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フジコ・ヘミング(1932年12月5日 - )ピアニスト

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2022/07/20 (Wed) 04:21:08

フジコ・ヘミング(Georgii-Hemming Ingrid Fuzjko、1932年12月5日 - )ピアニスト


ラ・カンパネラ フジコ・ヘミング - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%B3%E3%83%91%E3%83%8D%E3%83%A9+++%E3%83%95%E3%82%B8%E3%82%B3%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0

フジ子・ヘミング - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=Fujiko+Hemming+
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%95%E3%82%B8%E5%AD%90%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0

ふじこヘミング あるピアニストの軌跡 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/watch?v=OyJD-EaTuAk

ドラマ「フジ子・へミングの軌跡」- YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E3%83%95%E3%82%B8%E5%AD%90%E3%83%BB%E3%81%B8%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0%E3%81%AE%E8%BB%8C%E8%B7%A1


▲△▽▼


2005.06.11
大きなお世話ですが、フジコ・ヘミングはヘタクソです。


◆フジ子・ヘミングが上手い、と思う方。他のピアニストの演奏も聴いてみましょう。

 このピアニストを最初に取り上げたのは、てっきりフジテレビのバカかいずれにせよ、民放だとおもっていたのだが、そうではなくて、NHKだと知って唖然とした。

 結論から述べるが、この人物はプロの演奏家として、十分な音楽性も、テクニックも持っていない。特異な経歴と風変わりの容貌は、テレビ屋にとっては、格好の数字を稼げるキャラクターであろうが、何が「魂のピアニスト」だ。

日本人は浪花節が好きだから、「心で歌う」というと珍重され、「テクニック」というと「冷たさ」を連想するようだ。

芸術は、確かに精神活動だが、表現するに必要なテクニック、しかも、素人とは次元の違うテクニックを持っているようでなければ、プロフェッショナルとはいえない。

ジュリアード音楽院で数々の名ヴァイオリニストを育てた鬼教師、イワン・ガラミアン教授の"Cry now. Play later."(今泣いて、後で弾け)とは、そういう意味である。

◆あんなトロいのは、「ラ・カンパネラ」ではない。

 他人がどんな音楽のどんな演奏を好もうが、私がとやかく言うべきでないことぐらいは、私とて承知しているが、このオバサンばかりは我慢がならん。

 リストのピアノ曲などというものは、テクニックを「見せる」ためにある。音楽的な価値という点では、ショパンや、シューマンや、ましてやモーツァルトやバッハと比べるのも失礼な作曲家なのだ。

 ラ・カンパネラはもともと、ヴァイオリンの奇才、パガニーニのヴァイオリンコンチェルトの主題をそのまま使って書いたピアノ曲だ。それに、リストがさまざまな修飾を施して、ピアノ独奏用の曲にした。

とにかく難しいテクニックのてんこ盛りである。それを如何に、スピード感を維持して弾ききるか、というのがピアニストのうでの見せ所なのだ。

 ところが、フジ子・ヘミングのテンポ設定は遅すぎる。早く弾けるのに独自の解釈で遅く弾いているのではない。本来のテンポでは弾けないから、遅く弾いているのだ。彼女がチェコのオーケストラ(天下のチェコ・フィルではない、2流どころ)とチャイコフスキーのコンチェルトを合わせるのを聴いて、良く分かった。

 絶対的なテクニックが不足しているのである。

 プロのピアニストたるもの、「カンパネラ」に限らず、楽譜に指定された、本来のテンポで弾けないのなら、その曲を客の前で弾いて、或いは録音をして、カネを取るべきではない。

 そういう人物が、マスコミに乗せられて、自分が上手くなったつもりでいる。他のピアニストで「カンパネラ」を聴いたことがない人はそれでだませるだろう。

 しかし、他の音楽家や長く音楽を聴いている聴衆はあきれている。私は、演奏家をこれほど酷評するのは初めてだ。それほど、許せないほど、ヘタクソなのである。

◆【追加】コメントを書き込む前に。

このエントリー(記事)をアップしてから5年が経ちますが、当ブログで最もアクセスが多い記事なのです。

コメントを書いて下さるのは、原則的に有難いのですが、あまにも幼稚で、ただ罵詈雑言が羅列してあるようなものは、レスをするのもアホ臭いので、IPアドレスがわかりますから永久にコメント書き込み不可にさせていただきます。

