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中国は共産主義国ではなく古来からの皇帝が支配する儒教国家

1:777 :

2022/06/04 (Sat) 06:41:52


中国は共産主義国ではなく古来からの皇帝が支配する儒教国家


自称共産国家は国名に民主主義共和国とか付けて民主主義国みたいに装っているのと同様、実際には民主主義国でも共産主義国でもないのです。

世界で本当の共産社会に近かった国はバブル前の日本だけです。

それは、終戦後、共産主義者・ニューディ-ラーばかりだった GHQ が農地改革したり、意図的にインフレを起こして資産家の財産を取り上げて日本を無階級社会にしたからなのです。

日本共産党や労働組合もGHQが合法化しました。
一方、自称共産国家の中国はそんな事はしていません。

本来の共産主義国には、現在の中国みたいな階級も極端な貧富の差は絶対に存在しません。つまり、 中国共産党員は共産主義者ではなく正統派の儒教者なのです。

そもそもこの現代に左翼なんか存在しません。

日本共産党は典型的な保守反動政党だし、現在の中国・北朝鮮・韓国は古来の儒教思想が現在まで続いている国です。 習近平も毛沢東も昔ながらの中国皇帝ですしね。

グローバリズムは左翼思想だとか、チュチェ思想が共産主義だと言っているアホがいるけど、

・グローバリズムは21世紀型の帝国主義で典型的な資本主義思想

・チュチェ思想は天命を受けて統治している天子をみんなで支えなければいけないという儒教思想

詳細は


朝鮮人が嘘をつく理由
儒教は徳治主義、徳治主義とは徳のある正しい人間が上に立つとうまく行くという思想
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/512.html

中国最後の皇帝 毛沢東 _ 共産革命とは一体何であったのか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/537.html

毛沢東はセッ○ス狂
http://www.asyura2.com/11/hasan72/msg/760.html

中国では、法律は、皇帝の命令である。だから、皇帝は、法律に従わなくていい。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/615.html

宮脇淳子 皇帝たちの中国 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/139.html

これを聞けば中国がよく分かります _ 宮脇淳子 「真実の中国史」講義 
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/170.html

自称共産国家の中華人民共和国が世界史上最悪の階級社会になった理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/354.html

中国人の子供の幼き頭に刷り込まれた「毛沢東思想」の正体
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/253.html

毛沢東気取りの習近平の近況
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/277.html

中国は世界史上最悪の階級社会
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/269.html


▲△▽▼

中国人も日本人が大好き _ 漢民族と中国語の起源
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/291.html

コーカソイドだった黄河文明人が他民族の女をレイプしまくって生まれた子供の子孫が漢民族
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/306.html

有史以来 戦争に勝った事が一度も無い漢民族が巨大な領土を手に入れた手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/204.html

▲△▽▼


世界で本当の共産社会に近かった国はバブル前の日本だけ


マルクスがイギリスで共産主義を考えた理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/891.html

マルクス史観はどこが間違っていたのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/775.html

馬渕睦夫 ウイルソン大統領とフランクリン・ルーズベルト大統領は世界を共産化しようとしていた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/145.html

GHQ とユダヤ金融資本は戦後の日本を共産化しようとして農地改革、人為的インフレ生成、預金封鎖、日本国憲法制定を行った
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/146.html

日本の1946年預金封鎖
http://www.asyura2.com/13/ban6/msg/740.html

憲法九条と GHQ のニューディーラーが考えていた事 _ アメリカ合衆国憲法も常備軍の存在は認めていない
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/229.html

終戦後、自称”労働者の代表”達の活動を背後で操り、支援していたのはGHQだった
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/116.html
2:777 :

2022/06/04 (Sat) 06:45:50


中国は共産主義国ではなく古来からの皇帝が支配する儒教国家
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/567.html

儒教
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/440.html

道教
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/455.html

孔子を捨てた国――現代中国残酷物語
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/499.html

論語と儒教は無関係である
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/305.html

中国が仏教を禁止し無数の仏像を取り壊している
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/517.html

儒教 _ 中国共産党が絶賛する孔子の思想
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/223.html#c1  
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/512.html

中国共産党による格付け社会
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1135.html

中国では、法律は、皇帝の命令である。だから、皇帝は、法律に従わなくていい。
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/615.html

独裁者列伝 _ 毛沢東
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/805.html

中華人民共和国で唯一の共産主義者だった周恩来
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1597.html

独裁者列伝 _ 習近平
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/806.html

中共というモンスターを作ったアメリカ、責任取れよ!
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1175.html

中共とアメリカは建国前からずっと同盟国で、今も建前だけ冷戦
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/556.html


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漢民族による極悪非道の世界侵略の歴史
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/538.html

有史以来 戦争に勝った事が一度も無い漢民族が巨大な領土を手に入れた手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/204.html

中華思想に基づいた中国人の人類進化論
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/999.html

漢民族の起源と中国の歴史
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/597.html

コーカソイドだった黄河文明人が他民族の女をレイプしまくって生まれた子供の子孫が漢民族
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/382.html

中国大好き _ 古代中国人はコーカソイドだった
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/287.html

コーカソイドは人格障害者集団
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/380.html

中国が東トルキスタン共和国(現ウイグル自治区)を乗っ取った手口
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/205.html  

中国に侵食されるブータンの危機
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1228.html


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中国人は頭がおかしい
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/555.html

中国人に愛国心や公共心が完全にゼロな理由 _ 中国人は宗族から宗族の利益になる様な悪事をやる事を毎日強要されている
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/138.html

中華人民共和国は世界史上最悪の階級社会
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/750.html

私有財産の否定は階級の無い平等な社会を意味しない
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/718.html

中国人が北京戸籍・上海戸籍を取りたがる理由
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1088.html

故郷を捨てる支那人 / 隠蔽体質は民族性
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/824.html

中国では日常的に人身売買が行われている
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/695.html

現代の科挙、中国の公務員試験は競争率80倍 _ 中国の公務員はリベートが主な収入
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1241.html

中国の工場では残業代無しで1日12時間以上休みなしで働かせる
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1217.html

中国の強制労働を放置すると自国の競合メーカーが倒産する
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/698.html

この10年で中国人の給料は3倍に上がったけど、食料は5倍、家賃は10倍に上がっていた
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1220.html

中国人は富裕層も含めて購買力が全く無い
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/596.html

中国人は偽造・模造の天才
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/553.html

中国人がどこに行っても嫌われている理由
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1206.html

4000年の歴史を誇る 本場中華料理は不味くてとても食えない
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/864.html

「一帯一路」は挫折 _ 「無料で鉄道やインフラを建設する」というのは嘘だった
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/1251.html
3:777 :

2022/07/04 (Mon) 02:31:40

あげ16
4:777 :

2022/07/04 (Mon) 05:00:34

あげ994
5:777 :

2022/07/28 (Thu) 12:47:04

平井宏治 中国大軍拡は日本の技術の賜物
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14027019

【河添恵子】 酷すぎる...中国人の民度とモラルの低さには驚きました
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14008379

妙佛 DEEP MAX - YouTube 動画
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14008391

宮脇淳子 皇帝たちの中国史・日韓近現代史 - YouTube 動画
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14008388

中国は共産主義国ではなく古来からの皇帝が支配する儒教国家
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14008459

中国に投資して儲かる可能性は完全にゼロ
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14017339
6:777 :

2022/07/31 (Sun) 06:26:44

 科挙八股
2022年07月30日
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1939.html

 科挙制度は、中国で6世紀随の時代、文帝が、世襲ではない高い能力の人材を権力に登用する目的で始めた高級官僚試験登用制度だ。清朝末期、1900年代初頭に廃止されるまで約1300年間にわたって続けられた。
 ちなみに、日本人がたった一人だけ科挙に合格している。それは遣唐使の阿倍仲麻呂だ。彼は空海や菅原道真にも並ぶ、超天才だった。

 現在の自民党政権は、ほぼ世襲制であって、1400年前の中国よりも遅れていて、世襲王朝の北朝鮮を嗤う資格のない封建国家に落ちぶれてしまっている。
 日本の議員選挙にも、やがて科挙制度を取り入れなければならないかもしれない。(冗談です)
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%96%E8%A5%B2%E6%94%BF%E6%B2%BB%E5%AE%B6

 何の目的で、優秀な高級官僚が欲しかったのかといえば、もちろん国家権力を強化し、永続性を求めたかったからだ。安倍晋三や麻生太郎のような、世襲の世間知らずのアホボンボンばかりでは、すぐに権力が崩壊してしまうから。

 実際、日露戦争で日本が望外に圧勝した理由は、世襲制度によって腐敗し、弱体化していたロシア政府=軍に対して、日本軍は明治維新における四民平等の民主的徴兵制度により、秋山真之のような真に能力の高い将兵が抜擢されていたからだ。
 詳しくは、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読めば、鮮明に理解できる。
 今、ウクライナでロシアが苦戦しているのも、日露戦争と同じ「軍上層部の腐敗」という事情なのだ。

