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池田大作先生が女性からモテモテになった理由

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2022/05/29 (Sun) 17:33:40

池田大作先生が女性からモテモテになった理由


『池田大作全集』が、2011年の年間ベストセラー第1位(全集部門)となった(トーハン調べ)。発刊以来、同部門で24年連続第1位という快挙を成し遂げたことになる。

 同全集は、池田名誉会長の著作を後世に残すべく1988年5月に創刊された。当初は全75巻の予定であったが、名誉会長が展開する壮絶な言論闘争により、構想は大幅に拡大。全150巻の壮大な個人全集として刊行が進められている。現在、配本数は129冊に上っており、全巻の完結は2015年7月の予定である。

 大部の個人全集としては、トルストイ全集が90巻、ガンジー全集が100巻、ゲーテ全集(ワイマール版)が143巻であり、池田大作全集が完成すれば、偉大な先人に肩を並べる世界最大級の全集が誕生することになる。

http://www.seikyoonline.jp/news/editorial/2012/02/1200081_2152.html  


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131 名前: 大作の午後 投稿日:2003/03/04 12:38

大作が女学会員をレイプを始めたので、コンドーム係、バイブ係、ティッシュ係が
そそくさと部屋の中に入ってきた。

「んもー、チンポが勃たない!」

神崎はうやうやしく「高麗人参赤マムシドリンク『淫乱日顕三号』」を差し出す。

「おい!フェラチオ係!フェラチオ係を呼べ!
全力で先生の魔羅を勃起させるのだ!」

15:35 三十は過ぎているがまだまだイケてるコンパニオン風の係員到着

「フェラチオ係です、

あら、先生、今日もご立派、

もー、わたしなんかお呼びにならなくともよろしいんですよほほほ

まっ、でもぉ、せっかく呼んでいただいたことですからお勤めさせていただきますわ」

さすがフェラチオ係、口がうまかった。

16:02 どうにか半立ちまで勃起


「さあ、この立派な肉マラでレイプを…もとい、幸せの儀式を! 」

女子学会員は藤原紀香にちょっと似た所がある若い人妻だった。

「ふへへ…」

「や、やめてください! 」

「なにをやめるのかな? 
フェラチオならやめてもらったがほれ、ここはビンビン…」


フェラチオ係らは噴出しそうになるのをこれからレイプされる人妻のことを思ってこらえた

老人の性は哀れと諧謔を含んでいるもの…そう思えば人妻にも余裕ができるのだろうが…それに池田大作の慰み者になった女にはずっしりと重い茶封筒が渡されるのが通例なのだ。そうでなければとっくの昔に獄中の人になっていたに違いない

「ああ~やめて、そ、そんなところっ!」

「ムニャムニャ…」

得意のクンニで人妻を喘がせる大作! レイプ魔の面目躍如

「そ、そんなところ、あぁ…」

「そんなところでは、よくわからないよ…」

脂ぎった顔に笑顔を浮かべながら、大作が言う。

「おい、例のものを…」

「はっ」

バイブ係がカリ高3号を手渡す。ちなみにバイブ係も副会長だった

「もう、許してください…」

「ばかなことをいっちゃいかんよ、まだなんにもしてないじゃないか おい!」

ティッシュ係が先ほどのペーパーナイフをちらつかせるので、若妻はしかたなく、両足をV字型に広げていった。


16:03 大作の一物、充填率75%
16:04 80%

バイブ係「…おい、早くしてくれよ、電池が持たないよ(内心の声)」

君(バイブ係)もっと効く強性剤はないのか?

糖尿でもビンビンになる薬は!←犬柵

わははワシのティムポは文字通り甘いぞ甘いぞアリもむらがる甘さだぞ

早く味見しなさい!糖度100%

若妻は犬柵の先端を恐る恐る口に含んだ・・・

甘い!甘すぎる!くどい甘さだ。

我慢できずそれを吐こうとした時、犬柵からありがたい聖水じゃと小便まで口に出されてしまい、糖分を摂りすぎた為に体がだるくなる人妻であった・・

_______

今日も今日とて池田大作の寝起きは悪かった。

「おい、アキヤ!」

秋谷はうやうやしく「花和尚印絶倫ドリンク」を差し出した

大作はその生臭い液体を一気に飲み干し「次!」と怒鳴った

秋谷は聖教新聞特別編集版を差し出した。

特別編集版は池田の好みに合わせて編集してある特別バージョンで一般のニュースや「我が友に送る」は省略してある。

「寸鉄」が「寸」どころですまない大記事なのはご愛敬だ。

「ふはは~今日も聖教新聞にはいい記事が一杯だな」

聖教新聞特別編集版を見て満足しきった池田は朝食の食卓に
http://shizu.0000.jp/read.php/cult/1033356504/


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池田会長が勤めていた大倉商事という会社は手形割引専門だったのですが、手形を担保にして金を貸すわけですから手形が不渡りになると取立てが凄いです。
池田会長は、病人の布団を本当に文字通りはいで持って帰ってきたんです。江戸時代じゃあるまいし他人の使った布団なんか売れません。しかし、布団をはがれたほうは本当に凄い恐怖を感じるので親戚を廻って金を借りてきて返すわけです。池田会長は頭が良いですね。

大倉商事は創価学会の会社ですから、取立てで抜群の成績を揚げた池田会長は創価学会に引き抜かれて、その後出世をして会長になったわけです。

http://dolby.dyndns.org/upfoo/up.php?log=21248

池田大作は寝ている病人の布団を剥いでゆく手口の金融業で富を築いていた。それを大幹部に分け与え味方に付けたと言われる。当時、池田大作は普通の会社員の100倍近くの給料を貰っていた。

http://sky.geocities.jp/mifune008/000a.htm

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肩で風を切って歩いていた当時の池田大作/右は大蔵商事時代の名刺(『週刊新潮』H15.12.18)
http://sudati.iinaa.net/ikeda/kasikin.html


池田大作の履歴


1928年 東京都 荏原郡大森入新井町(現在の大田区大森北2丁目)に生まれる

1947年 戸田城聖氏と出会い創価学会へ入る

1950年代に戸田氏の事業、大蔵商事営業部長として、高利貸し業に辣腕を振るい、病人の布団をはぐ。債権の踏み倒しも行う。

1952年に起こった狸祭り事件で、正宗の坊主に集団暴行。

1955年頃から創価学会参謀室長として、謀略に明け暮れる。
また1957年には選挙違反(買収・戸別訪問)で4年の裁判。
自分だけ助かり、指揮下の学会員20名は有罪で除名。

その他 1967年には39歳で富士短大を裏口卒業。
正本堂建立資金の(当時)数十億を横領。


1970年には言論出版妨害事件。

1973年頃~80年頃に掛けて共産党盗聴事件。

1974年に本尊摸刻。1981年に会長辞任。

1976年に起きた月刊ペン裁判を有利に運ぶため、月刊ペン社に2000万円を裏金として不正支出。(判決文に明記)


その後も レイプ。時効を声高に主張して揉み消し。
勲章受賞の為に次々に買収工作。韓国・ブラジルなど多くの国で露見。

1990年には30億円の無申告・脱税により修正申告。
その頃からフランス・オーストリア・ベルギー・チリで、カルトと認定される。

「世襲はしない」と名言したのにも関わらず、博正への世襲の準備。夫人の神格化を謀る。

http://8724.teacup.com/sokasoda/bbs/2530


池田大作は、入信後、中小企業団体の事務員などをしていたが、それ以前、ブラブラしていた時期、川崎市から大田区を縄張りにする暴力団金融の手先となって、貸金取立てなども手伝っていたという(あるいは、ヤクザとの関係は、後述の、東京建設信用組合の整理の際、生じたともいわれる)。  その池田大作が創価学会の座談会に出席したのは、ナンパした女性が学会員であり、さそわれて鼻の下を長くして出席したところ、きびしく折伏され、女性にとり入ろうとしていやいや入信したのである。

 余談であるが、この女性は池田大作をソデにしたため、一族は後になって池田大作から長期にわたって陰険な仕打ちを受け続けた。  入信しても、ロクに勤行もせず、ブラブラしていた池田大作に戸田城聖が目をつけたのは、その、あつかましさと抜け目のない〝商才〟であった。
 
池田大作が最もその才能を発揮した「大蔵商事」営業部長時代のことは、ほとんど語らない。自分の出世につながった〝金貸しの手代〟時代を、池田大作は、思い出すのもおぞましい〝汚い仕事〟として、ひた隠しているのである。

http://www.toride.org/takeov/takeov.htm


池田大作の実像
http://sudati.iinaa.net/ikeda.html#kasikin

高利貸池田大作〝取り立て〟のすご腕


  〝信仰心〟という〝葉っぱ〟を〝月三分〟という高利でくすぐり、〝出資金〟という〝お札〟に替えることに成功した大蔵商事は、その金を〝月七分〟以上で貸しつけ、或いは〝月一割〟という高利で手形割引にまわした。

 現在、年利一%台の預金金利が常識となっている時代には、一般庶民には考えられないような高利の世界である。だが、終戦直後のインフレ期からようやく抜け出そうという昭和二十五年当時では、当然といってよい金利であるし、現在でも、暴力団金融、町金融では、月五分、月八分、といった金利は、むしろ良識的ですらある。〝トイチ〟(十日で一割)とか、〝カラス銭〟(カラスがカーと鳴いたら一割上るという、日歩一割〟といった金融もいまだに根強く存在しているのである。  〝高利〟には、貸倒れに対する危険保障がふくまれる。貸倒れになる確率の高い金融ほど利息が高いのである。

 つまり、大蔵商事の貸付金利は、当時の経済情勢からすれば、リーズナブルなものであったのではないか。そして、その金利で利益を上げるということは、〝回収の確実性〟が必要である。貸しつける元金を確保するのも大仕事であるが、貸付けた金の回収は、もっと大仕事である。だからこそ、弁護士や、取立て屋や、更には暴力団などがそこでシノギをしている。だが、こうした〝取立て職人〟をつかえば、コストは飛躍的にはね上る。少々の利息など吹きとんでしまう。

 金融の営業マンの腕の見せどころは、まさに「取り立て」にあると言えるのである。  貸し出すときの調査、法律手続、担保、そして、コゲついた時の対応。  先述の森重章は、  「それは、池田先生は、群を抜いていましたよ。だれも及びませんでした」 と語った。  学会員から金を借り入れる時の、ニコヤカで礼儀正しい青年が、取り立てる時は、冷酷非情に徹しなくてはならない。

 よく、  「寝ている病人のフトンをはがして行く」 とか、  「ナベ、カマまで持って行く」 とかいわれるが、それに似た徹底さがなくては、金融業はやっていけない。  東京安全信用組合の失敗や教訓として、戸田城聖と池田大作は、貸出先を厳選した。聖教新聞の広告を見て、倒産間ぎわの学会員が大蔵商事を訪れても初めから相手にされなかった。  

「うちは、あなたのような人が利用するところではありませんよ。利息は高いし、一度借金地獄に入ると抜けられなくなります。悪いことはいわないから、地道に努力しなさい。あなたのために言うんです」
 
会員をいたわるような口調でていねいにことわられる。  ことわられた会員は、  
「戸田先生は、商売気抜きでそこまで私のためを思って下さる」

と逆に感激する。  その一方で、回収の見込みがあり、或いは担保の充分ある相手にはどんどん貸し付ける。それでもコゲついたら、容赦なく担保を流す。足りなかったら、「寝ているフトンをはがす」こともやる。


 こういう仕事の過程で暴力団など裏の組織との接触も当然生じる。  終戦直後のインフレ、そして次にデフレ。戦災で打ちのめされていた日本経済に、チャンスが訪れていた。  昭和二十五年から七年にかけての朝鮮動乱は、我が国に〝特需景気〟をもたらし、経済は一気に立ちなおりはじめた。  「一ヵ月たつと物価が倍になり、お札の値打ちは半分になる」 といった時代。  「ものを作ろうにも金も資材もなく、作っても売れない」 といった時代。  それをしのいだ後に、  「作りさえすれば売れる」 という時代が到来したのである。  

町工場も企業も、設備投資と増産に走り、そしてそれがもうけにつながった。強い資金需要と好景気の中で、大蔵商事にとって有利な貸付先に不自由せず、しかも倒産とか貸倒れといったケースが少ないという経済状況は、願ってもないことであった。

担保品売りさばく〝東洋精光(物産)〟

  その中で、戸田城聖は、更に抜け目なく手を打った。  貸出し先の会社を強引に乗っとると、その会社で、大蔵商事が引きあげて来た担保流れの品を、学会員向けに売りさばくことを始めたのである。  これが「東洋精光」後の「東洋物産」であり「社長会」のメンバーで記録係の一人をつとめたとされる木村靖氏は、その社長である。  もっとも、「東洋精光」のスタート時は、社長は北条浩であった。後の四代会長であり、池田創価学会の大番頭として常に潤・Qとして君臨した人物である。

大蔵商事=池田大作、東洋精光=北条浩と、三代、四代会長がいずれも創価学会本体からではなく、外郭会社から出ていることは、まことに興味深い。  北条浩は、小田原の北条早雲の子孫で、戦前の侯爵・貴族院議員の家の長男である。海軍兵学校を卒業後、〝銀河〟のパイロットになり、終戦を迎えた。戦後は、一介のサラリーマンとして北陸路に勤務したりしていたが、柏原ヤスの折伏で創価学会に入った。  戸田城聖は、北条浩の家柄と人格に目をつけ、青年部発足時には、〝第一部隊長〟に任命している。このとき、池田大作は、竜年光第四部隊長の元で班長だった。

 この北条浩を東洋精光の社長にすえ、池田大作ひきいる大蔵商事と営業成績をきそわせたのである。  大蔵商事が学会員から集めた金を、高利で貸しつけ、運用する。その際生じた担保流れ品を中心に、いろいろな物品を東洋精光で、学会員に売ってもうける。  東洋精光は、学会幹部のセールスマンをつかって、学会員に、ナベ、カマなどの日用品から、電気製品にいたるまで、何でも売っていた。それも、利幅の大きい、二流、三流のブランド品であった。