そして、フジ子・ヘミングさんのピアノがヘタクソだといわれて、反論なさるのは結構ですが、その前に、比較的最近(2010年2月)書いた、自分と他人の区別が付かない人々。
という文章をご一読頂きたいと思います。これは、

自分が良い演奏だと思うのなら、「それが分からないJIROはバカだ」と思っていればいいではないか。という趣旨です。ご参考までに。

◆【追加】本物のラ・カンパネラを聴いてご覧なさい。

Salvatore Accardo plays La Campanella by Paganini - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=YaxHZxvmSwQ

Evgeny Kissin - La Campanella (Liszt) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=0FbQZCsYXVg

Arthur Rubinstein plays La campanella - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=hQULyGMhhWs

Wilhelm Backhaus - La Campanella (1908) - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MQKsCJyclp0

Liszt La Campanella Godowsky Rec 1913 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Cn_J-5EDKqI

BUSONI PLAYS Liszt LA-CAMPANELLA - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=MGp6Hs6Yro0

ときどき、テレビで思い出したように「フジ子・ヘミング」を放送すると、このエントリーへのアクセスが増える。

今日(2007年07月01日(日))も何かやったらしいですね。
折角だから、本物の「ラ・カンパネラ」をお聴かせしましょう。

これが、本来のテンポと、ダイナミックス(音の強さ)なのです。
お分かりになったでしょうか。
◆Enpitu経由で届いたメール。

こういうことを書いても仕方がない、という見本です。

「だから、所詮、フジ子・ヘミングファンは・・・・」という私の偏見を強めるだけです。

2010年10月03日(日)に届いたメールです。

名前:愚者に気付く凡人 ( a@ezweb.ne.jp )

件名:あんた弾けんの?

あれ以上のピアノをあんたが弾けるってんなら公開してみろよ。
聞いて批評するだけならこんな文を公にする意味ねーだろ。
良いか悪いかってんならともかく、ヘタクソと言ったからにはもちろん弾く側なんだろうな?

日本語わかって載せてるんだろうから、公開してみろよ。
聴いて判断してやるよ。本当にヘタクソだったかどうか。
他の名演奏者を並べて誤魔化すなよ。

ヘタクソといえるのはあんたが挙げた演奏者自身だろ?
お前は言う資格ねーだろ!
まず日本語から学べ! ドアホ!!
http://jiro-dokudan.cocolog-nifty.com/jiro/2005/06/post-1fc5.html


「フジ子・ヘミング現象」の何が問題なのか? 冷泉彰彦 2011年09月28日
 ピアニストのフジ子・ヘミング女史のリサイタルを聞く機会がありました。場所は、ニューヨークのリンカーンセンター内のアリス・タリー・ホール。東日本大震災のチャリティーという主旨もあって、多くの聴衆が集まっていました。その聴衆ですが、ザッと見渡したところ95%は日本人のようで、場内のアナウンスも日本語だけであったり、在米日本人コミュニティーのイベントということは明らかでした。改めて日本でのフジ子人気の凄さを感じさせられました。

 リサイタルの内容ですが、一部で言われているような「超スローテンポ+旋律の濃厚な味付け」のユニークな演奏というのではなく、端正でロマンチックな普通の演奏でした。確かにテンポに変化をつける部分はありましたが、一小節内のリズムは良くも悪くもメトロノームを刻むような正確さがあり、節度を崩した演奏という印象はありませんでした。

 メカニックにしても解釈にしても最近のピアノ界の様々な「技術革新」や「研究成果」とは無縁のものでしたが、メロディー偏重の味付けは古き良きピアノ演奏スタイルであり、どこか懐かしさを感じさせる演奏だったと思います。中でもスタインウェイの中高音をブリリアントにしっかり鳴らしている「音」は、十分に印象に残るものであり、ご本人の人懐っこいステージマナーと共に、一晩のピアノ・リサイタルとしては満足の行くものでした。

 ですが、このリサイタルを聞いて、またヘミング女史に関する過去の日本のTV番組のクリップなどを見て、また一方でネット上に溢れている賛否両論に触れてみて、私は考えこんでしまいました。というのは、この「フジ子・ヘミング現象」というのは、日本の音楽界における専門家グループ、つまり「国内演奏家+音楽教育者+音大生」からも、そして愛好家グループ、つまり「新旧の海外演奏家のファン+文学的な印象批評の読者」の双方からほぼ全否定されているようだからです。

