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男がやってみたい事はみんな同じ _ 日本兵が日中戦争でやった事

1:777 :

2022/05/27 (Fri) 10:32:49

男がやってみたい事はみんな同じ _ 日本兵が日中戦争でやった事


日中戦争証言 車河堡 王さん(69歳)柳河口

 1回だけ見たことがあります。強姦したのは普通子どもには見せないんです。

1回見たのは、若い女性に沢山水を飲ませて、お腹を膨らませたり、

鉄の棒を火で焼いて、赤い鉄の棒を乳房に当てたり、女性の生殖器に差し込んだり、

あるいは銃剣の先を焼いて乳房や生殖器をえぐり取ったりしました。
http://www.jade.dti.ne.jp/~kaworu/syogen/syakaho.html

小平義雄連続殺人事件

小平義雄は戦地より帰って以来、性的に突如放縦になった。

放縦なだけでは留まらず海軍被服廠の軍属であった戦争最後の年に、同じ職場の女子工員を強姦した上殺害している。以後、終戦直後の混乱の中で女性を食料をエサに誘いだし、次々と6人も、犯しては殺していった。

小平が女性を犯して殺す、その味を覚えたのは、中国の前線だった。

予審調書の中で小平は言っている。

「大怙では強姦のちょつとすごいのをやりました。…父親を縛り上げて戸棚の中入れ…
クーニャン(娘)を出せと言って出させました。

…強盗強姦は日本軍隊には付き物ですよ。
銃剣で突き刺したり、妊娠している女を銃剣で突き刺して子供を出したりしました。 私も5,6人はやっています」


取り調べと裁判の段階で明らかになったことがあるんですね。それは、彼の戦争体験のことだったんです。

「済南事件」:南京大虐殺の先駆けですね。住民の殺戮です。その時にもの凄く多くの中国人の女性が日本兵によって強姦されて殺された。この小平という人物は、その時の兵隊だったんです。

「連続強姦殺人魔」と言われた人の犯罪を重ねる下地が「戦時強姦」で培われていた、っていうことです。そのことが日本が戦争で負けた後に一気に吹き出してきた事件なんですね。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/knight9/kodaira.htm

860 :名無しさん :02/07/04 01:33 ID:03UDq1eg

死んだ人の事を悪く言いたくなかったけど言わせてもらう。
漏れの近所の銭湯で番台やってた爺さん(もう亡くなった)。

漏れが小さい頃よく戦争当時の話を銭湯の番台で自慢げに語ってたバカ。

『チャンコロ(中国人)の妊婦を木に縄で縛って銃剣で刺したら「ボムッ」って鈍い音出して破裂してよー。

ホント面白かったぞー。だから毎日チャンコロの妊婦探して見つけては、それやって遊んでたんだ。あの頃がなつかしいなあ(ニヤニヤ』


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日本兵の婦女暴行・強姦の実態

1.妊娠している婦人を全裸にして刀で刃傷、木の間に女の両手両足をゆわえて子宮に手オ留弾をさして爆発。興味本位で、得意気に。(元軍曹T)

2.死体処理の少年の証言、女性の死体は特にひどい。ある女性は両手両足をひろげてベッドに縛られ、局部にサイダーの壜を深く刺されて被殺。

3.多くの少女はベッドに縛りつけられ誰でもがすぐに犯せるようにしている。少女があまり泣きじゃくったり、性病に罹ったりしたら、すぐに殺されてしまう。路地や公園には女性の死体でいっぱいだ。 彼女らは死んだ後でも切断されたり、局部に物を差し込まれたりして辱めを受けている。

4.一月一日、呉昌生が光華門外の自宅に帰った時、七人の日本兵がひとりの中国人のおばあさんを連れてやってきた。彼らにおばあさんを犯せと命じた。日本兵はこの光景を見て笑っていた。

5.二月五日、三牌楼に住む六十歳を超える陳さんのところに三人の日本兵がやってきた。 一人が見張りで、他の二人は交代で強姦した。日本兵の一人はおばあさんにペニスをなめてきれいにしろと言った。

6.1944年の春頃、鈴木氏が分隊長として、討伐作戦に参加した際のある村の話であった。 彼の分隊が休憩していたある農家に、一人の憲兵が現れ、惨劇が始まった。村の女性に食事を作ることを強い、お湯を沸かせていた時のことだった。

突然、その憲兵は梅毒にまみれた自らの陰茎をとりだし、食事の準備中の、一人の女性に、これを舐めろと要求した。ところが毅然と拒絶したその女性に、憲兵は激怒し、服をちぎって沸騰したお湯を浴びせ、遂に殺害した。


7. 12月15日、またもや押し入ってきた日本軍の兵士が、数え年8歳の蔡さんを強姦した。蔡さんはその様子を次のように語る。「日本兵は、私の陰部に手をねじ込み、その時まだ幼かったので、非常に硬かったのを無理やり押し込んでこじ開けた。
8.「冬には、至るところで暖をとります。兵隊は、赤ん坊をひっ捉まえ、火の中に投げ込んだものです。」と、古参兵の一人が報告する。別の帝国陸軍の兵隊が語る。

彼の部隊は打ち棄てられた村で女をみつけ、裸にし、「膣に布切れを押し込み、ガソリンを染み込ませて、火をつけました。皆それを見ていました。隊長もです。 部隊の慰安の一種だったんです。」


「暗い部屋に産褥の婦人ありて傍らにいとけなく眠る嬰児。銃剣で布団を跳ねのける。女は両手を合わせて拝んでいる。(略)彼女は衣服乱れて乳房一突き息絶えていた。」「先に高粱で隠された長持の中の娘もどうやら、輪姦の上刺殺した模様であった」(一一○頁)。

「掃討にあって残虐は付きもので、女をあさる。

輪姦、強姦と、又素裸にして乳房を刺突或は陰部にローソクを垂らし悶えるを見て悦び、恥毛に煙草の火をのせて焦げゆく興味。

タマゴを局部に挿入二個、三個と、更にトウモロコシを挿入或はピストン運動、トウガラシを詰め込み歓声を上げる。

銃剣の先で膣をつつく。こうして時間をもて遊んでいる。呻き苦しみ悶絶、出血滴る女と、掃討の修羅である」(一一二頁)。

「捕らえた女を丸裸にして寝かせて、両足を一ぱいに広げ杭に結びつけ尻したに枕して腰を浮かせて膣に、ナンパ大根と挿入できるようなもの等、刺激物のトーガラシとかをもって、いろいろなことをして、悶える表情に歓声を挙げていた。

更にローソクの垂汁をポトポトと膣に落し上手、下手を争って楽しんでいた。

乳房、腹上、局部にムカゼ・サソリ等を捕らえて這わせての興味を持っての蛮行が、いずこの部隊でも隠された所で行われることが、討伐作戦の楽しみであった。」

「捕虜の男と女を牢から出して来て裸体にして女に男の性器をくわえ吸わせ舐めさせ、性器が勃起するの見物と、性交させることの成り行きと、女の膣ネブリ、乳房と、ああしろ、こうしろと、注文をつけて、その表情を楽しんでいた。」(一一七頁)

 強い攻撃性は、攻撃の対象により強く大きな苦痛と恥辱を与えることで、自らの勝利感、征服感を満足させた。その対象が女性であるときは、性器への攻撃となって現われた(二六)。
http://park17.wakwak.com/~ueba/sankousakusen.4.html

まず、釣り針が連続して付いている釣り糸と竿を用意します。

そして、女の股をひらかせます。

女の膣に釣り糸を挿入。

釣り針も全て挿入し、挿入が終わったらウィンチで思い切り引っ張る。


これは第二次世界大戦時、日本軍が中国で行ったお遊びです。

男性に対しては行われず、女性のみを対象とした完全な性器刑。
失血死した人もいたそうです。


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【永久保存版】南京大虐殺の証拠~当時の記録映像と生存者の確実な証言
2015/03/02
https://www.youtube.com/watch?v=uyVeMusrS-k


