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イエスの本当の教え _ 神の国、神の子とは何か?

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2022/05/30 (Mon) 05:42:29

イエスの本当の教え _ 神の国、神の子とは何か?


イエス・キリストが聖母マリアの処女懐胎によって誕生したというエピソードには、元ネタがあります。

エジプトで、永遠の処女とされる女神イシスが、太陽神ホルスを処女懐胎によって生んだという神話に基づく聖母信仰です。

ユダヤ教もキリスト教も、本来は太陽信仰の要素を含んでいたことを、精神分析学のフロイトが指摘しています。彼はユダヤ人知識階級の大学者ですから、間違えることはまずないでしょう。

処女懐胎のエピソードは、高句麗国の始祖である朱蒙や明姫の生誕の神話にも見られる、太陽信仰特有のものみたいです。明姫の生誕を祝う非公開神事は今も当家が伝承しています。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1195894356


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神の子とは古代ユダヤでは父なし子の俗称だった

マリアは「レイプ被害者」説の番組でBBCに抗議

 【CJC=東京】処女でイエス・キリストを産んだとされるマリアは、実はレイプ被害者だった、との説を取り上げた英BBCテレビのドキュメンタリー番組『処女マリア』がクリスマス直前の2002年12月22日に放映された。

 人気女優らを起用し、マリアの生涯をドキュメンタリー・ドラマ風に追ったもの。

マリアは貧しい無学な女性で、ローマ軍兵士にレイプされてイエスを身ごもったと受け取れる内容で、馬小屋で出産し3人の博士が立ち会ったなどの伝承は間違いとしている。

視聴者から翌日までに500件以上の抗議電話が殺到したという。
 共同通信によると、BBC担当者は

「微妙なテーマだが、われわれは番組を支持する。マリアは好意的に描写されていると思う」

と述べた。
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イエスは私生児か?


・・・生前のイエスがユダヤ人からどう見られていたかについて、記そう。

当時のユダヤ人には姓がなかった。
通常は自分の名の次にベン(ヘブル語)もしくはバル(アラム語)をつけ、次に父の名を置いた。

正確ではないが、イエスがヨセフの子なら、イエス・ベン・ヨセフという言い方をする。

この点、ロシヤ人の父称とやや似ている。いわばイワン・イヴァノヴィッチ・イワノフとはイワンの息子のイワンで、もしイワノフという姓がなければイエス時代のユダヤ人と同じ言い方になる。

当然のことだが、私生児には父称はない。トルストイの『復活』で、カチューシャが法廷の人定尋問で父称をきかれ、顔を赤らめて「私生児でございます」という場面があるが、父称のある国では私生児であるか否かが名前を見ただけでわかる。・・・

父称が姓のかわりをする社会で私生児がすぐにわかるのはユダヤ人も同じであった。
ではイエスは一体なんと呼ばれていたのか。


マルコ福音書(六3)に

「・・・この人は大工ではないか。マリアの息子(・・・・・)で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではないか。またその姉妹たちも、ここの私たちと一緒にいるではないか」

という言葉がある。この「マリアの息子」という言葉は私生児に対する軽蔑的な表現であると、シュタウファーはいい、この表現の例をタルムード(ユダヤ教文書)からあげている。

私生児でも敬虔な生活をしている限り、その出生について何も言わないのが彼らの習慣だが、しかしその者が、不敬虔なまたは背教的な生活をしたときは、公然とその出生について誹謗するという。

いわばイエスが普通の敬虔な大工であるときは何もいわないが、柄にもなく会堂で妙な説教などはじめると、途端に「マリアの息子ではないか」といった言葉が出てくる。
こういう誹謗の言葉を後代が福音書に付加するとは思えないから、これは真正の伝承であろう。

さらにシュタウファーはマタイ福音書十一章九節やルカ福音書七章三七節の

「食をむさぼる者、大酒を飲むもの」

というイエスへの誹謗の言葉も、私生児を表すと指摘している。

これらのことは、イエスがヨセフの実子ではなかったこと、いわばヨセフは自分の子と認めず、周囲もそう見ていたことを示している。・・・


では、イエスは私生児なのか。

ユダヤ教ははっきりとイエスを私生児とし、タルムードには

「姦淫の女の息子」
「娼婦の息子」

とさえ言われている。まことにこまったことにマリアは、聖母とされるか姦婦・娼婦とされるかどちらかであって、それ以外に呼びようのない対象になっている。・・・

イエスは終始母マリアに冷たかった。

聖母マリア信仰は、聖書の記述によるのではなく、後にキリスト教信者が作り上げたものである。

それは賛美歌と共に信者を集めるのに大きな役割をはたしたが、イエスの行いとは相容れないものだ。
http://www.kojintekina.com/monthly/monthly60704.html


セム族は「父系社会」で、その名前=アイデンティティは「父**の子」として現されるものでした。

 ところがイエスは「ヨセフの子イエス」とは呼ばれないし、その父系もたどれない(マタイ1-16とルカ3-23の系図の不一致を見よ)。

ルカ3-23は「イエスは…人々の考えによれば、ヨセフの子であった」と微妙な言い回しをしています。さらにマルコ3-33は、イエスが「母や兄弟」を拒絶したとは伝えるが、父については何も言わない。

 これら全てを考えるなら、イエスは「父なし子」だったのでしょう。「私生児」だったかもしれません。

 父系社会の「父なし子」とは、きわめて厳しい運命です。
暮らしが苦しいだけでなく、人からもバカにされる。自己のアイデンティティさえ保持できない立場なのです。

 ここで注目すべきことは、古代ユダヤでは、このような「父なし子」は〈天の子=バル・アッバ〉と呼ばれた-ということです。

〈アッバ〉には、天=父=神の意味があります。

 想像すれば、人から「父なし子」と嘲笑されて育ったイエスは、「ちくしょう、オレは天の子なんだ!」と言い返していたのではないでしょうか? 劣等感が〈特別な自覚〉へ反転した-というのは、いかにもありそうだと思うのです。
http://yumiki.cocolog-nifty.com/station/2006/10/post_77f1.html


●マリアは、ヨセフと結婚する前に、誰か他の男性と関係を持ってイエスを身篭った。つまり、マリアは未婚で私生児を身篭ったティーンエイジャーだった。

しかし、夫となったヨセフは、その子供を父親として認知した。
イエスの「処女降誕」を主張しているのは、マタイ・ルカ福音書のみで、新約聖書のほかの部分には全くない。マタイ・ルカの福音書はあくまでもイエスを神格化するために、「処女懐胎」の思想を生み出した


●マリアが関係したイエスの父親は、ローマ軍の兵士だった。(ギリシャの思想家ケルススが178年頃書いた『真理の言葉』)。

イエスの父親は、ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラという名前で40年間、ローマ軍の兵士として務め、61歳でドイツで亡くなり、墓が1859年にドイツのビンガーブリュックで見つかっている)


●イエスには、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの腹違いの弟四人とマリア、サロメの腹違いの妹二人がいた。

(マルコ福音書)みんなマリアの子であるが、イエスとは父親が異なるー父親はヨセフもしくはその兄弟のクロパと思われる。

ユダヤの戒律により、夫が亡くなった時にその兄弟が跡継ぎとなることが決まっていた。クロパは正式な名前ではなく「呼び名」の可能性が高く、クロパはギリシャ語形で(聖書の中で)何度も登場するアルファイである。

イエスの磔に立ち会い、埋葬に加わった女性三人は、①マグダラのマリア②イエスの母マリア③イエスの妹サロメである。

(ここで「腹違い」と書かれているが、原文か翻訳の間違いであろう。イエスも兄弟姉妹もすべて母親がマリアなら、イエスと「父親違い」が正しいだろう)


●マリアもヨセフも先祖を遡るとソロモンやダビデらイスラエルの王に辿ることができる。つまり、イエスも正統な王家として、王位継承を求めていたのではないか。(つまり、斟酌されるのは、イエスの行動は宗教家としてではなく、政治運動だったのではないか。そのために、反政府勢力として殺害されたのではないか。

弟たちもこの「政治運動」に使徒として参加し)イエスとシモンが磔刑、ヤコブが石打ちの刑というふうに、五人のマリアの息子のうち三人がむごたらしい死を迎えた。


「マルコによる福音書」では、12使徒は、

①ペテロと名付けられたシモン
②猟師ゼベダイの子ヤコブ(大ヤコブ)
③ヤコブの兄弟ヨハネ
④アンデレ
⑤フィリポ
⑥バルトロマイ
⑦マタイ
⑧トマス
⑨アルファイの子ヤコブ(小ヤコブ)
⑩タダイ
⑪熱心党のシモン
⑫イスカリオテのユダ

であることが書かれています。12使徒の12は必ずしも12人ではなく、イスラエルの部族の総称という説もありますが、イエスの異父弟のヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの四人が12使徒だとしたら、ヤコブは⑨のアルファイの子ヤコブ、⑩のタダイは、ヨセかユダの別名、シモンは⑪の熱心党のシモンのことでしょう。
http://blog.goo.ne.jp/goo1956718/e/d36c199613e1dd41f56cd591aa4ae444


新約聖書は、四つの福音書(マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ)と使徒行伝、パウロのロマ書とかれの書翰集からなっている。

 実際には、現在にキリスト教は、イエスの死後の弟子であるパウロの解釈によって成り立っており、キリスト・パウロ教である。

しかもこれはローマ帝国で公認された内容(コンスタンチヌス大帝のニケーア会議)であり、このとき採択されず破棄または追放された文書を研究して原始キリスト教を復元しようとする研究もある。

 福音書も矛盾だらけである。

イエスの父ヨハネの系図は、アブラハムからつづいているが、マタイ伝とルカ伝で大きく異なっている。しかもイエスは母マリアの処女懐胎によるものであれば、父ヨハネの系図はまったく無意味であろう。

わたしはこのことを中学生時代に気付き、大いに悩んだ。ただし、武者小路実篤か倉田百三の本で、当時ユダヤを占領しているローマ兵によってマリアは犯されたのだという説があることを知り、妙に納得した。

当時、わたしの町も進駐軍の支配下にあり(敗戦当初は英連邦軍もいた)、近くの進駐軍の集会所には、夕方ともなると、焼跡の娘たちが群がり、兵士から貰うパン、缶詰、ビスケットなどを代償としてバイシュンをしていた。

パンパン・ガールという。松本清張の『ゼロの焦点』の世界である。

当時、小学校2年生のわたしは、「鬼畜米英」の兵士たちに、なぜお姉ちゃんたちが嬌声をあげて群がっているのか意味が分からず、夕方になると見物に行っていた。駅前で書店を経営していた祖母は、どこの娘か分かるらしく、見に行っちゃあいけないと云っていた。

その集会所(敗戦前は帝国海軍の将校集会所)は空襲で全焼したが、幅50メートルの川を隔てた我が家は、被災を免れた。落下してきた焼夷弾を屋根に上っていた祖父がモップのようなもので叩き、庭の池に落下させ、不発に終わった。ただしこれは祖父の武勇伝で、どこまで本当か分からないが、その焼夷弾筒はながらく池の傍においてあった。

もしその焼夷弾で我が家が炎上すれば、20歳前後の3人の叔母たちは、パンパン・ガールになっていたかも知れない。焼け残ったから、我が家は母が娘時代の着物などを売って食糧を購入し、一家の飢えを凌いだのだが、もし焼けていれば、女は身を売るしかなかったのだ。

身を売ればやがて私生児が生まれる。混血児である。混血児はわが町にも多くいたと思う。

そのためか、イエスが占領軍のローマ兵とマリアとの私生児、混血児であり、だからこそ、狭いユダヤ民族主義を脱し、愛を基調とする新教を提唱したというのは、妙に納得できた。 
http://members2.jcom.home.ne.jp/mgrmhosw/hikka100505.htm


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ドイツ(ビンガーブリュックの町)にはイエスの実父のお墓があるとも伝えられています。

イエスはタルムード(ユダヤの律法とその解説)によると、ローマ兵の射手(姓:Panthera)とマリアの間の私生児でした。

教会はそれを否認しましたが、パンテラのお墓が発見されたことにより、タルムードの中のこの話の信 憑性が高くなりました。

墓碑銘によると、パンテラは西暦9年までシドンというフェニキアの町(現在レバノン)に派遣されていて、その後ライン地方へ転勤させられたそうです。
http://kobe.cool.ne.jp/daini_densho/page010.html


ナザレのイエスのY染色体ハプログループが判明しました。

ここで、神にY染色体なんてあるのか、神の子にY染色体なんてあるのか、と思った人は熱狂的なキリスト教徒です。


ナザレのイエスのY染色体グループが判明しました。ちゃんと根拠のある確かな学説です。


フェニキア人・ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラ(Tiberius Iulius Abdes Pantera, 紀元前22年頃-紀元後40年)の

Y染色体は、ハプログループJ2(J-M172)であると推定される。

ティベリウス・ユリウスは、フェニキアのシドン出身で、約40年にわたりローマ帝国の兵士として、

第一コホルス弓隊に属し、積年の功によってローマ市民権が与えられた(注3)。

パンテラ(注4)とは「豹」を意味し、アブデスは「神のしもべ」を意味する。

彼は「アブデス・パンテラ」という名であったが、

ローマの市民権が与えられた際に「ティベリウス・ユリウス」というローマ人名に創氏改名する栄誉を得た。


このアブデス・パンテラのY染色体ハプログループがわかったのです。

アブデス・パンテラと同一人物なのかはわかりませんが、二世紀の学者がイエスはローマ兵士パンテラの息子であると主張している文献は存在します。


このパンテラがナザレのマリアと子をなして、イエスを生んだという一つの有力な学説であります。


この学説によると、イエスのY染色体ハプログループはJ2ということになり、中東系であるということになります。


ただし、あくまでも学説の一つです。、ぼく自身はあくまでもイエスはマリアの夫ヨセフの息子と信じていますから、J1に属すると思っています。


まあ、イエスのY染色体ハプログループに関してこんな学説もあるんだよということを知っていただければと思います。キリスト教会がどんな対応をするか楽しみです。
https://kakuyomu.jp/works/1177354054881148365/episodes/1177354054881541891


Y染色体ハプログループJ2系統 【中東系】

ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラ

フェニキア人・ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラ(Tiberius Iulius Abdes Pantera, 紀元前22年頃-紀元後40年)のY染色体は、ハプログループJ2(J-M172)であると推定される(注1)(注2)。

ティベリウス・ユリウスは、フェニキアのシドン出身で、約40年にわたりローマ帝国の兵士として、第一コホルス弓隊に属し、積年の功によってローマ市民権が与えられた(注3)。

パンテラ(注4)とは「豹」を意味し、アブデスは「神のしもべ」を意味する。

彼は「アブデス・パンテラ」という名であったが、ローマの市民権が与えられた際に「ティベリウス・ユリウス」というローマ人名に創氏改名する栄誉を得た(注5)(注6)。

巷間では、アブデス・パンテラの息子とされるナザレのヨシュア(イエス, イェースース/Ίησοῦς)が、キリスト教の開祖とされる。

キリスト教(キリストきょう、基督教、ギリシア語: Χριστιανισμός、ラテン語: Religio Christiana、英語: Christianity)とは、「ナザレのイエスをキリスト(救い主)と信じ、イエス・キリストが、神の国の福音を説き、罪ある人間を救済するために自ら十字架にかけられ、復活したものである」と信じる宗教。世界における信者数は20億人を超え、すべての宗教の中で最も多いと言われる。

しかし、一方でイエスはキリスト教を説いておらず、あくまでユダヤ教の一派として教義を説き、それを、ユダヤ教と異なる教義として体系化したのは、彼の弟子であるペテロであるとする主張も存在する。

ナザレのイエスが救い主であるとする確証は現在のところ発見されておらず、聖書の記載内容に関して疑問視する人々が、欧米を中心として増加傾向にある(注7)。


注1)"Identifying Genetic Traces of Historical Expansions: Phoenician Footprints in the Mediterranean"
http://www.cell.com/ajhg/abstract/S0002-9297(08)00547-8?cc=y=

注2)"Haplogroup J2, Romans, Viticulture and Christianity."
http://www.anthrogenica.com/showthread.php?1614-Haplogroup-J2-Romans-Viticulture-and-Christianity

注3)P.Haupt/S.Hornung, "Ein Mitglied der Heiligen Familie! Zur Rezeption eines römischen Soldatengrabsteines aus Bingerbrück", Kr. Mainz-Bingen. In: Archäologische Informationen 27/1, 2004, S.133-140.

注4)パンサー(panther, 豹)を意味するラテン語。

注5)Marcello Craveri, La vita di Gesù, Feltrinelli, Milano, 1966, 466 pp

注6)Origenes Adamantius, Contra Celsum, AD 248

注7)『イエス・キリストはキリスト教の創始者ではありません』(2017.1.6)
http://oyakochoco.jp/blog-entry-1659.html?sp


http://famousdna.wiki.fc2.com/wiki/Y%E6%9F%93%E8%89%B2%E4%BD%93J%E7%B3%BB%E7%B5%B1


ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラ
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%A9


アブデス・パンテラの墓碑(バート・クロイツナハのローマンハレ博物館所蔵)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%A9#/media/File:R%C3%B6merhalle,_Bad_Kreuznach_-_Tiberius_Iulius_Abdes_Pantera_tombstone.JPG

発掘当時に描かれたアブデス・パンテラの墓石の絵(左端)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%A9#/media/File:Pantera_Grabstein.jpg


ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラ(Tiberius Julius Abdes Pantera、紀元前22年頃 - 40年)は、古代ローマの兵士である。

2世紀のギリシア哲学者、ケルススがイエス・キリストの実父だと主張したとされるローマの兵士「パンテラ(Panthera)」を、彼に比定する説がある[1][2]。


発掘当時に描かれたアブデス・パンテラの墓石の絵(左端)

1859年、ドイツのビンゲン・アム・ライン近郊の村ビンガーブリュックで行われていた鉄道工事の際、ローマ時代の墓石が発見された。そこにはラテン語で下記の碑文が記されていた。

Tib(erius) Ivl(ius) Abdes PanteraSidonia ann(orum) LXIIstipen(diorum) XXXX miles exs(ignifer?)coh(orte) I sagittariorumh(ic) s(itus) e(st)

ティベリウス・ユリウス・アブデス・パンテラシドニア出身、62歳かつて弓兵第一コホルスにて軍旗手(?)を務め40年軍務に服した者ここに眠る

この碑文から、アブデス・パンテラの出身地はフェニキアのシドンと解釈される。また、長年の兵士としての貢献により彼にはローマ市民権が与えられたと考えられ、ティベリウス帝治下にあって、ティベリウス・ユリウスというローマ人の名を授かったと推定された。

マリアがイエスを身籠もった時期、アブデス・パンテラの所属する弓兵第一コホルスはユダヤの地に駐屯していたことから、彼も同地で軍務に就いていたことが推定される。このことから、その際にマリアとの間で不貞を行い、彼女を孕ませたのではないかとする説が生まれた。

しかし、このような推定は、上記の碑文が唯一の論拠である上に、文は短く簡潔で解釈の余地が多々あり、推論に推論を重ねているに過ぎない。また、ケルススの主張自体もその著書『真言(Logos Alēthēs)』が湮滅し内容が伝存しておらず、オリゲネスの反論文 『ケルスス反駁(Contra Celsum)』に引用される形で現存するのみであり、明確な学術的根拠がある訳ではない。

脚注

1.^ イエスの父についてのケルススの主張
http://jewishchristianlit.com//Topics/JewishJesus/celsus.html

2.^ La vita di Gesù, 1966, 466 pp


https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%A3%E3%83%99%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A6%E3%83%AA%E3%82%A6%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%96%E3%83%87%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%B3%E3%83%86%E3%83%A9


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地中海やメソポタミアの民族のY-DNA は J と E1b1b の混合

■J : 中東のハプログループで、北方のJ2と南方のJ1に分かれる。


J2の分布図
http://livedoor.blogimg.jp/nandeya_umeda/imgs/0/d/0d3ee44d.jpg


・J2はメソポタミア北部で誕生し、西はアナトリアからヨーロッパ南部、東はペルシアからインドまで広がっていった。古代のエトルリア人・ミノア人・アナトリア人(南方)・ポエニ人・アッシリア人・バビロニア人がそれに当たる。

・J2はギリシャに数多く見られ、特にJ2bはギリシャで誕生したと思われる。また、J2aが最も集中しているのはクレタ島であり、この地に起源を持つものだろう。興味深いことに、J2aはインドのカースト上位者にも多く見られる。バラモンは主にR1a・R2・J2aで構成されている。これら3つのハプログループがアーリア人の侵入における遺伝子の移動経路を示している。


J1の分布図
http://livedoor.blogimg.jp/nandeya_umeda/imgs/d/c/dcaf6923.jpg

・J1はアラビア半島の人々のほとんどに見られ、中でも72%に達するイエメンが発祥の地と思われる。中世のイスラム人の侵攻によって中東・アフリカ北部からスペイン南部まで広がった。

■E1b1b


E1b1bの分布図
http://livedoor.blogimg.jp/nandeya_umeda/imgs/8/e/8e25b66c.jpg


・最後にアフリカからヨーロッパへ大規模移動をしたのがE1b1b(公式にはE3b)である。26000年前にアフリカの角あるいはアフリカ南部で登場し、新石器または旧石器時代に中東に進出した。

