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2022/07/11 (Mon) 10:30:45
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ヤクザに売り飛ばされ、三重のバイシュン島で働かされた女性の話が壮絶すぎた…
【都市伝説】バイシュン島と言われる100人以上のバイシュン婦がいると噂の島に行ってみた。 - YouTube
2017/03/10
https://www.youtube.com/watch?v=YtVCFzRz6_E&t=0s
【潜入】1年5億稼ぐ「バイシュン島」に泊まってみた - YouTube
2022/02/09
https://www.youtube.com/watch?v=VXhShmjQzCY
バイシュン島で生まれ育った男にバイシュン島で全てを語ってもらいました - YouTube
2022/02/26
https://www.youtube.com/watch?v=CJDYIkYKv-M
ヤ◯ザに売り飛ばされ、バイシュン島で働かされた女性の話が壮絶すぎた…
https://www.youtube.com/watch?v=1mTmFf57Fps&t=0s
【違法】三重のバイシュン島で裏カジノを作った男に会ってきた【渡鹿野島の過去と今】
2022/05/23
https://www.youtube.com/watch?v=oze8tw6jJpk
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2022/07/11 (Mon) 10:59:23
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渡鹿野島 - YouTube動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%A1%E9%B9%BF%E9%87%8E%E5%B3%B6+
渡鹿野島 へのアクセス
2021年4月時点で、渡鹿野島へ向かう船は民間船が1か所、無料の志摩市運航船(月・水・金)が2か所で発着する。
民間渡船
志摩市阿児町国府地区渡鹿野島対岸の三重交通「渡鹿野渡船場」バス停留所前(北緯34度21分20.66秒 東経136度52分45.57秒)より運行される[17][18]。2014年3月現在、朝6時50分 - 22時00分まで随時運行されているが、客がいる場合に運行されるため時刻表はない。運賃は片道あたり始発 - 19時までの日中が200円、夜間は22時まで300円となっている。乗船時間は3分程度。
志摩市運航船
的矢湾西部を周回する無料の定期船が志摩市により運航されている。かつては三重県から委託を受け、三重県道750号阿児磯部鳥羽線の一部となっていたため「県道船」と呼ばれていた。小中学校の通学の補助などが目的で、定期便は日中の8時45分 - 15時15分に間に1日3便[19]。かつては待機時間に船着場の待客が目視(「乗船待ち合図」により判断)できる場合は随時運航されていた。それ以外の便は、時間帯や曜日、時期などにより「乗船待ち合図」を出していても必ず運航される保証はない。気象状況により定期便も含め欠航する場合がある。
的矢船着場 - 的矢湾北岸の志摩市磯部町的矢にある[17]。三重交通の的矢バス停留所がある有料駐車場から東へ約700mの場所に船着場がある。渡鹿野島和田(三ヶ所経由)まで約15分、三ヶ所まで約5分。
三ヶ所船着場 - 南岸の志摩市磯部町三ヶ所の漁業協同組合前にある[17]。漁協に有料駐車場がある。渡鹿野島和田まで約10分、的矢まで約5分。
渡鹿野島船着場 - 島の市街地に近い南東側の和田と市街地まで徒歩15 - 20分ほどを要する北西側の赤崎の2か所にあり、定期便は和田まで運行されるが、「乗船待ち合図」の板があるのは赤碕のみとなっている。
不定期船
ホテルの送迎船 - 予約客の送迎のための船を所有するホテルがある
民間の渡船 - 他の船に比べ運賃が高額であるが、タクシーのように運行されるため自由度は高い
個人所有の船
渡鹿野島の多くの家庭は漁船などの船を所有し、家族や親戚などの送迎を行なう場合がある。
渡鹿野島 地図
