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命を賭して悪の帝国と闘ったサダム・フセイン

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2022/05/31 (Tue) 01:03:23

命を賭して悪の帝国と闘ったサダム・フセイン


巨悪の根源、アメリカにノーを突き付けたフセイン


こんなことを書いても、「独裁者の下、秘密警察だらけのイラクで、まさか?」と思う人も多いと思うけれど、イラクに行く度に、世界の中で、こんな平和で美しい都市があり、苛酷な条件下でも、こんなに優しい人々がいるのだ、「生きていてよかった」と逆にこちらが励まされることが多い。

六月十七日の朝日朝刊に「米大統領、フセイン大統領暗殺容認」の記事が出ていた。声高にテロ撲滅を叫び、テロ支援国とかってに決めた国々を核攻撃で脅している本人が他国の指導者の暗殺を命じている。まるでブラックジョークであるが、そんな大統領に忠誠を誓い、共同軍事行動に踏み込もうという首相がいるなら、その顔を見たいものだ。

 筆者の考えでは、アメリカはフセイン大統領を亡き者にしようと焦っていることは間違いないが、アメリカに楯突くイラク国民をジェノサイドしてしまおうと目論んでいることもまた事実である。

今、週刊『金曜日』に本多勝一氏が連載で書いているように、あの湾岸戦争で、アメリカは、電力や貯水場などの生活に重要なインフラの破壊に重点におき、非戦闘員、とりわけ、女性や子供を標的にした学校、病院、シェルターなどをピンポイント爆撃したのも、地球の寿命ほど長く放射能の被害をもたらす劣化ウラン弾を投下したのも、そうしたフセイン大統領と一体となってアメリカに反抗するイラク国民自体の絶滅を目指してためであろう。

第二次大戦中の沖縄戦や、東京大空襲はじめ日本本土の焦土化作戦、広島、長崎への原爆の投下もさらに、ベトナム戦争、アフガン空爆その他の第三世界への干渉戦争は、兵器産業や巨大石油資本の営業部のブッシュ政権が受け継いでいる伝統的覇権主義の発露であろう。


筆者がバグダードの国際連帯会議に出席していた五月一日には、フセイン大統領が昨年出版し、ベストセラーとなった小説『ザビーバと王』が、パレスチナ生まれの詩人アディーブ・ナシールにより戯曲として脚色され、ラシード劇場で上演されていた。フセイン大統領はさらに小説を二つ、『難攻不落の砦』と『男たちと都会』も発表している。

 何はともあれ、西欧のメディアで描かれているサダム・フセイン像と大分違う。

 大統領の誕生祝いに参加した青年男女、市民の表情は、複雑な国内の宗派、民族の相違を克服して、幼稚園から大学まで無料、医療費もほとんど国庫負担、住居その他民生の向上に力をそそぎ、今日、アメリカに膝を屈しない国にまで育て上げたことへの感謝の気持ちを伝えようという熱気がうかがわれていた。そして、イラクに対するアメリカの不当な抑圧政策のへの怒りがその心の底にマグマのように燃えているからであろう。

 筆者が感銘しているのは、発展途上国では類のない児童文化の育成に力を尽したり、識字運動への熱意で、ユネスコから過去に二回も表彰されている。

 実は、この先頭に立ったのは外ならぬサダム・フセイン大統領である。それは何故か。それは、生まれた時にすでに父親は他界しており、はじめ小学校にも満足に入れなかった幼い日の悔しさがあるようだ。その背景に苛酷なイギリスの植民地政策があった。彼の貪欲な読書欲、そして祖国再興への使命感は、イラク人に共通する国民性であろう。
http://www.kokuminrengo.net/old/index.htm


悪の帝国と戦うサダム・フセイン

アメリカは世界最大の対外債務国で、恒常的経常赤字は対外債務を限りなく増大させ続けるから、アメリカは常に赤字補填を続けなければドル崩壊、経済破綻に陥る。自分の借金が自分で払えなければ他人に払わせるしかない。自力(経常黒字)で赤字補填ができないアメリカにとって生存の道は二つ。

一つは、金融戦略で金利と為替戦略を駆使しながら黒字国の資金をアメリカへ誘導すること。もう一つが、世界のドル市場化である。つまり、ドルを世界貿易の決済通貨化すること。1971年8月15日のニクソンショック(ドルと金との交換性を廃止)以来、ドルの信認が落ち続けたところへ、2000年からアメリカより大きいヨーロッパ経済圏でユーロが基軸通貨になりつつあった。

そこへ追い討ちをかけるように同年11月、フランスのシラク大統領がサダム・フセイン前大統領と結託して、イラクの原油決済通貨を従来のドルからユーロに転換させることに成功した。これをきっかけとしてOPEC諸国にドルの危機感が広まり、中東産油国は原油決済通貨を続々とユーロに切り替え始めた。だから2000年はアメリカにとって、まさにドル崩壊の危機に瀕した年であったのです。

ドルが国際貿易や原油決済通貨ならば、世界は決済通貨としてのドルを買わざるを得なくなる。アメリカにしてみれば、世界の貿易決済のおかげで借金返済のために乱発する赤字債権(印刷の時点では無価値の紙切れ)が売れる(現金になる)ことになる。つまり、アメリカの恒常的双子の赤字補填のもう一つの方法は、ドルを国際決済通貨にして赤字米国債を世界中に買わせること。

2000年のユーロ国際化の発足と同時に、EU首脳(シラク)は頭脳を使ってユーロ市場を拡大し、ドルを危機に追い込んだと言えます。追い込まれたアメリカは頭脳で対抗できなかったから、(9.11を演出して)武力で失地(イラク)回復をせざるを得なかったのです。EUの頭脳的先制攻撃に対して、アメリカは(下手な言い訳をしながら)武力で反撃したのがアフガン、イラク戦争なのです。

かくして米国は歴史始まって以来経験したことのない局面に入ることになる。負債を他国に転嫁することが出来ず、留まることをしらぬように見えさえするドル安の連続という局面である。

実際、97年までは年間1000億ドルだった経常赤字が、それ以降は年間コンスタントに4000億ドル超に達している。もしこの事態を避けようとするのであれば、米帝はイラクを撤退せずにその石油利権を握り締め、石油戦略によって基軸通貨国の地位を守る以外にない。
http://www.geocities.jp/voiceofarab/05030819.htm

今こそ合州国の正体直視を  本多勝一

この一文が出るころ、アメリカ合州国の体制主流は、イラク侵略を開始または開始寸前にあるだろう。

 国連安保理外相級会合に米英ら3国が今月7日提出した修正決議案は、国連安全保障理事会で11日に採決にかけられる見通しだが、ここで否決されても、合州国は単独で開戦・侵略に踏み切る構えである。

 あたりまえだ。アメリカ合州国の歴史は、こういうことの連続の末に今日の地球史上最強・最悪の帝国となった。ワシントン初代大統領以来の二百余年間は、手段を選ばぬ詐欺・脅迫・テロ・虐殺による侵略史にほかならぬ。そのことはこれまで機会あるごとに触れてきたが(注)、目前でまたしても超大軍事力によって同じことが強行されようとしている今、「正確な合州国史」にうといままその正体に気付かぬ例が多い日本人のためにも、このさい改めて正面から指摘しておきたい。

 ただし、こんどのイラク侵略が開戦されてもされなくても、これはコロンブス以来のヨーロッパによる世界侵略500年史の中で、ベトナム戦争とともに画期をなす歴史的事件となるかもしれない。

米西戦争などで世界制覇競争に勝った合州国は、それまでに北米大陸での先住民族侵略をウンデッドニー虐殺によって終了していたが、以降そのままハワイ・グアム・フィリピンへと「西部へ西部へ」を進めた。朝鮮戦争につづくベトナム戦争で、合州国軍隊はワシントン初代大統領以来初の敗戦を喫したものの、侵略のための巨大軍需産業や体質に傷はつかなかった。その成りゆきとしてのイラク戦争(12年前も今回も)である。ところが、合州国の正体に気づき始めた人々の世界的盛上りによって、開戦寸前での中止か、開戦してもベトナム以上の反戦の広がりで帝国の没落となるかもしれない。この500年来の画期をなすゆえんである。


合州国は“民主主義”をタテマエにしている。実態はともかく、民意を完全・明白に無視した侵略は支持されない。そこで開戦のとき必ずといえるほど使われるテこそ、相手が先に攻撃したとみせかける捏造事件である。これは先住民族への侵略以来イラクまで一貫してきた。

戦艦メーン号爆破事件(米西戦争)をみよ。トンキン湾事件(ベトナム戦争)をみよ。真珠湾(太平洋戦争)をみよ。その他その他。

これを書いている9日の朝日放送(サンデープロジェクト)は、イラクのクウェート侵入(これも裏に合州国あり)にさいして、イラク兵が乳児を哺育器から出して次々と放り投げた様子をクウェートの少女に証言させたこと、これが繰り返し放送されて世論を憤激させ、開戦に有利になったこと、ところが後に、この少女は駐米クウェート大使の娘で、証言は捏造だったこと等を放映した。

 こんどはどんな捏造が、いいように操作されるマスコミによって“報道”されることだろうか。

 開戦寸前の今、このテーマは「未完」としておく。
http://www.kinyobi.co.jp/KTools/fusoku_pt?v=vol451

第一次湾岸戦争時の「ナイラ証言」と「油まみれの水鳥」

アメリカ政府もメディアも、イラク攻撃の世論作りのために露骨な捏造と情報操作をおこなった。世界が、みごとに嵌められてしまった。

「ナイラ証言」というのは、完璧な捏造であることがはっきりしている。ナイラというクウェートの少女が、米公聴会で「イラクの兵士がクウェートの産院の乳飲み子を保育器からだし、次々と床に叩きつけて殺したのを見た」と涙ながらに証言した。

しかし、後にこの少女は、駐米クウェート大使の娘で、ずっとアメリカにいたことが分かった。つまり、証言は真っ赤なウソだった。この証言は、アメリカの広告代理店がシナリオを作り演出したものだった。リハーサルもきちんとしていた。もちろん、スポンサーはアメリカ政府以外にない。ただし、捏造がニューヨークタイムズで暴かれたのは、1年3ヶ月後のことだ。

この「ナイラ証言」が出るまでは、アメリカの世論は反戦が多数を占めていた。しかし、この証言で世論は一気に会戦へと転じた。周到に準備された、たったひとつの捏造が、世論を完璧に逆転させてしまった。しかも、素人の少女のウソ泣きによって。


クウェートから逃げてきたとされる少女の証言だ。そのクウェート人少女は、アメリカ議会の公聴会でこう証言した。

「サダム・フセインの軍隊が病院に乱入して、保育器から赤ん坊を取り出し、床に叩きつけて殺した。私はこの目で目撃した」

 と、少女は涙を流しながら証言した。

 ところが、この公聴会での少女の証言は、真っ赤なウソだった。
 事前にアメリカの広告代理店が綿密なシナリオをつくり、何度もリハーサルをした上での証言だった。当の少女が後に暴露した。

湾岸戦争のときの「油にまみれた水鳥」の映像

 石油の海と化した波打ち際に、全身石油まみれの真っ黒の水鳥が弱々しく立っていた。いや、呆然と立っていたといった方がいいかもしれない。

 当時、メディアはサダム・フセインの「環境テロ」だと大騒ぎした。フセインがわざと油田の油を海に「放出」していると報道された。

環境は破壊され、海の生物が犠牲になっていると。油にまみれた水鳥の映像は、大きな訴求力を持った。水鳥の映像は世界中をかけめぐり、繰り返し放映された。世界中がフセインを「狂気の極悪人」として認識した。このたったひとつの映像が、永遠にフセインのイメージを世界に決定づけたのだ。

 しかし、あの映像はヤラセだった。

 まず原油が海に流れたのは、米軍の爆撃機がイラクのタンカーを撃沈したからだ。アメリカは自分の爆撃の結果を、フセインの環境テロにすり替えたのだ。そしてメディアは、タンカーから流出した油の映像に、水鳥の映像を付け加えて、効果を高めた。日本のメディアは、その映像がおかしいと知りながら、アメリカの大本営発表に沿った報道をした。

 水鳥の命をダシに、イラク市民は爆撃された。
 クジラの命をダシに、日本が爆撃されたら、日本人は納得できるだろうか。


サダム・ フセインが自国民(クルド族)に化学兵器を浴びせた想像を絶する暴君だというイメ-ジを与える宣伝キャンペ-ンがあげられる。私自身もそう信じ込まされていたし、長い間彼のことを何をしだすかわからない怖い存在だと思っていた。

しかし、これもアメリカの巧妙な宣伝が成功したに過ぎない。イラン・イラク戦争の期にイラク領のハラブシャで、イラクとイランとが互いに化学兵器を使い合ったのは確かだが、クルド人を殺した毒ガスはイラン側が所有するシアン化物だった、当時イラクの毒ガスは、マスタ-ドけいのどくがすであっっという。
   検診したトルコの医者が証言している。

しかし、スタンフォ-ド大学フ-バ-研究所特別研 究員松原久子も「アメリカは戦争を望んでいた」(文芸春秋一九九一年五月号)と題した寄稿文でこのことはっ きり書いているが、これに対する反証は出されておらず、今では 定説となっているのである。湾岸戦争後に、米軍は、降参したイラク軍のクウェ-ト陣地に少しでも化学
兵器が残っていないかと躍起になって捜したというが、ついに化学兵器は少しも見当たらなかった。イラクは国家存亡と岐路に立たせられたあの湾岸戦争でも科学兵火は使っていなのである。

http://www.freeml.com/ctrl/html/MessageForm/chance-forum@freeml.com/6841/;jsessionid=0m2cs06w21

悪魔化されるサダム・フセイン

米国は、報道機関の助けを借り、戦争を国民に納得させようと、サダム・フセインを悪魔のような人物に仕立て上げた。イラン・イラク戦争の期間は米国とイラクの問に緊密な外交、経済、軍事の協力があったが、戦争が終って数年すると、サダム・フセインは突然、「ヒットラーより悪い」独裁者となった。

 個人的中傷のほかにも様々な宣伝が行われた。その最初は石油だった。一九九〇年九月十一日、ブッシュは「あまりにも重要な資源をあまりにも残忍な人間に支配させておくことは、許容できるものではなく、今後も許容されない」と述べた。それでも、米国のかなりの人々がこれに同調しなかった。同年十一月十四日付け 「ニューヨーク・タイムズ」 は米政府の新たなアプローチを次のように報じている。

  ホワイトハウスのスピーチ・ライターがブッシュ大統領の湾岸政策について、明瞭に、そして一貫して理解を得られるよう紹介することができず、その結果、本国民の支持をつなぎとめておくことができそうにないことに、(中略)ベーカー国務長官は怒りをつのらせていると言われている。

 湾岸戦争が始まった八月以降、戦闘部隊派遣を正当化する大統領の理由は、「死活的利益」が危機に瀕していることから始まり、侵略による損害を見過ごしてはならない、サダム・フセインはヒットラーより悪い、に至るまで実に網羅均である。

……

 このため、ベーカーは失業という新たな恐怖を持ち出した。「湾岸危機を米国民の生活水準レベルで話すならば、それは雇用問題だと言わせていただきたい。なぜなら、西側の経済的生命線(石油を支配するある国により、さらに言えば、ある独裁者により、世界の経済が不況へと転落すれば、米国民に失業が生まれるからだ)とベーカーは語った。サダム・フセインは今度は、湾岸での米国の支配強化に対してだけなく、米国経済のさらなる悪化に関連しても、非難されるようになった。ただし、米国の景気が実際に悪化するのは、湾岸戦争が終った後のことである。


最も人々の注意を引いて話題となった虚報は、「保育器の報道」である。一九九〇年十月十日、人権に関する議会コーカスにおいて「ナイラ」とのみ紹介された十五才の少女は、イラク兵士が嬰児を保育器から取り出して、「冷たい床の上に置き去りにして死なせる」のを目撃したと主張した。この話は、戦争に向けて突き進むブッシュ政権によってすぐさま利用された。ブッシュはこの話をいくつものスピーチで繰り返し引用し、このようにして三百十二人の赤ん坊が死んだと訴えた。アムネステイー・インターナショナルも一九九〇年十二月十九日のリポートで、この話は真実だと報告した。

 戦闘が終ってみると、保育器の話はまったく信用できないことが分かった。時がたつにつれ、国家安全保障会議や議会で証言を行った証人は、姓名も身分も偽っていたことが判明した。姓名がイサハ・イブラヒムで、身分が軍曹とされた人物は、イブラヒーム・ベハベハニという矯正歯科医だった。先の十五才のナイラという少女は、証言では残虐行為の行われた時に病院でボランティアとして働いていたと言ったが、実は、駈米クウェート大使の娘だった。これらは、十月十日の議会コーカスを、主催した者にとって、既知の事実だったのである。

 アムネステイー・インターナショナルは一九九一年四月、保育器の話を真実とした報告を撤回した。ミドル・イースト・ウォッチは一九九二年二月、保育器の話はイラク軍による大量レイプや拷問と同じく、「明らかに戦時の宣伝工作」である、とするリポートを発表した。

今回の開戦前の国連査察結果からも、ここに抜粋しましたラムぜー氏の見解のごとくに、「イラクの核兵器保有」は、ブッシュ(父子)の捏造である事が判りました。

そして、「保育器の報道」についても、最近ではテレビ放送で、自由クウェート市民との団体が、アメリカの大手広告代理店「ヒルトン&ノートン」に依頼して「駐米クウェート大使の娘」ナイラと名乗らせ作成した「宣伝工作」であったと放映されていました。

ビアーズ次官は完成したばかりの政府広報誌「イラク 恐怖から自由へ」を紹介した。「1988年3月16日、イラク北部の町ハラブジャで、イラク軍の毒ガスにより5000人のクルド住民が死んだ」という内容で、イラク攻撃への支持を訴える意味を込めて、世界中に配布されている。

 冊子には、赤ん坊を背負ったまま道端に倒れる女性や、息絶えた子どもたちの写真が多い。「我々が発信する情報は心を打つ物語でなければ」と次官は言う。ハラブジャ事件にはブッシュ大統領もしばしば言及、「自国民を毒ガスで殺した非道なフセイン政権」の象徴となっている。

 しかし、この事件には実は謎が多い。当時、米中央情報局(CIA)のイラク担当だったステファン・ペレティエ氏(米国の陸軍戦争大学元教授)は「毒ガスはイラクではなくイランのものだった」と主張する。当時はイラン・イラク戦争のさなかで、犠牲者はイランしか持たないシアン(青酸)ガスで死んだ兆候を示していた、というのだ。


 元教授によると、ハラブジャを現地調査した国防総省の情報機関は90年春、部内報告として、クルド人殺害はイランのガスによるものと結論付けていた。ところが、連邦議会の調査委員会は「イラク軍がマスタードガスと神経ガスでクルド人10万人を殺した」と発表し、イラク虐殺説が広まったという。

だが、密室ではなく戸外に散布したガスで一度に10万人も殺せるのか――。首をかしげる専門家も少なくなかった。その後、広報誌のように「5000人」という死者数が多用されるようになったが、昨年10月のCIAの報告書は死者を「数百人」と記し、宣伝用の数字(5000人)と大きな食い違いを見せている。

テレビ放送でも、多くの評論家は、この事実に全く触れずに、“毒ガスを同国民であるクルド人に使用し虐殺した、極悪人のフセインを追放すべし!”と声高に語り、アメリカのイラク侵攻を支持しています。



「多数のメディアが、繰り返し強調する事例はまず疑え」
ということだ。

ソビエト連邦=共産主義=世界の脅威

サダム・フセイン=大量破壊兵器=世界の脅威

タリバーン=原理主義=世界の脅威

「アル・カイーダ」=テロリスト=911、疸阻菌、ロンドン爆破=世界の脅威
・・・etc.


ソビエト連邦も、フセインも、タリバーンも世界の脅威ではなかった。
意図的に強調されてきたにすぎない。
「アル・カイーダ」は実際に存在するのかどうかさえ怪しい。
本当の世界の脅威とは、常套的に情報操作し、平気で他国を爆撃するアメリカ合州国自身ではないのか。


──大量破壊兵器とアルカイダ──

 今回のイラク戦争でも、このウソによるイメージ戦略は大いに発揮された。

 イラク戦争開戦の最大の理由は、
「大量破壊兵器の存在」「フセインとアルカイダのつながり」
 だった。

 この二つの「事実」が、世界中のメディアを使って大宣伝された。狂人フセインを打倒しなければ、世界の安全は脅威に晒される、というように。フセインは世界の脅威、世界の敵になった。すでにフセインのイメージは10年前に定着している。

しかし、「大量破壊兵器の存在」も「アルカイダとの関係」も、ウソだった。

http://blog.goo.ne.jp/leonlobo/c/9596a99dfeb4a0daf5a852d62ea14fa5

マスコミ業界の世界的な中心地であるアメリカでは、マスコミは、開戦後に戦争に協力するだけでなく、政府による戦争開始の策動に協力してきた。アメリカのジャーナリズムの賞として世界的に有名なものに「ピューリッツァ賞」があるが、この賞を作ったジョセフ・ピューリッツァは、1898年にアメリカとスペインの戦争(米西戦争)が始まる原因を作った人である。

 米西戦争は、当時スペイン領だったキューバに停泊中のアメリカの戦艦メーン号が何者かによって爆破沈没され、これをピューリッツァの新聞「イブニング・ワールド」などのアメリカのマスコミが「スペインの仕業に違いない」と煽り、開戦に持ち込んだ戦争である。メーン号が沈没した理由が、故障による自損事故だったことは、後から判明した。

 この米西戦争開始の経緯を見ると、アメリカのマスコミが政府の肝いりで「イラクは大量破壊兵器を持っているに違いない」と煽って開戦に持ち込み、後で、実はイラクは大量破壊兵器を持っていなかったことが分かったという、105年後の2003年に起きたイラク侵攻と、ほとんど同じであることが分かる。

 ピューリッツァとその後の同志たちが巧妙だったのは、自分がやっていた扇動ジャーナリズムを、洗練された知的で高貴な権威あるイメージに変えることを企図し、成功したことである。ピューリッツァは、ニューヨークのコロンビア大学に巨額の寄付を行い、ジャーナリズム学科を創設した。今では、コロンビア大学のジャーナリズム学科は、ジャーナリズムを学ぶ場所として世界最高の地位にあり、ピューリッツァ賞は、世界最高の賞となっている。「ジャーナリスト」は、世界中の若者があこがれる職業になった。

 しかし米西戦争からイラク侵攻まで、「人権」などの一見崇高なイメージを使って敵方の「悪」を誇張し、自国にとって有利な戦争を展開することに協力しているアメリカのマスコミのやり方は、巧妙さに磨きがかかっただけで、本質は変わっていない。
http://tanakanews.com/g0725media.htm


ウンデッドニー以来…… (本多勝一)

 アメリカ合州国が、一方的な「ブッシュの戦争」でアフガニスタン空爆を続けている。予測されていたとおり、一般住民に多数の死傷者が出た。そして、そんなことは一切おかまいなく空からの無差別虐殺をつづけるであろうことも、予想通りである。なぜか。

 合州国の「はじまり」から点検してみられよ。この国は500余年前の「コロンブスの大虐殺」で始まる。すなわち南北アメリカ両大陸(および付属諸島)の、何千万人とも知れぬ先住民族たちの、おそらく人類史上最大の悲劇の始まりである(注1)。合州国に直接関連するものとして、北米の先住民族が最近までにどんな虐殺をされてきたかは、日本人による世界に誇れる報告『アメリカ・インディアン悲史』(藤永茂・朝日新聞社・1972年)がある。

 ワシントン初代大統領時代から強行された侵略は、最後の組織的虐殺「ウンデッドニー」で一応終るものの、そのわずか10年後(1900年)、フィリピンを侵略した米軍による「10歳以上すべて」の全男女が、ルソン島・サマル島で大虐殺された。のちの日本占領軍司令官マッカーサーの父親たるアーサー=マッカーサー将軍の命令だ。この虐殺軍の指揮官たるや、なんと米本国でのベテラン対先住民戦闘兵自身だった。つまりアメリカ先住民大虐殺の歴史は、アジア人大虐殺へと直結する(注2)。

 息子のマッカーサーを最高司令官とする米軍は、東京大空襲や広島・長崎への明白な無差別大虐殺を、「真珠湾」への“反撃”として強行する。真珠湾は軍事施設だけを目標としていたが、東京や広島・長崎等は住民の生命そのものが目標である。

 その5年後、朝鮮戦争が始まる。そこでの米軍による住民大虐殺については、たとえば松本昌次『朝鮮の旅』での「信川大虐殺」などで明らかだが、つい最近も「老斤里大虐殺」が暴露された(注3)。

 朝鮮での終戦後10年と経たぬうちに、ベトナム戦争への米軍介入だ。ソンミ事件その他、アメリカ先住民大虐殺と全く同じ無差別婦女子大虐殺が、カウボーイ米兵らによって“楽しく”行なわれた。

 ベトナム戦争終了26年後の今、父親ブッシュによるイラク戦争(湾岸戦争)を経て息子のブッシュが、国連を無視してアフガニスタンに開戦した。ウンデッドニー当時の大統領と現在のカウボーイ父子大統領とで認識に基本的違いがない以上、非白人で異教徒住民への無差別爆撃(虐殺)は当然である。良心的アメリカ人は、あくまで非主流だ。

 ここまで書いた直後、ミニコミ誌『シサム通信』10月号が届いた。その中から、アフガニスタンで長年医療活動をして今回脱出した中村哲医師の言葉――「一連の動きを見て思うのは、西部劇の続きである。勇敢な白人がバッタバッタとインディアンをなぎ倒していく。」


<注1>たとえばラス=カサスの『インディアス破壊を弾劾する簡略なる陳述』(石原保徳訳・現代企画室)などに詳しい。

<注2>詳細は拙著『アメリカ合州国』(著作集12巻=朝日新聞社)収録の「マイアミ連合からベトナムまでの合州国の道程」参照。

<注3>1950年7月に韓国・忠清北道老斤里で避難民数百人を米兵が無差別射殺。AP通信が一昨年9月に報道。
http://www2.kinyobi.co.jp/old/fusoku_oldf/386

こんな事態が許されるのでしょうか!?

ラムゼー氏の著書を見るまでは、イラクのクウェート侵攻の非は、イラクそしてその独裁者フセインに在ると信じ込んでいましたが、ラムゼー氏は、このイラクのクウェート侵攻はアメリカによって仕掛けられた罠であった事を示してくれます

その罠は、イラン・イラク戦争で疲弊し復興を図るイラクに対して、(アメリカの差し金で)クウェートは石油の過剰な増産を企て国際的な石油価格の暴落を図り、イラクの石油からの利益を削減させた上、イラク油田の盗掘等を行いイラクを徹底的に痛みつけ、イラクがクウェートに善処を請うと、イラク、クウェート、サウジアラビア、UAEによる四ヵ国の石油相会議の席上では、クウェートのサバハ外相は“(イラクに)対応するつもりはない。(中略)気に入らないことがあるなら、イラクはクウェートの領土を勝手に占領すればいい。(中略)我々は米国を引き入れる”とのも発言しています。

そして、当時のブッシュ(父)大統領は“警告も挑発もなくイラクはクウェートに侵攻した” と述べたというが、フセインはこの会議で(イラク軍のクウェート国境への集結の前日)は、“話し合いでイラクを守れないなら、事態を正しく立て直し、かつ奪われた権利をその持ち主に返還するために、何らかの有効な手段が講じられなくてはならない。全能の神よ、我々は忠告を与えたことを覚えておいてください” と語りクウェートに警告を発していたことが紹介されています。

中東で戦争を望んでいたのはイラクではなく、米国の巨大勢力だった。つまり、巨額な予算を維持したい国防総省、中東への武器販売と国内の軍事契約に依存する軍需産業、原油価格に対する支配力強化と利益の増大を望む石油公社、ソ連の崩壊を米軍の中東常駐の絶好の機会と考え、石油資源の支配により巨大な地政学的勢力を二十一世紀に向け構築しようとするブッシュ政権だった。


国防総省の課題は、拡張よりも再建に腐心するイラクを、どうしたら米国の軍事介入を正当化できる行動に駆り立てることができるか、であった。このような危機的状況を創り出すため、国防総省はクウェート王族との特別な関係に頼ろうと考えた。

イラクがイランとの戦いに没頭している最中、クウェートは国境を北方に移動させ、ルメイラ油田の中の九〇〇平方マイルを占拠した。クウェートはこれに加え、米国から供与された傾斜穿孔技術により、イラク領土内に間違いなく位置するルメイラ油田から盗掘を行った。イラン・イラク戦争が最高峰に達した時、イラクの石油輸出能力は低下したが、クウェートは盗掘したイラクの石油をイラクの消費者に売りつけて大いに儲けた。

クウェートは戦争期間を通じ、イラクに三百億ドルを貸与したが、その大部分はクウェート自身がイランから直接的脅威を感じた後のものだった。戦争が終ると、クウェートの指導者はイラクに返済を求めたが、イラクは戦争により八百億ドル以上の被害を受けていた上、クウェートの身勝手な行動で石油価格が引き下げられていた。

イラクにとって債務の即刻返済は不可能だった。

一九八八年から九〇年にかけ、米国防大学の研究が予想した通り、イラクは外交によりクウェートとの紛争解決に努力した。一方、クウェートは、情報筋のすべてが認める通り、一貫して傲慢で非妥協的だった。


サダム・フセインはバグダッドで開催されたアラブ連盟首脳会議で次のように述べた。

戦争は通常、「軍隊の越境、破壊行為、殺人、クーデター支援により遂行される。(中略)そして、現在行われていること(クウェートの石油政策)はイラクに対する戦争である」。

一九九〇年六月、イラクはアラブ数ヵ国に外交使節を派遣し、原油価格の若干の引き上げを可能にする新たな生産割当を訴えた。クウェートはこの生産割当を拒否したが、さらにイラク、クウェート、サウジアラビア、UAEによる首脳会談の開催というイラク提案まで拒絶した。

 七月十日、前記四ヵ国の石油相会議がやっと開催され、原油価格の漸次引き上げが可能となる生産割当が決められた。ところが、翌日、エミールと会談したクウェート石油相は、原油生産を十月まで大幅に引き上げると発表した。

サダム・フセインは、クウェートと米国がイラク経済の破壊を共謀していると公然と非難し、「話し合いでイラクを守れないなら、事態を正しく立て直し、かつ奪われた権利をその持ち主に返還するために、何らかの有効な手段が講じられなくてはならない。全能の神よ、我々は忠告を与えたことを覚えておいてください」と語った。イラクの戦闘部隊がクウェート国境に結集し始めたのは、この翌日である。

 言い換えるなら、イラクは、経済戦争が仕掛けられていると認識しており、事態はそれほど深刻だ、と警告したのである。ブッシュ大統領は八月八日の声明で、警告も挑発もなくイラクはクウェートに侵攻したと述べたが、これは真っ赤な墟である。

http://members.jcom.home.ne.jp/u33/i%20think%20030322.htm

1990:米国の承認の下、クウェートに侵攻。

米国の承認?

1990年7月25日、勢いに乗る独裁者は、米外交官で駐イラク大使のエイプリル・グラスピーとバグダッドで会談。サダムがグラスピーに、イラク石油のちょっとした首長権限をめぐってクウェートに攻撃を仕掛ける際に、アメリカが反対するかどうか確認したところ、このアメリカの使者はこう語った:

「私たちに意見などありません。(国務長官の)ジェームズ・ベイカーが私を寄越したのは、指示を確認するためだけです。それはつまり、クウェートはアメリカと連合関係にないということです。」

サダムは彼女の発言を録音していた。グラスピーは、1991年の議会証言で、父ブッシュがイラクのクウェート侵攻を承認したと世界中の外交官が見なすことになる録音について、その信憑性を否認できなかった。

http://hiddennews.cocolog-nifty.com/gloomynews/2004/04/the_best_democr.html

湾岸戦争はアメリカが仕掛けた罠だった

1991年1月17日、湾岸戦争が始まった。しかしながら、軍事偵察衛星から送られてくる写真から、米ソはイラクがクウェートに攻め込む何日も前から、フセインの軍隊の大規模な移動と、クウェート国境への集結を確実に把握していたことが、関係者の証言で明らかになっている。1990年7月20日に打ち上げられたソ連製スパイ衛星「コスモス2086」が、突然軌道を変え、侵攻直前のクウェート上空を集中的に飛行していたことが、徳島市の「民間・人工衛星追跡組織(LAT)」の調査によって明らかにされた。(1990年10月23日付け「朝日新聞」による)

 他国の衛星の位置を確認しているアメリカが、このソ連衛星の動きを察知していたのは確実で、つまり、「奇襲」とされるイラク軍の侵攻を事前に知っていたことになる。

 もし、アメリカが本気でイラクのクウエート侵攻を沮止しようとするならば、第7艦隊をペルシア湾へ向かわせ、イラクへ警告を発せば、良いことだ。そうすれば、湾岸戦争は回避されていた。

 また、当時のイラク駐在のグラスピーというアメリカ女性大使が、フセインの国家再建努力を褒めて、「アメリカはイラクの行動には関心がない」と言ったのだ。


さらに、国務省の中東専門家であるジョン・ケリー国務次官補が記者会見で「クウェートが攻撃されてもアメリカにはクウェートを助ける責任がない」と公言したのだ。

 さらには、1989年、クウェイト国家公安局長がCIAを「極秘」に訪問し、「非公式会談」を行なっている。

「イラクの経済情勢の悪化を利用して、イラクがわが国との国境を画定しようとするよう仕向けることが重要である、との点で米側と一致した。CIAは、彼らがふさわしいと考える圧力のかけ方を説明し、こうした活動が高いレベルで調整されることを条件に、両国間の幅広い協力関係をつくるべきだと詳述した」ケネディ政権の報道官で、ABCテレビ欧州中東総局長ピエール・サリンジャー他による「湾岸戦争 隠された真実」で、アメリカとクウエートの密約文章の中身をこう紹介している。

 という訳で、フセインはまんまとアメリカが仕掛けた罠にハマったのだった。

http://www.election.co.jp/column/2001/k20011121.html

イラクの湾岸戦争をテレビ報道を見ていて、イラクがクウェ-トに侵入し破壊している様子が映し出されていましたが、その裏にはアメリカのCIAの情報工作があり最初イラクのクウェ-ト侵略を容認した節がある。

 それを、鵜呑みにしたサダム・フセイン大統領がアメリカの思う壺にはまり、悪者にされてしまったのである。

 イラク人の破壊よりも、アメリカの爆撃機の破壊のほうが本当は多大だったのです。

私達は、日本が真珠湾攻撃をしましたが、アメリカは、その情報を先に知っていて、日本の攻撃を口実に日本に宣戦布告してきました。

 時代が変わっても、アメリカのやりかたは、同じなのです。

クウェ-ト(親米政権)は隣のイラクの原油盗掘を行い、また、クウェ-ト人は周辺の貧しいアラブ人を労働者として酷使し、大きな利益を得ていた。これにイラク(フセイン)が抗議したが無視。このため、イラクはクウェ-トを攻撃、占領した。

 クウェ-トは欧米に支援を要請。米を中心とする多国籍軍が編成され、ハイテク兵器を駆使した大攻勢が行われ、一瞬でイラク軍は粉砕され約30万人が戦死しイラクは敗北した。放射能汚染を招くウラン弾頭も使われ、死者の半数は民間人であった。また、国連の降伏勧告を受け入れ、イラクに戻る途中の無抵抗のイラク軍に対し、米軍は隊列の前後の集団を攻撃し足止めした後、「動くもの全て」を対象とした大殺戮を行い、約1万人のイラク兵を全滅させた。イラクへ向かう道路には死体が累々と並び、「死のハイウェイ」と呼ばれた。これらの行為に対し、イスラム勢力の中ではテロによるアメリカへの報復を叫ぶ者も多かった。
http://www.geocities.co.jp/NatureLand/5930/newpage117.htm

2:777 :

2022/05/31 (Tue) 01:04:02

湾岸戦争はアメリカなどの、軍需産業を持った多国籍企業という死の商人によって仕組まれた戦争だった。

フセインに資金を送り続けたのはイタリアの銀行であり、化学兵器を造らせてきたのはドイツやソ連であり、原子炉とウランは堂々とフランスから売却され、スーパーガンはイギリスから輸出され、アメリカは資金援助を行ないイラクを戦争ができる国に育ててきた。フセインに戦争させるという作戦を実行してきたのが、この軍需産業ファミリーだ。

[『国連 死の商人』(P.34)、広瀬隆(1992)、八月書館]

世界を飛び回って多国籍企業が操る「影の政府」の意思を世界に伝えて回ったベイカー・アメリカ元国務長官。ユーゴ内戦の国連事務総長特使であり、かつ、アメリカ第2位の軍需産業ゼネラル・ダイナミックスの重役であり、かつ、大マスコミのニューヨークタイムズの重役であるサイラス・ヴァンス。他のイラク在住外国人が足止めをくらったときに、イラクのフランスに対する30億ドルという借金をたてにフランス人のみを脱出させたミッテラン・フランス大統領。

僕たちが新聞やニュースで知ることのできる彼らの肩書きは、長官や大臣や、代表といった平和的なもので、人殺しを職業とする兵器工場の経営者という素性がどこにも書かれていない。ところが原爆・水爆・ミサイル・戦闘機から地雷まですべてを造り、ゲリラ戦の特殊部隊を生み出す戦慄すべき国際グループというのがこの一族の正体だ。

[『国連 死の商人』(PP.36-42)、広瀬隆(1992)、八月書館]


また、この一族の系図は、軍需産業とアメリカ、イギリス、フランスといった多国籍軍の中核をなした各国の政府や、国連、マスコミが一体である証拠だ。近代の戦争はすべて彼ら「影の政府」が仕組んだものだ。

そして湾岸戦争直前の1990年、世界の軍需産業が不況にあえぎはじめていた。その軍需産業の不況を打破するために、多国籍軍が湾岸戦争を引き起こし、大量の兵器を消費して儲けようと企てた。

また、軍需産業とアメリカ政府とのつながりは、現在ますます強まっており、クリントン大統領の閣僚の多くが、多国籍企業の重役出身である。
例えば、現在アメリカの国務長官のクリストファーがいる。彼がクリントン大統領から指名されたとき、潜水艦用の核ミサイル、「トライデント」や、湾岸戦争で使われたステルス戦闘爆撃機をはじめとする軍用機を数多く製造したアメリカ第3位の軍需産業ロッキード社の現役重役だった。

アメリカ大統領直属の情報機関、CIAの長官であるジェイムズ・ウールジーは、アメリカ国防総省との取引額第8位のマーティン・アリエッタ社の重役だった。この会社が生産していたトマホーク巡航ミサイルも湾岸戦争で有名になった。

さらに、クリントン政権は各軍需産業から政治献金を受け、彼らに操られていることがこの面からもわかる。ゼネラルモータース、GTE、テクストロン、グラマン、ゼネラルダイナミックスといった軍需産業がクリントン政権やアメリカ議会議員に政治献金をしていることが明らかになっている。

このようにアメリカは軍需産業のために政治を行なうような仕組みになっている。それがアメリカが世界各地で戦争を勃発させている理由である。

湾岸戦争で多国籍企業は国連を思いのままに操りイラクを世界から孤立させた。そしてこの国連ビルがそびえるマンハッタンの土地を寄贈したのはアメリカ最大の財閥ロックフェラー財閥だった。文字どおり、国連はアメリカの多国籍企業の手のひらの上にある。

また、多国籍企業は、新しい国連事務総長に、ガリを送りこんだ。ガリは、「影の政府」の方針を決定するダボス会議のメンバーである。

http://yiori.tripod.com/aum_related/aum1.txt

湾岸戦争でボロ儲け

……ブッシュ政権の重要ポストにエネルギー業界出身の者が数多くいることにある。……テキサスの石油及び天然ガス会社こそが、ブッシュ・ジュニアの選挙戦の最初の協力者グループだったからだ。……

 副大統領ディック・チェイニーからして、石油産業関連のサービス会社では世界第二位のハリバートン社を長い間経営していた。チェイニーは大統領選を機に同社を離れた。

 すべての諜報機関を統括する安全保障の最高機関、国家安全保障会議の責任者であるコンドリーザ・ライスは、シェブロン社で九年間を過ごした。この巨大石油企業で、一九九一年から二〇〇一年一月まで社外重役を務めていたのだ。……

 W・ブッシュの親友でもある商務長官ドナルド・エバンスは、エネルギー長官のスペンサー・エイブラハムと同様に、天然ガス及び石油を扱うトム・ブラウン社の社長として、それまでの経歴のほとんどを石油業界に捧げてきた。経済問題担当の商務副長官キヤサリン・クーバーは、世界的企業エクソン社のチーフエコノミストであった。

 さらに大臣官房にも似たような経歴の者たちがたくさん見られる。……


投資資産管理会社カーライル・グループの投資財団は、その顧問として、元アメリカ大統領のジョージ・ブッシュまたは、その息子の現大統領ジョージ・W・ブッシュを取り巻く多くの人物を擁している。

 取締役会は特に、ブッシュチームの有力者たちで構成されている。たとえば、ジョージ・ブッシュ政権時の国務長官だったジェームズ・A・ベーカー三世、ロナルド・レーガン大統領時代に国防長官を務めた、フランク・C・カールッチ(CIA副長官も務めた)。一九八九年から一九九三年までジョージ・ブッシュ大統領の下で行政管理予算局長官だったリチャード・G・デーマン、そして同じく父ジョージ・ブッシュ時代のホワイトハウスの首席大統領補佐官ジョン・スヌヌである。……

 アメリカ大統領ジョージ・W・ブッシュは、一九九〇年から一九九四年まで、カーライル・グループの子会社の一つケイタレア社の取蹄役会のメンバーであった。……

 ジョージ・W・ブッシュが一九八六年から一九九三年まで役員を務めたテキサスの石油会社に、……

 だから、ジョージ・W・ブッシュが経営していた別の有限会社二社(アルバスト79とアルバスト80)の資本の中に、テキサスの大物財界人ジェームズ・R・バスの名があっても不思議ではない。……

 ジョージ・W・ブッシュが設立したこの二つの企業は、その後ハーケン・エナジーと合併し、一連の株式取引は、その痕跡さえ見えなくなってしまった。

 ブッシュ・ジュニアは、七八年石油探査会社アルバスト・エナジーを設立。しかし、八六年ハーケン・エナジーに吸収され、ブッシュは役員に就任した。

注 カーライル・グループ:投資資本百二十億ドル。……未公開企業の株式を購入して転売し、米国最大の兵器メーカーを傘下に収め、通信分野の会社を多く持つ。サウジ政府の金融アドバイザーでもある。

アメリカが掲げる「イラク解放」とは、極端にいえば西洋が非西洋の文明を叩きのめし、自分たちの「正義」を押しつけるプロセスに他ならない。しかも、今回の攻撃でアメリカが得るであろう利益は莫大なものだ。新兵器の実験と旧式兵器の在庫処分によって軍需産業が潤い、戦後復興にはアメリカ企業が次々と参入してくる。イラクの地下に眠る世界第2位の埋蔵石油の利権も、優先的に確保するつもりでいる。ロッキード・マーチン社は、今年1月から3月期の売り上げが昨年に比べて18%増加したといい、インフラ復旧事業ではベタテル社が800億円あまりのプロジェクトを受注し、油田の復旧作業はハリパートン社やブーツ&クーツ社などのテキサス系の企業が引き受けている。

 だが、これに至るまで、イラク国民の上には爆弾が降り注ぎ、民間人は3000人近く、イラク軍人は数万人が亡くなった。アメリカ軍の戦死者とは比べ物にならない数だ。イラクの人々を殺すことでアメリカが利益を得る……この構図は、かつて東洋の解放を唱えた岡倉天心が述べた、「西洋の栄光は東洋の屈辱」そのものではないか。とりわけブッシュ政権は、多くの高官たちが、戦争で利益を得る大企業の顧問などを務める「利権屋集団」だ。
この最も基本的な点を忘れ「力こそ正義」という論理に傾けば、力のない人々が絶望的な行動に出ることは避けられない。テロを防ぐどころか、全世界にテロが広がっていくだろう。大義も正義もない、今回のイラク侵略に対しては、きちんと批判の声を上げ、決してアメリカを許してはならない。

http://members.jcom.home.ne.jp/u33/i%20think%20030813ttnt.htm

ブッシュがサダムよりひどいわけ

教育システムの機能が失われたこと。2005年に国連が行った調査では、高等教育機関の84%が「破壊されたか、ダメージを受けたか、略奪をうけたか」している。

イラクの知的蓄積は、何千人もの大学関係者やそのほかの専門家が国外に脱出したか、イラクで謎のように誘拐されたり暗殺されたりしたことで、さらに弱体化した。また、そのほかに、数十万人、もしかすると100万人近い教育を受けた中流階級の活発な人々が、ヨルダンやシリア、エジプトに逃れた。多くが、殺害脅迫を受けたあとで国外に逃れたのである。

「今や、私は一人きりです」と、ある中流階級のスンニ派アラブ人は言う。彼も、国外に出る決心を固めた。「政府はありません。政府からは何の保護も受けられません。誰でも家にきて、私を捕まえ、殺してゴミ捨て場に投げ込むことができます」[1]。

機能していた医療体制が失われたこと。人々の健康が失われたこと。腸チフスや結核のような致命的な伝染病がイラク全土に広まっている。イラクの病院と保健センター・ネットワークは、かつては中東で賞賛の対象だったが、今や、戦争と略奪により大きな損害を受けている。国連の世界食料計画(WFP)は、イラクの子どもたちのうち40万人が「危険なまでにタンパク質が不足して」苦しんでいると報じている。栄養失調や予防可能な病気----これらは12年にわたり米国が課した経済制裁のために以前から問題だったが----が、とりわけ子どもたちの間で増えている。貧困と混乱により、きちんとした食生活や医療を手に入れることがさらにいっそう難しくなったためである。

手足を失ったイラク人は何千人もいる。米軍が落としたクラスター爆弾の不発弾が地雷となって、それにより手足を失った人も多い。様々な人権団体が、クラスター爆弾を、民間人とりわけ子どもたちに対して無差別に被害をもたらす残酷な兵器であると非難している。

米軍の大砲から発射されて爆発する劣化ウランの粒子はイラクの空中を漂い、人体に吸い込まれて永遠に内部被曝を続ける。また、水や土地、血液、遺伝子を汚染し、体に異常を抱えた子どもたちを作る。2003年春、戦闘時の数週間に、劣化ウランを含む弾頭を搭載したA10「戦車破壊」機は、30万発以上を発射した。

そしてまた、ナパームの使用。白燐兵器の使用。

米軍は、病院も攻撃した。米軍が公式発表する犠牲者数と矛盾する米軍攻撃の犠牲者数を病院が発表しないようにするためである。それまで、病院は犠牲者数を発表する習慣だった。

数多くの家が米軍に押し入られ、男性たちは連れ去られ、女性たちは侮辱され、子どもたちはトラウマを抱えることとなった。多くのこうした家族は、米軍兵士たちが家族の金を盗んでいくと述べている。イラクは、裸にして調べられるという屈辱的な扱いを受けている。

イラクの古代遺産----人類の過去に関する世界に残る最大のアーカイブかも知れない----も、破壊され略奪されているが、石油施設を防衛するのに忙しい米軍は、遺産の保護など行わない。

ほとんど無法の社会。イラクの法体制は、政治的領域を除くと、以前は中東で最もめざましい、世俗的なものだった。それが今や大混乱状態にあり、宗教法がますます広まっている。

かつて広まっていた女性の権利は、今や様々な領域で様々に適用される過酷なイスラム法のもとで巨大な危機に晒されており、その危機は高まっている。今日では、イラクのシーア派宗教支配層の中には、腕を露出したり男友達とピクニックに行ったりという理由で女性に身体的攻撃を加えることを容認するような人々もいる。

短パンで表に出る男性も嫌がらせを受けることがあり、短パンをはいて外で遊ぶ子どもたちも同様である。

セックス目的の人身売買は、以前はほぼまったく存在しなかったが、今や重大な問題となっている。

ユダヤ教徒、キリスト教徒をはじめとするムスリム以外の人々は、サダムの世俗政権下で享受していた安全のほとんどを失い、多くの人が移住した。

米軍やイラク新政府が運営する強制収容監獄の中では、様々な拷問と虐待が行われている----身体的なもの、心理的なもの、感情的なもの、苦痛や屈辱、侮辱を与え、精神を崩壊させたり、死や自殺に至らしめたりといった拷問と虐待で、人権の破滅地帯となっている。

