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重信房子が ばばあになって帰ってきて娘が平気でテレビに出るとか

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2022/05/28 (Sat) 17:45:27

重信房子が ばばあになって帰ってきて娘が平気でテレビに出るとか不自然でこの親子もなんちゃって一座の団員でスーチー型やダライラマ型

ハマスは、パレスチナをイスラエルが攻撃する口実作りの為に、被害が最小限のテロを行っている。
ハマスは実はモサドが作り、支援している似非テロ組織。



山下太郎、田中清玄…。かつて日本から実力者たちが何人もアラブ世界に飛び、交流を高めわが国の政治経済に貢献した。日本赤軍の重信房子もこうした流れの中でアラブに渡ったものであり、彼女が中東に飛ぶ際に CIA工作員の岸信介(当時首相)は当時のカネで500万円を手渡したと伝えられる。
http://www.asyura2.com/0502/holocaust1/msg/495.html

よど号リバプールZ48という感じであの時も北朝鮮だダッカだテルアビブだと子供ながらにハラハラさせられたが

重信房子がばばあになって帰ってきて娘が平気でテレビに出るとか

不自然でこの親子もなんちゃって一座の団員でスーチー型やダライラマ型という感じがする
http://maru101.blog55.fc2.com/blog-date-201408.html



日本赤軍のテルアビブ空港襲撃事件が世界中に大きな衝撃の理由は

イスラエルとパレスチナの紛争に、全く利害関係を持たないはずの日本の極左組織が、命を掛けて参加した理由が分からないことである。

 彼らは宗教的にイスラム教を信奉しているわけでもないし、命をかけるほどの利益があるわけでもない。

従がって、イスラエルの空港に日本赤軍と称する組織が命がけの攻撃をする理由は、西洋人は勿論、中東の人々にも理解できなかった。

何故、日本赤軍は、自分たちの命を犠牲にしてイスラエル空港を攻撃したのか? 

そしてそれに輪を掛けて理解できなかったことは、日本政府がこの襲撃事件に遺憾の意を表明して、犠牲者に100万ドルの賠償金を支払ったことである。
http://www.araki-labo.jp/samayoe017.htm


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ang********さん 2009/6/22 07:16:49
重信房子ってのは、戦前の大物≪右翼≫の娘だよ。

父親(重信末夫)は鹿児島県出身であり、戦前の右翼の血盟団のメンバーであり、四元義隆とは同郷の同志である。


要するに≪反体制がかっこいい≫というレベルの遺伝子の持ち主。
思想・信条は関係ない。
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1427486559


P・グラレム‏ @pinkglalem · 2014年7月7日
@mayshigenobu @cinematoday
重信末夫は、四元義隆を通じて佐々弘雄と友人関係にあった。
つまり重信房子は佐々淳行と昔から知り合いだった。

連合赤軍のテロ事件は、警視庁や日本政府と組んだ茶番だった。
オメ-ラのやり方は、昔からキッタネーなぁ...?


P・グラレム‏ @pinkglalem · 2014年7月9日
@cinematoday @mayshigenobu
ハマスは、パレスチナをイスラエルが攻撃する口実作りの為に、被害が最小限のテロを行っている。

ハマスは実はモサドが作り、支援している似非テロ組織。
その実体は日本の連合赤軍にそっくり。
https://twitter.com/mayshigenobu/status/486330664204001280


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重信房子は、父・重信末夫が右翼の大物で、四本義隆や佐々弘雄(佐々淳行の父)とつながりがあった。当時、数々の極左テロ事件の鎮圧を指導したのが佐々淳行と後藤田正晴だ(佐々と後藤田は、後に中曽根首相の側近となった)。冷戦期のグラディオ作戦の日本版が、日本の極左テロ事件だ(西欧で起きた数々の極左テロは、実は民衆の世論を反共へ誘導するためNATOが仕組んだもの、というのがグラディオ作戦)。

 オウム事件では、オウムは裏で統一教会や北朝鮮と関わりがあったが、当然、CIAの関与もあったはずだ(オウムが撒いたとされるサリンは、米軍製のサリンとなぜか成分が同じだ)。麻原は拘置所で薬漬けにされ、口封じされた。

 安保闘争も、学生運動や極左テロも、オウム事件も、裏では支配層が巧妙に運動や組織をコントロールしていた。そして、これらの政治的事件の顛末は、日本人に「政治には無関心でいるのが無難」という意識を植えつける、悪影響をもたらした(それが、属国日本の支配層=米国の手先の狙いだったのだから)。
https://johosokuhou.com/2018/03/30/2831/


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2001 年 4 月 26 日 重信房子、よど号犯、オウム真理教の深い関係
 細井 保(ジャーナリスト)
http://www.asyura2.com/sora/bd13/msg/96.html

 重信房子とよど号犯の関係

 日本赤軍最高幹部の重信房子は、平成十二年十一月に大阪で逮捕された。これまでの新聞報道によると、重信は数年前から日本への入国を繰り返し、日本から北京などにたびたび渡航していた。北京を拠点のひとつにして、偽造旅券を使って世界各地に渡航していた。使われたパスポートの偽造には、よど号犯グループが関った可能性が高い。

 日本赤軍は昭和四十六年(一九七一年)、共産主義者同盟赤軍派(共産同赤軍派)のメンバーのうち、レバノンに出国した重信房子、奥平剛士等によって組織された。結成以降、日本赤軍はパレスチナ・ゲリラと共同し、または単独で、国際テロ組織の中でも極めて活発なテロ活動を世界各地で展開してきた。彼らが起こした事件の中で最も忌しい事件は、昭和四十七年(一九七二年)五月、イスラエルのテルアビブ・ロッド空港での銃乱射事件だ。奥平剛士、安田安之、岡本公三の三人が自動小銃を乱射し、一般旅行者ら九十六人を殺傷(うち死亡二十四人)した。

 よど号グループは、同じ赤軍派の一つで、故・田宮高麿ら九人だ。彼らは昭和四十五年(一九七〇年)三月によど号をハイジャックして北朝鮮に渡った。彼らの“宿命”について、高沢皓司氏が著書『宿命-よど号亡命者たちの秘密工作』(新潮社刊)に描いている。北朝鮮で彼らの革命幻想は打ち砕かれ、彼らは北朝鮮の思想に思想改造され、北朝鮮の対外工作員に変じていく。よど号犯のうちには粛清された者、死亡した者もいるが、なお五名が現在、平壌市周辺で執筆業や貿易会社を営むなどしていると伝えられる。

 警察の発表によると、重信が使用していたパスポート二通のうち一通は、約三年前に取得されたものだ。これは、よど号犯グループの関係者が使用していた複数の偽造旅券と、旅券番号の一部が一致するなど、数多くの共通点がみられる。

 重信は偽造パスポートを使って、最近の約三年間に五回以上日本へ入国し、出国先はいずれも中国方面だった。そして、北京を拠点によど号犯グループのメンバーの関係者と接触を続けていたとみられる。関西の赤軍派支援グループのメンバーも北京などに渡航し、現地のホテルなどでひそかに会合を持っていたとみられる。

 平成八年(一九九六年)夏には、重信が当時滞在していた北京から、ひそかに北朝鮮に入国していた可能性がある。この夏、平壌で各国の革命を目指すグループの集会が開かれた。この集会に参加するため北京から北朝鮮に入ったとみられる。重信が集会前後に、よど号犯グループメンバーと接触していた可能性もある。この集会は、各国の革命家やグループなど数十人規模で、日本赤軍の新たな拠点づくりとも関連していたとみられる。参加者の中で重信は重要な役割を果たしていたとされ、この集会に参加する目的で北京を出国した可能性が高いとみられる。

 また平成十二年五月にも、重信が中国・北京に滞在していたことが、CIAによって確認されている。

 日本赤軍は近年、レバノンを活動の拠点とする一方、中東以外の地域に新たな拠点構築を目指し、世界各地で活動を展開していた。しかし、平成七年(一九九五年)、ルーマニアで浴田由紀子が逮捕され、平成八年、ペルーで吉村和江が逮捕、城崎勉がネパールで身柄拘束された。こうした中、平成九年(一九九七年)二月、レバノン国内に潜伏していた日本赤軍のメンバー五人(和光晴生、足立正生、山本萬里子、戸平和夫、岡本公三)が発見され、レバノン当局に身柄を拘束された。本拠地ともいえるレバノンにおいて、政府当局によりメンバーが逮捕されたことは、日本赤軍が最も重要な拠点を失ったことを意味している。メンバーの大量検挙と合わせて、組織として極めて大きな打撃を受けたものとみられる。そこで、重信らは日本へと目を向けてきたのではないか。

 警察の捜査によると、重信の家宅捜索では、新たな組織の構想を記した文書が押収されている。文書は「人民革命党綱領」と「綱領解説」と題されていた。

 人民革命党とは日本国内で革命を実現し権力を奪取するための組織で、平成三年(一九九一年)八月、シリア・ダマスカスで結党された。重信は相次ぐメンバーの逮捕で弱体化した組織を立て直すため、国内で人民革命党の旗揚げを目指し、党綱領をまとめ、来春から活動する計画だったとみられる。同党は運動方針などで対立している国内組織や支援者を一本化して、革命で政権を奪うことを目標にしている。
 東京地裁で先に開かれた拘置理由開示の手続きで、重信容疑者は「来春、いつ司法に身をゆだねてもよい準備を完了する予定だった」と述べた。その旗揚げの準備が完了する前に、最高幹部・重信房子を逮捕したことは、日本警察の功績だろう。

 これまでの報道を通じて、重信に関して二つの疑惑が浮かび上がってくる。よど号グループとの関係、さらに北朝鮮及び中国政府との関係である。この疑惑はオウム真理教と北朝鮮・よど号犯グループの関係に関する疑惑へとつながっていく。
http://www.asyura2.com/sora/bd13/msg/96.html


金正日の極秘指令を受けたよど号犯

 重信ら日本赤軍はよど号犯グループと昭和五十年代から提携をもってきたとみられる。もとは同じ共産同赤軍派である。よど号犯には重大な事実がある。それは、彼らは北朝鮮の指令を受けて、日本国内及び国際的にさまざまな活動をしてきたという事実である。そして、そこに浮かび上がってくるのがオウム真理教との関係なのである。

 よど号犯グループと親しいジャーナリストが高沢皓司氏である。高沢氏は長年彼らを取材してきたことをもとに著書『宿命』を書いた。この本は平成十一年度の講談社ノンフィクション賞を受賞した。

 その後、高沢氏は平成十一年八月から十月にかけて、「週刊現代」に「『オウム真理教と北朝鮮』の闇を解いた」という記事を掲載した。十一回に及ぶ連載の中で高沢氏は、オウム真理教と北朝鮮の闇の中に、赤軍派、よど号犯グループの存在があることを明らかにしている。

 連載の中で、高沢氏は驚くべき事実を公表した。氏によると、昭和五十七年(一九八一年)五月六日、よど号犯は金正日から直筆の極秘指令を受けた。その指令書は実在している。指令書の内容は金日成主義によって日本革命を準備・達成せよ、というものだ。金正日は自衛隊工作や軍事クーデターの中核的人間の育成などを指示していた。よど号犯は指令に従って、対日工作を行ってきたのだという。

 よど号犯グループは金正日から指令書を受けるより前に日本赤軍と接触していた。早くも昭和五十年代(一九七〇年代後半)から、彼らは東欧等で複数回接触していた。これは今回の重信逮捕でわかってきたことである。

 よど号犯グループは日本赤軍のために、偽造旅券を手配していた可能性が高いtp見られている。昭和五十五-五十六年(一九八〇-一九八一)ごろ、日本赤軍の戸平和夫が使用した偽造旅券は、北朝鮮に拉致された疑いの強い男性のパスポートと旅券番号などが酷似していた。

 よど号犯グループは金正日のロボットとなって対日工作を行う一方で日本赤軍との連携を深めていったとみられる。当時、日本赤軍は中東での足場を次第に失い始め、新たな活動拠点を探して東南アジアなどで広域に活動するようになった。よど号犯グループとの連携は、これ以後の日本赤軍に大きな活動力を与えただろう。その背後には金正日の存在があると推測される。

 よど号犯の日本工作活動はメンバーの相次ぐ逮捕などのために、昭和六十年代(一九八〇年代後半)に挫折した。よど号犯による工作が挫折した後、北朝鮮は、ある集団を工作の対象として目をつけた。それがオウム真理教だった、と高沢氏はみている。
http://www.asyura2.com/sora/bd13/msg/97.html


なぞの多いオウム真理教事件

 オウム裁判は進んでいる。判決も続々と出ている。しかしオウム事件にはあまりにも謎が多い。ジャーナリストの一橋文哉氏は独自の取材によってオウム事件を追及している。平成七年に月刊誌「新潮45」(新潮社刊)に、一橋氏は追跡記事を数度に亘って掲載した。その原稿をもとに平成十二年七月、単行本『オウム帝国の正体』(新潮社刊)が発刊された。

 一橋氏が書いているように、一連のオウム事件は疑惑に包まれたまま真相がほとんど明らかにされていない。オウム真理教の存在が、国民に広く知られるようになったのは、平成元年(一九八九年)十一月四日の坂本弁護士一家拉致殺人事件だ。その翌年、平成二年二月、麻原彰晃は真理党を創設し、二十五人の候補を立てて国政選挙に打って出た。しかし、それは惨敗に終わり、教団は深刻な財政危機に陥ったとみられる。ところが、その年の五月には熊本県波野村に六ヘクタールの土地を購入。そして翌三年にはロシアを訪問、エリツィン大統領の側近のロボフに面会して、「ロシア日本大学」構想を打ち上げる。麻原は平成四年には信者三百人を引き連れてロシアを訪問、政権中枢に接触して本格的な布教活動を開始した。

 一体、どこからこれだけのことをする巨額の資金が出てきたのか。その背後には、オウム真理教に資金を提供した団体があるのではないかとみられている。統一教会と創価学会が、疑惑の対象として挙がっている。また「オウムは金のなる木」として、オウムに食い込んだ暴力団の存在が浮かび上がっている。

 その後、オウム真理教は平成六年六月二十七日には、松本サリン事件、七年二月二十八日には、東京・目黒公証役場事務長逮捕監禁致死事件を起こした。そして遂に、同年三月二十日、東京都心部で地下鉄サリン事件を起こす。死者十二名、被害者五千五百名以上という大事件だった。

 これは単発のテロではない。「井上メモ」が示しているのは、オウム真理教の計画には天皇陛下が国会にお出ましになっているときに、国会の周辺で、サリンを大量に散布するというものがあった。計画は未然に防ぐことができたが、もし実行されていたらどのような結果となっていたか、慄然たるものがある。

 オウムはサリンによる無差別大量テロに続いて、国家中枢テロを行って、クーデターを起こし、さらにはアメリカ、ロシアを巻き込んだ第三次世界大戦を引き起こそうとしていたともみられている。

 オウム真理教はサリン事件の十日後、三月三十一日、国松孝次警察庁長官を狙撃する。そして四月二十四日、オウム真理教幹部の村井秀夫科学技術省大臣が、オウム本部前で刺殺された。一橋氏は一連の事件の中でも三つの事件は、特に疑問が多いとしている。つまり坂本弁護士一家拉致事件、国松長官狙撃事件、村井刺殺事件だ。一橋氏は徹底した取材によって、多くの疑問点を記している。

 そこから浮かび上がってくるのは、オウムに関っていた暴力団、疑惑のある宗教団体、そして大物政治家の存在である。この方面はある段階で「上から」捜査にストップがかかった。捜査当局はオウム事件を、オウム真理教単独による犯行として処理しようとしている。また、裁判において検察は、この方面については、ほとんど何も追及しようとしていない。重要点の多くに関係する早川は、裁判において、この領域に関しては固く口を閉ざしたままだ。

 早川はオウム真理教と北朝鮮・ロシアの関係についても明らかにしていない。毒ガス、偽ドル、麻薬、銃火器、潜水艦、軍用ヘリコプターなどオウム真理教の一連の事件は、日本史上、かつてない国際的な事件である。さらには核兵器製造に関する情報がやりとりされていた可能性もある。背後には北朝鮮や暴力団とのつながり、オウムをロシアに紹介した元代議士、その背後にいるとみられる大物政治家、ロシアにおける国際的な武器商人の暗躍等々、日本の内外を結ぶ組織的な関与が見え隠れする。これが単に噂の類ではないことは、CIAがオウム事件の調査を行い、アメリカの上院で大部の報告書が出されていることを知れば、わかるだろう。

 事件の真相は日本の警察、司法によって、ほとんど何も明らかにされていない。オウム事件は深い闇に閉ざされたまま次々に判決が出されている。徹底的に事実を追求していけば、類例を見ない大スキャンダルが暴露され、また国際的な大問題となる可能性があるのだろう。
http://www.asyura2.com/sora/bd13/msg/98.html


よど号犯、オウム工作に関与か

 オウム真理教の一連の事件の背後には、北朝鮮やロシアの影がある。高沢氏は金正日がよど号犯を使って行っていた日本破壊・攪乱工作が挫折した後、それを「ちがう筋で見事に実行したのが、オウムではなかったのか」とみている。

 高沢氏はよど号犯グループは、北朝鮮のオウム工作に関っていたことを強調する。それを明らかにするのが、北朝鮮のオウム工作員Aの存在であると、氏は書いている。同氏によると、オウムには北朝鮮の主体思想(金日成・金正日を絶対化した思想)を身につけた工作員Aが潜入していた。その頃からオウムは急激に変質・過激化した。Aは村井秀夫科学技術省大臣に重用されて武器製造に関与していた。平成七年(一九九五年)三月二十日、オウム真理教は東京で地下鉄サリン事件を起こしたが、サリンの製造責任者は村井だった。

 Aに連なる潜入工作員は複数いたことが明らかになっている。その一人、霜島隆二は医師としてオウム真理教付属医院に入り、林郁夫の下で働いていた。霜島は共産党系の病院に医師として勤務していた時にオウムに入信した。ある日突然、都内にある北朝鮮系の病院に移り、さらにオウム付属病院へ移った。霜島は以後、林の右腕となり、麻酔剤、電気ショック、LSDなどを用いて、信者に洗脳を行っていた。

 これらの方法は、高沢氏によると「北朝鮮の洗脳技術と瓜ふたつ」だ。北の毒ガス等の兵器開発と「まったく同じ軌道上にあるもの」という。しかも霜島は「教祖・麻原に対しても心理療法、あるいは催眠療法などの『イニシエーション』を行える立場にあった」とみた。それゆえ、北朝鮮のオウム工作は麻原自身に及んでいたと考えられる。

 工作員Aはオウム事件でオウムの幹部が逮捕された後にオウムを脱会し、スペインのマドリッドへ飛んだ。高沢氏はマドリッドでAを取材した。Aは一連のオウム事件当時のオウム信者である。Aは高沢氏に対し、今でも主体思想は「すばらしい思想」だと言い、主体思想の作成者の黄長燁から直接指導を受けたと明かす。マドリッドは北朝鮮の工作拠点のある街。その土地は、柴田泰弘らよど号犯とその妻たちが、北朝鮮による日本人留学生を北朝鮮に拉致する等の活動拠点としていた場所だ。中でも柴田はマドリッドにしばしば滞在して活動していた。高沢氏によると、Aは柴田と同じホテルに宿泊していたことが明らかになっている。

 柴田泰弘は昭和六十三年(一九八八年)五月に、北朝鮮帰国者の偽造旅券で日本に潜入帰国をしていた時に逮捕された。しかし、平成六年(一九九四)七月に刑を終え出所している。柴田の逮捕は、対日工作を進める北朝鮮にとって打撃だったのだろう。高沢氏の著書『宿命』によると「事態を重く見たピョンヤンからは日本潜伏中の工作員に緊急の帰国指示命令が平壌放送を通じて流された」「柴田泰弘の国内での逮捕と、その後につづく一連の事態はよど号グループにとってすべての日本潜入工作が挫折したことを意味していた。…妻たちへの緊急の帰国指令は、からくも彼女たちの国内での逮捕だけはまぬがれさせたのである」という。

 柴田は出所後も、よど号グループのスポークスマン、「自主日本の会」などの活動を活発に続けている。北朝鮮及びオウム真理教との関りも持続していたとみられる。

 北朝鮮による日本人拉致事件は、なにも解決していない。日本国政府は北朝鮮に対して非常に弱腰であり、「拉致」を「拉致」として主張すらしていない。今後、この事件を解明するには、よど号犯グループによる日本人拉致の実態を明らかにされなければならないだろう。それは、金正日と北朝鮮政府の国家的な国際犯罪を暴露することになろう。

 オウム真理教へのよど号犯の関与は、偽ドルについても考えられている。偽ドルは北朝鮮が偽造して、世界に広く使用しているものだ。

 よど号犯の一人、田中義三は平成八年(一九九六年)、タイのパタヤで偽ドル札を使用したとして起訴された。この事件については、平成十一年(一九九九年)六月に無罪になり、拘留先のタイ・バンコクから昨年六月二十八日、日本へ移送された。田中が使った北朝鮮の偽ドルは「スーパーK」だった。彼が北朝鮮から出国したとき、北京を通過した可能性が高いとみられている。

 オウムの元幹部の証言によると、早川建設省大臣はドイツから精巧な印刷機を手配し、北朝鮮の偽ドル印刷に関係していたという。その一方、オウムには、外部から多額の資金提供を受けていた疑惑がある。それは、赤軍派・よど号犯の田中義三が使用して逮捕された偽ドル、スーパーKだった疑いが濃いと、高沢氏は言う。もしそうだとすれば、赤軍派・よど号犯とオウム真理教は、北朝鮮の偽ドルへの協力という点でもつながってくる。
http://www.asyura2.com/sora/bd13/msg/99.html


オウムの北朝鮮コネクション

 オウム真理教と北朝鮮の関係についてに疑惑は、多数の死傷者を出したサリンやその他の武器にも関っている。この点において、よど号犯の関与はわかっていない。

 工作員Aがサリン製造責任者の村井に重用されていたことを再確認しておこう。
 高沢氏は言う、「オウム真理教が毒ガスや細菌兵器の開発に手を染めはじめていたのは、そこに北朝鮮の工作組織の浸透があったとすれば、けっして偶然ではないのである」と。

 金日成の著作集には、毒ガスや細菌兵器についての大量の論文。教示がある。朝鮮戦争後、北朝鮮では毒ガスや細菌兵器の研究が行われている。そして麻原らにサリンなどの知識を吹き込み、オウムを北朝鮮型の組織体系に誘導した工作組織が存在すると想定されるのだ。

 オウムと北朝鮮の関係の焦点にいるのが、早川紀代秀建設省大臣と村井秀夫科学技術省大臣だ。早川は麻原と共にオウムの前身である「オウム神仙の会」を創設した人物。オウムのナンバー・ツーといわれる大幹部だ。早川は元統一教会の信者である。それが阿含宗に入り込み、そこで麻原彰晃と巡り合い、オウム神仙の会を作った。オウム真理教の創設後も早川は統一教会の会員と会っていたという。

 早川はロシア射撃ツアーを企画したり、軍事訓練を受けたりと、非常にロシアに接近している。麻原オウムがロシアに接近しようとした最初のヒントは、恐らく、この早川によるものだろう。早川はロシアで武器の購入を行っていた。また頻繁にウクライナの首都・キエフへ行き、さらにそこを経由して北朝鮮に行っていたことがわかっている。

 一方、村井はサリン開発の責任者だった。オウム事件のなかで最も不透明で謎に満ちている事件の一つが、村井の刺殺事件だ。実行犯、徐浩行の背後には暴力団の存在があり、また同時に北朝鮮の工作組織の影が濃い。徐には数年間、北朝鮮に渡っていた形跡がある。彼は北朝鮮の「きわめて高度に訓練されたテロリストであり、工作員」と高沢氏はみる。

