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零戦・神風特別攻撃隊【永遠の0】宮部久蔵のモデル、富安俊助の見事な最期!

1:777 :

2022/05/27 (Fri) 21:39:19

【すごい日本人】零戦・神風特別攻撃隊【永遠の0】宮部久蔵のモデル、富安俊助の見事な最期!遺書に認められた決意とは!
https://www.youtube.com/watch?v=nSXUPatpZus

映画『永遠の0』のラストシーン。零戦を操るパイロット・宮部久蔵は特攻隊として出撃します。これは実在した零戦搭乗員がモデルとなっていると言われています。その男の名は富安俊助。富安中尉は、日本軍を苦しめた米空母エンタープライズをたった一人で大破炎上させました。今回はその栄誉ある活躍を紹介したいと思います。


永遠の0 零戦21型の空母突入シーン 【WarThunder】
https://www.youtube.com/watch?v=hXSBdydZHKw


WT短編映画「Divine Wind ~ たった一人で成し得た偉業」Fighter's Episode.03 Special
https://www.youtube.com/watch?v=z4rO2C4TYu8


《永遠的0》-永遠の0 最後一段
https://www.youtube.com/watch?v=2OFEgOsA5mE


【永遠の0】最後に主人公が笑った理由【岡田斗司夫 切り抜き】
https://www.youtube.com/watch?v=a8LuR-9de-0

【目次】
00:00 映画版「永遠の0」
00:36 飛行技術説明
01:25 ゾクゾクしたシーン
02:23 主人公の覚悟
02:51 山崎監督の撮影技法
03:42 東洋の”縁”に近い人生観
04:41 ラストの主人公が笑う理由
05:33 男として
05:55 百田さんの原作では描けない理由


零戦・神風特別攻撃隊【永遠の0】宮部久蔵のモデル、富安俊助。アメリカ軍を恐怖に陥れた衝撃の最期! - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=fWvcahy2Hg0


永遠の0 空母突入シーンのモデル?「エンタープライズ(CV-6)」と富安俊助 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=aPG0NWISXh8


伝説のゼロ戦(零戦)パイロット感動の総集編!永遠の0(ゼロ)のモデル富安俊助、坂井三郎、岩本徹三、指宿正信 - YouTube
https://www.youtube.com/watch?v=8ykkwjDTQCw

今回は過去の零戦(ゼロ戦)の動画の総集編です。
伝説のパイロット達の日本を守る覚悟をぜひご覧下さい!

0:00「ホワイトゼロファイター」の正体に涙が止まらない…!伝説のゼロ戦パイロット・坂井三郎の信念
16:32【すごい日本人】零戦・神風特別攻撃隊【永遠の0】宮部久蔵のモデル、富安俊助の見事な最期!遺書に認められた決意とは!
29:54【すごい日本人】神風特別攻撃隊の指導者にして凄腕の零戦パイロット・指宿正信大尉。戦後、航空自衛隊に命を捧げた武人の最期!
46:43すごい日本人【零戦・軍人の泣ける話】坂井三郎の名言に感動!「大空のサムライ」に記された 零戦への熱い思いと奇跡の生還
1:00:06【すごい日本人】最強の零戦撃墜王・岩本徹三が訴え続けたエースパイロットの信念とは!


▲△▽▼


テレビドラマ 向井理 桐谷健太 広末涼子『永遠の0』(テレビ東京 2015年)

原作:百田尚樹『永遠の0』(太田出版)
脚本:櫻井武晴
監督:佐々木章光
音楽:栗山和樹
主題歌:MISIA「桜ひとひら」(アリオラジャパン)
ヴォカリーズ:幸田浩子(東京二期会)
制作:テレビ東京、テレパック


「永遠の0」第2夜
https://www.youtube.com/watch?v=_SD62kSz7ws

永遠の0 - YouTube
https://www.youtube.com/results?search_query=%E6%B0%B8%E9%81%A0%E3%81%AE0


終戦60年を翌年に控えた平成16年の夏。弟の健太郎(桐谷健太)は姉でフリーライターの佐伯慶子(広末涼子)に誘われ、慶子の恋人で新聞記者の高山隆司(山口馬木也)が進める「終戦六十周年プロジェクト」のため、自分たちの祖父・宮部久蔵(向井理)について調べ始める。

祖母の松乃が6年前に亡くなった時、祖父の大石賢一郎(伊東四朗)は、自分は健太郎と慶子の本当の祖父ではないと告げた。母の清子(高畑淳子)も実の父親について、戦死したことくらいしか知らないという。慶子が厚労省に問い合わせたところ、宮部は神風特別攻撃隊として終戦間際に南西諸島沖で戦死したと、たった一行記されているだけだった。戦友会を調べ、当時の宮部を知る人物を探すと、長谷川梅男(笹野高史)という男から返事をもらう。長谷川を訪ねた2人は左腕を失った姿の長谷川に息を飲む。



テレビ東京開局50周年特別企画として、2015年2月11日 20:54 - 23:18、14日 20:58 - 23:14、15日 20:54 - 23:24の3夜に渡って放送された。視聴率は第1夜が9.0%、第2夜が7.5%、第3夜が9.9%(ビデオリサーチ、関東地区調べ)でいずれも2ケタには届かなかったものの、テレビ東京の高橋雄一社長は「非常によく作られていたし、こうした骨太のドラマをやりきったという点では評価している」と前向きなコメントを出した[21]。


キャスト
宮部久蔵 - 向井理
宮部松乃 - 多部未華子/上月左知子(現代)
佐伯健太郎 - 桐谷健太
佐伯慶子 - 広末涼子
長谷川梅男 - 中尾明慶(戦時)/笹野高史(現代)
伊藤寛次 - 千原せいじ(戦時)/津嘉山正種(現代)
井崎源次郎 - 満島真之介(戦時)/近藤正臣(現代)
永井清孝 - 賀来賢人(戦時)/小林克也(現代)
谷川正夫 - 金井勇太(戦時)/石橋蓮司(現代)
武田貴則 - 工藤阿須加(戦時)/山本圭[22](現代)
景浦介山 - 尾上松也(戦時)/柄本明(現代)
村田保彦 - 渡辺大(戦時)/竜雷太(現代)
小山實 - 石黒英雄
東野二飛曹 - 澤部佑
遠藤一飛曹 - 阿部亮平
酒井一飛曹 - 橋爪遼
大久保整備兵 - 高畑裕太
岡崎二飛曹 - 池田大
今野二飛曹 - 岡﨑育之介
吉田大尉 - 奥野瑛太
斎藤中尉 - 永嶋柊吾
内田飛曹長 - 須田邦裕
司令官(大佐) - 木下隆行
中尉 - 緋田康人
六藤学 - 大和田健介
藤木秀一 - 原田泰造
高山隆司 - 山口馬木也
佐伯清子 - 高畑淳子/渡邉このみ(幼少時)
大石賢一郎 - 中村蒼/伊東四朗(現代)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B8%E9%81%A0%E3%81%AE0