https://www.bing.com/maps?q=%E6%B8%A1%E9%B9%BF%E9%87%8E%E5%B3%B6++%E5%9C%B0%E5%9B%B3&qs=n&form=QBRE&sp=-1&pq=%E6%B8%A1%E9%B9%BF%E9%87%8E%E5%B3%B6+%E5%9C%B0%E5%9B%B3&sc=1-7&sk=&cvid=ABD7D07D9F084092847D53A68B8611AD&ghsh=0&ghacc=0
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渡鹿野島(わたかのじま)は、三重県志摩市にある島で、伊勢志摩国立公園内に位置する。
島の大半は志摩市磯部町渡鹿野(いそべちょうわたかの)である。郵便番号は517-0205。人口は2020年12月31日現在、志摩市の調べ[5]で169人である。
地理
周囲約7キロメートル (Km)、面積は約0.7平方キロメートルで、リアス式海岸である的矢湾の奥に位置し、的矢湾深部の外海から隔てられた島の西側海域は波が穏やかな海面で、古くより荒天時の避難場所・風待港として使われていた。
島内の住所は大半が志摩市磯部町渡鹿野であるが、一部に磯部町的矢の飛び地の小字間神・居森がある[6]。
歴史
古くは伊雑宮の神領であったとも言われる。江戸時代に江戸と大坂を連絡する菱垣廻船・樽廻船が増え、避難・風待をする港としての重要性が高まった。船乗りなどのための宿のほか、風待ちの船乗りを相手とした把針兼(はしりがね)と言われた水上遊女なども集まり、遊廓街としても大いに栄えて女護ヶ島の別名を持った。史跡として江戸時代に灯台に使われた石柱などがある。
1931年に俳優の上山草人が映画『唐人お吉』の撮影で訪れた際、島民と意気投合して草人が別荘を建てる話がまとまり、島から寄贈された大日山頂の別荘の門に谷崎潤一郎が書いた「草人漁荘」の竹製の表札を掲げた。草人はこの島を「東洋のモナコ」にすると意気込み、「文壇、画壇、劇団のあらゆる友人を誘って、猟奇的なこの島でなければ味わわぬ変わった情趣をもつエロ探検と波静かな絵画美に富んだ島の風景を満喫させようと計画している」と語ったが、門と亭のみで別荘は建てなかった[7]。
第二次世界大戦中は島内に予科練の基地の設置が計画され、激しい空襲にあった。1954年に島を舞台にした伴淳三郎主演の映画「この恋!五千万円」が作られた。
地名の由来
海の中の一島であることから「わたなか」(海中)となり、転訛して「わたかの」となった[8]。
渡鹿野島対岸の人々がこの島に渡り、焼畑を行ったことから「渡火野」と命名された[8]。
主な産業
観光が主な産業であるため2000年(平成12年)の国勢調査に見られるように、島の人口の92パーセント (%) が島内及び島外の宿泊・飲食業(第三次産業)に従事している。海水浴や志摩スペイン村の宿泊地として家族連れや団体に利用されるほか、公然とバイシュンが行われ[9]バイシュン島として名高く[10]、男性集団が買春を目的に島を訪れることも多かった。ただし近年性産業従事者は著しく減少、高齢化している。
志摩市の資料によると、平成7 - 17年の人口減少率は30%以上となっている一方で65歳以上が35 - 40%となり、過疎の島となりつつある[11]。廃業したホテルの廃墟もそのままにされている。
性産業に関して
公然とバイシュンが行われる島としてタブー視されてきた歴史が残る。一方、このイメージは既に現在の島の実情とはかけ離れている。ノンフィクションライター、高木瑞穂の『バイシュン島 「最後の桃源郷」渡鹿野島ルポ』(彩図社)は、9万部を超えるベストセラーとなった。
全盛期
バブル期にはプレイルームが足りず、自由恋愛を装うため女性の部屋でバイシュンするという建前を無視して、ホテルの客室や置屋の奥が使用されるほどであった。最盛期は1970年代半ばから1990年までで、1981年頃がピークであった。当時は肩と肩がぶつかるほどの客で溢れかえり、人口200人ほどの頃に、ホテルや置屋だけでなく、パチンコ店、居酒屋、喫茶店、カラオケ店、ゲーム喫茶、メイン通りにヌードスタジオ(小規模のストリップ劇場)が2軒、裏カジノまであった。当時の雰囲気は、さながらバブル期の熱海のような煌びやかなネオンと欲望むき出しの男たちが発する熱気が相まった“桃源郷”と呼ぶに相応しい華やかさだったと証言する客もいる。置屋は13軒存在した。
宴会は通常、夜9時頃に終わり団体客は酔った勢いで一斉に外に繰り出した。宿ではコンパニオンに扮した娼婦が宴会に入り、本人を見て相手を選ばせるのが、定番システムであった。たいていは娼婦で宴会客との頭数を合わせるが、時には女性が足りず、島外の派遣会社からバイシュン目的ではない一般のコンパニオンが駆り出されることもあった。そのため、こうしたコンパニオンの島の宴会の評判は極めて悪かった。通常、コンパニオンは『延長料金』や『チップ』で数万円の実入りになることもあるが、渡鹿野島の宴会はバイシュン目的であるため、きっちり2時間で終わるため、チップや延長が期待できなかったためである[12]。
