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東京なのに秘境、八丈島から就航率40%以下の船かヘリコプターでしか行けない「青ヶ島」

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2022/06/27 (Mon) 04:21:56

東京なのに秘境、八丈島から就航率40%以下の船かヘリコプターでしか行けない「青ヶ島」


漁船に乗せてもらったら青ヶ島とんでもなかった【永久保存超貴重映像】 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=Y2qxjV70tWY

青ヶ島ちゃんねるガイド密着【青ヶ島観光】 - YouTube動画
2022/06/11
https://www.youtube.com/watch?v=KYOSiUh_VpU&t=7s


青ヶ島生まれ。最近帰郷した青ヶ島での暮らし。基本的に普通の日常ですが、島外の人からすれば非日常なのかもしれません。青ヶ島のここが見たい!等リクエストがあればどうぞ。


地図
https://www.bing.com/maps?q=%E9%9D%92%E3%83%B6%E5%B3%B6++%E5%9C%B0%E5%9B%B3&qs=n&form=QBRE&sp=-1&pq=%E9%9D%92%E3%83%B6%E5%B3%B6+%E5%9C%B0%E5%9B%B3&sc=6-6&sk=&cvid=7F9A2B7C22E74CE98359DE3EB2E9A620&ghsh=0&ghacc=0



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2022/06/27 (Mon) 04:25:20


東京なのに秘境? 日本で最も行くことが困難な有人島「青ヶ島」の楽しみ方
2018.08.11
https://welove.expedia.co.jp/destination/japan/37244/

日本で一番人口の少ない村はどこにあると思いますか? 信じ難い話ですが実は巨大都市東京にあるのです。といっても23区内にあるわけでなく、太平洋に浮かぶ伊豆諸島の最南端にある青ヶ島という島にあります。本土からの直行便はなく、八丈島から欠航率の非常高い船で行くか、ヘリコプターでしか行くことができません。しかし逆にいうと、人が行きづらいという事は、その分手付かずの自然や、独自の文化が残っていると考えられます。今回はそんな東京なのに秘境! な青ヶ島へ行ってみましたので、その魅力と楽しみ方をご紹介いたします。


八丈島から就航率40%以下の船かヘリコプターでしか行けない青ヶ島
人口160人程の小さな島である青ヶ島への定期船は八丈島から1日わずか1本のみ。しかも霧や波の影響を受けやすい青ヶ島は就航率が40%以下とも言われています。青ヶ島に行く船が1週間連続で休航することすらあるわけです。ではもう一つの行き方であるヘリはどうか。ヘリの就航率は70%以上と比較的高めです。しかしヘリは1日1本のみで、乗客はたったの9人しか乗れません。仕事でどうしても行かないとならない人が一定数おり、彼らはだいぶ前から予約をしているので、直前にチケットを取ることは難しいです。よって1ヶ月先までのカレンダーを見てもほぼ満席状態。1週間の休みで、ちょうど良いタイミングでヘリのチケットを抑えることはほぼ難しく、仮にできたとしても帰りのヘリが飛ばなかった場合、振替は次に空いている日にちのみ可能なため、余裕をとってスケジュールを立てることをおすすめします。これらの理由から青ヶ島へのアクセスのハードルが高いように感じると思いますが、5月に行った私は足止めを食らわずに計画通りの旅ができました。基本的には春から夏にかけて船の就航率が上がり、秋から冬にかけてヘリの就航率が上がるようなので、時期にあった交通機関を予約ください。

ヘリコプター

この日は風速15kmほど、吹き飛ばされそうになるくらいの風が吹いていたため、朝起きた時はヘリも飛ばないのだろうと落ち込んでいましたが、実はヘリは飛行機よりも風に強いようで、強風による休航はほとんど無いようです。強風の中、この日も運行することが決まりました。八丈空港で登場位手続きをして、歩いてヘリコプターに乗り込みます。

車内

車内はハイエースほどの広さです。ホバリングは全く揺れず、浮き上がる瞬間をフェイスブックでライブ中継をしようとしたのですが、全く気がつかずそれが出来ないほどでした。

青ヶ島

ヘリからは青ヶ島を上から見ることが出来ます。私の席は左の窓側席で、青ヶ島鮮明に見ることが出来ましたが、風の状況などで飛び方を変えるようなので、右左どちらがオススメかは難しいところです。一つ言えることは、最初に乗るか最後に乗るかをすれば、必ず窓側に座ることが出来ます。

人がほぼいない青ヶ島! 絶対見るべきスポット4選
皆さんは観光でおすすめされるスポットと聞いてどのような場所を思い浮かべますか。私は東京に住んでいるので浅草の浅草寺の風景が脳裏に浮かびます。深い歴史と情緒ある雰囲気の反面、多すぎる観光客に圧倒されてしまうという一面もあります。有名な観光地ほど魅力的なため多くの人を惹きつけるため当たり前の話です。浅草寺は国内でも際立っていますが、観光地というのは常に多くの人で賑わっているというのが世の常です。しかしここ青ヶ島は違います。美しい見どころは沢山あるのに、人っ子一人いないのです。

1.空気が美味しすぎる! ハイキングするなら「丸山一周遊歩道」
丸山遊歩道

車で移動中に突然見つけた「丸山遊歩道」。調べてみると所要時間20分と短めなハイキングコースだったので、歩いてみることにしました。

丸山遊歩道

歩きやすいように木で作られた階段があるのですが、草が生い茂り人が通っている形跡はゼロです。それ故か、あたり一面が緑で空気もより一層美味しく感じられます。森林浴を楽しみながら、進んで行くと

神社

こんな神社や

丸山一周遊歩道

こんな絶景ポイントも現れます。あまりに美しい散歩道であったため、思わず2周もしてしまいました。しかし驚くことに1時間ほどかけて2周してすれ違った人は0人です。大自然を自分だけのものにできるって、なんて幸せなんでしょう。

丸山一周遊歩道
青ヶ島郵便局から車で10分

2.青ヶ島の全体像を見るなら「大凸部」
青ヶ島

青ヶ島といったらなんと言ってもプリンのような形をした丸山、通称プリン山です。このプリン山を一番綺麗に見えるのが、島で一番標高の高い大凸部という場所です。島を眺めるのは勿論、記念写真を撮るのもここが島でベストスポットだと思います。