・ヨーロッパ~近東で最も多いEのタイプがE1b1b1a(またはE-M78、E3b1a)である。新石器時代初期にエジプトからレバント・アナトリア・ギリシャに進出し、J2と混血した。

・E-V13はレバントで興った農業の伝播を担った部族である。ギリシャ北部のテッサリーが伝播の起点であり(約8000年前)、バルカン半島やドナウ盆地からフランス北部、ロシアまで広がっていった。

・E-V22はレバントに在住していた部族のものであり、フェニキア人やユダヤ人に多い。フェニキア人が地中海沿岸で活発に活動したため、E-V22がその領域に広がった。

「2000年前のヨーロッパにおけるY遺伝子の分布図」がこちらです。
http://livedoor.blogimg.jp/nandeya_umeda/imgs/8/4/841806fa.jpg

http://blog.livedoor.jp/nandeya_umeda/archives/51174468.html


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ユダヤ人のY-DNA遺伝子
 

  10月8日付けのNature Communicationsに「アシュケナージ系ユダヤ人の母方の系統の起源はヨーロッパ」という内容の論文がでました。 一般常識ではユダヤ人は中東のセム族出身の民族です。ユダヤ教から分かれたキリスト教もイスラム教も含めセム族が世界の宗教の発信者だと言うことは驚くべきことです。

  過酷な中東の砂漠環境で部族をまとめるために「神」が必要だったらしいのですが、無信心の当ガラパゴス史観には理解が大変難しい項目です。 先日、近所のモルモン教の伝道師と立ち話をしていて、あなたの宗教は?と聞かれ、「サイエンス」だと答えました。 ガリレオ以来サイエンスはキリスト教と対立する新しい宗教だ、と言うのが当方の考えです。

  40才過ぎで研究・開発生活とオサラバしマーケティングに転身し、研究者時代に身に付けたデータマイニングによる仮説を引き出す手法をそのままマーケティングに応用することで、 なんとか定年までビジネス屋としてまっとうしたわけです。そして今はY-DNAの論文をGlobalでかき集め、得られた国別・民族別等の頻度データをマイニングして 日本文化に対する縄文の貢献度を発掘し、縄文を軽視する御用学者達に対抗したガラパゴス史観を構築し仮説を立て当ホームページから発信しています。

  しかし理科系人間でもオウムのような新興宗教に走る者もいるようにサイエンスを学んだ者が必ずしもサイエンティスト(サイエンス教徒)になるわけではなく、 オウムなどに改宗する者もいるのです。

  するとアシュケナージの人々は中東からヨーロッパに離散した際にヨーロッパ大陸の先住民を現地信仰から大量にユダヤ教に改宗・入信させたということになります。

ユダヤ教のどこが改宗・入信するほど魅力的なのか、もしくは精神的な抵抗がないよう現地信仰をうまく取り込んだのか (たとえば日本では仏教が「お盆」など当時の日本列島の縄文-弥生系の先住民の祖先信仰・習慣を大量に取り込みやっと民衆に受け入れられたように) は門外漢にはわかりませんが、短絡的に考えると離散したユダヤ人は男性がほとんどで、 まだ生活が不安定だった数千年前のヨーロッパの先住民の女性と交配し部族集団(むしろ宗教集団か?)に取り込み民族化していったと推測することも出来ます。

  mtDNAのハプロタイプの頻度分布は次のようにヨーロッパ大陸(つまり欧州白人)起源が81%も占めており、ユダヤ人本来の出自の中東系はわづか8%に過ぎなかった。 つまりアシュケナージ系ユダヤ人とはユダヤ教という宗教でまとまった珍しい宗教民族集団だと言えるのでしょう。

  興味のある方は是非、下記原著をお読みください。

A substantial prehistoric European ancestry amongst Ashkenazi maternal lineages

Marta D. Costa, Joana B. Pereira, Maria Pala, Veronica Fernandes, Anna Olivieri, Alessandro Achilli, Ugo A. Perego, Sergei Rychkov, Oksana Naumova, Ji?i Hatina, Scott R. Woodward, Ken Khong Eng, Vincent Macaulay, Martin Carr, Pedro Soares, Luisa Pereira & Martin B. Richards

Nature Communications Volume: 4, 2543, Published 8-Oct-13

  ただし、図中の最大の頻度を持つハプロタイプmtDNA「K」は西ユーラシア系ではあるのですが中東でもかなりの頻度を持つので必ずしもヨーロッパ起源とは言えません。 メソポタミア農耕文明を興したのはY-DNA「J」系の「J2」ですが、 農耕がヨーロッパに浸透する際にY-DNA「J2」のパートナーのmtDNA「K」も一緒に移動したと考えると「K」は中東起源とも言えるのです。

  欧米人はどうも敵対するイスラム文明の担い手であるY-DNA「J」が自分たちの出自に直接関与していることを認めたくないのでしょう。 もしAshkenajiのmtDNA「K」32%を中東起源とすると、ヨーロッパ起源は49%、中東起源は40%となり拮抗するのです。欧米白人にとってはおぞましいことなのでしょうね!!

  ちなみに図中の最大の頻度を持つハプロタイプmtDNA「K」はアルプスで凍ったまま発見された約5300年前のアイスマンのmtDNAハプロタイプでもあります。 ただしアイスマンのハプロタイプ「K」の子亜型「K1o」は現代では既に失われ母親の女系は断絶したことが知られています。 一方、アイスマンのY-DNAの子亜型は「G2a」になりスターリンと同じコーカサス系となります。   

アイスマンの時代にコーカサスから既にアルプスまでコーカサス人は移動をしていたことが良くわかります。 アイスマンの父親はヨーロッパに入った後先住民の女性と交配したと考えられますが、中東経由で母系と一緒に移動してきた可能性もあるのです。

  更に言えば図中のmtDNA「M1」は「M」系列の中で後述の「M*」の次に古い子亜型です。中東から西に出戻りしマダガスカル島の「M23」と共にアフリカ唯2の「M」系です。 これもヨーロッパ系ではありません。中東系(あえて言えばアフリカ系)なのは明らかです。 この論文の著者の分類は若干恣意的です、西欧系mtDNA「N」系が最も多いのはその通りですが、アシュケナージの母方がヨーロッパ系と言いきるのは正しくはないですね。 ヨーロッパ系と中東系の混合というのが正しいです。

  では、Y-DNAから見たユダヤ人はどんな集団なのか?一体何故、欧米人はユダヤ人のことを謎解き扱いするのだろうかY-DNAの頻度分布から調べて見ました。


  この分野の重鎮中の重鎮のHammerが2009年に子亜型・孫亜型までしっかりと調査した論文がありました。 しかもこの論文の共著者にはこの分野の創始者のひとりのKarafetも、ユダヤ遺伝子研究専門のBeharも名を連ねているそうそうたるメンバーの報告になっています。 研究者にはユダヤ人が謎の存在として調査せずにはいられないようです。

     また調査中にわかったことは、欧米人が話題にするユダヤ人とはほとんどアシュケナージのことであってセファルディではないことも面白い一面です。 それほどアシュケナージが欧州ユダヤ人の中核で欧米の政治経済を動かす存在なのでしょう。

  調査では、海外の研究者はユダヤ人集団をひとくくりではなく「Cohen」、「Israelite」と「Levite」の3種類に分けて調査していました。

    また当方には良くわからないのですが、要するにユダヤ教を信奉する人は全てユダヤ人らしい。 エチオピアのユダヤ人=Beta・IsraelのようなY-DNA「A」の黒人もユダヤ教信者なのでユダヤ人になるのだそうです。

・Cohen(Kohen)は世襲の司祭者の末裔らしく、アロンの男系子孫と考えられているらしい。 アロンはモーセの兄なので当然Levite出身であることは言うまでもないのですが、何故モーセの子孫がいないのか?は、これから調べてみます。

・Israeliteは俗人、要するに一般大衆のことらしい、勿論、政治家も首相も宗教従事者以外は皆ここに属するようです。

・Liviteは「主みずからが嗣業」だそうで、あのモーセの出身部族だそうです。Cohenの男系先祖はモーセの兄のアロンと考えられているらしい。 ということはCohenも本来はLeviteの一部のはずなのですが違うらしい。

  また研究者はAshkenazi(アシュケナージ)とSephardi(セファルディ)に分けても調査しています。

・Ashkenazi(アシュケナージ)は、ディアスポラ(離散)後にドイツ語圏や東欧圏に定住したユダヤ人を言うそうで、大雑把にヨーロッパ系ユダヤ人と言われているそうです。

・Sephardiはアシュケナージ以外の中東系ユダヤ人のことらしいが、それなら本家ユダヤ人ではないかと思われるのだがどうだろうか?


ともかくこの分野の重鎮中の重鎮のHammaerとKrafetの二人が加わって研究・調査しているくらいなので、ユダヤ人の起源は欧米人にとって、 我々が想像できないほど重大な?魅力的な?題材のようです。

以上の前提でY-DNAの頻度分布を見ると

● CohenのY-DNA頻度分布はAshkenaziでもSephardisでもセム系のY-DNAであるY-DNA「J」が80%近くを占めており、 ユダヤ人本来のセム系の遺伝子を維持しているオリジナルJewであることが見て取れます。

  いわゆる純系のレヴィ部族に近いと言え、由緒正しいユダヤ教徒=ユダヤ人のようです。「司祭」なので厳しく男系部族遺伝子を守ってきたのでしょう。

● LeviteはSephardiとAshkenaziでかなり異なる様子です。

  Ashkenajiではスラブ系Y-DNA「R1a」が52%も占め、10%のセム系「J」からスラブ人がレヴィ族を乗っ取った様子が見て取れます。   

「主嗣系」にもかかわらずです。過去に何か入れ替わる歴史があったはずですが、一体何が起きたのだろう?   Ashkenaziをにせユダヤ人と呼ぶ人もいますが、この遺伝子頻度を見るとAshkenajiのLeviteに関しては充分納得出来ます。

  一方、Sephardiではスラブ系「R1a」は4%しかないのですが、代わりにインド亜大陸発の移行期のY-DNA「K」が23%も占めており、 バルカン系と思われるY-DNA「I」も20%を占めています。40%以上が他遺伝子に置き換わっているのです。   不思議な頻度分布です。主嗣系にもかかわらず、他の遺伝子の混入が激しい。一体どこで交配したのだろう? これではSephardiを中東系と定義するのは非常に無理があります。

  ともかくLeviteと呼ばれる集団は、本来のセム系ではなくすっかり他の遺伝子集団に変貌している。ユダヤ教にとってはLeviteという存在はどうでも良い包末集団なのかもしれない。

いや、それも変です。Leviteを調べると包末どころか、他のCohenやIsraeliteのように相続できる土地や財産を持たない代わりに、彼らから寄付・寄進を受ける神聖な立場のようです。   何しろモーセの出身家系の子孫のはずなのですから。その神聖な存在のはずにも関わらず、ある時Y-DNA「R1a」,「I」や「K」等の異遺伝子集団にごっそりと乗っ取られたのだと思われます。 そうしてAshukenaziとSephardiは確立し、現代まで存続してきたようです。   

歴史に残るような内紛が起きなかったんですかね?ユダヤ史は当ガラパゴス史観のテリトリーではないのでここまでにしておきます。

● Israeliteは俗人=一般ユダヤ人なので現代イスラエル人の標準的はY-DNA頻度と考えても差し支えなさそうです。 36%程度が本来の中東セム系Y-DNA「J」であるが、ラテン(地中海)系Y-DNA「E1b1b」も20%程度あり、   ゲルマン系のY-DNA「R1b」も13%もあり、パキスタン系のY-DNA「R2」もあるなどCohenやLeviteとも異なる頻度分布を示しています。 一体どんなキッカケでユダヤ人に紛れ込んできたのだろう?不思議です。

  ユダヤ人が布教活動でいかに多くの信者を取り込み、ユダヤ教徒=ユダヤ人という宗徒=民族を実践してきた特異な「宗教民族」であることを如実に表しているようです。

  余談ですが、あのヒトラーの父親はユダヤ人だったとの説が根強くありますが、ヒトラーのY-DNAはユダヤ人Israeliteの重要な構成成分の「E1b1b」なので間違いなさそうです。

● ユダヤ人全体としては、セム系Y-DNA「J」が約43%なので今でも中東系と言っても差し支えなさそうですが、次が約17%の地中海(ラテン)系、11%のゲルマン系Y-DNA「R1b」と続きます。

  いかにAshkenaziやSephardiのLeviteが異様で特徴的な特異なY-DNA頻度分布を持つかが改めて良くわかります。   

とにかく「主嗣系」のLeviteが何のためにセム系以外の他Y-DNA遺伝子をAshkenajiでは71%も取り込んできたか、非常に興味深いのです。 当然そうしなければユダヤ教は消滅する危険性があったからには間違いなかったのでしょうが、どんなことが起きたのか?ディアスポラなのか?  

 Leviteがヨーロッパ系Y-DNA遺伝子「E1b1b」,「I」,「R1a」と「R1b」を71%も取り込む過程で、現地の先住ヨーロッパ女性と交配を強力に進めた結果、 mtDNAの約80%もがヨーロッパ系に変貌したものと考えられます。   

アシュケナージやセファルディはユダヤ人が中東をでてヨーロッパ大陸に新天地を求めて移動したときに現地ヨーロッパの先住女性と交配しながら 新しいユダヤ教徒=ユダヤ民族を形成していったものと思われます。   その間に現地改宗男性も教徒に加わり、アシュケナージはセム系からヨーロッパ的に大きく変貌していったと思われます。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-11.htm



ギリシャ人とローマ人の Y-DNA遺伝子

ギリシャはヨーロッパなのか?? 地中海とバルカン半島
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-14.htm

  集めたY-DNAデータの中から地中海周辺とバルカン半島、旧オスマン帝国領土に絞りまとめて見ました。先ずはインターネットから借用した地中海周辺の地図を頭に叩き込んで下さい。 そのあとでY-DNA頻度データを見て下さい。 地中海の北岸と南岸に限り、東岸の近東諸国のデータは省きました。


結果をまとめて見ました。


1.ギリシャ
  予想通りラテン系Y-DNA「E1b1b1」が主要で、次いでメソポタミア農耕民系Y-DNA「J2」やアナトリア系Y-DNA「R1b」やスラブ系Y-DNA「R1a」、クロマニヨン系Y-DNA「I」等が続いています。

  またY-DNA「J2」と共にメソポタミア農耕を興したらしいY-DNA「G」もある程度残っています。 このアナトリア系のY-DNA「R1b」はロシアのバシキ―ル人がほぼ純系で、恐らくアフリカのチャド系Y-DNA「R1b」も同系ではないかと推測しています。


2.トルコ
  最も多いのはメソポタミア農耕民系のY-DNA「J2」です。テュルク民族のオリジナル遺伝子と思われるY-DNA「N」(ヤクート人の遺伝子)が、 西に民族移動を進める過程でイスラム化すると同時に各地の遺伝子を取り込み 最後に到達したアナトリアで東ローマ帝国を形成していた先住民のY-DNA「J2」と「R1b」と「 I 」、更にラテン系の「E1b1b1」を取り込み成立したのがセルジュクトルコと 後継のオスマントルコなのでしょう。 調査の対象によって出現頻度がかなり異なることがわかります。現代トルコ人は均質ではなく調査対象の選び方でかなり変わるか、地域差がかなりあるのでしょう

  またオスマン帝国時代にアフリカ北岸も領土にしたため、アフリカ系Y-DNA「A」や東ユーラシア時代に取り込んだと思われるY-DNA「C」(タタール系でしょう)も現存しています。


3.バルカン諸国家
  アルバニア人だけがラテン系遺伝子を強く残していますが、他は見事にバルカン系遺伝子のY-DNA「 I2」が主要遺伝子となっており、旧ユーゴースラヴィアの国名にもなった スラヴ系Y-DNA「R1a」が続きます。

  どうやらアルバニア人だけが極めて特徴的な遺伝子構成のようです。他の諸国は遺伝子構成は現代では基本的に似通っているのですが、宗教と言語の違いが極めて厳しく、 紛争地帯の最大の要因のようです。


4.バルカン周辺諸国家(旧オスマン帝国の影響があった諸国)
  バルカン系遺伝子Y-DNA「 I2」とスラヴ系遺伝子Y-DNNA「R1a」が核の民族群のようです。

5.イタリア
  ここではイタリア北部の遺伝子調査結果は出てきません、キチンと系統的に調査されたデータは意外にないのです。

  研究者の注目はやはりイタリアらしいラテンの色彩の強い地中海ど真ん中のイタリア靴のつま先最南端部のカラブリア州や島々のようです。 Y-DNA「E1b1b1」が核のシシリー島とバイキングY-DNA「 I1」が核のサルディニア島の違いがはっきりとわかります。恐らく島民の気質も大きく違うのでしょう。 特に不思議なのはマルケ方言を話すイタリア中央部のMarchigiano方言民の人々で、非常に希少なY-DNA「T」がほぼ100%なのです。 勿論ジェファーソン元アメリカ大統領(Y-DNA「T」)の出身地なのでしょう。このようにイタリア半島部と島々は遺伝子的にかなり面白い国なのです。


6.フランス・プロバンス地域
  フランスの地中海沿岸部のため、もう少しラテン系遺伝子の割合が多いのかと推測をしていましたが、ケルト系Y-DNA「R1b」が60%近くを占める典型的な北欧系地域でした。 恐らくイタリア北部も同じような傾向ではないかと推測できます。つまりヨーロッパ大陸部は北欧で、バルカン半島やイタリア半島、イベリア半島のような地中海に飛び出した地域と島々のみが南欧 つまり地中海地域なのでしょう。もう少しイタリア研究論文の調査を進めて見ます。

7.スペイン
  スペインは各地方がスペインからの分離独立を声高に叫ぶような不思議な国家なのです。スペインを統一したのはカスティーリャ王国ですが、 現代にいたっても国家への帰属意識は意外に低いのだそうです。 それぞれの州が好き勝手に叫んでいるようなのです。実は予想に反してラテン度は低くケルト度が高いのです。スペインのY-DNA「R1b」はラテン気質をみても ゲルマン系ではなくケルト系に近いと思われます。

  バスク人はイギリスのケルト系と並ぶほぼ純系のケルト系遺伝子集団です。
  ガリシア州はスペインの中で最もラテン系遺伝子が多い州。
  アラゴン州はバルカン系遺伝子が最も高い州。
  独立の声が最も大きいカタルーニャ州はバスクの次にケルト度が高い州です。
  ポルトガルは独立していますが、遺伝子的にはイベリア半島民の一部です。


8.ベルベル人
  アフリカ北岸一帯に分布するベルベル人は見事にラテン系遺伝子Y-DNA「E1b1b1」の民族です。アフリカ北岸はカルタゴやハンニバル将軍などの歴史があり、 恐らく古代ローマ時代は当時の文明の先端に位置していたと思われます。 特にトゥアレグ族はほぼ純粋なY-DNA「E1b1」遺伝子集団です。

9.アラブ人
  サラセン帝国など、アラブY-DNA「J1」の拡大でアフリカ北岸はアラブ一色に染まりY-DNA「E1b1b1」はひっそりとわき役に落とされました。 しかし遺伝子調査は極めて明快に今でもY-DNA「E1b1b1」が民衆の遺伝子の核であることを示しています。 つまりアラブの文化を取り入れイスラム教に改宗した集団はイスラム・アラブ人の一員となり改宗せずに独自の信仰を守った集団はベルベル人として非定住・遊牧の生活を選んだものと思われます。

  これは中国で中華文明に取り込まれた異遺伝子集団は漢民族に取り込まれ、そうでない集団は辺境の少数民族化したのと同じような様相です。

  ベドウィン人はアフリカ北岸のアラブ人の中でも古いアラビア語を話す集団らしいですが、ラテン度はほとんどなくアフリカの主要遺伝子の一つであるY-DNA「E1a」を多く含み、 恐らく交易を通してだろうと推測できますが、むかなり特殊な交配を行ってきた民族集団のようです。
http://garapagos.hotcom-cafe.com/1-14.htm
2:777 :

2022/05/30 (Mon) 05:43:11

ローマ人の目に映ったイエスの虚像 _ 革命家イエス

イエスは山を下って平地に立たれたが、大ぜいの弟子たちや、ユダの全土、エルサレム、ツロとシドンの海岸地方などから大群衆が、教えを聞こうとし、また病気をなおしてもらおうとして、そこにきていた。

そして汚れた霊に悩まされている者たちも、いやされた。

また群衆はイエスにさわろうと努めた。

それは力がイエスの内から出て、みんなの者を次々にいやしたからである。


そのとき、イエスは目をあげ、弟子たちを見て言われた


貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである

今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる

今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる

しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている

今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる

今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる
http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/042.htm


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歴史はイエスを抹殺した。


しかし、そのあとを完全に消し去ることはできなかった。
それで、今度はかかえ込んで骨抜きにしようとした。

そしてそれは、一応見事に成功してしまった。

大勢への反逆児が、暗殺されたり、抑圧による貧困の中で死んでいったりしたあと、体制は、その人物を偉人として誉めあげることによって、自分の秩序の中に組み込んでしまう。

マルクスが社会科の教科書にのった時、もはやマルクスでなくなる、ということだ。


こうしてイエスも、死んだあとで教組になった。

抹殺と抱え込みは、だから、本来同じ趣旨のものである。

キリスト教は、イエスの抹殺を継続するかかえ込みであって、決して、先駆者イエスの先駆性を成就した、というものではない。

イエスは相変わらず成就されずに、先駆者として残り続けている。
http://fanto.org/diary-new/archives/669.html


● イエスはなぜ殺されたのか

イエスは、侵略者であるローマの官憲により、ローマ皇帝に対する反逆者として、ローマ法に則り十字架刑に処せられた。これはキリスト教にとって最大の謎である。

なぜイエスはローマ帝国に対する政治犯として処刑されたのか。

独特な話術と奇跡的な治療行為により、民衆の間に絶大な人気があったイエスは、当時のユダヤ教支配層の腐敗堕落を厳しく批判した。

一方、そんなイエスを救世主と担ぐ民衆の動きは次第に高まり、これを危険視するローマ当局の介入がユダヤの自治権剥奪を招きかねない情勢であった。

そこでユダヤの宗教指導層は、姦計を弄してイエスを逮捕し、涜神罪による死刑を宣告したのだが、かれらは死刑執行権を持たなかったのでイエスをローマ当局に引き渡し、総督ピラトは不本意ながらも、イエスを十字架刑にせよとのかれらの執拗な要求に屈した。

これが古くからある学界の通説である。


イエス処刑の責任は全面的にユダヤの宗教的支配層にあるというわけだが、この見解はローマ帝国統治下において反ユダヤ・親ローマ的立場を装った、初期キリスト教徒たちの護教的意図を斟酌していない。


これに対し、イエスは初めからローマ帝国に対する政治犯とみなされていたと主張し、先の通説を批判する学者も多い。

イエスはユダヤ民族独立運動の指導者だった。いや、虐げられた貧しい人々との連帯を志向した革命家だった、云々。

いずれにしても、通説とその批判がともに全面的に依拠する福音書の受難物語は、文献学的研究により細部の記述の歴史的信憑性がほとんどすべて否定されている。
そこで進歩的な学者たちは、イエスの死の理由を「イエスの思想」に求めなければならない。

しかしかれらといえども、イエスの死をその思想の必然的結果とするのはどうしても無理なので(悔い改めの決断を呼び掛けるとなぜ殺されるのか?)、結局、それはイエスの思想に対する周囲の無理解と誤解の結果だったと説明する。誤解されたのは必然だった!