 村井はテレビで、オウムの資金は一千億円あると言った。また、地下鉄で使われた毒ガスはサリンではないとも証言した。とすれば、ガスの製造元はどこの国なのか。そして、さらに村井が曝け出しかねなかった秘密があったのだろう。

 その秘密は、北朝鮮と暴力団がらみの麻薬取引だった疑いもある。高沢氏は、それ以上の秘密があったのではないかと見ている。刺殺される前、村井はテレビでその秘密に触れかねない発言をしていた。そのことが、きわめて強い危惧を、北朝鮮側に抱かせたのだ。それは、日本の原子力発電所に関するものではなかったか。
 早川は頻繁にウクライナの首都・キエフへ行き、またそこを経由して北朝鮮に行っていたと先に書いた。高沢氏は、早川がロシアで武器の購入だけでなく、核燃料のプルトニウムの密輸にも関係があったのではないか、とみる。

 というのも、オウムは日本の原子力発電所に関する膨大な機密書類を手に入れていたのだ。村井らが約二百人もの作業員を潜入させて収集したものだ。専門家も初めて見るようね詳細な資料だ。こうした原発の機密資料が、早川ルートによって北朝鮮に流出していた可能性がある。そして、早川が北朝鮮の窓口としていたのは、北朝鮮の核兵器関連物資やIC機器の調達を行う部署、「第二経済委員会」だった可能性が、最も高いと、高沢氏は書いている。

 早川は、国際的な「死の商人」風のところがある。これに対し、村井は物理学の専門家であり、原発のデータを理解することができた。村井は早川とともに北朝鮮に渡航し、関係を持っていた。村井は究極の教団武装化として核開発を考えていた。北朝鮮も核開発のために、日本の技術とデータを必要としてオウムを利用していた。両者の利益は一致していたとも考えられる。

 オウムの一連の事件への「北朝鮮の関与、工作組織の存在は、村井の命を奪ってもなお、死守しなければならない機密に属していた」と高沢氏は言う。しかし、その真相は謎のままだ。北朝鮮は既に核兵器の開発を進め、既に数発の核兵器を持っているのではないかという観測がある。こうした国が連合赤軍など国際的なテロ組織とつながりを持ち、いや国際的なテロ組織を領導しようとしていたとすれば、どうだろうか。そうしたテロリストが、核兵器を掌中にしたならば、世界は震撼するだろう。勿論、掌中にあるのはサリンや生物化学兵器であるかも知れない。
http://www.asyura2.com/sora/bd13/msg/100.html


赤軍派とオウムを結ぶ線

 オウム真理教が一連の事件を起こしたのか。それとも、外国の工作や国内の諸団体の関与によって操られていたのか。

 高沢氏は北朝鮮の存在を重く見る。氏はオウムは北朝鮮に「徹底して領導され、誘導され、利用され尽くしたともいえるのでは」と高沢氏はみる。「サリンをはじめとした一連のオウム真理教のテロ事件は、日本攪乱工作(クーデター工作)の、いわば予行演習でもあり得たのである」と。首都中枢の霞ヶ関を狙ったサリン事件については、北朝鮮が「日本の危機管理のずさんさと、どのような動きが取られるのかというシミュレーションのデータを得るためにこそ、攪乱工作の第一歩は必要だった」と述べている。

 もしそうだとすると、赤軍派・よど号犯グループは、こうした北朝鮮のオウム工作にどの程度関っていたのか。そして、重信ら日本赤軍はそれを関知していたのか。

 よど号犯グループは、中国北京を重要な拠点として活動してきた。平成八年の夏、重信房子は北京からひそかに北朝鮮に入国し、平壌で開かれた各国の革命を目指すグループの集会に参加したらしい。当然、重信はよど号犯グループメンバーと接触していただろう。

 日本赤軍の重信は、よど号犯グループが北朝鮮の国際工作員となっていることを知りながら、彼らとともに活動してきた可能性がある。それは同時に日本赤軍が、北朝鮮の対日工作や世界戦略に協力する、あるいは金正日の指令に従って動いてきたということを示唆する。

 実態はまだ明らかでないが、北朝鮮という国に重信や国際的なテロリストが集まるということは、当然、北朝鮮政府・指導部は、これを承知していたとみるべきだろう。北朝鮮政府は一体、何のためにこのような国際テロリスト集会を自国で開催したのか。そして、日本赤軍に対して何を提供し、また何を求めたのか。

 重信は北京を拠点として、日本や北朝鮮などでの活動をしてきたとみられる。果たして中国政府は日本赤軍やよど号犯グループと関りはないのか。

 今後、国際的な赤軍派の活動を解明してゆけば、オウム事件とそれに関る外国勢力の存在に、ぶつかるにちがいない。そこにメスを入れるとき始めて真相が見えてくるのではないのか。これは外交問題となることは必至である。

 いずれにせよ、やがて日本の政・官界の恥部や、暴力団などの絡む闇の権力が光に曝されるだろう。日本の背骨まで蝕むガンの病巣は、皮膚の下で破裂寸前にまで膨れ上がっているからだ。

(了)

(細井 保 (ジャーナリスト) 「重信房子、よど号犯、オウム真理教の深い関係」『動向』2001年1・2月合併号より)
http://www.asyura2.com/sora/bd13/msg/101.html


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左翼運動・マルクス主義運動には国際金融資本が資金提供していた
ソ連成立とその成長、ナチスヒトラー勃興、ベトナム戦争、左翼運動の背後に同一一貫した組織(秘密結社)が画策し資金と技術をグループワークで提供していた。私たちが教えられ、表でみているのは、彼らの情報操作のたまものだった。
http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/819.html


アンソニー=サットン(Antony C. Sutton)博士が昨年6月になくなった。77才だった。英国生まれ、ロンドン大学出身。米国でスタンフォード大学など第一級の大学の経済学部の教授だったが、彼がスタンフォード大のフ-バー研究所に在籍中の68年、インパクトのある研究書(3巻からなる)を刊行した。もともと経済と技術の関連を専門とする経済学者だったようだが、これらの書物で、米国の銀行がソ連(成立以来)に融資と技術の提供を一貫して行ってきたこと。ベトナム戦争時、ソ連の東欧での武器工場などは米国の融資と技術が提供され、そこで作られたソ連製武器がハノイに持ち込まれ、それにより、米国兵が殺されていたこと。これらの一見敵対する国々に米国が融資と技術提供している実態をこの書で明らかにした。その後、同じことがナチスドイツに対してもおこいていたこと等を明らかにしていった。本来折り紙付きの第一級の学者,将来を託され嘱望されていた学者だったが、これら一連の執筆業により、過激分子とみなされ、彼は学会、大学組織から追い出され、2度と学問と教育の場に戻れなくなった。その後彼は、米国の権力機構の機微・実態を徹底した資料分析で解析し総計26冊の著書を出して昨年この世を去ったのだ。

68年の刊行物で、融資と技術の流れを突き止めたものの、彼は、なぜ敵対する国に、あるいは自国のカネと技術で自国の戦士たちがしななければならないのか、一体どうなっているのか、全く理解できなかったという。ところが80年代の初頭、彼に一通の手紙が届いた。もしあなたが興味があるなら、スカル&ボーンズという秘密結社のメンバーリストを24時間だけ供与するがどうか、と記されていた。この組織のメンバーの家族が、身内が入会していてうんざりで、実態を知って欲しいと思ってのことだったという。送付して欲しい、と了承。黒革製の2巻からなる本は一冊は故人リスト、もう一冊は現在のリストだった。この時点までかれはこの秘密結社のことなど聞いたことも思ったこともなかったという。しかし、これらのリストの人物を綿密に調査したところ、この組織はただ者ではない、と驚愕。68年刊行物で疑問に思っていたことが氷解したという。つまり、この組織の連中のネットワークが米国政策決定過程を導き、このような売国的なことが行われていることを突き止めるに及んだという。

 彼は、スカル&ボンズは、ドイツを発祥とする秘密結社イル皆ティーの連動組織である、という。徹底した調査によって以下のことが判明したという。

1ソ連は国際金融資本によって創設され維持された。

2ナチスドイツは国際金融資本に資本と技術供与を受けていた。

3ベトナム戦争は国際金融資本のやらせだった。つまり米国ソ連の背後にいるのは同一組織だった。

4 60年代アメリカの左翼運動マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた。


Divide&Conquer (分割統治)方式により、一国一社会を相反する2項対立の相克状態に持っていく基本戦略が使われた。右翼左翼という対立項は実は彼らが戦略的に作ったものであるという。言い換えれば、この視点からものを見ては彼らの思うツボであるという。大事なのは、超金持ちvs一般人この枠組みで物事を見るべきだ、という。

超権力は左翼右翼という見方を推進することで、一握りの超富裕者と一般人との拮抗関係という見方を弱めようとしているわけである。

(日本の60年代70年代の左右対立も実はこの仕掛けにはまった側面が強いことが推測される。いわゆる現今のポチ保守はこの左右対立の見方を徹底して利用し、自分たちの富裕的支配性の隠れみのにしてきた可能性がある。多くの一般日本人が、あるいは貧乏な日本人同士がやれ、お前は右だろ左だろどうせ土井支持者だろなどと滑稽にののしりあっている図が見える。これが彼らの思うツボなのだ。実際馬鹿げている。)
http://www.asyura.com/2003/dispute8/msg/819.html


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重信房子

重信 房子(しげのぶ ふさこ、1945年9月28日 - )は、日本の新左翼活動家、革命家。元赤軍派中央委員、日本赤軍の元最高幹部である。

ハーグ事件の共謀共同正犯として有罪となり、懲役20年の判決を受けた。
現在、東日本成人矯正医療センターにて服役中。


生い立ち

東京都世田谷区で4人兄弟の次女として生まれた。父の重信末夫は四元義隆と同郷の鹿児島県出身で、第二次世界大戦前の血盟団事件に関与した右翼団体金鶏学院の門下生であった(血盟団メンバーと報じられることがあるが、メンバーではなく事件にも一切関与していない)。房子はこの父の影響を強く受けた。少女時代は「小さな親切運動」に熱心に取り組み、表彰を受けた[1]。また、文学少女でもあった[1]。東京都立第一商業高等学校卒業後、キッコーマンで働きながら小学校教員を目指し[2]、明治大学文学部史学地理学科の夜学に通う。大学では文学研究会で『一揆』というミニコミ誌を出していた[1]。


学生運動

大学入学後、夜学連に参加し[3]、2年次に文学研究会が属していた研究部連合会の事務長を務めていた[3]重信は学費値上げに絡んで明大闘争に参加した。この際、後に連合赤軍山岳ベース事件でリンチ殺人の犠牲となった遠山美枝子(二部法学部、麒麟麦酒勤務)と知り合う。明大闘争において全学連における立場を失墜させた共産主義者同盟(第二次ブント)の再建に協力してほしいとオルグされ、加入[4]。系列の明大現代思想研究会、二部の社会主義学生同盟の責任者として活動。神田カルチェ・ラタン闘争にも関わった[5]。その後分裂した共産主義者同盟赤軍派に創立メンバーとして加わる。塩見孝也ら幹部が逮捕され弱体化する中で主導権を握った森恒夫と対立した。


日本赤軍

重信は1971年に「国際根拠地論」に基づいて、パレスチナに赤軍派の海外基地を作ろうとする。奥平剛士と偽装結婚(奥平剛士は1972年5月、民間人ら23人を殺害、計100人以上を無差別殺傷したテルアビブ空港乱射事件のテロ行為で死亡)をし、「奥平房子」という戸籍を得て2月28日に出国した。なお重信は、後にパレスチナ人男性と結婚した。

その後、奥平剛士らとパレスチナで日本赤軍を結成し、創設当初は「アラブ赤軍」、「赤軍派アラブ委員会」、「革命赤軍」等と称し、その名称さえきちんと定まっていなかったが、1974年以降、「日本赤軍」を正式名称とした。

重信が「最高指導者」となった日本赤軍は、レバノンのベカー高原を主な根拠地に「革命運動」を自称し1970年代から1980年代にかけて、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)などパレスチナの極左過激派と連携し、一連のハイジャックや空港内での乱射事件などの無差別殺人を起こした。さらに外国公館の政府要人やハイジャックした飛行機の乗客を人質に取って、身代金や仲間の奪還を目論む事件を起こしたり、外国公館に攻撃をするなど、多数の民間人をも巻き込んだテロ事件を繰り返し世界各国から非難を受けた。


逮捕

その後重信は「ハーグ事件」への関与で国際手配を受けたものの逃亡を続け、不法に入手した偽造旅券を使って日本に不法入国し、その後しばらく大阪市西成区のマンションに潜伏していた。

2000年、日本赤軍の支援者を視察していた大阪府警警備部公安第三課は視察対象者が重信に似た女性と接触していたのを現認し視察・捜査を開始。重信はホクロが特徴となっていたが化粧でホクロを隠していたものの、特有のタバコの吸い方や、重信に似た女が某所で飲んだ際に使用されたコーヒーカップから指紋を採取、照合したところ重信の指紋と一致したことから公安第三課は女が重信であることを突き止めると、ハーグ事件から26年後の11月8日に潜伏していた大阪府高槻市において旅券法違反容疑で逮捕された。なお、大阪から警視庁への移送には東海道新幹線が用いられ、逃亡を防止する為グリーン車の個室に閉じ込めての移送となった。

重信が逮捕の際に押収された資料、それを報じた新聞などによれば、重信は1997年12月から2000年9月に、自ら他人になりすまして日本国旅券を取得し、関西国際空港から計16回にわたって中華人民共和国などに出入国を繰り返し、また1991年から日本での「武力革命」を目的とした「人民革命党」及びその公然活動部門を担当する覆面組織「希望の21世紀」を設立。またそれを足がかりとして、日本社会党との連携を計画していたとされる。

なお「希望の21世紀」は同事件に関連し、警視庁と大阪府警の家宅捜索を受けたが、日本赤軍との関係を否定している。また社会民主党区議の自宅なども「希望の21世紀」の関連先として同時に捜索を受けたが、社会民主党は「何も知らなかったが事実関係を調査する」とした。また、重信が残した多数の証拠品により支援組織が解明され、会社社長・教諭・医師・病院職員が次々に重信を匿った犯人隠避の疑いで検挙された。


解散

2001年には獄中から、組織として事実上崩壊していた日本赤軍の解散を発表している。2009年6月に、初めて産経新聞のインタビューに応じ、過去の活動について「世界を変えるといい気になっていた」と語った。一方で「運動が行き詰まったとき、武装闘争に走った。世界で学生運動が盛り上がっていたが、故郷に戻り、運動を続けたところもあった。私たちも故郷に戻って運動を続けていれば、変わった結果になったかもしれない」と自責の念にも駆られていたとも述べた[6]。


ハーグ事件裁判

起訴

重信は1974年9月13日に日本赤軍がフランス当局に逮捕されたメンバー(山田義昭)を奪還するために、オランダのハーグで起こしたフランス大使館占拠事件、いわゆる「ハーグ事件」への関与をめぐり、逮捕監禁罪・殺人未遂罪などでの共謀共同正犯で起訴された。

検察側は日本赤軍が実行翌日に犯行声明を出したり、その他の日本赤軍の刊行物からパレスチナ解放人民戦線(PFLP)に武器調達や解放された仲間を受け入れる国との調整を依頼していたこと、事件後の会議で重信が準備不足などを反省する発言をしたとする元メンバーらの供述などの証拠から、ハーグ事件について首謀者として犯行を主導したと主張し無期懲役を求刑した。これに対して弁護側は「ハーグ事件当時、日本赤軍が組織体制を確立しておらず、PFLPの作戦であったから重信が指示・指導する立場ではなかったうえ、謀議があったとされる時期にはリビアにいてアリバイがある」と無罪を主張した。

東京地方裁判所は2006年2月23日に「重信被告は武器調達や解放された仲間を受け入れる国との調整をPFLPに依頼するという重要な役割を担っていた」と認定し、さらにアリバイについては「共謀の詳しい内容や時期、場所は明らかではないが、被告がアラブ諸国の協力組織を介するなどして実行犯と共謀しており、アリバイとして成立しない」と認定した。量刑は「自らの主義や主張を絶対視し、多数の生命、身体への危険を意に介さない身勝手な犯行であり、真摯な反省がみられない」としたが、一方で「犯行の重要事項については実行犯の和光晴生が決定しており、被告は中核的立場を担ったものの犯行を主導したと断言できない」とし、検察が求刑していた無期懲役を退けて懲役20年の判決を言い渡した[7]。


懲役

これに対して重信の娘の重信メイと主任の大谷恭子弁護人は同日控訴した。控訴審では弁護側と検察側双方が、1970年代から1980年代にかけ重信と同様に世界各国でテロ事件を起こし多数の民間人を虐殺し、フランスで終身刑を受けているテロリストの「カルロス」受刑者から、「ハーグ事件」の指揮系統や武器提供の経緯についての証言を得て、裁判所に提出された。

2007年12月20日に東京高等裁判所は一審判決を支持し、控訴を棄却した[8]。重信は上告したが2010年7月15日に棄却が決定し刑が確定した[9]。重信は上告棄却決定に対する異議申し立てを行ったが、2010年8月4日に最高裁判所第2小法廷(竹内行夫裁判長)は棄却する決定をし、懲役20年とした一・二審判決が確定し重信はその後服役した。ただし、未決勾留期間の810日の3年を刑期に算入するため実質17年となり重信の出所予定は2027年となった。


その他

八尾恵(よど号グループの柴田泰弘の元妻)の『謝罪します』には、「1970年代後半に北朝鮮に在住し始めた時の夫の柴田のアルバムに、日本赤軍の重信房子がチマチョゴリを着て2歳くらいの娘と一緒の写真があった」と書かれており、重信とよど号グループとの関係が指摘されている。

和光晴生は1974年に北朝鮮当局に資金援助を求める手紙を見せられたこと、そして翌1975年に重信が北朝鮮に渡航したことと、その後、同国の「主体思想」に基づく「思想闘争」という活動形態が組織内部に持ち込まれたことを述懐している[10]。

但し、重信自身は和光の述懐の内容について「穿ち過ぎ」であるとし[11]、「思想闘争」や「自己批判」を行う「援助会」に関してはイスラエルやヨルダン政府などとの闘いの中で生まれたものだ、として否定している[12]。また、足立正生は1974年に日本赤軍に合流した際に年長者として思想や組織、革命に関しての議論を活発にさせたと述懐しており[13]、全てが北朝鮮やよど号グループの影響なのかは判然としない面がある。

公安関係者には「重信ファン」が少なからずいたという[14]。

2018年現在、東日本成人矯正医療センターにて抗がん剤の治療を行っている。

著書

『わが愛わが革命』講談社、1974年 [15] パレスチナ解放闘争史: p.260 - 263

『十年目の眼差から』話の特集、1983年
『大地に耳をつければ日本の音がする 日本共産主義運動の教訓』ウニタ書舗、1984年
『ベイルート1982年夏』話の特集、1984年
『りんごの木の下であなたを産もうと決めた』幻冬舎、 2001年
『ジャスミンを銃口に 重信房子歌集』幻冬舎、2005年
『日本赤軍私史 パレスチナと共に』河出書房新社、2009年
『革命の季節 パレスチナの戦場から』幻冬舎、2012年


共編著

『資料・中東レポート』1-2(日本赤軍との共編著)ウニタ書舗、1985-86年[16][17]
『重信房子の半生記』サンデー毎日連載、構成:竹中労、1985-1986年
『赤軍 1969→2001総特集』足立正生夫妻、山本万里子、中山千夏、平岡正明、松田政男、平井玄他、河出書房新社、2001年
『日本赤軍!世界を疾走した群像』和光晴生、足立正生、若松孝二、塩見孝也、小嵐九八郎、聞き手 図書新聞 2010年
『丸岡修自述―元・日本赤軍軍事指揮官告白録』 風塵社、2013年
『天皇制と共和制の狭間で』 小沢信男、日野百草、山本健治、藤田真利子、天野恵一、松田ひろむ、高橋武智、鹿島正裕他、第三書館、2018年[18]
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8D%E4%BF%A1%E6%88%BF%E5%AD%90
2:777 :

2022/05/28 (Sat) 17:53:27

要するに彼等は、世界支配中枢の手先なんです。

つまり、さまざまな謀略を仕掛ける上で「閉鎖的で・従順な」集団というものが必要なんです。それにはどうしてもカルトが一番適している、というところを世界支配中枢はわかったから、それぞれの国でそういったカルト的な組織を育成して、巨大化させて、権力を持たせてきたわけです。

それを日本においては戦後GHQそしてCIAが主導権を握って、創価学会と統一教会という2つの宗教に主としてその役割を担わせてきたと、考えていますが、ただし、その二つの宗教だけではありません。そういったCIAの息のかかった宗教というのは、例えば真光系のいくつかの教団にしてもそうだし、幸福の科学とか、そういったものもそうだと思います。

まあ、ある意味、それぞれの教団に対して統一教会が人間を送り込んで内側から支配構造を作っていく。いつのまにか支配中枢に座っている、ということで大元は実は統一教会であるという場合が多いと思います。つまり創価学会も実は統一教会の連中が入りこんで中から動かしている。

その結果として何が起きたかというと、オウム事件において統一教会だけではなく創価学会も暗躍したというのはそういう意味だったと思います。

つまり中核でおかしなことをやってる連中はみな同じ連中なんです。つまり、統一の服を着てその上に創価学会の着ぐるみを着て、さらにその上にオウム真理教の気ぐるみを着た三重なんです。十二単みたいな連中なんですね。そういう事なんです。

で、オウム信者というふうに新聞に出るけども、皮むくと創価、もう一回むくと統一教会。これが謀略に謀略を重ねた結果なんですね。

ということで、この連中は宗教というもの、閉鎖的で外に情報が洩れなく、そして非課税特権で守られているから、おかしな金の流れというものに手を染めても司直が手を出せない。というメリットを利用してるわけです。

つまり宗教は非課税特権だからこそおかしなことに手を出せる。犯罪・謀略、全て非課税特権があるからこそ出来るんです。したがって創価学会あたりに対して民主党の議員さんあたりが「宗教の非課税特権を撤廃するべきである。」ということを一言でも言ったら、公明党創価学会大騒ぎして叩きのめそうとする。

つまり彼等にとって一番のウィークポイントがここなんです。つまりこの非課税特権がなければ、宗教はいかなる謀略も出来ないんです。そして、金を集めてその金をどうしようがわからないからこそ、おかしな犯罪に金を投入することが出来るんです。麻薬にしろ保険金殺人にしろ、非課税特権があるから出来るんです。

その結果として、戦後六十数年たって、わが国は完全にこのカルト集団によって略奪されてきています。

あの~ここに、今朝見つけたんだけど「くたばれ創価学会、お国の為に」あのこれは僕が書いたわけじゃないけれど、実に達筆だよね。というかこういうソフトがあるんだろうけれども本当にそうだ。わが国のためにはこんなのいらないよ。 

そりゃね、信者さんの大半はね、変な人じゃないの。信心してるの。でもね、ここをね、大きく2つに分けて考えなきゃいけない。

創価学会は日蓮正宗の信徒団体であって、そもそも最初は日蓮の教えを勉強したい人達がいたわけ。ところが今は、そういう人達とは別に池田教になっちゃっているわけ。池田大作という在日朝鮮人の2世が神様になっちゃってる。

つまり1つの宗教の中に2つの要素が入り込んじゃってる。これが間違いなんだ。
だいたいが教祖を神格化するというのはこれCIAの手口なんだよね。

そもそも本来は仏教団体なんだから、仏教団体として活動してくれる分には全然問題ないわけですよ。どうぞお好きになさいと。仏法、立派なもんです。ゴータマ・シッダルダ以来、人間に生きる道を教えてくれる。素晴らしいものです。

ところがそれと池田教とは全然違うもんなんだよね。で、そこのところに気がついて止めた人も一杯いる。気がついたってことは、あの~まだ頭がちゃんと働いているっていうことだと思う。

さて、このこういう映像・画像見てもらえればだいたい分かると思う。どんなに偉そうなこと言ったって、北朝鮮の親分と手を握り合ってる親父、こんなの信用できるわけ無いじゃないよ。

この親父が、自民党の議員さんに自分のところの信者を沢山送り込んでいるんだよ何百人も、文鮮明が。北朝鮮のボスと手を握った男が自民党のボスなんですよ。こんなことが許せるんですか?