歩道

また、頂上に行くまでの歩道も美しく、歩くことがあまり苦にはならないと思います。ハイキングも楽しめ、絶景もたのしめる大凸部は青ヶ島に来たら絶対行くべきポイントと言えるでしょう。これほどの絶景を楽しめる場所でも、一度も人とすれ違うことはありませんでした。美しい風景を見ながら、ただただのんびりするにはうってつけの場所です。

大凸部
青ヶ島郵便局から車で10分

3.これぞアドベンチャー「大里神社」

これまた運転していると偶然神社の標識があったので、試しに行ってみることにしました。草木をかき分けて進んで行くと、鳥居が見えてきます。しかしそこには鳥居しかありません。神社における鳥居とは入口で、拝殿が必ずあるはずです。しかし辺りを見回してもそれらしきものは見当たらないのです。

鳥居の先はこんな感じで雑草が好き勝手に生えています。まさかこの先じゃないよな……と思いつつも、これだけ草木が生い茂っているということは本当に誰もこの先に入っていないはず。ということは何か面白い発見があるかもと思い、ひたすら拝殿を探しに一人進むことに。

さらに進んで行くと、こんな冒険心くすぐられるような道が現れたり

こんな道無き道まで現れます。

かすかに見える海

かすかに海が見えた時点で、流石に「この先は行くべきではないのでは?」とも思いましたが、この先に何があるのか知りたくて進むことを決意。それからも、進むか戻るかの押し問答が自分の中で5-6回あり、ようやく最終地点に到着しました。

私は引き返さなくてよかったと心から思いました。何故なら、通常の観光地では感じることができない好奇心と探究心を満たすことができたからです。今は便利な世の中で、旅行をする際にインターネットで画像検索するとなんでも出てきてしまうし、トレッキングコースなどでもハイライト写真が入り口に飾られてあることがよくあります。行き方や、注意点なども簡単に調べること可能です。しかし目的地のイメージがあるのとないのでは、いい意味でも悪い意味でも旅の楽しみ方がガラッと変わります。準備不足すぎて、無謀なことをすることに賛成はできかねますが、たまには敢えて何も知らない場所をひたすら突き進んで行くことも、旅を楽しむコツだと私は思います。日本の秘境だからこそできる贅沢です。

ということで、最終地点の写真はあえて載せません。是非自分の目で確認してみていただきたいです。

大里神社

青ヶ島郵便局から車で10分

4.息をのむほどの満天の星を見ることができるジョウマン共同牧場周辺

青ヶ島は星空ツアーがあるほど美しい夜空が有名です。私はジョウマン共同牧場の脇にある駐車場に車を止めて、見上げて星を眺めました。この日は、新月から5日程経っていたのですが、この辺りでは見ての通り満天の星を見ることができます。正直、これほど美しい星は、5年前に行ったアフリカのタンザニア以来です。アフリカ級の星が東京で見られるなんて驚きですよね。なぜこれほど美しい星や流れ星を見ることができるかというと、島の最北端にあるこの牧場の周りには一切外灯がなく、あたり一面が暗闇と化しているからなのです。ぜひ天気が良い日に、欲を言えば新月の日にこのジョウマン共同牧場周辺は非常に広く、好きな場所で星をゆっくり眺めることができます。ぜひ足を運ぶことをお勧めします。

ジョウマン共同牧場周辺
青ヶ島郵便局から車で5分

青ヶ島の食を楽しむ方法
青ヶ島には素晴らしい自然とのんびりできる空間がありますが、食に関しても気になるのではないでしょうか? 人口160人ほどしかいないこの島に美味しい食事処はあるのか? 実は島に居酒屋が2つあるのですが、私が行った2018年5月には1つのみが営業をしておりました。商店も島に1つしかない為、基本的に食を楽しむのは難しいと青ヶ島に行ったことがある人からは聞きます。しかしせっかくなら食も楽しみたいですよね! そこで青ヶ島の食を楽しむ方法をご紹介します。

地熱を使った天然蒸し料理を食べれるひんぎゃの地熱釜
その一つがこの、ひんぎゃの地熱釜を使って作る蒸し料理です。

ひんぎゃ

ひんぎゃの地熱釜とは、活火山が作り出す熱が至る所で水蒸気となって溢れ出る青ヶ島の特徴を生かし、食材を蒸すことができるように作られた釜のことです。まだ青ヶ島に電気がなかった時代この地熱釜は庶民の台所だったようです。ここに食材を入れるとあっという間に蒸しあがり、非常に美味しく出来上がるのです。青ヶ島にある宿は基本的に3食付きなので、どの宿でもあらかじめお願いすると、昼食はひんぎゃ用のお弁当を持たせてくれます。

蒸し料理

青ヶ島に住んでいた昔の人の生活を思い描きながら、大自然の中で食べる蒸し料理は間違いなく青ヶ島の食のハイライトと言えます。

ひんぎゃの地熱釜

青ヶ島郵便局から車で20分

魚を釣る、もしくは漁師さんと仲良くなる

青ヶ島は釣りのメッカとしても有名な場所です。上の写真方は和歌山から年に数回釣りに来ている方で、偶然島で仲良くなり、「明日、君のためにシマアジを釣ってくるよ」と約束をしてくれて、本当に釣って来てくれた凄腕の釣り人さんです。おまけに大きなメジナまで。この島に唯一ある商店では魚が売っていません。それは、魚は自分で釣るか、近所の人からいただくかがこの島の習慣だからです。その素晴らしい習慣に合わせて漁師さんと仲良くなっておすそ分けをいただく、そんな楽しみ方ができるのも青ヶ島の良いところだと思います。その際は青ヶ島で手に入らないお土産を持参していくと喜ばれると思います。

青ヶ島港

青ヶ島郵便局から車で20分

青ヶ島以外ではお目にかかれない! 幻の焼酎「青酎」

最後に忘れてはいけないのがこの「青酎」です。人口わずか160人ほどの小さな島で作られている青酎は大量生産ができません。そのため島外ではほとんど見かけることがありません。そんなこともあっていつしか幻の焼酎とも言われるようになりました。青酎にはいくつか種類があるのですが、私が飲んだ青酎麦はフルーティーで非常に飲みやすかったです。かつて島外に出稼ぎに行った男性のために、島の女性が作り出したと言われる青酎。そんな島の歴史を感じ、島の料理を食べながら飲む青酎は格別です。私は宿泊した宿で飲みましたが、商店や青ヶ島酒造で購入することができます。

