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靖国神道は軍人を殺人の前に奮い立たせる為のものであって、信仰ですらないインチキ神道

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2022/05/29 (Sun) 16:34:48


靖国神道は軍人を殺人の前に奮い立たせる為のものであって、信仰ですらないインチキ神道


戦没者は恐ろしいものではないから神にはなれない.従って祭る必要もない.

神道の教義では,神になれるのは日本軍に残虐な殺され方をして,恨みを呑んで死んでいった中国やアジアの人々だけだろうね.


神道というのは原始信仰のアニミズムやトーテミズムをそのまま残した化石的な宗教だ.

アニミズムやトーテミズムでは人格神ではなく,人間に危害を及ぼす様なものはすべて神になる. 神仏習合というのは仏教の仏を神道の沢山いる神の一つにしただけだ.

日本の仏教というのは本当の仏教ではなく,中身は完全に神道で外形だけを仏教から借りただけの代物だ.だから仏教は日本に根付いたが,キリスト教は完全に放逐された.キリスト教は一神教で神道の精神と相容れないからだ.

しかし,靖国は神道の基本精神と合い入れないから,神道とは共存できない.

靖国は軍人を殺人の前に奮い立たせるためのものであって,信仰ですらないからだ.

靖国参拝は殺しの前の儀式行動としてやるものであって,宗教的な行動ではない.

 
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靖国は日本の伝統的な神道から逸脱している。古事記の神道を伝統とすれば、古事記は天皇の祖先神である天照大神を祀る伊勢神宮と、天照大神の子孫が滅ぼした(殺した)大国主命を祀る出雲大社。この二つの神社からなる。天皇は自分たちの先祖よりも、むしろ滅ぼした出雲の方に大きな神社を建てた。


*自分たちが権力を取るために滅ぼした人たちを鎮魂する神社を、自分たちの祖先の神社より大きくつくるのが日本の清清しい伝統であります* 。元寇との戦いでも、鎌倉に戦死した元の人たちを祀る寺をつくっているし、あの虐殺鬼「秀吉」でさえ、朝鮮で殺した人々の耳塚までつくっている。

そういうことを、先の大戦でも行うべきであった。中国や朝鮮、東アジアの人々の犠牲は、日本の犠牲の5倍も多い。1千万人の方々が日本の犠牲となった。伝統的な神道であれば、その人たちの霊を厚く祀るべきなのだ。その人たちの霊を慰めることをしないで、自国の死んだ人たちだけを祀るのはおかしいこと。

靖国は明治の初めの廃仏毀釈とつながっている。廃仏毀釈は仏を廃し神を残したといわれるが、実は神も排斥した。というのは、それと同時に修験道が同時に廃止されているからだ。


修験道は神と仏を結びつけたもの。神仏習合は東大寺を宇佐からやってきた八幡神が祝福したことに始まる。ここで公式に神と仏は習合した。それを助けたのが行基。それが空海によって完成される。そこから修験道が始まる。神と仏が仲良くするのが修験道なのだ。

ところが、その修験道を禁じ、仏を殺し、神を殺して、そのかわり国家を神とする神道が、新しい近代神道として起こった。神道のなかではごく最近のものである。近代日本の国家主義の産物で、他の神仏を殺してしまった。つぶして再度、国家神道の下に神道を統合した。だから、それはほんとうの神様ではない。一木一草のなかに神をみる。これが日本の伝統。そういう神様を全部殺して、天皇と国家を神としたのが国家神道。そういう伝統にあらざる神道を首相が公式参拝して保護するのはどうなのか?

*日本の伝統は犠牲になったものを祀らないと怨霊となって祟りをなす。だからその祟りを鎮めようというもの。アジアの人たちに酷いことをして殺したことが祟りになって日本の前途を危うくする、だからそういう魂を祀るという精神が靖国には皆無だ。これは日本の伝統的神道に欺くことである* 。

靖国は密かに祀る。心の中で祀る。そういう精神にしたらよい。近所に迷惑をかけた以上は近所に対し黙って祀る。目立たないように祀るのが国と国との礼儀だ。日本人とは慎ましやかな民族であるはずなのである。コイズミのように声高に祀るのは、「恥」と云わざるをえない。
http://ch05028.kitaguni.tv/e71190.html


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非業の死を遂げた人 = 自分たちが権力を取るために滅ぼした人

