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廃墟と化した清里高原

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2022/06/20 (Mon) 08:35:03

廃墟と化した清里高原


清里高原メルヘン街の今【2022年ブームが去った廃墟が残る街】昭和バブル人の波が消えた街Kiyosato Kogen Fairytale Street Now - YouTube
2022/01/30
https://www.youtube.com/watch?v=PZ8P5pYumIU

前回動画に続き一年ぶりの山梨県清里の動画です。今回は有名人が経営をしていた店舗に焦点をあて現在の姿をカメラに収めてきました。主に撮った箇所は二箇所。一人はビートたけしさんのカレーショップ。場所は清里の国道141号線沿いに位置してサンパークホテル清里に隣接しています。店舗は閉業してから20年ほど経過し建物が朽ち始めています。

二人目は以前プロ野球選手だった江夏豊さんがオーナーだったと言われているキャデラックハウス。1950年代のテールフィン時代のアメ車が展示してあるミュージアムとホテルが一体となった施設でした。その後1996年(平成8年)頃まで営業していたらしく1996年(平成11年)1月に競売にかけられたところオウム信者が落札し、地元では反対運動が持ち上がったといいます。

清里の街も昭和バブルが弾けて徐々に観光客の姿も消え、かつて若者で賑わっていた清里の駅前も閑散としてしまっている。

以上ご覧下さい。


▲△▽▼


清里高原 - Google マップ
https://www.google.co.jp/maps/place/%E6%B8%85%E9%87%8C%E9%AB%98%E5%8E%9F/@35.9345185,138.4199395,15z/data=!4m5!3m4!1s0x0:0xd93665b80c3d0221!8m2!3d35.9345185!4d138.4199395?hl=ja

清里 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E9%87%8C

清里の廃墟群 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B8%85%E9%87%8C+%E5%BB%83%E5%A2%9F


1970年代から80年代にかけて『an・an』『non-no』に代表される女性誌が頻繁に取り上げたことにより、アンノン族が大挙して押し寄せることで、いわゆる「清里ブーム」が起こった。

押し寄せる観光客目当てのペンションやタレントショップその他店舗が乱立したが、平成時代に入る頃からブームが沈静化し、とくに清里駅周辺店舗の閉鎖が相次いだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E9%87%8C%E9%AB%98%E5%8E%9F

清里高原に残る"バブルの幻"を見に行ってきた
http://syouwasuper.web.fc2.com/special/kiyosato.html


清里高原に残る廃墟
http://photozou.jp/photo/list/2675732/7594396
http://photozou.jp/photo/list/2675732/7594396?page=2


時は80年代後半・バブルの頃「高原の原宿」といわれ大量の人で賑わっていた清里高原。

駅前にはカラフルな色使いのペンションやファンシーショップが立ち並ぶ別世界でした。

今はどうなってるんだろう…というわけでそんなバブルを探しに清里へ。

ディーゼルカー2両がのんびりと走るJR小海線。

昔はもっと古い車輛だった気がしますが今の車輛は割と新しそうでした。

やってきました清里。山梨県です。

国鉄をJRに直した感じの標高比べ。結構高い場所なんですね。

夏は避暑地として、冬はスキー客で賑わっていたはずです。

清里駅です。おもしろい形。

ん?なんか綺麗になってますね。もうバブルのころのあれは抹消されたのでしょうか。

なんか機関車が展示されてたり。この汽車はC56型の149号機、1938年製。

放置されていて悲惨な状態だったのを復活させたそうです。

かつては冒頭のディーゼルカーの代わりに小海線を走っていました。

清里の歴史が書かれた新しい看板。

あんなに大ブームだったのにバブルの事については触れられていません。

やっぱり無かった事にされてるんでしょうか。

とりあえず駅前をぶらぶらしてみましょう。ちょっとあの時の名残りっぽい建物が。

ちなみに何を血迷ったか3月の変な時期に来たため人も自分たち以外には全くおらず寒いです。

さらに歩いていくと…あ!あ!残ってましたよ!

記念撮影する人で長蛇の列が出来ていたらしいミルクポット。

バブルの清里を象徴するかのような建物です。

赤い三角屋根の家。

こういう現実離れした建物たちが軒を連ねている光景はまだ健在でした。

こっちはファンシーブティックだそうです。

うーん、当時のまんまです。

ちなみに自販機すら空っぽなところからもこの時期清里に来る人の少なさが分かるでしょう。

で、さらに奥へと進んでいくと…そこには想像を絶する光景が。チャンネルはそのまま。

高台にあった「清里ひろば(ワンハッピープラザ)」が…

廃墟と化してます。ああ無情。

売物件。買い手は見つからないようです。

中央にそびえる時計台が墓標みたいで切なさを煽ります。

奥にもまだ建物が残っていました。もちろん全て空き店舗…

一応下に行けるようですね。とりあえず行ってみましょう。

フードコート的な感じになっていました。

ここでチュロスやらピザやら食べるのがおしゃれだったあの時代。

床の木が放置で腐っているところがあるので近寄らない方が無難です。さっさと引き返しました。

うーん、見れば見るほど悲惨な現状。

急激に発展した施設は衰退も急激だったようです。

バブルっていちいち三角屋根が好きだなぁ…

ここの荒廃っぷりはそのままバブル崩壊からの年月の長さなんですね。

ああ、バブルは遠くになりにけり。

もう掘り起こすのは止めて!って声も聞こえてきそうですが…

今度は下からさっきのワンハッピープラザを観察してみます。

ここから階段を上がるとフードコート、そこを抜けてさらに上ると先ほどの時計台広場に出ます。

こっち側の建物も全て売物件でした。いっその事バブル博物館とかにするのも…

でっかいきのこ。これも当時の「ファンシー」なノリでしょう。

カタツムリ。怖い。

建物が廃墟になっても笑顔な木。

徹底的に三角形の意匠。

パステルカラーの建物が多いだけに現在の状況は余計寂しくうつります…

駅前地図。ワンハッピープラザが残ってます。

商店が建ち並んでいたのはほんの一角でしたが当時の熱狂ぶりは半端ないものでした。

あれはなんだったんでしょうか。本当に一瞬の幻でした。

やっぱり街は時間をかけて出来るもの。

急激に発達した"高原の原宿"は上辺だけだったのかもしれません。

(この"ファンシー化"を疑問視していた地元の方も多かったと聞きます。)

錆だらけの状態から復活した駅前の機関車のように清里の街も生まれ変われるのでしょうか。
http://syouwasuper.web.fc2.com/special/kiyosato.html

清里のペンション


私がなぜ清里でペンションをなのか
清里のペンションの発展と凋落から見る  
 
私が「清里」と言う名前を始めて耳にしたのはキット中学生の時であったと思われる。

中学の卒業記念に小海線の旅をしてみようとの計画を友人とたてた。残念ながら、この卒業記念の旅行は実現しなかった。しかし小海線の旅に清里・野辺山は出てきたはず。

次に清里という地名を耳にしたのは、大学に入った最初の夏である。

その時、夏休みのアルバイトで当時の赤岳石室(今の展望山荘)にいた。赤岳石室は八ケ岳の尾根で主峰赤岳の直下海抜2,700mにある。ここは大方雲海の上。岳人の世界、格好つけると仙人の世界のようなところであった。

ある日、バイト仲間の一人が東に向かって喋り始めた。
「この下に清里というところがあって、それはいい所なんだ。清泉寮というクリスチャンのキャンプ場の様なものがあり、後は牧場が沢山あり、実に長閑な所だ。」

「そんな所に、何をしに行くの?」

「大方の人が、朝一番の列車で着いて、飯盛山にハイキングに行くのが目的」

「どの山が、飯盛山?」

「あそこにある頂上の丸い山だ」と丁寧に下界の取るに足らない山の稜線を辿り教えてくれた。

私は「なんだ、あんなの只のハイキングコースじゃないか。くだらん山だ」

「だから、ハイキングと言ったじゃないか」と憮然とした顔をして、私を睨みつけた。

その当時、登山道にクサリ場の一つも、また梯子段の一つもない山なんて、山ではないと粋がっていた。

その年の秋、私は一人で蓼科山には入り途中、人一人いない雨池を経由しジグザグに南方面に縦走した。、山小屋に泊まる金もない学生の身分、ビバークをしたりして、何日目かに石室に着いた。時間は午後3時を過ぎていたと思う。小屋の番頭さん格のKさんは当然「泊まってけや」である。

しかし、夏に聞いた清里を見たくて、又京都で待っているある人に紅葉の山行の報告をしたくて、急いで降りることになった。

石室で少々話し込みすぎたか、出発は5時近かったかもしれない。

石室から赤岳の頂上直下をトラバースして県界尾根に向って、尾根を下りて美し森までのコースは下り約3時間であったはず。

夕暮れ時から山を歩く者の常として、懐中電灯はギリギリまで使わない。山道が見えなくなるまで我慢をする。転げ落ちるように下った。

途中の林業小屋のオッチャンが「兄ちゃん、もう直ぐ真っ暗だぞ、泊めてやる。金などいら」

「いや、なんとか最終の列車に乗りたいのです。」

「今からじゃ、無理だよ」

「4時○○分に石室を出てきたのですが?」

(机の中の古い山日記の中に参考資料として記入してあるのを見つけました。
赤岳石室発午後4時55分→美し森7時35分との記入あり。ある年の10月参考資料なので日付なし。どの程度の暗闇かわからず。石室からトラバースして県界尾根を下るコースで所要時間2時間45分は私の足にしてはかかり過ぎ。暗闇だったのでしょう。)

「エレー早いじゃん。その分だと最終に間に合うかな?怪我せんように、下れや。駄目なら、その格好だ、駅で寝ろッ。どうせ金ねんーだろ」

完全な山道の中、美し森についた。

美し森から駅への道は砂利道。しかし夏の夕立にあった後の形跡で、道はグネグネ曲がった掘れ溝だらけ。登山靴を履いていても、真っ直ぐに歩けない。右に飛んだり、左に飛んだり。サーカスか忍者の様にしか歩けはしない。真っ暗な中歩いていると、後から一台のトラックがやってきた。

荷台の乗っていた、土木作業のオッチャンの中の一人がまたもや「おいッ、そこの若いの、駅だろう。乗ってけや」ブッキラボーだったけれど、親切に声を掛けてくれた。

慣れぬ、荷台の上にしりもちを着いて乗るが、ガタガタしてとても乗り心地の良い物ではないが、最終列車に間に合うとの気持ちからか?それとも京都で待つ人に明日逢えると思ったのか?安堵感からか、荷台が木の床のトラックではあったが実に快適だった。

駅に着いたが、まわりには少々の灯りだけ。回りにはその日の店を閉めた土産物屋と民宿らしき家が数軒あったか様な記憶がある。

国鉄の清里駅で最終の時間を確かめ「時間は充分ある。うどんでも食べえるか」と入った一軒だけ灯りに付いたお店屋さん(今の峰の茶屋か)。

食べたうどんの味は関東風の濃い味だったか、実に美味かった。

空き腹に一杯のうどんは確かに満ち足りた気持ちになった。

その頃の心境はばら色だった。

しかし、翌年の私は一つ裏切りで失意の中、八ヶ岳に入った。5月の連休が明けて暫らく経った頃、茅野経由で北八ヶ岳の竜源橋から亀甲池を目指し入った。南に向って縦走。懐かしの赤岳石室には入ったら、前年のアルバイト仲間が二人と始めてみる同年輩の山男がいた。私は軽く気晴らしの心算で入って、直ぐにでも山を降りる気でいったのだ。
そこで、偶然と言えば偶然過ぎる出会いがあった。その様な事、小説にして書けば、「読者を馬鹿にするな」と言われそうな偶発的な出来事に、自身、こんな偶発的で奇怪な出会いで自身の運命を変えられるまいと気持ちをシッカリ持ったはずだったが、その後の経過事実はそうはいかなかった。

山小屋の側には、ピッケルで滑落を止める練習に格好の雪渓があった。朝から夕暮れまで何度も練習。私の右の額には直ぐに擦過傷ができ、何時しか血が流れ落ちていた。自虐的であったのだろう。

そんなあるに日の夜、一つの議論が持ち上がった。

「どだい、ピッケルを持つような環境では当然アイゼンもいる。ピッケルだけを持つのは滑稽だ」奇妙な事を言い出す一人がいた。

「そんな事はない。アイゼンを必要としなと頃でも、ピッケルは持っていた方が良いケースは一杯ある」

「そうだよ、グリセードはどうなるんだ」

議論はアイゼンとピッケルはおみきどっくりの意見を押さえ込む形でおさまった。

しかし、アイゼン・ピッケル両立論のバイト君は承服しかねる顔で、不満げだった。

そんな、議論の夜のあくる朝、小さな事件が起きた。

私の居た山小屋に泊まった京都のある大学のワンゲルのパーティ十数人。女子学生が半分以上占めるパーティー。自炊道具を持っているのに山小屋泊まり。有り体に言えば「チンタラムードのグループ」である。その大学のワンゲルパーティーは小屋に泊まったあくる朝、清里に向って降りていた。県界尾根にトラバースする場所で雪渓が有った様子。その最初の雪渓で滑落事故がおきた。パーティの一人が小屋に駆け込んできた。

「パーティの一人が雪渓で滑落しました。救援をお願いします。」

私を含め、三人の小屋番がザイルと二本のピッケルをもち飛び出した。

現場に着き「何処に落ちた?」

パーティのリーダー格の一人が「あの・はいまつ林の中です。」
雪渓を300メートルぐらい下り、若干右にそれた緑の這松の塊を指差した。仲間の一人がグリセードで下りかけた瞬間、落ちた本人が、這松から出てきて大きく手を振っていた。