統一教会の信者さん、ここ説明してください。これをどう解釈したらいいんですか?わが国の敵じゃないんですか、北朝鮮は?わが国の人間をどんどん勝手に拉致して行方不明にしてさせて、変なミサイルを飛ばすとか飛ばさない
とか・・

今日はどうやらぶっ壊れたから飛ばないみたいだけども(笑声)そりゃまあそうでしょう。ま、その程度のレベルだと思うから。

そしてこの人、いい顔してるね(文鮮明の写真を指す)こんな人がメシアの再臨のわけないでしょう、顔見れば分かるでしょうが。これがメシアの再臨?そう信じているとしたらあなた頭がおかしいよ!この人、北朝鮮やオウムや麻薬に関わっている犯罪者ですよ。

それからまだ分からないで、いつまでたってもぐずぐず統一教会に引っ張られて搾取され拘束されている人達、可愛そうですね。早く気がついてください。
                  
それからこの三色のうちわ、韓国に行くとおみやげやさんで売ってます。で、あのWBCの野球の大会で日本と韓国が対戦する時は、チアガールの綺麗な女の子がこのうちわを持って「コリアン頑張れ」ってやります。韓国のスリーカラー、韓三色です。

この同じ色が見たかったらそのへんに一杯あります。創価学会の旗です。
創価学会の旗になぜこの色を使ったのか?つまり、池田大作さんは、自分の創価学会の信者の中のごく一握りの、コリアンを源泉に持つ人達にメッセージを与えているんです。

「創価学会はコリアンの為の宗教だよ」ということを伝えるためにわざわざこの色で3色旗を作った、というふうに私は解釈しています。

もう1つ、聖教新聞を読むと、池田大作さんの回顧録として子供の頃お父さんから

「日本人は戦争の時、韓国をいじめた。それに対して反省しなければならない」

ということを先生書いてる。そりゃ結構ですよ。で、同じ聖教新聞には「韓日友好」とか平気で書いてるわけ。日本国の宗教で、日本人のための新聞で、何で「韓日友好」なんですか?

これも同じこと。創価学会の中のコリアンのメンバーに対してメッセージを伝えてるんです。聖教新聞は「創価学会はコリアンの為の宗教なんだよ」ということを暗に伝えている。
http://blog.goo.ne.jp/candy-cats7/e/307813e14d625928891ad4b7150528ba


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ロクでなしの左翼に大金を流して操るのは、闇組織や外国勢力の常套手段

ジョージ・フロイドの「圧殺死」は全米各地に木霊(こだま)し、彼の不幸な死を悼む黒人は後を絶たなかった。米国の根深い人種対立を知らない日本人だと、「たかが不逞黒人のフロイドが警官に抵抗して自業自得の発作を起こしただけなのに、どうして見ず知らずの他人があれほど騒ぐのか?」と訝しむ。
だが、人種問題で大統領選挙を操作したかった闇組織は、「全体主義反対」を掲げる極左グループの「アンティファ」を利用しようと考えた。

ロクでなしの左翼に大金を流して操るのは、闇組織や外国勢力の常套手段である。日本の60年安保闘争や70年代の新左翼運動には、ソ連工作員の資金が流れていたじゃないか。

もちろん、機動隊とぶつかっていた左翼学生は、酒を飲みながらインターナショナルを唄うくらいで、裏金については何も知らなかった。彼らは汚く伸ばした長髪とゲバ棒を片手に、「反戦平和」の闘士を気取ったり、「社会正義」の雄叫びを上げるだけ。東工大出身の菅直人や信州大出身の猪瀬直樹に訊いてみればいい。ちなみに、猪瀬は「白ヘル」で、同志社大の佐藤優(さとう・まさる)は「黒ヘル」だった。佐藤を「保守派言論人」と勘違いした新潮社や『諸君!』の元編集員は反省しろ。まぁ、KGBの工作員からすれば、「馬鹿と左翼は使いよう」という訳だ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68850782.html


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【超重要】ジェームズ斉藤が語るトランプ後の「認知戦争」の真実! GAFAとロスチャイルド、そしてQアノンの正しい捉え方とは?
2021.02.23
https://tocana.jp/2021/02/post_200447_entry.html

【連載:某国諜報機関関係者で一切の情報が国家機密扱いのジェームズ斉藤(@JamesSaito33)が斬る! 国際ニュース裏情報】


──ジェームズさん、しばらくどこに行かれていたんですか! 全然捕まらなくて困っていました!

ジェームズ いやいや、すいません(笑)。米国の政権がああいう形で変わったので、いろいろなところを調整する必要が出てしまったんで、ずっと動いていました。

──やっぱり、かなり変わるんですよね。

ジェームズ 変わるところもあれば変わらないところもあります。変わらないところから言えば、国防総省はトランプ政権からバイデン政権になっても一貫性は維持されます。変わる部分は対ロ政策と対中東政策です。また、バイデン政権の特徴であるLGBT関連も調整しなければ、政権内の極左が騒ぐので、そこは変わらざるを得ないでしょう。ただし、宇宙軍、サイバー軍はトランプ政権の時から軍産複合体が稼ぐ場所だったので、バイデン政権でも維持されますし、トランプ政権と違ってバイデン政権は軍産複合体とは一体ですから加速するでしょう。さらに、現政権にはもともと国防意識の高い人間が入っているので、トランプ政権の道筋を本質的には変えないようです。

──対日政策や対中政策はどうなりそうですか?

ジェームズ 対日政策は基本的にトランプ政権の撤退路線を継続です。実は、トランプ政権の撤退路線は極左のオバマ政権が始めました。オバマ時代は「アジア回帰」を打ち出し、オバマ大統領自身が東京で演説を行うなど、日本も騒ぎましたが、実は「アジアのことはアジアに任せる」という、責任放棄の戦略でした。その典型が対北の「戦略的忍耐」という「非戦略的」な戦略でした。その結果、北朝鮮のICBM能力保有を許し、日本を含む地域諸国はパニクることになりましたが、米国は北朝鮮のショボいICBMなど簡単に撃ち落とすことができるので、痛いことも痒いこともありませんでした。しかし、日本等の近隣諸国はパニくり、安倍政権の安保改正や日豪印準同盟に繋がるのでした。ここで北朝鮮のことばかり注目されて、中国の台頭を許してしまいます。オバマ政権の戦略は日本にとって「百害あって一利なし」でしたが、なんとトランプ政権にも事実上継承されます。米中対立で米中がバトっているように見えましたが、結局は「濡れ仕事」は日本等に任せ、中国の台頭を更に許してしました。バイデン政権は対中戦略でオバマ時代の対北戦略であった、「戦略的忍耐」を適応しようとしています。これで米国の「撤退」が加速します。先月の日米首脳電話会談における尖閣諸島に対する日米安保条約の適応の確認など完全に目眩しで、本質は「日本人に血を流してもらう」ことがバイデンの目的です。

──やっぱり日本にとってバイデン政権はあまりいいことないようですね。

ジェームズ そうでしょうね。しかし、トランプが素晴らしかったかといえば、そうでもないので、バイデンだけが取り立てて悪いわけでもないです。問題は日本のあり方だとは思います。日本がいまのまま、自国を省みない政策を続けていることがなにより、「いいことない」と思います。いい機会なので、お話しておきますが、いま日本の国民は新しい戦争について理解しておかなければいけないでしょう。

──新しい戦争ですか?

ジェームズ そうです。この前の大統領選挙同様、いま世界中で新しい情報戦である認知戦争が始まっています。

──認知戦争? なんですか、それは?

ジェームズ 簡単に言ってしまえば情報戦であり、情報操作なのですが、敵国国民の認知を根底からひっくり返すものです。例えば、2016年の大統領選でトランプが勝利した時、「ロシアが介入した。フェイクニュースを流した」とアメリカの諜報機関は言ってるんですが、私から言わせるとアメリカの諜報機関はロシアの意図が全然わかっていません。ロシアがアメリカに仕掛けていたのは認知戦争であってフェイクを流して混乱させたとか、そんなレベルのものではありません。だからこそ、アメリカはロシアに完全に入り込まれてしまったんですから。

──超高度な情報戦みたいなものなんですね?

ジェームズ 人間の認知、つまり目の前の情報をどのように捉えるのか、その捉え方を変えるだけです。情報戦の場合は目の前の情報を変えます。しかし、認知戦は捉え方のほうを変えてしまうので、どのような情報が目の前に来ても正しい判断ができなくなってしまうんです。

──洗脳みたいなものですか?

ジェームズ 洗脳と言っていいでしょう。しかし、それはCIAが昔やったようなMKウルトラのような薬物を使ったり、拷問したりといったことではありません。ソーシャルメディアなどを使って標的の客観現実を操作することで可能となります。例えば、2016年の大統領選ではロシアはアメリカ国民全体を標的とするため、陰謀論やフェイクニュースを、ソーシャルメディアを主に使って撒き散らしました。この時、ロシアはトランプ支持者になりすましたり、民主党支持者になりすましたり、それこそ、いろんな勢力になりすまして情報を発信していったのです。それをされたアメリカ国民は客観的現実が完全に汚染されて、何が本当なのかわからなくなってしまったんです。実際、当時、「ポスト真実」という言葉が流行りましたが、まさに情報空間がカオスになったことの証明でしょう。


──情報空間がカオスになるとどうなるんですか?

ジェームズ 具体的にはどの候補者を信頼していいのかわからない状態になってしまうので、アメリカ国民は直感を信じるようになってしまったんです。直感といえば聞こえがいいかもしれませんが、要は論理的思考ができなくなってしまったんで、感情的に候補者を決めてしまったということです。


──それで選ばれたのがトランプだったと。


ジェームズ 結果的にはそうですね。ただし、ロシア側が仕掛けていたのはアメリカの分断です。アメリカ国民の脳を情動優位にして、物事の判断を白か、黒か、どちらかにしようとしたんです。それを2016年のアメリカ大統領選挙で仕掛けることによって近年のアメリカの分断が始まっているのです。もちろん、アメリカは南北戦争の時代から分断の歴史はありました。しかし、2016年からのそれは情報空間のレベルでの分断にまでなっています。


──情報空間というのは人間の思考という意味でいいんですか?

ジェームズ そうですね。2016年からロシアが仕掛けたのは情報空間の二極化を加速させたということです。ロシアの認知戦には「反射的コントロール(reflexive control)」というものがあって、簡単に言いますと、人間の認知を徹底的に分析し、相手の意思決定サイクルに入り込むものです。このサイクルはウーダループ(OODAループ)と呼ばれるものが代表的で、少し説明すると人間には「観察(Observe)、方向付け(Orient)、決心(Decide)、実行(Act)」の流れを繰り返すループがあって、客観現実=目で見たもので意思決定をするということがわかっています。逆に言えば、目の前にあるものを操作してしまうと人間の意思決定サイクルは狂っていくんです。ロシアはこのウーダループに介入して、自分たちが意図した方向に意思決定サイクルを狂わせたんです。


──それは情報操作と何が違うんですか?

ジェームズ 情報操作を深化させて洗脳の域にまで達しているということです。昔から行われている情報操作は敵国内のプロパガンダだったんですが、いまは世界がソーシャルメディアでつながっていますよね。つながっているということはいつでもあなたの目の前にロシア、中国が介入できるということになります。

──う〜ん、でも、そんな簡単に洗脳される気がしないんですけど。

ジェームズ と思いますよね。しかし、ソーシャルメディアを見ている時、ほとんどの人が一人ですよね。決して世界とはつながっていません。それはソーシャルメディアがそう言っているだけですし、ソーシャルメディアとつながることで現実的には世界は狭まっています。実際、トランプ支持者はトランプ支持者で集まるだけです。BMLはBMLで集まるだけです。そのコミュニティの中での人間関係は広まるかもしれませんが、本当の意味での多様性はどんどん収縮しています。認知戦争はそのコミュニティを操作するんです。また、そういうコミュニティを作って誘い込んだりもします。しかも、これはロシアだけでなく、アメリカも中国も仕掛けています。もちろん、日本の国家権力もやっていますが、いま一番の問題は国家権力よりもさらに上、超国家権力が最も巧妙に仕掛けているということです。


──超国家権力?

ジェームズ GoogleやFacebookなどGAFAと呼ばれる勢力がいま代表的ですけれども、彼らがメインプレイヤーかというとそうではありません。その後ろにいる金融家たちです。具体的にはジョージ・ソロスやロックフェラー家、ロスチャイルド家といった連中です。彼らが仕掛けています。私の以前の記事で何度も紹介している、「ディープステート」もその一つの勢力です。


──確かにそんな感じは凄くしますが、彼らの目的は何なんですか? 世界を牛耳りたいんですか?

ジェームズ 彼らが考える理想の世界を作りたいんです。
──世界政府?

ジェームズ もそうでしょうけど、もっと実は単純で金儲けです。金儲けで最もいいのは世界がカオスになることです。カオスになれば、株価などが大きく変動します。これをボラティリティというのですが、資本主義はボラティリティが生まれないと儲からないのです。ですから、彼ら超国家権力はカオスさえ生み出せればいいんです。

画像は「Getty Images」より引用
──それが分断であり、パンデミックでありだと。

ジェームズ その通りです。ロシアやアメリカ、中国などの国家が仕掛ける認知戦争はまだ自国のためという大義名分があります。しかし、超国家権力はボラティリティのためだけにカオスを生み出していますから、混乱さえ起こせばいいわけです。よって、彼らが仕掛ける認知戦争はグロテスクなのです。具体的には人々の煩悩を刺激します。金とセックスを刺激されると人間は容易く堕落します。それはバイデン親子を見ればわかるでしょう。

 また、米国の極左が支配したGHQによる日本占領政策である3S政策(Screen, Sports, Sex)も、日本人「一億総白痴化」のために遂行されたもので、その結果、日本はいまや世界ナンバーワンのAV国家になってしまいました。あれは、エンターテイメントを通じた愚民化政策で、ユダヤが長年非ユダヤ(ゴイ)に対して行ってきた統治論理なのです。それがいまは世界中で行われていて、それを拡散しているのがFacebookのザッカーバーグユダヤ系が牛耳るスマホ(Smart phone)とソーシャルメディア(Social media)で、これは先の3S政策と合わせて5S政策と呼ぶほうが妥当かもしれません。これら5S政策によって全人類が「スマホ脳」に犯されていき、次はバイオテックの進化でマイクロチップを人体に埋め込まれて神経中枢を完全にコントロールする段階へと移行するでしょう。しかも、このディストピアはコロナ・パンデミックによって、かなり現実味が増しています。

──確かにそうですね。

ジェームズ 実際、いまのアメリカ大統領を見てください。金とセックスしかありません。副大統領時代から中共の傀儡になって年間10億もの金をもらい、息子のハンターも中国企業やウクライナー企業の株をいまだに手放しません。しかも、二人とも性行動が異常で、スマホで赤裸々な記録まできちんと残していましたよ(苦笑)。

──まさに、あの親子こそ「スマホ脳」に犯されていたと。

ジェームズ ですから、バイデン政権のLGBT政策は完全な認知戦争だと私はいうわけです。それによってアメリカ社会はさらに細かな分断が発生します。なにしろ、彼らはいまゲイの中でも細分化をはかっていますし、ペドも性行動のひとつだと主張する可能性まであります。(※あくまでもLGBT“政策”についての指摘です)


──最悪ですね。

ジェームズ 本当にそうです。なにしろ、ボラティリティが生み出されればいいのですから。そして、これはすでに日本にも来ています。アンティファ、BLMの日本支部ができていることはすでにご存知でしょうが、私が心配しているのはQアノンです。日本でもQアノンのデモがありましたが、あれはかなりヤバいものなのです。


──えっ、Qアノンはトランプ派だからいいんじゃないんですか?

ジェームズ いえ、その考え方がすでに認知を操作されています。だから、認知戦争は怖いのです。次回はこの話を中心に、認知戦争の恐ろしさをお伝えしたいと思います。


──えっ、いやいや、ちょっと待ってください! いきなり終わらないください! Qアノンはダメなんですか!?

ジェームズ はい。かなりヤバい組織であることが最近判明しました。というのも私、Qアノンの内部に少し入ってきたんです。ただし、いまもう時間がないので次回詳しくお話します!


──えーッ!! 一番気になるところで!

ジェームズ ごめんなさい、また連絡します!

文=ジェームズ斉藤


▲△▽▼


トランプ好きでもQアノンを信じるな! ジェームズ斉藤が解説する「ディープステートの思惑とCIAの裏工作」
2021.02.24
https://tocana.jp/2021/02/post_200441_entry.html

【連載:某国諜報機関関係者で一切の情報が国家機密扱いのジェームズ斉藤(@JamesSaito33)が斬る! 国際ニュース裏情報】
──前回は、Qアノンは問題だと言ったところでタイムアップになりました! 一体、何が問題なんですか!? 彼らはトランプ派だったじゃないですか!? また裏切りとかがあったんですか!!

ジェームズ まあまあ落ち着いてください(笑)。何がQアノンの問題なのか? これを説明するにはまず、1月6日、議会に突入したあのデモの再検証からしたいと思います。そもそもあのデモは平和的なものだったんですよ。私も参加していましたからわかりますが、主要メディアが伝えるようなトランプ大統領が暴力を訴えたなんてことはありませんでした。また、議会に行進するまでの間も極めて穏やかなものでした。ところが、デモ隊の先頭が議会に着いた途端に例の議会突入騒動が始まってしまったんですよ。

──誰かが煽ったんですよね?

ジェームズ そうです。問題は誰が煽ったのかで、4つのグループに分けることができます。1つは極左、2つ目は極右、3つ目はエスタブリッシュメントのエージェント、そして最後は、煽られたトランプ支持者です。極左というのはアンティファやBLMですね。これらは金融家などの超国家勢力にコントロールされた反対勢力です。トカナではいま新CIA左派と呼んでいますが、ジョージ・ソロスとか左派の富豪の支援を受けています。実は私のところにも一時期アンティファに入らないかというリクルートがきました。

──えっ、そうだったんですか!? 

ジェームズ はい。その時は週給2000ドルのオファーでした。なにをするのかというと鉄パイプや金属バットを持って道に停まっている車や店の窓ガラスを破壊するんです。それで一ヶ月8000ドル。1ドル100円で換算する80万円ですよ。ですから、超国家勢力のソロスたちはそのぐらい金をばら撒まいています。そうやってアンティファたちが活発に暴れまわり、現実がカオスになると、ボラティリティ(株価の値動きの幅)が高まるんです。それでソロスたちは儲けているんです。

──その超国家勢力に操られている極左たちが、あのデモ隊の中にいたんですよね?

ジェームズ はい。彼らが最初に議会に突入しました。それがきっかけであんな騒動になったのですが、ここで考えなければいけないのは、そもそも彼らはどこの段階で極左になったのか?なんです。

──どこなんですか?

ジェームズ 実はアメリカの高校とか大学には極左の学生サークルがいっぱいあるんですよ。もちろん、それは極左と名乗ってはいません。平和や反差別といったことを前面に押し出して人々を勧誘します。しかし、その中身はドラッグに耽る素行の悪い連中で、そんな輩を洗脳するなど簡単です。こういったサークルに何年もいると、次第に快楽に耽ることばかりを考える、自分でモノを考えないゾンビのような人間になっていきます。生活のすべてをデモのために尽くすとか、そういうふうになってしまうんですよ。そういう人たちを私は何度も見てきました。普通の生活が彼らはできないんです。ですから、極左はゾンビなんですよ。デモの時も「ペンスを殺せ」と叫んだりしていたのはほとんどが極左でした。

──つまり、アンティファやBLMは何年も前から時間をかけて洗脳されてきた人たちなんですね。

ジェームズ そうです。たぶん、15年ぐらい前からの東側の工作が進んでいます。彼らは徹底的に煩悩を刺激されてゾンビ化した輩で、堕落しきった人間です。なにしろ、デモを画策したり、街の破壊をするだけで金が貰える生活をずっとしてきたのですから。沖縄なんかで活動している極左も大抵この類です。彼らは実働部隊として動かしやすい人間たちなんです。一方、極右も実働部隊になります。典型的なのがミリシャで、武装した市民、愛国者ですね。彼らも議会に突っ込んでいきましたが、彼らの場合はゾンビではありません。自国民が自国を大切にするのは当たり前ですから。ただし、彼らは、思想が極端なので、議会に突っ込んでいくんですよ。なので犯罪者なんですが、認知戦争的にはあまり問題ではありません。

──愛国的犯罪はOKと(笑)。

ジェームズ この場合はですが(笑)。そして、3番目がエスタブリッシュメントのエージェント。これは認知戦争を仕掛ける側です。彼らもゾンビではありません。明確なミッションをもって、トランプ支持者になりすまして、デモ隊を議会に誘導して突っ込ませるんですよ。事実、警察やFBIのアンダーカバーなどがデモ隊にまぎれてたくさんいました。知り合いなので、すぐにわかりました。


──この3つがデモを破壊活動に変えてしまったんですね。ということは、4つ目の煽られたトランプ支持者はいわば犠牲者ですよね。

ジェームズ まあ、犠牲者といえば犠牲者かもしれませんが、私は一番の問題だったのが彼らだと思っています。煽られたトランプ支持者つまりQアノンたちこそが今回の認知戦によってゾンビ化されてしまったんです。例えば、角がついた兜を被って議会に突っ込んで有名になったQシャーマンなんかは認知戦で思考がメチャクチャになってゾンビ化してしまったんですよ。それで議会に突っ込んでいったんです。

──えっ!? でも、彼らはアンティファやBLMに煽られて議会まで入っていってしまったわけですよね。うかつだったとはいえ、それが一番の問題とは思えないんですが。

ジェームズ いえ、彼らこそ、典型的なコントロールされた反対勢力なんです。Qアノン支持者っていま世界中にいますよね、アメリカだけでなく、日本にも。彼らは陰謀論を主体にしたQアノンの匿名掲示板Qポストにアクセスすることでのめり込んでいくんですが、いまはトランプの再選を待つということになっています。

──おとなしく待っていますよ。

ジェームズ いえ、その思考はそもそもイスラム国やアルカイダがイスラム教徒に仕掛けるような認知戦争と同じ構図です。救世主の到来を待ち、到来とともに再び過激な活動を始めてしまうでしょう。つまり、Qアノン・ムーブメントは過激主義者を養成しているんです。人間の思考を揺さぶってゾンビ化し、特定の勢力のコントロール下に置くんですね。

──う〜ん、それはそうかもしれませんが、Qアノンってマイケル・フリン中将がトップだとか、バックだとか言われていたじゃないですか。それはどうなんですか?

ジェームズ Qアノンをコントロールしているのは軍事インテリジェンスだとずっと言われてきました。しかし、今回、私はQアノン・ムーブメントに少し入って調査してきていろいろわかったんですよ。

──あっ、そうです! それが聞きたかったんですよ、実際、どうだったんですか!

ジェームズ そこで明らかになったのはディープステート側のオペレーションの可能性が十分にあるということです。Qアノンの最大の問題点は匿名性にあり、ディープステートが簡単に乗っ取ることができます。軍事インテリジェンスや特殊部隊OBの有志がQアノンにある程度関わったことは事実のようですが、実際の運用は終末論を基礎としたカルト組織でCIA左派に乗っ取られていたんです。

──そうだったんですか!

