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クラシック音楽 _ ロマン派の音楽

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2022/06/07 (Tue) 12:58:46

クラシック音楽 _ ロマン派の音楽


聴覚を失い最悪の二日酔いに悩まされながらも、極度のアル中だったベートーヴェンは言葉では言い表せないほどに荘厳な楽曲を創り上げました。

ベートーヴェンはベッドで死の淵にいながらも、ドイツのラインランド州から送られてくるワインを楽しみにしていたのですが、ワインが到着して来た時にはほとんど意識がなく、ベートーベンは「なんて残念だ。遅すぎた」とささやき意識を失ったそうです。



ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン (独: Ludwig van Beethoven 、1770年 12月16日頃 - 1827年 3月26日)


最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『ピアノ協奏曲第4番 ト長調 作品58』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/237.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『ピアノ協奏曲 第5番 変ホ長調 作品73 皇帝』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/394.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 作品61』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/392.html


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最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『バガテル エリーゼのために』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/302.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『創作主題による32の変奏曲』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/301.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『ピアノソナタ 第14番 嬰ハ短調 作品27-2 幻想曲風ソナタ 月光』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/558.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『ピアノソナタ第17番 ニ短調 作品31-2 テンペスト』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/555.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『ピアノソナタ第18番 変ホ長調 作品31-3』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/280.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『ピアノソナタ第23番ヘ短調 作品57 アパショナータ』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/304.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『ピアノソナタ第27番 ホ短調 作品90』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/279.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『ピアノソナタ 第28番 イ長調 作品101』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/556.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『ピアノソナタ 第29番 変ロ長調 作品106』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/557.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『ピアノソナタ 第30番 ホ長調 作品109 』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/197.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『ピアノソナタ 第31番 変イ長調 作品110 』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/222.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『ピアノソナタ第32番 ハ短調 作品111』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/223.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『ディアベリのワルツによる33の変奏曲 ハ長調 作品120』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/559.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『6つのバガテル 作品126』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/560.html


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最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『ヴァイオリンソナタ第9番イ長調 作品47 クロイツェル』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/305.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『チェロソナタ 第3番 イ長調 作品69』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/569.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『チェロソナタ第4番 ハ長調 作品102-1』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/300.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調 作品97 大公』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/236.html


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最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『弦楽四重奏曲 第9番 ハ長調 作品59-3』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/299.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『弦楽四重奏曲 第12番 変ホ長調 作品127』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/504.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『弦楽四重奏曲第13番変ロ長調作品130』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/225.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『弦楽四重奏曲 第14番 嬰ハ短調 作品131』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/503.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『弦楽四重奏曲第15番イ短調作品132』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/224.html

最美の音楽は何か? _ ベートーヴェン『弦楽四重奏曲 第16番 ヘ長調 作品135』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/502.html


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ベートーヴェン 『エグモント序曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/851.html

ベートーヴェン 『交響曲第3番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/843.html

ベートーヴェン 『交響曲第4番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/849.html

ベートーヴェン 『交響曲第5番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/841.html

ベートーヴェン 『交響曲第6番 田園』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/846.html

ベートーヴェン 『交響曲第7番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/845.html
 
ベートーヴェン 『交響曲第8番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/844.html

ベートーヴェン 『ミサ・ソレムニス』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/837.html

ベートーヴェン 『交響曲第9番』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/838.html


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ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン( Ludwig van Beethoven,1770 - 1827)

音楽に魂を込めて、ずば抜けた才能と強靱な精神力と高い理想で、ロマン派への道を切り開くとともに、クラシック音楽の金字塔となる大傑作を数多く作曲した。

それまでの作曲家が多作で似たような曲を多数書いたのに比べて、一つひとつの曲を作りこんで際立った個性を与えている。

その結果生み出されたクラシック史上の最高峰の作品群は、後年の多くの作曲家の目標になり、道しるべとなった。そして、生涯に生み出せた全作品を総合的に比較するならば、後の作曲家は誰一人太刀打ちできなかったと言える。

短調の激情的なイメージが強いが、明るい曲の方がずっと多く、明るい曲の1番の魅力は気品の良さであると思う。


管弦楽曲

交響曲
自分のベスト3は5、6、9番である。

交響曲第1番ハ長調 Op.21(1800年)
3.3点
初々しさが魅力である。しかし、この時は既に7重奏曲やピアノソナタ8番などの名作を書いており、それらと比較すると、交響曲の形式で自身の代表作を書く、というほどの気合を感じない。初めての大規模な管弦楽曲ということで、チャレンジという気分が強かったのではないだろうか。もちろん、完成度はそれなりに高いものではあるが。

交響曲第2番ニ長調 Op.36(1803年)
4.0点
1番からかなり進歩していて、魅力的な部分が多々ある曲になっている。ベートーヴェン中期の芸風が完成形に近づく途上にある曲である。肩肘張りすぎな所はあるが、どの楽章も多くの推敲を重ねられた内容の濃いもので、自身の代表作を目指した気合いがよく分かる。長い序奏からの、胸が膨らむようなスケールと爽快さがある1楽章。穏やかな温かみに包まれるような2楽章。間奏的な3楽章。ノリノリで終結を盛り上げる4楽章。どれもよい。

交響曲第3番変ホ長調「英雄」 Op.55(1805年)
4.5点
音楽史におけるエポックメイキングな作品。巨大なスケールで天才的な発想に満ちており素晴らしいが、ベートーヴェンの野心とエネルギーが溢れ過ぎて統制が効いていないので、造形的な収まりが悪く、とっちらかった発散する感じがある。それはそれで聴いていてパワーに圧倒されるし初々しくて魅力的ではあるのだが、この後の作品群と比較すると聞いていて疲れてしまう。そのため、なかなか聞く気にならない。

交響曲第4番変ロ長調 Op.60(1807年)
4.5点
巨大な3番と5番にはさまれた4番は、マイナーであるが魅力的な部分が多く、かなり良い曲だと思う。表題性が感じられない絶対音楽的な2番4番8番の中で、最も天才的な霊感に満ちている。全ての楽章のほぼすべての箇所が素晴らしい。生き生きとした音の躍動感と、しなやかな優美さを併せ持っている。

交響曲第5番ハ短調 Op.67(1808年)
6.0点
クラシックを代表する1曲。無駄のない緊密さ、内面的なドラマの白熱、演出の巧みさ、構成の完璧さ、内容の斬新さ、天才的なひらめきに満たされており、何度聴いても素晴らしいと感嘆してしまう。すべての楽章が史上最高レベルの出来であり、1楽章は特に完璧である。特筆すべきは2楽章だと思う。あまり類似曲が思いつかない独特な緊張感と透徹した世界感であり、他の楽章だけではドラマ的すぎるこの曲に哲学的深みを与えて大成功させることにつながっている。

交響曲第6番ヘ長調「田園」 Op.68(1808年)
6.0点
天才的な旋律美にあふれた超名曲。全編が最高である。分かりやすい表題性、純粋な精神的な高貴さと、内面的なドラマ性、自然美の崇高なものへの昇華など、驚くべき成功をひとつの作品として兼ね備えたことは奇跡である。そして、ベートーヴェンは決して旋律美の作曲家ではないのに、この曲においては全ての場面が天才的な霊感の塊であり誰にも到達できない旋律の美しさに溢れている。圧巻は最終楽章である。自然の美に感謝する精神のドラマが素晴らしすぎる。ちなみに、リスト編曲のピアノ版も好きである。

交響曲第7番イ長調 Op.92(1813年)
4.0点
天才的だし華やかだが、一方で聴いていて疲れる曲でもある。ベートーヴェン後期の狂気が現れ始めており、作り物っぽくと自然さに欠けるところがあるので、最高レベルの曲とは思えない。

交響曲第8番ヘ長調 Op.93(1814年)
3.8点
本人は自信作であり、人気が無いのが不満だったそうだ。これが彼の交響曲の最高傑作という人もいる。しかし、自分はこの曲は地味だと思うし、思い入れをもてない。純粋な交響曲として、コンパクトで磨きがかけられており、完成度が高いのは確かだ。しかし、努力により作られた感じがして、自然に閃いたものが足りないと思う。それが内的な活力の足りなさという結果なっている。旋律の魅力にあと一歩の物足りなさを感じるし、楽章の有機的な構成感もいまいちである。ただし、もちろん他の作品があまりに天才的であるから、比較してそう感じるというだけで、素晴らしい作品ではある。

交響曲第9番ニ短調(合唱付き)Op.125(1824年)
6.0点
何度聴いても飽きない。耳が聞こえなくなった状況で、ここまでの高みに自分の力でたどり着いたベートーヴェンは本当に偉大だと思う。後期に入ってバランス感覚が崩れていたり、狂気を感じる曲が多いなか、この曲はバランスが良いうえに極めて楽曲として完成度が高く充実している。天才中の天才が何10年も積み重ねてきたものを集大成させることによって可能になる仕事としか言いようの無い、人類の宝のような作品となっている。そして崇高であるとともに親しみやすく、人を楽しませるエンターテイメント性も兼ね備えていることがまた素晴らしい。


協奏曲

ピアノ協奏曲

ピアノ協奏曲第1番 ハ長調Op.15(1795年)
3点
初期らしい初々しさで、他の古典派のピアノ協奏曲と十分に対抗しうる作品ではある。

ピアノ協奏曲第2番 変ロ長調Op.19(1795年 )
3点
1番と同様。

ピアノ協奏曲第3番 ハ短調Op.37(1803年)
3.3点
ベートーヴェンのハ短調らしさをあまり感じない。ベートーヴェンの中期の曲にしてはあまり面白くなく、まあまあであるという程度であり、個人的には思い入れがない。

ピアノ協奏曲第4番 ト長調 Op.58(1807年)
3.8点
5番の皇帝よりいいという人も多い曲であるが、個人的には同意できない。外面的な派手な5番より、気品の高さがあり素敵な雰囲気の4番の方がよいところもある。しかし、メロディーの良さや霊感の強さでは5番がやはり上である。4番はベートーヴェンの中期の中で上位の曲ではないと思う。

ピアノ協奏曲第5番 変ホ長調「皇帝」Op.73(1809年)
5.5点
まさに「皇帝」の異名に相応しい、威厳と高貴さを感じる名曲。冒頭のピアノの豪快さな華やかさからして大変素晴らしい。オーケストラによるトゥッティーが始まるが、力感と威厳をもった天才的なメロディーが積み重なる音楽は、類例を思いつかない。2楽章は間奏的な変奏曲で落ち着く。そして3楽章のロンドのずば抜けた華やかさと高揚感の持続が1楽章と同様に大変に素晴らしい。ロマン派のどの協奏曲よりも高貴さと一貫性がある。協奏曲は得意分野ではないベートーヴェンだが、本気を出すとここまでずば抜けた曲を書けたという才能の高さに畏敬の念を感じる。


その他の協奏曲

ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第1番 ト長調 Op.40(1802年)
3.0点
親しみやすい曲だが、特段優れている所はなく普通の曲である。ソロで始まるのが面白い。ベートーヴェンの曲の中ではかなりモーツァルトっぽい。

ヴァイオリンと管弦楽のためのロマンス第2番 ヘ長調 Op.50(1798年)
3.5点
どこかでよく耳にする有名な親しみやすいメロディーであり、曲の構成もメロディーの良さを活かしながらうまく適度な変化をつけてまとめられている。

ピアノ、ヴァイオリンとチェロと管弦楽のための三重協奏曲 ハ長調 Op.56(1805年)
1.5点
ピアノトリオの協奏曲。ソロ楽器同士の絡み合いは効果を上げておらず、メロディーは魅力が無い。3楽章の活発な雰囲気がやや楽しめるが、1楽章は特に楽しくなく、2楽章は少しましになる。オイストラフ、ロストロポーヴィチ、リヒテルという独奏陣でも面白くないという、ベートーヴェンの大規模な管弦楽曲では飛び抜けた失敗作といえよう。

ヴァイオリン協奏曲 ニ長調 Op.61(1806年)
3.5点
自分としては、この曲はベートーヴェンらしい良さはあるものの、マッタリしすぎだしメロディーの魅力も少なく、4大ヴァイオリン協奏曲の中では一番よくないと思っている。


その他管弦楽曲

『ウェリントンの勝利』(戦争交響曲) Op.91(1813年)
2.0点
作曲当時は評判だったようだが、ベートーヴェンにしてはかなりの駄作で、やっつけ仕事にしか聞こえない。


序曲

『コリオラン』 Op.62(1807年)ハ長調
3.5点
インスピレーションが豊富。序曲らしくすっきりとしていてキレが良く、端的な劇的表現が楽しい。

『レオノーレ』第2番 Op.72a(1805年、オペラ「フィデリオ」初版の序曲)

『レオノーレ』第3番 Op.72b(1806年、オペラ「フィデリオ」第2版の序曲)
3.8点
交響曲にも使えそうな音楽的な密度と、序曲らしい清々しさや予感を感じさせる秀逸な曲。濃密の味わいはワーグナーのようだ。

『エグモント』序曲(ゲーテの悲劇『エグモント』への音楽の序曲)Op.84(1810年)
3.5点
中期ベートーヴェンの管弦楽作品としてコンパクトに楽しめる。かなり有名だが、交響曲ほど充実した内容ではないしはっきりしたテーマも無いように思うので、それほど重要な曲ではないと思う。

『シュテファン王』序曲(コッツェブーの祝祭劇『シュテファン王、またはハンガリー最初の善政者』への音楽 Op.117(1811年)
3.0
ごく普通の序曲。快活で聴きやすく、それなりにいい曲。

フィデリオ序曲 Op.72c(1814年)
3.5点
あまり特別なことはしていない序曲らしい序曲だが、胸が膨らむような広がり、優美さ、劇の期待感を高めるなどの手腕が見事で聴いて楽しい。

『命名祝日』 Op.115(1815年)
2.3点
祝典的な雰囲気の序曲だが、平凡であり面白くない。

『献堂式』 Op.124(1822年)(『献堂式』全曲は序曲の他、『アテネの廃墟』Op.113から4曲を転用、WoO.98と合わせ初演)
3.3点
ベートーヴェンが、純粋管弦楽のために作曲した最後の作品。気力は十分で堂々としており、胸の膨れるような感じや、後期らしい対位法的な書法も楽しめるので序曲の中でそれなりの存在感がある作品。

『レオノーレ』第1番(遺稿) Op.138(1807年)
2.5点
序曲らしい活発さや舞台への期待の盛り上げが足らない。駄作だと思う。


バレエ音楽
『プロメテウスの創造物』 Op.43(1801年)
2.5点(序曲)
序曲としてあまりにありきたりで、当たり前のフレーズばかりなのであまり面白くない。


室内楽曲

ヴァイオリンソナタ

ヴァイオリンソナタ第1番 ニ長調 Op.12-1(1798年)
3.0点
爽やかで明快な曲想のいい曲。自分で演奏したら楽しそうだ。三つの楽章が全部よい。

ヴァイオリンソナタ第2番 イ長調 Op.12-2(1798年)
2.5点
1番に比べると、いい曲という感じに欠ける。陽気で諧謔性があったり雰囲気が違うが、メロディーのレベルが落ちることの穴埋めにはなっていない。

ヴァイオリンソナタ第3番 変ホ長調 Op.12-3(1798年)
2.5点
2番と同様の印象である。頑張ってはいるが魅力が足りない。二楽章がイマイチだが三楽章は快活で聴きやすい。

ヴァイオリンソナタ第4番 イ短調 Op.23(1801年)
3.0点
短調の曲だが、悲劇的な感じではない。小型の形式の中でコンパクトにまとまっており、特別に凄いところはないが、アンサンブルを楽しめるし聴きやすい。

ヴァイオリンソナタ第5番 ヘ長調「春」 Op.24(1801年)
4.0点
やはり冒頭の美メロの魅力が最高である。この一楽章一曲でもヴァイオリン曲の歴史に名を残しただろう。他にもいいところが沢山ある名曲。

ヴァイオリンソナタ第6番 イ長調 Op.30-1(1803年)
2.5点
穏やかな雰囲気は悪くは無いのだが、美メロのような分かりやすい良さが無いので前後の名曲群と比べると評価は落ちる。

ヴァイオリンソナタ第7番 ハ短調 Op.30-2(1803年)
3.0点
ハ短調の本格派だが、普通の曲であり特別光る楽章は無い。

ヴァイオリンソナタ第8番 ト長調 Op.30-3(1803年)
3.5点
一楽章はアンサンブルが華やか。二楽章はおだやかないい曲。三楽章も明るく華やか。全体にいい曲。

ヴァイオリンソナタ第9番 イ長調「クロイツェル」 Op.47(1803年)
4.5点
規模が大きく、悪魔的な魅力が強く心をひきつけてやまない。天才的なインスピレーションに溢れた曲。一楽章が特に大変魅力的。三楽章の活き活きした魅力も素晴らしい。ベートーヴェンの二重奏曲の最高傑作と思う。

ヴァイオリンソナタ第10番 ト長調 Op.96(1812年)
3.5点
後期の内省的だが人情の温かみを感じる筆致が全体に感じられて、他の曲とは違う魅力がある。


チェロソナタ

チェロソナタ第1番 ヘ長調 Op.5-1(1796年)
3.5点
1,2番は同時期に作曲。序奏付きの長いソナタとロンドの二楽章も共通。初期だが書法がしっかりしており、楽しんで聴ける。若者らしい清々しさがある。主題が両方の楽章とも魅力的。心地よく気持ちよく聴けて、とても好感を持てる曲。

チェロソナタ第2番 ト短調 Op.5-2(1796年)
3.3点
1番も序奏が長いが2番はあまりにも序奏が長すぎる。とはいえ、本編はしっかり書かれていてアンサンブルを楽しめる。1番と同様にこの時期にしては非常に充実した力作。まだ20代だがこれほど巨匠的な音楽を書けたのだなと驚いた。1番と比較して、異常に長い前奏の試みはやはり失敗と思うのと、メロディーの魅力が1番ほどではない点で、少しだけ落ちると思う。

チェロソナタ第3番 イ長調 Op.69(1808年)
3.5点
構成が充実していて、立派な曲。特に三楽章はチェロの魅力を存分に生かしたいい曲。中期の充実したベートーヴェンを楽しめる作品という高い評価を目にするが、自分はこの時期の作品にしては特別感がない並みの曲だと思う。ベートーヴェンの自信の漲っているところには関心するのだが、そこが一番の評価ポイントになってしまう。

チェロソナタ第4番 ハ長調 Op.102-1(1815年)
2.0点
後期の音楽になっており、二楽章で長い曲ではないのだが、形式が自由で音楽の輪郭がくっきりせず正直よくわからない。

チェロソナタ第5番 ニ長調 Op.102-2(1815年)
2.0点
4番よりは少しだけ解りやすいかもしれないが、やはり同様にはっきりせず深い意味を感じられないフレーズが続き、どうにも理解しにくい。
弦楽四重奏曲


初期の弦楽四重奏曲

弦楽四重奏曲第1番 ヘ長調 Op.18-1(1800年)
3.0点
2楽章の歌心あふれた悲しい出来事を直截に表したような音楽が非常に印象的。しかし他の楽章は、典型的な快活だが面白くない初期ベートーベンの音楽。

弦楽四重奏曲第2番 ト長調「挨拶する(Komplimentier)」Op.18-2(1800年)
2.0点
モーツァルトのような均整とハイドンのような端正な快活さを併せ持っている。しかしながら、フレーズに聴いていて愉しいような魅力が足りないと感じる。

弦楽四重奏曲第3番 ニ長調 Op.18-3(1800年)
2.5点
全体的に普通の曲であり、さしたる特徴がない。アダージョや最終楽章など耳を楽しませる音楽ではある。

弦楽四重奏曲第4番 ハ短調 Op.18-4(1800年)
4.0点
悲愴ソナタと同様に同時代の同ジャンルの中でずば抜けた内容である。発想の豊かさ、響きの充実、内容の豊富さはいずれも中期の曲に匹敵する。ただし意外なことに彼のハ短調の曲らしさはあまりない。

弦楽四重奏曲第5番 イ長調 Op.18-5(1800年)
2.5点
1、2、3楽章は充実した内容である。二楽章の内容の豊富さや三楽章の若干複雑なリズムなど工夫や創意が楽しめる。四楽章の序奏はいけていない駄作だと思う。

弦楽四重奏曲第6番 変ロ長調 Op.18-6(1800年)
3.5点
優雅で古典的な美しさに溢れている。2楽章は特に貴族のような上品な優美さであり印象的だが、他の楽章も同様に上品であり、しかも堂々として充実した内容である。4楽章の冒頭に悲しみに打ちひしがれたような序奏があるのも効果的。


中期の弦楽四重奏曲

弦楽四重奏曲第7番 ヘ長調「ラズモフスキー1番」Op.59-1(1806年)
4.3点
それ以前の弦楽四重奏2~3曲分の内容はありそうな巨大な曲。チェロのイントロのフレーズの感じさせる広大さからして、胸の膨らむようなワクワクさせる素晴らしさである。三楽章の悲しみ、最後のロシア主題の絡みつく声部の魅力まで、各楽章が実に幅広くて圧倒的に巨大であり、それが4つの楽章もあるのだから、たまらない。画期的な壮大さの点で交響曲3番を連想する。

弦楽四重奏曲第8番 ホ短調「ラズモフスキー2番」Op.59-2(1806年)
3.0点
同じラズモフスキーでも二番はサイズも内容も小ぶりな曲。音の充実や絡み合い方は素晴らしいものの、聴後に残る印象は強烈なものではない。

弦楽四重奏曲第9番 ハ長調「ラズモフスキー3番」Op.59-3(1806年)
3.5点
一楽章の英雄的な力強さは魅力的。二楽章は静かで淡々としすぎて、明快な良さに欠けると思う。三楽章は小さな曲。四楽章は非常に力強くてスピード感あふれる立派な素晴らしい曲である。

弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調「ハープ」Op.74(1809年)
4.0点
ラズモフスキーほどの衝撃的な密度ではないかもしれないが、音楽が力強く構成力も同等の内容と思う。ハープの愛称だが、優美で女性的というわけでなく非常に男性的な曲。三楽章まで素晴らしいが最終楽章がいまいち。

弦楽四重奏曲第11番 ヘ短調「セリオーソ」Op.95(1810年)
4.5点
一切の冗長性を排した凝縮された音楽であるとともに、生真面目で文字通り厳粛な作品。すべての楽章が聴き映えする傑作である。曲の構成のバランスが完全に計算されていることや、圧倒的に劇的で密度の高い点は、交響曲5番を彷彿とさせる。


後期の弦楽四重奏曲

弦楽四重奏曲第12番 変ホ長調Op.127(1825年)
4.0点
二楽章のアダージョは後期らしい変奏曲の大作で大変素晴らしく、長い曲だがずっと聞き入ってしまう。一楽章や四楽章も重厚でなかなかよい。

弦楽四重奏曲第13番 変ロ長調Op.130(1825年)
3.0点
自分の修行が足らないのかもしれないが一楽章から四楽章までは平凡な面白くない音楽だと思う。五楽章は幻想世界の深層世界を彷徨うような美しく素晴らしい曲。その後は大フーガでなければ風呂敷を広げたままになりバランスが悪い平凡な曲になってしまうと思う。新しい方の最終楽章も悪くはないのだが。

弦楽四重奏曲第14番 嬰ハ短調Op.131(1826年)
4.0点
各楽章のバランスが良く推進力があり、後期によくある停滞しているような楽章がない。間奏曲的な楽章も内容が豊かである。その代わり後期作品によくあるアダージョの決定的な大傑作楽章はない。自由闊達な構成で曲を把握するのに時間がかかる変わった曲だが、構成を覚えて理解出来るようになると、胸に迫るような熱く温かい真情に曲全体が溢れていることが分かり、感銘を受ける。晩年になって到達した世界は、あまりにも画期的で驚く。

弦楽四重奏曲第15番 イ短調 Op.132(1825年)
4.0点
クライマックスの3楽章が感動的で泣ける。なんという感謝の心に満ちた音楽だろう。その他の楽章はどれも中期のような緊密さを保持している濃厚な内容であり、聴きやすい。

大フーガ 変ロ長調 Op.133(1826年)
3点
単体で聞くと、気が狂ったのかと思ってしまうような狂気に満ちている。聴いていて楽しい曲ではない。

弦楽四重奏曲第16番 ヘ長調 Op.135(1826年)
3.5点
爽やかな一楽章、ユーモアがある二楽章は、初期に戻ったかのようなシンプルで快活な音楽でここまでは普通の曲である。三楽章が濃厚で胸に迫りくるものがある、人生を振り返るかのような後期の実力をいかんなく発揮した美しいアダージョ。四楽章の序奏も、人生において闘い問い続けたベートーベンの人生を総括してるかのよう。アレグロもどこか感動的なエモーショナルなものがある。しかし、曲の最後まで勢いを保たず力尽きてきてしまい、なんとか最後の力で曲を締めくくって終わるのがなんとも印象的。



ピアノ三重奏曲

ピアノ三重奏曲第1番 変ホ長調 Op.1-1(1794年)
2.0点
娯楽作品の印象が強い。そしてまったりしすぎであまり面白くない。

ピアノ三重奏曲第2番 ト長調 Op.1-2(1795年)
2.0点
1番と同様の印象。爽やかではあるが面白くない。

ピアノ三重奏曲第3番 ハ短調 Op.1-3(1795年)
2.5点
1、2番と比較して少し成長している気がする。1楽章に少し充実感があるし、他の楽章も多少見所がある。

ピアノ三重奏曲第4番 変ロ長調「街の歌」 Op.11(1797年)
2.8点
1楽章はメロディーがつまらないため魅力がない。2楽章は楽器に存分に歌わせる楽章で、高い価値があるのはこの楽章のみである。3楽章は1楽章ほどではないがあまり魅力がない。

ピアノ三重奏曲第5番 ニ長調「幽霊」Op.70-1(1808年)
2.8点
1楽章は冒頭のいきなりのユニゾンに驚かされるが、それ以外は面白くない。2楽章は痛切な感情を押し殺しているようなじわじわとした雰囲気で少し面白い。3楽章は活気ある雰囲気でそれなりに楽しめる。

ピアノ三重奏曲第6番 変ホ長調 Op.70-2(1808年)
2.3点
1楽章は叙情的ではあるがぱっとしない感じで面白くない。2楽章も3楽章も4楽章もベートーヴェン中期らしからぬ平凡さであり、まるで2流作曲家のようだ。全体にベートーヴェン中期の作品にしては駄作だと思う。同時期ならフンメルのピアノ三重奏曲の方が優れているかもしれない。

ピアノ三重奏曲第7番 変ロ長調「大公」Op.97(1811年)
6.0点
古今の室内楽を代表する一曲だろう。親しみやすさ、旋律の豊かさ、しなやかさ、漂う高貴な気品がすばらしい。規模が大きく雄大であり、ゆったりとした時間の流れを楽しめる。爽やかな風のような心地よい気分になれる曲でありながら、しかし濃密な時間が流れる。構成はがっしりとしていて手応え十分である。


弦楽三重奏曲

弦楽三重奏曲第1番 変ホ長調 Op.3(1794年)
3.0点
ベートーヴェンらしい高潔さと力強さを感じられる。初期の室内楽の中では単なる娯楽性に終わらない芸術性を感じる作品となっている。

弦楽三重奏曲第2番 ト長調 Op.9-1(1798年)
2.0点
後年の成長の萌芽が沢山秘められている曲だが、冗長であるとともに、三重奏の音の薄さが気になってしまう。弦楽四重奏の作曲の練習に書いたという価値しか見いだせないと思ってしまう。二楽章の歌心あふれる音楽はなかなか良いのだが。

弦楽三重奏曲第3番 ニ長調 Op.9-2(1798年)
2.5点
感想は2番とほぼ同様だが、短調の2楽章が効果的なのと、ベートーヴェンらしい3楽章のメヌエットや活発な4楽章も悪くないので少し上だと思う。

弦楽三重奏曲第4番 ハ短調 Op.9-3(1798年)
3.0点
前半の2楽章はなかなか立派な曲。後半は物足りないのだが、初期らしい爽やかさと、一生懸命頑張っている感じは悪くない。

弦楽三重奏のためのセレナード ニ長調 Op.8(1797年)
2.5点
娯楽作品であり、曲はバラエティーに富んでいる。また、弦が3本しか無いが、音が薄いことへの不満は無い。しかし、自分の聴いた演奏のせいなのかもしれないがあと一歩の何かが足らない。


弦楽五重奏曲

弦楽五重奏曲 変ホ長調(管楽八重奏曲 変ホ長調 Op.103の改作) Op.4(1795年)
2.0点
作品103の8重奏を編曲したもの。穏やかな雰囲気で落ち着いて聴ける曲だが、初期過ぎて発想も音の使い方も個性が無く、凡庸で面白くない。

弦楽五重奏曲 ハ長調 Op.29(1801年)
3.5点
初期の弦楽四重奏曲より優れているのに、聴かれる事が少ないのはもったいない。堂々とした巨匠の香りが漂う作品であり、2楽章のピチカートに乗ったとろけるようなメロディーの部分など魅力的な箇所が多くある。

弦楽五重奏曲(フーガ)ニ長調 Op.137(1817年)
2.0点
弦楽五重奏のためのフーガ。2分の短い曲であり内容もありきたりに聞こえた。特に感想を持てるほどの作品ではない。


その他の室内楽曲

八重奏曲 変ホ長調 Op.103(2本ずつのオーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴット)(1793年)
2.5点
悪い曲ではなく、くつろいだ気分で管楽器の合奏をまったりと楽しめるのだが、ベートーヴェン作品に求めたい優秀さがほとんど感じ取れない。平凡な作曲家の作品のような印象。

六重奏曲 変ホ長調 Op.81b(2つのヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、2つのホルン)(1795年)
3.0点
ホルンの響きと合奏を楽しむことは出来るが、あまり弦楽四重奏との絡みを楽しめないし、ホルンパートの魅力も今一歩で、ベートーヴェンの管楽器入りの合奏曲の中ではいまいちな部類である。

2本のオーボエとコーラングレのための三重奏曲 ハ長調 Op.87(1795年)
3.0点
3本の管楽器のアンサンブルの爽やかな美しさを楽しめる。曲は取り立てて優れている訳ではないが、初期ベートーヴェンらしい気品と清々しさとセンスは活かされている。

ピアノと管楽器のための五重奏曲 変ホ長調 Op.16(1796年)
3.3点
2楽章が管楽器らしい音の温かさを生かした美しいかんじょ楽章で素晴らしい。1,3楽章は管楽器の合奏を楽しむ娯楽作品であり、優秀ではあるが名作というほどではない。

六重奏曲 変ホ長調 Op.71(2本ずつのクラリネット、ホルン、ファゴット)(1796年)
3.3点
まだベートーヴェンらしさがあまり感じられない。娯楽作品だが、管楽器の合奏曲として、耳に優しく優美で温もりのある響きと音色や楽器の絡みを案外楽しむことが出来る。

6つのドイツ舞曲(アルマンド)WoO.42(ヴァイオリン、ピアノ)(1796年)

四手のためのソナタ ニ長調 Op.6(1797年)
3.0点
全2楽章の短い曲。1楽章はコンパクトなソナタでメロディーに魅力ある。2楽章はあまり面白くない。

七重奏曲 変ホ長調 Op.20(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、コントラバス、クラリネット、ホルン、ファゴット)(1799年)
4.0点
大編成であり、オーケストラ並みの声部数と重奏の楽しさを味わえる。どの楽章もセンス満点で心から楽しめる名作。娯楽性の高い作品でありながらベートーヴェンの天才を存分に味わえるのが新鮮。

ホルンソナタ ヘ長調 Op.17(1800年)
3.8点
1楽章はまさに初期らしい内容で、すっきりとした爽やかで快活なソナタ。2楽章は短くて間奏曲の役割。3楽章は伸びやかなロンド。あまり話題に挙がらない曲だがホルンの魅力とあいまってかなり魅力的。聴後にすがすがしい印象を残す作品である。

フルート、ヴァイオリン、ヴィオラのためのセレナード ニ長調 Op.25(1801年)
2.5点
娯楽的なセレナード。特殊構成であり、フルートの明るさを楽しめるものの、低音が無いためフワフワとした音響。作曲者の気合いをあまり感じず面白くないが、長い4楽章と6楽章は割と優れている。

ピアノとフルートのためのセレナード ニ長調 Op.41(1803年)
2.5点
作品25を他人が編曲しベートーベンは校訂だけをしたそうだ。こちらの方が楽器構成としては親しみやすいが、編曲がいけてない。ただ、4、6楽章がやはり優れているのは作品25と同様である。

四手のための3つの行進曲 Op.45(1803年)

ヴィオラとピアノのためのノットゥルノ ニ長調 Op.42(1803年)
2.5点
弦楽三重奏曲op8の他人による編曲。編曲はなかなか優秀で、音が薄くてピアニスティックでないものの、十分に曲を楽しめる。

フルートまたはバイオリンの伴奏を持つピアノのための6つの主題と変奏 Op.105(1817年)
2.5点
シンプルな変奏曲集。フルート学習者には良さそうだが、一般的な鑑賞にはあまり向かない。民謡が主題なので親しみやすく聴きやすい曲もある。

フルートまたはバイオリンの伴奏を持つピアノのための10の主題と変奏 Op.107(1820年)
3.3点
作品105と同様の小さな変奏曲集だが、主題の魅力も変奏の自然さ音楽の美しさは作品105よりかなり上であり、民謡の主題の素朴な楽しさもあって何度も聞いてみたい曲になっている。

大フーガ(Op.133を四手のために編曲)Op.134(1826年)
3.0点
大フーガのピアノ用編曲だが、やはりこちらよりも元の弦楽の方が声部の聞き取りが容易でテーマの力強さがいかされるので良いと思う。このピアノ版の方がマイルドで耳に痛くないので最後まで簡単に気楽に聴き通せる利点はある。


ピアノ独奏曲

ピアノソナタ

初期ピアノソナタ
ピアノソナタ第1番 ヘ短調 Op.2-1(1794年)
2.8点
既に力強い表現への意志が発露していることには感動する。悲劇的で激情的な音楽。初めての出版作品のソナタとしての、気合いを感じる力作。しかし、音がスカスカであるのは否めず、どうしても未成熟な物足りなさを感じる。

ピアノソナタ第2番 イ長調 Op.2-2(1795年)
3.3点
明快で力強くしかも高潔な、後年のベートーヴェンの音が既に鳴っている。特に前半の2つの楽章は素晴らしい曲である。しかし、4楽章がいまいちであり、繰り返し聴いてもピンとこない。1番の音の密度の問題は改善されており、むしろ若々しい躍動感を楽しめるようになった。作品2の3曲は、20番台に匹敵する良い曲である。4楽章制のスケール感やメロディーの良さ、おおらかさ、躍動感、品の良さなど、小さくまとまっていない独自の魅力がある。ただし、曲に開眼するには、作曲技術の未成熟さを補う演奏者の力量と鑑賞者の耳の慣れが必要である。

ピアノソナタ第3番 ハ長調 Op.2-3(1795年)
3.3点
1楽章が大作。全体的におおらかで胸がすくような広大さと音の躍動感が楽しい曲。

ピアノソナタ第4番 変ホ長調 Op.7(1797年)
3.3点
どの楽章も管弦楽のような交響的な音楽と感じる。メロディーにどの楽章もなかなかの魅力がある。4楽章のおおらかさと中間との対比がドラマチックで良い。

ピアノソナタ第5番 ハ短調 Op.10-1(1798年)
2.8点
1楽章は冒頭のみ激情的でバランスが悪く、発想もいまいち。3楽章も性急さの雰囲気が1楽章よりは良いがやはりイマイチである。2楽章は真心に溢れた美しい曲であり、この楽章だけならば価値は高い。全体にハ短調の曲として悲愴ソナタの準備となる曲と思うが、レベルは落ちる。

ピアノソナタ第6番 ヘ長調 Op.10-2(1798年)
3.0点
まだ荒削りだが、音に若干の成熟が見られる。コンパクトで、個性的な楽章の集まった曲という印象。作品2のような壮大な野心は感じない。どの楽章もまあまあだが、1楽章は面白みがもの足りないと感じる。

ピアノソナタ第7番 ニ長調 Op.10-3(1798年)
3.0点
四楽章で荒削りでイマイチな部分と素敵な部分が混在している。

ピアノソナタ第8番 ハ短調「悲愴」 Op.13(1799年)
5.0点
2楽章はベートーヴェン生涯でも屈指の名メロディーだ。何度聴いても本当に素敵だなあと感嘆する。1楽章はこの時期にしては大変な力作である。悲壮感や憂いなど、多くのものが詰め込まれている。3楽章の性急さと多くの詰め込まれた楽想はベートーヴェンの努力を感じる。ピアノ書法や音響の豊かさや構成の緊密さなどの完成度の高さは後年に及ばない。しかし、若い瑞々しい感性と本気度が、持ち前の才気とぶつかり合って融合し、時間をかけて集めたのであろう多くの多彩なアイデアをぎっしり詰め込んだことで、強烈な魅力を放つ作品になっている。

ピアノソナタ第9番 ホ長調 Op.14-1(1799年)
3.0点
10番とともにしなやかで優美な印象が強い。活き活きとした感じを残しつつも、初期のような角があり無理のあるピアノ書法がだいぶ無くなり中期に近づいてきた印象

ピアノソナタ第10番 ト長調 Op.14-2(1799年)
3.0点
9番同様にしなやかで優美な魅力。コンパクトによくまとまっている。

ピアノソナタ第11番 変ロ長調 Op.22(1800年)
3.5点
四楽章の雄大さと優美さを兼ね備えた力作。後半の二つの楽章がキャッチー。

ピアノソナタ第12番 変イ長調 「葬送行進曲」 Op.26(1801年)
3.0点
ソナタ形式の楽章がなく画期的な曲ではある。葬送行進曲はいい曲だが、英雄交響曲のそれと比較してしまうとかなり物足りないといわざるをえない。他の楽章も中期に向かう興味深さはあるが観賞曲としての素晴らしさは足りない。


中期ピアノソナタ

ピアノソナタ第13番 変ホ長調「幻想曲風ソナタ」 Op.27-1(1801年)
3.5点
全編どこか内面を向いた曲調で、前を向いた明快な快活さに欠ける。まさに幻想風の自由な曲なので落ち着かないのだが、分かってくると実はあの「月光」と一緒に出版されただけのことはある良い曲である。

ピアノソナタ第14番 嬰ハ短調「幻想曲風ソナタ」(月光) Op.27-2(1801年)
5.5点
1楽章は発想が素晴らしい。シンプルだがベートーヴェンの作品の中でも屈指の強烈で天才的な詩情を見せている。暗黒の闇に溶け込んでいく、タッタターというモチーフのかっこよさには痺れる。2楽章は両端の音楽に息をつく暇ががないので、間奏として丁度よい。3楽章は全く隙がなくて、とにかくめちゃくちゃカッコいい曲。切れ味の鋭さはベートーヴェンの中でも屈指の出来である。

ピアノソナタ第15番 ニ長調「田園」 Op.28(1801年)
3.3点
1楽章の主題は田園風という愛称がふさわしい曲。しかし、全体は田園交響曲のような標題音楽ではなく他の多くと同様に抽象的なソナタである。内容充実で中期らしさが顕著になってきている。

ピアノソナタ第16番 ト長調 Op.31-1(1802年)
2.5点
どの楽章も印象がかなり薄い。

ピアノソナタ第17番 ニ短調「テンペスト」 Op.31-2(1802年)
3.5点
評価しにくい曲。一楽章はかっこいいのだが、やや通俗的な感じがしてしまう。二楽章はベートーヴェンの本気曲で登場する緩徐楽章らしい音楽で素晴らしい瞬間もあるが、密度が薄い。三楽章は無窮動の曲だが、1楽章と同様に通俗的な野暮さが気になる。どうしても自分の中で1楽章や3楽章が熱情ソナタと類似する部分があるために、その縮小版と位置づけて聴いてしまう。

ピアノソナタ第18番 変ホ長調 Op.31-3(1802年)
3.5点
明るくて飛び跳ねるような快活さにあふれており、マイナーだが結構いい曲である。

ピアノソナタ第19番 ト短調(やさしいソナタ)Op.49-1(1798年)
3.0点
学習者におなじみの2曲の易しいソナタの一曲目。一楽章は並だが二楽章は活き活きとしたいいロンド。

ピアノソナタ第20番 ト長調(やさしいソナタ)Op.49-2(1796年)
3.5点
おなじく学習者にはお馴染みの曲。両楽章ともいい曲。よい出来である。

ピアノソナタ第21番 ハ長調「ワルトシュタイン」Op.53(1803年)
4.0点
ハ長調で広大なスケール感と運動的な音の動きの感覚が売りの曲。沢山の素材を使った雄大で快活な一楽章。2は間奏曲。胸のすくような広大な三楽章が素晴らしい。

ピアノソナタ第22番 ヘ長調Op.54(1804年)
3.0点
まるで巨大な二曲の間奏曲のよう。この曲をシューマンが評価したそうだ。特に2楽章はシューマンに似ている。同じパッセージを使いながらうねって雰囲気を作る感じは、小品集に入っていても違和感が無さそう。1楽章も2つの楽想の対比があまりソナタの楽章ぽくない。ベートーヴェンの曲としては異色。1楽章はたいした曲ではないが、2楽章もはやロマン派のピアノ曲のようで先進的でなかなか良い。

ピアノソナタ第23番 ヘ短調「熱情」 Op.57(1805年)
5.5点
1楽章は、武士の居合い抜きのような静寂と一瞬の動きの対比が生む独特の緊張感が面白い。第2主題が渋くてよい。2楽章は幻想的で甘い切なさもある、大変美しい変奏曲。音を細分化していく変奏曲は数多くあるが、音楽が高揚して奔流のようになることで、これほどまでに感動的に心をゆり動かすことは少ない。3楽章は無窮動であり、急かされ走り抜ける緊迫した激情が息をもつかせないものであり、非常にかっこいい。どの楽章も本当に素晴らしいくて、完成度が高い。

ピアノソナタ第24番 嬰ヘ長調「テレーゼ」 Op.78(1809年)
4.0点
1楽章の穏やかで優しい気持ちになる曲想で素敵な曲。2楽章は1楽章のような素晴らしさがないのだが、1楽章の素敵さだけで大いに価値がある。1楽章は愛しい人の甘い思い出や人柄を回想するような曲である。

ピアノソナタ第25番 ト長調「かっこう」 Op.79(1809年)
3.0点
各楽章が短いこと、主題がシンプルであることから、ソナチネに分類したいような曲。内容は悪くないが、この時期にしては特に優れているわけではない。勢いにまかせたような1楽章と軽快でコミカルな3楽章の間に、童謡のように素朴な2楽章が挟まっているというシンプルながらも面白い構成を楽しむ曲。

ピアノソナタ第26番 変ホ長調「告別」 Op.81a(1809年)
3.5点
ルドルフ大公への親愛の情を込めた曲として全体に真心を感じられていい。人気曲のようだが、個人的には上位には属するものの特別にいい曲とは思わない。