 実は日本のクラシック音楽界では、昔からこの「ドメスティックな専門家」と「音楽ファン」は仲が悪いのです。ベルリン・フィルやメットオペラの来日公演に一枚3万円とか6万円といったカネをはたく音楽ファンの多くは、国内の演奏家には見向きもしません。ただ、日本人が海外のコンクールで優勝したり、海外のオーケストラで常任指揮者になったりすると、突然「外タレと同レベル」に見なして応援を始めるわけで、そんな音楽ファンの存在は、国内の専門家には遠い存在でしかありませんでした。

 では、その犬猿の仲である両者がどうして「フジ子批判」ではタッグが組めているのでしょうか? 一つには、ヘミング女史の演奏スタイルが、現代の基準からは外れているということがあります。まず現代のピアノ演奏は、メカニックの面での技術革新が進んでいます。これは1970年代に「ポリーニ、アルヘリチ、ベルマン」といったピアニスト達がプロに要求される技巧的な水準を一段引き上げてしまい、現在はそうした「上手い」演奏を当然のように聞いて育った若手が、更にメカニカルな安定度を競っているわけです。

 そうした時代的な視点から見ると、60年代以前の香りのするヘミング女史の演奏は「許せない」ということになるのだと思います。右手がメロディーを歌っているときに、左手の伴奏がどう動くのかというのは、現代の演奏では意図して設計して立体感を出すのは当たり前ですが、フジ子流の即興的なスタイルでは、完全に意識が右手に集中してしまっているようなことがあり、これは「断じて許せない」ことになります。また「譜面の進行上に多少曖昧な部分がある」などというのは「あってはならないこと」なのでしょう。

 演奏解釈も同様で、70年代以降こちらも精密な表現技法がどんどん進む中、メロディーに耽溺するようなスタイルは、現代では嫌われます。そうした問題に加えて、長引く不況の中で、クラシック音楽界も大きな影響を受けているという環境では、ヘミング女史のリサイタルだけが突出して大勢の聴衆を集め、CDにしても百万単位で売れているというのは、嫉妬心を越えて業界全体の構造的な問題になっているのも分からなくはありません。


では、このまま専門家や音楽ファンからは「下手」とか「許せない」などとボロクソを言われる一方で、「現象」は続くという対立構図が続いてもいいのでしょうか?

 私はこの妙な対立の背後には深刻な問題があるように思うのです。それは、結局のところ専門家や音楽ファンは「フジ子・ヘミングの演奏に感動している人」をバカにしているという問題です。例えば、ヘミング女史の演奏を聞いて初めてショパンの魅力を知った人に対して、「ノクターンだけでなく、マズルカやバラードも聞いてみれば?」とか「エチュードは全部で12曲のものが2セットあって、有名なものをバラバラに聞くのもいいけど、続けて聞くと全体の構成がカッコ良いんですよ」というようなアドバイスならまだ分かります。

 ですが、「アノ人の演奏はダメ。例えばショパンなら、ポリーニとか、ピレシュとか、ブレハッチを聞きなさい」という言い方では、折角ヘミング女史の演奏を聞いて「初めてピアノの音楽で感動した」人に対して、その感動の体験を否定してしまうことになります。それは、その人の人格を否定していると言っても構わないでしょう。そのように人を見下した姿勢がその世界の「敷居を高くしている」ということに反省がなくては、「フジ子現象」をクラシック音楽愛好家の裾野の拡大に結びつけることはできないと思います。

 無国籍者として貧困と孤独の半生を送ったとか、今も天涯孤独でネコ9匹と暮らしているといった、音楽と無関係なファンタジックな人生物語が付随している、その点をバカにする人も多いようです。ですが、そもそもクラシックの音楽というのは過剰なまでの情報量を持っていて、何らかの人生観なり世界観に絡めて理解しないと受け止められない性質があるわけです。

 そう考えると、ピアニストのキャラクターに興味を持つことから音楽に親しみを持つというのは、一種の必然とも言えます。その点で言えば「ブレンデル引退コンサートに巨匠の人生が凝縮されている」とか、「革命と恋に生きたショパン」などという音楽ファンの言い方にしても、人生物語のファンタジーということでは変わらないように思うのです。
http://www.newsweekjapan.jp/reizei/2011/09/post-346.php  