5万人以上のイラク人が米軍侵略以来、米軍によって投獄されたが、そのうち何らかの犯罪で有罪とされたのは、ほんのごくわずかである。

米軍当局は、サダム・フセイン政権下で人々に恐れられていた治安サービスの要員たちを雇い入れて情報収集活動を拡大し、レジスタンスを根絶しようとした。

失業率は約50%と推定されている。

アメリカ合衆国占領当局は、当初、バアス党政府職員や兵士の大量解雇を実行した。のちに、必死に仕事を求める多くの人々が、占領と関係がある汚れた職に就き、誘拐されたり殺されたりといった大きな危険に身を晒さざるを得なくなった。

生活費は急上昇し、収入は急落した。


イラク北部のクルド人たちは、アラブ人を追放した。アラブ人たちは、イラクのそれ以外の地域でクルド人たちを追放した。

多くの人が、バアス党員であるという理由で、自宅から追放された。米軍兵士たちがこうした追放に参加したこともある。

米軍兵士たちは、仲間の一人が殺されたという理由で激怒し、家を破壊するといったこともある。

米軍兵士たちは、探している人物を見つけられないときに、そこにいる人間を誰彼かまわず連れ去ることがある。夫が出頭するまで妻が拘束されたりする。これは、ハリウッド映画によりナチスのとりわけ悪辣な高位としてアメリカ合衆国人の心に刻み込まれていた行為だったはずであり、また、民間人に対する集団的懲罰として、ジュネーブ条約で禁止されている行為である。

住宅地に爆撃攻撃が続けられることで、数え切れないほどの家や仕事場やモスクや橋や道路や、現代の文明生活に必要なあらゆるものが破壊された。

ハディーサ、ファルージャ、サマラ、ラマディ・・・・・・米軍が無差別破壊と殺人、人類と人権に対する攻撃を行った場所として、汚名を帯びて伝えられる地名である。

安全な飲み水、効果的な汚水排水機能、安定的な電力供給などは、すべて、全体として侵略前よりもひどい状態にあり、摂氏45度にもなる気温の中で、人々に継続的な困難を強いている。この悲惨な状況に追い打ちを欠けるように、人々はガソリンを買うために熱気の中で一日中待たなくてはならない。その理由の一つは、イラクの主要収入源である石油の生産が、侵略前の半分以下になっていることにある。


1991年、湾岸戦争の際、米軍は、上下水道システムをはじめとするイラクのインフラを意図的に破壊した。2003年までに、イラクの人々は、破壊されたインフラの主要部分を相当までに修復していた。アメリカ合衆国政府が新たな爆撃をイラクに加えたのは、そのときである。

内戦、「死の部隊」、拉致、自動車爆弾、強姦が毎日毎日起きる。・・・・・・イラクは地上で最も危険な場所になった。米軍兵士と私営治安企業は何度も人々を殺しては、遺体を路上に遺棄しておく。米軍が訓練したイラク軍と警察部隊は、さらに多くの人を殺し、ゲリラも多くの人を殺す。暴力とセクト的基準を持った新たな世代がまるごと育ちつつある。これは、将来永年にわたり、イラク人の心理状態を毒することになるだろう。

米国諜報部と軍事警察は、しばしば、ゲリラをスパイするという条件で、危険な犯罪者を釈放する。

様々な理由で抗議を行う人々が、米軍兵士に撃たれたことも何度かある。

何度も、米軍は、アルジャジーラ・テレビの記者を殺し、怪我を負わせ、投獄し、アルジャジーラの事務所を閉鎖し、いくつかの地域から閉め出した。占領当局が、アルジャジーラの報道を気に入らなかったためである。

新聞も、記事にした内容を理由に、閉鎖させられた。

ペンタゴンは、イラクのメディアに金を払ってプロパガンダ目的の記事を報道させている。

それでも、実際、自由がイラクを席巻している----巨大多国籍企業は、公益を守る法律や環境規制、労働者保護規制に邪魔されることなく、イラクの資源と労働力から略奪できるものをすべて略奪している。このところの流行は、私営化、規制撤廃、そしてハリバートンをはじめとする西洋企業の「お気に召すまま」である。イラク人のビジネスは、能力がないわけではないが----それは1991年の米軍による爆撃以降、イラクのインフラを立て直したことに示されている----、ほぼ完全に閉め出されている。


それにもかかわらず、アメリカ合衆国の行為によって改善されたイラク人の生活領域を一つとして挙げることは難しいにもかかわらず、イラクが話題に上り、私が話している相手がイラクにおける米軍の政策を擁護する議論のネタ切れを起こすと、少なくともそのとき、相手は私に次のように聞く。「一つ教えてくれ。サダム・フセインが失脚してうれしいか?」 

私は「いや」と答える。

その相手は「うれしくないのか?」と聞く。

私はさらに「うれしくない」と答える。どうか教えて欲しい。膝が痛くて病院に行ったら、外科医が足をまるごと切り落としてしまったとする。誰かに、「膝の痛みがなくなって、うれしいでしょう?」と聞かれたら、どう思うだろうか? 確かに、イラクの人々には今や、サダムの問題はない。

実際のところ、サダムを支持していたイラク人は少なくなかった。


ちょうど、日本がかつて行ったと同様の、あからさまな侵略と不法占領。そして、イラク人ゲリラの立場がどうであれ、また、侵略者がどのような口実をつけようと、侵略に同調する観点から抵抗者を「テロリスト」と呼ぶのは、ナチスがフランスのレジスタンスを「テロリスト」と呼んだのと、同じことになります。
http://asyura2.com/0601/war83/msg/802.html


他国を侵略し、統治することは、高まる住民の反感を計算すればコストのかかる事業である。それを判っていて,イラクを侵略するネオコンには、はじめからその損害をカバーしてあまりある目標があった。それが世界最大の埋蔵量を持つと言うイラクの豊富な石油資源である。(現在はサウジアラビアが世界一とされているが,未探査地域を入れればイラクが世界一)

 つまり,ネオコンとかシオニズムにとっては,その土地の住民、パレスチナ人,イ
ラク人などはっきり言って彼等にとっては「おじゃま虫」なのだ。文明とか人間の尊
厳などは,利潤の妨げにこそなれ,終局的には一文の価値もないのである。
 
 占領に反抗する人々は「邪魔者は殺せ」と情け容赦なく,高度に発達した大量破壊
兵器を使い,半減期に45億年も要する劣化ウランを惜しみなく投下してイラク人、
パレスチナ人を虐殺していく。劣化ウランの凄惨な後遺症については,アメリカ本国
でさえ,ひた隠しにされている。これは,正にモロッコの知識人エルマンジェラ教授
の言う如く、湾岸戦争以来のアメリカの対イラク戦争は「文明と野蛮」の戦いに他な
らない。

 正直いって筆者は,パレスチナの地に人工的に「イスラエル」を造成したときから,
そしてイランイラク戦争,湾岸戦争と続くイラクの弱体化が進んでいく中で,特上の
アメリカ帝国主義(とシオニズム)の本質からいって、領土拡張と資源収奪のために
は,頑強に抵抗する民族はジェノサイドするしかないという政策を遂行していくだろ
うと見ていた。


イラク国民のジェノサイドが目標

 筆者の考えでは、アメリカはフセイン大統領を亡き者にしようと焦っていることは
間違いないが、アメリカに楯突くイラク国民をジェノサイドしてしまおうと目論んで
いることもまた事実である。

二〇〇二年に週刊『金曜日』に本多勝一氏が「“悪の枢軸”イラクに行く」で書いていたように、あの湾岸戦争で、アメリカは、電力や貯水場などの生活に重要なインフラの破壊に重点におき、非戦闘員、とりわけ、女性や子供を標的にした学校、病院、シェルターなどをピンポイント爆撃したのも、地球の寿命ほど長く放射能の被害をもたらす劣化ウラン弾を投下したのも、そうしたフセイン大統領と一体となってアメリカに反抗するイラク国民自体の絶滅を目指していたためであろう。

 これは,今回のイラク戦争直後にアメリカ軍が主導して、イラクの大学,研究所,
美術館などを重点的に略奪,破壊してまわったことにも現われている。ネオコン以外,
イラク人の生活,教育,文化をを破壊し、2度と立ち上がれない民族にしていまうこ
とを喜ぶ国はもちろんイスラエルである。


マキャベリが『君主論』を著した16世紀はじめには、その国の富を吸い上げ
るには国民が必要だった。しかし石油というイラクの富は、国民がいないほうが
もっと値打ちが上がる。国民など石油会社が原油を汲み上げる邪魔になるだけだ
ろう。

石油を搾り取り、OPECを弱体化し、イスラエルが周辺アラブ諸国と戦
うのを助けるのが動機なら、イラクを壊滅状態にして二度と立ち上がれないよう
な計画を立てたはずだ。そしてもしそうだとしたら、ブッシュ政権はまだまだ破
壊を進めるだろう。抵抗がもう数か月続けば、アメリカ国民はとどめを刺す心の
準備ができるかもしれない。


アメリカがイラクにとどまり続けて遂げられるのは、完全破壊という目的だけ
だろう。イラクはアメリカのもとでは立ち直れない。マキャベリの慧眼。イラク
国民はここまで痛めつけられてしまった以上、アメリカも、その傀儡(かいらい)
もけっして受け入れまい。復興には巨額の費用と債務帳消しが必要だから、アメ
リカ(ないしその傀儡)政府のもとでは立往生するしかない。

イラクを破綻国家にして、そこから石油を搾り取るほか、アメリカが達成できる目標は考えられない。そんな政策を追求すれば、アメリカと世界の関係がどうなるかは容易に想像がつく。しかし、最初からこういう計画だったとしても驚くにはあたらない。帝
国主義的な野望を公言してはばからないブッシュ政権なら、いかにもやりそうな
ことだ。  
http://asyura2.com/0311/war43/msg/426.html
3:777 :

2022/05/31 (Tue) 01:12:46

イラクの子供たちを殺し続ける「史上最悪のゴミ」 田浪 亜央江

  今年4月から5月にかけて、現地滞在2週間という短い日程でしたが、イラクをはじめて訪問する機会を得ました。ジャーナリストの本多勝一さんの通訳として同行したのです(※1)。

  1991年の湾岸戦争から11年あまりが過ぎました。当時、アメリカは、イラクのフセイン大統領をヒトラーになぞらえ、イラクを攻撃しフセインを打倒することは「正義のための戦い」である、とアメリカは宣伝しました。
仮にフセインが「中東のヒトラー」であっても、彼の支配する国に住む「普通の」人々が攻撃され、殺されるいわれはない、という当然の理届は顧みられませんでした。

  湾岸戦争で、12万5千人から15万人のイラク兵が死に、さらに空爆で、15万人の民間人が死んだと推定されています(対して、「多国籍軍」の中心的立場にいたアメリカ軍の死者は148人でした)。

今回の訪問のメインは、湾岸戦争による被害を調べることです。バグダード市内の病院を二つ、南部のバスラという都市の病院を二つ訪問しました。
お医者さんたちが異口同音に言われたことをまとめると、次のようなことになります。

  湾岸戦争が終わつて2、3年たってから、癌や白血病の患者が増えはじめた。それまで見たこともないような、奇形も出てきた。死産や、無脳症など手のつけられない状態で生まれてくる子どもも増えた。
ただでさえこれまでの医学的知識では対応できないのに、基本的な薬や医療器具が、経済制裁のため入ってこないので、座視するしかない。
イラクの医者が海外で研修を受ける道も、事実上閉ざされている。
下痢や風土熱など、薬さえあれば普通は助かる病気さえ、薬がないため子どもが苦しんでいるのを見ているしかない・・・・・・・・。

さらに私が愕然としたのは、経済制裁の影響のすさまじさです。
思い出していただきたいのですが、湾岸戦争が始まる前、武力行使に反対して、「話し合いや経済制裁で、イラクをクウェートから撤退させるべきだ」という論調がありました。
しかし空爆もひどいですが、経済制裁もつくづく残酷です。そして経済制裁はいまだに続き、病院を機能不全にしているのです。

  経済制裁の影響で死んだイラク人は150万人にのばり、そのうち70%が5歳未満の子どもだと言われています。
私が見た赤ちゃんの一人は、高熱が出ているのに全く治療も受けられず、ただ酸素を送られてハーハーと苦しんでいました。私たち大人の世代が、こんな状態を作りだしてしまったのです。

  お医者さんの一人は、「アメリカはこうやって、イラクの子どもたちを殺し続けている。これは新しいタイプの戦争なのです」と言つていました。
しかし、私たちの手も、汚れていることを確認しないわけにはいきません。日本政府は多国籍軍支援として、90億ドルを支払いました。
当時は1ドルおよそ130円でしたから、なんと1兆1千7百億円、しかも後に円安で目減りした分の補填分700億円を追加で出しているのですから、計1兆2千4百億円。
単純計算で、日本人一人あたり1万円づつ、イラクに対する戦争のためにお金を出したことになります。日本が出したお金なくては、あの戦争はできなかったのです。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~GOMIKAN/sun2/sun32g.htm

そしてイラク人絶滅作戦へ  

今年4月のファルージャでの戦闘。米軍は民家、病院、車輌を狙って、通常爆弾、クラスター爆弾、ミサイル、迫撃砲で攻撃。さらに、戸外の住民や救急車を狙ってライフル狙撃を実行。これらの行為で数百人が死亡しています。(成澤宗男「ファルージャ 血の真実」週刊金曜日04.4.30)

 湾岸戦争中の91年2月13日、米軍はバクダッド市街地の市民防空壕を2発のミサイルで攻撃。非戦闘員約1500人が犠牲となっています。ここは数週間にわたって上空偵察が行われていて、施設が非戦闘員によって利用されていることは確認できていました。(ラムゼー・クラーク「ラムゼー・クラークの湾岸戦争―いま戦争はこうして作られる」地湧社 1994)

 湾岸戦争時、米軍は1月18日に、ミサーンのアルアマーラ幼稚園を爆撃。同20日、バスラのパレスチナ小学校、同22日、ニネヴェのアルタヒーラ小学校、同23日、ティカールのアルダホフ小学校・・・というように、小中学校や幼稚園への「ピンポイント爆撃」は、明らかになっているだけで9回に及びます。このほか、大学や国際会議場、繊維工場など民需施設も次々と標的になりました。(本多勝一「非常事態のイラクを行く」朝日新聞社 2002)

 米政府は絶対に認めませんが、日本やベトナムで行ったのと同様の無差別攻撃がイラクでも行われたのは、疑いようのない事実です。

イラクでの民間人の犠牲は「不可抗力」などでは断じてありません。91年の湾岸戦争でも、去年のイラク戦争でも、ハイテク兵器を用いて、精密に、計画的に、民間人の殺傷が行われていることは、多くの証拠が示しています。


アメリカは今、このイラクが再び立ち上がり、「アメリカの中東支配の憲兵」イスラエルを脅かす科学技術国家に返り咲くことを恐れて、悪の枢軸の筆頭ととして、イラク現政権を転覆しようとさかんに公言し始めている。もちろん、サウジアラビアに次いで豊富なイラクの石油資源(世界の埋蔵量の一一・六%)の支配がその目標であることは言うまでもない。

 この原稿を書いている六月十七日の朝日朝刊に「米大統領、フセイン大統領暗殺容認」の記事が出ていた。声高にテロ撲滅を叫び、テロ支援国とかってに決めた国々を核攻撃で脅している本人が他国の指導者の暗殺を命じている。まるでブラックジョークであるが、そんな大統領に忠誠を誓い、共同軍事行動に踏み込もうという首相がいるなら、その顔を見たいものだ。

 筆者の考えでは、アメリカはフセイン大統領を亡き者にしようと焦っていることは間違いないが、アメリカに楯突くイラク国民をジェノサイドしてしまおうと目論んでいることもまた事実である。

今、週刊『金曜日』に本多勝一氏が連載で書いているように、あの湾岸戦争で、アメリカは、電力や貯水場などの生活に重要なインフラの破壊に重点におき、非戦闘員、とりわけ、女性や子供を標的にした学校、病院、シェルターなどをピンポイント爆撃したのも、地球の寿命ほど長く放射能の被害をもたらす劣化ウラン弾を投下したのも、そうしたフセイン大統領と一体となってアメリカに反抗するイラク国民自体の絶滅を目指してためであろう。

第二次大戦中の沖縄戦や、東京大空襲はじめ日本本土の焦土化作戦、広島、長崎への原爆の投下もさらに、ベトナム戦争、アフガン空爆その他の第三世界への干渉戦争は、兵器産業や巨大石油資本の営業部のブッシュ政権が受け継いでいる伝統的覇権主義の発露であろう。

http://www.kokuminrengo.net/2002/200207-inter-ab.htm

湾岸戦争が終わって10年、今またイラクへの米英軍の攻撃が繰り返されるなか、当時米英軍が使った劣化ウラン弾によりイラクの子どもたちの健康に異変が起こっている。
 湾岸戦争後、白血病、ガン、奇形などが多発しイラクの病院は子どもたちであふれかえっている。

急増する子どもたちの白血病に対応するため1993年にはバクダッドの2つの小児病院に白血病専門病棟ができた。
 その一つのマンスール病院を訪ねた。’98年5月に訪問した時に撮った入院患者の写真を持っていくと「この子も、この子も亡くなった」と医師たちは平然と言う。死が日常化している。この病院では「毎日4~6人の子どもが亡くなって行きます。湾岸戦争前の10倍です。白血病患者は10倍になっています。白血病になれば殆どの子どもが死んでしまう。
 こうした異変の原因が「湾岸戦争当時代使われた劣化ウラン弾によるものだ」と医師の誰もが言う。


ファアアの大きく膨れた、お腹に針を刺すと苦痛に耐えかねた少女の悲鳴が廊下に響きわたった。
(バクダッド・マンスール病院小児科白血病専門病棟)


兄から弟に、その友人に受け継がれた教科書はボロボロになり、ビニールのカバーが着けられていた。経済制裁の影響は学校教育に大きなダメージを与えている。(バスラの小学校)

http://www.morizumi-pj.com/iraq/iraq1/iraq.html

住民虐殺とクラスター爆弾の村  クルジア村
 
 「バリ、バリ、バリ、バリ、バババババババーン」アリ・フセイン・ムハンマッド(6)くんは母親と一緒に畦道の用水路に倒れ込んだ。顔面に何か熱いものを感じた。しかし、何が起こったのかわからなかった。手をつないでいた母親も腰を撃たれ動けなくなっていた。彼の記憶ではついさっき、自宅から西に向かって叔父、叔母、母親、いとこ、など近所の親戚と一緒に、総勢20人が一列になって畦道を逃げていたのだ。

 アリは暗闇の迫る用水路の中で次第に記憶も遠ざかっていった。気づくとあたりは真っ暗になっていた。 近くでうめき声が聞こえていた。ショックで何が起こったのかわからず、痛みを感じたか感じなかったのかさえ覚えていない。 翌日までその場でじっと隠れていた。「米軍ヘリはヤシの木をかすめるように飛んできた。米兵には女、子ども、年寄りだとすぐにわかったはずだ。なのに銃撃した。翌日明るくなるまで、誰も助けに行けなかった。付近には米軍がいるので、近づくことが出来なかった。奴らは動くものは何でも撃ってきたから」とヤシの林に隠れて事件を見守っていた住民は怒りを露わにした。


この村に展開していたイラク軍に対して米軍は多連想ロケット砲で発射するクラスター爆弾を大量に使った。いまだにクラスター爆弾の子爆弾が不発弾としてたくさん残っており、畑仕事中に爆発して犠牲者がでている。不発弾の大量に残っている畑に連れていってもらった。ヤシの林もクラスター爆弾があたって所々葉がへし折れている。案内してくれたヤシッルさん(19)はクラスター爆弾の危険を知らず拾い投げ、落ちたところで爆発し大けがをした。今も、破片が体に残っている。

 畑の畦道の草むらの中に直径4,5センチの灰色の円筒形の金属製筒が見つかった。先端には白いプラスティック製のリボンがついている。
 4月にバグダッドの住宅地で私が見たものとは一回り小さい。一度見つけると次々と見つかる。畑の中には半分埋まってしまったり、プラスティック製のリボンだけ地表にでているもの、土の中に埋まってしまっているものもある。

 米軍は戦争が終わってしばらくしてからこの村にやってきてクラスタ-爆弾の調査をした。しかし、不発弾の落ちている畑をビニールテープで囲い意味不明な張り紙をして帰ってしまった。その後何もしてくれない。

 住民たちは危険を承知で畑や住宅地に落ちているクラスター爆弾の子爆弾を拾い集めた。しかし、今も爆発による被害は続いている。たくさん落ちてる畑は耕作放棄せざるを得ないと嘆いていた
http://www.morizumi-pj.com/iraq/iraq5/07/iraq5-07.html


アメリカは、劣化ウランの人体毒性を知りぬいていた

1 1943年に、マンハッタン計画に携わっていたグローブス将軍に、3人の物理学者が、劣化ウランの特性をもとに、「知られずにこと撒くことができ、かつ防毒マスクでも防げない」劣化ウランを有用な兵器として用いるよう進言している。

2 1993年8月に米国エリックシンセキ将軍が作成した書面に、国防副長官が陸軍に対し、劣化ウラン弾の危険性・劣化ウラン兵器を扱う兵士への注意やケア・汚染された兵器のクリーンアップを指示したと明確に記載されている。

3 1994-5年に、国防総省劣化ウランプロジェクトの責任者であったダグ・ロッキー教授は、2と同じ目的のためにそのプロジェクトが結成されたが、「米兵への危険性を除去できないが故に2度と劣化ウランを使うな」との勧告を出し、劣化ウラン弾が爆発したときの危険性を知らせるビデオを造って提出したところ、無視されプロジェクトを解散させられたと証言している。

4 これまで、アメリカ政府は、公式には劣化ウラン弾の危険性を否定しているが、その陰でアメリカとイギリスの海軍はすでに劣化ウラン弾の使用を中止したという。


5 EU議会の付託によってつくられた第一線の科学者30名によるECRR(ヨーロッパ放射線リスク検討委員会)が、7年間の調査のうえ2003年1月に、長期・慢性的な内部被曝がもたらす影響の評価に、原爆のような短時間での急性の外部被曝の影響から機械的に推論する従来の方法論の欠陥を指摘し、1945年から89年までに核実験や原子力利用と事故がもたらした放射能汚染によって6500万人が死亡しているとし、低量放射能の人体への汚染の危険性が極めて高いことを明らかにした。続いて世界20カ国から200名が参加した2003年10月のハンブルグ国際会議において科学者が一致して出した声明では

「ウラン酸化物の微粒子による被爆がもたらす健康障害については動かし難い証拠が存在している」として、イラクなどでの被害実態が述べられている。

すなわち、従来は低レベル放射能が、人体への貫通力がないことを理由として一般にはその危険性が否定されてきたが、超微粒子の低レベル放射能がひとたび人体に入った際の体内での放射能リスクの高さはいまや、科学者の間で常識となっていると言える。

これは、茨城県のHPでも「α線を出す物質が体内に入りますと体内組織に大きな影響を与えるため危険度が大きくなります」と言っていることからも分かる。低量放射能の危険性を低く見ている2001年4月WHO報告は、現地調査をせずに出されているもので、現在では通用しない。

5 以上の通り、アメリカは(湾岸戦争時もそうであるが、)どんなに少なく見ても、アフガン・イラク戦争時は確実に人体毒性を知り抜いたうえで劣化ウランを使用した。

劣化ウランは違法な大量破壊兵器

アメリカは、広島・長崎―ベトナム枯葉剤に続き、三度、人体毒性を知りつつ、劣化ウラン弾=違法な大量破壊兵器を大量に使用した。03年12月のベトナムツアーで思わず「アメリカは人類の敵だ」と参加者が叫んだこともよく分かる。日本政府は、ベトナム戦争でも湾岸戦争・イラク戦争でも全面的にそのアメリカに隷従している。
http://www1.ocn.ne.jp/~mourima/uran.html
4:777 :

2022/05/31 (Tue) 01:13:12

湾岸危機を起こしたのはイラクだが、湾岸戦争を起こしたのはアメリカだということをぜひ憶えておいてもらいたい。その当時バグダットのアメリカ女性大使がサダム フセインに取り入り、「アメリカはイラクのあらゆる行動に関心を持たないだろう。」と告げたことが゛、すべての引き金だったのである。それまでアメリカはイラクに膨大な軍事兵器を輸出しており、宿敵イランに対峙させてきた。そのアメリカがフセインの行動に無関心を装うというお墨付きを与えた以上、「イラン・イラク戦争 1980~88年」で抱えた膨大な借金を、豊かなクウェートを手に入れれば帳消しにできると考えるまで、時間はかからなかった。実は前々からそれを考えていたからこそアメリカはフセインに対し、クウェートへの侵略をやりやすくしたのが真相である。
 以前からイラクとクウェートは国境線の問題でもめていた。クウェート自体民主主義国家ではなく、王族がほとんどすべての富を支配する独裁国家である。アメリカが過敏に反応する民主主義国家圏への進攻ではない以上、アメリカ大使の言葉どおり、大目に見てくれるだろうと踏んだフセインは、自国の誇る陸軍の精鋭部隊をクウェート国境へと移動させたのである。1990年8月2日、湾岸危機が発生したが、アメリカのフセインに対する態度は豹変し、イラクを「世界の悪者」扱いにした上、フセインとの対話はあり得ないとまでつっぱねたのである。

 これで、フセインには自分とイラクを世界の恥さらし者にして軍を引くか、戦争を起こすかの二つの選択しかなくなってしまった。イラクは面子の上で戦争に踏み切るしかないと読んだ「シークレット・ガバメント」は、罠にかかったフセインに対し、ほくそえんだに違いない。この戦争で、「シークレット・ガバメント」は膨大な兵器収入を確保できるばかりか、戦争終結後の湾岸諸国に巻き起こる兵器購入の注文を手中にしたも同然だった。また、日本を含む自由諸国から膨大な援助金を取りたてて、産軍複合体の収益にまわすことができる。

 ここで言う軍産複合体とは、石油、報道、証券、通信、警察、NASA、FBI、CIA、NSAなどアメリカにおけるトップクラスの企業及び団体等のことであり、これらのほとんどが「シークレット・ガバメント」に関係している。特にNASAは表向き「アメリカ航空宇宙局」などと称しているが、「アメリカ軍航空宇宙局」の間違いである。他国の宇宙飛行士を乗せて表向き良いイメージをアピールしているが、そのなかでやっている実験などNASAがとっくに実験済みなのが現状である。それが、イラクに許された年間30万バーレルもの石油収入から、戦争賠償金を国連に支払わせ、そのほとんどを戦争によって荒稼ぎしたアメリカが、受け取っている。しかも禁輸解除停止案が廃案になっても、アメリカは損をしないしくみにもなっている。実にアメリカに都合のいい戦争だ。目下アメリカは、1998年頃を目標に再び湾岸で大戦争を起こす根回しを行っている最中である。

 これを作成している1998年2月、毎日のように関連のニュースがテレビでながれている。しかし「シークレット・ガバメント」は、禁輸措置で苦しむイラクの民間人を何とか救いたいという、善良な人々や運動、ボランティアの人たちの博愛的な行動でさえ平気で踏みにじってしまう。それすらも戦略として組み込んでいる。今アメリカはイラクに対して圧力をかけているが、今回大戦争を引き起こさせる国はイラクではない。おかしいと思われることだが、イラクは餌なのだ。その餌でなにを釣るのかというと、イスラムの雄といわれるペルシア、すなわちイランである。日本ではあまり話題にのぼらないが、アメリカによる全面禁輸措置の影響でインフレにもかかわらず着々と軍備を整えている。

http://elbaal.hp.infoseek.co.jp/naw-necro.htm

サダム・フセイン元大統領、イラク国民に「共存」の道促す
2006年12月28日 09:45更新

イラク元大統領サダム・フセイン被告は、イラク国民らに同じ兄弟同士として共存の道を摸索し、米軍などのイラク駐在多国籍軍に対しても、憎しみをもたないように促した。このメッセージは27日、インターネットサイトに掲載された。

元イラク大統領サダム・フセイン被告がバグダッドでの裁判中答弁している。2006年1月29日(AP通信)。
イラク最高裁判所はその前日26日にサダム・フセイン元大統領の死刑判決を支持し、30日以内に絞首刑を執行すると宣言した。

 サダム・フセイン元大統領の弁護人Issam Ghazzawi氏はヨルダンでのAP通信の取材に対し、インターネットサイトに27日掲載されたフセイン被告の声明は正真正銘の本人が綴ったものであると述べた。このメッセージは11月5日にイラク法廷にて、フセイン元大統領が1982年に148人のシーア派イスラム教徒を殺害を命令した件で死刑判決を言い渡された際に綴られたものであるという。

 フセイン元大統領は、メッセージの中で、イラク国民らに対し、憎しみの感情を捨てるように促し、

「憎しみは人の冷静さを失わせ、人を盲目にし、あらゆる選択肢を考慮する道を閉ざさせる。イラクを攻撃した他国民に対しても憎しみを持たないようにしてほしい」

と述べた。スンニ派とシーア派イスラム教徒との間で長らく生じている紛争に対しても、

「神があなたがたに愛と許し、共存の模範を示す能力を与えていることを忘れないように」

と共存の道を摸索するように促した。また自身がイラクのために命を捧げるとし、

「ここに、私は我が魂を神にささげる。もし神が望むならば、神は我が魂を殉教者の魂と共に天に導くであろう」

と述べた。

イラクでフセイン番組が開始- 2009.12.08 11:00

コメント(11) 先月27日は、イスラム教の宗教的祝日である犠牲祭(イード・アル・アドハー)の今年の初日にあたった。その日、イスラム圏では「サダム・フセイン」テレビチャンネルが放送開始されたという。

イラクのサダム・フセイン元大統領は06年に死刑判決を受け、そのわずか4日後に死刑が執行された。死刑執行日がその年の犠牲祭初日と重なったことで、当時は死刑自体への非難とともに、イラク国民やフセイン支持者の感情を逆なでしかねない執行日選びに世界中から疑問の声が上がっていた。それから約3年、今年の犠牲祭初日を迎えたイラクのテレビにフセイン氏が再び登場した。

「サダム・フセイン」チャンネルのトップと名乗るモハメド・ジャブーア氏はアメリカAP通信に対してこう語ったという。「フセイン氏が率いていたバース党からの資金援助は一切受けていない。チャンネルの視聴対象はフセイン氏統治時代を懐かしむアラブ諸国の人々だ」。しかし、チャンネルの資金源や発信地については固く口を閉ざしたそうだ。


22 + 2:国連な成しさん[age] /06/16 04:03 ID:???
フセイン拘束半年、裁判開始見通し立たず (部分)

 旧イラク情報機関幹部は「治安が絶望的に悪化する中で、フセイン復帰待望論が
高まっている。公開すれば、各地の支持者が暴動を起こすことは確実」と話す。
また、フセイン政権の支配政党バース党の元幹部は「フセインは米国や周辺国に
関する機密事項を多く知っており、米国なども結局、公開には反対するはず」と語る。
 今回のアラウィ首相の発言は、赤十字国際委員会が、フセインの訴追や釈放など
法的地位の明確化を求めた直後に出された。このバース党元幹部は「暫定政権が
主権移譲をアピールしようとしたのだろう。本音では裁判を先延ばししたいはず」と見る。
(読売新聞)[6月15日23時26分更新]

26:国連な成しさん[age] /06/20 00:46 ID:???
>>22
やっぱりあるんだ。フセイン待望論。
ネタじゃなくて。


27:国連な成しさん[age] /06/20 11:42 ID:???
フセイン政権時代に比べて、イラク人の生活は悪くなる一方だからな。
フセイン政権時代を懐かしむ奴が増えるのは当然。


28:国連な成しさん[age] /06/21 02:35 ID:???
戦争していないときは、平和だったもんな、イラク。
よくあれだけの国を治めていたもんだよ。
フセインとバース党は。
5:777 :

2022/05/31 (Tue) 01:13:47

【4月8日 AFP】イラクでフセイン(Saddam Hussein)政権が崩壊した2003年4月9日から、まもなく丸5年が経過する。元大統領を支持するスンニ派の人々は、その最後の演説を今でも鮮明に覚えているという。
 演説は、政権崩壊直前にバグダッド(Baghdad)のスンニ派地区アダミヤ(Adhamiyah)にあるアブハニファ(Abu Hanifa)モスクの前で行われた。フセイン元大統領がピックアップトラックに乗って現れたとき、モスクではちょうど正午の礼拝が行われていた。「大統領が外にいるぞ」と誰かが叫び、皆が一斉に外に出た。

 200人の群衆を前に元大統領は「約束しよう、米国を打ち負かしたあとには輝かしい未来が待っている」と力強く演説した。そばには、次男クサイ(Qusay Hussein)氏、ボディガード1人、そしてスルタン・ハシム(Sultan Hashim al-Tai)元国防相が立っていた。クサイ氏は2003年7月、米軍に殺害された。ハシム元国防相は、1988年のクルド人大虐殺を指揮したとして死刑判決を受けている。

「あの演説は今でも映画のワンシーンのように思い出せる。サダムはわたしの血の中に生きている」と、元教師のアブ・リマ(Abu Rima)さん(65)は喉を詰まらせながら語った。「サダムを見たのは初めてではなかったが、わたしは彼のもとへ駆け寄り、握手を求め、胸や肩にキスをした。そばにいた女性に『お疲れのようですわ』と話しかけられたサダムは、『わたしは疲れを知らない人間だ。神のご加護によりイラクは勝利する』と答えた」

 別の男性は、「サダムはやつれていたが、カリスマ性は失っていなかった。あの演説には大いに興奮させられた。米国を負かしてやる!と祝砲を撃ちたくなったほどだ」と語った。

 この演説の数時間後、米軍戦車がモスク前の広場になだれ込んで元大統領の銅像を倒し、その頭部を群衆が踏みつけた。フセイン政権崩壊のシンボルとなった1シーンだ。

■サダムは今でも「英雄」

 先のアブ・リマさんは、フセイン元大統領は米国人に殺害された「殉教者」だと断言する。「米国が悪の同盟国どもと手を組まず、単独で攻撃を仕掛けてきたら、われわれが勝っただろう。米国に引き換え、サダムの勇気といったらなかった! 何しろ、米軍のヘリがサダムをとらえようと頭上を飛んでいる最中に演説を行ったんだ」

 元大統領が逃走する様子を目撃した人もいる。それによると、最後の演説を行った2003年4月9日の夜はアダミヤのモスクに潜伏。翌10日の朝6時に、アラブの民族服姿でボートに乗ってチグリス川(Tigris river)対岸のカジミヤ(Kadhimiyah)地区に渡り、行方をくらました。

 そして8か月後の同年12月13日、故郷ティクリート(Tikrit)近郊で身柄を拘束され、2006年12月30日、人道に対する罪で処刑された。

■「サダム時代は平和だった」

「昔のほうがよかった」というのが、アダミヤ地区の住民の口癖だ。「サダム時代には宗派間抗争などなかった。今ではシーア派武装組織と国際テロ組織アルカイダ(Al-Qaeda)から身を守るため、若者までが銃を持ち歩かねばならなくなった」

 同地区では現在、数百人規模のスンニ派元武装集団が米軍の支援も受け、自警団を組織している。

「この地区は最後まで米軍の支配を許さなかった場所。戦いは終わっていない。いつかはわれわれが勝つ」とアブ・リマさんは語った。(c)AFP/Jay Deshmukh
http://www.afpbb.com/article/war-unrest/2375119/2804508


AFP通信によると、26日に死刑判決が確定したイラク元大統領サダム・フセイン(69)は27日、獄中からイラク国民あてに、

「神が望むなら、私は真の殉教者に列せられることになろう」

との声明を発表した。

死刑を受け入れる用意ができていることを示したものだ。判決は年明けにも執行される見通しが強いことから、フセインの事実上の遺書となる可能性がある。

フセインは声明で、激化する宗派抗争などに言及、

「イラクの敵、侵略者、そしてペルシャ人が、あなたたちに憎悪のくさびを打ち込んだもの」

と断じ、米国やイランを激しく非難。その上で、

「信仰深き国民よ、私は別れを告げる。私の魂は神のもとへ向かう」

と述べ、最後は

「イラク万歳。イラク万歳。パレスチナ万歳。聖戦に万歳。神は偉大なり」

と結んだ。
http://blog.livedoor.jp/onisoku/archives/51377317.html

イスラム教シーア派住民148人を虐殺した「人道に対する罪」で死刑が執行されたわけだが、はたしてそれが良かったのか?

フセイン政権下では、教育と医療は無料。中東諸国のなかで進学率も高く、暮らしは豊かだった。閣僚にキリスト教信者を据えるなど、他のイスラム諸国よりもある意味政教分離が進んでいたのだ。

自由があるが、貧しく、死と隣り合わせの生活と、自由がないが豊かな生活。究極の選択だと思う。

「神は偉大なり。この国家は勝利するだろう。パレスチナはアラブのものだ」

彼の最後の言葉だ。
http://anarchist.seesaa.net/article/30632764.html


永遠の生を手に入れたサダム・フセイン 06年12月30日

レルネット主幹 三宅善信


▼明白な『ジュネーブ条約』違反

  2006年12月30日は、私にとって忘れられない日になってしまった。イラク共和国の前大統領サダム・フセイン(Saddam Hussein)氏が、マリキ政権が行ったでっち上げ裁判による不当判決の僅か四日後に処刑されてしまった。あまりの性急な展開に、ブッシュ政権は「イラク政府独自の判断だった」と責任回避の言い訳をしたが、一週間後に始まる合衆国の連邦議会を前に、イラク戦争で「良いところなし」のブッシュ政権を支援(貸しを作る)するためのマリキ政権のサービスであると言われてもいたしかたあるまい。「現場の宗教家」として、死ぬほど忙しい年末年始の時期ではあるが、いくら忙しくともまだ死んでいない私は、殺されたフセイン氏へのレクイエムの意味も込めて、ここは一筆啓上せざるを得ないだろう。


フセイン最期の日
今から三年前の2003年12月14日、バグダッド陥落後、国内を逃亡中のフセイン大統領を捕縛した(公表した)後、アメリカ政府はフセイン氏を「戦争捕虜である」という名目で、イラク国内某所の米軍基地内へと囲い込んだ。しかも、アメリカを中心とする「有志連合」(註:この戦争は、国連安保理のお墨付きを得ていない「私闘」である)と、イラク政府との間で、戦争の国際法的終結を意味する「講和条約」が結ばれていないということは、法的にはまだ「戦争状態」であるということである。それ故、米兵たちがイラク国内を勝手に彷徨(うろつ)き回って、捜査令状もなしにイラクの一般市民を逮捕したり、刃向かう者を射殺したりできるのである。まさに「戦時」だから通る理屈で、「平時」なら立派な犯罪行為だし、そもそもこのような案件は「警察マター」で、軍隊の出る幕ではない。

であるとしたら、フセイン氏に対して「死刑判決」を出しているマリキ政権に対して、自らが「保護(註:逮捕拘束という行為は、ある意味では捕虜・被告が私的な復讐の対象とならないように、公権力によって保護されている状態とも言える)」していたはずのフセイン氏を差し出す行為は、みすみす生命が脅かされることが明白な相手に「戦争捕虜」を差し出すことであり、戦時の捕虜の取り扱い方法を規定した『ジュネーブ条約』の精神に反している。仮に、戦勝国たるアメリカ軍がフセイン氏を「戦犯」という形で裁いて「死刑」判決を出した場合でも、『ジュネーブ条約』第101条にあるように、判決後6カ月以内は「執行」してはいけないことになっている。

にもかかわらず、21世紀入ってからブッシュ政権が行った2度の戦争はいずれも、捕虜の取り扱い方法については、キューバのグアンタナモ米軍基地内に裁判を受けることを許されずに数年間留置されて(当然、ジュネーブ条約の「違反行為」も行われている)いるアフガン戦争の捕虜や、イラクのアブグレイブ捕虜収容所(元刑務所)内での米軍関係者によるイラク人捕虜への拷問や虐待が問題視されているように、とてもとても「圧政国家の虐げられた人民を解放する」という表向きの大義名分とは別の原理で行われていることは明白である。私は、これまでにも、ブッシュ政権による2003年の3月イラク侵略戦争開戦以来、数多くの作品を発表して、問題提起を行ってきたが、ここではそれらの紹介だけに留めて、本日の結論を急ぐが、時間に余裕のある人は今一度読み直ししていただければ幸いである。

03年03月03日発表『桃太郎バグダッドへ征く』
03年03月23日発表『これがアメリカの常套手段だ』
03年04月04日発表『キムとサダムの神隠し』
03年03月03日発表『自由の代償としての文化破壊は許されるか』
03年11月24日発表『イラク派遣を前にシベリア出兵を検証せよ』
04年04月09日発表『アラブ百年の信頼をフイにしてはならない』
04年04月28日発表『フセインは偉大なり』
06年11月28日発表『イラク戦争解決の鍵はイスラエルにあり』

▼「都合の悪い過去」を葬りたいだけ


弁舌爽やかなサダム・フセイン“被告”
  今回の「死刑執行」に対しては、今後も各方面から多くの批判が巻き起こるだろうが、この報せを耳にして真っ先に思ったことは、「勝者が敗者を裁く」という60年前の「極東軍事裁判(東京裁判)」の図式から何らの進歩が見られないことが情けなかった。見方によっては、形だけでも各国から判事が審理に参加した東京裁判よりもさらに前近代的な「魔女裁判」並みの法廷劇であった。「この裁判を認めない」というフセイン氏の陳述が示すとおり、2005年10月19日に開始されたバグダッドでの特別法廷は、始めからフセイン氏を「罪人」に仕立て上げるために設定された実にお粗末なものであったが、その圧倒的に不利な状況下においてもフセイン氏は実に果敢に戦って、もし、裁判の中身が一言一句編集されずそのままテレビ中継されていたら、教養のある多くの人からは「フセイン勝利(=無罪)」と推定するに足りうる中身であったであろう。さすが長年一国を率いてきた指導者だと思った。

  それに引き替え、マリキ政権側が用意した判事たちは、いかにも狡猾そうな顔をした男たちであった。検事には大量の文書資料を持ち込むことを認めながら、法定内でメモを取る紙すら持つことが許されなかったフセイン氏は、手のひらをメモ代わりにして、相手の重要な科白を記録に留めるというパフォーマンスまでやってのけた。第一、独裁者として権力を恣(ほしいまま)にしていた頃と比べて、フセイン氏の顔は柔和かつ聡明な「ええ顔」に急激に変化していった。それと引き替え、ラムズフェルド前国防長官やブッシュ大統領、あるいはマリキ首相の顔は、いかにも品のない「悪人顔」である。


四面楚歌でもこの笑顔

フセイン氏を「人道に対する罪」を犯した犯罪人として裁くには、なんといっても、イラン・イラク戦争末期の1988年に、自国民であるクルド人を大量虐殺したこと(註:イランとの戦時下におけるフセイン政権への抵抗活動が、「利敵行為」と見なされて、クルド人数千人が化学兵器によって虐殺されたとされる事件)に対して裁くべきであろう。ところが、実は、イラン・イラク戦争中は「イラン憎し」で凝り固まるアメリカのレーガン政権が、フセイン政権に対して総額297億ドル(三千数百億円以上)にもおよぶ巨額の武器援助を行い、いわゆる「クルド人虐殺事件」に対しても、レーガン政権はこれを黙認した。

また、1983年12月19日には、レーガン大統領の特使としてドナルド・ラムズフェルド(ブッシュ政権の国防長官)がバグダッドを訪問して、フセイン大統領と90分間にもおよぶ「友好的な会談」を行なう。などと言ったアメリカにとっても「都合の悪い過去」の問題が白日の下に曝されることになり、それを恐れたブッシュ政権は、フセイン統治下のすべての悪業を処断することよりも、アメリカにとって関係のない「小さな事件」でフセイン氏を葬り去って、同時に、自らの「都合の悪い過去」も歴史の闇に葬ろうとした。

  もちろん、フセイン政権がイランやクエートに対して行った戦争は、犠牲者の数こそ多かった(註:対イラン戦争のイラク人犠牲者は30万人とも言われる)かも知れないが、これはことの善悪は別として、「主権国家対主権国家」間の“正統な戦争”であり、このことを裁いたら、アメリカをはじめ世界中のどの国も今後、「国権の発動」たる戦争ができなくなってしまうので、口をつぐむのは当然である。そこで、「フセインの悪政」の中では比較的“微罪”な、しかも、どの外国にも迷惑がかからない1982年にイラク中部のドゥジャイル村で起きたシーア派住民148人を殺害したとされる事件が俎上に乗せられた。

この事件は、ドゥジャイル村で起きたフセイン大統領の暗殺未遂事件への報復(註:アジアの伝統的社会では、支配者に楯突く「お尋ね者」と「義賊」と見なして、村挙げて匿うということはままある。だから、いつまで経ってもビン・ラディンも捕まらないのである)として、多くの村人が殺されたとされる事件である。しかし、本件に関する裁判では、公判期間中にもかかわらず、アブドルラフマン裁判長が「殺人者サダムは…」(本来なら「被告人サダムは…」と言うべき)と思わず口走ってしまったように、はじめから、フセイン氏を犯罪者に仕立て上げ、スケープゴート(生贄の山羊)しようと仕組まれた見え見えの三文芝居で、仮にも国民から選挙で選ばれた国家元首だった人物が屠られたのである。本件は、まさに「21世紀の人類史の汚点」として将来振り返られることになるであろう。


▼サダム・フセインは二度死ぬ

  実は、フセイン氏は、生涯に二度「死刑判決」を受けている。今回は、本当に執行されてしまったが、バース党(註:汎アラブの民族社会主義を標榜する世俗主義政党。シリアやイラクで長年政権を握る。イスラム原理主義とは激しく対立する)がイラクで政権を奪取するプロセスにおいて、一度「死刑判決」を受けている。エジプトのナセル革命に触発されて1957年にバース党に入党したフセイン氏は、1958年に王制(註:英国の傀儡と言われたハーシム王家=ヨルダンの王室と同流)を打倒して共和制を施行した軍人出身のアブドル・カセム政権の転覆を狙ったが失敗(1959年)。一度目の「死刑判決」を受けたが、なんとかエジプトに逃れることができた。この頃のフセイン氏の人生は、日本を舞台にあの丹波哲郎も出演した『007は二度死ぬ(007 You Only Live Twice)』ばりの活劇であったと言えよう。自国での難を逃れるためにエジプトへ一時退避して体勢を立て直すというストーリーは、あの預言者アブラハムやイエスと同じ構図である。よくよく考えてみれば、羊飼いの家に生まれたフセイン氏は、この世に生をうけた時には既に父親は他界していたし、ユダヤ・キリスト・イスラム教的世界においては、後々大化けする「劇的要因」はあったのかもしれない。

  若き日のフセイン氏は、ナセル治下のエジプトでは大いに触発されたことであろう。20世紀の前半の中東地域というのは、欧米列強の力を借りて数百年続いたオスマン帝国のくびきから解放されて各国が国民国家を樹立した時代であったが、それは同時に、欧米列強の搾取を受けることになる傀儡政権(ほとんどは王制)下での民族自決ということを意味した。これらの状況を最初に打破していった(註:スエズ運河の国有化を狙って英仏と戦った)のがナセル大統領であり、この時期、ナショナリズムの高揚したエジプトにおいて、フセイン氏は欧米列強とも対抗しうる汎アラブ民族主義思想を吸収していったに違いない。

  フセイン氏は、エジプトでの数年の滞在の後、1963年に故国イラクへと帰還した。しかし、その後も順調に権力の頂点に上り詰めて行ったのではない。ちょうど東京でアジアで初めてのオリンピックが開催されていた1964年10月に逮捕され、二年間の獄中生活の後、脱獄。1968年のバース党によるクーデターに参画し、国権の最高機関となった革命指導評議会(RCC)の副議長に就任した。その後、アフマド・アルバクル大統領の下で実力を身につけ、1973年には国軍最高司令官に就任。膨大な富をもたらす石油事業の国有化を断行。イラクナショナリズムの高揚と共に、国民から圧倒的な支持を集めた。そして、1979年、アルバクル大統領の引退を受けて、遂にイラク共和国大統領・RCC議長・バース党総裁職を三位一体で兼任するイラクの最高指導者の地位に就いたのである。