ピアノソナタ第27番 ホ短調 Op.90(1814年)
4.0点
ピアノの歌わせ方がシューベルトのようだ。心にぐっと迫るくるものがある。特に二楽章は素晴らしい。


後期ピアノソナタ

ピアノソナタ第28番 イ長調 Op.101(1816年)
3.5点
後期らしさが顕著になった曲。どの楽章も温かみがあるシンプルながらも柔らかい響きが美しい素敵な曲。全体が綺麗にまとまっている最後の曲。

ピアノソナタ第29番 変ロ長調「ハンマークラヴィーア」 Op.106(1818年)
4.0点
圧倒的な巨大建築のような壮観さと交響曲と同等のスケール感は、結局のところロマン派以降の誰も真似をしようとしなかった。オンリーワンの怪曲といえる。交響曲のように堂々として立派な1楽章。ブルックナーのように深淵の底を逍遥するような雰囲気の長大な3楽章は素晴らしい。4楽章の高速なフーガはものすごい迫力であるが、正直なところ普通の音楽として鑑賞するのは困難と感じる。

ピアノソナタ第30番 ホ長調 Op.109(1822年)
4.5点
1楽章はシャガールの絵のように幻想的な大伽藍である。少しヘンな曲だが何度も聞いて理解が進み、幻想性に浸れるようになると大変美しいと感じる。2楽章が少し野暮で、現実に一時的に引き戻される。そして、この曲の核心はなんといっても三楽章の変奏曲である。あまりにも美しく、温かみを持って人生の素晴らしさを回想するかのごとく切々と心に訴えかける素敵な主題の魅力は大変なものである。それを何度もかみ締めるように繰り返していきながら、自由に大きく変容して行く変奏もすごい。32番の変奏曲のような究極的に突き詰めた彼岸の世界の凄みはない代わりに、人間的な心温まる現実的な素晴らしさでは上回る。

ピアノソナタ第31番 変イ長調 Op.110(1822年)
4.5点
1楽章は非常にまとまりがよく、美しい冒頭から心惹かれる。静謐さとおおらかさと幻想性とまとまりが共存して絶妙なバランスで成り立っているのが素晴らしい。2楽章は現実的であるが、特段の特別性はないと思う。3楽章がなんといっても驚異的な後期ベートーヴェンならではの傑作であり、この曲の価値の多くはこの楽章にある。嵐の中で孤独を耐えるような嘆きの歌や、晴れ晴れとした気持ちや人生の前向きな気持ちを描いたようなフーガ。自由度の高い複数の場面転換が驚異的な効果を産んでおり、あまりにも強烈に心を揺さぶる。曲を聴き混んで全部覚えると、虜になって二度と離れられなくなるような強烈な魅力がある。フーガはバッハが築いた世界を独自に敷衍し、後期らしい自由さとともに人間の心に深く力強く訴えるものを持っており、素晴らしい出来である。最後の歓喜溢れる気分にもっていく場面は素晴らしい。

ピアノソナタ第32番 ハ短調 Op.111(1822年)
4.0点
1楽章はハ短調らしい正統派の緊張感があり、なかなかよい。緊張度が高く、鋭く無駄をそぎ落としたような曲であり、対位法の効果が印象的。ただ、若干の無理を通して主題をつなげてソナタを成立させているような印象があり、聴きにくさを感じさせるため、個人的には愛着を感じない。前2曲と違い、とってつけたようなスケルツォが無いのは良いところ。長大な変奏曲である2楽章は、晩年の多くの傑作変奏曲の中でも特に自由であり、魂が身体から分離して宇宙のはるか彼方の遠くに連れて行かれるような感じのする、驚異的な曲である。時代を60年先取りし、肥大化したロマンを極めたかのような境地に達したベートーヴェンの凄みがここにある。


変奏曲

創作主題による6つの変奏曲 ヘ長調 Op.34(1802年)
3.3点
優しく穏やかな主題による変奏曲。常に気品にあふれているのが素敵。やや長い曲だが各変奏は変化が大きく、表情豊かで歌心があるので飽きない。

『プロメテウスの創造物』の主題による15の変奏曲とフーガ(エロイカ変奏曲)変ホ長調 Op.35(1802年)
3.5点
2つの主題が魅力的なので、繰り返し変奏されても飽きない。変奏曲としてのバリエーションの豊富さや展開力はベートーヴェンにしてはやや物足りなく、まだ中期に入ったばかりなのを感じさせる。しかし、最後のフーガからのコーダの素晴らしさなど聴き所はある。

創作主題による32の変奏曲 ハ短調 WoO.80(1806年)
2.5点
短い主題の変奏でピアノの教材としてはいいのだけれど、聴くための曲としては主題もややありきたりだし、あまりおもしろくない。

創作主題による6つの変奏曲 ニ長調 Op.76(1809年)
3.0点
有名なトルコ行進曲の主題による変奏曲。明るく勇壮に変奏される。

ディアベリのワルツの主題による33の変奏曲 ハ長調 Op.120(1823年)
3.3点
長大で非常に立派な変奏曲。次々と万華鏡のように移り変わる雰囲気を楽しめる。しかし主題に魅力が無いからか、変奏を重ねてもあまり音楽が深まらず、間奏曲が延々と続いているようになっているのが不満。所々にある後期らしい瞑想の雰囲気は魅力。最後の穏やかな変奏は感動する。


その他のピアノ独奏曲

すべての長調による2つの前奏曲 Op.39(1789年)(またはオルガン)
2.5点
対位法的な作品。全ての調を一巡しているらしい。1曲目はあまりに教科書的だが2曲目の方は少し楽しめる。

ロンド・カプリッチョ ト長調(「失われた小銭への怒り」)Op.129(1795年)
3.0点
技巧的な部分もあるロンド。ややエキゾチックな雰囲気もある。それほど魅力を強く感じる曲ではないが、活発で変化があるのでつまらなくはない。

アレグレット ハ短調 WoO.53(1797年)
3.0点
劇的な力強さと柔らかい部分など対比の強さが印象的な小品。ソナタとは違う味がある。

ロンド ハ長調 Op.51-1(1797年?)
3.0点
穏やかで柔らかいロンド。初期の瑞々しい感性と、ベートーベンらしいフレーズを多く聴ける。

ロンド ト長調 Op.51-2(1798年?)
3.0点
優美で穏やかなロンド。長い序奏がある。ピアノソナタではあまり無いようなシンプルさで、モーツァルトを時々連想してしまうほど。

ピアノのための7つのバガテル Op.33(1802年)
2.5点
小品集。特段の印象に残る優れたい曲は1曲も無かったが、人恋しさを歌うような優しさと愛らしさがあり、ソナタとは違う独特の魅力がある。

幻想曲 ト短調・変ロ長調 Op.77(1809年)
3.0点
ザ・幻想曲とでも呼びたいような、自由な変化を楽しむための曲。ソナタ等では到底聴けない自由さを楽しめる面白い曲ではある。

バガテル『エリーゼのために』イ短調 WoO.59(1810年)
5.0点
非常に有名な作品。冒頭はシンプルだが、切々とうたう感じが心に強く迫る。

ポロネーズ ハ長調 Op.89(1814年)
3.0点
竹を割ったようなスカっとする雰囲気など、ベートーヴェンの特質が活かされているポロネーズ。ただの小品ではなく、割と楽想が豊かで場面が展開されていく曲。

ピアノのための11の新しいバガテル Op.119(1822年)
2.3点
曲が1曲目以外は2分以下と短い。そのせいで各々の曲に断片的な感が増してしまったせいか、あまり魅力がない。

ピアノのための6つのバガテル Op.126(1824年)
3.3点
ベートーヴェンの最後のピアノ作品。最晩年の作品として、弦楽四重奏曲と同様のずっしりとした精神的な重さがあり、夢のような儚さと人生を回想するような曲集になっている。他のバガテル集よりずっと聴き応えがある。

アンダンテ・マエストーソ(「さらばピアノよ」)ハ長調 WoO.62(原曲は作曲予定の弦楽五重奏冒頭のスケッチ。ディアベッリによりピアノに編曲。ベートーヴェン最後の楽想と見られる。)(1826年)


声楽曲

宗教曲・合唱曲
オラトリオ「オリーヴ山上のキリスト」(Christus am ?lberge)Op.85(1804年)
3.3点
中期に入り始めた時期の作品である。劇的で物語的な表現力の巧みさは十分に優秀で聴き映えがする。ベートーヴェンの器用さに驚く。ただし1時間近くてパンチが効いた曲なので、歌詞が分からず聴き通すのは疲れる。

ミサ曲 ハ長調 Op.86(1807年)
4.3点
この曲はマイナー作品と認識しており聴く前は期待していなかったのだが、ベートーヴェンの充実していた時期に相応しい大変聴き応えのある傑作で驚いた。ミサ・ソレムニスの普遍性と壮大さには一歩劣るにしても、音楽のドラマの天才的な充実感と高らかに人間の素晴らしさを歌い上げるような精神力と劇的な高揚感は圧倒的に素晴らしい。ただ教会音楽という感じはあまりしない。また、調子が一辺倒であり変化が少ないのは弱点。

ピアノ、合唱、オーケストラのための幻想曲(合唱幻想曲)Op.80(1808年)
2.5点
企画倒れと言われるが確かにそうかも。いい曲と言っていいか微妙。

カンタータ「栄光の瞬間」(Der glorreiche Augenblick)Op.136(1814年)
2.5点
それなりの長さのカンタータだがあまり面白くない。いつもの強靭な発想力や創造性に溢れた音楽でないと感じた。薄めのオケと、長い独唱の場面が多いせいかもしれない。

連合君主たちへの合唱 WoO.95(1814年)
2.5点
2分程度の短い合唱曲。君主を讃えるような雰囲気。

カンタータ「静かな海と楽しい航海(Meeresstille und gl?ckliche Fahrt)」Op.112(1815年)
2.8点
ベートーヴェン節が全開すぎる。また7分の短さにしては構想が大きすぎるため、構えて聴かなければ体が曲についていけない。

「修道士達の歌」(Gesang der M?nche)WoO.104(1817年)
2.0点
1分程度の断片的な合唱曲。

ミサ・ソレムニス Op.123(1822年)
5.0点
ベートーヴェン畢生の対策。第九と違いエンターテイメント性は無いので分かりやすくないが、充実の大作で大変聴き応えがある。


独唱曲

遥かなる恋人に(An die ferne Geliebte, Liederkreis nach Alois Jeitteles)Op98(1816年)
3.3点
連作歌曲全6曲。曲に変化をつけて対比させておらず曲が似ており、次の曲になった事に気付かないほどである。ささやかで親愛なる感情を感じる佳作だが、名作というほどだとは思わない。シューベルトに近いようなロマン派の萌芽を感じる曲。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3
2:777 :

2022/06/07 (Tue) 12:59:24

ベートーヴェンは1813年以降 急にお金に困る様になった

この1813年というのは ベートーヴェンに初めての子供が生まれた年なのです。 もちろん不倫の子なので、周りの人が協力してスキャンダルにならない様に関係文書をすべて抹殺して、記録としては残っていないのですが。

ブルンスヴィック家やブレンターノ家の関係者の日記で、ベートーヴェンのスキャンダルに関係すると思われる箇所だけ全て切り取られて無くなっているのは有名な話ですよね:

1812年といえば、「不滅の恋人」への手紙が書かれた年であり、不滅の愛人とされるアントニーン・ブレンターノとの何かが、この2つの作品、特に第8交響曲の内容に投影されていることは間違いないであろう。

残された日記には、「1812年10月、私はB(ブレンターノだといわれている)のためにリンツにいた」と書かれており、この間に完成された第8交響曲がロマンチックな曲想であるのも納得できる。いかなる思いで、リンツでこの曲を完成したのだろうか。第3楽章のトリオで聞くことができる牧歌的な旋律は、ベートーヴェンが「不滅の恋人」との思い出の場所で得たもの、手紙が書かれたカールスバートで聞いた郵便馬車のポストホルンの旋律から作られたと言われている。

1813年の日記に書かれた、

「服従、おまえの運命への絶対服従、ただそれだけが、おまえに犠牲的行為をさせることができるのだ…奴隷になるまで」

ではじめられる日記から、「不滅の恋人」との関係が、悲劇的な展開に至ったと推測される。弟のカール・カスパールの病状が悪化したのもこの年である。ベートーヴェン自身の健康も優れなかったようだ。


この年、ベートーヴェンが大金を必要としていたことで、当時、金策をして大金を得ていたにもかかわらず、ベートーヴェンは生活に困窮していた。その理由は、青木さんの著書で推測されている。

かつて「あなたの心臓が私のために打つときはいつ来るのか…私の心臓は…死ぬまであなたのために打ち続けるでしょう」と書き送った相手、ヨゼフィーネの経済的な困窮を救うためだと言う。

彼女の子供ミノナの父親はベートーヴェンである可能性があり、ヨゼフィーネのために力を尽くしたとしても不思議ではないとのことである。

http://blogs.yahoo.co.jp/nypky810/folder/1515897.html


生涯独身だったベートーベンは、実は一度「婚約」をした(と、されて)います。その相手が、テレーゼ・ブルンスヴィックという人。この人はとても頭の良い人だったらしく、後に、当時まだ一般的ではなかった幼稚園を開設し、オーストリア・ハンガリーの幼児教育の基礎を作る教育者となりました。

その妹のヨゼフィーネ・ブルンスヴィックという人がいて、この人は姉ほどの知性派ではないにせよ、美人で儚げな人だったようです。……後に資産家のダイム伯爵と結婚しますが、実は! 婚約者の姉テレーゼよりも、こっちの妹ヨゼフィーネの方こそ、ベートーベンの真の恋人だった! とされています。


ここでまた謎が出てくる。ベートーベンは愛する妹ではなく、何故その姉と婚約したのか??

ヨゼフィーネはどうも、家同士の問題とかで「愛のない結婚」をさせられた節がある。本人はベートーベンを憎からず思っていたのでしょうが、耳が悪く強情で不細工、将来性もないベートーベンは、結婚相手とはふさわしくなかった。そのせいもあって別な資産家と結婚したようです。

ところがその結婚が不幸だった。夫ダイム伯爵は三十才も年上で話も合わない。おまけに資産家のはずなのに借金も多かった。

で、結婚五年後この夫が、旅先で急死してしまいます。四人の子供を抱えて当方に暮れるヨゼフィーネを、ベートーベンはなにくれと無く援助したらしい。二人が本格的に恋に落ちたのは、どうもここからのようです。


未亡人とはいえ独身だから、この恋は良いんじゃないか、というのは、現代の尺度ですね。当時はまだ、未亡人がおいそれと再婚すると不貞と言われた時代です。夫が亡くなったとはいえ、伯爵家の母として子供を育てる義務もある。平民のベートーベンとは、所詮「身分違い」なわけですし、好き合っていたとしても「道ならぬ恋」だったのです。

この一種のスキャンダルを隠すために、妹をかばうために、姉テレーゼは、ベートーベンと「偽装婚約」を、したのではないか。

普段から独身主義を公言し、それを周りに認めさせるほどの才女ぶりを発揮してきた姉なら、これも変わり者同士の婚約とは言われても、身分違いもある程度超えられる。スキャンダルではない。妹との一件をもみ消すにはちょうど良い。で、ヨゼフィーネを泣く泣くあきらめたベートーベンに対して、テレーゼの方から事情を言って持ちかけたのではないか。


天使ヨゼフィーネは、その後の再婚にも失敗し、だんだん精神をも犯されていったようです。

ベートーベンも、三たび登場し彼女に支援をします。

ヨゼフィーネは最期、姉テレーゼの見守る中、狂気のウチに死んでいった、とされています。1821年、まだ41歳でした……。

http://d.hatena.ne.jp/terryyokota/20100322

不倫をテーマにしたオペラ「コシ・ファン・テュッテ」を作曲したモーツアルトを「不道徳」と非難したベートーベンですが、二人の人妻との間にそれぞれ一人ずつ、しかもほとんど同時期に生まれた子供がいたと言う話は最近まで一般には知られていませんでした。

 その人妻のひとりはヨゼフィーネといって、1805~1806年くらいにかけてベートーベンが親しくしていた女性で、末の子のミンナを産んだのが1813年。

女の子ですが成人になったミンナの写真を見ると確かにベートーベンそっくりで、多くの研究者も父親がベートーベンであることに異論がないようです。

ヨゼフィーヌとは1807年以降はしばらく交際はなかったようなのですが、彼女の2度目の夫の失踪(借金が原因で)を機に、1812年頃にはよりを戻したのかもしれません。

かなりの美女だったそうですが、彼女はこの頃には精神的にも、また経済的にも行き詰っていたようです。

 もう一人はアントニエ・ブレンターノといって1810年頃から交際があったようですが、こちらは正真正銘の人妻で裕福な家の夫人でしたが、夫婦関係は形だけだったとも言われています。

アントニエは気高く、教養ある貴婦人で、1812年の段階ではベートーベンの本命だったようで、最近の研究ではベートーベンが亡くなるまで人目に触れないように大事に保管していた宛先不明の熱烈なラブレター、「不滅の恋人へ」の宛先人だということです。

ヨゼフィーネが出産する約1ヶ月前に男の子を産んでいます。

ブレンターノ家とは家族ぐるみの付き合いで、夫のフランツはベートーベンの熱心な支援者の一人です。
特に経済的にはベートーベンに多大な援助していたことで知られ、夫人のアントニエとはあくまでプラトニックな関係とされといましたが、種々の状況からしてアントニエの末の子カールの父親がベートーベンであった可能性はかなり高いようです。

 アントニエとはその後、手紙や楽譜などのやりとりのみで、直接会うことはなく、結果的には確かに「プラトニック」なものになり、夫のフランツもその後も変わりなくベートーベンを支援していたようです。
もっとも前述の「不滅の恋人」の手紙の中で「他の女性が私の心を占めることなどけっしてありえません、けっして、けっして・・・・・」なんて書いておいて、別な女性に子供を産ませたことで疎遠になったのかも知れませんが。

一方、いろいろ困っていたヨゼフィーヌに対しては、ベートーベンのほうから経済的に援助していたようで、自らの責任を感じていたのかも知れません。

http://mitoguitar.blog85.fc2.com/?m&no=5


要するに、1813年以降 ベートーベンは、自分との不倫の子を産んでお金に困っていたヨゼフィーネを援助する為に、財産をすべて使ってしまい、自分の生活費にすら事欠いていたんですね。


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楽聖ベートーヴェンの遺体鑑定

ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン (Ludwig van Beethoven, 1770年12月17日洗礼-1827年3月26日没) は神聖ローマ帝国のボンで出生し、幼少の頃より父親から強制的に音楽教育を受けた。その後ハイドンらに師事し、22歳の時にウィーンでピアニストや作曲家として音楽活動を開始した。

20歳代後半から持病の難聴が悪化するが、30歳代で交響曲第3番変ホ長調「英雄」(1805)、交響曲第5番ハ短調 「運命」(1808)、交響曲第6番ヘ長調「田園」(1808) など、中期を代表する名作を次々と発表した。難聴、慢性的な腹痛や下痢などの持病は徐々に悪化しベートーヴェンを苦しめたが、晩年にも大宗教曲ミサ・ソレムニス (1823) や交響曲第9番ニ短調 (1824) などの大作を発表している。

しかし下痢と顕著なるいそう (痩せ) が4か月も続き、1827年に56歳で逝去した。

 死亡前にベートーヴェンは難聴の原因を調べるために自分の解剖を依頼している。そこでヨハン・ワグナー医師により1827年3月26日にベートーヴェンの家で解剖が行われた。ワグナーの記録は概略以下の通りである。

 ベートーヴェンの外耳道、特に鼓膜は厚いかさぶたで覆われ、開頭すると耳管開口部と扁桃腺の周囲には凹んだ瘢痕が見られ、耳管自体は腫れて狭窄していた。顔面の神経は異様に太く、周囲の動脈は拡張し、左の聴神経は細まって3本の細い溝のようになり、右の聴神経は鼓室から伸びる1条の白い溝になっていた。脳回は浮腫が強く白く変色していた。

胸部臓器は正常だったが、腹腔内には4クォート (約4.4リットル) の褐色混濁液が貯溜し、肝臓は緑青色調で半分の大きさに萎縮し、表面や断面は粗大結節状を呈していた (肝硬変の所見)。肝臓内の血管は細く狭窄し、乏血状だった。胆石があり、脾臓は腫れて膵臓のように硬くなっていた。胃腸は空気で大きく膨隆し、左右の腎臓は1インチ (約2.5センチ) の厚さの被膜で覆われ、褐色混濁液が浸潤していた。腎臓の組織は乏血状で、腎杯はエンドウマメ大の石灰質の結石で占められていた。体は極端に痩せていた。


 20世紀末になって科学的鑑定手法が進歩すると、ベートーヴェンの遺髪を用いて4回の鑑定が行われた。鑑定に用いられた遺髪はアメリカ・ベートーヴェン協会のメンバーが1994年12月にサザビーのオークションで3600ポンド (7300ドル) で落札した髪の毛の房 (頭髪582本) である。この房は、ドイツ人指揮者のフェルディナント・ヒラーがベートーヴェンの死亡日の翌日 (1827年3月27日) に遺体から切り取ったものである。その房はヒラー家の子孫に受け継がれたがその後所在不明となり、1943年にナチスから逃亡中のユダヤ人 (氏名不詳) がオランダ人医師ケイ・アレクサンダー・フレミングに治療費代わりに贈与し、オークションで売られるまでフレミング家が所有していた。

 髪の毛の房は灰色、白色、褐色の3色の髪の毛の束を含んでいた。長さは7~15センチで、髪の毛が1月に0.5インチ伸びることからベートーヴェンの生涯の最後の6~12か月の間に伸びた部分と考えられた。この房以外にも、国会図書館 (ワシントンD.C.)、ハートフォード大学 (コネティカット)、大英図書館 (ロンドン)、楽友協会 (ウィーン) とベートーヴェンの家 (ボン) に遺髪が保管されている。

 第1の遺髪鑑定 (1996年5月):サイケメディクス・コーポレーションのワーナー・バウムガートナー医師がラジオイムノアッセイ法を用いて20本の遺髪中の麻薬性鎮痛薬の有無を調べた。19世紀のヨーロッパでは鎮痛、鎮静、解熱、下痢止めの目的でモルヒネが頻用されていたが、腹痛の持病があるにもかかわらずベートーヴェンの遺髪からはモルヒネなどの麻薬は検出されなかった。主治医が過量の投薬を行ったため、その医師に対する不信感からベートーヴェンは治療を拒否していた疑いがある。

 第2の遺髪鑑定 (1999年6月):ノース・カロライナ州のラボラトリー・コーポレーション・オブ・アメリカでマーシャ・アイゼンブルグらにより3本の遺髪を用いてミトコンドリアDNA分析 (高度変異領域HV1とHV2を検査) が行われた。結果は下表の通りで、塩基位置263と315.1にアンダーソンらが報告したミトコンドリアDNAの塩基配列 (Nature 290: 457-465, 1981) との相違 (個人差) が確認された (他の試料との比較はされていない)。


試 料\塩基位置 73 263 315.1
アンダーソン配列 A A -
ベートーヴェンの遺髪 AまたはG G C


 第3の遺髪鑑定 (1999年秋):シカゴ・マックローン研究所のウォルター・マックローンが走査電子顕微鏡・エネルギー分散型X線分光分析装置を用いて2本の遺髪中の微量元素を調べた。その結果遺髪中の鉛の濃度が正常人の42倍 (25 ppm) あることが判明し、ベートーヴェンは生前から重症の鉛中毒で、それが持病や死の原因になった可能性が示唆された。一方、1820年当時に梅毒の治療に用いられていた水銀は遺髪からは検出されず、ベートーヴェンが梅毒に罹患していたという風説は否定された。

 第4の遺髪鑑定 (2000年9月):米国エネルギー省の国立アルゴンヌ研究所の研究者が非破壊シンクロトロンX線蛍光分析を行って6本の遺髪中の微量元素を調べた。マックローンの鑑定結果と同じく遺髪からは60 ppmの鉛 (正常人の約100倍) が検出され、鉛中毒であったことが確認された。水銀が遺髪からは検出されないことも確認された。砒素も検出されなかった。


 一方、1994年にカリフォルニア州ダンビルに在住するポール・カウフマンは、ベートーヴェンのものと伝えられてきた頭蓋骨の破片を相続した。この骨片は、カウフマンの先祖でウィーン大学の医史学教授だったロメオ・セリグマン医師が1863年に入手したものである。

 ベートーヴェンの解剖が1827年に行われた際に、側頭骨の一部が行方不明になっていた。死体置き場の掃除夫のアントン・ドッターが入手し、後日外国の医師に売り払い、ロンドン大空襲で粉々になったという噂があるが、いずれにしろその骨片は現存しない。

 ベートーヴェンの死の36年後の1863年10月12日には、ベートーヴェンとシューベルトの墓が学術的目的と遺体の損壊を防ぐ目的で発掘された (2人とも土葬)。骨片が墓から取り出され、汚れを除いて医学的な検査を受けた後に、きれいな棺に入れて再埋葬される予定だった。ところがどういう経緯か、ベートーヴェンの頭蓋骨の2個の大きな骨片 (側頭骨から頭頂骨に及ぶ骨片と後頭骨の一部) は棺に入れられず、頭蓋骨検査に協力していたセリグマン教授が秘かに所有していた。1888年6月21日にベートーヴェンの墓が再発掘されているが、その時に1863年には存在していた頭蓋骨の一部が欠失していることが確認されている。

 頭蓋骨片はセリグマン教授の子孫に受け継がれ、最終的に入手したポール・カウフマンは、サンノゼ大学のベートーヴェン研究センターに研究目的で骨片を長期貸与した。この頭蓋骨片についてもDNA鑑定と微量元素鑑定が行われている。

 頭蓋骨片のミトコンドリアDNA鑑定は、2005年10月にミュンスター大学法医学教室のブリンクマン教授の下で行われた。高度変異領域HV2の塩基配列が調べられ、下表のように毛髪とまったく同じ鑑定結果が出た (他の塩基位置は標準配列と同一)。この結果から頭蓋骨片がベートーヴェンのものであることが確認された。


試 料\塩基位置 73 263 315.1 備 考
アンダーソン配列 A A - 公表されているもの
CRS標準配列* A A -
ベートーヴェンの遺髪 AまたはG G C 1999年の解析結果
ベートーヴェンの頭蓋骨片 未検査 G C 今回の解析結果
*CRS (Cambridge Reference Sequence) はアンダーソン配列を修正した国際標準配列。

 微量元素解析は2005年12月に毛髪と同じ米国エネルギー省の国立アルゴンヌ研究所で行われ、第3世代大型放射光施設であるアドバンスト・フォトン・ソース (APS) を利用してX線蛍光分析を行った。その結果、毛髪を上回る高濃度の鉛が検出された (正確な定量はされていない)。鉛の人体内での半減期は約22年で、その95%は骨に蓄積することから、ベートーヴェンは少なくとも死亡前の20年間にわたり鉛中毒であったことが確認された。


 鉛中毒になると、性格の変化、腹部の疝痛、腎障害、脳症、運動神経麻痺、貧血などの症状が出る。急性中毒では肝障害がみられる。ベートーヴェンの持病の腹痛は鉛中毒の症状であった可能性がある。解剖所見では肝硬変と腎不全 (腎乳頭壊死) が見られ、腎不全が直接死因であると考えられているが、その原因が鉛中毒である可能性は高い。難聴は、鉛中毒の症状としてはまれだが、関連が示唆されている。

 鉛中毒の原因は不明だが、当時のワインに添加されていた酢酸鉛を含む甘味料が中毒源として候補にあがっている。ベートーヴェンはワイン好きで、しかも腹痛を緩和するために過剰飲酒していた。

 2007年にウィーン医科大学法医学教室のクリスチャン・ライター教授は髪の毛を裁断してレーザーアブレーション質量分析装置で毛髪各部位の鉛含有量を測定した。毛根からの距離がその部分の毛が作られてからの日数に相関し、裁断した部分ごとの鉛含有量から死亡前のいつ頃に毛の (=体内の) 鉛含有量が増減したかが推測できる。この研究により、死亡前の111日間にベートーヴェンの毛髪中の鉛含有量が増加していたことが分かった。ベートーヴェンは1827年初頭から肺炎と腹水を起こし、アンドレアス・バフルフ医師が鉛を含む薬を用いて治療していた。鉛の投与量は致死量ではないものの、もともと肝硬変になっていたベートーヴェンの肝機能をさらに悪化させて死を招いた、とライター教授は考察している。
http://www3.kmu.ac.jp/legalmed/DNA/beethoven.html



ベートーヴェンに遺伝的健康リスク 毛髪のゲノム解読で判明=研究チーム
BBC News によるストーリー
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%81%AB%E9%81%BA%E4%BC%9D%E7%9A%84%E5%81%A5%E5%BA%B7%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%AF-%E6%AF%9B%E9%AB%AA%E3%81%AE%E3%82%B2%E3%83%8E%E3%83%A0%E8%A7%A3%E8%AA%AD%E3%81%A7%E5%88%A4%E6%98%8E-%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0/ar-AA18YiPS?ocid=Peregrine&cvid=daf9b2e365dc4026bd915285c935e29f&ei=21



作曲家ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンは肝臓病の遺伝的要因があり、死の数カ月前にB型肝炎ウイルスに感染していた可能性が高いことが、毛髪の分析で明らかになった。研究チームが22日、発表した。

英ケンブリッジ大学を中心とする国際研究チームは、ベートーヴェンの毛髪5房を分析し、ゲノム(全遺伝情報)を解読した。

ただ、ベートーヴェンが聴力を失った決定的原因は特定できなかった。

論文の筆頭著者のトリスタン・ベッグ氏は、遺伝的なリスク因子と大量飲酒が、肝臓の状態を悪化させた可能性があるとした。

研究チームは、ベートーヴェンの健康問題を明らかにしようと、公的・私的コレクションにあった毛髪8房を分析。うち5房について、同一の欧州男性のものだとし、ベートーヴェンの「本物」だと判定した。

ベートーヴェンは1770年、ドイツ・ボンで誕生。1827年にオーストリア・ウィーンで、56歳で死去した。

天才的な作曲家でピアニストだったベートーヴェンは、20代半ばから後半にかけて進行性の聴力低下に悩まされ、1818年までに機能的にろうの状態になった。

研究チームのベッグ氏は、ベートーヴェンが晩年の10年間に使っていた「会話帳」から、アルコールを定期的に摂取していたことがうかがえるが、量の推定は難しいと説明。

「彼と同時代の人の多くは、19世紀初頭のウィーンの基準からすれば、彼の飲酒量は控え目だったと言うが、現在では肝臓に有害とされる量に相当していた可能性が高い」と述べた。

「アルコール摂取量が相当期間、そこそこ多かったとしたら、遺伝的リスク因子と相互に作用したことが、彼が肝硬変になった一つの説明になりうる」

研究チームは、ゲノムのデータから判断すると、ベートーヴェンの胃腸の問題はセリアック病や乳糖不耐症が原因ではなかったとしている。

ドイツのマックス・プランク進化人類学研究所のヨハネス・クラウゼ氏は、「ベートーヴェンの死因を断定はできないが、少なくとも、重大な遺伝的リスクとB型肝炎ウイルスへの感染があったことは確認できる」と述べた。

「それに、妥当性の低い他の遺伝的要因の排除もできる」

ボン大学病院人類遺伝学研究所のアクセル・シュミット博士は、「ベートーヴェンの聴力低下の明確な遺伝的背景は特定できなかったが、今回の科学者らは、そうしたシナリオは完全には否定できないとしている」と述べた。

遺伝系図学者らは、ベートーヴェンの父方の直系に、婚外子がいたことも突き止めている。

研究チームのベッグ氏は、「ベートーヴェンのゲノムを研究者向けに公開し、本物とされた毛髪をこれまでの年代順のものに加えることで、彼の健康と系図に関する残された疑問がいつか解けるのではないかと期待している」と話した
https://www.msn.com/ja-jp/news/world/%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%81%AB%E9%81%BA%E4%BC%9D%E7%9A%84%E5%81%A5%E5%BA%B7%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%82%AF-%E6%AF%9B%E9%AB%AA%E3%81%AE%E3%82%B2%E3%83%8E%E3%83%A0%E8%A7%A3%E8%AA%AD%E3%81%A7%E5%88%A4%E6%98%8E-%E7%A0%94%E7%A9%B6%E3%83%81%E3%83%BC%E3%83%A0/ar-AA18YiPS?ocid=Peregrine&cvid=daf9b2e365dc4026bd915285c935e29f&ei=21
3:777 :

2022/06/07 (Tue) 13:00:08


カール・マリア・フォン・ウェーバー(Carl Maria Friedrich Ernst von Weber、1786年11月18日 - 1826年6月5日)


最美の音楽は何か? _ ウェーバー『魔弾の射手 序曲』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/208.html

ウェーバー オペラ 『魔弾の射手』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/834.htm



最美の音楽は何か? _ ウェーバー『オベロン J. 306 序曲』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/480.html

最美の音楽は何か? _ ウェーバー『オイリアンテ 作品81 J. 291 序曲』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/479.html
4:777 :

2022/06/07 (Tue) 13:00:34

フランツ・シューベルト(Franz Peter Schubert , 1797年1月31日 - 1828年11月19日)


最美の音楽は何か? _ シューベルト『即興曲 変イ長調,D.935-2(op.142-2) 』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/200.html

最美の音楽は何か? _ シューベルト『楽興の時 D 780』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/267.html

最美の音楽は何か? _ シューベルト『3つの小品 D946』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/266.html

最美の音楽は何か? _ シューベルト『ピアノソナタ第20番 イ長調 D 959 』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/265.html

最美の音楽は何か? _ シューベルト『ピアノソナタ第21番 変ロ長調 D 960』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/232.html


▲△▽▼


シューベルト 『軍隊行進曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/859.html  

シューベルト 劇付随音楽 『ロザムンデ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/858.html

最美の音楽は何か? _ シューベルト『交響曲第8番ロ短調 D 759 未完成』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/262.html

シューベルト 『交響曲 ハ長調 D 944』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/857.html  


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最美の音楽は何か? _ シューベルト『ピアノ三重奏曲第1番 変ロ長調 Op.99 D898』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/275.html

最美の音楽は何か? _ シューベルト『ピアノ三重奏曲第2番変ホ長調 Op.100 D929』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/274.html

最美の音楽は何か? _ シューベルト『弦楽四重奏曲第13番イ短調 D804 ロザムンデ』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/273.html

最美の音楽は何か? _ シューベルト『弦楽四重奏曲第14番ニ短調 D810 死と乙女』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/271.html

最美の音楽は何か? _ シューベルト『弦楽四重奏曲第15番 ト長調 D887 Op.161』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/272.html

シューベルト『弦楽五重奏曲 ハ長調 D956』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/860.html
 
最美の音楽は何か? _ シューベルト『ヴァイオリンとピアノのための幻想曲 ハ長調 D934』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/351.html

最美の音楽は何か? _ シューベルト『アルペジョーネとピアノのためのソナタ イ短調 D821』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/278.html


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最美の音楽は何か? _ シューベルト『白鳥の歌 D957/965a』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/261.html

最美の音楽は何か? _ シューベルト『冬の旅 作品89 D911』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/260.html


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フランツ・ペーター・シューベルト( Franz Peter Schubert 1797 - 1828)

シューベルトは作品の完成度が高まってきた矢先にたった31歳で亡くなってしまった。

曲が長くて冗長さのある場合が多いこと、また同じ曲の中で楽章により出来不出来が激しいために、とっつきにくいところがある。

同年齢比較ではモーツァルトとベートーヴェンに匹敵するような大作曲家ではあると思うが、この2人と比較してしまうとややマニアックな扱いの作曲家である。

若い時にも傑作はあるが、30歳を過ぎてからの最晩年の傑作群はハズレなしの史上最高峰の作品ばかりであり、せめてあと数年長く生きてくれたらと残念に思わざるを得ない。

ロマン派に分類されているが、曲の構成はかっちりしており、ベートーヴェンと同時代であることから、聴き方としては古典派に近いと思う。


交響曲

交響曲第1番 ニ長調 1813 D82
2.5点
どの楽章も主題の部分は古典派音楽としてかなり魅力的で才能を感じるのに、そこからの発展がかなり単純なことしかできておらず、音楽が進むにつれて残念なことになる。

交響曲第2番 変ロ長調 1814-15 D125
2.5点
形式も内容も1番より上かもしれないが、ただの18世紀古典派からベートーベン的な世界に脱出を計り始めている代償か、旋律や音楽の魅力は少し落ちてる気がする。

交響曲第3番 ニ長調 1815 D200
2.0点
作曲技術は上がっているのが分かる。しかし、快活で聞きにくくはないものの、音楽的な内容は薄く、心に響かない。

交響曲第4番 ハ短調『悲劇的』 1816 D417
2.0点
成長してがっちりした風格が出てきたのの、冗長な感も強くなっていて残念。短調の曲としてベートーベンやモーツァルトよりはるかに劣る。

交響曲第5番 変ロ長調 1816 D485
2.5点
後半が少しモーツァルトやハイドンを思い出させる。2人の若い時期の作品レベルに近く、たいした作品ではない。最終楽章が少し魅力あり。

交響曲第6番 ハ長調 1817-18 D589
2.5点
ハ長調らしい堂々とした曲調。アンダンテは美しい。他の楽章は悪くないのに聞いた後に記憶に残らない。

交響曲第7番 ロ短調『未完成』 D759
5.5点
大変有名な曲だし、シューベルトの器楽曲の入門には間違いなくオススメである。1楽章のスマートな美しさ、歌心にあふれたフレーズ、2楽章の天国的な美しさ、絶妙なメロディーや転調があり、どちらの楽章も極上であるとともに完璧である。シューベルトの魅力を初回の視聴から楽しめる。未完成のため曲の長さがちょうどいいのも魅力であり、完成していたら長くて聞くのが大変だったろう。

交響曲第8番 ハ長調『ザ・グレート』 1825-26 D944
3.0点
高く評価する人も多い曲だが、自分には長さに見合った内容や未完成交響曲のように魅力にあふれた曲とは思えない。大作曲家の名交響曲群と同列とするのは過大評価ではなかろうか。自分は多くのシューベルトの曲は好きだが、この曲は苦手である。もちろん若いときの交響曲よりははるかに充実していて、旋律の魅力はそれなりにある。しかし、とてもではないがこれがシューベルトの交響曲の到達点だとは思えない。弦楽五重奏曲を書いたシューベルトが、その筆致を持ってしてシリアスな交響曲に取り組んだら、全くの別次元な交響曲が生まれただろう。


協奏曲

ヴァイオリンと管弦楽のための小協奏曲 ニ長調 1816 D345
2.8点
ヴァイオリン協奏曲として華やかに書けていてなかなか優秀である。モーツァルト等の強い影響を感じる。しかし、それ以上のものは感じない。

ヴァイオリンと弦楽のためのロンド イ長調 1816
3.0点
爽やかな古典派音楽で、あまりシューベルトらしさが感じられない。独奏ヴァイオリンが大半の場面でずっと表で出ずっぱりである。音楽的な内容は割と大人っぽいため、本格的な曲だと感じられる。

ヴァイオリンと管弦楽のためのポロネーズ 変ロ長調 1817 D580
2.0点
優雅で心地よいがそれだけである。独奏とオケの絡みはいまいちであり、音楽はモーツァルト以前のような素朴さである。


弦楽四重奏曲

弦楽四重奏曲第1番 ハ短調/変ロ長調 1811 D18
3.3点
伴奏は初期らしいシンプルさではあるが、バランスがよいため悪くない。少なくともつまらなさは全然感じない。そして、旋律にシューベルトらしいしなやかな旋律の良さがあり、単なる古典的な均整の取れたムード音楽でなく、どの楽章も聴き応えが十分にある。期待していなかっただけに、出来の良さに驚いた。

弦楽四重奏曲第2番 ハ長調 1812 D32
3.3点
1楽章は運動的な曲で工夫の意志を感じるが、成功とは思えない。2楽章は泣きのシューベルト節を全面に出した歌曲のような曲で、印象的で素晴らしい。3楽章は割と良い。4楽章はシューベルトの通例のように、頑張ってはいるがパンチが弱い。

弦楽四重奏曲第3番 変ロ長調 1813 D36
3.5点
1番2番よりずっと巨大な曲。ベートーヴェン的な構築性と強靭で壮健な力強さを全面に出した曲。巨匠的な響きに満ちており、非常に頑張っている。そして、その努力はほぼ完全に成功していると思う。若さゆえの複雑さの不足はあり、名曲の域には達することが出来ていないにせよ、この巨匠性は天才しか出せないものであり、見事な作品である。

弦楽四重奏曲第4番 ハ短調 1813 D46
3.3点
音に緊密な緊張感があり、高貴さがあるという巨匠性は3番同様に現れている。しかし、短調の響き方の問題からか、伴奏の単純さなどの若書きの欠点がやや気になってしまった。最終楽章がうまく高揚感を持たせられており、優れているのは良いところ。

弦楽四重奏曲第5番 変ロ長調 1813 D68
3.3点
1楽章は跳ねるようなリズムに極端に支配された曲であり珍しい。実験的と言ってよいほどである。2楽章はいきなり終楽章であり、極端ではないもののやはりリズムが重要である。シューベルトにしては高揚感に優れた2楽章がなかなか良いため、聴後感がよい。

弦楽四重奏曲第6番 ニ長調 1813 D74
3.5点
柔らかい歌謡性が主要な雰囲気を作っている曲。歌謡的な才能の豊かさには舌を巻く。ものすごい名作というにはまだ素朴すぎる感じはするものの、かなり素敵な曲として聞き入ってしまう。魅力の点では後年の作品に匹敵するかもしれない。素朴だが素直に自分の強みを活かしている。

弦楽四重奏曲第7番 ニ長調 1811 D94
3.5点
2楽章がとても美しいメロディー。これだけでも聴く価値がある。その他にも、冒頭でいきなり短調になるなど工夫が感じられる1楽章はなかなか面白いし、3楽章や.4楽章は普通の曲であるが、曲全体の価値を落とさない程度にはよく出来ている。ビアノよりも弦楽の方にシューベルトの適性があると感じさせられる。

弦楽四重奏断章 ハ短調 1814 未完 D103
3.5点
ハ短調の荘重で本格的で悲劇的な曲として、予想外の出来で驚いた。かなりの聴き応えであり、こういう曲も若い時から書けたのかと驚いた。音の密度はいまいちだが音感がよい。

弦楽四重奏曲第8番 変ロ長調 1814 Op.168 D112
3.3点
同じ時期の曲と比較して、かなり複雑で大人びた曲である。優美であるが古典的すぎる作風からの脱却を計っているように思える。その過渡的な作品であるがゆえに、魅力でいえば一歩引いたものになっているというのが率直な感想である。頑張っている感が出てしまっているし、複雑でよくわからない。曲がすんなり理解できない。ベートーヴェンの影響かなと思う箇所はある。とはいえ、天才的な作曲センスは相変わらず楽しめる。

