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イギリスの歴史

1:777 :

2022/06/01 (Wed) 03:28:00

777投稿集
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14038024

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イギリスの歴史

ヨーロッパ人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/274.html

アーリア人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/306.html

ブリテン島人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/295.html

スコットランド人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/290.html

スコットランド人の遺伝的構造
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/731.html

アイルランド人の起源
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/293.html

「イングランド」 「スコットランド」 「ウェールズ」 「北アイルランド」は全く別の国
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16820701

 3-1. Y-DNA調査によるヨーロッパ民族
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-1.htm

 3-2. Y-DNA「I」   ノルマン度・バルカン度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-2.htm

 3-3. Y-DNA「R1b」  ケルト度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-3.htm

ゲノムデータと同位体データからアイルランドの新石器時代の社会構造を推測した研究
https://sicambre.at.webry.info/202006/article_26.html

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山下英次『世界で最も正統性の高い日本の政治・社会制度』
イギリツ王室の歴史とピューリタン革命・名誉革命
https://www.youtube.com/watch?v=f6U6h5zUF8k&t=23s

ペスト(黒死病)がイギリスの「パブ文化」を育てた
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/128.html

イギリスのピューリタンがやった事
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/461.html

イギリスが貧しさから抜け出すために思いついたのが『海賊立国』になることだった
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/126.html

イギリスはどうやってインドの綿工業を壊滅させたのか
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/715.html

イギリスの手法は「まずブタを太らせて、後で食べる」
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/153.html

欧米の中東侵略の歴史
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/942.html

アジア人の白人との戦い
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/643.html

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アダムスミス『国富論』の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/917.html

リカード、マルサスの古典派経済学の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/914.html

池田信夫の逝かれっぷり _ 時代錯誤の「比較優位の原理」を鵜呑みにしている自称経済学者 池田信夫
http://www.asyura2.com/09/bun2/msg/543.html

セイの法則
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1098.html

金本位制
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1097.html

貨幣数量説 _ 貨幣の総量とその流通速度が物価の水準を決定している
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1065.html

信用貨幣論
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/862.html

信用貨幣論に基づく信用創造
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/919.html

マルクスの貨幣論
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1119.html

マルクス経済学の世界
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/915.html

マルクスがイギリスで共産主義を考えた理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/891.html

マルクスはやはり正しかった _ もうすぐ共産革命の嵐が吹き荒れる時代がやって来る
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/704.html

マルクス史観はどこが間違っていたのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/775.html

階級社会イギリスは、オーウェルの「1984年」監視社会を実現した、最初の国だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/889.html

ケインズの偉大さとは 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/936.html

新自由主義の世界
80年代に新自由主義政策の先鞭をつけたイギリスのサッチャー
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/916.html#c2

新自由主義を放置すると中間階層が転落してマルクスの預言した階級社会になる理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/350.html

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イギリスが薩摩や長州を支援して徳川体制を倒した理由は日本人を使って中国内陸部を支配するためだった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/743.html

表に出始めた明治維新の真実
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/742.html

日本列島は欧米の侵略の拠点で日本人は手先。イギリスもアメリカも日本がアジアの国々と友好的な関係を結ぶことを許さない
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/136.html

明治維新は朝鮮系の人たちの日本乗っ取り
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/358.html

戦前、日本の代表的輸出品は生糸ではない。アヘンだった。(メディアが絶対に書かない裏話)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/361.html

ウインザー公とシンプソン夫人の恋 _ シンプソン夫人はナチスのスパイだった?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/591.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/441.html

英米はドイツ軍がソ連に勝てないとわかる迄は、ウォール街のエージェントのヒトラーと戦う気は全く無かった
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/615.html

ヴィクター・ロスチャイルドはナチス・ドイツと八百長戦争をして儲けるために、親ナチス派のエドワード八世に醜聞を仕掛けて排除した 
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/772.html

ユダヤ人のエージェントで強硬な反共だったウィンストン・チャーチル
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1036.html

チャーチルはソ連を核攻撃しようとしていた
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/1028.html

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爆買いバブルの後始末 ロンドン高級住宅地
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/148.html

”中国のポチ”から離脱するイギリス、キャメロン時代と決別
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/231.html

欧州で増える貧困層 イギリスではフードバンク難民が100万人以上
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/803.html

《メーガン&ハリー暴露本が早くもベストセラーに》英王室兄弟の仲を引き裂いた「ひと言」とは?
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/263.html

米英を後ろ盾とする香港の破壊行為と国家安全法の現実を見ない人びと
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/221.html

キリスト教への信仰心が消える欧州 ムスリムも増加で変わる宗教地図
http://www.asyura2.com/17/lunchbreak54/msg/169.html

極貧のイギリス王室 _ イギリス王家の滅亡と「イギリス人」の消滅
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/800.html

EU離脱をかけてイギリス総選挙、各政党の政策まとめ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/721.html

英EU離脱の「グダグダ劇」を日本が笑えない理由
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/626.html

大英帝国復活へ
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/617.html


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イギリス人は美味しい材料でわざと不味く作る
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/768.html

イギリス人は味覚音痴
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/442.html

ゲルマン人は氷河時代に氷河に閉じ込められて腐った肉しか食べられなかったので、味覚の優れた人間は死に絶えた
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/569.html
 
2:777 :

2022/08/06 (Sat) 02:38:14

岡田斗司 イギリス飯が不味いのには理由がある
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14030267

アングロサクソンの文化
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007474

レーニンはドイツのスパイ、ラスプーチンはイギリスのスパイだった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14006481

イギリスの高級オーディオはすべて輸出用で本国では全く売れない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14004079




3:777 :

2022/09/07 (Wed) 09:32:57

日英関係の歴史
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14042876
4:777 :

2023/08/02 (Wed) 15:33:12

《メーガン&ハリー暴露本が早くもベストセラーに》英王室兄弟の仲を引き裂いた「ひと言」とは?
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/263.html

極貧のイギリス王室 _ イギリス王家の滅亡と「イギリス人」の消滅
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/800.html

エリザベス女王の死を利用して封建制虚構の延命をはかる者たち
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14047352

ダイアナ妃の乗馬インストラクターがハリー王子の実の父親?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14080027

ウインザー公とシンプソン夫人の恋 _ シンプソン夫人はナチスのスパイだった?
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/591.html
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/441.html
5:777 :