しかし、イエスは決して誤解されたのではない。少なくともユダヤとローマの支配権力には、きわめて正確に理解されていた。だから殺されたのだ。

そうして権力がイエスの肉体を抹殺したあとに、「弟子」たちはイエスを「救い主」とすることによりイエスの精神を抹殺し、現代の神学者たちはイエスを「先駆者」とすることによって、その精神的抹殺を継承しているのだ。

さて、「食い意地のはった大酒飲み」といわれたイエスとは、いったい何者だったのか。
http://www.ne.jp/asahi/wtnb/2000/opinion/tagawa_jesus.htm


ローマ史家の土井正興氏が『イエス・キリスト』(三一新書)で熱心党とイエスとの関係を詳しく論じ、またローマの重罪犯に対する正規の死刑法である十字架刑に絡めて、

イエスが「ユダヤ人の王」を僭称して、ローマの植民地支配への反逆者、「神の国」の到来を告げる黙示録的な政治的メシアとして処刑された

と主張しているのは、明らかに正しい。


土井正興氏は『イエス・キリスト』(三一書房)の149ページで、

「それ(イエスの歴史的性格)は、・・・・

彼が、ローマ支配をくつがえして『神の国』=『ユダヤ人の王国』を建設しようとしたメシアとして、この運動を鎮圧したローマの代官によって、ローマの刑罰たる十字架刑によって刑死した

ということである」と述べている。


また八木誠一氏は『イエス』(清水書院)の188ページで、

「十字架刑はユダヤ式の死刑ではなく、ローマのものであり、ローマに対して反乱を起こした者がこの刑に処せられた。

これは重要な事実である。

イエスはローマに対する政治犯として処刑されたのである」

と記している。
http://www.geocities.jp/toryon33/iesuotoko.html

パウロ書簡から史実のイエスを傍証する


ちなみに、パウロ書簡は現存する最古のキリスト教文書ですが、新約聖書の約3分の1を占める膨大な量であるにもかかわらず、そこには史的イエスの描写が「一切」といっていいほど存在しません。唯一つの例外は『コリント人への第一の手紙』(11:23~26)で、そこに、

「主イエスは、渡される夜、パンをとり、感謝してこれをさき、そして言われた、『これはあなたがたのための、わたしのからだである。わたしを記念するため、このように行ないなさい』。食事ののち、杯をも同じようにして言われた、『この杯は、わたしの血による新しい契約である。飲むたびに、わたしの記念として、このように行いなさい』」

という記述があります。たったこれだけです。

これでさえ、死の影にほとんど包み込まれたイエス、生身のイエスの消滅を前提とした最後の晩餐でのイエス、それもその教義的解釈の枠内でしか史実のイエスを記述していません。これを史実のイエスへの言及と言っていいかどうか?

パウロがイエスに触れるのはキリストとしてだけ、つまりその十字架の死と復活と栄光の来臨についてだけであり、それもそれぞれについての神学的意味づけに関してだけです。

パウロは「意図的に」史実のイエスには触れません。
イエスがどのような家庭に生まれ育ち、いかに成長し、いかなる目的で伝道を始め、どのような集団を構成し、どのようにして死に至ったかについては何も語りません。
つまりそこには肉のイエス論(生前のキリスト論)はなく、霊のキリスト論(死後のイエス論)しかありません。『コリント人への第二の手紙』第5章16節には、

  「かつてはキリストを肉によって知っていたとしても、今はもうそのような知り方はすまい」

と記しています。手紙としてこれを記しているというのは、読む人々にも「そのようにしなさい」と薦めてもいるわけです。

肉のイエスに関わる「作り話やはてしない系図などに気をとられることのないように、命じなさい」とも記しています。

「もうそのような知り方はすまい」というパウロの態度は、史実のイエスへの単なる無視ではなく、むしろ拒否を意味しています。


しかし、もしマタイ、マルコ、ルカなどの共観福音書で描かれたように、十字架贖罪死へ意図的に歩むイエス像が史実として正しいならば、最強最大の十字架贖罪論者であるパウロがイエスの言行についてほとんど一言も触れないのは言語に絶する不可解なこととなります。

そこには当然十字架贖罪死へ向かう感動的なイエスの言行が数限りなく存在した筈だからです。


なぜパウロはイエスの言行について一切触れなかったのでしょうか? 

この重大な問題については、ふつう、「史実のイエスと直接接触のあったペテロ・ヤコブ・ヨハネなど直弟子たちに対する劣等感からくる反撥や開き直りかもしれない」と解釈されて、納得が求められています。

しかしパウロ自身のそのような個人的な境遇が救い主の生涯そのものへの無視へと続くことは決してありえません。これはさも解答があるかのようにみせる一種の誤魔化しや誤導です。

とにもかくにもイエスは彼と全人類にとって「神の子」で「救い主」だから、そのイエスの生涯について一言も語らないというのは、本当は信じられないほど奇妙なことなのです。

その奇妙さを実感していただくために、ここでひとつ質問してみたいと思います。もしあなたの命の恩人がいて、その人がまた家族一人ひとりの命の恩人でもあり、さらに存亡の危機にあった国家をも救った恩人だったとしましょう。

これでもパウロが信じた「全人類を救ったイエス」という大恩人よりはまだもう一つスケールの小さい恩人ですが、それでも、もしこういう人物がいたとするなら、あなたはその人の生まれや成長や活動内容に全く無関心でいられるでしょうか? 

そのようなことは人間として100%ありえません。

ところがパウロはそういうこと一切に対して拒否の態度を示し、事実上、積極的に「無視せよ」と薦めているのです。

これは非常に不自然です。言葉に尽くせないほど不可解です。


もしイエスが十字架死へ向けて意図的に生きたのが史実として正しければ、熱烈な十字架贖罪論者のパウロは彼一流のあの素晴らしい筆法で、十字架への道を歩むイエスの感動的な生き様を数多く紹介してくれたことでしょう。

むろんイエスの生き様に対するパウロのこのような度外れた無視と拒否は、事実上、史実のイエス・本当のイエスへの甚だしい侮辱に他なりません。


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パウロが、イエスの言行・史実のイエス・肉のイエス・生前のイエスに一切触れようとしなかったのは、「史実のイエス」と「彼の信じたもの」とがその質において正反対と言っていいほど全く違っていたからなのです。 

それはイエスが自覚的に十字架贖罪死へ向けて生きたのでなかったこと、言いかえれば、イエスはこうした彼岸的・肉否定的な「宗教的メシア」でなく、本当はダビデ王の子としての、此岸的・肉肯定的な、栄光の「政治的メシア」を目指した者であったことを意味しています。


当時の主なメシア像には、


 (1)ローマの植民地からユダヤを独立させる軍事闘争をやっていれば、必ず神からの助けがあるとする戦闘的で自力本願的なもの

 (2)神の定めた時が来れば宇宙的な変動が起きて一切が転覆され神の国が到来するという待望的で他力本願的なもの


とがありましたが、積極的か非積極的かの違いはあるものの、ともかくどちらも直接的にはローマ支配の終焉によるユダヤの解放を意味していたわけですから、ともに政治的でした。


事実、ヨハネとヤコブなどイエスの直弟子たちは生前のイエスに、近く地上に建設される神の国でイエスの左と右の座を占めさせてほしいと頼み(マルコ10:35~40)、あるいは、神の国では自分たちのうちで誰が一番偉いかと論議もしています(マルコ9:33~37)。『マタイによる福音書』(21:20~21)では彼らの母も同伴して頼み込んでいます。

福音書にあるような自己犠牲的な贖罪死を目指す「宗教的メシア」のもとでは、弟子たちのこういう世俗的野望は辻褄が合いません。
だから十字架の贖罪死を目指す「福音書のイエス」は彼らを強くたしなめます。しかしこれは史実のイエスがもともと「政治的メシア」だったことの痕跡なのです。

また四つの福音書全てに、処刑時、十字架の上に「ユダヤ人の王」という罪状の札があったことが記されていますが、「ユダヤ人の王」を決めるのはローマ皇帝の専権事項であったため、これはイエスが「政治的メシア」として「ユダヤ人の王」を僭称して活動したことで処刑されたことを示すもう一つの痕跡です。

また、イエスは自分を「人の子」と呼んでいますが、これは旧約聖書の中の「ダニエル書」7章13~14節にある次のような預言を根拠にして使っている自称です。

  みよ、人の子のような者が、
  天の雲に乗ってきて、
  日の老いたる者のもとに来ると、その前に導かれた。
  彼に主権と光栄と国とを賜い、
  諸民、諸族、諸国語の者を彼に仕えさせた。その主権は永遠の主権であって、
  なくなることがなく、その国は滅びることがない。

その他にもイエスが「政治的メシア」だった証拠としては、


 ・ガリラヤの海の漁夫ペテロとアンデレ兄弟に「人間をとる漁師にしてあげよう」(マルコ1:17)と述べている

 ・幹部弟子のなかに軍事戦闘派の熱心党員がいる(マルコ3:18 マタイ10:4 ルカ6:15 行伝1:13)


などもあります。 したがって、


 神の力によって神の国を打ち立てローマの植民地支配からユダヤを独立させようとしていた「政治的メシア」としてのイエス


これが史実 (中川隆 注:実際は史実ではなくて、ローマ人にはイエスはこういう姿で捉えられていたというだけでしょうね) のイエスであり、そのためにローマ兵に捕らえられて、ローマ総督ピラトから「ユダヤ人の王」という罪名の死刑宣告を受け、ローマの処刑法である十字架に掛けられ、ローマ兵によって刑殺されたのです。


イエスが十字架贖罪死を目指して生きたのでないことが、すでに上記の五つの理由や史的イエスに対するパウロの徹底的な無視から明らかになっていて、しかもローマの官憲によって刑死した以上、彼は「政治的メシア」だったということです。
むろんこの「政治的メシア」はその独自の律法解釈やそれによる破戒行動を行なうため、必然的に既存のユダヤ教権力層とも宗教的対立関係に入ります。

イエスが軍事戦闘型の「政治的メシア」だったのか、それとも待望型のそれだったのか、福音書の捏造があまりにも甚だしいためどちらであるか決定するのは難しいですが、

弟子たちの中に軍事戦闘型の熱心党員のシモンがいることもあり、またイエスが逮捕される際に弟子たちのうちのある者(ルカ22:50では弟子たちのうちの誰か、ヨハネ18:10ではペテロ)が剣を抜き、イエスを捕らえに来た祭司長あるいは大祭司の僕(しもべ)の右耳を切り落としたとあるように、

私は闘争型の要素を持つ待望型だったのではないかと想像しています。
つまり戦闘性も多少持つが主に納税拒否などさまざまな反ローマのサボタージュを行なう非軍事的な性格のものです。熱心党員の弟子はシモンの他にも幾人かいたかもしれません。

「政治的メシア」としてのイエスは十字架死によって敗北しました。
これを弟子たちは「宗教的メシア」に仕立て直してイエスを勝利者とし、みずからも勝利者としたわけです。
そのとき史実のイエスは直弟子たちからも見捨てられ放棄されたわけです。

イエスが逮捕された後、直弟子筆頭とされているペテロが官憲などに三度尋ねられて、そのたび「自分とは関係ない」と告げ、雄鶏が鳴くまでに三度イエスを裏切ったという福音書の話も、ひとつはそういう事情を反映したものでしょう。
キリスト教は史実のイエスとは何の関係もありません。それは直弟子たちの創作物です。

________________________________________


パウロはイエスを直接知っていた直弟子たちから、先ほど述べた「最後の晩餐」の様子(これについては、パウロは、十字架贖罪死信仰を前提とした「これは私のからだ、これは私の血」などのイエスの架空の言葉によって、すでにペテロなどに欺かれているか、あるいは、たぶん、自分自身を欺いている)だけでなく、イエスの言行について無数の事実を知らされていましたが、ほとんど全て「政治的メシア」に関する史実であったため、あえて「肉のイエス」には一切触れませんでした。


彼は過去の「肉のイエス」に触れないことを、

「古いものは過ぎ去った、見よ、すべてが新しくなったのである」

(『コリント人への第二の手紙』第5章17節)と神学的に正当化さえしています。


パウロが史実のイエス・肉のイエスに一切触れずに済ませることが「できた」ということは、すなわちイエスの直弟子たちも、「政治的メシア」と直結する部分は全て排除するという仕方で、イエスの生涯や生き様を無視したということを示しています。


現代聖書学ではルドルフ・ブルトマンの福音書に対する詳細な様式史研究などによって、

「史的イエス研究のための唯一の資料である福音書からは史実のイエスを再構築できない」

という結論が出されています。つまり福音書に書かれているイエスの記事はほとんど信用できないということで、これは福音書が非事実の塊だということに他なりません。


さて、「政治的メシア」から「宗教的メシア」へ転換することで、キリスト教はイエスの政治性から脱してローマ帝国と妥協可能になり、その成功とともに際限なく非政治化してゆき、帝国内部に広く浸透できることになりました。

しかしそのかわりローマ帝国との妥協の産物として、

「ローマ人でなくユダヤ人たちがイエスを刑死させた」

というありもしない罪が捏造され、それが史実とは異なる十字架贖罪論の福音書に描かれて、その後の二千年に及ぶユダヤ人迫害の土台を形作ることになりました。


キリスト教がイエス殺害の主犯としての罪をローマ人からユダヤ人に転嫁したのは、ローマ総督がイエスを殺害したという姿のままではローマ帝国内部での成功がとうてい不可能だったからです。

その姿はイエスがローマ支配に反抗する「政治的メシア」として処刑されたことを示すもので、ローマ人は帝国内にこういう敵性宗教が蔓延するのを絶対に許さなかったことでしょう。

また、「宗教的メシア」を強調するために治癒奇跡や自然奇跡(風を叱って止めさせる・水上を歩く・パンと魚を数千倍にする)など様々な奇跡を次々と行うイエス像が捏造されるに至りました。
http://www.geocities.jp/toryon33/syuukyoukaitou.html#hitonoko


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ローマ人の目に映ったイエスの虚像

イエス・キリストは実在したのか? 2014/7/10
レザー アスラン (著), Reza Aslan (原著), 白須 英子 (翻訳)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4163900934/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4163900934&linkCode=as2&tag=zaimoney01-22


レザー・アスランは1972年にテヘランで生まれ、7歳のときにイラン革命で両親とともにアメリカに逃れた。「1980年代のアメリカで、ムスリムであることは火星人みたいなものだった」という環境のなかで自分の居場所を探していたアスランは、高校2年生のときにカリフォルニア州の福音伝道キャンプでイエスの物語を聞いてたちまち魅了される。

 熱心なクリスチャンとなった彼は大学で宗教史を専攻したが、その頃から聖書の記述と歴史的事実の矛盾に気づくようになった。その後、20年にわたってイエスの実像に迫る研究をつづけたアスランがその成果をまとめたのが『イエス・キリストは実在したのか?』(文藝春秋)だ。

 この本は発売直後から全米でセンセーションを巻き起こし、20万部を超えるベストセラーになった。なぜこれほど評判になったかというと、アスランがキリスト教信仰を捨て去ったあとイスラームに改宗したからだ。

 欧米社会(とりわけアメリカ)には、ムスリムにイエスについて客観的で公正な学術研究などできるわけはない、という偏見がある。

 本書の刊行直後、アメリカの右派寄りテレビ局「フォックス・ニュース」のキャスター、ローレン・グリーンが「なぜ、ムスリムのあなたがイエスのことを書いたのか?」とアスランに意地悪な質問をした。これに対してアスランは、自分は学位を持つ宗教学者・歴史学者として歴史上の人物としてのイエスを研究してきたと説明したうえで、「キリスト教徒の学者がイスラームの歴史やその始祖ムハンマドについて書いてはいけない、あるいは書けるはずがないと決めつけるのがおかしいのと同様、ムスリムがイエスのことを書くことを疑問視するのは妥当ではないのではないか」と反論した(本書の翻訳者、白須英子氏の「訳者あとがき」より)。このインタビューが大きな反響を呼び、アスランはすっかり時のひとになった。

イエス・キリストは実在したのか?

 原書のタイトルは『ZEALOT』で、「狂信者」とか「熱狂者」の意味だ。副題は「ナザレのイエスの人生と時代」という素っ気ないものだが、日本版の『イエス・キリストは実在したのか?』も間違いとはいえない。アスランの主張は、「イエスは実在したが、キリスト(救世主)はフィクションだ」というものだからだ。

 新約聖書では、聖母マリアが処女のままイエスを懐妊したことになっている。こんなことは現実にはあり得ないから、これをどう解釈するかで古来、侃々諤々の議論が行なわれてきた。私が知るなかでもっとも大胆な説はイギリスの進化心理学者ニコラス・ハンフリーによるもので、マリアはヨセフと結婚したときすでに別の男性と性的関係があり、妊娠していたというものだ。当時はこのようなふしだらはとうてい許されないから、マリアは夫に対し、「自分は処女のまま懐妊したのだ」と言い張るしかなかった。イエスはものごころついたときから「神から授かった子ども」と母親にいわれつづけ、自分が特別な存在だと思うようになった……(『喪失と獲得』紀伊國屋書店)。

 だがこの魅力的な(というか不謹慎な)解釈は歴史的事実とは異なるようだ。本書によれば、生前のイエスに対して彼が処女から生まれたと考えるひとはいなかった。その理由は単純で、イエスには複数のきょうだいがいたからだ。イエスに「義人ヤコブ」と呼ばれる弟がいたことは文献的に明らかで、それ以外にヨセフ、シモン、ユダという兄弟と、福音書では触れられているが名前も数もわからない姉妹がいたらしい。兄が磔刑に処せられたあと、ヤコブが使徒とともにエルサレムでイエスの教団を継いだことも間違いない。


だが同時に、アスランはイエスの出生に不審な点があることにも言及している。

 イエスがはじめて故郷のナザレで説教を始めた頃、聴衆の一人が「この人はマリアの息子か?」とつぶやいた。ユダヤ人の男児を「ヨセフの息子」ではなく「マリアの息子」と呼ぶことはふつうは考えられない。ここから聖書学者のあいだでは、イエス私生児説だけでなく「ヨセフはもともと実在していない」との説も唱えられた。

 イエスの生涯についてのもうひとつの謎は、彼が既婚者だったかどうかだ。新約聖書にはイエスが結婚していたという記述はないが、当時のユダヤ社会では30歳を過ぎた男性が妻帯していないということはほとんど考えられなかった。イエスは修道僧ではなく世俗の預言者なのだから、妻や子どもがいたとしてもおかしくはない。

 だがアスランが述べるように、こうしたことはすべて推測の域を出ない。イエスの名がローマ世界で広く知られるようになったのは死後100年以上たってからで、パレスチナの地にあまたいたZEALOT(狂信者)のことなど生前は誰も興味を持っていなかったし、後世に書き伝えようとも思わなかったからだ。

当時のユダヤ社会は「革命前夜」だった

 アスランは、イエスが生きた当時のユダヤ社会は「革命前夜」の熱狂に包まれていたという。

 紀元後6年、ナザレのイエスの誕生とほぼ同時期にユダヤは正式にローマの属州となった。当時のユダヤ人の生活はエルサレムの大神殿が中心だったが、大祭司はローマ人総督と癒着して私腹を肥やし、ほしいままに振る舞っていた。神殿は奴隷たちが耕す広大な領地を有する「封建国家」で、ユダヤ人から徴収される神殿税や巡礼者からの膨大な供物、神殿内で商売を許された商人や両替商からの上納金などでその歳入は巨額のものになった。敬虔なユダヤ教徒は祭司貴族階級の堕落を批判し、ローマから「神の土地」を取り戻すことを求めた。こうした「ユダヤ原理主義の過激派」がZEALOTで、洗礼者ヨハネに影響を受けて宣教活動を始めたイエスもその一人だった。