  確かに、フセイン氏は「独裁者」であったが、これは何も彼独自の「悪逆的な資質」から来たのではなく、この地域の政治的指導者は皆、程度の差はあれ「独裁者」であった(註:エジプトのナセル大統領とその後継者ムバラク大統領、リビアのカダフィ大佐、シリアのアサド大統領父子、サウジアラビアのサウド家の歴代国王、イランのパーレビ皇帝等)。というか、そうでなければ「治まらない」この地域の歴史的社会的事情によるものである。それどころか、欧米先進国と比べて“遅れた”地域である中東において、イスラム教を政治から切り離すという「世俗化」政策を推進することにより、女子教育の推進や女性の社会的権利確立に尽力した功績によって、ユニセフから表彰されているくらいである。


▼中東で最も欧米型に近かったフセイン政権

  しかも、イラク国民を、ユダヤ教やイスラム教の成立より遥か以前から栄えていた古代メソポタミア文明を継承した「世界に冠たる民族」として鼓舞し、ハンムラビ王(在位BC1792~BC1750年:都市国家バビロンの王家に生まれ、強国のシュメールやアッカドを破り、メソポタミアを統一し、バビロニア王国の建国者となった。人類最古の成文法である『ハンムラビ法典』の制定者として有名)や、ネブカドネザル2世(在位BC605~BC562年:新バビロニア王国第二代国王。アッシリア帝国やエジプトを破り、中東の覇者となる。BC597年にユダヤ王国を滅ぼし、国王はじめ遺臣たちを首都バビロンへ連れ去ったことは「バビロン捕囚」として歴史に名を留める)と並ぶ民族の英雄としてフセイン氏を特別の存在としていった。事実、共和国防衛隊(註:装備や志気の劣る徴兵制の国軍とは別に組織されたバース党員やフセイン氏と同郷のティクリート出身者からなる志願制のイラク最強部隊)には、イスラム教国には珍しく「ハンムラビ師団」(機械化歩兵師団)や「ネブカドネザル師団」(自動車化歩兵師団)といった「異教徒」風のネーミングがされていた。

  われわれ日本人も含めて、「政教分離」の原則が当然のこととなっているフランス革命に始まる西欧型近代国家(註:西欧型国家でも中世以前は政教一致型が一般的であった)に暮らす人々にとって、むしろ「政教一致」が当然のこととなっているイスラム型近代国家のあり方を理解することは容易ではない。もちろん、政教一致の中世期においては、西欧社会と比べてアラブ世界のほうが遥かに科学文明も社会制度も発達していたが、産業革命を経て近代国民国家が成立するプロセスにおいて、西欧(その延長であるアメリカも)社会は、キリスト教会の世俗権力への介入を排することによって政教分離の原則を確立し、その後の飛躍的な社会発展を遂げた。一方、中東のアラブ社会においては、政教分離の原則を確立できなかったばかりに、中世期のアドバンテージを一挙に失い、欧米列強の「草刈り場」と成り下がってしまったことは逃れようもない文明史的な事実である。

  オスマン帝国崩壊後のトルコは、政教分離を国是に据え、EU加盟(欧州の一部になること)を国家目標として長年取り組んできて、一定の成果を挙げている。同様に、社会を欧米化させることによって近代化を図ったイランは、隣国イラクでフセイン氏が大統領に就任した同じ1979年に、パーレビ皇帝を追放し、ホメイニ師率いるシーア派イスラム革命を実施し、イスラム原理主義国家の道を選んだ。もちろん、メッカとメディアのイスラム教二大聖地(あとの一箇所はエルサレム)の守護者を自認する独裁国家サウジアラビアの国境は、スンニ派の原理主義であるワッハビズムであり、その同じ流れの中にビン・ラディン氏がいる。

  スンニ派・シーア派を問わず、これらの政教一致の原理主義国家は、おそらくこれから50年はもたないであろう。世界において、影響力を与えることができる「しかるべき存在」として生き残るためには、ことの善し悪しは別として、いったんは、政教分離を制度保証した近代国民国家の段階を経ることなしにはあり得ないであろう。そして、フセイン大統領率いるイラク共和国は、四半世紀にわたってこのことを成し遂げようとした、中東地域では希有の存在であった。フセイン氏を処刑してしまった今日、国民国家としての求心力はなくなり、ムクタダ・サドル師率いるシーア派(マリキ首相もシーア派)とフセイン時代に権力の中枢にいたスンニ派との間において、際限ない闘争(完全に「内戦」化してしまっている)が続けられるであろう。もちろん、この結果は、当初ブッシュ政権がイラクにもたらそうとした「民主主義体制」でないことは言うまでもない。


▼殉教者フセイン

しかし、このように書いてくると、読者の皆さんの中には、「(日本の多くの政治家のように)フセイン氏は無信仰な人間であった」と勘違いする向きがあるかもしないが、それは大間違いである。彼自身は、敬虔なイスラム教徒であった。フセイン氏の偉いところは、彼自身の信仰心と国家の政治的運営を別のものとして捉えることができたことである。これは、大多数の国民がイスラム教徒の地域の国家にとって、大変難しいことである。なぜなら、イスラムという宗教(というよりは、社会システム)自身が、社会制度としてのイスラムを保証しないと成り立ちにくい宗教だからである。考えても見て欲しい。例えば、日本の社会において、「お祈りの時間が来たから」と言って、流れ作業の工場で、ある労働者が職場を離れるということは許されないであろう。また、ラマダーンで断食している人の隣の部屋では酒呑んで大宴会が行われているということも当然のことである。すなわち、宗教として占有率が高くならないと、その全たきシステムが作動しないからである。そういう宗教が支配的な地域において「政教分離」が実施できたのである。素晴らしい資質であると言えないだろうか。ひとつ例を挙げると、周辺のアラブ諸国や国内の熱心なイスラム教徒への配慮を示して、黒・白・赤の三色旗の中に「???? ????(allahu akbar=神は偉大なり)」とアラビア語で入れさせることによってバランスを取っている。


イラク国旗、中央の三つ星の間に
「神は偉大なり」と記されている


  フセイン氏自身のムスリムとしての信仰心は、その波瀾万丈の人生の最期の段階において証明された。絞首刑に処せられるその瞬間、フセイン氏は「アッラーの他に神はない。ムハンマドは神の預言者である」というイスラム教徒の信仰告白を唱えながら縊(くび)られたのである。しかも、若い頃からの汎アラブ主義の精神に則り、自らのいのちが尽きようとしているその瞬間にも、「弱者」であるパレスチナ人に対する連帯(「神(アッラー)は偉大なり。イラク国民は勝利する。パレスチナはアラブのものだ」)を呼びかけて…。百点満点である。人間今から絞首刑に処せられるというその絶体絶命の場面において、あれだけ毅然とした態度でおられたのは、サダム・フセインという人物が本物の傑物だからである。

  それに引き替え、マリキ政権の死刑執行人たちの下卑なこと…。しかも、あろうことか、イスラム教徒にとっては人生の一大事である聖地メッカ巡礼(ハッジ)の最終日に行われる「犠牲祭(イードゥル・アドハー)」の当日にフセイン氏への死刑を執行したのである。この犠牲祭の日には、たとえメッカに巡礼(註:サウジ政府が許可=ビザ発給している巡礼者数は百数十万人。全世界のイスラム教徒は十数億人)できなくても、世界中のイスラム教徒がその昔、「唯一神(ヤハウェ=アッラー)」の召し出しに応じて、メソポタミアの都市国家ウルから発って、エジプト経由で「約束の地」カナン(現在のパレスチナ地方)へと移住したユダヤ・キリスト・イスラム教共通の先祖と目されるアブラハム(アラビア語ではイブラヒーム)が、その「唯一神」への信仰の真っ直ぐさを証明するために、年老いてからやっと授かることのできた跡取り息子のイサク(アラビア語ではイスマイル)を惜しげもなく、生贄(いけにえ)に差し出そうとしたところ、唯一神はアブラハムの信仰心を祝して、息子の代わりに山羊を生贄として受け取ったという故事に基づく宗教行事である。この日一日だけで、何千万頭という山羊が全世界で屠(ほふ)られるので、山羊にとっては一大「受難の日」であるが…。

  こうして、あろうことか「犠牲祭」の日に、処刑されたフセイン氏の物語は、アラブ世界において、これから先百年以上にわたって伝承されていくことであろう。まさに、サダム・フセインをアラブの同胞を守るために“悪の帝国”であるアメリカという“異教徒”と戦って殉教した英雄として拡大再生産されてゆくのである。この日、イラクに派遣されているアメリカ軍兵士の犠牲者数が3,000人を超えた。この数は、「9.11米国中枢同時テロ」事件の犠牲者数よりも多い。読者の皆さんはこの事実をどのように解釈されるか…。最後に、フセイン氏の事実上の遺言となった11月5日付の獄中からの書簡の内容がBBCによって公表されているので、その邦訳を紹介しておく。あたかも12月30日の犠牲祭の日に、自らが処刑されることを知っていて、イエスのように、その刑死を、人々を救済するための「神への贖(あがな)い」と位置づけることを意図したようにも読める。イラクの人々に、否、アラブ全体の人々の心に百年先まで残る楔(くさび)を打ち込んだのである。ある意味、サダム・フセインは「永遠の生」を手に入れたとも言えよう。


(イラク国民の)皆さんは、あなたがたの兄弟であり指導者である彼(サダム・フセイン)が(獄に繋がれているにもかかわらず)意気軒昂であること、彼が暴君(ジョージ・W・ブッシュ)に屈服しなかったこと、そして彼を愛する者たち(イラク国民)の願い通りに剣と旗を掲げ続けたことを既に知っている。 このことはあなた方が兄弟・息子(イラクの同胞)に、あるいは指導者(フセイン)に求めたことであり、またあなた方の将来を導く者は同じ資質を備えるべきである。

  ここに私は自らの魂を生贄として神(アッラー)に捧げ、もし神が私の魂を殉教者たちとともに天国に送られるのなら、私はそれを喜んで受け入れるし、あるいは神がそれを延期されるのなら、私は神の意志に従うつもりだ。

  神は、あなた方が愛と許しと兄弟的な共存の体現者となるよう励まされてきたことを忘れてはならない。 私があなた方に「憎悪してはいけない」と呼びかけるのは、憎悪は人が公正であることを妨げ、あなた方を盲目にして思考する道を閉ざし、バランスのとれた思考と正しい選択をさせなくするからである。

  私はまた、あなた方に私たちを攻撃した諸国の国民を憎んではいけないと呼びかける。 政治的指導者(ブッシュ米国大統領やブレア英国首相等)とその国民(米国人や英国人等)を区別することが大切だ。 あなた方は、侵略国の国民の中にも侵略に反対してあなた方の戦いを支持する者が大勢いたこと、しかも、その中のある者はサダム・フセインを含む拘束者の法的弁護活動を志願までしてくれたことを心に留めておくべきである。

  誠実な国民の皆さん。 私はあなた方に別れを告げるが、私は慈悲深き神(アッラー)とともにあり、神は避難を求める人々を支援し、誠実で正直な信徒を決して裏切ることはない。

  神(アッラー)は偉大なり。 神は偉大なり。 イラク国民万歳。 戦い続ける偉大なる国民万歳。 イラク万歳、イラク万歳。 パレスチナ万歳。 聖戦と聖戦をたたかう戦士(ムジャヒディン)万歳。

イラク共和国大統領 サダム・フセイン


『賛美の生贄と祈り』 モーツアルト作曲『レクイエム』より

賛美の生贄と祈りを
 主よ、あなたに私たちは捧げます。
 彼らの魂のために
 お受け取りください。
 今日、私たちが追悼する
 その魂のために。
 主よ、彼らの魂を死から生へとお移しください。
 かつてあなたがアブラハムとその子孫に
 約束したように。

http://www.relnet.co.jp/relnet/brief/r12-219.htm
6:777 :

2022/05/31 (Tue) 01:14:23

イラク戦争の背景
東北学院大学講師・世界キリスト協議会前中央委員
川端 純四郎

 ご紹介いたします。
 先生は1934年のお生まれです。東北大学文学部に学ばれ、博士課程を終えられてから、ドイツのマールブルグ大学に入学されました。帰国後、東北学院大学教員として35年間お勤めになりました。その後ひきつづき講師として、現在も勤務されています。一貫して平和、人権、政治改革の活動に積極的に関わっておいでになりました。
 「9条の会」の講師団メンバーとしても、全国を股にかけて講演なさっており、昨年は1年間で80回以上の講演会を開いておられます。
 先生は今朝8時前に仙台を発ち、はるばる鋸南町においで下さいました。今日の講師としてほんとうにふさわしく、よいお話をうかがえると思います。早速、先生からお話をうかがいたいと思います。 先生、どうぞよろしくお願いいいたします。
                                        安藤

 みなさん、こんにちは。 安房郡の水清き鋸南町に伺って、こうしてお話できることをありがたいと思っています。初めておうかがいしました。木更津まで来たことはあるのですが、今日、電車で君津を過ぎたらとたんに山が美しくなり、あそこまでは東京郊外のなんとまあみっともない風景でしたけれど、あそこから南に来ると一気にほんとうに昔のよき日本の風景がよみがえってくるようでした。ほんとうに嬉しく思いました。

 いま、「さとうきび畑」の朗読と、合唱団のコーラスをお聞きしたのですが、どちらも聞いていて涙が出ました。
 私は、戦争に負けた時小学校6年生でした。仙台で敗戦を迎えましたが、仙台も空襲で全滅いたしました。街の真ん中にいましたから、もちろんわが家も丸焼けでした。忘れられない思い出があります。街の真ん中の小学校でしたから、同級生が一晩で8人焼け死にました。隣の家の、6年間毎日いっしょに学校へ適っていた一番仲の良かった友達も、直撃弾で死にました。今でも時々思い出します。
 今このような歌を聞くと、どうしてもその人のことを思い出します。思い出す私の方はもう70になりますが、記憶に出てくるその三浦君という友達は、小学校6年生のまま出てきます。どうして小学校6年で人生を終わらなければいけなかったのか、生きていてくれたらいろんな事があったのに、と思います。戦争なんて二度としてはいけない、というのが一貫した私の願いです。
 私は牧師の家に生まれました。父はキリスト教の牧師で、教会で生まれ教会で育って、讃美歌が子守歌でした。牧師の中には戦争に反対した立派な牧師さんもおられたのですが、私の父のような多くの普通の牧師は、政治や社会に無関心で魂の救いということしか考えていませんでした。で、私もその親父に育てられましたから、大学を出、大学院に入って博士課程までいって、ずっとキルケゴールや実存哲学という、魂だけ見つめているような学問をやっていて、政治とか経済、社会とかは25歳までいっさい関心がありませんでした。

 25歳の時チャンスがあって、ドイツ政府の招待留学生となってドイツヘ勉強に行くことになりました。1960年のことでした。1960年にドイツへ行ったというだけで、どんなにノンポリだったか分かります。安保改訂問題で日本中が大騒ぎの時、それを尻目に悠々とドイツ留学に行ったのです。幸か不幸かまだ世界は貧しくて、飛行機などというものは贅沢な乗り物で、まだジェット旅客機機はありませんでした。プロペラ機でヨーロッパヘ行くには途中で何遍も何遍も着地し、給油して、今のようにノンストップでシベリヤを越えて、などというのは夢のような話でした。しかもベラ棒に高いのです。船の方があの頃はずっと安かったのです。特に貨物船に乗せてもらうと飛行機よりずっと安いのです。そこで一番安いのを探して、5人だけ客を乗せるという貨物船をみつけました。

 その船で神戸を出航し、インド洋からスエズ運河をぬけ、地中海を渡ってイタリアのジェノバに上陸。そこから煙を吐く蒸気機関車でアルプスを越えて、ドイツのマールブルクという町に着きました。
 実は、飛行機をやめて船で行ったということが、私の人生を大きく変えることになりました。あの時もし飛行機で行ったなら、私は一生、世間知らずの大学に閉じこもって勉強だけしている人間で終わった、と思います。

 ところが船で行ったおかげで、しかも貨物船に乗ったおかげで、私は途中のアジア・インド・アラブの国々をくわしく見ることができました。まっすぐ行けば船でも二週間で行くそうですが、何しろ貨物船ですから、途中港、港に寄って荷物を下ろし、また積んで、一つの港に4日から5日泊まっているのです。おかげでその間、昼間は上陸してそのあたりを見て歩き、夜は船に帰って寝ればいいのですから、東南アジアからアラブ諸国をくまなく見て歩きました。
 1ヵ月かかりました。神戸からジェノバまでのこの船旅。その時見たものが、私の人生を変えたのです。何を見たかはお解りですね。アジアの飢えと貧困という厳しい現実にぶつかったのです。

 降りる港、港で、ほんとうに骨と皮とに痩せせこけた、裸足でボロボロの服を着た子供達が、行く港も行く港、集まって来るのです。船の事務長さんに、「可哀想だが、何もやっては駄目だよ。1人にやると収拾がつかなくなるよ」と言われていました。だから心を鬼にして払いのけて通り過ぎるのですが、その払いのけて通り抜ける時に触った子供の肩、肉などなんにもない、ただ骨と皮だけのあの肩、あの感触が、今でも時々蘇ってきます。
 船に帰って、眠れないのです。明日も、あの子供たちに会う。どうするか。私が考えたことは、「神様を信じなさい。そうすれば救われます」と言えるか、ということでした。
どんなに考えたって、言えるわけがありません。飢えて捨てられた孤児たちに、こちらは着るものを看て、食うものを食っておいて、「神様を信じなさい、そうすれば救われます」などとは、口が裂けても言えないと思いました。牧師館で生まれて、キリスト教しか知らずに育って、キリスト教の学問をして来て、それではお前キリスト教って何なのか、25年お前が信じてきたキリスト教とは、飢えた子供たちに言えないようなキリスト教なのか。とれが私の考えたことでした。
 もし言えるとしたら、ただ一つしかない。そこで船を降りて、服を脱いで、子供たちに分けてやって、食っているものを分けてやって、そこで一緒に暮らす、それなら言える。言えるとしたら、それしかありません。言えるじゃないか、と自分に言い聞かせました。

 それなら、船を降りるか──。くやしいけど、降りる勇気がありませんでした。折角これからドイツヘ勉強に行くという時、ここで降りて、一生インドで暮らすのか、一生アジアで暮らすのか、どうしてもその気にならないのです。
 ですから理屈をこねました。
 「降りたって無駄だ。お前が降りて背広一着脱いだって、何百人人もいる乞食の子に、ほんの布切れ一切れしかゆきわたらないではないか。自分の食うものを分けてやったって、何百人もの子供が1秒だって、ひもじさを満たされる訳がないじゃないか。お前が降りたって無駄だ。それは降りたという自己満足だけで、客観的にはあの子らはなんにも救われない。」
 「だから降りない、勇気がないのではなく、無駄だから降りない。」と自分に言い聞かせるのです。でも、降りなければ「神様を信じなさい」とは言えません。言えるためには降りなければならない、しかし降りても無駄なのだ。
 堂々巡りです。寄る港、寄る港でこの間題に直面しました。毎晩毎晩同じ問題を考え続けて、結局、答えが見つからないまま、閑々として港を後にしました。、出港の時、あの子たちを見捨て自分だけドイツへ行くことに、強い痛みを感じました。これは永く私の心の傷になって残りました。
 このようにして初めて、世の中には飢えた仲間がいるという、当然分かっていなくてはいけない事実に、何ということでしょう、25にもなってやっと気づいたのです。飢えた子供たちがいる、それを知らんぷりしてドイツに行くのか、お前が降りてあの子たちと一緒に暮らすことはあまり意味ないかも知れない、しかしやっぱり船を降りないのだとしたら、せめて世の中に飢えた子供なんか生まれないような社会を作るために、自分で何かしなければいけないのではないか。ただ魂の中だけに閉じこもっていていいのか。
 これが、私がヨーロッパヘ行く1ヵ月の旅で考えたことでした。

 ドイツヘ行って、宗教の勉強をしました。ブルトマンというドイツの大変偉い先生の所に1年いて、いろいろ教わりましたが、結局、私の結論としては、実存哲学だけではだめだということでした。自分が自分に誠実に生きる──これが実存的、ということですが、それだけでは駄目だ。自分が生きるだけでなく、みんなが人間らしく生ることができるような世の中になるために、自分にできる何か小さなことでもしなければいけない。
 こう思うようになって、日本に帰ってきたのです。

 それじゃあ、世の中で、そのように飢えて死ぬような子がいなくなるような社会とは、どうすれば出来るのか。これはやっぱり、飢え、貧困、戦争、差別、そういうものが生まれる原因が分からなければ、除きようがありません。原因を勉強しなければいけない。そのためには社会科学を勉強しなければいけない。特に経済学を勉強しなければいけない──。
 ドイツヘの留学は、大学院の途中で行きましたので、帰国して大学院に復学しました。幸い東北大学は総合大学ですから、中庭をへだてて向こう側が経済学部でした。帰ってきた次の日から、私は、経済学部の講義を経済原論から、授業料を払わずにもぐりで、後ろの方にそっと隠れてずっと聞きました。

 それからもう45年になりますが、ずっと宗教哲学と経済学と2股かけて勉強してきています。今日も、多少経済の話を申し上げるわけですが、やっぱり自分がクリスチャンとして、今もクリスチャンであり続けていますが、同時に、自分の救いということだけ考えていたのでは申し訳ないと思うのです。現実に飢えて死ぬ子がいるのです。ユネスコの統計によると、毎日2万人の子が栄養不足で死んでいるそういう世の中、このままにしておくわけにはいかない、自分でできることは本当に小さいけど、その小さなことをやらなかったら、生きていることにならない──。そう思って45年過ごしてきたわけです。

 キリスト教の中でずっと生きていますので、一般の日本の人よりは外国に出る機会が多いと思います。特に世界キリスト教協議会という全世界のキリスト教の集まりがあります。その中央委員をしていましたので、毎年1回中央委員会に出かけて、1週間か2週間会議に参加しました。世界中のキリスト教の代表者と一つのホテルに缶詰になり、朝から晩までいろいろと情報交換したり論議したりします。そのようなことを7年間やりましたので、世界のことを知るチャンスが多かったと思います。それを辞めてからも、自分の仕事や勉強の都合で、今でも毎年二週間ぐらいはドイツで暮らしています。そうしていると、日本ってほんとうに不思議な国だということが分かってきました。

 日本にいるとなかなか分からないのです。島国ですし、おまけに日本語という特別な言葉を使っています。他の国との共通性がない言葉です。ヨーロッパの言葉はみんな親戚のようなものですから、ちょっと勉強するとすぐ分かります。一つの言葉の、ドイツ弁とフランス弁、ベルギー弁、オランダ弁というようなものです。日本で言えば津軽弁と薩摩弁の違い程度のものです。津軽と薩摩では、お互いに全然通じないとは思いますが、それでも同じ日本語なのです。ヨーロッパの言葉とはそういうものです。ですからお互いに何と無く外国語が理解できるというのは、別に不思議なことではないのですね。ですから、自分の国のことしか知らないという人は、非常に少ないのです。
 新聞も、駅に行けばどんな町でも、ヨーロッパ中の新聞が置いてあります。ドイツのどんな田舎町へ行っても、駅にいけばフランスの新聞もイタリアの新聞も売っていますし、それを読める人がたくさんいるのです。そういう社会ですから、日本人とはずいぶん違います。自分の国を客観的に見られる。他の国と比べて見ることができるのです。

 日本にいると比べられません。そのうえ、日本はマスコミが異常です。ワンパターンのニュースしか流しません。ヨーロッパではいろんなテレビがあって、テレビごとに自由な報道をやっています。バラエティー番組のようなものがなくて、ニューハ番組が充実しています。きちんとした議論をテレビでやっています。ですから日本にいるよりは、比較的自分の国の様子を客観的に見られることになります。ドイツに行く度に、日本とは不思議な国だなあと思うのです。

 例えば、もうだいぶ前、バブルの頃です。日本のある有名なモード会社がミラノに支店を出しました。そしてマーケティング調査をしました。どんな柄が流行っているか、アンケートを集めそれを整理するために、イタリア人女性3人雇ったそうです。アンケートの整理をしていたら5時になりました。あと少ししか残っていなかったので、日本ならの常識ですから、「あと少しだからやってしまおう」と日本人支店長は声をかけました。ところがイタリア人女性3人は、すっと立って「5時ですから帰ります」と言って出て行こうとしました。思わず日本人支店長は怒鳴ったのだそうです。「たったこれだけだからやってしまえ」と。途端にこの日本人支店長は訴えられました。そして「労働者の意志に反する労働を強制した」ということで、即決裁判で数万円の罰金をとられました。

 これがヨーロッパの常識です。つまり9時から5時までしか契約していないからです。5時以後は命令する権利はないのです。9時から5時までの時間を労働者は売ったんであって、5時以降は売っていないのですから、自分のものなんです。会社が使う権利はありません。当たり前の話です。
 その当たり前の話が日本では当たり前ではないのです。残業、課長に言われたので黙ってやる。しかもこの頃は「タダ残業」ですからネ。本当にひどい話です。常識がまるで違うのです。あるいは有給休暇。ドイツのサラリーマンは年間3週間とらねば「ならない」のです。3週間休まなければ罰せられます。日本は有給休暇など殆どとれません。ドイツでは取らないと罰せられます。ですからどんな労働者でも3週間、夏はちゃんと休んで、家族ぐるみイタリアへ行ってゆっくり過ごしてきます。有給になっているからです。或いは日本では1週間40時間労働です。ドイツはもう随分前から36時間です。土日出勤などありえない話で、日本のように表向き40時間労働でも、毎日毎日残業で、その上休日出勤、日曜日には接待ゴルフなど馬鹿なことをやっています。接待ゴルフなど、ドイツには絶対ありません。日曜日は各自が自由に使う時間で、会社が使う権利はないのです。
 そういうところもまるで常識が違います。或いは、50人以上だったと思うのですが、50人以上従業員がいる会社、工場は必ず、労働組合代表が経営会議に参加しなければいけないことになっています。そんなことも、日本では考えられないことです。ですから配置転換とかもとても難しいし、労働者の代表が入っているから、簡単に首は切れません。

 そういういろんな面で、日本の外に出てみるとびっくりするようなことが山ほどあります。日本という国は、高度に発達した資本主義国の中で例外的な国なのです。資本主義が発達した点では、アメリカにもフランスにもドイツにも負けないのですが、資本主義が発達したにしては、労働者が守られていない。或いは市民の権利が守られていない。会社の権利ばかりドンドンドンドン大きくなっているのです。それが日本にいると当たり前のように思われています。外国で暮らしていると、日本は不思議な国だと分かります。特にこの数年それがひどくなってきているのではないでしょうか。
 私たちの暮らしは、戦後50何年かけて、少しずつよくなってきました。例えば年金なんかも少しずつ整備されてきた。健康保険制度も整備されてきた。介護保険も生まれてきた。或いは、労働者も土曜日チャンと休めるようになってきた。ところがこの数年、それが逆に悪くなつてきています。年金は削られる一方、介護保険料は値上がりする、労働者は首切り自由でいくらでも解雇できる。労働者を減らすと政府から奨励金が出る。タダ残業はもう当たり前・・・。

 特にこの数年、構造改革という名前で、日本の仕組みが変わってきています。いま申し上げたように、戦後50年かけてみんなで、少しずつ少しずつ作ってきた、いわば生活の安心と安全を守る仕組み、そういうものが今はっきり壊されかかっているのではないでしょうか。
 小泉首相という人は「自民党をぶっ壊す」といって当選したのですが、この4年間を見ていると、あの人は自民党を壊したのではなく「日本を壊した」のではないかと思われます。これまで日本が戦後50年かけて作ってきた社会の仕組みが、バラバラにされているのです。フリーターとかニートがもう30%でしょう。そうなると当然、この人たちは生きる希望がありません。お先真っ暗。いまさえよければ、ということになる。ですから若者が当然刹那的になる。人生の計画なんて立たない。今さえよければということになっていきます。
 昔なら10年に1回あるかないかのような犯罪が、いま毎日のように起きています。私は仙台にいますが、この正月には赤ん坊の誘拐事件で一躍有名になってしまいました。あんなことが日常茶飯事として起こっています。栃木県で女の子が山の中で殺された事件は、まだ解決されていませんが、こんな事件が今は「当たり前」なのです。世の中がすさんできて、何が善で何が悪なのか、みんなに共通な物差しというものがなくなったというふうに思われます。
 そのような世の中の変化、私は多分、「構造改革」というものがその犯人なのだ、と思っています。

《逆戻りの原因はアメリカの変化》

 その構造改革というのは、どこから来たのか。もちろんアメリカから来たのです。アメリカが変化した、日本はそのアメリカに右ならえをした、それが構造改革です。

 それでは何が変わったのか、これが一番の問題です。この変化の行き着くところが、憲法改悪です。
 社会の仕組み全体がいま変わろうとしているのです。憲法も含めて。いったい何がどう変わるのか。いったいどういう構造をどういう構造に変えるということが構造改革なのか。そこのところがアメリカを見ればよく分かってきます。アメリカがお手本なのですから。

 アメリカはソ連崩壊後変わりました。ソ連とか東ドイツは自由のないいやな国でした。昔1960年に西ドイツヘ留学した折、東ドイツへ何回か行く機会がありました。ふつうはなかなか行けないのですが、幸いキリスト教国なので、ドイツのキリスト教はしっかりしていまして、東ドイツと西ドイツに分裂しても、教会は分裂しなかったのです。東西教会一つのまんまです。ですから、教会の年1回の大会には、西で開く時は東の代表がちゃんと来たし、東で開く時は西の代表が行けたのです。ですから一般の人の東西の往来が難しかった時でも、キリスト教の人だけはかなり自由に行き来ができました。
 私も連れていってもらって、何回か東ドイツへ行って見ました。ご存じのように自由のないいやな国でした。ですからソ連や東ドイツが崩壊したのは当然だし、いいことだと思います。しかしソ連や東ドイツが100%悪かったかというとそんなことはありません。良い部分もありました。何から何まで全部ひっくるめて悪だったというのも間違いです。基本的に自由がない。ですから、ああいう国は長くは続かない。これは当然そうだと思います。滅びたのは当然だと私は思います。

 しかし同時に、良い面はなくしては困るのです。良い面は受け継がなければいけません。最も目につくのは女性の地位でした。これは立派なものでした。いまの日本なんかより遥かに進んでいました。男女の平等が徹底的に保障されていました。専業主婦などほとんど見たことがありません。だれでも自由に外に出て、能力に応じて働いていました。それができるような保障が社会にあるのです。文字通りポストの数ほど保育所があって、子供を預け安心して働きに出られるようになっていました。同一労働同一貸金の原則はきちんと守られていて、女性だから賃金が低い、女性だからお茶汲みだけなどというようなことは一切ありませんでした。これは凄いなと思いました。あれは、日本はまだまだ見習わなければいけないことです。
 もう一つ私がびっくりしたのは、社会保障です。私が初めて東の世界を見たのは、何しろ1960年の頃のことです。日本はまだ社会保障がない時代でした。いま若い方は、社会保障はあるのが当たり前と思っておられる方も多いと思いますが、そんなことはないのです。日本は1972年が「福祉元年」といわれた年です。それまでは、福祉はなかったのです。大企業とか公務員だけは恩給がありましたが、商店の経営者とか家庭の主婦なんか何もありませんでした。健康保険も年金も何もありませんでした。72年からようやく国民皆年金、国民皆保険という仕組みが育ってきたのです。

 もともと資本主義という仕組みには、社会保障という考えは無いのです。自由競争が原則ですから、自己責任が原則です。老後が心配なら、自分で貯めておきなさい。能力がなくて貯められなかったら自業自得でしょうがない。こういうのが資本主義の考え方です。労働者が、そんなことはない、我々だって人間だ、人間らしく生きていく権利がある。だから我々の老後をちゃんと保障しろと闘って、社会保障というものが生まれてくるのです。自然に生まれたのではありません。
 労働者が団結して闘って、止むを得ず譲歩して社会保障が生まれてくるのです。資本主義の世界で最初の社会保障を行ったのはビスマルクという人です。ドイツの傑物の大首相といわれた人です。ドイツの土台を作った人ですが、この首相の頃、何しろマルクス、エンゲルスの生まれた故郷ですから、強大な共産党があり、国会で100議席くらいもっていました。そこで、ビスマルクが大弾圧をやるのです。社会主義取り締まり法という法律を作って共産党の大弾圧をし、片方では飴として労働者保険法という法律で、労働者に年金を作ります。世界で初めてです。辞めた後年金がもらえる仕組み、病気になったら安く治してもらえる仕組みを作った。こうやって鞭と飴で労働運動を抑えこんでいったのです。

 社会保障というのは、そうやって労働者の力に押されてやむを得ず、譲歩として生まれてくるのです。放っておいて自然に生まれてくるものではありません。
 そこへ拍車をかけたのが、ソ連や東ドイツです。ソ連や東ドイツヘいってみて、1960年の時点なのですから、日本にまだ社会保障などなかった時、そう豊かではなかったのですけれども、老後みながきちんと年金をだれでも貰える、そして、病気になればだれでも、医者に行って診察を受けて治療を受けられる。これにはほんとうに驚きました。これが社会主義というものかと、その時は思いました。ただ自由がないのです。例えば、牧師さんの家に泊めてもらうと、こちらがキリスト教徒ということが分かっていますから、牧師さんも信用して内緒話をしてくれるわけです。外国から来る手紙はみな開封されていると言っていました。政府が検閲して開封されてくる。だから、「日本へ帰って手紙をくれる時は、気をつけて書いてください。政府の悪口など書かれると私の立場が悪くなるから。手紙書くときは開封されることを頭に入れて書いてくれ。」というふうに言われました。こんな国には住みたくないなと思いましたけれど、同時に社会保障という点では驚きました。こういうことが可能な社会の仕組みというのがあるんだなあ、とこう思ったのです。

 その後、スターリン主義というものによって目茶苦茶にされていくのですが、私の行った頃はまだ、東側の社会保障がある程度きちっと生きていた時代です。こうして、ソ連や東ドイツが社会保障というものを始めると、資本主義の国もやらざるをえなくなってきます。そうでないと労働者が、あっちの方がいいと逃げ出してしまいます。ですから西ドイツが一番困りました。地続きですから、何しろ。ですから、東に負けないだけの社会保障をしなければならなかったのです。そうすると、自由があって社会保障があるのですから、こっちの方がいいということになります。いくら向こうは社会保障があっても自由がないのです。こうして西ドイツは大変な犠牲を払って、社会保障先進国になってきました。そのことによって、東ドイツに勝ったのです。
 実際西ドイツの労働者は、別に強制されたわけではありません。自主的に西ドイツを選んだのです。ですからあのような東西ドイツの統一も生まれてきたのです。

 つまり資本主義の国は、ひとつは自分の国の労働者の闘いに押されて。そこへもってきて、ソ連、東ドイツの社会保障という仕組みの外圧で、それに負けるわけにいかないものですから、そういう力があって、社会保障というものを造り出していくのです。しかし社会保障というものは莫大な財源がかかります。

《社会保障をやめて小さな政府へ──構造改革の中身(1)》

 いま日本政府は社会保障をどんどん削っていますけど、それでも国家予算の中で一番多い費目は社会保障です。大変な財源が必要なのです。そこで資本主義の国は、新しい財源を見つける必要ができてきます。
 そこで見つけたのが2つ。1つは累進課税です。それまでの資本主義にはなかった、累進課税という新しい仕組みです。つまり収入の多い人ほど税率が高くなるという仕組みです。日本でも1番高い時は1980年代、1番大金持ちはの税率75%でした。ですから、年収10億あれば7億絵5千万円税金にとられたのです。今から考えれば良く取ったものです。今は35%です。大金持ちは今ほんとうに楽なのです。35%ですむのですから。年収10億の人は3億5千万払えばいいのです。昔なら7億5千万取られたのです、税金で。「あんまり取りすぎではないか、これは俺の甲斐性で俺が稼いだ金。それを取り上げて怠け者のために配るのか。」と彼らはいいました。
 そうすると政府は、「いやそういわないでくれ。そうしないと、資本主義という仕組みがもたない。だから体制維持費だと思って出してくれ。そうでないと社会主義に負けてしまう」と言って、大金持ちからたくさん取ったのです。大企業も儲かっている会社からたくさん税金取った。法人税もずっと高かったのです、以前は。こうやって大金持ち、大企業からたくさん取る累進課税で一つ財源を作ったのです。

 もうひとつは、企業負担です。サラリーマンの方はすぐお分かりですが、給料から社会保障で差し引かれますね。そうすると、差し引かれた分と同額だけ会社が上乗せするわけです。自分が積み立てたものが戻ってくるだけなら、貯金したのと同じです。労働者の負担する社会保障費と同額だけ会社も負担しているのです。倍になって戻ってくるから、社会保障が成り立つわけです。
 これも資本主義の原則からいえば、おかしいことです。いまいる労働者の面倒を見るのは当たり前です。会社は労働者がいるから成り立っているのですから。だけど、辞めてからは関係ないはずです。契約関係がないのですから。辞めた人が飢え死にしようがのたれ死にしょうが、会社の責任ではないはずです。
 だけども一歩ふみこんで、それでは資本主義の仕組みがもたないから、労働者が辞めた後まで面倒みてくれ、そこまで企業負担してくれ、そうしないと資本主義がもたないから、ということになります。

 こうやって、社会保障というものが資本主義の国で成り立っているのです。これは、ただの資本主義ではありません。資本主義の原則に反するような累進課税とか、企業負担というものを持ち込んで、社会主義のよいところを取り入れた資本主義です。これを「修正資本主義」と呼びました。
 資本主義の欠点を修正して、社会主義に負けないようないい仕組みに造り直した資本主義ということです。学者によっては、資本主義の経済の仕組みと社会主義経済を混ぜ合わせた「混合経済」と呼ぶ人もいます。所得再配分機能を政府が果たすということです。もちろん修正資本主義というものは、このような良い面だけではなくて、公共事業という名前で国民の税金を大企業の利益のために大々的に流用するというようなマイナスの面もあることも忘れてはなりません。
 しかし、ともかくこうやって、西側の世界は、自由があって社会保障がある、そういう社会に変わっていくのです。そのことで東に勝ったのです。ところが、そのソ連と東ドイツが居なくなったのです。

 その前にもうひとつ。先進資本主義国というのは或る一種の傾向として、労働者が闘わなくなってきます。これは先進資本主義国の宿命のようなものです。つまり資本主義国というのはご存じのように、地球上の大部分を占めている低開発諸国、貧しい第3世界といわれた世界から、安い原料を買ってきてそれを製品にして高く売っています。そして差額、莫大な差額を儲けている。超過利潤と呼ばれています。だから遅れた国は働けば働くはど貧しくなるのです。一生懸命働いてコーヒー豆作っても、それを安く買われてチョコレートやインスタントコーヒーなどの製品を高く買わされるのですから、結局差額だけ損をすることになります。
 この20年、先進国と遅れた国の格差は開く一方、全然縮まらない。地球上の富を先進国が全部集めちゃって、とびきりぜいたくな生活をやっています。ですから先進国の労働者にも、当然そのおこぼれの分け前に預かるので、低開発国の労働者にくらべれば、ずっと豊かになります。豊かにれば闘わなくなってしまいます。その上、それを推し進めるようなありとあらゆる謀策が講じられているのです。

 資本主義というのは、物を売り続けなければなりたたちません。売ったものをいつまでも使われていたのでは、資本主義は成り立たないのです。早く買い換えてもらわなければなりません。いま、日本の車はよく出来ているので、30年は楽に乗れるのに、30年乗られたら日本の自動車会社はみな潰れます。3年か5年で買換えてもらわなれりばいけません。買い替えてもらうには、自分の車は古いと思ってもらう必要があります。ですからコマーシャルで、朝から晩まで何回も、「あんたは古い、あんたは古い。こんないい車ができてます。こんな新しい車が出ましたよ。もっといいのが出ましたよ」と宣伝して洗脳しいるのです。だから3年も乗ると、どうしても買換えざるをえない心境に引き込まれてしまいます。全てのものがそうです。まだまだ使えるのに新しいものに換えてしまう。そういう仕組みができているのです。
 そうしないと、資本主義はもちません。ですから労働者はどうなるかというと、「次、この車に買換えよう、次、パソコンこっちに買換えよう、次、今度はデジタルテレビに買換えよう、じゃあセカンドハウス、つぎは海外旅行・・・」。無限に欲望を刺激され、自分の欲望を満たす方に夢中になって、社会正義とか人権とか考えている暇がなくなっていくのです。

 いま日本の大部分がそうですね。「もっといい生活を」ということだけ考えています。ほかの人の人権だの社会正義なんて見向きもしない。見事に資本の誘惑にひっかかってしまいます。
 もちろん、欲しいからって、お金がなければ買えません。家がほしい、車がほしい、パソコンほしい・・・。それが、実はお金がなくても買える、なんとも不思議な世の中です。ローンというものがあるのですね。

 フォードという人が見つけたのです。それまでは、「つけ」で何か買うなどということは、労働者にはありませんでした。労働者が「つけ」で買ったのはお酒だけです。酒飲みはお金がなくても飲みたいのです。だから酒屋だけは「つけ」がありました。大晦日に払うか払わないかで夜逃げするかどうかもあったでしょうが、今は家を「つけ」で買う、車を「つけ」で買う、なんとも奇妙な世界になってきました。これをフォードが始めたのです。それまでは、自動車というのは大金持ちのものでした。フォードが、あのベルトコンベアーというのも発明して、大量生産を始めたのです。そうなれば、大量に売らなれりばなりません。大量に売るためには労働者に買ってもらわなくてはなりません。でも労働者にはお金がないのです。そこで、ローンという、とんでもないものを考え出したのです。ローンなら金がなくても買えるんですから、みんな買う。当然な話です。

 そりゃあ豊かなのに越したことはありません。マイホームが欲しくなる。ですからみんなローンで買う。そして「マイホーム」という感じになるのです。でも本当はマイホームではありません。あれは銀行のものです。払い終わるまでは、所有権は銀行のものです。銀行から借りてローン組んだだけなんです。こうして次々と新しいものを買わされていく。そのローンは多くの場合退職金を担保に組みます。一度退職金を担保にローンを組んでしまったら、ストライキはできなくなります。会社と闘って退職金がすっとんだら終わりなのです。家も途中でおしまいになってしまいます。ですから、ローンでマイホームが変えるようになってから労働運動は一気に駄目になりました。みんな闘わない、会社と喧嘩したくない、というふうになります。これはもちろん、向こうは計算済みのことです。
 ですから、高度に発達した資本主義社会というのは、労働者が、ある程度ですが、豊かになり、そして、このような消費社会に組み込まれてしまって、身動きができなくなるのです。

 こうして、いま日本では労働組合も、労働運動もストライキもほとんど力を失いました。そうなれば、政府は社会保障なんて、何も譲歩する必要がはありません。労働者が必死になって運動するから、止むを得ず健康保険とか年金制度とかやってきたのであって、労働者が闘わなければ、その必要はないのです。いま、どんどん社会保障が悪くなってきています。次から次から悪くなる。20年前だったら、いまのように社会保障が悪くなったらたちまち、大ストライキが起こりました。しかし今は何も起きません。労働組合が弱体化している、労働運動が骨抜きという状態です。
 そこへもってきて、ソ連や東ドイツがいなくなったのです。こうなればもう社会保障をやる必要はありません。社会保障は止めます、修正資本主義は止めます、ということになるわけです。修正資本主義にはいろいろな意味があるのですけど、一つの特徴は、大金持ちや大企業からお金を取って、弱い立場の人たちに配るところにあります。所得再分配と言われる働きです。だから政府は大きな政府になります。こういう仕組みが修正資本主義で、いろんなマイナス面もあるのですが、プラスの面も大いにあります。

 この仕組みをやめる、というのが今のアメリカです。もう政府は面倒みません、自分でやりなさい、と自由競争に戻る。自由競争一筋。これが、ソ連が崩壊した後に新しくなったアメリカの仕組みなのです。そして、それに日本が「右へならえ」ということなのです。

 それに対してヨーロッパは、アメリカのいうことを聞かず、「われわれはこれからも、社会保障のある資本主義でいきます。むき出しの裸の自由競争には戻りません」。これがヨーロッパなのです。なぜヨーロッパがそういえるかというと、労働運動が強いからです。先進資本主義国なのになぜ労働運動が弱くならないのか。これはこれで時間をかけて考えなければならない問題なのですが──。

 現実の問題として強い。ヨーロッパだって大企業は社会保障を止めたいにきまっています。しかし止めると大騒ぎになります。労働者が絶対に言うことを聞きません。だからやむを得ず守っているのです。企業負担もうんと高いです。日本の会社の倍以上払っています。ですからトヨタ自動車もフランスに、フランス・トヨタを作っていますけど、日本トヨタの倍以上払っています。それでも儲かっているのです。
 ですから、ヨーロッパでも、社会保障は少しずつ悪くなってきてはいますが、日本に比べれば遥かに違います。このようにして、ヨーロッパはアメリカと別の道を進み始めました。アメリカは剥き出しの資本主義に戻りますが、ヨーロッパは修正資本主義のままでいこうとしています。
 しかし、それでは競争で負けます。アメリカや日本は企業の社会保障負担がうんと減っていますから、利潤が増えています。ヨーロッパは高い社会保障負担でやっていますから、儲けが少ないのです。そこで競争しなくてすむようにEUいうものを作って、枠を閉ざしちゃいました。アメリカや日本の会社がヨーロッパに来るときは、ヨーロッパ並みの負担をしなければ、EUには入れません。だからEUの中でやっている時には、日本にもアメリカにも負ける心配はないのです。
 そういう仕組みを作って、アメリカとは別の道を進み始めました。そのためにユーロという別のお金も作りました。イラク戦争で表面に出てきたのですが、イラク戦争がなくても、ヨーロッパはアメリカとは別の道を進み出していました。もう2度とアメリカとは一緒にならないでしょう。

《規制緩和とグローバリゼーション - 構造改革の中身(2)》

 もう一つ、ソ連、東ドイツ崩壊の結果、アメリカが大きく変化したことがあります。それは何かというと、大企業・大資本を野放しにしたことです。
 ソ連がいる間は、大企業や大資本に、「あなた達は資本主義なんだから儲けたい放題儲けたいだろうけど、それをがまんしてください。あなたたちがやりたい放題にやったら、他の資本主義国はみんな負けてつぶれてしまう。アメリカの資本と競争できるような資本などどこにもありませんから。そうなれば、ソ連の方がましだということになる。だから、やりたい放題は抑えてほしい」と言ってその活動を制限してきました。
 具体的に何を抑えたかというと、為替取引を規制したのです。これが一番大きな規制です。いまではもう、中央郵便局へ行って「ドル下さい」といえば、すぐドルをくれます。「100ドル下さい」といえば「ハイこれ1万2千円」。ユーロでも、「下さい」といえば「100ユーロ・ハイ1万4千円」とすぐくれます。でもこれはごく最近のことです。それまでは、外貨・外国のお金は、日本では勝手に手に入りませんでした。お金を外国のお金と取り替える、つまり為替取引は厳重に規制されていて、個人が勝手にはできなませんでした。外国旅行に行くとか、何か特別な理由が認められた時しか、外国のお金は手に入りません。いまは何も制限ありません。自由にだれでもいつでもできます。理由など聞きませんから、100ユーロとか千ドルくださいと言えば、そのままくれます。これが為替取引の自由化というものです。これがなかったのです。ソ連が崩壊するまでは、アメリカも厳重に規制していました。それをとっぱらったのです。理屈っぽく言えば、資本の国際移動が自由にできるようになったということです。こうして、アメリカの巨大な金融資本が、世界中を我が物顔にのし歩く時代が来るのです。

