-
1:777
:
2022/06/12 (Sun) 06:59:30
-
「人生は爆発だ」_ 岡本太郎が言う通り純粋に生きるとホリエモン、与沢翼や孫正義みたいになってしまう
自分の中に毒を持て―あなたは“常識人間"を捨てられるか 岡本太郎
http://www.amazon.co.jp/%E8%87%AA%E5%88%86%E3%81%AE%E4%B8%AD%E3%81%AB%E6%AF%92%E3%82%92%E6%8C%81%E3%81%A6%E2%80%95%E3%81%82%E3%81%AA%E3%81%9F%E3%81%AF%E2%80%9C%E5%B8%B8%E8%AD%98%E4%BA%BA%E9%96%93-%E3%82%92%E6%8D%A8%E3%81%A6%E3%82%89%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%81%8B-%E9%9D%92%E6%98%A5%E6%96%87%E5%BA%AB-%E5%B2%A1%E6%9C%AC-%E5%A4%AA%E9%83%8E/dp/4413090101
\ , イ
l! ヽ 、 ,. ( /
jl ヾ 、 ,. ( /
l !. iヘ. / /─ - _
l ! !∨ `> 、
l i /l l `ヽ
! l / ! i \
ヽ 、 / ! L- ´  ̄ `>、 ヘ
___. ヾ 、 _i .j j: : :_: : : : : : : : :ヽ ヘ
,. (////////`>、 `ー| / 斤´ 7 `ヽ: : : : : : ヘ ヘ
////////////////∧ j. ノ ,辷ンゅ ∨: : : : : :ヘ ヘ
////////////////////! / ^´ //// i: : : : : : :i r-、 i
.i////////////////////ヽ _ / .!: : : : : : :| ー'r 、 |
.!/////////////////////// ` _ _,.、 l: : : : : : : ! ´o !
!'/////////////////////,! ` ー- (:::":ノrや´!: : : : : : : | |
∨//////////////////// !j ////j: : : : : : : : ! i
. ヽ//////////////////,{ /////!: : : : : : : :i !
\//////////////> ' /////,l: : : : : : : : ! i
ヽ////////// ///////,l: : : : : : : : :i l
////////// ////////,l: : : : : : : : : ! j
.//////////> 、_ /////////!: : : : : : : : : ヘ /
////////////////`ヽ i/////////l: : : : : : : : : : ヘ /
.////////////////////ヽ !/////////l : : : : : : : : : : ヘ /
.i/////////////////////∧ ∨///////ヽ: : : : : : : : : : :ヽ ./
!'//////////////////////∧ ヽ//// ',: : : : : : : : : : : :ヘ / /
. i////////////////////////∧ ヽ/ ∨ : : : : : : : : : : \/ /
!/////////////////////////∧ γ´フ´ ヽ: : : : : : : : : : : : :\ /
!//////////////////////////∧、 / ´ j \: : : : : : : : : : : : :ヽ /
l'///////////////////////////∧/>、 / r-f \: : : : : : : : : : : :ヘ /
ヽ////////////////////////////ヽ///>j !/,L_ \: : : : : : : :ト、: :j /
∨///////////////////////////\//L_. .__」////7>ー-'/ゝ: :、: : : : ! ):ノ / _, . (
∨////////////////////////////ヽ//////////////////////フ\:j\: l /、7/////
ヽ//////////////////////////////////////////////////,ノ ` / !/>: ´: :
\///////////////////////////////////////////////ノ ムr//,|: : : : :
ヽ///////////////////////////////> ´  ̄ `  ̄ ̄´ ! //////l: : : : :
\//////////////////////> ´ ̄ | !/! .V//!: : : : :
∨////////////////////ヽ r j l l/ ∨ヘ: : : : :
i//////////////////////ヽ^ヘ リ l {! ヾヘ: : : :
|///////////////////に==, そ´ ヘ ! }∧、:_:
!/////////////////////r-='_、 ! ヘ i //r―
|/////////////////////(ノ´//} `ー-_, ヽ i l//!