1986年頃からは外国人女性が雇用されるようになった。ある置屋が台湾人女性を雇ったのがきっかけである。人気では日本人より劣ったが、低賃金であるため、置屋が一斉に外国人の雇用に動いた。1989年頃からは、フィリピン人が主流になり、最盛期には数十人のフィリピン人が住んでいたが、1990年代半ば以上はタイ人が主流となる。このため、対岸の鵜方の街には今もタイフード食材店が残っている。女性らは6畳一間ほどの部屋をあてがわれ自由恋愛を建前に娼婦が実際に暮らす部屋でバイシュンが行われたが、これが島の典型的なシステムであった。外国人女性らの多くは、ロングの朝には朝食を客に振る舞い、船着き場まで見送ったりしていたという[12]。
1971年に三重県警警部補が内偵特捜の捜査官として島に潜入したが、バイシュン婦の女性と内縁の関係となり諭旨免職され[13]、のちに島でスナック経営者兼バイシュン斡旋者となったが、1977年10月の手入れで内妻とともに逮捕され、店のバイシュン婦は保護された。バイシュン婦の大半は家出少女などで、借金付きで送られバイシュンをさせられていた。元警部補は、出所後は島でホテル経営などに携わり、島の観光産業の発展に尽力した。
2003年に勝谷誠彦は、島の随所にバイシュン斡旋所があり、警察や報道関係者に対する警戒心はきわめて強く、島全体で入島者の情報網をやりとりし、安易な写真撮影も許されない、と述べている[14]。2004年に、行政も暗黙する渡鹿野島の買バイシュンの実態を論述した『近現代日本の買バイシュン』(藤野豊著、解放出版社、2004年6月30日付で刊行。ISBN 9784759260854)が、地元の志摩市磯部町行政から激しい抗議を受ける。藤野は『戦後日本の人身売買』(大月書店、2012)で、出版社の代表取締役と自治体側が話し合い、島の名前を出さない条件で出版を提示されたが拒否し、回収絶版したとしている。藤野豊#渡鹿野島の書も参照。『戦後日本の人身売買』は、同時期に出版された同島のルポが出版されていることを記し、高木(2017)と八木澤(2014)に指摘された、島では70年代から数十回摘発が行われている旨を記して島の実態を示した。
2005年に作家の伊藤たかみが、渡鹿野島をモデルにした小説『ボギー愛しているか』を文芸誌「群像」2005年12月号で発表した。高木は2009年から島を訪問し、島のバイシュンの実態を取材しているが、その頃にはすでに寂れ、残された置屋が3軒、娼婦が20人しかいなかった。
現在
2013年9月に、わたかの島観光協議会は志摩市や三重県警と連携し、「性産業による島のイメージを無くし、健全な観光地を目指す」とした「渡鹿野島安全・安心街づくり宣言」を出した[15]。
2016年5月の第42回先進国首脳会議・伊勢志摩サミットで、会場の賢島に近いことから雑誌媒体など複数のメディアが島の現状と行政体質を指摘したが、サミット開催の数年前から年に3回ほど捜査され、女性らは逮捕されたり島を離れていた。八木澤高明『色街遺産を歩く 消えた遊廓・赤線・青線・基地の町』によると、サミット開催にあたり警察官が訪れて島周辺を調べることはあっても、摘発や手入れ等はなかった。
2021年には初めて修学旅行生たちの受け入れが行われた[16]。旅館関係者によると、現在では男性よりも女性の宿泊が多く、近隣の志摩スペイン村の影響で家族連れも増えつつあるという[16]。一方、かつて女性を紹介したとされる宿泊施設やマンションなどの建物が島には廃墟のように残っており、撤去に向けた動きが模索されている[16]。
祭事
毎年7月下旬の土日(旧来は7月23日から24日に行われていたが、近年は土日に日程を調整している)に、全島民で天王祭を催す。天王祭は全国各地で行われており、牛頭天王に疫病退散を願う祭りが、明治期に牛頭天王が素戔嗚尊(スサノオノミコト)へ同化されて神社の祭祀となった。島内の灯りをすべて消したのち、八重垣神社から御神体を移した御輿が暗がりの島内を走り回り家々の悪魔を払ったのち、海岸近くに仮設した鎮座櫓で、御輿を納めようとする者共と疾走する御輿がぶつかり合う御輿練りの神事が行われる。
観光スポット
渡鹿野園地
島の中心部から少し離れた小高い丘の上にあり、的矢湾の風景を楽しめる。1985年3月30日完成。