 イエスはローマ総督ピラトによって紀元30~33年頃にゴルゴダの丘で十字架にかけられるが、これはローマ帝国ではありふれた処刑方で、反抗者への見せしめとして街角、劇場、丘の上、高台など目立つ場所ならどこにでも十字架が立てられた。ユダヤ人がローマ支配に抵抗するようになると処刑者の数も増え、ゴルゴダの丘には十字架が林立していた。イエスの死も、やはりありふれたものだった。

 当時の革命的熱狂は、イエスの死後、ユダヤの地で起きた出来事を見るだけでも明らかだ。紀元36年に「サマリア人」と呼ばれる預言者が蜂起を起こし、44年にはテウダの蜂起があり、56年には神殿の大祭司ヨナタンが暗殺される。それ以降も57年に「エジプト人」と呼ばれる預言者の蜂起があり、66年にはついにユダヤ全土が蜂起してエルサレムからローマ人を追放する。これが「革命」の頂点で、70年にはローマの大軍によってエルサレムは陥落し、神殿も徹底的に破壊されてしまうのだ(このユダヤ人蜂起の中心になったのがZealot Party(熱心党)と呼ばれるユダヤ原理主義者の過激派グループだ)。

 ユダヤ人がローマに反抗したのは、圧政に苦しんだからではない。ローマ人の支配は植民地の宗教に寛大で、ユダヤ教徒の奇妙な慣習や律法の厳格な遵守、計りしれない強烈な優越感も大目に見られてきた。それではなぜ、ユダヤ人は勝ち目のない反抗を繰り返したのか。それは、神が彼らのために選んだ土地に外国人が一人でもいることを許さないからだ。

 ユダヤ人がはじめてこの地にやってきたとき、出会った人間は男も女も、子どももすべて虐殺し、雄牛、山羊、羊は手当たり次第に殺し、すべての農場、畑、穀物、生き物を例外なしに焼き払えと神が命じた。

「あなたの神、主が嗣業として与えられる諸国の民の属する町々で息のある者は、一人も生かしておいてはならない」
「あなたの神、主が命じられたように必ず滅びつくさねばならない」(「申命記」20章16‐17節)

 聖書によれば、ユダヤ軍が「息のあるものをことごとく滅びつくした」あとでやっと、神は入植を許した。だがその聖なる土地はいまやローマの偶像崇拝者に占領され、大祭司は総督の雇い人となってその片棒をかついでいる。

「昔の英雄たちなら、そのような屈辱と堕落をどう受け止めるであろうか?」とアスランは問う。そのこたえは一つしかない。


――彼らならこの土地を血の海にするであろう。彼らなら、異教徒の頭を砕き、彼らの偶像を焼き払い、彼らの妻や子を虐殺するであろう。彼らなら、イスラエルの神に、天から戦車に乗って突如現われ、罪深い民族を踏みつけ、山々を神の怒りで身悶えさせてくれと頼むであろう。

 大祭司はわずかな金と虚栄心のために神に選ばれた民をローマに売った裏切り者だ。そんな輩は抹殺してしまわなければならないのだ。

「イエスは暴力革命をも辞さないZEALOTだった」とアスランはいう

 紀元30年、イエスは驢馬に乗り「ああ救いたまえ!(ホサナ)」と叫ぶ群衆を従えてエルサレムに入場した。その翌日、弟子とともに「異邦人の庭」と呼ばれる教会の神殿に入ったイエスは、両替商のテーブルをひっくり返し、食べ物や土産物を売る露天商を追い払い、生贄に用意されていた羊を放し、鳥かごを開けて鳩を逃がした。マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの4つの正典福音書すべてに書かれているこの名高い事件は、イエスが暴力革命をも辞さないZEALOTであったことのなによりの証だとアスランはいう。

 だが新約聖書からはイエスのこうした暴力性はきれいに消えてしまう。その代わりに「カエサルのものはカエサルに、神のものは神に」の言葉に象徴されるように、イエスはローマ帝国の地上の権力を容認したことになった。だがこの解釈は、イエス本来の意図とはまったくちがう。

 エルサレム当局から「皇帝に税金を納めるのは律法に適っているか」と問われたイエスは、皇帝の名前と肖像が彫り込まれたディナリオン硬貨を指差して、「皇帝のものは皇帝に返しなさい」といった。なぜなら、皇帝の偶像が彫られた硬貨は神とはなんの関係もないからだ。だとすればその硬貨は、皇帝のものとするほかはない。

 それに対して、ユダヤの土地は神のものである(「土地はわたしのものである」〈「レビ記」25章23節〉。ローマ皇帝はその土地となんの関係もないのだから、ローマ人はユダヤから立ち去らなくてはならない。「神のものは神に返しなさい」との言葉は征服者であるローマにとって許すことのできないZEALOTの論理で、イエスが磔刑に処せられたのは当然だった――アスランはこのようにいう。

 それではなぜ、イエスの死後、異なる解釈が流布されるようになるのか。それは、サウルという一人の野心家が現われたからだ。

 熱心なユダヤ教徒(ファリサイ派)であったサウルはある日、目が眩むような光とともに「わたしはイエスだ」との声を聞き、視力を失ってしまう。だがアナニアというイエスの信奉者が彼の上に手を置くとたちまちサウルの視力は回復した。この奇跡によってサウルは回心し、名をパウロと変えてイエスの教えを伝えはじめた。

 だがパウロの宣教は、イエスの弟ヤコブに率いられたエルサレムのイエス教団とはまったく異なっていた。

 この頃、イエスの教えはエルサレムのユダヤ人と、ローマ帝国各地に離散したユダヤ人(ディアスポラ)のあいだで広まっていた。前者は正統派、後者は分派で、そこに対立や軋轢があたったとしても、あくまでも「ユダヤ人の王」を奉じるユダヤ人の宗教だった。ところがパウロは、ユダヤ人ではなく異邦人たちにイエスの教えを説いたのだ。

 パウロはなぜ、異邦人を相手にしたのか。

 このときはまだ十二使徒が存命しており、エルサレムにはイエスの弟「義人ヤコブ」がいた。ユダヤ人への宣教では、パウロはイエス教団の末端の一人にしかなれなかった。だが宣教の相手を異邦人にすれば、パウロは(異邦人に布教した)イエスの「最初の使徒」になれるのだ。


パウロによる大胆な改変

 こうしてパウロは、イエスの教えを異邦人にも受け入れられるよう大胆に改変していく。とりわけ「モーセの律法」を「石に刻まれた文字に基づいて死に仕える務め」(「コリントの信徒への手紙Ⅱ」3章7-8節)と否定したことはイエス教団の幹部たちを仰天させた。

 パウロが宣教を始めて10年ほどたった紀元50年頃、その異端を見逃せなくなったヤコブはエルサレムにパウロを呼び出して厳しく糾弾した。だがパウロは自説を頑として譲らず、ヤコブは対抗上、パウロが信者を集めていた土地に自分の息のかかった伝道者を送り込みはじめた。パウロの最大の拠点であるローマでその任を任されたのが十二使徒の一人ペトロだ。

 パウロはイエス教団の傍流であり、どれほど「信徒への手紙」を書いても、ヤコブやペトロなどの正統派の攻勢を跳ね返すことはできなかった。このまま時が過ぎれば、パウロの教えはイエス教団の異端のひとつとして歴史のなかに埋もれてしまったかもしれない。

 しかしここで、予想もしないことが起きる。イエス教団の神殿への批判を疎ましく思った大祭司アナヌスによって、紀元62年にイエスの弟であるヤコブが処刑されてしまう。さらに紀元64年のローマ大火の首謀者として、皇帝ネロがローマの伝道の中心だったパウロとペトロを処刑してしまった。それに加えて紀元70年には、ユダヤ人の反乱への報復としてエルサレムが灰燼に帰してしまう。こうして「イエス」の関係者がすべていなくなってしまうと、ローマ帝国に残された信徒たちはイエスの教えのなかから都合のいいものだけを取り出して、布教のしやすい物語――すなわち「キリスト(救世主)の物語」を自由に創作できるようになったのだ。

イエスは「愛」を説き救済を約束するメシアへと変貌した

 紀元70年にエルサレムが壊滅すると、キリスト教の宣教運動は古代ギリシアの影響を受けた地中海沿岸のアレクサンドリア、コリント、エフェソ、ダマスカス、アンティオキア、ローマなどに移り、非ユダヤ人信奉者の数がユダヤ人信奉者を上回るようになった。諸福音書が書かれた1世紀の終わりごろには、宣教の主な対象はローマの知識エリートになっていた。

 ZEALOTであるイエスはこのときすでに、「愛」を説き救済を約束するメシアへと変貌していた。だがこの教えをローマ人に布教する際には、そのメシアを殺したのがローマ人総督ピラトだという歴史的事実がどうしても問題になる。そこで福音書作者はこの事実を巧妙に書き換え、ピラトを免責しようとする。

 紀元90年頃にダマスカスで書かれた「マタイによる福音書」では、ピラトはイエスの死にいかなる責任もないしるしとして、群集の前で手を洗い、ユダヤ人たちに対し、「この人の血について、わたしには責任がない。お前たちの問題だ」と注げる(「マタイ」27章1-26節)。

 マタイと同じ頃、アンティオキアで執筆していたルカは、ピラトに「あなたたちは、この男を民衆を惑わすものとしてわたしのところに連れて来た。わたしはあなたたちの前で取り調べたが、訴えているような犯罪は何も見つからなかった。(中略)この男は死刑にあたるようなことは何もしていない」(「ルカ」23章13-15節)と語らせている。

 さらにヨハネは、血に飢えたユダヤ人の説得の失敗したピラトがやむなくイエスを十字架にかけるとき、イエスは「わたしをあなたに引き渡した者の罪はもっと重い」と語ったとして、すべての責任をユダヤ人に押しつけてピラトの罪を許す(「ヨハネ」19章1-16節)。

 こうした「創作」によって、「イエス=キリスト(メシア)の死に責任を負うのはユダヤ人であってローマ人ではない」という都合のいい筋立てができあがっていった。

 こうしてキリスト教はローマ帝国の国教となり、カトリックや正教の教会は権力と繁栄を謳歌するが、その代わりすべての「悪」を担わされたユダヤ人は厳しい差別にさらされ、それはやがてナチスによるホロコーストへとつながっていくのだ。

 ここで述べたことはアスランの独創ではなく、近年の聖書学の知見に基づいた“標準的な”歴史解釈のひとつだ。日本では新約聖書学者の田川健三氏が『イエスという男』(作品社)などで同様のテキスト批判を行なっているので、両者の見解を比較してみてもいいだろう。
http://diamond.jp/articles/-/63202


イエスという男 – 2004/6/10 田川 建三 (著)
http://www.amazon.co.jp/gp/product/4878936819/ref=as_li_tf_tl?ie=UTF8&camp=247&creative=1211&creativeASIN=4878936819&linkCode=as2&tag=zaimoney01-22


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魔術師イエス _ イエスの実像

キリストの実在を示す直接的史料、アレキサンドリアでキリストの名前が刻まれた世界最古の壷が発見【Technobahn 2008/10/2 21:04】


イエス・キリストに関して直接言及した記述が残されたものとしては世界最古の壷がアレキサンドリアの海中遺跡で発見されていたことが1日までに、この壷の発見に成功した発掘調査グループの発表によって明らかとなった。


この壷の発見に成功したの水中考古学の分野では世界的権威となるフランス人考古学者のフランク・ゴディオ氏を中心とする発掘調査グループ。


発掘調査グループはアレキサンドリアの海底遺跡の発掘の過程でこの壷を発見。その後の調査によりこの壷は紀元前2世紀から紀元1世紀のものであること、更に、壷の表面には古代ギリシャ語で

「DIA CHRSTOU O GOISTAIS(魔術師たるキリストによるもの」という意味)」

という文字が刻み込まれていることを突き止めた。


発掘調査グループではこの壷はキリストについて直接言及した史料としては世界最古のものとした上で、この壷によってキリストが実在した人物であること、更に、

キリストの同時代にはキリストは「魔術師(magician)」的存在として見なされていた貴重な史料だと述べている。


新約聖書「マタイによる福音書」には「東方のマギ(magi=magusの複数形、英語のmagicの語源)」と呼ばれる賢者達が壷を使って儀式を行ったという記述が残されており、発掘調査グループでは今回、発見された壷に刻まれた「GOISTAIS(magician)」という表現もこのマタイ伝にあるマギの由来する可能性を指摘、その上で当時のマギは壷にキリストの名前を刻み込むことで彼らの神秘的能力を正当化していたのではないかと見ている。


キリストと同時代のキリストに関わる史料の発見に成功したことは、キリスト教文明を知る上で近代考古学史上、稀に見る成果となりそうだ。

http://kurokamenews.blogspot.com/2009/06/blog-post_30.html

要するに、イエスは同時代人からはグノーシス派の始祖_魔術師シモンと同じ様に捉えられていたという事なのですね:

魔術師シモンの明暗
イエスの伝道時代から、十字架に架かって後弟子達がローマまで福音を述べ伝えた頃まで、ローマではイエスキリストは無名でした。当時有名な人物に魔術師シモンがいました。

シモン・マグス(偉大なシモンと言う意味)と呼ばれた人物は、サマリアの小さな村で生まれたと言われてます。洗礼者ヨハネの弟子だったとも言われますが、ヨハネが斬首された後、アレクサンドリアの町で哲学と魔術を学び、その後サマリアに戻り伝道活動を行い、後にフェニキアからローマに移動して活動した宗教家であり、魔術師シモンで知られます。

ローマ皇帝ネロから宮廷魔術師の地位を得たとも伝えられますが、真偽は不承です。ただし、ローマ帝国内では相当知られた人物であったのは、間違いないようです。

魔術師シモンと聞いてピンと来る人は、クリスチャンだけでしょうか?シモンはキリスト教の使徒たちと同時代人で、それゆえに新約聖書にも登場します。

使徒言行録著者ルカの記述では、シモンはフィリポから洗礼を受けた、ペトロに聖霊を授けられる力を金で売ってほしいと持ちかけて叱責され反省した事になっています。ルカらしい書き方で、魔術師シモンは悔い改めたように、やんわりとさりげなく説明を入れてますが、実際は少し違うようです。

シモンの教義は、様々な文書に断片的な形で残っているようです。

「エンノイア」と呼ばれると呼ばれる至高神が最初の流出を起こし活動を開始、その神より劣るものが世界を創造し支配している。

だからこの世界は悪に満ちたものであり、人間の魂が物質世界にとじこめられてしまった。

シモンは、こうした物質に閉じ込められた魂の解放者であり、解放のための「呼びかけ」を行った。

彼の信徒達は、彼を「至高の力」を示す神の体現者であったと伝える。

肉体に閉じ込められている霊が高まれば、人間は神と同等の力を持つという考え方を人々に説いた。

初期キリスト教史をかじった人ならすぐに分かると思いますが、グノーシス派の源流の一つと理解できます。


霊的に高次元であると自負した彼は、様々な魔術を見せます。

彼の魔術は、病気の癒し、死者の復活、悪魔の呼び出し、石をパンに変える、空を自由に飛ぶ、岩をくぐり抜ける、様々な獣に変身できたと言われます・・・

まさに奇跡のオンパレードですね。
 
シモンはヘレナと呼ばれる女性を常に随行させていました。

キリスト教界側の記録では、

「彼女はシモンによってバイシュン宿から身請けされた女性である。

彼の信者達は、この女をシモンから生み出された第一の思考の流出、エンノイアであると言う。

この女はあらゆる人間の母であり、天使をも創造した。

そして天使たちは世界を創造したが、やがてヘレナを妬むようになり、彼女を人間の肉体の中に幽閉した。

こうして彼女は物質的な肉体に幽閉されたまま、何世紀もの間、転生を続けたが、バイシュン婦として生まれ変わっていたところに、救済者となって天から降りてきた神であるシモンによって見出され解放された。

ヘレナを幽閉した天使たちは、世界を支配するためにこの世を悪く治めた。

彼ら天使の首長は、旧約聖書の神と同一である(デミウルゴス)。

そこで、こうした事態を正すために、至高神たるシモンは降臨した。

彼はまずヘレネを覚醒させ解放する。

そして、全ての人類に救いをもたらそうとしている。

この救世主をユダヤ教徒の一部は受難したと見なしているが、本当は受難したのではない」

と伝えます。

シモンの教義は弟子たちにも引き継がれ、2世紀頃にはその哲学も高度化していったと言われ、シリア・アレクサンドリア型のグノーシス思想に分類されるそうです。

この思想は一部キリスト教集団にも取り込まれ、異端宗教となります。

4世紀ごろまでには完全に消滅したと推測しますが、キリスト教界が危機感を持って排除した歴史でもあったようです。

その証拠に、新約聖書外典のペトロ行伝は、かなりの部分が魔術師シモンとペトロの対決で描かれてます。ただし、ペトロ行伝はほとんどが大衆読物の域を出ない、トンデモ系の書物ですが・・・

内容は、サマリアではシモンがペトロに聖霊を授ける力を金で買おうとして(聖職売買Simonieの言葉はここから生まれた)断られ、空中浮遊の魔術をシモンが見せれば、ペトロは祈りでシモンを落下させて骨折。

シモンがローマに渡ると、ペトロも追いかけて行き、最後は皇帝ネロの前で奇跡対決。

シモンが空中飛行を行うがペトロの力で塔から落ちて死んでしまう。


・・・キリスト教側の宣伝が入っている所がミソですが、お笑い系の話とも言えそうです。

結局、奇跡と区別される魔術に反対する宣伝材料として(キリスト教内部で)使われたのは間違いないと思いますが、魔術の時代は、シモン・マグスが聖なる道に落ちて滅びた時に葬られたと言えるのかも知れません。

結局、最後にキリスト教が残ったのは、書物志向としての聖書や文書類があり、貧者救済の教義が広く受け入れられた事にあったと考えます。

シモンが魔術を見せた事はかなり民間伝説では有名だったようですが、その真偽は調べようがありません。

しかし、当時の時代背景を考えると、奇跡や魔術が当たり前の時代と思われますし、福音書著者が奇跡伝承資料を盛り込んだ一部には、シモン教団との対決があったのかもと想像するのは、多少なりと根拠があると私は受け止めておりますが・・・

結局、魔術師シモンはキリスト教側の反感から付けられた名前かもしれません。

実際は、宗教家哲学者であったと思います。キリスト教のライバルであったのは間違いないでしょう。

余談ですが、ゲーテが書いた『ファウスト』に登場する魔術師ファウストは、魔術師シモンをモデルにしたという話も有ります。
http://www.geocities.jp/todo_1091/bible/jesus/appendix-01.htm


即ち、イエスは革命家でも大工でも教祖でもなかった。

トマス福音書やユダの福音書のイエスが本当の姿だったのです:


303 :神も仏も名無しさん:2008/11/15(土) 06:10:51 ID:tucU7Ix0

トマスによる福音書はなんだか哲学的で仏教にも通じる思想があるね。

キリストは仏教思想に触れえる文化圏に居たことが分かっているし
ユダヤ教に比べ仏教の影響臭い部分もあるし
本来の思想を色濃く残してるのかもしれないな。

仏教でもブッダ死後、理解の浅い弟子達は徐々にバラモン教的に教えを歪めたが
同じようにキリスト以後本来のユダヤ教的なものへの退化は程度のほどはあれ起こっているだろうし。

330 :神も仏も名無しさん:2009/04/01(水) 23:26:53 ID:tY2wbx3O

正典にも、天に上げられたとか書いてあるし、グノーシスの霊と物質の二元は仕方が無いと思うんだな。

現代のように人工衛星が太陽系の端まで行ってないし、物質も最小の単位はエネルギーとか知らないから

驚愕するのは、トマス福音書の説く迷妄の無さだよ。

物質と霊は一元、御国や新しい世は、天にも海にもなく自己を見出せば地上に拡がっていると説く。

インドの聖者、ラーマ・クリシュナやラマナ・マハルシの説く不二一元論の境地にも読み取れるところが凄い。

331 :神も仏も名無しさん:2009/04/02(木) 18:52:46 ID:CdQJdcon

よく読めば、トマス福音書はグノーシスとも違うよ。

グノーシスは物質界が悪で、旧約の創造主が否定されたらしいから

トマス福音書は、どちらかといえばヴェーダンタの不二一元の境地だと思うけど、
もし、仮にそうなら、正典が何故あそこまで外界に救いを求めるような教義なんだろう?

