:ルーマニア狂詩曲第1番Op.11-1、グラズノフ:オリエンタル狂詩曲Op.29[録音:1996年]
【CD34】ピアソラ:アディオス・ノニーノ、天使のミロンガ、バンドネオンとギターのための二重協奏曲、オブリビオン、3つのブエノスアイレス・タンゴ風楽章、ダンサ・クリオージャ、タンガーソ[録音:2000年]
【CD35】テオドラキス:アダージョ(フルート、ストリング・オーケストラ、パーカッションのための)、バレエ組曲「ゾルバ」(抜粋)、バレエ組曲「謝肉祭」から3つの小品[録音:2004年]

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