今度の戦争の事でいえば

非業の死を遂げた人 = 日本兵に殺された中国や朝鮮、東アジアの人々


非業の死を遂げた人を祭るのなら日本兵に殺された中国や朝鮮、東アジアの人々を祭るしかない。


靖国神道が古来の神道とは別物のインチキカルト

社の格好をしているから神道の神社だと思ってしまうが、その思想とか教義から見れば道教の土俗型に近いと思います。 祭られている「神」も、道教の「魔」とみれば、神社の解説もすっきり読めますね。 「宮司」も、道教の「陰陽師」と解せば、日ごろの行動まですっきり読めます。

 日本古来の神道の衣を被った道教の廟ということでしょう。
http://www.asyura.com/0601/dispute24/msg/192.html


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宗教史や民俗史を学んできた者にとっては、靖国神社という存在が、幕末から明治期にかけての国学者たちによってデッチ上げられた、本来の意味での神道的信仰とはかけはなれた存在であるということは常識です。

日本古来の伝統文化とは縁もゆかりもない「奇形」と言ってもいい存在です。そもそも、日本古来の伝統文化の最大の「破壊者」が、明治政府であるということもあまり知られていません。(明治期の政府による廃仏毀釈運動によって、75%以上の寺院が破壊された)

つまり、靖国神社とは、我々、宗教史家たちがこよなく愛する日本の伝統文化(純粋な意味での神道、仏教、儒教、その他の民間信仰)を、非道にも破壊しつくした果てに誕生した、国家イデオロギー装置でしかありえないのです。

つまり、靖国を伝統文化論の立場から擁護するのは完全なる誤りであるといえます。
http://pacolog.cocolog-nifty.com/pacolog/2005/08/post_aca5.html


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靖国神社は教義もかたまっていない新興宗教ですから、道教といふのもおかしいインチキカルトでしょう. 靖国神社が おかしいのに全く気付かないのはクリスマスを祝い,仏教の僧に葬式をやってもらう日本人ならではですね. 本当の仏教は葬式をやらない宗教なのです. 京都や奈良の本物の仏教寺院で葬式をやってますか?

靖国参拝は仏教徒がクリスマスを祝うのと同じ類ですね.

招魂教(靖国神社)はテロリストのための新興宗教である。

招魂教の起源は1862年の「殉難の志士の霊祭」、1863年に福羽美静が八坂神社に建てた小祠に由来する。

招魂祭は死者の魂を呼び寄せて生者の魂を奮い立たせる儀式。

招魂と慰霊とは全く異なる
慰霊は魂を慰め鎮めること。(魂鎮、たましずめ)。
招魂は死者の魂を呼び寄せて生者の魂を奮い立たせること。(魂振、たまふり)。

>魂鎮(たましずめ)、
>魂振(たまふり)
>「たましずめ」は、魂を身体の中府に鎮めること。「たまふり」は衰弱した魂を呪物や体の震動によって励起すること。


下記の記事の中で「陣中の一時的な招魂祭」とあることに注目。招魂祭は、戦闘に赴く兵士に、戦死者の荒ぶる魂を招き入れて、兵士の戦闘意識を高める宗教儀式だったことがわかる。

招魂教の精神は特攻隊という自爆テロの元祖を生んだ。

靖国は神道とは全く別物の新興宗教である

本当の神道は魂鎮(たましずめ)の宗教であり、戦争においては敗者となった敵の魂を鎮めることのほうに力点が置かれていた。

靖国には神道的な背景(魂振)もある。しかし、戦闘中に死んだ死人の魂を招き入れることによって、生者の魂振を行うというような発想は神道の伝統にはなかった。


>各地の招魂社(護国神社)で行われていた忠死霊の招祷祭も「招魂祭」と呼ばれますが、招魂社成立以前の神道の儀式としての「招魂祭」というのは思い当たりません。なお、陰陽道では、災厄の源となる怨霊などを鎮めて息災を祈る祭儀を招魂祭と称しており、これについては古来の記録も多数残っています。

当事者も神道だとは思っていなかったようだ。

>なぜ「神社」となったのか。国学院大学の阪本是丸教授(近代神道史)によると、最大の要因は「神官設置問題」であった。陸軍省によって「社格」などは念頭外で、ただ「神官を置いて神社らしくしたい」と願っただけだという(阪本『国家神道形成過程の研究』)。それ以前は正式な神社ではなかったから、神官も置かれず、財政困難を強いられていたらしい。