2023/09/16 (Sat) 06:14:19

山下英次『世界で最も正統性の高い日本の政治・社会制度』
イギリツ王室の歴史とピューリタン革命・名誉革命
https://www.youtube.com/watch?v=f6U6h5zUF8k&t=23s
6:777 :

2023/10/17 (Tue) 06:23:47

ああああ
7:777 :

2023/10/31 (Tue) 00:21:36

かつてイギリスではエンクロージャーによって共有地などが私有化され、農民は土地を追われた。生きる術を失った農民は浮浪者や賃金労働者、仕事がなければ失業者になった。19世紀のイギリスで労働者の置かれた状況は劣悪で、その実態はフリードリヒ・エンゲルスの報告『イギリスにおける労働者階級の状態』やチャールズ・ディケンズの小説『オリバー・ツイスト』などを読んでもわかる。

 ロンドンのイースト・エンドで労働者の集会に参加したセシル・ローズは「パンを!パンを!」という声を聞く。その状態を放置すれば内乱になると懸念、植民地を建設して移住させなければならないと考えたようだ。つまり、社会問題を解決する最善の方法は帝国主義だというわけである。(レーニン著、宇高基輔訳『帝国主義』岩波書店、1956年)

 セシル・ローズたちイギリスの支配者はトーマス・マルサスの人口論やフランシス・ゴルトンの優生学から影響を受けていた。ゴルトンによると、「遺伝的価値の高い者を増やし、遺伝的価値の低い者を減らす」ことで社会を改善できるというのだ。

 そうした思想はアメリカの支配層を魅了し、優生学運動はカーネギー研究所、ロックフェラー財団、ハリマン家のマリー・ハリマンといった富豪から支援を受けた。そうした運動に感銘を受け、自国で実践したのがアドルフ・ヒトラーにほかならない。

 現在でもアメリカやイギリスの富豪たちは人口を削減するべきだと主張している。マイクロソフトを創設した​ビル・ゲイツは2009年5月、マンハッタンで富豪たちを密かに集め、会合を開いている​。

 集まった場所はロックフェラー大学の学長だったポール・ナースの自宅。参加者にはデビッド・ロックフェラー・ジュニア、ウォーレン・バフェット、ジョージ・ソロス、マイケル・ブルームバーグ、テッド・ターナー、オプラ・ウィンフリーも含まれている。その参加者は「過剰な人口」が優先課題であることに同意した。

 ​テッド・ターナーは会合の前年、2008年の4月にチャーリー・ローズの番組に出演し、そこで人口が問題だと主張​している。人が多すぎるから環境問題も起こるというのだ。ターナーは1996年に「理想的」な人口を2億2500万人から3億人だと主張したが、2008年にはテンプル大学で20億人に修正している。

 ゲイツも人口を削減するべきだと発言している。​2010年2月に行われたTEDでの講演​では、ワクチンの開発、健康管理、医療サービスで人口を10~15%減らせると語っている。「COVID-19ワクチン」で人口は減っているようだが、これは古典的な意味でのワクチンではなく、遺伝子操作薬だ。

 ガザでの戦闘は欧米支配層の人口削減プランと結びついている。そうした人びとの先祖が築いた旧帝国主義国は現在、新帝国主義国として「グローバル・サウス」を搾取している。ガザに対するイスラエル軍の攻撃が激しくなると、そうした搾取への怒りがパレスチナ人への連帯という形になって現れた。人口を減らしたい5%の支配者と生き残ろうとしている95%の人間の戦いとも言える。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202310310000/
8:777 :

2023/11/12 (Sun) 16:45:13

無敵艦隊とイギリス艦隊 合理性で勝る側が実戦で勝つ
2023.11.12
https://www.thutmosev.com/archives/749499454r.html

スペインでは勝とうが負けようが全て王のもの、イングランドでは報酬が約束されていた

the-spanish-armada-1588-british-library
無敵艦隊はなぜ破れたか

スペインの無敵艦隊とイングランド艦隊は商圏を巡って1588年に激突し、事前予想に反してスペインは大敗しました

田舎の三等国に過ぎなかったイングランドはこの勝利で世界最強の海軍国になり、大英帝国全盛期を迎える

開戦前の国力ではスペインが圧倒していたのに、なぜイギリス艦隊は勝つ事ができたのでしょうか?

