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2022/06/27 (Mon) 16:01:42
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岡山県の離島=鴻島へ移住するひとが増えている!テレビで紹介!
所さん!大変ですよ【日本中が騒然!?超格安不動産スペシャル】 7月28日
https://www.youtube.com/watch?v=nNDsIv3W8-E
瀬戸内海に浮かぶ白亜の豪邸が、なぜか激安で。
美しい海に浮かぶ、カラフル格安物件だらけの島はあの吉田鋼太郎が発見。
鴻島(こうじま)格安物件の島はどこ?瀬戸内海 - お墨付き!
http://osumituki.com/event/taihentokoro/73450.html
鴻島 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E9%B4%BB%E5%B3%B6
船で行く日生諸島・プライベートリゾート「鴻島」 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=Y3vzHSWYJX4
鴻島(備前市・日生諸島地域) - 岡山県ホームページ(中山間・地域振興課)
http://www.pref.okayama.jp/site/271/456775.html
のどかな時間が過ごせる別荘地の島
島の概要
平地は少ないですが、ゆるやかな丘陵地にはみかん畑が広がっており、
秋にはみかん狩り客でにぎわいます。
驚くほど多くの別荘だけでなく民宿もあり、瀬戸内の海を見ながらのんびりとくつろぐには適した島です。
【面 積】 2.09平方キロメートル
【人 口】 56人(平成27年4月1日現在)
【高齢化率】 57.0%
みどころ
1 島のみかんは糖度が高いのが自慢! 秋にはみかん狩り客でにぎわう
2 島のいたるところで楽しめる、風光明媚な瀬戸内の景色
交通アクセス
(電車) JR岡山駅からJR日生駅まで赤穂線で約60分。
徒歩で日生港まで約15分。
日生港から旅客船で約15分。
(車) 岡山ブルーライン備前ICから日生港まで約10分。
日生港から旅客船で約15分。
※旅客船の運行時刻等は、
大生汽船株式会社(電話:0869-72-0506)
http://www.taiseikisen.com/
へ御確認ください。
備前市離島振興担当窓口
備前市役所総合政策部企画課(電話:0869-64-1871)
http://www.city.bizen.okayama.jp/
地図(鴻島)
https://www.google.co.jp/maps/place/%E9%B4%BB%E5%B3%B6/@34.6987659,134.2517677,15z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x355466113da3558f:0x5f3acb69672f7f19!8m2!3d34.6929807!4d134.2573086?hl=ja
https://www.google.com/maps/@34.700641,134.26666,16z?hl=ja
※このページに関するお問い合わせについては、
中山間・地域振興課
http://www.pref.okayama.jp/soshiki/16/
までお願いします。
http://www.pref.okayama.jp/site/271/456775.html
周辺関連施設
● 日生病院(日生駅前)
● 観光協会(日生駅前)
● 町役場(日生駅~約0.5km)
● 定期船待合所(日生駅~約1km)
● 中国銀行(日生駅~約1.3km)
● 日生信用金庫(日生駅~約1.4km)
● 日生郵便局(日生駅~約1.5km)
● ホームセンター「コメリ」(日生駅~約3.5km))
● 五味の市(日生駅~約1.5km)
● 道の駅「しおじ」(日生駅~約1.5km)
● もやい茶屋(日生駅~約1.5km)
● 加子浦歴史文化館(日生駅~約1.5km)
● 国宝閑谷学校(日生駅~約13.5km)
● みなとが見える丘公園(日生駅~徒歩約25分)
http://www.inakalife.jp/bukken_syousai.html?no=182
岡山県 備前市 日生町 鴻島の中古別荘物件
田舎暮らし.jp 鴻島! - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E7%94%B0%E8%88%8E%E6%9A%AE%E3%82%89%E3%81%97.jp%E3%80%80%E9%B4%BB%E5%B3%B6%EF%BC%81+
~鴻島~新着物件情報|「田舎暮らし.jp」のスタッフブログ♪
http://ameblo.jp/inakalife-sanwa/entry-11512578346.html
田舎暮らし.jp
http://www.inakalife.jp/bukken_syousai.html?no=182
http://www.inakalife.jp/bukken_list.html?region=8
備前市(岡山県)|中古一戸建て・住宅購入@nifty不動産
http://myhome.nifty.com/chuko/ikkodate/chugoku-shikoku/okayama/bizenshi/
一戸建て(新築・中古) 備前市(岡山県) 物件一覧 - goo 住宅・不動産
http://house.goo.ne.jp/buy/chugoku_uh/area_okayama/33211.html
備前市の中古一戸建て購入・物件探し|Yahoo!不動産
https://realestate.yahoo.co.jp/used/house/search/07/33/33211/
カントリーライフの田舎暮らし・別荘情報
http://www.country-life.co.jp/?Ca01=&Ca02=&KoukuTiku=0&Kouku=0&Ca20=25%2C26%2C27%2C28%2C29%2C30&Ca00=&Ca21=&MODE=SEARCH&MODES=12&Kagen=0000&Jyogen=0100&Time=%8Ew%92%E8%82%C8%82%B5&KagenSenyu=000&JyogenSenyu=999&Built=99&WAGAMAMA12=F901&x=154&y=20
鴻島|中古あげます・譲ります|ジモティーで不用品の処分
http://jmty.jp/all/sale-kw-%E9%B4%BB%E5%B3%B6
瀬戸内の離島=鴻島 別荘物件が破格の安値で買える? 2016年7月28日
http://letitbe-news.net/8138.html
今でもセレブは 別荘=セカンドハウス を所有して長期的な休暇を楽しんだり、週末に過ごす場所として活用しています。
勿論、セレブではなくても一般の人がセカンドハウスを利用している人もいますが少数派です。
日本のバブル全盛であった1989年前後に別荘ブームがあって全国の観光地に別荘ができました。
かつて別荘ブームに沸いた場所の1つで今は安値で別荘物件が購入できる場所として岡山県の瀬戸内にある離島、鴻島についてみていきます。
瀬戸内の離島=鴻島はどこにある?
鴻島
〒701-3204 岡山県 備前市 日生町 日生
https://www.google.com/maps?ll=34.698766,134.260522&z=11&t=m&hl=ja-JP&gl=JP&mapclient=embed&q=%E9%B4%BB%E5%B3%B6+%E3%80%92701-3204+%E5%B2%A1%E5%B1%B1%E7%9C%8C%E5%82%99%E5%89%8D%E5%B8%82%E6%97%A5%E7%94%9F%E7%94%BA%E6%97%A5%E7%94%9F
地図で見てわかる通り、瀬戸内の離島である鴻島は比較的本土に近いことが分かります。
離島と本土が橋で結ばれるようならかなり行き来は便利になりますが、現状では船でのアクセスになります。
鴻島は岡山県 備前市 日生地区に属する島です。
日生港から大生汽船の定期船が1日4便あって、15分ほどでアクセスできます。
岡山県でも比較的関西よりで兵庫県の県境にも近いので、関西圏に住む人の別荘地としても魅力的な場所です。
所さん!大変ですよ「日本中が騒然!?“超格安不動産”スペシャル」
https://www.youtube.com/watch?v=nNDsIv3W8-E
で紹介される!