|//////////////////////////fj^i´ ̄ ヽ ∨ j//L_
l'///////////////////////////∧ \ ∨/r―‐
「危険だ」という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。
私は、人生に岐路に立った時、いつも困難な方の道を選んできた。
それが私の人生観だ。
そうは言っても、人はいつでも迷うものだ。
あれか、これか・・。こうやったら駄目になっちゃうんじゃないか。
俗に人生の十字路と言うがそれは正確ではない。
人間は本当はいつでも二つの道の分岐点に立たされているのだ。
この道をとるべきか、あの方か。
どちらかを選ばなければいけない。迷う。
一方はいわば既に馴れた、見通しのついた道だ。安全だ。
一方は何か危険を感じる。
もしその方に行けば、自分はどうなってしまうか。
不安なのだ。しかし惹かれる。
本当はそちらの方が情熱を覚える本当の道なのだが、迷う。
まことに悲劇の岐路。
しかし、よく考えてみて欲しい。
あれかこれかという場合になぜ迷うのか。
こうやったら食えるかもしれない、もう一方の道は誰でもが選ぶ、ちゃんと食えることが保証された安全な道だ。
それなら迷うことはないはずだ。もし食うことだけを考えるのなら・・。
そうじゃないから迷うんだ。
「危険だ」という道は必ず、自分の行きたい道なのだ。
ホントはそっちに進みたいんだ。
だから、そっちに進むべきだ。
僕はいつでもあれかこれかという場合、これは自分にとってマイナスだな、危険だなと思う方を選ぶことにしている。
誰だって人間は弱いし、自分が大事だから逃げたがる。
頭で考えて良い方を選ぼうなんて思ったら、なんとか理屈をつけて安全な方に行ってしまうものなのだ。
「構わないからこっちに行ったらダメだ」とおもう方に賭ける。
瀬戸内晴美(瀬戸内寂聴尼)は僕に最初あった頃、それを聞いてショックを受け、以来それを実行してきたと言っている。
彼女はちゃんと食えているし、それ以上、堂々とやってるけれど覚悟はそこにあるんだ。
本当に生きるっていうのは、そういうことだ。
人間、自分を大切にして安全を望むのだったら、何もできなくなってしまう。
計算づくでない人生を体験することだ。
思い切って、僕と同じに駄目になる方、マイナスな方の道を選ぼう、と決意してみるといい。
そうすれば、必ず自分自身がワァーッともり上がってくるに違いない。
それが生きるパッションだ。
https://miketsu-kuni.jp/arrows-lc/modules/staff/?author=1&paged=2
"モノマネ"人間には何もみえない
あまりにも独自であることは極めてケシカラヌことであり、恥ずべきことのように扱われる。この国の風習では「長いものには巻かれろ」が常識である。
仮に親の顔色をうかがって就職し、安定を選ぶとしようか。が、それが青年自信の人生なんだろうか。"俺は生きた!"といえる人生になるだろうか。そうじゃないだろう。自分自身の生きるスジはだれにも渡してはならないんだ。この気持ちを貫くべきだと思う。
それに、人間にとって成功とはいったい何だろう。結局のところ、自分の夢に向かって自分がどれだけ挑んだか、努力したかどうか、ではないだろうか。
体当たりする前から、きっとうまくいかないんじゃないかなんて、自分で決めて諦めてしまう。愚かなことだ。ほんとうに生きるということは、自分で自分を崖から突き落とし、自分自身と闘って、運命をきりひらいていくことなんだ。
http://www.vi2tto.jp/entry/2010041570.php
最大の敵は自分
“・ふつう自分に忠実だなんていう人に限って、自分を大事にして、自分を破ろうとしない。それではダメだ。
社会的状況や世間体とも闘う。アンチである、と同時に自分に対しても闘わなければならない。
これはむずかしい。きつい。社会では否定されるだろう。
だが、そういうほんとうの生き方を生きることが人生の筋だ。
・ぼくはいつでも、あれかこれかという場合、これは自分にとってマイナスだな、危険だなと思う方を選ぶことにしている。
・自分を大事にしようとするから、逆に生きがいを失ってしまうのだ。
己を殺す決意と情熱を持って危険に対面し、生き抜かなければならない。