青ヶ島酒造 合資会社
住所:東京都青ヶ島村無番地
TEL:04996-9-0332
URL:http://ao-chu.com/

非日常を味わいに青ヶ島へ


青ヶ島は正直行くまでのハードルがかなり高いですし、物資は決して足りてるとは言えない上、車がないと観光も難しいです。おまけに車が通る道もこんなに狭かったりもするわけです。しかしモノに恵まれすぎている時代に生まれた私たちは、不自由を感じずに生きてきて、またそれが当たり前のように感じてしまいがちです。少し不便かもしれないけど、自然の力を使って食べ物を調理し、全く人のいない美しい風景を楽しみながら、山の中を一人で歩いて、夜になったら島の酒を片手に星をぼんやり眺める。そういった普段と異なる非日常的な生活が、この島を楽しむ何よりの秘訣だと私は思います。

https://welove.expedia.co.jp/destination/japan/37244/
3:777 :

2022/06/27 (Mon) 04:29:03

青ヶ島(あおがしま)は、伊豆諸島に属する火山島で、本諸島の有人島としては最南端にある。日本の気象庁によって火山活動度ランクCの活火山に指定されており[1]、また、常時観測火山にも選定されている[2][3]。全島が青ヶ島村に属し、住所は全世帯で無番地である。産業に乏しく本土との往来も難しいため、人口減少が続いており、2019年においては170人程度しか定住していない。

元々は知名度の低い島であったが、外輪山によって周囲の海から隔てられ、カルデラ底が陸上に露出しているという特異な地形を持つことから、アメリカの著名な組織がオンラインの記事[4][5]で取り上げたことで、世界中から注目を浴びるに至った[6]。

青ヶ島よりも南方には、ベヨネース列岩、須美寿島、鳥島、孀婦岩といった岩や無人島が順に並んでおり、漁場や自然保護区となっているが、切り立った崖ばかりで上陸が難しいことと、青ヶ島以上に海が荒れやすいため一般人が訪れることは難しい。


青ヶ島は本州から遥か南方の太平洋上に位置し、行政区分は東京都青ヶ島村。最も近い八丈島からは南へ約60km程度離れている。気候は温暖湿潤気候(Cfa)。本州よりは暖かい気候であるが、沖縄やハワイ等と比較して緯度が高いため、常夏の島と言えるほど暖かい訳ではない。孤島であるため、天候が変化しやすい他に、海からの強風にも常に晒され続けており、自動車が飛ばされる程の風が吹くこともある。

2019年(令和元年)7月1日現在の人口は170人で世帯数は113世帯ある[7]。いつ頃から人が本島に定住するようになったかについては不明であるが、徐福伝説によれば、男女が同じ島に住むと神の祟りがあると信じられた時代があり、女人禁制の島だったとされる。本島が歴史上に表れるのは15世紀頃からであるが、海難事故を記録したものが殆どである[8]。『保元物語』に登場する源為朝が訪れた鬼島を青ヶ島とする説がある。

連絡船のあおがしま丸[9]やゆり丸の悪天候に因る欠航が多く、八丈島 - 青ヶ島間を往来する小型ヘリコプターの『東京愛らんどシャトル』[10]は定員が少ないという往来の困難さゆえに観光目的で島を訪れる人は年間900人から多くても1800人程度である。2010年代に入って、インターネット経由で世界的に存在が認知されたことで、知る人ぞ知る秘境から世界的な名所となり、キャパシティを超える観光客が押し寄せている。特に、2014年から2016年に掛けてアメリカの著名な組織のWebサイトで記事が相次いで掲載された[11][5]ことで、世界中から取材班や観光客が集まるようになり、数少ない交通機関の予約(特に東京愛らんどシャトル)は更に困難になっている。愛らんどシャトルは島民の生活にも欠かせないヘリコプターであり、予約が取り難くなったことで島民の往来にも支障が発生している。また、青ヶ島村において外国語での電話取材や外国人観光客の対応で問題が発生している[12]。

島内に小中学校は存在するが、高校以上の教育機関は存在しないため、高校へ進学する生徒は島を離れなければならない。



地形
海面上の本島は北北西-南南東3.5km、西南西-東北東2.5kmであるが、これは海面下の基底15km×8km、海底からの比高は1100mの火山の頂上部である[13]。

海面上の青ヶ島火山は、北部の黒崎火山とそれを覆う南部の主成層火山の2つの火山体で構成されている[14]。主成層火山の頂部には直径約1.7×1.5kmの小カルデラ(池之沢火口)があり、その中に中央火口丘の丸山火砕丘がある。

この島における最高地点は丸山を取り囲んでいる外輪山の北西部分に当たる大凸部おおとんぶで、標高423mである。島の外周部は、高さが50mから200m程度の切り立った海食崖でとり囲まれている。砂浜は無い。



火山活動史
青ヶ島は第四紀火山である。最近1万年間の活動は主成層火山で発生している。約3600年前に北西山腹で割れ目噴火があった。

約3000年前 大規模なマグマ水蒸気爆発が発生し、火砕サージが全島を覆った。3000年前から2400年前までの間に、本島の南東部にあった火口状の凹地を埋める溶岩流とスコリアが噴出し、東部や北部に多量のスコリアが降下する噴火も発生した。その後、岩屑雪崩が発生して、最終的には池之沢火口が形成された[15]。
1652年 噴煙が上がり[16]、1670年より約10年間に亘って大池より火山灰が噴出した[17]。
1780年7月 群発地震が発生し、8月に大池・小池の水位と水温が上昇した。
1781年5月3日 に地震が群発し、翌日には降灰が起こった。
1785年4月18日 に発生した火山活動により全家屋63戸が焼失した[18]。火口内に溶岩流とスコリアによる丸山火砕丘が形成され、翌年の噴火に掛けて成長した。この天明の大噴火は5月末まで続いたとされる。このとき、島民327人のうち八丈島への避難が間に合わなかった130人余りが死亡したと考えられており、1824年に名主の佐々木次郎太夫らが還住(全島帰還)を果たすまでの約40年間に亘って無人島になった。
18世紀の活動以降は、顕著な火山活動は無い。噴気活動も少なく、池の沢火口内壁と丸山周辺に水蒸気を主成分とする噴気が見られるだけである[14]。