 社長会記録によれば、池田大作は、この東洋精光に対して、もっともひんぱんに口出しし、実質的な社長兼営業部長の観がある。  私が中西治雄に聞いたところでは、  「戸田先生は、池田先生と北条さんに、大蔵商事と東洋精光でもうけをきそわせていました。しかし、いつも池田先生が上でした」という。  池田大作は、金融業もさることながら、物品販売にも異常な関心を示している。大蔵商事から手を引いた後は聖教新聞等の出版収入と外郭会社の物品販売が〝池田商法〟の中心になる。それは、後刻、「社長会記録」の解析によって明らかにする。  要するに、東洋精光もまた、創価学会と一体不二の関係の企業であり、池田大作が〝葉っぱ〟即ち〝信仰心〟をお札にかえるための工房であった。この大蔵商事と東洋精光で、当時、創価学会の首脳は養われていた。

http://8555.teacup.com/nichirenshoshu/bbs/1417

池田氏が産声をあげたのは、1928年1月2日。現在の大田区大森北2丁目あたりだ。海苔業者、池田子之吉・一夫婦の第6子(五男)、本名・大作(のち大作と改名)として生を受けた。

頭脳も肉体も取り立てて誇るべき点のなかった池田少年は、極貧の少年・青年期を送っている。

創価学会側が出している『年譜・池田大作』(第三文明社刊、以下『年譜』と略)によれば、7歳頃から、父・子之吉がリューマチで寝込むようになり、この後、家業の海苔作りを手伝い始めたと記述されている。

兄たちの出征でますます貧しくなった池田少年は、午前2時に起床して、海で海苔張り、4時から新開配達、学校が終われば、海苔はがし、夕刊配達、夜は海苔のごみとりといった生活を送る。尋常小卒業後は、後に萩中国民学校と改称される高等小学校に進学、卒業後は、新潟鉄工所に勤務。強制疎開や空襲によるバラック住まいなど、池田家の貧困生活は子沢山だっただけに厳しかったようだ。

地元に残る数少ない小学校時代の同級生によると、

「昭和17年に萩中国民学校を卒業する時、池田君は4組にいました。彼はとにかく印象のない男だったね。勉強も目立たないし、身体も強くない。それに海苔漁師はみんな貧乏だった。彼の家はたしか分家で、生活は特に苦しかったはずです。後で創価学会会長があの池田だなんていう話になって、みんな驚いたものですよ」


戦争が終わっても、池田青年の極貧生活は変わらかった。 その貧しさは、まだ2代会長戸田城聖氏の弟子時代の池田青年が、東大の宗教学者・小口偉一氏に答えたインタビューでも窺える。


(小学校では栄養不良で三・四回も死にそこない、がんらい身体が非常に弱かったんです。終戦の年には六回目の肋膜をしていましたし、肛門性もので、耳や鼻などみんな悪く、血痰がでてたんです。(略)

三年目の八月に戸田さんの出版に小僧から入りました。信用組合にも入っていたんですが、給与もなく乞食同然で苦しくてしかたなかったんです。(略)信仰しなかったならば二三くらいで死んだだろうといわれています)

(56年・『新心理学講座4宗教と信仰の心理学』)

当時、池田氏が住んでいたアパート、青葉荘の元管理人(78)が述懐する。「池田さんは、ここに住んでいました。当時、アパートはコの字型に3棟ありましてね、その一つの東向きの4畳半に住んでましたよ。結核で一時期酷かったようです。祖母が熱にうなされる池田さんに薬を持っていったこともあるそうです。冬の寒い日、熱があるので、池田さんが窓を開けて、鏡だけそこから出して寝ていたこともあったと開きました。当時すでに宗教に人っていて、経を唱える声が大きくて注意したこともあったようです」

極貧の上、結核にまで侵されているのでは、その生活の悲惨さは想像を絶するものだっただろう。

ジャーナリストの溝口敦氏は、『池田大作ドキュメント 堕ちた庶民の神』で、
(ふつう新興宗教に入信する動機は、一口に病・貧・争といわれるが、池田はそのすべてを体験したわけである>と指摘しているが、池田氏の特異な人間性は、こういったどん底の環境の中で形づくられたと思われる。

先の『年譜』は、池田氏と創価学会の出会いを以下のように記している。
(47年(19歳) 8月14日 小学校時代の同級生に誘われ、創価学会の座談会に、「協友会」の友人二人を伴って出席(蒲田・三宅ゆたか宅)。戸田城聖と出会>)

この時、池田氏は、戸田の人柄に感銘して突然立ち上がり、こう述べたという。
「先生が、青年らしく勉強し、実践してごらんと、おっしゃったことを信じて、先生について、勉強させていただきます」

さらに、即興詩を披露して感謝の意を表したことになっている。

これは、学会・池田氏の「正史」だが、池田氏の貧困からの脱出ストーリー、学会への入信、さらに現在に至るサクセス物語には、しばしば手が入れられ、美談に仕立て上げられている。実は、この戸田氏との出会いも虚偽である。

ここに登場する三宅宅での出会いを詳細に語りうる人物がいる。その家の娘・三宅妙子さんだ。三宅さんは父親が地元・蒲田の支部長を務め、しばしば自宅で座談会が開かれていた。そこには多くの信者が集った。池田青年は確かに妙子さんの姉が誘ってきた3人の小学校時代の同級生の〕人として、座談会に現れてはいる。が、「いま創価学会で言われているような、池田と戸田先生の伝説的な出会いはそこではありませんでした」と妙子さんはいう。

「『人間革命』や学会の書物には、美化された出会いが描かれていますが、その日、我が家には戸田先生はいらっしゃらなかったのです。もちろん、池田は詩も詠んでいませんでしたよ。彼は我が家に来てから、10日後に入信します。私は池田にデートに誘われ、日比谷に映画を見に行ったこともあるので、当時のことはよく覚えています。あの頃の池田は、

〝今に見ていて下さい、僕のこれからを見て下さい″

と、よく言っていました。上昇志向が非常に強い人でした」


金融取り立てで辣腕


創価学会に入信し、戸田と出会った池田氏は、やがて権力への階段を駆け上がっていく。

上の名刺と写真をご覧いただきたい。大蔵商事 - 現在の池田氏を語る上で、避けて通ることのできないキーワードである。当時、戸田が自分の愛人らを役員に据え、小口金融、今でいう消費者金融の大蔵商事を設立、ここでメキメキ頭角を現したのが池田氏だったのだ。池田氏は、この大蔵商事営業部長という職をきっかけに一気にそれまでの貧困から抜け出し、創価学会第3代会長への道を実き進み始めるのである。

創価学会元教学部長の原島嵩氏が振り返る。「大蔵商事というのは、今のサラ金の原型とでもいうものです。利回りがいいという売り文句で資金調達をし、それを貸し付ける。貸付先の多くは個人、会社もあったようですが、いずれにしても学会員たちでした。彼はそこで、資金調達や取立てに殊腕を振るい、やがて学会を資金面で牛耳っていったわけです」

どの世界でも、財布の紐を握るものは一番強い。

小川頼宣・創価学会本部元広報部副部長がいう。

「戸田城聖第2代会長は金の面は自分で何とかしようとして、大蔵商事など金貸しや信用金庫などを随分とやったんです。その尻拭いと言うか、酷な言い方をすれば金貸しの手代をしていたのが池田大作です。彼も当初は好きでやっていたわけではないと思うのですよ。

しかし、彼には才能があったようで、池田が〝ここ金あるよ″という家には、見た目は貧乏な家でも必ず金があった、ということを古参の幹部から開きました。逆に門構えの立派な家の前で〝ここはどうだ?″なんて聞いても、池田が〝ここにはない″と言えば、その通りだったそうです」


先の池田氏の小学校時代の同級生は、大蔵商事に入った頃の池田氏をこう語る。

「昭和25年に池上でやった最初の同窓会に現れた時だったな。あの時のことは今でも忘れられない。昭和17年卒業組は今昔会という同窓会を開くんだけど、その時、池田は遅刻してきた。同窓会に顔を出したのは後にも先にもその時だけだよ。遅刻してきたのに、恩師に挨拶もせずに、どっかりと席をおろして、いきなり演説を始めたんだ。大きな声で。みんな驚いたよ。遅刻してきたのに、いきなりですからね。ひとしきり自分の話が終わったら、初めて〝おっ先生、元気か″なんて片手をあげた。田中角栄みたいなあれだよ。目立たないだけのあの男が、いつの間にかそういう尊大さを身につけていたんだ」


大蔵商事時代の彼が、水を得た魚のごとく活き活きとし、さらに周囲が驚くほどの尊大さを身につけ始めたのは注目に値する。

やがて戸田から信頼を得た池田氏は本部の青年部を経て、参謀室長に抜擢されることになる。池田氏は後に、大蔵商事時代について、こんな発言を残している。


「大蔵商事では一番いやな仕事をした。どうしてこんないやな仕事をするのかと思った。鶴見で、まったく未開の所へ地盤をつくりながら、同時に学会員を起してきた。私は何もないところから闘った。当時は戸田先生が世界一だと云っても通用しない。本当に苦戦の連続であった」


「戸田先生は葉っぱを御札にする。本当にする。そうしなければ広宣流布は出来ない。必ずそうする。広宣流布の為ならば葉っぱを札にしてみせる、.と云う戸田先生のきょう信が今日の学会を築いた。それだけにきびしかった。学会はこの精神を忘れてはならない」

(いずれも68年2月10日の『社長会』にて)

この高利貸し時代は、あらゆる面において、今の池田氏をつくる基となったことは間違いない。

そして58年4月、肝臓と糖尿が悪化して戸田が鬼籍に入った後、池田氏は権力闘争に勝ち抜き、60年5月、第3代創価学会会長に上り詰めるのである。

池田氏はよほどこの大蔵商事時代に触れられたくないのか、先の『年譜』でも、(・50年(22歳) 11月27日 この年の秋より戸田城聖を顧問として営業を開始していた大蔵商事の営業部長となる>と、簡単な記述があるのみだ。

やはり、「消費者金融の営業部長」の肩書は、「池田博士」 にはあってはならないものなのだろう。

怨念とコンプレックス

長い長い池田氏の人生を語るにはとても紙幅が足りないが、彼の人生を振り返ると少年・青年期の貧困や病気、そして学歴へのコンプレックスや怨念が権力を手中にした途端、それまでの鬱憤を晴らすかのように一気に解き放たれたように思えてならない。

会長就任の5年後、37歳の池田会長にインタビューした評論家・高瀬広居氏の『人間革命をめざす池田大作 その思想と生き方』(65年)の一節は興味深い。
(池田会長は、モダンな本部応接室のアームチェア一にアグラをかき直すと、煙草を一服し、静かに、そして激しい語気でいった。


「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」


同席の大幹部数人は深く肯き、息をのんだ>

何年か前までは、拭い難いコンプレックスの只中にいた青年が、短期間にこれだけの言葉を吐くほど変貌したことに驚くのは、筆者だけではあるまい。そして同時にこの37歳という年齢で、すでに池田氏を諌める人物もいなくなったのは、学会にとってだけでなく、池田氏本人にとっても不幸なことだったに違いない。
池田氏、そしてその周囲は、その後、〝池田神格化″のために、滑稽なまでにあらゆる手を講じるようになるのである。

元学会幹部の解説では、

「日蓮大聖人が修行したという由緒ある千葉県の清澄寺というお寺では、寺を初めて訪ねた池田氏が、境内にある杉の大木をなでながら〝久しぶりだな″と呟くエピソードがあります。池田先生は700年前の日蓮大聖人の事を知っていらっしゃる。きっと大聖人の生まれ変わりに違いない、と会員に思わせるわけです。しかし、その木は実際には樹齢400年だったそうです」


また、池田氏はよく会員の前でピアノを弾くが、これも鍵盤を叩くだけで、実際には自動演奏のピアノだったり、うしろからメロディーを流しているのだそうだ。それでも女子部員たちは感激で、涙、涙なのだという。

「池田が訪れる会場周辺の花を咲かせるという古典的な演出もあります。期日に合わせ、地元の人が何週間も前からドライヤーで花の蕾を温めるのです。多くの会員が梯子を持ち出して延々とその作業を行い、見事、満開の桜を咲かせたこともあります。先生のお陰で一夜にして桜が咲いた、というわけです。

池田は〝見事だ。よくやったね″と満足気に言い、それを開いて会員達はまた涙を流すのです。魚など1匹もいないドブ他に事前に鯉を放流して池田に餌を撒かせ、〝ここには魚はいないのに、先生が餌付けすると蝕まで現れてしまった″と会員達を感激させた例もあります」(同)


冒頭にも触れた異常な勲章や博士号のコレクターぶりといい、池田氏がここまで自分を神格化する根本は一体なんなのか。

前出の原島嵩氏によれば、

「やはり根底にあるのは池田のコンプレックスでしょう。例えば、彼の学歴は富士短大中退です。しかし、20年近く経ってから、卒論を桐村という教学部の幹部に書かせてまで卒業しました。

幹部には東大卒や早慶卒なども多いのですが、彼らを前にして 〝お前たち、馬鹿だろう″などといっては〝はい″と答えさせ、悦にいっていましたね。

最高学府を出た人たちをひれ伏させることに彼は喜びを感じるわけです。そしてもう一つは、権力へのコンプレックスです。彼は57年の参院補選で選挙違反で逮捕(大阪事件)されたわけですが、この時に権力の恐ろしさを学び、復讐を誓い、それが今の行動につながっているのだと思います」


こうして独裁者となった池田は、折々にこんな発言を残すようになる。

「今の政治家は、やれ勲章を貰うとか、金をとるとか、また有名人は利己主義になって、自分の名だけ売って、金儲けをするとか、めちやくちやな世界であります。私ども創価学会員は、位もいらない、有名でなくともよに、大臣もいらない、また権力もいらない」

(63年8月3日付、聖教新聞)


「勝つか負けるか。やられたらやりかえせ。世間などなんだ。私は恐れなど微塵もない。勇者は私だ。(中略)反逆者には『この野郎、馬鹿野郎』でいいんだ」(埼玉指導 89年3月12日)


「2001年5月3日、広宣流布の同志を裏切った者の大罪を、厳然と天下に公表したい。(略)宗門の悪侶、学会の反逆者を書き連ね、その罪科を、血涙をもって後世に残したい。永久追放の証としたい」

(94年9月2日付、聖教新聞)


「師である私が迫害を受けている。仇を討て。言われたら言い返す。打ち返す。切り返す。叫ばなければ負けである。戸田先生も、牧口先生の仇をとると立ち上がった。私も戸田先生の仇を取るために立った。私の仇を討つのは、創価同窓の諸君だ」(96年11月3日 『創価同窓の集い』にて)