わたかのパールビーチ
2003年7月5日に整備し直され、スペイン風の休憩所が設置された。旧磯部町の地域で唯一の海水浴場である。
八重垣神社
「渡鹿野天王祭」の主会場となる神社。
磯部わたかの温泉
島内にある3軒の宿泊施設が温泉を引いている。
的矢湾
海釣りを楽しむことができる。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%A1%E9%B9%BF%E9%87%8E%E5%B3%B6
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2022/07/11 (Mon) 11:52:19
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https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14003407
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2022/08/13 (Sat) 07:31:06
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【ゆっくり解説】「事件性が高いのに1ヶ月後捜索」バイシュン島について調べた記者が失踪した不可解すぎる事件【伊勢記者女性行方不明】
2022/08/12
https://www.youtube.com/watch?v=6PhKofvUzwM
今回は伊勢記者行方不明を解説しました。
真相は本当にX氏が知っているのか…
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2022/08/13 (Sat) 07:40:36
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伊勢市女性記者・辻出紀子さん行方不明事件の真相と犯人は?事件詳細も解説~霊能者が的中させた?
https://newsee-media.com/tsujide-noriko
1998年11月24日に三重県伊勢市で女性記者が行方不明になった事件がありました。行方不明になった女性はまだ発見されておらず、生死もわかっていません。
辻出紀子さん行方不明事件の詳細と真相と犯人、霊能者を使っての捜索などをまとめました。
伊勢市女性記者・辻出紀子さん行方不明事件の詳細
1998年11月24日、三重県伊勢市で辻出紀子さん(当時24歳)が行方不明になった事件が発生しました。辻出紀子さんは、会社を出た後に行方不明になり、その後は消息が分かっていません。
生きているのか、亡くなっているのかも不明であり、現在でも必死の捜索が続けられていますが、いまだに行方不明のままなんです。
辻出紀子さんは旅行好きの女性記者
辻出紀子さんは、1997年3月に立命館大学法学部を卒業し、伊勢文化舎に入社します。地域雑誌の「伊勢志摩」の編集記者として活躍していました。
明るく、人当たりが良い性格をしていたと言われています。
学生時代は東南アジアなどを放浪し、タイやミャンマー、バングラデシュなどの国境地帯や難民キャンプを訪れていました。社会人になってからもタイなどの東南アジアが好きで、連休が取れるとフラッとタイに出かけていくことがあったそうです。
事件の前にもタイに行っていて、事件前日の11月23日にタイから帰国しています。
辻出紀子さんは11月24日に帰宅しなかった
辻出紀子さんは11月24日にウォーキングコースの取材に出かけ、その後は伊勢文化舎に戻り、編集や溜まっていた仕事などを片付けています。前日までタイ旅行に行っていたので、仕事が溜まっていたのは当然のことかもしれません。
デスクで仕事をしているうちに、夜11時ごろになっていました。伊勢文化舎の社長は「もう遅いから帰っていいよ」と声をかけ、辻出紀子さんは会社を後にします。
11月24日の深夜。この時はまだ本格的な冬には入っていないものの、辻出紀子さんはダウンジャケットを着て出社していました。11月下旬になると、朝晩は冷え込みますので、ダウンジャケットを着るのは当然のことです。
でも、11月24日に退勤する時、辻出紀子さんはなぜかダウンジャケットは席に置いたままだったんです。もしかしたら、いったん会社を出るけれど、帰宅せずに、また会社に戻るつもりだったのかもしれません。
11月25日の午後に行方不明になっていることが判明!