 科挙制度が最大に機能したのは宋(960年~1279年)時代だった。隋や唐の時代はまだ世襲貴族の力が強かったが、宋代になると、世襲者の無能によって権力内で貴族階級が衰弱し力を失ったことで、宋時代には、科挙試験合格が高級官僚への唯一の道になった。
 当時の中国王朝は、天下の秀才鬼才が宮廷に集合して存分に力を発揮できる環境であり、世界の国家群のなかでも秀でた実力を発揮した。

 宋代の中国は、「中華文明の華」であり、極めて豊かな国情を誇っていた。それは宋代のレベルの高い詩文にも現れている。現代まで続く中国文明遺産の多くが、この時代に作られたものである。
 だが、逆にそのことで、圧倒的な武力を誇ったモンゴル帝国に狙われ、元時代が到来することになったのだが。

 中国における高級官僚の地位は、今では想像もできないほど強大なものだった。中国では伝統的に公金と私財の区別がなく、権力者は、公権力を利用して、私利私欲をほしいままにした。
 賄賂も当然で、官僚は、税や付届の金や供物の中から一定額(一説には、集めたお金のたかだか1%以下)さえ皇帝に上納すれば、あとは私財とすることが可能だった。
 この中国的強欲の官僚私物化習慣が、現代中国にまで連綿と続いているといっていい。中国国家の腐敗の根源は、この官僚私物化習慣にあると断じてもよいと思う。

 科挙は、宋代までは、優秀な実務者を選ぶ機能を果たしたが、明代(1368年~1644年)になると朱子学の影響が強くなり、出題範囲は四書五行(論語、孟子、大学、中庸、易経、詩経、書経、礼記、春秋)に限定されることにより、ひたすら暗記したものだけが合格できるようになった。

 この当時、科挙試験は、「八股文」という定型で回答しなければならなかった。
 これは「対句」と呼ばれる、出題に対して、同じ文体文節をもって解答を与える形式で、科挙試験の形式主義の愚を象徴するものだった。
 「科挙八股」という言葉は、清朝崩壊後まで、民衆感覚から遠く離れた、雲の上に住む中国の官僚主義の代名詞となっている。

 朱子学というのは、宋代に作られ、明代に発展し、日本にも持ち込まれた儒教の応用解釈で、中国だけでなく、ベトナム、朝鮮、日本など東アジアの広い範囲で、儒教思想を定着させる効果があった。
 朱子学は、国家権力を維持するのに、実に都合の良い思想だったのだ。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%B1%E5%AD%90%E5%AD%A6

 天下の物、すなわち必ずおのおの然る所以の故と、其の当に然るべきの則と有り、これいわゆる理なり。 — 朱子、『大学或問』

 「すべての事物現象に必然性がある」と弁証法的な解釈を見せているものの、儒教創始者である孔子の教えに忠実であり、儒教のエッセンスともいうべき「長幼序列、権威への服従」が「おのおの然る所以」と、あたかも、人間の価値、権力が生まれながらに天から与えられたものであり、すべての人々が権力や地位に服従することが国家安定の前提であるかのように言う。

 「そこにある権力は天から与えられたものであり、それに服従することが平和と安定の原理」であるかのように決めつけているわけで、これを見れば権力者は大喜び、家康などは、藤原惺窩や林羅山と相談して、この思想を国家安泰の礎とすべき国論と定めた。
 以来、日本は現代に至るまで、世界有数の儒教国家となる運命に至った。言い換えれば、「地位のメンツ」を権力の最重要課題とする習慣が成立した。

 日本では、科挙制度が平安時代に試験的に導入されたが、権力構造の骨組になるほどの力は持たなかった。
 日本の科挙には蔭位制と呼ばれる抜け道=例外規定が設けられており、それによって高位の貴族の子弟には自動的に官位が与えられていた。
 また、科挙の受験者の大半は下級貴族であり、たとえ科挙に合格してもその合格者は中級貴族に進める程度に過ぎなかった。
 広く門戸の開けられた平等な制度ではなかったがゆえに、科挙制度は律令制とともに短期間に廃れた。

 明治政府は、科挙形式の官僚登用制度を導入した。1894年に始まった高等文官試験は中国の科挙を参考にして作られた制度だと言われている。この高等文官試験が現代の国家公務員採用試験に受け継がれているので、キャリア採用試験こそ現代日本の科挙であり、その出題が八股と揶揄される所以である。

 中国科挙が廃止されたのは、日清戦争に敗れて約10年後、清朝、西太后によるものだった。
 廃止を西太后に提案した康有為は、「科挙のない日本にも優秀な人は多い」と言ったとされている。日清戦争における日本軍の活躍を見せつけられて、融通のきかない硬直した科挙制度が崩壊したといっていい。

 朱子学=儒教の影響は、本家の中国はじめ、朝鮮、日本、ベトナム、ビルマ、モンゴルの一部などに受け継がれた。
 そのなかで、現在に至るまで、もっとも強力な影響を受け続けている国が、北朝鮮と韓国である。

 朝鮮儒教は、宋代に、朱子学が導入され、高麗王・光宗が科挙制度を導入し、成宗が儒教を国家の思想として定着させた。
 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E5%84%92%E6%95%99

 光宗による科挙制度は、現代韓国に強烈に息づいている。それは、世界最悪の凄まじい受験戦争社会を生み出した。
 それは明代に悪弊化した「記憶力優先主義」を引き継いだ八股形式であり、人間の創意工夫、想像力、イノベーションを軽視どころか蔑視し、観念的な出題を指示通りに記憶した者が合格するという、人の知力を開花させるどころか、閉塞させるような選抜試験である。
 「ああ、これが朝鮮文化なのか」と、絶望し納得させるものがある。

 だから、こんなものを「知性」と勘違いした「自称知識人」ばかりの韓国には永遠にノーベル賞受賞者もイノベーション智者も生まれないだろう。
  https://tamagoo.jp/education/examination-of-korea/

 https://www.recordchina.co.jp/b885359-s25-c30-d0201.html

 韓国における儒教思想は、徹底した「長幼序列主義」であり、女性を「子を産むための道具」としかない男性優位封建社会である。
 その根拠になっている「人には持って生まれた序列がある」という儒教価値観であり、制度として担保するのが選抜受験制度である。

 夫婦であれば男親、兄弟であれば長男、社会であれば両班~白丁の階級・家柄、親族であれば年長者が、実力もないのに威張り腐ることを容認する社会常識がコンクリートのように社会を支えている。
 だから、みんな必死になって見栄を張っている。カネがなくとも高級車に乗っていれば、誰からも馬鹿にされずにすむというわけだ。
 朝鮮半島では、見知らぬ人と出会うとき、最初に「こいつは自分より上か下か?」と探るのが人間関係の流儀である。

 儒教的序列価値観の前には、真実さえも力を持たない。年長者や権力者であれば、どんなに汚いウソをついても無理矢理許容させられる社会だ。
 夫であれば妻を足蹴にして、奴隷のように扱うことが常識として通用する社会なのだ。
 見栄やメンツのためなら、どんなウソでも犯罪でも通用し、ばれたら「謝罪すればいい」という社会秩序が成立している。

 ちなみに、私が1990年前後にタクシー運転手をしていたころ、韓国からたくさんの女性たちが日本に出稼ぎに来て、多くは、そのまま住み着いている。
 私は、夜の街に彼女らを送迎する仕事をしていて、対話する機会も多かった。
 「なんで日本にきたの?」
 「韓国は、女を小馬鹿にする社会で、強姦されたり、嫌なことばかりだから」
 というのが共通する答えだった。
 
 儒教というのは、序列を最大の価値とするわけだから、自分の序列を守ることが、すなわちメンツを守ることであり、守るべき順位でいえば、①国家 ②階級 ③地位 ④性別 というあたりだろうか? 個人の権利など含まれていない。
 だから、ソチ五輪で、キムヨナが浅田真央に負けそうなときは、秘密裏に電磁波兵器を使って真央を転倒させてヨナを勝たせることも、国家的に共有された国是なのである。
 真実が暴露されたとしても、韓国民の誰一人、驚かず、国家のメンツを守るための当然の対策と考えるのだ。

 今回、(故)文鮮明の統一教会が、自民党議員を選挙運動という形で支援して、日本の政治中枢が、宗教的妄想によって完全に汚染されていたことが明らかにされている。
 文鮮明は岸信介と共謀して、韓国主導の大韓帝国を復活させ、その国王に、安倍晋三を就任させるつもりだったらしい。
 http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1918.html

 しかし、日本国は、韓国に奉仕するための女奴隷というふざけた認識が暴露されてしまった。合同結婚式でも、「日本女性には韓国のクズをあてがうことが戦前の復讐になる」との文鮮明発言まで語られるようになった。
 自民党議員たちは、議員当選運動員と引き換えに、そんな構想を容認し、統一教会を支援してきた。
 この事実、経緯はじわじわと自民党支持者たちに浸透し、統一教会と結びついた半数近い自民党議員たちを慌てさせている。