大した怪我はなさそう。

小屋番の仲間がリーダーに「あいつ、ピッケル使えるか?」聞いた。

「無理でしょう」

「シャーねーな、面倒だけど、持たせるか」

小屋番が一人ピッケルを背負い、「待っとれ」と大声を上げ、グリセードで滑落した本人のところへ降りた。

私ともう一人の小屋番は「運の良い奴だな、あの大きな這松林に落ちないで、反対の岩場に落ちて、下手したら即死だな」とかなり余計な感想を漏らした。

余計な感想が良くなかった。殆んどの女子学生が真っ青な顔色だった。

落ちた本人をトラバースし落ち始めた現場まで連れてきた後が面白かった。

「小屋に戻るか?」

「なんとか、清里に降りたいのですが」

「戻って、地蔵尾根を下って、美濃戸に降りた方が無難だぞ」

私は内心(好きにしたら)と何処吹く風。

雪渓を渡った連中とまだ渡らぬ学生と半分半分だったろうか。

余程清里が魅力だったのか、このパーティー連中。
リーダーの命令一発で決めろと活を入れたかったが、民主主義かねと冷ややかに見ていたが。
暫らく皆で相談の結果清里へ下るとの当初の計画通り。


この後、私以外の小屋番がどうしようもない女好きだったことは間違いない。

何箇所かの雪渓で、ザイルを張り、一人一人を下ろす羽目になった。

この下はもう雪渓がないと分かてる場所まで来たのに、「もう少し下まで見送るか?」である。

二人の助平根性の小屋番二人に、サッサト小屋にもどりたい私は着いていく事になった。私は昼間の清里を見てなかったので、清里見たさに気持ちが動いたのは事実だ。

途中で、この小屋番二人「パチンコ、やりてーな」である。パチンコの経験のない私は「久しぶりに、風呂に入るか」と(昼間の清里を見てないで)とひやかし半分で、清里に下山。

小屋番の一人が上諏訪にアパートを借りていたので、その晩はアパートに転げ込む事になたのだが、パチンコの資金を持っておきたかった二人の小屋番は「ヒッチハイクしよう」だ。

国道(141号)の道路端でヒッチハイクの車の物色を始めた。お風呂に入ってないのが僅か10日間(?)ばかりの私が一番綺麗だった。あとの二人は一月くらい風呂に入ってない汚い山男。
綺麗な私だけなら探せたのだろうが、あとの二人が付いていたのではどうしようもない。南に下り北に上がりしぶとくヒッチハイクの合図。

国道をあっちこっちうろつく私には、あの頃は国道に面してもまだ牧場もあったように記憶がある。

国道にはドライブインのハイカラな名前に相応しくない一軒の食べ物屋さんがあったかどうかもはっきりしない、何もなかったか?とにかく静かな所であった。

汚い三人組を乗せてくれる車なんぞも無かった。

場所を変えて、国道を下ってみたりするうちに、(これが清里の牧場か)と愛でることになった。元々、車の台数も話にならないくらい少なかった。結局止まってくれる車ゼロ。

仕方無に清里駅に戻って列車で小淵沢へ。車窓の牧草地は本当に穏やかな眺めだった。

失意の底ではあったがブルーな私の心を和ませてくれるのには十分すぎる景色だった。

おまけつき

二人の小屋番、夕暮れにパチンコ屋で、鉄の球を追いかけている最中、事もあろうに当時の赤岳石室のオヤジさんMさんにパチンコに夢中になっている現場を見付かったのである。

外に引っ張り出されこっぴどく叱られた様子。

田舎は狭い

二年後、「山小屋を持ちたい」と空想した私は4月から北アルプスのある山小屋に入った。

その小屋ではかなり自身では真面目に仕事をこなしたはずだが、思い切り辛酸をなめた。

人生の教訓「実現性のない夢なんて、単なる空想にしかすぎない。」

前年のやはり北アルプスの別の山小屋のバイトの頃から、山小屋主ないなりたいの空想は始まっていた。

その後、学園紛争の嵐が吹き荒れる中、山の中で人生観を変えられた結果、シッカリと「優」の数を稼ぎまくり卒業の時期を迎えることになった。

大学就職課の職員に「君ら哲学科の五回生にまともな就職あると思ってるのか、もっと真面目にやれ」と怒鳴られたにもかかわらず、就職試験は一社を受けるだけで一度でパス。

まわりの五回生諸君、それはそれは怒ってました。

「お前みたいに、大学に丸っきり出てこなくて、好きなことやってた奴が、何でこんな早い時期(6月)に就職決まるネンッ」でした。
会社では少しだけ変わりモンだった様子ですが、猛烈社員の典型例。私のサラリーマン人生は入社4年目を境に大きく変わっていった。

それまで、ひたすら夜遅くまで働いているのが、よいサラリーマンだあるとの上司の教えから抜け出し、と言うより呪縛から抜け出す機会を与えられた事によって変化を遂げていった。

勉強をしました。中小企業診断士の名を知ると同時に『ペンション』と言う宿泊施設を初めて聞いたのがこの頃だった。自分のやるべきなのはこれ(ペンション)だと直感した。

会社の中でも波乱万丈・千変万化・丁々発止のサラリーマン人生。

12年間の最後の2年は自身の激しい抵抗にもかかわらず、最後の大阪から東京への転勤。転勤の3ヶ月ほど後に、東京支社こぞっての慰安旅行があった。
場所は清里だった。家族も同伴可だったので大方100名近い大所帯。2軒の民宿に分宿。

そこで見たのは変わり果てた(?)清里。

あの15年ほど前に見た静かな山里は何処へ行ったのか?

清里駅から車で一分ほどの場所にあった民宿の周りと駅の周辺の変わり様には、ただただ驚き以外の何物でもない。その驚愕の感情はこの清里への三回目の訪問のほんの数年前、八ケ岳山中の麦草峠で味わった無念に同じだった。
私の知っている麦草峠は、八ケ岳の原生林を抜けると、一面熊笹の原。緩やかな斜面の下に夕餉の煙くゆるむ麦草ヒュッテがあった。蓼科山の下にある熊笹の原っぱ、天祥寺原も良かったが麦草ヒュッテの原っぱも大好きだった。何年か後、麦草峠に国道が不躾にも開通。会社の後輩Y君夫妻を案内し、蓼科山から麦草峠へ。しかし、そこには変わり果てた麦草峠があった。私は悲しさと悔しさからであろう、麦草峠のバス停を思いっきり登山靴で蹴っ飛ばした。
「二度と来ないぞ!」
またもや、清里駅をみて、麦草峠とへに怒りと同じ体験。一瞬体は固まってしまった。白い駅舎。凍て付く思いから気がついたら、その場にしゃがみこんでいた。夕餉の煙のなくなった麦草峠。その時と同じ心境。あの青春の清里は何処へ行ったの?山小屋風の駅舎はなく、緑の草原もない清里には用事はないの心境であった。民宿の庭から出ることなく、あくる朝、食事を済ませた後も外に出ることなく、一団の観光コースのワイナリーに向った。

その後、月によっては200時間近い時間外労働を自ら課するに至っていた。

守備範囲は西は新潟・長野・静岡、北は北海道まで。そんな中でも、仕事の関係上長野県への出張が多かった。面白いことにペンションを相手にする仕事も一部あった。多分100軒近いペンションを見る機会があっただろう。

そして東京に帰っては、僅かの休みを利用し、多くのペンションのデベロッパー(経営指導会社)を回った。

超過密な仕事をこなすと同時にペンションへの傾斜も徐々に進んだ。

少しは経営学の勉強をしていた私には数ある中で、経営指導会社の名に値するのは一社だけであったと感じられた。しかしその会社での中間搾取はあまりにも多額だった。

憧れの信州で随分あちらこちらで候補地を探した。が私がするであろう借入金の返済の目処が立つ場所には縁がなかったのだろう。

「清里で開業したら」との進めに、即座に答えたのは「冗談じゃないですよ。清里はもうない」であった。

「清里はもうない?どういう意味ですか?」

清里での私の学生時代の2回の思い出と、ほんの少し前(慰安旅行)にみた清里のギャップを話した。

その話し相手は誰だったか覚えていないが、明確に「貴方の過去のイメージと違い、変貌した清里は駅の周辺とその近くだけですよ」であった。

1976年に経営指導会社の名に値するA社は会社を立ち上げ、1979年に清里にA社傘下のペンションを開業。

翌年からある女性誌で大きくペンションを取り上げることになった。ある女性誌とA社との密接な関係の裏話はここでは省くが。
又別に多分A社の力で、ペンションを舞台にしたテレビドラマ化が行われたかも知れない。

おそらくその直後であろう。昔話としてA社系のペンションの経営者から直接聞いた話だが「あの頃は夏休みの予約はゴールデンウイーク明けから受け付けていた。ゴールデンウイークの直後電話はなりっぱなし。3日間で夏休みの予約は全部終了だった」

私が独断で論じるに、ここで既に清里の悲劇の火種はあった。

大方がメルヘンチックなペンションが点在する清里はまさにペンションブームであった。

また私が断ずるに、このメルヘンチックが誤解の元になったのでは?
チックはかなり軽くまた馬鹿にした言葉だと思う。

最初、ブームの軽さから距離を置けば、真実清里の良さを生かしたロマン溢れるリゾート地になりえたはず。
この様に書きながらも、リゾート地と書くことにも抵抗がある。
リゾート地と言う言葉すら本来の清里の原風景に馴染まない気取ったと言うか、すまし込んだ呼び名なのだ。
今にして思い、もっと突っ込めば、清里の原風景にあった独自の道を歩めば、類い稀なる、心の安らぎと憩いの場を展開できたはずだ。

一方、「貴方のイメージする清里のギャップがあるのは駅周辺とその近辺だけです。」と言われていた私は、一応隣の大泉村にも足を運んだと。
しかし清里と大泉は風景があまりにも違いすぎた。

何度も足を運ぶ中で見たのが、今のスケッチブックの立つ場所である。駅から離れた所では、私程度の経営学のセンスでは借入金の返済は不可能かもしれない。しかしまた私のペンションへのイメージには近い場所だった。確かに私の知っている清里の原風景があった、この場所には。

長野県でも色んな所で候補地を見て回った。その中で感じたことの一つ。この発言は決して許される事はないと思うが、原村に降り立った時、「このペンションの密集地に財産をなげうって事業を起こす勇気(?)のある人が百人以上も居るのだ?!?」それに近いものが、山梨県の大泉村でも感じた。「ここで、借入金を返し、自分のイメージする理想のペンション像は思い浮かばない。」

私は残念ながら数度の大泉への訪問で見切りをつけた。

しかし、一方清里のペンションの数はその時30軒近くであったと思う。こんな狭い清里地域で50軒もペンションが建てば、共倒れになるのではとも考えた。

しかし不思議な物で、今スケッチブックの建つ場所に私は吸い寄せられたのか?

いや私は「この場所には左右の土地に空きがある。駅からこれほど離れていたら、土地の値上がりはない。経営が軌道に乗れば、更なる借入金で左右の土地が手に入り、私の夢であるペンション像の実現が可能ではないか」がでも、大きなポイントで決断した。

一方、数あるデベロッパーとして値打ちのあるのはA社だけとも考えていたが。色んなことに自分の考えるペンション像とギャップがありすぎた。一番ギャップを感じたのは、A社の方の発言
「ペンションに、リピーターはいらない、一見の客で経営が成り立つ。利潤の出せる経営になれば良いじゃないですか」との一言。

女性の見方は面白いと思う。何度もA社に足を運ぶ中で、私の家内が面白い発言をし断絶の決め手の一つになった。「A社の社長、大層な発言を一杯されているが、昨日何処に泊まられたのか知らないけれど。スーツの袖口から見えるWシャツの袖口、随分汚れていたわよ。全財産なげうった上に大きな借金までしようとしている人に逢う時、あんな汚いワイシャツの袖口で、逢って話しするかしら?お父さんなら、コンビニにでも寄って、サイズが合わないWシャツでもいいから買うでしょう?綺麗なWシャツに着替えて、それから大切な話をするわよね?」と帰りの車の中で、私に呟いた。

個人で開業へと傾いていった。

ペンションの開業準備中の中でいろんな事があった。あって当たり前。

そして、今では笑い話にしているが、これだけ清里駅から遠い事に対する不採算性への数々の疑問話があった。

一番きつかったのは借入金の申し込みに行った政府系の金融機関で言われた内容である。

「あんた、ここで何やるの?」「ペンション?」「こんなに駅に遠い所でペンション出来ると思ってるの」

そこで、私は未来の構想を述べた。

「面白いこと考えるんだね?自己資金は?固く見てるんだね。随分切り詰めて計画立ててるんだね。その金額なら返済してくれるだろう。融資っ?するよ。出すよ」で決済。

1983年ようやく、開業にこぎつけた。
狭い清里にすでにペンションは50軒以上建っていました。

しかし、華やかな清里には似つかわしくない地味な建物での経営は当初の予想通りの困難が待ってた。

予想しなかった問題も随分あった。

苦労に苦労を重ね、どうにか税金を払えるようになったのは4年目であった。

そんな頃だったと思う。面白い話をする人が居た。A社系の中でも売り上げトップに入っておられるであろうペンションの方から聞いたら発言。

「最近自分は、友達に自分が『清里でペンションをやっている』と言うのが恥ずかしい」

私にはかなり不思議な発言と聞こえた。内心「貴方が、そんな今の清里のイメージ(メルヘンチック)を作った一人ではないのか?と感じたのは誤解だったのか?この人も別な理想を描き自身のポリシーにしたがって、経営を進めて行きたいと思われていたのか?」と思う半面、「時代はそこまで来たのか?」と厳しさを感じた。

確かに、清里へ評論家を招いて聞いた話

「清里の現状。凄い事です。これを仕掛けた人が居たら相当な手腕の持ち主。しかし今後は危険がいっぱい。大変な事になる。」

私はその評論家先生に「どうすればいいのですか?」と質問したら。

「それは自分達で、考えて下さい」ときた。

どだいこの程度の低レベルの評論家先生も清里へ来て何か喋れば金になる。

私自身、1980年代後半にかなりの危機感をを持っていた。

私の危機感はハッキリしていた。

「清里の隆盛はタナボタ。役場は何もやらない。観光行政0 このままでは清里の凋落は明白」であった。

私はある時、山梨県のペンション経営者全体の集まりで簡単な講演をすることになった。

「皆さん、今、清里のペンションを強力なライバルと思っておられるでしょうが、ご心配なく。直ぐに清里は落ち込み、ライバルに値しなくなりますから。役場の態度見てればわかりますよ」と観光行政のあり方を語った。

