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マルタ・アルゲリッチ(1941年6月5日 - )ピアニスト

1:777 :

2022/07/19 (Tue) 14:50:50

マルタ・アルゲリッチ(Maria Martha Argerich, 1941年6月5日 - )ピアニスト


マルタ・アルゲリッチ 名演集
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/185.html


Date: 7月 29th, 2016
「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」
http://audiosharing.com/blog/?p=20138

2014年に映画「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」が公開された。
DVDも発売されていて、今年になってやっと観た。

オーディオマニアを揶揄するのに、絶対音感がないのに……、というのがある。
そう多くみかけるわけではないが、これまでに数度目にしたことがあるし、耳にしたこともある。
菅野先生が提唱されたレコード演奏、レコード演奏家が広まるにつれて、
演奏、演奏家とついているのに、絶対音感もないのか。
それでよく演奏(演奏家)といえるな──、そういう声も見たことがある。

演奏家にとって絶対音感は絶対必要なことなのだろうか。
そう問えば、オーディオマニア、レコード演奏を揶揄する演奏家は、
絶対に必要というであろう。

マルタ・アルゲリッチは、ピアニスト(ピアノ演奏家)だ。
「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」で、アルゲリッチは絶対音感を持っていないを知った。
http://audiosharing.com/blog/?p=20138



映画 96分
製作国 フランス/スイス
監督: ステファニー・アルゲリッチ
Mezzo - Documentaire - Bloody Daughter - Martha Argerich et Stephen Kovacevich - 2012 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=Bloody+Daughter


▲△▽▼


こんなに知ってしまって良いのだろうか

『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』(オリヴィエ・ベラミー)
https://www.amazon.co.jp/%E3%83%9E%E3%83%AB%E3%82%BF%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%82%B2%E3%83%AA%E3%83%83%E3%83%81-%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%A8%E9%AD%94%E6%B3%95-%E3%82%AA%E3%83%AA%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%82%A8%E3%83%BB%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%9F%E3%83%BC/dp/4276217962


弱りめにたたり目とばかり週末からひどい胃痛と熱に悩まされた。昨日医者に診てもらった帰りに、おぼつかない足取りで書店に入るが、書棚を眺めども眺めども何の勧興も湧かずにいた。最後の書棚でこの書を見つけて、なにか怖ろしいものが隠されているのだと確信しつつ、やはり思わず買い求めた。そして体調のことはそっちのけに一気に読んでしまった。『マルタ・アルゲリッチ 子供と魔法』(オリヴィエ・ベラミー著、音楽之友社)。

こんなにアルゲリッチのことを知ってしまって良かったのだろうか・・・。これが深いため息とともに読後に思ったことだった。

幼少時代から出会ったそれぞれの師たちから吸収していったこと、そして師に影響を与えていったこと。クラウディオ・アラウがアルゼンチンで弾いたベートーヴェンのピアノコンチェルト第4番ト長調を聴いた際のことは有名だけれども、そのあとに数々の名演奏家との出会いと触発啓発があった。

フリードリッヒ・グルダによってウイーンに学ぶ計らいをしてもらい、マドレーヌ・リパッティ(亡きディヌの妻でこれまたピアニスト)にも師事し、クララ・ハスキルに出会い、そして1957年のブゾーニ・コンクールとジュネーヴ・コンクールで一と月を開けずして連続して優勝をしてしまうこと。引き続いてのヨーロッパ・デビュー後4年を経たずして、演奏活動から身を引いてしまったこと。そしてミケランジェリのもとに1年半も留まったにもかかわらず、その間わずか4回しかレッスンをうけなかったこと。

思春期以降の恋愛の遍歴。3人の娘(リダ・チェン、アニー・デュトワ、ステファニー・アルゲリッチ)のそれぞれの父親(ロバート・チェン、シャルル・デュトワ、スティーヴン・コヴァセヴィッチ)とのことも、ここまで知ってしまうと、もし隣に彼女がいたとしたら、なにか労いの言葉をかけてしまいそうになるほどだ。そんな一連のあとミッシェル・べロフが登場してくる。ああ知らなかった。絶頂期のべロフに襲った手の病気は、過労や酷使ということではなく、彼女との間の愛と音楽の力量についての葛藤による神経性ジストニアの可能性が大であったのだ。