ジェームズ 実際、カルト組織の結成や運営はCIAの裏工作での十八番で、ヒッピー運動や朝鮮系カルト宗教の統一教会もCIAが作り出したものです。中でも特筆すべきが、CIA左派は2011年にソーシャルメディアを利用して中東に認知戦争を仕掛け、「アラブの春」を起こしました。Qアノンの運営手法を見てみると、完全にアラブの春の焼き直しです。

 アラブの春はCIA左派とGAFAが結託して実現しました。QアノンもGAFAが「看過」していたからこそ人気が出たわけですよ。インテリジェンス的には、この「看過」するという行為は、ただ気づいていないだけでなく、「防諜(カウンターインテリジェンス)的な意味を持ちます。つまり、「泳がせていた」ということです。

 あの1月6日の議会突入デモを境に、Qアノン弾圧が始まりましたが、これが完全な自作自演であった証拠です。つまり、Qアノンが用済みとなり、ディープステートに「ポイ捨て」されたということです。そして、Qアノン弾圧は「防諜(カウンターインテリジェンス)」から「対テロ(カウンターテロリズム)」に焦点が変わったことを意味し、テロを口実に憲法上の権利を停止できることになります。もちろん、バイデン政権にQアノンの主謀者と見做されている、トランプ大統領を「国内テロリスト」と断罪し、2024年の大統領選出馬阻止のため、公民権剥奪を狙ったものです。ですから、Qアノンは完全なフェイクだったんです。

 断言しますが、Qアノン・ムーブメントは本当に気をつけないといけません。日本の人々もトランプが好きだからと言って軽はずみにQアノン・ムーブメントには乗っからないでください。これは完全な超国家勢力による認知戦争ですから、その犠牲者にはなってほしくないんです。

 そもそもデモというのは自発的なものなどひとつもありません。なんらかの勢力、特に超国家勢力が裏で動かしている場合が多いんです。ですから、日本でもデモに参加する時は凄く気をつけないといけません。といっても、日本のQアノンのデモは前述の統一教会や同じく朝鮮系のカルト宗教の幸福の科学がバックに存在し、普通の日本人なら関わらないと思いますが(笑)。いずれにせよ、簡単にその場の雰囲気に煽られてとんでもない行動をしてしまうことがあるんです。実際アメリカではその場で煽られて議会に突っ込んでいった素朴なトランプ支持者たちが出現したわけですから。彼らは本気で、その行動が正しいと思ってしまったんです。しかし、議会に突入して無事に済むわけがありません。通常であれば、そのぐらいの判断は誰でもつきます。しかし、あの熱狂が正常の判断をなくさせるんです。

 トランプ好きだからといってQアノンを信じてしまうとこれもゾンビ化なんです。日本でQアノンのデモが行われているということは日本人もすでにゾンビ化している人がいっぱいいるということです。なので、皆さんは認知戦争が毎日毎秒行われていることを常に認識し、慎重に動いてください。

文=ジェームズ斉藤


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日本の学生運動は体制側の分割統治政策によって滅ぼされた


右翼・左翼の対立を使った分割統治政策 _ 左翼運動・マルクス主義運動は国際金融資本が資金提供していた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/296.html

欧米人が植民地経営の方法として洗練させていった分割統治政策とは
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/297.html

共産主義者とはどういう人間なのか?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14037916

不破哲三の正体
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/650.html

日本共産党の(かなり危ない)アレな裏話…(おや?後ろに誰か来たようだ…(震…|
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/687.html

左翼の本質は思想ではなく「タカリ」という生き方
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/671.html

若松孝二 実録・連合赤軍 あさま山荘への道程 (2007年) _ 1970年代はこういう時代だった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/287.html

重信房子が ばばあになって帰ってきて娘が平気でテレビに出るとか
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14006452

かぐや姫 神田川 _ 1970年代 四畳半フォークの時代
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/284.html

中島みゆき「世情」_ 1970年代に学生運動をやっていた左翼学生はその後どうなったのか?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14003324

学生運動に挫折して自殺した恋人を歌った森田童子の名歌『僕たちの失敗』
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14003211

日本の歌曲はシューベルトやモーツァルトより名曲が多いが、名曲は1970年代に集中している
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14003099

マルクス経済学・共産主義関係投稿集
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14037616
3:777 :

2022/05/28 (Sat) 18:01:50

マルクス主義で言う平等というのは 99.99% の被支配者の間では階級差別が全く無いというだけの話です。
竹中平蔵さんが、

派遣社員と正社員と待遇が違うのは平等の精神に反するから、正規社員も非正規社員と同待遇にしろ

と言っているのも 99.99% の被支配者の間では階級差別が有ってはいけないという主張ですね。


だから、ユダヤ人は最初は共産化、今は移民の大量受け入れで 0.01% 対 99.99% の世界を作ろうとしたのです:

世界の超富裕層26人、世界人口の半分の総資産と同額の富を独占
2019年1月21日 14:19 発信地:ダボス/スイス
  

【1月21日 AFP】世界で最も裕福な26人が、世界人口のうち所得の低い半数に当たる38億人の総資産と同額の富を握っているとの報告書を、国際NGO「オックスファム(Oxfam)」が21日に発表した。拡大する一方の貧富の差を是正するため、裕福層への増税が必要だと各国政府に強く求めている。

 スイス・ダボス(Davos)で開かれる世界経済フォーラム(WEF)の年次総会(ダボス会議)を前に発表された最新報告によると、資産額10億ドル(約1100億円)以上の裕福層の人々が世界各地に保有する資産の総額は2018年、毎日25億ドル(約2700億円)ずつ増加した。

 世界一の富豪である米アマゾン・ドットコム(Amazon.com)の創業者ジェフ・ベゾス(Jeff Bezos)氏の資産は昨年、1120億ドル(約12兆2800億円)に増えた。オックスファムによればベゾス氏の総資産のわずか1%が、人口1億500万人のエチオピアの保健医療予算全額に匹敵するという。

 一方、世界人口のうち経済的に恵まれない半数に相当する38億人の資産総額は昨年、11%減少した。

 オックスファムは、拡大する格差によって貧困対策の効果が損なわれ、経済は打撃を受け、人々の怒りをあおる結果になっていると強調。各国政府が保健医療や教育といった公共サービスに割く予算を削減する一方で、富裕層に対する税制優遇を続け、経済格差をさらに深刻化させていると警告した。

 報告書は、富裕層や大企業に課税して「底辺への競争」をやめるよう各国に強く要求。最富裕層がたった0.5%多く税金を払えば、「現在教育を受けられずにいる子どもたち2億6200万人に教育を授け、330万人の命を救えるだけの保健医療を提供しても、余りある資金を確保できる」と指摘している。(c)AFP
4:777 :

2022/05/28 (Sat) 18:02:32

2017年01月17日 世界を支配しているCIA3派とは・・・・
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52001108.html

ソ連崩壊後、パパブッシュとブッシュのネオコン攻撃部隊(Vulcans)はロシア及びソ連から独立した国々から全ての資産(特に石油)を奪った。パパブッシュとキッシンジャーは、ブッシュCIAのごろつき集団の犯罪を介して個人的に巨額の富を得た。

ヘンリー・キッシンジャー、サイラス・バンス、ジェームズ・ベイカーが国務長官だったときに副次官補を務めたスティーブ・パチェニクはWikiLeaksについて、クーデターを阻止しようとしている情報機関内のグループが作り上げたのではないかと推測している。

___


非常に長い記事ですので一部をざっくりと訳してみました。全てをお伝えできず残念ですが、残りの部分はサイト内の本文をご覧ください。

この記事はCIAについて非常に詳細に説明してくれています。そして世界を実際に支配しているのはCIAの3派閥だとも言っています。これらの3派閥で内紛が勃発しているそうです。またCIA 対 NSAの闘争も起きているそうです。彼らの戦いが激化して共倒れすることを願うばかりです。

日本の政治家もCIAに暗殺されていますが、トランプ氏もケネディ大統領と同様に彼らに暗殺される危険性があります。CIAとは関係がなくスキャンダルも少ないトランプ氏はCIAと主要メディアと戦っていることがよくわかります。主要メディア(日本のマスコミも含め)は、大統領就任式間近の今、反トランプの情報操作を激化しています。マスコミはトランプ氏の暴言について嘲笑しながら伝えていますが、トランプ氏の暴言の内容は非常にまともで本当のことを言っています。これほど本当のことをストレートにいう政治家はいままでいなかったでしょう。
激しくののしっているように聞こえますが、トランプ氏はオルターナティブ・メディアが伝える内容をそのまま言葉にしているだけです。想像以上にアメリカの闇を知り尽くしているのでしょうね。


http://themillenniumreport.com/2017/01/exposed-cia-the-swamp-monsters/

(一部のみ)

1月14日付け


EXPOSED: CIA –The Swamp Monsters


世界を支配しているCIAの3派


By the Anonymous Patriots

The Millennium Report Exclusive


(非常に長い記事ですので、一部しかお伝えできません。ご了承ください。残りの部分はサイト内の記事をご覧ください。)

CIAの国内におけるスパイ活動は全ての米国民を標的にしている。いつ米国民がCIAに狙われ銃で撃たれてもおかしくない状況にある。

大統領選での様々なハッキング騒動は大統領選を無効にするためにCIAが行った偽旗であり、これには国を混乱に陥れているCIAの派閥争いも絡んでいる。
現在、CIAの派閥闘争及びCIAとCIAほど重要でない他の諜報機関(FBI、NSA、国土安全保障省、NIA国家情報機関、その他)の闘争が進行中である。
このような諜報機関同士のスキャンダル合戦は今に始まったものではないが。
米政府の代弁者でしかない主要メディアでさえ、米諜報機関同士の争いが起きていることを報道している。


CIAは他の全ての政府系諜報機関のトップに君臨している。
大統領令は極秘に扱われ、CIA以外の諜報機関には知らされることはない。
大統領の国際的な極秘事項に対してはCIA以外の諜報機関は部外者となる。

現在、オバマ大統領は、米議会、最高裁判所、米国民の承認を得ずに国際戦争を行っている。オバマ大統領は、NDAA(直訳:国防権限法)を修正し大統領の権限を増大させたため、米議会の承認なしに国内外で様々な戦争を行うことができるようになった。オバマはこの8年間で数々の違法な大統領令を確立させ、大統領の権限をかつてないほどに増大させた。


オバマが確立させた大統領令の下で国の安全を理由に大統領はアメリカの全資産を強奪できるようになった。

更に恐ろしいことは、CIAは、国際安全保障の名の下に大統領の上に立つことができるということだ。


CIAは、米連邦議会、大統領、米国民よりも優位な位置に自らを置き、秘密裡に何でも行えるようになってしまった。
CIAの絶大な権限で主要メディアはトランプ次期大統領に関するねつ造報道(ロシアのハッキングやロシアの脅迫など)を展開している。イギリスからこの国へ偽の調査書類が送られた。そしてCIAはトランプ次期大統領に対する


組織的誹謗中傷キャンペーンを実施している。


DNI国家情報長官のジェームズ・クラッパー氏(James Clapper)はCIAが提出した偽の調査書類に同意したことで、政府諜報機関の無能さが露呈した。


1981年にレーガ大統領が大統領令によりDNI国家情報長官を創設した主な理由は、米軍の高級将官が運営していたNSAをなくすためだった。DNIの職務はCIAの監視役として定義され、全諜報機関のトップに立った。しかし彼はCIAを支配することはできない。


国内外の情報活動に携わっている政府機関は世界各地に1271機関あり、政府から委託された民間会社は1931社存在する。つまり、85万4千人以上の職員が機密情報を取り扱っている。
諜報部員は85万4千人以上存在する。


クラッパーDNI国家情報長官は米議会で真実を話すことを宣言したにも関わらず、NSAは米国民の個人情報を収集していないと嘘をついた。
クラッパー氏はDNIに任命される前に、英軍に機密情報を提供している会社(Detica)の業務最高責任者を務めていた。同時に他の民間諜報機関(SRAとBoozAllen Hamilton)にも勤務していた。


クラッパー氏は諜報活動のための約75億ドルの年間国家予算を管理している。また彼はイギリスの元民間スパイである。それでも彼はトランプ氏に関する主要メディアのねつ造報道を見抜けなかったのである。
つまりこの男はプロの諜報部員を従えて年間75億ドルの予算を管理してるのにもかかわらず、CIAがトランプ氏を中傷するために偽の情報を流していることにさえ気づいていないのだ。
一方、我々市民は独立メディアの情報によりその真実を知っている。

法治国家であるならば、CIAによる次期大統領に関するねつ造報道は違法行為と見なされるがアメリカは法治国家ではない。


クラッパー氏は、現在、17の諜報機関(CIA、NSA、国土安全保障省、FBI、国務省、財務省、国防情報局、空軍情報局、陸軍情報局、米海兵隊情報局、沿岸警備情報局、エネルギー省、国家偵察局、麻薬取締局、国家地理空間情報局)のトップに君臨している。同時に彼は今でも3つの政府請負会社(Detica、BAE Systems、SRAインターナショナル、Booz Allen Hamilton)の取締役である。
クラッパー氏はアメリカの全ての情報機関を支配しているが、同時にアメリカの敵でもある。

彼は外国の諜報機関に所属してアメリカをスパイしていたこともある。
彼はアメリカの国家諜報機関のトップに上りつめ、全権力とカネを手に入れた。


オバマがクラッパー氏を国家諜報機関のトップに任命してから、アメリカではねつ造報道のオンパレードとなり、多国籍グローバリストの利益のために売国されるようになった。
CIAは国外の違法なハッカーを雇ってサイバー攻撃を行わせている。ヒラリーと民主党全国大会は彼らのサーバーがハッキングされた後にその調査を国外の民間会社に依頼した。しかしロシアが彼らのサーバーをハッキングした証拠は一切見つかっていない。

ほんの数人に権力が集中すると、必ず誤った方向へ進んでしまう。クラッパー氏は正確な情報を提供することに興味はない。彼はナチスの情報局と同様に単なるプロパガンダ・マシーンなのだ。
クラッパー氏は17の諜報機関を使って、彼らが流す情報は全て正しいと証拠もなしに我々に信じさせようとしている。


オバマの大統領令により、NSAは米国民と世界人類を監視することが可能となった。NSAが盗みとった個人データは全諜報機関が共有している。


スイス、ジュネーブのCIA海外本部はスイスの金融スキャンダルやCIAの犯罪活動に関わっている。


CIAのCiscoルーターやサーバーはNSAによってスパイされCIAの犯罪活動がNSAに知られてしまった。その結果、CIAと共謀したスイスの金融エリートらが逮捕された。NSAは今後もCIAに対するスパイを行っていく。

CIAのスイス本部は極秘施設であり、そこのサーバーがハッキングされたことでCIAは激怒した。
NSAに対するCIAの反撃として、CIA請負エージェントのエドワード・スノーデンを使って、NSAが米国民の個人情報を盗んでいることを示す大量のデータをリークさせた。


CIAは、CIAの3派閥を暴露したNSAがこれ以上CIAをスパイできないように対策を講じている。
クラッパー氏は米議会に呼ばれる度にNSAはスパイ活動を行っていないと嘘の証言をした。

CIAとNSAの闘争の中で、CIAはCisco SystemsやDARPAなどの活動情報をNSAに盗まれないようにした。

現在、CIA、NSAそして他の諜報機関の情報操作、情報収集合戦が進行中である。
しかしCIAは国際安全保障を担っているため国家安全保障を担当するNSAよりも優位に立っている。

CIAは国際的な紛争や事件に必ず関与している。通貨戦争、市場戦争、金融戦争、サイバー戦争、麻薬戦争そしてテロは常にCIAの関心事である。


オバマのNDAAは軍隊がテロリストと見なされた米国民を攻撃することを可能にした。愛国法により、CIAは米国民、企業、機関がテロリストでないことを証明できるまでテロリストと見なすことが可能となった。

CIAは3つの派閥に分類されており、世界中のスパイ活動を通して大きな利益を得ている。
アメリカはCIAに支配されており、ワシントンDCはCIAの泥沼の怪獣に包囲されている。
CIAは国内外で偽旗事件や非人道的犯罪を繰り返している。CIAによる殺人行為で無数の人々が犠牲になり、3兆ドルものアメリカの納税者の血税が無駄に使われた。CIAは国際戦争を勃発させるための偽旗事件を仕掛ける。またCIAはメディアを支配しサブリミナル・メッセージを流すことにより人々を洗脳している。


CIAは、元祖CIA(金に裏付けられたCIA=GB-CIA)、ブッシュCIA、Ex-CIAの3派閥に分かれている。それらの3派閥がアメリカや世界を支配してきた。


GB-CIA:Gold backed CIA

元祖CIA(OSS)は第二次世界大戦中に世界の国々から金(Gold)を盗んだ。ドイツや日本が他の国々から奪い取った金もCIAが奪った。しかしCIAは盗んだ金を返還するつもりはない。CIAが盗んだ金はアメリカには保管されておらず、フィリピンとスイスに保管されている。

GB-CIAはアメリカの国益のために海外で活動することになっているが、彼らは通貨市場、債券市場、株式市場に関与し世界中に影響をあたえている。

GB-CIAのメンバーは米財務省及びアメリカの経済政策を決めるESF経済安定資金に多く入りこんでいる。 ESFは通貨、債券、株式市場を操作し、FRBに金融政策を指示している。ESFはGB‐CIAにとってアメリカの金融市場を支配する上で最も都合の良いツールである。
GB-CIAこそがアメリカ経済を支配している。


GB-CIAは欲深く、世界中に戦争を仕掛けて富を強奪している。邪魔者は容赦なく殺害する。CIAは世界中で数々の残忍な犯罪活動を行っている。
ブッシュやクリントン周辺では、彼らに批判的な銀行のトップ、ブローカー、内部告発者が次々に不審死を遂げている。これまで数百人が殺害された。


また、GB-CIA は、彼らの性的異常行為、ピードフィリア(小児性愛犯罪)、悪魔崇拝の生贄儀式に多くの政治家や企業家を取り込んでいる。彼らは世界的な小児性愛犯罪ネットワークを構築させた。また、彼らは、難民のチャリティ団体を活用して世界最大の性奴隷の人身売買市場を運営している。また世界の麻薬密売も牛耳っており、イランーコントラ・スキャンダルやアフガニスタンのケシ栽培を行ってきた。
彼らは、麻薬、セックス、権力、支配、悪魔崇拝という通貨で絶大な権力を買っている。


Bush CIA (ブッシュ、クリントン、オバマ犯罪ファミリーとも呼ばれる):


パパブッシュが副大統領時代にブッシュCIAが正式に創設された。アメリカの16の諜報機関は国家情報長官によって支配されている。パパブッシュはCIA長官も務めたことがある。レーガン政権を支配していたのはパパブッシュである。彼はレーガンによってアメリカの外交政策の責任者に任命された。当時、パパブッシュはCIAの戦術を使ってソ連を崩壊させた。


パパブッシュ政権時代にジョージ・ソロスとレオ・ワンタが米財務省の偽の米国債を使ってロシア通貨を攻撃し不安定化した。

パパブッシュの兄(弟)は、Riggs Bankを経営しており、その傘下にVelment Bankを創設し、ロシアから奪ったお金とゴールドをロンダリングしている。一部のお金はミット・ロムニーの会社、Bain Capitalを介してロンダリングされた。
ソ連崩壊後、パパブッシュとブッシュのネオコン攻撃部隊(Vulcans)はロシア及びソ連から独立した国々から全ての資産(特に石油)を奪った。パパブッシュとキッシンジャーは、ブッシュCIAのごろつき集団の犯罪を介して個人的に巨額の富を得た。
パパブッシュはブッシュCIAのごろつき集団にホワイトハウス、司法省、国務省を取り込み、勢力を拡大した。その結果、CIAの犯罪は全て連邦判事や国務省の高官によって見逃された。


ブッシュ家はクリントン家とビル・クリントンがアーカンソー州知事になる前から親しい関係にあり、オバマの母親は元CIAエージェントである。そのためオバマは生まれた時からCIAと深い結びつきがあった。オバマは完全にCIAの創造物である。
オバマが抱える問題は、CIAの3派閥ともつながりがあることであり、どの派閥に属してよいのかわからない。彼のめちゃくちゃな政策は、GB-CIAとブッシュCIAの両派閥を満足させようとしたからに他ならない。


ピザゲートで悪名高いジョン・ポデスタ氏と彼の兄(弟)はワシントンで最も有力なロビーストであり、レーガン政権時代から米政府の小児性愛組織を牛耳ってきた。
パパブッシュはレーガン政権の事実上の権力者だったが、当時からホワイトハウスでは小児性愛犯罪が日常的に行われていた。
ホワイトハウスがこのような性犯罪を堂々と行っていたことで連邦議員らの倫理が完全に崩壊した。


パパブッシュはケネディを暗殺したCIAを当時から支配し続けており、やりたい放題のことをやってきた。誰もそれを止めることはできなかった。パパブッシュはレーガン大統領の暗殺も企てたが失敗した。

ホワイトハウスも司法省も国務省もCIAの犯罪行為に慣れてしまい、CIAや政治家の犯罪をひたすら隠蔽してきた。


ケネディが暗殺されたとき、パパブッシュはCIAエージェントだった。
当時GB-CIAは世界の地政学的領域で独占するようになり、政治リーダーの暗殺を行うことで政権を変えることが可能になったとパパブッシュは認識した。
当時、パパブッシュは外交政策の責任者としてCFR(元CIA、政府の諜報部員及び企業の諜報部員で構成されている)の命令に従って政策を実行していた。また、パパブッシュは自分が任命した政治家全員の脅迫状リストを作成し彼らに命令に従うことを約束させた。


パパブッシュはサウジ王族と非常に親しい関係を築いた。そして彼の人生の多くをサウジの宮殿で過ごすことになった。パパブッシュは世界最大の武器商人、麻薬王、マフィア、王族、金融詐欺集団と協力関係にあった。彼はどこの国を訪れてもセキュリティに引っかかることなく自由に入国を許され、彼のビジネス(犯罪活動)を世界中で展開することができた。

最終的にGB-CIAはブッシュCIAの活動に気が付き、両者間の緊張が高まった。


パパブッシュは、配下のジョージ・ソロスとレオ・ワンタがロシア通貨を崩壊させ巨額の富を得た時、ロシアから大量の
金(ゴールド)を盗んだ。
そしてその2年間でパパブッシュは絶大な権力と富を獲得し、ブッシュCIAとGB-CIAのいがみ合いが悪化した。GB-CIAはブッシュの協力を得て政府とのつながりを持ちたかった。彼らはクリントン大統領が単にパパブッシュの命令で動いていることを知っていた。


Ex-CIA:


既にGB-CIA対ブッシュCIAの対立が激化している中で、Ex-CIAがそれに参戦している。
政治家を脅迫して政権を変えることが好きなGB-CIAと非常に欲深く際限のない権力闘争に明け暮れるブッシュCIAの対立を逆手に取りEx-CIAはこれらの2派閥の戦術と利権を盗もうと考えた。多くのEx-CIAは、政府を去り、利益の多い民間の諜報機関に籍を置いている。民間諜報機関はアメリカの諜報活動の65%を行っている。

Ex-CIAは、政府、銀行、企業の最高の地位にいた元CIAエージェントたちである。また、Ex-CIAは、GB-CIA及びブッシュCIAで働いていたエージェントらによる無秩序スパイ集団として創設された。


Ex-CIAのメンバーは政府や大企業で最高の地位を獲得している。
弁護士のジミー・コメィ氏は、FBI長官になる前に、ニューヨーク南部の連邦検事、検事副総長、米最大の軍事契約企業、ロックヒードマーチン社の上席副社長、CIA関連企業の相談役、CIA銀行のHSBC及びGB-CIAの金を保管しているHSBCホールディングズの理事を務めていた。
CIAの高級エージェントはこのよう昇進の梯子を上っていく。