と不思議に感じるけど、最古のマルコ福音書が受難から40年も経てから記されたり、
その長い空白期間と大量に処分されたグノーシス文書にその答えがあるのかも知れない。

332 :神も仏も名無しさん:2009/04/03(金) 21:21:58 ID:LoXAcH/N

旧約とあまりに矛盾したり、ユダヤ教の改宗者や律法やら色々とあったのだろうけど、そりゃユダヤ教のメシアだったわけだからそれでも第三者が選別するべきではなかったね。

恐れ多いからと全ての資料を後世に残してくれる気概が欲しかった。
マルコ福音の記者がグノーシス文書の記者と同一人物かも知らないし、そんなことも現在なら色々とわかるから、宣教のために奇跡や奇抜なことを大袈裟に説いていただけかも知れないし

下手に選別して処分なんてしたから、終末論や再臨信じてカルトがのさばるわけだし、

トマス福音書が仮にイエスの真意ならカルト要素無いわけだから相当重要なことだと思うね。


333 :神も仏も名無しさん:2009/04/03(金) 22:16:05 ID:nrjuKGw9

この世界が完成された物なら人類は死ぬことも無く、飢えること無く、互いに憎み合うこともない 世界を造った者が意図した事なら、憎しみ故か、怠慢故か。造った者に人類の救済の責任を「媚びずに」当然の事として求めた形だと思う。

他の宗教が神に媚びるなかグノーシスの毅然とした対決姿勢は「神」に依存し過ぎる状況に決別を採択した結果だと考える。


334 :神も仏も名無しさん:2009/04/07(火) 13:06:08 ID:Iwgw2a/G

トマス福音書のイエス語録は本物っぽい

物質界には救いがないとしたグノーシス派の人たちが、ヨガマスターの真我意識、ニルヴィカルパ・サマーディなんて知ってるわけないから、語録で似たような境地を表現しているので本物ではないのかと思っている。

337 :神も仏も名無しさん:2009/04/08(水) 17:53:53 ID:7k58Tugo

ユダヤ教主流の地に、イエス降臨後なぜグノーシスのような禁欲的な仏教みたいなのが
不自然に一大勢力になるほどに現れたのか

トマス福音書はクリスチャンが思っている以上に外典どころか、貴重なイエスを知る一級資料だと思うけどね。

354 :神も仏も名無しさん:2009/07/28(火) 11:58:32 ID:1aBKH4bk

釈迦の周りに居たような求道者でもなく、寄せ集めの5,6千人くらいだから
トマス福音書やヨハネ福音書の使徒が記した梵我一如思想が難解すぎて理解されなかったのだろうね

ユダヤ教と違いすぎるのもあるから、グノーシスがいきなり現れた歴史がそれを証明してるような
http://gimpo.2ch.net/test/read.cgi/psy/1147765258/


▲△▽▼


Q資料...これがイエスの本当の辻説法


群集を見ると、彼は弟子たちに言った

何と幸運な者だ、貧しい者は。 彼らには神の王国がある。

何と幸運な者だ、飢えている者は。 彼らは腹いっぱいに満たされるだろう。

何と幸運な者だ、泣いている者は。 彼らは笑うだろう。


おまえたちに言っておこう。敵を愛し、呪う者を祝福し、侮辱する者のために祈ってやれ。

おまえの頬をピシャリと打つ者には、反対の頬も向けてやれ。

上着を奪い取ろうとする者には、シャツもくれてやれ。

求める者には与えてやれ、おまえの持ち物を奪うものがいても、返してくれなどと言うな。

人さまにしてもらいたいと思うことを、彼らにもしてやれ。

おまえたちを愛してくれる者たちを愛したところで、それが何だというのだ。

徴税人たちでさえ、彼らを愛する者たちを愛しているじゃないか。

兄弟たちだけに挨拶したところで、ほかの者より何か善行でもしているというのか?

誰でもそうするじゃないか。

返してもらうことをあてにして貸すなら、それが何だというのだ。

悪人どもでさえ、返してもらうことをあてにして、身内の者に貸している。

しかし、おまえたちは、敵を愛し、よいことを行い、何も期待しないで貸してやれ、そうすれば、おまえたちの受ける報酬は大きく、おまえたちは神の子らとなる。


なぜならその方(神)は、邪しまな人間の上にも善良な人間の上にも太陽を昇らせ、正しい者の上にも正しくない者の上にも雨をお降らせになるからだ。


おまえたちの父が憐れみ深いように、憐れみ深い者になれ。
裁くな、そうすれば、裁かれないですむ

おまえたちが「裁きに」使う物差しが、逆におまえたちを裁く物差しになるからだ。

盲人は盲人の手を引けるか? 二人とも穴に落ちはしないか?

弟子は師にまさらない。師に似ていればそれで十分だ。


おまえは兄弟の目の中にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の中にある丸太に気づかないのだ?

自分の目の中にある丸太を見ないで、兄弟に向かって、

「あなたの目にあるおが屑を取らせてください」

と、どうして言うことができるのだ?

偽善者よ、まずおまえの目から丸太を取り除け。そうすれば、はっきりと見えるようになって、兄弟の目の中にあるおが屑を取り除くことができる。


よい木は腐った実を結ばず、朽ちた木はよい実を結ばない。

茨からイチジクが採れるか?

アザミから葡萄が採れるか?

どの木もその結ぶ実によってしられる。

善良な人間は倉から良い物をを取り出し、邪しまな人間はいかがわしい物を取り出す。
なぜなら口は、心から溢れ出るものを語るからだ。


わたしを「先生、先生」と呼びながら、なぜわたしの言うことを実践しないのだ?

わたしの言葉を聞き、それを実践する者はみな、岩の上に家を建てた者に似ている。

雨が降り、激流が襲っても倒れなかった、岩が土台だったからだ。

しかし、わたしの言葉を聞いても実践しない者は、砂の上に家を建てた者に似ている。

雨が降り、激流が襲うと、倒れてしまった。ぺしゃんこだった。


ある人が彼に向かって言った。

「あなたがおいでになる所なら、どこへでも従って参ります。」

するとイエスは答えた。

「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、人の子には枕する所もない。」

別の者が

「まず、わたしの父を葬りに行かせてください」

と言うと、イエスは彼に言った。

「死んでいる者たちに自分たちの死者を葬らせるがよい。」

また、別の者も言った。

「先生、わたしはあなたに従います。しかし、まず家族にいとまごいをさせてください。」

イエスは彼に言った。

「鍬に手をかけてから振り返る者は、神の王国にふさわしくない。」


彼は言った。

「収穫は多いが、人手が足りない。だから収穫の主に、刈入れのために働き手を送ってくれるよう願うのだ。

さあ、行け。わたしはおまえたちを遣わす。

それは、小羊を狼の群れの中に送り出すようなものだ。

金も、バッグも、サンダルも、杖も携えてはならない。

道中では誰にも挨拶をするな。

どこかの家に入ったら、開口一番、(この家に平安があるように!)と言ってやるのだ。

もし平安の子がそこにいるのならば、おまえたちの挨拶は受け入れられる。

もしいなければ、その平安はおまえたちに戻ってくる。

同じ家にとどまり、そこで出される物を食べ飲むがよい。

働く者が報酬を受けるのは当然だ。

家から家へと渡り歩くな。

町に入り、迎え入れられたら、出される物を食べるのだ。

病人の世話をし、そして彼らに、(神の王国はあなたがたに近づいた)と言ってやるのだ。

しかし町に入っても、迎え入れられなければ、出ていくときには、足についた埃を払い落として、

「だが、これだけは確実だ。神の王国は近づいた」

と言ってやれ。

祈るときは、こう言うのだ。


「父よ、あなたの名が崇められますように。

あなたの支配がありますように。

わたしたちに毎日、日々のパンを与えてください。

わたしたちの負債を赦してください。

わたしたちもわたしたちに負債のある者をみな赦しますから。

わたしたちを誘惑(試される状況)に遭わせないでください。」


求めよ、そうすれば、与えられる。

探せ、そうすれば見つかる。

叩け、そうすれば、開かれる。

求める者は受け、探す者は見つけ、叩く者はには開かれるのだ。

おまえたちの中に、パンを欲しがるわが子に石を与え、魚の代わりに蛇を与える父親がいるだろうか?

おまえたちは、よい者でなくても、わが子にはよい物を与えることも知っている。

もしそうなら天にいる父は、どんなに多くのよき物を、求める者に与えてくださることか!

隠されているもので知られずに済むものはなく、明るみに出ない秘密はない。

わたしが暗闇で言うことを、光の中で言うのだ。

耳にささやかれたことは、屋根
3:777 :

2022/05/30 (Mon) 05:43:50

神の子の本当の意味は

マルコ3-33

わが母、兄弟とは誰ぞ
誰にても神の御心を行うものは、是わが兄弟、わが姉妹、わが母なり。


ヨハネ 10-34

われ言ふ、汝らは神なり。
かく神の言を賜りし人々を神と云えり。


本当の神の国は

トマスの福音書113

神の国は地上に広がっている。 そして、人々はそれを見ない。


トマスの福音書3

神の国はあなたたちの内側にある。
常に自分を認識する人は、神の国を見出すであろう。


ヨハネの福音書18-35

神の国はこの(外なる)世界には属していない。

ルカ17-20

神の国は汝らの中に在るなり。

トマスの福音書113

「どの日に神の国は来るのでしょうか。」

「それは待ち望んでいるうちはくるものではない。」


トマスの福音書22

イエスは乳を飲んでいるいくにんかの幼な子をごらんになった。
そして彼は弟子たちに言われた。

”乳を飲んでいるこの幼な子たちは神の国に入る者たちに似ている”。

彼らは彼に言った。

”それではわたしたちは幼な子として神の国に入るのでしょうか”。

イエスは彼らに言われた。


”あなたがたがふたつのものを ひとつにするとき、

そして、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、

そして男性と女性とをひとつにし、男性がもはや男性ではなく、女性が女性ではないようにするとき、

そしてひとつの目の代わりに目を、ひとつの手の代わりひとつの手を、一つの足の代わりにひとつの足を、ひとつの像の代わりにひとつの像をつくるとき、


あなたがたは神の国に入るであろう”。

http://ime.st/emikikuchi.exblog.jp/i40
4:777 :

2022/05/30 (Mon) 05:44:20

ユダの福音書

キリストはユダに対し、自分達を取り巻く圧迫が最終局面に至っている事を語り、それへの「最終的な打開策」を打ち明け、最も信頼する弟子と考える彼に対し「最後の助手としての役割」を果たす事を要求した。


「過越(すぎこし)の祭りが始まる3日前、イスカリオテのユダとの1週間の対話でイエスが語った秘密の啓示」

これは秘密の啓示である・・・。

イエスは過越しの祭りの3日前にユダにこう語られた・・・

イエスは地上に出現されたとき、人々を救う奇跡を行われた。

正しい道を歩くものもいれば、誤った道を歩く者もいたので、12人の使徒を集められた。

イエスは時にご自身としてではなく、子供として姿をお見せになった。


福音書の初めの部分で、イエスは「お前たちの神」に祈りを捧げる弟子たちを笑います。 この神とは、世界を創造した旧約聖書の劣った神のことです。

そしてイエスは、この私を直視し、真の姿を理解せよと迫りましたが、弟子たちは目を向けようとしません。


イエスがユダヤに居たある日の事・・・

12人の使徒たちは信心深く食事をしていた。
イエスは祈りを捧げている使徒たちに近付き笑い出した。

彼は使徒たちの間違った信仰を笑っていた。

使徒たちは世界の創造主を崇拝していた。
だが、ユダだけは違っていた

イエスは言う・・・

イエス「なぜ怒るのだ?あなたたちの中で強い心をを持つ者が立って私に示すがよい・・・・
己の内にある真の魂を」

ユダを除く使徒たち「私たちは強い心を持っています!」

しかし、言葉には出しても本当に立ち上がる者はいなかった。
・・・イスカリオテの『ユダ』を除いて・・・。

ユダはたった一人立ち上がってイエスに向かってこう言った。

ユダ「私は、あなたが何者か存じています・・・
あなたを送られた方の名は畏れ多くて申し上げられません。」

イエスはユダに近付きいて彼にこう言う・・・

イエス「他の者たちから離れよ・・・私はあなたに王国の秘密を教えよう。
     そこは果てしなく広がる国。天使させ見たことがない土地。人の
     心には想像さえ及ばぬ世界。その国に名前はない。」


■『キリスト』が『ユダ』に自分を『ローマ』に売るように諭す場面。

キリスト「You will ge greater than all athers. Judas, you will sacrifice the man that clothes me. 」

 (あなたは誰よりも素晴らしい。ユダよ。犠牲にするのだ。私の魂の衣ある者を。)


■『キリスト』が『天国の秘密』を『ユダ』に明かす場面。

キリスト「Step away from the others, and I shall tell you the mysteries of kingdam. It is a great and boundless realm which no eye of an angel has ever seen, no thought of the heart has ever comprehended.」

(他の者から離れよ。あなたに教えよう。王国の秘密を。そこは果てしなく広がる国。天使させ見たことがない土地。人の心には想像さえ及ばぬ世界。)

http://wildoldboy.cocolog-nifty.com/wild_old_boy/2006/04/the_gospel_of_j_eab8.html

イエスはユダに語ります。

「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」

「他の者たちから離れなさい。そうすれば、お前に[神の]王国の神秘を語って聞かせよう。その王国に至ることは可能だが、お前は大いに悲しむことになるだろう」

「聞きなさい、お前には[真理の]すべてを話し終えた。目を上げ、雲とその中の光、それを囲む星々を見なさい。皆を導くあの星が、お前の星だ」
 
「お前はこの世代の他の者たちの非難の的となるだろう
   ――そして彼らの上に君臨するだろう」


ユダは他の弟子たちから猛反発を受ける幻視を見たと語ります。

「幻視の中で、私は12人の弟子から石を投げつけられ、[ひどい]迫害を受けていました」


「ユダは目を上げ、光輝く雲を見て、その中に入っていった」

地上の人間たちは雲から聞こえる声を耳にします。

福音書の記述は、次のような場面で唐突に終わっています。

「彼ら[イエスを捕らえにきた人々]はユダに近づき、
『ここで何をしているのだ。イエスの弟子よ』と声をかけた。

______________


マタイ28-13

その弟子ら夜きたりて、我らの眠れる間に彼(イエスの亡骸)を盗めリ
此の話ユダヤ人の中にひろまりて、今日に至れり。

イエスの復活については、ペテロら弟子たちがイエスの遺体を墓から運び出して、イエスの復活をふれ回ったとする解釈(自作自演説)もありますが、どうにも不自然です。

ペテロらの自作自演なら、福音書によって記述がかなり食い違う点も説明が困難です。目撃証言や伝聞をつなぎ合わせていったから、あのような食い違いが起きたのであり、自作自演なら矛盾なくきれいに話がつながったはずでしょう。


イエスの遺体を墓から運び出させたのは誰でしょうか。

イスカリオテのユダしか考えられません。

イスカリオテのユダは、他の弟子たちがイエスの真意をようやく悟り始めたことを知りますが、弱い彼らは時が経てば逃げてしまうだろう、そうなれば、イエスは忘れ去られ、その教えは地上から消滅します。

イスカリオテのユダにとって、それは耐えられないことでした。

彼は、イエスの復活を演出します。墓からイエスの遺体を密かに運び出させました。

早朝、空になった墓を見て、イエスの遺体に香油を塗りに来た婦人たちは悲鳴を上げて逃げ出します。やがてイエス復活の噂がエルサレムの街のあちこちで囁かれるようになりました。

それを見届けたイスカリオテのユダは首を吊って自殺したのではないでしょうか。
http://www.geocities.co.jp/Bookend-Ohgai/6832/juda.html
5:777 :

2022/05/30 (Mon) 05:44:47

ユダの福音書解読

◎イスカリオテのユダは、最高位の弟子だった。

イスカリオテのユダの福音書が出ることになりました。

出版前なのでナショナルジオグラフィックの広告ページの情報しかありませんが、気がついたことを、挙げてみます。(【】内は、ナショナルジオグラフィックのプレスリリース和訳からの引用です。)なお、プロットだけからの考察なので、全体が出るとまた内容が変わるかもしれませんが。

私の見方では、イスカリオテのユダは、神を十分に承知していたし、イエスを官憲に引き渡すことの意義と結果を十分に承知していたし、それは単にイエスから指示されたから実行したというものではないように思います。


1.イスカリオテのユダの悟境

【イエスは「お前たちの神」に祈りを捧げる弟子たちを笑います。この神とは、世界を創造した旧約聖書の劣った神のことです。そしてイエスは、この私を直視し、真の姿を理解せよと迫りましたが、弟子たちは目を向けようとしません。】

「お前たちの神」とは、自分とは別の存在として位置する神という認識のことを言っているのであり、自らのうちに神があるのを知らないと指摘しているのだと思う。


イエスがこの私を直視し、真の姿を理解せよと迫ったところは、バガヴァッド・ギータで、全能の聖者クリシュナが弟子のアルジュナに同じ言葉で迫ったのと同じ響きがある。全能の神の顕現として現れたイエスが、もう少しで覚醒しようとしている弟子たちに「神のありのままを目をそらすことなく見なさい」と詰め寄っているのである。

この話の中では、ユダが裏切り者でなかったことよりは、ユダの悟境が他の弟子より進んでいたことが確認されていたことのほうが意義は大きい。


【イエスがユダにこう語りかける場面もあります。「聞きなさい、お前には[真理の]すべてを話し終えた。目を上げ、雲とその中の光、それを囲む星々を見なさい。皆を導くあの星が、お前の星だ」】

これは、長い講義が終わったから、一息ついて空の星を見ようというものではなく、ひとつの冥想状態の中で、見なさいと指示しているもので、「雲とその中の光」とは、神そのもののこと、それを囲む星々とは、実際の空の星に仮託された神々の一柱のことだろう。

「目を上げ」というのは、肉体の目を上げることではないだろう。いずれにせよこれで、ユダが13人の弟子の中で最上位であったことがわかる。


死海文書によると洗礼のヨハネはエッセネ派に属し、イエスもエッセネ派に属していたと推測されているが、イエスもクンダリーニ・ヨーガ系の技法が伝わるその集団のメンバーと見られる。

クンダリーニ・ヨーガ系では、神々の姿をありありとイメージするトレーニングがよく行われている。

星々とは、イメージ対象の神々であり、ここは、その冥想過程の中の出来事を書いたものではないかと思う。

師弟相承のルールというものは、師匠を超えるレベルの弟子を出すことが師匠の責務であるということ。禅の場合でも、一人でも半人でも本物の弟子を出すことが師匠の最低限の責務であり、かつ師家(老師)以上の力量の弟子を出さねばならないことになっている。

イエスの場合でも、その例外ではなく、自分が神を知っている師家である以上は、自分以上の力量のある弟子を育成することが、覚者としての責務であったと考えられ、イスカリオテのユダが正に力量ある弟子であったと考えられる。

また師匠を超える弟子を出すというのは、当時の考え方からすれば、革命的なことであり、一人一人が神の顕現であるニューエイジ(アクアリアン・エイジ)の考え方の先駆と見ることができる。

【ユダは目を上げ、光輝く雲を見て、その中に入っていった。】
光輝く雲は、例の荘子の見た混沌であり、神の姿であり、それに入って行ったというのは、神と合一したことを言うと考えられ、これは見神や見性などという軽いものではなく、神人合一を指しているように思う。これでユダの力量のほどが証明されている。
http://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/99ffcbce33957c1622488284f1e54d21

◎ユダのカルマは昧(くら)まず

一度神を見るという体験をした者は、いかに師のいいつけとはいえ悪事を為すことはできない。そこで次の疑問が湧き起こる。イエスが「自分を官憲に引き渡せ」と指示したのは悪行であったのか、師に対しては絶対服従のユダがそれに従ったとしても、それは悪行ではなかったか。

【最も重要なくだりは、イエスがユダにこう語る部分です。「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」】

イエスが十字架にかかるが、それと同時にユダも裏切り者の汚名を甘受するとともに、聖者殺しのカルマという重荷を負った。裏切り者の汚名は1700年を経て晴らされようとしているが、聖者殺しの意義は別格である。

神を知る者でない限り、その重荷を受けることはできないと見て、イエスはユダにそれを指示し、ユダもそれを了解したのだろう。間接的ではあるものの、聖者殺しの引き金を引くというのは、その行為のカルマの重さを考えれば、創造主と同等の意識レベルにある人でないと、容易になし得る業ではない。自分というものが少しでも残っていたら、たちまち落ちてしまう。従ってユダも自らの残りの人生・転生を、この神業に捧げたと考えられるのである。

ここは、古代インドのバガヴァッド・ギータで、聖者クリシュナが王子アルジュナに、人(敵)を殺すことを勧めた場面を彷彿とさせるものがある。

全体の構図としては、覚醒者イエスが、その力量に匹敵するほどの弟子ユダを養成し得たこと、そしてユダも、イエスを官憲に引き渡すことの意義を十分に理解していて、それを行ったというものではないだろうか。

この福音書は、【彼ら[イエスを捕らえにきた人々]はユダに近づき、『ここで何をしているのだ。イエスの弟子よ』と声をかけた。ユダは彼らが望むとおりのことを答え、いくらかの金を受け取ると、イエスを引き渡した。】で終わっている。

イエスが自らを官憲に引き渡せというような指示をしたというのは予想外であったが、ユダもある程度自らの意思によって官憲に引き渡したのだと思う。そしてユダは、師たるイエスの指示したとおり、官憲に引き渡し、その秘密の指示を生涯他に漏らすことなく守り切って死んでいった(自殺とされる)が、ユダの高潔さもまた並みはずれたものである。
http://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/92d2b6b940b5e978ea3082e03f241177
6:777 :

2022/05/30 (Mon) 05:45:19

イエスと弟子の会話  


過ぎ越しの祭りの三日前、弟子たちが着席し感謝の祈りを捧げていると、
やってきたイエスが声を立てて笑う。

弟子たち「先生、感謝の祈りを捧げる私たちを笑うのですか?
      正しきことを行っていたのですが。」

イエス「あなた方のことを笑ったのではありません。
    あなた方は自らの意思によってではなく、
    あなた方の神をたたえるために、祈りを捧げているのです。」