そのような彼女の変遷を見守ってきたネルソン・フレイレ。いまも温かく彼女を支え共に音楽を昇華させる彼の姿勢にはただだた感銘する。

この書は、なんとも不可思議でしかし芸術家の間であれば常識的な恋愛関係の複雑さについても、サイドストーリーとしてそこここに散りばめている。アルゲリッチのパートナーだったスティーヴン・コヴァセヴィッチは、ジャクリーヌ・デュ・プレの最初のパートナーだったということ{バレンボイムの前)。そしてそのダニエル・バレンボイムはアルゲリッチが多く競演するバイオリニストのギドン・クレーメルの最初の妻(エレーナ・バシキローヴァ)と再婚していること。

まだまだある。アルゲリッチがシャルル・デュトワと別れたのは、彼がキョンファ・チョンと隠れて付き合っていたことが発覚したためであること。ピエール・フルニエの妻は、もともと同じチェロ奏者のグレゴール・ピアディゴルスキーと結婚していたこと、イーヴォ・ポゴレリチはショパンコンクウールで落ちた21歳の時すでにピアノの師でありずっと年長のアリス・ケゼラーゼと結婚していたこと。

こんなことまでも知ってしまっていてよいのだろうか、とこれについてもただただ驚くばかりだ
http://hankichi.exblog.jp/16780936/


▲△▽▼


クラシック演奏家のスキャンダル

クラシックの中で一番好きな楽器はヴァイオリンだが、ピアノも嫌いというわけではない。

モーツァルトのピアノソナタ(グールド)を聴いた時間からすると人後に落ちないはずと思っているし、またドビュッシーのピアノ曲も大好きで特に「ミシェル・ベロフ」(フランス)のCD盤は今でも愛聴盤の一つ。

   

しかし、このベロフさん(1950年生まれ)は残念なことにその後まったくの鳴かず飛ばずである。

前途ある有望な若手のピアニストがいったいどうしたんだろう?

気になってそれとなくアンテナを張っていたところ小耳にはさんだ情報によると「女流ピアニストのアルゲリッチから身も心もすっかり骨抜きにされた」とのことで、エ~ッ(笑)。

お上品なクラシック界にふさわしくない生臭い話だが、噂の真偽を確かめる術もないし、まあどうでもいいことなのだが、つい最近


現代の名演奏家50 クラシック音楽の天才・奇才・異才 (幻冬舎新書) – 2017/1/28
中川 右介 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%90%8D%E6%BC%94%E5%A5%8F%E5%AE%B650-%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E5%A4%A9%E6%89%8D%E3%83%BB%E5%A5%87%E6%89%8D%E3%83%BB%E7%95%B0%E6%89%8D-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%B8%AD%E5%B7%9D-%E5%8F%B3%E4%BB%8B/dp/434498451X


を読んでいたらこのベロフの件の「いきさつ」が詳しく書かれていた。

犬も歩けば棒に当たる!

   

206頁~210頁にかけて詳述されており、手短に要約すると、

「ベロフとアルゲリッチは4年間の同棲生活を解消した。この間、ベロフは肉体的にも精神的にもすっかり疲弊してしまったが、ようやく演奏活動を行えるほどまでに回復した。ただしベロフは今でもアルゲリッチのことを絶賛している」