11月24日の午後11時ごろ、伊勢文化舎の編集部を後にした辻出紀子さんは、そのまま自宅に戻ることはなく行方不明になります。しかし、すぐに行方不明であることは判明しませんでした。行方不明になっていることがわかったのは、11月25日の午後になってからです。
辻出紀子さんは、仕事が忙しく、編集部に泊まり込みになることもあったようで、深夜になっても帰宅しないことに、両親は「また編集部に泊まっているのだろう」と思い、特に辻出紀子さんの行方を確認したり、伊勢文化舎の編集部に問い合わせることはありませんでした。
そして、11月25日の朝。伊勢文化舎に辻出紀子さんは出勤しませんでした。普通の会社であれば、朝に社員が無断欠勤すれば不審に思うものです。でも、伊勢文化舎は社長が辻出紀子さんが昨日は深夜まで残業していたことを知っていたため、遅く出勤してくるのだろうと思い、午前中に出勤しないことを不審に思わなかったのです。
おそらく、普段から伊勢文化舎はフレキシブルな勤務時間だったのかもしれませんね。
ただ、このように、家族も会社も辻出紀子さんが行方不明になっていることに気付くのが遅くなったことで、捜査開始が遅れ、事件から20年以上経った今でも辻出紀子さんが見つからないのかもしれません。
駐車場にマーチが残されていた
辻出紀子さんが行方不明になっている可能性があると発覚したのは、警察からの電話です。
その保険会社の駐車場に辻出紀子さんのマーチが駐車されていて、それが迷惑であるとして、辻出紀子さんの実家に「お宅の娘さんの車がうちの駐車場に停まっているから、車を移動させてもらいたい」と三重県警が電話をしたんです。
この電話を受けた辻出紀子さんのご両親は、ただの交通違反だろうと思い、伊勢文化舎に電話をします。
ここで、ようやく辻出紀子さんが出社しておらず、行方不明になっていることが判明したんです。携帯電話に電話をしますが、電話は通じませんでした。
辻出紀子さんは会社に泊まり込んでいると思っていたのに、出社していない。しかも、車は会社から1kmも離れた保険会社の駐車場に停めてある。じゃあ、娘(辻出紀子さん)はいったいどこに?ということになります。
駐車場のマーチには異変が・・・
心配になった辻出紀子さんのお父様はすぐに保険会社の駐車場に向かいます。車には鍵がかかっていて、車内は荒らされた様子はありませんでした。ただ、不審な点がいくつもありました。
・駐車場の白線からはみ出して斜めに停まっていた
・辻出さんはタバコを吸わないのに、車内には吸い殻が残されていた
・いつもONにしてあるカーステレオがOFFになっていた
・運転席の座席がいつもよりも下がっていて、辻出紀子さんの座高と合わない
・車内に置いてあるはずの携帯電話やバッグなどがなかった
ただ、お父様が保険会社の駐車場に到着した時、気が動転していたのか、合い鍵屋さんを読んで、その場で合い鍵を作って、自分で運転をして警察に向かってしまいました。
つまり、警察の現場検証が行われる前に、車を動かし、自分で運転をしてしまったんです。もしかしたら、犯人の痕跡を消してしまった可能性もあります。
3日後に怪しい電話がかかってきた
辻出紀子さんが行方不明になっていることが判明し、ご両親な警察に届けます。しかし、警察は家出として処理し、きちんと捜査をしなかったそうです。辻出紀子さんに家出をする理由もないし、家出をしたこともないのに、事件性がないと判断されてしまったようです。
ただ、行方不明になってから3日後に怪しい電話が実家にかかってきています。
怪しい電話はクロネコヤマトの配達人を語る人物からでした。
「クロネコヤマトの宅急便です。○○(紀子さんの妹の名)様のお荷物をお預かりしております。ご本人様に直接お渡ししたいのですが、ご住所がわかりません。妹さんのご住所を教えてください。」
という電話です。
クロネコヤマトが住所がわからない荷物を扱うはずがないと不審に思ったお母様は、「今ちょっと取りこんでいるので、折り返しお電話したいので、ご連絡先をお教えください。」というと、「さようですか。クロネコヤマトの総務部の山口と申します。電話番号は、0××-××××-×××××です。ではご連絡、お待ちしています。」と答えました。
12桁の携帯電話番号はありません。お母様は県警にこの電話ののことを報告しますが、やはりきちんと取り合ってもらえず、なかなか捜査は開始されませんでした。
伊勢市女性記者・辻出紀子さん行方不明事件の真相と犯人① 直前に会った男性が犯人?