▲△▽▼


DIVINEWIND ~神聖な風~                    第六筑波隊隊長  富安俊助中尉

【はじめに】
 1945(昭和20)年5月14日午前6時56分,Big-Eと呼ばれたアメリカ海軍の象徴的航空母艦エンタープライズ(CV6 )に,1機の零戦が体当たりし,大破させた。その結果エンタープライズは米本国へ修理のため曳航され,二度と戦列に復帰 することはなかった。米軍はこの特攻機の冷静沈着かつ,最期の瞬間まで強い意志を感じさせる行動に感懐を覚え,他の KAMIKAZEとは区別してDIVINEWIND,神聖な風と呼んだ。この零戦にはだれが乗っていたのか,そして出撃から突入,さらには 戦後の今日に至るまで,どのようなドラマがあったのか。

【Big-E 空母エンタープライズの受難】
 TF58(Task Force58 =第58任務部隊)は5月14日に大きな被害に苦しむこととなる。夜が明けてまもなく,26機の日本機が来襲して来た。 6機が対空砲火で撃墜され,19機がCAP(上空哨戒機)によって撃墜された。だが,0656(午前6時56分),これらをすり抜けて きた生き残りの1機がエンタープライズの前部エレベータの後部に突入した。それはエレベーターホールを吹き飛ばし,飛行 甲板の大きな張り出し部分を持ち上げた。爆弾は飛行甲板を突き抜け,そこから 50フィートも奥(3階下のフロア)の船の深部に達して爆発した。エレベーターは破壊され,その部品 (飛行機を載せて上下する板状の台)は400フィート(130メートル)の上空まで吹き上げられた。格納甲板の前部とエレベーター 室に火災が発生した。火災は短時間で制御可能の状態になり,30分で鎮火した。物的大損害の割には人的損害は比較的に軽微 で,13名が戦死し,68名が負傷した。エンタープライズは大修理のため,海軍工廠に送り返さなければならなかった。米軍の あるパイロットは,この日の戦闘状況をつぶさに書いているが,この零戦はCAPや弾幕にやられそうになると雲の中に隠れ,時 々雲から顔を出してエンタープライズの位置を確認し,すぐそばまで近づいてからダイブ(急降下)を始めた。高速,機首上げ でオーバーシュートしそうになると背面飛行を行って修正し,母艦の最も弱点とするエレベーターめがけて突入している。エ ンタープライズは大破炎上し戦線離脱を余儀なくされた。彼はこれまで日本海軍の先輩ベテランたちがよってたかって 3年かかってもできなかったことを,たった一人で一瞬の間にやってのけたのだ,と称賛の言葉を述べている。また別の者は, この特攻機をDIVINEWIND(神聖な風)と呼び,他の特攻機と区別している。いわゆるカミカゼが無謀という意味合いを含むのに比し,この零戦の類まれなる計画性と巧妙精緻な技術は米軍に特別な尊敬の念と大きな感動を抱かせたともいえる。

50番爆装した富安機(零戦五二型丙)
富安機により大破したエンタープライズ

【搭乗員確認の経緯】
 ことの発端は海兵77期出身の菅原完氏が,海兵63期の中井一夫氏の戦績についてアメリカ側の関係者に 取材している時,アメリカ側から「1945年5月14日0656(午前6時56分),トミザイという中尉が零戦の特攻機 (爆戦)でエンタープライズに突入しているよ」と知らせてきたことから始まった。突入のあった5 月14日夕刻,エンタープライズでは,特攻機の突入によって戦死した13名の乗組員を星条旗で包んで水葬にしたあと,特攻隊 員も艦尾から水葬にしたとのことである。その際遺体の飛行服の階級章から海軍中尉であることが判り,ポケットに入っていた複数の名刺から,日系二世の通訳がtomi-zaiと判読したそうである。 ところで当日,爆戦で未帰還になった者の中にトミザイという名前はない。一体誰だろう,ということで,日米双方で確認調 査が始まった。防衛研究所の資料によれば,当日未帰還になった爆戦搭乗員の中尉は4名で,そのうちの2名はエンタープライ ズへの突入のあった0656には別の場所で生存中だったことがわかり,あとの2名は第6筑波隊の富安俊助中尉と第11建武隊の楠 本二三夫中尉であった。このことから,トミザイはトミヤスに違いないと判断されるに至った。日本側では富安中尉(戦死後 少佐に特進)の遺族,秀雄氏(弟)と白鴎遺族会,筑波海軍航空隊記念会が相談した結果,富安機の破片を返してもらおうとい うことになり,菅原氏を日本側の窓口として交渉することとなった。

【友部町歴史民俗資料館特別展】
友部町(現笠間市)では,2003年8月,「筑波海軍航空隊と神風特別攻撃隊-平和への願いを込めて-」と題する特別展を開催した。 中央公民館1階ロビーにて,零戦の破片,突入機搭乗員であった富安俊助海軍中尉(予備13期)の遺品・遺書を中心に展示, 元筑波空操縦教官で神雷部隊桜花隊分隊長,海軍大尉だった林冨士夫氏(海兵71期,元航空自衛隊一等空佐,筑波空記念会会長)による, 「特攻の起源と筑波海軍航空隊」と題した講演が行われた。なおこの講演会には約140名が出席(定員150名)している。

「平和への願いをこめて  このたび友部町立歴史民族資料館特別展として,「筑波海軍航空隊と神風特別攻撃隊―58年ぶり日本へ,空母エンタープライズに突入した 零戦の破片」展を開催いたします。  太平洋戦争の最激戦地沖縄周辺のアメリカ軍に,神風特別攻撃隊の攻撃が繰り返されました。昭和20年(1945)5月14日,第6筑波隊の富 安俊助中尉の零戦がアメリカ軍の猛攻をたくみにかわして,空母エンタープライズに突入しました。この突入で乗組員14名が戦死,60名が負傷しました。輝かしい戦果をあげ ていたエンタープライズは,再起不能に陥ってしまいました。