地名など
本島の北部でカルデラの外側の岡部に、休戸郷やすんどごうと西郷にしごうの2つの集落が存在する。また、本島の北端部やカルデラ内の数か所には多数の地熱蒸気噴気孔『ひんぎゃ(火の際、ひのきわ)』が在り、黒崎海岸には海中温泉がある[18]。なお、住所としてはこれらの地名は無く、島内全域が「東京都青ヶ島村無番地」である。

池之沢
カルデラ内の領域。
この地名は天明の大噴火以前には大小2つの池が在ったことに由来する。池之沢内は「金土ヶ平」や、樹齢230年を越えるスギ「大杉」が茂る「恋ヶ奥」などに細分化される。
火口付近であることからひんぎゃが多く存在し、絶滅危惧種のオオタニワタリが群生している。
浜路ヶ平
天明の大噴火以前に池之沢の東南部に集落を有した狭隘な平坦地で、現在は無人である。
岡部
休戸郷と西郷の集落がある青ヶ島北部。
東側が休戸郷で西側が西郷である。また、それらの中間は「中原」とも言われることもあり、村営住宅の名称等に使われている。
住宅や公共施設等は全てここに集中している。ここは、島の大部分を占める二重式火山の池之沢に対して、岡部と呼ばれることもある。
神子ノ浦みこのうら
岡部の東側の断崖の下の岩石海岸。
集落から平面距離的には近いため、20世紀半ばまで船着場として使われていた。
当地まで断崖絶壁を降りる道が崩落しており、現在は通行不可能。断崖の上には展望台が建設されている。
大凸部おおとんぶ
外輪山の北西に位置する標高423mの山で、青ヶ島の最高地点でもある。
大人ヶ凸部おおじんがとんぶ
外輪山東南部に位置する標高334mの山。
丸山
1785年の天明の大噴火で形成された標高223mの内輪山(火口丘)。
内輪山を1周することができるように整備された丸山遊歩道の途中には、富士様と呼ばれる神社がある。
尾山
外輪山北側の展望公園として整備されている標高400mの頂。
大千代
島の南東部にある岬。
三宝港を補うために埠頭が建設されたが、1994年9月27日に付近の斜面が崩落し、村道18号線(大千代港線)が寸断されてしまったため、現在は埠頭に行くことは不可能。
東京都は「大千代港への取付道路の整備は課題であるが、崩落の改修は技術的にも相当困難な状況である。」[19]と結論しており、事実上放棄されている。


郵便
「青ヶ島郵便局」が島唯一の郵便局であり郵便、貯金、保険の各業務を行っている。郵便局内には村唯一の金融機関であるゆうちょ銀行が入っておりATMも設置されている。また郵便ポストは郵便局前と村役場前の2箇所ある。なお青ヶ島に郵便を出す際は郵便番号(〒100-1701)のあとに「東京都青ヶ島村無番地」と宛先の名前を記入する。これは村内の人口及び世帯数が少なく個人の名前だけで郵便物を届けられるためである。島に到着した郵便物は青ヶ島集配所の職員が配達する。また以前は村内から村外へ郵便物を出す際は消印が「青ヶ島」となっていたが現在は周辺の島々と同様に「新東京」となっている。 なお村で唯一買い物ができる十一屋酒店で購入できないものはネット通販やAmazonなどに頼るしかなく、通常であれば1週間ほどで貨物船で到着するが、悪天候などに左右されやすく運休することもある。

交通
島内に鉄道やバス、タクシーなどの公共交通機関は無い。また、三宝港から集落までは離れており、その道中の勾配も急峻で、徒歩や自転車での移動は難しい。そのため、観光客はレンタカーを利用するか、民宿に車での送迎を頼む場合が多い。

道路
東京都道236号青ヶ島循環線[20]
三宝港からカルデラ外縁部の西側を通って集落へ向かう道は、2001年に港のすぐ西側の斜面が崩落して以降、通行不能になっている。
かつては三宝港から池之沢へと稜線(残所越)を越える村道8号線があったものの、海側が1981年に崩落したため、1985年に港と池之沢を結ぶ青宝トンネル(全長505m)が開通した。また、1992年には、池之沢の東側から集落に向かう「流し坂」に平成流し坂トンネルが開通し、交通事情は改善されている。
島内の交通量は極めて少なく、実用上の信号機は不要だが、小学校近くに1基のみ設置されている。これは、高校のない青ヶ島の子供は、中学を卒業すると自ずと交通網が発達した本州、もしくは高校のある伊豆諸島の島に移り住む必要があり、生活に支障が出ないようにするためである。


航路
底土港-三宝港
2014年1月より、伊豆諸島開発貨客船のあおがしま丸が底土港(八丈島)または八重根漁港と三宝港の間を片道3時間で週4往復している[21]。
欠航が続いた場合には、日曜日に臨時運航されることもある。
それ以前の2013年12月までは、旅客船の還住丸が八重根漁港と三宝港の間を片道2時間30分で日曜日を除いて毎日1往復していた[22]。
また同時期まで、貨客船の黒潮丸が底土港と三宝港の間を片道4時間で毎週土曜日に1往復していた。かつては旅客も扱っていたが、運用末期には原則として貨物専用ということになっていた。
本島に存在する港は2箇所あり、それらのいずれも集落から遠く離れたカルデラの断崖絶壁の下に建設されている。一つは南西部に存在する三宝港で、他方は南東部に存在する大千代港である。
入江のない青ヶ島では、20世紀初頭まで神子ヶ浦の僅かな海岸に小舟をつける程度しかできなかった。昭和の始め頃に三宝港が造られたが、漁船程度の小型船しか着けられない船着場であり、物資や人員は船を沖合に停泊させて、そこから艀で輸送するほかなかった。また防波堤が無く、少しの高波でも作業が出来なくなるために、就航率が極端に低く、天候急変による作業途中の離脱で積み残しが多かった。戦後に151億円を投じて、防波堤を兼ねた貨物船用の波止場が建設され、500t級の船舶が接岸できるようになった[23]。それでも付近の黒潮の激しさと天候に左右され易く、現在でも漁船を港内に停泊させられず、架空索道で陸上にある船溜りに移動させている。また、定期客船の就航率は6割弱で、特に海が荒れやすい冬場は、週に1度から10日に1度程度という低い状態が続いている。これを補うべく南東部の大千代に港が建設されたが、1994年に斜面が大きく崩落して道路が寸断されて以降は利用できなくなっている。青ヶ島において艀輸送が完全に終了したのは2014年になっての事であった。