その言葉の激しさには、やはり驚嘆させられる。創価学会が持つ、敵対者への激しい憎悪や復讐心は、彼の屈折した半生から出てきたものと思わざるをえないのだ。

日本支配の欲望

「彼特有の他人や敵への異常な攻撃性というのは、持って生まれた性格の他に自身の極貧、病弱体質、能力の凡庸さへのコンプレックスからくる世間への怨念が影響していると思います」

というのは、ジャーナリストの乙骨正生氏だ。

「池田氏は口癖のように〝自分は戸田先生の復讐のために立ち上がった″〝師である自分が迫害された時は、自分の仇を討ってくれ″と言いますが、これは自分を認めようとしない世間への強い恨みに満ちたものだと思います。海外から何百という勲章をもらおうと、池田氏をよく知る日本では、静岡の富士宮市の名誉市民以外、なんの称号ももらえないのです。海外の大学から名誉教授の肩書をもらい、様々な勲章をもらって悦にいっているのは、いまだにそのコンプレックスを克服できない証拠ではないでしょうか」


宗教学者の山崎龍明氏(武蔵野大学教授)も、やはりコンプレックスをキーワードに、こう総括する。

「オウムの麻原もそうでしたが、私もやはり池田氏を考える場合にこの言葉が第一に浮かびます。大森海岸の海苔屋に生まれ、学歴もない彼が、社会的に認知されている人をコントロールできる快感を覚えたのではないでしょうか。彼らの共通点はエリートを支配することに喜びを感じることです。

池田さんは実は非常に小心で、自信のない人だと思います。自信あるリーダーというのは、相手を一方的に支配しようとはしません。気が小さいからこそ、怖いのです。

しかし、問題はそのリーダーに率いられ、肥大化した集団が信者どころか、日本全体を支配しようとしていることです。宗教、教団が持っている暴力性、.排他性、差別性というものは物凄く強い。ヨーロッパの歴史を見れば分ると思いますが、肥大化したこういう集団を動かした時には無限の力が働き、人間一人一人を蹂躙していくことは歴史が証明しています。排他、除外というものは、宗教によって美化されます。普通の組織、政治とは違った、宗教自身の持つ恐ろしさを忘れてはなりません」

http://www.asyura2.com/0505/cult2/msg/532.html


「池田大作の素顔」


池田氏が都合のいい時だけその名前だけを利用する二代会長の戸田氏に対しては、死の直後に池田氏が戸田氏宅に乗り込み、遺品類、古美術、など四億円相当の遺産を強制的に差し押え、葬儀に寄せられた四千万円あまりの香典さえ、遺族に渡さず、創価学会が取ってしまい、未亡人らの抗議でやっと、ほんの一部が返されただけだそうです。そのあとも色紙、メダルにいたるまですべて回収して二代会長色を一掃したそうです。自宅は、池田氏会長就任後に池田氏自身の手により売り払われたそうです。

 死んでしまえば、自分の師だった方の御遺族に対してのこの醜い鬼畜のような仕打ち。流石、池田大作ダイセンセイ。病人の布団も平気で剥ぐという高利貸しとしての経験を余すところ無く活かしきっております。(鬼畜と一緒にしたら、鬼畜に対して失礼かも)

いいずれにしても、宗教家らしからぬ池田大作ダイセンセイのその人なりをよく表している事例です。


 まあ、河岸でも御葬式の時に喪主の奥さんが創価学会員だったりすると、創価学会がハイエナのようにタカリに来るので、香典は包まずに御焼香だけすませて、後日、組合長などが皆の香典をまとめて喪主にそっと渡したりしています。

 池田大作ダイセンセイの行状ついてのエピソードとして、藤原行正氏はその著書「池田大作の素顔」の中でジャーナリストの内藤国夫氏の文章を引用しています。


〈当時、青年部参謀室長の職にあった池田大作は、会長の死の直後に時を移さず、目黒の戸田先生の家にのりこんだ。幾子未亡人をさしおいて戸田先生の遺品類や、古美術品、学会関連事業の重要書類など、四億円相当の遺産を強権的に差し押さえ、学会本部に持ち帰った。あまりにむごい什打ち、と嘆き悲しむ遺族の懇望で、後に四干万円相当の遺産が返却されたものの、大半は創価学全の所有に帰した。

 あこぎさはそれにとどまらなかった。戸円先生の葬儀に寄せられた四千万円余りの香典さえ、遺族には渡さず、創価字会が独り占め。幾子未亡人らの再三の抗議で、四十九日法要をすませてのち、ほんの一部が返されたのみ、という。

 そういうあくどいことを一方でしながら、他方で、歯の浮くように「恩帥」をあがめたてまつる。池田人作氏の人となりを示すエピソードといえよう〉
(「現代」五十五年七月号)

 同じく池田氏の人なりを表すエピソード

 旅行先での食事時が大変なのである。大広間にズラッと並んで食事している全員が自分に注目していないと池田はヘソを曲げる。よそ見したり、隣の人間と話したりしているとあとが怖い。国会議員などそれだけで、次期出馬を棒に振る可能性だってあるから、全員が声も出さず、咳払い一つせずシーンと静まり返っている。 それを見て、池田が満足そうにみんなに声をかける。

「もっと気楽にしようや」

 しかし、その言葉を真に受けたら大変だ。「この野郎っ」と睨まれる。

 驚くのは旅館の仲居さんたちだ。それはそうだろう。テレビで見かける公明党の竹入義勝や矢野絢也あたりが小学生のようにかしこまって、おとなしく箸を動かしているのだ。大広問全体に陰気な空気がただよい、ご満悦の池田一人が胸を張って、だれかれ構わず名前を呼び捨てて上機嫌なのである。

「さあ、みんな今日は飲むだけ飲んで騒こうじゃないか。無礼講だ」

池田はそういうが、本人が下戸だからテーブルにビール一、二本がせいぜい。宴会といっても池田がいる席では、酒に酔ってのバカ騒ぎは絶対禁止である。ビール一本追加注文するのにも池田の許可がいる。だれも白分からいい出すのは許されない。池田のおごりでもないのに、すべて池田の気分次第だ。池田が頷いてからやっと追加ビールがくる。そのたびに、側近のゴマすり副会長あたりが広問中に響くような大声で知らせる。

「池田先生のご配慮でビールを追加いたしました」

「いただきまあーすツ」


 大の甥がビール一本もらって全員声を揃えて最敬礼する。もちろん、学会の秋谷会長、森田理事長、公明党の大久保書記長らもその中にいる。 世間の人はこれをつくり話と受け取るかもしれない。が、創価学会、公明党とはそういう組織であり、池田は学会内部の絶対的権力者なのだ。

 もう一つ、日常的な光景を紹介しよう。題して「池田先生のお下げ渡し」である。

 池田はよく学会や公明党の幹部たちと会食する。その時、池田のテーブルにだけ十数種類の料理がズラリと並ぶ。ほかの人問の御膳にはわずかに一、二品。池田は自分のテーブルの料理におもむろに一箸つけては、その皿をほかの参会者に回すのである。そのたびにまた患部たちは揃って礼をいわねばならない。

「いただきまあーすツ」

外部の人がこの光景を目のあたりにしたら、滑稽をとおり越して異様な不気味さを感じるたろう。


 随分前に女優の杉田かおるさんが、この池田大作のことを週刊誌に書いていました:

週刊ポスト1999年9月3日号より

 1985年の春のことである。アメリカ大使館の一行が公明党機関紙である聖教新聞社を訪問するという。そこで、杉田を含む「芸術部」メンバーが迎えることとなった。 ところが、会食の席上で、杉田の耳に入ってきた池田の言葉は、おおよそ宗教とはほど遠いものだった。

「“男は嘘つきだから気をつけろ”とか、“戸田先生(故・学会2代会長)はお金儲けが下手で、苦労した。私は、26歳のとき戸田先生の下で出版業をやって成功した、もう二度と金に苦労しないと思った”などという話でした」

 食事は進み、残るは最後のデザートだけになった。テーブルには一つの皿が運ばれてきた。その皿にはメロンが載っていた。

「このメロンは天皇陛下と私しか食べられない」

 池田はメロンを指して自慢げにいった。池田のメロン好きは有名である。池田はスプーンでメロンをすくいうまそうな表情で、一口食べた。そして周りを見回していった。

「みんなに食べさせて上げよう」

 貴重なメロンである。杉田は、そんな貴重なメロンをみんなに味わわせてあげたいと思っている池田の思いやりに少し感激した。 ところが、池田は、自分の食べかけメロンの皿を横の人間に回した。そしてその人間は、同じスプーンでメロンをすくい口に運んだ。そして次へ・・・。 彼らは喜んで次々と同じスプーンを口に運んだ。 席には男性幹部や女優たちがいた。中には、スプーンをしゃぶるようにする中年の幹部もいた。嫌悪感が背筋を走った。

 だが、そう感じているのは杉田だけのようだった。皆、嬉しそうに「美味しい」といっている。誰もスプーンを持ってきてくれと頼む人はいない。皿が、だんだんと杉田の席に近づいて来る……。

「無意識に顔を顰めて“食べたくない”という顔をしていたのかもしれません。隣に座っていた婦人幹部から睨みつけられました」

 メロンの皿は、杉田の隣まで来た。メロンの大部分はすでに削り取られており、どろりと汁が皿にこぼれていた。 そして皿は杉田の前に回ってきた。池田以下、テーブルを囲んでいた人々の視線を感じた。杉田は覚悟を決めた。なるべく少なくメロンを削りスプーンに載せた。しかし、力を入れすぎたのか、結構の量がスプーンに載っていた。一瞬目をつぶって、口の中に入れた。なるべく味わわないように飲み込んだ。

 池田は自分が食べた後、残りを周囲の幹部に回す習癖を持っている。忠誠心を試しているともいわれるが、幹部たちはこれを“お下げ渡し”と呼ぶ。


 時は、それからしばらく下る。場所は、信濃町の学会本部近くのレストラン。学会御用達の店の一つである。杉田たちが池田と会食する機会が巡ってきた。 その場には、杉田などの芸術部員のほか、学会顧問弁護士や女子事務員、それに副会長たちが席を埋めていた。出席者が揃ったところで、池田が顔を見せた。 席についた池田は、テーブルをぐるりと見回し、まずは杉田たちの芸術部員の方を向いていった。

「今日は誰が来ているの。ああ、芸術部員ね、華やかだね、綺麗だね」

 そして、体の向きを変えた。

「こちらは? 弁護士? 秘書? ああ、弁護士など人間の最低の境涯ね。でも、本気で修行すれば、来世はもっといい者に生まれ変わるからね」

 また向きを変えた。 「こっちは副会長か、バカどもの集まりね、はい、では食事をしましょう」

 池田のそうした態度に対して、愛想笑いをしている側近幹部たち。杉田はとても笑顔を作ることができなかった。

「もう、学会との関係は断ち切ろうと決断しました。信仰というのは、個人の問題。信仰を捨てようとは思いませんが、学会から離れて自分を見直したい、そう考えたのです」


 確か、同様の事があの佐高信氏とテリー伊藤氏が書いた「お笑い創価学会」にも出ていました。こちらはクリームソーダだったとおもいます。同じく、創価大学では飲み残しの水を「お下げ渡し」する場面も書かれていました。


http://www.tamanegiya.com/ikedabutanosyoutai.html
http://www.tamanegiya.com/osagewatasi.html
2:777 :

2022/05/29 (Sun) 17:35:33

すべての女性から慕われる池田大作先生のお姿


羨まし過ぎるけどこれ本当?


池田大作率いる創価学会が、その本家本元である日蓮正宗宗門から破門されて以来、すでに三年目を迎える。

その間、日蓮正宗を憎悪する学会では、日蓮正宗の管長である阿部日顕上人はじめ、同宗の高僧や有力信徒らに対し、「よくぞ、ここまで」というほど、さまざまなスキャンダルを材料に、名誉毀損に当たる中傷記事や怪文書を作成しては攻撃し続けてきた。しかも創価学会側では、どうやら、宗門は裁判の煩わしさから、これらの名誉毀損事件を告訴(もしくは提訴)してこないだろう_との見通しを持っていたと見えて、

 機関紙上に「日顕側がどこまでも学会報道を虚偽と言い張るのであれば、行き着くところは、名誉毀損を巡る裁判しかあるまい。日顕が堂々と裁判所で自分の"潔自"を証明し、学会報道のどこがウソなのか、主張すればよい」「この恥ずべき事件は、日顕という最低男の正体を余すところなく示しております。これが、全人類を幸福に導く偉大な宗教の頂点に立つキングであっていいのでしょうか。もしも、この記事が虚偽、デッチ上げだと主張するなら、名誉毀損で訴え、法廷で堂々と争い、身の潔自を証明すべきです。それができないのであれぱ、残された道はただ一つ、『退座』の二字のみです」等々とブチ上げてきたのである。

 ところが日蓮正宗側では、これらのいわれなき誹謗中傷を打ち払うべく、じっくりと調査や証拠収集を重ねた上で、相次ぎ法的措置に踏み切った!その代表的なものが、いわゆる偽造写真事件(※学会が写真を合成したり変造して、"日顕上人が芸者と邪淫・淫乱にぷけっていた"などという提造報道を行なった事件)であり、シアトル事件(※学会が"日顕上人は三十年前にシアトルでバイシュン婦とトラブルを起こした"と報道したもので、すでにロスにおける裁判では学会側が敗訴した事件)である。

この他にも、学会から怪文書攻撃を受けた宗門信徒が学会幹部ら十数名を名誉毀損で訴えた事件_等々誹諸中傷を浴びせていた時のカラ元気はどこへやら、一転、被告人となってしまった創価学会であるが、ここで、どうしても忘れることのできない問題が、もう一つある。       

学会の支配者・池田大作自らの膨大なスキャンダル間題である。池田のスキャンダルといえば、それを報じた『月刊ペン」に対する名誉毀損の裁判が記憶に蘇ってくるが、池田創価学会が名誉毀損で訴えたのは、わずかにこの一件だけ。しかも、その顛未はといえば、原告側である学会が、陰で、被告の『月刊ペン』社に三千万円もの大金を支払ったり、結果として、池田スキャンダルは立証できなかったものの、"そうとうに疑わしい"旨の判決が出るなど_真っ黒に近い灰色であった。                                      それ以外に、各マスコミ等で大々的に報じられてきたスキャンダルについては、まったく訴えることすらできず、沈黙を決め込んでしまっているが、それこそ、「これらの恥ずべき事件は、池田という最低 男の正体を余すところなく示している。これが、"世界の指導者・広布の最高指揮者・宗教界の王者"などであっていいのだろうか。もしも、これらの報道を、池田側がどこまでも虚偽・デッチ上げだと言い張るのなら、これらを名誉毀損で訴え、法廷で堂々と争い、自分の潔自を証明すべきであった!それができなかった以上、池田は、これらの報道が事実であったと認めたことになる」本書は、これら、池田大作が暗黙のうちに「事実と認めた」数々のスキャンダル報道を、"池田大作「破廉恥行状記」"として、一冊に収録してみた。