詳細は

フジコ・ヘミング (1932年12月5日 - )名演集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/300.html

「フジ子・ヘミング現象」の何が問題なのか?
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/772.html
2:777 :

2022/07/20 (Wed) 04:25:53

フジコ・ヘミング、本名ゲオルギー=ヘミング・イングリッド・フジコ(Georgii-Hemming Ingrid Fuzjko、1932年12月5日 - )[1]、は、日本とヨーロッパ・アメリカで活躍するピアニストである。

父親はロシア系スウェーデン人画家・建築家のヨスタ・ゲオルギー・ヘミング(スウェーデン語版)。母親は日本人ピアニストの大月投網子[2]。俳優の大月ウルフは実弟。歌手の橋本潮は従姪にあたる。

経歴
幼少時代
ベルリンで生まれる。スウェーデン国籍(長らく無国籍の状態が続いた)[3]。幼少期に日本に移住したが、父は日本に馴染めず、家族3人を残し一人スウェーデンに帰国してしまう。以来、母と弟と共に東京で暮らし、5歳から母:投網子の手ほどきでピアノを始める[4]。また10歳から、父の友人であり、ドイツで母がピアノを師事したロシア生まれのドイツ系ピアニスト、レオニード・クロイツァーに師事する。以後、藝大在学時を含め、長年の間クロイツァーの薫陶を受ける。

学生時代
青山学院緑岡尋常小学校(現:青山学院初等部)3年生の時にラジオに生出演し、天才少女と騒がれる。1945年2月、家族と共に岡山に疎開する。同年4月、岡山県の高等女学校に入学し、そのまま学徒動員される。終戦後、青山学院高等女学部(現:青山学院中等部)に転校。青山高女5年修了で、新制:青山学院高等部3年に進級する。高等部在学中、17歳で、デビューコンサートを果たす。東京藝術大学音楽学部在学中の1953年には新人音楽家の登竜門である、第22回NHK毎日コンクールに入選をはたし、さらに文化放送音楽賞など、多数の賞を受賞した。東京藝術大学卒業後、本格的な音楽活動に入り、日本フィルハーモニー交響楽団など多数のオーケストラと共演。かねてよりピアノ留学を望んでいたが、パスポート申請時に無国籍であったことが発覚する。

その後、留学の機会をうかがいつつピアニストとして音楽活動を行っていたが、1961年に、駐日ドイツ大使の助力により、赤十字に認定された難民として国立ベルリン音楽大学(現:ベルリン芸術大学)へ留学を果たした。卒業後、ヨーロッパに残って各地で音楽活動を行うも、生活面では母からのわずかな仕送りと奨学金で何とか凌いでいたという、大変貧しく苦しい状況が長らく続いた。フジコは「この地球上に私の居場所はどこにもない...天国に行けば私の居場所はきっとある。」と自身に言い聞かせていたと話している。

ヨーロッパでのピアニスト時代
その間、ウィーンでは後見人でもあったパウル・バドゥラ=スコダに師事した。また、作曲家・指揮者のブルーノ・マデルナに才能を認められ、彼のソリストとして契約した。しかしリサイタル直前に風邪をこじらせ(貧しさで、真冬の部屋に暖房をつけることができなかったためとしている)、聴力を失うというアクシデントに見舞われ、やっとの思いで掴んだ大きなチャンスを逃すという憂き目を見た。

既に16歳の頃、中耳炎の悪化により右耳の聴力を失っていたが、この時に左耳の聴力も失ってしまい、演奏家としてのキャリアを一時中断しなければならなくなった。失意の中、ストックホルムに移住する。耳の治療の傍ら、音楽学校の教師の資格を得て、以後はピアノ教師をしながら欧州各地でコンサート活動を続ける。現在、左耳は40%回復している。

日本への帰国後
母の死後、1995年に日本へ帰国し、母校東京藝大の旧:奏楽堂などでコンサート活動を行う。

1999年2月11日にNHKのドキュメント番組『ETV特集』「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」が放映されて大きな反響を呼び、フジコブームが起こった。その後、発売されたデビューCD『奇蹟のカンパネラ』は、発売後3ヶ月で30万枚のセールスを記録し、日本のクラシック界では異例の大ヒットとなった。第14回日本ゴールドディスク大賞の「クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー」他各賞を受賞した。