弦楽四重奏曲第9番 ト短調 1815 D173
3.5点
1楽章は、真剣な短調曲であり、まだ内容の緊密さはないにしても、そこそこの満足は得られる。2楽章は短調の曲らしい、愛おしさにあふれた緩徐楽章であり、シンプルではあるがロマンチックであり、あのモーツァルトの短調の曲にかなり近い世界を構築できていると思う。3楽章や4楽章も簡素な書法ながら心に迫るものがあり十分に全体のバランスを取った曲になっている。

弦楽四重奏曲第10番 変ホ長調 1813 D87
3.3点
優雅な曲から大人の曲に脱皮しようと背伸びしているのが、いかにも伝わってくる曲。ぎこなちさを感じてしまう。ベートーヴェン的な立派な堅さを少し帯びている。時にモーツァルト的な優美なセンスも見せている。やはり発展途上を楽しむ曲と思った方がよいと思う。

弦楽四重奏曲第11番 ホ長調 1816 D353
3.5点
まだ19世紀に書かれただけあって、古典的な均整が非常にしっかりと取れている作品である。20分とシューベルトにしては短くて、全ての楽章において緩みがない。個性が強くみられるわけではないが、ハイドンやモーツァルトにも匹敵するような古典派弦楽四重奏に聞こえた。古典的な完成度が高く、書法は密度が高くなっている。音に自分らしさを確立してきた自信を感じる。

弦楽四重奏曲第12番 ハ短調『四重奏断章』 1820 D703
3.5点
順番に聞くと、急に立派な作品になって驚く。ベートーヴェンにもひけを取らなと言ってもいいくらいに、重厚で規模が大きく、力の篭った力作である。強く訴える力を音楽に与えているのが印象的だ。場面のコントラストが強く、少し聞き疲れする感じもある。管弦楽的な響きの充実がある。後期の偉大さを見せた作品の一つであり、未完成なのが残念だ。

弦楽四重奏曲第13番 イ短調『ロザムンデ』 1824 D804
3.8点
音の濃密さ、ロマンチックな情緒と陰影の深さ、音のなめらかなつなぎなど、前作までとは大きく異なり、別の作曲家かと思うほどの成長を見せている。
このようなメロディーを楽しませる正統派の弦楽四重奏曲は少ないため、重宝されているのはよくわかる。弦楽四重奏曲への作曲者の個性の適性の良さは相変わらずである。メロディーと音と情緒の濃密さに心を委ねて聴くとあっという間に時間が過ぎていく。聴き方がベートーヴェン以前とは全然違う曲である。

弦楽四重奏曲第14番 ニ短調『死と乙女』 1824 D810
3.8点
全部の楽章が短調であり、全体としてはかなり暗澹とした気分にさせられる曲である。もちろん部分では多くの救いがあり、美しさにはっとする場面は多い。1楽章は特に立派であり、多くの素材を使っており幅広い世界を表現しており、交響的な充実感がある。13番で主役だったシューベルトらしい甘いロマンはここでは脇役であるベートーヴェン的な厳しさをもうすこしロマン派に近い情緒表現で使っているイメージだ。もちろんシューベルトらしい柔らかさと歌謡性は残っており、むしろこの曲独自のそのバランスが魅力になっている。個別部分の表現の濃厚さはすごい。2楽章の変奏曲の魅力は特に心惹かれる。

弦楽四重奏曲第15番 ト長調 1826 D887
3.8点
急な転調などで陰影を与えて心を撃つことで晩年のシューベルトらしい感動を与える。しかし多用されるトレモロが煽る不安定さは心にせまる。しかしたまにみせる管弦楽的な響きについては、効果的かというと個人的には疑問符がつく。副題付きの2曲と比較すると、わかりやすさや親しみやすさで一歩譲る。密度や内容でいえば一歩もひけをとらない作品である。晩年らしい達観の世界が、ここでは珍しく鬼気迫るような迫力に達しているのが良い。


その他の室内楽曲

ヴァイオリンソナタ(ソナチネ)第1番 ニ長調 1816 D384
3.5点
一見爽やかなだけの工夫のなく繰り返しが多い古典派音楽のようだが、もう一度聴きたいと思わせる魅力がある。リートの名手だけに純度の高い歌心がうまく込められており、ヴァイオリンソナタは相性の良い形式のようだ。

ヴァイオリンソナタ(ソナチネ)第2番 イ短調 1816 D385
2.8点
1番と違い音楽の密度が薄く、早く次に進まないかと思ってしまう場面が多い。美的なセンスは優れており、特に1楽章で短調の美しさを楽しめるものの、冗長すぎるのが残念。

ヴァイオリンソナタ(ソナチネ)第3番 ト短調 1816 D408
3.0点
シューベルトの仲では珍しいほどモーツァルトを感じる場面が多いのが特徴。古典的なオーソドックスな曲であり、プラスアルファはあまりないが、あまり冗長でないのは良い。

アダージョとロンド・コンチェルタンテ ヘ長調 1816 D487
3.5点
室内楽だが協奏曲のように書かれており、明るく華やかで楽しい曲。ピアノ協奏曲にもシューベルトの才能があった事が分かるだけに、もう少し長生きして本格的な協奏曲を残して欲しかったと思う。効果的な序奏と本編のロンドと両方良い。

ヴァイオリンソナタ(第4番) イ長調 1817 D574
3.0点
前の3作品はソナチネであり本作はソナタとされている通り、楽曲の規模も内容的なスケールも大きくなった。1年の成長もあるのか、より成熟感もある。名曲に分類できる内容ではないものの、作曲者の意欲を感じられるので印象は悪くない。

弦楽三重奏曲第2番 変ロ長調 1817 D581
2.8点
伴奏とメロディーが完全に分離してしまっており、うまく絡んでいない感じの箇所が多いのが残念。そういう箇所は息長くメロディーを歌い継がせる能力で間を持たせている印象がある。うまく書かれている箇所も所々にある。つまらない曲ではないが今一歩。

ピアノ五重奏曲 イ長調『鱒』 1819 D667
4.0点
若々しくてすがすがしくて、平明な音楽は非常に心地よくて気持ちよい。晩年のような深みはないものの、音楽的な充実度ではひけをとらないと思う。ユニゾンを中心とした軽いピアノが、コントラバスまで入った厚めの弦楽とバランスがよい。また、ヴァイオリンが2台ないため、ピアノ四重奏曲のバランスにも近くて、弦楽が分厚すぎないのもよい。難しく考えないで楽しめる娯楽作品として優秀だと思う。

『萎れた花』の主題による序奏と変奏曲 ホ短調 1824 D802
3.5点
フルートとピアノ。フルートの音色の美しさを生かした主題と変奏曲。長大だが、主題が良いので、美しさに浸る事が出来るのでゆったりと楽しむ事が出来る。シューベルトの歌心とフルートの相性が良く、秀逸な曲だと思った。

八重奏曲 ヘ長調 1824 D803
4.0点
編成の大きさも楽曲の規模も大きいが交響曲というよりセレナードに近い。明るくて柔らかく、巨匠的な質の響きに満たされている。1時間は長いが、集中して聴くというより軽い気分でゆったり聴く娯楽曲なのでしんどいものではない。シューベルトが力を入れて書いた曲と思われ、音に充実感がありメロディーやニュアンスが豊富な傑作である。これだけ心地よい曲は滅多になく、また聴きたくなる。

アルペジオーネ・ソナタ イ短調 1824 D821
3.8点
有名曲であるが、暗い曲であり、個人的にはあまり好んでは聴きたい気分と過去には思っていた。シューベルトらしい歌心が全体を覆っていて隙がなく、中身の詰まった聞き応えのある曲である。短調ではない場面も実は多いのだが、精神的な暗さや生への憧憬を色濃く感じさせる場面が非常に多い。しかし、アルペジオーネを使った演奏だとチェロほどしつこさがないため、もう少し軽い気分で聴くことができる。シューベルトの熟練した本格的な二重奏曲がこれだけになったのは非常に勿体無いと思う。

華麗なるロンド ロ短調 1826 D895
2.8点
ヴァイオリンとピアノ。悪い曲では無いかと思うが、特段優れている所もなく、シューベルトならいつでも書けそうな曲なので、15分は少し長すぎる。長大な序奏あり。最後はのエネルギッシュに締めるので聴後感は悪くない。

ピアノ三重奏曲 変ホ長調『ノットゥルノ』 1827/28 D897
4.0点
一聴して素敵と感じる独特の歌心に満ちた美しいメロディーの変奏曲。単品のピアノ三重奏曲。いい夢を見ながらすやすやと眠る子供のよう。おとぎ話のような温かくて幻想的な曲。

ピアノ三重奏曲第1番 変ロ長調 1828? D898
4.0点
晩年の成熟してワンランク上がった実力が発揮されている。曲の素晴らしさのわりに、知名度が低い気がする。寂寥感を常に持ちながらも、美の結晶のようなあまりにも美しいメロディーが連綿と続く。音のバランスや楽曲の活躍のさせかたが良く、ピアノ三重奏曲としての書法が優れていると思う。全く曲の長さが気にならず、むしろもっとずっと聴いていたいと思わせる。特に1楽章と2楽章は泣きそうになるほど感動的であり、密度が濃くて素晴らしい。3楽章と4楽章は比較すると軽いが、十分な聞き応えを持っている。

ピアノ三重奏曲第2番 変ホ長調 1827 D929
3.8点
1番ほどの神がかった素晴らしい感動は感じないが、壮健な精神と、堂々とした内容は素晴らしい。晩年に達した大作曲家らしい充実感のある筆致を見事に発揮している。長さも気にならない。爽快で力強い曲調だが、当然裏にはシューベルトらしい歌心も込められていて、陰影もある。ピアノ三重奏曲はメロディーを中心として、線をつなげて作られるシューベルトの音楽に合っているようだ。

幻想曲 ハ長調 1827 D934
2.5点
あまり聴き応えがある曲という印象がなかった。メロディーにインパクトがなく、編曲もいまいちであり、22分が長く感じた。ただし、冒頭の序奏はロマン派的な内容でありシューベルトにしては大胆で目新しい。

弦楽五重奏曲 ハ長調 1828 D956
4.5点
この曲はロマン派屈指の室内楽の一つであろう。最晩年らしい充実感と、見通せないような深遠への扉を開けている曲。チェロが2本であるおかげで、低音のずっしりした重さが芯となり、弦楽四重奏の曖昧模糊とした雰囲気が避けられるとともに、空間的な広がりに貢献している。全ての楽章に重みがあり、巨匠的な充実感であり、長い曲の中で深淵へと聞き手を誘う。孤独や不安に駆られる冒頭から始まり、人生への前向きさ、音楽が進む中で様々な想いが交錯する名作であり、感動的な名曲である。この素晴らしい曲を聴き終わると、シューベルトのこの先の創作活動を見たかったという想いが湧いてくる。楽章間の連関や細かい音の密度を上げていくことで、まだまだシューベルトは更なる高い完成度を目指す余力が十分にあったと思う。歴代で最上の音楽を書ける地点に到達した瞬間に亡くなってしまったという悲しみを覚えるのである。


ピアノソナタ

ピアノソナタ第1番 ホ長調 1815 D157
3.0点
一、三楽章は若書きらしいありきたりさだが、二楽章がシューベルトらしい歌心が見事に込められていて素晴らしい。驚いた。

ピアノソナタ第2番 ハ長調 1815 D279
2.5点
緩叙楽章が一番よくて、スケルツォも割とよいが、いずれも一番ほどは光らない。

ピアノソナタ第3番 ホ長調 1817 D459
2.5点
5楽章の力作。全体的には音の充実感など二番までより大分進歩してる。いい曲といえるほどの楽章は無いが、どの楽章もなかなか美しい。

ピアノソナタ第4番 イ短調 1817 D537
3.0点
割としっかりと書かれていて大作曲家らしい風格が垣間見れる。短調だがあっさりしていて、心地よく楽しんで聴ける。

ピアノソナタ第5番 変イ長調 1817 D557
2.5点
未完成とされているが三楽章が最終楽章のような雰囲気を持っているので、知らずに聴けばあまり大きな違和感はない。出来はまあまあ。

ピアノソナタ第6番 ホ短調 1817 D566
3.0点
1楽章は所々美しい場面が出てくる。歌うような二楽章も魅力的。

ピアノソナタ第7番 変ホ長調 1817 D568
3.5点
完成作であり自分で出版した曲。3番から9番までの同年に書かれた作品の中でも特に非常に美しい歌心に満ちていて聞き応えがある。歌に身を任せてゆったり聴ける。

ピアノソナタ第8番 嬰ヘ短調 1817 D571
3.0点
1楽章だけ完成。特に第2主題以降が美しい。どこか寂寥感がある。自分の聞いた演奏のせいだろうか。

ピアノソナタ第9番 ロ長調 1817 D575
3.0点
ロ長調は珍しいので新鮮に感じる。力強さと明朗さがある。

ピアノソナタ第10番 ハ長調 D613
断片だけしか残ってないそうで全集にも未収録。

ピアノソナタ第11番 ヘ短調 1818 D625
3.0点
三楽章冒頭のユニゾンや一楽章の第2主題後のキラキラした部分などピアニスティックな箇所が印象的。

ピアノソナタ第12番 嬰ハ短調 1819 D655
未完成のため全集に収録なし

ピアノソナタ第13番 イ長調 1819 D664
3.5点
優美で温かみや優しさがある素敵な名曲。一楽章が非常に印象的である。特に第二主題が夜の底の中で静かに瞑想するような雰囲気は出色の出来であり、何度も聞きたくなる。時代を先取りしたかのような素敵な主題である。二楽章もかなりいい。楽章が3つでコンパクトなのもいい所である。しかし、14番以降の独自の魅力はまだなく、若書きの作品という印象は支配する。

ピアノソナタ第14番 イ短調 1823 D784
3.8点
最初は軽視していたが、よく聴くとこの曲はこれ以降にないほどの濃厚なロマンに満ちた強烈な魅力を持っている作品である。1楽章のムソグルスキーの展覧会の絵のような目新しさが耳を引く重々しさと、第2主題のショパン以降でも滅多に聞けないようなロマン的情緒が濃厚な旋律はいずれも素晴らしい。何度もなんども聞きたくなる。2楽章は平凡な旋律のようで、実は魅力がある。3楽章はふわふわと中空を彷徨うような冒頭の独特のパッセージと、ロマンでかつ落ち着いた情緒的な旋律が素晴らしい。

ピアノソナタ第15番 ハ長調『レリーク』 1825 D840
3.5点
あてもなく精神の赴くままに彷徨うような構成感の薄い音楽である。1楽章も2楽章も穏やかであるため、交響曲の未完成ほどに2つの楽章だけで十分完結している感じはない。未完結のソナタだなと感じる。とは言え、1楽章のしなやかで繊細さにゆっくりと流れに心を浸せる巨大さは良いし、それより2楽章はかなり美しい傑作の楽章であるため、心を捉えるような音楽の魅力がかなりある。

ピアノソナタ第16番 イ短調 1825 D845
3.5点
1楽章は最初は良さが分からなかったが、15番を少し密度を上げたが同系統の音楽と思ってゆったりと心を浸すように聞けば良いと気づいたら魅力的に感じるようになった。二楽章は美しい変奏曲で素晴らしい。三楽章は印象が薄い。四楽章はピアノ的な音楽でシューベルトのアレグロにしてはなかなかの盛り上げ方である。

ピアノソナタ第17番 ニ長調 1825 D850
4.5点
個人的には最後の3曲に匹敵するとともに、青春のロマンを大作に詰め込んだ、他にない唯一無二の素敵なピアノソナタである。一楽章はどこかあてのない感じがある気がするのだが、基本的には推進力に満ちた非常に快活な曲。二楽章はとりとめのない感じの中に、しつこいほどに果てしない情緒的なロマンに浸り続けられる曲である。三楽章は大きく切り替えて力強い行進曲であり、中盤の浮遊感との対比も素晴らしい。四楽章は肩透かしするようなチャーミングな曲ではあるが、悲しみ喜び多くの感情が混ざる印象的な音楽であり、低評価をする人もいるようだが自分は大好きである。全体的にガチャガチャとして構成感はないものの、青年の個人的な感情がこれほどまでに大きな作品にギッシリと詰まったロマン派的な音楽は私は他に知らない。

ピアノソナタ第18番 ト長調『幻想』 1826 D894
4.0点
全体に穏やかで幻想的な雰囲気が支配的である。美しい幻想性とか女性的なしなやかさは、他のソナタとは違う大きなワンアンドオンリーな存在感がある。特に1楽章はタイトルの元になっためくるめく幻想性をたっぷり楽しめる。他の楽章も、しなやかな幻想性の雰囲気に一貫性がある。全楽章のバランスが良いソナタの一つであり、最後まで各楽章の個性を楽しめる。ソナタ形式でありながらも組曲的な楽しさがあるが、情緒面で統一感があるし、内容的には単なる情緒的な音楽ではなく、形式的にも素材的にも一級のものを詰め込んで大作として仕上げた、素晴らしい作品である。ただし個人的な嗜好を書いておくと、あまりにも女性的なしなやかさや柔らかさが支配的なため、物足りなく感じてしまい17番以降では聴く回数が少ない。

ピアノソナタ第19番 ハ短調 1828 D958
4.0点
この作品は、個人的には1楽章と4楽章の冒頭の主題の魅力に問題ありだと思う。そのせいで最初はあまり曲に魅力を感じられなかった。やはり掴みは大事である。しかしよく聞くと、実はその2つの冒頭の主題以外は非常に魅力的である。ベートーヴェン的な力強さと静寂を両立させる雰囲気を基調にしているが、随所にシューベルトらしいしなやかさや美しさや、場面転換の面白さが詰まっている。そして、後ろの2つの曲と比較して、長すぎずコンパクトであること、3楽章がただの間奏曲になっておらず存在感があることという美点もある。

ピアノソナタ第20番 イ長調 1828 D959
4.5点
交響曲的な広大なスケール感を持っている曲である。1楽章の英雄的で広大なスケール感と力強さ、2楽章の冒頭のメロディーの哀愁漂う美しさと中間部の感情の起伏の激しさによる演出はともに素晴らしい。特に終楽章のイ長調らしい明るく伸びやかな主題を高揚感を保ちながら聞かせる音楽が大変素晴らしい。1、2、4楽章が均等な素晴らしさを持っているため、トータルの素晴らしさでは21番以上のピアノソナタだと自分は思っている。3楽章は間奏曲であり軽いが、お口直しとしては愉しい内容になっている。21番はかなり精神的に病んだ内容だが、20番は健康的でポジティブな世界観であり、そのような対照のある作品を短期間に同時に書いたのは驚異的である。

ピアノソナタ第21番 変ロ長調 1828 D960
4.5点
最後のピアノソナタ。前半二楽章の特別感は素晴らしい。平安な心の中に感動と追憶をはらみ、未来を夢見て、現実に追い立てられるような感じで深い精神性。後半二楽章は特別感が足りておらず、前半2楽章の深さを受け止めきれていない。特に3楽章が個人的に苦手であり、主題が魅力的ではなくて騒々しくて嫌になる。このため私は3楽章を飛ばして聞くこともある。4楽章はシューベルトなりに高揚感を作って重量級の作品に仕立てようとしたものだと自分は解釈しており、ある程度は成功している。しかし、ベートーヴェンのような完成度には到達できておらず、慣れない世界を努力を積み重ねて作った感がある。全体的に薄暗い中を長く細い道筋をたどって終わりまでたどり着くように聴く曲である。


その他のピアノ曲(連弾含む)

2つのスケルツォ 1817 D593

1曲目
3.5点
ちょっとしたお宝発見を感じた優れた小品。主題も挿入部分も魅力的で、聴き入ってしまう。

2曲目
3.0点
スケルツォにしては優雅である。どの部分もセンスはあって感心するのだが強い印象には残らない。


3つの英雄的行進曲 1818-24 4手 D602

ピアノ小品 イ長調 1816-17 D604
3.0点
ロマンチックさを秘めており、はっきりしない密やか感情がふわふわと揺らぐような小品。

行進曲 ホ長調 1818? D606

ロンド ニ長調 1818 D608
3.3点
ロンドの主題にシューベルトらしい柔らかくて夢のような美しい魅力があるので楽しめる曲。

アダージョ ホ長調 1818 D612
2.5点
センチメンタルな曲盛り上がった想いを即興演奏したものをそのまま書き留めたような曲。巨匠らしさは感じない。

大ソナタ 変ロ長調 1818 4手pf D617
3.5点
明快で陰がない曲。シューベルトらしい純度の高さと透明感と優しい手触りを単純に楽しんで聴ける。冗長でなく、割と引き締まった内容である所も良い。

幻想曲 ハ長調 『さすらい人』 1822 D760
4.0点
4楽章がつながっていて20分。リスト的な外面的な華やかさを持つシューベルトには珍しい作品。英雄的で勇壮で力強く、ピアノは技巧的であり聴いていて楽しい。精神的にも自由で広々とした精神的世界を旅するような趣がある。形式の自由さとテクニック的な楽しさを存分に聞かせる音楽として、リストに大きな影響を与えていると感じる。そして音使いのセンスに優れているだけあって、エンターテイメント的にかなり楽しめる音楽となっている。

楽興の時 1823-28 D780
4.0点
シューベルトの良さがよく現れている6曲の曲集。簡潔な書法の中に、静けさと歌心、メロディーの柔らかく儚い美しさが現れていて魅力的である。最後の締めが良いため、全曲を聴くと実にいいものを聴いたと満足感を得られる。とは言え書法の簡潔ゆえの物足りなさもなくはない。

ソナタ ハ長調『大二重奏曲』 4手 1824 D812
3点
シューベルトらしい曲。完成度はなかなかで大規模。しかし、特記するべき特徴は感じなかった。

幻想曲ヘ短調 4手 1828 D940
4.5点
切なく奥ゆかしい悲しみに満ちた冒頭の主題が大変に魅力的である。純粋な美を湛えたその主題を何度も繰り返しながら、魅力たっぷりに場面展開していく。主題が何度も再現するたびに胸が締め付けられそうになる。主題以外も、全ての場面が音楽的な密度の高さを持っており、聴くものの心を強く捉えて離さないような歌心に満ちていて隙がないことから、シューベルトのピアノ音楽の中で最も魅力的な曲の一つであることは間違いない。連弾曲というと娯楽作品をイメージがあり名曲は少ないと思われるが、この曲は必聴である。

3つのピアノ曲 1828 D946
3.8点
1曲目と2曲目は、晩年らしい充実感であり、諦観や歌心などシューベルトらしい素晴らしさにあふれている佳曲。ただし、少し長いので曲を把握しにくいところがある。3曲目は早いテンポでソナタの最終楽章のような曲想であり、やはりシューベルトの最終楽章がとってつけたようで面白くないという弱点はそのままこの曲にも当てはまる。

アレグロ イ短調『人生の嵐』 4手 1828 D947


4つの即興曲 1827 D899

第1曲
4.5点
ハ短調の悲劇的な主題による変奏曲。はかなく切なく美しい心に強く訴える主題が、変奏しながら何度も切なく繰り返し演奏される事で深く心をえぐられる。短調と長調の交代が絶妙であることが、大変な効果を発揮している。

第2曲
4.0点
主題はショパン的な華麗さと軽やかさを持っている。挿入部分が対照的な短調の悲しい歌であり、絶妙な効果を挙げているため、全体にまとまりが良く演奏効果が高い曲になっている。

第3曲
4.0点
軽やかながらもしっとりとした歌心に満ちた曲。特に対比される部分による変化が無いのため間奏曲のような雰囲気ではあるのだが、そんなことは関係なく、メロディーも伴奏も完璧に美しく素晴らしく、強く心に感動を与える。

第4曲
4.0点
2曲目と同様のショパン的な軽やかなパッセージによる主題が魅力。中間は暗い旋律的な場面で強い対比を与えている。中間部分はわりと長いため、一度没入してしまった所で軽やかな冒頭に戻る。


4つの即興曲 1827 D935

曲集全体
4.0点
全体で一つの巨大なソナタのような構築性がある曲集。全体を通しでし聴くと素晴らしい大作であるが、個々の曲の良さはD899に負けると思う。

第1曲
3.5点
優雅でおおらかで幻想的。広大な空間の大きさを持っていて、心をあちこちに連れて行ってくれる。4曲セットのこの曲集の開始として素晴らしい雰囲気を作っている。印象的なメロディーではないので単独での名曲性は高くないが、大規模な曲の冒頭曲として優れている。

第2曲
3.8点
1曲目と違い、歌謡性のある曲で聞きやすい。優雅さとメヌエットのような舞曲性と重厚性を兼ね備えており、優れた曲。

第3曲
4.0点
儚く美しいメロディーを味わい尽くせる変奏曲。サロン的な上品な聴きやすさが優勢だが、シューベルトらしい陰もあり深みもある素晴らしい曲。

第4曲
3.3点
跳ねるようなリズムに民族的な味がある。豊富な時間を使って即興的な驚きのある展開を見せる面白さ、主題の面白さで楽しめる作品。とはいえ、最終楽章の苦手は払拭しきれていない印象はどうしても残ってしまった。


歌曲
歌曲集「美しき水車小屋の娘」(20曲) D795, Op.25 (1823)
4.3点
冬の旅と比較すると、心を揺さぶるような深い曲は少ないが、明朗で生き生きとして、青春の輝きに満ちているとともに、話のストーリーがあるのが特徴。最後の2曲の文学的な美しい締めくくり方は最高である。冬の旅と比較して曲の出来が平均的であり、ものすごい名作は少ないが、ほとんどの曲が最後まで聴きたくなる。リート作者としてのピアノと歌唱による表出力の才能の高さには脱帽するしかなく、まさに天才である。10曲目が好き。最後の20曲目は最高であり、感動で胸がいっぱいになる。

歌曲集「冬の旅」(24曲) D911, Op.89 (1827)
4.5点
1曲目から哀しい叙情の素晴らしさに心を奪われる。暗くしんみりした曲が多い。しかし鬱屈せずに輝きと静寂のなかにドラマを持っている。ピアノの表情の豊かさと詩情、次から次へと現れるシューベルトの天才的なメロディーは凄みがある。曲のつながりがよいし、短い曲も多いので聴きやすい。正直全てが名曲という訳ではないと思う。自分がリートに慣れていないせいかもしれないが、途中で次の曲に行きたくなる曲も3分の1位ある。しかし、強く心を揺さぶり、最後まで聞きほれてしまう曲も3分の1位ある。シューベルトの才能が最も端的に結晶している傑作であり、器楽曲が好きになったらぜひ聴いてみるべきと思う。

歌曲集「白鳥の歌」(14曲) D957,965A (1828)
3.8点
前半7曲は無名の詩人の詩によるもの。有名な4曲目のセレナーデこそ素晴らしいが、その他はあまり良いと感じない。後半は6曲がハイネ。非常に劇的で大胆なのに驚く。ロマン派的な世界により近づいており、凄みがある。かなり暗い。最後の一曲はまた無名の詩人による曲で毛色が違い、明るくて天真爛漫であり、ハイネでどんよりした気分を癒やして明るくしてくれる。この曲はシューベルトの絶筆だそうだが、非常に感動的で、この曲集で一番好き。本人が歌曲集として編纂したわけではなく、一つの連作歌曲と呼ぶにはまとまりが無いと思う。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%88



それぞれのインテリジェンス(その7)
http://audiosharing.com/blog/?p=37984

ここ数週間、シューベルトを聴くことが増えている。
主に交響曲を聴いている。

九番を、主に聴いている。
一楽章から聴きはじめると、四楽章まで聴くことが多い。
長いから、途中で、と思うこともあるのだが、
聴きはじめると最後まで聴いている。

そのあいまに、シューベルトの他の曲を聴く。
聴きながら、というか、聴き終ってひとつ思い出すことがあった。

その前に、五味先生の文章を読んでほしい。
      *
 もともとシューベルトという人は、細ぶちの眼鏡をかけ、羽ペンを把った肖像画などから大へん風采のすぐれた青年のごとき印象を私たちに与えてくれるが、ほんとうは、短身で、ねこ背で、ひどい近視で、そのうえ顔色のさえぬ見すぼらしい人物だった。加えるに、会話がへたで、自分の思っていることも満足に表現できず、いつも、オロオロしていたそうだ。
 気心の知れた友人や、したしい者にはうちとけて話をしたが、初対面の相手には非常に臆病で、そわそわし、とくに女性に対してはこの傾向がいちじるしかったという。女性の前に出ると口もきけぬ、小心でちびで、貧乏なそんな男が女性にモテるわけがない。映画なんかでは、大へんロマンティックな恋をする音楽青年が登場して、伝記風にその生涯が描かれてゆくが、本当は、一度のロマンスにもめぐまれなかったシューベルトは青年なのである。彼の音楽が湛えているロマンティックな香気、抒情性は、あくまで彼の魂の内だけのもので、その才能が生み出したものであり、現実はみじめで暗い青春だった。
 私は、そんな実在のシューベルトが好きだ。女性に一度も愛されたことがなく、性病をわずらって(おそらくタチのわるい娼婦にかかったのだろう)その性病に苦しみぬいて死んだ青年が、あれだけ珠玉の作品をうみ出していることに泣けてくる。いつの場合にも、芸術はそういうものだし悲惨な生活で紡むぎ出された美の世界とはわかっているが、でも、ベートーヴェンやブラームス——あのマーラーに比してさえ——シューベルトの実人生は痛ましすぎる。
 そんなシューベルトの暗い影と、天分のあざやかなコントラストが手にとるようにわかるのが、作品一五九のこの『幻想曲』だ。曲としては、彼のヴァイオリン・ソナタの第四曲目にあたるが、ソナタ形式の伝統からかなり逸脱していて、全曲は途切れることなく(楽章別の長い休止をおかずに)演奏される。曲趣もボヘミア的、スラブ的な色彩がつよいので、ソナタの名称を用いず『幻想曲』風にまとめられた。
 まあ、そんなことはどうでもいい。とにかく、一度この曲を聴いてほしい。こんな旋律の美しい、哀しい、日本のわれわれにもわかりやすい、いい意味での甘さ、感傷に満ちた作品は、そうざらにはない。しかも優婉で、高雅である。どうしてこれほど天分ゆたかな青年芸術家を、周囲の女性——おもに良家の令嬢——はわかろうとしなかったんだろう、愛せなかったのであろう……そんな余計なことまで考えたことが、私にはあった。——もっともこれが初演されたとき、幻想曲としては長大すぎるので演奏の途中で、帰ってしまった批評家がいたそうだ。「常識以上の長さ」と冷評した専門家がいたともいう。大方の音楽家でさえ当時はそんな無理解でしか、シューベルトに接しなかったのだから、令嬢たちが無知だったとは、いちがいに言えないが、しかし、聴けば分ることである。
 一体、どこに退屈する余地があろう、全篇、いきをのむ美しさではないかと、私なんかは当時の批評家とやらのバカさ加減にあきれたものだが、まあ、そんなこともどうでもいい。とにかくお聴きになってほしい。
(「ベートーヴェンと蓄音機」より)
     *
シューベルトも天才である。
モーツァルトもベートーヴェンも、そうである。

いまから三十年ほど前のこと。
平成になって二年ぐらい経ったころだった、
新宿の紀伊国書店で本を探していた時、ある女性が店員に訊ねていた。

「モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトについての子育て、
教育法についての本はありませんか」と。

http://audiosharing.com/blog/?p=37984
5:777 :

2022/06/07 (Tue) 13:01:05


エクトル・ベルリオーズ(Louis Hector Berlioz、1803年12月11日 - 1869年3月8日)


ベルリオーズ『幻想交響曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/916.html  

最美の音楽は何か? _ ベルリオーズ『グランドオペラ トロイアの人々』トロイ人の行進
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/972.html


最美の音楽は何か? _ ベルリオーズ『劇的物語 ファウストの劫罰』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/958.html

ベルリオーズ『劇的物語 ファウストの劫罰』より『ラコッツィ行進曲(ハンガリー行進曲)』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/959.html
6:777 :

2022/06/07 (Tue) 13:01:36

フェーリクス・メンデルスゾーン(Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809年2月3日 - 1847年11月4日)


最美の音楽は何か? _ メンデルスゾーン 『 ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 作品64 』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/179.html

最美の音楽は何か? _ メンデルスゾーン『ピアノ三重奏曲第1番 ニ短調 作品49 』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/234.html


▲△▽▼


最美の音楽は何か? _ メンデルスゾーン『夏の夜の夢 序曲 ホ長調 作品21 』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/366.html

最美の音楽は何か? _ メンデルスゾーン『序曲 フィンガルの洞窟 ロ短調 作品26 』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/365.html

メンデルスゾーン 交響曲 『スコットランド』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/894.html


▲△▽▼
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フェリックス・メンデルスゾーン(Felix Mendelssohn Bartholdy, 1809 - 1847

端正でバランスの取れており、典型的なロマン派の情緒を持ち、美的感覚の鋭さを見せる優れた作品を多く書いている。しかしながら、作品の持つ世界がコンパクトで品が良すぎる点でやや地味な印象がある。非常に早熟な作曲家の一人である。


交響曲

交響曲第1番 ハ短調 Op.11 MWV.N 13 (1824年)
3.5点
わずか15歳の作品というのが驚きである。精神的な成熟による深みは全然ないのだが、音を楽しく心地よく巨匠的に鳴らすセンスに関するメンデルスゾーンの早熟に驚かされる曲の一つである。歯切れの良い音の使い方で耳を楽しませてくれる。弦楽のための交響曲からの正常進化であり、八重奏曲の高みに至る進歩の過程において、完成に近付いてきている。

交響曲第2番 変ロ長調「賛歌」 Op.52 MWV.N 15(1840年)
3.8点
3楽章のシンフォニアとカンタータの合わさった大作。前半は成熟感が高くて出来がよく、ブラームスの交響曲を連想するほど。ただし分かりやすいメロディーはない。隠れた名曲と言える。後半も非常に充実した立派な作品なのは確かだ。高揚感があって感動的なのだが、かなり長く、ずっと合唱が続く。交響曲として聴くには敷居が高いと思う。

交響曲第3番 イ短調「スコットランド」 Op.56、MWV.N 16(1842年)
4.5点
ずっしりとした重厚な手応えと響きや内容の充実は、イタリア交響曲よりもずっと上。どの楽章も聴きごたえがある本格的な曲。しかし、だからこそメンデルスゾーンの音楽の線の細さによる限界も露わになっている。

交響曲第4番 イ長調「イタリア」 Op.90、MWV.N 17(1833年)
5.0点
1楽章は明るい陽光を浴びるような明快さで楽しくてメロディーは完璧であり、ロマン派屈指の名曲の一つと言えるだろう。その後の2楽章も3楽章も異国らしい情緒があり雰囲気が良くてメロディーも良く、楽章の構成が効果的で楽しい。4楽章がやや軽いのが弱点。親しみやすい交響曲。

交響曲第5番 ニ短調「宗教改革」 Op.107、MWV.N 18(1830年)
3.0点
青年期の特徴をまだ少し残しながらも大人の音楽に成長する過程の曲と思う。メンデルスゾーン本人がこの曲の何を気に入らなかった不明だが、たしかに序奏の壮大を初めとして多くを詰め込んでいながらも、本人のやりたい事がやりきれていない感じがする。重心が定まっていない。実力があるだけに立派には仕上げているが、あとから曲が思い出せない。インパクト不足である。


協奏曲

ピアノ協奏曲第1番 ト短調 Op.25、MWV.O 7(1831年)
2.5点
やや性急に感じられるほどのテキパキとした音楽、かっちりした構築感、これらの若いメンデルスゾーンの特質が全くピアノ協奏曲に合っていない。このために、一部の場面を除いてあまり面白くない曲になっている。ピアノ書法は頑張っていて音数は多いのだが、いまいち心に響かない。ピアノ協奏曲は耽美性や自由さが大事ということに気付かされる作品。

ピアノ協奏曲第2番 ニ短調 Op.40、MWV.O 11(1837年)
2.5点
1番よりはいいが、やっぱりメンデルスゾーンにしてはいい曲ではないと思う。ロマン派大作曲家のピアノ協奏曲の中では駄作の部類だと思う。

ヴァイオリン協奏曲 ホ短調 Op.64、MWV.O 14(1844年)
5.5点
1楽章は冒頭の魅力から始まり、メロディーやつなぎの部分といい構成と展開といい完璧な完成度。メンデルスゾーンの音楽の線の細さがプラスに働いている。ヴァイオリンの奏でる歌は微かなメランコリーを常に持ちつつも繊細で美しくて魅力的。2楽章の憧れや儚さや人恋しさを歌い続けるヴァイオリンのメロディーの魅力も凄い。3楽章の妖精が踊るような楽しくて愛らしい音楽も非常に完成度が高くて魅力的。全体にほぼ全ての部分が完璧に近い完成度である。


序曲

『夏の夜の夢』序曲 “Ein Sommernachtstraum”Op.21(1826年)
3.8点
とても17歳の作品とは思えない完成度。各主題の良さとそれらの対比の素晴らしさ。妖精や幻獣の創意に満ちた描写の巧さは見事であり、想像を膨らませながら音楽の世界に入り込むことにより、絵巻物のような物語の世界を楽しめる。

トランペット序曲 Op.101(1826年、改訂1833年)
3.3点
なかなか快活で愉しい曲。ただ、それ以上ではないかなという気もする。とはいえ、9分間ずっとひたすら快活で華やかで飽きずに楽しめる曲は案外少ない気がする。シンプルな中に高い作曲技術が込められてはいるのだろう。

序曲「静かな海と楽しい航海」 “Meeresstille und glückliche Fahrt”Op.27(1828年、改訂1832年)
2.8点
大作の序曲であり、序奏の長さを初めとして立派ではあるのだが、分かりやすい華がない。じわじわとした良さしかないため、印象に残らずに終わる。

序曲「フィンガルの洞窟(ヘブリディーズ諸島)」 “Die Fingals-höhle”Op.26(1830年、改訂1832年)
3.3点
ワーグナー的な濃密で現実感のある自然描写が特徴の曲。ブルックナー的なオケのパワーを生かしたダイナミックさもある。ロマン派らしいとても優れた管弦楽曲と頭では分かるが、メロディーが明確さを欠いた曖昧な雰囲気の曲でもあり、自分は個人的にはあまり心を動かされないのが率直な感想である。生のオーケストラで聴いてみたい。

序曲「美しいメルジーネの物語」 “Das Märchen von der schönen Melusine”Op.32(1833年、改訂1835年)
3.0点
並みの作曲家には書けないメンデルスゾーンの作曲技術が駆使されたダイナミックな良作で十分に楽しめる。しかし、他の序曲と比較すると全体を通してインスピレーションがやや弱いため、強くは推せない曲である。

序曲「リュイ・ブラース」 “Ruy Blas”Op.95(1839年)
2.8点
この曲はあまり面白い曲ではなく、一般的な作曲家に近いレベルと思う。主題が地味であまり工夫を感じないし、それを繰り返す中での味付けや他のテーマとの対比もイマイチである。舞台的な明朗な快活さだけが印象に残った。

吹奏楽のための序曲 作品24
3.5点
前半はモーツァルトの傑作緩徐楽章に匹敵するほど、美しいメロディーの叙情的で切ない気分になる名曲で、しんみりする。後半はいつものサバサバした音楽だが、賑やかな感じが愉しい。メンデルスゾーンが吹奏楽を書くとこうなるのか、と興味をそそるが、成功度合いとしては、なかなか良いと思った。


ピアノ曲

ピアノ・ソナタ 第1番 ホ長調 Op.6(1826年)

ピアノ・ソナタ 第2番 ト短調 Op.105(1821年)

ピアノ・ソナタ 第3番 変ロ長調 Op.106(1827年)
3.3点
1、2楽章は性急な感じがピアノソナタに合っておらず、お仕着せな印象もあり、聴いていて面白くない。3楽章の柔らかくては穏やかな書法の産み出す夢幻的な音楽がかなり美しくて、なかなか感動しながら聴き入った。そのままの流れでジワジワと無言歌を大規模にしたかのように、柔らかさを保って盛り上げていく4楽章もなかなか良い。しかし、2楽章の主題がリプライズされてガッカリするのだが。後半2つの楽章が優れている曲。

厳格な変奏曲 ニ短調 Op.54(1841年)
4.0点
繊細で美しい主題。ロマンチックで美しく、華やかでありながら繊細な変奏の数々。ピアノの書法は見事。変奏曲の醍醐味を味わえる巨匠的な作品である。メンデルスゾーンのピアノ曲の中で一番素晴らしい。

幻想曲 嬰ヘ短調「スコットランド風ソナタ」Op.28(1833年)
3.8点
ロマンチックであるが、古典的な平衡感覚も十分に持っている。しかし、決して小さくまとまった行儀の良さだけではないとともに、繊細な歌心と美的な鋭敏な感覚を充分に発揮した曲である。ベートーヴェンとシューマンの間位に位置するような曲。一種のソナタとも言われるが、やはり雰囲気は幻想的。15分というなかなかの大曲。

ロンド・カプリチオーソ ホ長調 Op.14(1824年)
4.0点
ショパンのように華やかでメロディーが秀逸で耳に残る。上品で軽やかで聴いていて楽しい気分になれる名作。メロディーの対比は秀逸である。メンデルスゾーンのピアノ曲で一番よく演奏される曲であるのも当然の名作。

6つの子供の小品 Op.72(1847年刊)
3.5点
子供のための易しい小品集だが、決して子供だましのような幼い音楽ではなく、大人らしい精神の品位とリリシズムのある良い音楽である。従って、大人のとっても聞き応えがある作品となっている。

アルバムの綴り「無言歌」 ホ短調 Op.117(1837年)
3.5点
ホ短調であり、スマートで物憂さと情熱をはらんだ分かりやすいメロディーという点でヴァイオリン協奏曲に通ずるところがある。雰囲気は良いがすこし通俗的である。それより中間部分の長調のメロディーが、夢のような繊細さと柔らかさを持っていて素晴らしい。

ヴェネツィアの舟歌 イ長調(1837年)
3.5点
まさにタイトル通りの曲だが、ゆらゆらと揺られるような雰囲気、黄昏時の光のあたり方のような描写と詩情は素晴らしく、描写的な性格小品の傑作だと思う。描写力や詩情の素晴らしさはドビュッシーの小品を彷彿とさせる。

2つの小品
2.8点
対照的な2曲の小品。悪くはないがあまり優れた所もない。その意味で地味な作品。1曲目は歌があるし2曲目は高速で派手ではあるが。


無言歌集

第1巻 作品19 出版年代:1832年
3.5点
全6曲。1曲目から美しさにいきなり心を奪われる。それ以外の曲も捨て曲なしであり、全て個性的で素晴らしい。メロディーや雰囲気は素朴で音数は多くないが単純過ぎることはなく、シューベルトにも匹敵するような歌心を内包した音楽となっている。

第2巻 作品30 出版年代:1835年
3.3点
1集と比較すると薄味で、さらっと流して聴いてしまうような曲が多いと感じる。ただし最後の6曲目の憂鬱な重たさのあるメロディーはかなり印象的。