靖国神社を所轄していた陸軍省にとっては神道の魂鎮(たましずめ)の伝統を持ちこまれては、迷惑千万といったところだろう。

招魂教はテロリストや軍隊のための宗教であり、日本列島の人々が信仰してきた神道とは別物である。戦前の行政上の管轄の扱いでもそうなっていた。
http://www.asyura.com/0304/bd25/msg/514.html


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靖国参拝の件について、ASREADのサイトで、川端祐一郎氏が素晴らしい論考を書いていますので、是非、お読みください。

http://asread.info/archives/332

前回、安倍総理の靖国参拝が悪い結果をもたらす場合を四つ、例示しましたが、
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2014/01/01/korekiyo-77/


川端氏の論考を読んで、うかつにも、もう一つ、ありそうな重大な結果を見落としたことに気付きました。

それは

5)靖国参拝の意味が変わってしまう場合

です。

前回、申し上げましたが、靖国神社は「国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊を慰め、その事績を永く後世に伝える」ための場所であり、英霊を慰めるとは「日本を守るために、よくぞ敵と戦ってくださいました。私も、日本を守るために戦う覚悟です」と誓うことです。

だから、我が国の領土である尖閣を狙っている「敵」である中国が、総理の靖国参拝に猛反発するのは、当たり前。

ところが、川端氏によれば、参拝に賛成する論者の間ですら、靖国参拝の意義を単なる「慰霊」「哀悼」「鎮魂」で済ましている傾向があるというのです。

確かに靖国神社を、単なる追悼施設と位置付けたり、あるいは「冥福を祈る」とか「世界平和を願う」場所にしたりしてしまえば、政治的な摩擦も少なくなるので、参拝しやすくなるだろうし、それに中韓米が反発する方がおかしいと反論しやすくもなるでしょう。

ですが、靖国は、そういう場所ではありません。

靖国参拝の意味を歪めてまで参拝して、それで英霊を慰められるわけがありません。参拝すりゃいいってもんじゃないでしょう。それでは、反発している中国の方が、靖国参拝の本当の意味を理解しているってことにすらなりかねない。これこそ、最悪のケースです。

もっとも、政治家が海外に対して説明する場合には、言い方に気をつかって、言葉を多少丸めざるを得ないという事情は勘案してもいいとは思いますが、でも、我々一般の日本国民は、あくまでも「靖国神社は単なる追悼施設ではなく、外国の反発を覚悟してでも参拝しなければならない特別な場所なんだ」としっかり認識しておくべきだと思います。

その意味で、総理談話の

「本日、靖国神社に参拝し、国のために戦い、尊い命を犠牲にされた御英霊に対して、哀悼の誠を捧げるとともに、尊崇の念を表し、御霊安らかなれとご冥福をお祈りしました」

という箇所は、「ご冥福を」さえなければ、異論はありません。ポイントは「国のために戦い」と「尊崇の念を表し」です。

他方で、私は原理主義者じゃあないんで、前回申した政治家の「責任倫理」の観点から、総理の靖国参拝が国益を大きく損なう結果が起きる可能性が高いのなら、やむなく参拝しないという現実主義的な選択肢も十分ありだったと思います。現在、東アジア情勢が、冷戦終結以降最悪といっていいレベルにまで不安定化しているからです。

したがって、もし私が官房長官だったとして、12月26日の朝に総理から参拝を告げられたら、こう言って、止めてましたね。

「総理、お気持ちは十分に分かりますが、しかしながら、このタイミングでは、中国に軍拡の口実を与え、米国の不信を招くリスクがあるので、お控えくださいませんか。特に今日は、調べたところ、毛沢東生誕120周年の日だとかで、中国を刺激しすぎます。いずれ誰にも遠慮することなく靖国参拝できる国にすべく、今は、臥薪嘗胆、富国強兵に努める時と存じますので、なにとぞご辛抱ください。それから話は変わりますが、竹中平蔵はクビにすべきかと。」

でも、もし総理にこう返されたら、総理の判断に従ったと思います。

「確かに今日はまずいが、だが日を改めて参拝させてくれ。
君の言うリスクも分からないではないが、しかし、中国は、参拝の有無とは無関係に、機が熟したら、必ず尖閣を獲りに来るだろう。