辻出紀子さん行方不明事件の真相と犯人を推理していきましょう。一番怪しいと言われていて、犯人の第一候補と言われているのは、事件直前に会っていた男性です。
辻出紀子さんは行方不明になる直前に男性に会っていた
辻出紀子さんは11月24日の午後11時頃に退社しますが、その後にある男性と会っていたことが判明しています。
辻出紀子さんとは取材を通じて知り合った男性で、その男性と午後11時に保険会社の駐車場で会う約束をしていたようです。男性は24日に伊勢文化舎や辻出さんの携帯電話に複数回電話をしていることがわかっています。
男性はかなり怪しい人物
この男性は尾鷲市役所で紹介された人物ですが、かなり危険で怪しい人物であることがわかっています。
この男性は既婚者でしたが、東京の風俗嬢と付き合っていました。1998年にはこの風俗嬢は男性と別れようとしますが、男性は「銭払っても『やらせて』くれんのか!どうなんや!!」と激高し、刃物を突き付けて、風俗嬢を監禁してしまいます。
これを受けて、三重県警はこの男性を監禁容疑で逮捕します。別件逮捕ではあるものの、そこから殺人容疑につなげたかったことは、説明するまでもありません。
男性は辻出紀子さんを口説いていた
この男性は、11月24日に辻出さんと待ち合わせをして、保険会社の駐車場を会ったことを認めています。
男性本人も、「自分の車の中で取材の件で辻出さんと1時間ほど話をして、別の海岸に近いところで辻出さんを降ろした」と供述し、当夜に辻出さんと会ったこと自体は認めている。
引用:伊勢市女性記者行方不明事件(平成10年11月) | 雑感
この時、どうやら男性は辻出紀子さんを口説いていたようなんです。取材に関することという名目で辻出さんを呼び出していますが、本心は「セックスできたらいいな」と思っていたと、この男性は語っています。
「辻出さんとは車内で話をした後、セックスをして別れました。一緒にいたのは1~2時間ぐらいで、後のことは知りません」
引用:【未解決事件の闇11】女性編集者失踪・容疑者Xの知られざる真実 – 記事詳細|Infoseekニュース
この「辻出紀子さんとセックスをして別れました。」という証言が本当だとして、これが合意の上でのセックスなのか、それとも強姦だったのかは不明であり、強姦の可能性も十分にあります。
強姦だったと仮定すると、辻出紀子さんに激しく抵抗されたため、殺害して、遺体をどこかに遺棄したという可能性もあります。
現在は捜査線上から外れている
行方不明直前に会っていた男性を特定し、捜査していました。でも、この男性は風俗嬢の監禁でも無罪になり、辻出紀子さんの行方不明事件でも徹底的に黙秘を貫き、捜査線上から外れていることがわかっています。
無罪になったこの男性は、釈放後に捜査を担当する県警、そして立件した検察、当のホテトル嬢らを訴えたり、日本弁護士連合会に人権救済の申し立てをしたりしています。
この男性は、辻出紀子さんの両親に弁護士の署名入り書面で、監禁事件で無罪を勝ち取ったらすべてを話すと伝えてきましたが、無罪判決後もその約束が果たされることはありませんでした。
伊勢市女性記者・辻出紀子さん行方不明事件の真相と犯人② 北朝鮮に拉致された?