やがて、1999年10月15日の東京オペラシティ大ホールでの復活リサイタルを皮切りに、本格的な音楽活動を再開し、国内外で活躍することとなる。2001年6月7日にはカーネギー・ホールでのリサイタルを披露する。現在、ソロ活動に加え、海外の有名オーケストラ、室内楽奏者との共演と活躍は続く。

また、2003年10月17日に、フジテレビ系で波瀾万丈の半生がテレビドラマ化された。スペシャルドラマ『フジ子・ヘミングの軌跡』はフジ子役を菅野美穂が演じて、20.1%の高視聴率を記録した。

2013年に自身のCDレーベル「ダギーレーベル」を発足。アルバム第1作「フジコヘミング スペインカメラータ21オーケストラ」を国内外でリリース。

毎年、世界各地でコンサートを行っているが、2019年3月8日にはパリの有名コンサートホール「Salle Gaveau」でリサイタルを開く。

人物
フジコは菜食主義者、クリスチャンとして知られている。幼い頃から母に言われて教会に通っていたが、ドイツ留学中に近所のカトリック教会の司祭の歌声に惹かれて受洗。食物の中で特に好むのはジャガイモであるとされる[5]。
20歳からずっと愛煙家である。
ピアノ演奏以外の趣味は絵画、裁縫、書、水泳などで、バレエや映画の鑑賞も好んでいる。絵に関しては画家であった父の影響もあり幼少時から得意としており、現在までに書き溜めた絵は本やCDのジャケットで使われている。個展を開くこともある(2001年2月5日 - 2001年2月24日「幻の素描展」より)。
愛猫家、愛犬家の動物愛護家である。
東京育ちであるが、母の影響で言葉の端々に関西弁が出ることがある。


語録
「私はミスタッチが多い。直そうとは思わない。批判する方が愚かしい」
「ぶっ壊れそうな鐘があったっていいじゃない、機械じゃないんだから」(『ラ・カンパネラ』について)
「私の人生にとって一番大切なことは、小さな命に対する愛情や行為を最優先させること。自分より困っている誰かを助けたり、野良一匹でも救うために人は命を授かっているのよ。」
「一つ一つの音に色をつけるように弾いている」
大好きなピアニストに、「サンソン・フランソワ」と答えている。
(「あなたにとってピアノとは?」と訊かれて)「猫達を食わせていくための道具ね」
「それでも私は、永遠に、永遠に生きて永遠に、弾くことは出来るわよ」


ディスコグラフィ

アルバム
奇蹟のカンパネラ (1999年8月25日、2005年12月16日)[6]
永久(とわ)への響き/Echoes of Eternity (2000年4月5日)[7]
憂愁のノクターン(2000年8月3日)[8]
リスト:ピアノ協奏曲 第1番 (2001年4月4日)[9]
カーネギー・ホール・ライヴ フジ子・ヘミング 2001 (2001年10月24日)[10]
フジ子・ヘミング トロイメライ (2003年1月1日)[11]
フジ子・ヘミングの奇蹟 〜リスト&ショパン名曲集 (2003年2月5日)[12]
トロイカ (2003年5月21日)[13]
雨だれ (2003年11月26日)[14]
心の詩〜想い出メロディ (2003年12月25日)[15]
こころの軌跡 (2004年3月17日)[16]
ショパン・リサイタル(2004年8月21日)[17]
エリーゼ(2004年11月21日)[18]
カンタービレ(2005年3月18日)[19]
ラ・カンパネラ1973 (2005年8月24日)[20]
ベートーヴェン:ピアノ協奏曲第5番《皇帝》(2005年12月24日)[21]
イングリット・フジコ・ヘミング/ピアノ名曲集 (2006年9月20日)[22]
イングリット・フジコ・ヘミング/ピアノ名曲集〜デラックス・エディション2007 (2007年3月21日)[23]
フジコ・イン・パリ 2006〜ウィーンのヴィルトゥオーソたちとの競演〜 (2007年10月31日)[24]
「イングリット・フジコ・ヘミング」10巻組 〈通販限定CD全集〉
Fuzjko(日本版:2009年7月22日/全世界版:2009年9月15日)[25]
リスト&ショパン コレクション(ディー・アイ・エイ・エイ、2012年5月30日)[26]
イングリット・フジコ・ヘミング/スペイン・カメラータ21オーケストラ/トビアス・ゴスマン(2013年3月27日)[27]
フジ子・ヘミング/ ピアノ ソロ【会場限定盤】(2014年3月30日)特典DVD付セット[28]
フジコ・ヘミング / ソロ ライブ【会場限定盤】(2017年4月10日)[29]
フジコ・ヘミング/特典CD【映画前売り券付録】(2017年10月)
フジコ・ヘミング/リスト:ピアノ協奏曲 第2番&ソロ (2017年11月10日)[30]
フジコ・ヘミング/COLORS All Time Best Album 1973-2021(2021年10月20日)[31]