 もうソ連も東ドイツもなくなったのですから、「いや永いことお待たせしました。今日からもう儲けたい放題儲けていいですよ。やりたい放題やっていいですよ」ということになったのです。これが規制緩和とことです。規制緩和ということは要するに、大資本が野放しになったということです。そうなったらどうなるか、世界第2の経済大国といわれる日本でさえ、全然太刀打ちできません。アメリカの巨大資本、金融資本・銀行ですね。日本の銀行とは勝負になりません。ボブサップと私が裸で殴り合ぅようなもので、一コロで殺されてしまいます。
 それでもやれというなら、ボブサプは手と足を縛ってもらって、目隠ししてもらって、こちらは金槌でも持たしてもらって、それでやっと勝負になるのです。今まではそうだったのです。それを全部外して自由にする、無条件で自由競争にするというのです。負けないためには、相手に負けない位大きくなるしかないですから、合併、合併、合併。あっという間に30ほどあった都市銀行が3つになってしまったのです。UFJとか「みずほ」とか、元何銀行だったか覚えておられる方おられますか。すぐ言えたら賞金をさし上げてもよろしいのですが、まず、言える方おられないでしょう。合併、合併であっという間に3つになりました。3つにになってやっとなんとか対抗できるというくらいにアメリカの巨大銀行というのは大きいものなのです。それでもダメで、長銀はのっとられてしまいました。北海道拓殖銀行も山一証券ものっとられてしまいました。次々とのっとられています。
 ついこの間は青森県の古牧という温泉がのっとられまし。広くていい温泉なんですけど、驚いたことにゴールドマンサックスでした。世界最大のアメリカの金融投資会社、ハゲタカファンドの代表のようなものです。これがどうして古牧温泉なのかと思ったのですが、テレビで放送していました。古牧だけではありません。他に28ケ所、超有名温泉みんな買い占めちゃったのです、ゴールドマンサックスが。どうするかというと、従業員みんな首切っちゃってパートにして、腕利きのマネージャーを送り込み、部屋をヨーロッパ、アメリカ向きに整備しなおして、欧米からの観光客をワーツと呼ぼうという作戦なんですね。儲かるようにして高く売るのです。ゴールドマンサックスが経営するのではありません。いま赤字の会社を買い取って、儲かるように造り直してすぐに売っちゃうのです。これが投資銀行のやっていることです。確かに、いわれてみればそのとおりで、日本の温泉ほどいいものはありません。知らないだけで、こんないいものは世界中どこにもありません。だから日本の温泉の良さが分かったら、おそらくヨーロッパ、アメリカからごっそり観光客が来ると思います。そこにゴールドマンサックスが目をつけたのですね。そして近代経営やって外国人が来て楽しめるような設備に変えて、世界中にジャパニーズスパーなんていって売り出す気なのですね。ですから、そのうち皆さんも温泉にいらっしやるとみんな英語で案内され、アメリカのお湯の中に入ることになってしまいます。

 アッという間に日本はアメリカ資本に乗っ取られようとしています。去年のホリエモン合併もそうです。今年から商法改正(改悪)して、乗っ取りを認めるということになったのです。株の等価交換、面倒な仕組みですから詳しいことは申し上げませんが、アメリカ株1億ドル分と日本の株1億ドル分を、等価父換していい、こういっているんです。ところが、アメリカの株の値段が高いのです。ですから1億ドルといっても、株の数からすると、例えば千株位しかない。日本は株が安いですから、同じ1億ドルで1万株位あるのですね。そうすると、千株と1万株で取り替えますから、あっという間にアメリカは大株主になってしまう。この等価父換を認めると、日本の大企業全部乗っ取られてしまう。
 そこで、日本の優良企業が狙われています。超優良企業を株式等価交換で、簡単にアメリカが乗っ取ることができる。今年からそれが可能になるはずだったです。それで去年、実験をやったのですね。ホリエモンにやらせてみたのです。ホリエモンはアメリカのリーマン・ブラザースから借りてやったのです。で、出来そうだなと分かったので、アメリカはお金を引き上げてしまいました。ホリエモンに乗っ取られては困る、いずれ自分が乗っ取るのですからネ。最後の段階で資金引き上げましたたから、ホリエモン降りる外なかった、多分そういう仕組みだったのではないかと思います。
 今年から自由に、日本中の会社をアメリカが乗っ取れるはずだったのですが、あのホリエモン騒動のおかげで日本の大企業が震え上がり、政府に泣きついて、「なんとか商法改正を見送ってくれ」と。それで見送りになりました。ですから、ちょっと一息ついているのです。今年すぐ、乗っ取られるというわけではありません。でも、いつまでも見送りというわけにはいかないでしょう。2・3年後には解禁。そうなれば、日本はほぼアメリカ資本に支配される、ということになるでしょう。

 日本ですらそうなのですから、まして、フィリピンとかタイとかいう国はたまったものではありません。あっという間に乗っ取られてしまいます。アメリカに勝手に経済的属国にされてしまう。それに対して、いやそんなの困るから、アメリカ資本が自分の国の株を買うことを法律で禁止する、というようなことをやろうとすると、アメリカはそれを認めないのです。グローバリゼーションだから地球はは「一つ」だというのです。いくら規制緩和しても相手国が法律で規制してしまったら終わりです。ですから、自分の国だけ勝手に現制することは認めません、地球はひとつですよ、グローバリゼーションですよ、ときます。フメリカの大資本が地球上のどこの国でもアメリカ国内と同じ条件で商売できるようにする、これがグローバリゼーションです。いやだと断ると制裁を加えられます。
 クリントン大統領の時は経済的制裁だけですんだのですが、ブッシュになってから、軍事的制裁になりました。いうことを聞かないと軍事制裁だぞという、これがネオコンという人たちの主張です。イラクを見ればみな震え上がるでしょう。ですから、アメリカの言いなりにグローバリゼーションで国内マーケットを開放して、アメリカ資本に全部乗っ取られてしまう、というのがいま着々と進行しているのです。

《アメリカの孤立》

 そこでどうなったかというと、ヨーロッパと同じように、「そんなの困る。自分の国の経済の独立は自分たちで守りたい」という人たちが手を繋いで、「アメリカに支配され引きずり回されないように、防波堤を作ろう」という動きが始まりました。だいたい5・6年前からです。アセアン(ASEAN東南アジア諸国連合)の動きが始まりました。5つの国です。インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピン。元来はアメリカが造らせた組織だったのですが、いつのまにか自主独立を目指す組織に成長しました。
 手を繋ぎ、アメリカに引きずり回されないように、アメリカの資本が勝手に入ってこないように、自分たちの経済は自分たちでやりましょう、と。ところが、ASEANが束になったってアメリカにはとてもかないません。そこで、知恵者がいました。アセアンだけではかなわないので、中国と手を繋いだのです。「アセアン、プラス中国で、アジアマーケットを作り、アメリカにかき回されないようにしよう」しようというのです。確かに、中国が入ったらアメリカはうかつに手が出せません。しかし中国だけ入れると、反米色があまりにも露骨ですから、「アセアン、プラス・スリーでいきましょう。アセアン+日本+韓国+中国、でいきましょう」ということになります。日本はアメリカの51番目の州だといわれているのですから、日本が入れば、アメリカも安心します。

 EUのように、アセアン+スリーで、自分たちの経済は自分たちでやれるように、アメリカに引きずり回されないような自立したアジアマーケットを形成することが目標です
 ただひとつ、日本が具合が悪いのです。日本はそのスリーに入っているのですが、(アセアンの会議に)行く度に「アメリカも入れろ、アメリカも入れろ」というのです。アセアン諸国はアメリカから自立するために作っているのですから、「アメリカを入れろ」といわれたんじゃあ困るので、結局日本は棚上げになってしまいます。実際にはアセアン+中国で、経済交流が進んでいます。いずれ2010年には、東アジア共同体・EACというものを立ち上げる、という動きになっています。
 そうなってくると韓国が困りました。日本・アメリカ側につくのか、中国・アセアン側につくのかで、2・3年前から中国側に大きく傾いています。留学生の数を見ると分かります。中国の北京大学には世界中の留学生が集まります。21世紀は中国と商売しなければメシが食えなくなることが分かっていますから、将釆、中国語がしゃべれる人が自国のリーダーになり、中国の指導者に友達がいないと困ります。それには北京大学に留学するのが一番いいのです。あそこはエリート養成学校です。この前行った時聞いてみたのですが、入学試験競争率5千倍だそうです。超難関です。大学の構内を歩いて見たのですが、広い敷地に6階建てのアパートが36棟ぐらい建っていて、みな学生寮です。全寮制。そばに教職員住宅があって、朝から晩まで共に暮らしながら勉強しています。授業は朝7時からです。ものすごく勤勉に勉強しています。35年間私は大学の教員でしたが、愛すべき怠け者の学生諸君を教えてきたわが身としては、「あ、これはかなわないなァ、20年もしたら──」と思いました。向こうは国の総力を上げて次の時代の指導者を養成しているのです。日本はもう全然、ニートとかフリーターとかいって、若者の気迫がまるでレベルが違います。これは置いていかれるな、という気持ちになりました。このように世界中の国が、いま一流の学生を北京大学に送り込んでいるのですが、去年、北京大学留学生の中で一番数が多いのが韓国なのです。
 おととしまで韓国の学生は殆どアメリカヘ行っていました。去年あたりから中国へ変わったようです。つまり韓国は、21世紀の自国は、アメリカ・日本ではなく、中国・アセアンと組むことで繁栄を図りたい、と向きを変えたということです。
 それに拍車をかけたのが小泉首相の靖国参拝。これで韓国は怒っちゃってあちらを向いた。そうなると、アセアン、中国、韓国と繋がって、日本だけはずされてしまった、という状況がいま生まれつつあります。

 さらに中国は、数年前からいま、「ふりん政策」を国の方針としています。フリンといっても男女の不倫ではありません。富、隣。隣の国を富ます、隣の国を豊かにする──富隣政策です。隣の国と仲良くする。中国だけ儲けたのでは相手に恨まれてしまいます。英語では「ウィン、ウィン」(win-win)というようです。どっちも勝つ、中国も儲けるけど相手も儲けるような関係を必ず作っておく、ということが基本政策です。
 つまりアメリカは、やっとソ連を倒したと思ったら、今度は中国が出てきたのですから、中国を目の敵にしているのは当然です。中国にすれば、アメリカにやられないためには、単独では対抗できませんから、周りの国と手をつなぐ、ということです。

 アメリカは修正資本主義を止めて自由競争の資本主義に戻りました。その結果大企業・大資本は野放しになりました。そのためにアジアにそっぽを向かれることになりました。アメリカにはついていけない。アメリカに勝手にされては困る。もちろんアメリカと喧嘩をしては駄目ですが、自分の国は自分の国でやれるようにしなければならない──、というふうに変わったのです。

 そして最後に、3年前から南米が変わりました。ようやく日本でも報道されるようになりましたからご存じと思います。ただ日本のマスコミはちょっとしか書きませんから、気づいておられない方もおありかと思います。南米がものすごい勢いでアメリカ離れを始めたのです。

 今まで200年、南米はアメリカの裏庭といわれていました。アメリカはやりたい放題やっていました。チリは世界一の銅の産出国ですが、このチリの銅はすべて、アナコンダというアメリカの銅会社が一手で採掘していました。だからいくら掘ってもチリは豊かにならない。アメリカのアナコンダだけが儲かるのです。
 ブラジルは世界一の鉄の産地です。これもみな掘っているのは欧米の会社で、いくら掘ってもブラジルは豊かにならない。ベネズエラは世界第五位の産油国です。これもみなアメリカの石油資本が持っていく。
 こういう国はこれまで軍事独裁政権でした。政治家は、自分の国の資源をアメリカに売り渡し、自国の国民の反発は力で抑えつけ、莫大なリベートを貰って自分たちだけベラボウな贅沢をしてきました。これがアメリカと南米のパターンだったのです。

 それが、3年ほど前から、「おかしいではないか。やっぱりベネズエラの石油はベネズエラ人のものだ。石油を掘ったら、ベネズエラが豊かにならないとおかしいではないか。いくら掘ってもアメリカだけ儲けるのはおかしい。石油をアメリカの石油会社から取り上げて、ベネズエラで掘ることにしよう。国有化しよう」というような政策を訴える大統領が、当選するようになりまし。この3年間で、南アメリカは80%が、このような自主独立派の大統領になりました。アメリカ資本に任せず、自国の経済は自分でやろうという政策を掲げた大統領が、次々と当選したのです。
 いまでは、南アメリカでアリカの言いなりというのは、多分コロンビアしかないと思います。あとは殆どみな、自分の国は自分でやりましょというふうに変わってきました。ベネズエラのウゴ・チャベスという人がそのチャンピオンです。ご存じですね、時の人です。アメリ
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2022/05/31 (Tue) 01:15:05

いまでは、南アメリカでアリカの言いなりというのは、多分コロンビアしかないと思います。あとは殆どみな、自分の国は自分でやりましょというふうに変わってきました。ベネズエラのウゴ・チャベスという人がそのチャンピオンです。ご存じですね、時の人です。アメリカはそのチャベスの当選を必死になって妨害したのですが、結局ダメでした。チャベスが圧倒的多数で選出されました。その彼の言い分がふるっているのです。
 「失礼にならないようにアメリカから遠ざかりましょう」というのです。いきなり遠ざかったのではゴツンとやられますから、アメリカを怒らせないように、喧嘩しないように、少しずつ「小笠原流」で遠ざかって自主独立に向かいましょうというのです。
 これがいま世界の合言葉です。「失礼にならないようにアメリカから遠ざかる。」日本もそうしなければいけない、と私は思っているのですが。絶対にやりません。

 こうやってアメリカは、ソ連や東ドイツがなくなってから、修正資本主義をやめて、いまの言葉でいえば「新自由主義」という仕組みに代わりました。日本はそれに右ならえしたのです。いま申し上げたように、このアメリカの新自由主義経済に無条件で追随しているのは、日本しかありません。あとはみな、「失礼にならないように」距離をおきました。日本だけが無条件でついていきました。だから「ポチ」だといわれるのですネ、確かにポチと言われてもしょうがないほど、無条件でついていきます。それは恥ずかしいことですが、日本が追随していく。これが構造改革なのです。修正資本主義経済から新自由主義経済に変わるということです。簡単にいえば、弱い人の面倒を政府が見るような仕組みから、もう弱い人の面倒は見ませんという仕組みに、変わっていく──。これが構造改革です。

 だから、社会保障はどんどん悪くなる。自由競争で勝ち組と負け組がある。中には1千万ぐらいのマンション買って落ち着いているのもいる。片方には、国民健康保険料さえ払えなくて医者にも行けない。そういう人がもう全国で膨大な人数出てきている。まさに格差社会です。
 どんどんその格差が広がっています。金持ちからお金を取って弱い人の面倒を見る、というのが修正資本主義なのですが、それを止めてしまいました。野放しなのです。強い人はますます強くなり、弱いものは負けたら自己責任なんですよ。こういう仕組みにいま変わったのですね。
 それがいいか悪いか、止むを得ないのかどうかは、いろいろな立場によって考えが違うのですが、事実はそうなったのです。
 しかしヨーロッパは別の道をとっています。このように別の道もありうるというのも事実なのです。ヨーロッパのように社会保障を止めない資本主義もあり得るのです。
 日本の場合、アメリカほど徹底していませんが、流れとしては「政府はもう弱い人の面倒は見ません」、という方向に大きく動いています。

《憲法改悪の要求》

 こうして、アメリカは新自由主義経済で自国の企業を野放しにして、それを世界中に押しつけようとしたのですが、意外に抵抗が大きかった。ヨーロッパはいうことを聞かない。アジアも聞かない、南米も聞かない。これでは困るので力づくで押しつける。こういうことになるのですね。力づくで押しつける時に、最大の目標・ターゲットはもちろん中国です。やっとソ連を倒して、21世紀はアメリカが王様になれると思ったら、中国が巨大な国になってきて、アレリカの前に立ふさがっいます。このままではアメリカは王様ではいられません。中国を抑え込むことが21世紀へ向けてのアメリカの最大の長期的課題になっています。しかし戦争はできません。中国と戦争したのでは共倒れになります。唯一の道はエネルギーを抑えることです。

 ネオコンという人たちの書いた文章を読むと、非常にはっきり書いてあります。21世紀にアメリカが世界の支配権を握るには、中近東の石油を抑えなければならないというのです。中国は石油の自給ができません。どんどん石油を輸入していますが、殆どいま中近東から輸入しています。アメリカが中近東の石油を抑えれば、中国はアメリカのいうことを聞かざるをえなくなる。当然でしょうね。
 世界一の産油国サウジ・アラビアはすでにアメリカ側の国です。そこで第二の産油国であるイラクをアメリカは分捕りたいのですが、その理由がありません。そこでアメリカは「大量破壊兵器、テロ応援」という嘘をつきました。プッシュ大統領も、ついにウソであったことを認めました。
 ではなぜイラク戦争をやったのか。本当の理由はまだ公表されていません。しかしネオコンという人たちの文章を読むと、明らかに「石油を抑える。抑えてしまえば中国は言うことを聞かざるをえない」。ここに本当の理由があったことは明白です。そうだとすれば、恐ろしい話ですが、(次に)絶対にイランが狙われます。
 世界第1の産油国サウジアラビアは、昔からアメリカの同盟国です。第2位のイラクは抑えてしまいました。そしてイランは第3位の産油国です。ここを放っておいたのでは意味がないのです。中国はいくらでもイランから石油の輸入ができます。どうしてもイランまで抑えなければならないというのは、アメリカでは、いわば常識です。どんな新聞雑誌でも次はイランだということが堂々と語られています。
 ライス国務長官も3日前、「今イランに対するは軍事力行使の予定はない」と言っていました。「今は」です。イランは核開発やっているというのが理由です。たしかに妙な国ですが、しかし別に悪い国ではありません。あのあたりでは1番民主的な国です。曲がりなりにも選挙で大統領を選んでいますから。女性はみな顔を出していますし、大学へもいっています。イランは近代化した国なのです。サウジアラビアなどの国に比べたら、ずっと民主的な近代国家です。イスラム教のお妨さんが、選挙で選ばれた大統領より偉い、というのだけが変ですが、全員がイスラムですから、他国がとやかく言うことではないです。
 ですから、イランが悪魔の国というのは嘘なのです。イラクがそういわれたのも同じで、要するに悪魔の国と誤解させて、戦争しかけてもやむを得ないと思わせるための宣伝が行われているのです。

 イランはイランで、自分で自分他ちの国を近代化していけばいいのであって、核兵器持つなといっても、隣のパキスタンもインドも持っているのです。こちらのイスラエルもです。イランだけ持つなといっても、聞くわけありません。イランに持たせたくないのなら、「俺も止めるからあんたも」と言わなければなりません。「俺は持っている。お前だけ止めろ」と言ったってイランが聞くわけありません。そんな理屈が通るはずがないのです。実に馬鹿な理屈です。本当にイラクに核開発をやめさせたいのなら、イギリスもフランスもアメリカも 「先ず自分が止める、だからお前も止めろ」と言うしかありません。お前だけ持つなと言って、聞くと思う方がどうかしています。核開発は現在の大国の論理では抑えられません。イランに言わせれば、「イラクがなぜあんなに簡単に戦争しかけられたかといえば、核兵器を持っていなかったからだ。持っていたら恐ろしくてとても戦争なんか仕掛けられない」ということになります。だからイランはいま核開発を急いでいるのです。核兵器を持たないとアメリカに攻められるから。そう思い込んでいるのです。

 そう思わせるようなことをアメリカはやってきたのですから、イランに核兵器開発を止めさせるためには、イラクから撤収して、中東の平和は中東に任せる、という姿勢を示すしかありません。自分がイラクを分捕って居座ったままで、イスラエルやパキスタンやインドの核兵器には文句をいわずイランにだけ、というのは通じない理屈です。実にゆがんだ国際常識というものが罷り通っている、と思います。

 もしアメリカがイランまで分捕ってしまえば、サウジアラビア、イラン、イラクと合わせて、世界の石油の70%ぐらいになるはずですから、中国はアメリカのいうことを聞かざるをえなくなります。だからつぎはイランだというのが、ネオコンの論理です。
 ただ問題は、イランに戦争を仕掛けるとしても単独ではできなません。兵隊がたりない。徴兵制ではなく志願兵制度ですから。いま、ありったけの兵隊さんがイラクに行っています。あれ以上いないのです。だからハリケーンが来ても出せなかったのですね。そうすると、イランに出す兵隊なんていないのです。そこで、アメリカの右翼新聞の社説など、堂々と書いています。「イラクにいるアメリカ軍でイランを乗っ取れ。カラッポになったイラクの治安維持は、日本にやらせろ」と。
 アメリカの論理から言えばそうなるのでしょう。自衛隊にイラクの治安維持をといいますが、実際は内乱状態ですから、今も毎日アメリカ兵は毎日5人位殺されています。そんなこと引き受けたら、自衛隊員何人死ぬか分かりません。第一そんなことは、憲法9条があるかぎりできないのです、絶対に。憲法があるおかげで、自衛隊はイラクにいますけれども、ピストル1発撃つことができないのです。憲法9条第2項というのがあるのです。自衛隊は戦力ではない・交戦権はないとなっていますから、不可能なのです。だから給水設備備を作るとか、学校修理とか、そういうことしか出来ません。これじゃあアメリカから見れば役に立たないのです。

《平和憲法こそ 日本生存の大前提》

 そこで、「9条2項を変えて、戦争ができる自衛隊になってくれ」というのがアメリカの強い要求なのです。みんな分かっています。言わないだけです。日本の新聞記者も知っています。しかし、「9条変えろ」がアメリカからの圧力、と書くと首になるから書かないだけです。でも誰も知っています。アメリカのに戦争に参加しなさい、という強い圧力がかかっているのです。
 ここのところをよく見極めておくことが必要です、「9条を守る」ということは、「アメリカの言いなりにならぬ」ということと一つ、なのです。
 アメリカと喧嘩しては駄目ですから、「失礼にならないようにアメリカから遠ざかる」のが何よりも大切です。仲良くするけれども言いなりにはならない、ということです。ところが、憲法が危ないという、この危機的な状況にもかかわらず、国内で労働運動が弱体化していますから、ストライキも起きない。大きなデモも起きない。大反対運動も起きない──。という状況です。

 ではもう駄目なのでしょうか。そうではないと思います。それには日本の国内だけではなく、世界に目を向ける、アジアに目を向けるこちとが必要のです。ご存じのように、これからの日本は、中国と商売せずには、生きていけなくなりま。いま、大企業だけですけど、多少景気がよくなってきています。全部中国への輸出で持ち直したのです。中国マーケットがなくなったら日本経済はおしまいだ、ということは誰も分かってきています。
 お手元の資料の中の(貿易額の)丸い円グラフは、2003年のもので少し古いのですが、アメリカ20.5%、アジア全体で44.7%、つまり日本にとって一番大事な商売の相手は、アメリカではなくてアジアなのです。
 アジアと仲良くしなかったら、経済が成り立たないところへ、いま既にさしかかっているのです。左隣の棒グラフは2004年ですが、左上から右に折れ線がずうっと下がってくる。これが日本とアメリカの貿易です。点線で右へずうっと上がっていくのが中国との貿易。遂に去年(2つの折れ線が)交差し、中国との貿易の方がアメリカとの貿易額より多くなりました。しかも鋏状に交差していますから、今後この2つは開く一方になってきています。
 つまり、あと2・3年もすれば、日本は中国との商売なしには生きていけない、ということが国民の常識になるということです。いま既に、中国を含めたアジアが、日本の一番大事なお客さんなんです。仲良くしなければいけません。一番大切なお客さんの横っ面ひっぱたいたんじゃ商売は成り立ちません。
 靖国参拝などというものは、一番大事なお客さんの横面ひっぱたくと同じことなのですから、個人の信念とは別の問題です。小泉首相は総理大臣なのですから、個人の心情とは別に日本の国全体の利益を考えて行動しなければいけません。それは総理大臣の責任だと思います。その意味でアジアと仲良ぐできるような振舞いをしてもらわなければ困るのです。

 もう一つ。アメリカとの商売はこれからどんどん縮小していきます。それは、ドルというものの値打ちがどんどん下がっていくからです。これはもう避けられません。
 昔はドルは純金だったのです。1971年まで、35ドルで純金1オンスと取り換えてくれました。だからドルは紙屑ではありませんでした。本当の金だったのです。
 われわれのお札はみな紙屑です。1万円なんて新しくて随分きれいになりましたけど、綺麗にしただけちょっとお金がかかって、印刷費に1枚27円とかかかると聞きました。27円の紙がなぜ1万円なのか。これは手品みたいなものです。あれが5枚もあるとなかなか気が大きくなるのですが、本当は135円しかないのです。それが5万円になるのは、法律で決めているのです。日銀法という法律で、こういう模様のこういう紙質のこういう紙切れは1万円、と決められている。だから、あれを1万円で受け取らないと刑務所に入れられます。法律で決まっているからです。ですから日本の法律の及ぶ範囲でだけ、あれは1万円なのです。その外へ出ると27円に戻ってしまいます。
 金と取り換わらないお札というのは、簡単にいえばその国の中でしか通用しません。他の国へ行ったら、その国の紙屑と取り換えなければ通用しません。ところが、ドルだけは世界で通用しました。純金だからです。

 ところが、1971年にアメリカはドルを金と取り換える能力を失いました。ベトナム戦争という馬鹿な戦争をやって莫大な軍事費を使ったのです。背に腹は代えられなくてお札を印刷し、航空母艦を造ったりミサイル、ジェット機を作ったりしたのです。そのために、手持ちの金より沢山のお札を印刷しちゃったのです。
 その結果、アメリカは、ドルを金と取り換える能力を失ったのです。そこで、71年8月15日、ニクソン声明が出されました。「金、ドル交換停止声明」です。あの瞬間にドルも紙屑になったのです。ドルが紙屑になったということは、ドルがアメリカの国内通貨になったということです。
 ところが、問題はそれ以後なのです。世界で相変わらずドルが適用したのです。皆さんも海外旅行へ行かれる時は、大体ドルを持って行かれますね。どこの国へ行っても大丈夫なのです。金と取り換えられないお札が何故世界で適用するかは本当に不思議で、経済学者にとって最大の難問なのです。いろんな人がいろんな答を言っていますけど、あらゆる答に共通しているのは、ひとつは「アメリカの力の反映」だから、ということです。

 つまり、日本が自動車を作ってアメリカヘ売ります、ドルを貰いますネ。日本は損をしているのです。自動車という貴重なな物質がアメリカへ行って、紙屑が返ってくるのですから。物が減ってお札だけ増えると必ずバブルになります。
 バブルの犯人はそこにあるのです。日本が輸出し過ぎて貿易黒字を作り過ぎているのです。だから日本は、アメリカに自動車を売ったら、「純金で払ってください」と言わなければなりません。ところがそう言うと、ジロッと睨まれてお預けになってしまいます。日本には米軍が5万人います。「アメリカのドルを受け取らないとは、そんな失礼なこと言うなら、在日米軍クーデター起こしますよ」、これで終わりなのです。黙って受け取ってしまう。だから日本は無限に物を提供し、無限に紙屑をもらう。こうしていくら働いても日本人の生活はよくならないのです。しかもその紙屑でアメリカの国債を買っています。アメリカに物を売って、払ってもらった代金をアメリカに貸している。言ってみればツケで輸出しているようなものです、現実に。アメリカにいくら輸出しても日本は豊かにならない仕組みになつています。

 2週間前に『黒字貿易亡国論』という本が出ました。有名な格付け会社の社長さんですが、「貿易黒字を作るから日本は駄目なのだ」、ということを詳しく論じたたいへん面白い(文芸春秋社の)本です。確かにそうだと思います。だからドルは、本当は受取りたくないのです。みんな紙屑なんです。だけど受け取らないと睨まれる。アメリカの軍事力が背景にあるのです。
 その力をバックにして、紙切れのお札を世界に通用させている。例えていえば──餓鬼大将が画用紙に絵をかき1万円と書いて鋏で切り、これ1万円だからお前のファミコンよこせ、とこれを取り上げる──のと同じです。いやだと言ったらぶん殴るのです。怖いから黙って渡して紙屑もらうことになります。その紙屑で、他の人から取り上げればよいのです。「お前のバイクよこせ、よこさなかったらいいつける」。「あの人、あんたの紙屑受け取らない」、するとガキ大将が釆て、ゴツンとやってくれる──。餓鬼大将の力の及ぶ範囲ではそれが通用するのです。露骨にいえば、ドルがいま世界に適用しているのは、そういう仕組みが一つあります。
 もう一つは、ソ連の存在です。もし紙屑だからアメリカのドルを受け取らないといったら、アメリカ経済は潰れます。アメリカが潰れたらソ連が喜ぶ。だから紙屑と分かっていても受け取ってきた。ソ連に勝たれては困るから──。
 これも確かに一理あります。ということは、ソ連がいなくなって、紙屑は紙屑だということがはっきりしてきたのです。今まではソ連がいるために、紙屑なのに金のように適用したが、今や「王様は裸だ」というのと同じで、「ドルは紙屑だ」といっても構わない時代です。

 ともかくドルが危ないのです。私が言ってもなかなか信用してもらえませんが、経済誌『エコノミスト』、一流企業のサラリーマンなら必ず読んでいる雑誌すが、これの去年9月号が中国“元”の特集でした。その真ん中へんに「プラザ合意20年」という対談がありました。その中で、榊原英資さんは「5年以内にドル暴落」と言っています。
 榊原さんは大蔵省の元高級官僚で日米為替交渉の責任者を10年やりました。円・ドル問題の最高責任者だった人です。「ミスター円」といわれていました。通貨問題に最も詳しい現場の責任者です。停年で大蔵省をやめて今は慶應大学の先生になっています。この人が「5年以内にドルが暴落する」、つまりドルが紙屑だということが明らかになる日が近いと言っているのです。

 ソ連がいる間は隠されていたのですが、いまはもう、ドルは紙屑だから受取りたくないという人たちが増えてきています。これまでは世界通貨はドルしかなかったので、受け取らなければ商売ができなかったのですが、今ではユーロという代わりが出来てしまいました。ドルでなくてユーロで取引する国が増えてきています。そしてユーロの方が下がりにくい仕組みになっています。ドルは下がるのです。
 なにしろアメリカは、永いことドルが世界通貨ということに慣れてきました。だから自動車が欲しければ日本から自動車買って、アメリカは輪転機を回せばよいのです。紙とインクがあればいいのですから。ほかの国はこんなことできません。自動車が欲しければ、一生懸命働いて何か輸出し、その代金で輸入しなければならないのです。アメリカ以外の国は全部そうやっているのです。

 輸入は輸出と一緒です。輸入するためには輸出しなければなりません。ところがアメリカだけは輸出しないで輸入ができるのです。ドルという紙切れが世界通貨ですから。極端に言えば、欲しい自動車や石油を日本やアフリカなどから買って、紙とインクで支払う。実際そうして世界の富がアメリカに集まったわけです。
 71年以降の30年間、この仕組みのために、世界中にドルが溢れ出ました。ドルがどんどん増えますから、当然値打が下がります。こうしてドル下落傾向。(資料の一番下のグラフがそうです。円が上がっていく様子、為替取引だから短期的には上下しますが、長期的には間違いなく円高。ドルがドンドン下がるのは確かです。)これがあるところまでいくと、ガクッと下がります。
 あるところまでいくと、「ドルは信用できない、下がる通貨は持っていたくない」となります。ですからドルを受け取らない、ユーロか何か、別な、下落しない通貨でなければ受け取らないということが出てくる。そうなるとドルは暴落します──。榊原氏がそういっているのです。

 ヨーロッパはユーロでいくでしょう。アジア経済圏はなんといったって元です、中国の。中国は賢いですから、元を押しつけないで、何かアジアの新しい通貨を作るかもしれません。しかし元が中心になることは間違いないでしょう。ドルはアメリカでしか使われなくなる。そうすると、今まで全世界で使われていたドルが、みんなアメリカに集まって来るわけですから、アジア、ヨーロッパで使われいていたドルがみな戻ってきて、簡単にいえばドルの値打が3分の1に下がることになります。
 アメリカの生活は大きく収縮します。一家で3台自動車持っていた家は1台に。1台持っていた家は止めなくればならなくなる、ということです。
 アメリカ経済の収縮。これは大変恐ろしい話なのです。世界経済が大きく収縮し、日本経済は大きな打撃を受けます。しかし避けられない動きなのです。いつのことか分からないが、そう遠くない将来にドルの信用がドンと落ちていく。結果として日本がアメリカにだけ頼っていたら、大変なことになります。
 いまのうちに、アメリカに輸出してドルをもらったらユーロに代えておいた方がいい。ユーロの方は下がらないからです。EUという所は、国家財政が赤字だと加盟できないことになっています。赤字だと穴埋めにお札を出すので乱発ということになって下がるのです。だからユーロは一応下がらない仕組みになっています。乱発できないようになっているのです。ドルは短期的に持つのはかまわないが、3年、4年と長期的に持っていると下がってしまいます。それならユーロにしておいた方がいいとか、これから生まれるかもしれないアジア通貨にしておいた方がよいとかいうことになります。世界の大企業や国家が、決済のために多額のドルを持っていますが、これがユーロに切り替えられるとなると、ドルはもう世界通貨ではなくなります。

 そうなると、アメリカだけに依存している国は、大変苦しくなります。21世紀の日本を考えた時、アメリカと仲良くするのは大切ですが、しかしアメリカ一辺倒では駄目な時代になっているのです。アジアと仲良くしなければいけません。
 しかしアジアと仲良くするのには、無条件ではできません。なぜなら、60年前、アジアに戦争を仕掛けて大変な迷惑をかけた。その後始末がちゃんとできていないのです。仲良くするするためには、60年前のマイナスを埋めるところから始めなければいけません。別に難しいことではないのです。「あの時はごめんなさい。2度とやりませんから、勘弁してください」。これで済むわけです。
 問題は、「2度とやりません」が、信用してもらえるかどうかです。信用してもらうための最大の決め手が「憲法第9条」です。憲法9条第1項、第2項がある限り、日本は2度と戦争はできません。イラクの状態を見ても、自衛隊は鉄砲一発撃てない。(世界中)みんなが見ています。この憲法9条第1、第2項がある限り、日本は戦争はできません。だから安心して日本と付き合うのです。
 もし日本が憲法9条を変えて、もう1回戦争やりますということになったら、アジアの国々は日本を警戒して、日本との付き合いが薄くなってしまいます。いま既にそうなりつつあります。小泉首相は靖国に何度も行く。自民党は憲法9条を変えることを決め、改憲構想まで発表した。アジアの国々は用心します。「そういう国とは、あまり深入りしたくない」。

 小泉首相は「政冷、経熱」でいいじゃないか、といいます。政治は冷たくても経済では熱い関係というのでしょうが、そんなことはできません。中国と日本の経済関係はじわっと縮小しています。統計でもそれははっきり出ている。
 おととしまで中国の貿易のトップはアメリカでした。次が日本、3位はEU。これがひっくり返ってしまいました。去年はトップはEU、2位アメリカ、3位日本です。明らかに中国は日本との商売を少しずつ縮小させている。その分EUに振り替えています。

 去年5月、ショッキングなことがありました。北京・上海新幹線という大計画をEUに取られました。北京~上海って何キロあるのでしょう。日本の本州より長いのではないでしょうか。このとてつもない計画があって、去年、まだ予備調査の段階すが、日本は負けました。ドイツ、フランスの連合に取られました。予備調査で取られたということは、本工事は駄目ということです。中国にすれば、日本にやらせるのが一番便利なのです。近いですし、新幹線技術も進んでいます。まだ1度も大事故を起こしたことがありません。ドイツもフランスも、1回ずつ大事故を起こしたことがあります。技術からいっても資本からいっても、日本にやらせれば一番いいのに、日本が負けました。明らかに政治的意図が働いたと思われます。日本との関係を深くしたくない。いざという時、いつでも切れるようにしておく。いざというとき、切れないようでは困る。そういうことではないでしょうか。

 いまのままアメリカ一辺倒でいいのでしょうか。私は長島さんをよく思い出します。後楽園での引退試合の時、最後に「読売ジャイアンツは永久に不滅です」といったのです。永久に不滅どころか、去年のジャイアンツのサマといったらもう、見ていられない。アメリカもそうなるのではないでしょうか。小泉首相は「アメリカは永久に不滅です」と、いまもいっているのですが、そうではないのではないでしょうか。
 アメリカにさえ付いていれば、絶対大丈夫という時代は終わったのです。アメリカとも仲良くしなければいけませんが、しかしアジアとも仲良くしなければいけない、そういう時代がいま来ているのです。仲良くするのには、憲法9条を守ることが大前提です。これを止めてしまったら、アジアとは仲良くできません。

 憲法9条は、日本にとって“命綱”です。いままでは、憲法9条というと、「理想に過ぎない。現実は9条で飯食えないよ」という人が多く、中には鼻で笑う人もいました。しかしいまは逆です。9条でこそ食える。9条を変えたら、21世紀日本の経済は危ないのです。
 憲法9条を守ってこそ、この世紀の日本とアジアとの友好関係を守り、日本も安心して生きていけるのです。こういう世の中をつくる大前提が憲法9条です。憲法9条は美しいだけではなく、現実に儲かるものでもあります。そのことがやっと分かってきました。

 奥田経団連会長は、去年までは小泉首相を応援して靖国参拝も賛成だったのですが、そんなこといってたらトヨタは中国で売れなくなります。そこで今年の正月の挨拶でついに、「中国との関係を大事にしてほしい」と、向きが変わりました。
 財界が、中国と仲良くしなければ自分たちは商売ができない、となってくれば、日本の政治の向きも変わるだろうと思います。あと3年たてば多分、これは日本の国民の常識になってきます。中国と仲良くしないと経済が駄目になる。それは中国のいいなりになることではないのです。良くないことはきちんという。だけど敵にするのではなく、仲良くする。でなければ、日本の経済は成り立たない。これがみんなの常識になってくるでしょう。

 これまで60年、アメリカベったりだったから、アメリカから離れたら生きていけないと皆思ってきました。しかし現実の数字はそうでなくなっています。一番大事な経済の相手は、もうアメリカではなくアジアなのです。これに気づくのにあと2・3年かかるでしょう。これが世論になれば、もう、憲法を変えるなどということは、絶対にできません。
 しかし、この3年の間に、国民の世論がそのように変わる前に、憲法が変えられてしまったら、どうにもなりません。
 あと3年、必死の思いでがんばって、子供たちに平和な日本を残してやるのが、私たちの務めだと思います。そう思って、私も必死になってかけ回っています。あと3年ぐらいはまだ生きていけるだろうから、なんとしても3年間は9条を守るために全力をつくしたいと決心しています。

 ありがたいことに、9条を変えるには国民投票が必要です。国会で決めただけでは変えられません。国民投票で過半数をとらないと、憲9条は変えられないのです。逆にいえば、これによってこちらが憲法9条を守る署名を国民の過半数集めてしまえばいいことになります。住民の過半数の「9条を守る」署名を3年間で集めてしまう。そうすればもう、変えることは不可能になります。
 そうすれば、子供たちに憲法9条のある日本を残してやれます。2度とアジアと戦争する国にならないようにして、そしてもし長生きできれば、新自由主義という方向、つまりアメリカ言いなりではなく、もっと自主的な経済ができるように、せめてヨーロッパのような修正資本主義、ルールのある資本主義の仕組みにもう一度戻すこともできるでしょう。

 日本中で、飢えている人、因っている人、貧しい人が、それでも人間らしく生きていけるような、最低限の保障ができる、生きる希望が出る──。そういう社会にすることが大切なのだ、と思います。これは長期的展望です。簡単にはできません。一度、新自由主義になってしまったので、10年位かかるでしょう。国民が賢くなって、正しい要求を政府につきつけていかなければいけません。その中心になる労働運動の再建が必要です。
 結局国民が主権者なんですから、国民の願いがかなうような、そういう日本に作り替えていきたいなと、そういう道を進んでいきたいなと思います。

 鋸南町は合併を拒否なさったというので、日本でも有数な自覚的な町といえます。合併するとまず住民自治がダメになります。大きくなるということは、住民自治が駄目になることでもあります。住民が主人公になる町こそ大切。ぜひこの美しい山と海と禄のある町で、1人1人が主人公であるような地域共同体というものを、みんなが助け合える町になることを私も希望して、講演を終わらせていただきます。

http://kyonannet.awa.or.jp/mikuni/siryo/2006/kawabata-kouen060114.htm
8:777 :

2022/05/31 (Tue) 01:15:31

新自由主義拡大が頓挫     2011年12月19日

 アメリカが大ウソをついてひき起こし、9年にも及んだイラク侵略戦争は、敗北に終わった。無差別虐殺や廃虚のなかから決起した、独立と自由を求めるイラク人民の抵抗斗争によって、イラク駐留米軍の大半は今年末をもって撤退せざるをえなくなった。アメリカ支配層は、イラクの恒久占領によって中東一極支配の拠点をつくり、イラクに風穴を開けて、新自由主義グローバル化を中東全域に拡大することをもくろんだが、失敗に終わった。

 2003年3月、ブッシュ前政府はイラク政府に対し、「大量破壊兵器の保有」「テロ組織支援」という口実で、国連の決議さえとれずに、イラク侵略戦争を開始した。「有志連合」と称して欧州諸国をはじめ37カ国をこの戦争に動員した。小泉政府も、アメリカの指図で自衛隊を初めて戦場に送った。

 アメリカ支配層は、1991年に米ソ二極構造が崩壊したのち、世界一極支配の野望をたくましくして、「民主化」と「市場経済」を旗印に東欧諸国やロシアに勢力を拡張した。抵抗するものは、旧ユーゴのセルビアのように空爆など武力によって征服し、各国に親米欧政府をでっちあげた。

 このグローバル市場化の流れに最後まで抵抗した地域の一つが、中東アラブのイラクやシリア、イランなどであった。アメリカの軍産複合体を基盤とする中枢は、そのうちの一国を足がかりに周辺地域全体に、いわゆる「民主化」と新自由主義の波を広げることを構想していた。

 その「モデル国家」としてイラクを選んでいた。世界第3位の石油埋蔵量のほか、アラブ地域の中心に位置し、米軍基地を置いて中東全体ににらみをきかせるのに好都合だった。1991年の湾岸戦争でイラクに「侵略者」の烙印を押し、その後の執ような大量破壊兵器の査察で、イラクの軍事力は解体同然だったという条件もあった。

 アメリカ中枢部では、ペンタゴンを軸に湾岸戦争をモデルに研究会を重ね、91年2月の「砂漠のあらし」を再現するための訓練・演習を米軍にやらせ、戦争プランを練り上げ、その日を待っていた。ブッシュ前政府は内外の反対や慎重論を蹴って、その単独行動主義を存分に発揮して、イラク戦争を発動した。

 アメリカは1970年代から、中南米や東欧、ロシアなどに勢力を拡張するのに

「衝撃と恐怖―迅速な支配達成のために」

と呼ばれる手法を使ってきた。それは、既存の国家を丸ごと消し去り、新たな国家をうち立てるという「究極のショック療法」を駆使することだった。


 米軍はイラク侵略を始めると、1日でトマホーク380発以上を発射した。ちなみに湾岸戦争の時は5週間で約300発だった。イラク軍との戦斗がおこなわれた3月20日から5月2日までのあいだに、米軍はイラクに3万発以上の爆弾を投下し、2万発の精密誘導巡航ミサイルを発射したが、それは過去に発射されたミサイル総数の実に67%に相当するものだった。


アメリカに刃向かうものは皆殺しにする


というメッセージを込めた実験であった。


イスラム教スンニ派の拠点であったファルージャに対する2度の包囲・「掃討」作戦、ナジャフでのシーア派民兵に対する包囲攻撃も残酷きわまりないものだった。

ファルージャでは、何重にも包囲したうえで米軍機が無差別爆撃をやり、地上では米兵が民家をしらみつぶしに回って、抵抗するものはその場で射殺する。約1カ月の「掃討」で8000人もの市民が犠牲になり、街のサッカー場が墓場になった。

これも、「衝撃と恐怖」でイラク人民の抵抗意識をうちのめすことに眼目があった。


 アブグレイブ収容所などでの捕虜(実際は一般の住民)に対する殴打から電気いすなどありとあらゆる拷問、なかには変態的な人倫にもとる責め苦なども、同じ目的であった。これも、恐怖感を持たせる心理作戦の一環だった。

 100万人殺し難民300万人 残したのは破壊だけ


 アメリカの侵略で、イラク人約100万人が死亡し、300万人が傷つき、300万人が難民となった。あるイラク人は「米国が残したものは、破壊された国だけ。彼らは近代的な学校も工場も残さなかった。逆に、何千何万の孤児と未亡人を残した」と語っている。

 おもな国庫収入源である石油生産量は、今夏でも日産250万と戦前水準と変わらない。電源の復旧も進まずいまだに断続的停電が続いている。失業率は政府発表で15%、総人口の4分の1が貧困ライン以下の生活を強いられている。

 オバマ大統領は先日の演説で

「独立し、安定し、自立した国家、イラクをあとにする」

と言った。またも大ウソである。

イラクにはシーア派、スンニ派、クルド族とあるが、貧困と不公平が憎悪を募らせ、宗教間、民族間の衝突があいついで、数年前には内戦状態に陥った。この原因も、占領当初にクルド族に自治区を認めて、米国が石油権益を握ろうと取引した結果である。イラク政府がシーア派主導であるなかで、最近、スンニ派にも自治区設立の動きが出ている。しかも、シーア派主導の政府はアメリカのかいらい色が強い。今はイランの影響が強くて、シリア問題などでアメリカのいいなりにはなっていないが、イラクの独立に命を賭けるようなことはない。今後、政治、宗教、民族間の衝突が激化しないとはいえない。


 イラク人民は、原爆以外のあらゆる兵器によるショック攻撃を受けながら、決して屈服することはなかった。アメリカの戦争目的が占領であり、植民地化であることが明確になるなかで、反米武装組織が次次に生まれ、米軍や「有志連合」軍と果敢にたたかった。悠久の歴史を持つイラク人民が、不屈の民であることを侵略者に思い知らせたのである。

 オバマが米軍撤退を公表した14日、首都西部の都市ファルージャ市の中心広場では、米軍叩き出せの集会・デモがおこなわれた。

「われわれは自由になった」

「ファルージャは抵抗の炎」

と大書した横断幕やプラカードを掲げ、「抵抗」「抵抗」とスローガンを連呼した。


 イラク人民のたたかいは、アメリカ支配層がイラクに「衝撃と恐怖」を与え、新自由主義経済への風穴を開けようとしたことも挫折させた。

 イラクには石油のほかに、奪い取れる経済的果実は山ほどあった。

当初アメリカはミサイル攻撃などで首都などが破壊され、イラク軍も無力となった時点で、さっさとイラクの国家資産をベクテルやエクソン・モービルなどアメリカの企業に売り払おうとしていた。

 戦前のイラク経済は、国営石油会社をはじめ200社にのぼる国営企業によって支えられており、セメントや紙から食用油に至るまで、主要な食料と原材料のすべてが国営企業で生産されていた。占領当局はまず、

国営企業200社をただちに民営化すると発表。

次に法人税を一律15%へ引き下げ、

外国企業がイラクの資産を100%保有することを認めたり、

投資家がイラクで上げた利益を100%無税で国外に持ち出せる、再投資の義務もない

などの優遇策をとった。


 チェイニー副大統領(当時)がかつてCEOだったハリバートンは、米軍基地建設や運営、道路管理から害虫駆除、映画館などを一手に引き受け、ボロもうけをした。

 だが、アメリカや一部欧州の外国企業がイラクにどっと群がるなか、200社の国営企業は慢性的な停電で稼働停止状態であった。

また、外資企業はイラク人労働者でなく外国人労働者を好んで雇用した。

さらに、

セメントもより高い価格で外国から輸入したり、

イラク中央銀行が国営企業に融資するのを禁止したりした。


 帰還兵85万人が失業中 米国内でも


 アメリカはイラク戦争にのべ150万人の米軍将兵をかり出した。戦死者は4500人、負傷者は3万2000人余りに達した。帰還兵の過半数を占める85万人は失業中だし、負傷者や心的外傷を持つ人は就職もできない。彼らの医療・看護費は、総額1兆㌦と試算されており、オバマが毎年7000億㌦の軍事費削減をしても間に合わない。

 イラクとアフガンの戦費は、政府発表で8500億㌦、学者の試算では3兆㌦にのぼる。巨額の戦費はアメリカ財政危機の元凶であり、金融資本救済とあいまって現在のデフォルト寸前の財政危機を招いている。

もともとイラク戦争をやった一つの狙いは、過剰生産恐慌を背景に、ITや住宅などバブルを連発してきたアメリカの危機を戦争で打開することだった。

これも結果はドル乱発で日本など他国を犠牲にして金融資本主義を維持することにきゅうきゅうとする事態となっている。

http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/irakusenryousiltupaisibeigunteltutai.html
9:777 :