スペインはローマ帝国の勢力を受け継ぐハプスブルク朝で、スペイン王が神聖ローマ皇帝を兼ねていたこともあった

同じキリスト教でもスペインはカトリックでイングランドはプロテスタント、カトリック教会を握っていたのはスペインだった

スペインはイングランド王を王として認めないなど嫌がらせをし、イングランドもカトリック信者を弾圧して報復した

商圏でも両者は対立していて、先に進出したスペインは、アフリカや人口が多い南米を植民地にし全盛期を迎えていた

それに比べるとイングランドはローマ帝国の版図の片隅の辺境で、有力な植民地も得られずに出遅れていました

陸軍も海軍もイングランドは弱く、ゲリラ的に襲撃を繰り返すものの1588年までスペイン優勢で進んでいました

イングランドは海賊を雇ってスペイン船を襲撃させて大きな被害が出て、スペインの植民地で勝手に原住民の強制連行も行っていました

イングランドの海賊船はアメリカ大陸のスペイン領を奪い取ったりもし、イングランド王は止めるどころか奨励金まで出していました

同じプロテスタントのオランダ(スペインの一部)独立をスペインが鎮圧し、イングランドは独立を支援したため、ここにスペインとイングランドが激突した

イギリスの勝因は合理性と効率性
最終的にイングランドは強大なスペインと引き分けに持ち込み、大航海時代を通じてスペインを圧倒して大英帝国全盛期を築いた

反対にスペインは「ピクニックにでも行くような気分で」無敵艦隊を派遣したが、引き分けに持ち込むのがやっとでこの後衰退していく

多くの解説ではイギリスは運が良かっただけとなっているが、実際には周到に準備し、勝つべくして勝った面もあった

それはスペインが絶対王政の元で、兵士や労働者は強制労働していたのに対し、イングランドは既に議会制民主主義の時代に入っていたからでした

当時の議会制は現在の価値観ではまったく民主的ではないが軍人や兵士、労働者、資産家、商人などそれぞれに「自分の取り分」が与えられていた

スペインでは兵士や商人が敵から奪い取ったものは王の所有物であり、多少の分け前はあるものの、見返りはない

もしスペインで分け前に預かろうと思ったら、自分も略奪行為を行って支配層に加わるしかない

イングランドではそうではなく、自分が発展させたものは自分の物であり、貴族や王に取られるにしても、自分の所有権が確立されていた

従ってスペインの軍人とイングランドの軍人、あるいは商人でも海賊でも、まるで「やる気」が違っていたと思われる

スペイン艦隊が勝っても獲物は全て王のもの、対するイングランド艦隊は勝ったら獲物は自分のものでした

現代でもアメリカ企業で成果の利益50%が個人の取り分、日本企業では月300時間働いても給料は同じであったら、最初から勝敗は見えているのに似ている

イングランドは相手より合理的だったから勝ち、スペインは相手より劣った制度だったので負けた

こういう出来事は歴史上何度も起きていて、イギリスからのアメリカ独立戦争では、旧態依然たるイギリス軍がアメリカ軍に敗れた

長州征伐で幕府軍が勝っても兵士に何の恩恵も無いが、長州軍の奇兵隊を率いた山縣有朋は一兵卒から総理大臣に出世した。
こういう合理性の違いが、大勝と逃走という両者の行動の原因になった

合理性で劣る側は負ける

日本の幕末には徳川幕府が15万人もの大兵力で長州藩を征伐しようとしたが、実質たった400人の奇兵隊に敗れて逃走した

徳川の軍制には大きな欠陥があり、まず大名や旗本には参戦義務が無く、幕府は給料も払わず装備も軍事費も支給していなかった

諸将には「徳川軍に所属している」という意識はなく、関が原の合戦に見られるように、徳川が勝ちそうなら徳川に加勢するだけです

このため先頭の部隊が敗戦すると、それを見た後続は参戦を見送り、全軍が回れ右して戦場から逃亡しました

長州軍は兵士が藩から報酬をもらっており、最初から「我々は長州軍」という意識がある近代軍隊でした

兵器や装備品には言われているほど差が無く、幕府軍が本気で襲い掛かれば長州は敗れていたでしょう

日露戦争でも弱小だった日本軍は近代軍隊、一方のロシア軍は徳川幕府軍に似た制度で、戦意は低く予想に反して日本が大勝しました

第二次大戦では民主主義を掲げる米英を、 軍国主義の日独はあと一歩まで追い詰めたが、両者の合理性の差は時間が経つほど戦況に影響しました

日本では「必勝精神」が重視されたがアメリカでは「金儲け」が重視され、どちらが兵器の生産に有利かは明白でした

時間が経つほど合理性で劣る側は不利になり、あるとき「スペイン無敵艦隊」のように大敗北を喫します
https://www.thutmosev.com/archives/749499454r.html
9:777 :

2023/11/16 (Thu) 16:54:30

2023.11.14XML
ネタニヤフ首相はイスラエルと関係の深いブレア元英首相を「人道調整官」に
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202311140001/

 ガザの建造物を破壊、住民を大量虐殺しているイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ政権に対する批判は世界で高まり、各国の支配層も無視できない状況だ。それに対し、ネタニヤフ政権はトニー・ブレアをガザの「人道調整官」にしようとしているという。この情報はイスラエルのYnetが11月12日に伝え、それをさまざまなメディアが流している。ブレアは1997年5月から2007年6月にかけてイギリスの首相を務めた人物で、イスラエルと緊密な関係にある。

 ブレアは1972年から75年までオックスフォード大学に在籍していたが、そこでブリングドン・クラブに入っている。素行の悪さを「売り」にしていたクラブで、ボリス・ジョンソン、デイビッド・キャメロン、ジョージ・オズボーン、ナット・ロスチャイルドも所属していた。帝政ロシアの有力貴族だったユスポフ家のフェリックスもメンバーだ。

 フェリックスは1909年から13年にかけてオックスフォード大学で学んだが、彼もブリングドン・クラブに入った。大学ではクラスメートのオズワルド・レイナーと親密な関係になるが、このレイナーは卒業後、イギリスの対外情報機関SIS(秘密情報局、通称MI6)のオフィサーになっている。

 ユスポフ家が親しくしていたイギリス人アリー家のスティーブン・アリーはフェリックスより11年前、1876年にモスクワ近くで生まれた。この人物も後にMI6のオフィサーになった。

 イギリスは産業資本家とユスポフ人脈を利用して第1次世界大戦でロシアとドイツを戦わせようと画策したが、皇后アレクサンドラや大地主階級が参戦に反対した。その勢力の代弁者が皇帝にも信頼されていたグレゴリー・ラスプーチンだ。

 大戦は1914年7月28日、オーストリア-ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告して勃発するが、皇后は7月13日にラスプーチンへ電報を打って相談、ラスプーチンは戦争が国の崩壊を招くと警告している。

 そのやりとりを盗み見た治安当局は議会などにリーク、ラスプーチンは腹部を女性に刺されて入院することになった。入院中にロシアは総動員を命令、ドイツは動員を解除するよう要求。それをロシアが断ったため、ドイツは8月1日に宣戦布告している。ラスプーチンが退院したのは8月17日のことだ。

 すでにドイツと戦争を始めていたロシアだが、ラスプーチンが復帰したことでいつ戦争から離脱するかわからない状況。それを懸念したイギリス外務省は1916年にサミュエル・ホーアー中佐を責任者とする情報機関のチームをペトログラードへ派遣。チームにはアリーとレイナーが含まれていた。(Joseph T. Fuhrmann, “Rasputin,” John Wiley & Son, 2013)

 このチームがラスプーチンを暗殺したのだが、致命傷になった銃弾の口径から止めを刺したのはレイナーだったと見られている。1917年3月にはニコライ2世が退位、ロマノフ朝は崩壊して臨時革命政府が成立する。「二月革命」だ。臨時政府は7月にエス・エルでフリーメーソンのアレキサンドル・ケレンスキーを首相に就任させた。戦争はイギリスの計画通り「継続」である。