コメィ長官はFBIを去ったあとに別の場所で高い地位を得ることで、 彼が犯罪によって獲得した巨額の富は守られることになる。コメィ長官はCIAの3派閥の命令に従って動いていた。


ジョン・ブレナンCIA長官は、長官になる前に国土安全保障省の副補佐官、サウジアラビアのステーションチーフ、国家反テロセンターの所長、諜報ネットワークのAnalysis CorporationのCEO、National Security Allianceの会長、 Global Strategies 、GlobalIntelligence SolutionsそしてGTECの主任エージェントだった。


これらの3派閥はシリアで破壊活動を行っている。シリアでCIAはペンタゴンが支援している部隊を攻撃していることが明らかになった。

アレッポの外側でアメリカが支援している3つの集団がお互いに戦っていることが分かった。この事実を隠蔽するためにオバマはクラッパー氏に偽の情報を流すよう命令した。
それこそが、ロシアがトランプ氏を脅迫していることや大統領選でロシアがハッキング行為を行ったとするねつ造報道である。また、国土安全保障省が有権者のデータベースをハッキングしたと報道されたのはシリアにおけるオバマの個人的な戦争の実態を隠すための偽装工作である。

クラッパー氏、ブレナン氏、コメィ氏は共に17の諜報機関がメディアを介してねつ造報道を行うことに賛成した。トランプ氏に対する彼らの攻撃により、CIAの3派閥の汚職、共謀、グローバリズム・アジェンダ、反米姿勢が明らかになった。


トランプ氏はCIAに刃向かう戦士である。


トランプ氏はグローバリズムと戦い法の支配を推し進めているため、CIAの3派閥の一番の敵となった。


CIAの3派閥は法の上に君臨して権力を悪用しているが、反グローバリズム、反NWOのトランプ氏が大統領に選ばれたことで彼らはかなりの衝撃を受けている。そのため、3派閥はトランプ氏の信用を落とすためにあらゆる情報操作を行っている。また、彼らが継続的に行ってきた数々の邪悪な犯罪を隠蔽しようとしている。また、ケネディがやろうとして失敗したことをトランプ氏がやろうとしているため、それを阻止しようとしている。


トランプ氏は、CIAがCIAメンバーとCIAの利権を守るためなら容赦なく人を殺すことを知っており、彼の命が危険にさらされていることを十分認識している。
CIAはトランプ氏についての調査書類を持っておらず、彼がワイルドカードだったことをCIAは知らなかった。トランプ氏にはこれまで明らかになったスキャンダル以外は何もないのである。トランプ氏はCIAの3派閥とは一切関わり合いを持っていない。
トランプ氏はワシントンDCの関係者を一切信用していない。なぜなら彼らは既にCIAに取り込まれている恐れがあるからだ。

トランプ氏が1600ペンシルベニア・アベニューのビルにオフィスを構えることをしなかったのは賢い選択である。なぜなら、そのビルの隅々にCIAのスパイ装置が設置されているからである。
愛国者は、トランプ氏が使うことになるホワイトハウスの内装及びリフォームの費用を支援すべきである。


CIAはあらゆる手法を使ってトランプ氏を公然と攻撃しはじめた。CIAの3派閥と繋がりのあるジョージ・ソロスも世界の舞台で公然とトランプ氏を攻撃している。


ビルダーバーグや三極委員会、ボヘミアングローブ、CFRが一同に集まり会議を開いた。そこでトランプ氏を大統領にさせないための作戦を練った。世界中の邪悪なカバラ犯罪集団は神経をとがらせている。既に彼らはトランプ氏を殺害しようとした。また、彼に賄賂を贈ろうともした。彼らは他の政治家に対してならうまくいく戦術がトランプ氏にはうまくいかないことを知った。トランプ氏はCIAが日常的に行っている活動に一切関心がない。

以下省略
http://blog.livedoor.jp/wisdomkeeper/archives/52001108.html
5:777 :

2022/05/28 (Sat) 18:03:00

アジアとの「友好」を言い出す連中には、何となく胡散臭い人物が結構いる。会長の頭山興助もその一人で、聞くところによると、彼は重信メイの後見人になっているそうだ。
彼女は日本赤軍のテロリスト重信房子の娘で、父親はレバノン人である。

実際、どんな経緯でメイの後見人になったのか解らないが、一説によると、重信房子の父親「重信末夫」が金雞学院の門下生で、頭山満の息子である秀三と関係があったらしい。そこで、秀三の息子である興助がメイを支援することになったそうだ。

確かに、母親が極左テロリストであっても、その娘がテロリストになるわけじゃない。
だが、メイの精神が健全で日本を愛する心があるのかどうか、疑問である。だいたい、パレスチナ解放戦線のゲリラやテロリストに囲まれて育った娘が、カタギの大人になって普通の生活を送るのか?

長いこと無国籍状態だったメイは、日本の左翼弁護士の尽力で日本国籍を取得し、憧れの日本にやって来たというが、その頭が日本的とは限らない。


  メイは中東に詳しいジャーナリストの看板でマスコミに登場したが、母親の気質に染まっていたので、その根本思想は左翼である。

案の定、メイは極左の片鱗を現し、特定秘密法案が提出されると、左翼ジャーナリストと一緒になって反対を表明した。

「知る権利の侵害だ !」と騒いだのは、ほとんどが札付きの左翼分子。

例えば、テレ朝の寵愛を受ける青木理、大谷昭宏、川村晃司、荻原博子、田原総一朗、山田厚史、吉永みち子、高野孟、鳥越俊太郎、

TBSの「報道特集」でキャスターを務める金平茂紀、

「サンデー・モーニング」でお馴染みの岸井成格、

支那人と裏で繋がっている富坂聰、作家の佐野眞一、

ジャーナリストの江川紹子、安田浩一、

左巻き作家の澤地久枝、左翼に戻った小林よしのり、元同志社大学の黒ヘルが自慢の小川和久、作曲家のなかにし礼、

頭がおかしい精神科医の香山リカ、左翼俳優の菅原文太、セクハラ疑惑で早稲田大学を去った元日経新聞の田勢康弘、『万引き家族』の監督を務めた是枝裕和、

陰湿な歴史家の保阪正康、NHKと昵懇で安倍・中川の政治介入を言い立てた本田雅和、元酌婦で親共産党の室井佑月、英国からやって来たビルマ系ユダヤ人のピーター・バラカンなど、朱色から深紅まで様々だ。
http://kurokiyorikage.doorblog.jp/archives/68765229.html
6:777 :

2022/05/28 (Sat) 18:03:38

れいわ新撰組の選挙参謀は森大志、斎藤まさし。
森氏の父親は連合赤軍派最高幹部田宮高麿。母親は森順子、
ヨーロッパで有本恵子さんら3人を拉致し北へ連れて行った主犯。
森氏は北で生まれ、「日本革命村」でスパイ教育を受けた。

斎藤まさしは菅直人らと活動。大虐殺したポルポト崇拝者。ヤバいだろ?

2019/07/24
https://tr.twipple.jp/t/7d/1153760807710126080.html

▲△▽▼

森大志【もりたいし】

 1983年に北朝鮮のピョンヤンで生まれる。父親はよど号ハイジャック事件のリーダーで連合赤軍の田宮高麿。

北朝鮮による日本人拉致問題で警察庁により国際指名手配されている森順子(北朝鮮に潜伏中)は母親。

2004年1月13日に来日。2歳上の姉、6歳下の弟も既に日本にいる。

 本籍は川崎市。ガソリンスタンドや介護用品整備、鉄工所、物流センター などで働く。2005年8月高等学校卒業程度認定試験(旧大検)合格。2008年専修大学商学部マーケティング学科入学。(中略)税理士を目指し、働きながら勉強中。

 極左過激派の政党、「市民の党」のメンバーで、2011年4月に東京都三鷹市の市議選挙に立候補したが落選した。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%BF%B9%C2%E7%BB%D6


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2011/04/01
「市民の党」と森大志を糾弾せよ!

東京都の三鷹市議選に「市民の党」から立候補している森大志(28)は、なんとあの田宮高麿の長男だそうです。

読者の通報(カキコ)で知りました。
ネタ元は週刊新潮の「出自を秘めて三鷹市議に立候補する「よど号ハイジャック犯」長男」のようです。


森を擁立した「市民の党」のルーツは「MPD・平和と民主運動」にあります。
MPDは、元ブント(共産同)系の活動家たちが結成した日本学生戦線から発展した組織です。

その流れは、「MPD・平和と民主運動」→護憲リベラル→平和・市民→「市民の党」となります。
つまり、「市民の党」はブントの血を引く過激派の末裔ということです。

私は、ハイジャック犯の長男が「市議選の候補」ということ以上に、その所属する「市民の党」の存在そのものが問題だ、という気がします。
まさに「市民」の仮面をかぶった「過激派」。

市民団体とかNPOにも、こういう素性のものが多い。
ほんとうに要注意です。

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私の「韓国に配慮した歴史を教えよ!というカルト左翼」というエントリに、次のようなカキコがありました。


坂氏は今の大多数のサヨクを買いかぶっておられるのではないでしょうか。反国家=国家破壊運動ほどの意識をもっているサヨクは少数派と思いますが。小林よしのりの言うところの「うすら甘いサヨク」、すなわち、自分が全く責任を問われない事項について謝罪していい人になりたいってだけの馬鹿が大多数では。

この認識はまったく甘い!と言わざるを得ません。
そもそも小林よしのり氏は政治を解っていません。
左翼やイデオロギーの本質については無知と言ってもよいでしょう。
左翼の本質は左翼であった者しか解らない、
政治を実践した者の方が政治をよりリアルに理解できる、
私はそう思います。

社会の至るところに極左がしぶとく根を張っています。

それは、「新しい歴史教科書をつくる会」の教科書が、市民団体の反対と妨害活動によって、ほとんど採択されなかったという事実を見れば分かります。
重信房子が日本に密入国し、9年間も潜伏して極秘活動ができたことも、極左のネットワークが健在であることを示しています。

そして何より、社民党が国政選挙で300万票を獲得できる、という現実、それだけカルト左翼とその支持者がいる、ということです。
社民党は「元」極左の巣窟ですからね。

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ここで田宮高麿について書いておきます。


田宮は1943年、岩手県生まれ。
父親は農林省(現・農水相)の役人。
1970年3月に起きた「全日空日航機よど号ハイジャック事件」のリーダーです。

大阪市立大学時代に学生運動をはじめました。
私にとっては、ブント(共産同)の大先輩に当たります。
が、私がブントに参加した時は、彼は既に共産同赤軍派として分派していましたから直接の面識はありません。

組織の先輩から聞いた話ですが、田宮は活動家としては異色の存在だったようです。

ロン毛で理屈っぽい者たちが多い中で、彼はどちらかと言えば体育会系。
その度胸と行動力、そして統率力は群を抜いていたそうです。
だから赤軍派の軍事委員長(司令官)に就いた。

ハイジャックの被害に遭った乗客の一人は

「犯人たちは、学生だけあって、どこかウブなところが残る顔立ちだった。その中で、田宮だけは暴力団に入っても立派にやっていけそうな、凶々しい目つき」

と語っています。

大阪市大の教授が当時

「田宮君がいるから乗客の身の安全は絶対に大丈夫」

と、語っていたのが忘れられません。

まあ、思想ややった事の是非を別に置けば、田宮はそれなりの人物だった、
先輩たちの話から、私は、そう強く感じました。

ただ理論はからきしダメで、吉本隆明の本は1ページも読めなかった。
当時、ブントのかなりの部分が吉本隆明の影響を強く受けていたことを考えれば、田宮が塩見孝也に付いてブントを出て行った理由がよく解ります。

ところで、連合赤軍(連赤)の最高幹部で、12人の同志を虐殺した森恒夫は、田宮と同じ大阪市大の活動家です。

謂わば田宮の子分みたいな存在でしたが、田宮からは「ゲバ棒一本持てんやつに戦争ができるか」と完全にバカにされていました。

森が連赤に逃げ込み、史上稀に見る凶悪事件を引き起こしたのは、田宮に対するコンプレックスが一因だったと私は思っています。

この、当時はそれなりに英雄視された田宮も、結局は北朝鮮に屈服、その奴隷になってしまいました。

そして、1995年に平壌で突然死します。

田宮の突然死は未だ謎ですが、ハイジャック犯たちが北朝鮮の工作員として活動するようになったことと無縁ではないような気がします。
つまりハイジャック犯たちの内部で路線対立が起こり、田宮は粛清された、のではないかと思うのです

下の写真は、今でも鮮明に覚えています。
短髪(角刈りに近い)で、右手に日本刀を持った田宮の精悍な顔つきは、まるで右翼のようでした。


右手に日本刀を持ち、解放される人質を見つめる田宮高麿

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私は、田宮の長男が、「市民の党」というカルト左翼から市議選に出馬するのは、父親より母親の影響が大きいと思っています。

田宮が死んだ時、森大志はまだ12歳です。
父親の思想など理解できないでしょう。
では、森の母親とは何者なのか?

森大志の母親は森順子(よりこ)と言います。

つまり大志は、母親の姓を継いでいるのです。
順子は、在日朝鮮人の父と日本人の母の間に生まれました。

パスポートを取得していることから、日本国籍であると思われます。

が、北朝鮮では“在日2世”として迎えられており、自分は「日本人」だと言う一方、平壌では「ここは私にとって祖国でもありますからね」と語っています。

ところで、この森順子、欧州における日本人拉致事件に関与しているとして、警察庁により国際指名手配されています。

つまり、有本恵子さんや松本薫さん、石岡亨さんを拉致した実行犯である可能性が極めて高いのです。

下の写真は、順子と石岡亨さんが欧州で一緒だったことを示すものです。


森順子・中央と石岡亨さん・右


確かに森大志はハイジャック事件のリーダーの長男です。
が、田宮は既に16年前に死んでいます。

一方、母親の森順子は、日本人拉致の実行犯(の可能性が極めて高い)であり、未だに逃亡中です。

おそらく北朝鮮にいるのでしょう。
そして、赤軍派のハイジャック犯たちと連携して北朝鮮の工作活動を展開している、と思われます。

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「高敬美ちゃん剛くん拉致事件」を捜査していた兵庫県警は、1988年5月6日早朝、新宿区三栄町のアパート前で北朝鮮の秘密工作員と見られる男の身柄を確保しました。

男は「中尾晃」と名乗っていました。

が、調べてみると、この「中尾晃」の正体は、ハイジャック犯の一人である柴田泰弘だったのです。

1996年3月、カンボジアのベトナム国境近くで北朝鮮大使館員らとともに逮捕された日本人も、ハイジャック犯の一人である田中義三でした。

田中たちは、タイのリゾート地パタヤで大量の偽ドル札を偽造していたのです。
つまり、世界革命を目指して、北朝鮮を革命の根拠地にするためにハイジャックを実行した戦士たちは、北朝鮮の手先となり、日本人拉致や偽ドル偽造に手を染めていたということです。

そのハイジャック犯のリーダーを父に持ち、日本人拉致の実行犯(とみなされている)を母に持つ男が森大志です。

選挙に立候補する権利はありますが、この男が当選するようなことがあってはなりません。

「市民の党」の候補は、前回選挙では次点でしたが、それ以前は2議席を有していました。

つまり、それなりの基礎票は有しており、森大志は、やり方によっては当選の可能性があるということです。
が、こんな人物を当選させるなんて絶対に許されません。

「市民の党」と森大志を糾弾せよ!
http://banmakoto.air-nifty.com/blues/2011/04/post-160d.html
7:777 :

2022/05/28 (Sat) 18:04:11

民青や共産党員にまともな人間が一人もいないから新左翼が出て来たんだ
しかし、核マル、中核、赤軍、反戦青年委員会は反日本共産党、反民青というだけで、民青の事大主義学生の方が遥かに賢かった

今の日本共産党は保守反動極右勢力

昔から民青の学生は事大主義で
大学では左翼教官に おべっかを使って興味も無いのにマルクスとか読むふりするけど、会社に入ると

マルクス主義はもう古い

と言って否定するので有名だった

それで、民青の学生はその後 全員人生の成功者、新左翼の学生は全員人生の失敗者になっている
要領の良さと空気を読む能力が全然違うんだな

そもそも日本共産党はGHQが政治犯を釈放させて共産党を合法化したから選挙に出られる様になったんだ
出発点からしてアメリカのエージェントなんだ


民青の学生はともかく、日本共産党員にまともな人間は一人もいない
日本共産党に未来なんかないよ

新左翼は IQ 低い

それから共産党は金融緩和や公共事業を敵視したり経済が全然わかってない
この現代にマルクス主義なんか通用しないんだよ


消費税廃止、累進課税強化、株式譲渡益・配当の分離課税、法人税増税、政府の財政出動

をやればすぐに政権を取れるよ

しかし、絶対にやらない

それは消費税上げや株式譲渡益・配当の分離課税、法人税減税、プライマリーバランス黒字化はアメリカの指示でやっているんだから
アメリカのエージェントの日本共産党が逆らえる訳ないんだ
8:777 :

2022/05/28 (Sat) 18:06:11

重信房子の今現在!若い頃のかわいい画像・夫と娘など家族・出所予定日も紹介
2020/04/13
https://newsee-media.com/shigenobu-sachiko

テロリスト集団「日本赤軍」のリーダーとして数々の事件に関与した重信房子ですが、若い頃がかわいいと話題です。

今回は重信房子の若い頃の生い立ちやかわいい画像、夫や兄弟と娘など家族、出所予定日や現在の様子をまとめました。


重信房子とは 

出典:https://twitter.com/

名前:重信 房子(しげのぶ ふさこ)
生年月日:1945年9月28日
出身地:東京都 世田谷区

重信房子の若い頃① 生い立ち~テロリストとして活動まで
重信房子は、日本赤軍の最高幹部であり、テロリスト、新左翼活動家、革命家です。


日本赤軍のリーダーとして活動し、多数のハイジャック事件や大使館占拠事件、襲撃事件を起こしてきました。

そして「ハーグ事件」で逮捕され、懲役20年の判決を受けています。

ここでは、テロリスト集団のリーダーとして知られる重信房子の生い立ちから逮捕までをまとめました。

重信房子の生い立ち


出典:https://www.instagram.com/

子供の頃は文学を好み、将来は小学校の教員や小説家になることを夢見る少女だった重信房子。


高校卒業後は昼間は企業で働き、夜間は明治大学文学部の夜学に通って勉強を続けていたといいます。

学生時代から重信房子はかわいいと評判で、その美人ぶりは周囲からも注目の的でした。

小説家や小学校の教員を目指すかわいい文学少女でありながら、当時大学生の間で盛んだった学生運動の波に飲まれ、重信房子も学生運動に参加していくようになります。

そして学費の値上げに反対する明大闘争に参加した際、後の連合赤軍となる遠山美枝子と出会って親友関係へと仲を深めていきます。

その後、共産主義者同盟に加入した重信房子は、後の日本赤軍や連合赤軍の母体となる赤軍派の創立メンバーに加わり、本格的に新左翼党派としての活動を開始しました。

1970年代になると、パレスチナで日本赤軍を結成。重信房子は最高指導者、いわゆるリーダーとなり、革命運動と称して数々のハイジャック事件や無差別殺人事件を起こします。


外国の政府要人や多数の民間人を人質に取ってテロ事件を繰り返し、世界各国に恐怖を与えて昭和史に残る事件を起こしてきました。

中でも「ハーグ事件」と呼ばれるフランス大使館立てこもり・人質事件は、重信房子も直接関与していたと言われています。

重信房子の若い頃② 「ハーグ事件」をきっかけに逮捕される

ここで、は重信房子が国際指名手配されるきっかけとなったハーグ事件について解説します。

ハーグ事件から逮捕まで


出典:https://twitter.com/

ハーグ事件とは、1974年9月14日に日本赤軍がオランダのデン・ハーグにあるフランス大使館に人質を取って立てこもったテロ事件です。

日本赤軍はフランス大使館を襲撃し、大使らを人質に取って立てこもり、要求としてフランス当局に捕まっていた仲間の解放を要求しました。

犯行グループは当局に要求を呑ませることに成功し、シリアに逃亡を果たしています。

この事件には、最高幹部の重信房子も関与していたとされており、重信房子は国際手配を受けました。

しかし20年以上もの長期に渡って逃亡を続け、偽造パスポートを使って日本に不法入国し、その後しばらく大阪府のマンションで潜伏生活を続けていました。

そしてハーグ事件から26年後、潜伏していた大阪府で公安に見つかり、旅券法違反容疑で逮捕されることとなります。

「ハーグ事件」への関与をめぐり、逮捕監禁罪・殺人未遂罪などで起訴され、検察はハーグ事件の首謀者で犯行を主導したとして無期懲役を求刑しました。

しかし裁判所は、重信房子に対し、自らの主義主張のもと多くの人の命を危険に晒す身勝手な犯行で真摯な反省がみられないとしたものの、事件を主導したとは断言できないとして懲役20年を言い渡しています。

その後重信房子は、日本赤軍が実質的な崩壊状態になったことを理由に、2001年に獄中から日本赤軍の解散を発表しました。

重信房子の若い頃③ かわいいと話題の画像を紹介
出典:https://webronza.asahi.com/

日本赤軍の最高指導者として活動していた重信房子ですが、テロリストのリーダーになるほどの性格とは裏腹に、若い頃の容姿がアイドルのようにかわいいと話題になりました。

出典:https://twitter.com/

重信房子の若い頃の画像を見ていただくと、かわいいと言われるルックスが納得ではないでしょうか。

学生時代の若い頃からそのかわいさ、美しさは周囲の注目の的だったようで、もし学生運動に傾倒していなければ、他にも輝く道があったかもしれないと思われる美しさです。

重信房子の家族① 父親
出典:https://www.excite.co.jp/

重信房子は、夫や兄弟といった家族も日本赤軍のメンバーであることが知られています。

父親は重信末夫という男性で日本赤軍とは関わりがありませんが、第二次世界大戦前の血盟団事件に関与した「右翼団体金鶏学院」の門下生だったようです。

ちなみに血盟団事件とは、1932年に発生した政治暗殺連続テロ事件で、政財界の要人が狙われ、大蔵大臣の井上準之助、三井財閥総帥の團琢磨が暗殺された事件です。

この事件に関与したのが右翼団体の金鶏学院で、そこの門下生だった重信末夫は報道では血盟団メンバーと報じられることがありますが、メンバーではなく事件にも一切関与していません。

重信房子は、この父親に大きく影響を受けて育ちました。

重信房子の家族② 最初の夫・奥平剛士
重信房子の夫は奥平剛士(おくだいら つよし)です。

出典:https://ameblo.jp/


奥平剛士は1945年7月21日生まれ、重信房子のパートナーとも言える日本赤軍創設メンバーで最高幹部です。

1972年5月にテルアビブ空港乱射事件を起こし、乗降客を中心に26人を殺害、73人に重軽傷を負わせる無差別銃乱射を行いました。


このテロ行為中、奥平剛士は警備隊の反撃で射殺され、死亡が確認されました。

夫を亡くした重信房子がどのように感じたかは分かりませんが、実は重信房子と奥平剛士の結婚は偽装結婚だったようです。

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1971年に日本赤軍の海外基地を作るため、「奥平房子」の名前を得てパレスチナに出国しました。