貴重資料『南京事件Ⅱ』
https://www.youtube.com/watch?v=yrLPTGCXPr0


【貴重証言】加害者としての日本軍
https://www.youtube.com/watch?v=vh64udZTUTs


CGで再現「南京大虐殺」
2018/10/24
https://www.youtube.com/watch?v=QJ38Hg7Vdw8


中村江里「旧日本軍の戦争神経症と見過ごされてきたトラウマ」
2018/11/01
https://www.youtube.com/watch?v=U_UrxS7zLYM


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日本軍の記録に残る南京大虐殺(軍命令により実施)
2015/03/05
https://www.youtube.com/watch?v=20HWTlXY-Wc


The Battle of China (1944) - YouTube 動画
https://www.youtube.com/playlist?list=PLquddQhjZLFjqNKMr9NAe2oZo2Y-v0HYO
https://www.youtube.com/results?search_query=The+Battle+of+China++1944
https://www.youtube.com/watch?v=PtFJW-Vnfxw
https://www.youtube.com/watch?v=TIkrgOmsbVY



『ザ・バトル・オブ・チャイナ』(The Battle of China, 「中国の戦闘」の意)は、フランク・キャプラが監督したプロパガンダ映画『我々はなぜ戦うのか』シリーズの6作目である。1944年(昭和19年)にアメリカで上映された。

戦争当事国の中華民国をはじめ、欧米や中華人民共和国などではニュースや報道番組において、現在でも日本軍による残虐行為の記録フィルムや記録写真として、これらの映画の一部が頻繁に使用されている。

1944年にアメリカで、一般に劇場公開された。数人の評論家から問題点(内容に誇張が多い・中国人自身の問題に全く触れていない)を指摘されたことにより、一時的に回収されたが再度上映され、戦争終結までに約400万人が観ることになった[1]。スタンフォード大学歴史学部長のデビッド・ケネディは南京大虐殺は反日プロパガンダの中核となり、この映画はその顕著な一例であるとしている[2]。

本編の内容は、南京陥落後、「市民自らが掘らされた穴に落とされ、折り重なるように生き埋めにされるシーン」や、「殺された息子にすがり付き、泣き叫ぶ年老いた父親の姿」等が日本軍の残虐行為として編集されている。
2:777 :

2022/05/27 (Fri) 10:40:23

「股裂き事件」
ある旧軍人が1944年の河南戦争前後で見たことだ。中国人女性の片足を木に縛りつけ、もう片足を馬の鞍に括りつける。そして突然馬のお尻を叩き、驚いた馬が走り出すと、女性の体が二つに裂けてしまうというものだ。

Kさんが駐在していた山西省旧遼県でも、1941年4月に日本軍隊長が中国語で「勒馬分身」(股裂き)という方法で殺人を行ったという。そのことは中国側の資料にも記述されている。


南京で暴虐の限りを尽くした田所耕造。
http://anarchist.seesaa.net/article/78079481.html


陸軍第114師団重機関銃部隊所属 田所耕造。

『週刊アサヒ芸能』(71年)の取材に答えた当時、彼は53歳。
彼が語った残虐の限り。しかもこれが「命令」なんだから驚くしかない。

女が一番の被害者だったな。年寄りからなにから、全部やっちまった。
下関から木炭トラックを部落に乗りつけて、女どもを略奪して兵隊に分ける。

女1人に兵隊15人から20人くらい受け持たせてね。倉庫のまわりなど、
日当たりのいいところを選んで、木っ葉などをぶらさげて場所をつくる。
赤ケンといって、中隊長のはんこがある紙を持った兵隊たちが、ふんどしを
はずして順番を待つんだ。

いつか女の略奪班長をやったことがあるけど、ゆくと、女たちはどんどん
逃げる。殺すわけにはいかないから、追いかけるのに苦労したもんだよ。
支那の女は技術はうまいね。殺されたくないから、必死なんだろうけど、
なかなかいい。なにしろ上陸以来女の身体にさわったこともないんだから
、いじくりまわしたり、なめまわしたりする。私らは、よくなめ殺すといったもんです。


その凶暴兵は、柳川平助兵団(第10軍)第114師団所属。南京作戦での「働きぶり」によって上等兵に昇進。

そして、血に飢えた「ならずもの部隊」は徐州(シュイチョウ)へ進撃したのだった……。


南京に2ヶ月ぐらいいて、徐州に向かったんだけど、このときだったな、
股裂きをやったのは。ある部落で、みせしめのために女を柳の木に縛りつけ、
両足首にまきつけたロープを2頭の馬の鞍に結び、左右からムチをくれると
股から乳房のあたりまで肉がさける。骨があとに残るんだ。それを部隊
みんなでみている。中隊長もみてみぬふりだった。将校だろうと下士官
だろうと、文句をつけても『ウシロダマ(後ろ弾)だぞ』とおどしちゃう

田所耕造はこの気分が悪くなるような話を得意げに話している。上官を
無視しても、「戦闘」では頼りになった兵士による略奪・強姦・虐殺は
セットで日本軍は容認していたということだ。


川沿いに、女たちが首だけ出して隠れているのを引き揚げてはぶっ殺し、
陰部に竹を突きさしたりした。杭州湾から昆山(クンシャン)まで道端に延々と
そういう死体がころがっていた。昆山では中国の敗残兵の大部隊がやられて
いて、機関砲でやったらしいが屍の山で、体は引き裂かれて、チンポコが
丸出しで死んでいた。そのチンポコがみな立ってるんだ、ローソクみたいに。『チンポコ3万本』と俺たちはいっていたが、3000人以上はいたろうな。遠くからロングに引いてみると、残虐というより壮観だった。

読売のカメラマンで発狂したのもいたな。やったってしようがないのだが、
飛び出してやめさせようとするものもいた。普通の百姓だからといってね。
しかし兵隊はそんなのにかまわずぶっ殺していった。俺か? 俺は残虐な
写真ばかり撮っていたので病膏肓に入っていた。そういう残虐な写真を
撮るのも喜ぶものもいたし、やめとけというのもいた。参謀本部では証拠に
ちゃんと写真を撮っていたな。

以上はすべて、柳川平助兵団が南京に入城する前の段階の話である。これだけの鬼畜行為を楽しんだキチガイ兵士が「南京」になだれ込んだのだ。後はご想像の通りだ。

当然のことながら、柳川平助兵団による強姦・虐殺は南京攻略以降の
徐州・漢口作戦でも繰り返されることとなる。

徐州作戦では捕獲したチェコの機関銃がよく使われた。10人、20人と固まって
死んでるのが3キロも4キロもつづく。殺し方もいろんな方法をとった。
3人ぐらいいっしょに木にぶら下げられていたり、首をはねたり。子どもの
首をはねるのだけど、うまいもんだね、皮一枚ちゃんと残るように斬るんだよ。
その瞬間の写真を撮ったけど……

自分が犯した罪を自慢げに話した田所耕造は、もちろん中帰連ではない。ビルマで敗戦を迎えている


股裂きなんぞ、東映のモンド映画『徳川いれずみ師 責め地獄』にて鬼才石井監督が撮っていたけど、その遥か以前に日本軍では娯楽の殿堂として「日常風景」だったとは驚きだ。
日本軍って、頭の中が「石井輝男」と同じだったんだな。

「股裂き」の田所耕造が所属していた柳川平助兵団が如何に凄まじい「ならずもの部隊」であったか、従軍カメラマンとして共に行動した河野公輝さんが証言しているな。
これも酷すぎて卒倒するぜ。


蘇州(スーチョウ)の略奪もすさまじかった。中国人の金持ちは日本とはケタがちがうからね。あのころでも何万円とするミンクのコートなどが倉の中にぎっしりつまっているのがあった。寒かったから、俺も一枚チョーダイしたよ。(中略)東京の部隊では赤羽工兵隊というのが一番悪かった。
蘇州の女というのがまたきれいでね。美人の産地だからね。兵隊は手当たりしだい強姦していた。犯ったあと必ず殺していたな。