《注:生かされていることに対する感謝は、この世の低位の神に捧げる祈り。
 グノーシスの叡智はこの世は低位の神が造ったものと考えている。
 イエスは上位の神・世界から使わされた存在》

弟子たち「先生あなたは・・・・私たちの神の子です。」

イエス「どうして、あなた方は私をわかっているというのですか?
    本当のことを言いますが、いかなる世代でも、
    私をわかるという人はいないでしょう。」

弟子たちは怒りを覚えた。

イエス「なぜあなた方は怒りを感じるのですか?
    あなた方の内にいる神・・・完全なる人を取り出して私の眼前に立たせなさい。」

弟子全員「私にはそれだけの勇気があります。」

口ではそういいながらも誰もイエスの前には立とうとしなかった。
そのときユダだけがイエスの前に立った。
しかし彼はイエスの眼をまっすぐに見る勇気は持たなかった。

ユダ「あなたが誰か、何処から来たのか私は知っています。
   あなたは不滅の王国バルベーロー(あらゆるものの神聖なる母である)から来ました。」
  「私にはあなたを遣わした方の名前を口にするだけの価値がありません。」

イエス「来なさい。
    いまだかって何人も眼にしたことのない秘密をお前に教えよう。
    それは果てしなく広がる永遠の地だ。
    そこには天使たちでさえ見たことがなく、あまりにも広大で、
目に見えず、いかなる心の思念によっても理解されず、
いかなる名前でも呼ばれたことのない『み国』がある。」

二人だけになるとイエスはユダにこう告げる。

イエス「お前はそこ(み国)に達することは出来るが、大いに嘆くことになるだろう。」

ユダ「そういったことについてあなたはいつ私に教えてくれるのですか?」

イエスは謎のごとく立ち去ってしまう。

翌朝、戻ってきたイエスは弟子たちの前に再び姿を現す。
そしてユダに向かって言う。

イエス「お前は真の私を包むこの肉体を犠牲とし、
    すべての弟子たちを超える存在になるだろう。」

弟子たち「今この地上の王国には存在しないが、私たちよりすぐれ、神聖なあの世代とは何を意味しているのですか?」

イエスは笑い出すとその秘密の場所と時に到達するのがいかに難しいか、詳しく語った。

イエス「死をまぬかれない生まれのものは、そこへはいけない。」
   「あなた方が見た、生贄の牛は、あの祭壇の前であなた方に道を
誤らせる人々なのです。」

   「恥知らずにも、私の名において実らぬ木々を植える人々がいる。」
   「あらゆるものの主であり、命じることのできる主が、
    最後の日にその人々を裁くであろう。」

ユダ「先生あの世代は一体どのような実りをもたらすのですか?」

イエス「人間の魂はやがて死んでしまうものです。
    だが、み国の時を成就した人々の霊魂は彼らから離れます。
    肉体は死んでも魂は生き続け、天に上げられるでしょう。」

ユダ「その他の世代の人々は何をもたらすのですか?」

イエス「実りを得たければ岩の上に種をまくことはできません。」

時が過ぎ、ユダは自分の見た幻について質問する。

ユダ「先生、(他の弟子たち)皆の話に耳を傾けるなら、私の話も聞いてください。 とても奇妙な幻を見たのです。」

イエスは再び笑う

イエス「13番目の聖霊であるお前が、
どうしてそんなに躍起になるのですか?

    それはそれとして、さあ、話してごらんなさい。
    私はお前の話を信じるでしょう。」


ユダ「あの12人の弟子たちが私に石を投げて(私のことをひどく)
虐げるのです。

  (大きな家)を見ました・・・。
たくさんの人々がそこへ向かって走っていきます。・・。
   家の中央には(大勢の)人がいます。
   先生、私を連れて行ってあの人々の中に加えてください。」

イエス「ユダよ、お前の星はお前を道に迷わせてしまった。
    死をまぬかれない生まれのものは、お前が見たあの家の中へ入るに値しない。

    あそこは聖なる人々のために用意された場所なのだから。」

ユダ「先生やはり私の種(霊的な部分)は支配者たちの手中にあるというのですか?」

イエス「来なさい・・・。だが『み国』とその世代の人々を見れば、
    お前は深く悲しむことになるでしょう。」

ユダ「私がそれを知るとどんな良いことがあるのでしょうか?
   あなたはあの世代のために、私を特別な存在にしたのですから。」

イエス「お前は13番目(の聖霊)となり、後の世代の非難の的となり
    -―そして彼らを支配するだろう。

    最後の日には、聖なる世代へと(旅立つ)

お前を彼らは罵るだろう。」

イエスは自分を引き渡し犠牲となるようユダに求めているのだ。
そのわけは徐々に明らかになっていく。

イエスの地上における人としての生は、うわべだけのものに過ぎない。
その人間は内に存在する霊を、覆い隠す衣装のようなものである。
イエスは永遠なる存在であり、より高次の神の一部である。
人間とは異なる偉大な存在であり不滅なのだ・・・・・・・。

イエス「見なさい、前にも告げたように雲とその中の光、
それを囲む星星を見なさい。

    みなを導くあの星が、お前の星だ。」


こうしてユダは自分の特別な立場を確信する。

そして重大な瞬間がやってくる。
新約聖書の四福音書の記述にも劣らない、強烈で劇的な瞬間だ。

――ユダは眼を上げると明るく輝く雲を見つめ、その中へと入っていった。――
http://mandalaya.com/juda.html
7:777 :

2022/05/30 (Mon) 05:45:54

イエスは クンダリーニ・ヨーガ と ヒーリング の技術を何処で学んだのか?

十三歳になったイエスはひそかに両親の家を離れ、エルサレムを立ち、商人とともにシンド (Sindhはパキスタン南部の州) に向けて出発した。

神のことばにおける完成を目指し、大いなるブッダの法を学ぶために。

若いイエスは十四歳のとき、シンドのこちら側に来て、神の愛された地、アーリア人の間で一人立ちしていた。



イエスはジャイナの謝った信仰を捨てて、オリッサの国ジャガナートに行った。
そこにはヴィアーサ・クリシュナの遺骸が安置されており、バラモンの白い僧らがイエスを歓迎した。

彼らはイエスにウェーダを教え、祈祷によって病人を治すことを教えた。
聖典を講じ解釈することを教え、人体から悪霊を払い、正気に戻すことを教えた。



イエスは、夜に紛れてジャガナート地方を去り、山に入って、仏教徒の国、唯一にして崇高なブラフマンを信じる人々の間に住むことにした。

すなわち、かの偉大なブッダ・シャカムニ誕生の地である。

義の人イエスは、パーリ語を完全に習得した後、聖なる仏典の研究に専念した。

六年後、聖なる教えを広めるため、ブッダが選んだ人イエスは聖典の完全な講術者になった。

その後は、ネパール、ヒマラヤ山地を離れ、ラージプータナの谷へ降り、さまざまな国の民に、人間の究極の完成について説きながら、西へ向かった


われらの主、神のご加護により、イエスは苦しむことなく自分の道を進んだ。


堕落して、真の神に背いた人間に警告するために、創造主が選んだ人イエスは、二十九歳のときイスラエルに帰った。

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__________________

十九世紀末、ロシアの探検家ニコラス・ノトビッチはカシミール地方を旅した際に、ある仏教徒の集会で「聖イッサ」という名の
外国から渡来した超人的人物にまつわる言い伝えを耳にした。

イッサというのはイエスのインド名で、このイッサの東洋伝道を記録する古文書が、チべット各地の寺院に保管されているというのである。

イッサに輿味をもったノトビッチはその古文書を探す旅に出た。

そしてラダックの首都レーにあるヒミス寺にその文書が保存されていることを突き止めた。

そしてその内容を、通訳を介して書きとめて故国に持ち帰り、「イエスの知られざる生涯」というタイトルで出版した。

以後それが英訳されてイエスのインド渡来説の有力な資料とされるようになった。

それによるとイッサはインドでバラモン憎に迎え入れられてヒンドゥー教の聖典を学びながら六年を過ごした。

が、イッサはその感化は受けなかった。

それどころか、カースト制度や偶像崇拝、人身供犠に我慢できなくなり、下層階級の救済に着手。

特権階級のバラモン(聖職者)やクシャトリヤ(貴族)の横暴を非難し始めた。

いかにもイエスのやりそうなことである。

そして遂には「ヴェーダ」 「プラーナ」といったヒンドゥー教の根本聖典の権威、三位一体説(ブラーフマ・ビシュヌ・シバの三神)を否定し、
「天の父」たる唯一神への信仰と、人間のすべてが等しく宿している霊性への回帰を説き始めた。

これもイエスらしい。

そのことに脅威を感じ始めたバラモンたちはイッサの殺害を計画。

それを察知したイッサはヒマラヤ山脈に逃れて釈迦生誕の地ルンビニ一に入り、仏典の研究を始めた。

入山から七年後、イッサは下界に下り、西方への伝道を開始した。

その教えは入山前と同じだったという。

http://www.gusuku.sakura.ne.jp/characters/main/ishadow1.html


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 イエスの人生は13歳から30歳に至る記録がまったくないそうだ。

キリスト教では「エジプトへ行っていた」としているらしいが何一つ証拠がないとのこと。

ところがこの間、アジアへ行った形跡がある。

過去に3人の人物がチベットで「イッサ=イエス」にまつわる経典を目撃しているのだ。

(※ニコラス・ノートヴィッチ著『知られざるイエス・キリスト伝』で紹介されたチベットに伝わる写本『聖イッサ伝 人の子の最も秀れしもの』)

物語は素早くイッサの13歳に飛ぶ。「失われた歳月」の最初の年である。

物語によれば、それは「ユダヤ人が妻を迎えねばならない」年齢でもあった。

見すぼらしい(ママ)両親の家だったが、若いイッサを養子にしようとする金持や、高貴の人々がここに集まった。イッサは「すでに全能の神の名において、教えを語ること

によってその名を知られていたから」

 しかしイッサの目標は他にあった。

ノートヴィッチが公刊した写本によると、イッサはひそかに父の家を離れてエルサレムに行き、東へ向かう隊商らとともに旅し、「神のことば」に生きる自らを完成させるた

め、偉大な仏たちの法を学ぼうとした。


 イッサがシンド――今日のパキスタン東南の地域を横切ったのは、14歳のときだった。

インダス川下流の渓谷地帯である。彼はその地の「アーリヤ人」の間に落ち着くことにした。

この人たちが、紀元前の第二・千年紀の初め、インダス川の渓谷に移住したとされるアーリア人に関係があることは明らかだ。

イッサの名声はそこで高くなり、彼らジャイナ教徒は、イッサに共にとどまるよう求めたが、彼はそうしなかった。

彼はやがてジャガナートの神殿に赴き、バラモンの祭司たちから歓迎された。

彼らはイッサにヴェーダの聖典を教え、説教と癒やし、また悪魔祓(ばら)いの方法を伝授した。

 イッサはジャガナート、ラージャグリハ、ペナレス、またその他の聖都市で、学び、教えて6年を過ごした。

彼は下位カーストの民衆、つまりヴァイシャ(農民と商人)やシュードラ(小作人と労働者)に聖典を教え、そのことによって上位カーストのバラモン(祭司)、クシャトリ

ヤ(王族)との紛争に巻き込まれた。

バラモンの定めによれば、シュードラはヴェーダ聖典に近づくことも、目で見ることも許されなかった。ヴァイシャは祭りのときに唱えられるヴェーダの章句を、聞くことだ

けはできたたが、シュードラにはそれさえ許されなかった。

 その掟に従うことなく、イッサはバラモン、クシャトリヤに逆らって、ヴァイシャ、シュードラに伝道した。

この反逆に気がついた祭司、王族階級はイッサを殺そうと計った。

 危機をシュードラに警告され、イッサは夜陰に乗じてジャガナートを離れ、南ネパール・ヒマラヤ山麓へ脱出した。

500年前、シャカ族の王子として生まれた偉大なる正覚者(ブッダ)、ゴータマの称号をもつシャカムニ生誕の地であった。

シャカムニ――ことばの意味はシャカ族の賢者(ムニ)。


 6年間の学びの後、イッサは「聖典のいう完全な解脱者となった」。

その後にヒマラヤを去って、西に旅立つ。

道々、偶像崇拝を非難して教えを説きながら、そして遂に29歳、パレスチナへ帰る。


 こうした内容が現地の各所で言い伝えとして残っているという。
http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20090228/p1


___________________________


 キリスト教について考える時、ここで私たちが考えてみなければならないのは、

「人類は果たしてどれだけ『イエス』と呼ばれる人物を知っているのか?」

ということです。  実はキリスト教徒が使っている聖書には、イエスの生まれた時から12歳くらいまでの記述と、30歳を過ぎて人々に教えを説きはじめてからの記述しか

ありません。

ですから現在、正統とされているクリスチャンは、12?30歳までのイエスの姿について実は何も知らないわけであり、イエスの人生の半分以上は何も分かっていないのです。


 
実はニコラス・ノートビッチという方が、一八八七年にチベットを旅行して、ヒミスの寺院を訪問し、そこで「聖イッサ伝」の写本を発見しました。

聖イッサとはイエス・キリストのアジアでの呼び名です。

つまりニコラス・ノートビッチという方は、アジアにおけるイエス・キリストの言い伝えを発見したわけです。

 そして彼は現地の人にその写本を読んでもらい、書き写し、そして『知られざるイエス・キリスト伝』という本を世に発表しました。

その本の中で、イエスはインドに趣き、そして修行しながら、人々に教えを説いているのです。

 当然ながら『知られざるイエス・キリスト伝』は様々な問題を呼び、その真偽についていろいろと議論されました。

そしてその後、インドのアグラにある公立大学のある教授が、実際にヒミス寺院へいって、聖イッサ伝について調査しました。

 彼がチベットの寺院に行って、「イッサの伝記を書いた書物があるそうだが、知っているか」と聞くと、僧侶は答えました。

「イッサという名のついたものについては聞いたこともありません」と。

 そしてその教授は「『知られざるイエス・キリスト伝』の信頼性は薄い」と発表したのです。

 しかしこれで終わりにはなりませんでした。

その後、一九二二年にアベーダナンダという方が、ヒスミ寺院に立ち寄り、

「ニコラス・ノートビッチは、ここで聖イッサに関する写本を見つけて、『知らざれるイエス・キリスト伝』という本を出したが、それは事実なのか?」

と僧侶たちに訊ねました。 

すると僧侶たちは「まさに真実だった」と教えてくれたそうです。

 そしてそれから三年後、ヒミス寺院を訪問したニコラス・レーリッヒという方は、イッサについて書かれた古文書を発見し、のちに公刊したそうです。

 またさらに一九三七年、エリザベス・カスパリという方が、ヒミス僧院の図書係りから三冊の本をみせられ、こう言われたといいます。

「あなたがたのイエスはここにいた。この本にそうかかれています」

 イエスが生きた当時のインドは、仏陀が地上を去ってから約500年くらいでありますが、相変わらず厳しい身分社会でした。

ですから低い身分の人々、すなわちシュードラと呼ばれる奴隷階級の方々は、その生まれによって判断されて、宗教家たちから心について学ぶことが許されていなかったので

す。

 しかし聖イッサはそうした中でも、低い身分の人々に教えを説きました。

バラモンと呼ばれる当時の宗教家たちは、聖イッサに言います。


「ただ死のみが、彼らを奴隷の状態から自由にすることができるのだから、彼等に真理を教え説いてはいけない」


 もちろん聖イッサが、現実にイエス・キリストであるならば、そんなことで引き下がるわけもございません。


なぜなキリスト教徒なら誰でも知っていることでありますが、イエスという方はとても激しい愛の人であったからです。

 聖イッサはバラモンの言葉には一切従わず、奴隷階級の人々のところに赴いて、真理を説いまわりました。

そして聖イッサは、同じ人間が他の人間の権利を奪い、横取りするような卑劣な行為に対して厳しく批判した上で、こう言っています。

「父なる神は我が子に、どんな差別も置いてはいません。

 父なる神にとっては万人が平等であり、万人が等しく我が父の愛する者なのです」

 これは紛れもなくイエスの愛の教えそのものでありますが、こうした教えが確かにインドから「聖イッサ伝」として発見されたわけです。

 確かに「聖イッサ伝」の信憑性は議論の余地がありそうですが、しかし言えることが三つあります。

 まず一つ目は、「新約聖書にはイエスの十二歳から30歳くらいまでの記録が何も書かれていない」ということです。

そして二つ目は、「聖イッサ伝にはその間の修業時代のことが書かれている可能性がある」ということです。

そして最後の三つ目は、「新約聖書に画かれるイエス・キリストと、聖イッサ伝に描かれる聖イッサの人物像がとても似ている」ということです。


 そしてもしもインドの地で伝わる聖イッサが、キリスト教徒たちが知らないイエス・キリストであるならば、イエスは転生輪廻の教えを説いていた可能性はますます高くなり

ます。

なぜならインドは仏教発生の地であるのみならず、転生輪廻の教えが深く根付いている土地であるからです。

http://ngomisumaru.blog19.fc2.com/blog-entry-949.html


E.C.Prophet イエスの失われた十七年

*エリザベス・クレア・プロフェット著 下野博訳
イエスの失われた十七年 立風書房 1998年6月15日発行
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%81%AE%E5%A4%B1%E3%82%8F%E3%82%8C%E3%81%9F%E5%8D%81%E4%B8%83%E5%B9%B4-%E3%82%A8%E3%83%AA%E3%82%B6%E3%

83%99%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AC%E3%82%A2-%E3%83%97%E3%83%AD%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%83%E3%83%88/dp/4651930174/ref=sr_1_1?

ie=UTF8&s=books&qid=1279451077&sr=1-1


資料的な要素が強く、読み物としてはさほど面白くない。

だが、桁外れのインパクトがある。

イエスの人生は13歳から30歳にわたる期間の記録がない。

キリスト教ではこの間エジプトに行っていたことになっているそうだ。

本書ではイラン(ペルシャ)からアフガニスタンを経由してインドへ行ったことを検証している。

つまりイエスは、17年間仏教を学んでいたって話。

凄いのは証拠があるところ。

チベットのあちこちで伝説が語り継がれ、僧院にはパーリ語で記された『聖イッサ伝』(※イッサ=イエス)という
羊皮紙状の仏教経典が多数現存しているそうだ。

で、この文書を直接目撃した3人のテキストの一部を各章で紹介している。
http://d.hatena.ne.jp/sessendo/20090221


81 :名無しさん@3周年:04/12/31 20:46:49 ID:tx9M/aNl

近東ではイエスはイーサーで知られている。
イーサーの伝承は近東共通。

その本よりも1900年近く古いインドの歴史に書かれている
イーサーの書そのものはパーリ語でかかれた古文書です


121 :名無しさん@3周年:04/12/31 21:43:13 ID:tygoO1yj
トマスがインド教会の創始者であるのは歴史的事実。

http://mimizun.com/log/2ch/psy/life7.2ch.net/psy/kako/1104/11044/1104485156.dat
8:777 :

2022/05/30 (Mon) 05:46:36

63 名前:会員NO3 :02/05/26 21:07

「ヒマラヤ聖者の生活探求」は統一教会やカルト系諸派が使っています。
霞ヶ関書房の本は怪しいのが多いですね。ISBNコードで「フィクション」になって
いないかどうか、よくご確認下さい。

ただし、アメリカではその後続々と「インド時代のキリスト」関連の資料が出てますが、概ね「カルト系」に利用される傾向が強いです。

95 名前:会員NO3 :02/06/25 00:02

この本の原典はヒマラヤのヒンズー教僧院で保管され、1995年に発見されたとか。

出来れば「原典」の科学的年代調査などしてくれればいいのですが。
実際に1世紀にまで遡れば、歴史が変わります。

ちなみにここでは引用していませんが、キリストの復活に関する記述は無く、親族の墓に葬られたあと遺骨が行方不明になったとの記述です。また、使徒は弾圧を恐れて、世界各地に伝道に赴いたとのことです。

96 名前:会員NO3 :02/06/25 00:06

ただし、この本を書いたのはアメリカでもあまり有名ではない「カルト」
です。その点が気に掛かります。

しかし19世紀にすでに「原本」は発見されて、
当時概に全文が公表されていますので、あながち荒唐無稽とは言えません。

97 名前:会員NO3 :02/06/27 22:03

宝瓶宮福音書(1908年発行)の記述と、「聖イッサ伝」のインドにおけるキリスト
の話が非常に酷似しています。

「法瓶宮福音書」(英文)
http://oak.zero.ad.jp/padoma/main/kirisuto/issa/fissa.htm

「聖イッサ伝」
http://pw1.netcom.com/~mokeeffe/AquarianGospel1-15.htm

これは、どちらかが文章を参考にしたのか?それとも共通の「テキスト」があるのか。
http://mimizun.com/2chlog/psy/life.2ch.net/psy/kako/1018/10184/1018498606.html