マスコミに持ち上げられた清里は、今度はマスコミから、攻撃の良い材料。

「清里、危ない、危ないよ。」である。不安を煽る。

最初は多分、低レベルの評論家先生が。今後の清里への進言案なくして、「このままでは拙い」であったのでは。

しかし、観光行政の消極さには、ペンション経営者の態度にも一因あった様に思える。。

1990年代初頭には、ペンションスケッチブックは巨額の所得税を払っていた。

私が巨額の所得税を払っていることを、自身でひけらかしたのではなく、ある会話から判った事実。

清里のあるペンション経営者が「Bペンション夫婦、年間所得税○○万円だって、凄いよね。稼いでるね」

横で聞いていた私、心の中で(内の方が多いのだけど、所得税)であった。

すると横から別のペンション経営者「ペンションで税金払うなんて、馬鹿だよ、馬鹿」である。

内心(こんな経営者が居るから、役場が相手にしないのだではないか。ペンションなんて、と同時に自身の所得税払いすぎかな?の疑問)である。

この前後、ある年の春、甲府で山梨県のペンション経営者が集まる会の総会で出ました。

清里の隣の大泉村のあるペンション経営者の発言「我々は、決して、清里みたくなりたくないと常々思っています」

清里みたく?一流の軽い表現。「ミタク」

酒を飲んであざける時にでも使う軽い表現。キチットした真剣であるべき総会では、適確な表現方法ではないと内心思っていたが。がしかし、その場で反論すれば、子供の喧嘩になる。

この頃あたりからであろう、清里は良くも悪くも常に注目の的であった。
確かに大泉は大泉独自の良さを前面に出し、清里の真似をするべきではないことにも一理ある。
大泉独自に良さを大切にすれば、清里化を阻止すれば、それなりに生きる道はあったのであろう。
多分、大泉に独自性を貫き、良いペンションが今も存在すると信じるが。

清里の凋落が始まった頃でも幸いにも、清里のペンションでは採算が合わなくなっての廃業ペンションはなかった。

しかし、隣の大泉村では確実に採算が合わなくなっての廃業ペンションが出始めてた様だった。

廃業ペンションが出始める前に、集客が落ち、採算性が悪くなる傾向は大泉が先でその後を確実に清里がおっているように見えた。

大泉の方は「清里見たくなりたくない」であったであろうが、私には大泉の後を追うがごとき、清里の傾向に憂慮があった。

現実に幾つものあるテレビ局が「清里のペンションの廃業」と題して報道番組を編成してテレビに流す。

テレビをあまり見ない私、放映後に「清里のペンション廃業続出」の番組をある人から聞き、不審に思った。

件のテレビ局に電話をし糾してみた。もちろん私は自分が誰かであることを正しく名乗りである。

聞いた結果「その実例のペンション、総て大泉のペンションじゃないですか?」と私。

取材の局員「あれは清里では。オオイズミ?おおいずみって何処ですか?あそこは清里でしょ?」

だいたいテレビを含めマスコミの連中の知識ってこの程度のが結構居るのです。
結局「ペンションのブームに思いっきり乗った清里のペンション廃業続出」の方がインパクトが強いがテレビ番組編成の局員の本音だろう。

ただ、ペンションスケッチブック自体、1986年のテレビドラマの本格ロケ地になって以来、かなりの回数、テレビに露出していましたが。

話飛びますが、2000年にオウム真理教が清里の廃業ホテルの競売物件を落札し、大騒動になりました。

新聞の見出しに、それも地元新聞に「清里の廃業ペンションの物件・オウム真理教落札」

オウム対策委員の一人でであった私、地元新聞に電話。詳しく説明したが、取材記者は理解できない風であったというより、「清里の廃業ペンション」のほうが都合よかった風であった。

良きにつけ、悪しきにつけ、清里のペンションは注目度かなり高い。

一方、大泉は?「オオイズミって何処」「西部池袋線に大泉学園って駅あるけど?」と言う程度の知識の人が居たりする。

こうなると、インターネットで出来る限り、検索サイトで上位に載せるには、「大泉」だけでなく、「清里」の地名を冠した方が良いのは歴然。

マスコミの連中ですら、大泉と清里をごっちゃにする。大泉という地名すら知らない連中が多々。


ここで、清里の歴史と地理の薀蓄

明治の初頭、今の清里樫山地区に「清里村」の名前がはじめて出てくる。

この村はどちらかと言うと山間の貧しい村であった。

しかし、隣の大泉村は豊であった。

農作主体の時代として、海抜の低い大泉村では、米農家が成り立っていって、清里村より豊。

聞きおよぶに、清里村は何度かに分け(?)、海抜の高い地域を大泉村に売り渡したそうだ。

本来、村境は八ケ岳の天狗尾根の下の沢から流れてくる川俣川にあるのが自然なのである。

しかし、川俣渓谷に小海線が通る辺りから突如真北美し森に向って、直線に清里と大泉の村界が引かれている。どうでもいい事なのでしょうが。やはり不自然。

清里を世に知らしめたのはポール・ラッシュ博士であろう。関東大震災後の東京復興に駆けつけた(1925年)ポール・ラッシュ博士は1938年に食糧・信仰・保健・青少年教育との四つの理想を掲げ、清里にキープ協会を設立。このクリスチャンのキャンプ場として候補地に富士山が見えることの条件があった。又清里の地名=清い里に引かれ、ここ清里に清泉寮を建設した。彼ポール・ラッシュ博士は1979年に没するまで八ケ岳南山麓で彼の理想をを実践すべく行動されたのだが、間違いなく清里を愛されたと思われる。

ポール・ラッシュ博士の残され名訓

Do your best and it mast be first class

アメリカンフットボールを日本に最初に紹介されたとも言われている。

「少年よ大志をいだけ」のウィリアム・クラーク博士は日本滞在期間九ヶ月。

ポール博士は太平洋戦争の一時期強制帰国を除いても50年近く日本に在住。大半は清里を愛し、かの地に没される。

1938年に小河内ダムに没する丹波山・小菅村の住民28戸62名が念場ヶ原(現清里川西地区)に入植。戦後清里樫山地区浅川地区の農家の次男・三男が中心に念場ヶ原に開拓の為入植。当時清里村の中心(村役場の所在地)は樫山地区であった。が念場ヶ原(今の清里と称される地域は開拓者の血と汗の結晶となった念場ヶ原の耕作地は清里のイメージを醸し出し川西五地区であり、他所の地域ではない。但し1956年清里村は弘法の坂下高根村に吸収合併されたが。
(ただ、大泉にも開拓地があったが)
突然、話を逸らすようですが、これはペンションだけに限ったことではないのですが、コマーシャルは大袈裟な表現や虚偽の表現が多い。インターネットにいたっては嘘のつきたい放題とまで行かなくても、かなり首を傾げる表現が実に沢山ある。大泉の観光施設がきわどい表現で「大泉の‥‥‥」と掲載するだけに留まらないで「清里の‥‥‥」との冠をつける。清里の観光施設は大泉を名のらない。大泉のそれは清里をも二股にかける。これは私には『騙』りに見える。

どだいマスコミですら(?)大泉と清里を混同する手合いがいるのだから、インターネットで大泉と清里の二股表現は、各検索サイトの検索ロボットに見分けがつくわけでなしと言う所でしょうか。

元々、清里は高根町の一部。町村合併で高根町・大泉村・長坂町・武川村・白州町・須玉町・明野村が合併をし2004年に北杜市になった。その後小淵沢町も合併。

だから、大泉も清里も一緒じゃないかとの説。今一部に清里も大泉も同等と考ええる動きがありますが、私には疑問に思えます。

私の場合は学生時代の清里への思いから始まってペンション開業へのプロセスと「清里みたくなりたくない」の背後関係からでも、清里と大泉は別個の地域と考えるべきと今でも思っています。大泉の観光施設が清里を騙るのは問題ありです。もっとも明確にすべきは清里は歴史背景からみて樫山地区浅川地区+川西五地区(念場ヶ原)である。

歴史を粗末にし清里の地域の拡大を画策するは愚かな行為。

京都を見よ。京都は歴史を大切にし地名変更等には頑固な抵抗がある。

歴史と伝統を大切にするから、今の京都がある。

歴史や伝統を少しでも学んだ人間なら、地名は大切なものだという事くらい直ぐ判る。


今、清里のペンションでは隆盛と凋落が真剣に議論の的になっています。

ここで又、私の開業当初から、大袈裟、いや虚偽ではないかの宣伝文句が飛び交っていたのも事実です。

特に、残念なのは「ペンションの宣伝文句につられ、期待して行ってみたら、ぜんぜん様子が違うではないか?がっかりだった」との声が結構あると言う事です。
多分に表現の自由なのか、宣伝文句の書き手と読む側のギャップなのでしょうか?

要するに、ペンション中には嘘をつき倒した人もいるみたい。そして清里は本来ある原風景になじまぬ「メルヘンチック」がドンドン前面に出てしまったのではと考えたくなるのは間違いなのか。そこに大きな誤謬があったんではないだろうか?

元々、ロマンチックとか乙女チックなど、チックは随分馬鹿にした表現なのではないか?

要するに偽者?

かなり以前から、私のペンションのお馴染みさんが、「清里のペンションスケッチブックへ行こう」と友人を誘ったら「エッー清里?ペンション?そん恥ずかしい所なんて行きたくないよ」と返事が返って来ると言われる。

来てみて、「清里にこんなペンションもあるのか?ビックリだな?考え直してみますよ」となる。

呼び方は適確でないかもしれないが、スケッチブックは硬派のペンション?

私は開設当初から、嘘や誇張のないようにを通してきた心算である。

総てのお客様のニーズに合わせられとは決して思っていない。

しかし、確実に『清里なんて』と『ペンションなんか』と言う一部にある駄目イメージが進んでいるのを払拭するのはキツイ。

「これほどまでに設備を揃え、庭もきれいにし、建物にも手を加えているのに、この程度の集客か?である。」

「清里」がまた「ペンション」が足引っ張っていると考え込んでしまうのは、僻みなのか?

しかし、私は大方の時BESTを尽くしてきた。只一流には遠かったかもしれないが。

ただ、厄介な病を得て急激に自身のペンションを駄目ペンションにしてしまった5年間は最悪だったのではあったが。

しかし、今は私の出来る限りの範囲で自己のベストを尽くし、又多くの方々にご支援を頂き、可能な限りより良いペンションへの道を歩んで行くよう心がけているつもりだ。

おそらくや、一部マスコミからみれば、清里のペンションの中に「元気印のペンション」なんてあってはならないとでも言うのか。

マスコミでは「清里のペンションは没落の危機の大前提」は消せないのではないのか?「駄目になった清里」「ペンションはみすぼらしい物の代名詞」がまずありきである様に見える。
この様なマスコミは一部であると信じたいが。

2005年春からのスケッチブックの歩みを見れば、一部マスコミの陰謀(?)を突き崩すプロセスを感じ取るであろう。

何時でもいらっしゃい。完璧ではないが、一部のマスコミの陰謀は崩してみせる。

それとも、マスコミでは「ペンション」なんて歯牙にもかけぬと言うことになるのか?

私は独自の姿勢でマイペースを貫き通すだけ。

ついでに、インターネットの検索サイトも失笑物!?!があるが。

皆さんテレビ・新聞初めコマーシャルの虚実を、番組・記事もふざけてるがあるのを見抜く真贋を身につけましょうですね。

もし、悪い物の代表として、清里を、清里のペンションを取り上げる風潮があるなら、その嫌な前提の一角を突き崩せるペンションであると頑張り続けるでしょう。

本来の清里の原風景を否定し、また履き違え、メルヘンチックが清里のペンションと位置づけたのが間違いの始まりであったと考えるのは、思い上がりであまりにも片手落ちなのだあろうか?

元気印で、例え妄想に近いものであっても経営の理想のペンション像を追い続けるドンキホーテが清里のペンションには居てはならないのか?

最後のまとめを、やるべき事を箇条書きにすれば良いのかもしれないが、熟読して頂ければお判り頂けると思いこれ以上しつこく書くのはやめます。

しかし、他の地域名を騙る行為はやめるべきで、マスコミも、インターネットの検索サイトからも排除する事は直ぐにでもできるのではないでしょうか?

特に大泉は大泉の独自色を大切にするべきではないのか?
ブームに乗った、尻馬に乗り空騒ぎをした大泉の観光施設があったとするならば、かなり危険な行為ではないだろうか?

        清里 ペンションスケッチブック 中口勝功                    sirius@comlink.ne.jp


今一度、清里のは本来あるべき姿を見直し、ペンションの良さともう一度アピールするペンションを増やし、ペンションの位置づけを上げていきませんか。
http://www.sketchbook.gr.jp/kiyosatopension.html


▲△▽▼


中古ペンション 物件情報(蓼科、茅野、原村、富士見、諏訪・北杜市、小淵沢、清里)
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368. 中川隆[5819] koaQ7Jey 2017年1月02日 07:47:56 : b5JdkWvGxs : DbsSfawrpEw[6261]
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2:777 :

2022/06/20 (Mon) 08:38:21


2021.09.17
価値観の変換点 清里の廃墟から学ぼう
https://golden-tamatama.com/blog-entry-kiyosato-ruins.html



さて、先日、清里ハイキングの後。

我々は、清里の廃墟を巡ってますたよ。

以下の動画は、1986年 バブル絶頂期の清里の様子です。

清里1986年 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=wteVYXWWsB8



山梨県の清里と言えば、第2の軽井沢を目指してた街ですよね。
当時の様子が見れて面白い。

こんなに流行ってたのか。


清里は、バブル絶頂期には、いろんなタレントショップがあって
高原の原宿と呼ばれてた。

清里駅前にあったタレントショップ

北野印度会社(1990頃~)
北野武のカレー屋。2019年6月現在も建物は廃墟として残っている。

くわまん本舗 (1990頃~)
桑野信義のお店。

マーシーズ (1990頃~)
みんなご存知、田代まさしのお店。

クニクニ?(1990頃~)
山田邦子のサラダ館らしきお店。。山田邦子のサラダの店が清里にあったらしいのですが、この店舗が本当にそれかは確証は取れていません。。(名前がそれっぽいので、一応クニクニがそうだと今のところ解釈しています。。)

梅宮辰夫漬物本舗 (1993頃~)
梅宮辰夫の漬物屋で、たっちゃん漬けが売られている。私が小さい頃、群馬県の草津温泉でも見かけましたな〜。

今やこんなですからね。

こういう廃墟を見て楽しんでたのですた。

これは酷い。
まるで千と千尋の神隠しに出て来た廃れたテーマパークのようですた。

霊感の強い参加者は、頭痛がすると言ってますた。
ワタスも頭が痛くなってしまいますた。

多分、ここの土地に残ったなんらかのネガティブエネルギーの影響だと思いますた。

パステルカラーな廃墟!“高原の原宿”の名を冠した清里メルヘン建築


恐いわ!