ビデオ・DVD
DVD/フジコ 〜あるピアニストの軌跡〜(NHKビデオ VHS:1999年10月15日、DVD:2000年4月21日)[32]
DVD/フジ子・ヘミングとウイーンの仲間たち/サントリー・ホール・ライブ (2001年9月21日)[33]
DVD/響色の舞 〜フジ子・ヘミング絵画の世界(2002年2月21日)[34]
DVD/フジ子・ヘミングの軌跡(VHS・DVD:2004年3月17日)[35]キャスト:菅野美穂, 十朱幸代, 野際陽子, 谷原章介, 宇津井健
DVD/フジ子・ヘミング、パリからの風-素敵なモンマルトルの部屋、そしてパリで描いた初めての絵本“紙のピアノ物語”(2004年11月26日)[36]
DVD/翔け!フジ子・ヘミング 35年目の世界初挑戦 〜奇蹟のピアニスト 独占密着300日!! (2005年3月16日)[37]
DVD/フジ子・ヘミング-ピアノコンサートの記録Ⅰ/LIVE IN TOKYO(ウルフプロダクツ)[2011年][38]
DVD/FUZJKO HEMMING Á L'HÔTEL LAMBERT Paris(ダギーレーベル)[2015年3月] [39]
DVD/ソロ・コンサート(BSフジ)[2017年4月] [40]
Blu-ray、DVD、iTunes/映画「フジコ・ヘミングの時間」(ユニバーサル) [2018年12月5日] [41] スペシャルCD付セット(Blu-ray&DVDのみ)
Blu-ray、DVD、iTunes/ソロコンサート「いと小さきいのちのために〜プレミアム・パーフェクト・バージョン〜」(THE PERMANENT PICTURES) [2019年11月8日] [42]


Make It Home/テレビアニメ「MONSTER」後期エンディングテーマ

書籍
『フジ子・ヘミング1 奇蹟のカンパネラ』(ショパン、1999年)[1]
『フジ子・ヘミング2 ピアノがあって、猫がいて』 (ショパン、2000年)[2]
『フジ子・ヘミング魂のピアニスト』求龍堂(2000年)のち新潮文庫 [3]
『フジ子・ヘミングピアノのある部屋から』求龍堂(2001年)[4]
『フジ子・ヘミング運命の力』阪急コミュニケーションズ(TBSブリタニカ、2001年)[5]
『フジ子・ヘミングの「魂のことば」』清流出版(2002年)[6]
フジ子・ヘミング画 松永順平原作『紙のピアノの物語』講談社(2003年)[7]
『フジ子・ヘミング耳の中の記憶』小学館(2004年)[8]
『Fujiko Hemming Esprit de Paris』主婦と生活社(2005年)[9]
『フジ子・ヘミング 我が心のパリ』阪急コミュニケーションズ(2005年)[10]
『天使への扉』光文社・知恵の森文庫(2005年)[11]
『あなたに届けば to you from Fujiko Hemming』オークラ出版(2005年)[12]
『ほんの少し、勇気をあげる to you from Fujiko Hemming』オークラ出版(2005年)[13]
『イングリット・フジコ・ヘミング私が歩んだ道、パリ』ぴあ(2006年)[14]
『パリ・下北沢猫物語』阪急コミュニケーションズ(2007年)[15]
『フジコ・ヘミング画集 青いバラの夢』講談社(2007年)[16]
『パリ音楽散歩』朝日新聞出版(2008年)[17]
『青い玉』<フランス語対訳つき>フジコ・ヘミング絵 沓沢小波 文 文化出版局(2009年)[18]
『希望の力 くじけない、あきらめない心』PHP研究所(2010年)[19]
『フジコ・ヘミング運命の言葉』朝日文庫(2012年)[20]
『たどりつく力』 幻冬舎 (2016年)[21]
『青い玉』<英文対訳つき特別版>フジコ・ヘミング絵 沓沢小波 文 文化出版局(2017年)[22]
『フジコ・ヘミング14歳の夏休み絵日記』暮しの手帖社(2018年)[23]
『くよくよしない力』フジコ・ヘミング 著 秀和システム(2018年)[24]
『奇跡のピアニスト 人生哲学 やがて鐘は鳴る』フジコ・ヘミング 著 双葉社(2020年)[25]
『フジコ・ヘミング 永遠の今』フジコ・ヘミング 著 CCCメディアハウス(2022年)[26]