池田は昭和三年生まれ、老体となりつつあるばかりか、糖尿病も患っているそうだから、今後は女性スキャンダルもあまり聞かれなくなるかもしれない。                  
その意味でも、池田がいかなる行状をなしてきたのか、一冊にまとめて記録に残すことには、大きな意義があるものと考えられるのである。

 また、本書を読むと、昨今、学会が日蓮正宗を攻撃してきたスキャンダル報道や怪文書の中味、表現が、ほとんビ、池田に対する世間からの非難・指弾を、ただ相手を変えて浴びせてきたものにすぎない、ということがわかる。

 つまり、池田大作を絶対無謬の存在として崇める創価学会が、悔やしまぎれの意趣返しの心理で、日蓮正宗に低俗攻撃を仕掛けてきたことが歴然としているのである。そうした、学会の手口を知る上でも、本書の刊行には意義があるも少々長くなったが、本書刊行にご協力くださった皆様方に御礼を申し上げ、「まえがき」に替える次第である。

http://www.toride.org/hrenti/hremae.html

1.池田大作乱行の動機


例の"三畳間証言"の小沢ヨネも、池田からミカンの食べかけと、ビールの飲みさしのお下げ渡しを受けるよう強制されている。(中略)池田の女性醜聞もお下げ渡しと同様、考え方として二分類できるのではないか。

一つは相手の女性が心から名誉と考え、女性の方から積極的に近づく場含である。(中略)現に中年の一女性学会員は、こう放言してはばからなかった。「仏様に抱かれるなら、結構なことじやない。ふつうの男に傷ものにされてから嬢ぐより、どんなにいいことか。」ここにいう仏様とは池田のことである。

もう一つは、池田が忠誠心を試す場合である。まず迫って、その女性がイエスかノーか試される。次いで女性が独身なら、池田の手のついたその女性を妄ることを求められる男性が試される。飲食物に似た文字通りのお下げ渡しである。

女性に夫がいるなら、夫が、お手付き後でもその女性を大事にするかどうか試される。これはトウガラシを、目に火の玉カが飛ぶほど掛けられたウドンに似ている。夫には苛烈な体験である。《『創価王国の野望』103頁》

http://www.toride.org/hrenti/hre1.html


2.池田の手口と、女性信徒の信心利用して造った「奥の院」


 池田は、女子部大幹部たちや本部の女子職員に、身の回りの世話をやらせた。亭主持ちも独身も関係ない。相手はとにかく別格の会長先生。女性の側の気持ちは純粋である。不純なのは池田大作だけだ。

 最初は背広をかけさせる程度の用をいいつけ、狙らった相手の表情をうかがいながら肩を揉ませ、裸の胸をさすらせる。これが池田の女性攻略の手口である。

 若い頃からそうだったが、池田大作は他人から軽蔑されることを極度に恐れる。だから女性の場合も、目的を遂げられる相手かどうかを、用心深く見極める。その見極めのつかないうちは、実際行動には出ない。創価学会三代会長という立場を利用して、憤重に策謀をめぐらし、だんだん屈服させていく手を使うのだ。

 この手で、三十才前後から女性学会員を相手に醜い欲望を満足させてきたのが、池田大作という男である。(中略)このように、気に入った女性に目をつけると、家族ぐるみ創価学会職員としてかかえこみ、第一庶務や女子部幹部にとり立てる。そして多少あきてくると側近幹部に下げわたし、それでも気がむけば呼びつけて、身辺の世話をさせる。その夫は議員にしたり、幹部にして取り立てる、というのが池田のやり方なのである。

世間の人たちには、単に池田個人の猟奇や好色話として映るかもしれないが、池田大作の女性関係は、欲望を充たすことであると同時に、人をして精神的に屈服させ、支配するための手段なのだ。(中略)彼女たちは池田の目にとまりたいと願い、池田との親しさを競いあい誇示する。「お手付きになりたい」との声まで出る始末だった。あげくに、その念願をはたした当人たちは池田会長との特別な関係をほのめかして他に威張り、周りは「いいですねぇ」と羨ましがった。いってみれぱ人気スターと熱狂的ファンの関係、世間流にいうとそうなる。そして、池田は女性会員たちの倒錯した心理を悪用し「奥の院」をつくりあげた。それが一連の下半身スキャンダルを生んだ背景だったわけである。《『池田大作の素顔』210頁〉

http://www.toride.org/hrenti/hre2.html


3.池田の〃乱行〃の仕組みと具体的手口


池田氏は風呂好きで、一日に何回も入る人で、そ の時は午後でしたが、部屋の隅に浴衣、下着の類が置かれていました。その浴衣のすそに、赤い紅のようなものがついているのが見えました。女性の名前は出しません。

 そのあと、下へおりてからU現副会長が、私に「おい、見たか、見たか」と非常に興奮していうのです。私は、「いったい、なんのこと?」と聞くと、「赤い紅がついていたろう。あれは口紅なんだ」といいました。それで私も「あれは確かに血ではない、紅だ」と思いました。私は当時、結婚はしていましたが、そういうことはうぷで、フェラチオも知りませんでした。Uさんは、不良出身で、「あれはフェラチオだ。前からあんなふうなことやっているんだ」といい、私が「まさか」というと、「いや本当なんだ」といって、十数名の女性の名前をあげました。

 そして、第一庶務には、いわゆる第一庶務と、本当の第一庶務がある。本当の第一庶務とは、池田大作と肉体関係のある人たち。いわゆる第一庶務は肉体関係のない人たちで、特別施設などへ池田氏が行く場含、本当の第一庶務の人に、いわゆる第一庶務の人を組み合わせてカムフラージュしているのだ、ということをいいました。

 第三に、池田先生はここ十年間、暴力団の襲撃を防ぐために家に帰らないといっているが、本当は地方の各地にそれぞれの女性がいる。

 第四に、女性に胸のあたりをさすらせ、次いで腰をもませ、さらに男性の重要な部分を握らせて、そうして(心理的に)乗り越えさせるのだ、と、以上のことをUは話しました。「元創価学会教学部長・原鳥嵩氏の証言」《『池田大作の素顔」132頁》

http://www.toride.org/hrenti/hre3.html

4.妾を認め、超絶的オスとして振る舞い、男性幹部を屈服


 池田の私生活も、私人的な言動も、創価学会=旧公明党の首領であるという自意識から、けっして離れられなかった。彼は戸田の率直さだけは受け継がずに圧殺し、自ら立てた浅ハカな大義名分によって厚化粧した。

 彼は女性との関係に関しては、

 「法治国の国民としては、それ(一夫一婦制)に従うべきだ。ただし_ただしですよ、(笑い)_もし、それだけの理由と力があって、しかも誰にも迷惑をかけないという場合には、一夫一婦制の枠外の行為でも私は男性として認めます」(『宝石』44年1月号掲載)との、まことに融通無礙の見解を持ち、今ではそれを実地に試みたと報じられている。

 『週刊新潮』(五十五年六月十二日号)によれば、池田と〃ただならぬ間柄〃の女牲は、公明党参議院議員・Wさん、中国担当副会長・U氏の夫人、創価大学図書館長Yの夫人、第一庶務の女性たち、東海研修道場の女子職員、山陰地方のある幹部の夫人、と多数に上っている(創価学会は同誌に対し55年6月5日、記事の即時全面取り消しを求め抗議したが、同誌は6月19日号で逆に「当誌を〈誹謗・中傷〉する目的で書かれた〈許し難い〉文章」だとして取り消しを拒否、その後、現在=56年4月=に至るまで同誌記事は黙認されている。中略)池田に信仰者の慎しみは無縁である。彼はおそらく平均的な成人男子以上に、女性を快楽の道具とだけしか見ていず、会内における彼の超絶的な権力者の地位を、超絶的なオスの位置にもスライドさせて、一部女性会員に臨んだ形跡がある。

そればかりか彼は、妻との情交をその夫に承認させることで、幹部会員の全生活面に及ぶ権力を確認すると同時に、その夫たる幹部の自尊心をくじき、人間性を損ない、自立的な判断を放棄させて池田の命令に絶対服従する人間に造りかえることにも用いたとみられる。池田の行ないはうじゃじゃけたものとはいえ、夫たる会員にとっては極限状況的な試練なのだった。

ちょうど一睡もさせずに総括して人間改造を図る訓練法のように、彼には己の性器を幹部の「人問革命」に用いたことが疑われる。《『堕ちた庶民の神』237頁》

http://www.toride.org/hrenti/hre4.html

5.欲望は女性会員に向け、芸者には言葉だけで止どめる


池田はせいぜいのところ、三菱銀行の宴席に侍る芸者には、

「"お前気に入ったから、身請けしてやろう"とか"外国に連れていってやろう"とか"ダイヤを貰ってやる"とか"マンション買ってやろう"なんてカンタンに」

(石井孝子談、「週刊新潮」昭和45年4月18日)いい、もっぱら(※芸者に対しては)言葉の浮気に控えていたようである。もっとも彼は、会内での気散じには不足しなかったようで、好きこのんで外に危倹を求めるまでもなかったのかもしれないし、また芸者は彼の好みでもなかつた。


《『池田大作権力者の構造』245頁》

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6.温泉つき熱海研修所の女王・OS子の場合


学会の東海研修所道場(熱海研修所)で管理人を務めるカップル。といっても、並の管理人夫婦ではない。妻のS子は旧姓の高橋名の時から、池田に見そめられ、両親ぐるみで管理人に起用された。一着が三十万円とか四十万円もする高価なドレスを池田から買い与えられ、"熱海の女王"として孔雀のように華麗に振る舞った。

「ウチの娘にホトケ様の御手がついた」

と両親が自慢するだけでなく、本人自ら「池田先生との特別な関係」とノロケてみせる。風呂好き人間の池田は、温泉のある熱海研修所に入りびたりだった。二人の親しい仲の噂が広まるのを警戒した側近の中西治雄が、聖教新聞記者のOとS子を結婚させ、新任地の栃木県へと隔離した。

しかし、人妻となったS子のサービスが忘れられず、池田はO夫妻をともども熱海研修所の管理人として呼び戻した。夫の光明にしてみれば、屈辱的な人身御供であろう。

屈辱感を弱める狙いがあって、池田は一管理人に過ぎない光明を学会の総務、副会長に抜擢した。副会長といっても、全部で百二十五人もいるのだから、池田にとっては何の負担増にもならない人事サービス。口封じを図り、造反を防止したつもりだろう。

だが皮肉なことに、なんのキヤリアもないO副会長の誕生で、かえってスキャンダル疑惑を深めた。

そういう事情を知らずに熱海研修所に泊まったY副会長が、普通の管理人に頼む調子で布団敷きを気軽に命じたため、後で池田から怒鳴りつけられたとのエピソードもある。

O夫妻は研修所の管理人といっても、その実態は、池田の愛用する"温泉付き別荘"で、池田にのみ仕える身辺世話係である。別荘で待機するメ第二夫人モと表現した方が正確かもしれない。『スキャンダル・ウオッチング』66頁

http://www.toride.org/hrenti/hre6.html


7.温泉つき熱海研修所の女王・OS子の場合


 63年5月、創価学会は大々的な人事刷新を行ない、いっぺんに副会長が25人も新たに誕生した。この役員人事にちょっとした異変が起こった。従来、副会長は、会社でいえば取締役に当たる「学会総務」の中から、功労や序列によって任命されてきた。ところが今回、一般の幹部から総務に昇格したその日に副会長になった男がいた。O新副会長である。事情通の間では、

「ハハア、また池田の病気が出たな」

と話題になった。Oには、今回、副会長になるほどのキャリアも力量もない。その見方は衆目の一致するところであった。それでは、なぜ、学会関係者も驚く「前代未聞の二階級特進」となったのか。O夫人は、学会内では「熱海研修所の女王」といわれた、旧姓・Tさんさんである。池田大作のお気に入りとして、「月刊ペン」裁判などでも名前の出た女性だ。池田好みの容姿で、池田に見染められて、両親ぐるみ熱海研修所(後に東海研修道場と改称)の管理人として召しかかえられた。そうしておいて、熱海研修所の岩風呂つきの豪華な専用施設に、池田は入りびたりになった。

 この「女王」はアッケラカンとしたところがあって、同僚だった女子部の幹部に、池田との親しい関係を話したり、池田から贈られた高価な衣類や装身具をみせびらかしたりしたので、噂が次第に広まっていってしまったのである。やがて「創価学会会長の浮気」スクープを狙った週刊誌記者が熱海研修所のそばに張り込んだり、カメラマンが近くのクリーニング店の屋上に望遠カメラをすえつけるようになつた。そこで池田は、大蔵商事時代からの側近で、ずっと私設秘書的な仕事をやらせていたNに、対策を命じた。中西は、聖教新聞記者だったOとS子さんを結婚させて二人を新任地の栃木県へ引っ越しさせることにした。

ところが池田は、人妻の身となったS子さんに相変わらず御執心で、ほとぼりがさめると、彼女を熱海に呼び戻したのである。これには中に入ったNも周囲にボヤいた。

「せっかくうまいこと処理したのに、また呼び戻して同じことをされたんでは、なんのために苦労したのかわからない。Oも可哀想ですよ。」

彼女は、熱海の広大な「温泉付き池田別荘」ともいえる研修所で、普段は、職員を従えてクジャクのように振る舞っていた。池田がきた時は、もっぱら彼女が身の回りを世話するが、それだけが仕事で、あとは何もすることがなかったからである。もっとも、たまに池田から、箱根の専用施設に呼ばれることがあった。夜遅く、運転手をつとめる職員を呼び出して、車中で浮き浮きとはしやいでいた。これには職員も苦がり切っていたという。(中略)

