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ユダヤ人の Y-DNA _ 日本にはユダヤ人の遺伝子は全く入っていない

1:777 :

2022/05/31 (Tue) 19:31:55

ユダヤ人の Y-DNA _ 日本にはユダヤ人の遺伝子は全く入っていない


ユダヤ人のY-DNA遺伝子は日本列島の構成成分となっているのか? 
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-11.htm

10月8日付けのNature Communicationsに「アシュケナージ系ユダヤ人の母方の系統の起源はヨーロッパ」という内容の論文がでました。 一般常識ではユダヤ人は中東のセム族出身の民族です。ユダヤ教から分かれたキリスト教もイスラム教も含めセム族が世界の宗教の 発信者だと言うことは驚くべきことです。

  過酷な中東の砂漠環境で部族をまとめるために「神」が必要だったらしいのですが、無信心の当ガラパゴス史観には理解が大変難しい項目です。 先日、近所のモルモン教の伝道師と立ち話をしていて、あなたの宗教は?と聞かれ、「サイエンス」だと答えました。 ガリレオ以来サイエンスはキリスト教と対立する新しい宗教だ、と言うのが当方の考えです。

  40才過ぎで研究・開発生活とオサラバしマーケティングに転身し、研究者時代に身に付けたデータマイニングによる仮説を引き出す 手法をそのままマーケティングに応用することで、 なんとか定年までビジネス屋としてまっとうしたわけです。そして今はY-DNAの論文をGlobalでかき集め、得られた国別・民族別等の 頻度データをマイニングして 日本文化に対する縄文の貢献度を発掘し、縄文を軽視する御用学者達に対抗したガラパゴス史観を構築し仮説を立て当ホームページから 発信しています。

  しかし理科系人間でもオウムのような新興宗教に走る者もいるようにサイエンスを学んだ者が必ずしもサイエンティスト (サイエンス教徒)になるわけではなく、オウムなどに改宗する者もいるのです。

  するとアシュケナージの人々は中東からヨーロッパに離散した際にヨーロッパ大陸の先住民を現地信仰から大量にユダヤ教に 改宗・入信させたということになります。 ユダヤ教のどこが改宗・入信するほど魅力的なのか、もしくは精神的な抵抗がないよう現地信仰をうまく取り込んだのか (たとえば日本では仏教が「お盆」など当時の日本列島の縄文-弥生系の先住民の祖先信仰・習慣を大量に取り込みやっと民衆に 受け入れられたように) は門外漢にはわかりませんが、短絡的に考えると離散したユダヤ人は男性がほとんどで、 まだ生活が不安定だった数千年前のヨーロッパの先住民の女性と交配し部族集団(むしろ宗教集団か?)に取り込み民族化して いったと推測することも出来ます。

  mtDNAのハプロタイプの頻度分布は次のようにヨーロッパ大陸(つまり欧州白人)起源が81%も占めており、ユダヤ人本来の出自の 中東系はわづか8%に過ぎなかった。 つまりアシュケナージ系ユダヤ人とはユダヤ教という宗教でまとまった珍しい宗教民族集団だと言えるのでしょう。

  興味のある方は是非、下記原著をお読みください。

A substantial prehistoric European ancestry amongst Ashkenazi maternal lineages

Marta D. Costa, Joana B. Pereira, Maria Pala, Veronica Fernandes, Anna Olivieri, Alessandro Achilli, Ugo A. Perego, Sergei Rychkov, Oksana Naumova, Ji?i Hatina, Scott R. Woodward, Ken Khong Eng, Vincent Macaulay, Martin Carr, Pedro Soares, Luisa Pereira & Martin B. Richards

Nature Communications Volume: 4, 2543, Published 8-Oct-13

  ただし、図中の最大の頻度を持つハプロタイプmtDNA「K」は西ユーラシア系ではあるのですが中東でもかなりの頻度を持つので必ずしも ヨーロッパ起源とは言えません。 メソポタミア農耕文明を興したのはY-DNA「J」系の「J2」ですが、 農耕がヨーロッパに浸透する際にY-DNA「J2」のパートナーのmtDNA「K」も一緒に移動したと考えると「K」は中東起源とも言えるのです。
  欧米人はどうも敵対するイスラム文明の担い手であるY-DNA「J」が自分たちの出自に直接関与していることを認めたくないのでしょう。 もしAshkenajiのmtDNA「K」32%を中東起源とすると、ヨーロッパ起源は49%、中東起源は40%となり拮抗するのです。欧米白人にとっては おぞましいことなのでしょうね!!

  ちなみに図中の最大の頻度を持つハプロタイプmtDNA「K」はアルプスで凍ったまま発見された約5300年前のアイスマンの mtDNAハプロタイプでもあります。 ただしアイスマンのハプロタイプ「K」の子亜型「K1o」は現代では既に失われ母親の女系は断絶したことが知られています。 一方、アイスマンのY-DNAの子亜型は「G2a」になりスターリンと同じコーカサス系となります。   アイスマンの時代にコーカサスから既にアルプスまでコーカサス人は移動をしていたことが良くわかります。 アイスマンの父親はヨーロッパに入った後先住民の女性と交配したと考えられますが、中東経由で母系と一緒に移動してきた 可能性もあるのです。

  更に言えば図中のmtDNA「M1」は「M」系列の中で後述の「M*」の次に古い子亜型です。中東から西に出戻りしマダガスカル島の 「M23」と共にアフリカ唯2の「M」系です。 これもヨーロッパ系ではありません。中東系(あえて言えばアフリカ系)なのは明らかです。 この論文の著者の分類は若干恣意的です、西欧系mtDNA「N」系が最も多いのはその通りですが、アシュケナージの母方がヨーロッパ系と 言いきるのは正しくはないですね。 ヨーロッパ系と中東系の混合というのが正しいです。

  ヨーロッパで最大の頻度を誇るmtDNAハプロタイプは図のmtDNA「H」になりヨーロッパ人の40~50%を占めています。 そして4%を占める「H」の姉妹亜型の「HV0」は日本でも0.5%程度検出されます。 日本で見かける混血ではない欧米的な顔立ちの女性は日本人のmtDNAの33%を占めるY-DNA「N」系になるはずですが、 その中でも特にエキゾチックな顔立ちのルーツはこの「HV0」の可能性が大です。渡来経路は不明ですが、シルクロード経由で来た可能性が大です。 色白美人のため貴族等上流階級に大事にされ定着してきた可能性もあります。

  日本人のmtDNAの約67%はアジア系と言われる「M」系列、ところが33%近く、つまり1/3は西欧系と言われるmtDNA「N」系列なのです。 これが何を意味するのかはまだすっきりする回答は出ていません。 言えることはアジア系と言われるmtDNA「M」は縄文系のY-DNA「D」と「C」と共に中東からインド洋沿岸部を移動してきたはずです。   特にmtDNA「M」系列の中で最も古い「M*」が日本列島で見つかっていると言うことは出アフリカしたmtDNA「L3」が 中東でネアンデルタール人と交配し分化した「M」と「N」の最も古い亜型がそのまま日本列島まで移動してきていた、と言うことです。 mtDNAの亜型調査は一部中学生の実験でも行われているぐらいY-DNAに較べれば容易なので、「M*」があると言う結果は間違っては いないのでしょう。

  ではmtDNA「N」系列はどうやって日本列島に来たのか?これはまだ推測出来るレベルにはなってはいませんが、無理やり推測すると、 日本列島に縄文系Y-DNA「D2」と共にやってきたY-DNA「CF」系列の「C1a」と「C3a」のパートナーが先ずあげられます。 次の可能性は同じくY-DNA「CF」系列の「F」の子亜型であるY-DNA「O」系列のパートナーの可能性があげられます。

  mtDNA「HV0」は想像をたくましくすると、中国から渡ってきていたかもしれないユダヤ教の伝道師が家族で来ていたならその時に 一緒に渡来し定着した可能性もあります、 どういう経路で日本列島に渡って来たにせよ、何しろそれまでの日本列島にはいない彫深色白美人のはずですから。現代でも0.5%という 微妙な頻度がなんともそれらしく思えますね!   選択される機会が圧倒的に多いため千数百年かけて0.5%(人口12000万人なら日本国内に約30万人の「HV0」女性が存在する計算) まで増加してきたのではないかと十分に推測できます。 ただし千数百年に渡る日本列島内での縄文系や弥生系との交配で30万人全員が彫深色白(おまけにパッチリ二重)を維持できているか どうかはわかりませんが。



  では、Y-DNAから見たユダヤ人はどんな集団なのか?一体何故、欧米人はユダヤ人のことを謎解き扱いするのだろうかY-DNAの 頻度分布から調べて見ました。

  この分野の重鎮中の重鎮のHammerが2009年に子亜型・孫亜型までしっかりと調査した論文がありました。 しかもこの論文の共著者にはこの分野の創始者のひとりのKarafetも、ユダヤ遺伝子研究専門のBeharも名を連ねているそうそうたる メンバーの報告になっています。 研究者にはユダヤ人が謎の存在として調査せずにはいられないようです。

     また調査中にわかったことは、欧米人が話題にするユダヤ人とはほとんどアシュケナージのことであってセファルディではないことも 面白い一面です。 それほどアシュケナージが欧州ユダヤ人の中核で欧米の政治経済を動かす存在なのでしょう。

  調査では、海外の研究者はユダヤ人集団をひとくくりではなく「Cohen」、「Israelite」と「Levite」の3種類に分けて 調査していました。

    また当方には良くわからないのですが、要するにユダヤ教を信奉する人は全てユダヤ人らしい。 エチオピアのユダヤ人=Beta・IsraelのようなY-DNA「A」の黒人もユダヤ教信者なのでユダヤ人になるのだそうです。

・Cohen(Kohen)は世襲の司祭者の末裔らしく、アロンの男系子孫と考えられているらしい。 アロンはモーセの兄なので当然Levite出身であることは言うまでもないのですが、何故モーセの子孫がいないのか?は、これから調べてみます。
・Israeliteは俗人、要するに一般大衆のことらしい、勿論、政治家も首相も宗教従事者以外は皆ここに属するようです。
・Liviteは「主みずからが嗣業」だそうで、あのモーセの出身部族だそうです。Cohenの男系先祖はモーセの兄のアロンと考えられているらしい。 ということはCohenも本来はLeviteの一部のはずなのですが違うらしい。

  また研究者はAshkenazi(アシュケナージ)とSephardi(セファルディ)に分けても調査しています。

・Ashkenazi(アシュケナージ)は、ディアスポラ(離散)後にドイツ語圏や東欧圏に定住したユダヤ人を言うそうで、 大雑把にヨーロッパ系ユダヤ人と言われているそうです。
・Sephardiはアシュケナージ以外の中東系ユダヤ人のことらしいが、それなら本家ユダヤ人ではないかと思われるのだがどうだろうか?