今日の、すべてが虚無化したこの時点でこそ、かつての時代よりも一段と強烈に挑むべきだ。
・とかく、みんな自分を大事にしすぎる。自他に甘えているんだ。ほんとうに自分のあり方を、そとに突き出していない。だから、裏目が出てきてしまう。
なぜ、友だちに愉快なヤツだと思われる必要があるんだろう。友だちに好かれようなどと思わず、友だちから孤立してもいいと肚を決めて、自分をつらぬいていけば、ほんとうの意味でみんなに喜ばれる人間になる。
・人はよくぼくのことを「教祖」だという。行動に断言的なところがあるからだろう。しかしここでも、信者は一人もいない教祖だ。信者なんて不潔だ。また親分子分の人間関係のお互いごまかしあい、利用しあういやったらしさ。
・純粋に強烈に生きようとすればするほど、社会の跳ね返しは強く、危機感は瞬間瞬間に鋭く、目の前にたちあらわれるのだ。いつでも「出る釘は打たれる」。だからといって気を遣って、頭を引っ込めてしまっては、人間精神は域内。打ってみろ、と己を突き出す。打たれることによって、自他をひらくのである。ますます拡大して爆発する存在になるのだ。
・よく、あなたは才能があるから、岡本太郎だからやれるので、凡人には難しいという人がいる。そんなことはウソだ。
やろうとしないから、やれないんだ。
それだけのことだ。
・芸術はきれいであってはいけない。うまくあってはいけない。心地よくあってはいけない。それが根本原則だ。
「爆発」の意味
“・「芸術は爆発だ」。ぼくの気ままに言った言葉。妙に一般の人気を得て、ついには流行語大賞までもらってしまった。
・一般に爆発というと、ドカンと大きな音が響いて、モノが飛び散り、周囲を破壊して、人々を血みどろにさせたり、イメージは不吉でおどろおどろしい。
・が、私のいう爆発はまったく違う。音もしない。物も飛び散らない。
全身全霊が宇宙に向かって無条件にパーッとひらくこと。それが「爆発」だ。
人間は本来、瞬間瞬間に、無償、無目的に爆発しつづけるべきだ。いのちの本当のあり方だ。
・…そうだ。おれは神聖な火炎を大事にして、まもろうとしている。
大事にするから、弱くなってしまうのだ。
己自身と闘え。自分自身を突き飛ばせばいいのだ。
炎はその瞬間に燃え上がり、あとは無。—爆発するんだ。
http://www.ikedahayato.com/index.php/archives/9219
▲△▽▼
ホリエモン語録
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14014178
与沢翼の成功、破産、そして復活 秒速1億円男
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14014180
孫正義の詐欺の手口
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14014189
-
2:777
:
2022/06/12 (Sun) 07:02:24
-
岡本太郎 40歳 スキーを始める。
1952年(昭和27年)、岡本太郎さんはもともと運動好きでしたが、40歳を超えてからスキーを始めます。
岡本太郎さんは初心者の頃から、上級者向けの絶壁のようなコースに挑み、大転倒を繰り返したといいます。
急斜面を勢いよく滑り降り、歯を食いしばって突っ込んでいくと、ステンと大きく転倒し、ひっくり返って新雪の中に頭が潜り込んでしまった時、岡本太郎さんは、自分が転んだというより、地球がひっくり返った感じがして、地球に親しみを覚えたと表現しています。
その後も、
「ヘタをしたら首の骨を折って死んでしまうかもしれない」
というほどの危険なコースで文字通り死に物狂いの練習を重ね、メキメキと上達し、その腕前はプロスキーヤー・登山家の三浦雄一郎さんもプロ級だと評しています。
岡本太郎さんは、自分でスキーウェアやスキー板をデザインしたりもし、生涯のパートナーの秘書の敏子とは年越しスキーを楽しむのが恒例となっていきました。
また、講談社から「岡本太郎の挑戦するスキー」というスキーについての本もお出版しました。(残念ながら現在は廃盤となっています)
http://relaxmeikan.com/category5/entry117.html