以上はすべて、柳川平助兵団が南京に入城する前の段階の話である。これだけの鬼畜行為を楽しんだキチガイ兵士が「南京」になだれ込んだのだ。後はご想像の通りだ。


以上の証言は河出文庫『証言・南京事件と三光作戦』より引用した。

この本のAmazonでのレビューにこんなのがあったが……

洗脳、と言う言葉がある。
この言葉は元々は中国語だ。日本語ではない。
朝鮮戦争時の捕虜米兵に対して共産主義を信じることをせまった行為を
中国共産党が洗脳と呼んでいたのが語源だ。
この捕虜米兵と同じように洗脳された人たちがいる。
日中戦争時に捕虜となった日本兵捕虜である。
生きて日本に帰ることのできたこの日本兵捕虜は「中帰連」(中国帰還者連絡会)と呼ばれ、帰国してから「証言」したものが、南京虐殺やら三光事件やらの
「旧日本軍が大陸でいかに悪いことをやったか」を描いた数多くのプロパガンダ本の基となった。本多勝一の『天皇の軍隊』も彼らの「証言」を基にした著作だという。


さて本書であるが、タイトルの、証言とはいっても上記の中帰連(笑)の生き残りの人たちがメインである。この時点でこの本の客観性や実証性はゼロといっていいプロパガンダ本といっていい。「南京大虐殺」「三光作戦」がウソ、でっちあげの産物であると言うことはネットや書籍を通じてようやく近年常識として広まりつつある。
これも一つの戦後レジームからの脱却と言っていいだろう。


『週刊アサヒ芸能』のインタビューに答えた人間が中共の捕虜だと決め付け、事実を歪曲しているところなんぞ、まさに中共と同じやり口だな。藁

自分が犯した罪を自慢げに話した田所耕造は、もちろん中帰連ではない。ビルマで敗戦を迎えている。インタビューを受けた当時でも、自分が行ったことは間違っていないと自慢していた神社の神主であった。三島が自決した日に息子に「お父ちゃんもあんなふうに死ぬのか」と聞かれた彼は、「お父ちゃんが死ぬときは共産党と社会党のやつらを皆殺しにしてからだ」と答えている。
http://www.asyura2.com/08/reki01/msg/182.html


中国山西省に出征した旧軍人のKさんは3年兵の時、トーチカ(砲台)の
一室で、4~5人の4年兵が現地女性を連れ込み輪姦している場面に
出会った。4年兵の兵隊が終ると、「今度は3年兵の番だ」と言われ、
Kさんは、強姦は犯罪だという認識がなく、単に古兵の命令に従わなければ
ならないと思いそれに加わった。Kさんはこういう“戦争犯罪に対する無感覚”は戦時中だけではなくて、戦後も変わらなかったと指摘する。戦友会の席上では、このような犯罪が懐かしい話、面白い話として語られるという。

その中には「股裂き事件」という話もあった。ある旧軍人が1944年の
河南戦争前後で見たことだ。中国人女性の片足を木に縛りつけ、もう片足を
馬の鞍に括りつける。そして突然馬のお尻を叩き、驚いた馬が走り出すと、
女性の体が二つに裂けてしまうというものだ。Kさんが駐在していた山西省
旧遼県でも、1941年4月に日本軍隊長が中国語で「勒馬分身」(股裂き)
という方法で殺人を行ったという。そのことは中国側の資料にも記述されている。
http://www.magazine9.jp/kaigai/dai027/index.html
3:777 :

2022/05/27 (Fri) 10:40:55

仏典の地獄を偏執的狂人の妄想から生まれた怪奇残酷趣味のフィクションにすぎないと考えるのなら、これはどう思われるか。…
「村民を銃剣で追い立てて並ばせ、機銃掃射で薙ぎ倒す。

泣き叫ぶ乳幼児や子供たちを銃剣で突き殺し、

妊婦の腹を切り裂いて胎児を放り出す。

死体の山に石油をかけて焼き尽くす。

木に縛り付けて鞭打っては冷水をかけ、凍死させる。殴り殺す。蹴り殺す。死体を野犬に食わせる。

背中に石を結わえて水中に投げ込む。

輪姦し、その女の赤ん坊を銃剣に刺して肩に担ぎ、軍歌を歌って歩き回る。

赤ん坊を投げ殺す。踏み殺す。巨大な石を担がせて圧死させる。

鞭で殴って焼けた棒を押しつけ、冷水をかけて極寒の場に捨てて凍死させる。

婦女子を狩り集めて輪姦し、腹を裂いて内蔵をえぐりだす。

生き埋めにする。眼をえぐる。耳を切る。鼻を削ぐ。首を切り、その数を競う。生きながら解剖する。銃剣で突き刺し、崖から落とす。等々」

 これはフィクションではない。「正義」を掲げた日本軍が中国でやったことである。といっても、ここでは戦争の是非を論じようというわけではない。地獄は決してフィクションなどではなく、スーパーリアリズムの世界だと言いたかったのである。我々の心の内側にある畑が荒れ果てたとき、地獄はどこにでも出現する。地獄の発生は倫理や道徳では抑えられない。かつて倫理や道徳が声高に叫ばれていた時期に、戦争が絶えたことはなかった。いや、むしろ、戦争は倫理や道徳の意図的操作によって遂行されたと言ってもよい。これは歴史の教えるところである。
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/shiunji/yowa/yowa7.html

南京にいた日本兵たちの人間墜落と性的異常行為は限界がありませんでした。ちょうど退屈凌ぎに殺人コンテストが考案された様に、兵士たちはセックスの十分な供給に飽きると様々な気晴らしの強姦ゲームを創造しました。

おそらく日本兵が気晴らしにした最も残忍な作法の中に、女性の膣の突き刺し刑があります。

南京の通りには足を広げ、開口部に木の棒や小枝や雑草を突き刺されて倒れている女性の死体がありました。南京女性の拷問に使用され、耐え難い苦痛を与えたこの方法は考えただけでも精神が麻痺してしまうぐらい痛ましいものがあります。若い女性を強姦した日本兵は彼女にビールボトルを突き刺して射殺し、別の所ではゴルフクラブを突き刺された強姦犠牲者が発見されました。

また12月22日にTongjmenの門近郊で強姦された理髪店の妻は膣にかんしゃく玉を突っ込まれて、爆破して殺害されました。

そして犠牲者は女性だけに限られた訳ではありませんでした。中国人男性はよく男色の相手にされたり、笑う日本兵たちの前で恥ずかしい性芝居を演じるように強制されました。ある男性は雪上に転がる女性死体との性行為を強いられ、それに拒絶して殺害されました。また日本兵は禁欲主義を誓っていた男性に性交際を強制して喜ぶこともしました。男性に変装して南京の門を通過しようとした中国人女性が股の間を掴みながら一人一人チェックしている日本近衛兵に真実の性を暴かれてしまい、集団暴行を受けている時に、たまたま現場近くにいた仏教僧は危険を冒して止めに入り、不幸にさらされました。日本兵たちは彼に強姦したばかりのその女性との性交際を強制し、それを拒んだ僧侶はその場で去勢されて出血多量のために死に陥れられました。

さらに最も卑劣な性的拷問手段の中には家族に対する退廃があります。

日本兵は中国人男性に対して、父親は娘を、兄弟は姉妹を、息子は母親を強姦させる近親相姦を強制して、加虐的な喜びを味わいました。

中国軍大隊の司令官だったGuo Qiは、街が陥落して息詰まっていた3カ月の間に、少なくとも4、5回は日本兵が母親を犯すように息子へ強制して、拒んだ者はその場で殺されているのを見たり、聞いたりしました。

この報告書は、ある中国人男性が母親を強姦することを拒んでサーベルで突き殺され、直後にその母親も自殺したことについて報告したドイツ人外交官の証言で実証されています。

家族の中には、この様な行為を強いられるぐらいなら率直に死に応じる者もいました。ある一家は揚子江を横断しようとしたところで二人の日本兵に止められ、点検を求められました。ボード上で若い女性や少女たちを見つけた日本兵たちは両親や夫の目の前で女性の強姦を始め、これでも十分にひどい行為にかかわらず、兵士たちが次に要求したことは一家をさらに困惑させました。彼らはこの一家の年老いた男性にも同様に女性たちを強姦させようとしました。一家は従うよりも川へ身を投げて溺れ死ぬことを決意しました。