重信房子はその後、パレスチナ人男性と結婚しています。

重信房子の家族③ 最初の夫・奥平剛士の兄弟
4人兄弟の次女として生まれ、両親含め6人家族で育ってきた重信房子ですが、実の兄弟の情報はほとんど公開されていません。


しかし前述した夫の兄弟が日本赤軍のメンバーであり、義理の兄弟と同志であることが分かっています。

偽装結婚の相手で戸籍上の夫となった奥平剛士には兄弟がいました。

出典:https://twitter.com/

その兄弟の名前は奥平純三(おくだいら じゅんぞう)で、1949年2月9日生まれ、日本赤軍に所属するメンバーでした。


ハーグ事件への参加やクアラルンプール事件に関わっています。夫の兄弟ということで、重信房子とは義理の姉弟にあたります。

重信房子の家族④ 娘・重信メイ
出典:https://www.cinematoday.jp/

重信房子が結婚したパレスチナ人男性との間には、重信メイという娘が誕生しました。


この娘が現在、日本でメディア関係の仕事をしており、母親が重信房子であることを大々的に公開して公の場に登場しています。

ここでは、重信房子の娘・重信メイについて詳しく見ていきましょう。

重信メイは2001年に日本国籍を取得し、現在は河合塾の講師として生活しながら、ジャーナリストやニュースキャスターといったメディア系の仕事でも活躍しています。

重信メイはパレスチナで生まれ育ち、母・重信房子と良好や親子関係を築いてきました。

重信房子が服役囚となってからも親子仲は良く、母親について否定的な意見を出すことはほとんどありません。

重信房子もかわいいと話題でしたが、娘も同様に美しいルックスが目を引きます。


その娘が、娘の目線で日本赤軍の最高指導者としての母の生き様を追ったドキュメンタリー映画が公開されました。


映画「革命の子どもたち」は、日本赤軍のリーダー・重信房子と、ドイツ赤軍の女性リーダー・ウルリケ・マインホフの壮絶な生涯を、彼女たちの娘の目を通して追うドキュメンタリーです。

2014年7月5日に公開され、本作に出演した娘のメイも舞台挨拶に登壇し、母親に対する思いや映画に関する心境を語りました。

世間から「テロリスト」と呼ばれる母とは、潜伏生活ながらも愛情に溢れた関係を築いてきたと言う重信メイ。

「意外かもしれませんが、母は常に冷静で、感情に任せて怒る姿を見たことがない。叱るときは、なぜ悪いのかを辛抱強く伝える努力をする人だった」と、母親への愛情を言葉にしました。

しかし、愛情に溢れた親子関係の一方で、母親が日本赤軍のリーダーであるために国籍も取得できず、潜伏生活を送らなけれなならなかった苦しみも味わったといいます。

一番つらかったのは、「嘘をつかなければ生きていけなかったこと」だと語る重信メイ。

友人や恋人ができても、親しくなるほど嘘で固めなければならず、危険が迫ると連絡もせずその地から姿を消さなければならなかったことが、申し訳なくてつらかったと語りました。

そんな娘が自身の目で見た母親の生き様と、過酷な運命に翻弄された娘のメイの物語。

激動の時代を生き抜き、重信親子が築いていった関係が垣間見えるこの作品は、重信房子の生涯を知るのにおすすめな映画です。

重信房子の現在 【出所予定は2027年】
出典:https://www.sankei.com/

重信房子は懲役20年の判決が出て以降、現在も東日本成人矯正医療センターにて服役中です。

2018年には、重信房子が東日本成人矯正医療センターにて抗がん剤の治療を行っていることが報告されました。

元々は八王子医療刑務所で治療を受けながら服役中でしたが、2018年1月に同刑務所が閉所することとなり、現在収容されている東日本成人矯正医療センターに移ったようです。

重信房子は2008年に小腸にガンが見つかり、一般の刑務所からがん治療が受けられる八王子医療刑務所に移送されました。

その後、大腸・卵巣・子宮など体のあちこちに転移しているのが見つかり、3度の手術を受けています。

手術はいずれも成功しているようですが、現在すでに70代の高齢となっている重信房子は、体調が良くないとの噂もあります。

抗がん剤治療は現在も続けられているようで、70代となった重信房子の健康状態には不安が残ります。

そんな重信房子の現在の様子を知ることができるのは、「重信房子さんを支える会」が発行する機関紙「オリーブの樹」です。

重信房子本人の日誌が掲載されており、病床での様子や自身の体調、日常の中で感じたことなどを日誌にして近況報告を行なっています。

懲役20年の判決が下された重信房子は未だ服役中です。未決勾留期間の3年を差し引き、実質17年の懲役となった重信房子の出所予定は2027年となっています。

出所予定の2027年になれば、重信房子は82歳。


かなりの高齢となり、出所まで存命であるとは言いきれない年齢に差し掛かります。無事に出所し、愛する娘と再会することはできるでしょうか。

また、日本赤軍のリーダーであった重信房子は逮捕されましたが、他の日本赤軍主要メンバーのうち、未だに逮捕されておらず国際指名手配を受けているメンバーも多数います。

人質立てこもり事件、ハイジャック事件、爆破事件、銀行強盗、国際テロ事件など多くの重大事件を起こしてきた日本赤軍メンバー。


現在全員高齢者となっており生きているのか死んでいるのかも不明ですが、国際指名手配により逮捕される時が来る日はあるのでしょうか。

重信房子の現在のみならず、日本赤軍メンバーの今後の動向にも注目が集まります。

まとめ
日本赤軍のリーダー・重信房子の生い立ちから現在についてまとめました。


激動の時代を生き抜き、家族を得る一方で潜伏生活を送り、最終的に懲役刑となった重信房子。


令和の現在も注目度は高く、書籍なども多数発売されているので、気になった方はぜひチェックしてみてください。

https://newsee-media.com/shigenobu-sachiko
9:777 :

2022/05/28 (Sat) 18:07:01

2021年07月21日公開 2021年07月21日更新
https://cherish-media.jp/posts/11016

日本赤軍の美人リーダー「重信房子」の現在や経歴とは?娘のメイもかわいい

日本赤軍の美人リーダーとして有名だった重信房子。彼女はなぜ日本赤軍のリーダーとなったのか。そして重信房子の現在は?また、重信房子の娘も美人で有名だった!現在、重信房子の娘は何をしているのか?徹底解剖してご紹介していきます!



日本赤軍の美人リーダー「重信房子」の現在や経歴とは?娘のメイもかわいい


日本赤軍美人リーダー 重信房子の経歴

重信房子は明治大学の文学部に通っていました。
そして在学中に明大闘争に参加するようになるのです。
その明大闘争の最中に、今後の運命を決定づけてしまうことになる人物と出会うのです。
それが、遠山美枝子でした。


日本赤軍美人リーダーの重信房子の経歴って?

結婚をして生んだ子供、重信メイもかわいいと噂になっている重信房子。日本赤軍という過激な組織のリーダーをしていた彼女ですが、そもそも重信房子という人物は、どのような人間なのでしょうか。
美人と噂の重信房子の経歴とは。

遠山美枝子に出会った重信房子は、遠山美枝子の誘いで共産主義者同盟の再建へと協力していくことになるのです。
そして分裂してしまった共産主義者同盟赤軍派に創立メンバーとして参加するようになりました。


遠山美枝子

遠山美枝子は、重信房子の親友とも言われていた女性です。
重信房子が大学時代に遠山美枝子と出会い、日本赤軍を作り上げていくようになります。
いわば、遠山美枝子が日本赤軍結成の一石を投げたとも言えるのではないでしょうか。
彼女は重信房子の経歴に拘せない人物なのです。
しかし、このあと、遠山美枝子は、重信房子と袂を分かちます。
そして遠山美枝子は、永田洋子によってリンチされてしまうでのす。


永田洋子

永田洋子は、連合赤軍の幹部という経歴を持ち活動をしていました。
連合赤軍は、リンチ事件や浅間山荘事件など、数々の残忍な経歴があります。
そんな連合赤軍に身を置いていた永田洋子。
リンチ事件は美人と言われていた女性たちへの永田洋子の嫉妬から始まったのではないかとも言われているのです。

日本赤軍美人リーダー 重信房子が犯した犯罪とは
重信房子は、オランダにあるフランス大使館立てこもり事件に関与した疑いで国際手配されることになります。


日本赤軍リーダー重信房子が犯した事件

日本赤軍に在籍していた経歴を持つ重信房子。
そんな日本赤軍は数々の事件に関与しています。
重信房子も、大きな事件に関わり逮捕されているのです。
では、日本赤軍が関わった事件とは?
そして、その逮捕者の経歴とは。

重信房子はなぜ日本赤軍のリーダーになれたのか
重信房子は、共産主義者同盟赤軍派の創立メンバーでもありました。
さらに強いリーダーシップを持っていたことから、日本赤軍のリーダーになれたのではないかと考えられています。


重信房子の経歴

重信房子の逮捕前の経歴を見てみると、日本赤軍でリーダーをしていたという経歴が見つかります。
まだ、男性社会だったその時代。
なぜ重信房子のような女性が、日本赤軍という組織のリーダーになることができたのでしょうか。
きっかけとなる事件はあったのでしょうか。

重信房子は、奥平剛士と偽装結婚をします。
それは「奥平房子」という戸籍を得るためだったと言われているのです。

奥平剛士

重信房子は、奥平剛士と偽装結婚をしています。
奥平剛士は、テルアビブ空港乱射事件というテロ事件を引き起こしたあとに死亡しています。

日本赤軍美人リーダー 重信房子には美人の娘がいた?
重信房子は、のちにパレスチナ人男性と結婚しています。
その男性との間に生まれた子供が、重信メイと呼ばれる人物なのです。


子供の重信メイもかわいい?

美人と評判の重信房子ですが、子供である重信メイもかわいいと評判になっているようです。
重信房子は事件を起こし、逮捕される前に結婚して、出産していた経歴があるのですね。
かわいい重信メイは、どのような経緯でこの世に誕生したのでしょうか。

重信房子の娘、父親の現在
重信房子のパレスチナ人の夫は、活動家であったようです。
しかし、イスラエルとの闘争中に死亡したと言われています。
ミサイル攻撃による暗殺であったとも言われているので、かなりの人物だったのかもしれませんね。


重信メイの父親は?

美人と評判だった重信房子と結婚し、かわいいと評判になる子供、重信メイの父親となったのは、誰だったのでしょうか。
父親は、子供である重信メイの母が大きな事件に関わっているという恐ろしい経歴のことを知った上で、結婚し、子供をもうけたのでしょうか。
それとも父親も、何らかの事件に関わった経歴があるのでしょうか。

日本赤軍リーダー重信房子の娘も美人だった
美人と評判でファンまでいたと言われている重信房子。
そんな彼女の子供は、やはり美人と評判の女性になりました。


子供である重信メイかわいい

重信房子が結婚をしてもうけた子供、重信メイ。
美人と評判だった彼女の子供なだけあって、重信メイもかわいいと評判のようです。

美人の娘も日本赤軍に在籍しているのか?
重信房子の子供である重信メイは、日本赤軍には在籍していません。
現在は、ジャーナリストとして活躍しているようです。
彼女は、生まれたときに無届けだったせいもあり、なんと28年間も無国籍であったと言われています。


娘も日本赤軍に在籍しているの?

重信房子という人間が結婚して生んだ子供。
その子供も、日本赤軍い在籍してしまっているのでしょうか。

気になる娘の現在とは
現在44歳となった重信メイは、ジャーナリストとして活躍しています。
ニュースキャスターとしてテレビに出ることもあるようなので、目にする機会が訪れるかもしれませんね。


現在の重信メイ

重信房子が結婚して生んだ子供である重信メイ。
現在、彼女はどのようにして生活しているのでしょうか。
結婚はしているのでしょうか。
母親の逮捕について何を思い、どう考えているのか。

リーダー重信房子が逮捕されたきっかけ
重信房子は、偽装パスポートを利用して、極秘に日本に帰国して潜伏していました。
しかし、公安が監視対象者の監視をしているときに、その人物が重信房子によく似た人物と接触していることに気づきます。
さらに、重信房子は独特なタバコの吸い方をしているのだそうです。
そのことにより、確信を持った公安は、重信房子と思われる人物が使用したコーヒーカップを入手。
指紋を一致させたことにより、重信房子は逮捕されることとなったのです。


重信房子が逮捕されたきっかけ

重信房子が逮捕されたきっかけは?永田洋子や遠山美枝子との関係は?


ハーグ事件

重信房子は、オランダにあるフランス大使館を襲撃したハーグ事件に関与していました。


逃亡防止のためにグリーン車で

移送される際に、逃亡を防止するため重信房子は、グリーン車の個室に押し込められ、移送されたのだと言われています。

重信房子逮捕のとき、娘は?
母親である重信房子が逮捕されたとき、娘の重信メイはレバノン大学でジャーナリズムを学んでいました。
このとき、重信メイは母親がどのような人物であったのか、知っていたのでしょうか。



重信房子逮捕のとき娘は

重信房子が逮捕されたとき、娘の重信メイはどうしたのでしょうか。

重信房子の現在とは?
重信房子は、現在も服役しています。
懲役20年の判決でした。
重信房子の釈放は2027年と言われていますので、あと10年ほどで彼女は社会に出てくるのですね。
また、何か大きなことをしでかしてしまわないか、不安が残ります。


永田洋子や遠山美枝子との関係は?

逮捕された重信房子。
ともに活動していた永田洋子や遠山美枝子とはどうなったのでしょうか。

現在も服役中の重信房子


現在も服役している重信房子

重信房子は現在も服役をしています。
考えは何か変わったのでしょうか。
それとも、日本赤軍そのままの考えをまだ持っているのでしょうか。

現在重信房子は病と戦っている?
2014年に、重信房子は八王子医療刑務所にて、がんの治療を受けているのだと言われています。
現在71歳の重信房子。
釈放されるとされるときには、81歳になっているようです。
彼女が釈放されたとき、どうなるのか、彼女の病気はどのような状態なのか、気になりますね。


重信房子の現在

現在、重信房子は病気を患っているとも言われています。
その病状はどのようなものなのでしょうか。



八王子医療刑務所で治療?

重信房子は、八王子医療刑務所にてがん治療と受けているという話もあります。

日本赤軍の現在
日本赤軍は、中心的メンバーが逮捕されたこともあり、解散をしています。
再び、日本赤軍のような組織が結成されてしまうことは、ありうるのでしょうか。


日本赤軍は現在どのようになっているのでしょうか。

重信房子と関係があったと言われている、永田洋子や遠山美枝子は、現在どうなっているのでしょうか。

いかがでしたか。
今回は日本赤軍で美人リーダーと言われた重信房子についてご紹介してきました。
そして、そんな母親を持ちながらも、自分の道を貫く重信メイ。
それぞれに、意思の強さを感じる女性たちです。
重信房子も道を間違えなければ、素晴らしい人物になっていたのかもしれませんね。
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10:777 :

2022/07/16 (Sat) 20:38:54

あげ045
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2022/08/14 (Sun) 08:53:31

重信房子と遠山美枝子(1)「マルクスよりルソーが好き」バリケードの中で意気投合した2人 数奇な運命を分けたものは何か
2022/8/10
© 一般社団法人共同通信社
https://nordot.app/927070795949735936?c=39546741839462401

キッコーマン時代の重信房子さん

 日本赤軍の元最高幹部で、ハーグ事件に関与したとして服役した重信房子さん(76)が5月28日、満期出所した。その前後に多くの報道が流れたが、その中で彼女の親友やその死に触れたものはほとんどなかった。

 若き日の重信さんと親友、遠山美枝子さんの生の軌跡を素描することで、あの時代の空気や党派の動向、女性たちの生き方をたどり、考えたい。(以下敬称略、女性史研究者=江刺昭子)

   ×   ×   ×

 <マルクスやレーニンよりもルソーが好き意気投合したのはバリケードの中>


 この歌の作者は重信房子、その人である。彼女は獄中で歌作を始め、2冊の歌集を出版した。この歌は連合赤軍事件で亡くなった親友、遠山美枝子の47年目の命日、2019年3月に墓前にささげられた「三月哀歌」14首のうちの1首であり、歌集「暁の星」に収められている。

 バリケードの中で「意気投合した」相手とは、もちろん遠山美枝子である。

 群馬県榛名山に連合赤軍が築いた山岳ベースで、遠山が非業の死を遂げたのは1972年1月7日だが、遺族は遺体が見つかった3月13日を命日にしている。2019年の命日も墓参会と法要があり、その後、重信の歌が披露された。

 その場にいたかつての仲間たち十数人は、今も整理しきれない複雑な感情があるのか、懇親会でもそろって口が重かった。

 遠山は山で同志に殺害された。なぜ遠山が山に入るのを止めなかったのかという後悔が、それぞれの胸の内にある。そして、もし自分も山に入っていたら被害者になっていたかもしれないという思いもある。いや、あるいは加害者か。

 重信と遠山は、明治大での学生運動、その後の政治運動を共に闘った。重信が国内での革命運動に見切りをつけて国外に脱出したあと、遠山は連合赤軍の兵士として山岳ベースに入り、25歳で命を絶たれた。


 重信はその知らせを遠くベイルートの地で聞いたのち、逮捕され、獄中生活を経て、76歳で日本の市民社会に復帰した。

 何が2人の生死を分けたのか。シスターフッドともいえるような親密な関係を築いた2人が、生き生きと躍動した日々を、政治の季節の結節点に重ねて見ていきたい。

遠山美枝子さん(左)と重信房子さん。1967年ごろとみられる
 筆者は、遠山が革命兵士として「山」に入るまでを『私だったかもしれない ある赤軍派女性兵士の25年』としてまとめ、6月に出版したが、その際に服役中の重信に質問書を出して詳細な返信をもらった(以下、重信の「手紙」)。

 遠山の友人や知人の証言も取材し、彼女が夫にあてた手紙も読むことができた(以下、遠山の「遺稿」)。また、関係者の著作や論考もある。本稿はこれらの資料に依拠する。

 重信は1945年、東京都世田谷区で生まれた。父は戦前の右翼運動に関係した人物だが、子どもたちを伸び伸びと育て、重信は明るく自己肯定感の強い性格である。

 遠山は1年遅れの46年生まれで、横浜市中区で育った。5歳で父が亡くなり、双子の姉と妹の3人姉妹を育てるために働く母に代わって家事を担い、我慢強さを身につけている。


 2人とも経済的な理由から高校卒業後、就職し、1年後に明治大の2部(夜間部)に入学、働きながら学ぶ道を選んだ。1歳違いなので、入学は重信が65年、遠山は66年である。当時はこのような勤労学生が多く、大学にも受け皿があった。

 重信は高校時代から弁論大会に出たり、大学入学後もアルバイトで選挙事務所のスタッフをしたりと行動的で、大学の自治会活動でもすぐに頭角を現した。

 遠山はおとなしく、目立たない人だったと証言する人が多い。だが、勤め始めた頃、日韓基本条約に反対する労働者のデモに感激し「高校時代にも潜在的にもっていた政治意識が爆発」したと「遺稿」で書いている。

 日韓条約は朝鮮半島の南北分断を固定化するなどとして批判を浴びていた。遠山が早い時期から社会や政治への強い関心を持ち、厳しい目で捉えていたことが分かる。

 この頃、慶応大、早稲田大などで学費値上げに反対する学生運動が相次ぎ、明治大でも遠山が入学した66年に学生たちが立ち上がった。自治会と大学当局との交渉が決裂、学生は机や椅子でバリケードを築いて大学を封鎖し、自主講座を開き、示威運動をした。


 こののち、こうした光景は日本中の大学で見られるようになる。

 2人が出会ったのは、そのバリケードの中だった。遠山が学費闘争の中核を担える人材かどうか、重信が“面接”するため招いたのだ。

 遠山は「グレーのオーバーを着た小柄な女性で、控えめな感じの人」だったが「でも、そこですぐ意気投合しました」と重信が振り返っている(「手紙」)。それは冒頭の歌にも詠まれている。

 勤務先は重信がキッコーマン、遠山はキリンビールで会社同士の交流もあった。職場の話も家族の話もしている。

 そして1年先輩の重信が先導するかたちで運動に関わっていく。重信の「三月哀歌」から2首を引く。

歌集「暁の星」。亡き親友に捧げた歌も収められている
 <水仙の微かに香るバリケード焚火を囲み歌いしインター>
 <洗い髪に震えつ急ぐ冬の道 銭湯終い湯バリケードへ帰る>

 バリケードに泊まり込み、たき火を囲んで革命歌「インターナショナル」を歌った。
 今より東京の冬は寒く、銭湯の帰り、洗い髪がバリバリに凍った経験が筆者にもある。しまい湯であってみれば、寒さもひとしおだったろう。それでも仲間と連帯して闘う高揚感がエネルギーとなり、運動を支えた。


 67年2月、明治大の学費値上げ反対闘争は学生側の敗北に終わったが、2人は男子学生らと新たに「現代思想研究会」というサークルを立ち上げ、公正で平等な社会を実現しようと、学外に飛び出して、次々に起きる政治課題に向き合うことになる。
 その過程で、学生運動を指導する新左翼党派の中でも武闘派のブント(共産主義者同盟)に誘われ、さらに過激な赤軍派に加盟、数奇な人生を歩むことになる。(続く)
https://nordot.app/927070795949735936?c=39546741839462401


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「社会科の先生に2人でなろう」お茶の水をカルチェラタンに 重信房子と遠山美枝子(2) 佐世保・王子・三里塚…続く闘い
2022/8/11
© 一般社団法人共同通信社
https://nordot.app/927076095154192384?c=39546741839462401

 オランダ・ハーグ事件などによる懲役20年の刑を終え、日本赤軍の元最高幹部、重信房子が出所してから1週間後の6月4日、東京・お茶の水の居酒屋で「重信房子さんを歓迎する宴」が開かれた。主催は公判や獄中生活を支援してきた明大土曜会である。(敬称略、女性史研究者=江刺昭子)
   ×   ×   ×
 パレスチナにたったときから50年の空白がなかったかのように、彼女は自然体で元学友たちの中に溶けこんでいく。このしなやかさが、命の危険と隣り合わせの革命運動や、4度もがんを患いながら獄中生活を生き抜いた原動力なのだろう。「生きて出てきました」とあいさつし「大学時代は、楽しいことと、社会を良くしたいということが一致して、本当に楽しかった」と振り返った。


「歓迎する宴」での重信房子さん
 「楽しかった」というのは、大学時代の全部ではないだろう。おそらく「現代思想研究会」(以下「現思研」)の仲間との交流を指している。
 現思研は、明治大の学費値上げ反対闘争が学生側の敗北に終わったあと、重信や遠山が参加して作られたブント(共産主義者同盟)系の学生組織である。政治組織だが、サークルを装ってそう名付けられた。
 ブントは1958年、共産党から分かれ前衛党を名乗って組織され(第一次ブント)、60年安保闘争をリードしたが、解体。1966年に再建された(第二次ブント)。
 現思研は勤労学生の集まりで、夜間の授業の合間を縫って明治大の学生会館に集って学習会を開いた。悩みごとも打ち明けあいながら、ときには寝泊まりもする家族的な関係で、時間が許す限り学外の活動にも参加するというスタイルだった。当時の幹部の一人も、とにかく楽しかったと振り返る。
 折しもベトナム戦争の激化で、米軍の兵たん基地となった日本からはひっきりなしに爆撃機が飛び立っていく。特需で景気は潤った。
 これに対し、同じアジアの民を見殺しにしていいのかという声が高まる。65年には市民団体の「ベトナムに平和を!市民連合」(ベ平連)が抗議デモを始め、60年安保闘争の後、沈静化していた学生たちも反戦の声を上げ始めた。
 67年10月8日には、佐藤栄作首相の南ベトナム訪問に反対した羽田抗議デモで、18歳の京大生、山崎博昭が死んだ。60年安保闘争の樺(かんば)美智子以来、反権力闘争における学生の2人目の犠牲者である。
 ヘルメット、石、角材が、闘争の武器として本格的に登場した闘争でもある。衝撃は大きく、これをきっかけに学生運動に入っていった人も多い。日大や東大など全国の大学で学生運動の嵐が吹き荒れることになる。
 翌68年には世界初の原子力空母エンタープライズの佐世保寄港、東京北区の王子野戦病院設置、成田空港建設などに反対する学生たちが大挙してそれぞれの現地に集結し、機動隊と衝突した。
 一連の運動を指揮したのは、日本共産党に反対する新左翼の諸党派で、各大学自治会の主導権を争った。
 その一派であるブントの学生組織の書記局が明治大の学生会館に置かれたこともあって、重信や遠山ら現思研メンバーは、ブントの指導を受けて学外の政治運動に関わっていく。
 この第二次ブントは京大や同志社大といった関西の学生が中心で、武力による世界革命を掲げており、のちの赤軍派につながっていく。
 政治運動といっても、重信と遠山は主に救援担当で、ヘルメットをかぶったり、ゲバ棒を振るったりしたことはなかったという。羽田事件のときは、けが人が大勢出たので、応急手当てをしたり、病院に運んだりした。