 エンタープライズの乗組員ノーマン・ザフト氏が,突入した零戦の破片とプロペラの一部を所持していました。 ノーマン氏は,長い間,日本やカミカゼに対して良い感情を持っていませんでした。それは,氏の同僚3名が戦死したからです。50年以上たって,この悪感情も薄れ,2個の貴 重な思い出の品のうち,零戦の破片を日本の遺族に返還することを決意されました。

 日米の友人を通して,零戦の搭乗員とその遺族の調査が進められ,今年搭乗員が富安 俊助尉,遺族が東京にいることが判明し,7月上旬,零戦の破片が返還されました。

 この展示会は,富安中尉の遺族富安秀雄氏,筑波海軍航空隊記念会林冨士夫氏,木名 瀬信哉氏,白鴎遺族会野崎武治氏,返還の交渉に当たられた菅原完氏のご好意で,富安中尉が所属していた筑波海軍航空隊のあった友部町で開催する運びとなりました。

  この小さな破片から,わたしたちは歴史の重み,人命の尊さを痛感いたし,平和への願いをこめて,生命の大切さのメッセージとして,この展示会を開催いたします。」


【海外誌にも掲載】
 U.S.NAVAL INSTITUTE(USNI)発行の『NAVAL HISTORY』誌2008年4月号には,「Who Knocked the Enterprise Out of the War?」と題し,8ページにわたる詳細な記事 を掲載している。菅原完氏が寄稿したものである。エンタープライズはアメリカ海軍の象徴的空母であり,数々の戦歴を残してきたにもかかわらず,富安中尉の攻撃による大破 で,戦列を離れたばかりか,3ヵ月後の8月15日,第二次世界大戦の全戦線での戦闘終結により,1947年の退役,1960年5月の解体まで二度と戦闘に参加することがなかった。ちな みに世界初の原子力空母となったCVN65に,Big-Eの愛称と共にエンタープライズの名は受け継がれている。 そのこともあってか,戦後63年を経過した今日でさえ,エンタープライズを大破させた特攻隊員,Real Tomi-Zai,すなわち富安中尉に対する特別なものがあるのではないか。


【富安俊助中尉の遺書】​
 父上様
 母上様

 突然,某方面に出撃を命ぜられ,只今より出発します。

 もとよりお国に捧げた身体故,生還を期しません。必ず立派な戦果を挙げる覚悟です。

 御国の興廃存亡は今日只今にあります。吾々は御国の防人として出て行くのです。

 私が居らなくなったら淋しいかも知れませんが,大いに張切って元気で暮らしてください。

 心配なのは皆様が力を落とすことです。

 海軍に入る時に,当然死を覚悟していたのですから,皆様も淋しがることはないと思います。

 秀雄には便りを出す予定ですが,家からもよく言ってやって下さい。

 近藤中尉が訪ねていく予定故,会ってやって下さい,

 では

 大いに頑張りますから,その点御安心下さい。                  俊助

〔予備学生13期,早稲田大学政治経済学部〕
富安俊助 海軍中尉


参考文献
『第二次世界大戦における米海軍作戦史 第14巻  Victory in the Paciffic第16章 May days at Okinawa第2節 The Fast Carrier Force 』米海軍中将サミュエル・エリオット・モリソン
『筑波海軍航空隊と神風特別攻撃隊』
『筑波海軍航空隊 青春の証』友部町教育委員会生涯学習課から加筆引用
https://uptheriver0405.wixsite.com/mysite/blank







名将十傑 其乃捌:富安俊助海軍少佐 2015年07月14日
https://ameblo.jp/shiragamajin/entry-12049962352.html

名将十傑 ~英雄と評価されるべき帝国陸海軍人たち~

其乃捌:米空母エンタープライズをたった一人で大破炎上させた『永遠の0』 富安俊助海軍中尉

1 映画化・ドラマ化された小説『永遠の0』


「沖縄の2つの新聞は潰さないといけない」


 先月行われた自民党若手議員の勉強会の席上でそのように発言し、今なお猛烈な非難を浴びている百田尚樹氏。国内でA新聞と同様、明らかに平衡を欠いた報道を無節操に垂れ流すマスメディアの惨状を振り返れば、そう言いたくなる気持ちはよく分かります。でも、いくらミリオンセラー作家でも、言動はやはりTPOを弁えないとトンデモないしっぺ返しを食らうことになります。お互い、余計なところで余分な労力を費やしたくないものです。

 さて、百田氏は元々テレビのバラエティ番組の制作を手掛ける放送作家。そんな彼が平成18年に初めて発表した小説こそ『永遠の0』でした。なお、出版元となった太田出版は、ビートたけしさんの本を出版するために太田プロダクションの出版部が独立してできた会社で、サブカルチャー系の書籍や漫画などを中心に出版。つまり、後のミリオンヒット作品は当初、大手出版会社に見向きもされず、サブカルチャーの類いとして扱われました。


 ところが、『永遠の0』は次第に話題を呼び、平成21年に講談社文庫から文庫化され、販売部数300万部を突破。百田氏は一躍注目を集め、時代の寵児となりました。


 さらに、『永遠の0』は、平成22年から同25年にかけて漫画版が刊行され、同25年12月に映画が公開。主人公宮部久蔵を演じたV6の岡田准一くんの熱演もあり、同映画は観客動員数700万人、累計興行収入86億円を突破し、歴代の邦画実写映画で6位にランクインする大ヒットを記録しました。


 そして、今年2月、テレビ東京が3夜連続でドラマ『永遠の0』を放映。宮部久蔵を演じたのは向井理くん。こちらも堂々たる好演でした。


 もちろん、私も文庫本を3回読み、映画は3回視聴(そのうちレンタルで1回)、テレビドラマはブルーレイに焼いてあるので何度も視ています。個人的に一番のお気に入りは、岡田くんや向井くんには申し訳ありませんが、やはり原作の文庫本です(参照:パラオの戦争遺跡は凄すぎる!(38) ~日本の誇り、究極の戦闘機「零戦」 編~ )。