空路
八丈島空港-青ヶ島ヘリポート
1993年より、東邦航空のヘリコミューター「東京愛らんどシャトル」が、八丈島空港と青ヶ島ヘリポートの間を片道約20分で毎日1往復している。
就航率は9割弱で、天候の影響を受けやすい海路と比較して就航率は遥かに高く、また所要時間も短いため、島民の主たる足となっている。ただし、運賃は高い上、定員も9名と圧倒的に少なく、上記の通り島民の移動手段としても重要であるため、観光客の予約は困難な場合も多い。
欠航が続いた場合や、村役場からの要請が有る場合は、臨時便として定期便の飛行前及び1日の飛行後(御蔵島から八丈島に戻ってきた後)に増発されることもある。
ヘリコプターが離陸する際には、送迎の島民が手を振り、青ヶ島駐在所の警察官が敬礼する風景が見られる。
このヘリコミューターが開設される前は、一旦海況が悪化すると一切の物資が届かず、来島者も帰れないという状態が半月以上続くことが珍しくなかった。


通信
インターネット
長年ADSL回線のみであったが、海底光ファイバーケーブルの整備事業が進められた結果、2020年3月25日より超高速ブロードバンドサービスの提供が開始された [24]。

携帯電話網
NTTドコモはほぼ全域で使用可能。au 4G LTE・SoftBank 4G LTEは、岡部付近でのみ使用可能である。


産業
平坦な土地と大量の水を必要とする水稲栽培は行えないので、サツマイモ栽培が行われている。昔はこれが主食であり、乾燥芋にして保存食料とした。ひんぎゃの蒸気(無臭・無毒)を利用した蒸し釜が調理に使用されている。サツマイモを原料とした芋焼酎が名産品である。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E3%83%B6%E5%B3%B6
4:777 :

2022/06/27 (Mon) 04:45:20

あげ25
5:777 :

2022/06/27 (Mon) 04:59:30

「お金を使う場所がない」「魚と卵で物々交換する」人口166人、都心から360キロ離れた“絶海の孤島・青ヶ島”のリアル
青ヶ島ちゃんねる・佐々木加絵さんインタビュー #1
仲 奈々
https://bunshun.jp/articles/-/55384


 東京都心から約360kmも離れた離島、青ヶ島。そのアクセスの難しさから、人々はこの島を“絶海の孤島”と呼ぶ。八丈島を経由してヘリコプターか連絡船を利用しないとたどり着けず、それぞれ1日1便しか出ていない。ヘリコプターの席数は9席のみで予約が困難、連絡船の就航率は5割程度とも言われている。

 さらに、日本一人口の少ない村としても有名だ。2022年6月1日時点の人口は166人。

 そんな青ヶ島に住みながらYouTubeチャンネル「青ヶ島ちゃんねる」を運営しているのが、青ヶ島生まれ・青ヶ島育ちの佐々木加絵さん(38)。彼女は“絶海の孤島”青ヶ島でいったいどんな日常を送っているのだろうか?(全3回の1回目/2回目に続く)


“絶海の孤島”青ヶ島


【画像多数】
「死ぬまでに見るべき世界の絶景」に選ばれた青ヶ島の大自然を写真で見る

https://bunshun.jp/articles/photo/55384?pn=12


◆◆◆

佐々木加絵さんが過ごす青ヶ島での日常
――加絵さんは20年ほど東京本土で過ごし、2019年に青ヶ島にUターンされたそうですね。現在はどのような生活を送っているのでしょうか。

佐々木加絵さん(以下、佐々木) グラフィックデザイナーをしながら、母が経営している民宿の手伝いや観光ガイドをしています。島民は、私のように複数の仕事を掛け持ちしている人が多いです。漁業と建設業を兼業している人や、牛を飼いながら焼酎を作っている人なども居ます。

YouTubeチャンネル「青ヶ島ちゃんねる」を運営する佐々木加絵さん

――2021年から本格的に「青ヶ島ちゃんねる」を始めたきっかけは?

佐々木 以前から青ヶ島の魅力を動画で発信したいと考えていたんです。ただ、つい最近まで島のネット回線はADSLだったんですよ。スマホを使ったり、動画を観たりする分には問題なかったんですけど、動画を制作してYouTubeにあげる作業は重くてはかどらなくて。10分の動画をあげるのに、1時間もかかっていました(笑)。

 でも2020年3月に光回線が開通したのを機に「本格的にやってみようかな」と思って始めました。

――ADSLから光回線に変えると、劇的に速くなりますよね。

佐々木 すごい速くなりました! おそらく、内地(編注:東京本土のこと)よりも快適に使えるんじゃないかな。青ヶ島の人口は160人程度と少ないので、回線が混雑することがないんですよ。観光に来る方も、ネット環境の良さにはびっくりされますね。


ほかにも、テレビは東京都の管轄なので本土と同じものが映るし、映画やドラマはNetflixやAmazon Prime Videoで観られます。保育園や居酒屋、キャンプ場、そしてサウナも島内にあるんですよ。

――病院や美容室はあるのでしょうか。

佐々木 診療所があって、そこに医者と看護師が常駐しています。医者の先生は島民の名前や顔をすぐ覚えてくれますし、何か起こる前に気軽に相談できるので、予防はしやすいと思います。


 美容室は1軒あります。常に美容師さんが居るわけではないんですけど、数か月に1度、東京から来てくれるんです。カットだけじゃなくて、カラーやパーマもしてくれるんですよ! だからみなさんが想像している以上に、“普通の暮らし”を送っています。

青ヶ島の大自然

島内ではお金を使う場所がほとんどない
――島内で遊ぶときはどうしているのですか?