 今後、おそらく統一教会に頼ってきた自民党議員は排除されることになるだろう。統一教会が日本人女性を洗脳して、どれほど悪辣な資金収奪、性奴隷化を行ってきたか世間に知られれば、それを支えている自民党に対して激しい憎悪が集中することが避けられないだろう。

 私がこれまでブログに書いてきた数十編の統一教会問題は、これまで「ヨタ記事」として相手にされなかった。だが、それはすべて真実だった。
 http://tokaiama.minim.ne.jp/touitu/123touitu.htm

 また私へのネット上の攻撃の大半が、自民党の統一教会系出版社員から行われてきたことがIPアドレスから明らかだ。
 自民党青年部(国際勝共連合)の正体は、統一教会そのものだと断言してもいい。

 私は、山上徹也君に感謝したい。彼が時代を動かした。
 もしかしたら、彼の行為は、韓国における儒教社会の根源を刺し貫く剣だったのかもしれない。
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1939.html
7:777 :

2022/08/09 (Tue) 16:19:02

2022年08月08日
支那と米国は裏で繋がっているのかも?! / 戦前から続く赤い絆
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68906171.html

米支共通の敵だった日本

John Paton Davies center & Mao & ZhouPhilip Jaffe & Owen Lattimore & Agnes Smedley
(左 : ジョン・デイヴィスと親しくなる周恩来と毛沢東 / 右 : 支那大陸に赴いたフィリップ・ヤッフェとオーエン・ラティモア)

  日本の保守派言論人というのは、目の前の事件に振り回されるばかりで、世界政治を歴史的に鳥瞰することはない。つい最近、テレビや新聞では下院議長のナンシー・ペロシが台湾を訪問したことで、ちょっとした政治騒動になっていた。だが、大局的に観れば大したことじゃないだろう。一部の政治評論家やジャーナリストは、「台湾を巡って米支の熱い対決が起こるのでは?」と心配しているが、合衆国海軍が本腰を入れる大規模な軍事衝突にはならないだろう。おそらく“プロレス”のような“喧嘩”程度じゃないのか。

  令和の小学生や中学生は知らないと思うが、1973年11月5日、「狂える虎」との異名を持つインド人レスラー、タイガー・ジェット・シンは、倍賞美津子と一緒のアントニオ猪木を新宿の伊勢丹前で発見し、猪木夫人に罵声を浴びせル暴挙に出た。猪木にライバル心を燃やすインド人レスラーは、いきなり猪木を襲撃したというが、両者の乱闘は警察沙汰にはならなかった。(良い子のみんなは、お爺ちゃんかお父さんに当時の話を訊いてね。昔は、夜9時台のテレ朝で放映されたほど大人気だった。ちなみに、報道番組のアンカーマンをしていた古舘伊知郎は、元々プロレス中継のアナウンサーであった。)

  たぶん、新宿の警察署も「ヤラセ」と判っていたのだろう。この喧嘩は無料のTV宣伝になったらしい。だいたい、街中で乱闘騒ぎを起こした「猛虎」が、宿泊先の京王プラザ・ホテルに帰ると、仔猫のように“おとなしかった”なんておかしいじゃないか。警官の方も馬鹿らしくなったと思う。そう言えば、シンは試合のリングに現れた時、いつも愛用のサーベルを持っていたけど、それを使って猪木や藤波辰巳、坂口征二を刺すことはなく、グリップの部分で叩くだけだった。試合の無い時は、猪木とシンは結構仲良しだったというから、日本のプロレスは微笑ましい。

  脱線したので話を戻す。大東亜戦争の前から、日本は既に米国の仮想敵国だった。共産主義に好意的なフランクリン・D・ローズヴェルト(FDR)大統領は、西歐列強の支那進出くらいは容認できても、東洋の異国である日本が満洲支配を握り、支那大陸での権益を拡大する事には我慢がならなかった。彼が日本人を嫌い、銭ゲバの支那人を好んだのは祖父(Warren Delano)からの伝統だろう。(尚、デラノ家の闇歴史に関しては、「James Bradley, The China Mirage, New York : Little, Brown and Company, 2015」の第1章が詳しい。)


Warren Delano 001Sara Delano & FDR 009932FDR 4432FDR & James Roosevelt & Sara
( 左 : ウォーレン・デラノ / サラ・デラノ / フランクリン・D・ローズヴェルト / 右 : 父のジェイムズと母のサラ、息子のフランクリン)

  また、以前にも紹介したように、大富豪のロックフェラー家が財団を通して支那大陸に食指を伸ばしていた。つまり、4億ないし6億の人口を擁する支那は、涎(よだれ)が出るほどの巨大市場であったから、アメリカのエスタブリッシュメントは何としても支那を独占したかったようである。(註 : FDRの母親サラ・デラノはウォーレン・デラノで、フランクリンの祖父は「Russel & Company」に雇われた密輸業者であった。彼は冒険商人のように支那大陸で阿片貿易に携わっていたという。一時は財産を失ったものの、ウォーレンは香港で財産を築き、戦争省の医薬部局に阿片を納入していたそうだ。)

  ローズヴェルト政権は真珠湾攻撃を画策して大東亜戦争を引き起こしたが、「敵の敵は味方」ということで、合衆国政府は日本軍と対峙する国民党軍を支援した。重慶の蒋介石には二人の強力な参謀が附いており、その一人が支那・ビルマ・インド・ルートの戦線で総司令官を務めていたジョセフ・スティルウェル(Joseph Warren Stilwell)大将である。もう一人は「フライング・タイガース」を率いていたことで有名な陸軍航空隊のクレア・シェノールト(Claire Lee Chennault)少将であった。共産党に敗れた蒋介石と一緒に台湾へ逃れたシェノールト少将は、戦争終結を機に軍を退き、民間航空会社を創設する。そして、1946年、彼は最初の妻であるネル・トンプソン(Nell Thompson)と離婚した。ちょっとビックリするけど、二人の間には8人の子供ができていたというから凄い。これじゃ「猛虎」はなく「種馬」みたいだ。

Joseph Stilwell 1Joseph Stilwell 2Claire Lee Chennault 111
( 左 : ジョセフ・スティルウェル / 中央 : 蒋介石と宋美齢と一緒のスティルウェル / 右 : クレア・シェノールト )

  英国系アメリカ人の妻と別れたシェノールト少将は、これまた鰥(やもめ)の中年男らしく、赴任先の支那で現地妻を娶ることにした。彼は「アンナ(Anna)」と呼ばれる陳香梅という支那人と再婚し、二人の子供をもうけた。(夫が54歳で妻は22歳。) この新妻は元々通信社に勤めるプロパガンダ記者であったが、やはり単なる平民じゃない。彼女は結構、裕福な家庭に生まれた御嬢様。「アンナ」の父親である陳應榮は外政官で、メキシコの領事をしていたらしい。上流階級の支那人は老獪で利益に目敏く、子供達には西歐の教育を授けたりする。彼も客家のように国際的であったから、娘を香港の学校に入れて英語を習わせることにした。ところが、西洋の勉強をしていた香梅は、日本軍の進撃によって香港を逃げ出す破目に。

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( 左 : 陳香梅とシェノールト少将 / 右 : 子供をもうけたシェノールト夫妻)

  年の離れた亭主と結婚すれば、若い女房は早めの未亡人になりやすい。23歳も年上だったから、シェノールト少将は1958年に他界する。夫を亡くした陳香梅は、専業主婦で終わる気など更々無く、米国に移住してチャイナ・ロビーの活動家となった。如何にも在米の支那人らしいが、この通訳未亡人は、反共主義の共和党に目を附け、大統領候補になったバリー・ゴールドウォーターを支援すべく、彼の資金集めに奔走したそうだ。反共のユダヤ人と銭ゲバの支那人がタッグを組むなんてゾッとするが、冷戦時代には民族を超えたイデオロギーで異民族が結束することもあったし、狡猾な民族は共通の利益で悪党になることもある。

  外国での諜報活動と謀略戦ともなれば、OSS(戦略情報局)や国務省の役人が黙っちゃいない。心理戦の尖兵となれば、モスクワ本店に忠誠を誓う赤レンジャーや桃レンジャーの出番となる。丁度、その頃、米国本土から軍事顧問団の『ディキシー・ミッション(Dixie Mission / U.S. Army Observatopn Group)』が延安に派遣されたので、OSSは身内の局員を米国代表団に潜り込ませようと謀った。派遣隊長となったのは陸軍のデイヴィッド・バーレット(David Dean Barrett) 大佐で、彼のもとには数名のOSS要員が送り込まれていた。その中でも卓越していたのは、国務省から選抜された「三人のジョン」と呼ばれた役人達だ。支那通のジョン・S・サーヴィス(John Stewart Service)に、同類のジョン・P・デイヴィス(John Paton Davies, Jr.)、そして日本通のジョン・K・エマソン(John Kenneth Emmerson)という面々である。

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(左 : デイヴィッド・バーレット大佐と若き周恩来 / 右 : バーレット大佐と若き毛沢東)