 昭和56年から始まった「月刊ペン」差し戻し裁判でも、彼女のことは法廷に持ち出され、また週刊誌等でも取り上げられた。それから6年たち、隈部大蔵氏も死亡して裁判は立ち消えとなり、ほとぼりもさめたと思ったのだろう。池田は63年初めから「勝った、勝った」と騒ぎだし、O新副会長の大抜擢など、当時、苦しい思いをさせた者への論功行賞をやった。

 この男の頭には、組織を守ることより、自分の地位を固め、権力を思うままにふるえることの方が大きかった。だから池田は、私の自尊心をへし折ろうとし、プライドを捨てた部下が何でもいうことを聞くかどうか、踏み絵を繰り返すのである。

 女房でも差し出すか、それこそ逆立ちでも、三遍回ってワンと吠える犬の真似でもやって見せるような部下しか、重用しない。要するに自分の下につく者は、人間として最低のプライドまで捨てさせ、反抗の牙を完全に抜く。そうしないと安心できない。それが日本最大の宗教法人、創価学会名誉会長・池田大作の偽りのない素顔である。《『池田大作の素顔』221頁》


http://www.toride.org/hrenti/hre7.html

8.子供の顔にマジックインキ塗られた吉田章子の場合


 池田が得意の絶頂期にあった昭和40年代前半、学会の第一庶務室に三人の目立つ美女がいた。Aさん、Hさん、Mさんの三人。いずれも池田好みの容姿端麗派。池田は三人を特に可愛がり、同じく池田の側用人として仕える三人の男子若手有望幹部とのカップリングを思いついた。

相手の男性は特別書籍部(池田の代作・代筆グループ)の原島嵩、桐村泰次、上田雅一の三羽烏である。原島、桐村両人は既に結婚を約束した他の女性がおり、結局、池田の思惑通りに結婚したのは、上田雅一・京子夫妻だけに終わった。桐村夫人になり損ねたHさんは学会本部職員のY氏と結婚し、Y姓となった。一躍、その名が知られたのは、マジック写真流出事件以降である。Y夫妻の間に生まれた長女を、池田は自分の子供であるかのように異常に可愛がり、学会幹部の間で、誰の子供かと噂されるようになった。そして池田が、その長女の顔にマジックインキを塗りたくって、弄んだ。

 その写真が聖教新聞社のカメラマンによって撮影され、外部に流出した。「自分の子供に何をしても構わないだろう」との池田の意図が、裁判で間題にされた。

弁護側 マジックインキを塗ったことは?

池田  あります。

弁護側 この写真のいきさつは?

池田  Yさんの家は私の家から二、三分のところにあり、この子をとても可愛がっていた。四十七年頃と思う。私が三時の休み時間に、皆がなごやかになるであろうとイタズラした。

弁護側 度がすぎるのでは?

池田 子供があんまり可愛いので。聖教新聞の前には子供がよく遊んでいた。

裁判官 誰が面白がるのですか?

池田 自分も喜ぶ。子供も大人も。


 要するに池田は、近所の学会施設に住むY夫妻とその娘を、「文句がいえるか」とばかりにいたぶったのである。Y氏は当時、「聖教」資料室長。

マジック写真流出後は創価学会の図書館長を務め、生活費支給を池田に頼る身。何をされても、文句一ついえない立場である。

             《『スキャンダル・ウオッチング』68頁》


http://www.toride.org/hrenti/hre8.html

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9.一家ぐるみで口説かれた上田K子の場合


 池田のお手つき女と結婚したために破格の出世をした、髪結いの亭主No.1が、U氏だ。二人は池田の命令で結婚した仲。しかし、結婚後、U氏は妻との結婚生活がうまくいかず、友人によく悩みを打ち明けた。K子はもともと大手出版社に勤めていた。彼女を女子部の会合で一目みた池田は「あれを本部に入れろ。第一庶務勤務だ」と北条浩に命令。北条はさっそくK子に会い、会社をやめて本部に入るように説得した。が、会社でも大事にされていたK子は、なかなか会社をやめるといい出さない。そこで、北条は池田の指示によりK子の父に会った。「会館の管理人として家族ぐるみ一生、いや、孫子の代まで面倒を見る」と奥の手を使って口説いた。結局、一家は池田の世話になることとなった。

 やがて、彼女は池田のメガネに適ったU氏と結婚。U氏は若くして副会長、壮年部長とトントン拍子に出世した。だが、こんな夫掃の関係がうまくいくわけがなかった。結婚したあと半年間はギクシャクした関係が続いた。その頃、U氏は友人に悩みを訴えている。U氏が友人に「○○も池田先生と関係がある」と女性の名前を挙げたところ、その数は十余人に及んだ。友人は「キミの奥さんもか」とU氏に尋ねると、U氏は苦渋に満ちた顔で否定しなかつた。

K子は結婚後、第一庶務室兼白雲寮管理人になった。白雲寮は学会本部のすぐそぱにある。池田はよくこの寮を使った。U氏は昼間は本部にいて、夜遅く帰ってくる。池田は、U氏のいない間に白雲寮にやってくるのだ。U氏の悩みの一つに、自分の妻が池田の体液が付いている下着を洗濯させられることがあった。U氏は、一時は真剣に離婚を考え、友人たちに池田への恨みをぶちまけた。

 K子はその後、夫に悪いと思ったのか自分から折れて、やっと正常な夫婦関係になった。そうなった後でも、池田はK子に自分の身辺の世話をさせる。今度は、K子の方が池田に嫌気がさしてきた。

他の女性の口紅の付いたパンツを洗濯させられるのは、さすがに我慢しきれなかった。U氏にグチをこぽすようになる。

 夫婦そろって池田に嫌気がさしたことになる、この二人。今のところ、アンチ池田の旗を掲げる気配はない。結局、自分たちの生活、学会内での地位、名誉、そういったものの総てが、池田におんぶにだっこで成り立っていることを知っているからだ。池田にしてみれば、K子とは単なる男女関係であるだけではない。同時に、側近であるU氏の忠誠度を試し、プライドをへし折って自分に従わせるための、池田特有の人心操縦手段なのである。《『スキャンダル・ウオッチング』74頁》


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10.池田にもてあそばれ議員となった渡部M子の場合


 数ある大作スキャンダルの中でも、大作・M子の関係はやはり別格的意味合いをもつ。夫の一郎はそれを知りつつ、あえてM子と結婚した。

 そして生まれた一人息子に、名付け親の大作から、大作の次男と同じ城久の名を有難く頂戴した。「先生のお子さんと同じ名前を戴けて、私、夢を見ているような思い。幸せだわ」とM子は有頂天になったものである。

夫の一郎の心境は複雑だった。生まれた子が、自分の血を引いているのか大作の子なのか、疑っていたからである。

 お産のため入院したM子の見舞いにも行かなかったし、男児が無事誕生の知らせに接しても、喜ぶどころか、知らせの使者、M子の姉の藤原郁子にモノを投げつける荒れようであった。このおどろおどろしい話は、いずれも大作スキャンダルが表面化されるよりずっと以前のことである。

 池田はお手つき女性のお下げ渡しをする際の常套手段として、夫の一郎を衆院兵庫一区から立候補させ、すでに八回の当選を重ねる代償を与えた。そして、妻のM子にも、衆院東京一区の名門区から立候補のチャンスを与えた。

 M子は四万五千余票を集め堂々当選、ここに目出たくメオシドリ議員モが誕生した。昭和44年12月のことである。

 その後、47年の総選挙で落選すると、今度は一郎と同じ兵庫県から参院に立候補させ、当選させている。まだ、池田スキャンダルが周知の事実となる以前のこと。

 M子は池田との仲を隠すどころか、誇示してみせた。「池田先生に随順しなさい。そうすれば、私たち夫婦のようにオシドリ国会議員にもなれるのだから。」

 同じ姉妹でも、姉の郁子は先生の意に添わなかった"罰当たり"としていじめられ、妹のM子は身も心も棒げつくした模範人間として用いられる。学会内では知る人ぞ知る事実だったのである。

 ただし、噂が学会内にとどまっていれば、オシドリさんはずっと幸せだったし、夫の一郎は書記長、委員長コースを歩けたかもしれない。

 五十五年、池田スキャンダルが外部に徹底的に暴き出され、事情は一変した。

 M子は、一期限りで参院議員を辞めさせられた。党の婦人局長というポストも、婦人代表としてはイメージが悪すぎるだろうとの判断で、生活局長に左遷された。

 ダメージを受けたのは、夫の一郎も同じである。陽の当たるポストに就けば、なにかと池田スキャンダルの格好のタネにされる。後は飼い殺し、使い捨ての道が残されるだけ。《『スキャンダル・ウオッチング』77頁》


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11.池田にもてあそばれ議員となった渡部通子の場合


 あの裁判「月刊ペン事件」における池田の偽証工作の実態については、私の身内の証言だけで立証可能だが、ここで少し明かしておきたい事実がある。

 それはほかでもない。池田から通子(渡部・国会議員)に醜悪な誘いがあったのは本当だった。そして、もし誘いを受けた通子が池田をハネつけていたら、逆に池田のいやがらせを受けて、彼女が国会議員になる道は閉ざされていただろう、それだけはまぎれもない事実である。

 大人の男と女だ。世間によくあるような恋愛なら、第三者が口出しすべき筋合いのものではないと、私も思う。

しかし、池田大作と女性学会員とのふしだらな関係は、恋仲などと呼べる代物ではない。池田は創価学会会長という立場を利用して、人妻であれ、結婚前の独身女性であれ、見境なし。

 女性を自分の権力誇示のために弄んできただけのことなのだ。

                《『池田大作の素顔』43頁 》


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12.池田にもてあそばれ議員となった渡部通子の場合


 渡部一郎も、M子と池田の仲を承知のうえでプロポ-ズしたのであり、当時、同じ部隊の幹部に再三、「俺は通子を、必ず池田から取り返してみせる」と宣言していた。だが、婚約後も、M子の気持ちは池田の方を向いていた。池田も、戸田先生やかね夫人の目を盗んで、M子と逢瀬を重ねた。二人の仲は学会内部で周知の事実であった。

                    《「池田大作の素顔」199頁》

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13.池田にもてあそばれ議員となった渡部M子の場合


 渡部M子が池田の裸の胸をさすっている現場へ行き合わせたことがある。創価学会が日本共産党との間に協定締結をした時期だから、昭和49年暮れだった。その時、池田は私の顔色をうかがいつつ弁解した。

「いや、藤原君、オレね、気管支が悪くて胸が痛いんだけど、M子がさすってくれると不思議に治るんだけど。だから、つい頼んじゃうんだよなあ。」

                   《「池田大作の素顔」225頁》

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14.スプーンでメロンを「アーン」の多田T子の場合


 T子は女子部時代、池田と特別の仲だった。池田の泊まる先々で池田の脇腹をさすったり、スプーンでメロンを食べさせたりといったことが、側近によって何十回となく目撃されている。

 S氏と結婚後も、池田と特別な関係を続けたのかどうか分からない。しかし結婚前は、デパートに池田夫人気取りで豪華な買い物にでかけたりしている。昭和四十年頃は、特に本部の女子職員の間で池田との特別な関係が取り沙汰され、羨ましがられたものである。渡部通子が月刊ペン裁判で池田の女性スキャンダルを否定する証人として出廷したのに対して、T子は出廷を断わったことで学会内では有名になった。

 当時、会長の北条浩は「T子は証人になりたがらない。T子は弱いんだ」と周囲に喋った。これは、暗に北条がT子と池田との関係を認めたことになる。T子は当時、婦人部の会合では「私は(池田との関係は)ありません。あったら、ありがたいんですけど」と発言している。

 事実を隠蔽するつもりが、逆に本心をさらけ出した格好だ。T子は現在、藤原行正の妻の郁子を、婦人部の会合でメッタクソに罵倒し続ける役目を負っている。

 悪口をいわせるのは、明らかに池田の差し金である。そのご褒美か、T子は最近、全国総合婦人部長に返り咲きを果たした。また、T子が郁子を罵倒すれぱするほど、夫の方も公明党で重用される。

         《『スキャンダル・ウオッチング』79頁》

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15.池田の子を中絶した笠貫由美手の場合


 旧姓をSという。S女子部長といった方が、学会内ではわかりやすい。現在は結婚し、姓が変わった。学会活動の方は相変わらずで、世田谷区の総含婦人部長をしている。

 凡人のSが女子部長になれたのは、本人に力量があったからではなく、池田の寵愛を受けた女だったからにすぎない。

 池田はよく、「由美子はバカだ、バカだ」と周囲に喋った。笠貫は、女子部時代、第一庶務室に長く務めていた。いつも池田のそばにいて、池田がいる部屋の隣で、手を前に付き、半かがみになって待機する。

 池田が「オイ!」と呼んだり、手を叩くだけで、直ちに池田の許に飛んでいく。その素早さが、池田に評価され、バカといわれても女子部長になれた所以である。


笠貫は、池田が目を真っ赤にしながら「目がいたい、目がいたい」というと、傍らに坐って本を読み聞かせたりした。読むのをつっかえると、ここでもまた「バカ」とどやされた。

 それでも、池田先生の側にいることをこよなく好んだ笠貫は、自分を罵る池田の態度などいっこうに気にしなかった。

 笠貫の女子部での活動歴は浅い。それが、たちまちにして全国女子部長になった。抜擢の背景には、池田に対する笠貫の思い入れがあるのはもちろんだが、

 池田から見れば、笠貫の「尽くしに尽くすタイプ」を側に置いておきたかったのである。やがて、笠貫は池田の子を身寵った。

 その子の中絶を手配したのが、横浜日赤で外科部長をしている、学会ドクター部幹部の森田修平だった。

 このことについては、藤原行正が、「何代か前の女子部長」という匿名の表現で、中絶の件を暴露した。池田は、それに対して過剰反応を示した。

 池田夫人・香峯子をして、笠貫の妊娠を否定するアリバイ作りに加担させたのである。

 池田夫人から婦人部の最高幹部が直接指導を受ける記事が、『聖教新聞』紙上に掲載された。このようなことは、普通では、まずありえない珍事である。 

 今年2月11日の『聖教新聞』7面には、次のようぬな笠貫の記事が載った。「優しい妻に 強い母に 力ある婦人に_これは婦人部進出にあたり、先生の奥様からいただいた指針です。」池田は、女性スキャンダルのカムフラージュに夫人まで使って恥じるところがない。

             《『スキャンダル・ウオッチング』90頁》


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16.「一緒に寝た」とノロケた故・S斉藤の場合


 Sさんは年に二、三度は必ず日本に出向き、池田と会う。帰国後、その特別な関係を自慢し、会合でノロケて見せる。それによって「Sさんは池田先生に近い方だ」との評判を獲得し、組織を私物化する。