2 実在した主人公宮部久蔵のモデル


 『永遠の0』の主人公宮部久蔵は、昭和20年の春、筑波海軍航空隊(現在の茨城県笠間市)の教官となり、後に特攻隊に入る予備学生の指導に当たりました。そして、ラストシーンでは「721空 戦闘306飛行隊 神風特別攻撃隊筑波隊」の一員として教え子たちとともに出撃。零戦(零式艦上戦闘機)に爆弾を抱いて敵空母に突入。それはアメリカ軍の猛烈な対空砲火と迎撃機を巧みな操縦技術を駆使して軽快にくぐり抜け、最期は敵空母の横っ腹に突入する寸前で真上に急上昇。その真上から機体を真っ逆さまにして甲板に突っ込むという壮絶なものでした。


 こうして散っていった宮部久蔵ですが、実は決死の空母突入のほか、詳細な軍歴も含め、そのモデルは実在していました。


 その御方こそ富安俊助(とみやす しゅんすけ)海軍中尉(戦死後、海軍少佐に昇進)です。


 富安中尉も、宮部久蔵と同様、大東亜戦争末期の昭和20年春に筑波海軍航空隊で教官を勤め、後に特攻隊となる若者たちの指導に当たりました。そして、同年4月22日、「721空 戦闘306航空隊」として鹿屋基地に転属。昭和20年5月14日午前5時30分、同基地から「神風特別攻撃隊第6筑波隊」の隊長として零戦で出撃。米軍の対空砲火と迎撃機を避け、米海軍の象徴とも言うべき空母エンタープライズに体当たりを敢行。他の特攻機が次々と米軍の戦闘機に迎撃され、戦艦の対空砲火を浴びて潰されていくなか、富安機は唯一、自らの生命と引き換えに同艦艇に甚大に損害を与えることに成功。それは、まさしく富安中尉が永遠の英雄として伝説化された瞬間でした。合掌


 
 富安俊助海軍中尉 富安中尉は『永遠の0』の主人公宮部久蔵のモデルとされました。エンタープライズに突入した際、パイロットの御遺体の飛行服に付けられた階級章が海軍中尉であること、さらにポケットに入っていた複数の名刺が日系二世の通訳に‘tomi-zai’(tomiyasuの誤読。確かに「安」と「西」は崩すと似たような字面になります)と判読されたことなどから、ご本人だと確認されました。なお、富安中尉は戦死後、海軍少佐に特別昇級。平成27年7月6日に筑波海軍航空隊記念館内で撮影。



 米空母エンタープライズ エンタープライズは第2次世界大戦で米海軍の旗艦として活躍し、アメリカの軍艦として最も多くの勲章を受けるた空母です。愛称は「ビッグE」。写真はWikipediaから転用。



 米海軍は同日夕刻、エンタープライズの艦上において、富安機の突入で亡くなった13名の水兵たちの遺体を星条旗に包んで水葬。その後、富安中尉を称える別の式典を行い、御遺体は戦死した米軍水兵たちと同じように手厚く水葬されました。それは、富安中尉の名誉を称え、その卓抜した操縦技術と沈着冷静な判断力、そして最期まで強い意志を感じさせる行動に敬意を表するものでした。



3 必ず立派な戦果を挙げる覚悟です


 実は今週の月曜日、私にはつくば方面に出掛ける用事がありました。

 ここでチャンス到来!


 昼食後のわずかな時間ではありましたが、『永遠の0』の主人公のモデルとされた富安中尉が所属した筑波海軍航空隊の旧司令部庁舎にお邪魔させて頂きました。建物が遺る場所はつくば中心市街とは筑波山を挟んで反対の北側の笠間市で、茨城県立こころの医療センターの敷地内。つくばI.C.から常磐道に乗り、友部I.C.で降りてから一般道で数分で現地に到着。私にとって、それは長年の念願が叶った瞬間でもありました。




 筑波海軍航空隊記念館 この建物がかつて筑波海軍航空隊司令部の庁舎として使われていました。平成27年7月6日に筑波海軍航空隊記念館内で撮影。以下の写真も全て撮影場所・日時は同じです。




 筑波海軍航空隊記念館の幟 同じものが笠間市内の各所にも置かれていました。



 その建屋は現在、「筑波海軍航空隊記念館」として用いられ、同航空隊の歩みのほか、特攻で散華された帝国海軍将兵の方々の御遺品などが豊富に展示されていました。それらについては、また別の機会に当ブログで紹介させて頂きます。


 以下、先日私が筑波海軍航空隊記念館で拝見させて頂いた、富安中尉に関連する貴重な資料を原文のまま紹介させて頂きます。



 +*+磨人メモ:富安俊助海軍中尉の御経歴と御遺書+*+


【御経歴】
 大正11年長崎県生まれ。目がパッチリと大きかったので、小・中学校では「目玉」の愛称で呼ばれていました。柔道が強く、また得意のハーモニカで楽団演奏に参加しました。昭和18年3月、早稲田大学専門部政経科を卒業後満州で働いていましたが、同年9月に第13期予備学生として土浦海軍航空隊に入隊しました。その後、筑波海軍航空隊で零戦搭乗員としての訓練を受け、翌19年5月に海軍少尉に任じられました。松山空を経て、岡崎空に転じ中尉となり、昭和20年3月1日に再び筑波空に配属。第14機予備学生の教官となります。3月28日「機密航空命令第15号」をもって同隊特攻隊が編成されて、第一〇筑波隊長に使命されました。5月14日、5事30分に50番(500kg爆弾)を装着した零戦52型に搭乗。第六筑波隊長として鹿屋基地から列機12機を率いて索敵攻撃のために発進し、種子島東方沖において6時57分、米軍空母エンタープライズに突入。


 米空母エンタープライズに突入する富安機(1) 館内に模型が展示されていました。



 米空母エンタープライズに突入する富安機(2) こちらは突入する直前に米軍側から撮影された富安機です。



 富安機突入直後の米空母エンタープライズ 突入後の爆発で、エンタープライズの飛行甲板前部のエレベーター部分が上空に高く飛ばされているのが確認できます。



 富安機突入により大破したエンタープライズ 突入と爆発の衝撃で、飛行甲板に巨大な穴が開いていることが確認できます。この衝撃的な一枚に私は身震いを覚えざるを得ませんでした。