日本兵に捕らえられた女性たちは強姦された直後に殺され、生きる望みはほとんどありませんでした。

女性たちは様々な方法を用いて強姦から逃れようとしました。中には、すすを顔に擦り付けて老いて見せたり、病気にかかっているように見せたり、頭髪を剃って男性を偽ったりして変装する女性たちもいました。(ある利口な若い女性は金陵大学の安全地帯までの道のりを老婆に変装し、杖を持って足をひきずりながら、背中に借りた6才の子供を負ぶって歩いてきました。)また4日前に死んだ子供を生んだと日本兵に告げて病気を装ったり、中国人捕虜の助言を受けて指を喉に突っ込んで何回か嘔吐して見せた女性もいました。(彼女を捕らえた日本兵は慌てて建物から追い出しました。)中には人混みの中を屈んで進み、壁を敏捷によじ登って日本兵からの追撃を逃れた女性や、三階の日本兵を妨害して、庭の中国人男性が支える竹棒を滑り落ちて、辛うじて暴行から逃れた少女もいました。

しかし、あがいた女性は一度、捕らえられると、日本兵に抵抗しようとした見せしめのために拷問にかけられました。日本兵に挑んだ者たちは、よく目玉をえぐり抜かれていたり、鼻や耳や胸を削がれている状態で後に発見されました。


金子安次
「昼間のうちにいい女に目をつけておいて、夜襲いに行く兵士もいた。頑強に拒んだ女性には膣に棒を押し込み、子宮を切り裂き、油をつけた綿を押し込み燃やしたこともしばしばあった。」

 金子さんの話によると、民間人に対する殺戮と性的虐待は日常的に行われていて、これに加担しなかった日本兵は、少なくとも金子さんの知る限り、ほとんどいないという。

子供は、慣例のごとく両親の目の前で殺された。


子供の前で母親を犯す。赤ん坊を火にくべる。または子供の前で親を焼き殺す。

生きたまま生体実験を行う。 慰安と称して女性の膣にガソリンを含んだ布を押し込み、火をつける。


日本兵が南京の居住民に与えた数々の拷問は人間の理解できる範囲を越えています。下記の例はそのほんの一部分です。

(生き埋め殺人)日本兵は機能的に埋葬活動を実施することで大量虐殺の効率化を図りました。中国人捕虜たちはそれぞれグループに分けられ、まず第一グループが自分自身の墓穴を掘らせられ、第二グループが第一グループを埋め、続いて第三グループが第二グループを埋めて行くという具合に強いられました。犠牲者たちの中には胸や首から下部分を埋められて、刀で徐々に切り刻まれたり、馬や戦車で下敷きにされたりして、さらに大きな苦しみを受けた者たちもいました。

(切断)日本兵は犠牲者たちのはらわたを抜き出したり、斬首したり、手足を切断しただけでなく、さらにひどい種類の残酷な拷問を行ないました。

街の至る所で捕虜たちが板に釘付けにされて戦車にひき殺されたり、木や電柱にくくりつけられて肉体を切り刻まれたり、銃剣の練習台にされて虐殺される光景があり、明らかな事実の中には、100人以上の男性が銃殺される前に目玉をえぐり出されたり、耳や鼻を削ぎ落とされたということがありました。また200名を越える中国兵や市民の集団が裸で柱や学校の戸に縛られ、zhuiziという特別の針で口や喉や目を含む何百カ所という肉体部分を突き刺されることもありました。

(火による殺害)日本兵は犠牲者たちを集めて一気に焼き殺しました。江口の日本兵は中国人捕虜を10人単位でまとめて縛り、ガソリンをかけて火が点けられている窪地へ落とし込みました。太平路でも大量な数に上る店員が火刑を宣告され、ロープでまとめて縛られて炎の中へ投げ込まれました。さらに中国人暴徒たちを建物の最上階や屋根上に集めて、階段を破壊し、炎を下に灯すという余興の火刑ゲームも考案されました。多数の者が窓や屋根上から飛び降りて自殺を図りました。


また犠牲者たちを燃料でずぶぬれにして射撃し、炎上するのを観望するという娯楽も実施されました。ひどい事件の中には日本兵が何百人に上る男性や女性や子供たちをガソリンでびしょ塗れな広場の中に入れ、マシンガンで火を点火することもありました。

(氷による殺害)南京大虐殺中、 何千人に上る人々が故意に凍死させられました。何百人に上る中国人捕虜たちが凍結している池の辺まで行かされ、裸になって氷を壊し、水の中へ魚を捕まえに飛び込む様に命令され、水の中に入ると彼らの肉体は日本兵の銃弾に穴を空けられる浮いた的と化しました。また避難民集団を縛って浅瀬の池へ投げ入れ、そして手榴弾で爆破して「血と肉体の爆発雨」を引き起こすこともありました。

(狂犬による殺害)残虐非道な拷問方法の中には、犠牲者たちの腰部分まで土の中に埋めてジャーマンシェパード犬にかみ殺されるところを観望するというものもあります。日本兵が犠牲者を裸にして、肉体の敏感な部分をジャーマンシェパード犬に噛みつかせる指図をしているところを見物人が見ていました。犬たちは腹を噛み開き、腸を離れた場所へ引きずり出していたそうです。

これらの出来事は日本兵が犠牲者たちの拷問に用いたほんの一部です。日本兵は犠牲者をACID(麻薬)浸けにしたり、赤ん坊を銃剣で突き殺したり、人々の舌をフックに掛けて吊るすといった残虐な行為を公然と行ないました。

日本軍はまったく人間性を喪失してしまい、少しもはぱかることなく女性を強姦・輪姦した。幼女からろうぱまで、はなはだしきにいたっては妊婦さえも免れることはできなかった。

数多くの女性は暴行されたのちまたむざんにも殺害された。日本軍が南京を占領して1か月の間に、2万回以上もの強姦事件が発生した。その時、南京にいた外国の人たちが日本軍のことを「きん獣の群れ」といったのである。

”輪姦の後、殺害された女性”とキャプションのあるこの写真では腹を割かれ、内臓がとび出している。少し開き加減の足。左足の先のほうにはズボンと覚しきものがからまりついている。
http://www.jca.apc.org/nmnankin/magaz306.html


人前で中国人の首を斬殺さしたり、妊婦を銃剣でお腹を裂き見世物にしたとか、娘らを強姦したら殺す!(死人にくちなし、と言う事だそうです)

乳飲み子を母親から取り上げ谷へ投げ捨てた。

子供に”みの”をかぶせ火の中に投げ入れ、熱い熱いとみのがゆれるさまを喜んで”みの踊り”と言ったそうです

日本兵は「幼い娘は熟していない」といって、下腹部を切り開き輪姦を始めるのであった。妊婦でさえも容赦はなかった。

妊娠9ヶ月の17歳の少女を2人の日本兵が強姦する。この結果流産してしまい、彼女は発狂してしまった。HongWu門外では日本兵が農家の妊婦を強姦し、女性の腹部を切り開き、胎児を取り出した。また別のところでは、日本兵が妊婦を強姦しようとしたがお母さんが立ちふさがる。

そこで日本兵の超残虐な行為が始まる。日本兵は老婦を蹴飛ばし、妊婦の腹部をナイフで切った。数ヶ月たったばかりの胎児が中から飛び出した。

このようにして2人の尊い命が一瞬のうちに消えてしまった。多くの女性が強姦の後殺害されている。ある日本の上官は部下にこう言った。「後で厄介になるから、用を済ました後は分からぬように殺しておくようにしろ」多くの女性はこの時の経験を話せない。

しかしそのような地獄から生還した女性もいる。彼女はJianYin通り6丁目に住んでいた。彼女は他の女性といっしょに日本軍に連れ去られた。日中は洗濯をさせられ、夜になると輪姦の道具となる。年増の女は一晩で10回から20回。若くてかわいい女はもっと多かった、と証言する。

正月元旦の日、二人の日本兵が彼女を連れ誰もいない学校にやってきた。そして彼女を10回銃剣で突き刺した。首の後ろに4回。腕に1回。顔に1回。背中に4回刺された。日本兵は彼女が死んだと思い、去っていった。あとで通行人に助けられ病院に担ぎ込まれ命を取り留めた。強姦の後幸運にも殺されなかったが性病に罹り、一生苦しんだ人たちもいることを忘れてはならない。


