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クララ・ハスキル(1895年1月7日 - 1960年12月7日)ピアニスト

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クララ・ハスキル(Clara Haskil, 1895年1月7日 - 1960年12月7日)ピアニスト


Clara Haskil Mozart - YouTube
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クララ・ハスキル - YouTube
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2022/07/20 (Wed) 02:55:56

クララ・ハスキル(Clara Haskil, 1895年1月7日 - 1960年12月7日)は、ルーマニア王国 (現:ルーマニア)出身のピアニスト。古典派と初期ロマン派のレパートリーで名高く、とりわけモーツァルト作品の録音と演奏で著名。ほかにスカルラッティやベートーヴェン、シューマンの解釈にも卓越したものがある。室内楽奏者としても活躍し、ジョルジュ・エネスコやウジェーヌ・イザイ、パブロ・カザルスと共演した。とりわけアルテュール・グリュミオーの共演者として名高い。

生涯
ブカレストに生まれ、4歳で父を亡くす。ウィーンでリヒャルト・ローベルトに師事。同門の後輩にルドルフ・ゼルキンやジョージ・セルらがいた[1]。その後に短期間フェルッチョ・ブゾーニにも師事している。

10歳でパリ音楽院に入学。公式にはアルフレッド・コルトーに入門したことになっているが、実際にはほとんどの指導をラザール・レヴィやジロー=ルタルズ夫人から受けた。コルトーは他の弟子の前で、クララを「次の回に君の演奏は聞こう」といって追い返したり、「家政婦が演奏しているようだ」とまでいったりして、事実上同僚のレヴィにクララの教育を委ねた[2]。

15歳で最優秀賞を得て卒業し、間もなくヨーロッパ各地を演奏旅行した。1913年に、脊柱側弯の徴候の機先を制するべくギプスをはめるようになる。頻繁な病気に加えて、1920年には舞台負けが極端になり、好意的な批評を受けられず経済的にも失敗する[3]。

当初はフランスを活動の拠点としていたが、ユダヤ系であったため、ヴィシー政府におけるナチス・ドイツ軍の跳梁跋扈を避けてスイスに出国。戦後もスイスとオランダを拠点とするようになった。生涯の大半を清貧のうちに過ごし、正当な評価を勝ち得るようになったのは、ようやく第二次世界大戦後、1949年のオランダにおける一連の演奏会を通じてであった[3]。

1950年代から脚光を浴び始める。カラヤンを始めとする著名な指揮者や、またカザルス、チャップリンとの交友にも恵まれ、フランスを始めとするヨーロッパ諸国での演奏活動も、熱狂的な聴衆に支持されるようになった。しかし、生まれつき虚弱体質であり、社交的な性格でもなかったため、他の同時代の演奏家に比べて活動が活発だったとはいえない[独自研究?]。

ピアニストとしては、純粋な音色や、ハスキル自身のヴァイオリンの演奏経験に由来するというフレージングに特徴がある[3]。

彼女は自分の演奏会のチケットを同封した手紙を、師コルトーへ何度も送って来場を請うたが、コルトーは一度も会場に足を運ばなかった。妹弟子の遠山慶子がコルトーに、なぜクララのコンサートに行かず、そのくせ弟子たちには行ってきてその感想を伝えてくれと言うのか、その理由を問うと、コルトーはクララに明かさぬよう遠山に約束させた上でこう答えた。

「クララに必要なことは放っておくことだ。どのような人にどのように教えるべきかを発見するのが教師にとって一番むずかしいことだ。クララは、バランスがとれないような、孤独な時にもっとも素晴らしいものを生み出す才能がある。生涯満足をさせないことが彼女を生かす道なのだ。[4]」

またクララはモーツァルトのピアノ協奏曲第21番だけは決して演奏会でとりあげなかった。遠山に尋ねられたクララは、2つの理由を明かした。1つ目は、若くして亡くなった弟弟子のディヌ・リパッティがあまりに完璧に弾いたからだと。そして2つ目についてはこう答えた。

「コルトーが私にはあの曲は弾けないと言ったのよ。私みたいに、死ぬほど人の前で弾くのが怖い人には。[4]」

クララは、ブリュッセルの駅で転落した際に負った怪我がもとで急死した。その翌日にグリュミオーと演奏会で共演することになっていた。意識を失って病院に担ぎ込まれたハスキルは医師の懸命の治療で短時間意識を回復し、パリから呼び出された妹たちに、翌日グリュミオーと演奏できないことを詫びるように伝え、さらに弱々しく彼女の手を上げて、「少なくとも、手だけは守って無事だったわ」と、微笑を浮かべて囁いた[5]。

亡骸はパリのモンパルナスに埋葬されている。

師コルトーがハスキルの死を悼んだメッセージの録音が残されている。

スイスでは遺功を偲んで、1963年より「クララ・ハスキル国際ピアノ・コンクール」が開かれている。

友人で「エターナリー」等の作曲家でもあったチャップリンは、彼女についてこう述べている。

「自分は人生で3人の天才に会った。ウィンストン・チャーチル、アインシュタイン教授、クララ・ハスキルの3人である。正規の教育を受けた音楽家ではない私だがこれだけはいえる。彼女のタッチは絶妙で、表現は素晴らしく、テクニックは並外れていたと。[6]」