北野印度カレー店もこんなんです。


いや、本当。
怖いもの見たさの人は行って見て下さい。

特に夜行くと((((;゚Д゚))))ガクガクブルブル
マジに怖いです。

それで、ワタスは思ったのですた。

兵(つわもの)どもが夢の跡。

現代社会はとにかく何でも買い替える。

携帯も車も新機種が出たら速攻で買い替える。
新しいものが良くて古いものはダサい。

不動産ディベロッパーも山々を削って新築マンション建てて。

そうやって現代文明は大量生産、大量廃棄を繰り返して来た。

この先、ずっとこんな文明を続けるでしょうかね。

今や巨大人口の中国とインドが先進国入りして、次はアフリカが続く。
その人口でこんな消費文明が続けられるんでしょうか。

現在、秒でサッカー場3個分の森林が消えてると言われてる。

1時間だと東京ドーム127個分。
1週間だと東京都1個分。

ぇえ?
1週間で東京都1個分消える?

このままでは、アマゾンの森林は2050年には消滅するそうですた。


そりゃあんた。
世界の支配者層も焦る訳だわ。

ヤバいヤバイ。
いくらなんでも、止めなきゃヤバイ。

人口削減だ。
嘘でもなんでもパンデミック作り出しましょう。

そして新しもの好きの方には、どうにかバーチャル世界に行ってもらって、
そこで毎日新しいアイテムを購入してもらいましょう。

何も現実の地球の資源を使ってアイテム作る必要はない。

ワタスから言わせると人口削減までせずとも、価値観の変換。

我々は清里の廃墟を巡りつつ。

おほぉ。
ここのサビれ具合。

ここ味ある!いい!などと喜んでいますた。

例えばうちに来る人達は、こういう古臭い形の車が好きな人が来たりする。

こういうレトロ趣味。
もっと古くて年代物を喜ぶ価値観。

別に最新機種じゃなくても良い。

今こそ価値観を変える時じゃないでしょうかね。

コロナ禍が終わったら、
また元の世界に戻れば良いね~などと言う人もいますが。

景気が戻ることが良いことでしょうかね。

景気が良いというのは、人々が盛んに遊んで
盛んに消費して盛んに捨てることです。
色んなところに飲食店が立ち並び、また大量廃棄するだけ。

そうじゃなくて、
もうなんも道具いらない。
ただ自然の中で遊ぶ。

単に川遊びするだけとか。
原っぱの上で集まって皆でダンスするだけとか。
焚き木を炊いて集まって歌を歌うだけとか。


別に結構楽しいと思うのですが。

それをダサいとかではなく。

そっちこそ最先端。
そういう価値観に変わらないもんでしょうかね。

ワタスが目指したいのはそっちです。

https://golden-tamatama.com/blog-entry-kiyosato-ruins.html
3:777 :

2022/06/20 (Mon) 08:40:26



26:匿名ちゃん [2010-03-22 01:36:17]

冬場、強羅では水抜きは必要ないとのことですが、仙石原はどうなのでしょうか?
戸建ての場合はやはり必要でしょうか。

「地元の人は人間が住むところではない」で思い出したのは、当初、日光も候補に挙げられていたのですが、湿度と猿で候補からはずれました。

地元住人によれば、猿がドアや網戸を開けて家にあがりこみ、キッチンを荒らして困るとのこと。凶暴で向かってくるため、こわくて手がつけられないそうです。道路にいることも多く注意していないと、車でひきそうになるため危ないと言っていました。
湯河原では猿害を耳にしたことはありますが、箱根ではあまり聞きませんよね。。。?

27:匿名さん [2010-03-22 08:37:09]
>>26さん
そもそも湿度を気にされるなら、もっと標高の高い1,000超の所を選ばないと厳しいと思います。
東京からアクセスし易い所では、せめて山中湖とか軽井沢(それも駅から離れた標高の高い場所)くらいにはしておかないと…。
でも、本当は標高1,200~1,300くらいはあった方が湿度の面では確実だと思います。
清里・野辺山辺りの八ヶ岳山麓とか蓼科高原辺りなら、軽井沢や山中湖と比べても結構湿度は低いです。
その代わり冬の寒さは厳しく、水抜きは必要になってきますが。
また、軽井沢や箱根、伊豆なんかに比べると、美術館などの施設は少ないと思います。
八ヶ岳南麓高原

西武・そごう八ヶ岳高原海の口自然郷
http://www.yatsugatake.co.jp/sale/thing/index.html

セラヴィリゾート泉郷
http://www.resortlife.jp/?gclid=CKKN6uGLy6ACFQVSegodinbVZg

蓼科高原

東急リゾート蓼科営業所
http://www.tokyu-resort.co.jp/tateshina_yatsugatake/

三井の森蓼科販売センター
http://www.mitsuinomori.co.jp/tateshina/

29:匿名ちゃん [2010-03-22 10:15:43]

なるほど。標高1,200~1,300くらいになれば、湿度は低くなるのですね。
温泉は必須アイテムのため、湿度との兼ね合いもあり、なかなか難しいですね。
サマーハウスになるので冬場は長期滞在しないつもりですが、マンションでなく 一戸建てにした場合の凍結や、滞在中の生活の問題など、いろいろ考慮しなければなりませんから、スーパーで大根を買うようには簡単に決められませんね。
マンションなら管理費を払えば、その点は楽なのでしょうけれども。
八ヶ岳や蓼科は友人たちが別荘を持っているのですが、私とペットの両方が極端な寒がり(夏場25〜26度が適温)のため止めた方がいいと言われ、北軽井沢同様対象外になっていました。山中湖もまだ見ていませんでした。
30:匿名さん [2010-03-23 08:24:39]

7・8月の夏場だけの利用を考えているなら、箱根では湿気が多く暑いと思う。
場所によりけりだが、メジャーな場所は那須や軽井沢も意外と湿気が多い。
山中湖も湖が近いため、湿気は多い。
八ヶ岳・蓼科方面が一番湿気が少なく快適に過ごせると思う。
7・8月なら寒くて…ということはあまりないかと。


101:匿名さん [2011-12-22 15:36:42]

冬に凍結防止で水抜きをするエリアは建物が傷みやすいし、春に使うのに不便。
やはり熱海とか、伊豆とか、凍結しないエリアが良い。


100:匿名さん [2011-12-20 08:05:18]

箱根は良いのですが、難点は硫黄泉の関係で塩害が発生し、金属製品の錆が発生することと、古いリゾマンに多いのですが、冬場に凍結防止で水抜きを行うので、通水するまで時間が掛かりますし、塩害の関係もあるのでしょうか、錆とかストレーナーの詰まりとか、結構苦労しました。

結果は、リゾマンの売却です、夏は良いですが、悩ましいです。

131:匿名さん [2012-11-30 21:18:22]

箱根のリゾマンは売却しました。
冬は水抜きしており水が出るまでが大変でしたし、温泉はいいのですが酸による錆、塩害、すごい大変でした。
熱海にもリゾマンがありますが、比較すると楽ですね。

136:匿名さん [2013-02-06 21:48:23]

箱根強羅のリゾマンは売却しましたが、温泉は良かったです。
機会があれば、白濁温泉のリゾマンが欲しくなります、雪が積もると大変ですけどね。

133:匿名 [2013-01-15 09:51:49]

昨日の降雪は凄かったね、仙石原のリゾマンに車を置いて昼に登山バスに乗ったまでは良かったんだけど、湯本に下りるのに5時間!!!かかりました。
車はがんがんスタックしてて、みんな路上に捨てて歩いて帰っちゃうから更に大渋滞。いやー大変だった、、。


321:匿名さん [2014-10-17 09:21:24]

この春,箱根の某所に別荘地を買いました。 標高は850mです。
土地は400坪ですが,平地部分に30坪程度の別荘を建てる計画です。
3000万くらいの予算でしょうかね・・・

別荘地は買う時は高くて,売る時はほとんどタダ同然だし,その後,子供が使うかもわからないので,買うのは辞めた方が無難です。
だから,ウチは借地権です。これなら10分の一以下の値段です。
どうせ,30年したら自分は確実に死んでるしね。富士山噴火するかもしれないし・・・。
だけど,温泉付きではありませんよ。これだけが唯一の難点。
温泉はそこらじゅうにあるので,日帰り温泉に行きます。

ウッドデッキは10年で腐るから木粉を含んだ人工木材デッキ,
吹き抜けにして,暖炉は熱効率が悪いから薪ストーブとシーリングファン,
湿気対策には,24時間のルームドライヤーが必須,
水道凍結対策には,最新の水抜き装置を設置する,

それからログハウスは,価格が高いし,間取りに自由がきかないし,思ったほど住み易くないので絶対に辞めた方が良いというのが,工務店から仕入れた情報ですね。
箱根は,自宅から東名・小田厚で1時間で行けるのが最大の魅力ですね。


327:購入検討中さん [2014-11-09 14:51:05]
温泉無いんじゃ意味なくね!

330:匿名さん [2014-11-09 19:06:15]

温泉権は最初300万円くらいだが,10年程度でまたすぐ支払いが来る。
しかも,風呂ガマは温泉を沸かすとだいたい5年でダメになる。
そのほか,温泉管理組合などの出費が次々にくる。
よっぽど,金に余裕がないとイヤになります。
それこそ,1泊5万の温泉宿に年10回泊まった方が良い。
332:購入検討中さん [2014-11-09 20:05:51]

そうですか、温泉引くというのは大変なんですね。
貧乏人は温泉付きリゾマンで満足しないといけませんね。
http://m.e-kodate.com/thread/67438/all
4:777 :

2022/06/20 (Mon) 08:43:16


51 :名無しさんから2ch各局…:2014/05/06(火) 22:59:05.63

投機で別荘買うなんてにわかに信じられないな、
バブル期の温泉マンションとかはそういう話も聞いたけれど無線やるような山小屋は無理でしょう。

別荘地の砂利道、雨で流されていくから道の整備は深刻だよな。
昔は山の上の方に住んでいる方が避暑では人気だったが最近は人里に近いほうが人気みたいだ。

52 :名無しさんから2ch各局…:2014/05/06(火) 23:51:58.58
>>51
今、軽井沢あたりならともかく、後発の別荘地はさびれたところがおおいでしょ。
あれだけ賑わった清里なんてほとんどゴーストタウン。
投機じゃなければいまだってみなさん利用してる。あんなに放置された別荘があるのは投機の意味も大きかったからでしょう。

53 :名無しさんから2ch各局…:2014/05/07(水) 00:02:42.08

清里ひどいよね。
昔は銀座みたいに人が多くて歩くのも大変だったのに、先日旅行の途中で夕食の時間に寄ったら、駅前が真っ暗で人が歩いていない。お土産物屋はしまっていて、レストランもほとんど開いてない。
仕方ないからそこからかなり下って行って、洋食屋に入ったけど、あの姿にびっくり。

54 :名無しさんから2ch各局…:2014/05/07(水) 08:38:05.22

良い別荘物件があり、無線にも好適だったのだけれど、家に通じる道が雨で流されて石だらけの河川跡みたいになってしまっていた。車はとても入れない状態でしかも勾配があったため、手前に車を置いて歩いて入ったが、道を直さないと無理とわかった。道を直すには膨大な金がかかりそうなので諦めたがこんなところが増えているのだろうか?

56 :名無しさんから2ch各局…:2014/05/07(水) 19:59:57.53

近くて家の少ないところに好適な物件がある。農家が畑を自宅にしていたので周りは畑のみ。その家は住む人がいなくなって売りに出た。
ただ、家は築50年近い代物。
不動産屋に聞いたら、壊して再建築しなけりゃだめでしょうとの話。
そうすると金がかかるし固定資産税も一挙に上がるので今のまま使いたいが、ボロ家って使えるものなのだろうか?


57 :名無しさんから2ch各局…:2014/05/07(水) 20:08:35.33

柱一本でも残せば改築扱い
新築だと固定資産税がべら棒に高いので改築がベスト


65 :名無しさんから2ch各局…:2014/05/08(木) 07:39:08.86

会社の後輩が代々の広い屋敷に住んでいるのだけれど、固定資産税が百数十万も取られるので大変だと言っていた。それなら売却して相応の家に住めばいいのに。


67 :名無しさんから2ch各局…:2014/05/08(木) 08:46:41.77

固定資産税は家と土地にかかり、しかも都市計画税というのも同時にかかってくるので合計すると大変。
別宅と合わせると大きな額になる。家を2軒持っても片方は使わないのに税金ばかり多く取られるし、当市は他の国民健康保険料なども固定資産税額に比例して増えるので踏んだり蹴ったりだった。
結局、家を売却して肩の荷が降りた気がした。


70 :名無しさんから2ch各局…:2014/05/08(木) 12:50:17.79
>>65
簡単に売れる土地って、あまりないよ。
うちも100万円以上の固定資産税を払っているが、居宅部分の筆以外は商売のための根抵当権が設定されているので、売れまへん。
土地が広い場合、1人だけのものになっているとも限らないしねぇ。


72 :名無しさんから2ch各局…:2014/05/08(木) 13:44:17.88

大した別宅ではなく、別荘地でもないので管理料はかからないのだが それでも、ずっと使わない時の固定費は結構かかる。
固定資産税、水道や光熱費の基本料、その他で年間30万円くらいかかっている。
これに家の減価償却分を毎年100万円位と仮定すると実質年間130万円は支出増加になる。だからあまり使わないのに持つというのも無駄が多すぎる。

73 :名無しさんから2ch各局…:2014/05/08(木) 16:01:04.76

中古リゾマンが安い。面積狭いが、水道・電気・ガス完備で、極楽状態。
草刈りの手間要らず。
気になるのは毎月の管理費等2万円上。w
これがネック。なんとかせいや!