" 外国人の見た日本兵の蛮行 # という本の中に著者の TianBoLie 氏は南京の虐殺の事実を記録に残している。そのほとんどが強姦であった。それから少し例を拾ってみるだけでも日本軍の罪の重さがわかる。12月14日正午、日本兵は JianYing 通りの民家を襲った。4人の少女を誘拐し2時間かけて強姦した。12月14日夜、日本兵が民家を襲って女性を強姦し、連れ去った。12月15日夜、大勢の日本兵が Jinling 大学の講堂に押し入った。そこで30人の女性を強姦した。ある者は6人の日本兵から次々と輪姦された。 12月15日夜、大勢の日本兵が ShanTiao通りの民家に押し入り、多くの女性を強姦した。12月16日、日本兵は保育大学から7名の少女を誘拐した。年齢は16歳から21歳までの娘であった。そのうち5名が後に釈放された。18日におこなわれた事情聴取によると彼女らは一日に6回強姦されたといっている。

12月18日の夕暮れ時、4,5百人の女性がわれわれの事務所に保護を求めてやってきた。 この多くは日本兵に強姦されていた。 ここに記載した事件は南京陥落後のほんの数日間に起こった氷山の一角に過ぎない。 実際、 " 強姦は南京陥落後6週間に渡って大規模に行われた」のである。これらの犯罪は下級兵士の行動にとどまらず、指導者層にまで及んでいる。

南京虐殺の主犯格である日本軍第六師団長谷寿夫の証言によると、彼は ZhongHua 橋の近くで Din Lan という女性と他に二人を強姦している。また、SaiHongQiaoで Liu YuQingさんと他三名を強姦した。他のところで10名以上の強姦も認めている。日本軍の侵略者たちは強姦で動物本能を満たすだけでは終わらなかった。

彼らは集団で輪姦し、その後、殺して死体を切断するのであった。多くの女性は10人くらいの日本兵に輪姦された。そして女性は死んでいく。この種の経験をした女性の死体は数限りなくあった。虐殺の期間中、強姦の犠牲者には教授婦人、尼僧、労働者、教師、学生などがいた。


2月の終わりごろ、14人の難民の家族が日本軍により惨殺された。一番下の娘はほんの14歳。彼女は二つの正方形のテーブルの上に乗せられて死んでいた。上半身は服を着たままであるが、下半身はすべて剥ぎ取られテーブルは血の海であった。そして彼女の下腹部には銃剣で刺した後が二つあった。

お姉さんは妹と同様の格好でベッドの上に倒れていた。母親はテーブルのところで1歳の赤ん坊を抱きかかえ倒れていた。赤ん坊は腹部をナイフで切られ、内臓が飛び出していた。正視できない地獄絵巻である。国際委員会の委員は調査に乗り出した。
写真を撮り、それをアメリカの市民のもとに送った。日本大使館にも送った。


日本軍の地獄の苦しみを味わったのは主に女性であった。彼女らは強姦されてそれで終わりではなかった。日本軍から胸を切り落とされ骨が見えている女性。
下腹部を銃剣で刺され苦痛で泣き叫ぶ女性。また、下腹部に木材、竹、人参などを差し込まれ、かき回されて死んでいく女性。

これを端で見ている日本兵は拍手を送り高らかに笑っていた。日本軍に囚われコックとして働かされた中国人が脱走後次の話をしてくれた。12月16日、通りに出てみるとまだ火も残って煙が立ち込めていた。我が同胞の死体の山、山、山。特に女性の死体が目立つ。それらの中で10体のうち8体は腹部を切断され中から内臓が出ている。

血まみれの胎児を手にした母親の死体もある。女性の乳房は切り取られるか銃剣で刺され、血と肉の固まりと化している。南京市内外の虐殺の期間中、多くの女性の死体はこのような様子であった。XinZhong門の城壁近くの家で60歳代のおばあさんの死体が見つかった。おばあさんの下腹部は大きく膨らんでいた。

YangPi通りの北に少女の死体が見つかった。おなかは切り開かれ内臓は引き出され、2つの目は大きく見開き、口からは血が流れていた。 GuYiDian通りでは12歳の少女が死んでいる。下着は破られ、目は閉じたまま口は開いていた。この死体を見てわかることは、これらの女性が単に日本兵の刃に倒れただけでなく、辱めを受けているということだ。

日本兵の犯した強姦の罪は重い。その残虐さは彼らの殺戮に劣らなかった。日本軍の上官はこれらの残虐行為の手をゆるめることはなかった。むしろ兵士の動物本能を満足させるためにこれを奨励した。その結果、日本兵はどこに行っても強姦をやった。上海、SuZhu,WuXi, HangZhou でも日本兵は同じことをやった。

南京の女性の運命は特に悲惨なものであった。南京陥落後、日本兵は女性を求めて南京のいたるところを探し回った。そして見つけると集団暴行を行う。
http://www.geocities.com/Pipeline/Halfpipe/3791/katari2-2.html
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2022/05/27 (Fri) 10:41:18

拷問の光景を見てみよう。
  土地の者ではないということが、怪しいとみた理由だが、功名心にはやる土屋にとっては、それで十分だった。抗日分子なら大手柄だ。「オレが張った綱にかかった」のである。名前を張文達といった。三十三歳の近くの農村の農民で、「この街に買い物に来ただけ」と、おびえた目で話した。「いやいや、これは怪しい。この男は抗日軍の物資調達係だろう。貫禄から見て班長級だな」ど、士屋は決め込んだ。「何としても本拠地を吐かせ一網打尽にしたい」「これは大変な功績になるぞ」。思いだけは駆け巡るのだが、土屋は実際の取り調べをしたことがなかった。それて先輩格の伍長に取り調べを頼んだ。・・・
 
 まず、伍長が命じたのは、「こん棒を持ってこい。それも生木の丈夫なのだ」。これで殴りつけろ、という。土屋の頭に浮かんだのは、「何も生木のこん棒でなくても。相手は人間なのだから、せめて竹刀ででもいいではないか」という思いだった。だが、伍長の、それも実務を教えてくれようとする上官の命令だ。士屋ど同僚の上等兵とで、こん棒を振り回した。男は殴りつけるたびに、「ウッ」「ウッ」と声を立てたが、何も言わなかった。着ている綿衣からほこりだけはあがった。

 効果がないのが分かると、伍長は、机を二列にして、積み重ねさせ、上に棒を渡した。いわば器械体操をする鉄棒のような形だ。この棒に、両手足を麻縄で縛った男を後ろ手にしてつるした。体の重みを不自然な形の両腕で支えるのだから、苦しい。それも一時間、二時間の単位だ。はじめ真っ赤になった男の顔は、青ざめていき。脂汗をにじませてきた。だが、何もいわない。「こんちくしょう」と、伍長は十キロもある石を軍馬手に持ってこさせ、浮いていた男の足に縛りつけた。両肩の関節がゴクッとなった。「ウーン」とうなり、男は気絶した。舌打ちをした伍長は「今日はもういい、明日は必ず吐かせてやる」と言い残して自分の部屋に戻ってしまった。・・・

 二日目もひどい拷問が続いた。指南役の伍長は、どこからか焼きゴテを探して持ってきていた。これをストーブで焼け、という。「赤くなるまでだ」と、次の場面を予想して躊躇する土屋に付け加えた。男を留置場から引き出し、上着をはがし、背中をむき出しにした。赤く焼けたコテを男に見せて脅し、自白を強要するのか、と士屋は思った。ところが違った。伍長はいきなり背中に押しつけた。ジューッという音と、煙、それに激痛に思わず口をついた男の叫び声があがった。と同時に、何ともいいようのないにおいが部屋にも充満した。

 「お前の本拠はどこだ。仲間は?言え!言わないか!」。伍長は、怒鳴りながら何回となく男の背中を焼いた。「苦しい」を繰り返し、男はついに、「話す。話すからやめてくれ」といった。伍長は手を休めたが、相手は、肩で大きく息をするだけで、結局、何もいわない。伍長が再び赤く焼かせたコテを使った。部屋には鼻をつく臭気がこもり、断続的な男の低いうめき声が床をはった。・・・