▲△▽▼


熊楠が〔高山寺〕所蔵の書簡の一つに次のようなことを書いている。


近頃、チベットで秘密の書を発見し、イエスの伝記をくつがえす珍書を著した豪傑がある。

インド北部に住むある女性とマックス・ミュラーがこれを論駁した。

ところがこの男は一向に服せず、反駁を試みたが、新聞各紙はこれを相手にしなかった。

そこで男はこの女性と直接対決するためにインドに渡り、さらにこの書を写し取るためにチベットに入ることに決した・・・


熊楠がこれを書いたのは1894年の10月であるから、この年欧米でかなり話題になった出来事と推察された。

プロフェットの本で分かったことは、ロシア人のニコラス・ノートヴィッチなる人物が、ラダックのへミス・ゴンパで発見したという

『聖イッサ伝』という秘書に基づいて、『イエス・キリストの知られざる生涯』という本を出版して話題となったのが、まさにこの年であったということである。

これによるとイエスは東方に旅し、インドからチベットに入り、ラサに到達した後、ラダックを経由してパレスティナに戻ったことになっている。

この書はマックス・ミュラーらから手厳しく批判された。

熊楠のいうインド北部の女性とは、ミュラーに一報してノートヴィッチの「嘘」を告発したレー在住のイギリス女性と思われる。


ノートヴィッチのこの本は、ラーマクリシュナの高弟アベーダーナンダや芸術家のニコライ・レーリヒなど、当時の神秘主義者に与えた影響は大きかった。
http://okuyama08.blog120.fc2.com/blog-date-200905.html


▲△▽▼


福音書で見る限り、イエス・キリストは12才から29・30才くらいまでの消息が全然分からない。

私たちが知っているイエスの知識は生誕から幼年期の少しとあと12才くらいの説明が少し、それから30才くらいからの3・4年の活動期だけなのである。

E.C.Prophet イエスの失われた十七年 はその失われた空白の間、イエスがインド及び現在のチベットを訪れたというものである。

ここでイッサという名前で知られるイエスは仏教の奥義をマスターしてブッダとなった後、再びパレスチナに戻ったとこの書は主張する。

ブッダはもちろん悟りをひらいたものへの尊称である。

最初から常識とは違う結論を与えられ、それを順々に解明していくという手法を取っている。

一般的にはイエスは父ヨゼフの大工の職をついで、青少年期から布教を開始する30才くらいまでパレスチナないしエジプトあたりにいたのだろうというのが通説だろう。

ただそれを裏付けるものは何も無いが、漠然とそう想像されているようである。

それに真っ向から対立するものだから、奇想天外のように聞こえるが、必ずしもそうではない。

本書にも出てくるルナンがイエス伝を書く19世紀まで、厳密な意味でのイエス伝は書かれなかったのではないのか。

イギリスに行ったとか、あるいはコーランではイエスは十字架の上では死んではいないと書かれていることなど私も以前に聞いていることは多い。

それに福音書を初めとする新約聖書と言われるものが、果たして本当に原始キリスト教ないしキリストの教えを正しく反映しているものなのかどうか。

もともとキリスト教はアジアに発生し、その後景教やユダヤ教の一派としてアジアの各地でも広がりを見せていた。

それが西の方に向かったキリスト教がローマ帝国の国教になり、そしてなりよりヨーロッパが世界史の中で果たした影響もあって、私たちはその解釈を通してのイエス像に親しいんでいる。

だからイエス像が見えにくくなっているのも確かだろう。

ローマカトリックないしはそれに反抗する形で発生したプロテスタントの教えより、ビザンチン帝国内で信じられた正教の方がより原始キリスト教の影響を残しているというのは、今でもかなりのかなりの人が信じている。

さらに一般的に12使徒のうち、トマス、パルトロマイ、マッテアの3人はチベット・インド・中国で福音を説いたらしい。

現在残されている手書きの福音書は、もっとも早くても4世紀にまでしか遡らない。

キリスト教成立よりその時までに、グノーシス派を始めとするさまざまな教えが異端とされ消えて行った。数多くの文書が失われ、そしてその中には現在の福音書と微妙に異なる教えの重要文書があったかもしれない。

現代になって、新約として編纂される以前のそうした原始文書のいくつかが発見された。そしてアジアに向かったキリスト教もなんらかの文書をしたと考えても別に不思議ではない。

もちろんこうした議論が現代においてはたして意味を持つものなのかどうか、少し疑問の点もある。しかし少なくとも真のイエス像がはたして新訳聖書に書かれたとおりだったのかどうかについては多くの謎があることは確かなのだ。

それに私には仏陀とイエスの教えの間には、そんなに相違は無いようにも思える。

1894年、ロシアのジャーナリスト、二コラス・ノートヴィッチが「知られざるイエス・キリスト伝」をかいた。

彼は1887年ラダーク(小チベット)を旅行中、古代仏典の中にキリストがインド及びチベットにきて、修行してブッダ・イッサとなったという言い伝え、及びそれを記録している「聖イッサ伝」の写しを手に入れたとされる。

この本は成功を収めるのだが、当然一部学者たちからの批判反撃も激しかった。

この過程でミュラーやルナンも登場するのだが、一応ノートヴィッチの業績というか、その本の内容は正統の学会からは無視されたままになるらしい。

しかしそのあと、かなり信頼すべき人物たちがその真実性を認める。

本書は第1章でそうした流れを概観し、2章以下ではノートヴィッチ(2章)、スワーミー・アベーダナンダ(3章)、二コラス・レーリッヒ(4章)、エリザベス・カスパリ(5章)など、そうした写本が存在すること、及びアジアの人々の間にイッサの伝説が広く伝わっていることを聞いた人々の証言から成り立っている。

ラダークは中国、インド、パキスタンの国境が接しているところで、私が持っている平凡社の地図でも国境線は確定していないし、1996年版のTIMEのWORLD Atlasを見ても、やはりあいまいでわからない。あまり詳細な地図を持たないから、仕方が無いのだが。

イエスは聖書に書かれていない17年間どこにいたのかという問題は、歴史的な大問題だけになかなかスリリングである。

チベットの寺院には古代の文書が数万巻もあるとか、その中にイエス関係のものも多く含まれているとか、またバチカンの地下室にも古代のイエスにかんする文書は残っているとか、いろいろ書かれているが、そうした意味では一種の謎解きを含んでおり、ミステリーを読んでいるような趣もある。

実際作者は、1章はそうした視点から書いている。

何故チベットなのかという気はするが、この地は古代の教えを多く伝えているのだろうか。

私には河口慧海の名前が思い浮かぶくらいだが、そういえばヒットラーの晩年には何人かのラマ僧が共にいたとか言う話も聞いたような気もする。神秘主義者にはチベットは魅力的な土地らしい。

ただ面白かったのは、聖書の中でも私などが読んでも少し不思議に思う点をうまく説明していることである。


例えば、福音書の記述とは違って、

イエスの処刑を決めたのはユダヤ人祭司長や長老ではなく、ピラトであったこと、

そしておそらくローマ帝国内でキリスト教を普及するためには、ピラトとユダヤ人僧侶たちの実際の果たした役割を交替して記述せざるを得なかっただろうという説明はなかなか説得力がある。

イエスが磔にされる瞬間叫んだ言葉、「エロイ、エロイ、ラマ、サバクタニ」の謎もそうであったが、私もこのへんは少しおかしいと思っていたから、なかなか面白かった。

さらにイッサことイエスはインドでもバラモンやクシャトリアから迫害されていたバイシャやシュードラの味方であったことなども書かれている。

ここでの革命家イエスの描写は、新約で描かれたように既成の権威を恐れず民衆の立場にたって行動したイエスを髣髴とさせるものがある。
http://www.pluto.dti.ne.jp/~ohto/reading/read00/read000202.html



イエスが磔刑にかけられる裁判においての記述は、

「ユダヤの長老達が死刑を迫り、ピラトがそれを拒んで最後には潔白を示すために手を洗った」

という聖書に対し、イッサ伝では

「ピラトがイエス様を目の敵にしていたが、長老がそれに反対して、手を洗った」

と180度逆になっています。

ローマ布教に際して、ローマ提督を悪者に出来ない為、ピラトと長老たちの立場を入れ替えたという解説がありますが、

「手を洗って潔白を証明」する行為はユダヤの風習であり、

ピラトが現地の風習にならってそうしたというように聖書にはわざわざ説明を入れて記述されていますが、

ローマ提督であるピラトがそのように媚びたことをするのは、考えてみればおかしなことです
http://aioi.blog6.fc2.com/blog-entry-651.html



イエスは、二十九歳のときイスラエルに帰った。

彼がいない間、異教徒はイスラエルの民に、なお一層恐ろしい苦しみを与え、人々の気力はどん底に沈んでいた。

イエスは町々を巡り、絶望の重みに耐えかねていたイスラエルの民の勇気を、神のことばによって強めた。

数千人の群集が、イエスに従って説教を聞いた。

町々の指導者らは、イエスを恐れはじめた。

そしてエルサレム駐在の統治者に通報した。

イエスと呼ぱれる男が町に来たこと、説教しながら、権威に抗うよう民をそそのかしていること、群集は国の仕事もかえりみず、熱心に彼に聞き従っていること、そして侵人

して来た統治者が、間もなく迫い払われるだろうと彼は断言している、と。

エルサレムの統治者ビラトは、説教者イエスの身柄を抑え、町に迎れて来て裁きにかけよ、と命令した。

しかし民衆の怒りを買わぬよう、祭司や学識あるへブライの長老たちに、イエスを神の宮の中で裁くようにと勧告した。

しかし、イエスの釈明を聞いた祭司と、賢い長老らは、彼を裁かぬことに決めた。

なぜならイエスは、だれも傷つけてはいなかったから。

そして彼らは、ローマの国の異教徒の王によって、エルサレムの統治者として定められていたピラトの前に出て、こう述べた。

「町々の長らは、あなたに間違った報告をしています。

というのは、この男は民に神のことばを教える義人です。

彼を尋問して私たちは安心し、彼を行かせました」


これを聞いて統治者は怒りに駆られ、変装させた家来をイエスの身近に送り込んだ。

イエスの行動すべてを監視させ、彼が民に向けて語ることばを、細大漏らさず報告させるために。

イエスの驚くばかりの人気は、統治者ピラトをおののかせるようになった。

イエスに敵対するものたちによると、民衆の中にはイエスこそ王だと主張するものがあり、イエスが彼らをそそのかしているという。

ピラトは彼のスパイの一人に、イエスを告発せよと命じた。

そこで兵士らが、命じられてイエスの逮捕に向かった。彼は捕らえられ地下牢に囚われた。

牢にはさまざまな拷問が待っていた。彼らは彼を死に定めるため、拷問にかけて自白を得ようとした。

聖者が受けている苦しみと、拷問のことを聞き知った大祭司、賢い長老たちは、統治者のもとへ赴き、近づいている祭りの栄光のためにも、イエスを自由にしてほしいと頼んだ。

だが為政者は、にべもなく拒んだ。



イエスは総督に向き直り、こう言った。

「どうしてあなたは、自分の品位を恥ずかしめるのですか。
どうして家来に、間違った生き方を教えるのですか。
自分の手は汚さずに、無実のものを罪に落とす方を持っているあなたが」


総督はこれを聞いて怒り狂い、イエスに死の宣告と、二人の盗賊の赦免を命じた。

協議を終えた裁判官らは、ピラトに言った。

「私たちは無実の人を有罪にし、盗賊らを釈放するという大きな罪を負うことはできません。 それは法に背きます」。

「だからどうぞ、あなたの思いのままに」。

祭司と賢い長老たちは、こう言い残して法廷を出、聖なる鉢で手を洗って言った。


「この義人の死について、私たちに責任はない」


▲△▽▼


イエスが言った。

この世は橋である。

渡って行きなさい。

しかしそこに棲家を建ててはならない。


▲△▽▼


イエスが言った。

過ぎ去り行く者となりなさい。
9:777 :

2022/05/30 (Mon) 05:47:02

キリスト教とイエスの教えとは全く違うもの

キリスト教の正典はあくまでマタイ伝であり、そのマタイ伝というのは危険思想の持ち主であったイエスの真の教えを隠す為に作られたものなのです。

従って、新約聖書だけからイエスの生涯や本当の教えを推測するのは不可能です。

新約聖書に書かれたイエスの言葉(?)と口伝で伝えられていたイエスの言葉がどれ位違うかはマタイ伝とルカ伝の山上の垂訓を比べてみればすぐにわかります:


口伝で伝えられていたイエスの言葉
ルカ(6章17-26)

山から下りて、平らな所にお立ちになった。大勢の弟子とおびただしい民衆・・・イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。


貧しい人々は、幸いである、神の国はあなたがたのものである

今飢えている人々は、幸いである、あなたがたは満たされる

今泣いている人々は、幸いである、あなたがたは笑うようになる

人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、あなたがたはもう慰めを受けている

今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、あなたがたは飢えるようになる

今笑っている人々は、不幸である、あなたがたは悲しみ泣くようになる

すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである


改竄・捏造されたイエスの言葉
マタイ(5章1-12)

イエスはこの群衆を見て、山に登られた。腰を下ろされると、弟子たちが近くに寄って来た。そこで、イエスは口を開き、教えられた。

心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである

悲しむ人々は、幸いである、その人たちは慰められる

柔和な人々は、幸いである、その人たちは地を受け継ぐ

義に飢え渇く人々は、幸いである、その人たちは満たされる

憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける

心の清い人々は、幸いである、その人たちは神を見る

平和を実現する人々は、幸いである、その人たちは神の子と呼ばれる

義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである


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新約聖書で行われているイエスの言葉の改竄・捏造については


イエスとは誰か (NHKブックス) 高尾 利数 (著)
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9%E3%81%A8%E3%81%AF%E8%AA%B0%E3%81%8B-NHK%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9-%E9%AB%98%E5%B0%BE-%E5%88%A9%E6%95%B0/dp/4140017635


イエスの本来の教えはイエスがインドで学んだ部派仏教に近い様です。イエスの神の国というのは”涅槃”の言い換えでしょう。
10:777 :

2022/05/30 (Mon) 06:58:26

ユダ福音書が発見されて明らかになった事は

1. イエス受難劇はイエスとユダが台本を書き、イエスと弟子達とマグダラのマリアが演じた世紀末の大芝居だった

2. 福音書に書かれたイエス受難物語はイエスとユダが書いた原稿を元にして、ピラトを善人に、ユダヤ人とユダヤの司祭を悪人に書き換えたもの


詳細は

新説!キリストを殺したのは誰だ? - YouTube 動画
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%96%B0%E8%AA%AC%EF%BC%81%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%82%92%E6%AE%BA%E3%81%97%E3%81%9F%E3%81%AE%E3%81%AF%E8%AA%B0%E3%81%A0%EF%BC%9F+
11:777 :

2022/05/30 (Mon) 07:00:51

2012年09月19日
キリストはマグダラのマリアと結婚していたかもしれない謎のテキストを発見
https://gigazine.net/news/20120919-jesus-married-mary-magdalene/

映画にもなった小説ダ・ヴィンチ・コードではイエス・キリストがマグダラのマリアと結婚していた、という描写が出てきますが、ハーバード大学のKaren Kingさんはイエス・キリストが「私の妻」と発言している文章が書かれたパピルスを発見ました。この文章は同時に「Mary(マリア)」についても言及しており、これはマグダラのマリアを指していると推測され、キリスト教徒たちに衝撃を与えています。

The Inside Story of a Controversial New Text About Jesus | History & Archaeology | Smithsonian Magazine

ムービーは以下から。



パピルスの破片はクレジットカードよりもさらに小さく、両面に黒いインクで文字が書かれていました。Kingさんによれば文書は古代エジプトの言語によるもので、初期のキリスト教文書の多くのものと同様に3世紀から4世紀の間に翻訳されたと考えられています。



パピルスには33語の言葉が不完全な14行の文章によって書かれているので、厳密に読み取るのは難しいとのこと。Kingさんはパピルスから以下の8つの文章を拾い集めました。

(1) “not [to] me. My mother gave to me li[fe] … ”(「私にではない。母は私に命を与えた……」)
(2) The disciples said to Jesus, “(弟子たちはイエスに言った、「)
(3) deny. Mary is worthy of it(そうではない。マリアはそれにふさわしい)
(4) ” Jesus said to them, “My wife(」イエスは彼らに言った、「私の妻は)
(5) she will be able to be my disciple(彼女は私の弟子となることができるだろう)
(6) Let wicked people swell up(邪悪な人々を増えさせています)
(7) As for me, I dwell with her in order to (私の場合、彼女と共に暮らしています)
(8) an image(一つのイメージ)

彼女の分析によると、(3)に書かれている「Mary(マリア)」は「おそらく」マグダラのマリアであり、イエスが弟子からマリアを守っている描写であると推測されています。そして(4)にある「My wife(妻)」と、そして(5)の「she(彼女)」は同じくマグダラのマリアを示しているとのこと。この文書は書物の1ページだった可能性もありますが、いずれにしてもこれは初めてにして唯一の、イエス・キリストが結婚していたことを描写する古代文書です。

Kingさんは2010年に手稿コレクターから「グノーシス派の福音書を手に入れたのですが、その中にイエスと彼の弟子、そしてマグダラのマリアについての文書が含まれていました。写真を送るので見てくれますか?」というメールを受けとったそうです。詳しい情報と写真を受け取った後もで彼女は偽物ではないか、と疑っていたそうですが、パピルス学で高名なニューヨーク大学のRoger Bagnallさんに写真を送ったところ、「信じていい。それは本物である」という返事をもらったとのこと。


By mzeecedric

しかし、Kingさんはこの破片が実際にイエス・キリストが結婚していた、ということの証拠だとは主張していません。彼女の分析によれば福音書はイエス・キリストの生涯(そして来世)を文書化したものであり、多くの福音書はイエスの磔の後、紀元2世紀にギリシャで書かれたと考えられています。そしてその2世紀ほど後に古代エジプト語に訳されたため、イエスの結婚の証拠としては不十分なのです。

この破片が明らかにしたことはもっと微妙で複雑なことです。パピルスからわかるように、初期のキリスト教徒たちは彼らに教えを説いたイエス・キリストを崇高で、知的であり、妻のあるものとして書いていました。しかもそれはただの妻でなはく、新訳聖書の中でもっとも言及された女性、マグダラのマリアの可能性があるのです。Kingさんによれば、この発見が提示する疑問とは「どうしてイエス・キリストが独身であるという文献だけが生き残ったのか?」ということ、そしてイエスがマグダラのマリアや、その他の女性と親密な関係にあったという文書は残っていないのか?ということです。これは単なる偶然なのか、それともキリスト教徒たちにとって独身こそが理想だったからなのか、明らかではありません。


By jaci XIII

なお、パピルスはまだインクを調べるなどの科学的試験を終えておらず、この発見の重要性は「このパピルスは本物である」という仮説の上に成り立っていることはKingさん自身も述べています。彼女は今後、スペクトル分析などの科学的試験を行った後、「The Gospel of Jesus’s Wife(イエスの妻の福音書)」という論文を発表する予定だそうです。

https://gigazine.net/news/20120919-jesus-married-mary-magdalene/
12:777 :

2022/05/30 (Mon) 07:02:24

イエスの本当の教え

イエスの神の国は釈迦の涅槃の世界を翻案したもの


トマスの福音書3

神の国はあなたたちの内側にある。
常に自分を認識する人は、神の国を見出すであろう。

トマスの福音書22

イエスは乳を飲んでいるいくにんかの幼な子をごらんになった。
そして彼は弟子たちに言われた。

”乳を飲んでいるこの幼な子たちは神の国に入る者たちに似ている”。

彼らは彼に言った。

”それではわたしたちは幼な子として神の国に入るのでしょうか”。

イエスは彼らに言われた。


”あなたがたがふたつのものを ひとつにするとき、

そして、内を外のように、外を内のように、上を下のようにするとき、

そして男性と女性とをひとつにし、男性がもはや男性ではなく、女性が女性ではないようにするとき、

そしてひとつの目の代わりに目を、ひとつの手の代わりひとつの手を、一つの足の代わりにひとつの足を、ひとつの像の代わりにひとつの像をつくるとき、


あなたがたは神の国に入るであろう”。
http://www.mars.dti.ne.jp/~fenot/jesus/cr_tomas.html


▲△▽▼


イエスは クンダリーニ・ヨーガ と ヒーリング の技術を何処で学んだのか?