2022/05/31 (Tue) 01:16:23

2011年10月1日土曜日

米国にとって鳩山由紀夫とフセインとカダフィは同じ極悪人


アメリカにとって、イラクのサダム・フセインとリビアのカダフィ大佐はアメリカに敵対する極悪人のような存在だった。そして、実はアメリカの目で見ると日本の鳩山由紀夫氏もまったく同列の極悪人に見えていた可能性がある。

確かに強面(こわもて)のフセインとカダフィに比べて、我らが鳩山由紀夫氏はどこか頼りない印象でもあるが、アメリカは外見で彼らを見ているのではない。思想と行動で彼らを見ている。

そして、アメリカは彼らに共通項を見出し、明確に敵として認識した可能性が高い。


白アリに国家を食い荒らされているアメリカ

「強いドル」とはアメリカの政治家がよく口にするセリフである。アメリカにとっては世界を支配している象徴が基軸通貨としてのドルであり、決済手段としてのドルである。

ところが、2008年9月15日のリーマン・ショック以降、アメリカは目に見えるほどのスピードで急激に衰退が顕著になってきていて、それと平行して基軸通貨としてのドルの信認が揺らいでいる。

アメリカは、本当ならば2008年のリーマン・ショックでグローバル経済は破綻してもおかしくないような崖っぷちにまで追い込まれた。必死に破綻を回避して現在に至っているが、世界がアメリカを見る目がどんどん厳しくなってきている。

アメリカは2011年7月に累積債務の上限引き上げ問題に紛糾して、危うく国家破綻(デフォルト)する寸前にまで追い込まれた。

オバマ政権はタイムリミットぎりぎりの段階で何とかそれを回避したが、赤字削減学が低いとして今度は米国債の格下げで市場を動揺させることになった。

家の中で白アリが見つかると、その家の柱は食い荒らされて脆弱になっている可能性がある。

今のアメリカは莫大な負債という白アリに国家を食い荒らされている。

その結果、州財政が破綻していく問題であったり、失業率が高止まりしている問題であったり、FRBが莫大な不良債権を抱えて身動きできなくなっている問題であったり、米国債が格下げされる問題が、次から次へと噴出しているのである。

それぞれの問題を応急処置のように対処しても、もう間に合わないところにまで来ている。

そして、これらの出来事のひとつひとつが、ドルの衰退を示唆するものになってしまっている。

アメリカが覇権国家でいられたのは、世界で唯一ドルを印刷できる国だからである。ドルが信用されなくなってしまうと、アメリカは死ぬ。

だから、必死になってドルの価値を守るしかアメリカは生き残れない。

ドルを守る=ドル防衛のために、アメリカは何だってするだろう。死に物狂いになって、ドル離れを食い止め、ドルの前に立ちふさがる敵は徹底的に破壊しようとするはずだ。

「基軸通貨としてのドルを守るためにアメリカは死に物狂いである」という姿をまず、私たちは切実に意識しないとならない。


ドル防衛のために何でもするアメリカ


通貨基軸としてのドルの信頼低下

アメリカは大きな問題を抱えており、世界中がそれを認識している。その結果起きているのが米国債とドルの信頼低下である。

特に、通貨基軸であるドルはここ数年でどんどん価値を減退させており、それが日本では円高ドル安として認識されている。

実は、このドルの信頼低下がすべての問題を引き起こしているのである。

今までドルに変わる通貨基軸などないと世界は認識していた。しかし、今では世界中が「アメリカが国家破綻したらドルが紙切れになってしまう」という危惧を持っている。

国連までもが、米ドルが通貨基軸としての信認を失ってグローバル経済そのものがリクスにさらされているという見方を表明している。2011年5月25日のことだった。


国連が米ドル信頼の危機を警告、今年の日本の成長率予測を引き下げ

国連は25日、昨年12月に出した「世界経済情勢と見通し2011」の中間見直しを発表し、米ドルの主要通貨に対する価値が下がり続ければ、米ドルに対する信頼の危機、さらには米ドルの「崩壊」が起こりかねないと警告した。

中間報告は、主要通貨バスケットに対するドル相場が1970年代以来の水準に低下したことを挙げ、このトレンドの一因に、米国とその他主要国との金利差、米の公的債務の維持可能性に関する懸念の高まりがあると指摘。

「(予想される)外貨準備の一段の価値低下が起これば、それをきっかけに準備通貨としての信頼の危機が生じ、国際金融システム全体がリスクにさらされる」とした。

IMFと言えば、2009年3月25日、ドミニク・ストロスカーン(Dominique Strauss-Kahn)専務理事はこのようなことを言っていた。

「米ドルに代わる新たな基軸通貨の創設に関する議論は合理的であり、今後数か月以内に実施される可能性がある」「新たな基軸通貨について議論することは全く道理にかなっており、数か月以内に協議が行われるだろう」

2008年 リーマン・ショック、アメリカ経済崩壊
2009年 ストロスカーン、米ドル以外の基軸通貨示唆
2010年 ギリシャ危機、勃発
2011年 5月、ストロスカーン、レイプ疑惑で逮捕

ここで覚えておきたいのは、ドミニク・ストロスカーン氏は明確に米ドルに変わる基軸通貨が必要だと主張していたことだ。アメリカにとってストロスカーンは、「とんでもない男」に見えていたに違いない。

アメリカの見方は2011年5月に世界が共通認識することになった。ストロスカーンは「レイプ魔だった」のである。


レイプで逮捕されたドミニク・ストロスカーンIMF専務理事


アメリカの決死のドル防衛

ドルの通貨基軸としての地位が揺らいでいるのが今のアメリカの状況である。

アメリカの当面のライバルになるのはユーロだが、このユーロは実は2006年には紙幣供給量がドルを超えており、アメリカにとっては非常に危険なライバルになった。

ユーロ紙幣は2002年に紙幣の流通を開始しているのだが、イラクのサダム・フセイン政権は石油の決済をドルからユーロへ変更すると言い始めてアメリカと鋭く対立するようになり、崩壊していった。

1999年 決済用仮想通貨としてユーロ導入
2000年 フセイン、石油の通貨をユーロに変更
2001年 アメリカ9.11同時多発テロ事件
2002年 1月1日ユーロ紙幣流通開始
2003年 フセイン政権、崩壊


アメリカの敵として葬られていったサダム・フセイン

中東GCC(湾岸協力会議)でも、原油のドル決済をやめて、中東独自の通貨「カリージ」を作って、それで決済をする方向が2008年あたりに決定した。

しかし、そのあとにアメリカと鋭く対立するようになり、2009年にはドバイ・ショックで中東湾岸諸国が危機に陥っていった。そして今、湾岸諸国は通貨どころか、国家存続の危機に立たされている。

2008年 リーマン・ショック
2008年 GCCによる中東独自通貨の導入決定
2009年 ドバイ・ショック
2010年 アメリカによるカリージ延期要請
2011年 中東諸国、暴動・デモで全面崩壊

アフリカでもドルに変わる通貨としてアフリカ共同体の共通通貨をアフリカ連合が画策していた。特に中心となったのがリビアのカダフィ政権である。

しかし、これもカダフィ政権が崩壊したことによって恐らく延期、もしくは中止になっていく可能性もある。

2002年 アフリカ連合(AU)発足
2008年 リーマン・ショック
2009年 AU総会議長にカダフィ大佐就任
2010年 アフリカ共通通貨構想の現実化
2011年 1月、北アフリカ諸国、次々と崩壊
2011年 8月、リビアのカダフィ政権、瓦解


アフリカ共通通貨を主張していたカダフィ大佐


イランは2007年にやはりフセイン政権と同じく石油の決済をドルからユーロへと変更している。

しかし、アメリカはイランを厳しい経済制裁を2007年に課して、事実上、イランの石油が国際市場で販売できないようにしてしまっている。

ユーロ決済云々の前にイランは石油販売ができないのである。イラン攻撃についてはずっとアメリカで検討されていたが、いまだそれは行われていない。

イランは強国であり、いったん攻撃となるとアフガンやイラクのようにすぐに終わらない可能性がある。しかし、アメリカはそれをする計画を立てていた。

ところが、2008年9月にリーマン・ショックが起きて、もうアメリカはそれどころではなくなった。

2005年 アフマディ・ネジャド政権発足
2007年 石油決済をドルからユーロへ変更
2007年 アメリカによるイラン経済制裁
2007年 イランの石油は国際市場では販売禁止
2008年 アメリカ、イラク攻撃を計画
2008年 リーマン・ショック。アメリカ経済危機

イランは首の皮一枚で生きながらえている。偶然にそうなったのか、それとも最後の手段で残しているのかは分からない。


アメリカにとって非常に危険な男、イラン・アフマディネジャド大統領


日本が沈んで行った理由

ちなみに、共通通貨についてはアジアでも検討されていて、これを強力に推進しようとしていたのが鳩山由紀夫氏だった。


鳩山代表、「アジア共通通貨」を提唱

次期首相候補の鳩山由紀夫(Yukio Hatoyama)民主党(DPJ)代表が、10日発売予定の月刊誌「Voice」で、アジア地域の経済的および政治的な連携強化に向けた、アジア共通通貨の創設を提唱した。

出版社から入手した論文によると、鳩山氏はアジア共通通貨について、世界的な金融危機が将来起きた場合の衝撃を回避し、地域の政治的対立を軽減することに役立つと述べた。さらに、鳩山氏は、アジア地域において経済協力と安全保障のルールをつくりあげていくべきだと述べた。

もし、アジアに共通通貨ができあがったら、アジアの経済規模からしてドルの通貨基軸としての地位は完全に崩壊してしまうのは間違いない。

これはアメリカにとっては非常に危険な動きだった。端的に言うと、アメリカにとって、鳩山由紀夫はフセインやカダフィと同じくらいの極悪人だったことになる。


アジア共通通貨を提唱した鳩山由紀夫

そのせいなのかどうかは知らないが、結果的に言うと、アジア共通通貨を提唱した日本は現在、崩壊の危機に瀕している。

2008年 リーマン・ショック、アメリカ経済危機
2009年 鳩山氏、アジア共通通貨創設を提唱
2009年 民主党政権発足
2010年 鳩山由紀夫氏、失脚
2011年 東日本大震災、福島原発爆発

もちろん、2011年の東日本大震災、福島原発爆発は「偶然」起きた災害なのでアメリカが関係しているわけではない。アメリカは「トモダチ」作戦で助けてくれたではないか。

しかし、この震災によって、もはや日本はアジア共通通貨どころではなくなってしまったのは確かだ。

ちなみに、「ドル基軸通貨見直し論」は中国からも出てきている。これは周小川人民銀行(中央銀行)行長が2009年3月23日に「国際通貨システムに関する考察」と題する論文を発表したものが下敷きになっている。


周小川論文の波紋、中国から「ドル基軸通貨見直し論」
周小川人民銀行(中央銀行)行長は、3月23日、人民銀行のホームページに「国際通貨システムに関する考察」と題する論文を発表した。この内容は、ドルを国際基軸通貨とする現行の国際通貨システムには欠陥があり、ドルの代わりに国家主権を超越した新基軸通貨を創造すべきであり、当面はIMFの特別引出権(SDR)を活用すべきというものであった。

この論文に対し、英国タイムズは、「中国のドルに対する挑戦である」と論評し、米国オバマ大統領は、「私は(新たな)基軸通貨を創造する必要があるとは考えない」と反発した。しかし、国連の専門家チームのリーダーでノーベル経済学賞の受賞者でもあるスティグリッツは、これを支持している。

何度も言うが、ドルが基軸通貨でなくなった瞬間にアメリカは崩壊する。したがって、中国が「敵」になるのであれば、アメリカは容赦なく中国を破壊して回るだろう。


中国の将来にとても危険な発言をしていた周小川氏

アメリカが最終的に中国を破壊するのは、可能性としてゼロではない。中国がどのように破壊されるのかは、日本にとっては他人事ではないのは言うまでもない。(日本が完全に破壊され、二度と復活できない暗黒時代が来る)

アメリカが必死になってドル防衛をしている姿が世界中のあちこちで見て取れる。

ドル通貨基軸を揺るがす最大のライバルがユーロなのだとすると、当然今回のユーロ崩壊劇もアメリカの謀略が裏にあると考えていいだろう。

ギリシャの累積債務問題は、元はと言えばゴールドマン・サックスがギリシャ政府にアドバイザーとして入り込んでから始まったとも言われている。

ユーロが安定すると常にギリシャ危機が再燃する仕掛けになっていく。格下げのタイミングも絶妙だ。

最終的にユーロはどうなっていくのか。ユーロがドルを揺さぶる潜在的な危険性を持つ限り、ユーロの将来は極めて暗いと言ってもいいのではないだろうか。

なぜか。アメリカがそれを許さないからである。
http://www.bllackz.com/2011/10/blog-post.html


2011年10月24日月曜日


カダフィが死んで高笑いするヒラリーと八方美人外交の日本


欧米はアジア・アフリカを侵略し、植民地支配し、その富を奪うことで豊かになったという歴史がある。つまり、暴力で豊かになってきたという歴史が刻まれている。

暴力と成功体験がリンクしているのである。だから、根本的なところで暴力的であることが悪いとは思っていない。特にアメリカは建国史から暴力にまみれているのでそういう傾向が強い。

もちろん、暴力的であることが世界に支持されるとはアメリカも思っていないので、そこでアメリカが取ってつけた錦の御旗が「正義」である。どこかの国を「悪」に仕立て上げて、「悪を倒す」という名目で暴力を振るいに行くのである。


来た、見た、死んだ

なぜ暴力を振るうのかというと、そこの土地の指導者をいいように操ってその国の国富を収奪するためだ。だから、アメリカは「いざとなったら暴力がモノを言う」ことを否定していない。

その体質は、今回のリビアのカダフィ大佐が血まみれになって引きずり回されて殺されたのを見て、ヒラリー・クリントンがカエサル気取りで大喜びするのを見ても分かる。


"We came, we saw, he died"
(アメリカは来た、見た、カダフィは死んだ)

そういって、ヒラリー・クリントンは自分がプロポーズされたかのように屈託なく喜び、心から笑っているのが分かるはずだ。

別に私もカダフィが死んで悲しいとも思っていないが、これほどまで単純に喜べるわけでもない。

むしろ、これからリビアは収拾がつかない混乱に陥ることになるのは分かっている。喜ぶべきものではないはずだが、アメリカの戦略が一歩進んだことに、ヒラリーも喜びを隠せなかったのだろう。


捕獲され、死にゆくカダフィ大佐の最期の姿


カダフィが死んだと聞いて、心から喜ぶヒラリー・クリントン

何度も書いているが、アメリカは国家戦略の中に暴力を埋め込んでおり、世界中のどこの国も、アメリカの暴力から逃れられない。

言うことを聞かない国は叩きつぶせ(米軍)
相手が悪ならば、自分はそれ以上の悪になれ(CIA)
叩きつぶせないなら手を結べ(米政権)


アメリカの暴力哲学

アメリカの暴力哲学は歴史上、ほぼ一貫して行われていることは誰でも知っている。そもそも世界最大の軍需産業はすべてアメリカに集中している。

ロッキード・マーチン、ボーイング、レイセオンを筆頭として、そこにぶら下がる無数の企業がアメリカを支えている。

ノースロップ・グラマン、ユナイテッド・テクノロジー、ゼネラル・ダイナミックス、ハネウェル、アライアント、ロックウェル・コリンズ、L3コミュニケーションズ。

これらの企業はアメリカの雇用を支えると同時に、多くの政治家を排出して、アメリカの暴力を支えている。だから、アメリカの政治が暴力と縁が切れないのは当然のことである。

雇用を支える必要があるから、暴力は正当化される。その暴力正当化の歴史が長かったので、それがアメリカのDNAになっているとも言える。

だから、アングロサクソンがアメリカ大陸に「侵略」して、ネイティブ・アメリカン(インディアン)を根絶やしに侵略し、虐殺し、絶滅品種に追いやったのは「正当化」される。

また、日本に原爆を落として一瞬にして20万人の人々を焼き殺したのも「正当化」されている。

ベトナムではナパーム弾、絨毯爆撃、枯葉剤と、おおよそ考えられる非人道的な皆殺し作戦を実行していた。

湾岸戦争では劣化ウラン弾を使用して現地を放射能まみれにした。すべて「正当化」されていて謝罪の言葉は聞いたことがない。

また、イラク・アフガン・パキスタンで、大量虐殺が発生していても、それが正義のためであると喧伝された上に「正当化」されている。これらの国の市民が誤爆や誤射で何人死のうが同じだ。

ヨーロッパのほうも南米やアフリカを激しく収奪してきた。現在のアフリカの問題、中東の問題、イスラエルの問題は、すべてイギリスやフランス等が種をまいたと言っても過言ではない。

リビアの空爆はNATO軍が行った。多くの市民が死んでいったが、ここでの暴力は「正当化」されている。カダフィの死も、アメリカの正義戦略の中で行われて目的が達成された。

ヒラリー・クリントンの高笑いは、アメリカの暴力がまたひとつの国を崩壊させたという満足感の現れである。


リビアの反政府軍はアメリカのカダフィ排除戦略に乗っている。


混乱がさらなる不安定化を加速

欧米の強みは経済力だが、逆に欧米の弱味もまた経済力だ。金融立国としてレバレッジを効かせたアメリカ、イギリス、ユーロ圏がその逆流で次々と破綻の危機に瀕するようになっている。

グローバル経済が立ち行かなくなると、ノルウェーやイギリスではすぐに暴力が国内で引き起こされた。アメリカでは格差に対する怒りの表明として、「ウォール街を占拠せよ」というデモが行われて拡散している。

チュニジア、エジプト、リビア、シリア、イエメン、ソマリアと北アフリカ・中東も激変の中にある。剥き出しの暴力が、今まさに行使されている。

中国は軍拡の真っ最中であり、ベトナム・フィリピン・日本・台湾と、次々と問題を引き起こすようになった。

世界の秩序が崩壊している。それは収まるのではなく、むしろ拡散していく方向にある。不安定がじわりじわりと拡散している。この世界的不安定が平和をもたらすことはあり得ない。

不安定になれば、混乱が生じ、その混乱がさらなる不安定化を加速させていく。

結論から言うと、これは世界が治安に問題を抱えるということである。さらに具体的に言うと、やがて暴力の蔓延する壮絶な時代がやってくるということでもある。

貧困者は、既存の社会システムや政治や人間関係、そして外国諸国に不満や憎悪を抱く。だから、それらを破壊してしまいたいという欲求に突き動かされる。

デモの多発、そして政治に対する不平不満の爆発は、誰もその裏に何があるのか気がつかないが、明確に「貧困」が広がっていることが起因となっているのである。

日本もそうだ。長かった成熟時代が終りを告げて若者たちはこれからさらなる貧困に落ちるしかない。それがやがて暴力を産み出すことになぜ誰も気がつかないのか。

暴力の時代は、これからなのだ。これは必然であると覚悟したほうがいい。世界であらゆる対立が今後は爆発的に増えて行くことになる。


ギリシャの暴動は、ほとんど内乱になっている。


日本のデモとは様相が違いすぎるのは見て取れる。
イギリスもフランスもドイツもデモが起きるとこのようになる。


日本もこのようになることはないと断言できるのだろうか?


昨今のデモの多発が意味するもの

こういった暴力に向かいつつある世界の動向を見ながら、ふと日本を振り返ると、やはり日本も徐々に世界の不安定化・暴力化に呼応していることが見て取れる。

これは国民の国・官僚に対する不信から端を発しており、それがデモという形で目に見えるようになってきている。

日本政府は、今のところ異常なまでの八方美人外交を維持していることは国民の誰もが気がついている。

政治家は対立を恐れ、中国や韓国やロシアに国土の侵害を受けても、まったく強硬姿勢が取れない。対立・暴力という選択肢は、あらかじめ排除されているところに日本の外交の異常性がある。

本来であれば強硬姿勢を取らなければならないところで妥協してしまっており、それがますます問題をこじらせる。

企業・政治・メディアの上層部が、わざと韓国や中国に利することをしていることも大きな問題として存在しているのは確かだ。

2011年10月19日に、野田首相が韓国の李明博大統領と会談し、両国の通貨スワップの限度額を5兆円に拡大することも、韓国を利する行為だとして国民の大反感を買っている。

「韓国のために、700億ドル(約5兆3600億円)もの我々の血税が使われるのか。これをなぜ、震災復興のために使わないのだ!」

日本国民の激しい怒りが沸騰しているが、この怒りがまったく政治に届かないのである。

今まで、あまりにも国民が平和主義を唱え過ぎて、政治家がぬるま湯に浸っているのも一因にあるのかもしれない。

しかし、「このまま平和主義でいると、尖閣諸島も竹島も盗られてしまう」と国民は思うようになり、同時に平和主義の限界に気がつくようになった。

これから時代が平和に向かうのであれば、平和主義もひとつの生き方なのかもしれない。

残念ながら時代はそちらの方向には向かっていない。むしろ、その逆になる可能性が高い。

平和ではなく、混乱の時代が来る。

国民が暴力に目覚めていけば、そのうちの政治家にも暴力の矛先が向かっていくのは分かりきっている。日本でもいずれは時代が変わる可能性がある。

世界が暴力に巻き込まれていこうとしている今、日本だけが平和主義でいられるはずもない。昨今のデモの多発がそれを暗示している。

暗澹たる時代だと言えばそうなのだが、世界の暴力化・日本の暴力化はむしろこれからが本番である。

それを見越して、もう一度これを読んで欲しい。(金融崩壊に危険な災害。危ない時代になったときの助かり方)

(1)今が正常だと思い込まない。
(2)非常時には他人を助けようとしない。
(3)みんなと同じ行動をしようとしない。

長い秋の夜は、これからの生き残りを考えるのに相応しい季節だ。


フジテレビの韓国偏向報道に抗議するデモ


中国の尖閣諸島問題に抗議するデモ


TPP反対のデモ


脱原発を推進する人たちのデモ
http://www.bllackz.com/2011/10/blog-post_24.html
10:777 :

2022/05/31 (Tue) 01:16:51

米国はイラク侵攻に際し、道路、パイプライン、空港、送電網、公共施設などを重点的に爆撃し、復興計画を巨大な国家プロジェクトに仕立てた。

USAID(米国国際開発庁)が行った第一回目のイラク復興の入札にはケロッグ・ブラウン & ルーツ、ルイス・バーガー、パーソンズ、ワシントンなど政権と緊密な企業群が参加し10億ドルの業務を受注するが、開戦前からベクテル、フルーア、ハリバートンの各社は強力なロビー活動を推進し、2009年から2002年の間に約300万ドルの献金を行っている。

2003年、一連の戦争特需により4-6月期の米国GDPは前期から3.3%上昇、軍事費は45.8%増加し、ロッキード・マーティンは前年比18%増、ノースロップ・グラマンは同57%増、IBMは同10%増を記録した。

またマクダネル・ダグラス、ゼネラル・ダイナミクス、ロックウェル・インタナショナル、ボーイング、ユナイティド・テクノロジー、ゼネラル・エレクトリック、ウェスティング・ハウス、ハネウェルなど軍事企業はいずれも湾岸戦争以来の売上を達成。

さらに2004年、ジョージ・ブッシュはイラク対策費として870億ドルの補正予算を要請するが、フランスのル・モンド紙は復興予算総額を5600億ドルと見積もった。

イラクの原油埋蔵量は世界第2位と推定されているが、開戦前は経済制裁によって日量280万バレルの原油生産に止まっていた。しかし今後は日量600万バレルに増産される予定であり、さらに未開発の油田を採掘すれば日量800万バレルを突破し、サウジ・アラビアを抜いて世界第一位の産油国になると予測されている。イギリスのフィナンシャル・タイムス紙は、ハリーバートンが原油の採掘事業を独占し、シェブロンなどがその売買を行うことなどから、イラク戦争そのものが米国による経済行為であると批判したが、これに対し米国は「機密保安のため国内企業を優先する」と釈明した。

 

2004年、さらに米国はイラク国内法を改正し、公営企業の民営化に着手する。セメント工場、化学肥料プラント、燐酸や硫黄の鉱山、医薬品工場、航空会社などおおよそ産業主体となる企業群が対象となり、同時に資本規制を撤廃したため、イラクの公共資源は一挙に外資に売却された。また税制改革により進出企業はイラク国内での納税義務を回避し、本国に100%利潤を送金することが合法となる。一連の政策により失業者は70%以上に達し、困窮した国民は抵抗運動に参加するが、多国籍軍はこれをテロ行為とみなし、大規模な掃討作戦を展開した。

経済学者ジョセフ・スティグリッツは、イラク戦争による日本国の負担は30兆円を突破していると推計しているが、100兆円規模となる米国債などのドル建て資産が軍事費へ転化されていたことから、この間の円高による為替損40兆円を合算し、総計70兆円規模の負担であるとの見方が強い。
http://p.booklog.jp/book/69838/page/1699199


Whose Crisis, Whose Future?  2013/04/28

世界のトレンドとは福祉国家と石油経済の解体だ。

イラクと日本国においては、同期して市場原理主義に社会改変されているのだが、前者は戦争装置によるハードな改革であり、後者はメディア装置によるソフトな改革であると言えるだろう。

GHQによって精神解体された我々は、イスラムのように超越者を裏づけとする絶対のエートスを持たない、いわば空洞化した精神の民族なのであり、侵略集団は激しい暴力を起動することなく、情報統制と衆愚政策によって統治可能であると判断している。

石油経済とは、原油の決済代金を公共福祉や社会整備事業に投入する共生的な社会システムであり、フセイン政権は独裁と批判されながらも中東トップレベルの教育、医療、食料政策を施していたのだが、それはレーガノミクス以降の米国を遥かに凌ぐ高度な水準であったわけだ。

占領統治下におけるイラクでは「ワシントン・コンセンサス」が強行され、それは民営化、自由貿易、資本規制撤廃、福祉・医療・教育の削減という略奪スキームの発動であるのだが、国家議会から地方議会にいたるまで閣僚や議員は米軍による任命制であるため、民意が反映される余白は皆無に等しい。

バグダッドの陥落直後から、米国はシンクタンクとともにイラクの公営企業売却を策定したのであり、彼らが企業価値を高めるため従業員を大量解雇したところ失業率は70%近くに跳ね上がり、そのうえ入札から国内事業者を締め出し、主用200社の大半を欧米資本に落札させた挙句、破壊したインフラや公共施設の復旧事業を、ベクテルなど米国企業が全面的に独占したわけだ。あらゆる爆撃が、それを目的として周到に計画されていたことは語るまでもない。

構造改革により関税障壁を撤廃したところ、周辺国から安価な工業製品が流入したため国内生産者は壊滅状態となり、そのうえ劣化ウラン弾により放射線由来の疾患が爆発的に増加するなか、無料医療と食料配給を廃止し国民を絶望させるのだが、彼らはこの渦中さらに原理主義を推進し、多国籍企業がイラク国内で得る投資利潤100%の本国送還を合法化したのである。

占領軍は復興とセキュリティの応負担を事由として、20兆円分の原油を確保したとみられているのだが、さらに彼らは「新石油法」の制定によってシェル石油やブリティッシュ・ペトロリアムが恒久的に売買益を得る制度を確立したのであり、つまるところ一連の行動は公共資源と経済市場の略奪を目的とした戦争行動に過ぎなかったわけだ。

ハリー・バートン、ロッキード・マーティン、KPMG、RTI、パーソンズなどを筆頭とする多国籍企業群の株価が暴騰し、そのステークホルダーである当時の閣僚らは莫大なインセンティブを確保したのであり、それは軍事という米国本質の体現であり、いずれの時代においても戦争が最も金になるビジネスであるという、普遍事実の証明なのだろう。

陰謀論と一蹴されがちなのだが、経済現象から帰納すれば、9.11とは明らかにイラク攻撃を目的としたフィクションなのであり、それはアラモ砦、メイン号事件、真珠湾、トンキン湾、ルメイラ油田など、資本帝国が人類史に創作する虚構劇のひとつに過ぎないのだと思う。

メディアは侵略行動に抵抗するイラク市民をテロリストであると文脈化しているのだが、鎮圧には5万人の民間兵力が投入されているのであり、つまりブラック・ウォーター社などの傭兵による殺戮が横行しているのであり、すでに様相は「国家VS国民」ではなく「市場VS国民」なのであり、本質とは激化する資本と人間の二項対立なのだろう。

イラクと日本国はグローバル資本が欲望する地球最後のフロンティア(新世界)であるのだが、壮絶な新植民地主義の暴力に飲み込まれ、すでに解体の途上にあることは明白であり、イラク戦争と小泉政権がシンクロし、両国がグローバリズムによって平準されたことは偶然ではなく、それは新しい世界秩序形成にむけたアジェンダ(予定表)に他ならない。

この前提において、TPP加盟とは我々の体系がプランテーションとして確立される終局的フェーズを意味するのであり、米国の対日戦略が全領域的に完成し、それを触媒とする多国籍企業が絶対者として君臨することを示唆するのであり、すなわち今後100年以上におよぶ日本民族の奴隷化と同義である。
http://alisonn.blog106.fc2.com/blog-entry-423.html
11:777 :

2022/05/31 (Tue) 01:18:09

松本 潤一 ・ 名古屋大学大学院

米国のシリアへの軍事介入問題の背景には、米国の経済的利益と真っ向から対立するアサド政権と、それを擁護するロシア・中国という構造があるが、この記事からはそれが完全に欠落している。

どこの誰が書いたのかと思ったら、「英エコノミスト誌」だそうだ。
意図的に書かなかったとしか思えない。

イラク戦争の時もそうだが今回のシリア問題も、化学兵器など大義名分に過ぎない。考えてみれば当然で、銃の掃射による虐殺と化学兵器による虐殺に差があるとは思えないし、そもそも内政干渉だ。

他国の内政問題に介入するほど、米国は暇人ではない。

真の理由はドルの基軸通貨としての地位を維持するためであって、それを裏付けているのは石油取引のドル決済だ。

フセインはそれを拒否したから潰された。

アサド政権も石油取引をドル以外の通貨で行おうとしている。

ドル石油体制が一度崩壊すると、少なくともドルが唯一の基軸通貨ではなくなり、世界最大の赤字国家にも関わらず、基軸通貨ゆえに保たれているドルの信頼が揺らぐ。(ユーロはユーロ内のみの基軸通貨)

ドルの信頼が揺らげば米国は超大国・覇権国家の地位を維持できない。

だから本当に使用されたかどうか怪しい化学兵器を口実にして、執拗にアサド政権をつぶそうとするし、ロシア・中国がアサド政権を支援するのも、米国覇権を終わらせてそれぞれが覇権国家になりたいからだ。

イラク戦争の時とは違い、リーマンショック後の米国は、もはや中東とアジアで両面作戦を展開できるほど力が残っていない。だから本当に米国を駆逐できるかもしれないと思い、中露とも躍起になって対抗している。

ロシアは中東から米国を駆逐したいから、できれば軍事介入を制止したいし、介入してきたらシリアの側に立つだろう。

中国はアジアから米国を駆逐したいので、中東に介入して欲しいと思っていて、できるだけ長期化して欲しいと思っている。

だからいざ米国が介入すると、裏で積極的にシリアを支援するだろう。

となるとこの問題はこれまでの中東問題よりも、長引く&拡大する可能性がかなり高い。



サダムフセインのジョーク
http://www.youtube.com/watch?v=y_Iq3r-TZbM
12:777 :

2022/05/31 (Tue) 01:18:48

もっとも残酷残忍な国は? 2015-02-18
 この見出しを見て、これまで私のブログを読んで下さっている皆さんは、「このブログの筆者は米国だと言いたいのだな」とお考えになるでしょう。ピンポン!です。

 私は九州大学教養部に奉職中、1959年、シカゴ大学物理学科からの招待で渡米して2年を過ごし、その直後に、サンホゼとボルチモアに計1年半ほど滞在し、1968年にはカナダに移住してしまいました。私は、その頃までは、米国という国は色々の意味で良い立派な国だと思っていました。ところが、それから約半世紀後の今では、米国は建国以来一貫して極めて残酷残忍な国家であると、私は考えています。日本には米国に好意を持っている人々が沢山おいでですから、この老人の考え方に不快感を覚える向きも多いでしょうが、私とて好きでこうなったのではありません。十分の理由があってのことです。否定の余地のない事実の数々を学び知ったことで、この考えにならざるを得なかったのです。

 刃物で人の首を刎ねたから残酷残忍というのは如何なものでしょうか。日本でも昔はよくやりましたし、フランスはその技法で歴史的にとりわけ有名です。Point-blankで射殺するのは残酷残忍ですが、高空の無人機から狙い撃ちするのは人道的ですか?

 2013年8月30日付のブログ記事『もう二度と幼い命は尊いと言うな』で、私は、

「8月21日、シリアの首都ダマスカスの近くの反政府軍の支配地区に対してロケットによる化学兵器(毒ガス)攻撃が行なわれ、多数の一般市民が殺されました。死者数は初め約1300人と発表され、現在では数百人とされています。」

と筆を起こし、

「今回の毒ガス使用が米欧の直接軍事介入の口実として行なわれたと私が確信する理由」

を述べました。幸いにも、ロシアの外交的努力のおかげで、米欧の直接軍事介入は阻止されましたが、シリアのアサド政権打倒を目指す米国は、代理戦争の形態であらゆる汚い手段を用い、とうとうイスラム国という恐ろしい擬似国家まで生み出してしまいました。

 シリア紛争がシリアの一般国民に与えている被害は甚大です。国連難民高等弁務官事務所の2014年3月の発表では、

「シリア紛争が始まってから3年が経過し、家を追われた人の数は900万人を超えた。シリアはまさに世界的に最も多くの難民、避難民を出す国になってしまった。シリア周辺国で難民登録を行った、もしくは難民登録待ちのシリア難民の数は256万人を超える。またシリア国内で避難を強いられている国内避難民の数は、650万人を超えている。難民、国内避難民を合わせた数は、シリア紛争開始前のシリア全人口の40%にあたり、そのうち約半分が子どもである。」

となっています。死者は10万人を優に超えていると推定されます。

 シリアで起こっている事態については、各国政府筋、シンク・タンク、専門家、論客などのあらゆる見解や分析が世に満ち満ちていますが、我々一般庶民にとって最も基本的な設問は

「米国がシリアの政権変革(regime change)を行おうとしなかったらどうなったか」

ということでなければなりません。“歴史的に現実に起こったことを、起こらなかったら、と仮定する議論は馬鹿げている”と言わないでください。クレオパトラの鼻の話ではないのです。イラクにしろ、リビアにしろ、シリアにしろ、もし、米国がそれぞれの国の政権を、武力を行使して、変えようとする行為に出なければ、百万のオーダーの庶民が戦火に殺され、千万のオーダーの庶民が難民化することはなかったのです。

イラクとシリアの国内でクルド人たちがひどい扱いを受けていたのは事実です。彼らが反政府行動に出たのも当然です。しかし、いわゆる北米インディアンの人々も同様の取り扱いを米国国内で受けています。けれども、米国と違い、イラクもリビアもシリアも、遠くの国に出かけて行って、内政に干渉し、武力で政権変革を試みるようなことは何もしていませんでした。国内では、国民はそれなりに一応平和な日常生活を営んでいました。いま私の思いは特にリビアの人たちの上にあります。「カダフィが生きていた頃は良かったなあ」というのがリビアの大多数の人たちの痛切な思いであるに違いありません。

 「もっとも残酷残忍な国は?」という設問に戻りましょう。

前掲の2013年8月30日付のブログ記事で、私は、毒ガス(サリン)を使ってシリアの一般庶民数百人を殺戮したのは反政府勢力側であり、その背後には米国があると判断しました。

毒ガス使用からわずか10日後の時点での、ズブの素人の断定でしたが、それから2年半後の現在、私の断定が正しかったと考えられる十分の理由があります。当時オバマ政府は、アサド政権側が行った確かな証拠を持っている、と言っていましたが、提出されてはいません。

もし世界に提示できる確たる証拠があれば、それを口実に、米国は、今からでも、リビアを破壊し尽くしたと同様の猛爆を、国連を操作して、シリアのアサド政権に対して開始し得るのです。勿論、そんなもののある筈はなく、むしろ、オバマ大統領の手元には、使用されたサリンの出所などについてのはっきりした資料があるのだろうと、私は推測します。

 ブログ記事のはじめの部分に引いたワシントン・ポストの8月23日付の記事を再録します。そのフォト・ギャラリーには、白布に包まれた幼い子供たちの死体が魚河岸の魚のように並べられた写真があります。他の写真の多くも子供の犠牲者の様子を撮ったものです。ご覧になって下さい。

http://www.washingtonpost.com/world/national-security/in-syria-chemical-attack-allegations-us-and-allies-push-for-immediate-probe/2013/08/22/00f76f2a-0b6f-11e3-8974-f97ab3b3c677_story.html?wpisrc=nl_headlines

これらの子供たちは、米国が打倒したいと考えるアサド政権に対する空爆を開始する口実を捏造するために殺されました。この国家的行為とイスラム国の誘拐殺人行為とどちらがより残酷残忍でしょうか。

 ここで、私としては、何度でも申し上げておきたいことがあります。どこからやって来たのかわかりませんが、「一つの命は、どれも同じく、一つの命だ」という片言のような言葉が私の心の中に住み着いています。“いたいけない子供だから”とか“愛くるしい少女だから”という気持ちを私は持ちたくありません。偽の証拠の捏造する目的で、誰が殺されても、私は同じように憤りを感じます。

 2002年4月、ベネズエラでクーデターが起こり、ウゴ・チャベス大統領は反乱軍側に拘束され、大統領の座から追われましたが、47時間後には、貧困層大衆のチャベスに対する圧倒的支持の表明と軍部内の大統領支持勢力によって、クーデターは失敗に終わりました。このベネズエラ政府転覆の試みの背後に米国の手が働いていたことは否定の余地がありません。

 先週木曜日2月12日に現ベネズエラ大統領ニコラス・マドゥロは,新しいクーデター計画を阻止したと声明を出し、政府が把握した計画の詳細を発表しました。今回も米国のバックアップがあったことは見え見えです。クー実行の予定日は2月12日でした。このクーデター挫折のニュースは日本では殆ど報じられなかったようですが、十分の関連情報がネット上で入手可能です。

 計画の残忍性の点で、2月12日に行われる筈であった暗殺計画の標的の中に、マドゥロ大統領と政府の高官の他に、反政府側の何人かも含まれていたことに、私は特に注目します。

 2002年4月のクーデターの際、4月11日の午後、チャベス政府側が反政府のデモ隊に向けて発砲して十数人が射殺され、約60人が負傷したと報じられ、これがクーデターの決定的瞬間になったというのが、ニューヨークタイムズなどの主要メディアの主張したところでした。

しかし、その後、反政府デモ隊に発砲し、残忍な殺戮を行ったのは、政府側ではないことを証拠付ける映像の存在が確かめられ、殺戮は反政府側の自作自演であったことが判明しています。今回の、失敗に終わった政権乗っ取り計画で、反政府側の人間も暗殺の対象になっていたという事実は、前回と同じような偽りのストーリーのでっち上げの計画が事前に組まれていた証拠だと思われます。

米国のネオコン金融経済システムにべネズエラを組み込むという政策の実行のためには、その手先となって動いている人間たちでも、利益があれば、暗殺して省みないというのは、これぞ冷酷残酷残忍の極みと言うべきではありますまいか。

 言うまでもありませんが、もし米国の残酷性を思想的問題として本格的に論じるとするならば、第二次世界大戦での米国空軍の日本に対する空爆の問題を正面に据えなければなりません。これは、日本軍の行為についての反省、あるいは、米国の原爆使用の是非の問題と一応切り離して、考察すべき問題、考察可能の問題です。核抑止力の思想の中核とも深く結びついた問題です。いつの日か、この問題と対決したいと思っています。
http://blog.goo.ne.jp/goo1818sigeru/e/3c0b797a4727fc9dc5279fd9a8cf04b5
13:777 :

2022/05/31 (Tue) 01:19:20

なぜ「正義の味方」は、暴力と破壊を生み出す元になるのか? 2013-08-01
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20130801T1443000900

「正義を強調すればするほど、世の中は悪くなる」と言えば、驚く人もいるかもしれない。しかし、それは事実だ。

もし、あなたがそれを知らなかったとしても別に驚く必要もない。なぜなら、それはわざと気が付かないように教育されて来たからである。

子供の頃から「正義のために悪を滅ぼす」ことを強調する馬鹿げた漫画やドラマや映画を見てこなかっただろうか? 今もそんなものを見ているのではないだろうか?

これは、子供に「正義のために悪を滅ぼすのは徹底的に正しい」という刷り込みを行うものでもある。子供の頃から、そんな刷り込みがなされている。

テレビが為政者の都合の良いものを垂れ流しして国民を洗脳しているのはよく知られている。

日本だけではない。アメリカでは特に、正義のヒーローが崇拝されていている。なぜ、政府は「正義のために悪を滅ぼす」ようなワンパターンを延々と国民に見せているのか。

暴力が正当化され、暴力が崇高なものになっていく

政府が国民に「正義のために悪を滅ぼす」ようなストーリーを崇拝させているのは、裏の意味がある。政府は、いずれ国民に「国のために戦わせる」必要があるからだ。

そのためには、国民が「正義のために悪を滅ぼす」という行動や思考に慣れていなければならない。国が「正義のために」と言えば、国民は無意識に「悪を滅ぼす」と条件反射で思うようにしておかなければならないのである。

それが完成すれば、国は「正義」を強調するだけで、国民を無意識に暴力に駆り立てることが可能になる。それを徹底的に行っているのが、アメリカであると言える。

正義を強調すると必然的に二元論に行き着く。

つまり、「正義の側」と「正義ではない側」とに二分する。水と油のように、それはくっきりと別れ、違う世界になる。

二元論に陥ると、どうなるのか。相手を受け入れる余地が、完全になくなってしまうのだ。相手は悪なので「滅ぼす対象」となるのである。

自分が正義の側に立っていると思うと、必然的に相手は「正義でない側=悪」というシンプルな構図に行き着く。

自分が正義だと強調すればするほど、対立する相手が完全なる悪になってしまう。

(1)私は正義だ。
(2)私と敵対する相手は悪だ。
(3)悪は倒さなければならない。
(4)相手を滅ぼすのは正当な行為だ。

自分が正義の側にあると思えば思い込むほど、正義のために相手を破壊しようという動機(モチベーション)が上がっていく。

暴力が正当化され、暴力が崇高なものになっていく。あるいは、相手(悪)を破壊することが、使命感溢れる行為へと祭り上げられる。

現場では残虐な殺戮行為が起きているのだが、それが思想的には正しいものへとなっていくのである。

正義を強調することによって、暴力が崇高なものになっていく。


このような二元論を好むのがアメリカという国

このような二元論を好むのがアメリカという国である。アメリカは自らを正義だと主張し、そして自分たちに挑戦してくる国を「正義に挑戦してくる国」だと見なす。

正義に挑戦してくる国というのは、当然「正義ではない国」という二元論が働くので、「敵対国は悪だ」という思想になる。

食い詰めたイギリス人(白人)がアメリカ大陸に渡ったとき、その大陸にはすでにネイティブ・アメリカン(先住民)たちが住んでいてひとつの文化を築きあげてきた。

しかし、白人たちは彼らが野蛮人であり、このような野蛮人を駆逐するのは正義だと思い込んだ。

つまり、自分たちのほうに正義があり、あちらは正義ではないという二元論に囚われた。

そこで何が起きたのか。

白人による先住民の大虐殺である。自分たちは正義であり、正義を脅かす先住民は「悪の権化」であり、それは徹底的に駆逐されなければならないと考えたのである。

正義の名のもとに大量虐殺が起きて、それが正当化された。

アメリカはこの二元論を第二次世界大戦にも応用して、自分たちは正義の側にあり、日本は「悪の権化」であると徹底的な刷り込みを国民に行なって、「正義と悪」の戦いに昇華させていった。

真珠湾攻撃はアメリカが日本を追い込んで「行わせた」という歴史が明るみになって来ているが、それは日本を「悪」にして、自分たちを「悪を懲罰する国=正義の国」という大義名分に必要なことだったのだ。

日本を壊滅させるのは正義であり、原発二発を落とすのもまさに正義の行使だったのである。

ソ連との冷戦もまたそうだった。アメリカ国内では資本主義が「正義」であり「正当」であり「正しいもの」だったので、それに挑戦してくる共産主義は「悪」であり、「悪魔」であり、「邪悪なもの」だった。

そして、悪と対抗するために、核爆弾を作って作って作りまくって世界を何回も破滅させることができるまでにそれを備蓄した。世界を破壊する兵器は「正義のため」に作られた。

そのとき、アジアでは共産主義が浸透し始めていたが、アジアを共産主義から守るのは「正義」だったので、アメリカは共産主義=悪からアジアを守るという名目でベトナムに介入した。

アメリカはベトナムに上陸して、傀儡政権を打ちたて、北部を絨毯爆撃し、ナパーム弾で森を焼き、農地を焼き、人を焼き殺し、枯葉剤をばら撒いてベトナム女性が産む子供を奇形児だらけにしたが、それは何のためだったのか。

すべては、正義のためだったのである。

戦争にもルールがあったはずだ。たとえば、非戦闘員を殺してはいけない、捕虜を殺してはいけないというルールである。

アメリカは原子爆弾で日本の非戦闘員を焼き殺し、ベトナムでナパーム弾や枯葉剤をばら撒いてルール無視の戦闘を行なってきた。

正義の名のもとに、それが行われた。

ベトナムが絨毯爆撃されたのも、正義のためだった。


正義とは胡散臭いものであり、一方的なもの

やがてその正義はさらに暴走していく。アメリカは2001年以降にイスラム国家のいくつかを「悪の枢軸国」と吐き捨てて、イラクが大量破壊兵器を持っていないというのに戦争に突入していくのである。

イラクは大量破壊兵器を持っていなかったが、アメリカは大量破壊兵器を持っていた。

レイセオン社の製造したパトリオット・ミサイル(愛国者爆弾)はイラク国民の土地で炸裂して非戦闘員であるはずの女性や子供たちが次々と死んでいった。

無人機爆撃、劣化ウラン弾、バンカーバスター。イラクではあらゆる大量殺戮兵器が投入されて、今や累計で100万人もの人たちが死んだとされている。

正義を強調すればするほど相手が悪になる。そして、そこから悪を倒せという暴力が生まれる。正義が暴力を産み出す。

だから、逆説的な話になるが、正義を強調しないほうが余計な暴力を産み出さないという言い方もできる。

正義を強調する人、正義というものが頭にある人は、自分や自分の属している社会を正義と見なし、それ以外を悪と見なす二元論に囚われる。

「どちらが正義か?」という問いは、どちらの立場に自分が立つかによって違ってくる。立場が違うと、それが正義にもなるし、悪にもなる。

すべては立場の問題だ。

イラク戦争は、アメリカは正義でイラクは悪だという論理で行われた。


正義という言葉は悪用されやすく、人々は騙されやすい

アメリカ人は先住民を大虐殺しても野蛮人を殺すのが正義だったと胸を張っている。日本に原爆を落として女性や子供を虐殺しても正義だと胸を張っている。

イスラエル人はパレスチナ人を大虐殺しても、パレスチナ人はテロリストだから自分たちに正義があると主張して胸を張っている。

パレスチナ人は自分たちの闘争を先祖代々の土地を奪ったイスラエル人と戦うのは正義の戦いだと主張して胸を張っている。

かつてキリスト教徒が十字軍を作ってキリストと敵対する宗教を悪と決めつけて異教徒を殺戮して回ったが、その殺戮を正義だと胸を張っていたのである。

同じことはイスラムが布教していく中でも見ることができる。オスマン帝国がキリスト教もユダヤ教も弾圧して迫害していく歴史はヨーロッパ人は今でも知っている。

オスマン帝国はイスラムを正義と見なし、その他を悪と見なしたのである。

しかし、私たちは冷静な目で歴史を振り返ると、正義を主張していた国や宗教や人たちには特に正義の根拠も何もなく、ただ自分たちの立場を正当化しているだけだというのが見えるはずだ。

正義を強調している人は、暗に自分の立場が有利になるように正義を利用しているわけで、単なる利己主義者、利益誘導者だということもできる。

正義という言葉は悪用されやすく、人々は騙されやすい。あまりにも内容のない正義が多いので、もう正義という言葉は信用しないほうがいい。

タチの悪い国、タチの悪い人たちがいる。彼らは、意図的に二元論で集団を分離し、暴力を正義と結びつける。しかし、誰もその深層に気がつかない。騙されるのである。

騙されないためには、私たちも自衛する必要がある。

まずは正義という言葉が「騙しのひとつ」であることに気がつくべきだ。

正義とは胡散臭いものであり、一方的なものであり、信じるに値しないと思うくらいで釣り合いが取れる。正義はどこにもない。正義の名のもとに行われた暴力なら、どこにでもある。