株式会社飛脚堂の社長は男子高校生です。
凡人には真似出来ない岡本太郎のスキー
岡本太郎の「自分の中に毒を持て」という本を読みました。
岡本太郎という人物は、「太陽の塔」を作ったぐらいの人だと思ってた。
「芸術は爆発だ!」と言って、爆発した芸術品をつくる芸術家ぐらいに思ってた。
そんなもんじゃない。この本はとてつもないエネルギーを持っています。
岡本太郎は、ただの初心者のスキーでさえ、僕達の心を揺さぶってきます。
『初心者だったから、最初はたらたらっとした斜面で練習させられたのだが、上の方を見あげると、絶壁のような上級コースが白々と輝いている。
ああ、あんな凄いところで滑ってみたいなあ。
とても駄目だろう、だが滑ってみたい。
強烈な好奇心がぼくを惹きつけた。思い切ってリフトでそこまで登ってみた。』
もうそろそろ、ウインタースポーツの季節です。ぼくはスキーもスノボもやりますが、はっきり言ってこんなことしたくない。いや、スピードは出したいなって思うけど、絶壁のような上級コースは、好奇心より恐怖が先立ってしまいます。
だがしかし、彼の文章からは恐怖は感じられません。冷静に
「首の骨でも折って死んでしまうんじゃないか。ウーム!迷った。」
と書いてある。僕だったら怖くて足がすくんで終わり。というか最初からそんな急斜面は来ないと思う。
『しかしここまであがって来たのだ。来た以上、やってやろう。
死と対面することこそが、いのちを燃やす真のよろこびじゃないか。
ーとたんに、ステーンと、凄い勢いで転倒したーだが嬉しかった。
何か自分が転んだというよりも、ぼくの目の前で地球がひっくりかえった、というような感じ。地球にとても親しみを覚えた。』
滑って転んで、そして地球に親しみを覚えてしまう。並大抵の凡人に出来たことじゃあない。僕も例外なく、転んだら「痛いっ!」と言っているはず。毎年どこかしら痛くなって帰ってくる。
彼がスキーを始めたのは46歳。僕はまだ16歳だから、あと30年後にスキーを始めたことに。それでもこんなに好奇心旺盛だと、こんなに人生がカラフルで彩り豊かなものになるのかと思うと、好奇心は捨てないでとっておこうと。そして、今ある好奇心は最大限発揮しようと。
好奇心は枯渇することがないです。本人の意志さえあれば。好奇心を忘れずにいれば、ボケないそうです。だから好奇心を忘れずにいようというわけではないですが、それでも「好奇心はこんなにも人生を豊かにしてくれるんだ」と改めて岡本太郎のスキーを見て(読んで)思いました。
それにしても、ただの文字なのに、スキーの様子がありありと思い描けるのは、なんでだろう…これも岡本太郎の才かな。
「自分の中に毒を持て」、ぜひ皆さんにも読んで欲しい。読まないと伝わらないエネルギーが詰まっています。
http://shachodanshi.hatenablog.com/entry/2013/12/06/101253
-
3:777
:
2022/06/12 (Sun) 07:06:15
-
岡本太郎の沖縄
http://www.amazon.co.jp/%E5%B2%A1%E6%9C%AC%E5%A4%AA%E9%83%8E%E3%81%AE%E6%B2%96%E7%B8%84-%E5%B2%A1%E6%9C%AC-%E6%95%8F%E5%AD%90/dp/4140805382
「岡本太郎の沖縄」は岡本太郎の死後、養女の岡本敏子によって編集された写真集である。写真の大部分は岡本太郎が1959年に沖縄を10日間ほど訪れた時に撮ったもので、この旅は「沖縄文化論」を生んでいる。写真集が「沖縄文化論」の副産物だというのが正しいだろう。
私にとってこれらの写真はまず、1959年という時代の記録として貴重である。それから、写真がどれも違和感なく受け入れられると感じられる。ということは、1959年において画家が現代の私たちが沖縄を見る目を先取りしていたということもできそうだ。これはある意味ですごいことだ。
ところで私はすでにこれらの写真を冷静に見ることができなくなっている。それは久高島のことがあるからだ。以前比嘉康雄著「日本人の魂の原郷 沖縄久高島」を読んだとき、1966年に「心ない外来者」が風葬地に入ってひつぎを開け、写真を撮って雑誌に発表したという記述があった。これが原因となって風葬の習慣が絶えたとは筆者は断定していないが、おそらくそうなのだろう。