 拷問は、さらに続いた。逮捕して二日間というもの、男に何も食べ物を与えていなかった。水すらも飲ませなかったと思う。それが三日目は水責めだった。弱り果てた男を裸にし、長椅子にあおむけに縛りつけた。そして、水を入れた大きなやかんで口と鼻に水をジャージャーと注ぎ込んだ。絶え間ない水のため、息ができず男は口をパクパクさせて水をどんどん飲み込む。みるみる腹が膨らんでいった。すると、拷問指南役の伍長は、「腹に馬乗りになって水を吐かせろ。そして、また注ぎ込め」という。この繰り返しだった。何回やっても同じだ。相手は気絶している。自白を得るという効果はなかった。・・・

 三日目は水責めで終わり、四日目は、いわゆるソロバン責めだった。「丸太を三本持って来い」と、伍長がいい、軍馬手に三角柱になるように削らせた。三本並ペ、その中でも鋭角の部分を上にし、男を座らせた。足はズボンを脱がせ素肌である。いわゆる弁慶の泣きどころに角が当たり、体重がかかる。男はこれまでの苦痛とは別の痛みで、悲鳴をあげた。その上だ。伍長は、男の上に乗っかれ、という。しかも土屋と同僚二人一緒にだ。そして、体を揺すれ、といった。ゴキッと音がし、男はうなるような声を立てた。もはや、脂汗も出ないほど弱っていた。男のすねの状態を、どう表現したらいいか。「生ぬるい。足に板をはさみ、両端に重石をのせろ」。すでに別の世界にいたのか、伍長は、さらに命令した。・・・

 足を痛めつけた翌日、伍長は、何を思ったか、太い針を買って来いと命じた。通訳が布団針を四、五本求めてきた。この針を男の手の指に刺せという。指といっても爪と肉の間にだ。映画でみたか、話に聞いたか、そんな拷問があるとは知っていたが、自分がやることになるとは思いもしなかった。ためらっていると、ほおのこけた伍長が病的な目でにらんだ。やらなければならない。男はこれから何をされるのかを察し、腕を縮めた。この腕を同僚に押さえつけてもらい、土屋は、右手中指の爪の間に針を刺した。だが、実際はろくに刺さらなかった。相手はあれだけ痛めつけられていたのに満身の力で手を引こうとした。それに、土屋はおっかなびっくりだった。それで、腕を押さえるのに伍長も加わった。だが刺さらない。男も自白らしいことは、むろん何も言わない。そのうち血やら汗やらで針がすべり出した。それでも刺そうとすると、針を持つ土屋の指のほうが痛くなってきた。

 男はすでに死を覚悟していたらしく、悲鳴もあげなくなった。ただ、ものすごい形相で土屋たちをにらんでいた。足がすくむような思いに襲われながらも、伍長の命令で続けた拷問だったが、ついに伍長もあきらめた。「張文達三十三歳、近くの農村から買い物に来ただけ」ということ以外、何の自白も得られなかった。班長格の軍曹は、すでに男を抗日分子としてハルビン憲兵隊に報告していた。だが、拷問の限りを尽くしても、本拠地の所在など肝心なことは何一つ聞き出せなかった。かといって、拷問によって半死半生になっている男を、このまま釈放するわけにはいかなかった。男の処分はどうするのか、土屋にはわからなかった。

 こういう時の処分で悩むのは、土屋のような新米憲兵ぐらいである。土屋が初年兵時に公主嶺で経験したように、仕掛けがあった。針の拷問から二日後だった。平陽鎮にいた満州国軍歩兵十五師団の日系軍官である中尉が訪ねてきて、男を連れて行った。「日本刀の試し斬りに」だった。男が墓地で首を落とされるのを土屋も見た。(p.81-86)
http://www.ne.jp/asahi/kuma/radical/dokusyo/special/kenpei_kiroku.htm


広東州の中央憲兵隊へ補助憲兵として私は派遣された。野戦補助憲兵といって、憲兵と同伴の時だけにかぎって憲兵の資格を有していた。主な任務は、保全地区(駐留日本軍の勢力圏内)での治安維持であった。特に、思想犯に目を光らせた。思想犯を捕え、拘留し、洗脳するのであったが、そのやり方は目を覆うものであった。

 コンクリートの上に、真っ赤に焼けた木炭を敷きつめ、その上に裸にした“囚人”を転がした。喚き、のた打つ“囚人”は隅へ隅へと転がってくるが、周囲には日本兵がいて、それを蹴飛ばして再び中央へ戻した。“囚人”の反応の仕方は、もはや人間のものとは思えなかった。多くの“囚人”は三日目を境に死んでいった。

 女に対してもその残虐度は同様であった。やはり全裸にして、獣のように四つん這いにさせ、丸太で打ちのめした。

私は、そればかりはどうしてもできなかった。すると、

「これしきのこと、できんのかッ」

 一人の憲兵が私を蹴飛ばしてから、丸太で渾身の力を込めて女を打ちすえた。

中国人は人間に非ず、否、生き物にさえ非ずとでも思っているような拷問であった。彼らの抵抗は死以外の何ものでもなかった。
http://page.freett.com/sokagakkai_komei/www.sokagakkai.or.jp/sokanet/HBK/Heiwa/hansen-7.html
5:777 :

2022/05/27 (Fri) 10:41:57

南京事件資料集
http://kk-nanking.main.jp/
南京事件(南京大虐殺)の真実
「否定派の解釈の誤りと、捏造のすべてを明るみにだします」 by タラリ
http://www.nextftp.com/tarari/index.htm


▲△▽▼


南京大虐殺30万人は過大評価なのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/129.html
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/409.html  
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/108.html

日中戦争証言
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/103.html

朝鮮人認定された天才ジャーナリスト 本多勝一 vs. 詐欺師の似非学者 渡部昇一
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/130.html

天皇の戦争責任を暴いたバーガミニをアメリカが抹殺した理由は?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/751.html

君はアジアを解放する為に立ち上がった昭和天皇のあの雄姿を知っているか?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/312.html

戦争に行ったら こんな事もしてみたい あんな事もやってみたい__わくわく どきどき
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/313.html

ニューギニアで旧日本兵が行った残虐
http://www.asyura2.com/12/lunchbreak52/msg/799.html 

南京大虐殺、南京での組織的略奪とその隠蔽は昭和天皇が直々に命令して実行させた?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/131.html

戦争犯罪の証拠になる公文書を米軍の占領前にすべて焼却させた元法相 奥野誠亮
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/413.html

超A級戦犯 昭和天皇の戦争責任 公開処刑
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg

天皇ギロチンは必要
http://www.asyura2.com/13/lunchbreak53/msg/224.html

ディビット・バーガミニ _ 天皇の陰謀 天皇裕仁はかく日本を対西洋戦争に導いた
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/760.html

天皇の戦争責任を暴いたバーガミニをアメリカが抹殺した理由は?
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/751.html

戦争犯罪の証拠になる公文書を米軍の占領前にすべて焼却させた元法相 奥野誠亮
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/413.html

昭和天皇の戦争犯罪問題が再燃すると困るから天皇一族は靖国神社に参拝できなくなった
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/128.html


▲△▽▼


731部隊と医療被曝 _ 無事に内地に帰還した731部隊員は何をやったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/471.html

愛国者篠塚良夫は14歳で731部隊入隊
http://www.asyura2.com/13/senkyo150/msg/442.html

東海アマブログ  731部隊の人体実験 猿の頭痛
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1043.html

731部隊と医療被曝 _ 無事に内地に帰還した731部隊員は何をやったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/471.html


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アホに広田弘毅が、長州憲法(明治憲法)が元凶と言った意味を教えてやるよ
http://www.asyura2.com/09/dispute30/msg/278.html

日本の恥 _ 詐欺師 TORA を放置するな _ 南京大虐殺は昭和天皇が直直に命令して実行させた
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/519.html