 それに対し、ドイツは即時停戦を主張していたボルシェビキのウラジミル・レーニンに目をつけ、4月にボルシェビキの幹部を亡命先からロシアへ列車で帰国させた。

 8月になると臨時革命政府軍の最高総司令官になったのがラーブル・コルニーロフ将軍が反乱、事態を収拾できないケレンスキーは直前までメンシェビキだったレオン・トロツキーに助けを求める。結局、それが十月革命につながった。ボルシェビキ政権はドイツの思惑通りに即時停戦を宣言、無併合無賠償、民族自決、秘密外交の廃止も打ち出したが、すでにアメリカが参戦していたこともあり、ドイツは負けた。

 フェリックス・ユスポフと同じようにブリングドン・クラブのメンバーだったブレアは1994年1月に妻とイスラエルへ招待され、3月にはロンドンのイスラエル大使館で富豪のマイケル・レビーを紹介された。その後、ブレアの重要なスポンサーになるのだが、言うまでもなく真の金主はイスラエルだ。

 米英の親イスラエル人脈にとって好都合なことに、労働党の党首だったジョン・スミスが1994年5月に急死、その1カ月後に行われた投票でブレアが勝利、党首になった。

 レビーだけでなく、イスラエルとイギリスとの関係強化を目的としているという団体LFIを資金源にしていたブレアは労働組合を頼る必要がない。そこで国内政策はマーガレット・サッチャーと同じ新自由主義、国外では親イスラエル的で好戦的なものになる。

 ブレアが党首になる直前のイギリス労働党は親イスラエルから親パレスチナへ変化しつつあった。その原因は、1982年9月にレバノンのパレスチナ難民キャンプのサブラとシャティーラで引き起こされた虐殺事件にある。

 この虐殺はベイルートのキリスト教勢力、ファランジスト党が実行したのだが、その黒幕はイスラエル。ファランジスト党の武装勢力はイスラエル軍の支援を受けながら無防備の難民キャンプを制圧し、その際に数百人、あるいは3000人以上の難民が殺されたと言われている。イギリス労働党の内部ではイスラエルの責任を問い、パレスチナを支援する声が大きくなった。

 そうした情況を懸念したアメリカのロナルド・レーガン政権はイギリスとの結びつきを強めようと考え、メディア界の大物を呼び寄せて善後策を協議。そこで組織されたのがBAP(英米後継世代プロジェクト)である。アメリカとイギリスのエリートを一体化させることが組織の目的で、少なからぬメディアの記者や編集者が参加していた。

 現在、イスラエルはガザでサブラとシャティーラにおける虐殺より多い1万1000人以上のパレスチナ人を殺している。その約4割は子ども。イスラエルに対する批判が高まるのは当然だ。そこでイスラエルは自分たちと緊密な関係にあるブレアを「人道調整官」にしようというのである。

 ちなみに、ブレアはジェイコブ・ロスチャイルドやエブリン・ロベルト・デ・ロスチャイルドと親しく、首相を辞めた後、JPモルガンやチューリッヒ・インターナショナルから報酬を得て大金持ちになっている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202311140001/
10:777 :

2024/01/05 (Fri) 15:52:14

明治の日本が目指した「デモクラシー」は、英国型の混交政体(mixed constitution)であった。イングランド王国の統治形態を模範とすれば、国家元首が天皇陛下で、上院は世襲貴族、すなわち大名クラスの重鎮で構成され、下院議員は下級であっても武士階級の士族を主体とせねばならない。イングランド史を学んだ者なら気づくと思うが、日本の大学教授という種族は、英語を習得しても、日本語の感覚や日本の文化に疎いから、奇妙で的外れな訳語を用いたりする。

Frederic W Maitland 11223(左 / フレデリック・W・メイトランド)
  例えば、フレデリック・W・メイトランド(Frederic William Maitland)の名著『The Constitutional History of England(イングランド國體史)』を和訳した小山貞夫は、「House of Commons」を「庶民院」と訳していた。(F.W.メイトランド『イングランド憲法史』小山貞夫 訳、創文社、1981年pp. 231, 243, 317, 318.を参照。) なるほど、「commons」は大抵の場合、「平民」とか「庶民」を意味するが、英国の政治制度で使われる用語となれば話は別だ。下院議員とは「共同体(communes)」から選ばれた「代理人」であり、元々は準貴族たる騎士が選ばれていた。(John Edward Austin Jolliffe, The Constitutional History of Medieval England : From the English Settlement to 1485, London : Adam & Charles Black, 1937, p.328.)

  象牙の塔に住む教授はともかく、専門家でない日本人が「庶民」という言葉を聞けば、「江戸の庶民」とかを想像してしまうだろう。一般的に、「庶民」とは商人や職人、農夫とか猟師などの平民(国民 / 領民)を指す。「百姓」だって「万民」じゃなく、主に「農民」を指す言葉だろう。それゆえ、「庶民」の中に代官や町奉行、与力、同心、直参旗本の武士などを含めたら何となくおかしい。

  西洋史を専攻する学者の間では、「庶民院」という訳語が定着している。だが、一般国民にとったら「士族院」と訳した方が適切だ。令和の日本だと、麻生家や岸田家のお坊ちゃんでも“庶民的”な姿を見せるが、階級社会のイングランドでは、「紳士・上層中流階級」と「労働者階級」とでは、様々な面で違っている。

  例えば、酒を飲む時でも、“ホライトカラー(専門職や管理職)”が行くパブと“ブルーカラー(筋肉労働者)”が集まるパブは別個である。ちなみに、中流階級のイギリス人でワインを自宅で嗜(たしな)む者は裕福な者くらいで、1950年代か60年代に「ビストロ(bistros)」が英国で流行ったから、段々と普通の中流階級が呑むようになったらしい。(ジーリー・クーパー『クラース』渡部昇一訳、サンケイ出版、昭和59年、pp.341-342.) 一方、労働者の方は赤提灯みたいな居酒屋で、安っぽい「ジン(gin)」や「密造酒(hooch)」みたいな代物を注文する。彼らの自宅(or長屋)には「ワインセラー」といった御洒落な部屋は無いから、雑貨店でバドワイザーを買うくらい。休日になると仲間と集まり、一緒にビールをガブ飲みして、サッカー観戦に熱狂するのが定番だ。