ともかくこの分野の重鎮中の重鎮のHammaerとKrafetの二人が加わって研究・調査しているくらいなので、ユダヤ人の起源は欧米人にとって、 我々が想像できないほど重大な?魅力的な?題材のようです。

以上の前提でY-DNAの頻度分布を見ると

● CohenのY-DNA頻度分布はAshkenaziでもSephardisでもセム系のY-DNAであるY-DNA「J」が80%近くを占めており、 ユダヤ人本来のセム系の遺伝子を維持しているオリジナルJewであることが見て取れます。
  いわゆる純系のレヴィ部族に近いと言え、由緒正しいユダヤ教徒=ユダヤ人のようです。「司祭」なので厳しく男系部族遺伝子を 守ってきたのでしょう。

● LeviteはSephardiとAshkenaziでかなり異なる様子です。
  Ashkenajiではスラブ系Y-DNA「R1a」が52%も占め、10%のセム系「J」からスラブ人がレヴィ族を乗っ取った様子が見て取れます。   「主嗣系」にもかかわらずです。過去に何か入れ替わる歴史があったはずですが、一体何が起きたのだろう?   Ashkenaziをにせユダヤ人と呼ぶ人もいますが、この遺伝子頻度を見るとAshkenajiのLeviteに関しては充分納得出来ます。

  一方、Sephardiではスラブ系「R1a」は4%しかないのですが、代わりにインド亜大陸発の移行期のY-DNA「K」が23%も占めており、 バルカン系と思われるY-DNA「I」も20%を占めています。40%以上が他遺伝子に置き換わっているのです。   不思議な頻度分布です。主嗣系にもかかわらず、他の遺伝子の混入が激しい。一体どこで交配したのだろう? これではSephardiを 中東系と定義するのは非常に無理があります。

  ともかくLeviteと呼ばれる集団は、本来のセム系ではなくすっかり他の遺伝子集団に変貌している。ユダヤ教にとってはLeviteという 存在はどうでも良い包末集団なのかもしれない。
いや、それも変です。Leviteを調べると包末どころか、他のCohenやIsraeliteのように相続できる土地や財産を持たない代わりに、 彼らから寄付・寄進を受ける神聖な立場のようです。   何しろモーセの出身家系の子孫のはずなのですから。その神聖な存在のはずにも関わらず、ある時Y-DNA「R1a」,「I」や「K」等の 異遺伝子集団にごっそりと乗っ取られたのだと思われます。 そうしてAshukenaziとSephardiは確立し、現代まで存続してきたようです。   歴史に残るような内紛が起きなかったんですかね?ユダヤ史は当ガラパゴス史観のテリトリーではないのでここまでにしておきます。

● Israeliteは俗人=一般ユダヤ人なので現代イスラエル人の標準的はY-DNA頻度と考えても差し支えなさそうです。 36%程度が本来の中東セム系Y-DNA「J」であるが、ラテン(地中海)系Y-DNA「E1b1b」も20%程度あり、   ゲルマン系のY-DNA「R1b」も13%もあり、パキスタン系のY-DNA「R2」もあるなどCohenやLeviteとも異なる頻度分布を示しています。 一体どんなキッカケでユダヤ人に紛れ込んできたのだろう?不思議です。
  ユダヤ人が布教活動でいかに多くの信者を取り込み、ユダヤ教徒=ユダヤ人という宗徒=民族を実践してきた特異な「宗教民族」で あることを如実に表しているようです。

  余談ですが、あのヒトラーの父親はユダヤ人だったとの説が根強くありますが、ヒトラーのY-DNAはユダヤ人Israeliteの重要な 構成成分の「E1b1b」なので間違いなさそうです。

● ユダヤ人全体としては、セム系Y-DNA「J」が約43%なので今でも中東系と言っても差し支えなさそうですが、次が約17%の 地中海(ラテン)系、11%のゲルマン系Y-DNA「R1b」と続きます。
  いかにAshkenaziやSephardiのLeviteが異様で特徴的な特異なY-DNA頻度分布を持つかが改めて良くわかります。   とにかく「主嗣系」のLeviteが何のためにセム系以外の他Y-DNA遺伝子をAshkenajiでは71%も取り込んできたか、非常に興味深いのです。 当然そうしなければユダヤ教は消滅する危険性があったからには間違いなかったのでしょうが、どんなことが起きたのか?ディアスポラなのか?   Leviteがヨーロッパ系Y-DNA遺伝子「E1b1b」,「I」,「R1a」と「R1b」を71%も取り込む過程で、現地の先住ヨーロッパ女性と 交配を強力に進めた結果、 mtDNAの約80%もがヨーロッパ系に変貌したものと考えられます。   アシュケナージやセファルディはユダヤ人が中東をでてヨーロッパ大陸に新天地を求めて移動したときに現地ヨーロッパの 先住女性と交配しながら 新しいユダヤ教徒=ユダヤ民族を形成していったものと思われます。   その間に現地改宗男性も教徒に加わり、アシュケナージはセム系からヨーロッパ的に大きく変貌していったと思われます。

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  一方、日本には、当ガラパゴス史観が学生の頃には既に皇室=ユダヤ人説や秦氏=ユダヤ人説や青森県の戸来氏=ユダヤ人説などの 様々なユダヤ人渡来説が充満していました。 これを検証するのは当ガラパゴス史観の目的ではないので深入りはしません。

  日本で根強い、秦氏=ユダヤ人説や皇室のユダヤ人説はY-DNA研究の現状の結果からは残念ながら成立しないようです。また青森の 有名な戸来一族もユダヤ人の末裔ではないでしょう。   幕末・明治期の皇室や戸来一族のユダヤ顔、すなわち面長鼻高等の西欧風形質は、Y-DNA「C1a」とY-DNA「C3a」の持つ古代遺伝子 Y-DNA「C」の持つソース顔の特徴で充分説明できます。   ただし「C」は典型的な二重瞼(どちらかと言うと奥二重に近い)なので、まずはそうかどうか確認が必要ですが。

  また日本の中国地方はY-DNA「O1a」の産地ですが、台湾のY-DNA「O1a」の先住民を見ると凹凸の少ない面長鼻高(「つまりしょうゆ顔」) なので幕末・明治期の皇室顔の候補には入りますね。 でもやはり二重瞼のはずです。

  更に情報としては、中国河北の黄河文明の古代遺跡で発掘される「極めて古いモンゴロイドのはず」つまりY-DNA「O3」のはずの 復元顔は面長鼻高でコーカソイド顔である、 というのはこの分野の研究者には常識となっています。Y-DNA「O」系統はY-DNA「CF」の子亜型の「F」から分化した孫亜型なので当然 西欧顔の面長鼻高二重瞼の彫深顔がオリジナルなのです。   しかしその後の厳しい黄河流域生活で黄砂適応した結果と寒冷地適応した北方民族系のY-DNA「C3c」との交配でフラット・一重瞼が 増加していったと考えられます。   ところが本当にフラット一重顔の漢民族は少ないのです。現在中国の政治経済の中心が河北になるため、フラット・一重が 中国顔とされていますが、 中国全体でみれば華南系Y-DNA「O1」と「O2」は面長二重瞼を維持しています。しかし「O3」系との交配が極めて進んでいるため ソース顔ではなくしょうゆ顔に変貌しています。

  そのY-DNA「O3」のオリジンである「O3*」が日本でも検出されています。一体どこからきたのだろうか? 縄文晩期には既に陸稲系農耕が日本列島に来ていたことが日本農耕史では常識になっていますが、これをもたらしたのは当然河北系の 渡来者になります。 つまり後世紀元後に朝鮮半島を追い出された負け組の「O3」大和朝廷族や武士団族ではなく、はるか以前に渡来してきていたはずなのです。   そしてオリジナル「O3*」と言うことはコーカソイド系つまり西欧顔の形質だったはずなのです。つまりY-DNA「O3*」も幕末・明治期の 皇室顔の候補には入るのです。 恐らく古代の焼畑農耕や陸稲農耕の伝統があった地域に住んでいた可能性が大なのです。   「O3*」は朝鮮半島にも多く住んでいたはずなので箕子朝鮮等の古代朝鮮国家の統治者層だった可能性もあり、 後にフラット・一重化していた負け組に混じって日本列島にやってきた可能性もかなりあります。
  つまり「O3」は少なくとも3系統あったのではないかと思われるのです。・オリジナルY-DNA「O3*」系統、・黄河文明/河北系の 「O3a1」系統と長江文明/華南系との交配系「O3a2」です。

  日本人は彫深顔を見るとどうも劣等感が強くすぐ外来種と思う傾向がありますがY-DNA「C」の典型顔でもあるのです。 特に海洋性ハンターの「C1a」や内陸性ハンター「C3a」の住み着いた沿岸部や山間部が日本のソース顔美男子の供給基地だったのです。

  現代アイヌ人に見られる彫深顔も、何のことはない古代アイヌを征服したオホーツク文化の古代ニヴフ族Y-DNA「C3c」の持つ「C」顔に 他ならないでしょう。   現代のY-DNA「C3c」は寒冷地適応と黄砂適応を遂げフラット顔に変貌していますが、古代を残すニューギニアの「C2」、 ネイティヴ・アメリカンの「C3b」やアボリジニの「C4」を見れば一目瞭然の彫深顔です。