家族や友人を殺された人たちにとって、相手は正義の味方ではない。二元論の中では、正義という言葉自体が騙しの言葉である。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20130801T1443000900
14:777 :

2022/05/31 (Tue) 01:21:42

地球上の石油を掌握しているのは、スーパーメジャーと呼ばれている4社の石油企業である。

エクソン・モービル(ロックフェラー系)
シェブロン(ロックフェラー系)
ロイヤル・ダッチ・シェル(ロスチャイルド系)
BP(ロスチャイルド系)


この4つの多国籍企業は地球を覆い尽くして石油を支配しており、すべての国で隠然たる力を持つ。

東南アジアにもこの4つの企業が複雑に入り込んでいるのだが、エクソンは「エッソ・グループ」として東南アジアに潜り込み、シェブロンは今後「スター・ペトロリアム」としてタイにコミットすることになる。


文明の血液である石油。石油がなくなると現代文明も終わる。この石油を掌握しているのはスーパーメジャーと呼ばれている4社の石油企業である。この4つの多国籍企業がすべての国で隠然たる力を持つ。


絶対に自らが表に立たないようにする戦略を採る

欧米のスーパーメジャー4社は、実はタイでも東南アジアでも中東でも中南米でも、その国のエネルギー産業に君臨することができるだけのパワーと財力があるのだが、もちろんそんなことは決してしない。

なぜなら、その国のナンバーワンのエネルギー企業になってしまうと「欧米がエネルギー企業を使って国を植民地にしている」という批判が必ず湧き上がるからである。

2008年頃、中国のペトロチャイナがアフリカ・スーダンで石油事業を一手に引き受けたところ、ダルフールの虐殺者に手を貸していると大批判が巻き上がったことがあった。

実のところ、全世界に網を張っているのは中国よりもスーパーメジャー4社の方なのだが、スーパーメジャー4社は実に巧妙に「君臨」を避けて実体を隠しており、その国のエネルギーを制していても、絶対に自らが表に立たないようにしている。

タイではエクソンとシェブロンの2社が深くエネルギー分野にコミットしているのだが、常にシェアはPTT(タイ石油公社)に取らせて自分たちは陰に隠れている。

エクソン・モービルは「エッソ」というブランドで2位、シェブロンは今後「スター・ペトロリアム」という名前でタイのエネルギーに食い込むことになる。

つまり、石油事業ではスーパーメジャーが二位と三位のシェアを持っており、しかもその両者は巧みに名前を隠してタイ国民にアメリカがエネルギー支配をしていると気付かないようにしているのである。

スーパーメジャー4社は200ヶ国以上の国、要するに地球上のありとあらゆる国家に入り込んでエネルギー支配をしているのだが、それがまったく問題にならないのは、自分たちの名前がそこに出てこない戦略を採っているからである。

誰も気付かない中で、エネルギーによってほぼ地球を制覇しているのがスーパーメジャー4社であり、その支配の構図は文明が終わるまで変わらない。


タイではエクソンとシェブロンの2社が深くエネルギー分野にコミットしているのだが、常にシェアはPTT(タイ石油公社)に取らせて自分たちは陰に隠れている。
http://www.bllackz.net/blackasia/content/20151225T0304390900.html
15:777 :

2022/05/31 (Tue) 01:24:42

《櫻井ジャーナル》2016.07.04

 西側支配層の内部で次期アメリカ大統領としてヒラリー・クリントンが内定したという話が流れたのは昨年6月のことだった。

この月の11日から14日かけてオーストリアでビルダーバーグ・グループの総会が開かれ、彼女の旧友として知られているジム・メッシナが出席していたことから生じた噂だ。

今年6月9日から12日にかけてドイツのドレスデンで開かれた会合にはヒラリーと同じ好戦派のフィリップ・ブリードラブ前SACEUR(欧州連合軍最高司令官)が参加している。


そのヒラリーに対する逆風がここにきて強まっているように見える。

FBIは7月2日、彼女から公務の通信に個人用の電子メールを使った件に絡む問題で3時間半にわたって任意の事情聴取したという。

すでに彼女は2万通とも3万通とも言われているメールを消去、捜査妨害や機密文書の違法な扱いなどが指摘され、逮捕されても不思議でないと言われているのだが、FBIの動きは緩慢で、有力メディアも寛大な姿勢を見せてきた。

 消去したメールについてヒラリーは私的な通信だと説明してきたのだが、彼女の側近であるヒューマ・アベディンはスケジュールに関するメールを「機密書類入れ」に入れ、消去する準備をしていたと証言しているという。スケジュールは公的な記録であり、残しておかなければならない。ヒラリーの弁明が崩れたと言える。

 こうしたことが実際に行われていたことよりも、ヒューマ・アベディンがこうした証言をしたことに驚く人は少なくない。彼女は1996年にインターンとしてヒラリーのそばで働き始め、現在に至るまで信頼された側近として働いてきたからだ。ヒラリーは切り捨てられたのかもしれない。

 ヒューマの母、サレハはムスリム同胞団の女性部門を指導、父親のシードはアル・カイダと関係していると主張する人もいる。後にヒューマはヒラリーの友人でネオコンのアンソニー・ウィーナーと結婚した。

 ムスリム同胞団は1954年にエジプトのガマール・アブデル・ナセルを暗殺しようとして失敗、それ以降、エジプトでは非合法化されたが、このときにメンバーを保護したのがサウジアラビア。そのサウジアラビアの国教がワッハーブ派だ。その結果、ムスリム同胞団はワッハーブ派の影響を強く受けることになる。

 サウジアラビアは1970年代の末、ズビグネフ・ブレジンスキーのプランに従って戦闘集団を編成するために戦闘員を雇った。その多くがサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団で、サウジアラビアの情報機関、総合情報庁長官を務めていたタルキ・アル・ファイサルが責任者だった。その下で戦闘員を集めていた人物がオサマ・ビン・ラディンだ。

 ヒューマと同様、ヒラリーに大きな影響を及ぼしてきた人物がマデリン・オルブライトとビクトリア・ヌランド。オルブライトはズビグネフ・ブレジンスキーの弟子で、ビル・クリントン政権では当初、国連大使だった。ヌランドは後にウクライナでのクーデターに深く関与したネオコン。国務次官首席補佐官としてクリントン政権入りした。結婚相手はネオコンの中核グループの所属するロバート・ケーガンである。

 消去された分も含め、ヒラリーの電子メールをロシア政府は持っていると言われているが、容易にハッキングできる状態だったことから少なからぬ個人、組織、国がそのメールを持っていると言われている。その中にはイスラエルも含まれているだろう。

 ヒラリーはユーゴスラビアに対する先制攻撃だけでなく、リビアやシリアへの軍事侵攻にも深く関与、リビアからシリアへ戦闘員や武器を移動させる工作に関する情報も持っていた可能性が高い。リビアやシリアへの軍事侵攻ではアメリカ/NATOがアル・カイダ系武装集団やそこから派生したダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記)を使っていることも熟知、クリストファー・スティーブンス米大使がベンガジの米領事館で殺された背景も知っているはずということも本ブログでは何度か指摘した。

 2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された10日後、ウェズリー・クラーク元SACEURはペンタゴンで、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺がイラク、シリア、イラン、レバノン、リビア、ソマリア、スーダンを攻撃するプランを立てていると聞いたという。その10年前、国防次官だったポール・ウォルフォウィッツはシリア、イラン、イラクを5年で殲滅すると口にしたともクラーク元SACEURは語っている。

 1980年代にはアメリカ政府の内部でイラクをどうするかで揉める場面があった。ネオコン/シオニストがサダム・フセインの排除を主張したのに対し、ジョージ・H・W・ブッシュ副大統領、ジェームズ・ベイカー財務長官、ロバート・ゲーツCIA副長官は彼を仲間だと認識していたことから対立が生じたわけだ。この当時、アメリカの一部勢力はイラクへ武器を密輸、それを反フセイン派が暴露している。いわゆる「イラクゲート事件」だ。

 1990年8月にイラクが石油を盗掘していたクウェートへ軍事侵攻、91年にはアメリカ軍を中心とする軍勢がイラクへ攻め込んでいる。このとき、ジョージ・H・W・ブッシュ政権はフセインを排除しなかった。そこでネオコンは怒り、シリア、イラン、イラクを殲滅するというウォルフォウィッツの発言につながったわけだ。

 ネオコンがフセイン体制を倒したがった最大の理由は、ヨルダン、イラク、トルコの親イスラエル国帯を作り、シリアとイランを分断することにあった。イラクを破壊した後にシリアのバシャール・アル・アサド政権の打倒に執着しているのは、パイプラインの問題のほか、シリアのアサド体制を倒してイランを孤立させることにある。これはイランを敵視するサウジアラビアにとっても好ましいプランだった。

 ヒラリーやネオコンはソ連の消滅でアメリカは「唯一の超大国」になったと認識、誰も自分たちに逆らわないというところから思考は始まる。1991年にイラクを、また99年にユーゴスラビアをそれぞれ攻撃した時にロシア軍が出てこなかったことから、それ以降も出てこないと思い込んだようだ。こうしたことはヒラリーのメールからもうかがえる。

 アメリカの傀儡だったボリス・エリツィンからウラジミル・プーチンへ大統領が交代しても変化はないと考えたのだろうが、実際は違った。その変化にネオコンは対応できないでいる。軍事的な威嚇でロシアや中国を屈服させようとしているが、無理だ。

 しかも、その様子を見てアメリカ離れが起こり始めている。Brexitの結果もそのひとつの表れだと見る人もいる。トルコ外相は同国のインシルリク基地をロシア軍が使う可能性に言及した。(注)この基地は2011年春からシリア侵略の拠点で、反シリア政府軍の戦闘員を訓練、その教官はアメリカの情報機関員や特殊部隊員、イギリスとフランスの特殊部隊員だと言われている。その基地をロシア軍が使う意味は小さくない。こうした変化にアル・カイダ系武装集団やダーイッシュが「派遣切り」を懸念、反応している可能性もある。

(注)4日の報道でインシルリクの話が外相の発言として出てきたが、数時間後、外相はこの発言を否定。誤報だったのか、アメリカからの圧力が訂正の原因なのかは不明。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201607040000/
16:777 :

2022/05/31 (Tue) 01:27:44

シリアでは2011年3月から戦闘が始まっているが、これはリビア、イラク、アフガニスタ、ユーゴスラビアなどと同じように侵略戦争。1980年代からネオコン/シオニストはイラクのサダム・フセイン政権を倒して傀儡体制を樹立、シリアとイランを分断して潰すという戦略を立てていた。その当時、イラクをペルシャ湾岸産油国の防波堤と認識していたアメリカ支配層の一部、つまりジョージ・H・W・ブッシュやジェームズ・ベーカーはネオコンやイスラエルと対立、それが原因で「イラクゲート事件」が浮上している。

 ブッシュが大統領だった1990年8月にイラク軍がクウェートへ軍事侵攻、91年1月にアメリカ軍を中心とする連合軍がイラクを攻撃している。いわゆる湾岸戦争だ。この戦争でネオコンはフセインを排除するつもりだったが、ブッシュ大統領はその前に停戦、怒ったポール・ウォルフォウィッツ国防次官は、5年以内にイラク、イラン、シリアを殲滅すると口にしていたとウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官は語っている。

 イラクがクウェートを侵略したのは、クウェートによる石油盗掘問題のもつれから。その直前にアメリカ政府はイラク軍がクウェートへ侵攻することを容認するかのようなメッセージを出していたが、これは罠だった可能性がある。そのとき、PLOのヤセル・アラファト議長やヨルダンのフセイン国王はフセインに対して罠の疑いがあると警告したのだが、フセインはそれを無視して攻め込んだ。

 軍事侵攻を受け、アメリカ下院の人権会議で「ナイラ」なる少女がイラク軍の残虐性を涙ながらに告発、アメリカで好戦的な雰囲気を高めることに成功したが、この「告発劇」はPR会社のヒル・アンド・ノールトンが演出したもので、主演の少女はアメリカ駐在クウェート大使の娘。つまり、全くの作り話だった。

 この時以来、ネオコンはイラクを乗っ取るチャンスを待っていた。そして2001年9月11日がやってくる。その日、ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、ジョージ・W・ブッシュ政権はすぐにアル・カイダの犯行だと断定する。本ブログでは何度も説明したように、アル・カイダは戦闘員の登録リストにすぎず、そうした武装集団は存在しない。

 攻撃の翌日、ホワイトハウスでの会議に臨んだ対テロ担当のリチャード・クラークを待ち受けていたのは予想に反し、イラク攻撃をめぐる議論だった。どのような口実でイラクへ攻め込むかということだ。そして「大量破壊兵器」を理由にして攻撃することに決まった。イラクが「大量破壊兵器」を保有していないことを知っているブッシュ・ジュニア政権はそれを前提にした攻撃プランを作成、簡単に決着はつくと考えていたようだ。

 しかし、大量破壊兵器をイラクが保有していなくても簡単に戦争は終結しないと考えたのが統合参謀本部。リチャード・チェイニー副大統領やドナルド・ラムズフェルド国防長官たちと将軍が対立、開戦は約1年延びたと言われている。言うまでもなく、将軍たちの見通しが正しかった。

 恐らく正規軍を投入したイラクでの戦法を反省したネオコンは昔の手口を使う。つまりズビグネフ・ブレジンスキーが1979年に始めたゲリラ戦だ。パキスタンの情報機関が主体となる武装勢力を選定、サウジアラビアが資金と戦闘員(大半がサラフ主義者/ワッハーブ派やムスリム同胞団)を供給、イスラエルも協力した。サウジアラビアの情報機関、総合情報庁長官を務めていたタルキ・アル・ファイサルの下で戦闘員を集めていた人物がオサマ・ビン・ラディンだ。

 そのアル・カイダ系武装集団をリビアやシリアに投入、リビアではNATOが空爆、地上ではアル・カイダ系のLIFGが政府軍と戦い、ムアンマル・アル・カダフィ体制を倒すことに成功したが、シリアでは失敗する。NATOを介入させるために偽情報を流したが、その事実が発覚、化学兵器の使用を宣伝したが、それも嘘だということが明らかになってしまった。しかも、地中海方面から発射したミサイルが海中へ落下している。

 この軍事侵略をアメリカの支配層は「独裁者に自由と民主主義を求めて人民が武装蜂起した」と宣伝してきた。途中、嘘だと言うことは次々と明らかにされたが、西側の有力メディアは事実を無視してプロパガンダに徹している。そのメディアを信奉、「造反有理幻想」の中に浸り、侵略軍を「反体制派」と呼んでいる人がまだいるようだ。

 アメリカにもマーチン・デンプシー元統合参謀本部議長やマイケル・フリン元DIA局長のように、アル・カイダ系武装集団やダーイッシュを手先として使うことの危険性を認識し、バラク・オバマ政権の方針に批判的な人もいるが、ヒラリー・クリントンを含む好戦派は意に介していない。現在、威シリアのバシャール・アル・アサド体制を倒し、イランを攻撃したいと考えている。安倍晋三首相はその好戦派と同じことを叫んでいるだけである。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608050000/
17:777 :

2022/05/31 (Tue) 01:29:03


ネオコンが有力メディアを押さえ、宣伝に利用していることは広くしられているが、そのひとつがニューヨーク・タイムズ紙。イラクを先制攻撃する雰囲気作りのため、偽情報を盛んに流していたひとりは同紙のジュディス・ミラーだった。
この人物は第101空挺団に「埋め込まれた」、つまり支配層から認められた記者。

化学兵器、細菌兵器、核兵器に関する極秘施設に関する情報を流し、サダム・フセイン政権が生体実験を行っていると伝えていたが、全て嘘だった。

 アメリカは巨大金融資本が支配する国で、戦争ビジネスはその下に位置し、宣伝部門が有力メディアだ。

現在、TPP(環太平洋連携協定)、TTIP(環大西洋貿易投資協定)、TiSA(新サービス貿易協定)の3点セットで巨大資本が国を支配するファシズム体制へ移行しようとしているが、その新体制も「嘘の帝国」であることに変わりはなく、事実を語ることは反逆と見なされるだろう。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608090000/

▲△▽▼

 1980年代からネオコン/シオニストやイスラエルはイラクのサダム・フセイン体制を倒すべきだと主張していた。

イラクに傀儡政権を樹立させれば、ヨルダン、イラク、トルコの親イスラエル国でイランとシリアを分断することができると考えたからである。

すでにイラクを破壊、今はシリアを侵略している。

 欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の最高司令官を務めたことのあるウェズリー・クラークによると、1991年に国防次官だったポール・ウォルフォウィッツがシリア、イラン、イラクを殲滅すると口にしていたという。そうした発言の背景には、そうしたネオコンの戦略があったということだ。

「アラブの春」、「民主化」、「人権」などは侵略を正当化するために掲げた中身のない看板にすぎない。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608170000/

▲△▽▼

2001年9月11日、ニューヨークの世界貿易センターとワシントンDCの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃される。いわゆる「9/11」だ。

その攻撃をジョージ・W・ブッシュ政権は「国家安全保障上の緊急事態」だと判断、「テロリズムの阻止と回避のために必要な適切な手段を提供することによりアメリカを統合し強化する2001年法(愛国者法)」(注)が出現した。

(注)「Uniting and Strengthening America by Providing Appropriate Tools Required to Intercept and Obstruct Terrorism Act of 2001」のイニシャルをとってUSA PATRIOT Act

 この法律は340ページを超す代物だが、それを議会は1週間で承認、強制収容所の建設を推進する国家安全保障省の「エンド・ゲーム計画」も成立している。愛国者法案を大多数の議員は読んでいなかっただろう。こうしたことが可能だったのは、少なくとも13年という準備期間があったからにほかならない。

愛国者法は軍事侵略と表裏一体の関係にある。2001年9月12日、つまりニューヨークとワシントンDCが攻撃された翌日、ホワイトハウスでは会議が開かれている。その会議に出席したひとり、テロ担当のリチャード・クラークによると、そこで話し合われた議題は9/11についてではなく、イラク攻撃だった。

 攻撃の直後、ブッシュ・ジュニア政権は詳しい調査をしないで「アル・カイダ」が実行したと断定していたが、アル・カイダ系武装集団を弾圧していたイラクを攻撃する口実をどうするかと話し合っていたわけだ。

 そこで決まった口実が「大量破壊兵器」。イラクがそうした兵器を保有していないことを知っているブッシュ・ジュニア政権は大量破壊兵器による報復がないことを前提にした攻撃プランを作成した。簡単に決着はつくと考えていたようだ。

 当初、アメリカ政府は2002年の早い段階に攻撃するつもりだったようだが、統合参謀本部の反対で約1年間、開戦の時期が延びたと言われている。戦争の理由がなく、作戦が無謀だと考えたようだ。最近、明らかになったコリン・パウエル国務長官(当時)のメモによると、2002年3月28日にトニー・ブレア英首相はパウエルに対し、アメリカの軍事行動に加わると書き送っていた。この時、すでにブレアは開戦に同意している。

 アメリカ政府が攻撃しようと考えていた国はイラクだけでなかった。9/11から10日後にペンタゴンを訪れたウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官によると、ドナルド・ラムズフェルド国防長官の周辺ではイラク、シリア、レバノン、リビア、ソマリア、スーダン、そしてイランを先制攻撃する計画ができあがっていた。

このうち、シリア、イラン、イラクの3カ国は1991年の段階でポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)が5年で殲滅すると口にしたという。

 そしてアメリカは侵略戦争を始めるが、シリアとウクライナで躓く。特にシリアではロシアが軍事介入、アメリカの好戦派が手先として使ってきたアル・カイダ系武装集団などを攻撃、アメリカのプランは崩れてしまった。

アメリカが中国とロシアを相手にした戦争を始めたと認識した中国はシリアで軍事訓練を始めるという。核戦争で脅せば中国やロシアでも屈服するとネオコン/シオニストは考えていたようだが、完全に誤算だった。


 アメリカはすでに戦争を始めている。今のところ戦闘の中心は傭兵が行っているが、好戦派はアメリカ/NATO軍を直接、軍事介入させようとしてきた。それを何とか回避させてきたのがロシアのウラジミル・プーチン大統領である。

アメリカの大統領選挙で共和党候補のドナルド・トランプが予想外の善戦をしているひとつの理由は、少なからぬアメリカ人がこうした事実を知り始めていることにあるだろう。ヒラリー・クリントンが大統領になった場合、最悪の事態、つまりロシアや中国との全面核戦争を覚悟しなければならない。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608190000/
18:777 :

2022/05/31 (Tue) 01:31:23


ズビグネフ・ブレジンスキーもアメリカが地球規模の帝国ではなくなったと認めているように、アメリカを「唯一の超大国」と位置づけるネオコン/シオニストの世界制覇計画は破綻、軌道修正すべきだと考える人がアメリカ支配層の内部にもいるようだが、ネオコンを含む好戦派は1992年の初めに作成された世界制覇計画を諦めていない。この計画は国防総省のDPG草案という形でまとめられ、作業の中心には国防次官を務めていたポール・ウォルフォウィッツがいた。
 その前年、この人物はシリア、イラン、イラクを5年から10年で殲滅すると口にしていた。これはウェズリー・クラーク元欧州連合軍最高司令官の証言だ。1991年1月にアメリカ軍を中心とする連合軍はイラクを攻撃したが、ネオコンの思惑とは違い、サダム・フセインを排除せずにジョージ・H・W・ブッシュ政権は停戦してしまった。それに怒ったウォルフォウィッツはイラクなど3カ国の殲滅を口にしわけだ。

 西側の政府やメディアが描いてきたストーリーは、独裁者に虐げられていた民衆が蜂起したというもの。ドラマやプロレスで好まれる典型的なパターン。虐げられた人びとが革命で救済されのは必然だと信じる人びとにとっても魅力的である。そのストーリーをアメリカの支配層は侵略や略奪を正当化するために使っている。事実を検証するならば、シリアの戦乱は侵略だということがわかる。決して「革命」でも「内戦」でもない。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201609100000/

▲△▽▼

2016.10.04
偽情報を作成、流布するため米国防総省は英国の広告会社へ5億ドル以上を支払って戦争を正当化
 アメリカの国防総省がプロパガンダのため、イギリスの広告会社ベル・ポッティンガーに5億4000万ドル(約550億円)を支払ったと伝えられている。

偽情報を流し、侵略戦争に人びとが賛成するように誘導することが彼らの仕事だ。

 昔から情報機関が行っていることだが、3種類のプロパガンダを実行している。

第1(白色)は発信源を明示したもの、

第2(灰色)は発信源を明示しないもの、

第3(黒色)は事実に反する発信源を示すもので、偽映像の制作も含まれている。


シリアでダーイッシュ(IS、ISIS、ISILとも表記する)が登場した際、斬首など残虐な場面が流れたが、すぐにフェイクだと指摘されていたことを思い出す。

 広告会社が戦争への道を切り開く宣伝を行ったことで有名な例は、1990年8月にイラク軍がクウェートへ攻め込んだ後にアメリカ下院の人権会議(公的なものではない)における少女「ナイラ」の「証言」だろう。


Faked Kuwaiti girl testimony
https://www.youtube.com/watch?v=LmfVs3WaE9Y


 その「証言」によると、アル・イダー病院でイラク兵が赤ん坊を保育器の中から出して冷たい床に放置、赤ん坊は死亡したという。

いかにイラク軍が残虐かを彼女は涙ながらに訴えた。心を動かされた人も少なくないだろう。

が、この「証言」には大きな問題があった。

「証言者」は駐米クウェート大使の娘で、現場にはいなかったのである。
広告会社ヒル・アンド・ノールトンの書いたシナリオに従って作り話をしたのである。

迫真の演技だったが、そこに事実はなかった。
そして1991年1月にアメリカ軍を中心に編成された連合軍がイラクを攻撃したわけだ。


 この戦争は3月まで続くのだが、ジョージ・H・W・ブッシュ大統領は排除しないまま停戦、ネオコン/シオニストは激怒する。ネオコンの中核グループに属すポール・ウォルフォウィッツ国防次官(当時)はその時、シリア、イラン、イラクを5年から10年で殲滅すると口にしたという。これは欧州連合軍(現在のNATO作戦連合軍)の元最高司令官、ウェズリー・クラークの話だ。

 1991年12月のソ連が消滅、翌年の初めにはアメリカ国防総省でDPGの草案が作成されている。アメリカを「唯一の超大国」になったと位置づけ、新たなライバルの再登場を阻止すると宣言している。潜在的ライバルと想定されているのは、旧ソ連、西ヨーロッパ、東アジア。エネルギー資源が存在する南西アジアも注目地域だと考えれている。

 当時の国防長官はリチャード・チェイニー、次官はポール・ウォルフォウィッツで、文書の作成はウォルフォウィッツが中心になっていたことから、このDPG草案は「ウォルフォウィッツ・ドクトリン」とも呼ばれている。

 この世界制覇プランができると、西側支配層の傀儡であるボリス・エリツィンがロシアで独裁体制を強化、国民の資産を略奪してくが、それと同時にNATOを東へ拡大して支配地域を広げていく。これはロナルド・レーガン政権の約束に反する行為だが、アメリカ支配層は約束を守らない。

 NATOを拡大するだけでなく、既存の国を破壊しはじめ、ユーゴスラビアが最初のターゲットになった。アメリカ支配層の働きかけもあり、1991年6月にスロベニアとクロアチアが独立を宣言、同年9月にマケドニアが、翌年の3月にはボスニア・ヘルツェゴビナが続き、4月になるとセルビア・モンテネグロがユーゴスラビア連邦共和国を結成し、社会主義連邦人民共和国は解体された。

 さらに、コソボのアルバニア系住民が連邦共和国から分離してアルバニアと合体しようと計画、それをNATOが支援する。この活動を主導したイブラヒム・ルゴバ率いるLDK(コソボ民主化連盟)は非暴力で、セルビア側も事態の悪化を懸念して運動を許していた。1991年から92年にかけてLDKは地下政府を創設して選挙も実施しているが、セルビアの治安当局はこれも許容している。

 1992年2月にフランスで和平交渉が始まり、セルビア側はコソボの自治権を認め、弾圧もやめることで合意、交渉はまとまりかけたが、平和的な解決を望まないNATOはセルビアが受け入れられない条件を出した。つまり、車両、艦船、航空機、そして装備を伴ってNATOの人間がセルビアを自由に移動できるという項目が付け加えたのだ。つまり、セルビアをNATOは占領、支配するということだ。(David N. Gibbs, “First Do No Harm”, Vanderbilt University Press, 2009)

 この条件をセルビア政府が受け入れられなかったのは当然。日本の外務省などは「セルビアがNATO軍のコソボ展開を受け入れず決裂」したと説明している。アメリカの属国の官僚はこうした言い方をする。

 1994年になると、アル・カイダ系の武装集団がアルバニアで活動を開始、ボスニアやコソボにも手を広げる。アメリカが傭兵を投入して戦乱を広げ、軍事介入しやすい環境を作り始めたわけだ。中東や北アフリカでもアメリカ支配層は基本的に同じ手口を使っている。

 先制攻撃を正当化するために西側は軍事的な緊張を高めるだけでなく、セルビアを悪魔化するプロパガンダを開始した。そのキーワードに選ばれたのは「人権」。有力メディアだけでんかう、投機家のジョージ・ソロスと関係がある人権擁護団体のHRWもプロパガンダに参加する。(この辺の事情は拙著『テロ帝国アメリカは21世紀に耐えられない』に記載してある。)

 そうした宣伝の背後には、ドール米上院議員と密接な関係にあるアルバニア・ロビーが存在、コソボ紛争の宣伝戦で中核的な役割を果たしたのはルダー・フィンという広告会社である。(David N. Gibbs, “First Do No Harm”, Vanderbilt University Press, 2009)コソボのアルバニア勢力は1992年10月に同社と契約を結んでいる。(Diana Johnstone, "Fools' Crusade," Monthly Review Press, 2002)

 当初、ビル・クリントン政権はコソボに興味を持たず、1995年にデイトンで和平交渉が行われた際にもコソボに関心を示していない。この態度はLDKのルゴバを窮地に追い込み、KLA(コソボ解放軍、UCKとも表記)の台頭を招いた。この武装勢力は1996年2月にコソボの北部にいたセルビア人難民を襲撃することから活動をスタートさせた。(Gregory Elich, 'The CIA's Covert War,'CovertAction Quarterly, April-June 2001)

 クリントン政権はユーゴスラビアに対する軍事介入に消極的だったが、ネオコンは諦めない。例えば、クリントンが大統領に就任した1993年の9月、彼らはボスニアへの軍事介入を求める公開書簡を発表、ウォール・ストリート・ジャーナル紙に掲載されている。

 その書簡に署名した人物には、イギリスのマーガレット・サッチャー元首相、アメリカのジョージ・シュルツ元国務長官、フランク・カールッチ元国防長官、ズビグネフ・ブレジンスキー元国家安全保障問題担当大統領補佐官、ポール・ニッツェ、ジョージ・ソロス、ジーン・カークパトリック、アルバート・ウールステッター、ポール・ウォルフォウィッツ、リチャード・パールが含まれている。(Wall Street Journal, September 2, 1993)ネオコンのオンパレードだ。

 西側の有力メディアや「人権擁護団体」はセルビアを攻撃するキャンペーンを展開するが、アメリカ政府は動かない。状況が変化したのは、国務長官がクリストファー・ウォーレンからマデリーン・オルブライトへ交代した1997年1月から。ウォーレンは戦争に消極的だったが、オルブライトは逆だった。このオルブライトを国務長官にするよう働きかけたのはヒラリー・クリントン、つまりビルの妻だとされている。

 そして1998年にモニカ・ルウィンスキーのスキャンダルが浮上、ビル・クリントンは身動きのとれない状態になる。この年の秋にオルブライトは空爆を支持すると表明、1999年3月にNATO軍は偽情報に後押しされる形でユーゴスラビアを先制攻撃した。

 決して親セルビアとは言えないヘンリー・キッシンジャーでさえ、1998年10月から99年2月までの期間における停戦違反の80%はKLAによるものだと語っている。(David N. Gibbs, “First Do No Harm”, Vanderbilt University Press, 2009)西側メディアが盛んに宣伝していた人権話も嘘で、NATOには先制攻撃する正当な理由はなかった。

 その後、ウォルフォウィッツ・ドクトリンを作成したグループには好都合なことに、2001年9月11日にニューヨークの世界貿易センターとバージニア州アーリントンにある国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃され、国内のファシズム化、国外での軍事侵略が始まる。途中、グルジア(ジョージア)の南オセチアへの奇襲攻撃でロシアが予想以上に強いことが判明、その後はアル・カイダ系武装集団など傭兵を前面に出すようになった。

 シリアでのプロパガンダはシリア・キャンペーンなる団体が中心的な役割を果たしている。この団体と連携している白ヘルの主要な資金源でアルUSAIDはCIAの資金を供給する機関として設立された。シリア・キャンペーンは白ヘルと同じように国連や赤十字を敵視、シリアに飛行禁止空域を作るように要求している。つまり、シリア上空はアメリカ軍とその同盟軍のみが飛行、ダーイッシュやアル・カイダ系武装集団を空爆するロシアやシリアの飛行は禁止させるべきだというわけだ。そうしたことを強行すれば、ジョセフ・ダンフォード統合参謀本部議長が上院軍事委員会で語ったように、ロシアやシリアと戦争になる可能性が高い。

 シリア・キャンペーンを創設したのはパーパスという広告会社だとされている。そうした関係からか、シリア・キャンペーンのプロジェクト・ディレクターをしているアンナ・ノランはパーパスの上級戦略担当だった人物。

 そのパーパスはアバーズというキャンペーン会社からスピンオフしたようだが、そのアバーズはリビアに飛行禁止空域を設定するように主張していた。その結果、NATOの空爆とアル・カイダ系武装集団の地上戦(イギリスなどが特殊部隊を潜入させていたが)の連係プレイでムアンマル・アル・カダフィを倒し、「テロリスト」が跋扈する破綻国家を作り上げた。

 2001年9月11日以降、西側メディアはプロパガンダ機関化が急速に進み、「報道」は嘘で溢れている。その中から事実を探し出すのは至難の業だ。そうした状況を作り出した原因は、現代人の大半は騙されたがっていることにあるとも指摘されている。広告会社は人びと、特に「リベラル」や「革新」に色分けされている人びとが好む話、居心地良く感じる幻想を作り、プロパガンダに利用、効果を上げている。そもそも、支配層と本当に対立するような主張をしたくない人が大半だろう。西側の有力メディアを有り難がっている人は、肩書きや経歴が何であれ、信用しないことだ。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201610040000/
19:777 :

2022/06/05 (Sun) 20:40:40

あげ40
20:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/20 (Mon) 13:21:38

「サダム時代の方がよかった」腐敗や混乱に絶望する市民 イラク戦争から20年
2023年3月20日
https://www.tokyo-np.co.jp/article/239001

 米国など「有志連合」が始めたイラク戦争から20日で20年となった。イラクではサダム・フセイン独裁政権の崩壊後も、民主化による政治の安定や経済発展は実現せず、政治や社会の混乱が続く。市民の絶望は深く、反米感情は激しい。「サダム時代の方がよかった」との声も漏れる。(カイロ・蜘手美鶴、ワシントン・浅井俊典)
◆若者の失業率35.6%

 「仕事もなく、結婚もできない。人間らしい暮らしがしたいだけだ!」。デモ隊を率いるハディ・フセインさん(37)の訴えに、市民ら約200人が歓声を上げた。内閣が2023年予算案を承認した13日、バグダッドでは市民が雇用拡大を訴えた。世界銀行によると、21年の失業率は16.2%。若者(15〜24歳)は35.6%に達した。
 戦争後、一部政治家やその周辺に富が偏り、医療や教育の水準が著しく低下した。汚職が横行し、事業登録や選挙の出馬にも賄賂が要求され、市民は公務員や政治家を「泥棒」と呼ぶ。

 19年には大規模デモが起き、21年に前倒し総選挙が実現した。しかし政党間対立で新政権発足まで約1年かかり、予算案が可決できない事態に陥った。
 「20年前に戻れたら、米国からサダムを守る」。無職ラスール・アブルアッバスさん(42)はフセイン政権に弾圧されたイスラム教シーア派だが、「すべて米国の侵略から始まった。イラクは壊された」と怒りの矛先を米国に向ける。
◆アメリカも「負の遺産」抱えて

 イラク戦争は米国でも問題視されている。米上院は16日、イラク戦争での軍事行動を承認した議会決議を廃止する法案について、審議を進めることを決めた。決議は歴代大統領が議会承認なしに軍事行動を起こす際の根拠となり、根強い批判があった。
 当時のブッシュ(子)政権は、フセイン政権が大量破壊兵器を隠し持っていると主張してイラクに侵攻した。政権を崩壊させたが、大量破壊兵器はなかった。

 米シンクタンク、ランド研究所のマイケル・メイザー氏は、01年の米中枢同時テロ以降、ブッシュ政権の一部高官が「フセイン政権を倒すべきだ」と開戦を主導したと指摘。「政権崩壊後にイラクをどうするか、米政府にはまとまった考えがなかった」と述べる。議会やメディアのチェック機能も働かず、誤情報に基づいてイラクに侵攻したことで「米国の外交政策の信用性を著しく損なう負の遺産を残した」と語る。
◆復興支援で派遣された自衛隊にも怒る市民

 日本は04〜06年、米国の要求に応じる形で南部サマワに陸上自衛隊を派遣。「復興支援」として、地元住民を雇って学校や道路、浄水所など公共施設133カ所を整備。現在も住民の生活を支えている。
 食堂経営バッシャール・ホローさん(52)は「日本人は丁寧で、高いモラルを持っていた」としながらも、「米軍と一緒である限り、侵略者だ」と切り捨てる。
 08年にイラクを電撃訪問したブッシュ氏に靴を投げたことで知られるジャーナリスト、モンタゼル・アルザイディ氏(44)はこう強調する。「私たちは1980年代にイラクの発展を支えた日本に今も感謝している。しかし自衛隊の派遣は犯罪であり大きな過ちだ。『なぜ来たのか?』という疑問は今も消えない」
https://www.tokyo-np.co.jp/article/239001
21:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/03/26 (Sun) 08:09:49

2023.03.26XML
シリアで不法占領を続けるアメリカ軍の基地に対する攻撃が続いている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202303260000/

 シリア北部にあるアメリカ軍の基地が3月23日に無人機で攻撃され、ひとりが死亡したと伝えられている。ジョー・バイデン米大統領は報復攻撃をロイド・オースチン国防長官に命令、アメリカ中央軍はシリア東部の施設を空爆したが、それに対する報復で24日にはアル・オマール近くにある別の基地がロケット攻撃を受けた。イランのネットワーク局アル・アラムによると、25日には20機以上のロケットでふたつのアメリカ軍基地が攻撃されたという。

 ジョージ・W・ブッシュ米大統領はネオコンの戦略に基づき、「大量破壊兵器」に関する偽情報を流して環境作りをした上でアメリカ主導軍にイラクを先制攻撃させ、サダム・フセイン体制を破壊した。2003年3月20日早朝のことだ。

 しかし、イラクに親イスラエル政権を築くことに失敗、アメリカ軍による占領は今も続いている。この軍事作戦で殺されたイラク人は100万人程度とも言われている。

 例えば、アメリカのジョーンズ・ホプキンス大学とアル・ムスタンシリヤ大学の共同研究によると、2003年の開戦から06年7月までに約65万人のイラク人が殺され、イギリスのORBによると、07年夏までに94万6000名から112万人が死亡、またNGOのジャスト・フォーリン・ポリシーは133万9000人余りが殺されたと推測している。

 正規軍の投入は機能しないと考えたのか、バラク・オバマ米大統領は2010年8月にPSD-11を承認してムスリム同胞団を使った体制転覆作戦を始動させる。そして始まるのが「アラブの春」だ。その流れの中で​アメリカ、イギリス、フランスを含む国々がリビアやシリアに対する軍事侵略を始めた​。この戦術はオバマの師にあたるズビグネフ・ブレジンスキーが1970年代に始めたもので、​「アル・カイダ」の仕組み​はその時に作られた。


 リビアでは2011年10月にムアンマル・アル・カダフィ体制は倒され、カダフィ本人はその際に惨殺された。その際、アル・カイダ系武装集団とNATO軍の連携が明らかになり、​反カダフィ勢力の拠点だったベンガジでは裁判所の建物にアル・カイダの旗が掲げられている​。

 アル・カイダはCIAが訓練した戦闘員の登録リストで、戦闘員の募集活動をしていたのがオサマ・ビン・ラディンだと言われている。一般的にアル・カイダのリーダーだと言われ、イコンとして扱われていた人物だ。このビン・ラディンは2011年5月、アメリカ海軍の特殊部隊によって殺害されたとされている。イコンを消したとも言えるだろう。

 2012年からオバマ政権はシリア侵略に集中する。リビアから戦闘員や武器をNATO軍がシリアへ運び、軍事支援を強化するのだが、そうした行為を正当化するためにシリア政府を悪魔化するための偽情報を流した。

 例えば、シリア北部ホムスで2012年5月に住民が虐殺されると、西側の政府やメディアは政府軍が実行したと宣伝した。イギリスのBBCはシリアで殺された子どもの遺体だとする写真を掲載しているが、この写真は2003年3月にイラクで撮影されたもの。オーストリアのメディアは写真を改竄し、背景を普通の街中でなく廃墟に変えて掲載していた。

 こうした西側有力メディアの偽報道をローマ教皇庁の通信社が伝えている。例えば、メルキト東方典礼カトリック教会の修道院長を務めていたフィリップ・トルニョル・クロはホムスでの住民虐殺事件を調べるために現地へ入って調査、西側の宣伝が嘘だという結論に達し、「もし、全ての人が真実を語るならば、シリアに平和をもたらすことができる。1年にわたる戦闘の後、西側メディアの押しつける偽情報が描く情景は地上の真実と全く違っている」と2012年6月に報告している。

 西側の有力メディアは当初、現地の情報源としてシリア系イギリス人のダニー・デイエムなる人物を使っていた。ところがデイエムが撮影スタッフと演出の打ち合わせをしている場面が2013年3月にインターネット上へ流出、中継はフィクションだということが明らかになる。

 2012年8月にはアメリカ軍の情報機関​DIAが反シリア政府軍の主力はアル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだと指摘されていた)であり、その中心はサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)やムスリム同胞団だと指摘​、アル・カイダ系武装集団のAQI(アル・ヌスラと実態は同じだとしている)の名前も報告書の中に出している。オバマ大統領が主張する穏健派は存在しないということだ。

 オバマ政権の政策はシリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるとも警告していたが、これは2014年にダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国とも表記)という形で現実になった。

 その2012年8月にオバマ政権は軍事侵攻を正当化する口実として化学兵器を言い始めた。シリアに対する直接的な直接的な軍事介入のレッド・ラインは生物化学兵器の使用だと宣言したのだ。シリア軍が予想外に強く、アメリカ軍、あるいはNATO軍が介入しなければならないと判断したようだ。

 2012年12月になると、ヒラリー・クリントン国務長官がシリアのバシャール・アル・アサド大統領は化学兵器を使う可能性があると語る。そして2013年1月29日付けのデイリー・メール紙には、イギリスの軍事関連企業ブリタム防衛の社内電子メールにシリアで化学兵器を使ってその責任をアサド政権に押しつける作戦をオバマ大統領が許可したという記述があるとする記事が載った。(同紙のサイトからこの記事はすぐに削除された)

 そして2013年3月にアレッポで爆発があり、26名が死亡したのだが、そのときに化学兵器が使われたという話が流れる。シリア政府は侵略軍であるジハード傭兵が使用したとして国際的な調査を要請するが、イギリス、フランス、イスラエル、そしてアメリカは政府軍が使ったという宣伝を展開する。

 しかし、​攻撃されたのがシリア政府軍の検問所であり、死亡したのはシリア軍の兵士だということをイスラエルのハーレツ紙が指摘​、​国連独立調査委員会メンバーのカーラ・デル・ポンテも反政府軍が化学兵器を使用した疑いは濃厚だと発言​している。

 2014年1月にイラクのファルージャで「イスラム首長国」の建国が宣言され、6月にはモスルが制圧される。ダーイッシュの登場だ。モスル制圧の際にトヨタ製小型トラック、ハイラックスの新車を連ねたパレードを行い、その様子を撮影した写真が世界に伝えられたのだが、こうした戦闘集団の動きをアメリカの軍や情報機関は偵察衛星、無人機、通信傍受、人間による情報活動などで知っていたはず。そうしたパレードは格好の攻撃目標だが、アメリカ軍は動かなかった。

 アメリカのチャック・ヘーゲル国防長官やマーチン・デンプシー統合参謀本部議長は上院軍事委員会で直接的な軍事介入に慎重な姿勢を示し、クリントン国務長官らと対立していたが、ダーイッシュは残酷さをアピール、アメリカ/NATO軍の介入を誘う。

 オバマ大統領が主張する穏健派は存在しないとする報告を出したDIAの局長、マイケル・フリンは2014年8月に退役を強いられていたが、それだけでなくヘーゲルは2015年2月に解任、デンプシーは同年9月に再任を拒否されている。オバマ大統領は戦争体制を整えた。そこでロシアはシリア政府の要請で軍事介入、ダーイッシュを含むアル・カイダ系武装集団を敗走させた。

 そこでアメリカはクルドと手を組むのだが、これによってアメリカとトルコの関係が悪化する。現在、アメリカ軍はシリア領内に900名程度の部隊を侵攻させ、10カ所とも20カ所とも言われる数の軍事基地をシリアに建設、不法占領を続けている。

 そうした基地のひとつであるアル・タンフではアメリカとイギリスの特殊部隊が反シリア政府軍を訓練、2018年9月にはアメリカ軍が軍事演習を実施、最近ではウクライナでロシア軍と戦わせるために戦闘員を訓練しているとも言われている。

 シリア領内のアメリカ軍は侵略者以外の何ものでもない。 アメリカ軍に対する攻撃はシリア人の権利である。


https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202303260000/
22:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/05/03 (Wed) 19:43:55

2023年05月03日
リビアが仕置きされた理由 / 正義の利益戦争(2)
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68931684.html

石油を求めて戦う米国/ 資源掠奪闘争

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 アメリカ合衆国は「世界の警察官」を気取り、「自由」や「人権」あるいは「デモクラシー」を掲げて外国、とりわけ非西歐世界の“独裁国”に対して内政干渉を行うが、いざ本気で戦争に突入する時には、いつも「実利」や「掠奪」がその動機となっている。今回のウクライナ紛争だって、侵掠を受けたウクライナ国民を支援し、ロシア軍をたたき出すための軍事支援なんて嘘。本丸はプーチン政権の打倒で、他にどんな目的があるのか判らないけど、何となく察しがつくのは、石油利権の獲得やロシア帝国の解体などが軍事介入の動機になっていることだ。

  アメリカは自国を棚に上げて外国の独裁者を非難する。北鮮と如何なる裏取引をしているのか判らないが、一応、金王朝を譴責し、イランの独裁体制も咎めている。親子二代で合衆国大統領になったブッシュ家は、イラクのサダム・フセイン大統領を標的にし、奸計を用いてイラクを叩き潰してしまった。息子のジョージ・ウォーカーは、9/11同時テロの真犯人を追及せずに、「アルカイダのテロリスト」が実行犯と決めつけ、まともな科学捜査をせずにイラク戦争へとアメリカ国民を駆り立てた。

  標的にされた独裁者の末路は本当に惨めだ。2003年、ティクリートにある農家に隠れていたサダム・フセインは、「暁作戦(Operation Red Down)」の襲撃を喰らい、バグダードにある米軍基地(Camp Copper)へと輸送された。この囚人はホワイトハウスが裏で操る「イラク特別法廷」に引きずり出され、イラクの元大統領は、「人道に対する罪(crimes against humanity)」とやらで絞首刑の判決を受けた。

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(左 : 襲撃を受けたサダム・フセイン / 中央 : 囚人となったサダム・フセイン / 右 : 大統領時代のサダム・フセイン)

  2006年12月30日、サダム・フセインは首にロープを巻き付けられ、吊るし首の刑に処せられた。絞首刑の間際、ある傍観者が「地獄へ落ちろ!」と叫ぶと、それを聞いたサダムは「イラクのことか?」と言い返したそうだ。(Claudia Parsons, 'Fallen Tyrant taunted in Saddam video', Reuters, January 1, 2007.) サダムの側に居た覆面の衛兵は、この死刑囚に向かって「お前は俺達を滅茶苦茶にし、俺達を殺した。そして、俺達は破壊された土地に暮らす破目になったんだ!」と罵倒したそうである。

  しかし、サダムはちっとも頷かず、こう言い放った。「私はお前達を破壊と窮乏から救ってやったんだぞ。そして、お前達の敵であるペルシア人とアメリカ人をやっつけたんだからな !」と反論したそうである。(Marc Santora, 'On the Gallows, Curses for U.S. and Traitors', The New York Times, December 31, 2006. )ここでちょっと不思議なんだけど、死を悟ったサダムは、心底憎んでいるはずのイスラエルやアメリカのユダヤ人に言及しなかったのか? この政治指導者が「グレーター・イスラエル計画」を知らなかったとは思えないのだが・・・。

  欲望に駆られたアメリカよる“鉄拳制裁”には容赦がない。「アルカイーダ」の首領と目されたウサマ・ビン=ラディン(Osama bin Mohammed bin Awad Laden)も仕置きに掛けられ、「ネプチューの槍作戦(Operation Neptune Spear)」で殺されてしまった。

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(左: 処刑されるサダム・フセイン / 右 : 中東アジア地域を逃亡中のウサマ・ビン・ラディン )

2011年、5月2日、バラク・フセイン・オバマ大統領の「暗殺命令」を受けた「海軍特殊部隊(SEAL Team Six)」は、第160特殊空挺部隊(DEVGRU / Night Stalkers)と共にパキスタンのアボッタードへ向かい、ビン=ラディンが潜んでいる建物に侵入すると、中に居た標的を射殺した。サダムの遺体はティクリットに埋葬されたが、ウサマの遺体は故郷での埋葬を許されず、空母カール・ヴスンソンで葬儀が執り行われ、遺体は海に沈められたという。射殺された者が、本当にオサマかどうか判らないけど、一応、テロリストの主犯は抹殺されたことになっている。

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(左 : ビン・ラデスンを射殺した海軍特殊部隊のロバート・オニール / 右 : SEALSの襲撃現場を目にするオバマとバイデン、ヒラリー・クリントン、ロバート・ゲイツ )

  レーガン政権の頃から“目障り”だったリビアの“狂犬”、ムアマール・カダフィー大佐(Col. Muammar Muhammad Abu Minyar al-Gaddafi)も抹殺されてしまった。2011年、隣国のチュニジアで「ジャスミン革命」が起こると、その余波がリビアに飛び火し、リビアではカダフィーの退陣を求めるデモが巻き起こったそうだ。歐米諸国の悪党に嗾(けしか)けられたリビア国民は、「反カダフィー政権」の御旗を翻し、憎い“独裁者”を倒そうとした。民衆の蜂起によってカダフー政権は崩壊し、権力の座を失ったカダフィー大佐は、抵抗しながら退却をしていたそうだ。

Gaddafi 743(左 / 若い頃のカダフィー大佐 )
  しかし、この独裁者も運が尽きてしまう。反カダフィーの国民評議会によってリビアは内乱に陥り、そこへNATOの空爆も加わったから、カダフィーの拠点は難なく制圧されてしまった。攻撃を喰らったカダフィー大佐は、護衛に伴われながら逃亡を試みるが、反政府勢力によって身柄を拘束されてしまう。実際に、どのような死を迎えたのか判らないが、拘束され輸送される途中で民兵のリンチに遭ってしまい、暴行されたカダフィーは血塗れだった。(この私刑は携帯電話で撮影され、凄まじい光景を撮した動画は世界中に配信された。)

  独裁者の末路は本当に惨めなもので、殴る蹴るの暴行を受けたカダフィーは、命乞いをしたそうで「こんなのは主が赦さないぞ!」と叫んだが、民兵の一人は構わず、「これはミスラタの分だ、犬野郎!」と大佐の頬をビンタした。カダフィーは「お前、善悪の区別が無いのか?!」と言い返したが、別の民兵は「うるせぇ! この犬野郎!」と罵ったそうだ。(Rania El Gawal, Clues to Gaddafi's death concealed from public view,' Reuters, October 23, 2011.)ちなみに、「ミスラタ」とは、反カダフィー勢力が拠点した土地の一つで、カダフィー軍の攻撃により大勢の人々が殺されていた。

Gaddafi 001Gaddafi 002
(上写真 / 民兵からのリンチを受け、血塗れになったカダフィー)

  リンチの動画は手ぶれが酷かったけど、その残酷さはひしひしと伝わっていた。トラックのボンネットに押しつけられたカダフィーは血塗れで、彼の周囲では歓喜の声と祝杯の銃声が鳴り響いていた。どのように処刑されたのか定かではないが、捕らえられた元国家指導者が嬲(なぶ)り殺しの目に遭ったことは確かだ。服を引きちぎられ、髪を捕まれてうめき声を上げるカダフィーの姿は誠に惨めで、これはアフリカの独裁者にとっては決して「他人事」ではない。

  「アムネスティー・インターナショナル」のハト派やボンクラ左翼は、こうしたリンチを「人権違反である!」と批判したが、それなら暗殺命令を次々と出したオバマ大統領に言ってやればいいじゃないか! 日本人はオバマをリベラル派の希望と見なしていたが、実際は、白いアメリカを憎む赤い黒人で、「邪魔者は容赦なく始末する」という信条を持っていた。地上波テレビは報道しなかったけど、オバマ政権には秘密の「抹殺リスト(kill list)」があったそうだ。(Ian Cobain,‘Obama's secret kill list – the disposition matrix,’The Guardian , 14 July 2013.)