辻出紀子さん行方不明事件の真相と犯人、次は北朝鮮です。辻出紀子さんは北朝鮮に拉致されたのではないかと言われています。
辻出紀子さんは旅行好きで難民キャンプなどにも訪問していたことがわかっていますが、実は北朝鮮に渡り、よど号グループのメンバーのインタビューに成功していたという情報もあるんです。
また、2009年に産経新聞が北朝鮮拉致説を報じています。拉致問題を調査している日本の大学教員が、韓国の脱北者の中に辻出紀子さんを知っている、平壌で辻出紀子さんによく似た人物を見たという人物がいたと証言しています。
この証言はあとで人違いだったことがわかっていますが、辻出紀子さんは「特定失踪者リスト」に登録されています。
伊勢市女性記者・辻出紀子さん行方不明事件の真相と犯人③ バイシュン島関係のトラブル?
辻出紀子さん行方不明事件の真相と犯人、次はバイシュン島に拉致されたというものです。三重県には渡鹿野島という島があります。この渡鹿野島はバイシュン島と呼ばれている島で、タイ人や日本人のバイシュン婦がいて、男性が遊びに来る島なのです。
この島の実態・闇を暴くために取材を進めていて、潜入しようとしたらトラブルに巻き込まれこのバイシュン島に拉致されて、バイシュン婦として働かされていたのではないかという噂がありました。
しかし、この説は地元民によって否定されています。
「こういうところで商売してるからね。女の子のことはだいたい把握してる。今いるのは日本人が4人にタイ人が14人。小さい島だから誰がいるのか、誰が入って来て誰が出ていったのか、すぐにわかる。少なくとも今はいない。私が保証するわ。100%いません」
引用:【未解決事件の闇9】女性編集者失踪・バイシュン島にいる説を検証~2ちゃんねる情報から | ニコニコニュース
また、辻出紀子さんの当時の交際相手も、渡鹿野島のことは観光地としては興味があったようだが、潜入したり闇を暴こうとしていたとは考えにくいと話していました。
伊勢市女性記者・辻出紀子さん行方不明事件の真相と犯人④ 神隠し?
辻出紀子さん行方不明事件の真相と犯人、最後は神隠しです。三重県伊勢市は伊勢神宮がある場所です。
そのため、神々の力によって神隠しにあったのではないかというものですね。この説に関しては伊勢神宮がはっきりと否定しています。
神隠しと思うしかないほど、辻出紀子さん行方不明の手掛かりは全くないということなのだと思います。
伊勢市女性記者・辻出紀子さん行方不明事件で両親は霊能者なども頼っていた
辻出紀子さんが行方不明になって、生死はもちろん真相も不明な状態で、ご両親は必死に辻出紀子さんを探しています。
御両親は藁にもすがる思いで、アメリカの超能力者(霊能者)・キャサリン・レイさんに辻出紀子さんの居場所を透視してもらったり、ダウジングの専門家に依頼したりしていました。
霊能者のキャサリン・レイさんは、霊視で見た現場の状況と実際の状況がかなり酷似していましたが、それ以上の進展はありませんでした。
とにかく探したいという気持ちはわかります。
「紀子はたぶん死んでいると思います。非常にかわいそうです。今どんな状態でいるのか、それだけが気がかり。どれだけ身体が悪くなっても、私たちはこのまま死ぬわけにはいきません。あと何年探し続けるかわかりませんけど、とにかく頑張っていこうと思います」
引用:〈伊勢・女性記者行方不明〉最大の鍵は、失踪する直前に会っていた男の存在 | 週刊女性PRIME
辻出紀子さんのお父様は、上記のように話していて、なんとかして辻出紀子さんを見つけよう、霊能者でも何でもいいから見つけてほしいという気持ちを持っていらっしゃいます。
まとめ
辻出紀子さん行方不明事件の詳細と真相・犯人、霊能者についてまとめましたが、いかがでしたか?辻出紀子さんはいったいどこに消えてしまったのか?まだ分かりません。何とか早く見つかってくれることを祈るのみですね。
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