166 :名無しさんから2ch各局…:2014/08/31(日) 20:58:34.70

別荘は別荘として買うと、よほど金の余裕があって管理費を気にしないくらいじゃないとストレスになるし生活を圧迫するし、あとで処分に困る。
しかし、別荘を別荘としてではなくて、リタイア後にそこに住んでしまう、つまり引っ越してしまうのだと考えるとかなり安い。

そう考えて私のかつての上司が別荘を買ったのだが、数年で東京に帰ってきてしまった。理由は、

「孫が遊びに来ると思っていたのに来やしない」
「病院がそばにない」
「スーパーまで20キロもある」
「冬はゴーストタウンになって話す相手もいない」

とのことでありました。


167 :名無しさんから2ch各局…:2014/08/31(日) 23:00:49.88
>>166
病院やスーパーが離れているのは困るね。
まあ、食事については料理力を上げておけば大型冷蔵庫で食材保存可能だから、一週間に一回の買い出しでもなんとかなりそう。
あと、冬はかなり温度が下がって雪に覆われるところも多いのが難点。
老後の終の住処にはなりにくそうだ。

168 :名無しさんから2ch各局…:2014/08/31(日) 23:08:09.87

一時期ブームになって乱開発された別荘地が今は見る影もない。
所有者の多くが売りたがっているが買い手がつかない。
歳をとって別荘暮らしも難しい人が多いようだが、基本的に皆あまり安い設定ではないので売れないということもある。
土地150坪程度の別荘で1500万くらいの値段を曲げないのでもうずっと回転寿司状態。

174 :名無しさんから2ch各局…:2014/09/01(月) 12:59:16.50

2000万円なんてありえない。新築でも別荘の売物件でそこまでいかない。
500万円が関の山。


180 :名無しさんから2ch各局…:2014/09/01(月) 15:19:01.00

山ヒルやマムシやツツガムシやスズメバチなどの有害生物の生息地
でないかどうかは買う前にチェックのこと。


175 :名無しさんから2ch各局…:2014/09/01(月) 13:20:52.05

この斜面怖いよ。おむすびころりんくらいでは済まない

178 :名無しさんから2ch各局…:2014/09/01(月) 15:14:36.21

買ったとたんに、未曽有の台風や大雨災害で消失の悪寒

181 :名無しさんから2ch各局…:2014/09/01(月) 15:19:59.65

あの斜面はたぶん、気分が悪くなると思う。


182 :名無しさんから2ch各局…:2014/09/01(月) 15:51:50.46

斜面から水がどんどん湧きだすかも


183 :名無しさんから2ch各局…:2014/09/01(月) 15:54:05.99

別荘の売り物件を色々見てきたけれど、斜面に建っているのは売れないし、価格も非常に低下しているのが多い。


185 :名無しさんから2ch各局…:2014/09/03(水) 08:09:06.44

こういう立地だと買った直後に資産価値がゼロになっても気にしない人が買うべきだよ。 あくまでも趣味に徹して購入を考えることだ。

186 :名無しさんから2ch各局…:2014/09/03(水) 15:23:57.64

資産価値考えて別荘買うやつなんているのか。

187 :名無しさんから2ch各局…:2014/09/03(水) 17:45:38.31

資産価値というより、要らなくなった時や後々の処分のことも
考えるでしょうね、普通は。

189 :名無しさんから2ch各局…:2014/09/03(水) 18:09:36.83

買う時はそれほど考えないのだが、不要になったとき処分しやすいというのは後で役に立つ重要なこと。

190 :名無しさんから2ch各局…:2014/09/03(水) 18:21:18.71

別荘ブームの時は、別荘地が飛ぶように売れて、それこそ斜面まで 売り尽したからね。
いまは、そういう別荘地は、道の舗装もひび割れて全体が朽ち始めている。
かろうじて管理会社がやっている事は水道水源のポンプ等のメンテくらいか?
そのうち水道も止まると別荘地の死となる。

192 :名無しさんから2ch各局…:2014/09/05(金) 06:48:12.06

うちの別荘地は別荘地のまま終わったw
ずっと前に買って、ドンドン値段が下がって、屁みたいになってから売った。
周り、ほとんどの人が建物を建てずに終わった。
とほほ。

193 :名無しさんから2ch各局…:2014/09/05(金) 09:08:32.02

たしかに、別荘地で土地だけの物件は多い。破格で買えるものが多いのだけれど売れていないようだ。別荘を新築すると建築費に加えて建物の固定資産税がかなりの負担になるので、中古別荘を探した方が得。

194 :名無しさんから2ch各局…:2014/09/05(金) 09:12:43.60
>>193
それを買ったころは、中古の別荘なんてものはなかったの。
とにかくどんどん別荘が売れていて、別荘地はどんどん山の奥に広がっていって、待てば待つほど高くなっていく。
そんなころに「いつかは建てる」と思って買ったけれど、こんなざまw

214 :名無しさんから2ch各局…:2014/10/05(日) 20:04:50.99

格安の中古別荘を見てきたがやはりだめだった。
道は舗装されていないし、雨が降ると雨水が流れ込む。
水道もいつ止まるかわからないし、隣との距離も近すぎて無線に向かない。
バブル時のインチキ開発別荘地だったようだ。
こんなのに手を出したら負債をわざわざ抱えこむようなもので恐ろしい。

215 :名無しさんから2ch各局…:2014/10/07(火) 04:24:12.01

第一次別荘ブームは東京オリンピックの頃らしいが、その頃に開発された別荘地は廃墟同然。
手入れすれば見た目はごまかせる。(元々場所は良い)
しかしインフラは最悪。
http://yomogi.2ch.net/test/read.cgi/radio/1397781782/
5:777 :

2022/06/20 (Mon) 08:45:07

冬寒いのを除けば、移住や老後の生活には >>322, >>353, >>119 で紹介した原村や蓼科・八ヶ岳の別荘地帯が一番無難でしょうか:


原村 - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E5%8E%9F%E6%9D%91

原村 - Google マップ
https://www.google.co.jp/maps/place/%E9%95%B7%E9%87%8E%E7%9C%8C%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E9%83%A1%E5%8E%9F%E6%9D%91/@35.9579467,138.1314635,11z/data=!3m1!4b1!4m5!3m4!1s0x601c448dcc561633:0x9c8621b951fc9316!8m2!3d35.9644559!4d138.2177201?hl=ja


八ヶ岳田舎暮し 移住のススメ MORISH COUNTRY 原村 2013年12月22日
http://blog.goo.ne.jp/tomodesmo/e/73a725dd99e432214c9bdb81d8dd99af


八ヶ岳での田舎暮らし支援。田舎暮らし29年の実績で移住相談、冬も快適な別荘デザイン&建築サポート!人生一度きりですよ!

冬が好きな方の御用達です。
僕が住んでいる、八ヶ岳原村の別荘地帯は標高1200m~1600mに位置している。

よく、南麓と言われるエリアに別荘を待った方が、言われる事がある。
「原村は寒くて住むのには大変だ」
この言葉は、ある意味正しくてある意味間違っています。

正しいというのは、八ヶ岳周辺の地図を見てもらうと分かりますが、
南麓エリアの移住者が買える土地は、標高700~900mに位置します。
この標高で原村のある諏訪エリアを見てみると、茅野市役所が標高801mです。
私の住んでいる、原村の別荘地は標高1350~1600mに位置しています。
南麓での山間の田舎暮らしの標高は、諏訪では市街地なんです。

標高800m前後の諏訪エリアは、特急の止まるJRの駅があり、国道20号線、中央自動車道も通っています。諏訪湖もあります。

その周りには諏訪市、下諏訪町、岡谷市もあり、エプソンの本社や工場など多数建っています。総人口20万人強のエリアです。

日本のシリコンバレーと言われているエリアです。このエリアと南麓移住エリアは同じ位の標高なのです。

標高差でいえば、原村の別荘地エリアは当然寒くて、雪も多いです。
なので、ある意味正しくてある意味間違っています。
でも同じ標高で比べれば、冬は諏訪エリアの方が暖かいです。

南麓エリアには、別荘地は殆どありません。泉郷リゾートくらいです。(小さな物は除く)

原村は、村営別荘地、三井の森別荘地、四季の森別荘地、丸山の森別荘地があります。(小さな物は除く)
区画数で行くと3000を超える様です。

今の原村の人口は7867人、世帯数3040世帯で、プラス別荘の世帯数は2500世帯で、
春から夏にかけての別荘稼働率が高くなると5000人以上の住人が増える事になります。

富士見にも富士見高原別荘地、茅野には、美濃戸高原別荘地、蓼科ビレッジ、チェルトの森他、標高1200m以上のエリアにたくさんの別荘地があります。

そしてインフラも充実で、我が別荘地にはフレッツ光やケーブルテレビも完備です。

標高1600mでも光通信で快適インターネットです。
アマゾンもアスクルも翌日配達!

私は、八ヶ岳・原村の移住を進めています。

私が29歳でログハウスを建ててから26年住んでいて、原村の酸いも甘いも知っているからです。

また、地元のネットワークも培ってきました。
また何よりも、この地を選んで、第二の人生を過ごすのに本当に最高だと思うからです。

実は、私は最初、清里や小淵沢に住みたいなあと思っていました。

色々物件や環境を回ってみて、改めて原村の大地のパワーの違いを感じました。
大地の心地よさを感じるのです。

それもそのはずですね。鎌倉時代には、原村のエリアは諏訪大社に献上する鹿を狩る御狩り場として、 人が立ち入る事を禁じられていた時代さえあるのです。神聖な森だったんですね。

私を訪ねて来て、原村エリアの不動産を買われた方々は、この2年半で40組を超えました。

そしてその半数が、家を手にされたり、今MORISH COUNTRY HOUSEを注文されています。

一昨日も、あの「小さな育てる家」の完成引き渡しがありました。

今日お会いして、第一夜の感想を伺ったら、

朝起きて室温を見たら20度あったそうです。朝の外気温はマイナス13度ぐらいでした。

今日は、天空の土地を買われた親子がMORISH COUNTRY HOUSE新築の打ち合わせに来ました。

天気がよかったので、外を散歩されて、「この空気感が気持ちいい!」と言われたので、

「寒くないと感じるでしょうけど、今マイナス7度です」と伝えると、

「横浜の方が寒く感じます、こんな冬なら最高ですね!」

原村は年間通して湿度が低いので、風が吹かなければ体感温度は暖かく感じます。

移住も視野に入れた土地探しをされているのでしたら、この寒くて雪がある時期に見に来るべきです。

この季節を「いいなあ」と思えたら、後の季節はパラダイスな原村です。
そして、移住された方が、異口同音に言う事が、

「原村は冬の景色が一番美しい!」

MORISH COUNTRY HOUSEの断熱の効いた暖かい家で、薪ストーブの火を見ながら、窓の外の雪景色を眺める!

まるで、ドラマのワンシーンに自分が居るような感じになると思います。

原村は四季がはっきりしています。
春と秋は、このまま、この季節が一生続いてほしいと思える位、心地よい。

夏は涼しく、さわやかで、短く、はかない。

冬は厳しくも神々しく美しい。都心から2時間で行ける北欧と言う感じ!

そんな大自然を満喫できる環境に住みながらも、10~15分車で下れば、高速のインターチェンジ、JRの駅、ショッピングモール、総合病院などへ行けます。

住んでみれば分かりますが、イイトコドリの暮らしが出来るんです。

あなたも八ヶ岳ライフを始めたいと思っているのでしたら、この冬に見学に来ると良いでしょう。
お待ちしています。

一昨日の雪の後の我が家の周りの景色をアップします。

この写真を見て、「綺麗!」「住んでみたい!」と思える方は、資格あり!