百人斬り 『南京大虐殺のまぼろし』の嘘
http://www.asyura2.com/11/hihyo12/msg/518.html

「南京事件の真実を検証する会」の公開質問状に中国側は答えていない
http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/607.html

事実無根の南京大虐殺(何事も楽しく、過ごしたい。)
http://www.asyura2.com/12/idletalk40/msg/517.html


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中国や韓国の反日暴動はアメリカが扇動していた
http://www.asyura2.com/20/reki4/msg/618.html

中国に取り残された残留日本兵を救った中国人
http://www.asyura2.com/21/reki6/msg/102.html
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2022/05/27 (Fri) 10:42:40

この続きは

男がやってみたい事はみんな同じ _ 日本兵が日中戦争でやった事
http://www.asyura2.com/21/reki7/msg/107.html
7:777 :

2022/05/27 (Fri) 10:50:47

男がやってみたい事はみんな同じ

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ネットに流れる世界の過激SMリョナ動画の紹介です。
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8:777 :

2022/05/27 (Fri) 11:28:58

上げ 12
9:777 :

2022/05/29 (Sun) 07:07:53

あげ44
10:777 :

2022/05/29 (Sun) 14:20:49

上げ 123
11:777 :

2022/05/29 (Sun) 15:56:24

あげ 41
12:777 :

2022/06/30 (Thu) 14:44:47

あげ63
13:777 :

2023/06/02 (Fri) 18:29:19

2023-04-20
『はだしのゲン』で描かれた「妊婦の腹を切りさいて中の赤ん坊を…」も嘘ではない
https://vergil.hateblo.jp/entry/2023/04/20/191142

前回記事で、『はだしのゲン』が嘘を書いているとしてしばしば槍玉にあげられる、「女性の性器の中に一升ビンがどれだけ入るかたたきこんで骨盤をくだいて殺した」というおぞましい話が、実際には嘘などではなく、中国でこの残虐行為を実行した本人が語った内容であることを示しておいた。




この『はだしのゲン』についてはもう一つ、その隣のコマにある「妊婦の腹を切りさいて中の赤ん坊をひっぱり出した」という話も、嘘だとして攻撃のネタにされることが多い。





しかし、こちらの話も嘘ではなく、事実である。

例えば、東京裁判に提出された、フィリピンにおける日本軍の性暴力についての証拠資料の中にも、この種の犯罪に関するものが含まれている。[1]

4 フィリピンにおける性暴力関係証拠資料が示す性暴力の実態

(略)

③虐待の手段として行われた性暴力とは、強姦・強姦未遂に加えて、虐待を目的として、あるいは死に至らしめるまでの虐待として行なわれた様々な性暴力に関する資料である。例えば乳房や陰部を銃剣で切除する(Ex.1366)、裸で一晩中立たせる(Ex.1388)、胎児を腹部から出す(Ex.1414)といった行為が挙げられる。

 これらの資料は、強姦があたかも残虐行為の「一般的な手段」として用いられていたこと、また強姦が意図的に行われていたことを示しており、強姦、乳房・陰部・子宮への攻撃など、女性の「性」が攻撃のあからさまな対象となっていたことがわかる。


次は、中華民国政府によって行われた戦犯裁判に証拠として提出された、南京大虐殺時の残虐行為に関する目撃者証言。[2]

(略)また証人欧陽都麟は、「日本軍の谷寿夫部隊は南京攻略で中華門から真っさきに入城し、まず虐殺をおこなった。この二日間(十二・十三の両日)で中華門内外は死体が散乱し、惨たらしくて目をそむけざるをえないほどであった。ある妊婦は銃剣で腹部を刺され、腹から胎児がとびだして死んでいた。ある女性は銃剣で陰部を刺され、剣の先が臀部にまで突きぬけて死んでいた。また八〇歳の老婦人で強姦されて殺きれた人もいた」と供述している。(略)


こちらは中華人民共和国政府によって行われた戦犯裁判での事実認定。この裁判では中国側での徹底的な捜査の結果と、その内容を知らないまま加害者が自白した内容が一致した場合にのみ罪が裁かれており、事実認定の信頼度は非常に高い。[3]

鈴木啓久

 四一年から四五年まで罪状八件。(略)

 四二年四月「豊潤大討伐」を命令し、河北省「魯家峪虐殺事件」をひきおこした。民家一九〇〇余軒を焼き払い、斬り殺す、焼き殺す、毒ガスを放つなどで住民二二〇余名殺害、毒ガスを投げこまれ、穴から這い出た一八歳の娘を輪姦して死亡させた。強姦に抵抗した妊婦が腹を切り裂かれ胎児をえぐり出され殺された。



次は、南京攻略戦の途上、無錫付近の小さな集落で行われた虐殺を奇跡的に生き延びた生存者による証言。[4]

 三つ目の小集落・南前頭には、一二世帯四九人が残っていた。「鬼子」の一隊の近づく気配に、住民たちは逃げようとしたが遅かった。一一人だけ脱出したものの、三八人はつかまった。集落の農家一二戸は九里河という水路(クリーク)ぞいに並んでいて、家並みと水路との間は幅一〇メートルほどの庭になっている。百余人の兵隊たちは、三八人をここに集めてかこんだ。その中に二人の若い女性がいた。一人は一七歳の生娘、もう一人は妊婦だった。二人はそれぞれ別の家へ連行され、多数の「鬼子」たちに次々と輪姦された。二人とも立てなくなった。

 強姦を終わった兵隊たちは、放火と虐殺にとりかかった。いま輪姦した二人を庭にひきずりだす一方、他の兵隊らは手わけして各家に火をつけた。それから起きた阿鼻叫喚の様子は、各場面がほとんど同時進行したために、時間的に順序だてての説明はできないが、それは次のとおりであった。

 輪姦された二人の女性のうち、生娘は局部に箒を刺しこまれ、さらに銃剣を突き刺されて殺された。妊婦のほうは腹を銃剣で切りさかれ、胎児が外にえぐりだされた。



「慰安所」と称するレイプセンターに閉じ込められ、性奴隷としての生活を強いられた被害女性の中にも、このような蛮行を目撃した人がいる。「工場で働けば金が稼げる」という言葉に騙されて朝鮮から連行された朴永心さんは、1938年から大虐殺後の南京で「慰安婦」として働かされる中で、同じ境遇の女性が腹を裂かれて殺される現場を目撃している。[5]

 (略)しかし、それは過酷な「慰安婦」生活の始まりにすぎなかった。キンスイ楼での「慰安婦」生活は三〜四年にも及んだのである。そしてその間に、七人の仲間が病気や栄養失調で死んだり、あるいは切り殺され川に投げ捨てられたりしたのだった。

 そのうちの一人は、妊婦だった。兵士たちはサックの使用が義務付けられていたが、中には使いたがらない者もいたため、二四歳くらいだったその女性は妊娠させられたのである。お腹が目立つようになったころである。二人の兵士がその女性に襲いかかり、こともあろうか軍刀で腹を裂いたのだった。その時の女性の悲鳴で、慰安所の女性たちは皆彼女のところに駆けつけた。朴さんも部屋を飛び出して行き、この虐殺の現場を目撃した。胎児は引き出され、母子は無残に殺されたのである。

中国の少数民族黎族のある少女も、日本軍部隊に拉致され、日々強姦される生活の中で、このような場面を目撃させられている。[6]


 呉亜洞さん(仮名)は一九二五年七月生れ、保亭県A村に生れ、今もそこに暮す。

(略)

 一六歳のとき、日本軍に徴用されて「戦地後勤服務隊」なるものに入れられ、村の近くの駐屯地へ連れて行かれた。彼女と共に村から二人の娘が連行された。(略)

 駐屯地では、まず黎族の村から収奪してきた米の選別をさせられた。よい米とくず米を分ける作業だった。六、七日たって、日本兵が山へ烏を撃ちに行くのに同行させられた。この時、山のなかで、兵士四人に押さえられて隊長に強姦された。服を脱がそうとしたので、泣き叫ぶと、日本兵は彼女の顔を殴った。さらに銃床で打った。殺されると思って抵抗を止めると、日本兵は服を剥ぎ取って強姦した。下半身は血だらけになった。殴られた左耳はその後、ほとんど聞こえなくなった。