  支那研究者の間で有名なジョン・サーヴィスは、1903年に四川省の成都で生まれた。支那で育ったから当然なんだけど、彼は7歳で支那語をマスターし、上海のアメリカン・スクールに通ったそうだ。15歳になるとアメリカへ帰国し、カルフォルニア州の高校を卒業する。進学先はオハイオ州にあるオーベリン大学であった。その後、外政官の試験に受かって、雲南省の昆明にある領事館に勤めたという。

  5歳下のジョン・デイヴィスも四川省で生まれている。彼の両親はパプティスト教会の宣教師で、少年時代を支那の田舎で過ごした。アメリカ人の子供がいない僻地なら、現地語が上手になるのも当然だ。後に「チャイナ・ハンド」と呼ばれるデイヴィスは、米国のウィスコンシン大学に入るが、その途中で北京に赴き、燕京大学で1年ほど勉強したという。しかし、卒業したのは編入先のコロンゴア大学だった。まぁ、さすがに難解な漢字を使っての論文は書けまい。

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(左 : ジョン・S・サーヴィス / 中央 : ジョン・P・デイヴィス / 右 : ジョン・K・エマソン )

  一方、日本語が達者なエマソンは、日本じゃなくコロラド州のキャノン・シテイー生まれ。学んだ大学もフランスのソルボンヌやコロラド、ニューヨークの大学だ。1932年に外政官の試験を受け、見事合格するが、不運なことに世界恐慌のせいで外政官の募集が無かった。しかし、1935年の秋、国務省から採用の知らせが届いたのでワシントンに赴くことに。だが、そこでは国内の勤務か異国での海外赴任かを迫られたそうだ。当時、国務省は東アジアの専門家を欲しがっていたので、支那語か日本語を選ぶ役人が求められていた。そこで、エマソンは日本語を選ぶ。英語とは似ても似つかない言語を選んだ動機には、ハリーという伯父の影響があったらしい。少年時代のエマソンは、伯父が持ち帰った極東の珍しい話や写真に興味を持ったそうだ。若くて希望に満ちたエマソンは、極東の日本で冒険的な生活をして見ようと思ったらしい。(ジョン・エマーソン『嵐のなかの外交官』宮地健次郎 訳、朝日新聞社、1979年、 pp.2-3.)

  ところが、エマソンは日本にやって来ると、いきなり「二・二六事件」に遭遇して当惑する。それから後に支那へと派遣され、対日工作の任務を命じられたそうだ。重慶から延安へ向かったエマソンが面会を求めたのは、「岡野進」という偽名を使っていた野坂参三である。令和の高校生だと野坂の名前を聞いても判らず、「誰それ? 吉本のお笑い藝人?」と尋ねてしまうが、この共産主義者はコミンテルン日本支部(俗に言う「日本共産党」)で第一書記となり、名誉議長にもなった大物だ。しかし、晩年になるとソ連のスパイだったことが発覚し、1992年に共産党から除名処分を受けてしまった。一部の知識人はもっと懐疑的で、「米国や支那のスパイも兼ねていたのでは?」と思われている。まぁ、野坂のような狡賢い奴なら、自分の利益を考えて二重・三重の裏切者になってももおかしくはない。

  日本の敗戦後、ジョン・エマソンは再び日本へ派遣され、ダグラス・マッカーサー元帥の政治顧問となった。エマソンは支那大陸にいた時から、既に戦後処理の方針に着手していたそうだ。彼は重慶の頼家橋(らいかきょう)にいた鹿地亘(かじ・わたる)に会いに行き、「米国に協力する意思があるのか?」と尋ねた。というのも、鹿地はプロパガンダ作戦で使えそうな「駒」であったからだ。彼は治安維持法で検挙された共産党員であった。牢獄の中で思想転向したものの、その本質には変わりがなく、釈放後に武漢へ渡り、重慶で「日本人反戦同盟」を作っていたという。ただし、彼は「籠の中の鳥」状態。一応、鹿地研究室を与えられていたが、実質的には載笠(たいりゅう)による半隔離状態に陥っていた。

  日本語を流暢に話すエマソンは、鹿地に向かって日本軍に対する宣伝工作を語り、その協力者になってはくれないか、と頼んだらしい。話を聞いた鹿地は納得したのか、「同じ目的なら協力を拒む理由はありません」と答えたそうだ。プロパガンダ作戦を担当するOSSの第三部門は、日本の文字で書かれた新聞を作りたかったようで、依頼に応じた鹿地は米国から派遣された日系人志願兵等と一緒に働いていた。しかし、米軍のキャノン機関とへ移された時、彼と米軍の相違が明らかになってきた。朝鮮戦争を迎えた米軍は、北鮮に対する後方攪乱を求めていたが、野望に燃えた鹿地は「祖国革命工作」に専念したかったようだ。(大森実『赤旗とGHQ』講談社、昭和56年、 p.47.) 後に、彼は自殺を図り、沖縄の知念に移された。晩年の鹿地は日本で執筆活動に励み、1982年に亡くなっている。

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(左 : 鹿地亘 / 中央 : 支那での鹿地 / 右 : 野坂参三 )

  もう一人、エマソンが協力者にしたかったのは野坂参三である。エマソンは日本の天皇制をどうしたらいいのか、野坂に意見を求めたという。「日本革命の三段階論」を説いた野坂は、意外なことに、終戦に伴う天皇制の廃止に反対した。なぜなら、日本の人民はまだ、天皇制廃止に伴う心の準備ができていないからだ。野坂曰く、急激な天皇制打倒は得策ではないという。

  しかし、野坂は無条件に天皇制を認めた訳じゃなく、標的に対するアプローチを述べていた。

 (1) 天皇に代表権を全く持たせないこと。これは連合国側の直接軍政を意味し、天皇の全権能を停止すると共に、皇族を軟禁することを意味する。天皇の主権は否定しないが、事実上の植民地化にする。
 (2) 天皇の代表権能は認めるが、天皇を軟禁状態にする。これは天皇の名を用いて軍政を進める方法だ。
 (3) 天皇や皇族を軟禁し、連合軍の軍政下における責任を天皇に課す。(上掲書、 p.38.)

  共産党の戦略を体現する野坂は、「天皇制廃絶」の方針に反対していたが、だからといって皇室を擁護したり温存する気持ちは微塵も無かった。コミュニストどもは表面上、「民衆政治と平和祈願」を口にするが、その本音は相も変わらず君主政の撲滅にある。ただ、日本国民の大多数が配線にもかかわらず天皇陛下を敬愛し、皇室の存続を熱望しているから、もし占領軍が無理矢理にでも廃絶しようとすれば、いつ何時、激昂した民衆が暴動を起こしてもおかしくはない。それなら、徐々に天皇の権能を削ぎ落とし、実権の無い「お飾り」にした方が悧巧である。野坂は「天皇制打倒」というスローガンを掲げることで、旧来の支配層を刺戟し、支配階級と庶民が再び天皇のもとで結束するんじゃないか、と恐れていた。

  かつて会田雄次先生がぼやいたように、我が国は米国によって「嬲(なぶ)り殺し」の目に遭ってしまった。しかし、対日戦争は八月の停戦で終わらず、国民精神を改造するという静かな攻撃が続いていた。日本が永続的に米国の属州になるよう工作したのは、主に深紅やピンクの左翼分子であったけど、それを裏から操っていたのは、軍服を身に纏ったニューディーラーの一団であった。これはトルーマン政権の狙いなのか、それとも単なる嫌がらせなのか、日本に派遣された法律家や行政官の多くは、アメリカでも毛嫌いされるような劣悪な人物ばかり。つまり、アメリカで拒絶される左翼思想を日本で実現させたいと望む連中であった。これなら、日本人に対するロボトミー(脳内改造)が陰湿だったのも当然だ。

  以前紹介したように、占領軍にはチャールズ・ケーディス(Charles Louis Kades)やセオドア・コーエン(Theodore Cohen)とった赤いユダヤ人に加え、ローズヴェルト大統領に共感する革新派や人権派が数多く潜んでいた。仕置き憲法の中に結婚条項をネジ込んだベアテ・シロダ・ゴードン(Beate Sirota Gordon)も、褌よりも赤い極左であった。彼女は戦前、日本に流れ込んだ根無し草のユダヤ人。これまた、ベアテの上司もゴリゴリの人権派で、ピーター・ロウスト(Pieter Kornelis Roest)中佐はネーデルラント出身の左翼リベラル派であった。

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( 左 : チャールズ・ケーディス / ベアテ・シロダ・ゴードン /ピーター・ロウスト / 右 : ロベール・ギラン)

  公式的には特定の思想に組みしていないと表明するエマソンも、本音ではニューディール政策の共鳴者で、米国共産党(CPUSA)に属していないが、共産主義に好意的なリベラル派であった。しかも、彼は日本国内の共産主義者達を釈放する方針に前向きなんだから、どんな人物なのか普通の国民でも解るだろう。在日フランスにも共産党に親近感を抱く左翼がいた。『ル・モンド(Le Monde)』から東京に派遣された記者、ロベール・ギラン(Robert Guillain)はエマソンよりも一足先に府中刑務所を訪れ、徳田や志賀と会っていた。ギランには後れを取ったが、エマソンも日本の悪党に興味を抱き、政治顧問となっていたジョン・サーヴィスやカナダ人外政官のハーバート・ノーマン(Egaeron Herbert Norman)を伴って府中刑務所を訪ねることにした。彼らは徳田球一や志賀義雄、そして朝鮮人の金天海と面会し、日本共産党の過去や未来について事情聴取を行ったそうだ。エマソンによれば、徳田と志賀は、訪れたコーエンを完全に「味方」だと思っていたらしい。やはり、隠れ共産主義者のユダヤ人には同類の臭いが漂っていたのだろう。