  話を戻す。中世のイングランドで「議会(特に下院)」に招集される非貴族といえば、大半が騎士階級の血筋に連なる紳士(gentry)か地主階級の生まれである郷士(squire)ときている。イングランドの“庶民”が連想する“士族”は、パブリック・スクールやマナー・ハウスで育った教養人。熱湯風呂で“ウケ”を狙う「たけけし軍団」の「そのまんま東」とか、ビキニ姿で貧素な肉体を晒していた「謝蓮舫」なんかが「士族院議員」に選ばれることはない。(蓮舫の写真集を買った奴は、いったいどんな神経をしているのか?) もし、ヴィクトリア女王が日本の「国会議員」を目にしたら、眉を顰めてしまい、側近のメルボルン卿(Lord Melbourne, William Lamb)に「あの東洋人は何者か?]と御下問なさるだろう。たぶん、ウェリントン公爵(1st Duke Wellington, Arthur Wellesley)だと鼻で笑って沈黙するんだろうなぁ~。

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(左 : 謝蓮舫 / メルボルン卿 / ウェリントン公爵 / 右 : ヴィクトリア女王)

  とにかく、イングランドの政界で「士族院」に選ばれるのは、紳士や郷士の旦那衆で、藝人や左翼がノーリッヂとかシェフィールド、ダービーといった共同体の“代表”に鳴ることはない。著名な選出議員と言えば、チューダー朝からスチュアート朝にかけて活躍したエドワード・クック卿(Sir Edward Coke)が挙げられる。偉大なる法学者であったエドワード卿は、民訴裁判所や王座裁判所の首席判事、ならびに枢密院顧問官として知られているが、士族院の議員になったこともある。「国士」と呼べる議員は他にもいて、チャールズ1世に諫言すべく、寵臣のバッキンガム公爵を批判したジョン・エリオット卿(Sir John Eliot)も有名だ。同時代の議員としては、大法官や民訴裁判所の首席判事を務めたジョン・フィンチ卿(Sir John Finch)が思い出される。フィンチは士族院議長(Speaker of the House)にもなっていた。

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(左 : エドワード・クック卿 / ジョン・エリオット卿 / ジョン・フィンチ卿 / 右 : バーリー卿ウィリアム・セシル )

  名門貴族の子孫も士族院議員になっており、女王エリザベス1世に仕えたバーリー卿(Lord Burghley)ウィリアム・セシル(William Cecil)には、二番目の妻ミルドレッド・クックとの間にできた次男のロバート・セシル(Robert Cecil)がいた。この傴僂(せむし)息子は枢密院顧問官や国務大臣に就く前、士族院議員を務めたことがある。エリザベス女王から「余のピグミー(my pygmy)」、ジェイムズ1世からは「余のリトル・ビーグル(my little beagle)」とからかわれたけど、有能だったので初代ソールズベリ伯爵(1st Earl of Salisbury)になっていた。ロバートには異母兄弟がいて、バーリー卿の長男であるトマス・セシル卿(Sir Thomas Cecil)も、エリザベス治世下で士族院議員になっている。

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( 左 : ロバート・セシル / トマス・セシル卿 / ジェイムズ・セシル / 右 : ジェイムズブラウンロー・ウィリアム・ガスコイン・セシル )

  初代エクスター伯爵(Earl of Exter)となった、このトマス卿の息子も世襲議員になっていて、次男のリチャード・セシル卿(Sir Richard Cecil)は士族院議員となったし、セシル家の子孫は次々と議員や官僚になっていた。初代ソールズベリ侯爵(1st Marquess of Salisbury)となったジェイムズ・セシル(James Cecil)も下院議員になったが、後に父親の跡を継いで上院議員になっている。第二代ソールズベリ侯爵のジェイムズブラウンロー・ウィリアム・ガスコイン・セシル(James Brownlow William Gascoyne-Cecil)も議員に選ばれ、三代目のロバート・アーサー・タルボット(Robert Arthur Talbot Gascoyne-Cecil)、四代目のジェイムズ・エドワード・ヒューバート(James Edward Hubert Gascoyne-Cecil)、五代目のロバート・アーサー・ジェイムズ(Robert Arthur James Gascoyne-Cecil)などが士族院の議席に就いている。

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(左 : リチャード・セシル卿 / ロバート・アーサー・タルボット / ジェイムズ・エドワード・ヒューバート / 右 : ロバート・アーサー・ジェイムズ )

  日本でも有名なホイッグ党のロバート・ウォルポール卿(Sir Robert Walpole)は、地方紳士で士族院議員だった父ロバート・ウォルポールの三男として生まれた。この息子は英国のエリートらしく、イートン校とケムンブリッジ大学を経て士族院議員となり、首相や大蔵卿を務めたあと、初代オルフォート伯爵(1st Earl of Orford)に叙せられた。初代チャタム伯爵(1st Earl of Chatham)となったウィリアム・ピット(William Pitt)も世襲議員で、父のロバート(Robert Pitt)は士族院議員だったが、祖父のトマス・ピット(Thomas Pitt)はマドラス管区長(President of Fort St. George, Madras)だ。首相になったウィリアム・ピットには、同姓同名の息子がいて、「小ヒット」と呼ばれたウィリアム・ピット(William Pitt the Younger)も英国の首相になった。国王ジョージ3世の指名というか、一種の賭けで、王国の宰相になった訳だが、僅か24歳で首相に就任じゃ、色々な陰口があっても当然だ。

Robert Walpole 213William Pitt 1st Earl of Chatham 224William Pitt the YoungerThomas Pitt 2334
(左 : ロバート・ウォルポール卿 / ウィリアム・ピット / 「小ピット」のウィリアム・ピット / 右 :トマス・ピット)

  昔、上智大学教授だった渡部昇一先生が述べていたけど、イングランドが繁栄したのは「デモクラシー」じゃなく、「ジェントルマンによる統治」だったからという指摘があった。第20世紀後半のイングランドが大国(super power)の地位から転落し、「英国病」に悩む程の醜態を晒したのは、大衆支配の国家になったからだ。ヴィクトリア朝の英国を知る者には堪えられないが、国内では労働党が台頭し、オックスフォードやケンブリッジ、ロンドン大学などでは、ハロルド・ラスキ(Harold Joseph Laski)やジェラルド・アラン・コーエン(Gerald Allan Cohen)、エリック・ホブズバウム(Eric John Ernest Hobsbawm)のようなユダヤ人学者や、クリストファー・ヒル(John Edward Christopher Hill)みたいなマルキストが溢れていた。こんな有様だから、プラトンが嫌った「カキストクラシー(kakistocracy / 劣悪な者による支配)」が固定化しても当然だ。近世までの西歐では、君主政と貴族政(aristocracy / 優秀な者による支配)が理想の政体となっていた。それゆえ、新旧の労働党や隠れ共産主義者が台頭する政界なんて論外。目眩がするほど恐ろしかった。