第3巻 作品38 出版年代:1837年
2.8点
悪い曲ではないが、ちょっと地味でパッとしない曲ばかりという印象。これはという名作がない。メンデルスゾーンの才能があればいつでも書けそうな浅い曲ばかり。

第4巻 作品53 出版年代:1841年
3.3点
成熟した骨太さと神経の繊細さを併せ持った曲が並んでいる。個々の曲が特に優れているというわけでないが、それぞれに美しさがあり、通して聞くとそれなりに魅力がある。

第5巻 作品62 出版年代:1844年
3.3点 ただし「春の歌」は4.0点
春の歌は一番有名なだけあって、他の曲と比較して断然魅力的。うららかな春の陽気と、そよ風の心地よさの楽しい気分が絶妙に表現されている。その他の曲は、4集よりやや精神的に落ち着いて成熟感が増した代わりに、美しさの魅力が少し減った印象。

第6巻 作品67 出版年代:1845年
3.3点
それまでの曲集と音楽的に大きく変わらないのだが、雰囲気が違う。この曲集はシューベルトを強く連想した。シンプルな中に、憂いと生への羨望の入った、静謐な世界。晩年らしい曲集となっている。

第7巻 作品85 出版年代:1851年
3.3点
没後4年目に、遺作として出版。4曲目がかなり美しい。歌曲以上の歌心を要求する曲。全体に様々な時代の曲が集められた曲集であり、統一感はあまりない。軽やかな曲も多くあり、それらがやけに心を癒される。

第8巻 作品102
2.5点
第7巻までの曲集と比較して、似ているようでも何かが足りないような曲ばかりが集まっている。特に印象に残った曲もない。やはり、死後に時間が経過した後にボツになった曲を集めた曲集というのが納得のレベルになってしまっている。


弦楽のための交響曲

弦楽のための交響曲 第1番 ハ長調(1821年)MWV.N 1
2.8点
12歳の習作にしては大人びている。少なくとも3、4歳位は上に感じる。音階が単純などまだまだ技術は足りないものの、快活さと音の豊さと耳を惹きつける魅力を既に持っていて驚く。

弦楽のための交響曲 第2番 ニ長調(1821年)MWV.N 2
3.3点
1楽章は快速な音で伴奏を埋めていて楽しい。2楽章はモーツァルトの五重奏40番2楽章のような柔らかさや哀愁が素晴らしい。3楽章はやや平凡。

弦楽のための交響曲 第3番 ホ短調(1821年)MWV.N 3
2.5点
1楽章は初めての短調曲だが全然面白くない。2楽章はモーツァルトのロマンチックなエッセンスを活用した感じで割とよい。3楽章は短調で対位法的に書かれているが、習作レベルという印象が強い。

弦楽のための交響曲 第4番 ハ短調(1821年)MWV.N 4
3.0点
1楽章は対位法的に書かれた短調のソナタであり、かなり成功しているように思える。提示部も展開部も対位法的とは面白い。2楽章も柔らかくて悪くない。3楽章は相変わらず弱点だが成長しているように思える。

弦楽のための交響曲 第5番 変ロ長調(1821年)MWV.N 5
3.0点
1楽章は小刻みの音が使われている快活な曲。2楽章はモーツァルト的な優美さ。3楽章も快活な曲。全体に精神的に一歩成熟した感がある。

弦楽のための交響曲 第6番 変ホ長調(1821年)MWV.N 6
3.3点
1楽章は快活だという程度の感想。2楽章は初めてメヌエットになり、それがセンスが良い曲であるとともに、変奏されていく複雑な構成。弱点だった3楽章のセンスが良くなり、しかも複雑な構成で楽しめる。

弦楽のための交響曲 第7番 ニ短調(1822年)MWV.N 7
2.5点
1楽章は切れ味が鋭いがザクザクしすぎ。2楽章は所々期待させつつ、盛り上がりに欠けて終わる。3楽章もいいのは瞬間的。4楽章は交響曲らしい力感のあるフィナーレになった。全体に約20分とこれまでより大作になったが、それに見合う楽しさがないと思う。

弦楽のための交響曲 第8番 ニ長調(1822年)(同年に管弦楽用に編曲)MWV.N 8
3.0点
交響的な響きの充実感がここまでの曲と違う。そのため精神的により成熟した印象を持つ。2楽章のチェロの活躍ぶりも良い効果を出している。最終楽章のモーツァルトのように活力あるたたみかけるような楽想溢れる曲も良い。

弦楽のための交響曲 第9番 ハ長調「スイス」(1823年)MWV.N 9
3.3点
25分。巨匠的な音楽的充実感と品位の高さがあり、管弦楽曲的な響きの豊さがある。冒頭の悲劇的な開幕に驚くが、本編は明るい。驚くべきメンデルスゾーンの成長が見られており、既にドイツロマン派の巨匠の域に達している。

弦楽のための交響曲 第10番 ロ短調(1823年)(一楽章のみ) MWV.N 10
3.0点
単一楽章。端正で均整の取れた美しさと、年齢の割に大人びた音楽と実力には関心するが、雰囲気的に中庸すぎてあっさりしており、これはというような目を引くものに欠ける。短いので盛り上がらずにあっさり終わる。

弦楽のための交響曲 第11番 ヘ長調/ヘ短調(1823年)MWV.N 11
3.0点
40分近いという弦楽のための交響曲の中でダントツの大作。長さを十分に生かしきっているとは思えないが、長いなりの音楽的内容になっており十分に頑張っている。目を引くような楽章は特にない。

弦楽のための交響曲 第12番 ト短調(1823年)MWV.N 12
3.5点
冒頭はまたしても短調の重厚で悲劇的な開始。2楽章は珍しくロマンチックの極みのような感動系の音楽で驚く。3楽章は短調で豊富な楽想を込めて対位法も活用したものすごい力作で圧倒される。この完成した最後の弦楽のための交響曲は、総決算であるとともに別次元の高みを目指してチャレンジした事は明白であり、試みとしては十分に成功していると言えるだろう。

弦楽のための交響曲 第13番 ハ短調(1823年) MWV.N 14
3.0点
重厚で悲劇的な前奏と対位法的曲な主部の1楽章のみ。自筆譜には番号無し。後のメンデルスゾーンの音楽を考えると、この後半数曲の音楽性はこの時期だけのマイブームだったのだと思う。出来は悪くないが、この一楽章だけでは総合性が無いので、未完成のまま放棄された曲として聴く事になる。



室内楽
メンデルスゾーンは室内楽マスターの一人だ。軽快な作風で音の重さに頼っていないし音感が良く、複数声部を絶妙に絡めることに長けているから室内楽に合っているのだろう。数が多いがどれも質が高く、名作揃いで楽しめる。

ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調(1820年)
2.8点
いかにも子供が書いた作品という音の使い方であり、巨匠的ではない。それにも関わらず、思いのほか印象が良い。爽やかだし、様々な工夫をこらして頑張っているのが伝わってきて微笑ましい。センスの良さには驚く。

ヴァイオリン・ソナタ ヘ短調 Op.4(1825年)
3.5点
若書きだが、メンデルスゾーンとヴァイオリン曲の相性の良さを強く感じる佳曲。冒頭から独奏のモノローグが悲しく響くのが独創的。1楽章の線の細さが産み出すもの悲しさは魅力的で、後のヴァイオリン協奏曲の萌芽を感じる。2楽章は端正なつくりのなかに感動的なロマンチックさを存分に発揮させていて、非常に魅力的で驚いた。3楽章はやや凡庸な曲ではあるが、やはりメンデルスゾーンらしい端正さともの悲しさの同居にそれなりの魅力を感じる。

ヴァイオリン・ソナタ ヘ長調(1838年)
3.0点
若書きの作品と比べて、規模の大きさ、ピアノとヴァイオリンの有機的で混然となった関係など、ロマン派の進化に沿った充実した作品となっている。にも関わらず、心への響きも曲の魅力も不足しており、立派だが平凡で面白くない作品と感じる。メロディーの魅力があまりない。

ヴィオラ・ソナタ ハ短調 (1823年)

チェロとピアノのための協奏的変奏曲 ニ長調 Op.17(1829年)
3.3点
ベートーヴェンを強く連想する、品の良さと広大さのある正統派の変奏曲。かなり雰囲気はよい。ただ、かっちりとしており、ロマン派にしてはやや手堅すぎて物足りない感はある。

チェロ・ソナタ 第1番 変ロ長調 Op.45(1838年)
2.5点
チェロらしい良さがあまり感じられない。お勧めポイントがあまりない曲。自分で演奏したら充実しているのかもしれないとは感じたが、鑑賞用としてはいまいち。

チェロ・ソナタ 第2番 ニ長調 Op.58(1843年)
3.0点
発想の豊さ、楽想の自然さなど、4つの楽章に作曲者の充実が現れている。1番はいかにも作り物という印象であり、こちらの2番の方がずっと音楽的に良いとは思う。だが、鑑賞していて感動するほどの場面はなかった。

チェロとピアノのための無言歌 ニ長調 Op.109
2.8点
凡庸な曲かなと思う。しかし一方で、チェロをたっぷりと歌わせているため、音数たくさんで作り込んだソナタより安心して聴ける楽しさがある。

クラリネット、バセットホルンとピアノのための演奏会用小品第1番ヘ短調 Op.113
3.5点
3つの楽章に分かれたコンパクトな作品。月光ソナタのような三連符に乗せたロマンティックな甘さが素敵な2楽章が印象的。1楽章は正統派の悲劇的な短調のゴツい曲調のなかにクラリネットとバセットホルンの歌心のある音色の魅力を活かせていて十分に魅力的。3楽章の高揚感のなかにクラリネットとバセットホルンらしい陰もしのばせていて表情豊かなのも楽しい。

クラリネット、バセットホルンとピアノのための演奏会用小品第2番ニ短調 Op.114
3.5点
1楽章は充実感が素晴らしい。2楽章の管楽器の2重奏でモーツァルトにかなり似た雰囲気の歌謡的な旋律をロマン派の情緒も取り入れて存分に歌うのが、かなり魅力的。3楽章のポロネーズ風を取り入れた曲も新鮮で楽しい。もっと高揚感があるとさらに好みだったが。全般にとても愉しめる曲。

ピアノ三重奏曲 ハ短調 (1820年)(ピアノ・ヴァイオリン・ヴィオラ)

ピアノ三重奏曲 第1番 ニ短調 Op.49(1839年)
3.8点
ベートーヴェンばりの本格派で精神的な厳しさのある曲。メンデルスゾーンの普段の柔らかい音楽とは違う顔を見せている。ピアノが名人芸的な難易度の高さであるのが非常に高い効果を上げている。音数が盛り上げる曲想の鋭さと複雑さと密度感は聞き応えを増しているし、単純に華やかでもある。全体に説得的で情熱的で大きな感情の揺れがあり素晴らしい。ベートーヴェンが30年生まれるのが遅かったらこんな曲を書いたかもと思わせる。楽章の出来もレベルが揃っているが4楽章がやや落ちるか。

ピアノ三重奏曲 第2番 ハ短調 Op.66(1845年頃)
3.8点
巨匠的な成熟感と音楽的内容における密度の高さが素晴らしい。三重奏曲における音の少なさがメンデルスゾーンの音楽に合っている。音の厚みに頼らず、端正で無駄がない。短調らしい情熱と、颯爽ときたさわやかさと力感や高揚感、可憐さを伴った美しさが共存している。全ての楽章が力感にあふれて素晴らしい。ピアニスティックで音数が多いのも楽しい。ロマン派屈指のピアノ三重奏曲。ただし、メロディーがあまり印象に残らない。1番ほどの厳しい緊密さがない代わりに、束縛のない自由な広大さがある。柔らかさと充実感が同居している。1楽章がやや地味で、2楽章以降が素晴らしい。

ピアノ四重奏曲 ニ短調 (1822年)

ピアノ四重奏曲 第1番 ハ短調 Op.1(1822年)
3.3点
若書きだが音は充実していて驚く。まだおおらかな典型的で古典的な音型のレベルから脱してはいないが、決してつまらない音楽ではないし、陳腐だとは全然感じない。知らないで聴いたらとても13歳の書いた音楽には聴こえない。弦は弱いがピアノパートがかなりよく出来ており、純粋に音楽としてなかなか楽しめる。室内楽らしいピアノパート語法をマスターしている。

ピアノ四重奏曲 第2番 ヘ短調 Op.2(1823年)
3.5点
1番よりさらに充実した作品。少なくともピアノパートは既に例えばシューベルトのピアノ五重奏曲くらいの充実感を実現しているように聴こえる。弦も、凄みを感じるほどではないが、十分によく書けているように聴こえる。大作曲家の作品として相応しい出来であり、習作感がなく、若書きと意識する必要がないくらいである。巨匠的な品格があり、屈性のない素直な初期のロマン派音楽を堪能できる。

ピアノ四重奏曲 第3番 ロ短調 Op.3(1825年)
3.3点
2番から2年後の作品だが、自分はあまり成長を感じない。むしろやや陳腐に聴こえる場面が増えていて、2番より面白くないと思った。最終楽章のゴツさやスケール感はなかなか楽しめるが。室内楽としての基本的な出来の良さはかなりのもので、とても16歳の作品とは思えないのだが。

ピアノ六重奏曲 ニ長調 Op.110(1824年)(ヴァイオリン1、ヴィオラ2、チェロ1、コントラバス1、ピアノ1)
3.0点
ピアノばかり活躍しすぎで、弦が薄いし活躍しない。4人もいる弦奏者が可哀想になる。くつろいで聴く曲なので、特に活躍は必要ではなのかもしれないが。たまに見せるピアノのテクニック以外は聞き応えもあまりない、まったりした曲である。悪くはないが、それなりの曲。

弦楽四重奏曲 変ホ長調 (1823年)
2.5点
これは明らかに習作レベルである。ときどき音の絡ませ方に14歳とは思えないセンスを見せる箇所はあるが、大半はごくシンプルな子供レベルの簡潔な書法ばかりである。聞いていて楽しめるレベルにない。同時期でもここまでシンプルでない曲もあるから、この曲は練習に書いたのではと思う。ただ、4楽章のフーガはなかなか楽しめて天才少年ぶりに驚かされる。

弦楽四重奏曲 第1番 変ホ長調 Op.12(1829年)
3.5点
かなり完成度は高いと感じた。全体に渋いと言ってよいと思うが、柔らかい中に多くを詰め込んでおり、室内楽としての書法はレベルが高いように思う。少し地味さがあるものの、演奏のせいかピアノ三重奏曲のような緊張感はなくマッタリしているものの、自分としては完成度を楽しむ意味ではなかなか感動できた。20歳とは思えないほど精神的にも音楽的にも成熟感がある。

弦楽四重奏曲 第2番 イ短調 Op.13(1827年)
3.5点
面白い曲。暗くてモヤモヤしたつかみどころのなさと自由闊達な動きに最初は驚いた。これが18歳の曲か?と思った。それが後期ベートーヴェンの作品に大きな影響を受けたのだと知って納得した。後期から、ロマン的で、耳が聞こえることによる音感の向上を施すと、このような曲になるかもしれない。曲そのものの絶対的な良さより、とにかく面白さが気に入った。

弦楽四重奏曲 第3番 ニ長調 Op.44-1(1838年)
3.8点
2番までとは全く違う、爽快で気持ちいい曲である。こちらが通常のメンデルスゾーンのイメージである。すっきりして正統派の書法や語法を使った音楽で、聴きやすいが決して表面的なだけでない内容の充実がある。楽しめて、音の愉しみに酔える音楽であり、素晴らしい。ロマン派の弦楽四重奏曲としての出来栄えはかなりのものである。メロディーが魅力的。

弦楽四重奏曲 第4番 ホ短調 Op.44-2(1837年)
3.5点
3楽章が非常に美しくて感動した。1楽章は規模が大きくて聴きごたえがあるが、苦労と努力で書かれているように聴こえてイマイチかと思ったが、後半が素晴らしい。4楽章も躍動感を見事に体現しており、しかもヴァイオリン協奏曲に通じるような繊細な陰影を見せており、音の織物が風になびくかのごとく自然に揺れて、感動させられる。

弦楽四重奏曲 第5番 変ホ長調 Op.44-3(1838年)
3.5点
作品44の他の2曲に比べると前半部分の感動はかなり落ちる。前半は余った材料で書いたのでは、と失礼なことを考えてしまう。一段階地味に聴こえる。しかし3楽章のアダージョは大変美しい。ベートーヴェンの渾身の名作アダージョにも匹敵するほどの素晴らしい。人生の重みと深みを表現し、多くの悲哀とその中にある生きる喜びを感じさせる曲といえよう。この楽章があるから曲全体を高く評価する。4楽章は料理の仕方は悪くないが材料がイマイチ。

弦楽四重奏曲 第6番 ヘ短調 Op.80(1847年)
3.5点
悲劇的で重たい沈んだ気分で書かれている。姉が亡くなった影響というのは明らかだと思われる。もちろん大作曲家らしく楽曲としての必要なバランスは考えられているが、鎮魂の気分と自身の喪失感はかなりの時間を占めている。若い頃の明快さと元気さは消えてしまってパワーが無くなっており、悲しい独奏や不協和音が挟まったりして、痛ましい気分になる。3つの楽章が短調であり、唯一の長調の楽章も暗い場面が多い。とはいえ内容は強靭な発想力に満ちており、充実した密度の高い音楽である。ハマる人は非常に気にいるかもしれない。また、人によってはあるタイミングでこの曲が心に強く響く体験をするかもしれない。

弦楽四重奏のための4つの小品 Op.81
2.8点
悪くはない小品集だが、これといって強い特徴もない。やはり弦楽四重奏の深く広大な世界と比較すると、いかにも重みに欠ける小品集といった感じであり、あっさりと終わる曲が集まっているように感じられる。

弦楽五重奏曲第1番 イ長調 Op.18(1826年)
3.3点
切れ味と整理の良さはあるものの、それだけの単純明快でない複雑な充実感に踏み出している。普通の五重奏曲と比べて、なぜか声部が多いように聴こえて、弦楽四重奏と差が大きいように感じる。そういう充実感はなかなか良い。メロディーや楽想に強い魅力は感じないが、佳作としての価値があると思う。

弦楽五重奏曲第2番 変ロ長調 Op.87(1845年)
3.3点
いまいち焦点が定まっていない感じがする曲。そのせいか気力が衰えたようであり、力強さとか展開の推進における生命感のようなものが、本来のメンデルスゾーンのそれと比較すると少し弱く感じる。ピアノ三重奏曲2番もその兆候はあるもののまだ大丈夫だったが、その後に書かれたこの曲でより強く現れたと解釈している。とはいえ、3楽章は非常にロマンチックで美しい、オーケストラ曲のようなスケール感があってよい。音は分厚い響きであり、弦楽四重奏より声部が多い恩恵を活かせていると思うが、1番ほどではないと思う。

弦楽八重奏曲 変ホ長調 Op.20(1825年)
3.5点
初期の歯切れの良さと爽やかさに中にみせる古典的かつ巨匠的な音感センスの音楽の総決算と思われる曲。弦楽四重奏二つは音は多すぎて全ては聴き取れない。これ以降は徐々に大人の複雑さを表現しはじめる。初期の純粋さと才能のきらめきの魅力における一つの創作活動の頂点である。勢いに乗りながら推進していきながらも歌心あふれるのがよい。楽想の豊かさや密度の濃さや構成力による完成度は16歳とは思えないが、メロディーの魅力はそこそこだと思う。


声楽曲・宗教音楽

オラトリオ
聖パウロ Op.36(1836年)

エリヤ Op.70(1846年)

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%A1%E3%83%B3%E3%83%87%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%BE%E3%83%BC%E3%83%B3
7:777 :

2022/06/07 (Tue) 13:02:03

フレデリック・ショパン(Fryderyk Franciszek Chopin、1810年3月1日または2月22日 - 1849年10月17日)


最美の音楽は何か? _ ショパン『即興曲第4番 嬰ハ短調 遺作 作品66 幻想即興曲』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/310.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/861.html

フレデリック・ショパン 『バラード第1番ト短調』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/862.html

フレデリック・ショパン 『ピアノソナタ第2番 変ロ短調』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/863.html

フレデリック・ショパン 『舟歌 Barcarolle 嬰ヘ長調』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/864.html

フレデリック・ショパン 『英雄ポロネーズ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/865.html

フレデリック・ショパン 『軍隊ポロネーズ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/866.html

フレデリック・ショパン 『幻想ポロネーズ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/867.html

フレデリック・ショパン 『夜想曲第2番 変ホ長調』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/868.html

最美の音楽は何か? _ ショパン 『エチュード Op.10-3 別れの曲』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/189.html


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フレデリック・ショパン(Fryderyk Franciszek Chopin 1810 - 1849)

史上最高のピアノ音楽作曲家であろう。

ピアノの機構と機能を熟知し、機構に合わせた音の動きで機能が生かされるように音楽を構成して、ピアノの音響を完璧に計算して曲を書いた。ショパンの曲を弾くと明らかに他の作曲家の曲よりピアノがよく鳴る。ピアノ全体を豊かに響かせる音楽になっている。
それに加えて屈指のメロディーメーカーであり、繊細で詩情豊かな発想力もずば抜けている。

また発想だけでなく、曲の全体の構成も綿密にきっちり練られている。一つひとつの曲の作品としての完成度を高めるタイプであり、残された作品は駄作がほとんどなく存在意義のある磨き上げられた曲ばかりである。


協奏曲
ピアノ協奏曲第1番 Op.11 ホ短調(1930)
5.0点
まだ20歳の作品。まだ少年の心を残した青年らしいウブな純情を、聴いていて恥ずかしくなってくるほどここまでストレートに切々と描いた曲が他にあるだろうか?人生の一時期しか書けない貴重な記録である。しかしピアノだけではこの魅力は出せなかった。オケが未熟というのは誰の耳にも明らかだが、しかしピアノとオーケストラの両方の良さを生かしたからこそ出来た表現である。たまに聴きたくなる。

ピアノ協奏曲第2番 Op.21 へ短調(1929~30)
5.0点
2番の方が先に書かれたので1番と比較すると少し未熟だが、感情的な純度はこちらの方が高いようにも感じる。どちらも甲乙つけがたい。1番と同様に貴重な記録である。


協奏的作品

ラ・チ・ダレム変奏曲 Op.2 (1927)
3.0点
正確にはモーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の『お手をどうぞ』による変奏曲。変奏曲形式の見通しの良さと採用したドンジョバンニの主題の良さにより、華やかさが生きており10代の作品の中では分かりやすく楽しめる曲になっている。

演奏会用大ロンド『クラコヴィアク』 Op.14 (1928)
2.5点
ピアノ協奏曲に至る過程としての資料的価値はあるが、曲としては華やかな技巧だけで内容が薄い。しかしやや目新しいテーマが出てくるし、何より聴き心地は良い。


室内楽

序奏と華麗なポロネーズ Op.3 ハ長調〔Vc,Pf〕(1829~30)
2.3点
チェロとピアノの作品であり、チェロを鳴らし方の積極性にショパンの熱意を感じる。しかし、メロディーに魅力がなく内容は未熟さがあり、あまり面白くない。

ピアノ三重奏曲 Op.8 ト短調〔Vl,Vc,Pf〕(1828~29)
2.5点
ピアノ協奏曲と同じ時期なので期待したのだが、あまり印象が残っていない。

チェロ・ソナタ Op.65 ト短調〔Vc,Pf〕(1845~46)
3点
ショパン最後の大作であり、ショパンの作曲技法が尽くされているらしく、高く評価する人もいる。しかし、聴いて楽しむという観点では、自分は正直なところやはり、耳に残るフレーズや印象に残る場面があまり無く、渋すぎると思う。室内楽としての楽しみの観点でも物足りない。彼のピアノ独奏曲や他の作曲家のチェロソナタと比較して、あまり高く評価はできない。


ピアノ曲

ピアノソナタ
ショパンのピアノソナタは2番と3番のどちらがいいかよく議論になるが、私は2番派である。

ソナタ第1番 Op.4 ハ短調(1828)
3.0点
力の入った作品であるが、ショパンにしては堅苦しい印象が強い。2楽章や3楽章などは多くの部分に才能を生かしたよい音楽があり、習作とはいえ案外鑑賞用にも楽しめるものだと思う。ただ、ショパンらしい自由さと自然さが足らず、頑張って書いている感がどうしても鑑賞していて気になってしまい、曲に入り込めない。特に最初の1楽章がそうなので、後続の楽章にもそのイメージを引きずってしまう。4楽章は3番と印象が被る。ベートーヴェン的な情熱の音楽を頑張って書いた感がとても強い。

ソナタ第2番 Op.35 変ロ短調(1839,3楽章のみ1837)
5.5点
芸術性と独創性が非常に高く、ピアノ曲史上屈指の名作だと思う。一見まとまりが無いようで、聴き込むと多くの要素が奇跡のように一つの世界としてまとまり昇華されている事が分かる。ソナタとしては長くないが、情熱や激情と癒しや信仰心、天国と地獄、悲痛と追憶など、広く深い実に多くの感情世界が表現されている。1楽章はショパンの中でも最も濃密で多くのものが詰め込まれた音楽の一つであろう。3楽章の葬送行進曲は単体でも素晴らしい曲だが、周りの楽章がさらに重さと深さを増加させている。4楽章は超高速の無調的な曲であり、単体では摩訶不思議な音楽であるが、それまでの3つの楽章の重さとのバランスが取れていて絶妙である。

ソナタ第3番 Op.58 ロ短調(1844)
1楽章4.5点
2楽章から4楽章 3.5点
1楽章の第二主題から提示部最後までの、美しいフレーズを惜しげもなく繰り出して流れるように次から次へと紡ぎだされる叙情性と詩情あふれるメロディーは絶賛に値する。しかし、それ以外の部分はソナタらしいまとまりとスケールを重視して作った曲と感じてしまう。特に4楽章はショパンの中に内面から自然に沸いてきた音楽ではなく、最後の締めくくりのために無理に努力してまとめた音楽という印象がある。3楽章も曲想は好きだが、冗長で掴みどころに欠けているのはかなり大きな問題であると思う。


バラード

バラード第1番 Op.23 ト短調(1831~35)
5.0点
バラードらしい物語性と詩情にあふれた曲。モノローグのような第一主題は、いにしえから伝わっている物語を聞いているかのような独特の詩情がある。第二主題は感動的メロディーで、特に2回目に盛り上げて演奏される場面はやはり感動してしまう。サロン風な間奏が突然挟まったり、エンディング部分はショパンらしからぬ乱暴さだったり、展開が大胆すぎるのだが、その大づかみな大胆さもまた魅力である。その強烈さが聞き手を物語の中に引き込む力を高めているが、しかし無駄をそぎ落とす洗練を失いすぎているともいえる。文学性が高いことや主題の魅力から、非常に強烈な体験を得られるため、また聴きたいと思わせる力が強い。

バラード第2番 Op.38 ヘ長調(1836~39)
4.0点
2つの部分の対比が単純で極端なの曲。詩的な場面も激情的な場面も、どちらも詩情が豊かなよい出来である。だからいい曲ではあるのだが、他のバラードと比較すると、構成的な単純さがまた聴きたいという感覚をあまり起こさせないため、個人的には聞く回数が少ない。

バラード第3番 Op.47 変イ長調(1840~41)
4.5点
前半と後半に分かれた曲。バラードらしい物語性がありながらも、有機的な主題の関連性と、主題から発展させて全体を統一的に作り上げた構築性を兼ね備えた曲である。どの主題も詩的な美しさは見事なもので、つなぎも部分も完璧である。1番と比較して、あの強烈なインパクトがないものの、精密に磨きあげられた作品としての精度の高さは断然上である。

バラード第4番 Op.52 ヘ短調(1842)
5.5点
前半部分は短いメロディーがひたすら繰り返される。暗闇に浮かぶ浮遊感や艶めかしさと切なさを感じさせながらメロディーが変奏される。メロディーが短いにも関わらず、寂寥感が胸に迫り何度も何度も聴いて浸りたくなる絶妙さがある。第二主題は信仰告白のような静けさと現実的な階層の実感を感じさせる素晴らしい感動的メロディーである。後半のドラマチックでスケールの大きな包み込むような感情の高まりは最高である。何度聞いても、いいなあと思う。以前、数年間もっとも聴く回数の多い曲であり続けていた曲である。ショパンの作曲技術が尽くされており、精神的な成熟と人生経験を技術により音楽化してみせている。成熟感とテクニカルな総合性と味わい深さがあり、ショパンの最高傑作のひとつと思う。


スケルツォ

スケルツォ第1番 Op.20 ロ短調(1831~32)
4.0点
バラードとスケルツォの中では最初の作品。若き日の大変な力作である。ショパンの作品の中でも特に響きが鋭角的で棘がある印象が強い。練習曲の激しさをさらに発展させて大規模の作品として堅く厳しい世界を構築したような曲。力作であることに感心はするが、とっつき難いきらいがあり、気軽に聴けない。

スケルツォ第2番 Op.31変ロ短調(1837)
4.0点
有名な曲である。前半部分のメロディーはショパン節全開であり、柔らかさとダイナミックな推進力をもった高揚感がなかなかよい。しかし、エキゾチックな中間部のほうが何度も聴きたくなる味がある。この箇所もダイナミックな場面転換が効果的。各場面は魅力的だが、ほぼ変奏なしの2回繰り返しが多いため、ショパンには珍しく単調さが気になる曲である。

スケルツォ第3番 Op.39嬰ハ短調(1839)
4.0点
冒頭の調性が曖昧な刺々しい激しさがかっこいい。その後のオクターブの嵐のような部分もひたすらかっこいい。中間部分は絹ののようなきめ細かい美しさや、ノクターンのような叙情性が素晴らしい。長い高速なコーダもいい。濃密な素晴らしい曲。

スケルツォ第4番 Op.54ホ長調(1842)
4.0点
バラード、スケルツォ群の中で際立って難解であり、奥の院のような位置付けの曲と考えている。最初の部分は明るくさばさばとしていて珍しくあまり感情を感じない。苦しみを乗り越えて達観の世界に達したしたようである。もしかしたら、他のショパンの曲のようなそのような感情と結びつける聞き方ではなく、純粋に音の運動を楽しむ音楽であり、印象派の先駆けと考えた方がよいのかもしれない。中間部分はしんみりして暗くなるが、やはりどこか客観的であり達観を感じる。この曲はスルメのように味わい深くて聞き込みむほどに好きになる曲の一つであるが、熱心なファン以外には勧めにくい。難解であり、私も最初の印象は「どこがよいのかさっぱり分からない」だった。


即興曲

即興曲第1番 Op.29変イ長調(1837)
3.0点
上品で分かりやすい曲ではある。しかし、味わいが薄めでソフトすぎる軽い曲であり、何度も繰り返し聞きたくなるような深みがない。

即興曲第2番 Op.36嬰ヘ長調(1839)
4.0点
ノクターンに近く、中間部分は舟歌のような雰囲気になる渋い曲。遠くで鳴っているような瞑想的で幻想的な世界が素敵である。靄の中のようでもある。静寂の中の音の動きは、最初はピンとこないかもしれないが、次第に魅力に気付くにつれて何度も繰り返し聴きたい曲になる。中間部分の力をセーブした盛り上げ方が絶妙である。

即興曲第3番 Op.51変ト長調(1842)
4.0点
1番のような上品さの中に、琥珀色のような渋さがある。控えめながらも寂しさや感傷的な気分を湛えた複雑な感情が、ほのかな前向きさとともに、精妙な音の重なりと和声で表されている。すばらしい。

幻想即興曲 Op.66嬰ハ短調(1834)
5.0点
いわずと知れた有名曲。他の即興曲と比較すると単純すぎる作りであり、飽きやすいところがある。しかし、特に高速な部分はぐっと耳を捉えて離さない強烈な魅力を放っている。分かりやすくかっこいい。ピアノの持つ情熱の表現力を見事に活かしている。


ノクターン

ノクターン1番変ロ短調
3.5点
ジョン・フィールドのノクターン影響が濃厚。音の密度は薄いが感情的な濃密さが全体を覆う力作で魅力的。ある意味で一番夜に想うという邦訳が合っている曲だと思う。夜の暗闇の重さと、孤独な想像を感じさせる。

ノクターン2番変ホ長調
3.8点
有名な曲。砂糖の塊のような究極的に甘美なメロディーが繰り返される。ピアノを習っている女の子が演奏するのには合っている可愛らしい曲である。大人の男が弾くには少し恥ずかしいかもしれない。同じメロディーを繰り返す単純すぎる構造であはるが、やはりメロディー自体は秀逸であり、いい曲ではある。

ノクターン3番ロ長調
3.5点
1番と同様にジョン・フィールドの影響が高い。半音階的な浮遊感と、夜らしい奔放に想像世界をさ迷う雰囲気がよい。曲集の最後の曲らしい締めくくり感がある。

ノクターン4番ヘ長調
3.5点
前半は雨だれの前奏曲を連想する、メロディーと伴奏が演出する、しっとりとした回想的な詩情が素晴らしい。中間部は突然の激情であり、対比に驚く。

ノクターン5番ヘ長調
3.8点
2番と同様に同じフレーズを繰り返す曲。夜の幻想の雰囲気を濃厚に感じさせる。盛り上がる中間部があり、曲想が2番よりも大人の音楽であるため、聞き応えがある。

ノクターン6番ヘ長調
3.3点
前半部分は孤独な独白をしているような寂寥感をひりひりと感じる。後半は即興で作ったような取りとめのない展開をみせて面白い。心の彷徨をそのまま音にしたようだ。

ノクターン7番ヘ長調
3.8点
何だか胸の中にわだかまった感情を押し殺したまま耐えるかのような前半と、それを開放するかのような中間部分。その感情は良いほうに転ぶので救われる。ノクターンではあるが、心のドラマは劇的であり、ぜんぜん平和な曲ではない。

ノクターン8番ヘ長調
3.8点
幻想的な夢の世界へといざない心の旅をするような曲。白い明るい光に溢れた非常に美しい世界を作り上げている。恍惚感が心地よくて何度も聴きたくなる。主要メロディーを繰り返しながらもかなり自由な変奏であることで、形式が邪魔しないのがよい。

ノクターン9番ヘ長調
2.8点
前半は発想が平凡で、あまりいいメロディーではない。中間部分もショパンにしては凡庸と思う。ショパンの手癖を組み合わせて書かれた曲のような印象。

ノクターン10番ヘ長調
3.5点
物語が終わり余韻に浸るエピローグのような雰囲気の曲。中間部分の盛り上げ方は、前半のメロディーの良さが作った雰囲気を非常に適切に活かしている。

ノクターン11番ヘ長調
3.0点
マズルカのように個人的な陰鬱な感情が切々と歌われる。メロディーは、すぐにネガティブ方向に傾く。根暗な曲。中間部分は和音の単純な積み重ねによるコラールで珍しい。

ノクターン12番ヘ長調
3.5点
最初の部分は晴れ晴れとした、何かから解放されたような感情を感じる。雰囲気が即興曲にかなり近い。中間部も即興曲に近い。遠くで鳴っている何かの音に耳をそばだてるような雰囲気で魅力的。

ノクターン13番ヘ長調
3.5点
前半は漆黒の夜のどす黒い闇からわき出す力が、静寂からわき出すのを感じる。中間部分のコラールを使いながらの盛り上がりはノクターン随一のスケールをみせる。

ノクターン14番ヘ長調
3.3点
人生に疲れを感じてきて、回想しながら今と将来について瞑想するかのような曲。感情的には新しいが、ある意味で初期のノクターンに似たものを感じる。少し長いと感じる。

ノクターン15番ヘ長調
4.0点
シンプルで憂いを含んだ、秀逸なメロディーの前半部分も、中間部の劇的な盛り上がり方もよく、作品としてのまとまりがよい曲。他の曲と比較して、感情の発露が生々しくなく、作品的と感じる。とはいえ、美しい夜想曲らしい幻想性と感情をよく感じられる。

ノクターン16番ヘ長調
2.5点
感情の流れを音にするという方式だけで書かれているような即興的た曲。メロディーの出来がいまいちなので、雰囲気は悪くないが、曲に浸りきれない。

ノクターン17番ヘ長調
3.8点
ノクターンの最後の2曲はそれまでのノクターンとは違う。枯れており、響きにショパンらしい湿いが無い生々しい音楽である。17番は身体的な衰えに悩み悶え苦しむような、痛ましい音楽。回想的であるとともに、生への渇望も感じて心を打つ。ただしノクターンらしい音響的な豊かさが失われてしまっている残念さは否めないのだが、これは題名の問題と思えばよいかもしれない。

ノクターン18番ヘ長調
4.0点
人生の最後の大きな仕事を終えて、ゆっくりと休息取りながら今後を考えつつ回想するような気分の曲。仕事をやりきった晴れやかさと、人生の終焉に大きく近付いた寂しさような感情を感じる。非常に印象的な忘れがたさがあり、時々ふとした時に頭のなかでリフレインする。

ノクターン19番ホ短調
2.8点
17歳の作品。既にショパンのノクターンの世界が完成形であることに驚く。伴奏の音形やメロディーが作る雰囲気や感情はなかなか良い。だが、そこからの発展の弱さには未熟さを感じる。


マズルカ

他のジャンルは聞き手を意識した外面的な完成度や印象の強さへの配慮が感じられるが、マズルカだけはそのような配慮が少なくて、ショパンの内なる音楽を生々しくそのまま書きとめたような作品が並んでいる。このため、聴き始めた最初はショパンにしては完成度の低いことからあまり楽しめないが、慣れてくると他にはない独特の魅力に虜になる。

4つのマズルカ Op.6
1.嬰ヘ短調
3.5点
第1作は曲として作品としてのまとまりとバランスのある正統派の楽曲。濃厚さと民族的なあくの強さは既に十分。

2.嬰ハ短調
3.0点
民族的な粘っこいメロディーが繰り返されるのが心地よい。

3.ホ長調
3.0点
明るく開放感があり、土着的な粘り気もあるダンス曲。

4.変ホ短調
2.5点
ふわふわとして捉えどころのない落ち着かない曲。

5つのマズルカ Op.7
1.変ロ長調
3.3点
マズルカの中では有名だが、特に他と比較して特段優れているとは思わない。耳を捉えやすいやや刺激的なメロディーが分かりやいこと、ワルツのように聴けることが理由かと思う。

2.イ短調
3.5点
ショパンの憂いを日記のように綴るマズルカの魅力のよく現れている曲の一つ。

3.ヘ短調
3.0点
民族的な粘っこさを楽しめる。中間部がよい。

4.変イ長調
2.0点
間奏としての価値しか無いショパンの出版作品の中では珍しい曲。

5.ハ長調
1.5点
これは小学生でも書けそうな断片的な曲。なぜ出版したのか謎。


4つのマズルカ Op.17

1.変ロ長調
3.0点
何かいいことがあって心の中の喜んびを抑えられないような、晴れやかな気分がいい。

2.ホ短調
4.0点
マズルカの中でも一番好きな曲のひとつ。この人生の悲哀を感じさせる珠玉の美しいメロディーは仕事に疲れた時などにふっと思い出すことがある。中間部分のための後に、もう一度主要メロディーが登場する雰囲気もすき。

3.変イ長調
3.0点
落ち着かない不安定さを長時間持続させる独特の味がある曲。

4.イ短調
4.0点
もっとも美しいメロディーを持つマズルカの一つ。生々しい真実味のある音楽が心を打つ。哀愁が基調だが美的な透明感があるのがよい。物語的なドラマティックさもある。


4つのマズルカ Op.24

1.ト短調
2.8点
憂いを含んむいい雰囲気だが、マズルカの中ではありきたり感があっていまいちな部類である。

2.ハ長調
3.0点
跳ねるようなリズムで落ち着かなさを演出している曲。

3.変イ長調
3.5点
晴れやかな系統の曲の一つだが、感動をそっと胸のうちにしまって通常通りに振る舞おうとしているかのような、おしとやかな感じがよい。

4.イ短調
3.0点
何かを終わらせたくなかったのに終わってしまったような、感情的に煮え切らない感が強い。何度も繰り返すメロディーがその気分を助長する。もどかしい。それを受けた晴れやかさもあるのだが、やはり煮え切らない。


4つのマズルカ Op.30

1.ハ短調
2.8点
割り切れないはっきりしない感情を表した曲。ふっきれないもどかしさをここでも感じる。

2.ロ短調
2.8点
主要部分はごく普通の曲。中間部分が不思議だ。右手のフレーズ繰り返しを採用してしまうのは異様。

3.変ニ長調
3.0点
晴れやかな気分の系統の曲の一つ。鐘のような効果が面白い。

4.嬰ハ短調
3.0点
民族的な響きの『あく』が強い曲。エキゾチックさを感じる。


4つのマズルカ Op.33

1.嬰ト短調
3.5点
普通のマズルカの一つなのだが、なんとなく好き。メロディーがありきたりなようでいて、絶妙なバランスを持っていると思う。

2.ニ長調
3.0点
ポーランド人が民族的な衣装でダンスをするのに使っていそうな印象の曲。

3.ハ長調
3.5点
間奏曲の趣。年季の入ったおもちゃのように愛らしくて好き。

4.ロ短調
3.5点
断片を曲の形にしたような大半のマズルカと違い、この曲は大曲の作品として構成を意識して、まとまめられた感がある。曲想の豊富な大作マズルカで聴き応えがある。


4つのマズルカ Op.41

1.嬰ハ短調
3.0点
落ち着かない系の曲。ワルツっぽいフレーズも出てくるが、やはりそこはマズルカなので別世界である。

2.ホ短調
4.0点
悲しさ無念さなど様々な感情が沸いてきてなんとも言えない状態になっている胸のうちを切々と歌い上げているような曲。なんという生々しい音楽だろう。ショパンが目の前でピアノに向かって気持ちをぶつけているかのようだ。

3.ロ長調
3.0点
民族的なダンス調の軽快な短い曲。

4.変イ長調
3.0点
晴れやかな曲。ワルツにかなり近いと思うが、感情が煮え切らない感じと、リズムの癖はやはりマズルカである。


3つのマズルカ Op.50

1.ト長調
3.0点
ワルツ的だが粘っこい系統の曲。晴れやかさがある。

2.変イ長調
3.0点
ワルツ的である。シンプルななかに終焉や成功や不安など、さまざまな感情がこめられており、ニュアンスが豊富な曲。

3.嬰ハ短調
3.0点
ふわふわしている。捉えどころをわざと外しているように感じる。


3つのマズルカ Op.56

1.ロ長調
3.5点
いきなり割り込んだような入り方で始まる。それがいつの間にかノクターン的な大いなる感情に広がっていく。独特の魅力を感じる不思議な曲。

2.ハ長調
2.5点
この曲はいまいち。中身が薄い。

3.ハ短調
2.8点
断片的と感じさせるメロディーを使って、煙に巻くような雰囲気を出しながら曲集を閉めるのはマズルカではよくあるが、この曲は特にその傾向が強い。それにしては長い曲で、よく分からない。