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB#:~:text=%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%83%A9%E3%83%BB%E3%83%8F%E3%82%B9%E3%82%AD%E3%83%AB%20%EF%BC%88%20Clara%20Haskil%2C%201895%E5%B9%B4%201%E6%9C%887%E6%97%A5%20-%201960%E5%B9%B4,%E3%83%94%E3%82%A2%E3%83%8B%E3%82%B9%E3%83%88%20%E3%80%82%20%E5%8F%A4%E5%85%B8%E6%B4%BE%20%E3%81%A8%20%E5%88%9D%E6%9C%9F%E3%83%AD%E3%83%9E%E3%83%B3%E6%B4%BE%20%E3%81%AE%E3%83%AC%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%81%A7%E5%90%8D%E9%AB%98%E3%81%8F%E3%80%81%E3%81%A8%E3%82%8A%E3%82%8F%E3%81%91%20%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%83%84%E3%82%A1%E3%83%AB%E3%83%88%20%E4%BD%9C%E5%93%81%E3%81%AE%E9%8C%B2%E9%9F%B3%E3%81%A8%E6%BC%94%E5%A5%8F%E3%81%A7%E8%91%97%E5%90%8D%E3%80%82


クララ・ハスキルの録音を聴いても何がいいのかサッパリわかりません。
モーツァルトのファンには音楽も演奏もわからない人が多いですね。
3:777 :

2022/07/21 (Thu) 13:05:04

今日聴いたのは、ハスキルのブラームスの室内楽。

ハスキルがソリストとしてだけではなく、稀代の室内楽の名手であったことは、いまさら書くまでもない。とくにグリュミオーと組んだモーツァルトとベートーヴェンのソナタ集は、あまりにも有名だ。

でもブラームスの室内楽となると、1949年にコンサートホールソサエティに録音したこのピアノ五重奏曲以外に音源は残っていないのではないかしら。

ブラームスのピアノ五重奏曲というと、私には忘れられない思い出がある。

4年前の10月にサントリーホールで聴いたポリーニとブラッハーたちの演奏である。

その日は、前半がザビーネ・マイヤーたちのモーツァルトのクラリネット五重奏曲で、後半がポリーニを中心とするブラームスのクインテットというプログラムだった。

前半のモーツァルトが春を想わせる明るい暖色系の音楽であったのと対照的に、ポリーニたちが描いたブラームスの色は、ずばりブルー。それも、うっかり近づくと吸い込まれてしまいそうな深い青を基調にしたものだった。

このときほど、音楽を聴きながら「色」を感じたことはない。

ポリーニ、ブラッハー、クリスト、ブルネロといった当代きっての名人たちが思い描くブラームスとは、まさにこんな色だったのだろう。

でも、それがまたこの曲には実によく合っていた。

それに比べると、ハスキルたちのブラームスは、はるかに暖かい。

第一楽章の冒頭、16分音符を刻むハスキルのピアノが、なぜこんなに心地よく感じるんだろう。

リズムはしなやかな弾力性を持ち、ひとつひとつの音はあくまでも明瞭。でも決して冷たくない。

本当に不思議なピアニストだ。

そして、この演奏の白眉は第三楽章にある。

とりわけトリオの素晴らしさは、目頭が熱くなるほどだ。

チェロのリズミックな低音に支えられて、ハスキルのピアノが豊かに歌いあげる。
このヒューマンな暖かさは、まぎれもないハスキルの世界。

そして、ハスキルのピアノを引き継ぐヴァイオリンがこれまた素晴らしい。

このときのヴァイオリンはペーター・リバールだが、リバールといえばヴィンタートゥール交響楽団のコンサートマスターであり、名盤として知られるシェリングのバッハ協奏曲全集(一回目の録音)においても、見事な第2ソロヴァイオリンを聴かせてくれていた。

しかし、このブラームスでは、ハスキルに触発されてさらに輝いている。
彼のゆるやかなポルタメントを伴った魅惑的な歌いまわしを聴いて、心動かされない人はいないと思う。

あー、素晴らしいブラームス!

このディスクを聴いていても、ハスキルは決して前面にしゃしゃり出てこない。
しかし、彼女がいったんピアノを弾き出した途端に、周りの空気を瞬時に暖かく変えてしまうのだ。

たとえ、大胆に振る舞う場面があったとしても、その暖かい雰囲気は変わらない。
こんなハスキルと組んで演奏出来た人たちは、さぞかし幸せだったことだろう。
その幸福感は、いまディスクを通して私たちにも伝わってくる。



ブラームス:ピアノ五重奏曲ヘ短調 op.34

■クララ・ハスキル(ピアノ)
■ペーター・リバール(ヴァイオリン)
■クレメンス・ダヒンデン(ヴァイオリン)
■ハインツ・ヴィガンド(ヴィオラ)
■アントニオ・トゥシャ(チェロ)
録音1949年(チューリッヒ)


Brahms piano quintet Clara Haskil & Winterthur Quartet
http://www.youtube.com/watch?v=jcrb-9MTkfs
http://www.youtube.com/watch?v=ZgjEFeplz2A


Clara Haskil Brahms Intermezzo op 76 n°4
http://www.youtube.com/watch?v=r4r2Yx08g2Y

Brahms - Clara Haskil -Intermezzo Op 76 No 4 in Bb Private rec 1958
http://www.youtube.com/watch?v=l3-ZgZfcd48

Brahms - Clara Haskil - Capriccio Op 76 No 5 in C# minor Private rec 1958
http://www.youtube.com/watch?v=21bZUmipRVQ
4:777 :

2022/07/21 (Thu) 13:14:25

カール・フレッシュ
モーツァルトについて
「ある音楽家の教養の程度は、彼のモーツァルトに対する関係で分かる。相当の歳にならねばモーツァルトを理解することができない、というのは、よく知られた事実である。若い人たちは、モーツァルトを単純、単調、冗漫だと思う。人生という嵐によって純化された人だけが、単純さの崇高な要素と、霊感の直接性を理解するのである。」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%83%AD%E3%82%A4
5:777 :

2022/07/22 (Fri) 04:37:58

あげ

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