よかったですねえ、喧嘩別れじゃなくて(笑)。

それにしてもアルゲリッチというのは雰囲気に不潔感が漂っているとでもいうのかな、どうも好きになれないピアニストである。

本書によると、ベロフと知り合った当時は指揮者のデュトワと離婚し、ピアニストのコヴァセヴィッチと暮らして娘を生んだものの破局した後だったそうだ。

つまり特定の男性がいなかったので、ベロフは「飛んで火に入る夏の虫」ならぬ「蜘蛛の巣」によってがんじがらめにされたようだ(笑)。

そして、デュトワの名前がここでも出てくる。この人はその筋ではとかく有名な人なのだ。


画像右側の「クラシックCDの名盤」の180頁にも宇野功芳さん(音楽評論家)がこう書いている。

「デュトワは美人演奏家殺しである。アルゲリッチ、チョン・キョンファをものにし、噂では諏訪内晶子にも子を産ませ、それが彼女のDVの原因にもなったとか」

ほんまかいな(笑)。

クラシック演奏家といっても所詮は人の子で「木の股」から生まれたわけでもないので仕方がないのだろうが、かって、指揮者のブルーノワルターはこんなことを言っていた。

1 恥ずかしいことながら音楽家は概して他の職業に従事している人々に比べて別に少しも善くも悪くもない。

2 音楽に内在する倫理的な呼びかけ(高揚感、感動、恍惚)はほんの束の間の瞬間的な効果を狙っているに過ぎない。それは電流の通じている間は大きな力を持っているが、スイッチを切ってしまえば死んだ一片の鉄に過ぎない「電磁石」のようなものだ。

3 人間の性質にとって音楽が特別に役立つとも思えず過大な期待を寄せるべきではない。なぜなら、人間の道徳的な性質は非常に込み入っており、我々すべての者の内部には善と悪とが分離しがたく混合して存在しているからだ。

まあ、そんなところなんだろうが、「音楽は哲学よりもさらに高い啓示」(ベートーヴェン)というほどなんだから、少しは演奏家にもストイックな姿勢が必要のような気もするが皆様のお考えはいかがですか。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/c9424147dc23385540df825bafbfd222


▲△▽▼


2019年 10月 02日
アルゲリッチ・酒井茜 ピアノデュオ 
秋の音楽シーズンの三日目は待望のアルゲリッチです。アルゲリッチは親日派ですね。二十年以上も続けている大分別府の音楽祭も、最近始まった広島の音楽祭も、同時に全国各地で行う演奏会も、毎年開かれています。ソロでの演奏は25年ぐらいやっていなくて、必ずほかの演奏家とのコラボレーションを行っています。あるときは、ヴァイオリンソナタ、あるときはチェロソナタ、ピアノ協奏曲、室内楽などです。


今回は、待望のアルゲリッチと酒井茜のピアノデュオで、プロコフィエフの「シンデレラ」とストラヴィンスキーの「火の鳥」です。会場も久しぶりのサントリーホール。地下鉄を二本乗り継いで行きます。30分ほど早く着いたので、開場までの時間六本木一丁目駅二隣接するビルのしたのコーヒーショップに入りました。注文するとお店で飲まれますか、お持ちかえりですかと訊かれました。お店で時間つぶしするために店内でと答えたとき、あ!そうか今日から消費税が違うのだと気づきました。ちなみにと訊くと、持ち帰りと店内飲食では6円違うそうです。しかし、ややっこしいですね。来年までの増税感を薄めるためだけの煩雑さで、レジを買えたり打ち込み時に区別したり、お店に多大な負担を与えています。


街の定食屋さんや家族経営のお店では、その煩雑さがいやでやめるところも続出しています。諸費税を乗せられない定食やさんなどのお店は、結局その分を負担しなければなりません。少ない売り上げから2%分、お代官様に取られるのです。黄門様ならなんと言うでしょう!

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広場には会場前のファンファーレが鳴っていました。開場自体は時間通りでしたが、ホールの中では、最後の音合わせをしているのでしょう。15分前まで内側のドアは開けられず、ホール内の通路に人は溢れかえりました。サントリーホールは、特に二階のホワイエが狭いのが難点ですね。待っていると、ひさしぶりに、O画伯とお会いしました。席もすぐそばでした。

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ピアノの調律はようやく終わりに近づいています。響きは透明ですが、少し線が細い感じもしました。でも調律師とアルゲリッチでは、まったく音が違いますから参考にはなりません。対面のLB席には、パグ太郎さんとOrisukeさんが並んで座られていました。白いシャツのがっしりとした体格で、日焼けした顔が見えないのが、Orisukeさんです(爆)。