佐々木 居酒屋が2軒あるのでそこで飲んだり、サウナに行ったり……。夏場は天気が良ければ、自宅の前でほぼ毎日バーベキューをしています。仕事が終わってから島で採れた野菜や魚を焼いて、ビールを片手に夕日が沈んでいく海を眺めるのが最高です。

 そういえば、東京本土に出たとき「バーベキューをするのにわざわざ場所や器具をレンタルしなきゃいけないの!?」と驚いた記憶があります(笑)。

 もちろん、都会のように物や体験をお金で買えるのは便利だと思いますけどね。島内ではお金を使う場所がほとんどないので。

青ヶ島の海に沈む夕日

――お金を使う場所がない?

佐々木 島の人たちは自分で野菜を作ったり、「魚をあげたら卵をもらう」というように、今はなんとなく物々交換をしたりしているんです。

 ただ、移住者の方などは逆に気を使ってしまったりすると思うので、新鮮な食材が手に入る市場があったらいいなと思います。

 あと、島内に商店が1軒あるんですけど、定食屋さんや惣菜屋さんはないので、外食が恋しくなるときもあります。本土に行ったときには普段使わないお金を思い切り使ってしまいますね。

島内では自給自足で生活している人が多いという

――生活必需品や嗜好品はどうしているのでしょうか。

佐々木 Amazonプライムやヨドバシカメラのネットショップで購入すれば、配送料無料なのでとても助かっています。注文してから3日くらいで届くので、不便を感じることもないですね。内地の「最短当日配送」に比べたら遅いですけど、そこは内地が便利すぎるだけだと思っています。



「青ヶ島には本屋がないので……」
――加絵さんは青ヶ島で生まれ、東京本土の高校に入学するまでの15年間を青ヶ島で過ごしたんですよね。子どものときはどんな生活を送っていたんですか?

佐々木 小・中学校の同級生は5人しかいませんでした。私の学年は人数が多いほうで、学校全体の生徒は20人もいなかったかもしれません。だから、学年関係なくみんなで遊んでいましたね。友だちの家で、好きなアーティストのCDを聞いたり、雑誌を読んだり。

加絵さんは中学まで青ヶ島で過ごし、高校から東京本土で1人暮らしをする

――ちなみに、当時好きだったアーティストは?


佐々木 当時は、L'Arc~en~Cielと椎名林檎さんが好きでした。でもその頃はネット通販が一般的ではなかったので、CDや雑誌も簡単には手に入らなくて……。東京にいる親戚に頼んで送ってもらったり、東京に遊びに行ったときに買ったりしたものを大事にしていました。

 あと、青ヶ島には本屋がないので、八丈島(編注:青ヶ島から連絡船で約2時間半の場所に位置する)の本屋から本や雑誌を届けてもらったこともありましたよ。電話で欲しい本を注文すると、青ヶ島の役場まで送ってくれるんです。役場には島内の各家庭専用の引き出しがあって、そこに取りに行っていました。ネット通販が普及してからはなくなっちゃいましたけど。

八丈島まで行くのに連絡船で約2時間半かかるという

高校で初めて“連れション”を経験
――青ヶ島には高校がないため、高校進学と同時に東京本土で一人暮らしを始めるのが一般的だそうですね。

佐々木 そうです。同級生の人数が少ないだけでなく、私の場合は同級生が私以外全員男子だったので、「内地の学校には同学年の女の子がたくさんいるんだ!」とワクワクしました。ただ、島と都会では“コミュニケーションの取り方”が違うところもあったので、慣れるまで少し苦労しましたね。

自然に囲まれた島内

――島と都会のコミュニケーションの違いとは?

佐々木 島は子どもが少ないから、先輩・後輩とかをまったく意識しなかったんですよ。みんな年齢関係なく一緒に遊んでいたし、敬語も使わなかったし。基本的にみんな知り合いだから、目があったら手を振って挨拶するのが普通でした。

「同級生でもよく知らない子に急に話しかけたらびっくりされちゃうよ」というのは、高校の友だちに少しずつ教えてもらって。

 あとは、休み時間になると仲のいい子同士でトイレに行くのも、友だちとおそろいのものを身につけるのも、高校で初めて経験しました。すごく新鮮でしたね。



6:777 :

2022/06/27 (Mon) 05:13:18


「青ヶ島には差別や偏見がないけど…」絶海の孤島出身の38歳女性が語る、東京本土で感じた“都会と離島のギャップ”
青ヶ島ちゃんねる・佐々木加絵さんインタビュー #2
仲 奈々
https://bunshun.jp/articles/-/55385


 東京都心から約360km離れた“絶海の孤島”、青ヶ島。八丈島を経由してヘリコプターか連絡船を利用しないとたどり着けず、それぞれ1日1便しか出ていない。ヘリコプターの席数は9席のみで予約が困難、連絡船の就航率は5割程度とも言われている。

 さらに2022年6月1日時点の人口は166人で、「日本一人口の少ない村」としても有名だ。島内には高校がないため、ほとんどの島民が中学卒業と同時に東京本土で一人暮らしを始めるという。

 YouTubeチャンネル「青ヶ島ちゃんねる」を運営する青ヶ島生まれ・青ヶ島育ちの佐々木加絵さん(38)も、高校進学と同時に都会で一人暮らしを始める。そして約20年後の2019年に青ヶ島に戻ってきた。そんな彼女に、青ヶ島と都会の生活の違いや、青ヶ島に戻ってきた理由を聞いた。(全3回の2回目/1回目から続く)


青ヶ島生まれ・青ヶ島育ちの佐々木加絵さん

【画像多数】
「死ぬまでに見るべき世界の絶景」に選ばれた青ヶ島の大自然を写真で見る

https://bunshun.jp/articles/photo/55385?pn=10


◆◆◆

20年暮らした都会から青ヶ島に帰郷した理由
――青ヶ島から出て、東京本土での暮らしはどうでしたか?