八ヶ岳の山の神様は受け入れてくれるでしょう。

でも、この写真を見て、「寒くて雪も大変そう」と思われる方は、資格無しです。
海辺の田舎暮らしをおすすめします。

morishcountry@gmail.com
友枝康二郎

別荘地営業顧問
八ヶ岳ライフスタイルデザイナー
(土地アドバイス、別荘デザイナー&施行)


MORISH COUNTRY HOUSEの新築です。

シンプルイズベストな建物は森の景色にもマッチします。


我が家も雪の森にとけ込んでいます。

我が家の中では、雪景色を見ながら、こんな感じでくつろいでおります。
http://blog.goo.ne.jp/tomodesmo/e/73a725dd99e432214c9bdb81d8dd99af


標高1350mの原村の景色は〜八ケ岳移住日記 2015年01月21日
http://ameblo.jp/hyakubyakka-1031/entry-11979954526.html


氷点下10度いかない朝は暖かく感じます。
何だか原村の寒さに慣れて来たのでしょうか?

http://ameblo.jp/hyakubyakka-1031/image-11979954526-13195687212.html
http://ameblo.jp/hyakubyakka-1031/image-11979954526-13195687208.html
http://ameblo.jp/hyakubyakka-1031/image-11979954526-13195687195.html


標高1300mあるペンション村から1350mの実践農業大学へ向かうと、わが家から200m上がっただけなのに、景色が変わります。原村の別荘地が続くみちです。


http://ameblo.jp/hyakubyakka-1031/image-11979954526-13195687186.html
http://ameblo.jp/hyakubyakka-1031/image-11979954526-13195687189.html
http://ameblo.jp/hyakubyakka-1031/image-11979954526-13195687202.html

大学の上の方です。誰も通らない(鹿さんは歩いてる様です(笑)) 真っ白な景色が続きます。

雪かきもしないで普通に積もり続けた雪はキラキラして、雪の粒がわかるのです\(^o^)/美しい✨


毎日毎日見ている雪景色と八ケ岳!不思議な事に飽きないのですよ~

それどころか、毎日違って見えるのです。

東京にいた時は、降った日だけ感激しましたが、次の日にはグチャグチャ道にうんざりしてました。もちろん原村のわが家の駐車場もグチャグチャしてますよ!きっと春になる頃は、玄関先や駐車場にダンプ一杯分くらい砂利をひくことになりそうです。それでも原村の雪景色を見ていられるのなら、そのぐらいは平気平気~そう思える原村です

ただ雪の原村になってから、遠出をしなくなりました。雪道初心者ですから山道はちょっと避けています。そんな訳で外食は減りもっぱら家で、メニュー作りの研究中!しかし実際食べるのは…!
http://ameblo.jp/hyakubyakka-1031/entry-11979954526.html


八ヶ岳山麓原村から

信州・諏訪・原村の歴史や文化、八ヶ岳山麓の自然や田舎暮らしなどについて綴ります。
http://ameblo.jp/harayama92/


標高日本一○○「八ヶ岳山麓」 2015-10-05
http://ameblo.jp/harayama92/entry-12080722657.html


「標高日本一○○」八ヶ岳山麓

八ヶ岳鳥瞰図 八ヶ岳連峰

八ヶ岳連峰は、長野県と山梨県に跨っています。山麓は富士山と同様になだらかな斜面が広がっています。この八ヶ岳山麓は、中央高地の一部であり、八ヶ岳中信高原国定公園に指定されている絶景の地でもあります。
この山麓にある「標高日本一○○」を調べてみました。

1【野辺山駅 1,345.67m】

野辺山駅 南牧小地図
http://ameblo.jp/harayama92/image-12080722657-13455970571.html

JRグループの駅及び日本の普通鉄道の駅で、小海線の長野県の南端に位置しています。地図中で上(北)国道141号線沿いにある学校は、南牧南小学校です。


2【長野県南佐久郡南牧村立南牧南小学校 1,327.5m】
南牧南小
南牧南小学校は日本一高所にある小学校で学区は、板橋・野辺山・平沢の三地区からなり、標高1300m前後の高原にあります。

3【長野県富士見高等学校 967.4m】
富士見高 富士見駅

富士見町にある日本一標高が高い高校です。さらに富士見駅はJRの在来線特急が停まる駅では一番標高が高い駅です。

富士見高地図
http://ameblo.jp/harayama92/image-12080722657-13455972414.html


4【 諏訪東京理科大学 876m】

諏訪理科大 理科大地図
http://ameblo.jp/harayama92/image-12080722657-13455970569.html

2002年4月に学校法人東京理科大学が設置した、茅野市豊平にある日本一標高が高い大学です。


5【 茅野市役所 801.6m】

茅野市役所 市役所地図
http://ameblo.jp/harayama92/image-12080722657-13456190330.html

日本の市役所のなかでは、最も標高の高い位置の庁舎です。


6【本沢温泉「雲上の湯」 2,150m】
本澤温泉 雲上の湯

南佐久郡南牧村には、日本最高所にある通年営業の露天風呂「雲上の湯」があります。本沢温泉「雲上の湯」は、八ヶ岳の山腹にあります。

本澤温泉地図
http://ameblo.jp/harayama92/image-12080722657-13455972416.html


7【稲作(水田) およそ1,215m 】

白井手地区 白井手地図
http://ameblo.jp/harayama92/image-12080722657-13444838713.html

茅野市白井手地区での稲作は、日本一高い位置の水田となっています。冷涼な気候ですが、生育期間の日照時間が長いので稲作が可能です。近年は「蕎麦」などの畑作への転作が増えています。

8【白駒池 2,115m 】

白駒池 白駒池地図
http://ameblo.jp/harayama92/image-12080722657-13455970568.html

北八ヶ岳の広大な原生林の中に、満面に清水をたたえた神秘的な湖です。標高2,000m以上の高山湖としては、日本最大の天然湖(114,300㎡)で日本最高所にある湖です。


9【ビーナスマラソンin白樺高原 マラソンコースの平均標高1,566m 】

ビーナスマラソン ハーフマラソンコース
http://ameblo.jp/harayama92/image-12080722657-13444837200.html


開催地は、長野県立科町。日本100名山の蓼科山の麓、標高1500mの大自然に包まれた白樺高原の高地コースで行われる、「日本一標高の高いハーフマラソン」です。


10【蓼科アミューズメント水族館 標高約1,750m 】

蓼科アミューズメント 水族館地図
http://ameblo.jp/harayama92/image-12080722657-13456190329.html

蓼科高原に位置し、世界最高所の水族館です。世界各地より集められた巨大魚・珍魚のピラルクやアロワナなどの淡水魚が数千匹飼育されています。
地図上では、ロープウェー山麓駅の南側にあります。


11【天空の別荘地「富貴の平」 2,020m 】

天空の別荘 富貴平地図
http://ameblo.jp/harayama92/image-12080722657-13455972413.html


長野県佐久市蓼科山の中腹で大河原峠に近い富貴の平は、北八ヶ岳に位置した標高およそ1800m~2000mの別荘地です。一番高い部分は、日本一標高の高い別荘地と言われています。


12【森の図書館 標高約1,565m 】

森の図書館 図書館地図
http://ameblo.jp/harayama92/image-12080722657-13455970570.html

山梨県の北杜市には、宿泊施設「八ヶ岳美し森ロッジ」のコテージの1つを改装し図書館があります。「森の図書館」は、日本一高い場所にある図書館だそうです。同施設や県内のNPO法人などが協力して絵本の読み聞かせなどを開催しています。

13【星空の映画祭 標高1,275m 】

星空の映画館 自然文化園
http://ameblo.jp/harayama92/image-12080722657-13554779331.html

原村中央高原の第2ペンションビレッジ北側にある「八ヶ岳自然文化園」コンサート広場の野外ステージで、夏の間(8月1日~24日ころまで)だけ星空の下で映画祭が開催される。野外映画館としては一番標高の高い場所にある映画館だそうだ。
http://ameblo.jp/harayama92/entry-12080722657.html

白樺の小径と宿り木 2013年 04月 20日
http://aoituhat.exblog.jp/18590384/


この家に暮らすようになってから夜が早くなり9時過ぎには寝ています
街灯もなく真っ暗なので日が沈むとあまり出歩く人もいないようです。

おかげで、カーテンのない寝室の窓からの薄明かりで目が覚めるようになりました

http://aoituhat.exblog.jp/iv/detail/?s=18590384&i=201304%2F20%2F04%2Fd0253504_13282315.jpg

薪ストーブの火を熾してから朝の散策

http://aoituhat.exblog.jp/iv/detail/?s=18590384&i=201304%2F20%2F04%2Fd0253504_13283791.jpg


先日、近くの白樺の小径に行く途中
漫画家の楳図かずおさんの別荘を通りました

http://aoituhat.exblog.jp/iv/detail/?s=18590384&i=201304%2F20%2F04%2Fd0253504_1331661.jpg

この建物が建ってから原村に規制が出来て原色使いの派手な建物は建てられなくなったそうです
となりの可愛い小屋も楳図さん好みなんですね(笑)

http://aoituhat.exblog.jp/iv/detail/?s=18590384&i=201304%2F20%2F04%2Fd0253504_13545254.jpg


原村のウォーキングコースになっている白樺の小径の木々には葉のかわりに
緑のボンボンのような宿り木がたくさんついてました。
http://aoituhat.exblog.jp/iv/detail/?s=18590384&i=201304%2F20%2F04%2Fd0253504_13582228.jpg
http://aoituhat.exblog.jp/iv/detail/?s=18590384&i=201304%2F20%2F04%2Fd0253504_1358896.jpg

http://aoituhat.exblog.jp/18590384/

八ヶ岳、諏訪郡原村のペンションは、兵どもが夢の跡でした
http://power-position.jp/odds_ends/suwagun_haramura_pention
仕事で長野県にある諏訪郡原村のとあるペンションへ行く機会がありました。

諏訪郡原村とは、ざっくりいえば八ヶ岳の南側の斜面の中腹で、白樺の木が立ち並ぶ山中、なんでも清里に代表するかつての「ペンションブーム」の走りともいえる場所だったそうです。

もっとも、私はペンションと言われている類のホテルには泊まった経験がありません。

その様子はただ想像するばかりなのですが、脱サラして白亜のお城のようなペンションを開業した髭を生やしたオーナーと、エプロンを掛けて細かいことに気が付く優しそうな奥様との夫婦で経営する、小ぢんまりとしたホテルといった感じでしょうか。

そして、夕食はオーナーがもてなすフランス料理のメニュー、食後は宿泊者のみんなが集まり、暖炉を囲んでオーナーの弾くギターで歌を歌ったりゲームしたりして過ごす場所、みたいな感じではないでしょうか。

すみません、もちろん全部勝手なイメージです。

今回の仕事は、30年以上経営したペンションを廃業するというオーナー様からの依頼でした。

談話室で使っていたオーディオ機器や、1,000枚を超えるであろうレーザーディスクを買い取ってほしいとの内容です。

中央自動車道を飛ばして、いそいそと出かけて行った私たちを出迎えてくれたのは、顔に深い皺を刻んだ人のよさそうな老夫婦でした。お話を聞けば、少し前にご主人が大病を患い、今回ペンションの廃業を決心したということです。

実はここまでやって来る道中、このペンション郡の街に足を踏み入れた私たちは、その荒廃ぶりにただ唖然とするばかりでした。

冬から春に向かう頃でしたので、シーズン前には違いないのでしょうが、今の40代から50代の人が良く知る、いわゆるあの「ペンションブーム」の頃の街並みからは程遠い風景がそこにはありました。


すでに30年以上経過した建物群は、間もなく朽ちると思えるほど古びでいるのに、その大部分が手直しされる様子はなく、道路沿いに見た10面はあろうかと思われるテニスコートは、錆びたフェンスに囲まれ草がぼうぼうと生えている有様でした。

まるで仕舞い忘れた露店が朽ちて並ぶ街、兵どもが夢の跡なのです。人間が森林を切り開いて作り上げた街も、間もなく森に帰ろうとしているのではないかとさえ思えるほどでした。

ペンション街に入るの道路を横断する大きなアーチ、「ようこそ原村ペンションビレッジへ」の看板が、ひどく錆びているのが象徴的でした。


オーナーご夫婦によると、30年前のピーク時には、一年の間で宿泊の部屋に空きが出た日は2日しかなく、ひっきりなしにかかってくる予約の電話を断って、どこか空いている他のペンションに回していたほどだったとのことです。

“いったいいつになれば休めるのか”と思いながら、毎日を働き詰めで過ごしていたのに、それが今では”辞めないでくれ”と頼んでくる常連さんが来る日しか営業する日はないということでした。職種は違えど、同じいちオーナーとしては、考えさせられることが山ほどある一日でした。

確かに建物を綺麗に整えて、まだまだ頑張っている他のオーナーさんのペンションも見当たりました。しかし、その街全体の荒廃ぶりはもはや隠しようもなく、かつての盛況ぶりには程遠い現状であることは容易く想像できる状態だったのです。

このペンションに来る途中で、壁が赤白の横縞模様で塗り分けられた、なんとも奇抜な家を見かけたました。

そのことをこのオーナー様に訪ねてみると、「あれは漫画家の楳図かずおさんの別荘ですよ」と教えてくれました。

なるほどと納得する私に、「昔はよくこの辺を歩いていたのに、今は見かけない」とぼそりと呟かれました。

作業後に、奥さんが私たちに振る舞ってくれた手作りの苺ムースは驚くほどおいしく、紅茶の味も絶品でした。

一通り荷物を積み込み、オーナーご夫婦にお礼を言って引き揚げる道中、赤と白のコントラストの家の横を再び通り過ぎました。

“グワシ”の楳図さんも、もうここには来ないのかなあなどと考え、どことなく寂しく街を後にしたのでした。

楳図かずおさんの別荘
http://power-position.jp/odds_ends/suwagun_haramura_pention

松尾信孝 「蓼科からの誘い」
蓼科の東急リゾートタウンに私達にとって理想的なペンションの物件を見つけた
http://www.digisco.com/library/yacyo/index.htm


蓼科へそして野鳥たちとの出会い

当初開業するペンションのロケーションの選択に鳥のことはまったく頭になかった。

ロケーションとして最初は白馬辺りを考えていた。学生時代に山に登っていた頃から将来山に住むならこの辺りと考えていたから。でも実際に行ってみると昔の面影はまったく無いほど開発されている。その頃は国鉄大糸線の「信濃四谷」駅(今は「白馬」というかっこ良い名前に変わった)から田んぼと林の中をバスがブーブーあえぎながら八方尾根のロープウエーの駅まで運んでくれた。

それが今はびっしり別荘地に変わっていた。それも開発した後はあまり統制の取れていない様子。実際に見た売りペンションの横は建築会社の資材置き場になっていた。環境が保障されていない。それに、白馬だと掻きいれは冬のスキーシーズン。逆に言えば降雪など天候に左右されて経営的には安定性を欠く。したがって早い時期に白馬はあきらめた。

面白いのも有った。北軽井沢(群馬県)の売り物件はすぐ横にフィリピンパブが営業していた。だから持ち主も売りに出したのだと思うけど、なんとその物件を案内してくれたのが鍵を預かる隣のフィリピンパブのおじさんだったなんて笑えない話も。

一世を風靡した「原村のペンション」も見た。

ブームも去ってくしの歯が抜けるように廃業したペンションの間隙を縫うように営業している所もあるが、冷静に考えるとここに人はいったい何しに来るのかと思うと二の足を踏む。

本来単なる宿泊施設であるペンションが、誰が仕掛けたのかしら無いけど、それ自体がアトラクション化してしまった。ペンションに泊まるのが格好良いファッションであった。このような本末転倒は日本では良くある話。