Herbert Norman 111(左 / ハーバート・ノーマン)

  ちなみに、このハーバート・ノーマンは限りなくコミュニストに近い人物であった。彼は軽井沢で生まれ、17歳くらいまで日本で過ごしていたから、日本語や日本人の生活に関して詳しかったようだ。その後はケンブリッジ大学やハーバード大学に入り、歴史学を勉強したそうだが、再び日本に戻ることになった。彼は東京にあるカナダ大使館に務めていたが、公務の傍らでちょいと東京帝國大学に立ち寄ることがあると、あの羽仁五郎を教師にして日本史を学んでいたという。しかも、その交際相手が凄い。例えば、マルキストの英文学者たる中野好夫、フランクフルト学派の政治学者になっていた丸山眞男、日本の國體を憎む憲法学者の鈴木安蔵などである。さらに、ノーマンの親友というのが、これまた凄く、左翼の巣窟たる一橋大学で経済学を教えていた都留重人。もう聞いただけで目眩がしそうになるが、ノーノマンは反共主義者のチャールズ・ウィロビー(Charles Andrew Willoughby)少将に目を附けられ、ジワジワと窮地に陥るようになった。1958年、ノーマンはソ連のスパイじゃないかと疑われ自殺を遂げる。こんな奴を持ち上げた加藤周一と工藤美代子は頭がおかしい。

  我々日本人が第二次世界大戦を学ぶ時、必ず頭に浮かぶのは「自由主義を掲げるデモクラシー陣営vs独裁政治で世界征服を目論む全体主義陣営」という図式である。しかし、これは常識的に考えれば間違いだ。むしろ、「共産主義のソ連を守る英米vs共産主義と闘う独伊」といった構図にすれば解りやすい。米国は支那大陸でも共産党の味方で、ソ連軍や八路軍と戦う日本を打ちのめした。しかも、戦後はジョージ・ケナン(George F. Kennan)の「封じ込め政策」に従って、ソ連を攻撃せず、核大国になるよう見守っていた。もちろん、米軍の正常な将兵や本国の一般人は、共産主義なんておぞましくて、とても決して容認できない。ステイルウェル将軍達は仕方なく蒋介石を支援していたが、本音では毛沢東や周恩来といった共産主義者を味方にしたかったそうだ。

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( 左 : ジョージ・ケナン / 中央 : フィリップ・ヤッフェ / 右 : フレデリック・ヴァンダービルト・フィールド )

  普通のアメリカ人とは違って、エマソンやサーヴィス、デイヴィスらは、毛沢東が民衆主義者に見えたようで、共産党への支援を本国の政府にそれとなく説いていた。それもそのはずで、彼らは思想的に共産主義のシンパ。特に、ジョン・サーヴィスは「アメラシア事件」でFBIに疑われた過去を持つから、この役人が国務省の赤い同志と連携していても不思議じゃない。この『アメラシア(Amerasia)』というは、ユダヤ人コミュニストのフィリップ・ヤッフェ(Philip Jacob Jaffe)とフレデリック・ヴァンダービルト・フィールド(Frederick Vanderbilt Field)が創刊した雑誌である。そして、これまたソ連贔屓のエドワード・カーター(Edward Clark Carter)が副主幹を務めており、共産主義者の巣窟となっていた。

  ちなみに、このカーターは「太平洋問題調査会(Institute of Pacific Relations / IPR)」の研究者でもあった。また、ヤッフェの相棒となっていたフィールドは、アメリカの名門財閥であるヴァンダービルト家の出身者である。日本の赤い華族と同じで、フレデリックは共産主義に惹かれる上流階級のリムジン・リベラルであった。一方、ヤッフェはロシア帝國生まれのユダヤ移民の息子だ。1915年には「米国社会党(Socialist Party of America)」に入り、図々しくも彼は1923年にアメリカ国籍を取っていた。

Andrew Roth 77342(左 / アンドリュー・ロス )

  支那贔屓のジョン・サーヴィスが、ソ連贔屓のヤッフェと知り合ったのは、元IPR研究員だったアンドリュー・ロス(Andrew Roth)の仲介によるものだった。このロスはハンガリー系ユダヤ人の両親から生まれ、左翼の牙城であるコロンビア大学で東歐史と支那語を学んでいた。卒業後、彼は合衆国海軍諜報局の極東担当者になったが、その親ソ連的な思考は拭いがたく、反共主義者のFBIのエドガー・フーヴァー長官に怪しまれ、スパイ容疑を掛けられてしまう。だが、狡猾なロスはフーヴァー長官の嫌疑を掻い潜り、英国で活動するジャーナリストに鞍替えだ。彼は世界的に有名な主流メディア、例えば「ガーディアン」紙とか「インディペンデント」紙に寄稿していた。一般の日本人は気づかないが、歐米のマスコミには正体を隠すユダヤ人がウジャウジャいる。

  戦後、OSSの局員が『アメラシア』のNY事務所をガサ入れし、編集部に連なるジョン・サーヴィスやアンドリュー・ロス、マーク・ゲインなどを検挙する快挙があった。検察側は容共色の強い『アメラシア』が、合衆国政府の内部資料や機密文書をソ連に流したんじゃないか、と疑っていたのだ。(M. Stanton Evans, Blacklisted By History : The Untold Story of Senator Joe McCarthy and His Fight Against America's Enemies, New York : Crown Forum, 2007, p. 113.) しかし、サーヴィスらは有罪とされず、起訴は証拠不充分で却下されてしまった。もし、ジョン・サーヴィスがソ連に通じる赤色スパイと判明したら、少なくとも国家機密をソ連に渡す人物ということでブラックリストに載っていたら、米国の対支那政策は違ったものになっていただろう。

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( 左 : ジャーナリストに転向したアンドリュー・ロス / 中央 : マーク・ゲイン / 右 : メドフォード・スタントン・エヴァンス )

  ちなみに、『ニッポン日記』で有名なマーク・ゲイン(Mark Gayn)は、ユダヤ人の赤色ジャーナリストで、本名は「ジュリリアス・ギンズバーグ(Julius Ginsberg)」という。日本人読者層には、著者の素性に無徳着という人が多い。実際、ゲインの著書は知っていても、彼の血統を知っている者は少なかった。米国の左翼に関しては上記で紹介したメドフォード・スタントン・エヴァンス(Medford Stanton Evans)の本が詳しく、アメリカの政治思想に興味のある人は是非とも読むべきだ。

  エヴァンスの著書は日本人にとっても非常に有益なんだが、なぜか大手の出版社から和訳されず、彼の経歴すらも紹介されることはない。彼はルートヴィッヒ・フォン・ミーゼズ(Ludwig von Mises)のもとで経済学を学び、保守派雑誌の『National Review』や『Human Events』に記事を投稿する知識人であった。彼は若い頃から保守的活動に勤しみ、「自由アメリカ青年(Young Americans for Freedom / YAF)」という政治サークルに属し、1970年代には「米国保守同盟(American Conservative Union)」の会長を務めていた。YAFの集会は、よくウィリアム・バックリー(William Buckley, Jr.)の家で開かれ、この団体には若き日(1960年代)のロナルド・レーガンも属していた。

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(左 : ルートヴィッヒ・フォン・ミーゼズ / ウィリアム・バックリー / ロナルド・レーガン / 右 : エヴァンス・カールソン)

  脱線したので話を戻す。不思議なことに、アメリカは共産主義を「敵」と見なしていたのに、なぜか政府の対支那政策では蒋介石の国民党を見限り、毛沢東の共産党に支配権を譲っていたのだ。本来なら、重慶の国民党を支援し、劣勢にあった八路軍を叩くべきだろう。ところが、重慶にいるジョセフ・スティルウェル将軍や彼のスタッフ達は、国民党よりも共産党の方が優れていると述べていた。シェノールト少将によれば、将軍の取り巻き連中は大っぴらに共産党を褒め称えていた、というのだ。確かに、スティルウェルとジョン・デイヴィスは1938年以来の友人であったし、漢口にいた海兵隊のエヴァンス・カールソン(Evans Carlson)大尉も共産主義者に好意的であった。そして、ジョセフ・マッカーシー議員によれば、スティルウェルとカールソンは極東の戦争において、共産主義者から英雄扱いされていたそうだ。(ジョセフ・マッカーシー『共産中国はアメリカがつくった』本原俊裕 訳、成甲書房、2005年、p.121.)