  もしユダヤ人が古代に日本列島に渡来していたなら、日本人のY-DNAからセム族特有のY-DNA「J」が見つかっても良いはずですが、 今のところ近年の混血以外で見つかった例は皆無です。   ただし古代秦氏がユダヤ教に改宗したプロト漢民族なら、Y-DNA「O3」なので、渡来していても見分けは全く付きませんね。   蒙古襲来(元寇)以外日本列島には列島固有人(縄文系、弥生系、侵略者系)以外の渡来はなさそうです、漂着はあったかもしれませんが。   しかしシルクロード経由で文物と一緒に渡来していた可能性は実はあるのです。   中国では既にユダヤ教(景教)は伝わっていた(当然ユダヤ教の伝道師も来ていたはずである)ので、日本列島にひそかに布教に 来ていた可能性はあるのです。

  特に関西地区は、Y-DNA調査がほとんど行われていないため、未だ、調査・暗黒地帯となっています。   もし本格的に大阪、京都、奈良を調査すると、日本人の現在のY-DNA頻度とはかなり異なる頻度分布が出てくる可能性が十分にあります。

  今までの調査だけでも既に、中国地方は他の日本の地方とかなり異なるY-DNA「O1a」が多い地域であり、同じ華南系の[O2b」, 「O2b1」を合わせると50%を越え、 古代から特異的な華南系の文化・風俗の民族が定着していたことが明解に推測できます。   同様に、畿内もY-DNA「O3」の遺伝子集中地域であるはずなのですが、調査不毛地帯のため、未だ明らかになってはいません。 どうも御用学者達は実態が明らかになるのを避けているようです。 民族オリジンが日本の他の地域と違うことがあからさまになると、朝鮮半島を追い出された負け組の武装侵攻集団が日本列島を 侵攻・占領し大和朝廷を作り現代にいたることがわかるからです。 ただしこれらは原大和朝廷族や原武士団族のオリジンの話であって、現皇室や下剋上が当たり前だった戦国時代以降の武士団の話ではありません。 遺伝子は変わっている可能性が大なのですが、現代史は当ガラパゴス史観の領域ではないので今後も触れるつもりはありません。

  という訳で、中東・欧州系の本来のユダヤ人が古代や中・近代に日本列島に紛れ込んで日本人の遺伝子の構成成分になっている可能性は 現在のY-DNA遺伝子調査の結果では「完全否」ですが、中国古代王朝時代に改宗したY-DNA「O3」などの極東遺伝子ユダヤ教徒の小集団が 日本列島に来ている可能性は「否」ではありせん。

   以上

http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-11.htm


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ユダヤ人(Sephardi)のY-DNA出現頻度調査まとめ
E1b : 19.2%(ラテン人),
I : 11.5%(クロマニヨン人)
J : 28.2%(セム人)
R1b : 29.5% (ゲルマン人)


現在のアイヌ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
D1a2* 81.25%: 縄文系
D1a2a1 6.25%: 和人系
C2 12.5%: オホーツク文化人系


現在のニヴフ人のY-DNA出現頻度調査まとめ
C2 38.1%: オホーツク文化人系
O1b2 28.6%: 長江人系
Q 19.0% : トルコ系
R1a 9.5% : ロシア人系


沖縄先住民は10世紀の段階で既に日本人に征服・レイプされまくって、言葉も日本語の方言の琉球語に変わってしまった

現代琉球人 Y-DNAハプログループ比率
D1a2--45.1% : 縄文系
O1b2-23.3%(旧表記O2b) :長江系稲作民
O2---18.9%(旧表記O3):漢民族系
C2----1.5% :縄文系
C1----6.8% :縄文系
O1b1--0.8%(旧表記O2a) :長江系稲作民


現代日本人 Y-DNAハプログループ比率
D1a2a--32% :以前は縄文系だと言われていたが否定された、四川省の焼畑農耕民の可能性が高い
O1b2-32%(旧表記O2b) :長江系稲作民
O2---20%(旧表記O3):漢民族系
C2----6% :縄文系
C1----5% :縄文系
O1b1--1%(旧表記O2a)
O1a---1% : 長江系稲作民
N1----1%
D1a,Q1--1%未満
(2013 徳島大 佐藤等 サンプル数2390)


韓国人のY-DNAハプロタイプの出現頻度
漢民族 O2 : 43.3%
長江人 O1:30.0%
モンゴル系 C2: 11.3%


現在の台湾の先住民系民族のY-DNAハプロタイプの出現頻度
O2 11.7% : 漢民族系
O1 :80.3% : 長江系


現在の中国の自称漢民族のY-DNAハプロタイプの出現頻度
O2 53.3% : 漢民族系
O1 24.5% : 長江系稲作民
C2 7.8% : モンゴル・ツングース系
N 6.9% : トルコ系


ハプロに付く*マークはその下のサブグループのうちのいずれかという意味であり、
D1a2a* の中に D1a2a2a は含まれる


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ハプログループ E (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/185.html

ハプログループ I (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/183.html

ハプログループ J (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/184.html

ハプログループ R1a (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/182.html

ハプログループ R1b (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/187.html

ハプログループ D1a2a (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/173.html

ハプログループ C1a1 (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/174.html

ハプログループ C2 (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/175.html

ハプログループ O1a (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/200.html

ハプログループ O1b2 (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/176.html

ハプログループ O2 (Y染色体)
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/177.html


従って、日本人にも中国人にもユダヤの血は全く流れていません
2:777 :

2022/05/31 (Tue) 20:00:33


日本人のガラパゴス的民族性の起源

1-1. Y-DNAハプロタイプ 2019年6月版 最新ツリー
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-1.htm

2-1. mtDNA ハプロタイプ 2019年5月21日取得 最新ツリー改訂版
http://garapagos.hotcom-cafe.com/2-1.htm

1-5. Y-DNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#1-5

1-5. Y-DNA/mtDNA ハプロタイプの意義と拡散
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-5,2-2.htm#2-2

0-2. 日本人の源流考
http://garapagos.hotcom-cafe.com/0-2,0-5,15-28,18-2.htm#0-2

1-18. 多民族国家 インドのY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-18.htm

1-16. 多民族国家 中国のY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-16.htm

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ヨーロッパY-DNA遺伝子調査報告

 3-1. Y-DNA調査によるヨーロッパ民族
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-1.htm

 3-2. Y-DNA「I」   ノルマン度・バルカン度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-2.htm

 3-3. Y-DNA「R1b」  ケルト度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-3.htm
       
 3-4. Y-DNA「R1a」  スラブ度・インドアーリアン度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-4.htm

 3-5. Y-DNA「N1c」  ウラル度・シベリア度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-5.htm
 
 3-6. Y-DNA「E1b1b」 ラテン度(地中海度) 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-6.htm
  
 3-7. Y-DNA「J」   セム度・メソポタミア農耕民度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-7.htm

 3-8. Y-DNA「G」   コーカサス度 調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-8.htm

15-4. アイスマンのY-DNAはスターリンと同じコーカサス遺伝子の「G2a」
http://garapagos.hotcom-cafe.com/15-4.htm
 
3-9. Y-DNA「T」   ジェファーソン度 調査 
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-9.htm  

3-10. Y-DNA「Q」   異民族の侵入者フン族の痕跡調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/3-10.htm

1-11. ユダヤ人のY-DNA遺伝子は日本列島の構成成分となっているのか?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-11.htm

1-15. コーカサスはバルカン半島並みの遺伝子が複雑な地域
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-15.htm

1-14. ギリシャはヨーロッパなのか?? 地中海とバルカン半島の遺伝子は?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-14.htm

1-13. 中央アジアの標準言語テュルク語民族の遺伝子構成はどうなのか?
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-13.htm

1-17. 多民族国家 ロシアのY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-17.htm

1-9. 多民族国家 アメリカのY-DNA遺伝子調査
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-9.htm
3:777 :

2022/12/05 (Mon) 10:03:21


雑記帳
2022年12月04日
ドイツの中世ユダヤ人のゲノムデータ
https://sicambre.seesaa.net/article/202212article_4.html


 ドイツの中世ユダヤ人のゲノムデータを報告した研究(Waldman et al., 2022)が公表されました。この研究はオンライン版での先行公開となります。本論文は、14世紀のドイツのエアフルト(Erfurt)の中世ユダヤ人墓地における回復発掘調査で得られた、アシュケナージ系ユダヤ人(AJ)のゲノム規模データを報告します。エアフルト個体群は遺伝的に現代AJと類似していたものの、現代AJよりもヨーロッパ東部関連祖先系統(祖先系譜、祖先成分、祖先構成、ancestry)において多くの変動性を示します。エアフルト個体群の1/3は現代AJで一般的なミトコンドリア系統を有しており、8個体は現在AJに影響を及ぼすと知られている病原性多様体を有しています。

 これらの観察は、高水準の同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)とともに、エアフルト共同体がすでに、現代AJに影響を及ぼした大きな人口規模減少を経ていた、と示唆します。エアフルト個体群のボトルネック(瓶首効果)はより深刻で、中世AJにおける下部構造を示唆します。全体的に本論文の結果は、AJの創始者事象と祖先系統の主要な供給源の獲得が14世紀に先行し、現代AJにはもはや存在しない後期中世の遺伝的異質性を浮き彫りにする、と示唆します。


●研究史

 アシュケナージ系ユダヤ人(AJ)は、特徴的な民族宗教文化的集団として10世紀にラインラントで現れました。それ以来、AJ人口集団は地理的および人口の両方でかなり拡大し、地理的にはまずヨーロッパ東部、最近ではヨーロッパを越えて拡大し、人口は現在では約1000万人に達しました。ヒト遺伝学の初期から始まり、数十もの病原性の潜性(劣性)多様体が特定され、成功した妊娠前集団検診計画の発展につながりました。これらの多様体の大半はAJ以外ではひじょうに稀で、長く共有されたハプロタイプの背景に現れており、AJが少数の祖先の創始者の子孫であることを示唆しています。アシュケナージの「創始者事象」は、AJの40%が有するミトコンドリアの4系統でも明らかです。もっと最近の研究では、AJにおける同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)の高い割合が見つかっています。IBDとは、親族関係にない個体に存在するほぼ同一の長いハプロタイプで、創始者人口集団の特徴です。定量的モデル化では、AJは中世後期に急激な規模縮小(ボトルネック)を経ており、創始者の(有効)数が数百人だった、と示唆されました。