日本そして世界が騒然!世にも不思議な超格安物件が続々登場する。
瀬戸内海に浮かぶ白亜の豪邸が、なぜか激安で。購入した謎の中国人の正体も明らかに。
普通の人は、バブルに踊った勢いで取得した 瀬戸内海の離島=鴻島 は船でのアクセスですから不便ですし、「誰も住みたくないし、欲しくもない」という先入観があるかもしれませんが、便利な町中で暮らせない人もいますし、何もない離島にひかれる人は少数でも確実にいます。
「所さん!大変ですよ」は一般的な常識や正論に例外があることを教えてくれる楽しい番組ですね。
瀬戸内の離島=鴻島は別荘地!定住もできる人ならお買い得か?
離島の別荘はセカンドハウスとして考えると取得する人はごく少数になるかもしれません。
考え方を変えて、永住をするという選択をする人なら、土地付きのしっかりした建物をホームズやアットホームなどのサイトにあるような300万円前後で取得できるのは、かなりコスパがいいのでは?
月々の家賃が5万円の人は、年間で60万円支払いますが、300万円の物件なら5年住めば元が取れます。
ただし、固定資産税の負担と町内会費の負担はあります。
離島で、都市計画区域外になっていますので、都市計画税などはかかりません。
金額は物件の大きさによりますので、市役所で確認ください。
鴻島の別荘物件を格安で取得する方法は?
別荘物件の値段が安く売られている理由は
手放したい人が多くいて買いたい人が少ない事情があるからです。
一般の不動産会社を経由して取引をすることもできるのですが、もしも、海水浴などで鴻島へ行ったなら、「中古別荘 探しています」という風なチラシを住んでいても空き家でも投函すると連絡があるでしょう。
問い合わせがあった人の中には、ただでもいいから、もらってほしい、とにかく処分だけはしたいという人もいるかもしれません。
例えば、鴻島に別荘を持っていた父親が他界して相続した人が北海道に住んでいて管理不能になっているような場合、
毎年、固定資産税の負担や開け閉めをしたり、掃除をしたりなどの管理をして家の老朽化を防ぐ労力がバカになりません。
鴻島が好きで、安値なら引き取ってもいいと考えている人なら、チラシ投函は効果的です。
瀬戸内の離島=鴻島の魅力は?
瀬戸内の離島=鴻島の魅力は、海が好きな人なら、海水浴場がある点が1つのセールスポイントです。
砂浜と穏やかな海は安心して海水浴を楽しむことができますね。
夏は特に人の賑わいがある島です。
上空から見た離島は本土にも近いながらも、静かな瀬戸内海に囲まれている自然環境が素晴らしい。
遠くから見ても別荘が海辺に向かって多数立っているのが見えるほどです。
別荘内部から見る海の景色はまた格別です。
鴻島は平たん地が少なくて傾斜面に立つ別荘が多いので、眺望がいいのが特徴です。
瀬戸内海の眺望がいいから別荘地になったとも言えますね。
鴻島は離島の別荘地で、設備はどうなの?
セカンドハウスだからといって電気や水道がないと困ります。
基本的には電気、水道が通っていますし、排水も、ぼっとん便所ではなく水洗トイレを利用することができます。
下水道が整備されているわけではないので、浄化槽を通して排水をするタイプです。
排水経路についてはやや心配な面もありますね。
他人の敷地を経由していないかだけは注意をしましょう。
ガスはプロパンガスを利用できます。
永住をする上で、設備上は本土の同じ生活ができることがわかります。
鴻島の周辺施設は?
鴻島内には病院はないので、
市立日生病院(岡山県 備前市 日生町 寒河2570−41 )
がもよりの病院です。
金融機関は、離島で暮らすならネット銀行かもしれませんが、実際にお金を引き出せる金融機関は日生郵便局、中国銀行、日生信用金庫などが備前市内にあります。
不便な生活を求めている人にはいい場所かもしれません。
http://letitbe-news.net/8138.html
岡山県の離島=鴻島へ移住者が増加!2016年11月30日
http://letitbe-news.net/5444.html
日本全国、どこへ行って暮らそうかと考えたときに、瀬戸内海の海が見える場所というのは非常に憧れます。
岡山県に属する瀬戸内海に鴻島という離島があるのですが、移住する人が増えているというのです。
TBSテレビでは鴻島の日生みかん狩りができる田口農園も紹介されています。
鴻島へどうして移住人気が高まっているのか見ていきましょう。
岡山県の離島=鴻島へ移住するひとが増えている!テレビで紹介!
TBSテレビ「白熱ライブビビット」では、岡山県にある瀬戸内の離島である鴻島が紹介されました。
離島というと、年々人がいなくなって、ついには無人島になってしまった島も多くあります。
しかし、鴻島は1989年前後のバブルの全盛期に島の斜面を活用して、ひな壇状に別荘地が多数建築されました。
空き家になって売りに出た格安物件に対して、購入し移住する人が増えているというのです。
高齢者がなぜ鴻島へ移住するのか?
鴻島の日生みかん狩りができる田口農園が紹介!
テレビ番組の中で、鴻島にある田口輝農園が紹介されました。
鴻島は温暖な気候が売り物です。
みかんは愛媛みかん、和歌山みかんなど、温暖なところで栽培されます。
鴻島でも日生みかんが栽培されていて、みかん狩りを楽しむことができます。
高齢者にとって、海の素晴らしい眺め、魚介類の美味しさも勿論、魅力の一つですけれども、温暖で冬でも過ごしやすいというのは非常に大きなメリットでです。
しかも温暖な気候を活かしたミカン栽培農園もあるなど最高すぎます。
田口農園
所在地:鴻島
電話・ファックス:0869-72-1823
「日生みかん」狩りができます。
横山農園
所在地:鴻島
電話・ファックス:0869-72-1817
みかん農園です。いちじくなども栽培。
日後農園
所在地:鴻島
電話・ファックス:0869-72-1818
温暖な気候以外の鴻島へ移住するメリットとは?
鴻島にはコンビニも病院も、自販機もありませんけれども、フェリーに乗車すれば数分で病院も日生駅周辺にはスーパーも揃っています。
(八丈島のように東京湾からはるか先ではありません。)
何もないところがまず、惹かれますね。
海好き、魚介類好きなら、なおさら日本中の多くの海がある中で、瀬戸内海は温暖で穏やかで暮らしやすさ抜群です。
牡蠣は鴻島では、市場の半値くらいで手に入ると言われていますから、海鮮グルメ好きにも最高です。
しかも、ヘルシーです。
海を利用したヨットなどのマリンスポーツ、釣りなども楽しむことができます。
また、別荘地としてバブル期に開発されたので、古くからいる村の住人がいて閉鎖的なところも気にする必要がありません。
津波のリスクが小さいのが瀬戸内海の離島
日本列島は特に太平洋側の海辺の家というのは、巨大地震による津波のリスクを抱えています。
東日本大震災で岩手、宮城、福島県の海辺の家がどうなったか?