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ゆったりとアルゲリッチさんと酒井さんが入場してきます。歩きは遅いですが、とても77歳とは思えません。最初の曲は連弾で、モーツァルトの4手のためのピアノソナタです。低音部をアルゲリッチさん、高音部を酒井茜さんが演奏します。この二人はしっかりと特徴が違い、スピード速く、切れ味のいいのが酒井さんで、鉈で断ち切るような凄い響きがアルゲリッチさんです。しかし、16歳の時のモーツァルトのお姉さんとの連弾を目的に書かれた曲には、アルゲリッチの特徴を活かすようなパートはなく、響きも弱く、物足りなさも感じました。


ところが、二曲目のプロコフィエフ・プレトニョフ編曲の二台のピアノのための組曲「シンデレラ」はまったく変わりました。この曲は、編曲者のプレトニョフとアルゲリッチとのSACDは私の部屋の音調整用の定番になっています。

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耳だこになっているほど、聞き込んでいる曲ですから、演奏の差はすぐにわかります。酒井茜とプレトニョフの差はやはり大きいです。力強さが違います。高域の切れは素晴らしいですが、低音部が活躍する右側のピアノはプレトニョフの様にはいきませんが、これはこれで素晴らしい演奏です。アルゲリッチ側は、先ほどのピアノと同じ楽器なのかと思うほど違う響きです。左手の破壊力は、77歳とは到底思えません。二台の響きが、CDより軽いのは、演奏者とホールの差だと思っていました。

それにしても、凄い演奏です。第九曲目の魔法が解けて、カボチャの馬車もすべてが崩壊していく様は、アルゲリッチしか演奏できないかもしれません。プレトニョフは指揮者として日本に良く来ています。アルゲリッチとスケジュールが合えば、ぜひ聴いてみたいですね。

休み時間にOrisukeさんが、右側のピアノは何でしょうかと訊いてきました。蓋が取ってあってわかりにくいからです。プログラムにはKAWAIの宣伝があったので、両方ともKawaiでは無いかと言われました。確かに、スタインウェイの低域と違う響きがしています。会場に戻ってよく見ると、右側のピアノもKawaiでした。高域の切れ味は素晴らしいのですが、低域の混沌とした響きがすっきりと整理されるのが違いますね。


休憩後は、ストラヴィンスキー自身の編曲になる、『春の祭典』でした。今回は、アルゲリッチが右側のピアノで指使いがよく見えます。彼女の奏法はどんなに大音量でも、指は延びたままです。ホロヴィッツと同じですね。指を曲げて打ち下ろすのではなく、指の腹でコントロールしているのです。驚きました。音量の差は、タッチするスピードの差なのでしょうか?ストラヴィンスキー特有の不協和音がオーケストラよりピアノ版の方がより鮮明に解ります。ピアノからオーケストラのいろいろな音色が聞こえてきます。


堪能しました。長い曲なのですが、あっという間に終わりました。会場中割れんばかりの拍手です。何回か呼び出された後、二曲のアンコールを連弾で演奏しました。ラベルのマ・メール・ロアから第五曲と第三曲めからでした。どちらも柔らかくストラヴィンスキーとは対極の音楽です。大満足の演奏会でした。


演奏会終了後、近くのレストランで、大満足の感想会を行いました。演奏会を批評するような発言は勿論なく、三人とも世紀の名演を見た満足感で一杯でした。アルゲリッチはどこまで行くのでしょうか?彼女の演奏に毎年接することが出来る、日本の幸せも感じました。


Orisukeさんは、明日のあさから仕事で、これから車で三時間以上走って帰られるそうです。そんなスケジュールの中を良く来られたと驚き、感心しましたが、今日の演奏を経験できたのは、一生の宝物ですね。
https://tannoy.exblog.jp/30810575/

2:777 :

2022/07/20 (Wed) 03:23:03

クラシック演奏家のスキャンダル

クラシックの中で一番好きな楽器はヴァイオリンだが、ピアノも嫌いというわけではない。
モーツァルトのピアノソナタ(グールド)を聴いた時間からすると人後に落ちないはずと思っているし、またドビュッシーのピアノ曲も大好きで特に「ミシェル・ベロフ」(フランス)のCD盤は今でも愛聴盤の一つ。

   

しかし、このベロフさん(1950年生まれ)は残念なことにその後まったくの鳴かず飛ばずである。

前途ある有望な若手のピアニストがいったいどうしたんだろう?