テレビ番組出演
ETV特集『フジコ〜あるピアニストの軌跡〜』(1999年2月11日/NHK )
スペシャルドラマ『フジ子・ヘミングの軌跡』(2003年10月17日/フジテレビ)フジコ役 菅野美穂
歌うコンセルジュ〜あなたに番組案内「わんにゃん茶館(カフェ)/街道てくてく旅・熊野古道」(2010年6月17日/NHK)
中居正広の金曜日のスマたちへ『波乱万丈スペシャル 奇跡のピアニスト フジコ・ヘミング』(2010年10月1日/TBS)
モーニングバード・Gウーマン「遅咲きの天才ピアニスト〜 “魂の演奏”と壮絶人生」(2013年3月/テレビ朝日)
しゃべくり007×人生が変わる1分間の深イイ話 話題の人気者合体SP(2016年5月30日/日本テレビ)
あの日 あのとき あの番組 ~NHKアーカイブス~『奇跡のピアニスト フジコ・ヘミング ~魂の旋律を奏でて』(2018年11月11日/NHK )
関口博の人生の詩Ⅱ(2018年12月15日/BS-TBS )
チャリティーコンサート「いと小さきいのちのために 〜WOWOW Special Version」(2019年6月/WOWOW)
さんま・玉緒のお年玉 あんたの夢をかなえたろうかSP2020(2020年1月13日/TBS)
ファミリーヒストリー『フジコ・ヘミング~母の執念 魂のピアニスト誕生』(2020年2月24日/NHK )
グレーテルのかまど『フジコ・ヘミングのカルトッフェルプッファー』(2020年3月30日/NHK)
無観客コンサート『フジコ・ヘミング 教会ソロ演奏 2020 ~くすしき調べ、とこしえなる響き~』(2020年9月27日/WOWOW)
おはよう日本 (NHK)複数回出演
『徹子の部屋』、『徹子の部屋コンサート』(テレビ朝日)複数回出演

映画出演
劇場映画『ざわざわ下北沢』(2000年/監督:市川準/配給:シネマ下北沢) - 本人役  ※第10回日本映画批評家大賞 作品賞
劇場映画『フジコ・ヘミングの時間』(2018年/監督:小松莊一良/配給:日活)主演:フジコ・ヘミング、大月ウルフ ※(2018)ぴあ映画初日満足度ランキング 第1位 (2019)第22回上海国際映画祭(SIFF) パノラマ部門 正式招待出品 (2020)トロント日本映画際(TJFF)正式招待作品

受賞歴
奇蹟のカンパネラ 第14回日本ゴールドディスク大賞クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー受賞
憂愁のノクターン 第15回日本ゴールドディスク大賞クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー受賞
フジ子・ヘミングの奇蹟 〜リスト&ショパン名曲集 第18回日本ゴールドディスク大賞クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー受賞
フジ子・ヘミングこころの軌跡 第19回日本ゴールドディスク大賞クラシック・アルバム・オブ・ザ・イヤー受賞

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%B8%E5%AD%90%E3%83%BB%E3%83%98%E3%83%9F%E3%83%B3%E3%82%B0
3:777 :

2024/05/03 (Fri) 19:02:53

フジコ・ヘミングが急逝...聴力を失った晩年や残した遺産額に驚愕!『奇蹟のカンパネラ』で有名なピアニストが結婚しなかった理由...20人との同棲生活に言葉を失う!
2024/05/02
https://www.youtube.com/watch?v=Zxr750DUr38

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