もはや高台移転が行われて住めない場所が出ています。
今後も、首都直下型地震や、富士山の噴火、南海トラフ地震、東海沖地震などが予想されています。
しかも今後30年以内に発生する確率が非常に高いです。
四国地方も太平洋側の海辺の家には津波のリスクがつきまといます。
しかし、瀬戸内海では、太平洋からの巨大津波は無関係です。
その意味で、1年を通じて温暖な気候があるだけではなく、地震による津波のリスクが非常に小さいことも鴻島に移住する安心感になっているのではないでしょうか?
http://letitbe-news.net/5444.html
岡山市内をはじめ京阪神からのアクセスも良好な日生鴻島。
日生町は潮風漂う瀬戸内の漁師町。毎朝採れたての新鮮な魚介類が並ぶ五味の市などもあり休日は多くの観光客で賑わいを見せる。
鴻島へのアクセスはJR日生駅を降り目の前にある定期船乗り場から船で10分!
電車で行ける別荘であることも魅力の一つ。
また定期船で渡る事によって旅行気分の様な感覚になり気持ちが高ぶるのが尚GOOD!。
http://www.inakalife.jp/bukken_syousai.html?no=180
2012/8/17
別荘地として開拓された島で、ほかの離島とは違い定住者がほとんどいない島です。
波止場のまわりに人気がないため山をひたすら登ると荒れかけた別荘や放置された自動車などがあり、渇いた感じの光景が広がっていました。
ちょうど山の上に辿り着くと民宿のご主人だという男性が歩いていたのでポストの場所について尋ねると、下の浜にあるというので再び下まで一緒に下りることになりました。
訊くと常住している世帯は3世帯ほどで、あとは都会の方からたまにやってくる人がいるそうです。島に見所らしきものは見あたりませんでしたが、人がいないので人とのコミュニケーションに疲れた方にはいいかもしれません。裸で歩いていても大丈夫だと思います。ただし自販機すらも存在しないので炎天下で水分を失うと助かりませんが。
島内の郵便はポストのかかっている元ペンションに袋ごと預けられ、そこの人が島中をまわって配達するそうです。
島に訪れる際は飲食物が無いので必ず持ち込んでください。あと、帰る時は船の到着前に桟橋に出て立っていないとそのまま行ってしまうこともあるそうです。
http://postmap.org/map/832940
“近場の別天地”2009/08/07
岡山県備前市の日生港から約4kmの海上に浮かぶ鴻島は、もともと無人島だったが、タバコ農家やミカン農家が入植して、数十名が暮らす島になっている。
港から近いことと、定期船の運航があること、他の島との位置関係から、非常に穏やかな海であり、良質の海水浴場があることなどから、多くの別荘がある。
最近は別荘に永住する人々が増加しており、島の人口は増加している。
日常を離れて、コンビニも、スーパーもない別天地で、生命の洗濯をするには最高のロケーションで、お勧めの海水浴場、釣り場です。
https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g1023457-d1500976-r36946432-Kojima_Island-Bizen_Okayama_Prefecture_Chugoku.html#REVIEWS
“鹿の島” 2014年 11月に訪問
何にもない、何にもない、全く何にもない。コンビニも商店も何もない。
あるのは牡蠣の筏と、数人の住民と、バブル期の名残の別荘たちと、人間の数十倍の数の鹿だけだ。
本当に何もないから、ゆっくりとくつろぐことができる。それは贅沢な時間なんだ。
名物のカキオコを食べに来る人も最近は多くなったね。
https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g1023457-d1500976-r312304882-Kojima_Island-Bizen_Okayama_Prefecture_Chugoku.html#REVIEWS
鴻島で鹿に出会ったのは二度目です。
以前は親子でしたが、今回は雌鹿で、1頭です。
地元の方達は、畑に張り巡らせた網にかかっても、逃がしているのだとか。。。
近づいても、人を恐れるところが皆無。
とても、カレーにはできません。
この足跡、海に注ぐ小さな川に続いています。
http://blog.goo.ne.jp/toyokko_2014/e/f0b90c284c634bccb1a9deca1a9d3145
鴻島ウォーク(1) 2012年02月09日
http://ameblo.jp/yamanogogo/entry-11155677139.html
こうじまと読みます。 周囲12Kmの島で、急峻な山地が海岸に迫り、平地は少ない。
ウォーキングの出発はこの鴻島定期船待合所からです。平地の無い象徴のようなスリムな建物です。
島に着くとすぐにナンバープレートの無い車が沢山駐車しています。
この島の道路は道路交通法の規制が無いようです。
免許も要らないんでしょうねぇ~?
ちょと南国のリーゾート地を思わせる雰囲気のある島です。 頭島大橋が見えます。
島民43人の島ですが、建物は多く、驚くほどの数の別荘があります。
このあたりはイタリアの世界遺産 ” アマルフィー ” を小さくしたような、地中海のイメージがあります。
http://ameblo.jp/yamanogogo/entry-11155677139.html
鴻島ウォーク(2) 2012年02月10日
http://ameblo.jp/yamanogogo/entry-11156495162.html
あなたならどんな別荘に住みたいですか?
ピンク色の少女のような別荘。
水色の清楚で、またどこか物悲しそうな別荘。
おとぎの国にいるような、四角いとんがり帽子の屋根の別荘。
海辺に佇む仲の良い恋人同士のような別荘。
断崖にへばり付いた、鉄筋コンクリートの堂々とした別荘。
究極は建設費にいとめは付けません。 専用桟橋にプライベートビーチ付きメルヘンチックな別荘!!
色とりどりの別荘を見ながらのウォーキング、この島ならではの楽しみです。
4. 無題
島に住んでる住民と別荘持ってる人は交流が全くない。大昔は交流があったみたいです。平日は島廻って見ても人がいない。そんな島です。
98テ8 2013-06-10 17:25:01
3. 無題
ここの別荘良く見て購入しないと後が高くつく所
98テ8 2013-06-10 17:21:16
3. 無題
ここの島別荘は高くつく別荘。
給湯器、浄化槽バキュウームカーで汲み取りに来てもらうのと自治会費高い。
何もかも高い
ももたろう 2013-08-08 11:21:05
http://ameblo.jp/yamanogogo/entry-11156495162.html
鴻島ウォーク(3) 2012年02月11日
http://ameblo.jp/yamanogogo/entry-11158539386.html
勾配のきつい道路を上がったり下がったりの鴻島のウォーキングでした。
急峻な山なので、眼下に見える景色は見事です。 毎日こんな景色を見ながらゆったりと過ごしたいですね!
きれいに整備された海水浴場がありました。 正面に見えるのは大多府島です。
左側山の斜面に別荘があります。 きっとこの景色を独り占めしているのでしょうね!