  確かに、合衆国政府へもたらされる支那情報というのは、支那大陸に派遣された国務省やOSSの赤色分子からの報告であったし、本国の省庁や大学にも共産主義のシンパが至る所に潜んでいた。支那やソ連の宣伝係となっていたのは、『大地の娘(Daughter of Earth)』や『支那赤軍の行進(China's Red Army Marches)』を執筆したジャーナリストのアグネス・スメドレー(Agnes Smedley)や、『支那の赤い星(Red Star Over China)』で有名になったエドガー・スノー(Edgar Snow)である。彼ら以前だと、支那で宣教活動をしていた作家のパール・バック(Pearl Buch)だ。彼女も支那人の本質を判っていながら、本国のアメリカ人を欺き、支那人に有利な偽情報を教会の仲間に送っていた。

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(左 : アグネス・スメドレー / 中央 : エドガー・スノー / 右 : パール・バック )

  アメリカの行政機構にも多くの赤色分子が跋扈しており、有名なのは国務省のアルジャー・ヒス(Alger Hiss)で、「米国共産党」に属していたというから呆れる。彼はソ連諜報機関(GRU)のエージェントになっていた。重慶の延安派には、ジョン・サーヴィスやジョン・エマーソン・ジョン・デイヴィスらに続いて、支那学者のジョン・フェアバンク(John King Fairbank)が加わることになった。こんな連中が「専門家」となっていれば、米国の支那政策が毛沢東に傾いても当然だ。このフェアバンク博士も容共主義者で、IPRと繋がる左派の知識人であった。こんな光景を目にすれば、誰だって「アメリカのチャイナ・ハンドは共産党の応援団なのか?」と言いたくなる。

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( 左 : アルジャー・ヒス / 中央 : ジョン・フェアバンク / 右 : ジョセフ・マッカーシー)

  日本ではアカデミック界の大御所みたいに扱われているが、フェアバンクはマッカーシー議員からも目を附けられ、共産主義者のエージェントではないかと疑われていた。(Leonard H. D. Gordon and Sidney Chang, 'John K. Fairbank and His Critics in the Republic of China', The Journal of Asian Studies, Vol. 30, Issue 1, 1970, p.139) さらに、このフェアバンクは支那の歴史や言語に関する知識も疑われており、漢字だって300語くらいしか読めないんじゃないか、と疑われている。(上掲論文、p.146.)

  支那学の専門家として知られるオーエン・ラティモア(Owen Lattimore)も非公式の共産主義者で、これまたIPRの一味だった。国務省には他にも赤色分子がいて、ラティモアと繋がる外政官、ジョン・カーター・ヴィンセント(John Carter Vincent)も要注意人物だったが、それよりも深刻なのは、トルーマン政権で国務長官になったジョージ・マーシャル(George C. Marshall)将軍やディーン・アチソン(Dean G. Acheson)が容共主義の大御所であったことだ。特に、マッカーシー上院議員は支那を共産化したマーシャル長官を激しく批判していた。

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(左 : オーエン・ラティモア / ジョン・カーター・ヴィンセント / ジョージ・マーシャル / 右 : ディーン・アチソン )

  話を戻す。普通のアメリカ人なら到底信じられないが、ジョン・サーヴィスの現地報告書は明らかに“支那寄り”であった。毛沢東と会談したサーヴィスの見解を要約すると以下の通り。

 (1) 支那と米国の人民は、共に民主的で個人主義的だ。両国民とも元来、平和を愛し、非攻撃的、非帝国主義的である。それゆえ、相互理解が可能である。

 (2) 支那は経済発展を望むが、それを達成するための資金や技術を独自に調達できない。だから、アメリカには経済支援をしてもらいたいし、アメリカは支那の経済発展を助ける最も適した国家だ。将来、支那が重工業国家になっても、アメリカの競合国になることはないし、今のところ、支那は人民の生活水準を上げることに精一杯であるから、高度工業国家であるアメリカの敵になることはない。

 (3) 支那人口の4億5千万のうち3億6千万人は農民だから、支那はこれからも長期間に亙って農業国であり続けるだろう。

 (4) 国民党は人民の声を無視している。国民党は内戦の構想を持っており、それは国民党の自殺を意味する。米国は蒋介石の実態を解っていない。蒋介石は米国の力だけに頼っている。もし、アメリカがその支援を止めれば、人民からの支持が無い蒋介石は瀕死の状態隣、国民党は崩壊してしまうだろう。
(『赤旗とGHQ』pp.37-38.)

  こんな報告書はガセネタどころか、悪質な偽情報である。支那人が平和の愛好者なんて大笑いだ。もし、サーヴィスが「毒蝮は入れ歯だから危険じゃない」と言ったら、国務省のアメリカ人は彼を信じるのか? 旧約聖書の創世記ではヘビがイヴを唆したが、現実の世界では支那人がルシファー(悪魔)を手玉に取るくらいの詐欺師となっている。しかも、アメリカ人を歓迎する毛沢東は、インテリ風のマルクス・レーニン主義者ではなく、秦の始皇帝を何倍も残酷にした20世紀の独裁者でしかない。理知的な知識人に見えた周恩来だって、一皮剝けば伝統的な支那人の策士だ。周が温厚な紳士を演じていたのは、毛沢東の狂暴性を熟知していたからで、「この男だけには刃向かってはならない !」と解っていたのだろう。笑顔の毛主席が、急に冷酷な表情に変わった時の瞬間ほど恐ろしいものはない。

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(左 : 支配者となった毛沢東 / 中央 : 主席の右腕となった周恩来 / 右 : 長征時代の毛と周 )

  とにかく、ジョン・サーヴィスは明らかにアグネス・スメドレーやエドガー・スノーと同じ赤いムジナである。もちろん、アメリカの一般国民や正常な軍人は、共産主義の拡大に反対していたが、ローズヴェルト路線に共感するニューディーラーや財界の大御所、CFRのようなシンクタンクの知識人などは、密かに「赤い支那」を望んでいたのだろう。それゆえ、田中角栄や竹下亘たちが、せっせと日本の税金を北京に貢いでも、これといった折檻は無かったし、「お咎め無し」という処分が罷り通っていたのだ。

  これはちょっと過去を振り返れば判るだろう。例えば、東芝はイチャモンとも思える「ココム違反」で袋叩きに遭った。本当に東芝の技術で、ソ連の潜水艦の音が消えたのか? 一方、田中派や創政会の連中は大っぴらに私腹を肥やし、加藤紘一や中曾根康弘も支那利権で幅を利かせていた。支那利権を巡っては米国でも同じで、民衆党や共和党の区別は無い。政治家のパトロンであるウォール街の旦那衆は、常に支那のマーケットを念頭に置いていた。ネルソン・ロックフェラーの子飼いであるヘンリー・キッシンジャーは毛沢東と密約を結んだし、実質的な「駐支那大使(Head of U.S. Liaison Office)」を務めていたジョージ・H・W・ブッシュも、将来性のある支那との関係を損ねないよう気を配っていた。だから、ブッシュ大統領は天安門事件の後、小姓の宮澤喜一首相を使って関係修復に努めたのだろう。徴兵逃れの宮澤が天皇陛下を江沢民に売り渡したのも、ワシントンからの「OK」サインがあったからだ。いきなりブッシュが訪問すれば、米国の世論が沸騰するから、属州の日本を使って事態の改善を図った方が「お得」という訳である。

Henry Kissinger & Zhou Enlai 223George Bush in China 111
(左 : 周恩来と ヘンリー・キッシンジャー / 右 : 支那に赴任したジョージ・H・W・ブッシュ夫妻 )

  アメリカは形式上、共産主義国の支那と対立する。 だが、テーブルの下ではしっかりと脚を絡めて愛情を確かめ合っている。たとえ、台湾周辺で軍事衝突が起こっても、それがエスカレートして大規模な戦争、あるいは核攻撃にまで発展することはない。たぶん、バイデン政権は台湾海峡で波を高くして日本人の恐怖心を煽り、高価な米国産兵器を売りつける魂胆なのかも知れない。とにかく、日本の保守派知識人は人民解放軍の侵掠に騒いでいるけど、案外これは米支共同のプロレス・イベントなのかも知れないぞ。

  次回に続く。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68906171.html
8:777 :

2023/05/28 (Sun) 13:54:02

雑記帳
2023年05月27日
小野寺史郎『戦後日本の中国観 アジアと近代をめぐる葛藤』
https://sicambre.seesaa.net/article/202305article_27.html

https://www.amazon.co.jp/%E6%88%A6%E5%BE%8C%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E8%A6%B3-%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%81%A8%E8%BF%91%E4%BB%A3%E3%82%92%E3%82%81%E3%81%90%E3%82%8B%E8%91%9B%E8%97%A4-%E4%B8%AD%E5%85%AC%E9%81%B8%E6%9B%B8-122-%E5%B0%8F%E9%87%8E%E5%AF%BA-%E5%8F%B2%E9%83%8E/dp/4121101227