佐々木加絵(以下、佐々木) 最初は島と都会のギャップに戸惑うこともありましたが、徐々に毎日が楽しくなっていきましたね。私はファッションや美容、エンタメが好きだったので、どんどん新しい情報が入ってくる東京本土の生活はすごく刺激的で。

 高校卒業後は大好きな美容やファッションの仕事に就いて、忙しくも充実した生活ができていました。社会人になったばかりの頃は「もうエンタメの少ない生活には戻れない!」と思っていたくらいでしたね。

加絵さんは中学卒業後、20年ほど東京本土で暮らしていた

――そんな充実した都会生活を送りながら、なぜ青ヶ島に戻ったのでしょう。

佐々木 直接のきっかけは、父が亡くなったことです。私の母は民宿「かいゆう丸」を経営しているのですが、もともとは父と2人で切り盛りする予定だったんです。

 でも、宿の建設中に父が突然病気で倒れてしまって……。「今親孝行しておかないと」と思って、帰郷しました。青ヶ島の法事は少し独特だし、民宿の手伝いもしなければいけないので。

――独特な法事とは?


四十九日が終わるまで毎週… 少し独特な青ヶ島の法事
佐々木 青ヶ島には葬儀場がないので、遺族がすべての準備をしなければいけないんです。葬儀はもちろん自宅で行うし、参列者に出す料理もすべて自分たちで用意する必要があって。しかもそれを、四十九日が終わるまで毎週やらないといけない。だから、母の負担が重すぎると思ったんです……。もちろん、親戚や付き合いのある方も手伝ってくれますけどね。

 当時、私は東京の会社で働いていて、法事のためとはいえ何度もお休みをもらうのは難しい状況でした。でも、「今は母の側にいないと後悔する」と思ったので、仕事を辞めて青ヶ島に戻る決断をしたんです。

加絵さんが制作した青ヶ島のパンフレット。グラフィックデザイナーをしながら、母が経営している民宿の手伝いをしている

 ただ、実は父が亡くなる前から、いつかは青ヶ島との2拠点生活ができたらいいなと思っていた部分もありました。


電車内での喧嘩や駅員へのクレーム……都会暮らしの違和感
――どうして青ヶ島との2拠点生活を?

佐々木 東京の生活は楽しかったけど、電車通勤が辛くて……。満員電車で片道1時間くらい通勤する生活を送るなかで、「この生活をずっと続けられるのかな」って年々不安になっていったんですよね。

 東京に来てから「人との距離感が島と全然違うな」と思うことがあったんです。本土は物理的な距離は近いのに、心の距離が遠い。電車で隣になった人のことも、駅員や店員のことも、“ただの他人”だと思い過ぎている。だから電車で喧嘩をしている人がいたり、少し電車が遅れただけで駅員さんにクレームを言っている人がいたり……。島ではみんな顔見知りなのでありえないですね。


――都会では当たり前になってしまっている光景ですね。

佐々木 一方で、苦手な人とは付き合いをやめられたり、1人の時間を楽しめたりする部分は本土の良さだと思います。

 青ヶ島はとにかく人口が少ないので、「気が合わないから付き合いをやめる」ことはできないんです。居酒屋で大喧嘩しても、次の日には顔をあわせて仕事をしなきゃいけない。

誰が船を操縦しているのかも島民は知っている

 でも運命共同体みたいなところがあるので、島ではひとりひとりの存在をすごく大切にしている。仕事をしている人の顔も見えるから、例えば「ここにゴミを捨てると◯◯さんが困るな」と想像できるんです。もし船が遅れたとしても、怒る人はいません。

――なぜそこまで島民の絆が強いのでしょうか?

島民の絆を強くした大噴火の歴史
佐々木 青ヶ島は江戸時代に大噴火があって、生き残った人たちは八丈島に避難したんです。でも故郷に戻るため約50年かけて、帰還を果たしました。この歴史が、島民の絆の強さに影響しているのかもしれません。「先祖が助け合って生きてきた文化を大事にしよう」という気持ちが今も島全体に強く根付いているのだと思います。

江戸時代に噴火をした青ヶ島
江戸時代に噴火をした青ヶ島
――島の歴史が脈々と受け継がれているんですね。一方で、歴史や絆があることで閉鎖的になったりしないのでしょうか?

佐々木 島外の方からは、よくそういう質問をされますね。村独自のルールや、差別・偏見があるんじゃないかって。でも、青ヶ島は人口が少なすぎてそういったことができないんですよ。


 もちろん、島民も都会の人たちと同じ人間なので、ときにはルールに従わない人もいます。でも、そういう人ともどうにか折り合いをつけたり、見守ったりしながら生活しているんです。

 それに人口が少ないから、青ヶ島の魅力をわかって観光や移住に来てくれる人は歓迎する雰囲気があります。



ほぼ全員が“移住経験者” 観光や移住で来てくれる人への思い
――最近は地方移住が注目されていますが、いざ移り住んでも地元に溶け込めなかった……という話も聞きます。なぜ青ヶ島の島民は外から来た人にも寛容なのでしょう。

佐々木 青ヶ島では、高齢者も若い人もほぼ全員が“移住”を経験しているからだと思います。島内に高校がなくて、みんな1度は島外で一人暮らしを経験するので、知らない土地で生活する難しさや心細さを知っているんですよね。

 わざわざ青ヶ島を選んで観光や移住をしてきてくれる人は精一杯歓迎したいし、できるだけ寂しい思いをしてほしくないという考えの人が多いのかもしれませんね。

7:777 :

2022/06/27 (Mon) 05:16:54

絶海の孤島・青ヶ島在住の38歳女性が明かす、“日本一人口が少ない村”の結婚事情「人口が166人だけだから…」
青ヶ島ちゃんねる・佐々木加絵さんインタビュー #3
仲 奈々
https://bunshun.jp/articles/-/55386


 東京都心から約360km離れた“絶海の孤島”、青ヶ島。2022年6月1日時点の人口は166人で、「日本一人口の少ない村」としても有名だ。八丈島を経由してヘリコプターか連絡船を利用しないとたどり着けず、それぞれ1日1便しか出ていない。ヘリコプターの席数は9席のみで予約が困難、連絡船の就航率は5割程度とも言われている。

 そんな青ヶ島ではここ数年でネット環境が整い、シェアハウスができるなど、移住者を受け入れる態勢が少しずつ整備されているという。しかし島民の佐々木加絵さん(38)は、「移住者が快適に過ごすには、まだまだ課題がある」と話す。彼女が考える島の課題や、思い描く“青ヶ島の未来”について話を聞いた。(全3回の3回目/2回目から続く)

青ヶ島生まれ・青ヶ島育ちの佐々木加絵さん

【画像多数】
「死ぬまでに見るべき世界の絶景」に選ばれた青ヶ島の大自然を写真ですべて見る

https://bunshun.jp/articles/photo/55386?pn=9


◆◆◆


移住者が増えている青ヶ島の“仕事環境”は?
――最近は島外から青ヶ島に来る人が増えているのでしょうか?