まるで箱庭のような海景色です。
右の島は日本初の国立ハンセン病療養所ができた” 長島 ”です。
正面に見えるにはカキの養殖が盛んな虫明湾です。
右側は本土、正面から左にかけて” 長島 ”です。
日生諸島のウォーキングはこれで終わります。
それぞれ全く異なる顔を持った”頭島・大多府島・鹿久居島・鴻島”ウォーキングの島としてお薦めします!
http://ameblo.jp/yamanogogo/entry-11158539386.html
2015年06月11日『備前市日生町「鴻島の別荘」は今・・・』
昨夜、或るTV番組で岡山県備前市日生町の沖に浮かぶ、『鴻島(こうじま)』が取り上げられていた。話題とされたのは、バブル期に建造された『別荘』についてである。
バブル最盛期の頃、京阪神を中とした土地成金などが後先を考えず、自分たちの経済力を誇示するが如く、鴻島へ別荘を建てたのである。勿論、その背景には大した実績も歴史も持たぬ不動産会社が次々に島の山などを買い取り、不法状態に近い開発を繰り返して別荘建築と販売に乗り出したのである。バブル経済が破たんして以来、鴻島の別荘所有者は次々と鴻島を去って行った。
単に島を去るのだけであれば大した問題もないのだが、始末の悪いことに自分たちの別荘を放棄した状態で出ているのである。中には登記上の所有者が死去していたり、経済的に破綻してしまったり、開発を進めた不動産会社も全部破産してしまっていたりの状況にある。
当時、日生町長は不動産会社との贈収賄事件などで町長職を退かねばならない失態を犯した。日生諸島は瀬戸内海の東部分に位置し、その風光明媚な海域として国立公園の一部をなしている。普通なら、その国立公園内で自然の景観を壊すような建造物を建立することなど許可されるはずはないのだが。そのあたりにも問題はあった。
その鴻島は、所有者もすっかり姿を見せなくなった廃墟に近い別荘と、山肌を抉り取って足場を築いている多数の建造物が島の景観を台無しにしてしまっている。漁業を生業としている漁民にとっても大変な迷惑を及ぼしている。
元々、鴻島には住民がいない無人島であった。我が家に残存する資料には、
『東南海上より眺めたる島の一部にして右方山上は開墾地なり。
昭和二年(1927年)第一期事業として二拾戸、八拾名を移住せしめたり。
開墾地は一戸當り五反歩、其の約八割は完了せり。』
とある。 他の資料などから次のことも補足できる。、
かつては甲島、香島とも書かれた。日生町の南、約4㎞に位置する。
平成20年度末の人口は46人。
元禄年間に岡山藩の流刑地に指定され、延宝7年からは藩の軍馬用の牧場が設けられた。
その後は無人島となっていたが、1927年(昭和2年)に日生町が開墾を奨励して頭島から入植がはじまり、葉タバコの栽培などが行われた。
第二次世界大戦後に入植が本格化し、近年はミカン栽培が盛んとなり、北側の曽島へ通って栽培していた例もある。
また、海水浴場があることなどから多くの別荘が存在する。
子供の頃、夏休みに故郷・日生へ帰省し、叔父の家族の世話で海水浴に頻繁に出かけたものである。親類筋の和船を借用し、鹿久居島、頭島、鴻島などへ出向いた。叔父や従兄弟が櫓を漕いでくれ、場所によっては船縁をサヨリが泳ぐ姿が見えた。潮の関係で、満潮を迎える時港外へ出る場合、逆に干潮を迎える時港内へ戻る場合には潮の流れに逆らうので大変そうであった。
伯母が空豆を煎ってくれたのを布袋に入れ、腰に括って泳ぐと豆がふやけて塩味が染み込むのである。大して美味しいとは思わなかったが、小遣いなどを貰わない時代であったのでよく食べた。また、お盆を迎えると海水浴へは行かせて貰えなかった。お盆の期間には『地獄の蓋も開いている』とのことで、信仰心の強い地域では、海水浴は特に忌み嫌われていた。
参考までに:(平成25年5月31日現在)
備前市日生町の世帯数:3,117戸、
人口:7,344人
鴻島は作曲家で演歌歌手の 岡千秋氏 の出身地でもある。
(代表曲:『浪花恋いしぐれ』…都はるみ とのデュエット曲)
http://blog.livedoor.jp/yasu_65/archives/2265713.html
“放置自動車の山。” 2015年 2月に訪問
別荘が300以上あるといわれ、風光明媚なところなのだろうと、期待していたのですが、港から続く放置自動車の列。
一部は道路から転落して、海岸に横たわるありさま。
ここは国立公園内なのに。
幻滅してしまいました。
https://www.tripadvisor.jp/ShowUserReviews-g1023457-d1500976-r408580773-Kojima_Island-Bizen_Okayama_Prefecture_Chugoku.html#REVIEWS
夢のつづき1(備前市・鴻島)2016.05.28更新
http://www.mishimaga.com/setouchi/009.html
小豆島から日生行きのフェリーは、日生諸島の島々を眺めながら、日生港へと向かう。最初に見えてくるのが、大多府島(おおたぶじま)。元禄11(1698)年に岡山藩が港を築いた歴史ある島だ。それから、もっとも人口が多くカキ養殖の盛んな頭島、ハンセン病の国立療養所がある長島、鴻島、鹿久居島と続く。なかでも、鴻島(こうじま)は、島全体に別荘が建ち並ぶユニークな景観に目を奪われる。あきらかに他の島とは雰囲気が違う。
2015年6月。はじめて学生とともに島を訪れた。定期船を下り、桟橋から島に一歩足を踏みいれる。何かの束縛が解けたような、軽やかな気分になる。交番も郵便局もなければ、コンビニも商店も、信号も横断歩道もない。都市生活を成り立たせている社会のシステムやルールと最小限の接続しかしていない。そんな「離島」の空気が漂っている。
島にある330軒あまりの別荘は、すべてバブル期に建てられた。関西の2つの不動産会社が中心となり、わずか数年のあいだに開発が進められた。そのとき別荘を購入したのも、大阪や神戸など関西圏の人が多い。
もともと鴻島は、鹿久居島よりも早い昭和2(1927)年に開拓入植が始まり、20世帯あまりが入植した。終戦直後の開拓入植では、約40世帯が参加し、昭和24年には、62戸306人にまで人口が増えた。2010年現在、島の人口は42人。鹿久居島と同じく、島からの人口流出が続いてきた。ところが過去5年間(2005〜2010)に限れば、鴻島は日生諸島で唯一、わずかに人口が増加に転じている。あらたに中古別荘を購入して移住する人もいるようだ。
島のなかは、いくつもの細い道が走る。曲がりくねった坂道が多く、自分がどこに向かって歩いているのか、不安になる。島のいたるところに別荘が並ぶ。シーズンオフで、ほとんどの家に人の気配はない。玄関に会社名を掲げる家もある。企業の保養所なのだろうか。
山道を通り抜け、静かな入り江の砂浜にたどりつく。ほっと心が落ち着く景色だ。隣に休校になった鴻島分校の立派な校舎がある。いったい、この島でどんな暮らしが営まれてきたのか。7月に再訪したとき、数人の方にお話しを伺うことができた。
バブル期に別荘を購入されたNさんは、大阪で会社を経営している。60代後半だというのに、きれいに日焼けした顔が若々しい。当時の別荘開発がどのように進んできたか、詳しく話してくれた。