【御遺書】

父上様
母上様
姉上様


 突然、某方面に出撃を命ぜられ、只今より出発します。もとよりお国に捧げた身体故、生還を期しません。必ず立派な戦果を挙げる覚悟です。


 祖国の興廃存亡は今日只今にあります。吾々は御國の防人として出て行くのです。私が居なくなったら淋しいかもしれませんが、大いに張り切って元気に暮らしてください。心配なのは皆様が力を落とすことです。

 海軍に入る時、当然死を覚悟していたのですから、皆様も淋しがることはないと思います。秀雄には便りを出す予定ですが、家からもよく言ってやって下さい。近藤中尉が訪ねていく予定故、会ってやって下さい。


 では。

                                  俊助

 
【還ってきた特攻機の破片】

 太平洋戦争の最激戦地沖縄周辺の米軍に、神風特別攻撃隊の攻撃が繰り返されました。昭和20年(1945)年5月14日、第6筑波隊の富安俊助中尉の零戦が米軍の猛攻を巧みにかわして、空母エンタープライズに突入しました。この突入で乗組員14名が戦死、60名が負傷しました。輝かしい戦果をあげていたエンタープライズは再起不能に陥ってしまいました。エンタープライズの乗組員ノーマン・ザフト氏が突入した零戦の破片とプロペラの一部を所持していました。ノーマン氏は長い間、日本やカミカゼに対して良い感情を持っていませんでしたが、50年以上経ってその感情も薄れ、2個の貴重な思い出の品のうち「零戦の破片」を日本の遺族に返還することを決意されました。日米の友人を通して零戦の搭乗員とその遺族の調査が進められ、平成15年(2003)搭乗員が富安俊助中尉で遺族が東京にいることが判明。同年7月上旬、富安中尉の零戦の破片が返還されました。 



 返還された富安機の破片 でエンタープライズの乗組員であったアメリカ人男性が長年保管していたものだそうです。

      (以上、筑波海軍航空隊記念館展示資料より抜粋)

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【補足】
〇その1:富安中尉の出生地は長崎県ですが、幼少期に東京に移転。当時「メバチ」のあだ名で呼ばれていたそうです。進学した早稲田大学では柔道部に所属した他にも音楽を愛好。ハーモニカバンドを結成し、コンサートを行うほどだったそうです。
 
〇その2:昭和17年9月、早稲田大学で政治学と経済学の両方の学士号を取得。卒業後は満州鉄道に就職したものの、その1年後の昭和18年9月には学徒出陣で海軍に入隊。飛行専修予備学生として、筑波海軍航空隊へ配属され、訓練に励みました。
 
〇その3:昭和20年5月14日午前5時30分、神風特別攻撃隊第6筑波隊は零戦にそれぞれ500kg爆弾を抱かせて鹿屋飛行場から出撃。その際、滑走路の端から端まで零戦を滑走させることで、ようやくその機体が浮いたそうです。


〇その4:特攻で出撃した15機のうち、1機がエンジントラブルで引き返したそうです。この事実も『永遠の0』と類似しています。


〇その5:第6筑波隊の14機は、同じく鹿屋飛行場から出撃した第11建武隊、第8七生隊、第6神剣隊の爆装した戦闘機12機と合流。合計26機をもって沖縄方面に展開する米軍機動部隊を目指しました。ところが、いち早くその動きを察知した米軍機動部隊は直ちに迎撃隊を発進させ、鹿屋飛行場から出撃した26機の特攻機のうち、19機が米軍のCAP(上空哨戒機)に撃墜され、6機が米軍戦艦の対空砲火で突入する前に撃墜されました。つまり、この出撃で米軍機動部隊に甚大な被害を加えることに成功したのは富安閣下が操縦した零戦52型だけです。



4 たった一人でエンタープライズを大破炎上


 鹿屋飛行場から出撃して約1時間30分後の午前6時56分、戦友たちの奮戦を見届け、唯一生き残った富安中尉は、対空砲火を避けて一旦雲の中に機体を入れ、身を隠しました。そして、時折雲の間から顔を出し、エンタープライズの位置を確認。一方、エンタープライズは事前にレーダーで富安機を捉えていたものの、効果的な反撃を加えることができませんでした。


 そうした膠着した状況下で富安中尉の伝説は生まれました。


 業を煮やしたエンタープライズが船首の向きを変え、艦尾を向けたその瞬間をとらえ、富安機は満を持して急降下突撃を敢行。富安機は機体を横滑りさせてエンタープライズの集中砲火をかいくぐり、ついに同艦の懐に進入しました。
 
 そのままエンタープライズの横っ腹に突入すると思われたその瞬間、富安中尉は500kg爆弾を抱いた零戦の機体を一気に引き起こし、同艦の真上へ急上昇。当然ながら、徹底した軽量化がはかられた零戦の機体には、この時点で何かしらの異常が発生したはず。こうした無理な操縦は普段から整備兵に厳重に注意されていたそうです。


 次に、富安中尉は上空で機体を左に180度旋回させた後、背面飛行の態勢から同艦の直上から急降下し、同空母の最大の弱点である前部エレベーター部分に突入。つまり、富安中尉は、初めからエンタープライズの急所を狙うため、雲の合間からそのタイミングをはかっておれれたはず。また、同艦突入の際、富安中尉があえて背面飛行を選択したのは、機体の揚力を殺し、逆に突入時の速度を上げることで敵艦に最大限の損害を与えることをねらったはず。




 背面飛行から急降下する富安機 この無理な態勢から勢いよく急降下してエンタープライズの飛行甲板前部に突入しました。 



 もちろん、それらは富安中尉の卓抜した操縦技術と緻密な計画性、そして難局にも揺るがぬ強靱な精神力に裏付けられたものでした。なお、富安機の特攻は米軍側から他の‘KAMIKAZE(神風)’とは区別され、‘DIVINE WIND(神聖な風)’の呼び名で尊敬を集めました。なぜなら、KAMIKAZEが米軍側では無謀な自爆攻撃という意味合いを含むのに対し、富安中尉は優れた技術と計画性をもって、先輩パイロットたちが寄って集って成し遂げることができなかったことをたった一人で一瞬のうちにやってのけたからです。