 いってみれば、ミニ池田大作のブラジル版なのである。(中略)Sさんが日本から帰ってくると「先生の招待で日本へ行ってきました」と池田との特別な関係を自慢し、派手な洋服、飾り物を身にまとい、得意顔。

 側近に

「○○で一緒に過ごした」

「夜中ふと目を覚ましたら、先生が横に寝ていた」

「先生と手をつないで歩いた」

「もったいないので、先生の手を懐ろに入れてあげた」


といった類の低級なノロケ話をして悦に入ったりもする。

 だから現地では「Sさんは池田さんの妾だ」といわれる。

 そして池田さんの妾(?)が現地の学会組織を牛耳っているのだから、トラブルが続発するのは当然だ。(中略)

 また、かつてNSBには「Sにプレゼントする会」というのがあった。各支部が持ち回りで担当した。これも、長谷川重夫副会長によって推進された「池田先生直結運動」と同じものである。

           《『スキャンダル・ウオッチング』180頁》

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17.池田との異常な関係で離婚されたHさんの場合


 自分の手の付いた女性を他の男に分け与える。考えただけでもおぞましい行為が、今なお信仰指導の名の下に行なわれる。

 かつて、原島嵩、山崎正友らによって証言・暴露された、池田と取り巻きの側近女性の異常な関係。

 それらの女性の男性幹部へのお下げ渡し事実。Hさんという一学会婦人部幹部の二回目の結婚にまつわる騒動は、それらの事実をまた一つ裏付けることになつた。

 Hさんは昭和31年の入信。43年に34歳で本部職員となった。婦人部から学会本部に採用されるのは、異例中の異例。池田の大抜擢があったのは確かだ。Hさんには二回の結婚歴がある。その二回目の結婚でHさんは、新婚旅行から帰った翌日に早くも離縁された。いったい、何が起きたのか。

 Hさんと夫のAの結婚は五十五年、Aが五十七歳、Hさんが五十歳の時だった。Aが後に遇刊誌で告白したところによれば、結婚披露宴で挨拶をした多田省吾の祝辞が、じつに珍妙だったという。

 「池田先生が誰それと関係があるとか、いろいろ書かれていますが、相手の女性にはそれぞれ主人がいる。そんなことはあり得ませんよ。いいかげんな週刊誌が多いんです。」

 Aは、結婚披露宴のめでたい席で、どうしてそんなはしたないことをいうのかと、疑問に思った。

 騒ぎが起こったのは、一週間ほどの新婚旅行を済ませた翌日だった。妻が「池田先生に挨拶に行こう」といい出したのだ。かつて第一庶務室に勤務した経験のあるHさんは、池田が自宅にいることをしっかり確認し「今行けば、会ってくださるかもしれない」と池田家に夫を連れていった。

が、玄関口に現われた池田夫人は「主人は寝巻姿なので出られない」と、冷たくいい放ってとドアを閉ざした。

 そのまま自宅に戻ったAが「家にいるのに出てこないなんておかしいじゃないか」というと、Hさんはいきなり怒りだした。「池田先生のことを悪くいうなんて許せない」と叫びながら、手当たり次第に物を投げつける、ヒステリー状態に陥った。

 Aはこれにびっくり。こんな女とではとても一緒に暮らせないと、すぐ離婚を決意、実行に移した。これだけなら、確かに異常ではあるが、どこにでもある、単なる夫婦喧嘩に過ぎないかもしれない。

 問題は、Hさんが出ていった後しばらくしてからAに届いた、一枚の手紙だ。中身は便箋一枚の簡単なもの。週刊誌の切り抜きのような文字が貼られてあった。

 「(池田大作と関係のあった女性)七、八ニンノナカニアナタノオクサンモイマス 五月号ノシュウカンシンチョウニ、貞子ト名入リデノッテイマシタダイサクノツカイフルシヲイタダイタノデスカ」

 いったい、誰がこの手紙を出したのか、定かではない。しかし、池田がこの夫掃の新婚旅行直後の挨拶に出てこなかったのは、自分のお下げ渡し女をもらった亭主と顔を合わせる気になれなかったのではないか、とAは後に述懐している。Aは今、三人目の女性に恵まれ、平穏な日々を送っている。池田のお手つき女を黙ってもらい、心ならずも池田に平身低頭してみせる学会幹部のその後の苦悩と比べ、Aの悠々自適な生活は対照的だ。

           《『スキャンダル・ウオッチング』71頁》

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18.副会長が「お手つき」と告白した松岡M子の場合


M子は第一庶務出身。やはり、池田とのスキャンダルがウワサにのぽる。上田雅一副会長もかつて、友人に「M子は先生のお手つき女」と告白したことがある。(中略)資は、かなりのエリートコースを歩んでいる。

 だが、これも髪結い亭主の例を免れない。M子は結婚後も、第一庶務付きだった。あまり表面には出てこないが、「池田先生に近い女性」ということだけで、学会内では知る人ぞ知る特別な存在である。吉田章子、上田京子、そして松岡M子。言論問題が表面化し、池田が世間から隠れるようにしていた時、こういった女性たちはいつも池田のそばに侍っていた。

 今、学会内には紅梅会という婦人部人材育成グループがある。『聖教新聞』紙上にも最近、このグループの活動が報道されるようになった。

 婦人部の人材育成といっても、メンバーは第一庶務出身の婦人が殆ど。やはり、苦しい時には「お手つき女」を集めるのが池田のいつも変わらぬやり方である。         《『スキャンダル・ウオッチング』80頁》

http://www.toride.org/hrenti/hre18.html

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19.結婚後も身を差し出した浅野香世子の場合


 結婚の時には池田に祝福され、結婚後には「子供を作るな」と妙な注文をつけられた学会幹部夫婦がこの人たち。(中略)K子の入信は比較的新しく昭和三十九年。四十五年にはもう女子部長になっているのだから、これは例によって何かあるハズと勘ぐられた。

 やはり、この女性も池田の寵愛を受けていたのである。結婚当時、Kは一日も早く子供を欲しがった。夫婦にとって、ごく自然な願いである。が、そんなKを池田は叱りつけた。「子供をつくるなんて、甘いことだ。女房をもっと本部に近づけなければダメだ。自分の女房と思ったら間違いだ。本部に差し上げる気持ちがなければいかん」。(中略)結婚は池田の意向一つで左右され、しかも「女房を差し出せ」といい出す始末だ。

 Kがどういう気持ちで自分の女房を差し出したかはさておき、A夫婦は池田とともに訪中したこともある。だが、夫の方はどことなく影が薄く、最近ようやく、「一二五人中の一人」の副会長になった。

           《『スキャンダル・ウオッチング』84頁》

http://www.toride.org/hrenti/hre19.html

20.「池田の子を・・・」と噂されるHさんの場合


昭和50年代初め、第一庶務室長のMと部下であるHさんの不倫が持ち上がった。オフィスラブなんて、どこの会社にもあること。だが、そこは何せ、池田の目が光る第一庶務での出来事だから、大変だった。

 Hさんは池田の好みのタイプ。Mとの不倫の結果、Hさんのおなかが大きくなった。池田は激怒して、その子を堕ろさせた。

 学会副会長の原田稔は、友人に「MがHさんを妊娠させたぞ。(ドクター部の)森田修平に頼んで堕ろさせたよ」と漏らした。

 51年のことである。だが、妙なことに、その後、Hさんはまた子供を二人生んでいる。Hさんの戸籍謄本によれば、父親の名は空白のまま。彼女を知る人は、その後の彼女のやつれた姿に驚いている。

 Mは表向き、黙して語らない。しかし、身近な人間には「オレがそんなことをすると思うか」と漏らしている。じつは、この二人の子供こそ、池田とHさんとの間にできた子供とウワサされているのだ。

 とやがて、Mは第一庶務の任を解かれ、神奈川県長に転出させられた。しかし、ウワサは空気伝染するもの。今度は、神奈川の学会組織に不倫のウワサが広がった。いたたまれなくなったMは一時期、組織から行方不明になり、県長を辞任。その後も再三、行方不明になる。今は学会系外郭企業・鳳書院の重役に取まっている。重役とは名だけで、仕事は何もない。池田の私物である第一庶務の女性と関係したM、今でも池田に用いられてはいる。

これも池田のやり方。自分に歯向かってこないかぎりは、学会の恥部隠しと口封じを優先して、飼い殺しにするのである。

                 《『スキャンダル・ウオッチング』85頁》


http://www.toride.org/hrenti/hre20.html


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21.池田に身も心も捧げたげた高橋Hさんの場合


旧姓・Hさん。聖教文庫制作局出身で、熱烈な池田狂。花の女子部長も経験した。池田に、身も心も棒げた彼女は、女子部時代から一貫して「結婚しない」と公言していた。夫は高橋英明。第一庶務に勤務していた。英明は学生時代からHさんにべ夕惚れで、何度となく交際を申し込むのだが、Hさんに「今はそんな時期じやないと思います」とかわされて、相手にされなかった。にもかかわらずHさんが英明の求婚を受けたのは、Hさんの両親に会ってまでの池田の一言があったからだ。結婚式の当
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2022/05/30 (Mon) 03:04:22

21.池田に身も心も捧げたげた高橋Hさんの場合


旧姓・Hさん。聖教文庫制作局出身で、熱烈な池田狂。花の女子部長も経験した。池田に、身も心も棒げた彼女は、女子部時代から一貫して「結婚しない」と公言していた。夫は高橋英明。第一庶務に勤務していた。英明は学生時代からHさんにべ夕惚れで、何度となく交際を申し込むのだが、Hさんに「今はそんな時期じやないと思います」とかわされて、相手にされなかった。にもかかわらずHさんが英明の求婚を受けたのは、Hさんの両親に会ってまでの池田の一言があったからだ。結婚式の当日、集まった女子部幹部たちは「これでHさんさんが女子部からいなくなる」と涙を流す光景が見られた。

花嫁自身も、ちっとも嬉しそうな顔をしていなかつた。Hさんは女子部時代、第一庶務も兼務して、池田のそばから離れなかった。池田が「サカエ!」と呼ぶと、すぐ駆けつけ、用を果たす。女側小姓そのもの。やがては、池田の代わりに聖教新聞の記事をHさんがチェックした。「池田先生に近い」ということで周りの職員に恐れられ、本部職員もHさんには頭が上がらなかった。現在、Hさんは婦人部書記長。今の婦人部長・坂口幾代の次の婦人部長間違いなし、といわれる。英明は第一庶務兼務のSGI欧州書記長。日本とフランスの間を行ったり来たりの日々だが、日本を離れている間、妻の行状がさぞかし気懸かりなことだろう。

               《『スキャンダル・ウオッチング』87頁》

http://www.toride.org/hrenti/hre21.html

22.九州の女帝として振る舞うTさんの場合


ご多分にもれず、Tさんもまた、池田大作のお手つき女の一人であった。Tさんは本当は信子だったが、池田の『人間革命』の主人公・山本伸一の伸をとってTさんと改名したほどの池田教信者。池田の威を借りて、九州では女帝のごとく振る舞っている。夫の昭二が代議士になれたのは、渡部一郎と周じく、お手付き女と知って信子と結婚した論功行賞による。可もなく不可もなしの政治家生活。本人は当然、七期、八期と定年まで代議士を続けられるものと考えていた。ところが、五十八年の総選挙の直前に、何の相談もなしに候補者を引きずり降ろされた。代わって福岡一区に舞い降りてきたのが、神崎武法。検事総長になるのを目指して、"隠れ学会員検事"の秘められたコースをひた走ってきた男だ。

同じ法曹仲間の山崎正友弁護士から「現職検事の電話盗聴事件関与」を暴露されて、検事辞職に追い込まれた。

「よろしい。それでは検事総長を指揮監督する法務大臣になれるよう、キミを国会議員にしてあげる。十万以上の学会票があり、当選が確実視される福岡一区から出たまえ。」

池田の"鶴の一声"で田中昭二が侯補を降ろされ、神崎武法が新人候補に指名された。新人ながら、神崎は十四万票を得て堂々のトップ当選。(中略)田中を降ろすにあたって、池田はTさんを九州総合婦人部長に昇格させた。九州婦人部の最高責任者に登用することで、夫婦の間のバランスをとったわけだ。昭二は愚痴の一つもいわず、女房の尻に敷かれた。(中略)Tさんは「九州の女帝」として振る舞い、男性幹部といえどもTさんの機嫌取りに汗を流す。男を尻に敷くのが、よほど好きで性に合っているらしい。                     《『スキャンダル・ウオッチング』96頁》

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23.夫よりも池田を愛した女王蜂・Aさんの場合


池田は常々説いてやまない。

「夫婦よりも親子の方が関係は深くて強い。そして親子よりさらに大切なのが、師弟の関係だ。」

池田のいいたいのは、夫婦や親子の情に流されるよりも師匠である私を大切にせよとの、師弟関係最優先論である。その教えを文字通り実践したのが、婦人部長のAさんである。そういう妻をもつ亭主がいかに苦労し悩むかを地で示したのが、秋山Tである。あげくに、病院で死ぬことさえ許されず学会施設に隔離され、監視されて五十九歳の呆気ない最期を迎えた。死期の近いことを悟ったTが、妻と池田とのスキャンダルを暴露するのを学会から警戒されたのである。

「池田名誉会長の専用施設で、ご本尊に見守られながら死ぬなんて、最高の栄誉。」

まことしやかな"美談"が婦人部幹部の間で伝えられたが、実際には池田スキャンダル情報の流出防止のため、死の2、3週間前に病院からムリヤリ連れ出されたのだった。

 Aさんは、夫のTよりも師匠の大作を愛し、かつ大切にした。

しかも、そのことを学会内で誇示する始末だった。池田は栄子を学会婦人部長に起用し、長い間"女王蜂""女大作"として振る舞わせた。

            《『スキャンダル・ウオッチング』25頁》

http://www.toride.org/hrenti/hre23.html

24.池田をしのび、思いにふけったYさん


57年4月、中国総合婦人部長に抜擢されたYさんについては、池田が彼女に宛てたという手紙も、彼女が池田を「しのび、思いにふけった」とする文章も公表されており、関係は事実ではないかと疑っている。元四国総支部婦人部長による「寝間でのオシボリ」云々の目撃証言もあり、池田が彼女の夫である元参院議員・Y氏に