「僕も、はじめここに買いに来てね、まだ別荘は、あっこの半島あるでしょ。あそこしかなかったんですよ。それで、土地買いに来たときに、土地やいうたって、崖やから。土地ないやん、言うたら、いや透視図を上からこうね、崖があるとこ見たら、そこに見える底辺が土地なんですよ、って。平たい都会で家が並ぶとね、前の家が邪魔になりますやん、視界が。ところが、ここは斜面やから、隣が上下になる。ほんなら、どっちの家も景色いい。だから逆に、こういう別荘地はね、斜面の方がいいんですよー言われて、へー!言うて」
本来は住宅を建てにくい山の斜面を別荘地として開発していった様子がわかる。それが鴻島の独特な景観につながった。急激に進んだ開発で、島の状況は一変する。
「はじめね、水もなかったんですよ。もともとここの開拓団が入った時に、50世帯ぐらい住んではったらしいんですよ。で、その50世帯入ってはった人たちが、ぎりぎり暮らせるぐらいの水がね、この山の上にダムがあるんですよ。そこの水でまかなってた。それが、ちょうど昭和63年の夏やった思うんやけどね。うちが完成したんが63年の秋ぐらいかな。で、その前に、水がなくなってね、大変やったんですよ。別荘もいっぱい人が来て、そのころ家がだいたい何軒ぐらいかなぁ。30軒、40軒ぐらいできたんかなぁ。ほんで、みんないっせいに水使いだしたら、なくなってしもて」
結局、その後、不動産業者と日生町が資金を出しあって海底送水のパイプラインをつくり、別荘の開発と販売は続けられた。
「別荘業者も、水引かんことには売られへんからいうことで、別荘業者も、もう売るだけ売って逃げる思てたけど、よう売れるし、いやこれは、もっともっと売ろういうことになって、インフラ投資をしたんですよね。でそのあとね、結局、別荘業者は、一説によると、ここの島で、あのー100億ぐらい稼いだと。C社ね。O社は、知らんけどね、かなりねぇ、50億ぐらいは売ったんかも。いっときテレビの番組に出てはったからね。セレブのなんとかいうて」
バブルに熱狂した時代の異様な空気が伝わってくる。一緒に話を聞いた学生たちが生まれる前のことだ。みんな、あっけにとられた表情でうなずいている。
「まぁバブルの頃、C社の社長なんか、ひどかったからねぇ。船でも4億ぐらいの買ったり、パワーボートでも1億ぐらいの買ったりして、もう走りまわってた。
ヘリコプターも、大阪のお客さんを運ぶのに、ヘリコプターで運んだ。チャーターしてたんやと思うんやけど。ほんますごかったよ。それが平成3、4年の話かな。ほんで、その社長さんはイタリア製の10億円のヨットを・・・・・・」
「10億円!?」
「発注してて、で、その金がね、結局、払えんまま倒産した。最後は、もう会員制にするからいうて、僕らも会員にならんかいうて、勧められたけどね。入会金6000万、年会費400万いうて。僕そのとき言うたよ、社長に。社長、もうバブルはじけてるから」
「え? もう、はじけてたんですか?」
「はじけてたよ。平成5年ぐらいの話やから。4年ぐらいには、ほとんどねぇ、おかしなってたから。ほんで社長に、もうそんな時代ちゃいますよ、言うて。えらい怒られた」
Nさんは、島に別荘を購入する前からマリンスポーツが好きで、瀬戸内の海を遊び場にしていた。当時、島に別荘をもつことは、輝かしい「夢」だったに違いない。
「僕なんかは、ずーっと30歳ぐらいから水上スキーをして、相生の室津いうとこでね。家島あたりで遊んでた。で、その時にうちの女房がチラシ見て、お父さんこんなんあるよー、言うて。
で、どんなとこか行ってみよう思って。で行ったりしてて、なんかいかがわしいなぁ、と。どっちみちインチキ業者に決まってるわ、言うて。で、水もね、きれいって書いてあったんや。瀬戸内海が、そんなきれいなわけないやん!」
「いや、ほんまに。だから、あんまりはじめのときは、相手にしてなかったんやけど、すぐつぶれるやろう思ってたら、なんか、どんどんチラシが増えるから。で、いっぺん見に来た。ほんなら、ちょうど来たときが、3月ぐらいやったんかなぁ。水が3月ごろきれいなんですよ。
いまごろ台風で濁ってるけどね。そやから、自分の思うてるよりも非常にきれいやったんやね。ほんでまぁ、浜もあるし、あっこに桟橋あるし、ジェットスキー乗って遊べるなぁ、いうことで。そのとき僕の船、ここに来てからおっきい船とか、ちっさい船とか、5隻ぐらい」
「5隻も?」
「まぁちっちゃい船ですよ。今浮いてるようなちっさいボートとか。でそんなんで、あの会員制にしてね、ちょっと遊ばすようにして。で、大学生の人に来てもろてね。夏休みだけね。バイトの子は、上でみんな合宿。雑魚寝でね。
で、そんなんでこう、まぁ遊んでたんですけどね。非常に世の中もね、もうあのころは、大阪の北新地とか、南のクラブの女の子がお客さんとして来たりね。ジェットスキー乗ろかーいうて、みんなこう、わいわい来るわけですよ」
当時は、山陽自動車道も全線開通しておらず、電車も乗り継ぎが悪ければ、大阪から日生まで4時間以上かかった。
「遠いって感じはなかったですか?大阪からここまで通うのは」
「まぁ遠いけど。こんな好き勝手できる場所ないから。結局ね、僕ら船に乗るんが好きやったからね。ちょうど僕、穂浪いうとこに船おいてるんです。
で、そこまで車で来て、そっからボートに乗って。ウェイクボードやりだしたんが、ちょうど50ぐらいからですわ。50ぐらいから流行りだしたからね。もう毎日やってましたここで」
「あの引っ張るやつですよね?」
「そうそう、引っ張るやつ。まぁそれと、ジェットスキー。一人乗りのジェットスキーが流行ってるころ。だってあの岡山港からね、ジェットでここまで来るんやからね。4、50人ぐらいのすごい団体で」
「団体で?」
「なんせすごいの。もう女の子とか男の子が30、40人くらい来んねん。日曜日なったら。ほんで・・・・・・」
「ここの浜につける?」
「いや、つけへんよ。ばーって遊んで。うちもそのころジェットが8台くらいあったから、うちも乗ってるけど、うちは大阪から来てね、下手くその初心者ばっかりやから。ほんなら、もうその人たちは、うまい人は潜るし、ぐるぐる回るし。
そんなん来たら、もうみんなあっけにとられて、海から上がってもうて。
で、二階がね、フライングブリッジいうて、観覧船みたいに乗れるやつ。結局そこの上でみんな見て、しまいに、わーって歓声あげて。ほんならもう、よけいやんねん。そこにサメよけネットのロープはってて、こっちに入られへん。海水浴の人もおったから。そのネットぎりぎりまでビューン突っ込んできて、そこでターンしてね、ばーっと、みんなやんねん。むちゃくちゃうまいわけ、それが」
「それいつぐらいまでですか?」
「それはそうやね。そういう軍団は、平成元年ぐらいから来だして、で、ふっと気がついておらんなったんは、平成6年ぐらいかなぁ」
バブルの崩壊とともに、島から賑わいが失われていく。15年ほど前からは、鴻島に海水浴にくる観光客も少なくなった。放置されたままの別荘も増えている。Nさんは、なぜ今も島に通い続けているのか。大きな窓の外に広がる美しい入り江を眺めながら話してくれた。
「淡路島には湾がない。こういう湾がね。自分の庭みたいやろ。頭島とかね、鹿久居のへんをね、ここかて船で一周まわるとね、結構また、ほんまにこう静かなんですよ。そうするとね、やっぱり、日生のここの海にね、瀬戸内海の縮図があるいうて」
「ここだけで全部楽しめる感じですね」
「鹿久居はおっきい島やからね。島に沿って、ずっと向こう行ったらね、また違う景色があるんですよ。で、あそこまで行けば、小豆島がばーん見えるし。で、頭島の先に大多府ってあるでしょ?