 改めて富安中尉に敬礼 合掌


 富安機が搭載した500kg爆弾はエンタープライズの前部の飛行甲板を突き抜け、そこから約15m奥の同艦の深部(3階下のフロア)に到達して爆発。エレベーターは破壊され、その部品(飛行機を載せて上下する板状の台)は400フィート(130m)の上空まで吹き飛ばされました。それほど甚大な損害を与えたのは、言うまでもなく、富安機が敵艦に対し、全速力、あるいはそれ以上の速度で突入したことによるものでした。


 たちまち、エンタープライズの甲板前部とエレベーター室で火災が発生。30分で鎮火し、同艦は沈没こそまぬがれたものの、戦線離脱を強いられました。


 なお、米軍側の物的損害がこのように極めて大きかったことに比べ、人的損害は比較的に軽く、戦死者13名、負傷者68名にとどまりました。亡くなられた米軍将兵に対しても敬礼。そして合掌


 その後、エンタープライズは米国本土の海軍工廠に回航され、戦線への復帰を目指しましたが、修理が完了した直後に終戦。戦後、同艦は兵員の引揚船として運用されましたが、空母としての戦線復帰は叶わず、ついに1947年2月に退役。ビッグEはその栄光の歴史に幕を閉じました。


 最後に、たった一人でエンタープライズを大破炎上させた富安中尉の特攻の様子について、Wikipedia「エンタープライズ (CV-6) 」の「硫黄島・沖縄戦」の項目にも詳細が述べられているので、改めて紹介させて頂きます。



 +*+磨人メモ:沖縄戦で大破炎上した米空母エンタープライズ+*+


 エンタープライズは4月5日に沖縄攻略を支援するため、ウルシーを出撃した(沖縄戦)。菊水作戦により出撃した戦艦大和を含む水上特攻隊への空襲にも参加したが、4月11日に特攻機による被害をうけてウルシーに引き返し、修理後は沖縄沖で防空に従事した。


 5月14日、26機の日本機が飛来。6機が対空砲火で撃墜、19機が上空哨戒機によって撃墜された。だが、富安俊助中尉搭乗の1機のみは集中砲火を避けて雲に隠れ、時々雲から顔を出してエンタープライズの位置を確認しつつ生き残っていた。そして午前6時56分、この1機がエンタープライズに向かって突撃してきた。エンタープライズは富安機を20分前からレーダーで認識していたが、富安機が雲に隠れるなどしたために、効果的な反撃が出来ずにいた。エンタープライズが回頭し艦尾を向けたときに富安機は満を持して急降下攻撃を実施。エンタープライズは集中砲火を行なったが、富安機は機体を横滑りさせるなどして回避、オーバーシュートする寸前に艦の真上で180度に左回転し、背面飛行の状態から急降下し、前部エレベーターの後部に突入した。


 前部エレベーターは爆発によって400フィート(≒120m)上空まで吹き上げられた。これによりエンタープライズは大破炎上し、破孔からの浸水によって前部は2.2メートル沈下し、深刻な損傷を負った。火災は17分で消火され飛行甲板の損傷により発着艦は一時的な麻痺となった。


 富安中尉の遺体はエレベーターホールの下で発見され、アメリカ兵と同じように丁重に水葬された。 彼は海軍関係者から「これまで日本海軍が3年かかってもできなかったことを、たった一人で一瞬の間にやってのけた。」と称賛の言葉を受けた。また、この時の機体の破片は後に、軍属の二級登録板金工だったノーマン・ザフトから富安中尉の家族に返還された。この日がエンタープライズにとっての最期の戦闘となった。


 エンタープライズは戦列を離脱し、6月7日、ピュージェット・サウンド海軍工廠に到着。8月15日の終戦時には修理が終わって第6番埠頭に停泊していた。
https://ameblo.jp/shiragamajin/entry-12049962352.html


2:777 :

2022/05/27 (Fri) 21:49:43


岡田斗司夫ゼミ#62(2015.2.22)戦争とアニメ界の歴史の中の風立ちぬ
2015/09/01
https://www.youtube.com/watch?v=NKx1Dw4Kok4&t=0s


00:00:00 風立ちぬ 宮崎駿 庵野秀明
00:05:00 永遠の0 百田尚樹 宮崎駿 風立ちぬ
00:10:00 永遠の0 百田尚樹 宮崎駿 押井守 富野由悠季 ジョージ・ルーカス
00:15:00 永遠の0 百田尚樹 山崎貴 ゼロ戦 反戦ファシズム
00:20:00 永遠の0 山崎貴 百田尚樹 スティーブン・スピルバーグ、ジョーズ ヒッチコック めまい
00:25:00 「戦後民主主義のゼロ戦」「宮崎駿がいつから狂ったか」「魔女の宅急便はジブリの自伝映画」
00:30:00 「論理的整合性が壊れてるポニョ」「センムの部屋」「もののけ姫以降の宮崎駿」
00:35:00 「逆襲のシャア」「喪失の苦しみが青春、乗り越えて大人になる」「富野由悠季の生きざま」
00:40:00 「後期宮崎駿」「アニメはSFか?」
00:45:00 「アニメはSFか?論争つづき」「パチンコ依存症?」「失恋で死にたい」
00:50:00 「富野由悠季的考え」「雑貨店の販売戦略」「自由になりたい夫」
00:55:00 「夫を信じ2年待つか」「金曜ロードの風立ちぬ」
01:00:00 「舌っ足らず」な風立ちぬ

番組へのお便り投稿フォーム
https://forms.gle/udvU8EF9PGv2feKU6

岡田斗司夫
大阪生まれ。アニメ・ゲームの制作会社ガイナックスを創業し、初代社長を務めたあと退社。立教大学やマサチューセッツ工科大学講師、大阪芸術大学客員教授などを歴任。
『評価経済社会』『スマートノート』『人生の法則』など著書多数。
Twitter:https://twitter.com/ToshioOkada
3:777 :