気になってそれとなくアンテナを張っていたところ小耳にはさんだ情報によると「女流ピアニストのアルゲリッチから身も心もすっかり骨抜きにされた」とのことで、エ~ッ(笑)。

お上品なクラシック界にふさわしくない生臭い話だが、噂の真偽を確かめる術もないし、まあどうでもいいことなのだが、つい最近


現代の名演奏家50 クラシック音楽の天才・奇才・異才 (幻冬舎新書) – 2017/1/28
中川 右介 (著)
https://www.amazon.co.jp/%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E3%81%AE%E5%90%8D%E6%BC%94%E5%A5%8F%E5%AE%B650-%E3%82%AF%E3%83%A9%E3%82%B7%E3%83%83%E3%82%AF%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E3%81%AE%E5%A4%A9%E6%89%8D%E3%83%BB%E5%A5%87%E6%89%8D%E3%83%BB%E7%95%B0%E6%89%8D-%E5%B9%BB%E5%86%AC%E8%88%8E%E6%96%B0%E6%9B%B8-%E4%B8%AD%E5%B7%9D-%E5%8F%B3%E4%BB%8B/dp/434498451X


を読んでいたらこのベロフの件の「いきさつ」が詳しく書かれていた。

犬も歩けば棒に当たる!

   

206頁~210頁にかけて詳述されており、手短に要約すると、

「ベロフとアルゲリッチは4年間の同棲生活を解消した。この間、ベロフは肉体的にも精神的にもすっかり疲弊してしまったが、ようやく演奏活動を行えるほどまでに回復した。ただしベロフは今でもアルゲリッチのことを絶賛している」

よかったですねえ、喧嘩別れじゃなくて(笑)。

それにしてもアルゲリッチというのは雰囲気に不潔感が漂っているとでもいうのかな、どうも好きになれないピアニストである。

本書によると、ベロフと知り合った当時は指揮者のデュトワと離婚し、ピアニストのコヴァセヴィッチと暮らして娘を生んだものの破局した後だったそうだ。

つまり特定の男性がいなかったので、ベロフは「飛んで火に入る夏の虫」ならぬ「蜘蛛の巣」によってがんじがらめにされたようだ(笑)。

そして、デュトワの名前がここでも出てくる。この人はその筋ではとかく有名な人なのだ。


画像右側の「クラシックCDの名盤」の180頁にも宇野功芳さん(音楽評論家)がこう書いている。

「デュトワは美人演奏家殺しである。アルゲリッチ、チョン・キョンファをものにし、噂では諏訪内晶子にも子を産ませ、それが彼女のDVの原因にもなったとか」

ほんまかいな(笑)。

クラシック演奏家といっても所詮は人の子で「木の股」から生まれたわけでもないので仕方がないのだろうが、かって、指揮者のブルーノワルターはこんなことを言っていた。

1 恥ずかしいことながら音楽家は概して他の職業に従事している人々に比べて別に少しも善くも悪くもない。

2 音楽に内在する倫理的な呼びかけ(高揚感、感動、恍惚)はほんの束の間の瞬間的な効果を狙っているに過ぎない。それは電流の通じている間は大きな力を持っているが、スイッチを切ってしまえば死んだ一片の鉄に過ぎない「電磁石」のようなものだ。

3 人間の性質にとって音楽が特別に役立つとも思えず過大な期待を寄せるべきではない。なぜなら、人間の道徳的な性質は非常に込み入っており、我々すべての者の内部には善と悪とが分離しがたく混合して存在しているからだ。

まあ、そんなところなんだろうが、「音楽は哲学よりもさらに高い啓示」(ベートーヴェン)というほどなんだから、少しは演奏家にもストイックな姿勢が必要のような気もするが皆様のお考えはいかがですか。
https://blog.goo.ne.jp/jbltakashi/e/c9424147dc23385540df825bafbfd222

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