 中公選書の一冊として、中央公論新社より2021年11月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は、日本における中国予測がよく外れる要因として、中華人民共和国の不透明性ばかりではなく、日本社会の中国観も大きいのではないか、との認識から、近現代日本の中国観を検証します。日本の中国観は、その時の日中関係に大きく影響を受け、中国を実態以上に美化したり貶めたりしたのではないか、というわけです。確かに、日本社会の中国観には過大評価も過小評価もあり、適切な評価ができているのかとなると、かなり疑問ではあります。

 本書は、とくに第二次世界大戦後の日本における中国近現代史研究から、日本の研究者の中国観と論点を検証します。そのさい本書はまず、中国の問題が特殊的なのか他地域とも共通する普遍的なものなのか、という区分を採用します。近代日本の世界認識は大まかに、歴史学とも連動して日本と西洋と東洋(≒中国)という三区分に基づいており、日本と西洋の共通性(普遍性)および日本と東洋の相違性(中国の特殊性)を強調すると「脱亜論」に傾き、日本と東洋の文化的共通性を強調し、西洋「文明【当ブログでは原則として「文明」という用語を使いませんが、この記事では本書からの引用のさいに「文明」と表記します】」の普遍性を否定する立場では、「アジア主義」と親和的になります。ただ本書は、「脱亜論」にしても「アジア主義」にしても、戦前にはアジアにおいて日本が最も「開花」していたことを大前提としていた、と指摘します。

 次に本書は、時間軸による区分を取り上げます。現在に至る中国の歴史的な連続性を強調するか、近代以降の変化をより重視するのか、という観点です。後者については、アヘン戦争、ダイチン・グルン(大清帝国)末の近代化改革、辛亥革命、五四運動、国民党政権の成立、中華人民共和国の成立、改革開放政策の開始など、どれを画期としてより重視するのか、異なります。一般的に、中国の特殊性を重視する場合は中国の歴史的連続性を、中国の普遍的性格を強調する場合は近代以降の変化を重視する傾向が強くなっています。さらに本書は、日本における中国研究に、自国史である日本史(国史)および先進的な西洋に学ぶための西洋史研究との違いがあるのではないか、との観点を提示します。

 本書の主要な対象は二次世界大戦後の日本における中国近現代史研究ですが、その前提として、第二次世界大戦終結までの近代日本における中国観が概観されます。本書の指摘で重要と思われるのは、戦前の日本において主流はあくまでもヨーロッパ化で、東洋史やアジア主義の人々は本質的に非主流派であり、トップエリートに届かなかったか、「非常に変わり者」だった、ということです。そのため、戦前では日中間の問題について、中国を専門としない知識人やジャーナリストの発言機会も多かった、というわけです。大正年間から昭和初期にかけては知識層の間でマルクス主義が一気に強く浸透し、日本の中国観もマルクス主義の影響を強く受けます。もちろん、マルクス主義を前提とする知識層の間でも中国、さらには自国である日本の現状および歴史的過程の認識が異なることもありましたが、ともかく当時の知識層においてマルクス主義は「科学的」とされ、その知的権威は絶大なものでした。これが戦後の日本社会における中国観の重要な前提となります。

 戦後歴史学の特徴は、戦前の日本の国家や社会への批判と反省、西欧近代の理念への関心の高まり(近代主義)、マルクス主義に基づく発展法則の普遍的適用です。ただ本書は、「戦後歴史学」と「戦後中国史学」との間の微妙な違いも指摘します。戦後中国史学では、近代主義で強調された共同体から自立した個人の析出という問題への関心は強くなく、これは進んだ西欧と遅れたアジアという近代主義の構図への反発が強かったからでした。また、大日本帝国の崩壊により、日本とアジアとの直接的関係が弱まったことにより、学界ではアジア研究が再び傍流追いやられた側面もありました。本書は戦後日本における中国研究を、戦前との連続性は強いものの、中華人民共和国の成立という新たな事態を眼前にして研究の刷新が呼びかけられた東洋史、マルクス主義に基づいて現代中国研究と中国史研究の一体化を目指した中国研究(東洋史もマルクス主義の影響を大きく受けるようになりましたが)、独自の立場から両者を批判した竹内好など、アメリカ合衆国の研究手法を導入した現状分析を挙げます。本書は、戦後10年程、程度の差はあれ戦前への反省が共有されていたことなどから、この時点では相互の批判も抑制的だった、と指摘します。

 1955年頃以降、「国民的歴史学運動」の挫折や「昭和史論争」やスターリン批判などを経て、立場の相違に起因する対立や論争が激化していきます。マルクス主義を前提とする側でも、日本共産党と一線を画す「新左翼」が現れます。この時期の中国史研究でとくに問題となったのは、現実と学問との関係の位置づけ、日本における中国研究の意味といった立場性と、ヨーロッパを基準とした「近代主義」的歴史観への批判です。立場の相違に起因する対立や論争では、とくに文化大革命の影響が大きく、これをどう評価するかが立ち位置を大きく規定したところもありました。とくに積極的に文革を支持したことで知られるのは、安藤彦太郎です。一方、文革否定論の立場はさまざまで、日本共産党支持によるものや、現状分析からのものなどがあり、文革の評価をめぐる対立はきわめて深刻でした。ただ本書は、当時の日本で中国研究に直接的には関わらない人々の間では、文革はおおむね異常事態として批判的に評価されており、学生運動への毛沢東思想の影響はひじょうに小さかった、と指摘します。しかし、中国研究では文革支持派が勢力を有し、文革批判派を排除したばかりか、後に文革の実態が明らかになっても、文革支持派のほとんどは沈黙し、明確な総括はなされなかった、と本書は評価します。そのため、この時に排除された文革批判派の多くは、その後も長く被害者意識と(元)文革支持者に対する敵対感情を抱き続けた、というわけです。

 1972年、 米中接近に伴って日本も中国への接近を加速し、同年9月には日本と中華人民共和国の国交が成立します。ここから1989年6月4日の天安門事件の頃までは、日中ともに双方への感情が良好でした。ただ、反帝国主義の観点に立っていた日本のマルクス主義系の中国研究者にとっては、根本的な立脚点の喪失を意味した、と本書は評価しています。この時期の中国史研究の大きな特徴は、中華人民共和国成立の衝撃による、共産党と毛沢東の勝利を必然とした中国近現代史観の偏りが批判され、中国共産党の歴史観で低く評価されたり軽視されていたりした事象、たとえば国民党や国民政府の研究の必要性が指摘されたことです。1980年代には、中国が自らの経済的後進性を認め、東側陣営全体の行き詰まりが明らかになっていく中で、中国研究に限らず学問全体でマルクス主義の影響力が急速に失われていきました。この時期には、文革以前に編集が開始されていた史料類の大量刊行の始まりにより、日本の中国研究は実証水準を上昇させるとともに、研究は細分化していきました。

 こうした日中の「蜜月関係」の時代を経て、1989年6月4日の天安門事件以降、日中関係の悪化が見られ、中国が経済的に急成長し、ついには日本を追い抜いて大きな差をつけたことで、日中の立ち位置が近代の大半とは異なる状況となります。天安門事件で中国政府が自国正当化のため独自性を持ち出したことで、一般では中国特殊論が強く主張されたこともありましたが、中国研究では、そうした中国特殊論を批判し、その普遍性を重視する見解が依然として有力でした。またこの時期には、台湾や華僑の研究も発展します。この時期には、中国共産党の体制教義的な歴史観とは大きく異なるような、中国共産党と農村との関係についての実証的研究も進みました。ただ、こうした中華人民共和国史の研究は、中国共産党の政治的正当性に直接的に関わるため、現実の政治情勢から強い影響を受けることになり、習近平政権下では研究への統制が強化され、研究環境は悪化したようです。それとも関連しているのでしょうが、日中関係の悪化とともに中国研究を志望する学生が減少していることも、大きな問題となっています。
https://sicambre.seesaa.net/article/202305article_27.html
9:777 :

2023/12/30 (Sat) 12:45:50

貧すれば混する中国、モラル低下が深刻
2023.12.30
https://www.thutmosev.com/archives/32135yyy.html

河南省で村びと全員で他人の農地を襲っている農民。通報しても警察はなにもしない


https://www.epochtimes.jp/2023/11/183006.html
貧すれば混する中国

中国の景気が悪化するにつれて以前は表に出なかったようなモラル崩壊が起きていて、多くのネット言論人を失望させ悲嘆にくれさせている

22年12月のゼロコロナ解除後にSNSで多く報告されたのは上海や北京中心部で路上生活者が増えていることで、しばらくしたら政府はこの手の投稿をできなくした

「臭い物にフタ」の典型例でその後の様子は良く分からなくなってしまったが、23年夏ごろまでこうした情報が時折西側のニュースになっていました

メディアのインタビューによると路上生活者たちは農民工として大都市で働いていたがゼロコロナで収入ゼロになり戻る故郷がない人達で、ボランティアから食料などを貰っているという