あの島はあの島で一周まわってもね。風光明媚。岩があったりね。そやからここおったら、遠くに行かなくなったんですよ。結局、おっきい船はいらんのですよ。もうちっちゃい船でね、遊んでるのが一番楽しい」
海が好きな人にとって、鴻島の魅力は、まだ色あせていないようだ。Nさんは、最近のあたらしい動きについても話してくれた。
「それこそ最近ね、若い人が買ってきて、あの大阪でIT企業に勤めてる、35、6の若者がね、独身やのにね。もう、安くなってるんですよ。建てるときに土地と建物で3000万ぐらいかけて建てはった家でも、今は500万ぐらいでね、手放しとるんですよ。
ネットで若い人は見るでしょ? ネットで見て、ほんでぽんと買うから。けっこうだからね、売れてるんですよ。で、その人なんか、独身でね、友達は結婚してて、結婚してる友達つれて遊びに来とんねん。こないだなんか、ここのビーチで、あのー、あれ飛ばしてたみたいよ。ドローン!」
「ここだったらいくら飛ばしても大丈夫ですね」
「その子はね、なんかあのー、あれしてるらしいですよ。なんかゲームの、ゲームのソフト会社で働いてるって。せやから一日座りっぱなしでしょ? もう海来て、ここでゆっくりして」
「じゃあまだ、けっこうニーズがあるんですね」
「だから、たぶんね、僕思うねんけど、世代交代してもね、景色は変わらへんやんか。昔みたいにもうボート買ってね、走りまわって、そういう楽しみ方は、もうないかもしれんけどね・・・・・・」
鴻島の「夢」には、まだ続きがありそうだ。バブル時代の別荘開発によって島は急激な変化を被った。テレビや新聞は、それを深刻な「問題」として取りあげてきた。でも、いまもこの島に夢を託し、島暮らしを楽しむ人たちがいる。もう少し島の人の声に耳を傾けてみよう。
http://www.mishimaga.com/setouchi/009.html
夢のつづき2(備前市・鴻島、瀬戸内市・長島)2016.06.29更新
1986(昭和61)年から1991(平成3)年までのバブル景気の時代。瀬戸内の島々は、急速なリゾート開発の波にさらされた。1987年の総合保養地域整備法の施行後、瀬戸内海に面する各県は、独自の「リゾート開発構想」を打ち出し、多くの島でゴルフ場やリゾートホテルなどの建設が計画された。しかし、バブルの崩壊で、計画が頓挫したり、廃墟となったりした施設も多い。
急速な別荘建設が進められた鴻島でも、その「乱開発」が問題とされてきた。1990年ごろの新聞には、無届けの土地転売や違法建築などの事件を伝える記事が出ている。弁護士が書いた雑誌論文では「裸にされた島」と表現された。
バブル崩壊から25年あまり。賑わいが失われたかにみえる鴻島にも、静かな変化が起きている。中古別荘を購入して、あらたに島暮らしをはじめる人がいる。バブル時代の「熱狂」とは違い、従来の豊かさや便利さとは異なるライフスタイルの実践にもみえる。ヨットで瀬戸内海をめぐったあと、10年ほど前に鴻島に移住した森田さんが、お話を聞かせてくれた。
「ヨットマンだもんで。ヨットではしる衆は、瀬戸内海が一番、皆どこの衆も気に入るもんで。僕も瀬戸内海を、5年間ぐらいずっとひとりで回ってただよ。ほんで、広島の生口島っていうところへ行ったら、ヨットマンがいて、別荘がすごく安くなったから、あそこへ行って別荘買ったらどうかってことで紹介されて、ここへ来ただよ。鴻島へね。すごく安かったもんで。で、移住しちゃったんだよ」
瀬戸内海を知り抜いたヨットマンが生きる場として選んだのが、この鴻島だった。森田さんは、65歳の定年まで、5年ほど「ヨット通勤」をして日生で運転手として働いた。そのあと、2003年に奥さんとともに「瀬戸の花嫁」という貸別荘と鉄板焼の店をオープンした。食事のお客さんには別荘の人が多いそうだ。
「ようするに、なんで別荘の人が来てくれるかっていうとさ、まあ仲間同士っていうのもあるし、別荘まで来てね、奥さん連中が食事の支度するのが嫌だっていって。だって、来てさ、ほんで掃除する、で、旦那の食事をつくる。
1泊2日っていったっても、5食ぐらいはね、奥さん1人で作るの嫌だからね、瀬戸の花嫁に食べに行こうか、って。そういう人がいるもんで、来てくれるもんでさ、うちとしては助かる。確かに奥さん連中はそうだもんね。必ず来たら、もう掃除、風通しして帰らないとね」
「貸別荘のお客さんは知り合いの方とか、常連さんが多いんですか?」
「常連はねー、けっこういるけど、うん、若い学生も来てる。来てくれてるよ。リピーターもできたからね。まあ、ヨットの人が一番多いね。ヨット仲間がね。ようするに、大阪の衆が一番、来るもんでね。大阪から出てくるとね、ちょうどここらへんでね、中間点。
だいたい5、6時間かけて来るもんで。明石海峡か、鳴門海峡か、どっちから瀬戸内海入るにしたってさ、ちょうど中間点で、ここへ1泊泊まってくれるっていうかさ。そういう点で、うちを利用してくれてるもんでさ。まあ、ヨット乗ってる人は必ず瀬戸内海、一番。
フェイスブックやってない? もう、フェイスブックやってれば、ヨットで日本一周してる人、ザラだからね。そういう衆に呼びかけてさ、そうすれば行かせてもらうよってさ」
ヨットが縁で島外の人ともつながり、別荘を訪れる人にとっても欠かせないお店になっている。バブル期の乱開発やその後の空き家の増加など、ネガティブな面ばかりが強調されがちな鴻島にも、自分の生きる場をみずからの手で築きあげている人がいる。「問題」というレンズだけを通して見れば、その前向きな小さな営みの尊さに気づけなかったかもしれない。
静かな入り江の亀ノ浦海岸に戻る。すぐ目の前には、濃い緑に覆われた長島が見える。ハンセン病の回復者たちがいまも暮らす島だ。備前市の鴻島と瀬戸内市の長島。行政的には違う自治体だが、驚くほど近い。別荘開発に沸いた島とハンセン病患者が隔離された島。ふたつの島がたどった歴史もまた、遠いようでいて近い。
長島には、長島愛生園と邑久光明園のふたつの国立療養所がある。愛生園は、1931(昭和6)年に東京の全生園から85名の患者が専用列車で移送されてはじまった。光明園は、1934年の室戸台風で壊滅的被害を受け、173名もの死者を出した大阪の外島保養院(現在の西淀川区中島)の代替施設として、1938年につくられた。現在も、二園あわせて300名以上の入所者が生活し、その平均年齢は84歳を超える。
関西の不動産業者が別荘地として開発し、おもに関西圏の別荘オーナーの保養地となった鴻島。そして、東京や大阪からハンセン病患者を受け入れ、隔離する場となった長島。セトウチの島々は、こうしてつねに中央との関係のなかで、特殊な役割を担わされてきた。あるときは「流刑地」や「入植地」として、またあるときは「リゾート」や「隔離場所」という名の「別世界」として。