3つのマズルカ Op.59

1.イ短調
2.8点
ワルツに近い。わざと捉えどころを外しているかのような、ひねりの入った曲。

2.変イ長調
3.0点
ダンス系の中に晴れ晴れとした感情があり、前向きさが感じられるのにも関わらず、感情が爆発せずに煮え切らないのがもどかしい。

3.嬰へ短調
3.0点
民族的な濃さが前面に出ている舞曲らしい曲。


3つのマズルカ Op.63

1.ロ長調
3.3点
達成感を感じて晴れ晴れとした感情が感じられる曲の一つ。しかし、中間部分に複雑さがあって楽しめる。

2.へ短調
3.0点
何かが「終わり」を告げた感のある寂しい曲。半音階的な進行が入るところが虚しさを強調する。

3.嬰ハ短調
3.0点
ワルツにかなり近い曲。憂いの濃い内向的なところはマズルカらしいが。


前奏曲

24の前奏曲 Op.28
3.5点
ただし15番雨だれは単品で5.0点
【1.ハ長調 2.イ短調 3.ト長調 4.ホ短調 5.ニ長調 6.ロ短調 7.イ長調 8.嬰ヘ短調 9.ホ長調 10.嬰ハ短調 11.ロ長調 12.嬰ト短調 13.嬰ヘ長調 14.変ホ短調 15.変ニ長調 16.変ロ短調 17.変イ長調 18.ヘ短調 19.変ホ長調 20.ハ短調 21.変ロ長調 22.ト短調 23.ヘ長調 24.ニ短調】

数曲を除いて、独立した1曲とはいいにくい断片的な曲である。バラエティーと詩情に富んでおりピアノの詩人の面目躍如たる作品ではある。しかし、ショパンらしいメロディーの妙や和声の絶妙さ、曲構成の磨かれた完成度が無いので、個人的にはショパンの作品の中であまり重視していない。ただし、雨だれは香り立つ詩情が素晴らしい、代表的な小品と思う。

前奏曲 Op.45 嬰ハ短調
4.0点
ノクターンのような夜の静けさの中で瞑想的な心の旅が出来るような曲であり、非常に美しく素晴らしい。


練習曲

12の練習曲 Op.10
1.ハ長調
4.0点
演奏が難しいので有名。ハ長調のストレートさがあり、広大な世界のような雄大さを感じる、聴き栄えがする曲。

2.イ短調
3.0点
演奏が技術的に難しいので有名。完全に技術的な練習のための曲という印象であり、観賞曲としてはたいした曲ではない。

3.ホ長調「別れの曲」
6.0点
メロディーの格別な美しさ、それを引き立てる伴奏と音響の素晴らしさ、メロディーの展開、中間部への場面展開と盛り上げ方、中間部の激情と鎮静から主題に回帰するまでの繋げ方など、全てがあまりにも完璧で奇跡的な作品。全てのピアノ小品の中でも圧倒的にずば抜けた出来のよさであり、ピアノ音楽の最高傑作の一つであることに異論のある人はいないだろう。

4.嬰ハ短調
4.3点
一気呵成に突き進む感じがかっこいい曲。

5.変ト長調「黒鍵」
4.0点
黒鍵だけを使って書いた曲であるが、フレーズにバラエティに富んでいる。愛らしくていい曲だと思う。

6.変ホ短調
3.5点
かなり簡単そうであり、練習曲っぽくない。演奏者の歌心を発揮しがいがある美しいメロディーは聴きばえがする。

7.ハ長調
3.0点
練習曲らしい曲なので鑑賞曲としてはいまいちである。

8.へ長調
3.5点
クルクルと回転するようなフレーズが聴いていて心地よい。

9.ヘ短調
2.5点
作品10の中では特に地味な曲。

10.変イ長調
3.0点
この曲も練習曲らしい曲である。

11.変ホ長調
3.0点
大きく音が離れた分散和音の嵐で構成されている曲。聴くだけだと愛らしさを感じさせるドリーミーなメロディと雰囲気になっており、楽譜を見て驚く。

12.ハ短調
6.0点
強烈にかっこいいメロディー。精神を駆り立てる圧倒的にかっこよくて痺れる伴奏。絶妙な転調を繰り返しながら、勢いを落とさずに表情を揺らして、激しい感情を出し切る構成力はすさまじい。別れの曲とともにピアノ小品の最高峰だと思う。


12の練習曲 Op.25

1.変イ長調「エオリアンハープ」
4.0点
明るい昼間に海の近くで爽やかに海風がそよいでいるかのようだ。美しくて心地よく、そして淡い切なさがある曲。

2.ヘ短調
3.5点
練習曲らしい音数だが、メロディー的な心に訴えるものを感じる曲。

3.ヘ長調
2.5点
これは聴いていてあまり楽しい曲ではない。

4.イ短調
3.0点
エキゾチックな雰囲気を楽しめる。

5.ホ短調
3.5点
前半はまあまあだが、中間部が美しさがかなりのもの。

6.嬰ト短調
3.0点
技巧的に難しいので有名。作品10-2と同様に観賞用としてはいまいちで、難しそうであること自体を楽しむ曲。

7.嬰ハ短調
3.5点
チェロが独奏しているかのような、低音の渋いメロディーが印象的。作品10-6の姉妹編。

8.変ニ長調
2.5点
練習曲らしい曲で印象は薄い。

9.変ト長調「蝶々」
3.5点
副題付きではあり、軽快さが印象的だが、他の副題付き練習曲のような素晴らしさのある曲ではないと思う。

10.ロ短調
2.5点
両手のオクターブを鋭角的な響きでゴリゴリと弾いていく曲。カオス過ぎてついていけない・・・

11.イ短調「木枯らし」
5.0点
半音階的な音の嵐が奔流のように駆けめぐり、激しい音響を作り出している。「革命」ほどの奇跡は感じないにしても、非常に完成度が高い素晴らしい曲。

12.ハ短調「大洋」
5.0点
両手の分散和音が生み出す音のうねりが、かっこよすぎ!特に中間部の不協和音の使い方が演出するゾクゾク感は凄い。メロディーが少ないため革命にはかなわないが、迫るほどのかっこよさがある傑作である。


3つの新しい練習曲

1.ヘ短調
3.0点
ノクターンの一部のような曲。エチュードにしては静か。

2.変イ長調
3.3点
前奏曲の一部のような曲。じわじわとした叙情はなかなかよい。

3.変ニ長調
3.0点
晴れやかな感情のメロディーと内声の絡みが楽しい曲。


ポロネーズ

2つのポロネーズ Op.26

1.嬰ハ短調
3.5点
ポロネーズの中でメジャーな方ではないが充実した大作である。端正と情熱、憂鬱と切なさ、現実と空想など、相反するものを多く取り入れている。ただ、バラードやスケルツォの驚異的な完成度にくらべると、楽想を並べているだけの感があり、緊密な構成や洗練度合いで劣る。

2.変ホ短調
3.0点
5番を思わせる冒頭で始まり、暑苦しいほどに情熱的なメロディーになる。冒頭もその後のどのメロディーも悪くはないのだが、どうしてもいまいち冴えない印象である。


2つのポロネーズ Op.40

1.イ長調「軍隊」
5.0点
単純明快な描写的ともいえる軍隊的な行進曲である。それにも関わらず、ものすごくいい曲である。ショパンの音響構築の素晴らしさが光る。まったく同じメロディーでも他の人が書いたらこうはならない。いくつかのメロディーが登場するが、組み合わせも個々の魅力も完璧である。

2.ハ短調(1838~39)
3.5点
低音の兵隊の足音の地響きのようにごうごうと響き渡るメロディーが強烈な印象を残す。このメロディーが曲の大半の印象を占めるが、その間に挟まれた部分も繊細でなかなか出来はよい。


ポロネーズ Op.44 嬰ヘ短調
4.0点
ポロネーズ裏の名曲としてファンには有名な曲。勇壮で大変に男くさい曲である。血のように濃い愛国心の固まりのような音楽が展開される。中間部にマズルカが入る構成が凄いが、これがまたふわふわとして精妙で絶妙なものである。

ポロネーズ Op.53 変イ長調「英雄」
5.0点
スケールが大きくて、これでもかというほど、とにかく格好よさを追求した曲。豪壮な感じを出すために激しい和音の重ねて、基本的に自然な演奏が出来るように書かれているショパンにおいて例外的に、あえて意図的に無理を強いる書き方になっている。中間部の無茶な左手の伴奏は特にそうだ。テンションが高過ぎるし無理やりさがあるという点で、聴いていて疲れる曲。

幻想ポロネーズ Op.61 変イ長調
5.0点
大変独創的な曲。人生の回想が幻影として浮かんでは消えるかのような曲想。元から憂鬱さがついて回るショパンの音楽であるが、この曲は肉体性と気力の衰えが病的領域に入るとともに、幻覚のような非現実性が現れている。作曲時のショパンの精神と肉体のダメージが生々しく感じられて痛々しい。ショパン晩年の傑作であり代表作のひとつではあるが、少し変な曲である。ある程度熱心に聴く気のある人以外には薦めにくい。


ワルツ
生前に発表したワルツは外れなし!名曲揃いで素晴らしい。

華麗なる大ワルツ Op.18 変ホ長調(1831)
4.0点
華やかなサロン風フレーズ満載。多くの人に愛される素敵な名曲であるが、後年の充実したワルツと比較してしまうと、実は内容が浅い。弾いてみると想定と違う物足りなさと音の薄さにがっかりした。とはいえ、多くのパートで構成されたすべての部分が魅力的な名曲であることは確かである。


3つの華麗なるワルツ Op.34 

1.変イ長調(1835年) 
4.0点
ピアニスティックで豪華絢爛な曲。ピアノが鍵盤上を駆け巡るのが楽しい。親しみやすさでは1番に一歩劣るが、音の充実感において、1番よりかなり進歩している。

2.イ短調(1831) 
4.0点
これはワルツなのか?と思うような穏やかで暗い曲だが、これはこれで詩的な真実味のある歌心にあふれた名曲である。マズルカの土着的な感じがないのがよい。ショパン本人が気に入っていたそうだが、根暗な人だったのだろうなと思った。

3.ヘ長調(1838)
3.5点
なかなかいい曲ではあるが、名作揃いのワルツの中では少し単調であるとともに、フレーズにキレがないため、地味な作品に属する。


ワルツ Op.42(1840) 変イ長調
4.5点
ワルツ2番路線のピアニスティックで豪華絢爛な作品である。2番も十分に良い曲であるが5番はさらに進歩して充実しており、華麗さと成熟感を併せ持った完成度がすごい。中間部のメロディーは特に絶妙であり、外面的な華やかさと複雑さを伴った内容とバランス感覚を併せ持つ天才的なものだと思う。


3つのワルツ Op.64 

1.変ニ長調「子犬のワルツ」
4.5点
有名な曲。軽快で楽しくスマートな冒頭部分は素晴らしい。また、中間部分は優雅さと華やかさと詩情を併せ持つよく出来たメロディーで素晴らしい。

2.嬰ハ短調
4.5点
ショパンの愛称なしの曲の中では有名な曲の一つ。一つ一つの部分が複雑で表情豊かで技巧的であり、演奏が容易であるにも関わらずたいへん充実している。憂鬱、前向きさ、達観、希望、そのような複雑な感情が混ざり合っている。音楽的な純粋な美しさもレベルが高い。

3.変イ長調
3.0点
晴れやかな清々しい気分で始まり、生前に出版されたワルツの締めくくりに相応しい。しかし、展開や転調などが単純で絶妙さがなく、他の作品64の2作品のずば抜けた完成度と比較すると見劣りする。


ロンド

ロンドは初期に書かれており、いずれも7分から10分の大きな作品である。

ロンド ハ短調op1(1825)
2.5点
公表を予定した最初の作品。主題がマズルカ的な憂いを含んでいてそれなりに魅力的であるが、それ以外の部分や展開はまだ成長の途上の感が強く、完成度はそれほど高くない。ただし15歳にしては驚異的な出来ではある。

マズルカ風ロンドop5(1826)
3.0点
まさにマズルカ風の曲。作品1から進歩している。初期にしては力作であり面白い曲でもある。冗長な箇所もあるが所々素晴らしい発想力を見せている。

ロンド Op.16 変ホ長調(1832)
2.3点
長い序奏付き。ピアノ書法は他の10代に書かれたロンドより成長している。しかし主題に魅力が無い。技巧が華やかなだけで内容が無い曲。

ロンド Op.73 ハ長調 独奏用、2台ピアノ用(1828)
2.5点
軽快なサロン風の主題は耳に残る。多彩な発想を盛り込んでいる力作だが、どこか磨かれ方が足りない感じがする。


その他のピアノ曲

華麗なる変奏曲 Op.12 変ロ長調(1833)
2.5点
作品番号付き独奏用として唯一の変奏曲。サロン風の技巧的な華やかな変奏曲。内容はあまり無い。

ボレロ Op.19 イ短調(1833)
3.0点
エキゾチックなボレロのテーマは魅力的。常に異国情緒があるわけでなく、ショパンらしい洗練された音楽を挟んでいるため、主題がより強調される。

アンダンテ・スピアナートと華麗なる大ポロネーズ Op.22 変ホ長調
2.5点
長いしあまりいい曲だとは思わない。

タランテラ Op.43 変イ長調(1841)
3.3点
楽しい織物のようなパッセージの主題で楽しい小品。

演奏用アレグロ Op.46 イ長調(1832~41)
2.5点
一人協奏曲の曲。長い曲で華はあるが、特に管弦楽の編曲のような部分はショパンらしからぬ音楽が延々と続く感じであまり面白くない。

幻想曲 Op.49 ヘ短調(1840~41)
3.5点
堂々としてがっちりした大規模な曲。しかし、ショパンらしいしなやかさが少なくて、きっちりとした手堅さが目立つ。また、各部分に有機的関連がなく、細かいニュアンスの妙による複雑さは少ない。このため、個人的にはあまり面白い曲と感じない。

子守歌 Op.57 変ニ長調(1843~44)
4.5点
小さな子供が寝ていて、その夢の中で妖精が登場して飛んだり跳ねたりして踊っているかのようだ。ずっと同じパターンの左手の伴奏の上で、右手が即興的に幻想的に動き回っていく、とてもかわいらしい変奏曲。ショパンのピアノ的な発想力の驚異的な豊かさと音感の良さが発揮されている。かなりの名曲だと思う。

舟歌 Op.60 嬰ヘ長調(1845~46)
6.0点
多くの点でショパンおよびピアノ曲史上のもっとも完璧な作品のひとつ。1拍ごとにニュアンスを変えていくほどの究極的な精緻さと繊細な詩情豊かさが凄い。和声の付け方や挿入するフレーズは様々な細かい変化がつけられており、それが濃密な感情の揺れを表現している。メロディーと一体化して展開されていく有機的な動機が生み出す精神的な内面的な物語の見事さは奇跡的といえる。主題は憂いを含み、艶めかしく美しいだけでなく、人生経験の重みと渋みを持っている。伴奏の作り方がメロディーの魅力を最大限に引き出すとともに、メロディーと一体化して伴奏自体も音楽として魅力的になっている。細部の1拍ずつが素晴らしい上に、全体構成のバランスやドラマの作り方も完璧に計算し尽くされて造形されている。冒頭の前奏からして、あまりにも天才的でそのあとの主部を導くのにちょっとこれ以上は考えられないほどの完璧さである。とにかく調べれば調べるほど新しい発見がありその素晴らしさに驚嘆を新たにする曲である。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%91%E3%83%B3
8:777 :

2022/06/07 (Tue) 13:02:28

ロベルト・シューマン(Robert Alexander Schumann, 1810年6月8日 - 1856年7月29日)


最美の音楽は何か? _ シューマン 『ピアノ協奏曲 イ短調 作品54 』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/209.html

最美の音楽は何か? _ シューマン『幻想小曲集 作品12 第1曲 夕べに 変ニ長調、第3曲 なぜに 変ニ長調』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/370.html

最美の音楽は何か? _ シューマン『子供の情景 作品15』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/367.html

最美の音楽は何か? _ シューマン『子供の情景 作品15 第7曲 トロイメライ』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/355.html

最美の音楽は何か? _ シューマン『マンフレッド 作品115 序曲 変ホ短調』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/362.html

ロベルト・シューマン 交響曲第4番
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/895.html  


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ロベルト・シューマン(Robert Alexander Schumann, 1810 - 1856)

前期ロマン派を代表する作曲家。文学的で濃厚なロマンティックさと、巨匠的な気品や風格の感じられる作品を書いた。時代によりジャンルが偏っているのも特徴。

大作曲家だが、もっさりしていて音を重ねすぎのオーケストレーションも、ピアノ書法も難あり。その点で室内楽は欠点が目立たない気がする。
同じリズム動機を積み重ねる所など、大作曲家である割にはどうも分かりにくくて地味なところがある。


管弦楽曲

交響曲第1番 変ロ長調『春』 1841
4点
祝典的な雰囲気を持つ明るく溌剌とした1楽章や四楽章。つい聞きいってしまう絶妙なロマンチックさを持った雰囲気が素晴らしいアダージョ。ピリッとした効果的なスケルツォ。どの楽章も素晴らしい傑作。

交響曲第2番 ハ長調 1845-46
3.0点
トランペットの輝かしい動機は印象的。なだらかな弦の動きの序奏はいいが本編はシューマン特有のしつこい繰り返しが気になる。めまぐるしく音が動くスケルツォは上手い。ベートーベンのように気品がある三楽章のアダージョはなかなかよくて聞き入ってしまう。四楽章は高揚感を持ち盛り上げてはいるが音を重ね過ぎで、しかもしつこいせいだと思うが、曲に入り込みにくい。

交響曲第3番 変ホ長調『ライン』 1850
3.5点
1楽章はやや単調ながらも主題に魅力があるので悪くない。二楽章のまさにライン川のような豊かさで美しい自然を感じる名旋律は素晴らしい。穏やかな三楽章と荘厳な四楽章も高揚感がある五楽章はあまり印象的なフレーズとキレがなく、まあまあ。

交響曲第4番 ニ短調 1841
4点
どの楽章も音楽として活き活きとしており、深刻とか悲しみとかでない短調の響き自体もつ音楽としての美しさが1,2,3楽章で見事に使われている。スケルツォのトリオは魅力的。四楽章の晴れやかで力強い高揚感は見事にその前と内容的に繋がっている。

序曲、スケルツォとフィナーレ ホ長調 Op.52 1841
3.3点
どの楽章も明るく前向きな雰囲気がいいのだが、交響曲と比較すると奥ゆかしさに欠ける。フガート風に開始する3楽章が一番規模が大きくて高揚感を楽しめるので、良いと思う。

4本のホルンと管弦楽のためのコンツェルトシュテュック ヘ長調 1849
3.8点
とても面白い曲。4つのホルンが大活躍で、掛け合いの様子をウキウキした気分で楽しめ、聴き終わった後に、「ああ、楽しかった〜」という感想になる。

序曲『メッシーナの花嫁』 1850-51

付随音楽『マンフレッド』 1848-49
3.3点
音が分厚くて、劇的な説得力に満ちているという点でなかなか聴き映えがする。ブラームスに影響を与えて彼が交響曲を書くきっかけとなったのも納得。

序曲『ジュリアス・シーザー』 1851

序曲『ヘルマンとドロテア』 1851
3.0点
ラ・マルセイエーズのメロディーが軽快に活用されている部分とドイツ的な分厚さが交錯する面白い曲。

歌劇『ゲノフェーファ』(Genoveva)序曲 1847-50
3.8点
堂々としていて聴き映えが素晴らしい序曲。特別なことをしている感じではないが、ドイツらしい序曲としてかなり良い出来映えと思う。


協奏曲

ピアノ協奏曲 イ短調 1841
5.5点
前期ロマン派ピアノ協奏曲の代表作。後期ロマン派のような崩れがなく、まとまりと品がよく巨匠的な響き、3楽章がバランス良くすべて名作。

序奏とアレグロ・アパッショナート ト長調 Op.92 1849
3.3点
序奏が良くて、この後の展開への期待を高める度合いが半端ない。しかし、主部のアレグロは残念ながらその期待に応えられるほどではなく、平凡な作品になってしまっている。

序奏と協奏的アレグロ ニ短調 Op.134 1853
3.0点
独奏ピアノの素晴らしさ、基本的な音楽性の高さを楽しめる。彼のピアノ協奏曲が好きな人が、もう一つのピアノ協奏曲を求めて聴く対象として、ある程度満足出来る。ただしメロディーの魅力はだいぶ落ちる。長いカデンツァもあり、十分楽しめるものである。

チェロ協奏曲 イ短調 1850
3.5点
交響曲やピアノ協奏曲のようなまとまりと巨匠性を感じない。しかし、単一の楽章のように書かれていることで独創的な奔放さが表現されていること、妙に頭から離れなくなるメロディーにより、特異な魅力を放っている。このため、いかにも不器用なチェロの扱いも逆に魅力の一部になって成功している。

幻想曲 ハ長調 Op.131 1853
2.5点
パンチの効いた強烈さがある音楽が続き、最後の数分間は感動的な雰囲気を作って終わる。支離滅裂というか、曲全体を通して作者が何がしたかったのかよく分からない。

ヴァイオリン協奏曲 ニ短調 1853
2.5点
1楽章はベートーヴェンの協奏曲と似た品があるが、ぱっとしないまま終わる。2楽章と3楽章も雰囲気は悪くないし、夢の中の妄想が膨らみすぎて現実と乖離したような病的な感じがどことなく感じられ、マニア向けには価値のある曲ではあるがぱっとせず一般的にみていい曲とは言えない。


合唱

オラトリオ『楽園とペリ』 1841-43
4.0点
冒頭の天国的な美しさが非常に印象的。分かりやすいメロディーと説得力のある劇的な音楽のオンパレードであり、長いオラトリオを全く飽きさせない。内向的な文学性の高さと外面的な音楽としての質の高さのバランスの良い両立を非常に高いレベルで実現している。最後は大変感動的に締めくくられて強い余韻を残す。作曲時までの集大成的な作品と考えられるシューマンの代表作の一つ。

レクイエム 変ニ長調 1852
4.0点
晩年の作品で作品番号は一番大きな数字。冒頭から強いインパクトと充実感があり引き込まれるし、40分の間それが持続する。レクイエムらしい死者を悼む感情も込められていて感動できる。シューマンの音楽と管弦楽伴奏の合唱曲の相性の良さに驚く。彼の天才性が生きている。もっと長生きしてこのような曲を書いて欲しかった。

ミニョンのためのレクイエム 1849
3.5点
ロマン派の濃厚で純粋な美のあるレクイエム。15分以下の短さもよい。ただし、全体に雰囲気が似た曲が続き、曲の集合体という感じがあまりしない。まあ統一感があるとも言えるかもしれない。いい曲であるが、永く記憶に残る圧倒的なものはないと思う。シューマンらしい品格とロマンがあり、しなやかで清浄で敬虔の音楽は、聴く前の予想の範囲を超えてはくれない。


室内楽

3つの弦楽四重奏曲 1842

第1番 イ短調
3.3点
ドイツ的な太い芯があり巨匠的な風格のある曲調。耳に残るメロディーは無いと思うが、風格を楽しみながら十分に楽しく聞ける。シューマンが向いていると感じるのは、作曲者の力の入れ方が自然と音楽的な力になっていると感じるからのようだ。

第2番 ヘ長調
3.3点
シューマンと弦楽四重奏の相性は割と良いようで、この曲も四重奏のサイズにあった生きの良さや柔らかさや切れを生かした音楽になっている。ただ、これはという出来の良い楽章はないので、シューマンの標準レベルに留まっている。

第3番 イ長調
3.8点
親密さや優しさを感じる1楽章と3楽章が秀逸。特に3楽章はゆったりと心を歌いながら演奏されるメロディーにかなり感動できる。4楽章は主題がいつものシューマンであるが、間に挟まれる間奏部分が素敵である。

ピアノ五重奏曲 変ホ長調 1842
4.0点
どの楽章もシューマンらしいロマンを内部に秘めていながら、品の良さに満ちているし、心地よくて室内楽の楽しさにも溢れている名品。

ピアノ四重奏曲 変ホ長調 1842
4.0点
五重奏の方が僅かに上かもしれないが、こちらの曲も同じくらい素晴らしい。どの楽章もアンサンブルを楽しめて、シューマンらしい巨匠性のあるロマンチックさをもった充実した音楽を楽しめる。

ピアノ三重奏曲第1番 ニ短調 1847
3.8点
いかにも典型的なドイツ中期ロマン派の室内楽である。堅固な構築性とロマンチックなメロディーや雰囲気を両立しており、どの楽章も効果的な内容でありバランスがよい。ピアノ三重奏で問題になる音のバランスの悪さも全く気にならない。最終楽章の高揚感が自然に実現されるのはやはりいいものである。ドイツロマン派室内楽の名作の一つに挙げられる。

アダージョとアレグロ 変イ長調 1849 hrn(vc任意),pf
3.5点
(チェロ版)シューマンらしい夢のような甘さに溢れたアダージョはなかなか魅力的。その流れを受けたアレグロも甘さを残しており、だんだんそれは消えていくが品の良さは残したまま最後まで聴かせる佳曲である。大作曲家が書いた貴重なレパートリーと呼ぶに相応しい曲。

4つのフーガ Op.72 1845 cl,pf
2.5点
短調のロマン的な3曲目は好きだ。他の曲も所々にロマン派らしい感情は感じられるが、全体にはバッハの平均律に似すぎていて客観的で観念的な音楽であり、あまり価値が高く無いように思う。

幻想小曲集 Op.73 1849 vc(vn,cl),pf
3.0点
1楽章は陰鬱な感情が盛り込まれていてもやもやとしている印象である。2楽章はクラリネットの音色の特性の活かし方が上手い。3楽章はシューマンには良くある曲としか思わない。曲集としてのまとまりはある。

ピアノ三重奏曲第2番 ヘ長調 1847
3.0点
ありきたりにならないようにと古典的な型から外れて自由に書こうとした事は伝わるが、あまり成功している印象がない。ただ、3楽章がかなり美しく真心とか親密さのようなものを感じて感動するので、曲の価値は低くない。

幻想小曲集 Op.88 1842 vn,vc,pf
3.3点
いくつかある幻想小曲集の中でも、ピアノ三重奏用であるだけあり、賑やかで華やかであるのが特色。

3つのロマンス 1849 ob,pf,vn,(cl)
3.0点
どの曲もシューマンらしい音楽としての魅力はある。オーボエ音楽としては明るさと陰影を持つオーボエの全てを引き出している感じではないが、ささやかさの中に歌心があり悪くない。1、2曲目ほ旋律は平凡であり、名曲と呼ぶ程でない。3曲目は陰があり魅力的。

ヴァイオリンソナタ第1番 イ短調 1851
3.8点
1楽章が美旋律のオンパレードで素晴らしい。憂鬱さをたたえた情熱的なメロディーで一度聴いたら忘れない。2楽章と3楽章は強い特徴は無いが、1楽章の素晴らしさを壊さない出来にはなっている。全3楽章でコンパクトなので聞きやすい。

ピアノ三重奏曲第3番 ト短調 1851
2.5点
曲としてまとまってはいるが、シューマン独特の執拗な繰り返しがしつこいと感じてしまう箇所が多いし、感激するような場面が無いので、いまいち。

ヴァイオリンソナタ第2番 ニ短調 1851
3.3点
1楽章と2楽章はあまりインパクトがない。3楽章の変奏曲は主題が包み込むような優しさに満ちた感動的なもので素晴らしいのに、短く終わってしまい残念。4楽章は力の入った作品だが主題の魅力は今ひとつ。全体に1番の2楽章3楽章よりはバランスが進歩している気がしたが、メロディーの魅力が足りないと思う。

おとぎ話 1853 cl(vn),va,pf
3.0点
ドリーミーなシューマン節をそこそこ楽しめる。とはいえ、本人としてもできの良い作品という感じではなく、出来合いの曲なのではと思う。特に感動するほどのものはない。

民謡風の5つの小品 Op.102 1849 vc,pf
3.3点
シューマン臭さがかなり少ない普通の曲である。チェロの低音が醸し出す渋い民族的な粘っこさが上手く活かされている。



ピアノ曲

ピアノ曲は初期に書かれた作品が多く、中期以降の成熟には達していないものが多い。また、ショパンやリストと比較して音を想像力で補う必要がある。

初期

アベッグ変奏曲 1829-30
3.0点
デビュー作で、書法に未成熟さは多少みられるものの、独自の世界は既に作られていて、魅力はある。

蝶々 1829-30
3.0点
初期の曲でまだ未熟さが残り、曲は名作といえるレベルに達していないと思う。しかしながら、素朴さの中に潜むシューマンらしい魅力は、既に十分である。

パガニーニの奇想曲による練習曲 Op.3 1832
2.5点
若書きの未熟さとまとまりのなさがどうしても気になってしまう。曲想がバラバラでまとまりがない。

6つの間奏曲 1832

クララ・ヴィークの主題による即興曲 1832-33
3.0点
即興曲という題名だが、実質的には変奏曲である。若書きだが、奥ゆかしさとか、一生懸命な感じがあり好感度が高い。

ダヴィッド同盟舞曲集 1837
3.5点
1~2分の短い曲の連作。典型的なシューマンらしい香り立つ気品と幻想的ロマンの小品集で、曲が短いので聞きやすい。静かな夢の中のような静かな曲に吸い込まれるように強く心を奪われる。活発な曲は間奏や場面を転換させる曲と最初は思うが、しばらく数10秒聴くとその中に詩情と物語性がある事に気付く。これを繰り返しながら物語が展開している。シューマンの良さが出た曲集。

トッカータ ハ長調 1829-32

アレグロ ロ短調 Op.8 1831
2.5点
ベートーヴェン的と呼んでもいいかもしれない正統派的ながっちりとした力強さがある曲。だが、文学性を感じないせいかあまり印象に残らない。

謝肉祭-4つの音符による面白い情景 1833-35
4.0点
全21曲。シューマンのピアノ曲中で特に華やかでウキウキするような楽しさがあり聞きやすい曲集。最後の壮大な盛り上げ方が最高。

パガニーニの奇想曲による6つの演奏会用練習曲 1833

ピアノソナタ第1番 嬰ヘ短調 1832-35
3.0点
二楽章が素敵。他の楽章も一生懸命頑張っている感が強い。最終楽章は複雑過ぎであり、凝りすぎ。

幻想小曲集 1837
3.5点
発想豊かで美しさのあるいい曲が多い。曲集の最後の締め方がよい。

交響的練習曲 1837
3.5点
前半の普通の変奏曲はあまり面白くない。自由になってからが本領発揮。変奏曲らしい統一感とバラエティーのふれ幅の大きさが魅力。

ピアノソナタ第3番 ヘ短調 1835-36
2.5点
元のタイトルは『管弦楽のない協奏曲』。技巧的で大規模の本格派だが、いい曲という印象はない。

子供の情景 1838
4.0点
有名なトロイメライに限らずどの曲もある程度描写的な分かりやすさがあり、一曲ごとは短いが個別の曲としても独立した良さがあるので聞きやすく楽しみやすい。

クライスレリアーナ 1838
3.0点
この曲をシューマンのピアノ作品の代表作にあげる人が多いが、自分には分からない。それほどロマンチックではないし、単体でいい曲があるわけではないし、発想の豊かさや霊感の強さを感じないのだが。。

幻想曲 ハ長調 1836-39
4.5点
ふわふわとした幻想性と濃厚なロマンチシズムの塊であり、シューマンのピアノ独奏曲の代表曲。一楽章のスケールが大きい冒頭の魅力と第2主題のドラマチックな感傷性など、場面展開が魅力的。二楽章は輝かしく英雄的な行進曲。三楽章は特に濃厚でロマンティクの極みで、深い沈静の中にドロドロとした感傷が満ちている。私はリヒテルの壮大なライブ版音源でこの曲の強烈な魅力が分かった。

アラベスク ハ長調 1838-39
3.5点
夢見るようで、エキゾチックさもあり魅力的な曲。

花の曲 変ニ長調 1839
2.0点
雰囲気だけの曲であまり価値のある曲には聞こえなかった。

4つの夜の曲
2.5点
メジャー曲と比較すると少しレベルが落ちる。

フモレスケ 変ロ長調 1839
2.5点
曲から特別な何かを感じない。いまいち。

8つのノヴェレッテ 1838
3.0点
メロディアスではなく個別の曲に単独での傑作は無い。また外面性、心理的な具体的な内面描写、分かりやすいストーリーもないので分かりにくい。しかし、5分程度の活発な曲を積み重ねると何となく心の冒険が出来るという不思議な曲集。長い最終曲がバラード的な物語あり。

ピアノソナタ第2番 ト短調 1833-38
4点
ロマン派のピアノソナタとして屈指の出来だと思う。ソナタらしい構成感がベースにあり、力強く情熱的ロマンチックさに浸れる。控え目に現れる幻想的場面がまた効果的。最終楽章が弱いが、それでもうまくバランスを取ってまとめてる。

4つの夜曲 1839

ウィーンの謝肉祭の道化 1840
2.5点
長い一楽章が面白くないし、そこそこ長い作品だが全体的にはっとする良さが少なく力作とは言い難い。最終楽章のノリの良さは悪くないけど。

3つのロマンス 1839
1 3.0点
2 3.5点
3 2.5点
二曲目が低音のメロディーを美しく響かせる曲で素晴らしい。最終曲は長くて自由だがいまいち。

4つの小品 1838-3

東洋の絵(6つの即興曲) Op.66 1848 2台pf
2.5点
あまり印象に残る曲が無く、失敗作だと思う。


中期以降

子供のためのアルバム 1848
2.0点
全43曲。面白くない曲が7割以上、名作と言えるのは有名な楽しき農夫と他はせいぜい数曲だろう。鑑賞用には向かない。

4つの行進曲 Op.76 1849
3.5点
4曲とも勇壮で豪快な中にシューマンらしい繊細さもあるという楽しい曲ばかり。シューマンのピアノ曲では名作の部類なのにあまり有名でないのが不思議だ。

森の情景 1848-49
3.5点
後期のピアノ曲集。1曲が2分程度と短い。インスピレーションが強く働いていて、幻想的な夢の中のような世界を現出させている。曲集の中で、有名な「予言の鳥」がやはり耳をひく。文学的な詩情の豊かさはすばらしい。最後は名残惜しく終わり、曲集としてもまとまってる、

色とりどりの小品 Op.99 1836-49
2.5点
未発表の小品集。割と長めの小品が収録。あまりいい曲はない印象。通して演奏すると時間が36分もかかるので、演奏されないのはしょうがない。

舞踏会の情景 1849-51 4手
3.3点
シューマンにしては珍しい、サロン風の上品な音楽。華やかで楽しめる。

3つの幻想的小曲 1851
2.0点
後期の錯乱して幻想的過ぎ、内面的過ぎの印象が強い。

子供のための3つのソナタ 1853
3.5点
短くて平明であり、子供向けの明るく素直な曲調を楽しめる。大人向けのドロドロした所がある曲より、シューマンの歌心が素直に表現されていると思う。とはいえ、それほど簡単な曲でもなさそうに聞こえる。子供向けでも、物足りなさは全然ない。

アルバムの綴り 1832-45
3.3点
短い小品全20曲。長い期間に渡る作品を集めたもので、子供の情景や謝肉祭に漏れた曲も入っているそうだが、そうした主要曲集とのレベルの差は聴いている限りではほとんど感じない。

7つのフゲッタ形式によるピアノ曲 Op.126 1853
3.8点
晩年の隠れた名作。バッハの平均律を意識していると思われる。音が少なくて平明であり、静かで温かみがあり穏やかな気持ちになって、聞きながら物思いにふける異が出来る。

子供の舞踏会 1853 4手

朝の歌 1853 全5曲
3.3点
文学的な香気が他の作品以上に濃厚である。朝の全てが寝静まった静寂さと、太陽が昇り始めて世界が活動のような世界を、深い表現で描いている。

天使の主題による変奏曲(主題と変奏)
3.5点
最後の曲ということで力なく辞世の音楽が奏でられる。あまりの気力の無さに聴いていて悲しくなってくる。しかも変奏してもその雰囲気は変わらないのがまた悲しい。


歌曲

リーダークライス 作品24
3.8点
次から次へと顕れる曲の内部エネルギーと、短調と長調が交互に現れることが、心の揺れ動くさまを実に生々しくもロマンチックに描いている。シューマンのロマンチックを原石そのままに表現する美点が見事に現れていて心を捉えて離さず、また聴きたいと思わせる。前半の数曲は面白くなくてがっかりする。しかし、途中からはシューマンワールドの引力に引き込まれていく。

歌曲集「ミルテの花」 作品25
3.8点
陰鬱な雰囲気や、不安定な心情の曲は少なくて、素直な明るい曲が多いのが特徴。とはいえ底抜けな明るさではなく、なにかひっかかるものは常にあるから聞いていて胸に響く重さがあり感動がある。シューベルトのような天上的な近寄りがたさはなく、人間的で文学的なところが良い。3分の2くらいは「美しい曲だ」と感動できる名曲と思う。すごい打率だと思う。有名な1曲目は確かにふっと心をとらえて忘れられなくなる魅力がある。

リーダークライス 作品39
3.5点
暗くてしんみりとした歌が多い。1曲だけでなく多くがそうなので途中で飽きてしまった。終焉とか、人生の悲哀のようなものを噛みしめるような曲調である。シューマンの他の連作歌曲と比較して個人的には感動が薄かった。歌の雰囲気の組み合わせに翻弄される感じが薄い。

歌曲集『女の愛と生涯』 作品42
3.8点
凛とした女性の自恃を感じる音楽である。様々な表情が現れていくが、全体的に感情と運命に奔放されながらも強く生きる心を音楽から感じ取れるのが印象的である。1曲目は序奏という感じで、2曲目で音楽の中に心が入り込んでいき、3曲目からはどっぷりとシューマンの世界に入って心を翻弄されるがままになる。

歌曲集『詩人の恋』作品48
4.0点
夢を見るような精神世界の中に入り込むシューマンの美点が見事に結晶化している。そしてロマンに浸りながらもバランスが良くて巨匠的であるところが連作歌曲としての名作たる所以と思う。様々な曲は表情を煌めく水面のように揺れ動きながら変えていく。それに時間を忘れて見とれるように聴く音楽である。曲調の変化は心に大きな波を立たせる。そして、シューマンらしいロマンと表現のエネルギーの塊の芯だけ削り出して取り出したような音楽であり、心の遍歴そのものの音楽でもある。それがピアノと声楽という形で最善の造形を見せて、良さにため息をつきたくなる。最後のエンディングは最高に感動する。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3
9:777 :

2022/06/07 (Tue) 13:02:53

フランツ・リスト(Liszt Ferenc、1811年10月22日 - 1886年7月31日)


最美の音楽は何か? _ フランツ・リスト『前奏曲 S.97』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/483.html

最美の音楽は何か? _ フランツ・リスト 『ラ・カンパネラ』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/201.html


▲△▽▼


フランツ・リスト(Franz Liszt 1811 - 1886)

史上最高クラスの大ピアニストにして、最も重要なピアノ曲作曲家の一人。
大ホールで聴衆を喜ばすことを目的とした音符の塊は、CDで繰り返し聴くための音楽としては内容に乏しく辛い曲もあるが、豪快かつ繊細で清新なピアノの響きを活用した芸術性の高い曲も多い。
また、交響詩の創始など新しいことに挑戦する開拓心、病的な作曲家が多い時代の中では健全な魂、繊細さと豪快さなどスケールの大きなピアノの活用などにおいて、重要な作曲家である。


交響曲

3人の人物描写によるファウスト交響曲
3.5点
75分全3楽章と、マーラーやブルックナー並の大作。1楽章は交響詩と同様のオーケストレーションの軽さだが、スケールが大きくて動機を活用し、作曲者の意欲が伝わる内容。2楽章は叙情的で愛らしい曲でグレートヒェンらしさがうまく描かれていおり、結構感動できる。隠れた名作と言える。3楽章は不気味で悪魔的でメフィストフェレスをうまく表現出来ている。最後の合唱と独唱も大仕掛けのこの曲に相応しい。全体として、大作で聴くのがタイヘンだしトップレベルの交響曲ではないが、特に2楽章と3楽章はなかなか楽しめる。

ダンテの神曲による交響曲
3.5点
マイナー曲だが、案外良い。リストらしい安っぽさや構成の緩さはあるものの、ベルリオーズの幻想交響曲の表題性に近い楽しさがあるし、豪快さや独特の音の使い方など耳を楽しませる場面は多い。最後のコーラスは非常によい。


交響詩

人、山の上で聞きしこと
2.0点
自然の描写が精神的なものを交えて描かれているて雰囲気は良い。精神的な世界観も珍しく深いものがあり、交響曲並みにかなり気合いの入った本格派の力作なのだろうというのは分かる。しかし長すぎてウンザリしてしまう。マーラーぽい。

タッソー、悲劇と勝利
3.0点
所々甘美でかなり魅力的な場面が登場するので、それを楽しみに聴くことが出来る。

前奏曲
4.0点
前半もいいが、後半の穏やかな部分がかなり感動的で素晴らしく、盛り上がって終わる。いい意味でリストらしくなくて、期待を上回る。

オルフェウス
2.5点
まあまあ。美しい部分が出ててくると続きを期待するがたいしたことがない、という場面が数回あった。

プロメテウス
2.5点
フーガが登場するのは面白い。全体に他の交響詩と比較して特にピアノ的な音型が多い。リストならピアノで出来る事をオケでやっている感じがする。

マゼッパ
3.0点
超絶技巧のマゼッパ。ピアノ曲っぽい。メロディーの良さとかっこよさを再認識できる。後半の勝利のような音楽は悪くない程度だが、前半からの流れで聞く分には楽しめる。

祭典の響き
2.5点
祝典的な晴れがましい響きを基調とするが、決して単調なドンチャン騒ぎではなく、交響曲の最終楽章のような、充実した内容がありそうで、しかし物足りない。

英雄の嘆き
2.5点
英雄の葬送行進曲から、感動的な雰囲気の中間部を経て、少し盛り上がり暗く終わる。聴きやすく分かりやすい曲。陳腐という程では無いがやや安易ではある。

ハンガリー
1.5点
あまりいい所が無い。駄作だと思う。

ハムレット
2.5点
それなりの雰囲気作りはされているものの、全体に散漫で良いメロディーに欠ける印象が強い

フン族の闘い
3.0点
先頭から勝利という図式がわかりやすく、全体に躍動感にあふれており、オルガンが効果的で、楽しんで聴ける。

理想
3.0点
弦のメロディーの鳴らし方や、観念的だが甘美さもある雰囲気など中期のワーグナーぽい。最後は感動する。雰囲気はかなり良いのだが、いいメロディーは無いし、冗長。我慢する気があるかどうか。

ゆりかごから墓場まで
2.5点
交響詩の中で一曲だけ大きく時代が異なり晩年の作品なのが貴重。晩年の書法のためオーケストラ的な曲になっている印象。

ピアノと管弦楽のための作品
ピアノ協奏曲第1番変ホ長調(S.124/R.455)1849年
3.5点
リストらしい快活で豪快な曲であり、短いので聴きやすい。エンターテイメント性重視の曲。