政府や警察はホームレスが居ない事にしたいようで統計上は存在せず、従って公式な支援はなく政府機関に問い合わせても「存在しない」と冷たくあしらわれるだけです

路上生活者は物乞いをする事が多いが中国はキャッシュレスが浸透し現金がなくなったので、寄付や物乞いもスマホのQR決済に移行している

つまりスマホとネット環境がないと寄付も受けられない社会になったわけで、路上生活者やホームレスにとって厳しい社会だと言えるでしょう

ホームレスとも関係があるのは『腐った家』問題で、これは本当に腐っているのではなく購入したが未完成のまま放置されて住むことが出来ない状態のマンションを指しています

一軒家だったらもしかしたら自分や仲間で大工仕事をして完成できるかも知れまいが高層マンションなのでそれは不可能、電気ガス水道・下水道などが通っていないので居住や売買は出来ない状態です

野村證券によると中国では恒大などの破綻によって2000万戸もの未完成物件(建設途中を含む)が存在し、そのかなりは永遠に完成しないと思われています

中国では2019年まで地価は下落しないという土地神話があり、人々は年収の30倍ものマンションをローンで購入し、それを貸して家賃収入で返済するという綱渡りを繰り返していた

ところがゼロコロナ以降多くのマンション価格は下落し家賃相場も下がったがローンは減額されないので、生活破綻者が多くでたが自己破産制度がありません

個人の自己破産制度はコロナ以降に制度化されたが、未だに免責が認められた例は確認されておらず1人も居ないと思われています

ゼロコロナがもたらした家族の崩壊
わずか3年でアメリカを超えると息巻いていた大国が貧困になってしまい、それまでは考えられなかったような現象が起きるようになった

中国では穀物自給率が100%を割り込んで政府は穀物増産を命じたのは良いが、農民の土地を収奪して今栽培しているものをブルドーザーで踏みつぶして穀物畑にしています

こんな事が上手くいく筈がないが習近平の命令なので役人は公園や森林まで整地して畑にし、多くの農民が農地と収穫物を奪われた

そこで起きているのは他人の収穫物を奪うという行為で、泥棒なんていう生易しいものではなく成功した1人の農家の全ての収穫を他の村びと全員が引っこ抜いて持ち去っています

警察を呼んでも相手は村びと全員なので良くて見て見ぬふり、地権者が村びとを殴ったりしたら警察は土地の所有者を逮捕します

三国志とかで良くこの手の話が出てくるのですが、困窮した中国は今2千年前の人心に戻りつつあり、農村では自分の収穫物だけで生きていくのは難しくなっている

中国は確か2021年に習近平直々に「貧困からの脱却達成」を宣言したが、それに因縁をつけた李克強は22年に解任され今は『行方不明者』です

胡錦濤や李克強などの重要人物が行方不明になってもマスコミは「最初から居なかった」ように振舞い、14億人のだれも話題にしないのが中国という国です

現実の中国では月の収入が数千円で年収10万円以下の村が多く存在し、動画サイトではそうした農民の生の証言を見る事もできます

中国は2000年代以降インフラ投資で経済成長したが、その魔法の種であるインフラ工事で手抜き工事による崩壊や事故が毎日のように起きています

日本ではバブル以前の建物が阪神大震災で崩壊していたが、このように手抜き工事が明らかになるのは数十年後なので、中国には多くの欠陥構造物が存在している

おから工事と呼ばれる手抜きは中国の伝統文化と言ってよく、先日の地震では外側は立派なビルなのに、中は「土と石と煉瓦」で鉄筋も入っていませんでした

中国は2022年に人口減少に転じたが西側の出生率に換算すると1.06人、23年は(正直に発表すれば)間違いなく1.0を下回り0.8人台の可能性すらあります

ゼロコロナを引き金に夫婦や家族の関係が崩壊してしまい妻は夫を尊敬しなくなり夫も妻を疎んじて、子どもは学歴競争に放り込まれてボロボロになっている

中国には高層マンションがやたら多いが始まりは毛沢東が 「家族を廃止しろ」と言って家を無くして集団生活をさせた事で、今は高層ビルの中で集団生活をしています

こんな風に家族を破壊した国は例外なく混乱状態に陥っているが、中国はゼロコロナでもう一度家族崩壊をやらかしたので将来は明るくないでしょう

家族を廃止し宗教を廃止するのが共産主義ですが、そこに手をつけてはいけなかった
https://www.thutmosev.com/archives/32135yyy.html
10:777 :

2024/03/16 (Sat) 08:59:23

雑記帳
2024年03月16日
江田憲治、中村勝己、森田成也『世界史から見たロシア革命 世界を揺るがした一〇〇年間』
https://sicambre.seesaa.net/article/202403article_16.html

https://www.amazon.co.jp/%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%8F%B2%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A6%8B%E3%81%9F%E3%83%AD%E3%82%B7%E3%82%A2%E9%9D%A9%E5%91%BD%E2%80%95%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%82%92%E6%8F%BA%E3%82%8B%E3%81%8C%E3%81%97%E3%81%9F%E4%B8%80%E3%80%87%E3%80%87%E5%B9%B4%E9%96%93-%E6%B1%9F%E7%94%B0-%E6%86%B2%E6%B2%BB/dp/4806807168


 柘植書房新社より2018年7月に刊行されました。電子書籍での購入です。本書は2017年に開催されたロシア革命100周年記念シンポジウムの書籍化です。本書は、ロシア革命から100年となる2017年11月4日に開催されたシンポジウムの書籍化です。このシンポジウムでは、リーマンショックなど21世紀になって「社会主義に勝利した」はずの資本主義の問題点が顕在化する中で、ロシア革命の現代の世界史的意義が改めて討論されました。ロシア革命を全面的に肯定するわけではないとしても、ロシア革命を否定したり、ロシア革命の結果成立したスターリン体制がナチ体制とともに「全体主義」の枠組みで把握されたりする傾向に異議申し立てをする、というわけです。私の歴史認識や政治的立場とは大きく異なりますが、それだけにロシア革命に詳しくない私にとって教えられるところが多いのではないか、と考えて読みました。なお、このシンポジウムの参加者はほとんどが70歳前後だったようで、やはりこのシンポジウムのような問題意識が若い世代にはなかなか浸透していないようです。以下、本書の興味深い見解を備忘録としてまとめます。

 森田成也氏は、ロシア革命を一国の革命とは把握しないよう、提言します。ロシアが中心になっているものの、第一次世界大戦など世界的激動の一環として把握すべきというわけです。これは、ロシア革命が起点となり、その影響が世界中に広がっていったことも重視した認識です。「革命」自体はヨーロッパも含めてほぼ失敗しましたが、マルクス主義の影響は日本も含めて世界中の「非」もしくは「反」共産主義諸国にも広がった、というわけです。森田氏はロシア革命について、単なる必然史観でも単なる逸脱でもなく、偶然的側面も客観的に条件づけられた側面もある、と指摘します。また森田氏は、ヨーロッパ「先進諸国」に対するロシアの「後進性」と、それ故のロシアのブルジョアジーの「反動化」と労働者階級の大都市における集中度の高さを指摘します。また森田氏は、農奴制廃止が中途半端に終わった故の農民の「革命性」と、反ユダヤ主義が強かったことに起因する抑圧されていた少数民族の「革命性」とともに、第一次世界大戦における「後進的」農民と「先進的」労働者との従軍経験の共有も指摘します。

 中村勝己氏は、ロシア革命をめぐる同時代のレーニンとカール・カウツキーの論争のうち、ほぼレーニンの主張のみ翻訳されている戦後日本における左翼の言説空間の歪みを指摘します。カウツキーの言説には、公開性の原則や複数政党制(複数前衛党論)の重要性の指摘など、現代にも通ずる価値がある、というわけです。中村氏は、ロシア革命を同時代に経験したローザ・ルクセンブルクもロシア革命でのボリシェヴィキ独裁を批判しており、カール・カウツキーとローザ・ルクセンブルクには、民主主義における多元性保障の論理を必要とするヨーロッパ自由主義伝統の視点が根づいていた、と指摘します。湯川順夫氏は、ボリシェヴィズムとスターリニズムを一直線に結ぶことはできず、両者の間には質的断絶がある、と指摘します。

 江田憲治氏は、中国における共産主義の受容と定着での陳独秀の役割を重視します。江田氏は、陳独秀の民主主義闘争(革命)から社会主義革命への移行論(永続革命論)はトロツキーに学んだもので、民主主義と社会主義の同時並存論はそれを発展させた、陳独秀独自の思想の到達点と見ることができるかもしれない、と評価しています。なお、江田氏がかつて、中国共産党指導者が親族にいる中国史研究者に毛沢東の理論面での評価を尋ねたところ、毛沢東には理論などなく、せいぜいゲリラ戦の理論くらいだった、との返答があったそうです。さらに江田氏は、ゲリラ戦の理論も、毛沢東の思想的営為の結果ではなく、他の軍人(曾中生)の発案だったそうです。つまり、「毛沢東思想」とは、レーニン以来の社会主義の政治的指導者は同時に理論的指導者であり、そうあるべきという「政治文化」の所産か、実態を超えて指導者の正しさを強調する「政治文化」が、ロシアから中国、スターリンから毛沢東へと伝わったのではないか、と江田氏は指摘します。

https://sicambre.seesaa.net/article/202403article_16.html

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