Harold Laski 12Gerald Allan Cohen 2324Eric Hobsabwm 8833Christopher Hill 643
(左 : ハロルド・ラスキ / ジェラルド・アラン・コーエン / エリック・ホブズバウム / 右 : クリストファー・ヒル )

  確かに、現在のイングランドの下院は、まさしく「庶民院」に相応しい。何しろ、労働組合上がりの“族議員”や金融業者の手先となった売国奴、低能丸出しの平民議員、帰化国民のパキ人やインド人の親を持つ2世や3世が当選して大臣や首相になっている。例えば、有色人種のリシ・スナク(Rishi Sunak)が首相となり、パキスタン系のサディク・カーン(Sadiq Khan)がロンドン市長、アフリカ系のキース・ヴァズ(Nigel Keith Anthony Standish Vaz)がヨーロッパ担当大臣になっているんだから、パブリック・スクール卒のイギリス人が聞いたらビックリ仰天だ。さらに、サイーダ・ワルシ(Sayeeda Hussain Warsi)やビク・パレク(Bhiku Parekh)のように男爵位(Baron /Broness)を授かったアジア系貴族院議員も居るんだから世も末である。

Sadiq Kahn 932Keith Vaz 213Sayeeda Warsi 255Parekh Bhikhu 5894
( 左 : サディク・カーン / キース・ヴァズ / サイーダ・ワルシ / 右 : ビク・パレク )

  脱線したので話を戻す。そもそも、なぜイングランドで紳士や郷士の起源になる騎士階級が勃興したのかと言えば、それは国王が大貴族の野心を排除したり牽制するためであった。有力な公爵とか伯爵などは時折、チャンスがあれば王位の簒奪やクーデタ並みの叛乱を企てたりするから、棟梁としての国王は安心できない。だから、王族への野心を持たない準貴族、とりわけ君主と王国に心からの忠誠を誓う騎士は貴重だ。中にはロクデナシも混じっているけど、世襲貴族よりも数が多いから、有能な紳士が自然と浮かび上がってくる。所謂、「嚢中之錐(のうちゅうのキリ)」というやつだ。王国全体を効率的に支配したい国王からすれば、血筋だけで公爵や伯爵になったボンクラ息子より、文武両道に秀でた紳士を用いる方が、よっぽど賢明である。実際、ヘンリー1世やヘンリー2世は、王座の裁判権を強化すると共に、各地の「州長官(sheriff)」とか「巡回裁判官(itinerant justice)」に騎士や地方の名士を充(あ)てていた。

  英国の陪審員裁判も中世の頃に確立された司法制度で、地方の領地で訴訟沙汰が起きれば、先ず四人の騎士が選ばれ、その者達が12名の騎士を選出して問題の審議に取り組んでいたのである。また、こうした地方行政官の騎士は、当時の“中央政府”とも呼べる「王の法廷(Curia regis)」に招聘され、重要な法律や政治議論に加わるよう命じられた。ただし、最初は傍観者のような立場であったが、徐々に戦争や課税の議論に加わるようになり、しまいには王様の方針に異議を唱えることも。こうして下院の騎士達は国政を左右するような勢力になっていった。士族院の起源や発展については、メイトランドの著作やウィリアム・スタッブス(William Stubbs)の『The Constitutional History of England』、およびスタンリー・B・クライムズ(Stanley Bertram Chrimes)の『An Introduction to Administrative History of Medieval England』を読むと、複雑な英国の憲政史や行政史がよく解る。

  とにかく、ノルマン人に征服されたイングランドでは、封建貴族を率いた国王が、自らの権力を強化し、中央集権で政治を行うという有様になったが、それが幸運な逆説となって中流階級が栄えるデモクラシー的国家になっていた。“征服王”と呼ばれたウィリアム1世は1086年、ソールズベリに有力な土地保有者を集め、国王に対する忠誠を誓うよう命じた。(Edward Shepherd Creasy, The Rise and Progress of the Englsih Constitution, London : Richard Bentley, 1853,p.88.やJames Clarke Holt, ed. , Doomsday Studies, Suffolk : The Boydell Press, 1987, p.42.およびHenry Alfred Cronne, 'The Salisbury Oath', History, Vol. 19, Issue 75, 1934, p.250.を参照。)

  ハロルド王を倒し、新たな支配者となったノルマンディー公爵が、ヨーロッパにいる他の君主や領主と違う点は、封土を直接もらっている「直属受封者(tenants-in-chief)」だけでなく、その臣下となっていた「陪臣(sub-tenants)」にも国王への忠誠を誓わせていた方針にある。見方によっては高圧的な専制君主にも思えるが、封建制に特有な地方貴族の叛乱を防いだことでイングランド王国の安泰に貢献することになった。

「法案作成能力」じゃなく「信頼」と「知名度」が鍵となる選挙

  封建制を基盤とする立憲君主政のイングランドで、 なぜ平民の下院議員よりも紳士の士族院議員の方が良いのか、と言えば、それは「信頼」の点で勝っているからだ。基本的に民衆は“新奇なもの”や“異質な文化”、“見知らぬ他人”を無意識的に嫌う。そして、“身近”で“馴染みのあるもの”に安心感や好意を抱く。だから、日本でも自民党が長期的な“政権与党”になっている。“ブランド”を有する自民党は、金銭スキャンダルや浮気問題が発覚しても選挙に強く、“異質”な共産党や公明党は、一部の“マニア(赤色分子やカルト信者)”を除いて、全く人気がない。自民党が内部から腐敗し、売国奴が幹事長や官房長官になっても野党に転落しなかったのは、全国各地の一般国民に、その党名と信頼が浸透していたからだ。

http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68951524.html
11:777 :

2024/03/03 (Sun) 19:13:52

2024.03.03XML
ガザで食糧を運んできたトラックの周辺にいた住民をイスラエル軍が銃撃して殺戮
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202403030000/