 初期AJの起源は、その遺伝子プールを形成した混合事象の歴史とともに、議論の対象となっています。遺伝的証拠は、AJにおける混合した中東(ME)とヨーロッパ(EU)の祖先系統を裏づけます。これはどちらかの地域に起源がある片親性遺伝標識(母系のミトコンドリアDNAと父系のY染色体)と、AJが中東とヨーロッパの人口集団間の中間的な祖先系統を有している、と示す常染色体研究(関連記事)に基づいています。これらおよび他の常染色体研究は、AJ祖先系統を有する個体群が遺伝的に他の祖先系統の個体群と区別できることも示しています。最近のモデル化では、AJにおけるヨーロッパ祖先系統の大半はヨーロッパ南部関連起源と一致する、と示唆しており、AJにおけるヨーロッパ祖先系統の合計割合は50~70%と推定されました。AJ人口集団は全体的にひじょうに遺伝的に均質で、現在の居住国に基づく大きな祖先系統の違いはありません。しかし、ヨーロッパの東西間の起源で、AJ間の祖先系統における微妙な平均的違いがあります。

 最近の進歩にも関わらず、創始者事象の時空間的位置づけや、混合事象の供給源と時期を含めて、問題が残っています。AJ形成の時期により近い年代に生きていた個体群のゲノムの研究は、これらの問題に光を当てる可能性があります。本論文は歴史時代のユダヤ人のDNA研究を提示し、ドイツのエアフルトの14世紀のAJに焦点を当てます。中世エアフルトのユダヤ人共同体は11世紀後期~1454年に存在しており、1349年の虐殺後の短い間隙がありました。本論文は、骨格が回復発掘調査で回収された33個体のゲノム規模データを報告します。本論文の結果から、エアフルトのアシュケナージ系ユダヤ人(EAJ)は遺伝的に現代のアシュケナージ系ユダヤ人(MAJ)と類似している、論証され、14世紀以降のAJ遺伝子プールへの遺伝子流動はほとんどなかった、と示唆されます。さらなる分析では、EAJはMAJよりも遺伝的に異質で、2つの下位集団の存在を裏づける一連の複数の証拠がある、と論証されました。その2つの下位集団の一方は、MAJと比較してヨーロッパ東部とより類似しています。EAJ人口集団は、MAJに影響を及ぼしたボトルネックと共有される最近のボトルネックの強い証拠を示します。それは、ミトコンドリア系統と病原性多様体を含めて、MAJにおいて高度に濃縮されたアレル(対立遺伝子)が、EAJでも一般的だからです。


●歴史的および考古学的状況と共同体の関与と標本収集

 エアフルトの最初のユダヤ人共同体(1349年以前)は、テューリンゲン州では最古であり、その墓地は近隣の町でも使われていました。1349年の虐殺(ポグロム)において、エアフルトとその近隣の共同体のほとんどのユダヤ人は、虐殺されたか、追放されました。ユダヤ人は1354年にエアフルトに戻り、第二の共同体を形成しましたが、これはドイツで最大規模のユダヤ人共同体の一つです。本論文で調査された個体群は、エアフルトの中世ユダヤ人墓地の南西部に埋葬されており、ここは2013年に回復発掘調査が行なわれました。墓地の配置は図1Aに示されています。以下は本論文の図1です。
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 考古学的証拠から、この遺跡が第二の共同体により使用されていた、と暫定的に示唆されます。10個体の放射性炭素年代測定から、全個体は1270~1400年頃に生きていた、と論証されますが、データは、この遺跡が第一共同体か第二共同体に使用されていたのかどうかについて、14世紀半ばころの炭素14較正曲線における揺れのため、情報をもたらしません。推定死亡時年齢の範囲は5~60歳で、33個体のうち14個体(42%)は20歳未満と推定されました。死因は個体I14904のみで決定され、この個体は鋭利な物体により頭部を数回殴られて死亡しました。

 EAJが従ったユダヤ教のラビの法は、ほとんどの目的でユダヤ人の発掘を禁止しており、死者を妨げることも禁止しています。ユダヤ人個体の古代DNA検証についてのラビの議論は最近になってようやく現れ、ユダヤ教のラビの指導の確立について中央集権的機関はありません。この研究の一部として、研究者は、提案された研究計画を再検討し、分離した歯のみを用いて、分析はすでに発掘された個体でのみ行なう、という条件で研究計画に承認した、ラビの権威者と連携しました。この研究はその後、テューリンゲン州のユダヤ人共同体により承認されました。これらの指針に従って、38点の骨格遺骸から歯が標本抽出されました。


●標本と親族関係

 DNAが既存の実施要綱にしたがって抽出され、ライブラリが準備され、約124万のSNP(一塩基多型)で濃縮されました。次に、濃縮ライブラリと非濃縮ライブラリが配列され、複数の測定基準を用いて、汚染がひじょうに低水準と論証されました。33個体で品質管理に合格したゲノム規模データが得られ、女性が19個体、男性が14個体でした。ヒト配列の中央値は0.03(0.0003~0.67)で、常染色体標的の網羅率中央値は0.45倍(0.01~2.48倍の範囲)でした。少なくとも1配列で網羅されるSNPの中央値は383000(11000~842000の範囲)でした。子供の網羅率は成人より有意に低い、と示されました。DNA配列でペスト菌(Yersinia pestis)の痕跡は見つかりませんでした。

 1親等の関係に基づいて2つの家族が特定されました。家族Aは、母親と息子と娘で構成されます。家族Bは父親(上述の頭部を殴打されて殺害された個体)と娘で構成されます(図1B)。家族Aの子供2人は相互に隣同士に埋葬され、家族Bの2人も同様です(図1A)。家族Aの母親はその子供から3列離れて埋葬されており、他の全ての被葬者とは反対の向きでした(図1A)。遠い親族関係の3個体も特定され、2親等の親族である可能性が高く、そうした個体は全員隣同士で埋葬されていました(図1A)。そのうち2個体のみが、本論文の標本ではミトコンドリアDNA(mtDNA)ハプログループ(mtHg)U5a1a2aを有していました。しかし、これら3個体のデータは、1親等もしくは親族関係ではないこととも一致しており、それは低網羅率に起因する可能性が高そうです(SNPは13000と15000と38000)。


●祖先系統推定と中世の人口構造

 EAJ個体群の祖先系統を分析するため、それぞれ網羅されたSNPについて単一の無作為配列を用いて、そのゲノムが「疑似半数体」として表されます。EAJがヒト起源データセット(Human Origins dataset)の現代人のゲノムと統合され(約593000の常染色体SNPで、その全てはEAJでも濃縮されました)、これは7個体のAJおよび86個体の他のユダヤ人も含んでいます。EAJ個体群が、ヒト起源データセットのユーラシア西部個体群(994個体)から習得された主成分に投影されました。EAJの8個体は統合後にSNPが50000未満で、信頼できる投影ができません。これらの個体は「低網羅率」と呼ばれ、主成分分析(PCA)から除外されました。

 PCA図では、EAJ個体群はMAJや他のヨーロッパ地中海人口集団と重なりました。興味深いことに、EAJはMAJよりもヨーロッパ地中海東部勾配に沿って変動性が高い、と示されました。MAJと比較してのEAJにおけるより高い変動性は、ADMIXTURE分析と同様に、ずっと大規模なMAJ標本を投影しても観察されました。K(系統構成要素数)平均値を用いて、2集団へのPC1軸とPC2軸の座標に基づいて、EAJ個体群がクラスタ化されました(まとめられました)。一方の集団は「エアフルトEU」と呼ばれ、ヨーロッパの人口集団の個体群のより近くに位置しましたが、もう一方の「エアフルトME」と呼ばれる集団は、中東(ME)の人口集団のより近くに位置します(図2)。以下は本論文の図2です。
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 一連の複数の証拠が、連続勾配と比較してEAJの二分について統計的裏づけを提供します。「間隙統計」分析では、クラスタ(まとまり)の最適数は2と示唆され、別の手法では、クラスタは有意に異なる、と示されました。集団遺伝学的観点からこの問題を調べるため、2つのシナリオが模擬実験されました。それは、全ての個体群の人口史が同じ場合と、下位集団でヨーロッパにおいて追加の混合事象があった場合です。この単一集団模擬実験(2集団の模擬実験ではありません)の要約統計はEAJとは有意に異なっており、2つの異なる下位集団の存在が再び裏づけられました。2つの追加の手法を用いてEAJ個体群を2つの集団にクラスタ化することも、確証されました。これらの結果は、EAJにおける少なくとも2つの遺伝的に異なる集団の存在(重なる可能性がある場合でさえ)を裏づけます。

 2つのエアフルト下位集団をさらに特徴づけるため、それらが別々に分析され、ヨーロッパ東部もしくはヨーロッパ西部起源のMAJとどのように関連しているのか、検証されました。西部MAJは、PCAではほぼ完全にエアフルトMEと重なりました。東部MAJはEAJの2集団間の中間に位置し、エアフルトMEの方とより近くに位置ました。エアフルトME集団は現在のトルコ系(セファルディム系)ユダヤ人とも重なりました(図2)。

 f4統計を用いて、EAJとMAJと他のヨーロッパおよび中東人口集団との間の遺伝子流動の証拠が検証されました。まずf4形式(MAJ、EAJ;X、チンパンジー)の検定が実行され、Xはユーラシア西部の任意の人口集団です。その結果、Xがヨーロッパ東部からヨーロッパ中央部および西部と地中海と中東へと変わるにつれて、Z得点の増加が示されたので、EAJに対するMAJとの類似性が増加しました(補足図3A)。同じ傾向はf4形式(MAJ、エアフルトEU;X、チンパンジー)の検定でも観察されましたが、その傾向はf4形式(MAJ、エアフルトME;X、チンパンジー)の検定では逆でした。