「Tさんはかわいいな。Tちやんには恩があるよ。Yさんを大事にしろよ」

といった内部文書も存在する。(中略)なお噂の女牲たちの多くが、池田との親密さを会員に語り、部外秘の文書とはいえ、幹部用の『前進』などに記していることをどう考えればよいのか。常識的には関係の明示はきわめて危険である。だが、女性幹部といえども、末端会員からは、池田との近さにおいて彼女の偉さが量られる。そのため、外向的で権力志向の強い女性の場合には、秘すことの必要性と、公表したいとの欲望の相克に常に悩む。公表しすぎれば池田の機嫌を損じる。どうしたらいいのか。(中略)思いのたけをぶちまけるやり方では、Yさんの次の文章などが好事例になるはずである。

「題目を唱えていると、時として"先生"(注・池田のこと)と思わず叫んでしまうこともあった。…先生を求め抜いていく情熱で戦っていけば、その人こそ最も先生に近い人といえるであろう。…先生のお話が聞きたい。だれでもよい、"先生にお目にかかった"と聞けば、"先生はお元気だった?どんなお話をされたか"とむしゃぶりつく思いで聞いた。そして少しでも、先生のことをしのび、思いにふけった。…

『池田先生に嫌われてるのでは…』そういう、必要以上に自分を卑下する心が、どうしても出てくる」

(『前進』44年10月号)なるほど、こうまで一方的に表現すれば、池田に迷惑をかけずにすむ。(中略)Yさんの文章に、信仰的情熱より、むしろ池田への恋情を読みとるのは難しいことではない。

                  《『創価王国の野望』107頁》


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25.池田の食べかけのアイスを食べた辻K子の場合


"蒲田三羽烏"の一人・T氏。昭和29年頃の序列は、T青年部長、U男子部長、池田参謀室長の順だった。(中略)T副会長は、再婚した婦人のK子さんのことでも学会内では陰口され、有名である。

旧姓を鈴切K子といい、池田のお気に入り女性の人であった。辻との結婚が決まったあとも池田は一緒に連れ歩き、人前をかまわず「K子、K子」と拝び捨てにし、クツ下をはかせたり食べかけのアイスクリームを食べさせたりして、睦まじいことを誇示した。

因みに、大橋敏雄代議士を除名処分にした統制委員長の鈴切康雄代議士はK子の実兄。学会組織内部では「妹の七光で国会議員にしてもらえた」と評判になつた。


「先生から『学会組織を利用して遊んでいるね』と厳しく指導された。この先生の一言こそが、私の一生涯の支えになった」

一鈴切から辻姓へと変わった後も「先生」への想いを捨てられないK子が学会機関紙に寄せた告白である。

             《『スキャンダル・ウオッチング』20頁》


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26.池田の身体の汗を拭く美人通訳・矢倉涼子の場合


どこの大学を卒業し、いつから学会員になったか、過去の経歴が誰にも分からない謎の女である。

年齢は三十五歳前後。一おそらく独身だろう」と噂される。(中略)外国人との対談では、相手が英語圏の場含、彼女が通訳を一手に引き受ける。

池田が喋らない言葉までを、その場の雰囲気に応じて臨機応変に通訳してしまう。内容のない話しかできない池田を補佐する力のある才女だ。(中略)


池田の世話、面倒をどこまで担当するかは謎であり。ただ、常に池田により添い、汗っかきの池田が洋服を脱いだ時など、ごく自然に身体の汗を拭いているのを目撃されたことはある。どこまでのサービスをするかはともかく、

「今、池田から最も寵愛を受けている妖艶な美人通訳」との評価は定まった。

          《『スキャンダル・ウオッチング』82頁》

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27.池田をマネて婦人会館に君臨したHさん弓子の場合


Hさんの名を有名にしたのは、なんといっても、の悪名高い新宿集団替え玉投票事件である。Hさん、この事件の中心人物の一人だった。郵便受けに放置されたままの投票入場券を抜き取り、学会組織である総ブロックの拠点に集めた。入場券の本来の持ち主の生年月日、本籍などを住民票の閲覧で確認、投票は投票日当日だと本人とかち合う危険があるため、それぞれ適当な理由をつけて不在者投票で行なったというもの。

本来なら、この事件が発覚した際、摘発の手は当然、首謀者の一人、Hさんに及ぶはずだった。

しかし、学会と党の必死のモミ消し工作の結果、摘発は末端幹部にとどまった。池田自身、『社長会全記録』の中で「新宿の選挙違反事件等は、絶対にいけない。Hさんは、アブノーマルな点が心配だから、絶対にいけない」と"きれいごと"をいっている。

 弓子は婦人部長の時代が長く続いた。弓子が婦人部長だった頃、信濃町に創価婦人会館ができた。弓子は婦人部長として、この会館の中で女帝のごとく振る舞っていた。

 全国の婦人部幹部に地方の産物を持ってこさせたり、自分の机から物が落ちるとそれを拾わせたり…。一部には「ありゃ、大作のマネだ」との話がもちあがった。《『スキャンダル・ウオッチング236頁》

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28.女子部特代に池田の世話をした北川M子の場合


M子は白雲寮の管理人をしていた。離婚後、その任を解かれた。

Mさんは、池田のゴーストライターの集団である聖教新聞社内の特別書籍にいた。野崎勲が全盛時代に集めた、いわゆる野崎コレクションの一人。

池田の講演の原稿などが主な代筆のジャンルだったが、川田洋一とともに大作の『生命を語る』などもMさんの代作。もともと関西の人間で、関西の学生部長だった。池田がわざわざ東京に呼び戻して特別書籍に入れ、野崎勲とともに学生部の二本柱にした。M子と結婚後、白雲寮の管理人となり、一時は池田家ファミリーの一員になりつつあったが、結局、離婚でオジャンになった。M子と池田のスキャンダルについては、その事実があるかどうかハッキリしない。彼女が女子部時代に池田の身辺の世話をし続けたことは確かである。


そのことと離婚は、何か関係があるかもしれない。自分のお手つき女を学会幹部にお下げ渡しして、その夫を管理人とか国会議員にして餌い殺しにする、池田のワンパターン的常套手段から逆類推すると、この二人のカップルもまた、と噂が広まっているのである。《『スキャンダル・ウオッチング』70頁》

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29.深夜、密室でマッサージしていた女性達の場合


 池田は朝に弱い男である。朝はたいてい十時過ぎまで起きてこない。やっと床を離れても寝起きが悪く、必ずグズグズいう。

 ところが、東京でも地方でも夜十時過ぎには寝室へ引っ込むのである。マッサージが好きでよく頼んだ。夜は、時に女性が一緒だった。その女性達たちは信仰熱心な婦人部幹部のケースもあれば、本部勤務の女子職員のケースもあった。大人の男女が二人で何をしているのか、おおよその想像はついたが、私は知らん顔で通した。《『池田大作の素顔』90頁》

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30.池田のデタラメな行状を目撃した側近の場合


池田は自分の国会喚問をなんとしても阻止するために衆参両院の七十人近い国会議員を総動員し、各党の懐柔策を命じた。(中略)池田大作は一人で逃げた。公明党議員に恥さらしなモミ消し工作を命じながら、自分は2月初旬、創価学会の箱根研修所へ逃避行を図り、同年春までその山の中に身を隠していたのである。(中略)その側についていたのが一番弟子・原島嵩教学部長(当時)ら子飼いの若手側近数人だった。

原島はのちに月刊ペン裁判の証人に立った際、逃避行時の池田のデタラメな行状について自分の目撃談を明かしている。

「45年の言論出版問題の時は、会長になってはじめての経験で(池田氏は)狂乱状態のような時もありました。時には、午前4時(ごろ)にある女性が靴下もはかないまま、私たちを呼びにきたこともございました。非常に度を失っていた時期だったので、そうした場面にも遭遇したのではないかと思っています。」

《『池田大作の素顔』130頁》

http://www.toride.org/hrenti/hre30.html

31.池田の恥部を隠してきたドクター四人組の場合


学会員の医者で組織されるグループにドクター部というのがある。その中でも特に有名な四人について取りあげる。

S氏は、最近、副会長になった、ドクター部長。妻のKさんは、第一庶務出身で、池田とのスキャンダルがウワサされた人。Sの父は、東京・柳橋で開業医を経営。親子とも耳鼻咽喉科。

 佐藤玄二は潤一の弟。元学会ドクター部長。やはり耳鼻咽喉科。

M氏。副会長、前ドクター部長。元学術部長。

横浜日赤病院の外科部長であり、池田の主治医でもある。

Iさん。学会副ドクター部長。東京・大塚に新生クリニック(通称・Iさん病院)を経営。産婦人科医。池田の下半身スキャンダル隠蔽に大きく貢献。

(中略)

まず池田が、周りに医者を侍らせる際に重視することは、自らの秘密の保持に大きなウェイトを置く、という点だ。学会員に優秀な内科医・外科医がいないわけではない。ただ池田は、秘密を守れる医者、安心できる医者を選び、自分のそばに置く。産婦人科のIさんは、池田の数多くの下半身スキャンダルを常に隠し続けてぎた。Wさんも、よくIさんの病院に通ったものである。

このように、池田のみっともない秘密を隠し続けられる神経を持った医者は、そうざらにいるわけではない。世間に知られては困るトラブルの処理に、Iさんをはじめとする、口の堅い医者を当ててきたわけだ。

 Mさんも、そういった意味での貢献度は高い。第一庶務室長でありながら部下の女子職員と不倫を起こしたM・TさんとYさんが、中絶のため出向いたのも、森田のところだった。

 下ネタの他にも、池田が人目を忍んで医者を侍らせる理由がある。「病気になるのは信心がないから」と池田がおかしな指導をし続け、「病は信心不足から」と自分がいっている以上、まさか、その本人が病気がちで薬漬けだと世間に知られては、恥をかく。池田は体の強い方ではない。しょっちゆう、学会本部4階の池田専用室に医者を呼んで注射をさせる。

 池田は注射が大好きである。ただ、池田の血管は細く、また贅肉がぶ厚いため、なかなか針が血管に入らない。医者が、汗だくになった池田の腕に、針を刺そうとする。池田はいい気なもので「早くしろ、早く!」と急ぎ立てる。また、池田はしょっちゆう目の痛みを訴える。耳鼻咽喉科の佐藤を呼びつけるのだが、目の痛みに耳鼻科の医者とは、はてさて?

 明らかに、病気を世間に知られたくないためといわざるをえない。

          《『スキャンダル・ウオッチング』239頁》


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32.「イメルダ夫人」と呼ばれていた池田香峯子の場合


 子育てを卒業する頃に夫婦関係が逆転し、女房の発言権が強まることは、どこの家庭でもありがちだが、池田家にあっては、この時期と夫のスキャンダル露呈とが重なった。

暴君亭主に対し、耐えに耐えてきた貞淑妻の忍耐が限界に達したのだろう。

が、今さら夫の不貞、乱行を責めても、詮ないことである。

 香峯子はその怒りを亭主に向けず、学会組織に発散させた。「創価学会の女帝・イメルダ夫人」の登場である。「先生」に加えて「奥様」が君臨するようになった。世間感覚の先生、奥様と違って、学会では「先生」「奥様」は二人とあってはならない。「先生」は名誉会長ただ一人であるのと同様に、「奥様」の称号も香峯子夫人一人だけに対し用いられる。

「奥様」は今や、女子部長、婦人部長の上に位置づけられるにとどまらず、副会長、会長を凌ぐ権威、権力をもち始めた。

 人事に口を出す程度の生易しさではない。池田一族で学会の全てを所有し、世襲制を推進しようとする点では大作以上に熱心なのが、香峯子・イメルダである。最近では表情まで権力者然とし、おとなしかった「かねちゃん」を知る人々をして、嘆き悲しませるのだ。

 夫・マルコスの国外亡命で運命が大逆転したイメルダの二の舞を、池田香峯子が踏むかどうか。長くかかっても、結論が出るだろう。

          《『スキャンダル・ウオッチング』95頁》

http://www.toride.org/hrenti/hre32.html


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、ij               ι           /                       ..:::::::::::::ヽ_j./ / l
::::ヽ、                  ,..:::::                               :::::::ヽ:(;;;':)/ /
::::::::::\               ...:::::::::::                           ...:::::::::::゙'´:! /






お金とアレにしか興味が無い池田大作先生を背後から操っているのは…

           / 乃了   `ヽ  ヽ∨∧ヽ \`、
              //_/7 ′     ハ `、〈〈_ノ ノ   ヽヽ
       r,ニY/」 ′〃   , ' l| ト、 l l ̄l「`、   | ハ
       __〉イ〃 ,  /, l   / ,イ!} |リ 八 ヽ |ハ
       〈 rク// ,′ ,'/l∥ ,' /厶‐十ナ/}小、ヽ ∨/  、
    , -ァ7イ {  l   |l ハ ト、 { l /ィ乏f千ァ l |ヽ}_ノ   、、 `、
  // 〃l ハ  、 レイ下丶、j′'ヾ゙ジ  // rヘ川 ¦ ヽ ヽ
//   {l { い、、\V,ィf赤       //  ,ィ|l |  ト、 \
{_/    ヾ \/ ヽ\ヾ`ー'′       { !  仆//  ,′ | ヽ  ヽ
         ノ{ {  八_〉、   ` , - ァ  ゝ, ' V ハl /   ハ }   \
      , -‐'´/ハ 、 { |lヽ、      ∠ニ-V リ / /  ∨
  ,.|ヽ .ヽヽ、ヽ| ,'  ,..-,, `ヽ''-''-'、 __ヾ  ,,. -‐ V"´ __ `ヽ、_ ,
r''".| ヽヽ _,.´,, ',´´        `ヽ、'   ,.. - ''"´   ``ヽ 、`ヽ、ィ
|  ,|  川ヽ、/ /ト-;:::、        u丶 '´         .....ヽ、 i  /l
| ハ  |! j/ ./::`:::::、                        .:::r::、::.ヽ レ'  |
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        ヽヽ  ト、 `` フ                 : :ヽ-く ,'  ヽ、  __    _,(,,,,,,,,,..--
: : : : : .     ヽ、|!: :`‐‐': : :                。 : : : :\ u  ,,,ι- ''"´´
: : : : : : : .      ,,,.. -- ーー-、 __             : : :,, -‐''´