成田空港反対運動では地元農家に泊まって援農。後列左端が遠山美枝子さん、右が重信房子さん
 成田空港建設予定地の三里塚では、反対運動をしている地元農家に泊まって、学習会をしながら農業の手伝いもした。
 68年3月に全学連が反対同盟を支援する1万人近いデモ隊を組み、空港公団公社に突っ込む。このとき武器を用意するよう頼まれた重信と遠山は、社会人を装って、金網を切るための道具をコートの下に隠して成田まで運んでいる。
 王子の野戦病院反対集会では、ジグザグデモに機動隊が襲いかかってきて、路地に逃げこんだら、近くの民家の人が庭にかくまってくれた。「こんなところにベトナムからの傷病兵を連れ込む病院なんてまっぴらゴメンだわ。学生さんたち、がんばってね」と励まされたという。
 闘う学生たちをメディアは「暴徒」と決めつけたが、市民は好意的で、カンパを募るとヘルメットに千円札がポンポン投げ込まれた。悲惨な戦争を体験した大人たちが、学生の純粋な行動に共感したのだろう。
 外国でもスチューデントパワーが爆発し、68年5月、フランスで5月革命が起きる。ド・ゴール体制に反対する学生や労働者が機動隊と闘って、パリのカルティエラタンを解放区にした。


1969年1月18日、東大安田講堂の攻防に呼応して、明大通りで学生が乗用車などで道路を封鎖した
 日本でもやろうと、6月21日、中央大で開かれていた全学連総決起集会の参加者と明治大の現思研メンバーに、昼間部の学生らも加わって、校舎から机と椅子を持ちだし道路をふさいだ。クラクションを鳴らす車を横道に誘導、あっという間に御茶ノ水駅から駿河台下までの明大通りを解放区にした。
 機動隊が駆けつけてバリケードを壊す。すると、また積み上げ、道の敷石をはがして投げつけ、やじ馬も混じって解放区の中でデモ行進をした。夕方のラッシュ時。御茶ノ水駅で1時間近く電車が止まり、約20万人の足が乱れたと、翌日の新聞が報じている。
 パリの5月革命は労働者のゼネストと結合してド・ゴール政権を追い詰めた。一方、神田カルティエラタンはこののち何回も行われるが、解放区の中で「インターナショナル」を歌いながらデモをするだけに終わっている。
 参加者たちの思い出を読むと解放感が伝わってくる。若者たちにとっては、祝祭のようなできごとだったのだろう。重信と遠山にとっても最も充実した時期だったようだ。
 しかし、生活の中心が政治闘争になっていくと、会社勤めと学業の両立が難しくなり、2人とも会社を辞め、アルバイトや奨学金で学費を得ながら活動を継続している。それでも学業はおろそかにせず、重信は教師になるという子どもの頃からの夢に向って教育実習にも行き、69年の卒業後は政経学部に学士入学している。
 遠山はどうだったのか。服役中の重信からの手紙には次のようにあった。
 ―遠山さんも「卒業は絶対してね。社会科の先生に2人でなろうよ」と話していました―
 2人はそれぞれ、どこでどのようにして、その道から外れて行ったのか。(続く)
https://nordot.app/927076095154192384?c=39546741839462401


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「ふう、あなたが先に死ぬんだね」アラブにたつ日の涙 樺美智子につながる美質 重信房子と遠山美枝子(3)
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https://news.yahoo.co.jp/articles/67c4cda28ca5401405b0f5168c69e70f13a0e432

 半世紀前、赤軍派や赤軍派から分かれたグループが社会を揺るがす大事件を連続して起こした。重信房子と親友、遠山美枝子は、異なる立場でこれらの事件に関係し、遠山は短い生涯を断たれた。道が分かれるまでを追う。(敬称略、女性史研究者=江刺昭子)

   ×   ×   ×

 1970年3月、赤軍派の9人が日航機「よど号」をハイジャックして北朝鮮に渡った。

 71年末には赤軍派と革命左派(京浜安保共闘)が合体して連合赤軍になり、72年1月から2月にかけて、群馬県の山岳ベースで同志12人を殺した。死者の1人が遠山美枝子である。

 この事件を起こし、警察に追われた5人が長野県軽井沢の「あさま山荘」に立てこもり、銃撃戦の末、逮捕された。

 重信房子らが海外で結成した日本赤軍の3人が、イスラエル・テルアビブ空港で銃を乱射、約100人を死傷させたのが72年5月である。

 重信や遠山がそれまで、仲間たちとわいわい騒ぎながら立て看板を作り、デモで声を張り上げていた頃は、牧歌的な時代だったといえる。69年になると、闘争の質が変わる。機動隊との武闘が激化するとともに、組織内の暴力にも歯止めが失われていく。内ゲバである。

1970年4月、解放され「よど号」から次々と降りる乗客=韓国・金浦空港(共同)

 主張の違いを話し合って埋めていくのではなく、自説にこだわり、短絡的に暴力に走った。セクト間やセクト内の内ゲバで、100人以上が死んだとされる。革命の「敵」は権力なのに、なぜ革命を目指す者同士が殺し合うのか。理解不能に映るが、「支配の論理」が働いていると説明する人もいる。

 当時、2人が属したブント(共産主義者同盟)でも、より軍事性を強めたい関西グループと、主流派が対立した。2人は関西グループに誘われて、非公然活動に一歩踏み出す。

 69年1月は東大安田講堂占拠事件が社会を揺るがした。そして4月28日の沖縄返還闘争で大きな曲がり角を迎える。

 ブントは他のセクトと共に機動隊を突破して東京駅に向かい、線路を伝って新橋から銀座に出たが、鎮圧される。大勢の逮捕者を出した。

 この闘争で重信は、火炎ビンを運んだ疑いで初めて逮捕された。非公然活動に誘ったのは古参幹部、佐野茂樹だった。佐野は2020年1月に死去したが、佐野をしのぶ会に、重信はメッセージを送っている。

「ふりかえってみると、私を革命への道に導いたのは、佐野さんのあの4・28闘争の軍事委員会への参加の誘いだったと思います」。佐野が転機をつくったことが分かる。教師になる夢を諦めたのも、この頃である。

 佐野は60年安保闘争に斃れた樺(かんば)美智子と神戸高校の同級生。「樺が思いを寄せた人」といわれている。私は、樺の生涯を調べ『樺美智子、安保闘争に斃れた東大生』(河出文庫)をまとめる中で、そのことを知った。

 明治大の重信や遠山をブントにオルグ(組織)したのは佐野である。ひたむきさ、誠実さを共通の美質とする樺と遠山は、佐野を通じて時空を超えてつながっていた。

 4月の沖縄闘争の評価を巡って、ブント内部が割れる。「敗北」と位置づけて、新しい戦術を主張したのが関西グループだった。そして、69年7月6日に事件が起きる。

 早朝、関西グループが主流派の幹部を襲って大けがをさせる。そのあと、中央大のグループが関西グループの幹部を拉致して、4人を中央大の校舎に閉じ込めた。

明治大法学研究会の仲間と。前列左から2人目が遠山美枝子

 2週間後、4人が差し入れられたロープを使って脱出しようとしたが、1人が4階から転落して死ぬ。内ゲバによる初めての死者とされ、発端の日付から「7・6事件」と呼ばれている。

 重信と遠山も連絡役で事件に関わり、重信は「この時から、あれよあれよという間に(略)お互いに『深入り』することになりました」と振り返っている。

 関西グループは「赤軍派」を結成。9月5日、東京・日比谷野外音楽堂で開かれた全国全共闘結成大会に「ブント右派解体」を掲げ乱入した。ブントは分裂し、活動を共にしてきた者たちが赤軍派を選ぶかどうか、選択を迫られる。

 重信と遠山は赤軍派に加わり、彼女たちが所属した「現代思想研究会」約30人のうち10人も同じ道を選んだ。のちに多くの犠牲者を出すことになる。

 赤軍派は革命の道筋を次のように描いた。革命の前段階として武装蜂起する。そして海外の労働者国家に渡り、そこを根拠地にして世界革命を実現する―。壮大な夢だった。

 山梨県大菩薩峠で首相官邸占拠のための軍事訓練をしていた69年11月5日、警察に発見され、53人が逮捕された。壊滅的といわれたが、70年1月に開かれた政治集会には700人から800人が集まった。

 より過激な方針を出すほど人が集まる傾向があったという。

 この頃、遠山は赤軍派ナンバー2である高原浩之と結婚し、横浜市鶴見区のアパートで一緒に暮らしている。高原の秘書として、電話連絡や文書の作成などを手伝うとともに、彼の生活も支えた。

 遠山がのちに獄中の高原に宛てた手紙によると、秋には銃と爆弾で武装蜂起すると聞かされて、死を覚悟していたという。大菩薩峠の摘発で蜂起は不発に終わった。遠山は妊娠したが、活動を継続するために中絶している。

 70年6月、高原が「よど号ハイジャック事件」の共犯容疑で逮捕され、以後11年間、獄中生活を送ることになる。幹部がほとんど逮捕された赤軍派では、連合赤軍を主導することになる森恒夫が最高指導者に押し上げられた。

 重信は森と対立し、この頃は関西で海外根拠地を作る準備に専念し、遠山と顔を合わせることも少なくなっている。

 遠山は夫を塀の中に奪われ、重信とも会えない。それでも救援の責任者として、身柄拘束されている同志に歯ブラシやタオル、機関紙などを差し入れ、献身的に活動した。元活動家たちはいまも、遠山の行き届いた救援に感謝していると、口をそろえる。

 71年2月、重信は赤軍派を離脱して、アラブへ闘争の場を移した。旅立つ前、遠山は重信のアパートで荷造りを手伝いながら「ふうが先に死ぬんだね」と言って涙をぽろぽろこぼした。「ふう」は重信房子の愛称である。

 そして「どんなに大変でも、お互い闘い続けようね」と確認しあった。そのことが遠山を前のめりにさせたのではないかと、重信は後悔することになる。

 永遠の別れを詠んだ重信の歌を引く。

<「ふう、あなたが先に死ぬんだね」羽田で見送る君は泣き虫>


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重信房子と遠山美枝子(4)純粋な若者たちを追い込んだものは何か 「兵士として徹底的に自己改造する」と山へ 
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https://news.yahoo.co.jp/articles/96b535de19c147b8f84a5672c221bf82ab74a8a2

連合赤軍メンバーの遺体が埋められていた森林=1972年3月10日、群馬県白沢村

 1971年2月末、重信房子は日本を去り、パレスチナに向かう。日本に残った親友・遠山美枝子はそれから1年足らずの1972年1月7日、群馬県榛名山で絶命した。遠山はなぜ山に入ったのか。(敬称略、女性史研究者=江刺昭子)

×   ×   ×

 70年3月のよど号ハイジャック事件のあと、重信と遠山の属する赤軍派の指導部は「PBM作戦」を指示している。

 P(ペガサス作戦)は要人を人質にして獄中の指導者を奪還し、中国に亡命して革命の根拠地とする。B(ブロンコ作戦)は、日米の政治中枢である霞ケ関とペンタゴン(米・国防総省)を占拠する同時多発テロ。M(マフィア作戦)は、金融機関を襲って革命資金を調達するというものだ。

 だが、実行できたのはM作戦だけだった。千葉、横浜などの郵便局や銀行支店を襲撃、計500万円以上を奪取した。

 過激な作戦についていけず、組織を離れていく者が続出する中で、遠山は赤軍派創設当初からのメンバーであり、最高幹部高原浩之の妻である。上下関係の規律の厳しい集団の中で、後輩の活動家からは、仰ぎ見るような存在になっている。

遠山美枝子。サークルの合宿で

 夫の高原は遠山を「思いつめたらそこから逃れられないタイプだった」と言う。組織が弱体化すればするほど、自分が頑張らねばと前を向いている。

 もともとは、警察署や拘置所をまわって逮捕された人に差し入れなどをする「救援」の責任者だったが、オルグ(組織拡大)や資金集めといった仕事も任されるようになっていく。

 横浜の実家にはめったに帰らず、友人の家を泊まり歩き、私服刑事の尾行がつくようになった。この頃、久しぶりに会った知人は、遠山の変化を見て取っている。

 「(学生運動の頃は)小柄で、お嬢さんタイプの子だったけれども、このとき会った彼女には、そんな弱いイメージはどこにもなく」「表情は厳しく、毅然(きぜん)としており、すっかり一人前の闘士に成長していた」

 一方、レバノンで活動する重信のもとには、パレスチナ解放のために闘うゲリラを描いた映画を撮りたいと、映画監督の若松孝二と足立正生が訪れている。


完成した「赤軍―PFLP世界戦争宣言」には重信のインタビュー映像が使われ、71年秋から日本全国の大学や公民館で自主上映された。車体を赤く塗ったバスで移動しながらの上映運動で、遠山はその手伝いもしている。

 逮捕者や離脱者が相次ぎ、戦力の衰えを自覚する赤軍派指導部は、政治路線の異なる革命左派(京浜安保共闘)との合同を模索する。革命左派は略称で、日本共産党革命左派神奈川県委員会といい、毛沢東思想を信奉して武装闘争を展開。獄中の幹部を奪還するために、71年2月には栃木県真岡の銃砲店を襲い猟銃や銃弾を奪った。

 M作戦で資金は得たが武器がない赤軍派と、武器はあるが金がない革命左派の軍事組織が合体して連合赤軍になったのは71年末。赤軍派は森恒夫、革命左派は永田洋子(ひろこ)がリーダーだった。

 榛名山にアジト(山岳ベース)を築いて合宿し、軍事訓練をした。訓練の目標は「兵士の共産化」「銃による殲滅(せんめつ)戦」である。

永田洋子

 赤軍派から山に入った兵士のうち、女性は遠山だけだった。山に入る直前、彼女は獄中の夫に手紙を出し、それが遺稿となる。自らの闘争の過程に高原との関係を重ね合わせ、未来を切り開こうとする意志的な内容だった。

 「赤軍女性兵士として、内実を伴う兵士として、徹底的に自己改造していく方向が問われている」「赤軍兵士として未だ不充分な私であるが、(略)自分の核心を持ちえる主体としてかかわっていきたいと思っているし、全力でがんばっていきます」

 赤軍派の後輩活動家の数人から、遠山に一緒に山に行こうと誘われたが断ったと聞いた。このことからも、遠山が危険を予感していなかったことが分かる。

 兵士として自己改造するつもりで行った場所で、「総括」と呼ばれる厳しい自己批判を要求され、最後には殺されるとは思ってもみなかっただろう。山に入ってから逃げ出した者もいるのに、遠山はなぜ引き返さなかったのか。

 50年もたっているけれど、遠山の夫だった高原に聞かずにはいられなかった。赤軍派の最高指導者としてPBM作戦を指示している。無謀な計画ではなかったか。

「僕自身、首相官邸占拠なんてできっこないと思っている。だけど引くに引けないんだ。前に進むしかないんだ」

 遠山の山岳ベース行きを察知していた。なぜ止めなかったのか。

 「そういう政治路線を共有して一緒になった以上、お互いにやめようと言えない。やめると言ったら離婚することになるから」

 走り始めたら止まれない、引き返せない。歴史をひもとけば、いつの時代にも、多くの組織で起きたことだ。世界に目をやれば、その悲劇はこの瞬間も繰り返されている。

 山岳ベース事件は、むごたらしいリンチや閉ざされた空間での異常心理が、興味本位に語られがちだ。だから事件から目を背ける人が多い。当事者は事件を封印して語りたがらない。

 しかし、遠山がそうであったように、いまもどこにでもいる若者たちが引き起こしたことだ。戦争に反対し、社会の不公正をなくしたい。真っすぐにそう望んだ若者たちが暴走した。

 純粋な若者たちをなぜ失わねばならなかったのか、考え続けなければならない。

 重信は痛切な思いで後悔し続けている。「私と一緒に遠山さんがいたら、絶対に行かなかった」「なぜ遠山さんをベイルートに呼ばなかったのか」(筆者の質問に対する獄中からの返信)

 2019年3月、遠山の命日に墓前にささげられた重信の「三月哀歌」から2首を引く。

 <抉られて鷲摑まれて千切れる胸 遠山美枝子あなたの死を聴く>

 <底無しの哀しみ怒り 三月の咆哮鎮める地中海は青>

 榛名山の軍事訓練には、途中で逃亡した者を含め29人が参加、約2カ月の間に12人が殺害された。(続く)


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女を後ろに下がらせる組織にあらがう「私たちが新しい世の中を作る」と最後の言葉 重信房子と遠山美枝子(5)
2022/8/14
© 一般社団法人共同通信社
https://nordot.app/927094450091245568?c=39546741839462401


遠山美枝子さん(左)と重信房子さん。1967年ごろとみられる

 6月18日、東京目黒区中小企業センターホールで「あさま山荘から50年 シンポジウム 多様な視点から考える連合赤軍」が開かれ、連合赤軍の当事者や研究者、ジャーナリストらが登壇して語り合った。主催した「連合赤軍事件の全体像を残す会」は、こうしたシンポを開催したり、関係者の証言を書籍にしたりして、連合赤軍を問い続けている。今回も「多様な視点」で考え、次世代にも伝えようと試みた。
 しかし、事件を語るときほとんど欠落してきたのが、ジェンダーの視点だと思う。(敬称略、女性史研究者=江刺昭子)
   ×   ×   ×
 連合赤軍は、赤軍派と革命左派(京浜安保共闘)が合同した組織だ。あさま山荘事件に先行する群馬県榛名山の山岳ベース事件では、リンチを受けて12人が殺されている。そのうち女性は、赤軍派では遠山美枝子1人だが、革命左派では2人が犠牲になった。


連合赤軍5人がろう城した「あさま山荘」。ベランダには畳でバリケードが築かれている=1972年2月21日、長野県軽井沢町
 途中で逃げ出した人を含めると革命左派にはさらに7人の女性兵士がいた。事件を考えるとき「女性と革命」あるいは「女性と暴力」といったキーワードも必要なのではないか。
 60年代の学生運動は、政治路線に違いはあっても、どの党派も過激な実力闘争に傾いた。そのため体力や腕力に劣る女性は、救援や連絡、炊き出しやガリ版刷りといった補助的な活動にまわされ、性別役割分担が固定した。
 とりわけ軍事性の強かった赤軍派には、女性メンバー自体が少なく、徹底した男性優位集団だった。最盛期には全国で40人から50人ぐらいの女性が活動したとされるが、多くは男性活動家の友人や恋人だったようだ。
 固有名詞で語られるのは重信と遠山だけ。その遠山でさえ、組織のナンバー2だった夫の活動と暮らしを支え、警察に勾留された同志たちの救援に走りまわっている。遠山はその不当さに気付き、男と同等の兵士を目指して山に入り、帰ってこなかった。
 重信は男性による党派の支配を、遠山とは違ったやり方で乗り越えようとしていた。筆者の質問に対する獄中からの返信で次のように述べている。
 ―「女性を軍に加えろ」「女性に補助的なことしかさせないのは差別だ」と女性から「反乱的意見」があり、私は中央委委員会にその声を提起したことがありますが、「なまいきやな」の一言です。(中略)それで女性たちにも、とにかく持ち場でしっかり実力を示すことで、男たちの無能力を超えよう、女性を活用せざるを得ないようにしようよ、と訴えました―


昼のワイドショーに出演した出演した重信房子さん
 男性並みを目指すのではなく、女性役割を受け止めながら、それを着実に果たすことで、党派の中で確かな位置を占める。そんな戦略を描いている。しかし、そのことを悔いてもいる。
 ―でも連赤事件を経て、私が日本に居た時に、赤軍派の中の女性蔑視(特別視や軽視)を正さなかった(正しきれなかった)ことが森さんら赤軍派の人たちの考えが是として続いてきたことを「遠山問題」で強く反省させられました―
 「遠山問題」とは、山岳ベースでの遠山への過酷な追及と殺害を指すだろう。

 学生運動で女性が補助的な役割を担わされていることに違和感を持ち、批判を強めた女たちが女性解放に向けて動いたのが、ウーマンリブである。70年に「便所からの開放」を書いた田中美津はその創始者とされる。
 田中について拙著『私だったかもしれない ある赤軍派女性兵士の25年』で「重信や遠山との接点はなかったようだ」と書いたが、出版後「2人に会ったことがある」と訂正を求められた。映画評論家の松田政男の事務所で、2人と何度かすれ違ったそうだ。
 田中は重信について「独特の存在感があって、普通の人の10倍も20倍も自己肯定感のある人、お父さんに肯定されて育ったのがよかったんでしょうね」と話した。遠山のことは、笑顔のないきつい人という印象を持ったそうだ。
 赤軍派の男たちについても次のように話してくれた。
 赤軍派が結成される頃、田中は反戦グループを作って活動していたことから、友人に頼まれて赤軍派の男を家に泊めたことがあった。するとOKも出していないのに、赤軍派の男たちが出入りするようになった。「世界同時革命なんて立派な言葉に酔っているみたいだったけど、私はそういう頭で考えた言葉ではなく、自分の体験から言葉を紡ぎ出している」。だから彼らに同調することはなかった―
 田中はまた、連合赤軍の結成直前、革命左派の永田洋子(ひろこ)に誘われ、興味本位で山岳ベースにも出かけたが、1泊しただけで下山した。こう振り返る。
 「連合赤軍の人たちは、みな禁欲的で、毅然(きぜん)として生きたいと思っている。私は毅然としていたいと思うと同時に、1歳でも若くみられたいというミーハーな部分も持っているので、革命運動とは一線を画していた。だから命をとられずにすんだのだと思う」
 遠山は山岳ベースに入る直前、遺稿となった夫への手紙で「赤軍女性兵士として、内実を伴う兵士として、徹底的に自己改造していく方向が問われている」と伝えている。
 筆者は一昨年『樺美智子、安保闘争に斃れた東大生』を出版し、60年安保における唯一の死者、樺の生涯をたどった。遠山の遺稿を読んで、樺の最期の日を思い起こした。


亡くなる数時間前、デモ行進する樺美智子
 デモ隊のリーダーが、女子学生は後ろに下がり、男子のかばんを預かるように指示する。樺は反発し「せめてスラックスをはいた人間だけは例外にして」と頼み込んだ―。
 最も重要な闘いの場面において、女性を後方に下がらせようとする組織で、遠山も樺も差別的扱いを拒否し、前線に立つことを望んだ。そして帰らぬ人となった。
 重信は海外でも獄中でも厳しい日々を生きながら、みずみずしい感性と社会変革への意思を失わず、出所に合わせて著書や歌集を出版している。出所後、支援者たちが開いた歓迎会では、元活動家らが重信の社会復帰を心から祝い、宴は5時間にも及んだ。
 遠山については、交流のあった人たちの回想を書き記しておきたい。
 