 これらの結果はPCAと一致しており、エアフルトEUはエアフルトMEもしくはMAJよりも多くのヨーロッパ、とくにヨーロッパ東部祖先系統を有している、と示唆されます。同じく、f4形式(エアフルトEU、エアフルトME;X、チンパンジー)の検定では、Xがヨーロッパ東部からヨーロッパ中央部および西部と地中海と中東へと変わるにつれて、エアフルトMEとの類似性増加が示されました(補足図3B)。最後に、f4形式(MAJ、X;EAJ、チンパンジー)の検定では、Xが任意の非アシュケナージ系ユダヤ人とされ、全てのXについて正でひじょうに大きく、EAJ(下位集団両方が含まれます)が他のあらゆるユダヤ人集団とよりもMAJの方に近い、と示唆されます(補足図3C)。以下は本論文の補足図3です。
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 ヨーロッパ東部人口集団とのエアフルトEUの類似性増加は、ボヘミアやモラヴィアやシレジアからエアフルトの第二共同体への歴史的に記録された家族の移住と関連しているかもしれません。一部のEAJ個体に移民の証拠があるのかどうか検証するため、歯のエナメル質に由来する生体燐灰石で安定同位体分析が実行されました。炭素13および酸素18のエナメル質の値は、図3Cにおいて高網羅率の個体について図示され、2つの遺伝的集団間の安定同位体比の異なる分布を示します。その違いは酸素18において有意で、エアフルトEUとエアフルトMEとの間の幼少期における水源の平均的違いを示唆しています。墓地における墓の場所と集団の帰属との間、もしくはPC1軸とPC2軸の座標間の相関は見つからず、これらの集団は遺伝的に異なっているものの、文化的もしくは時間的に分離されている証拠は示されません。以下は本論文の図3です。
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 qpWave分析では、EAJとMAJは非ユダヤ系ヨーロッパ人に関してクレード(単系統群)を形成することと一致します。EAJとMAJとの間のこの遺伝的類似性は、生存年代が600~700年離れているにも関わらず、この期間の高度の内婚を示唆します。模擬実験を用いて、過去20世代におけるAJとヨーロッパ東部人との間のあらゆる仮定的な混合事象は、AJ遺伝子プール全体の最大2~4%の置換に限定されたに違いない、と推測されました(1世代あたり最大0.2%の置換)。エアフルトEUもしくはエアフルトMEとの同じqpWave分析は、とくにエアフルトEUでより低いp値となり、これらの各集団だけでは現代のAJ遺伝子プール全体を完全には表せない、と示唆されます。EAJもしくはMAJを(現代の)トルコ系ユダヤ人かイタリア南部人かドイツ人に置換すると、全てのp値は0.05未満となり(人口集団の任意の組み合わせがクレードであることとの不一致を示唆します)、最高のp値はエアフルトMEとトルコ系ユダヤ人を比較した場合に観察されました。qpWaveが繰り返され、人口集団の組み合わせが非ユダヤ系の中東人口集団についてクレードを形成するのかどうか、検証されました。MAJおよびEAJ/エアフルト下位集団と、これら人口集団のどれかとトルコ系ユダヤ人の比較ではP値は0.05超で、これらの人口集団は中東祖先系統の類似の起源を有している、と示唆されます。


●定量的な祖先系統モデル化

 qpAdmを用いて、EAJの祖先系統供給源の定量的モデルが検証されました。上述のPCAと以前の研究のモデル化に基づいて、EAJを以下の供給源の混合とするモデルが検証されました。それは、ヨーロッパ南部(イタリアの南部もしくは北部の人々)、中東(ドルーズ派、エジプト人、ベドウィン人、パレスチナ人、レバノン人、ヨルダン人、シリア人、サウジ人)、ヨーロッパ東部(ロシア人)です。古代人の供給源とのモデル化が失敗したので、供給源として現代の人口集団が用いられました。イタリア南部人との複数のモデルは妥当で(p値が0.05超)、AJ人口集団の供給源としてイタリア半島を示す歴史的モデルと一致するでしょう。平均的な混合割合は、イタリア南部65%、中東19%、ヨーロッパ東部16%でした(図3A)。この結果は、塩基転換だけを用いた場合と全てのSNPを用いた場合や、さまざまな外群人口集団を用いた場合や、より少ないSNPを用いた場合でも定量的に変わらない、と確認されました。混合年代の推定値は、本論文の設定では信頼できません。

 他の供給源、とくに地中海とのモデル化も、EAJのデータと適合する可能性があります。供給源としてイタリア北部人とのモデルは、イタリア北部37%、中東43%、ヨーロッパ東部20%の割合の祖先系統です(図3A)。供給源としてギリシア人とのモデルは、ギリシア51%、中東32%、ヨーロッパ東部17%の祖先系統の割合です。(中東およびヨーロッパ東部に加えて)スペインもしくはアフリカ北部供給源とのモデルは、妥当ではありませんでした。単一の供給源として統合された全ての地中海人口集団(他の供給源としてヨーロッパ東部と中東とギリシアとイタリア)とのモデルは、地中海89%とヨーロッパ東部11%の祖先系統割合のデータと一致します。ロシア人の代わりのヨーロッパ西部供給源(ドイツ人)とのモデルは、妥当ではありませんでした。アジア東部人からのわずかな祖先系統構成要素についても、裏づけはありませんでした。

 次にqpAdmを用いて、EAJとMAJと他のユダヤ人集団との間の関係が調査されました。エアフルトMEは、トルコ系(セファルディム系)ユダヤ人(混合割合は97%)とドイツ人(混合割合は3%)でモデル化できます。エアフルトEUは、エアフルトME(混合割合は69%)とロシア人(混合割合は31%)でモデル化できます。各EAJ個体についてイタリア南部とレバノンとロシアの供給源でのモデルを用いると(図3B)、ヨーロッパ東部構成要素において顕著な変動性が見つかりました。このヨーロッパ東部構成要素の割合は平均して、エアフルトEU個体群では33%でしたが、エアフルトMEの13個体のうち9個体では推測されませんでした。同様の変動性は、イタリア北部供給源を用いて観察されました。MAJは、エアフルトME(87%)とロシア(13%)、もしくはエアフルトME(86%)とドイツ(14%)でモデル化できます。MAJは、エアフルトME祖先系統60%とエアフルトEU祖先系統40%でもモデル化できます。

 まとめると、この結果から、エアフルトMEが、ヨーロッパ西部起源の現代AJにほぼ混合していない子孫を残したセファルディム系ユダヤ人と遺伝的に近い人口集団である一方で、エアフルトEUは追加のヨーロッパ東部関連の混合を経た、と示唆されます。現在のAJの大半は、エアフルトの2集団により表される人口集団のほぼ均等な混合として形成されました。言語学と文化と姓名の研究では、ヨーロッパ西部のAJ間の違いが見つかっており、初期のラインラント共同体と、ヨーロッパ中央部および東部のAJが表されます。この結果から、エアフルトMEとエアフルトEUはそれぞれ、西部AJ集団、中央部および東部AJ集団と関連しているかもしれない、という仮説が提案されます。非遺伝的差異は16世紀までにほぼ消滅し、現代AJにおける大きな遺伝的構造の欠如と一致します。

 要注意なのは、本論文で推測された供給源人口集団の具体的な自己認識は、混合割合と同様に、正確とみなされるべきではない、ということです。これは、真の祖先供給源の代理としての現代の人口集団への依存と同様に、EAJのデータと一致する複数のヨーロッパ南部人口集団に起因します。イタリアにおける中東祖先系統の水準(関連記事1および関連記事2および関連記事3)と中東人口集団も過去2000年間に、とくにアフリカ人との混合で、人口統計学的変化を経てきました。本論文で調査された広範なモデル一式下で、EAJにおける中東祖先系統は19~43%、地中海ヨーロッパ祖先系統は37~65%と推定されます。しかし、真の祖先系統の割合は、これらの範囲で示唆されるよりも高いか低い可能性があります。したがって、この結果は、AJの祖先供給源は現在の地中海ヨーロッパと中東に暮らす人口集団とのつながりを有している、と提案されることにのみ解釈されるべきです。


●エアフルトユダヤ人の歴史における創始者事象の証拠

 同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)ハプロタイプとmtDNA系統(mtHg)と病原性多様体の以前の分析では、AJは中世の創始者事象を経た、と示唆されました。しかし、この創始者事象の詳細は完全には解明されていません。mtDNA系統と同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)とMAJで豊富な多様体という3情報源を用いて、EAJ人口集団が同じ創始者事象により形成されたのかどうか、検証されました。

 EAJのmtDNA系統は補足データ2のS2に一覧があり、最も一般的なアシュケナージの4系統の保有者数は補足データ1の表4にあります。注目すべきことに、親族関係にないEAJの31個体のうち11個体(35%)はmtHg-K1a1b1aで、これは非ユダヤ人祖先系統の個体ではほぼ存在しません。これはMAJにおける20%よりも高い頻度です。この11個体は全て、部位16223における単一のC/T(シトシンとチミン)多型を除いて、同一の配列を有していました(シトシン多型の保有者は11個体のうち3個体)。MAJとEAJのmtHg-K1a1b1a保有者の接合ベイズ分析(EAJ個体群の既知の年代を考慮)は、最新の共通祖先の中央値の事後時間について1500年前頃を示唆し、それは以前の点推定値よりわずかに早いものの、高い不確実性があります(95%最高事後密度間隔で6700~650年前)。

 エアフルトMEにおけるmtHg-K1a1b1aの頻度(54%、13個体のうち7個体)は、エアフルトEUの頻度(20%、10個体のうち2個体)より高かった、と分かりました。その違いは、小さな標本規模を考えると統計的に有意ではありませんでしたが、エアフルトMEにおけるmtHg-K1a1b1aのより高い頻度は、ヨーロッパ西部起源のAJにおけるより高い頻度と一致します。他のAJ創始者系統のうちEAJでは、2個体がmtHg-K1a9、1個体がmtHg-N1b1b1(N1b2)で、mtHg-K2a2a1の個体はいませんでした。