 ​イスラエル軍による住民虐殺が続いているガザで、食糧を運んできた援助トラックの周辺に集まってきた人びとに対してイスラエル兵が銃撃を加え、多くの住民が死傷した​。少なくとも112人が殺害され、数百人以上が負傷した事実が世界に発信されている。イスラエル軍の兵士が自動小銃で銃撃しただけでなく、戦車からも発砲されたという。現場の画像には血のついた小麦粉の袋が映っていることから、この出来事を「小麦粉虐殺」と呼ぶ人がいる。

 虐殺はガザの南西側にあるアル・ラシード通りで起こった。犠牲者の多くは胴体や頭に銃弾を受けた状態で病院へ運ばれていることから、兵士は殺害を目的として銃撃していると言われている。イスラエル軍が公開した映像では銃撃による音声が記録されているが、音響分析から音はイスラエル軍が使用した自動小銃から発せられたものであることが特定されたという。兵士や戦車だけでなく戦闘機も銃撃したとする話が伝えられている。

 ​アルジャジーラによると、援助物資を待っていた人びとに対して銃撃が始まり、発砲後、イスラエル軍の戦車が前進して多くの住民を轢いたとしている​。

 この虐殺をイスラエル側は否定していたが、軍が発砲したことは認めざるをえなくなった。それでも兵士らが住民に「脅威を感じた」からだと弁明、イスラエルのイタマール・ベン・グビル国家安全保障大臣は住民を「撃退」したイスラエル軍を称賛した。今回の虐殺に限らず、西側の有力メディアはイスラエル軍による大量殺戮を擁護、あるいは責任を曖昧にした話を流している。

 イスラエルがガザでこうした虐殺作戦を継続できるのはアメリカやイギリスが支援しているからにほかならない。米英両国は自分たちの軍事拠点があるキプロスから物資をイスラエルへ運び込んでいる。この島にはイギリス空軍のアクロティリ基地があり、イギリス空軍だけでなくアメリカ空軍の偵察航空団も駐留しているのだ。

 イスラエルの​ハーレツ紙によると、10月7日からイスラエルへアメリカ軍の大型輸送機が20機、そしてイスラエルと各国がリースした民間輸送機が約50機、物資を輸送している​。その後、6機以上のイスラエル軍機がイギリスへ飛来しているとする情報が伝えられた。​10月7日からイギリスのグラスゴー、バーミンガム、サフォークとオックスフォードシャーの空軍基地に来ている​という。勿論、こうした動きは氷山の一角に過ぎない。

 イギリスの基地を飛び立ったイスラエルの輸送機はネゲブ砂漠にあるベールシェバに到着している。そこあるネバティム空軍基地は兵站の拠点だ。

 1948年5月に「建国」が宣言されて以来、イスラエルは虐殺を続けてきた。そのイスラエルを作り出したのはイギリスだ。そうした工作の過程でデイビッド・ロイド・ジョージ政権はパレスチナへ送り込む警官隊を創設している。その工作で中心的な役割を果たしたのが植民地大臣に就任していたウィンストン・チャーチルだ。

 この警官隊はアイルランドの独立戦争で投入された「ブラック・アンド・タンズ」のメンバーが中心になっている。この武装組織はIRA(アイルランド共和国軍)を制圧するために設立され、弾圧の過程で違法な殺人、放火、略奪などを繰り返している。

 イングランドは17世紀にアイルランドを侵略、住民を虐殺した。その時の指揮官がピューリタン革命で台頭したオリバー・クロムウェル。この人物は地主や富裕な商工業者に支持されていた独立派のメンバーで、革命の際に手を組んでいた小農民や職人層に支持されていた水平派を革命後に粛清している。

 クロムウェルの侵略でアイルランドの人口は激減。虐殺前の1641年には147万人だったが、52年には62万人へ減っている。50万人以上は殺され、残りは「年季奉公」や「召使い」としてアメリカなどに売られたと言われている。

 アイルランド侵略の21年前にピューリタンの一団がメイフラワー号でアメリカへ渡っている。いわゆる「ピルグリム(巡礼者)・ファーザーズ」だ。イギリスが植民した地域でピューリタンは「新イスラエル」を建設していると信じていたという。

 イタリアのジェノバに生まれたクリストバル・コロン(コロンブス)がカリブ海のグアナハニ島に上陸した1492年当時、北アメリカには100万人とも1800万人とも言われる先住民が住んでいたと推測されているのだが、ウーンデット・ニー・クリークでスー族の女性や子供150名から300名がアメリカ陸軍第7騎兵隊に虐殺された1890年になると、約25万人まで減少していた。そして、生き残った先住民を「保留地」と名づけらた地域に押し込めるために「強制移住法」が施行される。

 これが「自由と民主主義の国」だというアメリカの実態。1904年にアメリカのセントルイスでオリンピックが開催された際、並行して「万国博覧会」も開かれたのだが、その際、「特別オリンピック」で人種の序列が示されている。それによるとトップは北ヨーロッパの人びとで、最下位はアメリカ・インディアンだ。その時、アパッチ族のジェロニモが「展示」されている。(Alfred W. McCoy, “To Govern The Globe,” Haymarket Books, 2021)

 ところで、パレスチナでは1936年4月に住民は独立を求めてイギリスに対する抵抗運動を開始するのだが、39年8月に鎮圧されて共同体は政治的にも軍事的にも破壊されてしまう。その際、パレスチナ人と戦った勢力には2万5000名から5万名のイギリス兵、2万人のユダヤ人警察官など、そして1万5000名のハガナ(後にイスラエル軍の母体になる)が含まれている。

 シオニストはイスラエルなる国を作り出すため、先住民であるアラブ系の人びとを追い出しにかかる。そして1948年4月4日に「ダーレット作戦」が発動された。この作戦は1936年から39年にかけて行われたパレスチナ人殲滅作戦の詰めだったという見方がある。

 4月8日にハガナはエルサレム近郊のカスタルを占領、ハガナとの打ち合わせ通り、イルグンとスターン・ギャングは9日午前4時半にデイル・ヤシンを襲撃する。マシンガンの銃撃を合図に攻撃は始まり、家から出てきた住民は壁の前に立たされて銃殺され、家の中に隠れていると惨殺、女性は殺される前にレイプされた。