ピアノ協奏曲第2番イ長調(S.125/R.456)1839-61年
3.5点
1番とは大きく異なる、穏やかで瞑想的な芸術性重視の曲。

ピアノ協奏曲第3番 変ホ長調 遺作
2点
遺作の曲。凡庸な曲であり、知名度が低いのも当然と思った。

呪い
2.0点
曲の趣旨が分かりにくくて、いい曲には聞こえないが、各部分をみると響きの斬新さや面白い表現がある。

ハンガリー幻想曲(S.123)1852年頃
3.0点
ハンガリー狂詩曲14番のピアノ協奏曲への編曲版。編曲は自然であり最初からピアノ協奏曲のよう。楽しく聞ける。

死の舞踏(S.126/R.457)1849-59年
3.5点
怒りの日に基づくグロテスクな内容。曲想に強いインパクトがある。変奏も割と内容が濃くてなかなか良い。



ピアノ曲(オリジナル作品。曲集、連作)

玉石混交で長大な曲を含めて作品数が多く系統だっていないので全貌が掴みにくいリストのピアノ曲。だが、改訂で曲名を変えたり、編曲ものが大量にあるので、それらを除いて細かい無名の小品も除いてきちんと作品として完成された聴くべきオリジナル曲を整理すると、実はショパンと量はそれほど変わらないことが分かった。

超絶技巧練習曲(S.139/R.2b)
それぞれの曲の完成度が高く、技巧的にもみるべきものが多い傑作曲集。

1 ハ長調『前奏曲』
3.0点
いきなりド派手に豪快に始まる。

2 イ短調
3.0点
なかなかかっこいい。

3 ヘ長調『風景
3.0点
静かでゆっくりした曲だが、和声に詩情がある。

4 ニ短調『マゼッパ』
3.5点
勇壮で英雄的でかっこいい。

5 変ロ長調『鬼火』
3.5点
弾くのが凄く難しいらしい。鑑賞曲としても細かい音の動きと和声に詩情がある。

6 ト短調『幻影』
3.5点
激しい分散和音に載せて詩情があるメロディーを演奏されるので聴き映えがする。

7 変ホ長調『英雄』
3.0点
英雄の葬送行進曲的な内容。同じメロディーの繰り返しが多い。

8 ハ短調『荒々しき狩』
3.5点
イントロがかっこいいし、途中の楽しい狩の角笛や中間部の美しさなどよい場面があり、なかなかいい曲。

9 変イ長調『回想』
3.5点
昔を懐かしむようなまろやかな美しいメロディーが良い。

10 ヘ短調
3.5点
悲劇性をもった曲調は楽しめるもの。この曲集後半の名作揃いにあって少し地味だが同レベルにある。

11 変ニ長調『夕べの調べ』
3.5点
まったりした曲だが、中間部の感動的な部分と、そこへの持って行き方が素晴らしい。

12 変ロ短調『雪あらし』
4点
胸に迫るものがある。美しい詩情あふれたメロディーと秀逸な音響を作っている伴奏に感動する。

巡礼の年
リストのシリアスな曲集。標題音楽。

巡礼の年 第1年:スイス(S.160/R.10a)
1 ウィリアム・テルの聖堂
3.0点
荘厳さを感じさせる。やや密度が薄い。ギリギリでいい曲。

2 ワレンシュタット湖畔で
3.0点
風光明媚な感じのする爽やかで美しい景色のような曲。

3 田園曲
3.0点
短い小品だが、山岳の田舎のほのぼのとした雰囲気が出ている。

4 泉のほとりで
3.5点
キラキラした泉の湧き出る様子がよく表現されている。

5 嵐
3.0点
嵐の激しさが表現された曲。田園的な曲が多い曲集の中でこの曲が配置されていることはいいのだが、単体の曲としてはたいした曲ではない。

6 オーベルマンの谷
3.5点
五分位に最初に登場する感動メロディーは忘れがたい印象を残すし、最後はこれでもかというくらいの感動巨編になるが、ちょっと長すぎ。

7 牧歌
3.0点
のどかな雰囲気で、田舎の緑の豊富さを感じさせる


8 郷愁 3.0点
胸に秘めたものを吐露するような渋いが味がある曲。冗長ではあるがギリギリいい曲。

9 ジュネーヴの鐘:ノクターン 3.0点
最後を締めくくるに相応しい回想的な曲で最後は包みこむような安らぎに満ちて終わる。

巡礼の年 第2年:イタリア(S.161/R.10b)
1 婚礼
4.0点
舟歌のような穏やかな揺れの中に数百年前に作られた宝物の輝かしさと美しさ静謐さを表現して素晴らしい

2 物思いに沈む人
3.0点
沈思するような静的な曲。前半は同音が続きで石のように固まっているかのよう。詩的。

3 サルヴァトル・ローザのカンツォネッタ
3.5点
タンタッカのリズムで行進曲風だが穏やかというのが印象的で、美しさを感じる。

4 ペトラルカのソネット第47番
3.0点
柔らかくメロディーを唄わせる曲。

5 ペトラルカのソネット第104番
3.5点
かなりショパンのノクターンに近い。分散和音に乗せて右手で歌うように泣きの入ったやや大げさな感動のメロディーを弾く。

6 ペトラルカのソネット第123番
3.0点
やはりこの曲も歌うように柔らかくメロディーを弾く曲。

7 ダンテを読んで:ソナタ風幻想曲
4点
独奏ピアノの限界に挑むような巨大で圧倒的な曲。真剣さがあり、強烈な描写力と強靭なテクニックの融合で高みに到達している。リストの多くの要素がまとまり良く入っており、リストの代表作の一つだろう。


巡礼の年 第2年補遺:ヴェネツィアとナポリ(初稿:S.159/R.10d, 改訂稿:S.162/R.10c)

1 ゴンドラを漕ぐ女
2.5点
主題が少し単調で、変奏は巧みだがもの足らない

2 カンツォーネ
2.5点
アレンジや中間部の展開がなかなか良いがメロディーが単純

3 タランテラ
2.5点
タランテラ度が薄いし前半は派手なだけの悪いリスト作品。中間部は真面目でわりと美しいが冗長。半分の長さでいいのに。


巡礼の年 第3年(S.163/R.10e)

1 アンジェルス!守護天使への祈り
2.0点
シンプルな中に敬虔さを感じるが、曲としての充実感がない

2 エステ荘の糸杉にI:哀歌
2.0点
重い和音の連なりの中に敬虔さが現れているが、それだけ。

3 エステ荘の糸杉にII:哀歌
2.5点
最初の哀歌から大きく展開していくのでまとまりが良い感じではないが曲に充実感がある。

4 エステ荘の噴水
4点
印象派のような音の使い方、メロディーラインが美しくて素晴らしい。光に当たってキラキラしているような水の描写は天才的。

5 ものみな涙あり / ハンガリー旋法で
2.0点
重たい悲劇的な独白を重ねる曲

6 葬送行進曲
2.5点
鐘のような重くて悲劇的な曲調から独白を経て盛り上がるというストーリーを追う曲

7 心を高めよ
3.0点
荘厳で力強く盛り上げる。和音の進行に目新しさがある。


詩的で宗教的な調べ(S.173/R.14)

1曲目
3.0点
宗教的な気高い精神性が壮大なスケールで表現される。

2曲目
3.5点
合唱曲からの編曲ということで、コラール風。合唱曲らしい純粋な美しさに宗教的な気分になる。

3曲目
4.0点
大作。冒頭から聖霊が舞い降りてきているかのような美しさ。孤独な精神は人生を回想し強く生きることを改めて決意しているよう。名曲。

4曲目
2.5点
前半は地味なレティタティーボとコラールばかりで内容が薄い。後半は月光ソナタ一楽章とそっくりな部分が登場して面白いし、その後の部分もなかなか良い。

5曲目
2.5点
シンプルなコラール曲

6曲目
2.5点
いかにも合唱曲の編曲ものなので、雰囲気もメロディーも悪くないが、ピアノ曲としてはそこそこ。

7曲目
4.0点
聞き応え十分の傑作。一つずつのフレーズが強い意味をもって心に響く。ショパンの英雄のオマージュ部分も面白い。

8曲目
3.0点
ルネサンス時代の音楽のようなメロディーを使って宗教的な静謐さと神秘をまとった曲

9曲目
3.0点
孤独で寂しく哀しい雰囲気が長く続き冗長だが、曲想はぐっとくるものがある。

10曲目
2.5点
最後の曲らしい晴れやかな締めくくりの感情と壮大さがいい。


ハンガリー狂詩曲(S.244/R.106)

1番
2.0点
中身スカスカで無駄に長い曲だが、軽快さがあって気楽に聴ける良さもある。

2番
5.0点
ハンガリー狂詩曲のダントツの名曲。素晴らしい天才的な発想に充たされている。

3番
2.0点
終始粘っこい音楽が続き、ノリが良くならないまま終わる。

4番
3.0点
前半は簡素な書法でつまらないのだが、後半アップテンポになってからの軽快なノリは楽しい。

5番
3.0点
葬送行進曲風とショパンの葬送行進曲の中間部によく似た部分がある中間部は感動的でなかなか良い、

6番
3.0点
オーソドックスな遅いテンポから速いテンポに移る曲。有名だけど2番と違い他より際立っていいというほどでもないような。軽快な曲で上手い人が弾くとジェットコースターのような楽しさが出るところがあるが。

7番
2.0点
レティタティーボがしつこくて面白くない。アップテンポになっても繰り返しが多くてしつこい。

8番
2.5点
遅い部分は多少軽い音であまり重厚でなく、アップテンポはかなり軽い雰囲気。

9番
2.5点
それなりに華やかだが、あまり面白くない。

10番
2.0点
装飾ばかりで内容がない。

11番
2.5点
最初静かに始まるのが面白い。普通の曲になってからはまあまあ。

12番
3.0点
かなり技術を要求する曲に聞こえる。音楽的な内容面は大したことが無いが、技術を楽しむことは出来る。

13番
3.0点
割とオーソドックスな狂詩曲で楽しめる。

14番
3.0点
内容がなかなか充実している大作

15番
4.0点
発想が優れていて、奥は深くないかもしれないがいい曲だと思う。

16番
2.0点
音楽に艶がないし盛り上がらずにあっさり終わってしまう

17番
1.5点
静かすぎて、これはもはやハンガリー狂詩曲と呼ぶべきではないのでは。

18番
2.0点
これも17番に近い感じの曲で、ハンガリー狂詩曲という感じではない。

19番
2.5点
後期の4曲の中では唯一オーソドックスなハンガリー狂詩曲であり、内容はそこそこ良い。

その他連作
パガニーニによる大練習曲(S.141/R.3b)
3.5点
全6曲。三曲目のラ・カンパネッラが有名。パガニーニの悪魔性とリストの運動性がうまく相乗効果を発揮している。


3つの演奏会用練習曲(S.144/R.5)

1曲目
3.0点
優美なサロン風の雰囲気を持ちなかなか良い。練習曲という感じがあまりない。長過ぎて自由に発展していくのに最後まで付き合うのは大変だが。

2曲目
2.5点
途中からのパラパラとしたフレーズ部分が楽しめる。

3曲目
4.0点
切なさい感傷的なメロディーが美しくて儚い雰囲気を演出する分散和音に乗せて奏される

2つの演奏会用練習曲(S.145/R.6)
1曲目
2.5点
メロディーがいまいち

2曲目
3.0点
中間部以降が面白い。

クリスマスツリー
2.0点
特に気に入るような良作は無いし、後期の発想の弱さを感じる。曲調に宗教がかったしんどさが無いので気軽に聴けるのは良い。7曲目の子守唄などはなかなか良い。


幻影(S.155)(1834年)

1曲目 2.0点
普通の曲のようでとりとめが無く、捉えにくい曲で楽しみ方がよく分からない。どこか未熟。

2曲目 2.0点
この曲もすっと頭に入ってこない。

3曲目 2.0点
この曲もとりとめない印象。若いリストの原点と思われる音が聴けて興味深いが。


慰め(コンソレーション)(R.172/S.14)
1曲目 2.5点
2曲目 2.5点
3曲目 3.5点
4曲目 2.0点
5曲目 2.5点
6曲目 2.5点
静かで平易で穏やかな曲集。旋律の良さは三番が光る。他はいい曲とまでは言えない。


ウォロナンスの落ち穂拾い(S.249)(1847-48年)

1曲目 2.5点
憂愁をたたえた主題による静かでおとなしい変奏曲

2曲目 2.5点
やや技術的な要求がある少し感傷的気分で息長く続く曲

3曲目 3.5点
感傷的な旋律がぐっとくる。前二曲で感傷的気分に浸っていればさらに感動。


2つのポロネーズ(S.223)(1851年)

ポロネーズ1番
2.5点
ショパンのポロネーズのたぎるような熱い血と、マズルカの粘っこさの両方の濃さを併せたような曲。しかし長い割に展開が面白くない。

ポロネーズ2番
2.5点
メロディーはショパンのポロネーズの影響が濃厚で個性が薄い。その分聴きやすいとは言える。発展の仕方はそれなりに個性があるが抑えめ。ショパンが大好きな人なら気に入るかも。


ピアノ曲(オリジナル作品。単品)

ワルツ

メフィスト・ワルツ1番
4点
斬新な響き、悪魔的な表現、宴の楽しさ、めまぐるしさのあとのまったり感など、リストの一流のイマジネーションの強さと表現力を遺憾なく発揮した傑作。

メフィスト・ワルツ2番
2.5点
革新的な響きに続きを期待しては、発想力の足らない場面になりがっかりの繰り返しで終わる。

メフィスト・ワルツ3番
3.5点
スクリャービンの中期から後期に近い、時代や年齢を考えると驚異的な極めて斬新な響きが作りあげられており、各部分の完成度も高い。

メフィスト・ワルツ4番
3.0点
3番のような驚異的な斬新さと完成度はないものの、亡くなる前の年まで改革を目指した探求はされていることに驚ける内容にはなっている。


4つの忘れられたワルツ

忘れられたワルツ1番
3.0点
軽やかなサロン風小品として楽しめる。

忘れられたワルツ2番
2.5点
サロン風では聴きやすい部分もあるが、内容的に迷走していたり枯れていたりでいまいち。

忘れられたワルツ3番
2.5点
ワルツで和音連打する発想は面白い。ここまで高音に寄せられてしまうとやり過ぎで聴きにくいし、悪い意味で枯れた感じがする。

忘れられたワルツ4番
2.5点
短い小品で前奏曲のような趣き。


大作

ピアノソナタ ロ短調(S.178/R.21)
4.5点

リストのオリジナル独奏曲の代表作を一つ挙げるならやはりこれ。いくつかの動機を素材として自在に変化させて組み立てて、深遠で気高い精神のもとにストーリーを組み立てた。リストにしては構成的だが、大変自由に組み立てられた曲であることに変わりはない。この曲の演奏はいわば精神の旅に出るような趣きである。例えばふらふら当てもなく彷徨い虚空を見つめてから、覚悟を決めて前に進むかのように。旅の目的地はあそこでよかったのだろうか?

大演奏会用独奏曲(S176)
3点
曲名がいけてないので知らないと興味を持てないが、実は内容はソナタに向かう道程を示している貴重な記録であり、曲想はよい。

スケルツォとマーチ(S177)
3.5点
作り込み度合いと、独特のグロテスクながらも霊感を感じる曲想で、地味ではあるが素晴らしい傑作の一つと言える。とても難しそう。

リゴレットパラフレーズ
3.5点
すごく華やかな曲調で長さもちょうど良く、聴いて楽しい曲。

「ドン・ジョヴァンニ」の回想
3.5点
素材としているメロディーがいいし、場面の移り変わりや変奏も自由な発想に基づいて上手く作られていて楽しい。長時間たっぷりリストのピアニズムに翻弄されながら、明るく楽しい音楽を聞く事が出来る。

「ノルマ」の回想
3.0点
メランコリックで叙情的なメロディーを中心に、多くの場面をつなげて順番にメロディーを楽しむ曲。


その他の曲

アルバムの綴り 変イ長調(S.165)(1841年)
3.0点
サロン風でありきたりではあるが曲としてはよい。

ワルツ形式による音楽帳の1ページ(S.166)(1841年?42年?)
2.0点
サロン風のありきたりなワルツ。

ルイ=フェルディナント公の動機による悲歌(S.168)(1842年)
3.0点
どこが悲歌?お洒落なサロン風ワルツ。非常に聴きやすい。

夜の讃歌/朝の讃歌(S.173a)(1847-52年頃)
2.0点
曲想は親しみやすいが凡庸な内容。

スペイン狂詩曲(S.254)
4.5点
この曲は霊感にあふれている美しい場面が多く、ピアニスティックな楽しさと両立出来ていて、10分オーバーだが冗長さもほとんどない名曲の一つである。


2つの伝説(S.175/R.17)

小鳥に説教するアッシジの聖フランチェスコ
2点
描写的な音楽。10分あるのに静かなまま、さらさらとした雰囲気で終わってしまう。

水の上を歩くパオラの聖フランチェスコ
2.5点
描写的。超常的な現象が起こっている現場をうまく描いているとは思うが、大作にしては単純な場面やメロディーが続き過ぎると思う。


愛の夢、3つの夜想曲(S.541/R.211)

1番
2.5点
甘美さは充分で悪くはないのだが、よい旋律という感じはない。

2番
2.5点
穏やかな甘美さで雰囲気は良いが、いい旋律ではない。

3番
5.0点
名旋律を名アレンジで聴かせる名曲で小品として文句なし。


即興曲(夜想曲)(S.191)

メフィスト・ワルツ1番
4点

バラード第1番変ニ長調(S.170/R.15)
2.0点
穏やかな雰囲気のまま同じメロディーを繰り返して終わる。

バラード第2番ロ短調(S.171/R.16)
1.5点
大作だが、いいメロディーはないし心惹かれる場面は最後の盛り上がる部分だけという駄作。ショパンのバラードのようなレベルを期待してはダメ。

ヘンデルのオペラ『アルミーラ』からのサラバンドとシャコンヌ(S.181)(1879年)
隠れた名曲。重厚でがっちりとした響きの元に進む変奏曲のサラバンドと、軽快で最後は華々しく終わるシャコンヌ、どちらも素晴らしい。

ローマ内外の信徒に(S.184)(1864年)
3.0点
晩年の印象派風の作品への橋渡しにもなっていそうな、変わった雰囲気の曲。

即興曲(夜想曲)(S.191)

モショーニの葬送(S.194)(1870年)
2.5点
葬送の曲で哀悼の気持ちが伝わってくる

眠れぬ問い(問いと答え)(S.203)(1883年)
3.0点
斬新な響きで、もはやプロコフィエフさえも連想するほど。面白い。

即興円舞曲(S.213, 改訂稿:S.213a)
3.0点
雰囲気がついていくのが大変な位に、次々と即興的に移り変わる華やかな曲。

無調のバガテル(S.216a/R.60c)
2.5点
リストが時代の先をいった無調の曲。シェーンベルクのような純粋な無調ではなく和声も普通に使われている。希薄な調性感が独特の捉えどころのなさを演出してるのが面白い。

2つのチャールダーシュ(S.225)(1881-82年)
チャルダッシュ オブスティネ 3.0点
斬新で独特な小品でなかなか良い

死のチャールダーシュ(S.224)(1881-82年)
3.0点
死がタイトルに付いているが、その通りに重くて暗くて重たい雰囲気。とはいえ、単に暗いだけでなく、技術的なものも志向されている。

ゲーテ生誕100年祭の祝典行進曲(S.227)
2.0点
祝典的な雰囲気はあるけれども、単純なお祭りではなく、感動の想起とスケールの大きさを目指したように思える。

子守唄
1.5点
ショパンの子守唄にインスパイアされたのが明白だが、この曲はショパンを3分の1に薄めてから無駄な場面を挿入して引き伸ばしたような駄作になってしまっている。

暗い雲
2.5点
晩年の小品でフワフワとした不安な雰囲気をシンプルな音数だが実験的な和声で現されている特殊な曲。

半音階的大ギャロップ
3.0点
まさに半音階的なギャロップで、運動会の音楽みたいな楽しさ。


ピアノ編曲

リストは歌曲や管弦楽曲のピアノ編曲が数多くある。ピアノ編曲版は名曲を自分一人で演奏して楽しめるものであり、ピアノを演奏する人にとっては存在価値が大きい。ではCD等で聴く人にとっての価値は何だろうか?一つはピアノの均一な落ち着いた音色により原曲よりも落ち着いた気分で聴けることが挙げられる。また、大事な音だけが鳴るので曲の骨格がよく分かるメリットもある。打楽器的な性格のため、管弦楽よりもパンチが効いた音楽になる場合もある。これらのメリットがあるため、編曲を聴くことはオリジナル曲の鑑賞とは別の価値がある。

ベートーヴェンの交響曲(9曲)(S.464/R.128)
初めて5番6番9番の編曲版を弾いてみた時の驚きは忘れ難い。ベートーヴェンの交響曲は音楽の充実度や発想の豊かさが彼のピアノソナタよりも段違いに上なのである。本気のベートーヴェンの凄さを痛いほど体感することになった。だから、ピアノが弾ける人は、ピアノ専用の曲ばかり弾いていてはもったいなくて、ぜひ有名曲の編曲版にも手を出してみることをお勧めする。ベートーヴェンの交響曲のリスト編曲版の中で、原曲に迫る魅力を持っているのは6番だろう。楽章単位でベストを挙げるなら6番5楽章と9番1楽章だろうか。

1番
3.0点
初期の交響曲は特にピアノ曲的な内容であり、アレンジされてもあまり違和感がない。非常に充実度した初期ソナタのようだ。

2番
3.5点
1番と同様に、ピアノ編曲の相性はよい。かなり楽しめる。

3番
4点
1楽章のアレンジは素晴らしく、オーケストラの壮大さやパワフルさをかなり再現できている。3番は個人的に聞いていて疲れる曲なのだが、この編曲はオーケストラ曲よりましなので、聴き始める時の心理的障壁は低い。しかしやはり編曲版も聞いていて疲れる。

4番
3.5点
柔らかい曲なのでピアノ向きであり、管弦楽ではやや掴みにくい曲の骨格と良さがよく分かる。

5番
4点
1楽章イントロはサステインのないピアノの悲しさで寂しいものになる。1楽章はあまりピアノに向いていない。2楽章は向いており、この楽章だけとっても、ピアノソナタ32曲の中にはこれほど充実した内容と展開を見せる曲はないと思うので弾いてみることをお勧めする。4楽章の最後が、盛り上げるためにリストっぽいピアニズムが前面に出てしまい、安っぽくて少しがっかりする。

6番
5点
この曲はピアノとの相性がバッチリ。素晴らしい展開力とメロディーの楽しさに溢れている。特に5楽章の感動は、ピアノのパンチの利き方がある分もしかしたらオリジナル以上かもしれない。5楽章に関しては、これほど気品と感動に溢れていて圧倒的な展開を魅せるピアノ用のオリジナル曲はおそらく古今東西皆無だと思うので、史上最高のピアノ曲のひとつではないだろうか。

7番
3.5点
バーンとオーケストラでノリ良く鳴らす曲なので、あまりピアノ曲との相性がよくない。

8番
3.5点
7番と同様にあまり相性がよくない。

9番
4点
点と線を紡ぎ合わせて書かれている1楽章はかなりピアノと相性がよく素晴らしい。2楽章も同様にフレーズ的に向いている。3楽章はジャジャジャーンの所以外は最初からピアノのために書かれた曲のようであるである。4楽章も驚くことにそれなりに雰囲気が出ているが、なぜその音を選んだのだろうと思う箇所はある。全般にピアノと相性の良い。この曲の良さと価値を思うとラッキーなことである。いつか自宅で年末第九演奏会をやるために弾けるようになりたいと思わせるものがある。

ベルリオーズ:幻想交響曲(S.470/R.134, 136)

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88
10:777 :

2022/06/07 (Tue) 13:03:24

リヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner, 1813年5月22日 - 1883年2月13日)


最美の音楽は何か? _ ワーグナー『オペラ さまよえるオランダ人』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/613.html

▲△▽▼

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『タンホイザー序曲とヴェーヌスベルクの音楽』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/382.html

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『3幕からなるロマン的オペラ タンホイザーとヴァルトブルクの歌合戦』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/619.html

▲△▽▼

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『ロマンティック・オペラ ローエングリン』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/612.html

▲△▽▼

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『ニュルンベルクのマイスタージンガー 前奏曲』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/377.html

最美の音楽は何か? _ ワーグナー 楽劇『ニュルンベルクのマイスタージンガー』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/611.html

▲△▽▼

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『舞台祝典劇 ニーベルングの指輪』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/386.html

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『楽劇 ラインの黄金』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/618.html

▲△▽▼

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『ワルキューレ 第1幕』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/371.html

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『ワルキューレの騎行』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/372.html

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『ヴォータンの告別と魔の炎の音楽』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/373.html

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『楽劇 ワルキューレ』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/617.html

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最美の音楽は何か? _ ワーグナー『トリスタンとイゾルデ 第1幕への前奏曲とイゾルデの愛の死』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/378.html

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『楽劇 トリスタンとイゾルデ』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/387.html

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『ヴェーゼンドンク歌曲集』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/614.html

▲△▽▼

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『楽劇 ジークフリート』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/616.html

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最美の音楽は何か? _ ワーグナー『神々の黄昏 夜明けとジークフリートのラインへの旅』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/374.html

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『神々の黄昏 ジークフリートの死と葬送行進曲』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/375.html

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『神々のたそがれ 第3幕 ブリュンヒルデの自己犠牲とフィナーレ』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/376.html

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『楽劇 神々の黄昏』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/615.html

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最美の音楽は何か? _ ワーグナー『ジークフリート牧歌』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/194.html

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最美の音楽は何か? _ ワーグナー『パルジファル 第1幕前奏曲』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/384.html

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『パルジファル 聖金曜日の音楽』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/383.html

最美の音楽は何か? _ ワーグナー『舞台神聖祝典劇 パルジファル』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/385.html


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ヴィルヘルム・リヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner , 1813 - 1883 )


歌劇、楽劇の巨人であり、ドイツロマン派を代表する作曲家の一人。
作品ごとに雰囲気が全然違い、音楽の構造すら違ったりする。それでありながら全てが傑作である。新しい時代を切り開いた革命家であり、それまでには存在しなかった音楽の可能性を切り開いた。

陳腐さが全く無い音感の良さ、音に強烈なエネルギーを持たせる表現力、表現の幅広さや奥行きや劇的な構成力など、多くの能力において、ロマン派の中で最高峰の実力者である。


歌劇

『さまよえるオランダ人』 序曲

『タンホイザー』 序曲
4.0点
まだロマンの浸りきるところまでたどり着いていない、初期らしさの残る作品。しかし堂々としていて既に完全に大作曲家の領域に達している。

『ローエングリン』 序曲
4.0点
初期の中ではやはり1番完成している。非常に情熱的で、ロマン的純度が高いイメージで究極感のある音楽である。

『トリスタンとイゾルデ』 前奏曲
無限旋律やトリスタン和音の妙は、音楽の構造として見事な発明品である。そして、愛を情熱的に表現した音楽は、聴いていて熱い想いを感じさせる。

愛の死

『ニュルンベルクのマイスタージンガー』序曲
5.0点
堂々としたゲルマン的な英雄的な力強さに満ちている。行進曲でありながら、序曲らしさを兼ね備えているのが素晴らしい。

『ニーベルングの指環』 (Der Ring des Nibelungen )
ライトモチーフとストーリーを覚えると楽しんで聴けるSFファンタジー超大作。さしずめ19世紀版のスターウォーズといった所か。

序夜『ラインの黄金』 序曲
4.5点
自然が発生して、物語の場面へと誘う雰囲気の作り方の素晴らしさと期待感の高さは、全4夜の超大作にふさわしいもの。

第1夜『ヴァルキューレ』 第1幕
4.0点
叙情的に物語が始まる場面だが、雰囲気の作り方がうまさは完全に天才の所業である。ライトモチーフを追う楽しさはを端的に味わえる。

ワルキューレの騎行
5.0点
有名な曲。ビュンビュンとワルキューレが飛び交う雰囲気は何度聴いてもかっこいい。

第2夜『ジークフリート』

第3夜『神々の黄昏』

『パルジファル』 前奏曲
神聖さ、厳粛さを強く感じさせながらも、ロマン的な情熱とドラマトゥルギーを併せ持ち、そして宗教がかった曲にありがちな陳腐さに堕ちていないという、ワーグナーにしか作れない素晴らしい音楽。


その他

ジークフリート牧歌

交響曲

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B0%E3%83%8A%E3%83%BC


▲△▽▼


(左 : リヒャルト・ワーグナー / 右 : トマス・カーライル)
  ドイツでも階級格差は著しく、「ギムナジウム(大学への進学校)」を卒業した親と「レアルシューレ(実科学校)」でお終いの親とでは、教育理念が違うし、使っている語彙も異なっている場合が多い。他のヨーロッパ諸国と同じく、ドイツでもエリート主義の精神は充ち満ちている。偉大なる作曲家であるリヒャルト・ワーグナー(Wilhelm Richard Wagner)は、英国の歴史家であるトマス・カーライル(Thomas Carlyle)に傾倒し、上流階級の意識が骨の髄にまで染みついていた。ドイツの伝記作家ヨアキム・ケーラー(Joachim Köhler)は、カーライルに共鳴したワーグナーについて述べている。

  ドイツの文化遺産と英雄的資質を全人類の模範とした歴史思想家カーライルの信念は、大衆軽視とつながってワーグナーの確信になった。カーライルが「民主主義的政府」とイギリスの「三千万の国民」のことを「大半のばか者」とあざけると、ワーグナーは「大いに」喝采した。カーライルは民衆解放というテーマについても断固としたエリート主義的意見を表明しており、ワーグナーは彼を自分の信条の保証人として引用した。(ヨアヒム・ケーラー『ワーグナーのヒトラー』橘正樹 訳、三交社、 1999年、p.146.)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68921522.html
11:777 :

2022/06/07 (Tue) 13:03:51


ジュゼッペ・ヴェルディ(Giuseppe Fortunino Francesco Verdi、1813年10月10日 - 1901年1月27日)


ヴェルディ オペラ 『椿姫』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/835.html  
12:777 :

2022/06/07 (Tue) 13:04:19

セザール・フランク(César-Auguste-Jean-Guillaume-Hubert Franck、1822年12月10日 - 1890年11月8日)


最美の音楽は何か? _ フランク『ヴァイオリン・ソナタ イ長調 』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/203.html

最美の音楽は何か? _ フランク『ピアノ五重奏曲 ヘ短調』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/235.html

セザール・フランク 『前奏曲・コラールとフーガ 』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/915.html  


▲△▽▼


セザール・フランク(Césart Franck, 1822 - 1890)
ドイツ的な構築性を持ち、フランス的な美的な感覚や感性もあるいい作曲家。音楽に温かみと繊細さと深さがある。


管弦楽作品

交響曲 ニ短調(1888年)
3.0点
この曲はフランスを代表する交響曲と評価が高い。しかし正直いって、音色が鈍くて展開もはっきりせず、耳につくメロディーも無いし雰囲気は陰鬱で、はっとさせられる場面もなく、フランクの室内楽の明快な素晴らしさと比べて非常に分かりにくい。1楽章が特に分かりにくく2、3楽章はまだそれなりに理解しやすい。ブルックナーと同様に聴く側に修行が必要で、名演奏であることが必要な曲なのだろう。私はまだ修行が足りない。

交響的間奏曲「贖罪(改訂版)」(1874年)
3.3点
ワーグナーに似すぎだろう。豊かさのあるネチネチとした耽美に威勢のよいファンファーレを合わせる中間など、そのままである。たっぷりとした弦の歌わせ方もそのままだ。そのコピーぶりはオリジナリティ重視の観点ではあまり評価できないが、曲としてはなかなか良い。それなりに感動できる。

交響詩「アイオリスの人々」(1876年)
3.0点
かなりワーグナー色が強い。しかしながら地味だし、それこそワーグナーの楽劇の中のとある一場面程度の重さしかないような、軽くて一つの作品としての独立した価値に欠ける。つまらなくはないが、あまり良い作品と思わない。

交響詩「呪われた狩人」(1883年)
3.5点
驚いたことに、ワーグナー的な描写性と音の躍動感がかなり優れている、活発で劇的な曲である。偏見と知識不足だったのかもしれないが、これほど活発な音楽を書く人とは思っていなかったためかなり驚いた。ワクワクさせられる楽しい曲で、渋さの要素はほとんどない。音のセンスは充分で、軽薄すぎない大作曲家らしい曲になっていると思う。ドイツ風であり、フランス風味が少ないからそう感じるのかもしれない。

交響詩「プシュケ」(1888年)


管弦楽とピアノのための作品

ピアノ協奏曲第2番ロ短調作品11
2.0点
ショパンの協奏曲を強く連想する。単純素朴で十分に機能していないオケの伴奏が特に似ている。ピアノ独奏がこなれていないところも似ている。どちらも書法の質はショパン以下だと思うし、ショパンと違い曲としての聞き所や魅力も特にない。若き日の作品だが、これだけ聴くと後年の大成を予想するのは難しいだろう。そのような歴史的価値しかない曲だと思う。

交響的変奏曲(ピアノと管弦楽のための)(1885年)
3.3点
晦渋な主題を少しずつ変奏していく前半は地味であり、出来はよい曲だが繊細な微妙なニュアンスを感じとるのは大変である。後半はピアノ協奏曲らしい華やかな曲になって終わる。

交響詩「鬼神(ジン)」(1884年)
3.0点
独特のピアノ独奏付きの交響詩。ピアノは華やかに活躍するが、しかしそれが主目的の曲という感じでもない。フランスとドイツの混ざった独特の中立的な音楽とは思う。しかし、聴き方が良く分からないのも確か。


ピアノ曲

前奏曲、フーガと変奏曲(1873年)
3.0点
3つの部分の雰囲気があまり大きく変わらない。悲劇性を帯びた渋い曲想は分かりやすくかっこいい。しかし、オリジナルがオルガン曲であるためピアノ曲にしては鈍重すぎるきらいがある。

前奏曲、コラールとフーガ(1884年)
2.8点
ベートーヴェン的な精神的な深みはあるが、鈍く音を重ねて雰囲気が作られており、ピアノ的でないので聞きやすくない。最後にフーガが入る事で曲の見通しが良くなる点が次作より聞きやすいところ。しかしまとまっな完成度では一歩劣るか。

前奏曲、アリアと終曲(1887年)
2.8点
3楽章のソナタのような規模である。前半の2つの曲はコラールのような静かな曲で、最後の楽章は活発になる。オルガニストだからか、ピアノ曲らしい軽やかさが無い。メロディーや雰囲気はフランクらしい精神的な深みと高みがあるのだが、書法の問題か印象に残りにくいので分かりにくい。


室内楽曲

ピアノ五重奏曲 ヘ短調(1879年)
4.0点
1楽章や2楽章は夜の雨の中を歩くような雰囲気での、情熱や憂鬱や高潔さが混じった雰囲気が素晴らしい。3楽章の内面的な情熱と感動も良い。ピアノが全般に静かで、ピアノ五重奏ではこれがバランスとしていいのかもしれない。分かりやすい曲ではないが、ピアノ五重奏の代表作の一つ。

ヴァイオリンソナタ イ長調(1886年)
5.0点
曲の人気からも明白なように、ロマン派以降のヴァイオリンソナタの中でずば抜けた魅力がある。美しいメロディー、精妙な和声、透明感、堅固な構築性、艶めかしい美しさと胸の内から湧き出す情熱など、魅力が一杯である。全ての楽章の全ての場面が傑作で緩みがなく、しかも全体のバランスが良い。空想的な3つの楽章の後に奏される、4楽章のカノン風に掛け合いされる純粋な美しさの主題が特に印象的で、一度聴くと頭から離れなくなる。

弦楽四重奏曲 ニ長調(1890年)
3.3点
フランクの奥ゆかしい繊細な音楽性は弦楽四重奏の響きと相性がよいと予想して聴いた。聴いてみてその予想はある程度は当たった。残念ながら1楽章は響きが重くて厚ぼったく心地よさが足りず、15分もあるので嫌になってくる。2楽章は響きが軽くなりいい感じ。3楽章は繊細な織物のような曲で奥ゆかしくて、期待通りの素晴らしさ。ただし冗長。4楽章は活発な曲でシューマン的な高揚感を出しながらも奥ゆかしさがあり良い感じ。


オルガン曲

6つの作品(幻想曲ハ長調、交響的大曲、前奏曲、フーガと変奏曲、パストラール、祈り、終曲)(1862年)

幻想曲ハ長調
3.0点
瞑想的似た薄い音を動かす場面が多い。和声がシンプルで、少し古い時代の曲のようだ。次々と新しい場面に移り変わっていく幻想性は好きなのだが、やはり単純すぎて凡庸な曲に聞こえてしまうので、残念な気分で聞いてしまう。

交響的大曲
3.5点
基本的に大曲好きな自分だからかもしれないが、この曲はなかなか気に入った。交響曲ほどではないにしても、かなりの内容ボリュームであり、がっつり聴かせる。感動あり、怖れあり、反省あり、いろいろな感情が渦巻いている。それを、ある意味でオーケストラよりも大きなオルガンでひと続きに聴かせるのは圧巻だ。曲の長さでいえばリストのピアノソナタと同程度。さすがに密度や完成度は差があるにしても、スケール感などは似たものを感じる。

前奏曲、フーガと変奏曲
3.0点
とても物悲しい雰囲気で悪くはないのだが、分かりやすいすぎて、まるでロールプレイングゲームの悲しい場面の音楽のようだ。オルガンの使い方があまりに陳腐である。嫌いではないが、これを人に勧めるのははばかられる。

パストラール
3.0点
最初と最後は穏やかで柔らかい曲であり、パストラールの標題も分からなくはない。しかし、中間は瞑想的であまりそぐわない。パイプオルガンの音が少し軽く聞こえてしまうし、全体にやや平凡な感があり、曲集の一つとしてはよいが全体としてはいまいち物足りない。

祈り
3.0点
孤独の中で祈りを捧げる精神と身体をうまく表現されている曲であると思う。名作とは思わないが、独特な表現に成功している面白い曲としては評価できる。

終曲
3.0点
壮大な終局をみせる終曲である。予想できる範囲内の出来ではあるが、それなりのスケールで締めくくってくれる。


3つの作品(幻想曲イ長調、カンタービレ、英雄的作品)(1878年)

幻想曲イ長調
3.3点
モーツァルトの幻想曲のような瞑想的な雰囲気であり、展開のされ方にもどことなく似たものを感じる曲。雰囲気も展開もなかなか楽しめるものであり聞き入ってしまう。

カンタービレ
3.3点
まさに歌うようなしみじみとしたメロディーを聞かせる曲。ベタなようでもけっこう心にぐっとくるものがある。オルガンの素敵さの一端を感じさせてくれる。

英雄的作品
3.0点
がっつりと英雄的な強靭さを聞かせる曲。しかし、フランクらしい半音階的な中で聞かせるので、単純ではない。生で聴いたらさぞかっこいいことだろう。


3つのコラール(1890年)

コラール1番
3.5点
最晩年の3つの大作コラールの1曲目。半音階的な複雑な和声進行が印象に強く残り、ブルックナーの交響曲9番の3楽章のような神に捧げる祈りの音楽になっている。最初ずっと同じ雰囲気で十分に満足できるだけの時間を祈りに使ったあと、中間からは強烈な和音に始まり不安をかきたてる。これも平凡さがない独創性があり、非常に効果的。最後は感動的にしめくくる。作曲技術の高さとたどり着いた境地の高さに驚く曲。

コラール2番
3.8点
短調でドロドロとした暗黒の世界が最初は続く。オルガンしか出来ない不思議な世界観であり、かなり前衛的にも感じる。突然の悲劇的な悲鳴に続いて、かなり焦燥的ともいえるような不思議な切迫感のある部分に移る。ここはかなり聞き入った。秀逸だと思う。オルガンならではの独特な表現と半音階的なフランクの音楽が非常に独創的な世界を築いていて、未来的ともいえるほど。オルガンはすごい楽器だ。かなり驚いた。

コラール3番
3.0点
感傷的な甘さのある前半部分。前の2曲ほど超越的でなく人間的なのが分かりやすい。しかし、圧倒感のある魅力がない。後半部分がかなり平凡なのはもっと残念で、聴き終わったあとに残念感がかなりある。前の2曲が凄かっただけに残念である。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%AF


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Date: 11月 4th, 2022
So(その3)
五味先生が「フランク《オルガン六曲集》」に、こう書かれている。
     *
 世の中には、おのれを律することきびしいあまり、世俗の栄達をはなれ(むしろ栄達に見はなされて)不遇の生涯を生きねばならぬ人は幾人もいるにちがいない。そういう人に、なまなかな音楽は虚しいばかりで慰藉とはなるまい。ブラームスには、そういう真に不遇の人をなぐさめるに足る調べがある。だがブラームスの場合、ベートーヴェンという偉大な才能に終に及ばぬ哀れさがどこかで不協和音をかなでている。フランクは少しちがう。彼のオルガン曲は、たとえば〝交響的大曲〟(作品一七)第三楽章のように、ベートーヴェンの『第九交響曲』のフィナーレそっくりな序奏で開始されるふうな、偉大なものに対する完き帰依──それこそは真に敬虔な心情に発するものだろう──がある。模倣ではなくて、帰依に徹する謙虚さが誰のでもないセザール・フランクの音楽をつくり出させたと、私には思える。そのかぎりではフランクをブラームスの上位に置きたい。その上で、漂ってくる神韻縹緲たる佗びしさに私は打たれ、感動した。私にもリルケ的心情で詩を書こうとした時期があった。当然私は世俗的成功から見はなされた所にいたし、正確にいえば某所は上野の地下道だった。私はルンペンであった。私にも妻があれば母もいた。妻子を捨ててというが、生母と妻を食わせることもできず気位ばかり高い無名詩人のそんな流浪時代、飢餓に迫られるといよいよ傲然と胸を張り世をすねた私の内面にどんな痛哭や淋しさや悔いがあったかを、私自身で一番よく知っている。そんなころにS氏に私は拾われS氏邸でフランクのこの〝前奏曲〟を聴いたのだ。胸に沁みとおった。聴きながら母を想い妻をおもい私は泣くような実は弱い人間であることを、素直に自分に認め〝前奏曲〟のストイシズムになぐさめられていた。オレの才能なんて高が知れている、何という自分は甘えん坊だったかを痛感した。この時に私は多分変ったのだろう。
     *
《なまなかな音楽は虚しいばかりで慰藉とはなるまい》、
まったく何もうまくいかない時期なんて、誰にでもあるだろう。
私にもあって、だからといって《不遇の生涯を生きねばならぬ人》と、
自分のことを思っていたわけではないけれど、
《なぐさめに足る調べ》を求めた時期がある。