 全体的に、mtDNAの結果は、EAJがMAJに影響を及ぼしたのと同じボトルネックに影響を受けた、という証拠を提供します。同型接合連続領域(runs of homozygosity、略してROH)は、両親が遺伝的に親族関係にある個体群で現れ、創始者人口集団でも予測されます。hapROHを用いて、EAJにおけるROHが検出されました。少なくとも40万のSNPを網羅している、16個体に焦点が当てられました。EAJ個体群は、歴史的記録の他のほとんどの個体と比較して、かなり高水準のROHを有しており、4 cM(センチモルガン)以上の断片で1個体あたり平均44cMありました(8cM超の断片では30cM、20cM超の断片では14cM、図4C)。これらの結果は、EAJが強いボトルネックの影響を受けた、という仮説に追加の裏づけを提供します。以下は本論文の図4です。
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 次に、MAJに固有(もしくはほぼ固有)で、EAJにも存在する多様体が検討されました。AJ創始者アレルは、MAJにおいて頻度0.5%超で、ヨーロッパ人において0.01未満で、中東人において1%以下だった、溶液内濃縮により標的とされたSNPにおけるマイナーアレル(必ずしも疾患原因ではありません)として定義されました。全体として、216点のAJ創始者アレルが特定されました。これらのうち、15点はEAJの少なくとも1個体に存在しました。この数は、EAJがボトルネックの後だった、というシナリオ下で予測されるのかどうか決定するため、MAJアレル頻度が用いられ、2項式模擬実験が実行されて、EAJの標本規模と個体あたりの網羅率を考慮した場合の、観察されたアレル数が推定されました。EAJ的個体における模擬実験されたアレル数の2.5と97.5の百分位数は、14と32でした。これらの予測されるアレル数は、やや過大に推定されている可能性が高そうで、それは、MAJ祖先系が限界を超えたアレルでの条件付けに起因します。したがって、EAJにおける15点の創始者アレルの存在は、EAJがすでにAJボトルネックを経ていた場合に予測される範囲内です。


●創始者事象の人口統計学的モデルの推測

 AJボトルネック媒介変数を定量的に推定するため、同祖対立遺伝子(identity-by-descent、略してIBD)共有に基づいて人口統計学的モデルが推測されました。Tb世代に始まり、d世代続いて、その後に指数関数的に拡大する有効規模Nbのボトルネックを経た、一定の(有効)規模の祖先人口集団のモデルで始められました(図4A)。MAJの637個体について全ゲノム配列決定データが用いられ、IBDseqを用いてIBD断片が推測されました。次に、最尤法を用いてボトルネック媒介変数が推定されました。Nbは1563個体(2倍体の個体、95%信頼区間では1364~1751個体)、Tbは41世代(95%信頼区間では39~43世代)、dは20世代(95%信頼区間では15~24世代)です(図4A)。IBD断片の予測数(図4Aのモデルに基づいています)は、MAJのデータの数との良好な適合を提供します(図4B)。1世代25年と仮定すると、本論文のモデルはボトルネックの開始を1000年前頃、つまり初期AJ共同体の形成の頃に位置づけます。同じMAJの個体群でROHを用いてひじょうに類似したモデルが推測され、実証的データとよく適合します(図4B)。

 次に、本論文で推測された人口統計学的モデルが、MAJとEAJとの間の遺伝的類似性を考慮して予測される、古代EAJのデータ(650年の違いを考慮した後で)に良好な適合を提供するのかどうか、という決定が試みられました。しかし、EAJにおけるROH数はこのモデル(図4A)に基づくと、とくに短い断片と中間的な断片で予測を上回っており(図4D)、エアフルトのボトルネックはもっと深刻だったに違いない、と示唆されます。以前の模擬実験結果と本論文のさらなる調査を考えると、この間隙が偽陽性のROH呼び出しに起因する可能性は低そうです。EAJにおける親族関係のモデル化は、短いROHの過剰を説明しませんでした。古代人のデータに適合させるには、エアフルトのボトルネックは現代人のIBDに基づく予測と比較して、3.0倍狭いか、2.4倍長かったに違いありません(図4D)。しかし、これらのボトルネック媒介変数は、現代人のデータに適合しませんでした。古代人と現代人両方のROHデータに最適な適合モデルも、良好な全体的適合を提供しませんでした。まとめると、これらの結果から、図4Aの単一の人口集団(および単一のボトルネック)モデルは、AJの人口史を完全には説明していない、と示唆されます。

 エアフルト人口集団のみが単一のAJ中世遺跡を表していることを考えると、本論文のモデルで欠けている構成要素は中世の下部構造である、と仮定されました。したがって、AJ人口集団がボトルネックの開始に異なるボトルネック強度を経た2集団に分岐し、そのうち一方がEAJに、他方が標本抽出されていない集団により表される、というモデルが検討されました。模擬実験により示されるのは、本論文の手法は現代人と古代人のデータ量できょくたんな不均衡が存在する場合でさえモデル媒介変数を推測できる、ということです。最適なモデル(図4E)では、ボトルネックはTb=46世代前(95%信頼区間では36~58世代前)に始まり、d=22世代(95%信頼区間では9~36世代)続きました。EAJにより表される集団は、規模Nb=627(95%信頼区間で355~958)の狭いボトルネックを経ており、MAJの遺伝子プールに52%(95%信頼区間で41~99%)寄与しました。残りの寄与は、他のAJ集団と統合した場合、最初のボトルネックを経なかったものの、ボトルネックの末にのみ収縮した、第二の集団に由来しました(図4E)。このモデルは、現代人と古代人両方のデータによく適合します(図4F)。媒介変数ブートストラップ法を用いて、好適な一致は過適合に起因しない、と論証されます。

 本論文のモデルは、いくつかの仮定を立てています。第一に、全ての人口統計学的事象は別々の時期に起きました。第二に、非エアフルト下位集団は最初のボトルネックを経ませんでした。第三に、非AJ人口集団からの、もしくはAJ下位集団間の遺伝子流動はありませんでした。第四に、人口集団の分岐と統合は、ボトルネックの開始と終焉にそれぞれ一致しました。第五に、ボトルネックはその期間を通じて一定規模のままでした。これらの仮定がひじょうに特有であることを考えると、この結果は、人口統計学的モデルの正しい形式の説明として解釈されるべきではありません。代替的なモデル、とくにより複雑なモデルを除外できません。本論文の結果は、さまざまなボトルネック強度を経てきたさまざまな集団を有する下部構造のモデルが、現代人と古代人のハプロタイプ共有データをどのように再現できるのか示す、事例証明として機能します。


●病原性多様体

 EAJがAJ創始者事象を経たならば、EAJは現在のAJで多い病原性多様体の一部を有している、と予測されます。ヨーロッパ人とアジア東部人において高頻度の多様体を除外した後、62の病原性多様体の一覧が集められました。これらのうち6点だけが、本論文の124万濃縮SNPに含まれており、補完を用いて追加の多様体が調べられました。702個体のMAJの全ゲノムの参照パネルと、2つの補完手法が用いられました。一方の手法はPHCP(Pseudo-Haploid ChromoPainter、疑似半数体ChromoPainter)と呼ばれ、入力として疑似半数体SNPデータを取ります。これは倍数体のリー・ステファンズ隠れマルコフモデルに基づいています。もう一方の手法は、ゲノム規模配列データに基づくGLIMPSEです。メンデルの一貫性と遺伝子型決定された創始者アレルの隠蔽を用いて、PHCPの高精度が確証され、同様に、これら2手法間の高い一致が確認されました。

 EAJのゲノムで、11点の高い信頼性の病原性多様体が発見されました。5点の追加の多様体が、低い信頼性で検出されました。EAJの8個体が高い信頼性の多様体を有しており、各多様体は少なくとも1回は見られます。発見された多様体のうち6点は、現代人のゲノムデータを用いて以前に年代測定され、起源の推定年代は14世紀の存在と一致します。多様体のほとんどは、妊娠前の集団検診パネルに含まれる遺伝子にあります。補完は多様体のあるハプロタイプの存在を論証するものの、多様体自体を論証するわけではないことに要注意です。しかし、遺伝子型決定された創始者アレルで観察された低い偽陽性率は、このシナリオが一般的であることに反論しています。

 最後に、選択された非医学的もしくは多遺伝子と関連する多様体が評価されました。ラクターゼ(乳糖分解酵素)活性持続(LP)と、目と髪の色素沈着と、(推定される)伝染病の危険性についての多様体は、EAJとMAJとの間で類似のアレル頻度です。成人13個体の骨学的身長推定値は、身長の多遺伝子得点と相関していたものの、有意ではありません。


●考察

 歴史上実在したAJ個体群のゲノム規模データの分析により、初期AJの起源に関する理解が深められます。EAJの祖先系統は、PCAやADMIXTURE やqpWave 分析により明らかなように、MAJの祖先系統と密接に関連しており、過去700年間にわたるAJ祖先系統の高水準の連続性が示唆されます。しかし、EAJ個体群はMAJより多くの変動的な祖先系統を有しており、わずかなヨーロッパ東部関連祖先系統構成要素の存在により階層化されました。一連の複数の証拠から、EAJ人口集団はすでにMAJと共有される「ボトルネック」を経ていた、と示唆されます。それは、アシュケナージの創始者mtDNA系統(mtHg)の高頻度と、AJで多い病原性多様体および他のアレルの存在と、長いROHです。先行研究と一致して、AJ拡大の開始年代は20~25世代前と推定されました。

 本論文の古代DNAデータにより、パターンの特定が可能となりました。具体的には、本論文の結果から、AJ人口集団は現在よりも中世においてより構造化されていた、と示唆されます。エアフルト内では、一方の集団はヨーロッパ東部関連祖先系統が豊富でしたが(図2および図3B)、もう一方の集団はヨーロッパ西部起源のMAJおよびセファルディム系ユダヤ人と近い祖先系統を有していました(図2)。この2集団は、エナメル質の酸素18の水準も異なっていました(図3C)。本論文の結果は、エアフルト内のより細かい区分さえ除外できず、中世AJはエアフルトを超えてさらに構造化されていたかもしれません。対照的に、現在のAJは顕著に均質です。これは、祖先系統の全体的な供給源が中世と現代のAJの間で類似したままであったとしても、中世以来の内婚とAJ内の混合が、AJ遺伝子プールの均質化に寄与してきた、と示唆します。以下は本論文の要約図です。
画像

 中世後期に、AJ人口集団が言語学的および文化的に東西の軸に沿って分裂したことを示唆する非遺伝的データに基づいて、2つのエアフルト下位集団の自己認識について推測できます。西方AJ集団はエアフルトMEと対応している可能性があり、ラインラントにおける初期AJ入植者の子孫を表している可能性が高そうです。ある資料は、エアフルトが2集団間の境界に位置すると明示的に記載しており、14世紀には、エアフルトでの名前は東西両AJに典型的でした。これらの点は、東方からの第二エアフルト共同体への移住についての証拠とともに、両方の遺伝的集団に属する個体群がエアフルトに存在した理由を説明できるかもしれません。エアフルトにおける遺伝的多様性の増加は、EAJがMAJよりも深刻なボトルネックを経た、という本論文の推測と矛盾しません。EAJがMAJと比較して少数の創始者の子孫だった一方で、これらの創始者が、そのヨーロッパの遺伝的祖先系統の観点ではより変動的だった、という可能性が高そうです。