その後、岡本太郎と沖縄のことについていくらか調べていると、この「心ない外来者」が岡本太郎そのひとであることがわかった。このことについて池澤夏樹は「この心ない『外来者』とは岡本太郎である」といい、さらに
「死者の身内の者が雑誌に発表された写真を見てしまい、やがてこの人は精神に異常をきたすことになった。」
と書いている。なんともむごい話だ。パリで民俗学を学んだという画家は村人の心をずたずたに裂いてしまった。はっきりいって、この行為ひとつで私はすでにこの画家の全体を認めることがむずかしくなっている。
「沖縄文化論」の1972年版にはおそらく雑誌に掲載されたと同じものと思われる死者の写真が掲載されている。画家がまったく呵責を感じていなかったことの証だろう。写真は1967年に雑誌に掲載されたが、どの雑誌なのかはまだ知ることができない。
http://stowaway.exblog.jp/4159925/
10 :本当にあった怖い名無し:2008/04/09(水) 12:37:02 ID:GBiBAvZIO
ガチで沖縄出身のボクですよ。大学で民族学を専攻していたんで卒論のテーマとして研究した事があります。
これは確認できなかったので僕の憶測ですが、「神の~」等が書かれた看板が立ち立入禁止になっている場所は埋葬場だと予測しています。
鳥葬の風習が残っている地域も有る様ですし、
他にも・・・
集落でトラブルを起こし何だかの原因で始末された人間を隠したり
まぁ・・・ここら辺はあくまで憶測とか聞いた話ですので確認は出来ていません・・・。
http://unkar.org/r/occult/1207596243
178:名無しさん@十一周年:2010/09/18(土) 11:20:19 ID:yAysof1uP
岡本太郎が墓暴きをやったせいで久高島では風葬が廃止され
貴重な秘祭であるイザイホーの伝統も絶たれてしまった
>>1が事実であろうとなかろうと、その土地の人が大切に守ってきた文化を
よそ者が踏みにじる行為は絶対に許せないと思う
http://2chnull.info/r/newsplus/1284771591/1-1001
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱醯鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱霾鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱驩鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱雖雁聴隅鬱鬱鬱鬱羈贍貔躍鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱詣觀召銈召状隅鬱羇剤錐鋸醯艪鬱鬱歡笵鬱鬱鬱靃鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱醢儲諟鑓鈊羽Ы⊇没踈佼Ⅵ荘繍鬱鬱鬱鬱甑璢靏靃靃霾鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱勧鬱靃藹韲菅莢べ⊇∃Ц它∬⊇羽讙蠢鬱葢温輻鬱鬱諸荻Ⅵ羽貍隴鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱靃鐔鬱露媛どベ ベS辷Щ坦旦鏥鬱鬱蓜驩讒鬱鬪舜悠⊆ジⅥ羽穉鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱齬醯譴甜Ρ `∃Ш珀伽躇鑈鬱鬱鬱鬱鬱芦サⅥ川ジベ介Ⅵ羽誧霾鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱靃醯佼三、 ベ∃滋譴靄謔鬱靃蕓Ρ¨ ``ベ⊇川浴壮穉隴鏞鬱鬱鬱鬱鬱鬱
鬱盛護燗燗鷦妓冖マ∴、 ベ俎罎靄躇諚牧べ ベ⊇川衍掘雁隴鬱鬱鬱鬱鬱鬱