そうこうするうちに大体こちらの考えている事や嗜好をわかり始めた不動産屋が「山に近いというわけではないしどちらかといえば地味なところですが」と言って紹介してくれたのが蓼科で東急が開発した別荘地(蓼科東急リゾートタウン)内にあるペンション。

スキー場などこれといったアトラクションも無い代わりに静かな落ち着いた別荘地にペンション用地として10軒分だけ指定された場所のひとつ。蓼科のメインストリートであるビーナスラインから7キロも奥に入って心配になり始めた頃にようやくたどり着くような所だが、その間の道路は整備が行き届き建物の高さや色も制限され、隣家との間隔も十分にとってある。

用途も厳しく制限されていて隣が飲み屋になったり資材置き場になったりする心配も無い。探していたロケーションはここだと直感した。

具体的に売りに出ていた物件は、ブームの頃にはそこそこお客さんも来ていたようだが、ご多分に漏れずその後は部屋がせまかったり代わり映えのしない洋定食をコース料理と呼んで出してもだんだん飽きられて客足も遠のき、オーナーも都会に帰る潮時と考えていたようだ。

しかし良く見てみたり話を聞いていたりすると、このオーナーは気持ちが都会の方を向いていてこの場所の価値を十分にわかっていないし活用もして無いようであった。

なにしろ、1200坪もの緩やかな斜面に雑木林も小高い草の丘もあり敷地の中に小川さえ流れている。私達には捜し求めていた自然の宝庫・金鉱のように思えた。(事実その通り、いや鳥たちとの出会いを考えるとそれ以上であった事があとで証明される)

購入の話を進める中で一度実際に泊まってみることにした。翌朝朝食を食べているとなにやら窓の外が騒がしい。見るとベランダの柵の上においてある餌台でスズメより大きいがカラスよりは小さい(失礼!この時点ではまだ鳥はスズメとカラスしか知らない)くちばしの黄色い鳥たちが何羽か集まって餌を食べている。もちろん始めてみる鳥でオーナーに名前を聞いてみた。

「はて、名前?知りませんなア。でもああして毎朝朝礼みたいに集まってくるので餌だけは出してます。」とのこと。

この時点では私達もまだこれ以上は突っ込んで聞いたり調べたりするほどでもなかった。でも、これが私達にとっての最初の蓼科の野鳥達との出会いで、その鳥たちはあとで「イカル」である事がわかった。それが5月中ごろの話。その後、ほっぺたの赤いのや白と黒の小ぶりなのを家の周りで良く見かけたがそのうち夏の忙しい時期になり、しかも開業最初のかきいれどきでもあり、鳥なんぞにうつつを抜かしているときではなかった。この時点で私達もここが野鳥の宝庫であるなぞ思っても見なかった。

これまでの登場は;イカル、ウソ、シジューカラ、コガラ、ヒガラ、ヤマガラ達であるが私達がこれらの名前をわかるようになるのはお客様が少なくなり暇になって時間も出来てきた秋を待たねばならなかった。次回は開業の事といよいよオオマシコとの出会いになります。
http://www.digisco.com/mm/dt_22/toku5.htm
6:777 :

2022/06/20 (Mon) 08:47:50

458 :名無しさん@いい湯だな:2009/07/14(火) 20:26:12 ID:NNPJ78Bt

九州人はともかく東京からわざわざ行くところでないね。由布院。
箱根、伊豆経験者は失望する。
ひと昔前の清里メルヒェンから抜けられないオバちゃんなら煎ってよし。
それに甲斐駒と由布岳じゃー。清里の勝ち。




137 :列島縦断名無しさん:2007/12/18(火) 14:20:36 ID:KC9TpCCCO

土日に初めて行って来た湯布院って寂れる前の清里だと思った

144 :名無しさん@いい湯だな[sage]:2008/09/01(月) 21:08:17 ID:xXB8K/gj

なぜ人気あるのかわからない観光地。古い新しいじゃない。イマジネーションのかけらもない。


147 :名無しさん@いい湯だな[sage]:2008/09/02(火) 23:05:10 ID:rEd11Mnj

価値のあるのは一部の宿だけだな。 街はすっかり変わってしまった。

148 :名無しさん@いい湯だな[sage]:2008/09/02(火) 23:32:03 ID:6KTo4Yp1
>>147
去年は湯平泊まって、翌日湯布院で5時間時間とったんだけど正直、1時間で飽きてしまった。湯平で時間つぶしたほうがどれだけ価値が高かったか。電車なんで自由がきかなくて残念。

昔は良かった………のか……。

2007年のあの状況だと、清里にも劣る。
湯布岳と八ヶ岳では後者に軍配。
ガラス工芸館だとか、○○博物館とか安易なヤツ
あんなのしかないのかよ。

http://unkar.org/r/onsen/1195590472


7:777 :

2022/06/20 (Mon) 08:48:48

八ヶ岳エコーラインの超えられない壁  茅野、原村、富士見で移住者におすすめできないエリア
http://golden-tamatama.com/
  
さて一昨日の土曜日
天下泰平さんとこのドームハウスで移住セミナーやってますた。

皆様、都内からたくさん来て頂きありがとうございますた。

いや、それにしても素敵なドームハウスでしたね。

ドームハウスといえば日本では


ログハウスのBESS
https://www.bess.jp/index.html


という輸入ログハウスの会社が有名です。

でも、輸入材なので日本の気候に合ってなくて必ず結露とか雨漏りの問題が出て来る。

でも泰平さんのドームハウスは全て国産の資材で作られているそうです。
だからそういう問題が出ない。
ドームハウスとしては全て国産資材というのは初だとのことでした。

ちょびっとその模様を載せときます。

外見はUFOみたいなとこで中は素敵な空間ですた。

暖房なしでも暖かかった。

さて、これは当日の補足です。

ワタスは八ヶ岳エコーラインの話をしましたね。

八ヶ岳の西側。

茅野、原村、富士見エリアの移住希望者は知っておいた方が良いので書いときましょう。

エコーラインから下は原住民エリアです。(いわゆる、じもぴーエリア)

https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1vpUeSM6leB4RjgCehMgoxpnSu4U

エコーラインの超えられない壁。

これはこの辺りでは有名な話です。

役場でも聞きました。

エコーラインを挟んで上(標高が高い)は移住者、下(標高が低い)は現地住民。
お互いがいがみ合ってて争いが絶えない。

そう聞きました。

例えば退職したサラリーマンが地元住民エリアでペンションなどをやったこともあった。
でも、ほどなくして嫌がらせを受けて撤退する羽目になった。

そういう話が昔からあるようです。

とにかくエコーラインから下は移住者は住んじゃいけない。

八ヶ岳エコーラインとはここですね。
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Google mapで詳細が見れます。
https://www.google.com/maps/d/viewer?mid=1vpUeSM6leB4RjgCehMgoxpnSu4U


以下は、ワタスの持つエコーラインから下の現地住民のイメージ図です。

ほーっほほー


例えばこんな感じです。

例えばワタスが原住民エリアを散歩する。
良い風景ですねぇ。

ニコニコ。
笑いながら散歩してると。

バタッ、バタッ。
一斉に辺りの窓が閉められる。

よそ者が来た。
よそ者が来たぞ。

窓の奥で小さく囁く声が聞こえる。
そして監視している人々の目線を強く感じるのですた。

うーん。
まるで全身スキャンされているようだ。。

爪さきから脳天まで鋭く指すような目線を感じるのですた。


例えばです。
都内からカフェに来たお客さんがいる。

良い空気ですね~

そういって何も知らないで、ニコニコと犬を連れて散歩する。
で、途中、畑の真ん中でワンちゃんが糞をする。

大自然の中、犬だって開放的になる。
自然の生理現象です。

別にアスファルトの上なら糞の処理もするでしょう。
でもこんな畑のあぜ道でほっといたって肥料になるだけでしょう。

そうやって放置して過ぎ去ったら、500mも過ぎた場所で

あんたあそこで糞させてただろう。
拾ってけ!
そのように現地住民にドヤされるのですた。

ガクガクガクガク。
ってあんた、ずーっと遠くから望遠鏡で監視してたの?

そんな風なエリアなのですた。

原住民の口コミ速度は光ファイバーより早い。

よそ者が来た!
そういう情報があっという間に広まって限界体制がひかれるのですた。


ワタスの場合、そういう危険エリアだと露知らず、真っただ中でカフェなどをやってしまいますた。
今となっては後悔しかありません。

カフェの場所は非常に分かりずらかったせいもあり

金玉カフェどこですか。
金玉さんって、どこですか。

辺りの原住民にそう聞きまわってやってくる読者さんが結構いますた。

玉蔵さん!
いやー
やっと見つけますたよ。

5軒以上聞きまわってやっとみつけますた。
いや、見つかって本当に良かった。

そう目を輝かせてワタスの手をとって喜ぶ読者さん。

こ、この野郎。。

こんな危険エリアで金玉、金玉などと言いふらしやがって。。
このスカポンピャン!!

その読者さんをぶん殴りそうになったのを覚えています。


とにかく八ヶ岳の西側エリア。
エコーラインより下はひじょーーーに危険だ。
移住者は住んじゃダメです。

そういうお話をしますた。

という訳で笑いあり涙( ;∀;)ありのお話ですた。
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田舎暮らしの真実を語ろう! 10/29(土) タッキー&玉ちゃん 移住セミナー開催!

さて、最近は田舎暮らしに憧れる人達も多いと聞きます。

以下は移住先人気ランキング。

http://golden-tamatama.com/blog-entry-2558.html


おほぉ!

なんとワタスの住む長野県、そしてしょっちゅう行く山梨県。
ランキングツートップ1位2位ではないですか。


そうですか。
ワタスは人気県に住んでたのか。

ワタスはこんな人気になる前に人に先駆けて人気ナンバー1の県に住んでいる。
人が羨む田舎暮らし。
くほほほ。

別にワタスは長野は適当に決めただけなんですが。

なんてワタスは幸せなんだ。
ありがとうございます。
ついてる。ついてる。

先ほどまで斉藤一人さんの教えを呟いていますた。

とかなんとか。

さて、しかし。
移住希望ランキング1位の長野県。

移住先の人気になることは嬉しい。
しかし、こう言ってはなんだが。。

先に移住した者として語らなければいけない真実がある。

確かに田舎に行けば素晴らしい景色、綺麗な空気、おいしい食べ物。
素敵なスローライフが待ってる。

でも、そういう幻想を抱いているあなた。

気を付けないと大変な目にあう。
移住で苦労したくなければ事前に知っとくべきことはかなりある。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2558.html


地方消滅 田舎暮らしの真実 その2
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2559.html


さて、昨日は長野、山梨は移住ランキング 1位 2位と載せたのですが。

以下は全国空き家率ランキングです。

http://golden-tamatama.com/blog-entry-2559.html

実は、なんと長野県や山梨県は空き家率でも全国1位2位なのですね。


え?
長野、山梨は移住先人気1位2位なのになんで空き家率トップ?

矛盾している。
なんでしょうこの矛盾したデータは。

そう。

この意味するところ。
言いにくいことですが。


地方消滅。。


以下、元総務大臣で岩手県知事などを経験した増田氏の著書です。
全国に衝撃を与えたと言われる著書です。

地方消滅 - 東京一極集中が招く人口急減 (中公新書)
増田 寛也 中央公論新社 2014-08-22
https://www.amazon.co.jp/exec/obidos/asin/4121022823/asyuracom-22/

これから全国1742の地方自治体のうち、ほぼ半数の896市町村が消滅する。
今後の日本は地方が消滅し都市部だけに人口が集中する。
人口が点在する極点社会になる。

データを元にしてそう書かれた本です。


以下は国土交通省が出した今後の日本の人口推移グラフです。
ご存じのようにこれから日本は急減に人口が減ります。

日本の現在の出生率1.41%。2100年には人口 5000万人になるのでした。

http://golden-tamatama.com/blog-entry-2559.html


実はここまでの人口減少を経験する国はないと言われています。

大抵の国はここまでなる前に移民を入れたりする。
移民を受け入れない国でも子供を急激に増やす政策を打ちだして人口減少に歯止めをかけている。

でも、日本の場合どちらもやってないのでした。

フランスやスウェーデンは事実婚制度をすすめて子供が増えた。

ちなみに、知らない人が多い事実ですが、
日本は、生まれる数より堕胎する数の方が多い。

日本の場合、戸籍制度が縛りになって子供が増えない。
結婚の半分はできちゃった婚なのに、戸籍制度が縛りになって入籍するより堕胎を選ぶ人が多い。

フランスやスウェーデンは事実婚制度を推奨してから子供が増えた。

で、何もやってない日本は急激に人口の減る一方なのでした。

そして長野県、山梨県は10年後20年後には無人化するところが多いのでした。

以下は先日撮影した長野県の限界集落です。


長野県限界集落レポート - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=iCw48Xp18HA

この動画は以下のルートで撮影しました。
八ヶ岳の麓。

富士見町から茅野あたりまでの20号線沿いを走ってます。

どうでしょうか。
見ると非常に寂れた街並みです。

この地域は、長野の中でも空き家率2位の場所です。
限界集落がどういうものか分かると思います。


Wiki 限界集落

中山間地域や離島を中心に、過疎化・高齢化の進行で急速に増えてきている。このような状態となった集落では集落の自治、生活道路の管理、冠婚葬祭など共同体としての機能が急速に衰えてしまい、やがて消滅に向かうとされている。共同体として生きてゆくための「限界」として表現されている。「限界集落」にはもはや就学児童など未成年者の世代が存在せず、独居老人やその予備軍のみが残っている集落が多く病身者も少なくないという。