●この研究の限界

 初期AJ遺伝子プールへの具体的な人口集団の直接的寄与の定量化としての、祖先供給源についてのqpAdmモデルの解釈には要注意です。その理由は、(1)モデル間で推測された祖先系統の割合が広範囲であること、(2)イタリアにおける中東祖先系統の歴史的変動、(3)本論文では調べられなかった大きな空間のためです。代わりに、この結果は、AJの祖先供給源と、その古代の先祖との遺伝的連続性を有しているかもしれないし、有していないかもしれない、現代の人口集団との間の遺伝的つながりを反映しています。さらに要注意なのは、現代のAJについて満足なモデルを特定できないことと、qpAdmで現代人の供給源を用いて古代の人口集団をモデル化するさいの技術的困難です。

 他の古代DNA研究と同様に、本論文の歴史的推測は時空間的に単一の遺跡に基づいています。これは、じっさいに本論文で推測されたように、本論文のデータが初期AJの完全な遺伝的多様性を表していないかもしれない、と示唆します(図4E)。しかし、単一の遺跡であっても、本論文の標本規模は比較的大きく(30個体超)、MAJには存在しない下部構造を把握できました。さらに、同じ創始者事象の共有とともに、MAJとの遺伝的連続性を示せました。別の限界は、疑似半数体データからの推測を困難とする、比較的少ない短いROHでの本論文の人口統計学的モデルの依存です。一般的に、本論文で推定された人口統計学的モデルは、完全で正確な人口統計学的再構築として解釈されるべきではありません。むしろ、観察された遺伝的データのおもな特徴を把握する、単純化されたモデル(恐らくは多くの単純化されたモデルの一つ)とみなされるべきです。


 以上、本論文についてざっと見てきました。最近、イギリスのノリッジ(Norwich)遺跡の中世の井戸の底で発掘された6個体のゲノム配列データが報告されました(関連記事)。本論文と近い時期に刊行された論文なので、本論文ではその論文が直接的には言及されていませんが、本論文のHTML版では関連論文として取り上げられています。その論文では、1140年以前のAJにおけるボトルネックが推測されており、本論文と整合的と言えそうです。AJに限らずユダヤ人は人口史の解明がかなり進んでいる集団と言えそうで、今後の研究の進展により、さらに具体的な祖先集団が解明されていくのではないか、と期待されます。


参考文献:
Waldman S. et al.(2021): Genome-wide data from medieval German Jews show that the Ashkenazi founder event pre-dated the 14th century. Cell.
https://doi.org/10.1016/j.cell.2022.11.002


https://sicambre.seesaa.net/article/202212article_4.html
4:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/02/26 (Sun) 03:21:19

ユダヤ人や支那人・朝鮮人は執念深い、恨み を何百倍にして返す
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5:777 :

2023/07/24 (Mon) 12:23:50

茂木誠 _ ゼロからわかる旧約聖書
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茂木誠 ユダヤの歴史 - YouTube
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茂木誠 _ ユダヤの古代史&世界史
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【日ユ同祖論】 日本人のルーツとヘブライ語の謎|茂木誠
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アシュケナージ系ユダヤ人の歴史
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ユダヤ人の Y-DNA _ 日本にはユダヤ人の遺伝子は全く入っていない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007378

秦氏がユダヤ人だというのはド素人の妄想
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14007812

ユダヤ人は白人美女が大好きで、非白人は人間だと思っていない
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14077515
6:777 :

2023/07/30 (Sun) 06:05:44

「日ユ同祖論」の間違いと本質
KYOH 2021年7月21日
https://note.com/yamato_izumo/n/n4d69cbd41fe2


日ユ同祖論を笑う日本人が多いのに驚きます。

笑うことが笑われることになるので、本当のところを書いておきます。

日ユ同祖論は、もともとユダヤ人がイスラエル王国を滅ぼされて、連れ去られた事件に端を発します。ヘブライの民には十二支族がありましたが、この十二支族のほとんどが失われてしまいました。行方不明なんです。

なので、時を経て現在。「生き別れた十二支族という兄弟」を探すユダヤ人がいます。彼らが日本の文化を見て、イスラエルと共通すると感じたことから、研究が始まったのが日ユ同祖論です。

日ユ同祖論で指摘されることは半分本当のことです。半分こじつけです。

ここで日本人がユダヤ人を笑う、問題点を述べます。

問題点

①ユダヤ人はコーカソイドなのに、日本人はモンゴロイドである。これはDNA的におかしい現象です。ユダヤ人の子孫なら男系遺伝子がつながっている限り、勝手にモンゴロイドになることはありません。

②ユダヤ人は日本の文化を口にするとき、漢字の訓読みと音読みを区別できません。音読みは、古代のChinaの言葉です。だから日ユ同祖論の比較対象が音読みであった場合、日ユ同祖論ではなくて、中ユ同祖論になります。

③ユダヤ人が指摘する似たような言葉は似てるだけで、歴史的に言葉が違うことが挙げられます。歴史を調べていけば、同祖論とするにはかなり怪しい状態になります。ただ、他の言語に比べて圧倒的に似ている言葉が多いのも事実です。

さて、ここから事実を指摘していきます。

真実

まずは②に関してですが、外国の人は、訓読みと音読みの区別ができません。訓読みはヘブライ語とかなり共通しますが、音読みはただの勘違いです。それだけのことです。いえ、むしろ音読みがベブライ語に似る理由は確かにあります。

Chinaの言葉は漢字ですが、その読み方は印欧祖語からの引用が多く含まれます。これは文化が西からChinaに入って来たためです。青銅器時代も鉄器時代も、西から来て、黄河文明などへ伝播しました。この時、言葉がなければ文明は伝わりません。故に、漢語自体がすでに印欧祖語やカナン語のコピーになっています。

ヘブライ語もカナン語からコピーされていますので、その点で最初から共通します。

さて問題の①

ユダヤ人はコーカソイドなのに、日本人はモンゴロイド。

本当にそうでしょうか。テルマエロマエというローマを部隊にした映画では、ローマ人を日本人が演じました。実は当時のローマのラテン語は、日本語的な発音をします。日本人が喋る方が遙かにローマのラテン語に近くなります。とは言え、日本には平たい顔族のほうが多いんです。平たい顔族は、ローマ人とはかなり違う風貌をしていまして、まさにモンゴロイドになります。

さらには、東北などにかけては、北欧系の貌立ちの人も多くいます。ロシア方面から北海道などを経由してやってきた民族がいるのではないかとされていますが、それなら韓国や中国のほうが圧倒的にこういう人たちは多いはずです。ですがそういうこともありません。なぜ日本だけが特殊なのでしょうか。

この民族の境目は言語で追跡することができます。出雲弁や東北弁はズーズー弁とされ、共通の言語が分岐したものとされます。これが共通していたのは、平安時代よりずっと前の時代です。その頃からこの言語はほとんど変わっていないことがわかります。なにより、この言語による文献が存在しません。ここが重要です。漢語、つまりChinaの言葉で筆記されたことがないということです。

対して畿内で喋られていた言語は、常にChinaの言語で筆記されます。そして平安時代まで遡ると、当時のChinaで使われいた漢語と音が似ていきます。母音の種類が増えたり、発音に癖が出てきます。文献は完全に漢語になります。漢語からだんだんと日本語になっていく過程が出ます。

この過程を日本人は、倭人が漢語を覚えていって倭語を漢字で書くようになったのだと言います。

ですが、現実は逆です。Chinaから来た人は漢語しか使えません。彼らが倭語を覚えて、漢語で和語を書くようになったのが本来の歴史です。

これは言語を比較すると簡単に答えがでます。

言語比較

たとえば、日は太陽で、火は火で、陽は陽射しみたいな使い分けがされますが、ヤマトの言葉では漢字は使いません。なので、「ひ」は全部同じ意味です。もともとの表記は出雲文字に記されていると思います。フェニキア語などと比較しても圧倒的に音と形が正しいからです。

ヒは、「ヒカリ」に見るとおり、見えない光そのものです。ヒカリが筋として見えるようになると、ヒカリになります。ヒが高いは、ヒカリが高いという意味です。火にあたるも、ヒカリにあたる。「火を点ける」とは本来「ヒカリをつける」という意味になります。これが宗教用語になって、ヒト、ヒメ、ヒコ、ヒミコ、ヒルトなどに発展します。

これが漢語になると、漢字が正しくなります。日と火はまったく違う意味になります。

たとえば、「キ」はなんでしょうか?