要するに彼等は、世界支配中枢の手先なんです。

つまり、さまざまな謀略を仕掛ける上で「閉鎖的で・従順な」集団というものが必要なんです。それにはどうしてもカルトが一番適している、というところを世界支配中枢はわかったから、それぞれの国でそういったカルト的な組織を育成して、巨大化させて、権力を持たせてきたわけです。

それを日本においては戦後GHQそしてCIAが主導権を握って、創価学会と統一教会という2つの宗教に主としてその役割を担わせてきたと、考えていますが、ただし、その二つの宗教だけではありません。そういったCIAの息のかかった宗教というのは、例えば真光系のいくつかの教団にしてもそうだし、幸福の科学とか、そういったものもそうだと思います。

まあ、ある意味、それぞれの教団に対して統一教会が人間を送り込んで内側から支配構造を作っていく。いつのまにか支配中枢に座っている、ということで大元は実は統一教会であるという場合が多いと思います。つまり創価学会も実は統一教会の連中が入りこんで中から動かしている。

その結果として何が起きたかというと、オウム事件において統一教会だけではなく創価学会も暗躍したというのはそういう意味だったと思います。

つまり中核でおかしなことをやってる連中はみな同じ連中なんです。つまり、統一の服を着てその上に創価学会の着ぐるみを着て、さらにその上にオウム真理教の気ぐるみを着た三重なんです。十二単みたいな連中なんですね。そういう事なんです。

で、オウム信者というふうに新聞に出るけども、皮むくと創価、もう一回むくと統一教会。これが謀略に謀略を重ねた結果なんですね。

ということで、この連中は宗教というもの、閉鎖的で外に情報が洩れなく、そして非課税特権で守られているから、おかしな金の流れというものに手を染めても司直が手を出せない。というメリットを利用してるわけです。

つまり宗教は非課税特権だからこそおかしなことに手を出せる。犯罪・謀略、全て非課税特権があるからこそ出来るんです。したがって創価学会あたりに対して民主党の議員さんあたりが「宗教の非課税特権を撤廃するべきである。」ということを一言でも言ったら、公明党創価学会大騒ぎして叩きのめそうとする。

つまり彼等にとって一番のウィークポイントがここなんです。つまりこの非課税特権がなければ、宗教はいかなる謀略も出来ないんです。そして、金を集めてその金をどうしようがわからないからこそ、おかしな犯罪に金を投入することが出来るんです。麻薬にしろ保険金殺人にしろ、非課税特権があるから出来るんです。

その結果として、戦後六十数年たって、わが国は完全にこのカルト集団によって略奪されてきています。

あの~ここに、今朝見つけたんだけど「くたばれ創価学会、お国の為に」あのこれは僕が書いたわけじゃないけれど、実に達筆だよね。というかこういうソフトがあるんだろうけれども本当にそうだ。わが国のためにはこんなのいらないよ。 

そりゃね、信者さんの大半はね、変な人じゃないの。信心してるの。でもね、ここをね、大きく2つに分けて考えなきゃいけない。

創価学会は日蓮正宗の信徒団体であって、そもそも最初は日蓮の教えを勉強したい人達がいたわけ。ところが今は、そういう人達とは別に池田教になっちゃっているわけ。池田大作という在日朝鮮人の2世が神様になっちゃってる。

つまり1つの宗教の中に2つの要素が入り込んじゃってる。これが間違いなんだ。
だいたいが教祖を神格化するというのはこれCIAの手口なんだよね。

そもそも本来は仏教団体なんだから、仏教団体として活動してくれる分には全然問題ないわけですよ。どうぞお好きになさいと。仏法、立派なもんです。ゴータマ・シッダルダ以来、人間に生きる道を教えてくれる。素晴らしいものです。

ところがそれと池田教とは全然違うもんなんだよね。で、そこのところに気がついて止めた人も一杯いる。気がついたってことは、あの~まだ頭がちゃんと働いているっていうことだと思う。

さて、このこういう映像・画像見てもらえればだいたい分かると思う。どんなに偉そうなこと言ったって、北朝鮮の親分と手を握り合ってる親父、こんなの信用できるわけ無いじゃないよ。

この親父が、自民党の議員さんに自分のところの信者を沢山送り込んでいるんだよ何百人も、文鮮明が。北朝鮮のボスと手を握った男が自民党のボスなんですよ。こんなことが許せるんですか?

統一教会の信者さん、ここ説明してください。これをどう解釈したらいいんですか?わが国の敵じゃないんですか、北朝鮮は?わが国の人間をどんどん勝手に拉致して行方不明にしてさせて、変なミサイルを飛ばすとか飛ばさない
とか・・

今日はどうやらぶっ壊れたから飛ばないみたいだけども(笑声)そりゃまあそうでしょう。ま、その程度のレベルだと思うから。

そしてこの人、いい顔してるね(文鮮明の写真を指す)こんな人がメシアの再臨のわけないでしょう、顔見れば分かるでしょうが。これがメシアの再臨?そう信じているとしたらあなた頭がおかしいよ!この人、北朝鮮やオウムや麻薬に関わっている犯罪者ですよ。

それからまだ分からないで、いつまでたってもぐずぐず統一教会に引っ張られて搾取され拘束されている人達、可愛そうですね。早く気がついてください。
                  
それからこの三色のうちわ、韓国に行くとおみやげやさんで売ってます。で、あのWBCの野球の大会で日本と韓国が対戦する時は、チアガールの綺麗な女の子がこのうちわを持って「コリアン頑張れ」ってやります。韓国のスリーカラー、韓三色です。

この同じ色が見たかったらそのへんに一杯あります。創価学会の旗です。
創価学会の旗になぜこの色を使ったのか?つまり、池田大作さんは、自分の創価学会の信者の中のごく一握りの、コリアンを源泉に持つ人達にメッセージを与えているんです。

「創価学会はコリアンの為の宗教だよ」ということを伝えるためにわざわざこの色で3色旗を作った、というふうに私は解釈しています。

もう1つ、聖教新聞を読むと、池田大作さんの回顧録として子供の頃お父さんから

「日本人は戦争の時、韓国をいじめた。それに対して反省しなければならない」

ということを先生書いてる。そりゃ結構ですよ。で、同じ聖教新聞には「韓日友好」とか平気で書いてるわけ。日本国の宗教で、日本人のための新聞で、何で「韓日友好」なんですか?

これも同じこと。創価学会の中のコリアンのメンバーに対してメッセージを伝えてるんです。聖教新聞は「創価学会はコリアンの為の宗教なんだよ」ということを暗に伝えている。

http://blog.goo.ne.jp/candy-cats7/e/307813e14d625928891ad4b7150528ba

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Q : monsekanaさん
創価学会と、オウム真理教は似たようなものなんですか?

質問日時:2010/3/21 20:55:02.

A : xoxhaxgixさん

ハイ 似たようなものです

假谷さん拉致事件では コラボしてるみたいですが。

オウムと創価学会の準軍事的関係がはじめて公的に明らかになったのは、1995年4月4日、オウム広報部長上祐史浩の外国通信記者クラブでの会見であった。上祐は、諜報省がオウム防衛組織の背景を調べた結果、少なくとも27人は元創価学会員であったと公表した。この部門は、噂によれば、教団の諜報省とともに、オウム施設への強制捜査を導いた仮谷拉致殺人疑惑を含む、拉致者の殺害、殺人、肉体的懲罰の責任があるという。

オウムの元創価学会員の多くは、犯行後、なぜか消えた、と上祐はつけ加えた。

上祐の情報部は、創価学会とオウムの関係について内部調査を行なったのである。これらの隠された創価学会侵入者を彼は「スパイ」と呼んだが、彼らは、もしオウム真理教が警察の攻撃を受けてきたのであれば判決のために尋問されなければならない。そして、創価学会準軍事的軍隊は、東京地下鉄毒ガス事件を、おそらくは朝鮮半島で訓練されたテロリストといっしょに組織し、着手したことがわかるし、このことは、二つの教団のあいだの致命的な仲違い――それとも創価学会が海外情報組織から恩義を受けていたということのどちらかを指し示している(創価学会は北京・クレムリンと強力に結びついており、在日朝鮮半島人会員が上層部から下部に至るまで広くその教団に浸透している)。

この消えた元創価学会員は、なぜ追及されなかったのか?
そこか事件の核心だったからである。創価がらみの事件は、警察もマスコミも深追いしない。だから、隠蔽できた


・・前科11犯の創価信者。何故免許証をオウムに貸したの?仲間だから?

そして二月二八日、目黒公証役場の事務長、假谷清志さん拉致事件が発生する。この真犯人が誰なのかは別として、一般的にはどう見てもオウム真理教が怪しい。一般の百パーセント近くがオウムを疑ったのではないだろうか。そして実際、オウム真理教の松本剛容疑者が拉致監禁に関わったと報道され、拉致に使用したレンタカーの書類から、松本剛容疑者の指紋まで出てきたのだ。このまま直に松本容疑者が逮捕されれば、すんなりオウム真理教による拉致事件が立証できただろう。だが、松本容疑者はなかなか逮捕されない。松本容疑者はレンタカーを借りるにあたって、他人の免許証使用している。で、当然ながらこの免許証の持ち主にも嫌疑がかかったのだが、どうやらこの人物は、ただひたすら松本容疑者に便宜を図っただけのようである。

便宜を図った免許証の持ち主がまた、創価学会の信者であった。そのことがますます、公安警察を悩ませたのだ。

http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1138345871


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4:777 :

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あげ1234
5:777 :

2022/07/09 (Sat) 21:56:33

あげ17
6:777 :

2023/11/24 (Fri) 17:54:24

池田大作は創価学会を集金マシンに変えた
2023.11.24
https://www.thutmosev.com/archives/80573134rgy.html

現在の公明党は創価学会の宗教2世への信仰強制によって維持されている


https://newscast.jp/news/0886190 NHK「逆転人生」「宗教2世 親に束縛された人生からの脱出」『解毒』著者出演 _ NEWSCAST
池田大作死去

創価学会の池田大作名誉会長が23年11月15日に東京新宿の自宅で老衰のため95歳で亡くなった

池田は昭和22年に19歳で創価学会に入り32歳で第3代会長に就任すると創価学会を私物化して支配し、池田の個人宗教と化した

昭和36年に公明政治連盟を結成し昭和39年に公明党を結党して支配下に置き、現在の公明党は自民党と連立与党を形成している

公明党は連立与党として自民党の監視役を自認し、与党でありながら改憲反対など野党的な主張で一定の支持を得てきました

だが19年7月の参院選では比例票が前回より100万票少ない654万票(13.05%)にとどまり、集票力の低下が目立つようになった

2022年7月の参院選では同じく比例票が618万票(11.66%)、22年衆院選は711万票(12.38%)、2017年衆院選は698万票(12.51%)

2000年6月衆院選では公明党は7,762,032(12.97%)なので投票数で上下があるものの、投票率では12%前後をキープしています

もともと公明党は母体の創価学会の組織票から比例区に強く、公明党のおかげで自民党が勝てていると豪語していました

最近は2000年代と比較して公明党の投票数が1割程度減少していて、支持母体である創価学会の信者1世が減少し3世ともなると離脱傾向が目立っているとされる

統一教会で話題になった宗教2世問題は創価学会も同じで、親が強制的に子供を信者にし教団は信者の子供に信仰を強制していると言われている

選挙では多くの運動員が必要だが公明党は学会員数百万人を無料で使えるのが最大の強みで、学会員は必ず公明党に投票し運動員としても熱心に働いていました


統一教会と創価学会は同じです
https://www.youtube.com/watch?v=gC8OuoiPeL8&t=3s


創価学会が衰退した理由は池田大作
創価学会は公式には全盛期に2000万人超で現在も1000万人超と主張しているが、もちろんこれは真実ではない

本当の信者数を推測するもっとも公正な数字は皮肉なことに公明党の得票で、選挙権がある信者はもちろん100%公明党に投票している

宗教系の政党はその宗教の信者の2倍程度が得票の目安で、宗教色が強いほど一般の人は敬遠し投票しない

公明党の得票は昭和30年代に100万票台で、この頃は信者以外に投票する人は少なかったようです

昭和50年代から60年代に得票数700万票を超え、実質信者数はその半分の400万人程度だったでしょう

現在の得票数は650万票なので、信者数は半分として350万人以下と推測できます

創価学会ではない人がどれだけ公明党に投票するかですが、1人の信者が一人の知人に投票を依頼したとして、やはり信者数と同じ程度でしょう

会員数は昭和20年代にゼロだったのが昭和50年に300万人以上に急増したが、これは敗戦によって人々が神道や仏教を信じなくなり、新興宗教に傾倒する日本人が増えたためでした

その後新興宗教は減るどころか増え続け怪しげな宗教が数えきれないほど存在するが、創価学会以外に政治への影響力を持ったものはない

創価学会は1960年の池田大作会長就任によって、それまでと全く異なる組織に変質したと言われています

創設以来の学会は名前が示す通り学問や教義を追及する機関だったが、池田は自らを教祖とする宗教及び集金機関として利用した

池田会長の下で創価学会には莫大な金が集まり、教育界や財界や政界、芸能界や海外の著名人にまで勢力を拡大しました

池田大作は自身を神格化して信仰の対象とし、池田自身が神であるかのように振舞い信者に絶対的な忠誠心を要求した

創価学会は池田大作を神として信仰する団体となり新たな信者を獲得できなくなり、池田大作就任をピークとして信者数は増えていません

古い信者は高齢化で亡くなって運動員としても使えなくなり、 2世3世は学会を敬遠して離脱するので公明党の集票が減っているのです

神として振舞ってきた池田は亡くなったが会長が神になりすまして信者から集金した経緯から、もう2度と元には戻れず衰退は続きます
https://www.thutmosev.com/archives/80573134rgy.html
7:777 :

2023/11/27 (Mon) 15:41:28

11月18日の創価学会創立記念日、そして初代会長の命日に池田大作が死亡した
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創価学会
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/228.html

浄土真宗と創価学会は被差別同和部落民の宗教
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/371.html

オウム真理教は一皮むくと創価学会、もう一回むくと統一教会だった
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14006897

カルトの世界 _ 創価学会とオウム真理教を背後から操っている組織とは…
http://www.asyura2.com/09/revival3/msg/215.html

【創価学会】何がヤバイ?資金源は?成立から最新の現状まで
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14150215

池田大作先生が女性からモテモテになった理由
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14006777

公明党と創価学会と中国
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14035621

創価ヤクザは自殺に見せ掛けた殺しのプロ
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14006896

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