そして米国には、参拝と関係なく、どうせ日本を守る気も力もないのだ。
ならば、いずれ自衛隊の諸君は、尖閣を守るべく、戦いに赴くことになる。
その際、一国の指導者が英霊を祀ることもできないようでは、自衛隊の士気にかかわるのではないか。

むしろ情勢が不穏な今だからこそ、私が参拝を決行してみせ、日本人の独立自尊の精神を取り戻すことが大事なのだ。
それと、話は変わるが、竹中はクビだ。」

他方、もし総理にこう言われたら、即刻、辞表を提出します。

「はあ?そんなリスク、ないない。TPPに参加するんだから、米国が中国から尖閣を守ってくれるに決まってるじゃん。もはや、国境や国籍にこだわる時代は過ぎ去りました。バイ、マイ、ヘイゾーノミクス!」
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2014/01/08/korekiyo-78/


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2016.08.15
終戦勅語が放送された8月15日に行う政府のセレモニーで追悼されるのは侵略の手先になった人びと

第2次世界大戦で日本が降伏したのは1945年9月2日のこと。

この日、政府全権の重光葵と軍全権の梅津美治郎が東京湾内に停泊していたアメリカの戦艦、ミズーリ号で降伏文書に調印したのである。8月15日は「玉音放送」、あるいは「終戦勅語」と呼ばれている昭和天皇の朗読がラジオで流された日にすぎない。

その放送を記念し、毎年、8月15日に日本政府は「戦没者を追悼し平和を祈念する日」なるセレモニーを行っている。大戦で戦死した旧日本軍の軍人と軍属約230万人と空襲などで死亡した市民約80万人が追悼の対象で、日本が侵略した国々の犠牲者は無視されているようだ。

 8月15日には「靖国神社参拝」というセレモニーを行う議員もいる。単独で行動できないのか、尾辻秀久を会長とする「みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会」という集まりも存在、そこには安倍晋三、甘利明、石破茂、稲田朋美、衛藤晟一、平沼赳夫、原口一博、小沢一郎らも含まれている。

 この靖国神社は1869年の創建。当初の名称は「招魂社」だったが、1879年には現在の名称に変更され、第2次世界大戦に日本が敗れるまでの所轄は陸海軍省だった。日本軍と一心同体の関係にあったわけだ。最初に祀られているのは、戊辰戦争や西南戦争において薩摩藩や長州藩など(新体制)の側で戦死した人びとから始まり、第2次世界大戦で戦死した人びとまで。

 こうした歴史があるため、日本が降伏して連合国に占領されていた時期、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)の内部では、将校の多数派が靖国神社の焼却を主張したという。これを阻止したのがイエズス会のブルーノ・ビッテル(ビッター)とメリノール会パトリック・J・バーン、ふたりのカトリック司祭だったとされている。

 前にも書いたように、ビッテルは1898年にドイツで生まれ、1920年にイエズス会へ入り、アメリカで過ごしてから1934年に来日している。ニューヨークのフランシス・スペルマン枢機卿の高弟だとされているが、この枢機卿はCIAと教皇庁を結ぶ重要人物。CIAはアメリカの巨大金融資本と密接な関係にある機関であり、関東大震災からアメリカでフランクリン・ルーズベルトが大統領になる直前までの機関、日本がウォール街に君臨していたJPモルガンの強い影響下にあったことを考えれば、当然のことだろう。
http://plaza.rakuten.co.jp/condor33/diary/201608150000/


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靖国神道は軍人を殺人の前に奮い立たせる為のものであって、信仰ですらないインチキ神道
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/127.html

靖国神道は神道とは別物のインチキカルト
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/402.html

天皇家は推古朝以降 江戸時代までずっと仏教徒だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/525.html

昭和天皇の戦争犯罪問題が再燃すると困るから天皇一族は靖国神社に参拝できなくなった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/128.html

宮中『魔女追放事件』 _ 入江侍従長の祭祀簡略化工作と戦い敗れた女官
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/618.html

日本人と日本古来の文化を滅ぼそうとしているクリスチャンでグローバリストの天皇一族 _ 天皇は何人で何処から来たのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/102.html  
2:777 :

2022/06/03 (Fri) 20:55:14

上げ 666

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