けれど、そんな時に、“Don’t Give Up”は、最後まで聴けなかった──、
(その2)に書いた。ほんとうにそうだった。

“Don’t Give Up”を聴き続けるのがつらかったわけではなく、
どこか虚しく聴こえてしまい、途中で聴くのをやめたことがある。

胸に沁みとおってこなかったことに、自分でも唖然とした。
http://audiosharing.com/blog/?p=38517

13:777 :

2022/06/07 (Tue) 13:04:47

ベドルジハ・スメタナ(Bedřich Smetana 、1824年3月2日 - 1884年5月12日)


ベドルジハ・スメタナ 『モルダウ』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/884.html  


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ベドルジハ・スメタナ(Bedřich Smetana, 1824-1884)

連作交響詩『わが祖国』(Má Vlast)(6曲)(1874-79年)

第1曲:ヴィシェフラド
3.8点
ワーグナーをすぐに連想するような、古代的なおとぎ話のような雰囲気を持っている。ヴィシェフラド城という城を題材にしているのはよく伝わってくる。心地よいファンタジー感で楽しい。かなり良いのだが、ワーグナーほど情熱的で地が湧く感じでないところに彼との差を感じる。

第2曲:モルダウ
4.5点
主要なメロディーをはじめとして、どの場面も旋律、雰囲気、音による描写の的確さなどいずれも非常に優れている。甘く劇的で描写的なロマン派の美点を見事に代表する曲の一つと言えるだろう。大地を流れる大河の自然の壮大さ、川の水のエネルギーなどをこれ以上なく表現できている。

第3曲:シャールカ
3.3点
やや和声や旋律に凡庸さを感じる場面が多くあるが、次々と移り変わる場面に身を任せることができるため、いちおう問題の解決になっている。ボヘミア的な民族的な旋律が楽しい。劇的ではあるが、激しさはそれほどでなく、おとなしい激しさとも呼ぶべき程度である。

第4曲:ボヘミアの森と草原から
3.3点
前半の森林浴やハイキングをしているかのようや自然の気持ちよさを満喫できる音楽。実際にハイキングに出かけたくなる。後半はポルカで楽しい踊りの音楽。ドヴォルザークのような躍動感があるが、同時に軽さもある。

第5曲:ターボル
3.0点
鋭角的な音楽。戦いを表現しているようだ。他と同様に正統派な交響詩らしい交響詩だが、インスピレーションは他と比べて強くない気がする。さらっと聴けて印象にあまり残らなかった。

第6曲:ブラニーク
2.8点
密度がオペラの音楽並みに感じでしまい、あまり楽しくない。正統派の交響詩として悪い曲ではないのだが、なんだか感動できる要素がかなり少ない。ここが良い、という部分がない。あと、5曲目と同じ旋律が多用されているのもマイナス。フス教徒の賛美歌とのことだが。


室内楽曲

弦楽四重奏曲第1番ホ短調『わが生涯より』(1876年)

弦楽四重奏曲第2番ニ短調(1882-83年)

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E6%9D%B1%E6%AC%A7
14:777 :

2022/06/07 (Tue) 13:06:21


アントン・ブルックナー(Joseph Anton Bruckner, 1824年9月4日 - 1896年10月11日)


最美の音楽は何か? _ ブルックナー『交響曲第3番 ニ短調』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/519.html

最美の音楽は何か? _ ブルックナー『交響曲第4番 変ホ長調 ロマンティック』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/516.html

最美の音楽は何か? _ ブルックナー『交響曲第5番 変ロ長調』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/511.html

最美の音楽は何か? _ ブルックナー『交響曲第6番 アダージョ』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/207.html

最美の音楽は何か? _ ブルックナー『交響曲第7番 ホ長調』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/510.html

最美の音楽は何か? _ ブルックナー『交響曲第8番ハ短調』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/509.html

最美の音楽は何か? _ ブルックナー『交響曲第9番 ニ短調』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/505.html



最美の音楽は何か? _ ブルックナー『ミサ曲 第3番 ヘ短調 WAB.28』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/507.html

最美の音楽は何か? _ ブルックナー『テ・デウム ハ長調 WAB.45』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/506.html


最美の音楽は何か? _ ブルックナー『弦楽五重奏曲 ヘ長調』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/508.html


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クラシック音楽 一口感想メモ
アントン・ブルックナー(Josef Anton Bruckner, 1824 - 1896)

人間的感情に欠けるので聴き始めても最初はどこがいいのか分からない。長い全曲を何度も聴いて覚えて大自然の必然に身を置くように曲の流れに身を任せられるようになると、気持ち良くてやめられなくなる。一見禁欲的なようでいて、個人的には実は快楽的な音楽であると思う。


交響曲

•交響曲ヘ短調◦3.0点


初期の交響曲。もっと普通の曲かと思ったが既にブルックナーらしい世界である。まだ未熟で書法が単純であると感じるところはあるが、とはいっても十分な複雑さがありブルックナーが好きなら飽きずに楽しめるもの。茫洋とした雰囲気は0番などに似ている。曲がコンパクトで聞きやすく、各楽章を楽しめる。ブルックナーの作った世界の生い立ちを知る上でヒントを得られる点で興味深い。

•交響曲第1番ハ短調◦3.3点


ブルックナー生来の音は既に鳴っているが、まだオーケストラの使い方に荒削りさが気になるし、構成もブルックナー独特のものに固定されておるず発展中である。アダージョとスケルツォは特に魅力がある。初期であり完成度は後年のものには及ばないが、雰囲気に若い新鮮さもあり、案外聴きがいがある作品。

•交響曲第0番ニ短調◦3.5点


番号カウントに入っていない作品であり、後日改訂されていない作品である。しかしブルックナーらしい音はしっかりある。まあ、若い作品といっても45歳だから、いろいろ確立しているのは当然かもしれないが。茫洋とした雰囲気と、独特の力強さと不思議な世界観を見せている。なにより若々しい生命感と活力と感受性の発露があり、爺さんになってから書いた曲とは違った素敵さがある。2楽章の薄暗い曙光と冬の空気の雰囲気はロマンティック。3楽章のスケルツォはかなり秀逸で、霊感にあふれた巨匠的な内容のもの。4楽章は威勢が良くて、もったいぶってないのが爽快。

•交響曲第2番ハ短調◦3.5点


初期の作品であり、まだ精神の深い所に沈んでいく感じはなく、浅い。しかし、ブルックナーらしさは完成されてきており、構成が固まってきている。アダージョに感動的な魅力があるし、他の楽章もバランスがよく、既に大交響曲作曲家の一歩を踏み出している。

•交響曲第3番ニ短調(『ワーグナー交響曲』)◦3.8点


改編を晩年に実施した曲なので音の密度が濃く充実している。

•交響曲第4番変ホ長調『ロマンティック』(Romantische)◦3.8点


ブルックナーの中では短くて分かりやすいため入門に良い。全体にメロディーが良く、バランスも良く、長すぎないため曲を把握しやすい。明るく適度な開放感のある雰囲気は、聴いていて素直に楽しいと思わせるものがある。ただし、ブルックナーの真価である、7番以降ような世界と等身大のような広大さがまだない。とはいえ、聞きやすく純粋な音楽的部分でなかなか優れているので、この曲が一番有名というのは仕方ないと思う。なお、「ロマンティック」という副題は、普通のロマン派音楽の感覚でいえば全然ロマンティックではない曲なのであまり気にしない方がよいが、まったくロマンティックさが無い曲も多い本人の作品の中で、この曲は多少は感じる部分があると思う。

•交響曲第5番変ロ長調◦3.3点


8番と同様に、最後までの全体が立派で堂々としたスケールを持っている立派な曲。しかしながら、ブルックナーが感じさせるある種の快感がこの曲には少なく、聞いた後の疲れが多くてきつい。尖った感じがするともいえるが、むしろ、とっつきにくくて幻想的かつ思弁的という印象。構築的で同じ動機の使い回しが多いのだが、肝心の繰り返される動機が自分としてはあまり魅力を感じない。

•交響曲第6番イ長調◦3.5点


2楽章はブルックナーの曲の中では珍しく人間的な愛情のようなものが感じられる。何度も繰り返されるメロディーや、しなやかな深さをもって心をゆり動かす魅力は素晴らしく、聞く価値がある。また1楽章は巨大な深い森林のような雰囲気で、シベリウス初期に似た骨太なゴツさがあり、前に進む推進力がある。後半の楽章は可もなく不可もないと思う。


•交響曲第7番ホ長調◦4.5点


最初と二つの楽章は、メロディーが分かりやすくブルックナーにしては珍しく初聴で感動できるため、入門によい。田園的な心地よさと包み込むような柔らかさに満ちている。後半の2つの楽章のレベルが落ちるのが残念である。

•交響曲第8番ハ短調◦5.5点


圧倒的なスケールの正統派で雄大な作品。明るくポジティブな推進力があり、何度でも楽しめる。すべての楽章の完成度が高い。1楽章はあまりメロディーが無く、動機を使った運動的な曲。巨大な曲でありながら、全曲の中では序章に過ぎないのが凄い。2楽章はそれを展開するが、まだ序章その2という感じだ。3楽章からが本編である。精神世界の深い部分を逍遥するようなすばらしさ。特に第2主題の絶妙さは驚異的。コーダが最高である。4楽章の大自然の満点の星空のような雄大さと、アルプスの巨峰のような存在感の、稀にみる巨大スケールの曲。

•交響曲第9番ニ短調◦5.5点


4楽章が未完成。この曲はブルックナーの曲の中で密度の高さが大きく異なる。他の曲は曲の流れに身を委ねるのが気持ち良くて、聞き終わったらもう一度聴きたくなるが、この曲は胸が一杯になって満足感でしばらく動けなくなるような感じである。3つの楽章とも、8番の同じ楽章と比較するとより優れていると思う。この交響曲は人間的な愛情や信仰心といった感情をかなり強く感じさせる点が、ブルックナーの中で異質である。

室内楽曲

•弦楽五重奏曲 ヘ長調 1878-79◦3.8点


1楽章と3楽章が特に良い。1楽章は典型的なブルックナーのソナタ楽章だが、主題に魅力があり、規模の大きさと内容の充実があり、やや交響的なスケールを見せながらも室内楽としても魅力があり、満足感がある。3楽章はブルックナーの得意な息の長くたっぷりとメロディーをしなやかに感動をもって聴かせる美しい曲。これも彼の特質を発揮出来ている。2楽章はスケルツォとして間に入れる曲としてセンスが良い。4楽章が弱く、この曲の弱点になっている。旋律が弱くて、室内楽として最終楽章で出来ることをうまく発見出来ないまま書かれたように感じた。

•間奏曲ニ短調◦3.3点


一度弦楽五重奏曲の2楽章として差し替えられた後に、また外されて独立された。ウィーン的な上品さとブルックナーらしさが融合している面白い曲。しかしパンチが効いていないので、弦楽五重奏曲の中に入れるのは気分転換の図れるスケルツォの方が良さそうであり、ブルックナーの判断は正しいと思う。


合唱曲、宗教曲

•テ・デウム◦4.0


ブルックナーの宗教音楽の中の力作。交響曲のイディオムを合唱曲で使っているのだが、ダイナミックな音使い、ユニゾンの使い方などが、神々しい光を放って圧倒的に響くさまは、聞き込むほどに見事なものだと関心する。楽想の豊さと、構成の壮大さ、見事さといい、最後の二つの交響曲に近いほど重要な作品と感じる。交響曲と同様に何度も繰り返し聴いていくと、より素晴らしく聞こえてくる。短い部分に分かれているため、むしろ交響曲より聴きやすいかもしれない。


•ヘルゴラント◦3.8点

ブルックナー最後の作品。男性合唱の力強さが、ダイナミックな管弦楽とあいまって、なかなかの聴き応えある作品となっている。交響曲9番の時代ならではの、さらなる複雑さと神秘性を伴った響きが聞き物。そして高揚感も楽しい。最後の大円団はワクワクする楽しい音楽。なぜこれがマイナー曲なのか分からない。

•詩篇150◦3.3点

晩年の合唱作品。8分程度であまり長くないので、その分だけブルックナーの良さが完全には発揮されていない気がする。音の動きはかなり激しいのだが、野太さというブルックナーの特質が出し切られていないなど、ややブルックナーに期待するものが足りない。晩年らしく練達された作曲技法は使用されていて、楽しめる作品ではある。

https://classic.wiki.fc2.com/wiki/%E3%83%96%E3%83%AB%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%8A%E3%83%BC



15:777 :

2022/06/07 (Tue) 13:06:48


ブルックナーが苦手な人のためのブルックナー講座【補講】
小室 敬幸 2018/08/23
https://note.mu/kota1986/n/nc220cde72dcd

アントン・ブルックナー(1824-1896)

ブルックナーの交響曲が演奏されるコンサートでは「男性トイレに長蛇の列が出来る」ことでお馴染みのアントン・ブルックナー。それゆえ、女性受けが悪いという定評もあるのですが、番組にいただいたメールでは男性でも苦手という方が多数いらっしゃったり、もちろん女性でも大好きな方もいらっしゃいました。

ですから、ブルックナーは自分には関係ないと頭ごなしに否定せず、まずは色々と聴いてみていただければと思います。とはいえ、ブルックナーが音楽史に名を刻む他の作曲家と比べても、かなり変わった存在であるということは間違いありません。その「変な部分=特異性」にまず迫ってみたいと思います。

1)時代背景にみるブルックナーの特異性を知ろう

話はまず、ベートーヴェンが亡くなった1827年に遡ります。ベートーヴェン亡き後、19世紀半ば以降のドイツでは、ベートーヴェンが築きあげたものをどう受け継いでいくかという方針の違いにより、ざっくり言うと【保守派】と【革新派】のグループに分かれてゆきます。

【保守】ヨアヒム(1831-1907)、ブラームス(1833-1897)
【革新】リスト(1811-1886)、ワーグナー(1813-1883)

この対立が、露骨に表れたのは1860年のこと。保守派から革新派に向けた声明文が雑誌に掲載されたのです。ちなみに当時既に、メンデルスゾーン(1809-1847)やシューマン(1810-1856)はこの世を去っていました。

あくまでも、音楽そのものだけで音楽を成り立たせようと考えていたブラームスと、ヴァイオリニストで作曲家のヨアヒム。それに対し、主な批判の矛先となったリストとワーグナーは、音楽に文学や物語の要素を持ち込むことで、新しい音楽の可能性を切り開こうとしていたのです。

こんな対立構図になっていた19世紀後半のドイツの音楽シーンに、遅れてきたルーキーとして登場したのが、アントン・ブルックナー(1824-1896)でした。年齢的にはワーグナーとブラームスの間ぐらいなのですが、作曲家として本格的に活動をはじめたのが40歳からと、非常に遅かったのです。

ブルックナーは作曲を習っている30代の頃に、師事していた先生からの薦めでワーグナーにハマり、後にはワーグナーに面会した上で自作を献呈しています。ところが、ブルックナーには重大な欠陥がありました。ワーグナーのオペラ(正確には楽劇)を観ても、物語をキチンと理解できなかったのです。そもそも、ブルックナーの本棚には、楽譜などを除けば、聖書ぐらいしかちゃんとしたものはなく、文学的素養が欠如していたのです。

だからこそ、ワーグナーを敬愛していてもオペラや、リストが創始した交響詩を書くわけもなく、文学・物語・歴史といった要素のない交響曲をひたすら書き続けたのでした。ですから【革新派】としても異端の存在だったのです。

そして、同じく長大な交響曲を創作の中心に置いていたマーラー(1860-1911)がよく横並びで語られますが、年齢的には36歳も年下の存在。今でいえば、マーラーがITのベンチャー企業で成り上がった社長だとすれば、ブルックナーはオタク気質の小説家もしくは漫画家みたいな感じです。女性関係をみても、社交界の花形を妻に迎えたマーラーに対し、ブルックナーは26歳の頃に16歳の少女に恋して以来、幼く純真な女性だけが恋愛対象だったといいます。そして活動期間が共通するのはマーラーではなく、どちらかといえばブラームスなのです。

ブルックナーの特異性 まとめ

①作曲家を志したのがそもそも遅い。
 ⇒後述するが「40歳でデビュー、50歳で個性確立、60歳で初成功」

②ワーグナー信奉者であったのに、一部の宗教曲を除き本腰を入れて
 作曲したのは交響曲のみ。物語的な要素がない(≒ 本当に革新派?)。

③マーラーとセットで語られることもあるが、
 活躍した期間が重なるのは、どちらかといえばブラームス。

2)ブルックナーの人生、全体像を掴もう

今度は、具体的な作品に触れる前に、ブルックナーの人生を大雑把に把握してみましょう。72年の人生は交響曲の作曲を始める前の40年間と、始めた後の32年間に分けることが出来ます。

➡ブルックナーの人生72年概略

 【前半生】誕生から修行時代(1824~1863)※約40年
  ⇒当初は、父親のあとをついで音楽の先生を目指した。
  ⇒当時、地方の音楽教員は、教会のオルガニストも兼任していたため、
   オルガニストとしてのスキルも身に着けた。
  ⇒32歳の頃から、作曲家になるべく本格的にレッスンを受け始める。
  ⇒1856~63年の8年間だけが作曲家としての本格的な修行期間。

 【後半生】交響曲作家時代(1864~96)※約32年
 ・交響曲第1番~第5番(1864~76)※約12年
  ⇒5番を書き上げた以降は、度々過去作の改訂に時間を費やすように。
 ・交響曲第6番~第9番(1876~96)※約20年
  ⇒作品の長さだけでなく、作曲期間も徐々に長大化。
  (5番は1年4ヶ月、8番は4年2ヶ月、9番は5年以上かかって未完)


そもそも、本格的に作曲の勉強をはじめたのが32歳と異様に遅かったのが特殊だといえるでしょう。晩学で知られる著名作曲家は他にもいますが、チャイコフスキーは21歳頃から、ルーセルも25歳から……と比較しても、ブルックナーの特殊性は際立ちます。

しかも、その修行期間は8年間。やっと交響曲第1番を書き上げた時には39歳になっていました。しかも、それですぐにどうにかなったわけでもありません。自分の個性がキチンと確立されたのは49歳……と修行終了から更に10年間もかかっているのです。

この期間の作風変遷を聴くのは、かなり興味深く、ブルックナーが徐々に自分なりの個性を見出していく過程がうかがえます(※厳密には初稿を並べるべきなのでしょうが、今回はそこまでしておりませんことご了承ください)。下記のプレイリストを冒頭だけでも聴き比べてみれば、ブルックナーが最初からブルックナーではなかったことが分かるはずです!

ブルックナー入門講座【補講】, a playlist by Takayuki Komuro on SpotifyA playlist featuring Anton Bruckneropen.spotify.com

※第1楽章だけを抜粋
16:777 :

2022/06/07 (Tue) 13:07:15


欧米でブルックナーの音楽が敬遠された理由

宗教的な音楽を書く作曲家は必ず脳のどこかに欠陥が有るんですね。
クルクルパーの天才の代表は勿論この人:

1824年。楽聖ベートーヴェンの第九が初演されたこの年に、この大交響曲の発展継承者として交響曲史上に残る巨大作を次々と完成させた”大建築家”ブルックナーは生まれた。今では彼の作品で名演を聴かせる事が出来れば、その指揮者は大指揮者の列に加えられる位、巨大な存在を誇る彼の作品群だが、逆にそれ故に生前に成功を収めた例は少ない。

音楽史上に聳え立つ巨大な作品群を遺したこの大建築家、間違いなく”奇人変人”に分類される。

少女に異常な迄の興味を示し求婚迄してしまう、今で言うところの”ロリコン”。

人間の死に異常な迄の関心を示し、死傷事故が発生する度、遺体を観察しにいった今で言うところの”死体マニア”。

何かにつけて、他愛がない事でも一々証明書の発行を要求した”証明書マニア”。

敬虔なクリスチャンとしても知られながら、高潔というよりは如何にも世慣れぬ不器用な小市民的性格。その彼が一度オルガンに向えば、古今無双の圧倒的感銘を与え、楽譜に向えば、空前絶後の大建築群を打建てる。正に「天才と気狂いは紙一重」を地でいった人物だったと言えよう。

この大建築家が楽聖の到達した境地を発展継承せんと交響曲を初めて書き上げたのは1863年、39歳の時の事だとされる。この年齢には神童モーツァルトや歌曲王シューベルトは既に世を去っている。

大建築家は前年に初めてソナタや管弦楽作品に進出したのだった。それ迄の彼は教会でオルガン奏者や合唱指揮者を務めつつ、作曲を行っていた。その殆どは教会音楽であり、”修業時代”の物として認識されている。

というのも、彼はゼヒターら著名な音楽教育者の許でひたすら様々な作曲技法を習得中だったからである。しかも、例の”証明書マニア”ぶりは此処でも発揮され、大建築家は一つの技巧をマスターする度に師から証明書を発行して貰っている。

この時期生み出された作品としては『アヴェ・マリア』等がある。


さて、「こうして私の作曲家としての時代が始まった」と大建築家自身が公言した1863年に書かれた2曲の交響曲。1曲は交響曲ヘ短調だが、これは後にブルックナー自身によって破棄された。

もう1曲は”第0番”という交響曲史上類を見ない番号が与えられたニ短調の交響曲である。この第0番は大建築家の史料的存在として今でも時折録音されているものの、大建築家自身もあまり評価していない。

また、この年大建築家にとって非常に重要な転換点となる作品と出会っている。

怪物ワーグナーである。

この時期まだ大建築家の作風はベルリオーズやメンデルスゾーン、リスト、シューマンら初期ロマン派の影響が濃かったとされている。造型においてはゼヒターと並ぶ重要な模範、キッツラーの理論を独自に発展させようとしたブルックナーだが、ワーグナーの和声や対位法、管弦楽は正にその後の大建築家に絶大な影響を及ぼしていく。

翌1864年は再び”修業時代”の集大成的大作、ミサ曲1番ニ短調を完成。
大建築家は先ずは宗教曲の大家として認知される事になる。

翌1865年には2人の人物と会見している。

一人は言う間でもなく尊敬するワーグナーであり、もう一人は評論家のハンスリックである。

後にはブルックナーにとって最大の仇敵となり、時のオーストリア=ハンガリー二重帝国皇帝フランツ・ヨーゼフに何か要望はあるかと訊かれ、

「陛下、ハンスリックに私の事を悪く言うのを止めさせて下さい」

と大建築家に懇願させる事になるハンスリックだが、この時はまだブルックナーをバッハ以来の宗教曲の大家として絶賛していた。

彼が”敵”に回るのは、大建築家が親ワーグナーの姿勢を全面的に打ち出したからだとも、大批評家の娘との縁談を大建築家が断ったからだとも言われている。

因みに、ワーグナーとの会見時、既に大建築家は交響曲第1番を作曲中で、ハンス・フォン・ビューローはこれを賞賛したというが、神格化する怪物ワーグナーを前にしたブルックナーは、気後れして結局スコアを見せる事が出来なかったらしい。

1866年、交響曲1番、完成。同じ年にミサ曲2番ホ短調も書かれている。

そして、この大作2曲を書き上げた翌1867年、ブルックナーは極度のノイローゼに陥り、静養を余儀なくされる。

窓や紙、星、砂粒等視界に入る物の数を数えなければ気が済まないという病癖もこの頃から始まったとされる。

因みに、第一は大建築家自身が後に「小生意気な娘」と呼び、愛した様に、後年の巨大なスケールは持たないものの、快活でワーグナーの管弦楽の影響も随所に採り入れた意欲作である。

ミサ曲2番はア・カペラの多い難曲だが、傑作として知られている。

1868年、完治はしなかったが、復帰した大建築家はミサ曲3番ヘ短調を完成させる。

また、ウィーン音楽院からの和声法、対位法の教授として赴任する事を受諾。
住み慣れたリンツの地から愈々”音楽の都”ウィーンを主戦場にする事になる。

それから暫くはミサ曲2番や3番の初演準備、ロンドン公演、交響曲0番の改訂等を行い、大作らしい大作は書かれなかった。

彼が交響曲の世界に戻ったのは1872年。第二番ハ短調である。

第一より熟達した内容を具え、ブルックナー特有の休止符の多さや緩徐楽章の美しさで知られるこの交響曲の完成の年、ミサ曲3番が初演され、成功を収めている。


翌1873年、大建築家は怪物の許を訪れている。

第二か、作曲中だった第三の献呈を申し入れる為である。

怪物は第三を選んだ。実はこの時期バイロイト祝祭劇場建設で多忙だった怪物は、最初時間がないからと献呈を断ったらしい。しかし、大建築家の熱意に負け、取敢えず2つの交響曲の総譜を預かり、検討する事にしたのである。

ハンス・リヒターらとブルックナーの作品を検討したワーグナーが、第三の冒頭のトランペットに特に強い興味を示しているという事を伝え聞いた大建築家は、怪物に献呈の返答を貰う際、

「トランペットの方ですか?」

と訊いた。怪物は

「その通りです」

と応え、かくして第三が献呈される事になった。同じ年、大建築家はウィーンのワーグナー協会に入会している。また、デソフによって第二の初演も行われたが、これは成功とは言えず、後に改訂する事になる。

翌1874年、大建築家は前年暮れに完成した第三を”神”ワーグナーに献呈する。
この交響曲が『ワーグナー』の通称で知られるのもそれ故だ。

しかし、初演はデソフらの拒否に遭い、中々実現しなかった。

その為ブルックナーはこの年に第四『ロマンティック』の初稿を完成。

1875年は第二の改訂。1876年、第五初稿完成。

そして、1877年。一部手直しした第三の第二稿が漸く初演の運びとなる。

指揮は大建築家の佳き理解者とされるヘルベックだったが、彼は急逝。

誰もこの大作の指揮を引き受けようとしなかった為、ブルックナー自身がこれを振る事になる。

初演は音楽史上に残る大失敗だった。ブルックナーは指揮者としても優秀であったが、栄光のウィーン・フィルを前に、思う所を中々伝える事は出来ず、オーケストラの連中はこの大建築家を馬鹿にしていた。そうした状態で立派な演奏が行える筈もなく、聴衆達は次々に帰り始め、終楽章が終わった時には僅か20数人しか残っていなかったという。

その殆どは音楽院における大建築家の熱心な信奉者達で、マーラーやクルジジャノスキー、デチェイ、ヨーゼフ・シャルクらだった。彼らは師を慰めようと、月桂冠を渡そうとしたが、気落ちした大建築家にそれを受け取る気力はなかった。しかし、それでも出版業者、レティヒの好意的な申し出があり、総譜とピアノ譜が出版の運びとなった。

因みに、この時ピアノ譜を担当したのはマーラーだったが、大建築家はその出来を気に入り、大事な初稿を彼に献呈したという。

その為、後にヒトラーがこの初稿を入手せんとマーラー未亡人アルマらに圧力をかけたのは有名な話だ。


第三の歴史的失敗は、大建築家に類を見ない”改訂癖”を身に付けさせる。

1888年、大建築家は第三の改訂を行う事を決意する。

それを知ったマーラーの説得で、一度は改訂を中止しようと考えた大建築家だったが、シャルク兄弟らの説得で、結局それは敢行された。

現在演奏されるのは、この最終稿による物が多い。
http://homepage3.nifty.com/mahdes/myckb8a.htm
17:777 :

2022/06/07 (Tue) 13:07:42


欧米でブルックナーの音楽が敬遠された理由 _ 2

ブルックナーの遺言(前編)

ブルックナーの全交響曲の中で1曲だけ選ぶとしたら、何といっても『第9番』である。 これまでブルックナーのさまざまな作品を聴いて、それぞれに深い感銘を受けているのだが、やはり『第9番』の魅力には敵わないと思う。

今回は、ブルックナーの死によって絶筆となった第4楽章フィナーレについて取り上げてみたい。

長らくこの第4楽章は、スケッチのみが現存すると伝えられてきた。

事実、『クラシック音楽作品名辞典』(三省堂刊)には、昨年発売の改訂版にも、そう記載されている。要するに「取るに足りないもの」というわけだ。ブルックナーを愛好する人でさえ、かつては、その程度の認識だったと思う。事実は、大きく違っていたのだが…。

また、残された3つの楽章の出来が素晴らしいことも、続く第4楽章に対して興味が向かない要因だったとも考えられる。緊張度が高く悪魔的な第1、第2楽章。ようやく第3楽章の終盤になって、その緊張から開放され、彼岸のような穏やかな調べとなる。

事実、第3楽章の最後の部分では、これまでの自作の旋律が次々と回想され、いかにも全曲の締めくくりのようにも聴こえる。そこには3楽章で終わることによる不足感や疎外感はなく、シューベルトの『未完成交響曲』と同様、「残された楽章だけで完結している」と思えても不思議ではない。現在でも、そう考える人は少なくないのではないか。だがそれは、決してブルックナーの意思ではない。彼は、あくまでも4つの楽章から成る交響曲を意図していたのである。死が訪れるその日まで…。

1980年代になって、アメリカの音楽学者ウィリアム・キャラガン校訂に基づくヨアフ・タルミ指揮&オスロ・フィルによるCD(シャンドス)が発売され、そうした認識に風穴が空いた。このフィナーレが取るに足らないスケッチなどではなく、実は復元が可能なくらい相当数の総譜や草稿が残されていることが、一般にも知られることになったからだ。

その後も、『第3番』や『第8番』などのオリジナル第1稿の録音で評判が高かったエリアフ・インバルによる録音が現れたりしたが、何といっても決定的な評価を得ることになったのは、1993年に発売されたクルト・アイヒホルン指揮、リンツ・ブルックナー管弦楽団による2枚組みのCDであろう。※現在は、「交響曲選集」に含まれる。

この演奏は、音楽学者・指揮者・作曲家のニコーラ・サマーレ、ジョン・A・フィリップス、ジュゼッペ・マッツーカの3人にベンジャミン=グンナル・コールスが協力し、現存する手稿に基づいて行われた自筆スコア復元の試みで、1992年12月に発表された。彼らの頭文字を取り、通称「SPCM版」と呼ばれる演奏会ヴァージョンである。

この版に基づき、いち早く録音されたアイヒホルン盤の演奏が、フィナーレ付き『第9番』の普及に果たした功績は大きい。それ以前の復元版は、CDで聴く限り、あの偉大な3つの楽章に続く役割を担うには全くの役不足で、それに相応しい規模と内容を備えているとはいえないものだった。また、復元版が複数出回り、その違いの大きさやブルックナーらしくない展開に、失望と諦めが広まっていたのも事実であろう。

しかし、ブルックナーの演奏に定評のあるアイヒホルンによる渾身の演奏は、前半の3つの楽章ともども大変素晴らしいもので、決定版とは断言できないかもしれないが、高い評価を得ることになったことは間違いない。また、80ページにわたる付属の解説書も、たいへん読み応えのあるものだった。

その後も改訂が加わり、CD録音がいくつも発売されたが、取り立てて大きな違いは感じられなかった。ただ、アーノンクールが、2002年にウィーン・フィルと録音したCDは、第4楽章の断片資料に関する詳しい説明と演奏がワークショップ形式で収められていて、興味をそそられた。

僕自身、2010年1月9日に、愛知県芸術劇場コンサートホールで開催されたオストメール・フィルハーモニカーの演奏会で、このSPCM版に接するなど、ブルックナーの「4楽章完成版」は、すっかり日常?の作品になっていた。だが今回、サイモン・ラトルが今年2月のベルリン・フィルの定期で、この4楽章版を指揮すると知って、久しぶりに心を揺り動かされた。それは、来日時のインタビューの中で述べた「これまでの復元版とは大きく異なる」「これこそが決定版」という発言を聞いたからだ。

その後、今回、ラトルが取り上げるのは、新たに校訂されたSPCM版と知り、上記の発言は、あまりに大げさではないかとも思ったが、近年、研究が進み、新たに発見された草稿も取り入れながら、どのような姿に変わったのか興味があった。CDも発売されるとアナウンスされていたが、待ちきれず、ベルリン・フィルの定期演奏会のライブ中継を見るために、今まで躊躇していたデジタル・コンサートホールに入会することにした。

2月9日、日本時間の早朝4時ころから始まる演奏を見るために、眠い目をこすりながらパソコンのモニターに向かう。地球の反対側で行われている演奏会のライブが、インターネットを通してリアルタイムで鑑賞できるという事実に、改めて感動をおぼえた。

演奏会は、大成功のうちに終了。聴衆の大歓声に、満足そうに応える指揮者や団員の姿が印象的だった。2012年校訂版は、ラトルがアナウンスしたような「これまでとは大きく異なる」というほどの違いもなく、いささか拍子抜けしたが、それは、今までの校訂作業が、確かなものであったという証拠であろう。

ただ一点驚いたのは、コーダの最後の箇所だ。アイヒホルン盤など、これまでの演奏では、4つの楽章の主要主題が積み重なって壮大なクライマックスが築かれた後、いったん全部の楽器が静まり返り(ブルックナー休止)、弦楽器が静かにトレモロのパッセージを奏でる中、金管楽器による「ハレルヤ」の主題が登場し、それが繰り返されながらクレッシェンドしていく流れだった。

しかし、今回の演奏では、クライマックスの後、間髪を入れずに全楽器がフォルティッシモでニ長調の主和音を鳴らし、一気に終結に向かうという点だ。
弦楽器の刻みも、『テ・デウム』の動機に変えられている。

今までの演奏に馴染んできた者としては、かなり戸惑ったが、そのアーカイブ放送を聴き込むにつれて、新しい版の方が曲の説得力が増し、より効果的だと思えるようになったし、アイヒホルン盤など既存の版で唯一不満な点だった「終結部の印象の弱さ」が大きく改善される結果となった。

今回、ラトルとベルリン・フィルが取り上げたことで、この「4楽章完成版」に対する認知度は、いっそう増すことだろう。

思い起こしてもらいたい。1980年、サイモン・ラトルのデビューアルバム(LPレコード)が、ボーンマス交響楽団と録音したマーラーの『交響曲第10番嬰ヘ長調(デリック・クックによる全曲版)』だったことを…。


マーラー 交響曲第10番[クック全曲版](EMI)
From the grave to Farewell to Life.
Simon Rattle, Berliner PhilarmonikerMahler - Symphony No. 10 i. Adagio
http://www.youtube.com/watch?v=7P8POin5prE

Mahler, 10. Symphonie, II. Satz
http://www.youtube.com/watch?v=ZxSHPufzi10

Mahler, 10. Symphonie, III. Satz
http://www.youtube.com/watch?v=w-r9lwom1Uk

Mahler, 10. Symphonie, IV. Satz
http://www.youtube.com/watch?v=HYMcIrF9wJ4

Mahler, 10. Symphonie, V. Satz: Finale
http://www.youtube.com/watch?v=sQwe6FX_9BM


それ以前は、数えるほどしか録音がなく珍しい存在だったこのクック全曲版が、この録音を前後して一気に広まっていった。そして2002年、クラウディオ・アバドの後任としてベルリン・フィルの首席指揮者兼芸術監督に就任したラトルが、真っ先に取り上げたマーラー作品が、この「クック全曲版」だった。これがマーラーの『交響曲第10番』を、全5楽章の作品として当たり前のように聴かれることとなる決定的出来事となった。もちろん今でも、かたくなに「第1楽章のアダージョしか認めない」という指揮者や評論家がいることを知っているが、このクック全曲版を「キワモノ」とみなす人は、さすがにいないであろう。

そして今回、ラトルはベルリン・フィルとともに、このブルックナーの未完の交響曲の補筆完成版を取り上げた。状況は、まさに10年前のマーラーの「それ」を思い起こさせる。

ラトルは、かねてよりこの4楽章版に興味を示しながらも、その完成度に疑問を持っていたと伝えられるが、幾度かの校訂を経て、ようやく納得のいくものになったと思われる。昨年、ベルリン・フィルのシンガポールや日本における公演では、今までどおり3楽章形式で演奏していたが、来日時の記者会見で、次のシーズン・プログラムとともに、この計画を発表したときの彼は、きわめて饒舌であったという。そして、満を持して披露される運びとなった今回の演奏…。

定期演奏会に合わせて録音されたCDも、5月に発売が控えている。これを契機に、この「4楽章完成版」が多くの人の耳に届き、やがては「全曲版」と呼ばれるようになり、広く普及していくことを、心から願っている。


【参考映像】
サイモン・ラトル来日記者会見『ブルックナーの交響曲第9番について』
http://www.youtube.com/watch?v=omv8_EqtK9c&feature=player_embedded

http://mydisc.cocolog-nifty.com/favorite/2012/04/

ブルックナーの遺言(後編)

まもなく私は神様の前に立つことになるが、一生懸命やらなければ神様の前に行けないだろう。
年老いたブルックナーは、マーラーにこう語ったという。

ブルックナーの『交響曲第9番ニ短調』は、「神に捧げるため」に作曲された。信仰心の篤(あつ)かった彼にとって、作曲した作品全てが愛すべき神のためのものだったともいえるが、この交響曲の完成にかける想いはひとしおだったようだ。だが結局、それを遂げることなくブルックナーは生涯を終える。

前回でも述べたとおり、この『第9番』の第4楽章は、一般には少しのスケッチしか残されていないと伝えられてきた。しかし、関係者による研究が進むにつれ、実際は多くの総譜や略譜等がつくられ、すでに全体の構成は出来上がっていたことが明らかになる。

※かつては、フィナーレにとりかかった時期は死の前年(1895年)とされ、「わずかなスケッチしか残されていない」という説の根拠となった。

ブルックナーが亡くなった時、彼の部屋には通し番号が記された「ボーゲン」と呼ばれる2つ折り4面の五線譜が約40枚残されていたが、その半分近くが散逸し、いくつかは現在も失われたままである。

ブルックナーの遺産管理人であったフランツ・シャルクやフェルディナンド・レーヴェ(この交響曲の初版を作成、初演した人物)らの故意あるいは不注意によって多くの自筆譜が売却されたり、友人たちが記念品として持ち帰ったという。その結果、フィナーレの貴重な楽譜も、世界中に散らばってしまった。

レーヴェは、フィナーレに関して口を閉ざしているが、こうした不手際が世間に広まり、非難を受けることを避けたかったためと思われる。

1887年8月、『交響曲第8番ハ短調』作曲中に『第9番』のスケッチが開始されるが、『第8番』の初演をめぐるトラブルが発生し作曲が中断。その影響で、初期の交響曲やミサ曲など大幅な改訂作業に追われることになる。1891年、ようやく作曲が再開されたが、同年11月のウィーン大学における最終講義では、

「もしこの交響曲が未完に終わった場合は、フィナーレのかわりに自作の『テ・デウム』を演奏してほしい」

と語った。前年、激しい呼吸困難の発作を起こし、健康上の不安を抱えていたため、こうした発言が出たのであろう。

当時のブルックナーは、ウィーン大学を辞め、ウィーン音楽院からの年金に加え、オーストリア皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の計らいで名誉年金が支給されることになり、十分に作曲に集中できる環境が整っていたはずで、全ドイツ音楽連盟の音楽祭の委嘱を受けて『詩篇第150番』を作曲したり、ウィーン男声合唱協会のために『ヘルゴラント』を作曲したりという日々が続く。

そして1894年末の段階で、第1楽章から第3楽章が「ひとまず」完成され、フィナーレについても「大部分」を書き終えていたといわれている。

その後もフィナーレの作曲は断続的に続けられたが、健康状態は悪化の一途を辿り、ついには自力で階段を上り下りできなくなってしまう。それを知った皇帝の計らいで、1895年7月、ベルヴェデーレ宮殿内の管理人用住居を間借りし移り住む。弟のイグナーツや妹のカティらは、身体の不自由な兄を献身的に支えた。

1996年10月11日。この日は朝から、爽やかな秋晴れだった。ブルックナーは体調も良かったため、朝食を取り、ピアノに向かってフィナーレの楽譜に手を入れていたところ午後3時ころ容態が急変、そのまま静かに息を引き取った。そしてこの交響曲は、未完のまま残されることになった。

誠に残念なことといわざるを得ないが、しかし、少々腑(ふ)に落ちない点もある…。

『交響曲第7番ホ長調』は完成まで約2年、続く『第8番』は(初稿の完成まで)約3年である。

一方、『第9番』は、作曲に着手してから彼の死まで約10年。

次々と問題が彼の身に降りかかり、作曲の筆が遅々として進まなかったとはいえ、残りの人生をかけて完成に力を注いできたという割には、いささか作曲の筆が遅すぎはしないか…。

こんなに時間をかけても最後まで書き終えられることができなかったのはなぜか。ブルックナーの演奏に定評のある大指揮者ギュンター・ヴァントは、

「ブルックナーは、フィナーレを完成させる自信がなかったのだ」

と語っているが、今となっては真相は闇の中だ。

さて、今回の本題である未完の第4楽章に話を移そう。
このフィナーレについては、残された草稿を基に、今までいくつかの補筆完成版が登場している。代表的なものは「キャラガン版」と「SPCM版」の2つ。

前者は、ブルックナー研究家のウィリアム・キャラガンによる補筆完成版で、これまで東京ニューシティ管弦楽団をはじめ、いくつかの演奏がCD化されていて、先ごろもゲルト・シャラー指揮&フィルハーモニー・フェスティヴァによる2010年改訂版のCDが発売されたばかりである。

それらの演奏を聴いた限りでは、楽想の性急な展開や深みのないオーケストレーションなど、ブルックナーらしからぬ箇所が多いと感じた。純粋に補筆者の創作となる終結部は、『第8番』のフィナーレに倣ってアダージョ楽章の主題を引用するアイデアは良いとしても、あまりにも楽天的な楽想(たとえばトランペット)には、強い違和感を覚えざるを得ない。僕は、キャラガンのアメリカ人気質が裏目に出てしまった結果だと考えている。

その点、今回、サイモン・ラトルが取り上げたSPCM版は、4人の音楽家、研究者によって、ブルックナーが残した資料を最大限に尊重した改訂が進められたプロジェクトで、ラトルによると、

このフィナーレの奇妙な箇所は全てブルックナー自身の手によるものだという。

多用される不協和音は、作曲当時、彼を取り巻いていた様々な出来事が反映されていて、いかにもブルックナーの心の葛藤を表しているように聞こえる。

この版は、オーケストレーションをはじめ、補筆の割合が増える展開部以降の音楽の流れも違和感が少ない。全くの創作となる終結部については、どの補筆版においても、いかに完結させるかが大きな問題となる。「愛すべき神に捧げる」この交響曲をニ長調(神を表すDeus)で終えることは、おそらく作曲者も望んでいたことだろうが、この版では、なかなか説得力のある手法が採られている。

第2楽章の…ハレルヤをフィナーレにも力強く持ってくる。そうすれば、この交響曲は愛する神さまをほめたたえる賛歌で終わることになる。

ブルックナー最晩年の医師リヒャルト・ヘラーが語ったところによると、ブルックナーはフィナーレの終結部をピアノで演奏して、そう語ったとされる。
では、この「第2楽章のハレルヤ」とはいったい何を指すのか? 