す「き」、「き」になる。ヒトの言うことを「き」く、薬が「き」く。

文字は古くは鍵の絵が描かれていたと伝承があります。これはマッチングを意味します。ここからが本題です。

ヤマト言葉は「あ」を前に付けるだけで、言葉の意味を反転させることができます。英語では「un」、サンスクリット語でも「あ」をつけると同じように言葉が反転します。

さて「あ」をつけてみましょうか。

あきる。あきらめる。

ヤマトの言葉はほとんどがこうなっています。

日本語を勉強してきた方は意外に思うでしょう。そんなこと知らなかったと言うでしょう。

ついで数詞をあげなければいけません。

ヤマトの言葉では、ひい、ふう、みい、よおの他に。

モノガタリ。モノオモイ。モノサシ。のmono。

タロウやジロウ、二番目がジ

色トリ取り、トリい などに見えるように3をトリといいます。

他にも古語をみれば、ペンタとか使っています。

デカいもギリシャ数詞です。うんとデカくなって、ドデカくなるのは正しい順番です。

ヤマト言葉では、ギリシャ数詞が当時の音のままで単語組み込みで使われていきます。

ただ日本語では、物や鳥と書きまして、意味が通らなくなります。日本人になるとこれが認識できていません。そして日本語の数詞は漢語の数詞になります。いち、にい、さんという奴です。

言語を比較精査すると、次のことが言えます。

日本語は漢語です。ヤマトの言葉を漢語に翻訳する言語になっています。だから数詞が漢語で、表記も漢語になります。日本人はヤマトの言葉をこれっぽっちも理解していませんし、理解できません。哀しいことですね。

日本人がモンゴロイドな理由

これで答えがでます。言語の歴史から日本語が四世紀以前に遡れない問題がでます。日本語を使う民族が日本にいないためです。ですが四世紀からやってきて、畿内で長安の街をつくりまくって、日本全土に移住していく様子が出ます。

つまりChinaから大勢移民がやってきました。彼らの文化は、その時代のChinaにありますので、紛れもなく日ユ同祖論とは関係ありません。民族もモンゴロイドになります。

問題は日本人が来る前のヤマトの国です。

ヤマトの国の歴史を書きますと

イザナミとイザナギが外国からやってきました。

当時の日本には縄文人が住んでいました。ここにイザナギとイザナミが加わって、初めてヤマト国が誕生します。ヤマト国の言語は出雲弁や東北弁が近いです。

たとえば九州の方言ではかなり劣化します。劣化というより独自の言語化がされます。これは縄文人が言語を取得したからそうなります。縄文の言葉に加えてヤマト言葉を覚えた場合に、音が変化しやすくなるのです。

九州にあった邪馬台国では30の国が争いを続けていました。縄文人が縄張り争いをしています。他の縄文人の言うことを聞くはずがありません。ただヒミコだけは誰もが従ったことが記されます。

このヒミコがヤマト国の人です。イザナミの系列の人だと思われます。つまり九州ではこの人と付き添いの数人だけがコーカソイドの人です。

日ユ同祖論では、ヤマトから続く文化と、Chinaから来た文化を比べて、ヤマトから続く文化が似通っているという話をします。つまり、ヒミコとユダヤ人は繋がります。ですが日本人になると繋がりが出ません。

問題の③

日本人は四世紀にChinaからやってきて勢力を拡大していきます。彼らは中華人を名乗らずに、日本人を名乗りました。中華の国に対しては、「我々が倭人です」と挨拶までしています。

成りすましたんです。

これも言語の端々に痕跡がでます。

成りすましたことにより、日ユ同祖論では歪んだ答えがでるようになります。

ユダヤ人は、日本人が過去にイスラエルと繋がっていると認識しました。実際には日本人は、DNAを見てもChinaの人がほとんどです。

Chinaと差別化を計るために、日本人というブランドを作って、もともといた日本人が唐や随から文明を学んでいったと説明されます。

ですが、言語やDNAを見れば、それが違うことが判明します。

もともとChinaの人が日本にやってきて、ヤマトの国の文明をごっそり盗んで行く様子が出ます。

現代を例にあげると、アメリカ合衆国に中国から移民があって、新しい州を作る前になりました。するとアメリカにいきなり二人の大統領がでます。喧嘩になります。しばらくすると中国の人が「私がアメリカを束ねました。国名を美国にしました」と世界中に挨拶にいきます。ここからモンゴロイドの国になります。英語を漢字で表記する変な言語を使います。

美国人は、 「アメリカの文化なんてない。すべては美国人の文化だ」と主張します。アメリカにある文明は、美国人が自分で作ってきたものだと。そして自らはアメリカ魂ともっているとさえ言います。

イギリスあたりが同祖論を展開しても、こうなったらもう日ユ同祖論と同じ結果にしかなりません。

これで日ユ同祖論を笑っていられますか?
https://note.com/yamato_izumo/n/n4d69cbd41fe2
7:777 :

2023/07/30 (Sun) 07:05:32

Q: 渡来人の秦氏は中央アジアの弓月国から来たそうですが、本当ですか?

回答: Ohta Mutsumi

本当の訳がありませんが、この話は日猶同祖論の派生形である「ユダヤ人日本渡来説」信奉者に根強い人気があります。書籍もいろいろ出ていますし、ネットにも情報がいっぱい出てきますので、信じている方々もいっぱいおられます。しかし、ちょっと調べると、根拠薄弱な情報を寄せ集めて成り立っているだけなのでバカバカしくなるぐらいです。

信奉者たちが使う根拠は、応神天皇の時代に百済から一族を率いて渡来したという「弓月君」という人物の存在で、これは『日本書紀』(720年)に記述があります。また『新撰姓氏録』(815年)にも融通王、別名夕月君が応神天皇の時代に渡来したとあります。この夕月君は渡来人グループである秦氏のリーダーと目される人物です。

次に信奉者たちはこの夕月君は中央アジアから来たという説を展開します。資治通鑑という中国の歴史書に夕月国という国の存在が書かれており、夕月君は夕月国から来たのであるとします。

さらに、当時の中央アジアにはユダヤ人が住み着いている街があったという話を加えることで「秦氏はユダヤ人だった」説が完成します。以下、順々に考えていきましょう。

夕月君自体は実在性が疑われている人物ですが、かなり古い時代に、「秦氏」を名乗る氏族グループが渡来していたことは多分確かでしょう。ただし、応神天皇の時代とされているので正確な年代は分かりません。応神天皇は日本書紀で111歳、古事記で130歳まで生きたことになっており、実在性も疑われている天皇です。古事記や日本書紀の記述を鵜呑みにするならば、3世紀から4世紀にかけて生きたことになっており、そうであるならば卑弥呼と同時代人ということになります。応神天皇は中国の史書にに出てくる倭王讃(https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%AE%83)ではないかとも言われており、そうなると5世紀前半の人となります。6世紀の継体天皇の時代以降は歴史記述ははっきりしておりますので、応神天皇は5世紀以前の人でしょう。従って「秦氏」の渡来人グループが日本にやってきたのは5世紀以前の話と考えるのが順当なところです。

秦氏のリーダーと目される夕月君は百済からやってきたと『日本書紀』記します。『新撰姓氏録』によれば秦の始皇帝の末裔であるとのこと。おそらくは、秦氏がそう称していたのでしょう。この二書には中央アジアの出であることを匂わせるような記述は一切ありません。

ところが、佐伯好郎という人が1908年の論文で夕月君は、中央アジアの夕月国から来たのだという説を立てます。佐伯は言語学者で、景教の研究で有名な人です。ついでに書けば最初期の日猶同祖論者でもあります。

しかし、弓月国なんて国は中央アジアには存在していません。どの歴史書にも現れません。ネットで検索して出てくる「中央アジアにあった夕月国」の話はすべて秦氏ーユダヤ人説信奉者の方々によるものです。信奉者の方々は決まって資治通鑑に夕月国のことが書いてあると主張しており、おそらくは佐伯がそう言いだしたのでしょう。

現在のwikipediaでは「1908年の論文「太秦を論ず」で発表された「秦氏=ユダヤ人異教徒」説は、古代日本の渡来人系有力氏族・秦氏の本拠地であった京都・太秦の地名・遺跡などを根拠としながらもほとんど語呂合わせ的なものであり、当時の歴史学界ではほとんど相手にされなかった(現在も否定されている)」とされています。「弓月君は弓月国から来た」というのも「夕月」という同じ名前からの連想によるもので、それ以上の根拠を持ちません。そもそも夕月「国」は資治通鑑に登場しません。

資治通鑑とは1065年に編纂が始まって1084年に完成した評価の高い歴史書です。しかし「弓月」という言葉が出てくるのは以下の2箇所のみです。

永徽二年(辛亥,公元六五一年)七月,西突厥沙缽羅可汗寇庭州,攻陷金嶺城及蒲類縣,殺略數千人。詔左武候大將軍梁建方、右驍衛大將軍契苾何力為弓月道行軍總管,右驍衛將軍高德逸、右武候將軍薛孤吳仁為副,發秦、成、岐、雍府兵三萬人及回紇五萬騎以討之。

永淳元年(壬午,公元六八二年)夏,四月,甲子朔,日有食之。 (中略) 阿史那車薄圍弓月城,安西都護王方翼引軍救之,破虜眾於伊麗水,斬首千餘級。

両方とも西突厥と唐の戦争がらみの話の中に出てくる地名であり、「弓月城」とあるので「夕月」という街か城塞はあったのでしょう。しかし7世紀についてのこの2箇所の記述だけから5世紀以前の「弓月国」の存在は引き出せません。そもそも資治通鑑以外の歴史書に「弓月」の地名は出てきません(少なくとも、そういう情報を見たことが私はありません)し、現在の歴史教科書に「夕月国」が中央アジアにあったと書いているものはありません。夕月国とは「秦氏はユダヤ人だった」論者の頭にのみ存在する架空の国家です。

ということで、当時の中央アジアにユダヤ人が住んでいようとも、そもそも夕月国が存在せず、名前が一緒だからというだけの理由で朝鮮半島の百済国にいたグループが中央アジアから来たというのは、あまりにも根拠が薄いのです。ましてや夕月君の実在性自体が疑われていますので、根拠はさらに薄くなります。

なお、「秦氏=ユダヤ人論」には様々なバリエーションがありますが、夕月君が真の始皇帝の末裔を称していたということを使って、「秦の始皇帝の末裔というのは誤りで、紀元4世紀の華北を支配した五胡十六国時代の前秦の王族の末裔であろう」とするものがあります。前秦は五胡の一つである氐族が興した王朝であり、元々は甘粛省から来たとされています。甘粛省の西隣りにはタリム盆地があり、その先が中央アジアです。これなら、夕月国という架空の国家を引き合いに出さなくとも「秦氏=ユダヤ人論」が展開できるとあって、その筋の方々には人気の説ですが、前秦がユダヤ教国家であったというような話はどこにもありません。たとえ、五胡の氐族にユダヤ人の血が流れていようとも、ユダヤ教の伝統が途絶えていれば、その子孫が日本に渡ろうともユダヤ文化の何かが日本に伝わることは何一つあり得ません。

そして、「秦氏=ユダヤ人論」の誰一人として前秦がユダヤ教国家だったと立証しようとする人がいません。そういう、いい加減な話なのです。
https://jp.quora.com/%E6%B8%A1%E6%9D%A5%E4%BA%BA%E3%81%AE%E7%A7%A6%E6%B0%8F%E3%81%AF%E4%B8%AD%E5%A4%AE%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%BC%93%E6%9C%88%E5%9B%BD%E3%81%8B%E3%82%89%E6%9D%A5%E3%81%9F%E3%81%9D%E3%81%86%E3%81%A7?share=1

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