 襲撃の直後に村へ入った国際赤十字のジャック・ド・レイニエールによると、254名が殺され、そのうち145名が女性で、そのうち35名は妊婦だった。イギリスの高等弁務官、アラン・カニンガムはパレスチナに駐留していたイギリス軍のゴードン・マクミラン司令官に殺戮を止めさせるように命じたが、拒否されている。ハガナもイルグンとスターン・ギャングを武装解除しようとはしなかった。(Alan Hart, “Zionism Volume One”, World Focus Publishing, 2005)

 この虐殺を見て多くのアラブ系住民は 恐怖のために逃げ出し、約140万人いたパレスチナ人のうち5月だけで42万3000人がガザやトランスヨルダン(現在のヨルダン)へ移住、その後、1年間で難民は71万から73万人に達したと見られている。イスラエルとされた地域にとどまったパレスチナ人は11万2000人にすぎなかった。

 国際連合は1948年12月11日に難民の帰還を認めた194号決議を採択したが、現在に至るまで実現されていない。そして同年5月14日にイスラエルの建国が宣言され、パレスチナ人に対する弾圧が始まる。現在、ガザで行われているパレスチナ人虐殺はその流れの中での出来事だ。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202403030000/
12:777 :

2024/04/02 (Tue) 13:22:04

2024.04.02XML
ウクライナやパレスチナで戦乱を引き起こした米英金融資本は苦境に陥っている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202404020000/

 ウクライナにしろパレスチナにしろ、戦乱の黒幕はシティとウォール街を拠点とする金融資本であり、東アジアで軍事的な緊張を高めているのも構図は同じ。シティとウォール街を拠点とする金融資本は緊密な関係にあるが、そうした構図を生み出しているのは19世紀にイギリスで作成された世界制覇戦略だ。

 ところが、その戦略が大きく揺らいでいる。ウクライナでは金融資本の手先であるネオ・ナチ体制軍の敗北が決定的。ロシア軍は敵の要塞線を突破し、西へ進んでいる。

 ​イギリスのベン・ウォレス前国防相は昨年10月1日、戦場で戦うウクライナ兵の平均年齢は40歳を超えているとテレグラフ紙に寄稿した記事の中で指摘​している。前線で戦う兵士の平均年齢は42歳だと言われていたので、この話は正しかったのだろうが、今の状況はさらに悪化しているはずだ。

 ガザではイスラエル軍が建物を破壊、住民を虐殺している。アメリカやイスラエルが「建国」する際に行なったようなことを繰り返しているのだが、ハマスとの戦闘は苦戦しているようだ。ウクライナに軍事支援してウラジミル・プーチン政権を倒し、ガザを原爆が投下された長崎や広島のようにして早く軍事作戦を終わらせろとアメリカのティム・ウォルバーグ下院議員は言っている。それだけ苛立っているのだろう。

 アメリカやイスラエルは先住民を虐殺したり追放した後、自分たちの「国」を建設した。パレスチナに「ユダヤ人の国」をでっち上げたイギリスはアイルランドやスコットランドなどでも住民を虐殺している。

 例えば、ピューリタン革命で実権を握ったオリバー・クロムウェルはアイルランドに軍事侵攻しているが、侵攻前の1641年には147万人だった人口が侵攻後の52年には62万人に減少している。50万人以上が殺され、残りは「年季奉公」や「召使い」、事実上の奴隷としてアメリカなどに売られたと言われている。

 ピューリタンは1620年にメイフラワー号でアメリカへ渡った。この人たちはピルグリム(巡礼者)・ファーザーズと呼ばれているが、北アメリカでイギリスが植民した地域でピューリタンは「新イスラエル」を建設していると信じていたという。

 ピューリタンの前からヨーロッパ人はアメリカ大陸へ移民している。1492年にはイタリアのジェノバに生まれたクリストバル・コロン(コロンブス)がカリブ海に現れ、グアナハニ島に上陸したが、その当時、北アメリカには100万人とも1800万人とも言われる先住民が住んでいたと推測されている。これだけ数字に幅があるのは、ヨーロッパからの移住者が先住民を何人殺したかが不明だからだ。1890年にウーンデット・ニー・クリークで先住民の女性や子供がアメリカ陸軍第7騎兵隊に虐殺された時には約25万人に減少、生き残った先住民は「保留地」と名づけらた地域に押し込められた。それを「合法化」するため、「強制移住法」が施行されている。

 その間、1776年に「独立宣言」、そして81年に「建国」が宣言された。独立宣言では「すべての人間は生まれながらにして平等であり、その創造主によって、生命、自由、および幸福の追求を含む不可侵の権利を与えられている」と謳っているが、先住民について「年齢・性別・身分を問わない無差別の破壊を戦いの規則とすることで知られる、情け容赦のない野蛮なインディアン」と表現、アメリカ・インディアン虐殺が始まる。

 勿論、先住民でけでなく奴隷も人間として扱われていない。奴隷というとアフリカ系を連想する人が多いだろうが、アイルランドなどから売られてきた奴隷もいる。中国から連れてこられた「苦力」も一種の奴隷だ。アメリカの「民主主義」はその程度の代物だということである。

 アメリカを「建国」していた人びとが敵視していたイギリスの支配層も似たようなもの。19世紀後半のイギリスを動かしていたのは金融の世界に君臨していたナサニエル・ロスチャイルド、その資金を使って南部アフリカを侵略し、ダイヤモンドや金を手にしたセシル・ローズ、そのほかウィリアム・ステッド、レジナルド・ブレット(エシャー卿)、アルフレッド・ミルナー(ミルナー卿)たちだ。

 この中で世界支配の戦略を立てたのはローズだと言われているが、この 人物は1877年にオックスフォード大学を拠点とする秘密結社「アポロ・ユニバーシティ・ロッジNo.357」へ入会、その直後に「信仰告白」を書いている。

 それによると、ローズはアングロ・サクソンが「世界で最も優れた種族」だと主張、そのアングロ・サクソンが住む地域が広ければ広いほど人類にとって良いことだとし、そうした戦略を実現するために秘密結社は必要だとしている。ローズは大英帝国を拡大させ、アングロ・サクソンをひとつの帝国にまとめたいと考え、その目標を実現するためにアメリカも支配したかったのだ。おそらく、その帝国の中にイスラエルも含まれている。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202404020000/

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