長島と本土とのわずか100メートルあまりの海峡に橋が架かり、長島がようやく陸続きになったのが、1988(昭和63)年のこと。患者の隔離を定めた「らい予防法」が廃止されたのが1996(平成8)年。ちょうど鴻島で別荘開発が進み、賑わいをみせていた時期と重なる。長島の入所者たちは、隣の島に次々と建てられていく別荘をどう眺めたのだろうか。時は流れ、いずれもあらたな島のあり方が模索されている。
2016年2月、光明園の敷地内に、はじめて民間の特別養護老人ホーム「せとの夢」が開設され、外部に開かれた長島の新時代が幕開けした。愛生園と光明園を中心に、香川県の大島青松園も含めた瀬戸内三園の世界遺産登録への運動も進められている。
「限界集落」や「消滅可能性自治体」など、地方の衰退ぶりをあらわすかのような言葉が飛び交う。絶えず若者が街にあふれ、いつも最先端の商品やサービスを享受できる都会からしてみれば、地方の暮らしには「問題」が山積しているようにみえるかもしれない。しかし、地方に「問題」があるとしたら、それはつねに都会との関係のなかで、その「ひずみ」を引き受けるなかで生じてきた。
時代に翻弄され、大きく姿を変えてきたセトウチの島々。その夢のつづきは、都会と地方とのあらたな関係を織り込みながら、島に生きる人びとの手によって紡ぎ出されている。
http://www.mishimaga.com/setouchi/010.html
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2022/06/27 (Mon) 16:02:14
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鴻島(備前市)貸別荘「瀬戸の花嫁」
日生町日生2679-468
電話番号 0869-72-3757
ヨットでセーリングを楽しむ!
おだやかな海をヨットセーリングが出来ます。
食事は岡山県北の千屋から仕入れる高級黒毛和牛のステーキ たたきサラダ、牛すじ煮込等
ご宿泊は瀬戸内の多島美が一望できる2LDKのリゾートハウスでゆったりと、リゾートハウスのベランダでワイワイバーベキューも最高!
http://bizen-kanko.com/spot/spot_detail/index/58.html
http://www.okayama-chisan-chisho.jp/?shops=%E3%83%AA%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%8F%E3%82%A6%E3%82%B9%EF%BC%86%E9%89%84%E6%9D%BF%E7%84%BC%E3%80%80%E7%80%AC%E6%88%B8%E3%81%AE%E8%8A%B1%E5%AB%81
ここのベランダから見る瀬戸内海はまさに絶景!
海に浮かぶカキ筏、岬に入り江、小さな砂浜と瀬戸内らしい風景が広がっています。特に、四季を通じて見ることができる朝日は素晴らしいとのこと。
この写真には写っていませんが、オーナーの森田さんは静岡県出身。ヨットと海が好きで全国各地を旅し、9年前からこの鴻島で暮らしはじめ、先月念願かなってこの宿をオープンさせたとか。
設備が整った綺麗な2階建ての別荘をリゾートハウスとして1棟貸し(定員6名まで12,000円/泊、エアコン、キッチン、食卓、寝具、BT完備)されています。
島でのんびりしたい方、仲間とリゾート気分でバーベキューしたい方、あるいは、別荘を買いたいけどお金が・・・という方におすすめです
https://www.facebook.com/permalink.php?story_fbid=495057210585724&id=275617022529745
リゾートハウス&鉄板焼「瀬戸の花嫁」 0869-72-3757
https://tomarina.com/rooms/324?locale=ja
一組限定の一棟貸しです。桃源郷のような島の別荘で至福の時間を
この物件へのご予約につきましては、STAY JAPANカスタマーサポートセンターへのお電話(24時間営業、TEL: 050-5893-7717)
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お問合せフォーム
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からお問合せ下さい。
■物件タイプ:一棟貸し 2LDK
■体験種別:お花見・潮干狩り・海水浴・みかん狩り・備前焼
■イチオシ体験:花火大会(8/13〜)ヨットでお食事プランをご用意しております。
■最寄り駅・バス停:JR日生駅
■送迎:ご相談下さい。
日生港から鴻島までの定期船が1日4便と不便ですのでヨットで送迎しております(有料)
■宿泊料金:表示されている料金は一棟貸し料金です。
プラン名:ほっといてプラン 5名様まで 15,000円 6名様以降1名様追加+1,000円
・ほっといて仲良しプラン 2名様 7000円
・1泊2食付きプラン12,000円/人
・長期プランについてはご相談下さい。(週単位 / 月単位 / 人数等)
・1泊2食 岡山県の新見千屋の最高級黒毛和牛のステーキコースから、冬は牡蠣食べ放題コース 12,000円/人
別荘一棟貸し 限定一組
ヨットで日生港から鴻島までの1時間のセーリングを楽しみながら
自然の中から見る瀬戸内の多島美まるで桃源郷のような島の別荘で至福の時間を、、、
お風呂場から朝日が見えます。瀬戸内の多島美が堪能できます。
■収穫物・体験
みかん狩り(11月〜1月)
潮干狩り(3月〜6月)
ヨットセーリング(3月〜11月)
牡蠣(12月〜3月)
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春 お花見、潮干狩り
夏 海水浴、海上花火大会 8月13日 ヨットで食事要予約
秋 ミカン狩り、備前焼き祭り
冬 牡蠣祭り
お楽しみいただけます。
宿泊棟のベランダでのバーベキューもできます。
食材を持ち込んで宴会をしたり、バーベキューをしたりしていただくのですが、鴻島内にはコンビニ・商店・自動販売機は一切ないのでご希望でバーベキューセットの用意をさせてもらったり、食事付きのプランを作っております。
https://tomarina.com/rooms/324?locale=ja
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2022/06/27 (Mon) 16:02:53
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民宿大津屋
日生町日生鴻島2666-108
電話番号 0869-74-0146
不定休
鴻島の海抜100メートルからの瀬戸内海の眺めは、まるで一幅の絵画のような美しさです。
民宿 大津屋 1泊料金
【2食付き】¥10,000