Hillary Clinton 324Sidney Bloomenthal 11(左 : ヒラリー・クリントン / 右 : シドニー・ブルーメンタール )
  日本の保守系雑誌も言及しなかったが、リビアでの政変はデモクラシーの問題じゃなく、米国の石油支配と金融システムが絡んでいた。当時、国務長官だったヒラリー・クリントンは、顧問弁護士で側近のシドニー・ブルーメンタール(Sidney Bloomenthal)と電子メールの遣り取りをしていたが、二人の思惑は後にバラされることになる。2011年4月2日の電子メールで、ブルーメンタールはヒラリーに対し、以下のように伝えていた。

  カダフィーは143トンのゴールドを持っており、シルバーも同じくらい持っているぞ。・・・この金(gold)は反乱の前から貯め込まれていて、全アフリカで流通させるつもりの通貨、すなわち、金で裏付けされたディナール(Dinar)を確立させる魂胆なんだ。この計画によれば、ディナールはフランス語圏のアフリカ諸国で供給され、フランスがアフリカで用いているCFAに取って代わる貨幣となるだろう。 (Ellen Brown,'Why Qaddafi had to go: African gold, oil and the challenge to monetary imperialism', Ecologist, 14th March 2016.)

CFA francCFA franc 212
(上写真 / CFA francの紙幣と硬貨 )

  この「CFA franc」とは、アフリカ大陸で流通する通貨のことで、「アフリカ金融共同体フラン(Communauté Financière Africaine franc)」の略である。フランス政府はアフリカ大陸にある旧植民地を手放さず、経済や金融の面で支配を続けようと謀った。そこで、貿易の決済をCFA francで行うことにし、いつまでもフランスに頼る構造を築き上げたのである。この通貨が使用される地域というのは、「西アフリカ経済・通貨同盟(WAEMU)」や「中央アフリカ経済・通貨同盟(CAEMC)」に属する国々で、具体的に言えば、ベニン、ブルキナ・ファソ、コート・ジヴォアール、ギニア・ビサウ、マリ、ニジェール、セネガル、トーゴーならびに、チャド、カメルーン、コンゴ、赤道ギニア、ガボンなどである。

  リビアはカダフィーが有していた金銀だけじゃなく、石油の生産量や埋蔵量もこれまた凄い。2008年から2010年の頃だと、確認された石油の埋蔵量は約443億バレルで、これは世界第8位。アフリカのみだと第1位となる。天然ガスの確認埋蔵量もかなりのもので、1.54兆立方フィートもあるらしい。近年は石油の生産量も増加し、2015年だと2,050万トンであったが、2018年には4,750万トンへと増えていた。

Gaddafi 7409Susan Rice 213(左 : 退陣前のカダフィー / 右 : スーザン・ライス)
  となれば、もしもカダフィーが金を背景にしたディナールを流通させ、USドルの代わりにアフリカの共通通貨で石油の取引を開始したら、米国のドル支配体制にヒビが入ってしまうだろう。サダム・フセインもUSドルでの決済を止め、EUのユーロで石油の取引を行おうと考えたから、歐米の逆鱗に触れ、石油業界の大御所に“しばかれた”という訳だ。また、ニコラ・サルコジ大統領もフランスの支配を危うくするカダフィーの存在を忌々しく思っていた。フランスがリビアの仕置きに賛成したのも当然だ。

  ちょっと考えれば判るけど、 歐米諸国がリビアの政治に介入した理由が、そもそも馬鹿らしい。例えば、アメリカはカダフィーの「レイプ政策」を咎めていた。聞くところによれば、カダフィー大佐は部下(兵隊)にヴァイアグラ(Viagra)を配り、ボーナスみたいに女を強姦させようとしたらしい。本当かどうか知らないけど、この卑劣な計画に対し、米国の国連大使を務めるスーザン・ライス(Susan Rice)はカンカンだった。彼女は国連総会の場で抗議の書簡を叩きつけたというのだ。でも本音では、ペトロ・ダラー(perto-dollar)の駆逐とアフリカ連合(African Union)の解体が目的だったんじゃないか? カダフィーはゴールドを基にした独自通貨を発行し、天然資源の豊富なアフリカ諸国を結束させようとしたから、アメリカの石油マフィアが激怒したんだろう。

  次回へ続く。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68931684.html
23:保守や右翼には馬鹿しかいない :

2023/05/22 (Mon) 10:38:36

2023.05.22XML
急速にまとまりつつある中東はアメリカ離れも加速させている
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202305220000/

 アラブ連盟の首脳会議が5月19日にサウジアラビアのジッダで開かれた。22カ国が参加、ウクライナもゲストとして参加しているのだが、最も注目されたのはシリアの復帰だ。

 シリアが参加できなくなったのは2011年。中東の完全支配を目論んでいたアメリカ、イスラエル、サウジアラビアの3国同盟のほか、フランスとイギリスのサイクス-ピコ協定コンビ、パイプラインの建設でシリアと対立したカタール、オスマントルコの復活を目論んでいたと言われるトルコなどがムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を使い、この年の3月からシリアに対する軍事侵略を始めたのだ。

 当時のアメリカ大統領はバラク・オバマ。彼も大多数のアメリカ大統領と同じように、国際問題についてはネオコンの戦略に従っていた。ネオコンは1980年代からイラクのサダム・フセイン政権を倒して新イスラエル体制を築き、シリアとイランを分断しようとしていた。

 当時、アメリカの支配層内にはフセイン政権をペルシャ湾岸の産油国を守る防波堤と位置付ける勢力が存在、ネオコンと対立する。その勢力にはジョージ・H・W・ブッシュも含まれていた。この当時、イラン・コントラ事件やイラクゲート事件が浮上したが、その理由は支配層内部の対立にあった。ネオコンが実権を握ったのは2001年9月11日以降である。

 ジョージ・H・W・ブッシュの息子、ジョージ・W・ブッシュはネオコンに担がれていた人物で、2003年3月にイラクを先制攻撃してフセイン政権を倒したが、新イスラエル体制を築くことには失敗した。

 そこでブッシュ・ジュニア政権は戦術を変更する。フセインの残党を含むスンニ派の戦闘集団を編成し、手先として使い始めたのだ。​シーモア・ハーシュが2007年3月にニューヨーカー誌で書いた記事​によると、ブッシュ政権はイスラエルやサウジアラビアと手を組み、シリア、イラン、そしてレバノンのヒズボラを叩き潰そうと考えた。そこでアル・カイダ系の武装集団、あるいはダーイッシュ(IS、ISIS、ISIL、イスラム国などとも表記)が生み出されるわけである。

 これはズビグネフ・ブレジンスキーが1970年代に始めた戦術。2009年にアメリカ大統領となったオバマの師はそのブレジンスキーだ。オバマ政権は2011年3月からアル・カイダ系の武装集団を傭兵として使ってシリアに対する侵略戦争をはじめたのである。なお、その前月にはリビアに対しても同じように侵略戦争を開始した。

 オバマ政権は公然とアル・カイダ系武装集団を支援。それに対し、​マイケル・フリンが局長を務めていたDIA(国防情報局)は2012年8月、オバマ政権が支援している武装勢力の主力はサラフィ主義者やムスリム同胞団だと指摘、シリアの東部(ハサカやデリゾール)にサラフィ主義者の支配地域を作ることになるとも警告​していた。

 その警告が2014年にダーイッシュという形で現実になるとオバマ政権ないで対立が激しくなったようで、フリンは2014年8月に退役を強いられている。

 しかし、シリア軍は潰れない。そこでリビアと同じようにアメリカ/NATO軍を投入しようと考えたようで、2015年2月に国防長官をチャック・ヘーゲルからアシュトン・カーターへ、9月には統合参謀本部議長をマーチン・デンプシーからジョセフ・ダンフォードへ交代させる。

 ヘーゲル国防長官やデンプシー統合参謀本部議長は上院軍事委員会で直接的な軍事介入に慎重な姿勢を示し、好戦派のヒラリー・クリントン国務長官らと対立していた。

 デンプシーが退任した数日後にロシア軍がシリア政府の要請で介入、ダーイッシュを含むアル・カイダ系武装集団を敗走させた。軍事介入した直後にロシア軍はカスピ海に浮かべた艦船から26基の巡航ミサイルを発射、全てのミサイルが約1500キロメートル離れた場所にあるターゲットに2.5メートル以内の誤差で命中したとされている。保有する兵器の優秀さを世界に示したのだ。

 ドナルド・トランプは大統領に就任して間もない2017年4月、地中海に配備されていたアメリカ海軍の2隻の駆逐艦、ポーターとロスから巡航ミサイル(トマホーク)59機をシリアのシャイラット空軍基地に向けて発射したものの、6割が無力化されてしまう。ロシア軍の防空システムはアメリカ軍より優秀だということだ。

 そのためか、2017年10月5日にサウジアラビアのサルマン・ビン・アブドル・アジズ国王はロシアを訪問、ロシアの防空システムS-400を含む兵器/武器の購入を持ちかけたようだ。これはアメリカ政府の圧力で実現しなかったが、これは始まりにすぎなかった。

 トランプ大統領は翌年、リベンジを図る。2018年4月にイギリスやフランスを巻き込み、100機以上の巡航ミサイルをシリアに対して発射したのだ。ところが今度は7割が無力化されてしまう。前年には配備されていなかった短距離用の防空システムのパーンツィリ-S1が効果的だったと言われている。

 シリアでの戦闘で世界はロシア軍の強さを認識したが、それはウクライナでの戦闘でも再確認されている。各国政府は西側有力メディアの宣伝に騙されない。

 今年3月10日、中国、サウジアラビア、イランは共同声明を発表、​中国の仲介でサウジアラビアとイランが国交を正常化させ、それぞれ大使館を再開させることを明らかにした​。そしてシリアがアラブ連盟首脳会議へ復帰した。中東はひとつにまとまり、アメリカ離れを始めた。

 アメリカ/NATOがウクライナへ供給した武器弾薬の相当部分は闇市場を通じて中東へ流れていると言われている。イスラム世界がまとまらないよう戦乱を引き起こそうとしているのかもしれない。

 ウクライナにしろ中東にしろ東アジアにしろ、 アメリカは戦争を引き起こそうとしている。そのアメリカに従属している国が「平和国家」であるはずがない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202305220000/
24:777 :

2023/08/27 (Sun) 08:26:50

イラク戦争の背景

東北学院大学講師・世界キリスト協議会前中央委員
川端 純四郎

 ご紹介いたします。

 先生は1934年のお生まれです。東北大学文学部に学ばれ、博士課程を終えられてから、ドイツのマールブルグ大学に入学されました。帰国後、東北学院大学教員として35年間お勤めになりました。その後ひきつづき講師として、現在も勤務されています。一貫して平和、人権、政治改革の活動に積極的に関わっておいでになりました。

 「9条の会」の講師団メンバーとしても、全国を股にかけて講演なさっており、昨年は1年間で80回以上の講演会を開いておられます。

 先生は今朝8時前に仙台を発ち、はるばる鋸南町においで下さいました。今日の講師としてほんとうにふさわしく、よいお話をうかがえると思います。早速、先生からお話をうかがいたいと思います。 先生、どうぞよろしくお願いいいたします。
                                        安藤

 みなさん、こんにちは。 安房郡の水清き鋸南町に伺って、こうしてお話できることをありがたいと思っています。初めておうかがいしました。木更津まで来たことはあるのですが、今日、電車で君津を過ぎたらとたんに山が美しくなり、あそこまでは東京郊外のなんとまあみっともない風景でしたけれど、あそこから南に来ると一気にほんとうに昔のよき日本の風景がよみがえってくるようでした。ほんとうに嬉しく思いました。

 いま、「さとうきび畑」の朗読と、合唱団のコーラスをお聞きしたのですが、どちらも聞いていて涙が出ました。

 私は、戦争に負けた時小学校6年生でした。仙台で敗戦を迎えましたが、仙台も空襲で全滅いたしました。街の真ん中にいましたから、もちろんわが家も丸焼けでした。忘れられない思い出があります。街の真ん中の小学校でしたから、同級生が一晩で8人焼け死にました。隣の家の、6年間毎日いっしょに学校へ適っていた一番仲の良かった友達も、直撃弾で死にました。今でも時々思い出します。

 今このような歌を聞くと、どうしてもその人のことを思い出します。思い出す私の方はもう70になりますが、記憶に出てくるその三浦君という友達は、小学校6年生のまま出てきます。どうして小学校6年で人生を終わらなければいけなかったのか、生きていてくれたらいろんな事があったのに、と思います。戦争なんて二度としてはいけない、というのが一貫した私の願いです。

 私は牧師の家に生まれました。父はキリスト教の牧師で、教会で生まれ教会で育って、讃美歌が子守歌でした。牧師の中には戦争に反対した立派な牧師さんもおられたのですが、私の父のような多くの普通の牧師は、政治や社会に無関心で魂の救いということしか考えていませんでした。で、私もその親父に育てられましたから、大学を出、大学院に入って博士課程までいって、ずっとキルケゴールや実存哲学という、魂だけ見つめているような学問をやっていて、政治とか経済、社会とかは25歳までいっさい関心がありませんでした。

 25歳の時チャンスがあって、ドイツ政府の招待留学生となってドイツヘ勉強に行くことになりました。1960年のことでした。1960年にドイツへ行ったというだけで、どんなにノンポリだったか分かります。安保改訂問題で日本中が大騒ぎの時、それを尻目に悠々とドイツ留学に行ったのです。幸か不幸かまだ世界は貧しくて、飛行機などというものは贅沢な乗り物で、まだジェット旅客機機はありませんでした。プロペラ機でヨーロッパヘ行くには途中で何遍も何遍も着地し、給油して、今のようにノンストップでシベリヤを越えて、などというのは夢のような話でした。しかもベラ棒に高いのです。船の方があの頃はずっと安かったのです。特に貨物船に乗せてもらうと飛行機よりずっと安いのです。そこで一番安いのを探して、5人だけ客を乗せるという貨物船をみつけました。

 その船で神戸を出航し、インド洋からスエズ運河をぬけ、地中海を渡ってイタリアのジェノバに上陸。そこから煙を吐く蒸気機関車でアルプスを越えて、ドイツのマールブルクという町に着きました。

 実は、飛行機をやめて船で行ったということが、私の人生を大きく変えることになりました。あの時もし飛行機で行ったなら、私は一生、世間知らずの大学に閉じこもって勉強だけしている人間で終わった、と思います。

 ところが船で行ったおかげで、しかも貨物船に乗ったおかげで、私は途中のアジア・インド・アラブの国々をくわしく見ることができました。まっすぐ行けば船でも二週間で行くそうですが、何しろ貨物船ですから、途中港、港に寄って荷物を下ろし、また積んで、一つの港に4日から5日泊まっているのです。おかげでその間、昼間は上陸してそのあたりを見て歩き、夜は船に帰って寝ればいいのですから、東南アジアからアラブ諸国をくまなく見て歩きました。

 1ヵ月かかりました。神戸からジェノバまでのこの船旅。その時見たものが、私の人生を変えたのです。何を見たかはお解りですね。アジアの飢えと貧困という厳しい現実にぶつかったのです。

 降りる港、港で、ほんとうに骨と皮とに痩せせこけた、裸足でボロボロの服を着た子供達が、行く港も行く港、集まって来るのです。船の事務長さんに、「可哀想だが、何もやっては駄目だよ。1人にやると収拾がつかなくなるよ」と言われていました。だから心を鬼にして払いのけて通り過ぎるのですが、その払いのけて通り抜ける時に触った子供の肩、肉などなんにもない、ただ骨と皮だけのあの肩、あの感触が、今でも時々蘇ってきます。

 船に帰って、眠れないのです。明日も、あの子供たちに会う。どうするか。私が考えたことは、「神様を信じなさい。そうすれば救われます」と言えるか、ということでした。

どんなに考えたって、言えるわけがありません。飢えて捨てられた孤児たちに、こちらは着るものを看て、食うものを食っておいて、「神様を信じなさい、そうすれば救われます」などとは、口が裂けても言えないと思いました。牧師館で生まれて、キリスト教しか知らずに育って、キリスト教の学問をして来て、それではお前キリスト教って何なのか、25年お前が信じてきたキリスト教とは、飢えた子供たちに言えないようなキリスト教なのか。とれが私の考えたことでした。

 もし言えるとしたら、ただ一つしかない。そこで船を降りて、服を脱いで、子供たちに分けてやって、食っているものを分けてやって、そこで一緒に暮らす、それなら言える。言えるとしたら、それしかありません。言えるじゃないか、と自分に言い聞かせました。

 それなら、船を降りるか──。くやしいけど、降りる勇気がありませんでした。折角これからドイツヘ勉強に行くという時、ここで降りて、一生インドで暮らすのか、一生アジアで暮らすのか、どうしてもその気にならないのです。
 ですから理屈をこねました。

 「降りたって無駄だ。お前が降りて背広一着脱いだって、何百人人もいる乞食の子に、ほんの布切れ一切れしかゆきわたらないではないか。自分の食うものを分けてやったって、何百人もの子供が1秒だって、ひもじさを満たされる訳がないじゃないか。お前が降りたって無駄だ。それは降りたという自己満足だけで、客観的にはあの子らはなんにも救われない。」

 「だから降りない、勇気がないのではなく、無駄だから降りない。」と自分に言い聞かせるのです。でも、降りなければ「神様を信じなさい」とは言えません。言えるためには降りなければならない、しかし降りても無駄なのだ。

 堂々巡りです。寄る港、寄る港でこの間題に直面しました。毎晩毎晩同じ問題を考え続けて、結局、答えが見つからないまま、閑々として港を後にしました。、出港の時、あの子たちを見捨て自分だけドイツへ行くことに、強い痛みを感じました。これは永く私の心の傷になって残りました。

 このようにして初めて、世の中には飢えた仲間がいるという、当然分かっていなくてはいけない事実に、何ということでしょう、25にもなってやっと気づいたのです。飢えた子供たちがいる、それを知らんぷりしてドイツに行くのか、お前が降りてあの子たちと一緒に暮らすことはあまり意味ないかも知れない、しかしやっぱり船を降りないのだとしたら、せめて世の中に飢えた子供なんか生まれないような社会を作るために、自分で何かしなければいけないのではないか。ただ魂の中だけに閉じこもっていていいのか。

 これが、私がヨーロッパヘ行く1ヵ月の旅で考えたことでした。

 ドイツヘ行って、宗教の勉強をしました。ブルトマンというドイツの大変偉い先生の所に1年いて、いろいろ教わりましたが、結局、私の結論としては、実存哲学だけではだめだということでした。自分が自分に誠実に生きる──これが実存的、ということですが、それだけでは駄目だ。自分が生きるだけでなく、みんなが人間らしく生ることができるような世の中になるために、自分にできる何か小さなことでもしなければいけない。

 こう思うようになって、日本に帰ってきたのです。

 それじゃあ、世の中で、そのように飢えて死ぬような子がいなくなるような社会とは、どうすれば出来るのか。これはやっぱり、飢え、貧困、戦争、差別、そういうものが生まれる原因が分からなければ、除きようがありません。原因を勉強しなければいけない。そのためには社会科学を勉強しなければいけない。特に経済学を勉強しなければいけない──。

 ドイツヘの留学は、大学院の途中で行きましたので、帰国して大学院に復学しました。幸い東北大学は総合大学ですから、中庭をへだてて向こう側が経済学部でした。帰ってきた次の日から、私は、経済学部の講義を経済原論から、授業料を払わずにもぐりで、後ろの方にそっと隠れてずっと聞きました。

 それからもう45年になりますが、ずっと宗教哲学と経済学と2股かけて勉強してきています。今日も、多少経済の話を申し上げるわけですが、やっぱり自分がクリスチャンとして、今もクリスチャンであり続けていますが、同時に、自分の救いということだけ考えていたのでは申し訳ないと思うのです。現実に飢えて死ぬ子がいるのです。ユネスコの統計によると、毎日2万人の子が栄養不足で死んでいるそういう世の中、このままにしておくわけにはいかない、自分でできることは本当に小さいけど、その小さなことをやらなかったら、生きていることにならない──。そう思って45年過ごしてきたわけです。

 キリスト教の中でずっと生きていますので、一般の日本の人よりは外国に出る機会が多いと思います。特に世界キリスト教協議会という全世界のキリスト教の集まりがあります。その中央委員をしていましたので、毎年1回中央委員会に出かけて、1週間か2週間会議に参加しました。世界中のキリスト教の代表者と一つのホテルに缶詰になり、朝から晩までいろいろと情報交換したり論議したりします。そのようなことを7年間やりましたので、世界のことを知るチャンスが多かったと思います。それを辞めてからも、自分の仕事や勉強の都合で、今でも毎年二週間ぐらいはドイツで暮らしています。そうしていると、日本ってほんとうに不思議な国だということが分かってきました。

 日本にいるとなかなか分からないのです。島国ですし、おまけに日本語という特別な言葉を使っています。他の国との共通性がない言葉です。ヨーロッパの言葉はみんな親戚のようなものですから、ちょっと勉強するとすぐ分かります。一つの言葉の、ドイツ弁とフランス弁、ベルギー弁、オランダ弁というようなものです。日本で言えば津軽弁と薩摩弁の違い程度のものです。津軽と薩摩では、お互いに全然通じないとは思いますが、それでも同じ日本語なのです。ヨーロッパの言葉とはそういうものです。ですからお互いに何と無く外国語が理解できるというのは、別に不思議なことではないのですね。ですから、自分の国のことしか知らないという人は、非常に少ないのです。

 新聞も、駅に行けばどんな町でも、ヨーロッパ中の新聞が置いてあります。ドイツのどんな田舎町へ行っても、駅にいけばフランスの新聞もイタリアの新聞も売っていますし、それを読める人がたくさんいるのです。そういう社会ですから、日本人とはずいぶん違います。自分の国を客観的に見られる。他の国と比べて見ることができるのです。

 日本にいると比べられません。そのうえ、日本はマスコミが異常です。ワンパターンのニュースしか流しません。ヨーロッパではいろんなテレビがあって、テレビごとに自由な報道をやっています。バラエティー番組のようなものがなくて、ニューハ番組が充実しています。きちんとした議論をテレビでやっています。ですから日本にいるよりは、比較的自分の国の様子を客観的に見られることになります。ドイツに行く度に、日本とは不思議な国だなあと思うのです。

 例えば、もうだいぶ前、バブルの頃です。日本のある有名なモード会社がミラノに支店を出しました。そしてマーケティング調査をしました。どんな柄が流行っているか、アンケートを集めそれを整理するために、イタリア人女性3人雇ったそうです。アンケートの整理をしていたら5時になりました。あと少ししか残っていなかったので、日本ならの常識ですから、「あと少しだからやってしまおう」と日本人支店長は声をかけました。ところがイタリア人女性3人は、すっと立って「5時ですから帰ります」と言って出て行こうとしました。思わず日本人支店長は怒鳴ったのだそうです。「たったこれだけだからやってしまえ」と。途端にこの日本人支店長は訴えられました。そして「労働者の意志に反する労働を強制した」ということで、即決裁判で数万円の罰金をとられました。

 これがヨーロッパの常識です。つまり9時から5時までしか契約していないからです。5時以後は命令する権利はないのです。9時から5時までの時間を労働者は売ったんであって、5時以降は売っていないのですから、自分のものなんです。会社が使う権利はありません。当たり前の話です。

 その当たり前の話が日本では当たり前ではないのです。残業、課長に言われたので黙ってやる。しかもこの頃は「タダ残業」ですからネ。本当にひどい話です。常識がまるで違うのです。あるいは有給休暇。ドイツのサラリーマンは年間3週間とらねば「ならない」のです。3週間休まなければ罰せられます。日本は有給休暇など殆どとれません。ドイツでは取らないと罰せられます。ですからどんな労働者でも3週間、夏はちゃんと休んで、家族ぐるみイタリアへ行ってゆっくり過ごしてきます。有給になっているからです。或いは日本では1週間40時間労働です。ドイツはもう随分前から36時間です。土日出勤などありえない話で、日本のように表向き40時間労働でも、毎日毎日残業で、その上休日出勤、日曜日には接待ゴルフなど馬鹿なことをやっています。接待ゴルフなど、ドイツには絶対ありません。日曜日は各自が自由に使う時間で、会社が使う権利はないのです。

 そういうところもまるで常識が違います。或いは、50人以上だったと思うのですが、50人以上従業員がいる会社、工場は必ず、労働組合代表が経営会議に参加しなければいけないことになっています。そんなことも、日本では考えられないことです。ですから配置転換とかもとても難しいし、労働者の代表が入っているから、簡単に首は切れません。

 そういういろんな面で、日本の外に出てみるとびっくりするようなことが山ほどあります。日本という国は、高度に発達した資本主義国の中で例外的な国なのです。資本主義が発達した点では、アメリカにもフランスにもドイツにも負けないのですが、資本主義が発達したにしては、労働者が守られていない。或いは市民の権利が守られていない。会社の権利ばかりドンドンドンドン大きくなっているのです。それが日本にいると当たり前のように思われています。外国で暮らしていると、日本は不思議な国だと分かります。特にこの数年それがひどくなってきているのではないでしょうか。

 私たちの暮らしは、戦後50何年かけて、少しずつよくなってきました。例えば年金なんかも少しずつ整備されてきた。健康保険制度も整備されてきた。介護保険も生まれてきた。或いは、労働者も土曜日チャンと休めるようになってきた。ところがこの数年、それが逆に悪くなつてきています。年金は削られる一方、介護保険料は値上がりする、労働者は首切り自由でいくらでも解雇できる。労働者を減らすと政府から奨励金が出る。タダ残業はもう当たり前・・・。

 特にこの数年、構造改革という名前で、日本の仕組みが変わってきています。いま申し上げたように、戦後50年かけてみんなで、少しずつ少しずつ作ってきた、いわば生活の安心と安全を守る仕組み、そういうものが今はっきり壊されかかっているのではないでしょうか。

 小泉首相という人は「自民党をぶっ壊す」といって当選したのですが、この4年間を見ていると、あの人は自民党を壊したのではなく「日本を壊した」のではないかと思われます。これまで日本が戦後50年かけて作ってきた社会の仕組みが、バラバラにされているのです。フリーターとかニートがもう30%でしょう。そうなると当然、この人たちは生きる希望がありません。お先真っ暗。いまさえよければ、ということになる。ですから若者が当然刹那的になる。人生の計画なんて立たない。今さえよければということになっていきます。

 昔なら10年に1回あるかないかのような犯罪が、いま毎日のように起きています。私は仙台にいますが、この正月には赤ん坊の誘拐事件で一躍有名になってしまいました。あんなことが日常茶飯事として起こっています。栃木県で女の子が山の中で殺された事件は、まだ解決されていませんが、こんな事件が今は「当たり前」なのです。世の中がすさんできて、何が善で何が悪なのか、みんなに共通な物差しというものがなくなったというふうに思われます。

 そのような世の中の変化、私は多分、「構造改革」というものがその犯人なのだ、と思っています。

《逆戻りの原因はアメリカの変化》

 その構造改革というのは、どこから来たのか。もちろんアメリカから来たのです。アメリカが変化した、日本はそのアメリカに右ならえをした、それが構造改革です。

 それでは何が変わったのか、これが一番の問題です。この変化の行き着くところが、憲法改悪です。

 社会の仕組み全体がいま変わろうとしているのです。憲法も含めて。いったい何がどう変わるのか。いったいどういう構造をどういう構造に変えるということが構造改革なのか。そこのところがアメリカを見ればよく分かってきます。アメリカがお手本なのですから。

 アメリカはソ連崩壊後変わりました。ソ連とか東ドイツは自由のないいやな国でした。昔1960年に西ドイツヘ留学した折、東ドイツへ何回か行く機会がありました。ふつうはなかなか行けないのですが、幸いキリスト教国なので、ドイツのキリスト教はしっかりしていまして、東ドイツと西ドイツに分裂しても、教会は分裂しなかったのです。東西教会一つのまんまです。ですから、教会の年1回の大会には、西で開く時は東の代表がちゃんと来たし、東で開く時は西の代表が行けたのです。ですから一般の人の東西の往来が難しかった時でも、キリスト教の人だけはかなり自由に行き来ができました。

 私も連れていってもらって、何回か東ドイツへ行って見ました。ご存じのように自由のないいやな国でした。ですからソ連や東ドイツが崩壊したのは当然だし、いいことだと思います。しかしソ連や東ドイツが100%悪かったかというとそんなことはありません。良い部分もありました。何から何まで全部ひっくるめて悪だったというのも間違いです。基本的に自由がない。ですから、ああいう国は長くは続かない。これは当然そうだと思います。滅びたのは当然だと私は思います。

 しかし同時に、良い面はなくしては困るのです。良い面は受け継がなければいけません。最も目につくのは女性の地位でした。これは立派なものでした。いまの日本なんかより遥かに進んでいました。男女の平等が徹底的に保障されていました。専業主婦などほとんど見たことがありません。だれでも自由に外に出て、能力に応じて働いていました。それができるような保障が社会にあるのです。文字通りポストの数ほど保育所があって、子供を預け安心して働きに出られるようになっていました。同一労働同一貸金の原則はきちんと守られていて、女性だから賃金が低い、女性だからお茶汲みだけなどというようなことは一切ありませんでした。これは凄いなと思いました。あれは、日本はまだまだ見習わなければいけないことです。

 もう一つ私がびっくりしたのは、社会保障です。私が初めて東の世界を見たのは、何しろ1960年の頃のことです。日本はまだ社会保障がない時代でした。いま若い方は、社会保障はあるのが当たり前と思っておられる方も多いと思いますが、そんなことはないのです。日本は1972年が「福祉元年」といわれた年です。それまでは、福祉はなかったのです。大企業とか公務員だけは恩給がありましたが、商店の経営者とか家庭の主婦なんか何もありませんでした。健康保険も年金も何もありませんでした。72年からようやく国民皆年金、国民皆保険という仕組みが育ってきたのです。

 もともと資本主義という仕組みには、社会保障という考えは無いのです。自由競争が原則ですから、自己責任が原則です。老後が心配なら、自分で貯めておきなさい。能力がなくて貯められなかったら自業自得でしょうがない。こういうのが資本主義の考え方です。労働者が、そんなことはない、我々だって人間だ、人間らしく生きていく権利がある。だから我々の老後をちゃんと保障しろと闘って、社会保障というものが生まれてくるのです。自然に生まれたのではありません。

 労働者が団結して闘って、止むを得ず譲歩して社会保障が生まれてくるのです。資本主義の世界で最初の社会保障を行ったのはビスマルクという人です。ドイツの傑物の大首相といわれた人です。ドイツの土台を作った人ですが、この首相の頃、何しろマルクス、エンゲルスの生まれた故郷ですから、強大な共産党があり、国会で100議席くらいもっていました。そこで、ビスマルクが大弾圧をやるのです。社会主義取り締まり法という法律を作って共産党の大弾圧をし、片方では飴として労働者保険法という法律で、労働者に年金を作ります。世界で初めてです。辞めた後年金がもらえる仕組み、病気になったら安く治してもらえる仕組みを作った。こうやって鞭と飴で労働運動を抑えこんでいったのです。

 社会保障というのは、そうやって労働者の力に押されてやむを得ず、譲歩として生まれてくるのです。放っておいて自然に生まれてくるものではありません。

 そこへ拍車をかけたのが、ソ連や東ドイツです。ソ連や東ドイツヘいってみて、1960年の時点なのですから、日本にまだ社会保障などなかった時、そう豊かではなかったのですけれども、老後みながきちんと年金をだれでも貰える、そして、病気になればだれでも、医者に行って診察を受けて治療を受けられる。これにはほんとうに驚きました。これが社会主義というものかと、その時は思いました。ただ自由がないのです。例えば、牧師さんの家に泊めてもらうと、こちらがキリスト教徒ということが分かっていますから、牧師さんも信用して内緒話をしてくれるわけです。

外国から来る手紙はみな開封されていると言っていました。政府が検閲して開封されてくる。だから、「日本へ帰って手紙をくれる時は、気をつけて書いてください。政府の悪口など書かれると私の立場が悪くなるから。手紙書くときは開封されることを頭に入れて書いてくれ。」というふうに言われました。こんな国には住みたくないなと思いましたけれど、同時に社会保障という点では驚きました。こういうことが可能な社会の仕組みというのがあるんだなあ、とこう思ったのです。

 その後、スターリン主義というものによって目茶苦茶にされていくのですが、私の行った頃はまだ、東側の社会保障がある程度きちっと生きていた時代です。こうして、ソ連や東ドイツが社会保障というものを始めると、資本主義の国もやらざるをえなくなってきます。そうでないと労働者が、あっちの方がいいと逃げ出してしまいます。ですから西ドイツが一番困りました。地続きですから、何しろ。ですから、東に負けないだけの社会保障をしなければならなかったのです。そうすると、自由があって社会保障があるのですから、こっちの方がいいということになります。いくら向こうは社会保障があっても自由がないのです。こうして西ドイツは大変な犠牲を払って、社会保障先進国になってきました。そのことによって、東ドイツに勝ったのです。

 実際西ドイツの労働者は、別に強制されたわけではありません。自主的に西ドイツを選んだのです。ですからあのような東西ドイツの統一も生まれてきたのです。

 つまり資本主義の国は、ひとつは自分の国の労働者の闘いに押されて。そこへもってきて、ソ連、東ドイツの社会保障という仕組みの外圧で、それに負けるわけにいかないものですから、そういう力があって、社会保障というものを造り出していくのです。しかし社会保障というものは莫大な財源がかかります。


《社会保障をやめて小さな政府へ──構造改革の中身(1)》

 いま日本政府は社会保障をどんどん削っていますけど、それでも国家予算の中で一番多い費目は社会保障です。大変な財源が必要なのです。そこで資本主義の国は、新しい財源を見つける必要ができてきます。

 そこで見つけたのが2つ。1つは累進課税です。それまでの資本主義にはなかった、累進課税という新しい仕組みです。つまり収入の多い人ほど税率が高くなるという仕組みです。日本でも1番高い時は1980年代、1番大金持ちはの税率75%でした。ですから、年収10億あれば7億絵5千万円税金にとられたのです。今から考えれば良く取ったものです。今は35%です。大金持ちは今ほんとうに楽なのです。35%ですむのですから。年収10億の人は3億5千万払えばいいのです。昔なら7億5千万取られたのです、税金で。「あんまり取りすぎではないか、これは俺の甲斐性で俺が稼いだ金。それを取り上げて怠け者のために配るのか。」と彼らはいいました。

 そうすると政府は、「いやそういわないでくれ。そうしないと、資本主義という仕組みがもたない。だから体制維持費だと思って出してくれ。そうでないと社会主義に負けてしまう」と言って、大金持ちからたくさん取ったのです。大企業も儲かっている会社からたくさん税金取った。法人税もずっと高かったのです、以前は。こうやって大金持ち、大企業からたくさん取る累進課税で一つ財源を作ったのです。

 もうひとつは、企業負担です。サラリーマンの方はすぐお分かりですが、給料から社会保障で差し引かれますね。そうすると、差し引かれた分と同額だけ会社が上乗せするわけです。自分が積み立てたものが戻ってくるだけなら、貯金したのと同じです。労働者の負担する社会保障費と同額だけ会社も負担しているのです。倍になって戻ってくるから、社会保障が成り立つわけです。

 これも資本主義の原則からいえば、おかしいことです。いまいる労働者の面倒を見るのは当たり前です。会社は労働者がいるから成り立っているのですから。だけど、辞めてからは関係ないはずです。契約関係がないのですから。辞めた人が飢え死にしようがのたれ死にしょうが、会社の責任ではないはずです。

 だけども一歩ふみこんで、それでは資本主義の仕組みがもたないから、労働者が辞めた後まで面倒みてくれ、そこまで企業負担してくれ、そうしないと資本主義がもたないから、ということになります。

 こうやって、社会保障というものが資本主義の国で成り立っているのです。これは、ただの資本主義ではありません。資本主義の原則に反するような累進課税とか、企業負担というものを持ち込んで、社会主義のよいところを取り入れた資本主義です。これを「修正資本主義」と呼びました。

 資本主義の欠点を修正して、社会主義に負けないようないい仕組みに造り直した資本主義ということです。学者によっては、資本主義の経済の仕組みと社会主義経済を混ぜ合わせた「混合経済」と呼ぶ人もいます。所得再配分機能を政府が果たすということです。もちろん修正資本主義というものは、このような良い面だけではなくて、公共事業という名前で国民の税金を大企業の利益のために大々的に流用するというようなマイナスの面もあることも忘れてはなりません。

 しかし、ともかくこうやって、西側の世界は、自由があって社会保障がある、そういう社会に変わっていくのです。そのことで東に勝ったのです。ところが、そのソ連と東ドイツが居なくなったのです。

 その前にもうひとつ。先進資本主義国というのは或る一種の傾向として、労働者が闘わなくなってきます。これは先進資本主義国の宿命のようなものです。つまり資本主義国というのはご存じのように、地球上の大部分を占めている低開発諸国、貧しい第3世界といわれた世界から、安い原料を買ってきてそれを製品にして高く売っています。そして差額、莫大な差額を儲けている。超過利潤と呼ばれています。だから遅れた国は働けば働くはど貧しくなるのです。一生懸命働いてコーヒー豆作っても、それを安く買われてチョコレートやインスタントコーヒーなどの製品を高く買わされるのですから、結局差額だけ損をすることになります。

 この20年、先進国と遅れた国の格差は開く一方、全然縮まらない。地球上の富を先進国が全部集めちゃって、とびきりぜいたくな生活をやっています。ですから先進国の労働者にも、当然そのおこぼれの分け前に預かるので、低開発国の労働者にくらべれば、ずっと豊かになります。豊かにれば闘わなくなってしまいます。その上、それを推し進めるようなありとあらゆる謀策が講じられているのです。

 資本主義というのは、物を売り続けなければなりたたちません。売ったものをいつまでも使われていたのでは、資本主義は成り立たないのです。早く買い換えてもらわなければなりません。いま、日本の車はよく出来ているので、30年は楽に乗れるのに、30年乗られたら日本の自動車会社はみな潰れます。3年か5年で買換えてもらわなれりばいけません。買い替えてもらうには、自分の車は古いと思ってもらう必要があります。ですからコマーシャルで、朝から晩まで何回も、「あんたは古い、あんたは古い。こんないい車ができてます。こんな新しい車が出ましたよ。もっといいのが出ましたよ」と宣伝して洗脳しいるのです。だから3年も乗ると、どうしても買換えざるをえない心境に引き込まれてしまいます。全てのものがそうです。まだまだ使えるのに新しいものに換えてしまう。そういう仕組みができているのです。

 そうしないと、資本主義はもちません。ですから労働者はどうなるかというと、「次、この車に買換えよう、次、パソコンこっちに買換えよう、次、今度はデジタルテレビに買換えよう、じゃあセカンドハウス、つぎは海外旅行・・・」。無限に欲望を刺激され、自分の欲望を満たす方に夢中になって、社会正義とか人権とか考えている暇がなくなっていくのです。

 いま日本の大部分がそうですね。「もっといい生活を」ということだけ考えています。ほかの人の人権だの社会正義なんて見向きもしない。見事に資本の誘惑にひっかかってしまいます。

 もちろん、欲しいからって、お金がなければ買えません。家がほしい、車がほしい、パソコンほしい・・・。それが、実はお金がなくても買える、なんとも不思議な世の中です。ローンというものがあるのですね。

 フォードという人が見つけたのです。それまでは、「つけ」で何か買うなどということは、労働者にはありませんでした。労働者が「つけ」で買ったのはお酒だけです。酒飲みはお金がなくても飲みたいのです。だから酒屋だけは「つけ」がありました。大晦日に払うか払わないかで夜逃げするかどうかもあったでしょうが、今は家を「つけ」で買う、車を「つけ」で買う、なんとも奇妙な世界になってきました。これをフォードが始めたのです。それまでは、自動車というのは大金持ちのものでした。フォードが、あのベルトコンベアーというのも発明して、大量生産を始めたのです。そうなれば、大量に売らなれりばなりません。大量に売るためには労働者に買ってもらわなくてはなりません。でも労働者にはお金がないのです。そこで、ローンという、とんでもないものを考え出したのです。ローンなら金がなくても買えるんですから、みんな買う。当然な話です。

 そりゃあ豊かなのに越したことはありません。マイホームが欲しくなる。ですからみんなローンで買う。そして「マイホーム」という感じになるのです。でも本当はマイホームではありません。あれは銀行のものです。払い終わるまでは、所有権は銀行のものです。銀行から借りてローン組んだだけなんです。こうして次々と新しいものを買わされていく。そのローンは多くの場合退職金を担保に組みます。一度退職金を担保にローンを組んでしまったら、ストライキはできなくなります。会社と闘って退職金がすっとんだら終わりなのです。家も途中でおしまいになってしまいます。ですから、ローンでマイホームが変えるようになってから労働運動は一気に駄目になりました。みんな闘わない、会社と喧嘩したくない、というふうになります。これはもちろん、向こうは計算済みのことです。

 ですから、高度に発達した資本主義社会というのは、労働者が、ある程度ですが、豊かになり、そして、このような消費社会に組み込まれてしまって、身動きができなくなるのです。

 こうして、いま日本では労働組合も、労働運動もストライキもほとんど力を失いました。そうなれば、政府は社会保障なんて、何も譲歩する必要がはありません。労働者が必死になって運動するから、止むを得ず健康保険とか年金制度とかやってきたのであって、労働者が闘わなければ、その必要はないのです。いま、どんどん社会保障が悪くなってきています。次から次から悪くなる。20年前だったら、いまのように社会保障が悪くなったらたちまち、大ストライキが起こりました。しかし今は何も起きません。労働組合が弱体化している、労働運動が骨抜きという状態です。

 そこへもってきて、ソ連や東ドイツがいなくなったのです。こうなればもう社会保障をやる必要はありません。社会保障は止めます、修正資本主義は止めます、ということになるわけです。修正資本主義にはいろいろな意味があるのですけど、一つの特徴は、大金持ちや大企業からお金を取って、弱い立場の人たちに配るところにあります。所得再分配と言われる働きです。だから政府は大きな政府になります。こういう仕組みが修正資本主義で、いろんなマイナス面もあるのですが、プラスの面も大いにあります。

 この仕組みをやめる、というのが今のアメリカです。もう政府は面倒みません、自分でやりなさい、と自由競争に戻る。自由競争一筋。これが、ソ連が崩壊した後に新しくなったアメリカの仕組みなのです。そして、それに日本が「右へならえ」ということなのです。

 それに対してヨーロッパは、アメリカのいうことを聞かず、「われわれはこれからも、社会保障のある資本主義でいきます。むき出しの裸の自由競争には戻りません」。これがヨーロッパなのです。なぜヨーロッパがそういえるかというと、労働運動が強いからです。先進資本主義国なのになぜ労働運動が弱くならないのか。これはこれで時間をかけて考えなければならない問題なのですが──。

 現実の問題として強い。ヨーロッパだって大企業は社会保障を止めたいにきまっています。しかし止めると大騒ぎになります。労働者が絶対に言うことを聞きません。だからやむを得ず守っているのです。企業負担もうんと高いです。日本の会社の倍以上払っています。ですからトヨタ自動車もフランスに、フランス・トヨタを作っていますけど、日本トヨタの倍以上払っています。それでも儲かっているのです。

 ですから、ヨーロッパでも、社会保障は少しずつ悪くなってきてはいますが、日本に比べれば遥かに違います。このようにして、ヨーロッパはアメリカと別の道を進み始めました。アメリカは剥き出しの資本主義に戻りますが、ヨーロッパは修正資本主義のままでいこうとしています。

 しかし、それでは競争で負けます。アメリカや日本は企業の社会保障負担がうんと減っていますから、利潤が増えています。ヨーロッパは高い社会保障負担でやっていますから、儲けが少ないのです。そこで競争しなくてすむようにEUいうものを作って、枠を閉ざしちゃいました。アメリカや日本の会社がヨーロッパに来るときは、ヨーロッパ並みの負担をしなければ、EUには入れません。だからEUの中でやっている時には、日本にもアメリカにも負ける心配はないのです。

 そういう仕組みを作って、アメリカとは別の道を進み始めました。そのためにユーロという別のお金も作りました。イラク戦争で表面に出てきたのですが、イラク戦争がなくても、ヨーロッパはアメリカとは別の道を進み出していました。もう2度とアメリカとは一緒にならないでしょう。

《規制緩和とグローバリゼーション - 構造改革の中身(2)》

 もう一つ、ソ連、東ドイツ崩壊の結果、アメリカが大きく変化したことがあります。それは何かというと、大企業・大資本を野放しにしたことです。

 ソ連がいる間は、大企業や大資本に、「あなた達は資本主義なんだから儲けたい放題儲けたいだろうけど、それをがまんしてください。あなたたちがやりたい放題にやったら、他の資本主義国はみんな負けてつぶれてしまう。アメリカの資本と競争できるような資本などどこにもありませんから。そうなれば、ソ連の方がましだということになる。だから、やりたい放題は抑えてほしい」と言ってその活動を制限してきました。