遠山美枝子さん。サークルの合宿で
「出しゃっばったり、騒がしい人ではないが、しっかりした人だよ。重信と双璧よ」
 「私たちはドンパチドンパチやっていられたが、遠山さんは裏方でこまごまとした活動で、救対で苦労された。強いかたで、ついつい日和ろうとする私なんかを叱咤(しった)激励することが再三ありました」
 「ビラまきをしていたとき会ったのが最後です。遠山さんは大人で物静かな人、軽やかな話し方をする人で、ちょっとあか抜けたかた」
 「山に行く前、会いました。『わたしたちが新しい世の中を作るから見ててね』と言われたのが、今も忘れられません。これが最後の会話です。美枝子が見ていた世界を作り上げていかなければいけないなと、僕は今でも思っています」(終わり)

https://nordot.app/927094450091245568?c=39546741839462401
12:777 :

2022/08/14 (Sun) 08:53:51


「重信房子は自分の『女』を利用する」日本赤軍元リーダーが「魔女」と呼ばれた理由
8/13https://news.yahoo.co.jp/articles/10342ecc89511dcc4bf7db520c5e099fb19d52c8

 謎多き「魔女」の素顔に迫る――。東京新聞論説委員兼編集委員の田原牧氏による「『私党』重信房子と日本赤軍」(「文藝春秋」2022年8月号)を一部転載します。

【画像】男たちは彼女の催眠術にかかった
https://bunshun.jp/articles/photo/55721?utm_source=news.yahoo.co.jp&utm_medium=referral&utm_campaign=partnerLink&pn=2


◆◆◆

 指定された部屋をノックすると、開かれた扉の向こうに彼女が立っていた。だぶっとした黒いタートルネックのセーターにツイードのコート。髪はゆるくパーマをかけていたような記憶がある。レバノンのベカー高原にあったアパートの一室。あのころ、レバノンはまだ内戦下にあった。

 5月28日、懲役20年の刑期を満了し、東日本成人矯正医療センター(東京都昭島市)から一人の女性が出所した。日本赤軍のリーダーだった重信房子(76)である。

 オランダ・ハーグでのフランス大使館占拠事件(1974年)で国際指名手配中の2000年11月、潜伏先の大阪府高槻市内で逮捕された。それから21年半。獄中で4回にわたる手術で9つの癌を摘出しながら、生き抜いて自由の身となった。

 出所には数十人の支援者やメディア関係者らが駆けつけ、近くの公園で会見が開かれた。彼女の背後には「WE♥FUSAKO」の横断幕が広げられ、報道陣から母親を守るように一人娘のメイが寄り添った。

 テレビ画面からは、帽子に遮られて顔がよく見えなかったが、流れてきたハスキーボイスは昔と変わっていなかった。

「かつてのあり方を反省し、かつ、日本をより良く変えたいという願いと共に謝罪の思いを、私自身の今日の再出発に据えていく所存です」「社会に戻り、市民の一人として、過去の教訓を胸に微力ながら何か貢献したいという思いはありますが、能力的にも肉体的にも私に出来ることは、ありません」

 記者たちに配られた彼女の「再出発にあたって」という挨拶文にはそうある。集まった記者たちの多くは娘よりも若い世代で、映像からははしゃいだ雰囲気が伝わってきた。

 それから一週間後、彼女が通った明治大学駿河台校舎(東京都千代田区)近くのお好み焼き屋で、1960年代をともにした約30人の活動家仲間たちが歓迎会を開いた。「彼女は少しだけビールを啜っていた。顔色は良かった。話といっても、お互い年取ったなあなんてことばかり」。参加した一人はそう笑った。

 支援者や旧友に囲まれた穏やかな時間が流れている。長い異国での活動と獄中生活から生還したのだから当然だろう。それでも、何かが欠けている。忘れ物とでもいうべきか。

 彼女の口からは亡くなったり、いまも獄中にいる元同志たちへの言及がなかった。有期刑だった重信と違い、そのうち二人は無期刑で服役している。ひと昔前と違い、現在の無期はほぼ「死ぬまで」を意味する。解散前から日本赤軍と袂を分かっていたとはいえ、彼らは「兵士」で、彼女は「司令官」だった。

 日本の市民社会に戻った元兵士たちの多くは姿を現さず、距離を置いて沈黙していた。日本赤軍の指導者。彼女の名を世に知らしめた、その最大の事実を出所の喧噪はかき消しているかのように見えた

天性の人たらし。その才能はオルグでも生かされた
 重信が日本赤軍を率いるようになるまでの足跡については、彼女自身の手記や評伝などでたびたび紹介されている。

 敗戦の年に、東京都世田谷区で四人きょうだいの次女として生まれた。父は戦前、井上日召が主導した右翼団体「血盟団」とつながりを持つ人物で、食料品店などを営んでいたが、その高潔な性格からか商売っ気はなく、家計は厳しかったという。重信は幼少時から文学少女だった半面、高校時代には渋谷で不良を装い、高校卒業後はキッコーマンに就職した。19歳で教員を目指し、明大文学部の二部に入学する。

 入学と前後して学費闘争での学生処分に抗議する闘いに共感し、それを契機に学生運動に加わる。所属セクトは当時、三派全学連(新左翼系)の一翼を担った共産主義者同盟(ブント)だった。

 数年後、ベトナム反戦・全共闘運動が全国を席巻したが、1969年1月の東大安田講堂「落城」を機に運動は退潮に向かう。運動の行き詰まりからブントは分裂し、彼女は赤軍派に属することになった。

「重信の役回りは秘書。当時の赤軍派は塩見(孝也、議長)、田宮(高麿、後の「よど号」グループリーダー)、堂山(道生)の3人を中心に回っていて、重信は堂山さんの秘書だった」。当時を知る元赤軍派メンバーの一人はそう振り返った。

「頼れる人という印象だった。カネがなくてね。窮地になると、彼女がどこからかカネを引っ張ってきた。大島渚(映画監督)や松田政男(映画評論家)も彼女の大ファンで、新宿にあった『ユニコーン』という店で一緒によく飲んでいた」

 天性の人たらし。彼女をそう評する人は少なくない。その才能はオルグでも生かされた。「当時、隆盛だった『リブ』に加わるようなタイプじゃない。逆だね。重信は自分の『女』を利用する。だから『魔女』とも呼ばれた。時代もそんな振る舞いを後押ししていた」。後年、何人かの男たちが「オレこそが重信の本命の恋人」と吹聴していた。催眠術から抜けきれなかったのだろう。

大菩薩峠からパレスチナへ
 学生デモは素手からヘルメットとゲバ棒へ。それはすぐに火炎瓶と鉄パイプに取って代わられたが、警察力の増強はそれを上回った。軍事的な突破を果たすべく、赤軍派は「前段階武装蜂起」を掲げる。だが、その準備段階の訓練で壊滅的な弾圧(大菩薩峠事件)を受ける。

 前出の元赤軍派メンバーはこう続けた。「赤軍派の国際根拠地論はそんな苦境からひねり出した方針だった。海外の革命国家で訓練を受け、日本に戻ってくる。最有力の候補地はキューバ。一握りの集団で革命を成就したんで、自分たちの姿と重ねた。キューバから戦艦で帰ってくるなんて話もあった。ただ、接触したキューバ大使館からは『空想的すぎる』と一蹴されたな」

 それでも赤軍派はこの路線に従って、1970年3月に「よど号」ハイジャック事件を起こす。だが、直前に議長の塩見は逮捕され、他の幹部も逮捕、脱落が相次いだ。

 残されたのは後の連合赤軍事件で中心人物となる森恒夫、重信ら準幹部だけだった。森は国内の武装闘争に舵を切ったが、重信は国際根拠地路線の継続を選び、袂を分かつ。

 選んだ行き先はパレスチナだった。なぜ、パレスチナだったのか。当時、『世界革命運動情報』誌の発行に携わっていた松田政男は生前、「オレの影響だ」と話していたが、経緯は定かではない。

 ただ、同伴者はすでに赤軍派にはいなかった。白羽の矢が立ったのが、京大全共闘出身の奥平剛士だった。奥平は当時、京大助手の滝田修(竹本信弘)らをイデオローグとした「京都パルチザン」の一員だった。奥平は重信からの提案を承諾。警察からマークされていた重信の改名目的で、二人は婚姻届を出している。

アラブ諸国の元首クラスと会える立場に
 偶然、目の前に転がってきたボールを拾うのか、他人の物と黙って通り過ぎるのか。それが運命の分かれ道になることがある。

 重信に「国際テロリスト」の肩書きを与えたのが、1972年5月にイスラエルのロッド国際空港で起きた「リッダ闘争(テルアビブ空港銃撃戦事件)」である。奥平を含む日本人青年三人が治安当局と銃撃戦を展開し、巻き添えになった観光客ら計26人が亡くなった。

 奥平は射殺され、京大生の安田安之は手榴弾で自爆したが、鹿児島大生の岡本公三は拘束(現在はレバノンに亡命中)された。

 日本赤軍の看板として語り継がれる事件だが、重信にとっては「転がってきたボール」だった。なぜなら、この事件への重信や赤軍派の関与はないに等しかったからだ。

 どういうことか。1971年の冬、パレスチナ勢力の拠点だったレバノンの首都ベイルートに渡った奥平と重信は、左派組織PFLP(パレスチナ解放人民戦線)の門を叩く。奥平はハイジャック作戦などを遂行していた非公然の海外作戦部局に、重信は広報部門に振り分けられる。奥平は訓練を受け、PFLPと決死作戦の立案、準備に入っていく。

 奥平は出国直前、重信の要望で赤軍派に名義を貸した。だが、それは形式にすぎず、この作戦でも呼び寄せたのは京都パルチザンの仲間たちだった。パルチザンは全共闘の生き残りで、赤軍派も含めた前衛党主義と一線を画すアナーキーな集団だった。彼らは労働と闘争をともにする無数の小集団(5人組)を基礎にした革命を夢想していた。

 リッダ闘争はその国際版で、無名の国際義勇兵の作戦として策定された。それゆえ、声明文を用意せず、安田に至っては身元を隠すため、自らの顔を吹き飛ばしている。

 京都パルチザンの一人で当時、現地で作戦準備に携わった檜森孝雄(2002年に焼身自殺)は遺稿などをまとめた『水平線の向こうに』で「(奥平が)赤軍派の路線やスローガンを口にしたことは一回もなく」と述懐している。同時期に連合赤軍事件で拘束されていた青砥幹夫も事件の一報を聞き、「赤軍派の匂いがしないと思った」と語っている。

 作戦が極秘で進められる中、当時の重信は映画監督の若松孝二や足立正生が企画したパレスチナ闘争の宣伝映画の制作に協力したり、ベイルートの日本人社会ではアイドル的な存在になっていた。娘を懐妊したのもリッダ闘争が実行されたころである。奥平らと重信の間には、その日常のみならず、精神面でも大きな隔たりがあったと推察される。

 やがて作戦は遂行された。欧米諸国や日本の非難とは対照的に、アラブ諸国は絶賛した。だが、アクシデントが起きた。岡本の拘束である。「無名」の構想が崩れた。

 足元にボールが転がってきた。実行者たちの遺志を尊重するのか、赤軍派の作戦と宣伝するのか。重信は後者を選んだ。後に彼女はPFLP幹部の助言に従ったと説明したが、その人物はすでに亡くなっている。

 アラブ民衆の歓喜の熱狂に魅惑されたのだろうか。この事件は彼女に特別な地位を授けた。リッダ闘争という錦の御旗が彼女をアラブ諸国の元首クラスとも会える立場に押し上げたのである。1個のボールが一介の女性活動家に魔力を与えた。


「彼女は理論家じゃない」
「日本赤軍は共産同赤軍派の延長線上に見られがちだが、全くの別物。思想も理論も赤軍派とは違う。日本赤軍は重信が創った党。ただ、彼女は理論家じゃない。理論や思想ではなく、彼女の何かに吸い寄せられた集団だ」。すでに他界した元赤軍派幹部は生前、そう言い切った。

 リッダ闘争直後、「アラブ赤軍(後の日本赤軍)」として犯行声明は出したものの、その組織実体は乏しく、残っていたのは重信と事件で帰国できなくなった京都パルチザン系活動家の丸岡修(2011年に日本で獄死)だけだった。

 しかし、次第に雑多な人びとが集まってくる。重信らが渡航する以前から難民キャンプでボランティアをしていた医療関係者ら、欧州で脱走米兵の亡命援助をしていた旧ベ平連系の知識人ら、若松プロの宣伝映画「赤軍―PFLP世界戦争宣言」の上映隊グループなどである。

 そして、日本赤軍は1973年7月の日航ジャンボ機乗っ取り事件(ドバイ事件)を皮切りに、シンガポール製油所襲撃事件(74年1月)、ハーグ・フランス大使館占拠事件(74年9月)、クアラルンプール米大使館領事部、スウェーデン大使館占拠事件(75年8月)、ダッカ日航機乗っ取り事件(77年9月)と、立て続けに作戦を展開していく。クアラルンプールの事件では五人、ダッカの事件では6人が日本の獄中から超法規的措置で釈放され、組織に合流した。

 重信はヒロインだった。屈指の国際テロ組織のリーダーと叩かれる一方、1970年代から80年代にかけて、日本から竹中労や中山千夏、立花隆をはじめ、数多くの著名人や活動家らが彼女との面会を求めて渡航している。中国での27年間の幽閉後、1980年に帰国した元共産党政治局員、伊藤律も渡航を望みつつ、彼女と文通した一人だった。新左翼党派の派遣団や巷の不良少年までが海を渡った。

なぜ、人びとはこれほど日本赤軍に魅せられたのか
 なぜ、人びとはこれほど重信や日本赤軍に魅せられたのか。なにより彼女の「人たらし」という天賦の才覚が人びとを誘った。

 アジビラ調の文言が並びがちな新左翼の文書の中で、彼女が書く日本赤軍のそれは特異だった。1973年11月に発表された「アラブよりの招請状」には「やくざで底抜けにやさしかった多くの仲間たち、どうしていますか? キャンパスは、あたたまっていますか?」「街角は私たちの(出会いの)ために待機していることでしょう」とある。

 こうした言葉に誘われ、海を渡った人は少なくない。渡った先で「ちょっと前に、あなたが来る夢を見た」と告げられた人もいた。日本のシンパらへの手紙には、ベカー高原の草花を押し花にした手製のしおりが添えられていた。

 時代背景もあった。そのころには「叛乱の季節」は終わり、新左翼運動は100人以上の若者が落命した陰惨な内ゲバの陥穽にはまっていた。

 そうした中で「口先でいくらマルクス・レーニン主義をいおうと、団結しえず、分裂や内ゲバをくりかえすのは、その根拠に敵階級の思想を反映した立場があるからです」(『団結をめざして―日本赤軍の総括』)と断罪する日本赤軍は運動圏の希望の灯だった。

「(私たちは)死を覚悟することによって日和らない自己を確立するという程度の決意主義を根深くもっていました」(同)。こうした凄みが、ますます彼女と組織を神格化した。

私の目の前に現れた小柄な女性
 ノンセクト活動家だった学生時代、老舗の新左翼党派にキャンパスを追われた経験のあった筆者も1980年代半ば、彼らの言葉に惹かれて渡航した一人である。

 PFLPを介し、ベカー高原のアパートで彼女と対面した。最初、目の前に現れた小柄な彼女に「すみません。重信さんはどこですか?」と尋ねてしまった。勝手に膨らませていたイメージが、彼女を大柄な人と思い込ませていた。

「私たちのころは学生運動をしていないとモテなかったけど、いまみたいな時代にどうして活動なんかしてたの?」。打ち解けた語り口に戸惑った。その後、筆者が大学の後輩だったことで「『味一(大学近くにあったラーメン屋)』のおばさんは元気?」と聞かれた。

「私たちは理論家がいない分、現実から始められた」「銃を扱うほど銃への幻想がなくなり、非暴力に近づける」「日本の豊かさって消費させられているだけではないの?」。そんな言葉を記憶している。最後に「あなたを『一本釣り』する気なんてない。日本で何とか頑張って。私たちは支援する側よ」と言われ、数時間の会話は終わった。帰り際、アラブの工芸品である寄木細工の宝石箱を手渡された。

 彼女との面会はフランクな空気に包まれていた。ただ、小さな違和感があった。それは彼女の傍らにいたメンバーらしき男性の振る舞いだった。まるで執事のように無言で恭しく彼女にかしずいていた。

 その違和は20年近く経った後に氷解する。組織内には筆者が感じた優しげなイメージとは対照的な現実が潜んでいた。(文中敬称略)



 東京新聞論説委員兼編集委員の田原牧氏の「『私党』重信房子と日本赤軍」は、「文藝春秋」2022年8月号と「 文藝春秋digital 」に掲載されています。

田原 牧/文藝春秋 2022年8月号
13:777 :

2022/08/25 (Thu) 05:32:19

2016-06-22
永田洋子と重信房子のふたりの呪いと日本人の共産主義嫌悪

日本共産党と言えば、1946年に「日本の解放と民主的変革を、平和の手段によって達成しうると考えるのはまちがいである」という「51年綱領」で次々と暴力的破壊行為を繰り広げた狂気の政党であるのを知らない人は減った。

さらに日本共産党と言えば、すぐに「連合赤軍」を想い出す人もいる。高齢者の中には、1971年の「あさま山荘事件」の衝撃を今も鮮明に覚えている人が多い。

あさま山荘事件の凄絶な暴力が映像として残っているが、その後、次々と明らかになった「総括」と称する凄絶な殺戮に世間は息を飲んだ。

この連合赤軍は、日本共産党と共産主義者同盟赤軍派が合体したテロ組織だった。最高幹部のは永田洋子(ながた・ひろこ)という気味が悪い女で、後にこの女が凄惨なリンチ事件の首謀者だったことが分かる。

殺されたのは12人で、全員が20代だった。遺体は激しい暴行を受けた痕があって、男か女かも見分けがつかないほどだった。永田洋子はこの連合赤軍の幹部であり、「総括」を主導したひとりだった。

意見の違う仲間を「総括」と称してリンチしていた

永田洋子は、大学に入った頃から共産主義の思想にかぶれていき、その後は日本共産党の神奈川県委員会のメンバーとなった人物である。

1970年に最高指導者となって、1971年に共産主義者同盟赤軍派と連携して「連合赤軍」を結成した。

もっとも、この連合赤軍は何かの活動をしていたわけではなく、警察に追われて逃げ回って意見の違う仲間を「総括」と称して、次々とリンチにかけて殺していただけの呆れた共産主義的殺人集団である。

「総括」というのは、共産主義ではよく使われる言葉だ。今でも使われている。

「総括」し、「自己批判」するというのは、革命において自分のやった行為を分析し、それに対して自分のミスや失敗があった場合、それを公の場で自分自身を批判するということだ。

中国共産党でもカンボジア・ポルポト政権の内部でも、体制批判者には「自己批判せよ」という激しい言葉が飛び交う世界であったことは歴史に残っている。

やがて「総括」や「自己批判」という言葉は、それぞれの国で、誰かを吊るし上げる道具となって先鋭化していくものになった。

これが共産主義というグループの特徴だ。異論を認めず、異論を出した人間は仲間であれ何であれ、徹底的に弾圧する。

中国の文化革命の中では四人組(江青、張春橋、姚文元、王洪文)ら文革派が、批判者を片っ端から自己批判させて公衆の前に引き回していた。

カンボジアでも、クメール・ルージュ(カンボジア共産党)内部でイエン・サリとポル・ポトと対立する幹部が片っ端から自己批判を強制されて殺されていった。いや、殺されたという表現は違う。

薄気味悪い左翼用語では、これを「粛清」と表現する。

連合赤軍でも同様だった。左翼闘争の中であちこちの組織が集合して1971年に最終的に連合赤軍という組織になると、そこでいくつもの暴力事件が起こされて、それについて「総括」がなされ「粛清」がなされた。


永田洋子。連合赤軍幹部で、あさま山荘事件でリンチを主導した女。2011年2月5日に刑務所で死亡。


「腹を引き裂いて子供を引きずり出そうかどうか」

「総括」も「粛清」も共産主義の伝統だ。

自分に敵対する人間は決して許さない。共産党には民主的な空気はない。指導者は自分の政敵となる人間は物理的に始末する。それが共産主義の文化なのだ。

たとえば、ソビエト社会主義共和国連邦のヨシフ・スターリンは少しでも自分に敵対する人間を片っ端から「粛清」と称して殺していった殺人鬼だった。

1953年にスターリンが死ぬまで、高級幹部はことごとく銃殺されていった。

このヨシフ・スターリンの行った「大粛清」は100万人以上にも及んだと言われている。そのため「ヨシフ」という名前は、世界では愚鈍な殺人狂か、馬鹿の象徴でもある。

共産主義の総本山だったソビエト連邦でこれだから、日本の共産主義者が仲間を粛清したとしても何ら驚きはない。

連合赤軍でも、指導者である永田洋子や森恒夫を批判したり敵対したり逃亡したりした人間は、次々とリンチにかけられて殺されていった。

それは自己批判した人間を縛りつけ、集団で殴りつけ、裸にして外に放り出すというものであった。凍死したら穴を掘って埋め、逃げたら捕まえて「総括」する。

「総括」して「自己批判」して「内ゲバ」して「粛清」する。

妊娠8ヶ月の女性の仲間もめちゃめちゃに殴りつけ、永田洋子は腫れ上がって変形した顔をわざわざ鏡で本人に見せたという。

彼女が死んだ時に議論になったのは、「腹を引き裂いて子供を引きずり出そうかどうか」ということだった。

それに何の意味があって、なぜ議論になるのか一般人には分からないが、共産主義者には大切なことだったのだろう。

内ゲバを主導していた森恒夫は刑務所で正気になったのか、これを「狂気」と表現し、1973年1月1日に東京拘置所で自殺している。

「あの時、ああいう行動をとったのは一種の狂気であり自分が狂気の世界にいたことは事実だ。 私は亡き同志、他のメンバーに対し、死をもって償わなければならない」

連合赤軍の元最高幹部だった永田洋子が死んだのは2011年2月5日だった。この女は最期まで死ぬのを怖がって、頭がおかしくなって肺炎で死んだ。

日本人の誰もが左翼にも革命にも嫌悪

1960年後半の新聞を拾い読みしていくと、このような左翼革命派の極端な事件は連日のように報道されていて、それが何年も続いているのに気がつく。

永田洋子は国内に残った赤軍だが、「日本赤軍」の重信房子(しげのぶ・ふさこ)は海外に出ている。拠点はパレスチナである。

偽装結婚した奥平剛士は1972年5月に計100人を無差別殺戮した「ロッド空港乱射事件(テルアビブ空港乱射事件)」の犯人であるのはよく知られている。

この空港乱射事件は国際的にも激しい批判にさらされることになったが、日本人の衝撃もまた激しかった。

何しろ、日本人が世界からテロリスト扱いされることになったのである。

当時の日本は高度成長を享受して、もうほとんどの国民が馬鹿げた共産主義革命よりも物質的満足の追求に走っていた。いい迷惑だったことだろう。

日本において共産主義が決定的に嫌悪されるようになっていったのは、この永田洋子と重信房子という二人の女性が関わった事件が原因だと言える。

1970年前半には、もう日本人の誰もが共産主義にも共産党にも革命にも嫌悪していたはずだ。

政府批判のデモ、暴力デモ、民衆暴力による政権打倒、といういわゆる「政治闘争」は、年配者になればなるほど拒絶感も嫌悪感も強く持っている。


リンチだとか、ヨシフだとか、共産党だとか、そんな世界を聞いたら、そこからは離れた方がいい。ろくな結果にならないからである。


重信房子。日本赤軍幹部。日本において共産主義が決定的に嫌悪されるようになっていったのは、この永田洋子と重信房子という二人の女性が関わった事件が原因だと言える。
http://www.bllackz.com/?m=c&c=20110210T2051000900
14:777 :

2022/08/25 (Thu) 07:50:52

若い人は何故そんなに簡単にアホ理論に洗脳されるのか? _ 精神病の感染 フォリ・ア・ドゥ
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/810.html

共産主義者とはどういう人間なのか ?
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マルクス経済学・共産主義関係投稿集
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