【素泊まり】¥4,500
地図
https://www.google.co.jp/maps/place/%E5%A4%A7%E6%B4%A5%E5%B1%8B/@34.702715,134.258568,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0xfe632601951596a!8m2!3d34.702715!4d134.258568?hl=ja
アクセス
JR赤穂線日生駅/日生港まで徒歩15分/定期船15分(海上タクシー5分)/車で送迎
山陽自動車道赤穂IC/日生港まで車20分/定期船15分(海上タクシー5分)/車で送迎
駐車場
普通車5台(日生港)一般駐車場利用
http://bizen-kanko.com/spot/spot_detail/index/79.html
https://www.okayama-kanko.jp/modules/kankouinfo/pub_kihon_detail.php?sel_id=4183&sel_data_kbn=0
「死から生を考える会」その1 男の浪漫 鴻島にたった1軒の民宿 2011/2/22
http://blogs.yahoo.co.jp/sayuri2525maria/23568578.html
2月の19日、20日・・と、岡山県の鴻島(こうしま)にて、「死から生を考える会」が開催されました。
鴻島は瀬戸内海に浮かぶ小島の一つ。日生(ひなせ)から、船に乗って15分ほどです。
昔は300世帯ほど、人が住んでいたそうですが、今や小学校もなくなり、無人状態。
それでも、この島の頂上には、1軒だけ、老夫婦が経営される民宿があるのです。
今回はここ「大津屋」さんが会場になりました。
この会の開催者、小野さんのお話しによると・・
芥(あくた)さんご夫婦は大阪の美術館内で長年、カフェを経営されていた方。
玄関には、立派な上村松園{序の舞」の絵が・・。
鴻島に民宿を建てて、こちらにご夫婦で移って来られたというわけです。
芥さんは九州の島原出身。
ここを選ばれたのは、故郷と似ている瀬戸内海のこの島々に、強い魅力を感じたのがきっかけ。
「生まれ故郷に似ているので、ここに住みたい!」
という芥さんの夢を聞いて、集まってくれた大工さん達は、何と、みんな九州人!
とても良い材料で、素敵な民宿の建物を作ってくださったそうです!
芥さんのお人柄もあるのでしょう。
・・お話しを伺っている私たちも、大工さん達の友情に心温かくなりました。
室内からはもちろん、展望台からも日生諸島全島が一望できて、感激でした!
ところで、芥さんの夢が叶って、こちらに住まれたのは、なんと60歳!
伊能忠敬が50歳から測量を始めて、日本地図を完成させたように、
何歳になっても、志や夢を持ち続ければ、いつか夢は叶うものなのですね!
もう引退したつもりになっていた私ですが、
「その年で、引退とはあかん、あかん!」と、芥さんに発破をかけられたような気がしました!
かわいい奥さんと一緒に老夫婦が経営される大津屋さんです。
気になるお料理は・・
蟹も一匹ずつ・・・。
食べ切れないほどのご馳走です。
そこへ、蒸し牡蛎が山ほど・・・。
牡蠣フライも、酢牡蠣も・・と、海の幸がいっぱい!
食後にはメロンが出ました。
芥さんです。
物静かな中にも、男の浪漫を実現させた強い情熱の持ち主。良いお顔をなさっています^^
http://blogs.yahoo.co.jp/sayuri2525maria/23568578.html
日生諸島をご存知ですか? 投稿者:サントバーバロ 2013年 4月22日
岡山大学での考古学研究会が4月20日ー21日開催されるので今年は参加することにしました。
岡山に行く前に瀬戸内海の島に一泊することにして島を探しましたところ地図で眺めると日生諸島が赤穂線の日生駅から船でいけることが分かった。
一昨年の塩飽諸島の本島 塩飽島で瀬戸内海の島の魅力を知り直島にも行ったので、今回は日生諸島をターゲットにした。理由は魚が美味しいところと聞いたからである。
魚の美味しいことで有名な頭島(かしらじま)の民宿に泊まろうと民宿に予約の電話すると3軒で断られた。 一人ではだめだという。
ともかく日生町観光協会にメールでその経緯を説明して、一人で宿泊可能な宿を紹介してもらったところ鴻島(こうじま)の大津屋という民宿を紹介してもらい電話で予約ができまたした。
この島巡りをするため朝7時東京発の新幹線ひかり461号に乗り相生で赤穂線に乗り換え日生駅(ひなせ)11;56に下車しすぐに12;10発の船に乗り大多府島に直行する。
この島は岡山藩の参勤交代のための特別の港であり蕃所があったので訪れることにした。
なぜ ひなせ と呼ぶのかと質問したところ「お日様が出なくて飢饉になったので、日が出るように祈ったとか、日が生すようにということでひなすがひなせになった」という。
寒河と書いて<そうが>という地名もある。とても読めない!!!
観光客は勿論小生だけである。下船するとこの島には昼食を取るところもなければ店もない。
仕方なく勘三郎洞窟跡、大井戸、灯篭堂を急ぎ見学し2時10分発の船に間に合うように飲まず食わずで鴻島行きの船に乗る。 この島の灯篭堂の近くの大多府島の小学校は廃校になっているのが全く淋しい。
小学校への道だ頑張って登ろうと道標がある!!!
大津屋の主人が2時30分港に出迎えに来ている。
この島は平成2-3年のバブル時代別荘が乱立したところで、現在は38人の人口の島となってしまった。
昔平安の時代高貴な平家の貴族が落ち延びた島で香島といったという。
また元禄時代には流刑地で一時無人島に成り、後に昭和時代初期頭島から移住して人が住むようになった。昔の土器、古墳があるので太古から人が住んでいたところである。
ここの主人は島原出身でコーヒー店経営で財を成して61歳で大阪から移住してこの島に一億円を投資して完璧な日本式豪邸を出身地の島原の大工を使い、瀬戸内海の日の出を毎日眺められる場所に建築して民宿経営を始めたという。
現在82歳である。奥様と経営している。ともかく凄い民宿です。
宿泊料も一泊二食で11,000円で旅館並です。再訪する価値があります。
食べきれない新鮮魚と瀬戸内海の眺望絶佳で夕食を楽しむ。
ともかく最高の贅沢が出来て申し訳ない感じでした。
野生の鹿が増えて困るという。鴻島山頂からの眺めは最高であり山つつじが美しく咲いています。。
翌日は8時40分の船で日生駅港に向かい、加子浦歴史文化館と備前中南米美術館[森下美術館]に立ち寄る。ここの中南米美術館は一見の価値があります。
アステカ、インカ、中米の各地の古代の美術品が展示されています。そして岡山大学の考古学研究会に参加のため岡山に向かいました。
是非ともこの島に立ち寄ってみませんか。。。。
http://6247.teacup.com/toshifjjp/bbs/11612