 具体的に何を抑えたかというと、為替取引を規制したのです。これが一番大きな規制です。いまではもう、中央郵便局へ行って「ドル下さい」といえば、すぐドルをくれます。「100ドル下さい」といえば「ハイこれ1万2千円」。ユーロでも、「下さい」といえば「100ユーロ・ハイ1万4千円」とすぐくれます。でもこれはごく最近のことです。それまでは、外貨・外国のお金は、日本では勝手に手に入りませんでした。お金を外国のお金と取り替える、つまり為替取引は厳重に規制されていて、個人が勝手にはできなませんでした。外国旅行に行くとか、何か特別な理由が認められた時しか、外国のお金は手に入りません。

いまは何も制限ありません。自由にだれでもいつでもできます。理由など聞きませんから、100ユーロとか千ドルくださいと言えば、そのままくれます。これが為替取引の自由化というものです。これがなかったのです。ソ連が崩壊するまでは、アメリカも厳重に規制していました。それをとっぱらったのです。理屈っぽく言えば、資本の国際移動が自由にできるようになったということです。こうして、アメリカの巨大な金融資本が、世界中を我が物顔にのし歩く時代が来るのです。

 もうソ連も東ドイツもなくなったのですから、「いや永いことお待たせしました。今日からもう儲けたい放題儲けていいですよ。やりたい放題やっていいですよ」ということになったのです。これが規制緩和とことです。規制緩和ということは要するに、大資本が野放しになったということです。そうなったらどうなるか、世界第2の経済大国といわれる日本でさえ、全然太刀打ちできません。アメリカの巨大資本、金融資本・銀行ですね。日本の銀行とは勝負になりません。ボブサップと私が裸で殴り合ぅようなもので、一コロで殺されてしまいます。

 それでもやれというなら、ボブサプは手と足を縛ってもらって、目隠ししてもらって、こちらは金槌でも持たしてもらって、それでやっと勝負になるのです。今まではそうだったのです。それを全部外して自由にする、無条件で自由競争にするというのです。負けないためには、相手に負けない位大きくなるしかないですから、合併、合併、合併。あっという間に30ほどあった都市銀行が3つになってしまったのです。UFJとか「みずほ」とか、元何銀行だったか覚えておられる方おられますか。すぐ言えたら賞金をさし上げてもよろしいのですが、まず、言える方おられないでしょう。合併、合併であっという間に3つになりました。3つにになってやっとなんとか対抗できるというくらいにアメリカの巨大銀行というのは大きいものなのです。それでもダメで、長銀はのっとられてしまいました。北海道拓殖銀行も山一証券ものっとられてしまいました。次々とのっとられています。

 ついこの間は青森県の古牧という温泉がのっとられまし。広くていい温泉なんですけど、驚いたことにゴールドマンサックスでした。世界最大のアメリカの金融投資会社、ハゲタカファンドの代表のようなものです。これがどうして古牧温泉なのかと思ったのですが、テレビで放送していました。古牧だけではありません。他に28ケ所、超有名温泉みんな買い占めちゃったのです、ゴールドマンサックスが。

どうするかというと、従業員みんな首切っちゃってパートにして、腕利きのマネージャーを送り込み、部屋をヨーロッパ、アメリカ向きに整備しなおして、欧米からの観光客をワーツと呼ぼうという作戦なんですね。儲かるようにして高く売るのです。ゴールドマンサックスが経営するのではありません。いま赤字の会社を買い取って、儲かるように造り直してすぐに売っちゃうのです。これが投資銀行のやっていることです。確かに、いわれてみればそのとおりで、日本の温泉ほどいいものはありません。知らないだけで、こんないいものは世界中どこにもありません。だから日本の温泉の良さが分かったら、おそらくヨーロッパ、アメリカからごっそり観光客が来ると思います。そこにゴールドマンサックスが目をつけたのですね。そして近代経営やって外国人が来て楽しめるような設備に変えて、世界中にジャパニーズスパーなんていって売り出す気なのですね。ですから、そのうち皆さんも温泉にいらっしやるとみんな英語で案内され、アメリカのお湯の中に入ることになってしまいます。

 アッという間に日本はアメリカ資本に乗っ取られようとしています。去年のホリエモン合併もそうです。今年から商法改正(改悪)して、乗っ取りを認めるということになったのです。株の等価交換、面倒な仕組みですから詳しいことは申し上げませんが、アメリカ株1億ドル分と日本の株1億ドル分を、等価父換していい、こういっているんです。ところが、アメリカの株の値段が高いのです。ですから1億ドルといっても、株の数からすると、例えば千株位しかない。日本は株が安いですから、同じ1億ドルで1万株位あるのですね。そうすると、千株と1万株で取り替えますから、あっという間にアメリカは大株主になってしまう。この等価父換を認めると、日本の大企業全部乗っ取られてしまう。

 そこで、日本の優良企業が狙われています。超優良企業を株式等価交換で、簡単にアメリカが乗っ取ることができる。今年からそれが可能になるはずだったです。それで去年、実験をやったのですね。ホリエモンにやらせてみたのです。ホリエモンはアメリカのリーマン・ブラザースから借りてやったのです。で、出来そうだなと分かったので、アメリカはお金を引き上げてしまいました。ホリエモンに乗っ取られては困る、いずれ自分が乗っ取るのですからネ。最後の段階で資金引き上げましたたから、ホリエモン降りる外なかった、多分そういう仕組みだったのではないかと思います。

 今年から自由に、日本中の会社をアメリカが乗っ取れるはずだったのですが、あのホリエモン騒動のおかげで日本の大企業が震え上がり、政府に泣きついて、「なんとか商法改正を見送ってくれ」と。それで見送りになりました。ですから、ちょっと一息ついているのです。今年すぐ、乗っ取られるというわけではありません。でも、いつまでも見送りというわけにはいかないでしょう。2・3年後には解禁。そうなれば、日本はほぼアメリカ資本に支配される、ということになるでしょう。

 日本ですらそうなのですから、まして、フィリピンとかタイとかいう国はたまったものではありません。あっという間に乗っ取られてしまいます。アメリカに勝手に経済的属国にされてしまう。それに対して、いやそんなの困るから、アメリカ資本が自分の国の株を買うことを法律で禁止する、というようなことをやろうとすると、アメリカはそれを認めないのです。グローバリゼーションだから地球はは「一つ」だというのです。いくら規制緩和しても相手国が法律で規制してしまったら終わりです。ですから、自分の国だけ勝手に現制することは認めません、地球はひとつですよ、グローバリゼーションですよ、ときます。フメリカの大資本が地球上のどこの国でもアメリカ国内と同じ条件で商売できるようにする、これがグローバリゼーションです。いやだと断ると制裁を加えられます。

 クリントン大統領の時は経済的制裁だけですんだのですが、ブッシュになってから、軍事的制裁になりました。いうことを聞かないと軍事制裁だぞという、これがネオコンという人たちの主張です。イラクを見ればみな震え上がるでしょう。ですから、アメリカの言いなりにグローバリゼーションで国内マーケットを開放して、アメリカ資本に全部乗っ取られてしまう、というのがいま着々と進行しているのです。

《アメリカの孤立》

 そこでどうなったかというと、ヨーロッパと同じように、「そんなの困る。自分の国の経済の独立は自分たちで守りたい」という人たちが手を繋いで、「アメリカに支配され引きずり回されないように、防波堤を作ろう」という動きが始まりました。だいたい5・6年前からです。アセアン(ASEAN東南アジア諸国連合)の動きが始まりました。5つの国です。インドネシア、タイ、マレーシア、シンガポール、フィリピン。元来はアメリカが造らせた組織だったのですが、いつのまにか自主独立を目指す組織に成長しました。

 手を繋ぎ、アメリカに引きずり回されないように、アメリカの資本が勝手に入ってこないように、自分たちの経済は自分たちでやりましょう、と。ところが、ASEANが束になったってアメリカにはとてもかないません。そこで、知恵者がいました。アセアンだけではかなわないので、中国と手を繋いだのです。「アセアン、プラス中国で、アジアマーケットを作り、アメリカにかき回されないようにしよう」しようというのです。確かに、中国が入ったらアメリカはうかつに手が出せません。しかし中国だけ入れると、反米色があまりにも露骨ですから、「アセアン、プラス・スリーでいきましょう。アセアン+日本+韓国+中国、でいきましょう」ということになります。日本はアメリカの51番目の州だといわれているのですから、日本が入れば、アメリカも安心します。

 EUのように、アセアン+スリーで、自分たちの経済は自分たちでやれるように、アメリカに引きずり回されないような自立したアジアマーケットを形成することが目標です

 ただひとつ、日本が具合が悪いのです。日本はそのスリーに入っているのですが、(アセアンの会議に)行く度に「アメリカも入れろ、アメリカも入れろ」というのです。アセアン諸国はアメリカから自立するために作っているのですから、「アメリカを入れろ」といわれたんじゃあ困るので、結局日本は棚上げになってしまいます。実際にはアセアン+中国で、経済交流が進んでいます。いずれ2010年には、東アジア共同体・EACというものを立ち上げる、という動きになっています。

 そうなってくると韓国が困りました。日本・アメリカ側につくのか、中国・アセアン側につくのかで、2・3年前から中国側に大きく傾いています。留学生の数を見ると分かります。中国の北京大学には世界中の留学生が集まります。21世紀は中国と商売しなければメシが食えなくなることが分かっていますから、将釆、中国語がしゃべれる人が自国のリーダーになり、中国の指導者に友達がいないと困ります。それには北京大学に留学するのが一番いいのです。あそこはエリート養成学校です。この前行った時聞いてみたのですが、入学試験競争率5千倍だそうです。超難関です。大学の構内を歩いて見たのですが、広い敷地に6階建てのアパートが36棟ぐらい建っていて、みな学生寮です。全寮制。そばに教職員住宅があって、朝から晩まで共に暮らしながら勉強しています。授業は朝7時からです。ものすごく勤勉に勉強しています。

35年間私は大学の教員でしたが、愛すべき怠け者の学生諸君を教えてきたわが身としては、「あ、これはかなわないなァ、20年もしたら──」と思いました。向こうは国の総力を上げて次の時代の指導者を養成しているのです。日本はもう全然、ニートとかフリーターとかいって、若者の気迫がまるでレベルが違います。これは置いていかれるな、という気持ちになりました。このように世界中の国が、いま一流の学生を北京大学に送り込んでいるのですが、去年、北京大学留学生の中で一番数が多いのが韓国なのです。

 おととしまで韓国の学生は殆どアメリカヘ行っていました。去年あたりから中国へ変わったようです。つまり韓国は、21世紀の自国は、アメリカ・日本ではなく、中国・アセアンと組むことで繁栄を図りたい、と向きを変えたということです。

 それに拍車をかけたのが小泉首相の靖国参拝。これで韓国は怒っちゃってあちらを向いた。そうなると、アセアン、中国、韓国と繋がって、日本だけはずされてしまった、という状況がいま生まれつつあります。

 さらに中国は、数年前からいま、「ふりん政策」を国の方針としています。フリンといっても男女の不倫ではありません。富、隣。隣の国を富ます、隣の国を豊かにする──富隣政策です。隣の国と仲良くする。中国だけ儲けたのでは相手に恨まれてしまいます。英語では「ウィン、ウィン」(win-win)というようです。どっちも勝つ、中国も儲けるけど相手も儲けるような関係を必ず作っておく、ということが基本政策です。

 つまりアメリカは、やっとソ連を倒したと思ったら、今度は中国が出てきたのですから、中国を目の敵にしているのは当然です。中国にすれば、アメリカにやられないためには、単独では対抗できませんから、周りの国と手をつなぐ、ということです。

 アメリカは修正資本主義を止めて自由競争の資本主義に戻りました。その結果大企業・大資本は野放しになりました。そのためにアジアにそっぽを向かれることになりました。アメリカにはついていけない。アメリカに勝手にされては困る。もちろんアメリカと喧嘩をしては駄目ですが、自分の国は自分の国でやれるようにしなければならない──、というふうに変わったのです。

 そして最後に、3年前から南米が変わりました。ようやく日本でも報道されるようになりましたからご存じと思います。ただ日本のマスコミはちょっとしか書きませんから、気づいておられない方もおありかと思います。南米がものすごい勢いでアメリカ離れを始めたのです。

 今まで200年、南米はアメリカの裏庭といわれていました。アメリカはやりたい放題やっていました。チリは世界一の銅の産出国ですが、このチリの銅はすべて、アナコンダというアメリカの銅会社が一手で採掘していました。だからいくら掘ってもチリは豊かにならない。アメリカのアナコンダだけが儲かるのです。

 ブラジルは世界一の鉄の産地です。これもみな掘っているのは欧米の会社で、いくら掘ってもブラジルは豊かにならない。ベネズエラは世界第五位の産油国です。これもみなアメリカの石油資本が持っていく。

 こういう国はこれまで軍事独裁政権でした。政治家は、自分の国の資源をアメリカに売り渡し、自国の国民の反発は力で抑えつけ、莫大なリベートを貰って自分たちだけベラボウな贅沢をしてきました。これがアメリカと南米のパターンだったのです。

 それが、3年ほど前から、「おかしいではないか。やっぱりベネズエラの石油はベネズエラ人のものだ。石油を掘ったら、ベネズエラが豊かにならないとおかしいではないか。いくら掘ってもアメリカだけ儲けるのはおかしい。石油をアメリカの石油会社から取り上げて、ベネズエラで掘ることにしよう。国有化しよう」というような政策を訴える大統領が、当選するようになりまし。この3年間で、南アメリカは80%が、このような自主独立派の大統領になりました。アメリカ資本に任せず、自国の経済は自分でやろうという政策を掲げた大統領が、 次々と当選したのです。
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2023/08/27 (Sun) 08:37:06

いまでは、南アメリカでアリカの言いなりというのは、多分コロンビアしかないと思います。あとは殆どみな、自分の国は自分でやりましょというふうに変わってきました。ベネズエラのウゴ・チャベスという人がそのチャンピオンです。ご存じですね、時の人です。アメリカはそのチャベスの当選を必死になって妨害したのですが、結局ダメでした。チャベスが圧倒的多数で選出されました。その彼の言い分がふるっているのです。

 「失礼にならないようにアメリカから遠ざかりましょう」というのです。いきなり遠ざかったのではゴツンとやられますから、アメリカを怒らせないように、喧嘩しないように、少しずつ「小笠原流」で遠ざかって自主独立に向かいましょうというのです。

 これがいま世界の合言葉です。「失礼にならないようにアメリカから遠ざかる。」日本もそうしなければいけない、と私は思っているのですが。絶対にやりません。

 こうやってアメリカは、ソ連や東ドイツがなくなってから、修正資本主義をやめて、いまの言葉でいえば「新自由主義」という仕組みに代わりました。日本はそれに右ならえしたのです。いま申し上げたように、このアメリカの新自由主義経済に無条件で追随しているのは、日本しかありません。あとはみな、「失礼にならないように」距離をおきました。

日本だけが無条件でついていきました。だから「ポチ」だといわれるのですネ、確かにポチと言われてもしょうがないほど、無条件でついていきます。それは恥ずかしいことですが、日本が追随していく。これが構造改革なのです。修正資本主義経済から新自由主義経済に変わるということです。簡単にいえば、弱い人の面倒を政府が見るような仕組みから、もう弱い人の面倒は見ませんという仕組みに、変わっていく──。これが構造改革です。

 だから、社会保障はどんどん悪くなる。自由競争で勝ち組と負け組がある。中には1千万ぐらいのマンション買って落ち着いているのもいる。片方には、国民健康保険料さえ払えなくて医者にも行けない。そういう人がもう全国で膨大な人数出てきている。まさに格差社会です。

 どんどんその格差が広がっています。金持ちからお金を取って弱い人の面倒を見る、というのが修正資本主義なのですが、それを止めてしまいました。野放しなのです。強い人はますます強くなり、弱いものは負けたら自己責任なんですよ。こういう仕組みにいま変わったのですね。

 それがいいか悪いか、止むを得ないのかどうかは、いろいろな立場によって考えが違うのですが、事実はそうなったのです。

 しかしヨーロッパは別の道をとっています。このように別の道もありうるというのも事実なのです。ヨーロッパのように社会保障を止めない資本主義もあり得るのです。

 日本の場合、アメリカほど徹底していませんが、流れとしては「政府はもう弱い人の面倒は見ません」、という方向に大きく動いています。


《憲法改悪の要求》

 こうして、アメリカは新自由主義経済で自国の企業を野放しにして、それを世界中に押しつけようとしたのですが、意外に抵抗が大きかった。ヨーロッパはいうことを聞かない。アジアも聞かない、南米も聞かない。これでは困るので力づくで押しつける。こういうことになるのですね。力づくで押しつける時に、最大の目標・ターゲットはもちろん中国です。やっとソ連を倒して、21世紀はアメリカが王様になれると思ったら、中国が巨大な国になってきて、アレリカの前に立ふさがっいます。このままではアメリカは王様ではいられません。中国を抑え込むことが21世紀へ向けてのアメリカの最大の長期的課題になっています。しかし戦争はできません。中国と戦争したのでは共倒れになります。唯一の道はエネルギーを抑えることです。

 ネオコンという人たちの書いた文章を読むと、非常にはっきり書いてあります。21世紀にアメリカが世界の支配権を握るには、中近東の石油を抑えなければならないというのです。中国は石油の自給ができません。どんどん石油を輸入していますが、殆どいま中近東から輸入しています。アメリカが中近東の石油を抑えれば、中国はアメリカのいうことを聞かざるをえなくなる。当然でしょうね。

 世界一の産油国サウジ・アラビアはすでにアメリカ側の国です。そこで第二の産油国であるイラクをアメリカは分捕りたいのですが、その理由がありません。そこでアメリカは「大量破壊兵器、テロ応援」という嘘をつきました。プッシュ大統領も、ついにウソであったことを認めました。

 ではなぜイラク戦争をやったのか。本当の理由はまだ公表されていません。しかしネオコンという人たちの文章を読むと、明らかに「石油を抑える。抑えてしまえば中国は言うことを聞かざるをえない」。ここに本当の理由があったことは明白です。そうだとすれば、恐ろしい話ですが、(次に)絶対にイランが狙われます。

 世界第1の産油国サウジアラビアは、昔からアメリカの同盟国です。第2位のイラクは抑えてしまいました。そしてイランは第3位の産油国です。ここを放っておいたのでは意味がないのです。中国はいくらでもイランから石油の輸入ができます。どうしてもイランまで抑えなければならないというのは、アメリカでは、いわば常識です。どんな新聞雑誌でも次はイランだということが堂々と語られています。

 ライス国務長官も3日前、「今イランに対するは軍事力行使の予定はない」と言っていました。「今は」です。イランは核開発やっているというのが理由です。たしかに妙な国ですが、しかし別に悪い国ではありません。あのあたりでは1番民主的な国です。曲がりなりにも選挙で大統領を選んでいますから。女性はみな顔を出していますし、大学へもいっています。イランは近代化した国なのです。サウジアラビアなどの国に比べたら、ずっと民主的な近代国家です。イスラム教のお妨さんが、選挙で選ばれた大統領より偉い、というのだけが変ですが、全員がイスラムですから、他国がとやかく言うことではないです。

 ですから、イランが悪魔の国というのは嘘なのです。イラクがそういわれたのも同じで、要するに悪魔の国と誤解させて、戦争しかけてもやむを得ないと思わせるための宣伝が行われているのです。

 イランはイランで、自分で自分他ちの国を近代化していけばいいのであって、核兵器持つなといっても、隣のパキスタンもインドも持っているのです。こちらのイスラエルもです。イランだけ持つなといっても、聞くわけありません。イランに持たせたくないのなら、「俺も止めるからあんたも」と言わなければなりません。「俺は持っている。お前だけ止めろ」と言ったってイランが聞くわけありません。そんな理屈が通るはずがないのです。実に馬鹿な理屈です。

本当にイラクに核開発をやめさせたいのなら、イギリスもフランスもアメリカも 「先ず自分が止める、だからお前も止めろ」と言うしかありません。お前だけ持つなと言って、聞くと思う方がどうかしています。核開発は現在の大国の論理では抑えられません。イランに言わせれば、「イラクがなぜあんなに簡単に戦争しかけられたかといえば、核兵器を持っていなかったからだ。持っていたら恐ろしくてとても戦争なんか仕掛けられない」ということになります。だからイランはいま核開発を急いでいるのです。核兵器を持たないとアメリカに攻められるから。そう思い込んでいるのです。

 そう思わせるようなことをアメリカはやってきたのですから、イランに核兵器開発を止めさせるためには、イラクから撤収して、中東の平和は中東に任せる、という姿勢を示すしかありません。自分がイラクを分捕って居座ったままで、イスラエルやパキスタンやインドの核兵器には文句をいわずイランにだけ、というのは通じない理屈です。実にゆがんだ国際常識というものが罷り通っている、と思います。

 もしアメリカがイランまで分捕ってしまえば、サウジアラビア、イラン、イラクと合わせて、世界の石油の70%ぐらいになるはずですから、中国はアメリカのいうことを聞かざるをえなくなります。だからつぎはイランだというのが、ネオコンの論理です。

 ただ問題は、イランに戦争を仕掛けるとしても単独ではできなません。兵隊がたりない。徴兵制ではなく志願兵制度ですから。いま、ありったけの兵隊さんがイラクに行っています。あれ以上いないのです。だからハリケーンが来ても出せなかったのですね。そうすると、イランに出す兵隊なんていないのです。そこで、アメリカの右翼新聞の社説など、堂々と書いています。「イラクにいるアメリカ軍でイランを乗っ取れ。カラッポになったイラクの治安維持は、日本にやらせろ」と。
 アメリカの論理から言えばそうなるのでしょう。自衛隊にイラクの治安維持をといいますが、実際は内乱状態ですから、今も毎日アメリカ兵は毎日5人位殺されています。そんなこと引き受けたら、自衛隊員何人死ぬか分かりません。第一そんなことは、憲法9条があるかぎりできないのです、絶対に。憲法があるおかげで、自衛隊はイラクにいますけれども、ピストル1発撃つことができないのです。憲法9条第2項というのがあるのです。自衛隊は戦力ではない・交戦権はないとなっていますから、不可能なのです。だから給水設備備を作るとか、学校修理とか、そういうことしか出来ません。これじゃあアメリカから見れば役に立たないのです。


《平和憲法こそ 日本生存の大前提》

 そこで、「9条2項を変えて、戦争ができる自衛隊になってくれ」というのがアメリカの強い要求なのです。みんな分かっています。言わないだけです。日本の新聞記者も知っています。しかし、「9条変えろ」がアメリカからの圧力、と書くと首になるから書かないだけです。でも誰も知っています。アメリカのに戦争に参加しなさい、という強い圧力がかかっているのです。

 ここのところをよく見極めておくことが必要です、「9条を守る」ということは、「アメリカの言いなりにならぬ」ということと一つ、なのです。

 アメリカと喧嘩しては駄目ですから、「失礼にならないようにアメリカから遠ざかる」のが何よりも大切です。仲良くするけれども言いなりにはならない、ということです。ところが、憲法が危ないという、この危機的な状況にもかかわらず、国内で労働運動が弱体化していますから、ストライキも起きない。大きなデモも起きない。大反対運動も起きない──。という状況です。

 ではもう駄目なのでしょうか。そうではないと思います。それには日本の国内だけではなく、世界に目を向ける、アジアに目を向けるこちとが必要のです。ご存じのように、これからの日本は、中国と商売せずには、生きていけなくなりま。いま、大企業だけですけど、多少景気がよくなってきています。全部中国への輸出で持ち直したのです。中国マーケットがなくなったら日本経済はおしまいだ、ということは誰も分かってきています。

 お手元の資料の中の(貿易額の)丸い円グラフは、2003年のもので少し古いのですが、アメリカ20.5%、アジア全体で44.7%、つまり日本にとって一番大事な商売の相手は、アメリカではなくてアジアなのです。

 アジアと仲良くしなかったら、経済が成り立たないところへ、いま既にさしかかっているのです。左隣の棒グラフは2004年ですが、左上から右に折れ線がずうっと下がってくる。これが日本とアメリカの貿易です。点線で右へずうっと上がっていくのが中国との貿易。遂に去年(2つの折れ線が)交差し、中国との貿易の方がアメリカとの貿易額より多くなりました。しかも鋏状に交差していますから、今後この2つは開く一方になってきています。

 つまり、あと2・3年もすれば、日本は中国との商売なしには生きていけない、ということが国民の常識になるということです。いま既に、中国を含めたアジアが、日本の一番大事なお客さんなんです。仲良くしなければいけません。一番大切なお客さんの横っ面ひっぱたいたんじゃ商売は成り立ちません。

 靖国参拝などというものは、一番大事なお客さんの横面ひっぱたくと同じことなのですから、個人の信念とは別の問題です。小泉首相は総理大臣なのですから、個人の心情とは別に日本の国全体の利益を考えて行動しなければいけません。それは総理大臣の責任だと思います。その意味でアジアと仲良ぐできるような振舞いをしてもらわなければ困るのです。

 もう一つ。アメリカとの商売はこれからどんどん縮小していきます。それは、ドルというものの値打ちがどんどん下がっていくからです。これはもう避けられません。

 昔はドルは純金だったのです。1971年まで、35ドルで純金1オンスと取り換えてくれました。だからドルは紙屑ではありませんでした。本当の金だったのです。

 われわれのお札はみな紙屑です。1万円なんて新しくて随分きれいになりましたけど、綺麗にしただけちょっとお金がかかって、印刷費に1枚27円とかかかると聞きました。27円の紙がなぜ1万円なのか。これは手品みたいなものです。あれが5枚もあるとなかなか気が大きくなるのですが、本当は135円しかないのです。それが5万円になるのは、法律で決めているのです。日銀法という法律で、こういう模様のこういう紙質のこういう紙切れは1万円、と決められている。だから、あれを1万円で受け取らないと刑務所に入れられます。法律で決まっているからです。ですから日本の法律の及ぶ範囲でだけ、あれは1万円なのです。その外へ出ると27円に戻ってしまいます。

 金と取り換わらないお札というのは、簡単にいえばその国の中でしか通用しません。他の国へ行ったら、その国の紙屑と取り換えなければ通用しません。ところが、ドルだけは世界で通用しました。純金だからです。

 ところが、1971年にアメリカはドルを金と取り換える能力を失いました。ベトナム戦争という馬鹿な戦争をやって莫大な軍事費を使ったのです。背に腹は代えられなくてお札を印刷し、航空母艦を造ったりミサイル、ジェット機を作ったりしたのです。そのために、手持ちの金より沢山のお札を印刷しちゃったのです。

 その結果、アメリカは、ドルを金と取り換える能力を失ったのです。そこで、71年8月15日、ニクソン声明が出されました。「金、ドル交換停止声明」です。あの瞬間にドルも紙屑になったのです。ドルが紙屑になったということは、ドルがアメリカの国内通貨になったということです。

 ところが、問題はそれ以後なのです。世界で相変わらずドルが適用したのです。皆さんも海外旅行へ行かれる時は、大体ドルを持って行かれますね。どこの国へ行っても大丈夫なのです。金と取り換えられないお札が何故世界で適用するかは本当に不思議で、経済学者にとって最大の難問なのです。いろんな人がいろんな答を言っていますけど、あらゆる答に共通しているのは、ひとつは「アメリカの力の反映」だから、ということです。

 つまり、日本が自動車を作ってアメリカヘ売ります、ドルを貰いますネ。日本は損をしているのです。自動車という貴重なな物質がアメリカへ行って、紙屑が返ってくるのですから。物が減ってお札だけ増えると必ずバブルになります。

 バブルの犯人はそこにあるのです。日本が輸出し過ぎて貿易黒字を作り過ぎているのです。だから日本は、アメリカに自動車を売ったら、「純金で払ってください」と言わなければなりません。ところがそう言うと、ジロッと睨まれてお預けになってしまいます。日本には米軍が5万人います。「アメリカのドルを受け取らないとは、そんな失礼なこと言うなら、在日米軍クーデター起こしますよ」、これで終わりなのです。黙って受け取ってしまう。だから日本は無限に物を提供し、無限に紙屑をもらう。こうしていくら働いても日本人の生活はよくならないのです。しかもその紙屑でアメリカの国債を買っています。アメリカに物を売って、払ってもらった代金をアメリカに貸している。言ってみればツケで輸出しているようなものです、現実に。アメリカにいくら輸出しても日本は豊かにならない仕組みになつています。

 2週間前に『黒字貿易亡国論』という本が出ました。有名な格付け会社の社長さんですが、「貿易黒字を作るから日本は駄目なのだ」、ということを詳しく論じたたいへん面白い(文芸春秋社の)本です。確かにそうだと思います。だからドルは、本当は受取りたくないのです。みんな紙屑なんです。だけど受け取らないと睨まれる。アメリカの軍事力が背景にあるのです。

 その力をバックにして、紙切れのお札を世界に通用させている。例えていえば──餓鬼大将が画用紙に絵をかき1万円と書いて鋏で切り、これ1万円だからお前のファミコンよこせ、とこれを取り上げる──のと同じです。いやだと言ったらぶん殴るのです。怖いから黙って渡して紙屑もらうことになります。その紙屑で、他の人から取り上げればよいのです。「お前のバイクよこせ、よこさなかったらいいつける」。「あの人、あんたの紙屑受け取らない」、するとガキ大将が釆て、ゴツンとやってくれる──。餓鬼大将の力の及ぶ範囲ではそれが通用するのです。

露骨にいえば、ドルがいま世界に適用しているのは、そういう仕組みが一つあります。

 もう一つは、ソ連の存在です。もし紙屑だからアメリカのドルを受け取らないといったら、アメリカ経済は潰れます。アメリカが潰れたらソ連が喜ぶ。だから紙屑と分かっていても受け取ってきた。ソ連に勝たれては困るから──。

 これも確かに一理あります。ということは、ソ連がいなくなって、紙屑は紙屑だということがはっきりしてきたのです。今まではソ連がいるために、紙屑なのに金のように適用したが、今や「王様は裸だ」というのと同じで、「ドルは紙屑だ」といっても構わない時代です。

 ともかくドルが危ないのです。私が言ってもなかなか信用してもらえませんが、経済誌『エコノミスト』、一流企業のサラリーマンなら必ず読んでいる雑誌すが、これの去年9月号が中国“元”の特集でした。その真ん中へんに「プラザ合意20年」という対談がありました。その中で、榊原英資さんは「5年以内にドル暴落」と言っています。

 榊原さんは大蔵省の元高級官僚で日米為替交渉の責任者を10年やりました。円・ドル問題の最高責任者だった人です。「ミスター円」といわれていました。通貨問題に最も詳しい現場の責任者です。停年で大蔵省をやめて今は慶應大学の先生になっています。この人が「5年以内にドルが暴落する」、つまりドルが紙屑だということが明らかになる日が近いと言っているのです。

 ソ連がいる間は隠されていたのですが、いまはもう、ドルは紙屑だから受取りたくないという人たちが増えてきています。これまでは世界通貨はドルしかなかったので、受け取らなければ商売ができなかったのですが、今ではユーロという代わりが出来てしまいました。ドルでなくてユーロで取引する国が増えてきています。そしてユーロの方が下がりにくい仕組みになっています。ドルは下がるのです。

 なにしろアメリカは、永いことドルが世界通貨ということに慣れてきました。だから自動車が欲しければ日本から自動車買って、アメリカは輪転機を回せばよいのです。紙とインクがあればいいのですから。ほかの国はこんなことできません。自動車が欲しければ、一生懸命働いて何か輸出し、その代金で輸入しなければならないのです。アメリカ以外の国は全部そうやっているのです。

 輸入は輸出と一緒です。輸入するためには輸出しなければなりません。ところがアメリカだけは輸出しないで輸入ができるのです。ドルという紙切れが世界通貨ですから。極端に言えば、欲しい自動車や石油を日本やアフリカなどから買って、紙とインクで支払う。実際そうして世界の富がアメリカに集まったわけです。

 71年以降の30年間、この仕組みのために、世界中にドルが溢れ出ました。ドルがどんどん増えますから、当然値打が下がります。こうしてドル下落傾向。(資料の一番下のグラフがそうです。円が上がっていく様子、為替取引だから短期的には上下しますが、長期的には間違いなく円高。ドルがドンドン下がるのは確かです。)これがあるところまでいくと、ガクッと下がります。

 あるところまでいくと、「ドルは信用できない、下がる通貨は持っていたくない」となります。ですからドルを受け取らない、ユーロか何か、別な、下落しない通貨でなければ受け取らないということが出てくる。そうなるとドルは暴落します──。榊原氏がそういっているのです。

 ヨーロッパはユーロでいくでしょう。アジア経済圏はなんといったって元です、中国の。中国は賢いですから、元を押しつけないで、何かアジアの新しい通貨を作るかもしれません。しかし元が中心になることは間違いないでしょう。ドルはアメリカでしか使われなくなる。そうすると、今まで全世界で使われていたドルが、みんなアメリカに集まって来るわけですから、アジア、ヨーロッパで使われいていたドルがみな戻ってきて、簡単にいえばドルの値打が3分の1に下がることになります。

 アメリカの生活は大きく収縮します。一家で3台自動車持っていた家は1台に。1台持っていた家は止めなくればならなくなる、ということです。

 アメリカ経済の収縮。これは大変恐ろしい話なのです。世界経済が大きく収縮し、日本経済は大きな打撃を受けます。しかし避けられない動きなのです。いつのことか分からないが、そう遠くない将来にドルの信用がドンと落ちていく。結果として日本がアメリカにだけ頼っていたら、大変なことになります。

 いまのうちに、アメリカに輸出してドルをもらったらユーロに代えておいた方がいい。ユーロの方は下がらないからです。EUという所は、国家財政が赤字だと加盟できないことになっています。赤字だと穴埋めにお札を出すので乱発ということになって下がるのです。だからユーロは一応下がらない仕組みになっています。乱発できないようになっているのです。ドルは短期的に持つのはかまわないが、3年、4年と長期的に持っていると下がってしまいます。それならユーロにしておいた方がいいとか、これから生まれるかもしれないアジア通貨にしておいた方がよいとかいうことになります。世界の大企業や国家が、決済のために多額のドルを持っていますが、これがユーロに切り替えられるとなると、ドルはもう世界通貨ではなくなります。

 そうなると、アメリカだけに依存している国は、大変苦しくなります。21世紀の日本を考えた時、アメリカと仲良くするのは大切ですが、しかしアメリカ一辺倒では駄目な時代になっているのです。アジアと仲良くしなければいけません。

 しかしアジアと仲良くするのには、無条件ではできません。なぜなら、60年前、アジアに戦争を仕掛けて大変な迷惑をかけた。その後始末がちゃんとできていないのです。仲良くするするためには、60年前のマイナスを埋めるところから始めなければいけません。別に難しいことではないのです。「あの時はごめんなさい。2度とやりませんから、勘弁してください」。これで済むわけです。

 問題は、「2度とやりません」が、信用してもらえるかどうかです。信用してもらうための最大の決め手が「憲法第9条」です。憲法9条第1項、第2項がある限り、日本は2度と戦争はできません。イラクの状態を見ても、自衛隊は鉄砲一発撃てない。(世界中)みんなが見ています。この憲法9条第1、第2項がある限り、日本は戦争はできません。だから安心して日本と付き合うのです。

 もし日本が憲法9条を変えて、もう1回戦争やりますということになったら、アジアの国々は日本を警戒して、日本との付き合いが薄くなってしまいます。いま既にそうなりつつあります。小泉首相は靖国に何度も行く。自民党は憲法9条を変えることを決め、改憲構想まで発表した。アジアの国々は用心します。「そういう国とは、あまり深入りしたくない」。

 小泉首相は「政冷、経熱」でいいじゃないか、といいます。政治は冷たくても経済では熱い関係というのでしょうが、そんなことはできません。中国と日本の経済関係はじわっと縮小しています。統計でもそれははっきり出ている。

 おととしまで中国の貿易のトップはアメリカでした。次が日本、3位はEU。これがひっくり返ってしまいました。去年はトップはEU、2位アメリカ、3位日本です。明らかに中国は日本との商売を少しずつ縮小させている。その分EUに振り替えています。

 去年5月、ショッキングなことがありました。北京・上海新幹線という大計画をEUに取られました。北京~上海って何キロあるのでしょう。日本の本州より長いのではないでしょうか。このとてつもない計画があって、去年、まだ予備調査の段階すが、日本は負けました。ドイツ、フランスの連合に取られました。予備調査で取られたということは、本工事は駄目ということです。中国にすれば、日本にやらせるのが一番便利なのです。近いですし、新幹線技術も進んでいます。まだ1度も大事故を起こしたことがありません。ドイツもフランスも、1回ずつ大事故を起こしたことがあります。技術からいっても資本からいっても、日本にやらせれば一番いいのに、日本が負けました。明らかに政治的意図が働いたと思われます。日本との関係を深くしたくない。いざという時、いつでも切れるようにしておく。いざというとき、切れないようでは困る。そういうことではないでしょうか。

 いまのままアメリカ一辺倒でいいのでしょうか。私は長島さんをよく思い出します。後楽園での引退試合の時、最後に「読売ジャイアンツは永久に不滅です」といったのです。永久に不滅どころか、去年のジャイアンツのサマといったらもう、見ていられない。アメリカもそうなるのではないでしょうか。小泉首相は「アメリカは永久に不滅です」と、いまもいっているのですが、そうではないのではないでしょうか。

 アメリカにさえ付いていれば、絶対大丈夫という時代は終わったのです。アメリカとも仲良くしなければいけませんが、しかしアジアとも仲良くしなければいけない、そういう時代がいま来ているのです。仲良くするのには、憲法9条を守ることが大前提です。これを止めてしまったら、アジアとは仲良くできません。

 憲法9条は、日本にとって“命綱”です。いままでは、憲法9条というと、「理想に過ぎない。現実は9条で飯食えないよ」という人が多く、中には鼻で笑う人もいました。しかしいまは逆です。9条でこそ食える。9条を変えたら、21世紀日本の経済は危ないのです。

 憲法9条を守ってこそ、この世紀の日本とアジアとの友好関係を守り、日本も安心して生きていけるのです。こういう世の中をつくる大前提が憲法9条です。憲法9条は美しいだけではなく、現実に儲かるものでもあります。そのことがやっと分かってきました。

 奥田経団連会長は、去年までは小泉首相を応援して靖国参拝も賛成だったのですが、そんなこといってたらトヨタは中国で売れなくなります。そこで今年の正月の挨拶でついに、「中国との関係を大事にしてほしい」と、向きが変わりました。
 財界が、中国と仲良くしなければ自分たちは商売ができない、となってくれば、日本の政治の向きも変わるだろうと思います。あと3年たてば多分、これは日本の国民の常識になってきます。中国と仲良くしないと経済が駄目になる。それは中国のいいなりになることではないのです。良くないことはきちんという。だけど敵にするのではなく、仲良くする。でなければ、日本の経済は成り立たない。これがみんなの常識になってくるでしょう。

 これまで60年、アメリカベったりだったから、アメリカから離れたら生きていけないと皆思ってきました。しかし現実の数字はそうでなくなっています。一番大事な経済の相手は、もうアメリカではなくアジアなのです。これに気づくのにあと2・3年かかるでしょう。これが世論になれば、もう、憲法を変えるなどということは、絶対にできません。

 しかし、この3年の間に、国民の世論がそのように変わる前に、憲法が変えられてしまったら、どうにもなりません。

 あと3年、必死の思いでがんばって、子供たちに平和な日本を残してやるのが、私たちの務めだと思います。そう思って、私も必死になってかけ回っています。あと3年ぐらいはまだ生きていけるだろうから、なんとしても3年間は9条を守るために全力をつくしたいと決心しています。

 ありがたいことに、9条を変えるには国民投票が必要です。国会で決めただけでは変えられません。国民投票で過半数をとらないと、憲9条は変えられないのです。逆にいえば、これによってこちらが憲法9条を守る署名を国民の過半数集めてしまえばいいことになります。住民の過半数の「9条を守る」署名を3年間で集めてしまう。そうすればもう、変えることは不可能になります。

 そうすれば、子供たちに憲法9条のある日本を残してやれます。2度とアジアと戦争する国にならないようにして、そしてもし長生きできれば、新自由主義という方向、つまりアメリカ言いなりではなく、もっと自主的な経済ができるように、せめてヨーロッパのような修正資本主義、ルールのある資本主義の仕組みにもう一度戻すこともできるでしょう。

 日本中で、飢えている人、因っている人、貧しい人が、 それでも人間らしく生きていけるような、最低限の保障ができる、生きる希望が出る──。そういう社会にすることが大切なのだ、と思います。これは長期的展望です。簡単にはできません。一度、新自由主義になってしまったので、10年位かかるでしょう。国民が賢くなって、正しい要求を政府につきつけていかなければいけません。その中心になる労働運動の再建が必要です。

 結局国民が主権者なんですから、国民の願いがかなうような、そういう日本に作り替えていきたいなと、そういう道を進んでいきたいなと思います。

 鋸南町は合併を拒否なさったというので、日本でも有数な自覚的な町といえます。合併するとまず住民自治がダメになります。大きくなるということは、住民自治が駄目になることでもあります。住民が主人公になる町こそ大切。ぜひこの美しい山と海と禄のある町で、1人1人が主人公であるような地域共同体というものを、みんなが助け合える町になることを私も希望して、講演を終わらせていただきます。
http://kyonannet.awa.or.jp/mikuni/siryo/2006/kawabata-kouen060114.htm
26:777 :

2023/09/06 (Wed) 04:31:02

2023.09.05XML
2001年9月11日の出来事でネオコンに抵抗する勢力は弱体化した
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202309050000/

 ジョージ・W・ブッシュが大統領に就任した2001年の9月11日にニューヨークの世界貿易センターやバージニア州アーリントンの国防総省本部庁舎(ペンタゴン)が攻撃された。いわゆる「9/11」である。

 その前日、国防長官だったドナルド・ラムズフェルドは軍事予算のうち2兆3000億ドルが行方不明になっていることを認めていた。これは大スキャンダルだったが、9/11のため、この問題は吹き飛んでしまった。

 また、ネオコンに担がれていたブッシュ大統領の「財布」と言われていたエネルギー投機会社エンロンの破綻が不可避の状態で、経営内容にメスが入れられようとしていた。ところが倒壊した7号館に保管されていた膨大な関連書類は消えている。

 エンロンを生み出した新自由主義的な強者総取りの政策は社会を破壊し、人びとの怒りは高まっていた。2001年7月にイタリアのジェノバではG8サミットが開かれたが、そこへ約20万人が抗議のために集結、取り締まり側は暴力行為をでっち上げる事態になっていた。

 また9月10日から11日にかけて、大統領の父親であるジョージ・H・W・ブッシュ元大統領はフランク・カールッチやジェームズ・ベイカー3世とリッツ・カールトン・ホテルでシャフィク・ビン・ラディンと商談していた。

 ブッシュたちアメリカ人3名は巨大投資会社カーライル・グループの幹部だったが、商談相手が問題。ジョージ・Wは9/11の直後、詳しい調査をしないまま実行責任者をオサマ・ビン・ラディンだと断定したが、シャフィクはオサマの兄弟だからだ。

 ビン・ラディン家はサウジアラビア最大の建設会社を経営、アフガニスタンでCIAは対ソ連戦の主力戦闘員として、サウジアラビアから派遣されたムスリム同胞団やサラフィ主義者(ワッハーブ派、タクフィール主義者)を使っていた。その戦闘でビン・ラディン家の会社は建設機械を使い、地下要塞網を建設したと言われている。

 ところが、9/11では複数の旅客機がサウジアラビアなど中東出身の人びとにハイジャックされたとされている。証拠はないのだが、そういうことにされ、人びとの目はサウジアラビアに向けられた。

 当時、サウジアラビアの駐米大使として赴任していたのはバンダル・ビン・スルタン。「バンダル・ブッシュ」と呼ばれるほどブッシュ家と親しい関係にあった。バンダルは後にサウジアラニアの情報機関、総合情報庁を率いることになる。彼の後任大使になるトゥルキ・ビン・ファイサル・アル・サウドは2001年8月31日、つまり9/11の11日前まで総合情報庁の長官を務めていた。

 9/11の直後、ジョージ・W・ブッシュ政権は詳しい調査をしないまま「アル・カイダ」が実行したと断定、その「アル・カイダ」を指揮しているオサマ・ビン・ラディンを匿っているという口実でアフガニスタンへの攻撃を始めている。

 その一方、国内では「愛国者法(USA PATRIOT Act / Uniting and Strengthening America by Providing Appropriate Tools Required to Intercept and Obstruct Terrorism Act of 2001)」が制定された。この法律は340ページを超す文書だが、それを議会は提出されて1週間で承認してしまった。

 この法律によってアメリカ憲法は機能を事実上停止、令状のない盗聴や拘束、拷問が横行することになった。民主主義を放棄したわけだが、この法律のベースになった法案を1995年2月に提出したとバイデンは自慢している。愛国者法の一部は2015年に失効したものの、「自由法」という形で復活。今ではさまざまな形で愛国者法は生き続けている。

 ロナルド・レーガン時代、アメリカでは憲法の機能を停止させる仕掛けをつくっている。「COG」だ。このプロジェクトはロナルド・レーガン大統領が1981年に承認した「NSDD55」から始まる。COGは上部組織と下部組織に分かれ、上部組織は「プロジェクト908」、下部組織は「フラッシュボード」とそれぞれ呼ばれていた。

 COGプロジェクトは極秘にされていたが、1987年7月に開かれたイラン・コントラ事件の公聴会において、ジャック・ブルックス下院議員が触れている。オリバー・ノース中佐に対し、「NSCで一時期、大災害時に政府を継続させる計画に関係した仕事を担当したことはないか?」と質問したのだ。この計画とはCOGプロジェクトにほかならない。

 ノースに付き添っていた弁護士のブレンダン・サリバンは質問に動揺し、委員長のダニエル・イノウエ上院議員は「高度の秘密性」を理由にして、質問を打ち切ってしまう。イノウエ議員はCOGについて知っていたということだ。

 ブルックス議員が取り上げた当時、COGは核戦争を前提にしていたのだが、1988年に変質する。大統領令12656が出され、その対象は「国家安全保障上の緊急事態」に変更されたのだ。そして2001年9月11日、「国家安全保障上の緊急事態」が起こった。9/11だ。

 ジョージ・H・W・ブッシュ、フランク・カールッチ、ジェームズ・ベイカー3世、バンダル・ビン・スルタン、オサマ・ビン・ラディンたちを平和的だと表現することはできない。CIAと関係が深いことも事実だ。

 しかし、H・W・ブッシュやベイカーは1980年代からネオコンと対立していた。当時、ブッシュやベイカーたちはイラクのサダム・フセイン体制をペルシャ湾岸の産油国を守る防波堤と認識していたのだが、ネオコンはフセインを倒して親イスラエル体制を樹立、シリアとイランを分断して両国を制圧しようと目論んでいた。最終的に「大イスラエル」を樹立、つまり中東全域をイスラエルに支配させようとしていたと言われている。

 また、ソ連消滅後、H・W・ブッシュやベイカーは NATOを東へ拡大するつもりはなかったようだが、ネオコンは拡大させてロシアを制圧しようとしていた。ジョージ・H・W・ブッシュが再選されなかった理由はこの対立にあったとも言われている。

 選挙でブッシュに勝ったビル・クリントンもCIAと関係が深く、第1期目は旧ソ連圏への軍事作戦に消極的だった。そのクリントンはスキャンダル攻勢にあう。スキャンダルが沈静化するのは1997年に国務長官がウォーレン・クリストファーからマデリーン・オルブライトへ交代してからだ。その後、NATOは東へ拡大、2014年2月にはクーデターでウクライナにネオ・ナチ体制を樹立した。

 こうしてみると、ジョージ・H・W・ブッシュ、ジェームズ・ベイカー3世、バンダル・ビン・スルタン、オサマ・ビン・ラディンなどは9/11の実行グループではない可能性があるように見える。一種の予防措置として実行グループが秘密工作に引き摺り込んだのかもしれない。
https://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/202309050000/
27:777 :

2023/09/06 (Wed) 04:34:35

ジョージ・W・ブッシュ大統領 (アホ息子の方)
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/814.html

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