2022/05/27 (Fri) 21:57:00

鬼塚英昭 戦争はすべて八百長 『日本の真相』
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

熊毛郡田布施町 (00:00:21)
大室寅之佑 (00:03:48)
明治天皇の秘密 (00:03:55)
殊にユダヤを中心とする国際金融マフィアが知り、天皇一族を操っている。(00:13:26)
秦郁彦(いくひこ)(00:13:40)
仕組まれた戦争 (00:15:35)
皇室スキャンダル (00:18:21)
大正天皇には、子種がない(00:18:39)
西園寺八郎 (00:19:26)
昭和天皇の秘密 (00:21:34)
昭和天皇の父親は、西園寺八郎 (00:22:01)
死ぬまで侍従として息子(昭和天皇)のそばにいた (00:22:23)
住友と天皇家は、血族 (00:23:04)
秩父宮は、東久邇 稔彦(ひがしくに なるひこ)の子供 (00:23:29)
天皇のための戦争(00:25:02)
戦争というものは、必ずどこかで企みがあるものなんです (00:25:04)
昭和天皇だけが、日本のストーリを全部知っていた (0:26:01)
真珠湾攻撃も大事なところで手をぬく (00:26:28)
海軍は、2年分しか石油をもってない(00:27:24)
パナマ国籍の船ならば、攻撃できない (00:28:34)
天皇が内通していた(00:31:38)
スターリンに発したい情報をつたえる (00:32:45)
天皇一族は、ゾルゲを野放しにする (00:33:15)
終戦工作と白州次郎 (00:33:39)
ヨハンセングループ (00:34:17)
日本の最高機密が、翌日には電報で全部流れていく (00:35:16)
日本は戦争をするように仕組まれていたと考えると全て矛盾がなく納得ができるんです。 (00:35:30)
弟の公一に機密情報を流してソビエトに渡せと、ソビエトを安心させて南方政策を取る訳です。 (00:35:45)
火事場泥棒なんです。(00:36:15)
こじつけ無罪論(00:36:19)
明治天皇作とされる歌の真意 (00:37:05)
第二次世界大戦の総括をやっている(00:38:21)
戦争はすべて八百長(00:38:51)
戦争は継続しなければいけない (00:40:48)
天皇が被爆に加担した(00:42:23)
白洲次郎の秘密(00:44:17)
吉田茂の秘密(00:46:20)
こころの痛みを感じない者が日本のリーダーになる これを正さなければ未来はない(00:49:21)
キッシンジャーと中曽根(00:57:00)
使い捨て人形(コンプラドール)からの反乱(01:08:35)

▲△▽▼

明治維新と太平洋戦争の真相
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/390.html
4:777 :

2022/05/27 (Fri) 21:58:17

あなたは知っていますか?日本の軍隊は太平洋戦争で心の高揚に『ヒロポン』を常用させていました

日本は、1941年大日本製薬メタンフェタミン製剤「ヒロポン」(覚醒剤)武田長兵はアンフェタミン製剤「セドリン」(覚醒剤)を海軍、陸軍に大量に納入しました。

特効薬として特攻隊員に菓子袋に入れてカジュアルに支給しました。
製品は、「ヒロポン」の周りをチョコレートで包み『菊のご紋章』を付けて納入していました。

出撃前に注射やチョコレートを特攻隊員に食べさせていました。それを食べた若者は、意気揚々と戦地に出撃し散っていきました。むごい、悲しいことです。これを書くと、涙がでます。

九州の基地では、1036人の特攻隊員に「アンプル」を投与。国を守るため計6000人が玉砕していきました。悲しい事実です。
精神を高揚させ、人間性を失くす「ヒロポン」は慰安婦問題や、南京事件を起こした悲しい現実があります。

日本政府は、大日本製薬 武田長兵商店に、覚醒剤の製造中止を勧告、昭和26年(1951年)覚醒剤取締法が制定されました。
西堀貞夫の父、西堀孝一は軍医として特攻隊のヒロポン支給の恐ろしさを知り、軍上層部に進言、ニューギニアの戦地アインで戦死しました。

この想いが私たちの原点です。患者の会には、この真実を知るたくさんの遺族の方がお見えになります。
映画「永遠の0」では明かせなかった特攻隊員の死の真実。彼らはヒロポンで人間性を失くし玉砕しました。
5:777 :

2022/05/27 (Fri) 21:59:48

日本の軍歌は素晴らしい、日本人には武人や軍人が一番似合っている

日本の軍歌は世界の軍歌の中でも飛び抜けた NO.1
日本兵が万歳突撃や神風特攻したくなる気持ちも良くわかる。
日本人はすぐに洗脳されるからね。

アジア人が日本軍や靖国精神を何よりも恐れているのは当然だよ。

▲△▽▼

ロシアの軍歌は愛を歌い、日本の軍歌は万歳突撃や神風特攻を賛美する

そもそもロシアや中国は日本とは反対に、有史以来外国に出て行って戦争に勝ったことが一度も無い。ロシア軍や中国軍なんか少しも怖くない。
その代わり、ロシア軍や中国軍は自国の領土に敵を誘い込んで、補給を絶って包囲するような戦いを得意としている。防衛しかできない国なんだ。

日本の軍歌:露営の歌 (Field Encampment Song)
https://www.youtube.com/watch?v=6hceNfhDFWY

日本の軍歌:同期の桜
https://www.youtube.com/watch?v=A3dVAnLmLQQ
https://www.youtube.com/watch?v=sdUrucGfoH4

『同期の桜』 台詞入り 鶴田浩二  大空に散った英霊へ
https://www.youtube.com/watch?v=IxJ2wcmy-2o



[ソ連軍歌] カチューシャ 日本語歌詞付き Катюша
https://www.youtube.com/watch?v=sVk9eyAWxPk
6:777 :

2022/05/29 (Sun) 07:09:19

99あげ
7:777 :

2022/06/26 (Sun) 18:50:50

あげ102
8:777 :

2022/06/28 (Tue) 14:47:12

あげ157
9:777 :

2023/09/04 (Mon) 07:38:47

戦争は勝てる仕組みを作らないと努力しても負けます
2023.09.04
https://www.thutmosev.com/archives/295078dj.html