鬱醢世鎰鋸謐鬱廷レ、 沼貍隴謡鈷⊆゛ `ベ∃氾狛挧鍠薩鬱鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱靉咒謐鬱鬱鬱醢止 ∃堀鍠狽拔シ`∴ ベベ川Ⅵ珀掘鐫鑈鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱蠢〟 ‘氾荘珀召Κ`∴、 ベベ川Ⅵ壮掘隴鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱蠢蹟蠢蠧熨鬱影 ベⅥ珀笠に∴3、 `ベ介衍衒鐫鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱醪攤鸙蠡鸙鬱’ ‘∃衍衒旦Щ辷゛ ベ∃衍衒鋸鑈鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱記鷦騾粳” ベⅥ珀狛錐自. ベ∃衍珀鍠疆鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱蠢,`` `ヨ召Ⅵ羽霾此 ベ∃汾珀掘儲鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱監 ベ交ベヨ疆齔 ∴S⊇浴衒鍠譴鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱蠢』 ベ三ヘベ鴪彭 ベ⊇⊇氾衒掘儲鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鋻 ∃川シ ヅ’ ベベ3氾珀伽疆鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱』 `当癶、 、 u∴ ベベ⊇Ⅵ珀雄鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱。 ″ シ 、uムЩ糴庇 ∴シ⊇汾衍儲鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱監 ∴、∃ヨ櫨鬱鬱齔 `3⊇氾珀鑈鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鈊 逧此払(錙鬱鬱鬱靃㍗ ベ3⊇氾衒鬱鬱鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱蠢』 『鬱鸙鸙鬱鬱鬱鬱影忙 ベ⊇⊇浴郤弭儲鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱蠢〟 『鬱鬱鬱鬱鬱靃Г ベジ⊇Ⅵ交氾据鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鹹 情靃苛泣罅 ∴3S川Γ ヨ据鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱醢〟 ヴ県戸” ⊇⊇ジ ∃据鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱蠧〟 ⊇⊇゛ ヨ溷鬱鬱鬱
鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱鬱蠧止. ベシ 旧疆鬱鬱鬱
-
4:777
:
2022/06/21 (Tue) 05:28:15
-
上げ44
-
5:777
:
2024/06/28 (Fri) 13:52:16
-
学校は社会は理不尽であることを教え、自分たちには敵があることを教えろ
2024.06.27
https://blackasia.net/?p=44784
意味のない怒りもある。一方で社会正義としての「必要な怒り」もある。しかし「みんな仲良く」みたいな教育があまりにも徹底され、怒りを持つのはいけないという教育がされ過ぎると、若者はうまく怒りを表明できなくなる。そして、あきらめた若者の中に希死念慮が生まれる。(鈴木傾城)
面倒を避け、対立を避け、トラブルを避ける生きかた
著書『病み、闇。ゾンビになる若者、ジョーカーになる若者』