佐々木加絵(以下、佐々木) 旅行と仕事をかねて来る方も、移住してくる方も増えていますね。私のYouTubeチャンネル「青ヶ島ちゃんねる」を観て移住を決めてくださった方も2名いるんですよ! 最近はシェアハウスもできたので、パソコン1台で仕事ができるWeb関係の方に注目され始めているようです。

 これまでは教員や役場の職員とか、転勤で数年滞在する人が多かったですけど、これからはWeb関係の人が増えてくるんじゃないかと思います。ネット環境が整っていて、ワーケーションもできるので。

2020年3月に光回線が開通し、ネット環境が改善された青ヶ島

――Web関係のように、パソコン1台で働けるスキルがないと移住は難しい?

佐々木 そんなことはないですよ。例えば看護師や保育士の求人は常に出ているし、リゾートバイトとして居酒屋で働くのも島外の若い人たちから人気があります。


佐々木 ほかにも、青ヶ島の特産品である「ひんぎゃの塩」の精製所や、建築関連、民宿でもよく求人募集がかかっていますね。

 それに青ヶ島は、Uターンで戻ってくる人たちが「島外での経験を活かして青ヶ島を盛り上げたい」と思っているから、実はビジネス的にも活気にあふれているんですよ。島全体でそういう人たちを応援する雰囲気もあるので、新しいことにもチャレンジしやすいと思います。実際に、私が島中をまわってYouTubeの更新をしている姿にも、「頑張れ!」って声をかけてくれる人ばかりですね。


加絵さんが運営するYouTubeチャンネル「青ヶ島ちゃんねる」
島民同士の結婚事情は?
――チャレンジを応援してくれる文化があるんですね。


佐々木 私の飲み友だちは近所のおじさんが多いのですが、みんなで一緒に飲むと仕事の話やこれからしたいことを熱心に聞いてくれて、激励してくれる。何かチャレンジしたいことがある人には、すごくいい環境なんじゃないかと思います。

――子どもがいる家庭でも移住しやすい?

佐々木 島全体で子どもを大事にする空気があるので、移住しやすいと思いますよ! 生徒数が少ない分、学校の先生との距離も近いですし。保育園もあるので、未就学児のお子さんも預けられます。

 ただ、最近は青ヶ島で産まれる子どもがどんどん減っているんですよね。いま小学校や保育園にいるのは、ほとんどが教員や役場の職員など、任期付きで島に来ている方の子どもたちなんです。島民同士で結婚することがないから、島出身の子どもが産まれないんですよ。

青ヶ島では極端な人口の少なさが課題になっている

――なぜ島民同士で結婚しないのですか?

佐々木 人口が少なすぎるんです。年の近い人が数人しかいないので、そこから結婚相手を選ぶのはなかなか無理がある。だから現状、島内に出会いがないんです。特に女性の場合は、島外の人と結婚したら島には戻ってこないし、島に転勤で来ている男性と結婚しても、任期が終わったら一緒に本土に行く人が多くて。

 男性の場合はリゾートバイトで来ている子と結婚して、そのまま島で生活する人もいますけどね。

加絵さんは2019年にUターンで青ヶ島に戻ってきた

――島民がUターンしてくる割合は。

佐々木 ちゃんと統計をとったことはないけど、私の周りだと3割くらいの人がUターンしているかな。でも、そのほとんどが男性ですね。女性で戻ってくるのは、私も含めて独身ばかり。 

 この状況が続くと、島出身の子どもたちは減っていく一方です。そうすると島の人口にも影響が出るので、課題に感じている人は多いと思います。

――ほかにも、島内で課題に感じていることはありますか?


医療、介護……青ヶ島が抱える“都会にはない”課題
佐々木 都会と違って、医療や介護のサポートが充実していないのは課題のひとつですね。診療所では手術はもちろん、人工透析などの難しい治療ができない。だからもしそういった治療が必要な場合は、島から出なきゃいけなくなります。介護施設もないので、介護が必要になったら家族がすべてのお世話をしなきゃいけない。高齢者が安心して住み続けるには、改善すべき点が多いです。

 あとは、移住してくる人にとって不便な点もまだまだ多いと思います。島には商店が1つあるのですが、お弁当やお惣菜は売っていないので基本的に毎日自炊しなきゃいけなくて……。一人暮らしの人はもちろん、小さい子どもがいる家庭も大変ですよね。疲れて家事をしたくないときは誰にだってあるのに。



――先ほど「島ではお金を使う場所がほとんどない」とおっしゃっていましたよね。


佐々木 島外の方からするとお金を払ってサービスを受ける方が気楽だし便利だと思います。

――移住者が住みやすい環境にするには、まだ課題も残っているんですね。

佐々木 ただ、少しずつ「島外の人たちにも住みやすいようにしていこう」という動きが広まってきています。最近だと、「お金を払って食事ができる食堂を作ろう」という話が出ていたり。

 島自体が変わろうとしているし、島外から来る人もチャレンジしたいことがあればどんどんやってみてほしい。新しいもの好きの島民が多いので、応援体制はばっちりです! これからは今以上に住みやすい島になって、Uターンする人や移住者を増やしたいと思います。



青ヶ島での“普通の暮らし”が伝わると嬉しい
――ありがとうございます。最後に、加絵さんにとって青ヶ島はどんな場所ですか?

佐々木 豊かな島だな、と思います。子どものときはその豊かさが当たり前で感謝することもなかったけど、大人になってから「なんて恵まれた土地なんだろう」って感じますね。豊かな自然があって、島民ひとりひとりが役割を持っていて、みんなで支えあって生活していて……。この島にいると、すごく“生きている”って実感できる。

 私たち島民は、青ヶ島で“普通の暮らし”をしています。「青ヶ島ちゃんねる」で、少しでもその暮らしが伝わると嬉しいですね。




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