ヘラーの回想だけでは特定できないが、SPCM版の校訂者の一人であるジョン・アラン・フィリップスは、それを『第8番』の第2楽章トリオ部の25小節目で登場するパッセージであると解釈した。

それは、この『第9番』の第3楽章アダージョの主要主題の5小節目にも(ニ長調で!)登場する。

この旋律に含まれる「Fis→A→D→E→Fis(ニ長調のミ・ソ・ド・レ・ミ)」という音型は『ミサ曲第1番』や『テ・デウム』に現れるし、『第9番』と同時期に作曲された『詩篇第150番』でも「ハレルヤ」の歌詞に乗って歌われる。

いわばブルックナーが神をたたえる場面で象徴的に登場する旋律であり、この壮大な交響曲の締めくくりにふさわしいものとして用いられることになった。

SPCM版2012年改訂稿の終結部では、前3楽章の主題が積み重なるように再現(かなり衝撃的!)され、ドミナント和音(11の和音)により究極の緊張がもたらされた後、弦楽器群で奏される『テ・デウム』の4音動機に乗って、金管楽器の「ハレルヤ」が高らかに鳴り響く。

最後は『ヘルゴラント』の終結部を応用し、神をたたえながら曲が閉じられる。(ただし、ようやくニ長調に転調して輝かしい響きに包まれたと思った途端、あっけなく曲が終わってしまう点は少々物足りないが…) 

もちろん、ブルックナー自身の手によって完成されていたならば、より緻密で説得力のある作品になったに違いないという思いは残るが、1984年の初刊以来26年、幾度もの改訂を経て「最終完成版」として発表された今回のSPCM版のフィナーレは、演奏の素晴らしさと相まって、前の3つの楽章と遜色のない作品に仕上がっていると感じた。

【参考映像】
サイモン・ラトル『ブルックナー:交響曲第9番(第4楽章­付)』特別映像
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=3p7H2sHMXmw

http://mydisc.cocolog-nifty.com/favorite/2012/06/post-388d.html


ブルックナー 交響曲第9番(SPCM完成版)
ダニエル・ハーディング指揮スウェーデン放送交響楽団
http://www.youtube.com/watch?v=9sbonyfZcHQ
18:777 :

2022/06/07 (Tue) 13:08:51


欧米でブルックナーの音楽が敬遠された理由 _ 3

「神が現れる」と感じる音楽はそう多くない。

作曲者を感じたり、音楽に感動することはあっても、「そこに神がいる」と感じることは、ベートーヴェンでもブラームスでも、あれほど神々しいマーラーの音楽でも、まったくと言っていいほどない。

バッハやヘンデルやハイドンも同様で、たとえ宗教曲であってもそれは「神をたたえる人間の音楽」なのだ。

そこには神は現れない。

しかし、ブルックナーの交響曲には、ウソではなく、神が現れる瞬間がある。

7番までは1度現れるかどうかだが、最晩年の大作8番と未完に終わった9番には、しばしばと言っていいくらい現れる。

ブルックナーの演奏は、彼の交響曲の細部に宿っている神を、どれだけ現前させうるかで決まる。

交響曲第8番アダージョの第3楽章は、時間がとまり永遠が現出する奇跡の音楽。天国というものがあるとしたら、それはこういう世界ではないだろうか。

交響曲第8番フィナーレのラスト3分を聴くと、いつも臨死体験とはこういうものではないかと思う。

人が死ぬとき、一瞬のうちに人生のすべてを回顧するという。

無限に続くと思われる宇宙の断崖がこの曲の最後の1小節であり、その響きの余韻の中に神が現れる。
http://plaza.rakuten.co.jp/rzanpaku/diary/200502260000/

ブルックナーとマーラー

ちょっとブルックナーとマーラーの、主に人間像について書いてみたくなった。
よく並べて書かれることが多い二人だが、そもそも彼らは音楽面でも人間面でもまったく違う人間である。

ブルックナーの音楽はひたすら美しいものを追求し続け、結果、誰をも寄せ付けない最高の交響曲を創り上げた。自己満足の極致とでも言おうか。したがってそこには人生の苦しみなどは感じられない。ひたすら自然への賞賛、美しいものへの賛美・感動が続く。

マーラーの音楽はまったく違う。常に「人生」というものが彼の大きなテーマであったに違いない。マーラーの人生は苦労に満ちた波乱のものであった。そういった日常生活が彼の作品に多大な影響を及ぼしている。

彼の作品の中には、不安・絶望・怒り、そして歓喜や安らぎ、あらゆる人間感情が渦巻いている。しかし最後には人間の生命力が打ち勝ち、肯定的に終わるのが彼の交響曲だ(6番を除く)。


一般に思われているような師弟関係は二人の間にはなかった。

ブルックナーがウィーン大学で講義を開講していたとき、登録学生の中にマーラーがいた、というのがそもそものキッカケであったらしい。それでどういうイキサツでか、ブルックナーが自作の第3交響曲のピアノ編曲をマーラーに頼み、その出来に非常に満足したので、以来師弟関係というよりは親しい友人関係のようなものが続いたらしかった。


ブルックナーの人柄は?? 

写真を見るとよぼよぼの爺さんのようなイメージを受けるが、数少ないアップの写真を見ると、意外とやさしい目をしているのが分かる。小心者であったとはよく言われるが、講義でユーモアを交えて学生を笑わせたり、子供にお菓子を配ったりと、意外とけっこう気さくな人であったらしい。パーティーに出席するのも大好きだったようだ。

ブルックナーで気の毒であったのは、72歳で没するまで結局良い女性にめぐり合えなかったことだ。結婚の直前までいった女性は何人かいたようだが、いずれも実現しなかった。

しかしブルックナーが身近な女性に想いを馳せながら作曲したことは間違いないことのようだ。

よく「ブルックナーはロリコン」とか言われるが、60ぐらいのオッサンが、本当にロリコンでは困るが、20歳ぐらいの女性に真剣に恋しているって私はとてもカッコイイと思うのだが。


一方のマーラーは相当気難しい人であったようだ。

本当にささいなことやわけの分からないことで不機嫌になっていたらしい。
そのため、常に周りと衝突し続けていた。家族に対しても同様である。

マーラーが家で作曲するときは、妻も娘も身動きできないぐらいほどビクついていないといけないらしかった。まあ、それも無理はない。あれほどの曲を作曲する人だ。ただの「いい人」であるわけないじゃないか。。。。 

正直ブルックナーとは友達になれてもマーラーとはなれそうにない。
妻アルマはなんとかいう画家と不倫してマーラーを苦しめたが(マーラーの死後彼と再婚したが、また離婚した)、まあマーラーにも責任は大いにあるという気がした。

あんな旦那じゃたまりませんでー。

グスタフ・マーラー―愛と苦悩の回想 アルマ マーラー (著)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%B0%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%95%E3%83%BB%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC%E2%80%95%E6%84%9B%E3%81%A8%E8%8B%A6%E6%82%A9%E3%81%AE%E5%9B%9E%E6%83%B3-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E6%96%87%E5%BA%AB-%E3%82%A2%E3%83%AB%E3%83%9E-%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%BC/dp/4122014484


は彼女の文才も手伝って大変面白い読み物になっている。マーラー好きな方には是非読んでもらいたい本だ。
http://music-piano.cocolog-nifty.com/blog/2006/04/post_0cdb.html


■ブルックナー
  行動様式も音楽も強迫観念が強かったようだ。ジンクスなどを異様に拘る面も。

  作風でも強迫的な面はあり、巨大で自由なソナタ形式などが多く、幾つもの主題が何度も繰り返されたりする。それ故に荘厳さが増したり、ドイツの黒い森のような深さを表現も出来ている。出版した作品は殆どが改訂を何度も繰り返し、作品そのものを大規模に変更するほどの改訂をしたこともある。

  交響曲と幾つかの宗教曲以外は目立つ作品は少ないが、9曲の交響曲(さらに若い頃の習作の0番と00番もある)の熱烈なファンは多い。

  ブルックナーの音楽は、ブルックナー開始、ブルックナー休止、コーダと休止など幾つかの際だった特徴があり、ブルックナー開始は第1楽章が弦楽器のトレモロで開始され、これを多くの曲で採用している。

  ブルックナー休止は楽想が変わるときに、オーケストラの演奏を一時的に全休止させてしまうこと。殆ど全ての曲で採用している。

  コーダと休止は、コーダの前にタメの休止があり、そこから新しい動機などが出現して徹底的に、扇動的にさえ思えるほどに上昇させ頂上に到達させる。
  これらの他にも幾つかの特徴を殆ど全ての音楽で踏襲させている。

  ちなみにブルックナーはロリコンでもある。


ブルックナーという男は実に地味ーな男である。コリンウイルソン氏はブルックナーに関して面白いことを云っている

「彼は不思議なほど不幸な男で、いわゆるチャーリーチャップリン的人間であったことがわかる。大工が椅子の上から落とすペンキ缶は決まってこういう男にふりかかるのだ」

何かわかるような気がする(^^;)

  実はブルックナーは自分に極めて自信がない男だった。

彼の交響曲は当時の観客の好みに合わず初演が不評に終わることが多かった。
そのため彼は曲を発表する度に書き直している。
それも手直し程度のものではない。殆ど全く作り直しといってよい。

かくして同じ曲でありながら複数の楽譜が存在するというややこしい事態が生じる。

それをさらにややこしくしたのは、ブルックナーの熱烈な支持者だった指揮者、ヨーセフ・シャルク、フェルデイナンド・レーヴェ等が作品を「わかりやすく」するために更に楽譜に手を加えたためにブルックナーの演奏をするのにどの楽譜を使って良いのかわからないということになってしまった。

これも自分の作風、音楽そのものに自信をもつことができなかったブルックナーの性格が原因である。

ブルックナーの自信のなさは私生活でも出ている。
彼は女性遍歴らしいものが殆どなく女性とまともに会話することすらできなかったようである。(72才まで生きたが一生童貞だったという話もある)

心理学者の富田隆氏によればこういう自分に自信のない男はロリコンになりやすいと云っていたが、果たせるかなブルックナーは初めて会った十代の女性に結婚を申し込んだりといった常軌を逸したことをしている。

非常に不幸でアブないオッサンである。
http://homepage1.nifty.com/hyb-music/composer.htm


ブルックナーの音楽関係以外の愛読書はごくわずかで、

「メキシコ戦史」、
「北極探検の世界」、
「ハイドン・モーツァルト・ベートーヴェンの絵入り伝記」

の3冊だけらしい。他に仮綴じ本「ルルドのマリアの奇跡論」。

愛用していたピアノはベーゼンドルファー。
まじめ一徹な田舎の教会学校の先生、
オルガンの名手でかつ即興演奏の達人で、オルガンで音楽を考えるタイプの作曲家だった。
頭の中は教会音楽の古典的知識で占められていながら、ベトーヴェンやワグナーの当時の現代音楽をとらえ込んだ感性とは一体何だったのだろう。
http://www007.upp.so-net.ne.jp/bru-page413/bruckner_page.htm




ブルックナーは敬虔なカトリック信者であり、オルガン奏者で即興演奏の天才であり、大酒飲みであった。

服装にはまったく無頓着で、左足は尖がった靴で右足は先の丸い靴を履いていたという。

学校で音楽を教えていた時、授業中でも教会の鐘が鳴ると授業を中断し、その鐘がキンコンと鳴る方向にひざまずいて、お辞儀を始めるのだった。あまりにそれがひどいものだから、評判が悪くなって、女学校をクビになってしまった。

 ブルックナーは自分に極めて自信がない男だった。彼の交響曲は当時の観客の好みに合わず初演が不評に終わることが多かった。そのため彼は曲を発表する度に書き直している。それも手直し程度のものではない。殆ど全く作り直しといってよい。かくして同じ曲でありながら複数の楽譜が存在するというややこしい事態が生じる。これも自分の作風、音楽そのものに自信をもつことができなかったブルックナーの性格が原因である。

 ブルックナーの自信のなさは私生活でも出ている。
彼は女性遍歴らしいものが殆どなく女性とまともに会話することすらできなかったようである。いわゆるロリコンであったといわれている。

ブルックナーは生涯に何度も十代後半から二十代初めの女性に求婚しているが、1886年には21歳のマリー・デマールに求婚して断られている。この後も若い娘に求婚しては断られるということを晩年の1894年まで繰り返していた。

学校で生徒の女の子に「あたしの大好きなかわいこちゃん」と気軽に呼びかけたのを、隣の女教員に告発されて大騒ぎになったこともある。演奏会で気に入った女性を見つけると必ず声をかけてしつこく住所を尋ねたり、教会の前を若い女性が通るとこれまた必ず声をかけたりした。結局彼は生涯独身を通した(独身に終わった)。
   
 1867年に数字に対するこだわりが増えて、集合したものや並んでいるものの数を数えずにはおられないという強迫症状が生じている。真珠のネックレスをした婦人が近づいてきた際に

「これ以上あなたが近づくと私はその真珠の数を数えなければならない」

と警告を発した。

 1881年にブルックナーの住まいの向こう側にあったリング劇場が火災にあった。この時から火災への恐怖も目立つようになったが、同時にブルックナーは、

死体を見に行くという、死への異常な関心を示す行動もとっていた。

ウィーンの中央墓地の移転に際してベートーヴェンの墓が掘り起こされる時、死体を一目見ようと作業に立ち会った。

死刑囚の裁判をみるのが大好きで、飽きずにずっと見に行っていた。
しかし、ついに最後死刑判決が出てしまうと、死刑囚のために一晩中お祈りをひたすら続けたのである。

 ブルックナーは深い信仰、謙虚さと、官能という相容れないものが同居した野人、「才能のない天才」といわれている。
http://tockng.blogspot.jp/2007/08/blog-post_14.html

大作曲家・ブルックナーはロリコンだったのか

 ブルックナーのエピソードとしては、ロリコン疑惑がよく取り上げられる。

 27歳の時、ルイーゼという16歳の少女に一目惚れしてただちにプロポーズし、断られたという逸話が残っている。そして、20代から壮年まで浮いた話も見かけない。ところが、地位も名声も得た67歳の時、19歳とか18歳といった、孫ほども年の離れた少女に立て続けにアプローチしている。これでは「ロリコンのブルックナー」と思われてもまったく根拠のない話とはいえないかもしれない。

 しかし、年下の少女に求愛したからといって、ただちにロリコンと決めつけるのは短絡的すぎよう。

 最初のケースのように、27歳の青年が10歳ほど年下の少女に告白するようなことは珍しくない。年の差もさほど気にするほどではない。

 問題の壮年になってからのケースだが、本当に気合の入ったロリコンが、18歳とか19歳といった、かなり成熟度が進んだ女性に向かうかという疑問がわく。その少女たちがどんな外見と体型だったのかは不明だが、18歳といえば、欧米ならすでに成人女性の体格になっていてもおかしくはないし、その年齢で結婚するケースも稀ではない。

 本当にブルックナーは、ロリータ・コンプレックスだったのだろうか。

 彼に関する数々の資料を読んでみると、彼の性格や行動についての興味深い記述がいくつも見つかる。たとえば、

ブルックナーは物に対する関心が非常に強く、何事についてもいちいちメモしていたというし、
ある時には河原の小石の数が気になるあまり、自ら川岸で数えていた

というエピソードまで残っている。ほかにも、

火事などが起きると現場を確認せずにはいられず、何時間も焼け跡を見てまわったらしい。そのため「ブルックナーは死体愛好趣味」という噂まである。

 しかしその半面、彼は生身の人間はとても苦手だったらしい。たとえば、作品の評価をめぐって評論家や他の作曲家などと言い合いになるケースはよくある話だ。実際にケンカはしなくとも、反論を書いて雑誌に載せるとか、そういうやり方が正攻法である。

 ところが、ブルックナーの場合は何とも奇妙な、何より情けない自己防衛をとっている。知り合いの音楽批評家エドゥアルト・ハンスリックから作品を酷評された際など、ブルックナーは何とオーストリア皇帝に泣きついて、

「ハンスリック先生があまり激しいご意見を私に向けないよう、お願い申し上げたく存じます」

などと嘆願する始末である。ハンスリックはブルックナーの才能の理解者であり、親しい友人でもあったにもかかわらず、こういう行動に出ているのだ。こうしたケースはいくつもみられる。

 そうなると、ブルックナーはむしろ極度の対人恐怖症と考えるのが妥当ではないかと考えられる。

そんなブルックナーが、成人の女性にプロポーズするなど至難の技、いや不可能に近かったのだろう。とすれば、臆病な童貞男としては、自分よりもずっと人生経験の浅い、知識の点でも優位に立つことができるかもしれない、10代の少女にターゲットを定めたという可能性は否定できなかろう。

 だが、結果的にブルックナーは、すべてのプロポーズをことごとく断られ、ついに一度も結婚することもなく、生涯独身のまま72歳でこの世を去った。

ブルックナーの曲の演奏会では、男性の聴衆が圧倒的に多いのだという。
ブルックナーは女性には好まれないのだ。
http://www.menscyzo.com/2013/04/post_5730.html


152 :名無しの笛の踊り:2012/10/01(月) 22:15:59.10 ID:qFQcZorg

ブルックナーって生涯童貞だったんですか?


153 :名無しの笛の踊り:2012/10/02(火) 09:05:05.61 ID:9fJ3crRB
>>152
過去のブルスレで何度かあった質問ってことで、とりあえず前スレから


53 名前:名無しの笛の踊り[] 投稿日:2010/09/05(日) 01:22:48 ID:bxQpWAPs

ブルックナーってロリコンで童貞のまま死んだんですか?


54 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2010/09/05(日) 02:06:20 ID:wzxOZvqh
>>53
・ロリコンとは言っても、伝えられるところではその対象は10代後半(ただし、晩年までその世代に執着し続ける)。
・晩年にベルリンでホテルのメイドさんとやっちゃった噂あり
(彼女とは結婚寸前まで行くも、結局破談)。


55 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2010/09/05(日) 04:09:28 ID:B0hrqyJO

ブル8の成功以降は結構モテたらしいな


56 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2010/09/05(日) 04:10:39 ID:B0hrqyJO

あれ?7番の成功だったっけか?


57 名前:名無しの笛の踊り[sage] 投稿日:2010/09/05(日) 05:31:00 ID:nW0XPAa2
>>54
メイドも10代だったのかな?


155 :名無しの笛の踊り:2012/10/02(火) 15:43:59.55 ID:B/V9s6hU
>>152
アルマ・マーラーの自伝によると
ブルックナーが酔っ払ってメイドに手出しして結婚迫られて困ってるところをマーラーが女に金握らせてカタをつけた話が載ってるが・・・

例によってアルマのホラだろうなw


156 :名無しの笛の踊り:2012/10/03(水) 05:35:26.10 ID:RTi+FebL
>>152
そのメイド(イーダ・ブーツ)はブルックナーへの手紙で、

「結婚するとしても、それは教授や博士ではなく、ただ私の大切なブルックナーさんと結婚するということ」

と書いた

ブルックナーは1891年の「テ・デウム」ベルリン初演に出席した際に宿泊先でイーダと知り合い、 文通を始め、94年の再演時の訪問で婚約したという

「テ・デウム」の指揮者ジークフリート・オックスは、 楽屋でブルックナーから

「イーダを連れてきたい」

と言われ、 カール・ムックからブルックナーがイーダと婚約したと事情を聞かされた
この時ブルックナーは方々で婚約したことを触れ回っていたらしい
なお、そのオックスによると、ブルックナーはこの話の直後に別の女性を見初め、その両親のもとへ押しかけて求婚したとか
http://awabi.2ch.net/test/read.cgi/classical/1338095701/


作曲家 人と作品 ブルックナーの感想・レビュー

うな坊
「晩学」で「評価が遅れた」人だと思っていたが、早くから作曲をはじめ、生前にかなりの評価を得ていたことがわかった。「作品篇」の解説がありがたい。
朴訥とした人だと思っていたが、これまた、かなり、ギラギラした部分もあり、私が抱いていた人物像がかなり変わった。


antoinette
やっぱりブルックナーは天然だった。あと、20代女性に求婚したりしてたのは知ってたが、10代の少女にピアノ曲を献呈しまくったりとか、本物のロリコンだったとはw 


バカハツ五郎
ブルックナーは他人の評判を気にする気の小さい音楽家だとばかり思っていたが、実は出世欲満々の野心家だったらしい。かなり翻訳も読みやすい
http://book.akahoshitakuya.com/b/4276221838
19:777 :

2022/06/07 (Tue) 13:09:25


欧米でブルックナーの音楽が敬遠された理由 _ 4

85 :名無しの笛の踊り:2001/06/05(火) 00:30

カール・リヒター
ミュンヘンの高級ホテル、フィアヤーレスツァイテンの客室で腹上死。
お相手はミュンヘン・バッハ合唱団員だったとか。
http://mimizun.com/log/2ch/classical/989994219/


要するに、殆どの人は外向的性格なので、ブルックナーの様に極端に内向的性格の人間が全く理解できないんですね。

「ユングの性格論」

まず、大きく、内向型、外向型と分けられます。
が....一般的に言う、内向型、外向型とは、これもまた違うんですね~。

一般的なイメージでは


○外向型 =明るく正直、常に他人のことを考えていてみんなの人気者。行動的。

○内向型 =暗く引き籠もり自分中心で非協力的。他人から敬遠されがちで、ちょっと困った人


こんなイメージで捉えられてるように思うけど..これは一般的な「見た目判断」なんですね。心理学的な外向・内向は、まったく違った定義になります。

外向・内向とは、関心が外側に向くか内側に向くかということです。ユングの定義をそのまま言うと、

「もっぱら客体や客観的な既成事実を基準にして自らを方向付け、そこから、頻繁になされる重要な決断や行動が、主観的な意見ではなく、客観的な状況に左右される場合」

が外向的構え、これが習慣的になったのが外向性タイプと呼びます。

またこれの客観と主観が逆転する構えを内向的と呼びます。(林道義訳・みすず書房刊『タイプ論』より引用)


まず、外向型の困った点(悪い部分として現れた場合)は「周囲に簡単に同調してしまう」点と「自分自身で自分を確立できない」って事ですね。周囲が正しいとすることなら何も考えずに正しいと認識しがち。(一応、本人は考えてるつもりでも無意識的に流されている..という事も含まれます。)

例えば、きのうまで「戦争反対」と唱えていた人が、今日、周囲の多くの人が「この戦争は、国家を守るために、受けてたつべきだ!」なーんて言い出すと..「そうなのだ!この戦争はすべきだ!」・・・なーんて具合にすぐに思想転換してしまい、主体ってものが無いんじゃないの?って人、いますよね。。。

第二の点は、主体が地についていない為、常に他者からの保証を必要としてしまう、という事です。

誰かに褒められないと自分に自身が持てない人とか、常に、周囲の人の目や慣習を気にしてしまうタイプですね。

それ故、他人の価値観に容易に流されてしまい、結果的にまた主体を疎かにしてしまう……という悪循環を続けていくことにもなりがちです。

こういった外向型が、精神状態が乱れてきた場合、どんな病気になりやすいか?...というと、 ヒステリーなどの神経症を引き起こしやすい。

神経症、特にヒステリーの力動は「他人に対して自分をアピールする」ことを無意識に行っている故の障害なんですね。

分かり易い例として、他人の気を引きたくて注目されたくて、自殺未遂や離婚騒動を起こす落ち目の芸能人とか...かな。

こういった人々は、常に他人から注目されないと不安なので、他人を巻き込んで騒動を起こしやすいって傾向があります。

逆に、内向型は他者に、根本的に、強い関心を持たないので、もしも精神状態が乱れても、他人へ威力を発揮しようとは考えません。

しかし、その不安や攻撃は自分自身へ向けられ、自分自身が消耗してしまう..て事になりがちです。またそうなると、さらに追い打ちをかけて、客体(外界)と隔絶した方向に行ってしまうことから、ユングは神経衰弱になりやすいとしています。

ここで、ネガティブ傾向に陥ったときの、それぞれのタイプの心の動きを、まとめてみましょう。


内向型
上手く行かない出来事→なぜなんだろう?→これは自分の問題なのだ
→自分が悪いのだ...という方向で自分自身を追いつめてしまう


外向型
上手く行かない出来事→認めてくれない周囲が悪いのだ
...と他人のせい世の中のせいにする


神経衰弱 ヒステリーなどの神経症

外向型の人は他人に影響を与えなければ気が済まず、内向型の人は他人が関わってくると過干渉だと感じて居心地が悪くなる。

つまり、精神的な病に陥った場合、通常、迷惑が激しいのは当然、外向型で、内向型は、迷惑かけるのもするのも自分一人、ということですね。

こうやって説明していくと、なんだか、外向型の方が悪いじゃないか!..とも思われがちですが、良い悪い、という事ではなく、あくまでも気質の違いを述べているだけなのでお間違いなく。ただ、圧倒的に、人を巻き込んで困ったヤツになりやすいのは、確かに、外向型と言えますね。

しかし、内向型もひどくなると、サイコ犯罪に陥るし、もっと怖い事件を引き起こす可能性もあります。

通常、迷惑をかけるのは外向型、数は少ないけど怖い犯罪をおかすのは内向型。
さらに外向型と比べて、内向型は治癒はしにくい。困ったタイプです。

そりゃそうでしょう。常に世間に関心を持ち、他人の言葉に左右されやすい外向性は、立派な医者の言葉には、耳を貸す可能性は大きいですからね。治療しやすくもなりますよ。

ところで..なんで、世間一般では、内向型の方が、悪いイメージなんでしょうね?
理由のひとつに「実は外向型の情報操作」とも言われます(^o^)

他人からどう見られてもあまり気にしない内向型に対して、
外向型は自分が良く見られないと気が済まない上に、外に向かって働きかける力動が強いわけです。

外向型は自分の正当化のため世間的イメージを都合のいいように加工したがる癖があり、それが暴走すると自分を優良人種としたり人種偏見や差別に繋がり、独裁者や怪しい教祖様なんかになろうとしたり・・

ああ!思いあたる人、いそうですね~(^o^)


さて、ここで、ちょっと「同一視」という専門的な言葉を出しますが...外向型 取り入れ的同一視
内向型 投影的同一視

外向型も内向型も、この世に生きている以上、世間一般と、それぞれ関わる必要はあるわけです。いくら、内向型でも、世捨て人や仙人にならない限り、ちゃんと世間、社会と関わらなければ生きていけませんからね~。

簡単に言っちゃうと、同一視って事は、「関わろうとする意識そのもの」かもしれません。「世間、社会と関わる、他人と関わる」..という事は、つまりは、「人間が、まず自分自身を安定させる手段」でもあるわけです。どんなに正論を言っても、周りすべてが反対で、一人で孤立しているよりも、他人に共感してもらって認めてもらった方が、心も安らぎ、安定感を覚えることは確かでしょう。「僕らは一緒だ~!」って思いたいのは、内向型といえど、心の奥底では望んでいるって事なんですね~。

じゃあ、どうやって関わるのか、安定させるのか?・・その方法として、

外向型は客体を取り入れることによって自体を安定させようとし、
内向型は主体の不安を、客体に理解させ賛同してもらう、または、押し付けることによって安定を得ようとします。

つまり、外向型は「外から発せられたものを自分の中に取り込み」、
内向型は「自分の中から発せられたものを外に投影していこうとする事」で安定をはかるわけです。


当然、

流行に敏感で世の中の流れを掴んで、時流にのってビジネスを起こせるのは外向型で

研究、分析したりクリエイティブなものを作って、世に発表するのが内向型。


面白いでしょ? だからこそ、それぞれに特色があるわけです。ところが、そんな簡単には行かないのが世の常ですね~。

外向型も内向型も、それぞれ「取り入れ的同一視」または「投影的同一視」をし続け、そこで壁にぶつかり、自分で道を開いて成長し、次の高みに登れたものだけが、本当の精神の安定をはかれるようになるわけです。 どちらの型だとしても、その試練は同じです。

内向型を例にとってみると・・自分の内部を、なんとか外部の人に押し付けようとしても、相手だって主体を持っているものでだし、いつも賛同してもらえるとは限らないし、なかなか思い通にはならない。その結果、

→「外界は自分の思い通りにならないものだ」と深く反省・認識 → 干渉を諦め、内部処理で済ますことに全力を注ぐ。

その訓練が熟達した者は、内部の不安は内部のみで処理できるようになり、さらなる不安が外部から来ないようにオンとオフを上手に使いこなせるようになる。 これは外部と同一化することによって不安を無くそうとする外向型とは全く逆の政策ですね。

熟達した内向型は「自分は自分」「他人は他人」ときっぱり割り切ることによって、かえって、時代の風潮を超えた客観的視点に立つことも可能になってきます。

逆に外向型は、流行に上手く乗ることに長けているので、現実世界で成功し易いです。確かに、成功してる実業家のタイプに多いような気がしますね。ただし、自分というものがないので常に不安に苛まれ、とくに、他人から注目されていないと気が済まないという点がウィークポイントでもあり、それによって、自分の首を絞めてしまう傾向もあります。 自分の不安の正体を認識し、他人から注目を集めなければ不安になる心の弱さを克服すると、外向型は、次のステップへ大きく飛躍できます。

そう、つまり、どちらのタイプであっても、試練を乗り越え精神的に熟達していく事は可能だって事なんですね。
http://sedona10silvermoon.web.fc2.com/jung.html


ユング性格学概説 「二つの態度と四つの機能 心理学的タイプ」

人間は、四つの心の装置・機能を持っています。
ユングはそれを、“感覚”“思考”“感情”“直観”と呼びました。

[四つの機能]

感覚:物事を(五感により)受け取る機能。
   そこに何があるのかを教えてくれる。
   外界や内界にあるものを、知覚する。


思考:物事を考える機能。
   それが何であるかを教えてくれる。
   分類し、定義づける。


感情:好き嫌い、快不快、美醜などを感じる機能。
   それが好ましいものかどうかを教えてくれる。
   感情によって、分ける。


直観:可能性を知覚する機能。
   それがどこから来てどこに行くのかを教えてくれる。
   どうなるかを知覚する。


我々は、これらの機能のどれかを用い、内外のものを知覚し、判断します。目の前の事象に対処し、方針を決定する。
http://jungknight.blog90.fc2.com/blog-entry-1874.html


ブルックナーは典型的な内向直観型

内向型はホトンドといっていいほど、他人からは理解されづらいのですが、その中でも『内向的直観タイプ』は他の内向型の中でも、もっとも他人から理解されづらいでしょう。とにかくこの『内向的直観タイプ』の言うことは他人と比べるとかなりズレているのです。

『外向的直観タイプ』がころころと追いかける対象を変えるのを『飽きっぽい』と他人が見て判断するのに対して、この『内向的直観タイプ』は未来に浮かび上がる直観がころころと変わってるのですが、これはホトンド自分の内側に起こってるので他人からは見えないし、また本人もこれを他人に言ったりはしないんです。考え方が次々と変わったり発展したりするから、今こんなことを考えているかと思うと、次はまったく違う世界に飛躍してたりもします。でもこんなに湧き上がってくる素晴らしい直観は他人からは見えないんですが・・・

だからこのタイプの人達は未来へのメッセージを伝える占い師や、シャーマン・呪術者・新しい宗教の教祖などに多いタイプです。あと、漠然とした芸術家や、詩人にも向いてます。

食事とか服装にはほとんど無関心で、発想を持っていても、それが独創的すぎてるのと、本人それを発表する気持ちもないんですね。この他人から見ると社会に適応できないような『内向的直観タイプ』ですが、彼らの直観はけっこうずば抜けてるものも持ってるんです。彼らの後押しをしてくれる正反対の『外向的感覚タイプ』の人との出会いがあったら、彼らは自分の能力をかなり発揮できるでしょう。
http://www.geocities.co.jp/Milkyway-Lynx/1401/naikotyokan.htm

直観型には、外向直観型、内向直観型の2タイプありますが、今回はその中でも特に理解されにくい「よ~わからん性格」の内向直観型についてです。

「直観」型というのは、ひとことでいうと、原始的な太古的な「未開」の人の思惟の構造や心性に近い……ということです。

(太古性とは、ユングによると、心に太古の時代の遺物として残っている古い内容と機能のことです)

人類の長い歴史から見ると、意識優位の考えはごく最近のこと。かつて意識の領野が限られていた時代は、無意識のイメージが、心の外の宇宙空間や呪術的な力として生者に投影されていましたから、占星術や神々、妖精や魔法使いや魔女たち(日本ではおきつね様など)が次々生み出されていたんですよね。

星占いにしても、神々や妖精にしても、何もないところから人間が妄想したり考えてこねくりだしたものではなくて、

心の働きの意識の諸過程以外の部分……
つまり無意識が意識とは関係なく自律的に……

つまり心の持ち主とは関係なく自分勝手に自己活動をする様子を何らかの形で記述しようとつとめたものと思われます。

たとえば、私たちは筋肉を動かして物を動かしたりするとき、それは意識してしている活動ですが、「さあ、血液を流そう」「さあ、ホルモンの分泌を増やそう」と考えてそうした身体内の活動が起こっているわけではないですよね。自分の体内の活動であっても意識できる部分と、意識と無関係に自律的に動いている部分があるものです。

意識される部分は真実、
意識されない部分は存在しない

という考えは、慎重にしていかないとならないのです。心にしても、自分の思いとして、心として意識できる部分と、自分の預かりしらない活動を繰り広げ、夢を生み出したり、生き方を方向つけたりする無意識の領域があるということは、さまざまな分野の研究で説明されています。 ユングは、

無意識は単に個人的に願望するだけの存在ではなく、現実のかなたに意識が持つ別の目標を持ち、その実現を目指して、内容の編成と再編成に取り組んでいる存在だと捉えました。

内向直観型という性格タイプは、そうした自分の内面の得体のしれないものの目的をかぎつける能力が優れているといっていいのかもしれません。(外向直観型の方も同じように、無意識の集合的な目的を把握して、それを広める能力が優れていると思います)

無意識の目的というのは、「お金持ちになりたい」とか「成功したい」とかいう個人的な目的とは異なる社会集団とか人類とかもっと大きな枠組みの集団がより良い状態で生き残っていくことを目的としています。 集合的な無意識が夢想する世界の行く末やこれから歩むべき道は、心の底の底にある根源的な「元型」というイメージを通して、意識のもとに伝わってきます。

ちょっとわかりにくいですよね。かつてゲーテは「時代の才」という言葉で、深く隠された無意識的なものが時代とその時代を生きる人々に
およぼす作用を考察していたそうです。ゲーテは、真の芸術家の創造的能力に関して

時代がそれ自身の才を多く持つほど、(ユングの言葉を借りると、時代が元型を生起させそれを布置させるほど)芸術家の天賦の才はうながされると言いました。

心の中には、そうした諸民族、諸文化の生命をひそかに変革する心の持つ原動力が存在する。それを本能的に把握するのが「直観」といわれています。「直観」とは、状況の中に存在するなんらかの可能性を知覚する能力といっていいものだと思います。私自身は、

育った環境が家族として機能しておらず……将来にむけて、
子どもが必要な技術をバランスよく身につけさせてあげられるという家庭ではなく……サバイバル感のある毎日を過していたため、
自分のサブ機能や苦手を伸ばす間がなく、全てを得意な直観だけに頼って育ったところがあるので、かなり「内向直観型」そのもの~という性質です。

でも、身近な内向直観型の人々の暮らしっぷりを見ていると、現代、直観を使う場があまりないので、サブ機能の感情や思考を伸ばすことばかりしてきて、優勢機能の直観の働きで神秘的なことに惹かれるものの特定の宗教には無関心という方が多いです。


内向直観型の幼児は、目覚めている時間と起きている時間の中間とも言える意識の状態でいることが多いので、ぼんやりしていて退行しているように見えるときと夢中になって激しく動いているときがとても極端です。

ADHDやADDを持っているようにも見えます。
そう誤診されるということもあるでしょうが、そうした脳を持っているからこのタイプということもありえるので、どちらかはわかりません。
創造的で物に執着せずに、外が求める決まりに従えない面白くて大人をてこずらせることも多い子どもたちです。
http://blog.goo.ne.jp/nijiirokyouiku3/e/cbfb0199f4426a41fcceb94805fb0cf6

◆「集合的無意識」
これは、ユングを有名にした研究のひとつです。 集合意識とは、無意識の中でも一番、奥底にあるもの。

たとえば、水面下から顔を出している岩が、それぞれの顕在意識(自覚している意識)だとして、水の中の岩は、「元型」と呼ばれる無意識の自分。そして、さらに下の、川底では、岩どうしが繋がってる部分がある。 人と人は無意識の奥底でつながっている部分がある。それが、集合的無意識というわけです。

遠く離れた恋人に会いたい、無事を確かめたいって強く思ってたら電話がかかってきたとか・・

10年ぶりに、ある友達を思い出して、また会いたいと思っていたら、ばったり、とんでも無いところで出会っちゃったとか、

これは怖い例だけど・・
強い憎しみのあまり、夜中に呪いの藁人形に釘を打ったら、相手が本当に病気になったとか・・・。

ええ?それじゃあ、まるでオカルトか、・・第六感とか虫の知らせって呼ぶもんじゃないの~?と思われるかもしれませんね。(^o^)

ユングは、こういった、一見、非科学的な出来事や第六感についても、かなりの症例をもとに分析し研究し、ちゃんと結論に導いた人でした。


彼は、この集合的無意識のヒントを、ある日突然、思いついたそうです。それは、ある精神分裂症の患者と対談している時に、この「集合的無意識」のヒントが、ぴぴん!ときたようです。

精神分裂症とは、自我が極めて元型に近いコンプレックスに飲み込まれて起こる障害のこと

*ただし、ここで言う「心理学上でのコンプレックス」は、世間一般に言われるような、「私って足が太いのがコンプレックスなんだ~。」なんて言う、劣等感意識のコンプレックスとは違いますよ。

さて、「集合的無意識」に話を戻します。これを簡単に定義をしてしまうと...「すべて、人の想念は繋がっていて互いに影響しあっている」

ということになります。 たとえば、あなたが、水面から顔を出してる1つの岩だとして、あなたの表面の強い思い(顕在意識)が、下に流れて無意識下に落ちていく(潜在意識)。そして、それは水面下を流れ出して、その強い思いが別の岩にも届く...というイメージをするとわかりやすいと思います。(強い思いってのは、もちろん、愛や信頼といったようなものだけでなく恨みや怒りといったネガティブ感情まで含みますよ!)それが、集合的無意識というものであり、また後述する、もう一つのユングの有名な研究、「シンクロニシティー(共時性)」にも発展していきます。

ここで・・ちょっと気がつく事がありませんか?

精神分析医が退行睡眠によって、患者の前世を語らせる事や、精神病患者に太古の記憶や別の記憶があったりすること。

また、テレパシーで人の思いをキャッチすること、霊能者と呼ばれる人たちが、これから起こる出来事や過去を読んでしまうこと、などなど。

潜在意識の中の集合的無意識にまで到達すれば、こういった事も可能である...とも言えそうです。
http://blog.goo.ne.jp/nijiirokyouiku3/e/cbfb0199f4426a41fcceb94805fb0cf6


つまり、ブルックナーの音楽が表現しているのは「集合的無意識」のイメージなのですね。

知恵遅れに近かったブルックナーが作った音楽が非常に精神的で奥深い世界として感じられるのは、それが集合的無意識の属性そのものだからなのです。
20:777 :

2022/06/07 (Tue) 13:09:54


ヨハン・シュトラウス2世(ドイツ語: Johann Strauss II. (Sohn), 1825年10月25日 - 1899年6月3日)


ヨハン・シュトラウス 2世 『皇帝円舞曲』
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/878.html

最美の音楽は何か? _ ヨハン・シュトラウス2世『トリッチ・トラッチ・ポルカ 作品214』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/1000.html

最美の音楽は何か? _ ヨハン・シュトラウス2世『春の声 作品410』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/988.html

最美の音楽は何か? _ ヨハン・シュトラウス2世『千夜一夜物語 作品346』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/987.html

最美の音楽は何か? _ ヨハン・シュトラウス2世『酒、女、歌 作品333』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/986.html

最美の音楽は何か? _ ヨハン・シュトラウス2世『美しく青きドナウ 作品314』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/419.html

最美の音楽は何か? _ ヨハン・シュトラウス2世『ウィーンの森の物語 作品325』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/418.html

最美の音楽は何か? _ ヨハン・シュトラウス2世『ジプシー男爵 序曲』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/413.html

最美の音楽は何か? _ ヨハン・シュトラウス2世『こうもり序曲』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/412.html


ヨハン・シュトラウス2世 & ヨーゼフ・シュトラウス 『ピツィカート・ポルカ』
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/989.html  
21:777 :

2022/06/07 (Tue) 13:10:19


クラシック音楽の youtube リンクは

阿修羅掲示板 近代史6
http://www.asyura2.com/21/reki6/index.html


に記載しています。各曲へのリンクの数が多過ぎて ここには貼れません。


▲△▽▼


クラシック音楽 一口感想メモ
https://classic.wiki.fc2.com/

音楽関係ブログへのリンク
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/399.html

オーディオ関係ブログへのリンク
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1208.html
22:777 :

2022/06/10 (Fri) 09:47:17

あげ14
23:777 :

2022/06/22 (Wed) 06:14:43

あげ22
24:777 :

2022/07/04 (Mon) 06:10:29

クラシック音楽 _ バロックと古典派の音楽
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14009420

クラシック音楽 _ ロマン派の音楽
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14009578

クラシック音楽 _ 世紀末の音楽
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14009494

クラシック音楽 _ 20世紀の音楽
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14009496


△▽


SP時代の演奏家はこんなに凄かった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14009733

手回し蓄音機はオーディオではない。楽器だ!
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14004305

手廻し蓄音機 と Sogaphon で聴くSP録音の CD復刻盤
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/433.html
25:777 :

2022/07/22 (Fri) 05:29:26


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YouTube・ニコニコ動画の動画を安全にダウンロードする方法


「YouTube」の動画を安全にダウンロードする方法について
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「Youtube」の動画を連続再生する方法
https://www.japan-secure.com/entry/site_that_the_video_of_youtube_can_be_continuous_playback.html

「ニコニコ動画」を安全にダウンロードする方法
https://www.japan-secure.com/entry/how_to_download_on_nicovideo.html

「FC2動画」を安全にダウンロードする方法
https://www.japan-secure.com/entry/blog-entry-490.html

「Pandora TV」の動画を安全にダウンロードする方法
https://www.japan-secure.com/entry/how_to_download_on_pandora_tv.html

動画サイトで「HTML5」の動画を再生できない場合の対策方法
https://www.japan-secure.com/entry/measures_method-in_the_case_where_in_the_video-sharing_site_can_not_play_video.html

「Dailymotion」の動画を安全にダウンロードする方法
https://www.japan-secure.com/entry/how_to_download_videos_of_dailymotion.html


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最高の音を一番安く手に入れる方法
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この世のものとも思えない音を出すにはどういうオーディオ機器が必要か
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14030753


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外部 USB-DACを使って youtube の音楽を聴く方法
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Gustard R26 _ ディスクリートR2RデスクトップDAC
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GUSTARD DAC-A26 _ 旭化成 AK4191+AK4499EX搭載のDAC
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26:777 :

2022/07/23 (Sat) 23:07:31

「映画とクラシック音楽の周囲集」_ 映画・音楽に関する最も優れた評論集
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27:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/02/03 (Fri) 04:25:00

あげg
28:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/23 (Thu) 17:21:15

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