https://www.amazon.co.jp/%E7%97%85%E3%81%BF%E3%80%81%E9%97%87%E3%80%82-%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E8%8B%A5%E8%80%85%E3%80%81%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%BC%E3%82%AB%E3%83%BC%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%82%8B%E8%8B%A5%E8%80%85-%E5%9B%9B%E6%B1%90%E8%88%8E-%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%82%BE%E5%9F%8E/dp/4434329901?&linkCode=sl1&tag=blackbook2tok-22&linkId=84c64ccebe7c52718ab5e61162b3267b&language=ja_JP&ref_=as_li_ss_tl
の中で、「死の恐怖が希薄な若者たち」という章で、あっさり自殺していく若者たちが出てきていることを取り上げた。
自殺配信した少女もいたのだが、彼女は横浜駅と海老名駅を結ぶ相鉄線の瀬谷駅でカメラを設置して、電車がきたら何の逡巡も見せずにあっさりと飛び降りて死んだ。普通、死の恐怖というものがあれば、そんな簡単に死なない。
しかし、彼女は本当に「死の恐怖が希薄」であったように見えた。書籍『病み、闇。』の中ではそういう話を冒頭に取り上げた。
日本の若年層が心身に大きな問題を抱えるようになっているというのは、臨床にかかわっている医師たちが十年以上も前から報告している。若者たちは、2000年代に入った頃から、あきらかに精神的に変わってしまったという。
「何とか立ち直ろうとする力が落ちている」
「悩む力が落ちている」
「主体的に動く力も落ちている」
「疲れない付き合いだけに限定する」
「漠然たる不安を抱えている」
そのような傾向が強くなっているというのだ。これらに共通するのは、面倒を避け、対立を避け、トラブルを避け、自分が傷つかないように自我を必死に守り、傷つくくらいなら何もしないことを選択する受動的な生きかたである。
全員が全員そうではないが、若年層にそうした傾向が出てきているということは、教育の現場がそのような若者たちを作っているということでもある。
世の中には怒りを持たなければならない場面もある
今に始まったことではないが、日本の教育というのはもともとそういう面がある。それが、いよいよ強烈に若者を縛るようになり、若者はもうそれを服従するかのように受け入れるようになった。
「面倒を避け、対立を避け、トラブルを避け続ける若者たち」が大量に産まれているということは、教育の現場で若者たちがそのようになることを求め、もう若者が反抗できないほどまで、それがうまく機能するようになっているということだ。
今の教育は「正しいことを信念を持って訴えなさい」という教育はしていない。あるいは「自分が考えていることが何かをはっきりと主張しなさい」という教育もしていない。
「みんな仲良くしなさい、協調性を持ちなさい」という面をことさら強調し、逆に強い信念や自分の主張をしないように抑える教育が意識的にも無意識的にも為されている。
人間社会は集団生活の場だから、ある程度は同調性や協調性がなくては困る。しかし、だからといって100%それで押し通すと自分という存在が消えてしまう。
協調性を強く押しつける教育では、信念や主張のような強いものを表に出したら怒られるので表に出せなくなり、それが習い性となって身につく。
あまりにも協調性ばかりを教育で叩き込まれていくと、当然だが「怒り」を出すこともできなくなっていく。怒りは協調性を破壊し、同調を乱すものだからである。
しかし、人は理不尽なことをされたら怒りを感じるものだ。社会の不正にも怒りを感じるはずだ。弱い者がいじめられていても怒りを感じる。そして、間違ったことがまかり通っているのを発見しても怒りを感じて当然だ。
あるいは、自分が、自分の家族が、自分の国が、おとしめられていても激しく怒りを感じるはずだ。自分や自分の家族や国が他国の人間に馬鹿にされてヘラヘラ笑っているような人はまともではない。
意味のない怒りもあるのだが、一方で社会正義としての怒り、正当防衛としての怒りもある。世の中には、怒りを持たなければならない場面もある。
理不尽でも黙って指示に従うのが正しい生きかたか?