 それから、昼間は水運び、洗濯をさせられ、夜は日本兵に強姦される日々が続いた。一晩に五人もの兵士が襲ってきたこともある。生理中でも強姦された。日中、山へ連れていかれ、山の中で強姦されることも繰り返された。そんな時、嫌がったために、谷へ突き落とされ、左腰が岩に当り、歩けなくなった。左骨盤が骨折、今は腰が大きく左へ曲っている。

(略)

 近くの駐屯地だけでなく、他の駐屯地へ連れていかれて、強姦されたこともあった。大村ダイソンの軍慰安所には七日間監禁され、ザラーンでは四日間、兵舎に監禁され、そこで強姦された。大村の慰安所に送られたとき、ひとりの少女の虐殺を村人と一緒に見させられた。李亜細という少女が逃げようとして、捕まった。川辺に彼女を連れて行き、銃剣で腹を切り裂き、妊娠していた少女の腹の胎児を突き刺した。


最後に、蛮行を実行した本人による告白。[7]

 昭和十六年九月ごろから第六師団は、中国大陸最後の砦といわれる長沙へ向けて進撃を開始し
た。

(略)

 部隊の最前線にいるため食糧が底をつくときも多くあった。そのような時、進撃している途中、民家に五、六名組になって徴発に出かけていった。例外なくほとんどの現地人は逃げてしまい、無人地帯だが、中には逃げ遅れた子供や女が残って隠れていることもあった。若い女性はかならずといっていいほど、強姦をされて殺された。

(略)

 その日は敵との小ぜり合いも少なく、比較的平坦な道の行軍であった。

 谷間にある小さな平地に十四、五軒ほどの民家があり、その中を進んでいった。正午ごろであったろうか、私の脳裏に焼きついて離れない「狂気」としかいいようのない事件はここで起こった。というより自分の手で起こしたのだ。

 私たちはいつものように五、六名で徴発に出かけた。住民はみな逃げて、いないようであった。

(略)

 私たちは部落の中ほどにある家に入った。私と他の二人で入口に立って見張りをし、残りの三人が用心深く中に入っていった。しばらくすると奥から、「おい! ここにどん腹の女がいたぞ!」という声がしたので、中に入っていった。

 どんな顔をしていたか忘れたが、三十二、三歳ぐらいの女性で、見ると腹が大きく、そのため逃げ遅れたのであろう。うす暗い部屋の中でも、片隅にうずくまっている女性が震えているのがわかる。


 最初に見つけた友が、怯えている女性を引きずり出し、震えながら、それでも必死に抵抗する女性を強引に寝台にねじ伏せた。そして、面白いものを発見したかのように、「ひとつ女の腹の中にどんな具合いに赤ん坊が入っているか見てみようじゃないか」といった。「かわいそうだからやめろ」というと、友は激しい口調で、「俺たちは今夜死ぬか明日死ぬかわからんのに、情をかけてどうするか!」といった。

 もともと、私を含め他の者も、面白半分の気持ちが強く、結局、面白いからやってみようということになった。

 三人で、必死に抵抗する女をベッドに抑えつけた。二人で手を、もう一人が足を抑えつけた。私は手を抑えていた。

 臨月になっていると思われるその大きな腹の上部に包丁をあてた。そして、上から下へ一気に断ち割った。

 切りさくような女性の絶叫、はじける肉、瞬間、鮮血がベッドいっぱいにふき出し、ベッドが真っ赤な血の海となった。

 あまりにもむごい生命誕生の瞬間であった。そして、短かすぎる一生であった。もちろん、いつのまにかその女性は気を失っていた。ただいつ発したかわからないが、大きな何ともいえない悲鳴が、いつまでも耳に残っていた。

 面白半分でやったものの、かなりのショックをうけたのか皆、何もいわなかった。そのまま布をかぶせ、逃げ出すようにしてその家を去った。そこでの光景、胎児の姿は今なお、まぶたに焼きついて離れない。その後、この事件に関しては自分たちだけの秘密として、お互いに、しゃべることもなかった。今ごろこうして思い出すと、身が震え胸がしめつけられる。ほんとうに何ということをしたのだろう……。


ここに挙げた例はすべて別々の事件であり、もちろんこのように記録が残っているものは氷山の一角にすぎない。嘘どころか、日本軍の行くところ、中国でも東南アジアでも、このような行為が何度となく繰り返されていたのだ。

[1] 戦争裁判と性暴力・資料編集委員会 「【資料紹介】東京裁判と性暴力 ー 中国とフィリピンを例に」 季刊戦争責任研究 第61号(2008年秋季号)P.32


[2] 南京事件調査研究会編 『南京事件資料集(2) 中国関係資料編』 青木書店 1992年 P.304
[3] 新井利男 「中国の戦犯政策とは何だったのか」 季刊「中帰連」14号(2000年9月) P.25
[4] 本多勝一 『南京への道』 朝日文庫 1989年 P.84-85
[5] VAWW-NET Japan編 『「慰安婦」・戦時性暴力の実態 I ー 日本・台湾・朝鮮編』 緑風出版 2000年 P.268-269
[6] 野田正彰 『虜囚の記憶』 みすず書房 2009年 P.219-221
[7] 創価学会青年部反戦出版委員会編 『揚子江が哭いている ー 熊本第六師団大陸出兵の記録』 第三文明社 1979年 P.173-175

https://vergil.hateblo.jp/entry/2023/04/20/191142
14:777 :

2023/12/08 (Fri) 09:21:00

日本とアメリカの 生物兵器の人体実験の 歴史
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16829013



生物化学兵器開発の歴史
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14101058

米国は生物化学兵器の研究開発をウクライナからアフリカへ移転
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=16823532

COVID-19は武漢の研究所から漏れ出たと米国の有力メディアが言い始めた背景
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コロナウイルス _ ファウチNIAID所長の闇に光が当てられ始めた
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/648.html

米ペンシルバニア大学の研究で新型コロナウイルスが人間の重要な免疫細胞を「エイズ同様に消滅させている」と結論付けられる
http://www.asyura2.com/20/reki5/msg/269.html

ビル・ゲイツやスティーブ・ジョブズ の正体
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/727.html

接種者を死亡させ、人類の存続を危うくする薬を世界規模で接種させるのは誰か
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コロナ・コロナワクチン関係投稿集
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14038585

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愛国者篠塚良夫は14歳で731部隊入隊
http://www.asyura2.com/13/senkyo150/msg/442.html

731部隊・wikipedia(隊員の子孫は、先祖の功罪を相続し、米英以生物兵器の全ワクチンを発見・発表すべきです)
http://www.asyura2.com/11/lunchbreak46/msg/167.html

731部隊と医療被曝 _ 無事に内地に帰還した731部隊員は何をやったのか?
http://www.asyura2.com/18/reki3/msg/471.html

東海アマブログ  731部隊の人体実験 猿の頭痛
http://tokaiama.blog69.fc2.com/blog-entry-1043.html

【原爆】隠されたアメリカの闇…日本人を使った人体実験だったのか?
https://a777777.bbs.fc2.com/?act=reply&tid=14149837
15:777 :

2024/09/19 (Thu) 10:13:30

妙佛 DEEP MAX _ また襲撃事件発生-深圳日本人学校の児童が被害に!
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【中国】中国の歴史教科書を徹底検証!反日教科書で完全なプロバガンダと言われる理由!
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2012年反日暴動は中国公安が指揮していた
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もう外国人は、香港や中国に危なくて行けない
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妙佛 DEEP MAX 日本人が認識すべき中国社会の雰囲気!大量入国大丈夫?
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壺齋散人 近現代の日中関係を考える
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中国に未来が無い理由 _ 田代秀敏 混沌の大国 中国と中国人を知る
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【河添恵子】酷すぎる...中国人の民度とモラルの低さには驚きました
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中国の文化は「誇張と矮小化」
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「弱きをくじいて強者を助ける」のが中国のヒーロー
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儒教には神がいない。だから嘘に罪悪感を抱かない。
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支那人が 「隣人」となる恐怖 / 悪夢となった マイホーム
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