個人の頑張りで勝てるのは1回だけ。日本軍幹部は過労や整備不良を自慢していた


https://blog.kk-takagi.co.jp/2018/10/15/月月火水木金金

関連動画が記事下にあります

優秀な人が集まる仕組みを作ったアメリカ

一般に西洋の人々は物事の仕組みを作るのが得意で、資本主義や民主主義、大量生産や休暇などはすべて西洋で生まれました

西洋人の中でも米英の中心人種であるアングロサクソンは社会のシステムを作るのが得意で、今もその優位性で世界の上位階層を形成しています

アメリカは今米中経済戦争をしているが閉鎖的で仲間がいない中国に対してアメリカには無数の同盟国や友好国が存在します

中国は世界から優秀な人材を1000人集める「1000人計画」を進めているがその手段は弱みを握って中国で働かせるとか金で勧誘するような事です

アメリカは200年前から優秀な人材を集める仕組みを構築してきたので、全世界のあらゆる優秀な人はすべてアメリカに移住してアメリカで成功するのを望んでいます

なので米中人材競争は始まる前から決着がついていて、中国が勝つことはないだろうと予告します

中国にも優秀な人材はいますが優秀であればあるほど中国から脱出しようとするので、家族を出国できないようにするなど人質をとって中国につなぎ留めている

北朝鮮の金正日という人は人材獲得の重要性を理解していたが、その方法は優秀な人を日本や韓国から拉致するというものでした

北朝鮮の国内では成分という身分制度で一生が決まり、どんなに優秀でも低い成分では活躍できないので外国人を連れて来ても無駄でした

第二次大戦前の日独伊には優秀な人が大勢いて、だからこそ零式戦闘機やポルシェやフェラーリが誕生したが、優秀な人を生かせる仕組みがありませんでした

身分制度や間違った学歴主義、偏狭な独裁政権のせいでアメリカやイギリスに寝返った人もいて自国の潜在力を100%生かしたとは言えない

アメリカの仕組みで驚くのは昨日まで敵対勢力の国民だった人が亡命して来ると、すぐ重要な地位につけて活躍している点でした

アインシュタインはドイツ生まれのドイツ人だったのにドイツはまったく生かすことができず、スイス国籍からアメリカ国籍になりアメリカ人として連合軍の勝利に貢献した

アインシュタインはドイツの教育で物理学者になったのだが、ドイツ政府はせっかく生まれた最も優秀な人材を自ら排斥しました

仮にアインシュタインが協力を申し出てもドイツはユダヤ人の彼を逮捕しただろうし、日本は国籍をコロコロ変える人を絶対に信用しません

日独は勝てる仕組みがなかったから負けた
ドイツのポーランド侵攻とソ連侵攻で第二次世界大戦がはじまりましたが、最初連戦連勝だったドイツ軍はある瞬間から嘘のように連戦連敗に転換してしまいました

原因はトップのアドルフヒトラー総統が現場に介入したからで、スターリングラードという何の価値もない町に総攻撃を命じてなんと兵士150万人を全滅させた

彼がこの町に固執した理由はたったひとつ「スターリン」の名前がついていたからで、そこにスターリンはいないのでどうでも良いのに固執し続けた

最初にポーランド侵攻した理由は「ドイツ国民の人気取り」で、ソ連に侵攻した理由は「イギリスを占領出来なかったので反対側を攻めようや」とせいぜいそんな理由でした

ドイツの戦略は非常に場当たり的で長期的な展望がなく、こんな国と同盟国だった日本は泥沼の戦争に巻き込まれていきました

1941年12月8日にハワイ真珠湾とマレー沖海戦で太平洋戦争が始まり、日本軍は最初連戦連勝だったのにある日を境に負け始めた

その日はおそらく1942年(昭和17年)6月5日のミッドウェー海戦で、敗因は暗号を解読されたとか言われていますが基本的な事を実施していませんでした

空母6隻と戦闘機など数百機を動かすには点検と整備が不可欠ですが、日本海軍は12月8日からほとんど休養を取らず整備もせず戦わせ続けました

半年後にミッドウェーに遠征した時には稼働する偵察機がほとんど皆無だったので、米空母を発見できず逆に発見されて攻撃されました

不思議な事は何もなく「定期整備を怠った自動車が故障した」のと同じですが、なぜか日本軍上層部は「神国日本は不敗である」と信じ込んでいた

そのうぬぼれの根拠は空母乗務員の考えられない重労働で、開戦前からずっと「月月火水木金金」で休養を取らせず猛訓練でしごき続けた

この結果ミッドウェー海戦当日空母乗務員は過労の限界に達していたのでミスを連発し、司令官の南雲中将も間違った判断を連発した

一方アメリカは真珠湾攻撃で主力艦隊が全滅した後はひたすら兵力を温存し訓練や整備を怠りなくし、ミッドウェー当日は万全の状況で迎えました

ミッドウェー海戦の時点ではレーダーはまだ精度が低かったので、日本側が100%の状態なら余裕で南雲艦隊が勝っていたと思われます

どうして負けたかと言うとひたすら個人の努力のみに依存した日本に対し、アメリカは「勝つ仕組み」を半年かけて整えたからでした

負け始めてからの日本はさらにミスを連発し、何よりも貴重な戦闘機と熟練パイロットを特攻という一回の攻撃で消耗することをやり、しかもそれを上官が「俺が特攻をやらせた」と手柄にして昇進していました

翻るとバブル崩壊前後からデフレの30年間の日本にも、こうした事が山ほどあったような気がします

山本五十六によると勝つ準備を万全に整える事が「必勝の信念」であり兵士の努力に期待するのは愚の骨頂だそうですが、結局彼も精神論の罠に嵌ってしまいました

航空機の整備も点検もせず乗員に休養も与えなかったのでミッドウェー海戦の日には飛べる偵察機がなかった

常識的な事をしてさえいれば ミッドウェーは勝てた戦いでした
https://www.youtube.com/watch?v=Ff8mcvl5l9s&t=149s

https://www.thutmosev.com/archives/295078dj.html
10:777 :

2023/12/11 (Mon) 07:22:20

「神風特攻の美談」の真実は
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16829504



零戦・神風特別攻撃隊【永遠の0】宮部久蔵のモデル、 富安俊助の見事な最期!
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14006157

テレビドラマ 零戦・神風特別攻撃隊【永遠の0】(テレビ東京 2015年)
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14010669

【神風特攻隊】悲惨な作戦はなぜ決行されたのか?真実に迫る!
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14149832

神風特攻隊~青年たち永遠の飛行
http://www.asyura2.com/13/warb11/msg/421.html

特攻隊員は「志願して死んでいった」のか
http://www.asyura2.com/17/ban7/msg/309.html

「私たちがいま生きているのは特攻隊のおかげ」とかいう妄想
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/799.html

神風特攻は太平洋戦争が八百長だと見破られない為に昭和天皇が命令してやらせた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/564.html

故鬼塚英昭 氏 戦争はすべて八百長 『日本の真相』 - YouTube動画
https://www.youtube.com/watch?v=eUIhcvcSmrA

明治維新と太平洋戦争の真相
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/390.html

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