しかし、「みんな仲良く」だとか「人類みな兄弟」みたいな教育があまりにも徹底され過ぎて、何があっても怒りという感情を抑えなければならないと教育されたらどうなるのか。
「怒りを感じたらいけない……」
「理不尽なことをされても仲良くしなければ……」
「自分が我慢しなければ……」
このような思考回路になっていくのは容易に推測できる。とにかく協調性を崩さず、その場を丸く収めることばかり求められるようになり、不安の中で生きるしかなくなってしまう。
「みんな仲良く」を基本として教育するのは間違っていない。子供に対立と暴力を教えるのは教育ではない。強調性は生きるためには必要不可欠なものだ。
しかし、小学生・中学生でしっかりと基本を教えたら、それを踏まえた上で、高校生からは「信念を持つ」ことや「主張する」こともしっかり教えないと社会に対応できない若者が続出することになる。
ただ「面倒を避け、対立を避け、トラブルを避け続ける」だけしか学ばないで義務教育を終われば、面倒や対立やトラブルだらけの社会では押し潰される。そして、自分が社会に合っていないと自分を責めて、生よりも死に惹かれるようになっていく。希死念慮が育っていく。
本来は、世の中が理不尽なことや危険なことを教えるべきだ。そして、その中で押し潰されないようにする方法を教える必要がある。そうしないから、若者たちはどうしたらいいのか分からずに、最初から最後まで自分を殺して生きることになってしまう。
なぜ、「正しいことを主張する」ことを教えないのかというと、今の学校は若者をサラリーマンにするための養成学校のようになっており、「主張するより上司に従うこと、客に従うこと、同僚に従うこと」が優先されるからである。
「上司の命令が理不尽でも、黙って指示に従うのが正しい生きかただ」というのを学校から教わかって社会に出て、サラリーマン社会でクビにされないようにしているのだ。
相手がどんなに理不尽なことをいってきても、自分の主張は殺してひとまず謝罪したり賠償したりするように教えている。こんな生きかたを義務教育で徹底されたら、誰でも主体性を失って流れるように生きるしかない。
本当に、こんなことでいいのだろうか。
「怒りをうまく表明する練習」が必要ではないのか?
日本の教育は、社会が理不尽であり混乱しており暴力的なものであることを教えない。まるで世界は「人類みな兄弟」みたいなユートピアであるかのような前提で「みんな仲良く」「平和がすべて」と教え込む。
だから、多くの日本人は社会に出て突如として理不尽が自分に降りかかったとき、自分の主張はしないで、対立もできないで、ひたすら低姿勢で謝ることしかできない。
「怒り」という感情を去勢され、闘争心という牙を抜かれてしまったので、何もできずに右往左往するだけになる。戦うことができない。
現状を変えるには教育を変える必要がある。社会は理不尽であることを教え、自分たちには敵があることを教え、敵には強く対抗しなければ国が滅びることを教えなければならない。
理不尽には戦い、守るべきものは戦って守ることを教えなければならない。理不尽や社会不正に怒りを感じることは自然なことであることを教えなければならない。
怒りという感情があるから、世の中が間違っていたら是正しようとする力が生まれ、また間違った社会から自分が立ち直るためのエネルギーが生まれる。
怒りがあるから、現状を変えるために強く悩み、考え、主張するエネルギーが生まれる。怒りがあるから、現状を変えようとする強い力が働き、主体的に動けるようになる。
怒りがあるから、どんな力強い敵にも対抗できるエネルギーが生まれ、怒りがあるから漠然たる不安を吹き飛ばすエネルギーが生まれる。
今の教育は若者たちから「怒り」という感情を奪い取っており、だから若者たちはもはや現実社会で生きる夢も希望も失ってしまい、ファンタジー(虚構)の世界に逃げるしかない。
「生まれ変わったら、ああだこうだ」「異世界がどうしたこうした」「転生した」とか、そういうのはすべて「現実世界に対応できないのでファンタジーに逃げたい」という心境が映しているものなのだろう。
そういうのに感化されると、結局「死の恐怖が希薄な若者たち」が量産されることになる。ファンタジーは、ただの妄想にすぎない。ファンタジーの世界で強くても、現実社会で何もできなければただの弱者である。
現実で戦わなければ敗者と化す。 現実で戦うためには闘争心が必要だ。闘争心は、まず「怒り」を感じるところから始まる。
だから、この「死の恐怖が希薄な若者たち」を現実に引き戻すには、まずは「怒りをうまく表明する練習」をして、その上で「自分の意見を主張する訓練をする」ことではないかと思うようになっている。
そろそろ日本人は自分の人生から「怒り」を奪われていたことに気づいてもいい頃だ。怒りという牙を取り戻せば、自分自身が秘めているパワーも取り戻すことができる。
https://blackasia.net/?p=44784