実はワタスはこの20号線沿いでカフェをやってました。
その時、ワタスは多くの人達から何度も言われたのを覚えています。

玉ちゃん。
原村や茅野はエコーラインから下は住んじゃダメだよ。
あそこは移住者が住む場所じゃないよ。

ワタスは移住してまもないのでそんな場所とは露知らず。
カフェなどやって非常に苦労したのでした。


ワタスが最初に感じた違和感。
近くの温泉に行った時のことでした。

いたるところに

「オムツは捨てないで下さい。」

そういう張り紙が貼ってあったことを覚えてます。

オムツ?
こんな温泉で赤ちゃんのオムツを捨てたりするのか。。

何たるマナーの悪さ。
もうちょっとこの地域のお母さん方の教育をした方が良い。

そう思ってたのですが。

もちろんオムツとはジジババのオムツのことですた。

ガーン。

住民の平均年齢75歳。
移住して最初に感じる幻滅。

ダメだこりゃ。。

希望溢れる移住者は最初にここで打ちひしがれます。

ジジババ天国。

そこは驚くほど完全閉鎖的。排他的です。
現住民は外からの刺激を完全シャットアウト。

よそ者にはきてほしくない。
よそ者のあんたにゃわからない。

このキーワード。

決まりきったジジババサークル以外は誰も寄せ付けない。

地方には新しい取り組みをしたがる若者がいたりする。
移住者が何か新しい取り組みをしたりする。

でも村に住む保守的な老害が潰してしまう。
前例がない。
その言葉で大抵、何もやらない。

その地方では自民党系議員と土建屋だけが栄えてるだけ。
良くあるパターンです。
なんの新しい取り組みもアイデアも出ないので産業もなにも作りだせない。

で、若者は出て行く一方。
もちろん外部からもだれも寄り付かない。


随分と前に商店はシャッターを下したままだ。
そして最近スーパーが閉鎖した。
バスも来ない。
電車もかなり昔から1時間に一本。

かなり前から子供もいないので学校は閉鎖しました。
そして郵便局が消え、しまいには交番が消え。
最近、唯一繁盛していた病院が消えた。
今、繁盛してるのは火葬場だけです。

長野や山梨はそういう場所がいたるところにある。

それが空き家率ナンバー1,2の理由でした。

移住者はこんな場所には間違っても行ってはいけないのでした。


そういう場所は今後10年~20年で70歳代の排他的ジジババも自然消滅する。

限界集落を越えて消滅集落。
これから20年以内にインフラ自体が消えてなくなっていくのです。


もちろん移住は楽しい。
美しい景色、美味しい野菜。
そういうハッピー移住ライフを目指すなら、
移住前にちゃんとした情報を仕入れましょう。

という訳で何年も前に引っ越したワタスは移住のリアル。
良いとこも悪いとこも語る話は多い。

こういう話はいくらでも書くことがあるのでまた続きを書きましょう。
http://golden-tamatama.com/blog-entry-2559.html
8:777 :

2022/06/20 (Mon) 08:49:30


雪国の人はみんな南国に憧れる _ わざわざ好き好んで北海道や信州に移住するのはアホ


>>322 八ヶ岳エコーラインの超えられない壁  茅野、原村、富士見で移住者におすすめできないエリア

の続き

そうだインドに行こう! ハイパーノマド渡り鳥計画


ガクガクガクガク
さ、寒い。
寒いよぉ。

さて、12月後半に入り一段と寒さが増して来た昨今。
皆様、如何お過ごしでしょうか。

ブログを書く手すらかじかむこの季節。

ガクガクガクガク。
ワタスの住むところは前から書いてる通り標高1,000 mです。
山の麓が0℃ならここはマイナス5℃です。
マイナス5℃ならマイナス10℃。

赤子も凍るその寒さ。
その寒さは尋常ではありません。

この季節はもちろん一年のうちワタスが激しく落ち込む季節なのですた。

なぜ縁もゆかりもないのに、こんなところに越してきてしまったんだ。。
いつもそう後悔の念に苛まれる季節なのですた。

3.11以降ワタスは安全な地に引っ越したものとばかり思っていますた。

くほほほ。

ワタスは守られてる。長野は守られている。
放射能などどこふく風。
ここは標高3000m級の山脈で囲まれている。完璧な大自然の防御壁。

しかし、あれ以来、巨大地震も起きず経済崩壊も起きず。
今後、ワタスは毎日寒い中、車の周りの雪をかいたり、灯油を入れたり。
ひょっとしてワタスは守られているどころか、進んで苦労を背負いこんだのでは?
最近、そのように薄らと認めたくない事実が脳裏をかすめるようになりますた。

や、やらせはせん。
その度に、そのようなネガティブ思考を吹き飛ばす努力をしているのですた。

さて、それにしてもよく考えたのですが。
昨今のLCC(格安航空会社)。
皆様も良くご存じでしょう。

沖縄片道6千円とか。
シンガポール片道1万とか。
良くネットでも宣伝してますよね。

どんだけ安いんだ。。
格安航空会社が流行る昨今。
良く考えたらなんで日本にこだわる必要があるのでしょうか。

あのハイパーメディアクリエイターの高城剛氏はハイパーノマドという生き方を提唱してます。
ハイパーノマドというのは、世界中を短期滞在を繰り返して場所に縛られない生き方です。

これは高城氏のノマド的生き方の説明動画

高城 剛 カバンの中身 - 世界中を手荷物1つで旅をする - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=nT0_mh4-990


だいたい動物だって渡り鳥がいますよね。
なんで金玉は渡っちゃいけないんだ?

苔むす石じゃあるまいし。
なぜ一か所ににどしっと構えて金玉が生きてなきゃいけなのか。

季節によって金玉がふわふわと世界に飛んで行く。

本来、金玉と言う生物は風船のように風にたなびいて飛んで行く優雅な生き物であっても良いはずです。

ガクガクと標高1000mの中、耐え忍んで厳しい冬を越えるなど。

雷鳥か!
以下、雷鳥さんの雄姿。


Wikiライチョウ
国指定の特別天然記念物であり、富山県・長野県・岐阜県の県鳥である。・・季節が変わってもすみかを移動せず丸一年を同じ地域で過ごす留鳥であり、気温が激しく低下する冬場においても、それ以外の季節と同様、高山で暮らす。


決めた。
冬だけ暖かいところに住もう。
金玉村の住民は冬だけLCCで常夏の島へ。

実は我々が考えている渡り先はインドです。


インドにこんな場所が?南インドの桃源郷「ケララ」がまるで楽園のような美しさ

南インドに存在するケララという場所をご存知でしたか?

ここは、デリーや北インドとはまったく違った雰囲気を持っています。
その景色はまさに南国!
独自の古い文化が色濃く残った、感動的な風景が、こんなところにあったとは、、!

インドにこんな南国のような場所が、、

https://retrip.jp/articles/432/ 

こんな綺麗な夕陽、、見たことない。


ケララ最大の港町コーチン

スパイス貿易でにぎわった古都コーチンは、いまなおポルトガルやオランダ商人の街並みが残り、旅情をかきたてます。


実は、そこには既にワタスの友人が住んでいます。
以下はその方のブログ。
インド人に家借りた。
http://inopan.blog.fc2.com/

http://golden-tamatama.com/blog-entry-2599.html

______

雪のない生活に憧れる

4組目は、「秋田県在住の日本人夫婦、年金生活。

雪のない生活に憧れて自宅を処分、冬はセブ島のアパート、夏は日本(自営業で使っていた事務所あり)」

温暖な気候なら沖縄でもよさそうですが、物価が安くしがらみのない海外で解放感を味わいたいのでしょう。


現実的な選択

当初は退職者ビザを取得しコンドミニアムを購入する予定でしたが、現地の台風被害に接して方針転換。冬季のみ短期滞在の海外生活を楽しむことにしました。

富裕層ではない中間層も、こうした老後を選択肢にできるようです。

「元気な内に海外生活をエンジョイ、健康が不安になったら日本に戻る」
日本に生活拠点が残っているのでリスクは小さい。
http://nojob-thrift.blogspot.jp/2015/11/blog-post.html
9:777 :

2022/06/20 (Mon) 08:50:26


暖炉や薪ストーブはもう古い _ 暖炉型電気ヒーターの実用度
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14008074


資産家以外は憧れの暖炉・薪ストーブだけは諦めた方が良い
移住民が新たに価値を見出した「薪ストーブ」2015.01.14
http://thepage.jp/detail/20150114-00000007-wordleaf


「薪」を手に入れる事から始まる

[写真]冬に使う薪を秋までに確保できるかどうかが、薪ストーブを導入した寒冷地の田舎暮らしでは死活問題となる


 僕は3年前の夏から、八ヶ岳を望む長野県の山中に生活の拠点を移している。

ざっくり言えば最近流行りの「田舎暮らし」だが、仕事の中心や人間関係の大半は、まだ地元の東京に残したままだ。住んでいる場所も都会人が集まる別荘地で、「自然に寄り添う」という言葉が出てくるような、志高い「田舎暮らし」のイメージとは異なる。

 そんなヘタれた「田舎暮らし」の中で、まあ、「らしく」頑張っていると言えるのものが一つだけある。「薪づくり」である。

 僕の家は標高1350メートルの高地にあり、冬はマイナス10~15度になる。

当然エアコンは役にたたない。

地元民が大半を占める市街地では、石油ストーブが活躍しているが、別荘地を中心に分布するいわゆる「外来種」「移住民」となると、あえて薪ストーブを使っている人が多い。

最近の薪ストーブは石油ストーブよりも暖房効率が高く、単純に寒冷地に最適だという理由が一つ。また、「炎を眺める」ということを通じて、なんとなく田舎暮らしを満喫しているような気分になるという都会人感覚も普及におおいに貢献していると思う。
http://thepage.jp/detail/20150114-00000007-wordleaf


しかし、今日、薪を手に入れるのは簡単ではない。

「出来合いを店で買う」のが最も手っ取り早いが、例えば最も手近なホームセンターなどでは一束500円前後と高い。

一束は概ね両手で抱えられる程度の量だが、それくらいでは下手をしたら1時間も持たず、1000円札を燃やして焚き火をするレベルと言っても過言ではない。お金持ちの週末の別荘利用ならばそれで良いだろうが、右肩下がりの時代に現役世代が寒冷地に定住するための「生きる手段」としては、とても選択肢にはならない。

 ではどうするかと言うと、一般人が山に入って木を切り倒すことは事実上不可能なので、長さ2~3メートルの原木(丸太)を手に入れ、自分で割る。これが最も現実的だ。

原木は薪の束に比べればだいぶ安く買うことができるが、自治体などが間伐材を無料で配布することもある。「薪割り」は昔ながらに斧をふるってやる人もいるが、僕は7万円程度で売っている油圧式の電動薪割り機を使っている。


 原木入手のルートとして、僕は昨秋初めて、地元のNPO法人が主催する「薪づくり講習会」というイベントに参加した。NPOが管理する里山の間伐材を使い、正しいやり方を教わりながら半日かけて薪を作る。出来上がった薪は参加者約30人で分配して持ち帰るという段取りだ。
 
 ほとんどの一般参加者の狙いはやはり「薪ゲット」に尽きる。
http://thepage.jp/detail/20150114-00000007-wordleaf?page=2

「カラマツ」という悩ましい存在
「八ヶ岳森林文化の会」の皆さんによる間伐作業の様子=長野県茅野市の「市民の森」で、「八ヶ岳森林文化の会」提供

 もともとゴルフ場は、「カラマツ林を抜ける爽やかな林間コース」という触れ込みで開発されたという。しかし、この「カラマツ」がクセモノなのだ。戦後、特に長野県では盛んに電柱や枕木の材としてカラマツが植林された。しかし、すぐに輸入材やコンクリートに押され、経済的な価値を失った。そのため、今はほとんどのカラマツ林が十分に手入れされていないのが現状だ。

「原生林は自然更新ができるけれど、一度人間の手が入った森はそれができない。人工林は間伐を前提に作られているのです」と「八ヶ岳森林文化の会」の南波一郎さんは言う。

 この「吉田山」の場合は、ゴルフ場予定地だった約200haを後に市が買い取って「市民の森」と名付け、県の助成金を使い、「八ヶ岳森林文化の会」がボランティアで管理している。「仮に間伐した木材を売ったとしても運送費と人件費で赤字になります。助成金がなければどうにもなりません」と定成さんが言うように、このように里山を継続的に間伐して管理できるケースは稀だ。

 加えて、現在の森林法では、木を倒したままその場に放置する「切り捨て間伐」が禁止され、間伐材は全て山から持ち出し、何らかの形で利用しなければならない。だが、多くは薪くらいにしか使えないのが現状だ。


しかも、カラマツとなると、薪としても


「燃え尽きるのが早い」「温度が上がりすぎてストーブを傷める」


などの理由で敬遠されがちなのだ。カラマツの利用を促進するために開発された専用の「カラマツストーブ」などもあるが、広く普及しているとは言いがたい。


里山保全に携わる大半は「移住民」

 我が家では外国製のアンティーク級の薪ストーブを使っているが、カラマツを毛嫌いせず、火がつきやすい性質を利用して、炊き始めや火力アップの際に広葉樹と混ぜる形で積極利用している。自分の「田舎暮らし」の現実において、最も安くて手に入れやすい燃料を使わない手はないからだ。

 「八ヶ岳森林文化の会」の皆さんは、そこから一歩も二歩も踏み込んで、里山を荒廃から救い、地域活性化に結びつけようという志で動いている。そして、半分予想しつつ驚きもしたのだが、100人弱の会員の9割方は、理事長の定成さんを含め、都会からの「移住民」だという。

 「私と同じ世代の地元の人たちは、戦後の貧しい時代に、学校のストーブの燃料にする薪を山から背負って運ばされていたと聞いています。そして、


『こんな辛い仕事は大人になったら絶対にやらんからな』


と思って育ったと。もうだいぶ前の事になりますが、実際に地元の人の口から


『あんたたちはそれをもの好きにようやるわ』


と言われた時に、初めて会に土地の人がなかなか入ってこない理由が分かりました」
http://thepage.jp/detail/20150114-00000007-wordleaf?page=3
10:777 :

2022/07/11 (Mon) 06:04:42

【バブル遺産】原宿と呼ばれた一大清里ブームが過ぎ去った高原メルヘン廃墟 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=yqi9DIMGKZU

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