聖イッサ伝

十三歳になったイエスはひそかに両親の家を離れ、エルサレムを立ち、商人とともにシンド (Sindhはパキスタン南部の州) に向けて出発した。

神のことばにおける完成を目指し、大いなるブッダの法を学ぶために。

若いイエスは十四歳のとき、シンドのこちら側に来て、神の愛された地、アーリア人の間で一人立ちしていた。



イエスはジャイナの謝った信仰を捨てて、オリッサの国ジャガナートに行った。
そこにはヴィアーサ・クリシュナの遺骸が安置されており、バラモンの白い僧らがイエスを歓迎した。

彼らはイエスにウェーダを教え、祈祷によって病人を治すことを教えた。
聖典を講じ解釈することを教え、人体から悪霊を払い、正気に戻すことを教えた。



イエスは、夜に紛れてジャガナート地方を去り、山に入って、仏教徒の国、唯一にして崇高なブラフマンを信じる人々の間に住むことにした。

すなわち、かの偉大なブッダ・シャカムニ誕生の地である。

義の人イエスは、パーリ語を完全に習得した後、聖なる仏典の研究に専念した。

六年後、聖なる教えを広めるため、ブッダが選んだ人イエスは聖典の完全な講術者になった。

その後は、ネパール、ヒマラヤ山地を離れ、ラージプータナの谷へ降り、さまざまな国の民に、人間の究極の完成について説きながら、西へ向かった


われらの主、神のご加護により、イエスは苦しむことなく自分の道を進んだ。


堕落して、真の神に背いた人間に警告するために、創造主が選んだ人イエスは、二十九歳のときイスラエルに帰った。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/374.html


▲△▽▼


ユダの福音書

キリストはユダに対し、自分達を取り巻く圧迫が最終局面に至っている事を語り、それへの「最終的な打開策」を打ち明け、最も信頼する弟子と考える彼に対し「最後の助手としての役割」を果たす事を要求した。


「過越(すぎこし)の祭りが始まる3日前、イスカリオテのユダとの1週間の対話でイエスが語った秘密の啓示」

これは秘密の啓示である・・・。

イエスは過越しの祭りの3日前にユダにこう語られた・・・

イエスは地上に出現されたとき、人々を救う奇跡を行われた。

正しい道を歩くものもいれば、誤った道を歩く者もいたので、12人の使徒を集められた。

イエスは時にご自身としてではなく、子供として姿をお見せになった。


福音書の初めの部分で、イエスは「お前たちの神」に祈りを捧げる弟子たちを笑います。 この神とは、世界を創造した旧約聖書の劣った神のことです。

そしてイエスは、この私を直視し、真の姿を理解せよと迫りましたが、弟子たちは目を向けようとしません。


イエスがユダヤに居たある日の事・・・

12人の使徒たちは信心深く食事をしていた。
イエスは祈りを捧げている使徒たちに近付き笑い出した。

彼は使徒たちの間違った信仰を笑っていた。

使徒たちは世界の創造主を崇拝していた。
だが、ユダだけは違っていた

イエスは言う・・・

イエス「なぜ怒るのだ?あなたたちの中で強い心をを持つ者が立って私に示すがよい・・・・
己の内にある真の魂を」

ユダを除く使徒たち「私たちは強い心を持っています!」

しかし、言葉には出しても本当に立ち上がる者はいなかった。
・・・イスカリオテの『ユダ』を除いて・・・。

ユダはたった一人立ち上がってイエスに向かってこう言った。

ユダ「私は、あなたが何者か存じています・・・
あなたを送られた方の名は畏れ多くて申し上げられません。」

イエスはユダに近付きいて彼にこう言う・・・

イエス「他の者たちから離れよ・・・私はあなたに王国の秘密を教えよう。
     そこは果てしなく広がる国。天使させ見たことがない土地。人の
     心には想像さえ及ばぬ世界。その国に名前はない。」


■『キリスト』が『ユダ』に自分を『ローマ』に売るように諭す場面。

キリスト「You will be greater than all others. Judas, you will sacrifice the man that clothes me. 」

 (あなたは誰よりも素晴らしい。ユダよ。犠牲にするのだ。私の魂の衣ある者を。)


■『キリスト』が『天国の秘密』を『ユダ』に明かす場面。

キリスト「Step away from the others, and I shall tell you the mysteries of kingdom. It is a great and boundless realm which no eye of an angel has ever seen, no thought of the heart has ever comprehended.」

(他の者から離れよ。あなたに教えよう。王国の秘密を。そこは果てしなく広がる国。天使させ見たことがない土地。人の心には想像さえ及ばぬ世界。)

http://wildoldboy.cocolog-nifty.com/wild_old_boy/2006/04/the_gospel_of_j_eab8.html


イエスはユダに語ります。

「お前は、真の私を包むこの肉体を犠牲とし、すべての弟子たちを超える存在になるだろう」

「他の者たちから離れなさい。そうすれば、お前に[神の]王国の神秘を語って聞かせよう。その王国に至ることは可能だが、お前は大いに悲しむことになるだろう」

「聞きなさい、お前には[真理の]すべてを話し終えた。目を上げ、雲とその中の光、それを囲む星々を見なさい。皆を導くあの星が、お前の星だ」
 
「お前はこの世代の他の者たちの非難の的となるだろう
   ――そして彼らの上に君臨するだろう」


ユダは他の弟子たちから猛反発を受ける幻視を見たと語ります。

「幻視の中で、私は12人の弟子から石を投げつけられ、[ひどい]迫害を受けていました」


「ユダは目を上げ、光輝く雲を見て、その中に入っていった」

地上の人間たちは雲から聞こえる声を耳にします。


福音書の記述は、次のような場面で唐突に終わっています。

「彼ら[イエスを捕らえにきた人々]はユダに近づき、
『ここで何をしているのだ。イエスの弟子よ』と声をかけた。
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/373.html


▲△▽▼


イスカリオテのユダの悟境

【イエスは「お前たちの神」に祈りを捧げる弟子たちを笑います。この神とは、世界を創造した旧約聖書の劣った神のことです。そしてイエスは、この私を直視し、真の姿を理解せよと迫りましたが、弟子たちは目を向けようとしません。】

「お前たちの神」とは、自分とは別の存在として位置する神という認識のことを言っているのであり、自らのうちに神があるのを知らないと指摘しているのだと思う。


イエスがこの私を直視し、真の姿を理解せよと迫ったところは、バガヴァッド・ギータで、全能の聖者クリシュナが弟子のアルジュナに同じ言葉で迫ったのと同じ響きがある。全能の神の顕現として現れたイエスが、もう少しで覚醒しようとしている弟子たちに「神のありのままを目をそらすことなく見なさい」と詰め寄っているのである。

この話の中では、ユダが裏切り者でなかったことよりは、ユダの悟境が他の弟子より進んでいたことが確認されていたことのほうが意義は大きい。


【イエスがユダにこう語りかける場面もあります。「聞きなさい、お前には[真理の]すべてを話し終えた。目を上げ、雲とその中の光、それを囲む星々を見なさい。皆を導くあの星が、お前の星だ」】

これは、長い講義が終わったから、一息ついて空の星を見ようというものではなく、ひとつの冥想状態の中で、見なさいと指示しているもので、「雲とその中の光」とは、神そのもののこと、それを囲む星々とは、実際の空の星に仮託された神々の一柱のことだろう。

「目を上げ」というのは、肉体の目を上げることではないだろう。いずれにせよこれで、ユダが13人の弟子の中で最上位であったことがわかる。


死海文書によると洗礼のヨハネはエッセネ派に属し、イエスもエッセネ派に属していたと推測されているが、イエスもクンダリーニ・ヨーガ系の技法が伝わるその集団のメンバーと見られる。

クンダリーニ・ヨーガ系では、神々の姿をありありとイメージするトレーニングがよく行われている。

星々とは、イメージ対象の神々であり、ここは、その冥想過程の中の出来事を書いたものではないかと思う。

師弟相承のルールというものは、師匠を超えるレベルの弟子を出すことが師匠の責務であるということ。禅の場合でも、一人でも半人でも本物の弟子を出すことが師匠の最低限の責務であり、かつ師家(老師)以上の力量の弟子を出さねばならないことになっている。

イエスの場合でも、その例外ではなく、自分が神を知っている師家である以上は、自分以上の力量のある弟子を育成することが、覚者としての責務であったと考えられ、イスカリオテのユダが正に力量ある弟子であったと考えられる。

また師匠を超える弟子を出すというのは、当時の考え方からすれば、革命的なことであり、一人一人が神の顕現であるニューエイジ(アクアリアン・エイジ)の考え方の先駆と見ることができる。

【ユダは目を上げ、光輝く雲を見て、その中に入っていった。】
光輝く雲は、例の荘子の見た混沌であり、神の姿であり、それに入って行ったというのは、神と合一したことを言うと考えられ、これは見神や見性などという軽いものではなく、神人合一を指しているように思う。これでユダの力量のほどが証明されている。
http://blog.goo.ne.jp/naitoukonan/e/99ffcbce33957c1622488284f1e54d21


▲△▽▼


マグダラのマリアによる福音書


ペトロは、

「マグダラのマリアよ、イエスが他の女性たちにまさってあなたを愛したことを、私たちは知っています。あなたの思い起こすイエスの言葉を、私たちに話して下さい。あなたが知っていて私たちの知らない、私たちが聞いたこともないそれらの言葉を」

と要請する。


 ペトロの求めに応じ、マグダラのマリアは、彼女がイエスから示された教えの内容を語り始める。


 可視的な世界は、以下の七つの「権威」(アルコーン)たちによって支配されている。

  第一の権威 闇
  第二の権威 欲望
  第三の権威 無知
  第四の権威 死ぬほどの妬み
   第五の権威 肉の王国
  第六の権威 肉の愚かな知恵
  第七の権威 怒っている人の知恵

 七つの天を通り抜け、プレーローマ界に帰昇しようとする魂に対して、権威たちは尋問を行う。魂は、イエスから教えられたとおりの言葉を語ることにより、彼らに打ち勝ってゆく。

________________


・・・・・・・・そして彼女は彼らにこれらの言葉を話し始めた。

「私は」

と彼女は言った、

「私は一つの幻の内に主を見ました。

そして私は彼に言いました、


「主よ、あなたを私は今日、一つの幻の内に見ました。」


彼は答えて私に言われました、

「あなたは祝されたものだ、私を見ていても動じないから。

というのは叡知のあるその場所に宝があるのである。」


私は彼に言いました、

「主よ、幻を見る人がそれを見ているのは、魂か霊か、どちらを通してなのですか。」


イエスは答えて言われました、

「彼が見るのは、魂を通してでもなければ、霊を通してでもなく、それら二つの真ん中にある叡知、幻を見るものはその叡知であり、その叡知こそが・・・・・・・


(このあと欠落)


・・・・・・・・・を。


そして欲望が言った、

「私はお前が降るところを見たことがないのに、今お前が昇るところを見ている。

お前は私に属しているのに、どうして私を騙すのか。」


 魂が答えて欲望に言った、


「私はあなたを見た。

あなたは私を見たこともないし、私を知覚したこともない。

私はあなたにとって着物のようであったのだが、あなたは私を知らなかった。」


これらのことを言った後、魂は大いに喜びつつ、去って行った。


 それから魂は第三の権威、無知と呼ばれるもののところに来た。

その権威が魂を尋問した、


「お前が行こうとしているのはどこへなのか。

お前は悪の内に支配されてきた。

お前は支配されてきた。裁くな。」


と魂に言って。そこで、魂が言った、


「あなたが私を裁くのはなぜなのか、私は裁いたりしたことなどないのに。

私は支配したことがないのに、私は支配されてきた。

私は知られなかったが、私の方は、地のものであれ、天のものであれ、すべてものが解消しつつあるときに、それらのものを知っていた。」


・・・・・・・・・・・魂は第三の権威にうち勝ったとき、上の方に去って行った。


そして第四の権威を見た。

それは七つの姿をしていた。

第一の姿は闇であり、第二のは欲望、第三のは無知、第四のは死ぬほどの妬みであり、第五のは肉の王国であり、第六のは肉の愚かな知恵であり、第七のは怒っている人の知恵である。

これらが怒りのもとにある七つの権威なのである。


彼らが魂に

「人殺しよ、お前が来るのはどこからなのか。

それとも場所にうち勝った者よ、お前が行こうとしているのはどこへなのか」


と尋問すると、魂は答えて言った、


「私を支配するものは殺された。

私を取り囲むものはうち負かされた。

そして私の欲望は終りを遂げた。

また無知は死んだ。

世にあって、私が解き放たれたのは世からであり、また範型の内にあって私が解き放たれたのは天的な範型からであり、一時的な忘却の束縛からである。

今から私が沈黙の内に獲ようとしているのは、時間の、時機の、そして永久の安息である。」


マリアは以上のことを言ったとき、黙り込んだ。

イエスが彼女と語ったのはここまでだったからである。・・・・・・・・・・
http://gnosticthinking.nobody.jp/gnosismyth017.html
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/375.html


▲△▽▼
▲△▽▼


詳細は


参考資料 _ トマス福音書
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/372.html

参考資料 _ ユダの福音書
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/373.html

参考資料 _ 聖イッサ伝  
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/374.html

参考資料 _ マリアによる福音書
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/375.html

参考資料 _ マルコによる福音書(文語訳)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/376.html

参考資料 _ 舊約聖書 傳道之書
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/550.html

参考資料 _ ヨハネの默示録 (文語訳)
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/903.html



釈迦の悟りとは何であったのか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/739.html

釈迦の本当の教え
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/735.html

不可触民(ダリット)の世界 _ 釈迦が見た地獄とは何だったのか
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/707.html

異教徒は「人間」ではないので殺してもいい
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/798.html

イエスのヒーリングは本物のシャーマンには敵わない
http://www.asyura2.com/09/cult7/msg/609.html

西洋の達人が悟れない理由 _ 巫女は神と交わる聖なる女性
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/385.html
13:777 :

2022/05/30 (Mon) 16:52:26

上げ 89
14:777 :

2022/06/03 (Fri) 20:50:26

上げ 777
15:777 :

2023/10/27 (Fri) 12:16:48

ユダヤ人大富豪ジョージ・ソロスが「反イスラエル」である複雑な宗教的理由とは? ジェームズ斉藤が解説!
2023.10.27
https://tocana.jp/2023/10/post_257822_entry.html

【連載:某国諜報機関関係者で一切の情報が国家機密扱いのジェームズ斉藤(@JamesSaito33)が斬る! 国際ニュース裏情報】


──今回はジョージ・ソロスについて聞きたいんですが、彼ってユダヤ人じゃないですか。なのに、「反イスラエル」「反ユダヤ」だって言われているのは、どういうことですか?
ジェームズ:それはいい質問ですね(笑)。イスラエルとは何か、ユダヤとは何かのひとつの答えになりますね。まず、前提として多くの日本人がイスラエルが何かというのをよくわかっていませんね。
──第二次大戦後、イギリスが強引に作った国ということぐらいはわかりますが、違うんですか?

ジェームズ:基本的にそれで合っています。現在のイスラエルという国家は第二次世界大戦以前の欧米列強の帝国主義の産物です。しかし、問題の核心はそこではなく、たとえば、いまのイスラエルは宗教学的に見てあり得ないって知っていますか? もともと宗教的正当性を基礎に建国されているはずですが、その前提すらあり得ないということです。
──えっ、どういうことですか? カナンの地じゃないんですか?
ジェームズ:カナンの地はカナンの地です。旧約聖書によると、カナンの地は神によって約束されたことは確かなんです。しかし、そのイスラエルの地をバビロン捕囚やローマとの戦争によって何度も失っているわけです、ユダヤ人は。問題の核心は、「一体なぜそうなったのか?」ということです。イスラエルの地は約束の地だったんですけど、神を裏切ることばかりしていたので取り上げられた、というのが宗教的に正しい解釈です。彼らが離散したのはイエス・キリストが死んだ直後にローマ・ユダヤ戦争が起こって第二の神殿が破壊されたところからです。この時点で約束の地は取り上げられたのです。
 ところが19世紀になってシオニズム運動が活発化します。シオニズム運動とは、「ユダヤ人は約束の地に戻ろう」というもので、当時ロシアのポグロムなどユダヤ人排斥弾圧運動がヨーロッパ全体で広がっていたのが原因です。ですから、シオニズムにすがりつきたくなるユダヤ人の心情は理解できます。しかし、やはり宗教的には間違いです。なぜなら、シオニズムは人間の力で約束の地を取り戻すという運動だからです。

──それは神の否定につながりそうですね。
ジェームズ:まったくその通りで、シオニズムこそが「神に対する反逆」そのものであり、サタニズムの一種になります。ユダヤ人は約束の地から一度追放されています。その地に戻るためには神の許しが必要です。ところが、シオニズム運動は、神の許しも得ずに「あそこは神から貰った土地だから俺たちの土地だ」と言って、そこに割り込んでいく運動だからです。明らかに神の否定となります。これは私の個人的な主張ではなく、主にユダヤの正統派に属する人々の主張です。
──正統派? 確認しますが、正統派というのはカルト的な主張じゃないんですよね?
ジェームズ:超正統派というのもあって、生活習慣などでカルト的なところがありますが、いわゆる正統派、反イスラエルという立場はカルトでもなんでもありません。宗教学的に言っても正しい主張です。シオニズムを支持している多数派の世俗派のほうが遥かにカルトと言っていいでしょう。実際にそれが中東戦争の原因になっているわけですから。
──ということは反イスラエル主義って真っ当なんですね。ジョージ・ソロスの反イスラエルの立場というのはユダヤ教的に間違っていないと。
ジェームズ:間違っていないどころか、約束の地は神から約束されたもので人間の力で実現させるというのはあり得ないんです。ただし、「では、ジョージ・ソロスが真っ当か」といえば、それは全く別の話ですが(苦笑)。
 確実に言えるのは、ユダヤ人の中にもいまのイスラエルを否定する人たちと、肯定する人たちがいる、ということです。ユダヤ教にはさまざまな宗派や派閥が大量に存在し、すべて話すと長くなるのでここでは詳しく説明しませんが、大まかに分けると、否定派はトーラー派で、肯定派がタルムード派です。

──トーラー派?
ジェームズ:トーラーというのはキリスト教の旧約聖書の最初の5章のことです。創世記などのことでユダヤ教の経典です。トーラーをもっと拡大したものがタナハといいます。タナハと旧約聖書はほぼ同じですが、章の順番が違います。ユダヤ人は旧約聖書を読まずにタナハを読みます。このトーラーを重視するのがユダヤの正統派です。
 一方、タルムードはモーゼが話した内容で、「口伝律法」と呼ばれます。モーゼはが預言者として神から受けた啓示とされていますが、口伝のため時代を経るにつれて人間の勝手な解釈が挿入され、結局「人間の論理」が主体になってしまいました。実は古代ローマの時代に、イエス・キリストがやったことは当時の口伝律法の批判なのです。当時はタルムードとして口伝律法が書物として編纂はされていませんでしたが、パリサイ派などのユダヤ教のラビ(聖職者)が伝承し、独自の解釈などを加えて「神の論理」から大きく逸脱していました。そこでキリストは当時のイスラエルにこつ然と現れて、「トーラー重視の精神に帰れ」ということを言ったんですね。キリストが敵視したのはラビたちで、彼らが「トンデモ化した口伝律法」を教えていたんです。たとえば、「ユダヤ人が非ユダヤ人から物を奪い取っても全く問題ない」などが挙げられます。「トンデモ化した口伝律法」はさらにヤバい内容もありますが、それらの解説は今度の機会に譲りたいと思います。

──そうするとソロスはトーラー派で神を信奉するほうなんですね?
ジェームズ:彼も反イスラエルという点では正統派ユダヤを継承しているトーラー派です。しかし、その行いを見ればわかるように、やっていることは完全にタルムード派です。タルムードは前述の例のように他人を騙して自分だけがのし上がることを肯定していますからね。この部分を拡大解釈もしくは商売っ気丸出しで抜き出したのがいわゆる“ユダヤの成功哲学”です。「タルムード」をネット検索すると「成功哲学」とか出てくると思いますが、これは完全に誤解で、日本人が拝金主義に犯されて、なおかつユダヤの本質をまったく理解していないことの証明です。それこそ、「ユダヤの罠」にハマっていると思います。たとえば、タルムードのヤバい内容の一例として、イエス・キリストのことをどう書いてあるかというと「キリストは地獄でうんこまみれの鍋で煮られている」ですよ。
──えーっ、子供の悪口ですよ、それじゃあ(苦笑)。

ジェームズ:でも、実際にそう書いてあるんですよ。正確に言うと「ヤシュ(イエスの軽蔑語)は地獄で熱い排泄物で煮られている」ですから(苦笑)。これを真剣に信じているのがタルムード派なんです。ただし、トーラー派であっても拝金主義になっていればタルムード派と変わりません。それがジョージ・ソロスということです。本来は「トーラー > タルムード」の関係が正統ですが、ソロスのようなタルムード派の場合この順序が逆転し、「神の論理」が「人間の論理」の下になっています。これこそサタニズムの原型です。
──ソロスはもともとトーラー派だったんですけど、タルムード派に転んでしまったということですね。でも、なぜ、ソロスは反イスラエルなんですか? ソロスは金儲けさえできればいいのであって、イスラエルが宗教的に正しいとか正しくないとかにこだわる必要などないように思えるんですが。
ジェームズ: いえ、こだわる必要はあります。なぜなら、ソロスはグローバリストだからです。彼は国家というものをすべて認めない人で、ボーダーレスな世界が正しいと考えています。ですから反イスラエルなのです。つまり、これは同じタルムード派でも右寄り、左寄りがあるということです。タルムード派でイスラエルを国家として認める人たちは基本的に右なんです。いまのイスラエル首相のネタニヤフなどは極右です。しかし、ソロスの場合は国家を認めない極左だということです。タルムード派の極左の思想は紐解くと長くなるので、これも解説は次回以降に譲ります。
──そういうことなんですね。グローバリストとは国家を否定する人たち。
ジェームズ:日本人が勘違いしているのはそこで、グローバルというのは国を超えて仲良くするということではありません。国家を解体しろという話です。これは政治の話であって宗教ではありません。ですから、シオニズム運動も宗教の話ではなくて政治運動なのです。宗教学的に間違っていようと関係ないのです。これ以上、詳しいことはかなりユダヤを刺激してしまいますので、メルマガ版に譲りますが、ソロスが反イスラエルという一見矛盾しているように見えることの答えがこれになります。
https://tocana.jp/2023/10/post_257822_entry.html
16:777 :

2024/03/04 (Mon) 22:33:20

ユダヤ教では『原罪』は無い
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16842495

世界ミステリーch キリスト教 - YouTube
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